丙戌年正月初三日。久々に宅配のSCMP紙の一面トップに“Tokyo plays down
call for Akihito shrine
visit”とあり何事かと思えば外相麻生某の陛下の靖国参拝云々の放言。三日分朝日新聞も届く。新聞読み午後からの新春賀歳競馬の予想と馬券購入済ませ
(成果惨憺たるもの)昼前に裏山に登り10km程走る。大潭のダムが干上がり驚くが雨水不足に非ず大潭のダムのうち「上」ダムで数年来のダム工事完成し一
気に放水してみたゆゑの干上がりと察す。もし干上がったなら「中」と「下」のダムにまだ随分な水量ある筈もなし。南湾の海岸にて広津柳浪の『河内屋』を岩
波文庫の91年の復刊で読む。バスで中環に戻る途中『黒蜴蜓』を読む。明治の社会小説は兄殺し未遂の兄嫁との無理心中だの嫁の義父殺しだの、実は平成の世
も変わりなし。『黒蜴蜓』は落語で人情話に仕上げて今ならかなり熱演になろうが談志だろうか、で聴きたいところ。だが望むところでは圓生が淡々と、が良か
ろうか。FCCのバーでまだ陽も高き夕刻に一酌。柳浪の『骨ぬすみ』を読みながら帰宅。岩波の1952年のこの文庫本は『河内屋・黒蜴蜓』でもう一編の
『骨ぬすみ』は「他一篇」と片づけられてしまう。わずか三本の合本なのだから『河内屋・黒蜴蜓・骨ぬすみ』としてあげればいいのに。『骨ぬすみ』もまた柳浪
らしい悲劇。
▼外相麻生某の放言。朝日によれば麻生某が軽々しくも
私自身があそこで一番問題だと思うのは、祭られている英霊の方から
すると天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳といった人は零ですよ。ぼくはそう思うね。だったら天皇陛下の参拝なんだと思うね、それが一
番。名にでできなくなったのかと言えば公人、私人の、あの話からだから。それをどう解決するかという話にすれば答えはいくつか出てくるんですよ。ぼくはそ
ういって形にすべきだと思っているんで、答えがいくつかないわけではありませんが、そういう問題にしてやっていかないと。
不届き千萬。戦前であれば天誅。陛下のお気持ちを思えば「麻生は何もわ
かっていないね」の一言で外相更迭どころか内閣総辞職。さすがの強硬派官房長官安倍某も「参拝は私人としての行為に位置づけられるが、天皇陛下という立場
に鑑み、社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討し宮内庁で対処してきている」と焦り隠せず。だが問題は、この官房長官談話の「日本語の美しさ」
など海外には伝わらぬわけでAFPや共同電引用のSCMP紙によれば安倍某の談話は“The Japanese Government yesterday
played down demands for Emperor Akihito to visit the controversial
Yasukuni war shrine, saying he was unlikely to do so but not
ruling out a visit. Chief Cabinet Secretary Shinzo Abe siad the
Imperial Household Agency continued to “carefully” consider whether the
emperor should visit the shrine, “taking into account the social
climate of the time and other situations concerned”だの“If the emperor were to visit
the shrine, it would be considered a private visit in nature”となり政
府は宮内庁をして天皇の靖国参拝に積極的とは言わぬが可能性模索と受け取られる。言語道断。外相麻生某の放言は大臣という立場の者がここまで陛下のお立
場、お考えも理解できぬかと唯々呆れるばかりだが実は明治の元勲から昭和始めの麻生を含む財閥コンツェルンに至る人たちこそ天皇をば近代国家の統治装置と
しか考えていないフシもあり。そういう意味では外相麻生某の不遜な発言も麻生の御曹司として本音といえば本音か。それにしても麻生某の根本的な理解の乏し
さ。靖国神社はアニミズムでも先祖崇拝とも何の関係もなく「この世に幼いこを残し、年老いた親を残し、これからの人生を戦場で失って無残な死を遂げた魂が
死ぬに死ねずにこの世に迷い続けるのを鎮めるためのもの」であり「怨念を犠牲者への怒りに転ずるのを防ぎ顕彰装置を国家神道をかりて作り眠らせる装置」
(岩波『世界』05年11月号経済社会戯評)であり天皇の靖国参拝がなぜA級戦犯合祀以降に行われないかと言えば日本がA級戦犯に戦争責任を全て押し付け
ることで天皇も国民も戦争責任から免責となった事実。それがA級戦犯が靖国に合祀されると戦争責任も実は天皇にある、と言っているようなもの。それゆえ昭
和の先帝もA級戦犯合祀以降に靖国は参拝できず。寧ろA級戦犯にしてみたところで何よりも大事は陛下の御世と國軆。ならば敢えて自らが戦争責任被ることで
お邦が安泰ならば満足できようものを自らが靖国に合祀されたことゆゑに陛下の参拝も適わず下々のお邦のために死んだ兵隊に申し訳もたたず而も半世紀以上も
経て小泉だの麻生だだの何等國軆の大事も理解できぬ若造の言動に呆れて言葉もあるまい。小泉、安倍、麻生だの保守に非ず、たんなる新自由主義。小泉内閣支
持率が45%に下落、と朝日新聞。小泉支持率支えた大都市と女性の支持が下落とか。つまり石原をば知事に選ぶ都民だの「女性」が諸悪の根源か。都民にも、
女性にも良識ある人はいるわけで「小泉支持率支えた『バカ』が今になって小泉支持から離れる」と書くべき。バカと書いていけぬから、と大都市住民や女性を
スケープゴートにする勿れ。
▼昨日の朝日に「君が代に2番を加えたら」(こちら)
で一躍名を馳せし朝日の論説主幹若宮君のまたも安易な、今度はナベツネ贔屓の文章あり(30日「風考計」のコラム)。ナベツネと宿敵読売新聞を靖国問題で
こうも仲間贔屓の如く讃めるが、やはり小泉三世や現行の自民党執行部の野蛮に至るまで保守をダメにした一翼をば読売新聞が担ったことも明白で、その責任の
追及もなく若宮君のノーテンキな節操もなき読売評価に言葉もなし。
▼ジャズピアニスト本田竹広氏の12日の逝去を今になって知る。享年60
歳。最初に聴いたのはFM東京の深夜放送でネイティブサンの演奏。ライブで一度聴いたのみだが90年代後半に二度の脳内出血。半身不随。リハビリでピアノ
弾き片手で「赤とんぼ」。昨年7月に紀尾井ホールで学生時代に好きだったベートーベンとショパンもう一度弾きたいとリサイタルするが体調不良で「月光」だ
け弾いて後半は自作のジャズ曲。山下洋輔氏が「クラシックでもすごいピアニストになっていただろう。だが結局、ジャズに向いていた。荒ぶる神だ」と。最
近、ドラムの森山威男氏に電話で「ヘイジュードをやろう」と共演の話を進めていたが自宅でピアノの練習の合間に指の手入れをしていたのかピアノ近くで倒れ
ていたという。
▼ビデオアートのナムジュン=パイク(白南準)氏がマイアミで逝去。73
歳。中森明夫の『東京トンガリキッズ』よりちょっと前の1980年くらい、光州事件の頃、YMOなんてクラフトワークの真似じゃない?なんて喫茶店で語り
ながら当時はまだマイナーだった『ぴあ』でロードショーなんて目もくれず地味なATG映画だの寺山修司の回顧展なんかに目を凝らしていた少年たちのとって
「在日」の白竜はライブを友達が企画するほど
近いところに存在してナムジュン=パイクは遠い紐育で脚光浴びていたが憧れだった記憶。
丙戌年正月
初二日。めずらしく朝七時になるまでの熟睡。日本の新聞、配達は元
旦と今日と無し。午前、馬鞍山行きの海隧バスで馬鞍山の恒安という処まで行きKCRの馬鞍山線で大圍のほうに引き返し車
公廟に参拝。
暦
にては明日が縁起よき日にて多くの参拝客で賑わうが今日も正月初二は車公の生誕日とされており人出多し。朝は
曇っていたが雲一つとなく快晴にて暖か。参拝のあと九龍城波止場行きのバスが来たので「これ幸い」と乗車してうとうと九龍城(馬頭角)の波止場。ちょうど
三十分に一本の北角行きのフェリーに間に合い北角。昼に旧正月でどの食肆も閉まっており通りがかりの茶餐庁にて軽食。帰宅。倦怠感あり昼寝。腹痛。晩に旧
正月の花火あり。天后でビクトリア湾見渡すマンションに住まう知人に花火見物お招き受けていたが腹痛で飲み食いつらくご辞退。休養しつつ数カ月たまった雑
誌を何誌も貪り読む。
夏暦丙戌年正月初一日。朝五時には起床。過年ゆゑ金毘羅宮と
岡寺のお札を壁から下げる。正月初一はさすがに新聞の配達もなし。但し蘋果日報と東方日報は正月も休刊せぬようになり新聞買いに行きたいがマンションの管
理人など今日ほど愛想よき日もなく利是(お年玉)あげたり余はこういうことが頗る苦手。北京では13年ぶりに正月の爆竹鳴らしたり花火が解禁。これもガス
抜きか。テレビや香港政府のサイトで「自称政治家」Sir Donald夫妻が新年祝賀。

Sir
Donaldがどうも生理的に苦手。正月用の画像ですらやっぱり厭やでも董建華夫妻のほうがまだ絵になる。そういえば昨晩、Z嬢と話していて、ユンディ=
リと朗朗という二人の中国を代表する若手ピアニストの話になり絵になるにせよZ嬢的には朗朗は年間150回も演奏会こなしており、まぁ今が絶好調。ピアニ
ストとしては本人も望んではおらぬだろうが長続きはしないので稼げる時に稼いで、であとは指揮に進むのか音楽会の政治家になるのか。ユンディ=リは個人的
には好きぢゃないがZ嬢は中国では彼は老いてはRubinstein的な立場と存在になるのではないか?と。本日、昼頃からすっかり晴天。香港のバスだの
トラックだの交通量も旧正月なら少なく大陸の工業地帯も正月休みだからかしら、本当にいい天気。午後に外出。中環のジムで一時間の筋力運動と一時間の有酸
素運動。終わって早晩にFCCのバーでハイボール二杯とGlenfaclasを一杯。雑誌『世界』昨年11月号の続きと月刊『信報』の昨年九月号の遅読。
中環も元旦に休まぬ店多し。HMWが開いていたのでふらりと入りクラシック音楽のコーナーにてCD眺めれば売り場のレイアウトがかわりクラシックのCDが
事もあろうに従前の背表紙見せる並べ方からジャケットと対峙する並べ方に変更あり。ポップスだのロックぢゃないのだからクラシックの場合は通常、作曲家名
から入りバイオリンならバイオリン、チェロならチェロ、歌劇なら歌劇とジャンルに分かれ、其処から更に演奏者名などで求めるCD捜すわけでジャケットと向
き合うと背表紙と違い一目で「バッハのナントカ」でどれだけのCDが並んでいるのか皆目見当もつかず非常に難儀。フィラデルフィアで指揮が
Stocowskiとオーマンディでラフマニノフの自ら演奏するラフマニノフのピアノ協奏曲2、3番(
こ
ちら)がなんとHK$49で、LPでは所有するケンプ演奏のベートーヴェンの著名なるピアノソナタ集(
こ
ちら)、この二枚購入。ケンプ演奏のこのベートーヴェンのピアノソナタ集はLP購入は確か12歳の頃。で会計の際にクラシックコーナーのレジで、
さっきから友人だかと携帯で電話する声がうるさい店員(オバサン)に、ふと「昨年、クラシックコーナーのレイアウト変えたみたいですけど、クラシックの場
合、CDは背表紙が並んでいたほうがずっとCDを捜しやすいですよ」と言うと聞き耳もたず。というか聞かないふり。その態度の横柄さが不愉快でもう一度言
うと嫌々そうに「HNWは世界中こうCDを並べるのが当たり前よ!」と宣う。唖然。確かにポップスだのロックはそれでもいいがクラシックの場合は一概にそ
うは言えず。それよりも客のちょっとした買い手としての意見に、嘘でも「ご指摘ありがとう」とか「責任者に伝えます」で済むことを、この無愛想な態度と、
まるで客を非難するような口答えに唖然。HMWはかつてはクラシックについてはかなり充実していたし店員もそれなりの専門家であったがクラシックとジャズ
のコーナーが統合され部屋もかつてはポップスやロックの音が邪魔せぬよう重い扉で隔離されていたのがジャズと統合はされるわ、扉もなくなり半ばオープンス
ペースになるわ、でオマケに店員がこの野蛮ぶりでは言語道断。帰宅。ウオツカのポート酒割り。夕餉。菊正宗一合。ラフマニノフの演奏するラフマニノフを聴
けば、そりゃ見事だが1929年!のピアノ協奏曲2番のラフマニノフの演奏に、殊に二楽章は目からウロコ。ケンプの演奏のベートーヴェンのソナタ、数年ぶ
りに聴きながら『世界』十一月号で佐藤優「民族の罠」など続き読む。
▼本日、久が原のT君とのメールでのやりとりで余が苦手と言ったモーツァルトや漱石の話から始まり(郷里の畏友J君もやはりモーツァルトが苦手だ、とメー
ルにあり)、漱石でも草枕や虞美人草であるとかはいいけど、という話から鴎外、露伴……と話が進み、でも結局、わたくしの一番贔屓は一葉と言えばT君も大
いに賛同され「座右とすべき文学とは、まさにこの人の著作のこと」と。一葉女史の文体はよく「擬古文」と言われるが、ありゃT君の言う通り完全に自家薬籠
中の和文体の確かさ。いつもなら手厳しいT君が一葉が「長生きしてたら、フローベールとモーパッサン二人分の仕事が女史独力で成し遂げられたでしょうに」
と讃める。世界標準となりつつある Int'l Baccalauréat(
こ
ちら)でも「日本語」では古文の代用の如く明治の「擬古文」が採択されていて一葉は「たけくらべ」があるので「擬古文」ではポピュラー。紅葉は擬
古文かも知れぬが。
▼旧聞に属すが「Google、おまえもか……!」でマイクロソフトMSNやYahoo!に倣いGoogle中国版(
こちら)が中国国内での検索機能について政府が政治的に敏感な台湾、チベットの独
立や天安門事件、法輪功などの言葉での検索機能を自粛。そういった政治的敏感なサイトには検索結果から連結できない、と言うが実際には「法輪功」などで検
索してみるとわかるが法輪功で23.2万項目もヒット。で何が見事かといえばずらりと「法輪功がいかに邪道か」の報道だの並ぶ。つまり「法輪功」で検索が
ヒットしないのではなく法輪功関連情報のうち「好ましくないもの」だけが除外。これなら寧ろ「法輪功」という言葉含むサイトがすべて透視できぬほうが公
平。思想統制とはこういうものか。久々に日刊ベリタに送稿(
こちら)。
農暦十二月廿九日。午前二時半頃に週刊文春のエイチエス証券副社長沖縄で怪死の記事読んでいて眠りに落ち午前六時起床。大晦日。山歩きのつもりが朝方の雨
で断念。机まわりの雑用済ませ雑誌や新聞の切り抜きなど読む。昼すぎに一つご公務済ます。晦日ゆゑ九龍の風呂屋に参り垢擦り、按摩。端午の菖蒲湯、冬至の
柚子湯ならぬ晦日に風呂に浮かぶ草木の一枝は何か余は合点もいかず。FCCのバーに早晩の一酌と思ったが晦日で営業は確か午後四時まで。氷雨のなか帰宅。
韮と豚肉の鍋。
▼岩波『世界』十月、十一月号など今ごろ読む。「総理専制政治とどう対決するのか」など読むと先の「郵政」総選挙の茶番ぶりを学者はきちんとわかってい
る。小泉三世の何処がペテンなのかも明らか。だが一般的には支持される小泉三世。社会もまた分層化は深刻。
▼長唄の吾妻八景、について。久が原のT君から、この曲を先帝付侍従長入江相政老が随筆で絶賛したこと、但しただし入江さん、最後の弁財天の件から曲が
ぐっと落ちる、とのご意見。また荷風散人の母堂もこの曲を好み六本の高調子で楽に歌ったと、教えられる。
▼朝日新聞(衛星版)廿六日の論壇に松原隆一郎・東京大教授(社会経済学)の「犠牲容認する利益社会」という文章あり。ライブドアが行ったのは「資本主
義」という経済制度の下では誰もが形を変えてやっていること。資本主義経済では企業が技術革新=未知の分野に挑むこと、で利潤を生む。ルールの事前規定は
ない。資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけする。堀江氏の「想定内」という言葉は資本主義の本質に関わる。他の人々が「想定
外」に置く事柄をいち早く「想定内」にしてしまった人が儲かるシステム。ルールが改定されれるまでの期間に何をして良いのかは当事者の倫理(狂牛病の問題
が明らかになる以前から牛の肥料に肉骨粉を混ぜることが不気味と感じるセンスとか)に任せるしかない。そして株価は企業の将来価値を反映するが将来価値が
何であるかは誰にもわからぬもの。このような資本主義で誰が将来の想定できぬリスク管理が出来ようか。小泉政権が目指す「純粋な資本主義」(残念ながら、
この文章だけでは松原教授の言う小泉政権の「純粋な資本主義」の定義は見当たらないが、そのくらいのtermは朝日の読者なら常識、なのだろうか、新自由
主義と置き換えたほうがわかりやすい)は「犠牲者の被害よりも犠牲を逃れた人が利益を上げることを重視する」「ライブドア事件は、そうした覚悟を我々に
迫っている」と松原氏。小泉三世は「誰にもチャンスがある」と言うがチャンスはあるのは事実だがチャンスを活かし成功した者だけが利益を生める資本主義社
会への突入なのだ。実はまんまと騙されそうな人たちが小泉改革が自分の人生を変えるチャンスになる、と小泉三世を指示するペテン社会。
▼同じ論壇に米国の思想家
ジュディ
ス=バトラー女史の(この人を「女史」なんて呼んではいけないのだろうが)ジェンダーについての記事あり(由里幸子編集委員による)。ジェンダー
(社会的性差)どころか自然の摂理であると思われていたセックス(=生物学的な性別)にすら「自然な男女」という観念が<権力>が形成した幻想=セックス
に対する限定ではないか?とする。石原や梅原が聞いたらゾッとする理論(笑)。ところでこのバトラー女史自身がレズだそうだが同性の「結婚」に対しては同
性のパートナーと暮す彼女は自身は「結婚」という形はとりなくたい、と。結婚の制度に加担せぬことで「国家の規制に反対し、権利を拡大するとともに、国家
からの自由もまた追求すべきだ」と。先月だかエルトン=ジョンの「結婚式」が話題となったが同性愛者がなぜ結婚に拘るのか、は余も理解できず。異性愛者と
平等な権利、とするが結婚という制度(愛情とは別)の背景を考えれば同性愛者までが制度に加わることが国民年金ぢゃあるまいし不思議な話。いずれにせよ石
原的には「レズの左翼学者が何が国家の規制だ、権利だ、とほざいて社会を荒廃させている」だろう。
一月廿七日(金)薄曇。早朝から某事対応に追われる。気分転換に朝から長唄「吾妻八景」をCDで聴く。具体的な詳細はここに綴らぬが高度な専門職である方
と某事でのやりとりで、その専門職とは思えぬ責任感の欠如と粗忽ぶりに呆れて言葉もなし。こちらが出るところ出ればその専門職のうち直接の交渉相手は事業
にかなり支障が出ること必至で、その者に粗忽なる情報提供の同業者もその所属する組織内で訓告処分もあり、というほどの事態に、世でも尊敬される地位にあ
る専門職とは思えぬ対応見せつけられる。「どうか今回のことは穏便に」と願うならマダしも、小泉三世の如く相手をバカにした答弁続けオマケに笑って話され
「あなたは自分が職務上の落ち度で叱責されていることが理解できているのか?」とこちらが質すほど。ひとつひとつ子ども相手の如く指摘して差し上げ、ひと
つひとつそれが誤りであることを確認し非を認めるかどうか確認し、弁証法的に理詰めで最終的にどれだけの間違いがあったのかを理解させないと、謝罪の言葉
一つ出ず。こんな程度の低い者が(略)と思うと背筋がぞっとする。Z嬢と湾仔の
Louisステーキ屋に晩飯の予定がこの粗忽者対応で無理となり旧正月
の晦日近い金曜晩で渋滞を気にしながらタクシーの機転のきいた運転手氏のおかげで香港演芸学院に滑り込み。Queenの香港公演に間に合う。といっても
Paul Rodgersをフューチャリングした
Queenで
はなく
こちら。偽物。では本物と違うかといっ
ても本物は本物でも再結成した時のDeep Purpleの如く当時のDeep
Purpleを「息切れする」とか笑いもとりながら「再現」する本物もあるわけで偽物だからダメというわけではない。偽物でもZeppelinのコピーバ
ンドで本当に完ぺきに本物と同じ演奏するバンドもあるわけで、それはそれで立派。また色物に徹して、とても本物には実力では叶わぬが面白さでウケればそれ
はそれでいい。むかし桜井長一郎師匠だったか、いや、それは声帯模写だ、物真似で誰だったか失念したが物真似の極意は真似された本人が見て不快に思ったり
怒るくらいぢゃないといけない、とコロッケだったか鶴太郎だったか、が語っていたが、本人をデフォルメして特徴を露骨にすることで面白さが映える。例えば
中村
歌江が六代目歌右衛門をやったり市村萬次郎丈に見せていただいた「素顔の玉三郎」の声色など実に見事。宝塚をパロディにしたSMAPの竹の塚歌劇
団でもいい。そういったことから考えると今晩のQueenはフレディ=マーキュリー役のCraig
Pescoもそりゃ似ていないわけじゃないが観衆の中にフレディ=マーキュリーの仮装をしてきた客がやんやの喝采を受けている。素人のお遊びならいいが3
階席一列目でHK$395も払うのだから、バンドも演奏がそこそこ上手くあってほしいい、ボーカルもフレディ=マーキュリーの歌唱力は期待しないが音程が
フラットしているのがとても気になる。それなら面白いか、というと、そりゃフレディ先生本人よりエグくすることなど到底無理にせよ、本人たちは真面目に
やっている分、コミカルにはなれない。どっちつかずの中途半端感は否定できず。完ぺきにQueenを再現してみせるのか、笑えるパロディなのか、はっきり
して欲しかった。

同
じ「キワモノ」なら今晩、香港フィルで「
江戸で割ると」
指揮でピアノが
ユン
ディ=リのコンサートもあり。こちらのほうがキワモノさでは上だった鴨。この“Queen”を聴きながら本物についていろいろ自分の若い頃を思い
出す。余が12歳でQueenの洗礼受けた頃はフレディ=マーキュリーはまだ長髪でつなぎのタイツ姿であった。12歳の少年にとってアレはまだ象徴される
ものは「前衛」であった。数年すれば江口寿史のマンガでフレディ=マーキュリーはすっかり笑える「ホモ」に転身していたが、それを、かつての「長髪でつな
ぎのタイツ姿」の時に察していなかったことが12歳の感性の乏しさ。91年に亡くなっても、こうしてお祭り(お奉り?)してもらえるだけフレディ=マー
キュリーの魅力なのだろう。演芸学院の前から(香港「演芸」学院はけしてお笑いの殿堂に非ず)18番の北角行きバスが来たので天后まで乗車。
利休に寄り熱燗一合、茄子漬け、かけうどん一つ。晩飯逸してのお夜食だ
からその程度。帰宅。桃の花がだいぶ開く。いくつか旧正月の晦日前に終わらすお仕事続ける。
▼莫札特=Walfgang Amadeus
Mozartの生誕250年だそうな。モーツァルトの良さが余にはさっぱりわからぬ。数百枚のCDの中でモーツァルトは皆無に近し。モーツァルト、漱石、
カラヤン……とかユンディ=リも、ほんと「性に合わない」としか言い様がない。
一月廿六日(木)薄曇。未だ旧暦では年の瀬師走廿七日だというのに香港ではすでに某所に植えらし日本の桜は開花。入院中の知人の見舞いと治療費などのこと
で某私立綜合病院訪れる。行きがけに花屋に寄れば旧正月前のかき入れ時で草花も価格暴騰

。
病人の見舞いと言ってあっても正月祝賀の飾りつけられるもご愛嬌。見舞い終えて帰途、急患あり引き返して応急処置済まし八時半頃に帰宅。この三日、交通費
を除くと支出は毎日の新聞購入だけ、という慎ましさ。自宅でその日の新聞を読み雑誌に目を通し枕元の本の続き読む。
▼先日、立花隆と橘孝三郎のことを少し綴ったが畏友J君より期待通り「貴重な余談」を聞く。立花隆の田中角栄の研究の発端と取材ルートに深くかかわる話。
そのメールでJ君より黄瀛の中国での評価などについて尋ねられる。黄瀛については王敏女史が昨年7月の朝日新聞に
随筆で
紹介し偶然にも黄瀛氏自身がその直後の8月に98歳だったか天寿全う。母が日本人で宮沢賢治に直接会ったことのある詩人で草野心平の親友でありながら、日
本の陸士出身、国民党軍の将校、解放軍に転じ文革で十年以上投獄など数奇な運命。80年代から四川外語学院の
日本語学科の教授となり日本語教育に尽
力(
こちら)。この「開放」
後の第一期生に王敏女史。「日本的には」関心高まる人物だろうが「中国的には」あまり関心を擽られる対象ではないのかも。余の知るかぎり四川外語日語系で
の共学以外の部分であまり中国国内での評価など聞かず。
▼県立高校の男女共学化に「汚点」とまで頑なに反対を唱える仙台市の市長梅原某。今度は市民施設統廃合でも個性発揮。この施設は「エルパーク仙台」と云
う。仙台市役所に近い定禅寺通り一番町角の商業ビル141に同居の市民生活や社会活動での男女共同参画推進を目的とした施設。で確か80年代に余がまだ仙
台に住まいし頃に開館。仙台市側はこれと仙台駅前にある男女共同参画の姉妹施設「エルソーラ仙台」との一本化に向け検討。年間の維持管理費はエルパーク約
2.5億円、エルソーラ約3.1億円。これだけ見れば「統合は当然」だがエルパークは一般開放された市民活動スペースや小型の設備充実のホールあり演劇公
演など盛ん。確か大野一雄先生の舞踏公演も此処であったか。香港の芸術活動の貴重な一拠点。河北新報によると04年の利用者はパークが約19万人、ソーラ
が約20万人でほぼ同数だがホール施設など有料部分に限ればパークは16万人でソーラの3倍強。つまり同じ市民施設でも性格が全く異なるもの。ソーラに一
本化されると当然、このホール施設がなくなる。市長梅原某は「全事業を点検しており今のままの運営が必要か吟味する。文化も大切だが財源は有限。優先順位
をつけて判断しなければならない」とニベもなし。リトル石原の梅原某にしてみれば「エル(Lady)パーク」に象徴されるジェンダーフリーなど男子校とい
う伝統文化の破壊と同じく「中国」「人権」「市民運動」などお嫌いであろう。それにしても「首長が嫌いなものはやめる」という単純な手法が通るようになっ
たのが石原以後。民主主義も官僚や有能な公務員主導の行政も退いての首相や首長専制独裁。それに甘んじる大衆。さすが革命を経ておらぬ非近代の、といった
ら江戸時代に失礼、野蛮なる社会か。ところで仙台には
仙
台市戦災復興記念館という施設もあり。「仙台市の戦災と復興の全容を伝え二度とこのような悲劇を繰り返すことのないよう平和を祈念する場として位
置づけられた資料展示室」と此処もまた音楽会開催できる小型の音響もそれなりのホールあり。もう20年以上前に森田童子のコンサートを此処で聞く。ここも
梅原的には不愉快で将来的には発展的解消だろうか。
▼小泉三世のメールマガジン。いきなり「小泉純一郎です。」で始まるのが、どこか「ひろしです。」みたいで薄ら寒し。国会での姿勢方針演説について語る。
相変わらず「改革なくして成長なし」だか「成長なくして改革なし」だかの禅問答。ご本人は「改革なくして成長なし」でこの論争は決着がついた、とするが、
単に景気回復が小泉改革期に合わさっただけのように思えるが如何に。当然、先の総選挙にて小泉自民党が推した堀江貴文候補には触れず。それどころか突然、
チャップリンを引き合いに出して映画『ライムライト』での名言 “All it needs is courage, imagination,
and a little dough”
を引き合いに出し、小泉三世はこれを「人生において大事なことは、夢と勇気とサム・マネー」と紹介し「いい言葉だと思います。みんな、夢と希望を持って、
あとはビッグ・マネーでなくてもよい、生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい。そういうことが大切だという気持ちで(所信表明)演
説の想を練りました」と小泉首相。ライブドアに象徴されるマネー錬金術が非難浴び小泉改革が実はこの俄成金の成長をば扶けたのでは?と思われる中で、意図
的なのか小泉改革の求めるのは「生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい」という慎ましやかさ、だなどと、よくもまぁしゃーしゃーと
宣えるもの。ただただ呆れるばかり。そもそも多少、映画を識るものならわかることだがチャップリンの政治思想的な背景、映画『ライムライト』が撮影された
時代(1952年)とその時代背景(マッカーシズム)、そしてチャップリンの後世など思えば、この“All it needs is courage,
imagination, and a little
dough”はとても小泉がホリエモン育てた投資市場改革の言い逃れに用いられるような言葉でないことは明らか。追いつめられ、夢も希望も風前の灯のなか
で僅かな望みをこの言葉にかける。……そういう意味では小泉賛成はこの心境か?、否、大きな誤解による自信に満ちあふれていよう。“a little
dough” も小泉賛成は「サムマネー」と言ったが、確かに dough
は米俗語で「お金」のことだが原意が「練り粉、生パン」であるように、日本語でいえば生きていくための僅かの最低限のおカネ、まさに「糊口を凌ぐ」さま。
どうすれば「ビッグ・マネーでなくてもよい」意味でのサムマネーと理解できようか。この程度の感性が我が国の首相だと思うと悲しみに咽ぶばかり。
▼チャップリンで突然、おそらく三十年以上前のことをふと思い出したが、この小泉三世の安易なチャップリンの引用と対照的なのが萩本欽一であった。余は萩
本欽一君についてはコント55号の過激さに比べ「欽どこ」の素人多用が今ひとつ好きになれずにいたが、何だったか萩本欽一がコメディアンとして尊敬する
チャップリンの人生を辿る、というテレビ特番あり。確か米国に渡りチャップリンの映画一本、一本、当時のチャップリンの住家だのスタジオだのまわって歩く
のだが、チャップリンの面白さでなく萩本氏がしきりにチャップリンの孤独、追いつめられた生涯など紹介していたのがとても印象的。その悲しみを乗り越える
ためにチャップリンは映画で笑いや希望を求め続けた、と。
一月廿五日(水)曇。晩にZ嬢にタクシーで拾われ銅鑼湾に向かう。タクシーが大坑道から銅鑼湾に高架橋を下れば水曜日の競馬開催日の交通規制でエクセルシ
オールホテルに左折する方向は通行止め(地図の赤実線、赤破線は関係ない)。これは尋常。だがパークレーンホテル前(地図の赤○印)で規制にあたる警官が
粗忽者でKingston 街への左折(地図の青線)まで規制し直進せよ、との指示。


Kingston
街が渋滞していたのは事実で粗忽警官はそれを解消する意図らしいが交通警官でありながら現場の道路事情が把握できておらず直進はつまり
Gloucester
Rdへ跨がる高架道しか選択がなく全ての車両は湾仔へ向かうこと強制される(多車線の道路で車線変更規制多く銅鑼湾内へ左折一切不可)。キチガイ警官!と
運転手憤慨するが車の流れで「あれよ、あれよ」という間に湾仔(黄線が実際の走行路)。運転手は済まなそうに「銅鑼湾に戻るか?」と聞くが六国ホテル前で
下車。警察999番に電話で粗忽警官による窮状を質す。あの規制では銅鑼湾に向かう車両がすべて湾仔に向かわされ結局は銅鑼湾に戻ろうとすればハッピー
ヴァレイでの競馬開催の交通規制に寧ろ悪影響、と指摘。数分後に電話あり現場に連絡をとり是正求めた、と。半ば冗談でタクシーにHK$16も余計に払わさ
れた責任は?と質す。銅鑼湾で何処で食事する?と悲観的に迷っていたので湾仔は食事の意味では不幸中の幸い。
上海三六九飯店に食す。地下鉄で銅鑼湾に戻る。Ikeaにて自宅居間の
照明のランプシェードのみお買い上げ。新の暮れ正月には何もせず旧正月だと何処か自宅の汚れ払わねば、と思ってしまう。先ほどの粗忽警官による交通規制は
やはり左折不可は解除。ヴィクトリア公園は年末恒例の年宵市場。正月ようの草花やお年玉がわりのおもちゃや雑貨の屋台が並ぶ。賑わい。日本の、郷里の年の
瀬も昔はこうだった、と懐かむばかり。一抱えの桃の花をHK$150で購入。縁起物なので野暮ったく値切りもせず。桃の花抱えて天后からタクシーに乗れば
携帯での通話に熱中の運転手ながら桃の花見ると「ゆっくり、ゆっくり乗れ!」と気遣い。香港らしさ。帰宅して居間に桃の花飾る。正月気分。
▼朝日新聞に宮崎学氏がライブドア問題を「光クラブ事件を思いだした」として光クラブ事件との類似と相違について記述あり。類似については「カネで全てが
解決する」という姿勢と「日本のエスタブリッシュメントの自信喪失期に経済界に登場し短期間に一世を風靡するという「東大生」の企業家」を挙げているが、
見出しに「相違」とあるが相違点については残念ながら明確な記述がない(上下、で下に続く、というわけでもない)。余も偶然に光クラブ事件を思い出してい
たが宮崎氏は山崎晃嗣の拘置所での発言「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し主役を演じる」を引用しているのが印象深い。余はホリエモンのブログ
に山崎手記のような深みがない、と書いたが、宮崎氏の引用した山崎語録でいえば、ホリエモンも同じような時代感覚のようでいて「踊らされていた」部分が山
崎晃嗣よりずっと多いということ。
▼ところで余が山崎晃嗣の光クラブ事件のことを知ったのは、同時代では、ない。中学生の頃に週刊プレイボーイより具体的に少しエロいヌード雑誌が発刊され
た。昭和という時代はエロ雑誌でも硬派な記事あり。光クラブの高利金融と山崎晃嗣のことも、その名前失念のエロ雑誌の創刊号にあり。もちろんエロ雑誌であ
るから山崎日記にある手淫の異常な回数など強調されていたのは事実。それでもエロ雑誌で「終戦直後の荒廃した世相」が学べただけ立派。だが今になってみる
と荒廃していたどころか小林信彦的には日本がいちばん輝いていた時代だった鴨。
▼とつぜん、みずほ銀行より
2006年1月22日(日)より、セキュリティ強化のため、みずほ
ダイレクト[インターネットバンキング]のログインパスワードのご登録可能桁数を、従来の6桁から32桁に拡大させていただきました。これにともない、従
来より6桁を超えるパスワードをご使用されていたお客さまから、「従来のパスワードでログインできない」というお問い合わせを多数いただき、ヘルプデスク
へのお電話がたいへん繋がりにくくなっております。ご不便をおかけし大変申し訳ございません。2006年1月22日(日)以降にログインいただけないお客
さまは、ご入力いただいているログインパスワードの桁数をご確認いただき、7桁以上のパスワードをご使用の場合は前半6桁のみをご入力ください。(ログイ
ン後、「その他サービス」→「ログインパスワードの変更」で7桁以上のパスワードにご変更いただくことが可能です。)
というメールが届く(
こちら)。
何のことかさっぱり理解できぬ。そもそも「2006年1月22日(日)より」のログインパスワードの桁数拡大も知らされておらず、従来6桁だったのになぜ
「従来より6桁を超えるパスワードをご使用されていたお客さま」が存在したのかも不可解、しかも「従来のパスワード」つまり6桁以上でログインできない場
合は「前半6桁のみをご入力ください」と。なぜ桁数が拡大したのに従来6桁以上でログオンできた人が今度は6桁にしないといけない?……と全く理解でき
ず。で注意書きを読むと、今後は
※従来のパスワード入力欄は6桁までしかご入力いただけませんでし
たので、6桁を超えるログインパスワードをキーボードでご入力いただいた場合、前半6桁までを登録させていただき(画面上は「******」と表示)、ロ
グイン時にも前半6桁(画面上は「******」と表示)のみで照合させていただいておりました。1月22日(日)以降は7桁目以降も画面上の入力を可能
とし、照合させていただいていることによりログインパスワードが不一致となるものです(ご登録は前半6桁のため、7桁以上のパスワードでは不一致となりま
す)。
という。日本の銀行らしいセキュリティの万全のようで実にいい加減さが如実。パスワードは6桁を越えていてもよかったが画面上は6桁だったため顧客が長い
パスワードを安全上用いていても実は前半6桁だけで照合していた事実。堀江貴文君がみずほ銀行に口座を保持しパスワードを「horiemon」とした場合
に
銀座の文壇バー「月」のママ・堀江さんが「horiemoon」をパスワードにした場合、ホリエモンとバー「月」のママ堀江さんが実はポーランド人の苗字
「horiem」で同じパスワードだったのだ。而も桁数拡大されたら今度は実は前6桁でしか登録されていなかったから6桁以上の従来の正式なパスワードで
はログインもできない、とは。送金する場合など「お客様番号」と「パスワード」でログインしていても送金確定には予め授けられている「第2パスワード」が
ないと送金すら出来ないのに。
▼勝谷的には「安倍さんを朝日読売NHKが大連立で包囲網」なのだろうがナベツネさんの朝日『論座』での小泉靖国参拝非難があったわけで、このままゆくと
朝日の論調が右に寄り読売がナベツネさんの健全保守路線でいくと、両者の区別はほとんどなくなるわけで、ディズニーのピクサー買収では済まない話。それに
してもナベツネをナベツネさんと呼ぶことになろうとは……。中曽根さん、森さん、山拓さん、亀井さん、でナベツネまで「さん付け」しなければならぬほど政
治的には追いつめられた状況。昨晩の筑紫哲哉のニュースでも筑紫哲也とナベツネさんが靖国問題や堀江問題では意気投合してたようで筑紫哲哉の総括は、「自
分は長年、朝日の政治記者をやっていて、渡辺さんとは対極にあると思っていた。しかしいま話してみると、そう開きはないような気がした。去年は中曽根さん
にロングインタビューして同じような感想をもった」とかだそうな。未だにNHKの海老だけは「さん付け」にも値せぬが読売のナベツネ傘下に加わり反安倍朝
日読売NHK大提携でNHK政治部に動きでも見せれば「海老沢さん」どころか「平成の海老様」か。
▼産経新聞には産経とは袂を分かった筈の西部邁先生が登場。キョービの私欲の解放がもたらした混沌を嘆いているらしいが。イラク戦争で「親米保守」路線を
確立したかにおもえた産経グループ内でも揺り戻し? 小泉改革は自民党をぶっ壊すどころか保守、右翼内部でもかなり再編成がある気配。ところで地検特捜部
には「強制捜査の所為で大損した」という抗議が殺到、とかいう話も。我が国の道徳的頽廃も極み。
一月廿四日(火)曇。朝、PowerBookのスイッチオンしようとしてノートブックが起動せずかなり焦る。リセットしてもダメ。今日は衆院登院で大切な
新年度予算審議あり。その資料もこの中で……と考えてゾッとして10時になれば懇意のMac屋も開くので……と思案。「あれ……」とふと気づいたのは、
さっきからスイッチオンしようとして何度も押していたのは畳んであるノートブックを開ける際のロックぢゃないか。On/Offスイッチは全く別のとこ