教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
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既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。

   
四月卅日(土)薄曇。朝寝貪りと言いつゝ八時には起きる。週末土曜の雑用済ませ昼までヴィクトリア公園の遊泳池に小一時間泳ぐ。昼にFortress HillのK氏営む手打烏東屋(これが店の名)に食す。見事なコシの手打ちうどんできつね食す。K氏この店始められもう四年か五年か。土曜の昼も忙しくご挨拶もせず。午後空港にて離着陸機の旅客オペレーションする台湾出身のP君とFCCにて珈琲。昨日昼に食した自家製カレーの豚肉に細骨あり歯茎をばその骨で刺したのか黴菌入ったらしく歯茎化膿し中環ヴィクトリアファーマシーに塗り薬購い歯茎痛み激しく店出るなり戯院里の路上で歯茎に薬塗。ジムで一時間有酸素運動。Z嬢に電話すると中環のオリンピアグレコ珈琲豆店に参つたとの事でFCCに待ち合わせ。ステラ麦酒1パイント、フェイマスグースのハイボール二杯。プリンスビルヂングのオリヴァースに葡萄酒、乾酪など購ふ。帰宅。晩は白シチューにパスタ。新西蘭の白葡萄酒オイスターベイ飲む。NHK大河ドラマ『義経』第十五回と十六回録画で観る。次回十七回が最高潮なのだろうが弁慶をそこまで道化師役にする必要があるのかどうか。この役のための昨年末のマツケンサンバのブームづくりだったのだろうが。噂には聞いていたが平幹二朗と夏木マリの妖怪的演技の凄さ。ベトナムのサイゴン陥落卅周年。卅周年記念行事の行進に参加のベトナム軍兵士の若者が見事な英語でインタビューに答えている。サイゴン陥落の翌朝、毎朝通学が厭で神経性の腹痛と下痢モードの余に母が「この日は歴史でとても大切な日だから覚えておきなさい」と言つたこと思い出す。確かNHKの朝のニュース番組で司会は井川アナウンサー。晩に母に電話でこのこと話すと母は覚えていない、と。あれから卅年。当時、戦争が終わったらしいこと以外、それが北ベトナム共産軍による南越占拠だとよく理解できず。本来であれば「戦争は終わった」で母の気持ちもこれから平和になるべきであつた筈。二ヶ月遅れで『芸術新潮』三月号特集はラ・トゥールの号読む。
▼日本は黄金連休で海外旅行盛りながら中国と香港は反日騒ぎで観光客減。中国国家旅遊局の局長が「中国旅行は安全」と公言するが客足退いた後で既に遅し。北京公安当局も四月九日の反日デモは不法と今になって公言。人民はただ愚弄されるばかりなり。文革の悲劇と同様。香港は日本からの旅行者三割減だとかで日航は旅客確保のため香港から日本への旅客確保策に転じ東京でのホテル二泊込みで三千四百ドル(約五万円)の格安旅行発売とか。陶傑氏蘋果日報の連載随筆にて「日貨不買」どころか東京への買い物ツアーに喜ぶ様を嗤ふ。
▼信報社説にて「中国」国民党連戦党首の「中国」訪問を歴史的出来事ながら既に台湾にて国民党は時期総統選挙は馬英九君が候補略ぼ確実で連戦君にとってはすでに引退に向けての有終の美を飾るばかりの事実を指摘。連戦君、本来であれば国民党李登輝総統を襲い時期総統確実の筈がまさかの李登輝君の当時の事実上の亜扁支持で下野し台湾民衆の支持得られず野党党首に甘んじる。今回の訪中も父が国民党軍将校といふ外省人がため台湾土着の民衆からは台北蒋介石空港にて中国への片道切符の航空券示され今日の西安での兵馬桶訪問も台湾ではきっと「そのまま兵馬に始皇帝の軍人塑像とともに埋ってしまへ」と揶揄されているのだろうか。

四月廿九日(金)朝七時すぎ驟雨に遭ふ。晩にジムで筋力運動一時間済ませ北角の寿司加藤。Z嬢と待ち合わせ。熱燗二合。細魚の刺身。しめ鯖など握りつまむ。食後に主人K氏より大阪は池田の本醸造「呉春」なる酒振る舞われる。刺身などにはとても合わぬ、生でぐっと一杯には良し。K氏が食後に出されたのは納得。

四月廿八日(木)曇。晩の工作任務の前に尖沙咀で晩飯済まそうとするが「一人飯」不毛の地尖沙咀で路頭に迷ふ。吉野家の牛丼も飽きて久々にミラマホテル地下二階の美食大都会にカツカレー食す。けして美味といふわけでないが尖沙咀のこの地で四星ホテル地下に廉価な食堂あることの不思議。午後十時に工作任務済ませ怠惰にタクシーで銅鑼湾。バーSに飲む。若者T君おり歓談。華南投資コンサルティングで著名のM氏おられ何度かバーSで尊顔拝したが初めてお話する。華南投資だの中国での会社設立や税制に全く無縁の余は日系企業の華南事情に精通するM氏になら、と尋ねたき事は「なぜ香港ベースの日系企業の日本人が広東省仕事に参る際に中国を「チャイナ」「チャイナ」と呼ぶのか?」といふこと。用例としては「道楽茶屋ですか……明日はチャイナなんですよね、まぁ八時だったら行けますよ」など。M氏との推測では「地場的には」大陸、内地、本土だろうがこれらの語がどこか偏見めいた響きあり「中国」というほど大それた話でもなく香港とて厳密には中国で、広東省が最も正確なのだが日本語でも「秋田に出張」とは言うが「秋田県に出張」とは余り言わない気もするし、それじゃ広東かというと広東だと広州の別称でもあり、具体的に広州、深セン、東莞と言えばいいが(M氏自身はこれを用いるそうな)香港から広東省への出張ベースだと深センか東莞かは千葉か幕張かくらいの違いで感覚的に厳密にわける程でもなく……で結局「チャイナ」といふ今ひとつ不明朗な、だが「香港ベースの華南ビジネスする人たちには符丁となる」この呼び方が普及しているのでは?と思える。ハイボールとロックで一杯ずつ飲んで三更になる前に帰宅のつもりがM氏との談話で十二時近くとなり自宅が同じ方向でタクシー同乗し帰宅。
▼JR西日本の機関士「教育」(こちら)まるで大西巨人の『神聖喜劇』。なぜ指差確認は右手じゃないといけないのか、数冊にのぼる反省ノートへの記述、組合所属者への冷遇、この再教育を苦にして自殺した運転手、「泣いてどうなるもんじゃあない。男は1人で解決せんにゃいけんのど」「もう運転士はできんかもしれん。辞めにゃあいけんかもしれん。上司に逆ろうたんじゃけぇ,戒告か減給は免れまい。下手したら懲戒で辞めるようになる」といふ台詞はそのまま大前田軍曹。結局この世の中を生きていくには『神聖喜劇』の主人公東堂太郎になるしかないかも。
▼読売巨人軍の低迷はまことに嬉しいが苦境に立たされるは清原選手。ナベツネが「だから言っただろうが」とご立腹も想像に易し。あるべき姿は松井でヒゲを生やしても好成績のイチローだから許される。清原君もこれで成績良ければいいのだが巨人軍最下位で昨晩は巨人軍の四番打者にあるまじき不調でチャンスに凡退に終わり六連敗。ナベツネはシーズン開幕前に紳士であるべき巨人軍が監督はヒゲを生やしたりするから選手に「金髪やモヒカンでもいいじゃないかという卑怯なスタイルが増える可能性もある」と苦言。何よりナベツネのお気に召さぬは清原君で「輝いているのは耳だけ」で「みんな(清原の)まねして耳ピアスということになりますと、最近、凶悪犯罪が増えて参りまして、中国の蛇頭というものがいて、耳ごと盗まれる心配もある。清原君は一見、強そうに見えるから、暴力団の方が逃げるだろうが。優しい顔をしている高橋(由伸)君や元木君がピアスをつけたら耳ごと盗まれちゃう。ご注意していただきたい」と言いたい放題(こちら)。だが不幸はナベツネの不安災いしての巨人軍の低迷。殊に清原の不振。これでは「だから言っただろうが」とナベツネがさらに言いたい放題になるわけで、だからこそ清原君には反ナベツネ的に頑張っていただきたいのだが清原復活すると巨人軍が最下位脱出してしまふか。
▼昨日の連戦君の「中山美陵」なる揮毫。やはり中国ではネットで物笑いのタネだとか。しかも本来なら「中山英陵」と書くべきところ「美」としたのは言訳的には孫文の夫人宋美齢の「美」の字を用いたとなる。しかもあの紙はどう見ても横に「陵英山中」と書くべきで縦に四文字綴った不幸。さらに指摘すれば連戰といふ名前で「戰」の字を簡体字で「占戈」にしたのも宜敷からず。この連戦書「中山美陵」の墨宝は中山陵紀念館に掲げられるそうな。後生まで「大陸に六十年ぶりに光臨の国民党の党首って人は字が下手だねぇ」と言われる悲しさ。ちなみに連戦君の中山陵訪問で孫文の書いた「天下為公」の四文字が掲げられる陵門がこの六十年間で初めて開かれ連戦君らそこから入場。その孫文の「天下為公」の下を通ってのあの「中山美陵」だったとは……。

四月廿七日(水)雨。香港特区行政長官董建華君更迭での後任者の任期につき全人代常委が任期は董君の残余二年と決定。五年とできぬことの政治的背景を日刊ベリタに早晩送稿(こちら)。日刊ベリタに国王独裁で政治危機にあるネパールのカトマンズから小倉清子さんという記者の貴重な報道あり(こちらとか)。新聞や通信社のフォローが難しい現地精通の地元居住記者による記事で実に読み応えあり。晩にジムで一昨日に続き拳闘系の有酸素運動一時間。雨本降り。帰宅。名も忘れた葡萄酒の残り。蕃茄のパスタ。チーズ。食後にマッカランのウヰスキー飲む。三晩続けてNHKニュース10見る。宝塚線の脱線事故で実父の行方わからずと三日続けて創作現場だの遺体収容所を回る息子にテレビ局の記者「お疲れじゃないですか?」と声かける。「疲れたとか言ってる場合じゃないでしょう」と息子が答えたのは当然。狂ったマスメディア。ところで事故現場で作業のクレーン車に大きく中尾組というロゴが目立つ。どこの建築会社かと思えば奈良のここなのだろうか。台湾の国民党党首連戦氏の大陸訪問。本日南京の中山陵訪問。来賓として揮毫するが毛筆で「中山美陵」と書いた書の余りの拙さ。中共は毛沢東、登β小平、江沢民と実に個性的な見事な書家続き。字は下手は下手なりに国民党は孫文もかなり下手だが太字で「天下為公」など孫文なりの個性的な書。小泉三世の「郵政民営化ナントカ推進本部」の看板も下手だったが小泉君らしい髪型に似た癖字であれはあれでよし。連戦氏の下手さは中国で物笑いの種であろうし台湾にとっても国辱的。さういふ人を大陸に遣ってはいけないし連戦君に揮毫させたのは中共の策略か。あの字をみたら「共産党の領袖でよかった」と共産党の評価高まるかも。香港行政長官任期につき2年と決定の全人代常委の草案起草担当者がテレビのインタビューに答え「全会一致の賛成は香港のことを全人代常委が重視する証拠」と宣われ思わず眩暈。全会一致は中国が一党独裁ゆへ。半世紀以上法治もないと反対意見の存在の重要性も理解できず。登β小平の「求是」の言葉の意味も理解出来ておるまひ。日本の戦後教育は散々な非難受けるが少なくとも小学校の学級会で多数決で最後は決めても少数意見の尊重と反対意見に耳傾け善処することの大切さを教師から教えられ、学級会で全会一致などどんな議案でも一度もなかったのが事実。
▼廿四日逝去の中国の社会人類学者・費孝通教授について(信報訃報などより纏める)。1910年江蘇省呉江の教育熱心な家庭に生まれる。四歳で母親創設の蒙養院に教育受け28年に東呉大学進学し二年の医学修読の後に社会学に転じ北平(のちの北京)燕京大学社会学部に編入し33年卒業し清華大学大学院を終えた35年国費海外留学の資格得るが留学前に結婚し妻の王同恵連れ廣西省大瑤山でフィールドワークの際に道に迷った妻が虎捕獲のための穴に落ちて貯水にて溺死。費氏は帰郷し傷心癒し呉江県廟港にて一ヶ月のフィールドワーク終えて渡英。倫敦大学で人類学者マリノフスキーに師事。38年に呉江での調査に基づいた論文『江村経済』にて倫敦大学より博士号受ける。同年帰国。抗日戦争時には雲南大学、西南連合大学で教鞭をとる。43年に米国政府招聘巨樹として渡米。翌年帰国し清華大学教授。45年に中国民主同盟(民盟)に加わり49年の中華人民共和国建国で第1回政治協商会議に出席。56年に雲南省で少数民族地区の調査。57年に反右派闘争で批判され研究活動から遠ざかる。78年に社会科学院に復帰。民族研究所を経て中国社会学研究所所長。80年に国際応用人類学会よりマリノウスキー名誉賞受け82年には倫敦大学清二経済学院より栄誉博士号受ける。87年に民盟の主席に就任。88年から98年まで全人代常務副委員長。96年から民盟の名誉主席。著作は『生育制度』『郷土中国』『郷土重建』『紳権と皇権』、訳書に『文化論』『工業文明の社会問題』など。代表的著作『小城鎮 大問題』で故郷江蘇省呉江に於ける郷鎮企業中心とした農村工業化のモデル「蘇南モデル」を提示。『中国農村の細密画?ある村の記録1935-1982』では「特定の伝統と環境のなかで成功した方法は、それと異なった伝統をもつ社会には移植できない」として中国には西欧的農業近代化モデルは適用できないと述べた(富柏村註:これが登β小平路線での「中国の特色有る社会主義」や中国独自の経済発展モデルと強く結びつく)。費氏の「小城鎮理論」は「離農不離郷」(離農しても離村せず)で農村の居住構造の変化は伴わずに小規模都市を形成することで大都市への人口集中を抑制しながら労働力を非農業部門に転移させようというもので、この政策が産業と就業の構造転換による農村問題(過剰労働力、貧困など)の解決を可能にする、とした。92年に発表の『行行重行行?郷鎮発展論述』は八十年代以降の沿岸郷鎮企業に関する優れた研究報告。邦訳が『江南農村の工業化?“小城鎮”建設の記録1983〜84』『生育制度?中国の家族と社会』など。02年香港バプティスト大学で「文化自覚と社会発展」と題した廿一世紀の中華文化世界のシンポジウムがあり費氏はその主賓に招かれたが老齢で来港出来ずリポートを提出。そこで「経済変化だけでなく社会の文化的変化は人類共通の問題であり生活に於いて文化の中にある人類にとって「文化を自覚すること」の意義(富柏村註:道徳であるとか公正、政治的思考など人には様々な価値基準があるが社会での<文化>の正しい自覚的理解の重要性について)を説く。香港の「一国両制」についてはその政治的意義ばかりでなく「異なる事象が一つの場所で相容れぬかどうか、(相容れぬ場合でも一つの場に異なる事象が存在することに)その文化的意義がある」と述べた。

四月廿六日(火)小雨。すでに四十九日の法要済ませたが本日が父の七七忌。満中陰。香を焚き父の遺影に合掌するだけの供養。諸事この二日でかなり片付け第でに机周りの片付けまでかなり済ます。四月下旬まで翻弄された一つ大きな仕事とりあえず一段落した所為もあるがセリーグで読売巨人軍最下位は心の支えでもあり。早晩にジム。半年ぶりだかで筋トレをじっくり一時間鍛錬。灣仔に少し遊び帰宅。タンカレーでドライマティーニ一杯。「灣仔埠頭」牌の餃子や揚豆腐の卵とじなど食し一昨日の雪園飯店の魚翅スープに入っていた金華ハムで葱スープ。まだ塩味が出るのだから雪園の金華ハムのいかに鹹いことか。土曜日の益新飯店の残りの紹興酒飲む。NHKのニュース10で宝塚線の脱線事故のニュース見る。被害者の遺族のインタビューが続く。香港でもCNNでもBBCでも大事故が起きた場合被害者の悲しむ姿を一瞬映すことはあってもあそこまで延々と被害者遺族のインタビューはない。何故か。「それが報道ではない」から。被害者の悲しみをいくら伝えても事故の解決にならず。もう一つ不思議なことは被害者の遺族が悲しみのなかでテレビカメラを前にじつに見事に語ること。素人が親族を亡くしたなかで何故あれほど語れるのか驚くばかり。それを否定するつもりはないが、それにより報道の原点がズレることに危惧を感じる。悲しみや怒りはあって当然だし、それを見せられれば余も涙腺緩むが、カメラに写されメディアに映されると悲しみや怒りが政治的に全く異なる事象として「利用される」ことの危険性。中国の反日デモと同じ。そして敬語の氾濫。「まだ車内には『乗客の人』が『おられる』と思われます」とか被害者を「被害にあった方々」と北朝鮮拉致者以来のこの用法。海外メディアでも日本=安全という神話の崩壊をいくつか伝えるが新幹線の安全性は確かに世界でも有数だろうが狭軌鉄道で百キロを出すことの根本的な危険性。乗心地も車輌での揺れもひどいのであり整備新幹線より在来幹線の広軌化を検討すべきでないだろうか。それとアルミニウム車輌。電力浪費であっても広軌で重い車輌が走ることの安全性と快適さ。茨城でも常磐線でスーパーひたち号の脱線事故あり。ニュースで昨日の事故報道では茨木市(いばら「き」し)が何度か取り上げられていたが今日は茨城県も「いばら「き」けん」と当然だが正確に発音。「木」は「ぎ」と濁ることがあっても「城」は「ぎ」とは絶対に濁らないのだが茨城の田舎者の発音ぢたいが「いばらぎ」と濁っておりワープロの変換でも正確には「いばらきけん」だが「いばらぎけん」で変換できる事実。村上春樹の初期短編集あまり面白くもない短編多く余り読み進まず。途中で断念しそうになったが『納屋を焼く』といふ作品の主人公の作家と大麻持参してきた男との大麻吸ってのやりとりの会話が大麻で「いかにもありがち」な内容で少し笑える。ジントニック一杯。英国スーパーMarks&Spencerのダイエットトニックという150ml缶が香港の店から消えて久しく残りあと数本。ドライなジントニック作るのに重宝したトニックゆへ無くなるのが悲しい。
▼Nokia社の新しい携帯電話8800で久々に購買心擽られる。シンプルであることの美しさ。デジカメ機能なければ最高なのだが。
▼中国でインターネットで反日デモ再開を企図した青年が逮捕される。まさに見せしめ逮捕。対日外交で利用するだけ利用され対日「手打ち」となれば犯罪人。国家のために人々がここまで利用される現実の怖さ。
▼台湾より国民党党首連戦氏が訪中。NHKのニュース10では「台湾の最大野党国民党の……」と何度か語っていたが台湾にとって国民党というのは最大野党とかそういうものではない。中国近現代史にあって国民党は国民党。台湾の野党は実質的に国民党、親民党、新党しかないわけで全て台湾独立反対という点では同じ。香港経由でまずは南京訪問。南京は国民党が台湾に逃げる直前までの首都で孫文の中山陵もあり国民党としては中共の首都・北平(北京)などよか最も再訪では南京が重要。といふわけでもともと大陸にあった国民党が出自問う訪中であり連戦ぢたい確か西安の生れだかで「戦線故郷に帰る」であるから歴史的訪問といふには李登輝と亜扁が訪中でもするのに比べれば歴史的といふには「あって当然」のこと。国民党はこの対中安定路線で台湾での支持拡大と政権復帰狙うが中国に根もなき土着の台湾民にとってこの国民党党首の訪中が支持につながるかどうか。この連戦の訪中に「夜も眠れない」と激怒する李登輝君、それに比べ「再選前日に狙撃された」亜扁総統は連戦訪中が台湾にとって対中関係緩和の序になれば意義ありと与党らしい涼しげな態度。したたかさ。連戦の訪中始まっても胡錦涛主席はジャカルタから比律賓に飛びマニラで親善外交展開。中国の外交上手。

四月廿五日(月)小雨。朝日の国際衛星版一面に時事通信の写真用いて「香港で反日デモ」。キャプションには「合法的デモで混乱はなかった」と。この「反日」といふより「日本政府の歴史改竄反対」デモがあったのは事実。だが問題は昨日は行政長官任期に関する全人代常委での法解釈反対デモが実施され千五百名が参加。それに対して「反日」デモは八十名参加だったが朝日にはその参加者数もなし。法解釈反対デモが日本の新聞の国際面で報道しないのもそれはそれでいいが。ちなみに日本での朝刊にはこの「香港で反日デモ」の写真ニュースは見あたらず。国際衛星版のアジア版のみ? 何を誰にどう伝えたいのかわからぬ。JR宝塚線での快速列車の脱線事故。一分半の遅れが事故の原因の一つ。香港の地下鉄のダイヤなら一分半の遅れは深刻だが異常走行の場合自動停止装置も働くそうな。かつて国鉄の機関士といえば鉄道マンの気概、動労の先輩に運転技術叩き込まれて国労の車掌と列車走らせるプロ意識(よくわからぬが)。それももういまのジェイアールにはないだろう。列車のダイヤというのは一時間に一本の列車が走るローカル線も含め日本全土の鉄道が一分の狂いもなく走ることに国家主義的な意義がある。それにしてもテレビの晩のニュースがトップニュースがこの鉄道惨事で続くニュースがMTRの香港ネズミランド線の列車お披露目のニュースとは皮肉。本日はかなり貯っていた諸事とにかく済ませねばと今日は気持ち入れ替えて面倒な業務積極的に済ませる。忙しくとも規則正しいことが大切。早晩に三ヶ月半ぶりにジムで有酸素運動一時間。帰宅してドライマティーニ一杯。マティーニ社のドライのベルモットがようやく一瓶空く。かなりドライなマティーニ飲みにしかわからぬことだが一杯のドライマティーニにほんの小匙一杯入れるか入れぬかのベルモットであるから750mlの一本空くのに数年を要す。余も今までの酒飲み人生でベルモットは三、四本買った程度。それに対して百本のジンを購入しているのは当然だが。昨晩の雪園飯店の魚翅(フカヒレ)スープに入っていた鶏肉使っての親子丼。秀逸。本当に美味い。中国代表する社会人類学者の費孝通教授逝去(新華社)。九十五歳。
▼龍谷大学の国際文化学部教授・卓南生氏が信報に書く文章がいつも面白いのだが今日の信報に自民党政府の歴史認識と謝罪についての一文興味深く読む。卓教授が指摘するのは自民党と日本政府が政府見解として「村山談話」を持ち出すが十年前の「ライト級」の村山首相の謝罪談話発表当日に「重量級」の通産大臣橋本龍太郎君が十名の大臣と百名の自民党代議士引き連れ靖国神社参拝している事実。社会党の村山君が戦争謝罪という目的でいいように自民党に利用されたのであり自民党の本心は寧ろ橋本的な部分にあり小泉三世や町村外相が戦争責任の認識といっても自らの言葉を用いず村山談話引用するのに終わること。それで本当にアジア各国と民衆の信頼を得られるか、と。御意。
▼バンドン会議終わってさっさと帰国の小泉三世に比べインドネシアに残った胡錦涛国家主席は積極的な対インドネシア親善外交活動。国連安保理で常任理事国入り狙う日本に対してアジアの代表が中国であることを印象づける、津波被害支援といい積極的な外交政策。で小泉三世は一日二日帰国が遅れても郵政民営化に何か支障が出るわけでもあるまいが何よりも畏友山崎拓君の衆院補選での返り咲きは嬉しいことだろう。下半身スキャンダルでも恥ずかしげもなく復帰に挑む山崎本人も凄いが、その夫を応援する山崎拓夫人といふのも凄い。普通なら恥ずかしくて世間に顔向けできぬだろうがさすが政治家の妻。それにしても福岡での公明党の山崎支援。『噂の真相』なら公明党の今回の支援を女性醜聞絡みで誰をどう揶揄するか明らかだが、かつてあれだけ創価学会批判の急先鋒であった山崎拓をなぜ支援できるのか。浜四津女史が福岡入りして「今回は自公連立か野党かです」と山崎支援を説いたそうだが公明党にとって大切なことは創価学会批判の代議士も応援してまで自民党の与党であることなのだろうか。
▼一瞬、産経?と思ったのが朝日新聞のニュースに迫る「詰め込みよりたたき込み」と題した「ゆとり教育見直し中山文科相に聞く」の記事。ゆとり教育見直しはで中山成彬君が提案の一例が「漢文の素読」とは。日本の伝統と歴史、文化の推進役で「漢意(からごころ)を捨てよ」とでも云いそうだが漢文素読とは意外(笑)。それにしても戦後民主主義で「民主主義と基本的人権が入っていい国になったのは評価しますよ」としつつ「個人主義が日本では自己中心的利己主義になってしまった」「先の大戦の敗戦のショックが大きかったことと、戦後のマルキシズム、共産主義の影響で、日本の戦前は非常に悪かったという歴史観がはびこった」「日本は伝統と歴史があるのに底の浅い国になってしまった」「民族の歴史を大切にすべき」と……まぁ底の浅い非常に「偏向した」歴史観に呆れるばかり。中曽根大勲位の「日本は単一民族」もそうだが東大法学部というのは頭が悪い? まず大切なことは自己中心的利己主義の根本は個人主義ではないこと。個人主義でも道徳的集団主義でも軍隊でも自己中心的利己主義などいくらでも蔓延ること。それの原因を個人主義に擦りつける、発想の幼稚さ。大西巨人『神聖喜劇』あたり読むと勉強になるかも。先の大戦、って昭和十八年生れでしょう先生は。自分も気がつけば戦後世代なのだから「先の大戦」って使っていいのは、あの戦争を実体験している人であって第一次世界大戦も間接的にであれ関与している人だと「先の大戦」という言葉に重きがあるので、つまり昭和天皇とか吉田茂くらいの格ぢゃないといけない。で冷戦時代ぢゃないのだから、このありきたりな共産主義批判も拙ひ。共産主義とて戦前には三十年くらい、もはや立派な政治文化の一部だったのであり、この陳腐な反共産の発想だと弓削徳介先生のような「水戸城再建を夢見た」共産党市議だとか日本舞踊の師匠の共産党員といった個性豊かな人たちが全く理解できぬことになる。政治的思想と歴史観、文化や伝統は全く異なること。それが近代の誇る個人主義。今どき、これほど何でも共産主義が悪い、で済ませてしまふ先生が自民党にまだいた、とは……。森以下。鹿児島に近い宮崎の田舎漢が越境してラサール高校に入り東大法学部から大蔵省、で自民党代議士。一瞬、産経か?と思ったのは中山君の宣伝の如きインタビュー記事であったからなのだが逸話綴ったあとに同じ自民党文教族の代議士の一人が中山君への違和感を口にして文科省の元幹部も匿名で一人の大臣の教育観が世論に後押しされ政策に結びつくことの危うさを嘆く。共産主義が日本を底の浅い国にしたなら、自民党なら日本をよくしたのか。自民党が政権担った戦後社会の成れの果てが今。自らの政党が一党独裁の如き政権党でありながら結果の悪さだけ共産主義の責任にする、この発想こそ自己中心的利己主義以外の何ものにも非ず。中山君は66年に東大法学部卒であるから東大紛争の激化する数年前で丸山眞男先生の講義受けている最後の法学部世代な筈。で、「これ」では丸山眞男も草葉の陰で涕いているか。この記事、一瞬ヨイショ記事のようだが中山教育論読んだ十代の若者の「競い合う先に何があるのか?」といふ感想に「最近の子供には、ませたひねくれた態度の子もおるからな」と文科相が笑ったと紹介する。常識的な国であれば教育担当大臣がこの発言しただけで罷免であろう。
▼ベネディクト16世となったヨゼフ=ラツィンガー君は明らかに「損をしている」のは相の悪さ。映画バットマンの適役や水戸黄門で悪代官に賄賂渡す悪商人にありがちな形相。この人について新聞には様々な風評が載るが(日本の新聞がそれをせぬのは礼節のつもりなのだろうか)蘋果日報はこの人がかつてローマ政庁の教務部だったかの部長で此処が悪名高きカソリック神父の「童恋癖」審査所轄であったがラツィンガー君は知己の神父を裁けぬとそれに非積極的で被害受けた子供らが十八歳になってからようやく審査をするなど決定した経歴ありと紹介。それに対してヘラルド=トリビューン紙にはJason Berryなる基督教に詳しい作家が“A sign of hope for sex abuse victims”とベネディクト16世になりカソリック業界の「童恋癖」の真相解明や是正が進むであろうことに希望的観測。信報にもラツィンガー君の教条的保守主義についての記事ありマルクス主義の影響受けた解放の神学やリベラル派神学に対する非寛容、避妊や堕胎どころか伝染性性病防止のための避妊具の使用も反対だと紹介。
▼「クロコダイル」ブランドのネクタイ製造卸販売業主の土共・曽憲梓が行政長官補選での任期問題につき「全人代常委での法解釈は絶対的な法律効力があり香港はこれを遵守すべきで法解釈後にこれに反対することは違法」と宣ふ。法解釈に意義唱えるなど人権、民主主義、思想表現の自由で当然のことだがさすが中共に媚ること以外何の取り柄もなき土共にとっては中共に反対すること=違法。この法概念もなき土共がその全人代常委の委員(笑)。

四月廿四日(日)薄曇。昨晩佳月。この季節にあって空も霞まず見事な月を愛でる。軽い宿酔で頭痛。新聞読み雑事済ませ昼に沙田競馬場に向かい家を出るが首から肩の痛みひどく九龍で湯治。按摩。ついでに酒も抜けてすっきり快調で沙田競馬場。といっても5レースも終わり予め買った馬券で第4レースでQとQP当ててひとまず本日の資金回収済み。すでに競馬場行きのKCR電車もなく火炭站から久々に歩いて競馬場着。入場口もすでに解放されていて無料入場可なのはよいが何処の入場券売場も会員席のビジター券売る窓口も職員おらず精英大師(サイレントウィットネス)の初戦から連続17連勝の世界記録かかった第7レースの時間も迫り多少焦るが、とにかく会員席正門にまわらねばビジター券買えぬかと強攻策で会員席入口で旅券提示して「買券のため正面玄関に回りたい」と言うとあっさり入場許可され、あれっ? 距離が1400mになっても出走からハナをとった精英大師は余裕で一着。米国馬シガーの16連勝抜いて世界一の記録。で馬券的には単勝HK$10.5でかりに1万ドル賭けてもHK$500しか儲からず(いや、これはオイシイ話である、実際にはジョッキークラブの配当金持ち出しなのだから)問題は二着、三着勝負でこのQPが馬券的には狙い目。昨晩バーSでB君とThe Duke、ScintillationとTown of Fionn(芙蓉鎮)の三頭択んでおりこれのQPにかなり期待をかけたが芙蓉鎮が二着に入ったものの三着にPlanet Rulerが来て失策。世界一の記録達成なのだが今一つ気持ちも昂らないのは、これが宿敵でもいてそれに競り勝ってならいいのだが精英大師にとって無敵の環境での十七連勝なのが寂しいところ。精英大師といへば本日午前十一時の開門の頃に精英大師の記念野球帽無料配給あり殺到した群衆が将棋倒しで数十名負傷。続く第8レースが本日のメインレースの国際G1、QEIIカップなのだが精英大師の世界記録達成が大きすぎて国際G1がかなり静かなイベントに映る。実際、会員席はビジター料金がHK$150もすることでここ数年目立った大陸からの田舎漢少なく閑散といふ感じ。豪州馬Elvstroemあたるが来るのであろうと思っていたが、まさかの香港ダービー馬Vengeance of Rain(爪皇凌雨)が来て二着はMarwing君騎乗の南ア馬Greys Innで三着が香港馬のRussian Pearlはダービー二着馬と香港馬絶好調。余は牝馬エレガントファッションの複勝期待して×。いなご社長と、それに昨晩大阪での「プライドGP2005」終えて今日香港に到着した放送作家のM氏と尖沙咀に戻る。ジムで一浴しお二人と待ち合わせ北角の上海料理・雪園飯店。Z嬢と遅れて季刊『ハロン』編集や競馬評書くS氏来て晩餐。豪華なフカヒレスープは美味いのだが塩辛いのが難。日本円で二万円くらいする料理なのだから次回はわがままを言って金華ハムを半分の量にするか一度塩抜きしてもらうかしたいところ。酢豚、旬の竹筍、松子桂魚など食し三鮮炒麺と小籠包。S氏とM氏が明日早朝便で帰国(M君は香港滞在20時間)であるし我も今晩崩れると一週間壊れたままのような気がして帰宅。本晩は満月ながら小雨に曇り月も見えず。

四月廿三日(土)晴。Z嬢の提案で香港大学裏の学長住宅まで十三番のバスで上がり引水路に沿って散歩コースで薄扶林に出てシャレでサイバーポートを馬鹿にして帰る企画あり。中環に朝十時、A嬢、M嬢にN氏と五人で集まり予定通り学長住宅裏から歩き始め「これ以上容易なお散歩コースはない」とタカを括って歩きだせば西高山の方に上る山道が地図には破線であるが実際には見つからず、どうも斜面土砂崩れ防止で混凝土で「整備」した際に上り口が塞がれたようで仕方なく少し後戻りして澤登り始めると雨降らずで水は殆どないが澤の高低差もけっこうあり道迷ってから西高山の山道に出るまで小一時間要す。香港トレイルのコースに出て昼すぎ薄扶林の村。今ではすっかり少なくなった密集型の集落。周囲の団地に囲まれ「開発」待つ運命だが、この村は罹災民村にあらず百数十年前に乳製品のデイリーファーム社が(このへんに牧場でもあったのか)職員住宅で開発した由緒ある村で、こういった集落にありがちな不審火で延焼しての「開発」は免れるのかどうか。村のなかを歩いてまわり(汚いが美味そうな食堂は満員)サイバーポートに向かう一行と別れ我一人バスで中環。サイバーポートはZ嬢の話では「かなり寂れている」とのこと。所詮無理な開発で独占開発権得た李嘉誠財閥は「ざまあみろ」である。中環で陳成記に食そうかと思ったが手前の京味居が土曜の昼で閑散としており京味居で川鹵麺(四川風鹵麺)食す。美味。着替えなど朝置いていった中環のジムでシャワー浴びて着がえ午後FCC。三、四日分たまった新聞読もうと持参したが読み出したもののドライマティーニ一杯でかなり睡魔に冒され「こりゃダメだ」とジンジャエール飲みながら結局三時間新聞読み。FCCを出て中環を歩いていて気になるのがもう半年以上あるだろうか「木村早苗」ブランドの女性用財布(偽物)を売る屋台。香港にありがちなコピー商品なのだが、そのオリジナルである高級ブランド・木村早苗ぢたい存在しない(だろう)。それでもコピーが商品価値をもつ、まさにマスクス的には物象化。でこれに誰か注目しているのか、と思ったら稚内の一戸先生……やっぱり。HMWでVCD五枚購入して尖沙咀のハイアットリージェンシーホテルのChin Chin Barで日本から来港の月刊『ハロン』の元編集長S氏といなご社長と再会。旧交を温めドライマティーニ。お二人に聞いて驚いたが成田空港の第一ターミナル、現在は南ウイング工事中だが、それが終わって、いつもキャセイで利用している北ウイングの改修工事始まるのだとてっきり思っていたが北ウイングは工事が終わった結果が「あれ」だと聞いてかなり驚く。あれでもきれいになった、と云う。三人で金鐘に戻りタクシーでハッピーバレーの益新飯店。かなりの繁盛。どうみても豪州人以外の何ものでもない男らとそれの見事に中国人の彼女らという連中が十二人卓で大騒ぎ。豪州人らしく葡萄酒がCloudy Bayなのは「なるほど」だったがすぐに二、三本飲み終わると近所の店から安酒持ち込み。さすが豪州人。タクシーでFCCに戻り葡萄酒Robert Mondabiの01年一本飲み散会。地下鉄で戻るがふと銅鑼灣で途中下車してしまひバーS。Auchentochanを味見してすぐ帰るつもりが畏友B君現れついつい痛飲。遅くに同席の御仁のClynelichの14年を味見させていただいたが美味かった。深更に到る。
▼中国政府は反日運動抑えにかかり広東九一八など反日網上論壇が接続不可と信報伝える。だが反日先鋒閲覧可なだけで十分といふ気もするが(笑)。それにしても昨日のInt'l Herald Tribune紙によれば上海では日本総領事館に向かった反日デモ隊が警察のパトカーに先導されていたと伝えていたが何らかの形で「盛り上げられた」デモに参加した若者らにしてみれば「ある程度の働き」終われば今度はデモ取締りされるわけで、この若者らの鬱憤が鬱積することの怖さ。この“In China anti-Japanese protests echo past”と云う記事(Howard W.French記者)は秀逸。今回の反日運動が国家的政治運動の文革髣髴させる点を指摘し「日本が戦争責任に対して謝罪せぬ」「日本の歴史教科書の改竄」が中国で非難されるが、この記事では、実際には日本の教科書での中国侵略について日本で加害者である点は明記されており、それに立脚した教科書が日本全国で多く採用され1%に満たぬ採用の扶桑社教科書のみ取り上げることの事実無視、日本政府の何度にも及ぶ謝罪の実績と日中国交正常化後の三百億ドルもの対中援助の実績を挙げ、そういった事実を無視して日本をいいように利用する中国側の問題を指摘。日本軍による侵略と中国市民の虐殺の事実は事実として中共による建国後の毛沢東時代の数千万人に及ぶ政治的死者の数のほうが被害甚大であること。こういった数々の矛盾が存在しながら反日デモが起きればそれを報道せずデモ収束図る時だけ公安が批准せぬデモ活動は取締りと報道するような姿勢。大きな矛盾が抑え込まれるばかり。本当に怖い。
▼昨日「謝罪」発言の小泉三世発言後に記者の質問避けられたが小泉三世が何か口にした映像テレビに流れ何を口にしたのかと思えば今日のSCMP紙によれば記者が「胡錦涛主席の会談で何を語るのか?」といふ質問に英語で「フレンドシップ、フレンドシップ」と答えたそうな。尤も最も大切な言葉のようでいて逆にとれば他に具体的に何を語るか日中両国の領袖とも他に具体的に語れる言葉がないのが事実。SCMP紙の政治漫画では小泉三世が「本当に申し訳ない」と謝罪の言葉、次のコマで「謝罪する」と頭下げるが最後のコマで「今回は参拝できず申し訳ない」と靖国神社に謝罪。事実、小泉三世ジャカルタで戦争責任と謝罪の言葉述べる当日に自民党中心に超党派「みんなで参拝する会」の代議士ら計八十八名靖国参拝。中国には理解できぬこの靖国参拝もわかり易く云えば公明党の母体が創価学会であるように自民党といふ巨大カルト宗教の宗教施設だと思えば理解に易いかも。この週末の中国での反日デモ再開を某日経新聞の社会部記者懸念していたがデモ開催は東京の反中国デモで二千人参加。台湾人の「台湾は日本を支持します」のプラカードの支持者も少なからず。だが当日台北では日本の歴史改竄反対の抗議デモもあり。世の中錯綜。
▼それにしても凄いのは小泉三世が戦争責任とお詫びをしたのがアジアアフリカ会議(バンドン会議)であること。この会議、世界史の教科書で周恩来が有名な、あの会議。ヘラルドトリビューン紙にも、アジア・アフリカの各国首脳が鳩る、こういった場で戦争責任に言及し謝罪することは極めて異例と書かれていたが、まさに。通常は相手国との首脳会談で言及されるべき内容。それを何故敢えて国際会議の主要国首脳のスピーチで。いくつも理由はあるが、何といっても国連常任理事国となるための各国の日本への支持を得ること。そして「中国にのみ」媚ぬ姿勢。普通に考えれば、あの場での戦争責任や謝罪発言は国辱的に恥ずかしいし避けたいところだが、それを敢えてやってみせた小泉三世といふ人は確かに凄い。常任理事国になるためにはメンツも捨ててあらゆる手段をとる日本政府の外交。小泉三世は首相在任の年数では吉田、佐藤、中曽根に続く戦後の四大首相の一人に間違いなくなるわけで常任理事国になれば外交的には「これ」といったものなき中曽根大勲位を抜き佐藤栄作君の沖縄の日本復帰すら陵駕するかしないかの成果。吉田茂による国際社会復帰の日本が戦後六十年で晴れて国連常任理事国となれば小泉三世はそれを完成させた大首相。小泉三世といふ人はまさに今それを狙える立場にあり。そのためならAA会議での戦争責任発言と謝罪など恥ずかしさやメンツどころでない。それにしても小泉三世がまだ厚相の頃に一人ふらりと歌舞伎座で芝居観劇。すぐ近くの席に我もあり、まさかこの人が首相になるどころか吉田茂に続く大首相になるとは思いもせず。

四月廿二日(金)快晴。今日こそ早晩にジムに寄り鍛錬のつもりが意気地なく一遊し帰宅。鮭の炊込ご飯。日本橋の「みかわ」で貰ってきた天かすで茄子の味噌汁。疲れひどくテレビでニュース見て転寝。久が原のT君にメールしていて父の疾病から葬儀、四十九日迄のこと思い返し我など父に添ふた母や妹と違い何もしておらぬ身ながら思い返せばこの間のこと小津的な風景に思えてならず。ただそれを『お葬式』に仕上げてしまった伊丹十三の凄さ。火葬が終わったあとの母の悲しそうな、だが喪主となり葬儀為切る母の美しい表情の写真をあらためて見る。T君が勘三郎の襲名披露二ヶ月観て最上の出来は今月の道成寺、と。あの若さでクドキが佳。團十郎の押戻が立派。母も賞めていたのは『毛抜』でT君はセリフの明晰は美事秀逸が奇蹟と賞められる。海老蔵の義太夫物は何に難ありかこの目で見てみたいもの。玉三郎の八ツ橋がもはや大成駒などこの世に存在しなかったかの如く大和屋を楽しむ観衆か。大成駒ですら先代逝去から襲名まで十一年、その後も先代との葛藤の中で正面から自分を押し出して襲名した修行を思えば容易な襲名やこれまでの役者の存在をあっさりと否定どころか無視して個性創ることの容易さ。このT君の指摘は歌舞伎に限ったことに非ず。政治も同様。自民党とて三角大福までの役者揃いが先代の幸四郎、勘三郎、松緑までの時代で脇を固める役者も妙。(細川、村山は強いて言えば突然の東宝歌舞伎や前進座の脚光か)当然のように当世の小泉三世や安倍二世の所作が前述の安易な先達否定どころか無視しての個性的振る舞い。小泉三世といへばジャカルタでの「村山談話での」戦争謝罪発言で明日にでも胡錦涛君と会談でひとまづ手打ちだろうか。客から木戸銭もとれぬつまらぬ大根役者の三流芝居でも中曽根大勲位や宮沢喜一君ですら苦言できぬのが今日の政治的状況なり。

四月廿一日(木)曇。宿酔は震度2程度だが三時間半の睡眠で眠い、眠い。養和病院にてB型肝炎の予防接種。三度目の注射。これで六週間後だかに抗体が出来ているかどうか確認して終わりだそうな。本来今日の注射は三月上旬であったものをすっかり失念。大好きな献血すら忘れていたのだから肝炎の予防接種忘れるのも当然か。ある関係で日本の某大手新聞の社会部だかの電話取材受ける。SARSの時と同じでとにかく現地の日本人がどれだけ戦々恐々としているか、警戒しているかを記事にしたく当方の平静といふ言葉がとても困る様子。あれだけの暴動が「起きないと言われていた上海でも」起きたのですから香港も、と記者。デモはあったが合法的な平和的デモ行進で実際に日系百貨店も総領事館も全く被害に遭わず。今週末にまた反日集会が香港でもあるようですが対策や警戒は?と。もうデモも沈静化されているじゃないですか?と言うと、ただまた週末ですから中国でもデモが起きるかもしれない、と記者。香港と中国内地は政治的背景が異なるわけで内地のデモが反日を掲げながら実際にはどういうフラストレーションにより起きており、香港の場合は状況が異なることを理解しておらず。而も一党独裁の国で政府が事態沈静化を幹部相手に集会で下告し無許可デモ取締りを宣言しているわけで今週末にまた反日デモがある可能性はかなり低いのでは。具体的な被害は?と聞かれ、思わず「マスコミの取材攻撃」と答えそうになる。東京から乏しい現実認識で憶測取材するのなら香港に支局があるのだから香港支局が現実を記事にすればいいものを。SARSの時も築地にある某新聞が香港発と明記された記事でありながら東京でデスクが誤解与える内容を勝手に書いていたと知って呆れたもの。さすがに日暮れは睡魔に襲われパシフィック珈琲のトリプルエスプレッソ飲んで耐える。晩十時に尖沙咀で忙殺から解放され、ふと粥食したくなり但し尖沙咀で真っ当な粥供する店を知らず歩いて佐敦。かなり久々に呉松街の和味生滾粥店。及第粥食す。美味。廟街少し歩く。街に企つ娼婦少なからず。
▼18日晩のテレ朝「報道ステーション」で中国各地の反日デモ報道。香港のこと述べるが画面には深センの暴力的行為が映し出され(具体的には日本製自動車の破壊行為)香港の誤った印象与えたとして在香港総領事館からの要請受けた外務省がテレ朝に通告。20日の同番組で事実説明と訂正あり、とか。

四月廿日(水)曇。晩にかなり久々にハッピーバレー競馬場。キャセイパシフィック航空のボックス席。四月に来港のM君を舎弟扱いで誘えばこれがM君かなり深刻に競馬詳しく日本では園田競馬が主戦場であったそうな。月刊『ハロン』も当然読んでいた。M君初めての香港競馬ながらすぐにコツを得てかなり楽しむ。このボックス席、目の前に某大銀行頭取(ギャル数名連れてのご遊興のため匿名……東亜銀行の李ベイビー國寶に非ず)ご一行、その向こうのテーブルに今季絶好調の調教師告東尼氏ご一行。告氏は「あの」三年連続最多勝調教師のサイズ様を三十勝近く引き離し今季最多勝(現在七十七勝)独走中。今晩は出走は第五レースともう一レースのみで余裕で関係者とお食事。久々の競馬場だがQP一つとってQも当てどうにか投資金回収で最終レース前に競馬場あとにする。銅鑼湾の手酌バーS。競馬は最終レース絞り込めず5頭でT(三連複)したら的中(12頭だてで5頭は選びすぎかも)でご祝儀でボトル入れませふとAuchentoshen注文。ついつい長居して午前二時。
▼町村外相の北京での歴史謝罪発言について外務省事務次官谷内君が18日に外相は98年の日中共同宣言にある「深く反省」に言及したまでで、「お詫びします」といったような直接的な表現はないと説明(こちら)。中国側が国内の反日感情抑えるためにであろう謝罪発言の報道なのだから敢えてここは否定せず黙っていればいい気がするが。

四月十九日(火)晴。朝のテレビ番組で各紙社説取上げるコーナーで信報や経済日報が町村外相の歴史認識と謝罪発言好意的に取上げる。「日本は近代史上で中国を侵略し中国人民に巨大な被害を与えたことを心から深く悲しむ。これについて再び深刻な反省と謝罪を表明する。日本はこの歴史の教訓を真摯に受け止め平和的展開の路線を造っていきたい」(新華社)といふもの。一瞬「えっ」と思ふ。日本での報道はやはり朝日ですらこちら。この内容の大きな違い。発言の使い分けだろうか。町村君おなじ保守反動でも××二世(×三世)などと違つてバカではないから国内外で発言を使い分けして中共の顔を立てているのか。或は中共の事態沈静化のための意図的な報道かも。いずれにせよ利用できる発言。これが××二世(×三世)なら「私は一切そのようなことは申し上げていない。中国政府に対して、報道の撤回と謝罪を要求する!」とか言いそう。虚勢張ることだけが存在理由なのに「朝日の」世論調査でも「次の首相にふさわしい政治家」の堂々第一位。さすが。××二世……ああ面倒くさい伏せ字、安倍総理誕生の暁には「森はまだマシだった」と同じく「小泉はまだよかった…」と懐かしむのだろうか。安倍二世(岸三世)や小泉三世に欠けているのが政治家として(外相町村君が使い分けたであろう)そういう知恵。二世でも(北海道知事で衆院議員の町村金五君の次男)やはり東大経済学部出身(大学時代に産経新聞奨学金で訪米だって)の通産省エリートのほうがまだ国家にとっては有用か……と思ったら東大法学部出身大蔵省エリートの文相中山成彬君が反日デモを徹底批判。愛国反日教育を「天安門事件以降、国内の不満を外に向けるためにそういう教育をしてきた成果だ」とし「記述内容を具体的に指示できない教科書検定の仕組み」に言及。日本人の生死感を「日本はA級戦犯も死んだら仏様」と発言。なんとなく頷きがちな発言内容だが、これに対する築地のH君の感想が興味深い。まず文相の愛国心教育の公然否定。日本の愛国心教育と中国のそれは異なるか。近隣国からの教科書批判を「内政干渉だ」と斥けておいての隣国の教育内容に堂々干渉の矛盾。この時節柄ご自身の発言がどう飛び火するかの損得計算もせず。外務大臣町村君ががお詫びしたという「捏造報道スレスレ」のことまでやって事態を収束させようする中共のメンツも丸潰れ。言うに事欠いて「天安門事件以後」だが六四事件の当時、世界に先駆けて中国政府支持し援助の手を差し伸べたのは他ならぬ自民党政府。「日本では死んだらみんな仏様」も、もしハイチのデュバリエが反政府派の虐殺を追及されて「ハイチでは死んでもゾンビで蘇るということがなかなか伝わらない」と言ったらみんながそれを理解するかどうか。「ボクをわかってくれない方が悪いんだ」で外交はできぬ。この拗ね根性はやはり「心の教育」が不足か(笑)。で反動教育推進。救いようなし。諸事多忙ななかSARSの時と昨年末の津波の時と同様に日本から現地の状況など問い合わせかなり受ける。日本であのマスコミ報道(とくにテレビ)見ていれば心配になるだろうが香港は日曜日に五千人規模のデモあっただけでも「香港は中国」で中国国内と同じく安否確認の対象となる。蘇州のI君はタクシー乗車の際に時節柄韓国人だと言うと運転手から日本に関する生の声聞けて勉強になる、と。ここ一、二ヶ月右手小指から手の甲にかけて痛みあり。打撲など記憶もなくジムで筋力運動もしておらず合点いかず。電脳でキーボード打鍵していて痛みあり、改行キー打鍵の際に痛みひどきこと痛感。キーボード打鍵など廿年以上続けており、なにを今更だが、思えば小指での改行キー打鍵は以前は段落かえの際の改行のみであったが今はメールで必要以上に改行要すのは事実。日に数十通のメールで改行キーを押す回数は英文タイプがこのキーボード配列になった時には想像できない程の頻度。意識してキーボードを右にズラして右手小指に負担かからぬようにしていたら確かに痛み少し和らぐ。上海でデモの目標とされた某組織の内部にいる某さんからも貴重なメールいただくが本人の「組織内での安全と今後のご健勝のため」ここには綴れず。カナダ系秋田人のT君にいただいた泰国産ウイスキーの飲む。お土産にとメコンウイスキー所望したがタイ語で全く読めぬウイスキー。晩に乗ったタクシーでラジオから思いっきり討論番組で日本の歴史認識談議。余が日本人と察したタクシー運転手はラジオの音量下げる気遣い。毎朝新聞数紙購う新聞売店とて主人は反日デモ大写しされた新聞一面の際は新聞半分に折って写真見えぬようにして余に手渡す気遣い。タクシー運転手は余の降車に「日本人だと辛苦でしょう」と。温情忝し。帰宅して昨日のワインの残り一杯飲む。鯵の干物焼いて夕餉。たまった新聞読む。晩のニュースで中共が幹部集め反日運動について報告会開き沈静化求める(朝日)。一党独裁の国家であればこれで事態は沈静化するのだろうが押さえ込まれるガスの充満。それが今後どう吹き出すのかと思えば反日どころの動きにならないはず。
▼香港弁護士会所属の弁護士法曹関係者が行政長官任期について中国政府が全人代常委で法解釈行うことについて香港の法治覆す行為だとしてデモ。思い出すのは99年に香港籍市民の大陸生れの子女に香港居留権あるとした香港最終裁判所裁決を全人代常委が法解釈し裁定覆した際の同じデモで、デモに中環で遭遇したZ嬢が「思いっきり上等のスーツ着た人たちのデモはいったい何?」と思ったこと。弁護士らのスーツの上等さが目立つのは今回も同じ。あれだけみたら英国&上海系テーラーのデモンストレーションかも。
▼日本の郵政民営化について自民党内で紛糾。あれだけ意見異なる人たちが同じ政党であることの不思議。結局「与党であること」だけで鳩った集団の節操のなさ。
▼蘋果日報の論壇に香港民主運動の御大・司徒華氏が反日について述べる。なぜ日本に歴史の謝罪を求めるのか。それは日本が中国侵略の謝罪をせぬから、と。日本は謝罪していると言うが「遺憾」などという表現は謝罪と思われず。政府は村山談話引用するが自民党に担がれ結局は戦争謝罪などで利用された社会党首相の談話を日本政府の公式見解とは思えもせず。謝罪とは独逸のブラント首相の波蘭でのユダヤ人慰霊碑での跪いての贖罪の如きもの。日本の首相が廬溝橋訪れ戦争記念館参観し南京で謝罪するくらいせねば被害者側は謝罪とは思わぬのは明白。南京での市民虐殺が何万人なのか三十万人なのか捏造であるとか、論点は其処に非ず。独逸がナチスにより殺害されたユダヤ人が百万人なのか二百万人なのかで弁明せず。戦犯の靖国合祀とて東京裁判の不当性であるとか「日本人は亡くなればみな仏」などと言ってみても殺人犯に対して被害者遺族が容赦するのは殺人犯が心から謝罪し悔い改めた場合のことで遺族の同情もひけぬ反省心浅き加害者には「極刑を」と願うのが当然。
▼蘋果日報の尊子の一こま漫画。題は環境保全でデモ隊が掲げるプラカードは「結束一党独裁」の一党独裁消して「軍国主義」、「抗議北京竄改基本法」の北京を日本、基本法を歴史教科書にして日本に抗議。秀逸。前述の司徒華氏も今回の香港のデモは反日ではなく事実を覆す者への抗議であり、89年の六四の翌日、中環の商務印書館(中共系)の正面に大字報で「南京大屠殺、日本人殺中国人。北京天安門、中国人殺中国人」と書かれていたことを司徒氏は髣髴。今回のデモでも六四追悼のTシャツ着た参加者少なからず我々の求めているのは「求是」つまり事実の正確な認識である、と述べる。

四月十八日(月)快晴。購読しておらぬ日経の十五日号が配達となる。社説に「ガス田試掘、粛々と周到に」とあり微妙な境界上の地下資源といふ問題に「日中中間線付近のガスは日本に持ち帰ることが商業的に困難であり、中国にパイプラインで送る選択肢が現実的だ。日中が協力できるよう環境を整備していくべきである」といふこのあまりに実に現実的な提案。この資源が日本に属すかどうかが国威に係る問題として云々にならぬ、経済新聞だから、の社説。諸事に忙殺されるがすべて切り上げ早晩にかなり久々にジムに参り有酸素運動しようと思えばウェアの下が荷物になし。あっと思えば秘密基地に置いてあるウェアであったが先日基地まで走ったおりに汗まみれでウェアの下だけ着がえていたこと今になって思い出す。ジムまで勇んで行って運動できぬ不覚。風呂のみ。帰宅。ボルドーの安酒Ch. La Dominanteの01年飲み蕃茄のパスタ。昨日TVBの英語局で放送された“Pearl Report”の録画見る。中国の反日運動が15分の特集。扶桑社の教科書(厳密に言うと、新刊本)を映し、その中の中国侵略の記述部分を紹介。扶桑社的には侵略は中国側の挑発による日本軍の応酬といった記述をナレーターが読む。だが画面に映される教科書は厳密には東京書籍のものなのだが。で香港の日本人学校の外観が映り「香港日本人学校の歴史教科書は日本政府から支給されている」として、その教科書の当該部分は「日本軍により多くの中国人が殺され」といった記述であることをナレーターが語る。東京書籍は誤記問題などで顰蹙もかったが教科書最大手。で東京書籍の歴史教科書は「つくる会」的には偏向した自虐史観。これを海外の日本人学校(全て)が使用(こちら)しているのは日本で最もシャアのある教科書を採用しているから(東京書籍は中学社会科で6割)。東京都も石原都政でありながら(教科書採択は都下の広域区毎になるため)東京書籍の自虐歴史教科書採用が多いことは「石原の奇跡」。これも都立中高一貫6年制学校や養護学校での扶桑社教科書採用など(こちら)着々と動きあり今後どうなるか微妙か。海外にいる邦人子女こそ愛国心教育を、なんて扶桑社の教科書が採用されることないよう祈るばかり。ところで「そごう」の旭屋書店はずっと「在外の日本人」だから喜びそうな安っぽい日本人アイデンティティ奮起本並べ扶桑社の『新しい歴史教科書』も平積みして売っていたが今でもそうなのだろうか。この番組には香港の北村隆則総領事のインタビューもかなり長く用いられる。かなり懇切丁寧に政府の歴史認識について説明しており教科書問題については扶桑社の教科書の採用率の0.1%といふ低さを挙げ、日本の歴史認識の大勢はこの史観とは異なることを述べる。但し靖国問題について靖国神社はプライベートな宗教施設であり「小泉首相の参拝も私的なもの」と説明した点はちょっと事実と相違あり。本日「今さら」でAdobeのフォトショップ購入。画像処理は最初はソニーのサイバーショットの付属品、その後シャープのノートブック付属品を使ってきたがソニーのはCD紛失しシャープのもシステムエラー。京セラはContax用にわざわざ画像処理ソフト開発などするべくもなく(すでに撤退表明である)今さらでフォトショップ。けっこう遊べるなぁと夜な夜な弄くる。
▼築地のH君が日中関係について。蒋介石の「以徳報怨」で「暴に酬ゆるに暴を以つてせず」とあるが、この高尚な智慧も通用する相手とせぬ相手あり。日本が負けて中国で捕虜になった「戦犯」が改心の「撫順の奇跡」も周恩来の徳が通じた、本当なら世界史的な出来事が単なる「中共の洗脳」とされてしまふ悲劇。戦後はそもそも「日本軍国主義は日中両国人民共通の敵」という「フィクション」で以て日本は辛うじて断罪を免れる。それが虚構でも中国人民にそれを強要することで「人民の復讐の念」を押さえ込むことの難しさ。周恩来先生の国際社会で隣国との共存のための智慧。それがいま「無」にされようとする。教科書問題でも日本政府は言うに事欠いて「教科書は民間が作ってるので政府は干渉できない」と、これが拙い。「政府は悪逆でも人民は反省して友好を求めている」というのがタテマエだった筈が人民が勝手に反動的な教科書作るのは政府は関与せず、では周恩来のメンツ丸潰れ。戦後培われてきた周恩来、日本でいへば財界では岡崎嘉平太、政界なら園田直、大来佐武郎であるとか常識的な隣人との付き合い方のできた人物が今はおらず。

四月十七日(日)快晴。朝に日テレのザ・サンデーなる報道?番組見る。トップニュースが北朝鮮の後継者問題で「重要なカギを握る人物」が金正男(笑)。今更だが金正男氏がモスクワに滞在という重要な証言を得て何故に金正男がモスクワ滞在するか?の謎に迫るのだが隠された秘密の一つは金正男の生母がモスクワに滞在しているから。生母の住む場所は厳重に警戒され取材陣は立ち入ることができない、が単なる外交官アパート(笑)。なぜ金氏はモスクワに?で金氏に会ったという男に「極秘」取材敢行までして得た事実がIT関連事業。十五分の特別取材流すが当然何も新しい事実もなくコメンテーターの諸星裕だったかは「モスクワが経験した共産主義経済から市場経済への移行について何らか学んでいるのでは?」と一応それなりのコメントしたが香山ユカは金正男のモスクワ滞在は「なんか個人的な滞在なんじゃないですかぁ」と指摘。この程度の「腐ったネタ」で十五分も費やし日テレも立派なもの。次は昨日上海での反日デモ。上海の総領事館に向け鶏卵や水のボトルを笑顔で放るお祭りの縁日の射的の如き遊びは「破壊行為」だそうな。九日の北京のデモも「暴徒と化した市民は」って、決められた示威対象に向かい示威行為を行い勢い余って日式料理屋や日系企業に憂晴しする市民のどこが「暴徒」か。暴徒といふのは処構わず暴力破壊行為する輩。マスコミから垂れ流される屑ニュースと扇動報道は明らかに真の自由な言論の破壊行為でありネタ煽情のバカさ加減は暴徒的。それにしても天安門事件でも反政府暴動の起きなかった上海で今回のデモ発生。それほど反日の気分高揚か市政府側の「危機管理」の緩さか。今日は摂氏二十五度の陽気だとか。東京駅で荷物預けZ嬢と歩いて日本橋。Z嬢と別れ丸善でなぜかまた村上春樹の短編集『象の消滅』購ふ。きっとあのテの話なのだろうな、と思うし、読んでこれといって感動するわけでもないのだが。日本橋高島屋。Henry Cotton社のシャツ購おうと決めたがサイズの在庫なく銀座松屋に在庫ありと確認され了解。Z嬢と母と高島屋で待ち合わせタクシーで昼に日本橋茅場町の天ぷら「みかわ」。三年ぶりくらいだろうか。天ぷらとしては同じ日本橋では「はやし」のほうが個人的には好きだが人の好みだらう。Z嬢は「みかわ」の方がいい、と言ふ。「みかわ」は使う陶器が面白い店だが熱燗もなかなか風情ある徳利とぐい飲みで二合目をおかわりすると酒飲みと思われたか実にたっぷりな徳利に並々と酒を供され嬉しいかぎり。少しのご飯に江戸風の掻揚げで最後に天丼。三人で日比谷線で銀座。また別行動でまずは松屋でシャツ受取り。伊東屋でプラチナ万年筆の赤色のインキ購入。一丁目の喫煙具のササキまで歩くが日曜日で休み。トラヤ帽子店も休み。休みのほうがよいかも。銀座の歩行者天国に犬連れて歩く人多し。わざわざ連れてくるのだろうか。チワワからアルプスの救助犬まで。喫煙具の菊水。鳩居堂でポチ袋と一筆箋購入。松屋で母と待ち合わせ五丁目の銀座コアビルの甘味若松で豆かんと粟善哉。三越でZ嬢と待ち合わせ母と別れ丸ノ内線で東京駅。東京駅を三時半の成田エクスプレス特急で成田。ラウンジでネット繋ぎRTHKのニュース速報見れば今日の香港の反日デモは主催者側発表で五千人が参加し銅鑼灣「そごう」前ではそごう百貨店に向かっての示威行為もなく中環の政府総部に向けてデモ続く、と。デモ参加や表現の自由保証された香港で五千人で政治的自由が制限される中国各地でそれを越える人数のデモ参加。官製とは言わぬが中国政府のこのデモの「管制の緩さ」は否定できまひ。日本のテレビでの「中国の反日」報道見疲れた頭を軌道修正すべく昨日と昨日の香港各紙読む。“The Economist”誌に“トヨタ城下町のちょっとしたお楽しみ”と題した愛知万博の興味深き記事あり。この「万博」は外国からの展示もいくつかあるが千五百万人と推定される参観者の九割占める日本人の参観者に結局は日本のエコロジカルな日本のハイテク技術が世界にどれだけ貢献しているかを見せ満足させる博覧会であると指摘。中部空港も結婚式場と公共浴場として「利用者」を伸ばしており、この万博も新空港も世界企業であるトヨタが二年後に本社機能を愛知に移すための前夜祭(万博)やインフラ整備(空港)と。キャセイパシフィック501便で香港。Z嬢気づいたのだが香港→東京便は香港ジョッキークラブ提供の料理供されるが東京→香港はないのは東京発便で確かに香港ジョッキークラブの料理が出ては不思議だからだがZ嬢がどうせなら大井競馬場厳選の煮込みとカレーライスとかシャレで出しても面白いかもしれない。機内でうるさい子供いて閉口。親は子供がちょっと躁ぐと「しーっ!」とやるのだが子供は飽きたらず躁ぐ。偉かったのは東京に向かう列車で上野動物園に遊ぶ家族連れなのだが両親とも立派で何かと関心もつ息子にきちんと会話して物事を説明してあげるから幼稚園児くらいの息子もよく話を聞くし静かに考える。傑作はこの息子、上野駅の上にあるから駅の「上の動物園」と理解。エイジアンベリタリアンの機内食(今回は純粋に中華風素食)食し黒松白鹿を二合。村上春樹の短編集読んだり微睡んだり。三更に帰宅。荷物片付け村上春樹の『眠り』なる短編読む。確かに英語で雑誌“New Yorker”に掲載されたら「それっぽい」都市小説か。

四月十六日(土)薄曇。敢えて保守反動フジテレビの朝番を見る。北京在住の日本人に電話で北京の様子は如何ですか?、何か不穏な動きはありますか?、日本人が不安感を覚えるようなことは?と猜疑ばかり。いったい何が問題なのか、どう解決できるのか、といふ視点も発想もなし。日本はアジアでどう思われているのか?といふ特集もあるが台湾、シンガポール、タイで取材していかに日本に親しみがあるか、いかに日本製品が生活に浸透しているか、の列挙で、最終的には韓国と中国の反日感情が民族性もあるのでしょうが異常、と映す。シンガポールの商業施設のフードコート写し「ほら、こんなに日本食が」とお好み焼きやタコ焼きまで紹介するが北京でも上海でも同じ光景がありタイでバイクの98%が日本製です!と驚いて見せるが世界中日本製バイクは当たり前。偏向報道もここまでいくと見事。父の四十九日で七七日供養。法要始まるを待つ「普明」と名付けられた奥座敷に春水の画があり母の話では祖父が先代の住職に寄贈したものだと聞く。納骨。午後に三業地の裡新願寺町にある中川楼にて供養に参列いただいた親戚と父の親友ら招き会食。中川楼は市内に江戸後期から続く鰻供す料亭。横山大観、小川芋銭、船橋聖一といった文人らがこの店の常連。店の史料に当時のこと綴る文章あり当時は旧制高校生が料亭の座敷で飲んでいた時代。ただし学生はお銚子二合までだった、と。三十五年も前の祖父の逝去での忌中祓いも此処。父もよく宴会の帰りに鰻食さず折にして持ち帰り幼き我も嬉しかった記憶。遺影と位牌携え帰宅。自宅まで来られた父の旧友を駅まで送り帰宅。半時間ほど寝る。晩に水戸に泊まった伯父と従兄弟S兄夫妻、母と妹とZ嬢の七人で市街の自宅改装のリバティーヌなる洋食屋に晩餐。S兄夫妻らと白葡萄酒二本。静かに晩を過ごす。

四月十五日(金)三時間程寝て朝五時半起床。午前七時前にタクシーで香港站。エアポートエクスプレスで香港空港。キャセイパシフィック空港のラウンジで朝食。CX504便で東京成田。機内食のエイジアンベリタリアンが印度のカレー味の豆料理で秀逸。機内の映画のプレミアムは“National Treasure”でネズミー映画。本を読もうと思えば“Independence Day”もやっており未見。この米国のナショナリズムを眺めながら新聞何紙か読む。結局眠いまま寝もせず成田。花盛り過ぎたソメイヨシノに囲まれた成田空港。JR空港駅の窓口で帰路の実家から東京、東京から成田の鉄道切符予め購入するが特急の列車時間見れば東京着と東京発の間に六時間程あるのに乗車券は通しで発券され「途中下車できませんので」と言われ唖然。フライトのトランジットぢゃあるまいし六時間も山手線四周でもしていろというのか。乗車券発券し直し。今日は京成線スカイライナーで日暮里。千葉の新興住宅地など確かにソメイヨシノ多く神社のありような鎮守の森に他の樹木に混じるのが山桜。さすがに山手線の鶯谷、日暮里から見上げる上野の桜は見事。上野駅で札幌行き寝台特急カシオペア号眺める。特急には鉄道警察官が搭乗しており月刊信報読んでいたらZ嬢に「身元確認されるかもよ」と笑われる。偕楽園から千波湖の桜満開。母が家近くの駅まで散歩して迎えに来てくれ早晩に帰宅。夕暮に杜鵑啼き遠くに列車の走る音、近所で雨戸閉める音など香港にいては感じぬ夕暮の風情。鰹の刺身など食し辛口のトカップなる十勝ワイン。ほとんどバラエティ番組と化した早晩のニュース番組眺めていると中国の反日運動の報道多く「反日デモに見る現代中国の若者の素顔」と特集テロップ流れるが中国の九十年代の愛国教育やネットでの反日サイト紹介するだけで若者の素顔など写りもせず。言葉が踊っている。それにしてもネットといへば中国のネット事情。法輪功や中国民主運動組織ならネット閲覧不可もまだしも香港の公共放送RTHKから富柏村サイトまで中国国内では閲覧出来ず。それでいて反日先鋒www.japanpig.comが政府の規制に引っかからぬといふのだから。遅晩にスーパー銭湯に一浴。

四月十四日(木)東シナ海での瓦斯田試掘に日本着手では折角平穏の中国反日運動に油注ぐやうなもの。国境問題は外交上の難題で而も海底資源の絡む問題程解決厄介なものなし。三十年も開発会社の申請を凍結してきて、この時期の手続き開始とは驚くばかり。何がそれ程の自信か。米国が背後にある、これを背米主義と呼ぶべき。昨晩読む吉見俊哉『万博幻想』に興味深き記述あり沖縄海洋博は実際には沖縄海洋「開発」博で海洋の自然保護に非ず。この海洋博開催の意図の一つに尖閣列島の海底油田開発も十分に視野に置き参観者に東シナ海の海底資源の豊かさとそれの「日本による」開発計画の啓蒙であったこと。観衆は無意識のうちに博覧会見物で東シナ海の海底資源が「わが国」の開発領域であること認識させられる妙。成程。諸事に忙殺され晩十時に佐敦で麥文記麺家に雲呑麺食す。美味。雲呑の作り方が十年以上前に比べると洗練しすぎの感もあり。隣家の豪州牛乳公司にて杏汁燉蛋。築地のH君に朝日朝刊の京大教授山室信一君の中国反日デモに関する論説が秀逸と昼に報せあり自宅に帰り漸くそれを読む。山室教授曰く、我々がいま問われているのは戦争責任ではなく戦後責任。戦後処理(と山室氏は書いているが誤解ないように言えば戦後の国家経営)をどう果してきたかを真剣に問うこと、と。余が思うに小泉・安倍のOSでは「ですから山室先生の言う戦後処理がこれまで蔑ろにされてきたから私たちは現実主義でその戦後処理をやっているんです」と言いそうだがいまやっていることは「國體」の再構築のようなもの。國體はずっと「あるべきもの」として認識されてきたが今ではこの國體が日本古来の伝統とは全く異なる明治もだいぶ経ってから半世紀でできた発想であることも明白で「國體」だけならまだしも単一民族だの了見の狭い発想が戦後になって國體に上乗せされてしまったから始末におえぬ。

四月十三日(水)雨。気温摂氏十五度まで下がる。新聞読めば昨日の温家宝首相が日本の歴史認識に言及の報道。中国政府も対日強硬論かと思われるが実際には注意して温首相の発言を読めば「日本が国連安保理事会常任理事国となるためには」といふ前提であること。常任理事国になりたいなら中韓などに対して歴史認識を納得できるものにせよ、という主張。まさに昨日綴った信報の鄭氏の述べた日本の独自性に対する中国からの提案。朝日の社説は「中国の報道 事実を伝えてほしい」とあり一読せば「当局によって報道が統制される中国の多くの人々には、それ(反日デモの発生)も知らされない。知っているのは、事件の直前まで中国のメディアが繰り返し報じた大量の日本批判だけではないか」といふ部分はまぁタテマエはそうだと思うが(実際には中国といふのは管制マスコミの外でかなり様々な情報流れるし香港の電波届く広東省など殊更)「愛国教育などによって、多くの中国人は侵略当時の日本軍の写真や映像を繰り返し見ている。その半面、武力による紛争解決を禁じた憲法を持ち、核兵器は持たず、戦争に加わることのなかった日本の戦後史はほとんど知らされていない」といふ言及には大いに疑問。日本の平和憲法、非核など日本の理想像については現実の日本政府への非難といつも一緒に書かれる。事実より社説の論を通すために強引な書き方なり。朝、学生で混雑したバスに乗って見たくもないRoadshowなる宣伝テレビ放送強制的に見せられていたら久しぶりにトークショウ開催の喜劇芸人許冠文(マイケル=ホイ)の宣伝あり。一人語りの話芸披露するが唖然とするほどつまらない。ビクトリアハーバーがどんどん埋め立てられ香港と九龍がどんどん近くなる。九龍から香港の知人に「今晩どこで食事する?」と聞こえるほどで、だから2年前にローリングストーンズの公演が金鐘であった時も尖沙咀で“Satisfaction”が聞こえるから誰も入場料払って見に行かなかった……と、この小話の何処が面白いのか。弟の「歌聖」サム=ホイが復活公演で見事にカムバックしたことに便乗しての大規模なショウだろう。かつての『ミスターBoo』の映画を小学生の時に見て喜劇で香港社会に魅せられた我としては絶頂期を過ぎてからの許冠文の映画のひどさと、そしてこのキョービの「あがき」が悲しいかぎり。疲労感ひどくふと思えば四ヶ月に一度の献血がすでに二ヶ月も過ぎ半年献血しておらぬこと気づき早晩に銅鑼湾の香港紅十字会輸血服務中心にて献血。抜血での「すっかり」感は何事にも代えられぬもの。帰宅してかなり久々に競馬中継見ながら競馬。昨年父の容態悪しくなってから競馬は香港国際レースと知古の馬主の馬の時に少し買う程度で今日になって出走表見ても知らぬ馬多し。勘が鈍っているかと懸念したがR3でかたい馬ばかりではあるがQとQPで「圍彩」「贏得多」「運動家」「騰雲」とボックス買いせば「圍彩」「贏得多」に続き「運動家」と「騰雲」が同着で3位となり「圍彩」「贏得多」のQが払戻金HK$505.5、QPでは3着同着も配当があるとは(確かにそうだが珍しいこと)でQPの組合せは3頭で6通りとなりQPだけでHK$493となる。これでけっこう気分よくR5は馬主C氏の「好利高」にご祝儀もあり一番人気「萬事喜」と「頑皮」に「好利高」を加えQとQPにしたらこれも順当に入着でQとQP3通りゲットで配当金はHK$536.5なり。三連単でいっていればこの2つのレースでHK$8812……「もし」の話だが。
▼十日に京セラがデジカメ生産から撤退が事実確定(こちら)。それだけでもU4Rを先日購入の我は悲しき事実であったのに昨日は青天の霹靂でなんとContaxのカメラ生産まで終了と発表(こちら)。コンパクトカメラはT2、メインにはG1愛用する我には残念極まりなし。而もG1を先日数万円出して修理。年内の生産中止で願わくばGシリーズ用のレンズ揃えたいとかG2もできることなら確保して置きたいなどと考えもする。
▼築地のH君から面白い指摘あり。「評論家の××氏によると、現代××の若者たちは、××党の支持者は極めて少ない半面、××党に逆らうこともないという。激しい受験競争の中で、若者たちは与えられた知識を丸暗記することに慣れ、党の情報管理はたやすくなった」(××新聞より)について「【問い】××に入る組み合わせとして正しいものはどれか」という設問をした場合、答えは
(1)尾木直樹-日本-自民-自民-朝日
(2)劉暁波-中国-共産-共産-産経
(3)デーブ・スペクター-米国-共和-共和-東京スポーツ
のうちいずれかを選択せよ、とすると、答えは実はどれも正解になってしまうのが今日の現実、と。御意。中国の反日運動についても中国の状況の批判記事は簡単で「共産党が反日を煽ってるから」「中国でネット社会が広がったから」「中国人が豊かになって日本を競争相手とみなすようになったか」など「中国はどうしてこうなのか」という問いの立て方ばかり。日本のマスコミで日本政府側の責任への言及であるとか、日本の政策選択によって喚起された現象であるといった認識は見受けられず。徹頭徹尾「中国問題」。中国人に反省を迫るまえに小泉三世や安倍三世など反中国反韓国を煽る風潮を警めるべき。中国を経済的脅威見做して恐れるは日本。ここ数日日剰に綴った如く対米関係のなかで日本が対中問題を見据える視点に乏しいのが問題。
▼民主党の代議士が扶桑社に資本提携する企業としてアサヒビール、三菱重工、ワコール、日野自動車、いすず自動車、住友生命、味の素、東京三菱銀行、清水建設、内外製薬、大成建設、富士通、丸紅、SMK、日本たばこの社名を列挙。厳密にいえば取引先銀行であったりフジサンケイとの株の持ち合い程度なのだろうが。

四月十二日(火)曇。北京で外壁の看板を黒幕で覆った東京三菱銀行北京支店の写真あり。ビル管理会社からの要請でさうしたそうな。悪いことをしているわけでもないのに銀行名の看板を黒幕で覆うことが寧ろ後ろめたさの如く映る。下午下雨。任務に忙殺されているとメール届き誰かと思えば埼玉在住の齢九旬の大叔父より。大正四年だったかの生まれで間違いなく九十余歳。先日わが父の葬儀にお見えいただくがデジカメ持参でデジカメは手が震えても写真がブレぬから便利(笑)とおっしゃっていたがアドレス教えてといわれ最近はネットにハマっているそうな。敬服。早晩にFCCに向かい香港政府本部前歩いておれば「CS」ナンバーの高級車走り出て行政長官代理曽蔭権君の姿あり(翌日の新聞で演芸学院での観劇に向かふところと知る)。行政長官「代理」ゆへに行政長官専用車(自動車ナンバーなし)は使わず「CS」車で警察バイクの先導は一台のみ。曽君といへば7月の行政長官選挙での当選待たずに禮賓府(旧総督府)を行政長官官邸とするべく改修工事着工の予定とか。曽代理の「私人化」の動きに民主派など反発。旧総督府は97年の香港中国回帰の際に行政長官府とする案もあったが董建華君は総督府の植民地的色彩を嫌い執務は政府本部にで行い董君は自家所有の嘉慧園より通う謙虚さ見せる(当時これはかなり董建華への信頼と映る)。総督府は禮賓府となり迎賓館的に用いられる。曽蔭権君は当時、財政長官で山頂の財政長官官邸に住まい政務長官に抜擢されてからは更に山頂の政務長官豪邸に引っ越し。現在も此処にお住まい。で行政長官に当選の暁には禮賓府をば行政長官官邸にと所望。この計画だの董建華辞任をば伝えられた日の政府本部に入る時の口笛の軽率な所作といい(これは而も中国(仮の)国歌「義勇軍行進曲」を奏でていた、とそれも旧知の民主派議員に「暴露」して更に顰蹙かふ)世論は董建華君への不満とはまた違ふ意味で曽蔭権君への懐疑あり。FCCでドライマティーニ二杯。バーのモニタでテレビニュース見ておれば香港での反日の動き。抗議活動で常連の団体を除いて目立つのは「教育」の動き。教職員団体が学校で中学生らに歴史改竄反対などの署名活動行い、学生も日本総領事館に示威活動。市井の関心の(といふと誤解があるが具体的示威)低さに比べ愛国となると学校がその主体的な「教育」の場になるといふ事実。公教育が国家とどのような関係にあるのかが明らか。バンコクよりY氏来港。T氏夫妻、O君にZ嬢で中環の蓮香楼に食す。覇王鴨を堪能。歓談款語。けして小綺麗とはいえぬ店ながら六人で覇王鴨含む六皿にビール大瓶八本でHK$560と格安。近くの卓の一行はSothebysのオークションの美術品カタログなど見ながらの食事。FCCに飲む。三更に帰宅。
▼信報に鄭永年といふ人の「中国必須正視日本問題」といふ卓見あり。中日関係の摩擦ながら両国とも相手を制圧する如き野心はなく中日関係で何が問題であるかといへば最も重要な因素は米国の存在。米国は日本を利用して中国の覇権抑制をし、日本は米国を利用して所謂「中国脅威」を防ごうとする。米国は中国が潜在的敵国であり日本の歴史問題など重要でない。日本にすればその米国が支持することを背景に歴史認識などで強硬論、と。つまり歴史認識問題の解決は中日関係の正常化にはけして有効でなく、中国にとって最大の脅威は中日関係での歴史認識でなく、中国に対抗した米日連盟の動きだ、と鄭氏。かうして視ると、中国が日本の真の意味での外交政策上の独立を求めることが的確。御意。結局、日本の対中政策の強行な動きは日本が「普通の国」としての正常な独立性にあらず米国の先兵としての所作。それを行う政府与党の輩はまるで日本が自主的であるかのように詭弁極まる。
▼深セン市の許宗衡・常務副市長が深センでの反日デモについて中国人には「デモ活動の自由」があると公言。笑止千万……だが確かにデモするのは自由、で結果は不自由か。
▼小泉三世といふ人まことに奇妙。このところの中国での反日感情高揚の一つの大きな原因に小泉三世の靖国参拝があるのだが例えば今日のSCMP紙でも一面トップ記事の大見出しは“Stop the violence, Koizumi tells China”と、これの印象だけでは感情的な暴力風潮の中国に対して小泉三世は冷静沈着呼びかける良識派と映る。欧米人にはウケがいいのもこの人も特徴。欧米人でもかなりリベラルな人が小泉評価するを何度か見受ける。具体的に何が支持できるのかと尋ねると今ひとつ明確な答えなし。結局は山田洋次の侍映画の主人公の雰囲気投影だろうか。
▼ここ数日「歯に衣着せぬ」陶傑氏の蘋果日報随筆が勢いづく。この人の面白さは徹底した個人主義と教養。烏合の衆的なるものへの徹底した罵詈。昨日は民建連の土共分子・蔡素玉女史に対して蔡素玉本人を罵倒するだけならまだしも蔡オバサンが北角の福建人票を地盤とすることで陶傑氏の非難の矛先は福建人どころか北角。北角がかつては戦後の混乱期に上海から移民多くリトル上海の如く賑わったが(張愛玲の世界)六十年代の反英暴動では北角の中国国貨デパートと隣接の僑冠大廈が香港版紅衛兵の牙城となり軍警が鎮圧、今では土共議員選出の票田と化したことで北角を「小延安」とコキ落とす。銅鑼湾から太古城、西河湾まであれだけ都市発展する中でなぜ北角だけが取り残されたのか。陶傑はそれが北角に対する英国植民地政府の反英暴動での仕返し、で今もって北角はスターバクス珈琲もなければ有名な映画館皇都戯院が閉鎖されても新興のUA映画館が進出せぬように周辺からかなり差の目立つ経済不振、と。愛国、愛国と騒ぐばかりだから不毛、と陶傑氏「そこまで言うか」といふ程の筆致(といふのだろうか、これも)。今日の随筆も勢いあり。「寃枉南京」といふ題で、日本軍の南京大虐殺は日本の保守右翼が「南京は日本軍の侵攻に対して国民党軍が謂わば無戦開城したもので……」と述べること取り上げ(富柏村註:「だから大虐殺もなかった」と、この無戦開城=大虐殺はなかった、は無理もあるが)陶傑氏は李宗仁の回顧録引用しながら、そもそも問題は国民党が戦わずして南京を捨てたことに原因がある、として、結果的に日本の侵略にけして勝てぬまま所謂「戦勝国」となっただけであり、その国に対して日本が心から服するかどうか、と述べる。けして日本を正当化はせぬが中国の大国意識に対するこの苦言。
▼香港の無煙化目指す禁煙条例が立法会に提案されるまでわずかあと一ヶ月という時期に法案作成の政府福利衛生局の担当政務主任二名がいずれも休暇謹慎中。政務官といへば採用試験は数百倍の倍率の香港政府のエリート幹部で四十代前半で給与月額十二万香港ドル。一人は携帯のデジカメで女性のスカートの中を盗撮容疑で逮捕され、もう一人も会議中に政策上の口論となり部下の女性の腕を掴み殴打で調査始まり自宅謹慎。情けない限り。政府幹部で圧力の多い仕事ゆへ情緒不安定となり「魔がさす」といふ専門家の指摘もあるが理由にもなるまひ。禁煙条例など作るよか煙草でも一服して気をおちつければいいものを(嗤)

四月十一日(月)薄曇。RTHKのラジオ英語放送では朝のニュースで中国での週末の反日運動かなり時間割いて報道するがテレビで翡翠台の7時のニュースでは巻頭ニュースに扱いもせず。蘋果日報は社説「蘋論」で主筆廬峯氏が日貨不買は日本打撃にならずグローバル経済社会では日貨の多くが中国や東南亜の製品であり寧ろ打撃被るのは中国などの現地生産会社であり其処の従業員ら。矛先を誤るな、と。日本に対して歴史認識など正論で非難するなら非暴力で対政府にすべき、と。また北京ではデモは政府が組織したものでなく民衆の自発的なものと言うが日本大使館にあれほどの群衆が土曜日にデモしたのに対して趙紫陽氏逝去の折には趙氏の自宅のあった胡同(路地)に鼠一匹入れぬほどの厳戒態勢敷ける北京で政府公安が本気になれば大使館区に民衆デモが入れる筈もなし、と指摘。また解説記事でも中国と日本は二大経済大国としてもはや共同産業体であり日本のポップカルチャーの中国での浸透から広州で本田自動車の工場が華南最大の自動車生産工場として起動するなどの現実、日本の一部の保守反動右翼の対中蔑視が中国にとって日本との関係で幾許か、と。御意。反日感情高揚といふが写真に大写しされたデモに参加の民衆の表情の明るさ。国歌「義勇軍行進曲」歌いながら旗を振り笑顔。愛国に酔うか。街頭にデモ行進する開放感か。晩に四川菜食すに誘われ灣仔の四姐川菜。一昨年くらいか好評博した私家房(プライベートキッチン)もすっかり当時の賑わいも収まり本格的四川料理で盛況だったこの料理屋もご多分に漏れず。在港の日本人多い店ゆへLockhart Roadの鉄扉の暗証番号はR7162なり。麻辣の辛さに最初は辟易としていたが唐辛子山盛りの辣子鶏など供されて垂涎どころか辛さでも唐辛子、麻辣に青椒など辛さの詳細が的確に舌でわかり塩辛さが余計だとか鬱金が使われているかどうかとか成程わかってくる不思議。食後いつものノリだと銅鑼灣のバーSに行くはずが珍しく八時すぎに散会。ジムに一浴し帰宅。新聞読む暇もない一日で三紙ほど目を通す。信報も社説で中国での反日デモにかなり疑問呈すが悲しいかな「冷戦での対ソ陣営として米中日三国の関係良好な時代と違い中日関係の悪化は日本の保守右翼が中国脅威論を声高に叫ぶ切掛けを与えるばかりで米日の安保体制からして中国脅威の念高まれば海峡保守を目的に台湾を米日が取り込む藉口になりかねず」と。結局は対日関係も二千億米ドルといふ貿易量以上に結局は台湾問題で最終的には米中関係に到るといふ事実。信報が日本の国連安保理常任理事国入りも有益と主張するのもやはり米国一国主義に楔を打つにはアジアから二つ目の常任理事国が出るのは意義があるから、といふこと(実際には米国と抗するだけの常任理事国に日本がなるとは思えぬが。寧ろ米国の一国主義に加担する衛星理事国にならぬこと祈るばかり)。ところで信報の冷静な林行止専欄は珍しく温家宝首相に苦言。温首相がスリランカでの津波被害支援で小泉首相=日本を揶揄したこと(毎日)を「ガキの見栄と意地っ張りの如し(矯恩と小恩小恵の小家子気)」と温首相に苦言。温首相が飛行機に支援物資満載で来たのに小泉三世の首相専用機は別機まで記者搭載は事実としても言論統制された中国だから記者など御用記者数名連れればいいことを暴露しているようなもの、中日関係が一触即発の時期に中国の首相の発言として不見識、と。香港マスコミなど日本ではまるでいい加減の代名詞のようだが、こうして反日問題での主張読むと立派な言論の自由と見識。Herald Tribune紙も経済面にBloombergの論説載せ日中韓がこれだけの経済力を有しながら欧州国家の政治的連帯と共通認識の創造に比べこの東亜三国の政治的連携の乏しさを嘆く。これがなければ三国が真の経済的利益を得られぬこと。外相町村君と中国大使の会話にもならぬ会談の有様よ。

四月十日(日)薄曇。毎季レース終盤飾るHighwiseの10kmレース大埔大尾督にて開催ながら朝寝貪り参加せず。のんびりと朝を過ごし朝十時すぎに裏山上り大潭の自然公園を走る。かなり快調に坂道も走り上る。この雨期にありながら連日雨らしい雨もないが木立の緑は青々しく路面は夜露にびっしょりと濡れ大潭のダムも水嵩は少し高まる。厳しい異常気象のなか自然は懸命に夏を迎えようとする。港島南岸の海岸に到る。約14kmくらい走ったか。吉見俊哉『万博幻想』ちくま新書少し読む。昨日は桜の季節に『桜が創った日本』読み尾張万博の最中に『万博幻想』ではただの厭世者。万博が国家主義の裸踊りであることは常識だが書名の『万博幻想』からわかるように昨日の桜の佐藤俊樹の記号論の世界での理想的なニュートラルに比べると吉見先生は最初から万博に否定的な視点明らかといふことか(まだ少ししか読んでおらず断言せず)。海岸に微睡む。薄曇だが日差しそれなりの苛しさ。夕方バスで灣仔。Ruttonjee病院を抜けようとすると病院傍の公園の藤棚に藤が見事。灣仔の古い大廈も次々と取り壊し待つ。アウトドア用品店Protrekに新材質で畳むと握り拳大に小さくなるナイロンジャケット購入。ジム。Z嬢と待ち合わせ灣仔會議展覧中心で開催中の香港工業情懐展覧を参観。「工展」は香港中華廠連合会が開催してきた地場の工業製品展示会であるが娯楽に乏しかった時代は香港市民にとって工展は賑やかな遊園地の如く連日、殊にネオン目映い晩の夕涼みには恰好の出先。その懐かしい展示の再現。見終わって出てくると會議展覧中心の突端にある金紫荊広場にかなりの大陸からの観光客の姿。香港返還に北京政府から贈呈された金紫荊を眺めること。而も国旗昇降の時間にぶつかってしまひ人出もピーク。麦酒飲みたい気分。會議展覧中心のコンビニで普段はその「喉ごしとキレ」が嫌いで絶対に飲まぬ、日貨不買で被害被ったアサヒのスーパードライ買ふ。写真撮影。それにしても貴重な短い旅行の日程でなぜ大陸からの旅行者は此処を訪れるのか。此処であのデザイン的には美しくもないが印象には強烈に残る金紫荊を見ることで香港が我ら中国の領土に戻ったことを体感し国旗掲揚で此処が中国であることの実感か。スーパードライ飲んでいたが誰も非難もせず。帰宅。夕餉。テレビのニュースで大陸の反日運動の凄まじさ。新聞読んで『万博幻想』読み続ける。
▼中国各地で反日デモ高まる。勿論諸悪の根元は扶桑社=富士産経の教科書。ホリエモンに買収されたほうがまだマシ。そして文科省の検定制度。日本に何が出来るかといへば中国の民衆感情を逆撫でしなければいいだけの話。日本の謝罪は中国にとって数十年では済まぬこと。懲役三十年執行猶予百年くらいの大それた歴史的事実が中国侵略であること。そして中国では民衆の鬱憤晴らしに反日示威は最も利用され易いこと。中国政府が最も惧れるのはこの民衆の反発が自らの党政府に向かうこと。いずれにせよ日中両国ともナショナリズムの馬鹿馬鹿しさ。日本のナショナリズムがバカな歴史教科書を編み中国でもこの反日抗議に自主的に参加している民衆は結局は国家に利用される国民であること。香港は幸いにも平静。96年頃にはかなり愛国主義と反日運動盛り上がったが国家に利用されることの不毛ぶり目聡く感じ取った香港は今さらナショナリズムに加担もせず。それでよし。何より馬鹿馬鹿しい愛国心だの国家民族の名誉だの歴史だの。愚弄される勿れ。

農暦三月朔日。土曜日。曇。昨晩の葵青戯院での観劇で舞台が見やすくふと席を舞台前一列目から算えたら丁度「とちり」の「と」の真ん中でそりゃ見やすいわけだ、と一人合点していたら今日の朝日に「おくだ健太郎」といふ歌舞伎解説の人の文章あり歌舞伎座が「いろは」で算える座席列表示を今年から切符のネット販売や外国人に考慮して数字で123列表記にしていることを書いていた。当然「とちり」も7〜9列目となる風情の無さ。このやうな「いろは歌」の維持は自らの歴史や文化への愛しみの筈。愛国心教育より「いろは」を。昨日の新聞といへばHerald Tribune紙に紐育タイムスの記事で周星馳の映画『功夫』を手放しで好意的に紹介。唖然。トラベルの頁では今まで全く知らなかったが映画監督の(元映画監督か)フランシス=コッポラは今ではリゾートホテル経営者。中米のBelizeに高級熱帯リゾートBlancaneaux Lodgeなど経営。まさか『地獄の黙示録』の顛末がテーマパーク的に密林リゾートになろうとは。あの映画が子供ながらに何度か観て一瞬「何も意味がないのでは?」と思ったが正解だったか。本人は密林疑似体験で娘もつまらぬ映画作ってお気楽なかぎり。父がこれぢゃ娘は“Lost in Translation”のノリで奇妙な日本旅館でも経営だろうか。何も予定没き貴重な土曜日。自宅から山に入り10kmほど走り秘密基地で午後早くまで今週終わらぬ任務諸事済ます。タクシーで金鐘。以前からかなり気になっていた太古広場隣の高等法院のある政府建物に存在する「薬物資訊天地」初めて訪れる。漢名は「薬物の天地」だし英名はDrug Info Centreで此処に来ればまるでナイスなお薬の有意義な情報ゲットできそうな場所だが実際には政府保安局禁毒処の開設の麻薬撲滅教育場所で「薬物資訊天地」って名前つけたことぢたい政府の薬物なんて自分とは接することもない役人と実際に薬物なんてそのへんにいくらでもある青少年との温度差。笑ってしまふくらい健全な展示場所で実際にドラッグに渉る子らは此処には来ないはず。大麻までご丁寧に見本展示。数日前に水際で70kgだかの大麻(末端価格でHK$400萬)見つかったが大麻程度で大騒ぎするから密輸され暴力団の資金源となり若者が組織的にその傘下となる。昼食抜きで豆腐花一椀のみ。午後九龍の知る風呂屋に浴し垢抹と按摩。昏刻かなり久々にQuarry BayのEast Endでエール麦酒2パイント飲む。佐藤俊樹『桜が創った日本』読む。読了。四月の上旬に日本では多くの人が桜愛でている時にこの本読むことぢたい(といふかこの時期にこの本上梓の岩波書店も)臍曲がりだが察しよき方ならこの本の書名見ただけで明治以降に人工のソメイヨシノがいかに国家と愛国心に利用されてきたか、の書と判るし余もその分析と思って入手した新書だが内容は実際にはそれでけに済まずソメイヨシノが明治中期からいかに国家主義に結びついたかは当然として(染井吉野桜の一気に咲いて一気に散る集団性がちょうど春のその時期に政府による義務教育だのに便利だったのである)内容はそれに止まらず寧ろ白眉はソメイヨシノが国家に扱われることにより古来の山桜が「見直し」され日本の伝統の象徴の如き象徴化が山桜になされ意味を持たされていくことの分析。記号論の面白さ。しかも著者は安易にソメイヨシノを否定せず寧ろこの桜こそ日本近代を象徴するとまで言い切る。お見事。それでも桜がこうして「日本人の心」に映るようになったのは明治二十年代でわずか百数十年のこと。それをまるで日本人=桜の如く感じ入ってしまふのだから日本といふ国家とその国民のいかに短絡的な発想か。帰宅して日暮れの残照眺めながらピンクフロイド聞きながらドライマティーニ飲む。余にとってもっとも安堵のこの時間。かなり久々に自宅で夕餉。ビデオでNHK大河ドラマ「義経」第13回観る。後白河法皇が幽閉された鳥羽殿をナレーションで「とばでん」と読んでいるが「とばどの」が正しいのでは?といふ意見をネット上でいくつか見受けたが鳥羽殿が「とばでん」では頼朝を呼ぶ鎌倉殿は「かまくらでん」かといふ指摘であったが後白河法皇が幽閉された建物の名であると思えば「とばでん」で仮にそこに幽閉されている人を呼ぶなら「とばどの」になるのではなかろうか。識者の教示請ふ。
▼ダライラマ14世が昨日十度目の来日。バチカンでローマ法王の葬儀に参列せず、か。来日の日にすぐ明治神宮参拝。さまざまな宗教の対話続けるなかで神道もありだが明治神宮といふのが政治的といへば政治的。そもそもダライラマの来日ぢたいが政治的だが。
▼朝日新聞の連載小説は辻原登といふ作家の『花はさくら木』。次の連載小説紹介という朝日の社会面の記事に作者の言葉あるが冒頭の「徳川時代というと、鎖国に代表される狭量で暗愚な時代だったとの通年がつきまとう」って、おいおい(笑)。ヨーロッパの中世=暗黒なんて史観すら見直しされているが江戸は昔から誰も「狭量で暗愚」だなんて思ってもいません。この作家のあまりに勝手な思いこみといふか最初から筆が滑っている。
▼一昨晩、三月上旬の行政長官辞任(=更迭)から久しぶりに董建華夫妻マスコミの前に姿見せる。この笑顔。本当に「悪い人ぢゃない」のだろうが。不幸。董建華本人は6kg痩せ夫人は厳しい形相を和らげようかとイメージチェンジだが幸楽の赤木春恵似でやはり怖い。この人の顔を見るたびにSARSの時のあの防疫服姿をトラウマのように思い出すからもっと怖い。
▼文藝春秋六月号に石原慎太郎が「仮想と虚妄の時代」という題で現代の若者論。タイトル見ただけで「仮想と虚妄」って「そりゃアンタや」と嗤ってしまふが内容は結局、自分たちが若い頃の左右の政治的スタンス越えた元気良さに比べ今の若者は。結局は国家論に至り最終的に必要なのは「国家にしろ個人にしろ、こうした仮想の虚構の内に失われつつあるものを取り戻し、この忌まわしい現況を克服するために必要なものは何なのだろうか」で現状は外からの刺激(中国などからのバッシング)を待たないと「正当な意志表示も行い得」ぬ不健全さから脱却するために(ってこのバッシングに一番刺激受けてるのもアンタや……嗤)「この国が自前の意志を持ち直し、その意志にのっとった確たる行動を取り、その存在を明示すること」が重要で「国家民族の存続のための、ある巨きな選択を自らに強いる瞬間に立ち会うことで、我々は自らの歴史を自らの手で葬るか再生させるかを選びとることになるだろう」って具体的に何を意味するのか全く不明(昭和初期の国家改造みたいなものか、でも石原のコレと一緒にされたら北一輝だって井上日召だって不快だろうが)で結局最後は「その瞬間に備えて、今後我々が社会的に禁欲、抑制にどう努めるのか、それによって仮想の迷妄からいかに解き放たれるかが、この国家社会に耐性を備えさせその将来を大きく変えるよすがとなるだろう」で「自らの抑制によっていかにそれぞれの人生における仮想の虚妄から自らを解放するか」ってやっぱり(しつこいが)これが一番必要なのは都知事本人。自分に克己の意味で綴った文章なのだろうか。だが最後は真当でその抑制が効いて仮想の虚妄から解放されてこそ「その結果いかに真の価値をとりもどすかこそが、この国の運命を決める大きな鍵となる」と。御意。つまり我々は石原的な仮想の虚妄から自らを解放する必要があるのでした。納得。

四月八日(金)曇。摂氏廿六度。湿度八割。昏時タクシーでFCC。Z嬢と待ち合わせ。ドライマティーニ一杯。余は今晩もパスタ。Penneをマッシュルームのクリームソース和え。白葡萄酒一杯。固定のモニタテレビばかりか日頃はサッカーの国際試合でもないかぎり降ろさぬ大型スクリーンまで使ってバチカンからのローマ法王の葬儀生中継をCNN、BCCと地元のケーブルテレビで流すがどれもローマのテレビ局の独占中継の受け入れで画面は同じ。それぢゃ金曜早晩のFCCの酒場に混雑の客たちが神妙に葬儀中継眺めているかといへば否、否。殆ど誰も眺めもせず。食傷気味か。葬儀終わり会場を離れる各国からの弔客は弔問外交とはまさにこのことかといわむばかりに米国大統領から英国首相に仏蘭西大統領、チャールズ皇太子にカストロ首相で台湾亜扁……とずらりと揃って会場離れながらの談議の光景。で日本政府はこの場に遣ったのが一応元外相の川口女史。国辱もの。各国のお歴々とは格が違いすぎ。失点5。Z嬢が小泉三世袴羽織だけは似合うのだからそれでハレの場に赴くべき、と。御意。ただ各国首脳と遭遇してもあの場は通訳だのおらぬから即興で会話できるだけの語力必要だと思えば小泉、首相経験者でも森は勿論のこと橋本も失格で当然もう引退させてあげるべきだが宮沢喜一君か格でいえば中曽根大勲位となろうか。本来であれば加藤紘一君が首相で皇太子殿下の随行で行くくらいであれば理想的なのだがさうもいかず。いずれにせよあの弔問外交のハレの場に世界で米国に次ぐ経済大国でありながら日本の元首か首脳格が存在せぬともいい現実。日本は世界でその程度の存在であることを真摯に理解すべき。歴史の教科書が被害者史観だの竹島だの尖閣列島がどうしたの南京大虐殺は捏造だの周辺諸国相手に精神論で国威発揚などしてる暇があるのなら「世界でいかに相手にされてないか」を見据えるべき。台湾が亜扁総統の弔問にあたり総統専用機に中華民国の誇る空軍の護衛機まで率えてのローマ入り。イタリアが元首訪問状もった亜扁総統の訪伊に国交がなくとも当然の外交儀礼で応え元首待遇。中国の非難にイタリア政府は亜扁総統はあくまでバチカン市国弔問が目的でありイタリアはバチカン弔問のためトランジットであると講釈も可。これが外交の視覚的効果。小学中学の子供相手に国旗国歌と押しつけるよか日の丸プリントの最新鋭飛行機から首相が紋付袴羽織でローマの空港に降り立ち颯爽と振る舞ってこそ国威発揚。Z嬢と地下鉄東涌線経由で葵芳。葵青劇院にて城市当代舞踏団(CCDC)の舞台観る。香港でそれなりに舞踏観てきたがCCDCの団員が踊る舞台は観ていても純粋にCCDCの舞台、この舞踏団の演出家Helen Laiの演出を観るのは初めて。葵青劇院の奥行きのある舞台空間を見事に利用して音楽も選択が秀逸(照明は今ひとつ)。衣装は畏友Silvio Chan君の常識的には体躯の線の見事さ見せる舞踏には凡そ似合わぬ弛いデザインの柔らかな生地で照明には全く映えぬ中間色で面白い。演じ手もいくつか見事な舞踏はあったし女性の踊り手の群舞など立派なものだが男の踊り手が独舞の場合誰が演じても何かにつけ「床に倒れて藻掻く」といふ体現ばかりが続いては飽きるばかり。この点だけが残念。帰宅してサントリーの角(淡麗白角ぢゃない黄色の角瓶)でハイボール。BalakirevのMazurkaなど聴いていたら芝居好きの知人よりメールあり昨日「口上で當十郎の言葉に勘三郎の義父である芝翫が涙拭っていたのが印象的」と余が述べたがありゃ神谷町は眼病を患い目の具合よろしからざるため頻りと眼を拭くが由。まぁそれも客席からは義父の感極まりと映れば役者か。ところでそう言われてふと思い出すは先代の勘三郎逝去の晩のNHKの「中村勘三郎さんを偲んで」の追悼番組。司会は当然の山川静夫でゲストが神谷町。その時の神谷町の余りに感情も表さぬ冷静な話しぶりに驚いたこと思い出す。昨日死刑判決確定のオウム元幹部岡崎一明の手記(前日の朝日に掲載あり)読む。禅寺の住職との交流で仏の御心に触れ被害者の冥福や人の恩など語る文章が、そのあまりの帰依ぶりに「これだから宗教罹った人は」と揶揄すればそれまでだが極めて純粋な人なのだろう。短い文章だがその文章展開は作文教室のお手本の様(だから荒削りでも人に感銘与えるといふ表現ではない)。岡崎君が描いたという墨絵も、これが強烈な色彩であれば一瞬、横尾忠則的な妙だがボタンの花と祈る僧侶のシルエットがあまりに素直すぎて見る立場の者の方が照れる。

四月七日(木)快晴。朝は曇るが気温摂氏廿六度だかのすっかり夏の陽気に雲も消えしっかりと快晴となる。蝉も鳴き一気に夏の気配あり。清明の節句過ぎればこの如し。大気汚染も甚だしいが首都北京など大気汚染指数は300で「極悪」のところ連日330を越えるといふ。08年のオリンピック開催までの改善も怪しいところ。朝Herald Tribune紙を読めば香港の昨日の行政長官任期につき全人代常委に法解釈要請の記事3面にあり内容は昨日余が日刊ベリタに送った内容と記述展開まで殆ど同じ。これぢゃHT紙をば無断翻訳転載したが如く思われるであろうか。夕方タクシーに乗れば多少奇っ怪な車には驚かぬが乗るなり驚くは車内は水色に水滴が描かれたビニールの壁紙が一面に張られ「涼しげな印象」だがもっと驚くは実際のその車内の冷凍庫の如き寒さ。冷房をいっぱいにつけて摂氏十度くらいだろうか当然、外の暑さとの気温差で窓は曇るほど。そのうえ冷房の吹出口には風車だの風鈴だの据えて風が流れること視覚的に実感する装置。そこまでして冷たい室内に怖くて「冷房を止めてくれ」とはとても請えず。退勤ラッシュの地下鉄に乗れば今更驚くことぢゃないが混雑とはいへちょっと車内の奥に入れば新聞広げて読めるほど閑散が扉周辺のみ押すな触るなの混雑ぶり。もう少し奥に入れば楽なものを香港の悪習。だがなぜこうなるかといへば一、二分待てば後続の電車来るから無理に列車に客押し込まずとも済む故。日刊ベリタに続報で行政長官任期(こちら)とローマ法王逝去での中国台湾関連の記事(こちら)送稿。母に電話して亡父の追悼カード届いたと聞く。四日に歌舞伎座で勘三郎襲名披露公演観劇の母。切符かなり入手難しきところ久が原のT君に請うて一階の東桟敷席。父が亡くなる前に切符依頼して切符送ったが父の入院での看病と容態がどうなるか心配だったがまさか父の急逝で母にとっては葬儀終わってまだ一段落もせぬうちの束の間の少しでも気持ち癒す観劇。勘三郎の芝居はそれは襲名披露で見事なものだった、と母。口上で當十郎の言葉に勘三郎の義父である芝翫が涙拭っていたのが印象的、と。だが母が何を驚いたかといへばプラチナチケットの如き桟敷席で隣席は始終こっくりこっくりと寝ているし反対隣りは幼児連れで子が玩具持参で遊んでいたそうな。客席もジーパンなど軽装の客多く母にとっては歌舞伎の観劇など着飾ってハレの場に演じ手と同じ心境で居ることの心地よさゆへ驚くばかり。歌舞伎座の職員は母に、前日は中村会の貸し切りで勘三郎君もそりゃいつも以上に芝居に熱が入り昼の部が二十数分も延びた、と教えられる。この居眠りから幼児までの客の入りに今では客層もすっかり様変わりして宣伝の威力ですかね、客だけはいくらでも入りますがどうにもこうにも、と身内なりの感想を述べられたそうな。終日忙殺され晩に最後の某事終わり午後十時過ぎに佐敦でふと数年ぶりに亜龍カレーに食す。相変わらず満席の盛況。美味。
▼HT紙に天主教のフィリピンの人口問題の記事が1面にあり。天主教での避妊と中絶の抑制が貧困での人口増加抑えきれず人口増加率は昨年2.36%とアジアでも有数の高率。現在八千四百万人の人口がこのままでは2015年には一億千百万人にまで増加の予測。
▼香港国際映画祭。今年は入場料売上げこそ昨年比で30%増だが政府援助は昨年より40万ドル削減されSonyとSky Vodkaの両社がスポンサーになり辛うじて開催能ふ。主催者の総括発表では来年は更に40万ドル削減される予定で僅か7百万ドルとは来年も内容に期待できず。
さとう宗幸氏について。仙台郊外の古川での高校時代にマンドリンクラブに在籍しベトナム戦争時の反戦歌やプロテストソングに触発され楽曲創作を始め東北学院大学4年の時にはうたごえ喫茶「若人」でリーダーを務めたといふあの時代的な左翼の香り。而も「ライヴハウスで知り合い、友情を暖めたシンガー高田渡らの協力を得て、アルバム「バラ色の人生」を自主制作」なのだから築地のH君曰く、高田渡なら「君が代」歌うのはあり得ない、と。確かさとう氏は地元文化人を集めた反戦署名の発起人だか賛同人だかに名を連ねていたはずだし革新政党から候補者に、と名前が挙げられたこともあり。プロ野球やサッカーでの国歌「独唱」は「在日」の歌手にお鉢が回ってくることも少なからず。君が代もみんなで歌えば怖くない、か。
▼中国の対日感情も「日本は悪くない、とかそういうことさえ言ってくれなければいい」「傷に塩を塗りこむようなことをしなければ、それでいいんです」とこの感情に応じればいいだけのこと。築地のH君曰く、普通の人情が解せるなら、この程度の一致点を見いだすことはさして難しくないはず。なのにそれを逆なでする言論と行為。「心の教育」が必要なのは戦後の左傾教育のせいで「日本人の心が……」などと言っている御仁のほうではなかろうか。中国での日貨不買運動につき陶傑氏が蘋果日報の連載で連日それを嘲笑。殺人すら辞せぬ農薬野菜に毒入り粉ミルクなど中国の製品への不信感と日貨の質の高さの差異。日貨なくては暮らせぬほどの経済環境を冷静に凝視するべき、と。中国独秀でなければ安堵せぬ民族性。孔子の「居處恭 執事敬 與人忠 雖之夷狄 不可棄也」を挙げる。ところで中国では反日デモなど盛んだが日中間の貿易は04年が1700億米弗にも及び03年比で26%の増加。日貨排斥がどれだけ影響するかも僅かであろうが、この「民衆の間で」の日貨排斥などあっても政財界レベルではこの数日でも元外交部長の唐家セン君が東京三菱銀行頭取の高垣佑君と、呉儀副首相がYKK社長吉田忠裕君と会談するなど中国にしてみればとにかく日本資本との強力なる連携の要。それに比べれば保守右派と系列御用マスコミの反中キャンペーンだの歴史の見直しなど大局的見地からは蝿が飛んでいる通りか。

四月六日(水)曇。ドナルド曽蔭権行政長官代理が全人代常委が行政長官任期について法解釈するよう国務院に求める。民主派から香港法治手放す判断と非難轟轟。日刊ベリタに記事送稿(こちら)。四日に中国のカソリック教会事情の記事はこちら。行政長官の任期が2年でも5年でもいい、という気もするが問題は法治。香港基本法がありながら何かあれば北京中央にお伺いたてる姿勢。これでは法治など出来ぬというのが司法界の当然の意見。それに対して北京中央が最も恐れるのは政府から分権した司法による裁定。国家権力すらそれに従わなければならぬなんて共産党独裁政権に出来るわけもなし。天安門事件の司法再審査など市民団体「天安門事件の母たち」に起こされたら一大事。共産党みずからが法であり改正も解釈もその権利を有すること。香港特区政府などもともと植民地政府で自治などという高尚な観念など有さぬから火傷する前に北京にお伺い。基本法の「法解釈」は確かに基本法にも謳われているが、この法解釈請求は香港の終審裁判所が行うべきものであり(第158条)政府が裁判所飛び越して全人代に法解釈求めることぢたい基本法に抵触。マーチン李柱銘はこの法解釈請求は最後の手段だが方法は3つあり、まずは基本法に則り香港の裁判所が請求する場合、そして2番目が全人代がみずから法解釈を実施する場合、で最後が最低最悪なのが香港政府みずからが請求してしまふこと、と。御意。だが全人代常委に法解釈が委ねられてしまへば香港大学法学院の陳弘毅教授が指摘するように行政長官任期については中央政府が決定すべきことで香港の立法会や裁判所にその採決権はなく全人代が基本法の拘束力について裁定を下した場合に香港の司法はそれを遵守せねばならず司法再審査請求などもできぬことになる、と。これも然り。早晩にFCCに寄りウイスキーソーダでパスタ。たまった新聞読みながらケーブルテレビで曽蔭権の記者会見眺める。Z嬢と文化中心で香港国際映画祭の閉幕記念上映で賈樟柯監督(インタビューはこちらとかこちら)の『世界』観る。昨年は『站台(プラットホーム)』を観たが今回の舞台は北京の世界公園。ここで世界各地の(という胡散臭い)歌舞音曲疲労する半分素人の芸人らが主人公。世界各地の有名な建築物などが周遊できるこのスモールワールドを舞台にしたことも実際には海外に出るなどできぬ彼らが働くこの公園の上空を北京空港から飛行機が飛び立つ。その「世界」で賈樟柯らしく、一つ一つの小さなエピソードが重ねられていく……のだがその漠然とした物語から感性乏しき我は一生懸命何かを感じようとせねばならぬ、苦手。上映が三十分も遅れ開場待ちで香港大学博物館館長のA君と遭って映画談義。やはり今年の上映作品は昨年に比べかなり遜色あり。終わってもう一つ閉幕上映のフランス映画“Words in Blue”もチケット持っていたが(開幕&閉幕上映は通し券では鑑賞不可)疲労感あり三十分遅れては深夜十二時過ぎるも必至で断念。夕餉逸していたZ嬢と日本料理「京笹」に食す。文化中心で観劇などあった晩に芝居撥ねてからなら京笹はよし。
▼SCMP紙の今日の特集記事で驚いたが印度で唯一の華字紙が発行されており『印度商報』というが、なんと手書き。1969年創刊で十年前には千部の発行部数あったが今では三百部となり一部2.5ルピーの新聞販売して毎月3万ルピー(約8万円)の赤字といふ。カルカッタの華人人口は六十年代の5万人から今では7千人ほどに減り新聞発行も風前の灯火。今ではネット活用でコストかけず新聞メディア続けることも可能だが印刷して販売し配達までする新聞の前近代制といへばそれまでだが、それを続けることの意義。
▼教科書検定。日本の対歴史観問題が中韓両国で焦点に。日本の感覚では「いくら謝れば済むんだ」だろうが築地のH君が見た今朝のバラエティ番組(テレ朝)ではに朱建栄教授が出演。日本人のコメンテーターに「中国人はいったい日本にどうしてほしいんでしょう。謝罪ですか?補償ですか?」と問われて曰く「「補償は30年前に決着済みです。謝罪に関しても殆どの中国人はもう十分だと思っている。ただ「日本は悪くない」とかそういうことさえ言ってくれなければいいんです。中国人や韓国人は戦争では全くの被害者です。日本人も広島長崎や沖縄で被害者としての側面を持っていることはわかりますが、中国や韓国は完全に被害者の立場なんです。だから傷に塩を塗りこむようなことをしなければ、それでいいんです」と。御意。靖国でも教科書の歴史表現などでも日本の軍事侵略の美化が行われることが対日感情を逆撫で。H君曰く対米戦争では「加害国」米国に謝罪も補償も求めない日本人のメンタリティでは中韓についてまったく理解不能な国民感情というべきか、と。確かに。ジョン=ダワー『敗北を抱きしめて』を毎晩少しずつ読んでいるが、対外的には従順な無反省な民族性。ところで台湾の李登輝先生を領袖とする台湾団結連盟(台連)の党首が日本訪問中に靖国神社参拝。これもよくわからぬが朝日の記事で「靖国神社には台連の実質的指導者、李登輝前総統の兄も祀られている」って一瞬、李登輝の兄が台連の指導者だったのか?と思ってしまう書き方。敢えて句点について厳密であれば「靖国神社には台連の実質的指導者李登輝前総統、の兄も祀られている」なのだ。
▼新聞には教科書検定、改憲だの記事踊るが日常の生活で歴史認識問題だの憲法問題など全く意識されもせず。どこか全く別の次元のお話。ぜんぜん関係ないような話だがプロ野球開幕で数日前に仙台では楽天が初戦。今ではスポーツ行事では当たり前となった有名歌手による国歌「斉唱」。ところで「斉唱」は多くの人が一緒に歌うことで最低でも二人が同一の旋律を和声なしに歌うこと(新潮国語辞典)。この日は堀内孝雄と香西かおりがデュエットで「国歌斉唱」だったそうな。デュエットというのは二重唱、すなわち二つの声部で(男女なら女声がソプラノで男声がテノールとか)で歌うこと。国歌は間違っても勝手にアレンジして和声にしてハモったりしてはいけない(廿年以上前に「君が代」をピアノでジャズ風にアレンジして弾いて問題になった音楽教師もあり。懐かしいねぇ、あのソノシートどこにしまったままだろうか……)。で堀内孝雄と香西かおりなら目をうるうるさせながら国歌デュエットしている姿も想像に易く驚きもせぬが築地のH君によれば第2戦はさとう宗幸先生が国歌「斉唱」なのだそうな。あのさとう宗幸がああいうシチュエーションで君が代を歌うなんて。ところでH君が転送してくれた河北新報(仙台のブロック紙)の記事で「さとう宗幸さんが国歌斉唱」という表現はへん。独唱なのか観衆の国民と一緒に斉唱なのか。斉唱が正しく歌うような意味に使われてはいないか。

農暦二月廿七日。清明節。明日閉幕の香港国際映画祭で今日も本来なら映画三昧のところZ嬢企画の大嶼山でのハイキングあり参加。朝のMTR東涌線も清明節にて墓参りの家族多し。東涌で七名で集まり臨時増発の新大嶼山バスで石壁ダム見下ろす峠。姜山には登らず姜山郊遊徑(Keung Shan Country Trail)を歩く。等高線に沿ったコースかと思えば予想以上に上り下りあり。分水凹に上り霊會山から慈興寺の「飛龍」を見て萬丈布。入園可能となった龍仔悟園の庭園を愛で大澳へと下る。15kmほどの行程を約四時間。バスで長沙下村。Stoepにかなり遅い昼食。麦酒でかなりいい気分で転寝。夕陽佳し。バスで梅窩に戻りフェリーで日暮れに中環。帰宅。晩九時にタイ映画『SARS大戦争』観に行くつもりが疲労感あり済ませておくべき仕事もあり断念。http://www.videonews.com/でもう数ヶ月前の長野県知事田中康夫の二時間に及ぶ対談を見る。
▼かなり前から探していた雑誌『酒經月刊』を梅窩のフェリー乗り場入り口の売店で見つける。文字通り「酒」を語る月刊誌で葡萄酒が主でウヰスキーの記事も少しあり。発行人である劉到新はかなりの趣味人で興味あるが酒を文化として語る点では『月刊信報』の酒紹介のほうが上質かも。どこか酒が高級であることを前提にした点が寧ろ貧乏。
▼数日前の新聞報道で呆れた話一つ。親中派「土共」の民建聯の厚顔無恥な元党首・曽玉成はこれまでの董建華への盲目的支持続けておりて董建華失脚の今になって九七年の行政長官選挙においては「民建聯の選挙人の多くが董建華に投票しておらず自分も第一回投票は呉光正に投票したのは呉の政綱が市民主体であり積極的であったため」と発言。董建華首班をその後支持したのは香港の政局安定のためと言いたいもの。何といふ逃げ口上。思想も哲学もなきこの盲従ぶり。これが香港の「土共」の姿。

四月四日(月)諸事に忙殺される。父の追悼のカード印刷出来。晩に或方の歓迎会あり銅鑼灣農圃飯庄に食す。数年前にかなり味が濃い記憶あり今晩も見た目は相変わらず「こってり」だが味はかなりあっさり。及第点の魚翅。鮑に海老と美味いが味付けが同じでは面白みなし。バーSに飲む。Glenfarclasの17年、Highland Parkの8年にLinkwoodの12年を飲む。
▼中国で歴史問題で日貨不買運動。朝日麦酒が扶桑社「つくる会」歴史教科書編纂に資金援助との報道ありスーパードライの不買運動。続いてイトーヨーカ堂も同じ咎で不買運動の対象に。昨日は深センでジャスコと西武百貨店にも反日デモ発生。ジャスコが「つくる会」に係っているという話は知らぬが「とんだとばっちり」は西武。深センは香港西武の子会社だがそもそも今は名義だけ「西武」で百%香港の地場企業。しかも西武百貨店の場合セゾングループで今でこそ代表から退いたが堤清二君は資本家ながら弟と政治的立場は異にして作家・辻井喬として「教育の国家統制をめざす 教育基本法「改正」法案の国会提出に反対する文化人一二九人の声明」(こちら)に参画の文化人であり、その堤清二君の西武百貨店は寧ろ進歩的百貨店と扱うべきかも。

四月三日(日)映画観るには勿体ない快晴。金鐘UA映画館にて引き続き香港国際映画祭でオランダ映画“Simon”観る。Eddy Terstall監督。昨年の同映画祭で上映され好評博した“The Barbarian Invasions”がヒューマニズムと尊厳死扱ったカナダのケベック映画なら、同じテーマでこれは実にオランダらしい物語。大麻売る喫茶店の経営者Simonがゲイの歯科学生を偶然に車で轢いてしまったところから物語始まる。この二人は親友となり十四年後、Simonは妻と離婚し彼女と暮らす。歯科学生は歯科医師となり恋人と同性結婚も近い頃にSimonは癌を発病。癌の末期にどう人生を充実させるか。モルヒネ投与での尊厳死を決めた彼らの日々。その「逝去」予定日がこの歯科医師の結婚式と同じ時期。オランダらしさ。昼に太古城のUA映画館で伊蘭映画“Story Undone”観る。アフガニスタンから伊蘭への密出国に挑む人々の物語。その不法出国の一団を追うドキュメンタリー映画の監督とカメラマン。この二人が記録映画撮る物語で映画ぢたはドキュメンタリーの形式を用いた劇作品といふ凝った作り。それが見事に演出に活きている。「太古城のフードコートの日曜日午後」といふ環境で叉鶏飯食し楼上のPacific Coffeeで昨日の日記綴る。ジム。午後遅く太古城UAに戻り王超監督の『日日夜夜』観る。人身事故続く中国の炭坑舞台にした話。フランス映画資本の製作。経済発展から見捨てられた国営の小さな炭坑。事故で亡くなった炭坑主の親方の意志引き継ぎ炭坑で生産上げる若い技師。親方の少し知恵遅れの息子を独り立ちさせて炭坑を去る技師。西北の荒涼とした砂漠での物語は中国映画で食傷気味でもあるが「これでもか」と見せる演出。ふと思ったがここまで映画見続けられるのもひとえに最近の映画館など映写場所の椅子の座り心地の良さ。二時間坐っていても全く疲れなし。灣仔の詩藝戯院でチベット映画“Kekexili”(監督:陸川)観る。Kekexiliは西蔵語で風光明媚な桃源郷、美しき女性称える言葉だがこの映画では西蔵羚羊(チベットカモシカ)の毛皮狙った狩猟乱獲から羚羊を守る警備隊が物語の主。北京の雑誌社から派遣された若い記者の青年が遭遇したものは過酷な自然環境で羚羊狙う違法狩猟団を追う彼ら。限られた食糧、燃料で砂漠と高原を進み故障したジープの仲間は置き去りにせざるを得ず町に食糧燃料得に戻った退院は砂地獄に呑み込まれ命を落とし補給食糧燃料ない中で数年かけて追い続けた狩猟団の団長を追いつめるが……。そして記者が見た大きな矛盾は自治区政府の承認で出来たこの警備隊も予算に乏しく隊員の給料どころか燃料買う資金も乏しく、それを補うのが密猟団の下っ端から賦てた罰金であり不法に乱獲された羚羊の毛皮を町の密売屋に売って得た現金。記者はこの事実をどう報じるのか、と悩む。実話に基づいた話で警備隊は最後に残った隊長が密猟団に殺されたことで記者は事実の報道決意し後日談として政府がこの密猟団撲滅に乗り出し国立自然保護区が設けられ西蔵羚羊は種の撲滅がどうにか避けられ繁殖する。映画終わって湾仔のLockhart Rd街市隣りの「城邦書店」初めて訪れる。台湾の誠品書店の雰囲気の小さな書店だがサイードやネグリ&ハートの『帝国』だの興味深き書籍並ぶ。台湾の故・辜振甫氏の伝記『勁寒梅香』黄天才(台湾中央通信社社長)著と台湾鉄道百年史購入。MTRで西湾河。住宅密集の「太安楼」ビル楼下の雑居商店街は行列のできる小さな(正直言って小汚い)立ち食い多し。太安楼の太康街に面した出口角にある牛什串立ち食い。この店はもともと電器屋なのだが何故か店主の始めた牛什の屋台が好評で行列できる。今でも電器屋の店先で屋台出す不思議。Z嬢とで落ち合い恒河カレー屋でカレー食す。この店もかなりの混雑。晩九時半からZ嬢と香港電影資料館にて『早期粤港風貌』という戦前撮影された映画で香港の都市風景が映画に現れる作品(断片もあり)観る。6本集め108分に編輯。1898年撮影といふ貴重な映像もあり。香港映画の創始者(日本でいえばマキノ省三)黎民偉の撮影した有名な国民党北伐のニュース映画も初めて観る。映画五本でさすがに疲れる。
▼ローマ法王ヨハネ・パウロ2世逝去。享年八十四歳。次の法皇選出の選挙(根比ーべ)は百十七名の枢機卿が世界中より集まり、だそうだが実は今回はヨハネ・パウロ2世が生前にもう1人枢機卿追加指名しており計百十八名といふ話あり。その1名は何処の地域選出かを明かせぬ理由あり。それがバチカンを正式に認めておらぬ中国から参加の枢機卿であるからといふ。北京政府がカソリックを正式に認めておらぬように思われてもいるが正確には中国は憲法でも宗教の自由認めておりカソリックについても中国政府の承認下にある中国天主教愛国会と政府に批判的ではない司教組織である中国天主教主教団などあり。この「愛国的な」組織が国内に五百万人といわれるカソリック教徒代表してローマ法皇逝去に哀悼の意を表すが中国政府としては正式に友好関係のないバチカンに対して中国国内のカソリック教会と信者がバチカンと交流することに遺憾であるのは事実。中国政府がバチカンを認めぬのは共産党が政治経済文化の全てを統率するなかでバチカンといふ巨大な権力がそれに対峙するだけの統率力をもつことへの懸念。そして歴史的には中国の列強による植民地化でカソリック教会が果した役割に対しての断罪。中国においては侵略者であった一部の神父らについてバチカンが数年前に殉教者として聖人として扱ったことについても中国政府は改めてバチカンに対して対立姿勢を強める結果となった経緯もあり。ちなみに北京には名園として名高い恭王府の隣りに高い壁に囲まれたバチカンの北京駐在事務所あり。バチカン法王庁の「中国」大使館は台北に存在。

四月二日(土)薄曇。宿酔。昼に客人連れハッピーバレー。益新美食館に食す。麦酒で恐る恐る喉潤わせば宿酔の不快感失せるのが酒飲みの情けないところ。ついでにジムのサウナで完全に酒抜いてSpace Museumにて高橋泉監督『ある朝スウプは』観る。最も影響受けた作家が太宰治。成程。ジム。Space Museumに戻り記録映画“Shape of the Moon”観る。Leonard Retel Hermnichという監督のオランダ制作作品だが舞台はインドネシア。ジャカルタで虔しく暮らす家族。敬虔なカソリックの老婆。ちょっと頼りない息子は母から距離を置くためのようにイスラム教に改宗。祖母は孫娘可愛がるがジャカルタでの苛酷な暮らしに耐えかねず故郷の田舎へと引っ越し決心する。その家族を追ったドキュメンタリーなのだが、とにかくキャメラがここまで活きるかといふほどに見事なキャメラワーク。低いアングルからの下町の様子、狗や猫からの視線、月の光とイスラム寺院の塔、何もかも見事に写し、とくに見事なのは暗天に小さく明かりが見えて「月か」と思うが隧道の出口であるくらいは驚かぬが井戸の中の井戸汲み桶にカメラ置いて地上に水汲み上げる様を撮るなど見事。午後九時から“Delaer”といふポルトガル映画観るつもりがさすがに疲れて断念。Citysuperのフードコートの元八ラーメンに食す。無印で雑貨求め帰宅。

四月朔日(金)曇。毎年このエイプリルフールは重い曇り空に思い出すは二年前のSARSの疫禍。この日は香港疫埠に指定されるといふデマが流れ、而も芸人レスリー張國榮君マンダリンオリエンタルホテルからの投身自殺まであり。憂鬱。佐藤真監督の記録映画『阿賀の記憶』観る。阿賀野川に沿って暮らす人々の貴重な記録片だが『阿賀に生きる』撮影されてから十年後の続編であるため前作観ておらぬと難もあり。阿賀の老人らの会話方言聞き取れず英語字幕読む程。この映画に“The Children of Leningradsky”といふ作品同時上映。文字通りモスクワのレニングラード地下鉄駅構内や周辺に路宿する孤児らの物語。地下鉄站構内での物乞いだけならまだしもこの孤児ら狙った淫買、シンナー中毒、さらにこの孤児らによる大人の乞食襲撃など悲惨壮絶。何も弁明もなければ孤児らへの評価を避けたこの記録映画らしい記録映画が『阿賀の記憶』に先立って上映されては『阿賀の記憶』がよりくすんでしまった感もあり。香港中央図書館横のローズデールホテル。客人と会う迄少し時間あり楼上のバーで麦酒飲む。このバーの洗面所は銅鑼灣一望。客人連れ蘇杭料理の「新天地」。此処はかつて杭州の料理屋「張生記」の香港支店であったが何かの事情で名前も内装もすっかり変わる。酔蟹など見事な料理いくつも供されるが残念なことはどの料理も塩辛すぎる。素材のよさが活きず。食後にA氏とM君とバーS。モルト酒Glenfarclasの21年ご賞味。ふと父の入院から逝去などで寿司加藤にしばらく伺っておらぬこと思い出して一人ぶらりと寄る。もう店仕舞いで日本酒のみ。ご主人と料理人N君にすっかり弔ひいただき痛飲深謝。
▼「慧峯集団」といふ会社あり。九龍新界に電力供給の「中電」はCadoorie集団で英印系であるがこの「中電」で初めて中国人で総経理となった潘國濂といふ人が引退して開設のコンサルタント会社がこの「慧峯集団」。今ひとつ存在意図わからぬ会社で02年の上場以降損益は8500萬ドルに及んだといふ。それが二月十四日にHK$0.10まで下落していた株価は昨日HK$0.99まで高騰。潘國濂はこれで一気に会社の損益挽回で2億ドルだか得たことになるそうだが何が起きたかといへばこの「慧峯集団」が「中国電力投資集団」といふ中国の国営企業と組み中国から香港に電力供給する「中港電力」設立があり30%の株保有する親会社の「慧峯集団」株が急騰。でこの潘國濂と中国の関係といふのが八十年代に中国で広東省大亜湾に巨大原子力発電所が開設され香港側からこれに参画が潘國濂。中国側は当時この電子力発電所の開発工程の主幹責任者が李鵬(後に首相)。李鵬が中国の発電事業の首領であり今回のこの中国側の投資会社である「中国電力投資集団」の副総経理だが実質的トップが李小琳。李鵬の娘。ただただ嗤ふばかり。

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