乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


八月廿九日(土)このところ滅法、酒に弱くなつた。あのくらいと自分で思ふ酒の量だが帰宅するあたりから記憶が怪しく宿酔。ぼんやりと金村修『斬進快楽写真家』讀む。この薄さで1,600円 はないだらう、と思つたが内容は金村修がびつしり。宿酔ひで讀むには鳥渡つらい。でも惹かれるから。ウジェーヌ=アジェが巴里を写し東京も春日昌昭があゝ写してしまつたから、と思ふと 金村修が今の東京を撮る作風がなぜあゝなつたのか、がわかる気がする。本当に真面目な写真家なのだ。午後、科学館で映画『小城之春』見る。1948年の費 穆によるオリジナルと2002年の田壮壮によるリメイクの二本立て。費穆は1940年の戦時下での「孔夫子」も大したものだが、この映画も1948年とい ふ年によくぞ、この小鎮の名家を舞台に「太宰治と菊田一夫を足して二で割つた」やうな微妙な恋愛心理劇を撮つたもの。日本軍による破壊と戦後のどさくさの 中で凋落の運命にある名家の嫡嗣、その病弱の夫に気持ちを許せぬ妻、健気な妹、この家に先代の頃から仕へる老僕、そこに嫡嗣の友人で精悍な若医者が訪れ る。この若医者は妻の十代のころの恋人で再来にまた妻の心が揺れ夫はこの二人の気概に我が身の弱さ憂ひ死を覚悟する……と、その微妙な日々をこの水郷の古 鎮の(田壮壮の作品では桐郷の烏鎮鎮)春の季節に見事に合適させる。中国映画でも恋愛心理物として名作中の名作。それを敢へてリメイクした田壮壮も立派。 オリジナルの筋をほゞ蹈襲。が一つ、二つ大胆な書き換へもあり面白い。尖沙咀で大家好カメラ商に寄りVoigtlanderのVCメーターII見る。HK $1,480は日本での価格(最安値20,700円)よりまだ安いがSekonicの露出計、ライカのMRメーターもある、と思ふと亦た一つ購ふと「露出 狂」なので鳥渡、躊躇。帰宅して大根をろし汁に韮を煮て豚肉をしやぶしやぶして食す。録画しといたNHKの井上陽水の特番「Life」を見る。寝際にアン リ=カルティエ=ブレッソンの『こゝろの眼 写真をめぐるエセー』讀む。岩波書店。
科學技術が鳴らす警笛の破壞的な音につゝまれ、グローバリゼーショ ンといふ新たな奴隸制度と貪欲な權力爭ひに侵掠され、收益優先の重壓の下に崩潰する社會であつても、友情と愛情は存在する。
とHCB師。これほどの老大写真家が言ふ。築地のH君が座右の銘にしさうな言葉。
アナーキー、それはひとつの倫理だ。
▼一日に金村修とHCBの二人の写真をめぐるエセー讀んだので忘備録的に数日前に讀んだ木村伊兵衛『僕とライカ』に収録あつた1951年の『カメラ』誌上 での歴史的な木村伊兵衛・土門拳対談から伊兵衛先生の「印象派」について。伊兵衛先生「僕は絵画の印象派のことはよくわからないけれども」と前置きしつゝ
印象派は光をスペクトルで分析して、七色にわけた。それまでの木の 葉は綠に、木の幹は茶色にといふ觀念でなく、光の當り方によつてそれが七色に分析され、光の强く當つた場合は、どの色とどの色が結びついて、木の葉はどの 色に出る、木の幹はどの色に出るといふやうに、光の分析によつて印象派は光の問題を突き詰めて行つた。云わば科學的にやつたはけですよ。寫眞においても、 さういふことが云へる。
かういふ徒だのない、湯川博士、朝永博士の随筆もさうだが科学と美学が合はさつてしまつた方々の文章表現は美しい、本当に美しい。

八月廿八日(金)依然として猛暑續く。アタシのRicoh GR Digital IIがどうもフォーカシングに微妙な難あり。夏の帰省の折、自宅で小心地滑に欠け濡れたところでコケてGRをば手にしてゐたが、さすが転んでもカメラはど こにもぶつけず、カメラをもつた手 を地面についてカメラ破損なんてこともなく、そのかはり思ひつきり腰を強打したがカメラは無事……のはずがあゝした事故の時の衝撃といふのはかなり大きな やうで可動式のGRレンズの部分のフードがひつかゝり、それはちよつと指で押したら治つたやうだが、どうも調子が万全ぢやない。で観塘のリコーの光学機器 の地元代理店にカメラ持参して修理を依頼。それがこの麗確撮影器材な る会社、リコー製品の他にTokinaとVoigtlanderも扱つてゐる。四半世紀前までは太平洋行(Gilman Photographic Products)と知つて納得。で今をときめくリコーのデジタルカメラなのにカスタマーサービスセンターがあるでもなく普通に会社の受付で修理受け付け る。修理担当で出てきた職員に点検修理依頼した上でつい陳列のベッサカメラのことなど話かけ香港では尖沙咀の「大家好」カメラ店がVoigtlander 系列では最も品揃へが良い、と聞く。VCメーターが可愛らしいよねぇ、と食指動く……明日だな(笑)。晩に小さな寄り合ひ会合あり末席汚し某料亭?で懐石 食す。バーSに獨酌。帰りがけ久々にバーYに寄る。
▼香港の新聞は蘋果日報に限らず信報でもかなり愉快で日本の衆院選挙の報道で「前回の郵政選挙で小泉首相が送つた刺客議員も苦戦」といふ記事で刺客を「小 泉娃娃兵」と呼ぶ。83名の小泉娃娃兵のうち73人が今回現職で立候補してゐるがそのうち小選挙区ではたつた一人が当確の由。また神奈川11区で小泉四世 の立候補では「小泉進二郎が当選すると小泉純一郎の祖父から横須賀の小泉王朝は北朝鮮の金日成王朝より更慢長、と指摘(笑)。
▼時期行政長官と噂される「左派測量師」梁振英君の共産党地下党員「疑惑」につき「香港民主のイエス=基督」季柱銘君曰く「共産党が中国で唯一の執政党な のだから、国のため党のための為す事でどうして党籍を公開できないのか?」と疑問呈し「香港民主のゼウス」司徒華先生は「梁振英は97年返還前の中英土地 委員会に中国側から委員として選ばれてるんだから(土地測量が本職)党員ぢやないわけねぇだらう」と。親中派で自爆の程介南君は共産党統治が問題になつて ゐるが「それなら一九九七年七月一日になぜそれを問題にしなかつた?」と香港は中国=中共統治は明白、と開き直りは流石、倒れても土共の意地。

八月廿七日(木)熊本の太平燕(たいぴーえん)スープなるものを昼にい たゞく。昨日は淡路島のオニオンスープも。夏休み明けで日本から美味いものいたゞくこと少なか らず。早晩にペニンスラホテルのバーに獨酌。ハイボール一杯。ホテル内に大陸の田舎漢の観光客多し。不作法で静かなところでも携帯で地面揺るがす大声で喚 く習性あり。唯一の救ひは七月朔日からの酒場の全面禁煙。ペニンスラホテルのバーもいつとき田舎漢多かつたが禁煙で彼ら退散。あれ?と思へばこのバーで禁 煙になつて訪れたのは初めて、の気が……といふことは七月朔日以降初 めてか。かなり久々に海防街街市の徳發に牛腩麺食す。鳥渡ま だ時間があつたのでJimmy's Kitchenのバーでドライマティーニ一杯。ふと立ち寄つた尖沙咀の文房具商・春記でNTカッターのメタリックボディーの美しいフォルムの小型カッター 見つける。NTカッターといへば象牙色のボディの定番(A-300) だが、それの上級品(A-300GR)。見 惚れる。NTカッターのA-300に対して黄色のOLFAはA型。いづれも子どもの頃から馴染 んだ小型カッターだがOLFAのA型もリミテッドFA型といふ、これ がNTカッターのA-300GRに匹敵するのだらう。アタシは新聞記事切り抜きでいつもカッター持ち歩く危険人物。飛行機搭乗が億劫でいつも注意怠りない はずが前回は蘇州旅行でうつかり往路が鉄道だつたので刃物持ち歩き、そのまゝ上海の空港で携帯用カッター没収される。このNTカッターのA-300GRは モンブランの万年筆や原子筆と一緒に持ち歩いても恥づかしくない逸品、で早速購入はHK$24也。Z嬢と旺角のUA朗豪坊で映画『トキワ荘の青春』市川凖監督を観る。1996年 の映画だがフィルムがずいぶんと傷んでをり物語の昭和30年代がよけいに古く感じられる。石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄らが一つのアパートに住んで ゐたなんて本当にアトになつて思へば凄い話だが映画はあのマイルド感が観衆に好き嫌ひを感じさせるだらう。いづれにせよ本木雅弘君が出ると漫画家だらうが 学生相撲だらうが、坊主、納棺師だらうが、とにかく本木雅弘といふキャラクターそのものばかりが映えてしまつて登場人物の話ではない。
▼母が昨晩、南青山(銕仙会能楽研修所)で京蔵さんの踊りを見たさうで湛君と お会ひして京屋さんも客席で尊顔に拝した由。京蔵さんの師匠。京屋といふと、どうも大成駒、梅幸がゐて京屋=若いといつまでも印象があり、でもその京屋さ んも大正九年生まれで、もう数へでは九旬とは。それに大成駒とはわづか三つ違ひ。その岡本町が昭和45年に歌舞伎座初演の荻江の「鐘の岬」と吉村雄輝の 「古道成寺」の二つ。
▼最近、香港でホットなキーワードは「地下党員」。香港政界の亀井静香と呼ばれる李鵬飛君が次期行政長官の有力候補といはれる測量士上がりの梁振英君(香 港政府行政会議召集人)の中共地下党員疑惑に「共産党員である、とはつきり言へば良い」と諭す。英国統治の頃なら党籍は支障もあらうが香港返還から十二 年、香港が中共の統治する国家に属し党籍は隠すに及ぶまい、と。新華社香港分社の社長であつた「おしやべり」許家屯氏がかつて香港に共産党員は六千人と言 及。その半数は大陸からの来港者で半数は地元民といふ。当時の左派学生や今の親方御用政党民建聯の諸君、左派暴動で入獄経験すらある民生事務局局長ら地下 党員との噂あり。この李鵬飛の指摘に梁振英君は「自分は党員ではない」と党籍を否定。「香港市民は共産党支配といふ形の香港統治は望んでゐない」と「幹部 統治」説も否定。李鵬飛は梁振英党員説はどうやら許家屯から直接聞いた党員名の一人であるらしく自説曲げず。

陰暦七月初七。今年は閏五月あつた所為で七夕がこんなに遅い。例年より残暑厳しいのも一理あり。日本は天候不順で梨や玉蜀黍などやうやく初出荷とNHKの ニュースが伝へる。香港では梨も玉蜀黍も疾うに出回つてゐたが「中国の梨」や「香港の玉蜀黍」なんて唐黍(もろこし)でも日本では「危なくて……」かしら。充分 に美味しいのに。早晩にFCCで獨飲。ハイボール二杯。加賀の大学より香港政治研究されるK先生ご夫妻来港で研究者系の方多い食事会あり花園道の川菜・三希樓でZ嬢と末席を汚す。ゐろ/\笑話歓談尽きず。在外選挙で在外も 小選挙区あるべき、香港ヴァーチャル選挙区でなら誰が立候補か?といふ話題になる(つてアタシが余興に題を供したのだが)。自民党は御大I氏。民主党は元 商社マンのM氏、新党大地=北海道出身でK氏、幸福党は八月に北京に去られたがN部長、日本共産党は某大学M教授、みんなの党はK局長、公明党はアタシら が決める必要もなく、社民党は某誌S編輯長、日本新党は某大学N助教授……でやはり民主党でM氏当確か、と察す。もう一つの話題は日本政府によるマカオで のカジノ投資。マンネリ化したマカオカジノ業への起爆剤として元禄狸御殿か「千と千尋」の油屋旅館(紅や)のやうな賭場の建造。大浴場の温泉、芸者遊びか ら松葉屋のやうな花魁ショーまで絢爛豪華さが賣り。賭場も大小ぢやなくて背中の刺青も見事な鯔背な兄さんがディーラー役で丁半、バカラぢやなくて花札でオ イチョカブ、それも四畳半くらゐの座敷間で座蒲団敷いて。中国の地方の末端党幹部らに野球拳とか、けつこうウケるのではないかしら。日本で金利下げても景 気刺戟効果もないのだから日本政策金融公庫から国際協力銀行を通し数百億の資金をマカオへ。工業団地ならぬマカオ興業団地=コタイへの投資。ベネチア模し てゴンドラ遊びとか此方のはうがずつとウケる気がするが。ケネディロード(といへばロバート=ケネディ氏逝去)まで下りフリーメーソン香港教会前よりミニ バスで帰途につく。
▼北京から東京に戻られた畏友O氏から北京の路線バスの環境対策についてメールで教示いたゞく。北京だと路線バス二万台の三分の一が天然瓦斯(CNG) 車、電気バス、トロリーバスの由。特にダブルデッカーは全車輛CNG車。香港でなぜそれが出来ないのかしら。CNGにすると充填するためにそれなりの設備 が必要ださうだが。天然瓦斯使用のダブルデッカーぢや平坦な北京はOKでも香港の坂上りは出来ないとか?
▼英語など外語も難しいが日本語の外来語はもつと難しい。外語でも智識や経験、憶測でわからない言葉がわかる時もあるが外来語でカメラ用語で最近、オリン パスのペンEP-1の記事などでよく目にする「マイクロフォーサーズ」カメラのフォーサーズに該当する単語思ひつかず「まぁ、今のところこの外来語がわか らなくても困らない」でゐたのだがチヨートク先生がブログで「マイ クロ4/3」と書かれてゐて、あつ!フォーサーズつてFour Thirdsのこと?つて気づいた次第。 そりや「四番サード長島」でサードがthirdはもはや日本語だとしてもthirdsを「サーズ」で「三分の四」を、フォーサーズはないだらう。 thirdsとSARSが同じ「サーズ」なのも不思議だし「ハッピーバレーでバレーしてから尖沙咀でバレーを観る」もvalleyとvolleyと balletのヴァレイ、ヴォレイ、バレが全部「バレー」なのか……言ひ出したら切りがないが。カメラといへば最近、人気のトイカメラ。「カメラのドイ」 と紛らはしいので(笑)玩具写真機と呼びたいが露西亜のLomoと並ぶ玩写のHolga Cameraであ る。ホルガは香港でよく売られてゐるがホルガが香港製とは今日まで知らず。SCMP紙が一面記事でホルガ流行を伝へるがHolgaは1970年代に香港の カメラ製造関連のUniversal Electronics社がフラッシュ製造をしてゐたがコニカから世界初のフラッシュ内蔵カメラ(ピツカリコニカ)が発売され発光関連商品では喰つていけ ぬ、と新製品開発で生まれたのがmade in 香港の当時のチープさ強調でのトイカメラ。で当初の製品名は広東語で「好光」Ho Kwongで「とても明るい」意だが、外国のバイヤーが「Holga」と呼んで、いつからかそれが定着し商品名になつた由。ぼち/\でんなぁ、の商売が続 いてゐたがデジタルカメラの時代になつてトイカメラが突然のブレイクに製造元も驚いた、と。
▼信報で沈鑒治博士が孔在齊なる筆名で毎週水曜に連載の顧曲集なる京劇談はアタシも何度か日剰で触れたがつひに八十四回の連載でお終ゐ。沈鑒治博士の経歴 についてはかつてこちらにまと めたが廿世紀の京劇で稀代絶世の回顧集。当然、まとめて出版されるのを俟つばかり。最終回の題が「藝術應珍惜 傳統莫偏離」と村上湛君に聯にして贈りたいやう。
▼米国で連邦航空局が今度は安全のため seatback pocketに飲料水のボトルやi Podなど個人携帯品を入れることを禁じたさうな(IHT紙“The pocket is handy, but don't use it”)。愚の骨頂とはまさにこれ。どうせなら「飛行機は安全ぢやない」と連邦航空局が指摘すればいかゞかしら。

八月廿五日(火)土曜日から天気崩れるといふ予報のまゝ強い陽射しつゞく。昼に銅鑼湾で鉄火丼食す。一度食してみようか、と思つてゐた丼物専門店だが評判 で客多し。今日は昼が鳥渡おさかつたんでふらりと入り相席で鉄火丼。まあ/\上手い鮪だが小ぶりの赤身の鉄火丼でHK$151(1,873 円)といはれると「暴利貪つてゐる」のではなく580円くらゐは家賃だらう。で380円くらひが海外ゆゑの含利で日本なら900円くらゐの鉄火丼。それが 築地だと七掛で640円。早晩に帰宅して檸檬一つあつたので搾つてウオトカ檸檬二杯。一昨晩の韓国料理屋で今一つの葱チヂミをパイに焼き直し喰ら ふ。美味。白葡萄酒に酔ひ二更に入つたころに睡魔に襲はれ意識なしの不覚。
▼昼時に鉄火丼喰ひ乍ら讀んだ先週土曜の蘋果日報で古德明先生が連載随筆で「《經濟學人》的文章」なる一文あり。The Economists誌の例へば海洋環境破壊を取り上げた文章で“Politicians, however, are supine. Few of them, especially in Europe, are ready to stand up to potent lobbies”なる表現、supineも仰臥(仰向け)とは訳せても「怠慢」の意と解らぬと「政治家は無所作為(無為怠慢)で、殊に欧州の政治家は(労 働組合や海洋保全など)圧力に屈しないもの」と訳せず、“Yet the mass extinction, however remote, that should be concentrating minds is that of mankind”のthatがmass extinctionを指すことで「種の絶滅が、多くの人の関心は、まだ遠い先のこととはいへ、人類の種の絶滅なのだ」とか、エコノミスト誌らしい修辞へ の解釈興味深し。それが蘋果日報で解かれてゐるのが侮れず面白い。アタシも今日讀んだ先週末の同誌でも、Afghanistan特集でLeaders(巻 頭文言)“Losing Afganistan?”の副題に“To stop the country sliding of control, the West needs more men and a better strategy”とありも最後を”Mr Obama will need more men, a better strategy and a great deal of luck“と結ぶのだが、そこだけ讀むとその通りだが、これもこの文末の直前の“political pressure in America to announce a timetable for military withdrawal will intensify”こそ主張であり、“Mr Obama will need more men...”は反語表現で、しかも英国的なシニカルさの含みあり。「誰にでもわかりやすく」はけして良いことぢやない。

八月廿四日(月)昨晩は深更に木村伊兵衛『僕とライカ』朝日新聞社讀んで寝たが午前二時くらゐに嫌な夢を見て目覚めてしまひ、それも悪いことしたんがバレ てオカーチャンに叱られバレ/\の方便で逃げようとする、つてほんま晩に見た『大阪物語』のりゆう介(澤田研二)そのまゝ。こんな夢みることぢた ひ情けない。眠れず朝六時に起きなきやならんと思ふとぞつとして睡眠薬飲んだら今日はそれが終日ずつと残つてしまひ睡気引かず。このまゝ寝ちまへば楽なん だらうが早晩に帰宅してドライマティーニ飲んだら「きりッ!」と目が醒めるから困つたもの。まう秋もそこまで、で夕餉に栗ご飯。そこに煮た南瓜、きりッと した胡瓜の糠漬けがつくのがまだ夏。食後もラム酒にGrand Marnierちよつと垂らしてロックで飲みながら伊兵衛先生つゞき讀む。アンリ=カルティエ=ブレッソンが伊兵衛先生とほゝ同年代といふのが、言はれて みればさうなんだが作品的にはブレッソンの方が芸風としてずつと昔に思へ、だが亡くなつたのは伊兵衛先生がもう35年も前なのにブレッソン師は数年前で、 このへんの感覚的な時間のズレがをかしい。
▼香港政府の愚弄なる、中学での検尿による学生の麻薬吸毒蔵毒検査の実施の賛否。天主教会は人の尊厳を理由に不支持表明。検尿でわかるんだぞ!と学生脅え させ麻薬から遠ざける、なんて教育に非ず。酒酔ひ運転撲滅と路上で全車輛取り締まりで血液検査でも実施するはうが検査渋滞で運転厭ふ者続出で車輛運行減り 大気汚染改善に貢献する鴨。大気汚染といへば、かつて香港は香港島が中華巴士、九龍新界が九龍巴士といふ寡占で良くも悪くも路線バスはのんびりとしてゐた が、それが中華巴士の撤退で九巴、新巴、城巴による競合となり路線バス急増し渋滞と大気汚染凄まじ。この三社で5,600台の路線バスが600路線をば走 り回る。SCMP紙の報道に拠れば五地点(尖沙咀の彌敦道、銅鑼湾の怡和街、中環のDes Voeux Rd、Connaught Rdと皇后大道中)で昨年360本の路線バス運行が削減、と聞くと政府の指導もそれなりか、と思ふが、それでもこの五地点を一日に通行する3.7万本の僅 か一割弱に過ぎず! 2002年から始まつた路線バスの運行削減で香港で最も運行バス多き三地点で4,373本削減。彌敦道の観測地点では2003年に走 行する車輛の44%が路線バスであつたものが昨年は29.9%まで減つた由。それでも彌敦道を走る路線バスで100人定員で平均24人の乗車とは。いかに ガラ/\の路線バスが排気瓦斯と熱気撒き散らしながら走つてゐるか、といふこと。ダブルデッカーバス不要。

陰暦七月初三。処暑。Nokton 50/1.1なんてレンズをば東京で調達し香港に戻り今日で十二日目だがNokton 50/1.1はマカオでM6につけて試し撮りしたものゝフィルムの現像は出 したまゝで今日までこのレンズをR-D1sで使つてみる、といふことに気づかず。R-D1sはデジタルカメラなのだから撮つたその場で写り具合を確認出来 るのに何故かそれに気づかず十二日。カメラ雜誌でオリンパスのペン型のデジカメ発売され好評で、ペン型なのにLMでもNFでも銘玉が使へる構造に「へぇ、 このカメラがあればNokton 50/1.1 も使つてみれるのにGRデジタルぢやさうもいかんしなぁ」なんて思つてをり、なぜR-D1sで早速写してみることに気づかなかつたのかしら。R-D1sが あまりにクラシックなレンジファインダー機で水晶モニタも隠したまゝで、これがデジタルであることすら忘れてゐたやうな気がする。チヨートク先生的には 「それは良いこと」と考へるべきだらう。カメラは「外観こそ」大切だがNokton 50/1.1を装着したR-D1sが予想以上に似合ふので驚き。「さつちやん、ごめんよ、せつかくアンタに縫つてあげよう、あげよう、つて思つてるうちに 処暑になつちまつたよ」と伯母さんの拵へた浴衣を見た沙知子が「あら、母さん見て、伯母さんの縫つてくれたこの浴衣、来年の大川の花火が待ち遠しいわ」な んて門前仲町あたりから聞こえてきさうな感じで、このNokton 50/1.1を装着したR-D1sは「来夏の六月四日、天安門事件追悼キャンドルサービスが撮れるな」と思はせる組み合はせ。午後まで朗宅に籠り約束を疾 うに過ぎた仕立物の針仕事済ます。午後遅く整体。尖沙咀。Z嬢と梨花園韓国料理で参鶏湯。Charlie Brown Cafeで珈琲飲み三更に昨晩に續き太空館。映画『大阪物語』見る。大阪物語といふとアタシらの世代には吉村公三郎監督のそれ。近江屋の番頭・忠三郎が雷 蔵、忠三郎と恋仲になる近江屋の娘役に香川京子、近江屋の主人は鴈治郎で妻が浪花千栄子、跡取り息子が林成年、アンチヒーロー役で鐙屋の伜・市之助が勝新 で、その母親が三益愛子、遊女役で玉緒、それを固める脇が東野英治郎、山茶花究、十朱久雄……とぞく/\するほど役者揃ひ、だが今晩見るのは市川凖監督の 1999年の『大阪物語』の方。澤田研二ファンのアタシはジュリーの芝居が見られないのが香港にゐてとても残念、でこの映画も田中裕子も出てをり映画祭と かでかゝらないか、と思ひ早十年。今回、夏の映画祭で「日本巨匠J&K」特集、つてこれぢや何だかわからないが市川「凖」と「崑」の特集で「大阪物語」掛か る。澤田研二と田中裕子演じる夫婦漫才はる美&りゆう介、マネージャー(辻中達也)にりゆう介が言はれる一言「役に立たんことしかしまへんなぁ……」に身 につまされる思ひ。二人のよく出来た娘・若菜(池脇千鶴)が蒸発した父探し。中学校で教師殴り街にある少年(南野公助)と大阪ぢゆうを歩き、自転車で回り 父と縁のある人たち尋ねて歩くのだが二人もだん/\薄汚くなつてきて、そこがどこか「このまゝ破局か」と近松の心中物を思はせる。がハッピーエンドぢやな いがぎり/\のところで救つてみせるのが(好き嫌ひは別として)市 川凖の世界。ま、どんなしよーもないオトーチャンでも面倒みてやつてや。そんなオトーチャンでもゐてくれるんが仕合せなんやで。

八月廿二日(土)快晴。籠りぎみ気分で外に出るを厭ふあまりの酷暑。陋宅も狭いながらも家中の窓全快にして扇風機でもあれば摂氏33度でも冷房要らず。幸 ひ今日は風もあり。世界に一つのライカ風鈴の 鈴音も清々しい。香港の聚合住宅ではよく(何て呼ぶのか知らず調べてみたら)滑り出し窓といふのがあり。これが天井に近いから開け閉めが面倒でかつては閉 めつ放しにしてゐたが近隣に開けてゐる家少なからず開けてみると風がよく入る。たゞ場所が高いので如意棒(とアタシは呼んでゐる棒)も用意すると簡単。頻 く沐浴でもして天花粉でもつけてゐれば汗もかゝず。公邸や飲食場所、芝居小屋などで冷房にすつかりやられてゐるので冷房なき陋宅が過ごし易ゐ。陽が陰るを 俟ち出街。中環のオリムピアグレコ珈琲店に珈琲豆購 ひFCCでハイボール二杯。新聞讀み。Z嬢と尖沙咀。ペニンスラホテルの印鑑屋で福岡在住T君の次男誕生お祝ひに翡翠の印鑑誂へ。インディアプレイスに印度咖喱食す。二更に太空館で映画 “Stranger Than Paradise” を観る。この映画ももう四半世紀も前の古典とは。Z嬢と東京でひよんなことから酒宴で仲良くなり歌舞伎を観たいといふので最初に一緒に連れていつてあげた のが歌舞伎座ぢやなくて半蔵門での地味な「稚魚の会」の公演。まだ昭和の終り、ちやうど暑い八月で(ッて今年の開催を観たら偶然にも今日から!)四の切 で師匠澤瀉屋直伝で狐忠信演じてゐたのは故・猿十郎。京蔵さんも出てゐたはず。翌年の稚魚の会は寺子屋で松王丸が段治郎で戸浪が芝のぶちやん。最近のこと は数日前にお会ひした方の名前も失念するのに二十年以上も前のことが記憶には鮮やか。でZ嬢と歌舞伎座に行けばまだ久が原のT君がゐて今では浄瑠璃本研究 の権威となつたK君がゐて。さう/\“Stranger Than Paradise” はそんな頃にZ嬢と当時まで観てゐた映画がこれや『ミツバチのさゝやき』や“Coffee and Cigarettes” などかなり趣味が同じで意気投合したもの。結局、考へてみると二十数年前の当時と今と好きな芝居や映画を観て、それを肴に酒を飲んでゐる……となんら変は らない。でもう何度目なのかしら、の“Stranger Than Paradise” はそれでもやぱり面白い。あの三人の主人公で四半世紀後をジム=ジャームッシュ監督がまた撮つたらさぞや面白いだらう。帰宅 して半夜三更『徠卡相機傳奇』なるムツク本讀む。『撮影雑誌』が出版のM型ライカ総覧のやうでM8.2のかなり詳細に渡る解説本は香港での徠卡総代理商で あるSchmidt Marketing社の全面協力で当然、同社によるM8.2の販促が目的なことは顕か。どうであれ香港でライカカメラでかうしたムツク本が出たことだけで も珍しい。
▼信報林行止専欄で行止先生夫妻の八月のザルツブルグか ら巴里への夏の旅行記を読む。巴里のブリストルホテルの早餐廳にて巴里に十数年客居のキーシンと当然のやうに母親と邂逅の話あり。今年春に或る酒會にて キーシンと初対面の行止先生、お互ひ「一つづゝ何か質問を」と、ピアニストはエコノミストに「経済学とは何か?」と尋ねれば行止先生はフリードマンの言葉 引き「世上没有免費午餐是經濟學的精髄」と答へたり。行止先生はキーシンに「神童と呼ばれるあなたは毎日いつたい何時間ピアノの練習をするのです?」と尋 ねるとピアニストは「最低で四時間」と答へれば傍に付きさう母親が間髪入れず「それは演奏会のある日のことで、演奏会のない日は毎日十時間ですのよ」と答 へた由。因此緣故他尚清楚記得行止先生殷々握手問好寒喧而散。
▼信報(廿一日)にLohas Park(日出康城)でMTR站蓋上に完成の聚合住宅「首都」の宣伝を讀む。1.2万平米の60だかの様々な娯楽設備あるPremier Clubなる居住者向け施設にはCapitol Houseなるパーティ施設やご主人向けDuke's Manorといふ私人倶楽部、奥様向けVenus Private Paradiseはエステ、他にボーリング場まで完備。当然のやうにマンション玄関は似非羅馬趣味の大理石とシャンデリア煌々。「首都」だの Capitol House(国会議事堂)、公爵荘園(Duke's Manor)やヴィーナスのパラダイス……なんて命名が「どこがLohasなの?」と嗤つてしまふが、この李嘉誠のゴミ埋立地開発でのロハス趣味の似非ぶ りも然る事ながらロハス趣味ぢたひの胡散臭さが背景にあり。

八月廿一日(金)快晴酷暑。宿酔気味。かつてはかなり痛飲でもせぬかぎり宿酔など恐れもしなかつたが昨晩だつてちよつと……食事中での紹興酒とバーSでハ イボールで次はマティーニを二度、で最後にニッカ余市のカスク酒を賞味させていたゞいただけ、でそれが飲み過ぎと言はれたらそれまでだが、アタシ的には 「この程度」なのにバーを出たあたりから帰宅しての記憶が曖昧。で今日はずつと体調すぐれぬまゝ「元八の野菜たつぷりの太麺のラーメンが食べたい」と思ひ 續け早晩に銅鑼湾のCity'superのフードコートで元八。 香港文化中心で京崑劇場と山東省京劇院の舞台で『金 玉奴』通しで見る。親子の情、若い男女 の相思相愛と破局、男の野心、出世願ふ狡さ、滑稽さ、など実によく話に含まれる。ずつと観たいと思つてゐたがなか/\通しで掛からず。今回は香港生まれで ジュネーブ音楽院だかでピアノ専攻といふ異色の経歴もち京崑劇場をば主催する鄧宛霞がヒロインの金玉奴役で玉奴に命助けられる秀才美男の莫稽を演じるのが 山東省京劇院の耿天元。玉奴の父・金松が京劇界でも名丑と賞される王玉瑾。節制した舞台構成。親子の情、若い男女の相思相愛と破局、男の野心、出世願ふ狡 さ、滑稽さ、など実によく話に含まれ期待通りの面白さ。ずつと観たいと思つてゐたがなか/\通しで掛からず。楽隊が、といふか板鼓担当が上手(かみて)で コンサートマスター的に鐘太鼓、舞台下手の絃樂器をまとめるのだが、この方(魯華、張培才といふ二人の名前がパンフレットにあり今晩と明晩の交替で今晩は いづれの方かわからぬ)のその仕切りの見事さと板鼓の奏法がそりや見事。舞台跳ね少なからぬ客がこの方への拍手喝采、讚辞あり。終はつてペニンスラホテル のバーで獨酌……と思つたが帰宅して酒なしで鴨志田穣の『酔いがさめたら、うちに帰ろう』讀む。うーん、 とアル中の怖さもさることながら鴨志田穣の人柄、妻である西原理恵子や母のこと、病院でのアル中患者「同寮」の生態、そして「どうしてアル中になつたか」 を同病の患者らに聞かせる体験発表の独り語り(そこにバンコクで出会つた橋田信介氏が登場するのだが)……つい惹き込まれ讀み終はつたら深夜二時。
▼『金玉奴』は京劇の有名な狂言の一つ。(以下、あらすじ)乞食の頭である金松には玉奴といふ美しい娘あり。大雪で極寒の日、若い男が家の門外で行き倒れ るを見て助ける。莫稽と名乗つた青年は秀才で科挙の試験を受けに上京する途中に旅費尽きての餓ゑ。玉奴は莫稽をば家に招きいれ一杯の小豆のスープを与へ莫 稽は命をとりとめる。莫稽は秀才なばかりか礼儀正しく美男。玉奴は莫稽と相思相愛となり結婚、莫稽は婿となり乞食で糊口を凌ぐ父娘の献身的な支へで莫稽は 学業に勤しみ上京し科挙の試験受け合格。莫稽は目出度く科挙に通り江西は德化縣令を拝命。父と玉奴も喜んだが莫稽は態度一変し父娘に厳しく当る。素姓が乞 食ゆゑ莫稽自らの地位では妻と義父のその振るまひや作法が貧しく不愉快。任地に向ふ途中の船旅でも莫稽は義父を奴隷のやうに扱き使ひ玉奴は夫の冷徹薄情に 落胆し、いつそのこと河に飛び込み、と思ふが父に諌められるほど。だが莫稽は義父を罵り酔つた勢ひで玉奴を船から河に突き落とし、義父には「玉奴が足を滑 られて河に落ちた」と嘘を言ひ義父は娘を探しに船から去る。こゝで中入り。江西巡按を拝命の高官・林大人は夫人を連れて河西省に至る船の旅。二人は愛する 娘を病に亡くし落胆の旅路であつたが河に溺れる女(玉奴)をば救ふと死んだはずの娘に瓜二つ。玉奴から素姓と出来事を聞き離れ離れの父を按ずる玉奴を不憫 に思ひ養女に迎へ入れ、父・金松を探し出してやる。林大人は德化縣に入り縣令(莫稽)から当地の事情形勢安否の上奏を受ける。大人「で、そなたは妻があつ て?」と話を向ける。莫稽は「思ひ出すも涙……」と赴任の船旅で愛妻が河に過つて落ちて行方知れず。もうこの世には……」と泣いて語つてみせると林大人 「そりや不憫。だがそなたも独り身では辛からう」と自分の娘を妻にどうか、と仕向ける。莫稽にとつては朝廷の巡按ほどの高官の娘婿になれるとは幸甚。さつ そく婚礼となり大詰め。嬉々として祝宴に現れる莫稽。林大人の家来らは新郎を打ち叩くは土地の風習とするが莫稽の狡さを識るゆゑ、つい打ち叩くにも力が入 り、こてんぱに打ちのめされる莫稽。新娵は掛簾越しに夫となる莫稽に質す。アタシと婚約するのは本当にアタシを愛してゐるからか、父の地位ゆゑにはなから う、父とアタシを本当に遠い先まで面倒見てくれるのか……と。勿論、勿論と莫稽は答へるが「もし父が失職して身分失つても父を奴隷の如く使はぬか?」と質 され、妻となる娘の顔をば拝むとそれが玉奴。玉奴の幽霊が現れた、と気が動顛した莫稽は祝言の場に臨んだ林大人夫妻を前に自分のした悪行をば曝露。林夫妻 は玉奴に莫稽も深く反省してゐるから、と許して再縁しては?と告げるが玉奴は自分への仕打ちもひどいが父を奴隷のやうに使つた莫稽の非情が許せぬ、と哭 く。金松も現れ「もし玉奴があの大雪の寒い晩にこの男を救はず小豆のスープ一杯飲ませなかつたら今頃こゝに命もなからう。科挙の考査とて上京の途中、自分 が物乞ひまでして食糧を得て糊口凌いだんぢやないか。それが科挙に受かり役職をば拝命したらの餓ゑるほどの貧しさを知るのは貴様も俺と娘も同然の筈が悪 態。それが許されようか」と。林大人も金松と玉奴の指摘は 尤も、と莫稽の役職剥奪、朝廷の処分裁定待命と処す。金松と玉奴の父娘は故郷に帰つて暮さうと決めるが林夫妻は玉奴はもう林家の養女だからと二人は此処に 仕合せに暮すが良い、として終はる。『金玉奴』は『豆汁記』といふ題もあり。元々の筋は莫稽が猛省して二人が復縁して目出度し、だつた由。プロレタリアー ト的な演劇改革の中で今の筋になつたのかしら、と勝手に察す。
▼武夷山での観光業や日本での不動産投資など麻薬中毒の若者救済のNGOにしては投機的資産運営があり会計監査のない年度があつたり運営の不明朗さ指摘さ れた基督教正生會と正生書院にICAC(廉政公署)のガサ入れあり書院や理事長、校長宅から会計書類など押収の由。ランタオ島の芝麻湾の苫屋から梅窩の休 校中学建物借りての移転問題で世論が一気に「正義」と見た正生書院が、まるで疑惑の渦中に。今年九月の新年度は「老朽校舎で受入れ生徒数限界超過」として 新入生受入れせぬと決定してゐたが、これも「他に事情あって」と憶測される始末。
▼「この十年間、(自民党は)政権交替を何とか耐へてきた。(略)これだけの逆風、よほどのことがない限り、政権交代は実現する」と断言するのは……小泉 三世、やはり変人(嗤)。自民党をぶつ壊す!と宣ひながら郵政選挙で大勝して「結果的に自民党を強くしたぢやないか」と思つたが結果的にこれ。朝日に續き 今日、読売と日経も民主300議席も予想。築地のH君曰く、自民党120議席だとしたら半分の60は比例区選出=所属政党の変更能はず内部崩潰しても自民 党と心中せねばならぬ。自民党が例へば公明党や社民党と歴史的合併したりすれば(笑)新党での議員資格あるが極端な話、解党したらどうなるのかしら。選挙 区選でこの逆風のなか民主党候補に勝つて出てくる自民党議員てのは相当に選挙に強い=端の利く連中だからホントに自民党がもうダメならさつさと出てしまふ 鴨。すると「どうしても自民党を出られない」前述の比例区組や舛添君、石原伸晃君ら最低60議席くらゐの自民党が残る。この人たちは何にアイデンティティ を見出すのかしら。民主党が「中道左派」色を強めてゐるからやつぱり「保守」を旗印に森喜朗路線で憲法改正とか核武装とか日の丸君が代の義務化とか、もう 極端な反動政党として突つ走る? その場合にはやはり「リーダーがゐない」のが弱点。舛添総裁に極右政党の看板が務まるか。石原伸晃君あたりなら父の徳義 嗣ぎ案外嬉々として演じられる鴨。H君が上手く言ひ当てゝ、昔の自民党が『文藝春秋』なら選挙後の自民党は『諸君』『正論』で、旧社会党が『世界』なら社 民党は『ロスジェネ』で、民主党は『論座』でみんなの党や橋下・中田が 『VOICE』だと。今回の選挙は通過点で次の政界再編成に期待したが民主党も300議席にもなつたら(参院もあれだけの多数で)前原君ら党内右派も自民 党右派と新党結成などするより党内でハト派と拮抗する方が(実にかつての自民党みたいだが)得策。それぢやかつての半永久政権化した自民党と一緒か。

陰暦七月初一。連日の快晴猛暑。総領事館で在外で衆院選挙の投票に参る。在外選挙人証の交付受けて平成12年の第42回衆議院選挙(比例代表制)からの投 票はアタシは七回目(おそらく全て)で選挙人証も記入欄が一杯。選挙好きなのですでに近い将来の衆院解散政界再編総選挙に向け已に新しい選挙人証を受領し てゐるが(笑)。前回の参院選挙で比例区の他に選挙区選挙、衆院は今回から小選挙区も投票可で、アタシは今回、公明党も推薦にまはつた絆創膏王子に一票入 れることも能ふ。在外公館にしてみれば全国全ての小選挙区扱ふのだから手間はかなりのもの。しかもアタシの地元の選挙区なんて市町村合併したものゝ市の一 部が合併以前の選挙区のまゝ。それにしても在外公館での投票は在外選挙人登録してゐる国民が少ない上に投票期間も長いから(今回、香港は六日間)どうした つて投票所は閑散。対応する館員の方が案内、受付、本人確認、立会人で六、七名もゐるから何だかこつちのはうが窮屈な思ひ。前回の参議院選挙の投票の時な んざ受付で説明するのが、ちやうど総領事が当番の時に当つちまつて(館員全員が必ず当番をする、つて原則で総領事もほんの数回、数十分の当番についてゐた 由)ついアツシがペコ/\しちまひ、まるで大正十四年の普通選挙で投票する平民のやう。アタシは二十歳で選挙権を得た頃に「選挙では政権党に対して野党第 一党に入れるのが政局を面白くする」つて理窟を何かの本で讀み「社会党に投票」の習慣がついてゐたがとふ/\これまでアタシの一票が政局面白くしたことな ど一度もなかつたが今回は「民主党三百議席窺ふ勢ひ」と今朝の朝日新聞。自民党苦戦で現有三百議席の半数に届かず更に大きく後退の可能性といふ。自民党の 選挙手段が「麻生隠し」(笑)とは情けない。文藝春秋(九月号)で中曽根大勲位とナベツネ君対談で自民党が百議席減までなら復活の可能性あり自民と民主の 増減が百五十に達したら自民党は半永久的に野党と放談してゐたがどうなることか……。投票のあとJollibee Burgerに昼を食す。Jollibeeはフィ リピンのファーストフードチェーンでフィリピン人が十数万人働く香港では彼女らが週末に集ふ中環に当然のやうにJollibeeがあり平日でも入ればそこ はマニラ。ハンバーガーにパイナップルが挿んであるアロハバーガー、アトはフィリピン系御飯物がいくつかあるだけ。で単品で20数ドルは麥奴などよりずつ とお高いのだがフィリピン人はやはりJollibeeを食すと故郷の味なのだらう。晩に中文大学U氏の招飲受け湾仔の杭州飯店。香港総商會のL女士らと或る策略など款語尽きず。帰りにバー Sに寄り獨酌。バーSで鴨志田穣の『酔ひがさめたら、うちに帰らう』拝借。アタシは幸ひアル中になるほど酒浸りでもないが溺れさうなフシもなきにしもあら ず小心/\。
Monocle誌九月号の別冊特集"Singapore Survey”讀む。 Monocle誌のサーベイのやうだが金融、経済、貿易、観光から教育、都市交通、住宅環境までシンガポールべた褒めの提灯記事満載で呆れるばかり。当 然、一党独裁の政治環境など触れもせず何ら憂ひもなき夢の未来都市を紹介するのは提供がEDB(Singapore Economic Development Board)ゆゑ。シンガポール政府が自国宣伝するのは勝手だがMonocleといふ雑誌が独自性売り物にするやうな姿勢を見せつゝ提灯記事冊子とは恥知 らず。目を皿のやうにして讀めば唯一、メディアの紹介の文章に“The words Singapore and media have not always sat comfortably in print”とかなり婉曲な表現これ一つだけが多少ホンネで後は宣伝ばつかり。所詮、この雑誌の似非ぶり、Tyler Brûlé氏の胡散臭さの証左か。信報もまだ性懲りもなく李嘉誠系のLohasマンション分譲宣伝でLohas系小冊子を発 行。第三号では安藤忠雄氏も紹介されてゐたが安藤氏は自分が香港でLohasなんて発想からは程遠い劣悪な環境で疑似ナチュラルライフをば演出した聚合住 宅の分譲宣伝に自分が使はれてゐるとはご存知ないだらう。
▼澳門のカジノ王・何鴻燊(スタンレー・ホー)氏が第三夫人宅でだつたか顛倒し頭を打ち脳内出血で入院して容態の良否が噂され續けるが第四夫人の他に看護 婦あがりの第五夫人の存在まで顕かになり御大にもしものことあらば……と考へると他人事ながら平和裡にはいかぬだらう。正妻は已逝してをり謂わば側室から 正妻となつた第二夫人(藍瓊纓)が睨みをきかしホー氏の賭博業・観光・地産などで実権握るのも第二夫人の長女(何超瓊)と末子の長男(何猷龍)だが他に十 四人だかの息子・娘があり正妻の長女と第四夫人の末子の年齢は五十歳以上違ふのではないかしら(上原謙も真つ青)。マスコミ対策などで厳戒機密体制の敷か れる港安病院でホー氏の病室に入れるのは第二夫人の肝いりで正妻の子二人と自らを含む夫人三名、それに第二夫人の子の内でも前述の超瓊と猷龍だけ、で他の 息子娘らはガラス越しでの見舞ひしか許されぬそふ。誰が医者を招くか、でも確執あり、第三夫人がホー氏の看護に、と看護婦あがりの第五夫人を呼んだところ 一族から「なんでこの女を呼ばしやつつか」と批難轟々で面会も許されず……と話題事欠かず。
▼民主党の鹿児島での新人候補出陣式で「日の丸」切つて緤ぎ合はせ民主党旗に(朝 日)。まさに眼から鱗。四半世紀以上前にジャズ風に編曲の「君が代」を慥か「80年代」つて雑誌だつたか(保坂展人氏らの編輯だつた記憶あり)附 録のソノシート(懐かしい)で聴いて以来の新鮮さ。こんな編曲もありなんだ、と感心したが、「あり」どころか、この「君が代」は或る教員がピアノ演奏拒め ず良心の呵責に耐へかねジャズ風に編曲し演奏し処分されたもの。数 日前の朝日に1999年の国旗国歌法の成立に伴ふ逸話あり。この法制化、かなり強制的で不愉快であつたが野中広務氏がこの朝日の取材に答へた内容 が興味深い。広島の県立高校長が卒業式を前に式典で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を求める県教委と反対する教師との板挟みを苦慮して自殺。野中氏(当時、官 房長官)は「こんなことで人を死なすのは不幸だと考へ」参院で「法制化しない」と発言したばかりの小渕首相をば説き伏せ法制化を図つた、と云ふ。野中先生 らしい美談のやうだがよく/\考へると「抗争が絶えないから暴力団も合法化」のやうな話。で具体的には日の丸と君が代を国旗、国歌と定めた二つの条に續き 第三条に
国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。(第二項)国及び 地方公共団体は、政令の定めるところによりその管理する建造物において国旗を掲揚しなければならない。(第三項)国民は、祝日に国旗を掲揚するよう努める ものとする。
と草案にあり。強制に反発が予想され第二案では
国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
とだけ残る。が法制局第二部の参事官が「例えば君が代の旋律を変えて演奏したら尊重しないことになるのか」など省内で質問を投げかけ「国民は」の主語が削 られ受動態となり
国旗及び国歌は、尊重されなければならない。
とまでなつたが、「尊重義務を書けば罰則がなくても「義務を守らないのはけしからん」と言ひ出す人がゐる余地はないはうがいゝ」(古川貞二郎官房副長官) といふ意見もあり野中長官も火種、政争の具になるだらう第三条は「残さん方がいゝ」と答へた由。で第四案では
国旗及び国歌は、尊厳が保たれるように扱われなければならない。
とまで婉曲な表現となつたものゝ最終的には姿を消したもの。それで良かつた気がするが、結果的には悲しいかな東京都教委のやうに強制もあり義務どころか 「戦争といはれれば戦争、民主主義といはれれば民主主義」の順応性で当たり前のやうに国旗・国歌で定着し近ごろは「日の丸」「君が代」といふだけで非国民 的左傾と思はれがち。「卒業生入場、皆さまご起立ください」で立たせておいて、そのまゝ「国歌斉唱」に導く作法が定着は誰が考へたのかお見事。「(国旗国 歌法)成立直後の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式で『国歌斉唱、ご唱和願います』と放送が流れた。国会で『義務を課すものではない』と言っていた のに非常に違和感を持った。君が代を歌わないととやかく言われたり、国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む 社会が私はいい」と、これが岩波朝日文化人の発言のやう。だが元内閣法制局長官たる方の発言なのだ。野中先生の「こんなことで人を死なすのは不幸だ」の思 ひやりが結果的には多くを生殺しとは……。日の丸といへば森喜朗先生曰く「民主党が政権をとったら国の行事で全部日の丸が降ろされるんじゃないですか。静 かなる日本の革命が今起きつつあることに全然気づいていない」「あっという間に国家の基本がなくなってしまうことになりかねない」。森君に日の丸掲揚強制 されるよか静かなる日本の革命に期待したゐ(笑)。

八月十九日(水)解熱剤が効いたか冷房消して寝たのが幸ひしたか調子よく夜明けに目覚む。が朝食の頃に悪寒ありひどく手足が震へ熱い風呂に漬り臥床。悪寒 は治まつたが今度はかなりの発熱のやう。この旅寓、 客室の拡充は良いが体温計も備へてをらず。氷を貰ひ頭を冷やしながら昼まで休養。旅にあれば、と思ふがどうせ元気でも旅寓のプールサイドの木陰に憩ふだけ だから、プールサイドか寝室か、の差でしかない長閑。健一さんの『酒肴酒』読了。健一さんの酒と食に関する随筆はそりや面白いが、やつぱりそれが「あまカ ラ」とか銀座百点とかさういふ冊子に一つあるから面白いので、これでもか、これでもかと続けて讀むと鳥渡、食傷気味なのが本音。でもね、銀座の交詢社のピ ルセンとか岡田や蕎麦のよし田にふらりと入つたら健一さんが飲んでたら、そりや楽しいだらう。ところで健一さんからの孫引きになるがバルザックの「おどけ 草子」から、或る若い、まだほんの少年の僧がイムペリアと云ふ名高い遊女の許に忍び込む場面、それの神西清氏による名訳を綴つておかう。
……やがて腰元に手を引かれて一間へ通つてみたれば、奧方ははや力 くらべの對手を待顏に、裳束も寬がれておぢやつた。金銀ちりばめた毛氈も、珍烹佳肴の數々にとこち狹ゐほどであつたに、又その傍な奧方の美々しひは、月日 も遠く及ばぬげに見えた。珍陀の壺、「ぎやまん」の盃、鬱鬯の甕、「きぷろす」の酒甁、藥味の玉手箱、孔雀の丸燒、靑綠の汁、鹽漬の豚なんど、萬一「いむ ぺりあ」を慕ふ心さへござなんだら、隨分とこの伊達者の眼を樂しまいたでもあつたらう。なれど、若僧がぢつと眼を放たゐで見守つたは、奧方のあへかな姿で あつたれば……
解熱剤と氷嚢でかなり無理矢理の熱冷し。さうでもせぬと香港入境の際に体温検査でひつかゝりもせば帰宅も能はず収監か。出歩いてゐたZ嬢戻り買つてきてく れた体温計でぼんやりと検温すると体温は摂氏39.4度で「そんなはずなからう」と驚いたら外気が摂氏32度だかでZ嬢が持ち歩いてゐた間に体温計も水銀 が上昇してゐたもの。測り直すと摂氏37.4度。今朝方はいつたい何度だつたのかしら。ホテルの食堂で昼餉。さすがに葡萄酒を飲む気にもなれず。海鮮の炊 込み御飯。午後三時にチェックアウト。ぢつに十九時間ぶりに娑婆に出てホテルの自動車でフェリーターミナル。香港に戻る。露伴『骨董』讀む。遅晩に陋宅樓 上の子供二人走り回り騒々しきこと甚だし。その隣室は晩三更にピアノ弾く気狂ひ家族。親の躾け行き届かず子供も子供で非常識の我が儘に育ち更に問題は住居 の「快適さ」ゆゑ。昔なら晩は家ぢゆうの照明すら薄暗く兄弟で走り回るには危なく晩とて蒸して走り回らうものなら汗だくで子供とて不愉快極まりなし。それ が照明は煌々で冷凍庫のやうな冷房の寒さでは動きまわり暖をとらねば子供とて寒いほど。荷風先生も近隣の晩のラジオの噪音に悩まされ隣人が寝入るまで晩は 出街を常とせしこと思ひ出す。解熱剤で無理矢理に熱を下げてゐるぶん体調芳しからず寝床でカメラ雑誌、木村伊兵衞『僕とライカ』讀む。

八月十八日(火)この旅寓のカフェレストランの名前がBela Vistaと云ふ。西湾にかつてHotel Bela Vistaといふそれはそれは優雅なホテルあり。マカオの中国返還後それが葡萄牙の在マ カオ総領事公邸になつてゐるのだから(マカオぴあ編輯長日記参照)、 それくらゐ格式ある建物。そのホテルの運営を任され てゐたのがマンダリンオリエンタル。それが謂れでBela Vistaの名をこのホテルのカフェに残したのでせう。Hotel Bela Vistaは部屋が僅か八室で内七室が套房でアタシらも一度だけ宿泊。バルコニーの広いレストランが心地よく其処は何度も食す。このカフェは当時を知る者 には懐かしさ込上げるほど雰囲気から調度品まで当時を再現。ちなみにマンダリンオリエンタルはマカオから撤退ではなく外港新填海區(NAPE)のOne Centralに新規開業の 由。朝から屋外のスパに憩ふ。Sandsの賭場から朝の八時、九時に出てくる賭客を眺める。賭事せぬアタシらにとつては徹夜で賭事はどれだけドロ/\か想 像も能はず。ホテルの裏から歩いて五分のマカオ藝術博物館。Uma Viagem através da Luz e da Sombra – A Invenção da Fotografia e as Primeiras Fotografias de Macau(凝光擷影ー攝影術的發明暨中國澳門老照片)といふ特別展あり19世紀から20世紀前半のマカオの生活風景写した写真展あり。またBairros de Macau(澳門隣里)といふ陳顯耀によるマカオの伝統的な、そして近い将来には後継者もなく消えてしまふであらう市井の古き廛補や街頭で の商売営む町人写真展が圧巻。たゞの記録写真でなく構図が極めて見事(作 品例)。ホテルに戻りチェックアウト。路線バス待つがなか/\来ないのでタクシーでタイパ區。Castiçoなる、いぜん偶然にパン購ひ、それから一 度食してみようと思つてゐた小さな食肆に昼餉。当り。蛸飯、牛雑と豆の煮込み。タクシーでPousada de São Tiagoに投宿。マ カオでは由緒ある隠れ家的旅寓は一昨年だつたか一年くらゐ休業して24室だかの客室を半減して全室套房(Suites)に。内装がちよつとモダン過ぎで合 板材、新建材目立つかしら。バスルームはジャグジー、シャワーはスチームサウナ機能つきで優 に客室一つとれる大きさは立派。小さなプールの木陰で午睡、讀書。夕方、ホテル出て裏手の西望洋山に上がる。といつても標高は海抜50mくらゐ。マカオの 超高級住宅地で警察の詰め所もいくつかあり。富豪住宅は「此処にしかない」わけで初代、二代目の行政長官含む澳門五大家族もスタンレー=ホー氏の澳門の屋 敷も葡僑の富裕層もみなこの界隈の住人なのだらう。いつも遠くから眺めるばかりの西望洋聖堂(主教府)拝し市中心の方に下る。猫空間に立ち寄り小猫を愛で 何東図書館の中庭に憩ふ。昏刻にアタシの好きな關前正路界隈漫歩。どの廛補もだいぶ店終ゐが早いな、と思つてゐたら十月初五日街で黄枝記も今晩と明晩が連 休。盂蘭盆はまだだしどうしたのかしら。夕餉は軽く済ませたく昨晩はアタシ一人で雲呑麺食した祥記麺家。咖喱牛腩と炸餃子で麦酒飲み蝦子撈麺食す。杏香園に甘味。路線バスで旅寓に戻る。何だか感冒気味。昨晩は冷房消し て寝たつもりが夜半に薄ら寒し。解熱剤服し早寝。
▼人民日報の記者が七月初旬に香港で開催の新聞記者のコンファレンスに参加。その前日、七一デモに個人的に参加したところ北京にて当局より証拠写真を見せ られ行政機関公務員処分条例に違反と告げられ香港に脱出し米国総領事館などに政治亡命の庇護求めるが拒まれ旅居の身の由。法律とは権利擁護とその剥奪の規 則あつて天秤となると思ふのだが最初から「処分条例」つてのも怖いかぎり。

八月十七日(月)昨晩は珍しく二時過ぎに床につきあまり眠れぬ壗に曉を覚える。朝九時のジェットフォイルでマカオ。往復の航路と宿泊のパッケージでマンダ リンオリエンタルマカオを予約。波止場でホテル差し向かへのシャトルバスを待つが一向に来る気配なく二度も ホテルに電話するが二度目の電話でホテルがGrand Lapa Macauと改称したこと知らされ、それならさつきシャトルバスあり。ホテルにつき話を聞けば「運営はマンダリンオリエンタルのまゝ」だが今月朔日に名称 変更の由。かつてはマカオ有数の高級ホテルで沿岸から眺める湾岸の夕焼けも美しかつたが400米も埋立が進み風水も悪くなつたか、埋立地にスパリゾート拡 充するなど努力もしたが競合ホテルも増え隣にSandsが出来て埋もれた感あり。どこか内地の投資会社に売却でオペレーションだけ引き受けかしら。それは いゝけど電話でホテル名聞き取れず「マンダリンオリエンタル?」と尋ねると「さうです」と答へ波止場からのシャトルバスの確認なのだから「ホテルの名称が 変はつてをりますので」くらゐ客に伝へるべきでは?とチェックインの際に職員に伝へる。荷物だけ置き路線バスでタイパ。茹だるやうな暑さ。かつて路環の Restaurante Espaço Lisboaにいらしたアントニオ厨師が自らの名で一昨年だかに開業の食肆Antonioに 昼餉。驚くなかれ狭い肆にアタシらの他、日本人の団体客八名ともう一組の男女 も日本人。皆さん二時間近く昼を楽しむやうな方ばかりでアントニオ師は大いに満足か。タイヤ屋の本(とミシュランをZ嬢はさう呼ぶ)に★はつかぬが載つた らしく値づけもかなり強気。ヴィーノベルデ一本と白ワイン半瓶でかなり良い気分で路線バスで宿に戻る。プールサイドとスパで微睡みつゝ吉田健一『酒肴酒』讀む。スパのシャワーは別としてサウナ やスパ範囲は「十六歳以下お断り」とするのはホテルの見識。アタシが折角気持ちよく吉田健一を讀んでゐるつてのに健一さん本人は「旅行してゐる時に本や雑 誌を讀むの程、愚の骨頂はない」なんて言つてゐる。で本人は列車の中からずつと呑みつ放し。酒を飲んで寝て朝起きて蒲団の中で麦酒をぐぐつと飲んで喉の渇 きを癒し朝餉から向ひ酒が始まるから大したもの。「しなくてもいゝことをする機会が幾らでもあるから、旅は楽しい」つてそりやさうだらう。晩、暗くなるの を待ち出街。それでも暑くて汗だく。新口岸からリスボアホテルの方に歩く。香港もさうなんだけどマカオも上海街つて通りはなぜ風俗街なのかしら。昼はカメ ラに50mmでもf2.0のズミクロンをつけてゐたが晩を待つたのはf1.1のノクトンを使つてみたいからに他ならない。おーつ、リスアカジノのネオンな んて明るすぎてISO400のフィルムで1/1000秒でもf2.4くらゐにしかならない。かなり暗いと思ふところで1/125秒くらゐでシャッターを切 れるつて何だ、こりや?である。今日の澳門日報は昨日23萬人が来澳で内10萬人が珠海からと伝へてゐたが、その割には晩の七時過ぎには栗鼠ボアからセナ ド広場はあまり人出多く思へず。日帰り、或いは宿泊は経費節約で珠海つてのが多いのかしら。昼に澤山食べたので晩は祥記麺家で小ぶりの雲呑麺一杯のみ。路 線バスで宿に戻り健一さんのつゞき讀む。

八月十六日(日)大量の路線バスの排気瓦斯は香港の大気汚染にかなり影響がある。今朝も北角のフェリー乗り場前のバスターミナルでバスを待つてゐたら少な くても八台のバスがエンジンをかけたまゝ冷房もガンガンなのだらうが、こともあらうに運転手不在で停車中。排気瓦斯と エンジンの放熱で暑いくらゐ。キチガイぶりに呆れシティバスのホットラインに電話で苦情申し立てる。ちやうど警邏中の警官がゐたので話するとアタシに「ど こから来たの?」といふから「香港に住んでゐる」と答へたら「何処の国の方?」といふので「日本」と答へると「へぇ、英語が上手ですね」と……さういふこ とぢやない(でも日本人=英語下手なんだらうな、まだまだ)。警官がシティバスの運転手詰め所に行きエンジン止めるやう命令。で運転手の1人が出てきてエ ンジン止めたが車鍵はつけたまゝ。誰でも開扉ボタン押して車内に入れば勝手に大型二階建てバスの運転興じることが出来るわけ。誰かがそれをやつて人身事故 でも起こしバス会社の業務上過失責任でも問はれぬ限り改善はないのだらう。官邸で御執務しながら香港電台第四台聴いてたら今月は「村上春樹の音楽世界」な んて特番ありムラカミハルキの小説で聴かれる曲を特集。今日は《尋羊的冒險》 ださうで
Handel: Sonata in C for recorder and continuo Michala Petri (recorder), Academy of St. Martin in the Fields Chamber Ensemble
Vivaldi: Concerto No. 6 in A minor, RV 356 Academy of Ancient Music/Christoper Hogwood
Scriabin: Piano Sonata No. 10 Vladimir Horowitz (pf)
Beethvoen: 1st and 4th mvt from Sonata for Piano and Violin in F major, Op. 24 'Spring' Yehudi Menuhin (vln), Wilhelm Kempff (pf)
といつた具合。ラジオといへば香港政府が画策する中学生への強制検尿麻薬取締りにつき誰だか指揮者が「the war against drug」なんて物言ひ。九・ 11から何でもかんでも the war against ばかり。今日は恐ろしいほどの青空。市街はガラス壁の建物多く太陽光の反射で隅々まで照らされ恥づかしいほど。ガラス壁の建物は制限すべき。湾仔の文化中 心でオムニバス映画『台北異想』観 る。台北を舞台に八人の新進気鋭の監督が朝から夜半まで与へられた時刻をテーマに撮つた短篇映画集。早朝に樹木の高枝から下りられぬ猫(猫の視線からの撮 影が面白い)、離婚で不安定な母を厭ひ家出こゝろみる少女、昼の情事……と夜半まで短篇で出来すぎた話が多いがショートショートだもの。アタシの好きな季 康生がトリで真夜中、それも朝の四時つてのがいかにも。この短篇『自轉』は珈琲専門店が舞台。長年営んだ店を閉ぢ他に譲る女主人(陸弈靜)。その店仕舞ひ の最後の晩(明け方)に珈琲を飲む男(蔡明亮)が台湾を代表する舞蹈家の羅曼菲(1955〜2006)を想ひ出して哭く。演出は当然のやうに羅曼菲が属し た雲門舞集の林懷民。それだけ、といへばそれだけなんだが蔡明亮、季康生、林懷民と好事家には垂涎の短篇。映画会場は冷凍庫のやうに凍えてゐるが外は炒る 鉄板の上を歩くやう。熱中症が怖いのでDelaneysでギネス一杯飲み涼をとる。帰宅してココナツリキュールのマリブとウオトカベースのカクテル飲み宮 台真司『日本の難点』(幻冬舎新書)讀み終 へる。「まへがき」の<システム>の全域化による<生活社会>の空洞化とか、相対化の時代と絶対的なものへのコミットメントの終焉で普遍主義の不可能性と 不可避性、とか、疆界線の恣意性からコミットメントの恣意性へ……なんて讀むと意味不明でも本編は「世の中間違つてゐるけど僕はかうわかつてゐるんだ」と いふ時事放談的。夕食後に原武史『松本清張の「遺 言」』(文春新書)一気に讀む。清張の未完の大作『神々の乱心』讀んでゐることが前提。清張の『神々の』が貞明さんと昭和帝の確執、二・二六事件 と秩父宮擁立クーデターといつた昭和史の暗部と絡むことは原武史の指摘を待たず推測も容易で、具体的に宮中の神懸かりの乱心と新興宗教の動きを検証してみ せ清張は何を語りたかつたのか、をまとめてみせる。皇居から秩父、吉野、足利、と核となる<空間>でまとめたのは見事。だが清張が最後、この物語が満州に まで及ぶと収拾つかなくなり本人も意慾が欠けたやうに原武史ほどの人でも満州の章はまとめるのは易しくない。当世の皇太子と秋篠宮の皇位継承に言及あり。 清張の「予言」が何処まで意味するのか、は不明だが宮中ではアタシら民草には想像もつかぬ神々の御乱心がこれまでも、そしてこれからもあるのだらう。

八月十五日(土)終戦紀念日。快晴酷暑。だが夏支度で木陰歩けば心地よい。昼過ぎまで御執務。午後に整体のあと香港電影資料館で費穆(監督&編劇)の映画 『孔 夫子』観る。孔子役は唐槐秋。日本軍の侵掠に1937年陥落の上海、翌年、プロデューサーの金信民、俳優の張翼と費穆監督が香 港に避難してゐた縁で日本軍統治下の上海で1940年に撮られてゐる。占領から内戦で多くの映画とともにこれもフィルムが遺失してゐたが奇蹟的に半世紀後 に香港でフィルム発見され、たゞし当時の常で硝酸セルロース使つたナイトレート・フィルムで劣化ひどく香港電影資料館が伊太利の専門機関まで提携しフィル ムを復元。何ヶ所か音声がないものゝ当時の上海映画界では巨篇といへる内容の87分の本編と他に9分の未収録部分を上映。同館では戦後の香港国語映画代表 する女優・林黛(1934〜1964)の電影放映暨文物展開催あり人出多し。林黛は父が国民党の広西派閥の軍人・李宗仁の秘書で国民党台湾退避後に香港に 居留。1964年に29歳の若さで自宅で瓦斯自殺。一昨年、夫の死後、彼女の死後、自室が一切手を入れず調度品から化粧品、メモ一枚の類ひまで全て生前の まゝ保存されてゐたことが公になり一粒種の息子がその全てを電影資料館に寄贈し整理され今回の公開に至る。帰宅してミントの葉を摘みモヒートつくり呑む。 晩に水炊き。暑いのだが冷房もつけず汗をだく/\とかきながら頬張る水炊きが美味い。泡盛・菊之露呑む。文藝春秋九月号讀む。文春にとつて自民党政権の終 りは一大事だらうがこの号では民主党の脆さの検証に留めてゐるのは次(民主党政権)の次に控へる政界再編があることを期して、だからだらう。芥川賞選評で 「作家の」石原慎太郎が「年ごとに駄作の羅列に終はつてゐる」「彼らは彼らなりに、こちらは命がけで書いてゐるのだといふかも知れないが、作品が自らの人 生に裏打ちされて絞りだされた言葉たちといふ気は一向にしない」と言ふ。その慎太郎さんに「的が定まつてゐない」と云はれた受賞作・磯﨑憲一郎「終の住 処」讀む。つひに中学生男子!ぢやなくて今回は三井物産の会社員作家。自家製の檸檬グラス水にCointreau混ぜて呑んだら、これが美味い。
▼朝日新聞の連載「検証 昭和報道」8・15朝刊の謎、が面白かつた。昭和廿年の夏、終戦を間近に控へた朝日新聞は玉音放送を待ち遅れて出す八月十五日の朝刊に予定稿を用意する。 末常卓郎記者。敗戦といふ未曾有の事態で「民草がとるべき正しひ態度」=徹底抗戦に走るのではなく天皇や軍部の責任を問ふでもなくひたすら泣いて不忠を詫 びる、その姿勢(まつたくこれだから困るのだが)。さらにアタシらがよく知つてゐる終戦で皇居前広場で首を下げ土下座して「お詫びする」民草の写真も実は 宮城前広場は雑然としてゐて土下座してゐる人もゐれば宮城に背を向け歩いてゐる人もゐる。土下座する皇民は現実の風景でなく「あるべき光景」だつた、と。 宮城を拝して涙、も然り。
▼九月歌舞伎座の高麗屋vs播磨屋兄弟ガチンコ勧進帳について。築地のH君は配役を逆にして高麗屋の富樫と播磨屋の辨慶で見てみたい、と。台詞といひ所作 といひ一枚も二枚も上手な辨慶に嫉妬心を燃やしながらも我が子可愛さについ/\義経を通してしまふ富樫。その複雑な心の葛藤を高麗屋一流の心理描写で見せ る。どうでれ辨慶と富樫が口論になつてしまつて義経が「お父さんも播磨屋の叔父さんも、まぁ少し冷静になつて」と割つて入るやうな芝居も面白さう。松竹も これくらゐやつて「さやうなら歌舞伎座」盛り上げてみては? それにしても歌舞伎座正面の「あと243日」だかつて看板、ありやみつともない。しかも最後 はカウントダウンできるやうにデジタル時計までついてゐる。さすがにオリムピックぢやないので今から243日と18時間46分20秒とカウントダウンする のはやりすぎ、と思つたか現在の時刻表示で時計の役割こそしてゐるが。芝居の中身でなく歌舞伎座の建物の話題性で一年以上も前から賣らうとするところが松 竹らしさ。

八月十四日(金)雨。早晩に帰宅してドライマティーニ二杯。Z嬢と西湾河の二 記海鮮に夕餉をとる。「猫のうた〜 「猫」にかゝはる10と三つの小品」といふCDを聴く。アタシの世代には皆川をさむだが原曲が 1969年の伊太利の童謡コンテスト(Zecchino d'Oro)の入賞曲で原題まで"Volevo un gatto nero"と黒猫とは今日まで知らず。もう一枚、母から貰つた高橋悠治さんの“Solo”も聴く。一ヶ月ほど 前に水戸芸術館で「高橋悠治の肖像」なる演奏会あり。Z嬢やアタシにとつては高橋悠治、三宅榛名らは馴染だが母は高橋悠治よく知らず開演前にロビーを作務 衣姿のあやしいオヂサンが徘徊してをり何者?と訝しく思つてゐたら開演と同時にその作務衣が舞台に現れピアノを弾き出した、と。母のすぐ前に吉田秀和先生 がいらつしやつたさうだが、いつもの演奏会にくらべ秀和先生は「高橋悠治の芸風はあまりお好きぢやない?」と映つた、と。然もありなむ。で母はその作務衣 ピアノ弾きのソロアルバムをお買ひ上げ。アタシには若いころおそらくサティを弾いた高橋アキがゐて「その兄がこれまた面白い」つてんで悠治さんを聴くやう になり三宅榛名とか、NHK-FMで坂本龍一のサウンドストリート、サントリーのCM、国立に居候の畏友のI君に誘はれてお洒落P気取りでペンギンズ バー、マーク=ゴールデンバーグとか……懐かしい80年代。
▼三津五郎の六歌仙の踊り、アタシは天井桟敷ゆゑ地味に見えた、と思つたら芝居通の久が原T君もかぶりでご覧になつて肝腎の「文屋」の振りも立たず今一 つ、と。長唄も清元もT君にしたら大成駒のお梶に辰之助(先代、故人)の「喜撰」での志壽太夫と五郎治の掛け合ひを思へば「ほんに、生き過ぎた感……」 と。歌舞伎といへば九月の歌舞伎座。勧進帳で辨慶が高麗屋、播磨屋が富樫の兄弟ガチンコ対決が興味深。義経は染五郎だから「富樫が高麗屋親子を安宅の関で 通さない」といふ番狂はせもあつたり(笑)。それと神谷町の「お祭り」。脇の鳶役に歌昇、錦之助、染五郎、松緑、松江、で手古舞が孝太郎と芝雀を従へ神谷 町の「お祀り」のやう。するとT君が芝翫が出口なを、冨十郎の王仁三郎で、新作でも出ないかね?、と(笑)。勿論、昭和天皇役は萬次郎丈で(先帝の声色ま で上手さう)。清張が生きてゐればねぇ、出来た新作かも。大本昭和世直 艮金神蘇世(おおもとしようわのよなおし、うしとらのこんぢんぞよ)なんて題で。貞明皇太后はゐろ/\な判断の結果、藤十郎。秩父宮は橋之助でせう。筋に 関係ないけど香淳皇后なら(今は香淳さん演じる女形がゐない!)で故・梅幸なら適役。たゞし「娵いぢめ」しない香淳さん、で。そこまでするならあの世から 大成駒をお招きしたいところだけど「大旦那ぢや卑弥呼か神功皇后になつちまふ」とT君。慥かに。
▼クレジットカードのマイレージ換算の悪さ甚だし。HSBCなんて平気でHK$15=1マイルだなんて。かつて換算率低き日本が今は大抵100円=1哩な のがうらやましい。(以下、すべて1哩換算の金額で)旧キャセイパシフィック航空のカードの流れにあるCiti のPremier MilesはHK$8でまづ/\。こゝは毎月、自動的にAsian Milesに振替されて手数料もかゝらないのが利点。キャセイがAmexと提携して始めたCX Eliteも同じくHK$8だが海外での利用はHK$4になるのは、これは驚異的にお得(こゝもポイントの振替は自動で無料)。通常のAmexだ とHK$15とかなり悪いがターボプログラムに加入せば年間HK$160千までHK$7.5と多少お得(但しプラチナより下はマイレージ振替はHK $100単位で有料)。HSBCのプレミアに見劣りしてゐたStandard CharteredのPriority Bankingは Visaカードと提携してVisa Infiniteカードを 発行(日本は未発行)。HK$6といふさすがInfiniteの優遇を見せつける。現状では香港ではVisaカードのInfinite、海外ではAmex CX Eliteを使ふつてのが香港での「哩の花道」だらう。
▼麻薬中毒から甦生しようとする十代の学生をば受入れる正生書院が大嶼山(ランタオ島)で人里離れし施設が貧困で同島の梅窩の廃校となつた中学校舎をば借 り受けたき話、梅窩の住民の猛烈な反対と討論会に正生書院の学生らが堂々と参加し「自分たちに校舎をば貸してほしい」と訴へ、輿論は一気に正生贔屓……と この話はこの日剰にも綴つたが壱週刊が「この学校の運営母体である香港基督教正生會が内地は武夷山で投資事業として観光旅行会社設立、そのうへ現地の登記 住所が娯楽場所(夜総会)、正生書院の学生は学校納付金が寄宿費まで含めHK$1萬(12.4萬円)で大部分の学生が政府の生活援助金の支給受け、それを 学校への納付金に充当、で月HK$一百萬の収入あり、どうして校舎施設の改善が出来ぬ、そのうへ公立学校施設の貸与を求め……で千萬単位の資金を大陸で投 資に向けるとは……」と指摘。正生側は学校の手持ち資金増加を目的とした内地での投資事業は認めたものゝ登記場所は内地の知己の者の住所をば借用しただけ で、その場所の性格など知りもせず、と関与否定。麻薬といへば「若者に蔓延する麻薬」の社会問題で香港政府が企図する中学での強制的検尿による麻薬検査は ミッション系の学校が「個の尊厳」を理由に実施拒否の姿勢を示すなど喧々諤々。麻薬撲滅なんて絶対に無理(不可能)でも教育現場は検尿しちやお終いよ、若 い連中を信用する、つてことが大切だらう(不可避)なのが(不可能と不可避は宮台先生の請売)教育といふことだらう。厳罰に処せば、といふこの感覚があま りに「大陸的」と信報で練乙錚主筆が指摘。

八月十三日(木)雨。さすがに疲れてゐたか目が覚めたら午前七時半。某カルト系キリスト教団体の邦人信者が布教でアタシの陋宅にも。押し売りも甚だしく不 愉快極まりなし。勝手に自分で仕合せになつてゐれば好し。他人に干渉するべからず。殊にアタシ對手に布教するべからず。ところで、ふと気になり確かめると ライカ製のレンズ(つまり今回お買ひ上げのノクトン 50mm F1.1は含まず)が手許に八本あり。なぜこんなに、いつのまにか増殖したのか赤瀬川原平さん的に不明朗。M型はRD1sでもつぱら使ふエルマリート 28mm、ズミクロンの35mm(所謂「八枚玉」)、沈胴式のズミクロン50mm、現行のズミクロン50mm、ズミルックス50mm(初代)、エルマリー トの沈胴式90mmの六本、L型がエルマー35mmとズマロン35mmの二本。50mm F1.1なんてレンズを入手しちまつたので今までもあまり使つてゐないズミルックス50mmの出番は更になくならうし90mmも手放しても惜しくはないの で馴染のカメラ商訪れ賣りに出すとノクトンの購入価格に近き額を回収。ホントは澤山のレンズたちに囲 まれて(ムーミン谷のニョロ/\か草間彌生の突起物のやうだが)そのなかで過ごしたゐのだがZ嬢の手前少しでも財政負担減らす上で多少の「痛み」も致し方 なし。それにしてもライカのレンズも稀少価値ある一部を除けばデジカメの時代に買ひ手も需要も減るか、で価格下落あり嬉しいやら悲しいやら複雑な気分。で 商談成立でいたゞいた現金を銀行に預け、かなり久々に伊太利料理のLa TavernaでZ嬢と待ち合はせ夕餉。食後に香港文化中心で夏恒例のAsian Youth Orchestraの演奏 聴く。芸術監督で指揮は洒脱なRichard PonziousさんでBarber(この作曲家をアタシはどうしても「バーバー」と呼びたくない。せめてバルベルなら良いのに)「絃樂のためのアダー ジョ」とラヴェルのボレロ。中入後はラヴェルのゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ協奏曲(ピアノ協奏曲ト長調、ピアノはJean Louis Steuerman)とストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲(1919年版)。10代の若者のオケだと思ふと「絃樂のための」は見事。これをもつと音響の 良い小屋で聴けたら、と思ふ。十代の若造にこのソロは「そりや酷だよ、親ッさん!」と泣きをいれたいボレロ。とてもゆつくりな演奏は(翌日の朝のRTHK のFM番組で)指揮者自身が「ボレロはゆつくり演奏する方がむづかしい」と講釈されてゐたが、やはりある程度の速度がないと張りつてものがない。だが敢へ てゆつくりなのは「まとまらない」からでなく「合奏する呼吸」を若い奏者らに身につけさせるため、の修業と考へるべきだらう。いつも主だつた演奏会で遭遇 するアタシらが「マエストロ」と呼ぶ爺さんがゐる。いつも気軽にシャツに半ズボン姿で最上席で独り演奏を楽しむ御前様。昼間でもマチネとか香港文化中心の 中をふら/\。オペラ座の怪人ならぬ文化中心の老人。今晩は今一つ御前様の表情が冴えず。慥かに去年や一昨年に比べるとちよつと。絃樂は、ことにヴァイオ リンは「絃樂のための」で見せつけられた上手さだが誰でもそこ/\音の出る木管(といつたら木管奏者に叱られさうだが)金管、とくにホルンが難しい。同じ 例へば十七歳でもヴァイオリンとか芸歴は十四年くらゐだらう、が金管とか数年でも不思議でない。十代だとさういふ芸歴も許すべき。ラヴェルの「ゴジラ」も フツーならシンフォニエッタや地方オケの定番だらう、がこの曲の諧謔性ッてんですかね、それがやつぱり子どもには難しい。「火の鳥」に至つては言を要すま い。バレエ音楽は演奏だけは一流のオケとてつまらない。今晩の曲目はちよつと狙ひ過ぎ。アンコールはたぶんラヴェルの管弦小曲。明晩はブラームスの四番、 モーツァルトのピアノ協奏曲第20番にチャイコフスキーのフランチェスカ=ダ=リミニで、こちらの方が当たり外れは、ないかしら。
▼六本木山荘森美術館で展覧開催中の艾未未氏が四川省成都で環境保護活動=人権運動=反政府運動=国家政権顛覆煽動罪(……となるのだ、中国では)とされ た活動家の裁判で被告側証人として出廷しようとしたところ公安当局の監視下に置かれたことは昨日綴つたが香港のテレビ局クルーもその取材に出向いたところ 「麻薬所持嫌疑」で投宿先のホテルの部屋を家宅捜索され事実上の裁判取材妨害を受けた由。信報の今日の社説曰く重要な国家行事が近づくと(今回は建国六十 周年)様々な手段で「雑音」を消し外国要人の訪問などの前に「清場」する、それが反政府活動ならまだしも大地震での手抜き工事による建物崩潰の事実究明や 環境保護や土地接収など民生問題でも神経質になり海外メディアの報道規制までする、これでは法治国家とは到底云えぬだらう、と。ところでチヨートク先生の ブログ日記讀んでゐたらアタシが 登場。それはそれは嬉しいがアタシは見逃したが艾未未の「一頓のお茶」(リプトンぢやないよ)の現物は森美術館の中だが宣伝用にそのオーナメント の写真が六本木山荘の下界にあるさうで(長 徳先生撮影)ビル管理用の裏方への入り口なのかしらドアの把手がついてゐゐて「まるで、お茶の葉で出来た来た金庫」 「意図しないで、別の存在になつてゐるのが秀逸」「まさか南條さんの差配ではあるまい」(Ⓒチヨートク先生)。美術館に収納されたモノホンよりこつちの写 真に撮られた贋物の方が面白い。これこそコンテンポラリーアートだらう。これでビル管理会社の職員がこの扉を何気に開けると中からお茶の葉がドヽーッと出 てきて茶葉に埋まつてしまふ、つてそんな予定調和的なコントはアタシ好み。
▼艾未未の話に續くが、さういへば先週末の朝日の読書欄で誰が書いたか書名も失念したが、中国共産党は党内の権力闘争の熾烈な印象強いが現実にはサラリー マン社会で社内の出世競争で勝ち抜いたエリートが実権を握り胡錦濤が会長で温家寶が社長といふ会社組織と思へば理解しやすい……といつた分析を讀んだ。言 ひ得てもいるがその会社組織こそ実際に熾烈な権力闘争の組織体と思へば五十歩百歩だらう。違ひといへば会社存続のために他社なり競合對手をどこまで潰れる か、で中共が民間企業に勝るくらゐかしら。
▼消費税免税品の国外持ち出しについて。以下、忘備録。一萬円で五百円の消費税ならまだ目をつむるが10カメラ円だと五千円の消費税で五千円くらゐあれば 付属品くらゐ買へてしまふと思ふと対費用効果も小さからず。でカメラ購入の際に旅券持参で消費税免除だかの書類を書いてもらひ消費税免税。書類には入国日 の記入欄あり書類の写しは旅券にホチキス止め。で成田空港で出国手続き手前の暇さうな税関櫃台で報告し旅券見せてその書類写しを渡す。一応、免税品は持参 する規則でレンズを見せるがちよと袋を覗きこまれただけで現品確認なしの形式的。カメラ屋から当局に呈出の伝票とこの写しが照合されれば間違ひなくこの品 物は海外に持ち出されました、でチョン。だが気になるのは
・非居住者の海外持ち出しで免税としておきながら持ち出さず。
・持ち出したが旅券に添附の写しを処分してしまひ空港で申告せず。
・プラハなど海外に頻繁に出る写真家が非居住者だと名乗り銀座で免税でカメラ購入。
・税関で見せるのが面倒で預け荷物に非課税品目を入れてしまひたい、あるいは入れてしまつた。
といつたこと。税関職員があんまり暇さうだつたし昨日の成田空港はてつきり夏の海外旅行繁忙期で芋を洗ふやうかと思つたらさにあらず(もうみんな海外脱出 した後だつたらしい)件の職員にさすがに疑問の四つ目(預け荷物に非課税品目)のみ尋ねてみる。他三つの質問は聞けば本音とタテマエで答へに窮するだら う。「原則は機内持ち込みで通関してもらひますが大きな荷物だのさうは言へませんので搭乗手続きの際に航空会社のカウンターで言つていたゞければ我々の職 員が出向いて荷物を確認させてもらひますので」との事。十年くらい前にパナソニックのLP用ターンテーブルをば非課税で手荷物として通関したアタシとして は、この税関当局のサーヴィスはありがたい、が、やはり大物で十萬円くらひが常識的な線だらう。五千円の香水一つを預け荷物にいれるから、と搭乗手続きの 際に税関職員呼んでゐたら搭乗手続きは効率悪くなり皆さまの迷惑。結果として海外持ち出しの免税は「控へめに」「グレーゾーンがいくつかあるが目をつむつ て」が現状なのだらう。
▼日本の総人口が前年比0.01%増は自然増減では45,914人減だが海外への転出入等による社会増減が55,919人増の結果。後者は2003年(き つとSARSの影響だらう)に次ぐ多さで不況による海外からの撤退がひゞいた由。
▼徳永康元著『ブダペストの古本屋』(ちくま文庫)より書き抜き。劇作家のモルナール(1878〜1952)について。「リリオム」の劇。リリオム役とい へばチョルトシュ。ユリ役はヴァルシャーニ。彼女の死後、チョルトシュは二度とリリオムの舞台に立たぬと誓ひ一生涯それを守る。リリオムの芝居は日本では 昭和二年一月に築地小劇場。リリオムは友田恭助。ユリは山本安英、ホールデンに東山千栄子。昭和八年の劇団築地座は飛行館でリリオムは同じく友田、ユリは 田村秋子、ホールデンが杉村春子。モルナールといへば他に「パール街の少年たち」。これは邦訳は1978年の少年少女世界文学全集(第19巻)にあり。モ ルナールの回想録『亡命生活の道連れ』にモルナールがラインハルト(つてナチス独逸のラインハルト=ハイドリヒ?)に誘はれ巴里に遊ぶ話あり。ディアギレ フ率ゐるバレエ=リュス。その「牧神の午後」初演!とそのあとの騒動にモルナールは居合はせ人気絶頂だつたニジンスキーの私生活にかなり異様な印象受けた 由。その話には若きコクトーも登場ださうで想像しただけで愉快。また著者(徳永)はバルトークの奏でるピアノのバッハを讃へ1965年の訪独ではボンに留 学中の田中克彦氏に車で古本屋に案内されせる話など逸話いくつもあり。

八月十二日(木)朝五時に起き夜明けとともに邦に滞在で初めて青空を見る。悪天候続きずつと開襟シャツやプルオーバーシャツに膝丈のズボンに濡れても良い デッキシューズばかりで踝丈のズボンも革靴もとんだ荷厄介。連日續く芸人Sの覚醒剤椿事の報道にテレビをつける気にもならず鳥居坂の旅寓にて荷造りと雑 用。生粋の東京人たる長徳先生にプラハから「うらやましい東京滞在」と云はれこそばゆいかぎり。チェックアウトだけ済ませ旅荷旅寓に預け大江戸線で新宿。 禁断のマップカメラ再訪し一昨日購入がノクトンのレンズフード購入。1.2カメラ圓也。タクシ自動車雇ひ内藤町から外苑西通りを抜け麻布霞町に往きふるけんで畏友W君と昼餉。この食肆は昨晩訪れし麻布宮村町のバーHご 亭主のお勧め。あつさりと美味な昼餉で「西麻布でこのお値段?」と驚くばかり。復たタクシ自動車雇ひ鳥居坂の旅寓に寄り旅荷積み「もうお盆で渋滞もないで せうが」と運転手、飯倉から芝、愛宕を抜け東京駅に滑り込む。東京ドライヴ。午後二時の成田エクスプレスに乗車して成田。Z嬢と待ち合はせ夕方のキャセイ パシフィック航空で香港に戻る。機中で徳永健元『ブダペストの古本屋』読了。香港入境での健康情況申請書は各人一枚づゝ要るはずがスッチーは「ご家族で一 枚で結構です」と誤解して配り歩き(もう何ヶ月もだらう)かなりの搭乗者がいゝ迷惑かうむる。香港の空港は大雨。帰宅して旅荷解き片づけ済ます。
▼昨日アタシも参観の艾未未展(六本木山荘森美術館)だがご本人は昨年の四川大地震で学校倒潰で亡くなりし学生の被害者簿の作成をば呼びかけ、それだけで 当局刺戟せし反体制活動。四川省成都で逮捕拘束されたる人権運動家の裁判で被告側証人として証言に成都訪れし艾未未氏は公安当局に拘禁の上、右目蓋殴打さ れ裁判の審議終了後に解放されたる由(蘋果日報十三日の報道はこちら)。長徳先 生がブログで書かれてゐるが知人の東京在住で地震にも慣れた猶太の方が「なに、地震はそのまゝ通り過ぎる自然現象だ。怖くなんてない。それよりホロコース トの方がよほど怖い。あれは人間がやつてゐるから」と言はれたさう。四川地震とて自然現象より建物倒潰など二次災害や当局の対応など人為こそ怖い。

八月十一日(火)夜明けに地震で建物ミシ/\と。静岡の焼津から御前崎で震度六弱の由。大雨洪水警報まで出て泣きつ面に蜂。この午前五時の地震で
1 すでに起きてゐた
2 地震で起こされた
3 地震にも気がつかず爆睡してゐた
で「老い」の具合がわかるといふもの。アタシは当然「1」ですが。六本木界隈、夜半から朝方にかけ警察車輛のサイレンが少なからず。新宿歌舞伎町よか物騒 なのかしら。六本木山荘は麻薬蔓延ださうだし(笑)。いつたひ今日はだうしやうという雨模様。ふと六本木山荘の森美術館で艾未未展やつてゐること思ひ出し 朝イチで参観。超高層ビルの50数階になぜこんな広大な空間があるのかしら、と器にまづ驚き巨大な木材のオブジェなどだうやつて持ち上げたのかしら、と、 おそらく空輸で屋上のヘリポートから下ろした鴨。艾未未といふ藝術家の作品はわかりやすい象徴性。だからウケる。立派。空間としては都 市の変化を歴史として刻みつける。悪天候の朝イチで静か。雨雲にかすむ都心を展望台から眺む。長徳先生のこのビルのオフィスの窓からのスナップ写真で知つ てはゐたが東京タワーを上から見下ろすヘンな感覚。昇降機で下らうとしたら職員は「こちらでお待ちください」「エレベータが来ましたらお知らせいたしま す」「先に下りる方が済んでから」と慇懃に指示ばかり。混雑してゐるならまだしも客はアタシ一人、六機ある昇降機のどれかが来たら乗つて下りるだけ。しか も昇つてくる機に乗客がゐるとも思へず……で辟易としつゝ昇降機に乗つたら職員は深く礼しながら扉閉まらうとするなか「一度、エレベータで下に下りられま すと再入場出来ませんのでご諒承ください」と(笑)。そのコメントこそ先に言へ。雨が歇む。六本木から地下鉄で東銀座。木挽町の歌舞伎座はちやうど第一部 一つ目の「天保遊侠録」が始まつたところでアタシは仁侠物は見る気もなく二つ目の「六歌仙容彩(ろつかせんすがたのいろどり)」の一幕見は並ぶ客もをらず 幸ひ。胃痛は少し治まつてゐるのでお昼用に木村家のあんパン一つ、教文堂で徳永康元『ブダペストの古本屋』(ちくま文庫)購つて歌舞 伎座に戻り列の先頭で『ブダペスト』讀む。本当は村上湛君に誘はれての「六歌仙」だつたが朝の雨がひどく百粍だかの大雨なんて天気予報に「今日は止めませ ふ」としたのに銀座に来たら空に晴れ間すら現れるんだから。小野小町(福助)對手に六歌仙の五人をば三津五郎が踊る。十代目襲名する前の八十助の頃から今 の役者の中ぢや踊りは上手。七代目「踊りの神様」三津五郎の業平の踊りを実家で書籍片づけてゐて昭和卅年くらゐの芝居雑誌で見たがぽつちやりと可愛らしい 業平。六歌仙はもつと華やかかと思つたが地味な踊りも多くせつかくの三津五郎にも、やはり四階の天井桟敷は踊りには踊り見るにはつらい。母が連れた幼児二 人がずつと五月蝿く肝心の清元、長唄もよく聴こえず残念。午後遅く神保町。古書商いくつか眺め歩く。新宿。颱風も逸れたやうで爽やかな青空。営団の新都心 線に三丁目から初めて渋谷まで乗つて恵比寿。Z嬢と駅前で待ち合はせさいき。 此処だけは変はつてゐない、と入つて席に着くとカウンターのいかにも常連四、五人の談合の中にすつかり白髪になられたが旧知のK氏とT氏のお二人に邂逅。 二十年以上前に広尾にあつた和亭といふ酒処でZ嬢とアタシがそこでさんざん可愛がつていたゞいた数名の酒呑みご常連の内のお二方。二十年ぶりだが先方も覚 えてゐてくださり昔語り。ぢつに「さいき」だからこんな再会もありか。海老しんじよが美味。お二人に再会約しZ嬢と麻布十番。胃痛も快方に向ふ。永坂更科 が店終い前で蕎麦を食ふ。昔から更科に入つたことなく初めて。で怪人二十面相現れさうな裡道のバーHにZ嬢お連れして一飲。二月末に初めて以来。ぢつに深閑。

八月十日(月)明け方大雨。頗るよく降る。その雨の中、新宿。南口の禁断のマップカメラに開店と同時に往く。カメラには目もいかないが美しいレンズの数 々。品薄のはずのリコーのGRのL式が6〜8カメラ円で並びノクチはさすがに55カメラ円だか。GRのL式の28mm F2.8は1997年に三千本の限定発売のうち四本が此処の商棚に鎮座し数年度に1.7千本限定のうち 二本が目の前。この邂逅を逸することも出来ず……と苦悶。だがふと目を転じると「新品コーナー」にコシナ社がBessaシリーズ発売十周年紀念で発売のNOKTON 50mm F1.1が其処に。先月だか発売でメーカー価格13.5カメラ円が七掛。しかもアタシは消費税免税優遇もあり。ノクチに50カメラ円は 三歩くらゐ退くがこれだと一歩退き、でもまた一歩踏み出してチョンだらう。商談成立……つて店との、ぢやなくてアタシの中の良心と真心との、だが。心うき /\、いまは雨期。安田火災海上ビルが損保ジャパンビルになつてゐるのを見上ながら常圓寺。祖母の墓参。新宿Lタワー地下に潜み鮨いしかわで握りを頬張 る。東口の伊勢丹。メンズ館徘徊。今回はせつかくパナマ帽かぶつて日本に来たのに連日の悪天候でパナマもかぶれず。プラハの長徳先生は夏の陽ざし楽しんで いらつしやるのに。で(それを理由に)雨でもかぶれる灰色の混合素材のパナマ風帽子購ふ。地下鉄で銀座。ライカ銀座店は月曜定休。八丁目の宮脇賣扇庵で消 耗品の扇子を二つ。雨が幸ひにして歇む。「らんぶる」に珈琲飲む。この珈琲専門店ももうお盆で銀座の珈琲飲みもをらぬかしら、で閑散。やつぱり美味い。ア タシは高校の時に知人から「らんぶる」のポットいたゞきドリップ珈琲を独り愉しんでゐた、ドリップはどう熱湯を注ぐか、なんて講釈して。銀ぶらして若松で 豆かん頬張る。歌舞伎座で母と待ち合はせ。八月納涼で第二部。累ヶ淵(豊志賀の死)と船辨慶。累ヶ淵で豊志賀役の福助、この人は踊りでは芝翫譲りで輪をか けたやうに無表情だが人情物など芝居になると極端に演技の濃さが面白い。この師匠に惚れられる新吉役の勘太郎も子役の頃の個性豊かな?顔がだいぶ整つた感 あり。お久は時蔵の子の梅枝。彌十郎(勘蔵役)がかなり存在感あり。幕間で観客の一人が携帯で「いま歌舞伎見てるんだけどね、お岩さん」つて累ヶ淵は四谷 怪談とは違ふぞ。さう/\お岩さんといへば長徳先生がブログ(八月三 日)「いふぉんの悲しみ」でアタシの綴ったiPhoneの製造現場での管理責任者の自殺の件を取り上げていたゞき、そこでこの「1台足りない」を 番町皿屋敷のやう、と書かれていた。確かに云はれてみればその通り。この話をば先生もご自分が「いふぉん(iPhoneをチョートク先生はかう呼ぶ)で読 むのは何か複雑な気持ちである」と……御意。閑話休題。中入後の船辨慶はアタシは世話物、人情話より松破目物が好き、でこれが楽しみ。勘三郎(静御前と平 知盛の二役)、福助(義経)、橋之助(辨慶)に三津五郎の船長と八月らしい顔ぶれ。なんたつてアタシは昔からハッシー贔屓。すつかり辨慶役者然。三津五郎 の踊り。勘三郎、静御前の今様の踊りはさて置いて謡ひが良くない。知盛も怨霊で暴れる役は誰彼でもない。「熱演」といふのが中村屋にとつて先代からの賣り なんだらうけど、それぢや熱演ぶりと愛嬌を取ると果たして何が残るのかしら、と母と語る。座長なのだらう、やはり。芝居跳ね歌舞伎座の前でZ嬢と待ち合は せ。今晩は日本橋の「みかわ」のご主人が大川の向かう(門前仲町)に出した店で天ぷらを楽しみにしてゐたがアタシの胃痛がどうにもひどく天ぷらはご免なさ い。まだ夕食には早いので三人でいつたんバラけてアタシはサンボアでハイボール一杯。読書。アタシにとつては万能薬のハイボールも、しかもサンボアのでも 胃痛に効かず。母とZ嬢と再会して京 橋の越州は母のお勧め。長岡の朝日酒造の直営で越州でも久保田でも飲みたいが胃痛が何ともしがたく梅酒の水割りちび/\と舐めつゝ肴をほんの少し 頬張る。黒ビールを美味さうに飲む母、越州をきゆつと「アンタは吉田健ちやんかひ?」のZ嬢がうらやましい。アタシが今日着てゐた開襟シャツ談義となる。 Z嬢の話ではアタシが実家から貰つてきた品だがきれいに畳まれたまゝ袋に入つてゐて父が着た形跡なし。ただ母曰く開襟 シャツなんて仕立てたはずもなくデザインもあまりに古い胸の両側のポケット。しかもサイズが胸板の厚かつた父にしては小さく、結論は「結婚前に誂へて何十 年も、ッて半世紀近いがずつと着ないで畳んだまゝだつたんぢゃないかしら」。それをアタシが譲り受けアタシも今回の旅行前に行李から出して初めて着た次 第。胃痛ひどく地下鉄乗り換へも厭ひタクシー自動車で母を銀座に降ろし鳥居坂までZ嬢と戻る。胃痛にかなり苦吟。
▼昨日、千葉駅前のバス停で「モノレール頭上注意」と看板あり。何を注意するのかしら。モノレールが降つてくるとか。
▼女芸人の覚醒剤に因する逮捕で「芸能界に麻薬蔓延」だの「芸能界を蝕み始める覚醒剤」なんて報道が續く。だが芸能界と麻薬なんて今に始まつたことに非ず 戦後の寄席の楽屋なんてヒロポン蔓延甚だし。「現代社会に忍び寄る麻薬覚醒剤」なんてベタな報道を信じるべからず。

八月九日(日)朝五時に目覚め久々に時事放談をテレビで観る。漫画に描き易さうな顔の御厨貴教授が司会。渡部黄門・ムーミン武村の両先生がゲストだが冒頭 で大原麗子を追悼もやはり民主党圧勝予想されるなかでの余裕かしら。昼 前に千葉。お世話になつたA氏の夫人の療養を病院に見舞ふ。A氏と昼に大網街道沿ひの鮨屋。〆鯖、さゞえなど頬張り日南京屋酒造の「かめ雫」飲む。甕入り の一桝の芋焼酎を昼間つから七分ほど飲んでしまひ、もう吉田健一。かなり酔ひ総武線快速G車の座席に沈む。「千葉〜幕張の大雨で乗客の皆さまにはご迷惑を おかけしてをります。乗降口附近が濡れて滑りやすくなつてをりますから……」と車掌詫びるが大雨はJRの責任ぢやありまひに。いつ盥を引つ繰り返した大雨 になるか、といふ黒雲が東都を覆ふ。タクシーで鳥居坂の国際文化会館。投宿。部屋には広いバルコニー越しに庭園一眸する書斎スペースまであり。麻布十番か ら大江戸線で新宿。昨日、帰邦のZ嬢と南口で復縁。廿年前なら「日本晴」で一杯ひつかけて「いすゞ」だつたがさうもいかず三丁目の。新宿だとどうしても此処。なめろうと馬刺。加賀鳶の純米を飲む。伊 勢丹の交差点で信号待ちに地震感ず。幸ひ今日の雨に当らず。北区では百粍超える大雨の由。
▼昨日のことだが土曜だと自動車運転してゐて自然とTBSラジオで永六輔の番組を聴くが永さんもずいぶんと滑舌も悪くなり反応も鈍ければコメントも往年の あれを知る者にはあまりに的を外したり尻切れだつたり。ふつうなら引退なのだらうが「大往生」の著者は「老いて反応が鈍くて何がをかしい。誰だつてかうな る」で続投なのだらう。でも若からうが老いようが面白いか、どうかが判断基準と思ふのけど。

八月八日(土)曇り。山間の高齢者施設に客居の数へで九旬の大伯父を母と見舞ふ。常陸鴻巣の木内酒造で菊盛購ふ。郷里は夏祭り。アタシが子どもの頃はそり や押すな押すなのたいさうな賑はひだつたが地場の商店街、観光協会が主体の祭りで地場の小売業が落ち込んで次々と大店が店仕舞ひする中では祭りも年々華やかさには陰りあり。午後、自宅で母のMac機の調整や居間の額縁の取 換へなど夕方まで。昏時、母と出街。祭りの路上でのコンテストなど眺める。アタシは子どもの頃から祭りとか運動会とか大の苦手で今もそれは変はらず。参加 した皆さんが楽しくやつてゐるのを傍観ばかり。祭りに水をさすやうに雨模様。妹も来て夕食をどうしやうか、といふ事になりアタシの所望はファミレス。フライングガーデン。爆弾ハンバーグつてのが評判の由。ハンバーグは ジューシーでファミレスと思へば大したもの。何かと割引特典などあり、のお得感。生麦酒を飲み終はる頃に新聞の折り込み用のチラシ持つてきて「宜しければ お使ひください」と見れば麦酒百円割引券つきで直ぐに「もう一杯如何ですか?」と誘はれ断らると「失礼いたしました」と謝つてみせる。親身懇切な接客態度 に感心するとともに不愉快に思ひ出すは地場の飲食店の憮然とした態度なり。中華料理屋で「タンメンはあります?」と給仕役の女将に尋ねれば「メニューにあ る料理だけ」と答へ「麺は細麺ですか、太麺ですか」には「他の店のは食べたことないからわかんねぇ」と突き放す。それで「無愛想で突慳貪だけど美味い」な らまだしも美味くもない。今晩も最初、鰻の蒲焼にしようか、と鰻屋の暖簾を潜り「夜の七時半に三名でお願ひできますか?」と尋ねると素つ気無く「わかん ねーけど、大丈夫だと思ひますよ」と答へてみせる。食べさせて欲しくば食べさせてやらう、の不遜な態度。「お願ひできるんですか、できないんですか?」と こちらが客なのに恐縮すると「いゝですよ、夜七時半ね」……と知己の客には愛想も良からうが見ず知らずの客にはこの呆れるばかりの傲慢欠礼。これぢや宮台 先生の指摘するコンビニやファミレスの<システム>が 地元商店街の生活社会を全面的に席巻していく<郊外化>もある面あつて当然、社会の“底抜け”はけしてシステムによる統合だけでなく弱者たる地元にも様々 な問題があるだらう、と思はざるを得ず。

陰暦六月十七。立秋。冷房どころか扇風機なくても涼しいくらゐ。立秋で暦とほりといへばそれまでだが長雨、日照不足と困つたもの。J-Waveの Tokyo Unitedに電話出演。昨年末のぎつくり腰のあと腰痛の不愉快癒えず紹介で軍司筋肉調整院なるマッチョな整体へ。ボディビルの練習 場での整体。なんか「バキバキバキッ」想像するが「えつ?」と驚くほど軽い、柔らかい整体で少し筋肉を伸ばすくらゐにしか見えないが鞜紐結ぶにも難儀した 前屈ま問題なく出来、不愉快なじわ/\とする腰痛も失せる。いくつか簡単な軍司式運動教はる。引き続き昼過ぎまで書籍整理。どうにか終はらせ段ボール三つ だけ遺す。水戸芸術館。「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」なる展示を見る。森英恵ファッション文化財団によるもので「時代に挑戦する若い才能の新しい作品」ださう。それならモリハ ナエビルで入場無料とか、せめて220円ですから「皆さん見てください」なら良いが「入場料800円は高すぎる」。申し訳ないが800円に値するほどの作 品群ではなからう。ふと普通の蕎麦屋の茹ですぎた麺のぐちや/\の天ぷら蕎麦食べたくなり「そのへんの蕎麦屋」に入るが午後一時すぎで油の火を落としてし まつてをり「揚物以外なら」と言はれタヌキそば。明日からが夏祭りなら昔なら数日前から祭り気分で忙しかつた町内も寂しく肌寒さに小雨。三十年ぶりくらゐ で馴染の理髪店で散髪。アタシのことをまだ覚えてくれてゐた主人と昔語り。雲行き怪しく夕方より本降り。K先生夫妻来宅。雷雨となり大雨。夏祭りの花火も 中止の由。30〜40mmは降つたかしら。母と四人で美味い刺身を食す。新潟長岡の吉乃川、常陸は鴻巣木内酒造の菊盛・山廃原酒など少しづゝ飲みK先生持 参された日立の森島酒造の「大観」は純米大吟醸で吟醸酒をアタシはあまり飲まないが、これは辛口で美味。

八月六日(木)昨晩から気温は摂氏廿三、四度ぢやないかしら。海風が涼しいどころか寒いほど。窓を開けたまゝ蒲団かぶつて寝てゐた。朝五時頃夜明けに目覚め。朝風呂。テレビは朝 から押尾学の逮捕、酒井法子の失踪と天気予報ばかり。でバラエティ的にコメンテーターの話にふむ/\と。この風土で裁判員制度とはたゞ/\嗤ふばかり。裁 判員制度といへば数日前、初公判伝えるNHKのNW9は裁判事件の証拠写真に「女性の裁判員は目を逸らし」「男性裁判員の中にも目を逸らす人が」と、この 男ハかふ、女ハさう、の表現すら日本的。旅館で、昔は朝七時、八時の朝食に「旅先くらひゆつくり寝かせておくれよ」と思つたが、今ぢや七時半の朝食が待ち 遠しくてたまらず。曇り空。焼鮭、納豆で御飯を二膳食べたが白粥も供され漬物で更に一杯。食べすぎ。自宅に戻る。AirMac Expressで里の苫屋も簡単にWi-Fi環境になつてしまふ。母のMac機でSkypeが使へるやうにしようと思つたらSkypeの頁が繋がらず。プ ロバイダがNTTなので妨害かしら。昼に母と蕎麦「だぼう」に食す。アタシにとつては帰省した時の愉しみが上手い蕎麦。午後、郷家に置きつ放しの書籍片づ け。二度ほど大がゝりに古書商に本を処分したが、離れ=物置の解体で母が人を雇ひ母が書籍などすべて段ボールに入れたところ十数箱もあり。古書商に賣る か、捨てるか、どうしても保存するか、自分では保存できぬが築地のH君にでも引き取つてもらふか、と整理し出すが予想以上に若い頃の郵便の手紙の束が多 い。友だちとか昔はこんなに手紙で遣りとりがあつたものか、と驚く。アタシにとつては貴重だが南方熊楠の往復書翰のやうな歴史的価値があるでもなくアタシ が死ねば捨てられるしかなからう、と思ひかなりを焼却する。それに大学の頃の講義ノートだの、集会の印刷物だのよくぞこゝまで保存してゐたな、と驚くが亡 父が高校の頃の数学や物理のノートまで出てきて、これは遺品として大切。叔母が孫=従弟の息子連れて来られ夕方、郷里に唯一残るデパート(すでに前時代の 遺蹟のやう)で今日から鉄道模型展開催あり観覧。その十歳の子を「連れてつてあげる」と実はアタシが見たいのだが。丸善の支店で書籍購入。晩に母と妹と何 を食べようか、といふ話で鰻の蒲焼きか?といふ話もあたつたが選んだのは結局、何処にでもある中華料理屋のタンメンと焼餃子。スーパー銭湯で湯に浸かる。

八月五日(水)昨晩は珍しく夜更かしで四時間睡眠で朝六時起床。颱風警報は一號に下がつたところ。安堵して香港国際空港。Z嬢に「日本では買物しない」と 宣言が裏目に当りダンヒル商店で背嚢をば大人買ひ。今日も背負つてきたバックパックは四、五年前に帰省中に買つた三千円くらゐのノーブランド品だつたが期 待以上に重宝して、たゞボロ/\。ラウンジで荷物入れ替へしたが古い方のをその辺に置いて去ると不審物で爆発物処理班とか出動しちまふのかしら。もう再利 用も厳しい劣化でゴミ箱へ。長年お世話様。CX548便で成田。八月の繁忙期だつてのに乗客はA330で半分に満たず。成田の税関、明らかに職員により慎 重さに違ひあり。また並んだ列に容疑者が出ると、その列だけ通行止めで渋滞。容疑者は列から離し取り調べとして別の職員に引き渡すやうにするとか、空いた 台に引導するやうにするとか要改善だ。世界中でこれほど慎重な税関つて他に何処かあるのかしら。どうせなら荷物札と運んできた荷物の番号確認でもしてくれ るなら荷物取り間違ひ、盗難防止で有り難みもあらふが。エアポートバスで利根川を渡る右手に鹿島の工業地帯。いくら時代が変はつても、どうしても開発前の 「さらば愛しき大地」で根津甚八なのよね。車窓より北浦を眺む。鹿島から鉾田にかけて民主党の選挙看板ばかり目立つ。自民党の看板が見えぬ。かつてはロッ キード事件の橋本登美三郎の地元と思へば驚くばかり。そのハシトミ、赤城(絆創膏王子の亡父)、梶山静六らの揃ふ保守王国。旧社会党で矢田部理が一人孤軍 奮闘。それがねぇ、下手すると小選挙区では自民全滅すらあり鴨。茨城県知事選も衆院選と同時。戦後ずつと自民党で現任者(橋本○)も五選!だかを狙ふ。が 民主党候補が俄然追ひ風受け、しかも自民党県連仕切る九旬の山口武平君はかつては県議会議長として県知事も乾分のやうに操つたが今では橋本の勝手が不愉 快。だが橋本に対抗し得る候補を出してまでしても自民党県連分裂につながるだけで民主党に塩を送るやうなもの。表立つての橋本支持をせぬことでむしろポス ト橋本での自民党基盤の仕切り直し狙ひ、民主党知事にも顔が立つかしら。成田は摂氏29度くらゐの曇り空だつたが夕方には、まるで自民党のやうに(笑)夏 とは思へぬ濃霧で肌寒いほど。水戸大洗インターで(といつてもエアポートバスは鹿島から信じられないくらゐ旧街道を巡回して来たのだが)降車し妹に自動車 で迎へを受け母と三人で大洗。鷗松亭といふ温泉宿に一宿。アタシが子どもの頃は「かもめ荘」と云つたが、那珂川河口の丘陵にあり部屋から太平洋一眸し眼下 には海岸の松林。風呂で磯節でも唸れば気分もよからうがアタシは磯節は知らぬ。風呂のあと食事をしてもう一度、風呂に漬り八時半には睡魔に冒され寝入る。

八月四日(火)アタシのMacBook Airが発熱して唸ること屢々。薄型のノートブックだし熱中症に罹りやすいとは思ひつゝ「あんまり」なんでApple社代理の診療所へ。診察は予約制。朝 十時の予約で五分前には来なさい、と。で往くと診 察は午前十一時から、と案内あり。八月朔日から改めました、と。昨日予約の際にご丁寧に確認の返信メールまで自動で届いてゐてそりやないよ。で暫くすると 職員出勤で事情話しメール見せると「あらら……」でネットの予約システムが未改定なのに気づいてゐなかつた模様。先方のミスで此方は早く来たんだから、と 担当者が来たら診察します、と待合室に通される。冷凍庫のやうな寒さに辟易。MacBook Air取り出し使ひ始めると寒さには強く唸りもせず厳寒下に本体は冷たいまゝ。担当者に事情説明すると発熱はあつてもさうねんぢゆう唸るなら検査入院勧め られる。今日は其処迄。その足で銅鑼湾のヰンザーハウス。せめてもの措置でPCの下に敷く冷却盤購ふ。それするだけでやはり唸りは失せる。やはりアタシの 冷房なし生活は地球温暖化でPCには酷かも。ライカ扱ふ店でM8.2がもうHK$35千。ほんとデジカメの値崩れ甚だし。同じ値段で良品のM3の中古が並 んでゐるんだから。早晩にZ嬢と観塘。雲南風味に夕餉。紅油抄手、夫婦肺片を肴に雲南麦酒飲み米線食す。観塘の役場の建物に大きく建国60周年祝賀のネオ ン。つくづく「香港も中国だねぇ」とそのネオンサインの「字体とデザインに」さう思ふ。観塘だから業界団体など親中派の土共の仕業だらう。香港で中共肝い りで台湾の中国統一を実現促す「中国和平統一促進会香港総会」なるものが七月末に発足し行政長官・文革曽ら出席し中共代表らと中台統一に向け香港も協力の 由。阿Q精神。彩虹へ往く。美しが丘のやうな無意味な驛名の「彩る虹」は陳腐。牛池湾なんだから牛池湾でよからうに。牛池湾の市民ホールでピアノ三重奏の 演奏会あり参観。提琴の陳宇曦(Moses Chan)とセロの黄梓韜(Wong Tsz To)といふ二人とも拔萃男書院(Diocesan Boys' School)の学生で、つまり先月見た映画「音楽人生」の主人公・奇才KJ君の後輩で提琴は18歳で中学六年、セロは弱冠16歳だから拔萃の学生オケの メンバーとしてKJの映画にも出てゐたのだらう。その二人の弦に新西蘭でピアノ学んだ恐らく20代後半くらゐの連思詠(Wendy Lin)と云ふ地場のピアニスト。だからてつきりPerry So君やKJ君など香港の若い音楽家が注目される中で拔萃の秀才二人のお披露目、と思つてゐたがピアノのWendy Linが主催で自分のピアノ発表は本来ならピアノ独奏にしたいが、そこまで集客するほどぢやないので香港ジュニアオケの指導で面識のあつた二人に声をかけ て集客も多少期待して……とさういふところだらう、多分。知り合ひコンサートの雰囲気。それはそれで好し。知り合ひでもないのに行くアタシらが余程の好事 家。Johan Halvorsen(ヨハン=ハルヴォルセン、1864〜1935)のヘンデルの主題によるパツサカリア(Passacaglia)ト短調は「提琴とヴィ オラのための」だがこれを提琴とセロで演奏はまだ/\「をさらひ」といふレベル。ピアノが入りベートーヴェンのピアノ三重奏曲五番ニ長調(幽霊) Op.70-1はこれもあらためてベートーヴェンは上手く演奏できると素晴らしいが、それがいかに難しいか、伎倆の問題でなくその楽曲への姿勢からして対 峙が難しいか、と思ふ。これがアルゲリッチとマイスキーにフレイレだつたりすると神の世界なんだが、「合はせただけ」だと大変なことになつてしまふ。中入 後はショパンのポロネーズで作品40の2とあつたので、てつきりピアノ独奏か、と思つたらこれも三重奏に編曲。さういつたものもあるのね、でも第二楽章で ピアノが崩れて数小節どこか明後日の方を彷徨つて戻つてきた。最後はアレンスキーのピアノ三重奏曲第一番ニ短調。今晩の演奏ではこれが最良。但し第三楽章 のアダージョは彼らにはまだ/\難しい。だがベートーヴェンに比べアレンスキーのこれはZ嬢に言はせれば「フレーズを大きな音で弾けばそれなりの曲に聴こ えるから」様になるのは事実。颱風接近で夜半に八號警報発令。

八月三日(月)天気不安定。摂氏卅五度の無風。さすがにアタシも陋宅で冷房つける。
▼水泳の古橋廣之進氏逝去。
終戦後のヒーローだった。うちひしがれた国民に生きる希望を与えた のは、並木路子の「リンゴの唄」と、古橋廣之進さんの活躍だ。
と朝日新聞社会面。「うちひしがれた国民に生きる希望を与へたのは、並木路子の「リンゴの唄」……」つて、もう止しませうよ、かういふベタな表現。「リン ゴの唄」が実は当時より後になつて終戦当時の代表歌とされたといふのがすでに定説。富士山の飛魚の活躍に欣喜雀躍があつたのは事実としても、この記事の文 章一つとつても当時を知らぬ記者が「さうであらう」印象で書いた雰囲気が拭へない。
▼(前述の)さういふ記事に対してフィリピンのアキノ元大統領逝去で朝日新聞で前亜細亜総局長の柴田直治氏の文章が歯に衣を着せず骨太。「富豪の家に生ま れ貧富の格差に鈍感」で少数の富裕層による富の寡占は解消されず農地改革も進まず、とNY Times紙ですら負の側面は触れぬアキノ女史の負の側面を指摘。柴田氏が直接、アキノ女史の実家の一族による巨大な農園経営についての質問をすると時間 切れとして会見打ち切つた由。結局、民主化に大きな動きがありアキノ政権が誕生したものゝマルコスといふ田中角栄型の振興権力から旧財閥系の支配層に権力 が戻つた政変でもあつたのだ、といふことを判らせる。

八月二日(日)朝五時に目覚む。雨空。ホテル裏手に市場あり朝の賑はひを見る。宿の客室から双塔を眺む定慧寺に賽し路道の焼餠屋に葱餠と油條食し豆乳飲 む。水路に沿ひ葉家弄漫ろ歩き十梓街から十全街に至る。商店街と聞いてゐたが閉まつてゐる商店多し。気づけば朝九時前でそりや当然か。大雨。アーケードで 暫し雨宿り。裡道を抜け水路沿ひにホテルの方に戻り平江路のユースホステルのカフェでIllyのエスプレッソ飲む。朝からの雨が歇む。平江路から路道を東 に折れると評弾博物館。弾詞は弦に合はせ話芸、唄を披露する蘇州ならではの演芸。連日昼に一時間半ほどの一席があり昨日これを逃したのは不覚。少し先に全 晋會館といふ崑劇の戯曲博物館あり。廻廊式の建物の奥に崑劇の室内舞台あるが夏は定席も休み。残念。圧巻はこの云わば本堂の前に立ち中庭を振り向くと対面の 楼上に見事な屋外舞台あり。神社の神楽でも舞ふ高い舞台だが、それを廻廊の楼上の廊下に設へた卓席から喫茶でもしながら眺めるといふ、いかにも酔狂な構 造。村上湛君などこの建物を見ただけでぞく/\だらう。博物館の賣店は崑山の音源や画像が澤山。牡丹亭のDVDがいくつか。そのなかに全編通しでは白先勇 による蘇州崑劇院の牡丹亭青春版あり。DVD四枚組で250元は他に比べ破格に値が張るが白先勇のそれを一度来港の香港で見逃したり。購入せぬわけにいか ぬ。それと楊振雄(1920〜1998)の弾詞俞調と崑曲当代名家のCD購ふ。博物館は米国人など参観者もゐるが賣店で買物などアタシくらひで賣り場のヲ バサンと「香港で崑劇の公演はね」と立ち話。ホテルに戻り急ぎ荷造りして退房。荷物預けホテル出て昼食に向ふがバス乗り間違へ下車して干将路を急ぎ足で歩 いて太湖人家大酒店(人民路西入ル嘉餘坊)なる食肆で昨晩か らの面子で昼を食す。白魚(Bai Yu)といふ太湖の蒸し肴が殊更美味。バスでホテルに戻り荷物ピックアップしてタクシー雇ひ蘇州站。軟席候車室でY夫妻と合流。二時半の特急で上海に戻 る。大雨。降車客が出口で雨を厭ひ外に出ず物凄い混雑。鉄道と地下鉄の驛が連絡してをらず一旦、驛舎出て駅前広場歩かねばならず。地下道に入ると昔の上野 驛のやうな地下商場が続き地下鉄に乗るまで雑沓の中をかなり難儀。鉄道から地下鉄乗り継ぎより蘇州から上海の空港までリムジンバス利用の方が渋滞なくても 三時間としても楽なのだが前回、上海に来たときは未だ地下鉄も開業してをらず地下鉄とそれにリニアモーター鉄道に乗つてみたい。リニアモーターの鉄道は聞 いてゐた通り多摩や千葉のモノレールのやうな造りだがちやんと時速430kmを数分間体験する。四半世紀近く昔の筑波の科学博以来。上海の浦東空港に到著 してチェックインすると19:30発のドラゴン航空の香港行きが両地の悪天候で出発が遅れる見込で一時間前のフライトをばアサインされる。アタシらにすれ ば空港で二時間半以上の待ち時間が短くなつて幸ひ。搭乗前に「機内持込みの荷物は一人あたり一件で規定を超える数、大きさ、重さの荷物は頭上の棚に入りま せん」とアナウンスあり「規則破り客」をば係員が見つけては事情説明し小型カバンなど預かり別に収納して運ぶまでの徹底。何かと思へば後発の便からアタシ らを移し乗客満載でエコノミーは3-3排列のA320機は座席も棚も狭いゆゑ。アタシらは当初、後発の便で2-4-2排列のため窓際の二席押へてゐたが、 この便となり3-3排列では二人のいづれかがどうれあれ真ん中席で狭い思ひ。でチェックインの際に通路はさんだ二席を予約。何か話すことでもあれば狭い通 路越しに話せば良い。A320のY席でこれは妙案。搭乗から離陸まで一時間。機内食の最後にアイスクリームが配られた時に、ずつと「待ち」のゐた洗面所が 束の間の「無人」でさつと用を済まし席に戻らうとした時、通路はさみ横六席の客が何十列もびつしりと埋まり、そのほゞ全員がハーゲンダッツのアイスクリー ムを頬張つてゐる光景。奇観。岩城宏之『指揮のおけいこ』讀む。1995〜98年に「週刊金曜日」に連載され99年に文藝春秋から単行本となつたものの文 春文庫版。左翼雑誌から右派出版社が可笑しい。香港に戻ると熱帯性低気圧の影響で無風となり気温は摂氏35度だつた由。蘇州、上海と10度の差。

八月朔日(土)今にして想へば「君が御胸に抱かれて聴くは夢の舟唄恋の唄〜」なんて小学生の時に唄つてゐたんだよねぇ……蘇州の水路は舟唄を君に抱かれて 聴くには城内の人口も多すぎて生活用水だからロマンチックではないだらう。水路に沿つた家屋の水屋から排水が流れ出るのは鳥渡困つたもの。たゞ今でも洗濯 したり顔を洗つたり する人も少なからず。今朝は明け方から大雨。七時過ぎにホテル出る頃には小止みに。幸ひ。晴れたり曇つたり。平 江路も朝は人通りも少なく小雨に映える。白塔路に出て饅頭屋にでも朝餉と考へたら白塔路に出たところに行列出来る焼饅頭や油條賣る肆あり。俞記と云ふが俞記緑色大餠と云ふ屋號で饅頭が緑色の草餅か、とゐふとさにあらず。小 汚い肆の土間で勝手に食し豆乳飲む。どうれあれ美味。白塔路は青葉眩しい街路樹が通りを覆ふ。さきほどの饅頭屋の他にも「緑色」と看板に掲げる肆が数 軒……どうやら杜の都仙台ぢやないが白塔路の街路樹に因んだ「緑色」らしい。白塔路の東の突当りが蘇州動物園。東園といふ公園を抜けて城河の城内の小島が 動物園。改装中だつたがパンダや猛獣が目の前まで現れ、開園直後の餌付けの時間で(それを狙つて早朝に訪れたのだが)どの獣類も元気旺盛で見応へあり。Z 嬢と毎年夏の旅行は何処でも動物園訪れるが、こんなに涼しいのも珍しい。蘇州に来れば庭園の一つも訪れたいが拙政園の前を通り参観者の数に恐れをなし入ら ず。蘇州美術館。展示品よりも貝聿銘(I.M.Pei)設計の新刊の建築が見たかつたが入場料無料のため賑やかさはデパートの夏の昆虫爬虫類展のやう。晴 れると猛暑で館内の冷房が目当てかしら、と思ふのは隣接の美術館の一部となつてゐる太平天国の史蹟・忠王府に来る人少なく静か。I.M.Peiは広州の人 だが貝家の原籍は蘇州。で香港の他I.M.Peiでは中国で初となつた蘇州の美術館の設計。蘇州らしいデザインを見事に現代建築に複合してゐる、が実は蘇 州動物園の獣舎もちやんと蘇州の伝統家屋建築だつたのが印象的。西北街の扇屋など覗く。檀扇が有名だが京都や金澤などの扇を見慣れた目には中国の扇子はど うも面白くない。曇り空がだんだんと晴れ間多くなり猛暑。路線バスで西の城外、石路。山塘路は昔の建物がかなり残る一帯だが観光開発しすぎ。蘇州の茶舗・玉露春があり碧螺春の新茶購ふ。往路、西中市でかなり賑はふ老舗の麺屋 あり。昼すぎ訪れると崑山奥灶麺。麺は至極美味いのだが、ど うしてもあの蘇州好みの甘い醤油仕立のスープにアタシは慣れない。路線バスでホテルに戻ると午後は雨となる。午睡。早晩にタクシー雇ひ金鶏湖東の園區。藍海(Deep Blue)といふ新加坡海鮮が売り物の食肆。I君夫妻 の結婚祝ひバンコクY夫妻、広州からO君と集ふ。金鶏湖見渡す個室は専用のバルコニーつき。Dom Pérignonで乾盃してさくさくつと二本。山西省の怡園(Grace Vineyard)のTasya’s ReserveのCab Sauv 04年。そして同園のDeep Blueの05年を飲む。DBは04年がかなり上出来でいきなり評判を得たと記憶するが05年はちよつと軽めで風味は充分なメロー。今晩の食肆と同じ名な のは偶然。料理は海鮮で赤?といふ感じだが味付けが桂魚はカレー味だつたり唐辛子や蕃茄など使つた「これでもか」の慥かにマレー系で Singaporean Seafoodと謳ふのも納得で赤葡萄酒がとてもよく合ふ。怡園の葡萄酒は最上級にChairman’s Reserveあり、これはまだ未試過で誰か漁つてくれないかしら。宴会終はつてY夫妻とタクシーで城内に戻る。やつぱり遠すぎ。ホテルに戻り十時半過ぎ 寝入る。
▼蘇州工業圓區。巨大なコンベンションセンター、ショッピングセンター、ホテルや娯楽施設など未来都市のやう。此処に限らず慥かに自動車道の整備は大切だ らうがせつかくのコンプレックスも八車線の広い道路で区切つてしまつては全てが孤立してしまつてどこか空疎。金鶏湖岸の現代休閑広場なんてとてもシンガ ポール的なのはこの地域一帯の開発がシンガポールとの合辧と聞いて納得。それにしても工業圓區(Industrial Park)といふ名称。工業と公園といふ本来は相対する二つを合はせ環境豊かな産業地区の建設を企図したところが現代的。中国とシンガポールといふ発展型 の強権国家らしい未来志向は1994年に計画が始まり15年目。箱は作つてみたがバブルは崩潰し市内からの距離は遠く期待の地下鉄開通もまだ三、四年先。 ショッピングセンターは日本と合辧の百貨店、Toysrusや高級ブランド店など閑古鳥が啼き飲食店の低迷は低迷で閉業したまゝの廛補が虚しい。城内は伝 統的な都市構造保存のため開発制限され市の郊外に産業區建設で蘇州の「産業化された文化と歴史の都市」建設を狙つたのだらうが。城内の水路はアタシは顔を 洗つたり洗濯したりには鳥渡二の足を踏むと思つたがY氏の話では80年代前半など水路はドブ川情態で悪臭が城内にたゞよつてゐた、といふ。それが改革開放 で観光客誘致策で「東洋のベニス」「水の都」と水路の環境もかなり改善され、それを思へば今の水路はまだマシ、とY氏より聞く。

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