教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
富柏村日剰サイト内の検索はこちら
既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。

   
十二月三十一日(金)朝に真言宗豊山派神崎寺に墓掃。Z嬢を母と鉄道駅に迎え父も一緒に木挽庵なる手打ち蕎麦特集雑誌でも取り上げられる蕎麦屋。せいろとかけ。百合根の天ぷらも美味。酒は真壁の純米酒来福。一日おいてまた雪の予報が昼前から大雨。午後いわゆるバイパス沿いのショッピングモールにて書籍雑貨など眺める。眺めるだけで何も買わず。晩に大晦日の花火も雨で中止とか。築地からマグロ仲買するB氏より父が頂いた見事な刺身。テレビ眺めており唯一笑ったのは長井某といふ話芸の「NHKは紅が勝ったの白が勝ったのと言ってる場合じゃない。白か黒かはっきりしろ。マツケンサンバで誤魔化すな、紅白の最後で海老沢が『笑って許して』でも歌ったら笑ってやろう」とのコメント。紅白といへば公金着服のプロデューサーI君が余の実家のじつに近隣の者であること母から聞く。昨年は日経の鶴田もNHKの海老沢も同郷と知り驚いたがI君まで同郷とは。結局は自民党のマスコミ支配の原点・橋本登美三郎に可愛がられた海老沢がNHKにて頭角露すなかでNHK内部で海老沢が同郷で早稲田出の者から子飼い育てた結果の一人がI氏と母から聞く。幼き頃から見ていて恥ずかしく紅白直視できず酒飲みながら若い頃に柔道よくした老父が見ていたK-1でキックボクシング魔裟斗vs総合格闘技山本キッドなる選手の試合のみ見る。感涙に咽ぶほど実に見事な試合ぶり。年の瀬といわれても昔の活気ある暮の風情もなく寂しく静まりかえった故郷にてテレビで年末番組見たところでどうも大晦日だ新年だと言われてもすっかり農歴に馴染んでしまひこの太陽暦の十二月三十一日に新年といふ気分もなし。ただNHKの行く年来る年見て山中の雪深き神社仏閣に初詣に参る人々の姿眺めながら実家にあった昭和三十七年の十一代目團十郎の襲名披露公演の歌舞伎座の筋書きを読む。題字は当時通産大臣の佐藤栄作。各界からの祝辞でも佐藤栄作は臆面もなく「いつからか“政界の團十郎”という光栄ある呼名を頂戴している私として、本物の團十郎の誕生に、まずもつておめでとうと申上げたい」と横柄。この筋書き、書き手には安藤鶴夫、戸板康二、三宅周太郎、郡司正勝と並び成田屋の家系図も実に詳細にわたり現在の筋書と比べ実に購読する価値あり。白眉は俳優随筆で壽海、左團次、梅幸と十七名もの役者の随筆が並ぶのだが、そのなかでも「鳥辺山」にて團十郎の半九郎でお染演じる中村歌右衛門の文章が実に歌右衛門らしさ。この役は先代左團次の半九郎で故・松蔦(若松屋)初演以来ずっと演じた役と紹介し歌右衛門も衣装など工夫してみたがやっぱり具体悪いので若松屋工夫の衣装に戻ったと歌右衛門。お染についての説明が実に見事で「この役は遊女でも、まだ里慣れぬ上、男は半九郎以外には知らぬという役で、殆ど素人娘の初心を失つておりません。と云って、遊女は遊女なのですから、半遊女、半娘と云うところに難しさがあるのでして、又そこに仕甲斐もあるというわけなのでしょう。それに、チョボが入つて、古い歌舞伎仕立てに出来ている芝居ですけれど、形式は古くても内容や感じには大正時代の近代性があるのですから、形式の古さにとらわれて、その近代味を逃さないようにという点にも苦心がいる役と存じます。」と述べ、最後に「今度はこうした役の骨法を今日では一番よく御存じの成田屋さんの半九郎のお相手でございますから、私も大層勉強になることと楽しみにしております。」と成田屋たてる。

十二月三十日(木)快晴。朝目覚めぼんやりと朝のワイドショウ見ることから一日始まり毎朝これ反復すことで脳軟化症間違いなし。津波被害に対して米国の支援始まる報道に「テロと戦うブッシュ大統領は今回の被害がイスラム諸国に多いことについて『わたしの想像を越える惨事だ」と述べ米国としての緊急支援を……」と全く意味不明。ブッシュの形容に「テロと戦う」は揶揄なら大したものだが、あるいは賛辞か、最も危険なのは皮肉でも賛辞でもなく常識としての「ブッシュ=テロと戦う指導者」といふ感覚。おそらく、これ。でブッシュの想像越える惨事というのは、たんに災害の甚大さの発言なのだが「今回の被害がイスラム諸国に多い」という前段があるとまるでイスラム諸国だから天罰受けても当然だが今回の惨事はあまりにも、といふ程の解釈すら可。全く思慮欠いた言葉が垂れ流され続ける。お笑いか。それをぼんやりと見続けることでの不感症。怖。筑波。両親と松乃家といふ鰻屋に行くがすでに年末休で「かねき」なる廻転寿司。廻転だが目の前で握られた寿司はネタもよし。本マグロと小鰭はとくに良し。昼ぎりぎりで席ありすぐに行列。午後母方の叔母の家。孫二人と戯れる。見事な夕焼けを背に久慈川を渡り今年一月に亡くなった叔母の墓参。従弟T君夫妻と従妹A嬢山間の大叔父の家に向かう頃には日も沈み寒さ厳し。大叔父風呂上がり美味そうに日本酒お燗であっといふ間に二合徳利で二本。車の運転もなかれば一晩付き合いたき八旬も半ばの大叔父夫婦の話興味尽きず。大叔父の手許には戦争時にミャンマー戦線の記録集あり。一読せば当時の兵隊らの記録は「つくる会」的な虚構の歴史賛美に非ず唯々史実の精緻な記録であり後書きに「戦争を知らぬ世代が多数を占めるようになる」時代にあって当時の戦争の「悲惨さと野蛮さ」を正確に歴史に残すことが戦争に関った自分たちに残された使命、とあり。これが今どきの安部、石破らには理解できぬ史実。同じく八旬の大叔母は最近の若者が働かぬ世の中嘆き今の日本は実際の厳しさなどわかっておらず政府が改革だのと言っても上辺だけで「小泉首相じゃ何もできない」と断言。人口わずか一万にも満たぬ山村でずっと生きてきたこの老叔母の健啖。家は昔から暖房など置かず茶の間の温い火燵のみ。火燵囲み話す息も白し。外気はすでに氷点下と思えば室内も五度かせいぜい八度。なぜ暖房要らぬのかわからぬがロラン=バルト的には
日本の伝統的な家屋は暖房を規制する。暖房の技術がないのではない。襖という常にいつ開けられるかわからないパテーション一枚で隔てられた個の空間それぞれの部屋に暖房がないことで家屋に住まう人々、それを家族と呼ぶ、が必然的に家屋で唯一、暖のとれるこの居間に現れ火燵という、火をいれ布団をかぶせた小さな卓に足を入れる。そこには小さな卓を囲み家族が面と向かう<交通>の空間が出現する。
とでも言えばいいのか。大叔父の家を辞し晩に常陸太田の今でもまだ僅かに古い城下町の町並みの面影ある市街を車で抜け帰宅。鰻の白焼きと白葡萄酒。二更に昨晩に続きスーパー銭湯に浴す。
▼津波被害で独逸人やスウェーデンなど北欧の被害者多し。東南アジアのリゾートで何故彼らの被害が日本人よりずっと多いかといえば何よりも彼らのリゾート生活が海辺の粗野なるコテージ、バンガローなど好むゆへ。被害甚大のクラビ島など数年前に余が夜に月夜愛で砂浜散歩すれば海岸に面して灯りすら余りつけぬ当然、冷房設備もお湯もでぬリゾート施設あり、よく見ればSwedish何某と施設の名。なるほどこの人たちのリゾートでの徹底した生活に感心したが、このような被害あれば津波に呑まれるも易し。もう一つ思い出すはマレー半島でシャム湾に浮かぶシブ島なる小島。この島に唯一の宿泊施設あり苫屋の如きバンガロー浜辺の椰子の木立に点在するがドイツ人の家族ボートでマレー半島より島に到着せば宛が割れたバンガローに満足せず一戸一戸空いているバンガロー確かめ始め余は椰子の木陰に微睡むこと二時間。漸くバンガロー点検済み漸くどれ選択するか決定するかと思えばリゾートのテラスにて家族会議始まりどのバンガローにするかの会議。スタッフもうんざり。さすが独逸人ともなれば当然十日ほど滞在するのだろうし念の入れよう違うと感心しておれば二日後に彼ら島離れわずか三日のために半日かけてバンガロー選び。
▼紀宮婚約。相手の黒田なる男性婚約の日に髪に寝癖あり。この人の学習院のご学友がその寝癖に言及し「そういうことを気にしないところが彼の彼らしいところ」と語るがそのご学友も学友紀宮と婚約の晴れの日にテレビに映るにはご学友本人も髪がかなり乱れ学習院のよき校風?見た思い。この婚約といへば気になったのは宮内庁長官浅利君の記者会見にて「清子内親王には……され」「天皇陛下には(この結婚をご認可だか)なされました」といった表現。この場合内親王も陛下も主語であり「におかれましては」のはず。この「には」は「におかれましては」の略なのだろうか。「には」の常識的な用法は紀宮自身が記者会見で「天皇陛下には(この婚約のご認証だかを)いただき」の受給表現での「〜から」と同じ意味での「に」に「は」がついた形でこれは正しいもの。「におかれましては」の意味での「には」はどうもしっくりとせず。紀宮の記者会見でひとつ気になったのは確かに今回の婚約が秋篠宮がいかに重要な位置にあったかは事実だが紀宮の会見で何度も秋篠宮夫妻に感謝の意を述べ最後まで皇太子夫妻には一言もなし。実際にこの婚約に浩宮が具体的な役割はなかろうが「日本人の美徳として」(笑)兄二人あれば嘘でも兄宮にも親族の一員として感謝の意を表するべき。先日の秋篠宮の兄宮に向けての発言といい不可思議。皇太子で今でもよく覚えるは懇意にした外務省職員の数人が「浩宮様ほど随行の者にまで様々気を遣う人も珍しい」といふ感想でお付きの者に「どうぞそちらにお坐りください」「お疲れ様です」と労ひ受けその誰もが浩宮絶讃。
▼昨日旅行者用小切手両替に東京三菱銀行。まずAmexのT/Cが真物かどうか銀行側の資料ファイルの見本コピーとの見比べに始まりじっくりと待つこと幸いに他客おらず八分。暇な待ち時間に海外送金の用紙見ておれば送金先銀行名の記載欄に英文と並んでカタカナ書き欄あり。銀行名がアラビア語ならカナ書きの必要性もわかるが英語。電信送金でカナ書きの必要もなく英語読めぬ場合の読み仮名以外の何ものでもなし。だがその相手先銀行名すら入力するだけで読む機会もなし。意味不明。

十二月廿九日(水)夜半から雨。みぞれから昼前に雪となる。母と筑波の研究学園都市の「いちい」といふ手打ち蕎麦屋。せいろととろろ蕎麦。日暮れまでかなりの積雪。晩に年末のバラエティなど見ながら実家で久々の晩餐。二更に独り近郊の大型銭湯に浴す。日本に戻ると自動車運転しつつ昼はTBSのラジオ放送聴くこと多し。大沢悠里のゆうゆうワイドは毒蝮三太夫、永六輔の遠くへ行きたい、小沢昭一的心などが四半世紀前と全く変わらぬ世界が其処にあり。晩にニッポン放送で今年一年振り返るような番組あり新潟地震でのナントカ村の住民が罹災してもやはり村の集落の隣人とこれからもともに暮らしたいと願っていたこと取り上げ「なんか日本らしい、すごくいい部分を見たような」だとか感想述べ思わず雪道にスリップしようになる。自然災害に遭ってもまた居住地に戻りその共同体での生活望むのは新潟だけじゃなくハリケーンに襲われた米国でも津波のプーケットでも三峡ダムに村の没む中国でも同じこと。こうして民族の神話作られるか。
▼津波被害に遭った大陸旅遊なる旅行代理店のスリランカツアー。野生動物と冥想する旅。スリランカで野生動物と一緒に冥想……山上たつひこの世界か。

十二月廿八日(火)曇。朝の気温摂氏十六度。十四度まで下がると天気予報。厳寒。朦朧と朝七時に起き荷造り。タクシーで香港站。機場快線で空港。M君より電話でプーケットにて最後まで安否わからずのKさんの安全確認と電話あり。安堵。ここ数日無性にラーメン食したく空港内の味千らーめんに食す。CX520便にて成田。機内で先週のカドーリー農場レースに参加のN君夫妻に会う。機内にて数年ぶりに酒一滴も飲む気もせず。数日分の新聞数紙読み大塚英志の『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』僅か一章読むが爆睡に陥り気がつけば九十九里浜。着陸してから二十分も空港内を走りゲート着。このまま滑走路延ばして東京までダイレクトにできる距離では?とZ嬢と。京成線スカイライナーで上野。江戸川、中川までは夕陽のなか千葉の郊外の荒涼たる風景に悶々。列車が荒川越え大川渡ると東都に戻ると何処か気分も少し晴れる。日暮里で国鉄に乗換えZ嬢と別れ上野で下車。不忍口でコインロッカーに荷物預け上野駅出て年の瀬で賑わうアメ横(写真)。洋物ライター屋など冷やかし母に電話で尋ね数の子と明太子購ふ。御徒町にふらふらと歩きふらっと白山眼鏡店。昨秋に巴里のLafontで購った近眼鏡ととても似たデザインの太陽鏡購ふ。「たかだか」通りがかりの客の太陽眼鏡に三十分余もかけ顔形にぴったりと合うまでフレームの調整され敬服。次々と立ち寄る客への客偶ひの見事さ。御徒町の「吉池」素見し松坂屋にて津軽塗の箸と柘植の箸入れ購入。持ち歩き用。老い先短き身せめて外での一食一膳自らの気に入らぬ箸は用いたくもなし。御徒町駅で従兄弟のS兄夫妻と待ち合わせ御徒町の京町屋なる料理屋。福光屋の純米・黒帯。料理も創作風だが底味しっかりと食すに値する店。店員も好感もてる様。キョービの若者はニート系だのいろいろ言われるがアメ横でもこの料理屋でも働く若者は実に律儀に一生懸命働いている姿多し。十歳になる前から付き合い易き従兄と酒飲み語らふには絶品の兄嫁と款語戯言尽ず。タクシーで送られS兄夫妻と別れ余の幼き頃のいい意味で薄汚なさ払拭の上野駅。午後十時の特急に滑り込み二千円加算でグリーン車。日本の冬の列車暖房強すぎ。TシャツにGパンで靴下脱ぐが寒からず。酸素不足。三更に実家に戻り母と語らふ。

十二月廿七日(月)昨日ボクシングデーで日曜のため本日振替休日。スマトラ沖の地震とアジア各地のリゾート襲った津波で香港からもこの時期かなりの数の旅行者あり日本人の安否確認に終日忙殺される。ネットの情報多いことでプーケットといってもホテルの名前でホテルのサイトに行けば海岸沿いかいくぶん内陸かわかり少なくても直接の津波被害の有無までわかる時代。だが日本人にとって大切なことはホテル名など旅行先をば残して行く場合にカタカナ書きせずアルファベット表記することの大切さ。カタカナ表記では何の役にも立たず。もう一つ「必要以上の心配」も混乱の最中自粛するべき。香港からの旅行者の確認が一端取れればその人はまず安全ということでこのあと何日現地に滞在しようが本人の責任で安全に対処できることで他者が心配する必要なし。他に何人もの安否未確認があるのだから余計な労力は避けられる。だが問題はその安全確認できた人について日本から問い合わせが続くこと。或る事例で言えば日本からの問い合わせにその人の安全が確認できたと伝えると次にいつ連絡取るのかだの一刻も早く香港に戻らないのかなど何度も問い合わせあり。こちらはその人はもはや安全であり30日に香港に戻る予定でこれ以上連絡をとらないと伝えても皆なが心配している、早く元気な姿を見せられないのか、と質される。心配する気持ちはわかるが必要以上のその連絡などで電話回線も塞がるし現地のホテルなど病院がわりに怪我人収容しているところに余計な手間かけるばかり。晩にミッドレベルのI氏宅で延び延びになっていた十一月のTrailwalkerの4人チームの忘年会ありぎりぎりまで津波対応して遅れて駆けつける。鍋。新潟の地震の際に壊滅的被害受けた「久保田」の日本酒をI氏シティスーパーで数本確保しており、それをいただく。何とも災害多き年振り返るばかり。

十二月廿六日(日)晴。ボクシングデー。毎年この日恒例のピーク湾仔ギャップでのボクシングデーランあり参加(主催は香港レディースランナーズ倶楽部)。山頂のキャメロン山の周囲を上り下りしつつぐるりと回る4キロ。クリスマスにひっかけた行事で毎年サンタクロースやかなり奇抜な仮装もあり。余は会場着いてから作務衣でも着て数珠もって走ればよかったと後悔。終わってZ嬢と湾仔ギャップロード下り湾仔。湾仔道の石崗カレー餐庁に行くが昼前でまだ開店しておらず李景粥品専家(灣仔道146号)。金牌超級艇王粥はHK$88と値段も抜群だが二人前の量あり。白身魚、あばら肉、豚のレバー、ミノ、ハツ、心臓、ミンチ肉丸と魚球、貝柱など「これでもか」の具盛り沢山。帰宅して昨年は中山競馬場で観戦の有馬記念の中継見る。凱旋門賞での名誉挽回とタップダンスシチーがレース見事に引っ張り一番人気ゼンノロブロイ最後の直線で差して一着。二着にタップダンスシチー。この二頭で有馬記念終わる。晩に今朝のレースでもお会いしたK氏とT氏夫妻来宅。K氏ヴァランタインの30年物持参されワインは年越してまで飲みたくないボジョレヌヴォーと更に二本抜栓するが気持ちはヴァランタイン30年に向いてしまふ。Z嬢の手料理。このウイスキーやっぱり最高のブレンド酒だと実感。余の酒棚にあった同じヴァランタインの17年、21年の二本と飲み比べ。食事でもイケる17年と一人で飲むには勿体ないほど十分な21年、そのいずれも立派な酒だが円やかさではやはり30年が格別。当たり前。三十年もずっとこの日に飲まれるのを待っていたと思ふと感慨深いものありすーっと飲み干す。テレビもラジオもネットも見ておらず晩遅くスマトラ沖の地震と津波のことを知人からの電話で知る。
▼朝日の書評欄「マガジンウォッチ」で亀和田武が『わーずわーす』を「アジアはそんなに甘くない」と酷評。酷評とはこういうのを言うのだろうというほど酷評。Sixsensesタイのホアヒンのスパリゾート紹介したがために精神世界と「国際リゾート資本」との癒着!指摘され、この雑誌の掲げるアジアはビジネスの的でバブル起業家的発想、と。勿論アジアの現実は厳しく上っ面だけでは理解できぬが、わかった上でやはりリゾートも行きたく多少の贅沢もしたく、が余もホンネ。それとは直接関係ないが、このコラムの上段で紹介された江澤博己『接客サービスの達人』で、著者の紹介する接客の極意には例えば雨の日の傘があり、使い捨てに近いビニール傘ではなく折り畳み傘を客にお貸しするのだろうな。すると折り畳み傘ならまた店に立ち寄ってくれるかもしれない、という、一瞬心配りのようだが、レストラン出て傘が欲しいような雨はいたってにわか雨か豪雨であって傘を折り畳む暇もなく家路に着く。すると借りた折り畳み傘は温情を越えて「また店に来いよ」といふ命令のアイコンと化す。これはサービスでなくビジネス。

十二月廿五日(土)曇。昨晩聖誕節イヴで尖沙咀には四十万人の人出。蘭桂坊も二万人で立錐の余地なし。何故か聖誕節イヴの晩午前零時にカウントダウン。テレビの取材に「今年は……な年だったが来年は……」とまるで大晦日。イエス=キリストといい天皇陛下といい年末にご誕生にて民衆皆それを禊ぎとする。昨晩は寿司加藤よりBar Seedに行こうかといふ話も出たがクリスマスイヴの銅鑼灣など足踏み入れたくはなしとZ嬢。御意。本日もクリスマス気分の市街などうんざりでジムもインストラクターがサンタ帽などかぶるが目に見え午後まで在宅。Z嬢と裏山に登る。康柏カントリートレイルの山徑より少し入ると地元の健脚老人らの造成した彼ら花果山と名付けた見晴らしよき丘陵地あり谷間下るとすっかり整備された秘密基地あり。獣道を藪漕ぎし更に登ると山中に光緒二六年とある墓あり。光緒帝といへば清朝の溥儀の叔父にあたり帰宅して調べれば光緒二六年とは一九〇一年にあたりこの山中の墓は百年前のもの。自宅近くのジムに寄り一浴し帰宅。聖誕節の晩などどの料理屋もクリスマススペシャルメニューばかり。七面鳥食したり安い三鞭酒飲み高いばかりでキリストの聖誕とば異教徒で供に祝す心智もなく自宅で肉や野菜焼き食す。晩遅く近くの映画館に周星馳監督並主演作品『功夫』(邦題はカンフーハッスル)見る。香港内で一挙五十五館だかが上映し一昨日だかの開幕日に四百万ドル(六千万円)だかの収益上げ中共でも同日開幕で一千万元の売上げとか。不振といわれる香港映画で『少林足球』にて面目保持の周星馳が満を持しての作品。コロムビア映画が1億六千万香港ドルだか拠出。一九三〇年代の上海舞台のギャング物のカンフーであるが特撮もここまでCGしてしまうとは。CGでは十年前のジム=キャリーの『マスク』のほうが技術的に見事。特撮多様しながらもそれに負けぬセンスとウィットが必要なのだが、筋は『少林足球』に比べても陳腐。洋服の仕立屋の主人や麺粥店のオヤジがカンフーの達人であったり集合住宅の大家夫婦のカンフーあたり迄は人物設定で面白いが脚本が熟れておらず主人公とヒロインもかみ合わず何ゆへにこの青年がカンフーの達人となってゆくかといふブルース=リー以来のカンフー映画の「基本の基」に欠けたことが最大の欠点。音楽などいわゆるシナ趣味でカンペキに米国市場意識したのだろうが下品で粗雑なコミカル映画と烙印おされても不思議でなし。王家衛の『2046』でもそうであったが登場人物が大陸の役者か香港の役者かで普通話と広東語がごちゃまぜになっていても、それを役者本人が無理に合わせるでも吹き替え使うでもなく、ごちゃまぜにして「通じていること」にしてしまふのが最近の風潮。外国での上映を前提にすればどうでもいいのだろうか。ところで日本語のこの映画の公式サイトの粗筋で一九三〇年代の上海を「文化革命のまえの渾沌とした中国」って意味不明(笑)ちょっと余りのいい加減さ、拙いのではないだろうか、ソニー。
▼白血病克服の團十郎。病は完治でなく完全寛解で維持療法要す。今年五月に歌舞伎座にて新之助の海老蔵襲名披露始まった直後に発病し休演病気治療続け十月の襲名披露巴里公演にて復帰。今月は京都南座で「お祭り」を踊る。久が原のT君からも團十郎の姿につきメール頂くが一月には演舞場にて八ヶ月ぶりに東都での舞台に復帰の團十郎の記事が朝日にあり。昼が文七元結の清兵衛、夜は御所五郎蔵。敢えて役者の頑健さ見せるが大事の五郎蔵演じるとは。團十郎「やはり江戸の役者ですから。お客様が気持ちよくなれる役を私も気持ちよくやれれば」と。薬の副作用かいくぶんふっくら顔に海老蔵と同じ坊主頭で「どうも入院生活をエンジョイできるタイプだったようです」と豪快に笑ったといふ、この人のこの子供の頃からの人柄にあらためて敬服。入院中に読んだ本としてジョン・タワーズの『敗北を抱きしめて』といふのが印象的である。
▼独逸並に墺太利にて米国商業主義影響下に年末商戦宣伝役と成り果てしサンタクロース排し本来のニコラウス聖人の伝統取り戻す運動あり。独逸では十二月六日が聖ニコラウスの日。子供が玄関前に靴並べ菓子振る舞ふ風習あり。ニコラウスは四世紀の小アジアの司教。独逸のカトリック団体はプレゼントの買い物に大騒ぎする墜落嘆き米国流サンタクロース進入禁止の運動。赤と白の服着た太めのサンタクロースは三十〜四十年代に米国コカコーラ社が宣伝に起用し世界に定着といふ。

十二月廿四日(金)晴。拙宅掃除。この二年半で二度しか乗っておらぬ自転車も磨き天気もよくフォートレスヒルまで所用あり自転車にてバスの大気汚染酷きキングスロード走る。香港にて自転車などプロパンガスか青物の配達か本格的なロードレーサーばかりで「てれてれ走る」者など新界にでも行かねばおらず北角では目立つかと思っておれば案の定偶然にもバスの車窓からZ嬢それ眺め唖然としたそうな。フォートレスヒルへの用事とはもう廿年近く愛用のTime/systemの来年用のリフィール購入。例年以上に香港での発売遅れ配達待てず受領に伺った次第。システム手帖なるもの日本では非常に八十年代のバブルな時代の印象あり。帰りに太古坊のイーストエンドにエール飲む。この店であれば街路に自転車置いても店から一望で安心。晩にZ嬢と北角の寿司加藤。隣席に子連れでS氏あり歓談。明日がJ寿司のT氏亡くなって五年の命日と知る。

十二月廿三日(木)晴。陛下御誕生日。金鐘の或る会社に社長名義の口座への精算あり小切手持参せば秘書生憎不在にて受付嬢に小切手預かれぬ、明日復た持参せよと言われる。預かって後ほど秘書に渡せば良かろう、余はメッセンジャーぢゃないのだから今日も明日も匆々来られぬと言うと「メッセンジャーかと思った」と言われる。小切手だと預かって責任が持てぬと言い張るのでもし余が郵送で送れば秘書に渡るまで会社が受け取るわけで説明が納得出来ぬと言うと前回も小切手受け取ったが確かに秘書に渡した筈が小切手行方不明となり面倒なことになった経緯ありとベラベラとよく喋る受付嬢に呆れたが、そういえばまだ前回振り出しの小切手が現金化されておらず。明日にでも秘書に問い合わせてみるが受付嬢の素っ頓狂さに呆れるばかり。クリスマス商戦のなかTimberlandにて買い物せば会計で「よいお年を」と言われクリスマス祝賀せぬことに驚き聞いていればどの店員もメリークリスマス!と言わず。客はキリスト者ばかりぢゃなし実に立派。「よいお年を!」も農歴だのロシア正教徒で暦違いなど厳密に言えばあるかも知れぬが異教徒らのメリークリスマスよかまだマシ。ジムに行き吉野家で牛丼。尖沙咀に用事済ませ帰宅。元朗好到底の蝦子麺茹でて食す。即席麺ながら油使わぬ自然の乾麺で茹でると蝦子の出汁もよく出てXO醤と塩胡椒ほんの少しで立派なスープとなる。美味。

十二月廿二日(水)早晩中環香港ブックストアに寄る。Hugh Johnsonのワイン品評ガイド購ふがAndrew Jeffordなる著者の“Peat Smoke and Spirit”なるスコットランドはIslay島のウヰスキー蒸留に関する四百頁もの大著見つけて入手。晩に中環ヰンダム街に観光バス数台あり人混み(写真)に何かと思えば大陸からの観光客ら蘭桂坊参観。参観するほうが野暮か田舎漢に参観されながら飲むが野暮か。凄まじ。FCCにて米国とアイルランド産の生牡蠣一つ僅か10ドルで供されておりLouis Latourのシャブリにて半打頬張ったら百個だかあった牡蠣たちまち売り切れ。上環の知る店に飲み帰りがけ銅鑼灣にてBar Seedに寄る。Caol Ila飲む。某仕事関係のI氏ら会社の忘年会の二次会で其処にありI氏ら三名に誘われ或る日本料理屋に誘われるが三更にすでに閉り日本蕎麦屋も看板で実に六年ぶりか?で居酒屋一番。ビールにラーメンといふ最近あまり食さぬお夜食。帰ろうかと思ったが再びBar Seedに。店主M氏に「ラーメンのあとなら」とLittlemill供され本来は「ラーメンのあと」には失礼な已に十年前に蒸留所閉鎖された貴重なモルト飲む。ばったりと知己でかつての競馬仲間B氏と旧情に酌しバランタインのブレンド原酒Miltonduff飲む。午前三時。

農歴十一月初十。冬至。薄曇。諸事済ませ晩に慌て湾仔上海三六九飯店に「湯圓」求む。冬至には湯圓食す習しあり。だが三六九の店の者「香港人は冬至というと湯丸、湯丸と湯圓ばかり食すが冬至は別に湯圓ばかりぢゃないのにねぇ」と雑談。上海語だがたぶんそういう話。帰宅の午後六時半の地下鉄混雑甚し。冬至の晩ゆへ家族での晩餐に皆帰宅急ぐ。季節の節句に家族団欒愉しむ羨ましき風習。身動きとれぬ車内にて目の前十二吋の至近距離にて大声にて携帯で電話する女あり。口臭あり口唾飛びオマケにゲップと嚏まで。銅鑼湾より乗り込み北角で下りるまで三方に通話。歩く公害の如し。思わず無理にこの女に背を向けせめてもの避難対策。日本の車内での携帯禁止も一向。何より携帯通話料金の安さに元凶あり。急がぬ無駄な通話ばかり。一通話三分十ドル程に値上げすべき。ミニバスもさぞや長蛇の列と察し自宅まで站より夜風浴びつつ歩く。といってもわずか十数分で日本なら歩いて当然だが香港らしくミニバス三分に一本走る。ミニバス三本待つなら歩いても同じ。帰宅。冬至で南瓜煮。二晩我地農荘の野菜でサラダ。明太子のパスタ。赤葡萄酒はChateau Marsac Seguineauの98年。ずっとどちらかといふと苦手であった葡萄酒をば最近飲む原因は何といっても斉藤さんのサイトで毎日の葡萄酒美味そうでI社長に長野での葡萄酒話など聞かされ久が原のT君まで最近は静かに夜は葡萄酒と。ついつい葡萄酒の杯。三六九の湯圓頬張る。葛湯に一浴……嘘、柚湯に浸かる。ビジネストラベラーズ誌読む。NHKのニュースにて台湾李登輝氏来日に査証給付につき外相町村君「一民間人が私人となっての来日なのだから」と発言あり。「一民間人が私人となって」といふ表現ぢたい矛盾あり(笑)。民間人ならもともと私人。「中国十三億人の敵」だそうな李登輝君もともと一民間人に非ず。余が思うは確かに李登輝の「廿二歳までボクは日本人だった」的なアイデンティティは特異。だがそれを敵視する了見の狭さ。在日コリアンもあれば朝鮮族の中国人もあり。李登輝の日本人性をば含有できぬのが異質なる者否定のナショナリズム。
▼マカオの中国返還五周年記念(廿日)にて胡錦涛主席マカオ絶賛。式典参加の董建華と会談後董建華並びに同じく式に参加の香港主要高官との記念写真撮影済ますと胡主席マカオ行政長官同席の場にて香港高官に対して「以香港的整体利益和長遠利益為重、以国家利益為重、要加強団結・和衷共済・相互支持」「多本着以人為本的執政理念、推動香港経済発展、努力改善民生、維護好香港社会的穏定」「認真回顧香港回帰七年来、実施一国両制港人治港、高度自治走過的歴程、総結経験査找不足、不断提高施政能力和管治水平」と述べる(紐育時報)。国家主席のこの苦言に董建華メンツもなし。人民日報は国家主席と董建華の会談については記事にするが苦言部分は報道なし。
▼埼玉県の教育委員に「つくる会」の元副会長選任(朝日)。「つくる会」だからいけないとはいわぬが明らかな翼賛体制。県議会で公明、民主、共産が反対しても自民党の賛成で選任される埼玉県。県には二千三百通の意見寄せられ八割がこの人事に反対だそうだが、それは県側にしてみれば「反体制派の危険思想がかった」県民や埼玉県の決定に干渉するヨソ者であり県知事上田某はこの人事をば「教育委員会に新しい風を吹き込んで欲しい。いたずらにレッテルを張って非難するのはひどすぎる」と宣ふ(嗤)。この「いたずらにレッテルを張って非難するのはひどすぎる」といふフレーズは傑作。どんな非常識も非難に対して「いたずらにレッテルを張って」と自らをば良識ある被害者化する妙。NHKの海老沢勝二も自らに「いたずらにレッテルを張って非難するのはひどすぎる」が使えるし西武コクドの堤某も「いたずらにレッテルを張って」と使えるフレーズ。選任されたこのつくる会の高橋某は「一般の常識と教育界の常識のずれを解消するために」と宣ふが現実は「一般の常識と教育界の常識のずれと「つくる会」の非常識」。つくる会名誉会長の西尾某は「周囲を徐々に感化していくことで教育委員会を変えてくれるだろう」と発言。恐ろしや恐ろしや。県議会で自民党安定多数の因果。先日の学習到達度調査だかでほぼ上位独占のフィンランドだったか朝日新聞の報道によれば政府はカリキュラムの概要提示するのみで授業内容や教科書の選択、授業時間の割り振りまで現場の教師に委ねられた学習の結果が児童のあの理解度。教育委員会が翼賛体制化し国定歴史教育のナショナリズム育成続けたければ続ければよし。そこから何が育つのか。誰にも相手にされぬ真の日本人なり。
▼朝日新聞に加藤周一の夕陽妄語。毎年十二月に一年の総括のこの文章を読むももう二旬か。この老知識人がいかに日本の姿に警笛鳴らそうともはや国民の一割が反応するかどうか。老加藤の警笛も年々弱々。

十二月廿日(月)晴。会う人毎にメリークリスマスと祝され「余はキリスト者に非ず」と思いつつ「ええ」と答えるのみ。大型商場の入り口ではクリスマス禮品の包装サービスありパート職員の拙雑なる包装に「ちょっと替りゃんせ」と言いたいほど。早晩にジム。湾仔に用事ありジョンストンロードの元朗好到底にて蝦子麺の乾麺購ふ。帰宅途中に地下鉄で上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子の鼎談集『男流文学論』のうち吉行淳之介のみ読む。痛快ではあるが吉行に比べれば荷風のほうがエッチ上手の筈だの余りの会話に唖然ともしつつ女性からしてみれば男の会話などに同じ不快感をば感じること多いわけで裏返しといへば「なるほど」と勉強になるところもあり。帰宅。月本さん日記に紹介される「わーずわーす」創刊号編集部より郵送で届く。月本さんのご厚情に感謝。贅沢な雑誌。最近の余の「気持ちは贅沢に支出は必要な真当なものだけにたっぷりと」といふ日常に合致。贅沢ゆへ次号から今後大変。少しでも何かお手伝いできればと考える。エコロジカルなスローな香港特集はぜひお願いしたいところ。創刊号の特集は台湾の玉山。ニイタカヤマノボレのこの山が台湾のこの最高峰で富士山より高い海抜四千米であることも今の若い方にはまずそこから説明要すが写真もダイナミックにて台湾の観光案内もじつに上品。戦前から戦後にかけての共同通信の名特派員太田誠の特集記事もあり。昭和廿六年香港に戦後初めて特派も同氏。AP通信の支局に机借り湾仔六国ホテルの部屋をその後支局兼宿舎とする、とあり。このホテルは電信局と郵便局に近いのが好都合。電信局は現在のテレコムハウス(電訊大廈)。かつての大東電信局。今でこそ通信社新聞社テレビ局など何処からでも通信能ふが昔はこの電信局海外電信設備ありNHKなど海外電信要すマスコミはこのビルに集結。郵便局とあるのは六国ホテルの向かいには現在税務大楼にグロチェスター郵便局あるが当時は六国ホテルは沿岸。当時も湾仔ではこの近くは香港警察近くの軒尼詩道郵便局しか存在せぬとすれば六国ホテルから近いとはいえず。推測だが湾仔波戸場に航空便の郵便が届く専用の郵便局でもあったのかどうか。機会あれば六国ホテルのL支配人にでも確認。昨日我地農荘で購入の野菜でサラダ。ホワイトシチュー。赤葡萄酒はVereto Salice Salentinoの'00年。

十二月十九日(日)晴。昨晩の深酒残る。八時過ぎN夫妻の車での迎えあり途中T夫妻拾い新界林錦公路の嘉道理農場曁植物園(Kadoorie Farm & Botanic Garden)に向かふ。年末恒例嘉道理兄弟記念の観音山山頂までのランニングあり参加。5kmとはいへ海抜100mから一気に546mまで登るもので坂道はとても走れず。頂上に財閥カドーリー家の一族も集ふ。文竹を一鉢購ふ。汗ばむほどの暑い昼すぎZ嬢の按配で八郷の大窩村の我地農荘農場主黄零氏仕事の傍らこの地に無農薬野菜栽培の農園営み数ヶ月前より週末のみ収穫した野菜用いた徹底した自然食客人に供す。野菜の素材の味を活かし塩や味噌の調味料もほんの僅か。豆乳、ブロッコリー炒め、蒸豆腐、トマトスープ、湯葉炒め、揚げ豆腐、五穀米、木の実のケーキなど。驚くほど甘みある素材の味。一人僅か50ドル。帰りがけに黄氏自ら畑からもぐ青菜など購ふ。黄氏信報愛読。安すぎると感想言ふと別に儲けたくてやってるわけぢゃないからこれでいいんだと黄氏ほほ笑む。帰りがけ石崗にて千葉さんといふ日本人営む千葉園にて蘭の花の鉢購ふ。かつての英国軍の駐屯地(今では中国と対峙するこの地に人民解放軍駐屯)の近くから雷公田は農場牛乳(Farm Milk)に寄り牛乳プリン、マンゴープリンと珈琲牛乳。美味。夕刻帰宅。晩に鳥焼き葱添え、蕎麦茹で食す。金陵の純米酒。NHKは国際放送において「NHKに言いたい」を(「新撰組!」最終回終わり日曜晩にこれ期待したが)放送せず。番組表は定時のニュース以外は「未定」とあり結局は日露戦争モノの歴史特番再放送で誤魔化す。NHKには香港でケーブルテレビの追加料金で毎月二千円程払い見ているわけでNHKの年末の海老沢勝二特番を海外に放映せぬのは不真面目。それにしてもHP上にて「……放送しました。……討論しました。……陳謝しました。……述べました。……述べました。……述べました」との記述。この無為ぶり。NHK内部での海老沢への突っ放しなのかNHKの体質か。
▼馬鞍山鉄道開通。十五年前は中文大学から夜に眺めればベトナムからの難民収容所の橙色の照明がうっすらと灯るだけの馬鞍山の麓が今では一大新興住宅地となり鉄道まで開通。
▼香港返還決定の中英合意より二十周年。当時の英国側代表の外相Howe卿の回顧談SCMPにあり。

十二月十八日(土)晴。八時間半熟睡。上午在宅雑事収拾好了。午後旺角。栄園麺家にて雲呑麺食す。ジムにて鍛錬。Langham Placeなる旺角再開発で鳴り物入りでオープンのLangham Placeはかつて「指圧」などの風俗店の黄看板並んだいゝ意味で陰湿の裏町跡にあり。そのショッピングセンターでは開業早々に飲食店で集団食中毒発生し営業許可とれておらぬ飲食店も少なからず。この近代的なる施設にて食中毒で横丁の路地に卓並べただけの栄園麺家は好対照。広東道街市など散策。晩に天后。ランニングクラブの年末総括の幹事会会合あり。個室所望し主にオイスター供する某ワインバーのVIPルーム。ヴィクトリア公園から銅鑼灣一望。個室にはダイニングテーブルの他にラウンジまであり五人で貸切には理想的だが店員すら首傾げるお世辞にも上品とはいへぬクリスマスの飾り付けでオイスターバーでありながらカラオケ完備(笑)。明るく健全な数家族廿数名のクリスマスで大合唱。終わってI君の誘飲にタクシーで銅鑼灣のBar Seedに三更まで飲む。I君のジントニックの注文にご主人M氏咄嗟に作るはロックグラスにてジン9:トニック1の秀逸なるジントニック。

十二月十七日(金)晴。早晩にジム。Z嬢と灣仔に待ち合わせ芝居の前の小一時間で湾仔の大歩道橋下の上海三六九飯店。ずっと昔から此処にあるが初めて入る。テーブルクロスのかかる店とは知らず。店員慇懃。西湖醋魚と筍&豆苗の炒め物。雑誌で紹介される気取らぬ芝麻湯丸も美味。かつて皇后大道東に同じ三六九飯店ありモダンな内装評判だが惜しまれて閉店は十年程前。この店内装などお世辞にもきれいとはいえぬが立派な店。芸術中心にて小松座の芝居で井上ひさし原作(小松座なら当然だが)『父と暮らせば』見る。井上ひさしは漢字では井上廈。同じ「ひさし」なら井上庇もいいような。『父と暮らせば』は英語ではThe Face of Jiroで漢字で「我的廣島父親」と全く意味違ひ。俳優は娘が西尾まりで父役がお見事っ!な辻萬長。実は井上ひさし原作の芝居見るのも初めて。新宿紀伊国屋での小松座公演は紀伊国屋で階段に張られたポスターに「満席売り切れ」ばかり。香港でよくぞ上演の今晩と明日二回。地元の「中英劇団」の招き。終わって劇団代表や演出家ステージに上がり観衆との対談あり。慌てて退散。Z嬢と何故香港は芝居でも映画でもこれが多いのか。外国からわざわざ来たから珍しい機会だからか?と思ったが地元の作家などでも多く香港の流儀か。いずれにせよ映画でも芝居でもハネた直後などまだ観衆とて気持ちの整理もつかぬわけで終わりました照明ついて「はい、作者とのトークです。何か質問は?」といふのもあんまりな話、とZ嬢。確かに。タクシー拾いさっさと帰宅。自宅で久々に独り静かに飲む。好きなジャズを聴き2吋ほど残りの75年モノのオーク樽熟のGlenmorangie美味。
▼蘋果日報の蔡瀾『不去』という随筆について一言。台湾に住んだ二年、それはそれは美しく社会は安寧で人は樸実と蔡瀾氏かつての台湾の回顧に始まる。おそらく李翰祥、胡金銓らが香港から台湾に映画制作の場を移していた七十年代だろうか。だとしたら国民党の戒厳令下。反蒋であれば暗殺もあり、の時代。殴り合いの国会もなく確かに蔡瀾の言う通り社会は安寧か(嗤)。次の時代なら李登輝だがゴールデンハーベストの頃蔡瀾が二年も台湾に住まう暇などある筈もなし。いずれにせよ当時に比べ亜扁が総統となってからの今の台湾は、と罵倒続き今の台湾など誠品書店除き何も惹かれるものもなし。台湾よか近くのマカオで満足、で終わる。で台湾は罵倒して中国はサイン会だのと頻繁に訪れるのだから。
▼昨日「ジャッカル」と書いて突然ソニーの「テレビ付き短波放送受信可のラジカセ」ジャッカル思い出す。デザインからしてアウトドア型でいかにもアフリカのサバンナでも使えそう、で名前もジャッカルだが当然電圧の問題にせよテレビFMの周波数は日本対応で短波放送とて狭い領域で日本でしか使えぬが当時この羨望のモデルをば「どうしても欲しいから」と親や祖父母親戚にねだりわずか一度のお年玉収益金にてポンと即金でゲットとは。でこのジャッカルの前はナショナルのクーガー7なる短波放送ラジオ。当時のBCLブームでにて少し待てばソニーのスカイセンサー5900をば入手できたものを買い急ぎ。三年ほど後にウォークマン誕生でラジオなど聴かなくなるがウォークマンにも短波のラジオ機能など付いた機種も出て廿年程前はそれを愛用。香港に移住する直前に秋葉原でソニーの当時の海外対応機種ICD-2001Dを入手。インターネットのない時代、海外ではラジオ重宝。湾岸戦争もラジオニュース聴いていた時代。といっても実際にはかなり金欠で当時まだ東京にあったZ嬢に借金(未返済)。これも三年ほど前に壊れ今では(今どき短波ラジオなど所有も珍しいが)小型のICF-SW100Sと結局「ジャッカル」以来ずっとソニーのラジオ。だがもっと思い出せば七歳の頃に初めて手にしたのもソニーのポータブル中波ラジオであったこと思えばラジオはソニーであった。
▼自衛隊イラク派遣反対訴えしビラ立川の防衛庁官舎新聞受に入れたとし住居侵入に問われし市民団体被告三名に東京地裁八王子支部昨日全員に無罪判決。「住民のプライバシー侵害の程度は低くビラ入れが憲法で保障された政治的表現活動の一つとして民主主義社会の根幹をなすことを考えれば刑事罰に値するほどの違法性はない」といふ判断至極真当。だが真当なる判決出たことに驚ざるを得ぬのが現実。逮捕に至る問題はビラチラシ類配る際の住居侵入に非ず「立川自衛隊監視テント村」なる市民団体をば左翼過激派テロ組織の温床とでも認定したか(笑)住宅やパソコンデータまで捜査行っての警察公安の横暴。同じビラチラシでもドンキホーテだのマツモトキヨシの安売りビラなら住居侵入の罪に問わぬ筈。戦前の国家政府転覆に至る勢いありたる共産主義、無政府主義弾圧がための治安維持法の時代ぢゃあるまいし、この程度の反戦運動相手に騒ぐとは政府も公安当局も度量だのケツの穴小さすぎ。朝日一面トップで社会面も大きく割き社説でまで取上げる。読売そこそこの判決報道のみ。産経は社会面でベタ記事(笑)。実は多摩のD君より教えられたが毎日新聞が社会面記事で検察内部で意見も様々と伝え重要と。

十二月十六日(木)快晴。晩六時半金鐘地下鉄站にて尖沙咀方面に向かおうとせばホームで列車三本待ちの混雑。東京の国電ぢゃあるまいし香港では稀。だが列車十二輌だかの編成で一本発てば一分後には次の電車到着。それでも混雑とは。いずれにせよ待ち時間も少なく混雑とはいへ車内にて「奥に詰めぬ」文化ゆへ車内の混雑も身動きとれぬ程でなし。諸事多忙極み。晩食時間すら割ず三更に帰宅してカップうどん食す。結果的に休肝日の幸ひ。『世界』十二月号にルモンド紙よりの転載でOlivier Royの“Al-Qaida, lavel ou organisation?”あり興味深く読む。元来ソ連アフガン侵攻に対して米国組織の民兵組織が今では「世界の敵」となったアルカイダなる組織は現実には脅威と思われるより寧ろ弱体化しており構造化した組織(organisation)であるより寧ろ「テロが実行された際に人々の心に最大限の衝撃をもたらすことを約束してくれる」ブランド(label)であり彼らの抵抗運動の論理とは「イスラム教を守ることよりもアメリカが確立した世界秩序とアメリカの超権力への異議を唱える運動の前衛を確立することにある」と。尤も。だが結局はソ連なきあとアルカイダあっての米国の国威と思えばアルカイダなる組織は結成から今までなんら変質なし。ところでこの記事でテロリスト、Ilich Ramirez Sanchez(通称カルロス=シャカル)の著書『革命のイスラム』にビン=ラディン師絶賛する部分あり、とあり。シャカル?はジャッカルでなるほど。The Assignmentといふ映画もあり。だが翻訳大国日本にもこの『革命のイスラム』といふ本存在せず本人の著書とあるがフランスで無期懲役服役中で調べるともしかすると別な書き手の“Sword of Islam : Muslim Extremism from the Arab Conquests to the Attack on America”といふ書かも知れず。もう一つ。加藤哲郎(かの大月書店店員から一橋大学教授……今ぢゃ考えられぬ)の「米国「日本プラン」と象徴天皇制」といふ文章も興味深く読む。ライシャワー博士提言といふ、だが元を辿れば新渡戸博士の天皇象徴論が基盤となり天皇をば平和の象徴として利用する米国の日本統治プラン練られたことの細緻なる論考。その戦後は今度は政府が天皇をどう利用するか、が平成の提灯行列で二重橋での陛下の間接的謁見などまで続くのであり、政府ばかりか陛下の護憲、愛国心強制懸念などは反対の勢力とて、このご時世に警笛の如き陛下の御言葉に期待ももちもする。

十二月十五日(水)快晴。とても冬とは思えぬ暖かな日続く。早晩にハッピーバレー競馬場の内馬場通り抜ける。今晩が競馬開催とは思えぬ静けさ。サッカー場に子どもら遊ぶ。内馬場はかつては参観席あり。今はそこまで入場者もなく閉鎖中。Bar SeedのM氏とFCCの酒場に飲む。酒談義楽し。市街はすっかり聖誕節気分。ショッピングセンターも「ここまでやるか?」の飾りつけ。下弦の月佳し。帰宅して雑煮。金陵純米酒。ここ数日の飲み疲れ(当然か)に早寝。
▼小泉三世の昨日の泉岳寺赤穂浪士墓参。「昔はえらい人がいた」と宣ふ。「苦難を乗り越えて本懐を遂げるという、なかなかできることではない」と自らの「誰も理解してくれぬ」苦難に「敵なし」だからの長期政権本懐遂げる覚悟か。首相といい都知事といい本人の才覚別にして「敵なし」ゆへの安定。築地のH君も呆れていたがイラク派兵延長について質問通告されし国会の委員会をば「いつも出てるからいいだろう」で欠席しても赤穂浪士の墓参の時間はあり。アメリカの靴の裏を舐めるのも北朝鮮に腰が退けてるのも大望を隠した仮の姿で「自分こそが現代の内蔵之助だ」か。中曽根大勲位あたりまでの「隠された悪辣な野望」は「いかにもありそうで実際あったんだろう」が竹下以降は「総理大臣になりたい。金も儲けたい」で森君からのあまりに無邪気な「戦後の民主化」ぜんぶチャラにして昔みたいに大国になろうぜという素朴な観念か。とH君。非常に素直に戦後多くのものが間違っていた、だからそれを直す必要がある、で直せば結果的に必然的に大国になる、といふ簡単な発想なり。
▼憲法改正とて自民党試案一読せば高校生の社会科での演習の如きあまりにお手軽な改正案。憲法は国家の最高法規であるが実は国家の何如に囚れぬ普遍法としての最高法規であることは樋口陽一先生の御説待つまでもなく憲法学の常識であるがH君ずばり、日本にとっての「憲法」とはじゃん普遍法としての「Constitution」とは別物、下手すると右派からは「西洋国家のつくりだした近代的な憲法観に対して我が国固有の伝統と文化を加味した新しい憲法観を創出すべきである。それが文字通り<Constitution>ではなく<憲法>という我が国の国柄にふさわしい新しい概念の創出なのである」とか。

十二月十四日(火)快晴。天皇陛下ご聖誕祝賀の会アイランドシャングリラホテルにて開催される。早晩百年ぶりにジムにて鍛錬。晩に香港研究会の忘年会あり日本人倶楽部。この会運営されるはS女史と中文大学の工商管理学院(BA)管理学系のM教授。同大学日本研究学科のM教授や幅広くビジネスされるW女史、某銀行エコノミストのT女史、弁護士のM氏らと歓談。豪州のDeakin Estate産のShiraz赤葡萄酒。両M教授の招飲にて倶楽部のラウンジで焼酎。この会に参加の某週刊誌編集長のS女史とBar Seedに飲む。

十二月十三日(月)快晴。バンコクからY氏来港。晩餐にI君誘ふが料理屋の場所I君わからぬと言い何処かで待ち合わせとなるが意図明らかにて晩まで待たずに飲もうといふ算段。Y氏も結局誘い早晩に銅鑼湾エクセルシオールホテル地下の酒場。ボディントン麦酒飲む。Z嬢来。最近評判の某日本料理店。創作料理多くメニュー見ると大変面白そうであるが偉大なる素人料理の域から出でておらず。それ以外の焼き物なども味にパンチも深みもなくあっさりはいいがそれぢゃ素材の旨みもなし。値段は一流。ぎんなんの串焼一本16ドルで小さな銀杏五粒あり一粒3ドルかと苦笑。高天原の宮崎の神楽酒造で「天孫光臨」なる「これでもか」な名の芋焼酎一本飲み前菜のつもりで注文のいくつかの料理食したのみで退散。Bar Seedに移る。バーボンでBooker's飲む。このバーからビル密集の銅鑼湾でありながら窓からの眺めあり。さすがに空腹感ありバーを出て珍しく三更に「ラーメンでも」といふ話になるが何故か北角の「函館」目指し(銅鑼湾にもラーメン屋数許多あれど酔客の発想不思議なもの)すでに閉店しており帰宅し即席ラーメン食す。

農歴十一月初一。快晴。昨晩の深酒に珍しく朝九時すぎまで、といっても五時間半ほど寝る。酒臭さよりシャワー浴びても微かに羊肉くささ。しゃぶしゃぶのスープ出汁がうまく出て麺茹で食した上にスープもだいぶ飲んだ由。朝食済ませすぐ新聞など抱えバスでホンハム駅、KCRで競馬場。肌を灼く強き陽光。昨晩会食の皆さんに加えこやちゃん、放送作家の村上氏と競馬場で再会。メンバー席へのビジター入場料金は国際G1開催日ということでHK$150という高値。パスポートあればビジター入場可で香港地元でもカナダ籍であるとか、大陸からの参観客も多かったが、さすがにこの値段ではメンバー席閑散とはいわぬがかなり混雑緩和。香港国際賽馬日の結果は余が綴るより専門家の斉藤さんの記録(こちら)。サイレントウィットネス余裕でスプリント制してデビューからの十三連勝。レース終わってみて「あ、見逃し」のデータ多く反省しきり。お一人除き皆で大負け。最終レース見ずに尖沙咀。ジムに一浴。晩に皆さんとシェラトンホテルに集合しミラマアーケードの香港老飯店。Z嬢加わる。上海蟹(写真はUまん氏より借用)。豚の元蹄。筍と豆苗の炒め物。海鼠と干椎茸などなど。小籠包。鍋貼。十年モノの紹興陳酒美味。十二名の卓で禁煙席といわれ誰も煙草吸わぬしよかったのだが座って暫くすると同じ個室にあった早めの客が去り、すると店員がいきなり灰皿配り始め「これからは煙草吸ってもいい」と告げる。何の勘違いかと思ったが放っておいたが、その個室に次から入ってきた客三組はみな喫煙で、どうもその部屋は喫煙席と転じた様子。想像に易しく、日本人で男性九名もいれば当然喫煙せぬわけがない、といふ印象で喫煙席ないため禁煙席予約していたと思われ、その部屋が禁煙席希望の数組が早目に去ったため喫煙席になった、といふ次第。多少の紫煙なら我慢するが一人の川本三郎似の日本人客の喫煙凄まじく食事中も吸いまくられ煙くて閉口。別の日本人客は煙草吸わぬ二人組。それもきっと日本人であるがゆえに有無を言わさず喫煙席に通された模様。香港の老舗ゆへの「配慮」か(嗤)

十二月十一日(土)快晴。朝九時に昨晩といふか今朝三時まで飲んでいた(そこまで記憶がある)I君(ドラ)と金鐘に待ち合わせピークトラムで山頂。朝の散歩中の民主党元主席マーチン李銘柱氏にお目にかかる。確か今日だかに楊森に変わる新しい党首選出のはず。かつての第一党も最近は支持率下降続く。香港トレイルのコース走らぬが時速6kmくらいだろうかかなり早いペースで歩く。不覚にもPeel Rideに出たところでコース間違え香港仔のほうに少し下ってしまい結果的には引水路をば長く歩くことになったが香港仔上ダムで香港トレイルコースに合流したものの目標であった25km地点の陽明山荘まで歩くよか距離的には同じなのでもう一度湾仔ギャップまで坂を上り山頂をばぐるりと巻いてI君がまだ歩いたことのない旧山頂道をば下ろうといふルート変更。酒の抜けたI君とFCCにてステラ麦酒三杯ずつ飲み春巻、ソテーとクラブハウスサンドで遅めの昼食。帰宅。尖沙咀。夕方知る店に按摩。シェラトンホテル地下のバー。日本から明日の競馬香港国際賽観戦の月刊ハロン編集長の斉藤氏、I社長、成沢、伯楽、Uまん、ATの各氏。皆でローヤルガーデンホテル地下の東来順に食す。羊肉のしゃぶしゃぶ秀逸。中国山西省のGrace Vineyardなるワイナリーのmerlotのワイン見事。斉藤氏らワイン通の皆さんをも唸らせる。二本飲んでもまだ飲みたいほど。さすがに疲れ帰宅と地下鉄に乗ったがふと銅鑼湾で下車。Bar Seedに飲む。三更に席立とうとすると来客あり現在は東京に住まふT氏インド出張の帰路で友人とご一緒に現れついつい深更まで歓談。

十二月十日(金)晴。早晩に香港大学博物館にて現代日本建築1985-1996といふ写真展開催の開幕あり訪れる。K総領事、香港日本文化協会会長C氏と日本人倶楽部から副理事長で日本航空のA支店長ら来賓。この展覧、国際交流基金によるもので85年から96年といふのが何か一瞬わからぬが結局、当時日本がバブルで東京中心に日本各地に様々な(ちぐはぐな)建物が構築される。ポストモダン?では東京都庁であり奇天烈さではアサヒビール本社、贅沢な資金ではNEC本社など。バブルぢたいは八十年代末に終わるのだがその時に構想練られた建物の建築終わる意味では96年は象徴的。それを国際交流基金が「今は昔」的にこうして海外で展示することも興味深し。開幕にご一緒したA氏とFCCに寄りビール飲みA氏去られたあとまだ時間あり独り地下のバーでドライマティーニ。香港大学博物館の総監Y氏夫妻の招きにあずかり新世界大廈にある料理屋・翠亨邨。同博物館の館長A君と彼らとともに先日日本に一緒したE姐とZ嬢で会食。政府の文化政策だの西九龍開発計画などにつきいくつか興味深き話あり。文藝春秋新年号グラビアで太田和彦氏の居酒屋モノで仙台は文化横丁の「源氏」紹介。廿年近く前に何度も訪れた店で「まだあったのか」と感慨深し。神田の「みますや」もあり。別な記事で日本橋の天婦羅「はやし」。日本への郷愁募る。同誌では天皇について久世光彦、薗部英一(共同通信京都支局長)、御厨貴(東大教授)が鼎談。先の園遊会での米長発言は不規則と片付けられ天皇の頭のよさ昨年の百済発言を含めひとしきり語る。最終的にお世継ぎの先が見えぬのは心労でしょう、で終わり。それだけ。
▼国家公安委員長も務めし元衆議院議員白川勝彦君渋谷の路上で警視庁渋谷署員に職務質問を受ける。築地のH君より。日刊スポーツの記事(こちら)。十一月十一日の午前。銀行に向かい渋谷道玄坂歩いていた白川氏若手警察官四人に囲まれズボンのポケットの上などを次々触られ「ズボンのポケットの中を見せなさい。財布を見せなさい」と高圧的に言われ白川君「何でポケットのものや財布を見せねばならないのだ」と拒否したが警官は取り囲んだまま「怪しいものを持っていないのなら見せなさい」と迫る。白川君自らが弁護士であることを告げ「警察官職務執行法では身体検査的に私の体を触ることは許されていない」と主張するが警察官側は「許されている」として数十分間押し問答が続けられた末に白川君渋谷署長に抗議するため警察官とともにタクシーで同署に移動。国家公安委員長務めた経歴明かにしても中堅幹部白川氏と気付かず渋谷署副署長が初めて「白川先生」と気付く。湾岸署のネタに使えそうな椿事。だがこの警察国家ぶり恐ろしきかぎり。本来なら署長大慌てで桜田門に向かい警視総監まで含め善後策対応で政府与党に平謝りだろうが白川氏かつて自民党のリベラル派で(こちら)(自民党にハト派といふものありけり)01年に離党し衆議院選挙(比例区)で47万票得ても落選。代議士落選すればただの人でしかも自民党離党したリベラル派など、かつて国家公安委員長であったとしても警察も「今さら」なのか渋谷署では「職務質問したのは事実。具体的な内容をあれこれ言うつもりはないが、適法かつ妥当な職務質問だったと思っている」とコメント。どうせなら若手警官が亀井静香ちゃんを組関係者かと思い赤坂の繁華街で職務質問でもしてくれればかなり面白いのだが。ちなみに香港では警察が市民に香港IDの見せるよう求め身元確認するにしても、相手の同意を求めIDの提示をさせ、相手の同意を求め財布など所持品の検査も可。ID携帯は義務づけられており提示拒否はできぬが所持品の提示拒否は可。勿論、拒否することでさらに怪しまれ警察署まで同行といった尾ひれもつこうが法律上は拒否は可。警察は確か30cmだか至近距離でも相手との距離から対応の仕方まできちんと内規がある筈で逃げようとでもせぬ者に勝手に触るなど言語道断。文明化。それに比べこの渋谷の警官のお粗末ぶり。お粗末な者が権力、武力握ることの怖さ。警察も強くていいのだが白川氏の言う通り理知的であり市民に信頼されてこそ。H君曰く渋谷署も元国家公安委員長である弁護士相手にこれを「適法な捜査」と強弁とは小泉並みの遵法精神と(嗤)。国全体の法秩序崩壊か。

十二月九日(木)連日快晴。大気乾燥煤塵多。早晩にFCCに独り食す。白葡萄酒とナシゴレン飯。尖沙咀。アマゾン社より受領のCD帰宅の途中iPodにて聴けば最近流行の「カバー」で井上陽水の「少年時代」をばRocking Timeというバンドがカバーしておりそれはそれでいいが“Yosui tribute”なるCDで忌野清志郎の奏でる同曲は歌、ギター、ウクレレ、パーカッションから、録音、ミキシングまで清志郎の一人仕事。目からウロコ。それにしても陽水のカバーCDは宝物箱の如く歌上手ばかりの絶品の歌唱ぶり。「心もよう」の平原綾香、奥田民生の「リバーサイド ホテル」、「いっそ セレナーデ」は小野リサ、ジェーン・バーキンの「カナリア」、UAの「傘がない」など聞き惚れ絶品至極は持田香織の「いつのまにか少女は」でギターが井上陽水と今剛とは垂涎。で次なる曲が「とまどうペリカン」で、その歌声になぜ大原麗子が歌っているのかと思えば松任谷由美(笑)。“The Cover!”といふCDも上田正樹の「スウィート・メモリーズ」だのおおたか静流の「悲しくてやりきれない」、Sionの「春夏秋冬」など。これも「卒業写真」はハイ・ファイ・セットで上手すぎ。思わず地下鉄の駅から出てコンビニでウォッカ系飲料購い歩き飲み夜空眺めつつ自宅まで歩き楽曲聞き続ける。
▼久々にビデオニュースドットコムにて神保&宮台のトーク番組見る。「ゆとり教育は間違っていたのか」といふテーマでゲストが文部省官僚の寺脇研氏なる人で「ゆとり教育」推進者。この番組、ちょうどOECDの学力到達度テストでの日本の「惨澹たる成績」出て、それを受けての緊急提言かと思えばさにあらず。紹介に「なぜ義務教育では国際比較でトップレベルにある日本人が、大学生になると競争力を失ってしまうのか」とあり「ん?」と思えば偶然OECDの調査結果出たがこの番組の収録は今月3日で、この番組は四年前のまだ日本が数学1位だの栄光の時代にあった時の数字見ており、それゆえ「義務教育では国際比較でトップレベル」なのだが現時点では「義務教育でも国際比較で二流」なわけでその上で高等教育でも競争力なし。もはやお話にならず。

十二月八日(水)晴。早晩に湾仔。華潤の薬局にて昨日注文の漢方薬受領。改装なった中藝百貨にて母にカシミアのカーディガン。自分にもカシミアの丸首セーター購ふ。湾仔のDHLに寄れば送付物一見して社内規定により許可なしでの持ち込みでは運送不可との由。タクシーで中環。中央郵便局の小包櫃台は聖誕節前で故郷に禮品送る人長蛇の列。今晩のハッピーバレーでの競馬はInternational Jockeys Championshipにて世界の馳名の騎手集まる。Dettori君の姿なく寂しいがファロン、スミヨンといった騎手に日本からは常連・武豊君参戦。R4〜6の3レースで勝敗競いR4の4班芝1マイル競走にて武豊君Cherishedに騎乗。4.8倍の二番人気。中位につけ狭いHVのコースで最終コーナー回っても前方塞がり「ダメか」と思ったが最後二百米で左前方僅かに空いたところ見事にそこを尽いての勝利。三年前の国際ヴァースでのステイゴールドの劇的なるEkraar負かした勝利での武君の騎乗思い出した香港ファン……いるか? R6で武君入賞期待でき結果スミヨン騎手一着で武君三着にくらいつきR4で三位のスミヨン騎手と同点でこのチャンピオンシュップ獲得。阪神競馬場での日本での同大会に優勝の香港地元ホワイト騎手は振るわず。R7で馬主C氏のDashing Champion二番人気で期待されたが振るわず。遅晩に折口信夫『餓鬼阿弥蘇生論』読む。
▼折口信夫と藤無染につき久が原のT君よりメール拝受。今日八日釋尊得道の成道會。去る五日に浄瑠璃本の蒐集にて有名な虎ノ門大倉集古館にて素浄瑠璃の会ありT君「中將姫古蹟の松」雪責の段を聴かれる。浄瑠璃は豊竹嶋大夫。で話は折口信夫になるが大正六年の釋迢空の歌に
窓の外は 師走八日の朝の霜。この夜のねぶり 難かりしかも
とあり。死病の床に臥す母堂看病中の吟。これは一種の本歌取りで前述「雪責」の
あらいたはしの中將姫、七日七夜は泣き明かし、明くる八日の朝の雪
は継母の折檻に悩む姫が下着薄着で雪の庭に引き出ださる場面。迢空がその前述の歌衰弱の母堂に示せば母堂たゞちに推察し「あゝ、中將姫さんの雪責かいな」とつぶやき莞爾たりしと云々と。でまずはここまで折口と中將姫の話。で中將姫説話の集大成・世阿彌作の能「當麻」に
濁りに染まぬ蓮の絲の、五色にいかで染みぬらん
とあり。中將姫は右大臣藤原豊成の息女。清淨なる信仰を紡ぎ出だすのが能「當麻」の物語。おわかりの通り「藤」家の姫が何物にも「染まぬ」ままさに「藤無染」。信夫にとって母堂死去の吟→「死者の書」に至る中將姫幻想が「人生を貫く通奏低音」ならば、この「藤無染」とは名乗りも名乗ったる逸名。信夫の中將姫への思い入れ思えば、この藤無染といふ名の人の存在も「あんまり」といふ気もしないでもなし。『二聖の福音』なる藤無染の著書の存在明らかとなり「既に現存の人物と知れし今も半ば架空の人物の如き心地してならず」とT君。

十二月七日(火)晴。湿度30%台と乾燥甚だし。風邪治りかけるが(といふより薬で無理矢理に咳だの発熱抑えており)気分爽やかならず。灣仔の華潤大廈の薬局に実家の父の漢方薬注文し支払い済ませ早々に帰宅。NHKのニュース10で偽札事件とかで昨晩「新しくなる前の偽物の千円札」といふ表現あり一瞬聞き流せるが「新しくなるまえの千円札の偽物」のことであり「旧券の偽千円札」のことかと納得。今晩のニュースでは「新しくなるまえの千円札の偽物」といふ表現に変わる。何も考えていないのだろうが聞いて言葉がわからぬこと多し。言葉の乱れなど苦言するのは単なる年寄りと思いつつ。
▼朝日の(国際衛星版では今朝)丸谷才一の月一連載「袖のボタン」に「釋迢空という名前」といふ文章あり。国文学の折口信夫と歌人の釋迢空が同一人物だといふことを余は十六の頃だったか郷里の真殿皎といふ詩人に教えらたことふと思い出す。丸谷先生は「歌人たちはこれ(釋迢空)を単なる筆名と取って、折口を「釋さん」などと読んでいたらしいが、「釋」は浄土真宗で死者の法名の上につける語」と説明する。余がこれを知ったのは数年前に香港の日本人墓地の墓地台帳整理した折に戒名に「釋」が多く(「釋」などといふ姓がそんなある筈もなく)明治大正の頃の香港は本願寺あり浄土真宗の特有の戒名かと察す。でその時に釋迢空の名がふと頭よぎり折口(これも正確には「おりくち」で「おりぐち」に非ず)も真宗の信者か、などと思ったのだが、当然、死者のための名であり生前の折口が釋迢空という戒名つけることぢたいおかしいのだが、当時それ以上考えもせず。で丸谷才一は富岡多恵子の『釋迢空ノート』の推論を引用。これは、藤無染といふ真宗の僧が折口につけた法名といふのが富岡女史の推理。折口は明治三十八年十九歳で國學院に入学した際九月にこの藤無染の麹町三番町の下宿に同居し二人は年末に小石川柳町の下宿に移った記録が折口の自筆年譜にあり。國學院に通ふのに麹町だの小石川といふのも不便な話だが富岡女史によれば折口少年十三歳の夏に一人旅の途中で九歳年長の藤に出遇ひ恋仲となり二人で旅を繰り返し同棲し(これが下宿暮らしにあたるのだろうが)二年後の明治四十年に藤の結婚で二人の仲破局迎える(藤無染は更に二年後に逝去)。と丸谷引用。ところでこの話も健全なる現代社会では犯罪。藤無染は少年僻愛の犯罪者にて折口は放浪癖のある不良少年。だが折口はその同棲の頃に五百首もの歌詠んだそうで、この少年期なくして折口の大成なし。キョービもはや折口のような天才の生まれる芽も摘まれるか。で丸谷は次に今年刊行の『初稿・死者の書』(国書刊行会)の編者・安藤礼二の解説『光の曼荼羅』取り上げ、安藤が無染が編著の『二聖の福音』といふ小冊子の発見し、真宗僧でありながら「新仏教」唱えキリスト教と仏教の結びつけなど試みたのが藤無染であり、恋人であり学識あるこの藤が折口に強烈なる刺戟与え、折口のキリスト教への生涯の執着も理解に易しい、と述べたのが安藤。で丸谷はこの二人の折口論を長く引用するのだが(実は余もこの二冊手許にありながら読んでおらず)で、丸谷先生は何が言いたいか、というと二人ともここまで折口を語っても「迢空」といふ名の意味には触れておらず(……とここで話は最初のところに繋がるのだが)無染が折口に迢空といふ名をなぜ授けたか。迢空といふ語はないが、「迢」といふ字は諸橋大漢和には「はるか、高い」の意で「超」に同じ、とあれば迢空=超空となる。「超空」は山魅。山の精で形は小児の如く一本足。喜び来りて人を犯す。夜に人の声でもせば山を飛んで来ることから超空といふそうな。で丸谷先生が想像した情景は「二人は山歩きを好んでしばしば山中を放浪した」が(ここまで事実)「そのときたまたま少年は片足を痛め」「それで年長者は彼を幼い山中の妖怪、迢空に見立て、さらに、上に釋とつければ絶好の法名だと言ったのではないか。いかにも若くして余を去る真宗の僧にふさわしい、哀れの深い冗談だった」と。想像の話が最後は「哀れの深い冗談だった」とまるで実際にあったが如し。いずれにせよ足を挫いたことが原因で絶妙の異名をつけた冗談、ではつまらぬ話。勿論、この超空なる山の一本足の妖怪に着目は丸谷先生の眼識。だが「青年が少年連れて山を歩いて少年が足を痛め」では二十年代のドイツの健全なる青少年育成のためのワンダーホーゲル(笑)。折口信夫には「餓鬼」についての考察があるが(餓鬼阿弥蘇生譚)ヒトをば魅了する精霊が餓鬼であり、「足を挫いた」などといふ現実的=つまらない想像ではなく「折口に魅了された」藤が折口少年をば「ヒトを惑わす餓鬼にたとえて」小児のような妖怪・超空といふ名を授け而もヒトの形こそすれ折口少年が超空ならもはやこの世のものに非ず、それゆへ「釋」をつけたのではなかろうか。それを折口自身が「超」より「迢」が詩情に富むとして、この無染に付けられた「釋迢空」なる名をば用いた、と考えたいところ。
▼最近つくづく大切だと思うのは、何か予約した際など相手の名前を聞いて書き残すこと、必ずリコンファームすること。昨日網上にてマカオのハイアットホテルに正月の宿泊予約済ませたがZ嬢の都合で年末に変更の要あり。予約変更をば電話ですれば、まず昼に予約確定と返事の来たにもかかわらずホテル側に予約の記録なし。理由尋ねればホテル予約係にてネット予約の担当者本日休みだそうで、それでは何故に自動的に予約確認できたのか、自動でできるならなぜネット予約をマニュアルで現場に卸す係が必要なのか、よくわからぬが電話に出た者はとにかく客室もあるので年末の予約を入れ明日に年始の予約取り消すから問題なしと述べる。念押すが「問題なし」とのことだがその電話にでた小娘のあまりにお気軽な感じがどうも信用おけず本日ネット上にはまだ年始の予約残ったままでホテルに電話せば年始の予約はあるが昨日電話での年末の予約など見あたらず。昨晩Sという娘に念押したがと言っても埒開かず電話にでた者が事情了解の上で年末の予約入れ三十分以内にメールで確認書送ると約束し実際に確認書届いたもののネット上では年始の予約残っておりもはやそこまで関与せず。ホテルといへば昨日もある人にザ・リパルスベイの料理屋ヴェランダの予約頼まれアメックスのペニンスラカードの特典で予約入れれば予約確認の電話まであり一瞬信頼したものの「はっ」と思いレストランに直接確認の電話せば予約入っておらず。アメックスの担当の者の名前控えてあり電話して「さきほど『リパルスベイの』と言ったがもしかしてペニンスラホテルの同名のレストラン予約してはいやせんか?」と質せば「はっ」と息が漏れ「あいすみませぬ」と。やはり。ホテルであるとかクレジットカードのカスタマーサーヴィスといった本来、接客専門の業に目立つこのテのたんに粗野粗暴な仕事ぶり。二つも三つも続くと不信感ばかり募り何事も怖くなる。
▼OECDの学力到達度調査でかつて優秀な成績誇った日本が数学六位で読解力で十位にも入れず(数学の一位は香港)(朝日)。NHKのニュースでテストの例を見れば犯罪件数のグラフを見せて犯罪が激増しているかどうか、その答えと判断の理由を述べる問題で、棒グラフでは昨年と今年の差が大きいが実は507と515だかで500までが省略され500からが拡張されたグラフで実は1.5%だかの増加率で激増とはいえぬといふのが答えだが日本で11%台だかの正解率。少なくともテスト成績がいいくらいが取り柄だった日本。成績も悪ければ何も残らず。文部大臣中山君は記者会見にて何のために勉強するのかの意義を教えていかなければならない、とか言っていたが答えは「国のため」だろうか(笑)。何のために勉強するのかなどどうでもいい話。教育というと日本は「意義は何か、目的は何か、達成は何処か」などの論議ばかり。単に面白い勉強をすること、勉強するに面白いだけの社会であること。学習指導要領で縛り国旗国歌だの愛国心だの徳育だのとタテマエばかりでは何も育たず。
▼昨日の新聞各紙に「請以新眼光看西九龍」“Striking the right balance is crucial to cultural project”といふ政務司司長・曽蔭権の文章掲載され何事かと思えば、西九龍の埋立地に政府推進する文化地区建設(こちら)に対してその結局は器作るだけで中身空白なる実情に否定的な世論高まる中で推進役の政府ナンバー2自身が将来に向けて香港を国際都市とするため必須の文化施設建設であり前向きに社会建設を、と提唱。これ読んだだけで結局土建屋儲かるだけで「だめだこりゃ」だが蘋果日報はこの曽蔭権の投稿の横に登β永鏘(David Tang)の英文の投稿載せる。DT氏曰く“Our artistic values will always depend on individuals, who will either evolve or not, and not whether there is a West Kowloon”御意。芸術など政府がカネ出して埋立地にオペラ劇場だのコンサート会場作ったからといって育つものじゃなし。倉庫街でもスラムでもヒトとタイミングの問題で何かが生れるだけの話。将来の子供たちに創造的な香港社会を、などと述べる政府だが土建政治しかできぬのならせめて西九龍の埋立てしまった土地はそのまま公園にでもしておけばいい話。

十二月初六日(月)晴。風邪。晩にかかりつけのC医師の診断請ふ。チゲ鍋。録画してあったNHKのアシュケナージ番組見る。ショスタコヴィッチ作曲のスターリン礼賛映画「ベルリン陥落」を演奏し作曲家が強制で作った曲がいかに人々の魂揺さぶらぬかを聴いてほしい、とアシュケナージ。気持ちわかるがいくら強制で厭々作曲とはいへショスタコはショスタコ、余は曲が醜悪とまで否定できず。王侯貴族のお抱えにて寡作のモーツァルトと何が違うのかよくわからぬ。遅晩に普段誰も訪れぬ拙宅の呼鈴なり「すわ何事か」特高か(笑)とマンション玄関の扉解錠の前にモニタにて確認せば「いかにも政府の調査員らしい」オバサンで余が荷風先生の如く居留守決め込み開けぬものだから出てきた警備員と問答し氏名など登記しエレベータにて上楼。玄関の呼び鈴うるさく鳴らすので為方なく扉少し開け鉄扉越しに対応。やはり政府の統計署の職員。横柄な態度で捲し立てるので「広東語わからぬ」と言えば「ならば英語で」と言うので、そこで「アイ・ドント・アンダースタンド・イングリッシュ」と言えばよかったがつい了承すると調査員凍ってしまひアワアワと英語苦手らしく退散。政府職員すら英語解さず何がアジア国際都市か。明晩今度は英語解す調査員寄越せば今度は「アイ・ドント・アンダースタンド・イングリッシュ」である。何らかの統計調査に協力拒否はせぬが、たかだか統計調査にて公安ぢゃあるまいし身分証(しかも写真もなし、偽造可)振り翳し当方が協力して当然の如くいきなり調査の問答始めようとする態度許せまじ。実は先日も政府統計署の職員晩方来襲あり消費動向調査への協力請われ居留守使い無視していると再び現れZ嬢偶然に対応してしまひ「先日依頼の書類置いていった」だの余の世帯は「厳正に抽出された標本であるからぜひお願いしたい」だの「個人情報は政府内でも他の部署に一切公開されぬ」だのと説明あり。協力拒否せぬから調査票をば置いていけと言えば要説明と拙宅に入ろうとするので当然拒否。連絡先残して退散のため当方より連絡。調査内容が多岐にわたり二週間毎日の消費詳細の記載必要だそうで調査には協力するから調査票を郵便箱にでも入れておいてくれと指示すれば説明するから持参のうえ面会と相手譲らず。こちらも譲歩せず。先方渋々了承し先日郵便箱に調査票投函あり。内容見れば確かに面倒な調査ではあるが説明書も懇切丁寧にて一読せば理解可の内容。読めばわかることをいちいち口頭で説明する悪しき非文明社会。思考力判断力の欠如。調査票は収入支出の詳細記入要すが氏名だの香港IDだの確かに個人秘匿情報の記載項目なし。であるなら本来であれば余の名前から電話番号まで全て秘匿されるべきで、つい名前と昼間の連絡先電話のみ明示してしまったこと悔まれるが、こうなったら徹底してプライバシー保護の上での調査協力に徹しようと決意。昨日調査票受け取ったかと電話あり。受領したし説明も読めば理解できたし来週月曜日から二週間デイリーの記録をつけて廿七日(月)に郵送すると答える。すると調査員はまずは家族構成と収入の基礎データ部分を至急受け取りたくデイリーの調査も一週間分を先に貰いたい、と。ならばまず基礎データを郵送し続いて二十日(月)に一週間分を送ると答えれば、急いでいるので面会して、と先方。余は晩に用事あり三日後しか会えぬが、と答え、急ぐなら明日火曜日郵送せば水曜に届くので問題なしと指摘せば今度は「紛失のおそれがある」と先方。税務署からの納税請求であれ小切手であれ通常は郵便で届くもので政府統計局だけが郵送を受け付けず面会強いることは納得できず。面会強いるが調査票には調査票にある内容以外の質問は一切せぬとあり、つまり口頭で答える項目はなく、郵送拒否し手渡しだけと言われても先方を疑うわけではないが調査員が本当に政府の係官かどうかの保証もなく、郵送で政府統計署の住所に送ることは正確で記載内容に不十分な点や誤記があれば電話で確認すれば済むこと。先方も納得し基礎データ郵送。最初の一週間分のデイリーについてはこれまでの経験で記載に誤記も少なからず面会の上で内容の質疑したしと先方請ふ。わからぬでもないが先日拙宅に入室の上説明と言ったこともあり、これについては電話で指摘すると入室する必要もなく玄関先で立ち話でOKと釈明し、気になるのはならば何故先日は入室して説明と言ったのかなのだが、いずれにせよ玄関先で説明と言っても玄関開けたら居間にモネだのピカソの時価数億の原画飾ってあることなど見られもしたら一大事、余が玄関を出てマンションの廊下で話すにしても隣り近所に「この生鮮食料品は市場、と記載されているが市場かスーパーか」などと調査員に質問されれば隣家に余のプライバシーが漏れるわけで、廿日の面会は某警察署の前を指定。そこで立ち話で調査員の質問で必要なことのみ答えればよし。ここまで徹底抗戦する必要があるのかといふ気もするが、本来であれば電話番号も教える必要ないところ、会わずに対応のためつい教えてしまったことのみ原則から外れたが、公共の統計調査でのプライバシー重視は徹底されるべきで、この消費動向調査も調査票だけならかなり徹底したプライバシー保護されてはいるものの調査員との迂闊なやりとりで(先方はけしてそれ以上の情報入手には踏み込んでおらぬものの)自宅の玄関で面会に応じるだけで、かなりの情報、たとえば「この家の照明は暗い」とか「この世帯主はニンニク臭い」とか「部屋でお香焚く」とかもわかるわけで、最初から拒否はしないものの(こういった統計調査の重要性は理解)原則には徹するべき。先方もとんでもない相手を抽出してしまったと悔んでおう。医者よりの咳止めシロップ飲み爆睡。
▼NHKの「紅白」手がけた敏腕プロデューサー逮捕。日曜の朝日の社会面にもこのCPのI容疑者について「長年、NHKの芸能音楽番組のプロデューサーとして音楽関係者に幅広いコネクションを持っていた」「86年に番組制作局芸能番組センターに移った。以後、芸能畑一筋だった」「NHKの芸能畑の実力者で「紅白歌合戦」の総合プロデューサーだったA元番組制作局芸能番組センター長=解職、停職中=のもとで大きな影響力を持つようになった」と紹介あり。当時のAチャンの下でのIチャンの絶頂期知る者としては「人当たりがよく云々」といふのも納得。だが「カネが欲しくてやった」とは情けない限り。勝新太郎もショーケンも大麻吸おうが「カネが欲しくて」大麻だの覚醒剤の売買はせぬ。「NHKの先輩後輩及び音楽業界の仲間との人間関係を築くための飲食費等に費やした」そうで、NHKも視聴率重視でダクションとの関係維持など大切だった、とそうだが、実際には腐っても紅白、でIチャンのところにはダクション側からのオファー絶えず電話ひっきりなしにかかっては接待攻勢受けていたわけで制作側がカネ捻出してダクション接待とは到底思えず。実際には内輪での遊興費か。いずれにせよテレビの番組制作費など根拠も実態もないカネの動きなわけでI容疑者「部下不在時に自ら経理事務」と記事にあるが「NHKでは、放送作家らへの報酬を支払う際、番組ごとに経理担当のデスクが仕事内容に応じて報酬額を決め」「その支払い請求はコンピューターで入力し、これを上司のチーフプロデューサーが点検・承認する仕組みになっている」が「デスクがロケや長期出張などで不在の場合の特例として、チーフプロデューサーが自分の職員カードと暗証番号を使い、デスク名で支払い請求したうえで自分で決済する「代理請求」のシステムがある」の通り、実際に職員の出勤状況から旅費などの手当請求・承認、社外の制作会社は構成作家などへの制作費支払いもすべてこのコンピューターで行い、ここに入力しておけば上司が見て承認して、で「はい、OK」の実に弛い経費管理。CPの立場であれば何でもいと易し。今でこそオンライン決済当たり前でペーパーレスだがNHKはもう廿年前くらいからこのシステム構築しており書類決裁がない分「経費が余計にいろいろな人の目に触れない」環境にあり、CPが異なる隣のセクションのことなど誰がどう経費用いているかもわからぬ点で一般企業の営業一課と二課の関係からは想像もできぬ不透明さ。とにかく「いい番組作ればよい」といふ至上主義、がいい番組作れなくなると全てが崩壊。それにしても問題は「エビ」で、四日にエビ会長お詫びと再発防止のコメント発表しテレビで流れるが「皆様の受信料をもとに運営しているNHKとして、あってはならないこと」で「きわめて遺憾なこと」は制作での不正経理よりエビ自身「わたくしがNHKの会長であること」が「皆様の受信料をもとに運営しているNHKとして、あってはならないこと」のはず。再発防止と信頼回復、受信料の支払い拒否や留保の増加はエビ本人が辞任することが先決。田中角栄、橋本登美三郎からの流れの最後の汚点がこの海老沢。自民党的な日本社会ではこの海老沢が銀行の地方支店の人事まで関与できたもの。呆れるばかり。

十二月初五(日)晴。風邪。九龍湾に昼過ぎまで薮用。九龍湾に若者多く何事かと思えば日本語能力試験開催で一万人近い受験者あり会場は香港国際展貿センター貸し切りだそうな。香港で日本語学習者は二万人とか。今年能力試験受験者多き理由は政府の持続進修基金の始りで成人の学習継続者に対して授業料の七割までだか基金で補填される制度。これぢたいはいい事だがコース修了した上で何らかの試験合格が補填受ける基準となり日本語の場合この日本語能力試験。午後帰宅して雑煮。テレビつければ本日マカオマラソンに参加のI君に頼まれた早稲田対立教のラグビーの試合NHKの放送を録画中。Z嬢に「これ何の試合?」と尋ねれば唖然とされ質問の意味は「野球でいう六大学とか、学生対社会人とか、天皇賞とか皐月賞とか、そういう冠は何か?」のつもりだったがZ嬢は余がひょっとしてラグビーとサッカーの区別もつかぬのでは?と勘ぐる。それほど余のスポーツ音痴なり。いずれにせよラグビーも見てもトライという動き除けばどういうルールでどう展開しているのかもさっぱりわからぬのは事実。夕方『ブルース=リーの生と死』なるVCD観る。確かに『ドラゴンへの道』の西本正のキャメラワークは他のどの作品よりも秀逸。ローマのコロシアムでの戦いぶりなど拍手したきほどの「瞬間」の芸術。早晩Z嬢と油麻地のブロードウェイシネマティクにてカナダのGilbert Kwongのビデオ映画“A Moth and A Butterfly”観る。今年の香港レズビアン&ゲイ映画祭の一つでトロントだか舞台に当地に移民し中華レストランで働く兄頼ってカナダの大学へと留学せし弟の物語。黙々と働く兄と苦労も知らず兄をば恋人の如く慕ふ弟。まさに蟻と蝶の如し。先日SCMP紙に好意的な映画評あり“The gorgeous cadences of 王家衛 and 小津安二郎”といふのをどう解釈するか?が問題だとZ嬢と苦笑していたが淡々とした物語のなかの芸術性か単につまらないのか。確かに小津的な予定調和、少なくとも王家衛よか物語があり。今回の映画祭では終幕上映に選ばれたQuentin Leeの“Ethan Mao”が注目か。映画終わって中環。摂氏廿度下回る寒さで蛇羹でも食そうかと蛇王芬に向かえば当然のことながら同趣の客で爆満。京味居はどうにか卓あり北京刷羊肉で火鍋。胡麻タレでまあまあ美味ではあるし鍋の最後に具にした餃子の飴は確かに絶品。だが唯霊、劉健威の両氏絶賛するほどこの店が美味かどうか。帳場に坐って無愛想な、何も気配りもせぬ主人、お世辞にも綺麗とは言い難いどころか難点多き衛生、機転のきかぬ女給数名で、かなり廉価であることと厨房の作る料理だけがこの店の売りかと思えば調理人逃げでもせば一巻の終わり。グルメ諸氏の絶讃に胡坐かいてはおらぬだろうか。帳場に坐ってお勘定以外何もせぬ料理屋の主人といふと余はかつての三十年も前の銀座更科のご主人思い出すのだが少なくとも銀座更科の主人の愛想のよさは祖母がよく「ほんと呆れるくらいに愛想がいい」と褒めていたがその通り。それに比べこの店の主人は客が帰るのに帳場の前を通っても礼の一言も言わず。唯霊氏はこの主人が次々と唯霊氏も驚く料理をば提案と褒めるが。余がこの主人が何かしているのを観たのは帳場除けば唯霊氏が信報の随筆でこの店の料理褒めた日にその日の昼にすでに拡大コピーして店の内外に記事張ったことだけ(笑)。ケッタイな店、といふことだけは確か。世界支配目論むハーゲンダッツ社の新種カスタードプティング味のアイス購い帰宅。

十二月初四(土)快晴。深酒でも朝七時に覚醒てしまふ老いの喜びか悲しみか。風強く乾ききったなかで粉塵ひどく舞ひ大気翳む。雑事済ませ昼前にバス乗り継ぎ島南の海岸。週末気温下降といふ天気予報に反し海岸の電光掲示の温度は摂氏廿六度。西南の烈風も寒からず。数日分の新聞に目を通し携帯にて馬券購入。午後ぽかぽかと転寝。金子光晴『マレー蘭印紀行』少し読む。銅鑼灣行きのミニバスに乗れば香港仔隧道渋滞で何事かと思えば本日の競馬は週末でもハッピーバレー開催。遅い午後雑事済ませFCCにて風邪気味で喉乾きジントニック飲む。陳成記にてカレー牛南伊麺。晩に薮用済ませ帰宅して鶏肉のシチュー。風邪。

十二月初三(金)晴。晩に「辣いもの食べる」会に誘われ銅鑼灣の満江紅に四川火鍋食す。前菜で注文の青椒皮蛋美味。余は唐辛子山椒たっぷりの辣汁では鍋食せず「鴛鴦」にて白骨湯にて鍋。なぜか一人卑怯なことしているような気分。担々麺美味。終わってA氏行きつけのSeedなるバーに誘われる。A氏の話でかなりモルトウヰスキー充実とどれほどかと思ったがその充実に脱帽。突然お開きとなり余はIsle of Jura酒のお代わり頼んだところで一人残る。カウンターのグレンモランジの酒瓶が目に入り「先日グレンモランジの試飲会があり」と話したのが切掛けでご主人のM氏とT君といふ若いのにモルト酒のこと熟知する青年と三人でモルトウヰスキー談義暫し。モルト愛飲の者には垂涎のウヰスキーいくつか飲ませていただくがCadenheadのNo.3 Bondといふ酒秀逸。深更に客足絶えず珍しく午前二時前に帰宅。

十二月初二(木)快晴。先日ふとZ嬢ともう十年くらい下午茶(アフタヌーンティー)をしておらぬといふ話となり、サンドイッチだのスコーンだのケーキをば三段重ねの器でああも食しては夕食も食べれず、せめて胡瓜のサンドイッチをば頬張るくらいであるべき、と思った瞬間に「ペニンスラホテルのロビーカフェでアールグレイ茶で胡瓜のサンドイッチ食す」こと無性に欲し本日早晩にひとり優雅にペニンスラホテルのカフェ。メニューに胡瓜のサンドイッチなし。だが給仕も心得たものでクラブハウスサンドのうち胡瓜だけで如何かと。出されたサンドイッチは実に上品。だが紅茶いつまでたっても供されず催促して紅茶供されサンドイッチ頬張る。期待したのはサマセット=モームも納得するような胡瓜の味であったが(モームが胡瓜好きかどうか知らず)胡瓜は細く瑞々しく胡瓜の味濃いものを丹念にみじん切りにしたもの期待したが、見た目きれいだがヘチマの如き太い胡瓜の皮を削いで限りなく薄くスライスして上品に見せたもので残念ながら胡瓜の味もせず。それなりに美味い食パンにマヨネーズ塗って食したのと同じ。で90ドル。胡瓜だけでしっかりクラブハウスサンドイッチと同じ値段とられる。いぜん何処のホテルだったか……倫敦のブラウンズホテルだったかで頬張った胡瓜のサンドイッチの味と比較してはいけぬのだろう。ハッピーバレーに開店の寿司・(すみ)。かつてフォートレスヒルの順寿司にいらした板前のK氏が太古城の寿司屋経て開いた寿司屋。K氏の頃の順寿司にはかなり伺ったものの当時思い出すやさしい握り頬張る。酒は高山平瀬酒造の久寿玉山廃純米。この店はハッピーバレーの場外馬券場前でかつて地味なパブのあったところ。

十二月朔日(水)快晴。早晩に中環のヰンダムストリートのタバキーラフィリピーナ(福和煙有限公司)。かつては港九に三、四軒の店構えた煙草輸入小売大手のこの会社も煙草文化の衰退で最後に残ったアレキサンダーハウスの店もこのビルの改築でなくなり今では細々と会社事務所兼用のこの店一軒のみ。しかも殆ど宣伝も販促も行っておらず。あとどれくらい店がもつか。パイプの喫煙家にはマカオといふ別天地あり税制上香港の半値以下でパイプ種入手も可なのも事実。店を訪れればかつてアレキサンダーハウスの店番とレジ係の女性達者で数年ぶりの再会。オランダのパイプ煙草Clan一包購ふ。オランダはRoyal Theodorus Niemeyerといふ会社が専売公社?か煙草事業寡占しておりパイプ煙草は勿論、巻き煙草のSamsonだの葉巻だの多く取り扱ふ。競馬の予想しつつFCCのバーでドライマティーニ三杯。今晩は沙田でダートだけのレース開催で(来週水曜日の国際騎手トーナメントのためハッピーバレーの芝保養)R2のクラス5でミレミアムダウンといふ二十倍の馬に希望托す。日曜晩に盗賊に襲われ治療休養中のクルーズ調教師の馬も重視。R7の今季ダート戦で三戦全勝のサンパワー(活力)は当然としてR1のゲンキキングに期待大。ヱリントン街の場外で馬券購入。地下鉄で天后。Poppy'sにてシンガポールよりI氏来港しT夫妻とZ嬢と晩餐。素人商売っぽい料理屋だが料理はつくづく美味。ソースの旨み。フランスの赤葡萄酒Les JamellesのMerlot 02を三本飲む。
▼信報に「日本軍国主義者の野心を警戒せよ」と謝剣先生の相変わらずの文章あり。典型的な台湾の外省人の居場所のなさを思ふ。
▼蘋果日報で映画監督の谷徳昭が香港の映画産業に欠けているのは何か?、監督、脚本家、俳優とどれも不足しているが最も足りぬのは投資者だ、と。クリスマスの繁盛期とて地場の映画は劉徳華と周星馳の二本のみ。儲からぬから投資者も減り『無間道』だの周星馳の『功夫』など確実に売れる大作しか資金集まらず。結局は、安易な量産で観衆が香港映画に興味失い、映画館の入場料の半額どころかわずか10ドルでDVDででも買えばいいかといふ悪循環。
▼作詞家黄霑氏の逝去で蔡瀾氏の親友思い出しての随筆もの悲し。夜中の三更半に黄霑が蔡瀾宅に現れ酒盛り始まる様子。倪匡ふくむこの三人の悪友の間では酒の量では倪匡、蔡瀾で黄霑が三人の中では地味だったそうだが黄霑が酔うと洋服を脱ぎ始め肚の贅肉から全身が赤みを帯びて、まさに赤子とはこのこと。
▼多摩のD君より毎日新聞の「記者の目」の記事教えられる。久々に素直に現場の記者が書いた文章読んだ感あり。最近はこういう記事が「上」の配慮で紙上に乗らず朝日でいへば船橋某だの若林某だのといった「権威」の方の毒にも薬にもならぬ文章多し。

日記インデックスに<戻る>