教育基本法の改「正」に反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

農暦十二月初一。晴。せめて年末の掃除。ふだんから整理整頓好きゆゑ、いつもより念入りに掃除機かけて風呂場洗面所のお清めくらい。すでにブラウン管が不 調の初代 iMac歴史的価値ありかとずっと寝室に保管してきたが(書斎にはまだMacintosh Plusもあり、使おうと思えば現役)放出も考えたが今更オークションや中古屋でも引受け手なく粗大ゴミ扱い。ハードディスクは一応きれいにしてはあった が本体から外し別途廃棄。この iMac購入した98年だったかM君に来宅してもらい本体開けてメモリ増設などした時のことなど思い出す。今ではメモリ増設どころかメモリの容量などすら 考えもせぬ時代。この iMacがDVD仕様であればブラウン管さえどうにか直ればOS-Xでまだ遊べるのだが、わずか7年前のハードがお払い箱。母から餠が届く。昨年の暮れは 日本に戻り病院から一時帰宅した父を母と迎え父の好きな蕎麦屋に年越し蕎麦食し晩は父と酒を少し飲む。正月二日には香港に戻ったが帰り間際に父が「今度 戻ってくるときには元気になっているから」と言ったのが父と交わした最後の言葉となった。喪中でも餠くらいは、と歌舞伎座のカレンダーとともに送られる。 午後、按摩。文春新書で堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』読む。帰宅するとNHKで紅白歌合戦の放映あり。他の選択もなく(できれば放送作家で馬友の Mさん制作にかかわるPrideを見たいところだが)年越し蕎麦食しながら番組構成も進行もかなり拙い紅白を見る。みのもんた起用で話題となった司会陣も ちぐはぐ。かつての紅白なら綜合司会のアナウンサーがいて綜合司会の苦手な部分をフォローする紅白のそれぞれキャプテンがいて色物の応援という安定があっ たのに、綜合司会の「みの」が逆にキャプテンやスポットで入る応援タレントのフォローに入らないとシャベリが続かない。本来であれば独演会したい「みの」 の焦りがかなり目立つ。視聴率が欲しいのなら話題づくりはゴリエと和田アキ子のコンバートばかりか浜崎あゆみのfairylandをゴリエに唄わせてゴリ エのペコリナイトを浜崎あゆみでやるとか、ユーミンではなく、島谷ひとみ、としておいて本番で南沙織が登場する、くらいの「ハプニング」が欲しいところ。 WaTだかいう二人組のマイクが倒れるくらいの用意周到なハプニングでは話題にもならぬ。吉永さゆり、の詩の朗読。世のサユリストのおとーさんたちはこの 吉永さゆりの反戦詩朗読にどう応えられるのだろうか。
▼堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』は5年前に『文学界』に初出。のちに劇作家となる、慶應普通部4年生(15歳)の堂本少年は銀座を徘徊する不良少 年。歌舞伎好きで銀座の喫茶店(昼はフランス語の教科書を広げる少年がお茶しているような店で夜になると美少年のボーイ目当ての好事家が集う)で大蔵省を 退職したばかりの新鋭作家の三島由紀夫に遭遇するのだが、話はそこから始まるのか、と思っていたが、実際にはそのブランズウィックという松坂屋裏の喫茶店 で堂本少年は三島とは別の中年の客に見せられた『劇場』という雑誌に三島の『中村芝翫論』(芝翫は後の六代目歌右衛門)を読み、それが堂本少年が三島を意 識した最初であり、その後にこの店で三島を紹介される。ブランズウィックという名前は(三島の『禁色』では銀座のルドンとして登場する店)一風変ってはい るが(以下、富柏村の推測)Brunswickは当時まで米国で著名なる蓄音機、レコオドプレーヤーのブランド名(この会社はまたスポーツ娯楽のボウリン グ関係のメーカーでもあり)。堂本氏の話は昭和24(1949)年の話であり音楽を聴かせる喫茶店の名前としてブランズウィックとしたのだろうか。ちなみ に1961年に米国のこの会社と三井物産が合弁で日本ブランズウィックというボウリング関係の会社設立し今日に至る(こちら)。丸山明宏(のちの美輪明宏)ら10代の少年が鳩い、客は三 島など芸術関係者や政治家、大手会社の重役など上客ばかり。今で考えれば少年売買春の巣窟だが、社会から「悪所」が消えてゆくのが戦後の日本ばかりか世界 の趨勢で健全化は評価されるべきか人間をただバカにしているか。今でも危険な場所は少なからず風俗業の繁盛など「悪所」はあるように見えるが麻薬の売買が あり少女相手の援交があれば悪所に非ず。悪所はそこから芸術だの文化だのが生まれてくる土壌あり。ところで鎌倉の澁澤龍彦邸では正月には土方巽、松山俊太 郎、種村季弘、高橋睦郎、加納光於、白石かずこ、池田満寿夫、金子國義、四谷シモンら身震いするくらい錚々たるメンツが集いドンチャン騒ぎ。そこに川端康 成と林房雄のところに年始に訪れた三島が寄るのだそうな。なんて世界だろう。それともう一つ。堂本氏のように三島の「お気に」となった春日井健という当時 19歳の名古屋在住の詩人の短歌がこの回想本にいくつか紹介されているのだが
われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見たり
という詩がとても印象に残る。この春日井健の歌集『未青年』(作品社)は三島が「序」を書いていることもあり初版本(昭和35年)は古書で8万円近い。昭 和13年生まれと若いがすでに他界。春日井健についてネットで捜していたら紺宿頁という処(こちら)で平井弘という確かに「真っ 青」な詩人の短歌について春日井健のメッセージを含み紹介している。こういう世界があったのか……と。ただ、耽美。堂本氏の本の話に戻れば、三島由紀夫に 関する回顧本としては福島次郎の近ごろ珍しい発禁本『剣と寒紅』が記憶に新しいところ。だが『剣と寒紅』があまりに暴露本であることに比べれば堂本本は当 時の三島演劇のことなどについて詳しく「なるほど」。ほとんどの登場人物が実名。郡司正勝先生も三島夫人も他界したにせよ、かなり具体的に書かれている。 そのなかで唯一、堂本氏と親しい、三島とも知己の「中世文化に詳しい茶人」だけは濁したまま。ところで、一つ気になることは堂本氏の文章がちょっとどこか 文脈がおかしかったり、てにをは、が読み返さないとよくわからないところあり。一気に書き下ろしの5年前ならわかるが今回の新書で書き改めしておらず、だ ろうか。
▼偶然のことで、いぜん何かの書評で興味もち切り抜いたが、それを見失い書名すら失念の書籍が後藤繁雄『独特老人』(筑摩書房)であった。それを久が原の T君とのメールが発端で、見つける。森敦(作家)、埴谷雄高(作家)、淀川長治(映画評論家)、大野一雄(舞踏家)、細川護貞(文人)、水木しげる(漫画 家)、久野収(哲学者)、堀田善衛(作家)、多田侑史(裏千家執事)、宮川一夫(映画キャメラマン)、中村真一郎(作家)、鶴見俊輔(哲学者)といった凄 いメンツがずらり。必読。この世代までの方々は、まさに中国語の「大人(Daren)」ばかり。興味深い話をT君に聞く。
▼週刊文春で小林信彦が戦後の日本の<良かった時>というのは、とても短い、と挙げているのが
ぼくの場合は昭和20年8月15日から昭和25年6月25日まで だ。あとはずっと、はらはらしたり、いらいらしたりで、平成になっても、それは続いている。いや、今年はもはや<戦前>の空気になった。
と。前述の銀座のブランズウィックでの堂本先生の三島由紀夫との邂逅が昭和24年。まさにこの終戦直後の時代。昭和25年6月25日が何の日か、小林信彦 は敢えて書いていない。この日が何の日かわかる人はわかる、わからない人はわかりたければ調べればいいし、気にもならない人は調べなさんな、という小林信 彦の強い意思が感じられる。朝鮮戦争勃発。

十二月三十日(金)晴。昨晩はホテルの部屋を移ってからボトル四分の一ほど残っていたジャックダニエルを香港にもって帰るのも面倒と飲み干してしまい熟 睡。ラウンジで朝食。外に出るのも厭う暑さ。ホテルの屋上のプールサイドで昨日の日剰綴るなどする。その狭いプールに香港人ツアー大挙して現れる悲劇。デ カイ声、大袈裟なおふざけの準備体操、ばちゃばちゃと夢中になって泳ぐマネの子ども、静かにしなさいというはずもない親、写真撮影……は枚挙に暇まも無 し。静寂がいっきに毀される。自分たちがどれだけ他人の迷惑になっているか一向に気づかず。あまりの騒々しさに退散しようとするガイジン夫婦あれば、その デッキチェアーの横で「旺角で飲茶の席とりぢゃないんだからっ!」のスタンバイ。最悪。団体ツアーさえなければ、とエコエコアザラク、である。昼前に荷造 り済ませ退宿。荷物預けSkytrainでAsokに行きシェラトンホテルの日本人御用達のタイ料理屋Basilで昼食。二人で1,200バーツもチェンマイから戻って来た 身には割高感。インターコンチに戻り荷物受取りタクシーでバンコク空港。驚くなかれ全く渋滞なければ、で僅か20分で空港着。奇跡。キャセイパシフィック のラウンジで、11年ほどまえに暫く一緒に仕事したD君と邂逅。八年前からタイの主要空港の免税店経営する会社でバイヤーをしておりバンコク在住だそう な。当時、歴史的寒波が北米と欧州襲い極寒の紐育で一緒に仕事した時のことなど懐かしいかぎり。キャセイパシフィック712便。行きの744型機に比べる と2クラス制の772型機はかなり見劣り。香港の新聞貪り読む。キャセイのワインはアジア便しか知らぬがワインの教養なき我でも銘柄覚えてしまうくらい恐 らくここ2年は銘柄に変化がないのだが(いったいどれくらいの量を買い付けしたのか)今回はイタリアValoilicellaのMasi Costasera Amarone Classicoというかなりフルーティな赤葡萄酒が加わっており早速いただく。食事に合わせるにはちょっと難しいがチーズならいけるかも。だがバンコ ク〜香港のフライトではチーズのお時間もない。2時間余のフライトであっという間に香港着。小雨。エアポートエクスプレスで香港站。タクシーで帰宅。坐る 暇もなく一時間余かけて徹底して旅荷の片づけ。その間、原爆から60周年の広島で開催された小沢征爾指揮でのフォーレのレクイエムの演奏(こ ちら)をNHKのドキュメンタリーで見る。晩遅くゴードンのジンにアマレットを入れて飲む。自分の好きな、これもカクテル?で帰宅したな、という 気分。
▼旅行中ひとつ書きわすれていた、と今になって思い出したが松本健一の『竹内好論』と『北一輝論』の二冊の文庫本をチェンマイの古本屋に「あげるから売れ るなら売って」と置いてきた。チェンマイはぼんやりと過すガイジン旅行者多く彼らが読んでは売って、の繰り返しで古本屋が主にロイクローの通りにかなりあ る。日本語の書籍扱う店もあるのだろうが捜していられないのでロイクローの洋書屋にふらりと立ち寄り「あげるから」と言うとかなり驚かれての押し売り。二 冊がチェンマイからビルマ、ミャンマーの国境を経て雲南省に入ってゆくと中国革命を問うことになるのかしら。
▼朝日新聞の国際面にベタ記事で28日付の香港SCMP紙の報道として中国政府外交部の沈国放・次官補が外交部傘下の出版社に異動となり更迭か?という記 事あり。90年代の中国外務省の若きスポークスマン。天安門事件でイメージが地に落ちた中国政府が国際的に地位復活に躍起となった時期に記者の執拗な質問 にかなり堪能な英語で答えていた(彼以降、記者会見は中国語に変更となる)。銭元外相の秘蔵っ子で銭氏の秘書官も務め確か米国の中国大使館で公使だかにな り確か外交部の副部長まで出世していた筈。外交部の有力幹部で外務次官は確実、外交部長の有望株であったはずだが。何が災いしたのか知る由もないが気にな るところ。97年の香港返還の際に江沢民君の来港に随行し金鐘のGarden Roadが一瞬、全面通行止めになったところを江沢民君の乗ったリムジンに続きマイクロバスから香港の市街を興味深そうに眺めていた姿が印象に残る。社会 が社会ならエリート外交官更迭で外交裏話なり外務省起訴休職元主任分析官佐藤優氏さながら外交論書けばかなり面白いと思うが中国では亡命でもしない限り、 そうはいくまい。残念。
▼03年のSARS疫禍で中国国内の報道率先し北京中央の逆鱗に触れ責任者更迭された広州の南方都市報と姉妹紙である北京の新京報(南方と光明日報が共同 出資)が地方政府の役人による贈収賄や土地問題など積極的に報道続けたところ、これも中央の反感かい編集長らトップ3名が更迭。新京報の記者らそれを不服 としてストライキ、と報道あり。政府にとって不利益な報道あれば圧力かける、という中国かシンガポールの圧政ぶり。だが少なくともシンガポールは贈収賄な ど皆無で政府はまともに作用しているという自負あってのマスコミ統制だが中国の場合は全く逆。

十二月廿九日(木)耳栓はしたが予想以上の熟睡からまだ暗いうちに目覚める。午前六時にしては目覚めの遅いバンコク(香港に比べれば、鴨)。市場や近くの 朝食堂だけは活気あり。06:15にバンコク到着予定が途中少しずつ遅れ7時過ぎにバンコク站着。早朝に各地からの長距離列車多く到着しホーム混雑かバン コクから数キロ手前のjunctionで順番待ち。いくつかの列車眺めながら鴬谷から上野に入るような光景だ、とぼんやり眺めていれば「B寝台」「回送」 とあり「あれ?」と思えば日本国有鉄道の往年のブルトレのB寝台客車が現役で活躍。往年の鉄道少年にとっては垂涎の的。タクシーでインターコンチネンタル ホテル。朝七時すぎのチェックインでせめてジムのサウナだけでも使えれば、と思ったがクラブラウンジのスタッフに「できれば」とお願いしておいたが部屋が 空いており幸運にも更に広めの角部屋に通される。天 気もよくホテル屋上のプールサイドに寛ぎ読書。昼前にサウナ。昼に「そういえばバンコクにこれだけ来ていて王宮もプラケオ寺院の翡翠仏も参観したことがな い」「一度くらい行ってもいいか」という話となりSkytrainでチャオプラヤ川岸まで行き水上バスで王宮近くまで北上。波止場近くの市場で昼飯を済ま せプラケオ寺院。翡翠仏参拝。王宮。かなり外装の修復中。国王が誕生日にタクシン首相を叱った誕生日演説で国王がお坐りあそばした玉座が「あ、ここだ」と 拝見。この国の王室崇拝は勿論、先帝や現国王への国民の信望でありタイ仏教での王室の役割などあろうが、何よりも現王朝(チャクリー王朝)の歴史が220 余年と浅く北部タイのラーンナー王国を併合したのは1894年であり、その日の浅さが徹底した王室崇拝=国家の威信を求めるのだろう。王宮から官庁街を抜 けスタット寺院に向かい散歩。途 中のバムルンムアン街には仏具屋並び一瞬、タイ仏教のあのオレンジ色や麻黄色の布の法衣を買おうか、と思ったのだが「いつ羽織る?」という単純な問題もあ り諦めたが(ただの布、と思っていたが一式揃えると質の高い布だと450バーツもする)僧が使う腰巻きと腰紐、それに小さい和尚袋を購入。僧が用いる毛糸 編みの帽子や手袋などの防寒具セットもあり。この暑さでいつ何処で使うのかしら。スタット寺院参拝。夕方のラッシュ始まる。バンコクの都市交通で唯一乗っ たことない運河の乗合水上バスに乗って帰ろうということになりスタット寺から古い街並を散歩してパンファー橋。ホテルの近くまで4kmほどの乗船。確かに ラッシュもないし「高速」だが高速であるぶん運河の水のはね返り、とくに水上バスのすれ違いの時はひどいもので、それを除けるビニールシートで風景も眺め られず。運賃を徴収の乗員は歩く隙間もなく船の縁を猿のように上手に渡り歩く。運河に幾條もかかる橋はかなり低く、そこを潜るたびに水上バスの屋根も下が る不思議なつくり。運河とはいえ悪臭はふしぎとないが運河沿いの家々(しかも川沿いにはバラック多し)からの汚水が流れ込むわけで、その運河を少なからず 観光客が喜んで水上バスで水しぶきを浴びながら遊ぶのだから不思議。バ ンコクだからの観光?か。ホテルに戻りサウナに寛ぐ。晩飯に、劉健威氏が讃めていた「地場のタイ料理屋」に行こう、とシーロム。シーロムの繁華街を西に歩 くと印度系の商店多し。タイ仏教の寺院に慣れた目に異彩放つのはヒンズー教のマハーウマデヴィ寺院。この寺院の角を曲がったパン通りにTaling Plingというタイ料理屋あり。劉氏の書いたものによ れば劉氏が懇意にした香港のマンダリンオリエンタルの飲食部門のマネージャー氏がバンコクのオリエンタルホテル勤務となり前回、劉氏がオリエンタルホテル 訪れこのマネージャー氏にバンコクの地場のレストランでは何処がお勧めか、と尋ねたら教えられたのがこのTaling Plingで劉氏も絶賛。確かに美味。オクラのカレーは強烈に辛いが美味。劉氏によれば客の9割は地元客だというが今回は半数くらい外国人。しかも「地 場」というには青山か麻布にでもありそうな今風のセンスの店。美味いし繁盛はいいが欠点は「黒服の不在」。どうにもトーシロー然とした若い給仕が「ちょっ とそうじゃなくて」と指導いれたくなるような慣れぬ接待。それを誰もsuperviseできぬ。慌ただしくビールも一人にだけ注いでもう一人に忘れるよう な様。不思議なのは一軒家の食肆だが厨房が二階にあり。それを一階に運ぶだけでも面倒なのに繁盛しているから尚更。タイの民家は水害恐れ厨房は二階に、と いうが、ここは「まさか」だろう。帳場も二階にあるから仕切りの悪さは並大抵でない。料理が美味いだけに残念。タイでは珍しく「ありがとうございました」 と笑顔で送られることもなし(なにせ客が席を立つのすら気づかぬほど慌ただしい)。シーロムをぶらぶらと散歩してホテルに戻る。伊勢丹のあるワールドスク エア?だったか巨大ショッピングセンターの広場に年末のカウントダウン目当てのビアフェスタ開催。朝日、シンハー、ハイネケン、チャンとタイでお馴染の ビール会社がそれぞれ数百席規模のビアガーデン設える。それはいいがホテルの部屋に戻るとちょうどビアフェスタに面しており32階でありながらビアフェス タ会場のロックバンドの演奏が大音響。NHKの「今年の出来事」のような番組見ていたが(来年はみんなが幸せになれるといいですね、とそりゃそうだが昭和 5年も昭和12年もそう願って、の不幸せ。幸せに、と願うだけでは世の中は幸せにはならないのだろう)ビアフェスタのロック演奏は終わる気配なし。ホテル のフロントに問い合わせると午前1時まで、と。ということは2時くらいまでは覚悟すべきか。これぢゃ眠れない、と思ったら「別なお部屋がご用意できます が」で午前12時に35階のビアフェスタと反対側の部屋に避難。午前7時すぎのチェックインでナイスな角部屋を宛てがわれた、と喜んだがこういうことだっ た、ちょっと残念。
▼Stiglitz教授の“Globalization and its discontents”にも関わる話だが先日のWTO会議の際にふと感じたことを英国のT君に「世界には人に十分な果物があるのかしら?」とメールすれ ば
I agree with your comments on the WTO but, as we all know, the world is capable of producing fruits for all. It's just that the will and desire for an equitable system is not strong enough. I still recall your prediction as we stood one day on Tiananmen Square underneath Mao's portrait - that one day China would be the great global power and you are clearly going to be proved correct. America will decline as it misuses power and rules selfishly. It is the new Rome.
と返事あり。1980年代初め、広州からの夜行列車で偶然に遭遇したT君と北京に一週間ほど遊んだ日々。T君がシベリア鉄道でモスクワに向かうのに当時の ソ連大使館に査証申請に行った帰り、一人の日本人の青年と一緒に戻ってきた。その青年はウォークマンの音楽に合わせブルース=スプリングスティーンの当時 流行った“Born in the USA”を査証部で唄っていたそうで、本人は耳栓していたので自分がソ連大使館の中でこの曲を大声で唄っていたとは自分で知らなかったそうな。毎日のよう に天安門広場をバスで通りながら、いつか米国を凌ぎ中国の覇権の時代がやってくるのだろうか、などと経済開放始まったばかりの中国でT君と語った日々。

十二月廿八日(水)雲一つなき快晴。朝寝貪る、といっても七時すぎには起床。昨晩は睡魔に襲われ日剰も綴らずに寝てしまひ記憶のままに綴る。旧市街を全く 歩いておらずにチェンマイを去る日となり午前中、旧市街をふらふらと歩く。銀 のピアスや麻のハンチング帽など購ふ。日曜なら歩行者天国になるラーチャダムヌーン通りを歩いていると閑静とした屋敷あり何処かと思えばTamarind Hotelで次回はぜひ泊りたし。Wat Phra Singの寺院参拝。寺内に男子中学あり普通の学生と僧衣の学生が一緒に学ぶが修業中でも昼休みにアイスクリームなど頬張りも可とは。三人の王の像。散歩 しながらホテルまで戻り荷造りしてチェックアウト。荷物預けトゥクトゥクで市東北のファーハーム通り。チェンマイ名物のカオソーイ食そうと老舗のカオソーイラムドゥアン。チャルーンラート通りまで南に下り骨董品屋な ど何軒か冷やかし山岳少数民族とのフェアトレード看板にするドイチャーン珈琲でエスプレッソ。ピン川を渡りウローロット市場。チェンマイの胃袋。ホ テルまでさらに散歩して夕方、ホテルから荷物もって「乗れるの?」という感じだがトゥクトゥクでチェンマイ站。往路が三両編成の列車がトラウマになってお り恐る恐る16時45分発のバンコク行き特急14号は11両編成にひとまず安堵。食堂車もあり。車中1泊14時間の夜行は奮発して1,253バーツ (3,700円)出して一等寝台はコンパートメントで1996年の韓国「現代」製の二人用個室で想像よかずっと快適。乗車券、特急料金に個室寝台料金まで 含んで、で1,253バーツはお値打ち。ソファで夜になるとソファ背凭れを上げると二段ベッドとなる仕組み。二等寝台は一瞬、昔の国鉄の「はやぶさ」や 「はくつる」など電車寝台特急に似た客席配置だが両側二人対面掛けで夜は二段寝台であるから、これもけっこう快適だろう。通 路左右の梯子が目立つのは荷物置き場もある優れ物。食堂車は六卓。写真はちなみに左から機関車後部にある乗員用寝台、一等車個室3葉、二等寝台、食堂車、 食堂車厨房、夕食、寝台の順。一等車には給仕が夕食の注文を聞きに来て個室まで料理運ぶサービスあり。当然、タイ料理でトムヤンガイ、カレーと肉料理にご 飯と果物がつ いて150バーツは列車値段。一等車は先頭車一両のみで二等からの乗客は一等車の車掌(列車長)が厳しくチェックして一等車両に入れず。夕陽浴びる刈り田 に牛や山羊が遊ぶ光景が続く。個室で夕食済ませ日剰綴りバンコクから持参の半分ほど残ったジャックダニエルに酔いJoseph Stiglitz教授の“Globalization and its discontents”(ペリカン刊)を少し読み寝台に臥せる。何年ぶりかの夜汽車。三年前に北京から香港まで乗って以来だろうか。

十二月廿七日(火)昨日の雨空が嘘のように晴れ渡る。朝イチNHKのニュースで「JETROによると海外投資は反日問題が影響して対中投資は減」とあり 「えっ?」と思ったら印度、越南へが伸び対中国投資は7%減、で理由として対中投資はある程度出揃った上、賃金上昇やリスク分散で投資が他にまわったもの で反日感情などの環境のなかで……と反日問題は直接要因でなし。それがなぜ報道の見出しに来るのか常軌を逸している。こういった環境が反日感情を「我が国 民の意識内に」現実化する怖さ。報道の中立などと言いながら結局、煽っている。朝8時に(日本時間10時)母に頼まれていた芝居の切符を今日が発売日なの でインターネットで購入しようとホテルのロビーでワイヤレスLANでつないでいたらZ嬢がエコツアーのスタッフから呼び出しの電話が入っている、と。8時 半ピックアップと昨日聞いていたがお迎えのスタッフは8時が正しかったらしい。まだ用意できていない、と20分後にしてもらい慌てて出発の用意。バン自動 車でいくつかのホテルまわり静岡のOさんという若いお坊さんも参加(あとで聞いたら余を「同業者?」と思ったそうな)市内の集合場所で他のバンと待ち合せ 一台にまとめられた総勢10名(タイ4、日本3、シンガポール2、米国アラスカ1)で一路、タイの最高峰Doi Inthanon(インサノン山、標高2,595m)を目指し国道108号線をチェンマイから西南に下り一時間ほど走りインサノン国立公園に向かう 1009号線に入る。自然公園の検問所を越えてMae Klangの滝を見学。少 しは歩くのか、と思っていたがどうも観光名所まで自動車で行って見学して亦た自動車で移動、らしい。エコツアーというのは「足跡以外何も遺さない、写真以 外何もとらない、時間以外何も潰さない」で自然とそこに住む人々の生活を壊さない、最低限度の妥協での旅行、だそうで主旨には同意するが1泊、2泊といっ たツアーなら実際に歩いて山岳の少数民族の集落に泊って、だが日帰りツアーとなると一般の周遊コースとあまり違わないらしい。せいぜい土産物屋に寄ったり 少数民族のショー見物がないだけ助かるが。で国立公園内の道路をずっと登っていくと標高2,000mを越えたあたりから高い山肌に巨大なパゴタ(仏舎利塔 のようなもの)が見え何かと思えば連れてゆかれ2基のパゴタは1つが国王のため、もう片方が国王妃をイメージして建てられたもの、だそうな。それぞれ 1980、90年代に国王と国王妃の還暦の祝いにタイ軍が兵力を捧げ建立したそうだ。当時、クーデターが頻繁のタイ国軍と不安定な政治状況のなかで軍にし てみれば王室に忠誠誓う意味で、それに越南や柬埔寨の政局安定でタイの軍事予算も削減されるであろうから予算削減回避の意味もあり、人力と資金提供でこの パゴタ建設した、と見て間違いなかろう。タイ最高峰の山に国王、国王妃両陛下のパゴタであるから当然、参観者多し。気温は摂氏15度とタイ人にとっては寒 さの極み。毛糸の帽子、マフラー、防寒具に手袋と重装備。その横をタンクトップやTシャツ1枚のガイジンが歩いている奇妙な光景。ここからインサノン山の 頂上へ向かう。結局、ずっと自動車で到着してしまった。リュックまで買って飲み水まで用意してきたのに頂上には売店や公衆電話まであり。携帯も通じる。気温は摂氏11度。快晴で寒波 もないと思えばタイでは寒い。タイ最高峰だけれども山頂のマイルストーンの周囲も熱帯樹林に覆われ、とても海抜2,500m級の山頂とは思えず。整備され た国道下り道ッ端の簡素な小屋のドライブインで昼食。タイ東北部の産業振興を願われた国王の発意で作られた国立の農業試験研究所に寄りバラ園など見学。滝 をもう一つ見物。最後はこの地域に住むカレン族の集落に立ち寄り。タイ国内には20数万人のカレン族が暮すそうで、この集落は60数名。集落の中央にキリ スト教の教会あり。カレン族の多くが19世紀からキリスト教に改宗しているのは中国でも雲南省などいわゆる「辺境の少数民族」の間でキリスト教が盛んなの と一緒。当時の欧米のキリスト教派は進んで山岳の少数民族の改宗に成功している。雲一つないきれいな空、西に傾いた太陽がチェンマイに戻る国道沿いの建物 に鮮やかに映えるなかチェンマイ市内に戻る。順番にホテルに送られる。晩に草木染めのマフラーなど、それに著名な陶芸家の陶器皿も購入。「もう一度食べて もいい」と昨晩と同じThe Wokに食す。秀 逸。飲み物はなぜか最初に「ジントニック」があり次に麦酒各種、でソフトドリンクが並ぶ。なぜジントニックだけが別扱いの唯一のスピリッツ系なのか、不思 議。で注文してみる。ライムも香ばしく実に美味いジントニック。路上のかなり繁盛するバナナロティ頬張りホテルに戻る。
▼NHKのテレビで海外渡航情報。今日は、いきなりバンコク。12月にはいり内務省などバンコクの政府省庁の近くで爆発事件があり(日本の)外務省は注意 を呼びかけています、と。すわ大事、と驚くが(笑)バンコクの警察発表では怪我人もなく「テロの可能性はない」そう(まぁタクシン強硬政権に対する嫌がら せ、か)だが海外渡航安全情報は旅行者に対して「ディスコやパブなど人が多く集まる場所には近寄らないように」で「タクシーやバス、スカイトレインの利用 時間も短く」と。危ない、というのなら人が多く集まる空港の利用、飛行機の利用時間も短く(笑)と提案でもしてみればいい。どうしても安全情報を流したい なら「タクシンの首相官邸や内務省などタクシン系が横暴振るう政府機関には近づかないようにしましょう」とでもすればいいのに。で判で押したように最後に は「現地の最新の関連情報に注意してください」だ。「欧州では日本人を狙った置き引きが多発しています」もジャルパックが始まり北杜夫の旅行記やサトウサ ンペイの紀行マンガが人気あった昔から何も変わっておらぬ。無駄な情報。「海外ではちょっとした心の隙が取り返しのつかないことを招きかねません」と番組 を〆るのだから、これは実は海外の危険情報を流しつつ「日本が安全」というプロパガンダ放送なのではないか?と思う。寧ろ海外の視聴者向けなら「日本安全 情報」を流して「最近、都心の渋谷や六本木ではゲームパブと称した違法カジノ店が増えています」とか「茨城県では養鶏場で鳥インフルエンザの感染が……」 と海外から日本に帰る旅行者に日本の情報を教えてくれるほうがよっぽど有益のはず。
▼歌舞伎座からのメルマガを受け取ったが、正月の番付どうよ?、と。同感。奥州安達原が正月の演目。やはり正月は助六とか暫、曽我物など絢爛豪華でおめで たい演目が見たいところ。「伝統芸能チャンネル」のほうが1月は吉右衛門の「勧進帳」、勘三郎襲名狂言の「京鹿子娘道成寺」、玉三郎の幻想美に溢れた「鷺 娘」、仁左衛門が舞い狂う「保名」など(大和屋の「幻想美」はまだしも松島屋の保名の「舞い狂う」はもう少し表現の仕方もあろうが……笑)と新春らしい。

十二月廿六日(月)小雨。雨が降るに遭遇は何カ月ぶりだろう。ホテルで朝食の最中にZ嬢とどうせ此処まで来たのだからタイの象の保護センターと先月だか新 聞で読んだFriends of The Asian Elephantが経営する象の病院を見学しようか、という話となる。旅先でほとんど観光せぬのに動物園だけはいつも必ず行く場所でチェンマイもパンダの いる動物園があるがチェンマイの場合、Mae Saという処にある民営のエレファントキャンプなのだろうが、そこはあまりに観光化しているだろうから、どうせなら、その国立の方の象の施設を見学しよ う、となったのだが調べてみれば場所はチェンマイから南に7、80km離れたLampungという処で昨晩、列車で通ったが二 時間近くかかった記憶あり。チェンマイ市街から、しかもホテルから歩いて10分くらいのバスターミナルから30分に1本でLampungまで2時間かけて のバスが出ているようで慌ててバスターミナル(といっても切符売りと売店のテントがあるだけだが)に向かい9時半のバスでLampungに向かう。幸いな ことに、この象施設はバンコク〜チェンマイを結ぶ高速道路に接しておりLampungの市街より30分ほどの距離手前となる。チェンマイの南20kmくら いにある古都Lamphun(ややこしいが此処はランパーンプーンで、バスの目的地はランパーン)を経由したオンボロバスは90分余でタイ国立象保護セン ターに到着。高速道路に面した駐車場から園内の巡回バスで施設に向かい11時から始まった象のショーを見物。驚くほど芸達者。愛嬌あり。象使いの中には海 外からの訓練生もあり。ショーにも加わっているのは日本人の女性3人。15年前は香港フリークでアラン=タムのファンだった、という感じの世代、鴨。せっ かくだから、と 園内のジャングルを散歩するElephant Ride、乗象?を30分の体験。園内は欧米人を中心に4、50人くらい参観者がいるだろうか。だが広大な敷地なのでとても静か。お昼に園内のビュッフェ で象肉のカレー(嘘、本当は鶏肉)。昼 すぎに象の水浴びを見てからNGOによる経営の園内にある象の病院へ。ミャンマーとの国境で地雷を踏んで片足を無くした象の介護募金で世界に有名になった 施設。かなり衰弱した象二匹と後ろ足に膿が垂れるのも生々しい巨大な腫瘍できた象や爪の化膿した象など収容され治療を受けている。高速道路まで戻り高速道 路を渡って(高速道路だが人が歩いていたり自転車が走っていたりする)チェンマイ行きのバスの通過を待つと丁度、バンコクからチェンマイに向かう長距離バ スが通りかかり(バンコクやチェンマイくらいの行き先ならタイ語も読めた)乗車。Babylon by Busというくらいファンキーな内装のオンボロ二階建バス。バンコクからは11時間くらいでチェンマイに向かうのだから列車よりは多少、早い。チェンマイ まで一人50バーツ(150円)で70km走るのだからご機嫌。このバスはLamphunに立ち寄りなしなので1時間余でチェンマイ市街の東北、 Arcadeと呼ばれる長距離バスターミナルに到着。小 雨のなかトゥクトゥク(三輪バイク)で市街に戻りバックパッカー相手の安宿など多いRatchaphakhinai RdにあるPoohなるエコツアーの代理店にて明日の1日トレッキングの参加手配。自画自賛になるが初めて訪れた町でも方向感覚の良さと土地勘だけはかな り抜群、地図をしばらく眺めておれば大方は頭に入り実際に歩いても迷わなければ自動車に乗っていても頭の中の地図上を車が走ってゆくような感覚で「あとホ テルまでどれくらい?」と言われると1.5kmくらいで二つ目の交差点を左にまがってすぐ、とか答えられる。Loi Kroh Rdを歩いてホテルに戻るが、噂には聞いていたが、途中、観光客相手の土産物屋やパブなどの多さに驚くばかり。どうしてチェンマイがこれほどの観光都市に なったのか。古都ではあるが年間数百万人を招くほどの史跡があるでもなく気候もいいがタイの山岳地帯はけしてリゾートいうほど易しくもない。ラスタ系の店 も少なからずゴールデントライアングルにももう近いのだなぁ、とあらためて思う。なぜかボブ=マーレイ関係のラスタ系のアウトドア屋(よくわからないコン セプトだが)で明日のトレッキングに行くのに小さめのリュック購入。ホテルに戻り日暮れまで一休み。観光客相手の夜市など小一時間冷やかしながら散歩。セ ンスのおそろしくいい雑貨屋や飾り物屋多し。それにしてもどの店の店主も売り子も英語の堪能なこと。観光業であるから当然といえば当然だがアジアでこれく らい英語が通じれば旅行者も気軽だろう。店先で風船で遊んでいた小学生の男の子二人が客が入るなり風船をさっと隠して「この帽子の素材はシルクで150 バーツですよ」と本当にシルク?のラスタ帽を見せる。ぐるりと回ってから旧市街にちょっと入ったところにあるRachamanka RdにあるThe Wokというタイ料理屋で晩飯。『地球の歩き方』にも紹介され ているが旅行者相手のタイ料理教室開いたオーナーが開いたタイ料理屋。お世辞抜きに今まで食したタイ料理のなかで豪華なのはいくらでもあるが素材がここま で吟味され素材の味が活かされたタイ料理は始めて。明晩もう一度来てもいいくらい美味。客はほとんど欧州人。チェンマイで不思議なのは米国人をあまり見か けない。隣の卓ではチェンマイか何処か旅先で知りあいになった欧州人同士が英語を媒介語に「ちゃんちきおけさ」っぽく旅談義で食事している。散歩しながら ホテルに戻る。テレビではどのチャンネルも繰り返して昨年のこの日のインド洋大津波の追悼。惨禍の映像を何度も何度も繰り返しの見せられるのはとても嫌 い。

十二月廿五日(日)晴。昨晩は深夜12時に市街から歓声あがり花火のような音。仏教徒がクリスマス祝うのも自由だがクリスマスにカウントダウンなどもある のだ ろうか。花火はイエス=キリストの生誕の祝賀か。とにかくただただ商業主義。朝五時半にモーニングコール頼めば五時にまず予告あり五時半にコールあり五分 後に珈琲届く周到さ。荷造りして六時半からラウンジで朝食。日曜朝で渋滞にも遭わずタクシーでHualamphong站。コンコース正面に鉄道警官が並び 何事かと思えば午前八時の国歌演奏で乗降客も直立不動。午前八時半発のチェンマイ行き特急9号に乗車。首都バンコクからタイ第二の都市、東北のチェンマイ まで700kmを11時間余で結ぶ列車であるから十数両編成の食堂車つきの列車をば想像したらホームには三両編成のディーゼル車。あれ?って感じ。こ れに11時間も乗っているの?である。世界の趨勢か長距離移動は飛行機と高速バスにおされ鉄道は斜陽の極み。700kmを11時間余でつまり時速60km くらいで進む。食堂車もないので食事は站で停車時間に買うのか?と思ったら、さっそくパンケーキの軽食が朝食で供される。バンコクを出てアユタヤ、ロップ リーの古都をすぎると単線。列車の運行は少ないので停車場でのすれ違いは少ない。むしろ優等列車であるから先発の列車を何本か抜かす。昼前に平坦な土地に 小高い丘がいくつも現れ始める。簡素だがタイ料理らしい昼飯も供される。列車はかなりの勾配を上り始める。列車の両側は山、山、山。ここをよく機関車に連 結されたわけでもない車体の下にディーゼルエンジンをつけた列車が走るもの、と感心。車 体は韓国の大宇製。製造年はわからずӍ