四月三十日(日)昼まで御所にて諸事。ふと或ることが契機となり堂本正樹『三島由紀夫の演劇』読み始める。久が原のT君から頂いた初版本(出版は劇書
房)。昼に中環の楽香園珈琲室に寄ろうと思ったら休みで隣家の
黄枝記に
雲呑麺食す。午後早くジムで筋力運動と有酸素運動を各一時間たっぷり。閑散とした
FCCのバーでハイボール一杯にポーランドのショパンという名の冷たい
ウオツカをトロリと一杯。堂本本読み続ける。沙田の競馬は他レースは見もせずに本日唯一のクラス1(芝1200m)で見習いの徐君禮君騎乗の帝聖名駒
(Regency
Horse)が14倍で昨日一点買いしておいたのが見事一着。でもやっぱりみんな見ているわけで6.4倍まで下がっていたのも当然か。競馬といえば天皇賞
のディープインパクト、中継で見たが思いっきり出走で出遅れ、

で
あの勝ちっぷりに驚くばかり。午後遅く真っ青な空。大気汚染がひどくないのは中国も大型連休で工場休業の影響なのだろうか。快晴。帰宅途中に銅鑼湾そごう
の旭屋書店でアサヒカメラ5月号受領。ふと新潮文庫で三島由紀夫『佐渡公爵夫人・わが友ヒットラー』見つけ、堂本『三島の演劇』にも何ヶ所も引用あり、も
う読んでから四半世紀以上過ぎているわけで凡そ筋すら朧げで改めて入手。帰宅。読書&酒飲み続けてながらピンクフロイドなど聞いていると夕暮れに西の空に
見事な下弦の月に見惚れる。新西蘭のオイスターベイのシャルドネなど飲みながら菠薐草のパイや昨日のデリのパテ(コンビーフだと思ったらレバーのパテで
あった)、アスパラ、葱などいろいろオーブン料理。NHKスペシャルで「
煙とカネと沈む島」という地
球温暖化テーマの番組見る(ほんと三題噺)。石炭に曇る重慶で二酸化炭素排出量の権利売買に臨む日本の商社、この売買で利ザヤ稼ぐ紐育のディーラー、温暖
化で家が浸水するツバル。ツバルの老人がもっとも賢者に見える。『三島由紀夫の演劇』読了。
生き永らえるという事と盲目という事は神秘的な関係にあり、文芸の
発生この方、この関係は現代に至るまで執念深く継続している。 とか
女とは今や、男の芸術を奪い去るしたたかな生き物であり、容赦しな
い現実である。 なんて他になんて表現のしようもない一文がいくつも。三島『近代能楽集』のうち「弱法師」に関する文章が圧巻。
▼七月の歌舞伎座といえば猿之助率いる沢瀉屋一門であったが猿之助丈の復帰も能わず、で今年七月は大和屋の監修、主演で泉鏡花オンパレードでまさに納涼
か。昼の部の「夜叉ヶ池」は春猿をば抜擢、「海神別荘」が大和屋で相手は海老蔵。夜の部は「山吹」にご存知「天守物語」で富姫は当然大和屋で図書之助は海
老蔵。玉三郎が海老蔵相手に沢瀉屋一門率いて、という数年前には考えられぬ木挽町の七月。京屋が足穂の世界の人となりつつあり大和屋まさに君臨。五月には
世田谷で鼓童と競艶の「
アマテラス」。すごすぎ。還暦
にはぜひ鬼太鼓座と一緒に。
▼ところで久が原のT君と海野弘先生の話となり博覧強記の大変な人ではあるが文章が愛を語っても愛の喜びや悲しみに深入りせぬところが海野先生らしいとこ
ろ、と感じる。T君も我もお互いが遭遇する十年近く前なのだろうが中学生の頃にアールヌーヴォー手ほどきは同じくこの方。ビックリハウスや面白半分読みな
がらも月刊太陽がけっこう好きで目黒のウエストでシュークリーム食すのが幸せ、な中学生であった。
▼昨日綴った都立高の元校長先生の発言。一つ気になったのは「挙手採決は学校の場に馴染まない」という主張。これは何通りかの意味がある、と市民運動家で
ある武蔵野のD君より教示あり。「多数決でホントにいいのか?」ということ。多数決が民主的なようでいて「数が多い方の意見にしたがう」ということぢたい
の教育的意義。寧ろ少数者には多数決でも奪えない権利がある、ということの方が重要、と。御意。例えば労組でスト権をたてて会社の最終判断を受けたあとス
ト突入が収束かをきめるとき挙手採択せず。全員の意見表明をまわして、まず討論。もちろんここで一人一人が「収束すべき」とか「ストうつべし」とか意見述
べるがそれぞれに理由を述べるので全体の意見は何パターンかに収斂される。大勢が収束となっても何人かはなお納得せず。さらに議論を重ねるなかで「収束に
反対する意見に対して、どのように納得させることができるか」という点に論点が集約され、最後は「〜という点を留保するなら、収束に賛成」とか「〜という
少数意見を明記する条件で、賛成」とかいうふうに「全員一致」の結論にもっていく、と。全員一致という一党独裁国家が連想されかねないが実際には「民主主
義的な運用」というのも有り得る。それには「組織内の意見対立が先鋭化するのを防ぐ」という目的があり、現実には「組織内に意見の対立がある」ことを前提
として、その上で組織の統一を守るための手法でもあり。で、学校という場でも本来なら「挙手採決」はしないで済むならそれに越したことなし。教員同士に意
見の違いがあることはいいとしても、それによって対立したり人間関係がうまくいかなくなるのは望しからず。勿論、日の丸君が代などでは最終的に受入れるか
拒否か、で拮抗すれば「挙手採決」とならざるを得ぬわけで、そもそもこういった政治的issueを学校教育に持ち込む方が拙いのだが。で、この校長先生の
「挙手採決はなじまない」がどういう意味での発言なのか、正確にはよくわからぬ。少数意見の尊重云々に言及しておらぬので多少、否定的にもとったのだが、
実はこの校長先生、東京都の教員処分命令とその取消し求める訴えについて今年に入り開かれた都人事委審理での校長尋問で東京都の教育の異常ぶりに言及し処
分差し止め求める教員から拍手が起きた、という。その報道を見てはおらぬが、そういった経緯あった上での今回の朝日新聞での発言。まさに良心の呵責に耐え
かねて、だろか。東京都であるから退職したとはいえ元学校長のこの発言では年金取消しくらいの処分にされたり、とか。
▼朝日が一面トップで「靖国」日米にも影、米の歴史観・アジア戦略と対立、と東京裁判六十周年特集の記事。「靖国」は対中韓だけでなく対米にも凝りあり、
と中韓と対峙する対局としての親米派に対して「ほらほら、やっぱり靖国は面倒でしょう」と警笛のつもりなのだろうが「靖国」の問題解決に中韓であれ、米国
であれ外圧をば用いなければならぬこの意気地の無さ。確かに米国にとって日本の親米派が実は靖国に通じる、米国に戦い挑み真珠湾奇襲の人たちで、親米など
としては見せるが内心は小狡いと思われているのは明らか。
▼羅馬天主教で香港の歯に衣着せぬ陳日君枢機卿となりバチカンの対中関係どうなるか興味深きところ中国が中国天主教愛国会副主席(全人代でもキリスト教界
代表)の神父(馬英林)をバチカンの反対押しきって勝手に昆明教区の主教に任命。バチカンは「教会への介入」と反撥。中共もチベット教といいキリスト教と
いい宗教への介入お盛ん。今回の勝手な任命、なにが興味深いか、といえば推測ではあるが教区の主教勝手に任命することなど中共にとっては日常茶飯事のは
ず。なにせ中国国内は公式には中国天主教愛国会の傘下。それゆゑバチカンもいちいち中国政府の勝手な措置に反撥しておらぬのでは? しかも今回は場所が昆
明(雲南省)。愛国会副主席で全人代代表というほどの中共系カソリックの要人をばこの雲南省の辺鄙なる地に遣るのはまるで左遷だが中国のカソリックにとっ
て四川省(成都)、重慶(直轄市)、雲南省(昆明)、広西チワン族自治区(南寧)は伝統的に伴天連多き土地。北京から遠きこともあり比較的、愛国会の傘下
にならぬ風土。その昆明に対しての今回の介入。60年代後半の組合自治のNHK徳島放送局(掃除婦のオバサンまで番組制作に関わったという)に神南から親
方組合の幹部乗り込むようなもの。だからこそ、のバチカンの反撥。……以上推論だが恐らく間違いあるまい。
四月廿九日(土)先帝陛下生日。昨日の折口先生(釈迢空)の色紙は所有者のT君によれば
いにしへゆ やまに傳へしかはいかり このこゑを われきくことな
かりき
と書かれているそうで、漢字を当てれば
昔ゆ山に傳へし河怒りこの聲を我聽くことなかりき
となり、太古以来の本邦山岳河川の荒れぶりを詠んだか、と。本日昼まで諸事済ませ昼にHappy Valleyの
上海弄堂にて菜肉饂飩(雲呑)。秀逸。雲呑の本来の飴の旨味。午後ジム
にて一時間余徹底して有酸素運動。尖沙咀。スターフェリー埠頭の
XTCに
てチョコのジェラート食す。中国の労働節の大型連休の始まりで香港に大陸からの旅行者多いと期待してか法輪功の反中共政府の抗議アッピール活動尖沙咀にて
徹底した盛ん。香港芸術館。
Mark
Rothokoの展覧会(米国華盛頓国立芸術ギャラリーからの作品提供)見るつもりが

見
逃して三月で終わっているはずの05年香港アートビエンナーレ未だ開催中で先ずは参観。勝手に「面白くないだろう」とタカをくくっていた自分が恥ずかしい
かぎり。香港の都市生活モチーフにした実に香港らしい作品多くかなり楽しめる。でMark
Rothokoの正直言ってアタシには「さっぱりわからない」。大画面を二つ三つの箱形に区切りに区切って彩色の抽象画が不思議な詩情と崇高さを湛えてい
ると言われても感性乏しくそれが感じられず。今回の個展では寧ろ四十年代からの抽象主義に至る以前のヘタウタなシュールレアリズムのほうが「パンに生えた
緑やピンクの黴」のような淡い色彩で印象的。夕方、
ペニンスラホテルのバー。
バーカウンターの奥の角席がいつも空いているのが嬉しいところ。ドライマティーニとハイボール一杯ずつ。尖沙咀の地下道の大道芸人っぽい物乞いがハモニカ
と二胡で中島みゆきの「ひとり上手」演奏。上手。Z嬢と待ち合せLangham Hotel地下の
Main St. Deliというデリ。いぜんから一度来よう、来よう
と思っていても紐育のデリなんて銘打つかぎり一人前のポーションもかなりのもの、と二の足踏んでいたがZ嬢と二人ならシェアしていけるか、と。室内は
ちょっとツメが甘いが紐育のアールデコな内装。予想通り前菜からかなりの量でコンビーフのパテとパンは手をつけずにお持ち帰りにしてもらいメインのビーフ
バーガーも二人でシェア。それでも老人には十分な量。これまで香港でのバーガーはDan
Ryan'sが一番美味いかと思っていたが此処のバーガーの瑞々しさ、あっさりとした味付けはかなりイケる。MTRで葵芳。葵青戯院。ccdc(城市当代
舞踏団)の舞台で《風・水》参観。一ヶ月前の舞台《剛柔流》Iron and
Silkは正直言って落胆したが今回の《風・水》のうち《風》は余が香港の舞踏家のなかで最も期待のDaniel楊春江君の演出(本人が舞台に出ず演出に
徹するを観るも初めて)。《風》は何よりも照明(Billy陳焯華)秀逸。奇を衒わず基本的なライティングなのだがこの劇場の照明設備の充実を見事に使
う。奈落の使い方も面白く、敢えて不便なこの劇場使う意図に納得(葵青戯院は九十年香港バブルと今はなき市政局の徒花的公共施設)。ccdcのいつも見慣
れた踊り手らも総監であるWilly曹誠淵氏やHelen黎海寧女史の演出を離れDaniel楊の(楊君本人は否定するだろうが)かなり台湾の雲門舞集を
意識したような気功の世界で活き活きと舞う姿が新鮮。但し雲門舞集の踊り手らがもはや一つの有機体の如き態に比べればまだまだ個々に動いている感は否めぬ
が。照明と映像の使い方もピンクフロイド的な幻想の世界。残念なのは途中から、気功の世界がなんだか「未知との遭遇」みたいになってしまったこと。いずれ
にせよさすがDaniel楊と思わせる見事な演出。すでに年齢的にも本人が跳んで刎ねてではないであろうし香港で舞踏演出家としてWilly曹誠淵を越え
ていってもらいたいところ。後半は梅卓燕演出の《水》。この劇場は間口も20m近くあるばかりか奥行もバックステージまで舞台として使えて同じくらいの深
度ありこの《水》は舞台の奥行上手に用いたことは評価できるが道具や装置、収音などの効果に凝りすぎダンスというよかドラマの如し。それならそれで《水》
というテーマであるから映画でいえば「雨」に拘る蔡明亮的なこれでもか、の「本水」期待したが実際の水の用い方も洗面桶でちゃぷちゃぷで中途半端。あれな
ら本水にせず水の見立てでよかった筈。本日朝から合間合間で松葉一清の『帝都復興せり!』文庫版を読み深更に読了。1935年に発行された『建築の東京』
なる震災復興後の帝都の建築紹介した本を松葉氏が八十年代に再び歩き、それをもとにした都市論。97年に発行の文庫本読んだがすでにその新刊から文庫への
十年でいくつもの帝都の建物がこの世から消える。松葉一清であるから当然、この本は単なる懐古主義や帝都万歳、アールデコへの耽美主義に終わるはずもな
い。都内の小学校の建築に完全なまでに近代の思想が反映したこと、四谷第五尋常小学校(現在の新宿区立花園小学校、現存)の建物に象徴されるインターナ
ショナルスタイルが「インター」ゆゑ赤化思想の建築様式として弾圧されたこと、帝国主義と「自由」と「倫理」の鬩ぎ合い、その復興建築の自由が収斂されて
ゆく態、建築での国粋主義の登場までを見事に紹介する。結局、その自由闊達なる帝都の建築が最後は新古典主義(例えば安井武雄、満鉄東京支社ビル)や帝冠
様式(渡辺仁、東京帝室博物館、満州新京(長春)の旧満州国務院などまさにこれだろう)に陥ったことをファシズムの思惟の現われ、と結ぶ。月刊『東京人』
での巻頭エッセイで松葉一清という人の筆致に憧れ氏の連載中断とともに長年購読の同誌をば購読断ったほどの「松葉好き」には勉強になる一冊。アントニン=
レーモンドという建築家の存在はフランク=ロイド=ライトの弟子ということで知ってはいたが聖路加病院の旧舎が実はレーモンドの原案が他の外国人建築家
バーガミニーによって奪われた経緯や帝都の戦前の米国とソ連の大使館がいずれもレーモンドの設計であったことなど興味深く読む。都市論として一級の教科
書。
▼アンソン陳方安生女史の創価学会訪問という話。畏友より聖教新聞の切り抜きいただき子細知る。創価大学での名誉博士号授与がそれ。創価学会とは彼女の母
である方召リン女史の個展開催したりの親密さだが、もともとは96年に池田大作君が香港大学で名よ博士号授与の折にアンソン陳方安生と母の方召リン女史も
一緒に名誉博士号授かったようで、それ以来の仲か。今年二月の方召リン女史の逝去でアンソン女史が絵画や遺品など池田先生に贈られ、今回は創価大学での名
誉博士号授与と「新しい時代の女性の生き方」だとか記念講演したそうな。創価学会のサイトばかりチェックしていたが創価大学のサイトにこの記事あり(
こちら)。
▼日本政府は教育基本法改正案閣議決定し国会に提出。小泉三世国会会期延長せぬようでこの法案が果たして会期内に成立するのか、会期延長してまで通すの
か、継続審議か微妙。いずれにせよ自民党にとって「戦後憲法に沿った教育基本法が行き過ぎた個人主義横行させ教育を歪めてきた」わけで、若者や子どもによ
る凶悪犯罪、学級崩壊からいじめまですべて行き過ぎた個人主義に原因があり公共性軽視のつけ、と見る。自民党のセンセイ方こそ政治家として公共性無視して
行き過ぎた個人主義で勝手気儘のやりたい放題で利権特権の横暴少なからず。若者の心の荒廃どころか寧ろ戦後のその行き過ぎた個人主義(=自分勝手)の恩恵
をば得たのが誰か胸に手を当てよく考えてみるべき。教育基本法改正して社会の若者とりまく問題が解決できるとはちゃんちゃら可笑しい話。それにしても改正
に賛成の日本会議など会長(三好達)は元最高裁長官。最高裁長官が不偏不党どころかここまで偏っているのだから日本など三権分立などありゃせぬ。
▼朝日新聞の「私の視点」に渡部謙一という元都立高校校長が東京都の命令で都立校の職員会議での「挙手や採決を禁止」について「現場の校長の深いため息」
が実感であり「自由な議論を深め、互いに学び合い、より質の高い合意形成を図っていく」ものが職員会議であり「意向が反映されないで誰が意見を言うでしょ
うか、意見を言えないでものを考えるでしょうか。これは、ものを言うな、ものを考えるな、黙って従えというに等しいこと」と指摘し「特定の教育観をおしつ
けるために、異論を排除するものとしか考えられない」と主張。この元校長は戦後すぐの文部省の通達を引き合いに出す。
学校の経営において、校長や二三の職員のひとりぎめで事をはこばな
いこと、すべての職員がこれに参加して、自由に十分に意見を述べ協議した上で事を決めること、そして全職員がこの共同の決定にしたがひ、各々の受け持つべ
き責任を進んではなすこと。(1946年「新教育指針」)
真の指導性は、外的な権威によって生ずるものではなく、人々の尊敬
と信頼に基づいて、おのずから現われることが、その本質をなすものである。(1949年「小学校経営の手引き」)
この元校長がすでに二年前に引退し自由の身であるから、ここまで言えたのは事実。現役で新聞に、しかも産経新聞に都教委の命令に理解示す論調ならまだし
も、朝日新聞に反対の主張では、まず現役校長なら「指導性に疑問あり」で自殺行為。ではこの校長が「都立校でもこんなアカ先生が校長になれたのか!」と思
うのも間違い。この校長先生自身、「職員会議での採決決定」については学校に馴染まない、と一定のところには理解示す。だが良心の呵責に耐えかね、の今回
の主張であろうし、現役校長のなかには溜飲が下がる思いの方も多かろう。
四月廿八日(金)大雨。焼酎の酔いこってりと残り二日酔いの不快感どころか未だ心地よき酔いに朝から銅鑼湾の
文輝にて紫菜墨丸河など食す。早晩にジムに行くにもまだ足許がふらつく
感じもありPacific
Coffeeにて早晩に珍しく珈琲など飲みながら新聞数紙に目通し帰宅。NHKのNW9で横田めぐみさん母が米国議会公聴会に出席の報道20分ほど続くが
華盛頓支局からの生中継にめぐみさん母に対して神南のスタジオのキャスター二人は質問がずっと「どのくらいお母様の気持ちが伝わったと思いますか?」幾度
となく聞き返すばかり。キャスターも未熟だがこの話題で20分引っ張る制作にも難あり。硬派の報道番組というわりにはいつも「被害者の悲しみ」に頼るばか
り。
▼旅券といえば武蔵野の住人D君三月上旬に旅券取り直しの際「受領を20日までお待ちになれば、ICチップ入りが発行されるんですが、それ以前ですと従来
通りのものしかお出しできないんです…」と担当職員に「数日違いで最新式のパスポートをお出しできなくて申し訳なそうに」言われたそうな。壁のポスター見
ればテロリストが偽造できなくなりますくらいのことしか書かれておらず。それで困るのは国の方で利用者側のメリットに非ず。国益に貢献できるってのが国民
の幸せ、か。
▼今月の歌舞伎座での六代目歌右衛門の追善興行。昼夜随一の出来は当然京屋、とT君讃める。京屋のカタチの美しさは先だっての豊後道成寺と変わらず、更に
無常感すら漂う内的風情。舞いでいえば内も外も静止画像的な武原はんに対して京屋の凄さは外は静止していても内は物凄い速さで動いているところ。もはや
「地球」、とT君形容。固い地盤の秘奥には灼熱のマグマが滾り回流る。星になった京屋。播磨屋の「井伊大老」も加賀屋相手に地味に抑えた演技に身近に迫っ
た死を感じ取る賢人の心理横溢、という。三谷や串田とは無縁の「歌舞伎役者の旧手法でしか生きない新作歌舞伎」も捨てたものではない、とT君。


草
彅剛君の菊池寛原作「父帰る」「屋上の狂人」も予想上回る見事な舞台だったそう。演技にハマッタ時の集中力と、自己解放の自然さとの同居。「父帰る」で家
長代行をしてきた長男の、父に対するルサンチマンと焼け付くような愛情は前者の美点が生き、「屋上」で、24歳になるまで金比羅さんの天狗舞を空中に幻視
し続けた幸いなる狂人の明るさは後者の美点。……嗚呼、東京で芝居がもっと観たい、と痛感。
▼そのT君より神田で購った折口先生(釈迢空)の短冊と色紙のうち色紙(画像)見せていただく。昭和七年の筆。短冊は折口先生が卒業生によく贈ったという
「さくらのはなちりぢりにしもわかれゆくとほきひとりときみもなりなむ」だったそうで、それにしてもあまりに独特の書き振りの折口先生、この色紙など余に
は正直言って全く読めぬ。
四月廿七日(木)晩にA氏のお誘い受けS女史と三人で銅鑼湾のまだ開店早々の
湖
舟といふ日本料理屋に食す。Quarry
Bayの太古坊にあった料理屋Sの親方がこちらに。美味い海鞘のつきだしに始まり馬刺しなど頬張り届いたばかりの鰹の刺身。

美
味。三人で吉兆宝山という焼酎を一升ぺろり。
バーSに寄るが
いきなり足にキテバーのカウンターの椅子に坐ろうとして思いっきりコケる失態。
▼小泉三世メールマガジンにて首相就任五年振り返り景気回復や不良債権などにつきさんざん自画自賛。その上で今日日問題の「社会的格差」につき
最近、格差についての議論をよく耳にしますが、格差というのはどの
時代でもどの国にもあるものです。かつては、悪平等という批判もかなり言われていました。努力しても努力しなくても同じというのでは、悪平等になってしま
います。一人ひとりが持てる力を発揮できる社会、努力が報われる社会というのは、世界中どの国でも好ましい社会と言われているのではないでしょうか。力の
ある人には、努力して、もっとその力を伸ばし、思う存分発揮してもらう。それが社会の活力になるのだと思います。
と宣う。不思議はこの社会的格差につき「力があり努力すれば報われる」層と「報われない」層で、この報われる層は首相など誰でも報われているわけでいちい
ち小泉三世だからと支持しまい、どうも報われる層より報われない層に小泉支持があること。この五年で生活が厳しくなった人たちが素直に小泉三世支持という
のは、まさに「痛みを分かち合おう」の結果か。とても嗤えぬ。怖さ。
▼外務省がこの春から導入の
新型IC旅券。
Z嬢の新規発給のものを見せてもらったが、ひとこと結論を言えば「きわめて使いづらい」。

問
題はICチップと恐ろしや「通信を行うためのアンテナ」埋め込んだプラスチック製の頁が「こともあろうに」「誰が考えたのか」旅券の中央頁に。折り曲げ厳
禁の厚い頁のため、何が不便かといえば「旅券の頁を捲れない」こと。入出境の手続きの時にイミグレ職員が入境スタンプや渡航ビザ確認のためパラパラと旅券
の頁を捲る機会は多々あり、かなりの不便。ICチップや恐ろしいことだが通信アンテナなど「我が国の高い技術力」からすればかなり小型薄型化できるわけ
で、例えば曲げても平気とか、旅券の表紙の裏の片隅にでも埋め込むとか、出来よう筈。それをまぁ何が悲しくて旅券中央に厚さ1mm近い一頁大なのか。「ど
うぞ、この頁が大切ですから複製できるならしてください」と言わんがばかり。しかも重く、嵩張る頁が旅券本体に糸綴じされているだけのため旅券が何年も酷
使されれば頁ぢたい捥げることも明らか。もうズボンのポケットにいれることもできぬ。拙策としか言いようなし。かりにズボンのポケットにいれて坐った拍子
にプラスチック頁が割れて破損した場合、やはり再発行は利用者自己負担なのだろうか。……と不審なる点多く外務省のQ&A読めば更に、この旅券の
くだらなさ明らか。
Q IC旅券になると空港などの審査が速くなるのですか。
A IC旅券をどのように活用して本人確認するかは各国の入国管理
当局の判断によりますが、IC旅券の利用方法としては以下のことが考えられます。
(1)これまでと同じように、入国審査官が旅券の顔写真と本人を見
比べて同一人であることを確認する。
(2)ICチップの画像を読み出してディスプレーに表示するととも
に、本人及び旅券面の写真とを入国審査官が目視により比較し、同一人であることを確認する。
(3)本人の顔をカメラで撮影しICチップの画像と機械により照合
することで、入国審査官の目視確認を支援する。
(4)IC旅券を利用して出国・帰国審査を自動化する。
(2)〜(4)の利用方法については機器の開発や設置などの準備を
必要とするため、直ちに入国審査を迅速化することは困難でしょうが、少なくとも(2)の機器が設置されることにより、旅券の真正性の判断(偽造や改ざんが
なされていないことの確認)が容易になり、その点に関しては審査がスピードアップする可能性はあるでしょう。
と全て「想定」での話なのだが、外務省は(2)だけは明らかに審査円滑化として挙げているが、これは明らかに間違い。だいいち空港のイミグレなどで担当官
が旅券ぢたいの偽造の有無などこれまでもきちんと確認しておらず。これまでの旅券でも旅券番号や氏名、生年月日など基本データは旅券表紙裏の顔写真頁の下
部にある数字化されたデータ情報で機械読み取り可であり広く実施されており、寧ろ旅券の印字記載情報とICデータ情報と本人確認で審査が複雑になるのも明
らか。
Q ほかにIC旅券を持つことのメリットは何かありますか。
A 偽造や改ざんが困難なIC旅券を持つことにより、万一、旅券が
盗難にあっても、貴方の身分を装った不正使用に対する抑止効果が期待されるのです。その結果、日本国旅券の信頼性が向上し、出入国手続がスムーズになると
ともに、我が国に対する査証免除の維持や拡大につながることが期待されます。
これも「座布団一枚!」くらい大笑い。かりに自分の旅券データが複製され自分本人を語るテロリストが活動し自分が国際氏名手配か、米軍の射殺指令対象とで
もなっていれば別だが、不正使用の被害に遭う確率など0に近いほど低い。その結果「日本国旅券の信頼性が向上し」「我が国に対する査証免除の維持や拡大に
つながることが期待され」など雲をつかむが如き空論(我ながら「雲をつかむが如き空論」の比喩はきれいだ)。
でICデータの破損については
Q IC旅券で外国に入国するとき、その国にICの読み取り装置が
なかった場合は、審査に時間を要したり、入国できないということにはなりませんか。
A 読み取り装置がない場合は、入国審査官がIC旅券もその他の旅
券も同様に審査を行いますので、IC旅券であるために不利益を被るような扱いを受けることは考えられません。
Q もし、出入国審査時にICチップが壊れていることが分かったと
きはどうなりますか。
A ICチップに書き込まれた情報は旅券面の情報を電磁的に記録し
たものです。IC旅券はICチップの情報と券面情報を比較して偽変造の有無を確認することができますが、ICの情報を見なくともこれまでどおりの審査を実
施することができます。したがって何らかの事情でICの情報を読み出すことができなくとも、それのみをもって入国を拒否されるということはありません。
(略)
と、結局、ICデータなど実はどうでもいい実態。それなら「なぜ、こんな面倒な旅券」と思うが、このIC旅券は宗主国たる米国の旅券対策、ビザ条件に従っ
ただけのもの。情けないことに
Q 米国のほかにIC旅券でないと入国が制限される国はあります
か。
A IC旅券でないとビザを要求する旨発表している国は、現在のと
ころ米国以外にはありません。
だそうな。米国のためだけにいったい何億の公金投じてのIC旅券化なのだろうか。私のように「米国へは断固行くまじ」という者にとってはただのいい迷惑。
我が国の国民にとって国家への帰属をもっとも強く意識する、菊のご紋章いただく旅券においてこの単なる米国追従の情けない態。保守反動右翼の諸君は何故、
外務省に対して「我が国の旅券の米国追従反対!、誇りを持て!」と主張せぬのだろうか不思議。ちなみにEUが確かIC化に応じていないのではなかっただろ
うか。中国も香港特別行政区も私が調べた範囲ではIC旅券化は想定外。……で最後の猜疑(笑)は
Q ICチップが壊れたときは新しい旅券と交換しなければなりませ
んか。
なのだが、もう上述の消極的な現状で答えは明白、
A 上記のとおりICチップが作動しなくなっても旅券として無効に
なるわけではありませんので、新しい旅券に切り替える必要はありません。
というのが結論(笑)。つまり「壊れてしまったら」そのままでよし。米国に行かないのなら尚更のこと。個人情報管理強化に反対の人士であるとか、旅券を意
図的に破損してはいけないが、不可抗力で自然に毀れてしまえば、それまで哉。極端な話、上述の、旅券が傷みプラスチック頁が捥げてしまった場合、そのまま
でいいのかも知れぬ。
▼築地のH君より中井英夫の戦中日記の記述を貰う。(「中井英夫戦中日記 彼方より<完全版>」河出書房新社)
(昭和十九年)十月三日
新しい小學校の三階。校庭では體操の時間で二百名くらゐの女の子男
の子が騷ぎ立てゝゐる。水色、赤、青、黄、華やかな彩どりのいきものが、この二三日、兵器ばかりいぢくつてゐた眼にいとほしい。
集つて、あしぶみして、歌を唄ひ出す、「豫科練」を「七つ釦は櫻に
碇」を。ふいに先生の鋭い聲がする。じつと指さゝれてゐる、一人の子が。
──あの子はうたつてない。
その子よ、わづかにめぐみ出した嫌惡の心を、ひとりしづかにつちか
ふがよひ。やがて咲く不幸の花にいくたび涙させられることはあつても、そこにこそ詩の故郷はあるのだから。そこにおまへが、詩人の名を得られるのだから。
このさはやかに晴れわたつた秋のひとひ、空には飛行機雲がいくすぢ
か絲をひゐてゐる。賑かに、邪氣もなく(?)群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたはなかつた子供、萬歳。
あの子はうたつてゐない、その聲にたぢろいではならぬ。
ヘイ、をかしくつてうたへません、ト。
わたしはひとりでゐたいのです、ト。
必要ならばいつでも列を離れてしまへ。
六十年前の懸念が今の世なら独り国旗、国歌に反撥する子や教師の如し。H君曰く今日日の「惨状」をば先の大戦で「負けて目覚めるしかない」と思い託し死ん
だ臼渕大尉に見せられるかしら、と。『男たちの大和』観て過去に感動し泣いている場合ぢゃない(しかも、かなり脚色された過去だ)。この書籍「完全版」刊
行は昨年の六月。今春の卒業式シーズンに、この日記一節紹介のコラムが新聞に載ったかしら。ちなみに中井英夫は「虚無への供物」書いた推理作家で山田風太
郎と同年生まれ、終戦時は廿二か廿三歳。昔の青年は大人だ。
▼昨日の朝日外報面の「特派員メモ」で巴里から沢村瓦なる記者が巴里のデモの「共感の輪」かなり好意的に紹介。支局長冨永某とは産経と朝日の如き異説。一
方、東京新聞には経済部(久原穏記者)が
「社内では「あの民衆パワーはすごい。日本も少し見習うべき」なん
て見方がある。確かに、あの政治的意思表示の行動力は日本にない。でもベクトルが間違っている。改革を阻める状況かと問いたい」「EUで、ひとりグローバ
ル化に背を向けていられるわけがない。なのに内向きの保護主義を進めるばかりだ」「改革をたたきつぶしてばかりの”ノンの国”は衰退する」
と書いているそうで、まるで富永的。それにしても「みんながやってるのに」「世界の流れは」……の論調の思考力の乏しさ也。
四月廿六日(水)小雨。早晩にジム。一時間半の有酸素運動。帰宅してカレーライスなど食す。競馬中継あり。春風化雨(Rain in
Spring)という、この季節に風流な名前の馬が参戦し今晩はこれに賭けようと思っていたら退出。第6、7レースのDT(2レースの三連複連勝)は二頭
ずつ当っても「あと一頭」当らず(たられば、だが当っていればHK$10が1,000倍くらいになるのだが)。二日も続け平日の晩に運動したせいか身体が
慣れ
ず睡魔に苛められる。
▼信報で曹仁超氏の連載に「四萬赴日攞大奨」と見出しあり何かと思えば陳四萬(元政務長官陳方安生女史)が
創価学会から何だか表彰受け訪日中と曹氏昼飯の雑談で耳
にしたそうな。まだ創価学会サイトでもアンソン陳女史訪池は確認できず(
英語サイ
トのほうが何かとこういった情報早い)。池田先生来港の時には政務長官官邸で夕食、歓談するほどでアンソン女史の学会訪問も今更驚かぬし世界中の
VIPにとって創価学会から受勲も珍しい話でなし。ただアンソン女史が香港の民主化につき発言も増えておりポストSir
Donaldでの行政長官選挙に民主派統一候補で出馬?などという噂すらあるなかで、この受勲はそれなりに注目される話。創価学会側も親中姿勢堅持するな
かで敢えて「香港のオバサン」に授勲することは多少なりとも徒に北京刺激しないものだろうか。
▼朝日新聞でイタリアのMarco Bellocchio監督の“
Buongiorno,
Notte”を紹介。今月末より渋谷ユーロスペースで上映。邦題は素直に
「夜よ、こんにちは」。78年の「赤い旅団」事件を題材に
監督曰く

「思想に縛られて身動きがとれなくなった悪しき左翼の姿」を描く。中道左派聯合から伊下院選挙に出馬の
Bellocchio監督は「今の政治には思想がない。思想があるところには人間性と愛がない。でも私は、思想と愛は両立すると信じている」と恰好いい。
映画にはピンクフロイドの“Shine on Your Crazy Diamond”、“The Great Gig In The
Sky”などが劇中歌に。香港国際映画祭で掛からなかったのが残念なところ。
▼25日のSCMP紙Life面に一面大で“A cry from the
dark”という記事あり子どもの性的虐待について。Kelvinという二十歳だかの青年の悪夢は七歳の時にピクニック先の郊外で年上の従兄に「レイプ」
された時から始まった、と。これがトラウマになりずっと精神に毀傷を生じ青年時にカウンセリング受け慈善団体の指導で同じような被害にあった者と痛みを分
かち合うことでようやく立ち直りの兆しあり、子どもの性的虐待の実態を広めようと今回そのキリスト教慈善団体のCaritasから手記とか。一瞬、子ども
の心の傷、立ち直り、社会的正義など想像するが、言葉ばかり格調されるキョービの世界では何処までが異常なのか、何処からが寧ろ異常なのか、いろいろ慎重
にならざるを得ず。まずこの「レイプ」がどれほどのものか。レイプというとレイプだが、例えば我々がまだ子どもの頃の「お医者さんごっこ」、年上の近所の
子や親戚などに教わった性的な悪さ、けっこう際どいところ迄もありやなしや。今でこそ言葉の氾濫で性的虐待から「プレイ」の戯さまでレイプ、レイプと言わ
れるが。昔であれば言葉の氾濫もなく、年相応で経験する様々なことが言葉と情報の横行の結果、例えばキョービの二十歳の青年が七歳の頃といえば僅か十三年
前。かなり慎重に見るべき。中上健次なら小説の物語のエピソードにすぎず、ミシェル=フーコーならむしろ慈善団体のまなざしに視点を当てるはず。この手記
を読んでおらぬので断定は避けるべきだろうが、不幸な環境の子どもが売春強要させられるなら大事だが、かりに昔からあった自然な性的な悪戯の類いまで性的
虐待と判断されるようなことがままあるのがキョービの世界。「……なことして」だの「……なことされて」が昔なら親に言っても「何をバカなことやってんだ
ろうね」で「さっさと勉強しなさいよ!」で終わっていたであろうし、教会で懺悔などしてしまったら聞いた神父様が悪い人で……という更なる危険に晒された
り(は冗談にしても)、今はむしろ慈善団体だのマスコミだの公共広告機構だのが「こんなひどいメに遭っていませんか?、大丈夫ですか?」と質すことで
「あ、ある、ある」で事態が「発覚」し問題視され社会不安を煽る、という社会が此処に。で煽られたところで世の中など、そう簡単に健全になり不安が解消さ
れる筈もなく、ただただ不安増大し脅え続け、さらに社会の健全化への徹底した管理など厳しくなるばかりか。
四月廿五日(火)百年ぶりに早晩にジム。湾仔の春園街の楊春雷にて涼茶を飲んでからジムに行くお決まりのコース。一時間徹底して筋力運動。帰宅途中に食材
購い自宅で豚生姜焼きと有機野菜沢山鉄板で焼く。NHK4月番組改編にてニュース10の今井環氏のあの「人の良さ」、悪く言えば毒にも薬にもならぬアエラ
的な姿勢も番組打ち切りで見られずニュース番組は
NW9となりNHK
の堅物記者「会津の男」柳澤秀夫のアンカーぶり初めて眺める。NHKにしては「皆様の」でないクセのある姿勢もいいが晩9時のニュースというわりには華が
ない鴨。いずれにせよ日本の「報道」番組のいい加減さ、役立たずはご他聞に漏れず。例えば大型連休の海外旅行という報道で成田空港から中継。「大型連休を
前にすでに海外旅行に向かう人たちが……」と画面には出境手続きに向かう人たち写すが、普段の成田となんら変わらぬ風景。実際にこの人たちのどれだけが
「大型連休前の観光旅行」なのかなど誰もわからぬ。がテレビ側が勝手に「大型連休前の……」にしているだけ。続いて「海外でのリゾートなど観光地狙ったテ
ロ」の話題。大型連休で海外に渡航する人も多いわけですが、と最初に旅行代理店の担当者に取材。「最近の情勢を見ていますとネパールやフランスでの反政府
デモなどは事前に状況がわかっているわけですから現地の情報を入手できますし、海外渡航の場合は事前に外務省の渡航情報などを参考にして……」とこんな
話、旅行代理店に言われる必要もなし。会津の柳澤氏は顔に「くだらないコメント流すなよ、まったく」と明らかに書いてあり憮然とした表情で「海外での安全
は、確実な情報なんてないわけですよ。自分の身は自分で守る、結局はこれしかないわけで……」と、おっと、NHKにしては「皆さんのためにならない」本音
トークと期待。だが続けて「海外に出たら、海外は日本じゃないわけですから危険がともなうわけで……」と、おいおい、結局ここに落とすか、で残念。さんざ
ん高校生の老人殺害だの12歳の母親&