教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

十二月卅一日(水)曇のち晴。朝寝きめこみ朝遅く叔母の病院。病院に来られていたS叔母を車で高速道路は三十分ほど、家に送る。S叔母の家訪れるは実に十七年ぶりか。帰宅してワイシャツの生地とお仕立券あり百貨店へ。芸術館にて昨日と同じ午後二時に写真何枚か写す。東京より従兄弟のS兄参られ駅に迎え叔母の病院。叔母を看病する従兄弟のT君に、マスクなら、と香港にてマスクにはかなりの知識と経験からユニチャームのマスク購いお渡しする。早晩にS兄とこうして会うも珍しきことと鰻の蒲焼きでもと思うが老舗の中川楼、鰻亭、ぬりやから駅前の鰻屋まで晦の営業の有無確かめる市内の鰻屋年末にてすでに休み。それぢゃ晦ゆへ蕎麦でも、と「みかわ」訪れるがさすがに満席順番待ちの盛況に断念。折から那珂川の河原にて何故か晦の季節外れの花火。開催意図理解できず。駅のそばの国鉄経営のホテルなら食事も可かと訪れれば和食は正月パッケージで宿泊の客で満席、軽く西洋料理。二千円にてこれだけ料理出していったいいくら儲かるのか、と他人事ながら気になって仕方なし。S兄を駅に送る。S兄には次回は東京は北千住にて酒処「大はし」に「バードランド」で焼き鳥を所望。帰宅する道すがら大晦日に閑散とする大通りと人の気配もなき裡通り。余が幼き頃には蕎麦屋ばかりか魚屋など除夜の鐘まで営業し余もやれ売掛けの集金だの配達だの、新年のお飾りを買って来い、近くの水雷神社にお賽銭あげて来い、と遣いに走り、商店街の歩道溢れむばかりの人出深夜まで絶えず、母は紅白終った頃に美容室に参って正月の髪つくり、深夜には、あれは神崎寺の鐘、あれは信願寺の鐘、と除夜の鐘が静かな市街に鳴り響き、その頃には元朝参りの人が出かけ始め……車で市街を流せば当時の活気さまざまな風景にて思い出され思わず涙。年末より正月を日本にて過ごすは香港に住う十三年にて実は初めてのこと、しかも郷里にて過ごすは廿年ぶりか記憶すら辿れず。大晦日の特番テレビ鑑賞。酒は奈良は新庄町の「梅乃宿」。猪木の、藤波引退発表での「突然」の猪木藤波の師弟対決は猪木は藤波君の首〆に「突然」意識失い因縁の師弟対決は猪木の通算六勝一引分けで藤波に初めての勝利か!、だが猪木あってのこの特番が猪木担架にて運ばれ藤波も唖然とするが猪木「突然」意識戻り回復し藤波にメッセージ送るが、さすがに猪木信者結集する神戸の会場も「シラ〜ッ」と歓声もなし。プロレスの演出は赦されるが猪木を用いて日本といふ国家に元気を、などといふ日テレの茶番の浅薄さなり。曙はTBSの視聴率といふ崇高なる目的のためボブ=サップ相手の勝つはずもなき「対決」。TBSによって生贄となった曙。曙との一戦終えた撒布選手が「予定通り」にハワイにあるタイソン君に「次はオマエだ!」といふ台詞吐く場面あり、本当に簡単な勝ち名乗りなのだがそのボブ撒布選手の平易な英語に観衆反応せず、その上、間抜けは番組とは全く似合わぬ真面目な同時通訳の女性、その政府高官のコメントの如き通訳。NHKの紅白見れば和田アキ子の迫力ある「古い日記」の歌唱ぶりに、ボブ=サップの本来の相手は和田アキ子の他なし、と思ったは余ばかりぢゃありまひ。紅白など見るのは何十年ぶりか、スマップの諸君がトリで世界でナンバーワンにならずともよし、もともと特別なオンリーワンであればよし、と槇原君の歌を歌ふを聴き、これは護憲の歌か、と。いずれにせよ日本は崇高なる理念なり謳ふオンリーワンではもはや非ず。紅白の最後にて司会のNHK職員が〆めの言葉に嘘でも幸せなる未来だの平和だの本来語るべきところで「テレビが素晴らしき未来を作り出していくことを望んで」と結ぶ。さすが会長が海老沢らしき〆の文句、この海老沢君が郷里の出身かと思えば恥ずかしき限り、海老沢君はさすが橋本登三郎の子飼らしく利権誘導も登三並み、母の話ではNHK支局の地元局舎立替えと郊外への中継アンテナ新設を退職禅譲前に実施中とか。日本のマスコミの三悪はネベツネ、海老沢と余が呟けば横にいた母が「それと日経の鶴田社長」と、何ゆえ鶴田君を御存知かと母に問えば恥ずかしきことに鶴田君まで郷里の出身、而も「確か鶴田はん、富坊の高校の先輩やで」と母。唖然。年が明け、お湯から出た父に「おとーちゃん、ちょうど高野山、テレビで流れてはるるで、御酒で新年の乾杯しよか」と酒を注いで渡せば「梅乃宿」の瓶見た父曰く「このお酒、高野山のお寺さんから貰らふたお酒やで」と。勿体ないお酒を頂いていたものだと有難いかぎり。深夜眠れず「朝生」見る。

十二月卅日(火)晴。Z嬢よりの電話でアニタ=ムイ梅艶芳の逝去知る。某銀行Y君よりロイターの香港電転送され早朝に癌の悪化による肺機能低下で死亡、と。癌の疾患をば公言し十一月にリサイタル六晩だか続き是非観たいといふ気持ちとこれまで一度の観てもおらぬ者が「これが見納め」といふつもりで観ることに道義的に納得いかず観ず終い。四歳だかで今はなき遊園地茘園の敷地内にて箱を舞台に歌い始め天才少女と云われお嬢は芸能界にデビューし香港の成長とともに歌謡界の大姉御、四十路に手が届くかどうかといふ歳でまさかの癌の疾患、それを公言しての精力的なる活動の再開……とまさに香港のひばり。だがひばりが頂点極めた後に一線より退いて闘病のあと復活しやはり女王と人々をば唸らせて昭和の終焉とともに逝去したのに対して梅艶芳はひばりでいへば「ひとり酒場で飲む酒は」と歌唱力が円熟した頃での逝去。残念無念なる不世出の女歌手。母の買物に付き合い百貨店に向う途中、水戸芸術館にてオノ=ヨーコ展の開催を知る(写真)会期中ながら年末年始にて休館中。父の名義にて契約した携帯電話の契約変更済ます。また芸術館通ると人は誰もおらず、午後のすでに西へと傾いた陽射しは百貨店の建物の影を芸術館に投じ芸術館の建物、普段は磯崎新の建築は何も飾らぬのだが、その建物の中央正面に、中庭から真っ直ぐに、白い大きなメッセージボード際だたせる(写真)そのボードには WAR IS OVER と。ジョン=レノンのメッセージもイラク征伐だののこの世に虚しく響くがそのメッセージの大書きの下に近寄れば if you want it と。平和を望まぬ人がいるから、平和になっては政治的に経済的に困る人がいる限り戦争などなくならず。帰宅し、父の指図で祖父の蒐めた書画、親交受けた文人軍人画家らよりの手紙など整理。書画は何といっても春水、戦時の疎開の便宜図った鴨下晁湖よりの手紙、版画は川瀬巴水、巴水の描く夜の帝都東京(とうけい)の近代の町並みに寿司屋の屋台と「東をどり」の行灯看板、いくら見ても飽きず。午後に入院するK叔母を病院に見舞ひ。銭湯に一浴。再び叔母の病院。病院へと迂がる交差点で信号待ち、ふと交差点に、もう卅五年ほど前だったか、叔母が馴染みだった「K」といふ名の喫茶店あったこと突然彷彿。この交差点には地元では有名な「Monde」なるケーキ美味なる喫茶店もあり、だが叔母はその「K」に駅より汽車出るまで和んだのであらふ。帰宅してテレビつければ、昨日、星野監督にあれほど巨人の驕り指摘されながら(どちらの収録が先かははかり知らぬが)仲居君は日テレにて巨人ヨイショ番組に出演。夜中に眠れず柳沢慎吾君の唸る如き芸人ぶり観る。

十二月廿九日(月)晴。ホテル引き払ひ。旅鞄あり預け請えば寄宿の際は預かっておいて受付の女コインロッカーをお使い頂くかロビーに団体の荷物のように網被せ置いておくことになります、と。寄宿の際は職員が荷車で旅鞄をば懇切丁寧に何処か荷置場まで運んだものと説明するが埒開かず。新宿駅までタクシーで荷物運ぶがコインロッカー少なく満杯にて山手線にて上野。辛うじてロッカーあり荷物仕舞って浅草。傳通院のあたり歩いて浅草寺裡に参り母にきんつばをみやげにと「徳太郎」に参るが今日まで三日間正月の祝い餅の注文捌くためきんつばは明日と大晦日に発売、と。残念。鹿の子など購ふ。千束の通りの「千葉屋」で大学芋購ふ。花屋敷遊園地の界隈を一遊。浅草寺に参拝。暮れの浅草寺、仲見世の人出も昔知る者にはこのようなものか。昼に比べ行列も短くなった「大黒家」。行列に並んでいると店から出てきた一見して田舎者の客が余のひとつ前の夫婦に「ここは値段は一流だけど味は大したことないね」と一言。余の前に企つ夫婦は笑って何も答えずが田舎者の一見の客にしてみれば天婦羅の常識的からして大黒屋の衣多くねっとりとした、甘いタレのふんだんにかかった天丼など、この男、千葉か何処かの浜の者なら確かに漁りたての魚貝の天麩羅などに比べれば「なんで東京の天麩羅はあんな味なのけぇ」と呆れるも確かに道理あり。だが大黒屋ほどになると、その本来すべて否定されるべき天麩羅の非常識も大黒屋らしさ。祖母に連れられて幼き頃「大黒屋」に来た者にはこの千葉の浜の者の指摘にかかわらず、ただ懐かしき味。「まんなか」の天丼。熱燗を飲みつつ「名ごりの夢」読み天丼届いたところで海老天を肴に熱燗飲み干しゆっくりとかき揚げで天丼食す。口直しに「梅園」で豆かんと粟ぜんざい。合羽橋のほうを歩き通りがかりの床屋にて散髪。たまの床屋は顔剃られ爽快。上野より列車にて郷里に戻る。父母と「みかわ」といふ手打ち蕎麦屋。スマスマなど見る。阪神元監督星野君が巨人ファン仲居君に対して巨人、巨人といふが他チームの一流選手を億の単位の金で買収し強いチーム作り、それで勝った、勝ったと……巨人ファンは平気なのか、と指摘すれば仲居君「でも巨人はスーパーチームが夢だから」とせめてもの反論、だが星野氏は「それなら選手をみずからのチームで作ってこそ巨人。他のチームの一流選手集めて強いのは当然、それで「勝った、勝った」と浮かれていていいのだろうか」と。仲居君に対して「あなたは発言力のある人なわけだし、あの局(=日テレ)にも招かれて中継の解説とか出てるのだから「勝った、勝った」じゃなくて、巨人はどうあるべきなのか、野球とは何なのか、を野球のことなど全く解らない経営サイドに聞こえるように言わないと」と辛辣なる提言。仲居君がそこまでわかっていたら巨人ファンなどしておらぬのだから星野君の指摘は通じぬであろうが。それにしても年の瀬にアントニオ猪木ばかり。猪木ビンタされて喝を入れられたと歓んでも世の中何も変わらず、は長嶋の野球と一緒。

十二月廿八日(日)晴。昨晩N兄より東洋文庫(平凡社)に蘭医桂川家に生まれた今泉みねの幕末維新の頃語る「名ごりの夢」なる書籍あり一読の価値ありと教えられ新宿駅南口の紀伊國屋書店訪れ尋ねれば「東洋文庫はあまり揃っておりませんが」と言われ観念したが東洋文庫廿数冊並ぶ書棚にこの「名ごりの夢」あり他にも井原青々園の「唾玉集」、エミール=バンヴェニストの「ゾロアスター教論考」、周作人「日本談義集」、内田魯庵「魯庵随筆読書放浪」選び購ふ。東中野にて知古のY氏営むアジア雑貨の店。東中野駅の「富士そば」にてかけ蕎麦立ち食い。お茶の水駅にて月本裕氏夫妻と待ち合せ中山競馬場。有馬記念競馬。日本で初めての競馬にビギナーズラック期待し香港のI君に勧められた「1馬」紙見つつ中京、阪神の馬券まで購入するが入賞するが単勝で取れず。有馬記念はタップダンスシチーとザッツプレンティの二頭外し藤沢厩舎の一番人気馬シンボリクリスエス、ゼンノブロイ、押えに武豊君のリンカーンでただこの三頭では馬券として面白みなく月本氏勧めるツルマルボーイ組ませれば馬券としての面白みありツルマルボーイ軸にシンボリ、ゼンノ、リンカーンの三頭とし馬番で連複、ワイド、三連複、それにツルマルの複勝。レースはザッツプレンティとタップダンスシチーが飛び出してレース引っ張りこの二頭脱落でリンカーン仕掛けと期待通りの展開。周囲の観衆より「ツルマル来るよ」といふ呟きににんまり。結果ペリエ騎手のシンボリが九馬身で2分35秒5の記録作って一着。リンカーンとゼンノブロイ続きツルマルは残念ながら四着。押えた四頭だがツルマル絡めた結果配当なし。だが満足。香港の競馬場が一般席含めいかに上品かと驚くほどの地面に坐るどころか馬券売場の雑踏の中に乳飲み子まで連れて敷布に横になる家族連れなどの光景に驚く。余は最終レースまで全く回収できず。晩に神楽坂。香港国際レースにも来られたN氏の仕切りで「鳥茶屋」にて卅余名の競馬仲間の諸氏で鳥鍋のうどんすき。美味。中華・五十番の横入った「升々」なる店にて飲み続け歓談。黒ジョカの急須で焼酎のお湯割り美味。この「升々」創作風の料理も上手く店員の給仕ぶりも格別。新宿。

十二月廿七日(土)数日暖かい日続いたが朝起きると肌寒く外見ればうっすらと雪。昨晩の雨が寒波到来か降雪となっていたとは。Y君の家を出てタクシーで新宿のワシントンホテルに荷物預け都営線で神保町から三越前。三越本店にて某企業経済シンクタンクにてエコノミストの畏友W君と待ち合せ室町の蕎麦「砂場」。中国の政経など語りつつ卵焼ととりわさで熱燗。もりとかけで蕎麦。W君と別れ神田より淡路町、小川町と歩き山用具のニッピンに寄るがスキーシーズンで雪滑用品ばかりでトレイルも冬仕度ばかりでとても香港で使える物はなし。三省堂にて新刊書、文庫、漫画など廿数点購ひ送料無料にて国内発送可と実家まで送付。人文書籍に多賀谷といふ女性おり別嬪なうえに親切な接客。かつて筑波大にいたK君がジェンダー研究で大学教員となりいくつか上梓もあるを知る。田村書店にて全集物に食指動くが我慢、我慢。新宿にて一遊。日暮れて祖母らの眠る常圓寺。寺門すでに閉り門前にて手を合わせるばかりかと残念するが木戸開いており寺務所にて若い坊主にワケを告げ真っ暗ながら墓地にて掃墓。新宿エルタワの寿司屋「いしかわ」。古典劇評論の村上湛君の贔屓にする店にて村上君、大久保の医師N兄、築地のH君と歓談。小鰭をつまみで賞味すれば、最近、瑞々しい小鰭など出す店も少なからず、だがこの店は江戸のしっかりとした小鰭、それだけで信頼のおける店。握りも美味。舎利が甘みなく久兵衛の流れ風。ガリも甘酢つかわぬ塩で驚いたがこれは村上君の好みで供されたとあとで知る。N兄の車で河田町の小笠原伯爵邸。サングリア飲めばネクタアの如きどろりと、醸まれた古酒か、不思議だが美味。場所柄?フランス大統領シラク君の話題となりシラク君政局引退の折は日本にて横綱審議会の委員長に招聘は如何か、と。すれば寺尾が相撲協会理事長か。H君帰宅し三人で新宿の酒場二軒。店子の若きムスメと話せば余らが新宿にてぶりぶりと遊興せし頃にはまだカノジョ生れたばかりと笑い老いを感じるばかり。寒さ厳し。村上君を新宿駅に送り深夜、谷保の別邸に向うN兄が舎弟と待ち合せに時間あり文化服装学院裏手のカフェ、ロリータにて珈琲。N兄と初台で別れ一人、初台の山手通り交差点に位置する吉野家。初台の吉野家は老舗のはず。新宿のワシントンホテルに投宿。眠りたいが深夜にフジテレビにて確率など数学の定理の番組あり。

十二月廿六日(金)薄曇。朝、吉野家。特の朝定食頼んだつもりが店員と符丁合わず最悪にも特盛の牛丼供され朝の八時前に何が悲しく特の大盛りの牛丼。有楽町にて銀行、郵便局での入金など済ませ銀座。伊東屋開店前に訪ればお茶のお振舞ひあり、日本。奥村書店。三島先生の「豊饒の海」旧漢字旧仮名の四巻揃い三千円と食指動くが買わず。歌舞伎座。母と待ち合せ千秋楽。一階の一列目ほぼ中央をT君に手配頂く。福助の白拍子、踊りに部分部分に本人の好き嫌いが露骨で無表情通り越して「けったるそう」に見えるところもあり。新之助君の「実盛」。当代で実盛を演じさせたら仁左衛門だろうが新之助君の実盛も平成の、拝みたくなるほどの実盛見せて頂いたと拝みたきほど。見事、見事。勿論、台詞など難もあるが「まだ」新之助なのである、新之助であれほどの演技するのだからさすが成田屋。立派。ただ最近の若者らしくNHKの「武蔵」ではさすが歌舞伎役者だけあり顔がでかいと思ったが歌舞伎の舞台で実盛の装束だと新之助君でも横顔や後ろ姿見るとやはり頭が小さすぎ。本人にはどうしようもないだろうが鬘で少し工夫すべき。瀬尾十郎役の左団次が好演。葵御前の亀治郎は将来、先代萩など見てみたいと感ず。小万は扇雀、死んだはずの小万をば板戸に乗せて運ぶのは扇雀ではさぞや重いであろう、それでもだいぶ瘠せたが。芝翫、橋之助、福助の成駒屋親子による「道行」。橋之助の奴の踊りなければとても単調。池田大伍作の「西郷と豚姫」の如き「現代」劇は余は好まず。西郷役の団十郎とお玉役の勘九郎、二人とも外見では笑われるような役を好演、人情劇で客席は咽ぶ客も多いのだが明治座とはいわぬが演舞場ならまだしも歌舞伎座でやるべき芝居かどうか。「国家」だの西郷が大久保を「きみ」などと呼び薩摩藩での政略云々は源平の話とは大きく異なる近代国家主義が露骨。それにしても実子新之助実盛演じるその同じ舞台で実直すぎるだけの西郷どん演じられる団十郎といふ人、余の感覚では新之助といふ海老蔵以前の丁稚の如き名の息子に実盛演じさせられ自らは西郷どんとは団十郎という人なら親子であれ面子の問題として許せぬと思うのだが息子の実盛を「ようやった」と舞台の袖だの花道の陰から眺めて自らは西郷どんをなんの疑問もなく実直に演じられる、それが当代の団十郎といふ人。勘九郎のお玉もさすが巧いが中村屋の京言葉はかなりつらいものあり、配役的には勘九郎の西郷、扇雀のお玉が適するのではなかろうか。芝居撥ねて夕方、銀座。トラヤで帽子購い伊東屋、鳩居堂楼上のContaxギャラリーなど。母と銀座松屋で落ち合い、四丁目の「いまむら」に食す。池波正太郎先生の愛したといふ「いまむら」の味は真っ当な割烹で地味に見えるが味付けはかなり個性の強い出汁の味付けや煮炊き焼き物の加減に敬服。無口なご主人は供す料理にて人柄から味の主張まで全てを客に伝えられる御仁。ただし索麺茹でるのに先程まで酒をお燗していたお湯でそのまま、これは拙し。酒は菊正宗。母と築地すし清にて小鰭だけちょっとつまみたいねと四丁目の支店訪れるが満席で断念。家に戻る母と有楽町で別れ新宿。地下街を少し流してY君、C兄と待ち合せY君行きつけの酒場。続いて余が八十年代に贔屓にした酒場に主人T氏尋ね一飲。二更に雨降り出し三更にY君宅に戻る頃には本降りとなる。

十二月廿五日(木)晴。たまった新聞雑誌に急ぎ目を通し(興味ある記事読む時間はなく切取るのみ)昼前にタクシーでAirport Express香港站。Airport Expressで空港。見送りに来たZ嬢と昼食にカレーなど食し旧啓徳空港であれば今ごろ九龍城の美食に舌鼓みなどと彷彿し涙。キャセイパシフィックのラウンジ、規模のわりに利用者少なく殊にワークステーション空間など閑散(写真)ドバイの難民避難所の如きラウンジ懐かしき限り(だが空港施設拡充まで二度と利用すまひ)。電脳、上網環境も整い八月には有料であった無線LANも無料に(当然の措置)。キャセイパシフィック航空五〇〇便にて一路、成田。キャセイも機内(A330)で電脳の電源は各座席で供給あり(13AのACアダプター必要)有料でインターネット接続も可(そこまでして上網したいとも思わぬが)。座席は12Aとファーストクラスなき機体ゆえ一番前の角席とは一瞬、董建華夫人好みの一等席だがA330の場合、いまの最新鋭機、機内環境に比べるとすでに格段の劣差感じるもの。キャセイパシフィックのCathayが英古語にてChina意味することはこの日剰ですでに述べたはず、Cathayの語源はロシア語でChina意味するキタイ、これは昔の契丹(きったん)王国の契丹の音がロシアに流れたもの。厳密には契丹とシナは異なるが泰西の地に於ては契丹もシナも殆ど変わらず、か。それゆえキャセイパシフィック航空は契丹太平洋航空、契太航空と呼ぶことも可。機内にては最近の習慣として葡萄酒には一切口をつけず。もともと葡萄酒には弱く機内では格別で意識失うも易し。この契太航空の特別食・亜州素食(Asian Vegetarian)は余が機内食にての最たる好み。本日のメニューは胡麻醤油かかったモヤシなどのサラダ、湯葉、茸や筍のあんかけ御飯、口直しの果物までドライフルーツとなかなかの凝りやふ。機内にていつか読もうと思って新聞記事、板垣雄三氏の中東問題に関する文章など読む。成田はかつて入官カウンタこそ外国人を「エイリアン」と書くセンス、余の旅券の署名を「もっときれいな字で書け」だのと指摘されキレたこともありしが今では「おかえりなさい」で数秒で旅券返されかなり対応改善されたものの税関は不可解。税関など実直なる振り見せて通ればいいのだろうが余の旅券見た職員「海外にお住まいですか?」と余に尋ね「はい」と答えると「お仕事の関係で?」と質問。素直に「はい」と言えばいいのだろうが仕事の関係で、といふのは駐在であるとか自ら貿易営むとか仕事上、海外のその地に住う具体的な理由があるからの筈で余が香港に住う理由とは何か?と一瞬考え「個人の意思です」と答え我ながらこれ正解と納得するが税関職員は怪訝な表情で「今回はご帰国ですか?」と。日本国旅券を有せば帰国に決まっているのだが其処は突っ込まず「はい」と答えると「里帰りとか……」と職員。一瞬、アンタの仕事は税関での課税品目であるとか持ち込み禁止品の摘発であって何故余に素性調査の如き訊問をばするか?と一瞬ムッとするが「里帰り」といふ何処か情のある言葉に税関といふ場所で妥協したくなく「旅行です」と答える。仕事の関係でもなく海外に住ふ日本人がたまに帰国すれば家族もいないのか旅行?と職員更に怪訝さふな表情で荷物開けたそうだが余よの対話は避けたいらしく「どうぞ」と。成田エクスプレスにて東京新宿。新宿プリンスホテルでジム返りのY君と待ち合せ中野のY君宅に寄宿。
▼非常に地味な出来事で余は全く意に介さずにいたが信報の林行止氏が指摘するに(廿四日の専欄)十二月廿二日は中国経済発展にとって記憶に残す日である、と。この日、中共中央が十四項目に及ぶ憲法修正案を建議。その中には「馬克思列寧主義、毛沢東思想と登β小平理論」といふ中国の三大国家思想に江沢民君の「三個代表」思想を加え(笑)、但し前三者が個人名を冠るのに対し江沢民の名は出ず「三個代表」重要思想、と。だがこう言われて誰がこの江沢民の提唱した重要思想を覚えているかと言えば誰も朧げ、つまり「その程度」の内容浅きmethodに過ぎぬのだが、こうして国家の主たる思想に加えられるだけでも中国の領袖独裁ぶりがよく解る、といふわけ。これであと十年もすると「我々中華人民共和国は馬克思列寧主義、毛沢東思想、登β小平理論、三個代表重要思想及び胡錦涛路線を実践し……」となるのだろうか。閑話休題、林行止が記述で指摘したのはこの三個代表ではなく、この憲法修正案のなかに「国民の私有財産の保護」を含むこと。従前は共産主義国家として私有財産が否定され私有財産=反革命であったことを思えばこの私有財産の保護は中国にとって重要な改革である、と一見そう思えるのだが、廿二日のワシントンポストが指摘したことは、過去十年、国営企業の民営化は十万件に及び国有資産の民有化は約四兆米ドルに及ぶといふ。そのうち確実に数千億ドルは不明朗なまま党幹部や有力者の許へと流れ、この十年の間に成功した人々の財産が本当に自らが創業し市場活動で得たものなのか、国家資本の私有化なのかも不明瞭、だが、この憲法修正で私有財産が認められれば、これまでに得ている財産についてはその「来源」の出自が問題になることもなく、正々堂々と私有財産として公開できるもの。非常に巨きな問題孕むがいずれにせよ一九四九年の共産国家成立により一旦は国家に没収された私有財産がかなり不明朗とはいへ公民に再び下付されたのは事実、この私有財産保護により経済発展にまた勢いがつくのも必至。
▼同じく林行止の専欄(廿三日)で前日の米国紙クリスチャンサイエンスモニター紙の「バクダッドでのクリスマス」なる駐イラクの米軍の記事を取上げ、最近はクリスマスといふキリスト教の祝祭が非基督教圏、とくにイスラム域での滲透があり、ブッシュは十一月の演説で無節操にも「キリスト教とイスラム教それにユダヤ教は同じ神を信仰し」と述べ米国福音教派協会がそれに対して「基督教の神は自由と博愛の……」と反論したそうだが、林氏が経済学者の立場でキリスト教の信仰と経済発展を見れば、教会への礼拝盛んな風土は如何せん経済発展が遅く教会での礼拝をば合理的に切り捨て勤勉さを信奉する地域はウェーバーの古典的研究の成果を述べるまでもなく経済発展に著しいものあり、と。イスラム教の場合の金曜日の「停滞」も同様。仏教国家の場合、輪廻観念も経済成長に大きな影響あり、とくに悪業での「地獄行き」といふ畏怖の念も経済活動での潔白さ維持につながる、と。
▼来年の立法会選挙に向けて民主派の取組みはまるで日本の自民党の如き選挙対策ぶり。已然高き好感度保つ民主派の大勝が予想される立法会の次回選挙ながら民主派が最も怖れるは人気候補並立にて選挙に臨んだ場合の票割れでの共倒れ。それを避けるために民主党、前線から独立候補までが選挙区毎に民主派候補に絞った市民事前投票行いその結果により候補者を絞るといふ案。日本の戦後政治でみれば社共、二院クラブや無党派まで中道リベラルから左派が共闘姿勢作れず票が割れて結果的に自民党政権を維持したが如き悪態に比べれば実に現実的な政治が香港にて行われようとしている。先ごろ開催された民主派と政治関係専門にする学者との会合では(これに参加した学者は中文大学の呂大樂、香港大の盧兆興、嶺南大の李彭廣に城市大の蔡子強といふ香港にて積極的に政治的発言もする中道から左派の陣営)親中派与党の議席失減は当然としても中国側は自由党であるとか市民に人気の高い元官僚などを擁立することで民主派からの議席奪回を狙うこともあり得るが、直接選挙卅議席のうち民主派が最低でも廿二から楽観的にみて廿五議席の獲得(つまり親中派の民建聯など各選挙区にて一議席の死守)が可能であろう、と。有権者から政党、学者まで日本では考えられぬこの積極的な政治への意思表示と取組みは今では香港の宝であらふ。
▼月刊東京人一月号の松葉一清「東京発言」にて駅構内利用した商法について様々な店舗並び商売するには格好の場所だろうが鉄道施設は旧国鉄つまり国民の財産であり民営化しようが都市機能の観点からも鉄道駅は公共施設であり、これ以上、都市を支えてきた公共性とそれに根差した作法や品格が失われるのは御免蒙りたい、と。御意。駅構内はあくまで通勤だの旅に係る弁当だのの商売が限度、それ以上のものは例えば旧新宿駅でもいちおうステーションデパートといふ駅とか一線を画した別空間であり、駅舎から出でた空間に「王様のアイデア」など店舗がようやく並んだわけで、何処も彼処も一坪の空き地あれば賃貸とは些か貧困なる発想。香港の地下鉄駅舎とて同様。美しき公共「空間」がいまやつまらぬ露天商の並ぶ祭りの縁日の如し。
▼テッサ・モーリス=スズキ女史が寄稿し、民主主義の基本原則は政治決定に市民が発言権をもつことであるのに米国の現状は米国の覇権下世界中の人々に絡む政治決定を行う権限が大統領一人に掌握されている現代において鍵になる問いは「アメリカは世界を民主化できるか?」ではなく「世界はアメリカを民主化できるか?」」である、と指摘。御意。

農暦十二月初二日(水)快晴。昼に銅鑼灣らーめん横丁にて福岡の福福なる店で豚骨汁の葱らーめん。余には聖誕前夜に出かけ聖誕祝ふほどイエス、キリストとの筋合ひ何もなく帰宅。Z嬢、タイに参った知人に大仏の写真のクリスマスカード購ふを強請り実際に一枚購入して頂き一瞥して笑ふ(写真)表の写真は金色の大仏、開くとなかにタイ語と英語にてメリークリスマス、と。さすがタイの御仏への信仰心と大らかさ。茄子と韮の焼パイそれぞれ、南瓜、カドーリイ牧場産の無農薬野菜のサラダ。テレビのニュースによれば今晩、尖沙咀に集ふ者の数多く四十数万人とか(異教の民含む)。中環の蘭桂坊は泥酔者の大騒ぎに警戒態勢。これぢゃ「諸人こぞりて酒は来ませり」。拙宅も近所のプトテスタントの教会が屋外にて祝賀企画実施し拡声器鳴り物まで用いての騒ぎ。神への祝福は威かに謐かに安寧に行ふべきであるし、世には異教徒も多く、御仏に縋る余は基督者の彼らに信仰を強要することもければ騒音など一切の迷惑もかけず。ちなみに賛美歌112番「もろびとこぞりて」の歌詞は美しき文語。諸人挙りて、で「挙る」は「悉く集まる」意にて伊勢物語にも「舟挙りて」など用例あり。「主は来ませり」も「シュワッキィマッセェリー」とまるでアルバニア語の如く歌われ、まさか「来る」のます形「来ます」の打消し「来ません」に「り」をつけて文法的には明らかに間違いながら「神は来ない」などとは誤解されておらぬだろうが、正しくは「来る」の連用形「き」に尊敬の補助動詞「ます」の已然形「ませ」と完了の助動詞「り」の終止形が付き即ち現代語訳では「すでにお越しになつた。降臨ならせられた」。英語では“Let earth receive her King"で「神を授け給はらせよ」と口語なら言うところか。この賛美歌の文語の荘厳なる歌詞は
諸人挙りて迎へ祀れ 久しく待ちにし主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
悪魔の一夜を打ち砕きて 捕虜(とりこ)を放つと主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
この世の闇路を照らし給ふ 妙なる光の主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
萎める心の花を咲かせ 恵みの露おく主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
平和の君なる御子を迎へ 救いの主とぞ褒め称へよ 褒め称へよ 褒め 褒め称へよ
と。これだけ聖誕祝ふ者多かろうとも世界は平和からはほど遠し。米国大統領ブッシュとて敬虔なる基督者とか。ならば余は智慧乏しき彼らにこの言葉を授けむ。
我、地に平和を投ぜん爲に來れりと思ふな、平和にあらず、叛って劍を投ぜんために來れり。(マタイ傳10章34節)
神は人を祝福するが為に常に人に試練を験すものなり。

十二月廿三日(火)晴。昼にジム。夕がた香港中央図書館。何度訪れても教養の破片もなき出来損ないの百貨店の如き空間。図書館なる場所、いかに静寂に、利用者の移動の動きすら見えぬことが読書に集中する空間としての最も大切な哲学であるのに(例えば天理大学や龍谷大学図書館)、此処は設計者がアホであるから「いかに多くの人が利用しているか」が見えるようにエレベータが図書館としては無用なる吹抜けの空間を上下し(ホテルなら窓のない部屋が作れず中央を吹抜けにすることは可)エスカレータを利用する者が意味なくフロアをぐるりと閲覧席を迂廻して上り下りする。図書館であるのに電脳の配置のしすぎで殆ど無料サイバーカフェ状態。資料図書の階にてRoyal Asiatic Society(英国の由緒ある旧来かなり植民地主義的アジア地域研究団体)香港支部がこの図書館に貸与する図書をば目録で漁るがとくに興味ある書籍もなし。晩に日本人倶楽部にて史料編纂打合せと慰労会。木曽路なる日本酒。同部会のメンバーであり同じマンションの隣棟に住まわれるO氏と伴に帰宅し氏を拙宅に誘い三更までジャックダニエル飲みつつZ嬢交え鼎談。

十二月廿二日(月)冬至。数ヶ月前に購入し取付けぬままであった文庫本用の書棚、内装専門とするK師傳聘き取付け請ふ。師傳いつもながら時間に正確、道具箱は道具釘金具の類整然と並び一瞥しただけで仕事出来ること確か、実際に仕事の手際好く彼此九年前だかミッドレベルはPeel街金莉大厦に住いし折、バルコニーだの裡の納戸の水漏れだのひどく家主T女史の按配にて遣わされしがK師傳、それ依頼引っ越す毎にやれ水回りの工事だ寝室の普請だのと師傳に依頼すること屡々。お互い知った仲にて遠慮もなく師傳も余が何かと道具から脚立まで用意し手伝うことに恐縮もせず。今回は件の書棚取付け玄関の扉の不具合調整し客用のトイレのタンクの水位調整を依頼。昼前に全て片付けこれを機会に曝書、文庫本整理。修甲。靴磨きすれば靴墨まで固まり寒さ厳しき。昼にジム。実に三ヶ月ぶりに筋力トレ。二三十分で僅か数ヶ月前の重量に二の腕、肱が笑い脂汗泌むほど。明日の筋肉痛思いやられる。上海風呂に参り擦背、按摩に修脚済ませ日がな午後、誰もおらぬ大風呂に一人つかるも愉快。冬至なら湯に柚でも浮いていれば格別ながらそこまで期待してはいけぬ。帰宅してモツ煮で麦酒。南瓜煮、赤鯛の塩焼、韮のチヂミに蕪の味噌汁。酒は菊正宗。冬至の晩に隣家にて親族にて宴あり五月蠅いのも節句にては我慢かと思ったがどうも罵り合いだか口喧嘩始まり精神に異常来しているのであろう老妻が卓子仆したかしたらしくグァチャーンと硝子割れる音して老妻発狂したが如く大騒ぎ。男連中飲み直しか外出し隣家は静まりゴミ捨てに出てみれば隣家にて卓ひっくり返し台無しとなった食事は冬至らしく盆菜にて半ば食べてもおらず。盆菜は広東の田舎料理の所謂「おせち」にて肉だの魚だのまったりとした醤油味で煮込んだ盆盛り合わせ。マイルス&コルトレーンの“On Green Dolphin Street”実に四半世紀ぶりだろうか?で聴く。Patti Smith聴きつつ柚子湯につかり暖とる。アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』岩波新書読む。日本語訳が拙く訳者のロイ女史による素晴らしい「散文」を日本語で表現したかったのはわかるがたんに語りかけ口調と論説調、それに「です・ます」と何気ない随筆の如き物言いが混在し読みづらきこと甚だし。一貫した記述になっておらず。男性の訳者が敢えてロイの「女言葉」意識したことも間違い。岩波書店にしてみれば帯も新書版の半分以上の幅にまでして坂本龍一の推薦文まで付けたは今年一番のヒット狙おうとの意欲作だったのかも知れぬし実際に養老先生の「バカ本」など読むよりロイ女史のこの記述のほうがよっぽどタメになるはずがこの訳では。岩波書店の編集者納得して、これか……理解できず。
▼SCMP紙に中国でチベット「自治」区の東北に位置する青海省よりRay Cheung記者によるこの地域での異常気象の報道あり。青海省といへばウイグルに続く砂漠とチベットに連なる山岳地方の印象強いが実は青海湖を有するほど水もけして豊かとはいへぬが河川多く山々の巨きな堰が湖水となった処も多し。曾ては年に十五から廿日ほど雨天だったものがここ数年は年に三四回降水があればマシなほう。Madoiと謂われる地域だけで過去十年に四千ほどの大小の湖水が消滅し160萬ヘクタールの緑地の七割が砂漠化した、と。現地のチベット族の若い夫婦は砂漠化する土地で家畜の放牧=生計に大いな打撃。工業化された地域に住む我々=自然破壊、異常気象の元凶が実は何ら異常気象の影響を受けず、じつは最もエコに則して生きる辺疆の地の人々がその最も深刻な影響受ける不平等。
▼公明党代表の神崎君、廿日に実質的「日帰り」で陸上自衛隊派遣予定地イラク南東部のサマワ訪問の後クウェートに戻り「サマワ市内は比較的安全」で「復興支援の様々なニーズがある」と述べ現地の治安安定を認め防衛庁は「陸自先遣隊派遣の環境は整った」と判断(朝日)。公明党は自民と組むことで与党内にあることで自民党の専政をば抑制するはずが自民党期待以上に自民のため献身的貢献。イラクの「現場」をば日帰りでちょっと眺め安全宣言とは立派なもの。安全なら長期滞在し公明党サマワ支部でも組織すれば宜し。

十二月廿一日(日)新界は林錦路に位置するKadoorie Farm & Botanic Gardenにて開催されるKadoorie兄弟追善記念レースに参加のため同農場。朝の石崗の気温摂氏6.8度。Kadoorie家は祖先は東印度会社に繋がるといふ印度系富豪にて現在はペニンスラホテルや中華電力の筆頭株主、慈善事業などにも積極的にて中華電力の度々の電気代還元といいこの農場経営といいどこか英国のユートピア思想、空想社会主義的な雰囲気あり。この先代のKadoorie兄弟追善のレース二年連続にて申し込みながら一昨年はレース前日に親不知抜歯し走るにも走れず昨年は競馬の香港国際と重なり余の登録にてZ嬢が参加。今年は正式参加のZ嬢、T1夫妻とT2夫妻も。Kadoorie農場の敷地内に拝む観音山(標高450m)の頂上まで一気に標高差400mを5kmの道のりで駆け上る、といふ結構過酷なるレース。終って観音山下りバスでネパール人多く住ふ錦田。Katmandu Villaなる料理屋にてネパール料理の昼食。錦田より歩いて昨日開通なったKCR「西鉄」の錦上路站。呆れるほど巨大なる站舎、南昌〜元朗といふ中途半端な路線には不相応の車両=ホームの長さ(写真)、站前のバスターミナルなどもかつて日本で東北新幹線にて那須塩原とか白石蔵王といった駅舎出来たころ彷彿させる閑散ぶり、今後の開発をば想定してだろうが半永久的にこの建設工費の回収は無理は確実。列車は錦上路站を出ですぐに大欖の山潜る隧道へと入り美孚から終点でMTRの東涌線に乗換えとなる南昌站までずっと地下走る。帰宅して夕方転た寝。起きて北角の寿司加藤。一緒に走ったT1、T2夫妻と寿司。日曜日ゆえ小さい子連れた家族多し。なぜか更に皆で拉麺所望し「札幌」にて葱拉麺。帰宅して十時前に臥床。ここ数ヶ月の疲れも限界か。

十二月廿日(土)晴。朝の気温摂氏九度まで下がると予報のところ十一度ながら香港にては極寒。毛糸帽、マフラーに手袋といった防寒服の市民多し。土曜だといふのに年末までに済ますべき諸事あり。午後九龍に有事。競馬の予想もできず馬主C氏の多利高並びに好利高揃って同レースに参戦ゆえ馬券買うが両馬とも着外に甘んず。巷には聖誕祭祝ふ異教の民多し。銅鑼灣の家具商池屋に家具取付けの小さな金具購ひに参れば池屋店内には展示の調度家具に遊び暖をとる家族多し。帰宅して鶏腿肉のシチュー食し葡萄酒Chateau Chemin Royal 99飲む。この時期市井には浮かる者多く買物すれば店員誰彼構わずメリークリスマスと宣ひ料理屋に入らば暴利貪る聖誕祭の特別メニューあり自宅に食すに限るべし。シュタルケルのチェロでドヴォルザアクのチェロ協奏曲聴く。
▼イラク(もはや「井落」か)にてサッダム、フセイン君生捕りにされれば次なる米国が標敵は利比亜のガダフィ大佐なり。今にして思えば冷戦の時代、米国は共産国家敵としつつ今のイスラム国家相手ほどの強硬手段には出ず、ある面ではソ連や玖馬など放置状態。21世紀のこの米国の覇権主義が冷戦終結さえた上での独善といふ捉え方も可能だが、寧ろ重要なることは社会主義だの共産主義だの敵といふにも烏滸がましき虚体、それに対してイスラムは米国の彼らにしてみれば本当に潰しておかねばならぬと信じずにはおれぬほど畏れ多き実体であるといふこと。イスラムに対する必要以上の畏怖。同じ欧州でもフランスなどイスラムに対する許容度あり英国はやはり歴史的にもイスラム化したことなき点が米国に追従する由か。
▼作家米谷ふみ子女史はイラクへの自衛隊派遣を「この自衛隊派遣は憲法を改めるための口実である」と断言し「泥沼に足を突っ込んだ」日本を憂ひ米国史専門の猿谷要氏は「ローマ帝国や大英帝国などかつて歴史上に覇をとなえた国はみな他の国から愛されなくなって衰亡への道を歩んだ」のであり「アメリカが確実に衰退への第一歩を踏み出しているように見えてならない」と言い切る。世界は何処へ。
▼日本では今年春の卒業式にて全國の三萬七千餘の公立小中高校全校にて國旗掲揚。天晴れ。それでこそ公教育。文部省曰く「教委の取り組みが進んだり、國旗國歌への理解が深まった結果」と指摘。教委の取り組みが進んだのは國旗掲揚せぬことが處分につながる體制が出來たからの由、進んだのは政府文部省の強制、日本國民に國旗國歌への理解が深まったなど笑止千萬、單に國民は思考停止状態ゆえ何を強制されようが叛應せぬだけか。己も含め何も誇るもの、賞め讃えるものなき世ゆえ國家といふ共同幻想に身を委ねるだけの話。ちなみに東京都教委は國歌について國歌齊唱はピアノで伴奏することなど含め實施指針を提示したそうだが何故に我が國の國歌をばピアノなる泰西の樂噐にて演奏を強要するか。植民地主義。我が國の傳統と文化を謳うのなら我が國古來の樂噐にて演奏すべき……なんてね。所詮、黒田節程度の薩長の田舎歌に戯れ(ざれ)の恋歌をば載せた節を明治政府のお傭い西洋人が洋樂風に編んだのが君が代。その時點で我が國の眞っ當なる傳統と文化よりかなり傾(かぶ)いた樂曲。ピアノ伴奏は實はそういった史實に忠實かも知れぬ。いずれにせよこの「君が代」は日本語解さぬ者の戯作ゆへ「きぃいみぃいがぁあああよぉおおおわぁーあちぃいよぉおおおにやぁあちぃいよぉおにぃい」などといふ日本語の美しき音節(きみがよわー、ちよにやちよにー)すら臺無しにした駄曲と化したのであり、本當に我が國の文化なり大切に、と宣ふのがときの首相、政治家の役割なら(そんなのが役割ぢゃないのだが)憲法だの教育基本法の改訂のまえに「あの」我が國古來の文化傳統に則さぬ「君が代」なる「押しつけ國歌」(笑)をば、せめて節まわしだけでもどうにかしようと感じぬか。國を愛する心などと口にする者にかぎって實は傳統も文化も理解しておらず。
▼新宿のL君より。伊蘭人にて同性愛者のシェイダさんなる御仁祖国にては同性愛者ゆへ死刑になる惧れあり日本にて難民申請するが受理されず不法滞在にて強制収容所に入れられ伊蘭に強制送還されるを不服として上告。結審を控えそのシェイダ氏の最終意見陳述をL君より送られる。
1 尊敬すべき裁判所の皆様、ここにお集まり下さった皆様に、ご挨拶申し上げます。
2 3年を越える歳月を、私は待ち続けました。そしてついに、裁判官のご判断をうかがうことができる日が、やってこようとしています。この長きにわたった年月の 間、私の祖国、イラン・イスラーム共和国の体制、人間をうち砕き、死に至らしめる機械のようなその体制には、いささかの改革も見出すことはできませんでした。
3 裁判長殿。私たちが生きるこの時代には、人権に関わる問題は、いつも政治的な思惑によって、様々な圧力をかけられてしまいます。真実は、現在世界を動かしている政治権力に都合のよいことしか明らかにされず、人々に知らされることはありません。人権に関わる問題は、既成のものの考え方を揺るがさない限りにおいてしか、正当なものとして扱われません。さらに、人々の心が既成のものの見方、考え方に捉え られ、それを当然のものとして受け入れていることが、このような現代世界の政治の ありかたを、さらに強固なものとしています。世界の国々は、人権のためと称して、 豪華なホテルの洒落た部屋の中で会議を開いています。しかし、そこで彼らがやって いるのは、人権問題の重さを自国の経済的・政治的利益に都合がよいように変更し、第三世界と名づけて作り上げられた地獄がどれほど人権を遵守しているのか、高みから点数をつけることだけなのです。
4 裁判長殿。イランでは、同性愛者たちが生きてゆくことのできる環境は、法的にも、社会的にも、これまで存在したことはありませんでしたし、今もなお、存在しません。日本の法務省はその書面で、テヘランにある「ダーネシュジュー公園」という公園について、「イランの同性愛者たちが集まる場所だ」と指摘しましたが、いまやこの公園は、イスラーム寺院の公園へと変えられようとしています。それ以前にも、この公園は、同性愛者ではなく、イスラーム革命防衛隊、革命委員会の兵士たちが集まる場所でした。イランにある、ほかの大きな公園でも、今ではイスラーム寺院が建設されつつあります。
5 裁判長殿。同性愛者を処刑する法律は、私たちイランの同性愛者たちの首に押しつけられた刃であり、私たちは、毎秒のように、その刃が今にもこのうなじに振り下ろされるのではないかと怯えながら生きてゆくことを強いられています。同性愛者たちが健全に生活をすることができる環境はまったく存在せず、社会は同性愛者たちと向き合い、話しあおうという意志も持ちません。もっとも近しい人たちにすら、私が誰で、どのように感じているのかを、うち明けることが出来ないのです。このような場所で生きている私たちに対して、なぜあなた方は言うことができるのですか、イラン人同性愛者は、難民ではない、と。
6 裁判長殿。イランのイスラーム体制に対する抵抗組織で活動するということは、拷問と死刑の危険にさらされるということを意味します。何千人という政治犯が大量虐殺されているのをご覧になれば、それはすぐにおわかりになるでしょう。よろしければ、あなたご自身でイランにいらしてみて下さい。あの国に入国したまさにその瞬間、おわかりになるはずです。イランでは、不安を抱くことなく、ただ気楽に通りを歩くということすらできません。イスラーム革命防衛隊、風紀監視隊、民衆動員軍、警察、革命警備隊などが絶えずパトロールしており、イランをまるで巨大な牢獄のようにしているのです。まさにそれは、サルバドール・ダリが描いた、空想の城壁のようです。どんな場所でも、ちょっとした片隅にさえも、牢獄の壁があり、看守が立っています。そして、個人の生活のもっとも些細な部分にさえ、介入してこようとするのです。
7 裁判長殿。1951年に発せられた難民条約の第1条で、難民は、次のような人間であると定義されています。「[難民とは、]人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、および政治的意見により、十分に理由のある迫害の恐れを有するため、国籍国の外におり、国籍国の保護を受けることができない、もしくは保護を受けることを望まない者である。」この条項に従えば、同性愛者であり、そしてイラン人の同性愛者人権擁護団体「ホーマン:イラン同性愛者人権擁護グループ」の活動家である私は、難民に他なりません。難民として認められることは、私の権利なのです。
8 裁判長殿。誰でも人間であるなら、生まれながらに人を愛し、自分の意志に従って生きる権利を持ち、そのすべをそれぞれの人生の中で、自然に学んでゆくものです。しかし私は、母国において、この人間の基本的な権利さえ与えられず、どのように愛し、生きればよいのかを、考えることさえも許されていませんでした。私は願っています、裁判所の判決が、恐怖も不安もなく、自由に生き、自由に愛することを学ぶ権利を、私に与えて下さることを。私は願っています、私の裁判の判決が、未来のための第一歩となることを。その未来とは、あらゆる人が、誰に対しても、どのような場所においても、愛する人が欲しいと思う花を贈ることができるような未来。花を贈られた人が、世界のどこにいようと、微笑んでお礼を言うことができるような未来。そして、その時、その微笑は、その人の一番美しい微笑であるという、そのような未来です。自らの意志によって生き方を決めることができ、投獄や死の恐怖に怯えることもない、そのような未来です。
9 私が今日ここで最後の意見陳述をする時間を与えて下さったことに、心より感謝いたします。そして、ここに集まって下さった方々、私の話に耳を傾けて下さったことに、心よりお礼申し上げます。(原文ペルシア語)
……世の中には様々な差別、蔑視と偏見あり。日本政府にしれみれば「面倒な……伊蘭に還りたくなければ仏蘭西なり和蘭陀なりアンタを受け入れてくれる国に行けばよろし」といふところ。ただでさへ難民など受入れるが面倒のところ、こんなのまで、といふのが本音か。本来の国際貢献なり、首相小泉三世の謳った憲法の前文に則せば、かふいった難民受け入れてこそ饒かな国家。それを等閑にして米国のイラク征伐などにのみ荷担して何が国際社会で責任ある地位だろか笑止千萬。

十二月十九日(金)晴。厳寒。早晩に中環に向かふが年暮の金曜日では市街に渋滞あり運転手に山頂のStubbs道抜けるを請へば元政務司司長‘香港の良心’陳安生女史などお住まいのEvergreen Villaに近き展望地に暗闇のなかに二百人近い群衆あり寒さのなか香港市街と湾岸眺めバスを待ち何の騒ぎかと思へば大陸からの観光客。ピークトラムの終点にある所謂「ピーク」まで上らず此処で展望済ますは団体観光の定石ながら本来「隠れたスポット」のはずが大量の客に当然それを搭せたバスの数も多く駐車場なき場所ゆえバスの方向転換すら能はず大型バスは灣仔ギャップ道と接わる警察博物館に近き駐車場にて客待ちするが此処がバスの大渋滞にて警察官が整理に出る有様。漸くこの渋滞抜けたかと思へば今度は中環の蘭桂坊に下りる車の渋滞に入り仕方なく旧総督府辺りでタクシーを乗捨て歩いて蘭桂坊。日本料理のなお善。日本経済新聞の忘年会といふか慰労会にお招き頂き末席を汚す。日経香港会社の董事長氏、香港支局長のA氏らと歓談暫し。なお善はかつての「福喜」にて九十年代に鳴り物入りにて開業した最高級日式料理店、数奇屋様の外装及び内装は当時の竹中工務店香港支店の傑作にて同じ竹中施工の通り対面の和菓子処源吉兆庵といい一対であったがバブル崩壊し福喜の経営変わり突然、数奇屋様の外装が岡本太郎的金色波壁となり唖然としたが今晩二階の座敷に通されれば幸いなことに二階の内装など崩されておらず竹中施工の、新建材など言語道断、檜など贅沢に真材用いた内装残るを見る。終わって余の日経Galleryの編集者であり十年来の畏友M氏と広州在住ながら最近は海南大学でも教鞭とられるといふK氏のお二人と外国人記者倶楽部にて一飲。
▼蘋果日報に日本人集団買春事件で中国側より国際刑事機構通じて国際指名手配された、買春手配に勤しんだ住宅リフォーム会社の社員三名が写真入りにて実名報道(新聞)日本政府は内閣官房長官福田二世が日本の法律に牴触せぬかぎり警察が調査はできず調査も国内法にのみ対応し犯人が日本国民であるかぎり中国には引き渡しできずと発言したことを報道。日本政府はペルー前大統領のフジモリをば日本国籍を理由に引渡拒否の実績あり、と指摘。嗚呼わが国のこの民をば衛る強固なる姿勢に我ら国民は安寧。海外で「がんがん」遊び麻薬買春窃盗の限りつくし必ずや現地当局に拘束されぬ前に我が国へと戻りその庇護を得て犯罪から潜り抜けるべき、か。日中間に犯人引渡条例なきことで中国とて日本で犯罪犯した輩も中国内で野放しも可。

十二月十八日(木)晴。金鐘のPacific Placeにて恒例、聖誕祭の聖誕老人との記念撮影あり(写真)雪景色つくり、香港的には冬とはいへ雪も降らぬ風土にてのこの疑似体験、ヒトの可笑しさ。
▼週刊新潮に芸人・橋幸夫氏の先の衆議院選での不在者投票に怒りの写真記事あり。橋先生、先月京都だかでの興業あり不在者投票用紙をば居住地の渋谷区から取り寄せ不在者投票に当地で参ったところ選管より投票無効とされたこと。不在者投票は立会人の前で本人が行わねばならず予め投票用紙に記入して持参した橋先生の投票は無効。橋先生は間違いを認め再投票を希望したが一旦無効になった投票は無効と選管相手に為す術もなし、と。ここで余が矛盾感じたは海外からの投票で、海外からは立会人などおらぬところで記入された投票用紙が国内でちゃんと受理されること。橋先生のサイト通して橋先生にメール差し上げる。
橋幸夫様 週刊新潮で橋さんが投票無効にされたことを知りました。立会人のいないところでの記入がその理由だそうですが、私も橋さんと同様、それが納得できません。と申しますのは海外に住み海外から郵送で不在者投票をしている私ですが海外からの場合、国内の選管から投票用紙を郵送してもらい、それに比例代表制の政党名を記入して送り返します。重要なのは、この作業では立ち会い人が不要なのです。海外からのそれを受け付け橋さんなりが国内で自らが記入して選管に持ち込んだ投票用紙は無効とする、この大きな矛盾。理解できません。ご参考までにこの矛盾した事実をお知らせします。
▼The Happy Valley Million Challengeにて馬主C氏のDashing Champion見事優勝の栄冠。C氏の子息B君に余が「最後までサイズ厩舎のMighty Hugoが強敵にて勝ち数ではあと1勝すればDashing Championと並ぶ3勝目ながら二着1回あり点数ではDashing Champion抜いて優勝。だがMighty Hugoは十二月に入り休養続け昨晩 スタンバイで結局参戦できずといふ結果に安堵と驚き」と述べるとB君もC氏家族皆昨晩Mighty Hugoが逆転賭けて参戦せずの結果に驚きサイズ調教師の常なる見事な配馬ぶりを知る者は、結局そのMighty Hugoがスタンバイしていたレースにて同じサイズ厩舎のDynamic Funが一着となったものの、なぜサイズ師が二頭出さなかったのか察するも能わず、と。ちなみに来たる土曜日の沙田のレース(二班芝1600m)にはC氏のDashing Championと一班より降格のDashing Winnerの二頭が同時参戦とのこと。
▼産経新聞愛読?の築地のH君より産経の投書欄に「米大統領の正義感に拍手を」といふ高知市の主婦島崎美幾子さん(55)の文章ありH君それに驚愕し報せあり。
フセイン元大統領拘束の報道に、安堵しました。もう少し早ければ、奥大使、井ノ上一等書記官もイラク中部のティクリートでテロの銃弾に倒れることもなかったのでは、と思いました。ブッシュ米大統領が一貫して言い続けているテロとの戦い。米軍兵士たちの、テロを制圧するという並々ならぬ決意の結集に、ほかならないのではないでしょうか。捕らえられたフセイン元大統領は穴ぐらの中で、75万ドル(約8000万円)を枕に横たわっていたそうです、卑怯で身勝手な独裁者に振り回され続けたイラク人の不運を思わずにいられませんでした。改めて、ブッシュ米大統領の正義感とリーダーシップに拍手を送りたいと思います。
H君曰く日本人としての誇りは何処へ、と。戦後日本国民を洗脳しようとしたアメリカの占領政策は見事に成功しこのような国籍不明の亡国的な意見を生み出すに至る。本来、産経の読者であれば「欧米の植民地主義からアジア解放のために戦って倒れた英霊になんとお詫びすればいいのでせふ。私たちは今一度ど民族の誇りについて思いをかみ締めるべきです」と思うが当然のはず。東京裁判史観批判派の皆さんはフセインを裁く「勝者の裁き」にはどのように反対されるおつもりか? この投書読み余はふと原理系の世界日報とてこのような投書は恥ずかしく掲載できぬのでは?と思うがH君曰く世界日報なら反共インターナショナリズムにて盟米国称えるのは真っ当(16日の同紙社説参照)。だがいやしくも日本の民族派とか愛国者とか自称する勢力がこのような東京裁判史観に毒された投書をまあ恥ずかしげもなく掲載。これでよくも靖国神社への参拝に能ふ哉。いや「悪いけどオレいまアメリカと組んでるからさぁ」と英霊にお詫びにいくのか、とH君。ちなみに19日の世界日報サイトのトップ記事は宮崎県都城市で市議会が「同・両性愛者参画条例を可決」とあり。市長と共産党が主導、と一瞬、比較的好意的な記事かと思えば解説にて当然この可決に疑問呈し世界日報らしさに安堵の感。
▼ふと思い出した会話ひとつ。パリのセイヌ川沿いに並ぶ露天の古本屋にて主人が初老の男とふたりでだんまり。何かと覗けば日本の将棋に夢中。あんまり「いかにも」の風景にこれもパリらしさか、と感じたが、この話、先日、月本氏とN氏にしたところN氏「やはり「大手飛車取り」は「オウテイシャトリー」とか仏語風に呟いているのだろうか、と。

十二月十七日(水)晴。インフルエンザか感染性胃腸炎かしらぬが癒らぬうえに多忙。いろいろ片付けるうちに朦朧とラリるれろ状態。帰宅してVCDで“Party Monster”観る。同題でもMacaulay Culkin主演で今年封切りの映画に非ず97年のドキュメンタリー版。九十年代前半の紐育のクラブシーンでのご乱痴き騒ぎ、outlaw partyの熱烈ぶり、狂うことの彼らなりの正常ぶり等々。牡蠣鍋しつつ(身体が弱いときに牡蠣はマズいだろうか)競馬中継観る。馬主C氏のDashing ChampionがThe Happy Valley Million Challengeにて総合優勝。Fighting Mascotが今晩三勝目あげドキリとするがDashing Championの3冠1李には僅差で届かずR8で控馬のMighty Hugoが2冠1亜で仮に棄権馬など出てMighty Hugo参戦し一着にでもなると大逆転もあったが幸運の女神は馬主C氏に味方。賞金HK$65萬也。
▼日本で何が困るかといえば携帯。世界の主流はGSMながら日本はGSMは旧式と一気にCDMAだのFOMAだのに飛びつき普及、いずれ世界も追いついてくるはず、と狙ったが期待の欧州でもいまひとつ第三世代普及せず、香港も先日NECの社長来港して年明けには第三世代の発売開始謳うが日本ほど「たかだか携帯」に大層な性能だの機能求めぬのが世界のスタンダードにて複雑な携帯が普及せぬ理由は何よりも日本の如く電車の中での通話すら禁止するからメッセージなど送るのであり香港の如き携帯解禁地域にてはメッセージ送る手間に比べれば通話すれば済むこと。また日本の通話料の高さもメール促進の主因、携帯通話が月HK$280で1800分無料などといふ香港では通話せぬほうがアホ。結局、世界中どこでもGSMの携帯持ち歩けるのに日本と韓国だけ鎖国状態。日本で携帯をばいちいちレンタルするも不便でせめてプリペイドの携帯購入も考えるが数ヶ月の未使用で番号すら取り消させる不便。どうにかならぬものかと思案していたら結局、そういった不便を理解するのはベッカム様のVodahoneにて日本と海外で使用可能の電話で国内で使用なき月は基本料540円のみ。これはVodafone Global Standard(U-SIM)なるシステムで、日本では使わぬが海外渡航多き者へのサービス、だが逆に見れば国外では使わず余の如く偶に日本訪れる者には日本だけでの使用に便利この上なし。8月に帰省の折、郷里の旧J-phoneの店にて懇切丁寧な説明を受け残念ながら当時の機種在庫なし。八重洲口のお店を紹介しますので今度ご帰国の前にでもお電話いただければ、とのこと。それで早速その八重洲口北口の店に電話するが同じVodafoneでもこれまた最低な職員が電話に応答し「電話機購入の予約はできません、お買い求めの際に在庫があれば売れますが、いまはうちのお店だけじゃなくてもどこの支店でもこのGlobal Standard扱ってますから」と唖然とするほど「モノを売る」誠意もなき接客。唖然として電話切るだけ。郷里の支店に電話すれば偶然にも8月に対応された副支店長いらっしゃり余のことを覚えており事情説明すれば在庫もあれば取り置きもするので近いうちにご家族の方にでも契約し携帯購入いただければ月々の使用料の支払い契約は郷里に戻られてからご本人様にしていただければ結構、と誠に人智あふれる対応。この副支店長、ご連絡いただいておけば携帯の充電まで済ませておき即ご使用になれるようにしておきます、とまで宣った方。敬服に値す。八重洲北口店の対応はひどいがこのVodafoneなる会社、どこかの元国有独占企業系とは異なり、やはり世界のなかで日本人とてどのようなニーズがあるか理解されている、と先日も月本氏らと語る。

十二月十六日(火)晴。諸事に忙殺されインフルエンザかウイルス性胃腸炎かかから回復せず体調悪し。晩にランニングクラブの幹事会あり毎度ご利用でFCC。帰宅して体調不良甚だし。発熱もあり深夜何度も目覚め服薬。寒さのなか発汗ひどく喉の渇きに食す蜜柑の美味さ。数日きちんと休養せばいいものを年末の慌ただしさにてそれも能わず。ふと彷彿するは97年だか英国で友人T君を訪れた折にT君は冬のロンドンらしくインフルエンザで病臥にあり。T君宅訪れれば寝台にあるままT君曰くインフルエンザにて四五日ほど休養要せば回復するであろう、と当然の如く。二人の幼き息子は寝室にも近づけず。余の感覚にてはたかだか風邪で、だがそれにここまで休養をば徹底する文化の違い。だが老いれば風邪も馬鹿にできず。

十二月十五日(月)晴。晩に九龍で高座済ませ夜な夜な灣仔のホテルにて月本氏夫妻とN氏と再会。中環のFCCにて一飲。イラクにて広末涼子逮捕されたといふ誤解につき款談。DNA検査のためサッダム、フセイン君舌裡より細胞採取される姿映像にて世界中に呈わにされあれがもし広末嬢であったならば舌先デロリンもかなり好事家には萌えるお宝画像か、と。深夜に薮用あり銅鑼灣。Lockhart道の歓楽の盛様もたまに訪れると怖いほど。なぜこれほど迄に人は精力的に夜這いするのであろうか。薮用は某氏に或る仕事の片づけ頼まれ深夜にエクセルシオールホテルのカフェにてケーキなど購い、この姿など見られただけで鼻の下長くしたオヤジが深夜にフィリピンパブにでもお土産持参で御遊興か、といふところ、ケーキ携え歓楽街歩くだけでも恥ずかしく知人になど遇わぬこと祷るばかり、相手先訪れ話つけてケーキで手打ちして示談終了。我ながらトラブルバスターの如し。
▼サッダム、フセイン君の生捕りにつき四国の、未だお会いしたこともなき知友曰く、サッダム君が今回の「当該事件について正確に評価するのが難しいのはこの人物が十年以上昔の戦争でも主役だったから」であり「一九九一年の湾岸戦争の発端はイラク大統領サッダム・フセインによるクウェイト侵略」にあり「これは明確に犯罪であるから米合衆国大統領ジョージ・ブッシュ(大)によるイラクへの攻撃には正当性が確かにあったわけで」「従って仏共和国の文人フランソワ・ミッテラン大統領をはじめとする世界各国の指導者たちは米国を支持したが日本政府は莫大な戦費を負担したにもかかわらず「血を流す」ことがなかったため消極姿勢を貫いたと見られてしまい戦後にはイラクとともに敗戦国扱いを受けるに至った」のだが「他方、今回の戦争の場合、たとえサッダム・フセインが暴君であるにせよ前回とは違い外国侵略の悪事を働いたわけではなく従って米合衆国大統領ジョージ・ブッシュ(小)によるイラク侵略には正当性はない」のであり「むしろ今回は米合衆国側こそが前回のイラクの立場にあると云わざるを得」ず「今回の戦争に対して仏共和国大統領ジャック・シラクや露連邦大統領ウラディーミル・プーチンが当初は否定的だったのは当然」であり「だが日本政府は当初から戦争に積極姿勢を示し遂には軍隊に見えて軍隊ではない「自衛隊」のイラク派兵をも決めた」もので「正当性ある戦争にさえ消極的だった国民が正当性を欠く戦争には積極的に頑張るというのは何とも不可解な話」でありサッダム君は「十年以上昔の湾岸戦争において犯罪人だったのは間違いないが今の戦争においては悪人ではあっても犯罪人ではない」のであり「現時点において十年以上昔のことを正当化の根拠に持ち出している者はいないように見受ける」かぎり「今宵の逮捕にはやはり正当な理由がない」と指摘。御意。そのうえ氏の重要なる指摘は「ここで不図思うのは「私学の雄」早稲田大学のエジプト学博士吉村作治教授」に及び「かの教授は前回の湾岸戦争に際しては各種報道番組や討論番組に盛んに出演してはイスラームの貧困の現状を説いてクウェイトに対する中東諸国の反感の指摘にまで及びサッダム・フセインを必死に弁護していた」が「博士によるイラク弁護の論は前回によりも今回にこそ妥当であり得た」はずであるのに吉村教授に限らず「十年以上昔に戦争反対を声高に唱えた「知識人」たちが今や声を上げようともしていないかに見えてしまうのは何故だろうか」と。「それがもし小泉安倍石破ネオコン政権の「国民的人気」に恐れをなしての沈黙であるなら日本国民は実に「血を見る」のを愛好する好戦的な人々に化したのであると了解するほかない」と。

十二月十四日(日)周日沙田馬場上演一年一度国際賽盛事(写真)毎年のことながら馬場開場の時間見計らいHung Homより馬場経由の一番列車に乗れば一等車はどうもいつもこれで来場する常客少なからず和気藹々とするなかSCMP紙のここ数日の国際盃についての記事切り抜き読んでいたらHung Homより乗った品ある老婆に「今日の予想は?」と尋ねられ「あんたくらい真剣に新聞の競馬「記事」読んでたら当たるだろう」と言われ旺角から乗ってきたオヤジには「あんたの顔には福がある」と煽てられ内心「国際G1で一度も的中なき」事実に忸怩としつつ褒められて嬉しくないはずもなし。気温は摂氏十三度が馬場訪れれば陽が煌々とさして汗ばむほど。Nさんや巴里でも競馬ご一緒したいなご社長など懐かしき顔ぶれ。テレビの構成作家?M氏もバンコク経由で香港入り。開幕の中国国歌演奏、演奏の途中で放送がプツリと切れ何事かと思えばR1のどうでもいい馬の背負量の1磅増量(笑)。それを国歌吹奏中止して放送とは責任問題か。R1でMiracles(Marcus)とAmbition(Soumillion)のQ25倍、R2にてHelene Vitality(Marcus)のW12倍とCheers HK(Fallon)とのQ136倍、BeetovenとのQPまで的中させ幸先良いが運を使い果した感もあり。HK Vaseはフランス馬という甚句須あり予想では97年の凱旋門賞Peintre Celebre父馬とするVallee Enchanteeに○しておきながら連勝で浮かれたか粗忽にもこの馬見落とし同じ11倍という仏馬でFair MixとしてしまいVallee Enchantee(Boeuf)入る。ちなみに二着も仏馬のPolish SummerでやはりVaseは仏蘭西馬に限ると痛感。R4はSan Lorenzo(Whyte)とScintillation(Marwin)のQ。香港短途錦標(国際G1)は初戦から七戦七勝のSilent Witness(Coetzee)の一着と南アフリカ馬National Currency(Marwin)の二着までは当然として三着に香港馬からFirebolt(Marcus)とCheerful Fortune(William)脚にしたところCape of Good Hope(Kinnen)入ってしまふ。それにしてもSWは調教師Cruz君0.55.0の時計狙うと宣言、それが0.56.5というSWの最良時計より1秒遅い平凡どころか陳腐なほどの時計にて優勝はNCが積極的なレースに出てハナをとりそれを残り2ハロンから余裕で抜いて「はい、おしまい」と王者には許されぬ勝ちを取る作戦で国際G1でこの0.56.5は許されまいに。R6はSize厩舎のGem of India(Fradd)とCalifornia Hawk(Coetzee)で一二着固いかと思えば間にClassic Master(Soumillion)入る。香港マイル(国際G1)は日本馬Lohengrin一番人気、香港馬ならLucky Ownersなのだろうが同じ香港馬でHo Choiが調教の時計ではLOの47.6に対して46.6と俄然調子よく而も騎手がSoumillion君ではCruz調教師とCoetzee騎手のG1連勝もあるまひと見越してHo Choi軸に日本馬でLohengrin(Desormeaux)とAdmire Max(福永)としたがLucky Ownerが勝ち何故これまでこの馬を支持してきて(十戦六冠三亜一負)今日初めて外したのかと猛省、Lohengrin三着で二着にBowman's Crossing(Kinane)入ったのが番狂わせ。香港カップ(国際G1)は一番人気ははFalbrav(Dettori)で日本馬はエイシンプレストン(福永)、香港馬は牝馬Elegant Fashionが対抗馬。SCMP紙にはFalbravが実力では一番だが海外遠征の疲れもあり、と指摘あり余は十月の英国チャンピオンステイクス優勝馬Raktiの11倍なる倍率に惹かれ仏馬Weightlessも実力買いEF入れてRaktiより流すがはFalbravがRakti制し三着にEF入るは立派、馬券的にはあまりにも固すぎ。表彰されるはFalbravの馬主、社台ファームの吉田照哉氏。昨年のジャパンカップ優勝で種馬とするべくの購入ながら馬主として香港で表彰台に上るとはさすが吉田氏。英国馬ゆえに君が代流れず英国国歌。R9より地場戦にて気持ち入れ替え今日好調のKinane騎乗でFiguresを一番人気Bearcat(Coetzee)を破る展開を読み○だが最終R10にてかなり自信もってThe Duke(Marcus)、Cheeky(Fallon)をSize様のSuper Kid(Dye)軸としたが最後の最後でSoummilion君のBullish Luckが70倍で一着となりQはHK$3000近い大波乱に唖然。閉幕の打上げ花火。N氏、M氏ら日本から来られた面々と沙田競馬場のおけら街道?は此処なのか沙田に向かい歩き龍華酒店。馳名の鳩(写真)などこの菜単で「一応」HK$1680は安すぎ(菜単)塩局鶏を追加。また流感か昨日頭痛ひどく今日は胃痛あり風邪の症状あり皆さん尖沙咀に向かうをお送りして帰宅。龍華酒店に着いた頃に携帯で「サダム、フセイン君が妊娠」という情報あり。競馬場におり下界から遮断され誰も何も知らず。フセイン君の妊娠はなかろう、と我々も判断できたが「広末涼子が捕まった」という情報もあり、やはりクスリか、と憶測していたら「そうぢゃなくて広末がフセインの子を妊娠した」といふ、あまりにガセネタ、結局、フセイン君がお縄にかかり、広末嬢の妊娠と知る。フセイン君の逼塞の日々で髭面の形相には零落感ただよふがやはり勇健さもあり。米軍兵士の小僧にカメラの撮影のなかで歯科検査。イラクにてフセインの独裁統治ありそれゆえフセインに反感もつ者少なからずフセイン王朝崩壊を喜ぶ者もあろうがフセイン捕獲されたこと=米国への感謝と支持には値せず。米国のフセイン捕獲の記者会見現場にて「彼は捕まった」というコメントに記者のなかの数名喜び勇み立ち上がり興奮して拳振り回しながら奇声上げ記者会見進まず周囲の記者に窘められる様みて米国政府も政府ならマスコミもこれぢゃと呆れるばかり。CNNは見るも恥ずかしくBBCにてどうにか中継見る。

十二月十三日(土)晴。気温摂氏十三度の厳寒。土曜日だといふのに諸般雑事多し。午後九龍にて高座あり。晩も雑事、月本氏らは九龍城の創發にて潮州料理か、羨まし。晩に自宅で牡蠣鍋。文藝春秋一月号読む。好評の「父が子に教える昭和史戦後編」など読むと曾てはキワモノ扱いされた史観が今では堂々と。歴史は明らかに書き換えられているのだが、ただ所詮、文藝春秋といふ「すでに人生終った」か「終ろうとしている」オジサン雑誌、この企画も「父が」といふところに弱点あり、「親が子に教える」ならまだマシだが、「父が」といふところに子に自らの=日本の逞しさ教えたいといふ父性の幻想あり。また「イラクで日本人の血を流すのか」といふ題の対談企画もあり文春ともあろう雑誌がイラク派兵反対か?と思い参加する佐々淳行氏が何を主張するのか、と期待すれば佐々氏曰く現行の特措法では自衛隊は派遣できぬ。問題点は「派遣は非戦闘地域に限ると定めた特措法二条」にあり、非戦闘地域などない現状は米国も戦争と認めており、また九条には「内閣総理大臣及び防衛庁長官は隊員の安全の確保に配慮しなければならない」とあるのも当初は「注意規定程度の認識だった」ものだが治安悪化でかなり重い条文になってしまい、また防衛長官石破二世は戦闘の定義を国または国に準ずる者の攻撃としており、これによると自衛隊はどこにでも派遣可だが、この定義を佐々氏は十九世紀の古典的な国際法の解釈で、民族紛争や国際テロには対応できず、と。結局この対談はイラク派兵での政府見解は大きな矛盾やごまかしがある、と。……でここで「イラクで日本人の血を流すのか」といふ派兵反対に行き着くのか、といへば文春であるからさにあらず(笑)、自衛隊が行かざるを得ぬのは戦闘地域であるから、重要なのは自衛隊が自らを守る武器使用に関する規定の見直し、と。当然のことながら積極論。ただ最後には派兵について政府がどこまで覚悟を決めているのか、自衛隊員一人の犠牲が出たら小泉内閣退陣くらいの覚悟があるのか、と指摘。この点は確かにその通り。続く自衛隊幹部の匿名座談会では、「政府はなぜ自衛隊をイラクに派遣しなければならないのか、それが日本の安全保障とどう結びついているのか、それを国民にきちんと説明して理解を得てほしい」「我々は命がけで任務を果たしにいくのですから国民に「私たちのために頑張ってください」といわれて送り出してもらいたい」と。本音だろうが残念ながら国民に理解得る決定的な論拠などなし。ゆえに国民も戦艦が出てゆくことに猛々しい涙流すことが快感という呆れた人たちを除けば「私たちのために」とは納得できず。折しも中曽根大勲位が小泉内閣に対して小泉は森より人気があるのに衆議院選挙での得票は森並み、では来年の参議院選挙は苦戦、と分析。その場合、退陣もあり得る、と。大勲位を衆議院議員の椅子から引きずり下ろした罰か(笑)。大勲位曰く自衛隊派遣でも首相は国民にきちんとした説明ができていない、と指摘。

十二月十二日(金)晴。月本裕氏夫妻来港し黄昏に夫妻のホテルで邂い記者倶楽部にて三鞭酒。Z嬢現れ白葡萄酒2本を一時間半ほどでさらさら、っと。新之介君の来年の海老蔵襲名から十月に巴里公演もあり凱旋門賞と時期あえば巴里に行きたいなど話題になり日本贔屓の志らく大統領の話題となり志らく大統領が「志らく」と表札かかった四谷あたりの仕舞た屋から浴衣姿で傘でもさしてふらりと現れたらご近所も誰もフランスの大統領とはわからないだろうねぇ、などと。灣仔の海港潮州酒樓。魚翅も鴿肉のレタス包も鹵鴨、蜆粥も潮州麺も確かに美味。だが紹興酒にて花彫と頼んだのに加飯酒を持ってきて何くわぬ顔、花彫と念押しすると一応引っ込んで黒服と話してきて「花彫がないので加飯で、値段も一緒だからいいだろう」と。値段の問題ではなく三鞭酒に白葡萄酒二本も飲んでるから食事の時はあっさりと花彫酒にしたいのだが花彫がないのならないでいいが黙って他の酒出して平気な顔の、それがこの店をよく体現。接客態度に緊張感の微塵もなし。月本夫妻のホテルに戻り『ハロン』編集長のS氏到着されラウンジのバーで一飲。帰宅してリヒテルのテンペスト聴くがリヒテルという人は独奏すると本当に律儀すぎてやはりオケとの共演にて指揮者に煽られたほうがずっと素晴らしい演奏を見せる。
▼先日この日剰で紹介せし野中広務先生の発言、大阪版朝日にのみ、と書いたが名古屋では更に「引退した私の思いを「無にするな」と、志のある政治家が出てくることを願っている」との野中先生の期待の一文が続く。東京ではもはや引退せし野中先生の苦言など誰も聞かず。
▼十一月十四日の日剰で紹介せし熊本ルーテル(旧九州女学院短大)の大麻教授、熊本県教委のスクールカウンセラーとして派遣されていたそうだが、派遣先の中学には資格なき「大麻教授の双子の兄」がカウンセリングしていたことが発覚。大学の卒業式当日も中学に現れ校長が不審しがり贋物と判明。吉本新喜劇並み、と築地のH君絶賛、なんてイカした教授だらふ。実は大麻に耽る兄を気遣りし弟が兄をば庇護いおっかなびっくり……そういう背景なら松竹新喜劇やな。

十二月十一日(木)晴。気温十七度と肌寒し。今週末に競馬は香港国際盃あり月本氏はじめ日本から知古の来港の方少なからずその報せ頂く。毎年こうして諸氏にお会いできるのも競馬の楽しみ。昼に某氏に誘われ銅鑼灣の日本拉麺横丁。某氏北海道旭川の山頭火所望され昼時ではもう満席と昼前に訪れるが十一時半の開店ですでに満席の模様。その客が食べ始めるところで回転悪く暫く待つ。人気は塩らーめん。確かにじゅうぶんな味と麺のコシだが余は並んでまで拉麺を食さむとは難儀。繁盛の店もあれば客足寂しい店もありさすがに昼の繁忙時間ともなれば他の店の行列に呆れた客空いた店にも流れかなりの混雑。いずれにせよ余はテーマパーク的な空間が苦手。休刊まであと三号となった『噂の真相』届く。かつては二十年以上も前か書店で『噂真』誌、文藝春秋や中央公論、世界といった総合誌の棚に非ず『スパイナー』や『薔薇族』といった好事家誌の棚にあった頃もあり。多少購入も羞ずかしく家でこっそりと読む。世の中アホになるにつけ『噂真』の主張の真っ当さ評価され始め画期的なるは東京高検前検事長・則定衛君の醜聞でそれまで『噂真』なるブラックジャーナリズムなど無視されてきた媒体が朝日が一面トップにて「月刊誌『噂の真相』によると……」とリードに書いたことで『噂真』がメジャー誌となり、これをもって岡留氏が噂真の経営上はよくももはや反権力誌としてのアングラ性欠けることで休刊決意するも理解に易し。それにしてもあと三号と思えば一頁一頁が貴重、一行情報とて至宝の如く感入るばかり。岡留氏の編集長日記読み氏の筆致、殊に見事な句点の作法など今となってあらためて敬服。テレビのニュースにてイスラエルにて反イスラエル派による無差別爆弾炸裂。被害者としての重傷の市民の悲惨さ映るが市民巻き込むといふ点で虐たらしくも被害者も現イスラエル政府成り立たせる有権者であるという点ではパレスチナの民にとっては加害者の一員でもあり。つまり日本とてイラク派兵となればその派兵実行する国家の有権者として日本人が無差別「テロ」の被害者となる可能性も高まるは当然。そういったリスクも承知で国民はイラク派兵に挑む政権をば支持しているといふ覚悟ありやなしや。
▼サッカー選手中田英壽君のサイト。世界に名をば馳せる中田君ゆえサッカーでの印象よりかなりクールさ想像するがサイトに掲載される日記一読すればそのクールな容貌とのギャップに驚くばかり。引用したきところ「本サイトに掲載されている記事・画像等の無断転載・引用・借用等は堅く禁止いたします」と引用すら禁じられ、ではどういふノリかといえば話題は「みんな甘いものって好きだよね〜。僕もそうだけど、とくにチョコ。たまらないよね、もうビックリマンチョコには目がないんだ〜(笑)」といった様。まぁ個人の性格にとやかくはいわぬがファン期待するは当然中田君のサッカー試合に対する文章だがこれも「先週のニュージーランド戦。みんな見てくれたかかな? 何よりも自分がノートライだったのが残念。でも見てくれた人はわかるだろうけどオールブラックスってさ、ほんと壁だよ。(笑) リングの中であの壁にぶち当たるって感覚、わかるかな? それと試合してて痛感したのは、やっぱり世界で一流のチームってフォワードはもちろん強力だけど何といってもセッターがいいんだよね。確実に第四コーナーまわって直線に入った瞬間に内ラチの「ちょっと、そこから来るかよ〜」(笑)みたいなところからトスしてくるんだ。あれってやっぱり勉強になるよ」の如し。世界の一流選手とは思えぬ中田軽薄調は個性。数ヶ月前に『噂真』誌にてこの日記揶揄され余も初めて読んで唖然、以来時々覗くが期待裏切られること皆無。十二月八日の「冬、到来」も白眉。冬のファッションや入浴の愉しみ、知人の選手の子供のことなど話題はいたって尋常ながら、それが中田軽薄文で「だよね〜」(笑)(苦笑)最高!! で続く筆致。まぁ普通に読めと言われれば読むが、中田君らしさは写真の趣味。部屋に飾るお気に入りの写真の話題だがミラノでもギョーカイ筋で有名な“Corso como 10”で迷いに迷って購った写真はMary Ellen Mark撮影の男の子と犬が遊ぶ写真。Bruce Weberもお気に入り。ウェーバーなんて二十数年前に当時東京では青山のギャラリーワタリとか オンサンデーズ、渋谷のパルコの書店とかに写真集が並んでたよね〜(って中田文体)……ってそういうノリか、中田君にとっては。素人さんなら知らぬ写真家の名前見て「さすがヒデくらいになるとサッカーだけじゃなくて写真とかも詳しいんだな。俺なんかサッカーしてるばっかりで写真だって篠山紀信とアラーキーくらいしか知らねぇもんな。やっぱ違うなぁ」で済ませてしまふが、写真に多少の造詣あればMary Ellen Markは傴僂など奇形、サーカス芸人の小人など「かなり」な被写体をば独特に撮る異色の写真家。中田君曰く家には写真や家がたくさん飾ってあるのも綺麗で好きな物に囲まれているのが気持ちいい、といふが男の子が犬と遊ぶ姿とはいへMary Ellen Mark選ぶとは。「なんだ〜」「だよね〜」でこの二人の写真家語る中田英壽。すごすぎ。確かに逆から見えば写真が趣味とは誰でも言えるが部屋に飾ってあるのが日本サッカー協会のお偉いさんから「中田君もこれくらいの写真を飾りたまえ」と譲られた浅井慎平であったりマガジンハウスから寄贈の『ターザン』誌の写真額だったりしたら中田君の感性に幻滅するであろうかも。そして、ここまで「うーん」と唸るほどの写真談義のあと、ここがまた中田君らしいが最近はミカンが美味しい季節になってきたから(……とここで(笑)が入るのがよくわらかぬが)ミカンでも食べてそろそろ寝よう、と結ぶ。これは日記文学上の革命なり。誰もマネできぬ世界。個人サイトでは日本でも有数のヒットサイトだといふが事務所とかこの日記の検閲はせぬのだろうか。これが中田君の「売り」という寛大さか、何もわかっておらぬのか。いずれにせよこの中田ワールドが続くことを祷るばかり。

十二月十日(水)薄曇。睡眠不足続く。原稿書き日剰綴る頃り深夜二時ともなればさすがに睡魔に襲われるが臥牀せば復た目も冴えて読書。ここ数日大正期の『三田文学』にて活躍せし奇才山崎俊夫の全集読む。これで朝六時半には起床。一日かなり長い。昨日イラクへの自衛隊派遣基本計画決定され朝日は一面に社説を載せ「日本の道を誤らせるな」と。誤らせるな、などと嫌な物言い。「我々は道を誤るな」のはず。この距離感が朝日の嫌なところ。読売は一面に論考として「『無為』は許されない」と編集委員橋本五郎君の論考どころか「無意」の文章掲載。ちなみに読売は「無為」を何もせぬことの意で用いたが本来「無為」とは「自然のままで」作為するところのないこと、仏の教えでは因縁によって造作せられないもの、消滅変化しないもの。自然、絶対の意、と(広辞苑)。読売程度の諸君には理解できぬだろうが、無為とは本来「人為即ち「ひとの業」を用いぬことの意。老子曰く「聖人は無爲の事に處り不言の教へを行ふ。萬物作りて辭せず生まれて有せず爲して恃まず功を成して居らず」と(字通)。つまり無為とは何もせぬことどころか、因縁や人為(つまり具体的には日米同盟だのイラク侵攻だの)に左右されず作為せず自然のまま消滅変化せぬ絶対(つまり普遍的理念)であること。日本は本来、平和憲法有し積極的なる意味でのこの無為に則すべき。まぁ理解できぬだろうが。……自分でこう書いて加藤周一的(笑)、築地H君より「衒学的」な「小さな花」(笑)と感想給ふ。また読売は社説で当然自衛隊派遣を支持し「万が一の場合の対応について、首相は「どういう責任が生じるか、その時点で私が判断する」と、責任回避はしないという姿勢を明確にした。自らの決断の重さを吐露したものだろう。 一国の政治指導者であり、自衛隊の最高指揮官でもある以上、当然である」と褒めちぎるが小泉三世は「どういう責任が生じるか、その時点で私が判断する」と述べただけで責任回避せぬなどとは言っておらず。政治生命かけて責任とったところでこの人の政治生命=去就など自民党政権のなかで微塵たるもの寧ろ自民党にしれみれば「やれやれ変人去って、まぁ数年は小泉人気で自民党維持できただけ幸いか」で済むだけのこと。その程度の責任の範疇にて国家の半世紀以上に及ぶ道議壊滅とは。本日はハッピーバレーの競馬場にて国際騎師錦標賽にてオリバー、武豊、ペリエ、デットーリ、ファロン、スミヨン、キネンといった一流騎手ハッピーバレーに集結。この国際騎師錦標賽は第三、四と六場の三戦が対象ながらスミヨン君は七戦全てに参戦。いきなり第一場にて勝ってスミヨンの夜になるのかといふ期待と不安。結果的には調教師サイズ君五戦三贏。第二場でサイズ厩舎の歩飛揚の一着は当然として13倍の芙蓉鎮の二着に○していながら買えず。第三場からが国際騎師錦標賽で十七夜の月が美しく武豊君騎乗のTiramisuの先行射したサイズ厩舎の大豊収も連複58倍に印つけていて買わず。デットーリ君騎乗の百戦飛駒直線に入り骨折し減速デ君振落されるが飛行機墜落しても生延た不死身のデ君は大事とりレントゲン検査のため途中棄権。第六場は36倍の超力威(米国Espinoza君騎乗)かなり調教よく十戦未勝ながら◎としつつ「まさか」と大熱門の佛国領袖(デ君からモッセ君に騎乗代替)を◎とし超力威を複勝に据えたら超力威入って二着が佛国領袖と連複取るが36倍の単勝逃す。……とわかっていて買えぬ(つまりわかっておらず)が目立つ晩だが単勝4つと連複などでそこそこ収益あり。国際騎師錦標賽はEspinoza君優勝。郷里の母より著名なる篆刻師にいろいろお世話になり一文字お願いする要ありどうせならと愚息の「富」なる字をと心配り頂きファクスで図案二様届く。文藝春秋一月号にマイケル、ジャクソン君の記事あり(内容はマイケル君に疎き文春読者に節の話題についてゆけるように、という程度)マイケル君を現代アメリカ史上最大の奇人と形容するがもっと元首級の大物忘れてはいまいか。ところで昨晩食した上海料理の小南国。87年に上海で開業と歴史浅いがヌーベルシャンハイゼ?で高級上海料理ウケてあっという間に十軒だかに拡張。今では日本式焼肉や湯河原日式温泉など業務拡大。香港もこの店好評で萬宜大廈では隣にあった日本料理屋の場所も譲り受け銅鑼灣にも香港火鍋の大店徳興火鍋の跡地に小南国状元楼なる店を開業と勢いあり。確かに美味い。が商売の勢いでチェーン店化していまふというだけで余は駄目さふいふのは。チェーン店でも天婦羅新宿つな八は二三軒炭火焼肉だかも営むが天婦羅屋は天婦羅屋、紳士然とした揚げ方さんがカウンターにて天婦羅揚げる真剣勝負。新宿のつな八本店拡張して「アクアつな八」なる大型浴場は営まず。
▼South China Moring Post紙にLau Nai-Keungという全国人民政治協商会議の議員?が一国両制“One Country Two System”をもじって“One Country before Two System”という題で香港の自治をいふ前にまず国家あり、と。主張には賛同せぬが言葉の捩りとして上手いね。
▼大阪は堂島の友人より朝日の大阪版に野中広務先生の重要なコメントあり報せ。野中先生曰く「政府は早々と弔慰金などの引き上げを打ち上げた。人の命をカネで評価するようなやり方で、いまの日本は非常に怖い状態だ」「政府はこの事件ですら自衛隊派遣の弾みにした印象を受ける。昭和初期の戦争への道を、日本はまたひた走っている。そんな怖さを、私のような年寄りは感じている」と。朝日東京版には掲載されておらぬなら何故かと不審しいかぎり。
▼昨日綴った上野千鶴子先生の樋口陽一批判。築地のH君曰く「正確にいえば多分これはセジウィックの「ホモソーシャル」概念ですね」と(この概念については晶文社のこちら参照)。女性を排除して成立する「男同士の絆」。余が昨日述べたことはH君「上野先生の近代主義批判を「ホモソーシャルな共同体から排除された<できる女>の恨みつらみ」という文脈でとらえるのが新鮮」と。大学の卒論でジェンダーを研究したH君、上野先生のフェミニズムはずっと近代主義を主要なターゲットにした点で米国のフェミニズム経由の理論としては正しいが日本ではどうかと思う面もあり、と。日本で生きる以上、当面する最大の敵はモダンではなく前近代。これは上野先生に限らずポストモダニズムの論客にも共通にいえること、尤も浅田彰先生などは先帝の御下血の頃にいちはやくそれに気づいて前近代批判に軸足を移す。上野先生にしてみれば「そんなことはわかってる。マルクス主義フェミニズムはモダンもプレモダンもぶったぎる!」というところか。上野先生のジレンマはジェンダーの研究者とフェミニズムの活動家としてのその二つでの相剋なのかもも。男という性は結局これがホモソーシャルな部分で免除されてしまっている。
▼昨日の朝日見ていて「きいちのぬりえ」の蔦谷喜一氏が89歳でご存命と知る。三十年も前に雑誌ビックリハウスなどで「きいちのぬりえ」見て五十年代に流行ったそれで当然喜一氏は他界されていると思っていたが。中国の作家巴金に続く驚き。
▼外務省はイラクでの外交官殺害で遺体写真掲載した週刊現代に外相名で抗議し掲載誌の回収申し入れ朝日。写真は外電で世界に配信し香港紙も掲載。外務省は日本雑誌協会に掲載せぬよう要請し各社、日本人の好きな自粛のなか、いずれはどこかの週刊誌が、と思っていたが週刊現代がグラビアページではなく写真1点を名刺大で掲載し記事では「権力者たちに都合の悪い、一人一人の死に様は、一般人たちの目に触れることはない」「日本の権力者たちは、派兵を決定する前に、イラク戦争の犠牲になった二人のこの写真を正視するべきである」と主張。真っ当。外務省報道課は「亡くなった2人の人権にかかわることであり遺族の気持ちを深く傷つけるもの」で「強く抗議せざるを得」ず「報道の自由は承知しているが通常日本のメディアは遺体の映像をこのように扱ってこなかったはずだ」と。確かに。だが通常とは状況が異なる今回のイラク問題と日本の関わり。あの写真の無惨な様みればイラクの状況の深刻さ理解できるとういうもの。理解されては困るのが節(とき)の政府与党か。

十二月九日(火)曇。日刊ベリタのS氏来港され夕方S氏と初めてお会いし記者倶楽部の酒場。ベリタの運営につき口はさむ立場にもないが英国のTrust団体であるとか米国のNational Geographicの如く興味もつ者が毎年会費払い記事提供や閲覧を続けるような維持の方法は如何なものかとご提案差上る。S氏より香港の殊に日本占領期や政治問題につき健筆揮はれる和仁廉夫氏から余の日剰の記載につき話題に上ったとお聞きし和仁氏にご覧いただいていたとは嬉しいかぎり。雑誌『世界』に書かれたSARS総括の文章や週刊香港に書かれる歴史モノなど和仁氏の記述はいつもじっくりと読むべき内容。萬宜大厦の上海料理・小南国。香港ポスト編集長S女史いらっしゃり、香港が中国の支配下でどのように政経、人権、自由といったものに変化あったが日本の関心なれど、例えば具体的例として人口がほぼ同じ香港と大阪を比べた場合、地方自治として自治体の自治の権限で見れば香港は大阪を遙かに陵駕、報道の自由とて英字紙South China Morning Post紙が親中派財閥の傘下となっても中国政府に批判的な報道もあり、英国BBC的に公営放送体である香港電台(RTHK)とてNHKと比べてどちらのほうが時の政府与党に手厳しいかといへばRTHKである事実。董建華とてかなり愚政と非難されるが北京政府より経済優遇賦かるだけでも功績もあり、SARSの時の納税者への還付金とて現金払いであるだけ日本の地域産業復興意図した地元の商店街での、老人と子どもだけ使用可の現金券よかよっぽどマシ。マカオとて都市規模では四日市市程度であっても財政基盤の大きさでは三重県なみ。そういった「実数」で見た場合、香港の中国統治での「惨澹たる様」見るのは日本側からの「香港はこうあるべき」なる共同幻想にて、他所のこととやかく眺め、イラクに派兵などすることより日本のひどき様を直視することのほうが大切ではなかろうか……などと鼎談。帰宅する途中の車内でネタ妄想続け帰宅して〆きり一週間誤解していた週刊香港の連載原稿書く。麦酒、ヰイスキソオダ、紹興酒飲んでからでも原稿書けるのは余の才能か、はたまたアル中の進行か。
▼昨日のこと。訪米中の中国首相温家寶君、紐育にて証券取引所訪れ、来賓だの上場企業主だの恒例の朝の取引開始での小槌叩き。温首相、それを済ませ拍手したまではいいが中国要人らしく拍手し始めれば笑顔にて証券取引所のなかを見渡し拍手続け温首相の周囲の者も拍手続けたが傍にはべる証券取引所の高官らしき米国人の表情に多少の引きつりあり。だが温首相の拍手続き証券取引に従事する者らも拍手続け、有線テレビのニュースでの実況生中継は余りに変化なき拍手続く場面に痺れきらせスタジオにパン(笑)。人民代表大会ぢゃないのだから鳴りやまぬ拍手はいけない。あれで証券取引、何億か損じたのだろうか。やはり資本主義のルールご理解されておらず。和やかなる光景。
▼築地のH君夕方のテレビ中継にて首相小泉三世の演説眺めておれば小泉三世曰く「日米同盟と国際貢献をいかに両立させるかが、わが国の安全にとって不可欠」と発言。ぼんやりと「小泉さんも日本が普通の国としてやるべきことやるのに大変だねぇ」なんて思ったら大間違い。H君ゆえ即座に「日米同盟と国際貢献が二律背反の命題であることを認めた」と読解。御意。本来、小泉君らの主張は日米同盟=国際貢献のはず。それを両立させるか、と宣うことぢたい日米同盟と国際貢献がじつは相反する二つの異象であること暗に証言しているが如きもの。本音か。いや結局、小泉君ではこのような命題がわからぬか。それにしても小泉三世「イラク派兵は憲法の崇高な理想に合致」などとよくも勝手な解釈を。改憲所望するのなら現行憲法の崇高な理想などと口にするべからず。違憲という主張ぢたいは思想信条の自由だが、立憲国家の首相たる者、本来、個人の考えは別に現行憲法あらば国の最高法規たる憲法に従い国家運営に当る義務あり。それを勝手な解釈にて違憲行為も全く平気のへの字。この小泉純一郎なるヒトの存在ぢたいが違憲(笑)
▼同じくH君より報せ。岩波の『思想』11月号巻頭論文で上野千鶴子先生が樋口陽一先生批判。おフランス流の近代人権思想はジェンダーを排除しており普遍思想ではありえない、というような趣旨。ジェンダーの問題があるのにジェンダーがないようなフリをして済ます、つまり抽象的な「人間」を普遍的なモデルとして取り出しているが実際はそれは人間=Homme=男性を暗黙の準拠枠としている、というような……とH君。それを聞いて余はこの上野先生の批判、なぜ日本のリベラリズムの牙城ともいふべき樋口陽一先生を敢えて批判しなければならぬのかつくづく理解もできるところ。結局、フランス的な思想の色気……抽象的すぎるから具体的にいえば例えばフランスの志楽大統領の色気、あのダンディズム、なぜ相撲が好きで霧島がいいか、の様式美、長谷川一夫、デュヴェルジェ教授の薫陶……そういったもの共通項としての樋口陽一先生の知的な色気。Femmeでは介入できぬジェンダー。上野千鶴子先生とか一生懸命にジェンダー超えたところでやろうとしているのにリベラルでもっとも崇高な位置にある憲法学者が「あれぢゃ」femmeからしてやっぱり「ちょっともう、どうにかしてよ」って感じ……と余は感じたが、H君それを受けて、近代主義とフェミニズムの齟齬、と。本来、近代主義がジェンダーをこえるべく努力しているようでいて究極的なところにhommeという他者排除的なジェンダーの見え隠れ。逆に小泉三世であるとか安倍三世、福田二世、石破二世などジェンダー以前の問題(笑)、実に素直なお子ちゃまたちか。
▼天皇誕生日近づけば台湾にて天皇誕生日祝賀の会開催につき中国政府が非難朝日。てっきり中国から見て日本軍国主義の象徴たるべき陛下のご生誕など中国人として台湾も祝うべからず、といった趣旨かと思えばさに非ず。反天皇制の意味でなく天皇誕生日祝賀会の開催は財団法人交流協会=外務省=日本政府が台湾を国と見做す国家的レセプション、と中国側。だが中国でもすでに日本大使館にて開催の行事。香港でもずっと開催されてきた行事であり、台湾も中国の一部なら香港と同じく理解すれば開催も許容範囲か、とも思うが、香港総領事館は在中国日本国大使館の下部組織であるから開催は可、だが台湾はそうぢゃないから×。なるほど。ところで香港で共産党政府傘下の新聞・文匯報は在香港総領事インタビュー含む天皇誕生日記念しての日本特集ページ発行とか。在港の各社に協賛広告募り広告収入得るのが目的の、よくありがちな各国特集で、通常は独立記念日であるとか君主国の場合は君主の誕生日をそれに当てる。日本なら建国記念日ぢゃなくて天皇誕生日。畏れおおくも陛下のご生誕をば祝賀と称し経済的利潤獲得に利用。それも封建的君主制打倒し共産主義社会実現をば意図する共産党政府の系列紙が……何たる思想的矛盾。

十二月八日(月)晴。A氏に請われ中環は粗呆区の古本中古CDレコード屋Collectableに案内するが店はワイン屋に。電話で場所尋ねれば古本といえばほとんど洋書であるこの店の店員は英語、それも「住所を教え給へ」「通りの名を告げよ」「何処にあらむ」といった問いの「アドレス」「ストリイト、ネイム」「ロケイショ」の単語すら理解できず、だが発音正しく英語にて「我は英語解せず」「何を言われるか拙者には聞き取れず」と答えるから不思議。一瞬、バカにされているのでは?と思ふほど。旺角の海賊版VCDの屋台ならまだしも中環にて名の知れた中古レコード屋でこの様。この店かなり坂を下りヴィクトリア皇后街に移転。矢野顕子『いろはにこんぺいとう』、セロニアス、モンクの“Something in Blue”とリヒテルのBeethovenピアノソナタ「テンペスト」とシューマンの幻想曲の三枚、いずれも前二作は徳間ジャパン、リヒテルは東芝EMIのまだ包装すら破られておらぬ所謂新古品にてどういふ経路で日本の問屋?から新古品が香港にまで流れてきたのか、と。九龍で藪用ありこの三枚のみ収穫。
▼昨日のラグビー早明戦にてイラクにて殺害された奥「大使」追悼。国立競技場には半旗掲げられ黙祷あり早大選手は襟に喪章。追悼会では部長が「本当に悔しいが君の生き方を誇りに思う」と弔辞述べ監督が「僕らに今できるのは、奥さんが体をはって張って芽を出そうとしたことに花を咲かせることなんじゃないか」と語りイラクの児童への教育支援の基金づくりを提唱、と。奥氏と同期のOBは「平和になったらイラクに行き事件現場まで陸路をたどろう」と誓ふ。勿論、奥氏に外交精神あったのだろうが問題は我々が具体的に奥氏がいったいどういう任務につき何故狙われたのかを知らぬわけで奥氏が『外交フォーラム』誌に寄稿すべく用意していた原稿が奥氏の死後ノートブックごと行方不明になっていることなど客観的に奥氏殺害の事実関係もわからずにいること。イラク児童への教育支援も重要だが米国が侵略行為を続けることが原因で混乱が続くと思えば教育支援よか先ず米国の侵略行為中断させることが先。早大のラグビー部ともなればOBも各界に数多きはず。平和になったイラクを歩くことよりイラク和平活動ではなかろうか。ラグビーはスポーツでありお互いがスポーツする意思あるゆえゲーム終ればノーサイドだが、今のイラクの現状は勝手に米国がイラクの陣地に乗り込んできての狼藉ぶり、それに抗戦するのだからゲームに非ずノーサイドにできぬ難しさ。
▼福島県三春町での公募制教育長解任問題。公募で選ばれた教育長、町長交代で形式的に出すよう嗾された進退伺に則して本人「まさか」の解任。元埼玉大教授で義務教育を理解することや地元に住んだ経験もないことで具体的な「町の」教育改革実行への乏しさなども指摘されるが結局は県の各自治体の教育長会議の形骸化を論じたり定年間際の校長を地区の拠点校に送る形式主義を県教育委員会に直言したりが嫌われる。結局、教育は国の礎。戦後「米国が押しつけた」教育委員会の公選制が自治体警察である公安委員会とほぼ同時に国家主導の任命制になったように、佐々淳行先生ぢゃないが治安と同じく近代国家にとって教育とは国民教育であり(塾はいい意味で前近代的な知育)そういう意味で国家のなす教育に疑問を呈すような「たかだか」自治体の教育長など評価されるわけもなし。
▼週刊読書人の酒井隆司氏の論調(12月12日)読み応えあり。『現代思想』11月増刊号にあるサイード先生の言葉にイスラエルに対して「たくさんの怒り」は蓄積しているが「おかしなことに憎しみは私が感じることのない感情のひとつ」と答え「怒りのほうがずっと建設的です」と述べたのを受け酒井氏は「いまの日本では怒りの感情の表出をみることはあまりなく」雑誌の文章でもデモで怒りの断乎貫徹といった「振る舞いや表現そのものが抵抗する側からもさまざまに自己規制され」「あたかも怒りそのものが不当な暴力であるかのよう」に思われ「そのかわり憎しみはあちこちで目にすることができる」と。まさに「怒りの喪失と憎しみの増殖」。イラクの無差別「テロ」も北朝鮮も本来は自分自身には関係ないのだが、ただ「日本人が拉致されていた」「日本人も殺された」ことで憎しみとなる。本来は本来は独裁国家たる北朝鮮への、米国の覇権主義で戦場とされるイラクへの構造的な怒りであるべきものが単なる感情的な憎しみとなる単純さ。二つ目に酒井氏が取上げたのがクレイジーケンバンドのライブアルバム(青山246深夜族の夜)での野坂昭如先生の語り。野坂昭如の語りは暴言に聞こえるが「国家やみずからにひそむ国家的なものへの拒絶によって貫かれている」上にその怒りがユーモアになっているから、それが野坂の語りの素晴らしさ。それに対して酒井氏が挙げたのが養老先生の『バカの壁』で、このベストセラーが「日本のホームレスは糖尿に恵まれているだの、公共の福祉に牴触する個性はいらないなどといった暴言の数々に包まれて多少は面白い(か?)といえる話もついてくるという感じの、衣がやはら厚く……身体には悪い……本体がやたらと乏しいエビフライのよう」である、と『バカの壁』読みいったい養老先生は何が書きたかったのか、とこのベストセラーに悩んだ者には酒井氏の形容は余りに見事。余は山本夏彦『完本・文語文』にも同じような感想もったことを彷彿。この養老先生に見られた暴言の質は最近の右翼雑誌のそれと通底する「本質的な筋の喪失、あるいは粗雑化」がある、と。そのような暴言の質の変化とともに注視すべきは、と大塚英志「『被害者という強者』化する日本」(朝日『論座』12月号)取り上げ、「ほんの十年ほど前までは隔離された保守論断で「カルト」的なものにすぎなかった「暴論」が、いまや予想外に大衆化し、ポピュリズムを笑っていた彼ら自身(カルト的ウルトラ保守の論者のこと)がポピュリズムに翻弄されている」ほどで、それの象徴が「北朝鮮の語られ方」に代表される「みずからを「被害者」として表現する自意識の組み替え」であり、その原因は「「社会という責任体系」の消滅のなかで揺れる個が代替案として「愛国心」ぐらいしかもっていなかったことにある」と述べる。簡単に言えば、責任とれぬ幼児らしさと愛国心。……ゴロがよし、標語にできる。酒井氏は続けて、米国に見られる人種差別や暴力は多くの場合「強者の被害者化」があり、9-11以降の米国のやり口はこの人種差別の心理的メカニズムを世界規模で投影させたようなもの。この米国の動向が、さすが同盟国として日本で「被害者」史観と合流してしまったこと。日本と米国が「無垢なつもりの強者」という点が合せ鏡のような存在に。「無垢なつもりで被害者意識の肥大した強者、誰しもこんな人間が身近にいたら絶対に避けたいことだろう」と(笑)。確かに。同じ『論座』で太田昌国氏が「『現在』と『過去』をつなぐ論理」で憎しみの源泉であるそうした陳腐な強者の被害者意識を断ち切り、過去と現在を歴史的につなぐ論理を見いだすためには国家批判という視点をもつべき、と。これはまさに(酒井氏が長いここ一年の論調執筆を顧みる文章のあとに最後に引用した)サイード先生の、「怒りの憎しみへの変性を回避しながら怒りをとどめ知識を武器にせよ、というメッセージなのだが、それをまるで北朝鮮の拉致被害者の会を敵にまわすことでの怖れのような、イラク外交官殺害での記帳のような、結局「ひどいわねぇ」というテレビのワイド番組的な感想で憎しみで終ってしまうのが今の社会の怖さ。

 十二月七日(日)薄曇。朝四時四十五分発のジェットフォイルにてマカオ(地図)マカオマラソンありハーフに三年連続で出場(地図)地図眺めると澳門の埋立てぶりが一目瞭然。過去二年前日入りにてHyattに昼には投宿し午後リゾート気分にてプールサイドにて寛ぐなど娯しんだものの今年は土曜日に早晩まで藪用ありただ寝るだけでは楽しみも半ばと当日の朝入り決行するがやはり疲労感。始点終点はマカオスタヂアムのはずがスタヂアム大規模な工事中にて使用できず「そのへん」で開催となりかなり不便。一昨年がこのスタヂアムの開幕記念のマラソン大会のはずが工事終らず開催前々日だかの決定にて急きょ旧市街が出発地点となりスタヂアムに近きことでHyatt予約した参加者多く西洋人はこういう時に強いものでHyatt側に朝七時に旧市街までの臨時無料バス出すよう交渉しホテル側も了承。昨年ようやくこのスタヂアムで開催となったばかりで何故一年後に改修工事、突貫手抜き工事の粗でもすでに出たかと訝ればさに非ず、数年後にマカオにてアジア大会だか開催されるそうで、その主会場がこのマカオスタヂアムゆえ数万人規模の観客席増築とか。トラックは確か400mだったがそれも拡張するのだろうか。それにしてもスポーツと結びつくこの土建主義。長野冬季五輪であれサッカーの日本でのW杯での各地の競技場造営といい「今後それ以上の集客など一切期待できぬ」のに無駄な施設規模。そんなこともわからぬのか、と思うがわからぬ筈もなく単にその時期に何億といふ現金が動く経済効果なるものだけ期待するから土建主義。このアジア大会のため競技場周辺に更にホテルも建設中。競技場なら利用せぬだけでいいがホテルはアジア大会だけの集客でいったいどう採算がとれぬのだろうか。これも最初から採算など気にせぬ単なる土建主義か。いずれにせよトイレすら不足し不便極まりなきなか七時半に出発。マカオの湾岸にかかる友誼大橋渡る経路にて往路向い風にかなり僻する。日頃の運動不足で今朝も殆ど準備運動もできぬままのスタートにて当初6km/minを維持し81歳の葉氏に遅れをとるほどだったが5.4km/minほどに速度も上がりふだんなら6kmもすぎれば走るのもかなり楽になり遅いながらも速度調整も可のところ10kmあたりからかなり身体は言ふ事を聴かず倦怠感と脚の筋肉の痛み。棄権だけはしまひと走るが途中から自動車の交通規制緩和され、それでなくとも摂氏22度だからの気温でhazeの靄ひどき大気汚染の上に自動車の排気ガスで最悪の環境。給水所の水は飲むより嗽ひに用いるほど。普段なら好きな後半で全く速度でず6km/minとなりどうにか2時間8分余でゴール。フルマラソンにて三時間きる知人の応援もせずハイアットホテルに逃げビジターでヘルスクラブ利用。一浴し蒸し風呂、少し晴れ間ありクラブハウスのバルコニーにて微睡。澳門日報なる当地の新聞読めば曾ては正直言って内容浅く薄き紙面の新聞だったものが澳門行政、社会記事に加え中国内地記事でかなりの充実。澳門が中国の「出島」的に機能する様。午後ハイアットのリゾートレストラン、フラミンゴ(写真)にてランニングクラブの面々と三年連続で会食。ここは十分に美味。ポルトガルの発砲酒も心地よし。各自復りのジェットフォイルの時間もありお開きで余はまだ時間もありZ嬢と旧市街に戻る(写真)Z嬢所望しいつもの「蛋達」購ふ。新馬路あたりに武侠小説の第一人者金庸先生の博物館あるのだが場所わからず。先程までさんざんパエリアだの鴨飯(これはお勧め)など食した上に未だ食べたりず福隆新街の祥記麺食専家にて牛南麺。これほどの麺家、香港には見当たらず。麺美味きこと当然ながらスープのあっさりとしたコクに感嘆。更に甘味所望するがさすがにこれ以上はZ嬢に呆れられるかと黙っていたらZ嬢から提案あり清平街の杏香園にてアイス入り紅豆沙。これだけ食せば二時間走っても台無し。旧市街の自動車排ガスの汚染甚し。多くの中国大陸からの旅行者。香港訪れる者より更に田舎者多し。澳門であれば珠海から一日周遊で訪れる気軽さか。カジノの主場たるホテルリスボアの前など盲流の如く人が溢れカジノといふより難民収容所の如し。ブラックタイとまではいわぬが……。夕方のジェットフォイルにて香港に戻る。マッカラン飲みながらHerbie Mannの“Herbie Mann At The Village Gate”聴く。Herbie Mann、Bill Evans、Clifford BrownにChet Baker……“Comin' Home Baby”。

十二月六日(土)快晴。摂氏廿五度の無風にて猛暑。大気汚染甚。雑用済せ競馬予想済ませ昼過ぎZ嬢と油麻地のBroadway Cinemathequeに向ふが時間多少あり香港に十数年住まい初めて油麻地の翡翠市場訪れる(写真)中国からの旅行者多少あり。広州の翡翠市場のほうが圧倒的に人も翡翠の量も多し。映画は香港同志電影展の『互角登場』監督は崔子恩(2001年)。オムニバスのビデオ作品で映画に比べても撮影、現像、編集お手軽すぎ。おまけに音声のみ別録りして被せてしまひうるさく塵紙丸めて耳栓。母親が性転換して父親演じ臨終を迎える話、ゲイに求愛された男が冗談で「性転換したら結婚してやる」と言ったおかげで性転換したその子に求婚される話、カソリック信仰する青年の信仰と救済など。脚本の発想そこそこ面白いが北京の芸術系の学生の卒業制作の習作の域を出ず。九龍にて高座あり。晩に帰宅して湯豆腐。昨晩ビデオみて見たQueer Eye for the Straight Guy見る。馬主C氏のDashing Champion、また第二班に降格し再び一勝あげHappy Valley Championとなるべく挑むが年に二度のハッピーバレーの昼競馬ながら訪れられず。夜に冴える馬であること今日も証明し負試合。余の予想も全く合わず水曜日の儲けすべてご破算。
▼多摩のD君よりボクチャン防衛長官の5日夜のテレビ東京の報道番組での発言、D君もはや「絶句」と届く。ボクチャン、イラクに自衛隊を派遣する際の条件となっている「非戦闘地域」について「自衛隊の行く所、活動する所が非戦闘地域だ」と(呆)。イラク復興支援特別法上の「非戦闘地域」という考え方が治安の実態よりも観念的な概念であることを事実上認めた、と共同通信電。さらに「自衛隊の活動が憲法の枠内で行う、ということが、非戦闘地域という意味だ。安全な所などとは1度も言ったことがない」と強調のうえ、イラクの治安の悪化に関しては「100%安全な地域など地球上にない。東京でも女子中学生が突然襲われた」と反論。これが日本の防衛長官の知的水準。余は寧ろ優秀なる防衛長官より愚鈍であることで「マトモなこと云って国民がなるほどと納得してしまうよかいいのでは?」とD君に告げたがD君は「このレベルの説明で納得してしまっている」国民少なからず、こんな国は他になし、と。独裁者もう不要で自発的に服従する国民。ある意味で究極の社会、とD君。こんなモデルは作りたくても作れるものに非ず。イラクも日本ほどの統率社会であれば占領もさも上手くいったものを。同じような危険さについて週刊読書人(12月12日号)で森巣博氏と上野俊哉氏が文部省の「副読本であるから強制ではない」と言いつつ全国の学校に配った道徳本『心のノート』取り上げ、異人をば排除して一つの社会に向かう日本社会の危険性を、例えば北朝鮮の救う会の署名運動にて普段は署名などせぬ人まで署名に加わり森巣氏がその理由問えば「だって仕方ないでしょう」と、その感覚に怖ろしさ感じる。今回のイラクでの外交官の殺害とて昭和大帝のご逝去の際のご記帳「ブーム」に近きものあり。森巣氏はそういった社会の全体主義の流れに対して自らは非国民の総意に基づく国民不統合の象徴とらなむべく不良中年でありたい、と。御意。

十二月初五日(金)快晴。晩に鯛と大根の煮物、ちょっと大きなシメジの如き茸のバタアソテイありZ嬢に尋ねれば「えりんぎ」といふ泰西の菌類だと。エリンギなる音が何かと思えば拉丁語名Pleurotus Eryngiiと云い拉丁語のEryngiと識る。日本語では別名、白鳳茸や味が鮑に似ており鮑茸、中国語では杏鮑?、仏語のBlanc du Paysは荷風先生ならさしずめ「鄙の細白(ひなのさいはく)」とでも訳すだろうか……我ながらBlanc du Paysを鄙の細白は久々の妙訳かも。晩のニュースなど見ればトップニュースは香港上海匯豐銀行(HSBC)にてこの世界第二の規模誇る銀行のインターネットバンキングにてwww.hsbc.comに対して偽のwww.hkhsbc.comなるサイトありデザインまで本家と瓜二つ、ウッカリここでログインしようものなら賊に口座と暗証番号識られ本当の自らの口座から盗金されるといふ単純だがなかなか面白き手口。幸い未だ被害はなし。最近面白いと評判のテレビのTVBPeral局で土曜日放映のQueer Eye for the Straight Guyなる番組、何度か土曜の晩で見る機会逸しZ嬢録画したのを見る。紐育舞台に5人のゲイの青年、それぞれ料理やインテリア、ファッション、教養といった分野の専門家、目利きにてセンス良し、が視聴者のストレートの男性でどうも不精であったりセンス悪く恋人もできず、のそれをこの5人のエキスパートが自宅に押入り徹底的な模様替えから本人のファッションまで弄りまわして徹底的にセンス良きキャラに仕上げて、その成果で夢が叶うかどうか、つまり恋人ができたり就職できたりの可否を見るのだが、ありがちな専門家によるお宅やファッション、髪型大改造番組ながらオカマの視線で見たセンスの良さ、その5人のオカマのべっしゃりの上手さなどで確かに笑える。だが今夜も一人の若い男が彼女に婚約叶うのだが結局、すべて他者によって演出された虚像の世界、しかも一流のショップとのタイアップでの商品宣伝番組と思うと胡散臭さ。
▼刑法について堅苦しき法律に意味深い点あり。中学校長(60)が16歳の卒業生の男子を自宅マンションで「このままでは精巣ががんになる。触って治してやる」などと言い少年の下腹部を手で触る「など」した疑いで逮捕讀賣新聞というのも困ったもの。この校長少年がまだ在学中の昨年7月から母親の許可までとり少年を「個別指導」と自宅に招きその数今年十月まで150回に及び宿泊もあり。この「精巣癌治療」も含め(「触って直す」って心霊治療か)何故この少年がこれまで150回も訪れたのか。法学的に気になるのはこれが「準強制猥褻」といふこと。何が強制猥褻で何が準かといふと刑法に依れば強制猥褻は「十三歳以上ノ男女ニ対シ暴行又ハ脅迫ヲ以テ猥褻ノ行為」であり(それぢゃ十三歳以下には何をしてもいいのか?とマイケル容疑者のようなこと考えてもちゃんと同条に「十三歳ニ満タサル男女ニ対シ猥褻ノ行為ヲ為シタル者亦同シ」と規定あり)、で問題の「準」強制猥褻だが「人ノ心神喪失若クハ抗拒不能ニ乗シ又ハ之ヲシテ心神ヲ喪失セシメ若クハ抗拒不能ナラシメテ猥褻ノ行為ヲ為シ又ハ姦淫シタル……」と。少年の拒否不能といふのは「校長が高校進学での便宜とか持ち出したので止めろ!と言えなかった」とかいう意味での外部環境、条件的な意味での拒否不能ではなく、例えば「よくある」のは熟睡や泥酔状態で拒否反応ない場合での勝手な悪戯、医療行為であれば麻睡施された場合などだが、築地のH君の指摘では、麻睡など施されずとも医者が診療と称し猥褻行為に及んだ場合この準猥褻が適用あったのでは?、と。すると今回は診療と称した虚偽だが被害者が診療と信じたことでこの「準」適用か、と推測できるが、「準」適用の場合、被害者が精神薄弱で判断ができぬ場合などもあること一考に値す。いずれにせよ強制でも準強制でも強姦でも加害者の罪は同じ。この準の規定は被害者が拒否しなかったことが容疑者の不利にならぬための条文。法律の(といってもイラク特措法などではなく)古典的なる法のじつに味わい深さ、意味の深さ。
▼同じニュース棚に並んでいたが、同じく少年に対する痴漢行為で警察庁鑑識課課長補佐(59)が捕まる。中央線車内で容疑者は「都内の少年の下着の中に手を入れる「など」猥褻な行為をした疑い」毎日新聞だそうだが、前述の校長先生といいこの鑑識課課長補佐といい公務員が定年間際でいきなり人生最大のカミングアウトか……。この場合、こちらは上述の強制猥褻が適用されず都迷惑防止条例の「何人も人に対し公共の場所又は公共の乗物において人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑猥な言動をしてはならない」に違反。どこからが猥褻でどこまでが迷惑(羞恥や不安)なのか素人にはよくわからぬが、強姦等の猥褻行為の場合、明らかな拒否を圧しての暴力的行為に対して、で、迷惑条例適用は拒否の姿勢も見せられずで痴漢主は「この子拒否しそうにないな」という状況かと理解すれば、その猥褻と迷惑の差もわからぬでもなし。下手な犯罪記事よりも適用される刑法によりかなり具体的な背景だの状況理解できるのは刑法の面白きところ。それにしてもこの記事の「都内の少年の下着の中に」の「都内の」が可笑し。一瞬、車内、の間違いかと思ったが。べつに都民でも千葉県でもいいのだが。この鑑識課課長補佐が「都内の」少年の鑑識がお好みであったわけであるまひ。

十二月初四日(木)快晴。夕方尖沙咀の厚福街の角に焼栗の屋台・心和號あり焼き栗購う。尖沙咀にて馳名の栗売りにてこの時期美味い栗供し人気高く常時数人の待ち客あり次から次と栗は捌け数時間にてその日煎った栗売り切れれば退散。なかなか遭遇も難し。いぜん重慶大廈の裏によく在り。Citysuperにて販売する聘珍樓の栗評判だが路上にて煎る心和の栗のほうが栗ひとまわり大にて肉厚で柔らか。厚福街の唯一麺家にて搾菜肉菜麺。
▼この日剰ご覧の方で何人か昨日の佐々淳行氏の講演に参られた方もあろうところ佐々氏が日本人学校の場所を「灣仔」と述べ、現在の学校の場所ご存じの方はハッピーバレーを灣仔と述べるは間違いかと察し、詳しい方は、いや当時の創立当時の学校はハッピーバレーに非ず市街にあり、だがいずれにせよ灣仔でなく銅鑼灣、The Lee Garden向かいの現在のAIA Plazaのあたりに在ったはず、灣仔は佐々氏の間違いにかわりなし、と思うかも。佐々氏の『香港領事動乱日記』文藝春秋にも灣仔の日本人学校という記載あり。だが正確には佐々氏の言い方も正しく、六十年代当時、我々がいま銅鑼灣と云うその一角は当時は銅鑼灣に非ず。銅鑼灣は今のビクトリア公園付近、現在の中央図書館裏の銅鑼灣道から天后の電気道(其処に銅鑼灣街市)が銅鑼灣にて、現在の繁華街の銅鑼灣地区は名称もなき振興開発地区。当時、その灣仔と銅鑼灣の中間なる此処を強いて云えば灣仔か銅鑼灣かと問えば灣仔と呼ぶ者も少なからず佐々氏の表現は当時の言い方を遺したもの。ちなみに中環方面より銅鑼灣に向かうミニバスの行き先が「大丸」であるのも、今ではなぜ銅鑼灣とせぬのか?と思うが、当時、大丸百貨店が開店したころのこの地区は銅鑼灣とは呼ばれていなかったから、が事実。僅か三四十年で地名すら移ることの面白さ。

十二月初三日(水)快晴。晩に佐々淳行先生の後援会、元へ、講演会あり。題して「アジアにおける危機管理を考える〜仕事と暮らしのためのノウハウ」と。競馬も今晩は珍しく沙田にて、拝聴に参れば、かなり知人も多し。で講演は噴飯モノ。田舎代議士の政局報告会の如し。佐々氏香港暴動の頃に香港総領事館に警察庁の駐在官として滞在し当時の三千人だかの邦人保護にあたり(それほど邦人が危機的状況だったのか)、浅間山荘事件では警備幕僚長、初代安全保障室長で引退するが時代はテロ、佐々氏はテロ危機管理評論家として脚光浴び『諸君』などタカ派の論客。このご時世で今太閤。というわけで講演も予想つくが、とにかく原稿どころかメモもなく、まぁ話はあちこちに飛ぶわ飛ぶわの脱線ばかり。その上、香港時代に日本人学校開校にも携われと言われ警察出身の佐々氏は文部省ももともと内務省なのだから、と説得された時に「文部省がもともと内務省だったなんて言ったら森有礼の幽霊が出ますよ」というギャグも田舎の市民大学ならウケようが香港では水を打ったような静けさ。何かにつけ僕が僕が、で北朝鮮の拉致者の問題も僕が安倍晋三通して福田官房長官に橋渡しだの、紐育のジュリアー二市長の治安改善も僕が、だの、とにかく僕が僕が、で、これでは香港での講演会では観衆とて田舎のオジチャンオバチャンではなくかりにも大手企業のずらりと並ぶ駐在員ばかり。それ相手にこれぢゃ。具体的な危機管理の話など、エレベータブリーフィングと呼ばれる、何か突発的なこと起きた時にトップに対してエレベータの中で事実、状況、助言を的確に述べる業だの、3分でブリーフィングできることの大切さ、だの、トップは15分で決断し1時間以内に人員を動かすだけの力量と組織力が大切といった、たったそれくらいの技術論は拝聴に値するが所詮ハウツー。帰国してすぐ『諸君』で石原慎太郎と対談、続いてフジテレビの報道21で外交官のイラクでの殺害について話さなければ、と先生、本当にお忙しい。イラクでの外交官殺害といえば、佐々先生、武器ももたない外交官がNGOの会合に参加に向かった途中……とおしゃっていたがあのお二人の外交官が向かった会合はNGOぢゃなくてCPA。全然違う。CPAも恐らく佐々先生にとっては国際平和のための多国間活動でNGOなのかも(笑)。罵声浴びせる相手も停まらず警視庁時代に邪魔だった美濃部都知事、神戸の地震で危機管理できなかった村山首相は嫌うの当然として、自民党でも宮沢、河野洋平、加藤紘一、野中広務といったリベラルは大嫌いらしく親中、親北朝鮮と罵り、具体的に名前は挙げなかったが外務省でも現中国大使の阿南君、シンガポール大使に飛ばされた元アジア局長槇田君などボロクソ。官僚出身なのだからもっと冷静に分析していただきたいが、たんにタカ派は身内でリベラルは非難という余りに短絡的な発想で延々同じ話続く。戦後の日本は治安、国防、外交を等閑にして経済成長ばかり続けた結果が今日の治安は悪く自らの国も守れず軟弱なる外交の様で、それがここ数年9-11から世の中は変わってきて、選挙でも拉致問題を語った者が当選するのは国民の関心が治安、国防、外交にようやく目が向いてきたからだそうな。当然のことながら改憲も多くの国民が支持し、こうして日本は正常な国家になりつつある、と佐々先生。その萌芽は若い世代にも見えて、今の若者は茶髪だの顔黒だのよくわからぬが、幸い、日教組だのの教育の悪い影響を受けていないから、けっこう立派で、例えば、浅利慶太の劇団四季の「異国の丘」を涙ながらに見ている女の子や、映画になった浅間山荘が若い世代に好評だったと、そういった若い世代が真剣に社会のあるべき姿を見ている、と。大学紛争や左翼活動の若い世代はダメだが浅利慶太の芝居と浅間山荘なら評価、って簡単なのだなぁ、世の中は。結局、肝心な「アジアにおける」の話は殆どなく、強いていえば香港暴動の時代、三千人の邦人保護を日本政府はいざとなれば米軍による救出に海路を見出そうとして、それが現実的に無理だと思った若干三十余歳の佐々氏は当時の首相佐藤エーチャンに直訴したらエーチャンは絶対誰にも言うな、として憲法に触れようが首相は政治生命かけて海上自衛隊派遣し邦人保護にあたる、と宣ったそうな。だが時代は変わり日本の正常の危機管理に向いてきたので、佐々先生曰く危機が訪れれば間違いなく日本政府は海上自衛隊の艦船でもって邦人保護に参ります、と。佐々先生つい口が滑って「われわれの常識は国民の皆さんに知られていないからお教えしますが」とまで饒舌、だが聴衆は山口だの大分の田舎の、自民党の代議士の講演会で招集かかったオッチャンたちでなく商社だの金融で国際経済の第一線にいる輩、佐々先生のこの時局講談で「国民のみなさんは知らない」はあるまひに。で、最後は危機管理は自助、互助、公助の三つが揃ってこその危機管理、また香港も三万人の日本人が一致団結して組織を作り人間関係の強化、ゲマインシャフトの形成をしておくことが危機管理、と結ぶ。実は、戦争と革命が国家にとって最も危機管理の対象であった二十世紀が終り世の中はこれまでにない危機管理が求められているそうだが、実は危機、危機といいつつこの時代を最も謳歌されているのは危機管理が専門の先生たち。そしてどんな危機管理が最も大切かといえば、危険な場所に行かぬことで、そういう意味では香港に駐在すれば香港暴動、サイゴンにわずか一泊すればテト攻略、そして警察庁で浅間山荘、安全対策室長で湾岸戦争、引退して危機評論家となればテロの時代と行く先々必ず大きな事件起きるという点では佐々先生に近づかぬことが最も安全対策かも(笑)。二時間に及ぶ堂々巡りの講演終り質疑応答となったが冷房にすっかり身体も冷え隣席にいらっしゃったU女史と早々に会場出て温かいものが食べたいと最近出来たそうな拉麺屋ばかり揃った香港拉麺横丁なる店訪れるがどの店も行列できる混雑でゆっくり佐々談義できる雰囲気もなくU女史の提案で灣仔の卯佐木。熱燗で暖をとり佐々談義。Z嬢は北京出身の「ホロヴィッツ最後のお弟子」ということが売り文句のピアニストの演奏会に参るがショパンなどはまだ聴けるがリストの匈牙利狂想曲だのテンポの速いパッセージの大きな曲になると粗が目立ち、しかも実際に売れた席は少なくかなり質の悪い若者の動員があり、演奏会として最悪だったそうな。動員して下品な客多く携帯ピーピーで演奏させるより真に聴きたい少数の客のほうがまだマシぢゃかなろうか。夕方わずか十五分ほど競馬新聞眺め買った馬券で2Rの単勝は6倍だが3Rで単勝が14倍、連複も19倍とこの2レースで他3レース外してもそこそこ儲けるが儲かっても粗い予想でレースの見ておらぬのでは楽しくもなし。
▼林行止氏が信報の専欄にて香港大学日本研究学系の学者らが書いた書籍『松下電器の電気釜から〜蒙民偉と新興グループがたどった道』について述べる。蒙民偉氏といえば戦後、松下幸之助氏のもとを何のコネもなく訪れ(これはどうやら虚実らしくそれなりのコネあり)直談判でナショナルの香港での販売権取得、戦後の香港で自らナショナル牌の電気釜かつぎ団地まわって飯炊き実演しつつ電気釜の普及に成功、松下産品の東南アジア、中国での販売で大成功し香港でも有数の財閥となった御仁。松下幸之助との信頼は当時から販売についての契約書なるもの存在せず信頼でのみ今日に至る、という美談あり。じつは問題もあり蒙氏が香港中国でのPanasonic牌登録商標権有し松下電器自身がその自社名称当地で使えぬ矛盾、蒙氏健在のうちは松下側も手出しできぬ膠着。で、この書籍、蒙氏起業より半世紀記念に合わせて上梓されるが、林行止氏は内容につき手厳しく、いわゆる伝記物にて装丁から内容まで通俗読み物の類、とにべもなし。殊に筆者の一人である、かつてヤオハンをケーススタディに日本企業の経営、社会論得意とするW博士について、蒙氏の起業、経営を中国家族企業の典型と見て取材などは多いがその分析に足りぬ点あり今後の更なる研究成果を、とした上で、更にW博士が中国的家族経営を保守的で欠陥あるものと前提にしていることに対して林氏曰く全ての企業が何らかの形で家族経営などから起業しており個人経営が利潤と相まって何処で法人化されるかが企業分析の興味深き点であり、べつに家族経営が保守的で欠陥があるゆえそれから進化するものでない点を指摘。余はどうも、この日本研究といった地域研究よくわからず。たんなる語学研修が学問とされる不思議(これは言語学に非ず)。文学、経済、社会学から人類学といった研究者はやはり文学部、経済学部に籍置いたほうが研鑽期待できやせぬか。
▼昨日、曽玉成君の党首辞任を正式に決定した民建聯、今日の新聞の記事に「先週土曜日の幹部会にて、今後は政府政策のうち正確で世論に適うものについてのみ政府支持、と決定。全面的な政府支持はせず。」とあり思わず椅子からひっくり返りそうになる。御用政党とは知っていたものの表面上は一応、政府と距離おいた保守党の立場の維持しているのかと思っていたが。ここまで浅薄とは。
▼浅薄といえば政府教育統籌局長の李國章君。國章君、東亜銀行頭取の李Baby國寶君の実弟にて中文大医学部の著名教授にて学部長ながく務め中文大学長から董建華の問責局長制で教育統籌局局長に抜擢され相次ぐ局長クラスの失態の中でまだ世論の支持受けていたが大学生の授業料公費補助の削減を提案したことで矢面に立たされ香港の全大学の授業罷免の動きまで起こり学生との対話集会で一旦はスト回避し交渉上手ぶり見せたもののスト回避されればまた性懲りもなく予算削減提示し昨日は立法会にて公聴会となったが李局長、公費削減が論議の対象になるところ審議中にPDAに目を落としているところ公聴席の学生代表が上から眺めればPDAでなんとBejeweled!にてゲーム遊び。それを削減反対派に指摘され「ゲームならいったんゲームオーバーしても復た始められるが学生の教育なるものはいったん打ち切られたらもう再開できず!」と窘められる。御意。香港の李家の名士であり政府要人がこの幼稚ぶりとは。
▼築地H君との雑談で、「つくる会」の西尾幹ニ先生、そもそも極保守反動になったのは文学青年だった学生時代に東大同期の小田真が西尾先生も応募のフルブライト留学に受かり作家として売り出す様をみて嫉妬し、その反動で、という噂あり。結局、左翼で売れる小田真への反動。西尾先生になると松井のヤンキースの活躍ですら、普通の日本人なら「世界の舞台で活躍している日本人選手を誇りに思う」のが平凡な感想だろうが、西尾先生ときたら「日本では超一流の選手が、アメリカではあの程度の成績しか残せないという現実を見せ付けられて屈辱に身が震える」と。つくる会の歴史教科書もやたら日本文化をば「ギリシア美術に比べても」とか「ルネサンスに比肩しうる」とか。結局、リベラルを自虐的、自虐的と否定するが自らの根が自虐的か。人は自分の影をもっとも恐れる、とH君。

十二月初二日(火)快晴。ふと最近思い出すは、もう時効だからいいだろうが、七年ほど前だったか香港に駐在の東証一部上場の某大企業の課長クラスの御仁「いまの地球は壊滅的危機的状況に陥っておるのに日本人は誰もそれを感じておらず、このままではマズい」と、せめて香港に住む日本人へそれを伝えるべく、某所に日本人聚まるようにといくつかの団体に告知し、その会場へと向かい会社飛び出すが、会社側その御仁の神経衰弱の兆候に気づいており、この緊急集会開催が外部からの通報で会社にわかり、さふいへばさっき飛び出して行った!と他の駐在員が仕事中断してこの御仁をば追いかけ会場へと向かう駅のホームにてこの方を保護、この方は帰国のうえ養生されたといふが、当時、笑って聞いていた話が、今となってみれば確かに危機的状況に近づいているといふ認識に間違いはなし、か。その方はいまどうしていることか。晩にこの冬?初めてのチゲ鍋。OB麦酒飲み真露少々。日経香港版の日経Galleryの原稿書く。原稿書くのだけは速筆。ニュース見れば行政長官董建華君キャセイ航空の北京航路再開第一号便に乗り北京に統一区議会選後の陳述のため上京。十一年前だかに当時は保守派といえば親英派であった香港で返還後の保守のために親中派の組合だの中国ビジネスで逆らえぬ財界、それに地域団体束ね御用政党たる民建聯作ってもらい乍らすっかり市民に愛想尽かされ今回の区議選での敗北。それをどう陳述するのか。夜のニュースで現場中継入り何かと思えばその民建聯にて党首曽玉成君今晩の党中委にて曽君の辞表受理され党首辞任、と。民意で世の中動くだけ日本よりマシか。いや、だが石原君選んだのも小泉支持率も民意は民意。福田赳夫ぢゃないが民意にもヘンな民意がある、といふことか。
▼畏友William登β達智君が信報の随筆でさらりと苦言呈すは成田に着き折からの大雨で成田エクスプレス不通、空港駅で途惑う外国人旅行者に英語での放送も電光掲示板での案内もなく真っ当に理由説明できる職員もおらず旅行者は列車不通の不便に対する苦情でなく、何ら情報すら与えられぬことに不安と苛立ち、と。それがどれだけ拙いことなのか当の日本で理解できておらず。イラク派兵だの教育基本法改正などどうでもいいから真っ当な英語教育を行うこと。一気に二年くらい日本語禁止令布告とか如何だろうか。日本語使えぬからイラク派兵だの教育基本法改正など国会で審議もできず、嘘っぽいナショナリズムも語られず、銀行や産業界など日本語使えぬ停滞に英語使い手の優秀なる技術者など雇用せざるを得ず一気に国際化加速。二年も日本語使わねば、わが言葉の尊さに気づき真の愛おしみなるものは国家などでなくこの文化、社会であることを痛感とか。
▼朝日にとって引退しても「最期の佐け」は宮沢喜一。イラクでの日本人外交官殺害につき喜一君にかなりの紙面使ったインタビュー掲載。八旬の老人は日本リベラリズムの神様の如き扱いながら、なんだかんだいって所詮自民党で悪輩と同居できた身、言葉の節々に真っ当なようでいて自民党支える屋台骨精神散見され、例えば外交官殺害も「国の決断によってああいう結果になったことは、政治が無関係とは言えない出来事だ」と、一見とても良識的だが「この結果はまさに政治が関係している」のが事実であり、日本の米国追従といふ誤断が原因。うまくオブラートにくるんだ表現で自民党政治の汚点をきれいに見せるのが自民党保守本流の本流たる所以か。また「国会がイラク特措法を通して、小泉さんがそれを実行に移そうとするのはやむを得ない」というようなコメントも、喜一君が言うと「そんなものか」と瞞される読者も少なかろうが、これも一瞬、議会制民主主義と議員内閣制で国会の決定に首相が従う、といふ非常に正常なことのようでいて、村山富市君が自民党主導の国会での決定を実は内心抵みつつ実行するならまだしも、小泉三世はイラク特措法の立法化のご本人なのだから、それを安定与党で国会通して実行することの、どこが「やむを得ない」のだろうか。もはや鵺の如き喜一君をご神託の如く用いる朝日も朝日。
▼先日の産経の社説でイラクのフセイン君について「大量破壊兵器はまだ発見されていないが、それを持つ意思があったことは確実だった」というだけで罪ならムラムラとしただけで強姦罪、覚醒剤ってどんなに気持ちいいのだろうと想像しただけで麻薬取締法違反になってしまふ、と冗談めかして書いたが多摩のD君曰くマジで「共謀罪」といいうのが新設されようとしてようとしており「共謀の事実」を証明しなくても「共謀する意思があった」とみなすだけで立件も可、と。ついに脳内のできごとにまで司直が介入の時代。
▼産経新聞が間違ったのか高松宮殿下記念世界文化賞授賞したケン、ローチ監督の受賞前日の記者懇談会の発言が週刊読書人(11月28日号)にあり。司会者まず“September 11”撮った監督に「アメリカについて非常に辛辣なとらえ方をしているがアメリカについてどう思うか」そして「ハリウッド映画について」と質問。監督は「アメリカ政府は必要があれば世界中のいかなる場所であっても、またアメリカという国の経済力をもって牛耳るためであれば、いつでもテロルに対する戦争を講じる構え」があり「アメリカの戦っている戦争は戦争地域においてアメリカの経済、政治的な力を確立するためのもの」と。だから「日本のような国が立ち上がって、この帝国主義的な戦いを止める必要がある」し「日本という国の中には、平和主義というものが埋め込まれており、そういった国にいるのは非常に幸運なこと」と監督は思う、と。静聴に値す。ここで司会が「ハリウッド映画については?」と再度の質問に「個人的にはあまり見ない」と(笑)。「どちらかというとサッカーのほうが好きですね。サッカーはどういうふうに終わるのか、最後まで試合を見ないとわかりませんから」と強烈な皮肉。ここから司会はまた“September 11”に牴れローチ監督の制作部分が米国で上映されなかったことについて監督は「9-11の数ヶ月前にパウエル国務長官もライス補佐官もイラクに大量破壊兵器は存在しない、国の再建の必要性も今すぐにあるわけではない、と発言しており、明らかに米国の意図的な画策が見えるのであり、これについては世界的な反戦運動が起こっており、それの継続が大切、と監督。ここから暫く映画談義となるが、司会が「さまざまな監督が日本という課題に取り組んでいるが?」と愚問。監督は「今回は観光客として来ているだけ」とニベもなし。だが司会が「受賞の賞金の一部を日本の団体に寄付されたとか?」と振ると監督は労働者の不当解雇の問題について語り始め国有鉄道民営化での労組組合員の不当解雇について語る。これについてはこの日剰でもすでに紹介したが、産経新聞の賞金をば旧国鉄労組の組合員不当解雇の支援団体に寄付という監督の英断と快挙。司会はまた映画の話題に戻し洋画の多くがハリウッド映画という状況について質すと監督はハリウッド映画にはアメリカのプログラムが組み込まれており、本来映画はあらゆる異なったアイデンティティがそれぞれの文化で表現するものであるべき、それが自由市場という名のもとにハリウッド映画に象徴される作品がグローバリズムの結果、自由社会の自由市場を寡占化し多様性を破壊することの危険性を述べる。この監督の非常に欧州的なリベラリズムをこうして読むにつけ、産経新聞のローチ監督への世界文化賞授賞を改めて義挙と賞めるべきと痛感。
▼……と産経を褒めたら築地のH君より今日の産経「正論」で森本敏・拓大教授が「そもそも米国のイラク戦争には大義がなく、従って自衛隊のイラク派権にも大義がないので反対……という議論がある。しかし、戦争の大義があろうとなかろうと、イラクの復興人道支援は奥参事官、井ノ上書記官が生命をかけて努力してきた偉業であり、われわれはこれを何としても成し遂げなければならない」と。一読して何を言っているのかわからぬが、要は「大義はなくていい。大義がなくても一生懸命やったんだから、それが大事」という主張。H君曰くアルカイダだってフセインだって一生懸命、歌舞伎町のぼったくりバーも中国人のピッキング窃盗団もみんな一生懸命に変わりはなし。H君、理解するは、中国への侵略戦争も朝鮮の植民地支配も「正しい!日本は悪くない!」といってる人たちって、大義とかは二の次、大義がないことはむしろ自分がよく知っており、だが大切なことは「みんな命がけで一生懸命やってたんだから」批判してはならない、という論理?。こうして考えると「おかしい、ってことはわかっている。が皆が一生懸命にやっていることに釘を刺すな」という発想。見方を変えれば「みんなが」といふ偉大なるヒューマニズムが其処にあり。
▼東京都民は大変、昨日は天然痘テロを想定した訓練。ご苦労様。あんなの知事にした結果がこれ。だがテロの時代にこういった訓練は必要、とSARSなどのことなど自分は被害もなかったのに真摯に思い出して(本当はSARSに怯えていたことしか思い出せぬのだが)一生懸命に訓練に参加などしてしまっている都民も多かろう。じつは自宅は我孫子で都民ぢゃないのに会社が芝でこれに参加させられた千葉県民もとんだ迷惑か。実は、都知事が起こしたクーデターの避難訓練でもしたほうが現実的ぢゃなかろうか。その都知事はイラクへの自衛隊派遣について触れ(朝日「平和目的で行った自衛隊がもし攻撃されるなら堂々と反撃して殱滅したらいい」と述べ「テロがこれだけ蔓延していく国際情勢の中で、日本がその発信源の最たるものの一つであるイラクの再建に、テロ防止も含めて力を貸すのは当然」であり自衛隊は「無秩序だけを標榜するテロが攻撃を加えてきたら、反撃して殱滅するのが軍隊ではないか」などと発言。H君曰く小林よしのりですら発想の基本には「一生懸命がんばったご先祖に申し訳ない」といった感情的動機あるのに対して都知事の場合、一生懸命さを是とするが如き感覚もなし。日本人は日本人だから偉いんだぞ!強いんだぞ!っと怒鳴りちらしてるだけの幼児性。彼の書いた小説も、一人称の俺様が威張ってるけど、登場人物、とくに女性の内面まったく描かておらぬ……そうだが読んだことない、のが事実(笑)。戦争体験といっても海軍高官子弟の多き湘南中学で軍事教練すら受けず焼け野原を爆撃から逃げ回り焼けこげた死体に接したわけでもなく、処女作『灰色の教室』も芥川賞『太陽の季節』も弟・裕次郎の放蕩生活描いただけで、ふと思ったことは石原君よりも、その小説に描かれた世界に価値を見いだし評価してしまった戦後こそが、実は戦後の間違いは憲法にも教育基本法にも問題があるのではなく、あの何の思慮もなき放蕩生活、間違った自由の謳歌に価値を与えたことこそ戦後の最大の誤謬ではなかろうか。裕次郎に憧れたことの誤算。その結果が裕次郎亡くなっても遺産の如き西部警察、思考性もなくただ大掛りなだけ、撮影現場で事故起こしても「土下座したことはここで……」などとマイクの前でひそひそ話といふ下手な芝居の渡哲也、だがそれに対してその渡哲也の下手な芝居に感動し裕次郎の事務所の灯を消すなと放送再開に熱き声援。その声援と石原慎太郎への300万都民の支持には同じメンタリティあり。戦後のその『太陽の季節』に描かれた馬鹿さ加減を維持してきた社会にとって、それを否定してしまふことこそアイデンティティの崩壊につながる由、石原慎太郎に強さ見出すことでどうにか体裁をば維持する戦後日本。若者までが何も知らぬはずが靖国神社参拝する都知事に「石原!」と声援送るも、その子らがまさに戦後のそのいい加減なる石原的な個人主義と自由主義をば享受した親の子であるから、と思えば理解できなくもなし。

十二月朔日(月)薄曇。晩にNHKで今日が地上波デジタル放送開始だかで記念番組。朝から続く記念番組も終盤、もうネタもなく世界文化遺産と無理矢理に地上波デジタル結びつけ余りの内容の浅薄さに唖然とするばかり。出てくる芸人だの司会だの東大教授だのコメントといえば地上波デジタル放送での「無限大の未来」だの「これまでに実現不可能だった創造性」だの「私たち人類が体験したことのない映像空間」だのと陳腐な言葉が並ぶばかり。生放送でとにかくその言葉の使いまわしだけ。司会の松平定知君の表情にも、それでなくとも本音の感情が顔に出てしまうことで使いづらいと局内では定評のアナだが「馬鹿野郎、こんなネタもないのにコメント続けさせるなよ、映像ないのかよ映像」と顔にしっかりとコメントが(笑)。大阪万博で岡本太郎が訝った虚ろな進歩主義へのアンチテーゼを思ふばかり。
▼ここ数年、本の乱読ならまだいいが乱買続きさすがに書棚に未読の書籍積り始め真剣に書籍購入をば控える必要あり。だがそういう時にかぎって読みたき書籍上梓されるもので例えば平凡社の『植草甚一コラージュ日記1』がそれ。晶文社から同氏の『スクラップブック』が出たのがもう28年も前!、当時とても買う余裕なく書店で眺めていたもの、それが今回、平凡社からの出版。銀座にあったイエナ書房で、余はちょうど天賞堂からでも出てきたのだろうか、イエナ書房のまえで烟草を吸うためか路上に本を持ち出して立ち読みに耽るJJ植草氏を一度だけ拝顔。それから一年だかで逝去が79年。今にして思うと、かなり老成されていたがJJ氏享年71歳で若者の間で評判になった当時はまだ六十代だった、と今になって理解。七十年代までのいい時代。今のようにインターネットもPCもなく、情報は雑誌や本屋で漁り喫茶店で頁をめくり友と語らい面白き教養を得ていた時代。その時代といえば、週刊読書人(12月5日号)に『パンタとレイニンの反戦放浪記』彩流社の記事あり。パンタといえばお若い方はご存じなかろうが反体制ロックバンド頭脳警察のリーダー。全く存じ上げなかったがこのパンタ氏らが二月に米国のイラク侵攻に反対するため進右翼一水会の木村三浩氏を代表として、副代表に元赤軍派議長の塩見孝也氏と一水会の鈴木邦男氏、それに新宿ロフトの平野悠氏ら錚々たるメンツでイラクに滞在されていたとは。この本はパンタ氏と元新左翼運動家レイニン氏の旅日記。何より驚いたのはパンタ氏がすでに五十半ばであること。当然なのだが、この記事にも載せられているパンタ氏の写真が、それが頭脳警察の時代より更に若く、少女漫画から抜け出てきたが如きギターを抱えた長髪の美少年、そしてイラクでの写真がアラブの民族衣装を纏った容姿が顔もまるでリビアのガダフィ大佐の如き大人ぶり。時代の流れを感じ入るばかり。
▼日本からは遠く、単に米国の派遣の意図に任せてのイラク派兵がさも重要なことのように審議され、それと北朝鮮ばかりが焦点となるが、実際にいま慎重に眺めるべきは台湾問題。台湾が中国側が謂わば容認している実質的な主権体としての現状維持から一歩踏み出すための公投(国民投票)が政治日程に挙がったこと。与党民進党および李登輝の台聯など独立派はこの公投にて国名、国旗国歌の変更の是非を国民に問い台湾独立をば勝ち取る算段。野党国民党、親民党などはその独立をばする日が中国が台湾に攻め込む日と台独の動きを牽制するが、独立派にしみてみれば米国の覇権強まったこの時期、米国には台湾関係法をば立法化した強力なる台湾ロビーあり、中国も米国の反発喰らってまで08年の北京五輪を控え台湾侵攻などできぬという安心感あり、前総統李登輝君が台独の象徴として君臨するこの機を逃して台独なし、という積極的姿勢。公投に関しては野党の尽力功を奏し公投の内容をば国名変更など含めぬ憲法の条文改正や原発などについてのみとしたものの、与党側は公投をば来年の総統選挙に同時実施し阿扁総統の続投勝ち取り台独に向けて加速したいところ。当然、中国はこの台湾の動きに強い不満示す。本来、日本は立場的にこの中台問題に何らかの役割果たせる立場ながら表面上は北京政府の内政問題という前提に従うばかり。事実上は中台それぞれの政府財界要人らに予約なしで口のきけるような、かつてなら政治家なら保利茂君、灘尾弘吉君、財界なら岡崎嘉平太君といった先達が今はおらず、ただ中国の意向に従う連中か単に反中国での台湾贔屓多き現状では日本は何も出来ず。だがイラクよか、中台の緊張は日本への打撃大きく本来もっと深刻に検討されるべきこと。
▼ところで信報が常識ある書き手揃えるなかで何ゆえに台湾の、というより中華民国の老ジャーナリスト、陸鏗君をばああも多用するのか理解できず。現在サンフランシスコ在住の陸君はもともと大陸生まれの外省人にて当然のことながら台独に動く李登輝、民進党など大嫌い、台独は中国の平和的統一を阻害、台独は中国の台湾侵攻をなさせるばかり、と警笛ならす陸君の主張に一利あり、だが、台湾でもすでにジャーナリスト生命の終わった、ゆえにサンフランシスコに隠居する陸氏を今さら信報が台湾問題の権威として扱うことには疑問。主張は反李登輝、反民進党で余りに単調、とくに読むに値する論拠もなし。
▼イラクでの日本外交官二名の殺害。朝日は「米英主導の占領に反対する武装勢力によるテロ」で社説では「イラクを愛し、危険も顧みずに身を粉にして働いていた人たちが、なぜ殺されなければならないのか。事件は余りに痛ましい。どんな理由があろうと、犯人を絶対に許すことはできない」と。確かに「人道的見地でイラク復興に携った外交官の死」は惨い、だが、殺された外交官の「米軍襲撃が絶えないファルジャール、ラマディなどイラク西部から過激派が南部へも出撃しているとの情報がある」から「この地域に援助を投入し民生の安定に役立てたい」(朝日)という発想、民生向上のための非軍事的援助とはいえ結果的には米軍のイラク統治の後方支援というとらえ方も可。喩えは幼稚だが同じ中学校の三年生の不良グループが隣り町で悪さ仕放題、で同じ中学の1年生が「ぼくたちに何かできることはないだろうか?」と考えて隣り町の道ばたで清掃活動したら隣り町の不良に「てめーらアイツらと同じ中学の学生だな」と暴力振るわれたようなもの。「ぼくたちは何も悪いことしてないのに」と思っても相手にしてみれば同じ中学であるだけでじゅうぶん。この外交官が外務省HPの省員近思録にイラク便り掲載しており、この事件でこのサイト取上げられ省員近思録といふ普段は余り目立たぬコーナーながら外務省トップページよりリンク可、さすがに今日は閲覧も混雑の様子、朝日の天声人語も「強い使命感を帯びて日々励んでいたことが、痛いほど伝わってくる」と。こんな立派な人が、という多くの国民の感想は朝日の記事(こちら)であるが、見方変えれば日刊ベリタが伝えるこのイラク便りは「CPAを通じた人的協力に参画中」と自らを紹介し米国の対テロ戦争に同調し米英主導の復興支援にどれだけ積極的な支持を見せる外交官であるか、という面もあり。朝日の社説のように短絡的に「イラクを愛し、危険も顧みずに身を粉にして働いていた人たちが、なぜ殺されなければならないのか。事件は余りに痛ましい。どんな理由があろうと、犯人を絶対に許すことはできない」と感情的正論に陥るべからず。読売は社説で「テロに遭った可能性」が高いが「ひるんではならない。自衛隊の派遣をはじめ、日本のイラク復興支援が後退することがあってはならない」と当然の政府支持。何も思考しておらず。それに対して産経が「イラク戦争に大義があったかどうかの議論は簡単には済まないだろう」と一瞬「ほーぅ」と産経の見識に期待するが、だが「イラク戦争を招いた責任はフセイン元大統領にあった」のであり「大量破壊兵器はまだ発見されていないが、それを持つ意思があったことは確実だった」って(笑)それぢゃムラムラとしただけで強姦罪、覚醒剤ってどんなに気持ちいいのだろうと想像しただけで麻薬取締法違反になってしまふ……と無理矢理に「イラク国民の多くはフセイン独裁政権の暴虐から解放されたことを歓迎している」と、だからそれがイコール米国のイラク侵略統治への支持ではないのだが、強引な論法。その上、自衛隊派遣が徐々に難しくなることに対して「小泉首相の戦争支持も、総合的な安全保障や国益の観点からのものであった」と弁護した上で「米英軍などの占領は領土獲得が目的ではなく、治安が回復されれば撤退する性格のものであること、いま手を引けば、日本はテロに屈して計画を取りやめる最初の国となり、テロリストたちに勝利を与えるのみであることなども考えなければならない」と。だからどんなことがあろうと日本はイラクから撤退できぬ、のが産経。日本が自衛隊派遣を取りやめても大勢に影響もなければテロリストもそれで勝利を得たなどとは理解もせぬのだが……自意識過剰(笑)。さらに「一部にはまた、イラクでのテロは、テロというよりレジスタンス(抵抗運動)だという議論も出ているが、テロリストたちの卑劣な暴力を正当化しようというもので、論外である」と捨て台詞も忘れず、さすが産経。いずれにせよ殺された外交官本人に「イラクを愛し、危険も顧みずに身を粉にして働いていた」意識があろうとも米英の正当性なきイラク征伐、占領統治にあって、それを支持した日本政府を代表してイラクにてCPA(米英占領当局)との連絡調整にあたる外交官という立場考慮すれば血も涙もなき「テロリスト」に狙われたことは偶然に非ず。ところで「日本の新聞を読んでいても世界が見えぬ」と言ったのは宮沢喜一君だったか竹村健一君だったか信報はこのイラクの状況を「11名駐伊非美籍(米国籍)外国人遇襲喪生」とここ数日で二名の日本政府外交官、七名のスペイン情報部員、二名の韓国籍従軍者が狙われたこと取り上げ、イラクでの反米闘争が対米だけでなく親米国家に拡がったことを強調、また日本人外交官の殺された場所ティクリートがフセイン君の故郷であり殊に抵抗運動が盛んであることなど短い記事で的確に報道。これを読むほうでイラク状況が感情に流されずかなり客観的に把握可。ちなみに蘋果日報にはAFP電で霊安室?に放置されたお二人の外交官の惨い遺体写真(上半身裸で顔面傷多くお一方は手をホールドアップしたようなまま)掲載あり。日本の新聞は家族の悲しみを気遣って、か掲載なし。イラクの戦時的状況がどれほど劣悪か理解するためには遺体写真は報道されるべき。フセインの二人の息子の遺体とて死化粧まで施した写真が掲載されたのだから。だが当然、この悲惨な写真出れば自衛隊派遣に疑問の声高まるのも必至。
▼余のお恥ずかしき毎度の誤記、或る方より11月1日の記述で石原慎太郎君を直木賞受賞、と記載ありとご指摘いただく。確かに芥川賞の間違い。確かに直木賞は新人も対象となるが基本的にはすでに傑れた大衆文学作品を書き続けた作家への授賞。先生はかなり寡作であるが(こちら)『太陽の季節』の次は96年の裕次郎追悼本『弟』が印象に残る、という方も少なからずや。

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