教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
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既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。

   
一月三十一日(月)寒さぶり返し。摂氏十三度の極寒。夢見悪く朝起きれば胃痛。情けなし。終日胃痛に悩むが早晩に帰宅途中余りの寒さに寿司加藤の開店にふらりと寄り熱燗一合。赤貝と小鰭のつまみ。板前N君に海鼠腸(このわた)を小甘蝦に和えて供される。かうしていると胃痛も失せるは酒飲みの悲しさ。敢えて酒一合で他の客も現れる前に帰宅。久しぶりに自宅にてコロッケにて夕餉。昨日K君からいただいたサントリーの「角」「ホワイト」と「トリス」がありコロッケに合わせ「角」を氷で。トリスに「いちご白書をもう一度」と「Sachiko」のミニCDおまけで付いていたが余の世代にとってトリスはバンバンの歌に非ず裕次郎とかが似合ふというもの。NHK大河ドラマ『義経』録画見る。まぁ普通の時代劇となり精彩感はなし。それにしても京の市中の民家がまるで明治の仕舞屋風の造り。次回は滝澤牛若がナベケン弁慶と五条の橋の場面だが、どこか滑稽。ニュースでは七之助の謝罪記者会見、憔悴もあろうが線の細さに中村屋の御曹司とはとても思えず。「このたびは皆様にご迷惑をおかけして……」の謝罪にZ嬢が「このたびは永山会長始め皆様に、だろうが」と皮肉。鳥居民の『毛沢東 五つの戦争』読み始める。草思社の出版だが最近時々見かけるオンデマンド出版
▼中村勘九郎の勘三郎襲名記念パーティの晩に払暁まで遊び泥酔の七之助警官殴り検挙される。久が原のT君が勘九郎の謝罪記者会見が鳥渡いい顔、と。確かに。江戸の豊国の役者絵から抜け出した如し。さすがに民間会社での不祥事のサラリーマン重役のお詫びの低頭とはそりゃそうだが役者の違ひ。

一月三十日(日)西貢にてチャイナコーストマラソン開催の日ハーフに参加予定のところ日頃の不摂生、睡眠不足、疲労に左足首の痛みもあり参加断念。朝寝貪る。午前在宅雑用済ませ午後に九龍に渡り按摩。若い按摩師に按摩と呼吸を合わせることの大切さ講かれ納得。Dragon Ashの事務所社長のK君夫妻来港。K君夫妻とZ嬢と中環に待ち合わせFCCにて一飲。ハイボール飲むが昨晩も中文大のM先生と、今日はK君とハイボール飲むのは焼酎が普及する以前の酒飲み、と笑ふ。タクシーでハッピーバレー。久々に益新美食館に食す。上客多く繁盛。新聞紙面賑わす過去ありの著名人も数名あり。近くの源遠街の路地にひっそりとした酒場あり。名前も知らず、ただ、この通りの角のワインバーの胡散臭さに比べ関心惹かれ訪れて米国加州の赤葡萄酒Blue Creek飲む。Dragon Ashの降谷君のソロ活動の音楽流れるがCDなど店になくダウンロードかコピーでiMacから流れるを知る。店の店員もこの曲が誰で、まさかその制作者が店に在るとは思いもせず。
▼週末の信報の随筆に唯霊先生曰く。不景気だのSARSだのの影響で飲食店が従業員の削減など大鉈振るった結果、短絡的に給与の高い=熟練の給仕など解雇し賃金低き若衆ばかりとなり、思慮浅き経営陣は給仕など誰でも出来て若ければ見た目も佳しとでも判断だろうが、唯霊氏は昔からずっと馴染みの某ホテルのカフェがかつては我が家の如き寛ぎが熟練の給仕ら去って今では若い未熟な給仕ばかりで足を向けず、と。これがマンダリンオリエンタルホテルのカフェであることは明らか。余も二度ほど呆れて二度と足を向けず

一月廿九日(土)朝八時近所のO君と待ち合わせQuarry Bayの海浜公園を一時間余走る。ジム。帰宅して読書。午後「香港研究会」にて本日は余が案内人となり市街歩く会あり天后に待ち合わせ電気道の発電所やシェル石油会社の跡地から歩き始め銅鑼灣の成り立ちだのじっくりと見ながら歩き始めれば保良局までで二時間要し南華會のルーフバーにてカルスバーグ飲み一憩。鵝頸橋潜り灣仔へと入り春園街の昔のDent商会の名残りを見て散会。四時間の探索。晩にこの会の参加の方四名とLockhart Rdの私家菜・四姐川菜にて四川料理。終わって研究会主宰の香港中文大学のM先生とBar Seedにていろいろ語らふ。二更のうちに帰宅。
▼NHK前会長海老沢勝二が顧問辞任。当然。会長辞任を受け翌日に顧問就任させた新会長もハナから期待薄。
▼12月の来港旅客数は208万5127人と12月の記録としては03年同月の179万人余を大きく上回る記録更新。前年の来港旅客数も2180万630人でこれまでの1650万人(02年)の記録更新。とにかく大陸からの旅行者の増加。大陸に足を向けて寝られず。ちなみにマカオは1600万人が来訪で内57%が大陸漢。200億パタカをマカオに落とす。
▼コロンビア大学の経済学教授Joseph Stiglitzに「海嘯の教訓」といふ文章あり一読。米国への厳しい批評で、米国の津波被害での援助額が日本や豪州、EUに遠く及ばずテロ対策だのイラク「復興支援」で膨大な資金投入に比べ自然災害へのこの認識の浅さと、地球にあって最大の汚染排出国であろう米国が自然環境保護に非積極的な事実。人類が一つの「地球村」に暮らす、といふ認識の共有には達し、と。
▼信報26日の社説「逐歩放棄宏調針対地方濫権」大約。国家統計局25日発表の全国経済指数によれば国内総生産は9.5%増でその他の固定資産投資、貿易、興業増加値などは2桁の伸び。もし宏観調控(マクロコントロール)なければ国内の経済増長は驚くばかりだろうが25日発表の数字も疑問点あり。国内総生産値の三大要素を見れば輸出量(前年比)55.4%増、固定資産投資同35.8%増、消費は13.3%増といずれも2桁であるのにGNPが9.5%に収まっていることは中央政府の宏観調控が効果をあげ経済増長の偏高を抑制していると見ていいのか。中国政府の経済統計が信憑性高め公信力を高めるのは容易なことではない。国家統計局局長は「国務院の性格な指導下で宏観調控が成果を上げている」と強調するし、宏観調控は温家寶の率いる政府にとって地方政府の過度な投資熱と利権乱用と並び最重要「政治」課題。だが二十年に及ぶ経済開放で当然、市場抑制がなされてきている筈で何故今になっても政府が宏観調控でもって市場に介入し管理しなければならぬのか。これは経済政策として「後退」でなかろうか。国内での初めての宏観調控は93年に朱鎔基(当時、副総理)が沿岸地域での不動産投資、株式投機の加熱、貨幣放出増、インフレなどに急ブレーキかけるためかなり大規模な経済抑制の政府介入を実施。当時はまだ市場体系の成熟もなく行政が介入を行えば経済過熱と金融秩序が抑制されるどころか抑制不能なまで混乱することも明らか。宏観調控は経済危機での緊急策のはず。それが十年後に再び経済が常軌を逸するばかりの状況で政府が財政と金融政策で宏観調控を実施しても、それでも経済抑制ができぬ、この原因は何処にあるのか。温家寶総理主宰の宏観調控が昨年始まってから経済混乱が見られたのは地方政府が自らの行政特権用いての利益誘導活動であった。不動産投資で銀行は不良債権抱えたのも原因は地方政府による権力乱用の結果。宏観調控が実施されてもそれが一旦静まれば再び彼らは公金での投資を始めることも明らか。いつになれば中国経済が長期的安定を迎えられるのか。国内の富豪上位百者を見れば過半数は不動産投資者。実際の有用な土地の少なさでは中国は香港的な土地投資の加熱があるが、その加熱の要因は、地方政府が廉価にて農民からかなりの土地を徴用し、それを土地デベロッパーに提供し、投機者は投資額の9割を政府が指定する銀行から融資受ける。宏観調控が進み不動産価格の抑制となると結果的に銀行が不良債権を大量に有するだけの結果となる。宏観調控というが最も重要なのは地方政府の特権乱用による不当な経済投資であり、それを抑制できれば宏観調控が有用といえようか。

一月廿八日(金)曇。昼に蘭桂坊のハーゲンダッツアイス店前にてA君と待ち合わせFCC。A君は仕事絡みの知人の子息にて知人昨年春に帰国となりA君高校卒業まで香港に残留することとなり知人に請われ形式的にA君香港居留の身元引受人となるが査証延長手伝つた位で何もせず今日に至る。晴れてD高校卒業となり明日帰国を前に伴にFCCのメインバーにて昼餉。ケバブ食す。別れ際A君にお世話になりましたと葡萄酒いただき包装紙越しにCh. La Dominiqueと読めて「18歳の高校生の分際で……」と一瞬驚くがあとでCh. La Domitanteとあり誤解に安堵。諸事忙殺されること連日の如し。晩にタクシーにてピーク越せば夜霧深し。小雨もあり大気汚染にあらぬ春めいた濃霧。八時にFCCに参りZ嬢と主餐庁にて今月だけのFondueメニューでチーズフォンデュ食す。葡萄酒は豪州のShaw & SmithはUnoaked Chardonnayの03年。帰宅の車窓から眺めれば、やはり濃霧だけぢゃなし九龍サイドはついにホンハムも濃霧の向こうに全く見えず。帰宅。母よりファクス受信。郷里の詩人・真殿皎氏の逝去を知る。真殿氏については昨年十二月七日の日剰に記述あり。十七歳の余に折口信夫と釋迢空が同一人物と教えてくれた人。いつもベレー帽にパイプ、肩掛け革鞄に書籍と原稿用紙、それに上質の画仙紙、硯に筆まで持ち歩き、酒を飲んでは詩だの絵を書き綴る。昨年十一月に訪れた明日香の岡寺の本堂にてこの真殿氏の揮毫での篆刻を拝見。余が二十余歳に母方の祖母亡くなり若い頃から賑やかなことだつた祖母ゆへか通夜の晩も祖母を囲む宴会の如く人々振る舞はれ霊前に「天(あま)駈ける魂(たま)にとどけと春(はる)(うたげ)」と詠めば数ヶ月後に郷里に復た帰省せば仏壇の上に真殿氏の筆にて余の詩が掲げられるを見上げる。氏の足跡をネット上にて索せば唯ひとつもう三十年も前の新宿での詩の会に草野心平や谷川俊太郎といつた詩人と並び真殿氏の名。奥成達といふ人絡みにて、この頃には新宿のゴールデンゲイトなる会場にて発起人に赤塚不二夫、及川正通、白石かずこ、三上寛といつた面々に山下洋輔3と中村誠一といふ「若者たち」のパーティの告知などあり。参加者を「お気軽にどうぞ」と呼びかけ。

一月廿七日(木)諸事忙殺され晩十時すぎに尖沙咀の源記の一つにて牛南面食す。帰宅してワイルドターキー飲み臥床。
▼勘九郎君の、余の母には未だに子役の頃からの勘九郎ちゃん、の勘三郎襲名につき久が原のT君よりメールあり。松竹の最近襲名興行自体豪華すぎるといえば豪華すぎなれど勘三郎は座元名とはいへ上方から江戸に下りし歌舞伎の草分けの言わば根元根本の大名跡。團十郎よりもある意味大きい名と思へばですから現團十郎襲名の三ヶ月連続と伍しても決しておかしくはなし。今回の襲名狂言建ては寧ろ考えているほう。三月に時代物を二本、既に手心のある大蔵卿と本興行では初演の盛綱を配した周到さと決意。更に三島歌舞伎の中で現在まで生き残つた稀な例たる鰯売。かなりドッシリした本格派の襲名狂言と言うべき。他演目がこれに比べれば劣ることは劣るものの團十郎襲名の幸四郎の太十、雀右衛門の團十郎娘(=近江のお兼)に比べれば真っ当。今回あまり「豪華」の感がなきこともそりゃあ歌右衛門も先代の仁左衛門も松緑も勘三郎もなき当今の事情を考へれば籠釣瓶で玉三郎の八ツ橋に魁春の九重、仁左衛門の榮之丞に段四郎の治六は十分に豪華。勘九郎君についても「勘三郎の声色」という点だけで見るのは如何なものかとT君。昨年四月の弁天小僧など嫌な入れごと一切なくキッカリ規格正しい演技は晩年の勘三郎の恣意とはほとんど対極の真面目さ。中村屋、放つておけばどうなるかわからぬ遊戯性を何か動物的な直感で「正道」に振り戻す感性・良識あり。殊に昨年一ヵ年の間かうした「知性」が藝に発露するようになった深化をば認めるべき、と。御意。
▼公明党のおかげ?にて教育基本法「改正」見送り(朝日)。
▼NHK会長退任の海老沢勝二がNHK顧問就任(朝日)。さもありなむの院政の始まりか。
▼多摩のD君より。三多摩地域の自治体によるゴミ処分組合に関する情報公開条例の制定につき組合の管理者たる武蔵野市長、市議会での答弁にて条例制定を拒否。市民からの要望に拒否の理由は市長曰く「情報の提供は積極的にする。しかし、情報公開条例で開示請求権を認めると、開示請求権が乱発されたり、一部非開示に伴う行政訴訟が起こされる。こうしたトラブルを作る必要はない」とホンネだろうが、これが議会答弁だと思えばいかに小泉登場で「言葉で語ることの重みがまったく失われている」とD君。小泉的言説では(言説といふのも烏滸がましいが)くイラクへの自衛隊派遣も町内会のゴミ収集場の問題もすべてこの低レベルで返答可。例へば幼児が親におやつは自分でちゃんと量を考えて食べるからと約つても「おやつは自分できちんと決められた量だけ食べることにしてもいいけど、どうせ約束守れないんだからダメ」と「憲法で第9条あつても現実には即しておらぬのだから改憲」がほとんど同じレベルでの判断。これぢゃ世の中、社会契約は成立せず。米国が「国連で決議しても自分は守らないから有志連合」もこれ。「誰かが守らないから」ぢゃなく「俺が守らないから」って言い切ることの深刻さ。もう一つD君から興味深き話は犯罪被害者の会の弁護士だかが「改憲して犯罪被害者の権利を憲法に書き込め」と主張。犯罪被害者の権利と憲法改正が関係あるとすれば「憲法の×条の規定があるから犯罪被害者の権利が守られてない→だから×条の規定をこう変えよ」であるべきところ現行憲法のどの条文が犯罪被害者の権利擁護を妨げてるのか。これは法律の話のはず。現行憲法下でも13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」に基づき犯罪被害者援護法を制定しろ、ということなら理解可。なぜ憲法にこれを加えねばならぬのか。そう改憲気分で「あれも、これも」は如何か。これでは北朝鮮拉致被害者に関しても憲法に盛り込まねばならず、かも。憲法の溶解。現実に自民党の憲法案には「日本国、日本人のアイデンティティを憲法の中に見出すことができるものでなければならない」だの「国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール」とかあり、これは本来の普遍法としてのConstitutionの話に非ず。

一月廿六日(木)多忙極まりなし。晩にZ嬢と湾仔に待ち合わせ三六九飯店にて上海料理。店員の慇懃さ、古く雑多な内装でも物置や洗面所の清潔ぶりなど感心。白切羊肉、芙蓉蝦仁と芥蘭炒め。濃霧ひどし。九龍の対岸どころか湾仔から中環のビルすら霧に曇る程。今晩は沙田の競馬、おそらく観戦席よりスタートも霧で見えぬのではなかろうか。湾仔の展覧会議中心にてStingの公演参観。余にとつては88年の武道館以来二度目。Stingは当然の如く日本ツアーの帰り。9日間で7公演し而も武道館での3連荘から中二日置いての強行にも53歳の御大は精悍そのもの。香港公演初めてと思えばSting本人MCで照れながら曰く80年に一度、香港にてライブ開催あり当時まだ十代で(笑)覚えていないが場所はNew World Discoだった、と。尖沙咀のNew World Centreに確かその名前のディスコあったが80年にすでに尖沙咀沿岸の「再開発」であのビルが誕生していたかどうか。いずれにせよPolice時代に香港のディスコでライブとは時代髣髴。Policeの頃からStingに馴染んだ余も実は87年の“Nothing like the sun”と翌年のこれの西葡語版“Nada Como El Sol”までで91年の“Soul Cage”以降はCDこそ有しても愛聴とはいへず余には新曲?も少なからず。他の観衆も青春時代をばPoliceで育ちその後八十年代末までStingにハマったらしき御仁多く九十年代以降の曲になると一瞬「退いた」感あり。バンドはStingがベースでギター、ドラムにキーボード、シンセサイザーとボーカル2人というこぢんまりだが流石にその音の重厚感は音響悪しきこの会場でも敬服もの。Police時代の曲では何が足りぬかといへばドラムが走らぬこと。バンド阿Qがアマチュア時代にリハでP-sukeさんのドラムが走りがちでTaracoさんが「Pちゃん、うちはPoliceぢゃないんだから」などと言った台詞だの、ギターのダイテツ君の車のカーステレオでいつもPoliceとStingの曲が流れていたことだの、“Nothing like the sun”は日本での発売前に輸入盤をば仙台のピーターパンといふ音楽喫茶にて届いたばかりの新譜の封切られたLPに針を落として聴いたのが初めてだったことなど、一曲毎にいろいろ八十年代のこと思い出す。翌年に“Nada Como El Sol”を聞き当時豪州のパースで仕事中のO氏に、このアルバムはO氏きっと好きであらうと郵送せば数日後に「バリバリにキメてた」O氏より超ご機嫌なお礼の葉書受け取る。昔のこといろいろ思い出しながらStingを聴き続ける幸福。余の一生にてもはや叶わぬ希望はRed Zeppelinのライブをば見れなかったこととPink Floydの88年だったか東京公演を見逃した失態。91年だったかフランクフルトでもわずか数週間違いの訪独にてピンクフロイドのフランクフルト公演逸す。Stingの公演終わって一万数千人の客一気にこの会場から出れば展覧会議中心は海に突き出たデベソ=拡張エリアで客が階下に出る導線をばいくつも封ぎ必然的に旧館のグランドハイアットホテル側の正面玄関に客は集まる。広い階段でもあればよいが全てエスカレーターで而も四階分だかを踊場で回り込みエスカレーター乗り継ぐしかなく狭い踊場も混雑し上から降りてきた客が踊場でエスカレーターから降りられず次から次と上から客はエスカレーターで降りてくるので圧せられる危機的状況。恐ろしきかぎり。
▼所属するランニングクラブのHPを「ブログ化」する作業。予想以上のブログ作成の容易さ。畏友らのサイトも尽くブログとなっている現状。ブログ作業、編集の容易さ、そして何よりもブログの「見やすさ」と様々な人が閲覧の機会増えるネットワーク性を思えば余のこの日剰のブログ化も検討要すところながらこの日剰はブログと対極にあり興味ない記述も全部読むこと強要される点が良くも悪しくもこの日剰の特徴でありブログといふ半ばフォーマットの企画統一までされた一種のグローバリズムに抵抗することも一つ意義もありかと思ふ。
▼築地のH君より勘九郎君の勘三郎襲名について。勘九郎の絶好調は事実、だがこの襲名が歌舞伎座で3ヶ月連続興業といふ大名跡の襲名なのかどうか疑問。演目に魅力足りず。余の母は「三月は仁左衛門の「保名」だけでいい」と口にするし、H君も三月に俊寛が、やはり先代勘三郎の当たり役ゆへだからだろうが幸四郎での俊寛は全く違う芸風?。で昨日の朝日夕刊に襲名興業のカラー全面広告あったそうで四月の「籠釣瓶」の次郎左右衛門、五月の「髪結新三」を勘九郎君宣伝用に扮装。それがH君に言わせれば「勘九郎が新三に扮してる」のではなく「勘九郎が新三をやってる勘三郎に扮してる」にしか見えない、と。他の役者の芝居の真似させたら絶品の器用な勘九郎であり勘三郎の声色も当然、父であるから上手。

一月廿五日(火)朝から朦霧甚し。九龍の市街微かに高層ビルの影。大老山獅子山など頂や尾根すら見えもせず。香港電台RTHKの報道速報見ればヴィクトリア海峡の視界1キロに満たず、と。気温廿度近く湿度97%と旧正月待たず春らしき(=香港にては不快)気候に例年濃霧かかる日多かれど今年はかつてなき珠江下流地域の大気汚染。多忙極む一日。晩に立ちこめる濃いスモッグのなか車窓からちらりと月の片鱗。満月も悲し。帰宅してタンカレーでドライマティーニ。夕餉。手帳見れば二月中旬までに自宅での食事は今日を入れ三回のみ。貴重。有機野菜ばかり葱焼、蕪の一夜漬け、茄子焼、バラ肉と野菜炒め、それに甘藷芋を黒豆で炊いた五穀米のご飯にアルプスの岩塩ほんの少しかけて食す。美味。酒は無法松。NHK会長海老沢勝二辞任退任。「郷土の恥」の退場は喜事。水郷いたこ大使(笑)なのだし地上波デジタル放送も郷里だからと何処よりも早く推進してきた故郷の潮来にさっさと戻り菖蒲でも栽培しつつ余生はNHKの受信料集金人として在郷の一戸一戸巡って詫びを入れ受信料いただくべき、だが、退任挨拶にも全く反省の色なし。
長けにわだって私に賜りました視聴者・国民の皆様のご理解(りけえ)とご支援に、心より感謝申し上げます。誠に有難うござえました。
と誰も海老沢を理解も支援もしておらぬのに冒頭からこれ。しかも茨城弁。
昨年7月以来(いれえ)NHK職員による一連の不祥事が明らかになり、受信料の支払え拒否や保留件数が増加しました。私は、不祥事の全容解明と再発防止、そして、これによって損ねました視聴者・国民の皆様の信頼の回復に、懸命に取り組んでまえりました。
と国民のNHK不信が自分に拠るものでなく、職員による一連のもので、自分はその改善に取り組んでいたといふ自負。最後にようやく
最後に、視聴者・国民の皆様にあらためてお詫びとお礼を申し上げ、私の退任の挨拶とさせてえただきます。本当に有難うござえました。
とこの「お詫び」一言がお詫び。いったい何のお詫びなのか全く触れもせず。お詫びとお礼を申し上げ、とは何と無恥。後任には無難なところで技術職からの抜擢。副会長は良識派の女性基幹職員当てることでのごまかし。この海老沢退任で「放送と政治」の問題が根本から何ら解決がないことは明白。まず自民党の橋本登美三郎がまずありき。海老沢の父はこのハシトミの後援会「西湖会」会長。ハシトミがメディアと関わるのは雄弁会に属した早大の政経卒業し朝日新聞社に記者として入社、満州特派員、日本軍の南京占拠もハシトミが一番乗りで報道、外信部長から東亜部長と朝日新聞の戦争協力報道を第一線で指揮。当然の如く昭和廿年に退社。戦後は自民党のなかで郵政、とくに放送のドンとして暗躍、NHK設立に大きくかかわる。そのハシトミが佐藤栄作内閣で官房長官に就任し「偶然にも」潮来の同郷で早大政経卒といふ海老沢がNHKの政治部でハシトミの番記者となる。海老沢は佐藤派から田中派と自民党の最も深い懐に食い込み局内でも自民党に協力な人脈もつ海老沢は出世。海老沢に先立ち在任中退任に追い込まれた島ゲジは政治部で自分の子分である海老沢のバックアップあったからこそ会長就任できたといふ噂あり海老沢はこの島会長就任でご褒美(といふより当然の報酬で)理事就任。だがNHK内部での政治抗争にて島ゲジは実質的に自分より立場高き子分=海老沢を厭ひ関連会社に出向させるが島ゲジは自らの国会虚偽答弁で引責辞任、で海老沢理事として本局に復帰。その後目出度く会長に就任し今日に至る、と中国共産党の如きこの政治性。これほどの、遡れば戦前の政府とマスコミの癒着から始まるこの放送とメディアの政治性が、そう易々と一掃される筈もなし。朝日新聞とて廿六日の社説で「NHK―橋本新会長で変わるか」と宣われるがNHKの日経の鶴田君と並び「リトル海老沢」と陰口叩かれるのが社長の箱島君なり。雑用いろいろ済ませ原武史『可視化された帝国』少し読む。
▼扱いは地味だがネベツネが相撲の横綱審議会の委員辞任(朝日)。吉事。早くフランスのシラク大統領の横綱審議会入り熱望するばかり。相撲といへば今年11月だかにラスベガス場所開催。北の湖理事長曰く「ラスベガスはエンターテイメントの本場。気迫濫れる真の大相撲をラスベガスで楽しめるよう云々」。大相撲は本来は神社の神事祭礼にてエンターテイメントに非ず、右翼保守反動の諸君に「日本の国技たる相撲の米国ラスベガスでのエンターテイメント興業断乎阻止」とでも抗議してもらいたい気もするが祭礼=エンターテイメントであるのも事実。ただしShowbiz化しておらぬ筈で、さう言いつヽ大相撲とて興業でしっかりShowbizであると思えばラスベガスこそ大相撲に似合ふ場所かも。どうせなら米国のデブ巨漢集め日米相撲対決でもすれば面白いかも。
▼趙紫陽の殯儀につき党の最高幹部の場合の追悼会になるのかそれに比べるとかなり遜色ある遺体告別式になるのか、で温家寶首相が萬里、喬石、田紀雲ら党長老に殯儀の扱いと規模につき(つまり趙紫陽の歴史的評価含む)打診、結局、六四で棚ぼた国家主席の江沢民の圧力かかり地味な遺体告別式となる可能性大。だが遺族が趙紫陽の評価について納得しておらず現状での党主催の殯儀に難色しめしているとか。

一月廿四日(月)曇。紀伊国屋より決定版と銘打つ三島由紀夫全集の第39巻第40巻、それに第41巻のCD届く。三島の小説読みたきものおヽかた読んでしまひ、かといつて鴎外荷風や露伴の如く全集で揃へたいかといへばさうでもなし。ましてや余に戯曲を読む習慣もなく唯だこの全集で気になるは対談上手と評判の、三島のこの二巻の対談集。更にCDは三島の戯曲「わが友ヒットラー」と「椿説弓張月」の朗読や講演「我が国の自衛防衛について」など収録され五千八百円は高いかと思ったが入手してみればCD七枚組で芝居見ること思えばお値打ち。三島が歌う大映映画「からつ風野郎」まで収録されており作曲とギター演奏が深沢七郎といふのがいい。早晩に独りFCCにドライマティーニ二杯と赤葡萄酒一杯飲む。新聞と読書。北京にては趙紫陽の追悼デモをば五千人参加で正式に政府に申請の者即刻拘留。憲法にて自由なる言論とデモも認められたこの国でこの者の罪状は「デモ申請は開催日の七日前まで」の規定に抵触、と。これは拘留理由にならずたんに申請不可で済まされるべきこと。趙紫陽邸のある北京王府井の胡同には公安が常駐し弔問に訪れる者の身元確認など忙しく、かつて趙紫陽の農業改革の恩恵受けたと地方の村から集団で弔問に訪れた村人らも集団で一旦拘束され身元、思想調査など続く。恐ろしき一党独裁の国家なり。雑誌『世界』1月号は戦後60年特集よか実は五十頁程の中東イスラム政治特集のほうが充実。アジ研の酒井女史のイラク政治論は現在の米国指導の「平和」改革がいかにイラク社会の現実に合致しておらぬかの検証。芝生瑞和の「アラファト以降の中東和平」は実に平易で門外漢にも理解可。この雑誌で「韓国からの通信」をTK生なる匿名にて十五年連載の池明観氏による回顧録「境界線を超える旅」が連載六回目で核心となる金大中羅致からこの池氏の世界編集長安江良介との出会い、連載の開始について語る。その金大中が総統の地位につき過去のこの羅致とKCIAの工作の真相をかなり知れる立場にありながら敢えて公表せずに終わったことを池氏は現代史の謎といふ。ジャーナリスト和仁氏来港で中環の京味居で晩餐の予定が銅鑼湾謝斐道の妹記となり週刊香港の元編集長でフリーライターのK氏この妹記先に訪れ丶ばすでに廃業。和仁氏、K氏とZ嬢で隣りの喜記にて粥だの食す。美味。銅鑼湾の高層ビルの間に明日が満月の佳月。一更のうちに食事も済み和仁氏と別れ三人でBar Seedにて軽く一、二杯。鳥居民(鳥・居民に非ず、とりい・たみ、中国現代政治史研究)の『「反日」で生きのびる中国〜江沢民の戦争』(草思社)読む。タイトルで大方主題もわかるわけで「日本憎悪の運動を展開して、日本と日本人にたいする恨みと憎しみをつねに培養することによって、党こそが中国と中華民族を仇敵、日本から救ってみせたのだと国民を教化することによって、国民を掌握する力を取り戻し、党の落ちようとする威信を確保する」ことが江沢民の戦略であった、と、これはこの本の主題だが失礼ながら碩学鳥居民の分析を待つまでもなく常識といへば常識。階級闘争といふ概念が用いられぬから民族闘争へ、といふこと。それだけならこの本読む価値ないが、ここからあとが実はこの本の面白み。ポスト江沢民の中国政府が手を焼くのは、この十三年の江沢民時代にこの愛国教育で育った世代であり、彼らのインターネットで反日を合い言葉に団結(と鳥居は言ふが、これは「団結」といふより「鳩合」であらう)するパワー、それが党への帰属意識や熱烈支持でなく、欲求不満や加虐症。これを党国家が今後どう扱えるのか。もう一つ興味深いのは胡耀邦の再評価。江沢民を含む中国の指導者が毛沢東、登β小平とずっと敵を作ることで国内をまとめてきたのに対して胡耀邦は敵を作ることなく施政にあたったこと。中曽根大勲位の逸話から始まるのだが(大勲位の回想は何処か手前味噌でもあるが)一九八〇年の訪中で登β小平に「次の時代を取り仕切っていくのはこの二人」と紹介されたのが胡耀邦と趙紫陽で、胡耀邦が党で、趙紫陽が内閣だ、と。で、実際に中曽根が首相となり胡耀邦との青年団三千名訪中だの日中友好病院建設だの日中蜜月時代となるのだが、中曽根が靖国参拝を中止した理由が具体的には中曽根の靖国参拝で中国では保守派の反発で標的となるのが胡耀邦。胡耀邦の経済改革と自由化を暗礁に乗り上げさせないためにも、といふ高度な政治的判断で靖国公式参拝の中止。でこの時に対中外交に尽力したのが安倍晋太郎。日中関係が実はこうした政治家同士の個人的な信頼など基盤にしていると思ふと、この阿倍の息子がしていることの浅薄さも明白。同じ靖国参拝首相でも中曽根と小泉三世の度量の違いも明らか。
▼NHKのワープドプレミア放送での世界の天気、香港の近くにKwang Chowといふ地名あり何処かと思えば広州。Guangzhouなら中国の併音表記であるしCantonならPekingと同じく列強割拠の時代からの広州=広東の英語表記。このKwang Chowはエール式だったか英語では散見されるが(Googleで16千件ほど)今どきGuangzhou(同250万件越)に比べてほとんど知名度なし。何故これを今でも使うのか、飛行機でのフライトインフォメーションで航路示す地図に香港の基準点がVictoria Cityと出ていたのに近い、感覚あり。ちなみにVictoria Cityも去年だか一昨年で消えてHong Kongとなっている。

一月廿三日(日)大尾督にて美津濃ハーフマラソンあり参加。朝六時に北角出て参加者バスで大尾督。考えてみえば前回ハーフ走ったのは二月の香港マラソンが最後、今季初、練習不足、肥満、昨秋の100kmから左足の踝は痛みこの二週程の多忙で疲労感たっぷり、風邪気味と此処まで体調悪い中よくぞ朝五時起きで開催場所まで来たものと我ながら感動。ランニングは速度も上がらず身体も長距離に驚いているがどうにか来たものの14キロあたりで左足首の痛みあり体力ぐっと落ちて急激な速度減。最後3キロはキロ8分から9分と歩くような速度でどうにかゴール。Z嬢も来てレース参加のT夫妻の車でカドーリー農場。昨日の有機野菜余りにも美味で二日連続で買い出し。かなりの人出。香港で有機野菜の栽培者も購買者もこれほどいるとは驚き。昼に錦田のShahjahan Restaurant(沙査亨餐庁)にてネパール風カレー食す。Z嬢は二日連続。もともと石崗の英軍駐屯地内にグルカ兵が始めたかした店で97年返還前に軍営地出て近くの石崗に店構える。じつにシンプルな、だが飽きのこぬ見事なカレー。タンドリーチキンもまことにjuicyで美味。錦田から大欖隧道抜け青衣から九龍をドライブ。ここ七、八年来たこともなかったホンハムの評判の寿司屋はここか、ジムはここか、蔡瀾美食坊も此処にあるのか、と市街の賑わいに驚くばかり。ホンハムの波戸場からフェリーで北角。客はわずかに六人。北角の街市で青菜水菓など購い帰宅。ジムに一浴。競馬は今季のスプリントシリーズの第1戦にあたるボヒニアスプリントトロフィー戦でもやはりサイレントウィットネス敵なしでデビューから負け知らずの十三連勝中。この馬は現在ワールドランキングでもスプリントでは文句なしの王座にあり。当然倍率は単勝1.1倍で、でせめて連複でも取りたいものと思うが敵なしの馬に挑む馬もおらず七頭立てでこのサイレントウィトネス以外の馬の単勝のオッズは二番人気でも25倍。余は同じクルーズ厩舎のカントリーミュージックを二着に置いて連複見事的中しこの馬の単勝が52倍ゆへ配当期待したがわずか6倍とは。これでサイレントウィットネス十四連勝。晩にカドーリーで購った野菜を生とマリネで野菜づくし。チーズと麺包。赤葡萄酒は新西蘭のPinot NoirsでMt Difficultyを飲む。敢えて言えば岩海苔の如き風味。これと蒸した甘藷芋がじつに合ふ。NHKで『義経』観る。牛若役の子役の卓越した演技見惚れる程。平幹二朗の後白河院役はやはり先代松緑の演じた後白河院のあの謀略家ぶり思い出すばかり。鞍馬寺での牛若が滝壺に飛び込み「あ、これでいきなり滝沢義経か」と思えばその通り。来週から観るかどうか不明。NHKスペシャルにて憲法特集。各党代表とともにご意見番役で加藤周一先生登場。格が違うが今の若い人には妖怪の如しか。
▼外務省はスマトラ沖地震の津波被害で旅券紛失の邦人にタイでは帰国のための渡航証明書発行の際に手数料として902バーツ請求。これに非難集まり外務省では自然災害や大事故に巻き込まれ旅券紛失の場合は今後渡航証明書の発行無料とする方針(朝日)。当然の措置。だが実は外務省はプーケットでは渡航証明の発行のためにあの惨禍の中で警察に行って旅券の紛失証明をもらって来るよう罹災者に求めたのも事実。しかも怪我人や配偶者の行方さへわからぬ者に、だ。地元の警察とて悠々と「たかだか」旅券の紛失証明など発給できる事態のはずもなし。この渡航証明求めた事実が被災者からその人の居住する某地の総領事館に伝わりその某総領事館からプーケットの外務省の現場にこの緊急時に何が警察の紛失証明だ!と便宜図るよう要請あり警察の紛失証明なしでも渡航証明発給された事実。外務省にも真っ当な判断力ある外交官もあり。

一月廿二日(土)Z嬢は自らが未登頂の大帽山に何故今まで登らずかといへばずっと土瀝青(アスファルト)ゆへ。それが大帽山の麓の川龍の村落より大帽山に登りカドーリー農場へと下るルート発見し本日それ挙行するが余は体調優れず参加断念。臥せったまま新聞雑誌の類読み続け何度か微睡み午後に至る。このまま一日終わってしまふも拙いわけで午後遅く勇んで裏山に登り8キロほど走りジム。帰宅。タンカレーでドライマティーニ。ボンベイサファイヤ。Z嬢がカドーリー農場にて有機栽培の実に見事なセロリと春菊など購つて参りセロリはアルプスの岩塩少しつけてそのまま食せば実に美味。セロリの味は見事だが厭な臭さなし。春菊は湯豆腐にいれればこれもまた美味。酒は小倉の無法松

一月廿一日(金)夜中に一度目が覚めて上野千鶴子らの鼎談『男流文学論』の最終章・三島由紀夫読了。これを読めば日頃、男により語られた女流文学論を女が読む時の不快感がわかるでしょうと上野が言うが、文学論にかかわらず男による言説がそこまで女性に不快感与えているのか。この鼎談読んだ時の余りの弁舌暴論は不快以外の何ものでもなし。オヤジの鼎談よか品に欠けること甚だし。三島についての鼎談のなかで「ホモというのは、自分の肉体に対して、なんか間違って生れちゃったみたいな感覚」「自分の意識に対して肉体が間違って生れちゃった」「性的倒錯という言葉がありますね」「それは、性愛の対象は誰であるかとういう、自分の意識に対してその対象を受け入れる肉体に自分がなってない、そういう、自分の意識と肉体との倒錯のこと」と医者でもある小倉千加子が語るのを読めば(世の男といふのはすべてホモなのだそうだが)この極論、偏見に怖さまで感じる。曇天の朝。僅かに降雨あり。風邪気味。疲労感かなりあり。今日ぢゅうにどうしても済ませねばならぬ仕事だけ済ませる。今晩はビクトリア公園にて趙紫陽氏の追悼会開催。夕方ビクトリア公園立ち寄る。祭壇に白菊捧げる人多し。ジャーナリストの和仁廉夫氏も来港と報せあり。晩に蘇州亡命するI君の今夜こそ最後のはずの送別で恰度バンコクに戻る途中で立ち寄りのY氏も交え晩餐の予定もあり。風邪で参加せず帰宅。雑煮。臥床に『世界』1月号の「戦後60年」特集で柄谷行人の「1945年と2005年」といふ特集巻頭インタビュー読む。柄谷のこの護憲、憲法第9条への自信は何なのだろう。国民投票行えば絶対に護憲派が勝つ、といふが。この特集ぢたい何故今もってして戦後60年なんて特集をする必要があるのか?と思ふのは小泉先生含めその意味も理由もわからぬ者が多いはず。
▼首相小泉三世の所信表明演説。代議士河野太郎君の国会日記にも「与党側からも拍手が少ない」とあり。小泉といへば勝谷誠彦日記の十九日で読んで驚いたが天皇皇后の神戸の震災での追悼式と翌日の国連防災世界会議への参列に対して首相小泉三世は自民党党大会出席のため陛下に遅れて参加。不敬罪。ところでNHKの番組「改竄」「報道」問題は安倍二世(岸三世)と中川二世の朝日攻撃に相まってNHKと朝日の泥仕合と化しているが予想以上に朝日の腰が退けておらず朝日社内でも驚きの声とともにひやひや、とか。NHKとの泥試合は安倍二世(岸三世)「北朝鮮の問題で厳しい局面にある私への意図的な攻撃だ」とか殊更に「政治的謀略」窺はせるが如き発言続くが目立たぬところで前首相の森君が「北朝鮮への経済制裁は慎重であるべきだ。追いつめて暴発させるようなことがあってはならない」と発言。鮫の脳味噌だのと揶揄していたが森君にも知性や理性や判断能力というものが備わっていたのだという事実にわが国国民は初めて直面、と築地のH君より。更に森君は「ポスト小泉に安倍幹事長代理の名をあげる動きもあるが、まだ時期尚早ではないか」自派閥のプリンス擁護どころか後ろから撃つような発言。森派会長として安倍を総裁候補として認知しないという表明。しかもそれが単に時期尚早とかいうレベルでなく「北朝鮮政策が支持できないから」というきちんとした政策的根拠ありか。安倍二世のいふ謀略とは、実はこの国交回復推進派の森や小泉が自分を陥れようとしていると感じてるのではないか?とH君。さもありなむ。なにせ次の総理が安倍晋三であれば余の昨日綴った「総理の質はどんどん悪くなる」法則は更に真実味を増す笑えぬ事実。
▼ブッシュの米国総統就任演説。ブッシュは自由、自由と自由の大切さを殊更強調。だが米国の自由が生き残れるかどうかは他国に自由を広げられるかどうか、であり、その自由の拡大が米国の安全にとって切迫した要請であり神からの召命だ、とブッシュ宣ふ。これこそ自民党の好きな戦後日本社会の「自由のはき違え」そのもの。自ら火をつけ消してみせてのマッチポンプの国際戦略。自由が本来の自由とは全く異質の安全保障と国家戦略上の武器となり得る。而もこの自由とは誰も否定できぬファッショに近きもの。その自由の国の総統就任でなぜワシントンの沿道にブッシュ不支持に群衆があそこまで集まるのか、ブッシュ不支持をいふ言論の自由が米国にある、といふが、なぜブッシュの車行列は金属フェンスに囲まれその不支持の市民の姿すら見えぬのか、この就任式に警察ばかりか軍隊まで一万三千人を動員。あの国の何処が他国に誇れる自由あるのか疑ふばかり。

一月廿日(木)曇。多忙なだけで敢えて綴るほどの何事もなし。風邪気味。ブッシュの米国総統就任を見る。悲劇か喜劇か。翌日の朝日に米国での進化論否定の記事あり。国民の半数以上が神による人類の創造信じ更に人類創誕生への神の介入を信じる者も多く進化論信じるは国民の二割弱といふ米国。なかでもブッシュの支持基盤である福音派の原理派は聖書での人類創造を六千年前として、恐竜の誕生から何から何までこの地球の歴史をば六千年に押し込めた歴史博物館まで開館準備中とか。言っておくが、このキリスト教の思想が最後に誰に利があるか、といへば中国(笑)。わずか六千年の歴史にて、つまり地球誕生のその頃にはすでに中国に古代国家あり。世界の言葉乱れたバベルの塔の時代には漢字用いてたんだぜ(笑)。やはり中華文明が偉大である、といふことになりかねず。閑話休題。でブッシュもその聖書の言葉一言一句信じるわけで、あたしゃブッシュと同じ祖先をもつよりかサルが祖先のほうがまだマシ。
▼趙紫陽の逝去に関する論評いくつも読んだなかで記憶に残るは、まず崔偉恒といふ人が紹介した呉国光による改革派と保守派の永久的な相対性について、で、人は登β小平を毛沢東に対してリベラルな改革派と見做し84年当時は政治的復活し経済改革進める登β小平は「小平ニーハオ!」だったが天安門事件の89年の登β小平は「小瓶」と揶揄され、92年の江沢民は李鵬に比べまだリベラルと評価されたが97年に胡錦涛と比べられた江沢民は保守派であり強行派。その胡錦涛は今年の正月には江沢民伴って京劇鑑賞、その同じ頃に数十人規模で工員の死亡した炭鉱訪れ工員と炭坑内にて弁当を喰い語り合った温家寶に比べれば胡錦涛も宮廷人で強行派と写る。中国の指導者のなかに本当の改革派がいるのかどうか。改革か保守かはパワーモデルによって分析される、というもの。興味深し。これを、結局、権力というものは何も変わらぬ、と理解するか、こうして考えれば毛沢東から温家寶までそれなりにリベラルになってきている、と楽天的にとるべきか。そこは意見も分かれようが、少なくとも悪くだけはなっていない、といふ事は確か。で、これを日本の政局に当てはめてみれば如何なものか。例えば中曽根大勲位の御時、戦後日本の総決算叫ばれ戦後最大の改悪の時代迎えたかと思われたが当時はまだ自民党内部にすらリベラルなる対抗勢力あり種は蒔いても実際の総決算は行われず。幾人かの首相経て小渕君の際に「これは史上最低か」と一瞬思ったが鮫の脳味噌が首相となり鮫に比べれば小渕君も真っ当と思われ、森君こそ史上最低か、と覚悟したが小泉三世現れ、少なくとも実行力伴わず判断力のなさで消えてゆくだけ森君もまだ問題なし、と思われ、国民の八割の支持!で自民党ぶっ壊すと颯爽と現れた小泉三世こそが戦後日本で最悪であり而も自民党に自浄作用なく長期政権化する事実。ここで戦後日本が作り上げてきたものが一切合切総決算される悲劇。こうして見ると、日本の場合はこのパワーモデルが中国とは逆で、前任者のほうがまだマシ、つまりどんどんひどくなる事実でなかろうか。悲劇。
▼そしてやはり秀逸なるは信報編集長兼論説主幹・林行止の本日の論説。題からして「権来権去党欽定、党性人性怎包容」と、これを日本語訳すると「権力が現れその権力が去り、その全ては党の欽定であり、党の性格も党人の性格もすべて……」と訳してもこの「権来権去党欽定、党性人性怎包容」の核心も伝えなければ、何よりも、まずこの「ちゅえんらいちゅえんちゅーたんちんでぃん……」のこの音の素晴らしさも伝わらず。漢語の極意。林氏曰く、今回の趙紫陽の逝去について中共外交部のスポークスマンは党政府としての告別をただ「党の道理」と表現したが、正確には、ぶっちゃけた話、六四制圧の時の首相李鵬がまだ健在であり、その子飼い幾らでも権力に存在し、江沢民とて実際には李鵬などよかよっぽど趙紫陽を尊敬しているであろうが天安門事件によって青天の霹靂、棚からボタ餅で国家主席にまで成り上がり。どうしたって胡錦涛と温家寶がこの状況で趙紫陽の再評価、名誉回復は難しきこと。で、目を香港に転じれば(以下、立法会主席范徐麗泰の趙紫陽は八四年の中英合意時の中国首相であるが具体的な香港への貢献なし、という考え方への明らかな林氏の反論だと思えるが)確かに中国で「要吃糧找紫陽」やおちーりゃん、じゃおしーやん(ちゃんと韻を踏む)「飯を喰いたければ趙紫陽を探せ」は直接、香港に影響ないが、林氏が最も印象深いのは中国返還の前途憂ふ香港に対して趙紫陽が「何をそんなに怯えてる?」と言い放った一言。これには二つの意味があり、一つは明らかに素直になぜ香港市民が中国返還をそんなに怯えるのか判らない、という正直な気持ちであり、もう一つは当時の中共が本当に香港の自由について何か弾圧や制限を加える意志のなかったこと(これは天安門事件以降かなり状況変わるが)。少なくとも、当時、こうした明朗な中共政府の印象をば香港市民に与え将来への不安抹消しただけでも趙紫陽の功績あり。林氏は香港にて趙紫陽に哀悼の意を表することがなぜ反国家的行為と解釈されるのか、と指摘。中共が国家統治の威信を保ちたいならば党の質の高さを維持し人の温情だの調和、尊重を重視すべきであり、党においてそれを体現したのが趙紫陽であり、この人の実績と栄誉は今後とも払拭されるものに非ず、と。御意。

一月十九日(水)さっき寝た感じで朝六時半起床。睡魔に襲われたりぼんやりとする暇もなく日が過ぎる。夕刻、歴史家の高添強君と持ち合わせの資料交換。いくつか町並みの歴史関係での質問に高君まるで「見てきた如く」さらさらとお答え。敬服。睡眠不足で寒気は早晩にジムでいくらサウナに入っても身体に発熱機能なく温まらず老いを実感するばかり。帰宅してドライマティーニ。おでん。菊正宗。さすがに睡魔に襲われるが日刊ベリタに今日の立法会での民主派による趙紫陽逝去での黙祷強行の記事送稿(こちら)。早寝。
▼朝日の報道NHKの番組問題。NHK側は朝日の報道に抗議。海老沢問題では腰が退いていたのが朝日への抗議は晩九時のニュースでも正々堂々と長々と報道。産経は社説と「産経抄」で「番組の内容がそもそもおかしかった」と実に産経らしいわかり易い主張。これは驚きもせぬが、産経以上に驚かされるのは読売新聞の社説。「公正な放送のために、NHKの上層部が番組の内容を事前にチェックするのは、当然のこと」で「偏向しないバランスのとれた報道が必要」で「それがNHKの責務」と言う。確かにこの番組の扱った「女性国際戦犯法廷」はその主催の民間団体が左派的であることは事実。この番組じたい産経読売自民党的には好ましくないことは当然。だが産経読売自民党的なものがあまりにも肥大化し常識化する世の中であるからこそ敢えてNHKにこの程度「左」の番組が時々は流れることが、世の常識のバランスではなかろうか。それを全て抹消した産経読売自民党的な社会など想像するだけでも恐ろしきもの。読売新聞ぢたい公正だの偏向しない報道が大事と宣ふが、この社説でも「そもそも従軍慰安婦問題は、戦時勤労動員の女子挺身隊を「慰安婦狩り」だったとして、歴史を偽造するような一部のマスコミや市民グループが偽情報を振りまいたことから、国際社会の誤解を招いた経緯がある」と述べ、このレトリックぢたい偏向(笑)。女子挺身隊への加盟を慰安婦狩りと直接結びつけることは確かに疑問があるが、ただ世界的に問題視されていることは植民地での慰安婦徴用や戦地での地元民の強姦の事実と、それよりも「その事実を認めようとしない現在の立場」なのであって「女子挺身隊→慰安婦狩り」うんぬんに非ず。ここから、まるで慰安婦問題がなかったかのような理解がされることに問題あり。而もこのレトリックがいつの間にか常識化しており「日本はそんな悪いことはしていない」といった普通の国モードになってきているのが今の時代。であるからこそ、それに疑問視する立場のメディアが存在してこそ真っ当なのではなかろうか。
▼香港映画批評家協会だかの年度選定で映画『2046』から梁朝偉と章子怡が主演男女優賞。かりにいくら演技見事であっても「えっ、あの映画から……」と思うが、もしかすると「あの監督にあそこまで付き合って耐え抜いて」での功績認められての授賞か、と(笑)。この映画、日本でのサイト見れば昨年10月の全国ロードショー決定!から全く更新されておらず。さもありなむ。
▼昨日の信報に非常に地味な記事であるが中国で22省の農業税徴収廃止と記事あり。温家寶首相昨年この農業税の五年以内の撤廃をば目標に掲げたが全31省のうち22省が実施済みか実施決定決まり目標達成早まる見通し。都市部の経済成長に比べ内地のとくに農村との格差広がり貧困社会解消のため少ない農業収入に更に負担多き農業税をば廃止することで収入増と社会活性化図ることが目的。さらにインフレでの食糧価格上昇に対して政府は食糧切符発給し農民の平均収入は実質6%増。かつての農業大国中国も工業生産などの伸びで政府収入を農業税改革前に年間六百億元(現在で二百八十億元)にも達した農業税に頼らずともよき時代の到来。

一月十八日(火)iPod用のiTripなるFMトランスミッター購ふ。iPodが十分に機能性高く室内でもケーブルにて音響製品に接続せばイヤフォンなしでも音楽鑑賞可。なぜわざわざFM電波にてiPodからFM機に飛ばすのか、FMトランスミッターの品数の多さ理解できずにいたが、ふと思えばiPod Shuttleの如き製品出たが小型携帯ラジオこそ持ち歩き最も楽で革鞄のなかにFMトランスミッター装備のiPod入れ小型携帯ラジオにて聴取せば確かにケーブルなど邪魔にならず便利至極。晩に上環に有事。昏時さきに晩食済ますべくConnought Rdの金葉海南餐庁に海南鶏飯食す。この店は確か改名したかもしれぬが香港にて新嘉坡系では老舗。銅鑼湾の南洋餐庁閉業とマンダリンオリエンタルホテル地に堕ちた今は香港にて海南鶏飯の美味さではここが筆頭か。鶏肉もけして肥えてもおらず痩身でもあらず日本語にては表現し難いが「滑」の歯ごたえ秀逸。十五程前若き友人この近くにてグラフィックデザイナーしており昼時この店に連れて来られ屡々訪れたが七、八年ぶりか。上環の小さな録音編集スタジオにて作業。経営者兼編集者のK氏なかなかの紳士にて聞けば香港警察にながく勤め早期退職にて趣味でスタジオ経営だそうな。晩遅くまでの編集作業など若者の仕事のようだが警察時代から夜業は慣れている、とK氏。納得。作業済ませば午後十一時。ここで真っ直ぐ帰宅せば可愛いものだがタクシーで向かった先は銅鑼湾。Bar Seedに寄り一飲のつもりが、こんな晩に限って店も閑かで十二時には客も我一人。ついつい亭主M氏と酒談義。M氏と語らえば驚くこと多く今晩は香港の酒屋の話となり中環のOliversは別格として他に何処の店が酒きちんと揃えるか、と思えば余が思い浮かぶはまずは尖沙咀の、と言えば、M氏が山林道に、と隙かさず酒屋「銀鈴」で、それともう一つ名前も知らぬが佐敦の徳成街に何故ここに、といふほど小さいが立派に酒瓶の並ぶ酒屋あり、と余が言えばM氏かつて尖沙咀の店に働きし折そこから何本か酒調達、と。それにしてもあんな店のこと知る人他に知らず、と我もM氏も驚くばかり。老夫婦の営む酒屋にてあと何年続くか。あの店の酒の在庫はどうなるのか。かなりビンテージの酒多く散逸だけは避けたいところ。店ごと買収の要ありかも。そのほか油麻地あたり迄何軒か気になる酒屋あり一度きちんと探検を、などと話しておれば午前三時。今晩の酒はモルトでここまで辛口があったか、と驚くBraes of Glenlivetの75年物(01年瓶詰)。辛いは辛いがBenromachよかずっと風味あり。
▼昨日の「方々、参る」につき久が原のT君から、T君は京都へ初釜に向かふ寸前に返事いただき、咄嗟に平家物語思い起こしても「参る」がかりに命令形で先陣に「参れ」でも思い当たらず。尤も平語がそのまま厳密に当時の直接話法を写したわけでもなかろうが「見参に入れん」「見参せん」は当時の通行語とはいへ「方々、参る」はどうも江戸時代の武家言葉(結構丁寧)臭さあり、と。いずれにせよこの『義経』とてT君の如き目利きからすれば衣裳・室内調度・用語どれも×。せいぜい戦後の黄金時代の時代劇映画レベルまで遡れれば良いほうか、と。この「方々、参る」がT君は「いさうれ者ども、我と思はん殿ばらはこの義経に続けよや」とでも言えば立派に源平盛衰記、しかしこれぢゃ、たきざはクンも「???」でせうねぇ、とT君。御意。

一月十七日(月)多忙続くが少なくともunder my controlに落ち着かせむべく一つ一つ諸事片付け続ける。早晩に百年ぶりにジムにて一時間じっくりと鍛錬。終わって帰宅の地下鉄にてiPodでRed Zeppelin聴こうと思っただけ元気回復か。帰宅して晩食。鯵の焼物。録画してあったNHK大河ドラマ『義経』観る。冒頭いきなり一ノ谷。安徳帝のお乗りになる船はまるで大航海時代の如き大きさにまず唖然。平家の築きし陣地に谷の上から滝沢義経が松健義経ら家来従い馬で奇襲かけるシーン。ずっと音無し。そこに最初の一声が義経の「方々、参る」でドラマ始まる。現代語当たり前の大河ドラマなら「方々、行くぞ」でいい筈が「参る」で、余の認識では「参る」は宮中だの貴き処、寺社などへの詣で、で或は「行く」の謙譲表現。相手の陣地に戦い挑むも「参る」なのか余の浅学ではわからず久が原のT助教授に教え請ふが「参る」でもせめて命令形で「参れ」「参るぞ」ぢゃなかるか。「参る!」では「方々、私は行きますよ」で家来率いての大切な奇襲が自分だけ谷を下ってしまい弁慶らは置いてきぼり、で義経だけ敵の陣地に乗り込み平家に取り囲まれ惨死にならぬか。動詞を終止形で使うのは自分の意志表現で子どもがお菓子を「食べる〜」とかとても単直なる物言い。大人の場合「イクっ……」ぐらいで、これも性行為で自分が相手にかまわず、もうどうしても「イッてしまう」の場合。どうであれ自分一人の行為。……などと冒頭から疑惑の視線でNHK観るが、筋はなかなかどうして、久々に大河ドラマらしさ。ほかに気になるのはナレーションの、源平どちらも敬った表現のどっちつかずはNHKの「今後の政局の動向に注目が集まります」的に(笑)結果なにも語っておらず。松坂慶子の芝居の下手さ、台詞の棒読みはもはや無形文化財。今後は配役としては後白河法皇の平幹二朗(法皇にあって平氏とはこれ如何に……笑)と丹後局の夏木マリに大きな期待。後白河といへば73年の『新平家物語』での滝沢修、79年の『草燃える』の先代・尾上松緑の名演をば髣髴するばかり。六波羅の家臣に「はっ」と思えば北条時政あり?「まさか」とよく観れば金田龍之介とよく似た俳優で『草燃える』とオーバーギャップ。
▼中共の趙紫陽・元総書記逝去。享年八十五歳。

一月十六日(日)昨晩送別のI君に残り少なき香港の日々で競馬に誘われ沙田競馬場。I君、I君の友人のL嬢、Z嬢と世の四名でキャセイパシフィック航空のボックス席にて競馬観戦。朦霧ひどく馬場の向こう側すら靄の彼方。地場のG1の董事盃(Stewards Cup)。競馬は昨年十二月の香港国際レースから実に一ヶ月ぶり。勘も鈍り(といってもともと勘があったわけに非ず)第3Rまで擦りもせずが第4RよりQP(=ワイド馬券)が3レース続きで当たり他の馬券の投資額+少々は回収が続き第7Rにて堅い1番、2番人気馬に対してこのレースが香港初戦となる三歳馬Hail The Stormといふ馬に注目。今日の20倍というオッズは期待薄だが豪州のBelmont競馬場にて04年4戦3冠1亜0負の好成績で調教も悪からず。これに期待で軸として1番、2番人気馬で流した結果、このHail The Stormが最後直線で9頭抜きで2着に入り馬券は2点買いで見事に連複53倍、QPは1?2着(18倍)、2?3着(32倍)、それにトリオ(41倍)と的中で本日はもうこれでじゅうぶんの高配当。第8RのG1はリーディング調教師争いでトップのCruzが香港カップ2着のBullish Luckと香港マイル2着のPerfect Partner、それに対してSize調教師はSuper Kid、High Intelligentなど4頭の参戦でまさにCruz対Sizeの様。一番人気はこのマイル競走でPerfect Partnerが1.6倍とダントツ1番人気。余は敢えてPerfect Partner外して四番人気のHigh Intelligentとしたがゲートインして出走直前にPerfect Partnerがゲート開けて飛び出してCoetzee騎手振り落として場内一周し退出のハプニングあり。結果、香港カップの貫禄でBullish Luckが1着。I君と一緒に競馬行って勝てた例しなく本日は初めてジンクス破る。I君も勝ってL嬢、Z嬢もそこそこ儲けあり、皆さん幸せで競馬場からタクシーで銅鑼灣。Z嬢とCitysuperなどちょっと寄る。ジムに一浴。帰宅。昼からの競馬場のボックス席で食い過ぎ。晩は何も食さず。明日の月曜から気分よくスタートできるように諸事雑務済まし机上の整理。ビデオニュースドットコムにてNHKの労組・日報労の委員長招いてのNHKの体質に関しての鼎談聞く。十二月には「ゆとり教育」取り上げ翌日だかに学力到達度の国際調査で日本の為体明らかになり、今回はこの取り上げで番組づくりの圧力など取り上げたあとに自民党安倍、中川の番組内容への関与明らかになり、と毎月何か取り上げると更に深刻な事態明らかになること続く。風邪気味でGordon Bleuのお湯割り飲み早寝。
▼昨日よりのセンター試験について十四日晩のNHKニュース10においてトップニュース!で週末は関東地方に大雪がセンター試験への影響と伝える。そこで気候の専門家登場し受験生に対して歩行の際は両手の自由がきくようにしておくこと、足が濡れた場合の寒さに対して替えの靴下の用意の二点を指摘。当然それに無思慮に頷くだけの今井環キャスター。公共放送の夜のニュースのトップで最高学府の門を敲く者に対して「両手を自由に」だの「替えの靴下」を告げるこのお子ちゃま社会。世界中でこれほど思考力なき社会が何処にあろうか。少なくとも北朝鮮のテレビ報道のほうが国民のなかで懐疑心でもって見られるだけ常識的かも。

一月一五日(土)快晴。摂氏十度。疲労感あり山走る気力もなし。午後に九龍に渡り按摩垢擦。今週たまった新聞乱読。中環は昭隆街の永楽園の熱狗(ホットドッグ)立ち食い。夕刻中環のハリウッドロードあたり散歩。中古カメラ屋何軒か覗く。ContaxのG2がBiogonの28mm/f2.8のレンズつきでHK$5,600は良品でお値打ち。カメラといへばニコンが1957年に発売の日本のレンジファインダーカメラの伝説の名機、ニコンSPを二千五百台限定で復刻し販売。七十万円。晩に所属のランニングクラブの総会。FCCの主餐庁のベランダにて開催。広東料理。三十名近き参加者あり四年に渡り会長の、この日剰にも競馬などで何度も登場のI君今月末に蘇州への「亡命」決まりその送別会も兼ねる。終わって三更までFCCのバーにて二次会。さまざまな話あり。
▼昨日の宮中歌会始。陛下の、戦さなき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々、といふ戦後の平和に執るご姿勢も、皇太子妃殿下の、紅葉ふかき園生の道を親子三人なごみ歩めば心癒えゆく、も皇太子殿下と愛子親王との三人の世界も興味深し。最も関心ひいたは同じ「頂き」を枕に皇太子殿下の、頂きにたどる尾根道ふりかへりわがかさね来し歩み思へり、と秋篠宮の、頂へ登り行く道歩みとめ山高く咲く花を愛でたり、に皇太子と弟宮の性格や置かれた状況など様々感じ取られる。この二人の自らの詠んだ歌に比べると婚約で話題の紀宮の、新しき一日(ひとひ)をけふも重ねたまふたゆまずましし長き御歩み、が父母の今日までの苦労を労ひ、噂に聞くところでは天皇皇后は「嵐のなかの皇室」にあって紀宮の存在がもっとも心安らぐ場所で紀宮の結婚が父母にとって愛娘が皇居去ることに寂しさもあり、と。この歌を聴けば確かに納得。

一月十四日(金)朝の気温摂氏八度。極寒。一昨年の暮銀座帽子商トラヤにて購ひし帽子香港にて初めて被る。今週は忙しさの極み。夕刻ひとまずこの仕事ひとつの山場越へ帰宅途中疲身に寒さ応へ独り北角寿司加藤に寄り熱燗につまみで赤貝三、四切。加藤のご主人忙しく今晩は青森県人会の宴会の由。さういへば昨日ふとしたことで青森出身のご婦人と幼きお嬢さんとお会いしこのお二人の余りの容儀の正しさにただただ敬服とふと漏らせば県人会に参加の方にその様な方ありと加藤ご主人に言われ宴会場覗けばまさにその方。改めてご挨拶。何度か寿司加藤に早晩の一酌といいつつ深酒ながら今晩こそと供されし湯豆腐に熱燗もう一合にて席を辞す。帰宅のタクシーの窓から眺めれば九龍は海鮮料理屋の並ぶ鯉魚門の灯り佳し。それでも尚を大老山は靄がかる。運転は巧妙にて而も礼儀正しき運転手に祖父母も父母もあの世代なら指先の切れる程のピン札出して「おつりは結構」とでも言はむところ財布には襤褸の札ばかり。今どき札入れにきれいなピン札など入れるは久が原のT君くらいのもの。礼儀もなき当世なり。雑煮。菊正宗。メール開ければ江澤さんといふ方からメールあり。何殿か記憶になくメール読めば余の十二月廿六の記述へのご丁寧なるご返事。余自らの勝手気儘な日剰の記述に先月の記憶もなく日剰紐解けば『サービスの達人』の著者と知る。今になってその著作をば読みもせぬままに朝日新聞の書評にて勝手な記載に余りにご丁寧なメール受領。ネットの世界など誹謗中傷罵詈雑言流言飛語が当たり前の中でかうおっしゃられては余は勝手恥じ入るばかり。失礼をば深謝。つい「客商売での雨の日の傘貸し」に何ゆへ余も反論したかといへば「お客にきゅうな雨で傘をお貸しする時はけしてまともな傘はお貸しするな、それではお客が恐縮する、たしょう傘(さん)の折れた傘くらいのほうがいい」と祖母から聞いた話ゆへ。田中康夫ちゃんではないが商売とはいへ本来のサービスとは「その見返りを期待せず施すこと」かと信じたいもの。清元で五代目延壽太夫に三味線は四代目栄壽太夫で「明烏」など聴く。

一月十三日(木)朝から雨。まともな降雨余の知るかぎり実に四ヶ月ぶりか。昼には雨あがるがこの雨にて大気汚染の煤塵少しでも失せること祈るばかり。昼すぎに気温摂氏十度まで下がる。忙殺され続け晩に僅かな時間惜しみ奇しくも通り端のマクドナルドにビッグマック食す。このファーストフードにてハンバーガーに食らいつきつつ店内見渡せばファーストフードといいつつ早食いは殆どおらず友と語る者、宿題済ます学生、晩の仕事のプレゼンテーションだかの準備する会社員や歩き疲れた観光客など一杯の飲物などでじっくりと粘る客ばかり。これはこれでひとつの世界あり。遅晩にタクシーの窓よりハーバー眺めれば雨のおかげで尖沙咀からホンハムまで夜景鮮やか。だが悲しいかな今朝の雨をもってしても大老山から獅子山は靄の向こうに煙る。ここ数日、羊骨肉、八角と花椒煎じたスープ朝晩と飲み疲労感多少解消。寒さにヴァランタイン12年でお湯割り。久々に『男流文学論』の続き読む。

一月十二日(水)曇。もう五、六年だか白黒写真の現像依頼の中環のColorsix先日訪れれば形跡もなき内装工事現場と化し移転先の掲示もなし。仕方なくスタンレー街向かいのそれなりに繁盛の現像屋に現像と焼付け頼む。写真受取れば焼付け曖昧にてColorsixいかに優れていたかと今更ながら思い知る。電話で探せば数軒隣りに移転。諸事に忙殺される日続く。
▼董建華八度目かの施政方針演説。先月のマカオ返還五周年での胡錦涛国家主席からの叱咤受けてのこの方針演説は自らの「査找不足」認め香港返還以降のバブル経済崩壊だの財政赤字にて十分な思考準備とこれに対応する経験不足認める。だが己の過去の過ち認めただけで引責辞任するほどの思考力もなく残り二年半の任期完ふと宣ふ。不幸。
▼巨万の富にて今では香港の環境破壊に走る李嘉誠の次男リチャード李澤楷、今年に入り姿見せず先月末の印度洋津波の頃より「失踪」噂されたがモルジブ沖での遊艇の事実認め津波被害には遭わず北京だの紐育など外遊続いたため香港不在と述べる。父が二百名派遣して愛息の行方探させたとか香港政府は現地での公的な香港市民の捜索とは別に香港財政界要人及び家族の安否確認と安全確保のため百の単位で捜査員派遣といふ噂もあり。
▼東京葛飾にて共産党のビラ配りにマンション「侵入」の男、住人に「取り押さえ」られ警察が二十日間にわたり身柄拘束し地検住居侵入罪で起訴。地検曰くビラの内容は身柄拘束や起訴に関係非ず。だが警察の拘留は「証拠隠滅」(笑)の恐れだそうで明らかに警察と検察の認識同じで危険思想政党取締り。幼き頃に「当時の」教義教派の共産党の時代ですら戦前の無産運動から活躍の老市議が古城の再建運動に取り組み共産党の県党代表の妻は地元の公立小にて立派な先生と皆に慕われたもの。祖母も戦前ですら東京の下町にて近所の「アカ」の運動家をば町内で何かと匿ったといふ。それが「今どき」の共産党でこの過敏対応とは恐ろしきかぎり。
▼対応過敏といへば01年のNHKにて慰安婦制度の責任者摘発く民衆法廷扱った番組につき自民党の若造・阿倍二世(岸三世とも云ふ)と中川二世、放送前日にNHKの幹部呼びつけ番組内容の偏向指摘し圧力かけNHKそれに応じて番組内容改め放映と朝日新聞の報道。慰安婦など実際には知らぬこの戦後世代の過剰反応。恐ろしきかぎり。結局は彼ら何をば恐れるかといへば戦争の頃のことなど自分には拘りなき事、に非ず。市井の者なら祖父だの父の世代の歴史否定的に扱われることにて直接の利害もなきところ二世、三世の代議士にとって代議士となれたは先考の行徳あつてのこと、その先考の活躍の時代否定的に見られては己の存在のアイデンティティにすら瑕がつくか。国を愛する心などと宣われても所詮、個々の所思だの利害あってのこと。

一月十一日(火)晴。地震津波に北極からの寒波での大雪大雨大洪水。香港は雨も降らず広東省の経済勃興による大気汚染。本日諸般いろいろ不愉快なこと多し。そんな日にかぎり唖然とするほど思考能力と常識皆無の方から電話での問い合わせなどあり辟易。対応に苦慮。疲れた日にかぎり携帯は忘れる、タクシーに乗れば自宅までの料金に見合うだけの現金持ち合わせず途中の天后站で降りれば香港に珍しくも站の地上周辺に銀行なく地下コンコースに降りれば恒生銀行のみで他行の機械は一旦改札入らねばならず改札潜りこれで出札せば入場料取られるのも癪なので結果的に地下鉄に搭りいつも以上に時間要して帰宅。シチュー。休肝日で食後に走ろうかと思ったが貰ったビデオに読売テレビの大阪ガス提供「大阪ほんわかテレビ」の年末特集あり「どーでもいい」情報喫茶店ランキングなどついつい見てしまひランニングの機会逸す。一ヶ月遅れで岩波『世界』一月号読む。寺島実郎氏などの文章読み、旅券保有率がわずか1割といふ閉ざされた国家・米国での総統選挙においてのキリスト教原理主義の強さや選挙での明らかな不正など、あらためて唖然とするばかり。原理主義といへば昨日、Tu女史もキリスト教からの乖離にはこの原理主義の受け入れがたさと言及あり。
▼信報に畏友登β達智君「元朗之醜」といふ随筆あり。生っ粋の元朗之子の登β君はこの地に千年の歴史有す旧家の嫡流。その彼曰く自然裕かなこの地の破壊は今日も続くが何よりも元凶は八十年代の屯門より元朗に至る軽便鉄道の建設。青山路の緑豊かな樹木がこの鉄道建設にて伐採され元朗市街はこの鉄道により南北に分断され醜悪さもさることながら自動車交通も不便きたし必要以上の渋滞招く。その鉄道建設が本来の目的がけして新界の公共交通網の整備にあらず英国にて建設需要減った軽便鉄道の供給であったと登β指摘。この大気汚染のなかこの醜悪なる元朗の街を眺める登β君の悲しさ。
▼周星馳の映画『功夫』について。数日前の朝日新聞にも褒められぬ映画褒める苦肉の映画評あり。かつての映画の都・香港にても最近で唯一集客ある周星馳は王家衛の如く容易く罵倒できぬ空気あり。そのなかでまず五日の信報に梁款なる人の「城市筆記」で周星馳に今以て無頼さ求めるのは筋違いと、その意味で魅力なきことを指摘。それに続いて、七日の信報に匿名の「周星馳要功夫」(周星馳こそ工夫が必要)といふ映画評ありこの映画に苦言呈す。この映画に失望、と容赦なく、まず物語散漫にて明確な主題なきこと。チンピラになること夢見る若造が突然どうして正義に覚醒め、どのようにカンフーの技力を学び、なぜ最後には仏にまでなってしまふのか……一切不明。それぞれの場面面白くとも物語全体として『食神』や『喜劇之王』『少林足球』に比べ見劣り。更に周星馳に対して「監督として」最も秀でた役者つまり周星馳の起用に浪費があり、この役者の最も素晴らしい演技を引き出せなかったこと。その原因は本人が監督兼ねることで周星馳本来の役柄、ネタを他の役者へ振ることで本人が他の役者のなかに埋もれた感あり、と。御意。そして十日には香港大学アジア研究センターの鄭建生なる助教授が『功夫』を例にして海外資本にて中国映画製作の難しさについて言及。『功夫』は制作費1億5千万香港ドル(二十億円以上)の大作だが海外で売れる作品に仕上げるための制作上の要求、制限も多く制作者として周星馳もかなりの苦労と関係者の弁。余の感想は実際に映画見てみれば「奇っ怪な中国映画」の域を出ておらず、とても世界水準で笑える作品とはいえず。『食神』のほうがよっぽど食の都・香港のイメージで受け入れ可であるし『少林足球』は少林寺といふ世界的にも有名な武道の寺とサッカーといふ世界で最も普及した球技の組み合わせ、その発想だけでもう面白そう。それに比べ『功夫』は異様なるシノワズリなり。

農歴十二月初一。香港の社会運動家で元・立法会議員「香港の市川房枝」Elsie Tu女史の講演拝聴。英国での生まれが第一次世界大戦開戦の前年。1951年に基督教団の派遣にて来港。民生改善に尽力し老いて同じ慈善運動家の杜学魁氏と結婚。本日の話は一昨年亡くなった杜氏との半生記である“Shouting at the Mountain”に基づき、多くの部分が最愛の夫たる杜氏の半生。余も91年だかに杜氏の尊顔に拝す機会あり。杜氏は蒙古の出自にて中共誕生の翌年50年に来港。当初宿飯に窮する学徒であったが多くの人の、それも貧しい人々の援助により社会福利団体と学校まで建設。Tu女史がこの杜氏の半生のなかで短いスピーチの中で敢えて強調したのが杜氏の中日関係について。杜氏は中国と日本の友好関係樹立のなかで残念だったことは天皇の戦争責任と謝罪がきちんとなされなかったこと、と。Tu女史は杜氏と出会ったのはキリスト教通じてだが宗教を越えた人権、社会正義のために二人の半生があった、と語る。早晩に北角。ジャワロードの回味古法清湯南にて清湯牛南食す。何度も店前通りこれまで一度も食さず。確かに美味。牛南注文せば痩肉か肥肉かと尋ねられ痩肉注文せば丁寧に痩肉だけ供される。北角街市。手足の寒さ痲れるほどにて大陸の黒草羊の冷凍肉骨、花椒に八角購ふ。滋養スープの為度のため。帰宅して5kmほど走る。晩食。大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム』読了。金子光晴『マレー蘭印紀行』も二度目で読み残しあり読了。シンガポールのところに朝日麦酒と豪州牛のすき焼きとあり七十年後の今日も朝日のスーパードライと豪州牛のすき焼きということは何も変わっておらぬと実感。偶然にもこの紀行の最後はスマトラで終わる。寝る前に『チボー家の人々』の気になるところ少し読む。築地のH君実家より若い頃に読んだこの本をば持ち帰りまた読み直しと便りあり。H君との談義でいくつか気になる点あり読み直し。80年ですでに76刷!で当時1巻1,200円。
▼この写真は香港在住の写真家M氏の撮影されたもの。鹹魚。いい写真なので借用して掲載。M氏のサイトはこちら
▼大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム』はどくとくのまわりくどさで読みにくい点もあるが興味深い考察少なからず。いくつか拾い出せば適者生存のルールを自らにのみ適用してしまったのが江藤淳という人の人生の態度、それが今日の保守論壇との決定的な違い。江藤における「母の喪失」が「日本」に連なる「母なるもの」や国土の「自然」の解体へと重層化しており、江藤はあらかじめ「母」を失うことでそれを所与の体験とすることで母の欲望を自ら諦念している。日本のナショナリズムで必要とされえちるのは「主観的な非連続感」を贖う「一貫した物語」であり、歴史教科書の問題の本質は「伝統」の創造の一形態としてそこにあり、教科書批判の底流には「伝統」の創造あるいは捏造という遅れてきた近代的同期があり、だからこそ彼らの言説はまるでパロディのように国民国家形成時の言説を反復している。保守派による戦後日本のナショナリズムの構築も「天皇」や「君が代」という根拠を曖昧にすることで成立する奇妙さがあり、日本で再構築されている「国家」とやらが実は保守論壇から目の敵にされ続けた所謂「戦後民主主義」という仮構のレッテルを貼り替えただけのものであること。
両「村上」への批評も興味深い。江藤淳が村上「龍」に対して批判したことは「作者の名によって語られ且つ作者が作中に登場することで、語られたことのリアリティが無条件に立証されてしまう言説のあり方」で「若い作家たちが所与のものとして私小説という制度にリアリティの保証を委ねていること」。村上龍が「小説のリアリティに対して作者の腰が引けている」という事実。例えば『イン・ザ・ミソスープ』のなかでこの連載時期に「偶然起きた」神戸の少年による殺人事件をあとがきに引用することで恰もこの事件発生が予言されていたように解釈することなど、村上龍が「自分の小説がただのフィクションであることに耐えられない」こと。それに対して村上「春樹」については本名を名乗りながら小説家としての「私」の根拠を一連の虚構から成る作者に置くことで「私」の無根拠性を積極的に露わにしてしまう、もので、「私」を成立させることをめぐる春樹の禁欲性があり、「私」と歴史が徹底して乖離していることをまず確認し、そのことを立証することで初めて語りえた小説家が春樹であり、春樹を意図的な来歴否認者と見る。その出自がどこにも存在しないことを示し、そのような徹底した虚構の「私」として春樹があること。この春樹評でふと思い出したのが92年くらいだろうか香港でも春樹ブームがかなり高まりふだんあまり小説など読まぬ若者が、とくに当時の香港で西武系のLoftで働く感覚の若者の間に春樹がかなり読まれていたこと。あの当時の二十代の若者が春樹を読んだことは当時、余はたんにブームとしか理解できずにいたが、今になって思えば香港返還をひかえ歴史がひしひしと身体の近辺に寄ってきたあの時代、歴史のなかに我が身を置こうとする言説に対して、それとは対峙する、この歴史との乖離という感覚が心地よいものとして香港の若者に受け入れられたのではなかろうか……(などと、九十年代の富柏村が『香港通信』で書いていたようなノリだが)と思ったりもする。

一月九日(日)快晴の日曜日仕事たまり午後まで机に向かふ。ジムにより中環のIFC。レーンフロフォード百貨店のIFC店覗く。中環皇后大道中の本店にかわる旗艦店なり。保守的正統派の本店に比べかなり垢抜けの店狙ふ。九龍側には尖沙咀にもオーシャンセンターに大型店あり。二店舗の賃貸料払うだけでどれだけの負担か。億の単位の改装費も回収できるものか常識的な判断では×だが。Z嬢とIFCの映画館にてアメリカ映画『オペラ座の怪人』観る。「オペラ座の怪人」ぢたいブロードウェイのミュージカルでありこの映画がアメリカ映画なのだから十九世紀後半の巴里のオペラ座舞台に登場人物が英語話すことも音楽がポップス系であることもおかしからず。アメリカ映画であるから感動場面がタイタニック風なのも後半のオペラ座地下への侵入がインディ=ジョーンズ的なのも至極アメリカ的。フランス人が観たらピンとこないが純粋に「よくここまで映画作れるな」とエンターテイメント的に感心。「勝手に作る」ことがその意欲かも。ただし残念なことは主人公の怪人(Gerard Butler)にもクリスティーヌ(Emmy Rossum)にも恋人役のPatrick Wilsonにもどうしても魅力感じられず例えば怪人がStingであればストラヴィンスキーの「兵士の物語」で見せた技量でもっとカッコイイだろうしEmmy Rossumは容姿も「ちょっとアンタ『オズの魔法使い』じゃないのよっ!」とピーコ的にコメントしてしまいそう。結局クリスティーヌの優柔不断さがオペラ座を破壊させるほどの惨事の引き金になっているわけで、それでクリスティーヌを責めるわけにもいかないのだが。でもブロードウェイの傑作をあれだけの映画にしてしまうのがアメリカなのよっ、と小森のおばちゃまも享年九十五歳にて逝去。終わってフェリーで尖沙咀。まだKCRの工事現場乱雑なる尖沙咀を尖沙咀東まで歩きRoyal Garden Hotel地下の東来順にて羊肉のしゃぶしゃぶ。葡萄酒は山西省のGrace VineyardのTasya's Reserve 01年。羊は秀逸ながらスープもついつい飲んでしまい明日からだが羊臭いことが心配。前回、香港国際レースで競馬場で前晩に羊食した私らのあたりがぷーんと羊臭い経験あり。ふと思ったがこのホテルにはこの店といいイタリア料理のSabatiniといい好評のレストランありチョコやケーキまで有名だが隣のRegal Kowloon Hotelは入ったこともなければ噂も聞かず。同じ規模の同じ格のホテルでもかなりの差異あり。帰宅して大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム』続き読む。

一月八日(土)疲労困憊正午まで睡を貪る。昼にうどん食しまだ朦朧と小一時間臥床。午後遅くどうにかジム。晩に豆乳で鍋。休肝日。田村氏の『人民元・円・ドル』のうちかつては素読の最終章あたり読み直す。まだ睡魔に襲われ臥床熟睡。

一月七日(金)諸事にかなり忙殺されるがどうにかやるべきことの整理済ます。A氏より招飲ありA氏宅にて新年会。焼酎「百年の孤独」と東酒造の「寿百歳」飲み気持ちよく酔ふ。深更にBar SeedにてCarol Ila飲む。
▼政府行政長官弁公室主任(日本の内閣官房長官に該当)の林煥光昨日突然の辞職。年末から元旦にかけ妻には北京出張と偽り愛人の女性弁護士と東京旅行。六本木のグランドハイアットホテルに宿泊の写真本日発行の『忽然1周』に掲載の由。この報道に応じての辞職だが実際には行政長官弁公室主任の職務上の軋轢だのありとの噂。林煥光の華道教授の妻この夫の不祥事に「既婚の男に恋せしこの女性に同情するは機会あっても成就し難きものゆへ」と大人の女の度量と貫禄示し「うちの旦那は百合の花より凛々しく自分は花瓶のようなもので花と花瓶が一緒になってこその美しさ。ただ花が美しければもう一つの花瓶にさしても美しいわけでどの花瓶もその百合の花と一緒にありたいと願うもので美しさも増す。それゆへ花瓶はその花が他の花瓶とともにあることを厭ってもおれず。ただ花と花瓶はいつかは訣れる時があり縁がありもすればなきこともあり、いつも一緒にはおれず、いつも美しくいられるわけにもあらず」と夫の不倫に寧ろ同情示し夫の浮気あっても自らと夫はそう易々と離縁するほど弱い縁しにあらずと。敬服。この夫人をば行政長官弁公室主任に抜擢も可。
▼霍建寧に電訊事業での政府の誤謬揶揄され香港政府工商及科技局局長曽俊華「競走厭ふ企業に商機などなし」と反撃。企業の事業撤退をば政府愚策ゆへと文句つけられては呆れると政府と蜜月のはずの李嘉誠財閥のトップの発言に公然と反論。政府と財閥すらこの分層化。誰も一体感などなき社会となりけり。

一月六日(木)晴。諸事に忙殺され晩十時に至る。銅鑼湾そごう裏の利苑に粥食さむと参れば満員待客ありJaffe Rdの期待もできぬ麺専門店に入り鮮肉水餃麺注文せば10ドル加算にて小菜と飲物付くだの煩く麺のみでよしと注文押し切れば暫くして給仕戻り来て水餃売り切れにて雲呑でも宜しいかと言われ雲呑でもよいからとにかく麺だけと督せば再び戻り来て雲呑は蝦、豚肉、野菜とあるがとまた説明。蝦でいいからと待つこと五分。漸く鮮蝦雲呑麺供されるが期待通りの不味さ。麺も厳選と威張るが湾仔埠頭餃子の売る冷凍即席麺の麺のほうがよっぽどマシ。で32ドル。専門店気取りで何も良さ伴わず。Bar Seedに一飲。華南ビジネスのコンサルタント業にて香港にて著名なM氏実物初めて拝顔。Carol IlaのConnoisseur's Choiceで91年物開栓いただき12年物と飲み比べれば12年物の多少荒削りな芳香に比べ加えた水に負けるほどの繊細さ。ストレートで楽しめるが飽き易いかも。
▼李嘉誠の長江実業トップで年収五億円?香港サラリーマン最高の高給とり霍建寧、長江参加の携帯電話ビジネスのうち不振なるCDMAからの撤退等により七百五十名の職員解雇など表明。この撤退も政府の電訊事業政策の不備の由と揶揄。企業決定であり一概に非難できぬが霍建寧のへらへら笑い顔での取材対応に甚だ呆れるばかり。もはや企業も創業者並びに経営陣と他職員との温度差。
▼尖沙咀のスターフェリー近くにビクトリアハーバー見渡す高台、鬱葱と樹木茂る一角あり。かつての香港水上警察本部。ここを「再開発」にて李嘉誠の長江財閥が警察本部のコロニアル建築の洋館活用してブティックホテル建設を画策。建物朽ちるよか再利用は宜しいが、その鬱葱と茂る樹齢百数十年の樹木をば百本以上ほぼ全面的に伐採。暴挙。香港など李嘉誠筆頭とする財閥の私有地と化し何でもやりたい放題の開発続く。

農歴十一月廿五日。小寒。キャセイパシフック航空の利用にて十一月の香港→関西の便のマイレージ加算されず十二月初にマルコポーロクラブのネット上にて請求せば過程にエラーあり加算できず更めてファクスにて申請し算入され一件落着したものの余のマルコポーロクラブのネット上の個人記録ではこのエラーの記録がいつまでもトップに残り目障り。すでに別途加算済んだものでその記録が下にあるのだから取り消したいが顧客側からの取消しできず。それゆへクラブに電話して事情説明すると電話に出た職員は電脳のネットワークの不通で余の記録ネット上では見えぬがと釈明しつつ「自動的にエラー記録は消える」と言うので「もう彼此一ヶ月は消えておらぬ」と答えれば逃げ口上で「問題はない」「ちゃんと加算されているのならエラーの記録があっても合計マイル数には影響がない」と宣はれる。確かに問題はないがユーザー側からしてみればネット上で個人の記録見る度に意味のないエラーでの記録が残るのは目障りなので消して欲しい、と説明しても一向に応じようともせず。マイレージといへば所得税の支払いもあり。一括で払うべきか年利僅か0.1%で納税ローン組むべきか。悩んだ末に納税しても何のベネフィットもないのは癪でクレジットカードで支払い。ローンの金利に比べたらその三倍分くらいは価格価値ある分のマイレージ累積あり。クレジットカード会社、この納税扱い、まさか税務署から手数料も取れず何の利益あるのかと思えば彼らの利鞘はローン組んで返済遅れた場合の金利と遅滞手数料だとか。カードでの納税者の1割だか2割が返済遅れることでの金利発生があり、それを期待してのサーヴィスなのだそうな。諸事に忙殺されさして綴るほどのこともなし。晩にカレーライス食しワイルドターキーのバーボン飲めば睡魔に襲われ朦朧としつつ柚湯につかり臥床。
▼インドネシアやスリランカでは津波の犠牲で家族失いし孤児1人50米ドル程度で人身売買の危険に晒されると報道にあり。奈良の少女殺害ではないが津波災害の混乱は「好事家」にとってチャンス到来か。最悪。スリランカといへば英国人の超有名作家の愛童癖当地警察が立件したものの英国にてサーの称号もつ作家ゆへ英国政府の介入で事件は闇に葬られたといふ話もあり。話は変わるが、先日この津波災害の報道を実家で見ておれば老母曰く「この子どもらにずっとこの恐怖の記憶残るのだろう」と。日本でも大きな事件だの自然災害起きれば精神セラピストらによる心理安定図られる。だがふと「昔だってもっとひどい惨事あっても当時は心理治療もなければ、その子どもらも真っ当に生きているでしょう」と余が言えば母は「そうだよねぇ、死んだお祖母さんだって関東大震災の時に十歳だかで日本橋の火事のなか逃げ惑ったのだから」と。確かにそれも事実だが余は母が四谷の空襲で罹災し焼け焦げた死体のなかを東京から疎開したこと思い出し、それを言ったつもりが、当の本人は自分の母の震災の記憶辿っていたとは。戦争の空襲の時のこと言えば「確かにね、ほんと今思えば大変だった」とようやく思い出す程度。空襲での悪夢に魘されもせず。自らの精神力にてさまざまな苦しみ乗り越え、かくも強くありたいもの。
▼蔡瀾先生。ゴールデンハーベスト社リストラされた元映画プロヂューサーで現在は美食事業から旅行ツアコンまでこなす香港一(原稿料の高い)随筆家。本日の蘋果日報に久々に「日本を理解する」コラムあり。題は「焼酎」。日本でいま大流行の焼酎だが元々は韓国からの伝来。韓国人は日本酒を「正宗」と呼ぶがこれは「菊正宗」から取ったもの。韓国には「真露」といふ焼酎あるがお世辞にも美味い酒にあらず。韓国人が日本に渡り日本の白米で焼酎つくり始め美味い焼酎が産出され、その中でも有名なのは宝酒造の「Takara」焼酎。四、五十年前その商品広告は韓国人が沢山住んでいた東京は御徒町周辺でしか見られなかったが価格が安いことで苦学生の間で焼酎が流行り始めたもののその奇っ怪なる味に慣れず酸梅をば口に含んで焼酎飲み干していたもの。当時有名な大衆酒場に京成電鉄立石駅近くの「宇多」があり店ではモツ煮など食いながら梅焼酎が飲まれていたそうな。でその苦学生らが社会人となり焼酎は水割だの烏龍茶、ソーダ割だのが誕生。今では焼酎もかなりブームとなり沖縄の泡盛が最も優れているが韓国焼酎は「Takara」を除いてまだ歓迎されていない。テレビで韓国ドラマが人気が出たから日本人も韓国焼酎を飲むようになるだろうか?、と蔡瀾氏。蒸留技術が室町時代に南方から渡来し十六世紀には鹿児島で焼酎蒸留の記録があり宝酒造は京都で天保十三年からの歴史あり。韓国で日本酒を「正宗」と呼び「菊正宗」から由来。四十年前に御徒町で宝焼酎が評判だったとか。韓国焼酎は日本で歓迎されておらず?……いちいち否定し指摘したところで蔡瀾「わたしはもう老年だから何を書いてもかまわない」と冗談ともつかぬ釈明しかせず。明治屋産業の京王百貨店での牛肉偽装販売についてこの明治屋産業を日本橋銀座の高級食材の明治屋と勘違いしてさんざん悪口書いた際には明治屋からの抗議でこの看板随筆「草草不工」に訂正とお詫び掲載されたが。宝酒造の出自が韓国かどうか知らぬが(韓国でも日本でもいいのだが)少なくとも宝酒造の焼酎が日本で韓国焼酎として評価されているといふのは不正確ではなかろうか。

一月四日(火)曇。大気汚染甚著。昼にハッピイヴァレイの日本料理・慕情にて白味噌仕立の雑煮供さるる。年末よりの飲酒にさすがに本晩休肝をなす。
▼台湾財界重鎮辜振甫氏逝去。享年八十七歳。対中交流の海峡交流基金会理事長務め中共も礼尽す大人物。東京帝大卒。朝日に「日本の植民地時代、日本と関係が深かった富豪の家庭に生まれ」とあるが具体的には辜振甫の父は台湾総督府より専売品特権売買の認可受け土地開発などにも力入れ一躍大地主となり台湾四大家族の一と賞され軍事物資供給などまで幅広き商内にて子会社には所謂「慰安婦」提供業務までありその史実につき辜家否定も肯定もせず沈黙通したりと蘋果日報に記述あり。辜振甫東京帝大卒業後一九四七年には台湾にて台湾独立運動担う「台湾自治委員会」結成。国民党の台湾接収後に密告により検挙され二年余刑務所入り。出所後台湾セメントなど実業で成功し八二年に国民党中常委となる。李登輝と境遇近し。辜振甫同父異母の義弟・辜寛敏は台湾大学在学中に台湾独立運動に加わり日本に亡命し運動続けし筋金入りの台独運動家にて七〇年代一旦は台独の主張放棄し台湾に戻りしが八十年代後半に戒厳令解除後再び台独政党結成するなどして民進党阿扁総統就任後は総督府資政。辜振甫自身は台湾の有力な財界人にて李登輝総統就任後その人智買われASEANの台湾代表だの対中交渉といふ台湾政府の重要な役を演ずる。また演ずるといへば京劇の愛好者どころか自ら京劇団主宰し舞台に立つ玄人顔負けの役者であり紳士然とする上に教養その姿容貌に満ち溢れ若い頃の女形も美しく中共でいへばまさに周恩来に匹敵。信報に「深感辜振甫爲人處世自有其令人欽佩之處、其服飾儀容、表情聲調、語言修辭、使他在會見部屬訪賓之時、常態營造出融洽氣氛、加上他學識淵博、談吐平易、内力深厚、而又坦蕩明朗、雖身處上層政商關係之間、但在己趨複雜化的臺灣政黨權勢角逐中、仍態從容矜持、親切自在、贏得人前及人後之無比的尊崇 」と辜氏に仕えた陳自創なる人の追悼あり。辜振甫の人柄見事に著し墓誌にその儘銘むに値する名文なり。その陳氏綴るによれば辜振甫の伯父・辜鴻銘は清末民初の時代「怪傑」と呼ばれる程東西九言語に精通し林語堂と孫中山(孫文)をしてその英文造詣中国第一と褒えられたる文化人。辜振甫夫人は曾祖父が清末に溥儀の帝師(学問教授役)まで務め祖父の厳復は中国にて最初の英国留学生。

正月初三(月)曇。燈刻北角寿司加藤。日本経済新聞の編集委員T氏の尊顔に拝す。ご家族とZ嬢も一緒に熱燗に酔い歓談三更に至る。昨秋恰度氏の著作『人民元・ドル・円』読了の頃驚く勿れ偶然に氏とお会いする機会あり。って書名まで示してお名前イニシャルも妙か。もう一つ偶然にも昨暮寿司加藤にZ嬢と訪れし折加藤のご亭主に、「知己の日経のTさん」から電話あり寿司加藤の客でTさんに「よくメール出していろいろ詳しい人がいる、と尋ねられ誰だろう?」と尋ねられ加藤のご主人「それなら」と察したは余であったそうな。光栄だがT氏にメール差し上げた事実もなく誰か他の方では?でその場の話終わったがT氏に誤解されるのも何なのでT氏にメール差し上げればすぐにご返事いただく。コトの次第はT氏偶然にもこの富柏村サヒトご覧になり饒舌なる日剰読まれれば寿司加藤とあり興味もたれ加藤のご主人に尋ねられた由。そこでそれが暫前お会いしていた我が書き手とわかって驚かれたと。恰度来港され本日の晩餐となる。素人ながらに中国経済でいろいろお尋ねしたき事あれど余は正月気分すでに熱燗でかなりいい気分になりとても堅気な話お尋ねもできず。大人(da-ren)といふ風格のある方に久々にお会いした感あり。
▼此処も多くの被害者出ている香港でインド洋津波被害につき昨日の帰港から様々見聞きして香港の対応の良さに驚くばかり。最初に最も感心は空港にも入境審査の手前に香港政府当局の職員が罹災者対応のカウンター設けて罹災者の来港居留についての緊急対応。
▼紅白視聴率ついに四割下回る快挙。韓国芸人招聘だのして松平健のマツケンサンバに肖つても無理は無理。新潟中越地震など自然災害相次いだ年に「被害者励ます集大成」などと被害まで「利用」した結果がこれ。テレビ芸能に詳しき松山の友人S君は明らかに白組充実でマツケンサンバでもはやフィナーレであったが最後に小林幸子が新潟の地震被災者に歌うことで予定調和的に紅組の勝ち決まつていたところがNHKらしさ、と。御意。海老沢勝二は本番前に「史上最高の紅白になる」と嘯(うそぶ)いていたそうだが結果は視聴率史上最低となればその引責で会長辞任すべき。「嘯く」が本来「吠える」意味なのに海老沢の場合「嘘吹く」である。これまでNHK支えてきた「年末には紅白」の「コアな愛聴者」が逃げた結果。TBSのレコード大賞も視聴率一割。同局制作局長「歌番組を生放送でやる魅力が乏しくなってきた」と語るがそうではなく、かつての「国民歌謡」的な、例えばひばり、襟裳岬の森進一(紅白で見てずいぶん「お顔が変わった」と驚いたが)やシクラメンのかほりの布施明の如く老若男女誰もが口遊む歌がなくなった結果。ひとつ検討すべきことは明治以来の無理な太陽暦での暮れと新年止めて農歴にでもすれば?。アジア回帰。クリスマスが国民的風習となった今ではクリスマス休暇設けて年末はそれで陵ぎ旧正月もがっちりと正月。気候風土には見合った元来の正月。ついでに学校も九月始業で四月で桜などといふ「散り際の美」の排除。子供は六月下旬から二ヶ月しっかり夏に遊ばせて。太陽暦の1月1日の元旦も4月の学校始業もわずか百数十年前の無理な「現代化」で結果に様々な軋轢ばかりなのだから、この際抜本的改革はその廃止の筈。

正月初二(日)快晴。箱根駅伝テレビ中継あり。昼前に妹の自動車で家を出で一路成田空港。雲一つなき青空の下車内汗ばむ程。鹿島灘走る筈がカーナビ鉾田から橋本登美三郎とNHK海老沢勝二の故郷の町「潮来」抜ける路線選ぶ。何度でも綴るが海老沢NHK政治部記者となり同郷で早大政経学部同窓の橋本の知遇得る。日経の鶴田も茨城の出身。日本の報道の根本この茨城の田舎者らに支配されたと思ふと野卑な話。海老沢もNHK離れたくないなら会長職などに執着せず本来なら茨城に戻り受信料集金係にでもなり視聴者一人一人の苦言受け詫びを入れ受信料頂くべき。北浦から利根川渡り千葉へと入り国道沿いの何の変哲もなきラーメン屋にて昼食。今どき百円「おみくじ」が各テーブルにありいたく感動。箱根駅伝五区の箱根の上り坂。順天堂大学の選手の驚異的なる走りに驚くばかり。ハイライトとショートピース人の土産に購ふため途中の店に寄れば(実は免税店でもちゃんとハイライトもショートピースもあり「空港では売ってない」と云った某君に煙草税金計二千円請求したきところ)その店の帳場で景品は「ライターかタバコのどちらがいいですか?」と尋ねられタバコ買って景品「タバコ?」と思えば訛りで実は「たまご」。十一月に梅田の新阪急ホテルにてセイフティボックス利用の際に「ナマ物とかありませんよね?」と云われて以来の驚きに凍りついておれば半打入りのタマゴ出される。なぜタバコでタマゴ六個も貰えるのか、さすが千葉。やはりタマゴは取扱注意で預けるのか割れ物だから機内持ち込みか、身体検査の際にタマゴもX線通すのか、と笑っているうちに対向車と擦れ違うも難儀する、狐でも出そうな山道を越え全日空ホテルの裏に出て成田空港。検問は旅券見せ「ご出発ですか?」と尋ねられ「はい」と答えると「ターミナルは第1?第2?」で「第1」と答えるだけで通れるわけで、旅券と航空券すら提示求められず(といっても航空券ぢたい発券省略されているが)何のための警備かわからず。「ターミナルは?」と聞かた際に「第4」と答え警官が「えっ?」と退いたら追い打ちで「第4ですよ、第四インター」なんて答えるとウケるのだろうか。だが今どきの若い警官など第四インターぢたい知らぬかも。キャセイパシフィック航空521便。滑走路二十分も走り離陸。見事な夕陽背にした富士を愛でる。東都上空から銀座から皇居、新宿まで昏時の灯火に見惚れる。酒は黒松白鹿一合。機内で香港紙読みインド洋大津波での義捐金、香港ですでに三億ドル近くとあり。四十億円。大阪市程度の人口規模でのこの額。川瀬巴水の木版画集『夕暮れ巴水』読む。リンボウ林望先生の詩が大正から昭和の近代の東都の風景の木版画に添えられる。実家に巴水の木版画あり。銀座と思われる昏時の市街にぼんやりとガス灯ともり「東をどり」といふ看板。その下に寿司屋の屋台あり。幼きころ暫く実家の玄関に掛けられ馴染みの木版画。だが版画サイト巴水の作品集にこの作品掲載されておらず「なんでも鑑定団」的にヒヤッとするが唯一確かなことは昭和廿四年に故郷の町の商工会議所が巴水の展示会開催しておりその開催者の一人が我が祖父で巴水本人より入手のはず。このたび香港に持ち帰ることとすると老父にこの本も持たされる。うとうととしておれば侯孝賢監督の『珈琲時光』流れているとZ嬢に起こされ「これさいわい」と眺めるが三分ももたず再び寝入る。大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』少し読む。恰度一年前の今日に成田より香港に戻る機内で江藤淳『妻と私』読んだ記憶鮮明。香港空港に着陸し僅か五分でゲートに繋がり六十五番とかなり遠方ながらさっさと入境手続きから荷物受取りと済みエアポートエクスプレスとタクシーで飛行機着陸から七十分後には自宅到着。さっさと旅荷片付け日常の生活に戻る。夜半の気温十二度と極寒なり。

正月元旦。快晴。朝遅く神崎寺に妹らと墓参り(昨日は掃墓)。遠くに筑波山眺める。機会あればぜひトレイルしたき山。昼前に実家で新年祝賀の儀なんちゃってお屠蘇は十一月に余も訪れし岡本寺のご住職より贈られた奈良明日香の梅乃宿。おせち。卵焼きは京都のどの店、鮭の粕漬は金澤の十字屋、昆布巻は……と諸国のご馳走あり。どの局もお笑い番組ばかりのなか若手芸人のうち「ますだおかだ」の古風なしゃべくり漫才に笑ふ。実業団駅伝テレビ中継眺めつつ〇四年四月に東京国立美術館で展示の弘法大師入唐千二百年記念「空海と高野山」展の図録も眺める。火燵にはいり鉄瓶に湯の沸く火鉢に寄りかかり清酒飲み続け微睡み。午後NHKで新春檜舞台の番組あり。錦糸の三味線で住大夫の浄瑠璃と團十郎、海老蔵の「お祭り」見ようと思い梅玉・芝雀・松緑の舞踊はまぁいいかと、ついTBS「超豪華!芸能人初暴露マチャミくりぃむ旅館」は今日の昼のお笑い番組で一番面白いと笑っておれば新春檜舞台はなんと成田屋の「お祭り」が午後三時の番組開始の冒頭で終わっておりすでに見逃し番組のトリは花柳壽輔の「しずのおたまき」の舞。この舞はどう表現すればいいのか。表現絶する、いろいろな意味で。晩に「てっちり」食す。元旦お決まりのテレビ番組見る。

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