乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

一月卅一日(木)早いもので一月ももう晦日。かうして今年ももう残すところ三百三十三日ばかりとなりましたが(つてこれぢや志の輔)今年発売のDVDで最 大の話題は何といつても帝国キネマ製作、鈴木重吉監督・脚本、高津慶子主演『何が彼女をさうさせたか』(昭和5年)でせ う。上映後のフィルムが消失=幻の映画がソ連崩壊後のロシアでフィルム発見され復元され紀 伊国屋書店よりの発売。清張が好きだつた祖母から戦前に凄い映画があつた、と聞いてゐたのがこれ。大詰めの場面がいぜんフィルム消失のままなのが 残念。多忙につき晩遅く麥奴でBig Macに揚げ馬鈴薯まで食し帰宅。また太りさう。昨日会つた放送作家の村上さんからいただいた、故・月本裕さんが編 集長してゐたRACING POSTの第2号丁寧に読む。12月に創刊号が出て第2号が月本さんの最後の出版になつてしまふとは。編集長が月本なら書き手は須田鷹雄さん斎藤さん市丸博司さん成澤さん、と香港競馬にいらつしやる知己の方々がライター陣でづらり。
▼香港空港のフェリー中継サービス(SkyPier Ferry)。 今回、香港国際空港に到着の放送作家M君は香港に入境せず空港から直接のマカオ行き。香港の空港では入境手続きの手前にマカオや珠江デルタ行きのフェリー 客相手のカウンターあり、そこでフェリーチケット購入し専用バスで空港内移動しフェリー波止場へ。M氏は手荷物だけだつたが、預け荷物がある場合、きちん と飛行機から荷物が降ろされ回転寿司のベルトに並ぶ前にピックアップされフェリー乗り場に届くサービスあり、バングラディシュのビーマン航空からバジェッ ト航空のバンコク航空までサービス提携(こちら)。
▼結局一度しか食してはおらぬが炮台山(Fortress Hill)の城市酒店(City Garden Hotel)カフェの美味なる海南鶏飯。なぜホテルのカフェのが、と不思議だが唯靈さんの信報の連載で合点は、このホテルや尖沙咀のローヤルパシフィッ ク、黄金海岸などのホテルが信 和財閥の系列で、創業者が南洋幇(南洋系華僑)のためソテーや海南鶏飯、肉骨茶など東南亜風味がこの系列ホテルのカフェの人気料理に、と。御意。 ローヤルパシフィックのスイス料理Chaletすでに閉業の由。

一月卅日(水)極寒。天気不良。朝の中環の風景はまるで真冬の倫敦の如し。某ホテルの理髪室で散髪。FCCにて新聞と読書。南方熊楠コレクション第3巻 『浄のセクソロジー』編集・中沢新一、河出文庫のうち中沢新一による解題のみ。昼 頃に尖沙咀。雨は冬に珍しい本降り。ミゾレにでもなるんぢやないか、といふほどの寒さ。シェラトンホテルで放送作家M氏と待ち合はせ。多忙のM氏の来港 は 2年前の7月以来。オクトパスカードの記録照会で前回の利用=来港がいつかわかるのは便利なのかアリバイ崩しの証拠になつてしまふ不便なのか。それにM氏 からホテルでのチェックインでも「上客への配慮」通り越した3年前の過去データしつかり照合に驚き(詳細は書きません)。でM氏と中環。鏞記で遅めの昼 食。歳末だからと旧正月用の鏞記の年糕いただく。注文した鹹 魚蒸肉餅、M氏が鹹魚を美味しさうに食べるので、食後、トラムで西環に参り海産食品屋街を社会科見学。鹹魚街は名前こそ残るものの店など全くないこと今更 理解。中環から寒波のなかスターフェリーで尖沙咀。ペニンスラホテルのバーで 一杯。買物してシェラトンにM氏一旦戻り一緒に今度は銅鑼湾。歩いてハッピーヴァレイ競馬場。第3レースまで観戦。かすりもせず。寒さと雨で場内閑散 (11千人の入場者だつた由)。Z嬢来場。三人で小雨のなか歩いて成和街の益 新。豪州のMitolo醸造所の Reiver Shiraz 05年、と紹興酒。紹興酒は加飯酒注文したら花彫酒ならある、と女給。花彫も加飯も同じ、と宣ふので加飯酒を何年も寝かせて旨味が出たのが女児紅のやうな 花彫で、辛口ドライが好きだと加飯のはうがいいのだ、と教へてあげる。バラエティ、スポーツ番組の売れつ子作家だけありM氏との鼎談款語三更に至る。タク シーでM氏天后のMTR驛まで送り帰宅。
▼中華人民共和国建国以来の極寒。広州で見れば三十万人の驛前に溢れた帰省客、信報によれば十萬人が鳩まる区画に公衆便所一つもなし。「許多人到處找角落 解決大小便」とは、まるで上杉謙信に攻められし越中畠山氏七尾城籠城の如し。信報の社説が指摘するのは自然現象は避けられぬものとして行政の対応の拙さ。 風雪厳しいことは二週間以上前から予測されてゐたが気象部門、地方政府や民政部など然るべき警戒予報を出してをらず、定例のプレスリリースで御座なりな情 報提供しかせぬ部署も少なからず、地方政府は未だに自分たちの安全対策の不備を指摘、報道するのがマスコミだ、といふトラウマがありマスコミ利用して有効 な情報を提供しようといふ意識に欠け、情報がないから人々は疑心暗鬼で不安感だけが高まる、といふ悪循環。
▼放送作家M氏の話では昨日、成田からの日本航空のフライトは香港便は平常通り、だが広州便は「航路の悪天候」で運行取り消しの由。香港からわづか 70kmしか離れぬ広州で雪が降るはずもなく悪天候といつても雨風。取り消しは実は悪天候でなく一旦、広州に飛べば空路の混乱で復路確保の保障もなく(飛 行場の状況、燃料等々)往路の客にはまさか「復路のテクニカルな心配」理由に運行取り消しも出来ず「悪天候」理由としたのではないかしら、と猜う。
▼東亜銀行主席・李 Baby 國寶氏による、李氏本人が役員でもあるダウジョーンズ株インサイダー疑惑。英国金融時報の報道によれば李氏と米国証券取引監視委員会?との間で李氏が 800万米ドル支払ふことで和解協議の由。8.4億円に相応する和解金だが昨年5月に李氏に近い人物がダウジョーンズ株の売買で得た利益とほぼ同額。米国 の証券取引法によればインサイダー取引の罰金は利益の最高で3倍の額、背後で情報提供した者は最高100万ドルの罰金、懲役は25年にも及ぶさうな。

一月廿九日(火)極寒続く。子どもの頃から定期購読の雑誌が届いた日ほど一ヶ月で一番楽しい日は他にない。かつては噂の真相だつたのだが。ジャスコの旭屋 でアサヒカメラと日本カメラ二冊受け取り帰宅。今月はデジタル時代のレンズ特集だかの前者 よか中古カメラ特集の後者の方がアタシにとつて楽しいのは当たり前。日本カメラはコシナがフォクトレンダー銘柄で2月に発売するNOKTON classic 35mm F1.4のレンズをもう4頁にわたり特集してしまたたのがアタシの琴線に触れちまつた。往年のライカファンなら 35mm F1.4といへばズミルックスだが、このノクトンは6群8枚の対称型といふまさにクラシックレンズの面白さを復刻。しかも75,000円といふライカ好き の年寄りにはお手頃価格。ウイスキーをちびちびと舐めながら「ほしいなぁ」と惚れ惚れ。2月下旬に東都に赴けば銀座松屋の中古カメラ市があり、このノクト ンのレンズも発売になっている。「じつは父の四回忌の法要がありまして、鳥渡、日本へ戻ります」といふわけにもいかず。なぜ仏事は三回忌の次は七回忌なの かしら、と馬鹿なこと考へちまつたがアタシのカメラ道楽も父譲り、先考は優しい人で「いいよ」が口癖、あの世から笑顔で見てゐてくれるのぢやないかしら、 とご勘弁請ふ。
▼ふと思つたのだが首相福田君、官邸での記者団との連日のやりとり、きまつて「……ぢやないんぢやないんですか?」が多くないか。つなぎ法案は「与党の強 硬ばかりぢやないぢやないんですか」だし年金問題も「全く解決のメドが立つてゐないわけぢやないんぢやないんですか」となる。この人の論法はいつも「そん なことないでせう」と相手の指摘の否定から入るところが面白い。性格かしら。

一月廿八日(月)天寒地凍。内地も五十年ぶりだかの寒波に覆はれ雪で各地の交通網遮断され旧正月前に早くも始まつた民族大移動で鉄路不通に広州驛前など帰 省列車逸した云わば難民数十万人寒波のなか昼夜の列車待ちの由。驛周辺の弁当など高値、即席杯麺すら市価の四割増とか。人の移動ばかりか石炭など基幹物資 の輸送も支障あり。香港も対岸の火事とは言つておれず北京、上海を結ぶ長距離列車の運転、豚肉や野菜など流通が滞る。午後、中環歩みふと小腹空き陳成記訪れるとシャッター降りて旧正月には早いし怪訝に思へば中環のGraham 街、Peel街一帯の再開発にて陳成記の入る建物既に政府徴用。移転再開に非ず過去四十年の御愛顧に感謝と父母に代はり、とご亭主の挨拶が店先に貼られて ゐるを読む。十二月十七日に廃業の由。一杯十五元程度の商売で家賃高騰の折、移転してまで、而も小麦粉など原材料高騰もあり、では政府からの保証金貰ひ商 売畳んだはうが得策か。香港一の上湯伊麺がもう食せぬとは残念。永 吉街の麥奀記忠記に雲呑麺食す。最近ふと髪の毛を伸ばす余は 髪の収まりつかず。若者ぢやあるまいしムースだのジェルだのヘアウォーターなどで髪をつんつくてんに出来ず。昔ながらのヘアクリーム売るを見つけるのに難 儀。それと櫛。櫛を売つてをらぬのには驚いた。かなり久々にジムで一時間の有酸素運動。帰宅して湯豆腐。広州の驛前広場には数十万人の列車待ちの群衆ある と思へば広州より三、四度は暖かな香港で自宅で湯豆腐に酒で暖まれること、申し訳ないほど。樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析〜なぜ伝統や文化が求め られるのか』読了。著者が社会思想史の研究者として優秀なことも、かなり広く文献読み漁つてゐることや、何よりも著者の政治的な立場のリベラルな明快さな ど共鳴するところ多し。ただ理論書でなく書かれたのが新書であると思へば新書は「バカの壁」だの「国家の品格」だの「日本人のナントカ」だの、さういつた 低レベルな、扱ふテーマは地味でも、それでゐてどこかビビッドな印象与へる、さういふのが新書の売れる基本であつて、このネオリベラリズム捕らへた視点は 面白いし「なぜ伝統や文化が求められるのか」の着目はいいのだが、古今東西の社会思想史の学者の言説を多々引用し理論攻めしても、新書としては売れない、 だらう。新書の読者の素人の一人として読後感は、それぢや「なぜ伝統や文化が求められるのか」が今ひとつはつきり理解できず。『下層社会』であるとか、社 会に警鐘鳴らす意欲的な光文社新書であるから(じつはこの『ネオリベ』と『下層』の編集者は同じ)これはもう少し噛み砕いていただきたかつた一冊。

一月廿七日(日)朝の気温摂氏十一度。極寒。香港の生活で何が最も不愉快か、と云へば電源のコンセントのデカさと電源コードの太さ。電器の配線など見えな ければ見えないはうど良いわけでアタシは米国は嫌ひだが110Vだかで電源コンセント小さくしてくれたことだけは属国の民として恩恵感じる、のに対して欧 州のあのコンセントのデカさはどうにかならないのか、香港はかういふところは英国真似て無様。家具の影で隠れるやうな場所ならいひが例へば洗面所とか、と くに漏電防止で洗面所の電源は高所の目立つ位置にあり(ホテルの髭剃用電源の位置が正しい)髭剃の充電かドライヤーくらゐならいひが拙宅の洗面所は洗面台 の蛍光灯と洗面所用のスピーカー、電動歯 ブラシなど電源が美しからず気になつてゐたのでヒマに任せてテーブルタップなど購つて来て見えない位置に電源コード類をまとめ日曜大工してゐたら昼。ピア ノを弾く。午後雑事続け尖沙咀。香港芸術館。「香 港製造」Made In Hong Kongは香港のモダンアートの展覧会。周俊輝による映画場面の精緻なる油絵、殊にビデオクリップで見せる映 画『無間道』の所謂、紙芝居も面白かつたが何といつても萬青屴の21世紀的な山水画と書画の面白さ。続けて何 添園の嶺南画の展示を見る。何添園(1899〜1970)は広東省順徳生まれの嶺南画派の画家。嶺南画の20世紀初期の復興は高剣父、高奇峰兄弟 に負ふもので高兄弟は1907年に日本に留学し四条圓山派で田中頼璋(1868~1940)から川端玉章に学び中国に戻り嶺南派を復興。何添園は奇峰の高 弟。書もよくして戦後は香港の金文泰中學で美術教鞭の時期もあり。ところで金文泰中學は1926年創立の官立漢文中學が母体。香港植民地政府が最初に創設 の漢文中学で1951年にかつての香港総督Cecil Clementi(漢文に秀でること歴代総督の中でも傑出)の名を頂き金文泰中學=Clementi Secondary Schoolとなる。午後五時から香港文化中心にて香港フィルの演奏会ありZ嬢と待ち合はせ参観。香港フィルがラフマニノフの3番、つてピアノ協奏曲ぢや なくて交響曲。1941年に故郷のロシア思ひながら、と云ふ曲だがアタシにはわからない。実際に2番は聴いたことあるが3番は今回が初めて鴨。香港フィル は江戸出悪人さんになつて着実に上手くなつたのは事実。だがさすがにまだアンサンブルを楽しむやうな、さういふ域には(一瞬、さういふフレーズがちよつと 垣間見られるが)達してをらず。で今回の主役は後半、で李 雲迪(Yundi Li)がプロコフィエフのピアノ協奏曲2番。アタシにとつては初の生ユンディ。ユンディ様のプロコフィエフの2番といへば昨 年、小澤征爾&伯林の同録音(独逸グラムフォン)が評判。さすが18歳でショパンコンクール1位の25歳になつての演奏だねぇ、と今日も上手だがCDで聴 いたいろいろな演奏に比べて遜色あり、会心の出来ではない?と思へるのは今日の夕方五時の追加公演が一昨晩からの三度目だからか、一月に入り日本での巡業 (リサイタル9公演)終へての疲れか。さすがのデ=ワールト先生もプロコフィエフのこの曲はあまり馴染んでゐないのかピアノの独奏の間も小節数へるやうな 緊張感あり。寧ろ李雲迪がまるで指揮者のやうに、とくに第1楽章でのオケの合奏だけの間の振舞ひが可笑しい。ところで A列27番の客が最悪。左側の息子は始終、パンフレットにお絵描きで落ち着かず右席の娘は李雲迪様の目の前で椅子に横たはり熟睡。そのA列27番に居座つ た母はガキの居ずまひを正さぬばかりか自ら始終落ち着かぬキチガイぶり発揮で髪をずつと弄くる、肩を揉む、背を伸ばす……何が諸悪の根源か、といへばその 家族の亭主で娘の隣席にゐるのだが妻と子二人とは距離を置き自分の世界に没入。一列目中央、李雲迪のかぶりつきがそれで台無し。アタシの席はバルコニーの ちやうど「ピアノの指動が見事に眺め降ろせる席」だつたので否応なく、こいつが目障り。エコエコアザラクなり。終はつて御一緒になつたご婦人三名とZ嬢と 五人で「尖沙咀の」Jimmy's Kitchenに晩餐。 夕方五時からの音楽会も終はつて夕食にはいい鴨。皆さんお酒のイケるくちで、まづドライマティーニで乾杯。豪州McLaren ValeのWoodstoneの白でアボガドの蟹肉合へ、など前菜。カレー料理を注文してゐたので新西蘭のGinsen Estateの名前失念のPinot Noirを合はせる。
▼あまりの御用選挙で話題にするのも忘れてゐたが廿五日に全人代の香港代表選挙「一部で」実施され三十数名の代表選出される。千数百票で范徐麗泰(立法会 議長)がトップ当選。舌禍女王・羅范椒芬も無事当選。中指事件の黄宜弘(土共立法会議員)が落選。

一月廿六日(土)早晩まで諸用続くが始終宿酔気分。ジムのサウナで汗を流し漸く酒が抜けたが喉が渇きコンビニで麦酒立ち飲み。始末に終へず。Z 嬢と待ち合はせ湾仔Jaffee Rdの伊太利料理Al Denteに 夕食。芸術中心で映画『追悼のざわめき』松井良彦監督、 1988年を見る。 一昨日の新聞でこの映画の上映知つたもので芸術中心では大阪怪奇歌(Osaka Weird Sonata)なるシリーズで大阪で製作された自主制作映画8本上映してゐたものの千穐楽。地味な企画をようわるわ、ほんま、とつくづく感心。関 西カルト映画の巨匠・松井良彦のこのカマガサキを舞台にした150分の長編ももう20年前の古典。中野の今はなき武蔵野ホールでの単独公開とロングランは 伝説となり(04年の武蔵野ホールの閉館記念上映も確かこの映画)今かうして見ても「かたわ者」の扱ひやキチガイとなつた小人症の女が女子高の校庭に乱入 するシーン(ハプニング的な混乱を高所より撮影)や空きビル屋上での火事の場面と消防、その後の現場検証など20年後の今日では「撮影できない」だらう。 この映画、86年には香港での日本映画特集での上映不許可となつた由。今回は16mmフィルムではなくニュープリントからのHDテレシネデジタルなるもの ださうで画質が恐ろしく鮮明。それが残虐な場面がむしろさらつとあつさりと見えてしまふから不思議。見え過ぎるといふことは想像力も演出の妙も顕過ぎて欠 けてしまふのかしら。

一月廿五日(金)寒波再来。冷雨。かなり久々の本降り。街を歩く人も車も雨に慣れてをらず。早晩にバーYでハイボール二杯。F氏と鵝頸橋の居酒屋・和居和 居に飲む。バーSに飲み深更に至る。
▼健筆なる蔡瀾氏、いくつもの連載かかへ旅行中でも旅先から意欲的に寄稿し蘋果日報の連載随筆「草草不工」など欠かすことなし、が昨年、蔡瀾氏は旧友の倪 匡(60年代に少年向けの「衛斯理シリーズ」で一躍馳名、香港代表したSF作家)を客旅先の桑港 より實に14年ぶりかで香港に戻すと何度か蘋果日報の自分 の連載を、旅の最中は倪匡に任せるやうになつてゐたが、今年一月三日まで連載寄稿続けたあと翌四日より倪匡氏の連載がずつと続き(それまではせいぜい一週 程度)さすがに二週間を超え「体調でも崩したか?」と思つてゐた矢先の十九日に蔡瀾氏久々に登場したが「天 意」といふ題で
太過操勞,被兩種病毒入侵,好在我抵抗力頑強,把對方打倒。生病這 段時間,請倪匡兄代筆一個月……
と一ヶ月の休筆宣言。翌廿日に「租 界」と題して面白可笑しく、自分の連載コラム欄の又貸しについて語り、当面は『壹週刊』誌の「一樂也」と「未能食素」、それに『飲食男女』誌の連 載だけと執筆を軽減の由(本当は「一樂也」も休筆したいところだが挿絵画家の蘇美璐が稿料の半分を父に仕送りしてゐるので連載継続、と余計なコトまで書く のがある面では蔡瀾の面白さか)。 いづれにせよ、さういふわけで蔡瀾の草草不工は連載中断のまま。一ヶ月後に復帰すればそれで万事好し、だらうが体調芳しからず、か、いつ死んでもをかしく なかつた不健康の極みの倪匡氏が元気で、が皮肉なところ。蔡瀾、倪匡といへば故・黃霑と三人がホストとなつた伝説的なテレビ深夜番組「今夜不設防」 (89〜90年、亜州電視)懐かしいところ。あれから17年、と思へば黃霑氏が逝き、さすがの蔡瀾氏も体力に衰へ見えても不思議でもなし(が、やはり倪匡 氏が元気なのがいちばん不思議)。
▼ふと「はてな」富柏村日剰をアクセス分析で皆さんがどの単語検索で当日剰に辿着かれたか、を眺める。2007年通算で上位は「富柏村」「空の空」「村上 湛」「片岡郁美」「田原牧」「香檳大廈」「別所浩郎」「de mong-ha pousada」「新翠華茶餐廳」と続く。「空の空」は加藤周一先生が朝日の夕陽妄語での引用から。畏友村上湛君の名は實は古典芸能といふ一見古風な世界 がその好事家たちはネットで情報ゲットもお好き、の証左。片岡郁美さんはもう何年も前に数回触れただけなのに根強い人気。田原牧さんも支持が高い。香檳大 廈は尖沙咀の中古カメラ商入る雑居ビルだが情報少なくカメラ関係の好事家が検索か。別所浩郎氏は外務省の国際協力局長で、この検索が多いのもどういふ方た ちが検索されてゐるか、に寧ろこちらの興味津々。「de mong-ha pousada」はマカオのホテルだが情報少ないゆゑ。新翠華茶餐廳は香港の代表的な大規模茶餐廳でアタシはバーSで酔つた帰りに一度寄つたくらいだが。 でこのあと、なぜか有栖川宮、秋篠宮、高松宮と宮家が続き、湖舟、益新美食館、サイトウキネン、沢田研二、白洲次郎、顔福偉、コントアール、一碗麺、八重 洲書房、変圧器、按摩椅子、李玉剛、稲ぎく、草間彌生、柳澤秀夫、はたはた、ノクティルックス、葛飾ビラ、ホテル三條苑、内掌典、廣東茶居、徐展堂、男色 画、福和煙草、胡文閣、西苑酒家、雪園飯店、ガディス、山の上ホテルモーツアルト、ユンディ、中村紘子、九龍皇帝、住家菜、張震、新光戯院、明記甜品、永 合隆飯店、璽光尊、稲菊、蔭山征彦、藤田玲央、陰間茶屋、靴に恋する人魚、香港ヴァース、二階席、レリーズ、ラウンジ、GR Digital、Peninsula Pharmacy、あげ半、ふろふき大根・阿部なを、アミノギア、インポートフジイ、チンチンカモカモ、ランパーン・象使ひ、一樓一鳳、上野富吉、中古カ メラ、井上直幸、京笹、今夜は最高・藤村有弘、国民教育中心、坤記、安藤光雅、寿司澄、小南国、島貫果樹園、役者買、景記粥王、梁蘇記遮廠、民建聯、永合 隆、滝山コミューン、澳門珈琲、瀬戸正人、生き試し、米原範彦、葉劉淑儀、蓮華生輝、藍宇、雪園、香港バレエ、鯛萬、森喜朗衆議院議長……と続く。意表を ついていちばん可笑しかつたのは「チンチンカモカモ」と「役者買ひ」かしら。でも安倍なをさんのふろふき大根作らうとして検索してこの日剰に辿着いた人は 困つただらうに。

一月廿四日(木)蘋果日報、今日は一面トップは本来なら絶対に昨日の株価反復であるべきところ映画“Brokeback Mountain”主演俳優の紐育自宅での変死が一面トップ。この映画、邦題はカナ書きの 「ブロークバックマウンテン」で珍紛漢紛だが香港では「断背山」と見事な直訳。この映画のヒット以来「断背」がいつのまにか男色を指す意味となり「近來、 傳著張敬軒與好友關智斌的斷背情」など用法あり。早晩にハッピーヴァレイの大 少爺茶餐廳。評判の海南鶏飯食す。極めて上品ながらピリツと辛み。海南鶏飯に大切な「滑らかさ」通り越してちよいと脂つこさが気になるが美 味。所用済ませ二更に帰宅。昨晩に続き休肝日。臥床間際に養命酒服すとさすがに酔ふ。
▼日本で弔事あり明日の通夜に急ぎ弔電送る。NTT東日本にネットで弔電依頼。原則は「国外からのお申込みは出来ません」(おそらくKDDIとのかねあ ひ)だがネット上で現実には可。送信後に先方送り先住所が自宅でなく斎場であつたことわかり斎場名を送り先に追加しようと思つたが依頼後の電報の変更は電 話でのみ受け付け、でフリーダイヤル。海外からフリーダイヤルかけられず仕方なくNTTの「電話部門」の海外からのお問合せ番号に電話して「電報の」と言 ふと「恐れ入りますが海外からの電報の申込は……」なので「知つてゐます。電報の申込みぢやなくて『内容の変更』です。問題ないでせう」と答へる。相手は 一瞬詰まり「……国内で申し込まれた、といふことで」と電報担当に転送してくれ、万事休す。

一月廿三日(水)米国が金利引き下げ。米国FRB長官よりずつと高給な香港金融管理局総裁(年収1.2億円は日銀総裁福井君の4倍)任志剛の「米 金利引き 下げを安定剤として歓迎しつつ金融諸問題の根本的解決にはならぬ」といふ見解に対してマカオのカジノ王・何鴻燊(Stanley Ho)様は(陶傑氏が聞いて苦笑か)恒生指数は今後23〜24千で徘徊するであらうが旧正月迎へる頃には30,000ポイント、と相変はらずハッピー。で 香港市場も何鴻燊の期待に応へるかのやうに前二日の下落に反発し2,332.54ポイント(10.72%)上昇。ちなみに董建華君の東方国際はHK $40.65也、まだまだ。アタシは胃腸風邪の気配あり帰宅途中に近隣のC医師の診断請ふ。案の定、胃腸風邪。C医師のくれる薬はいつもアタシに合ひ、帰 宅して服薬し養生すると晩遅くにはだいぶ回復。岡田暁生『オペラの運命』読了。ショルティ&シカゴ響でマーラーの4〜6番を聴く。晩は北角街市で売つてゐ るKadoorie農場系の地鶏で親子丼。樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』光文社新書少し読む。本といへばC医師の診療所からの帰途、商務印書館 に寄り陳夢因著『食經』全5巻購入。『食經』は星島日報で1950年代に連載された、香港でも飲食を記事とする魁となつた連載。著者の陳夢因氏 (1911〜1997)は星島日報の元編集長。飲食関係の記事で今もよく引用される古典でアタシも「食經」の名は聞いてこそゐたが数十年絶版を商務印書館 がこのたび5冊にまとめて復刻。
▼岡田暁生『オペラの運命』中公新書。同著『西洋音楽史』のはうが圧倒的に読み応へあり、だが、オペラ音痴のアタシにもこの本は面白い。
オペラの基本的性格が規定されたのはバロック時代である。バロック 時代の宮廷文化にルーツをもつ幾つかの文化的前提を知らずして、オペラになじむことは難しい。もし読者の周囲にどうにもオペラと相性の悪い人がいるとしよ う。おそらくその人は、オペラというよりまず、オペラが前提としている文化史的な諸条件と体質があわないのだろう。それはつまり華美(それも桁外れの)を 肯定する体質である。この派手好みの気質の点でオペラは、同じ「クラシック音楽」でありながら、交響曲に代表される近代の演奏会音楽(器楽音楽)の対極に ある。
といふ指摘に納得し、独逸留学時代に三度の飯より歌劇、の経験もつ著者ですら
いまだに記憶に残っているのは、どういうわけか、「作品」でも「歌 手」でも「演出」でも「指揮者」でもない。クライバーもシノポリもムーティもドミンゴも皆聴いたのだが、十年という歳月にふさわしく、これらの思い出は既 におぼろげになり始めている。だが今でも鮮明に記憶に焼きついているいくつかの光景がある。それはオペラ劇場の周囲の街並であり、劇場の建物や内装であ り、観客の立振る舞いであり、それらが渾然一体となって作る「場の雰囲気」である。
といふのだから鳥渡、安心。
▼テレビマンユニオンの村木良彦氏。萩元晴彦はすでに亡く、今野勉さんだけが設立者でご存命だが今野氏がドラマ出身であることを考へるとドキュメンタリー ではやはり村木氏。当時の報道のTBS、日本テレビですら読売テレビの「ドキュメンタリーにつぽん」などなど、今のただ面白可笑しく馬鹿馬鹿しいテレビに 比べ当時はシリアスな番組がいかに多かつたことか。

農歴十二月十五日。早起きで朝の四時半(香港時間)より大相撲の再放送あることを知る。本日、股災=世界同時大幅株安。昨日5.49%下落の恒生指数は本 日さらに8.65%下落。2,016ポイント「狂瀉」は史上最大。 (結果論だが)米国の低所得者相手の融資貸付に便乗しての濡手に粟での金儲け、借り手の返済焦げ付きで結局のところ火傷は世界中の投資マネー側。昨年秋に 香港恒生指数31958の最高記録した折には「来春の旧正月には33000」と宣つてみせし香港「股神」李兆基(恒基地産主席)は最近、姿見せず。前行政 長官董建華など自社(船会社東方国際)株を過去数ヶ月港幣1億元(14億円)の資金調達し(HK$56より最近のHK$45.8の間で)買ひ戻せば昨日の 株安で 東方国際は8.47%下落し13ヶ月ぶりの最安値HK$41.05を記録。董建華、1ヶ月で港幣18百萬元(2.5億円)の損失(以上、SCMP紙Lai Seeの記事“Tung's investments all at sea”による)。で本日は同社株終値は更に8.16%下落のHK$37.7となり董建華先生大火傷。香港らしいのは(翌23日の蘋果日報の記事だが)銅 鑼湾の阿一鮑魚で有名な金満食堂・富臨飯店の今晩の売上げは2割減、と(笑)。一昨年秋来のカメラ・レンズ購入での浪費で自己破産の、投資など縁もなき余 には股災は他岸の火事の如し。林行止が信報で経済学者の立場で科学的に『聖書』読んで聞かせる(看『聖經』學猶太經濟學)。出エジプト記(第十章)
爰にヱホバ、モーセにゐひ給ひけるは汝の手をエジプトの地なうへに 舒べて蝗をエジプトの國にのぞませて彼の雹が打殘したる地の諸の蔬を悉く食はしめよ。モーセすなはちエジプトの地の上に其杖をのべければヱホバ東風をおこ してその一日一夜地にふかしめ給ひしが東風朝におよびて蝗を吹ききたりて。蝗エジプト全國にのぞみエジプトの四方の境に居りて害をなすこと太甚し。是より 先には斯のごとき蝗なかりし、是より後にもあらざるべし。
まさに今回の米国プライムローンに由る股災はこのイナゴの如し。この他にも聖書の物語に経済への忠告少なからず林行止が見事に紹介す。このところ多忙続き で体調もいま一つ、ジムに寄り運動する気も失せ帰宅。今日は兵庫の播磨屋本店のお菓子いただき、ついつい黒大豆の大粒の甘納 豆がお茶受けに良く2パックも昼のうちに一人で食べてしまひ反省。「朝日あげ」のみ持つて帰宅。九龍東の夜空に昇る十五夜の赤月。妖しげ。股災の晩に不思 議と似合ふ月。

農歴十二月十四日。大寒。大寒だが暖かい。諸事忙殺され早晩に北角埠頭近くの「札幌」で葱ラーメン急ぎ食し所用済ませ二更に至る。夜な夜な月眺めつつ漫 歩。北角の街外れの公園では一輪車で器用にホッケーする若者たちあり。危 なさうだが巧みに相手躱し衝突や倒れることも稀な様子。暗い公園のベンチに坐るのは、どうみても家出の行き先のない、ボストンバッグと「そごう」の買物袋 一つで途方に暮れたやうな少年。帰宅して大寒なので久々に風呂の湯に浸かり、文藝春秋二月号で特集「見事な死 阿久悠から黒澤明まで著名人52人の最期」しみじみと読む。個人的に自分がさうなりさうなのが中島らも(泥酔して階段転げ落ちて打ち所悪し)と芦屋雁之助 (大の甘党で糖尿)。今夜もこの文藝春秋一冊読む間にGlenmorangieの18年シェリー樽つて酒をダブルで三杯も飲んでゐる。へんに酔はないとこ ろが我ながら寧ろアル中気味。しかも自分の家なのに寝室で立つたまま背の低い箪笥に凭りマーラーの2番を聴きながら酒を箪笥の上に置いて本を読んでゐる。 家で立ち飲みの変な風景。そんな酒飲みの私にとつてやはり理想像は田村隆一。最期は妻が冷や酒を吸飲みにいれてくれたのを一合すつと飲んで「うまい」と喜 び眠るやうに亡くなつた、と。團伊玖磨は2001年の5月、文化交流で訪れてゐた大好きな中国の蘇州で、旅先のホテルの部屋の灰皿にはパイプ煙草の葉の燃 えかす。この訪中、古くからの友人である唐家璇外相(当時)との会見が小泉靖国参拝意向表明で取り消しに。故人の意外な、寧ろ印象損なふから知らなければ よかつたやうな逸話を父に語られたのが尾崎豊(個人事務所立ち上げダブルのスーツ姿で背広の胸にハンカチをさした尾崎豊が社長室で自分のツアーのスケ ジュール交渉)や小田実(風来坊的な行動派、実は「なんでも見てやらう」も詳細な旅程組みや旅先での知人への紹介状依頼、その実際の旅に基づく単行本化の ための小説風の筋書きメモ=つまり「なんでも見てやろう」はドキュメンタリー風のフィクション!、を見つけた妻)など。また、逆に意外な言葉から「やつぱ り」と私は納得できるのは水上勉の長女が語る、父の晩年の謎の言葉、は昼すぎの日向ぼつこで恍惚の水上勉が口にした「私は道を違えておりません」の一言。 生や死に直に向き合つた(といふ姿勢が読者の心をうつた)老作家は死に際まで「実は違えていた道」との葛藤か、やはり「否定したゐ何か」があつたのね、と 妙に納得。

一月廿日(日)本日西貢北潭涌にてChina Coast Marathonありハーフ之部に参加で朝六時すぎにタクシー雇ひ参加者用バス乗車の集合地点の天后へ。だが恒例の集合地点に人影なし。集合地点は北 角!、而 も突然猛烈な腹瀉に襲はれ維園の手洗ひに駆け込んでから再びタクシーで北角へ駆せる。主催者側誂へのバスは乗客多く1台に乗り切れず主催者側のメンバーが 更に1台を追加手配を決める。Citybusは路線バス運行も多く緊急用にバスが各地に待機の由。その機転も早かつたが主催現地本部に電話連絡のスタッフ は「バス利用者が多く乗り切れなかつたので、こちらの判断で1台追加手配。10分後にバスが来る、といふから、これについてはOK、で他に……」と。何か 「予期せぬ事態が発生」の時に右往左往せず何かの判断をして解決すれば結果的に「トラブルではない」のだから報告で「これはOK」で済ましてしまふ、その 感覚は「何事にも大騒ぎ」の我々は多いに学ぶべき。で現地到着し40分後の8時にフルとハーフが同時にレーススタート。折りからの晴天……は暑すぎ(摂氏 18度くらゐなのだらうが湿度は95%!)。アタシにしては高速のキロ6分以内のペースで快調に走つてはみたが10kmの折り返しから途端に足が上がら ず、ふと気づけば10km以上をレースできちんと走つたのは昨年三月の香港マラソン以来、しかも最近はとんと運動量少なく、後半は速度は落ち上り坂でもな いのに少し歩き競歩のオヂサンにも抜かれる!始末。結果2時間15分。午後お仕事あり、でフルに参加の同じランニングクラブのK会長らの応援もせず一人、 西貢。龍記桂林米粉に寄るが開店は11:30でまだ半時間も あり松記車仔麺に食す。ジムのサウナに寄り帰宅。午後遅く打 合せありFCCのラウンジ。Y氏と三時間ほど作戦会議。見事な十三夜の月を愛でつつ帰宅。昨晩に続き蘇州I君が来宅。Drappierのシャンペンと智利 のMaule ValleyはCremaschi furlottiのcarmenere 05年持参してくれる。二日続けてシャンペンに赤葡萄酒は幸せ。Z嬢の手料理。だがさすがにアタシは朝からの疲れで沈没。I君に言はれて競馬は今日がクラ シックマイルとスチュワートカップであつたこと知る(I君は勝つたさうで)。

一月十九日(土)週末だが忙しく北角で午前中の所用終へご一緒したAさんお連れして昼に寿司加藤。午後の所用済ませ早晩にFCC、蘇州より来港のI君とZ 嬢と飲食。Heidsieckの赤ラベルを開け、タイ風牛肉のサラダ、トマトと生玉葱のピッザなど食しZenato Ripassa DOC 05年を飲む。
▼I君の話で笑つたのが成田空港での「チャッカマン」。 蘇州でガスコンロの火のつきが悪く日本で買つたチャッカマン持参で成田空港へ着いたI君。案の定、手持ちだらうが荷物に預けようが「チャッカマン」は危険 品で認められず。だがI君が納得できぬのは、そもそもライターもダメなのだがライターなら喫煙者に対して1個の携帯は見逃されること。チャッカマンはそも そも百円ライターなのだし、喫煙者への配慮を拡大解釈すれば「チャッカマンでタバコに火を点ける酔狂な奴もゐる」とすればチャッカマンも1個だけなら携帯 許されてもいいはず、と交渉したが税関は「どうかご勘弁を」と。ライターがダメなら一律、ダメとすべきで喫煙者に1個配慮してゐる点にそもそも矛盾あり。 結果、I君のチャッカマンは柄の部分が長く「ライターとしては認められない」が税関には他の搭乗客が残した「多少、柄の短い」チャッカマンがあり、それを 「ライターとしての使用」といふことで携帯許せなくもなし(とかなり強引な解釈だが)、で結果、I君のチャッカマンとそれを交換してライターとして機内持 ち込みの由。

一月十八日(金)多忙。晩に久々に餃子を茹で食す。かつて香港では湾仔碼頭の水餃子を、スーパーなら箱入りの冷凍がお気軽、湾仔の交加街の本店に足を運べ ば出来立てが購入可。それより昔なら実際に湾仔碼頭でオバチャンが立ち 売りしてゐた伝説となつた餃子が買へたわけだが。で、その湾仔碼頭餃子もスーパーで販売の冷凍物は、かつては粗末な黄色い箱に小麦粉に塗れたバラが入つて ゐるだけで安くて美味いからお手頃だつたが、それがいつのまにやらパッケージもしつかり、小振りの餃子がプラ皿に並び、見た目はきれいだが味は格段に落ち て、湾仔の交加街も再開発で本店は立ち退き。もう何処かの工場で大量生産のはず。多角化か、なんだか奇抜な飴の餃子多種多様。で「湾仔碼頭」印の餃子もす つかり買はなくなり、知らないメーカーの1パック35個入り!の冷凍餃子を調達。なんで35個なのか……、せめて36個なら3打と納得できるのだが。内地 の餃子は「段ボール紙が飴に混ぜてある」だとか、段ボール紙ならまだしも鼠肉や場合によつては猟奇的殺人絡みで人肉も?なんて報道(といふかガセネタが多 いが)もあるが。いろいろ噂を思ひだしつつ餃子にパクつく。食前にGlenmorangieのウイスキー数杯飲み餃子を頬張りつつ五糧液を盃に数杯飲んだ ら睡魔に襲はれ早寝。
▼外務省で薮中三十二外務審議官が事務次官に就任。薮中氏絡みで一つ知りたいのは外務省経済協力課が小泉三世の御世、国際協力局に昇格、で当時の経済協力 局長がそのまま国際協力局長になることが公示までされてゐたのに、それを撤回。薮中氏が審議官のまま国際協力局の初代局長を暫定で兼任、それを別所浩郎氏 が襲ひ現任。別所氏といへば小泉三世の首相補佐官で、当時の対北朝鮮問題扱つたのも、この方。当時のこの急な人事が何を意味してゐたのか。7,000億円 のODAを扱ふ部署であるから、とくに対中国、対インドネシア絡みなどでいろいろキナ臭いこともあらうし……。そこが気になる。ところで、今回の薮中氏の 事務次官就任で後任の審議官は佐々江賢一郎アジア大洋州局長。この方も北朝鮮拉致問題に強く関はつた。今の外務省幹部が薮中氏、佐々江氏、別所氏、と三者 とも小泉政権での(安倍といふ官房副長官もいらつしやつたが)北朝鮮絡み。結局、北朝鮮外交は外務省の幹部人事に大きな影響こそ与へたが、本来の拉致被害 者問題は何処にいつてしまつたの?といふ感じがしないでもなし。

一月十七日(木)終日多忙。湾仔のImmigration DeptでHKIDの再発行受領。昨年末に申請の母のHKIDも受領。郵便で母に送る。
▼香港政府前廉政専員羅范椒芬の全人代香港代表立候補、36人だかの定数に50名だかが立候補し推薦人数では彼女がダントツ一 位。これに続き今度は香港大律師公會主席(弁護士会会長)の袁某が広東省政治協 商会議の委員に任命される。広東省政協の職務が直接香港に関はらず、また中国の国家組織への関はり=親中派といふことじたい「偏り」と思へば敢へて香港の 司法家が広東省の政協に協力し法整備などに協力することを積極的にとらへることも可。だが一党独裁国家である現実からして香港の法治の中立不偏に禍ゐない か、と疑問の声もあり。大律師公會の歴代主席は民主党のマーチン李柱銘、公民党の党魁・余若薇などリベラル派多く、通常3年は任期自動延長が慣例の大律師 公會だが袁某の続任に「待つた」。一枚岩に見えた大律師公會が、この問題を契機に分化も憂慮されるところ。陶傑さん曰く、内地政協への協力は果たして「政 治的正確か?」と。まづ「内地が法治社会でない」を前提としてるが、それぢや香港だけが法治社会か、と陶傑さん。中国にだつて包青天のやうな名判官がゐた ぢやないですか、それを「中国は法治社会ぢやない」といふのは政治的不正確。それに香港の法治社会は英国植民地政府の建立したもの、「内地」の内部事務に 対して井水不犯河水、と。御意。陶傑さんのこの見方を借りれば、まさに香港の法治は英国植民地としてのもの。大律師公會も司法=英国流で司法カツラまでか ぶり徹底してゐるのだが、香港の伝統的な中国と距離を置く司法(李國能・終審法院主席法官のスタンスが象徴的だが)は今後、その保守派と、積極的に内地の 法制に絡まうとする改革派?(その代表が袁某か)に分化は避けられまい。
▼香港に劉千石といふ立法議員あり。労働運動の活動家で89年の天安門事件をきつかけに支聯会入り、民主党の結党に関はり、劉千石は香港職工会連盟を組織 し立法会議員に。民主派では代表的な議員の一人「であつた」。1960年に広州より香港に偷渡の彼には広州に老齢で病気に臥せる母あり。反中国政府的な民 主運動で中国政府に「回郷証」剥奪され広州に母を見舞ふ帰省も能はず、2000年に行政長官董建華の協助で回郷証の再発給受け広州で母と再会。この回郷証 再発給の時に条件として反中国政府的な言動を今後控へることが条件になつたとか揶揄もされたが、事実、劉千石はその後、言動的には「低調」。民主党や「前 線」から脱党し民主党は結党当時の幹部であつた彼を逆に除籍の決定。香港の民主派は中国政府と和解し良好な関係を築くべきと主張、立法会での表決でも泛民 主派に同調せず。05年の董建華辞任での後任選挙ではSir Donaldを支持、SIr Donaldがその年に提案の選挙制度含む改革案では「反対」の泛民主派で唯一人、棄権票投ず。これを転向、変節といへばそれまで。だが、その劉千石が最 近の「普選」問題について、05年の上述の政府提案の改革案反対時と同じで、泛民主派はただただ今のやうな反対、抗議をしてゐては永遠に普選は実現でき ぬ、現実的に妥協点を見出し、その中で具体的な政治改革を実現してゆくべき、と指摘(本日のSCMP)。

一月十六日(水)朝六時すぎに届いた朝刊(蘋果日報)に香港時間午前一時から米国桑港で開催のApple社のMac WorldでSteve Jobb氏が紹介の新製品MacBook Airについて発表の様子、詳細な報道あり。事前にかなり準備した予定稿に現場からの写真などはめ込んだものだらうが三、四時間で紙面に載り、朝五時に印 刷の版が一時間後には配達されるとは……。朝七時半に紅磡站。コンコースのファーストフードで朝食済ます。構内に雀鳥数羽。迷ひ込み住着いたのだらうが鳥 インフルエンザとか慎重な時代に、よくぞ放置されてゐるもの。湾仔のグランドハイアットもロビー空間に雀がゐたがどうしたものか。私一人で高速直通特快で 久々に一路、広州。車中、マクドナルドの臭いとゲーム機のピコピコがバスでもさうだが今更苛々しても仕方ないのだらうが不愉快。マスクと耳栓は必携の キョービ。広州着。驛舎も地下鉄も広告は北京オリンピック一色。香港のオクトパスのやうな「羊城通」カード購入して広州東站から地下鉄で珠江新 城。二沙島まで散歩、といつても縮尺のない地図で見ると近いが実際に歩くと3kmくらひ(香港だと金鐘から銅鑼湾か)。広州には何度か来たが珠江の中洲、 二沙島は初めて。広東美術館。日曜日にアート系タウン誌眺めてゐて知つたの が、この美術館での「美麗新 世界 − 当代日本視覚文化」なる特別展(20日まで)。昨年初秋に北京の798大山子芸術區で同展開催が好評、と記事を読んだ記憶あり、広州に 昨年末か ら来てゐたとは、で慌てて参観。展示会場5つと草間彌生さんのオブジェはお庭で、かなりの規模と内容。この美術館、展示室の作りが良く、二階までの吹き抜 けの展示室などかなり上手に使つて見事な展示ぶり。どのアーティストの作品もかなり面白く2時間も見続ける。この広州で最も人気は押井守の映像作品 Tokyo Scanner である。確か六本木ヒルズ落成記念で森ビルが製作の東京俯瞰の空撮作品。たぶん小型機から(ヘリコプターぢやないから振動と揺れがない)かなり高度なハイ ビジョンでの撮影。空中から都庁のビルの窓際の人までくつきり。ただの空撮ぢやなくて押井守が徹底的にカッコいい映像作品にしてゐるのだが、中国有数の大 都会である広州から東京を眺める面白さ。この特別展、平日の昼にそれなりにアートな人出。だけどみんなデジカメでの作品撮影会状態。それも携帯電話のデジ カメなんかぢやくてニコンのデジイチや高性能機で、そんなにアート作品撮影してどうするの?つて感じ。作品を看るより先から撮影、撮影、撮影。もつと作品 と対峙しようよ、一期一会で此処だけ、の気合ひ入れて作品を看ようよ、光の具合、照明、空気がみんな一緒になつての此処だけのこの作品でせう、と思ふのだ が。香港からわざはざ足を運んで正解、の特別展にかなり満足。四半世紀前の広州を知るアタシとしては感慨もあり。昼から午後は青空。美術館の横から路線バ スで天河。一人だから「やつつけ」の昼食が地元中華ファーストフードで予想以上に美味。昊源撮影器材城。先週末の香港の中古カメラ蚤の市に出店の「阿楚影像」といふ中古カメラ屋の本店が此処。この店に限らず フロア全体、どの店も品薄で寂しいがライカやハツセルブラッド、ローレイなど扱ふ店少なからず。ContaxのGシリーズがかなりお買ひ得値段で何台か、 レンズも並ぶ(当然、買はない=買へない、が)。デジカメ修理専門店もあり中学生くらゐの子が器用にコンパクトデジカメ分解して修理してをり、才能か見様 見真似か、いづれにせよ大したもの。体育中心公園を横切り広州購書中心。CD売場に赴けばグラムフォンなど中国国内販売限定か、オリジナル名盤が廉価。ア ルゲリッチが弾くバッハのトッカータ BWV 911とイギリス組曲が30元。ミケランジェリのピアノで維納フィル(指揮:ジュリーニ)のベートーヴェン・ピアノ協奏曲1&3番が45元。香港価格の4 掛くらひかしら。この2枚とキーシンのピアノで小澤征爾&ボストンのラフマニノフのピアノ協奏曲3番(15元、は広州でも安すぎ=ケースに傷あり)で、そ の3枚と、ゲオルグ=ショルティ卿の指揮で当然シカゴ交響楽団のマーラー交響曲全集10枚組(原盤は英国デッカレコードの倫敦レーベル、発売は広州の地場 音楽会社)190元をお買上げ。香港ならCD2枚しか買へない金額。昔は中国国内で販売のクラシックCDなど安からう悪からうだつたがグラムフォンや EMIなど大手レーベルのオリジナル盤の充実、而も廉価、は驚いた。文芸書なども眺めてゐたら、もう夕方。地下鉄で広州東站に戻り5時の直通列車で香港に 戻る。往復の車中、岡田暁生『西洋音楽史』中公新書を読む。西洋音楽史の本は多からうが作者の不思議な音楽と歴史への視線が秀逸。「バッハの置き場」も凄いしモーツァルトをオ ペラを褒めるくらゐでさらつと通り越して「絶対にまとまらないだらう」と誰もが思ふロマン派の料理の仕方は秀逸。マーラー、シュトラウス、ストラヴィンス キーあたりの記述も實に面白い。京劇のDVDも眺めたが白先勇による青春版「牡丹亭」のDVDはさすがに出てをらぬ、か。今朝の信報に周凡天氏が北京で大 好評のこの牡丹亭について詳細に解説。読めば読むほど垂涎。牡丹亭といへば久が原のT君に教へられたが大和屋が三月に南座で昆劇「牡丹亭」(朝 日)。五月に北京公演。京劇に女形で看板役者をらぬのだから大和屋も梅蘭芳の次はアタシよ、と張り切り、か。朝日の記事で大和屋の蘇州での稽古に 立ち合ふのは梅派の女形・胡文閣だらうか、多分。帰宅して土曜晩のパーティからお持ち帰りの羊腩煲の残りでうどん煮て食す。
▼福田内閣支持率低迷、と云ふのは簡単。だが、どんなものか。例へば「あなたは小泉内閣を支持しますか?」や「安倍内閣を支持しますか?」と比べた場合 「福田首相を支持しない、と言ふのは容易」といふコトを考慮すべきでは? 例へば、日暮里の居酒屋でテレビニュースを見ながら「バカヤロー」と、小泉不支持は声を上げるのに少数派としてかなり勇気が入り、安倍不支持=左翼非国民 のレッテル、と思へば「俺は福田を不支持しないね」といつても熱烈な福田支持者がゐるはずもなく「なんとなく場の空気として」「さうだよね」で済んでしま ひがち。強烈な支持者がゐないぶん非難も簡単、なのだ。

一月十五日(火)諸事に忙殺され晩に到り帰宅して吉田秀和全集10巻を書棚に収めるべく書斎の片づけ多少。一昨晩の鶏肉の水炊きの出汁で雑炊を食す。大津 の叶匠壽庵の一壺天と神戸のゴンチャロフ製菓のコルベイユといふ 焼き菓子で煎茶。今晩のNHK晩10時の「プロフェッショナル」のゲストは大和屋。香港では見られぬが朝日新聞のテレビ欄の紹介は
女形のトップに立ち続けてきた玉三郎を支えているのは、舞台のため に生活のすべてをささげるストイックな姿勢。公演期間中は、歌舞伎座と自宅の往復だけで寄り道はせず、肉体を維持するマッサージを受けて寝るという。
……真面目な人が全く意図なく書いた「普通の文章」ほど可笑しいものなし。大和屋の按摩強要の弟子セクハラ執拗に報じた『噂真』が懐かしいところ。サイー ド&バレンボイムの『音楽と社会』続き読む。それにしても“PARALLELS AND PARADOXES - Explorations in Music and Society”といふ思慮深きタイトルがなぜ「音楽と社会」に単純化されてしまつたのか。「パラレルとパラドックス」はいろんな解釈があらうが、1回目 の対談(2000年3月、紐育)で「相似と相反」についてサイードによる「異なってはいるが相互に絡み合う歴史という観念をもつこと」が議論に欠かせない との指摘が明確。
▼香港理工大学だつたかの民意調査で香港市民の63%が香港政府による香港鼠楽園への施設拡充のための追加投資に反対、と。当然。ドブにカネを捨てるやう なもの。これがホントのドブ鼠、か。

一月十四日(月)地図オタのアタクシにしては遅ればせながら香港街道地方指南の08年版を漸く今日、購入。今年の付録は北京奥運記念で五輪会場施設紹介の 北京市街地図。A3版だがさすが通用圖書有限公司らしい精緻さ、見事。北京動物園すら郊外、といふのが私の感覚なので三環、四環、五環と市街拡大し市街地 図に西域の八寶山の革命公墓までが含まれることに驚くばかり。晩に北角の寿司加藤。七年近くお世話になつたH氏帰国で四名で送別会。桐之桃山なる麦焼酎を ご主人より少しいただく。シングルモルトかブランデーの如き芳香は40度の減圧蒸留の原酒をシェリー樽で5年寝かした由。
▼昨日の普選デモ、主催者側発表では22千人、警察発表は7千人。讀賣新聞は「香港の民主派議員や市民 ら約22千人(主催者発表)が」と記事に書いたのに対して、朝日新聞は「7 千人以上が繁華街を歩き」と表現。警察発表より少ないはずはないから「7千人以上」は確かに間違ひないだらうが……。
▼先週土曜日の台湾立法院選挙。「野党国民党が与党民進党に大勝」と云ふに易いが実は得票率は意外と僅差で結果は大差。まづ選挙について。今回の選挙は 225議席から113議席に議席数半減したもの。04年の同選挙は所謂、比例代表制だつたが今回は113議席のうち比例代表制は34議席に削減され73議 席が所謂、小選挙区制(残り6議席は3名選出の少数民族地区が2つで比例代表制)。国民党の得票は51.23%で民進党が36.91%だが得た議席は 81:27と大差。国民党は前回225議席中83議席を占め、今回は増減だけで見れば僅か2議席増。民進党は89議席で多数派与党であつたものが今回62 議席!失ふ。だが(選挙にお詳しいかたはもう想像の通り)小選挙区制導入で親民党は34議席失ひ1議席のみ、李登輝の台聯は12議席減で議席0、新 党も1から0へ。日本で細川内閣で小選挙区比例代表制となつた結果が自民党に安泰を齎したと同様、与党民進党での選挙制度改革が国民党に有利に働く因果。 これについて信報で練乙錚主筆が更に詳しく分析してをり、以下、紹介。前回の04年選挙での国民党:民進党の得票率は1:0.77で今回は1:0.68 と、前回は民進党に投票し今回、国民党選んだ有権者はわづか30万人で有権者全体の僅か3%にすぎず。今回の選挙で比例代表制の34議席についてのみ見れ ば国民党:民進党の得票率は1:0.7で得票率をほぼ反映してをり、仮に113議席全てが比例代表制であつたとしたら国民党と民進党はそれぞれ66議席と 46議席獲得で、国民党の勝利は揺るがぬが民進党も今回の86対27といふ惨憺たる結果には至らず。わづか3%の有権者が前回は民進党に投票したものの今 回は阿扁総統に嫌気さした結果が国民党に大勝もたらす。選挙の面白さといへば面白さ。だが、この程度の民意が国政を左右する危ふさ。而ももつとも憂ふのは マスコミの大部分が「国民党大勝」とのみ伝へること。
▼「民衆運動」について(一橋大学名誉教授(日本思想史)安丸良夫氏)。民衆運動に「暴力、狂信のラベル貼る前に」と題して(朝日新聞より引用)家族やそ のほかの共同団体の資本主義的経済システムへの順応力・可塑性には限界点があり、それを越えると被抑圧者の側は新たな集団を構成してその結集力を高め、日 頃の存在形態からは思いもかけないほどの激しい活動性を発揮することが少なくない。(略)私たちは、宗教的急進主義やナショナリズムと結合した諸運動につ いて、ほんの表面的にしか知らず、よく知らないことについては自分の日常意識から排除して、暴力や狂信のラベルを貼って済ませているのではなかろうか。民 衆運動には、外部の観察者には、一見、非合理的でわかりにくいところがあるが、そのことの大きな理由は、被抑圧者の側はみづからの社会的な劣弱性をコスモ ロジー的な優位、とりわけ宗教的なそれによって代替するからである。(略)(民衆運動は)たいがいこの世界の大きなシステムのなかでの葛藤・相克の表現で あり、私たちが生きている全体社会の不調子・不調和の表象である。

一月十三日(日)曇。本日、巣鴨で月本裕さんのご葬儀。朝からNHKラジオで「芸に終はりはない~箏曲家・富田清邦さんにきく~」 を網上で聴く。畏友・村上湛君の芸話が挿されてをり。本日、Kennedy Rdにある前 任行政長官辨公室が市民に初公開と新聞にあり午前十一時前にZ嬢と訪れる。1905年に私邸として建てられた洋館。戦後は学校が借り受け香港返還 前には中英連絡小組の会議場として使はれる。董建華の行政長官退任後に我々の税金200万ドル(3千万円)も費 やし前任行政長官のために改装の公館。洋館が見た目、趣きありさうだが塗装からして非熟練工の粗末な仕事ぶり。建物の中も董建華の執務室は「空つぽ」。会 議室に今回の公開のためか董建華が受け取つた記念品の類、展示あり。北の将軍様に比べてはいけないが一見して「価値のない」ものばかり。ウォルト=ディズ ニーとミッキー鼠の小さなブロンズ像が涙を誘ふ。いつ雨が降り出すか、の空模様。香港動植物公園。FCCにて昼にパスタ。白葡萄酒一杯。プリンスビルヂン グのラルフローレンでシャツなど購入。Z嬢と別れ湾仔。昨日に続き復た中古カメラ跳蚤市場へ。何も買はない=買へない。一時間半ほど、ただ垂涎の気分で眺 めてゐたが、ライカばかりか東欧などの中古レンジファインダー機などもあり長徳先生か赤瀬川原平さんの世界。ワルシャワのカメラ屋はまだ驚かぬが広州にラ イカなど高級中古カメラかなり扱ふ店があり今回の出店には目から鱗。ノクチルックスでファインダー付きで2万ドル、がだんだん「どうにか工面すれば買へる のでは?」とライカウイルスに感染し始め危ないので早々に退散。本日、2012年普選実施求める泛民主派の市民デモあり。主催者側発表で22千人が銅鑼湾 維園より中環政府総部までデモ行進。それに湾仔にて遭遇す。晩に鶏肉の水炊き。今日は日本で全国的に「ためしてガッテン」効果で水炊きの家が多いのぢやな いかしら。NHKワールドでDragon Ashのバンド結成10周年の記念ライブ見る。正直いつて老いたアタシにヒップホップだのラップだの、Dragon Ashは「わからない」。がこのバンドを見つけ育てた事務所の社長が知己のK君で、今でもアタシを先輩のやうに取りなしてくれるがアタシなんぞよりずつと 立派なK君に敬意表す。今どき若い人にはラテン系のサンバとかが耳に新しい音楽なのかしら。フラメンコのやうな曲で、思はず80年代のジプシーキングス彷 彿。音楽といへば朝日新聞で高橋源一郎センセと対談の渋谷陽一さん。渋いねぇ。
▼陶傑さんの蘋果日報の随筆で多少の極論、暴論には今更驚かぬが昨日の「猴 子総統」には「マジかよ」である。この「お猿の大統領」は小浜馬楽君は米国総統になるやうな器ぢやない、と、それが黒人だから、なのではなく「黒 人だらうが白人だらうが」よーは「お猿顔」で耳の形からして貧弱、と。ハーバードとエール大学で法律を学んだ弁護士出身でも「ダメなものはダメ」、なのは 痩身で貧相だからださうな。小浜君が貧相なのは否定せぬが。
▼香港で今年8月開催の北京五輪の馬術競技。スイスの馬場馬術チームが香港の暑さ厭ひ出場辞退。世界四位の選手の憂慮だとか。

一月十二日(土)昼まで自宅にて雑事済ませ昼過ぎ中環。ちよいと買物済ませ湾仔。用事に向ひ急ぎ歩いてゐると華潤大廈で香港第二回撮影器材買賣跳蚤市場 (文字通り、蚤の市)の看板あり。約束の時間に近いが多少遅刻も致し方なし、で会場に飛び 込む。「撮影器材」誌の主催にて地場、欧州から中古カメラ商が、規模と質では銀座松屋の中古カメラ市になど比べ物にならぬ数軒だが、香港でこんな催事ある だけでも嬉しい。困つたことにライカ扱ふ店多し。ゆつくり眺める時間もないがカネもない。数日前、内緒だが實はRicoh GR Digital II入手済み。赤瀬川原平さんの云ふ中古カメラウイルスに感染する前に後ろ髪引かれつつ会場を辞す。用事済ませ早晩に尖沙咀。九龍會。所属のランニングクラブの新年会&総会。屋上に出ると 港島の眺めばかりか夜空に星。今晩は東京では月本さんのお通夜。同倶楽部のバーで二次会。テレビモニタのニュース、台湾の立法院選挙で国民党圧勝。阿扁総 統への不愉快による民進党離れ。飲み終はつて三更に帰宅する頃には濃霧で視界も欠ける。
▼香港の百億富豪の一人・林建岳がFerrariで速度制限時速50kmの道路を警察の測定によれば110数kmで60数kmの速度違反。罰金HK $1,000、半年の運転免許停止処分のところさすが富豪、罪状否認し超一流の弁護士雇ひ、場合によつては英国より速度測定器の専門家招聘し測定速度の誤 差まで争ふ姿勢見せ、たかだか罰金1,000ドルの交通違反にかけて法廷費用150万ドル。これだけならお笑ひだがコトもあらう警察側が脅えたか裁判の間 で超過速度を時速64kmから29kmに値踏みしてみせ、被告もこの罪を認め3点減点と罰金450ドルで妥協。普選だの民主主義以前に法治もあつたものぢ やない。金持ちなら速度違反も見逃され警察も低姿勢とは……呆れてモノも言へず。

一月十一日(金)郷里の母より書籍が小包で届く。吉田秀和全集、白水社の全十巻。フーコーのコレージュ・ド・フランスの講義集成6巻『社会は防衛しなけれ ばならない』、文庫はバタイユの『エロティシズム』、熊楠の『浄のセクソロジー』、健次の『十九歳の地図』と『地の果て・至上の時』など。いつたいいつ読 むのかしら。早晩に銅鑼湾。銅鑼湾はいつもMTRなど降りると用足しの場所まで一直線で終はれば一目散。街歩きなどしたこともなく、たかだか4GBのSD 買ふのに「あれ、ここに家電店があつたはず」ばかりで久々に「そごう」周辺を歩くハメとなり、多くの店がどんどん様変はりに驚く。デジカメも4GBの時代 となると10MのJPEG画像が千枚以上内蔵されちまふ。銅鑼湾のHMWに寄る。T氏の急逝で何か胸が閊へる。昨日は美味い野菜らーめんが食したかつたの が今日は無性にストラヴィンスキの「春の祭典」が聴きたく。Evgeni Svetlanov(エフゲニー=スヴエトラーノフ)指揮のソヴィエト国立交響楽団の「春の祭典」と「ペトルーシュカ」のCD入手。再マスタリングでCD 化の廉価盤で音源が果たしていつのものか不明。ロストロポーヴィッチのハイドンのチェロ協奏曲(1、2番)も得る。晩に鵝頸橋の居酒屋・和居和居にバンコクY氏とZ嬢と飲む。なんだかいろんな焼酎があるが原 籍は薩摩のY氏もやつぱり薩摩白波が美味い、と。御意。日本酒でいへば菊正宗、の世界。「いけないこと」と思ひつつ「生 卵つきの鶏つくね」がタレも十分で、思はず「白飯ちやうだい」で即席のつくね丼。美味。爆満の人気。和居和居はどうしてもアタシは「わきよわきよ」に読め てしまふ。重箱読みは湯桶読みよか嫌ひ。帰宅してロストロポーヴィッチのハイドンを聴く。焼酎の酔ひもあつてかハイドンが心に染みわたる。
▼英国前首相ブレア君米系銀行のJPMorganに就職。年収50万ポンドで糊口凌ぐ由。香港教育統籌局局長アーサー王・李國章、実兄の李Baby國寶が 頭取の東亜銀行の非執行董事に返り咲き給与は年収20万香港ドルと「低額」だが発行済み株式の1.24%保有し850万ドルの配当収入あり。ブッシュ米総 統は離任間際で納税者一人あたりUS$500の還付決め多少なりとも自己宣伝。
▼倫敦でハッカサンなる中華料理屋隆盛と聞き及ぶ。店名のHakkasanは「客家人」で文字通り客家の、香港の新界は沙頭角出身の青年の起業。この肆と もう一軒、點心供す「丘記茶苑」(Yauatcha)の二軒を中東の投資会社が3,050万ポンドで買収。客家の郷村小子は一夜で億万長者。蘋果日報によ れば92年に倫敦にてWagamamaなる日本料理屋開業を切掛けに飲食業。「客家人」はビルの駐車場改造し2001年に開業。高級路線の粤菜と一碗40 ポンドの魚翅などがスノッブな倫敦人に好評博し中華料理屋で初めてミシュランに載つた由。04年開業の丘記茶苑も当て、まぁ「いい投資」。「バカ野郎、投 資したくて人様に食ひ物お出ししてるんぢやねぇんだよ」と粋な親方の罵声が聞きたいところ。

一月十七日(木)曇天。多湿。春の如し。諸事に忙殺され早晩に銅鑼湾時代廣場Citysuperの飯場(フードコート)にて元八ラーメン。晩に濃霧。二更 帰宅のさいマンションのクラブハウスの網球場に目をやれば網球する輩の相手すら霧中に霞むほど。
月本裕さんのこと。故人のこと を何処まで思ひ出を勝手に書いて(公開して)いいものか、と憚かつた。遺族のお気持ちもあらうしご葬儀も密葬なのか、どこまでこのご不幸を知らされるの か、など。だが新聞には訃報も載り(十 八日朝日新聞)ネットで知り合つた月本さんであり、ご本人も精力的にブログ綴られてゐた方ゆゑ、以下、敢へて上網す。以下、一月九日(水)の追 記。
畏友、月本裕さんが昨八日の晩に脳出血で倒れ今朝、亡くなられた、と斎藤さんよりメールで訃報せあり。月本さんとはもう何年お会ひしてゐなかつたか、と今 になつて悔やんでも悔みきれず。ただ昨年の秋、月本さんよりメールいただきやりとりあり。月本さんのブログより謹んで引用(こ ちら)。
「鰻の館 東條」、畏友富柏村氏のご推薦だから味と雰囲気は満点なのはわかっていた。しかし良い店だた。 おかみがいたれりつくせりの気の利く方。突き出しは天然鰻の炙り。そして刺身。肝吸い(ピンぼけすまん)。鰻重。大満足ですよ。さぱりした仕上がり。でも鰻はしかりと良い味がするもの。ブランド鰻の板東太郎を使ています。 わざわざ足を運ぶべき店。富柏村氏に大感謝ですよ。いそここに泊まりたいくらい。でも車を呼んでもらて水戸駅へ。 そしてまた足の速いスーパーひたちで上野に帰り、帰宅。日帰りでこの楽しさ、水戸遠征はくせになりそう。水戸ちゃん、 J1へはやく上がておいで。
と。月本さんとの出会ひは香港競馬。当時フヂヤマと名乗つてゐたDazhaoさんがネット黎明期の97年より営む香港賽馬中心といふサイトあり。時々眺めてことゐたが1999年3月21日 に沙田競馬場で簡慧榆騎手(女性)がレース中に落馬し蹄下殉戦。簡騎手の逝去が場内に知らされ最終レース取り消し。帰宅し思はず香港賽馬中心の掲示板に追 悼の辞を綴る。ここから今は北京に住まはれ香港まで海南島経由で列車で来られた(なんて経路だ)Dazhao氏らとの今に到る親しきお付き合ひ始まる。月 本さんもそのサイトご覧になつてをられ2000年暮れの香港国際レースに取材兼ね来港だつた由、掲示板への書き込みで知る。翌01年春のQE II Cupの前に月本さんより直接メールを頂く。すでに小生もネットで日剰公開してをりご覧になつてゐた月本さんが競馬のこと、歌舞伎、音楽などさまざまなこ とで共鳴、と。で01年のQE II Cupの前夜、尖沙咀で初めて月本さんご夫妻、Sさんや月本さん、放送作家のMさんら今も仲良くしていただく面々と出会ふ。その年の夏にはお茶の水の山の 上ホテルでご夫妻と天麩羅を食し銀座の「とりふじ」に案内され飲む。またその年の暮れの香港国際レース。日剰を読み返せば02年の春もQE II Cupで再会。斎藤さんと三人でマンダリンオリエンタルホテルのチナリーバーで夕方からシャンペン。月本さんは雑誌編集の仕事柄年末の国際レース観戦は忙 しく来港は春のQE II Cupとなる。翌03年はQE II Cupから始まり発に築地で、といへば築地のH君も交へ「ささ屋」で歓談。著名なフジテレビの元アナOさんご一緒。銀座で場所の移つた「とりふじ」で葡萄 酒。十月には小生はZ嬢と巴里に遊び十月の巴里で月本さん夫妻と邂逅。月本さんとの待ち合はせは毎晩、St-German des PresのBonaparteといふカフェで食後はセイヌ街のLa Paletteといふカフェを月本さんは好きだつた。月本さん夫妻と四人でSt-German des Presの食肆で生牡蛎を百個も食し白葡萄酒を多いに飲む。ロンシャン競馬場で凱旋門賞はこの年はスミヨンがダラカニに騎乗し優勝。月本さんは当時、巴里 のアパルトマンを借りるほど巴里を愛し、見習ひであつた17歳の紅顔のスミヨン騎手をきつと大成するだらう、と期待してゐたので、22歳になつた彼のこの 凱旋門賞の勝利に月本さんはとても嬉しさうだつた。「スミヨンの勝利にロンシャン競馬場に虹がかかつた」と携帯で撮影した虹を、晩遅くLa Paletteで見せられた時の月本さんの笑顔。そして03年の年末。有馬記念。私にとつて最初で最後の日本での競馬観戦。お茶の水で待ち合はせ中山競馬 場に連れていつてもらひ晩は神楽坂でこの競馬仲間の大宴会に寄せてもらひ「升々」なる居酒屋での二次会。これがお会ひした最後。2003年暮れの有馬記 念。まさか4年もお会ひしてゐなかつたとは。月本さんは『ソトコト』の仕事忙しくなられ私も東京に帰りお会ひできるはずが、その頃から先考の具合悪くなり 帰邦の折はつとめて実家に戻り東京滞在短く月本さんにお会ひできぬまま。年に数度のメールの交換で、最後が前述の鰻やの紹介。まさに畏友であつたが月本さ んに一度お会ひしただけで小生を畏友と呼んでいただけたのがこそばゆい。今だから明かすが(月本さんにはお話してゐたが)月本さんの書かれたものはブルー タス誌などで随分と読んでゐたが実は月本さんの名を初めて意識したのは1989年のマガジンハウスの第1回坊つちやん文学賞大賞を月本さんが受賞した時。 不肖なる小生も駄作をこれに応募し数あまたの佳作だかの一つに入つたが、その大賞受賞者が月本さん。その名はずつと脳裏に焼き付き、2001年の春、突 然、月本さん自身よりメールいただいた時の興奮はまるで昨日の如し。月本さんは歌舞伎も愛されてゐたが久が原のT君と実は面識もあつたことは巴里のLa Paletteで飲みながらの話で判明。畏友村上湛君による中村京蔵の「山月記」も小生の日剰からお知りになり観劇される。築地のH君とも一緒できたこと もご縁。人生五十と云ふが五十にも至らぬうちの月本さんのご逝去、ただただご冥福祈るばかり。

一月九日(水)畏友T氏急逝の報、S氏より受ける。言葉もなし。數へても實際にお會ひしたのは七年で七、八度。而もここ四年もお會ひしてをらず。だが數少 ない畏友のお一人。終日、意氣消沈。銀行でクレジットカード兼のATMカードとMTR站でpersonalizedされたオクトパスカード受領。これで一 先づ昨年末の貴重品紛失から原狀復歸。年末年始でわづか10日間で、と思へば香港らしい迅速ぶりか。總領事館で旅劵再交付(紛失に非ず)。連日諸事に忙殺 され例の如く晚に到る。日剩讀み返しT氏との七年のやりとり思ひ起こしながらインドのウイスキー痛飮す。

陰暦十二月朔日。朝の気温摂氏廿度。湿度85%とは不愉快な春の如し。カメラの除湿器の湿度29%の表示眺め「買つて良かつた」とニンマリ。諸事に忙殺さ れ燈刻に到る。帰宅。パイプの煙を燻らしインドのウイスキー一飲し安堵。NHK のNW9を偶然、晩飯の時に見てしまつたら話題がないのか今更、インターネットがいかに時代を変革するか?と秋元康をゲストに十数分。誰でも知つてる当た り前の現実を神妙な表情で首肯いては語る、声が会津の前任者にそつくりなキャスター。NHKの報道センターつてこんなに低レベルだつたのかしら?と猜つて はみても現実はその通り。センターは神南の放送局のなかでも治安厳重だが(行き先表示がないので局関係者でも慣れないと行き着けない)守られすぎて世間に 疎くなつてないかしら。晩遅く溜まつた新聞を読む。六日(日)の蘋果日報のA16面。拔萃男書院の張灼祥校長が「激 情的沉鬱的音符」と題しチェロ演奏についてJaqueline du Préから王健を語り、嶺南大学の名誉教授・紹銘榮が「演 講術」と題して毛沢東の建国演説からケネディ、汪精衛まで演説の魅惑を説く。でもう一つが陶傑先生の星期天休息の蘋果日報日曜版の社説代はりの連 載は「第 三世界 - 一個禍盡蒼生的神話」。この3つで紙面覆ふ見事さ。日本の新聞でこんな拡張高い文章が3つ、活字がびつちりと紙面覆ふやうなこと、今 どきあるかしら。日本がQOLが高い、なんて逆上せてゐる場合ぢやない。陶傑先生の「第三世界論はバンドン会議から話を始め理想を語るは易しいが米ソ対立 の時代に理想奮ひ立たせた第三世界がこの半世紀、いつたいどんな悲劇続きだつたか、この世に「第三世界」など存在せず、あるのはただ文明と野蛮、言ひ換へ れば「人間と地獄」なのだ、と陶傑氏。
▼今日の信報でHK Chopin Societyの十二月の一連の音楽会について、とくにGary GraffmanとLCOの演奏について評論あり(麥華嵩)。音楽会の演奏についての筆者の指摘に異存ないが、最後に、香港でやるのだからHK Chopin Societyは英文のみの告知やパンフレットでの解説など改め英中両文にすべき、と指摘。尤もな気もしつつ、今でもあの会場の無邪気で無節操な少なから ぬ客……たんに子どもに古典音楽聞かせれば子どもの教育になる、と無節操な親、全く聴く気もなく飽きた子どもら(とても子どもが好む演目に非ず)、親が子 ども以上にマナー悪いのだから子どもを躾けられるはずもなく、室内楽やピアノ独奏の会場で自分がどれだけ他の客の迷惑になっているのか、前列の客に振り返 り睨まれても解せぬ低水準、を思うと「もうこれ以上」聴衆に親切になどする必要もない、と思うのが正直なところ。麥華嵩氏が「英文のみ」の他、もう一つこ の一連の演奏会の特色として19:30という、通常の音楽会より30分早い開始時刻を挙げているが、実は30分早く(子連れにはありがたい)而も料金が HK$150と比較的お安い良心さが、こうした「他にとって不愉快な客」にまで門戸を招いている証左。もう、それだけでじゅうぶんに優しいのだから。
▼香港の由緒ある最大規模の経済団体たる香港総商會(HK General Chamber of Commerce)の146年の歴史で初めての女性で主席となつた蔣麗莉さん(46歳)が5年前に某企業上場の際でのインサイダー取引きだかの廉で廉政公 署の取り調べ受けお白州へ。財界人の余りにベタな犯罪容疑で記事はよく読んでゐないが、この蒋容疑者、最近パツとしない財界御用政党・自由党の主席田北俊 が(蒋容疑者本人曰く)「三顧草蘆」の礼を尽くし入党させ、将来の党主席も期待された期待の星。が今更5年前の容疑で味噌をつける。自由党にとつても泣き つ面に蜂。僅か二ヶ月の間に区議会選での敗北、葉劉淑儀の立法会補選での支援不足、香港観光協会幹部職員厚遇疑惑、で今回がこれ。偶然か。さうぢやない。 「政治的に面白い展開」を敢へて言へば、自由党醜聞の次に来るのは民建聯か。2017年の行政長官選挙から普選、と公約の中国政府にとつて「あと10年」 の短い期間で香港の自治をどう安定させるか、と言へば、もはや過去10年あれだけ庇護しても育たずの民建聯には愛想つかし(既に、だらうが)狙ひどころは (民主党も金属疲労おこしてゐるし)非理性的な土共と実は愛国心も何もない財界政治家を切り、リベラルにも受けゐられる常識的な左派(日本で言ふ右派)と 中共が許容できる公民党的なリベラルな中道右派(日本で言ふ中道左派)による「大連合」ではないかしら(ナヴェツネの自民党と民主党の大連合に匹敵するく らゐ安易な発想だが)。その大連合にとつて、ならアンソン陳方安生は行政長官として最も最適な人材のはず。が、基本的に中共を信じてをらぬ人が行政長官に 推挙されるはずもなし(現認の文革曽は「中共を信じてをらぬ」が本人に「信じるものがない」ぶん北京中央にとつて使ひ勝手は良からう)。いづれにせよ、政 党政治が「やつぱりダメ」と北京中央は香港自治でよく理解して、だがまさか自国やシンガポールの如く今更香港を一党独裁にはできぬので、落とし所として 「中道政党による安定」が最適と考へる、鴨。ところで先週末(1月3日号)のThe Economist誌は“Democracy denied”なんて見出しで中国政府が香港の普選を2017年まで拒否、なんて大袈裟に書いてみせたが、記事は実は到つて地味で、香港にとつて 自治による政治的安定は重要だが、ただ北京はこの「特別行政区の」民主主義が中国の他の場所に対して一つの先例となることを望んでゐないのだ(But Beijing is loth to let democracy take root in this “Special Administrative Region” lest it sets a precedent elsewhere in China.)と。だから香港で罵詈雑言浴びせられようが普選実施を先延ばししてゐる「だけ」のこと。香港はまがひなりにも多党制で民選で選らばばれた議 員と職業枠でも司法界や教育界など泛民主派議員が選ばれる余地のある立法会が維持されてゐるのだから民主主義。ただ全面普選が実施されてをらぬだけ。かり に民選が否定でもされれば「民主主義の否定」でせうが。

一月七日(月)諸事忙殺され晩に到り二更に独り北角寿司加藤。 熱燗正一合で寿司をつまみ帰宅。
▼ここ数日の出来事。その一。羅范椒芬が全人代香港代表選挙に恥づかしげもなく立候補。羅范椒芬といへば教育統籌局(当時)ナンバー2の「禍舌重なる」常 任秘書長当時、香港中文大学との併合拒んだ香港教育学院に対し政府改革に反発するなと圧力 かけ教育学院側が正義に訴へ、羅范椒芬は火の粉振り払ふかの如く廉政公署のトップに異動。この介入問題は政府の公聴会開かれ羅范椒芬は廉政専員辞職。教育 統籌局局長のアーサー王・李國章も文革曽の「内閣」改造で事実上解任される。その熱りも冷めぬうちに全人代香港代表選に立候補とは面の皮頗る厚し。政府よ り昨年六月に依願退職したが實はまだ累積休暇消化中(政府公務員の悠長ぶり、呆れるばかり)。立場的には未だ現職公務員。となると「首長級公務員は現職中 は選挙に立候補できぬ」政府既定に抵触。だが何故に羅范椒芬が立候補できたか、と言へばマスコミの取材に対して政府公務員事務局の輩曰く「最近、本件につ き或る官員より選挙参加制限について問合せあり、検討の結果、現行解釈を改定し上級公務員が離職前の休暇中に全人代選立候補の場合は公務員事務局長宛にそ の旨申請し批准受ければ問題なしと解釈」と。がその発言のわづか15分後に粗忽なる公務員事務局の輩はマスコミに対して「先ほどのコメントのうち「最近」 を削除願ひたし、常日ごろとり本件については検討あり」と訂正(笑)。よーは羅范椒芬の要求受け入れたといふ姿勢隠し(粗忽)。いづれにせよ面の皮厚き羅 范椒芬は全人代選に立候補。これについて信報は羅范椒芬は取材に対しすでに特区政府の批准を得たと答へたが「いつ?」についてはコメントせず。公務員事務 局はこれまでは首長級官員の全人代代表選立候補能はずも「先週水曜日に」退職前休暇中の公務員の扱ひについては申請があつた場合に局長の認可で参選可、と 内部通告、と発表。ちなみに先週水曜は全人代選挙の第一回全体会議の前日で、この全体会議で最終的な今回の全人代選の詳細決定し土曜日から立候補受付始ま る。で羅范椒芬はその受付初日に立候補届出、しかも選挙運動用のパンフレットまで用意周到、明らかに公務員事務局よりかなり早い時期に批准受けてゐたとし か考へられず。羅范椒芬もどうしやうもないが香港政府の、公務員事務局の結局は自ら公務員の権益確保のための粗忽なる仕事ぶり、ただただ呆れるばかり。矜 恃も節操もなし。信報の練乙錚主筆が(と、かういふ肯定的な意味での引用は初めてだが)この件につき「公務員の政治的活動禁じる」規則にこの羅范椒芬の全 人代立候補が抵触するかどうか?について明確に述べる。全人代は政治活動や否や。練乙錚主筆が挙げたのは先日の中共第十七回党大会の胡錦涛総 書記による「報告」で、その6章「社会主義の民主政治を確固とし て揺るぐことなく発展させる」の一項で、曰く「人民代表大会が法にもとづいて機能を果たすことをサポートし、党の主張が法で定められた手続きを通 して国の意思となるようにする」と。この主張からも(人民代表大会が実質的に一党独裁の国家にといて党の意志実現の機関であることは明確なのだから)全人 代は間違ひなく政治組織である、と。それに参加することが政治活動でなからうか。それに退職前の休暇中の公務員が参与すること批准したのだから香港政府は 非難も免れないであらう、と練乙錚主筆。御意。
▼その二。築地の正月明けの鮪の競りで香港の飲食業主が607万円で276kg、初日の競りでは日本一の大マグロ競り落とす。この業主、今回1,500万 円を懐に築地の正月明けの競りに出る予定が競走相手多しとの話に1,800万円用意。いつたいどういふやり手かといへば香港の、若者に人気の「板前寿司」の経営者C氏(40歳)。7歳で内地より香港に出て中学卒業後、 銅鑼湾の老舗「友和」で修業。彼を見込んだ日本人の板前について赴日。日本で板前修業の傍ら日本語学び香港に戻つてからは日本人相手の観光ガイドを2年。 94年に友人とパンケーキハウスなる店を開き商売の基とし96年には味千ラーメン誘致。味千ラーメンは香港と中国に百軒越える展開で昨年三月に香港で株式 上場。04年に「板前寿司」開業し今では逆に赤坂など日本に逆上陸の由。06年には九州より雪村なる串焼。で板前寿司の好調で「板長寿司」なる高級店も展 開……と、なんだか景気良き話。若輩多き板前寿司など老いてはとても入れず、入る気もせず。
▼その三。朝日新聞の「耕論」で「羊の歌」加藤周一翁と着物姿も粋な東大大学院の女将・上野千鶴子姐が「われはれはどこへ」と対談。誰もが「あの世へ」な のは確かなのだが碩学のお二人、大方の言ひ分に不満はないが、最後に「今後、日本が掲げるべき目標は?」といふ例題に対し千鶴子嬢は「生活の質」(QOL =Quality of Life)取り上げ「国際的にみて、日本のQOLはすごく高い。まづ治安がいい。エネルギーや水道といったインフラの水準が高い。外国に出た若者たちが、 「こんないいところはない」と帰ってくる。それでナショナリストになるけれど(苦笑)。こんな安心と安全を捨てたくないと思うインフラを、若者に与え続け る必要がある」と……来年は千鶴子さんももう還暦。「国際的にみて」つてアフガニスタンやパキスタンと比べてゐるのかしら? 日本程度のQOL、インフラは先進国なら松竹梅の「梅の上」くらゐ。日本の治安がいひ、とは大したもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋の褌。外国で 「日本に帰りたくない」といふ若者は(つて老いぼれもだが)数数多。日本に安心と安全が感じられない国民が多いのが今の日本の不幸。千鶴子さんも千鶴子さ んなら羊の周一さんも周一さんで「日本では犯罪の発生率が非常に低い。特に夜の町。世界と比較したらまだまだ安全だ。歴史的な例外は、共産ソ連のモスクワ と毛沢東支配の中国だったが。ある程度自由な国のなかで、日本は大きな都会が安全だ。それはなぜか。(儒教的価値観は)45年に滅んでしまい、そのあとに は何もない。儒教のかわりに対応したのが集団主義だ。その集団主義が崩れたら、社会は危なくなるだろう。その時、どうすか、この問題をうまく解ければ、こ れからの大きな希望になる」と。これまた唖然。日本は確かに犯罪の発生率はまだ低いが犯行者の検挙率も低い。日本の都会が安全?だとして、その理由に加藤 周一ほどの碩学が挙げたのが集団主義。集団主義つて周一先生が最も忌み嫌つたものぢやないの、それが戦前のあの不幸な時代を生んだ、つて。ある面では個人 主義を唱へ、日本の安全のために、と集団主義を謳ふ。「その時、どうすか、この問題をうまく解ければ……」なんて悠長なこと言つてゐるより、その問題をう まく解いてみせるべき、だらう。失礼だが来年には九旬の碩学に、アタシは本心からさう思ふ。

陰暦十一月廿八。小春。朝遅く新界粉嶺。坪輋行きのミニバスを孔嶺で下車。孔嶺はかつて洪嶺。粉嶺より沙頭角結ぶ一直線の幹線道路。途 中にかつての英軍の軍営地、現在は人民解放軍の軍営あり、この一直線の道路は軍事道路か、と勝手に合点。實は二十世紀初頭、粉嶺より沙頭角まで12kmに 廣九鐵路の支線あり、この道路は線路跡の由。1912年に狭軌鉄道で開通し広軌になつたが1928年に廃線。現在でも唯一当時の面影残すのが洪嶺站の驛 舎。と云はれても看板もなければ驛舎と知る術もなく道路沿ひの古い混凝土の倉庫跡としか映らず。流水響道4kmほど歩き鶴薮。香港でも有数の丹精込めた園 芸野菜が見事な畑の畦道。新屋仔の集落より南涌郊遊經に入る。標高差300mを僅か2kmで登り2kmほど高原を歩き南涌へと下る。ちよつと半日のつもり が400mの山越え、15kmの山歩きとなる。鹿頸よりミニバスで粉嶺聯和。山 東餃子店。粉嶺よりKCRで帰る。本日ずつと平井呈一『真夜中の檻』創元推理文庫読む。呈一さんの表題作、もう一編「エイプリル・フー ル」。「真夜中の」を「本邦ホラー屈指の傑作」といふにはちよつと。著者は1950年代に『吸血鬼ドラキュラ』など日本で英米ホラー小説の翻訳で名を駆せ た人だが、ホラーに疎い 私にはこの文庫本の三分の一を占める著者の英米ホラー小説に関する随筆は読み飛ばし。だがそんなアタシがなぜ読むかといへば著者は荷風散人の日剰の、あの 平井君ゆゑ。この文庫本、呈一さんの最後の内弟子たる荒俣宏さんの「序」に始まり、紀田順一郎の解説、東雅夫による「Lonely Waters - 平井呈一とその時代」、さらに『真夜中の檻』が1960年に中菱一夫の筆名で浪速書房より刊行された際の乱歩先生の「序」 と中島河太郎の「跋」まで収録。それらが秀逸で一読の価値あり。『真夜中の檻』はホラー小説としては今更読むと「ベタな」な習作のやうだが未亡人の台詞は 美しい。客(主人公)の風呂上がりに浴衣用意してゐながら召すやうに告げるのを忘れた時の「あら、わたくし気がつかないことをして……」とか、主人公に美 貌褒められた時の未亡人の「まあ、たいへんですこと。とてもこれは砂糖豆のお茶受けぐらゐぢやおつつきませんわね。どうしませう」とか、實に上品な山手夫 人 の艶つぽさ(実際のこの場面は新潟の山深い村なのだが)。この砂糖豆を出す時も「わたくしね、(あたなの)お勉強の合間にお口寂しいでせうと思つて、あち らで今ちよいといたづらをしてきましたの。配給のお豆がたくさん残つてるもんですから」と。「気がつきませんで」を「気がつかないことをして」と言つた り、豆菓子を煎るのを「いたづらをして」とか、かういふ上品さ。奥床しさ。大宰治が使へさうで使へない台詞まはしの妙。これは呈一さんの見事。東雅夫の文 で、呈一さんの父親が川上音二郎一座の番頭だつたこと、また実兄が黒門町の「うさぎや」の創業者など知る。

一月五日(土)快晴。内に外に雑用済ますうちに燈刻。豆乳鍋。豚肉と野菜を煮て食し、最後にラーメンをこの汁で茹で辣油がけ。柚子浮かべた風呂に入りバレ ンボイム&サイードの『音楽と社会』みすず書房、ほんの少し読む。
▼新年早々大阪に能見物の久が原のT君より恐ろしい話を聞く。宝塚歌劇のポスタアに「白洲正子」の役名……は宝塚歌劇の「黎明の風」といふ舞台。白 洲次郎が主人公で、その生き様を「夫婦愛、敵対する者との友情、そして平和へのメッセージを込めて、壮大にミュージカル化」ださう。T君の指摘の通り、ま だ十分に歴史化されたともいえないこんな生々しい「物語」を甘美な「少女歌劇」に化けさす節操のなさ。宋美齢を俎上に載せた劇団四季と同じ発想か。ワイ マール時代以降の独逸史が新作オペラとして独逸圏で、或いは「江青」てふ現代京劇が香港で上演されるかしら。ただただ節操のなさ、は、そのうち「森光子放 浪記」とか「瀬戸内寂聴物語」なんてのが「ご本人ご存命のうちに」上演されかねず。
▼朝日新聞に苅部直先生(東大、日本政治思想史)が「伝統vs批判の二極を越えて」と題して天皇制について。久野収の生前の天皇制論(つて死後の、は「な い」が)から語り始め、天皇制を語ると極端な国粋主義か、逆に民主的な立場からの天皇制廃止といふ二つの極に岐れてしまふことを苅部先生は嘆き、むしろ紛 糾する国会や官庁の不始末など続く社会にあつて両陛下の福祉事業訪問や被災地訪問などが模範的に映ることでの皇室の意義(苅部先生はここでは言及してをら ぬが、これが皇室のまさに憲法に謳はれた国民の象徴的価値のはず)を説き「少なくても、天皇による任命や国会召集といつた手続きがもしなかつたら、政治家 や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に墮ち、混乱に満ちた政治の世界が登場してゐただらう」と述べる。それだけでも皇室の存在価値がある、と。御意。 だが先日も述べたことだが、小泉三世の詭弁上奏あたりから、政治家のなかに皇室蔑ろにする風潮あることは軽視できず。

一月四日(金)快晴。諸事に忙殺され晩に到る。FCCのメインダインにて某銀行駐在員で来港数ヶ月のY氏と晩餐。アスパラガス、貝柱入りのカエザルサラダ と豪牛のサーロインステーキ。Ch. de Passanの03年。食後に地階のクラブでジャズを聴きながら マッカラン飲む。横浜桜木町育ちの氏とカメラや身の回りの品など趣味かなり共するところあり話題尽きずタクシーで銅鑼湾。バーYに深更まで飲む。
▼米大統領選は口火を切るアイオワ州での党員集会で民主党は小浜馬楽君が栗金団夫人に競り勝つ。小浜君が数年前イリノイ州での上院選に打つて出た折、アタ シは小浜君に惹かれ募金までして贔屓にし、当時の選挙運動での小浜派のTシヤツや野球帽、バッチなど今もレアで所有。当時はGoogleで「オバマ」と引 いても数件しかヒットせず。アタシの先見の明。小浜君が上院議員一期も終はらぬうちにまさか総統選に名乗りを挙げ民主党の一番手とならうとは。だが国家元 首たる総統が暗殺され、フロリダ疑惑の如き如何様選挙もあり、の民主主義国家。何があるか最後まで、あるいは本選挙後まで確信はもてず。

正月初三。午後、香港IDの申請で三度目の正直でImmigration Deptへ。再発行でHK$335納め仮ID発行まで一時間。待ち時間の間に小栗虫太郎の『聖アレキセイ寺院の惨劇』を読み始めたがやつぱりダメ。当然の やうに『黒死館殺人事件』も読む努力はしたもののダメ。日本の探偵小説中最大の奇書もセンスのないアタシには「つまらない」としか映らない。乱歩さんは、 この「黒死館」の序で「ある人が小栗君の作品を評して「文学以前の感じ」と云つたことがある。(略)「文学以前」の語が素材の羅列といふことを意味してゐ たとすれば、「黒死館」は如何にも夥しい素材の羅列であつて、評者はこの作品の真実を語つてゐたのであつた。普通の文学では、作者の知識は裏打ちとなつて 表面に露出しないのであるが、この作では作者の驚くべき知識の山が、知識のままで目を圧して積み上げられてゐる。即ち裏打ちの方が表側に向けられてゐるの だ」と語つてゐる。確かに乱歩先生の言ふ通り。探偵小説としてプロットを追つて読めばトリックの大部分は具体化に堪へず失望するだらう、が、乱歩先生曰 く、もう一つの読み方、百二百の探偵小説を組み立てる足る程の夥しい素材がこの黒死館には含まれてゐるのだら、それらの一つ一つに立ち止まり素材に基づき 読者自身の探偵小説を構成してみながら、その幻影を楽しむといふ風変はりな遊戯を試みれば数ヶ月の間、読者の退屈を救つてくれるに相違ない、と。アタシに はその遊戯すら退屈すぎるかしら。「序」が乱歩なら「あとがき」は塔晶夫。つまり『虚無への供物』の中井英夫その人。英夫さんの「虚無への」も夢野久作の『ドグラ・マグラ』も、結局アタ シは日本の推理小説の三大奇書、その全てがダメだつたことになる。その知識の広さと深さについてゆけぬ、といへばそれまで。だが入り込めぬから退屈意外の 何ものでもない。甚だ残念。書棚にはあと平井呈一さんの『真夜中の檻』もある。次に読む推理・ホラーはこれになるだらう。また読めなかつたり、と鳥渡、不 安。兎に角、今日は仮の香港IDを受け取り、その足で金鐘の運輸署に参り運転免許証の再発行。これは即日、どころか申請してその場で即刻交付。バスに揺ら れ香港大学。大学図書館で図書貸出証の再交付。何でもかんでも至極勘弁。早晩の所用の間のわづかな時間に「食の孤島」太古城のCityplazaのフード コートに食す。オリエンタルカレーも供したカレー屋が印度カレー屋に変はつてゐたので相即、食す。マトンのカレーは確かにオリエンタルカレーではないメ ニューだがカレーのルーじたいはオリエンタルカレーにちよつと赤唐辛子効かせただけ?と思つたのはアタシだけか。何となく想像は、勝手にオリエンタルカ レーの商品名使つてしまひ香港ではCitysuper系のフードコートにオリエンタルカレーの直営店あるので、そこからクレームがついて印度カレー屋にな つたのでは?とアタシは想像しながら、それなりに美味いマトンカレー食したのだが、その太古城Cityplazaでオリエンタルカレー供してゐたカレー屋 も實はオリエンタルカレーのHPで海外店舗として香港にある4店舗の1つとして紹介あり。現実にはこの食肆(Curry House、といふ殺風景な名前だつたが)は今はないが(サイト更新遅れてゐるだけ)、少なくともそこに紹介がある、といふことは正真正銘のオリエンタル カレー系の店なのだつた。だが香港の4店舗の此処だけがオリエンタルカレーの名前使つてをらぬのも気になるところ。考へられるのは香港にオリエンタルカ レー持つて来たのはCitysuperなのだから他の系列のフードコートで店を出すには敢へてオリエンタルカレーを店舗名には出来なかつたのか。だが結果 的に、どうであれ営業始めた印度カレー屋は供すカレーもオリエンタルカレーの商品名は使つてをらず。ただ、話は最初に戻るがルーはかぎりなくオリエンタル カレーつぽい。オリエンタルカレーに美味いとはけして思はぬがこだわるのはアタシらの世代ゆゑ、かしら。

正月初二。気温摂氏十度。寒さ極まる。所用あり朝十時の船で坪洲。訪れる機会も稀な、南北、東西とも1粁余で広さも0.98平方粁の小島にて海 抜95mの手指山の頂に登る。風光明媚。山に登る途中、Z嬢が中環の有機野菜市で時々野菜購ふGreen Peng Chau Association(坪洲綠衡者)の農地通る。島南の絶好の畑作地なり。山を下り市街に入ると、この島に住まふ旧知のP氏に邂逅。ネットがあ り欲しい物は急がねば通販で何でも揃ふ時代、島暮らしこそ快適か。海景海鮮 酒家なる食肆で昼餉。真直ぐ中環に戻るも芸がない、と午後の船でランタオ島のディスカヴァリーベイ(大嶼山愉景灣)に渡る。近隣の鼠楽園か シンガポール、カリフォルニアはサンタモニカかフロリダのリゾート都市の如し。アタシの趣味ぢやない。船を捨てバスで東涌。バスを乗り換へ香港島に戻る。 早晩帰宅して氷なしのドライマティーニ。荷風散人の『爲永春水』を昭和28年の角川書店昭和文学全集第五巻で読む。正月のお節で今晩は菊正宗。
▼本日、皇居にて一般参賀。平成廿年新年に当たり陛下のお言葉。
昨年は石川県と新潟県に地震があり、厳しい冬を過ごす被災者の苦労 が察せられます。大雨などの自然災害は少ない年でしたが、国民生活に不安をもたらすやうな社会的状況が幾つか明らかになつたことは残念なことでした。新し い年が国民一人一人にとつて幸せなものであり,世界の人々が互ひに信頼し合つて暮していける社会が築かれていくことを願つてゐます。
と。「国民生活に不安を齎すやうな社会的状況」は婉曲で、まづ思ひ当たるのは食品の賞味期限や原材料の「偽」。だが具体的にその被害者が出てをらぬ点で嘗 ての森永砒素ミルク事件などとは全く異なるのは明白。さう思へば陛下の仰つた「国民生活に不安を齎すやうな社会的状況」が食品の賞味期限や原材料の「偽」 など「些細なことではない」のは明らか。社会的状況とはまさに政治ぢやないかしら。明らかに政治的力量ない若輩を首相に祭上げ(嘗て肥後の殿様の時もさう だつたが)、それがダメならナヴェツネ=弓削道鏡か?の音頭取りで大連合など謳はれ元老気取りの元首相や野党党首のニコチャン大王が踊らされる。このタイ 王国を嗤へぬ政治的貧困ぶりこそ社会的状況の不安。陛下の憂慮が幾許かでも伝はることを唯々祈るばかり。小泉三世の詭弁上奏あたりから皇室すら蔑ろの政治 家たち。
▼本日、或る「事故」があり、一瞬「天地が引つ繰返る」思ひしたが、Z嬢にその話をすると、だから広東語で事故を意味する「意外」といふ表現が見事、と。 確かに。中国語でも「事故」といふ言ひ方はあり「惨禍」や「意外」も使ふが広東語ではまづ「意外」。「事故」は文字通り「コトノユヱ」(大言海)できちん と故ある出来事だが、突然ではそんな悠長なこと言つておれず、まさに意外。

正月初一。寒波到來。気温は摂氏十一度の極寒。朝九時にZ孃と中環発の高速船で長洲島。アルピニストO氏とご一緒。毎年元旦恒例の長洲元旦健跑同樂及越野 賽(Cheung Chau New Year Island Run)に參加。葉伯に新年 のご挨拶。葉さん、1921年の生まれだから今年は87歳になるはずだが走りこそこゝ数年速度は落ちたが矍鑠とした姿に拜むばかり。昨年は戦後初めて生ま れ故郷の日本に行かれた由。あなたは日本に帰らないの?とアタシに日本語で話し始めるとチャンネルが日本語になるやうで荷物預けのスタッフにも「すみませ ん!」と日本語で話しかけるのはご愛嬌。香港で最も有名なランナーが突然、日本語で話すので相手が驚く。この元旦レース、狹い長洲島を島北の標高60m程 まで上り、下つて波止場の沿岸の繁華街?通り拔け東湾の海岸に出て観音湾から基督教系のキャンプ場や修道院など多い林中を拔け長洲島の山頂道(高級住宅地 か)から今度は長洲島の公共墓地と火葬場のある西湾から出発点と同じゴールに向う、10キロでかなりスペクタルに景色が変はり、観光客相手の店々が並ぶ波 止場から団地、公立やミッション系、おそらくはかつて島は国民党系だつたのか国民路にある国民小学など学校や公共施設、宗教施設、墓場まで様々な「民生」 が見渡せるのが面白い。レース終はり昼前にK会長、O氏とZ嬢で香雪梅茶樓に 食す。長洲島では流行る食肆だが沿岸の正面とは裏、新興街の店は良く言へば鄙びてをり、いつもこちら。レースは寒かつたが終はれば麦酒で新年の乾杯。羊腩 煲が美味至極。帰りの船の中でK会長より面白い話を聞く。K会長はずつと自分は未年生まれと思つてゐたが香港に来て黄大仙廟で占ひ師に「あなたは未年ぢや なくて午年だよ」と干支の違ひ指摘されたはK会長が一月十二日だかの生まれで旧暦では確かに十二月の生まれ。まだ年は明けてをらず。半世紀近くづゝと自分 は未年と思つてゐたのが午年ぢや、確かに今までの人生は何だつたのだらう、と(大袈裟だが、確かに神籤の吉凶も異ならう)驚いたさうな。これが結局は日本 の近代の誤謬そのもの。明治政府の太陽暦採用はそれはそれでいゝが端午の節句まで新暦にしてしまふ(合理性といへば聞こえはいゝが實は)節操のなさ。神事 仏事も陰暦であるべきなのにNHKの「行く年來る年」など眺めてゐても新暦で坊さんも大晦日から年明けに仏事行ふのが滑稽そのもの。帰宅して元旦競馬テレ ビで観戦。G3の華商會盃はMoore廏舎でBeadman騎手のRiver Jordanから流したが四着でダメ。Coetzee騎手のPocket Money(Size厩舎)が10月1日の国慶節の記念レースでの2着から休養たつぷりで116磅といふ斤量の軽さ活かして一着。今日の3Tは9頭中6 頭。3レースとも2頭ずつ入つてゐるがQではどれも馬脚で縱にきちまつた(香港では横に、だが)。ボケ防止でピアノの練習。究極のドライマティーニ。冷や したグラスに(氷は取り除き)ベルモットを少し注ぎグラスをリンスしてベルモットは捨てゝ(=飮んで)そこにジンを注ぐ。晩に煮豆、蒲鉾、栗金團、数の子 など簡単にお節。お屠蘇と思つたら菊正宗がお豬口に二杯分くらゐしか残つてをらず伊太利はトレントのPinot Grigio種のヴィーノタブロでお節。白葡萄酒も意外とお節に合ふもの。
▼廿九日の信報で鄧永鏘(David Tang)が面白い話を書いてゐる。二十年ほど前のこと、友人と大枚1000ドルを賭けたのは「包玉剛が自分の電話に果たして出るか?」といふネタ。包玉 剛(Y.K Pao)といへば世界の海運王(1918〜1991年)。鄧肇堅の孫とはいへ当時は無名に近い若造のDavid Tangである、友人は「出ない」と確信したがDavid TangはY.K. Paoの会社に電話して秘書に「Sir Paoと話したいのですが」と尋ねる。当然のやうに「多忙につき」と祕書は答へY.K Paoが在社かどうかも曖昧なまゝ「どちら樣ですか?」と尋ねる。そこでDavid Tangは「こちらはICAC(汚職收賄取締る廉政公署)で、私はInspector Tangと申しますが。ちよつと個人的なことで彼に直接、話をしたいのですが」と述べると秘書は「……Inspector Tang、申し訳ございません、すぐにSir Paoにお繋ぎしますので」と答へ、本当にY.K Paoが電話に出て「Inspector Tang、何か私にお手伝いできますかな?」と答へたといふ。そこでInspector Tangは「いや、あなたとかうして電話で話ができただけで私の助けになりました、ありがたうございます」と電話を切り、友人から1000ドルを仕留めた といふ。David Tangの剽軽な話はこの先も続くのだが、一つ、マカオのカジノ王Stanley Hoについての評が面白い。Stanley Hoは香港の財界人大物にしては頻繁にテレビニュースの取材に答へコメントしてゐるが、この人は思想性には多少欠けるが趣味性は十分。例へば、 Stanley Hoが「恒生指数は高騰して4万も突破だよ」といふと娯楽新聞の扱ひなのに、恒基グループ総帥の李兆基が「恒生指數は3万に到る」と予測披露すると相場が 動く、と。御意。

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