乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

参議 院選挙に「9条ネット天木直人氏が立候補(予定)               

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

六月卅日(土)十年前彷彿させる不安定な雲行き。驟雨。昼過ぎに中環。Stanley街のエベレスト写真店にてコダックのTMax400を10本購入。写 真フィルム、殊に白黒となると最近は購入も難儀。カメラ店並ぶStanley街でもフィルムはこのエベレストと決めていたが店内に写真機の在庫ほとんど失 せて古い写真機の速写型皮カバーなど放出品で並び「この店もそろそろ閉業か」の予感。福和煙草店(Tacaqueria Filipina)にてロンソンのライター用の瓦斯とオイル、それにZippoのflintを購う。別に何処でも買えるのだが敢えて蘭桂坊の坂上り鄙びた 福和煙草店訪れる。この店もあと幾許の営業か。もののあはれ。旺角に渡り信昌レコート店。いやはやマイナーレーベルの宝庫。東欧のコレクションはかなり面 白そうだがあたしには素養なし。言わずと知れたBBC蒐集より2枚を先ず選ぶ。ゲンナジー=ロジェストヴェンスキー指揮のレニングラードでチャイコフス キーの4番とロストロポーヴィッチでショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲1番。このチャイコフスキーの4番は1971年の冷戦の最中の倫敦ロイヤルアル バートホールでの演奏で第4楽章が終わるか終らぬかのうちから拍手喝采の記念碑的演奏。二日後のロストロポーヴィッチも名演はアタシが説くには及ぶまい。 そしてもう1枚はロジェストヴェンスキーとロストロポーヴィッチがLSOでハイドンのチェロ協奏曲1番とサン=サーンスの同じくチェロ1番。そ して2枚組はフルトヴェングラーが1947年に伯林を振りブラームスの4番(1948年)と1番の第1楽章のみ(1945年)に独逸鎮魂曲はルツェルン祝 祭管弦楽団でエリーザベト=シュヴァルツコップ(ソプラノ)にハンス=ホッター(バス・バリトン)。これも歴史的名盤。ここまで3枚は購入決定だが偶然に 今日までHK$500購入すると永久会員の特典だがHK$30足りない、の「グリコがっちり買いまショウ」状態で流石にHK$30の名盤ある筈もなし。で 午後の予定あり時間切れか、と地踏鞴を踏んだが、ふと陳列にフルニエ師のバッハの無伴奏チェロ組曲の1972年東京実況録音(FM東京のTDKオリジナル コンサート)が2枚並ぶを見る。バッハのチェロ無伴奏はフルニエのスタジオ録音も含め十名近いチェリストの演奏のCD有するが、このFM東京TDKの「買 い」は当然。で都合5枚を購入。いい買い物、と満足。薮用済ませ早晩に久々にQuarry BayのEast EndにChimayのルージュ一瓶飲む。豪州と新西蘭のラ式就球の試合中継あり。新西蘭応援の酔っ払いが6人いたくらいで店も混雑もしておらず。煙斗を 燻らそうとするとカウンターで二つ程離れた席にいたオヤジに「こりゃたまらん」と避難される。パイプ煙草も間接喫煙には違いないが。酒場に近い Watson's Wine Cellarで葡萄酒4本購い帰宅。ドライマティーニ一杯。菊正宗を冷でくっとひっかけて鮪の中落ち丼。ロストロポーヴィッチからロジェストヴェンス キー、フルトヴェングラーと本日購入のCDを順々に聴く。フルトヴェングラーのブラームスの独逸鎮魂曲はSPからのCD化で音質の悪さは覚悟していたが CDまでガリガリ、とひっかかったような雑音あり(怖)。音楽といえばNHKのニュースで見たが本日がアシュケナージ氏N響音楽監督としての最後の演奏 会。ニュースではベートーヴェンの田園が流れ「最後の演奏が田園?」と複雑な思いでネットで見たら何と今晩は田園とベト7番!であった。アシュケナージも じゅうぶにミルヒ先生に似ているが今晩の「満員御礼」は田園と7番で「のだめ」効果か。まんざら否定できぬ選曲。
▼国家主席胡錦涛君の来港。空港からの大名行列は露払いの白バイ6台、警察車両5台、胡錦涛君専用車、警察車両3台に救急車1台と白バイ2台、それに随行 や警察精鋭部隊飛虎隊乗せた車両など更に10数台から20台以上が続く。空には飛虎隊のヘリコプターが舞い海では水上警察が警戒。日本の首相どころか米国 総統でもここまでやるかね、の厳重警備体制。実際、中国国内でも国家主席の御幸でここまでやるかどうか。香港政府が「もし万が一のことがあっては」での過 剰警備。宿泊先となった湾仔のGrand Hyatt Hotel周辺の警備厳重で十歩歩けば警官一人。記者らも直接胡錦涛(本人どころかその車両隊)を見える距離にも近づけず(ちなみに温家宝首相など来港の 時はホテルなどの道路反対側からの撮影取材は認められていた由)。ホテルに暫し休息の胡錦涛君、午後の市内視察は報道関係者にも行き先事前公開されず取材 は二時間前に中環の指定場所に待機命じられ、結果、行き先は馬鞍山のスポーツセンター見学及び国家主席自身の卓球交流と二軒の家庭訪問。本日は海洋公園で のパンダ贈呈式などに出席し明日、市民デモが始まる午後を待たずに離港の由。
▼今回の衆院選挙。元レバノン大使の天木直人氏が立候補(9条ネット)。同じような主義主張での立候補は前回の04年の参院選挙では中村敦夫氏(みどりの 会)が90万票得たが落選。今回の天木氏は(共産党と腐っても社民党の党外協力得られず)下手するとその90万票にも満たぬ泡沫候補になりかねないが国弘 正雄氏が応援。新社会党といえば矢田部理氏は先考の高校時代の旧友。天木氏は日刊ベリタにも記事を書かれておりアタシはいろいろ思うところあり記事送稿せ ぬようになり久しいが。

六月廿九日(金)雨。朝目覚めれば laufende Wekzeugspritze(単なる鼻水)あり。この時期、外の暑さで汗をかきぐっしょり、冷房で冷えの寒暖の差かなり堪える。宮澤ヨーダ喜一元首相逝 去。弔問した中曽根大勲位が「宮澤さんは一貫して今の憲法を守るという方向を貫いておられた。これは立派なことだったと思う」という一言が最大の弔辞か。 大勲位の「立派なことだった」は故人への「だった」が護憲への「だった」に聞こゆ。自民党最長老の護憲派も小泉三世のベテラン一掃で引退勧告受け入れ而も 最後は自民党新憲法起草委員会に参画。戦後の日本経済の最大の知性も金融危機とバブル対応では評価も分れ、結果論だが宮澤氏に比べれば経済の「けの字」も 理せぬ小泉内閣で景気低迷抜け出されては池田隼人の懐刀の立場もなし。安倍三世は「時々のリーダーが責任を果たしてきたことでいまの自民党があり、日本の 繁栄がある。こうしたことを踏まえ、21世紀にどういう日本をつくっていくか考えていかねばならない」と言葉は宮澤氏追悼の意の欠片もなし。宮澤、中曽根 といった長老に引退勧告の小泉三世はコメント出さず。新聞の評伝も所詮、首相として父ブッシュと「通訳抜きの英語で通した」だの英米の新聞紙を読める程度 のことが国際派と評されるとは貧困なる悲しき話。朝日新聞は論説主幹若宮啓文君が宮澤喜一とサシで話した時の故人のつぶやきだのヨーダ&大勲位の対談の司 会での逸話など若宮君自身の佐々淳行的な「私が」が目立つ。ところで、広東省開平の鐘樓群がユネスコの世界文化遺産に推挙された由(こ ちら)。将来的に補修保存されるは吉事なり。但し観光資源としての今後の開発と繁盛ただ畏れるばかり。余はZ嬢と二年前の十月末に開平 に遊び観光客もほとんどおらぬ村々に威容誇る鐘樓の建築群を畏怖の念すら感じ見入る。本日、国家主席胡錦涛君香港返還十周年記念祝賀のた め来港。厳戒警備で中環、湾仔付近の交通規制甚だしい由。午後、ある機会に小学6年生でキャノンのAE-1操る少年に遭遇。今どき銀塩へのコダワリに「大 した奴」と敬う。が「そのカメラは何ですか?」と尋ねられ内心「待ってました」とばかりに「あ、これかね。これはね……」と余は「ドイツのライカというカ メラで、Mシリーズと言ってね」と説明始め「キミの一眼レフとは違ってレンジファインダーのカメラはこっちがファインダーでレンズとは別で……」と説明し たら「あ、使い捨てカメラと一緒ですね」と合点の由。確かに見た目はそうかもしれぬ……反論できず。実際には「レンズに連動した距離計=レンジファイン ダー付きのカメラ」で使い捨てカメラとは違うのだが……。北角の波止場にて仏教団体による禁戒殺生での魚介類放流の儀式に遭遇。魚介殺生の弔いは良いが当 該の北 角の波止場に並ぶ鮮魚店より魚介類をば仕入れ、而も放流する場所が水質汚染甚だしき北角波止場とあっては魚介類も難儀か。南無阿弥。夏風邪気味で早々に帰 宅。今晩は好物の、広東語で言うところの林飯(Lam Faan)つまりハヤシライス食す。葡萄牙はDouroのQuinta do Vale da RaposaなるワイナリーのTinta Barrocaの01年物飲む。澳門のフェリーターミナルの免税店で酒売り場のオバチャンが「アタシはこれが一番好きだね」とお勧めの卓上酒。飲みやすい 甘めでオバチャンがこれが好きと言ったのに納得。日本では安倍内閣不信任案衆院にて否決。NHKのNW9では「国会の与野党攻防は参院に移され明日未明ま で……」と会津の男宣うが自公与党で過半数制せば単純に数の論理で「攻防」などあろうものか。それにしても自民党が自党の総裁支持は当然として「安倍内閣 不信任は言語道断」と言い切る公明党とはいったい何を考えているのか。仏様への信心は異なるが公明党という政党に保革の間でキャッチングボードとしての一 定の中庸の効力を期待したアタシとしては全くもって落胆するばかり。同ニュース番組で集団的自衛権について内閣法制局長官であった阪田雅裕氏が60年間綿 々と国会で議論され続けてきた継承されてきた理念を一つの内閣の判断で集団的自衛権はある、次の内閣の判断ではない、としたら政府はどう国民の信頼を得る のか、と。御意。それに対して元駐米大使柳沢某は「日本の安全保障にとって日米同盟は不可欠。同盟国として米国が困ったら助けることは最低限必要、個別的 自衛権しか行使できぬことがおかしい」と宣う。阪田氏の主張は(天木直人ブログ6月12日参照)「日本への武力攻撃がないのに日本が武力行使をするのは憲 法9条あるいは憲法全体をどう読んでも無理」というもの。国際法では国家のあらゆる権法が認められており戦力もその一つ。ただ現行憲法では国民の意思でそ れを制限するのが第9条であり、それが日米同盟に障害で集団的自衛権を行使したいなら憲法改正を先ずすべき話。不満があろうがなかろうが現行憲法では集団 的自衛権や多国籍軍への参画はどう見ても違憲。御意。日本から送られてきた荷物の隙間に四五日分の毎日と日経がどさっと入っており夜な夜な読む。晩遅く キース=ジャレットの演奏でショスタコーヴィッチの24の前奏曲とフーガを聴く。
▼日本の年金記録の紛失も凄いが上海で不正流用された年金は71億元(約1100億円)。中国の国家審計署(会計監査部門)の審計長・李金華氏によれば昨 年発覚しただけで国家支出のうち煙草専売局や教育部など19の省庁による発注偽証など190億元、文化省や24の省庁での年金積み増しや海外投資などによ る横領28億元、水利資源庁や科学院などでの国家資産の不法投資や紛失23億元、航空部などでの庁舎建設など資金浪費と横領17億元と中国の公務員による 横領や贈収賄の凄まじさ。社会保険庁などまだ幹部が年金横領しての不正投資などしなかっただけ公僕として真っ当と思うべき鴨。信報の社説「中国資本登上国 際舞台」によれば第10回全人代常委にて財政部建議の1.55萬億……って1.5兆元、つまり24兆円?の特別国債発行で2,000億ドル調達し国家外貨 投資公司創設の資本金に充当の由(ちなみに今年三月の中国の外貨備蓄高は1.2兆ドル)。横領されること考えれば国家による外貨備蓄と積極的投資は賢明 (信報社説もこの投機に肯定的)。だが国内に現状で億の民が貧困に喘ぐこと思えば本来の共産主義国家の投機先は海外の投資市場なのか国内の民生なのか。中 国ほどの資本主義国家は他に見当たらぬ。
▼米国の仮小屋小浜(バラック=オバマ)君のメールはもはや政策どころの話でなく
We crunched the numbers last night, and because we hit our goal so quickly -- 10,000 people have already donated to the campaign this week -- things have changed. Suddenly, we're within reach of something no presidential campaign has ever dreamed of at this stage. With your support, we could reach 250,000 donors for the year by the June 30th filing deadline. We have a chance to seize this moment and make history.
と兎に角の資金集め。資金集めた者が総統選制す。政治はカネ。市民にカンパ求めるだけ健全か。
▼香港で上海灘、China Club(中國會)や葉巻屋経営など経営しサッチャー首相や故ダイアナ妃との親交など話題豊富な財界人の鄧永鏘氏が香港のリベラル政党・公民黨(Civic Party)入り表明。公民黨はリベラル派弁護士が組織せし45條關注組が母体。その弁護士ら4人だかが一気に立法会に当選し公民黨を組織。良識 的な穏健リベラル派として一定の支持あり。A45なる無料タブロイド誌発行したが資金不足で今年2月に休刊。今回来る7月1日の市民デモに合わせ「十年民 主路」なる最終号発行の由。蘋論日報発行する壱媒体集団社主の黎智英氏にインタビューあり。財界人のリベラル政党加入は椿事。だが香港財界ではトリックス ター的なDavid 鄧永鏘であり北京中央にしても寧ろおちゃらけ財界人の公民黨加入で寧ろ公民黨の中道化に期待かも。次は白花油の王子様・顏福偉氏あたりの入党に期待(顏福 偉の歌う白花油のテーマソング「愛 多八十年」)。
▼警察の一樓一鳳(私娼宿)大規模一斉取締り盛ん。私娼検挙だけでは鼬ごっこ、と私娼窟の家主に私娼相手に賃貸契約継続せぬよう申し入れ私娼宿相手に淫売 で用いるタオル、リネン類洗濯の業者にも取締り協力求め「依靠妓女維生」も検挙の可能性ありと警告。私娼の多くが大陸からの出稼ぎで香港返還以降に急増。 でこれも返還十周年での「けじめ」か。
▼昨日の蘋果日報「蘋論」欄で李怡氏「回帰十年、香港的反智愛国教育」を説く。返還以降北京中央の意を受け香港にて熱心な愛国教育。北京中央の感心は香港 人に愛国感情、国家民族の意識あり哉なし哉、「人心」の回帰は真かどうか。李怡氏、昨年四月の香港政府中央政策組の調査引用し75%の香港市民が中国人で あることの誇り感じ65%が今日の中国の国際的地位評価するが76%の市民が香港での愛国主義教育の強化を肯定、と。中国人であることに75%の市民が誇 りを感じながら何故に愛国教育の徹底を76%が求めるのか(すでに誇りを感じるなら愛国心にも満足はもっと多いはず、と李怡氏のこの調査への懐疑)。また 中央政策組の首席顧問の劉兆佳が今年三月十四日の人民日報に「一国両制が確実に定着したと認識できる最も重要はファクターは「人心回帰」である」と述べた 由。李怡氏曰く大多数が中国人であることに誇りをもち一国両制が定着したとしつつ愛国教育の強化が必要というのは実際には愛国心だの一国両制が定着してお らぬからではないか、と。御意。「人心」とは何か。「人心」は中国政治の産物。英語で human heart か popular feeling は一種の感情であり感覚。本来、世論調査で問われるのは public opinion(民意)であるべきで非理性的な popular feeling(感情)に非ず。「中国人であることの誇り」など民衆にとって自然な感情であり大概は「ある」と答えるもの。愛国は一種の感情で人心は一種 の感覚。これを愛国教育などに置き換えても個人主義が強まる時代に効果があるかどうか。台湾の作家・柏楊が「大陸可愛、台湾可愛、有自由的地方就是家園」 と言ったが李怡もまた「大陸可愛、香港可愛、有自由的地方就是家園」と国家の強制なき自由を説く。

六月廿八日(木)早晩に湾仔で夕飯済ます必要あり。Stewart Rdで贔屓は泉記の魚蛋粉。だが不図「胃の調子も良いし」と泉記向いの再興焼臘飯店。夕方からは外買(テイクアウト)の客の行列絶えぬ繁盛ぶ り。余は焼臘なら九龍ではPrince Edwardの永合隆、港島ではこの再興、鵝頸橋街市の恵記が格別と思うが再興に食すは何年ぶりか。少なくとも今世紀初。焼鵝飯と例湯。この店の焼臘、タ レは最初から注がれず客は随意で卓上のタレを用ふ。例湯もこの上なく減塩で野菜の甘み。ゆゑに焼臘店とはいえ極めてあつさり。
▼アルベルト=フヒモーリ君参院選に国民新党より立候補の由。元ペルー元首で汚職等容疑で本国が訴追中の容疑者が日本で本人不在のまま国政選挙立候補とは 前代未聞。フヒモーリ君がそれほど日本にて庇護されるべき=庇護せざるを得ぬ理由とは何そ哉。この日本のフヒモーリ庇護の影に米国あり。米国といへば米下 院外交委での対日非難決議。この決議、民主党多数派ゆゑの採択とされるが共和・民主の交替で対日政策がぎくしゃくするほど日米関係は甚だ脆弱。安倍三世 「米議会の数数多ある決議の一つと理解」と逃げ口上。
▼朝日新聞の論壇時評。評者は杉田敦(法政大学)。「ナショナリズム グローバルな関係と本来性」の評は簡潔で見事。日本の戸籍制度と血統主義との実は矛盾、戸籍の擬制ぶり(早尾貴紀)。在日朝鮮人に対する潜在的差別の結果 としての半島への帰国政策(テッサ森巣スズキ)などの紹介。ふと余がこの論壇時評読み出した頃の見田宗介氏の筆致彷彿。
▼信報に昨日に続き戴耀廷氏の香港憲政この十年に関する論評掲載あり。題して「反思未来十年憲政路向」。七つ目として挙げたのが「〇七〇八普選及第二次釈 法」。董建華の行政手腕に見切りつけた北京中央は一連の香港経済救済の優遇政策など断行。その飴とムチで07年の行政長官、08年の立法会については基本 法釈法権用いて普選実施の否定。この釈法は前回(内地出生子女の香港居留権と異なり)北京中央の独自の判断による釈法。八つ目は「董建華辞職及第三次釈 法」。董建華の任期内の辞任に当り後任者の任期を董建華の残存任期とするか新に5年とするか釈法の結果、残存任期に。九つ目に「政改五号報告書遭否決」。 民主派との関係正常化も期待されたSir Donaldが普通選挙実施の調整案提出を民主派否決。香港の政治環境での断層化更に明白に。最後が「第三回行政長官選挙」。提灯選挙でSir Donaldが当選。民主派の候補が間接選挙で百名の選挙人を得られただけでも「まだマシ」と評価。

六月廿七日(水)キリンビールに瓶ビールの「大びん」について問い合わせると、キリンビールのお客様センターから「大びん」の読み方について返事あり。麒 麟麦酒では大瓶の読み方は「ダイビン」または「オオビン」の併用(地域によっても異なる由)。但し「製造部門では「ダイビン」と読むことが多い傾向がござ います」ってのが、実にいい。営業部門は世間に合わせて「おおびん」と呼ぶ。が、製造部門では「てやんでぃ、何がオオビンだよ」と。ビール製造何十年の職 人が「ビールは飲んだら何になる? 小便だよ。チイベン、って言うかい? ありゃショウベンだ。だからビールだってオオビンじゃなくてダイビンなんだ よ」ってな感じでね。早晩にジムで初めて柔軟体操「のようなもの」一時間。Z嬢がよくやっていて丁度それをする、というので見よう見真似。続けて一時間の 有酸素運動。帰宅して晩飯。最近、カレーライスとか所謂「ごはんもの」以外は「おかず」だけで米を食さず。ビールも「とりあえずビール」は飲まず。かわり に麦茶など飲んでいたが食事の際に水物をとると、どうもガブ飲みする嫌いあり食事を胃の中に流し込むようで腹は膨れる。で汁物だけで水物なし、となる。す ると今まで以上に料理の味に敏感になり、水物をとらぬと塩辛いものや油っこいものも避けたいし、よく噛んで食べるから身体にも良い。そういえば「向田邦子 な時代までは」お茶は食後、であった。食後に卓袱台でさっとお茶を煎れてご飯茶碗に注いでご飯の残りをさっと(……と山田洋次監督が『武士の一分』で木村 拓哉主演の侍にその作法で食事をとらせていたのが最近印象に残ったが)。なんか最近「養生訓」のようなことに言及増えてやせぬか……年寄り。食後に桜桃い ただき食後酒とバランタインの21年をストレートで少し飲んだら晩十時だというのに睡魔に襲われ臥床。
▼或る知人と話した「日本の改革に必要なもの」。教育基本法や関連法案の改正、教育再生会議や愛国心の高揚などで日本は救われず、具体的に何が必要か、と いえば、まず英語表記のJAPANを止め「日本」とNIPPONへの統一、学校教育の9月始業の導入(4月始業は日本の伝統に非ず)と道州制による地方自 治拡大。保革の枠を超えている提案で民主党あたりが主張すると面白いのだけど。
▼猪瀬直樹氏が東京都副知事に。都知事が石原でも美濃部でも、この人なら副知事になれるだろう。
▼NW9で自転車で子どもを乗せる「補助椅子」の危険性ついてレポートあり。自転車に補助椅子で子どもを乗せる場合の安全確保、規制……などと述べていた が、ところで補助椅子つきの自転車って日本以外で普及しているかしら。香港は子どもを乗せる以前に日常生活で自転車は使われず、自転車大国中国ではどう だったか……といっても今や自動車大国。子どもを二人も自転車に乗せてスーパーに買い物……なんて想像できないのが「日本以外の」常識。歩道を自転車が走 るもの日本の異常な光景。
▼九龍新蒲崗の工業ビルで大麻製造謀った男二人御用となる。警察は1,300株の大麻押収。年4回の収穫として年間HK$200万の由。かなりの収益と思 えるが、この大麻製造場所、賃貸の広さは4,000sqfで、ざっと計算すると年間HK$500/sqfで12ヶ月で割れば月にHK$41.7/sqfの 生産高(売値ベース)だとすれば賃貸の高い香港では非合法の商品扱う=検挙されるリスク考えれば大麻製造はけして利潤高いとはいえず。
▼香港大学の法学の偉才、戴耀廷先生が「特区十年:十大憲政事件」を信報に書いている。香港返還からの10年でいったいどういう具体的な事件が香港の憲政 (法治)に影響を及ぼしたのか、と。まず「張子強」案。港澳に勢力張る暴力団幹部だが中国国内でお縄にかかり刑事裁判となったが本来、法制と司法は別であ るはずの香港での違法行為も含め内地で審判されたこと。二つ目が「胡仙」案。星島日報が発行部数偽った問題で社主の胡仙については当時の律政司・梁愛詩が 「公共の利益」を理由に不起訴決定。胡仙が北京中央と董建華と親密な関係あり、の超法規的措置で香港政府の法治感覚の欠如顕わ。三つ目が「内地子女居港 権」争議で四つ目が「四大護法」登場。全人代と全人代常委の立法行為のうち香港に関する案件については香港の最終裁判所にそれが基本法に見合うかどうかの 審判権があるとする香港の司法判断につき内地の法律専門家が猛烈に批判、その御用学者らの意見=北京中央の意向。五つ目に「第一次釈法」。内地子女居港権 につき香港司法が居留権ありと審判したものを「こともあろうに」香港政府が全人代常委に対して法解釈を依頼。全人代常委は居留権なしと判断し香港の司法判 断転覆。六つ目に「基本法23条立法と71デモ」を戴耀廷先生は挙げる。董建華行政長官らに対する不信感、政府の強硬な23条の治安条例の立法化などに対 して反対の50万人デモとなり香港の政治無力感が払拭された(あるいはそうならざるを得なかった)もの。(今日の信報にはこの6つ目まで、 で残りは後日登刊の由)

六月廿六日(火)蘋果日報の朝刊の見出しや残酷な写真にも今更いちいち驚かなくなっているアタシも「1女4男 中二學生玩5P」には朝イチで「まったくもぅ……」と。あたしゃ目覚めの寝惚け眼でこの見出しみて「えっ、中二がナマで5Pを学習?」と読んでしまったが 当然、中二の学生が、であった。14歳の中学2年の女の子が同級生の男子7人を連れて自宅に戻り、そのうち3人は居間でHビデオ鑑賞していたが 残り4人(中学2年といっても15〜17歳、何かの事情で留年組か新移民か)を連れて自室に籠り4人相手に(結果的にナマ、なのだろうが)口交始め(と荷 風散人も驚きの淫娘なり)そこに この女の子の父親が帰宅。娘と学生らは「即時作鳥獣散、慌忙逃離寓所」と(……日本語ならさしずめ「一目散」だろうか)この漢文の漢字の書き文字としての 「即時作鳥獣散、慌忙逃離寓所」の躍動感と音の響きの良さ。いや漢文の筆致に感心している場合ぢゃないが。早晩から各一時間の有酸素運動と筋力運動。ほん と「どうしちゃったの?」というくらい、このところ毎日規則正しく最低でも一時間は運動して、のストイックな生活。随分体重が減ったと感動していたが内科 の定期検査の結果が届いたら標準内ではあるが正確な標準体重まではあと6kgも減量が必要で驚く。ところで、ジムで運動の途中の着替え中に自分のロッカー の前に真新しいナイキの速乾性のシャツあり。誰かの忘れ物か、周囲に着替え中の御仁もおらず。誰のかしら、職員に届けてやろうか、いやこんな一枚、忘れた ら忘れた本人が「もう無くしたもの」と諦めているか。下手に置いてあっても掃除スタッフなら捨ててしまう鴨。それならいっそのことアタシが貰っちまっても 罰は当たらないのぢゃないか(って立派な犯罪だが)……などと良心の呵責と戦っていたが……ふと思えば「これって、あっしのだよ」……まったく。さっき着 替える時にロッカーに仕舞い忘れただけ。自分のシャツを目の前に「これをあっしが貰っても」と勘三郎が新橋演舞場でやる野田秀樹脚本の芝居だね、これ じゃ。
▼昼に薮用あり香港日本人倶楽部。今年春に移転した、このビルから銅鑼湾を眺める。香港は高層ビルが林立するので、高いところから見下ろすと 面白いほどの普段見慣れていない、面白い眺望に出くわすことあり。今日もその一つ。超高層ビルに囲まれた一角、といっても低層に見えるが七、八階建てなの だが、は銅鑼湾の、建て直し中のHennessy CentreとThe Lee Gardensにはさまれた一角。デベロッパーが虎視眈々と「再開発」狙うことがよくわかる眺め。居酒屋一番があり、ブルース=リーの『死亡遊戯』で敵の ドクター=ランドの実は本部であった(笑)四川料理の南北樓がある。もう一方は、かつて大丸百貨店香港店のあったPaterson街。1960年頃の都市 開発。怡和街に接する一角は歩行者天国。この一帯、街道の広さ、殊に香港では貴重だが歩道がかなりゆとりがあることは特筆すべき。ここだけ凝視すると一 瞬、巴里に見えなくもなし。ビルの高さや一連のファザードも設計の均衡も良い。紐育の摩天楼ほどになれば別だが都市建設というのは、このくらい抑制が利い て調和あるべきもの。香港では1950〜60年代でこの発想は消滅。香港では九龍の太子(Prince Edward)のSycamore街一帯が見事。

六月廿五日(月)昨晩は十時半に寝入ったのに今朝起きたら六時半。子どもの如く八時間も寝てしまったが熟睡は心地よし。アタクシの拙い写真はFlickr に保存公開しているが、このFlickrすら中国では見られぬことを10-0-0.netで知り驚く(だが対応策もありの由、こちら)。早晩に ジ ムで小一時間トレッドミルで走る。身体が軽くなり6min/kmで走っても平気。トレッドミルでこの時計だと実際の10kmロードレースなら55分くらい でいける鴨。ただこの冬までこの体重維持できれば、の話。帰宅してドライマティーニ一杯。山崎のハイボールとカレーライス。胃潰瘍なんてやるとカレーライ スが食べられる程度のことにしみじみと有難み感じ入る。NW9見ていると食肉の偽造、年金記録問題など「安全な日本」は「安全なはず」の日本で実際には 「安全じゃない」。安全性とか正確さであるとかが「美しい日本」の売りのはず、だが。年金の記録の件では、過去30年に渡っての年金の記録……しかも転職 数多し、なんてなると実際に有効なのは結局、国民総背番号制度。国民年金も個人番号とかあるのだろうが厚生年金からの移籍であるとか雇用主が変わった場合 の連続性であるとか、そういうことに対応するには「たちどころに個人記録の認識可能な」生涯番号制しかないのだろう(個人的には反対だが)。
▼この夏の猛暑は、NHKのNW9ではこのまえまでサミット取材で「地球温暖化」と深刻な顏をして伝えていたのに、「今年の夏は暑いです」「その経済効果 は」なんて秋葉原の家電店のエアコン売上げ増だのビアガーデンの賑わいだの、おまけにビール増産で「ビール缶のアルミニウム製造まで経済効果があるので す」ってエアコンにせよアルミニウム缶製造にせよ電気消費で結果的に地球温暖化じゃないの? 取材と主張に一貫性すら欠ける。ところで麒麟麦酒社だと思う が、この取材に対応した職員が瓶ビールの「大瓶」を「ダイビン」と呼んでいた。「大きな瓶」なら「おおびん」で、この読み方が通例になっているが訓+音で 所謂「湯桶」読みだと思うと「ダイビン」の方が音が良いし、もしくは訓で「おおがめ」だが「大甕」みたいで誰も読めないね、これぢゃ。
▼テレビのニュースにエルトン=ジョン先生が記者団に囲まれ映っていたので相変わらず人気で華やかだこと……今度は「同性の愛人の発覚か、離婚か?」と 思ったら北朝鮮のIAEA(国際原子力機関)実務代表団の受け入れ? えっ、と思ったらこのIAEAの訪朝代表がエルトン=ジョン先生に似ていただけ。
▼吉田秀和先生じゃないが「新聞を読みたい」と思えない時も多いが時々、珠玉の如き文章に接するから読まないわけにはいかぬ。朝日新聞の参院選挙記事で 「改憲は争点か」と瀧井一博(憲法史・兵庫県立大学教授)と森達也(映画監督)が語る。滝井教授は憲法を「理想論」で語るのがいい。そんな机上の空論 ぢゃ、と保守反動の方々には嗤われるだろうが。
いまの日本国憲法は不幸なイデオロギー構想の渦中にあり、国民を統 合するという本来憲法が担うべき役割を果たしていない。(略)安倍首相は今年1月、憲法改正を参院選の争点にすると宣言した(が、略)安倍首相がやろとし ているように、一政党の党首である首相が個人の政治信条を強調し、国政選挙の争点として掲げることによって憲法改正を進めるという手法は、健保制度のある べき姿にそぐわない(略)。仮に、ある政党が「改憲選挙」と位置づけた国政選挙が、05年の郵政選挙のような盛り上がりをみせ、その党が圧勝して憲法改正 を主導したとしよう。そうやってできた憲法が、果たして国家百年の計を担い得るだろうか。一つの政治勢力が他の勢力を抑え込むような色合いを帯び、新たな 「押しつけ憲法」になってしまう危険もはらんでいる。憲法の改正とは、いわば国民共有の「神話」を作り出す営みだ。憲法の作成に携わる人たちは、国民が依 拠し得る新しい国家の理念を提示してもらいたい。そのためには、様々な主義主張をもった人々が一時的にせよ党利党略を棚上げにして、国益という観点から手 を結んだという姿勢が不可欠だろう。この憲法、ひいてはこの国は、党派を超えて作り出されたものだ、という神話が生み出されてはじめて、憲法改正は意義の あるものになる。
……と。明治の初めの五日市憲法も、敢えて言えば大日本帝国憲法も、そして現行の戦後の「押しつけ」日本国憲法も「国民が依拠し得る新しい国家の理念」と しての神話的な理想論。この瀧井教授の指摘を読めば、いかにキョウビの安倍改憲が胡散臭いものか、は明らか。で森達也氏も平成の加藤周一と呼んでいいほど 見事な理詰め(ってまだ周一先生は平成の世も筆は冴えているが)。自民党の改憲の草案にある現行憲法9条2項「戦力不保持と交戦権の否定」について
今の時代の空気や世相では、「自衛」を名目にして9条2項の変更を 容認すべきではない。なぜなら、戦争や虐殺の本質は、まさしくこの「自衛」にあるからだ。(地下鉄サリンや9・11テロや拉致などを契機に)漠然とした恐 怖や不安が、この10年ほどで急速に高まった。殺人事件自体は60年前前後に比べると大きく減っているのに、メディアの報道で増幅された「体感治安」が悪 化し、「危機管理」を求める意識が高揚した。この「知らない他者」に対する恐怖や不安に耐えられず、人は「知らない他者」を仮想敵に設定し、自衛の意識を 燃料にして先に攻撃しようとする。(略)ならば、自らの過剰な自衛意識の発露を抑制し、さらに自らが「仮想敵」にならないためにはどうすればよいか。その 戦略を具体化したのが9条2項だ。(9条は丸腰平和な性善説ではなく)憎悪と報復が連鎖する今の世の中では、ラジカルで実践的な対抗原理なのだ。改憲論者 は、自衛権を放棄するのかと言うが、自然権である自衛権を放棄などできない。自衛の手段としての武力行使を否定するのが9条だ。(略)憲法とは主権者であ る国民が統治を委託した国家を規制するものだ。だから「制限規範」であり、私たちの理念でもある。安倍首相は理解しているのか。「国民支配の道具」という 感覚ではないか。危機管理意識が高揚するのに伴い、難しいことは敬遠され、善悪や真偽で割り切る単純化や簡略化が進む。(略)単純で据わりのいい結論や早 急な判断が求められる……そんな空気が充満する中で、改憲が争点になるのは危険だ。
……安倍首相は理解しているのか?、は御意。「危機、危機と佐々」の佐々淳行に読んでもらいたい(って納得するはずもないが)、の一文。
▼南洋商業銀行の創設者で名誉董事長の荘世平氏逝去。今月二日。享年97歳の大往生。1911年に潮汕に生まれ北平(北京)で大学卒業後にタイに赴き教育 や報道に従事しつつ華僑組織して中国の抗日戦争を支援、戦後香港に渡り人民共和国成立直後の1949年12月に香港で南洋商業銀行を創設。銀行に五星紅旗 を掲げ、これが香港で初めて掲揚された五星紅旗の由。当然、親中派資本。で生涯、中国の経済発展に尽力。左丁山氏の書くところに拠れば、亡くなる前日も 97歳で実務、深圳で仕事済ませ理髪、晩も自宅で食事のあとに入浴し夜遅く寝室に入り按摩椅子に坐ったが不調訴え救急車で病院に運ばれたが不治。人柄と品 性の良さ、清貧さ、無私公正で倹約家とこの人を誉めるに言葉は欠かず。親中派資本家で家族興隆にはいくらでも途はあろうが自らも身分に比べれば薄給に徹 し、息子は運転手で糊口凌ぐ。左丁山氏も、贈収賄や特権享受に溺れる国営企業幹部や上海の高級公務員に比べ、この見事さ、と。御意。これだけの人ゆゑ葬儀 も葬儀委員長は董建華、副委員長にSir Donald、高祀仁(中央人民政府駐香港特別行政區聯絡辦公室主任)、マカオ行政長官・何厚鏵、李嘉誠らが並び、総議員は香港政府や親中派資本家ずらり と並ぶ。左丁山氏は、亜州週刊が前週に報道するまで、この荘世平が(親中派の所謂「紅い資本家」であったにせよ)戦後、中国共産党の香港の地下党員の領袖 であったことは露とも知らず、と。

六月廿四日(日)晴。朝の五時過ぎに目覚めてしまった。昨日の朝日(国際衛星版)に掲載されていた加藤周一の夕陽妄語「戦記再訪」読む。保元・平治物語の 話から「叙事詩……殊に戦いを語る叙事詩の本質が、そ の成立時点において過去の事実を記録することではなく、現在の環境を、概念的でなく、直接に、直感的に、把握するための知的道具を提供すること」として、 叙事詩は「事実をそのまま利用すると共に、極端に誇張し、想像し、空想する」と言う。昨日入手のベートーヴェンの7番を聴く。7番、といえば「のだめ」で 突然、日本でポピュラー。アタシも当然、7番はCDで持ってもいなかったのだが「のだめ」であれだけ聴かされ(といっても第1楽章の主題だけだが)耳に残 り、ちょっとちゃんと聴いてみたい、と思ってHMWでちょいと覗いてみたら7番だけ、なんてCDは当然「ない」わけでカラヤン(伯林)とバーンスタイン (維納)のベートーヴェンの交響曲全集あり。カラヤンの全集はずっと聴いてもいないが母に中学校の卒業式の日に買ってもらったLP版があり、バーンスタイ ンと維納の方を購入。バーンスタインのほうが「のだめ」のミルヒ先生(フランツ=フォン=シュトレーゼマン)の印象に近い、ということもある。まぁバーン スタイン先生とミルヒ先生ではご本人の相手の「好み」は違うが好事家という点では一緒であろうし。で昨日の日剰綴り朝食済ませ新聞も凡そ読んでしまって午 前八時。昼までプールで泳ぐ。体重が軽くなったので泳ぐのも多少は楽? 水中での浮力と体重は関係あるのかしら。昼に尖沙咀の天祥撮影器材でライカのカメ ラ皮カバー(Ever Ready Case)購入しちまう。内緒。午後、上環で頼まれ仕事のお手伝い。ジムに一浴して帰宅。靴磨き。ドライマティーニ一杯。山崎のロッ ク飲みながら揚げたてのコロッケいくつも食す……と書くと肝硬変っぽいが大量のキャベツでソースなんてほんの少し。ご飯はカレーライスの時くらいしか炊か ぬ最近の食生活。晩九時過ぎには睡魔に襲われ朦朧。
▼昨日、行政長官「自称政治家」Sir Donaldが組閣の人事発表。あたしが二十日に綴った、早く巷に流れた人選と凡そ変わりなし。世渡り上手で「橋王」の異名とる政務司の許仕仁は離職(政 務司の経歴活かし今後もコンサルタント業で大儲けか)、後任に唐英年で、その財政司の後任はSir Donald子飼いの曽俊華。教育統籌局長のアーサー王・李國章は期待通り実質上の更迭で離職。民政事務局長は北京中央の顔色伺いか元「大公報」編集長 (副社長)の曽徳成が抜擢され「とばっちり」くいoutは董建華に抜擢されこの職にあった眼科医の何志平。何のコンサートだったか(確か昨夏のデュトワ先 生指揮の広東省の夏季音楽アカデミーのコンサートだったか)あたしの隣の席にこの人あり巨体ゆゑ身体小さくして。今回の人事異動で一番の驚きは羅范椒芬が 辞職での廉政専員に湯顕明を抜擢。湯顕明といえば葉劉淑儀が保安局長で基本法23条立法推進の際の腹心。葉劉淑儀の更迭で税関のトップに移動で難を逃れた が、まさか廉政専員に抜擢とは。廉政専員といえば政府の汚職摘発の政治的敏感な独立職で羅范椒芬といい湯顕明といい北京に忠誠誓える人たち。保安局など適 任だろうが廉政専員向きとは言い難し。
▼沖縄県議会が22日、沖縄県議会で集団自決「軍関与」で与野党一致。日本軍が住民の集団自決を強制したという記述削除の教科書検定に抗議の意思表示。沖 縄の約9割の市町村でも同様の意見書を可決。県議会では自民党は「命令、という言葉が入るなら反対」と難色示し「軍の関与」で妥協、自民党の県議会議長 (当時8歳)が
200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、 泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたためだった。家族は「死ぬ時は一緒だ」と壕を飛び出 した。
公明党の県議も「軍しか持ち得ない手榴弾が配られ、それによって多くの住民が自決に追いやられた」と指摘。県議会閉会後に握手する護憲ネットワークの議員 と与党公明党の議員。沖縄は真っ当。文科相は「大臣として検定に介入しない」と逃げ口上。安倍三世は昨日訪沖。糸満市の平和記念公園で沖縄の戦没者追悼式 に出席。午前10時48分に那覇空港着で午後2時25分には帰途に。沖縄での滞在3時間半で前日のこの与野党前回一致の集団自決に関する決議に何を思った か。ちなみに安倍三世は東京に戻り、その足で新宿ヒルトンの村儀理容室で散髪。一旦公邸に戻り晩にストリングスホテル東京のチャイナシャドーなる食肆で夫 人らと会食。散髪と晩飯の時間のほうが沖縄滞在より長いとは(まぁ「政治家の床屋」ほど密談か、怪しい時間も他にないのだが)。
▼ヤンキー義家弘介・教育再生会議担当室長が自民党から参議院選挙立候補。「転向」という言葉もあるが数年前まで日の丸・君が代強制に反対していたが「節 操がない」という点ではこの人に勝る者なし。将来文科相かしら。それに比べて同じ自民党で大仁田厚議員が「参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」と公 認候補辞して政界引退。
▼新聞の弔報に「増田通二」という名前を見て「ビックリハウス」と咄嗟に思いだし何十年前の微かな記憶に辿りつき自分で驚く。享年81歳。元パルコ会長。 渋谷のパルコといえばこの人、だがアタシにとっては『ビックリハウス』の萩原朔美、榎本了壱、高橋章子が編集長なら増田通二はいわばプロデューサー。当 時、渋谷パルコにマップハウスという輸入物の地図やミシュランなど洋物の旅行ガイドなど扱う店あり。トーマス=クックの時刻表を初めて買ったのはこの店 だったか神保町の三省堂だったか。同じフロアにあった書店はリブロポートだったか、レニ=リーフェンシュタールの写真集『ヌバ』やロバート=メープルソー プ、ベルナール=フォコンなどなど多感な年頃に刺激的。祖母や母に連れられ新宿は墓参り、買い物は銀座、何か食べようと浅草、で渋谷は自分が一人で歩くよ うになった東京の原体験。アート系の書籍を沢山眺めて頭がクラクラしたままパルコを出てスパゲッティの壁の穴。東急ハンズで小遣いと相談しながらの買い 物。数年経ってタワーレコード。更に80年代後半にはパルコやLoftには足を向けることもなくなり頻繁に東急文化会館か(笑)。

六月廿三日(土)空が白むと朝五時過ぎに目が覚めちまう、全く。あたし自身が新聞の朝刊の配達をまだか、と待つ齢になろうとは。快晴。何かと雑事早めに片 づけ昼までプールで一時間半ほど泳ぐ。というかあたしの場合、水遊び程度。深水埗の西九龍中心の傘屋、梁蘇記。1885年に広州で開業。1941年に九龍に分店開き港島区に も店を出したが86年だったか港島の店を閉じ、その時に客が閉業惜しみ詰め掛けた話は杜國威の映画『人間有情』に描かれた由。香港の豪雨に堪える丈夫な傘 づくりは定評あり(倫敦製の上品な傘では香港の豪雨にはとても太刀打ちできず)。店の名も正しくは梁蘇記「遮廠」。いぜんから一つ手許に置こうと思いつつ 機を逸し今回「こんなのあり?」の、これなら大雨も凌げようという大きさの折畳み傘購う。九龍湾と深水埗を土曜日の午後だとタクシーで龍翔道飛ばしてわず か10分。大埔道に上がるBeacon Hillや獅子山、黄大仙などパノラマのように景色変わる愉快。一旦帰宅して着替えてからZ嬢と 中環のリッツカールトンホテルの伊太利料理店トスカーナ。年 内でこの中環のホテルは閉業。オフィスビルに建て替え。リッツカールトンは九龍で新規開業の由。80年代の日本のバブル崩壊でこのホテルに投資の日本の会 社倒産し当時の東海銀行がこの物件を抵当にし、開業まですったもんだ、でどこか垢抜けず、というか華のないホテル。リストランテ・トスカーナはそれなり、 で「もう一度だけ行っておきましょう」で今晩。「今晩はようこそ」で供された三鞭酒はVeuve Clicquot Ponsardinのブリュット、だが二人なのにグラスに一杯だけ。タダで供された酒に文句つけちゃいけないが二人の客に一杯は野暮でしょう。でもう一杯 追加するわけで、これはタダぢゃないから、結 局「売上げに貢献」。いつもの通り前菜二皿(フォアグラとホタテ貝のソテー、カルパッチョ)に主菜は羊肉、を二人で全て半分ずつ、でもけっこうな量。葡萄 酒はトスカーナのAvignonesi醸造所のVino Nobile di Montepulcianoの04年。これまた量のあるチョコレートのケーキも供される。あたしの背後に日本人のオバサン四人で会食、お会計でどうして電 卓が出て来るかねぇ。給仕がお会計に来て一人がクレジットカード出してまとめて払い、は「まだマシか」と思ったがカード出しただけでサインもせぬから、給 仕はつっ立ったまま「待ち」の状態で、そこで電卓登場して割り勘の算段は奇妙な光景。今晩も夕陽も美しく半月も見事。夜の中環の静寂もまた心地よし。携帯 で写真を撮るなんて……といいつつカメラ持参せぬ時はアタシも携帯でちょっと撮影。これがそれはそれで面白い写真が撮れるから困ったもの。
▼久が原のT君が初台のオペラ座で「薔薇の騎士」御観劇、とメールにあり、維納のペーター=シュナイダーが東フィルを振り、東フィルが二幕目以降はさなが らヴィーンシュターツオパーの音色に変化、に驚きとT君。ところでシュナイダー、バイロイト音楽祭で「さまよえるオランダ人」で世界の注目集めたのが 1981年でもう四半世紀以上も前のことになっていたとは……愕然。シュナイダーがもう「ベテラン」って、当たり前だが皆な年をとったもの。


六月廿二日(金)夏至。快晴。子どもの頃に影踏み鬼、なんてしたことを思い出す。晩にジムで有酸素運動一時 間。
▼ 陶傑氏が蘋果日報の随筆で羅范椒芬の「舌禍」について語る。政治家にとって「一言」が命取り。シェークスピアのハムレットから“Give the thoughts no tongue, nor any unproportionated thought his act”(考へを迂闊に舌に出すな、機に合はぬ考慮は行ふな)の科白を引用し、英国統治のなかで香港政府の高官は全くこれを学んでおらず、と。御意。ちな みに翌廿三日の連載では陶傑氏は1974年8月のニクソン大統領の辞職を回想し「大統領を辞任する」とだけ離職状認め国民に向けたテレビ演説でも「自らは 任期全うする意志があるが国会の信任が得られず国家利益が優先されるべきと考え辞任を決意」と語った、その真摯なる態度を誉める。まぁニクソンと李國章や 羅范椒芬を比べちゃいけないのだろうが。

六月廿一日(木)朝は五時すぎには空も明るければ目も覚め夕は晩七時半もまだ明るい。夏至近し。日本なら南の 太陽が真上にいよいよ近くなるこの季節、香港は北回帰線より以南ゆゑ太陽はむしろ北へ傾く。夏のこの季節、快 晴の空にただ「暑い、暑い」とうな垂れていたらそれまでだが、夏至の頃の香港は太陽が北側からさすことで普段見慣れた光景も見慣れぬ面白い陰影があちこち に映し出される。とくに昼過ぎから夕方にかけては、冬とはまた異なる、不思議な光の世界。ふと立ち止まる。諸事忙殺され遅晩に至る。タクシーが時速110 キロで高速道路を前方の車両と車間距離3mで走る。この運転手と心中か、明日の蘋果日報には血だらけのあたしの写真が大写しか、といつも覚悟。幸い無事、 自宅に着く。ああ、今日も生き延びた、と思う。パイプ煙草燻らしドライシェリーを一口。朝日新聞に吉田秀和先生が音楽展望で語る。
新聞を読むのが、だんだん億劫になってきた。目が悪くなったせいで はない。中身のことである。
と語り始める。御意。だが「全く読まないところまでは来ていない」として、なぜ読むか、に挙げたのが加藤周一氏のコラム(夕陽妄語)。徹底的に理を語る加 藤周一の姿勢に吉田秀和は感動する。そして「壮大な戦の渦中にある」大江健三郎。で話は音楽のことになって挙げたのはブレンデルであった。然り。ブレンデ ルの演奏には「それ以前の何世代にも及ぶピアニストたちが開拓し、積み上げてきた演奏史のの跡が反映し」「すごい重荷を背負って」演奏する、と言う。ピア ノの話は郎朗(ラン=ラン)へと進み、彼のベートーヴェンの協奏曲4番を取り上げ、その「普通なら堂々たる威容を見せる」この曲の第1楽章と第3楽章の第 2主題の「実にきれいな、そして表情的なピアニッシモ」で、この曲が「彼の敏感でよく走る指の下では、軽くたおやかなに流れゆく春の風みたいな優美な音楽 と化してしまう」と述べ、このような弾き方に接するんはギーゼキング以来と絶讃。若い音楽家の中にこうした喜びを感じられることを吉田秀和は我が事として 喜んでいる。幸せだなぁ、と感じてあたしはポートワインを少し飲む。
▼郎朗のピアノについて。演奏活動が多すぎはせぬか。役者は舞台をこなすことで育つ、といえばそれまでだが、あまりのスケジュールにどんな才能も分解して しまいそう。アイドル的ピアニストとしての「芸能活動」から一線を画したことでKrystian Zimermanが今日あるように、郎朗はこのままでは不安も。ただし本人はむしろプロデューサー的な、中国のピアノ界でのゴッドファーザー的な存在とな るべく、ならこれでいいのだろうが。
▼ピアノといえばアシュケナージが来年開催の香港国際ピアノコンクールの前宣伝で来港。信報には一頁大の特集記事。記者曰くアシュケナージ先生の取材で話 題がグレン=グールドに及ぶと「昔、一緒に飯を食ったことがある」とアシュケナージ先生は逸話語り始め余興に、とペニンスラホテルの先生の部屋でピアノの 前に坐ると、さっと「グールドの弾くバッハのプレリュード」を余興で奏でてみせたそうな。好きだね、こういうノリ。聴いてみたい。中村歌江の真似する六世 歌右衛門であるとか、市村萬次郎の真似する舞台稽古での玉三郎のダメ出しとか、ブラック師匠の演じる「弟子のブラックに小言の談志」とか、あたしはそうい うのが好み。
▼香港返還十周年で中英交渉からの担当者が何かと「これまで内緒の話」を語るのが面白い。すでに流布されていた話の「裏がとれた」といった話多し。当時の 新華社香港分社社長の周南は鄧小平が香港返還について「鍵となる時に鍵となる問題で鍵となる指示を出した」ことをあらためて評価し、中英交渉の逸話とし て、82年9月にサッチャー首相が北京訪れ鄧小平と会見。会見後に人民大会堂の正面会談でサッチャーが足を踏み外しコケた。あれは英国側としては主権は中 国に戻すが統治権は英国に残すとして、これまで通りの香港の維持を提案したところ、鄧小平が交渉の期限は最高二年、二年で決着つかぬ場合は中国が独自に香 港返還を決定し公布する、と断言。これにサッチャー首相の狼狽があの転倒になった由。中英合意の草案で最終的には「香港は高度の自治権を有し中国中央人民 政府直轄とする」と落ち着いた件も英国側は「香港は高度の自治権を有する」に留めた提案をしており、英国は香港返還後に香港に総領事館を置くことに難色示 し高級専員公署(コミッショナー)の設置に拘ったという。
▼同じく最近は舌に衣着せぬ「香港の良心?」の陳方安生は今回の教育統籌局の舌禍事件でも明らかなように香港政府の問責制(http: //ja.wikipedia.org/wiki/高官問責制)には根本的な構造上の問題があり「董建華は政治的野心や私心はないが家族ビジネス出身で政 府によるガバナンスや行政手腕には経験不足で、自分の考えに固執するので、かなりの時間について自分(陳方安生)が董建華に説いたが理解得られず自分は辞 任に至った」と言いたい放題。自称政治家Sir Donaldについては公務員出身で政治的責任のある問責制と公務員体系の区別の認識あり、と評価。ちなみに、この問責制については信報も社説で政府高官 のうち問責制で政治的責任を有する高官と公務員高官との区別を明確にすべき、と指摘。厳密には、教育統籌局の常任秘書長であった羅范椒芬は教育学院問題で の独立調査委員会の調査の対象になるのかどうか、と指摘。問責制の対象となる高官の枠が広がり過ぎてはおらぬか、と。
▼教育統籌局に関する「舌禍」について。ふだんは風聞は避ける信報ですら教育統籌局長のアーサー王・李國章が今回「お咎めなし」はアーサー王の実兄・李國 寶が行政長官Sir Donaldの再任御用選挙での選挙対策の責任者であったように関係が密接であること疑う。SCMP紙も羅范椒芬は兄で行政会議メンバーである范鴻齡が妹 に対して今回の調査結果発表になる前に辞任してはどうかと持ちかけたが羅范椒芬はこれに応じず、また政府でも羅范椒芬が廉署公署のトップ務めることに不信 感高まることを恐れ(ってなぜこの異動を決定したか、が不思議だが)香港政府の海外事務所など「当たり障りのない部署」への異動(実質的左遷)を検討して いた由。だが羅范椒芬本人は屈辱的であっても今回の答申を受けたところで「香港政治の奇形ぶり」とまで不満顕わにしての辞任を敢えて選んだ、と。まことに 政治強人。昨日の蘋果日報の一面トップの写真を見ても、マスコミにあれだけ叩かれても辞職表明し自動車に乗り込んだ時のあの嬉しそうな表情は、この人は罵 声だろうが賞讃だろうが渦中にあらば快感か。これから葉劉淑儀のように政治家狙いか。魑魅魍魎少なからず。

六月二十日(水)朝は六時に起き早晩にジムで小一時間トレッドミルで走り一時間の有酸素運動。帰宅して軽く夕 食。これでアルコール抜きなら理想的だが赤葡萄酒の残りがもう限界なのでグラスに軽く一杯だけ。我ながら理想的な健康生活。ブラック師匠が七日も禁酒する 世の中ですから。
▼円安について。昨日のNHKのNW9では高値続けるユーロについてEU経済の強大化に対して円安=日本経済への不信感の一つは日本の少子化。将来的に日 本の産業が弱体化する懸念があり、今の円安は長期的傾向になるのではないか?といった指摘あり。それに対してEUは人口が3.5億万人とかで今後も増加が 期待される、とのことだったのだが今週号のThe Economist誌には巻頭記事で“Suddenly, the old world looks younger”という記事でタイトルの意味する記事の内容は英国など高齢化の進んだ=少子化の「古い」国々で出生率が上昇している、ということなのだが 全体としてはEUの新興国で少子化傾向がありEU全体としては将来的に人口増加は期待できない由。マスコミの報道というのもいろいろ見ておらぬといけな い。
▼中曽根大勲位率いる日中青年世代友好代表団が北京の人民大会堂で胡錦涛国家主席と会見。中曽根さんと胡主席が笑顔で握手するのを雛壇に並んだ青年友好代 表団(といってオジサンばかり)が見守る、ならいいが三分の一くらいの団員がデジカメで大勲位と国家主席の二人の写真を写真撮影……は如何なものか。自分 たちも報道カメラマンに撮影されている代表団なのだから姿勢正しているべきでは。小泉三世の街頭演説でも演説なんか聞いていないでデジカメで撮影に熱心な のも気になったが。
▼香港政府でヤクザな教育改革続けた教育統籌局。行政長官「自称政治家」Sir Donaldの近日中の「組閣」では教育統籌局長のアーサー王・李國章は香港教育学院の香港中文大学との統合で「従わないならレイプされるだけ」といった 発言まで暴露されアーサー王の高圧的な姿勢に不信感高まり続投ならず実質的更迭と噂されるがアーサー王の腹心で、数カ月前に廉政公署の代表に異動となった 前・同局常任秘書長の羅范椒芬が本日、辞職表明教育学院の院長らの提訴により組織された教育学院問題に関する諮問機関は教育統籌局から教育学院の関係者ら に具体的に政策に従うべく恐喝があったという点については、アーサー王の直接の関与は「証拠不十分」とし、訴えは不成立としたが、羅范椒芬の関係者らに対 する言動について「たとえ本人の善意だとしても適当ではない」と指摘。羅范椒芬はこれに「不満」で抗議の辞任。自分の辞任で「香港の政治の奇形ぶりを知っ てもらいたい」と嫌みたっぷり。めでたし。羅范椒芬といえば中産階級の失業率が上昇すれば「教員になればいいのに」と軽口を 叩いたと思えば、董建華への不信高まった時に「若者が行政長官批判はおかしい。行政長官がいなければ彼らは教育の恩恵を受けられていない」と苦言。教員の 自殺が二人続いた時には「自殺は一連の改革が元凶なら自殺者がなぜ二人なのだ」と発言したり、SARSの時には香港の学校に対して児童生徒の検温命じたこ とにインターナショナルスクールが従わなくても「インター校に通う家庭は水準が高いので検温など強制は不要」と言ってのける。その常識外れの発想は呆れる ばかり。今回の教育学院の問題でも「これが理由で本人からは辞職はせぬだろう」と噂されていたが本人からの辞職願いでいちばんほっとしているのは行政長官 Sir Donaldかも。

陰暦五月初五。端午節。昼まで金鐘で高座に上がる。尖沙咀。天祥カメラ店にライカM型のライカ純正皮カバーが 入荷しており一瞬食指動くが躊躇。尖東の一平安にてタンメン 食す。夏 風邪に罹ったようで悪寒してサマーセーターなど着ていたら女給がクーラーはさすがに弱めないが熱いお茶をさっと供するなど、この店は核シェルターのように 地下に潜っているが美味いしサービスもしっかり。科学館でオーソン=ウェル ズの『市民ケーン』の映画。科学館満席で札止め。劇場で観たのはあたしはこれが初めて。一言でいえば、やはりあたくしには「物語として何が 面白いのか、わからない」。あの重層的な時間並び替えの脚本、そしてキャメラがもしなければ実に面白みのない作品なのだろうが、演出とカメラで映画がどれ だけ面白くなるか、を証明してみせた点で歴史に残る作品なのは確か。1941年公開のこの映画を小津安二郎は1943年にシンガポールで撤退した米軍が残 したフィルムで厚田雄春と観たそうだが、日本での『市民ケーン』の劇場公開は小津が観てから23年後!の1966年。小津は戦後「チャップリンが62点ぐ らいだとすると此奴は85点ぐらい」と評し、パンフォーカスもローアングルも『市民ケーン』の影響と言われる。夕方、上環。MTRの上環站の「封印された ホーム」がとても気になる。これが東都の営団地下鉄の謎、と違って、コンコースから港島線のホームに向う途中に通る設計だから、余計に気になる。将来の上 環以西への延長が目論まれたために80年代の開業当時からこのホームを設計していた、という噂もあるが、たんなる延長なら現状のホームで済むわけで、上環 以西は採算でいえば現状の地下鉄延長は無理なので空港など走るような小型の鉄道でいいという構 想もあり、それならこのホームも活きるだろうが二十数年前にそんな構想はなかったわけで、さらにこの封印されたホームへの疑問は深まるばかり。封印、とい えば尖東の一平安のある幸福中心も焼き鳥の五味鳥のある地下1階、一平安が防空壕のようにひっそりと潜む地下2階の下に更に地下3階があり、かつて若者相 手のディスコティークがあったのだがおクスリの売買などでたびたび警察の御厄介になり閉業。ここも地下3階に降りるエスカレータから「まるで放射能拡散防 止のため」のように鉄板で完ぺきに封印されていて、ここも気になって仕方がない。で、話は戻るが上環で、ある仕事のお手伝い(録音の編集)済ませ帰宅。親 子丼。円安続きで123.46円。先日、123円でもう円安は頭打ちかと踏んでいたので122.94円で円を新品のノクティルックス2つ分くらい買ってし まいちょっと焦っている。でBloombergの 経済市況を観ていたら突然「ピンクの背広に而もあり得ない黄色の派手なネクタイ」姿で現われた体格のいい日本人がいちおう意味は通じる程度の英語で日本経 済を語っており「いったい何奴……」と目が点になって見入ってしまったがKotaro Tamuraと名前が出て田村小太郎?って誰よ、と思って調べたら鳥取県選出の参議院議員で内閣府大臣政務官(経済財政政策担当)の田村耕太郎という政治家であった。鳥取県ボディビ ル連盟会長。どうでもいいけど、そのセンスで世界に発信はどうにかして、と切望するが本人はかなり派手なコス チュームがお気に入り。プロレスラーならいいが国会議員だ(同じようなものか)。
▼『信報月刊』の五月号と六月号を読む。五月号は創刊三十周年記念号で御祝儀的な記事並ぶ。六月号は香港返還十周年特集で香港大学法学部の碩学・陳毅弘教 授の「基本法と香港の実践」と題する分析が秀逸。陳教授はまず香港基本法と連邦制国家の自治制度を比較し、連邦制国家の自治権は香港基本法が最終的な法解 釈を全人代常委にあるとする点で司法の独立については連邦制国家の自治に見劣りするもので、民主制度についても首長や立法議会選挙が普通選挙であるのが連 邦制自治の原則であることを指摘。但し自治「範囲」については貨幣政策や関税、法律の独自性からみて香港の特区制度が連邦制自治に比べかなり広範であるこ と(中国の国家法律の99%が香港で適用されない、と陳教授は指摘……1%が気になるが)。でこの10年を振り返れば、まず香港市民の大陸生まれの子女の 香港居住権について香港の最終法院が居住権ある判決を出した1999年の1月が分水嶺。香港特区の司法は当時、勇み足もあろうが司法の独立の前提で「香港 特区に関する全人代の判断が基本法に違反するかどうかの解釈まで香港の司法ができる」と思ったようなところがあり、これに中国の御用法学者が怒り、そこま では良かったが、その後に大きな影響を与えた問題点は、本来、基本法では一定の状況下で香港の最終法院が全人代に対して基本法の法解釈を求められるとある のに、この居住権について香港政府が全人代に対して法解釈を求めてしまったこと(基本法には香港政府がの香港最終法院の代行を出来るようなことは書かれて いない)。これによって全人代は香港基本法の解釈に優越性をもってしまったこと。香港の司法も、その後、国旗の侮辱などを禁じた国旗法が香港基本法に謳わ れる思想信条と言論の自由に抵触するかの判断で「言論の自由は公共の利益に見合うべき」という判断を示すなど、法の独立の前に国家ありき、か。だが陳教授 曰く、いくつかの問題はあるが総じて、香港の自治について中国の意志が尊重されることは当然で香港の人権水準は降下しておらぬし香港特区での民主制も直接 選挙の議席の増加などゆっくりではあるが進展しており、それを評価すべきである、と。御意。
▼その信報月刊六月号に今年1月に逝去した柯在鑠について息子の柯小衛による追悼記があった。柯在鑠は1940年代から左派系の中国青年運動に加わり中共 の国際学連などの活動に従事。香港返還に関する中英合同連絡委員会の中国側首席代表。この記事に柯在鑠本人の民国38年3月発行の「中華民国」の旅券の写 真が掲載されているのだが、これは1949年に巴里(或いはストックホルム?)で開かれた世界平和擁護大会に柯在鑠が中国代表の一人として参加した時のも の(団長は郭沫若)。それが何が興味深いって、あなた、その1949年3月に発給された中華民国の旅券の発行機関の長官の署名に「葉劍英」とあり印鑑も 「葉劍英印」の四文字。これにはあたしも驚いた。葉劍英といえば広東省梅県出身の中共十大元帥の一人で今更説明するまでもなく中共の大物。1949年10 月の建国前の3月になぜ葉劍英が中華民国の旅券の発行者になっているの?と不思議に思ったが、旅券の朱印がよく見ると「北京市人民政府印」と読めて、葉劍 英は調べてみると1948年12月からすでに中共が制圧した北京(当時は北平)で北平市委第一副書記。面白いねぇ。中共が国家政府として成立前にすでに北 京ではタテマエ上は中華民国でも共産党がすでに旅券発給までしていたとは。而も中華民国の旅券なのに「北平市人民政府」が発行しているオマケつき。更にオ マケは厳密には中華民国政府(現実にはあってないようなものだったろうが)は北京市の人民政府なんてものを認可しておらぬだろうし、地方自治体に本来、旅 券発給の権限なんてものはないはずなのだが、柯在鑠を含む郭沫若らの一行は「中共系の北京市人民政府が発給した中華民国の旅券」で巴里まで行っているの だった。第二次大戦後でしかも国共内戦の混乱期で「なんでもあり」だったのね。

六月十八日(月)養和病院に胃潰瘍の経過観察でC医師の診断を請う。今日は問診と聴診だけでタケプロン(タ ケダ製薬、Lansoprazole配合)をあと六週間分(日に一錠)宛てがわれる。食事は脂物と刺激物を避けること、お酒はほどほどに、とC医師。禁酒 は不要?と尋ねると(ってすでにリハビリ始めているが)「ほどほどに」と苦笑される。午前中、官邸のサーバーがダウン、且つ連休の中日で電話などもかかっ て来ず、これ幸いに新聞のスクラップ整理。コクヨのスクラップブックにペーパーセメントで新聞などぺたぺた貼ってゆくのだがジャンルわけしないので内容は シッチャカメッチャカでフリードマン死去の弔報の隣に高橋悠治のバッハの独奏会評や吉田秀和先生の音楽展望の再開の文章の隣に樋口陽一先生の護憲論が来た りする。昨年十月くらいまで遡りひとまずスクラップを入れておく籠の蓋が閉まるようになったので一段落。早晩にジムで一時間の有酸素運動。ジムの体重計が ボクシングで計量する時のような所謂「秤」タイプで何がイヤだって最初の基準を150パウンドして身長が高ければいいが身長が低いと1パウンドくらいずつ 重しをずらして上げていくのが「あ、また太っちゃったよ」でデブ丸出し。これが最近は100にして微調整の重しを50に近くぐっと上げて微調整して140 パウンド台で体重を量れることが嬉しい。金鐘の香港西武によりBrooks Brothersでジャケット、Ralph Laurenで木綿のズボンの直し受領。帰宅。パスタ。Georges Duboeufはnouveauばかり有名みたいだがMorganというこの赤葡萄酒(飲んだのは04年)は値段のわりに上出来。Duncan君の “Getting Rich First”読む。
▼自称政治家Sir Donaldによる三司十二局の新「内閣」の人選が早々と新聞各紙で噂されるが信報によれば三司長は政務司の橋王(世渡り上手)許仕仁が勇退し現・財務の 唐英年が昇格、律政司の黄仁龍は続投で任期内に23条立法叶えば次期行政長官の噂もあり。財政司は唐英年の後任にSir Donaldの愛将・曽俊華(現・行政長官弁公室主任)が昇格(弁公室主任にはチャーター銀行から陳徳霖を招聘)。局長レベルでは教育統籌局長のアーサー 王・李國章が強硬な改革路線失墜で実質的引責辞任し後任に「トラブル部局専門の仕事師」孫明揚が着任(一時的橋渡しか)。何よりも話題は民政事務局の局長 に現・中央政策組顧問の曽徳成を抜擢。曽徳成は親中派政府御用政党・民建聯の本来はホープだが市民に絶大な不人気の曽鈺成(行政委員)の実弟。聖ポール学 院での高校時代に文革の影響でに「愛国同学大団結万歳!」と反英暴動に加担したとして逮捕されたバリバリの親中派。大公報の編集者から劉兆佳が首席顧問務 める中央政策組の顧問となり今回ついに中央人事への抜擢。親中左派の中では比較的中立と言うが。信報によれば北京中央は香港特区政府の主要人事のうち、内 地公安と密接な連携の必要な保安局長、民政や在野各団体との連携、受勲などにかかわる民政事務局長、世論操作にかかわる中央政策組首席顧問の3つの職につ いては実務的な意味で中央と連携のとれる者の抜擢を望んでおり、保安局長の李少光と政策組顧問の劉教授は現状では無難、民政事務局長は中央政府との関係か なり良好であった何志平を敢えて外しての曽徳成の抜擢で、何志平の今後の「使いみち」が気になるところだが、信報によれば何志平は次期行政長官の有力候補 の一人、と。現状では唐英年、曽俊華、黄仁龍の三局長に何志平、それに穴馬は葉劉淑儀といったところか。

六月十七日(日)朝寝貪りたいが早起き。新聞の朝刊(朝日)によればメタボ症候群の基準値となる男性の腹回り は90cmの由。あたしは胃を患いこの数ヶ月で7kgも体重減ったが腹回りはデブのようでいて当時でも32インチくらいで今は81cmくらい。メタボには だいぶ余裕に見えるが数年前の超音波検査で医者に「運動もされているようですがずいぶんと美味しいものを食べて飲んでますね」と感心?されたほどの、医者 もなかなか見たことのない鍛え上げられた肝脂肪あり。油断できず。三週間ぶり?かで珈琲。カフェラテであるとか自宅でも珈琲を豆乳で1:4くらいに割った ものはリハビリで飲み始めてはいたがブラック珈琲は久々。珈琲がこんなに美味いものか。午前中、ジムで一時間の徹底した有酸素運動。昼抜きで午後は上環に 知人に頼まれた仕事のお手伝い。昏時まで。あまり暑からず中環まで散歩してPage One書店。かねがね不思議なのは本屋が、どの店も店内にはそこそこの客がいたとしてもレジに並ぶ人の数=売上げからして、どうして採算が合い高い家賃払 い利益があるのか。竿竹屋が云々の経営学本が売れているが、星巴珈琲の場合はたかだか珈琲でも利益率の高さが秘訣なら、書店は何故か。とくにこのPage Oneなど中環の一等地やTimes Squareなどに大規模な店を構えていられるのか気になる。で何の本を購いに、かといえば今日のSunday Morning Post紙の書評欄に“Getting Rich First”と いう書籍が紹介されていたからで、実はこの本はもう数ヶ月前から出版の紹介がamazon.comなどに出ていてずっと待っていたもの。というのは著者の Duncan Hewitt君は1990年に深夜、佐敦から上水行きの恐怖の暴走ミニバスの中で一緒になり当時、香港中文大学の中国文化研究所でリサーチャーだかしてた Duncan君の知遇を得、かなりのマイナー映画好きで大埔のパブ、Bobby Londonなどに飲みに行き、よく映画や政治の話などで盛り上がった畏友。その後、彼は英国に戻ったが、BBCの国際放送のEast Asia Todayという番組で独特な癖のある彼の声が聞こえBBC World Serviceに彼が働いていることを知り、96年だったかに放映の折はZ嬢と彼のBBCのオフィス訪れ、またあたしらがブライトンに遊ぶ、と言ったら偶 然に彼の故郷がブライトンで実家までお邪魔させてもらう。その後、彼はBBCの上海特派員となりまた暫く毎朝のようにBBCのラジオから彼のレポート聞い ていたが、SARSの疫禍の頃にぷっつりと彼の声が途絶え、どうしたものか、と思っていたら今回の著作の上梓。大したもの。“Getting Rich First”は中国語なら「先富起来!」、先に豊かになれる人から豊かになれという鄧小平の先富論。高度成長続ける中国で、上海を舞台に「先に豊かになっ た人たち」と「置いてきぼりの貧しい人たち」の経済格差、不均衡についてのレポート(だと思う、まだ序章くらしか読んでいないが)。この書名と内容で彷彿 するのはOrville Schellの“To Get Rich Is Glorious”という1984年の中国の経済改革論では先駆的著作。ダンカン君がこれを読んでいるか、或いは意識したかは定かでないが、この20年間 の中国の経済成長を見る上で、この二冊を読み比べるのは面白いかもしれぬ。ところで余談だがアタシがどうして1984年(だかその数年後)に東京で、この “To Get Rich Is Glorious”という「洋書」を知ったか、といえば当時の『ブルータス』って雑誌は巻頭エッセイみたいなページで突然、この現代中国学の碩学を取り上 げ、而も取り上げ方ってのが若いうちにいっぱしの研究をして注目されながら半ば隠居でカリフォルニアの郊外でのんびり暮す、って(当時、Schell先生 は四十代半ば)そこに着目し「そういう人生の理想」みたいなところにスポット当てていた(当時のブルータスらしいさ)。それで紀伊国屋だったか三省堂だっ たかの洋書売り場で注文して、この本を入手。でSchell先生は「ちょっと若隠居」していたが、その後また学界に復帰し今も加州大学バークレーのジャー ナリズム大学院の院長だか現役。Page One書店ではこのダンカン君の本とペンギンブックスでサマセット=モームの『月と六ペンス』二冊購入して帰宅。今日は世間では「父の日」で、こういう日 は飲食店には断じて近寄るべからず。で、端午節は明後日だが鏞記で 購っておいた粽、それも鏞記だから「至尊焼鵝裏蒸糉」なんて名前だけでも大それた、実際に内容も大それた(蒸すのに最低45分もかかる)粽を食す。意外に あっさり。リハビリで紹興酒を少し飲む。端午節といえば石硤尾の南山邨にある嘉 湖の素朴な粽を頬張りたいのだが今年はバタバタ続きで注文もできなければ買いに行く暇もなし。食後、録画でNHKの特集番組で「オペラ座の 弁慶 団十郎・海老蔵パリに傾く」を見る。番組の冒頭「団十郎のもとに巴里のオペラ座から一通の招待状が届いた」って、あなた、この成田屋親子の巴里オペラガル ニエ公演のためにどれだけのおカネが動いたか……は、まぁいいとして、それにしても大病から舞台に復帰の團十郎に本当にこれでこそ成田屋という、やはりそ んじょそこいらの人とは違う、神仏にも通じるもの感じる。オペラガルニエに下見で舞台に立った成田屋が小屋の反響を確かめるのに大声でフランス語での口上 をやってみせオペラのように歌い出す姿など面白く、稽古場での浄瑠璃方や三味線への自分で歌ってみせての姿などじつに絵になる。目黒の自宅でMacのノー トブックに向い成田屋HP成田屋通信(四月以降更新されて おらず)の原稿をカメラに見せる団十郎、ナレーションが「じゅうにだいめ」というので団十郎の使うMacintoshがメカ好きの団十郎ゆゑ十二台目なの か、と驚いたら「十二代目」團十郎であった。海老蔵君は、確かにそりゃ並大抵の格でないのは重々承知で敢えていえばオペラガルニエでの勧進帳を見てもやは り、表面的にそんなに役を作らなくても、と思う。父親が海老蔵だった若い頃に人柄はいいが役づくりが出来ない、表情が単調と贔屓筋をいらいらさせていたの とは対照的。海老蔵君はいろいろ私事も含め芸能マスコミ賑わせ祖父の十一代目と瓜二つ、と言われもするが、聞いた話によると(関容子の『海老蔵そして團十 郎』などにも松島屋とのことで少し触れられている話でもあるが)高麗蔵時代の祖父と比べると私生活でもまだまだ芸域が狭いかも。Time誌の香港返還10 周年記念の特集記事を読む。ネタが少ないなかでよくまとめた、とは思う。25頁だ。あまり書き残すべきこともないが北京精華大学の先生のコメント引用した
China's leaders didn't really know what they pressured the outgoing British to keep thins as they were (top-down rule, cozy nexus between government and big business, no politics); hey wanted to inherit a known quality. China didn't want any surprises, and some believe that's still Beijing's attitude. "Since 1997, China wants one thing from Hong Kong: no trouble," says Tsinghua University's Yan. "Don't cause financial problems don't cause political problems, don't cause social problems; don't cause trouble." Yet that assessment is so pre-handover. China's leaders today are worldlier than ever.
という指摘は興味深い。いずれにせよ、香港のマスコミはこのTime誌の特集が香港を10歳の子どもに喩えたということばかり強調していたが、実際に読ん で見ると、香港商工会議所のO'Rear経済分析主管の話を引用して
"I can't see what reason people in Hong Kong have to be pessimistic. We're part of China, but we're not subject to China's rules. What could be better than that?" What indeed, when you are 10 and have the world before you?
と、けして10歳とバカにしたものでなく、まだ特区成立から10年で(懐疑的ではあろうとも)これから未来があろうものを何を悲観的に、という結びであっ た。日本のマスコミもこの返還10周年の報道でかなりテコずっている由。結局「返還から10年でこんなにひどくなった」「こんなに変わった」或いは「変 わってしまった」なら記事になるが「あまり大きな問題もなくそこそこ上手くいっている」ほどニュース性がない話はないわけでマスコミにとっては困ったとこ ろなのね。

六月十六日(土)目覚ましはかけずに寝ても朝六時には目覚めてしまう。新聞も四紙に一通り目を通しANAの 『翼の王国』という機内誌を手にとる。旅先舞台にした連載小説みたいので「香港のジェイド」って香港舞台の恋物語。サエキマヲという書き手。尖沙咀と中環 を舞台に誰でも知ってるホテルや有名店の名前ずらり、で「なんクリ」みたいであるが1980年の「なんクリ」が(田中康夫のこの後世に残る唯一の文学作品 として)当時の世相や消費に頼る文化の有り様を語ってみせたのに比べ、今さら香港舞台にブランド小説でもあるまい。二週間ぶり?の快晴。裏山に入ると澤を 落つる水音に心洗われる思い。ト レイルコースに入るといく條もの石清水が流れ走っていても澤の音は途切れることなし。これで大雨が続かず水も少し涸れれば蛍がたくさん現われるかしら。 パーカー山のいく條ものその湧き水がすべて寄せられ引水路に吸い込まれてゆくのだが、その引水路は付近の物好きな住人らの洗濯場。それにしても今日は水の 嵩が大き過ぎると思うのだがオバサンは何食わぬ顔で洗濯。帰宅。昼に天后の華 姐清湯腩で牛腩河粉食す。肩凝りひどく按摩。午後、九龍薮用。夕方、九龍湾でMTRに乗るとランニングクラブ で旧知のO氏とばったり邂逅。観塘のAMPなるショッピングセンターのジャスコに食料品の買い出しの由。日本の豆腐のうち木綿豆腐は香港ではあまり売れぬ のか最近は入荷しておらぬそうな。枝豆と冷奴が主食のようなO氏には辛いところか。ちょっとビールの一杯でも、という話で観塘でO氏と下車。観塘の雑多な 旧市街ならどこでもビールが飲めるがAMPに入るとパブのようなものない健全さで、仕方ないから味千拉麺で餃子一皿でも頼んでビール飲むしかないか、と 思ったがアルコール販売のライセンスが取れておらぬようで羅馬羅馬なる伊式料理屋のカウンターでカルスバーグ一杯。O氏の話では広東省の何処だったか工業 都市のホテルではレストランが閑古鳥の鳴く晩のビュッフェは食べ放題に加えアルコール含む飲み放題で68元だそうな。菊正宗の一升瓶までありO氏は先日、 6人だか付近の工場に従事する日本人の知人集めて此処で宴会。レストランには予め「日本人の客を連れてくるから」と言っておいたおかげで鮪の刺身まで出て 菊正宗を一升空けてしまっても6人で420元。香港なら下手したら一人分。帰宅。豚汁。少しアルコールのリハビリ。疲れが溜まっていて晩10時には早々に 着床。
▼The Economist誌のApple社特集記事読んでいて思ったのだがマイクロソフトのヰンドウズが市場席捲する前の1984年に、当時はIBMという巨人 が立ちはだかっていたのだが、1984年の米国のスーパーボウルのテレビ中継のスポット広告でApple社が広告を打ち、その広告のキャッチコピーが “think different”であったという記述あり、思わず当時を彷彿。あたしが当時、コンピューター界のFerrariのようだっがMac機を初めて普通に 使っている人を見たのは音楽スタジオでの作曲家の水谷公生さん。普通の「うち」にさりげなくMacが置いてあったのは当時、安全地帯のレコーディングミキ サーをしていたM氏の自宅で、であった。あたしが最初に手に入れたMacは香港で1992年だかにノートブックの100で、それからデスクトップとノート ブックで8台くらい買い替えて現在に至る。マイクロソフトのヰンドウズがすべてに関して大嫌い。“think different”というキャッチコピーはまさに、だからあたしはずっとMacなのかもしれない。

陰暦五月初一。金鐘のPacific Placeの中を抜ける時に、あ、もう夏だな、とふと思う。そう思った何が季節の風物詩か、といえばABCであった。
くちゃくちゃとガムか米語かABC
六月も下旬になると香港でクチャクチャと耳障りな米語を耳にするようになる。不愉快でそのクチャクチャと耳障りな米語の主の顏を見ると、みんな吉田秋生の 米国、ことに西海岸を舞台にした漫画に出てきそうな、ちょっと目の吊り上がった若い彼ら。これ見よがしにクチャクチャと耳障りな米語で話している。金鐘〜 尖沙咀間のMTRと、このPacific Placeによく発生する夏の、まるで昆虫。米国で学校が始まる八月下旬になると香港から姿をくらます、ともう初秋。遅晩に至る、が夏至をまえに日も長く 七時半もまだ明るい。帰宅して軽く晩飯。昨日の朝日新聞で久々に岸田秀氏の評論を読む。あたしが17歳の時に、結局一番の親友となった、ロックバンドで ベース弾きながら大宰の桜桃忌が気になるK君に「面白いよ」と紹介されたのがあたしの岸田秀の最初。当時、岸田秀はまだ映画監督になるまえの伊丹十三が責 任編集していた『モノンクル』なんて雑誌に書いていた記憶。で『ものぐさ精神分析』を読んで、その日本人は温い江戸時代から外圧によって大人となることを 強制されて、頑張って大人になったつもりなのに云々といった精神分裂した日本人像に、とてもすっきりした記憶あり。石原慎太郎とか、この理屈で見るとわか りやすい。で昨日の朝日新聞では岸田秀先生は「安倍改憲は「自主」なのか」と題して「米国に隷属する現状を直視せよ」と論ずる。先生は日本の歴史を外国崇 拝の外的自己と排外的で誇大妄想の内的自己の葛藤である、という自説を紹介して、戦後は日米友好で内的自己を否認したが、これは欺瞞であるのは明らか、傷 つき疼いた内的自己の自尊心。そこに安倍政権が登場する。その改憲はあたかも内的自己の立場を尊重し国民の自尊心回復するためのようだが、岸田秀曰く、所 詮、日本が米国の属国であるかぎり改憲も米国の許容範囲内でのことであり、むしろ自衛隊の海外派兵も容易にする改憲は米国の要請か、
今の憲法が押しつけ憲法であることは確かだが、現状で改憲すれば、 これまで以上の押しつけ憲法になることは明らか
とする。それを隠蔽し恰も自主憲法を目指しているかのように説く卑怯なウソ。岸田先生はシニカルに、日本は米国の属国として隷属的に生きてゆく他はないの なら寧ろ、その現状で最大の国益を考えるべき、と。目を逸らすな、自己欺瞞に陥るな、と。本当は自ら何もしておらぬのに恰も自主であるかのような自己欺瞞 こそ、そこから抜け出す道筋を見えなくさせ、隷属している自覚を麻痺させ、結果的に屈辱的隷属を永続させるだけなのだ、と。……まるで、こりゃ魯迅の阿Q 精神だよ。Alfred Brendelの弾くリストを聴く。
▼朝日新聞の国際面でブータンの特集。来年にブータン初の総選挙に向けた民主化の話で「敬愛される賢明な国王がいる立憲君主国という意味ではタイに通じ る」と。日本も同じ。石原慎太郎とか米長邦雄とか「危なっかしい」人が威勢を張ろうとするが、国民から敬愛される、戦後の日本の民主主義の象徴の陛下が賢 明さで日本をぎりぎりのところで救う、といったような具合。
▼英国首相のブレア君引退間近の講演でメディア批判(12日)。報道のセンセーショナリズムを指摘しブレア政権にとっては批判の急先鋒であったThe Independent紙を名指しでnewspaperでなくviewspaperであると揶揄(全文)。…… とここまでは昨日の朝日の国際面で読んだのだが、これじゃ対岸の火事を眺めているだけ。同じ昨日の信報のペタ記事では、その名指しで批判されたThe Independentの編集長であるSimon Kelner氏による同紙一面での反論を紹介。Kelner氏曰く、ブレアはThe Independentの立場に不満のようだが、それは同紙の取材の手法に対して、でなく、もし同紙が英国のイラク征伐やコソボ紛争介入を支持していたら ブレアは同紙を批判してだろうか、と一蹴(こ ちら)。同紙は編集権の独立を維持し如何なる政治的圧力にも屈せず狭隘なる政治屋の見地を矯正するものであり、報道に徹し政治家を誹謗中傷するも のに非ず、また同時に読者に対して真摯なる同紙への評論、多事論争を求む、と。天晴れ。日本の新聞もThe Independentか信報くらいのレベルであればいいのに。
▼全人代の呉邦國氏の香港自治に関する発言が何だか末日論の如く香港震撼させている(と報道されている)が劉健威兄が信報の随筆で一刀両断。痛快。劉兄曰 く「中国の統治は一定の成功を治めている。があと520年は待たなければならない」と。中国には憲法があり香港には基本法あり。だがいずれも飾り物で最も 重要なのは「法の解釈権」で誰れか権力にぎった執政者がそれを弄ぶ。憲法も基本法もなく、あるのは家法、と。一国両制だの五十年不変、台湾人は聡明で、一 国両制などそう易々とは信じず、台湾は独立派だろうが民主派だろうが、とにかく誰も中国との統一だけは願ってもおらず。呉邦國の発言は台湾人をさらに中国 から遠ざける。家法は、中国数千年の伝統と劉兄は結ぶ。御意。

六月十四日(木)安倍三世メールで曰く
来年のサミットは、いよいよ私が、洞爺湖でホスト役を務めることに なります。今年の成果を活かし、より大きな成果につなげていかなければなりません。
と、あと一年首相の座にある気かね、まったく。年金記録問題でも
事態を前に進めることが、私の内閣の責任です。最後の一人まで チェックをして、年金をお支払いします。そのために全力を注ぎたいと思います。
と「最後の一人」までの年金問題解決には来年のサミット開催より先まで年月要すと思えば安倍内閣は小泉内閣より長期政権かしら。で、本日、上野の修理工房よりロンソンのライター、Varaflameが 無事修理されて届く。一番の心配は「ガスは抜いてある」といってもEMSで郵送が拒否されるんぢゃないか、と。安堵。完ぺきなオーバーホール。さすがノガ ミだねぇ。日本はいいねぇ……と思えば、そういや文藝春秋七月号で山崎正和先生が、道徳は学校で教えるものぢゃない、学校で教えるべきは順法精神、伝統や 文化で愛国心を強要するのはおかしい、と指摘。御意。本日、諸事忙殺され遅晩に帰宅。数日分の新聞通読。
▼新潮社の季刊誌『考える人』のメールマガジンからの孫引きだが吉田秀和氏が芸術新潮に1959年から連載した名曲300選を単行本にまとめ全面改訂され 1966年に刊行された本から。
ある文明が、何かの意味で、それまでの安定をうしないかけ、つぎの あたらしい局面にはいろうとしているとき、わたしたちの過去を見る眼が、かわってくるらしいのである。あらゆる文明は、人類の歴史についての固有の解釈を もつ。あたらしい文明は、それぞれ、歴史をかきあらためながら生れてくる。それは、現在を改変し、未来をつくりだしてゆくだけでなく、過去にむかっても、 あたらしい照明をあてる。あるいは過去をあたらしく見る目は、今日を改変する手につながる。
という思索的な記述もあれば、また
レコードは、親しい何人かのひとといっしょに、あるいは、ひとりき りできくものである、自分の部屋で。レコードは、自分が音楽をききたくなったときに、自由に、とりだしてかけることのできるものである。かつての王侯貴族 は、それに似たことができたかも知れないが、しかし、その人たちでさえ、こんなに簡単な操作で、こんなに静かに、こんなにひとりっきりで、音楽の慰めと楽 しみを味わうことはできなかった。レコードは、きくひとを、音楽を通して、見える世界からつれだして、ある見えない世界につれてゆく。そこでは、ひとは、 何かから解放され、自由になる。レコードの醍醐味は、このひそやかな自由、この軽快な解放感にある。
という音楽の聞き手にとってレコードでの音楽の再生を実に明瞭に表わす。実にいい。
▼月曜日の信報に恩師・謝劍教授が「台独派と日本が合謀の台湾の醜劇」と李登輝君訪日を語る。謝劍氏の矛先はとくに李登輝君が「後藤新平賞」を受賞し「後 藤新平と私」という講演をしたこと。日本の帝国主義的侵略にとって後藤新平の手がどれだけ血に塗られているか、と力説。後藤新平をけして全面評価はできぬ だろうが当時の日本の国策の中で東京市長として、植民地官僚としてインフラ整備への慧眼は否定できぬ事実であり、声高にただ日本の台湾、中国侵略の手先と してばかり強調するにのも謝劍先生らしさ。後藤新平を罵倒するのは易しいが、かといって謝劍先生の出自たる外省人も台湾で何をしたか。謝劍先生にとっての 大事は、結局のところ「台湾は中国に帰属する」ということだけ。そのために台湾にいながら台湾人の本性も理解できず。かといって大陸の中共も謝劍先生に とっては嫌悪の対象だから、そこで自分のアイデンティティを保つには台湾が中国に帰属していないと救われない、というのが典型的な外省人の性なのか。

六月十三日(水)米国華府に共産主義暴政にて命失った億の単位の犠牲者追悼のため「民主の女神」像建立され昨 日ブッシュがこの除幕式に参加、と蘋果日報一面トップ。共産党暴政で命失ったとされる1億の三分の二は中国で、大 躍進、反右派闘争や文革などの犠牲者の由。毛沢東は偉大。それにしても、共産主義に対して米国の標榜する自由と民主の讃美、共産主義罵倒も結構だが米国の 戦争行為で朝鮮半島、ベトナムや湾岸戦争、イラクなどで命失った犠牲者は追悼せぬのが米国らしい身勝手。キューバかどこかに「反米の女神」像でも建立すべ きでは。で、本日。幸い、昨晩の暴飲暴食とは言わぬがリハビリと称してのドライマティーニ2杯、ワルシュタイナー0.3L2杯、ソーセージ1本と酢キャベ ツ、ジントニック2杯、ハイボール1杯とジャックダニエルのソーダ割2杯……って暴飲か、は今朝起きると二日酔いも消化不良もなく快適。胃潰瘍が治ったの かピロリ菌がいなくなったからなのか絶好調のよう。不思議。諸事忙殺され晩に至り連日の悪天候でさっさとご帰宅。当然、休肝日で軽く食事して文藝春秋七月 号読み早々に臥床。
▼文藝春秋の七月号は「塩野七生、ローマで絶好調〜!」って感じで(あまり見たくない)グラビアと「日本人への10の質問」と題する「古代ローマも格差社 会であった」みたいな(どうでもいい)羅馬出羽守。まぁそれはいいとして、さすが文藝春秋。「絵になるものが何もない」とマスコミ各社、とくにテレビ局を 困らせている「香港返還10周年」で「香港といえば」の山口文憲先生にご来港いただき「街の雑学ノート」である。最高〜!、イェーッ! 中環のかつて英国 海軍基地であった人民解放軍の駐在所からタマール広場の移動遊園地(AIA)から金鐘のハーバー沿いをさらっと歩いた山口文憲先生は
賑やかな音楽にのって回転するメリーゴーラウンドに観覧車。そのわ きで静かに傍観者をきめこむ人民解放軍。この構図が、現在の中国と香港の関係を象徴する。
……って、どうでげす、旦那。流石だね、エッセイストの基本で「偶然そこにある」ものにシニフィエを見出し語る、この筆致。だが「香港語り」の巨匠は ちょっと筆も滑り、大陸から大挙して来港する観光客について
素朴な顏をしたおのぼりさん一行は、まずバスで香港ディズニーラン ドに連れて行かれる。それからデューティーフィリー・ショッパーズに連れ込まれて、香港人のカモになる。あたかも半世紀近く前の日本の農協ツアーのよう に。
だって。大陸旅行者ももはや香港鼠楽園には連れて行かれないし、彼らをカモにする悪徳土産物屋、物品税のない香港で「免税」と客を騙す店はいくつもある が、「デューティーフィリー・ショッパーズ」というと香港では、それら悪徳業者を指すのではなく「免税」は語弊があるのでDFSギャ ラリアという名で営業するれっきとした尖沙咀と尖東にある大型小売店がそれ。DFSにとっては名誉棄損だよ、これじゃ。山口先生の文章 は、それと変換前はRoyalの冠のあった英国系のメンバーズクラブが冠を外し云々、とたわいない話が続き
かくて香港は、鄧小平が「制度不変」を保証した五十年間の最初の十 年をやりすごした。だが、この街は、植民地時代によく用いられた香港の枕詞「借りものの時間、借ものの場所」の上を、この先も漂わなくてはならない。
と、まさかこの言葉の引用で締めくくるとは。あたしが編集者だったら相手が山口先生でも「この言葉の引用で締めくくるのだけは……」とダメだしするが ねぇ。「香港、旅の雑学ノート」は旅行エッセイとして、あの時代の記念碑的エッセイと認めるが、山口先生ご本人は香港から早々に足を洗いB級グルメである とか物書きとして活躍。青木雨彦ほど行間を遊ばず立派。だが、この「街の雑学ノート」は、つまらない、の一言。で、この香港返還10周年記念特集はまるっ きし、ダメ。紹介されるレストランも陳腐。あたしがいつも歩いている北角の英皇道の写真が2頁見開きのグラビアで
汚い雑居ビル、路上に着き出した看板、そしてガタゴトと走る路面電 車。こうした香港の原風景は、まだそこに残っている。ただし、返還後に起った変化もないではない。路上の物売りが一掃されたせいで、歩道の上はずいぶん すっきりした。
なんてキャプション(これは山口先生ではなく編集部)。路上の物売りが一掃された? 一応、路上での物売りは返還前から非合法、で取り締まりはそれなりに 昔から。一掃されてはおらぬ。ゴミのポイ捨てが罰金刑となったことと勘違いかしら。街市の紹介でも
肉、野菜、魚など生鮮食料品を扱う店は、市街各地区にある公営の小 売りマーケットにすべて収容されていて(略)この英国時代に普及した街市の制度は、返還後も引き続き発展。
って……生鮮食料品店はべつに街市に「収容」なんてされていない。これは、灣仔で、新設の公営街市新設で交加街の路上市場が新街市への移転を前提に廃止さ れようとしている話、か。だが、それも既得権での「路上」営業がダメなだけで街市に収容はされないし、当然「すべて」ではない。それに街市の制度って英国 統治と何か関係あるか?(笑)、で当然、返還後も引き続き発展、なんて……あまりの強引な展開に言葉もなし。ほんと無理矢理に特集組んでしまった結果が惨 憺たるものに……。

六月十二日(火)昨晩の話。大嶼山(ランタオ島)の東涌より空港経由で昴平は寶蓮寺の大仏を結ぶケーブルカー 「昴平360」が営業時間終了後の加速運転の試運転中にケーブルカー落 下。草叢にケーブルカー大破するが地上も幸い死傷者なし。故障続きのこのケーブルカーの運転は無期限停止。当然。愚かな観光開発への警告か仏様の御加護で 営業中でなかっただけ幸い。このまま廃業か。ふと奥多摩湖のロープウェイや大船駅前のドリームランド行きモノレール站の廃虚など彷彿。余の日剰紐解けば
2004年10月28日▼昨日香港愚政府の財政司長唐某が大嶼山 (ランタオ島)開発計画発表。珠江をば跨ぐ大橋の建設、東涌より昴坪の大仏までのケーブルカー建設のほか香港ネズミーランドに次ぐテーマパーク建設もあり 長沙の美しき海岸にも水上スポーツ施設建設とか。自然をばそのまま残すことの賢明さ知らぬ政府の愚かなる開発に呆れるばかり。
2006年6月18日▼MTRの路線図を眺めて思ったが、香港鼠楽 園の失敗に続き空港の更に先に建設のAsia World-Expoの不人気(市街から遠すぎ)で更に来週だか正式開業のランタオ島は寶蓮寺(大仏)に向け吊るしたケーブルカー(昴平360)昨日の招 待客相手の試乗でシステム障害か三時間だか宙吊りとなり予定された開業危ぶまれる。空港のドル箱となるはずのエアポートエクスプレスもけして成績芳しから ずMTRにしてみればランタオ島は 悉く風水悪しき場所なり。
とあり。我ながら的確。これで残す処、ランタオ島乱開発の敵は香港鼠楽園残すのみ。不況は当然だろうが最近あまりの惨さゆゑか話題にもならず。南無阿弥。 で、本日。SCMP紙にいくつかサマーセールの広告載り始め「そろそろか」と香港西武でBrooks Brothersの店を覗く。いぜん「こりゃ手が出ぬわいなぁ」と思ったジャケットが20%オフ、で早速ゲット。少なくてもこの店、普段並んでいる商品が そのまま割安になるだけ、サマーセールになると「バーゲンセール用のチープな商品」を揃える、向いの某ラルフローレンよりマシ。Brooks Brothersといえば若い頃に青山のこの店の前をマウンテンバイクで通るたびに「とても買えない」と諦めていたこと、ふと思 い出す。早晩に久々にペニンスラホテルのバー。久々にドライ マティーニ。胃潰瘍から回復のリハビリ。閑散とした昏時にカウンターに「誰かと話した気」な西洋人一人。あたしのドライマティーニを誉め話しかけられた、 その御仁は「香港に仕事を探しに来ている」というがペニンスラホテルのバーで飲んでいるくらいだから「単なるプー」ぢゅない、とは思ったが、聞けば紐育の 金融関係者。紐育証券取引所で25年働いたそうだが証券取引の電脳化で専門職の技能活かす機会減り投資銀行に移る決意。で米国では将来が見えきっている、 と東アジアでの展開に期待で香港へ。シンガポールとか上海とかあるぢゃないの、とアタシが言ったら「上海はとても家族で住んで楽しいところぢゃない」しシ ンガポールも生活環境はいいが金融関係の仕事では香港のほうがいろいろな条件でいい、と言う(おそらく収入 などの点か)。でもう三週間も香港でいろいろリサーチして、名前を聞けばあたしでも知ってる大手投資銀行のいくつかのインタビューなど受けている由。高級 職だの採用面接も香港のオフィスでカメラの前に坐りジュネーブにいる役員からインタビューを受けたりするそうな。へぇ、と驚くばかり。その職探しの合間に 住宅も探しているが、探す場所が赤柱(Stanley)だのリパルスベイだの、春磡角で「格が違う」。かなりのビール通で、話も面白い。香港に引っ越した ら「またぜひ」と別れる。晩に招飲の約ありAshley Rdのドイツ料理屋。ドラフトのワルシュタイナー飲む。と いうバーに寄りジントニック。リハビリにしてはちょっと……と思いつつ久々に銅鑼湾のバーS。ウヰスキーもハイボールで、と思ったら、いぜんから入荷と言 われていてなかなか入荷せずにいたヰルキンソン ソーダを供される。香港でヰルキンソンソーダが出てくるなんて、感激。でついついジャックダニエルをこのソーダでいただく。バーSを出るとドイツ料理屋でソーセージとキャベツの酢漬けをちょと食 べただけ、で突然空腹感覚え「どこがリハビリですか、まったく」と深夜の利 苑で雲呑麺。

六月十一日(月)諸事忙殺され此のままいくと深夜まで泥沼かと懸念され一旦全て強制中断し早晩ジムで一時間の 有酸素運動に集中し帰 宅して簡単に夕食済ませ本日中に兎に角ここまでと思ったお仕事済ませたら午前一時。気持ちの切り替えと冷却は大切と実感。ただそれだけ、のことだが同じこ とを紐育のキャリアウーマンとかがすると(あるいは「しているにする」と)マガジンハウスの雑誌とかで「N.Y.では仕事はもちろんタフだけど、それでも 気分転換とクールダウンにジムのワークアウト。そしてローカロリーな軽い夕食。家に持ち帰った仕事も能率的に、そしてストレスのない生活には……」なん て、それっぽい記事になるのかしら。TIME誌は香港の中国返還10周年に合わせた特集号(香港を満10歳の子供のように扱った、と言われているが)、 Economist誌は“Apple and the art of innovation”とアップル社の特集記事でどちらもとても読みたいが時間もない。白面で夜なべなどしていたら頭が冴えて、これではとても眠れず。恐 る恐るウヰスキーを水割りで。栓を開けた瞬間にウヰスキーの芳香ってこんなに素敵だったか、と感嘆。そういえば、今日、バーSのご亭主にあたしが胃潰瘍 だ、と聞いた畏友B氏からあたしは「ジジイになっても一緒に楽しく飲める数少ない友人であります。静養なさってください、くれぐれもお願いします」と温情 溢れるメールをいただく。それで深夜に静養していないあたしも困ったものだが、B氏は生粋の京都人。老後、京都に遊びB氏に行きつけの料理屋などに招かれ 酒肴楽しむ、なんて想像したら嬉しくなってしまった。七旬くらいでまだ生きていたらお泊まりは俵屋、柊屋であるとか都ホテルだ、ブライトンホテルだ、と言 わず、寧ろリュック背負ってふらり、と東山ユースホステルに 投宿、なんてのが楽しい鴨。ここに泊まるのは58年ぶりですよ、なんて。

六月十日(日)夜来雷雨甚し。紅雲警報発令の由。昼まで自宅にて雑事。昼に北角でフェリーの時間までちょいと あったんで渣華道街市向いの回味古法清湯腩で牛腩河粉でも食 べようか、と思ったら別な店が営業中。いつの間にか閉業の由。残念。馬寶道の豆腐屋・興 隆で鍋貼(肉餃子)2個と豆乳。フェリーで紅磡。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。フェリーで北角に戻る。書局街の十三座牛雜が歐陽應霽君のテレビで紹介されたこともあろうが繁盛で店が 新光戯劇のビルに移転して営業中。牛雑は一串6ドルと1ドル分他の店より強気だが実際には8ドル分くらいの量で味も確かに他の牛雑よか、やはり美味い。牛 雑といえば西湾河の太安樓の基記水電工程の牛雑もしばらく店 を出していなかったが(電気屋のくせに店のカドで牛雑など売って行列が出来ていては衛生署の取り締まりも当然か)また再開していて昨日、牛雑を一串。ここ も美味いがそりゃ十三座牛雜は専門店。北角をふらふらしていたらQuarry Bayの金峰靚靚粥麵で粥を買って帰ろう と思っていたのに午後六時半の閉店に間に合わず。ふと太古城にオープンしていたモスバーガーを食べてみようか、と思う。香港に住み始めてから「日本に 帰ったらモスバーガー」と念じつつ実際に日本に帰ると「あれも食べたい、これも食べたい」でとてもモスまで行き着かず、ずっと食べておらぬのだからどう考 えても18年ぶり、くらいのモスバーガーかしら。でモスバーガーとテリヤキバーガーを持ち帰り。やっぱりちょっと味が違う?、か25年くらい前に始めて食 べた時の感動は今はない。年老いたあたしには味がくどすぎ、で太田胃酸。白先勇の『孽子』のドラマのDVD、何年前?に台北で購入してまだ見ておらず、つ いに見ようかと思ったがアイロンかけながら、ではどだい無理。諦める。そういえば原作の『孽子』は1983年に発表され台北のアンダーグラウンド文化の小 説としてかなり注目されたはずが邦訳はなぜか出ずに20年以上過ぎていたが昨年、国書刊行会から邦訳が出ていた、と今日初めて知る。
▼先週日曜、東京にて安田記念観戦の左丁山氏が蘋果日報の随筆で語るに昨年Bullish Luckの単勝で100万円配当得た左氏らの安田観戦団、今年も二匹目の泥鰌を狙ったがそうは上手くはいかぬものの団員の一人、香港の出走表を見て第5 レース9番のJoyful Winnerの単勝1万円を東京で購入。当然、第5レースは香港での話、東京では第11レースであったのだが、東京の第5レースはワルキューレなる11番 人気の馬が1着で45倍の高配当。これが馬番9。でこの団員、間違った結果45万円獲得の由。
▼信報の七日社説「我有権、你無 我講話、你聴」を受け八日の同紙・林止行専欄曰く、全人代の呉邦國委員長の発言から明らかなことは香港が英国の植民地か ら中国の付庸に変わっただけで、香港の政治発展には自由空間が全くなく、経済面でこそさまざまな優遇があったが、これも香港が利すれば中国も利するからの もの。香港特区の立法権は市政局議会レベルに抑えられ、司法独立が維持できぬことは今後、他国との利益問題など起きた場合に最終的には北京の判断仰がねば ならぬわけで、英国が香港に残した最も貴重な法治が実質、無に帰すことは自由貿易港としての香港の陥没である、と。続けて、香港は主権国家ではないが、中 国が一党専制の非民主国家であるから、香港統合に際して保障したのが香港の高度な自治と法治など民主主義制度の維持であり、中国はそれを保障することで、 中英合意や香港基本法の制定が世界的に評価されたもの。今回の、香港基本法は(言わば欽定の)「授権法」である、といった発言は、もともと北京中央はこの 発言をしてもしなくても認識も実際の判断も変わらぬのだとしたら、この発言は外に対してばかり負の効果があり、これでは台湾の併合などまた遠くなるであろ う、と。……信報主筆にしてはかなり激昂。今回のこの呉邦國君の授権法発言はかなりの反響でアンソン陳方安生女史の発言など受け香港の三権分立への憂慮な ど語られるが、あたしはそうは思わぬ。基本的に香港は「高度な自治」の保障された中国の一地方自治体。地方が国家に隷属するのはこれは当然で、香港の場合 その全ての最終判断が全人代となる(中国共産党なんだがね、ホントは)。司法の独立といっても香港特区内での、であり大陸子女の香港居住権で明らかになっ たように最終的な司法判断も全人代。林行止ほどの碩学が法治が崩れれば他国との利益問題が法律沙汰になった場合など懸念するが、中国の立場は基本的に中国 の政治体制に関らぬことについては香港の独自の判断は許すもので(だいたい香港が対外的に貿易など利益衝突問題があることじたい本来、想定外のはずだ が)、香港はそのへんを理解すべき。あたしが珍しく北京中央擁護のようなことを書いているが、だいたい反中国政府のデモ活動など許容され、言論が「中国は 一党独裁の非民主的国家で人々の政治的自由など剥奪され人権蹂躙などひどい状況にあり、この一党独裁制度は解消されるべき」などと言っても全く自由なだ け、中国の一地方自治体としては充分に中国とは一線を画したその寛容の下にある。それだけでも「御の字」ではないかしら、「あんなにひどい」国内の体制と 別にしてもらっているだけでも。
▼李登輝君の靖国神社参拝はあくまで亡兄の慰霊、としているが、これについて台湾籍兵士の靖国神社祭祀に反対し日本で提訴もしている台湾の高金素梅女史 (タイヤル族名:チワスアリ、立法委員)が指摘するのは台湾の新竹県北埔郷にある濟化宮に二十数年前、李登輝氏の亡兄(李登欽)含む三万名の台湾籍日本兵 の霊位を迎えており李登輝氏の父(李金龍)も生前ここに参り亡息の慰霊をしていた、と。であるから李登輝氏が靖国に亡兄の慰霊と参るのは筋違い、という指 摘。興味深い。だがこの濟化宮訪れた日本の方の記述(こちら)による と、この濟化宮は約40年前に「夢枕に観音菩薩が現れこの宮を設立するよう示唆」された開祖?が「日本の靖国神社へその旨申し出て、1965年に対象者の コピーをもらって設立した」らしく、その場合、これは靖国的には英霊はそのまま靖国にあり、奇特な台湾人が台湾でも祭りたいというから英霊の名簿をあげ た、というような話ではないかしら。東森新聞によれば「記者實際走訪,確實找到李前總統哥哥「岩里武則」的牌位,只是濟化宮表示,這只是分靈真正的牌位還 在日本」の由。
▼河南省鄭州に出稼ぎに来たが失業し路上で物乞いする母に連れられた7歳の少年が疾病、不法出稼ぎで付近の病院で医療受けられず路上で衰退のまま逝去の 由。貧困であれば、更に勝手に土地を離れ都市への「盲流」とあらば医療も受けられぬ、とするなら、この国家が本来の共産主義には非ず。マルクスがいた当時 の倫敦か。また山西省の鉱山では朝五時から夜中まで採掘に従事させられ給与も払われぬまま、与えられるのは水と饅頭だけで自由もない謂わば奴隷状態で強制 労働させられていた31名が救出される。風呂もなく散髪どころか歯磨きすらできず着替えもなく汚濁にまみれ異臭を放ち、中には精神疾患で何処の出身かも不 明で自分の名前を言うのがやっと、という状態の者もあり。鄭州や西安の駅前で鉱山の求人に騙され連れてこられた、これも盲流の彼ら。でこの鉱山、経営者は その地方の共産党支部書記の長男。地元の者曰く、もし経営者の父が共産党の地方書記でなければ、この山も早々に封鎖手続きがされていたであろうもの、地方 の幹部権力で奴隷鉱山も温存、と。

六月九日(土)朝、自宅で雑用済ませてから中環の銀行。年に一度の生命保険の掛け金支払いをクレジットカード で済ます。去年までクレ ジットカードで支払いできることに気づかず結構な金額なのでマイレージを何万マイル損していたか。Colorsix で写真現像受け取り。昼まで九龍公園のプールで泳ぐ。佐敦の麥文記で 雲呑麺食す。美味至極。午後、九龍で用事済ませ早晩に西湾河の電影資料館。今月はOrson Wellesの映画特集で計9本上映。大したもの。あたしは『市民ケーン』をNHKの深夜名作劇場とDVDで見たくらいなので数本見ることに。“The Stranger”は米国に逃げたナチの大物を追うミステリー。米国のコネチカットの郊外の小さな町の男子校で歴史教える教師が実はナチで大量殺 戮計画の大物。これを追う調査会と、この大物の居場所探し出すために泳がされたナチの強制収容所の元所長。筋も面白いし役者も上手いが、なにせキャメラと 構図がやっぱり凄い。用事のあったZ嬢と西湾河の二記海鮮飯店で 軽く夕食。また一人で映画館に戻り、今度は『上 海から来た女』を見る。リタ=ヘイワースの美貌。筋は今ひとつ途中、経緯がわからぬ、と思ったら劇場公開用に1時間もカットされた そうで(それでも99分だが)、だがフィルムがオリジナルプリントでも残っていたのか画質の状態がいいからオー ソン=ウェルズの映像の凄さ楽しむには最適。それにしても一歩間違ったら火曜サスペンス劇場なのだが巨匠が撮ると映像だけでもやっぱり歴史に残る映画。最 後の「ビックリハウス」なマジックミラーや幻想的な仕掛けばかりが有名だが、そのマジックハウスから出てきた、寂れた郊外の行楽地の鄙、前半のカリブ海に 遊ぶ意味もなく長いシーンの実は緊迫感であるとか、紐育のチャイナタウンの京劇の劇場での役者らの目配りでまで演技させる、その見事さとか(普通ならチャ イナタウンという異質さだけしか映画では使わぬであろうところを)、映画としていくらでも楽しむところあり。見終わった映画のことをあれやこれや考えなが ら散歩しながら帰るのも楽し。

六月八日(金)金鐘のオフィスビルの窓から、隣接のビルの間からヴィクトリア湾を眺める。英国海軍船の停泊場 所であったTamarが埋め立てられて久しいが、さ らにその沿海も埋め立てが進むのを眺める。もう反対運動どころじゃないね、こりゃ。晩にI氏のオフィス。ここで某誌編集長のS嬢と同流し三人でI氏の社用 車で一路、新界は深井の裕記大飯店。深井はやはりサンミゲ ル、と今はもうサンミゲルの工場もないのだがサンミゲルを飲んでいるとZ嬢連れたK氏が到着。新西蘭はTe Mata EstateのElston シャルドネ04年を飲みながら皮蛋や海月、鵝肝と鹵水鵝翼を前菜に。今晩は鵝づくし、である。上海帰りのもう一人のK氏が空港からタクシーで乗りつけ(さ すが)「では始めましょう」でSt-EmillionのCh. Fonroqueの03年を味わいながら「そろそろ」で焼鵝。やっぱり美味いねぇ……あたしゃ胃潰瘍だが「少しずつね」と葡萄酒と焼鵝。ナントカ鵝什って 鵝のホルモン炒めも秀逸。南仏はMont Tauch FitouのL'Exception 03年と智利のEscudo Rojo 04年まで飲んじまった。以上4本は持込み。I氏のオフィスの家主であるJardine's Lookout在住のインド人にいただいた、というインディアンマンゴーも持込んだので、これも頬張る。美味い。K氏が「洒落で」と持ち込んだカナダの Château Charmesというアイスワインもデザートで。強烈に甘いが店で出してくれた味の薄い果実と合わせると、これもいい。今度は沙田に鳩でも食べにいきます かね、で散会。K氏のトヨタクラウンで自宅まで送ってもらう。快楽亭ブラック師匠のブログ読む。日記がいい。名古屋での仕事終わり東京に戻るはずがふらっ と静岡で身延線に乗り鄙びた温泉に投宿。静かに一晩過す。名古屋で松岡農相自殺のニュースに現職大臣の自殺は「戦後初めて」という報道に「戦前はあったん ですか?」と尋ねられ「昭和20年8月15日の阿南陸相の切腹以来ってことだよ」と答えてしまう師匠。

六月七日(木)日本のある組織の方が世界中の関連団体宛にメーリングリスト作成し一括でメール送信。単なる資 料送付だが、この方、何 を勘違いしたのか Reply to を本人のアドレスではなく、このメーリングリストのアドレスにしてした(フォーラムなど皆さんで情報共有とかなら有効だが)。メール受信した欧州だかの某 組織が「このたびは貴重な資料を送付いただき」とお礼のメール。これがメーリングリストで世界中に発信された……でさぁ大変。これを読んだ欧州各地の組織 が同じように「このたびは貴重な資料を」のお礼メール送り始め地球の自転に合わせアメリカ大陸に、そして日付変更線越えてアジアへ。と世界中から「右へ倣 え」で数十通のお礼メールが飛び交う。いい迷惑。自分の意思ではなく「お礼した人がいるから」で靡く、このメダカ社会(メダカに失礼か)。主体性と判断力 の欠如。これが「進め一億火の玉だ」になってしまふのかしら。晩に茶餐庁でも「脂っこいもの、刺激物」避け、さて何食べようか、と思って粟米豆腐飯は玉蜀 黍って消化が悪い?と思い羅漢齊飯。行き当たりばったりの茶餐庁でも美味いねぇ、と感心。
▼北京で昨日開催された中華人民共和国香港特別行政区基本法実施十周年座談会。通常、おざなりの会となるはずが、席上、全人代委員長の呉邦國君が「香港特区の高度な自治権は中央が授権したもの。中国は一つの国家であり、香 港特区の高度な自治権は香港固有のものに非ず政府が授与したもの。中央がどれだけの権利を与えるか、で香港がどれだけの権利を有するか、が決まるもので、 明確でない事項についても基本法20条の規定通り、中央が決定。いわゆる「余剰権力」(つまり不明確な部分は自治権のある香港が決定する、ということ)は 存在せぬ。基本法は授与された権力の範疇での法律なのだ」と指摘。香港返還十周年のこれに合わせてのこの発言に香港では蘋果日報ばかりか SCMP紙まで香港の50年不変の法制制度を脅かすもの、と懸念あり。あたしはこの十年を見て、この全人代委員長の発言は中国政府らしい(それが正しいか どうかは別にして)判断であり、驚くものでもない、と思うのだが。信報は社説で基本法第2条にあるように「全人代が香港特区に基本法に基づき高度の自治権 を授与する」のだから、この認識は驚くに値せぬ、と述べつつ、敢えてこの十周年のこの時期の全人代トップの発言が何を企図したものなのか、と。言いたかっ たのは「余剰権力」の部分で、香港の行政長官と立法議会議員のいずれを選出する選挙の方法について(基本法の附則)、2007年以降の選挙改革をどうする か?についても、香港の民意なのではなく北京中央(正確には全人代)に決定権があるのだ、ということの強調か、と指摘。「香港の良心」「とされる」アンソ ン陳方安生女史はこの発言に対して香港の正常な法治や司法の独立といった三権分立を犯すもの、と憂慮を表明。確かに。だが残念ながら民法だの商法なら法治 も健全だが実質的に政治がらみは司法判断もすでに北京中央の御意のなすまま、なのは事実。
▼台湾前総統李登輝君靖国神社参拝。戦士した兄君が靖国に祀られており、その慰霊と。個人的な兄への感情であり、この参拝を歴史的、政治的に考えないでほ しい、とご本人のコメント。考えないでほしい、と八旬の老大人の言うことには從おう。
▼自衛隊がイラク派遣に反対する市民運動団体や報道機関などの情報収集……は今さら驚きもせぬが自衛隊の射撃訓練の騒音への苦情電話も「反自衛隊活動」の 由。アホである。自衛隊はこの情報収集の目的を「イラク派遣への反対運動から自衛隊員と家族を守るため」としている(朝日社説)。これもアホである。自衛 隊のイラク派遣に反対でも、べつにイラク派遣された自衛隊員やその家族が批判の対象にされることはなく、あくまで自衛隊をイラクに派兵した政府与党に対す る批判なのに。自衛隊がこういく感覚なのか、と思うと「やはり怖い」と思う……というとこれも反自衛隊活動家の発言、となり、実質的には中国やシンガポー ルみたいに
物言えば唇寒し秋の風、国家転覆罪に問はれる
となるのかしら。
▼中環はエジンバラ広場のQueen's Pierは歴代総督や英国王族が船より上陸する香港の記念すべき場所だが埋立で撤収決定し政治的話題に。この流れに続いて、とクラシック評論家の周凡天氏 が憂うのが市大会堂(今日の信報の文化面に「救救大會堂音樂廳」掲載)。1956に英国の建築家、Ronald PhillipsとAlan Fitchの二人が倫敦のローヤルアルバートホールを念頭にコンサートホールと劇場を設け音響も当時としてはかなり凝ったもの。建物ぢたいも戦後のモダニ ズム象徴するが如き様式で価値あり。だがこの建物、老朽化も著しく、ことに04年暮れの火事でコンサートホール被害受け、修繕後は放送中継ブースが閉鎖さ れたままで、香港電台(RTHK)のチャンネル4でずっと放送続け愛聴者多かったコンサートの生中継が不可能に(現在は録音を翌日などに中継)。コンサー トホールのことにステージ上の背後の客席など老朽化しても改修される気配もなく、このままでは建物解体で再開発もあるのではないか、と。これがせめて 1930年代の建物なら重厚な造りで歴史的価値も考えられようが、戦後のモダニズム建築の混凝土建築がどこまでその判断に堪えられるか。

六月六日(水)晩にハッピーバレーで競馬開催あり。蘇州からI君来港中でI君、K氏とZ嬢、それに四月来港の O君誘い久々に「優雅な競馬」でキャセイパシフィック航空のボックス席でお食事&競馬観戦。O君は、日本では大井を主戦場に地方競馬専門、ばんえい競馬も 詳しく『ハロン』の熱心な読者なのだった。九龍に住むが沙田競馬場は一度行ってみたが「中山ぽくってダメ」なのだという。ハッピーバレーは大井競馬と同じ ナイトレース、ビルに囲まれたこの競馬場が素敵だそうで毎週通っているという熱血漢。1Rのクラス5のマイルという「何が来てもおかしくない」レースでア タシは2、3着的中のワイドで、1着関係よりずっといい配当を得、幸先よかったが途中ずっとダメで最後8Rに単勝20倍の馬の複勝に大きくかけぎりぎり鼻 差3着で5倍の複勝配当を得てどうにかトントン。珍しく皆さんそこそこプラスかトントンで万事休す。ボックス席で料理は沢山並んでいるが刺激物、脂っこい ものダメでアルコールもワイン少し飲んだだけ。悲しい。が胃の調子は水物飲んでも食しても痛まぬだけ、かなり改善されている。

六月五日(火)朝からこの一ヶ月以上続く胃痛。昨日、胃カメラまで飲んだと思うと診断結果聞く医者とのアポは 血液検査の結果も含め水曜日で、としていたが土曜日にもらった薬はいっこうに効かぬし養和病院でC医師が今日は朝から午後1時まで診断だ、と 言うので「もし結果が出ていれば」の駄目元で午後1時ぎりぎり前で予約して病院へ。受付から診断前の体温や血圧測定などのブースに向う。「あ、この患者さ んは事前検査しなくていいから直接、C医師のところへ」と看護婦に促され何人もの待合の患者飛ばしてC医師のところに通され「なんか、いやだな」と思った がC医師は「胃のなかに ulcer がけっこうあって」と説明を始める。ulcerって爛れ?……胃潰瘍か。潰瘍のサンプルを取って調べた結果もHPが陽性反応だ、と言う。HP?って聞くと パソコンのプリンタのようだがC医師は「説明面倒だからアトで(日本語で)調べてね、自分で」という感じで、とにかく胃の入口あたり(胃の内面積の四分の 一くらい)に潰瘍が見られるので薬で気長に治しましょう、と。そのあとでHPの殺菌処理もできるでしょうし。もっと早く精密検査していたら、と今更ながら 後悔。HPとはヘリコバクター=ピロリなる、なんか子どもアニメの登場人物みたいな名前の菌。ここ数年、かなり所謂、胃腸風邪に悩まされていたが、このピ ロリ菌がいると症状は胃腸風邪と酷似。胃カメラで撮影の写真どころかDVDにまで胃ビデオ焼いてあり受領。このDVD、あとからしげしげと眺めたが食道の あたりから胃に侵入する胃ビデオの写す世界が生々しく猥しい。それにしてもDVDの記録にある時計に従えば、あたしが睡眠薬で気を失ってから、わずか10 分程度で目的地にカメラが到着。潰瘍発見した時の胃カメラの(というか撮影した専門医の)歓喜のようなものが胃カメラの先端のクネクネ部分の躍動感から伝 わってくる。それにしても胃壁、荒れてるねぇ。潰瘍が白く目立つ。今回はご下血までには至らぬも何筋もの切り傷のようなところから出血もあり。酒はたしか に飲むが量はそれほど多くもないし食事も量は少ないし胃潰瘍になるほどストレスもない楽しい生活のつもりでいたが「ようするに中年のオヤジに多い」という こと。二週間分の飲み薬かなり大量にいただく。早晩に帰宅していつもならドライマティーニだが薄茶。軽くあっさりと晩飯済ませ味気ない晩にNW9つけると キャスター柳澤君、サミット取材で訪独中、地球温暖化と環境問題につきドイツ首相に独占取材はドイツ語で。会津の男、ドイツ語に堪能か、と驚いたが、シャ ンプ=ド=マールの怪人、の異名をとった磯村尚徳のフランス語に比べ、かなりぎこちなし(Champ de Marsは巴里にある日仏文化会館の近くの停車場の名)。ドイツ首相にはドイツ語で質問しても、そのあとの地球に優しい団地の見学では住民が英語で答えて いたり通訳がいたり、で結局、ドイツ首相へのドイツ語での質問は「やらせ」とまでは言わぬが「見せ場づくりか」と察す。テレビドラマ「のだめ」最終回見終 わる。コミックスも日本での旅立ち、のところで終えていれば良かったのに。

六月四日(月)昨晩遅く読みかけの有吉佐和子「中国レポート」読了。唐家璇(現・外交部長)が若造扱いで通訳 に勤しむ態が可笑しい。こ の本で有吉佐和子の傲慢さ指摘するのは易しいが当時、文革での拘束から解放された巴金に会い老舎の死について感想を聞き取ったり、劇作家の杜宣(1932 -2004)と対談など実に面白い。杜宣は日本に遊学の折り築地小劇場によく通い、細川ちか子がいかに素晴らしい女優であったか、杜宣が初舞台を観たとい う杉村春子、そして山本安英などについて語る。本日、午前中、養和病院で胃の検査。胃カメラは移動式の寝台に寝かされガスと何かの注射を手の甲にされた瞬 間に意識失い気がつけば2時間経過。あたしゃ眠りが浅いのだが医療機器がピーピー耳障りな中ほんとに熟睡。覚醒作用あり、なんて話も聞いていたが確かに気 持ち良し。胃カメラは要らぬが1000ドルくらいで「ちょっと疲れが溜まってんで一発打ってくんねぇかい、旦那〜」って、それじゃシャブか。午後は何事も なかったかのように快適(胃痛除く)。本日は天安門事件から18周年。早晩にヴィクトリア公園通りかかり晩の追悼集会の準備の様子など眺める。主催者団体 がスタッフ集め最終打ち合せの中で「では警察の担当者からの連絡」と警官が一人紹介される。警察の現場指揮部の場所、予期しない事態がおきた場合の対応、 警察のホットラインの連絡先の紹介などなど懇切丁寧。け して警察vs市民運動団体といった対立の構図に非ず。当然、機動隊なども駐在せず(いつでもスタンバイはできているのだろうが)。晩の追悼集会は主催者側 発表5.5万人(警察発表2.7万人)で猛暑のなか昨年を1万人上回る。民建聯の馬力・主席の「天安門虐殺はなかった」発言の反響か、まさに馬力効果。馬 力君はあの発言以来、広州での抗癌治療から香港には戻らず。追悼会場で無料配布していた月刊誌『北京之春』をもらう。帰宅して鮪の中落ち丼。NHKの NW9では青森だかに流れ着いた北朝鮮亡命者の報道で「脱北の背景には何があるのでしょうか?」って、そんなもの小学生でもわかる子は答えられるんじゃな いの。報道がただの言葉遊び化、陳腐なセンセーショナリズム。「のだめ」のテレビビデオ第11話見る。のだめ、のコンクールでの決勝での演奏曲が『ペト ルーシュカ』からの3楽章、で、ただドラマ中では「ペトルーシュカの3楽章」と言っていたように聞こえた(実際の演奏はペトルーシュカからの3楽章、の第 1楽章)。であとからMichel Béroffの演奏でペトルーシュカを聴く。このアルバムはBéroffのピアノに小澤征爾指揮のパリ交響楽団でストラビン スキーのピアノとオケのための……が3曲入っているCDなのだ。胃が痛いので文字通りの痛飲もできず(する気もなく)白面なので本でも読むしかない。 Economist誌、FEER誌とアサヒカメラなど通読。
▼英国Economist誌は首相退任するTony Blair君について“What I've learned”と、さすが英国やねぇ、退陣する首相に対して天下のエコノミスト誌が首相の立場で「わたしは何を学んだか」と記事にして首相になってから 勉強したこと、あとになっての反省を列挙してみせブレア時代を総括する、という、皮肉もここまでくると立派、と感心したが、読み始めて驚いたのは、こりゃ Tony Blair君本人の首相退任にあたっての本人執筆の手記なのであった(愕然)。マジに10だかの項目立てて首相の立場で学んだこと列挙……おいおい、大学 新卒のインターンじゃないんだから。一国の、それも英国の首相でブッシュのイラク征伐にあれだけ寄与して、その決定権と責任有した人が青二才の如く「学ん だこと」とは。首相になってから学んでもアトでどうそれを活かすのか。そりゃカーター元大統領とかゴア副大統領の例もあるが。日本の松下政経塾とかでアマ ちゃん、と嗤っていたが、国際政治とかこんなアマちゃん感覚でなされていいのかしら。
▼Far Eastern Economic Review誌は特集が“China's Bid for Asian Hegemony”ともはや中国の経済成長どころか覇権が関心事に。前世紀に日本がどんなに経済成長遂げた時でも覇権だの脅威にはならず(せいぜい恐れた のはデトロイトの自動車産業くらいだったか)。ただ日本人が『ザ・ジャパニーズ』だか『ジャパン・アズ・ナンバー1』なんて(明らかに日本で売れること期 待した)米国の親中派御用学者の本で日本への称賛読んで喜んでいただけ。だが中国の覇権はまさに21世紀的大きな課題か。このFEER誌で面白かった記事 はBertil Lintnerなるタイ在住のジャーナリストによる“Staley Ho's Luck Turns Sour”という記事。マカオのカジノ王と呼ばれるStanley Hoだが実際はマカオのカジノ独占も彼は表の顏を演じただけ、で裏には親中派資本があり、米国がいま問題視する北朝鮮のマカオでの洗錢行為も含め活気あふ れるマカオ経済の闇にちょっと言及。
▼アサヒカメラ6月号。荒木経惟の「67路地」という写真を見ながら思う……荒木経惟という名前のクレジットがなかったら何人の人がこの写真を素晴らし い、と評価するのかしら。13枚の作品のちアタシがギョッとするほど驚いたのは2枚。かなりスナップ距離での人物撮影。これは巨匠でなければ撮れない。と いうのは1枚はアラーキーに対する笑みであり、もう1枚はアラーキーでなければ背後からこの距離で撮影したらストーカー扱い。というわけでアラーキーだか ら撮れる写真があるのだが……。
▼『北京之春』の無料配布していたのは四月号。方励之や香港の司徒華などが編集顧問に名を連ね于大海が発行人、社長が王丹という錚々たるメンツだが(米国 に亡命した直後の王丹が森進一に似ていると思ったのはアタシだけかしら)この号の圧巻はチベット問題特集。読むに値する論文が続いたが、とくに新西蘭から の陳維健という人の寄稿「行政大西蔵和文化大西蔵」が興味深い。西蔵の中国からの分離・独立であるとか語る際に常に「西蔵は中国に非ず」の判断は容易だ が、逆に中国というか正確にはシナがどれだけ逆に西蔵の影響も受けているか、という視点。例えば北京の白塔寺や護国寺が西蔵から伝来の仏教の寺院であり、 承徳の外八廟であるとか中国の仏教の名山・山西省の五台山が西蔵仏教にとっても聖地(五台山の黄廟は西蔵から遣られたラマ僧が主管する由)。シナと西蔵が 文化伝統面で不可分の歴史的関係があること。だから西蔵が独立できぬとは言えないだろうが(欧州の宗教地図など見れば)。他にもかなり読ませる記事多く驚 く。

六月初三(日)天気がよく而も何も予定もない久々の日曜日。島南の海岸の木陰で読書したり微睡んだりして過 す。二度ほど通り雨も心地良し。日本の安田記念は香港馬はあたしが押したJoyful Winner含め奮わずダイワメジャーの優勝はいいがもう オレハマッテルゼがどん尻。話にならず。で気分をかえてのはずの今季最後の地場G1レースとなるThe Charter Cup(芝2400m)はVengeance of Rain(爪皇凌雨)とViva Pataca(爆冷)の一騎打ち。調教の具合はViva Patacaのほうが良さそうだがVengeance of RainにはQE II Cupでの雪辱を晴らしてもらいたいと願い、調教の時計の44.8も2400mぢゃ関係ないと思いつつVengeance of Rain応援したがViva Patacaがこともあろうに3と1/4馬身差でぶっちぎり。脱帽。本当にDr Stanley Hoはカジノ王でも競馬だけは制覇できずにいたが人生の最後で(ってまだ暫く君臨しそうだが)凄い馬を有してしまったもの。さすが。帰宅して枝豆とビール 少し。夕食のあと「のだめ」の海賊版テレビドラマ見てグリークのピアノ協奏曲イ短調を聴く。一昨日、香港シンフォニエッタで聴いたこの曲の「おさらい」は カラヤン指揮でピアノがツィメルマンの伯林フィル。1982年ってついこの前のようだが、もう四半世紀前だと思い驚く。
▼朝日新聞に連載のニッポン人脈記の銀座情話9で泰明小学校にまつわる話あり。数寄屋橋の一等地で銀座の老舗や築地の卸問屋の子女など通った小学校だが、 名前一つとっても公立なのだから本来であれば東京府立数寄屋橋小学校でいいのに泰明というだけまさに数奇。明治11年の創立の時が赤煉瓦で震災で全焼し今 の混凝土校舎はその時の震災復興事業の時のものが現存の由。でこの朝日の記事に登場は築地の仲卸商の息子で俳優の加藤武と歌舞伎役者の澤村田之助。外堀川 を挟んだ向いの朝日新聞社の上空には原稿を運ぶ伝書鳩が舞っていた、という泰明小学校、そこに通う集団登校の加藤武が待っていると3つ下の田之助が転びそ うになりながら現われる。「遅い、遅い」と言う加藤武少年は忠臣蔵の高師直のセリフ。すると田之助が地にぱっと手をつき「遅なわりしは拙者が不調法……」 と塩治判官で返す。いいねぇ、小学生で、これ。
▼89年の天安門事件から18年。当時、北京から反政府系の活動分子を海外に逃亡させるため香港で組織された「黄雀行動」Yellow Birdsはその後、真相が明らかにされず。香港の実業家らが資金提供と言われたが、その組織者である実業家が先月末に香港より訪米、当地で多維社などマ スコミの取材受けた由。この実業家曰く、知人より相談受け資金提供引き受け高速艇を準備、映画監督など香港での協力者募り、中共の内部人士、外交官、解放 軍軍人、密出国業者から黒社会のその筋の者らかなり広範は支援得て数百名の活動家らの国外逃亡助けたり。そのなかの一人、厳家其曰く「自動車に乗せられ高 速艇に乗り込み一切わからぬうちに」のその行動、救援作業中に海難事故で四人の香港人が死亡という。この実業家曰く、まだ当時の具体的な救出ルート等の公 開は、関係者実存ゆゑ時期尚早、と。
▼中環のRitz Carlton Hotelが今年いっぱいで閉業。曾て隣接のフラマケンプスキホテル同様、ビジネスビルに建て替え。80年代末に日本のデベロッパーによる建立で開業前に バブル崩壊でこの会社が倒産。東海銀行が抵当として開業までかなり遅れ92年だかに開業。イタリア料理屋はそれなりに上手くエスプレッソは香港では格別と 言われたが。各フロアとも豪華そうに見えるわりに実際の内装、建て付けがチャチなのは内装工事に入る前にデベロッパー倒産のためか。

六月初二(土)昼前に養和病院にC医師に診断請う。胃の具合依然芳しからず聴診だの触診などした結果「胃潰瘍 とかの可能性はあるが、胃癌ではないでしょう、きっと」とC医師。思わず「私もそう思います」と何の根拠もないがそう言わざるを得ぬ(汗)。月曜日に検査 となる。ちょうど昼となりHappy Valeyの祥興珈琲室に エッグタルト1つ食し温かいミルクティー飲む。これくらいがちょうど胃に負担もなし。昼すぎ銅鑼湾で寄合いあり。午後、謡の稽古済ませ昏時に尖沙咀。 David Chan氏の店でズミクロンのレンズ修理受け取り。絞りのリングの不調治る。店を出たところに偶然M君と遭い一飲。ビール少し。太古の旭屋でアサヒカメラ 六月号受領して帰宅。鶏肉のホワイトソース煮。PenfoldsのThomas Hyland(シャルドネ)05年をグラスに一杯。「のだめ」の13〜17巻までさらさらと読み流す(どうも欧州に話が転じてから、は話が散漫)。明日の 安田記念はジョイフルウィナーが9枠を確保の由。
▼騎手、余健誠に来季の騎手ライセンス発給せぬ決定あり(香港ジョッキークラブ)。余三兄弟の長男ですでに妹の余詠詩は引退、弟の素行悪しき天才ジョッ キー余健雄は騎手免許剥奪され、長男だけが頑張ってはいたが昨季が136戦1勝、今季も負け続けどころか出場もかなり減ってはいたが今週水曜日のハッピー バレーで余健誠が騎乗の京城之威(Kingston Winner)がよく走り一着。でこの決定
妥当か。余健誠君自身には、あっと驚き穴馬ダービー馬の聖利(Holy Grail)での99年の安田記念参戦くらいしか残る記憶もなく、あたしは余健雄のファンであっただけに、本人は騎乗したいが問題だけけの荒馬余健雄の、 あまりに勝負事には向いておらぬ性格のこの長兄が地味に騎手続けることがどこか不憫と覚えたり。彼に最後の勝利を与えた京城之威(Kingston Winner)が、これもアタシが香港競馬でいちばん好きであった京城之寶(Kingston Treasure)の馬主の持ち馬。京城之寶(Kingston Treasure)も抜群の馬であったが余健雄のように気性激しく、とてもレースに応じきれずに終りぬ。

六月朔日(金)朝、出がけに大雨。数分で通り過ぎ、歇む。香港には珍しいスコール。スコールのとき自動車で 走ったり傘さして無理矢理に歩くのは野暮。スコール一旦参れば、軒下や木陰にて雨が歇むのをただ待つのがいい。ぼんやりと、何もかの動きの止まる一っ時。 ただ雨がざーっ、と。雨が歇むと雨で地熱がほんの少し治まった涼しさのなか、まるで何事もなかったかのように世の中がまた動き出す。交響楽だな、これは。 と思うのは「のだめ」なんかの読みすぎか。朝のスコールに、気持ち的には印蘭マレイで金子光晴。気分、としかいいようがない世界。早 晩に中環。ミッドレベルのエスカレータ沿いに、あたしが「カラヤンと東山千栄子」と呼ぶ菓子売りの仲睦まじい老夫婦がいる。Z嬢と暑い夕方をぶらぶらして FCCに軽く食す。胃痛でまたIrish Stewだ。晩に市大会堂で香港シンフォニエッタの音楽会。指揮は客演で諾威のBjørn SagstadでJohan Svendsenというグリークと親しかった作曲家の“Norwegian Artists' Carnival, Op14”という曲で始まり、菊池洋子の ピアノでグリークのピアノ協奏曲イ短調、シベリウスの交響曲1番。指揮者も曲も北欧づくしで今晩のタイトルは A Nordic Encounter と名付け中国語では「北国の楽」と「の」入りでしかも「北國之樂」としなかったのはピアノが菊池洋子で日本を意識したのか、あえて日本の漢字と「の」で 「北国の楽」としたのだ、と思う。02年に第8回モーツァルト国際コンクールで日本人で初優勝という菊池洋子のピアノは個人的にはあたしの好みにあらず。 鍵盤を、和音を組み立てた指で敲くような奏法から出てくる音はアタシのイメージするグリークのこの曲の舐めるようなフレーズとは異なるもの。このピアニス トはモーツァルト弾きなのだ、と思う。第二楽章のアダージョで大切なホルンなのだが、演奏が終ったあとに指揮者からとくにホルンが指名されて立ち上がり喝 采を浴びたのが大いなる疑問。相変わらず外していたではないか……リハよか上出来だったから?の内部評価なのかしら。木管はいい。弦は総じて安定してい る。菊池洋子のアンコールはショパンのエチュードの1番「エオリアンハープ」と得意のモーツァルトでトルコ行進曲。ショパンのエオリアンハープは「これと かも出来るのよ」での披露であろうし(これがあたしは今晩の3つの演奏のなかで一番良かったが)、トルコ行進曲は余興だろうがテンポがかなり不安定なのが 気になったところ。シベリウスの1番はあたしは好きじゃない、というか単純に「わからない」。でもこの楽団のティンパニー奏者である村本暁洋(このオケに は日本人が9名かな、いる)はティンパニーが重要なこの曲で見事な音を聞かせていた。案の定、演奏後、指揮者に真先に称賛されたのはこの人。御意。日本人 ピアニストの登場ということで、このオケのいつもの公演より日本人の知己の方多し。晩に「のだめ」3巻ほど読む。
▼訪日ちゅうの李登輝君、東都に遊び
深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢
と詠む。北京が台湾独立分子、日本傀儡、と罵声を浴びせようが何しようが、台湾で国民党支持者ばかりか台独派でも李登輝の親日ぶりに呆れようがどうしよう が、「深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢」ぢゃ、もうどうしようもない。「慕ひ来」という止め方は音も含めちょっと気になるが。ベトナムの知識人肌の政治家が 仏語で詩を語ろうが売国奴とは罵られぬが。それにしても李登輝君来日に合わせ第1回後藤新平賞、ってあまりに出来過ぎ。台湾総督府民政長官で、確かに後藤 新平の民生を語れる李登輝先生の受賞は首肯けるが授賞対象者の「日本の国内外を問わず、現代において、後藤新平のように文明のあり方そのものを思索し、そ れを新しく方向づける業績を挙げた方」って、第2回の受賞者はもういないないじゃない、これぢゃ。「文明のあり方そのもの」ぢゃ、とても小泉三世でも無 理、で首相では中曽根さんも国家は論じても文明には至らず、大勲位だから今更、後藤新平賞でもあるまい。賞の格として、海外から、なら李光耀かね、次回 は。だが李登輝であるから後藤新平賞を喜んで受けてくれたが李光耀では本人も「なぜ、自分が名前も知らぬ植民地官僚、政治家の賞をもらうの?」で関心もな かろう。で「政治家はちょっと外して」で思想家とかから選出となり、主宰の後藤新平の会の面々の政治色からして、対象は加藤周一ではないから、梅原猛あた りに落ち着くか……でも学者先生だと後藤新平のような都市建設、民生改善といった実績に欠けるしねぇ。ほんとうに対象がいないのではないかしら。あ、そう いう意味では建築家とかいい鴨。黒川紀章……はウソ、で丹下健三。
▼銀座のバーは高いか。朝日新聞の「ニッポン人脈記」という連載でここ数日は「銀座」が舞台。取材する記者が文談バーのママに話を聞く。そのバー「コント アール」のママがまだ「エスポワール」のホステス時代、秦野章(元・警視総監)とよく連れ立ってきた川端康成から電話があり赤坂のディスコにいるので来な いか?と誘われたが断った由。その一週間後に川端の自殺。その話について記者曰く
こんな話はただでは聞けない。銀座は自腹取材でないと見透かされ る。清水の舞台から飛び降りる思いで、見栄を張って6万円のボトルを入れた。
と言う。「へぇ、6万円も自腹で」と関心するか、どうか。30歳代後半で平均年収は1000万円を超える、という朝日新聞で、東海地方の支局長の個人情報 がネットに流出し年収1900万円と広まった由、これくらいの連載任される記者となれば個人の懐具合の邪推も楽しくないがかりに1500万円としよう。こ の銀座のバーでのボトルは確かに奮発しているが日給1.5日分。だが年収300万円のサラリーマンで、日給の1.5倍なら1.2万円。「ここぞ」という勝 負時には彼女にシャンペンくらいご馳走しちゃったりすると1万円くらいは使っても不思議じゃない。結果、年収1500万円の朝日の記者がポケットマネーで 6万円のボトルを銀座で入れたから、といって感心したり驚いたりするには値せず。
▼日曜日の安田記念。香港馬はAble One、Good Ba Ba、The Duke、Joyful Winnerと四頭揃い踏み。The Dukeは何故か国際G1の香港マイルだけは強く、05年のこれに2着で頭角表わし昨年、安田記念も出場したが15頭だて最終位で終わる。そのThe Dukeがなぜ今年も安田か、と言えば06年の香港マイルで「まさか」の優勝がゆゑ。Able Oneは4月のチャンピョンマイルを33倍の人気ながら制したが、これはM Kinane騎手による勝利である、と信じ今回は外す。Good Ba Baは名前が嫌い。でチャンピョンマイルでAble Oneの二位に甘んじたJoyful Winnerである。「騎手的に」モッセに期待。で香港馬のワンツーゲットは期待できないのでオレハマッテルゼとダイワメジャーに流すことにする。

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