教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

四月三十日(金)晴。早晩ジムにて鍛錬しつつ志ん朝師匠の「真景累ヶ淵」より「豊志賀の死」を聞く。圓朝作の怪談話聞きながらの運動も奇妙。前半多少説明が過ぎるのと新吉の富本の師匠・豊志賀とお久との会話がやたら「ですます」調の現代語であるのが気になる。志ん朝本人もマクラにて「あたしぢゃ怪談話もちっとも怖く聞えない」と言っているが確かに。晩に北角の寿司・加藤。加藤の向いに住むH氏と新界に住むK氏招き一酌といいたいが澤の泉をば三人で一升五合は飲過ぎか。I夫妻現れ先週土曜に送別会せしH君の送別まだ続く、と。送別されるH君とH君の親友O君現れる。加藤も閉り先に近くの城市花園酒店の地下の酒場に往ったH君らに合流し深更にまた一酌。
▼昨日綴った「君」といふ言い方。日本語でも戦前の旧制学校から戦後のビジネス社会においてはかなり使われたが今では寧ろ「君が」などと言おうものなら余所余所しいどころか「君が発注する、って言ったんじゃないか!」など相手批判。小津の映画で笠智衆が新橋の小料理屋で会う仲間たち、森繁の社長シリーズなどでは「君」は常套語ながら今でもこの「君」を使う者は少なく、敢て正当なる「君」用法の養護者が誰かと挙げればフグタマスオ氏只一人。マスオさんの品の佳さは定評あるが「アナゴ君〜、キミは」とマスオさん。
▼昨日の朝日の憲法特集に酒井隆史氏の「異質な人排除する改憲論」なる文章あり見入る。本来は普遍的な権利の体系であるはずの憲法が今の日本では「普通の人である私」が「異質な人」排除し「人に迷惑をかけない普通の人だけは仲間に入れてあげますよ」といふ体系になり果てる。実はこの「普通の人」ほど常軌逸しているのだが当然本人らはそれを解せず。個と個、個と国家の間に契約も本来の連帯や繋がりもなく単に漠然とした村の寄り合い的な(……などと安易に表現すると網野先生の研究に証された中世の村のもつ自治制などを理解していないことになるが)言い直せば「自治意識もなき」メダカ社会である日本、異質を無視するか集団にて嫉妬と不信で排除するか、連帯なきゆへの全体主義。狂気。憲法の普遍性も理解できず、日本の憲法ゆへ八百万の神だの稲作文化など日本の独自性を憲法に謳へ(笑)と白痴ぶり著しき自民党の先生方。今日の朝日には宮崎にて小泉首相宛にイラク撤兵の請願署名集めて送った高校卒業生が(小泉三世がこの誓願読んでいない上に学校がきちんと教育をしてくれないとと宣ひ唖然とさせられたが)誓願の際に「学校名を出さぬよう指導」したその学校に呼び出され「教育委員会に呼び出された。他の学校も迷惑している」と苦言呈された事実。本来なら生徒のこの自由闊達なる思弁に対してそれを育て護ってやるべきが学校。戦前の旧制学校ならできたこと。この生徒を誇りに思えず芽を刈り取る、これが教育の現状か。悲しきかぎり。

四月廿九日。先帝御誕生日。ところで瘴癘(しやうれい)といふ言葉あり。M君調べると「人ガ山林ノ間ニ到ル接觸ニ因リ熱蒸ノ毒氣發スル所ニ生スル疾病」つまり「気候・風土のために起る伝染性の熱病。風土病。」(広辞苑)にて杜甫にも「江南瘴癘地,逐客無消息。」とあり。灼熱のボルネオであるとか帝国陸軍のルソン島ならまだしもなぜ今更この言葉かといへば外務省に瘴癘度なる言葉あり、それがバングラディシュとかならまだ理解に能ふが中国が上海を除き北京もこの瘴癘之地(笑)。で、当然の如く海外勤務手当も高くなる、と。今どき中国がこれでは外務省の感覚も感覚だが中国政府は真剣に抗議すべきでは? ところで唐詩といへば本日の蘋果日報の陶傑氏の随筆で陶傑氏「君」なる言葉取り上げ中文において漸々消え失せる言葉がこの「君」である、と。「君」なる物言いの礼節と深い感情は称号は称号でも「先生」の堅苦しさと「兄」の気安さの間に丁度いいところにあり杜甫の音曲師・李亀年に宛てた「正是江南好風景、落花時節又逢君」の、この「君」といふ言葉での親しみ。中国製の安タオルに「お早うございます」の意味で「祝君早安」とあるのも趣きあり。この「君」は仏蘭西語のtuに対するvousのニュアンス、英語のyouにはなき感性か。田中長徳の『ライカを買う理由』読了。ライカであるとかコンタクスの透視ファインダーの写真機を使う者が、一眼レフ=目に見えるものを写すのに対して、透視ファインダーから被写体のなかに「見えないもの」を写そうとしているのだ、といふ点を除けば余りにタメにならず。
▼週刊読書人四月三十日号に一頁大で池田大作先生『人間革命』執筆四十周年に寄せてといふ記事あり。西川潤、中島誠といった人たちのこの著作への賞賛あり記念記事ゆへ通常の書評とは違い褒め言葉になるのはわかるが、確かに山下肇による戦前から敗戦直後にかけての戸田城聖の回想など面白いが、ここまで大絶賛となると広告記事とも見える。通常この週刊新聞にてありえぬこと。

四月廿八日(水)曇。晩に沙田の競馬開催あり馬券のみ購入しジムにて久方ぶりに二時間きちんと鍛錬。灣仔の北京水餃皇に食す。韮菜猪肉水餃のみ僅か八件食すがやはり食べたりず帰宅途中にジャスコの中島水産にて小鰭と鯛の握り寿司購ふ。閉店間際にて6件にてHK$28とお得。競馬殆ど当たらず。田中長徳『ライカを買う理由』少し読む。談志師匠の「付き馬」「道灌」を聴く。落語の録音版は今になって思えば十二の頃に上野の鈴本にて文楽師匠の芝浜だったかのテープ購って聞き慣れた筈が、この談志師匠のCDの何が恐ろしいかといへば実況録音でなくスタジオであること。当然、客の笑い声もなし。黙々と……って噺家だから黙々のわけがないが談志師匠まるで唯一人の客である余の前に坐して余に向かって語るが如し。こちらは緊張にただ背を正して言葉の通り拝聴の気分。そりゃ恐ろしきこと。「付き馬」なら話ぢたい面白いのでまだ救われるが、ただの駄洒落で続く「道灌」となると「師匠、もうお願いですからそのへんでお止めいただいても」と願いたきほどの気迫。ただの馬鹿な与太郎が談志師匠となると馬鹿も業に至れり。

四月廿七日(火) 昨晩読みし荷風先生日剰昭和十三年の大晦日書抜き。戦の足音忍び寄る年の暮れ荷風先生浅草界隈珍しく朋伴連れ立ち楽しげに過される。晦に浅草に集ふ人たちの苛しき暮しの中での束の間の幸ひまで眼に浮ぶ如し。
十二月三十一日。陰。朝の中食料品を買ひとゝのへて後再び眠る。午後三時ごろ豬場君市川より電話を寄す。日の暮るゝを待ち吾妻橋丸三屋に至れば氏既に在りて餘を待てり。今半に一酌する時平井君稻毛より來る。十時過六區の森永に至るにオペラ館既にはねしと見榮竹下よし美高清子生田某谷中氏等居合せたり。年越しの酒汲まんとて一同千束町角の成駒に至り踊子高杉千慧子をも招ぎて除夜の鐘を聞く。やがて盃を納め一同女逹を車に載せそれぞれ其寓に送りて後玉の井の里に行きぬ。いつもは夜二時かぎり戸を閉す規則なれど今夜は何時までといふきまりもなし。俳優生田は二十過ぎたるばかりの者なればまづこの男を三部保立といふ家に送り込み一同路地裏を歩み廻り東武電車に乘りて淺草に戻るに夜のふくるに從ひ西新井へ初詣せむとする人々停車場の構内に押合ひたり。既に繭玉護符提げて歸り來る人も多し。仲店のあたりは雜衆最甚しく横切り難きほどなり。漸くにして六區の森永喫茶店に至りて憇ふ。女連の客一組去れば又一組來りて客の出入絶え間なく明け方近くなるに從ひ店内ますます賑なり。銀座の飮食店の如く泥醉したる者なくいづれも皆樂し氣に見ゆるなり。六時近くになりて外に出でしが夜は猶明けやらず燈火のあかるきこと昨夜の如し。再び玉の井の里に行かむとて一同又もや東武の停車場に至りぬ。
本日早朝に強雨。黄雲警報。すぐに青空広がる。香港の政制経緯についての文章粗綴。とてもまとまらず呻吟。

四月廿六日(月)早晩に九龍の北方風味の茶餐庁に食せば店内のテレビに見入る客多し。北京の全人代常委にて香港〇七年の行政長官並びに〇八年の立法会選挙につき直接選挙否決。午前の早い時間のこの決定で午後には全人代常委副秘書長の喬暁陽氏来港し香港の各界有志集めこの解釈について座談会開催の実況中継。翌廿七日の朝日は一面トップにてこの「香港の民主主義の危機」報じ「中国政府に近い董建華長官に対する住民の批判が強まるなか直接選挙をすれば民主派に主導権を握られかねないという危機感から董長官と中国側の思惑が一致した」と伝えるが「董長官と中国側の思惑が一致」といふ分析は明らかに誤り。董建華にはこの否決で更に香港での董への不信任高まり管理不能は明白。思惑の一致などなく、真実は北京中央が九七年に企図せし安定した保守親中派による香港経営が安定せば予定通り十年後の直選迎えられたものを董建華による治港の失敗ゆへ中央は苦渋感じての民政改革の延期。この否決が中央による董建華への実質的な不信任といふこと。これについては何らかの形で書かねばなるまひ。晩に西田佐知子ベスト盤と山崎ハコのアルバム「十八番(おはこ)」にて「アカシアの雨がやむとき」聴く。切ない歌だが山崎ばかり聴いていたが改めて西田佐知子の原曲聴くと山崎がどうしようもない絶望なのに対して西田佐知子の歌の明るいとまでは言わぬが笑い声の如き力強き歌ひっぷりに驚くほど。これは何かといへば西田のこの陽気さこそ絶望通り越し気がふれての境地ゆへ。あらためて西田佐知子の凄さ感じ入る。荷風先生日剰昭和十四年一月を読む。

四月廿五日(日)曇。朝八時半に起きてしまひ朦朧。沙田競馬場。QE II Cup開催日。日本馬の参戦なく日本からの客少なし。月刊『ハロン』S編集長昨年の疫禍の最中での開催と同様に来港。メンバー席折からのパドック大改修で場内狭き上に大陸からの田舎漢多し。最近メンバー席にスニーカーにTシャツジーパンとカジュアルすぎる者目立つ。香港の地場騎手で見習いからの叩き上げにて第1期のA.S.Cruz(地場騎手で唯一人の年間最多勝記録・現調教師)に続く秀材と期待されたがレース捏造贈収賄の咎にて二年服役せし銭健明君香港競馬界より追放され独逸など欧州にて研鑽の身が遂に香港競馬界に一日のみだが復帰。期待。7Rの主席短途奨はスプリント馬では世界最強の呼び声高きサイレントウィットネス馬の初戦からの負け知らずの十一連勝に期待かかり単勝のオッズは1.1倍、複勝はこのサ馬の期待値より参戦馬全駒が1.0倍(実際には最低配当額のHK$10.1)といふ『ハロン』のS氏すら初めて見たと驚く倍率。今季このサ馬圧勝に絡むのはCape of Good Hope(喜望峰)馬とFirebolt馬にCheerful Fortune馬あたりが脚かと思えばサ馬の他馬寄せ付けぬ圧勝は当然として二着の喜望峰馬に続いた三着が電子麒麟(Electronic Unicorn)馬。電子麒麟は昨年同期のThe Champion Mileに優勝して以来の実に一年ぶりの参戦にて余は恥ずかしながら電子麒麟すでに引退と勘違いしていた程。その電子麒麟見事に三着入賞。サイズ調教師の見事さ。このサイレントウィットネス馬の十一連勝、調教師はCruz師で騎手がCoetzeeなり。これまでの記録は十連勝で馬の名は高徳。その騎手がA.S.CruzだがCruz騎乗は三勝目より。初戦からの同じ騎手での十一連勝は立派。続く8RはQE II Cup。同じCruz厩舎のラッキーオーナーズ(幸運馬主)馬が一番人気。地元馬では牝馬エレガントファッション、招聘馬ではドバイ国際レースにてドバイ免税店杯にて同着優勝の独逸からのPaoliniと南アのライトアプローチそれに英のScott's Viewが有力。Scott's Viewに騎乗続けるは前述の銭君。だがレースは意外な展開見せて地元馬で59倍と人気薄の香港ジョッキークラブ主席の所有馬リバーダンサー(駿河)が優勝。二着にエレガントファッションで三着がScott's Viewといふ結果。競馬開催の胴元が自ら優勝とは。これもSize調教師のSizeマジックか。ジョッキークラブ主席・夏佳理氏はかつて翠河といふ香港競馬氏に残る名馬あり。その後、駿馬に恵まれぬところ今回のこの幸運。QE II Cupは昨年まで二年連続でエイシンプレストン馬優勝し地元馬は98年のオリエンタルエクスプレスと00年の実業家に続くもの。続く終戦2レースに馬主C氏所有の二頭参戦するが振るわず。余の馬券も全く振るわず惨澹たる結果。晩にS氏誘いZ嬢とHappy Valleyの益新飯店の改めて開いた益新美食館に食す。午後九時の予約にてS氏の競馬場での記者会見取材早く終わり八時すぎに益新訪れれば二十坪余の狭き食堂は満席盛況にて九時まで成和道向かいのBrownsにて麦酒飲む。益新に食せば旧知の給仕長に給仕、客まで嘗ての益新にて何度も見かけたる常客多く、料理も実に懐かしき益新の菜が並び嬉しく舌鼓み打ちつつ我が家に還った如き心地に三人にて紹興酒二本空ける。給仕長氏語るにこの二月に再開せば多くの客戻り商売繁盛だが店狭く全ての来客に応じるに能わずと。益新の再開と盛況喜ばしき事なり。

四月廿四日(土)曇のち小雨。昼にジム。午後九龍にて用事済ませ昏時時間持て余しさしてすることもなく美孚より6番のバスに搭れば太子旺角の渋滞甚だしく佐敦まで一時間余要す。地下鉄なら7站十二分の距離。埋立地の九龍站に参り城市高爾夫球會=City Golf Clubの打ち放し場に隣接のタイ料理屋Thai Maryにてランニングクラブの嘗てのメンバーにてこのたび香港離れ福岡にて事業展開するH君の送別会あり十五名余集ふ。H君筆頭に少なからずこの倶楽部のメンバーの由。散会しH君の酒のボトルがあるといふので数名で尖沙咀の99なる日本人相手のラウンジ。ワイルドターキー飲む。終って深更に中環に戻るK嬢送りつつ更に蘭桂坊に往けば喧噪甚だしく酔客多く路上に濫れI君よく行く愛蘭酒場に参れば上階すでに閉り路頭の卓煩くI君交渉せば二階に上がるを許されギネス麦酒飲み午前三時半に帰宅。

四月廿三日(金)昏時ジムに参らむと銅鑼灣に下りればZ嬢より来電あり酒場East Endに落合いステラ麦酒一飲。晩に門司よりK先生の奥様千葉に住ふ令妹と来港にて先生いらした当時の知人ら集い利舞台の百樂潮州酒楼にて晩餐。百樂は利舞台から交差点渡りし先に本店ある老舗にてこの距離に分店開くとは大胆。かなりの盛況。この利舞台など益新飯店閉じてから何年ぶりと余が言ふとL氏につい一二ヶ月前にHappy Valleyにて益新が新たに開業と教えられる。経営者のC氏も料理長も同じだそうな。吉事。K先生夫妻恰度還暦にて壽桃包差上げようと食後にK夫人らと散歩と称し灣仔歩き海都海鮮酒家と経営同じくする東海海鮮酒家にて壽桃包購ふ。この謂わば桃饅頭に故事あり戦国の時代に齋の国に孫月賓なる齢十八の若者郷里離れ雲濛山の王言羽に拝し師と仰ぎ兵法をば学ぶが十二年後の五月初五に孫月賓突然この日が母の八十の大壽と思い出し自らが母親に養い育てられた恩に一度たりとも答えておらぬ母に祝壽と思えば師の王言羽が桃を一つ孫月賓の母の大壽の祝いにと授け孫月賓故郷に還り母に不孝詫びてこの桃を給せば母が桃を頬張るなり銀髪は煌くばかりの黒さとなり顔の皺も消え眼晴明瞭若返りこの話伝え聞いた者が孫月賓に肖ろふと父母の誕生日に壽桃をば贈ろうとしたが水桃には季節あり桃に変えて壽桃をば状どったる饅頭を作りこれをば父母に送り親の健康と長寿百歳を祈願したもの。K夫人らを灣仔のホテルに送る。

四月廿二日(木)快晴。気温摂氏三十度に至る。四月の三十度は1956年以来半世紀ぶりのこととか。晩に読んだ月刊『東京人』五月號に都立大など廃しての首都大学頭狂の総長に成る西澤潤一が新構想語る提灯記事あり。出版元が都市出版株式会社といふ『外交フォーラム』など出しているお役所系の出版社であり当然といへば当然か。この号の特集も地下鉄特集は帝都高速度交通営団の東京メトロへの改称に関るものであるしもう一つの小特集も「新撰組の江戸東京を歩く」で大河ドラマと企画が安易といへば安易。二百号越えて特集のマンネリは致し方ないが何故マンネリするかといへば下町だの落語、庭園散歩と当たり障りなき特集しか組めぬからで本来なら「東京人」といふのなら一度くらい「総ざらえ石原都政」だの「天皇制の地政学」だのやればマンネリせぬのだが所詮無理な話。
▼自己責任について。築地のH君より。小林よしのり先生テレ朝への出演にて自己責任論を一蹴とか。よしりん「自己責任とかゆうとる政治家、わしは許せんよね。国民を守るのは、彼らの仕事なんよ。オマエラがゆうか!とわしは思うんよ」「費用を出せとかせこいことゆう奴もおるね。それくらい政府が出せばいいんよ。税金はろうとるんやからね」など見事な正論。だが「今回面白いとおもったのは、ひごろ国家なんか知らんゆうとるようなサヨクが、国民の保護は政府の義務だとかいいだして、逆に国家国家となにかと持ち出す人が急に「自己責任」だって。面白いね。みんないいかげんやね」といふのはよしりんの思い違い、とH君。小林先生、市民主義者=左翼、と思ってるようだが、H君指摘するは、本来、左翼=国家主義者→国家権力を奪取して正しく人民のためにそれを行使する、というのが本来の立場、共産主義者は勿論、「左翼」の原義となったジャコバン党=共和国への熱烈な忠誠を誓う愛国者、権力奪取することを当然厭わず。元国防大臣のシュベーヌマンとか21世紀においてもちゃんとジャコバン主義左翼は仏蘭西政界に確固たる地位占める。よしりんは共同体への帰属をとても重要と考えているらしいが、それが仏蘭西人にとっては「自由・平等・博愛」の精神こそ祖国の伝統、「公」そのもの。よしりんもフランスに生まれればジャコバン左翼として祖国の伝統と公への忠誠を矛盾なく完うできたのではないかな?、とH君。

四月廿一日(水)曇。愛媛の一度もお会いしたことなき畏友S君より愛媛美術館にて開催の「中村彝の全貌」並びに富岡鉄斎の展覧会図録等贈られる。中村彝は余と郷里同じくし明治六年だか創立の小学校は同じ。小学校に薄暗き史料室あり其処に中村画伯の写真と「老母の像」の複製画あり子どもながらにその静寂なる世界に見入った記憶。鉄斎、初めて観た時に受入れ難きまま今日に至ればこの図録にある同美術館学芸員K氏の文章読み勉強。富柏村の名の香港身分証(HKID)出来上り受領す(画像)。晩は久方ぶりに昏時帰宅し夕暮れを自宅より眺めハッピーバレーの競馬テレビ中継にて観戦。今週末はQE II Cup(国際G1)にて暫く競馬しておらぬ為、最初からなき勘でも取り返そうかと今晩。全8Rのうち余が単勝で(或は連複の軸で)当てたレースが6つ。うち3つが一番人気では当てて当然。ちなみにこの週末のQE II Cupは名前の如くエリザベス二世称えるレースにて1975年に女王の香港訪問記念して開催されたクラス2の1575mのレースが発端。この二年エイシンプレストンの二連勝ながら今季は日本馬の参戦なし。

四月廿日(火)旧暦三月初日にて穀雨。朝日の写真ニュースに京都醍醐寺のしだれ桜、その親桜は日本画奥村土牛の「醍醐」に描かれた名桜ながら樹齢百五十年だかで枯死まぢか、その蘇生にと住友林業筑波の研究所にてこの醍醐寺のしだれ桜のクローン苗による栽培と開花に成功、と。花は朽ちるを惜しみ嘗ての満開を懐かしむも亦た花を愛でる一途。科学の粋にて永久に咲かせて何が楽しかろうか。香港映画祭閉幕。六日よりの会期中に都合三十五本余の映画鑑賞す。強いて余の佳作上げれば“15”と“Elephant”に“不見”の三本。本日は閉幕作品に選ばれたのは台湾の余の好む蔡明亮監督の『不散』。毎度の如く李康生が主演、苗天が助演。八十二分の作品ながら台本は四頁くらいで済むかと思うほど徹底的に会話はなく大雨の映画館での閉館に向けての時間過ぎるのみ。映画館のひんやりと湿気のある独特の臭さ。映写技師(李康生)と脚の悪い掃除婦、豆頬張るを止めぬ奇っ怪な女とこの映画館に迷い込んだ日本人の男(三田村泰伸)、往年の娯楽カンフー映画『龍門客棧』が閉幕上映となり客はこの出演していた俳優二人のみ!、の孤独な関係。最後に映画館が閉まり映写技師がこの掃除婦が待つのを知らずオートバイで雨の中走り去り女が大雨の中を劇場をアトにして終わる。映画館を舞台にした最高傑作か偉大なる駄作か評は別れよう。遅晩に記者倶楽部のジャズクラブにて一飲。
▼『週刊香港』紙に讀賣新聞国際衛星版の三段広告に「読んでいます読売新聞」と香港柔道館館長岩見武夫氏が出演。香港の邦字媒体にては十数年前のリパスルベイホテルの日本料理「かぎや」の女将の「新参者ではございますがよろしくお願いいたします」で艶笑に続く久々のヒット広告なり。岩見先生が「読んでいます朝日新聞」だったら強烈だが、朝日は本来は読売に対抗すべく、ただ香港の著名人にて「読んでいます朝日新聞」してくれる方もおるまひ。ここはバイオリニスト西崎崇子先生にでもお願いすべきか。
▼七月の歌舞伎座といへば沢瀉屋一門の好演久しきところ今年は猿之助丈休演にて大和屋玉三郎沢瀉一門に加わり沢瀉屋の病状かなり深刻の様子。芝居通久が原のT君の話ではそれに加え京屋も病ひとか。七月の沢瀉屋に続き八月の野田秀樹芝居も恒例のところ今夏は野田九十二年のヒット作「贋作桜の森の満開の下」上場予定のところ野田歌舞伎といへば中村屋だが勘九郎丈この七月は渡米興行。この中村屋の渡米と沢瀉屋休演の煽りで野田歌舞伎「贋作」お藏入り。これに出演予定の大和屋飜つて七月出座で猿之助弟子一統との桜姫が十九年ぶり乍らこれで松島屋との好競演は未來永劫なかるべしとT君。その松島屋といへばT君曰く「前月當月、仁左衞門の技藝ほとんど神に入る。當月歌舞伎座晝の部の千本櫻二段目知盛、凄愴味と品格において團十郎幸四郎吉右衞門猿之助みな敵にあらず。僅かに初役の折の橋之助これに比肩するのみ。夜の部青砥稿通しの日本駄右衞門また素晴らしく、親子流離再會の因果物として眞面目なる芝居ぶり、藏前にて濱松屋惣領實は昔捨てし我が子なりと心付く肚藝の情味掬すべく、この件ほかの役者にては殆ど茶番となるべきを仁左衞門渾身の大悲劇たり。大詰極樂寺山門また壓卷、大百の鬘姿實に美事なる役者ぶり、先父十三代目の五右衞門の雄姿髣髴す」と芝居辣しく評すT君がここまで絶賛とはそれを見られぬことの残念無念。

農歴三月初一。閏二月終って暦通りにまさに春爛漫。晴。摂氏廿七度まで上昇し凪風なく空気淀む。イラクで人質となっていた三名はイラクでの当時「とんでもないところに来てしまった」といふ気持ちよか解放され日本に戻ったところで「とんでもないところに戻ってきてしまった」といふ念ではなかろうか。人質となっている時の環境よりも、帰りのドバイからのエミレーツ便が機内「最後部に」坐って「その前方約五〇席は空席になっており、外務省の職員らが壁を作るように着席」し「機内では「撮影、取材は一切禁止します」とのアナウンスが繰返し流れ」ているのだから、これはかなりヤヴァいと判ったはず。結局、彼らの心労はイラクでの極限状態ではなく(解放直後のあの映像みれば画像として情宣用にナイフを首につきつけられたりする以外は待遇悪くなし)朝日で橋爪太三郎が指摘するようにマスコミが感情的に家族を追いかけ家族は救出して欲しい思いで発言が感情的になればそれをマスコミが取上げ今度は解放された人質が帰国となれば彼らは国内で家族が中傷されたことに混乱しストレスを感じる、といふ状況。同じ記事で斉藤貴男が三名の帰国時の記者会見中止は発言で揚足取られることへの警戒であり、それほど家族に対する中傷が強く、その中傷はといへば「中傷は家族が政府に刃向った映像が流れた途端に始った」わけで、これを斉藤氏は「多くの人が日頃の不満をお上(政府)に従順でない人にぶつけて精神を安定させた」もので「今回の人質事件で、戦争に反対する者は幼稚で、政府こそが頼れる存在だと短絡的に考える人が増えた感」と述べている。この危機的な状況。キチガイである。三人はイラクよか日本のこの状況に立ち向わなくてはならず。その状況を『世界』五月号の編集後記が見事に語っている。「日本国民にてテロと闘う覚悟はあると思う」だの「国民の皆さんも外出する際は心構えを」といった我国至上最大のバカ首相の発言を取上げ、編集後記は、自衛隊が人道復興援助に行くのになぜ国民がテロの覚悟をしなければならないのか、このテロの標的にされる蓋然性を高めたのは小泉政権の対米追従政策であり、その米国の「復興」政策とて泥沼化するばかり、日本国内はといへば自衛隊の官舎に反戦のビラ撒いただけで逮捕拘留された活動家をアムネスティInt'lがその被拘束者を「良心の囚人」に指定したほどで、この「良心の囚人」とはかつての南アフリカや中国といった非民主主義国家での話と思っていたのが、それが自由と民主主義の国家=日本での話、日本の人権や表現の自由が侵害されているわけで(だがその侵害を放置しているのが国民であること……富柏村)「すでに日本は「有事体制」にあり、有事法制にいう「基本的人権に対する規定は最大限に尊重」など、この国の政府は一顧だにしない」と。事態は深刻なのである。だが『世界』など今どき札幌の今井君くらいしか読んでないのだから(笑)。この号の特集とて「いま、すぐ撤兵を!」だが国民の過半数以上が「米国の対イラク政策は間違っている」としながら「復興援助のため自衛隊の駐井は支持」という状況では「いま、まだ徹兵を!」が世論か。手にとって頁を捲っても「ロシア女性ジャーナリストが見た金正日」といふ記事など、偉大なる将軍様がいかに知的で思慮深く視野が広く人を虜にする魅力があるか、と「この期に及んで」誰が読んでも「これぢゃ偏向」と思わざるを得ず、この文章、なぜか最後は小泉首相の影武者を平壌で見た、金正日の韓国のそっくりさんが韓国で敬意を表されている、といふ、まるで本論と関係ない面白可笑しい話題で終る、これを紙面に載せる岩波編集部も諸君や文藝春秋と同じく常軌を逸しているとしか思えず。『世界』に話を戻せば今年初春の印度でのWorld Social Forumでのアルンダディ=ロイ女史の基調講演が全文掲載されているのは貴重なのだがロイ女史の翻訳(本橋哲也)が岩波新書でのロイ女史の著作の時と同じで、です・ます調、だ・である調と「ですとか?」「じゃない?」など口調の混同が激しく、とても読むに絶えず勿体ないかぎり。講演でのロイ女史の語りかけの雰囲気を活かす意図なのだろうが、むしろ文章では読みづらいだけ。そんな節々脆弱さの目立つ『世界』の、この五月号で最も貴重なるは自民党で衆議院連続八回当選で官房副長官や環境庁長官務めた志賀節先生が買いている「小選挙区制が日本を破壊する」といふ文章。これは一読に値。小選挙区が、地元の県連の支配が強まったことで党本部の公認が取れても地方組織が公認候補支持せず対立候補擁立ができるほどとなったこと。つまり国政がこれまで以上に地元利権で候補者が決定すること。小選挙区制度が派閥解消どころか党の一議席を得るためにこれまで以上の派閥支配が強固となったこと。民意反映だの全くの誤謬で実際には例えば岩手県。連続四回落選した候補(玉沢徳一郎先生)は比例代表制(東北区)で自民党比例区五位で目出度く当選果したが、その手段として二十年来の地盤である岩手一区から敢て小沢一郎先生の四区に鞍替え、当然の如く自爆候補となるが、それも当選困難な選挙区に立候補する見返りに比例区では上位に位置。それも玉沢先生が森派でるからこそ、のこと。その結果、小沢12万票に対して僅か3万票の得票で同じ衆議院議員に当選できること。これこそ一票の格差。しかも比例区で敢て玉沢先生を!と支持した有権者以外、誰も支持しておらぬ候補が当選してしまうのが比例代表制。志賀先生曰く「権力者によって恣意的に捩じ曲げられる選挙で」は日本国憲法にある「国民は正当に選挙された国会」など有していないことになる、と指摘。御意。この民意とは程遠い選挙「作業」は「翼賛選挙の再来」であり「投票率の低下に拍車かける悪選挙法による悪事例の続出は、民主政治の終焉の到来を思わせる」と志賀先生。自民党の防衛族でタカ派だった箕輪登先生による「自衛隊イラク派兵は違憲」訴訟だの、野中広務先生の戦後の平和への追憶だのと自民党の老先生らが真剣に今の自民党政治の危機的状況に警笛鳴らす、この時代。

四月十八日(日)昨日の暴雨嘘の如く晴れ渡る。気温廿四度湿度六十度と過し安し。市大會堂。昼までフィリピン映画“Gagamboy”観る。或る青年が間違って蜘蛛飲み込みスパイダーボーイに変身し、この青年と仲悪い相手はゴキブリ飲み込み悪敵となって、と超B級作品。カフカ的変身に多少の苦悩もなし、フィリピン的か。スタジオ内に綿密に再現されしマニラの貧困街の町並みが見事。今年一番の快晴。昼よりジム。記者倶楽部のバーに一飲。午後遅くZ嬢と複び市大會堂にて映画『赤目四十八瀧心中未遂』観る。かつてのATG映画の如し。二時間半は多少退屈ながら寺島しのぶとその相手大西滝次郎の演技佳し。続けて森崎東監督『ニワトリはハダシだ』観る。舞鶴舞台に現実の日本社会には見つけるに難しい温かな集団社会。面白い映画だが知恵遅れの子と父、在日の母、養護学校の先生と警察の父、その父と検察である義兄、その義兄と地元暴力団との贈賄と内容が盛り沢山なぶん特に映画冒頭のほんの少しの会話を聞き逃しただけで複雑な人間関係などわかりづらく(細かいところで「あれ、なぜ?」といふ筋の矛盾だの少なからず)特に字幕で筋を追う観客には苛しかろう。二更近くに映画終わりZ嬢と北角の寿司・加藤に食す。

四月十七日(土)昼まで市大会堂にて韓国の金基徳監督の02年の映画『海岸線』観る。北朝鮮との国境の沿岸警備隊の物語なり。敵は北朝鮮の筈が気負った兵士が付近の漁民をば敵と勘違いし銃殺したことに端を発し気が狂い除隊させられし兵士(張東健)が警備隊をば敵にまわし復讐といふ筋。敵は参らず個人と組織の自己崩壊の事象をば冷静に見せる演出。客席に許鞍華監督の姿あり。映画の終幕にてタイトルバックも観ずに立上がり香港は客ばかりか映画制作者も最後まで観ずに立上がるか、と思えば外に出てすぐに喫煙。なる程。天気予報は雨ながら快晴にて太陽の日ざし苛し。昼から科学館にて中国映画『雲的南方』朱文監督観ようかとフェリーで尖沙咀に渡るがすでに映画開始時間過ぎてタクシーも行列あり遅れてまでといふ意気込みも失せ複びフェリーで中環に戻り市大会堂にて欧州独語圏映画“Free Radicals”観るが最初の二十分見逃した所為もあろうが今ひとつピンと来ず。続けてシンガポールのRoyston Tan(陳小謙)監督の映画“15”観る。期待し楽しみに待った甲斐あり。シンガポールの15歳の不良少年ら5人の物語。Tan監督が中学での演劇指導をせし時に知合った学生を起用(監督の豪州ABCとの会見より)。俳優にあらず寧ろ俳優にはできぬ殴る蹴る、仲間との陰茎の長さ測り、ピアスの穴開けるため頬への針通し、カッターナイフでのリストカット、エクスタシーのお薬搬ぶため警察に捕まらぬようコンドームに詰めて飲込む様などもカメラ前に演技でなくまさに傷々しき本番。当然のことながらこの内容ではシンガポールでは若者の精神的圧迫だの自殺、麻薬扱っては規制に引っかからぬわけもなく一旦は上映禁止扱ひ。編輯し直して昨年のS'pore国際映画祭に出展せば受賞作品。上映後はかなり物議かもしたそうだが新嘉坡もこれが制作され上映できただけでも社会の変化あり。寧ろこれほどの作品は香港には見当らず。実際にこの映画に出演した少年ら、すでに一人は懲役刑、一人は警察の観察下にあり、一人は行方不明。ラップ歌いつつ軽快に登場の五人の仲間は一人減り、一人が自殺し、と最後二人だけとなり、社会から隔絶されたこの若者らの世界、恋人の如き運命共同体のこの関係、どこかで、と思えばこれは中上健次のまさに路地の若衆の世界そのもの。まさに中上健次の世界、と思えたら中上健次の物語も懐かしく情景がいくつも目に浮び銀幕のシンガポールの路地の物語が時間と場所を超えてオーバーラップし落涙禁じ得ぬ感。そういえば生前の中上先生がマニラにてポン引きに案内させケソン市などこうした少年らの屯する場所をば取材したといふポン引き君の語る話思い出し東南アジアのこの若衆の世界に中上健次挑もうとしていたのか、と今更ながらの想像。確かに紀伊のあの路地の物語にはアジア的。昼とは一転して雨強し。市大会堂のもつ空間性は建設から四十年たった今でもモダンの調和があり。ロイドからのモダンが「まだ」調和保っていた時代の歴史的建築。市大会堂の中庭より大会堂のビル高層部とマンダリンオリエンタルホテルを望む(写真)ジム。大雨雷暴のなかFCCのバーにてウヰスキーソーダ(氷なし)飲みつつ新聞数紙と岩波『世界』半分程読む。晩にZ嬢と雨のなかWellington街の埃及料理屋Habibiにて食す。美味いが「いつも」といふ気にもなれず数年に一度訪れるのみ。Z嬢と別れ複びフェリーにて尖沙咀。Space Museumにて“The Corporation”観る。題名の通り今日の法人としての企業形態の様々な分析と問題性の顕化をば考えるドキュメンタリーだが出演するのが米国の奇才マイケル=ムーア監督やチョムスキー教授だけなら「その筋の作品か」と思われるがシカゴ学派のフリードマン教授まで出演すればシェル石油やナイキのCEOまで出演してしまう幅の広さ。人類の創造物としての資本主義下でのこの法人企業形態を(そもそもCorporationなる呼び方すら「色がついている」と冒頭に指摘)けして非難ばかりでなく形態の特異性や柔軟性、社会還元などもきちんと取上げた上で、それでもやっぱり大企業のもつ力や政治性、政府との癒着や環境破壊など問題点の大きさは払拭されず、それをどう我々が法人をばコントロールできるのか、と150分たっぷりと考えさせる立派な内容のドキュメンタリー。これが制作できるだけ「あの」米国に「まだ」立派に存在すると感じられる知性。
▼築地のH君が悲観的。文字通り「戦後」終わったと実感されられる本当に恐ろしい世の中、と。少なくとも戦後の日本社会はとりあえず「右から左までタテマエの上では「人命尊重」という枠組み」あり、そのために右派なら右派はせめて自衛は必要と説き岸信介ですら海外派兵は絶対にない、と断言していたものが、易々とそのパンドラの函が開けられたばかりか人命すら国益に劣るのが今の時代。H君の教示で松沢呉一氏の「自己責任」読むが秀逸。イラクが米国の征伐中であり自衛隊すら引き籠りの危険なる状態のなかに飛込むのだからリスク高きことも覚悟もできてのこと、他者がそれをどうのこうの、軽々しく良いの悪いのと慮しても火事場の見物の如し、と余は感じたが、あまりに「人質あろうが自衛隊のイラク駐在は続けるべきだった」の評価高きことに驚き元へ前言撤回。「人質になっても仕方ない」と済ませてしまふ恐らく「小泉さんなら改革してくれるんじゃないか」と小泉三世支持し石原当選の三百万票の一票を投じる人の増殖。H君の言を借りれば「世界中でどんな大量虐殺があっても眉一つ動かさないような人々が、さも「国益」「公益」を憂うる義人のような顔をして熱に駆られたようにイラク「反戦派」を罵ることに熱中」といふ状況では、敢てそれに否を呈すべき。現状は日本に限らぬが香港も米国も同じだが顕かなのは社会の二分化。改憲されようが石原が何をしようが教育がどうなろうが不感症の思考力停止モードにある層とそれに警笛ならし偏向者扱いされる層。六十年代も安保闘争あったにせよ少なくとも高度経済成長なる錦の御旗の下での左右抗争は今思えば平和な時代。今なら樺美智子とて「自分で望んで国会議事堂の機動隊との衝突現場に行ったんだから」と「仕方ないんじゃないの扱い」だろうか。

四月十六日(金)曇。昼に灣仔。古い町並み残り節句祝言の贈答状の印刷屋多く風情ある利東街は政府の「再開発」計画にて存続の危機にあり通りの古い建物に横断幕掲げ解体反対。この通りの「靠得住」にて茘湾艇仔粥食す。まことに美味。北京の若き男娼ら描く映画『Ayaya、去哺乳』監督崔子恩を観たK氏に遭遇すればK氏曰く、一人の若衆の兄は経験なる基督者にて弟済おうと説得に当るが街頭で聖書を掲げ説教する兄もまた中国社会において危険視されるマイノリティ、と。晩に文化中心にてZ嬢と映画『エレファント』観る。Gus Van Sant監督。珍しく日本公開が香港より先。テレビ業社HBOの製作にてまずスクリーンのサイズに違和感あるが、その「視野の狭さ」はこの映画の主題にとって重要のはず。主人公の少年らの雰囲気も佳し。何よりもカメラの、アングルは敢て単調なのだが、覗き見的に学校を様々な角度から進入する視線と殊に絞りの美事な効用。高校での在校生による銃での殺戮事件の日の、そこに至るまでの学校の風景が淡々と描かれ諸行無常。一切の価値判断を避けた演出。殺戮に参る二人の少年が狭いシャワーを伴に浴びつつ「まだしたことのないキス」をしてみるといふシーンはいささか耽美的でもあるが死をば覚悟せし者の同志愛的でもあり。雨。Z嬢と別れ油麻地。廟街の潮州老字號虫豪餅にて煎蠣餅を食す。汚い店でいささか質の悪い油で炒りたるこれが客足も絶えず。CinemathequeにてBernardo Bertolucchi監督“The Dreamers”観る。六十年代の巴里。五月革命。映画好きの米国青年(Michael Pitt)が巴里の高名なる詩人の子=双生児の男女と仲良くなり詩人夫婦の留守にこの家族のマンションにて芸術的?破廉恥?なる生活の日々。あの時代の学生運動へのオマージュか、世代の自己批判か。余談ながらMichael Pitt君、女優Eva Green嬢らの全裸、而も局部大写しだの場面多く香港は当然ノーカットだが日本ではボカシだの修正にてエロさ増大か。それこそ猥褻。月本さんのサイトからの孫引きになるが吉田健一の言葉「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」。御意。確かに世の中みんなが吉田健一であったり荷風散人であれば戦争など起きもせず(笑)。「各自の」が大切。社会だの国家の社会生活の「美化」となると運動となり政策となり惨憺たる結末ばかり。

四月十五日(木)曇。いいねぇ志ん朝。iPodってぇ薬籠みてぇな大きさでさ、それで何千って音曲聞ける電子機器ってぇのかね、それがあってさ、音曲ばかりぢゃつまらねぇってんで落語、これだよ、やっぱしね、江戸っ子なら粋に落語でも聞いてやろーってんで志ん朝師匠のさ、ほんと惜しい噺家なくしたよね、馬生師匠は若けぇ頃からあの酒好きだ、菊正いつも美味そうに飲んでたけどね、志ん朝だろ、志ん生くらい長生きしていい話聞かせてくれるってこっちとら期待してたのに、まったくなんてこったい。師匠が亡くなったあとだね、雑誌で師匠最後の住吉踊りの写真見てね、なんてぇ気迫だい、いやぁ言葉ぢゃ言えないよ。師匠の踊りも高座も見たかったねぇ……おっと話がなんか師匠の追悼になっちまったよ、湿っぽい話はいけねぇや、噺家だ、笑わしてくれるのが生業だ、亡くなってもこうして師匠の話をさ、そのiPodとかってので聞けるってんだから、世の中、進歩したもんだ。それでね、何枚だか師匠の落語のCD調達してね、聞いたみたら手前ぇ危なくってしょうがねぇ、音曲ならさ、そこいら歩きながら聞き流しってぇのかね、オツなもんだ、新内流しってのもあるしさ、それが落語はいけねぇや、ついつい聞き惚れちまうんだな、車の往来も赤信号も忘れちまう、危なくってしょうがねぇや、それで呼んだ車に乗った時とかね、聞くだけにしたら、今度は運転手から見たらこっちがニヤニヤしてるんでこれもまた気持ち悪くてしょうがねぇ、まったく困ったもんだが、最初に聴いたのが酢豆腐、この話なんか今どきならチーズと葡萄酒なんかにしてねこぶ平あたりにやらしても面白れぇだろうな、それに続けて鰻の幇間だ、幇間なんて言っても今の若い人にはわからねぇでそうが芸者遊びの太鼓持ちってやつだな。今日はちょいと用事があってね、連日の映画見物もできねぇってんんで憂さ晴しにiPodで落語道楽よ。家に帰ったってまだ聴きたい、ってぇんで、お酒なんぞ用意してね、志ん朝の落語だ、ちょいと気張ってBowmoreなんてスコッチのモルトってぇんかい、それをバカラのグラスだよ、で風呂まで沸かしてさ、柚湯なんぞにして、風呂につかって今度は「お見立て」だ。郭の粋な話だよ、この話、花魁喜瀬川 が大和屋、お大尽の杢兵衛に勘九郎、若衆の喜助にそうだねぇほんとなら松島屋、若い頃の孝夫ってぇわけにもいかねぇか、今ならさしずめ三津五郎あたりがこの道化役やったら面白れぇだろうな、そんな舞台の芝居にしてもいいんじゃねぇか、なんて想像してさ、そんな場面が目のこのへんに思い浮かぶのも志ん朝師匠の話だからってぇのは言うには及ばねぇ、それくれぇ志ん朝はいい、ってこっとよ。いい話聴いてさ、風呂につかって酒飲んで、いやぁ幸せだねぇ。
▼イラクの日本人人質三名解放。NHKのニュース見ていたZ嬢指摘するにタカトーさん父の「強い」コメントあり最初流れたがその後他の家族のコメント何度か再映されたもののこのタカトー父のみ放映なし、と。週刊新潮に共産党一家(笑)と揶揄されし今井君父もこれを教訓に今後も「社会のために貢献」と、これもまた革新気取りと言われるも必至。川口外相の記者会見、対「ゲリラ」との交渉につき内容公表できぬ点多かろうこと理解できるが人質解放が誰から大使館に連絡あったか?といふ記者の質問に一瞬黙って「イラクの人です」と。そりゃイラクの人だ。どうもこの「ナントカの人」と聞くと「函館の女(ひと)」とか演歌の曲名に聞こえてしまふは我だけか。人質は画面では健康状態も悪くなさそうだが当然大事をとって「メディカルチェック」とのこと。だが最もメディカルチェック必要なるはNHKの特派員・出川氏。中継中もふらふらと、最近は視線も定まらぬ疲労感。イラクでの最大の人質は出川氏なり。
▼李嘉誠財閥の高級リゾート型マンションの貝沙湾。Z嬢がチラシみて何に驚いたかといへば此処の住人となると香港在住のバイオリン奏者西崎崇子様(三月初三日の日剰参考)による子供らの為のバイオリン教室あり、と。すごすぎ(笑)

四月十四日(水)気温廿六度迄上昇と天文台の予報に瞞され小雨に風強し。半袖シャツ肌寒く早晩CentralのMarks & Spencerにて厚手のシャツ購ふ。十年だか前に無印にて購ひたる同型のシャツも映画鑑賞と夏の冷房対策に草臥れ果て恰度買換えの時期も満つ。この店にてZ嬢と待合せWellington街の餃子園に食す。市大會堂に往き寺島しのぶ主演の映画『ヴァイブレータ』観る。廣木隆一監督。話の単調な筋からして他の役者ではこーは撮れまひと納得の、郊外の道路に向い佇む後ろ姿でさへ演技になる寺島。音羽屋で一番の演技派なり。相手役の大森南朋の配役も佳。Z嬢帰宅。一人フェリーにて尖沙咀。所作あり。尖東の科学館。二更に映画『香火』観る。監督は寧浩。昨年の東京Filmexにて最優秀作品賞受賞とか。山西省の荒涼たる小鎮の寺復興に挑む素朴なる若僧の希望、弱さ、純朴なるがゆへの欺瞞などさらりと描く。雨降止まず。

四月十三日(火)曇。朝六時半起床。初更に尖沙咀。文化中心にて映画“Song for a Raggy Boy”観る。昨年の映画祭に愛蘭の少女ら収容する教会施設での修道女による少女虐待の物語ありしが今年のこれは同じ愛蘭を舞台に三十年代ダブリン郊外の同じ耶蘇の教会施設の男童院に於ける神父による少年への性的虐待と殺害の実話。この<施設>に、西班牙内戦で義勇軍に加わり退役した男が唯一神父でなき教師として就任。この<更正>施設で少年らに対する厳しい管理と虐待。鞭打ちだの神父による少年への鶏姦だの。文盲に近き少年らに教育施し少年らもこの教師に心開き始めるが終に一人の神父により少年の一人が虐殺されるに至る終焉。この施設ぢたいは多少の改善見せるが殺人犯した神父も鶏姦罪の神父も教会の庇護により司法官憲といった教会外の断罪もなきまま生き長らえた事実。八十年代となり漸くこの施設は廃止されるが教会の神父による少年への淫行など数年前にも米国にてこの醜態暴露され何人もの枢機なる神父らの前歴をば呈はとされローマ法王が文書にて遺憾表明するに迄至るが宗教施設において神の名の下の「更正」により性的醜態蔓延る歴史。香港にても十数年前の神父による少年への鶏姦が昨年だか漸く暴露されたが当時は少年の訴へに対して警察も教会といふ権威への介入避けて事件をば黙殺。教会と警察もフーコー的には同類であるが。また男童院内での逗留する少年らによる新入りへの口交肛交の強制による醜聞も絶えず。結局、<施設>のもつスキャンダラス性。更正意図する施設が寧ろ更なる猥褻を生むこと。尖東に往き昨日に続き一平安に食す。科学館にて映画『Peep“TV”Show』観る。土屋豊監督。九一一に触発されメディアやキャメラと人間との関わりとか監督本人上映前に語られ意図わかるが出演する若者らに余は何ら興味も関心ももてず。Z嬢も来観ゆへ終わって三更に焼鳥・五味鳥に飲む。小雨。深夜一時すぎ荷風日剰少し読み寝入。深更に落雷驟雨あり。
▼先日日剰に綴った前・教育署署長・羅女史による「董建華率いる香港政府は教育に多くの投資をしておりその最大の受益者たる学生は董建華を避難する権利はない」との発言。翌十一日には本人が失言について謝罪。学生は現実もよく理解した上で判断必要であり安易な罵詈雑言にならぬようとの提案が本意、と。

四月十二日(月)晴。映画鑑賞連日の如し。科学館。マレーシアのドキュメンタリ“The Big Durian”観る。87年の「暴動」が主題。サルタンを長としマハティールのマレー人政権が長期にわたり君臨し華僑が経済を握るマレーの独特の社会。その構造変化の難しさ。英語達者な者の語り多いのは英語による製作の故ながらマレー人の英語達者なこと。逆にいへばマレー語にては語り足らぬ文化的土壌でもあり。日本が英語拙劣なるもある面では母語にて十分な社会あることの幸せかも。毫か二十人ほどの観客。そのうち一人はSabu監督の姿あり。次の映画までの幕間に科学館に隣接の歴史館にて承徳避暑山荘文物展参観。清朝の承徳にあるこの避暑山荘の特に印鑑、磁器及び外八廟の仏像、十八世紀中葉乾隆帝の頃の欧州との交易による時計、羅針盤などの展示。展示で残念は磁器の足底に乾隆六字三計といった藍款篆書あるものの磁器の底ゆへ見えず。展示に多少の工夫して透明の台に据え鏡を用いるなどしてこの款篆も見れれば猶を良し。科学館に戻り韓国のビデオ作品“Capitalist Manifesto(資本家宣言)”観る。監督は金曲&金宣の共同製作。チンピラと売春婦、路上の物売り。商品はチンピラの売るポルノビデオ、売春婦の売る肉体と路上で売られる豚の置物。その構成ぢたい何の変化もなし。だがチンピラの子分はポルノビデオが売れず一計案じてビデオをCDにして作品にバラエティもたせることで売上げが伸び、売春婦は高校生の援助売春に仕事取られ、と資本主義社会がどのように「進化」するかを象徴的によく描く。路上で物売りする浮浪者の商品も質の向上を見せ浮浪者自身も化粧する始末。商品を売るために何が必要なのか、商品ぢたいは同じでも付加価値つけることの意味。マルクス経済学的な物象化。物語の筋はたいへん単調だがわかって観ているとその資本主義社会の「成熟」の過程よくわかる演出。五味鳥と同じビルの地下にある拉麺屋一平安に食す。十数年前に香港で日本のラーメン食せたのは此処と油麻地の横綱くらい。今でこそ本格的なラーメン多いが漫画読みながらの普通のラーメン食すには此処は貴重。かんぺきに普通のラーメンだがモヤシが1cmに刻まれていたりはご愛敬。このビルの地下にラリった少年ら屯ろす。シャングリラホテルのカフェに一憩。映画祭期間中の運動不足。ジム。小一時間鍛錬。早晩Z嬢と待ち合せ文化中心にて“The Barbarian Invasions”複び観る。この作品会話秀逸にて仏語に英語字幕で前回いくつか笑い逃しありの為。葵芳。コンビニ(サークルK)にてサンミゲル立飲。このサークルKどの店でもその店員の服務態度の佳さ特筆に値す。吉野家にて牛丼食す。何処の牛肉か識らぬが、確かに日本の、最後に初台の山手通り角の旗艦店にて食した牛丼に比べれば牛肉の質など比べようもないが、それでも牛丼食すに能ふ悦び。葵芳駅前に星巴珈琲と地場のPacific Coffeeあり。余の性格ではPaciffc Coffee択ぶが実際に珈琲の味もPaciffcのほうが上なるはエスプレッソ飲めば明か。日剰上網。葵青劇院。二更に韓国映画“Save the Green Planet!”観る。張駿恒監督。傑作。宇宙人の侵掠で地球がまもなく危険に瀕すと信じる青年。エイリアンだと信じて疑わなぬ石化会社の社長の拉致から始る騒動。お笑いから青年が殺人鬼とわかり猟奇、猟奇からこの青年の生立ちだの母がこの石化会社により植物人間にされたことでの社会悪、と演出まで二転三転して「このまま終る?」はずもなく刑事物となりだが結末は……観てのお楽しみの最高のB級映画(日本での会見模様こちら。韓国映画の勢い痛感。それにしてもここまでくだらないB級映画は日本にあるかどうか。真剣にくだらぬところに敬服。三更に東涌線にて小説『神聖喜劇』も大詰め近づくを読み乍ら香港站に戻ると恰度空港急行と到着一緒になり多くの降車客あり慌ててタクシーの列に走り込み行列の難避けるが普段見たことなき多くの客に何事かと思えば今晩で耶蘇の復活祭による四連休終り。毎年のことながら映画鑑賞で終る復活祭なり。

四月十一日(日)快晴。尖沙咀。文化中心に往きアニメーション『冬の日』観る。人形アニメ作家の川本喜八郎氏の発案にて芭蕉の連歌「冬の日」を実力ある映像作家たちが映像作品にて連歌形式に作品にしてゆくといふオムニバス。一連の作品を陳べた後に各作家の作業風景写し作家らのコメントを収録。日曜朝からの上映に文化中心の劇場はほぼ満席。芭蕉らの俳句にて特に若い観衆に理解難しいのでは?などと思ったのは間違い、感性といふのは伝わるわけで、終演してからの拍手あり。触発。日本のこの素晴しい映像表現の手法があり、こういった作品が海外で上映され何か人々に与えること。小泉三世の自衛隊井落派遣も靖国参拝も何ら国益にならず。劇場出るとすっかり天高き太陽の光。文化中心の複雑な建物はその陽光で幾何学的な影を随所に描く。珍しくContaxの写真機携えており幾葉か撮影。暖かい風も心地佳し。初夏。Space Museumにて内田伸輝『えてがみ』観る。青春の気持ちはわかるがどこか頼りなき出演者ら見ていてまるで嘗ての自らを見ているが如し。一歩間違えれば狂ふ程で、音楽をしたいだの芝居がしたいだのと夢見ていた何人もの友人らの顔を思い出し、高校卒業したところで「止って」しまひ精神病んだ儘で数年前に亡くなった畏友H君のこと髣髴。フェリーで中環。昼食を逸しIFCのCitysuperにてハムとチーズの三文治とエビス麦酒。市大會堂にてドイツ映画“Love in Thoughts”観る。時は1927年の夏、ヒトラー席捲を待つ頃のドイツでの若者の「自殺会」の話。時代的に日本も若者の自殺増え死のう団が現れたのは37年。ベルリンにて十代の若者らが森の湖畔の別荘に鳩り朝まで泥酔気味にパーティ。ここで狂気的に集団自殺か……と余も嫌な想像したがさに非ず。パーティ主催した若者らがベルリンに戻っての出来事。自殺願望擁くAといふ若者による愛おしむ友人が自らの妹と同衾したことに憤りの惨劇。ただの耽美的物語で何故これが成人映画指定なのか疑問。自殺誘発?。夕方となり東涌線で葵芳。葵青劇院のカフェで大西巨人『神聖喜劇』第五巻読始る。このカフェの経営が旧知のE君経営と珈琲砂糖のパッケージから識る。ブラジル映画“Madame Sata”観る。傑作。三十年代のリオデジャネイロ。実話。主人公Joao Francisco dos Santosは街の野良犬の如し。だが子連れの街の女を面倒見て、そのうえ生計立てられぬオカマも面倒見る優しさもあり。生業は男娼。鍛えた美しい肢体を武器に客を恐喝し瞞しては財布のカネ偸むのが目的。恐喝などで検挙され生活のためと知合いの酒場でクエアな舞台で歌い踊ったらその端正な肢体に豪華で性的な衣装が映え好評博す。だが一人の泥酔の客に二グロのオカマと罵られ銃殺して懲役十年の刑に服す。映画の筋は此処までだがこの実在の人、服役後にクエアな舞台に復帰、カーニバルなどで喝采を浴び女王として数々の賞に輝きMadame Sata(Madam of Satan=悪魔の女王)と讃えられ七旬の人生完うとか。……余の辿々しき筆にてこう綴ると単なる気持悪きオカマ映画だがうらぶれた街の生活の演出といい暗黒なる街の雰囲気、主人公の余りに均整のとれた黒き肌の肉体と実際の舞台演出の美しさ等々監督Karim Ainouzの感性と技量に恐れ入る。尖沙咀に戻り昨日訪れたWorksなるCD屋。購入したボブマーレイのライブCD(二枚組)帰宅して映せば同じCD二枚(笑)、マイナーの輸入版では致し方あるまひ、交換。ジャコ=パストリアスのCDもかなりあり。統一麺家(店内の菜単には京滬亭といふ名前もあり……不安)にて水餃麺。二更に科学館にて本日五本目で柬埔寨の“S21,The Khmer Rouge Killing Machine”なるドキュメンタリ観る。柬埔寨のクメールルージュ取上げた映画何本も観たがこの作品はS21なる強制収容所での話。そこに収容され数千分の一の奇跡にて死を免れた人と、実際にここで市民強制連行、収容、実際の殺戮にまで手を下した当時のクメール派の兵士が、この収容所跡地で当時の膨大な資料=殺された人々の写真や供述書などを手許に当時何がどう起きたのかを語る。ドキュメンタリの手法として当時のフィルムなど冒頭以外一切使わず全てこの実際に収容の加害者と被害者がこの収容所で語るだけを撮り続ける。寧ろそれが当時の凄さをじゅうぶんに語る。『ゆきゆきて神軍』であるとか同じ手法だが、このプノンペンではその殺す側と殺される側がもはや狂気を越えたところで断罪もない地平にお互いがあり、罪を越えたところで当時いったい何が起きたのかの証言に徹底していること。それが希望であり、この作品の意義のはず。それにしても驚くのはこの百万人単位の虐殺に於てこのS21といふ収容所だけで今から三十年前のこの殺戮の当時の資料が膨大な数で残っていること。残っていること以上に当時のクメールルージュが徹底して殺人の資料を残していること。これこそ当時、この政策に何ら疑いもなく正当なる国家政策であったことの証左なのだろうが。会場にて映画評論家・佐藤忠男氏ご夫妻をお見かけ。さすがに昨年の疫禍は見えなかったが常連なのは当然。終って深更の尖沙咀東を歩いてホテルに戻るご夫妻の姿ももはや映像作品の如し。
▼蘭桂坊の酒場Club 64、地主この店舗売却決め名の如く89年の天安門事件に触発された人々、藝術家の溜り場として蘭桂坊に知られた酒場が存続の危機。買手が親中資本とか……まさか
▼教育統籌局に統合される迄の教育署署長・羅范椒芬女史(現・教統局常任秘書長)が講演にて董建華率いる香港政府は教育に多くの投資をしておりその最大の受益者たる学生は董建華を避難する権利はない、と発言。政府の無能なる高官少なからぬなか羅女史に信望厚くもあるがこの発言待つまでもなく昨年のSARSの疫禍にて教育署の対学校防疫措置についてインター校校長相手の会合にてマスク着用や検温が強制かといふ質問に対して学校独自の判断を認め理由としてインター校に通ふ家庭は教育レベル並びに衛生観念高きこと挙げ=つまり地元学校及び家庭を蔑視、その偏狭なる意識に呆れさせられたが所詮この程度の感性の持主といふこと。

四月十日(土)薄曇。尖沙咀。Space Museumの演講庁にてドキュメンタリー映画“Chinese Restaurants: On the Islands”観る。香港生れでカナダに住まふ關卓中なる、この映画のドキュメンタリーの制作者は元コンピュータ技術者にて謂る中年憂鬱症にて仕事辞め映画製作思いつき、といふ人。モーリシャス、トリニダード、キューバにて支那料理屋より当地の支那人社会描く。現地に根付く中で民族だのアイデンティティとらえる秀作。トリニダードの拉丁の雰囲気憬れる。昼に心地よく晴れて気分も佳く尖沙咀はMinden Aveのフィリピン料理屋Mabuhayに食す。香港に十万人越えるフィリピンコミュニティ在りながらフィリピン料理少なし。毫かHK$25にてチキンソテーに隠元豆炒め、米飯にスープと飲み物つき。午後尖沙咀東の科学館。同じくドキュメンタリー“Buring Dreams(歌舞中国)観る。上海の舞踏学校にてジャズダンスやヒップホップ教授するは齢七十ながら矍鑠とした梁一といふ先生。1932年に上海に生れ台湾に育ち五十年代には台湾のGene Kellyと云われた梁先生は香港、マレーシアを歴て上海に戻り若輩にダンス教える日々。それを白黒で撮すことで映像作品として完成度高し。小一時間ありKowloon Clubに寄り酒場に小憩するが日がな午後客どころか開いているのにバーテンもおらず(笑)結局何も飲まずに失礼、と思ったところ去ろうとしたところで給仕現れドライマティーニ一飲。Space Museumに戻り潘剣林監督『早安北京』観る。やはりビデオ製作は苦手。撮影が単調で飽きて居眠り決め込む。尖沙咀の知る家に寄り葵芳。Z嬢と待ち合せSabu監督『ハードラックヒーロー』観る。会場に場違いな少女多く何事かと思へばこの映画ジャニーズのV6の諸君が出演とか。V6とTOKIOのメンバーの区別もつかぬ我。「ひょんな契機」から一般人が何かに巻込まれ違う人格をば見せる姿はこの監督のお得意ながら、それにしても闇の賭博キックボクシングを舞台にV6の六人を二人ずつ三組にして、その場に偶然居合せたことにしたことで、同じ場面をその三組の異なる状況から見せるために三たび五十分近く要し三度目ともなると、あゝこれでみんなが飛出して車で逃走して最後は……と結末まで見えてしまい「うんざり」の感あり。V6のファンにはメンバーの姿じゅうぶんに堪能できるのだろう。Sabu監督は上映前の挨拶で「最後の4秒間が重要です。それを撮るために……」と力説するが。尖沙咀。十数年ぶりにAshley道の「京笹」に食す。狭い店は繁盛。Haagen-Dazsに氷菓食す。Z嬢と別れ漢口道と宣昌街角のWorksなるCD屋。初めて知ったが窓にボブマーレイ、ツェッペリン、ピンクフロイドの旗を掲げ、それだけで食指動くが訪れてみれば香港には珍しきマイナー製作の希少版びっしり。ボブマーレイのライブCD購ふ。三度びSpace Museumに戻りThunska Pansittivorakul監督“Happy Berry”観る。バンコックのSiam CentreにあるHappy Berryなる若者ら経営のブティックを舞台にしたファッション小売業界の若者たち撮ったドキュメンタリー。東京から台北、上海、香港、バンコックまで若者らの風俗が全く同じ、ファッションからメイキャップまで同じ。思考回路まで一緒なのは興味深し。映画の幕間に大西巨人『神聖喜劇』第四巻ようやく読了。

四月九日(金)薄曇。井落にてゲリラに三人の日本人拘束とか。じゅうぶんに予期されたこと。イスラム諸国にとって友邦たる日本は米国の側につき彼らを裏切った、とゲリラ側の主張に復す言葉もなし。自衛隊=軍でなく民間人をば捕虜とすることの効果性。朝届いた蘋果日報にもSCMP紙にもI君の首にナイフ突きつけられ隣の女性が怯える画像あり。日本の新聞にこの写真は当然の如く掲載されず。此処まで虐くされる程の怒りがあり。無惨。それを全く理解しておらぬのは例えば讀賣新聞の「国際貢献に賭ける日本の姿勢が厳しく問われている」と記事結ぶが井落派兵は国際貢献になっておらぬこと。本日。朦朧としたまま市大會堂。Denys Arcand制作の“The Barbarian Invasions”観る。ケベック舞台に時は九一一の頃。癌の末期症状にある父とその家族の物語。ロンドンにてロイド證券に活躍する息子も不承不承に父の世話にケベックに戻るが公立病院の乏しき医療環境に「資本主義的に」経営側と労組に賄賂渡し病院建物内で公的予算の削減で空いているフロアに父のため個室病室を用意。癌に苦しむ父の痛み和らげる為にとヘロインの手配。温かく父の末期を看取る家族。米国では「テロの襲撃」に右往左往しているのにこの家族には九一一など全く話題にもならず父を見守り最後は山間の湖畔の別荘にて父を囲み家族皆でマリワナ愉しみ父との最期の時間をば過ごす。話題は哲学や人類の歴史、父の回想やエロ話ばかり。九一一だの全く話題にならず。思惟深き父は人類にいかに野蛮な行為が多く人々が殺戮されたかを述べ、その愚かな人類が幾許かの知恵をもつことの意義を説く。そして最期は父の点滴にヘロイン注入し父に安楽死を授ける「愛情の」物語。何たる反米思想映画。痛快。これをブッシュ二世だの小泉三世は観ても愚鈍ゆへ理解できぬだろう。何といふことか(嗤)この映画の邦題といふより呆題は『みなさん、さようなら』……誰がこの映画にこの題をつけられるのか=配給元。劣悪。どういふ神経かレベルの低さに呆れるばかり。原題が“The Barbarian Invasions”=野蛮人の侵掠、中文題は更に具体的に「蛮夷美利堅」とシビアであるのに邦題の「みなさん、さようなら」は馬鹿丸出し。この映画が九一一(野蛮人騒ぎ)に対するアンチテーゼであることが邦題では単に癌末期の老人の逝世の話と陥るばかり。いや、この邦題は実は米国の覇権がこのまま続けば世界は滅亡という深い意味での「みなさん、さようなら」か……まさか(嗤)。昼よりタイ映画“Beautiful Boxer”観る。日本で一時話題となった女化粧してリングに上がるボクサーの半生。メジャーになる迄の描き方には美学あり。主人公をば敢えて普通に言えば平凡な美しくもなき容貌の若者の起用は正解。誰が見ても綺麗ぢゃないが最後の性転換終えての女性となった満足そうな主人公は確かに美貌。貧弱貧相なこの役者(Asanee Suwan)が実際のトレーニングで逞しくなり且つ美しくなり、と実際に変身させたのは監督Ekachai Uekrongthamの凄さ。続いて午後遅く伊蘭映画“Silence Between Two Thoughts"観る。これもやはり九一一以後のこの世の不条理と、どうにかそれを越えようとする思惟を感ず。伊蘭にて上映禁止。早晩に記者倶楽部。酒場にてドライマティーニ二杯。日剰綴る。晩に灣仔。Lockhart Rdの私家房・四姐川菜にて最近の仕事関係の方々で晩餐。前回訪れた時に比べ麻辣の効き目尋常で前回がI氏の策略にて特辣であったと憶測。H氏と蒙牛集団の牛乳「美味しすぎて怪しい」と語る。ジム。二更に『大イ老愛美麗』なる娯楽映画観る。深刻なテーマの映画作品の後に謂わば箸休め。黒社会舞台にお笑いありアクションあり。芸人のStephan馮徳倫が出演しつつ脚本と監督。最後に出品人(Producer)に名連ねるジャッキー・チェン先生が話の筋とは全く関係なく一コマ出演がいかにも香港映画。
▼台湾への帰省より戻った某姉に聞いた話。台中の市場にて老婆二人の会話聞いたら片方が相手に「なぜアタシが千五百台幣だったのにアンタは二千台幣なのよ」と不満申していたとか。何かといへば「その筋」の手配で台北に(つまり国民党の連宋支援の座り込みに)行けば宛がわれるお小遣い。手配の筋により微妙に手当に差あり。余はけして台北での座り込みが偽はりとは言わぬし亜扁当選を肯定もせぬが結局選挙といふもの米国の大統領選を例にするまでもなく欺瞞だらけ。

四月八日(木)晩に尖沙咀にて薮用済ませ二更に市大會堂に辷り込み山下敦弘監督『リアリズムの宿』観る。映画の自主製作する二人の若者の余りに単調な鄙びた温泉行き描き台本読んだだけでは「つまらない」内容がじゅうぶんに面白くなるのは演出の良さかと感心しつつ、これだけ平凡な内容描き作品として通用するのは例えばつげ義春の漫画くらいかと思っていたら物語終わって知ったはこの映画の原作がつげ義春(笑)。上映始り須臾にZ嬢の鼠足にて入る姿見つけ終わって聞けばZ嬢観た田中麗奈&妻夫木聡『今日の出来事』の上映が三十分以上遅れての、とか。余もZ嬢も夕餉逸し三更に記者倶楽部に往き薫製牛肉の三文治食す。
▼松竹よりの歌舞伎ニュースのメールに新之助君の海老蔵襲名の記事あり「新之助丈」と呼ぶを見て首傾げざるを得ず。「丈」は長老だの師への敬称にて確かに「役者の芸名につける敬称」であるがあくまで敬称。松竹といふ歌舞伎界寡占する胴元が自ら抱える役者に、しかもまだ二十歳台の役者に「丈」は如何なものか。敬称のデフレなり。
▼全人代常務委による基本法の「解釈」につき実質的に07年の特区行政長官直選の途閉ざされたことに朝日新聞など悲観ばかりだが地場の数紙熟読すれば予期された結果に冷静で寧ろ北京中央も香港での改革の必要性理解したこと積極的に評価。但し時期尚早とされるのなら具体的に地道な将来探ることが香港の課題であり、07年の普選不可能なるは「董建華が香港の領袖であっては」という原因に基づくことは北京中央も香港の民主派も同じ。

四月七日(木)陰鬱なる曇。香港は牛乳が高価だが最近、蒙牛集団なる会社の製品市場に出回り味佳し。中国有数の乳製品メーカーでCMかなりキテおり印象深し。昏時記者倶楽部にて麦酒一飲し東涌線にて葵芳。葵青劇院。台湾の蔡明亮監督の映画にのみ出演続ける李康生の初監督作品『不見』観る。痴呆症の祖父と暮らす若者は学校にもいかずゲーセンと自宅でゲーム続ける。もう一人は公園で孫見失った老婆。夜中に台北の公園で祖父を捜す若者と老婆が遭遇。ここでその痴呆症の老人がこの迷子の子連れて二人でいるであろうこと察せられるが淡々とこの若者と老婆描く孤独な世界は蔡明亮(この作品のプロデューサー)以上に蔡明亮的世界。また「公演」といふ舞台も興味深し。台湾での文芸での公園は白先勇が台北の新公園を舞台にして以来の重要な要素。昼は子どもが遊ぶ平和な風景と夜の公園の闇。若者役は張捷なる名で李康生が91年に蔡監督に台北の路上でスカウトされた如く今後、李康生が監督続ける場合に主人演ずること確か。楊徳昌監督の枯嶺街殺人事件でデビューした張震の稚い頃髣髴させる端正さだが張震も楊徳昌監督にスカウトされ同監督の作品に出演続けたように台湾にはこの監督と若い役者の<秘蔵っ子の系譜>的なもの存在。ちなみに痴呆老人役は蔡作品にて李康生の父親役演じ続けた苗天。蔡監督の影響大きい作品だが蔡監督をば陵駕すると言っても過言に非ず。葵青劇院に洒落たカフェあり屋外の卓にてこの日剰綴る。続いてBruno Dumont監督“Twentynine Palms”観る。米国加州の荒涼たる砂漠のなかの保養地?Twentynine Palmsに旅する青年と仏語のみ解す女の子の物語。モーテルに泊まり砂漠をHummersのジープで走りながら性行と排泄、餌の如きフードをば食すこと続けるは看る者は「つまらないが平凡な結末か」「怖いもの見たさで不幸なる結末」予測するが……。これも必見。現代版のカミュの小説の如し葵芳への往復で福原直樹『黒いスイス』新潮新書読む。筆者は毎日新聞の元・瑞西の寿府(ジュネーブ)特派員にて某商社マンによる銅取引での三千億円の損失スクープした記者。永世中立と民主主義とアルプスの国・瑞西の暗澹たる部分をよく描く。
▼朝日の時々刻々で「立たない先生処分の春」と東都に於ひて卒業式入学式にて国歌斉唱通達に起立せぬ教師処分について報道するが「立たない先生」と些か不雅な表現ながら(笑)都知事では勃起小説で一躍注目浴びた人だと思へば「勃つ」は勇ましさの象徴にて国家斉唱に立たぬは女々しい奴か。ちなみに都教委はこの国旗国歌指導の徹底を「国際社会で尊敬されるためには」としているが開玩笑。一瞬、普遍法たる日本国憲法の前文にある「国際社会に於いて名誉ある地位」の一文彷彿するが(これとて既に小泉三世により改竄借用済み)憲法は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」のであり平和を乱し専制と隷従を強い圧迫と偏狭に満ちた感すらある都知事の下で何をば言はむか。国際社会にて尊敬されるためには憲法に謳ふ理想に向けての邁進こそ大切、それを偏狭なる国家主義の押しつけで国旗に向かひ国歌謳へば望ましき人格形成に能ふか。この東京都の目指す理想的教育の一環が例えば東京未来塾・東京教師養成塾であり、かのやふなリトル松下政経塾の如きファッショ塾の国家再生の希望に萌へた塾生がこれからの東都の社会教育率ひやふとすると思ふと真に恐ろしさばかり。
▼昨日、先週末より中国全人代常務委による香港基本法付属文書の解釈草案の審議につき結論発表される。2007年の香港特区行政長官直接選挙について従来「07年以降の行政長官の選出方法に改正(つまり直接選挙への移行)の必要ある場合、立法会全議員の三分の二の多数で可決し、行政長官が同意し、全人代常務委に報告して批准を受けなければならない」としていたものを改正必要な場合は行政長官が全人代常務委に報告し常務委が「香港の現状と秩序維持しながら漸次進展の原則」による決定を経て香港政府を経て立法会に対して改正案を給し立法会の三分の二の賛成があり行政長官が同意した上で全人代が批准し法案を準備する」といふ事実上07年の直接選挙制限となる。ちなみにヤフーの伝える記事こちらは従前の選出方法をそのまま掲載し内容は全く不正確。決定は予想されたものでこのままでは中央政府の意に添わぬ行政長官の選出も予期され全人代に決定権あることを明確にしたもの。一国二制度の崩壊といふ捉え方も可だが「わかっていたこと」でもあり香港での世論やマスコミの反応は比較的穏やか。寧ろこれでこの秋の立法会選挙では民主派の有利と親中派民建聯の議席減が必至。中央政府も馬鹿ぢゃないから董建華での失敗鑑みてもっとマトモで広い支持得られる人選になろうことも明らか。実質上今回の全人代決定は董建華に対する三行半のようなもの。
▼香港、殊に九龍一帯でポストや市街の制電盤などにびっしりとペンキ描きされた「九龍皇帝」の宣文かなり御馴染み。(写真)これを半世紀描き続けてきた曾爺が「退位」(笑)と劉健威氏が連載で紹介。八十四歳の曾爺はついに足腰弱くなり老人ホーム入り。外出ままならず九龍皇帝の落書き?ももはやこれまで。ずっと「キチガイ」と見られ度重なる軽犯罪での逮捕で警察も半ば呆れていたが五六年程前に劉氏やデザイナー登β達智氏らが曾爺持ち上げてアートとして取上げ、活躍の場もそれまでの九龍一帯から香港島へと活動域広がり(それまでカネがなく香港島に渡るも躊躇、だが九龍皇帝ゆへ香港は領土外か……)「作品」の個展開かれファッションショーに生地として用いられ一躍芸術家の仲間入り。
▼プロテニスのマイケル・チャンといへば89年の全仏オープンにて若干17歳にて優勝し世界の脚光浴びたがその後イマイチながら息の長い活躍の中で熱心な基督者である彼が推進するは張家族基金なる団体でスポーツを通じキリストの教え広めるといふ。中国本土でも遠征の度にこの布教活動に熱心だが政府が問題とするのはマイケルさんがかつて米国の伝道師Luis Palauなる人に昵懇でこのPalauなる人の福音派キリスト教団体が中国国内では非合法。またマイケルさんが全仏優勝の89年は天安門事件の年。彼自身その優勝の原動力の一つに天安門での中国の若者の姿を挙げ、これも中国政府には面白くなきところか。

四月六日(火)久が原のT君、昨日は東都より金毘羅歌舞伎に日帰り!だったそうで、T君も天婦羅蕎麦の「ヌキ」嫌いだそうな。入谷畦道の狂言でも直侍丑松の雪の別れに「天や玉子の拔きで飮むのも、しみつたれた話だから」とあり、とT君。だろう。早晩に記者倶楽部の酒場でステラアルトワ一飲。大利清湯南にて牛筋のカレー飯食す。香港文化中心。香港国際映画祭の開幕日。開幕上映は中国の李少紅監督『恋愛中的寶貝』Baober in Loveと当地香港より許鞍華監督で主演が趙薇とNicholas謝霆鋒の『玉観音』Jade Goddess of Mercyの二本。『恋愛中的寶貝』は北京を舞台にセンスよき若者二人の都会での重圧?描くのだそうだが余はあのテの作品がさっぱり理解できず。都市的なる雰囲気だの映像処理については中国映画も全く世界に遜色なき水準にあることだけ理解。ただ映像がビデオだのデジタル処理される場合にフィルムに比べ演出容易にて必要以上の映像効果なされることは物語の単調さと故らながら対照的に受け入れ難し。『玉観音』はこれ迄の許鞍華作品の中で余は最も好む。映画の基本の如く人気芸人の起用、味のある脇役、意外な物語展開、舞台の変化(北京と雲南は南徳の辺疆)、愛情と不条理、悲劇といった娯楽映画に必須の要素全てきちんと盛り込む。趙薇とNicholas謝の起用で両者ともけして芝居上手に非ず単なるアイドル映画かとも悲観するが物語の粗筋は此処で語らぬがメドゥサの如き宿命もつ魅惑的な女性として趙薇は数年前に「日章旗モチーフにした服」着て中国にて国民的非難浴び糞尿まで投げつけられし屈辱経て役者として大きく成長し相手役のNicholas謝も裁判の被告となる姿は当然のことながら香港での暴走運転&交通事故(身代わりの出頭と警察官への贈賄)にて実際の裁判に身を置いて前科者となった経緯あり演技に何処かそれがオーバーラップもあり。Nicholas謝の余りにヘタな北京語もどこか雲南に住まふラオスかタイ系の「その筋」の家庭の息子らしさあり。期待よりずっと楽しめる作品。帰宅して立川末広の井川先生との競馬鹿対談読む。
▼余は幼少の折から何故に芸者の名は男名であるか、といふ疑問あり。当初の疑問は東都にも名を馳せた「水戸二上り」の金太姐さんといふ三味線の達者な芸妓が新常磐家なる家にあり(昭和初期)、なぜ女の芸者で「金太」と男の名なのか?と疑い、〆吉だの勇次などと男名多きことに悩む。かつて三業組合の理事長などもした祖父や花街の事情に詳しい祖母に尋ねたかどうか記憶にないが昨晩読んだ或る本に
江戸では寶暦以來陰間が大いに流行したので、深川の藝者屋の中には之に對抗すべく、抱への藝者を陰間風に仕立て、男髷に結はせて羽織りを着せ、その名さへ、千代吉、鶴次、甚八などゝ男名を呼ばせて男娼の向うを張つた。これが期限となつて、一般に藝者は男名を附することゝなつて、遂に今日に及んでゐる。
と大正十三年の田中香涯なる病理学者の遺稿集より。なるほどゝ合点。まさか陰間への対抗だったとは。

四月五日(月)晴。朝寝貪り『談志の迷宮、志ん朝の闇』の残り読む。随筆としてもここ数年に読んだ中で最佳か。昼にZ嬢とZ嬢が未だ始点から終点まで通して歩いておらず余は二週間前のMount Butler Raceにて走ったSir Cecil RideをMount Parker Rdの分岐点より黄泥涌水塘まで10km程歩く。Happy Valley迄下りてミニバスで銅鑼灣。午後遅くMatheson街の滬揚川なる上海料理屋。名の如く上海の字(あざな)滬に揚子江と四川の字を当て上海料理がいかにごちゃまぜか字の表す通りだが上海料理なるもの川菜をば山椒除いて唐辛子と落花生味にし杭州菜の肉料理は更に油っこく麺も歯ごたえなく今ひとつ何が美味いのか理解できず。この店も小籠包など有名だが武漢で食す包子に比べれば脂多し。ミニバスで北角。馬寶道街市の徳興隆にて豆腐花を食す。古汚ひ店は満員。近くに「日東麺包」といふパン屋あり。名前からして日系かと思ふが違ふようで、かなり美味い菓子パン売る。いくつかパン購い帰宅して湯に浸かりドライマティーニ飲みつつ今朝山歩きにふと持ち出した池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』読み了える。何度読んだか。今読むと普通の著名人の美食談義なのだが昭和五十年代初めにはまだ珍しい書き物であり、その当時ですら池波先生は何が寂しいかといへば東京オリンピックで東都、京都や名古屋まで町並みが破壊されたと慨く。勿論、日本橋室町の天婦羅はやし、神田連雀町の竹むらやいせ源、松栄亭に蕎麦のまつや、銀座の煉瓦亭も当時のままであるし外神田花ぶさの板前・今村氏が銀座に「いまむら」を出して池波先生の歩いた東都の味は辛うじて残りもするが、その昭和五十年代初の風情すらもはや四半世紀!も前のこと。videonews.comにて三月十九日収録の『噂の真相』岡留編集長ゲストの回を見る。午後遅い上海菜に晩飯の気に起きず日東麺包のアンパン一つ食す。美味。古川修『蕎麦屋酒』光文社新書読む。純米酒に蕎麦切りを手繰る悦び遠き日本を思い出すばかり。蕎麦屋で「天ぬき」=天婦羅蕎麦を蕎麦抜き、つまり蕎麦汁に天婦羅だけ入れて供される左党には人気の品ありこの古川氏も天ヌキでの一杯楽しむクチだそうだが余はどうも天ぬき理解できず。だいいち酒の肴として下品である。食べ方も粗野になりがちで丼ぶりに天婦羅の衣など残り当然きれいに食べれば腹ふくれ酒も不味くなるし蕎麦にいきつかず。高橋義孝先生の如き紳士もこれで一杯と文章にあり。天婦羅にだけはどうしても酒が合わぬと余は思ふから尚更なのだろうが。

農歴閏二月中日。清明節。薄曇。アタイの仲良しの竹ちゃんが今日は昼の部で朝から舞台があるってのにきっとレコと一緒なんだろう、連休で旅行だなんて洒落込んで、そのぶんアタイがとばっちり、竹ちゃんに「富っちゃん、四日の日、朝の舞台お願いね」なんて勝手。それでアタイは日曜だってのに北角の小屋で朝から眠い目をこすって慣れない客相手に舞台こなして、とんだ日曜だよ、まったく。(……と此処まで浅草はオペラ館の踊り子風に) といふわけで昼すぎ灣仔。順發にて牛什でも食そうかと思ったら清明節で定休日。春園街の金鳳茶餐庁。単なる凍牛乳紅茶に牛酪麺包とハム入りオムレツながら何故これがこれほど美味いのか。実に美味い。香港一美味ひと覚える。但し他の店ならこれでHK$15くらいだが金鳳となるとHK$23と強気。当然。この満足感は久が原のT君昨日赤坂の「砂場」に食したに近きものかと独り合点。ジムにて久方ぶりに二時間の鍛錬。夕刻帰宅して最近余の好みは「氷なし」の酒の類ひ。ブラッディメリイにドライマティーニをば氷なしで一飲。チゲ鍋。テレビつけ偶然「新撰組!」見る。京目指す浪人組が中山道の宿場町・本庄宿にて宿割りで仲間のイザコザの話。四十五分間そればかり。会社で急な常務の出張ありホテルの手配できず常務立腹にどう対処すべきかといったまるで「課長島耕作」のサラリーマン漫画の如し。また「使えない」上司(近藤勇)を有するチームがその男をどう操縦することで経営者にまで持ち上げるには取り巻きが何をすべきか、といった処世術的。この筋の何処が「大河」なのかちっとも理解できず。晩に立川末広『談志の迷宮、志ん朝の闇』を読む。競馬もいいが立川末広の語る落語はいいねぇ、実にいい。ぞくぞくするほどに噺家が目の前に浮かぶ。ふと思い出したが一昨日の晩に趙胤胤のピアノ演奏会の帰りにZ嬢が趙君のミスタッチ目立ったことに「ホロヴィッツ先生だってミスタッチあるのだから」と言ったがホロヴィッツ先生の場合ミスタッチも語り草になる遉が大物。一音のミスタッチどころかそのままずっと和音とか続けても許されるのだからホロヴィッツ先生はピアノ界の志ん生だね、とZ嬢と笑ふ。ところで。これまでも何冊か落語に関する本読んだが立川末広のこれは秀作中の秀作。本当に落語が好きで噺家が好きなところがいい。それでいて高田文夫のように(高田氏は高田氏でじゅうぶん立派だが)自分がやりたいとならずあくまで客席の椅子に坐っている姿勢で而も強記ぶり遺憾なく発揮し語る。
▼四月に入り朝日新聞の社説が「国旗国歌」で始り他紙の社説に多事論争もちかけ讀賣に対峙し産経の主張に反撃……と勢いいいが「産経の社説にお答えする」って産経なんて誰も読んでおらず(笑)。ところで朝日に「転機の教育」なる特集あり「日の丸・君が代の攻防」なる記事で白かにされていることはじつは我が国の尊き国旗国歌を口実に実は目的は組合の徹底的排除」「運営しやすい学校づくり」。それだけ。愛国心など口上ばかり。すでに学校によっては都教委の通達を説明した校長に対して教員の間では反対も賛成もなく「何を言っても仕方ないといふ雰囲気が蔓延」と取材に応じた校長。この状況がいかに最悪であるか。もはや公教育に創造性も向上心も何もなくただ権力により(この権力とは政府与党ばかりか反体制側にもいえること)寸断寸断にされた教育「現場」あるのみ。この日本の現状に対比して紹介されるは韓国の国主導の徹底したエリート教育(中国も同じ)、その対極としての和蘭陀や瑞典での自由化された公教育。国旗国歌などといった「些細なこと」に起立したしないと敢えて敵つくりガンをつけて処分したのしないのとそれの何処が教育か呆れるばかり。
▼蘋果日報の蔡瀾氏の随筆に「iPod」といふ文章あり。要旨は旅の携帯。かつてはテープが進化してMP3に迄なり重宝この上ないがiPodが出て魅力的なものの大きさと重さでちょっと躊躇していたもののiPod-miniが出て知人に贈られ使ってみたらこれが重宝……とそれだけ。この随筆、専門学校のライター養成講座でこれ書いたら一発で「内容に乏しい」と×つけられる筈が香港一高い原稿料で蘋果日報に掲載される不思議。蔡瀾氏がもはや権威となり編集者とて誰も氏に甲乙の指摘できぬ寂しい状況あり。それにしても自ら企画するツアー旅行での報告、インターネットからの拾い記事の紹介だのこういったiPodなど誰でも書ける内容で……と思うが蔡瀾氏にしてみれば「自分はもう年だし何をしても勝手なのだ」と開き直るばかり。始末に負えず。
▼ところで昨晩も寿司加藤に参ろうと歩いた北角に大陸からのツアー旅行者の数多し。お揃いの野球帽だけならまだしも「迷子札」の如き氏名写真入りの札まで首から下げる野暮な姿。須臾く前のKevin Sinclair氏の文章(SCMP紙)にてHK Hotels Associationの代表者のコメントとして今日日の大陸からの旅行者の振る舞いは三十年前の日本人の如く突然の裕福さに海外旅行に出向くものの海外のマナーも常識も弁えず地元と同じように振る舞い顰蹙かうばかり……と酷評。三十年前の日本人なるものも其れ程酷かったのかと想像しつつそれぢゃ今がそれほどマナーがいいかとも思うが。もう三十年も前だろうか、日本交通公社よりサトウサンペイ著で『スマートな日本人』だかいふマナー解説本あり、このようなマナーすら知らず海外に出向く日本人多きことに唖然とした記憶あり。べつに西洋料理でのナイフとフォークを外から使うことの間違いなど間違っても恥ずかしくもなし(実際に使いたいナイフフォーク使えば給仕が黙って取換えるだけ)それより人に順番譲るだのホテルのロビーにスリッパやガウンで現れないといった当然のことが実は今でも香港の一流ホテルで平気でスリッパでロビー歩く御仁もいるわけで呆れられても仕方なし。民族的恥ずかしさといへばやはり須臾く前の陶傑氏の「唐人街」=チャイナタウンといふ随筆に、ローマ市が市内でのチャイナタウン建設を不許可といふニュースあり陶傑氏それを「善政」と評価し欧州のチャイナタウンを「癌」とまで揶揄。チャイナタウンなど出来ればどうせ多くの華僑がいくつもの華商會だの同郷親睦会だの組織して権力闘争繰り広げ華人マフィアが横行し福建と温州からの密入国者と高利貸、売娼の巣窟となるばかり、と。

四月三日(土)曇。上野は寛永寺の両大師詣御車返の櫻をば愛でた久が原のT君より報せあり。両大師は花見客の雑沓甚だしき上野公園とは通り一つ隔てただけで上野駅に出入りの鉄道の轢む音聞こえる程の静寂のはず。其処に御車返の櫻あり……と此処まではかつて東京に住まひし頃に遊び懐かしい限りだがT君の説明で知るは「後水尾院御感の餘り御車を返させ給ひける名誉のこの銘の櫻に二種あり」「一つは洛外常照皇寺の枝埀櫻」で「一つは突然變異にて一木に一重八重咲き混じる珍種」といふこと。両大師のは後者にて「別銘を桐ヶ谷」と言ひ三味線長歌「櫻盡くし」という曲に歌はるゝほどの古種だそうでもとは鎌倉産出と傳へられるが両大師の程の大木は「卻つて關東には稀なるが如し」とT君。「未だ蕾も殘れりとは雖も縁紅厚咲の花房重りかに今を盛りと見えたり。萬朶枝撓む隙より水淺黄の空透ける眺め、東都櫻中の絶景と言ひつべし」と目に浮かぶ櫻の咲く様。それに比べ上野山の「染井吉野は宛然灰土の如し」とT君。さて本日は余も偶には人の為なる事もするもので知人A氏三月の帰国にあたり子息H君あと一年香港に残り12年生の修学願い其の保証人及び査証手続き等の諸事請われ余それを引受ける。本日は明日より耶蘇の復活祭の学校休みにて一時帰国するH君の査証手続き終わり灣仔の入境事務大楼に査証受領にH君と参る。担当官との面談直ぐ終わるが土曜日で手薄の為に査証発給の事務手続き小一時間有すと言はれ今どきの十八の若者とさして共通話題もなく会話にも困りふと思い出すは先日(三月十六日)の香港IDの手続きにて漢字名「富柏村」をば香港IDに記載意図せしところその際のreplacementはあくまで旧来のカードよりICカードへの変更にて記載内容の変更には応じられず記載内容変更要望の場合は有料にて灣仔の入境事務処にてと言はれた事。H君の手続きする5階より香港身分証扱ふ8階に参れば混雑するものの予約なしでも等局「捌ける」程度の混雑にて恐る恐る中文名(漢字名)の申請せば何の疑いも支障もなく受理され一時間半ほどの間に申請、再度の写真撮影と指紋押捺及び本人確認了える。日本の感覚では偽名登記だろうがそもそも香港での最初の登記には日本国旅券に記載されしローマ字名しか根拠なく日本人の場合には和名あるが東夷の「国字」だの平仮名の場合漢語圏の香港にては登記も出来ず亦た少なからぬ非漢字圏人士が勝手に漢字名つける習慣もあり(例えば末代総督のChris Patten卿の彭定康など)本人が申請せば受理されることに不思議もなし。それにしても富柏村なる架空世界の名をば態々官憲に登記とは愚の骨頂といふ気もしつつ架空世界の名とて登記可なることでいかに名前なるもの恣意の産物にて個人情報管理なる行為ぢたいがいかに滑稽かの証左ながら何故に政府官憲が国民の個人情報管理に執るかといへば管理でもしておらねば繁殖して把握可能なるが情報にて野放しでは政府官憲の存在意義にすら觝触する故と理解。この手続きのためにHK$395も耗やす余には自分自身呆れるが本日最後の作業にてこの費用支払いの窓口にて生れて初めて「富柏村先生」と呼ばれ不思議な気分。長い待ち時間に新聞読んでおれば信報の藝術欄に「糸崎公朗」なる人のフォトモ(写真+模型)アート展示会が一日より灣仔の其処から歩いて五分とかからぬ藝術中心にて開催とありこの糸崎なる作家のフォトモによる精緻なる都会の情景に興味湧き香港ID手続き済ませ早速訪れる。最高。余の最も好きな都市の描写。物悲しさ。奇妙さ。それでいて何処か可笑しさと生命観。これぞ都市といふ糸崎ワールドに暫し見入る。会場に在港邦人のM君あり。此処でM君と遭遇とは出来すぎた話。邂ふべき人に邂逅の感あり。M君は昨日だか総領事館のM氏に勧められて参った、と。M君とこの糸崎なる人が香港の繁華街をば撮影しオブジェ製ればさぞかし面白いだろふと語るが問題は香港の場合建物の撮影する際に人を含まず建物原型のみの撮影はさぞや難しきことか(笑)。久々にアートは楽しいものと感じ入る展覧会。薮用あり九龍。早晩に終わり香港島に戻り晩に久々に北角の寿司・加藤にてT君夫妻とA君。烏賊の烏賊墨和え肴にエビス麦酒。酒は澤の泉と越の白梅のどちらも純米酒。さより、赤貝、小鰭など寿司つまみばってらと穴子押寿司で腹充たせば幸甚極まりなし。帰りに皆で北角道に翠苑なる新しき甜味屋出来味見。主人も一見して趣味人で好感もてるが芝麻糊食すが砂糖容易に使いすぎ工夫要す。
▼SCMP紙に印度領の孤島アダマン群島の記事あり。嘗ての外地とは隔絶された未開の島も今では空港出来てリベタすっかり観光地。問題は外地人の進入によりこの群島に未だ存在せぬウイルス侵入し当然のことながらその抗体もたぬ現地の土民それに感染の場合死亡に至るも易しと。土民をば観光バスより眺めビデオだの写真に納め娯しむ旅行者の野蛮さ甚だし。また文化人類学の名をもってその土民をば執拗に「貴重」と扱ふもこれ亦た卑下されるべき行為なり。

四月二日(金)全人代常委での香港基本法「法解釈」に抗議する香港政府庁舎前での座り込みに対して警察が強圧的な排除。97年の変換前まで実は香港政庁庁舎は入り口に鉄扉すらなく24時間誰でも進入通り抜け可といふ、まさに公共空間であったものが、今では批判者から鉄格子に守られ孤立する砦と化す。夕刻中環のHMWにCD購いに立ち寄る。ソウルでBill WithersのLean On Meが目的の一枚にてソウルのCD棚見当たらず店員に「ソウルは何処?」と訪ねると「Korea!」といふ答え期待しつつもう一枚のお目当てはJazzフルートといへばHerbie Mannの名盤“At The Village Gate”だったがこの一枚並びに同じMannのJazz Mastersシリーズと“Nirvan”の三枚購ふ。Z嬢と早晩に外国人記者倶楽部の酒場にて待ち合わせステラアルトワ一飲。印度羊肉カレー食す。マンダリオンオリエンタルホテルの横通れば昨日の芸人張國榮君追悼の百合の花路上にまであふれ哥哥偲ぶワンフ未だ少なからず(写真)市大会堂にて趙胤胤なる上海出身にて豪州にて修行中の若手ピアニストの独奏会。曲はモーツアルトのAndante Grazioso、メヌエット、トルコ行進曲にチャイコフスキの「四季」十二曲全曲に“Rhapsody in Blue”といふ「子供も聞きにきてね」の演目。客は三分の入りと奮わず。モーツアルトの三曲は「いったいどうしたの?」といふほどに不器用な演奏続ける。余の如き素人にも、左手のリズムに安定感があく主旋律が走ってしまいちぐはぐさが目立つ程。「ここぞといふところで」ミスタッチも少なからず。「四季」の演奏はだいぶ得意な面見せるが六月「舟歌」終わったところで休憩はいるのも疑問。而も休憩終わって客席の照明も落ちぬうちに趙君舞台に現れ演奏始めようとして慌てて照明変わる。少なからぬ客は席につけぬまま。チャイコフスキは得意とするのだろうがスラブ的に唸るところはもっと唸り抑揚あらばもっと秀逸なる曲もさらりさらりと譜面なぞる演奏。本人もちっとも面白そうでなし。客三分の入りへの動揺か何か気障りでもあるのか、だがプロとして許されぬべきこと。“Rhapsody in Blue”も音量はアジア人の洋琴奏者としてはかなりなものだが拍いてばかりで狂想的な破綻は感じられず。終わって舞台去り拍手に応じて再度現れたもののZ嬢共々「初見」と驚いたが趙君自ら洋琴の蓋閉めてアンコールなしの意思表示か。実際に花束だけ受取りアンコールもなく終演。まだ若くいろいろあろうが客の入り悪く冱えぬ舞台にて好演できてこそ将来への糧。余りの全てに関する粗さ。本人もさぞや悔しく不快なる晩であろう。できれば「ユンディ・リ(李雲迪)といふ芸域狭き「ショパン弾き」なぜあゝも持て囃され他のピアニストに関心がもてれぬぬのか?といふ日頃の疑問に応える逸材かと(チャイコフスキの「四季」十二曲の充実した演奏を聞かせてくれることで)多少期待したが残念。会場で配布のチラシで「中国ピアノ界の義太夫節」傳聰先生の古希祝演奏会四月下旬にあるを知る。傳聰先生もショパンで有名だが余は個人的にはこの人のモーツアルトこそ、と思ふ。演奏会終わり東区走廊経由のバスで太古城。畏友M君と待ち合わせユニーのあるCityplaza内のKenny Rogersなる店で一飲。明日必要な書類受け取る。帰宅して聴いたHerbie Mannの“At The Village Gate”絶品。殊に“It ain't necessarily so”こそ。続けて聴いたJazz Mastersシリーズに“The Peanuts Vendor”の曲あり。この曲聴くとどうしても昭和8年のヒット曲・川畑文子の「キューバの豆売り」の歌詞「ま〜めぇ、ま〜めぇ、お豆が好き〜」の珍妙なる歌詞浮かぶも老ひの故か。
▼日本語教える知人J君に聞いた話。J君のクラスに普段無口な三十頃の男性あり。構文の練習書かせると例えば「余儀なく」なら「我が国政府は戦況の緊迫を鑑み余儀なく学徒出陣を決定する」だの「友邦の期待通りドイツ第三帝国陸軍は帝国領拡大を続け」だの「帝国海軍の威力は連合国艦隊を陵ぎ……」と単に軍事オタクぢゃなく枢軸国側(笑)。昨日の男一匹トラック野郎といい中国人にも「日の本の帝の徳を戴けば」の面白い人あり。

四月朔日(木)大雨。昨年の四月朔日は忘れるに難き一日なり。三月からの疫禍の最中にこの日沙田居住の高校生が香港政府が香港をば疫埠に指定と網上にデマ流し香港政府これ否定し非常事態と携帯電話会社通じ疫埠指定はデマと伝言流し否定に躍起。晩には芸人張國榮君Mandarin Oriental Hotelのジムより投身自殺し何たるエイプリルフールか。本日の暗天と憂鬱なる大雨は昨年のこの日思い出すにはぢゅうぶんの神佛の演出。昨年の疫禍の大雨といへば香港国際映画祭開幕日の夜の大雨。余の日剰昨年四月八日の項「香港文化中心にて開幕上映に選ばれしは山田洋次監督『たそがれ清兵衛』ながら監督肺炎禍恐れ来港せず上映も満席切符売切れのところ実際の客の入りは七分で上映前にLeslie追悼し黙祷あり上映終わりロビーに下り映画評論されるS姐、ライターのH嬢、香港大博物館のA君らと邂逅するも外は大雨落雷視界遮られるほどの豪雨に文化中心前の椰子樹折れんばかりに揺れ香港いつたいどうなるのだろうと皆で思案」と読み返す。今年はこのエイプリルフールに何事もなく過ぎるであろうことは幸いか……。気分は蔡明亮監督の描く台湾の憂鬱なる雨の日の如し。晩に畏友M君の車で尖沙咀より香島へと海底隧道潜らば目前に花魁の絵も眩しき深夜高速長距離便と筆文字も鮮やかな一台のトラック走るを見る。花魁の左右上方には畏くも国旗日の丸と菊の御紋章あり。香港に突然現れたるトラック野郎。菊の御紋章といへば日経日本語学院(日本経済新聞とは無関係)が校章に菊の御紋章用いるに驚いて以来のこと。M君俄然興奮しデジカメに撮さむと近づけば国旗及び御紋章に何やら文字あり何かと読めば「君が代は千代に八千代に」と国歌の歌詞。香島に渡り上手い工合に同じ方向に進み東区走廊の高速に入り運転手の御尊顔拝すべく隣車線より前方に参れば運転手氏は額際左右の剃りも潔き青年顰め面に目尻吊り上げ男一匹トラック野郎。香港人か(笑)。帰宅してテレビつければ明日より四日の日程にて北京の全人代にて検討される香港基本法での07年行政長官及び08年立法会議員の両選挙の直接選挙実施に関する基本法法解釈の専門部会に反対=つまり香港自治に関する北京政府介入反対の抗議集会が中環のCharter Gardenにて開催され夜に蝋燭集会あり学生団体が政府庁舎前にて座り込みに入らば警察それ排除に動き学生及びそれ支援する市民と警察小競合いとなり学生支持する市民の怒濤の如き声も高らか。同じ中環でもマンダリンオリエンタルホテルにはレスリー張國榮の一周忌にて追悼のファンらホテル前にて追悼集会開催はホテル西側の雪廠街は警察により通行止めとなり路上にまで黒装束に身を固めた地元香港韓国日本からの哥哥ファン二百名ほどか集い午後十時より追悼式実況中継されしめやかに黙祷捧げ哥哥の歌流れれば啜り泣く声ばかり。ホテルの宿泊客には賜ったものぢゃないと思うが恐らく日本からの少なからぬ哥哥ファン故人偲びこのホテルに滞在のはず。ところで。隣宅レポオト(その3)強制立ち退き執行日まであと7日。本晩やはり午後七時と前両晩と同じ頃に土地審裁處の職員来訪。但し文官風から今晩は簡易ながらも肩章つけた制服組の服装の者。本晩は住人応対に出れば職員「昨日此処に貼った通告は如何」と質せば住人「チーシン!」連発して職員に罵声浴びせたり。職員手慣れたもので「いいから通告の紙はあるの、捨てたの?」と問ふ。恐らく裁判署の執行公文にて張り出されたもの剥すは張られた者の辛さで温情酌量だろうが廃棄したとなると司法に逆らふ意志表示にてコトややこしくなるのであろう。住人「あるよ、ここに」と鉄扉越しに書状見せれば証拠とばかりに職員それデジカメにて撮影。しばらく問答続き職員去る。連続三晩のアクションにあと七日何が起きるのか此方に被害及ばぬこと祈り戦々恐々。
▼築地のH君曰く東京都での日の丸君が代での教員処分について都知事石原君の国旗国歌に関する問題に「妙に力が入っておらず」と。例の調子で「国家あっての国民ですからね。嫌ならシナでも北朝鮮でも亡命すりゃいいんじゃないの」とか言いそうだが今回そのテの暴言は民主党都議の土屋某一手に引き受ける。H君察するに実は石原君この問題にはあんまり情熱をもっておらぬのでは?と。そもそも青島退陣となる都知事選に出た折「国旗国歌法」制定論議のさなか。産経の候補者アンケートでは鳩山邦夫が「都下全校での完全実施をめざす」とか言ったのに対し石原君「君が代という曲はあんまり好きじゃない」「強制とかそういう問題ではないでしょう」と余り関心なさそうな態度をみせH君もテッキリこれは鳩山が当選するよりマシだったかと勘違いしてしまった、と。一説では石原は期せずして当選してしまい何をしていいかわからず中曽根大勲位に相談したところ「君、教育をやりたまえ」という指示をうけたとかいう噂もあり。もしかすると実はこの国旗国歌強制は本来の意味での愛国の志に非ず単に偏向教員=公務員排除の手段に過ぎず、だとしたら畏くも国旗国歌蔑ろにする行為と言へはしまひかなどと邪推。
▼まずは漢文。臺澎金馬 我武維揚 民主進歩 圖盛圖強 内謀壯大 外結友邦 唯我先烈 闢我康莊 時値大選 政壇雲揚 龍騰虎躍 共逐勝場 祈我先烈 佑我賢良 八紘一宇 禹奠重大 これを「臺灣澎湖金馬ノ地ニ我レ武維ヲ掲ゲ民主進歩盛ムヲ圖シ強キヲ圖ス。内ニ謀リテハ壯大ニ外ニ友邦ト結ビ唯ダ我レ先烈ニ我ノ康莊ヲ闢ム。時ハ大選ニ値ヒ政壇ニ雲揚リ龍ハ騰リ虎ハ躍シ共ニ場ヲ勝スヲ遂ル。我ハ先烈ニ祈ル我ノ賢良ヲ佑ケ八紘一宇ト禹奠重大ナルヲ。」……とか読むのだろうか(全くいい加減な読み下し)。とこれが何かといへば台湾で総統に再選された(のであろう)亜扁氏が台北の忠烈祠の春祭に参拝し其処で揚げた祝詞。中華民国総統は毎年春秋の両祭にこの忠烈祠参拝が吉例。今季の春祭は丁度総統選挙終わっての時期に重なり亜扁君まさに再選後の教書演説の如き宣言。今日の蘋果日報で陶傑氏がこれを紹介。忠烈祠が民国時代に中国各地に作られた国軍の忠孝烈士を奉る謂わば護国神社であり台北の圓山に位置するこの忠烈祠は謂わば中華民国の靖国神社と陶傑氏も紹介。ましてや祝詞には「八紘一宇」の四字あり。当然蒋介石総統の時から続く総統参拝であろうが興味深き点は陶傑氏は述べておらぬが祝詞が「臺澎金馬」より始ること。本来なら中華四海とでも謳ふべきところ「台湾」に限定したところが台独掲げる亜扁君らしさか。

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