香港の自由 と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!
 
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


十二月三一日(火)薄曇。朝、摂氏九度。第十甫路まで散歩して陶陶居にて早茶。陶陶居は清末の1880年開 業にて葡萄居といふ原名だったものを「樂也陶陶」の意より陶陶居と。巴金や魯迅先生も茶一服。かつては白雲山九龍泉水を用いてこれを炭火でことことと沸か す。数年前に幸福樓なる飲食企業に買収されかなりエグくはなったが四階まで爆満。支払いをめぐり今にも殴り合いになるのでは、といふほど興奮して従業員と 遣り合う客の喧騒もあり。地下鉄の黄沙站の近くの寝具屋に上質の蕎麦殻あり枕を作るべく蕎麦殻購う。窃盗犯らしき男、警察と私服の公安か非番の軍人らしき 者に追われ被捕される。路上にて堪忍したのか踞る男、逃げも反抗もせぬのに警官ら警棒で殴る、蹴るの、ありゃ必要以上の暴行。法治いぜんの岡っ引き社会の 現実垣間見る。清平路にて落花生もきれいで1斤購ふ。沙面西端に位置する米国総領事館前は公安による「テロ防備」厳重、付近には査証移民業の代理店少なか らずビザ申請などの人々群がる。昼前に一旦ホテルに戻る。CCTV10見る。英語普及狙った専門局だがNHKのビジネス英会話の如きnegativeな 「間違えないで英語を話そう」というような番組なく、ただただ「英語での」番組を流し米国の生活や文化、アメリカ流ビジネス理解など皆無、全ての英語に中 文の字幕がつき音楽ビデオは英語の字幕。英語という言語が自己を自由にし将来有効な手段であるこの国においてはこの局の放送を辺境の地にて毎日眺め英語学 習する者がいる。日本が見習うには必然性の環境も異なれば今更遅きことでもあり。昼すぎにチェックアウト済ませ珠江沿いを散歩、広州児童図書館前より「人 渡」といふと恐いが渡船にて初めて海珠に渡る。的士で広州四大酒家の一つ、前進路にある南園酒家。早茶も昼餉も終わり下午茶Afternoon Teaは14時半からで40分もあり、と中途半端な時間、周囲は茶を飲みつつ日がな下午茶の始まる時間を待つ客たち、のんびりした午後、下午茶まで待つ時 間もなくこの時間に出来るものといへば葱油餅に皮蛋痩肉粥くらいで仕方なくそれを頼むと餅も粥も美味い、マジに美味なものを食べさせていただいたと感激し ていたら14時半の下午茶の時間となり椰子タルト、菓子餅、ついでに亀苓膏まで食す。バスで人民公園前、ここが既存の地下鉄1号線と一昨日開業した2号線 の乗換站、乗降客多いわけで1号線のホームは車両両側にホームあり両方開くというのは良案。地下鉄で黄沙、歩いてホテルに戻り荷物携えホテルの送迎バスで 広州東站。東站のある天河区の発展凄まじいものあり。広州にかぎらず北京、上海もそうだがインフラ整備の困難な旧市街が置き去りにされたまま郊外に新都市 建設著しく、旧市街には開発の見込みもない最悪に近い老朽化した環境が残る。清平街市あたりの泥だらけの地面で豚の臓物を刻み血が汚水に混じり流れてゆく 生活と新都市の高級マンションでの快適な生活、この貧富の差の拡大は共産主義中国の現実。T819列車で香港戻り。一等(普 通)よりHK$40高い特等車は1、2席配列でおしぼり、「香港の」新聞(官報の大公報と文匯報、売れてないHK Standardは当然として中国政府に毅然とした態度を維持する信報まで搭載)、おかわり自由の珈琲、お茶と至れり尽くせりでお得。車内に子連れの家族 数組、子どもはキチガイのように騒ぐが親は一切怒らぬどころか母親の喧騒も凄まじくただ黙っている父親。列車では、而も特等車ではどういう風にすることが マナーであるのか教えるのが親でないか。ただ叱るのではなく、面白い話を聞かせるとか美味しいデザートを食べさせるとか。アタシが子どもの頃は祖母の歌舞 伎見物につきあわされた芝居帰りの車中、そうやって祖母は「ああ、やっぱりグリーン車って楽だねぇ」と。親も野暮なら、こうして躾もされぬまま育った野蛮 な子どもが大きくなると思うと末恐ろし。帰宅して読んだ週刊読書人に信州大の山本哲士教授が今月二日に逝去したイバン・イリイチ追悼の一文を寄せている。 イリイチのことなどカソリック教徒のクロアチア人の父親と敬虔なユダヤ人教徒の母親の下にウィーンで生まれナチス人種法に追われバチカンで神学を学びバチ カンと決裂し……という生涯を自分が何も知らなかったと痛感。山本教授のこの文章、読んでいてイチイリの様々な姿が映像であたまに現われるほど秀逸なるも のながら、ここに綴ればほぼ全てを書き写さねばならぬ。もう一つ週刊読書人に痛快なる一文あり。作家の森巣博氏が姜尚中氏と対談した『ナショナリズムの克 服』集英社新書について自ら紹介文を書いているのだがご本人の「チューサン階級的頭脳」では理解できぬことが日本には多いそうで、例として挙げるのは、曽 我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんの「日本への帰国」問題とか(森巣氏は「アメリカ国家の徴兵を忌避して北朝鮮に逃れ た」とあるがこれはで在韓米軍に所属していたのだから徴兵忌避としたのは森巣氏の誤りか)、中国残留孤児の「来日」とかマスメディアによる こうした言語誘導が罷り通り国民の思考能力が著しく低下、と森巣氏。低レベルなのはマスメディアが先か国民が先かわからぬが、森巣氏続けて「日本のメディ アは仏ルペン、墺太利ハイダー、豪州ハンソン、和蘭のフォルティン等を「極右」と指定するのに何故「中国人犯罪者民族的DNA論」を展開する石原慎太郎に 対して「極右」と形容しないのか」と。御意。この『ナショナリズムの克服』発売十七日で五刷6万部と売れ行き好調だそうである。日本にもこの本が売れるほ どの理性の土壌があったのか、と驚きつつ、もしかするとナショナリズム復興に躍起となっている人たちが反面材料として読んでいるのでは?という気もしない でもなし。二日も広州で中華三昧、あっさりと蕎麦でも茹でて食べようかと思ったらこれぢゃ年越し蕎麦かと思ったら、ちょうど十年もまじまじと見たこともな きNHKの紅白歌合戦が今年はCable-TVのNHK World Premiumで流れており、年老いた所為か突然子どもの頃の大晦日を思い出す。大晦日は稼業忙しく手伝いをしつつ手が空けば正月用の注連飾りを買ってこ いだの、売掛けのままになっている集金をしてこいだのと、親が店を閉めて片づけなどしていると紅白も始まる頃。蕎麦屋の最後の最後の出前で蕎麦をとり慌て て蕎麦をかっ込んだもの。それが高度経済成長の頃とは異なり年々景気も大晦日のそんな活気も失せ始め、紅白が始まる頃には自宅で家族団欒となり、紅白など 見たくないと裏番組を見ていたら帰宅した父が紅白を見なければ年が終わらぬようなことを言い、見ないと言ったら珍しく父が激怒し余は部屋に閉じこもったこ ともあり。当時の紅白は視聴率70数%という時代、みんなが紅白を見ていることをうすら恐ろしく思った次第。それ以来、紅白というものをまじまじと見たこ ともなし。紅白にて「今年はいろいろ苦しいこと悲しいこともありましたが来年こそは」と願っても何も真摯に改革も変革もしておらぬのだから来年が変わろう はずがなし。和田勉が紅白ほどひどい番組はないと豪語していたが(といふか年末の紙面で紅白について自分に語らせた朝日 新聞こそ下らない、とも揶揄)演歌とか楯の会の制服かと見間違う衣装の谷村新司が「昴」歌う姿とか下らない曲の合間の掛け合いの応援合 戦……。十数年前、余が彼の局の音芸部にMプロヂューサーの恩恵で仕事いただき出入りしていた折、隣の島が紅白担当部署はもうまるで日本の芸能の全てを牛 耳っているノリ、「ああ、この人たちが『あの』諸悪の根源なのだ」と感じ入ったもの。そんなことを考えながらテレビの紅白を見れば五木ひろしが「おふくろ の子守唄」とか唄ってみんなで北朝鮮拉致被害者の劇的な帰国を思い出している。僅か数カ月の滞在で強ばっていた表情が次第に活き活きとして将軍様のバッチ 外し日本に居残りたいという表明をしたことは事実、だけど何が「国民の」共感を呼んでいるかといえば「やっぱり日本は素晴らしい」と久々に思えたことへの 安堵感に他ならぬ。赤が勝とうが白が勝とうがどうでもよし。Smapの中居君の音痴で不景気の鬼が退散でもするならいいが。新之助君、来年の大河ドラマ武 蔵の出演で審査員席に居るが成田屋で彼ほどの格であれば紅白の審査員などするよか成田山の寺奥で元旦の日の出まで法要し日の出とともに参拝者の目前に現わ れ睨んでみせるとか真言密教で加持祈祷するとか、さういふことができないものか。紅白の審査員で毒にも薬にもならぬコメントなどしてくれても風邪も治ら ず。日本の最もマヅい点はこうして年の暮れで勝手に禊ぎしてしまふこと。それで年が明ければまた新たな気持ちで、などと。結局こうして何も変わらぬままた だ年月ばかりが過ぎてゆく。
▼あれだけ商売盛んな中国において本屋のみは相変わらず少ない。新聞はほぼ官報であり雑誌規制も厳しく書籍 はかつては新華書店、現在は大都市には「書城」なる大型書店。書城の存在は出版と読書文化の隆盛のようでいて書籍販売を束ねる役割あり。表現手段としての 出版と放送を国家が抑えるわけだが、その点からいってインターネットなるものは中国のような一党独裁の管理国家にとって最も扱いづらき存在。北京での半年 前だかのインターネットカフェの火災を契機に建物の安全管理を口実とした網琲店規制徹底した結果か市内にインターネットカフェ見当たらず。家庭での Broadbandなど普及も未だならず。
▼中国のピアノの貴公子・李雲迪、テレビの紹介にで語るに目標とする音楽家はカラヤンと。芸術性ばかりでな くビジネスとしての音楽を確立したことが尊敬に値する、と。正論ではあるがショパンコンクールで優勝して数年の若手のピアニストが語ることか、もっと技量 に精進が先ではないか。どうであれあと一年流行るかどうかが限界、今のうちに言いたいことを言っておくことも可。
▼昨晩SCMPにて日本を憂ふ記事読む。まずSean CurtinといふGlocom Platformなる東京のシンクタンクの研究員、日本の人口推移、2005年に127.5mにてピークを迎え2050年には104.9m(1億人)にまで減少、ただし可労人口は87.2mから57.1mまで減少し当然65歳以上の老人人口が18.3m から33.3mにまで増加し人口の31.8%が65歳以上という高齢化社会となることから、必然的に就労移民を受け入れないことには日本の産業社会、また 経済が維持できないことは明白なのだが、今もって移民を受け入れ難い環境、と。このままでは日本の衰退は明白。次にFumiko Mori Halloranなるホノルル在住のライターが日本人の英語下手を非実用的な英語教育より述べる。英語を学ぶことがアメリカの文化と生活の理解のような文 化体系に問題あり、と。19世紀このかた西欧の外国語学ぶことが外国に追いつけ追い越せで、また外国語が浸透することが日本文化の衰退と感じられるような 風土にも問題あり、と。確かに英国の教育方針に「逞しい英国人の育成」や「英国の文化や伝統の理解」などといふのは聞いたこともないしオランダやスウェー デンで愛国心が教育の指針といふのも知らず。カナダの高校生用の日本でいふ公民の教科書を見ればカナダ現代史のなかでカナダ政府の外交判断であるとか外交 折衝の失敗も含めた成果の事例事細かく紹介され学生はそれを自らが見て外交政治のノウハウとカナダ政府の理念と現実を知ることになる。最初から漠然と「愛 国心」などと宣ひ事例としてでも日本政府の外交の甲乙など紹介できぬ日本の程度低き教育とは根本的に異なり、いずれが実際の学習の意義があるかは明白。最 後に富士ゼロックス会長であり経済同友会代表のYotaro Kobayashi氏が小泉改革が掛け声ばかりで実態を伴わぬことに叱咤……とこのような厳しい日本に対する指摘が日本の新聞でなく海外の新聞でされてい ることの現実。海外が理解したところで(といふか理解できているのだが)日本ぢたいに何ら現実の理解なし。
▼朝日新聞に勤務する畏友より年の瀬の30日、山手教会で営まれた松井やより記者の葬儀に参列と報せあり。 松井女史の尊父が護憲、人権問題の集会などで会場ともなる山手教会創設の牧師でもともと一家は山手教会で寝起きしていたといふことをこの畏友より教えられ る。その御両親がまだご健在。畏友曰く、松井さんはこれだけの仕事をした人だから夭折というわけでもないし志半ばとはいえ「本望」といえるかもしれないが 90過ぎて娘を看取るというのもつらきこと、と。

十二月三十日(月)薄曇。Z嬢と朝のT820直通列車で広州。肇慶だの従化温泉だのの途中立寄りが続 き広州だけに来たのは何年ぶりか。列車のなかでずっと同行の者、しかも通路はさんだ側に坐る者と大声で語るか携帯で誰かに電話するかずっと続ける乗客あ り。本人に興奮しているといふ自覚症状なし。こんな奴の隣にならなかった、会社の同僚ではない、家族でもないことを幸せに思わざるを得ず。広州東站に到着 して入境の列に並ぶと目の前の日本人八名ほどの団体、入境カード誰も全く記載しておらず列より外され当方はかなり早く入境。入境カードは列車内で車掌から 配られており誰か気がつかぬものか、誰か書かぬものか不思議。八名でカウンターに並び記載するを見るに興味深きことは一斉に記載始めるではなく、まず八名 のなかではある程度そういうことに慣れているオバサンが記載始め、それを見本に隣の者が記載しそれをまた隣が写す、伝言ゲームの如し。性別のSexに週1 回と書いたという笑い話もあるが、氏名、生年月日、旅券番号など英語と漢字で書かれていて解せぬものか。周囲の者が興味深く眺めるなか純朴なる表情で記載 続ける八名、混雑していたら近寄って貴重品を窃盗してもバレないね、と話しつつホテルの送迎バスにて沙面の白天鵝賓館White Swan Hotelに投宿。このホテル、いつ来ても中国の赤ん坊を連れたアメリカからの夫婦多し。中国の孤児の里親計画らしく里子を授かったばかりで満悦な表情。 これから中国の孤児が米国に連れて帰られる、というそういう筋。いろいろ考えさせられる。まさに赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃっ た、である。異人さんが偉人さんかいい爺さんであることを望むばかり。昼に出街。WWFなど動物愛護団体から悪魔の如く罵られる清平市場、野生動物から犬 猫まで食用に売るわけだが、久々に来たら市場の外の清平路にまで可愛らしい犬猫を路上で売る者多く広州でも外国人観光客の多いこの路上では惨たらしと感じ たがよく見れば餌皿だの首輪だの犬用の服まで売っており愛玩用。ペット飼育がかなりブームであることを知る。散歩しつつ長寿東路の老舗堅記にて雲呑麺と炸 醤撈伊麺。香港の洗練された湯と麺に対して限りなく素朴な味、秀逸。長寿西路より燿華街の古い町並みを抜け逢源街。市街はどんどん古い町並みが壊され商業 ビルに高層住宅の乗っかった複合建築物が彼方此方に現れ古風な路地を懐かしみつつ、実際に見てみれば1920年代の隆盛の頃に建てられた華南式の低層建築 群はかなり老朽化激しく下水だの居住環境を考えれば保存することも難しく、殊に煉瓦造の住宅など危険なほど。実際に燿華街などは伝統的建造物の保存地域に 指定されているが改修された様が寧ろ映画のセットの如く味気なし。逢源街の路地など美観のため?どの建物にも原色など関係なく白の漆喰の如きものを雑に塗 りたくってしまひ、というより寧ろバケツにはいった漆喰を投げかけた如し。茘湾博物館参観し茘湾湖公園。龍津路をまわり康王中路裏の翡翠玉器市場。千を越 える翡翠屋、翡翠屋、翡翠屋。広州の古刹・華林寺参拝。清平路よりホテルに戻る。流花湖公園にある唐苑酒家にて晩餐。湖のなかに築島ありそこに第三京浜沿 いのラブホテルの如き「札幌時計台をのせたベルサイユ調の宮殿」、それが1998年に高級食材専門料理屋としてバブルの鳴り物入りで開業した唐苑。味も じゅうぶんに及第だが格別といふほどではないのだが鱶鰭(ふかひれ)であれば名物の天九翅が138元/両でも香港の半額近いのに優待価格は68元。二人で 四両(約200g?)上湯で食しても272元。魚頭の煮物、金切鶏、潮州粥など食す。気温は14度ほど、でもZ嬢ともども朝から風邪気味で午後の長距離散 歩が響いたのか悪寒。ホテルの、設計から照明、環境まで寛ぎ空間として評価に値する健康中心のスパにて一浴。ホテルの一角にGame Centre兼ねたPool Barあり。米国の総領事館職員か多国籍企業かに親が所属し聖誕節も広州にて過ごす憂鬱そうな毛唐の小僧どもがビリヤードして遊ぶ。なんの苦労もなくただ沈鬱としたまま育つ様もまた哀れ。珠江対岸もすっかり美麗といふよか沿岸にパチンコ 屋とラブホが林立してネオン意匠競いあうが如く巨大な飲食店だの酒場だのの都市開発?が進み、ホテルの客室よりそれを眺めつつ日記綴り上網。
▼客室のテレビでNHK World Premium、CNBC、国家地理雑誌(National Geographic)、ドイチェベレ、伊RAIなどが広播電影総局のお達しにより12月5日より受信停止、と。何か政治的な思惑?と思ったが香港の地上 波4局からCNNまで映るわけで単に受信料を課す衛星放送の勝手な不法受信(とくに個人視聴でない点だろう)について中国も政府がそういったことに敏感に なった証拠か。客室に夕方、官報China DailyでなくSouth China Morning Postが配られていたことも一驚。SCMPも親会社が親中系であり、法輪功であるとか六四であるとかよっぽど中国政府が嫌う記事でも大きく出てない限り は広州での購読も可、という感じでしょう、きっと。

十二月二十九日(日)曇。午後ジム。鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』読む。中森明夫氏が『噂の真 相』の連載で紹介していたのだが著者の大江健三郎君自身が封印してしまったといふ『セブンティーン第二 部・政治少年死す』が板坂剛によって文芸評論文の資料という形で全文どころか61年2月号でこれを掲載した『文学界』のそれをそのまま複写で掲載し、中森 氏が「当時の」大江君の力量の凄さを絶賛、それを載せたのがジャニーズだの宝塚のおっかけマップなどで有名なこの鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』という書籍で、 これがこの板坂剛による大江君の『セブンティーン第二部・政治少年死す』と深沢七郎の『風流夢譚』が確かに「資料」として載っているばかりか飯島愛、『BUBKA』から中坊公平、落合信彦の醜聞ま で多彩なる内容。『セブン ティーン第一部』も『風流夢譚』も曾て読んでいるがこの『第二部』はゆっくり読むとして板坂氏の深沢七郎と三島由紀夫の「その筋関係」の話も面白し。今 は、ノーベル賞作家であり障害児・光君の父という大江健三郎しか知らぬ人も多し。夜遅く『第二部・政治少年死す』読む。17歳の山口二矢君による社会党委 員長浅 沼稲次郎君暗殺を題材にしているわけで、これは天皇制を描いたといふ不敬罪を怖れての封印ではなく、大江健三郎という右翼からした左翼が右翼の美 しさの真髄を描いてしまったこと、か。本来なら三島先生とかが描くべきところ、三島先生はといへばコトもあろうに『楢山節考』の深沢七郎による『風流夢 譚』を中央公論誌に推挙し自作『憂国』と並べて掲載、この風流夢譚が契機となりやはり17歳の右翼少年によって浅沼暗殺に続き嶋中事 件が起きるのだから。一読して何よりも感じ入ったクダリは最後のこの少年が自殺した際に「隣の独房では幼女強制猥褻で錬鑑にきた若者がかすかにオ ルガニズムの呻きを聞いて涙ぐんだという」という一節。日本の赤化防止のため革新政党党首を殺害した少年の独房の隣に「幼女強制猥褻」の少年を置いた大江 健三郎。犯すことが許されぬスメラミコトを奉る少年の隣にやはり犯すことが許されぬ少女を犯した少年という対置。『風流夢譚』も20年ぶりかで再読。文学 作品としては軽文学。これはこれでそれがまずかったのか、と今になって思う。皇室への不敬、皇族の侮辱といふよりその扱いが軽すぎるのだ、きっと。それが それに重きを為す者にとっては赦されぬはず。
▼朝日の書評委員お勧めの三冊で山崎浩一氏が小熊『民主と愛国』を挙げる。「戦後日本のナショナリズムと公 共性を<民主><愛国><民族><市民>などの意味の変質を通して徹底的に問い直す。昨今の国家や史観をめぐる言説・論争の不毛性の謎がようやく解けた」 と。余はまだ読み終わらず。
▼蔡瀾、昨日に続き蘋果日報の随筆連載「訪問(下)」にて 北海道ツアーの話続く。(下)にては記者相手に北海道旅行の蘊蓄語り他の格安ツアーとの違いが強調され、記者がそれだけ一流の旅館、食事を揃えたら赤字に なるのでは?と質すと蔡瀾氏曰く「殺頭生意有人做、虧本生意没人做」と。記者が「なるほど、この殺頭生意有人做、虧本生意没人做という中国の諺は言えて る」で終わる。当然今日もツアー宣伝。つまらぬ。期待した蔡瀾嘆世界ツアーの宣伝はこうして原稿料もらいつつ随筆上でなされる、という核心には触れず(当然だが)。それにしても「儲かる(殺頭=取引が成立する)商売(生意)なら做す人有り、損する(虧本)商売は做す人没し」って諺 わかるか?北海道から来た記者に。しかも殺頭って広東語独特の言い回し、広東以北だって通じないぞ(笑)。 日本語堪能な蔡瀾氏の取材に通訳いたか? どうれあれ原稿料もらいながら二日にわたり自分がかかわる商売の宣伝、書くほうも書くほうだがその書き手に高い 原稿料払い連載させる方も寧ろ広告料取るべきでは?。

十二月二十八日(土)晴。気温九度にて厳寒続く。蔡瀾氏の検索をしていたら広州に留学から現在は香港 の日本料理店「銀座」で女将となった一条さゆり嬢の 日記を知る。その才知といい文章といい尊敬に値するさゆり嬢の日記読んでいたら昼近くになってしまい慌ててジム。終わって尖沙咀のCulture Centre附近、聖誕祭の晩に野蛮なる餓鬼めらに汚濁された虐たらしき形跡眺めStar Ferryにて香港島へ渡ろうとするとI君より中環にいるから飲もうと午後三時前だというのに携帯に誘いあり蘭桂坊のSchnurrbartにて Jeverを0.5Lの独逸グラスにて都合5杯、そこに尖沙咀のTom Leeでリストがピアノに編曲したベートーベンの第5のスコア見つからず、それどころか香港では音楽産業独占のTom Leeともあろうものが店員に楽譜知識すらなきことに嘆きながらZ嬢合流。日暮れて酔っ払い三人で湾仔の居酒屋卯佐木にて奇を衒わぬごく普通の酒の肴で焼 酎一本空ける。I君と別れZ嬢と太古城の映画館MCLにて映画「無 聞道」(監督:劉偉強&麥兆輝)看る。昨日の朝に夜九時半からの上映で残り8席しかなかったほど盛況にて、衰退続けた香港映画が制作者も俳優もつ いに深刻になり観衆に「いい加減な筋と適当な芝居の子ども騙し映画」と烙印押され客が遠のいたことに反省した結果、香港映画の起死回生を賭けたような映 画。アタシ自身も港産の商業映画をロードショウ公開で看るのは十年ぶり?。黒社会と警察の抗争といふ香港映画では周潤發の「英雄本色(男たちの挽歌)」に代表されるHong Kong Noir作品。警察(黄秋生)と黒社会(曽志偉)がそれぞれ手下を警察と黒社会に送り黄の部下となったAndy劉徳華と曽の手下に潜り込んだTony梁朝 偉が主人公。きちんと練られた脚本があり力量ある俳優が演技すれば特撮も火薬に銃撃も他愛ない好いた惚れたもなくても充分看るに耐える作品が作れる、とい ふこと。劉徳華、梁朝偉、黄秋生、曽志偉といふ四名は甲乙つけがたいが黄秋生の演技は抜群だがいくらマル暴とはいへ警察幹部は役柄としてちょっと無理あ り、日頃蘋果日報などで泥酔姿ばかり登場する曽志偉、さすが役者、と境界線上の納得の演技。主題は正義か悪かを超越した忠義であり、尽す相手が本来の自分 の親分なのか、敵でありながら情が移った敵方の親方なのか、また自分とは逆の立場で敵方に送られている警官(ヤクザ)への敵対心と同じ運命にあることでの 共感と、といふ追い込まれた状況のなかで結局、一つずつ消去されていくなかで最終的に信頼できるのは自己であり、自己への忠義、ということ、か。細かいこ とを言えばMotorolaが提携らしく携帯電話がかなり使われるが、警察内部で黒社会から送り込まれたスパイを探している状況で警察署内部での携帯使用 などまず盗聴されようはずが、携帯使い放題。同じ香港で携帯で電話していて劉徳華のいる警察署は昼間で梁朝偉は夜の街だったり。まぁ筋には関係ないことだ からそれはいいか、でも筋に関係あることといへば(結末はここでは語らぬが)ストーリーは納めたようでい て真相を知った劉徳華の妻の心情の処理がされておらず、これはマヅい。でも一番気になったことは単純なことで劉徳華と梁朝偉の少年時代の役がそれぞれ陳冠 希と余文樂なのだが絶対に陳と余の顔立ちからして役は逆がよかったでしょう、これは。本当に久々に入場料払って看て入場料分充分に納得できる作品。入場料 といへば低迷続く映画界で新装開店したこのMCLなる映画館は入場料HK$35(500円強)、これは 10年前の相場なり。
▼元朝日新聞記者の松井やより女史逝去(享年68)。80年代に当時は新嘉坡特派員だったのだろうか「特派 員リレーエッセー」に書いていた文章が蘇る。女性問題、人権問題など硬い内容をさらりと上質の随筆にしてしまう筆致。当時、アフリカからも読みごたえある 文章を寄せる記者あり、それが後の朝ジャ編集長であり康夫チャンが『一炊の夢』で回想していた伊藤正孝氏だった。
▼久しぶりに亦、蘋果日報の蔡瀾の随筆に呆れ返る。「また今年も白 色聖誕を愉しむ北海道旅行が出発した」という書きだしで、恒例となった蔡瀾プロヂュースによる豪華北海道温泉と美食の旅について北海道から記者来港し取材 あり、と。香港からの札幌直行便が取消しになったものの北海道がこうして宣伝されたことでまた直行便回復するまでとなり蔡瀾の功績大、と記者に煽てられ、 ここまではいいのだが、どうやって参加者を募るのかという質問に対して蔡瀾曰く「広告を出すと経費がかかりそれが旅費に上乗せになるのでよくない」ではど うやって?と質されれば「自分たちは北海道ばかりかいろいろな旅行団を編成しており、すでに参加者がこの会員となっており、すぐに満員になる」と。それ じゃどうやって新しい参加者を?との問いに「広告は少ないがこのツアーを扱っているのが星港旅運であり、ここは日本人香港ツ アーの大手のため団体バスが30両、これが市街を走るのでそのバスの車体にこのツアーの宣伝あり、これが有効」と。嘘八百。このツアーが最も宣伝されてい るのは、テレビ番組の「蔡瀾嘆世界」(ちなみにこの「嘆く」は「嘆賞」=素晴らしいと賞するの意)であ り、この「香港で最も人気あるライター」と称される蔡瀾本人がこうして随筆という名を借りて自らの旅行団の宣伝をしていること、それに尽きたり。自らの連 載で旅行団を紹介、それに自ら参加し、そこでのネタでまた随筆を書く、と一石二鳥の商売に他ならず。察するに編集者にとってもこの「掟破り」の作法は指摘 してくても蔡瀾ほどの大御所となると大江健三郎先生同様に誰も何も言えまい。蔡瀾、映画会社嘉禾のプロデューサの頃は人徳故にその存在 があるだけで仕事となっており当時の随筆はかなりいいものだったが映画不況で体のいい肩叩きをくらい晴れて自由業となりこの旅行団を企画したり美食家とし ての才能活かしHung Homに蔡瀾美食坊を企画したりと盛況。ただ し随筆だけは何度かこの日剩でも非難したが、野暮なもの少なからず。ちなみに今回のこの旅行団ネタの随筆であるが「訪問(上)」 とあり明日の後編が楽しみ。まさか「いや、実はこのツアーのいちばんの宣伝はこの連載エッセイなんだけどね」とは間違っても言うまい(嗤)

十二月二十七日(金)小雨。摂氏八度。昨日の厳寒に因る死者は高齢者を主に12名、と。防寒の備えな き寒烈なる苫屋にての卒倒などが原因。小熊英二氏の『<民主>と<愛国>』新耀社刊読み始める。小熊氏の 著作は『単一民族神話の機嫌』『<日本人>の境界』と読んできたが千頁近い力作とはいえ6,300円は高い。だが音楽会で2時間演奏を楽しんだと思えばけ して高くないか。この著作、前二作がかなり面白いが論理的根拠となるとかなり曖昧な境界であるとか神話の起源のため読み物といふ範疇にされてしまうのに対 して、これは平易な文章で戦中から戦後にかけての題目通り「戦後民主主義は愛国心を否定した」といた評価がされる中「民主」と「愛国」について戦後の社会 思想を丁寧にまとめたものであり、高校生に社会科で読ませるべき。愛国といふと右翼、保守になってしまふこの国のアイデンティティの分裂をよく考えるには 格好の書物。さすがにこの千頁、厚さ5cmの書物は持ち歩けず移動中にディケンズ『デイヴィッド・コッパーフィールド』石塚裕子訳(岩波文庫)読み始める。四半世紀前に途中で投げ出した中野好夫訳より平易すぎるぐらい平易な軽い文体で、なんか 「重たくのたちこめた灰色の雲の下、荒涼とした原野に……」って感じのディケンズの世界(これが実は中野訳の真骨頂なの だろうが)とはかなり異なり、中環のHK Bookstoreに立寄りPenguin Classicsの原典を読んでみると石塚訳がけして妙なのではなく、かなり原典の語感そのまま。面白そうでこれも購ふ。書籍の値段の話ばかりで恐縮だが このペンギン版の原典はわずかHK$68(約1,000円)なのに対して岩波文庫全5巻で3,500円く らいになる。それでなくても小説しかも古典なんて読者離れが著しいのだろうし3,500円だしてディケンズ読む若者など減って当然、か。寒さ厳しいなか早 晩にジム。ジムの窓からふと向いの高級ヘアサロン眺めれば美容師のうち二人が完全に気軽にトレーナーにジーンズで「一見」キムタク風。やはりキムタクがド ラマで演じる美容師の役を見て「これだよぉ」と達観してしまったのか。一時代前までは元ドリカムの西川先生とかお師匠さん格だとダウンタウンの松っちゃん だったか。帰宅して湯豆腐。酒は菊正宗。最近、いろいろ吟醸酒だの、地元大手スーパーですら大関酒造の辛丹波が売られているほどだが、やはり鍋とかで常温 で一飲するには、やはり酒好きの故・馬生師匠も好んだこのキクマサが何よりも美味いと痛感。沖縄のUさんという方からメールあり。ジャコ=パストリアスと ウェザーリポートをこよなく愛する方で余が武道館ライブを最前列で堪能しただの仙台で泥酔したジャコを見かけたなどと綴ったことにメールいただく。余の日 剩のほんのわずか数行の記述が検索に引っ掛かりこうして未知の好事家の方から便りをいただくのも網世界の醍醐味。ジャコの武道館ライブ聴きながら小熊『民 主と愛国』読む。
▼康夫ちゃんの『一炊の夢』は『週刊SPA』の連載が最後2000年9月13日号で終わるのだが、最後は長 野に18歳まで暮らした頃の思い出。僕は「従順に従う気質ではなく、有無を言わさず常に上から押し付けられる形に異議を申し立てする」「その性格は、不惑 を過ぎた今でも猶、変わらない。戦後の歴代知事が僅か3人、5期20年の現知事から“禅譲”を受けた前副知事が県下120市町村全てに後援会支部を設け、 水も漏らさぬ態勢で10月15日の投票日に臨む長野県知事選への出馬を表明したのも、或いはそうした僕の妙な“正義感”故であろう」で終わる。そしてこの 連載が県議会において食事と性交を一つのイベントとした“オショックス”やAVにも出た娘との「胸部も、作品の中での彼女より小振りで、更に昂奮した。だ が、指先と舌先で鋭敏なる場所を入念に愛撫しても、反応は微かだった」などといった行為(長野県知事になる三カ月ほど前 の記述)が知事に不相応と非難されたもの。それにしても鬼籍に入った方の回想が康夫ちゃんの真骨頂なのだが、自民党の故・梶山静六氏にして も、アタシは所詮茨城県議会議長がせいぜいと思っていたが、康夫ちゃんが報せることは、田中真紀子に「軍人」と揶揄された梶山は「長兄の戦死を嘆き悲しむ 母の姿が私の政治の原点」と述べた反戦主義者であり「国際社会に於ける日本は、有視界飛行のグライダーたり続けるべき」で「風の向きや匂いを感じ取りなが ら、操縦士が微調整を加えられる」「だが、最近の日本は、計器飛行のジャンボジェット機を目指しているように思え」「操縦士は外気の具合を確かめられな い」「計器盤に映し出された数値が果たして正しいのかどうかも判らないにも拘らず、誰もが数値を信じて疑わない」と梶山先生曰く。まさに軍需産業大手から 戦闘機のプラモデルを貰って喜んでいる自民党などの国防 キッズ、世界で安全保障上確固たる地位に立つことが国家の意思と信じる者たちがこれ。

十二月二十六日(木)曇。十三度の気温ながら九度まで下ルと低温「警報」発令される。昼まで競馬予 想。沙田まで出向く覇気なく、ただこのままでは宅に籠りッきりになり昼に一時間ほど湾岸を走る。午後沙田競馬のテレビ中継。Allan、Hynesなどガ イジンばかりか梁定華まで調教師の多くが聖誕節の休暇で離港中。聖誕節とはいへ生業疎かにするとは……殊に梁定華などせっかく今季は偶然のごとく好調にて 19勝とSizeに継ぐ好成績なのだから浮れずに着実に勝負続けるべき、といふわけで聖誕節だろうが旧正月だろうが真摯に黙々と調教続けるのが我らが Size調教師にて今日はSize師と察していたら予想通り6戦3冠1亜2負の好成績。騎手では韋達10戦3冠1亜3季3負。当然のことながら合作なしの この二人で10戦6冠2季2負といふ勘定。この時期今季初戦の馬が活躍始めるがR2(�1200m)では Danehill産駒のJolly Gains(葉/韋達)、Strategus(東/高雅志)、R4(�1600m)でMark of Excellence正印(Size/戴勝)など。名馬の同馬主馬も活躍あり精明大師の精英大師、R9(�1400m)に は電子麒麟の同馬主馬で電子金龍(Size/霍達)、これが勝てば今日は上下白を着ているのを何度もカメラが拘える香港競馬のアイコン譚先生、 きっと電子麒麟の勝負服(つまり電子金龍も同じ)を着ているわけで譚さん、颯爽と上着脱いでお披露目だ! と期待したら電子金龍お見事一着、Z嬢とテレビ画面に注目すれば譚さん上着脱いで電子金龍の勝負服で欣喜雀躍。Z嬢、譚さんを霍達と思い見逃したほど。 R10(�1600m)はSize師4勝目期待し韋達のClassic Master に負け二着に甘んじるが結果少し儲かる。テレビ、ビデオ、レ コードの音源をB&Oに 繋ぐのに利用していたSansuiのAU-555Aな るアンプ、1970年製のものを10年近く前に深水歩の路上にて買い求めた逸品ながら騙し騙し使っていたもののさすがに雑音混じるようになり誤魔化し修理 も効かず、用心して昨夏にこれももう25年ほど前の製品ながら実家にて現役であったYAMAHAのA-1なるアンプ(当 時で確か10万くらいしたはず)を香港まで運んでいたのでこれに競馬のR8からR9の間、20分で取り換える。70年代から80年にかけて の日本製オーディオ製品の質の高さ。まだかなり音がいい。田中康夫『一炊の夢』読む。全体的には意図的な話の逸れが多すぎてかなり読みづらき文章展開なが ら(欧州のレストラン評は脇に置いて)江藤淳との出会い、『文芸』の編集長金田氏との思い出、朝日ジャー ナルの伊藤正孝編集長、会津小鉄会三上忠氏への哀悼など読むに値す。そういへばかなり昔、康夫ちゃんが川上宗薫氏のことを書いていた随筆も秀逸だった、と 思い出す。TVB Pearl局でピアニストYundi Liのリサイタル見る。香港のどこのホールかと思えば東京サントリーホールにての収録。2000年のショパン国際ピアノコンクールで15年ぶりか で「第1位優勝」だか最年少金賞受賞者のはずだが、正直言ってショパンの曲がショパン?って違う曲に聞えてしまって(い い意味ではなし)。アンコールで弾いたLa Campanellaは、リストがパダニーニのバイオリンを聴いてその<織り>をピアノに托したこの曲を覚えた楽譜鍵盤に叩く演奏。この人はピアノが弦楽 器だってことがわかってないかもしれない、なんてね、アタシが言ってもいいものか。だが当然の如く来春の香港芸術節でのリサイタルは 目出度く完売だそうで。夜にはいり小雨模様、気温は尖沙咀の天文台で8度、拙家はさらに山あいにあり6、7度か。さすがに石油ヒーターを灯す厳寒の晩とな る。愚猫、温熱斬のまえの籐椅子にで丸く眠る。
▼朝日『天声人語』で漫画家の武田秀雄さんが展覧会という文章。「朝日ジャーナルで80年代にひとこま漫画 を連載していたから、ご存知の方も少なくないだろう」って(笑)。80年代のジャーナル読者なんてそれぢ たい少ないんだからこの漫画、誰も知らない、はず。
三井住友銀行による「わかしお銀行」合併での合併差益2兆円捻出し三井住友銀の株 式など含み損一掃、と。わかしお銀行とは経営破綻した太平洋銀行であって、90年代当時住友銀行とかさくら銀行はまさか自らの生き残りのため形式的である とはいへ経営破綻した太平洋銀行の世話になるとは思ってもいなかっただろうし、もつと遡れば80年代まで住友銀行とか三井銀行とかにとってはかつて『噂の 真相』だの『内外タイムズ』でよからぬ噂の絶えない第一相銀(のちの太平洋銀行)など都市銀の一流行に比 べ「銀行」といふのもオコガマシイほどの存在、ましてや戦後のドサクサの時代は三井住友といった財閥系銀行にとって相互無尽会社(のちの第一相銀)など金融機関と呼ぶのも否定するほどの闇金融に毛の生えた程度だったはず。まさかその無尽会社(基本的には無尽講つまり頼母子講ですぞ!)に半世紀後、天下の三井、住友といふ財閥銀行二行が合併した上で含み損 一掃を扶けてもらふとは(嗤)。まさに金融戦後史。基本的に「金貸し」といふ商売に区別なし、か。で、ふ と思ってこういった<講>と貨幣経済、通貨を考えたら<溝>を地域エコ通貨の機能に何か関連づけられるのでは?と思い、調べたらやっぱりいましたね、それ を提唱している研究者が(こ ちら)。

農歴壬午年十一月廿二日。薄曇。テレビのニュース報道見れば尖沙咀の波止場附近、昨晩は聖誕節にて異 教徒ども朝まで騒ぎゴミ散乱し芸術中心の壁にスプレーで落書きなどの狼藉甚だし。醜悪。昼まえにZ嬢とジム。ジムのお師匠さんなどメリークリスマスを連 呼、タイ人の如く合掌してメリークリスマスと応じるのも一興ながらアタシは古拙(アルカイック)な笑みに て応えたが、何故相手誰かれともなく耶蘇教の祝福をするのか、仏教徒もイスラム教徒もそれの祝祭を相手誰彼ともなくせぬことを思えば、耶蘇のそれは考えれ ば考えるほど不可思議。殊更、異教徒がその祝福を誰彼ともなく口にすることはもっと奇っ怪。それでも星巴珈琲にしてもジムの更衣室の受付にしても聖誕老人 の帽子など被り節句気分だが何故か他の客にはメリークリスマスと愛想売るのにアタシにはなし。何故か、アタシャ異教徒顔か、Z嬢は彼らはアタシを坊主だと 思っているのでは?と。御意。星巴から眺める蘭桂坊の通りに昨晩からの遊興の果てか路頭に迷う小僧ども多し。何もすることもなく、かといつて無我の境地に も至らずただ浮遊するさままことに哀れなり。昨晩は聖誕前夜にて騒ぎすぎか普段の日曜よりも人出の少ない中環にて快適に買い物。永吉街の忠記にて雲呑麺。 中環に老舗の麺舗多いなかアタシはこの店が贔屓だねぇ。他の多くが日曜祭日休みのなか忠記は年中無休も嬉しいところ。Brooks Brothersにて上着とシャツ購ふ。街も空いて柔らかな陽射しのなか普段乗らぬトラムにて帰宅。Z嬢と海沿いに出て歩いてShau Kei Wanの海 防博物館。明朝以来の香港海域での海防の歴史を、この海の要所たる鯉魚門の高台にあった砲台古蹟、とくに英軍による山の頂を刳貫いて造営した施設 をうまく利用して作った博物館にて展示。殊に日本軍占領期については尖沙咀東の香港歴史 博物館より此処のようが展示内容充実し、奇しくも本日は1941年に日本軍が香港占領をした香港陥落の日なり。而も広東省から攻め入った日本軍は この鯉魚門より香港島に上陸。博物館を出て黄昏に阿公岩の譚公廟よりShau Kei Wan東大街を散歩。南千住の如き下町の古くからの商店街。帰宅して昼に中環の金+庸記で仕入れた焼鵝と叉焼をVieux Ch Landon '99飲みつつ食す。何年前だったか聖誕夜に七面鳥売れるを見て七面鳥の丸焼きより香港なら金+庸記の焼鵝のほうが美味と、粤菜としての焼鵝なら深井の裕 記などのほうが美味いのだが肉厚の金+庸記の焼鵝はフランス料理と思って食せば美味いのでは?と敢えて赤葡萄酒に合わせてみると格別。それ以来、毎年、聖 誕夜にZ嬢と「基督教とは何か」また「西洋とアジアのそれぞれの誤解」につき語りつつワイン飲んで金+庸記の焼鵝食すことが習慣となる。
汝ら潔き接吻をもて互に安否を問へ(コリント人への前の書第16章20 節)
▼築地のH君よりの通報で某都知事の「バ バア発言」知る。生殖年齢を過ぎた女がいつまでも生き残ってるのは人類だけのムダ、とか。元ネタは東大の松 井孝典教授で「霊長類や類人猿、あるいはネアンデルタール人などを含む、現世ヒト種以外のすべての種では、メスの寿命と生殖年齢はほぼ一致する。 ただ人類だけが<おばあさん>をもった。<おばあさん>による次世代への知識の伝達や生殖メスの支援などによって、ヒトの種としての繁殖能力は爆発的に高 まり、その結果、ヒトは地球における優占種となった」と。つまり「おばあさんの出現が、人類を人類たらしめた」ということ。確かにね。アタシ自身も祖母か ら受けた生きるための無駄なようで無駄ぢゃないノウハウがアタシの素養のかなり根本にある。祖父は存在はあったのだが語らず。この松井教授の理論をどうも 都知事はお得意の短絡的な解釈で「ババアは人類のムダ」と思ったらしいが、H君曰く読解力、理解力の乏しさからして「政治家はもちろん作家の方もやめるべ き」と。御意。この都知事の存在ぢたいが人類の無駄、か。
▼首相小泉君、そういえば今日の朝日の解説(小此木潔)で 「小泉改革、もはや失速」と書かれていたが最初からダメなものはダメなのであって期待した国民にも大きな過失ありなのだが、小泉君昨晩は赤坂の楼外楼飯 店にて元衆議院議員・松野頼三君と食事を済ませ、その脚で紀尾井町の福田家にて中曽根大勲位、La cervelle de requin(註)、「弟よ」都知事、党国対委員長中川某と会食。小泉君、二度も夕食するほどそんなに空腹か(嗤)。すごい面子なり。夜な夜なこのやうな人たちがご相伴で何が改革か、笑止千万。
(註)cervelleは脳味噌、requinは鮫の意、サメの脳味噌で はあまりに下品なため雅語としてフランス語を使おう!
▼朝日の都はるみのインタビュー記事で北朝鮮被拉致者の浜本富貴恵さんが帰国して「北の宿から」を歌った、 と。76年のこの曲を当時、誰もが「北の宿」といふ能記(signifiant)から所記(signifie)として寒さ厳しい北国はイメージしたが北は北でも凍土の共和国とは思いもせず。歌詞もそのま ま、まさに被拉致者にとっての北。

農歴壬午年十一月廿一日。Z嬢とSir Cecul's Rideより初めてWilson Trailの小馬山を越える径に入る。山頂の無線アンテナを眺め香港トレイルに入りjardine Lookout、陽明山荘からMiddle Gapを経て香港仔水塘より香港仔の市街に至る。20kmに満たぬ距離を四時間余にて歩く。午前うすら寒かったが午後より快晴となり香港仔に着く頃には肌 がひりひりするほどの陽射し。香港仔にて山窪謝記にて魚蛋粉と魚片。魚の旨味といい歯応えの魚蛋は確かに香港一と評判、魚片(魚擂身揚げ)も香ばしく格 別。バスにて北角まで戻りQuarry BayのEast Endにてale一飲。太古坊のオフィス街は聖誕節前夜にてもはや祝日気分か夕方早くも仕事を退けた会社員らにて賑わう。最近改装した英皇道の聖 Lawrenceにて菜肉飽、豆沙飽購ふ。中華饅頭屋がどうして聖羅蘭西なのかとZ嬢と悩み、ふと単に耶蘇教信じる羅さんの店か、と臆測。仕事熱心な店主 は店舗改築にてこれまでにも増して活発なる仕事ぶり。帰宅して晩に豆乳を混ぜた出汁でしゃぶしゃぶ。意外とイケるあっさりした味。ポン酢で鍋をして豆乳出 汁で茹でた拉麺をポン酢とこの豆乳出汁で割ったスープで。これもまた可。毎年聖誕節前夜にThe Snowmanの動画テレビで放映あり。Z嬢にSnowmanと言ったらZ嬢「相撲」と聞き違え、もうSnowmanも飽きたしSumomanの 制作があってもいいのでは?と盛り上がる。雪深きスコットランドか北欧の寒村に何故か極東の相撲こよなく愛す少年あり。いつか砂ッかぶりで相撲が見たく夢 を托して雪深き聖誕前夜、庭に力士を製造える。翌朝未明に雪を踏みしめる音に少年が眼を覚まし庭を見るとそこに雪のような白いもち肌の関取がシコを踏む。 少年は歓び勇み母親が編んでくれたマフラーをマワシに見立て庭に飛びだす。明け方に厳寒のなか裸で庭に出た少年に両親は驚愕し庭を見るとそこで相撲をとる 力士と少年。両親は突然現われた相撲とりに驚きつつ昨晩のスープに慌てて具を入れ即席ちゃんこで力士を歓待。少年は力士との相撲三昧の日々を送るが、やが て春。温かくなるにつれ力士のかく汗が多くなり雪でできた力士は衰弱して庭に祖母の遺したカツラで見立てた大銀杏とマワシだけが残る、と。
▼北朝鮮の報道で一瞬、製パン工場かと思う衛生的な白の帽子、マスクと白衣、深刻な食料不足のなか米国など からの小麦などの提供を受け食料提供か、と思えばよく見れば原子力発電所。いくら将軍様のご指導で適切な核放射線物質の管理ができていようとあの装束での 核実験は無茶。

十二月二十三日(月)晴。昨晩よりこの富柏村サヒトのserverであるvirtualave.netつながり悪く本日は終日ほぼつながらず。 日頃米国の覇権主義など非難しておりながらちゃっかりserverは米国のを利用するとは余も卑怯。それにしても外部からの攻撃多いのかつながらぬこと頻 繁にて今後のことを考えるとこの富柏村サヒトのserverの米国依存も再検討すべき。Repulse Bayを歩くと浜辺の一角に「寺」あり。コテコテの装飾施した道教の寺と思われており日本人始め団体観光客盛んに訪れるが実は獅子會(Lions Club)の寄進による拯溺會(水難救助会)の会堂にて確かに水難祈願の塔だの像だのあるが寺に非ず。た だしRepulse Bayという観光名所ゆえ「寺」とされ参拝する者多し。厳密には海に突き出た天后像が造りこそ新しいが天后を祀る宗教建築。此処を抜けようとしたら各界名 士寄進した水難祈願の像に90年代のバブル謳歌し昨年だかに倒産した銅鑼湾の新同楽魚翅酒家寄贈による「一翅同行」なる碑を発見する。「一翅同行」とは聞 えがいいが魚翅(鱶鰭ふかひれ)など喰っていたらサメに喰われて水難に遭ったが如き新同楽なり。姜尚中 『ナショナリズム』(岩波書店)読む。夕方Happy Valleyの山の手、低層高級マンション並ぶ一角より何処かで見たことのある年の頃は三十のそこそこ精悍な若者、坂を下りてくる。はて何処の誰かと思え ば先日亡くなった歌手・羅文の「助手」の阿東。癌の末期症状である羅文を渾身的に介護する阿東の様がマスコミに流れ羅文は阿東を財産相続人にまでしたが、 ふと思えばこのマンションこそ羅文の生前の住み処。阿東は其処で亡師を偲び霊を供養しつつお住まいか。美談。昼を食さず夕方に湾仔のQ麥にて坦々麺。『ナ ショナリズム』読了し夜は田中康夫『一炊の夢』(扶桑社)少し読む。扶桑社の本読むはおそらく初めてかも しれない。康夫ちゃんの本が扶桑社ということぢたい奇異だがこれは同社の週刊SPAの連載纏めたものである故。
▼姜尚中『ナショナリズム』(岩波書店)。広義のナショナ リズムといふより日本の「国体」について。つくづく日本の「国体」とは立派なものであると思う。遡っても本居宣長である国体は明治期に醸成され1945年 までに和辻哲郎をして「集団意思が神聖な天皇を作ったのであって(略)国民の全体意思が天皇の意思となる ことこそ天皇の本質的意義」とまで言わしめるほどに成熟する。それを超克するには丸山眞男なのだろうけどあらためて「(1945 年の敗戦による)八・一五革命の巨大な転換をテコに「配給された革命」を主体的は変革へと転化させんとする丸山の並々ならぬ意気込み」(姜)というが、やはり「配給された革命」など有り得ないのあり、この段階で戦後日本の行く末に実は負荷あり。いず れにせよこの姜の本を読んで思ったことは、我が国の民を魅了する不可思議な力をもつこの国体なるもの、象徴的な意味で我が国の伝統の神髄のようなものだ が、あらためて考えてみればそもそも江戸中期までこんなもの存在していなかった、のであり、宣長の時に「からごころ」を捨て純粋な日本という国の髄に戻ろ うとしたことじたい、日本の国体の前提として消去すること不可能な相対的な「からごころ」があり。自然に生まれた風土思想に非ず、かなり屈折したアイデン ティティと言わざるを得ず。だから寧ろ大日本帝国にとって国体は教育勅語、軍人勅語を通じてあそこまで徹底して国がメンテナンスしないと維持できなかった ものなのであり、敗戦でも知識人の多くがあそこまで国体の呪縛にもがいた、ってわけか。で半世紀以上経った今でも亡霊の如く国体が日本の空を遊ぶ。姜が実 にいい指摘をしているのだが、戦後は国体を喪失したと認識している江藤淳がもし「新しい歴史教科書」だのに見られる「少なくても「近代」の奥に潜む深い寂 寥感など解さないあっけらかんとした歴史修正主義」を振りかざす「皇国の息子たち」が跋扈する(小林よしのり、とかね)の を見たら江藤はどう思うか、と。御意。「裁かれるべき「真の戦争責任者」が「近代文明」にほかならない」なんて江藤の主張を読むと江藤淳はきちんと読んで みないといけない、と思う。この本に愛国心について実に興味深き清水幾太郎の引用あり。長くなるが引用すると
昭和十七年十二月、私は南方から日本へ向ふ輸送船に乗つていた。六日の早朝であつたらうか、甲板にへ出てみ ると、目の前に陸地が迫つている。霞みに包まれた山々、潜水艦の荒れ狂ふ海を怯えた眼で眺め続けて来た吾々の前に、突然この山々が現はれたのである。誰か が叫ぶ。「九州だ、長崎の辺りだ」。漸く私は生きて再び日本の土地を見ることができたのである。私はこの長崎の山に抱きつきたくなつた。恐らく私の仲間は みな同じ気持であつたに違ひない。みな黙つて山々を見つめている。
……とここまでは実に「自然な」帰還者(清水)の手記である。が、清水が腐っても正直なのは、これに続く記 述である。
だが、この長崎の山々といふものを、私は生まれて初めて見るのである。懐しい日本、と言ひながら、この山々 は私にとつて見覚えのあるものではない。見覚えのないもの、初めて見るもの、それを私たちは抱きつきたい思ひで、撫でさすりたい思ひで眺めている。自分が 直接に接触したことのない土地や人間、さういふものと自分との間に何か特別の結びつきがあるやうに思はれ、懐かしいといふ感情に駆り立てられるのは、私た ちが幼時から受けて来た教育の力によつてであらう。
……と分析した。明晰。だがここで清水らしさが出る。
教育が、私と長崎の山々との間に特別な関係のあることを教へてくれたのであつて、もし自然のままに放置され ていたら、私は長崎の山々を見ても、決して特殊の感情を抱かなかつたであらう。
……と。清水は自分が長崎の山々に特別な感情を持てるように「教えてくれた」ことを有難がっている。だが、 そのそも本人と長崎の山々に特殊な関係などない。敢えて特殊な関係がある、とすれば、それは本来関係ないのに日本という国家にあるということで自分(国 民)とその山々には関係があるのだよ、とされた「特殊な」関係だけである。自分が子どもの頃から見慣れた故郷の風土としての山々に特別の感情を抱くのは自 然だが、見たこともない風景も「国家」という範疇であるだけの理由で「教えられた」から懐かしくなったにすぎず。清水はこの文章を「国家への結びつきとい ふものには、必ず何処かに人為的接着剤が働いている。ただ自然の傾向だけによるものではないのである」と社会学者らしく分析しているが、だから人為的だか ら悪い、とは言わない。いずれにせよ国家主義にとって教育が、ことに義務教育がどれだけ重要であるか、またその教育によって培われるものが自然ではなく人 為的な<地政>であることがよくわかる。
▼昨晩読んでいた『東京人』の「文士の食べ歩き」という特集で沢村貞子もあり。ふと思ったのは沢村貞子が学 校の生徒だった場合、彼女は日本の公教育が期待する意味では愛国心にも乏しく、反権力的で、日の丸も揚げなければ君が代も歌うまい。つまり福岡の「愛国 心」評価では沢村貞子など評価できないのである。しかし彼女の場合芝居家に生まれ育ち殊に東京(とうけい)の 下町の文化であるとか着物の粋な着付けであるとか誰よりも優れている。それがあの教科書の基準では評価できない。沢村貞子が評価できない、ということは正 当に日本の伝統など客観評価できてないといふことだね。

十二月二十二日(日)快晴。冬至。昨晩珍しく三時頃まで夜更かし朝寝して九時すぎに起きる。昼前に七 日のLauntau Islandのトレイルレース以来で山を走る。Mount Parkerの峠まで30分歩いて登り淺水湾まで40分。大譚の水塘より淺水湾峠までの快適な引水路に鉄柵設ける工事進む。引水路とはいえわずか二尺ほど にて僅かにハイキングなどが通るばかりの山道に「安全のため」鉄柵など設ける香港「赤字」政府土木署の作為理解できず。「安全のため」なら23条立法取り 止めよ。冬至とはいへ日向におればけして汗ばむほどではないが陽が肌を刺すほど。ひとけのない海にて沢村貞子『貝のうた』新潮文庫読む。沢村貞子が芝居家 に生まれ学問好きから左翼演劇に入り特高の取調べと革命思想で結ばれたはずの夫の裏切りから運動から遠ざかり東宝の性格派女優として売出し終戦までの回想 録。沢村貞子といえば余には小津の 『秋日和(60年)での佐分利信の妻役が印象的。最も見てみたいのは山本嘉次郎監督で黒沢明が助監督の『(41 年)。懐かしい名前であるが小沢栄太郎、東野英治郎東山千栄子といった俳優たちもかつての 左翼演劇分子。沢村貞子が綴る通り結局は自由と平等のための左翼運動が党利党略のための組織と化した点に問題あり、けして国家による治安維持のための弾圧 による崩壊に非ず。さすがに帰路は走る元気もなく『貝のうた』読みつつバスにて赤柱で乗換えを待っているとZ嬢より携帯に電話あり有馬記念の中 継NHKでやっているが録画するか、と。録画頼み馬券買ってはいないが一番人気のファインモーションは来ないでシンボリクリスエスですよ、と言って Shau Kei Wan経由にて帰宅したら「ほんと馬券買わないと当るねぇ」とZ嬢。タップダンスシチーとファインモーションが交互にハナとなり3角でタップダンスシチー が逃げ切るようでいて直線に入ると完全に脚が乱れ減速、そこにペリエのシンボリクリスエスが見事な差し。単勝370円は堅すぎたにせよ馬単シンボリより総 流しして20,630円とれていたら快感だろうなぁ。夕方銅鑼湾。聖誕節祝ふ異教徒の数余多。街に流れる聖誕曲で「もろびとこぞりてしゅはきませり」と邦 訳の歌詞過るがキョービの若い人に「諸人挙りて主は来ませり」といふ美しき文語の歌詞は解るものかと思ふ。IKEAにて照明器具購いQuarry Bayの竹源越南餐廰にて食し帰宅。シナ人が家族団欒の冬至と異教徒でも聖誕節重なり親族など「挙る」者多し。近所より発狂したかの如く騒ぐ家族の奇声聞 えどいて何が「聖夜」か冬の静けさが支配する冬至なのかと思ふ。伝統もなにもなし。ただ消費活動の一環として踊らされるばかり。
▼一昨日に吉事あり。Mark-6が JackpotにてHK$4,600万だか特賞金嵩み携帯にて投注しようとしたら携帯に残る投注一つあり。はて何かしら?と見たら水曜日の競馬最終レース 馬券購入したつもりが最終確定しておらず、結局外れたのでHK$100得した気分。馬券外れ馬券買ってないことを喜ぶとはこれほど悲しき競馬はなし。
▼雑誌『世界』にて福岡「愛国心」通知表について季博盛(リパクソン)弁 護士(在日本朝鮮人人権協会会員)の文章読む。それにしても小学6年の社会科の通知表の評価に
・我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を もとうとする。
・我が国の歴史や政治、国際理解に関する社会的事象をより広い視野から考える。
・我が国の歴史や政治、我が国と関係の深い国の生活や国際社会における我が国の役割を理解している。
という「観点」が並ぶのだが、たかが小学6年の小僧に何を期待するのか。この評価項目がかなりマヅい点は、 初等教育という公教育の場にあって国籍だの民族だのといった制約なく平等に基本教育がなされるべき場にあって在日、外国籍児童への配慮なきことはまず許さ れる問題。更にかりに小6でかなり考察力豊かな子がいて日本の歴史や伝統も理解し郷土としての日本を愛し世界平和を願うがゆえに思考の結果<国家という装 置としての日本>に反感を覚え、この子に反日的言動があったとした場合、結局のところいわゆる知力なき者が群衆幻想として抱いているにすぎぬ愛国心なるも のはこの子に希薄とされたら、この子の評価は悪くなってしまう、といふ、それくらいこの評価観点は教育の評価基準としては愚劣なものなのである。福岡市の 校長会は教育者として何故にさういふことが理解できぬのか。しかも、この「観点」一読すればわかる通り(日本国憲法前文 にも優るとも劣らぬ……汗)係り結びが不明瞭のかなり拙い日本語。具体的にいえば「我が国の歴史や伝統を大切にし」「国を愛する心情をも つ」なのか「我が国の歴史や伝統を大切にして且つ国を愛する」「心情をもつ」なのか、「平和を願う」のは世界なのか「世界の中の日本人」なのか、なぜ国を 愛する心情は「もつ」が平和を願う日本人としての自覚は「もつ」じゃなくて「もとうとする」なのか、歴史や政治は社会的事象のなのか、我が国と関係の深い 国についてはその国の生活の理解だけでいいのか、また「我が国と関係の深い国の生活の理解」となぜ「国際社会での我が国の役割の理解」が一文で並列される のか。この程度の日本語しか書けずに「我が国の伝統を大切に」とは笑止千万。このような日本語に疑問も抱かぬ福岡市の校長会の知力の低さはどうにかならぬ ものか。マトモな日本語もかけぬ学校長、できることといえば教育委員会への諂ひばかり。歴史というのは無批判に「大切にするもの」に非ず「歴史から学ぶこ と」が大切、伝統は残る価値のあるものが淘汰のなか生き残るものであり、包括的に見た世界のなかでの「我が国」の理解が大切なのであり「我が国」のみの歴 史だの政治(日本の政治の何処に学ぶ価値があろうか?)などの理解は無意味、世界を理解するには関係が深 かろうが浅かろうが「国家」などという範疇で区分されたものでなく各地域の総体的相対的な理解が必要なのである。せせこましく「我が国」だの日本人だのと いう「些細なもの」に無理に価値を与え理解に努めようとするは野暮。季弁護士の調査を読み知ったあまりに浅薄は事実は、結局のところこの通知表の福岡市で の普及、じつは思想的なことよりもこの校長会(任意団体)のなかの公簿等研究委員会には福岡市より研究補 助費が支出され通常の通知表の印刷は各校負担にもかかわらず、この校長会作成の通知表使うと印刷費が福岡市から別途支給される、ということ。この「愛国」 通知表使えば印刷費が浮く、という、思想的などころか結局その程度のレベルでこうした愛国教育がなされるという真に馬鹿馬鹿しくも、それ故に更に嗤えぬ 話。
▼先週日曜の基本法23条立法化反対集会デモに対して本日は政府御用団体が23条立法推進決起集会開催。驚 くはその参加者確保にて親親派の福建中学など校長名で保護者宛に社会理解のため子女との参加促し元培僑中学校長にて教育署総発展主任に招聘されている葉某 も公職でありながら培僑中学にてこの支持集会への参加を扇動。晩の報道を見ると結局主催者発表で4万人。かなりの大多数が親中派団体による招集なのだろ う、参加者が質されてもおらぬのにカメラに向って「自分の意思で参加した」だの宣い舞台でも「みんな自発的に23条立法を支持している〜!」とシュプレヒ コール(笑)。昼に走っていてRepuls Bayにて御用政党民建聯の「没有国家、没有我家」(国家がなかったら私の家もない)という横断幕あり。世界でも稀な共産主義国家の御用政党なのだからエ ンゲレスの『国家、家族、私有財産の起源』くらい読むべきでは? 国家はなくても家族制度は早くからあり。家族制度が発展して権力装置となり国家装置へと 「発展」する。集会では国家の安全が自分たちの安全、などと叫んでいるが国家にこれまでどれだけ瞞され不幸を授けられ中国から逃げて香港に生を求め今更ま た瞞されようといふのか。不幸極まりなし。

十二月二十一日(土)曇。年末でといふ訳でもなく時間持て余しふと自宅の掃除、片づけなど。昼に競馬 予想し掃除続けつつテレビ観戦。99年に5冠1亜未負で沙田銀瓶賽にて蝦に2馬身差をつけてた名馬京城之寶(Kingston Treasure)の馬主京士頓城団体の京城之威(Kingston Winner)R1で初陣。京城之寶彷彿させる灰毛馬(兄弟馬には非ず)、Size師もDye騎手も無理をさせず後陣よりゆっくり外枠を回らせ、それでも四着。今後に期 待。R4まで全く擦りもせず馬券のみ買って夕方ジム。終わってみれば残り6戦中35倍の大穴入ったR9除き4戦的中で残り1戦も複勝のみ得て快勝。日系大 型店にパイ作るため「とろけるチーズ」購ひに参れば聖誕節大売り出しに異教徒ども繰り出し賑わふ。「とけるチーズ」の横に雪印の「さけるチーズ」あり。咄 嗟に「避けるチーズ」と解す。本意は「割く」で「割くことができる」だろうが動詞は通常、基本形から入るもので「溶ける」は自動詞を用いたことでチーズが 熱で自然に溶ける様を印象させ見事な命名であったが「さける」は「割く」の可能形にて間接的にしか想像行き着かず、ふと「避ける」という基本形の他動詞が 先に浮んだ次第。雪印の不祥事思い返し笑うに笑えず。晩にT1夫妻、T2夫 妻来宅し深夜まで歓談。

十二月二十日(金)雨。夕方、小雨のなか広州行きの切符と宿のvoucher受取りに尖沙咀の旅行代 理店Nに参る。これまで何度か旅行手配を依頼したT嬢と初顔合わせ。やはり真摯そうな人でかういふ人になら旅をお任せできる、と思う。百年ぶりに吉野家で牛丼(裏ぺージはこちら)。何時でも何処でも同じ味を、と かお盆に敷かれた広告に書いてあるが微妙に味つけ違うのではないか。仙台駅前の青葉通りは東宝劇場で食べていたのなんてかなり濃い味つけだったが。香港で あれでは売れまひ、かなり薄味。それにしても盛況。牛丼の並がHK$18=280円ってのはちょうど日本と同じと知る。ジム。三更になってマゼールのワグ ナーなど聞いてSmirnoffなど飲んでいたらかなりいい気分。美輪明宏先 生の全曲集など聞いてしまひ悪酔い(笑)。美輪先生の場合フランス語も美輪節になってしまふ。それにして も1957年に「メケメケ」を引っさげてスポットライトを浴びた美輪先生(22歳)藤色の絹のスラックスに白絹レースのシャツ、黒カシミヤの背広上衣に化 粧といふファッションは「フィガロの結婚」の小姓ケルビーノに、元禄時代の男装の麗人である名妓勝山、西鶴の男色大鑑に描かれた小姓たちの振袖姿という服 装哲学であったそうなこちらよ り引用)。キョービのビジュアル系だのGacktなど足許にも及ぶまひ。美輪先生のヨイトマケの唄と いってもヨイトマケという言葉じたい辞書にあるわけでもなくわからる若い方はこちらを ご参照。
▼先日、全教の教研集会全体会断念について綴ったが、これを読んだH君(築 地のH君に非ず西の人なり)より同じ日の朝日(西部本社発行版)同 じような事件あり、と。福岡県の大任町議会にて町議会の議長が何者かに銃撃を受け負傷、さらに再度の襲撃が噂され議長は「保安上の理由」で議会を 欠席、現在も全く所在不明、12月議会には出席の意向を出してきたがこれに対して議会は「出席すれば命の危険もあるので欠席を」と「欠席勧告」を出し議長 はこれにしたがって欠席した、と。北九州市立大学の上脇教授(憲法学)がコメントし「議会の欠席勧告は暴 力に屈していることを意味する。万全の措置を講じ、勇気を持って議長を守るのが本来の姿」と。確かに銃撃じだいも物騒だが平和だの自由だのは何処からか授 けられるものに非ず自らが堅持するもの。警察が議長を隠遁場所から厳重なる警護をしてでも議会開催をするくらいの気概なければ。自衛隊は文字通り「日本の 民主議会主義」を自衛するための大任町役場警戒の出動があってもいい、か。敵はイラクでも北朝鮮でもあるまい。
絵を叩くと大きくなります 不動産の広告の絵面などインチキが多いが
この尖沙咀にてスターフェリーの波止場を眼下に見下ろし
ハーバーのむこうに広がる香港島の夜景……きれい。
それにしても、である、このジャグジーのあるルーフトップの 写真。
葡萄酒、グラスに注がれてはいるが葡萄酒の瓶は抜栓されてお らず。
二本目か? 普通はこういうイメージ広告ならシャンペンが欲 しいところ。
香港で尖沙咀のルーフトップでジャグジーでのぼせながら
「ぬるい」赤ワイン飲んだら吐くぞ。センス悪し。
お盆にのった「おつまみ」もよくみるとポプリ。食うか?
湯船に浮かべるため?と思えば理解できなくもないが。
ちなみにこの高級マンション、実際にあることはあるが
実際の場所はこの波止場を見下ろす位置より1kmほど後方。

十二月十九日(木)曇りから雨の予報に反して好天。今週香港に滞在するY君と深センに遊ぶ。改装で多 少見栄えのする中国側の通関にて外国人に対して内地居民台胞(Resident of Mainland China & Taiwan Resident)といふ表示見てこの表示は見慣れているものだが考えて みれば台湾は中国に属すと主張する中国も現実としてはこうして台湾を内地(Mainland)と区別して おり台湾居民は内地居民と別と認めているわけで、いくら政治的には一国といっても現実的にこうして対応しているのだから季登輝に象徴される中国を煽る分離 主義は一利もなきもの、と思う。市街を散策して昼に重慶火鍋屋が並ぶが摂氏30度近い暑さにて火鍋屋が閑散とする嘉賓路に一軒、かなり賑わう雪花なる名の 回教料理屋あり(この「雪花」なる店の名と回教料理とのギャップ、「菊花」という名のケジャン料理屋の如し)。 食感働き食してみると豚肉を使わぬだけの中華なのだが肉巻、飽子、牛肉麺など廉価にてかなり美味にて殊に甜酸大白菜は秀逸。午後、按摩。余がY君と話して いるところ見た按摩師に「日本語が堪能だな」と讃められこそばゆい思い。余を何処の者と察す?と質すと「白話(口語)が 上手いのだから」と(=つまり普通話のnativeとは思っていない……)「新疆ウイグルか」と(御意)。按摩師、余が日本人と「真相」を語ると凝りを揉み解しつつ日本経済について言及し日本が不況に陥ってから 十年以上か、日本は本当に経済回復する意思があるのか、とくに日本政府が全く有効な手段を用いれず、日本の不況はアジアへの波及効果も多く周辺他国にまで 負荷となっていることを理解しているのか、と。全くもって御意。深センの按摩師に疑問呈される日本政府とは何ぞや。香港ばかりか深センにも珈琲専門店あり TT'sなる店にて本格的な珈琲、ただし22元は昼飯より割高。深センに来るたびに18年前独りリュック背負って極度の緊張でもって深センの国境の橋を渡 り「竹のカーテン」の向こうの中国に入境した夏を思い出す。そこにこうして気軽に半日遊とは。
▼そういえば深センよりの帰路読んでいた『噂の真相』大槻教授の「反オカルト講座」に、18年前の余の中国 旅行で思い出したが当時、吉林より二日かけて訪れた北朝鮮との国境のカルデラ湖・長白山天池にこの夏、テレ朝の番組が「チャイニーズ・ネッシー」を探しに ロケと。この池、中国側は観光地化しているが(18年前の話だが)北朝鮮側には噴火口の岩肌にスローガン彫られ国境警備の兵士が数人監視するばかりの殺伐 とした風景、そこで水中に生息する恐竜探しとは……。
▼『噂の真相』といえば、日本青年社の構成員を名乗る人士が噂の真相編集部を襲撃し岡留編集長に怪我を負わ せたことがあったが今月の同誌一行情報に「本誌を襲撃した日本青年社の名誉総裁に有栖川宮識仁殿下が正式に就任」とあり。『噂の真相』誌でしかも一番信憑 性乏しき(笑)一行情報、調べたら本当……。有栖川様はよくご存知 あげなかったが広島原爆の日に天皇皇后両陛下をお招きすることを主旨とした団体の主催する会合にて日本ペトログラフ協会なる団体の方の「天皇と地球市民  古代日本は地球のヘソだった」なる講演会にご臨席さ れたりと、かなり精力的にご活躍と識る。
▼独逸の映像作家レーニ=リーフェンシュタールが百歳の長寿でまだ健在にて而も新作映画『海中の印象』が公 開されたと知り目覚める(朝日、瀬川裕司(独文)明大教授による)。実に48年ぶりの新作。ただ余は『ビックリハウス』誌が榎本了壱編集 長の頃、渋谷が今のように街頭少年少女に占拠されずまだ美しくパルコが<文化>のように思われ頃、パルコの書店にて(も しくは原宿のオンサンデーズだったか……いやパルコだ)このレーニの撮影した写真集『ヌバ』を見てその画像の美しさに圧倒され、それから映 画『民 族の祭典』にて圧倒された次第。まだ健在でしかも映画制作とは……。更に驚くことはナチ時代の映画『低地』(公 開は54年)にて収容所に暮らすロマを エキストラとして映画に動員したことでレーニが戦後「彼ら(ロマ)らは全員、生きて終戦を迎えた」との言 及を繰り返し、その「言及が」「大量虐殺の否定」罪!に当るとされフランクフルト地検敢えてこのレーニ百歳の誕生日当日に捜査を開始と……大量虐殺の否定 という言及すら有罪となる独逸の徹底ぶり。瀬川教授曰く、ナチ関係の犯罪には時効なき独逸において少なくともロマを(映 画撮影に)強制労働させた件はレーニは金銭的補償を免れない、と。レーニは「過去」から解放されず、而も徹底して美の追及だけが宿命である レーニは「自分に問われている「罪」の本質を彼女が正確に理解することも永遠にないだろう」と。
▼『ビックリハウス』に触れ当時を回想す。当時はこれと雑誌『面白半分』が愉快。この『ビックリハウス』に 読者参加型のジャパベン合衆 国なる企画あり投書が採用されて晴れて国民になれる仕組み。余は確か専門熟語講座なる造語コーナーに「景品興行地帯=パチンコ屋密集地」なる造語 掲載され421番だかの国民になる。この専門熟語講座はのちに『大語海』というベストセラーの辞書本となり、これに「景品興行地帯」も掲載あり。それと同 じ頃にパルコ出版の「エンピツ賞」なる文芸賞?もあり、これに二度応募して二度とも佳作だかに選ばれたが中学で教師にバレて(今にして思えば何がマヅいの か)勉強に集中しろ、と。
▼マクドナルド1965年の株式上場以来初めての赤字転落(祝)。 競走激化と安価競走に加え米国ですら消費者の健康思考と肥満回避が現われ店舗閉鎖、「敵国の」中東や「火薬庫」中南米からの撤退などリストラで約4億ドル の特別損失と。願わくば次はディズニー。

十二月十八日(水)曇。自宅にてハッピーバレーの競馬テレビ観戦。三週続けて競馬場に行かず。ことに 今晩は実力差のない馬が張合いとてもテレビ観戦では馬が見えず小額だが赤字。フジキセキを父にもつThe Archiever一番人気の3.2倍だかで5着、本調子には遠い霍達の初騎乗も原因だろうが初戦から5戦2冠3負と安定せず。
▼人気映画俳優の梁朝 偉主演した『英雄』なる映画の宣伝にと"B International"なる雑誌にて「天安門事件の際に自分はデモに参加しなかった、なぜなら中国政府は正しかった……人々のために善かれと安定を 維持したのだから」と発言。香港の人々にとって痛手として残る六四に対して人気俳優のこの北京政府正当化発言がかなり話題に。しかも基本法23条が争点と なっている敏感な時のこの発言、わざわざ芸人がこの時期に?とは尋常でなし。一瞬、今後の芸人活動の基盤を党に依存する作戦か?とも思うが、それにしても 充分人気実力ともにある俳優であり人気稼業でこの発言はかなり異常。よくよく記事を見ると『英雄』といふこの映画について梁朝偉は、この主人公が「泰の国 王を殺すため刺客として遣られ、この国王が暴君ではあるものの唯一その時代に天下統一できる人物であり、この刺客は恋人や友人の願いも裏切りこの泰の国王 を殺せず……のちにこの泰の国王が六国を平定し中原を築き以来平和に」という筋を紹介。そこで暴政と思えても大局的に見れば平和を維持するような権力もあ り、とその例として、実はインタビューでも「例として挙げれば」に続き前述の言及となる。つまり正確に読めば中国政府は暴力的であったり非民主的である、 が大局的に見れば現状で中国の安定を維持するためには……といふ芸人にあってかなり究極的な域での思慮。けして諸手を挙げて中国政府に媚びたわけでもな く、寧ろ中国政府には非難も感じられるのだが、でもこうした中国政府必要悪という考え方もあるが、それはそれとして天安門事件は政府が自国民を弾圧した事 件として反感をかったわけで「中国政府が正しいからデモに参加しない」は極端すぎるし反感かって当然か。ただただマスコミはこの「中国政府正当化」ばかり を揶揄。きちんと発言の全容を取上げれば「まだ」反感も少なかろうが芸人という立場で野暮なマスコミ相手、いずれにせよマスコミの餌食。天安門事件のあと 世界的に中国政府への非難が高まった時に登β小平が「一党独裁や非民主的な点など中国政府が非難されるが現状ではこうして中国の安定維持をしなければ香港 とて東アジアとて巻き込む混乱が起きる」というような言及をしていたが、実は中国政府を非難する者(我も?)も 実はその圧政により自らの保全がなされている、というパラドクス。
月本さんが日記にて余が数日前に綴った キャセイ機での日本人日本旅券にてスッチーを叩きし事件を取上げていた。富柏村を畏友と紹介されこそばゆい思ひ。まだ三、四度しか月本夫妻にはお会いして いないが本当に畏友として感覚にて物語れる御仁。月本氏、この旅券事件について曰く「日本人であるということをもっとじんわっっりっくりと、体に染み入る ように考えたいと思うなあ。それはもちろん日本語を使う人々だ、という一点からはじまるのだ。しずかに体のなかから聞こえてくるものを意識化していきたい と思う」と。御意。余はこの日剩にて「わが国」をかなり罵倒しその「国民」のあまりの腑甲斐なさ、不見識を罵りもするが、弁明に非ず、日本にも美しきもの あり。それは日本語といふ言葉にあり、思考であり振る舞いであり、ただ自然に風土として醸し出されるもの。アイデンティティを体言することが菊の紋章の旅 券で他者を叩くことではどうしようもあるまひ。ノーベル賞の田中氏など日本のさういふ自然体のよき例か、とふと思ふ。
▼築地H君より十六日に言及せし八月革命説について指摘あり。これは法理上の学説であり要するに「国体は変 更された」ということを法律上にどのように位置づけるか、というような議論であったか、と。つまり東大法学部に象徴される法学界においては「大日本帝国」 がいづれかの時点で消滅して新しい国家が成立したという「仮構」を設定しない限り戦後の日本政府の法的正当性が保障できない、というような話であったよう な、とH君。ポツダム宣言受諾によって大日本帝国は国家主権を連合国に委任し国家としては存在をやめた、ということか。確かにポツダム宣言受諾というのは 大日本帝国政府の公式な決定なので法的正当性の根拠にはなろう。が、現実には衆議院とか戦前からずっと続いているわけだし政府も瓦解せず政府解釈としては 「革命」などない、国体は護持される。いずれにせよ本来、レジスタンスして戦後日本を建設すべき勢力が「ポツダム宣言受諾によって国体は変更された、とい うことにしておこう」という程度の認識で終わってしまい、ただ明るい未来、新国家建設を夢見ていただけで、実際に本当の革命など失敗し(というか何もして おらず)、これが今日に至った、と。結局、天皇に象徴される綿々と続く國體(実は明治の頃に創生された幻想なのだが)は維持され戦犯とて軍人以外は将来的 に復帰し首相にまでなり、国家は表面的には敗北したものの無粋な軍部だけが除去され結果的には「勝った」輩も多し。米国に足を向けて寝るわけにはいかず。 その米国の半世紀後のこの世界平和のための軍事行動、当然参与すべき、か。
▼H君も全教の教研集会全体会開催断念について岐阜の自治体「右翼が騒がしいので集会は許可しない」とする ことは「集会の自由」を冒したのは右翼ではなく自分たちといふことに気づかぬか、と。「面倒に巻き込まれたくない」くらいしか考えらぬのだろうが、この会 場使用許可取消しは行政処分であり「巻き込まれてる」ではなく市なり県なりはもう当事者。明確な違憲行為。行政体として許されまじ。むしろその集会の思想 信条にかかわらず会場提供、どんな圧力にも負けぬ姿勢を貫くべきであり、そこでかりにその自治体に被害あれば堂々とその損害賠償をして加害者の罪を追及す べし。
▼H君より伊丹万作の、今度の戦争ではみんなが軍部に騙されていたという、事実そうかもしれない、が騙され ていた、といって済ましている奴は次ぎもまた騙されるだろう、騙されたなら騙されたことについての責任をとらねばならない、というような文章のあることを 教えられる。そう、こうして責任もとらず、かといってまた騙されないための得策も図らず、では騙されるばかりであるし責任の転嫁はできず。

十二月十七日(火)曇。百年ぶりにジム。昨晩に引続き中野のY君、それに湾仔在住のY君とジムにいた C君誘い尖沙咀の金島燕窩潮州料理にて晩餐。
▼自衛隊のイージス艦「きりしま」世 界平和の一翼担おうと出港す。これまで自民党にも戦前戦中派のいくらタカ派でも実際の戦争の惨禍は御免といふ平和ストッパーあったものが戦後生まれの戦争 の悲惨さなどトルストイどころか漫画でしか知らぬ国防キッズらの暴走に歯止めきかず「きりしま」太平洋を勇ましく南下。それを見た国民もかつては「戦争は 御免」だったのが恐れるどころか出口なき不況と梗塞感のなかでこの「きりしま」の航海をどこか晴れ晴れとした気持ちで眺める者もおり、ただし大部分の国民 はこの出港すら関心なし。陛下はこの様をどのようなお気持ちでご覧になっているものか。余はこれは真剣に菊の御紋章の旅券を放棄した場合さて何処の旅券を 得ようか、海外に逃亡したまま日僑として東アジア反日非武装戦線の結成もありか、などと茫然と思うばかり。
▼教職員組合の全教は岐阜での教研集会にて右翼の妨害を理由に自治体に会場使用断られ続け全体会開催断念。 思想信条の自由を憲法に掲げながらこの国家の実態は極めて民度低き寄合い社会。たかだか革新系の教員組合の会合がなぜにここまで敏感になるのか。右翼の実 際の妨害などけして被害甚大にあらず、ただ「アカ」を避ける発想は戦前の水準より更に低し。
▼イージス艦、イージス艦といふかイージスなる言葉自体このカナ書きでは不明だが、これはAegisにてギ リシア神のアイギスにて庇護とか加護の意、under the royal aegisなら「王室の庇護の下」だが、キョービの現実はunder the aegis of the Unieted States of America というわけか。
▼今月の歌舞伎座は三島先生の「椿説弓張月」再演。月本氏より歌舞伎座特製の来年の暦とともに筋書き頂く。 築地のH君より見物の報せあり。三島先生入魂の二大見せ場。高間太郎の切腹と玉三郎の「琴責め」いずれも血糊がドバーッと噴き出す悪趣味な演出でケレン味 たっぷり。両方とも三島先生の願望? 「こうやって死にてえ…!」って、マジで悩んだか。どうして人は一回しか死ねぬ、って死ぬほど悩んだかも。切腹は介 錯人さえ確保すればイイが「琴責め」の方は人員が確保できないと無理。「琴責め」とは源為朝のかつての家臣でありながら寝返って今は為朝の命を狙う裏切り 者・武藤太が為朝の妻・白縫姫(玉三郎)が隠れ住む雪深い肥後山中の屋敷に引っ立てられ、白縫姫は武藤太の処刑を即決、裏切り者にふさわしい凄惨な処刑法 として肥後国につたわる仕置「琴責め」の断行。武藤太を引っ立てていた警護の武士は「しばらくさがって休んでおじゃれ」ということで、武藤太のみぐるみは いで褌一丁にしたところで退席。姫とお付きの女房4,5人、女ばかりが残り姫が優美に琴を奏でると、その音色に合わせるように女房たちが手に手に鑿をもち 木槌でもって武藤太の体中にうつつけ、そのたびに鮮血がほとばしり武藤太は激痛に絶叫をあげ姫はその叫びを聞きながら眉一つ動かさず琴を引き続けトドメは なかなかささないが頃合いを見ておつきの女房が心臓にうちこめと合図を送り長い苦痛の末に心臓に鑿を打ち込まれた武藤太ひときわ高い絶叫をあげると口から 大量の血をゴボゴボと噴き出してついに絶命、姫、顔色一つかえず「屍は狼の餌食とせよ」と宣う、という壮絶なもの。H君気になるところはこの仕置きのあい だ武藤太は「須く」無抵抗にて後ろ手に縛られてはいるものの柱や木に縛り付けられてるわけでもなし寧ろ自ら進んで刑罰を受けてるようにも見え、これでは雪 中の深山に潜伏するアジトで裏切り者を処刑……アイスピックで同志を「総括」した「連合赤軍」の如し、と。連合赤軍が榛名山の山岳ベースで凄惨なリンチ事 件を起こしたのは三島の死後わずか一年ばかり後、この事件、三島先生に見せたかった、と。三島先生ならできれば自分の演出でなく処刑されたいが楯の会、三 島先生と隊員との格差がありすぎとても三島先生を総括し断罪するまではするところまでは成長しきれず壮絶なる最期に期する先生、楯の会を育てた末に「ボク も処刑してくれ」ってブントに入党、これには盾の会も先生の裏切に怒り心頭し先生を処刑、先生本望を成就……という最期もおおいに夢想できたかも、と。た しかに。

十二月十六日(月)快晴。昼までに三名の香港原居民馬狂と昨日の香港馬大活躍を話す。三名とも失礼な がら日ごろそれ程の冷馬的中なき人士ながら三名とも昨日はOpympic Expressの46倍かPrecisionの66倍のいずれか「当然、とった」と。香港馬が来ない訳なし、と自信に満ちた表情。香港の原居民らにしてみ れば香港馬の活躍で「買ってなかった」とは言えず、本日はかなり多くの虚言人士いると察す、が、彼らが買っていたら46倍も66倍の高配当のわけなし。 まぁご祝儀として事実追及はしまひ。ちなみに昨日の沙田競馬場の入場者数は55,451名(だが実際には余がI君迎えに出て再び入場したので55,450 名かも)で昨年より8%増加、と。4,436名、まぁ日本人と大陸からの中国人の増加か。東京は中野よりY君来港。尖沙咀Kimberley Rdの巷仔記に鹵水鴨でも食そうかと参るが辺りに店見つからず。電話するが電話も通じず移転か閉業か。Chatam Rdの京菜・泰豊楼に食す。鉄板羊肉、雲呑鶏、甜酸魚片、菜肉水餃など。日本よりの土産にとPhitenのチタン腕輪、首輪、岩波書店の雑誌『世界』、そ れに文庫本カバーを頂くがコンサイスなる会社の 製造発売する発泡PVCなる素材の文庫本カバーの あまりの質の高さに独り感動する。日本のこういった企業の直向な技術開発こそ世界に誇れるもの。帰宅の車中にて『世界』読む。夜も10時すぎに隣家の子の 弾くピアノの音、壁伝いに騒々しく苦情申すと、いかにも善良そうな母現われ愛想よく申し訳ないと宣い即刻ピアノの音は止む。一瞬、優しそうな母の表情だが 先々週だかピアノ練習を拒む娘に発狂したが如く怒りヒステリックに叫ぶその母の声を思い返せば、一見善良そうな市民こそキョービには狂気あり、怖い怖い。
▼十五年ぶりかで読んだ『世界』に「私はなぜ憲法を守りたいのか」という題で加藤周一&大江健三郎といふ、 いかにも『世界』らしい対談あり。大江君サイード、チョムスキーを紹介し(サイードの政治的主張が最近知られるようになってきたが植民地主義が終わっても 帝国の文化的な帝国主義が世界を支配しようとしている(現に「されている」のだが)といふサイードの文化 論がまだ彼の政治論と結びつけて理解されていない、といふ大江君の主張には同感しつつ、大江君が思っているほどサイードの政治的主張だって知られてはおら ず)そのあとかなりさかんに樋口陽一先生の憲法論を引用(樋口陽一『憲法-近代知の復権へ』東大出版会)。 この近代知とは立憲主義の確立であり、ここで<8月革命>説が紹介される。これは「1945年8月のポツダム宣言受諾が革命であり戦前の連続ではない」と いう主張で、これが当時の東大法学部の学生らの主張であり、その主は若き丸山眞男であった、といふ、ほんと(^^;)って神話のような話。確かに、大江君 が紹介する樋口先生の積極的な憲法論(現憲法が「戦勝国の押しつけ」だからダメといった「自虐的」改憲論こそ間違ってい るといふ)の指摘は興味深いもので、1945年の6月に米国加州桑港にて国連憲章が作成され、その憲章には「正しい戦争がある」といふ原理 と107条に「敵国条項」もある(悪い戦争を行う日独枢軸国など成敗、無害化し軍国主義でない国とする)の だが、その二カ月後に広島、長崎に原爆が投下されて=実際に核兵器が使用されてみて本当に「正しい戦争」があるのだろうか大きな疑問が提示され、その疑問 の上に日本国憲法ができたこと=「正しい戦争」もしないといふ憲法。相手国側からの「正しい戦争」により敗戦し日本の国家体制が造り変えられることとな り、「正しい戦争」によって造られた新しい日本の憲法が「正しい戦争」も認めない点にはパラドクスもある(=押しつけ憲 法論)が、この戦後の一時期に核兵器の惨禍を目の当たりにして「正しい戦争」などないのだから戦争じたいを否定しようとした憲法が作られ た、そのプロセスが大事、だから(個人主義でるとか基本的人権の尊重がすでに「彼ら」の財産となっていたのに対して)この核戦争の結果産まれた憲法九条こ そ1946年に出来た日本国憲法の重要性というのが樋口先生の主張のはず(二度引きだがご容赦)。と、こ の樋口先生の積極的な解釈を汲めば、確かにこの憲法は財産。ただどうしても余は「大日本帝国がいづれかの時点で消滅して新しい国家が成立したという「仮 構」を設定しない限り戦後の日本政府の法的正当性が保障できない法理上の概念」とはいえ「1945年8月のポツダム宣言受諾が革命」などといふ主張は理解 できず。東大法学部などといふのは戦時下の日本にあってですら軍部の厳しい管制から隔離疏外され綿々と美濃部博士以来の伝統が温存された社会にて、この対 談の相手である加藤周一氏など法学部ではないが医学部でレジスタンスどころか東大医学部が信州上田に疎開していたため、その地で中村真一郎など相手に知的 隠遁生活を送っていただけ、そのような人たちが戦後になってポツダム宣言受諾が革命、と宣うは一笑に付す。獄中死した三木清であるとか治安維持法で検挙さ れ獄中にあった宮本顕治がそう言うならまだわかるが。当時はポツダム宣言受諾=敗戦といふ決断にとって真の大事は國體=天皇制護持であり、連合国側とは水 面下にて日本が宣言受諾の場合に天皇制存続有無の可能性が質され、米国はベネディクト『菊と刀』に見られるように強い自我持つようでいて予想以上に管制に 整い易い日本民族の統合において象徴としての天皇の利用価値をすでに見抜いており天皇制存続の意向あり、それによってポツダム宣言受諾=敗戦があったので あり、つまりは國體=天皇制の護持=ポツダム宣言受諾であり、それの何処が理論上であれ革命なのか。Revolutionの意味での革命とは「従来の非支 配階級が支配階級から国家権力を奪い社会組織を急激に変化すること」(広辞苑)であるなら、國體=天皇制 の護持が懸命に図られたポツダム宣言受諾など革命に値せず。むしろ「従来の非支配者階級を解放し社会組織の変化を図りつつ、その改革実行のために國體並び に政治装置は温存し効果的に利用する」のがポツダム宣言から図られた戦後日本の経営。革命など起きなかったし、東大法学部が8月革命と思っている最中、皇 居二重橋前にて土下座する皇民多し。大江君は「戦前からある天皇制という制度」といふが、制度ではなく橋本治的な言い回しだが「天皇制に象徴されるなんだ かよくわからない、赤ん坊の安心感のような甘えと心地よさ」は戦前から戦後までポツダム宣言受諾とか敗戦など全く関係なく綿々と続いたもの。敗戦直後に 『あたらしい憲法の話』を読み、その素晴らしさに感動したのも、親兄弟家族、ご近所から天皇陛下といふ、丸抱えしたその一つの社会が「無事に」むしろ昔よ り素晴らしいものになって残った=今日もある、ということが根本、けして革命の結果などに非ず。現実は羽仁五郎君に倣っていへば「人民革命を経ていないこ とが今日の日本があらゆる問題に解決の糸口すらもてぬ最大の原因」かも。……と15年ぶりに『世界』など読みつい饒舌。
▼昨日基本法23条立法に対して主催者発表6万人規模(官憲側は12,000名と発表)の立法化反対集会並 びにデモあり。主催者側は5,000名ほどの参加を予定し、カソリック教会が反23条の祈祷集会を開催しデモの出発点となったビクトリア公園は「偶然に」 親中御用団体が開催する慶祝集会がいくつか重なりカソリック教会による祈祷の最中に親中団体が獅子舞だの銅鑼や鉦(かね)太鼓打ち鳴らしハンドマイクによ る司教の説教にも大型スピーカーより歌流すなど妨害。89年の天安門事件に続く97年返還後最大のデモ。競馬場の入場者が六万人と思えばかなりの数の市民 の世論といえる。が、香港政府に傭われる御用弁護士曰く"I know that some people are sincerely worried." で「憂慮している人もいくらかはいるが」となってしまう。これと同じのは、日本でいへば中教審による教育基本法見直し。公聴会「一日中教審」全国5カ所で の開催日程を終え「一連の公聴会では(略)計46人が意見を述べた。鳥居泰彦会長は5回を振り返って「基 本法を変えることが『五十数年前の侵略戦争の再現の引き金になるのでは』との反対意見もあったが、それが大多数だとは思わない」と総括。「むしろ学校制度 の弾力化や家庭教育の充実など、教育の改革について具体的な提言がたくさんあった」と語った、と(朝日)。こういった世論は世論にてすでにお上の方針には 逆らうなといふファシズムが罷り通るのがご時世、香港も23条立法反対は「一部の」市民の異見といふ見方、とされることは容易。アジアは解放されるどころ か「須く」シンガポール型の民主主義否定型の管理国家化に邁進する(この「須く」の用法は誤用……笑)。 かういつた政府専制が成立つのは執政者が市民による民主主義よりも優秀である徳政、賢人人治主義の場合のみであって、どう考えても日本や香港だのの愚人政 体では成立し得ず。国家が民主主義の手順に従わずこういった愚政続ける場合にそれに対抗する手段はテロに行き着かざるを得ず、それ故に愚かな政権に限って それを恐れ国家公安維持に走り反政府的な行為、言論厳しく取り締まるもの。結局、国家にとっての敵は外におらず、内なる敵に対しての弾圧こそ目的、だが、 それをすることは天安門事件にみられるように国家の信用著しく墜落する故に米国の如く終焉なく外部に敵を作り続け、それを成敗をすることにて国家が国民保 護するが如き立場を演出、そのタテマエでもってその意図に従わぬ不良分子を弾圧して国家安泰、といふわけか。「須く」野暮なり。

十二月十五日(日)快晴。年に一度の香港国際賽事の開催。勇み午前11時の開門と同時に沙田競馬場に 入場す。10年以上前にテレビのドキュメンタリーにて競馬場の様々な物語を映す番組あり、冒頭「男たちの朝は早い」と開門と同時に競馬場に向かいパドック にて熱い視線を馬におくる男たちの姿あり、その中に同僚のN君の、仕事では見たこともなき厳しい表情を見て大笑いしたことありしが、まさか自分がそうなろ うとは思いもせず。入場と同時にレープロ、知人に頼まれた記念品の購入済まし昼食。正午となると記念品売場も食堂も長蛇の列。千名とまではいわぬが日本か らの参観者かなり多し。昨年の日本馬のG1全勝にて今年晴れがましき表情。R1に馬主C氏のDashing Champion出走。昨年もこの日にC氏のDashing Winner出走し見事一着にてダービーへ向かい、今日もそれをDCに期待する。騎手は李格力君にて倍率10倍は李格力君の勝ちパターンと期待するが惜し くも5着。昨年のこの日に月本氏と『ハロン』S編集長の関係で紹介いただき春のQE IIカップにも来港のライターM氏、N氏、いなご社長らと再会。R3の香港スプリント(G1)は99年の Fairy King Prawn以来で香港馬、1番人気のAll Thrills Too。余はショウナンカンプ(藤田伸二)、ビリーブ(武豊)地元馬のFirebolt、Cape of Good Hope(喜望峰)の連複で×。Fireboltが二着に入り99年と昨年一着のFalvelonが三着、買えぬ馬券でなし。R4はMedic Corpsにて辛うじて勝つがR4の香港Vase(G1)は1番人気のEkraar (Godolfin/Dettori)とするがAnge Gabriel(仏)。R6にて知古の馬主W氏のGoogles応援するが8着。I君来場。香港マイル(G1)日 本人の期待がアドマイヤコジーン(武豊)とトウカイポイント(蝦名正義)に集まるなか1番人気はNoverre、余は香港馬にてElectronic Unicornとするが49倍の昨季ダービー馬Olympic Expressが一着の番狂わせ。I君に冗談でElectronic Unicornからの総流しもありかもね、なんて言っていたら結果連複はHK$1,473の高配当。愕然。武豊君に「タケ!、なにしに来たんだーっ!」 「日本に帰れーっ!」(当たり前……笑)と日本人客の罵声轟く。こうなると香港の幸運続き香港カップ(G1)までまさかの66倍Precisionが来てしまい、これは結果論だが昨季のダービーのOlympic Expressに続く二着馬なのだった。ちなみに日本馬は昨年の香港カップの覇者にてQE IIカップでも二連勝してきた二番人気3.8倍のエイシンプレストン5着と惨敗。大穴狙い専門のI君、32倍にて7番人気のDano-Mastから連複の 総流しするがDM三着。I君QPなる馬券知らずQPにしていればかなりの儲け、と地団駄。日本人客寂しげに競馬場を去るなか最終レース、Golden Years軸に手広く賭けるが外したCitizen Kane一着に入りGYは二着で脚に選んだ三頭が三着から五着と無念。昨年は日本馬、今年は香港馬がG1四戦中三勝、で来年こそUREの Godolphinの巻き返し?……って単純じゃないか。国際G1で余は勝てたためしなし。祝杯どころでないがI君とシャンペン購い帰宅し一飲、Z嬢の手 料理を肴に岩手は陸前高田の酔仙の吟醸酒。

十二月十四日(土)快晴。黄昏に月本夫妻と粗呆区のDocaだかBacaだかいふ酒場に一飲。Z嬢加 わり私房菜(無許可の自宅開放型飲食店)のなかでは老舗となった中環の黄色門 Yellow Gateに食す。予想以上の秀逸なる料理の数々。前菜には甜酸小黄瓜、麻香萵筍、川鹵鵝掌、孜然排骨、漕毛豆、涼拌豆腐、蒜泥白肉、辣香銀魚の八皿が並び どれもこれも酒飲みにはたまらぬ味付けの肴、それに川式燗元蹄、葱辣蝦、清炒時菜、宮保銀雪魚、南瓜緑豆湯、八寶鴨と主菜が続き山椒の効いた四川炸醤麺と 甜品。ここまで至れり尽せりの料理で一人HK$200と破格。信報に随筆綴る老板の劉健威氏現われ歓談す。食後 ECT Ice にてジェラートし余は隣りのPacific Cigarにて葉巻一服。月本氏のホテルに戻りS氏加わりロビーのバーにて一飲。不況だの観光客減だのといふがホテルに人の溢れ賑やか。
▼月本氏と浦安ディズニーランドの話となりお互い弁解がましく「一度だけは行ったことがある」といふ話にな り今でもそうなのかどうか20年近くも前のことなのでよく知らぬが弁当を持参するとディズニーではあくまでディズニーの夢と雰囲気を売るがためお手製の弁 当はこの園に馴染まず一旦外に出てピクニックエリアだかで弁当食せねばならぬといふ事実、みんなが子どもの純粋な気持ち(笑)に戻るがため酒も一部の限定 施設除いて不可、など夢だの歓びだのの名の下に不自由甚だし。ディズニーの雰囲気といふのなら、とZ嬢、海苔を上手く使いミッキーマウスの顔のオニギリを 作っていったら如何か、と。厚昆布を丸く切って耳にしてね、と余も冗談言ったら月本氏隙かさず、ディズニーなら園内にてそんなオニギリ発見しようものな ら、その場で即刻「はい、登録商標無許可使用で損害賠償三億円」とかとなるのでは?と。御意、笑不止。
▼立法会にて北京御用団体の工聯会議員が先日カソリック香港主教の陳日君について陳氏の徹底した自由擁護の 姿勢に対して老人痴呆症などと侮辱したことに対して支聯会主席で民主党議員の司徒華氏反論。現在、香港政府が推す基本法23条立法化にあたり、これで非合 法とされる活動を中国共産党とて全て犯したもの、と。司徒華曰く、1949年の建国以来、中国の国家安全は外敵からの脅威に非ず寧ろ土改、三反五反、反革 命鎮圧と粛清、反右派闘争に文革とつねに国家の犯した行為により人々が生命を堕とし家族離反の憂き目に遭った、と。また建国後の戦争も対ソ珍宝島紛争、中 印、中越戦争にしても中国国内では発生しておらず中国人民が国家保全に当る必要もなかったのが事実。中国共産党にしても第三インターの支部として結成され その本部からの指令や援助を受け、ソ連から軍事顧問を招聘したなど、これは明らかに23条立法が規定する「外国政治組織との連携」に該当し、20年代に江 蘇省にてソビエト誕生したことも明らかに中華民国政府よりの国家分裂。国家主席の劉少奇ですら国家転覆の罪にて命を落とし、最近ではエイズ撲滅運動する萬 延海氏がエイズ感染患者数を暴露しただけで国家機密により逮捕される。こういった理性的行為が国家顛覆で罪を問われたのが中国の現実、と。毛沢東がかつて 日本からの客をまえに「日本が中国を侵略したことにお礼を言わねばならない。共産党はこれを機会に蘇生し強大になり政権を奪取できた」と語ったといふが、 これも23条立法でいえば叛国の言論であり毛沢東が造反有理唱えることもこれは扇動叛乱でないのか、と。御意。このような23条立法が全く不要。

十二月十三日(金)快晴。安物買いの銭失いといふ言葉あり。昨日購った中古の8850、8のキーの接 触悪くNokiaのサービスセンタに持ち込むが係員曰く中身本物ながらキーパッド、外殻など模造品にて改装、と。摸造でもよいか外殻の微妙な精度の悪さに より中身安定せず接触不良などあり外殻まで正貨に換えるとコスト高、新品が買える、と。昨日の深水歩の店に持ち込むと他の中古品と取り替えるがどれもこれ もイマイチ外殻が不良にて容易に電池筐の蓋が開いたりズレたり。とにかくまだマシな品と取り替える。この8850、すでに古典的携帯にて新品の行貨(香港 正貨)は市場になく辛うじて水貨(並行輸入)の新品扱う店あり。それで見てみると確かに改造中古とはツキとスッポンにてこの水貨の8850購い改造中古を 「二手携帯買い取ります」の店に持ち込むと買値の約8割で引き取るといふ。簡単に外殻を開けて中のパーツをチェック。外見はかなりきれいだが中の基盤など かなり痛んでおりかなり勉強になる。月本裕氏夫妻来港、まずは一飲と、明後日の国際レース、Pressの宿泊となるRenaissance Harbour ViewよりGrand Hyatt Hotelに向うとこちらが馬主、VIPらの宿泊になっているらしく香港会議展覧中心にて開催されるジョッキークラブ主催の新馬の競り、招待晩餐に出席す るであろう黒タイにヂャケツの日本人競馬関係者らGrand Hyattより出て参る。Grand HyattのロビーにDettori騎手。この人に遇うといふのはもはや拝むといふ感じ。団十郎の舞台を見て「今年は正月から団十郎に睨んでもらったから 風邪をひかないよ」みたいな。何かいいことがありそうな、ただし昨年もこの時期にハッピーバレー競馬場の前にてDettori騎手の尊顔を拝しサインまで もらったが余の国際レース日の結果は惨憺たるもの。月本夫妻とGrand Hyattのchampagne barにて一飲。話題は競馬に限らず日本の社会主義状況、歌舞伎、落語から米国の覇権主義まで。志ん朝の死が早すぎて芸人といふのは雀右衛門の80の円熟 のように長寿全うせねばならぬこと、今月歌舞伎座での三島の椿説弓張月のこと、携帯電話はGSMが世界を圧巻するがこれは欧州主義でありそれに対して CDMAというシステムは米国覇権でありこれに呼応する国が日本、韓国、台湾といふのがいかに米国主導の軍事同盟か、とか。話題尽きることなし。啓発され ること限りなし。barを出ようとして騎手仲間と酌するDettoriに再び邂逅。夫妻と銅鑼湾に出てLeighton Stにある香港ゾロアスター教会の持ちビルを見学。杭州飯店。上海大閘蝦、龍井蝦仁、東玻肉など。紹興酒、二つの盃にて試飲勧められかなりコクのある加米 酒にするがこれが絶妙にて夫妻と三人で三燗。金鐘に向いZ嬢合流。Island Shangri-laの最上階のバーに行くが貸しきり、Conrad HotelのPacific  Bar。ギネス、テトリー酌しCohibaの葉巻。月刊ハロン編集長のS氏夫妻合流。S氏の尽力などあり新加坡に開倉された高岡秀行調教師の話な ど聞く。日本のこの20年、30年の経済投資のなかで全てが崩壊している中、確実に投資が実を結び今後100年の大計たらむとするのは競馬だけか、と月本 氏と話す。19世紀末にアイルランドにかなりの好景気あり、その時に優秀なる馬がかなりアイルランドに輸入されそれの後継が今日のアイルランドの産駒体制 となっていたり、葡萄牙が350年前に終わった覇権の後遺により今日も存続しているように、伊太利、中国なども同様、そういった数世紀、千年紀に至るまで の大計あるが立派にて、日本のわずか20世紀後半の半世紀、明治からみても百年の繁盛は形に残るシステムはなく、せいぜいメーカーの技術、それに比べれば 競馬馬は投資額上昇により馬の価格が高騰しすぎて海外に卸せないことだけは問題だが世界水準の粋として今後安定した生産が続くか、と。月本夫妻も今日は朝 早く日本を発ちS氏もともども明朝のギャロップ参観もありにてこの面子にしてはかなり早い23時すぎにお開きとなる。

十二月十二日(木)晴。麗か。一年半ほどだか携帯はNokiaの8250使っ ていたのだがどうも飽きがきてしまひ同じNokiaの8850がもう三 年だか前のモデルなのだが競馬馬主らにとってのステータス的携帯「だった」わけで後継機種は8855など出てい るのだがどうしても8850に惹かれるところありSham Shui Poは鴨寮街に行き新品と見間違うやうな8850を二手(中古)にて購うが、つい斜陽のEricsson(Sonyに買収され新生Sony Ericssonとなって復活に挑むのだから斜陽などと言ってはいけないか)に畏友M君持っているR310なる アウトドア用防水耐久携帯あり持っており、これも二手を見るがやはり屋外で使われてきたものは痛みもひどく、それこそ悪条件での使用にて新品を購う。二つ 仕入れても8250をかつて行貨(正貨)にて買った時の値段と一緒。携帯の価格破壊も凄まじ。A氏に会い携帯買い替えたことを告げるとA氏は実は8910の黒のチ タンボディを購入画策中とのことでSham Shui Poにかなり飾られていたことを告げると少しでも安いだろうとまた鴨寮街へとA氏と参る。するとさすがにNokiaの最新高級機種にて水貨は全くなしにて 行貨も黒のチタンは何処もなし。かなり何軒もまわりようやく入手。その足で旺角は花園街に出て此処から廣華街など野外運動用品だの軍用品の店をナイフ求め るA氏に紹介。結局A氏独逸のPUMAの ナイフ購う。
▼北朝鮮が核施設の稼動と建設再開を発表、とNHKのニュースで大きく取上げ、何かと思えば米国の重油供給 の停止により北朝鮮が原子力発電所の稼働と建設再開、と。臆測される憂慮される事態もあるのだろうがブッシュが金書記長に核開発再開を許してはいけないと 発言するのを聞いていると何故に米国は核兵器の製造が許され日本の原子力発電は許されて北朝鮮だとダメなのか理解力のなき我にはわからず。
▼かつては名文といわれた朝日の天声人語、最近は首を傾げたり嗤ってしまふような表現が少なくなし。和歌山 のカレー毒物混入を取上げ、事件報道が被告の名前の公開にですら疑問を投げかける意見もあるといふのに、最後の段落を「真実は須く美しい。そんな被告の名 前とは違って、被告は事件についての説明を拒んだ。そして裁判で明らかになった「真実」は、美しさからはあまりにも遠い」と。真実は須く美しい、が被告の 名前なんだそうな……これは明らかな誤用。須は「すべからく〜べし」であり文節が続かねばならず形容詞一字は用いれず。無理に当てれば「須く美しくあるべ し」か、いずれにしても誤用。「真実はすべて美しい」という意味で「須く」を「全て」の雅語的?高級表現で書き手は使ったのか?とH君の臆測。それに現実 は真実はすべて美しいことなど非ず。虚実こそ美しく飾られ、美しかろうが醜悪だろうが事実こそが真実だろうに。天声人語で被告の名前を用いるべきではない し、このまとめもあまりにも稚拙なる文章表現に呆れるばかり。

十二月十一日(水)寒き曇天。今晩はHappy ValleyにてInt'l Jockeys Championship開催されるが体調イマイチにて肌寒くさっさと帰宅。ウォッカ一飲し風呂で競馬予想。Dettori、Kiane、武豊、 Fallon、Peslier、Oliverなど世界の一流騎手が揃う大会にてテレビ観戦も寂しいが夜になり気温も下がり雨となり競馬場も寂しさ増す。 R2にて伍さんの厩舎のHonour Gradeに李格力君騎乗で12倍、試走ではなかなか時計もよくZ嬢曰く「李格力の10-15倍でしかも駄馬といふ李格力君がいちばん勝つパターン」、複 勝狙うとちゃんと二着HK$29.5となかなか。この競賽の頭關にあたるR3にて武豊、18戦1冠2季15負といふClass Winなる馬で最後直線でスルスルっと先頭集団に現われ鞭打つこともなくあっさりと二馬身差にて快勝。お見事。結果はR6にて地元の韋達君Size厩舎の 幸運福星。ついウトウトとしてしまい目が覚めるとゲートインしており慌てて携帯にてこの幸運福星買う。見事に一着、韋達騎手は前二レースで四着、三着と善 戦しており総合優勝果たす。韋達とSize師といふ神経質で恐らく絶対に仲良くなれない二人であり当然ふだんこの組合わせないのだが、こういうイベントあ ると興味深き顔合わせあり面白し。
▼ふと思ったのだが、プロジェクトXのナレーション、あの「その時、佐藤は思った、絶対に会社にアッといわ せてみせる。若い佐藤が決意するのは簡単だった。だが実際に工事に入って思いがけない誤差があることがわかった。プロジェクトXXx……」という語調、何処かで耳にしたことがあるとずっと思っ ていたがふと思い出せばありゃ朝鮮中央放送。「偉大なる将軍様は言った。絶対にアメリカ帝国主義には負けない。我々の思想が邪悪なる覇権主義に勝つ、と」 と、断定の笑わない口調は全く同じ。どうせならプロジェクトXにて「世界最後の楽園、親子二代チェチェ思想で王土建設」とか作っては如何か。
▼一昨日のことながら晩にNHKのNews 10見ていたら大雪のニュースにて真剣に「雪で転ばないため、転んでも怪我を未然に防ぐため」には、と両手をポケットから出して小さく腕を振って歩くだの 歩幅は小さくだの、と。ふだん雪の降らぬ都市とはいへ報道番組で語らねばならぬほどのことか、常識の一部でしかないことを神妙な顔で「なるほど」と首肯い てみせる司会者(今井環)の顔はまさに日本のオバカサン社会そのもの。香港のホテルのロビーなどでガイドの説明を聞く日本人ツアーも同じ表情。幼稚園児並 み。説明を聞くという教育に慣れてしまい思考力失った国家社会の末路なのか。

十二月十日(火)晴。寒さいくらか和らぐが昨日は凍死者4名(冗談 に非ず)、極寒の地にては摂氏11度など温暖だろうが、人間の身体も感覚もいかに皮膚感覚かを物語る。晩に北角の寿司加藤にて食す。番組の 姿勢が嫌いだといいながらプロジェクトX見てしまふ。スバル360は我が父も初めて購入したマイカーにて、我がまだ幼稚園児のおり「お迎え」など来たこと もなき父が幼稚園の前に佇んでおり一瞬なにか親族に不幸でもあったかとヒヤッとしたが普段見たこともなき優しい笑顔にて、その父の背後にスバル360泊 まっており園児たちの羨望の眼差のなか父親が運転するスバル360に乗って幼稚園を去る、といふまさにプロジェクトX的光景だったのは事実。よい時代。そ れはそれでいいのだがプロジェクトXの甘さはそれの讃美ばかりで、じゃ何がまずくて今日に至ったのか、という視点なきこと。されどこの番組の人気の秘訣も 厳しい現実を忘れ過去の栄光「のみ」彷彿することにて癒されることと思えばそれでいいのかも知れぬ。
▼日本人時計技術者先月末にキャセイパシフィック機にて東京より香港に向かう機内にて通路歩行中スッチー北 京語にて「お手洗ですか?」と尋ねられた事に怒り胸ポケットにあったパスポートにてスッチーの眼を叩き口汚く罵り香港到着後に警察に拘束され昨日判決懲役 1ヶ月の判決出て求刑聞き法廷にて卒倒、と。日本人に対して北京語にて話かけたことに対して不服だったのか、この男、理解できぬは自ら北京語にてこのスッ チーに麦酒注文しスッチーはこの客北京語堪能と認識しており、しかも罵る際も北京語を用いた、と。愚劣さは菊の紋章輝く日本旅券を用いて叩くといふ国家主 義威光にしたキチガイぶり。無期懲役に値す。
▼知古の朝日新聞記者U氏、かつてテヘラン駐在の頃に日本への復路にてぜひ香港にもお立ち寄りを、と言って いたら日本に戻られてしまってかなりたつが北京より北朝鮮関係の報道あり。ご活躍なりより。記事は、朝鮮通信によると朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の 朝鮮中央通信は9日「故郷訪問として日本に行った拉致関連者5人を家族、親類のいる共和国に戻すよう求める声が、その家族たちと日本の社会で日増しに高 まっている」と報道した、と。こういった報道が共和国国内にて流れ、それを聴いた者は「ああ、日本では共和国に戻さないよう求める声が日増しに高まってい る」と解すのか、プロパガンダ報道に慣れた共和国市民はこれをそのまま信じるのか、わからぬ。
▼築地のH君より神浦氏の軍事解説 サイトからの引用届く。以下、引用
軍事や政治がからむと、意外とこの手の本は多い。資料や情報が不足する と、勝手な想像で膨らませるからである。そのような著者の中には、意図的に創作を事実(取材)のように書くものもいる。そして究極でいくつく先は、UFO や超常現象にたどりつく。流れてきた桃を持ち帰り、家で切ったら男の子が出てきた。(桃太郎)。光っている竹を切ったら、女の子が出てきた。(かぐや 姫)。創作であっても、むろん名作は多い。読んで困るのは、創作を事実のように装われることである。この前テレビで、北京大学の国際関係論の大学院に留学 中の日本人女性にインタビューしているのを見た。「なぜ、国際関係論を勉強する気になったのか」という質問に、「0000さんの本を読んで国際政治に興味 を持ちました」と答えていた。○○○○さんとは、想像したことを事実のように書くことで有名な人である。彼が取材と称して、中東のある国を訪問した際、現 地語の通訳として全行程に同行した人を知っている。その人は○○○○さんが書いた本を読んで驚いたそうだ。「うそ800」だったからだ。しかし、その本は 日本でベストセラーになった。
この○○○○さんは「国際ジャーナリスト」の○○○○?とH君。多分そうであろう。○○○○よんで北京大学 に留学するまでになるんだからスゴイ。ひょっとして松下政経塾に入って民主党の代議士になったりしてる人の中にも落合信彦よんで国際関係論に興味をもった 人がいるかもしらん、とH君。笑えぬ憶測。
かなり不鮮明であるが数日前の蘋果日報に掲載されていたシャープの全面広告。シャープ =日本企業といふことで質の高いテレビモニタを日本のイメージにて日本らしい庭を眺める日本家屋に置いたまではよかったが何故かそこにいる僧はビルマかタ イの如き袈裟を着た僧。日本とこの僧をつなぐ糸といえば『ビルマの竪琴』だろうか。そういえばこの作品は『ミャンマーの竪琴』とは呼ばぬが、この広告、お そらく日本企業であるシャープがミャンマー工場にて完成させたモニタをビルマの高僧が愛でている、とすれば理解も容易か。

十二月九日(月)晴。朝の気温摂氏十一度。極寒。この気温尖沙咀の天文台測量にて山あいのマンション 高層の拙宅は更に寒し。大気透けて遠く馬鞍山、大帽山まで一望は冬空に遠く筑波や富士の嶺を眺める坂東の枯野を彷彿。夜になれば九龍の夜景殊更に輝く。関 東にて大雪、実家のあたり殊にひどいと知り電話して久々に母と話す。中学の時の恩師に手紙認める。NHKにて英語ビジネスワールドなる番組見る。日本とい ふ国家が経済成長を経て世界に名だたる経済大国となりそれが完全に終焉を迎えてから国際化の時代、これからは英語ができぬと、と英語学ぶは当然のことなが ら遅し。今なら中国であるとか越南が躍起となって英語学ぶもの。なぜに進駐軍いた折に英語がせめて第二外語にまでならなかったのか、昭和30年代になぜ英 語教育の徹底を図らなかったのか。この番組も基本的な哲学が間違っており、「……という場面でAさんはどういう対応ができるでしょうか」とまず間違った対 応を見せ、それに対して先生が正しい英語を紹介し、さぁみなさんも練習してみませふ、と。最初間違う、恥をかくが勇気をもって正しい英語を覚えませふ、と この姿勢から根本的な間違い。多少間違っても通じていればよい、といふ姿勢にて慣れればよし。しかもそもそもかういふ番組を見る視聴者相手にいきなり取引 先会社の受付にて受付嬢に "Is Mr. Bush expecting you? "と尋ねられ(くだらなぬ展開だが)それを「(当社の)ブッシュはあなたに期待しているのですか?」と尋ねられたと誤解し謙遜し " I don't think so." と答えてしまい「ブッシュ氏はあなたとアポがあるのですか?」と尋ねられたのを勘違いして赤っ恥といふ……あぁ実に下らぬ頓智問答。万が一にも "Is Mr. Bush expecting you? "と客に尋ねる受付嬢などおらず、have an appointment さへ覚えておけばよろし。また「御社の評判はお聞きしております」といふのにrumorという単語を使うと誤解されるなどと、全く無駄な内容。出てくる講 師も「相手先の会社の受付でその会社の姿勢が見える」だの「外資系の会社の受付のデザインが本社と同じ場合はかなり本腰をいれた支社であるとか」馬鹿なこ とを真面目顔。紐育の実写でも会話に日本語訳の字幕スーパーつけてしまい、なぜせめて英語の字幕にせぬのか理解できず。この番組が流れているだけで完ぺき に日本の英語感覚が「毀れている」ことの明らかなる証明。ニュース見ていたら国連のイラン視察団が視察終えイラン側の提出文書を分析し明日だかに国連安保 委で報告、と。その視察団にて記者に答える代表たち、二人とも英語はnativeにあらず。国連といへば阿南事務総長、キッシンジャー博士とて同様。かな り聞き取りにくいそれでいいのである。寒さ耐えかね自宅にておでん。ふと思ったが立ったままコップ酒などしておでんを注文しZ嬢にとってもらい立ったまま 食べると自宅で屋台おでんができることに気づく。
▼憲法調査会地方公聴会(福岡)にてテロの脅威に対して憲法9条改正し自衛隊を正規の国防軍とするといった 意見も市民から出る。が、はっきり言ってクリミア戦争ぢゃあるまいし現代の政治的にかなり高度化したテロなどいくら軍隊強化したところで防げるものに非 ず。ましてやテロの「脅威」は軍事力にて対抗するものにあらず内なる敵により醸造されることを理解すべし。
▼行政長官・董建華訪朝。朱鎔基首相に謁見。朱鎔基君忠僕董建華連れて記者会見に望み董建華推進する香港の 財政改革において重要なる点は開源(増収)と機構改革にて増収は現状において困難で機構は前政権=英国植民地政府の遺構でありそれを改革するには時間かか り、その時間を与えているのだ、と。かつての香港政庁、厚遇と必要以上の人員確保こそ問題あったが効率よきこと世界でも一流のにて少数の精鋭と統率された 清廉なる公務員の組織、97年からの5年で台無しにしたのが董建華。それに時間を与えているとは開玩笑。時間を与えていればいつの日かは景気は回復するの であり誰でもできること。いかに短い期間にて機構回復し景気回復させるかが執政者の義務。それを宣う朱鎔基も朱鎔基ながら、公務員減給について自ら大ナタ を振るえず一国両制も省みず国府に参上し朱鎔基にそれに言及させ錦の御幡を背に凱旋し一気に減給=政府支出減を断行しようとは、忠僕の分際で隣りに坐り横 柄な態度にて自信あり気に気取る董建華見ていると情けなく言葉もなし。

十二月八日(日)小雨。寒波到来。午後外に出ると気温摂氏14度まで下がり極寒凍えるほど。街には毛 糸帽子、コート、手袋に身を固めた市民少なからず。夕方ランニングクラブの幹事会にて蘭桂坊のDaily Breadなる星巴向かいのカフェに集おうとするが潰れておりI会長、H副会長とAl's Dinerにて茶。ハンバーガーだのフレンチフライだの揚げる油が店内にこもるのが鼻と肌につき不快極まりなし。しばらくして蘭桂坊の通りに面したガラス 戸全開にしテラスとしたが最初からそうするべき。晩にK氏とT嬢の披露宴あり中環の鴻皇酒家。アフリカ産の鮑、カボチャ風味のフカヒレなどいただく。K氏 とT嬢そもそも仕事にて面識あるがT嬢は海南島のA夫人と知古にてA夫人来港のおりZ嬢招かれ会食となりそれに余も誘われ銅鑼湾の杭州飯店に食し、女性三 名相手では余も恐れ多く仕事場近きK氏を電話で誘い、それが切掛でK氏T嬢今日に至る。カメラマンM氏、同K嬢、かつて香港通信にて余の連載の担当のS 嬢、香港映画評論の大御所S嬢など香港にて十年来の知古に数年ぶりに邂逅。終わって数名にて蘭桂坊のアイリッシュパブにてギネス一飲。二階が静かな場所に て窓開け広げ寒気も心地よしといいたいが夕方に続き向かいの中国坊なる料理屋の油臭き排気が流れ込む。終わって同席のI会長、佐敦I氏、Z嬢と蘭桂坊茶 庁?だかいふ名の新しめの茶餐庁にて茶服して帰宅。江口達也のBee Free! 読了。余が今ごろになって述べることでもなく既に語り尽くされたことだろうが崇高なのか駄作なのか、絵が未熟なのかと思えば手塚治 虫や大友克洋を思わせる構図と筆法、物語性の欠如なのか緻密なのか、結局よくわからぬ。いずれにせよ最初から「文部大臣になる男」という挿入で結論が見え てしまったことと武器だの道具だのを持たせねばただの素朴な青年でしかないことはちょっとつまらぬ。この学校といふ装置の破壊と自由、性といふ概念であれ ばこの漫画をフーコー先生評論したらかなり面白かったか、と思ひ、東京がお気に入りにて若者にも若者文化にもお詳しかったのだからもしかしたらお読みに なっていたか、などと想像したが調べてみれば1984年このBee Free!連載開始の年に逝去。

十二月七日(土)晴。昨年に引き続きランタオ島にて開催されるPhoenix Walkathonに参加。梅窩から大澳まで昨年27.5kmを5時間52分という時計にて個人10位になってしまい多少意気込む。が、12月だ といふのに26度まで気温上昇と天気予報。朝はここ数日の如く濃霧のところ午前10時の梅窩(海抜0m)の出発時にギラギラと直射日光照り始め嫌な予感。 梅窩に行くフェリーにて競馬予想し出発前に携帯で投票。南山の一区はまた曇り我がランニングクラブの精鋭チームについて途中まで走りどうにか先頭集団後方 に位置し二区に入るが快晴になり気温は日向にては30度気分のなか二東山(747m)から大東山(869m)に上ると今度は一転して濃霧にて肌寒きほど。 伯公峠(330m)まで下りここまで順調ながら気温の変化でかなり体力消耗し鳳凰山(934m)への上りでは下半身に全く力入らず、体力の消耗にしても異 常なほどの脱力感ありふと思えばイチローで売れたCWXの スパッツを穿いていたのだがかなり脚が締めつけられ血液循環が悪いことに気づき(体格だの気温で向き不向きあり、そういえばマカオのハーフマラソンにても これ穿かず寧ろここ2季にしては好調)予定より30分ほど遅れて大仏まで下りZ嬢などと会い、ここでCWXを膝下よりばっさりと切る……12,000円が 台なし。ここから平坦になり昨年同様に走るのだが昨年もこの四区にて脚を攣り地獄の苦しみあり慎重に走り出したつもりが昨年と全く同じ場所にて両足攣って 10分ほど悶絶苦闘。地霊でもいるのかとすら思う。どうにか復帰して怖る怖る走り始め上姜山の上りはCWX切ってしまってかなり楽になり萬丈布の平原にて は西に傾いた太陽とその光線、薄くたなびく霧、そこをわずか数人のランナーが細道を駆けてゆく光景は素晴らし。ここまでくればあと数キロにて大澳まで走り 続け6時間22分にて終点に到着。昨年より30分遅く、これは鳳凰山での上りと脚の痙攣あり下りは何れの階段も全く走れなかったロス、それでも個人9位に て昨年に比べかなり参加者の体力消耗激しかったことを物語る。競馬は第8レースの実況に間に合うが四番人気のBold Vision(馬偉昌/方厩舎の単勝がHK$79.5ついて、これに今日は多少大きく賭けていたので他レースの負けも回収。ランニングクラブの後続の到着 を待ち昨年同様この終点にある肉料理もふんだんに出す精進料理屋にて打上げ。夜、夜空に星も美しきところ三日月が大澳のかつての塩田の浅瀬の水に光を落と しまことに風情あり。バスにて東涌、地下鉄にて香港島に戻る。ランニングクラブの精鋭チームは12時間にて70kmの梅窩に戻る全行程を走破し見事二位と 報せあり。

十二月初六日(金)朝は寝室より眺めれば真っ白な濃霧ながら天気予報外れ久方の心地よき快晴。晩に拙 家に戻り食材も作り置きもなく外食すべきことをすっかり忘れていたことにふと気づく。老痴なり。近所の超級市塲にて即席の杯麺(カップヌードル)と公仔炒 麺王購い何れも三分にて同時に熱湯を注いだ場合にどう食せば麺伸びずかと一考しまず杯麺を先に主に麺を食し大略麺を食したところで炒麺急ぎソース絡めて熱 くもなければ一気に食し少し冷めた杯麺のスープを飲む、といふのが最も効率よいかなどと考えつつニュースを見れば日本にては道路公団民営化にて委員長辞任 での民営化答申といふ結果に代議士らの醜悪なる面見るほどに気分悪し、小泉の数日前の「結論が出てから……考えます」コメントが何度も繰返されるがあの 「出てから……考えます」のあの0.8秒の間が、ブッシュの如き失語症かと思うがさにあらず尋常な演出力のある映画監督なら間違いなくダメ出しするであろ う、三流役者のどうしようもない芝居での間のとりかた。確かに「結論が出てから考えます」と一気に言ってしまったら何を意味ないこと言うてんねん「アホ か!」と言われるのも「出てから……考えます」とすれば苦渋の選択とでも映る、か。同じ鈍言でも故大平正芳君には言葉に誠実さあり。いずれにせよ小泉改革 などといふものが幻想であることがまた一つ明らかになるが、自民党は下手な素人芝居がいい芝居など見たこともなき野暮な客に親近感としてウケる小泉といふ お神輿を背負って実は旧来の利権屋がどろどろと欲を貪るばかり、野党は自民党のほうがまだマシといわれるほどの不甲斐なさ、あまりの為体に呆れれば、あと に続いたニュースにてニュートリノ発見に挑む学者らの姿に清々しさあり。ゴ ダール監督の日本初記者会見三週に渡り週刊読書人にあり最終回にてグリーンスパンFRB議長の「私が言ったことを皆さんがわかったのは私が下手な 表現で自分を語ったからだ」を引用し会見を終わるあたりは憎たらしいが聴くに値する話も多く「ソニーのカメラを持っているとスピルバーグと同じくらいうま く撮れると思ってしまう」のだが「まさにスピルバーグじたいがとても悪いのであって、それは間違い」と嫌みも言いつつ、よく学生に映画を作るには何をすれ ばいいのか?という質問も受けるが「ソニーでもパナソニックでもいいけども小さなカメラで」「最初は本当のあなたの一日を語るように撮ってみなさい」と答 える、と。「カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるかどうか。語ってみたら本当の一日は語れないということがわかる。 自分にはできない、本当の一日がこのカメラで語ることができないとわかったら、ハリウッドに行きなさい。ハリウッドなら受入れてくれるだろう」とまたハリ ウッドをコケにして「しかし、もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友だちやお母さん、或は身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映画館の 入場料と同じ10ドルを、これに対して払うことを受入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく観客は自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生に は全く興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起を始めることができるから、二本目では少し成功する機会が出てくる かもしれない」と。いい言葉だ。何度も読む。荷風の日記の面白さはこれと同じ。本来、誰も荷風の人生になど興味もないのだがどう書くかにてそれが作品とな る。明日のトレイルレースの用意。
▼築地のH君より笑話あり贈収賄で逮捕の八千代市長、週刊新潮によると新宿2丁目の常連にて自らホモバーの ママをしていたこともある、と。2丁目といへば靖国通りの旧・八千代信金(八千代銀行)の対面が2丁目なのも偶然か(笑)。新宿は吾母の生まれが四谷三栄 町にて西新宿の常圓寺に墓あり健脚の祖母は昔のまま新宿から四谷など人込み甚だしき新宿通りを避けて靖国通りを歩き、それによく連れられたもの。信心深く 通りすがる寺社にては門前でも拝礼欠かさずこの八千代信金の向かひには内藤新宿の遊女の墓多き正受院あり、まだ子ど もにて遊廓も赤線も知らぬ我に無縁仏の多い寺ほど拝んであげないと、と解いた祖母。十二、三年ほど前だかに故・実川延若の「すしや」の渾身の舞台を見たの が八千代信金の裏を入った新宿文化センター。Z嬢とその芝居が跳ねて四谷荒木町にあった馴染みのバーまでこの界隈から富久町にかけて歩けば乱歩の舞台にな りそうな風情あり。新宿のこの界隈には馴染み深し。

十二月五日(木)壬午十一月初二日。朝起きれば世界は一面の濃霧。春三月の如き高温多湿。週刊読書人 に『家畜人ヤプー』を漫画化する江川達也の対談(宮台先生が相手)ありこの石森章太郎以来の漫画の『ヤプー』読む前に江川達也がどんな作家であるのか知ら ず、ふと銅鑼湾の古本屋に立寄れば『Bee Free!』十二巻セットでありHK$235にて購ひ帰宅してカレーなど食しつつ早速読み始める。昭和60年当時モーニングコミック連載といふがふだん週 刊漫画読まぬため連載すら当時知らず。NHKで日本の文化紹介みたいな、どうでもいい数分の「つなぎ番組」見ていたら結婚式のご祝儀などに結ぶ「水引」が テーマにて水引は「千年の昔から日本人が培ってきた人を思いやる心」と宣ふ。水引は確かに文化の域に達した紐結びであるのは事実、だがそれを日本人だから 培われた思いやりといったような結びにする。こんなのみて番茶など飲みながら「そうよね、こういった文化は他にはないのよね」といったことにふと和んでし まふ、その安易さがすごく不快。『Bee Free!』続けて読む。
▼マル=ウォルドロン、ブリュッセルにて死去(76)。18年ほど前に仙台のライブハウスにてこの孤高のピ アニストの小さなコンサートあり禅の僧の如き虚無感。ビリー=ホリディの最晩年の伴奏者、彼女の歌うLeft Aloneその後これの歌える歌手に巡り合えずふとジャッキー=マクレインがサクスで吹いて、これがヒットしたのだけれど、あまりにこの「レフトアローン のマル=ウォルドロン」となりすぎた感あり。その弔報の横に小さくイバン=イリイチ、ブレーメンにて死去(76)、脱学校の社会など唱えやはり80年代前 半には反管理教育などで朝日ジャーナルなどでよく取上げられた思想家。いわゆる管理教育といった徹底した生徒の人権無視のような教育は当時心配されたほど その後徹底されなかったが「組合の自爆」による文部省と教育委員会のやりたい放題の時代を迎え日の丸と君が代の普及だけが評価され国民の知力を下げる指導 要領の改訂だの教育基本法の改訂など時代は終焉を迎える。その横に防衛大職員が大麻所持・栽培にて逮捕、「自宅内で乾燥大麻約7.1gを所持していた」の を現行犯逮捕とはガサ入れも徹底しているが「裏庭に置いた植木鉢などで6月から12月3日までに大麻草6本を栽培した疑い」って、どうしてここまでわかる の?って。
▼南華早報の報道によると香港での珈琲豆消費量92年に年間388屯だったものが今年は1,200屯に上る そうな。確かにホテルの味も香りもなき珈琲か、珈琲専門店といへば銅鑼灣に一軒、もしくはそごうの地下のポッカコーヒーしかなかった香港も最近は星巴はじめエスプレッソなどかなり広まる。また不動産価格の低落も街角に カフェ出現をもたらす。星巴は香港にてわずか三年にて33軒と好調ながら、と紹介されるは唯一不振なるマカオの星巴。マカオといへば長くポルトガル領にて 珈琲も馴染み街には支那化したカフェも多し。そのマカオに星巴乗り込んだがやはり値段は倍以上でセルフサービスといふ点がマカオにて受入れられず閑散、 と。星巴はファーストフードかゆっくりした時間を売るか微妙なところだがマカオのこれは美談。……と考察始めるとファーストフードとスローフードの境界線はどこか?が難しい。例えば新宿の「つな八」で あるとか鉄板焼きの「ぼてぢゅう」であるとかとんかつの和幸であるとか。画一化されたメニュー、その簡素さなどかぎりなくファーストフードに近いのだが一 応は老舗然。
▼南華早報といえば一昨日だか香港土着の印度人末裔の少女(15)が香港特別行政区のパスポー ト申請したところ受理されはしたもののNationalityにChineseと記載された、といふ記事あり。何を根拠にか、といえば香港特区の 旅券申請資格に You are eligible to apply for a Hong Kong Special Administrative Region (HKSAR) passport if you are a Chinese citizen holding a permanent identity card of the Region and have the right of abode (ROA) in the HKSAR. とあり、ではこのChinese citizenとは何かというと突然、中国の国籍法になってしまう のだが、この国籍法第2条にてThe People's Republic of China is a unitary multinational state; persons belonging to any of the nationalities in China shall have Chinese nationality.とあり、ここではこのChineseは支那人の意味ではなく中国公民ととらえるべき。それ故、この少女のChineseなる記載 もあくまでNationalityであり民族を問うものに非ず。だがどうしてもChineseと書かれるとつい支那人を想像するはNaionalityと Race(民族)の不明朗なところにて、日本国籍をもつ場合に在日韓国人とてJapaneseと書かねばならず。それにしてもこの場合、旅券であるのだか ら敢てNationalityという記載も不要な気もするが、それを敢て記載するところもNationalismか。

十二月四日(水)晴。風邪にて朝C医師の許を訪れ診断受け終日伏せる。薬にて朦朧としつつ『最後の宦 官秘聞』読了。監訳者(1955-79まで北京放送日本語部にいた林芳)あとがきに「原書の内容も複雑多 岐にわたっていたが紙数の都合により日本語版は出版側の意向をうけ」「当時の宦官の生態を示す部分」と「溥儀・婉容夫妻の私生活・歴史に関する部分」に焦 点を当てたとある通り、むしろ「宦官の生態」(嫌な表現である)よりかなり割愛されてしまった新中国に なってからの物語など読みたいもの。沙田の競馬は本晩全場泥地。風邪薬で朦朧としたこんな日に限ってよく当るが弱気で連複など買えず、それが入ってしまふ から困ったもの。東京人11月号の寺特集読み先日高円宮埋葬されし豊島ヶ岡陵墓は旧境内地が明治になってから皇族墓地となったことを知る。皇族墓地とした 場所が国家安寧祈祷する寺といふのが興味深し。ザ・タイガースのベスト盤聴く。

十二月初三日(火)壬午年十月廿九日なり。晴。かなり久々にNHKプロジェクトX視る。イトーヨーカ ドーの社員がセブンイレブンを日本にて開く物語。緻密な製作のようでいて粗いところは昭和43年のピンキーとキラーズ「恋の季節」を 昭和46年を描いた映像で使うようなところ。いつものノリに白けてといいつつ、つい開店したものの多くの難問を江東区での12店による集中展開にて問屋か らの卸の細分化などで乗り越え軌道に乗せたといふ物語の山場ではつい涙腺緩む(笑)、が、結局最後は平成 2年に合州国にて本家セブンイレブン経営破綻しそれをセブンイレブンジャパンが救う、という、その劣等感から優越感という展開、今から 12年前のバブルまだ絶好調の時代「めでたし、めでたし」で終わる「もっていきかた」にやはり嫌だ、と思う。セブンイレブン・ジャパンのサイトはかなり見応えあり。全国に8000店以上ありながら東北は青森、秋田、中 部は富山、石川、福井、岐阜、三重、山陰の島根、鳥取、四国4県、そして鹿児島と沖縄にセブンイレブンがないこと。もちろん他のコンビニとの経営圏の問題 だろうが全国を網羅しているようでいて富山から岐阜を経て三重に到る分水嶺にて天下分目の関ヶ原か鈴鹿峠か東と西のセブンイレブンは分裂されているのであ る。また東京都の1,258店に対して岩手7店、愛知11店など県によって極端に少ない、等々。『最後の宦官秘聞』読む。
▼日曜日朝、中環の著名なる陸羽茶室にて発生せし客の銃殺事件、被害者は土地成金にてゴルフ場造営や不動産 下落などにて佳からぬ噂も少なからぬ林某なる富豪、この陸羽茶室の常連にて(余も週刊香港K氏と早茶のおりこの「葉巻」 林氏を見かけたことあり)それを知る殺し屋、客のふりして茶を服して待つこと一時間、林某現れ早茶する間機会を狙い殺し屋埋單して席を立ち 洗面所に向って出てきて林某に近づき鬢に拳銃当てて脳を直撃し逃亡。未だ捕まらず。日本でいえば麻布の野田岩にて蒲焼きを待つ間にバブル成金が鰻の串脳に 一刺され即死するが如し。また陸羽茶室に泊が付き歴史に名残。昨日平常通り営業開始するもののこの18番の卓は凶と忌み嫌われ誰も客坐らずただ興味津々と 客だの隠れた新聞記者の眼差集まる午前10時、そこに現れたは我ら日本人同胞。今年4月に「内部に多数のパレスチナ人が立てこもりイスラエル軍が包囲して 緊迫した事態が続くべツレヘムの聖誕教会」を観光旅行してしまい世界を唖然とさせた日本人で あるが、今回も周囲の眼差を浴びつつ何も知らず、恐らくは「この茶室は常連の有名人とか金持ちばかりで観光客とか入れないって噂だよ」などと呟きつつ男2 女3の仲間にて店内を覗けば中央奥に空いている卓あり。給仕恐る恐る案内すれば忌むどころか喜んで卓につく。周囲の視線のなか香港の著名なる茶室にて早茶 点心楽しむ。本日の新聞に報道される。旅行者であるからしてこの茶室での殺害事件を知らぬであろう、不知是無事、不知是好事かもしれぬが、この<まなざ し>の異常さを感じず「凶卓」に坐っていられたといふことは感性鈍きこと。
▼女優・范文雀、心不全にて逝去、享年54歳。サインはVのジュン=サンダース役にて当時のドラマが偉かっ たのは子供でもなぜジュンが黒人とのハーフで辛い子ども時代を送ったのか、そこに日米安保があり黒人差別があることを知ることができたこと。ウルトラマン シリーズのなかでウルトラセブンだけは差別、公害といった問題を子どももじゅうぶんに考えることのできた教材。赤塚不二夫の漫画に見える貧困、それを覆す ほどの明るさ……昭和40年代のすばらしきテレビ、漫画の世界。
▼民主党党首鳩山君辞任。少年探偵団だの自民党よりも存在意義なし、と揶揄されては鳩山君辞任したところで どうしようもなし。社会主義の瓦解による冷戦構造の崩壊などいろいろ要因あるが諸悪の根源は細川殿の日本新党。気侭な殿に全く思慮なきまま雰囲気で踊らさ れる。こうなったらもう一度55年体制復活しては如何か。民主党だの自由党だのもう一度、自民、社会、民社、公明、共産という政党に戻ってみる。どうだろ うか。この戦後政治の建設なき混乱状態で、ふとテレビのニュースにてフィリピン大統領来日にて懇談される天皇陛下のお姿を見る。高円宮様のご逝去の悲しみ もあろうが公務に復帰し、通訳も通さずアロヨ大統領と和やかに懇談される姿を見て、わけのわからぬ総理などに比べ、この天皇陛下の存在こそ日本の戦後民主 主義の最大の成果ではないか、と痛感。この陛下を頂いたことは日本の唯一の救済かも知れぬ。
▼吉右衛門(播磨屋)芸術院会員に。朝日は「役柄に格調や品位があり、心の陰影をきめ細かく表現する能力に 定評がある」と。役柄に格調や品位があるのではなく播磨屋なりの格調や品格が良くも悪くも強すぎるのだが……。まぁいいか。
▼新聞各紙、昨日の読売新聞の台北電を報じて靖国神社が台湾にて賛助組織設立準備、と。同社の崇敬奉賛課長らが台湾 入りして台湾人戦没者遺族にこの崇敬奉賛会へ の参加を促し台湾支部設立の意向あり。首相小泉君の靖国参拝に加えこの動きがさらに中国、支那人社会を刺激するもの。ちなみに靖国神社には旧日本軍の台湾 人軍人と軍属約三万人のうち二万八千人が合祀されている。確かに合祀に積極的な台湾人の存在もあったろうが60年近くが経過するなかで遺族らの無関心、靖 国離れどころか反合祀の気運すら高まるのは必至でそれに歯止めをかけたい、というのが神社側か。宗教ゆえに信仰の自由もありこの靖国神社の台湾での動きな りそれを支持する台湾人の存在もけして否定されるものに非ず。しかしこういった活動と同時に合祀を希望せぬ遺族の意を汲んで合祀中止も積極的に受入れるべ き。靖国神社のサイト見ていつも思うことは純粋に神道のお社として霊を祀 るのであれば、A級戦犯を含むというに非難もあるが万霊を祀るという意味では故人の罪を赦しという解釈も可能でないわけではなし。ただし何故に資料のペー ジで神拝の方法、出産から厄払い人生儀礼に続き、神道の基礎知識として「国歌と国旗の知識」が出てきてしまふの か、まことに残念。崇高なる自然崇拝の宗教が国家主義などといふ偏狭なる思想に囲われてしまふことの悲しさ。
▼上述の記事読もうと珍しく読売新聞読めば社説にて「言論妨害は芽のうちに摘み取れ」と読売何を血迷ったか と思えば立川にて開催された国際交流行事にて予定されていた台湾出身の評論家金美齢の講演が中止された、と。中国人の反対あり混乱 を恐れた民間の主催団体が応じる。読売は言論の自由は民主主義の原点であり台湾問題も意見が様々あり議論し考えることが大切、と真当だが、金美齢となると 台湾独立主義者であることはいいとしても李登輝訪日の実質的フィクサーであり小林よりのりだの新しい歴史教科書など政治的背景あり、今回の講演中止が単に 中国側の反発恐れたものなのか、金美齢の講演を予定したものの金美齢参画することによりその背景にある政治勢力にこの国際交流行事が利用されることを恐れ ての配慮だったのか、かなり微妙なところ。ただし読売社説は「こうした言論封じ込めはこれまでもあった」として列挙するのは92年に護憲勢力の反対による 上坂冬子の新潟公演じゃなった講演、97年の櫻井よし子の従軍慰安婦についての公演じゃなかった講演が「人権」を掲げる団体により妨害されたこと(やっぱりすごいなぁ、讀売、こんな新聞とてもカネ出して読む気にはなれず)。護憲勢力と人権団体は読売のいう言論 の自由を脅かす危険な存在なのだ!。でこの社説は「金さんは、今回の事件について「自立していない日本の象徴ではないか」と厳しく指摘している」として 「小さな綻びも放置してはなるまい。そのまま見過ごしていけば全体主義につながることになりかねない」と警句。ごもっとも。ただしこの金美齢だの小林よし のりらとともに「新しい歴史教科書」のノリにて自立してゆけはそれこそ全体主義。

十二月初二日(月)曇。S氏より電話あり雑談にて余の放出した書籍を獲た、と。書籍拙家に残すには場 所が足りず読了の本多く処分するがバザー等に出す本も少なくなし。S氏バザーにて三島由紀夫書簡集と美輪明宏『紫の履歴書』の二冊を獲て自宅に戻り開いた ところ三島書簡に余の不覚ながら紀伊国屋の伝票入っていたそうでその伝票には偶然にも『紫の履歴書』も書かれており『紫の履歴書』の奥付には富柏村の蔵書 印まであり、と(笑)。きちんと本を調べぬまま迂闊にバザーになど本を供するものでなし。富柏村が著名でもあれば本に価値でも出ようが。S氏曰くどちらも 貴重なる本にて放出は勿体ない、と。確かにそうだが読了の本を全て手許に置いては拙家に厳しくせめてこの日剩に忘備を認めた書籍は処分するがS氏これらの 本はもう手放さず、と。それもまた好事。S氏、谷保にお住まいにて偶然にも余が89年頃寄寓せしN兄の谷保の邸にも近く偶然にもこのサイトをお知りになり 作者がS氏と係り浅からぬ余と察せられ、今度はこの本を2冊入手されるなど奇縁なり。書籍といえば紀伊国屋より連絡あり注文せし『北京の中江丑吉』の書籍 について裏表紙の汚れあり美麗本の手配をしたが出版社においても品切れ・重版未定との事でつきましては1割引きにて提供と。謝まられても寧ろこの本が入手 できることだけでも幸い。謝辞送る。この本、10月に北京にて護国寺のあたりいくつか中江丑吉の生活せし周囲を歩き10年以上前に『中江丑吉書簡集』読ん だのみだったためふと検索して見つけた書籍。暮時に尖東のホテル日航、楼上のバーにてA氏と密談。いくら黄昏の夜景をお楽しみくださいとて店内一切明かり 灯さず開業前かと一旦引揚げかかり薄暗き店内に人影あり営業中と知った次第。麒麟麦酒の秋味なる麦酒飲み風味合わず。このバーの給仕、麦酒の注ぎ方など香 港にてはかなり秀逸。晩に尖沙咀星光行の金島燕窩潮州料理にて会食。竹笙海蝦丸湯、川椒鶏、豆苗と鮑、潮州什会炸麺で主菜は当然のことながら季節の終わり の上海大閘蝦。今年は上海蟹の当たり年にてしかも不景気にて比較的廉価、確かに旬の黄油蟹にはかなわぬが紹興酒に酔いつつ肉厚の雄蟹は美味。給仕頭のL氏 の仕切りも紹興酒に糖梅入れるか否かなどと野暮なこと尋ねぬ女給もご立派。風邪直らず終って湯治。賈英華『最後の宦官秘聞―ラストエンペラー溥儀に仕え て』日本放送出版協会読み始める。

十二月初一日(日)曇。澳門馬拉松にて半程に三年連続して参加。風邪にて体調絶不調にて雨降り気温下 がれば棄権と申していたものの雨降らず気温も20度と棄権の言い訳通らず途中にて体調悪ければ4kmにてホテル前通過のためホテルに駆込めば、と出発。前 半調子よく5:20/kmと記録的な快走ながら給水にてかなり水分摂るものの新陳代謝激しく汗となり脱水症状の如し。後半、とくに最後の数キロにてすでに 残す体力なくかなりの数の走者に抜かれつつ2:02台にて到着。二時間をまたしても上回れず。後続や全程に参加した友人の到着を待たずホテルに直帰し悪寒 ひどくブランデー二口飮してのつもりが三口となり、湯治。かなりお湯につかり蒸風呂に篭るが悪寒失せたものの回復せず。半身浴にて荷風日記昭和11年の春 を読む。荷風先生曰く「現代の日本人は自分の気に入らぬ事あり、また自分の思ふやうにならぬ事あれば、直に兇器を振ツて人を殺しおのれも死する事を名誉と なせるが如し」「むかし屈原は世を憤りしが人を殺さず、詩賦を貽して汨羅の鬼となりき」「現代日本人の暴悪残忍なるは真に恐るべし」と。このリゾートクラ ブ、澳門のそこそこの名士の集会所らしく殊にポルトガル人の形相交じった地元の紳士だの、いかにも人民解放軍にいたであろう、父の党藉の恩恵にて澳門にて 商売する大陸の若きプチブルだの多し。昼、部屋に戻りビタミン剤とアミノ酸摂取しマカオビール試飲。常温にてはかなりイケるが冷しては味なしと思う。日記 綴る。午後Hyattの料理屋Flamingosにてランニングクラブの面々と会食。昨年まで二年続けてシャンペン数本抜栓し発砲せしコルクを池泳ぐ鴨に 向ける真似するが如きどんちゃん騒ぎながら今年は時世鑑みシャンペンもMoet & Chandonより葡萄牙産の発泡酒に変え、それでも十名にて晝から四本空けて愉快なり。夕方のフェリーにて香港に戻る。冷酒にて皿うどん食す。
▼福岡市にて同市校長会「学習指導要領に沿って」通知表に6年生の社会科として「国を愛する心情」「日本人 としての自覚」といった評価項目設けこれを同市144校中52校が採用と(朝日)。義務教育は確かに国家 が国民教育を施すために設けた装置であるのは事実ながら国籍や思想信条などに係わらず教育を受ける権利を児童が有するものにて当然のことながら在日朝鮮人 などの児童、異見を有する児童に対して「国を愛する心情」「日本人としての自覚」など問うことの異常性がわからぬ福岡市校長会こそ「教育者としての自覚」 乏しき愚かさ。余は「国を愛するな」などと言っているのではなし。問題は国を愛するといふ時に国家は一つの尺度、考え方での愛国心を強要し、それに対する 思想信条を排除することの問題性。例えば国を愛するがゆえに侵略の歴史を語る者もいれば日の丸を掲げぬ者もあるのを、「侵略戦争」史観に固守し日の丸掲げ れば愛国心の欠如、非国民と捉えることの問題性。かりに福岡市において卒業式で国旗国家に礼を尽くさぬだけにて国を愛する心情にも日本人としての自覚にも 欠ける、と評価されること。いずれにせよいくらこうしたことを述べても、こういった感性乏しき校長とは結局のところ国旗国歌組合勤務評定といった踏み絵を 経て教育委員会の子飼いとして出世しただけの者少なからず、が現状にて体制に擦り寄る以外に何の知力もあるはずなし。勿論、このような愚考に疑問を呈す良 心と知性ある校長もいようがこのファッショの時代にあっては異見呈することは即ち失職にてせめてもの抵抗として自らの学校のみこういった害毒の潜入を防 ぐ、か。
▼教育基本法改正をめぐる中教審の公聴会開催。「国を愛する心」につき千葉県の元民生委員・田村治子 (59)は「愛国心を教えなかった戦後の教育を深く反省する時期が来ている」などと宣うが、国旗国歌が強制され教育基本法の見直しが叫ばれ福岡市の校長が 愛国心と日本人としての自覚を小6の社会科の評価に盛り込み……こういった「成果」は愛国心を教えた戦後教育がいかに徹底できたか、を物語るものだろう が。具体的な考察もなきままこのような公聴会に招かれたことで高揚して責任も根拠もなき発言するべからず。静岡県の高校教諭・深沢直幸(40)は「生徒を 見ていると日本人としての精神や文化、伝統が欠如している。日本の文化の体現者となることを目指す国民教育を考えなければならない」と。日本人としての精 神とは何ぞや。文化、伝統が欠如しているといふが文化、伝統など学校教育などという範疇にて「教える」ものに非ず。日本の文化の体現者とは?、しかもそれ を国民教育にて……呆れる。このような愚者とは近づきたくなきもの。国家体制を信奉しそれに寄与するものが愛国心など掲げるは自由ながら、それを語る時に 文化だの伝統などを用いることが甚だ不快。文化、伝統などに感けた国民教育など実体なき虚構にすぎず。……と書いて風呂にて朝日読めば元防衛庁長官!栗原 祐幸氏、中曽根大勲位の『21世紀 日本の国家戦略』なる本にて大勲位の教育基本法は米国の強要に屈したもの、という記述を正した上で「政界でも、教育を めぐる論議でも、指導的立場にある人はその言動に正確を期してもらいたい」と大勲位に物申し(ちなみに氏は第三次中曽根内閣で の防衛庁長官なのだ)、「人間はその本性からして社会的な存在であり、現実に国家や民族あるいは社会を離れては存在し得ない」としつつ「愛 国心とは、あるがままの国を無批判に肯定するものではない。よりよい国、より価値のある国を作ろうとするのが愛国心である」とし「祖国愛・郷土愛は一歩誤 ると危険な事態を招く」のであり中教審中間報告にて「国を愛する心や伝統文化の尊重という表現は、国家至上主義的考え方や全体主義的なものになてはなら い」という修正意見がつけられているものの「ただし書きを付けねばならぬような文言は基本理念になじまない」と一喝。御意。
▼昨晩読了の橋本治『三島由紀夫とは』に水谷八重子についての興味深き記述あり。八重子は「前近代によって 進む道を阻まれた、女の形をした近代」と。治ちゃんらしい抽象的な書き方ながら、要は杉村春子は「前近代に頓着することのない、近代の形をした女」であ り、これは春子の戦前の芝居との関わりを思えばわかりやすいが、それに対して八重子は新派に入ったがために、そこには喜多村緑郎だの花柳章太郎だの「女よ り女を演じることに優れた前近代の男たち」いた、ということ。治ちゃんは子供のころになぜ母が八重子の芝居をみて「きれいねぇ」と言うのか理解できなかっ た、と。緑郎の華やかな芝居に比べ八重子の演じる写実的な女の形にちっとも「きれい」を感じられなかった、と橋本少年。身の丈のままの女に女の客がそこに 美を見出せた、といふこと。実は余も歌舞伎ならわかるが祖母や母が「八重子、八重子」と新派の芝居を見る理由わからずのまま、今日になってこの記述にて理 解出来る。で、この水谷八重子こそ「最も三島由紀夫的な女優」だったわけで、三島とはつまり「前近代によって進む道を阻まれた、男の形をした近代」であ る、と。で、ここでは触れられてはいないのだが、坂東玉三郎とは何か、を問えば、余が思うに、本来はその前近代の女形のなかでどっぷりと伝統的な女形を修 養するはずのところ女形の世界はすでに六世歌右衛門によって「改良」されており、まさかこの玉三郎少年がこってりした伝統的な女形を梅幸から学ぶわけにも いかず、結局その「前近代によって進む道を阻まれた、女の形をした近代」である新派の八重子の女の形を受け継ぐことになる。つまり治ちゃん的にいえば玉三 郎は「前近代とはこんなものだったのかもしれないという残映を、前近代によって進む道を阻まれた女の形をした近代=八重子より伝承する」というかなり屈折 した環境にあった、といふこと。それがあの玉三郎の華麗なようでいてどこか影があり、また成駒屋のような近代の解釈にもならぬ芝居となった、といふこと。 それゆえに玉三郎は歌舞伎をするよりも新派の芝居で八重子だの良重だのと一緒に女を演じる時のほうが活き活きとしている。女性がなぜ八重子を「きれい ねー」といふのかと理解できて溜飲下ル思ヒ。こういった世界にこそ文化あり、これ国家とも国を愛する心とも一切関係なきもの。国民教育を施しても残念なが ら八重子の芝居は理解できず。