香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜! 

教育基本法の改「正」にも反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


新しきURLは www.fookpaktsuen.com  既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事もあり。

八月卅一日(日)快晴。朝刊届き競馬予想ざっと済ませ雑用片づけ昼までVictoria Parkにて水泳。天后の場外馬券場に赴けば香港島にては閑散ぶりでは一二を争ふこの場外もそこそこの混雑、競馬に加え蹴球の賭博ありその雑多ぶり甚だし。馬券購入し灣仔にて買物済ませジム。Z嬢と邂逅。四年続け観戦してきた競馬開幕日ながら金鐘にて夕方どうしても抜けられぬ打合せあり。終わって銅鑼灣にて資料の書籍購入。帰宅して競馬の結果見れば今期幸先よく上手く賭けほどほど儲ける。第一場は五班の下級馬戦にてどの馬来ても不思議ぢゃなく普段なら棄てるべきだが開幕戦といふことでご祝儀、何故か1400mでは出走馬のなかで時計は1.23.0とダントツのChampion Boyが7.8倍の三番人気、それに未勝場ながら1000mの試走にて二着と調教はいいPowerfulは21倍の七番人気と震わず、この二頭で連複とまでは言わぬが二三着くらいならあり得て倍率も旨しいかとQPで賭けたらChampion Boy一着でPowerfulも三着に入りHK$133.50と幸先吉く、第七場二班1200m芝にては堅ひところだがFlying Machine、Bobo Win、Snippeydoodaと三着まで的中してTrioはHK$779、本日の主戦香港特首盃(一班1200m芝)は特首董建華君現れず財政司司長・唐英年君代理(董君来たれば烈しき野次罵声浴びるは必至にて次期特首(特区首長=行政長官)の呼び声高き唐君といふ選択か)、一番人気は今年三月の四班での初陣より四戦三冠一季と活躍著しく今期一班緒戦迎えるCheerful Fortune、二番人気はDanehill系のHidden Dragonが一二着と順当、Size厩舎のGreat DelightがSize潮にて三番人気だが三着はSelf Fitが入り連勝まで取れたが己れを信じられず○をつけていながらSelf Fitまでは買えず反省。第九場二班1400m芝、敵なしと読んでいたFloral Dynamaite(2.1倍)が二番人気とはいへ前季未勝で10倍のSize厩舎の潮州勇士に負けやはり今期もSize魔術に踊らされるのかと早くも痛感。灣仔波止場餃子食す。ふと今年いっぱいの諸般藪用など考えれば頭痛、それでなくとも日曜日の晩ほど憂鬱な時はなく、このままではかなり鬱になることは必至、気分転換に明日出かける革鞄を整理、革靴の靴磨き、Joe Hendersonなどジャズ聞きウィスキー飲みつつ爪の手入れなどして気分転換図る。あちこちと移動する車内にて戸板康二『折口信夫坐談』読了。折口信夫が贔屓にしたといふ大正の頃の中村魁車であるとか二代目の延若、喜劇では曾我谷五郎とか舞台を想像するばかり。折口先生が「梅幸は今、身体の色気を出すことに夢中だ。菊五郎(六代目)は、梅幸を自分と同じ女形にしたのかしら」といふ言葉あり。これは昭和22年のこと。当時、まだ若女方であった梅幸であるから、色気をまず身体から出すことに熱心で、年を増して役者として円熟するにつれ身体の色気が精神的なものに変化してゆくことを先生は想像したのであろう、が、まさか折口信夫も梅幸といふ、歌右衛門と並ぶ戦後を代表する女形がまさか老いてもなお身体からフェロモンの如く色気振りまくとは思いもせぬことだったか。ところで、現代(いま)の人は吉田屋の芝居についての語りで折口先生が「格子先の道具がよくない。あれでは、むかしの新宿だ」と言っても、何が昔の新宿なのかわかるまひ。花魁の夕霧と夕霧を好た伊左衛門のご存知「廓文章」は大坂新町の花街が舞台、廓では格子の向ふに女郎が居すのだから舞台でも格子は大切な大道具、ましてや大坂の新町といへば江戸の吉原と列ぶ花街、そこの格子が貧弱では当時は武蔵野の原っぱのなかの内藤新宿の花街(現在の新宿二丁目)くらい野暮、といふこと。ところで戸板康二があとがきに綴っているが、いい芝居を観たあとに「目を正月にした」といふ言葉があるそうな。京都の南座の顔見世などまさにこういう表現なのであろう。羨ましいかぎり。

八月卅日(土)天晴れ。Mount Parkerへと小径を上がり大譚へと下る。普段なら大譚水塘より大譚引水路に入るのだが数日前までの霪雨に水塘は水が満ち堪ふ状見事にて(写真)珍しく中・水塘(Intermediate Reservoir)まで下れば水塘の壁面を水がさらさらと流れ落ち疎水の底には吾れ独り、青き空に水音だけが響き須臾見惚れつ(写真)南岸の海岸にて読書。『世界』にて映画「スパイ・ゾルゲ」完成させた篠田正浩監督と立花隆の対談あり、尾崎秀実がなぜ「ひでみ」でなく「ほつみ」なのか若い頃ふと疑問に思ったが、これは古代の秀真(ほつま)文字に由来あり、この神代文字により書かれたる随神(かむながら)の道なる皇国思想に平田神学の学徒であつた秀実の父秀太郎熱狂し息子を秀実と名付けた、と。納得。その「秀真神道の熱狂的国粋主義を背負って尾崎秀実は人生をスタートさせた」のち共産主義のコミュンテルン活動に従事し検挙され転向する面白さ。この世界の特集「日本現代史をどう描くか」は他にも『歴史としての戦後日本』の著者アンドリュー・ゴードンと中村正則、また『ねじ曲げられた桜』の著者大貫恵美子(Wisconsin大学)と色川大吉との対談、『昭和天皇』でPulitzer賞とったHerbert P Bixによる自書への松本健一や秦郁彦らによる反論(週刊朝日2003年1月24日号)への再反論、『敗北を抱きしめて』のJohn Dowerの文章など「岩波的に」かなりの充実。それに続く連続討論の「戦後責任」の最終回「中国への責任」が山口淑子の「李香蘭の日々を顧みて」は一読には値するが、これと本多勝一センセイの「『中国の旅』をなぜ書いたか」のinterview二本でこの連続討論を終りにしてしまふのは安易すぎやしせぬか。久が原のT君よりいただいた戸板康二の『折口信夫座談』少し読む。戦時中、結局、折口先生が何もできぬ(或は「せぬ」)ままでいた事実、これがまさに軽井沢で哲学に弄んでいた加藤周一らと同じだが疎開せず戦火にあっただけ折口の覚悟ありかも知れぬが、いずれにせよ知識人がこうしてただ「終」戦待っていた事実。夕方ジムに寄り帰宅すると郵便函に週刊読書人届いており、偶然にもその戦後責任だの戦時中無抵抗だった知識人の姿といふ問題に応じるかのように『八・一五革命伝説』上梓せし松本健一(いつもの「いかにも」の姿勢なのは言ふに及ばぬ)が、この虚構性について述べている。まだ読んでおらぬが松本健一なら何を言ふかはだいたい理解もできよう。黄昏に近隣のO君来宅しZ嬢と来週末の走行会の行楽行事の打合せ。余が麦酒控えているも知らずにO君しかも恵比寿麦酒など持参されついつい一缶いただく。なんと美味なことか。Z嬢の揚げたコロッケ食す。NHK特集にて「大王陵古代埴輪群発掘」なる番組観る。継体天皇陵と謂われる古墳から出た埴輪群より当時の大和朝廷の政治体の様を探る。大陸の、殊に騎馬民族の影響がかなりあり、穢れや大地の魑魅を追い払ふが為に相撲取が四股を踏むのとて当然のことながら蒙古伝来であろうし、そう思えば横綱筆頭に蒙古勢が角界に繁るのは当然、この埴輪群、継体天皇から実子への皇位継承表すという説もあり、高床式の宮殿にて大嘗祀にあたる神事挙はれていたと思うと1500年を歴て其れが今でも宮中でほぼ同じ形で遺っているのが天皇制の醍醐味か。明日、香港競馬開幕、予想少しして深夜『折口信夫座談』少し読む。

八月廿九日(金)快晴。試しに健康診断など受ければ尿酸値高く痛風の惧れあり要再検査と。二年前に人渠?といふのだろうか人間の船渠(ドック)ならば、に入った折には医者「健康ですよ、運動もよくされて肥満など問題なし」と宣ふとニンマリとし「いやー、それにしても香港でさぞかし美味しいものをお食べになっておりますな、肝脂肪だけは実にきれいに付いている、普通はもっとぶよっとつくのですがね、運動されて肝脂肪もきれいに付いたかな」と笑はれもしたが、今回は尿酸値8を示し流石に痛風は恐れ入り築地の大石国手の許を訪れ……は荷風、銅鑼灣の某医務所訪れ再検査の採血。結果が悪ければ三ヶ月薬服し麦酒、赤葡萄酒は飲まずプリン体多き食品は控えるよう忠告される。つまり蟹味噌、鮟肝、牛レバーに唐墨といった珍味は絶対に×、食品の参考例に列ぶ食材を見れば「旦那、今日はいい××が入ってますぜ」ばかり(笑)。赤葡萄酒は百歩譲っても(といっても仏蘭西へ行くってのに……)麦酒は飲めず、麦酒が飲めぬことは一万歩譲ってもこの食材から離れることは死んだも当然、いやはや。ただただ審査結果良好を願ふばかり。夕方に久々にジムでの鍛錬も今ひとつ力入らず。帰宅して浅蜊のパスタ。そういえば築地のH君とZ嬢と偶然入った築地の「鳥芳」、H君は昼餉に「鳥焼き丼」を注文。味噌汁お新香つきで金八百円、鶏正肉三串分につくね一串分、しし唐二本に炒り卵までのって味付けはあくまで関東風にこってり、やはりなかなかの一品、と。それよりも驚くべきは客の入りで、一時過ぎで勤め人の昼休みは盛りを過ぎた時間にもかかわらず卓子は全席満席、奥の畳敷の小上がりにて、と。鶏のレバー、ハツ、ミノなども食せなくなるのだろうか……。
▼『世界』Arundhati Royの「帝国の民主主義」という文章あり(邦訳は劣いが)法的に正当な手段で選ばれたのではない男が率いる世界で最強の民主主義国家が起こしたイラクの戦争では、実際に戦っているのは米国の貧しい若者たちであり、米国上下院議員のなかで自分の子供がイラクで戦っているのは実にたった1名にすぎず、志願兵の殆どが生活のために貧しい者が軍役についているのだが、この戦争で利益をあげているのはブッシュに近い企業ばかり。最悪。ちなみに昨日現在のイラクでの「戦争終結」以来の米軍の死者は82名。泥沼。
▼京都南座の顔見世、雁治郎と猿之助の昼が傾城反魂香、玉三郎の道成寺、夜は雀右衛門と猿之助の一条大蔵譚、仁左衛門と玉三郎の郭文章だそうな。絢爛。祗園の若松の女将さんも楽しみだろう、この芝居。「芝居は」やはり日本。

八月廿八日(木)日暮れに北角の市場街を抜ければ次第に眩しくなる街灯は市場を明るく照らし、市場には一日の業を了へ家路に急ぐ顔晴々とせし買い物客溢れ喧噪騒々しきもまた風情あり。日本にても余が子供の頃にはどこにでもあつた風景。市街の横丁の賑わいも青物屋の威勢よき売り声も今では余の故郷の曾ては商都と謳われし街にもなし。帰宅してテレビつければ阪神は甲子園に戻り昨日の勝利に続きナヴェツネ巨人に11対0と完勝、自民党小泉続投といふ悪夢の世にあって社会党なき今、阪神の邁進のみ吉事、それにしてもナヴェツネ巨人の惨敗ぶり「プロ」を歇るべきでは?(笑)。鯵の開き、冷や奴など肴に菊正宗を冷やで一飲。『世界』九月号読む。和仁康夫さんが「政治の季節迎えた香港」なる文章寄稿され23条立法を日本の読者に巧く説明されるを読み感心至極。真っ当な寺島実郎氏の連載、大量破壊兵器も未だ発見されぬイラクでの米国イラク侵攻支持の根拠の曖昧さ質された小泉三世が「日本が情報活動しているわけではないし」と宣った一言を寺島氏取り上げ、米英の提示したイラクの脅威なるもののみを根拠に米英に加担した日本は本来であれば近代史の総括として自らを戒め、この半世紀以上も踏み固めてきたはずの「武力を紛争解決の手段としない」基本理念を簡単に見失ってはならぬはぬはず。寺島氏の指摘する欠陥の一つは日本が情報過疎地帯と化していることで、戦略研究所とて企業内の調査情報部を延長した株式会社型か(……と日本総研理事長の寺島氏が言うのも皮肉だが)官公庁の下請け外郭団体の財団法人型のみで、ブルッキングス研究所やカーネギー平和財団のような多くの個人や企業の支援で安定した財政基盤を有するシンクタンクが育たず、だいいち米国相手に適切な外交安保政策を志向しようにも日本には半世紀以上の同盟関係の相手国を体系的に分析する米国研究所すらないのが現実、米国の中東政策を正面きって批判する仏蘭西が73年の翌年に構想を発表し20年がかりで開設した「アラブ世界研究所」が活発に作用して仏蘭西としての情報回路構築し主体的政策を有することとのこの格差、と。御意。二週間ほど日本に滞在し愕いたことはあれだけテレビだの雑誌だのマスコミあっても氾濫にすぎず、どうでもいいくだらぬネタの垂れ流し、真っ当な情報など甚だ少なきこと。金大中事件のおきた73年から88年まで『世界』に「韓国からの通信」寄稿したT・K生、それが池明観氏であることが先頃明らかになったが、今月の『世界』にはその池氏へのインタビューあり、それを読みつつ毎月この「T・K生よりの手紙」を熱心に読んだ当時を思わず回顧。築地のH君だの谷保の医師N兄、久が原のT君(余の勘違いにてずっと世田谷区と誤解)らと出会ったのも当時のこと。
▼ユニバーシアード大邱大会にて話題の北朝鮮の美女軍団、移動中にバスの車窓から街路に貼られた将軍様の御真影(金大中君と握手する御姿)が雨に撲たれるを看て、将軍様を雨に濡らすとは、と嘆き悲しみバスを降りた美女軍団、涙に咽びつつ木に登るなどして御真影を外す義挙。一つだけ不思議なるは濡らしていけぬはずの御真影ながら外した後は雨のなか将軍様賛ふ歌口遊みながら御真影を大切に掲げてバスまでゆっくりと行進。美女軍団が掲げれば雨の中でも掲げるは可、か。天安門にて毛沢東とて風雪に耐えるに……。その映像観てあんぐりと口を開け驚くのが我が国とて60年前までは御真影いただき崇め奉るは同じこと。他所ばかり驚いてはおれず。
▼築地のH君も小泉改憲発言について曰く「百歩譲れば」「天皇制とか安保国防とか、まあそのくらい大きなテーマであれば「憲法と現実との乖離が大きい」とかいいたくなるのもわからんでもない」が余の指摘した通り「衆議院の選挙制度という技術的な問題(しかも数年前につくったばかり)を持ち出すなら、これ単に「選挙制度が違憲」という話し」であり「総理が自ら違憲と認識している制度を放置してよいのか?改憲より先に選挙制度を改めるのが普通」と。御意。話していて虚しくなる感あり。H君続けて「わが国に「馬鹿に構う奴は猶馬鹿だ」との古諺あり、しかし小泉級の馬鹿を放置する奴は「馬鹿に構う馬鹿」より猶馬鹿と言うに如くはなし」であり「国を害する小泉に与する輩(小泉支持と宣ふ輩)はすなわち国賊、亡国の徒」ではなかろうか、と。小泉、橋本両君も今となればトテツもなく立派な首相だったような気もすれば、森君とて「かなりマトモ」と思へるは悲し。
▼築地のH君より27日朝のワイドショーの話題。北の工作員の足取りを追って釜山の警察署を訪ねた取材ディレクター。工作員の資料があるというので閲覧を求めるディレクター氏。しかし警察が拒否。激昂するディレクター。「韓国と日本は同盟国じゃないですか!なんで北をかばうんです!?」。通訳も困った表情。同盟国と言われても日本人よりも北朝鮮の方が近いだろう、なんといっても同胞。まあ、そういう理由で「かばってる」わけじゃないだろうが、さらに興奮したディレクターが「通訳してくださいよ!日本が、北朝鮮にひどい目にあって、それを……」と。通訳がよくこいつを殴らなかった、とH君。通訳がもしこの言葉通り通訳してたら警官が殴ったかも。こともあろうに、日本人が韓国まで行って日本が朝鮮にひどい目にあったなどとと宣うとはまさに「妄言」。H君曰く石原慎太郎でさえ、災害時には左翼でも助ける、と。理由は左翼とて同胞ゆえ。確かに拉致では日本が被害者ではあるが日本が朝鮮半島で犯した歴史的犯罪に比べれば結果は明白。北朝鮮拉致が独り歩きを続け日本にてはすでに北朝鮮を敵として日本が被害者といふ言説が当然に。日本は右傾化といふがこのディレクターの言動など朝鮮の民族性すら理解できておらぬ。つまり日本でいま着々と構築されし言動は本来の民族主義ともおそらく明治以来の近代の国家主義とも異なる、たんに虚言に満ちあふれた<帝国>なるものかも知れぬ。そこに小泉三世であれ、安倍石破といったネオコン、拉致運動などが宿る。
▼同じくH君よりの小話(事実)。毎日新聞の記者が、イラクにてウダイ、クサイ氏等の殺害現場で取材中。近所の住民への聞き込みをせんとする記者を、米兵が妨害し銃で威嚇し「これが最後の警告だ。おれの目を見ろ」と。しかしこの米兵、サングラスをかけておりいくら見ても彼の目は見えず。記者のまとめは「相手の心を理解しない一方的な暴力や善意の押し付けでは何も解決しない」。だがH君、やはりこれはハッキリと言いたい。いや言うべき。「オマエ、馬鹿じゃん!」と。

八月廿七日(水)昨晩遅くに読んだ東京人九月号にて川本三郎が横浜の本牧歩き堀川を山下橋にて渡るとバンドホテルといふ記述あるだけでも懐かしきものを川本氏は三島由紀夫の『午後の曳航』にて「ゆうべ二人は山下橋の駅にある小体なホテルに泊った。大きなホテルに泊ることは、横浜ではかなり顔の売れている房子には憚られた。房子がその前をとおったことは数しれぬほどあるが、埃っぽい植込みをめぐらした二階建の趣きのない建物、区役所のような玄関、船会社の大きなカレンダーを壁に貼った殺風景なフロントが、入口の素通しの硝子ごしにのぞけるそんなホテルに、いつか自分が泊まることになろうとは思わなかった」といふ文章を挙げ、このホテルがバンドホテルであろう、と。指摘されれば確かにその通り。曾て全く気づかず。『午後の曳航』のこの部分、こうして読み直すと、この余りに写実的なホテルの入口の描写、つまりは三島先生みずからが「自分が泊まることになろうとは思わなかった」と感じつつ房子の如くお忍びでこのホテルに投宿したからこそ、のものと最初にこれを読んでから数十年して今ふと判る。この『午後の曳航』読めば今日の少年犯罪の凶暴化などといふ社会的苦悩がお題目に過ぎぬこと晰らか。少年はいつの世でも凶悪。この『曳航』の性と暴力の描写を思えば芥川賞受賞の吉村萬壱「ハリガネムシ」を宮本輝が酷評したことも道理あり、と納得。朝まだ曇のこるが昼前より快晴。日暮れにZ嬢と天后に待ち合せ、偶然道すがらご一緒したU女史もお誘いし三人にて簡単に、と清風街陸橋下のPoppyにて晩餐。地場の西洋料理屋にて場所といい名前といい余り美味そうに思えるがさに非ず、お手軽な葡萄酒もいいが有機野菜の新鮮さと味は香港では此処は秀逸、味つけは単調ながら(よくいえば素朴か)、野菜と烏賊の天麩羅、蝦と貝柱のサラダ、野菜のパスタに鴨の脚肉のソテー食しティラミスと美味なるアップルタルト(自家製のパイ皮が格別)と、何処が簡単に、なのかわからぬが(笑)満足できる料理の数々。赤葡萄酒は智利国のMontes Reserve 00年がHK$172はまだ良心的。

八月廿六日(火)下雨没有了。忙殺されく疲労困憊、北角を車で通ればSARS疫禍以前の如く大陸からの旅行者多し。北角波止場のバス停をよく利用したがビル解体工事にて出る煤塵だの恐れ須臾立ち寄らずば集合団地(昨年10月の日剰に写真あり)もすっかり解体され北角の波止場までぽっかりと空間あり。帰宅してカイエンペッパーかなり効いたハヤシライス食す。『東京人』九月号読む。
▼首相小泉三世の憲法改正について愚説宣ふを聞く。曖昧なる憲法見直す点は多く、と小泉三世挙げたる例はまず自衛隊。自衛隊は軍隊じゃないのか、自衛隊には戦力がないのか、常識的に考えておかしい点もありますね、と。自衛隊は実は軍隊であり戦力であるのは事実、だが憲法が非武装を謳ふは理想主義にて、それが曖昧だの事実と相違すことは現実にてあって当然。また小泉三世は43条(両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。)を例に挙げ衆院の小選挙区「選挙で落選した人が、どうして比例で救われて国会議員になっているのか。一般の人は疑問に思っていますね」と。それ故に43条改正が必要と仰るが、そもそも党に投票することで個人的に嫌悪する者が当選することもあり得るが比例代表制、たかだか選挙制度の技術的問題を理由に憲法改正とは。妄言、失言、虚言の癖ある御仁ゆえ発言の仔細を論っても意味なきことかも知れぬが、結局、聖域なき改革だの自民党をぶっ壊すだの息巻いても、結局は『侍ジャイアンツ』の主人公・番場蛮が巨人軍を毀すどころか巨人にて大活躍するが如く、本人はそこでの大活躍気取り。改革といへば教育基本法だの憲法だのと実際の改革とは無縁の理想主義の範疇をば易ることばかりに躍起、自民党をぶっ壊すといっても当の自民党内部で変人扱いされ相手にされぬ現実。自民党内部にしてみれば国民の支持率だけは高ければ首相に据えて置くには吝かでもなく再選すら可とは。いずれにせよその支持率を支えるは国民、小泉三世の愚政の元凶は国民に責任あり、当然、日本といふ国が悪しきほうへ悪しきほうへと流れ、その竹篦返し受けるも亦た国民か。南無阿弥。

八月廿五日(月)台風の余波に晝まで暴雨。雨上り日暮れに銅羅湾Inside Outにて諸氏とステラアルトワ一飲。帰宅して鮭あら煮食す。文藝春秋九月号興味なき記事飛ばしつつも読めば三時間余。「変人内閣全閣僚を採点する」だの「『官邸の妖婆』福田康夫研究」「緊急特集12歳の殺人者」だのと見出し躍るが内容はさしたることもなし。特集「証言日本の黄金時代1964-1974」も多くの記述の中で、御廚貴が坪内祐三と田中建五との鼎談にて京極純一が政治学の講義で佐藤内閣終焉し田中角栄首班となった日に「今日をよく覚えておきなさい。田中角栄が総理になったことで日本の政治は確実に変わる。おそらくは品位のない方向に。これは大衆民主主義のひとつの帰結だ」と述べたといふ回顧、それに東京オリムピックの日に橋本治が、高校二年生だったその日、二階のトイレの窓から、国立競技場の上空にかかった五輪形の飛行機雲と、その青い空の下に広がる妙にガランとした東京の町を見て、「大の大人がなにに興奮しているのだろう?」と思いました。あの時から、日本人は「分相応」という言葉を捨てて、ただ前に進むことばかり考えて、「反省する」という能力を退化させたと思っております。といふ二つの文章だけが印象に残る。それにしてもNHKアナウンサーであった鈴木健二が東海道新幹線開通の実況中継にて述べた言葉、それが30年後にNHK放送文化研究所のまとめた「テレビで印象に残った言葉」の第一位に選ばれたと相変わらず手前味噌に紹介しているのだが、もしあなたの家のテレビに一秒でも何も映らない画面が出たら、それはテレビの技術が新幹線のスピードに負けたことになるのです、といふ文句、今読むと古館伊知郎の廿年前にすでに全く意味のない語り、これぞ橋本治の指摘する「大の大人が何に興奮し」進歩を追ひ「反省する」という能力を退化させた、その明らかな表現。他に興味ある記述では「あの」渡邉恒雄が最も記憶に残る出来事して当時讀賣新聞の華盛頓支局長でのドルショックを挙げていること。ドルショックの時の水田蔵相以下大蔵官僚や日銀が判断誤り為替市場開いたまま円売りドル買いに走った事実、この時にすでに日本政府の国家としての無策と米国追従が明らか。ちなみにこの10年で最も記述多きは三島由紀夫割腹自殺。あの事件がアポロ11号の月面着陸(これを余は未だに事実とは思えず)の翌年といふのも近代の交錯。市ヶ谷の割腹現場の写真がない『女性自身』編集部が赤瀬川原平に想像で現場のイラストを描くよう依頼あり、赤瀬川氏はそれを辞退、もし描いていたら是非見たいもの。『女性自身』から、ってのがよし。三島事件に割かれた8頁のうちに銀座の天麩羅・天一の広告。お若い頃から「いろいろな意味で」銀座好きの三島先生は天一で天麩羅食されたのか、とそんなことを想像。芥川賞の吉村萬壱「ハリガネムシ」読む。石原慎太郎など評価するが宮本輝の批判に余は同意、今さらの性と暴力、吉村氏の文体の会話は涙出ずるほど新鮮ながら地の文はいただけず。地の文といへば中上健次の凄さをあらためて感じ入る。
▼文藝春秋といえば『週刊文春』にノーベル賞田中氏に「空白の四年間」の過去あり、と。少し期待して見たが「たかだか」民青の活動歴(笑)。当時の東北大の工学部で民青くらい言及するに値せず。

八月廿四日(日)台風広東省南部より海南島に向け香港近海を通り昨日より台風警報一号発令、未明に凄まじき豪雨にて目を覚ます。朝には曇天。新聞雑誌粗読。昼前に警報三号に上がり大雨。結局出かけず終いで終日読書。巴里の旅行本など目を通し漸くホテルの予約すればその時期巴里は繁期なれどSt Germain des Presの或るapart'hotel あっさりと予約済む。ついでに巴里オペラ座のオペラとバレエ公演も押える。インターネットにてわずか数分でひょひょいのひょいとは便利の極み。
▼露伴『五重塔』より
格子開くる響爽やかなること常の如く、お吉、今帰つた、と元気よげに上がる来る夫の声を聞くより心配を輪に吹き吹き吸てゐし煙草管を邪険至極に抛り出して忙はしく立迎へ、大層遅かつたではないか、といひつつ背面へ廻つて羽織を脱がせ立ながら顎に手伝はせての袖畳み小早く室隅の方にその儘さし置き火鉢の傍へ直また戻つて火急鉄瓶に松虫の音を発させ、むづと大胡坐かき込みゐる男の顔をちよつと見しなに、日は暖かでも風は冷く途中は随分寒ましたろ、一瓶煖酒ましよか、と痒いところへ能く届かす手は口をきくその間にがたぽしさせず膳ごしらへ、三輪漬けは柚の香ゆかしく大根卸で食はする?卵は無造作にして気が利たり。
……と、いいなぁこの世界。

八月廿三日(土)早朝に驟雨あれど遠くに薄日さしTuen WanのMTR站にてN、Tの両氏と待ち合せ大帽山の麓まで車を雇いMacLehose Trailの9段に入り田夫仔より10段、ここ数日の雨にて永吉橋より眺める水面も美しく(写真)大欖の水塘はそれでも満水時に比べ赤土が七八米は裸わにてこの夏の渇水をば表出すところ曇は晴れぎらぎらと炎天苛しき昼となり屯門見下ろす引水路添いを進み屯門新墟へと下る。約四時間にて計22kmほどの行山路。歩き終りても水一滴も採らず青山公路よりminibusにて一路深井へ馳せ「裕記」にてサンミゲルをくーっと流し込み焼鵝(写真)だの鵝腸衣に海月(くらげ)など食す。minibusにて市街に戻る。両氏と別れ風呂に一浴。太子の花市場にて勿忘草と女郎花購い帰宅。内祝ありZ嬢と三鞭酒にて乾杯、生ハムとメロン、quicheなど少し食す。風邪気味にて「噂の真相」少し読み早寝。トレイルの往路にて露伴『五重塔』読み終わる。文楽にて義太夫聴くが如く場面脳裏にまざまざと浮かぶ露伴の筆致、表現過剰のきらいあり、ドストエフスキーだのゾラだのを露伴翻訳したらさぞや面白し。

八月廿二日(金)驟雨幾度も街を洗ふ。百年ぶりにジムにて筋力鍛錬。帰宅して麦飯に薯蕷(とろろ)芋、京の懐中味噌汁。酒は信州の春香彩(しゅんかさい、と読みたきところ「しゅんかいろどり」とは)。噂の真相九月号にて康夫ちゃんのペログリ日記のみ読む。NHKのニュース、甲子園は茨城の常総学園と群馬の桐生一高との準決勝、Z嬢が「なんかネバネバしている」と(笑)、確かに。Rubinstein先生のRachmaninoffのピアノ協奏曲2番聴けばOrmandy指揮のPhiladelphiaといふ「これでもか」故当然であるが聴き入り曲流れる間何も手につかず。
▼余の日剰五月ニ、三、九日及び七月廿ニ日に綴りたる香港映画祭にての通し劵に関し不明朗であった件、香港政府廉政公署に訴えたところ廉政公署より最終通告昨日書面にてあり。余が通し劵購入後に券裏面の注意書き読み漏らした点は迂闊なれど、いくら映画祭は4月が主としたところで5月の小津特集も映画祭の一部であり通し券にて小津特集が見れぬのなら見れぬと明記すべきで、それに欠けたは主催者側の落度にて今回の件は主催者側に非があったとして通し券全額の返済及びお詫びに小津特集の型録を贈呈、と。余は七月の廉政公署との電話にて、通し券にて4月の映画祭を堪能したも事実であり小津特集にて別途に入場券を買ふハメになったことが予期せぬ出費なだけであり、せめて半額でも返済されれば御の字と述べたが結果的にこのお沙汰。不満なしといへ当方そこまで傲慢でなき意志表示すべきか迷ったが廉政公署のお沙汰にてこれは映画祭主催者側からの提案であることは了か、これで一件落着か。「たかだか」一個人の、このような投訴について真摯に対応せし廉政公署といい廉政公署からの訊問に対してきちんと応える康楽文化署と文化発展局といい香港の行政機構の健全さ垣間見た思い。

八月廿一日(木)雨。雑事多し。晝にHappy Valleyの慕情にて桜海老の天丼食す。使わず蔵ったままの眼鏡をば銅羅湾の日頃馴染みの眼鏡屋に持ち込み老眼鏡、いや最近はシニアグラスなどと嘯くが老いて老眼になるは事実、老眼鏡がシニアグラスなら老眼はシニアアイか(笑)、下らぬ言葉弄び、余も老いには勝てず新聞の「大きな活字」=内容浅きき記事こそ見られても殊に電脳の小さな文字朧げにて使わぬ眼鏡をば老眼鏡に換える次第。帰宅してビビンバ食す。焼酎「真露」切れており「いいちこ」甜すぎるキライあり「いいちこ」にタバスコ一滴たらせばこれはこれで格別。Bernstein先生で昨晩のShostakovichの5番に続きStravinskyの「春の祭典」をば聴く。猛烈な眠気に魘われバ先生の“Rhapsody in Blue”と「巴里のアメリカ人」聴きつつ寝入る。
▼Baghdadの国連事務所爆発につき防衛庁長官石破茂曰く「年内(の派遣)は難しいかもしれない。自衛隊は人道援助をやっていれば安全という話は通用しないということが分かった」と(日經)。海外への遣兵なる行為がどういふものなのか国民の多くが理解していても(おそらく陛下もさふであらふ)プラモの軍用機を「ぶーん」と飛ばして遊ぶことで軍事学んだ防衛庁長官には現実の戦争の厳しさなど理解できずCNNなどで爆撃を映像で見て漸く今頃になってこのような明白な事実に気付く=国会での自衛隊派遣決議の時にはつまりこのような危険も理解できずにいた事実、これについては所詮その程度の認識で自衛隊員=国民が海外に派遣されようとしたことを国民、ことにその対象である自衛隊員は切実に理解すべき。そしてこのような浅き知恵しか有さぬ者に一国の軍事を委ねてしまつている事実を国民は猛省すべきでは?

八月廿日(水)不在の間の植木だの郵便整理。昼前に出街。中環にてB/Wの写真現像に出す。蹴球の博打今ひとつよくわからぬまま今晩の日本対ナイジェリアは新聞にもオッズあり日本が勝つであろうと信じて場外へ寄るが公式には賭けは張られておらずマカオかノミのためのオッズだったのか、と理解。卑利街の陳成記にて牛南伊麺。春回堂にて涼茶。汗どっと吹き出し香港に戻った気分。午後、ジム。尖沙咀のHMWにてSonyから出ているLeonard Bernsteinの10枚のCDからなるThe Original Jacket CollectionとRubinsteinのピアノ協奏曲でTchaikovskyの1番(ラインスドルフ指揮のボストン交響楽団1963年)とRachmaninoffの2番(オーマンディ指揮のPhiladelphia管弦楽団1971年)贖う。Bernstein先生のほうはBeethovenの5番、ウエストサイド物語、Mahlerの7番、Stravinskyの春の祭典だのBerstein先生の名盤をLPの装丁そのままCDに復刻したもの。晩にZ嬢と砲台山にて待ち合せ●江春菜館にて蜆仔煎、鶏巻、滷大腸など福建料理。帰宅して有線電視にて蹴球見れば日本3-0で大勝。
●は「門」構えに「虫」で「びん」の音

八月十九日(火)朝ホテル出でれば冷え冷えとした小雨模様。淀橋写真機店朝から店開け電脳売場にて旅客機の座席にて使へる電源アダプタの在庫在りやなしやと問へば店員そもそも旅客機にて電脳使用不可と申し此々然々にて近年は座席に電脳用の電気供給ありと説明いたせば店員何処かへ電話にでも確認して在庫なし、と。携帯電話のAuにて料金前払いの電話につき勉強。小田急ハルクの写真機之土井。電源アダプタは同じく、なし。ふと空港の売店で探すべきと合点す。電脳の日本語変換がためマイクロソフト社のIMEでは余りに頼りなくジャストシステムのATOK-16のソフト贖ふ。南口まで歩きFlagsビルのOshman'sにて運動着、小物の類贖ふ。東京に運動具店多きなかOshman's何処か色気ある店にてエアロビなど業界関係者多し。ちなみにこのFlagsビルの場所こそ曾て臺北飯店、酒処日本晴のあった新宿のドヤ街最後まで残りし一角。Z嬢と其処で落ち合い昼飯時。このFlagsビルにて伊太利料理Kihachiにてパスタでもと提案せしがZ嬢「いわゆる支那ソバ」所望し南口より三越裏にある歓楽街に店構える「山田屋」にて昼から麦酒、餃子に半チャンラーメンといふ下品この上なき美味さ。ホテルに戻り急ぎ荷物拵へ新宿駅まで荷物押しつ参れば南口からホームへは昇降機も電梯もなし。新宿駅の場合もともと空港行き列車の発着など想定しておらずまだ致し方ないかと思へど成田空港に着き第一ターミナルにてホームが地下二階、出発ロビーが地上四階なる構造を見るにつけ、やはり何か発想に誤謬ありと感じざるを得ず。宅急便にて空港留めで送りし荷風全集など荷物三つ受領し登機手続きせば二人で荷物90kg(笑)、勉強して頂き10kgの超過料金払ふ。家電の売店にて確かに目当ての電源アダプタ見つけるがSharpには対応せず断念。Cathay Pacificの休憩室にて昨日の蘋果日報と南華早報読む。保安局長・葉劉淑儀十七日に米国は桑港に向け離港した由、あの不愉快なる尊顔に拝さずに済むは吉報なり。定刻より十五分も早く旅客の搭乗済む奇跡。ひとまず長旅も終り迎へZ嬢と三鞭酒にて乾杯、いつもの亜州精進菜を肴に黒松白鹿二合ほど飲む。機内映画にてケインコスギ氏主演の“Muscle Heat”と成龍の映画見るがやはりアクション映画に興趣なし。“Muscle Heat”は暴力だの麻薬だのの蔓延る近未来の不法都市東京が舞台、それから永井豪の一連の作品であるとか村上龍『コインロッカー』、大友克洋“Akira”、映画では岩井作品『スワローテイル』のYen Cityなど彷彿するが現実の東京もそれに近づくのは事実か。多民族化が其処にあり、それで思い出すのは石原慎太郎の今月四日の朝だかの産経に掲載されし「日本よ!」にある支那、朝鮮人への差別とそれに矛盾するかのような外国人受入れの発想の矛盾、真剣に考えると複雑であるが、結論として石原が支離滅裂である、といふことが結論か。香港に到着し入境手続き済ませば荷物は早やターンテーブルに周り荷物回収し荷車押して平坦を進めばすぐにAirport Expressのホームにて係員荷物車内に積込むを手伝い市街の站とて同様にタクシーまで。この便宜ぶり、何故に日本にて望めぬのか。車内とて静寂そのもの。日本での、あの「お忘れものにご注意ください」「次の駅での乗り換えは」といふお節介、「昨日までの大雨でダイヤが大幅に乱れ乗客の皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたことを心からお詫び申し上げます」などといふ過剰な善意、車内での携帯電話のご使用は他のお客様のご迷惑になりますので……といふより、その放送のほうがよっぽど迷惑。携帯よか間抜け面に化粧に熱心な女、酒臭いオジサンたち、足投げ出して坐る若者、オバサンたちの会話のうるささのほうがよっぽど迷惑なのだが……。香港に戻り日本の愚痴を言ふのは歇るべき、自省。旅客機の着陸から一時間余にて帰宅して坐って茶の一服もせぬまま90kgの荷物の片づけ夜半三更に至る。一旦綴った日記は消えHP作成のソフトは行方不明になり、と疫菌の災ひか電脳の調子悪し。

八月十八日(月)朝、駅に向えば小雨のなか駅前の宿無者、軒ある処に非ず、雨あたるベンチにビニールシート被り臥すを見る。かつてバス並び賑わいたる駅前、空中回廊伸びて遠めには近代都市なれど路面にゴミだの吸殻など散乱甚だし。寂しきこと限りなし。特急にて露伴『五重塔』数頁読み眠りに陥り東京。新宿に向かいHotel Century Southern Towerに投宿。受付にて依頼もせぬうちに先日預けた荷物、上着の類クロークより持ち出さる手際の良さ。午前11時前ながら部屋に通され明日も13時すぎまでの逗留も可。Z嬢実家より戻る。昼につな八本店にて穴子天丼。二階席数えればカウンターと座敷にて32席を三人の揚げ方にて全ての客の食べ具合に合わせ天麩羅揚げる様、給仕する者との効率よき対応、見事といふばかり。午後、Z嬢と別れ独り新宿に遊び夕方日本橋。永頼堂にて扇子二本。丸善にて便箋、原稿用紙など購う。銀座。歌舞伎座前にて築地のH君と待ち合わせ。夜の勘九郎丈の野田版鼠小僧、連日大入りのところ切符余った客より一階席を要りませんか、と声かけられるが見れぬは残念。H君と木挽町の横丁にあるJohn Lennon偲ぶ喫茶にて歓談。築地に歩きZ嬢と待ち合わせ三人にて月本氏待つにぶらりと入った鳥芳なる焼鳥屋、焼鳥さることながらお新香、鶉卵の大根おろし和え、鶏スープも美味。月本氏と某局の元アナO嬢と五人で「ささ屋」。O嬢と別れ四人で銀座八丁目の西五番街にある、かつて「とりふじ」のH氏営む葡萄酒酒場にて一飲。十月の巴里にての再会を願い月本氏と別れH君Z嬢と新橋より国電にて新宿。管理教育と愛国心話題となりZ嬢酔いに疲れ「小学生でも音楽の授業で君が代歌唱指導徹底され、君が代を三番まで歌えとか、そういふ……」と口走り余もH君も君が代のニ三番の歌詞咄嗟に思いつかず頭の中早送りで君が代歌へば君が代にニ三番などないことを認識(笑)。これから君が代の普及に熱心なる輩と遭遇せし際は「そこまで君が代、君が代と言ふのなら、ちゃんと三番まで斉唱してみなさいっ!」と言って差し上げれば相手間違いなく一瞬絶句し頭の中にて君が代歌い三番までを確かめることは確か。新宿にてH君と別れホテルに戻り東京最後のテレビ深夜放送ぼんやりと眺める。

八月十七日(日)小雨。朝、友と別れ土浦より実家に戻る。日韓の携帯電話の「勇気ある孤立」により世界基準のGPSから日韓両国に来た者には甚だ不便あり。日韓での年に数度の使用のため毎月の高き月額払い番号維持するのも馬鹿馬鹿しく、前払い方式は僅か三ヶ月の未使用にて電話番号抹消される不便もあり。DocomoもAUも要領得ぬところブラリと入ったJ-Phoneにて聡明親切なる副店長よりVodafoneなるW-CDMAとGSM対応の携帯(ベツカム君宣伝に起用)紹介され日本にて未使用であれば月額僅か650円も納得。残念ながら在庫なし。東京にてかなり反響ありW-CDMAのまだ普及せぬ地方に一旦は配った電話機を東京に戻したる由。昼に芸術館の中庭にて小学よりの畏友J君と再会。J君の奥様、二人の娘息子にも初めてお会いしご挨拶。J君と二人、郷里のかつて賑わいし酒場街、昔を懐かしみつつ歩き裡信願寺町の中川楼と云ふ鰻で評判の老舗の料理屋。余が子どもの頃から少しも変わらぬ門前より玄関に続く径、古き料亭の造り、庭眺める座敷といふJ君らしき招飲まことに有難き限り。あっさりとしたタレの蒲焼はキョービの多くの鰻屋の甘く滷からき味とは異なり秀逸。余の祖父の頃から親しくさせて頂く店にて老いてもなお品ある女将さんにご挨拶いただく。昔を思いおこせば中川楼にて宴会で最後に出されたる蒲焼をすでに酔いもまわった祖父や父は箸つけず折詰めにて持ち帰り翌日の余の幼稚園のお弁当にこの蒲焼といふ今思えば何といふ贅沢か。祖父や父たちがかつて蒲焼に舌鼓打ち酒に酔ったこの店にこうしてJ君と訪れるも何とも言葉にならぬ感慨。老いるもまた愉し。J君を自宅に車で送る。J君の広大なる屋敷はかつて狸狐の出そうな土地も今では近くに国道バイパス通り、そこに出れば市街の閑散に比べ店々並ぶ賑わい。夕方、母とCafe Trois Chambresなる珈琲店にて一飲。「たかだか」といへばたかだか一杯の珈琲淹れるに神妙なる抽出、客はそれ15分以上を只管待つは世界にて日本にあるのみの文化、か。確かにグァテマラ注文すればグァテマラの香り。香港にてはグァテマラなど珈琲店にてもEgyptian Greco Coffeeのご主人除けば誰も知らぬ話。母と久々のよもやま話。近くのHolyday Innホテルの「滬」なる中華料理屋、立ち寄りフロントにて電話番号もらい見習いの如きスタッフに「この中華は何料理ですか?」と尋ねたところ多少戸惑いつつ「上海料理となります」と滬が上海の字と知ってか知らずかいずれにせよ確か。晩にこの店に両親と妹連れ食す。上海料理といふがいわゆる中華全般。帰宅してWild TurkyのFreedomなる古酒、コルク屑だの沈殿物だのあり紙フィルターで濾して飲む。昨晩ザ・フォーククルセダーズの昨年末の音楽界の再々放送あり妹に録画頼み今晩見る。CDにては何度も聴きしものの映像にて坂崎幸之助あらば坂崎氏音曲にいくら上手とてやはり「はしだのりひこ」なきフォークルは余の三十数年前に聞きしフォークルに非ず別物なり。歌舞伎の口上とした幕開けの演出面白くも観客の多くは舞台上の役者が口上流暢に始めて白塗りの顔見てもその声聴いても猿之助本人名乗るまで沢潟屋だと気づかぬほど、猿之助ほどの知名度とてこの程度とは……。それにしても「イムジン河」、勿論三十数年前に朝鮮半島の現実歌ったことの意義は大きいが今回の演奏での北山修によるMCにせよテロップにせよ「ハングル語、ハングル語」と。ハングル語とは何ぞや。
▼築地のH君より。自民党のいっとき評価もせし谷垣禎一君が靖国神社参拝。ちょっと買いかぶりすぎたか、とH君。首相になるには親分の「ハト派」加藤紘一を反面教師にしたか。日本を救うには「守旧派」亀井静香チャン首班? イラク派兵について自民党では野中と古賀誠がイラク派兵に反対して採決時退席、もう一人は稲葉大和という元科学技術庁長官、新潟3区選出で尊敬する政治家は田中正造、と。
▼久が原のT君より終戦の日に当たり綴りし日剰送られ一読に値する内容。要旨のみ書き写せば、四月二十九日の先帝御誕辰をみどりの日、昭和の日と小手先でいぢくりまはして連休歓楽の名目を餝るより、沖縄陥落の日、広島長崎焼尽の日、終戰日をば休日になすべき、と。靖国も常人を神と祭るは本邦古来の伝統になく、人の魂と神霊とを同列に扱ふほど神々に対して不敬はなく、明治以前は天皇を祭神とするは御霊たる崇?院など除けば百二十五代中僅かに応仁天皇?功女皇の例を見るのみ、仲哀天皇の香椎社も中古には廟と称し 他の?社とは性格を異に処す。T君曰くところの「祖霊信仰と神社神道とのネヂレ」、靖国も「参拝事実の可不可のみあげつらひ、肝腎の信仰を論ぜぬ」錯誤。耶蘇の降誕祭には青山表参道の街路樹に電飾騒動あり「人波の多さを論ずる者のみにして、明治大帝を祝ひ奉る社の参道に異教の祝儀もつてのほかなりとの「正論」は聞かざり」と。御意。

八月十六日(土)雨。盆の帰省の混雑もなき常磐自動車道で筑波の研究学園都市。時間潰しに覘いた医学部近くの古本屋に良書多し。白水社『チボー家の人々』5巻は3,000円。鴎外全集欲しくも今回は見送らねばならず。I君と会ふ。筑波を走り一浴し夕方土浦市内に入り私塾営むM氏の許を予報もせぬまま突然を演じて訪れる。暫し歓談し日暮れに大雨のなかM氏に連れられ常総寺に4年前に亡くなりし同い年の畏友H君の墓参。H君の逝去より四年ずっと心に気がかり、漸く墓参となりH君にはこの遅き再会をただ詫びるばかり。中学の頃に出会い高校時代に土浦の花火大会、桜川土手にてビールとウイスキーに酔ひたる遠き昔を思い出すばかり。塾に戻り暫しM氏と語らい旧友と筑波の宿。
▼旧制水戸高校にてマルクス主義を講義し戦後の一時期まで学生と学術界に主体性論でかなり大きな影響与えた梅本克己、その学生であるとか丸山真男、安東仁兵衛、粕谷一希らの梅本克己に対する追悼の文章纏めた『回想梅本克己』(こぶし書房)を母が梅本夫人より頂いており数日寝床に臥せてからこれを読む。戦後、日共へ入党を公言しマルクス主義に基づく主体性の確立に挑んだ梅本氏が結局、革命への大きな流れと挫折の結果として毛沢東の文化大革命に絶大なる期待を寄せ、その負なる結果を知らぬまま他界したこと。

八月十五日(金)昨日から雨止まず何度か雨音に目覚める。冷夏。気温は摂氏廿度ほど。紐育など米国北東部にて大停電。終戦記念日ながら終日このニュース筆頭にかなり長く報道されるが、規模大きく都市機能がどれだけ混乱しようと停電は停電、テロの仕業という可能性も否定され、いくら混乱しようと「まだ停電が続いています」「9-11に比べ紐育市民は冷静に対応しています」と意味なき報道続く。テロに非ずと早々に米国政府見解を述べたが彼の国の場合、テロと述べるとテロに非ず、テロに非ずと述べるとテロの可能性もあり、かも。先に東京に戻るZ嬢を駅まで送り昼に母と三日連続で昼に蕎麦、常陸太田の河合にある多季野(たきの)なる蕎麦屋。秀逸。昨日訪れし大叔父の家に寄り上等の米と挽いたばかりの小麦粉いただき、今は誰も住まず廃屋となり十数年の父の生家の写真を外観のみ白黒にて何枚かContaxのG1に納め母が育ちし町にて何軒か子どもの頃からお世話になった家にお盆のご焼香に参るのに付き合い、叔母の家に寄る。帰宅して一人、町中の菩提寺に祖父母の墓参。自衛隊の駐屯地近くのスーパー銭湯に一浴。帰宅して久々に父母と妹と晩餐。友部の花薫光なる酒を開封するが芳香強き甘口にてとても食事には合わず冷やしてシャーベットにすることを提案、母も賛同。明石の太陽酒造の赤石の限定品の酒をいただきつつ茨城の那珂町額田(ぬかだ)の宿場町の豆腐屋(名前も知らぬが「つぼ焼」なる和菓子で有名な「大金(おおがね)」なる和菓子舗の近く)額田で豆腐屋といへば此処しかなし。この店の木綿豆腐と美味なる厚揚、石下町のクロサワなる鶏屋の鶏丸焼きなど食し手打ちうどんにてけんちんうどん。。昨日綴りし那須の御用邸御用達のお菓子は扇屋総本店の「鳳鳴」なるお菓子。ちなみに一つ七百五十円也。大ぶりで半分ほどいただく。終戦記念日にあたり朝日の社説のみ読んだが言いたいこともわからぬでないが脈略といふものなし。

八月十四日(木)厳寒。昨日よりの寒さ一段と厳しく朝イチの風呂も眠気覚ましどころか暖とるほど。那須の最近の人気の土産は雅子様もお気に入り=愛子様もお食べになるお菓子だとか。那須郡湯津上村は各家の街頭に屋号の看板など掲げる風情の残した古風な宿場町にて町外れの天鷹酒造にて酒購ふ。馬頭もまた古き宿場町。峠越えして茨城に入り大子町の月待の滝にて手打ち蕎麦。奥久慈の山間道を抜けて竜神峡に至れば奥久慈といへば東京でも名を馳せる西荻窪の慈久庵は金砂郷の蕎麦粉使ふはご主人がこの近隣の出身にて竜神にも慈久庵の蕎麦屋を出すが田舎蕎麦の地元にては気取った蕎麦は如何なものか。蕎麦好きの両親は「奥久慈の」慈久庵は評価せず。大叔父の許訪れ祖父母と叔父の墓参り。旧盆らしさ。晩に余りの寒さにZ嬢と妹とちゃんこ鍋。夏など商売あがったりの鍋屋も突然の寒波に商売繁盛、だが閑散期で旧盆では従業員も休み多いらしく慌てて集めたような従業員しかおらずてんてこ舞い。妹の話では駅周辺だの駅南の新しい市街など荒れて夜など浮浪する若者の愚連隊多く恐喝だの窃盗だのの事件絶えず、と。紐育は危険で夜も歩けぬなどと噂して「それに比べて日本は安全」などと数十年にわたり「他人の振り見て我が振り見逃す」を続けた結果がこれかと思ふと寂しいかぎり。昨晩の温泉に続きNHKの再放送にて『大地の子』を母と見る。北京から左遷され内蒙古の製鉄所勤務となる陸一心が北京南站発のホルホト行きの列車に失望のなか乗るのだが、80年代前半に「北京南」といふ駅はなく永定門だったかが駅名で、ホルホト行きなどの長距離列車は当時の北京站発のはず。

八月十三日(水)午前、歯科治療受ける。香港の養和医院の歯科にて奥歯の裏側に虫歯あり場所的に削る治療できず内部もひどくなっている可能性あり歯に被さる金属を除去して虫歯治療の上再び金属で被せることで保険使ってもHK$4,000と見積もられた部分。O医師曰く虫歯といふよりも場所的に最も歯磨き難しき部分で汚れに因るもの、確かにこのまま放置すれば数年後に虫歯になる可能性もあるが、研磨するだけで虫歯治療は必要なし、と。近所の書店は大店にてかつて二階建の広い店には書籍と客溢れていたものが今では二階は閉鎖して書籍も品薄、客も数名と唖然とするほどの寂しさ。この商店街ぢたいかつての隆盛なく閑散とし買い物客もほとんどおらぬ平日の午前、仕方ないのであろうが、書店は一応、新刊書は並んでおり光文社文庫の今月より刊行始まった江戸川乱歩全集二冊、それに明らかに品薄の書棚を埋めることが目的に置かれた別冊太陽や白州正子など平凡社の特集本のバックナンバーが置かれており、そこで別冊太陽の『発禁本』3冊揃っており、かなねからかなり興味あった内容で早速購ふ。戦前のマルクス主義からエログロナンセンスまで。天皇の戦争責任を問う雑誌から三島先生も愛読されたといふ『アドニス』まで結局、政治思想とエロティシズムが「発禁」といふ二文字によって結びつく面白さ。昼に車で両親とZ嬢を乗せ、午後、福島の馬頭町なる山間の古い宿場町の蕎麦屋「いせや」。夕方、西那須の大鷹の湯なる湯治場。西那須といっても那須の山間には入らぬ、東北自動車道よか少し東側、温泉宿といふには施設乏しくも良質の温泉は肌によし。「特別室」なる、ちょいと上等の温泉宿なら普通のニ間続きの和室に一泊。

八月十二日(火)晴のち雨。ホテル退出し荷物発送など依頼、昨日購った皮靴を昨晩さっそく酒場にて踏まれて傷にはならぬだろうが気になる跡残り新宿駅西口で靴磨き捜すがかつて路上にずらりと並んだ靴磨き屋も小田急前にて捜して漸く一人見つかり傷隠しのインキ塗って靴磨き。丸の内線で銀座。歌舞伎座に手荷物預け大野屋にて手拭い数本、和光にて懐中時計用の腰紐は黒に染めた絹にて和光特製を購う。日比谷より三田線にて芝公園。外務省仮庁舎。厳戒警備にて構内に、そして本館に入るのにも身分証明書の提示求められかりに保険証見ても本人のものかどうか証拠もなく顔写真入りの例えば免許証見せたところで本人確認できても入館記録に綴るでもなく不審者かどうかの確認はできぬだろうに。香港の永久居民用のIDカード見せるが一瞬怪訝に思ったようでも外務省勤務のM氏と近くにてインド料理。大門より浅草線で新橋。銀座歩いて歌舞伎座に戻り文明堂で母とZ嬢と待合せ、午後の部で勘九郎丈の牡丹燈篭。東の桟敷席。中村屋が圓朝演じるが上手い役者だが口跡だけは多少明瞭感に欠けるところもあり。当代で圓朝演じさせてニンがあり口跡のよさでは仁左衛門だろうか。けして本筋の台詞もなければもともと上方の役者でもできぬ役ではなし。橋之助、福助の兄弟と三津五郎という中堅のいい役者揃い熱演。八十助といへば踊り上手で勘九郎、橋之助対手にいい踊りをいくつも見たが、伴蔵役の三津五郎はかなり恰幅ありこれがあの八十助か、と見紛うほど。ただし最後の本水使った雨の場面などやはり身体の動きは若い頃の八十助らしさ。橋之助はさすがハッシーの芝居上手で源次郎役はニンあり。女房のお国役の扇雀は台詞が早くなるとどうもテレビドラマの如き現代の会話に聞こえる。伴蔵の妻役の福助は久しぶりにみてやはり芝翫の流れの古風な女形と納得。最後、圓朝(勘九郎)もう一度現れて話を締めるかと思ったがあっさりと終わってしまい客席から「これで終わり?」という声もあり。日暮れて実家に戻るが路線で列車故障だかあり1時間ほど遅れ。気温ぐっと下がり21度とか。3月に香港に参られた中学時代の恩師の家に招かれ夜遅く駅からK先生宅に直行。近くの川にて採れた鮎の塩焼きなど庭で炭焼きでいただく。酒はさつま焼酎の明治の正中。琉球泡盛・忠孝の古酒いただく。二年ぶりにて実家。

八月十一日(月)大江戸線にて六本木。終日、外務省外交資料館にて戦前の香港邦人社会の資料閲覧。大正以前の資料にはお目にかかれずも昭和に入っての時勢緊迫するなかでの日本人学校廃校などのやりとり興味深し。夕方新宿に戻り一憩。伊勢丹にて夏物の朝の上着とBurberryの靴購ふ。香港より質がよいのは当然として廉価なり。紀伊国屋書店にて露伴『五重塔』と『努力論』、丸山真男の岩波新書での解説本しか読んでおらぬ諭吉『文明論之概略』、それに『日暮硯』(以上岩波文庫)と夢野久作『ドクラマグラ』上巻(角川文庫)購ふ。3丁目の「海森」なる琉球料理屋にて10年ほどまえに香港に住まわれしC兄、Y兄にT君と旧情温め歓談、明治通りよりちょいと入ったY兄の贔屓にする酒場にて一飲。

八月十日(日)台風一過の快晴。朝ホテル出で陽射しすでに厳しき炎天下歩き常圓寺に祖母と叔母の掃墓。日本橋に育ち空襲にて焼き出される以前は四谷住まいの祖母は余が幼少の折から芝居だ日本橋に浅草と余を連れて遊び歩き余に東京(とうけい)の粋を授け余は今もって銀座歩けば今はなき玩具のキンタロウにて好きな玩具を余に買い与えしことも懐かしきことなり。西武線に乗りZ嬢の実家に赴き昼すぎ多摩モノレールにて立川、中央線にて国立。吉祥寺へと向ふZ嬢と別れDisk UnionにてCD眺め東西書店にて村上春樹&柴田元幸『サリンジャー戦記』(なんといふ下品な書名か)など本買い求め畏友N兄の新築なった雙徽第(そうきてい)訪れる。N兄の個人住宅ながら能舞台(写真)茶室など設けし生粋の庵にて陽光各所より庵に差込み白木も映え此処に宿る人に注がれし「まなざし」を意識せざるを得ぬ工夫各所に冴え渡り見事とただただ感嘆するばかり。夕方に畏友・久が原のT君駆けつけられ暫し歓談。N氏が敷地内に野生の茶葉にて煎てし茶を一服。N氏に問われ味わえば龍井茶にかなり近き茶葉。余十五年ほど前に一年ばかり此処の旧宅に客居させていただいきしことあり、当時の旧邸の玄関の扉など新邸に用いられ旧景を懐かしむ。分倍河原の駅までN兄に送られ(ちなみに分倍とは真に下品な字とかねがね感じてはいたがN兄よりかつては梅の木を多摩川の対岸に分けての分梅と知り納得)18時08分発の京王線に乗り新宿経由にて四谷あたりで六本木の上空に十三夜の見事な月崇め18時53分にJR御徒町駅に着きZ嬢に出迎えられ従兄弟のS兄夫妻、千葉に住まいしK君と許婚のT嬢とで御徒町の京町屋なる酒肴の店にて一宴。旧情温め歓談三更に至る。深夜の中央線にて新宿に参れば車内の様々な奇抜な若者らの姿眺めてはZ嬢と「まるで天井桟敷の舞台の如し」と呟き、新宿駅に降り立てばホームには泥酔の若者、ナケナシの小銭にて改札潜ったか酸っぱき悪臭放つ浮浪女、ホームに倒れ嘔吐する泥酔者など溢れ、新宿駅南口出てば改札周辺の地べたにコンビニで購いし弁当など並べ喰らう少女ら、嘔吐我慢できずタクシーから急ぎ降りて路傍の植木に嘔吐する男、薬剤中毒かわけのわからぬこと絶叫する輩など地獄絵図の如し。ホテルに戻る一帯は久が原のT君の回顧の通りかつてのドヤ街「整備」され見た目綺麗な広場続くが路上には塵だの煙草の吸殻、飲料の空き缶など散乱し、Z嬢曰く見た目ハードは整備されてもソフト全くそれに呼応せず。御意。終戦直後の闇市とてゴミ散乱せし地べたに座り込み喰らい酒飲み男女抱擁せし光景などなし。条例にてポイ捨てなど厳しく規制されし香港のほうが美観と思えるほどの新宿の醜悪ぶり。ホテルに戻り部屋より眺めれば十三夜の月は明治神宮の上空にて輝きその名月愛でる言葉もなし。尊敬せし月本兄よりご丁寧にファクス頂き余の来京に今宵牛込柳町のN氏宅にてS氏らと宴会に招飲、忝し。

八月九日(土)未明に目覚めテレビつければ台風畿内に上陸、京都も暴風圏に入りしが窓外に目をやれば庭木だの蹴上の山上の樹木風に揺らぐばかりにて雨も降らず。朝寝決め込み目覚めれば風強き曇天に薄日すらさすほど。昼にホテルを出ず。ホテルの送迎バスにて四条。鴨川の水も岩瀬隠れるほど嵩をます(写真)先斗町歩き木屋町にてお好み焼き。堺町通三条下ルのイノダコーヒー本店にて珈琲とシュークリーム。Z嬢が駅までMKさんならタクシー乗ってもいいと申しちょうど高倉通り上ルMKのタクシー客降すところ、余は未だMK知らず、乗って京都駅までと願えば「方向が逆になりますがぐるりと回らせていただきます」と丁寧、Z嬢メーター倒れておらず空車のままなのに気づき運転手に告げると「遠回りになりますからその分は……」と運転手氏。烏丸通にでも出たらメーター倒す算段らしくこちらが恐縮すると遠慮して「それではメーター倒させていただきます」と。敬服。ちなみにMKは日本の文化を大切に、と着物浴衣作衣に僧衣など来た客は1割引のキャンペーン中。運転手氏によれば早朝には視界遮られるほどの大雨あり、と。ホテルより荷物、駅の都ホテルのシティチェックインに届けてありタクシー八条口に着けるとタクシー客待ちでかなり並んでおりMKに乗りたくても他会社の車来たらMKに乗れぬのかと思えば八条口前にMKのVIPステーションあり。シティチェックインにて荷物受け取る。ここでチェックインすれば市内観光して晩にでもホテルに着けば荷物部屋まで届いているといふ配慮、当方は先日それを知らず時間の損。14時すぎののぞみに乗車。夏休みの土曜日とはいえ子どもら五月蝿く親がそれを全く注意せぬことに呆れるばかり。こうして我侭な子ども育ってゆくと思うとそら恐ろしきばかり。耳栓して浄瑠璃寺住職佐伯快勝師の『古都めぐりの仏教常識』読む。雨は降らずとも天竜川、大井川に富士川と堤防の土手まで濁水あふれるほどの流れ山間での大雨のひどさ想像するばかり。横浜すぎると雨ひどく東京駅よりワゴンタクシー雇い新宿のホテルセンチュリーサザンタワーと告げるとホテルを知らず新宿の南口で山手線はさんで高島屋と反対側といっても運転手困った表情でぶつぶとと何事かつぶやくばかり。車はとにかく二重橋のほうに向かい心配になり「首都高入るのですか?」と尋ねれば首都高に入るといふが信号に泊れば地図見つつ何処で首都高下りるか決断できず余が「それじゃ代々木で」と指示して代々木で下りて青少年総合センター前にて無理矢理の方向転換して代々木駅経由してホテルに着くが車寄せに逆進行で入り(笑)結果的に台風の強風のなかホテル玄関に乗り上げ誘導員の大顰蹙かうも当方には雨にも濡れず幸い。東京の道に慣れぬ新入りの運転手もいて当然だが比較的長距離の客多きワゴンタクシーの運転手にこの人を選んでしまふタクシー会社も何を考えてるのか。ホテルの部屋は32階にて新都心から明治神宮にかけ武蔵野の遠くまでの眺望。荷物片付け東急ハンズにて香港にては三年かけても見つからぬ道具の類1時間グリコばっちり買いまショウ的に買い漁る。探したアイテムも何種類もあり店員の知識も見事なことは日本のこれは誇れる文化。風強きものの雨はあがる。新宿南口の変貌は著しく南口といへば15年ほど前に居酒屋日本晴だの台北飯店だのあったドヤ街から残った一角もいまではルミネ2となり、酒処といえばの五十鈴もありやなしや。強風にて伊勢丹は正面玄関のシャッター下ろして営業。晩は新宿3丁目の末広亭近き鼎(かなえ)にて美味い肴で一飲。さんまのなめろう、馬刺に岩牡蠣。酒は大分の鷹来屋の純米酒。熊本らーめんの桂花にて太肉麺。明治通り下りそぞろ歩きホテルに戻りテレビ鑑賞。

八月八日(金)台風奄美大島より高知に向ってゆっくりと進むが京は朝、青空広がり早いうちに、と三条経由で京阪電車で出町柳、叡山線で鞍馬。鞍馬寺参拝。鞍馬の見事なばかりの欝蒼とせし杉林(写真)のなか奥の院(写真)、圧倒されるほど勇壮なる木々が文字通り「のさばる」小径(写真)下り貴船神社。水の神にて雨乞い、雨止みを祈るそうだが貴船に下りたところで豪雨となり、その強雨のなか奥宮まで。貴船神社といえば夏は貴船川の川床にての鮎だの料理楽しむところ、この雨にては川床にて洪水にでも巻き込まれては洒落にもならず料理屋も川床の取り込みに忙しき様。貴船蕎麦なるとろろ蕎麦食しビールと日本酒一合。三条まで往路と同じ道程にて戻り鴨川渡り四条河原町。昨晩タクシーに雨傘忘れ今朝まで出てこず(そりゃ昨日は傘持たぬ者多くタクシーにて傘見つければこれ幸いか)アウトドア屋にて傘、ポンチョなど購いホテルに戻る。室内プールにて一泳、プールサイドにて『神聖喜劇』少し読む。晩に雨風未だ激しくならぬとも暴風雨圏に入るかもわからずタクシー雇い一昨晩に続き再び祇園の若松。小鮎も塩からして美味、鯛の塩焼きなど美味しく頂く。臨席の御仁いかにも大阪の繊維の大店のご亭主の如き方がお帰りになってから女将に教えられれば枚方の由緒あるお寺の御前様。いちぢくのクリーム和え食事の最後に水菓子に非ず食事の中に口直しに供されるほどの革新さ、これぞ京都ならでわ。近畿も暴風雨圏に入るも遠からずサンボアかで一酌に後ろ髪惹かれつつホテルに戻りテレビ劇にて『Stand Up』など見つつ台風来る晩過ごす。
▼今年は『武蔵』にてコケたNHK、再来年の『義経』に滝沢君起用。来年が香取君にて近藤勇でジャニーズ続きは敢えて質さぬが築地のH君もこの滝沢君の芝居にて大河が一年もつのだろうか、ゆえに脇は自ずと豪華に、といふわけでH君の予想キャストは弁慶が中村獅童、頼朝に渡部篤郎、安徳帝はジャニーズ事務所の推すJrの小学生、池禅尼にジャニーズの母(曾祖母?)森光子、平清盛が津川雅彦で極めつけは後白河に平幹二郎だろうか。
▼夜6時だかのニュース「番組」見ておれば北朝鮮の話題にてコメント求められた木村太郎が「北朝鮮の最大の民間産業って何かご存知ですか」と問いかけ自らそれに「それは在日朝鮮人です」と答える。確かに北朝鮮にとって在日朝鮮人のもたらす資金が大きいことは事実だが素直にそういえばいいものをこの「北朝鮮の最大の民間産業」「それは在日朝鮮人です」という木村太郎のこの物言い、テレビのコメンテーターゆえに何か衝撃的に言ふことばかりに慣れ、馬鹿さ加減に呆れるばかり。筑紫哲也あたりからジャーナリストがこういったテレビにて印象に残るように一言をまとめる風潮あり、ここまで人だの国家だのを揶揄することも許されるか。

八月初七日(木)曇。龍谷大学(写真)訪れ戦前の浄土真宗の海外布教と本願寺学校に始まる海外での邦人子女教育を研究されるK教授にお会いして香港の明治31年の大谷光瑞師来港に始まる日本人倶楽部、本願寺布教所、本願寺学校などの開設についての調査。K教授はこれまでに上海、シンガポールなどの綿密な調査されているが香港は未着手にて資料いろいろ用意の上、今後の調査協力をお願いする。夕方まで調査続けK教授と京都駅の伊勢丹にある金沢の老舗加賀屋の出店にて懐石。台風の影響にて京都も雨降り始める。駅近くに風呂屋に一浴。タクシー雇いホテルに戻ると五条坂にて今晩より陶器市とのこと、車窓から眺めると五条の通りも雨の影響にて客少な。もう歴史ある市かと問へば江戸時代に清水焼の市が始まったもの、とさらりと言われさすが京都と敬服。祇園の街を流す。かつては客のタクシー取合いだった、と昔話。

八月初六日(水)晴。天理の史料整理。JRで奈良から京都。車内で平宗の柿の葉寿司で遅めの朝食。何度来ても馴染まぬポストモダンもどきの京都駅着。タクシー雇いヱスティン都ホテル。三条まで路面電車で行かむとすれば蹴上の坂に電車走っておらず???地図には蹴上と駅ありよく見れば東西線なる地下鉄あり驚くばかり。京都にあって地下鉄の色彩感覚ばかりはいぜんより受容れ難きものなれば東西線も下品は紫色基調にそれに馴染まぬ色づかいケバケバしく理解できず。京都市役所前に下車し河原町下り丸善。香港にて入手できずの御酒乱のフランス案内本買はむとするも一読して今となってはインターネットにて得られる情報ばかりで4,000円出して買う気もおきず。六角通の宮脇賣扇庵にて扇子数本購ふ。御幸町通三条下ルの天邑(てんゆう)にて天麩羅。天邑は麩屋町通の旅館俵屋の営む天麩羅屋にて老舗の大店の旦那と美容室広く営むらしき業界風の亭主が偶然店で会ったようで京都らしき旦那会話、比叡山で薪歌舞伎あり播磨屋と鴈治郎出演とか、「鴈治郎いはれてもどうも扇雀といふ名前のほうがしっくりきますなぁ」と。お暑いですなぁ、と店の板前氏曰く東京に行って天麩羅屋に寄せてもらふと夏の暑い時こそ賑わっているが京都はどうも暑い時に天麩羅は流行らずいけませんなぁと。今日の最高気温36度。三条通のイノダで珈琲一飲してホテルに戻る。部屋のモデムがどうも上手く繋がらずホテル側に告げるとインターネットコネクティングチェンジャー?だかお持ちします、と、何かと思えば単なる電話(笑)にて電話にて電話で0発信をした上でPC側でダイヤルするだけ。なぜPCから0発信できぬのかわからぬが、電話で少し告げただけでこの対応したところみると頻繁にあることなのだろうか。夕方ホテルのプールにて泳ぎ午眠貪る。ふと彷彿するはこのホテルにかつて泊りしは数十年前の小学校4年の時だかで母に請われ岡山倉敷から京都までの旅を仕切り何も考えずに時刻表のホテル欄から京都はこのホテルを選び自ら電話をかけ予約したもの。ホテルにプールあり夏休みのことで母にプールで遊ぶことを強請り水着を買ってもらひ京都観光もせず午前に泳いだ記憶あり。当時はプールからも市街が一望できたはず。六時前にホテル出るがまだ日差し強し。東山三条の骨董品店春風堂訪れるが不在。Z嬢一澤帆布訪れるが営業時間は朝9から午後5半にてすでに閉店。祇園に入ると白川の近くに銭湯あり一浴。風呂を出ると建物に挟まれた狭い白川に白鷺らしい鳥が佇むを見て京都らしい風情。祇園の「若松」。おばんざい旨いがツクネやブロッコリーなど見事なブラウンソース使い梅を使った茶碗蒸しなど想像こへるが実に美味。祇園にては小料理屋一つ入るにも敷居高く感じるものの女将の気遣い細やかにて飲むうちに常連の客らに歓待され和気藹々。河原崎権十郎氏の達筆の色紙あり女将と歌舞伎談義。比叡山の薪歌舞伎は今日までで、女将行った数日前の公演では切符売切れといいつつかなりの数の立見席あり、それほどお好きやったら今日行ってみればよろしかったのに、と残念がられる。偶然Z嬢の隣席にあった客が粋な浴衣姿にてどこの祇園の旦那かと思へば東の方で話するうちに故郷が余と同じ坂東の小田舎、それも余の祖母が戦後暮らした町の隣町、年は余と一つ違いで高校も近隣とわかる偶然。このO氏もう一方と近くの酒場に飲みにでかければ何たる偶然か、その坂東のY町の町長氏がそこに居り町長とお嬢さんら連れてO氏若松に戻る。常連の出入り続き余とZ嬢も長居を続けること三更に至りタクシー雇いホテルに戻る。
▼昨日の毎日夕刊文化欄に「もう一人の村上春樹」なる「『キャッチャー』を翻訳した理由とは」といふ記事あり。村上春樹の今回の翻訳を「読んでみたい」というのと「なぜ今、『ライ麦畑』なの?」という矛盾した気持ちを抱いたファンは多く、と書き始め「野崎孝を、「オルターエゴ(もうひとつの自我)」的なもの」としてとらえた点がある」と続き、村上ファンといふのは野崎訳も読んでいてその野崎訳をここまで読み込んでいるのか……と複雑な思い。「村上さんの小説は常に「二重化した自我」を描いてきた」のであり「その作家にとって『キャッチャー』における「自我の二重化」(の野崎訳における欠如)は見過ごせない事柄だった」と。……?、なんか文章に矛盾あり、と思いよく読むと段の読み違え(笑)、野崎孝はオルターエゴ的なものなのではなく、たんに野崎訳『ライ麦』は「いわゆる青春文学という印象が強く、「村上さんが訳すほどのものだろうか」という疑問もあったかもしれない」だって。なんでここまで野崎訳を「自我の二重化の欠如」なんでまでこてんぱに言って、それと対比して村上春樹をサリンジャー=ホールデン=もう一人の村上春樹なんて持ち上げないといけないのか。全く理解できず。この記者が村上を提灯記事で持ち上げるのは勝手だが、そのために安直に野崎訳をたんに青春文学、と否定的に扱う理由にならず。あえて複雑そうに訳してみた村上訳がよいかどうか……、この記者があまりに村上側から提灯記事書き、それを無分別で載せてしまふ新聞に呆れる。

八月初五日(火)快晴。JR奈良駅までホテル前よりバスでJR奈良駅。駅前の星巴珈琲。閑散とするが当然のJR奈良駅に乗降客多く何かと思えば天王寺近くで人身事故あり鉄路不通。桜井線は定刻で動き天理へ。十数年前に香港の中文大学にて出会い三四年前まで数年香港に駐在もせし天理教職員のK君に出迎え受け再会。戦前の香港の邦人社会の調査ありK君には戦前の天理教の香港での記録など調査請いK君詳細に渡る史料蒐集を済まされ感謝。K君の勤務する天理教国際部にて史料閲覧し昼まで記録作業。史料少なき戦前の邦人社会に於いて天理教は天理教華南伝道庁長で広州天理日語学校を開き香港出張所長もされた故福原登喜氏が貴重な記録文書、写真を残されK君は香港天理日語学校の井上氏夫妻の残した戦前灣仔にあった日語学校の写真など集められる。貴重なる記録ばかり。昼に何を?と求められ日本の普通のらーめん屋、テーブルが油でねっとりして店に置いた雑誌の類がラーメンの汁でバリバリになっているような店でのラーメンと餃子を余は所望し駅近くの某中華料理屋。天理大学付属図書館。貴重なる書籍多く建物だけでも重要文化財なみの図書館、閉架式ながらK君のおかげで書庫にまで入り関係書籍閲覧。各地の教会の残した会報の類まで明治からきちんと整理され圧巻。古典文学、基督教まで好事家には垂涎の書籍多し。史料整理済ませ天理教を参観。門などなく誰にでも開かれた神殿(写真)教祖殿。自称真言佛者の余も心静まる空間。昨日までが夏休み恒例の子供おぢば帰りで今日は閑散といふものの十代の若い信者多く「ひのきしん」なる奉仕活動続ける様に邪念ばかりの余は恥ずかしきかぎり。K君と別れ一人、天理の本部より駅まで天理本通なる商店街歩く。信者さんらのおぢば帰り相手にお土産屋だの神具屋だの並ぶ。Rolexの腕時計、通りの時計屋にてバンドの修理請いすぐ直され無料。天理教のお神酒奉じるといふ稲田酒造なる酒屋で稲天なる吟醸酒購ふ。天理教の施設と母屋(ぼや)といわれる各地からの信者の宿泊施設ばかりの市街駅前にパチンコ屋二軒あり下界の空気にどこか安堵す。再び神殿に戻り独り教祖殿など再び巡る。時間少しあり書店にて深谷忠政なる著者の『天理教とは』なる天理教紹介のブックレット購ひ駅前のケンチキにて珍しくコーラ飲み一読。世界中の人々が我欲(心の埃)にとらわれし胸の掃除をし互いに救け合いこの世を神人和楽の陽気ぐらしの世界に建てかえ甘露台といわれるユートピア建設が天理教の求めるところ、と。いずれの宗教であれ聖地なるもののどこか清き空気に触れた思い。駅にてK君と奈良より来るZ嬢待ちK君の後輩筋の運転する車に送られ市郊外の串焼屋にて三人で旧情懐かしみつつ一席。奈良ホテルまで送られる。

八月初四日(月)うす曇。晴。昨朝の吉野家の朝定に続きコンビニのおにぎり食すも日本での一つの楽しみにてコシヒカリ米の高級おにぎり食す。牛乳も美味。今回の日本にてはいろいろ朝食も楽しみにてホテルを朝食込みにせず、偶然にも奈良ホテルを常宿とするといふ久が原のT君より此処の朝食けして評価できぬとメールにあり。ホテルを出て福智院北の交差点より志賀直哉旧居経て東海自然道として整備免れしかつての柳生街道の古道を瀧澤道より上り始め寝佛、夕日観音と朝日観音を拝み首切り地蔵、澤の水音心地よく苔むす石坂道は風も涼し。ここより地獄谷窟の石佛、渓谷の緑の深さに感嘆するばかり。杉の木など草木の香、酔ふほど。山の暑さには香港にて慣れていても草の臭いに咽るばかりで木の香など嗅いだこともなし。峠に茶屋あり草団子と生姜湯。山間の集落を経て小一時間で円成寺。ここまで三時間の山歩き。山間の古刹は1228年に奈良の春日大社造営にて当時の大社神主藤原時定が旧社殿をば寄進したといふ極めて素朴な春日造舎殿の春日堂と白山堂、運慶の大日如来像など。暫し佇みたきものの昼すぎのバス逃せば二時間待たねばならず慌てて忍辱山(にんにくせん)のバス停より奈良市街にバスにて戻る。日本のラーメン食したく市街にてらーめん屋昨日より探すが何故にか天平の古に唐土とのかかわりあり平城の都にシナ料理見つからず。三条通のモスバーガーにてモスバーガーとテリヤキバーガー食す。モスバーガーは香港にての開業願いしところかつてヤオハン香港にて展開の真しやかなる噂ありしもののヤオハンの倒産以来一切噂もなし。日本に戻れば一度は食したき即席食。食後に午後はまたバスにて岩船寺口に向かい少し歩けば奈良から京都は加茂町に入り石船寺。石佛をいくつも拝みつつ小一時間にて当小の村落に至れば参道に立入り禁止とされた階段あり林の向こうに祠あり。この山間に天皇稜でもあるまひに不可思議。浄瑠璃寺参拝。浄土のお庭に阿弥陀堂あり九体の阿弥陀如来像拝む。山採りの野花にZ嬢いたく悦びたり。三重塔(写真)門前の吉祥庵なる蕎麦屋。何処かの茶室移築したのか趣ある庵にて蕎麦も秀逸だが喜仙寿なる酒もよし。Z嬢の葛きりも手作りの歯応えは格別。この山間の浄瑠璃寺まで来る意味は充分にあり。バスで市街に戻り市街横ぎりホテルに戻る。晩のニュース見れば日本各地で最高気温、京都も35度を超えていたとか。だが山間は木陰に入れば涼風ありけして猛暑とは感じもせず。久が原のT君よりホテルから至近、道を渡り路地を入ってすぐの温石(おんじゃく)なる料理屋を辻留仕込みの味と勧められるが昼間の野辺歩きに疲れ出かけられずホテルの主餐庁三笠にて夕食。古きホテルの料理屋はけして奇を衒つ料理出すものに非ず三笠もいい意味で尋常なる料理供す。セットメニューに「高円(たかまど)」なるメニューあり理知的なる高円宮様を彷彿せざるを得ず。このメニュー、お亡くなりになつた宮様のお名前頂戴するは宮様に何か由縁ありなのかどうか畏れ多く尋ねもできず。黒服になりしばかりといふ懸命なる女性の給仕ぶり心地よく静かに晩餐いただく。だが音楽ばかりはCBSソニーファミリークラブででも通販されるクラシック名曲集の如きが少なくとも二時間で三度は同じ曲かかり呆れる。食堂には日本に現存するなかで最も古いグランドピアノの一つといふスタンヱイのピアノありZ嬢興味もち帰りがけに黒服氏に尋ねればもう傷みひどく今は弾くこともなし、と。詳しく見たところまだまだ現役に耐える代物にて弦をば張替え壊れたといふペダル修理してでも使うべき。いずれにせよピアノの上にシャンペンのマグナムボトルなど平気で置く無神経は断じて許せずピアノの形が壊れますゆえシャンペンボトルは退かすべき、と提案差し上げる。Z嬢曰く古きスタンヱイといへば思い出すはマニラのマニラホテルの酒場で随分と前にジャズバンドのピアノ弾きが奏でるグランドピアノにて見るからに古くペダルなど壊れているようだが極めて愛しき音色にバンドの演奏終わり帰りがえてらにZ嬢ピアノに触はるを請えば快諾されさらりと触れるととても古いスタンヱイにてピアノもこうして使われれば幸甚であらふ、と感じ入ることを彷彿。部屋に戻りスマスマ見る。日本に戻り三晩テレビ見つつバランタインの17年ちびちびと飲み続け。
▼朝起きると部屋に届きたるは産経新聞。客に断りもなく産経配るとはさすが皇族方が奈良にて常宿とされるこのホテルだけのことはあると納得(笑)。朝イチで石原慎太郎の「日本よ」なる一面の文章読まされ眩暈。相変わらずの東京にてのシナ人いかに迷惑か論調は驚きもせぬが何時の世も文明だの経済に格差あり劣等地の民が潤う地に参るは当然、日本はまさに様々な民族が混じったことによって生まれた国際的なる混血の民族にて、で、日本はこのような時代であるからこそ積極的な移民受け入れ政策をとるべき、といくら読んでもその脈絡のなさに、この都知事の長嶋茂雄先生にも至るとも劣らぬ思考にただただ驚くばかり。否、長嶋先生は天才であり、この愚才と一緒にしては長嶋先生に失礼か。石原ならきっと他民族排斥にて日本の純血性を守る、と思うとそうではなく、この人は結論だけとれば余も納得する移民受入れなくして日本の将来なし、といふこと。本当にこの人の思想はよくわからず。寧ろ思想などない、と思えば納得も易いか。

八月初三日(日)快晴。金曜にせし独逸蹴球の賭博、3戦とも勝敗予想当り4組合せ計で15倍ほどの配当となる。これが続くまひが。朝、人形町散歩。玉ひで、京粕漬の魚久、鯛焼きの柳屋にZ嬢葛ら行李十数年前に作った岩井つづら店など懐かしき店々。夢にまで見た吉野家の朝定食。満足至極。日テレのザ・サンデーなる番組にて北朝鮮拉致でレインボーブリッジなるNPOが拉致者家族の子供らに面会し手紙や写真など持ち帰った件取り上げこの団体の背景など不明な点多いこと指摘し知ったか顔の徳光センセイ「本来こういう手紙は政府間でやり取りされるべきで」とそこまでは正論だが「安倍副長官に届くならわかるが」と。本来政府間交渉なら担当大臣でもなき内閣官房副長官の安倍二世に届くことはあり得ず、たんに安倍君が北朝鮮などかなりかかわって勢力つけていることを徳光センセイは全く自然なこととして発言。無思慮。いずれにせよ日曜の朝に素人集まり憶測ばかりで北朝鮮といふ「国家」について勝手に語る様、井の中の蛙。タクシー雇ひ東京駅。コンコースにて階段、段差の連続に閉口す。新幹線のホームの狭い待合室、中国の火車站でも広い候車室に搭乗客数に間に合ふ数の席用意されるに比べ、新幹線では難民の如く収容されし乗客。搭乗客数に比べ駅舎圧倒的に規模小さすぎ。成田の第2ターミナルの到着出口に狭さに比べれば八重洲口の広さなど十分だが、如何せん改札を抜けると元来昭和39年の東海道新幹線にだけ宛がわれた容量にこの新幹線の集中は異常。車内は夏休みの日曜日にて家族連れ多し。子供うるさきは耳栓して対応するが家族連れの多くが午前10時といふ朝でも昼でもなき時間にスナック菓子食い横浜崎陽軒の焼売の車内販売あればそれを食し親は親で焼売だのするめ烏賊などでビール飲み安っぽき臭い車内に充満し耐え切れず。少なくともこの家族観光なるもの、百数年前にロンドンよりブライトンに鉄道走り日帰り観光をトーマスクックが売り出したが初め、当時から行楽の飲み食いはあろうが、まだ窓のあく列車であったは幸甚のはず。隣の席の家族が明るく楽しくインターネットよりゲットせし「奈良物知りクイズ」など父親が司会で始まりNHKのクイズ番組見るが如し。京都に到着、すぐに奈良行きのRapid列車あり。奈良に到着しタクシー雇ひ奈良ホテル(写真)に投宿。日本のこうした古い格式あるホテルは十五年ほど前にZ嬢と日光金谷ホテルに泊まって以来のことか。荷物解きホテルより外出。奈良県庁横で悪態なる餓鬼の仕業であろう落書き(写真)を見れば、これも白の塗料にて風景にどこか馴染み、不良とて奈良の品ありか、と妙に納得。だがこのあと市街にてかなりの商店の壁だのシャッターにスプレーの落書きあり奈良市街はブロンクスの如し。遅めの昼食に奈良公園横の天極堂にて葛うどん、葛きりに葛酒と葛つくし。葛酒(くずしゅ)は葛と山田錦にて作った酒にてわずかな甘みで美味。Z嬢と別れ独り奈良国立博物館。小学4年だったかに一つ年上の従兄弟と奈良京都に遊び中学で修学旅行に来ても国博と興福寺の国宝館訪れておらず数十年ぶりの奈良ゆえ。国博にてはインドとガンダーラの彫刻展開催され殊にガンダーラの彫刻は圧巻。泰西と東洋の美しさ見事に融合し2〜3世紀のPeshawar博物館像の釈迦菩薩坐像に惚れ入る。旧館にて唐招提寺の薬師如来像だの岡寺の義淵僧正坐像だの興福寺の緊那羅立像など。興福寺(写真)の国宝館。千手観音像が中央に安置されその周囲に白鳳の薬師如来仏頭だの阿修羅像だの法相六祖坐像だの金剛力士像といった誰もが知る見事な像、像、像。余にこれを言葉に出来ず。国宝館の売店にて厄除けの腕輪数珠購うと余の干支の守護仏は文殊菩薩だそうな。世の根本を観る智恵の徳を象徴するのだそうでそれに少しは肖りたきもの。市街に出てビブレだの無印良品にて買物。ビブレ傍のふらりと入ったフジケイ堂なる古本屋に岩波の荷風全集(昭和39年)の昭和46年第二版が29巻揃いの美本(箱は日焼けしているが中身は読まれた形跡もなし)で5,800円にて売られており1冊200円と余計な表示まで。これは奇遇と早速手打ち、東京のホテルまで配送を託す。奈良団扇で有名な池田含香堂にて丁度いい扇子を見つけ購ふ。奈良町の菓子処なかにしにて葛桜と奈良町団子夕食後にでもと購ふ。下御門町の十月書林といふ名前だけ見る人が見れば共産主義関連ばかりだが、此処がふらりと覘くと店ごと欲しいほどの本の揃いぶりで左翼文献はさることながら鳥居龍蔵著作集から泉鏡花全集、三島渋澤のじゅうぶんに揃い中江丑吉書簡集もわが書斎以外で初めて見る。鴎外全集のだいぶこれも美本がありきっと値段を尋ねたら即「買い」であろうと察し今回は荷風全集だけでもかなりの量で鴎外は怖くて値段尋ねず。Z嬢と待ち合わせ平宗奈良店(ひらそうならみせ)にて胡麻豆腐、精進天麩羅、鮎寿司と柿の葉寿司(写真)二人前。美味。一旦ホテルに戻り旧館の古風なるバーにて一飲。そのへんのホテルとは格の違い見せつける、殊にシングルモルトの収蔵は大したもの。給仕も立派で流石と敬服。だが結婚式ですっかり出来上がったらしい白ネクタイの常連らしき野暮な男がひとり気勢を上げカウンターで給仕らにからむ姿は醜悪。まだ時間は八時にてバーから興福寺の五重塔のうっすらと光る照明も美しく散歩(写真)三日月も奈良にあると殊更よし。猿澤池から興福寺。五重塔など石柱など利用し写真機固定して8〜16秒で撮影してみるが果たしてどう写るか。三条通を西に下り讃岐うどんの「はなまる」の店あり先週だか日経に讃岐うどんチェーンがブームとこの「はままる」も紹介されていたのを覚えており「ぶっかけ」のうどん夜食にと食す。また散歩してホテルに戻る。古いホテルにて期待もせず、どころか部屋にモデムながらちゃんとインターネット接続用のジャック設けられ少なからぬ驚き。だが奈良のアクセスポイントにうまくつながらず苦戦三更に至る。

八月初二日(土)爽快なる快晴。海でのんびりとしたいところだが早朝にタクシー雇い香港站より空港快線にて香港空港。毎年一度利用するかせぬかの航空路にて、今年は初、昨年は北京に参るのに深セン空港より片道北京に飛んだのみで、その前が実に丁度二年前の東京行きの同じCX504のフライト。CXのラウンジ。一度、ここのNoodle Barのなかなか上手いという雲呑麺食したきもののCX利用するとなると朝の便多くNoodle Bar開いておらず。独立した机とソファの並んだワークステーションあり早速PCを繋ぐがethernetにて繋がらずケーブルに不具合ありかと思い受付にてケーブル借用願ふとモデムケーブル差し出されethernetのケーブルをば給はむと欲すれば受付嬢曰く此処でご提供するはモデムでの接続のみ、と。では何ゆえに机にethernetのジャックが?と思えばよく見ればモデムジャックと兼用。耳を澄ませばあちこちの机からピ〜ヒョロロロロロとモデム繋がる音が聞こえ、此処は最先端のようでいて実はアナログが現実。中国の田舎ぢゃあるまいしモデム接続も、と思いふと試すと空港は無線LANあり繋いでみれば市街にては無償にて使用可能のPCCWながら空港にては驚くなかれ毎時HK$40の暴利貪る有様。ラウンジといへば全日空のラウンジClub ANAが七月初旬にて閉業、今後はPLAZA Premium Loungeに利用客押し込めるそうだが、かつて日に東京大阪にわずか二便の空港開業当時からラウンジだけはVirgin Atlantic航空と対峙する絶好の位置確保したる意気込みもありけるも懐かしき。CX504便は満席の混雑にて日本へサマーキャンプに向かう地場の小学生の団体もあり。着席して朝からシャンペンなど飲んでいれば前方の席のいかにも米国人といふ男、隣席に来た客に“Hi!”と話しかけ離陸しても延々と自らが初めての中国出張にて中国で見聞きした事柄を事盛大に語り続け煩きこと甚だし。いかにも、の米語の子音が耳障り。最初それに付き合っていた男もついに新聞読み出しヘッドフォン耳にあて米国人も話す相手もなく黙んまり。毛唐といへば通路はさんだ席の女性も肉料理にうっすらと積もるほどに塩かけて見ているだけで田舎漢。何事かと思えば機内放送にてこの便がアメリカン航空との共同運航便と識り納得(笑)。機内食はいつものAsian Vegetalianにて中華精進、食器は全てNoritake。座席もキャセイの一番新しいデザインに改装され快適。かつて10列だかあった747-400の二階席がわずか7列。PC用の電源にインターネット接続まで可能ながら重大なる欠陥あり、インターネットはPCCWの提供するCD-ROMが機内に用意されており、それをPCで読みこむことで機内からのインターネットの利用が可能、と。つまりCD-ROMすら削って小型軽量化された余のMM-1の如き機種は最新式ながらこの接続が不可能!。せめて電源供給だけでも受けやふと思い接続コード借用願えば機内専用のアダプターは借用なしで機内販売しております、と。唖然として機内販売誌見ればHK$1000とは驚くばかり。当然利用せず。紀伊半島は伊勢志摩まで眺め渡り富士も雲間より頂を見せる。成田到着。二年ぶり。入国審査にて“Japanese Passport Holder”は正しいが「日本人」は不正確。正確には日本国旅券保持者」とすべき。入国審査のカウンターの下をくぐり抜けようとする「一部の外国人」がいるそうで、そういう不審者見かけた場合はお知らせください、と。外国人と書くのは偏見ゆえ「一部の」としたつもりだろうが、日本人でも指名手配中に国外逃亡せし日本人が密入国することもあり得るわけで何故単純に「不審者を発見した場合は」と書けぬのか……というかそれ以前の問題としてこんな注意書きなどすることぢたいヘンといふことに気づかぬ事実。15時すぎの成田エクスプレスにて東京。全車禁煙にてなぜ連結部分は喫煙可なのか理解できず。扉開く毎に煙が車内に立ち込め、しかも成田空港の地下駅が禁煙であっても発車まで扉開いた列車内の出入り口付近は喫煙可といふ矛盾。今回の来日はZ嬢と一緒でZ嬢曰く「横を走って通り抜けられると『刺されるんじゃないか』とドキッとする、と。全く。NEXの車内にて昨日の民主党・李柱銘氏がSCMPと信報に寄せた一文を翻訳済ます(日刊ベリタに掲載されぬ場合は後日このサイトに掲載予定)。東京駅より人形町の商人宿までタクシーを請ふ。タクシー運転手、ホテルの地図を見て「これぢゃ細い道とか書いてないからわからねぇな」と。田舎から出てきた者騙すわけの言い草でもなく、余が「日本橋から人形町に向かって交差点の手前でしょう」と言っても合点がいかぬ様子。八重洲口を出たところでそっち方向なら此処から乗らないと」と呼びさすのが八重洲口でも北口のタクシー乗り場にて、自分ら南側のタクシー乗り場に溜まってるタクシーは南のほう専門で日本橋とかはあまり来ない、と言い訳。マジだろうか。九龍の運転手が香港島の路地に不案内なら解るが海で隔てるわけでもなく品川大井の運転手が日本橋に行かぬなどと言い訳にもならず。プロ意識の破片すらなき運転手。こんな仕事などしたくない、などと愚痴ばかり。結局、水天宮のほうより路地に入り甘酒横丁と交わる角は玉ひで、親子丼が脳裏駆け巡れば垂涎の感。商人宿に草鞋を脱ぎ東銀座まで地下鉄で馳せ歌舞伎座の裏手の画廊にて知己のH女史の個展あり本日が最終日にて午後5時半に閉まり飛行機遅れればまず間に合わぬところ5時半に飛び込みH女史には来ることも報せておらず驚かれご主人の独逸人H氏とも四五年ぶりの再会にて旧情を再び温めたきところ時間もとれず再会の約。H夫妻らと銀座通まで歩き松屋にてシャツの袖用の腕バンド購ふ。香港にてこれを欲していたカナダ人のT君にもお土産に一つ。教文社にて旅行本一冊。地下鉄で日本橋を経て西葛西。旧知のW君と再会。あまりに聡明で知恵深くしかも優しさも格別の10歳のJ君と5歳のちょっと反抗期でもW君には甘えるR嬢の二人の子供と一緒。駅近くの居酒屋にて歓談。茅場町経由で人形町に戻る。土曜の夜の人形町など街に人影もなきところコンビニのみ煌々と明かるく客で賑わふは今日の日本らしさか。ホテルに戻ると丁度10時よりNHKでETVスペシャルの「美輪明宏・一番美しいもの」の再放送あり。築地のH君よりこの番組でヨイトマケの唄歌う美輪先生の、化粧もせずに地味な衣装で歌う美輪明宏の一世一代のようなヨイトマケの唄の話を聞き見損ねたこと残念なればまさか一晩の東京の滞在でこれの再放送に巡り合ふとは幸運至極。確かに背筋ぞくぞくとするほどのヨイトマケの唄。「黒蜥蜴」の舞台稽古から野暮なNHKアナ対手の一人語り、美輪先生の半生から三島先生との出会いから別れ、最後に黒蜥蜴の舞台といふ構成。三島先生も出演の映画版黒蜥蜴(深作欣二監督1968年)も初めて見る。乱歩先生の逝去が65年にてこの舞台と映画を見ておらず、乱歩先生ならどう見たかさぞや気になるところ。
▼一昨日の西班牙の蹴球隊皇家馬徳里の試合入場券求む若者らの長蛇の列につ本日の信報の或る随筆曰く香港にて行列あることは即ち何らかの盛況あらはすものにて、日本人の行列はたんに人は並ぶ習慣ながら、香港のそれは行列の先には良品あり、行列なき事は即ち人気なく、幼稚園入園から行列に馴染む、と。また行列できることは売る側なり主催者側の何らかの落ち度(供給なり販売方式の事務的な配慮不足)あるのだが単に十分な供給をすればいいといふような発想は17世紀のマネージメント感覚であり、多少供給足りぬことが需要促進の最大の鍵、と。この蹴球の切符とて一晩徹夜して獲得した、といふことがベツカム選手拝み一生忘れ得ぬ記念となるが如し。更に行列が維持されることは順法の社会ゆえの証拠。最後にマスコミが長蛇の列を報道するに応じて行列に並ぶ者増えるマスコミの効用。これが行列の社会学、と。但し、とこの書き手が最も不思議がるは数日間だか丸一週間野宿して一番目に切符を購つた若者が一人4枚までの制限でわずか2枚しか購はず、の事実。本来なら2枚余計に得てそれを横流しするも可、それをせぬこの誠実さも香港人のレベルの高さ、と自嘲。
▼財務司司長に現・工商局長の唐英年氏に内定と各紙報じる。上海閥まだまだ跋扈す。
▼香港の気温、この10年で0.6度上昇。摂氏12度以下の寒冷日は年間28日より13日に減り視界は8km以下である時間が2%から9%に上昇。異常気象など当たり前すぎて話題にもならぬ、か。

八月初一日(金)快晴。蹴球賭博解禁なり。余はそもそも蹴球の規則すら知らず昨年のW杯までベツカムの名すら知らずセリエAが伊太利亜、プレミアリーグが英国、皇家馬徳里が加わる西班牙のリーグがLa Ligaなることを今日初めて知る。香港にて合法化されし蹴球賭博の第一試合は香港時間明日未明に独逸のBundesligaのBayern Munich対Frankfurtの一戦あり、Munichがかなり強くオッズは1.25対9.50とか。何もわからぬが新聞の予想など見てこの試合をMunich、土曜日のHertha Berlin対Werder BremerをBremer、Schalke04対Dortmundを引き分けとして、この3試合を3x4にて賭ける。競馬と違い購入時のオッズにて固定され競馬もそうあらばと願ふ。晩にNHKにて「お絵かきゲームひらめき画伯」なる本当にどうでもよき内容のクイズ番組放映あり。NHKがいまだに回答者を男性チームと女性チームにわけ男女対抗とすることに眩暈……といつても紅白歌合戦を思えばNHKにてはジェンダーフリーなどあるはずもなし。ゲスト回答者に、この人は本来NHKのビル見上げる代々木公園から上原あたりを夜中に酔い冷ましつつ独りとぼとぼ歩くのこそ似合いのはずの崔洋一監督あり、楽しそうに遊ばれるを見る。
▼昨晩のNHKのNews10でバンコクの日本大使館への脱北者に対して外務省はソウルの日本大使館より「韓国語のわかる」職員を派遣、と。今日の朝日も読売も「朝鮮語」と当然ながらの表記。NHKにしてみれば「ハングルのわかる」としなかっただけでもマシか(笑)

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