乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら)          

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

四月卅日(月)帰りがけに日用品の買い物で太古の商場ぶらぶらしていたら商務印書館の店頭に畏友・歐陽應霽君の『香港味道』という香港の食文化に関する本 4冊組の販拡で凝ったディスプレイあり(歐陽君自身もきっとこのディスプレイに参画なのかしら)。この本一組購入。ついでにジャスコの旭屋書店に寄れば書 店の規模と本の揃えの貧弱さのわりに充実したカメラ本の一角に『M型ライカとレンズの図鑑』(枻出版)なんてムック本あり。1,500円の本がHK $165は980円くらい余計に払っているわけで海外とは言え「高い」。帰宅してこのムック本など静かに本を読む。

四月廿九日(日)瑞西の時計商Audemars Piguet協賛で国際G1競馬QE II Cupの 開催日。……実はこの日剰を綴る卅日まで提供は同じ時計商でも、てっ きりPiagetだと思っていた次第。知名度と認知度からして、この誤解し ている方はあたしの他にも結構多いのでは? というわけで昼前にZ嬢と佐敦のPホテルで蘇州から来港のかつての競馬仲間I君と、I君と一緒に青島からいら したT嬢と待ち合せ晴れ晴れしくKCRの一等車で沙田競馬場。某倶楽部の有するボックス席でお食事&競馬観戦。国際G1開始日のボックス席はゲット難なの だが(キャセイパシフィック航空のマルコポーロのボックス席も同様)、Amexのコンセルジュにお願いしたところ上手く手配してくれた結果。最近の香港 ジョッキークラブのクラブ御用達葡萄酒は智利のSenta Helenaのカベルネソーヴィニョンの05年。1レース目から延々擦りもせず。第3レース(芝1200m、クラス2)でMedic Powerは今日も二馬身差で堂々の5連勝(1負)。今後の重賞レース楽しみ。第6レース(芝1400m、クラス3)では一番人気馬に続き単勝99倍と表 示のOpera MagicがMarwing師騎乗で同着二着に入る。電光掲示板に集まる視線。結果、複勝がHK$414で、一番人気単勝HK$49.50との連複がHK $4697.50もつく。Marwing騎手、第4レースでは「国士無双」なる馬で勝ってもいて南アフリカ代表として香港に凱旋の感あり。で本日の国際 G1は2レースあり緒戦はThe Champion Mile(芝1600m)で一番人気は三月にChairman's Trophy制し目下クラス1で三連勝中のGood Ba Baなり。アタシはThe Duke(星運爵士)の入賞は固いと見て、これを2、3着のいずれかの軸としてLinngari(南非)、Good Ba Baにダービー二着のFloral Pegasusの三連単で挑んだのだが大方の予想に反しAble Winが一着(配当はHK$330.50)。二着には調子が回復のJoyful Winnerが入りThe Dukeが三着。このレースでのAble Winの勝利から「Moore調教師がMick Kinane騎手招聘したことの意義」を見出せたら良かったのだが(結果論)。でAudemars Piguet協賛のQE II Cupなのだが何といっても人々の関心はドバイでDubai Duty Free Cup制したアドマイヤムーン(武豊騎手)に集まり一番人気。同じドバイでシーマクラシック制したVengeance of Rain(爪皇凌雨)に地元の期待。でアタクシは今年のダービー馬Vital Kingなのだ。だが本日の馬場は先行馬逃げ切りが続いておりマカオのカジノ王Stanley Ho博士のViva Patacaが優勢となり(Dr. Hoの持ち馬はもう一等、今年のダービーで9着と酸敗のViva Macauも参戦) アドマイヤムーンも第四コーナー手前で大外からドバイよろしく後方から渾身の追い上げ見せたが十頭立ての十枠で出だしも悪くペースは遅いし苦しい展開で三 着に食い込んだのが精一杯(日本馬は02年と03年にエイシンプレストンが二連覇)。で一昨年にこのレース制しているVengeance of Rainの二着も妥当ではあるが一着は結局、Viva Patacaが逃げ切り。各馬ゲートインの直後に観衆から「おーっ!」と唸り声上り何かと思えばスクリーンに第四夫人と一緒のDr. Hoの姿映し出され「いやな予感」したがViva Patacaの勝利に第四夫人は髪振り乱し歓喜極まりなし。でViva PatacaといえばMoore厩舎で昨年のダービーをC Soumillon騎手騎乗で制し昨季末にはMich Kinane騎手でCharter Cupも勝っていたのだ。だが本日は完全にno marking哉。で終ってみればMoore調教師がKinane騎手で今日の国際G1総嘗め(翌日のSCMP紙の競馬欄によればKinane騎手は Dr. Stanley Ho直々のご指名だったそうな)。日本では天皇賞でメイショウサムソンが皐月賞、ダービーに続きG1三勝目、で凱旋門賞狙うとか。で九レースまで「擦りも しない」状態でI君には申し訳ないがZ嬢と先に退散。帰途、レース結果を見れば結果的に「よくあるパターンで」馬券だけはすっからかんになる前に勝ってお いた最終レースの単勝がようやく当り(クラス2、芝1600mでEgyptian Era)軍資金の三分の一ほど回収。一旦帰宅して晩にZ嬢と湾仔のホテルで『ハロン』 編集長の斎藤さんと今回初めてお会い した香港競馬に詳しい(というか香港全般に、の)土屋さんと待ち合せ タクシーでJardine's Lookoutの益新に食 す。ワインはホテル近隣のWatson'sで購入の新西蘭はHawkes BayのWoodthorpeのSauvignon Blancの05年と米国加州Napa ValleyのBeringerのピノノワール05年。それに斎藤さんが競馬場で入手のSenta Helenaの三本で本日はかれこれ九時間くらい延々葡萄酒に酔っている。湾仔のホテルに戻りラウンジで一飲。ヘミングウェイよろしくライム味でフローズ ン=ダイキリのシュガーなし。斎藤さんから『競馬ブック』の今月15日号をいただく。斎藤さんの連載でドバイワールドカップの馬券が香港やシンガポールな どで発売されていること取り上げ日本でも日本馬参戦の国際レースなど馬券発売しては如何か、という内容でドバイの日に深夜、レース三連勝で一人欣喜雀躍の アタクシが深夜でこの喜びを誰と分かち合おうか、とドバイの斎藤さんの携帯にメッセージ送ったのがこの斎藤さんの文章にエピソード的に書かれていた次第。
▼石原慎太郎が阪神大震災について「主張の判断が遅かったから二千人余計に亡くなった」と発言したことについて本人は一昨日の定例会見で「ちょっと数字は 違ったかも知れないけど、佐々さんの受け売りでね」と「男らしくない」逃げ口上。佐々が歩けばテロが起きる、の佐々淳行はこれについて石原都知事に対し災 害時の初動の重要性を説く際に「二、三千人ほどが助かったでしょうね、と言ったかと思う」と述べる。こうした発言が軽口程度で本人が弁明を済ませ、それが 都民の間でさして問題視もされず。「美しい日本」まさに此処に在りき。
▼朝日新聞読書欄で佐藤忠男氏が「たいせつな本」の「下」で取り上げたのは太宰治の『津軽』。先週の長谷川伸の『沓掛時次郎』も興味深いが大宰で『津軽』 とは。映画評で「理屈を述べた文章の中にふっと私的な感慨を短く書き込んだりするのが面白い」のは大宰の影響だと佐藤氏。文章のリズム。

四月廿八日(土)曇。ムスティスラフ=ロストロポービチの逝去について小澤征爾は昨年12月の新日本フィルをロストロポービチが指揮した彼自身の畏友たる ショスタコービッチの8番が素晴らしかったと述べる。小澤氏がロ氏に最後にあったのはこの逝去のわずか1ヶ月前、3月下旬のロ氏80歳の誕生祝賀会だった そうで「彼は来世を信じ、楽しみだと言っていた。あの世で待ってくれていると思う」と(朝日)。いつもクラシックの巨匠が逝くとメールしてくださるO氏の 言葉を引用。
カザルス亡き後、チェリストといえばこの人。反体制運動・亡命、マ ルタ・アルゲリッチとの関係、話題には事欠かない人物。日本好きで神田神保町のロシア料理『ろしあ亭』には顔を出していた由。指揮者としても悪くないが、 やはりチェロ。神経質でない、チェロがもつ骨太感と男のリリシズムが最大限に発揮されていて心地良し。
とO氏の推薦は、バッハ無伴奏チェロ組曲集、ドボルザークチェロ協奏曲(この曲は何度も録音されておりカラヤン/ベルリンも悪くはないがグリーニ/ロンド ンフィルのものがベスト、と本人引き振りのハイドンのチェロ協奏曲集(アカデミー管弦楽団)の三枚。合掌。昼まで書斎片づけ。貰い物の南部風鈴あり。風情 あるが短冊の
やわらかに柳あをめる北上の 岸辺 目に見ゆ 泣けとごとくに 啄 木
という歌はいいが色合いなどいただけず、ふとライカの小箱があったので、これで短冊を作る。ライカ風鈴の出来上がり。午後、九龍で野 良仕事済ませ早晩に尖沙咀東。フ ランシスコ撮影器材店を覗く。ライカMのファインダーの近視補正用レンズが欲しいと思ったのだがHK$600という言い値も然る事ながら、この店の主人の 愛想の無さというかふてぶてしさが不愉快で店を出る。時々あまりに愛想のない例えばタクシーの運転手であるとかレストランの給仕とか、に遭遇すると「肉親 を日本軍に殺された……とか」とまず思ってしまうのはアタシだけかしら。「再開発」で変貌甚だしき尖沙咀の裏通りを歩き河内道(河内は大阪っぽいが越南の ハノイが河内と綴られる)の独逸麦酒のバーBiergartenに Bitburger一飲。Z嬢と待ち合せ。CitysuperのCook Deliで元八の野菜らーめん食す。Z嬢はちなみにオリエンタルカレー。晩に台湾 の雲門舞集(Cloud Gate Dance Theatre of Taiwan)の香港公演、今晩は今回の香港公演二晩目で「白」参観。必要最小限の大道具(ほとんどない)と経費といえばわずかに衣裳。香港のこの大劇場 で四晩満席の好況で入場料とてけして安からず(S席でHK$380)。劇団の収益で見れば雲門舞集はA+の評価となろう。舞台を収益率で見ることも大切。 浅利慶太の劇団四季ではないが林懷民という人も禅の坊さん風情でありながら、商売のできるプロデューサーとして超一流。けして時流に乗らず確固たる自分の 美学があるが、それが例えば大野一雄先生であるとか大駱駝艦とか山海塾とか「わかる人にはわかるがわからない人にはわからない」ではなく、誰が見ても「美 しい」と感動する「ぎりぎりのところ」で、しかも世界各地何処に持って行っても感銘のある表現芸術。香港のCCDCであるとか、この林懷民のここまでの現 代舞踏の商品化はできず。大したもの。今晩は舞台跳ねた後に林懷民氏が参観者と一問一答あり。この林懷民なる人、見た目寡黙な禅僧の如し、だがいったん喋 り出すと噺家かおすぎとピーコの如きゼスチャー多し。寡黙徹する方が演出としては良かろうに。寧ろ楽屋で、舞手らがお師匠さんが観衆と喋くり続ける間、化 粧落としたり着替えたりの最中に楽屋話で何を語っているのか、のほうがよっぽど気になるところ。

四月廿七日(金)ひどい胃痛。昨晩遅くから今日にかけて、で赤瀬川原平『鵜の目鷹の目』読了。今月初めに赤瀬川原平さん本人があたしに署名してくれた大切 な本。月内に読めたが、ついいつもの癖でいくつか本文に線を引いたり書き込みしてしまう。後悔遅し。で話の中にステレオ写真について、がありオリオン座の 写真がステレオで撮影されているのだが(藤井旭氏撮影)、赤瀬川氏はそれをStereo Viewerを使わずに裸眼で見ろ、と言う。ステレオ写真など見慣れた赤瀬川氏が藤井旭のオリオン座のこれを裸眼で見たのが最も感動した、と言うのだか ら、実はここ数日挑戦していたのだがいっこうに見えない。で今晩も半ば諦めていたのだが臥床前にぐびっとジャックダニエルを寝酒にキでひっかけて酔ったか らだろう、見事に裸眼でこのオリオン座のステレオ写真が立体に見える。ほんと見惚れる。いったん慣れると裸眼でのステレオ写真鑑賞は楽、というのは本当。 翌朝、白面でも見るには見えた、がやはり酔っている時のほうがずっと素敵。この本は凄く面白い写真鑑賞満載なのだが、これが「日本カメラ」に連載されてい た時はもっと面白かったはず。連載は連載だから、の命、ってものがあるはず。で一つ驚いたのが「最敬礼の問題点」という、1989年の先帝大喪の礼に集ま り陛下にお別れしようとする人たちを写した写真(土田ヒロミ)についての記述。大喪の礼という弔いの厳粛な場の風景を、これでもか、と写真の構図としての 面白さで語り尽くす。不敬!ととられても不思議でないほど著者の筆が冴える。左翼なんて人たちは足下にも及ばない、さすが「櫻画報」の芸術家としての「体 制からの距離」(反体制ではない)を見た思い。早晩に尖沙咀の香檳大廈で中古カメラ店冷やかしDavid Chan氏の店でSummicronの50mm(沈胴型)のレンズ尋ねる。現有のものが所謂「キズ玉」で、勿論値段もそれゆゑ破格だったが予想よかずっと よく撮れて気に入ってはいたがレンズ表面の摩耗はやはり気になり、DC氏の所有するSummicronはそりゃ上質で現有のキズ玉をこちらの言い値で買い 取ってくれ上玉を入手。明後日のQE IIはアドマイアムーンで決まりか、とDavid Chan氏。Z嬢と待ち合せ厚福街の雲南桂林過橋米線に食す。荃 湾の路徳圍での開業はもう何年前だったのかしら。この雲南米線が起爆剤となり荃湾で店賃が低かったことが幸いし路徳圍に中国各地の麺が集まる結果に。この 雲南米線は成功し今では尖沙咀や銅鑼湾などに十軒ほど支店有するに至る。香港文化中心にてLondon Symphony Orchestra(倫敦交響楽団)の演奏会。指揮はDaniel Hardingだ。公演に先立ちバイオリンの成員 で楽団のマネージャーだという団員がマイクを持ち壇上に現われる。一瞬、急な指揮者かソリストの交替か?と思う。この楽団とも何度も共演のチェロの巨匠、 ムスティスラフ=ロストロポービチ氏逝去の由。享年80歳。会場から失意のため息があがる。で倫敦交響楽団であるが「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」だかのアニメ映画音楽の演奏までしてしまうらしい。それはいいとして今晩はハーディングの指揮で最初はヴァイオリンにFrank Peter Zimmermannを招きベルクのバイオリン協奏曲。あたしにとっては難解、の一言。ただツィンマーマンのバイオリンの音色がきれい、と。で後半はマー ラーの5番。5番は二十世紀初頭にマーラーにとってウィーンでの絶頂期の作品で、もう「あれもこれも」のてんこ盛りであたくし個人的にはちょっと食傷気味 の70数分。第4楽章アダージェットをヴィスコンティの映画『ベニスに死す』の挿入で聴いたのがこの5番との出会いだったこと思い出す。この5番、とにか く「あれもこれも」で、とくに木管と金管にかなりの責任があり、そんじょそこらのオケが演奏すると大変なことになってしまふのだが、さすがLSOだけあっ て、このフルコースの料理を見事に「演奏しきって」みせた。アンコールなし。ハーディングは感激一入で何度も何度も深く礼をしながらも。真剣にマーラーの 5番演奏したら、もういいでしょう。

四月廿六日(木)安倍三世がメールマガジンで
長崎市長の銃撃に続き、都内などでも暴力団による銃撃事件が立て続 けに発生しました。こうした暴力の横行は、民主主義に対する挑戦であり、言語道断、断じて許すことができません。
と宣われる。このフレーズは普通。だがこれに続くところが
治安のよさは、日本が世界に誇る美徳だと言われてきました。ここに 傷がつくようでは「美しい国」とはいえません。国民の安全を守るのは私の責務、平和な生活を脅かす暴力を断固として撲滅します。
と「安倍らしい」。治安のよさ、が日本の美徳、なんて神話も神話。すでに傷はついていて、つまり日本は安倍晋三の言う「美しい国」なんてものぢゃない、っ てこと。「美しい日本の粋(すい)」 なんてバカな企画も進行中。ほとんど共同幻想の世界。今日の朝日は昭和の先帝に仕えた卜部亮吾侍従の32年間綴った日記の公開。1969年に侍従となり平 成になり侍従退任後も皇太后に仕え皇太后の大喪儀祭官長を務め02年に78歳で逝去。死の直前に日記を朝日新聞の岩井克己編集委員に託した由。5月から朝 日新聞より卜部亮吾侍従日記として刊行(入江相政といい徳川義寛といい昭和天皇を語る日記を託されるのがみな朝日新聞なのも興味深いが)。で卜部日記につ いて。靖国へのA級戦犯合祀への不満もさることながら自民党代議士・奥野誠亮の発言(昭和63年当時、国土庁長官)についても先帝は憂慮。日記には詳細は 記載されていないが卜部によれば天皇は「英国人や米国人にすら私の気持ちをわかってくれる人がいるに」と涙ぐんだという。天皇の靖国参拝中止がA級戦犯合 祀に直接起因することも「富田メモ」裏付ける記述あり。靖国神社の当時の宮司・松平某を卜部は「大馬鹿」と日記で罵る。さもあらむ。それにしても天皇とい う人が、例えば皇居で昭和44年にパチンコを天皇に向けて撃った奥崎謙三氏の『ヤマザキ、天皇を撃て!』が上梓されればその内容に関心を持ち、科学博では インドネシア館参観に対してオランダの反感を気づかいと、なんとまぁ大したもの。で、やはり不思議なのは本来、天皇に絶対服従しそうな保守反動右翼の政治 家であるとか靖国神社なわけだが、当時直接天皇の声が届かなかったにせよ、本来、彼らにとって天皇の不満をかうことほど恐れることはない筈で、天皇の不満 をかえば即刻、国土庁長官辞任どころか議員辞職で山にでも籠るか、靖国神社とてA級戦犯合祀を控えそうなもの。だがそうぢゃない、のが「日本の近代天皇 制」の興味深いところ。薩長の倒幕から実は天皇制なんてものは利用されているだけで身勝手なことばかり。それで逆に徳川さんの末裔が侍従長になり左翼とさ れる朝日新聞が侍従日記を託される。今上天皇は明らかに護憲派。だがトキの政府は改憲に躍起となるのも天皇の御意などまるで軽視、いや、無視されるから。
▼米国のVirginia Tech Collegeでの32人の銃殺は“In the biggest mass shooting in America's History”なのだそうな(The Economist 21/04)。はたしてそうかしら。原住民殺害とかもっとドンパチやっていたような気がするのだけど。
▼高橋悠治氏が21日に水戸芸術館でバッハをモチーフにしたピアノリサイタル開催。バッハの「パルティータ」の6番を高橋悠治が「断片化して組み合えた」 という「アフロアジア的バッハ」という作品は(朝日新聞の文化人類学者・今福龍太氏による評によれば)バッハの当時のヨーロッパの音楽に隠れていた、大西 洋交易に由来するアフリカ人奴隷のダンスのリズムや、モンゴル帝国を介した中国の数理論(12平均律の起源)などが、解体されたバッハから聴こえ出す、 と。でそれに続きパルティータの6番を高橋悠治が改めて弾くのだそうな。なんて試み。すごく聴きたい、と思うのだが水戸芸術館はそんな演奏を聴き終えて出 てきた市街が寂しすぎよう。かつての繁華街が空虚と化して何もないのだ。そのなかにかつての賑わった小学校移転して水戸芸術館。ほんとうに芸術館のまわり に演奏会のあと、ちょっと食事したり酒を飲む、余韻にひたる空間が皆無に近い。誰も人が住んでいないのだ。あれぢゃ寂しすぎる。巴里のオペラ座にせよ紐育 でも渋谷でも銀座の歌舞伎座でも、さて何処に寄ろうか、とその楽しみ。香港とて文化中心ぢたの建物は下品だが文化中心を出てば目の前にペニンスラホテル、 背後には香港島の百万ドルの夜景が見事でスターフェリーで香港に渡ろうかしら、と思案が愉快。そういう土地のなかに芝居小屋や音楽堂があってこそ。

四月廿五日(水)中環の香港赤十字の捐血中心にて三ヶ月に一度の習慣としての献血。香港の献血センターで献血中に槙原敬之の歌が「ぼくはキミの前ではぁ何 も言えないけど〜」だかとBGMで流れている。ちょっと血圧が下がる。東京から旧知の元編集者でライターのK氏来港。早晩に外国人記者倶楽部のバーで旧友 のカメラマンM氏とK氏とでハッピーアワーで鼎談。Z嬢も来て軽く夕食。晩に尖沙咀の文化中心で台湾の雲門舞集(Cloud Gate Dance Theatre of Taiwan)の香港公演あり参観。今 日の演目は「白蛇傳與雲門精華」
と題して林懐民氏が雲門舞集を始めた1972年から3年後 の作品である「白蛇傳」など人気演目集める。白蛇傳はちょっと今の雲門の演出とは違う支那趣味の「白蛇傳」という演題通り京劇モチーフにした舞踏。これに 続き1986年の台湾歌謡「煙酒歌」用いた軽快な踊り、紅楼夢から「春」と三本続き前半終了。後半はバッハの無伴奏チェロ組曲による「水月」は5番ハ短 調のアルマンドによる群舞、3番ハ長調のサラバンドによる男女二組、そして四番変ホ長調のプレリュードで黃珮華による独舞が印象的。最後は台湾民歌の御大 「陳 達」の歌う「思思起」を導入に先祖が台湾海峡渡った当時をモチーフにしたという(だが、どうしてもキョービ的には中国という巨大な波に挑む台湾と 思えてしまうのだが)「渡海」。洗練、禁欲さ、けして食傷を感じさせぬ情熱といった点で林懐民というこの舞踏団の主催者であり演出家の凄さにいつもながら 敬服するばかり。舞者が本当にこの林懐民の下にあることで醸し出す美しさ。ここを離れたら、その舞者がまるで羽根を捥がれたように何もなくなってしまうの かしら。

四月廿四日(火)大雨。最近、煮豆が好物。土井勝の「今日の料理」でも豆を煮るのは難しい、と言っていたが。黒豆の煮汁が身体にいい、と言うが、ウオツカ をこれで割っても美味。火曜日晩のオゾマシいテレビ番組にNHK歌謡コンサートというのがある。仕事片づけながらついこの番組が始まってしまい、これに今 晩のゲストで南こうせつ、が出演。新曲のプロモーションで、30年前の「神田川」も歌っていたが、司会との会話で70年代の騒然とした時代は「いろいろあ りましたね」「変動の時代でした」と南こうせつ。申し訳ないが「何も変わっていない」。それどころか「変わっていないのに変えたつもりでいること」が70 年代の齎した諸悪の根源。30年も「神田川」歌っていればいいんだからいいよね、とアタシが言うと「アルゲリッチもシューマンの「子供の情景」弾いてい る」とZ嬢。確かにそうだが「子どもの情景」には「神田川」のような「あの時代の思い出」など託されていないから、いい。だいたい「あたなは〜もぅ忘れた かしらぁ〜赤い手ぬぐいマフラーにしてぇ〜」と、実際には誰もそんなことした経験もないのに、若者が貧しかった時代、なんて時代を共有してしまって(アタ シも子どもながらに、そうだった)。そういえば、その「南こうせつ」氏が六月だったか朝日新聞香港衛星版が香港返還10周年を記念して(なぜだ?)南こう せつコンサートで来港の由。かつて「朝日寄席」と銘打った落語会の時に旧知の関係者に「朝日の定期購読者だろうがYomiurianだろうが誰でもどう ぞ、では定期購読者になんのpriorityもないじゃないのよ」と苦言した甲斐があったか、今回はまず定期購読の方優先らしい。きっとアタシは行かない が。なぜかと言えば、当時はあれでよかったが、今になって、あの時代を彷彿とか共有したくない。かぐや姫、赤ちょうちん、関根恵子が主演の映画は「神田 川」なのだが(数年前までずっと「妹よ」だと誤解)これを上映した頃はあたしは小学生で関根恵子の濡れた演技が見られなくてとても残念なのだった(テレビ ジョッキーで映画紹介を見たのかしら)……と語れば実はいろいろ思い出す。晩遅く夢野久作「江戸川乱歩氏に対する私の感想」という一文を読む。乱歩という 御大の推理小説への批評文を求められた久作は「私のような若輩が……」と恐縮しつつ、一連の乱歩物を読んだ久作は、なんと「日本人は直ぐに西洋人の真似を する」と語り始め「江戸川乱歩は要するにエドガア、アラン、ポーに対するエドガワ、ランポに過ぎないのかナ」と「それを言っちゃぁお終いよ」みたいなこと を平気で言うのだった。が久作は言う、乱歩の『白日夢』を読んで、乱歩の虜となる。
……白昼の人通りの中で、天日に顔を晒しながら、ダラシなく涙を流 す中年男……うす暗いところで開け放しにされている水道の栓……ドラッグの人形の奇妙な形と光り……その中に交った生ぶ毛だらけの実物標本……そのような ものが力なくつながり合い、重なり合いながら描き出す白昼夢の交響楽……事実以上のこころの真実……虚偽以上の自然の虚偽……その純な、日本風な、ヤルセ のない魅力に、私はスッカリ強直させられてしまいました。(略)
私は、こうして初めて乱歩氏の偉大さを知ったのでした。硝子窓が深 夜にワナワナとふるえるようなポーのペンに対して、眼の球が白昼にトロトロと流れ落ちるような乱歩氏の筆が対立している事を初めて知ったのでした。ポーが 地上に残したモノスゴイ薬品のにおいに対して、乱歩氏が生み出すオドロオドロしい黒砂糖の風味が存在している事を、生れて初めて教えられたのでした。
久作のこの筆致も見事というしかない。
▼報道記者のロベール=ギラン(1908〜1998)は戦前から戦後にかけて日本に長く駐在。ゾルゲ事件などへのかかわりが疑われ終戦直後の徳田球一ら共 産主義者の刑務所からの釈放など尽力するなどまさに20世紀のジャーナリストだが、彼 のことが朝日新聞の「新聞と戦争〜それぞれの8・15」という連載で紹介される。気になったのは彼の写真。ちょうどカメラを構えて写真を撮ろうとしている 姿なのだが、そのレンジファインダーのカメラが何か。これを一見してわかるほどカメラ知識もなく右手に隠れたところにonと見えたので一瞬Nikonでニ コンSか、と思ったが、ファインダーあたりのデザインが明らかに違うことくらいはアタシでもわかることで、赤瀬川原平さんの鵜の目鷹の目ぢゃないがルーペ で写真をよく見るとonはどうやらnonのようでキャノンでレンジファインダーはキャノン6Tで あった。いやぁそれにしてもロベール=ギランのこの、我々のお手本のようなカメラの構え方、ファインダーの覗き方、これならいい写真が撮れるな……と。
▼愛知県といえば管理教育の先鋒のように思われていたが愛知県犬山市が国の全国学力試験に 不参加。この不参加が東京都国立市であるとか「真の地方自治体」福島県矢祭町あたりの決定だと「なるほど」だが、なぜ犬山市なのか。でサイトで見てみる と、なんと犬山市は「犬 山市の憲法」なんて検討中で市民による地方自治をホントに実現しよう、と考えている。これなら国による教育への介入に対して疑問に思っても当然。 東の矢祭、西の犬山か。

四月廿三日(月)昼過ぎに野良作業の時間がふと半時間ほど空いてしまったので散髪。何年ぶりか、と思い起こせば、日本で何度か理髪店訪れたことがあるが、 それを除けば、少なくても6年ぶりくらい。ダダカンのように6年間ずっと髪を伸ばしていたわけではなく自分で整髪していたのだが、眼鏡もかけるようになり 帽子の似合う髪形にしたいとほんの少し髪を伸ばしていたので、さすがに自分で整髪できず6年ぶりに中環の新文華上海理髪公司へ。年老いた理髪師が十年一日 のごとく何も変わらず(ただ一人だけ引退か非番か、で見当たらず)黙って客の調髪続ける。ちょうど董建華の(あの奇妙な角刈りの)髪を切っていることで著 名な師傳の手が空いており、これに当たる。音量の小さなラジオの音色、あとは客の髪を切る鋏の音だけがパチパチと響く。床屋っていいなぁ、と。文華といえ ばMandarin Oriental Hotelにも理髪店改装再開の由(こちら)。早晩か なり久々にジムで一時間の有酸素運動。無印で小さめの整理ボックスなど購い帰宅。書斎の散らかりが目立ち気になっていたのでドライマティーニ飲みながら さっさと整理。書棚に敢えて見せようと置いてあるミニカーやライカのレンズなど覗き雑多なものを片づけ。名前失念の智利の葡萄酒とパスタ。テレビで阿部寛 『結婚できない男』最終回見る。赤瀬川原平『鵜の目鷹の目』少し読み臥寝。
▼朝日新聞の日曜の書評欄で太田越知明著『きだみのる〜自由になるためのメソッド』の紹介あり。「きだみのる」の名前を最初に見たのは子どもの頃に、いっ たい誰の本棚だったのかしら『気違い部落周遊旅行』の背表紙で奇妙な署名と「きだみのる」という平仮名の名前。だが実はこの人が山田吉彦という名前で 『ファーブル昆虫記』の訳者であった、とずっと後になって知る。であるから子どもの頃に「きだみのる」は『ファーブル昆虫記』で彼の役を読んでいたのだ。 そしてずっとこの人の名前など忘れていたのだが学生の頃に読んだ岩波文庫のレヴィ=ブリュル『未開社会の思惟』もこの人の訳。アタシにとって決定的だった のは『大陸をかける夢』だったか何かの戦前の大陸放浪の書籍の中で『モロッコ紀行』という書籍の紹介あり。ここに記すも憚られる興味深いエピソードもあ り。これがあの『気違い部落』と『昆虫記』の人かと思うと関心がやたら高まり、かなり探したが入手できず今日に至る。が、その探求の過程で同氏の耽美主義 的な小説『道徳を歪む者』もオンライン書店で入手。この『きだみのる〜自由になるためのメソッド』もさっそく注文する。
▼その書評欄で好きな連載が「たいせつな本」という著名人のむかし読んだ本についての随筆なのだが、それに映画評論の佐藤忠男氏が登場。香港映画祭ではア タシが今年は例年より映画見ていないからかも知れぬが佐藤氏にはついぞお会いせず、でご高齢ゆゑちょっと気になっていたがご健筆。それも、長谷川伸の『沓 掛時次郎』を取り上げた。昭和3年の新国劇が翌年に大河内傳次郎主演で映画となり股旅物が流行(……とさすがに佐藤忠男もここはリアルタイムでは見ていな い、が見ているように思えてしまうから)。で佐藤さんは、この「一宿一飯の恩義」の掟というものを納得したのは、と話が越南戦争に飛ぶから凄い。越南戦争 の頃にアメリカにいた日本の青年が米軍に徴兵され脱走というニュースから佐藤氏は「一宿一飯とは国家の兵役制の原理なんだ」と思い当たり古い仁侠物の芝居 が新しい物に見え、こういった話の筋は米映画のウィリアム=S=ハートの活劇の影響を受けている!とする。じつに痛快。さすが佐藤忠男。

四月廿二日(日)朝五時起床。大埔大尾督にて第16回High Wise 10k Road Raceあり参加。最初の参加はもう十年前かしら。10kmで最近は1時間かかって当たり前であったが、今 回は3月初旬の香港マラソンから5kg減であるから当然、身体は軽やかに走る。いつもスタート後にウォーミングアップとなるのだが、途中、目の前のラン ナーを次々と抜いてみたり(堤防の直線2kmで89人抜いたところまでは数えていたが)。で結局、手許の時計で56分くらいでゴール。応援に来ていたZ嬢 とレースのあと休日運行のバス275Rで新娘潭まで上り、ここから八仙嶺自然教育徑という山道に入りWilson Trailの131〜135を含む約5kmほどの山道散歩をして昼前に鹿頸に下る。深圳の徒花・沙頭角の中国側がさらに高層ビルが並んでいるのを眺める。 鹿頸からミニバスで粉嶺の聯和墟に至る。Jazz Ramenは 開いているかしら?と期待したが、なんと今月は営業日がわずか8日間の殿様商売! 山下洋輔や筒井康隆のユニットで「ジャズ大名」ってのがあった(関係な いが……)。で今日は休み。で山東餃子店で餃子食す。粉嶺か らKCRで九龍に戻りバスで香港島。按摩と背擦。帰宅して着替え晩に北角の香港殯儀館。畏友T氏の御母堂のお通夜にZ嬢とご焼香。何人かの最近ご無沙汰続 きの知人友人と再会。前回会ったのも某氏の葬儀でしたね、ではいけないね、と。寿司加藤。5年前だかに100km Trailをご一緒している旧知のH氏とばったり。

四月廿一日(土)朝寝貪り、といつても昨晩深更まで痛飲で寝たのが朝の三時半では睡眠不足で起きて昼まで在宅。昼すぎジムに一浴し早晩まで九龍で用事済ま す。帰宅してドライマティーニ一杯。Pink Floydのアルバム“Wish You Were Here”から“Shine On You Crazy Diamond”やアルバムタイトル曲を聴く。敢えて“Wish You Were Here”から、と言うのは最近はライブ盤でばかりこれらの曲を聴いていて原盤で聴くのがかなり久々であるため。でもやっぱりオリジナルがいい。日暮れに ドライマティーニを飲みながら、というのも、ましてリテラシい。沢山のキャベツと少しの豚肉で山芋をすり小麦粉を少し加えて、のお好み焼き。お好み焼きの 粉と称して山芋粉入りのものもあるが、やはり山芋はとことんすって「つなぎ」にほんの少しだけ小麦粉を入れるほうがずっと美味い。その具を溶くのも水では なく土佐鰹の生節でとった出汁。こうなると、いわゆるオタフクとかの「ソース」をつかうのも勿体ない美味さ。酒は薩摩の濱田酒造の「兼重」。濱田酒造というとこの数年、赤いボトルの 「海童」がかなり有名だが兼重は実に美味。割らずにそのまま、ぐいっ、と。お好み焼きもピンクフロイドとかWeather Reportとかの音楽を聴きながら。気分は福生のお好み焼き屋の「しんちゃん」を彷彿するばかり。入江さんのブログで「バブル20年 一回り」という文章を読む。秀逸。このあと晩はまだ続くがきっと泥酔しそうなので先に日剰は綴り済ます。おやすみなさい。

▼The Economistの先週号に仏蘭西大統領選挙の特集記事があり、それを読んでいて思ったのだが、都知事選について。石原慎太郎の得票は2,815千票と 次点の浅野史郎の1,693千票を1.1百万票も差をつけてはいるが有権者数が1千万人いると思うと、たった28%の都民の意志で選ばれた都知事がどれだ け都民の意志を反映するのか。浅野史郎の得票とて17%なのだが、投票を棄権した都民の中で石原を支持しない人も少なくないわけで、やはり仏蘭西大統領選 挙のように選挙結果で最高得票者の投票率が過半数に至らない場合は第2回投票を行うべき。French voters often use the second round to reject the candidate they dislike most, as much as to back the other. (The Economist Apr.14, 07)のように、だ。

四月二十日(金)晴。晩に或る宴会あり銅鑼湾の太湖海鮮城。 末席を汚す。隣席になったN君とどこからか建築の話となり(たぶん奈良ホテルの話から始まり)辰野金吾から安藤忠雄まで話す。あたしは個人的に好きなのは隈研吾の建築。山形の銀山温泉の藤屋、に泊まりたい。宴会終ってバーS。Murray McDavidによるSpringbankの1992年というボトルがキープしてあるのだが後から入らした知人のLongmorn -Glenlvetの1971年物を飲ませていただき、もうお一方のStrathisla(ゲール語?でスタラスアイラと読む)1987年、それに Highland Parkの25年物まで味わせていただく。幸せ。
▼陳方安生女史が“The Road to Universal Suffrage”なる政治提言を発表。本人も昨日の信報に文章を寄せたりするが世の中、龔如心の逝去と遺産相続にすっかり関心が向いており「香港の良 心」陳方安生女史もすっかり影が薄くなる。行政長官の選出での普通選挙実施については2012年という目標を中国政府も見据えたことで余り騒がずにという のが世論か。数年前までの香港政府に対する不満から普選実施が世論として高まった頃から比べるとだいぶ状況変わる。昨年の民主化要求デモに陳方安生女史が 参加し拍手喝采だった頃から比べても、である。

四月十九日(木)晴。昨日に続き加州か豪州の春秋の如き陽気。ネットで文二郎帽 子店にハンチング帽注文し実家にこれが届き母が先日、銀座トラヤ帽子店で中折れ帽購入の折りに帽子だけは受取り帽子箱のみ自宅に送付していたため 箱が実家にあったので、このハンチングをトラヤの箱に入れて昨日、郷里の郵便局より送ってくれたのだが、これが今朝九時に配達となり、その早さにかなり驚 く。また母が、この小包に富岡鉄斎の普陀落山観世音菩薩像の60円切手10枚、東郷青児のサルタンバンク60円切手1シート(20枚)を貼ったのも圧巻。    
▼昨日の龔如心の葬儀にて龔如心が億の遺産託した神秘の遺産相続人の素性顕になる。47歳の男性の風水師。葬儀では龔如心の遺影をもち喪主の扱い。風水師 として政財界大物顧客に多し。香港島半山区の豪邸に 住まい守衛5名、自家用車5輛有す由。龔如心もこの風水師かなり信奉。だが夫の間に子もおらぬとはいえ赤の他人への巨額の遺産贈与に龔如心の妹だの関係者 の間からは疑念、不満もあり(遺族も龔如心の会社関係者、私設秘書もこの風水師の存在すら知らず)今後この遺産相続がまた裁判沙汰になることも必至。龔如 心が昨年認めたというこの遺言状は龔如心の他に立会人ただ一人。その立会人は龔如心のオーナー会社である華懋集團の職員で、裁判となればたった一人の重要 参考人。華懋集團はさっそくこの職員にボディガードつけ24時間態勢で守衛の由。なんとも話題つきぬ話なり。(以下、翌日の報道)この風水師、龔如心に対 して夫の命は無事、香港の東の離島かどこかに軟禁されている、と告げ、龔如心がそれに期待よせ西貢の沖合の離島の廟に一緒に参るなどの経緯ある由。龔如心 を巡るこの一連の話、オペレッタとまでは言わぬがオペラ・ブッファでCosì fan tutteの如く軽快な舞台にしたら、さぞや愉快か。

四月十八日(水)早晩に中環。Color Six現像店にて写真現像受領。Aberdeen街のカメラ屋数軒冷かす。幸いに出物なし。一通り歩いてHollywood道歩きFCC のバーでドライマティーニ二杯。IHT紙など新聞数紙に目を通す。久々に心地よき黄昏時。本日の気温は朝の摂氏17度から28度にまで上がる。湿度26度 は香港の1965年の観測史上二番目の低さ。HMWでEnrico Carusoのデジタル編集のCD三枚組購う。先日ネット配信音楽でVesti la giubbaが流れアタシですらCaruso、と判ったが、傷音なく「?」と思えばデジタル編集で雑音消去され蘇っていた由。無印良品で日用雑貨、ジャス コでパン粉と冷 凍の今川焼など購い帰宅。コロッケを揚げて食す。あまりにも日常的な晩だがかなり久々のことで日常にリテラシやかに安堵。
▼昨日の朝日(衛星香港版)の大江健三郎「定義集」より。大江健三郎が「37年前に」岩波新書から出した『沖縄ノート』について。沖縄(渡嘉敷島と座間味 島)での住民の集団自決。日本軍の守備隊長は住民に対して集団自決の命令を発しておらぬ、として、大江先生、今になって事実誤認として裁判で訴えられる。 時代の趨勢か。大江先生が紹介するのは今年四月から採用された高校用の日本史教科書での記述。
「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般 住民もあった。(東京書籍)
追いつめられて「集団自決」した人や……(三省堂)
県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、 日本軍により幼児を殺されたりする事件が多発した。(実教出版)
なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。(清水書院)
これについて大江先生、この教科書を使う高校生や高校の先生へ、と曰く「これらの文例で、私が傍点を打ったところを(富柏村の引用ではゴシックにして いる部分)、誰が・なにが、追いやり・追いつめ・追い込んだか考えてください。また、れる・られるという助動詞を取り去って能動態にしてください。文章か ら主語を隠す(井上ひさしさんが指摘する通り)、そして受け身の文章にしてツジツマを合わす。そうすることで、文章の意味(とくにそれが明らかにする責 任)をあいまいにする。それが日本語を使う私らのおちいりやすい過ち、時には意識的にやられる確信犯のゴマカシです。あなたはこれらの文例を書き直すこと で自分を鍛えてください」と。時節柄、である、もし高校の社会科教師がこの大江先生の文章をコピーして日本史の授業中に配ったら「思想犯」 として要注意のレッテル貼られ、ノーベル文学賞受賞の作家を危険視する校長や教育委員会からの指導とか入るのかしら。怖い、怖い。

四月十七日(火)曇。突然「英語はつねにブラッシュアップしていないといけない」と思いZ会の速読即聴・英単語シリーズのCore1900 ver.3とAdvanced 1000 ver.2の二冊を購入。外語というのはある程度解するようになると単語の1、2割などわからなくても大意がわかり意思表示ができると、いちいち辞書を引 いたり学ぶ姿勢がなくわるもので、実際にこのCore1900をパラパラとめくるとrebellionなんて単語の意味がふっとわからず「叛乱、暴動」を 知らず、どうして時事問題の記事など読んでいたのかしら、と自分がかなり訝しい。晩に大雨、雷雨と強風。長崎市長が選挙運動期間中に撃たれ死亡。米国の大 学では学生が乱射で数十名が死亡。ブッシュ大統領曰く「理由もなく突然、人を殺すことが信じられない」だったか、とコメント。イラク征伐はいったい何だっ たのかしら。
▼香港政府運輸署より運転免許証の更新近し、と通知届く。10年有効の運転免許証、手数料はHK$900也。同封の申請書にHK$900の小切手、香港身 分証と現有運転免許証のコピー添付して送れば10日以内に更新後の免許証が書留郵便で届きます、と(ネット上での更新も可)。実に香港らしい至便さ。日本 もゴールド免許などだいぶ免許証更新簡略化されたろうが。Z嬢は日本の自動車免許、有効期限後に帰国。我が郷里の田舎の運転免許試験場に出頭。古式ゆかし い視力検査で「はい、右目隠してください」と田舎の方言で「はぃみぎめぇかくしてくれっけ」と(平仮名で書けばこうだが実際にはもっと聞き取り難し)言わ れ「はっ?」と二度まではよかったが三度目に聞き返した結果、田舎丸出しの試験官に「はい、あなたは難聴。再検査け?」(笑)と言われたことふと思い出 す。

四月十六日(月)龔如心女史の葬儀が明日と新聞に告知出るが喪主に龔如心の夫で1990年に誘拐され99年に裁判所が法的に死亡と認定し遺産相続措置のと られた王德輝の名。龔如心にとって夫はまだ生きている、という願いの表れだろうが、葬 儀の席に突然、王德輝が現われるとか……まさか。新聞といえば蘋果日報の副刊で著名な書き手の随筆連載する「名采」で異変?あり。見開きで左頁の左肩に長 らく君臨の蔡瀾氏の連載「草草不工」が左頁右肩(つまり中折り近く)に移り、この位置にあった陶傑氏の「黄金冒険號」が左肩の、この名采にとっては一等席 へと昇格。その両者の中央には左丁山氏が座するのは変わらず。香港論壇の先駆たる陶傑氏の扱いには異存ないが気になるのは香港一の随筆家の名を欲しいまま にした蔡瀾氏の降格。しかもこれまで数年間、横書きであったものが縦書きに。蔡瀾氏といえば名文家というのも昔の話で最近は自らが旅行会社と企画するツ アー旅行、モバイル系アイテムやデジカメの新製品の紹介、といったどうでもいい話ばかりで一言でいって「面白くない」。そのうえ横書きで、横書きというの は改行、改行で字数を稼げるもので、これが縦書きになると意味のない内容で改行、改行すると、現代詩か青木雨彦の随筆になってしまうわけで、蔡瀾氏にとっ ては随筆の内容のなさ、を露見させるわけで辛いところ。さすがに蘋果日報も蔡瀾氏に随筆連載を辞めさせられず(飲食男女などまだ蔡瀾氏に頼るところあ り)、で今回の苦肉の策略か、と察す。本日。晩まで諸事忙殺され自宅で白魚を焼いて食す。菊正宗を一口。朦朧としつつテレビで阿部寛『結婚できない男』を 見て早寝。

四月十五日(日)久々の休みで何するでもなく休養という気もしたがイースターも何処に行くこともなく終り、せめてマカオに一日遊ぼう か、とZ嬢と朝9時すぎのジェットフォイルで一路、澳門。澳門は日に日にカジノの巨大な建物が増え、さすが「賭け金の総額では」ラスベガスを凌駕する世界 一の賭場。バスで市街中心に向い最近改修後に公開となった廬家大屋を 参観。光緒15年(1889年)にマカオの著名は商人であった廬華紹(廬九)の建てた旧宅。旧市街の大堂巷の坂道にあり付近には洒落たカフェだの多し。ホ テルリスボアのRobuchon a Galeraに昼食。 葡萄酒は白でChablis Grand Cru Bougros, William Fevreの02年。ドカン、と音のしそうな辛口で驚いた。白アスパラガスのポタージュ、コンキリエ(貝殻)に蟹肉や貝柱を詰めたパスタ、チーズとデザー ト。黒服の給仕二人と大陸出の女給(英語も丁寧)のサーヴィスが上出来。音楽だけは「エリーゼのために」だのトルコ行進曲だの小学生の音楽鑑賞、でこれは ダメ。タイパ島の住宅博物館に向うZ嬢と別れ、何の展示中かもわからずバスでMuseu de Arte de Macau(マカオ芸術博物館)。日曜だというのに入場料タダで澳門政府は好景気で大盤振る舞いか、と 思ったら常設展が入れ換え中で特別展だけの展示のため無料。書家・羅叔重(1898−1969)の隷書と行書、篆刻の展示を看る。澳門といえば博打だが過 去17年、40回くらい澳門に来ているのだろうが賭場に足を踏み入れたことは三度だかあっても一度も博打経験なし。それがふと「博打をしてみたい」と思い 新装開店のWynn Casinoに入り賭場を暫 く眺める。ブラックジャックならできそうかしら、と思って、普段の競馬の時の一日の軍資金よりはかなり高額を銀行から引き出し「掛け金は最低額で固定、な くなったら終り、まさか、で儲かっても軍資金が倍になったら終り、制限時間は40分」と決めて、いざブラックジャックの卓へ。途中一度軍資金が目減りした だけで多少黒字が 続くがさすがに軍資金の1.5倍にはなっても2倍には至らず、そろそろ止めようか、と思った時に「俺は安田一平か」(笑)と思ったがブラックジャックが出 て、そこでお終い。同じ卓にいた大陸からの賭け客らに「勝ち逃げかよ〜」と揶揄される。それにしてもせっかちな次から次へのゲームでカードを読む暇もなく 40分で疲労困憊。自分で途中、参加を棄権すればいいのだろうが。大陸からの彼らの大胆な、というか向こう見ずな賭け方にただ驚くばかり。どう考えても身 銭とは思えず。まぁきちんと儲けて気分よく、これで「カジノは面白い」なんて思うと次は大火傷か。夕方、澳門陸軍倶楽部のメンバーズラウンジでZ嬢と待ち合せ。ハイボール頼ん だ矢先に電話入り、香港から友人が亡くなった、と。電話と陸軍倶楽部のネットで出来る限りのことをしてフェリー波止場に急ぎ予定変更で急ぎ香港に戻る。病 院へ直行。病院に集まっていた数名の知人らと晩遅く夕食もとっていないので、やはり齋膳か、と思ったが、ふと杭州酒家通りかかり皆で亡くなった友人と最初 にあったのが此処であること思いだし、杭州酒家に食す。知己 のマネージャーに急に不幸があって、と伝えると「まかしてください」とさっと齋膳を供される。 亡くなった友人には悪いが、美味い。麦酒好きであった彼の思い出話などしつつ麦酒飲む。
▼中国の温家宝首相の来日。天皇との会見で温首相が陛下のさきの「過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています」との 言葉を引用し「戦後60年にあたっての陛下のお言葉を評価します」と述べると、陛下は「年月がたつと忘れることも多いので、世界の人々と友好のためと思っ て発言したものです」と説明した、という。日本では首相が相手が憤ることは承知で靖国参拝してみせたり、慰安婦問題で余計は発言するなかで、この陛下の良 識がいかに中国側に理解されているか。天皇という存在が日本の最大の抑止力になっている、この事実。
▼昭和を通して、いや、平成になった今も頑なに帽子をかぶり続けるのはもう一人、と久が原のT君が挙げたのが磯野波平氏。御意。

四月十四日(土)昨晩のNHKのNW9でのキャスター「会津の男」柳沢某について。昨晩は睡魔に襲われ朦朧としていたので記憶の彼方に亡失しそうであった が柳沢某の最近の態度には「慣れ」と横柄の相乗効果で、もはや悪態としか言いようのない雰囲気あり。昨晩も温家宝君の訪日についての報道で温首相が中日友 好の強調をサブキャスターが紹介すると「ただ、ね」と柳沢某は身を乗り出して(もはやキャスターというより民放の政治談義バラエティのコメンテータ風) 「日本と中国の間には、温家宝首相も言っていましたが厚い氷があるんですよ」と。やけに強調。それも身を乗り出した上に左を見たり右を見たり、の挙動不審 でカメラがついていけず。というか放映中のカメラのほうを向いておらず。調整室の中ではプロデューサーが「このバカヤロー、カメラのほう向いて話せっ!」 と怒鳴っているのを想像するも易い、ありがちな報道センターの図。キャスターなら、厚い氷、なんて日中間に様々な懸案事項があることなど誰でも承知な話 で、さらに一歩突っ込んで、それをどう解決するのか、中国側の今回の好日感の表れの意図は何なのか、と少なくても筑紫哲也なら分析してみせるわけで、柳沢 某の「邪気」にただ、呆れる。番組の最後でもサブキャスターが温家宝首相訪日についてもう一度紹介すると柳沢某が「厚い氷があるのも事実です」でNW9が 終る(笑)。なんてコメントだろう。女性のサブキャスターも「ちょっと、柳沢さん、もうちっとマトモにやってよ」と内心忸怩たるものあり、だろうか。本日 もそれなりの陽気だというのにバタバタと諸事忙殺され晩にA氏宅にお招きいただく。A夫人の手料理で越後泉山会の生原酒「菅名岳」いただく。美味い。帰宅 して今日ドサクサでHMWに寄りアシュケナージ先生のラフマニノフの2、3番のCDが安売りになっており、1963年で2番がモスクワ交響楽団(指揮は K. Kondrashin)、3番が倫敦シンフォニー(指揮はA. Fistoulari)で63年ってことは二十代後半のアシュケナージが英国に亡命寸前かしら?という記憶だけで、このCDと、それにStan Getzの“Body and Soul”とウェザーリポートのHeavy Weather(これは17歳の時に親友のO君がテープに録音してくれて以来)の3枚を購ったのだが、帰宅してこのアシュケナージのラフマニノフを聞いた のだが、艶っぽいねぇ。60年代のソ連でこれはまずいよ。それにしてもアシュケナージにしてもバレンボイムにしても、なぜ指揮者になってしまうのかしら。 指揮者になってからのピアノ演奏はどうも好めない、とZ嬢と話す。
▼週刊文春で小林信彦氏が「本音を申せば」の連載で「植木等さん、ご苦労さま!」と、この題を見ただけで「これはいけない」と察す。読んだら泣いてしま う、と強烈な予感。恐る恐る読む。小林氏は昭和32、3年にテレビで脱線トリオのバックで演奏していた彼ら(クレイジーキャッツ)を見たのが最初で、彼ら を認識したのは昭和33年の新宿コマからの中継番組だった、と話を始め、その後、ジュクのジャズ喫茶ACB(アシベ)でクレイジーキャッツを見入った、と 言う。その後、昭和38年に当時サンデー毎日の石川喬司氏が小林氏で「これがタレントだ!」という連載を企画。初回が谷啓で次に植木等としたがナベプロが これを受入れず、結果的に小林氏がクレイジーキャッツの無名時代、それどころか植木等がフランキー堺とシティスリッカーズの頃から知っている、と話して植 木等と小林信彦の意気投合(なんていい話)。だがこのあとの小林氏の語る植木等は壮絶そのもの。大量の薬を飲みながら舞台や映画をこなす。映画の破天荒は 監督(古沢憲吾)の作ったキャラで生真面目な植木等に昭和39年にばったり日テレの玄関で小林氏は玄関脇の暗がりに立つ植木等と出会い「お身体、いかがで すか?」と小林氏が声をかけると植木等は
ズボンを少しつまんで、かたわらの地面にみずから腰をおろし、 「ま、立っていてもなんですから、すわりませんか」と言った。「お茶一杯、出るわけでもありませんけど」
こういう無意識の時の植木さんが、ほくはとてつもなくおかしかっ た。当人はひたすらマジメなのである。
と小林信彦の回想。この連載は大好きだが、やはり愛情がこもると、やはり、いけない。
▼久が原のT君より早速メール届く。昭和の博物館、といってもただのしもた屋はT君宅より徒歩3分だそうな。博物館」前の細道が多摩川の河岸段丘崖で、古 墳時代からの旧道。昔は西日を背にして富士山が良く見えたのが今は多摩河原にマンション林立、邪魔なばかり、とT君。さもあらむ。今月は御園座でダッキ (盟三五大切)は三津五郎、橋之助に小万が菊之助。ダッキはこれでいいがもう一つの芝居「芋掘長者」ってなによ。三津五郎曰く二年前の中村屋の襲名興行で 三津五郎が四十五年ぶりに復活した踊りの再演で、確かに「なんの説明もいらない、お子さんからお年寄りまで文句なく楽しめる内容ですので、三五大切の陰惨 な芝居のあと、明るく気分を変えて、楽しく劇場を後にしていただきたく思います」と三津五郎は言うが「三五大切で奮闘した3人が、まったく違う役柄で再び 顔を合わせるということも、歌舞伎ならではの楽しさです」って、それにしてもダッキのあとに、どう頭を切り替えればいいのかしら。あたしにはわからない。

四月十三日(金)数日前の朝日新聞に「昭和モノ語り」という読物あり「男の帽子」取り上げる。山本夏彦や山口瞳の文章を引用し戦前まで男は帽子を被るもの であったことから語り始める。野球帽や今はまた若者の間でニット帽などファッションとして帽子はけしてなくならないが中折れ帽やパナマ帽はかなり珍しく、 帽子は植木等のコメディ映画や渥美清のフーテンの寅さんなど異質な者に似合うようになったこと。戦前、戦後を通じてずっと帽子を被り続けたのが昭和天皇と いうのも確かに言われてみると、そう。あたくし自身はかなり帽子を被るほうで、中折れ帽、ハンチング、パナマ帽などかなり持っている。ほとんどが銀座のト ラヤというのが自己満足なのだが、記事によれば「昭和12年ごろ東京に住む人々は少なくとも半ダース以上の帽子をもっていた」(東京帽子協会編『東京の帽 子百二十年史』より)そうで、そういう意味ではあたしもすっかり昔の人らしい。でこの読物に添えられた写真が、東京の昭和の暮らし博物館(これが久が原にあるのがT君とは 偶然なのだが……)で撮影されたらしい昭和の書斎の写真。机上に涼しげなパナマ帽、はいいのだが帽子の右にある丸い物体は何か。机 上灯の足下にも一つ同じ物体あり。机上の時計や一輪挿し、筆箱などとは異質の「通常、机の上にないもの」だが敢えてパナマ帽が強調された撮影現場でなぜこ こにあるのか、が不明のこれは、なんとなく「大判焼き」に見えなくもないのだが……確かに「大判焼き」は昭和のモノではある。だが敢えてここに大判焼きが なければならない理由もない。日本の朝日なら夕刊の記事であり写真はカラーなはずで、カラーならもっと判別しやすかろうし、いっそのこと昭和の暮らし博物 館に問い合わせることも可、だが敢えて「昭和の机の上にパナマ帽と大判焼き」ということにしておくほうが「頑なに甘党のオトーサン」がいそうな感じ。そう いえば、昭和といえば都知事選のあと関川夏央氏が「歴史と化した昭和の青空」という、文学青年としての石原都知事、について書いていた(10日、朝日)。 東京に新しい希望を、と東京オリンピック誘致など掲げる石原慎太郎だが関川氏は、石原慎太郎という昭和の若い青年がすっかり「おじいさん」になってしまっ てもやはり若い時からの昭和の、戦前のモラルのようなものへの固守、をするのだが石原氏の標榜するものが実は全て昭和に終ってしまった歴史なのだ、と指摘 する。で本日。早晩に頭の切り替えをするのに麦酒でもなければどうしようもない、とQuarry BayのEast Endに一飲。帰路一緒になったN氏を誘う。自家製のAleをハッピアワーで二杯とChimayの 白ラベルの麦酒を飲む。帰宅してカレーライス。
▼火曜日の朝日に「60歳の憲法と私」という記事で内田樹氏の「改憲派に「覚悟」あるまい」という一文あり。憲法第9条の戦争放棄と自衛隊の存在の不整合 を「微妙な政治的トリックだ」とする内田先生は、この前提が日本を「安全な国」にしていたのに、日本人が9条と自衛隊の存在の矛盾を認めることは日本が米 国の属国であると認めることになるわけで、日本はそれが出来ないから、そこで政治的トリックとして「戦後日本のすべての不幸は9条と自衛隊の矛盾から生ま れている」という物語を創作。心理的には悲劇であるが少なくても戦後60年の大きな疾病利得=平和を得る。が改憲派の唱える「普通の国」になることは、そ ういった安定的な地位からの脱却で、米国からの独立しようという、その「覚悟」が改憲派にはあるのか、と内田先生は質す。改憲派ほど「平和ボケ」してい る、と。御意。
▼香港の行政長官「自称政治家」Sir Donald君の提灯選挙での当選による再選、連任で上京のSir Donald君に対して温家宝首相より信任状渡される。二年前の行政長官への任命の際にはSir Donaldは温首相より論語の「士不可以不弘毅、任重而道遠」(士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し」の言葉授かったが今度は温首相、その 文言に続く「仁以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎」を授ける。仁以て己が任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや、と。Sir Donald君という良くも悪くも天性の小役人には、あまりテンション高くならないでほしいのだが……。

四月十二日(木)諸事忙殺され遅晩に至る。食道楽ゆゑ、いつも何を食べるか、を考えてはいるのだが、よっぽど「食べたい」と思わぬモノがないと「食べなく ていい」と思ってしまう。今晩も此の侭で夕食なしか、と思ったが、さすがに眩暈して行きずりの車仔麺屋に寄り幼麺に墨魚丸加え食す。一ヶ月半ほどで体重を 5kgも落とす。半分は食事の節制だが半分は忙しさゆゑ。

四月十一日(水)早晩に滑り込みで西湾河の香港電影資料館。映画『火 龍』見る。映画祭に合わせ今年は李翰祥監督の特集。李翰祥監督といえば『江山美人』『梁山伯與祝英台』『状元及第』など数作は見てはいるが、八 十年代以降の映画は見ておらず今日の『火龍』は梁家輝が清朝末帝・愛新覚羅溥儀を演じたもの。戦後、戦犯としての思想改造を終えて一公民となった溥儀が北 京で看護婦の李淑賢と再婚してから亡くなる日々までを、皇帝時代の回想や二人の幸せな日々、文革での惨状など李淑賢が口述した原作に基づき映画化。溥儀と いうとベルトルッチの『ラストエンペラー』のジョン=ローンの印象強いがさすが梁家輝が見事に日常生活に欠陥のある、それでもどこか愛着もてる元皇帝を見 事に演じ切る。これが梁家輝、30歳、主演二作目くらいのはず。李淑賢役の潘虹も看護婦なのだが、どうみても首都医院(文革時は反帝医院)の女医の如し (実際に82年だったかあたくしが首都病院で出会った女医と瓜二つ)。かつての妃を演じる李殿朗と李殿馨も愛憎をよく演じるが、
この二人は監督の実娘。 89分の長さで、よくもまぁ清末の回想から収容所生活、戦後の「解放」の日々、文革の最中の出来事の数々まで上手に描いた、と李翰祥の上手さに脱帽。文革 など溥儀や政協関係のリベラル派、知識分子が「上部の指示で」公安に検挙されるのだが実はこれが文革での糾弾から彼らを守るための周恩来によ る保護であっ たような逸話まで挿入。ベルトルッチの映画より数年前の製作で、いくつか同じようなシーンあり(例えば観光地と化した故宮を溥儀と李淑賢が歩きツアー客相 手に語る末代皇帝の態を耳にするシーンなど)なのはベルトルッチも李淑賢の口述を読んだからだろうか。それにしても梁家輝が役者として上手すぎる。(李翰 祥の映画特集はまだ数作続くが)本日で今年の香港映画祭終了。期間中28本しか映画見られず。毎年40本は軽く見ていたのだが今年は、とくに後半かなり忙 殺されて、の結果。佐藤忠男先生は来港ありやなしや。毎年ご夫妻の矍鑠としたお姿拝見していたが……。隧道バスで尖沙咀東。バンコクのY氏が東莞より香港 に戻りZ嬢と三人で五味鳥に焼き鳥を食す。

四月十日(火)耶蘇の復活祭の五連休もとうとう休む暇もなく終わり今日も昼に早めに小さなおにぎり二つ頬張ったくらいで朦朧としていたらEMS便が届く。 東都は人形町のS女史よりブツ届くことはメールいただき知ってはいたが、やはり愉しみ。ブツとは赤瀬川原平氏の『鵜の目鷹の目』と日本カメラの最新号。カ メラ雑誌も面白いもので日本カメラとアサヒカメラが日本の二大写真月刊誌だとしたら、これは例えば鉄道の時刻表に喩えれば、自分がJTBの時刻表に慣れ親 しんでいると鉄道弘済会(正確には弘済出版社)が出す『大時刻表』が苦手なわけで(これは現在は交通出版社の『JR時刻表』と言うのだ、と知った)、アタ シの場合はJTB派だったので駅のみどりの窓口には国鉄だから『大時刻表』しか置かれていないと、ほんと路線を引くのが難儀で、みどりの窓口の職員もみん な『大時刻表』使っているのだけど、実家の近くの駅のみどりの窓口でNさんという職員がこの人だけはずっとJTBの時刻表を(おそらく自前で)いつも使っ ておられ、マルス103型の発券機を見事に扱う態を同志的に憧れてアタシは眺めていたもの。そういうわけで慣れ親しむと他がダメで、写真雑誌についてはア タシが子どもの頃に先考が毎月、アサヒカメラを定期購読していたからアタシもアサヒカメラで、ついぞ日本カメラを読んだことがないまま老境に至り、赤瀬川 原平『鵜の目鷹の目』もちょうどあたくしが香港に越した頃のことでもあり今日に至るまで読む機会逸したままであったのだが、ひょんなことからS女史の知遇 を得て、そのへんの事情を語るとS女史の素性が顕わになるので控えるが、いずれにせよ偶然に香港、競馬、カメラの三題噺のようだが縁しのようなものありS 女史より『鵜の目鷹の目』の94年の初版本(美本)頂いた次第。で開けてびっくりは見返しにアタシの名前宛で赤瀬川原平氏の直筆の署名あり。それもほんの 一週間前のご署名。まことにありがたいかぎり。日本カメラの四月号にも赤瀬川氏の連載「目の成長」があるのだが、これも秀逸。西洋画の遠近法と日本画の対 比から話を興し
自分自身、西洋画一辺倒だったが、歳とって日本画を好きになって見 はじめると、とくにその感(日本画はリアルでなく絵本的であること……富柏村注)が強い。一つ自分が気がついたのは、西洋の絵には陰影があり、影も描いて いる。一方の日本画には陰影がなく、影は描かない。つまり西洋のリアルは「今」という時間のある光景、つまりカメラでいうとシャッターを切った光景で、一 方の日本画にはシャッターがない。たとえば一本の樹を撮るとして、低感度フィルムでシャッターを明けっ放しにしておくと、日の光がぐるりと回って影がなく なる。つまり無時間の映像、ということは頭の中の観念に定着した物を描いているんだ、と思い、納得した。
……と。なんて見事なこの明晰な語り。

四月九日(月)復活祭翌月曜休日。昨晩深更に腹瀉感あり止瀉薬飲んで『水曜日は狐の書評』読了。実に面白い。著者の山村さんの野坂昭如、平井呈一(推理小 説の翻訳家だが本人の創作による創元社文庫『真夜中の檻』を取り上げてみせた)、何度も紹介される映画評論家の山田宏一や中島敦など山村さんの愛情がとて も通じてくる。美味しい話が沢山あり。例えば一葉の『にごりえ・たけくらべ』の岩波文庫を紹介する。そこで、山村さんは、誰もが知っている一葉でなく、昭 和十四年の並木鏡太郎監督の映画『樋口一葉』を紹介してしまうのだ。一葉の伝記に「にごりえ」や「たけくらべ」のエピソード織込んだ映画。その映画の一葉 役が山田五十鈴(当時二十二歳)で「たけくらべ」の美登利が十五歳の高峰秀子だというのだからたまらない。また、ヘルマン=ヘッセという誰もが馴染ある作 家の作品も天才的な編集者がヘッセの作品を「雲」や「虫」、庭師といったテーマでまとめることで読者に対して新しいヘッセ像を見せる。見直しの作業でもあ る。これを称賛して、エッセイの最後に「日本の作家についても、だれかがこうした見直しを図ってくれないものか。新しい川端康成、新しい志賀直哉なんか面 白いかもしれない。あまり面白くないか?」などと批評家というより皮肉屋になってみせる。実に爽快。ところで、この本でチェーホフの『ワーニャおじさん』 が紹介されるなかでふと思ったこと。チェーホフの演劇について。築地小劇場からチェーホフ劇を演じ、チェーホフの没後であるがモスクワに渡り帝政ロシア没 落までモスクワに暮した、というロシア演劇に骨の髄まで漬った女優あり。その女優はチェーホフについて「ほとんど事件らしい事件もないうちに、演劇の底を 流れているものは次第に発達し展開して行って、ついにそれが前面に押し出されて来たとき、私たちははじめてその強く抜き差しならない人生のドラマに驚くの です」なんて的確に語ってしまっているのだ。……で、何が言いたいか、と言えば、この女優が誰かということ。東山千栄子なのだ。我々には築地小劇場の チェーホフ劇ではなく、小津安二郎の『東京物語』の、あのボーッとしたお母さんの印象のほうがずっと強い。どうすれば、チェーホフ劇の左傾の役者があの小 津の映画で右も左もない、ただ日が昇って暮れるような、老婦になれるのか。人生そういうもの、といってしまえばそれまでだが、やはり小津がいけない。小津 を日本映画の一方の象徴に祭り上げ(他方に黒澤明がいるだけまだマシだが)あの世界に「日本的なるもの」、調和や美を見出しては、いけない。ガイジンが欧 米の価値観にないものを小津の映画に見出して感動しているのはいい。輸出向け映画としての小津。だが日本人が小津の映画を見て、日本の「良さ」みたいなも のを感じているから、いけない。東山千栄子演じる、東京物語のあの老婦が東京へ行く旅行の支度などしながら「東京へ行ったら、お芝居でも観ませんか?」 「……あ、芝居か」「ええ」「歌舞伎など何十年も見ておらぬなぁ」「そうですね、でも歌舞伎じゃなくて、あ たしは若い頃の、チェーホフの芝居でも観たいんですよ」「ああ、チエ……ああ、千栄子か……(と勘違い)」とか、そんな会話。で、本日。朝イチで年中無休 のC医師の診断請う。胃腸炎の由。かなり久々の晴天。なのにこんな日にかぎって昼までどうしても見たい映画あり市大会堂で映画“To Get to Heaven First You Have to Die”(監 督:Djamshed Usmonov、タジキスタン、06年)を見る。昨年の東京フィルメックスで上映され好意的な映画評(最近、評論ってみんな好意的なのだけど)を朝日で読 んだ記憶。中央アジアのイメージを一変させる都市型映画ではあるが、主人公の青年が夫婦生活が上手くいかぬ性的不能で、それを解消するがために「あそこま でやるか」がむしろ喜劇的。動物保護のためには殺人も辞さぬ、という過激派動物保護団体があることを思い出す。とても天気がいい。が尖沙咀に渡り一つ人と 会う用意済ませ、その足で香港島に戻り昼すぎからご公務。競馬は本日、The Queen's Silver Jubilee CupでJoyful Winner軸にThe DukeとPlanet Ruler、Regency Horseの3頭を脚でTierce狙ったが、二番人気のDown Town外していて三着に入ってしまい1、2、4、5着的中とは……。Triple Trioも9頭中6頭(第5レースは1頭だけだったが、第6レース2頭で第7レースなど見事に三連単ならHK$4,856ドルで当てているのだが)難し い……当たり前か、でアタシが6頭当てるくらいだから9頭的中もけして難しくなかったようで配当は「たったの」HK$4.5百万(6,750万円)であっ た。最終レースのフジサンライズ(父がフジキセキ)の複勝でどうにか地味に挽回。晩に最近来港のK女史を交えZ嬢と三人で天后のPoppy'sに食す。最近、この食肆に来る機会あり。洋食なの だがあっさりとしており野菜ふんだんに用いて女性はとくに好きなよう。帰宅してテレビつけると台湾の娯楽番組で佐藤麻衣、小林優美といった日本人の芸人が あまりに流暢な中国語で番組に出演しているのを驚きつつ眺める。新潮社の季刊誌『考える人』の07年春号、小津安二郎の特集を読む。本当にお洒落な人。そ れにしてもこの雑誌、新潮社の定期購読者限定のなかなか含蓄のある季刊誌なのだが表紙こそさすがに小津安二郎でも見開きはユニクロの広告、そのあともユニ クロの香港現法社長のインタビュー、裏表紙も……ととにかく雑誌の最初と最初がユニクロの広告に提灯記事。どうにかならないものか。雑誌にとって協力的な スポンサーの存在はありがたかろうが例えば岩波書店の『世界』のマグライト社 であるとか、かつての『噂の真相』の(株)ビレッジセンターと か、控えめであることの大切さがあろう、と思う。

▼最近忙しい日々が続き、もう一週間近く前のことなのだが、自宅で片づけものをしていたら、ポケベルと一緒に懐かしいTien Dey Seen(天地線)の携帯電話機が出てきた。92年くらいだったろうか、この携帯電話?は市街地の各地に設置された中継点の周囲数十メートルの範囲内なら 通話可、という簡易携帯電話で、当然、そこから移動してしまうと通話が途切れてしまうのが難であったが、当時、携帯電話がまだ高級であった時代に香港では それなりに一世を風靡。今見てもデザイン的には当時の携帯に比べとても洗練されていた、と思う。仮面ライダー1号とかが持っていてもいい感じ。
▼都知事選について。朝日新聞に公明党支持層の投票率分析あり。都知事選では前々回に石原に対して公明党支持層の67%が自民党候補の明石康に投票し石原 には6%に留まったが前回は実に公明党支持層の85%が石原に投票(対抗馬の樋口恵子には11.8%)。で今回は浅野に10%で石原への投票も79%と前 回に比べ6%減。とするとこの6%が桜金造だとすれば(桜金造の得票の7割が公明党支持層だとして)公明党支持者の今回の投票者数は逆算で80.6万人。 多すぎ、という気がしないでもないが、今回の都知事選での投票者数が550万人弱だとすると、公明党支持者での投票棄権がかなり少ないことを考えれば、こ の予測で妥当ではないかしら。石原と浅野の得票差は110万票も開いたが公明党で結果は十分に動いてしまう。それにしてもオバサン蔑視、福祉切り捨て、教 育介入の石原に対してアレルギーがありそうで、それでも公明党支持者の79%が石原に投じるとは……。
▼その石原慎太郎であるが自らへの批判について「いろいろな誤解が拡大されたのは残念」だの、高額出張費も「都議会の議事録を読んでくれればわかる」と突 き放し、オリンピック誘致見直しの世論に対しては「何を見直せばいいのか具体的に言ってもらいたい」とかわし(オリンピックをする必要がない、と具体的な はずだが)、取材で質問が厳しいと「批判って何ですか。それはバッシングでしょ」と声を荒げた由(朝日新聞)。あれだけオバサンだの教員、障害者をバッシ ングしてきた人が自分に矛先が向くと、この態度。この人のどこが、所謂「男らしい」のか。この逃げの口上だの、アタシたちは普通、これを「男らしくない」 と言うのだが。石原慎太郎のホモフォビア的な、三島由紀夫にも通じるかも知れないが、所謂「女々しさ」(この言葉もキョービでは政治的正確さに欠け男女差 別か)がここに見出せる。

四月八日(日)本日も耶蘇の復活祭の連休の最中だというのに映画三昧のはずが時間もとれぬまま一日が終りそうになり「強制終了ボタン」押して太古城UA映 画館でZ嬢と映画『14歳』見る。「ぴ あ」関係の作品で久々に「フィルムらしい」映画でカメラの固定されていない微妙な「揺れ」は敢えて登場人物たちの心理状態の表現なのかもしれないが、やは りカメラが揺れていると気になって。録音の悪さもあえて声がよく聞こえないことの意図的な表現なのかしら。なんだか技術的な未熟なのか意図的な表現なのか が微妙(役者の演技も含めて)。それにしても全くワケのわからない14歳の若輩者や心に傷のある大人やばかり登場するのだが登場人物でアタシにとって最も 奇妙で怖い存在は若い先生が相談に訪れる心の病専門の女医。あの、登場人物のなかで唯一人、完全な人格を演じるあの存在が最も怖い。映画跳ねて「食のツン ドラ地帯」太古城で西苑酒家に食す。といっても鹵水滑豆腐、 通菜に揚州炒飯(当然、炒飯は食べ切れずお持ち帰り)。麦酒も飲まず。帰宅してテレビつけるとNHKの選挙速報で石原慎太郎さんが都知事選当選確実。天晴 れ。得票を見るとやはり共産党による独自候補擁立と公明党の「おかげ」か、での石原当選。元宮城県知事の得票に共産党の元足立区長、それに石原の得票の少 なくても1割が公明党票だとして(実際にもっと多いはずだが)(まだ開票完了しておらぬが)石原に20万票さくらいまで接近。わけのわからぬ反石原の建築 家だの信濃町の徒花・桜金造の票を足すと石原得票を越えてしまうのだが。余の二月晦日の日剰に書いた通り(以下、引用)
▼東京都知事選に浅野史郎氏が立候補の意志固めた由。これでも石原 再選となったら、もうお終い。活力ある東京、強い日本だかなんだか知らぬが、オバサンだの障害者だの社会的マイノリティや外国人が差別される東京、都知事 がまともに登庁せず接待交際費に海外出張手当浪費で息子にギャラ払っても許すのなら、あたしゃ本当に都民とはもう絶縁だよ。2000年にブッシュが米国総 統に「選挙で選ばれて」からブッシュ在任中は絶対に米国には足を踏み入れぬ、と決めたが石原再選となったらホントなら東京には足を踏み入れず、としたいと ころ。選挙のカギはまず日本共産党。共産党が独自候補擁立を取りやめぬと反石原票が全て死に票に。そして何より公明党支持者の良識。党の「なにがなんでも 与党シンドローム」に与するか、自らの良識を票にするか、の判断。それにしても石原落選は本人にとっても自民党にとっても末代までの恥となるから、こりゃ 総力戦。公示前に形勢不利となったら自民党は(そもそも石原を「公認」ではないのなら)最後の切り札で小泉三世の擁立とか(笑)。だが、ふと思えば、石原 慎太郎を都知事に選んだことで、あたしゃかなり都民に罵声を浴びせたが、石原君を都知事に据えてくれたことが石原首相待望論(って本人がそう待望したのだ ろうが)抑え石原首相実現がならなかった直接的原因と思えば、石原君を都知事にした都民のそれは良識であったのかも、とふと思う。
という次第。日本共産党も独自候補擁立以外に何かセールスポイントはないのかしら。それにしても公明党がよくわからず。本来、障害者福祉であるとか外国人 差別、教育問題や婦人蔑視など公明党支持者の諸君にとって最も退けぬところ。石原が浄化目指す歌舞伎町や新宿二丁目も公明党にとっては地盤の一つなはず で、そういった底辺から石原都政に対してノーの声が上がりそうなものだが、国政での自民党に擦りよっての与党化以上に公明党にとっては都政という身近な処 で公明党がなぜ反石原になれないのか。桜金造候補の捨て身の立候補もその徒花か。そういう意味で本来、日本の政治のキャッチャングボードになるべき立場で ありながら日本共産党と公明党こそ、独自候補擁立という呪縛と与党フェチという体質で実質的に本来、最も嫌っていたはずの自由民主党の保守政治を支えてい るのだからご立派。嗚呼、それにしてもあれだけ我が侭し放題の石原慎太郎に、それでも支持してしまうメンタリティっていったい何なのかしら。今の日本に とってオリンピックのような情熱が必要、と石原慎太郎は言うけれど、オリンピックとか博覧会とか、そういう見た目だけのモノで幸せになれてしまう、その悲 しさ。『太陽の季節』の、障子を勃起した男根で突き破る、ってまさにオリンピックや博覧会なのだ、と今更ながらヘンに納得……とても馬鹿馬鹿しいが。

四月七日(土)国政選挙の場合、在外投票あり。ただし統一地方選挙での東京都知事選投票は在外では出来ず、一路、東京へ……というのは嘘。石原慎太郎の再 選なのかしら。イースター連休中だというのに朝から分刻みで忙殺されたままあちこち外回り続きあっという間に晩に至る。朝は客人あり珍しく飲茶 (Fortress Hillの晶苑金閣酒家)。晩に最後に 中環で某事ご一緒のF氏、K氏誘いFCCに食す。映画帰りのZ嬢も合流。かなり久々に麦酒飲む。
▼台北で蒋介石入台直後に官邸とした草山行館、不審火か?で全焼。政治的放火の疑いもあり。

四月六日(金)復活祭の休日ながら朝から諸事忙殺される。例年であれば連日五本映画見続けるのだが。昼に天后の金山という最近開業の焼肉屋。秀逸なる牛タ ン。店主のA氏に勧められ宮城は伊豆沼の赤豚。冷麺。午後遅 く「もうダメ」で按摩。少し復活して雑事に戻る。晩に映画見る気力もなく帰宅して蕎麦を茹でて食す。煮豆とか若い頃はけして美味いと思わなかったが何故、 煮豆頬張りこうも幸せなのか、不思議。疲れが眼に来て晩の十時過ぎには臥床。

農歴二月十八日。清明節。安倍三世、安倍内閣メールマガジンにて本居宣長の
しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花
という歌を引き合いに出し
官邸の桜が満開となりました。桜は日本の美しさの象徴であり、桜を 思う日本人の心は、今も昔も変わりません。
と宣う。昔から美しい山桜あり。但し平安の歌人の歌心と本居宣長のそれは全く異なるもの。宣長の場合、明らかに策略的に桜という花木に政治的な象徴性を求 めたもの。後の近代のナショナリズムに通じる。その根源的なものを江戸で見出しただけ宣長の凄さだが、いずれにせよ宣長によって同じ桜の木がそれまでの美 しさとは異なる物象性を得る。本来「桜は美しい」が「日本の美しさの象徴」はあとから 結びつけられた記号であって「桜を思う日本人の心は変わった」。少なくとも平安歌人と宣長の流れにある(と自ら信じていよう)安倍晋三とは「桜を思う心」 として異なる。桜とかで騙されてはいけない。それにしても桜になぜ日本人はこうも弱いのか、桜、で思考停止になりかねず。で本日。午前中机あたりの雑用済 ませ昼にZ嬢と尖沙咀東のRoyal Garden Hotelに向いSabatini伊 太利料理店に食す。大蒜と干トマトのLinguineのパスタ。赤葡萄酒はChiantiのRocca delle Macieの01年。Z嬢と別れSpace Museumで映画『畢 摩記(監 督:楊蕊、中国、06年)見る。畢摩とは中国四川省涼山の彝族の司祭のこと。文化人類学的に見事なこのドキュメンタリーの監督、楊蕊は映画『呉清源』の副 監督の由。このあと二本映画見るつもりが急用できてその対応で晩に至る。二更に北角の寿司加藤。独り癒し気分。菊水の純米辛口。赤貝と小鰭。バーSに飲む。
▼アジア一の女富豪と言われる『キャンディ・キャンディ』好きの龔如心が逝去。享年70歳。出生於上海。1955年父母 に従い香港に移居。上海で塗料業にかかわっていた父は同じ上海出身の王廷歆とは知己。その息子で幼なじみの王德輝の許に18歲で嫁ぎ義父となった王廷歆が 創業の華懋有限公司で献身的に働く。1960年代には華懋置業興し不動産投資で成功し一大財閥となる。1980年に夫の王德輝が誘拐され助かったが3年後 に再び誘拐され龔如心がUS$1,100万の身代金を払い救出。更に1990年に王德輝は「まさか……」実に三度目の誘拐に遭い龔如心はHK$2.6億を 身代金として用意したが夫は戻ってこず華懋集團は龔如心が経営の主となる。1999年に王廷歆は裁判所に対して愛息・德輝の法律上の死亡認定を求め自らの 財閥で実権握る嫁に対して王德輝の遺産を父である自らに受領権あり、と提訴。カギを握るのは1990年に書かれたという王德輝の遺産は全て妻である龔如心 に譲渡という遺言状の署名の信憑性。王廷歆は息子のこの遺言状が龔如心による偽造と疑ったが義父と嫁の裁判劇は05年に香港終審法院で文書偽造はないと判 決出て全財産が龔如心のもとへ。夫の三度の誘拐といい行方不明のままの結末といい嫁に財産すっかり握られた王廷歆が何億の裁判費用をどこから拠出したかの 疑問といい不透明なこと多し。龔如心は晴れて疑い晴れ(市井ではまだまだ首を傾げる者少なからず)香港では荃湾に世界何位だかの超高層ビル建築もあり(自 らの英語名NinaでNina Towerという)財閥企業で飛躍のはずが癌に侵され70歳の数奇な生涯閉じる。

四月四日(水)寒波再来。気温摂氏十四度迄下る。午後用事あり金鐘太古広場通り抜けようとせばLane Crawford百貨店入口の靴屋だか鞄屋が物々しき警戒ぶりで何かと思い近づけば「わざとらしい」警備員廿名ほど此の店取り囲み。翌日の新聞で日本の芸 人・浜崎歩の買物と知る。その買物に何事かと窺う者の多くは大陸から観光旅行の田舎漢で浜崎歩が誰か知らず。敢えて目立つための警備としか思えず。晩に映 画に急ごうと再び太古広場通り抜ければJaco Pastoriusの“3 Views of a Secret”が流れている。気持ちがふと落ち着くねぇ。尖沙咀。Space Museumで映画“Things We Do When We Fall in Love”(監督:James Lee、マレーシア、06年)見る。最近のマレーシア映画にかなり興味あるが、この映画はアタシにはちっともわからない。星巴珈琲で昨日の日剰急ぎ綴るな どして文化中心にて蔡明亮監督の新作『黒 眼圈』を見る。邦 題は(何だか意味わからぬが)『黒い眼のオペラ』で上映中。蔡明亮の映 画を文化中心の大戯院で掛けるのはちょっと無謀な気がしたが客それなりに多し。この映画は台湾を離れ蔡明亮監督の生まれ故郷であるマレーシアのKuala Lumpurの裏町が舞台。蔡明亮の映画にしては珍しく雨が降らず。ただ映画に登場する苫屋、古びたビル、喫茶店など何処も彼処も冷房などあろうはずもな く高温多湿が映画を見る側にまでじっとりと伝わる。この映画での<物象>は寝床のマットレス。映画の冒頭からベンガル出身らしき男たちが下町をマットレス 担いで歩く。街頭での怪しい賭けでカモにされ行倒れのホームレスの青年(李康生)がこの男らに助けられ、そのうちの男一人が李康生を献身的に看病する。冒 頭に現われたマットレスに寝かされる。場面変わって植物人間で「マットレスに」寝たきりの青年(李康生の二役)。女二人が介護。一人はこの寝たきりの青年 の母で場末のカフェの女主人。もう一人はそのカフェの女給。眼が開きっぱなしのこの男、意識もなければ動きもせぬが若いだけにちゃんと「下の世話」は必 要。母と女給による介護の極み。ホームレスの青年は(叩きのめされる前だろうか)そのカフェの女給相手に建物の路地裏で遊ぶシーンもあり、女主人もこの青 年に寝たきりの息子を投影する。高温多湿な環境に加え途中からうっすらと霧か靄が流れ始める。かなり劣悪なるhaze(朦霧)が街中を襲い人々はSARS の如くマスク姿……と言いたいがスーパーの袋やインスタントラーメンのカップを口に当てた滑稽な姿。で看護は続く。118分の映画で科白を語るのは周辺の 者が何度かあるだけ。当然のように李康生らは全く何も語らず。蔡明亮の映画では珍しいことではないが。今回の映画祭のカタログで読んでも明らかなことは蔡 明亮という人にとって李康生に次は何を演じさせるか、が核心ということ(李康生は予備校生の頃だかにゲームセンターで蔡明亮にスカウトされる)。92年の 『青春神話』94年の『愛情萬歳』から延々とそれ。当然のように李康生の役柄はだんたんと象徴的になり今回も李康生を植物人間にすることに監督の欲が向い たもの。李康生はこの蔡明亮の映画の主演俳優なのだ が彼のブログを見ると、もはや蔡明亮と は二人三脚でコメントも監督かプロデューサーの如し。
我一直在思考這樣的問題:倘若市面上充斥的都是同樣的電影,那我們 的電影又剩下些什麼? 多年來,我採用純手工的拍攝方式,影評人聞天祥笑稱我的電影是「精緻手工業」,因為唯有這樣,我的創作之路才不會受到太多的干預,我得以穩穩地站在我的位 置,向這個世界提出我的意見。我的新片《黑眼圈》即將在三月二十三號全省聯映,我們小小的電影公司經費有限,無法大力宣傳,因此我想透過這樣純手工的賣票 方式,號召肯定我創作理念的朋友,希望藉由透過您的幫忙,我對藝術的理念得以散播。福袋裡面有十張《黑演圈》的預售票,還有一些電影相關產品。如果您肯定 我的創作理念,請將手中的九張票推銷給您的朋友。為了感謝您,我將贈送一本威尼斯影展限量版的電影手冊,聊表謝意。感謝您的支持。千萬不要小看您一個人的 力量,您使得弱勢電影導演得以發聲,讓不同的文化力量能在市場生存,也期望我們的社會價值更加多元。敬祝 鈞安
哲学的でありこの精緻な手工業で誰の干渉も受けず自分の場所で延々と映画を作りたい、と。ただし弱小プロダクションで資金力に乏しく映画も商業映画として ヒット見込めぬためファンにチケット販拡の協力まで願っている。蔡明亮の映画が終って映画館を出ると景色まで違って見える。
▼Z嬢は賈樟柯の『東』 と『三峽好人』の二本立て見たそうな。今回の映画祭でもアジア映画賞だか受賞で賈樟柯はカンヌまで賞総嘗めの勢いだが数ヶ月前に『東』を見た時に 正直言って何がなんだかちっともわからず前作の『世界』も前々作の『站台』も印象に残るが『三峽好人』は筋を聞いただけで見るのはパスしていたのだが 『東』で納得のいなかかったZ嬢は今回『三峽好人』まで見て同時製作の「メーキング・オブ・三峽好人」である『東』の意味がわかった、と。今回の上映はこ の一回きり。

四月三日(火)このところかなり忙殺され続け晩に滑り込みで香港文化中心で映画『呉 清源』上映に間に合うが入場して「はっ」と気づけば今晩は上映前に何だか表彰式あり急ぐ必要なかった、と後悔。二回のサークル席の末端の二人掛け に坐ると暫くして係員が「空けてくれぬか」とあたしに尋ねる。何かと尋ね返せば車椅子の者がいるので、と。車椅子から降りて座席に座るの?と尋ねると、そ うじゃなくて、ここ(とあたしの二人席の横の空間)に車椅子の観客が来る、と。それじゃあたしが退ける必要ないだろうに。そもそも車椅子の指定席にもなっ ておらず。車椅子がそこに来ても問題ないから、と座席譲ることを拒む。表彰式の途中で車椅子の客が来る。やはりあたしの隣席の前に車椅子のままで位置取 り。肢体不自由らしい。連れがあり、一瞬、介護人が付いてきたのか?と思ったが、多少言語に乱れのある人で車椅子の彼の友人らしい。この車椅子の若者の介 護ではない。あたしが席をその友人の方に譲ってやることも一案だが、健常者とて自由席で隣の席が空いていない場合に離れて坐る場合もある。身障者だから、 と気配りするのは、あたしはそれはまた違う意味で偏見であると信じる。であるからそのまま。結局、何ら問題なし。あたしがこういうことが気になるのは今で も覚えているが1985年だったか筑波で科学博なる催しあり入場券をもらいナントカ館の入場制限でかなり並んでいた夏の日。車椅子の参観者が現われたら長 蛇の列は実は階段があるため車椅子用のスロープから優先で入場。最初からスロープがない入口にできるはずで障害があろうがなかろうが炎天下で待たせない知 恵があればよかったはず。『呉清源』の映画の物語は予想以上に璽光尊の話の部分多し。終戦直後に璽光尊に従いて、の呉清源の放浪の旅。新潟だったか彷徨え る教団本部への警察の捜索の際に
璽光尊を警察に渡さぬと弁慶の仁王立ちの如く立ち振る舞う巨体の男がちゃんと出て いたが、あれが実は引退直後の横綱・双葉山だとわかる人も今となっては少なかろう。こ こまで踏み込んで呉清源の生涯描きながら戦後、在日華僑との関係もあり呉清源が日本人の妻ともども日本国籍放棄し清源は中華民国籍、夫人は無国籍となり日 本棋院を除籍となったことや戦後の暫くの間は読売新聞の専属棋士であったこと、1952年に台湾訪問で大歓迎受け「大国手」の称号を授与されたこと、その 台湾で当時10歳だったの林海峰が後の師匠となる呉清源に出会ったことなど、できればこのへんも描いてほしかったところ。監督が田壮壮で台湾の描き方は微 妙だった、かも。呉清源役演じた張震はデビュー作である1991年の『牯嶺街少年殺人事件』の主人公・小四が今でも印象的。この『牯嶺街』の楊徳昌監督は 『非情城市』で一躍時の人であった侯孝賢の作風が今ひとつ好きになれずにいたあたしにとっては救いであった。いずれにせよ台湾映画がとても良かった時代。 映画終って晩遅く、定期購読のアサヒカメラ、これまで銅鑼湾そごうの旭屋書店で受領したが銅鑼湾歩くのも旭屋に上がるのも難儀で今月から太古のジャスコに ある旭屋で受け取る。晩も10時半まで開いており楽。銅鑼湾の店では毎月、取り置きの書棚で本を探すのも大変であったが此処では「アサヒカメラ、今月から 此処でなんだけど」と言うとさっと出てきた。アサヒカメラでは木村伊兵衛賞が朝日新聞の後援だかになったからかこれまでの特集記事あり。じっくり読む。

四月二日(月)久々に本降りの雨。雨が降ると先日Mount Butler Raceで走った大潭のダムも水嵩が少しは増えようか、と思う。諸事忙殺され晩に宴会あり銅鑼湾の太湖海鮮城で末席を汚す。太湖海鮮城、名だたる高級料理店を差し置き香 港観光協会とかの最優秀料理賞などかなり獲る食肆。雑多であり万人向け、多少奇を衒った料理もあるが味はオーソドックス、少し塩辛いところが田舎臭く、で 結果「この値段でこれ」ならみんな満足か。バーSに一飲。
▼ドバイにいた齋藤さんが書いている。競馬の伝え方。「アドマイヤムーンが1分47秒94で優勝、賞金300万ドルを獲得した」という記事について 「300万ドルを獲得したのはアドマイヤムーンではなく馬主でしょう」と。日本ではなんとなく馬主を表に出さないような風潮があるが騎手や調教師と同じか それ以上に馬主をちゃんと前面に出すように変えていくべきだと思うと指摘。御意。香港なんてとにかく馬主。馬の名前は忘れても強烈に馬主の印象あり。 1997年のダービー馬、Oriental Expressの馬主はそりゃ中国代表する財閥の社長であるから誰でも知った顔だが98年のダービー馬・告魯夫の馬主・梁挺生校長と今でも競馬場ではみん なに慕われ、原居民の黎さんも、Fairly King Prawnの劉さんも誰も彼ら馬主の顔を忘れはしない。だいたいにおいで、である、
サラブレッドとは言え、たかだか馬一頭に何千万円のカネを注ぎ込むほど酔狂な 御仁たちなのだ。そりゃ馬が当たれば億の儲けだが、初陣に至らぬ馬、未勝のまま去る馬、そんなリスク負って道楽に励む人たちなのであるから当たった時に彼 らにこそ祝福あるべき。

四月朔日(日)毎年うんざり、は4月1日から「新聞の紙面が変わります!」って、ただ読みづらくなり字が大きくなり記事の質が落ちるだけ。朝日の社説はレ イアウトからして形骸化の極み。教育欄に「Q 入学式はどうして4月にあるの?」と記事あり。春4月、満開の桜の花の下を母に手をつながれ……はもはや日 本人にとってDNAにまで刷込まれたが如し。だが記事にもある通り江戸時代の藩校や寺子屋などいつでも入学できたわけで正月に師に正月祝いで届け物する程 度。実は明治五年の学制発布でも大学や高等教育機関の始業は9月。これは外国人教員招聘と関係あり。それが1877年に高等師範学校が4月入学と決め、 90年には小学校、翌年には中学も4月入学。アタクシがかねがね問題視する日本にとって「国民化」の明治20年代なのよ。その4月が始まり、とするのは何 も日本の伝統でも習慣でもなく(そもそも初春というのは冬の寒さの和らぐ陰暦正月の頃、梅の季節)、明治政府が欧米見習い国家予算の会計年度を4月〜翌年 3月にしたことに合わせ役所の都合で学校も4月始業になったもの。明治のこの頃に桜の花もソメイヨシノの改良で4月に見事に開花する(それまでの山桜や妖 艶なる古桜とは全く異なる)陳腐な桜の木が「開発」され、天皇の行幸とか親王の地方視察に合わせ日本中の学校に植樹されたもの。それがわずか数十年で春、 入学式、桜が日本国民の脳裏に刷込まれたもの。自民党政府が愛国心だの我が国特有の文化や伝統、と宣うのなら、欧米の会計年度などを発端する、我が国特有 の文化や伝統とは何ら関係のない「4月入学」などまず撤廃しては如何か。正月に戻すか(しかも農歴で)、も一案だが、教育的な面から考えると現場の教師ら も実は9月入学推奨する者多し。確かにこれも「欧米基準」と思えるが、少なくとも夏の暑き時期に長い休みを取らざるを得ず、とすると4月始業では7月迄の 学習成果が8月でかなり落ちるそうで効果的でない、と言う。少なくとも「4月への思い入れ」を見直すことが大切。で本日。昼 前にZ嬢とCameron RdのCharlie Brown Cafeで珈琲とケーキ(といっても二人で1つを半分ずつ)。これがミッキーマウスカフェだのハローキティカフェなら絶対に行かぬの だがSnoopyのPeanutsが幼き頃より好きで幼稚園の頃、母に新宿 伊勢丹で買って貰った米国直輸入のスヌーピーの縫い包み人形が今ももう何十年も世の枕元に居る(当時は伊勢丹が日本でのPeanutsグッズの販売元だっ たのかしら)。Peanutsのコミックスも英文に和対訳つきのがあり英語の勉強に、という名目で読んだがPeanutsのコミックスなんて大人が読んで も何が面白いのかさっぱりわからないのが殆どだから子どもは絵を眺めるばかり。で日曜日の昼前にCharlie Brown Cafeを訪れると確かにインチキではない様子。だが何処まで本場モノなのか、は疑問。遅晩に調べると香港地場にRM Enterprises (BVI) というキャラクター版 権の代理店業社あり此処がこのカフェ経営。で本場米国にCharlie Brown Cafeがあるか、というとアタシがさっと調べた限りでは加州のSonoma State Universityなる大学構内にCharlie Brown's Cafeという のが在るが、こちらはapostrophe “s”が付くのがミソ。だが、そもそも、である、Peanutsに登場する子どもらのキャラでCharlie Brownがカフェ経営など出来ようものか。どう見ても経営手腕などない、それが彼である。誰が考えてもカフェ経営しそうなのはルー シーであり、それぢゃLucy's Cafeを開いたらどうか、というと正直言ってあのキャラではあまり好感はもてぬ。というわけだが、ただこのチェーン店、珈琲は不味くない。でZ嬢と一緒 に押井守監督の『立喰師列伝』を見るつもり、で 尖沙咀に行ったのだがSCMP紙の映画評読んで気がかわりZ嬢と別れ天祥撮影器材でLeica Fotogralie Int'lの3月号買っ てから中環。市大会堂で“Dark Matter”(監督:陳士爭、米国、07年)見る。天安門事件の直後、中国から米国に渡った天文物理学の大学院生が論理では学会でも著名なる教 授の発想を凌ぐ程であっても学者の世界の「政治」に疎く教授に嫉まれ博士号も取れず失意の余り……という実話に基づく話。やけに客が満席に近い、と思えば 主演が劉燁。『藍宇』で一躍スターとなったが、どうもアタシには彼が中央戯劇学院に在学中のデビュー作『山の郵便配達』の純粋(なだけの)キャラが強烈す ぎて、実際にどうもそれ以上のキャラに脱皮できない気がしてならず。藍宇の男相手に淫売する学生の役は極端すぎて彼のニンでないにせよ、今回の頭脳明晰だ が中国の田舎者の学者の卵が米国留学の役、はある面、ハマり役かと一瞬思ったが、やはりどうも博士課程の宇宙物理学者役も彼の役でない(で、この博士課程 の学生が身を窶し失意のうちに柄にもなく化粧品のセールスして後見人の夫人の涙誘うところなどはこの人の良さが出る)。このままゆくと「中国の三浦友和」 になってしまうのではないか、とナンシー関的に懸念。引き続きスロベニア出身のSlavoj Žižekが主演し て映画論語り続ける“The Pervert's Guide to Cinema”(監督:Sophie Fiennes、英・墺、06年)見る。150分に渡りSlavoj Žižekが延々と映画の「現実的リアリティと映像フィクション」について語り続けるのだから強烈。チャップリンからヒッチコック、タルコフスキー、リン チ等々古今の映画の象徴的場面をいくつも用いて見事な映画論だが150分延々とSlavoj Žižekが東欧訛りの英語で語るのだから持久戦。凄い御仁だ。時々、長嶋茂雄的に何を言っているのかわからぬ。上映後、香港の某大学で映画論教えるA君 と邂逅。紐育でこのSlavoj Žižekのレクチャー聴いた経験あり、だそうな。尖沙咀に渡り(といってもスターフェリーの中環の波止場が移動していまい映画祭ではかなり不便となる) 文化中心で大友克洋監督の『蟲師』見る。日本でも三月下旬にロードショー公開されたようだが、どうなのかしら。資金協力で三菱東京UFJ銀行、とあった けど「大友克洋って聞いたんで」とAKIRA世代の銀行マンが「融資しなければよかった」と後悔している鴨。「虫が」と言われてもねぇ……荒俣宏の帝都物 語の陰陽道のほうがまだ李在りディあり。Slavoj Žižekは「現実社会のリアリティが見たければ映画のフィクションを凝視せよ」と映画の最後で言っていたが、それをこの『蟲師』見て「なるほど」と「現 実社会のリアリティの投影できないフィクションである映画」がどういうものか、と納得。この映画を見ていたZ嬢とちょっと会って星巴で珈琲。Z嬢と別れ中 環の市大会堂で晩遅く『馬 烏甲』(監督:趙曄、中国、06年)見る。舞台は広西自治区で越南と国境を接する憑祥が舞台。王松という作家の原作はこの国境の町が舞台ではない のだが趙曄監督はこの広西憑祥訪れた際に霊感的なものを感じ、こ こでの撮影を決めたそうな。山あいの自然に囲まれたこの町で中学教師の母、先天性の貧血性で腎臓透析の必要な幼い弟と暮 す健気な十五歳の少年が主人公。この少年も虚弱体質で貧困や病い、弟の不幸な事故などが家族を襲う。センチメンタルな話になりそうだが、とにかくカメラが いい。憑祥の雑然とするが何処か情緒ある街並、山岳の自然の中で徹底した自然光のみでの撮影、しかも母と息子二人の生活はまるで実生活のようで、かなり フィルムを回しっぱなしであろう、極々自然。Slavoj Žižekの言った「現実社会のリアリティが見たければ映画のフィクションを凝視せよ」がまさに露光された感あり。もっと家族の表情を見たいのだがカメラ は遠巻きに、その距離を維持する。唯一、カメラがとくに主人王の阿甲(映画のタイトル、馬烏甲はこの少年の名前)の表情をアップで映すのは病院で透析など 治療受ける弟を病室の入口で優しそうに見守る時の笑顔だけなのが印象的。趙曄という監督も凄いが、この馬烏甲役の李世新なる15歳の若者が実に「この瞬間 にしかできない」凛々しさを見せる。


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