乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

二月晦日。政府の新年度予算案発表。好景気による法人税所得の伸び反映し政府の財政も改善あり所得税は02/03年水準まで引き下げ(税率は16%くらい だろうか)何より好事は酒税見直しでアルコール度数30度以下の場合、税率は現行の40%から20%に引き下げられ(つまりウイスキーやスピリッツは対象 外、だが日本酒は恩恵ありか)、そして吉報は悪名名高き香港のワイン酒税が現行の80%!から40%に軽減され、これは財務官・唐英年君がワイン党である から、という噂もあるが、現在300ドルの葡萄酒が230ドルになるのは嬉しいところ。香港政府は財政と税制について日本に比べたらかなり真面目で財政改 善されれば減税、消費税導入なら所得税減税、と対応は立派。ただただ盲従的に増税、に非ず。午後に一つ高座での与太話を済ませ早晩に一旦帰宅。ドライマ ティーニ一杯。Z嬢と北角で待ち合せ和富道の勝利小厨に海南 鶏飯など食す。ついHK$8追加料金で脾肉で注文してしまったが、この店の海南鶏飯の場合、普通のほうがずっと「滑」で美味。店に貼り出された雑誌での紹 介記事を読むと、この店、もともと旺角の(タクシー運転手の食堂と呼ばれる)小食堂並ぶ勝利道で牛腩を出す食肆であったが近所の店との競合で新機軸にタイ 式の海南鶏飯を始めると、これが好評で一躍有名になった由。
▼東京都日野市の教員が99年に入学式での君が代伴奏を拒み戒告処分受け東京都教育委員会相手取り処分取り消し求めた裁判で最高裁は「伴奏を命じた校長の 職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」として上告破棄。何が驚いたか、といえば最高裁小法廷で5人の裁判官のうち1人から「君が 代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白」として 審理の高裁へ差し戻すべき、と反対意見があり、その良識示した裁判官が藤田宙靖君であること。藤田君といえば我が日剰に何度か登場する、おそらく唯一の裁 判官。頁捲るだけでも「疑わしきは罰する」で東電OL殺人事件で被疑者に無期懲役確定したのがこの人。そしてジャニー喜多川さんが週刊文春のホモセクハラ 記事を名誉毀損と訴えた訴訟は最高裁での裁判長がこの人。「セクハラの記事の重要部分は真実だが、『飲酒、喫煙をさせている』などの記述は真実でなく名誉 棄損」ということで文春側に120万円の賠償金支払いを命ず(一審では880万円)。氏の少年セクハラという本来裁かれるべき「戦後の一つの巨大な闇」が 「未成年への酒、タバコを勧めた、ことが事実かどうか」という枝葉の問題に据え置かれての迷判決。もともと東北大学で行政法を専門にしていた地味な学究の 徒。その御仁が政府自民党の大学機構改革(独立行政法人化)に与したことで最高裁判事への道が開かれた、という人もあり。その人が今回のこの反対意見と は。
▼東京都知事選に浅野史郎氏が立候補の意志固めた由。これでも石原再選となったら、もうお終い。活力ある東京、強い日本だかなんだか知らぬが、オバサンだ の障害者だの社会的マイノリティや外国人が差別される東京、都知事がまともに登庁せず接待交際費に海外出張手当浪費で息子にギャラ払っても許すのなら、あ たしゃ本当に都民とはもう絶縁だよ。2000年にブッシュが米国総統に「選挙で選ばれて」からブッシュ在任中は絶対に米国には足を踏み入れぬ、と決めたが 石原再選となったらホントなら東京には足を踏み入れず、としたいところ。選挙のカギはまず日本共産党。共産党が独自候補擁立を取りやめぬと反石原票が全て 死に票に。そして何より公明党支持者の良識。党の「なにがなんでも与党シンドローム」に与するか、自らの良識を票にするか、の判断。それにしても石原落選 は本人にとっても自民党にとっても末代までの恥となるから、こりゃ総力戦。公示前に形勢不利となったら自民党は(そもそも石原を「公認」ではないのなら) 最後の切り札で小泉三世の擁立とか(笑)。だが、ふと思えば、石原慎太郎を都知事に選んだことで、あたしゃかなり都民に罵声を浴びせたが、石原君を都知事 に据えてくれたことが石原首相待望論(って本人がそう待望したのだろうが)抑え石原首相実現がならなかった直接的原因と思えば、石原君を都知事にした都民 のそれは良識であったのかも、とふと思う。

二月廿七日(火)昏時、灣仔大王東街の国際咖喱館に羊肉咖喱 飯食す。美味。値段も相応。尖沙咀に渡りペニンスラホテルのバーで ドライマティーニ一飲。香港文化中心。Z嬢と待ち合せ。莫斯科フィルハーモニー交響楽団の演奏会。文化中心のロビーで鐘や太鼓がなり響き賑やか。何かと思 えば今年の香港芸術節(HK Arts Festival)の開幕祝賀式典で政府財界のお歴々鳩まる。ちょうど行政長官「自称政治家」Sir Donald君らが舞台にあがり筆を持って獅子舞の獅子に眼をば書き入れる。ロビーの混雑で、これぢゃモスクワフィルのコンサート会場にも入れぬわい、と 舞台の袖から裏手に周りこもうとするとVIP関係者エリアの片隅でカナッペ片手に赤葡萄酒飲む御仁あり。余 の知己、政府某署署長のT氏なり。皆が開幕式典に目を向けるなか立派?な態度。ちょっと雑談。莫斯科フィルはユーリ=シモノフの大袈裟な指揮。山本直純の 「オーケストラがやって来た〜っ!」の如き雰囲気でショスタコーヴィッチの祝典序曲で幕開け。会場にはSIr Donald君筆頭に香港の田舎政財界、ジョッキークラブ首脳らS席にずらりと並び、香港金融管理局で禄を貪るT総裁や東亜銀行のBaby李國寶頭取ら並 んでA席後方。ショスタコーヴィッチの祝典序曲に続きプロコフィエフのピアノ協奏曲2番。ピアノはKonstantin Lifschitz(コンスタ ンチン=リフシッツ)君。グールド以来の奇才と称されるが、グールドがピアノの演奏的な意味での奇才なのに対して舞台に出てピアノに向うところから奇行っ ぽいところでグールド以上。淡々とした表現なのだがかなりのクセがあり面白い。Z嬢曰く、ピアノから音を吸い上げるそうな奏法、と。それにしてもプロコ フィエフの、とくにこの帝政ロシア末期の1913年にプロコフィエフ22歳の時のピアノ協奏曲2番というのは、あたくしにとっては「わからない」曲の代名 詞の如し。難解なら難解でいいし、きっと奇才のリフシッツは「わかってしまっていて」ピアノを弾いているのだろうが、どうもシモノフの指揮が、個人的にと ても生理的嫌悪で見ていられず、目を閉じて聴いていたが、途中だいぶ「落ちてしまい」今晩も、このロシア未来派のモダニズムの曲はよくわからぬまま。ピア ノのアンコールでリフシッツはバッハのゴルトベルク変奏曲から1曲、もう1曲あたしは知らぬ曲を披露。この人のゴルトベルクはきちんと聴いてみたい。途中 休憩でも警察の要人警護のSPが会場に現われSir Donald君をエスコート。たかだか一地方自治体の、大阪市長程度の格のこの男のためにここまで大それた警護が必要か、とただ嗤うばかり。後半はあたく しは初めて聴くミハイル=グリンカの交響詩「カマリンスカヤ」とムソルグスキーの「展覧会之絵」。展覧会の絵、なんて聴くのは中学生以来かしら。どうもこ の莫斯科フィルの演奏は、大きな音を出すことばかり目立って、個々のソロはかなり上手いのだが、抑揚に欠けるというか、オケとしての全体の音のうねりがな いことがモノ足りず。ひとりでお茶屋遊びの如く指揮台で踊っているシモノフの指揮がやっぱり見ておれぬ。でいろいろこの曲について考える余裕?というか暇 つぶし。この曲は、そういえば中学1年の時だったか冨田勲のシンセサイザーでの作品のLPを、ホルストの惑星に続けて買った、そうそう「展覧会の絵」は小 学生でも聞くクラシックの定番であったから、小学6年だったかに買ったLPがオーマンディ指揮でフィラデルフィアの演奏だった、などと思い出してみたり、 このラベルによるオーケストラのための編曲はこれほどまでにヴァイオリンが後手にまわっていたものか、ほとんど出番なし、と認識したりする。アンコールは ムソルグスキーの何某という歌劇からの一曲。万雷の拍手でスタンディングオベーションまでする客あり。莫斯科フィルのこの演奏も、客の興奮もよく理解でき ず。もう一曲アンコールがありそうだったが、ちょっとシモノフ指揮のこの楽団に今晩はもう食傷気味で香港地元要人らのお帰りを考えると閉幕後かなり面倒に なりそうなのでZ嬢と早々と退散。文化中心の正面の車寄せには金持ちのショーファーつきの自動車がずらりと並び、何より驚いたのはBMW7シリーズの 「AM」一桁ナ ンバーつけた政府官僚専用車が本来自動車進入禁止のエリアにまで入り込み主人待つこと。このような破廉恥な自動車乗り入れは、まさに中共の高級幹部的な横 柄さ、或いは小役人どものそれの真似で、中国では鉄道駅のホームにまで自動車で乗り入れるのは小役人らの日常茶飯事。香港の地方自治体の小役人もさすが 「国風文化」に馴染むのはお早いようで。帰りがけに、Z嬢の話では、昼間にRTHKのRadio 4でモスクワフィルの演奏を何曲も流したそうで、Z嬢はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴き、いたく感激し「今晩はこれか」と期待したそうで、指 揮はデュトワ。指揮者によりだいぶオケの音は変わるのでしょうが……。比べちゃいけぬのだろうが同じロシアのオケとして旧レニングラード、サンクトペテル ブルグ交響楽団の演奏を3、4年前に聴いた時のあの感動。Yuri Temirkanovの指揮でムソルグスキーの「モスクワ河の夜明け」、Natalia Gutmanのチェロでドボルザークのチェロ協奏曲。そしてラフマニノフの交響曲第二番。

二月廿六日(月)晴。晩にHappy Valleyの寿司「澄」で 宴会あり末席を汚す。宴会料理も悪くはないがやはりこの店はK氏の握る寿司に限る。寿司といえば先日、築地の寿司清本店で、味噌汁が供されていた。寿司屋 で味噌汁というのはどうも苦手。むかしは寿司屋で味噌汁なんて野暮はなし。寿司など花街遊びのまえにちょっと小腹落ち着かせる、屋台での今ならさしづめ ファーストフードだと思えば、味噌汁などあるはずもなく、だいたい魚と酢飯の味覚に、あの味噌臭さが合うとはとても思えない。おそらく北陸だか北海道で寿 司屋が魚のアラだので雑に汁をこさえ、それが味噌仕立てであったものが美味く、それが各地に伝染したのではないかしら。その地で美味いのはいいが、例えば 「るいべ」とか、北海道なら鮭の寿司もまだ許せるが、世界的に(とくに熱帯で)サーモンが寿司になることがヘンで、「寿司屋の味噌汁」も築地とか海外でま で普及していることが厭なのだ。それも「アラ汁」とか「潮汁」とか、漁師町じゃないんだから……。寿司屋で口から魚のアラの小骨を出しているなんて、ほん とみっともない話。基本的に寿司屋というのは銀座の九兵衛とか、いい寿司屋とか行くとわかるが本来、基本的に「無臭」であるべきなのだ。そしてカウンター など水々しくなく、乾いた世界。においといっても、せいぜい玉子を焼いたり穴子のために「ツメ」を煮るくらいで、それも本来は店を開ける前の下仕事である べきで、そのような空間に「味噌汁臭さ」がどうも所帯っぽくっていけない、と思う。何年ぶりか、で香港の日系某活字媒体より執筆の依頼あり。ちょっと書い てみる。

二月廿五日(日)家を朝の七時すぎに出て馬鞍山までバスで参って馬鞍山の吐露ハーバー沿い走る8kmのロードレース。集合場所の馬鞍山の運動場の入り口で 八旬どころか今年86歳のロードレーサー葉さんに出 会う。「おはようございます」と日本語で挨拶して通りすぎたつもりが軽快な足取りで葉翁は余に追いつき「日本人?、日本から来たの?」といつになく今日は お元気。もう何度もお会いして何度か香港に住んでいる、とお答えしたが、今朝またこう尋ねられたこともご愛嬌。「東京でマラソンがあるの?」と尋ねられ 「先週、終わりましたよ」。「終わったんだ」と残念そう。「来年お出になりますか?」「ぜひ」「生まれは熊本なんだ、熊本」と確か5歳までしか日本にはお 住まいになっておらぬはずなのに本当にきれいに日本語を操る。日本で走ってみたいでしょう。ゼッケンの受取りなど葉翁のお手伝い。「日本まで飛行機はいく ら?」と葉翁は真面目に来年の訪日でのマラソンを考え始めた。なんて意欲。「今日は何キロだっけ?」「8kmですよ、短くて、もう楽でしょう」「短いのは ダメだよ、みんな速い、長いほうがいい」と……御意。先週、東京マラソンに出場のK氏、O氏の話を聞く。悪天候での東京マラソン、雨の中スタートまで1時 間も待つ中で都知事よりギリシャの詩人がなんとか、だかの御言葉あった由。君が代まで吹奏だか斉唱があったそうで「青梅とかどこあでもそんなのあるの?」 と尋ねるとO氏の話では「他ではそんなことない。アメリカだと珍しくないけど」。日本生まれの華僑の87歳のマラソンランナーが東京マラソンを走る、なん て都知事が喜びそうだね、と鼎談。一瞬、生まれ故郷の熊本ならどう?と思ったが熊本といえば阿蘇カルデラスーパーマラソンでまさか50km、100kmを 走っていただくわけにはいかず。8kmのレース終わり葉翁に「それじゃ来週の香港マラソンで」とお互いの健闘を祈る。いつものようにK氏の車に便乗させて いただき銅鑼湾。ヴィ クトリア公園で来週の香港マラソンのゼッケンなどの受け取り。気温は24度だが朝の小雨がうってかわっての炎天下、暑い。天后の華姐清湯腩で牛腩麺と菜飯。牛腩麺をさっと食べて残った汁を菜飯にかけ て食すのがとても美味い。その足で整体へ。夕方、Z嬢と散歩と買い物。ライカで愉快にスナップ写真撮る。かなり久々にQuarry BayのEast Endでエール一飲。帰宅して「利休」で昨日もらった糠床 で、さっそく浅漬けの胡瓜と茄子、日本橋の「みかわ」の天かすで茄子の味噌汁、日本から調達の柚子味噌で風呂吹き大根など。最近、香港のローカルテレビで 「電車男」が放映されているらしく、ビデオで第1話を看る。伊藤淳史の演技も美味いが、これはちょっと前なら片岡孝太郎のニンか、と思う。赤木洋一の 『「アンアン」1970』(平凡社新書)読む。

二月廿四日(土)昨日読んだ『偽ライカ同盟入門』チョートク先生の著作。デジタルカメラの技術的進歩=デジタルカメラをダメにしたのはプロジェクトXなん て番組が好きな国民性だから今さら言ったところで遅いが、と前置きしてチョートク先生は、その日本人独特の「無限上昇志向的な便利主義」だ、と指摘。
これは確かに一面から見れば、戦後の日本を進化させる原動力になっ たのではあろうが、その便利主義というのは、「王様のアイデア」のつまらなさなのである。つまり、思いつきの新案特許であって、物事の本質に立ち返っての モノの使い方に関する考察というものが、最初から欠如していた。もとより「これもあったら、便利だね・主義」であるから、そんな思いつきの便利さというの は、無くても用が足りるものに過ぎない。
と。饒舌な、読む人によっては「どうでもいい」ような話の中に物事の本質をズバリ指摘するところがこの先生の筆致。「たかだか写真家で」ありながら六本木 ヒルズの50階にオフィス構えてしまう。昨晩遅くに読んだ『さらばライカ』は6章の「簡単明快なデジカメ選び」秀逸。
1 デジカメの命は短い
2 デジカメはどこのメーカーでも写りに変わりなし
3 デジカメの値段は生鮮食品である
というが、これは「デジカメはどこのメーカーでも写りに変わりなし」でも「撮る人によって」当然、映り方が違うのが弘法筆を択ばずの極意。でこの本も饒舌 の中に、デジカメではフラッシュを使わないほうがいいのは「デジカメの画像再生の色調とコントラストの特徴は「やや暗い場所でコントラストの低いシーンの 方が綺麗に撮れる」というデジカメの再現性の特色にある」とか「デジカメの場合、綺麗な色彩を得るには、単一の光源を利用すること。これに尽きる。ストロ ボは全体のカラーバランスを崩すので得策ではない」といった、他の教則本ではこんな的確に指摘のない、とても大切なことが簡単明瞭に書かれている、のが チョートク先生がやはり六本木ヒルズの50階にオフィスを構えるほどの(ってやたらそれにコダワルが)御仁である所以。というわけで昨日から今日はすっか りチョートク先生漬けになってしまった(文体までチョートク先生になりつつあるが)。昼過ぎまでご執務。といっても旅行中のチケット半券だのマッチの箱を 解体してノートに貼ったり香港映画祭のパス券の取得であったりするのだが。早晩にやはり香港に戻れば食したくなるのは焼鵝飯であったり牛腩麺であったりす るわけで尖沙咀は海防道街市の徳發麺家に赴けば丁 亥年正月七日でもまだ正月休み。さすが。蔡瀾氏がかつて徳發は旧正月など大いに休みカナダ、豪州などばっちり旅游愉しむも尚のこと結構、と書いていたが本 当。隣の仁利という潮州麺家に食す。店の息子二人か健次の小 説に登場しそうな若衆二人、店の繁盛手伝ったり弟妹の宿題を見たり、とどこか余にも懐かしき店屋の昔の風情。香港文化中心にて江蘇省崑劇院による「桃花 扇」の芝居見る。崑劇というと一瞬、まるで雲南省は昆明の伝統的戯劇のようだが江蘇省崑山に六百年の歴史誇る古典演劇でユネスコにも Masterpeace of the Oral and Intangible Heritage of Humanityとして認定されている由。と聞くとコテコテの支那演劇のようだが然に非ず。白先勇が古典劇「牡丹亭」を青春版に仕上げ、それを上演したこ とでこの崑劇院が評判になって数年、この「桃花扇」も清朝初期の1699年に戯曲作家の孔尚任(孔子第64代末裔)が脱稿の古典劇「桃花扇」を江蘇省崑劇 院が見事に「いい意味で」現代的に演出。役者はほぼ全員が江蘇省戯劇学校崑劇科を卒業したばかりの20〜22歳の若い役者。当 然、例えば京劇で梅派の一つ一つの所作に練熟の、客を唸らせる如き真骨頂など、この若い劇団員には、ない。が何がこの劇団の「見通し」か、と言えば、敢え て経験も乏しく役者としてはまだまだ修業中の身の彼らを採用するか、と言えば、明末から清初の動乱期に睦まじき二人の男女の悲劇のこの古典劇を練りに練っ て三時間余に。そして舞台も旧態依然とした支那戯劇の大道具に拘らず四本の紅色の支柱に何枚かの幢を下ろすだけ(初めてケータイで写真撮っちまったよ)。 開演前から舞台の上下に置かれた椅子が上演中に取り払われるだけで明朝の宮廷人の、坐る席がなくなったことだけで、明朝の滅亡を表わすような、そういう見 事な演出。音曲の鐘や鳴り物もただ賑やかなだけでなく西洋の弦楽器なども含めた、言わば「中楽団」。これだけの舞台の「準備」が整った中で、かりに役者が 経験豊かなコテコテであったらどうか……それぢゃ脂っこすぎ。……で計算された上での、敢えて役者学校出たばかりの若い、まだまだ線の細い役者ばかり用い ることで、熟練の演出家や舞台作家らの環境と、その浅い役者が微妙な平衡で、それが実に面白い。いやいや、実にお見事。中国に北京をはじめ各地に、伝統的 な戯劇をこうした形で将来に向けどう残してゆくか、の実験的な取組みがいくつもあり。それが日本では残念ながら(落語はまだ面白そうだが)歌舞伎でいえば 沢瀉屋であるとかコクーンなどだけで、それは意欲的でも、日本各地で、数百人の若者が、といった動きにはなっておらぬことが残念か。香港のうるさい客もこ の崑劇団は「牡丹亭」での評判もあり事前の人気も高く超満員。いつもの戯劇の如く芝居の最中に「好!、好!」といった掛け声だのは起きぬが、劇終でやんや の喝采とStanding Ovation続く。

二月廿三日(金)朝五時半起き。六時に雨のなかホテルからタクシーで東京駅。六時半の成田エクスプレスで成田空港。七時半について出国審査潜りCXのラウ ンジに着くまで45分。この空港第二ターミナル、規模が大きいようでチェックインカウンターエリアの奥行きの浅さ、手荷物検査から出国審査の天井の低さと 圧迫感がお粗末。わが国の首都の空港として華がない。第一ターミナルのほうがぜんぜん良い。第一から第二ターミナルに移ったCXのラウンジは香港のラウン ジの内装踏襲し、そりゃきれい。いちおう外景見通せるバーカウンターもあり。ここまでやったならCXの評判の高い「ヌードルバー」設けて香港の雲呑麺、台 北の南京牛肉麺に続き日本らしく生蕎麦でも供せばいいのに。睡眠不足で席について昨日の蘋果日報と信報、今日のFinancial Timesに目を通しただけで眠りに落ちる。機中、CXでは個人的にあまり好きではないハーゲンダッツのアイスクリームにかわり、この成田→香港便では森 永製のFauchonのアールグレイ味のアイスクリーム供され美味。食後のポートワインで復た眠りに落ちる。飛行機が香港での着陸近いのか機体の高度が下 がる感じで目覚めると、肘掛けのテーブルにさりげなく一杯の水とおしぼりが置かれている。CXのこういう配慮が嬉しい。香港空港に着いて思うに、 Norman Foster卿のこの設計は個人的にはあまり好きではないが「機能的で」「華がある」ことでは成田の第二ターミナルなど比べ物もなく、何 より「空港職員という、言うなれば空港の利用者」が例えば出国審査エリアならその場所に外務省だの法務省から届いた馬鹿馬鹿しいポスターを何ら思考もない ままに、ただ「お上からの通知」というだけでべたべた貼っている成田に比べ、設計者の空港建築に託した哲学を壊しておらぬ点で香港の国際空港は「機能して いる」。飛行機の着陸から預け荷物の受取り、Airport Expressの車中で田中長徳『偽ライカ同盟入門』読了。赤瀬川原平『ライカ同盟』にひっかけてのチョートク先生本。チョートク先生のあの筆致が苦手だ と読みづらい。苦手だ、と思った箇所はすっ飛ばして読む。紀宮様の旦那の黒田慶樹氏の中古カメラ好きの下りなど興味深し。飛行機が香港の空港に着陸してか ら70分後には自宅到着。旅の荷を解き荷物片づけ。また30冊ほどの書籍が新に。すでに書棚には収まりきれず。夕方、先週十七日でお店閉じられた天后の利 休へ。この店の胡瓜と茄子の漬物が絶品で、女将さんが手塩にかけて糠漬けされた結果だが、閉業にあたり「この糠漬けが食べられなくなると思うと」と思い最 初はバーSのM氏に「胡瓜の糠漬けとかお通しで出せば?」とか提案したがバーが糠味噌臭くては、と断念され結局、うちで頒けていただくことに。その糠床を 受取りにお伺いした次第。今後は我が家で利休の糠漬けが継承できるかどうか、である。帰宅して荷物片づけ再会。ドライマティーニなど飲みながらカメラの手 入れなどする時が一番楽しい。晩に蕎麦を茹でて食す。いつもの刻み葱と海苔に加え今晩は日本橋「みかわ」の天かす、まで入る。幸せ。食後、Z嬢が銀座ヤマ ハで購入の井上直幸「ピ アノ奏法」のDVDを見る。井上直幸先生はあたしが13歳であったかNHKの「ピアノのおけいこ」に彗星の如く現われ、それまでの「かたくてつま らない」ピアノのおけいこで、いきなりドビッシーとか、それもかなり常軌を逸した面白い曲ばかり取り上げ当時かなり話題になり、あたくしも同じクラスのT さんという女の子の「ありゃ面白すぎ」という話で井上直幸の「ピアノのおけいこ」をかなり見続ける。番組のテキスト(楽譜)もかなり売れた記憶。この天才 は64歳だかで亡くなったが、このビデオ録画おそろしく精緻な出来。クレジットを見るとテ レビマンユニオンの制作で「なるほど」と合点。ところで井上直幸のこのビデオは同氏の「ピアノ奏法」というテキスト本が好評だったこで「実際の奏 法を映像で」の要望に応えたもの。でその『ピアノ奏法』は確か吉田秀和氏が朝日「音楽展望」で好評したことで注目集めたもの。秀和先生といえば一昨日の朝 日(夕刊)の音楽展望でモーツァルトについて語るが、秀和先生はバルバラ夫人亡くした悲しみを越え、物凄いハレの境地へ達してしまった。加藤周一の悲観超 越しての達観した最近の楽天的な見方と同じものあり。晩に田中長徳『さよならライカ』読む。

二月廿二日(木)築地の新阪急はサイト情報では客室ネット接続可ながら余の部屋はモデムでの電話回線での接続も能わず。ホテル側の言い訳によれば「じゃら ん、など通してご予約いただたい場合の(つまり廉価提供の)お部屋についてはネット接続ができませんで」と。どうやら33階の(最低階)大川見下ろす北向 きの部屋がそれに当たるらしい。ネット接続の提供くらい全館一斉に整備して良かろうものを。で、部屋でネット接続できぬ場合でも昨晩投宿の新橋の某ビジネ スホテルはロビーでWi-Hi接続可。広州でもチェンマイでも同じ。「で、それじゃどうすればいいのかしら?」と問うても「あいにくネット接続できません ので」としかホテル側は答えられず。iPassで調べればこのホテルのある聖路加タワーにあるExcelsior HotelにWi-Hi提供あることを知り、朝7時30分からの営業開始に合わせ朝の珈琲とネット接続に参る。Z嬢と八時すぎに散歩して築地の場外。寿司清本店。カウンター15席のうち半数が香港人なり。寿司を好むはい いが「にぎり」コースで一通り食したあともでれでれと玉子を握れだの蟹を巻けだのと居続ける。外にはそろそろ客も並び始めた時間。ふらりとやって来る近所 の常連も「あれ、満席だ」。板前もさすがに長居の香港人らに「もう帰ってよ」とも言えず。さっさと食してお勘定の客には「どうもあいすいません」と親方。 香港からの旅行者はどうやら10時の銀座のデパート開店まで、と算段の由。日比谷線で上野。国立近代美術館……ありゃ皇居北の丸だよ、上野じゃないよ、で 竹橋まで引き返し。Z嬢の好みで国立近代美術館で開催中の柳宗理の作品コレクション展。うちには柳宗理は牛乳沸しのような鍋ひとつだけだが家具や陶器など ばかりか東名高速の中央分離帯や東京料金所防音壁(1980年)などもあることを知る。同館には荷風散人の濹東綺譚が新聞連載の 折に添えられた木村荘八による有名な挿し絵のコレクション(全 33回の連載のうち初回からの33回分と最終回の下絵)もあり、これを初めてじっくりと見る。昭和の初めの玉ノ井の風情。更に、横山大観の展示部に「生々 流転」あり40mにも及ぶこれも初めて直に見る。九段下経由で半蔵門線で渋谷。Z嬢といったん別れ東急ハンズに急ぎ皮用接着剤と好きな皮製眼鏡ケース購 入。前者はレモン社製のライカの革紐が長さ調整すると余り部分が邪魔なための接着、後者は数年前に老眼鏡用に購入のものだが使い勝手よく近視用にも一つ。 渋谷駅に戻りZ嬢と彼女の母堂と待ち合せ。お昼一緒に、ということで元祖くじら屋」に食す。今では新しいビルの一角となっており。Z嬢母娘 とまた別れ独り恵比寿経由で六本木。新国立美術館にポンピドーセンターの蒐集絵画からの「パリの異邦人」展を見る。かつて住んだ恵比寿の様変わりも驚くが 六本木のこの美術館も確か東大の生産技術研究所だった場所のはず。戦前は軍の施設ゆゑの広大な敷地。生技研のあった頃、まだ余が高校生の時に塾の講師で、 この生技研の研究生であった東大の院生おり、広島出身のその人に請い何度かここに忍び込みで泊めていただいたこともあり。で「パリの異邦人」は Leonardo Fujitaを見るのが主眼であったがTore JohnsonやWilliam Kleinといった白黒写真もけっこう展示あり観賞愉しむ。だが偶然の収穫は、この美術館の設計者である黒川紀章の作品回顧展がこの美術館の開館に合わせ 開催されており、折りから
「わけのわからない」都知事選立候補で、この黒川紀章展が かなり「変な意味で」注目浴びる結果に。同館関係者もまさかこの開館記念展の最中に黒川君が都知事選に立候補するとは想定外であったろう。これが新東京都 美術館であったりしたらもっと可笑しいのだが。この美術館はコンセプトよろしく美術品の収蔵と展示でなく、まるで見本市会場のメッセの如し。それはそれで いいが開館したばかりなのに仕切りの壁が粗末。内装で用いられたのであろう接着剤の臭い蔓延が不快。せっかくなら内装も日本の木材用いて組木にするとか、 工夫もできたでしょうに。大江戸線で新宿。常圓寺に母方の祖母の墓参。東口に出てちょっと遊び早晩に銀座。サンボアにZ嬢と待ち合せなのだが実は蘇州よりいぜん香港在住のI君が 帰省中でI君とも待ち合せ。Z嬢には内緒でI君とハイボール飲み始めZ嬢が来て驚かせる嗜好。で三人で面白可笑しく飲む。I君と別れZ嬢と茅場町。天麩羅 のみかわに食す。相変わらず美味秀逸。天つゆを全くつけず食 すと素材の旨味がじつによくわかる。親方も若衆も揚げ場は全く無言のまま。張りつめた緊張感が、揚げが一段落した親方がちょっと柱のかげにかくれ煙草一服 した時にだけ、ちょっと一段落。これほどの店なのに外で待つ客に店を出て来た先客が「この店、そんな有名なの?」だの「おい、領収書もらってないよ、領収 書」だの、と野暮な奴ら。この「みかわ」の天麩羅で東都の最後の〆、が終わる。

二月廿一日(水)ホテルなのに朝五時起き。朝六時頃に静かなロビーで上網。タクシーで築地の新阪急ホテル。荷物だけ預け大川沿いを築地の場外まで散歩。ま だ朝の七時。「かんの」でまぐろ丼。恥ずかしくて人には言え ぬが「大一」でらーめんまで食べてしまう。朝 早くて何もすることないし食べ過ぎ反省し 有楽町まで散歩。JR有楽町駅前の珈琲屋で赤瀬川原平『ライカ同盟』読む。もっとライカ同盟な本かと思ったが基本は「小説」なのでカメラ好きでない人も読 める感じ、で多少物足りず。Z嬢丈から「鉄火丼美味しい?」と電話が入るがじつは二時間も前に食べていたのでアタクシの勝ち。銀座に出ると朝まだ早いのに 四十歳以上老人までの行列あり……職安?、寒そうに丸めた背中はちょっとドヤ街の日雇いのオトーサンたちの労務の職探しっぽいが、この場所は銀座松屋の入 口に行列。銀座松屋恒例の第29回世界の中古カメラ市の初日。あたし自身それが目的なのだが。で行列がずいぶん長くなったところで店内に誘導されテキパキ と8階までエレベーターで上げられる。毎年のことでデパート側も手慣れたもの。「えー、お寒いなか皆さま朝早くからお並びいただき……これから開場となり ますが先頭のほうには百歳の方がかなりいらっしゃいますので、ぜったいに押さないで」などと笑いをとる。開店時間より10分早く開場。熱い客が一斉に向っ たのは銀一カメラのキャノンの一眼関連。それと藤澤商会とかのRolleiの二眼あたりが人気。あたしがそんなことレポートしていられるのも「とてもライ カのレンズには今回は手が出ない」からで最初から今回は買えない=あまり見ない、に徹したため。それでもどの店にもライカのレンズが並び欲しいレンズはみ んな20万円台。あたくしのM6にいいレンズを装着させたいのだが……。ボディはM3のかなり美品が三共カメラなどで15万円くらいからずらりと並ぶ。そ れにしてもどのオジサンたちも30万、40万を万札で現金買い。けして「金持ち」って感じでもない。フェブラリーSででも馬券を当ててのかしら。今ごろ妻 はパートに出ているのか、泣いているのか、呆れて言葉もないのか……などと勝手に他人の家庭の事情まで気になる。長居すると「せっかく来たんだからエル マーの50mmの一本くらい買ってこうか」みたいな赤瀬川原平的に言えば「悪性のライカウイルスに感染しかねない」ので40分くらいで後ろ髪引かれつつ会 場を出る。ここから階下に来ると眼鏡売り場の8万円のフレームも48,000円の春物のコートも、ついライカのレンズに比べて「安い」と思えてしまうのが 怖い。伊東屋でペーパーセメントのディスペンサー購入。こんなもの素人には本来、必要ないのだが植草甚一的になんでもノートに貼る私はペーパーセメント愛 用で、刷毛つきのこのボトルが重宝する。トラヤ帽子店でBorsalinoの中折帽購う。忘れもせぬ小泉三世が首相として靖国神社に初めて参拝した夏から トラヤ帽子店で帽子を揃えようと考え自分なりに考えた5つか6つの様々な用途やデザインの帽子で、最後に、と思ったのがクラシックな中折帽。今日はこの買 い物があったので松屋のカメラ市でもあえて冷静でいられたようなもの。銀座教会堂ビルのレモン社に寄る。協会所有のビルの8階に、ライカ中心にオジサンた ちが大好きなオモチャ集めたレモン社。ここも1,100円のレモン社オリジナルのM型ライカ用シャッターレリーズボタンだけ、と決めていて、なるべくいろ いろ眺めないようにするのだが、やはりライカレンズの誘惑。怖い。いつもの銀座での買い物は続く。鳩居堂でぽち袋。やはり現金を裸で渡すのは失礼、祝儀袋 では大袈裟という時にポチ袋は重宝。香港でいつも財布の中に一枚入れていたりすると使う時には驚かれ、喜ばれる。喫煙具の菊水。菊水オリジナルのパイプ の、フィルターにあたる金属パーツ割れたので購入。300円。宮脇賣扇庵。生活必需品である扇子を一本。銀 座ニコンサロンで加山又造“USSR 1991”の写真展見る。Z嬢と資生堂パーラーで待ち合せ昼 食。珈琲も美味。「とらや」で豆かん。リーガル靴店で革靴一 足購入。グリコぱっちり買いまショウみたいに今日は買い物をしている気もするが「香港では買わない」「香港では買えない」物ばかり。で香港での消費は結果 的に抑制されている、はず(言い訳に過ぎないが……)。夕方に歌舞伎座。通し狂言で仮名手本忠臣蔵。一階席最前列の20番というまったくもって中央の最上 席。菊五郎の勘平に玉三郎のお軽で五段目と六段目。吉之丞演じる「おかや」は女形としてしっかり老け役しているが足裏の絆創膏が。勘平は音羽屋の当たり役 の一つだというが仁左衛門で見たいし、あたしは個人的には「ちょっと」だが勘三郎の勘平なら客は入るの鴨。七段目「祇園一力茶屋」。吉右衛門の由良之助、 玉三郎のお軽、寺岡平右衛門に仁左衛門。播磨屋がどうしても鬼平に見えてしまうのは御愛嬌。この七段目の由良之助、先代の仁左衛門で歌右衛門のお軽だった らどんな舞台になるか、と想像するだけでゾクゾク。往年の孝サマ玉サマ、なのだが感情移入の物凄い、ずっとテンションの高い松島屋に対して大和屋のお軽は どうも白けている、というか舞台にあっても演技している時としていない時のスイッチのOnとOffのようなものが感じられる。播磨屋は、役者としていまが 絶好調の松島屋に本来であれば嫉妬したのかも知れないが、どうであれ、この芝居では由良之助であるからヒーロー役にある精神的満足が窺え、それが松島屋と 大和屋の芝居を茶屋の高座から見下ろすニン?になっていたりして。七段目終わり幕間にロビーで仁左衛門丈の奥様に御挨拶。昨年の三月の菅丞相以来1年ぶ り。いつも親しげに接していただき感謝。「あとでちょっと楽屋にでも」とお誘いいただくがとてもこちらが緊張してしまい松島屋さんにお目通りなど出来ず。御 辞退するしかなし。最後「討ち入り」の十一 段目。勘平の悲劇である六段目、由良之助の大役の七段目、しかも松島屋があれだけの演技見せたあと、この「討ち入り」はどうも雑で、なんか突然、明治座か 新宿コマのよう。「通し」であるから討ち入りの大詰めをせぬわけにはいかぬのだろうが。通し狂言といえば歌舞伎座が三月は義経千本桜の「通し」で昼夜、音 羽屋が忠信狐、高麗屋の碇知盛で何が見たい、って仁左衛門の「すし屋」でいがみの権太。これも見たいですね、と仁左衛門夫人に申し上げたら「四月も来て よっ!」と渡されたチラシ見れば仁左衛門丈による実盛。歌舞伎が見られるだけ東京はいいなぁと、散歩しながら築地のホテルに戻る。

丁亥年正月初三。北京の畏友Dazhao氏が「今後のカメラをどうしようか?」といろいろ悩んだ揚げ句、ご尊父愛用のニコンFにニコンメーター、それにレ ンズは最近ニコンFマウント対応で開発されたツァイスのプラナー、50mm/f1.4の組み合わせ。その装着を画像で見せていたいだいたが「ど うでげす、 旦那、最高でげしょう」としか言いようがない完ぺきな美しさ。これこそ美しさ。デジカメといえば突然、秋田在住のキャノンのG7にすべきかリコーのGR Digitalにしようか思案中とは聡明、な女性がネットでいろいろ情報集めていて余の拙日剰に辿り着かれた由。日剰読み進むうちに彼女は余が彼女のご尊 父(かつて中学教師)の教え子であること発見。メールいただく。世の中、狭し。午前中、新橋のビジネスホテルに投宿。チェックインはできぬがロビーがネッ ト環境よく数日分のメールに返事したり東京に来るまでにスーパーひたち号の中で書き込んだ日剰や整理した画像の上網など済ますと昼近し。虎ノ門の砂場い いねぇやっぱり東京は、で蕎麦。午後、新橋でサラリーマンごっこ。早晩に銀座。五丁目の銀座サンボアでハイボール一飲。じつに美味。久が原のT君参られる。八 丁目の渡辺版画店。川瀬巴水の版権もつ店でとりあえず巴水の画集購入。数日前まで丸善で巴水の版画展開催の由。銀座いまむらに食す。此処も美味い。年に一度訪れるか訪れぬか、だが御 主人に従う若い息子氏が年々頼もしくなってゆくのを見ている。銀座線でわざわざ渋谷。T君お勧めのショットバーFに一飲。T君と別れ新橋に戻る。

丁亥年正月初二。真言宗豊山派神崎時にて先考三回忌の法要。暖冬の所為、すでに満開の梅。近親者十数名のごく身内の法要で昼に列席者お招きし千 波湖にほど 近きホテルの和食屋で懐石。午後、従兄弟のT君に請い車に乗せてもらい父方の祖父母の墓参。近くに住まう齢八十六の大叔父宅に向うが生憎通院中。「米を ちょっと持ってゆけ」と大叔母がひょいと持ち上げて米袋を持ってきて渡すので受け取ったが5kgか。八十過ぎて矍鑠とはまさにこれ。T君宅近くと彼の両親 の墓参。一時間に列車が一本あればいい単線のローカル線の駅まで送られる。子どもの頃によく遊びに行った小さな町の駅で、当時は鉄道貨物の集積の引き込み 線もあり賑わったが今では鄙びたもの。帰宅。晩に母と妹と駅前の寿司屋。テレビやラジオで驚いたのは先週末に、例えば長嶋茂雄が脳梗塞で倒れてから初めて 宮崎キャンプ訪問というニュースが何度繰り返され流れているか、ということ。そりゃニュース価値あろうが、いくら週末の出来事とはいえ週明けまで三日も 引っ張られると食傷も甚だし。人気女優と吉本のコメディアンの結婚もそう。こんなもの延々と見せられていてはマイクロポップ。

丁亥年正月朔日。恭禧發財。雨。水戸芸術館にて松井みどりプロデュース「マイクロポップの時代、夏への扉」観賞。マイクロポップとは「不 況で未来が不安定 な時代に成人した人たちが、その不利な条件を糧に独自の視点や行き方を構築していく、希望を秘めた芸術」の由。意味不明。「制度的な倫理や主要なイデオロ ギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の行き方の道筋や美学を作り出す姿勢」「主要な文化に対して「マイナー」(周辺的)な位置にあ る人々の創造性」であり「手に入る物で間に合わせながら、彼らの物資的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋め合わせようとするもの」で、 ドゥルーズ&ガダリ的には「移民、子ども、消費者など、常に「大きな」組織に従属している周縁者と見なされている人々が、その一見不利な条件を利用して自 分たちに適した環境や新たな言葉を作り、メジャーな文化を内側から変えていく、「小さな想像」の革命的な力についての方法論」だそうな。で展示の「作品」 といえば、なかには奈良美智のようなすでに名の知れた作品もあるが、基本的には「到底「芸術作品とは思えぬものたち」がそれふうに空間にディスプレイされ てている」もの。それを「不況で未来が不安定な時代に成人した人たちが、その不利な条件を糧に独自の視点や行き方を構築していく、希望を秘めた芸術」とい えばそうなるのだろうが、好景気でも未来が安定した時代なんてものもないし、不況で未来が不安定な時代に成人した人たちを「不利な条件を糧に……」と まで 過保護にする必要もなく「物資的欠落や社会的に弱い立場」などではない。何より、今回出品する芸術家の彼らは美術だの造形など一流の大学で学び多くが伯林 や紐育で表現芸術活動するアーティストであり、そういう立場にある彼らの何処がマイノリティでマージナルな立場なのか。どうも松井女史のプロデュースのコ ンセプト含め理解できず。日曜日も午前中に参観者はあたし一人。水戸芸術館は音楽は水戸室内管弦楽団など成果あげていようし舞台もそれなりの流れが生まれ ているが、どうも美術展については明確な意図が見えず。女性職員の制服のダサさ(市役所受付の如し)、受付のフロントの事務用品の散らかり、館内の案内ポ スターの貼り方、館内にあるレストランの芸術館のコンセプトなど全く理解していないポップ、HPのセンス、広場正面の殺風景……など など。ふとこの水戸芸術館の塔に上がってみようか、と思う。タワーへ向う回廊で雨漏り。この施設を設計した磯崎新のためにも雨漏りは修理して。200円で 「おそらく今日の初めての、もしかすると今日のただ一人?」の客としてエレベーターで85mだかにある展望台まで上がる。昭和40年の東京タワーのような タワーの解説。それも録音ではなく実際に案内嬢が狭いエレベータの中で語ってくれる。それも90秒余の搭乗時間のうち40秒くらいで終わってしまい「では 到着までタワーの内部構造などご覧ください」と言われ沈黙が続く。沈黙のまま私は案内嬢と二人で85mの高さまでの昇華。展望台は当然、誰もおらず。案内 嬢はもしかするとずっとこの密室で私を観察し続けるかしら?と『ガロ』的な不安に襲われる……が、案内嬢はエレベータで降りてゆき、少し安堵。というわけ であたしは狭い展望台に独り。展望台だが予想以上に円窓が小さく、屈んだり背伸びして、すっかり戒厳令的閑散の水戸市街を見下ろす。実は、この芸術館はあ たくしの学んだ小学校の跡地。タワーから見下ろす、かつての繁華街はあたしらのシマ。昔の賑わいを思いだし余計に寂しさに嘖まれる。展望台はメタリックに まとめている「はず」なのにクリーム色の塩ビの床(これもどうせなら鉄板にすべきなのに)、その床とメタリックな壁との間の幅木!などよけいに目につき、 赤い消火器の箱の主張が「マイクロポップしてしまっている」。エレベータを呼ぶと案内嬢が企つ。下りは当然、沈黙。「楽しかったですか?」と尋ねられるは ずもなく、つい「エレベータや展望台内部は冷暖房でも、このタワーのチタンパネルの外壁の内部ってのは夏は高温で冬は凍えるほどでしょうね」「あと何十年 もつんでしょうね?」「チタンパネルも汚れない、って言われましたが、雨の水垢とか目立ちますよね」なんて話す。芸術館の売店で木村伊兵衛の写真集(文庫 本)と巨匠アラーキーの『東京日記』購入。ぜんぜん人なんて歩いておらぬ寂しげなかつての歓楽街を抜け、信願寺町の「鰻亭」。水戸の那珂川名物の鰻を供 す、江戸時代からの料理屋の流れの店。奥の座敷で小学校の同級生の某私立高で日本史教えるJ君、某公立進学高で世界史教えるA君、実に30年ぶりに再会 の、今は某電力会社で熱流動の主任研究員T君と鰻を頬張りつつ物語り。J君とA君とは小学生の頃、なんぜ戦前のことまで、と教師も驚くほどあたしら三人は 昔語りする耳年増。料理屋でも、食後に珈琲でも、と市街の大通りを歩く時でも、この店がまだある、ここに何があった、と昔語り。市街に唯一残った、而もこ の百貨店不毛の時代にあえて大型店舗化に踏み切った某百貨店の地下の珈琲店。母とも偶然此処で待ち合せ。旧友らと別れ母と買い物。夕方、母とタクシー雇い 県立近代美術館。 加山又造展はこの美術館の独自企画で国立近代や個人所蔵の又造の屏風絵など集めた積極的な企画。終戦後のシュールレアリズムやキュビスム の影響受けた頃の作品、日本画への見事な回帰、その後のまさに達観的な、まさに万丈という言葉が似合う画風……ただただ見惚れる。これが芸術であり、観賞 されるに値する芸術家であり、その作品を集めて展示してこそ、美術館。王道はこれ。これに比べると「マイクロポップの時代」は、わけのわからぬオブジェ集 めて、参観者に「これがアートです」と強いたもの、と言わざるを得ず。アートセンスのない保守的な年寄りといわれればそれまでだが……。暮時、日鉄停車場 (JRの駅、の意)まで母と散歩。Z嬢来る。とんかつ屋で晩飯。反調味料派としては、とんかつもソースなどかけず食せば微妙な揚げ粉の塩分と肉汁でそれだ け美味い。雑事済ませ晩遅く、ザ・ドリフターズの『誰かさんと誰かさんが全員集合!』 の映画をビデオで観る。1970年に水戸を舞台に、いかりや長介が塾長をする「大日本菊花塾」なる右翼系武道塾舞台。当時、人気ウナギ登りのドリフターズ で量産されたシリーズ物のギャグ映画、で寅さんよろしくお決まりの地方ロケ、とタカを括っていたが、いやいやどうして、水戸で右翼系武道塾、というだけで 桜田門外の変から昭和初期の軍人テロに到る「水戸っぽさ」で、しかも地元の政界有力者による高速道路建設に絡む贈収賄、いかりや長介が恋した昼は幼稚園の 先生、晩は地元の山口樓なる料亭の売れっこ芸者という女性(岩下志麻)が実は……と脚本は水戸の風土に土建屋的金権政治、それを暴こうとする正義にドリフ のコント、と内容けっこう真っ当。当時、幼き我に地元で松竹系の興行主であった家の息子Y君という親友あり。Y君の家がまさにこの映画撮影の招聘元ゆゑ撮 影ロケの詳細など詳しく連日、学校が終わると近所の住宅地の豪邸などでの撮影現場を覗きにいったことなど思い出す。

二月十七日(土)夜中に荷造り終えて三時前に寝て朝六時すぎ起床。中環からAirport Expressがほぼ満席、なんて98年の新空港開港から初めて。さすが旧正月の連休の初日(明日の日曜が元旦で今日の土曜が振替え休日)。空港のチェッ クインカウンターもかなりの混雑。CXのラウンジで簡単に朝食。ゲートが33であるのに「手前の」ラウンジに通されただけ朝から混雑、ということか。 CX520便で一路、成田。Bloody Maryと赤葡萄酒一杯、ハンガリーのデザートワイン。昼食供される間も座席の背を倒し熟睡の客がいて背後の席のオヤジが必要に「背を正せ」と抗議しても 応じず呆れたが、このオヤジも二列も後ろの姪っ子と大声で会話が五月蝿く、結局みんな自分勝手。機中、椹木野衣著『戦争と万博』途中まで読む。1970年 の大阪万博を通して、国策としての万博の意義、前衛芸術家の取り込み、満州からの経緯など読みごたえあり。磯崎新の建築論としても面白い。成田からバスで 二時間で晩六時すぎには実家へ。バスの車窓から眺めれば午後四時半というのに早々と雨戸〆た家々が寒々しく見える。厳寒のなか家の灯は温かいはずだが雨戸 という、本来は大雨から家を守るためのものが縁側の廊下を塞いでしまい家ぢたいが暗く見えてしまうのが日本の冬を寒々しく見せる。自宅で見たテレビの晩の ニュースは「明日の東京マラソン」ばかり。フジテレビなど都庁で都知事に会おう!と芸人ら都庁に赴き石原都知事を前に「今回の東京マラソンを見守ってくれ る石原都知事」と持ち上げる。フジ産経が都知事をよいしょするのも当然。芸人らなんら思考もなく石原ヨイショも宿命。それにしても都知事があそこまで憧れ のスターの如く扱われなければならぬとは。見事なマグロの赤身、鮟鱇のとも酢など食す。「エンタの王様」見て晩遅くスーパー銭湯に浴す。すぎむらしんいち 著の漫画『ディアスポリス 異邦警察』1巻読む。寒い。

弐月十六日(金)沙田に行ったついでに早晩、香港文化博物館で「相裡・鏡外」と題したクラシックカメラと写真展参観。この「相 裡・鏡外」という題一つとつても中文の見事、「カメラの内、レンズの外」の意、主にDavid Chan氏の膨大なカメラコレクションから選り抜きのクラシックカメラが国別、メーカー別に展示され、そのライカならライカ、ローライならローライ、ニコ ンならニコンのコーナーの壁には香港の著名な写真家のそのニコンならニコンで撮影された写真から選りすぐりの作品が大きくプリントされ展示。よく考えられ た展示はお見事。展示の最後に大旦那David Chan氏がカメラ人生やカメラの楽しみ、珍品コレクションなど語るかなり長いビデオ上映あり。氏の人柄やカメラへの愛情が実によく撮られている。沙田か らKCRに乗るとビジュアル系ロッカー風の青年ら少なからず。コ ンサートだか集いだかあるのか一斉に旺角で降車したが車内で化粧品取り出し口紅を塗ったりファ ンデーションの粉を叩いたり。それを「世も末」なんて言うまい。ローマも元禄もこんな時代だったかも、と思う。尖沙咀に出てペニンスラホテル。贈答用に、 と母に頼まれペニンスラのお茶の葉購入。バーに行くと客一人おらずひっそり。カウンターのいつもの角席。もう馴染みといってよかろうバーテンダー氏曰く旧 正月前の今ごろはいつもこんな閑と。ドライマティーニ弐杯。銅鑼湾。皇后飯店のベーカリーに妹に頼まれたヌガーを買いに寄るが銅鑼湾はヴィクトリア公園の 年宵市に行く輩で大混雑。帰宅してキムチ鍋。NHK映像ファイル「この人に会いたい」で 山田耕筰の回顧。本郷生まれという耕筰のまさに東都の粋な語りっぷり。遅くまで年末の雑事片づける。

弐月十五日(木)晩に灣仔でZ嬢と待ち合せ上海三六九飯店に 簡単に夕餉済ませ香港展覧会議中心にて開催の元ピンクフロイドのRoger Waters香港公演に向う。今回のツアーは十二日の上海に始まり香港、ムンバイ、ドバイ。中学1年であったかピンクフロイドの「狂気」初めて聴いて以 来、東京やフランクフルトでの公演をわずかな日程の都合つかず見逃し数十年を経てRoger Watersのソロであるがピンクフロイドの音楽を直 に聴く感慨。客 の入りは七分といったところ。ステージ前のS席と、客もよく知ったもので映像と音楽の結晶たるピンクフロイドであるし豚が飛ぶし、で最も安いB席のみが階 段席で会場全体が見渡せるとあっては、この席は当然、満席(余も此処)。定刻より少し遅れて会場に入るとステージ上にはスクリーンに大道具の実物か?と見 間違うほど精巧な映像で古めかしいラジオ、ウイスキーの瓶、ロックグラス、灰皿に紫煙たなびき……時々、画面に手が映りラジオのチューニングをいぢったり 酒を飲んだり煙草を吸ったり……ラジオからABBAのDancing Queenが流れると、その手がとたんにチューニングを回してジャズのスタンダードに変えたり、笑わせてもくれる。で、そのラジオからピンクフロイドの曲 のイントロが流れ始め20時30分ちょうどにステージ開幕。完ぺき。ピンクフロイドはShine on Your Crazy Diamondからコンサートが始まるもの、と皆が勝手にそう思っているのだが今回はThe WallからIn The Fleshで始まる。映像美も凄いがこの音響の悪いことでは定評のある会場で、というか香港でこんな音響の見事なコンサートは初。さすがこのチームの醍醐 味。途中、ピンクフロイド以降のRoger Watersのソロの曲が何曲か挿入され、客は我も含め「聴いたことがない曲ばかり」でちょっと退く感あり。Leaving Beirutという題だったか新曲だ、とRWが歌った曲は中近東の今日的な悲惨な状況を歌い上げ覇権国家の、とくに米国への強烈な抗議の歌詞に客席からも 大きな歓声が上がるが、あまりにストレートな物の言いぶりがピンクフロイドの哲学的で抽象的な世界からはかなり隔たりあり。途中休憩が入るのもロックのコ ンサートでは珍しいと思おうがRW本人も客層もみんなオジサン、オバサンであるし……。後半は聞きなれたピンクフロイドの曲がライブの定石の順番通りに演 奏される。もはや変えそうがない程に出来上がった世界。映像も。数十年前からの曲を聴きながら様々なことが記憶から蘇る。中学生の時にThe Wallを学校で流したこと。ただ「ロック音楽」ということで学校でロックを流すことがいいかどうか?と怒られる。教師の誰もが(英語教師までが)このア ルバムの歌詞の意を解せず。また、先帝崩御の御時に豪州のPerthに一ヶ月余滞在。ちょうどDelicate Sound of Thunderのライブ盤が発売となり、これを得て、晩に満点の星空、Perth郊外のフリーウェイを飛ばす。キメていたわけではないが、そのまま空に舞 い上がりそうな気分。一曲一曲にさまざまな記憶。コンビニで買って持ち込んだWhite Horseのポケット瓶がコンサート終わるまでにすっかり空になってしまった心地よい酔い。DVDであるとかCDのライブ盤で見た通り、聴いた通りに「な ぞられる」のを確かめているようなコンサートに(実際のコンサートが初めてでも)多少、食傷気味であるのは事実。たとえばクラシックでピアノならツィメル マンであれば、彼が若いころから老いるに従い同じ曲がどう解釈が積まれ円熟してゆくか、枯れてゆくか、に楽しみあり。歌右衛門、然り。アンコールもキーシ ンを乗せればどれだけアンコールで何の曲が飛び出すか、で沸く。が今晩の場合、どの曲が本編の最後で、豚がいつ宙を舞い、アンコールがどう始まり、あ、こ の曲が最後、と客もわかっているから、アンコールで最後の曲が終わると場内が暗いうちから客がさっさと席を離れるのも、ちょっと悲しいものあり。だが、総 じて、この世界が21世紀のこの時代まで、ちゃんとミュージシャンとその呼応者たちによって信じられ続けていることは、まだ世の中の救い、と考えたい、と 思う。
▼歌舞伎の中村扇雀が今週末の東京マラソンのフルに参加の由。

二月十四日(水)昼にJardine's Lookoutの益新美食館で 点心を食す。本日は
ア ジアにて異教徒に盛んな聖ヴァランタインの日。余は御仏に仕える身、ローマ帝政時代に遡る269年にロー マ皇帝の迫害下で殉教せし聖ヴァレンティヌスに因む祝祭に関わる事情もなし。だが市井は聖ヴァランタイン日の賑わい。MTRの中環站ではハローキティー ちゃん立ち合いでハローキティロマンスウェディング挙行され政府の合法化で婚姻註册も能う。好景気にこの「祝祭」の日の花束は軒並み15〜20%の値上げ だが売上げも昨年の三割増しの由。男友からの花束が職場に届くのが香港の女性にとって最大の誇り。花屋が届けるよか仕事休んででも男友本人が届ければ幸 甚。今朝はKCR西鉄道の大帽山トンネル内では列車パンタグラフ燃えて乗客緊急避難となったが(幸い死傷者なし)この列車にもわざわざ休暇とって元朗から 九龍まで彼女の仕事場まで薔薇の花99本(九九は発音が「久久」で永遠に、の意、時価総額HK$1,000なり)届けようした男性が不運にもこの事故に巻 き込まれ薔薇の花束抱えたままトンネルから脱出し緊急輸送用バスに乗り換え数時間かけ無事に花束を届けた由(以上、蘋果日報記事)。本日、携帯電話をNokia6300に取り換 え。「携帯電話にデジタルカメラがついていることは根本的に間違っている」という信念から、これまでデジタルカメラ機能なき携帯を使ってきたが、前回もカメラ機能のない携帯でNokiaで は6021というかなり ダサい機種以外に選択の余地なし。今回は2000番台の廉価機除き「デジカメ機能なし」が存在せぬ状況、で内心忸怩たるものありつつ6300に。デジカメ 機能は200万画素も凄いがホワイトバランスから露出補正まで備わっており驚愕。白黒モードもなかなか。だが「携帯電話にデジタルカメラがついていること は根本的に間違っている」のであり、だいたい携帯を手にした時に指がちょうど当たる位置にレンズがあり必然的にレンズが汚れる、なんてことが許せぬ。晩に 帰宅し灣仔碼頭餃子たくさん茹でて食す。
▼今週日曜日開催の東京マラソン。東京のシティマラソンは79年の東京女子から。81年の男子の東京国際マラソン始まる際に大規模市民マラソン構想も浮上 したが警視庁から警備上参加者は100人規模にという要請などあり制限時間厳しい、謂わばプロ級に限定。市民マラソンは今年111回目のボストンのほか世 界各地で開催されるが紐育ですら71年に127人参加が最初(ちなみに香港マラソンも97年の第1回は千人規模)。日本国内最大規模は沖縄のNAHAマラ ソンで前回は21,000人が参加。それが今回の東京マラソンはこれまでの実績なく関係者の間でも「まだ取組みが甘い」と声もあり主催事務局の幹部も「運 営がスムーズにいき、都民にも受け入れられるには最低でも5年はかかる」と(朝日)。だが那覇を超える規模での実施は日本陸連幹部によれば「我々も背伸び しているのはわかっている。とにかく石原知事の大号令で3万人、7時間でやろうということになった」由。
▼岩波『世界』三月号に台北在住の本田善彦氏が中国の中央電視台(CCTV)の大型ドキュメンタリー「大国崛起」に ついて興趣深い分析を掲載。中国でこのような大国の歴史など関心もたれたことが、これまでの帝国主義と植民地支配という史観から離れ、近代国家の資本主義 制度における競走力と権力のバランス、良性の社会構造、法治の尊重などへ関心が移っただけでも興趣深いところ。中国じたいに大国意識、覇権意識でもあり。 欧米列強の大国化と並び合わせ日本の明治の近代化を取り上げただけでも中国にとってエポック。番組なかで
(伊藤博文的な)近代化と天皇制を含む伝統との融合図った明治維新 は事実上、1890年くらい迄で終わっており、1889年の日本帝国憲法の公布と90年の帝国議会召集は(これが「何事もこのへんが始まり」の明治20年 代なのだが)日本の大国化に際して対外拡張、対内高圧な軍国主義路線を摂る上での基礎になった。(中国社会科学院日本研究所の蒋立峰所長)
戦後日本には明治維新以降に築かれた下地である科学・技術・人 材……すなわちソフトパワーが残った。それが日本が戦後に復興を遂げる上での基礎となった。平和憲法の枠組みのもと、明治維新で培われた基礎が作用を発揮 した。(同研究所の金煕徳研究員)
などと分析している由。ただ、この見方に対しても中山大学哲学系の袁偉時教授(この人による中国の歴史教科書批判の論文が掲載され『氷点週刊』が06年1 月に停刊処分)は『亜州週刊』の取材に対して
国家の興亡盛衰を決するのは指導者ではなく、制度の選択だ。ロシア が民主法治制度を選択しなかったのは根本的な誤りだった。日本も同様だ。同番組では日本が各方面で西洋の先進的な経験を学んだと描いている。しかし日本が 政治制度の面で近代化せず、西洋の民主自由制度を真に学ばなかったこと、そして専制制度が軍国主義に結びつき、戦争発動の基礎となった点を、同番組は回避 している。また総括の部分で、国家が長期的に安定する上でのキーポイント……民主制度、憲政と私有財産と自由の保護の重要性にも触れていない。
と指摘。御意。

二月十三日(火)晴。朦霧ひどし。客人あり午後、空港へ。昨日もいた記憶。客を一旦ホテルに送り中環に客を連れFCCで一飲。お客が中環で束の間のショッ ピング楽しむ間に独りちょっと飲もうか、とMandarin Oriental HotelのChinnery Barに向うが恐ろしい混みようで怖じ気づきJimmy's Kitchenへ。中 環のこの店は余の印象悪くかなり久々で改装後は無論初めて。バーもけして新しく奇を衒わず昔ながらの落ち着きあり。相変わらず苦手な彼の国の黒服マネー ジャーおり。この店、今晩だけで黒服のマネージャーが五人おり、その他に給仕が五、六人いるのだから、よくこんなに人を雇えるものだ、と他人事ながら首を 傾げる。どう考えても黒服のマネージャー五人は要るまい。縁故採用とかなのかしら。常連の客にだけはばかに丁重(慇懃無礼にも見られるが)。午後の七時に バーには我一人で嬉しくなる。お客人と待ち合せWatson's Wine Cellarで豪州はPenfoldsのBin 389 Cabernet Shiraz 2002年(こちら)を一 本購い鏞記酒家。鏞記は懇意なるA嬢の安排でさっと席に通さ れ料理もメニューを見ることもなくA嬢とのやりとりで決まってゆく。葡萄酒を試飲してちょっと「このままでいいかしら」と思っていたら黒服氏が「デキャン タ、要ります?」と気をきかしてくれるし、デザートの甘味からお土産に、と年糕まで頂きまことに嬉しいかぎり。こういうサービスが永年に渡り客を惹きつけ ているのだろう、と納得。旧正月も(最近の流儀にとらわれず)きちんと三が日は休むというのも立派。店で三日の休みが貰え深圳に住まう両親のもとで過せる のが本当に嬉しい、とA嬢。客人をトラムで湾仔のホテルに送り、独り銅鑼湾のバー Sに三十分だけ腰かけ帰宅。

二月十二日(月)ホテルでのんびり過そうかと思ったが何となくカメラもって空港ターミナルを歩く。空港の中は知ったつもりだが建物の外回りは歩くのは初め て。こちらの空 港ターミナル地図の正面向って右にホテルがあり、そこからターミナルの向って右翼から歩き始める。ターミナルは向って左翼(地図上では南)からが市街から の進入路となり必然的にそちらが表の顔。ホテルリムジンとかの駐車場もそちら。で反対の右翼側はターミナル外に何があるか、というと往内地巴士站、つまり 中国国内への直行バス乗り場。これが日陰の存在なのは果たして偶然なのかどうか。空港内の禁煙措置で空港や航空会社職員らが非常口を勝手に開けて外に出て 一服。かなりの非常口が開けっぱなしで警戒上問題ないのか、と訝しい。エアポートバスで香港島に戻る。石塘咀でバス降りて茶餐庁で昼飯済ませ中環。 Colorsixで写真現像受取り。一旦帰宅。夕 方、按摩。昏時ヴィクトリア公園で始まった年末花市を眺める。
中 国民主化の支聯會の出店で司徒華先生揮毫の揮春を十枚ほどいただきHK$100カンパ。晩に今月に入り三度?で「利休」。今週末(旧正月晦日)で利休閉業のため今宵が本当に最後か。バ ンコクから来港の関西人Y氏とすき焼。バーYに一飲。Y氏の話では空港は全面禁煙のはずが(実際に到着ホールなどの喫煙室なども撤去)搭乗口に近いコン コースの喫煙所はまだ残っている由。さすがにトランジット客の一服は許す措置だろうか。トイレなどで喫煙されるより分煙は大いに結構だが。
▼ピンクフロイドのRoger Watersの香港公演(今週木曜)について反響がイマイチらしく最近になって新聞広告盛んだが(広告が信報に掲載、というのも「いかにも」当時の若者が 財経系のオヤジになっている、というところを狙っていて可笑しいが)、ついにオリジナルの広告に旧正月ひかえ揮春で「猪年睇猪飛」と(笑)。確かにピンク フロイドでは豚が空を飛ぶが、これを亥年と掛けてしまうとは。「亥年に豚が空を飛ぶのを見ましょう」とはまさにプログレ……。
▼数日前に九龍で市街視察(という名の選挙運動)の「自称政治家」Sir Donald君が行政長官専用車より降りると視察先の施設入口に最低賃金改善など求める市民労働運動の抗議団体あり。警察が抑制にあたるがデモ参加者の一 人が抗議エリアの鉄柵を越えSir Donaldのほうに近寄ったため行政長官警備にあたる警察のG4らも抑制に当たる。その時、G4のもったピストルが地面に落ちたが警察側はそれに気づか ず周囲で見ていた市民の「おい、ピストルが落ちたぞ」の指摘に慌てて警察はピストルと外れた弾丸を探す間抜けぶり。たかだか市街視察で警護にあたるG4が 拳銃まで装備しているのは、常に「行政長官を狙ったテロ攻撃」?に備える想定内、なの鴨しれぬが、ちょっとしたダッシュでホルダーから外れるほどの拳銃の 装備というのは粗忽。さらに怖いのは、たかだか市民の「最低賃金改善」といった要求で抗議者の一人が鉄柵から出てきた程度で丸腰の警官ならまだしも要人警 護のG4が飛び出して制御にあたろうとした、この警備の過剰の異常さ。テロのブーム(テロぢたいでなくテロの存在の託つけたテロ恐怖感情)がいかに浸透し てるか、とまざまざと見せられた思い。

二月十一日(日)曇。朝五時半起きで昨日ピアノ発表会終えたK氏に
六時半に北角で拾ってもらい新界の屯門に近い大欖。AVOHK主催のThe Reservoir Series(年に三回、香港各地のダム周辺走る)あり大欖での15kmのこのレースに参加。毎 年もう5年くらい申し込みはしているが参加は初めて。かな りアップダウンありMacLehose TrailのSection10と重なる、入り組んだダム湖水沿いは延々と殺風景な風景が変わらず精神的にもつらい。1時間40分台でいつものようにのん びりと走る。終わってK氏の車で北角まで送ってもらい帰宅。Z嬢と天后のPoppy'sで 昼食。天后からE11の路線バスで70分かけて香港国際空港。A11のバスだと空港直通なのだがE11だと東涌の団地から空港島に渡ると貨物ターミナルや 機内食工場、航空便郵便局や空港警察などぐるぐるまわり社会見学に良し。Regal Airport Hotelに投宿。無料宿泊券入手して旧正月前まで有効。無料宿泊券でもホテルでせめて食事でもしてくれれば儲けもあろうが今回は夕食、朝食つき。すべて 無料だが「家宝塔を買ってください」とでも言われるのでは?とZ嬢。サウナに一浴。自宅から持参の三鞭酒、Lansonの黒を飲む。ビュッフェの夕食。ロ ビーでなんども拍手喝采が起き曲芸でもやっているのか、と思えばどこかの会社か怪しい大学のMBAか「自己開発セミナー」修了らしくロビーで一人一人が自 分の得たことだか感想だか宣誓を発表。これに呼応して参加者が「うぉーっ!」と歓声を上げる。集団催眠の如し。
▼SARS疫禍の年として永く記憶されよう2003年の秋に疫禍にてすっかり意気消沈の香港をば盛り上げむと所謂、外タレ招きTamarの屋外特設ステー ジで連日の如く開催されしHarbour Festは政府予算HK$100m注ぎ込んで客足延びずの大失敗。政府が在港米国商工会議所会頭のJames Thompsonに丸投げで、米国の歌舞音曲の芸人ら招聘のギャラに我らが血税が消える。この香港開闢以来の馬鹿馬鹿しい催事の政府側責任者がMike Rowseなる無能なる英国系官吏。香港政府では公開投資推廣署 (InvestHK)という何だかよくわからぬ香港への投資拡大推進図る、という部署の署長職に落ち着き禄を貪る。数百の市民が命落とした SARSの疫禍からの復興に、と米国から外タレ呼ぶ世紀のおバカ企画での公金浪費に非難多し。でようやく今になりMike Rowseの責任と処罰につき政府が重い腰を上げ審査行い、結果、Mike Rowseに対して個人の責任問いHK$156,600の罰金を科す結論。Mike Rowseはこれを不服として司法再審査を要求の由。本来であれば懲戒免職、せめて公金HK$100mの1割、HK$10m(1.5億円)くらい本人から 罰金支払わせ当然と思えるがMike Rowseの場合、なにせ97年の香港返還にあたり英国籍を捨て中国籍となり香港政府に高官として残る道を選び行政長官の「自称政治家」Sir Donaldにとっても彼の行政長官就任に日向に陰にと尽力の有志にて今更更迭もできず、で雀の涙の如き罰金か。
▼バラック小浜君、正式に米国総統選挙に立候補。思えば二年前だかgoogleで「バラック オバマ」と検索せいばわずか3、4件のみ該当、のうちの2件 が余の記述。彼のイリノイ州での上院議員選出の前から彼を応援する者として彼の米国総統選への立候補は喜ばしきことなれど果たして米国が彼を大統領に出来 るかどうか。次の総統選で民主党の勝ちはほぼ間違いないことで民主党にはヒラリー=クリントン、バラック小浜など近年になく「勝てる候補者」揃い英エコノ ミスト誌は今回はヒラリーで1期で小浜に禅譲というような憶測もあり。

二月十日(土)曇。朝で気温摂氏21度、湿度90%、昼の最高気温摂氏25度の予報にうんざり。知人のピアノ教室の発表会あり。いぜん飲んだ席でランナー K氏が「幼い頃はピアノを習って」と言うので「それなら一緒に出ましょうよ」と唆しておいてあたしは「練習不足」とさっさと辞退。K氏は昨年末より練習し てバッハの平均律1番プレリュード弾いたから立派。市 大会堂から見下ろすとすでにスターフェリーの旧波止場はすっかり取り壊され跡形もなし。どこかディズニーランドのような新しい波止場が遠くに。昼に中環の黄枝記に咖喱牛腩麺食す。午後九龍で薮用済ませ晩に或る宴会あり香港日 本人倶楽部での末席を汚す。ふと気になり香港の地元のカメラ雑誌を三冊購入して今日の慌ただしい移動中に眺める。先月下旬、市中央図書館で「黒白情懐」と 題して香港の写真家の撮った風土に関わる白黒だけの写真展あり全く知らず。そういった情報も専門誌読めば知ったのに、と思った次第。三誌の中ではやはり老 舗の『撮影世界』が秀逸。路上に面しておらぬカメラ専門店や深水埗などいくつも知らぬカメラ専門店があることを知る。知らないほうが懐的には安全なのだ が。

二月九日(金)曇のち晴。大潭を10kmほど走る。雲が絶えると強い陽光。冬とはとても思えず。赤柱の海岸。海がいつになく透き通る青さ。大 西巨人の『迷宮』を読む。左翼としての思想的遍路もなく文学にとって論争のわかもわからぬ我とっては『迷宮』は正直言って面白みもわからず。大西巨人の記 述も『神聖喜劇』の時はそれが一つとして削除できぬ重要の詳細に渡るものなれど、この作品では登場人物の肩書きや新幹線の何時発ひかり何号の指定席が何号 車の何番であったか、だの実在しないレストランの名前だの、が推理小説の重要な手がかりになるわけでもなければ、これがいったい詳細まで明記されることで 何の意味があるのか、実験小説と済ませられず、ちょっと読み進むに抵抗あり。一旦帰宅して早晩、北角。晩に天后の利休でS氏、仙台の頃から二十年来の知己となったU氏と会食。あと一週 間ほどで閉業の利休は恐ろしいほどの盛況なり。

二月八日(木)晴。猛暑。木曜朝恒例の安倍内閣メールマガジンは昨年暮のTMやらせから安倍三世は不祥事には一切何も語らずで通したが流石に先週は厚相柳 澤某の失言に一切触れずで通したことは顰蹙かったようで今朝は冒頭から
こんにちは、安倍晋三です。柳澤厚生労働大臣の発言について、先週 号のメールマガジンに、たくさんのご批判メールをいただきました。極めて不適切な発言であり、私からも深くお詫びいたします。柳澤大臣には、反省の上に 立って、国民の気持ちを常に考えながら、厚生労働行政、また少子化対策に対して取り組んでもらいたいと考えています。
とテレビのマスコミ取材と同じ通り一辺倒ではあるが安倍内閣発足以来初めて不祥事に言及し謝罪。「たくさんのご批判メール」と言うくらいだから膨大な批判 メールが届いたか。興味深きは柳澤某への批判なのかメールで一切それに触れぬ安倍三世本人への非難なのか。夏の如し。地球はあと何年もつのかしら。
▼マカオの昨年のカジノ収入がラスベガス超えた由。実に年間550億パタカ(約70億ドル)で01年に比べ3倍。当時300万人であった中国大陸からの観 光客が06年は約1.2千万人。Sandsの大型ホテルカジノ、ニューリスボア、今後グランドハイアットなど進出続き更にカジノ進出ラッシュ。あたし自身 はカジノに縁遠く昨年だったか初めてカジノに足を踏み入れ、ただただ賭場の雰囲気に怖いもの感じたが、どう見ても大陸からの「最低賭金HK $10,000」なんてテーブルで遊んでいる客の強気の勝負からして「どこまで自腹のカネか」疑わしい。スロットであるとかルーレットなんて「たるい」遊 びが閑古鳥、大小なんて素人相手でポーカー、とくにバカラが人気。而も掛け金の高い卓ほど人が集まる。軍資金供与の接待程度ならいいが公金横流しなどない のかしら。身銭でなければ遊ぶのも気軽。これがマカオがラスベガスを超える一つの要因ではないかしら。マカオのカジノとは直接関係のない話だが中国共産党 が党幹部党員に対して汚職摘発の一環として夫婦の結婚生活について離婚や別居の有無(汚職で家族を先に海外に逃亡させたることに関連か)報告義務づけ、不 倫まで摘発の由。なにが為人民服務の共産主義かと嗤うばかり。
▼一昨日の信報で兪剣鴻氏が最近の李登輝先生の「わたしゃ台湾独立なんて言っておらぬ」発言を見事に分析。西欧的な思考が「原因あっての結果」発想なのに 対して中国は強いて言えば弁証法的、として、李登輝の発言を「独台と台独」という観点から見ると、まさに兪氏の言う通り李登輝発言は、「台湾独立の必要 性」と「すでに独立した主権国家体としての台湾」という言葉尻で見ると両極論のようでいて、結局、目ざすところは中庸としての「台湾の主体意識の高揚」。 それが目標の李登輝先生にとっては「台湾独立」を叫ぶことでも「すでに実体としての主権国家」の認識のどちらでもいいのであり、バランスゲームで自らは常 に安全地帯から物申す老獪さ、と。うーん、まさに平幹二朗演じる後白河法皇である。今あたしがいちばん気になるのは、この李登輝センセの老獪なる政治家ぶ りを蒋経国先帝が何処までわかっていての農学者・李登輝の登用であったのか、ということ。

二月七日(水)朝日新聞の生活面の「わが家のミカタ」なる記事で家づくりを建築家とともに楽しむという内容で建築家・大島健二氏によるN兄の能舞台のある家「雙徽第」が取り上げられている ではないか。一度、久が原のT君とお邪魔したが、まさに施主と建築家の見事な合作。じつはこの雙徽第が建つ前の古い屋敷だった頃、先帝崩御のあと平成に なってすぐの頃だが、旧家に居候させていただいた時期あり。シ アトル出身で日本舞踊を学ぶJ君、余、そして夏には伊太利からN兄の知人で大野一雄先生のワークショップに舞踏学びにきたP君とL嬢で、夜な夜な文化論な ど語り合った懐かしい日々。早晩に歯科治療。台湾大学歯学部出のT歯科医は心なしか誤解なのだが「台湾大学で中国語を学んだ」余に殊更愛想よし。申し訳な いが今更「台大では学んでおりません」ともいえず。治療費も相場より廉価なのだが同窓割引も含み、だろうか。奥歯の治療で麻酔が残っていたがジムのトレッ ドミルで5kmほど走る。ラ ンニングには支障ないが途中で水を飲んだらボケ老人のように口からでれでれと水がこぼれる。今晩のNHKのNW9は昨晩に続き静岡の稲取温泉の観光事務所 だかの事務局長を全国から一般公募、の続報。こんなの報道するヒマがあるのなら、もっと政治などメスを入れるべきだが……NHKにはそれができず。中井英 夫の『見知らぬ旗』を読む。東大生であった中井本人の戦時中の市ケ谷参謀本部に勤務させられた日々の回想小説(70年に『海』に連載)。我々の勝手に知る (想像にすぎない)戦時中とは全くことなる中井英夫の語る当時が実に興味深い。
▼丸谷才一氏が朝日新聞の「袖のボタン」の連載で一月に「戦後評価」と安倍三世の「美しい国」への非難、書いたのを読んだが、昨日だったかもまた今度は 「敬語」について「敬語は日本独特のもので、他の国にはないと思っている人がいる」という書き出しで文化審議会国語分科会の「敬語の指針」を読んだ丸谷先 生曰く
敬語を普遍的な人間文化のなかに位置づける見方がない。(略)敬語 を日本独特のものとして尊重したい気持で文科相が諮問し、そのほのかな(?)ナショナリズムの線にそって分科会が答申した気配があるように見える。もちろ ん日本語の敬語は英語のそれにくらべて遥かに複雑で厄介である。敬語は言語による待遇表現なのだが、これが日本では、長幼の序や身分の上下を重んじる気 風、儒教や封建制度や天皇制や内と外の区別のせいで、度が過ぎる煩雑なものになった。過剰を規制する機能主義的な精神は幅をきかせなかった。
と。敬語を日本独特の思いやりの言葉や奥ゆかしさととらず。「敬語が複雑にならなければならなかった」日本の風土。
▼窃盗で逮捕された埼玉在住の20歳の男性が借金取りから逃げる家庭の事情で生まれてから出生届も出されず戸籍もないまま義務教育も受けずに20年生きて きた、という報道あり(6日の朝日)。不幸というのは簡単だが、これの発覚に対して母が「自分たちでやれるところまでやってきた。そっとしておいてほし い」という言葉が耳に残る。捜査員の「きちんと学校に通っていれば、こんな事件は起きなかったかもしれない」という一言。こういう常識的な言葉、感想…… の怖さ。一般的良識として否定できないようでいて「学校に通っても窃盗犯になる人もいる」。
▼昨日の信報でWilliam鄧智達君が彼の故郷である「新界」について書いている。今月朔日の新聞で、一月末に新界で大型トレーラーの車輪に頭を巻き込 まれ死亡した12歳の少年の、その祖母が泣き崩れる写真を見たWilliam鄧君が、広大な農村地帯であった新界が「発展」したことで今では貨物の集積基 地となり大型トレーラーが爆走する現実を嘆く。William鄧君の入稿は紙面搭載の数日前のはずだが折しも昨日、今日の新聞には、その新界で天水圍の新 興住宅地Fairview Parkの住民等が付近を走る大型トレーラーの走行止めさせようと路上で通行止めの実力行使。住民に利がありそうだが付近の村の集落にしてみれば大型ト レーラーが幹線道路通れず、では付近の村落に近い迂回路に入り込むこと必至で「新住民が何を勝手なこと言いなさる!」と抗議。元凶は不法な貨物集積場の存 在に無策の政府政策なのだが。世界一の扱い量誇る香港の海運ターミナル、コンテナを泊めると当然、その料金が嵩む。そこで新界のあちこちに不法で貨物集積 場が点在、ここから幹線道路で結ばれたターミナルにタイミングよくコンテナ運送。地元のWilliam鄧君曰く、私有地を営業用の駐車場にするだけでも無 許可では批准されぬのに貨物集積場など言語道断だが最近では空きコンテナに水道や電気まで引張り仮住まいする輩まで現われた由。まさに荒涼。


二月六日(火)かなり暖か。旧正月を前に春の訪れか、と喜ぶよりも地球温暖化か、と深刻。人に比べかなり寒がりだが老いの 所為もありこの冬は厚着。それでも今日はセーターを脱ぎチョッキとなり薄手のコートも朝、着ては出たが汗ばむほどの陽気にコートも羽織っておれず。香港で は日本から植樹の桜がもう咲く。早晩にジムに急ぐ途中、湾仔春園街の楊春雷に 通ればいつも涼茶服すが「1ドル足りないよ」と言われ今月朔日よりHK$1値上げの由。好景気でインフレか。ジムで百年ぶりに一時間の筋力運動。手帖捲る と実に昨年十月朔日以来。体調どうにか復旧。喉痛もなく、つい調子に乗りトレッドミルで5kmだけ走る。走りながらモニタで晩のニュースを眺めると、 ニュース番組の前にお決まりの国歌(義勇軍行進曲)の演奏あり。起来! 不願做奴隷的人們!「起て! 奴隷となることを望まぬ人々よ!」って原意は封建主義的搾取、帝国主義的侵略への抵抗なのだが、ふと思ったのだが一党独裁の自由も制約される国家だと、ま るで現行の国家権力に対して「立ち上がれ!」と聞こえなくもなし。そういう意味では革命歌は「君が代」などに比べると面白い。帰宅してドライマティーニ。 豚汁と紅豆の炊込みご飯で菊正宗。食後にジャックダニエル。酒の量からすれば体調が戻る。晩のNHKのNW9見ておれば柳沢厚相がまた失言、と柳沢某の 「若い人たちは結婚したい、子供を2人以上持ちたいという(希望を持つ)きわめて健全な状況にいる」を番組冒頭で取り上げるが司会の会津の男柳沢君は(厚 相と同性の誼みか)「波紋を投げかけています」と一言、で次のニュース。でこの番組の特徴で、詐欺だ殺人だ、の社会事件はながながと取上げる。日本の ニュースのこのテの報道で面白いのは「怖いですね」「心配で街中も歩けません」といった「市民の声」いくつも流すこと。詐欺事件や飛び込み自殺などいくら 報道しても詐欺は減らぬし(寧ろ報道すれば報道するほど増えるか)、「怖いですね」なんて市民の声は流して流さなくても一緒。学習院大学の近くで「暴力団 の抗争か、また流れ弾が建物に」など付近の小学校では集団下校、は不安だろうが「もし学習院に通う宮様にもしものことがあったら」所轄の警察署はどう対応 するのでしょうか?、でも取り上げるのでなければ、本当の意味では面白くない。柳沢失言は「波紋を投げかけ」の一言なのに柳沢キャスターは社会事件となる と「本当にこんな悲劇が繰り返されることに……」だの感情的に多言になるのは言う迄もなし。六カ国協議について来日中のアメリカのハル国務次官補に「私 が」インタビューしました、の一言に思わず笑う。その「私が」強調したインタビューだが英語でハル国務次官補に問い掛けこそするものの全く会話になってお らぬブツ切り。明後日だかからは「私が北京に乗り込み中継で……」と、この人、必要以上に「私が」「私が」と、まるで佐々淳行。NW9のあとテレビを消す のを忘れると火曜日が怖いのはNHK歌謡コンサートが始まってしまい思い切り演歌の世界。前川清の「東京砂漠」である。Aメロの暗さ、がキョービの大都会 のなかで独り寂しさ、なのだが有名な強引なサビの(って、この曲ほどAメロとサビの流れの悪い曲も珍しい)
あなたの傍で ああ 暮らせるならば つらくはないわ この東京砂漠 あなたがいれば ああ うつむかないで 歩いていける この東京砂漠
という歌詞を、「あなた」を「石原慎太郎」だと思って聞く。

二月五日(月)湾仔鵝頸橋で諸用すませ早晩に久々にバーY。 ハイボールで喉を潤してからドライマティーニ。Z嬢と銅鑼湾で 待ち合せ。簡 単に夕餉、という話となったが銅鑼湾で食す機会は我々の場合、極端に少なく、せいぜいバンコクからY氏が来ると時々「いろり」、ランニングの打ち上げで韓 国料理の郷村に行くくらいで、積極的に自分から銅鑼湾で食す、という意志がない。須臾、路頭に迷うが二人して体調不十分ということで「郷村で参鶏湯」ということに。滋養にはいい選択だった。そごうの珍しく Pradaで靴など見て思ったのだが、たかだかズックがHK$2,800もする。高級品だがベトナム製というのが気になる。ベトナム製に偏見がなくても (製品の質が良ければ何処製でもいいのだが)ベトナムの人件費が安いのは事実。ならば価格が安くてもいいはずだがPradaであるからズックでもHK $2,800でないといけない、の鴨。で、隣の革製の靴、は見るからに高そうで而も伊太利製。だから「高い」と最初からわかって値段を見ると、こちらが HK$3,400である。伊太利製の高級牛皮の靴とベトナム製のズックの価格差がHK $500というのが、よくわからない。靴の素材と人件費の格差を考えると価格差はもっとあるはずなのだが……。結局、ブランド品の値づけなどいい加減なも の、か。
▼香港の映画雑誌『電影双周刊』が一月末に創刊から28年、724号を以て休刊(事実上の廃刊)。香港映画の斜陽、ネットなど芸能情報の氾濫のなかで赤字 続きで今日まで発行継続したことがむしろ驚き。この十数年で何度かパラパラと捲ったことあるが買ったことなし。キネマ旬報のような評論誌とするには港産映 画は娯楽作品画多く映画評読むマーケットもなく、この雑誌も商業映画紹介中心で香港映画祭であるとか香港電影資料館とのタイアップなどもなかったもの(と 思う)。

二月四日(日)喉の痛みもどうにか峠を越してあとは養生するばかり。声はガラガラのままだが。午後に西湾河の某マンション のクラブハウスのピアノ室でK氏がピアノ練習。ちょっと現場に伺ってから一人、二記に昼飯。午後、香港電影資料館で石堅(1913〜)の出演映画特集 「點 止奸人咁簡單−石堅」のうち『玉 女親情』(1967年、莫康時監督)を看る。『假千金』という題もあり。石堅演じる富豪の老人は最愛の孫娘失踪し失意のどん底。老 人の縁戚の若者(呂奇)は、その孫娘に瓜二つの娘を見つけ老人家に送り込み……という物語で主演の少女役が蕭芳芳。今では社会慈善事業に積極的な蕭芳芳の 若い頃のまぁ可愛らしいこと。それにしても笑いを堪えるのが苦しかったのは、「金持ちのぼん」役の呂奇。その仕草から声の調子が、見事に映画『92黒玫瑰 対黒玫瑰』で梁家輝(役名=呂奇)が真似した通り(真似された本人なのだから当たり前なのだが……梁家輝が凄い、ということか)。この『92黒玫瑰対黒玫 瑰』のもとになっている『黒玫瑰』シリーズの映画を見ていないのが残念だが、この『假千金』の呂奇もしっかり梁家輝が真似する呂奇のまま、なのであった。 最近あまりやっていない競馬だが、本日の競馬は百 年記念短途盃(The Centenary Sprint Cup)でSilent Witnessが引退。映 画終わって結果を知る。一番人気はAbsolute ChampionでSilent Witnessは前晩オッズ7.8倍で三番人気。あたしは同オッズ6.5倍で二番人気のScintillationに強気の単勝、さらに Scintillationを軸にAbsolute Champion、同16倍とどうして人気薄なの?とPlanet Ruler、Regency Horseの三頭に流して三連単。Scintillationが一着でHK$36.5、Absolute Champion、Planet Rulerと見事に入って三連単はHK$672と見事な的中。でSilent Witnessは10頭立ての9着と奮わず。Silent Witnessの全盛の17連勝の頃に「今度こそ負けるのでは?」に期待してずっと裏切られた?が余力なく引退の時にSilent Witnessを外してレース当てても嬉しくもない。結局、Silent Witnessの最 後の勝利は05年10月の中山競馬場でのスプリンターズステークス。この年の5月にChampions MileでBullish Luckに負けて18連勝阻まれたのだが世界ランキングでも1位の短距離馬が5歳でスプリント戦では近い将来に限界か?と思われていたにせよスプリントで 負け無しの15連勝馬が1200m、1400mと確かに16勝目、17勝目と距離を延ばしても強さ見せつけたからといって18勝目にマイル競走を選んだの は明らかに間違い。勿論、これだけの名馬であるから重賞レースに出るべきだと思えばスプリントの先はマイルなのだが……。このレースにはコスモバルクも日 本から参戦。Silent Witnessがハナをとってレース引っ張ったのを同厩舎のBullish Luckがゴール直前で刺してSilent Witnessの18連勝の夢を打ち砕いた。レース後のA S Cruz調教師のあんな狼狽した顔を後にも先にも見たことなし。久々の競馬で単勝と三連単きちんと的中すればやはり嬉しい。電影資料館から ハーバー沿いを太古城まで歩きジャスコで刺身購い帰宅(競馬の配当があったので刺身を買ったわけぢゃないのだが)。
▼蘋果日報の日曜日の社説がわりの陶傑氏による「星期天休息」で宣伝コピーの音韻や記号論的な面白さ(例えば“My Goodness, my Guinness”や“Don't just book it, Thomas Cook it”など)を十分に語ったあとで本題の香港行政長官選挙でのSir Donaldの選挙コピーについて。英語の“I'll get the job done”は英語のコピーの最初の一言で最も多いのは You であり We であり World であり、I というのはあまりいただけぬ、また短いコピーで冠詞もできるだけ削るべき、としつつ job という英語的には単なる「仕事」でなく「社会的使命」を感じさせる言葉はそれはそれでいいのだが、それが中国語だと「我會做好呢份工」で、この「打工」的 な響きは社会的使命の job とは相異なり「我dei呢班打工仔、一生一世為錢幣做奴隷」と云わば「日銭稼ぎ」的な響きでとても特別行政区の首長としての権威もあるまい、と。御意。

二月三日(土)晴。銅鑼湾の地下鉄站に「自称政治家」Sir Donald君の選挙広告あり。「我會做好呢份工」もいいが中環などにも巨大なビルボードまで出現した由。選 挙の資金力だけでもSir Donald君自身の力量を超えている。広告看板に「1967年1月3日 二級行政主任」とあるのは、中学予科を終え一年だか二年だか医薬品のセールスに 従事したSir Donald君がこの67年1月に政府の二級行政主任(中級公務員試験合格レベル)で香港政庁に召し抱えられたこと。それが本人の才覚と努力の結果だろう が政務官レベルに引き上げられ小役人があれよ、あれよという間に香港政庁の高級官僚となり棚牡丹で行政長官にまで成り上がった「香港の奇跡」。この季節、 天気がいいと朝など思わぬ方向からの陽射しが街中に面白い光と影を投影。ビルが建てられたり壊されたりで見慣れた市街に突然、見たこともない光の空間が現 われたり、金 色や銀色の鏡張りのビルに反射した光が暗い日陰であるはずの路地を見事に照らしたり、面白い光景いくつも。昼前にFCCに寄る。窓辺にぼんやりとした光の なか読書。海南鶏飯。午後九龍に渡り諸用済ませ早晩、見事な夕焼けに驚かされながらタクシーで九龍城の波止場。フェリーで北角に渡る。晩に Jardine's Lookout(渣甸山)の居民協会に昨年末開店の益 新美食館。奈良よりAちゃん来港中でZ嬢とあたくし含め七名で会食。此処の場所、老舗の「翠亨邨」が閉業した跡というわけで益新も内装や什 器などには極力カネをかけず、での開業は「やっぱりダメ」の場合のリスク回避だろうがかなりの盛況。旧知の総経理は「週末だから」と謙遜。銅鑼湾の利舞台 の益 新飯店が閉業してもう何年だろうか。復帰の料理長にも再会。久々にこの料理屋の名物であった焼鴨を頬張り感慨に咽ぶ。名物料理をかなり食し紹興酒二本飲ん で「まじ?」の安値。店賃が抑えられているのかしら。客も、Happy Valleyに数年前、小さなビストロのような店を再開した時と同様、昔の常連客がちゃんと戻ってきているのがこの店らしい。十六夜の月を愛でる。銅鑼湾 に出てPark Lane Hotelの最上階のバーで二次会。昼はだいぶよくなっていたが午後、高座で長い噺をした所為と晩に賑やかな中華料理屋での歓談ではすっかりまた喉が痛み ガラガラ声。この晩餐で隣席になったプロカメラマンのY氏にレンジファインダーでのライカレンズについていくつかコツをお聞きする。聞いただけで、それに 慣れるのはどれだけの時間がかかるか、は別として。

二月二日(金)晴。昨日「自称政治家」Sir Donald君が正式に香港特区行政長官選挙に立候補。「我會做好呢份工」だの“I'll get the job done well”と勤勉ぶり強調するが「自 称政治家」と揶揄されるのは、05年に董建華君「脚痛を理由に」行政長官辞任で棚から牡丹餅で行政長官職に就くことになったSIr Donald、董君から彼の辞任と行政長官職の禅譲を伝えるために呼び出された際に意気揚々と口笛吹きながら政府庁舎に入り、而も奏でていた曲が義勇軍行 進曲。形ばかりのその05年の「選挙」では、そのあまりに平凡さが首長職務まるのか?と思われていたが立候補届けの職業欄に自ら「政治家」と書き込み唖 然。実はこの人、自意識過剰。そういえば財務官時代にAPECだかに香港代表で出席し江沢民国家主席に並んで坐り横柄ぶりもさることながら歓迎会食会だか の席で隣の江沢民君に自らのナプキン差し出してサインしてくれと請うた逸話もあり。いずれにせよ小心的な小市民のようでいて尋常ならぬ人物であることだけ は確か。早晩にFCCでハイボール二杯飲み中環に下るとそのSir Donaldに選挙で挑む民主派統一候補の梁家傑氏が街頭で選挙運動中。通りがかりの人で賛同示す投票用紙にサインして投票箱に入れたり梁氏本人と握手し たり「頑 張って」と声かける市民少なからず。模擬投票してみせるのは行政長官選挙が選挙人による投票制度で市民に直接の投票権がないため民意示すため。帰宅してカ レーライス食す。NHKニュース眺めていると日本では柳澤厚相失言で国会空転続く。野党はこの時ぞとばかり自民党批判に躍起だが本当に柳澤君の発言を「人 間の尊厳が蹂躙され……」と思っている気持ちと、この期に自民党を追い込もういう目論見の果たしてどちらが本音なのか。衆院予算委で野党が質疑時間になっ ても登院せぬと委員長(自民)は「質疑者の出席をいたさせますので暫くお待ちください」と何だか言葉も謙譲語と使役がごちゃごちゃ。結局、自公の与党単独 で審議通し晩の本会議も与党単独で修正予算案可決。つまり柳澤某が何だか発言しようとしまいと野党が審議拒否しようと国会で自公で過半数=何でもできる信 託を与えられているのだから。
▼昨日綴った李登輝センセイの「台独なんて言ってません」発言。今日の蘋果日報も朝日新聞も李登輝前総統が台湾独立の主張から一転しての慎重論は台湾の台 独派震撼、李登輝先生の狙いは次なる総統選挙への影響力確保か、中国との関係改善か、中国側の李登輝先生への訪中要請など絡み……と憶測様々。あたしゃど うしても李登輝センセイが、「台湾はすでに独立した主権国家体」という、台湾の現実認識を語ってみせただけのことで、それを聞いて台独派、国民党、中国が 右往左往する態を眺めてニンマリ、としか思えない。台独派は震撼、国民党は李発言を否定できないジレンマ、中国は台独否定は表面的に歓迎すべきだがアイデ ンティティの共有できぬことへの苛立ち……と。ほとんど後白河法皇的な院政の愉しみ、か。

二月朔日(木)晴。安倍内閣メルマガは「出来難き事を好んで之を勤るの心」と福沢諭吉の言葉を題に
「安倍晋三君!」場内に響く議長の声を受け、私は、本会議場の壇上 に立ちました。議員席を埋め尽くした議員たちの真剣なまなざしを見渡し、緊張とともに闘志がわいてくるのを感じました。
柳澤厚相のご発言についての釈明すら当然のようにメルマガには皆無。毎週木曜朝に発信したところで所詮、美辞麗句ばかりの拙い感動 作文ではタイムリーに読む価値もなし。だが考え方によっては「出来難き事を好んで之を勤るの心」というのも「柳澤君退任させず敢えて野党ばかりか自党内か らの反発すら受けて立ち……」の意か、と察せられなくもなし。本日、ガラガラ声で一日を過す。羽仁未央さんに黄大門のパーティにお誘いいただいたが晩も薮 用で行けず(といってもこの声じゃ人に会うのも失礼)。アサヒカメラ二月号読む。田中長徳氏がライカM8とR-D1s徹底比較。実際の撮り比べを見てみる と、さすがライカでM8の隅々までの描写力の精緻さは見事。それでもR-D1sがライカM8より「25〜30万円も安い」ぶ ん落ちるか、と言えば、さに非ず。独特の絵心、発色の面白さ(これはあたしの撮った画像でも幾分かは証明されているかしら)。結局はチョートク先生の、あ の饒舌なくどい言い回しで結局は「理想的なRFデジタル道はM8とR-D1sを両方持つことだ」と(笑)。誰が二十数万円と50万円台のレンジファイン ダーのデジカメを二台も持つか……馬鹿馬鹿しい話だが、それをマジに考えてしまうところがオジサンたちの怖いところなのか。もし資金があってもデジカメの 本体に50万円はあたしなら費やそうと思わないが。
▼香港は行政長官「自称政治家」Sir Donald君が本日、7月からの任期の行政長官選挙に立候補表明。続投の由。当選したら所得税減税を確約。選挙公約で減税は珍しくない公約だろうが、戯 院内閣制ならまだしも、香港の行政長官の場合、税制も自らの意思決定の匙加減一つ、で財務官が発表すれば即刻有効が術。ということはSir Donaldが当選=所得税減税なわけでSir Donaldに生理的嫌悪のあたくしだって投票権あれば思わずSir Donaldに一票入れてしまうかも。というわけで香港の場合、現任行政長官が選挙でいかに有利か、まざまざと思わされる。
▼先日、William鄧智達君が中環のFour Seasons Hotelにある日本料理「稲菊」について店に入ったところからかなり凝った内装に圧巻されるに始まり懐石料理誉めていたと思えば今日の信報では唯靈氏も 「懐石新風」とこの四季酒店の稲菊について言及。もともと半蔵門の天麩羅供す料理屋(厳密な天麩羅屋とは一線を画す)で海外進出に積極的で各地の一流ホテ ルに出店あり。香港には八十年代にペニンスラホテルに店を開いたがホテル改装で撤退。四、五年前に尖沙咀東のRoyal Garden Hotelに再臨。天麩羅を主に供し香港の天麩羅専門「あげ半」のライバル出現か?と思われたが「稲ぎく」は東京の店も外国人御用達であるように不思議と香港の 店も日本人からは評判も聞かず余も訪れたことなし。その稲菊がFour Seasons Hotelの高層階からビクトリアハーバー見下ろす絶景でにかなり凝った内装の店を出して懐石を供す、と言う。ただ唯靈氏、これまでの稲菊の香港での展開 などかなり詳細に渡り説いておいて、この新店を「不落俗套」と「古い仕来りには囚われていない」程度に誉めるだけでインテリア以外に言及せず、あとはこれ までの唯靈先生の食の経験のなかでの懐石の思い出語るばかり。余もなぜ訪れてもいない店のことをこれほど綴るかと言うと、おそらく今後も訪れないであろう から、なのだが。
▼金正日将軍様の御子息金正男氏がマカオに滞在中という報道はここ2日ほど日本の新聞でも見られたが本日のSCMP紙は一歩踏み込み一面トップで“Kim Jong-il's son makes Macau his home”と実は三年ほど前より正男君がマカオの高級ホテルに家族同伴で長期滞在で実質的に定住、と報じる。
▼台湾の李登輝先生先月末の蘋果日報(台湾版)の取材に答え「私は台湾独立派でもないし、これまで台湾独立などと主張したこともない」と。台湾のゴッド ファーザーが変節か?と一瞬驚くが李登輝先生曰く「独立など標榜する必要なし。なぜなら台湾は事実上、一つの独立した主権国家なのだから」と。これぢゃ台 湾独立の主張よりタチが悪い(笑)。「台湾独立を叫ぶことは退歩的で危険な考え方なのは、台独の主張が台湾をまだ独立していない国家、と云わば降格してし まうからで台湾の主体性を傷つけ米国や大陸に様々な問題を投じる」と言う。自らは「両国論」を唱えたことはなく台湾と中国は「特殊な両国関係にある」もの で台湾独立ではない、とする。すでに独立した国家として、問題はむしろいかに国家として正常となるか、が李登輝先生にとっての最大関心事の由。この発想、 わたしなど台湾独立論より中国にとっては寧ろもっとタチが悪いと思うのだが、この発言を台独派は李登輝先生の変節、と遺憾の意を表し、寧ろ国民党の馬英九 君がこの発想はすでに五、六年前に提唱されていたもので台湾が事実上は独立した主権をもつ実体であることは(台湾が独立するか大陸と統合されるかは別問題 として)既成事実と肯定的に評す。ほとんど禅問答の如し。

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