香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!

  緑色のものを何か、布でも紙でもいいのですが窓とかに貼るだけでいいのです。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


三月三十一日(月)朝起きてZ嬢とホテルに隣接するゴルフ場抜けて黒砂湾道を歩き地中海建築の黒砂官立小学の先から石面盆古道に入り小一時間、路環市区に近い澳門監獄のあたりまで山道歩く。澳門監獄、暴力団抗争激しき土地柄ゆえに某の牙だの香港、広東に名を馳せた親分も収監されており確か日本人も一人愛人殺害だかで服役中のはず。となりに感化院。感化という精神、そこで青少年に対してどれだけ権力が政治的に作用しているのか壁の外からは伺い知れぬ。道を挟んだ向かいがキリスト教の老人院。まさに生と死の極みの如き場所。町の中央のロータリーに面したいつものパン屋で今朝はチョコレートクロワッサンとラズベリーのヨーグルト購いザビエル教会の前の広場で食す。この教会、ザビエル師の遺骨あり10年以上前にN兄参拝に付き添った頃は鄙びていたが澳門の「観光開発」にてすっかり「整備」され昨日など朝から賛美歌スピーカーで流しキリスト者とは思えぬ観光客がうろうろ徘徊し静寂など遠い世界。日曜の朝だといふのに礼拝され行われておらず。今朝は月曜にてさすがに静か。海の向かい側は中国にて其処も10年前は鄙びた広東の漁村であったものが今では8、9階建ほどの高層建築すら立ち並び……といってもマカオに面して今後の経済発展期待されると5、6年前一気に開発されたのだろうが今はバブル崩壊していようが、それでもこの路環、其処からの眺望は一変したことは事実。バスで黒砂海岸、海岸を歩いてホテルに戻る。まだ朝も9時半、ホテルのレセプションでレイトチェックアウト頼むと午後1時までよいと言うので、ホテルに着く頃に久々に陽光あり気温も24度ほど、プールサイドで昼すぎまで読書、微睡。荷風先生『あめりか物語』読了。ホテルのシャトルバスで一旦波止場、荷物預けて路線バスで新馬路、まず澳門大街の北京水餃、この店は11年くらいまえにAfonzo III近くの路地で見つけた逸店、今でも小さな、飾りっ気もない「たかだか」餃子屋だが北京でもこれだけの美味い餃子はない、と思えるほどの味のある餃子供す。港澳ではこの店に敵う餃子屋なし。ここで韮菜猪肉水餃と鍋貼、続いて福隆街の祥記麺家にて雲呑麺と蝦子労麺、これで終わらず杏香園で椰子杏仁合桃湯丸。かなりの満足。実は餃子や麺よりも杏香園の甜品のほうがずっと値が張るのだがこの椰子杏仁合桃、つまりアーモンドと胡桃の糊(ペースト)をココナッツミルクで伸ばした逸品は何処よりもここが美味。骨董品屋など冷やかしいつものパン屋でクロワッサン購い4時前のフェリーで香港に戻る。三日ぶりにまた物々しき肺炎警戒の世界。90名弱だかの感染者続出の九龍塘・淘大花園E座、多くの感染者がこのマンションの住人でその勤務先である図書館だの銀行だのも閉鎖されたのだが、このマンションが感染厳重にて今朝「封鎖」され住人は軟禁状態にて外出不可、700名だかの住人は10日間、缶詰状態にて衛生署、警察の監督の下、物資補給を受け感染の進展を観察される。大量感染のあった此処を抑えれば効果的というのが政府の判断なのだが。それにしても突然の朝七時の封鎖にて、かりに浮気相手がこの淘大花園E座に住み、一晩この情婦宅に遊んだ男いたとしたら朝イチで軟禁されては「出張」と嘘ついていた家庭にも会社にも浮気バレるか。ジョージ=オーウェルもここまで悲惨で無慈悲な21世紀は想像もしなかっただろう。筒井康隆氏ならこの閉鎖されたマンションのなかでの、さぞやすごい物語を書けるはず。そのM君より日本より精緻なるマスク届いた、と届けに来てくれ頂戴する。このところ最高の進物ご贈答品は日本製のマスクなり。皿うどん。NHKのニュース10でも肺炎蔓延と前述の淘大花園封鎖のニュースまで流れた模様。なぜかこのニュースの部分だけ衛星中継されず。『帝国』読む。
▼ 旧聞に属すが28日の日経の株主総会にて「小ナヴェツネ」鶴田会長解任動議は95%!だかの反対多数で否決とか。
▼ 今回の非典型肺炎、もともと中国、広東省の台山が発生源といわれているがWHOの調査官、北京には入ったものの広東省への実態調査の批准おりず。『信報』の社説によると問題はWHOは憲章により各国政府の要求があった場合に必要な協力と援助を提供する、とあり、今回のケースでは中国政府からその要請がない場合に強制的な査察は実施できず。それだから中国政府は実態を「隠しているのでは?」と疑われるのだが、中国のこの疫病に対して深刻でないことも確かで、広州や深センでの衛生作業の不徹底もあるし、マスクする市民も少なく、対外経済貿易部副部長で中国がWTO加盟の際の主席代表であった龍永圖が「香港は人口600万人おり、そのうちの300人が感染したくらいでは恐慌に値せぬ」と発言、広州衛生局長も「広州は人口1000万人おり100名ほどの感染は比率として小さい」と。人口10億いればこの程度の感染は問題ない、ということか。だがこの信報社説が言うように疫病は重商主義と相関しておりマルコポーロ、コロンブスといった商路開拓のための遠征で各地の疫病が欧州へと齎されたのが事実。それを思えば国が重商主義をとるときに疫病蔓延し、経済発展企図する国家にとって疫病による人口減少は深刻、ゆえに公共衛生政策がとられる、と。中国がWTO加盟など今後の経済発展を企図するなら外国投資の導入などにおいても公共衛生は重要であって、感染者の人数の多少にかかわらず疫病には毅然と原因解明し感染を防ぐといった対応が必要、と。御意。この社説が述べるように、国家の衛生政策といふのはまさに政治そのものなのであって、衛生的な国が立派かといふと実は国家にとって財産たる国民の保護=労働力の確保に他ならず、シンガポールな何故にあそこまで衛生的かといえば人口僅か200万人余の経済先進国にとって人口の確保こそ国家の最優先課題である、といふこと。

三月三十日(日)朝の気温摂氏20度、湿度85%、どんよりとした曇天に今にも雨振出しそうにてまさに粤海の春。朝七時十五分よりレース開始ながら朝寝貪り六時半に起床、目もよく覚めぬうちに朦朧したままレース参加。じつは応募したのはハーフマラソンながらこの数週間満足なトレーニングもしておらず昨晩10kmに変更済み。ウェスティンのこのホテルの正面がスタートにて一気に坂上り準備運動もままならず心臓飛び出る思い。コロアネの島を一周、この島がもともとはマカオの離れ島にて、強いてあるものといえば監獄、それに警察学校。フーコー的な世界。80年代末よりリゾート開発進むがバブル崩壊にて幽霊屋敷の如し。わずか10kmで三箇所の水補給あり、これは昨年のレースが摂氏30度、10kmは水補給なくかなり過酷になった反省とか。最後、黒砂湾の文字通り黒砂が波打ちぎわに広がった海浜の砂を走り50分余にてゴール。サウナ。まだ朝の九時前にてタクシーにて路環の市区(といっても小さな集落だが)に赴き焼き立てのエッグタルト、クロワッサンとヨーグルトの朝食。ホテルに戻り朝寝貪る。昼に歩いて黒砂海岸のFernandoにて昼餉楽しむ嗜好もあれど流石に腹も空かずルームサービスでオリエンタルサラダ一つとVihno Verde一本注文しバルコニー(200sqfほどあり黒砂海岸を見下ろす)でサラダ食してワイン一瓶空ければまた睡魔襲い荷風先生『あめりか物語』ほんの少し読み、日本語版のハート&ネグリ『帝国』前書き読んだ程度でバルコニーでそのまま午眠貪る。South China Morning Post読んでいたらマカオは奇跡的に非典型肺炎の感染者が出ておらぬ、と。マジだろうか。それにしても返還以降さまざまな問題ばかりの董建華の香港に比べ澳門のこの落ち着いた状況、まず物騒な暴力団絡みの抗争撃滅し、公安立法だの疫病感染もなく古くからの建物残した落ち着いた街並み、江沢民も香港、澳門の行政長官と会見し意図的だろうが澳門持ち上げるも一理あり。夕方またサウナに浴し目を覚ましホテルのバスで市街。石樟堂巷の澳門珈琲店にてエスプレッソ一喫。マカオ土着のポルトガル人多く集ひ喫茶。黄昏に市街旧跡彷徨、かなり久しぶりにAfonzo IIIにて晩餐。我らが最初の客、ご亭主、だいぶ大きくなった小学生の息子とチェス遊び、ようやく厨房に入り調理始めるがこちらの料理運ばれると自らも晩餐、息子は?と思えば丁度来店した女性、てっきりご亭主のレコかと思えばさに非ず、息子の家庭教師。店の空いた宅にて勉強。この息子、将来Afonzo IVとなるのだろうか。澳門珈琲にせよこのAfonzo IIIにせよ、かつては葡萄牙の帝国的侵略ながら今では権力も覇権もなにも遺らずこうして異民族が異郷の地に根づき葡萄牙でも広東でもなき独特の文化地帯つくりこうして市井にて毎日暮らす日々。烏賊焼き、羊腿肉のローストにて赤葡萄酒に酔い、酔い醒ましに水坑尾街まで散歩、禮記にて昔ながらの味つけのアイスクリーム。タクシーにてウェスティンまで戻るが運転手、少なくともウェスティンといふ狭い澳門にては最もロングのお客を獲っただけでも幸いと思うべきところ、わざとフェリー波止場のほうからPonte de Amizade(友誼大橋)渡るのは距離稼ぎながらまぁ夜のドライブで赦すにしてもコロアネ島に渡る車に許されれる5パタカの追加料金を10パタカと誤魔化しホテルについてZ嬢に指摘されると5パタカ返すに応じるが不景気とはいへかふいつた卑怯な手段は許されまじ。ゆっくりとお湯に入り久々に終日のんびりと憩ふ。
▼ 昨晩NHKの週刊こどもニュースなるもの見ていたら勿論米軍のイラク攻撃にどれだけ無理があるかは述べつつも進軍する米軍がいかに困難な物資補給、殊に戦車の給油、を続けているかに始まり、そういったなかイラク側の反撃は国際法上米軍は一般市民を攻撃せぬのに一般市民を装ったフセインの親兵が路傍の市民装い米軍を襲撃、また同じように病院は米軍も攻撃避けているのにそれをいいことに病院から米軍の軍列に向かって射撃される、と。その困難のなかを進軍する米軍、と。それを聞けば正々堂々とした米軍に対して卑怯な手段用いるイラク側だが、そもそも米軍のイラク攻撃が国際法上も何ら根拠なきものにてその前提を語らずこのプロパガンダ的なニュースが子供むけに報道される。知った顔で驚いたり怖がったりしてみせる三人のいかにも劇団ひまわりの子供ら、台本と演出なき現実でどれだけ考え真実を見つめられる大人になれるか、が大切。
(30日晩、マカオウェスティンリゾートホテルにて綴る)

三月二十九日(土)曇。Z嬢とマカオに遊ぶ。11時すぎのフェリーの切符予め購い半時間程前に波止場につけば土曜だといふのに閑散として二本前のフェリーに空席多くそれに乗り新聞二紙読み終わらぬうちに澳門着。マカオはマスク流行っておらず僅かに波止場のimmigrationの職員のみマスク装着。Z嬢水着忘れたこと発覚し新八佰伴(ヤオハンの澳門店、ヤオハン倒産後も地元資本により新ヤオハンという看板にて営業)にて水着購ふ。いつも昼に澳門に着き波止場前のPizzeria Toscanaでばかり食事しており、これは上野で駅前の聚楽、聚楽と一緒にされてはこの伊太利料理屋に失礼だろうか、新宿でつな八の、それも本店でなくメトロ食堂街のつな八で天麩羅、もしくは目黒でとんきのとんかつ食すが如し、今日こそは何か違ふもの食さむと思ったが突然の買い物で荷物を波止場に預け結局、炭水化物摂取の名目でPizzeria Toscanaにてパスタ。The Westin Resort Macau。最近ずっとHyattばかりでこのWestinは初めて。コロアネ島の黒沙海岸に面し部屋も広くそこそこ広いバルコニー。ゴルフ場つきのリゾートにて黒沙湾に面した打ちっぱなしあり、海にむかって練習すると球は海に飛んで波が球を運び戻すといふ仕掛、といふか自然の原理、Z嬢そこでちょっと打ち放しする間、海岸とジムのトレッドミルでほんの少し走る。サウナに風呂あらず、その点はHyattの快適な倶楽部には負け。黄昏に日経ギャラリーの原稿手直し。夜七時に明日のレースのゼッケン受渡し、七時から九時といふのが参加者=宿泊者にホテルにて晩飯食わせようといふ魂胆か、七時半の送迎バスで市街に赴き福隆新街の裏町、清平街の奥のほう抜ければ路上に企つ娼婦多し。横道より自動車が現れ客だか通りがかりだかもわからぬ運転手に積極的に淫売しようとする様は巴里のブローニュの森、深夜の如し。当然ながら娼婦は大陸娘にて北京語。福隆下街の李康記にて夕食、昔ながらのしっかりした味つけの粤菜。石樟堂巷あたり散歩して明朝にとエッグタルト購おうとしたがすでに店仕舞の時間、タクシーにてホテルに戻り荷風先生『あめりか物語』続き読む。(29日晩、マカオウェスティンリゾートホテルにて綴る)

三月二十八日(金)薄曇。昨晩ここ数日の疲労にて日記すら綴れず。更新せぬこと稀な我ならば「すわ富柏村も感染か」と思われた輩もありやなしや。キョービの流行りはマスクにて、誰彼ともなく顔あわせばマスクにてどれだけ防疫の効用ありなしと話題弾みマスクも外科手術用のマスクにては肺炎の菌防げぬだのN95なるマスク効果的だの日本の花粉症のマスクがいいだの駄目だの、住友3Mの花粉対策防塵用が高いが最高だの、何処そこにてはN95 をHK$100にて売っていただの、金持ち及び全額保険カバーにて治療費など気にもせぬ日本人外来多き某総合病院にてマスク売るオファーあるが暴利貪るに違いないとの憶測だの、日本の知人兄妹に頼み東急ハンズにある最も緻密なる防菌マスクをDHLにて送るよう依頼しただの、成田空港にマスク売り場出現だの、東大病院の医者に頼んだが時節柄花粉対策にてネコババする職員多く管理厳しく外部持ち出し禁止だの、いちばん安全なのは米軍の対細菌兵器用マスクであるとか、米国総領事館がイラク駐留軍より防砂マスクをわけてもらえるよう打診中とか、営団地下鉄のサリン対応マスクは効果覿面とか、何処まで本当で嘘かも判らぬ話多し。いずれにせよ、この物騒で不景気なる昨今にあってひとり笑い止まらぬは薬局だの大手ドラッグストアのWatson's(屈臣氏)とManningsが双璧、マスクばかりか漂白剤、消毒液、消毒用アルコール、消毒アルコールパッド、そのうえ帰宅したらすぐ嗽口に嗽液は必要、沐浴推奨され、すべてがWatson'sにて扱う商品ばかり。このマスク大売れに便乗してルイヴィトン社が高級マスク売り出し、The Louis Vuitton mask is made of “super-soft Connolly leather with a monogrammed sterling silver clasp” and retails at $1,800で、中環のThe Landmarkのルイヴィトンには早速有閑マダムの行列出来、即時売れ切れで二週間待ちのウェイティングリストだの、Gucciもそれに対抗して明日よりマスク発売とか……メールにて非典型肺炎の如く拡散される。肺炎蔓延にて鬱屈とした日には誰でも馬鹿馬鹿しきこと考えるもの。さふいふ我もどうせならNikeだのAdidasだの若者向けに自社ブランドのマスク売り出すか、もしくは宣伝かねて無料配布すれば顔面前の広告とはこれほど効果あるものなく、日本政府も日の丸マスクでも作って総領事館より邦人に配布でもすれば国旗への愛着も沸くのでは?と思いもするが白地に赤丸のマスクしては吐血しているとでも思われ怖がられるだけ、か。いずれにせよ人のおかしきところ「大変なことになりました、なりました」と当人か家族に被害なきかぎりはどこか昭和初期の銀座のカフェにて憂国談義の如し。またどれだけ情報掴んでいるかが仮面ライダーカードどれだけもっているかに近い自慢話となり、焦点は邦人に感染者ありやなしやと詮索、邦人にとっては邦人との接触多く気になるのだろうが、それいぜんに社会なるもの人対人の接触の場にて国籍も人種も関係なし。大学8校も休校措置。来週調べものあり香港大図書館に行くつもりが。北角を車で過ぎれば街ゆく人も少なく北角といへば大陸からの観光客にて賑わふはずが見かけもせず。帰宅するとZ嬢昨日I嬢よりいただいた夜来香、余の書斎に活けてあり芳香漂い束の間の憩ひ。親子丼。NHKのニュース10、イラクの米軍に密着取材する記者との珍問答に呆れる。何食しているのかだのどのように寝るかだの、南極越冬隊へのインタビューの如し。そのうえ「人がいい」以外何の取り柄もなき司会の今井環と元気だけが取り柄の森田美由紀であるから特派員に「お疲れじゃないですか?」、特派員も今時の本多勝一とは違う意味で従軍を恐れぬ若者であるから「大丈夫です、若いですから」と暫し笑顔にて談笑。
▼国内インター校出身者の大学入学資格について文部科学省、欧米系のみ認め朝鮮学校などアジア系校にそれ認めぬ「緩和策」、在日マイノリティ団体などよりの反発うけ、あっさりとこの緩和策凍結し再検討、と。反発あることは最初から予想できることにて、それに「屈する」程度なら最初からこういった判断をせぬこと。朝鮮学校など外したことが対北朝鮮の「国際」問題(これのどこが外交なのかわからぬが)絡みといい、だが反論された場合に建前であってすら何ら論理的に立ち向かうだけの根拠もなく、そういった理論で語れぬ連中の何処か文部「科学」省なのか聞いて呆れるばかり。それにしても日経の社会面、朝日ほど激情ではないが「在日朝鮮人系の団体や一部の大学教員などから(略)反発が相次いだ」って、この大学教授の「一部」とはどのくらいの反発なのか、こういった慣用節は不案内。こう書けば少数ながら反発する大学教員がいる、というように読めるが、具体的な問答調査の数字があるわけでもなく、根拠なき修辞。ところで「朝鮮学校などアジア系の民族学校」と日経も書いているが、これって日本最大のアジア系民族学校である日本の小学校もこれに該当するのだろうか。
▼忙殺され新聞読む暇もなくいると多摩のD君より米国政府内部ではパウエルが「保守派が外交失敗の責任追及してるが自分は辞めない」と言った毎日翌日、当の保守派の頭目パールが辞任する毎日などの動き、報せあり。戦時中にもかかわらず(だからこそ?)米政権中枢でネオコンと共和党穏健派のすごい暗闘が展開している模様。我が国では内閣なり自民党なりでこのような動きといへば真紀子大臣の半ばお笑いになつてしまふ。
▼築地のH君はフランス事情気になり産経新聞(27日「山口昌子の眼」パリ支局長)に「大統領は後に、80年に初めてドビルパン氏に会ったときの印象を親しい記者にこう語っている。《彼がやってくるのが見えた。長身のこの青年は外務省のアフリカ部に勤務していた。実に素晴らしい知性の持ち主だった》。さっそうと登場した青年にシラク氏が一目ぼれした様子がうかがえる。シラク氏48歳、ドビルパン氏27歳」とあり「産経新聞にもためになる記事がでる(こともある)、と。確かに。フランスだとこうして美学、それが日本で想像するとどうして三塚博系の脂ぎった代議士と松下政経塾出身の若造の醜い世界想像してしまふのか。

三月二十七日(木)午後に董建華本人「非典型肺炎」について記者会見あり、と報せ流れ政府お得意の14時半(2時に昼食終わり一休みして)とか午後5時といふ観測あったが結局18時15分より衛生福利及食物局長並びに教育統籌局長連れて会見とあり内容は遅ればせながらの学校一斉休校措置と察せられるが焦点は検疫及防疫条例の適用の有無。この条例1936年制定の当時コレラだのチフスといつた南洋の都市襲う疫病に対処するため患者の隔離、対人接触禁止、違反した場合の罰金刑まで課せられる。当然のことながらこれから想像に易きは癩病への差別隔離にて立法会にても法曹界選出の議員Margaret Ng女史この条例により非典型肺炎が伝染病と指定されれば感染者家族だの感染の疑いある者までの拘束可となり適用に慎重なる態度で臨むことを政府に進言。信報社説も感染者に対して徹底した治療は効果あるが間接感染の疑いある者まで隔離徹底したところで今日のように中国内地だの他と人の往来多き社会にあってはその道での感染防ぐこと不可能に近く、ましてや中国政府はWHOの視察すら北京には迎えたものの広東省への実地調査拒むような態度にて内地での不明朗なる実態こそ不安、と。結局、大方の予想通り董建華、明後日土曜から一週間の学校一斉休校措置と検疫及防疫条例を宣布。感染者ばかりか感染者と接触あった者の自己申請と自宅隔離まで含む内容。疫病も、しかしそれよりもこの警察国家化こそ恐ろしきもの。……といいつつ湾仔の地下鉄站にても職員の感染わかり、どうしても地下鉄にて九龍某所に赴くお座敷かかり、待合の方も強気にては座敷を選べぬ芸者のつらさ、さすがに退勤時の混雑した地下鉄に乗るは怖くもあり余もつひにマスク着用。お座敷に向かえば待合、下足番が客にも芸者にもマスク配りお座敷の襖開ければ客もマスク顔、謡い踊るもマスクにて、とんと不景気なる様。お座敷跳ね地下鉄に乗り車窓に映る大きな外科手術用マスクした己の姿見て「あゝ我も21世紀の人なりき」と思ふ。自分ひとりならどうでもいいのだが、いくらマスクしたとはいへ隣の席に坐る者とあヽも大声にてくだらぬこと喋りまくるオバサン連中見るにつけ、あれくらいのオバサンの大声では唾もさぞや飛んであのマスクも敵わなふまひ、と痛感。
▼イラク攻撃のニュースに続き大リーグにて松井だか松戸だかがオープン戦にて活躍、と。かたやイラクの都市は米軍の空爆に遭い、かたやその戦闘機飛ばす側は国にて野球と呆ける。これは国家対国家の正々堂々とした戦いなどではなく(そんなものあったのは日露戦争くらいまでか)単なる侵略攻撃にすぎず、とあらためて思う。

三月二十六日(水)晴。イラク攻撃で衝撃的なるはやはり軍事評論家江畑謙介氏なり。Z嬢よりそのビジュアル的にかなり強烈なこと聞いてはいたがNHKのニュース10にて江畑先生のその御尊顔といふか御尊髪拝し唯々先生のビジュアル的な凄さに圧倒され結局先生のご出演終わっても何を解説しているのか耳に残らず。思わずCGにて江畑先生描く。愚猫いては旅行に出ようと思っても彼を預けるにはかなりの気苦労ありとても長く家空けられずこの10年近く殆ど遠出せぬ月日送ってきたが愚猫も逝去するとその寂しさも一入、これを機に10月に凱旋門賞の頃パリに遊ぼうかと画策。J氏よりかなりまえに紹介されし上環の良心的なる小さな旅行社も連絡とる機会もなかったがようやく訪れE嬢に会う。かなり要領よく仕事こなす彼女に10月のパリにお得な航空券は?と尋ねる。国営イラク航空のバクダッド経由を薦められたら洒落にならぬがおおかたの予想通りエミレーツ航空でドバイ経由。マレーシア航空のKL経由よかずっと安い。エミレーツならドバイでのストップオーバーの宿泊無料では?と尋ねたがそれはこれから夏までの閑散期のオファーだそうで10月は欧州便が盛んになるため「通常」ない、が時節柄どうなるかわからず、航空会社に打診してみるし、また他の航空会社もお得な価格提示がある可能性も高い、とのことでひとまずエミレーツを予約。ドバイも戦地にかなり近いが気にしまひ。米英軍のイラク攻撃、もっと要領よく済むと言っていたが市街地攻撃盛んとなる。そんなイラク攻撃あっても香港の夜のニュース、25分の放送のトップニュースは非典型肺炎にて、イラク攻撃も15分後の追いやられるほど。Z嬢は「じつは感染者数を公表していない中国ではすでに数千人が死んでいる」といふような流言すら耳にした、と。それでも中国での状況も徐々に公表され廣州では680名の感染者で24名が死亡。香港もまだ感染者増加しておりマスクする市民はかなりの数にのぼり、感染者の出た銀行だの香港中央図書館までが閉館。沙田を中心に学校の休校はかなりの数にのぼるが香港政府は未だ全面休校措置はとらず。シンガポールは遠隔地ながら1名の死亡者あり学校は来月6日までの全面休校だそうな。一概に全面休校で何が避けられるのか、といふ気もするが九龍湾のマンションでは同じ棟の5世帯で感染しており、もうこうなると家からも出られず、か。政府は「人ごみを避けましょう」などと宣ふが香港にて人ごみさけるには郊外の山にでも入らなければならず。が実際に銅鑼灣なども心なしか人出減少。上述した旅行代理店に出向いたついでに上環の香港藝術発展局にて来月の香港国際映画祭の通しの入場券受け取る。昨日から配布ながら出向いたら「これからパウチッコの機械温めてパス作るから20分後に来て」と山形国際映画祭よかのんびり。今晩、沙田にて競馬あるが忙殺され出走馬見る暇もなくテレビ中継すら見ず。
▼ 俳優・古尾谷雅人氏自殺。故人には失礼だが大森一樹監督の『ヒポクラテスたち』(1980年、ATG映画)はこの古尾谷氏がそれまでのにっかつ作品から初の「まともな」作品で主人公演じたが、伊藤蘭ちゃんと脇役でも柄本明の強烈な印象ばかり。なぜか『家族ゲーム』の故・松田優作を私はこの古尾谷氏と思い違いすること多し。
▼弔報といへば同じく俳優の天本英世氏も23日逝去(享年77歳)。仮面ライダーの死神博士。お住まいが代々木の郊外だったのだろうか何度か富ヶ谷のほうから渋谷のほうに颯爽と歩く氏をお見かけしたことあり。個性的な風貌で黒マント姿、それで公園通りの坂に渋谷公会堂の角から現れたお姿は千両役者。東武ホテルのロビーも氏が通りすぎるだけで映画の一シーンのよう。

三月二十五日(火)晴。夕方地下鉄に乗るとマスクした人多し。数えると十人に一人くらい。多数といふわけではないがマスクが目立つ。献血。肩こりがひどくなると前回の献血より三ヶ月が優に過ぎていることに気づき銅鑼灣の献血中心に赴けば気のせいか献血者少なく待たずに献血の順番となる。丁度Z嬢より電話あり思わず「いやー抜いてもらってすっきりしたねぇ」と、それぢゃヘルス出てきたオヤジの如し。帰宅して晩酌しつつNHKの「クローズアップ現代」見ていたらイラク戦後に民主主義の導入を画策する米国だがそれが受け入れられるかどうかという点について出演する解説者=当然、専門家なのだろうが「今日まで米と味噌汁だったのが明日からパンと珈琲だといわれるようなもので衝撃は大きい」と宣う。なんだこの喩えは(笑)。これが衝撃大きいのは「とらや」の竜三とつね、寅の当てた福引でリゾートホテルにでも行った時の朝食での感想程度だ、これぢゃ。こんなのが全国にむけて放送されているのだから……平和ボケなのだろうか、でもそれ以前の問題としてクローズアップ現代なんて誰も見ていないか。やたら米軍の武器の紹介多いのも日本の報道番組の特徴、じつはそんなことでお茶を濁している、CNNにしてもBBCにしてもそんなことする暇あったら英国議会の生中継していた。
▼ブッシュ、ロシアに対してロシア企業が国連の武器禁輸措置に違反してイラクに兵器輸出を行っているとして強い懸念(こちら)。イラクだけでは済まぬことになりそうな気配。もう5年くらい前だが某企業の駐在員で「世界が危機的状況にあることが誰もわかっていない」と宣われ香港の日本人にそれを伝えなければと行動起こそうとし会社を飛び出し他の駐在員が馳せてこの方を拿捕し精神衰弱といふことで日本に送還されしことあり。当時はこの方が精神病であるかと思われたわけだが実はこの方の不安は正しかったのかも。アカデミー賞ではュメンタリー部門賞はボウリング・フォー・コロンバイン」、マケル・ムーア監督受賞スピーチで「我々はノンフィクションが大好きだ。なのに今は、イカサマ選挙で決まったイカサマの大統領をいただいて、作りものの世界に生きている」とブッシュ批判。「イカサマの理由によって戦争が始まった。イカサマの情報が流れている」と続け「我々はこの戦争に反対だ。ブッシュよ、恥を知れ。お前の持ち時間は終わった」と述べた。これが米国の「国体」なり。この人が壇上に上がれば何を言うかはわかっていること。それを承知で壇上に立たせた米国の自由、ただ悪くみれば形骸化したアカデミー賞を盛り返すにはこのムーア監督に賛成する者も反対する者もアカデミー賞に関心もつわけで、そこを狙った商業主義といふ見方もできなくもなし。ただし日本でいえば日本アカデミー賞で原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」がドキュメンタリー部門をとるようなもの、奥崎謙三氏を壇上に上げるか、といえばどんな「見せ場」が欲しい電通とテレビ局だってそれはできぬわけで、それから比べれば米国の精神、大したもの。
▼築地H君が今日の産経抄をとにかく読んで(笑)と教えてくれた。
産経抄よ、今からでも遅くはない、涙を流して反戦デモに加わっている純情な若者たちに向かって語れ、という叱責の投書をいただいた。“必要悪”である戦争の真実を語れ、と。そう、小欄の努力は足らなかった。遅ればせながらそのことを書こう。 
テレビには「反戦平和」のプラカードを掲げた人たちが映っている。「反米」を叫ぶ若者もデモをしている。その顔の多くは純粋であり、真摯(しんし)であり、ナイーブである。市民が戦火に巻き込まれる現状を嘆き、戦争の悲惨さを訴える姿には、ほとんど同感を禁じ得ない
しかしここが大事な点だが、ちょっと考えてほしい。戦争か、平和か、どちらを選ぶと問われれば、だれだって平和を選ぶ。戦争は嫌だ。だが国連安保理の偽善のように、ただお題目の平和を唱えているだけでは、平和は歩いてこない。
時としては血を流さなくては平和は築けず、奪い取ることができない場合がある。ひょっとすると、戦争を始めるより平和を作るほうが人類の努力のエネルギーを余計必要とする場合さえある。実は、今がその時だといわないわけにいかない。
戦地へ赴くアメリカの海兵隊の若者に「どうしても征くの?」と母親が問うと、「平和を守ることは誇りで、それがぼくの信じる道だ」と答えていた。そんな同盟国アメリカの若者たち十数人の血がすでに流されている。捕虜や戦死者の映像もイラク側によって放映されたという。
戦争の悲惨さには胸を締めつけられずにはいられない。しかし今の事態をストップさせるのはサダム・フセインの“決断”しかないのである。「反戦」デモをするなら、フセインに向かって「即時亡命を」と叫ばなくてはならない。それが筋道というものではないか。
何も言うことなし。この真摯でナイーブな命まで犠牲にして地球を守る平和主義。お見事。米軍の兵隊もこんな戦争に狩り出され不幸だが自らの意思で戦場に赴いたその10数名の生命よりバクダッドで爆撃くらう500万の市民の悲劇は大きいのでは? 産経新聞ってこれくらい書けばせめて米国大使館と在日米軍基地で参考までに、って数十部は購読してくれて購読数1,000,030部くらいにはなるのかな(笑)
野坂昭如氏が書いている。
開戦後の小泉首相は、初めてはっきり、アメリカの攻撃支持の理由の、大きなものとして、北朝鮮の脅威に触れ、抑止力を有するのは、米国だけ、故にと明言。開始以前にこれを言えば、北朝鮮大騒ぎしただろう、だから「雰囲気によって」と言葉をにごしていた。
小泉首相の支持、支持理由説明の演説は、かみしめて考えるべきだ。これからの日本はどう生きていくのか、改めて多くの選択肢に直面、間違えると、とんでもないことになる。
【1】今のまま。
【2】北朝鮮、中国、ロシヤの軍事力と張り合う、備えを持つ。究極は、核弾頭ミサイル搭載原子力空母。こんな小さな国で、相手の攻撃を抑止せしめるには、これしかない。
【3】農業を復興。職人的分野に属する精密工業に力を入れる。観光立国、フジヤマサクラゲイシャガール。生活水準は、多分、昭和35年〜9年あたり。
【1】は問題先送り。いつの日か、日本列島は、戦場になる。アメリカは助けてくれない。
【2】は、アメリカが許さない。
【3】は、経済、金融、農業、福祉厚生大恐慌の後でなきゃかなえられない。非業の死をとげるより、これに耐えるほうがずっといい。とりあえず、「自立」「プライド」「主権」など、既製のカッコ良い記号にこだわらぬこと。
アメリカは、中東、カスピ海周辺の石油を押さえると、モンロー主義になるかもしれない。仮装的中国だけを考えて。資源のない国が、角突き合せ、血を血で洗う戦争を繰り返すなど知ったこっちゃない。
次の知事選は、不謹慎ないい方だが、おもしろい。都政とは関係ないが、都民の国際感覚が問われる。
……と。【3】いいねぇ、これ。井上ひさしの吉里吉里国のような。最後の都知事選への言及。そう良識が問われているのだが、石原以外に選択肢を持たぬ東京、石原が国際感覚でどれだけ狂っているのか、は少しはわかっているのだろうが、それと石原が積極的に行なおうとしている都政改革は別モノと理解してしまう都民の知性。東京という都市が世界でどれだけ大きな役割を担っており、だがそれが世界と言葉すら通じないのだから実際の力を発揮せず国際感覚からどれほどズレてしまっているのか、ということが石原が都知事に再選されてしまうことがよく象徴している。
▼多摩在住のD君より。イラク攻撃に「7割から8割が反対」だったはずの世論が、開戦後はかなりのパーセント(各種世論調査で4割前後)で「政府の対応を評価する」に行ってしまった、と。その理由はどうも「北朝鮮」らしい。以下、D君の文章を引用。
都内某所でビラまきしたときも、「北朝鮮の攻撃から守ってもらうためにはアメリカに逆らえないんだ」というオジサンがいた。そのときはとっさに「北朝鮮の先制攻撃なんて、宇宙人が攻めてくる程度の蓋然性しかありませんよ」と返したのだが、(米国の)先制攻撃が現実化したことで、(米国のそれを北朝鮮が現実に見てしまったことで)北の脅威は宇宙人よりも可能性が高くなったとみます。だいたい「抑止力」っていうけど、ホントに攻撃しちゃったら抑止力じゃないでしょう。たんなる軍事的脅威(北にとっての)だ。「手を出したらやられる」と思わせるのが抑止力。「手を出さなくてもやられる」なら、「やられる前にやる」ということだってありうる。
「北朝鮮脅威論」によるアメリカ支持論は、あらゆる意味で成り立たない、それどころかぎゃくに脅威を増していると思われます。
まず第一。イラクの武装解除は、戦争なしで国連の監視下に進められており、これは「戦争抜きの解決」ぼ先例となるべきだったのに、アメリカがぶち壊した。北朝鮮は「査察に応じても攻撃されるなら、今後は国連の核査察に応じることは無意味」と判断せざるをえない。「イラクは核をもっていないからやられた。わが共和国はより核武装を強化せねば生き残れない」として、北朝鮮が核開発をより進展させることは必至。つまり逆効果。
第二。「先制攻撃で解決」という先例を、もし北朝鮮に適用するなら、次は北朝鮮と戦争? それはわが国(笑)にとってリスクが大きすぎる。まず、米軍に攻撃された北朝鮮が報復攻撃でテポドン打ち込むのはどこの国だ。米本土までは射程が届かない。韓国は反米世論を見方につけなくてはならん。日本であれば、国民感情からいってもなんの障害もなし。つまり「米軍が北を攻撃すれば、北は日本を攻撃」という図式。かえって軍事的な危険性を増している。
第三。では北が日本を先制攻撃する可能性はないのか。宇宙人の先制攻撃よりは可能性が高いかもしれない。しかしそれをやれば、北の政権が生き残れる見込みはない。なにしろ先制攻撃をやっていいのは、アメリカだけ。それだけのリスクをおかして自暴自棄の先制攻撃をかけることがあるとすれば、よほどアメリカの軍事的圧力が強まって「このままではイラク同様潰される。座して死を待つより、せめて一太刀なりとも日帝に」と思いつめたときしかありえない。
第四。北の脅威がもしあるとすれば、それに対応するために安保理を強化しなくてはならないのに、今回の戦争はそれに逆行した。前項で「北の先制攻撃はありえない」というのは米軍の抑止力が前提ではないか、という疑問もあるだろうがそうではない。あくまで国連安保理による国際的な枠組みで対応できるのである。実力部隊としては、当然米軍もその一部に想定されるとしても、侵略行為を抑止するのは、一国の軍事力ではなく多国間の枠組みでなければならない。というのは、米軍は北朝鮮の抑止力にはなりうるが、米軍の抑止力は存在しなくなってしまった。これはキワメテ深刻な脅威。米軍が「日本本土に多少の損害がでるかもしれないが、アメリカの国益を総合的に判断して北朝鮮に先制攻撃かけることにしました」といったとき、もう米軍をとめる手段はないのである。
というような合理的な根拠を述べたとしても、「いやあの国は何をしでかすかわからないので、あらゆる可能性に備えねばならない」という人もいる。しかし「相手は何をしでかすかわからない」という前提に立ってしまうと、それに対する対応策もあらゆる想定をしなければならなくなる。可能性ではなく蓋然性で考えなければ、外交政策はありえない。北やイラクといえども、現実世界を生きてるわけですから、「生き残り」のためのリアルな状況判断は、必ずしていると思います。
フセインはフランスやロシアに石油利権を与えることで彼らの権益を保護し、核査察を受け入れることによって、安保理を敵に回すことを回避して、世界の世論によってアメリカを抑制しようとした。これはすごくまっとうな生き残り戦略であり、国際ルールにのっとるかぎり、成功するはずだった。ところがブッシュの方が一方的に「ゲームイズオーバー」(笑)で、ゲームの途中でルールを変えてしまったわけですよね。
つまりこれは「国際法にしたがっていては、身を守れない(こともある)」という教訓を将軍さまに与えたことになるのではないでしょうか。国際法に基づいて行動すれば利益になると思えば、そう選択する。利益にならないと思えば、そのように選択する。これはアメリカも北朝鮮も同じなのではないですか。
いかな「ならずもの国家」といえども、遵法精神の問題ではなく、国際法がじぶんの生存に役立つかどうかという判断は行う。国際法や国連をタテにとれば生き残れるのか、あるいは逆に自国の行為が国際法に基づいて制裁を受けるとすれば、それはどの程度のものになり結果はどうなるか、というようなリアルな状況判断は、絶対にする。どうみても勝算のない大東亜戦争に突っ込んだわが国にしたって、最後はちゃんと「どうすれば天皇制は生き残れるか」という計算ずくで行動したではありませんか。
どうだろうか。以上のような論理で「北朝鮮脅威論」とそれを根拠にした「アメリカ追随以外ありえない論」は、じゅうぶんに論破できるだろうか?
……と以上、D君より。思いまするに、今回のイラク攻撃で、ほんと北の将軍様は世の中が法治できない、ってことをつくづく思い知ってしまっただろう。かといって将軍様は戦争ということの愚かさも知っていらっしゃるはず。いったいどういう戦略をお考えのことか。いちばんいいのはそういった愚劣な世界と決別して栄光の孤立主義を貫徹、地上の楽園の建設だけだろうか。でもそれがほんといちばんの得策では?と思ったりもする。
▼ 一昨日の蘋果日報(副刊)にて蔡瀾氏が今年4月から大阪市立美術館で開催される「海を渡った中国の書」と題するエリオットコレクションと宋元の名蹟の展示会を紹介している。それはいいのだが、で、連載でそれで何を述べているかというと、つきましては旅行団を結成します、この書展、京都奈良の古跡を訪ね、有馬温泉も泊まり美味しい神戸牛を食べましょう、日程や旅費などは後日公布、と。企画は悪くないがこれって自分の名前使った旅行団の宣伝なわけで、それなら広告として登刊すべき。香港一高い稿料もらって連載の随筆でしてしまうのって「いけないこと」だろう。が、大家ゆえに誰もそれを指摘できず。ご本人はどうせ何を言われても老境に達して天真爛漫、何でも許される、とおっしゃるのだろうし。

三月二十四日(月)曇。非典型肺炎いまだ猛威衰えず。今月14日に今回の肺炎の治療とそこでの感染あったPrince of Wales Hospitalを視察した医院管理局の行政総裁までが感染していたそうで、昨日、教育統籌局の李國章局長(東亜銀行の李Baby國寶頭取の弟)は感染者の発生した学校の休校措置だの家族に感染者がいる学生の休学措置だの発表、各学校に学生下校後に「漂白剤」の水溶液、ふつう使用する場合は1対99に対して1対49で教室などの消毒を促している、が、余の素人理解では漂白剤というのは洋服や黒人歌手を漂白するものであって猛威をふるう伝染病の予防には効果があるのかどうか理解できず、畏友M君が東京大学医学部付属病院の医者に尋ねたらイソジンの原液ぶっかけたくらいでも効果なし、と。そうだろう。ほんとうに戦争に関係ないような人ほど戦争のリスクでの海外渡航自粛とか、マスクして観光ツアーに励む日本人ツアーとか、可笑しいほど。M君に三島先生の『仮面の告白』にも空襲を受けた人たちがワクワクしながら不満をぶちまける場面あり、それを彷彿と。多摩在住のD君の指摘は、今回の小泉三世による米国のイラク攻撃支持は小泉本人ばかりか外務省の親米派のセンセたちも口を揃えて日米の同盟関係に基づくことを強調、だが実はこの支持が日本国憲法どころか(といっても彼らは改憲したいのだから憲法尊重するわけないのだが)彼らの玉条、「不磨の大典」であるはずの日米安保条約にすら違反していること。じつは日米安保条約というもの安保、安保とは言っても実際の条文をこれまで見たことなかったが、これが国連憲章に従うもの。
締約国(つまり日米両国)は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
とあり、今回ブッシュが蔑ろにする国連について
締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。
としている。岸があそこまでやり遂げた日米安保、戦後の日本保守政治の大典、これがあったからこそ今日の日本の繁栄が築かれたと謳われる日米安保条約に違反することは戦後保守政治における国賊。D君曰く「国連は無力だから、外交の基軸は日米安保」という人は、条文を読んでいないか、と。そういう輩はもはやネオコンがエージェント、売国奴だろう。破防法であるとか新左翼だのオウムだのばかり対象にしているが、こういう日米安保蔑ろにして国家を破滅の方向に向かわせる輩こそ、こういった法律でも適用して取り締まっては如何だろうか。晩に美孚にてばったりと遅い食事に向かうといふS君、H先生、B氏と邂逅。誘われて美孚の福臨漁港なる料理屋。時節柄客足遠のくなかビールは小瓶6本HK$10とただ同然で客足引き止めようと懸命。

三月二十三日(日)曇。ダービーである。ダービー(芝2000m)昨季はOlympic Express(Allan厩/Marwing騎)、2着のPrecisionに0.5秒の差で1着、3着にDashing Winnerが37倍ながら入ってから1年。今年は祝福Bowman’s Crossing(Oughton厩/Whyte君)が前評判高いが1番人気はElegant Fashion(Hayes厩/Mosse爺)、未知数だがあやしい馬。Dettoriが客串で同じHynes厩のHelene Momentumに騎乗、今季Dettoriは12月のInt’l Cupでも全く冴えず挽回を期待したいところ。Allan厩はMarwingの出場停止で一押しの自家飛Self Fitの騎乗を頼維銘としているがAllan調教師が頼君を指名するのは「頼維銘じゃ駄目だろう」という大方の予想とは裏腹に「頼維銘で大丈夫なくらい馬は万全」ということ。Size調教師は心願Gift(Dye騎)とJC主席馬の駿河River Dancer。祝福かElegant Fashionと悩んだ末、祝福をとり、QでEF、それにDettoriに期待してHelene Momentumを脚に。HMはPに期待かける。が祝福さえず自家飛がレース引っ張りEFが辛勝、自家飛は2着に残り4頭で挑んだHayes厩のReverly Green(Dunn騎)が3着。祝福は心不全とレース後に報告あり。R5はG1で1000mのThe Century Sprint Cup、今季のSprint三戦の中戦、Grand Delight(Size/Dye)と昨季の覇者Firebolt(Allan/Dettori)の一騎打ち。GDに軍配は上がりFireboltが二着、0.56.7と時計はスローだが白熱、ただし3着に昨季2着のAll Thrills Too。拉ont size=-1>iHayes/Mosse)とがちがちでTrioがわずかHK$23という結果。実はこのレースこのHK$23のTも取ったのだが、脚にCape of Good HopeとAnabankというお気に入り入れた5頭で1、2着の2頭軸に5着まで的中〜!だが馬券はHK$23で赤字(笑)。この5頭除いたら短距離は他に馬はおらず。R7は芝1600mでThe Chairman’s Trophy(G2)、昨季はDr More(Size/Dye)は2年連続で出走するがいまいち、電子麒麟(Size/Fradd)ダントツで、となると2、3番手選びが面白いのだが、昨季ダービー2着のPrecision(Oughton/Whyte)、Charming City(Hayes厩)もDettori騎乗で、この2頭を脚にする。が、1600mぢゃ無理だろう、この馬は2000mでやっと食い込んでくる、と思っていたら電子麒麟のぶっちぎりは当然として馬主W氏のGoggles(Moore/Schofield)が飛んだ好調ぶりで2着に入り複勝HK$32つけてQはHK$214.5と電子麒麟の出来レースにしてはかなりおいしいQとなる。まさかGooglesは買えず。それにしても神様Dettori、今季香港では15戦で未勝、今日はどうにか2亜1李で入賞したが今日除けば殿軍1回に5着2回とは情けないったらありゃしない。ディケンズのDavid Copperfield久々に続き読みながら帰宅してワイン飲みながらホウレン草のパイ、ソーセージ。そうそう、昨日今年初めてドリアン購う。今年はまだ3月だというのに熟し具合は格別、やっぱり当たり年かもしれない。ドリアンの残りいただく。NHKのニュース見ていたら米軍はイラン北部のクルド人支配地域の空港3箇所に「到着」……って、戦争の場合ふつう使うだろうか、この表現。敵=イラクが悪で米軍が正義なのかもしれないが戦争なのだ、相手国に攻撃しているのだから攻撃、占拠ではないだろうか。米軍の作戦が予定通り進行しており米軍にとっては「到着」なのだろうが、それを第三国のマスコミとして用いることの奇怪さ。だが日本は世にも稀な米政府支持する同盟国だから当然か(嗤)。そのニュースに続いてテレビ放送50年の記念番組「まだ」続く。今日、競馬場で読んでレースの合間に『週刊読書人』読んでいたら東大だかのマスコミ論の先生がこのテレビ放送50周年の記念番組がいかにテレビが進歩し社会に大きな影響与えたか、具体的には昭和34年だかの皇太子成婚、東京オリンピック、浅間山荘、9-11といった報道で苦労があったか、など、テレビ製作者がみずからの功績褒め称えるだけの放送開始50周年特集で呆れていたが、この番組もまさにそれ。「テレビは日本人の生活にとってなくてはならない……」なんて陳腐な表現をすることに平気、それくらいの誤謬がテレビ関係者にとっては常識となってしまっている、それがテレビマスコミの怖さ。「テレビはテレビ視聴者にとってはなくてはならない……」でしかなく、べつに日本人と括られる必要もないし、日本で在日朝鮮人でもシナ人でも日本のテレビの虜は沢山いるのだ。ケーブルテレビで台湾の局がみのもんた司会する貧乏からの脱出みたいなやらせ的な番組を流していて、ちょっと見て不快極まりなし。テレビがたんに発展しているのでなく、そこで「やらせ」だのみのもんたに象徴されるばかばかしさ(だが、そこに視聴者がいるのが事実だが)も蔓延している負の部分も本当はきちんと鑑みないといけないはず。『現代思想』の<帝国>特集「まだ」ハートの対談を読んでいる。

三月二十二日(土)小雨。朝、電話では何度かお話したものの会うのは久々で旧知のS先生とFortress HillのNewton Hotelで朝食し歓談。Z嬢の乗ってきたバスに乗りミッドレベルにある愚猫の生前の主治医。三平荼毘に付し小さな骨壷に入った遺骨受け取る。エスカレータ沿いを下り蘭芳園、入らずに原稿のためデータのみ。春回堂にて涼茶服す。三聯書店。バスでハッピーバレー、祥興珈琲室でミルクティーとエッグタルト。ジャスコで大分物産展あり二階堂の麦焼酎吉四六購い帰宅。日経ギャラリーに港式ミルクティーの原稿1,700字ほど書く。Z嬢と久々に山に入り歩く。山路でY氏にばったり、そして長く務めたHKDRCの代表を今月末で辞めるPC氏もランニング中。多少耳鳴りありバランス悪し。帰宅しておでん。酒は八海山、からすみも食す。モーツアルトのレクイエム聴く。『世界』4月号の編集後記で日本の米国イラク攻撃支持を徹底的に非難。日本は今、外交の思考停止、政治における対話と説得の不在、軍事の突出という、この不均衡に曝されており、それが日本をどれだけ危地に追いやるか、と。
▼ 支聯会の伍国雄氏昨年の國慶節に中国国旗(五星紅旗)焼いた件につき昨日一審判決あり国旗侮辱罪にて懲役三ヶ月執行猶予二年の判決。被告はこの国旗を焼く行為は中共政権に対する不満の意思表示であり表現の自由を主張、この国旗は模造品であり正式の国旗の図案とも異なるものだったが、判決では当日のデモに50名ほどの参加者がおり国旗を焼いたことでデモ参加者が負傷したり混乱の起因となったことを有罪の理由とした。国旗侮辱罪としておきながら有罪の理由は国旗侮辱でなく混乱造成。被告が個人的に不満表明するにしても、国旗は中国、中国人民と人民の尊厳を象徴しており、公共目前での国旗の侮辱は許されない、というわけ。個人が勝手に庭で国旗を焼いていたら有罪にはならない、ということか。米国でもこれについては連邦最高裁で無罪判決があり、沖縄の知花氏は確か公共物破損か何かで有罪となっている。
▼ 日経も教育基本法改正について「教育を巡る社会の環境は半世紀を経て大きく変化した。時代にふさわしい理念の再構築を通して、日本の教育の混迷を打ち破りたい」などと書いている。環境が変化したから、などといふのは言い訳にすぎず。憲法、教育基本法は普遍法であることを理解すべき。国家と教育の理念を述べる法だからこそ刑法や民法など現実に対応する法とは違い改定も必要ない普遍法なのである。それをまるで刑法、民法のように現実に即して変えていかなければならぬような認識は間違っている。ましてや基本法変えれば教育の混迷が解消されるなどというのは明らかな誤解。
▼米国によるイラク攻撃、ブッシュ二世自身が小泉三世に電話すべき予定だったが「夜に軍事行動を始めるとの判断がなされたため大統領が直接電話できなくなり」それで国務副長官になったそうな。しかも韓国には日本より三時間もまえに副大統領から事前通告あり。これが同盟国だろうか。そうぢゃない。外務省は「三時間前というのはありえない」とか「近く何かやるという連絡と、いつ何をやるということは別」などと言い訳しているが、結局、具体的に「北」と対峙している韓国こそ軍事最重要拠点として扱われるが日本などどうでもいいのだ。外務省の親米のセンセ方はこういった現実をどう解釈するのだろうか。

三月二十一日(金)曇り。戦争が進行している。イラク国民の不幸だけが断じて許されるべきちゃないが、この戦争によって世の中どれだけバカがバカに右往左往しているのかがはっきり見えてきた。インターネットのおかげで世界中の情報が手にとるようにわかる。すごいことだ。とにかく今は情報があるのだ。客観的に考察できるだけの情報がたんまりとある。自分が生きているうちにこんな時代が到来するとは空想はしても現実になるとは思ってもいなかった。でも、もし大東亜戦争下の日本にいたら、こんなこと考えられなかっただろう。あの当時、情報なんて海軍幹部か外務省の吉田茂らを除いたら権力の外では東大法学部あたりくらいに限られてはいたがかなり的確な情報が入っていた程度で、そんな時代にあって羽仁五郎だの監禁拷問されても転向しなかった宮本顕治らは確かに偉い。それにしても、戦争にも肺炎にも実際に被害受けるリスクの低い人ほど、なんか「パニックの真っ只中」みたいな感じでいろいろ心配したりしてる。きっとそうしていることが国際社会のなかにいることのようで楽しいのだろう。お気楽だ。晩にZ嬢と金鐘の秘園にて朝鮮料理。サムゲタンとか美味いのだが注文すると10分くらいの間に全部の料理並んでしまうのは理解できず。もう少し卓毎の人数と食べ具合により料理出すタイミングを考えられないものか。真露クーッと飲みながらこれって朝鮮日報系のスポーツ紙だろうね、眺めていると、やっぱり同じ文化だと思う。中環横切り、そこまで歩くか、というくらいの散歩でXTC on Iceでジェラート。道すがらLandmark横に数多のタクシー止まり停車禁止の処に客拾えるまで憮然と動かぬ車、幸いにも客拾ったものの前に進めぬ車、お互いがんとして動かずクラクション鳴らし喧騒とした雰囲気あり。不景気は人の心も殺伐とす。久々にかなり飲んでいい気分、ただし帰宅してもマッカランを飲む。
▼昨日の新聞各紙に香港大学社会科学院香港ジョッキークラブ自殺防止研究センター(これは念のため、ジョッキークラブ関係者の自殺防止研究ではなくジョッキークラブが出資した研究所である)の調査結果として2001年に2,586名の中学3年から7年(日本の大学予科に該当)の学生を調査の結果、13%の学生がこれまでに自殺を考えたことがあり7%以上が1回以上自殺を企図し、女子が男子より自殺志望が高く、14歳以前に性行為を経験したり家族不和あったり薬物だの飲酒だの外見がブスだのといったことが自殺を企図し易く、14歳以前の性行為は自殺を企図する機会が性行為なき学生の3.08倍に達する、と。バカじゃないのか。まず自殺防止研究センターなる意図的な組織の維持じたいが大問題。自殺を救うようでいて自殺がなかったら商売上がったり、かういふ組織が客観的な調査などできるはずなし。どうにかして自殺をネタにする意識が働いてしまう。次に2,001年に2,500名程度に施した調査の結果集計に1年も有することのバカバカしさ。そして分析内容でいへば、自殺なる思考は人間に与えられた崇高なる思惟であり、それを考えるようになったことこそ思考回路が作動している証拠、つまり大人になればなるほど自殺を考えることくらい一度や二度あることで、満7歳児の13%が自殺企図ならニュースにもなるが思春期など自殺くらいちょっと考えてみるくらいの思考実験が必要なわけで、それを騒ぐのがバカ。そういうことを考えてみる自分を客観的に「眺めて」みるようなことが自我というふもの……下らないことだが。14%が自殺を企図したことあり、など一笑に付していいが、だいたいこういう質問を10代のガキにしたら、ちょっとそんなことYesと答えてみたいのが年頃といふもの、しかもその自殺企図の水準といふのは千差万別、一概に自殺企図といってもそれが本当に死にたいと思ったことなのかウンコもらしてしまった時なのかもわからず。14歳以前に「ヤッちゃった」子が自殺嗜好が3.08倍なる数字も、こんな若いうちにヤッちゃう子って早熟なわけで、早熟だからこそわけのわからないいろいろなことを妄想するのであり、そのうえヤッちゃった結果、それが親の知るところになったとかナオンが妊娠してしまったとかいろいろ具体的な問題など発生したら、それこそ「あー、死んでしまいたい」と思うわけで、そりゃそういう子のほうが14歳で性体験どころか自慰すら知らぬ子に比べたらこんな調査などあれば「自殺」という言葉には機敏に反応しよう。つまり10代の子の自殺傾向など深刻ぶって報告しているが、所詮、飯の種、10代の子の自殺傾向などより、この研究する者の<まなざし>こそ異常なのだ。あーいやらしい。
朝日の社説「宗教戦争にするな」って、戦争が始まる前に「戦争するな」って声高に言ってほしかったねぇ。この「宗教戦争にするな」内容は論外、当然のように読むに値もせぬが、それよりなんなんだろう、あの改行。ワードに落として計算させてみたら2,044字で61行の社説で段落は36。つまり2行で1段落。詩か? 敢えて短文を改行、改行で抑揚つけたようなレトリックの文章でもなし。青木雨彦の随筆ぢゃないんだから改行で文字数稼ぐな、って。情けなし。
▼中教審は文相に教育基本法改正の答申。せいぜい頑張って「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」に励んでもらいたいもの。新たに必要な理念は「社会の形成に主体的に参画する『公共』の精神、道徳心、自律心の涵養」「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」を基本法の前文か条文に盛り込むよう提言。何度でも繰り返すが、21世紀にもなって「日本人」に拘るを得ぬ後進性、公共心だの道徳だのといふものはお題目では育たず先達の生きる様を見て学ぶものにてダラシナイ君たち見ていてどこでそれが育つものか、伝統だの文化なるものは官がとやかくいふものに非ず自然といいもの美しいものは敬称され育まれる、伝統と文化といえばカラオケと漫画だけで古典はいふに及ばず鴎外、一葉の文語体すら解せず馬琴西鶴など遠き彼方、それでいて何が文化か伝統か、所詮、明治に空想されし国体を以て有史以来の伝統と誤解しそれを育む程度の無教養、嗤ふばかり。郷土を愛せ、国を愛せと……恋こがれる相手に「愛してくれ」と言ったところで自らに魅力もなければ愛されもせず。無残。どうせダメなんだからとことんダメになってみたほうがいい。
▼大丈夫だろうか、イラク情勢ぢゃなくて我が外務省は。海外安全相談センター(URLはこの富柏村サイトでは有名は「パブ安全」だ、良かったな「スナック安全」じゃなくて……笑)の情報で「20日付外電によれば、同日、タリバーン最高指導者オマル師がイスラム系ウェブサイトに掲載された声明(本物かどうかは未確認)の中で、イラク国民に対しジハード(聖戦)を呼びかけていることが伝えられています」と。ふだんほとんど役に立たない情報だがそのイスラム系ウェブサイトのURLまでご丁寧に掲載されていて(こちら「ほぅ」と思ってこのイスラム系ウェブサイト、しかもyahooにこんなのが存在してるのはかなり興味深く覗いてみたら、おいおい、これってただのyahooの書き込み掲示板サイトだよ(笑)、オマル師本人かどうか未確認ってIPアドレスででもオマル師本人かどうか確認でもするのか。こんなの誰でも匿名でもどんな名前でも書き込みできる。今すぐブッシュの名でも書き込みできる。しかもせっかく外務省がこのサイトのURL教えてくれてもですね、このサイト、アラビア語なのだ(笑)。最高だぜ、でもこんなのいちいち外電で流した通信社は何処だ?(笑)、お願いだからどこかの国がそんなの政府情報で流しちゃうからお願いだから配信止めてください。マジに、外務省も、この外電ちゃんと検討していたら、そのイスラム系ウェブサイトも見てるわけで、そしたらアラビア語のサイト、紹介しないよな、普通。それともアラビア語くらいに閉口しないのかな、外務省は。嗚呼、香港の肺炎心配するより日本の脳炎のほうが憂慮される現実。
▼連日山のように送られてくるジャンクメールのうち大部分はnetvigator.comのフィルターで防御されているのだが、正式にこちらのアドレス宛で送信されてくるメールは残念ながら拒否できない。その一つが、もともとはこっちが申し込んだのだから仕方ないのだがアップル社(香港)のApple Clubの会報。あれだけMac機愛していながらWin機に乗り換えたのは大政翼賛会への「転向」だが、それにしてもMac機にかつてのような魅力がないのが事実であって、いずれにせよ毎日のように送られてくるメールは無味乾燥、これまでに何度かunscribeをウェブ上でしたが完了されず電話をする。大きな会社ゆえ自動的にテープが答えるかと思ったらちゃんと人間が出た。おっ、さすがユーザーフレンドリーな会社だ、と感心。そこで「Apple Clubのことで」と言ったら転送されたのはいいが、ここでテープにまわされた(笑)人間が出るのは上客であるとか内輪のためだけらしい。そしたらセールス1番、故障2……と続き人間とも話せないしApple Club はどこにも該当もせず。もう一度電話したらまた人間が出て「Apple Club はどこかわからない」と言ったら「8のプロテクションプランだ」と言われて電話を切られた(笑)。もう1度電話して「テープにまわせ」と。それで8にしても誰も出ず、あとからまたかけろ、とメッセージで切られた。何度かけてもこの繰り返し。ようやく電話が混雑しているのでメッセージを残せ、とあって残したが案の定電話はかかってこない。ダメだな、あの会社。晩に再度電話して最初に電話にでた人間に事情を説明してようやく担当者に伝えるから、と。しばらくして返答あり。ようやく用件伝える。だいたいコンピュータ会社でありながらウェブ上での登録、取り消しがうまく作動していないのだからどうしようもない。
▼昨日の日剰にて述べた、1921年に民族も宗教も異なるバスラ、バクダッド、モスルといふ三州が英国によって「イラク」と人工的に創り出されたという事実、昨日書き忘れたが、これを考えるとかりにイラクが「解放」された場合、この無理やりな建国で彷彿するのはチトーのユーゴスラビアであり、チトーの死と共産主義の瓦解によって発生したユーゴ内戦と混乱が、このイラクの地に起きはしまいか。パンドラの函を開けたようなもの。

三月二十日(木)雨。雨空はこの季節ながらふだんならじっとりと肌湿るはずが冬のような寒さ。米国によるイラク攻撃始まる。「イラク国民の解放」なのだそうだ。開玩笑。解放されるどころか世界席捲する<帝国>のmultitudeの一人にされてしまうだけ、解放どころか<帝国>の囲い込みに他ならず。『世界』4月号で、どうせ誰も読んでいないだろうから紹介しておこう、寺島実郎氏の「能力のレッスン」第12回「不要な戦争を拒否する勇気と構想」は目から鱗落ちるほど。イラク攻撃、バクダッドに空爆始まったが、実はバクダッドのことなど我々は何も知らず。世界史の教科書にあった四大文明は大河の流れに培われ、メソポタミア文明はチグリス河とユーフラテス河、じつはそのチグリス河がバクダッド市街を流れているとは。バベルの塔だといわれる遺跡もバクダッド郊外に在る。そこがいま米軍の空爆を受けているのだ。だがこの土地の不幸は今に始まったことではなく、400年ほどオスマントルコ帝国の支配下にあった此処は1914年に英国の占領に遭った。英国は今回のイラク攻撃で米国と歩調を合わせただけではなく、それ以来、この地は「大国のエゴと無責任」(寺島氏)によって翻弄されてきた。実はなぜチグリス河からのことを綴ってゆくなかでイラクという国名用いらぬかといへば、1921年に民族も宗教も異なるバスラ、バクダッド、モスルといふ三州が英国によって「イラク」と人工的に創り出されたという事実。恥ずかしながらそのような歴史を一切知らず。寺島氏は米国はまさにバベルの塔を建てた民が如し、と指摘。確かに「去来(いざ)(まち)と塔(たふ)とを建て其(その)塔の頂を天に至らしめむ斯(かく)して我等名を揚げて全地の表面(おもて)に散ることを免れんと(創世記第11章)といふ一節は米国の傲慢さそのもの。で、寺島氏が指摘するのは9-11のテロ以降の展開としてイラク攻撃浮上したと考えがちだが事実はさに非ず。実はPNAC(新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト)なる政策集団あり、クリントン政権の軍縮に不満もつ共和党タカ派と民主党新保守主義、それに軍産財閥などにより97年に成立されたのだが、ここの中心人物が湾岸戦争時の国防長官で現ブッシュ政権の副大統領チェイニー、現国防長官ラムズフェルド、同副長官ウォルフォヴィッツ、国務次官ボルドンなど今回のイラク攻撃推進の核となっている連中。彼らの目的は米国軍事力の再建であり、湾岸戦争からの因縁あり97年当時からイラク攻撃が仕組まれていたのだ。そこにブッシュの登場である。つまりブッシュがこの顔ぶれを集めたのではなく、PNACありき、で彼らが目的達成のためいちばん理想的な大統領、つまり一番自分たちの言うことに従ってくれる、つまり史上最高のバカを大統領に仕立てた、と考えると非常にわかりやすい(この部分は寺島氏でなく富柏村)。で、そこに奇跡的に起こったのが9-11の惨事。これを機に一気に米国再建図りたかったが残念なことにテロとアルカイダの直接関係づけもできず、イラク攻撃する根拠として「テロとの戦い」使えなくなり大量破壊兵器だの国連決議違反を理由に。だが寺島氏が例として挙げるのは1967年の第三次中東戦争後にイスラエルの占領地撤退を求めた国連決議242だってイスラエルは違反したまま、大量破壊兵器にしても世界一の保有国は米国。だから不必要な戦争なのだ。また米国はイラク占領果たした折には1945年の「日本モデル」を戦後改革に用いる、としているが同じ『世界』で日本占領研究を専門とする日米の25名の学者が連名でこの日本モデル利用など現実的に無理であることを共同アッピール。「日本の占領は近隣のアジア太平洋諸国から支持され、占領政策はこれらの国を含む連合国で構成された極東委員会によって決定され」「日本の近隣諸国への戦争と占領(15年戦争)は日本と異なる歴史と文化を持つ国への侵略であったために連合国の占領は近隣諸国によって受け入れられた」のに対して「イラク占領はイスラムという共通の歴史と文化を持つ地域にイスラム国を打倒して欧米的な政治体制をつくるのであるから日本の場合と全く異なる、と指摘。街を歩いても世の中は平常通り、「戦争」など何処で行われているのかしら、といふ空気。ただ余も含め「あぁまた株安か」と呆れ「日曜日はダービーだなぁ」とぼんやりと思っている。だいたい、越南戦争であるとか米国がまだ対共産主義で戦っていたときは少なくとも東側が強くなると自分たちの国も共産化されるのでは?という不安があり、それと対峙する大義名分があったはず。だがイラク攻撃しても、イラクの勢力が拡大したからって自分の国がイスラム化されるわけでもなければイスラムに共産主義のような「悪」というレッテルは貼られていないし。同じ『世界』に英国の作家Caryl Phillipsの紹介特集あり(こちらも)。異色作家で、まだこの人のかなり面白いといわれる小説は読んでおらず。どこか三島由紀夫に近いこだわりと理屈を感じるのだが、少なくても三島先生的には嵌ってしまわず抜け出した感あり。夜遅くにNHKの英語ニュース見ていたら小泉三世、米軍の攻撃開始されたばかりなのに「日本はイラク復興になにができるのか?」と当然、米国がイラク成敗する前提で話しているが、もしイラクが負けなかったらどうする? それにしてもNHKの英語ニュース、まだ日本のこと英語で報道するのは意義がわかるがイラク情勢についてとか報道して日本のこの対イラク問題の事情通でしかも英語で話せるという方が(それだけでかなり選択肢は狭くなっているはずだが)しかもNHKという局で=当たり障りのないことをコメントしてそれを流してですね、いったい誰がそんなの見るだろうか。CNNだってBBCだってあるのだし、わざわざCNN見て番組作ってるNHKで見ないよ。英語ニュース解説に続き「あすを読む」という番組で毒にも薬にもならぬイラク攻撃に関する日本政府の対応、解説する番組あるが朝日の社説よりつらまない。

三月十八日(水)春らしい濃霧に湿気、小雨降る。朝日の社説に(……って購読してないのだけど)「この戦争を憂える―ブッシュ氏の最後通告」という題。おっ、朝日もついに満を持して戦争反対か、と期待したが読んで椅子から転げ落ちる。「日米同盟だけでなく、欧州諸国とも連携した国際協調を巧みに使ってこそ、日本の利益になる。米国が強大化し、国連の権威が揺らいでいる時、日本はその原点を見失ってはならない」って、いったい何をすればいいの?、これって米国も支持しながら欧州にも色目つかって、けっきょく何もしてないこと。これって明確な米国支持よりもっとたち悪し。昨日の「パウエル氏はこれでいいと思っているのだろうか」に引き続き呆れた論調。余りに呆れて朝日の広報部にお電話差し上げる。応対した方も「確かにこれじゃイエスかノーかわかりませんなぁ」と(笑)。「いまの日本のメディアの状況でですね、朝日がはっきりノーの立場を取らなかったら誰がとるのですか? 朝日の読者が朝日に期待してるのはそのノーのはっきりした解答のはずですよ」と言ってはみたが、所詮、論説委員が読者の方ではなく社長・箱島の方を向いて書いているのが事実、期待できないのだ。実は赤い朝日よりも毎日新聞のほうが主張は明白で19日の社説「首相支持表明 その理由をなぜ語らない」は秀逸。同日の「イラク最後通告 決議なき開戦は支持できぬ」も朝日に比べてマシなのだ。暮六ツにA氏とハッピーバレー景光街の正斗。猪鮮腰潤(茹豚レバー)肴に麦酒一飲。ハッピーバレーで競馬開催ながら疲れて一晩競馬に遊ぶ覇気もなく帰宅。中おち丼。テレビ中継で競馬。今晩の冠レースはR5の芝1200mが香港ラグビー総会杯、李格力君一番人気は外すことが多いがHonour Supremeは冠レースに強い伍さんが調教、辛勝だったが一着。本当にハッピーバレーの冠レース、伍さんと李格力君強い。最近競馬場行ってないから当然なのだが伍さんにも李格力君にもおめでとうも言えず。
▼ 田中真紀子という名前、日本では過去の記憶になりつつあるが、 South China Morning Post紙の論説に田中真紀子による “Silence on world affairs carries a price”という論評あり。 要旨は日本は国際問題についての積極的な言及、対応に欠けており、それは戦後半世紀の米国に依存した安全保障のなかで培われてしまったのだが、国防問題も内閣で真摯な議論もされず国民に積極的な討論も呼びかけず、というようなわけで解決すべき問題を解決せぬまま今日に至っている、そういった広汎な議論と取り組みが大切、と、内容はとくに大したことはないが、少なくとも、これがProject Syndicateによる配給で世界の新聞に配信されているわけで、小泉三世はじめ日本の内にしか語れず、しかも語る言葉に具体的な提言もない状況からすると、こうして日本の政治家で英語できちんと世界に発言できているだけもマシ。結局、この田中真紀子であるとか田中康夫であると異端者が海外のマスコミが真に取材してコメントが取れる相手となってしまっているのだ。
▼ 財政司・梁錦松君、新年度予算で自動車登記税の大幅引上げあり、梁本人がその増税案に携わっていながら1月にトヨタのLexus購入……という一件(詳細は今月十六日の日剩にあり)。梁本人は辞表を提出しながら董建華に引き留められているような状況だが、立法会の小委員会にて詰問あり梁曰く妻(オリンピック中国代表で高飛び込み金メダル)と生まれたばかりの娘への愛が梁を盲目にした。英語でも新聞の見出しはLove made me blindなのだが日本ではこういった表現は目の不自由な人を傷つけるから、と、この表現もできぬのだろう。盲は盲、事実なのであって盲というのは視力がないという事実は事実、だがそれを差別することがおかしいのであって、寧ろ盲という言葉すら見えないところに押し込んでしまうことこそ偏見、ましては「目の不自由な人」などという表現こそ差別的ではないか。で、この一件、18日のSouth China Morning Postは社説で「行政長官(董)は梁錦松を更迭せよ」と。かつて英国統治時代は香港政庁の御用新聞的色彩もあったのに、郭氏という財閥に買収されながら政府に対してこの強い姿勢……と評価できる気も一瞬するのだが、先日の「董建華を総書記に」という社説にしてもこれにしても、じつはこの主張は北京政府の本音の代弁機能を果たしているのでは?といふ気がしてならず。
▼ 香港の謎の肺炎は重症急性呼吸器症候群(SARS)というそうな、今日現在123名の感染者で、うち111名が肺炎。現在のところ感染者は患者との至近距離での接触による飛沫感染で咳、嚏から感染。沙田のPrince of Wales Hospitalでの大量感染は旧正月に内地より戻った者が感染源とまで判明。M君曰く、SARSってSARといえば(香港)特別行政区(Special Administrative Region)なわけでSARSは特別行政区症候群、とM君。言い得てる。
▼ 椅子から転げ落ちたといえば、17日の日経、泉宣道・中国総局長による中国の新首相・温家宝君の紹介記事、温君が徹底した現場主義で貧困地帯など徹底的に視察、視察も途中で車を突然止めてどこかの村を訪れるほど、と。そこまではいいのだが「こうしたスタイルは第一次中曽根内閣の官房長官を務めた後藤田正晴氏に似ている」と。へぇカミソリ後藤田もお決りの視察中にこんな抜打ちしたんだ、大したものだなぁ、と思ったら「当時の後藤田氏は週末、本人とわからないよう帽子をかぶって夫人と都内の百貨店などに赴き」って、おい、そりゃ単なる週末の買い物だよ(笑)、共産党のノーメンクラーツラのお仕着せの地方視察での抜打ち視察じゃない。これだけなら爆笑するだけで椅子から転げ落ちるほどぢゃないのだが、後藤田氏のこのお忍びを「庶民の生活実態を見て回った」と「」つけて書いてるから後藤田先生本人の言及なのだろうか、後藤田君、キミもじゅうぶんに庶民だ、って。週末にデパートに夫人同伴で買い物してるだけでじゅうぶん庶民(笑)。中国総局長に「泉さん、新首相紹介する、なんかいかにも北京発って感じの、書いてくれないかなぁ」と頼んで、この後藤田エピソード入りのが届いたら、もし余がデスクなり編集であったら後藤田のこれは削るだろう、完全にそれとこれは違う次元の話。
▼ 昨日の国立の話、「反戦イメージが強すぎる」って校長は言ったそうだが、それぢゃ「好戦的」だったらいいのかな、などと揶揄してもつまらないか。結局、問題は画一化を狙う姿勢だろう。例えば米国ならKKKの強いコテコテの中西部もあればメリーランドのような伝統的リベラルからカリフォルニアのような民主党地盤がある。その棲み分けがあり、お互い自分たちが快適な暮らしをする。それでいいのだ。東京でいえば国立の風土が好きな人が自治すればいいのであり、それを日の丸を掲げていないだの君が代を歌っていないだのとして「正常化」することが異常。そういうことがお好きな方はどうぞ中野、国立にお住まいください、で勝手にやってください、でいいのだ。公教育だから、全部で画一的に同じことがされていないと困る、という、もちろん近代の国家による教育の施しといふのは<国民>の養成が主目的であり、そういふ意味ではもちろん国民の養成に支障のある、かつての国立のような「偏向教育」は困るのだろうが、国民の側にもニーズというものがある。少なくとも、教育基本法の改正であるとか国旗国歌の徹底で今日の教育の問題が改善するわけもなく、それなら寧ろ地域社会のニーズにあった教育ができるよう放置してしまったほうがいいはず。となると故・山住先生の文部省解体論になる。長野では田中康夫ちゃんによる教育改革がかなり旧守派によって拒まれるのも、脱ダム以上に問題なのはダムは土建癒着の問題だけだが「教育は国の根幹」であって、せっかく明治以来構築してきた近代国家による公教育を、戦後すぐの教育改革という「危機」のなかで教育委員会の公選制を中止し「是正」し、赤化教員の排除、国旗国歌と努力を続け総仕上げとして教育基本法改正まで辿りつこうといふ矢先にたかだか一知事によって破壊されては困る、ってわけ。
▼ 国立であるとか一部の「進歩的」或いは「偏向した」地域、学校にあっては国旗掲げられず国歌歌われず、それの徹底を宿命づけられている校長は赤化教員との交渉に疲れ自殺してしまったりまでしているが、国家による翼賛化に反対する側も考えるべきことは、まず、公教育というものは近代国家において国民の養成を目的として始まったもの、であること。江戸時代の寺子屋とは違う。国家が創造した教育なのだから愛国心を教えようとせぬわけなし。ただし問題は米国の場合、偏狭なナショナリズムに非ず基本には建国以来の普遍的な理念あり、日本は偏狭なナショナリズムか或いは『近代の超克』に象徴される極端な、豊葦原瑞穂国以来の母に抱かれるが如き漠然とした日本の伝統の如きものにイッてしまうから困ったもの。そして、入学式であるとか卒業式であるとかは集団の儀式であること。儀式ぢたいが象徴的な行為であり、その行為には集団を統率する象徴が必要なわけで、それが仏蘭西であれば仏蘭西革命からの理念であったり、中国であれば毛沢東であり、それが日本では戦後は陛下を頂けず、本来は憲法がそれに当るべきところ自らそれを血だの肉にできておらぬから、そこで象徴となるのは国旗と国歌に他ならぬ。それを仰ぎ謡う時の、母に抱かれたが如き恍惚に酔ふ。儀式だから、そういう演出が必要なのだ。この、国民の養成と儀式の象徴性という二点において、日本で国旗国歌が徹底されることは必然のなりゆき、ということか。

三月十八日(火)  日本政府の追米の様は「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語の一節を思い出させ、たんにその勅語の「皇運」を「米軍」とでもすればよし。終日忙殺され疲れて帰路タクシーでニュース聞いていたら、ラジオで盛んに流れる香港政府の基本法23条の公安条例制定推進キャンペーンの広告、そのプロパガンダ放送に自分の税金がそんなバカなことに使われていると思うと腹たって仕方なし。米国はもう形振りかまわずイラクを攻める模様。ブッシュの演説聞いていて、ただ単純に思ったこと……なんでこんなバカが世界の覇権を握っているのか。あの虚ろな目つき、神に訴えるような懺悔するような語り口調。ふと聖書の言葉を思い出す(ヱレミア記21章8節)。ブッシュの御言葉をそれに変ええれば
(なんぢ)イラクの地に参り異教徒滅ぼし悔い改めさせ此(この)民にブッシュかくいふと語るべし。視(み)よわれ生命(いのち)の道と死の道を汝らの前に置く。この邑(まち)にとゞまる者は剣と飢饉と疫病に死ぬべし、されど汝らを攻め圍(かこ)むところのアメリカ人(びと)に出降(いでくだ)る者は生きむ。其(その)命は己の掠取物(ぶんどりもの)となるべし。ブッシュいひ給ふ。我がこの邑に面(かお)向けしは福(さいわい)をあたふる為にあらず禍(わざわい)を与へんが為なり。この邑はフセインの王の手に付(わた)されむ。彼れ火を以て之を焚(や)くべし。
……と。日本政府の国防キッズと同じで、ブッシュの場合、妄想で自分をこの世を正義に導く師とでも勘違いしている。とんでもないバカだ。が、そんなバカを大統領にしてしまったことが米国の大きな過ち。大統領選挙じだいが茶番だったが、それを認めてしまったのだ。小泉を首班指名した日本よかもっと深刻な惨禍。英国では政府内務卿のCook卿、そう、97年の香港返還の時の外務大臣、卿はブレア政権の追米対イラク交戦に抗して内務卿を辞任、天晴れ。ところで返還といへば最後の香港総督Patten君はオックスフォード大学の学長に当選。世の中があまりに狂ってしまい世の頭のなかは教育勅語と聖書の一節が交錯。交錯といえば数日前に誰だったろう、テレビで見ていて何だかの辞職の挨拶で「さまざまな思い出が頭の中を交叉し」と言おうとして「交錯し」と言ってしまい、それがその人には言い得て妙だったのを思い出した……誰だったろう。あ、思い出したテレビぢゃない、実際に聞いた挨拶だった。それはそうとイラク攻撃も大問題だが香港では謎の肺炎が流行。この下↓で紹介する紐育時報の社説でも実はこのイラク攻撃の社説の次にはこのアジアで流行る謎の肺炎の話題。これも怖いが、こういった疫病の流行というのはたんなる疫病でなく過去のペストや赤痢、HIVなど見ればわかるように社会病理的な疫であり、その時代、その社会の何らかの社会的要因があるものだが、この謎の肺炎も実は9-11の惨禍と同じ社会病理的側面があるわけで、今回のイラク攻撃いざ開始!といった国際的な事象があると、それに「紛らわされざるを得ぬ」自己というものに陶酔する者も少なからず。「いやー困っちゃったよ、大きな商談あるのに会社でさ、全面渡航禁止だ、って。イラクのことはあるけど香港ベースにチャイナの仕事してるから香港出張はイケると思ってきたのに、香港があの疫病騒ぎだもの」と。会社が飛行機に乗るな、と言うので出張できない、とコボしているが、実は本当にビジネスの必要な奴ってのはこの程度の火遊びなら、それに関係なく海外でも商談しているし、少なくてもテロの危険性があるフライトよりもっとリスクの高い中国国内線を何万マイルも飛んでいるわけ。「困っちゃったよ」なんて言ってるのに限って、実は会社側もこれを機に無駄な旅費削減の意図があったりとか、実はテロにでも遭遇して遭難死することが会社のリストラに貢献することだったりする。疲れて風呂に入りフォークルのその68年の解散記念コンサートでイムジン河や悲しくてやりきれない、聴く。北山修先生の「またいつの日かイムジン河を歌える日が来るように」という一言、耳に残る。
紐育時報の社説読む。War in the Ruins of Diplomacy(外交の廃墟のなかでの戦争)という社説は明確に「この戦争が米国が孤高に戦うもの」(one fought almost alone)であり「米国はその最も正確な行動を世界が見せるべき時に世界は最悪のものを見せつけられている」と厳しく指摘しこの戦争の結果に将来にむけての方向性も必然性もない、と述べる。クリスチャンサイエンスモニター紙はWilliam Ury記者が「戦争に対する最後の望みはまだある」という論評で紹介しているのは孫子の兵法。The ancient Chinese military strategist Sun Tzu counseled 500 years ago: "The acme of victory is not to win a hundred battles but to win without battle." That is the prize we need to seek.と。有名な一節だが、勝利の極致は百の戦に勝つことに非ず戦わずして勝つことなり。ボルチモアサン紙も今日の社説は「この戦争は間違っている」という書き出し。同紙のPaul West記者による論評は極細にこの戦争の矛盾を突いており必読。……と意図的に米国でも最もリベラルな媒体ばかり選んでいると指摘されればそれまでだが(わかった?)、そういう良識ある声が米国に根強くあるのだ。このリベラルさが少なからず堅持されていることが米国の良さ。どこかの国のごとく漠然とその場の雰囲気でConstitutionを決定してしまうレベルの低さとは大違い。外務省の親米派のセンセ方とか××教会系のワシントンタイムズとかぢゃなくて、こういった良識をちゃんとお読みになっているのだろうか。少なくても小泉三世は英語も読めないし、理解できるわけもないが、せめて側近なり外務官僚が情報として呈するべき、だがそんなことしたら従米路線の徹底も無理か。でおそらく今、いちばん読まなければならないのはアラブ世界の声でありAl Ahram紙は格好の媒体。
▼で、世界でいちばん読むに値しないのが言論の自由を憲法にいただく日本の新聞。「恒久の平和を念願し人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意し」「平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思」ひ「国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」……とまさかこんなこと対イラク攻撃に反対して社説に書く新聞があるはずもなく、それを憲法に謳いながら、たんに米国の腰巾着なら崇高なる憲法など勿体ないので改正してしまったほうがいいのかもしれない。憲法改正を契機にボロボロになるまでご破算して、再構築するほうがいいかも……閑話休題、で日本の新聞がいかにひどいか、というと、本来、対米論調が最も厳しかろう朝日新聞ですら今日の社説では、米政府で唯一中道リベラルと思われており良識派であるはずのパウエル国務長官のこれまでの言動取り上げ米政府の現在の路線を「国連のお墨付きも「ちゃんとした計画」もないまま、それでもこの戦争を世界は止められそうにない。パウエル氏はこれでいいと思っているのだろうか」と(笑)。パウエルのことなんかどうでもいいから朝日新聞は社としてどう考えているのか?、日本がどうすればいいのか?、何ら提言すらできず。これが日本を代表するクオリティペーパーとは情けなし。
▼東京都国立市の市立国立第四小学校で卒業アルバムに載せる児童の作文や教諭からの贈る言葉を校長が「学校批判につながる」「反戦的だ」などとして書き直させたり掲載させなかった、と朝日。思わず「キ××マの小さい校長だ」と思ったが校長は女性(笑)。6年生の全2学級の児童数人と担任教諭が卒業生のためのアルバム委員会を組織し「保護者が制作費を全額負担し」児童の作文や教諭からのお祝いの言葉の文章などを集めて掲載する方針だったが原稿が集まった今年2月初め、眞見幸子(まなみさちこ)校長が自ら内容をチェックし児童数人の作文を「学校や教師批判につながる」「表現が不適切」などとして担任を通じて書き直しを指示。また6年生のかつての担任教諭から寄せられた文章についても削除や書き直しを求めたのだがその教諭の文章は、イラク攻撃に反対する米国民の声を紹介し、戦争反対と言うだけで処罰された戦前の日本を例に「本当のことを知り、明らかにする目をもって新世紀を生きてほしい」というもの。校長は「反戦イメージが強すぎる」などと難色を示し、結局この教諭は「それなら載せなくてよい」と掲載を断った、と。こうした経緯に保護者有志が「ここまで内容に踏み込むのは言論の自由を侵している」と校長に抗議、校長は「経緯は市教委に報告している」とだけ答え朝日の取材にコメントを避け、同市教委学校指導課の堀竹充課長は「校長から『強制はしていないが、文集には適切でないと判断した』と聞いた。教育的指導の範囲内であり、問題はない」……だってさ。国立といへば実は余も香港に遷居する直前まで国立は谷保の住人。ここは「国」分寺と「立」川の間にできた田園都市、当然「敢て」国立に居を構える方多いわけで、故・山口瞳先生とか山口百恵とか。学校教育でも「日の丸君が代」反対が常識、駅前の東西書店は「あの」文芸春秋より岩波『世界』が売れ、『諸君』など置かれておらず、新聞は朝日がトップ、2位が赤旗、読売は東京新聞より購読者が少なく産経新聞をとっているとご近所付合いに支障がある、というくらい中道左派を気取る街。20年以上前から市民のうち大部分の中年女性は青汁を飲み続けているのだ! そこは美濃部都政のモデルのような街だった。……で、あるから、都知事選での石原慎太郎の得票率は都下ワースト1位だったのだが(以上、根拠なし)当然のようにこの赤化された田園都市はキョウビ石原都政下にあっては東京の恥部の如し、産経新聞だの正論だので目の敵にされ、殊に教育についてはかなり個性的で味のある教員が「残っている」風土であり、「正常化」が図られるのは必然。この校長とて、当然のことだがこの赤色都市正常化のために送られてきた十字軍の戦士、正常化に挑まぬわけがなく、実はこの戦いが今に始まったことでなく国立は国立二小の卒業式の正常化など過去から赤色市民と正常化校長とのバトルがあり、この眞見幸子校長もそういったことではこの「正常化」憂うキリスト者らの間では抗議すべき相手としてすでに有名でもあったりする。いずれにせよ、この校長相手に赤色市民、キリスト者らがいくら戦っても埒があくわけなし。まずこの校長はそういった正常化をすることが目的で遣られてきたサイボーグであって、命じられた政策の実行あるのみ。いくら戦っても暖簾に腕押し。かりに校長が譲歩したらこの校長の末路は惨憺たるもの。仮面ライダーに負けた敵がショッカーのアジトで、タイガーマスクに負けた敵が虎の穴のどんな惨い仕打ちを受けたことか。もはや国立「だけ」が石原東京都にあって英国の空想社会主義的ユートピアを維持してはおれず。国立の市役所やこれまでそういった教育を培ってきた教育委員会など風前の灯、東京の翼賛化がまじまじと進んでいるわけで、結局、問題は、国立は拒否したかも知れないが結果的に石原慎太郎を都知事に選んでいる東京都の一行政体(地方「自治」体などという言葉を使うのも日本の現状では長野や宮城などを除いてオコガマシかろう)、負けてしまうのだ。かりにかつての自由を取り戻したいのなら石原慎太郎に選挙で勝てるだけの候補者、しかも青島幸男で大失敗してしまっているが政策をもつ政治家を選ばなければならない。田中康夫ちゃんが都知事であれば少なくてもこの校長は知事会見で言論の自由の名の下に罵倒され、退場されてしまうのだろうし。しかし残念ながら東京都民は石原慎太郎に勝てる人材を探し得ておらず。つまりは石原の思うがままで(二期目は間違いなく国政にうって出られぬ欲求不満が余計に都政で強引さを発揮する)そこで国立だけがかつての美しき村を維持できない、ということ。

三月十七日(月)朝起きると視界0mの濃霧、気温は21度が昼には25度まで上がる、湿度90%のまさに香港の憂鬱なる春となる。京セラがContaxのtvsのデジカメ発売。欲しいがデジカメに10万円以上出すか、といわれるとねぇ。昨日の日経で石牟礼道子の「兄やんの桜」という随筆読む。子どもの頃の活動写真が巡回してくる、その興行する若者と町の人々の話なのだが、中上健次かこの人くらだろう「たったそれだけ」の話なのだが一つ一つの場面、会話が目の前にぎらぎらと顕れてくる。「兄やんの幟がああもしおたれては、松ちゃんの忠臣蔵の験が悪うなる」と言う目だまの松ちゃんこと尾上松之助贔屓のおばちゃんの、汗に濡れた鬢の毛までが。こういう人の書いたものを読めることの至福。ある街市の果物屋のまえを通ったらぷーんとドリアンの芳香漂う。ああ、もう春だか夏が来るのだな、と思う。今年のドリアンは当り年の予感、そんな、3月からやたら濃いドリアンの香りだった。晩に九龍某所にて食を逸し日系のスーパーで夜遅くなると寿司おにぎりの類が廉価になると思っていかにも不味そうな握り寿司購い帰宅して食す。機械にぎりであることは措いて舎利が硬すぎる。が、文句を言うなら買わなければよし、マクドを避けただけでも好し。マクドといへば本家米国のマクドが12月連続で売上げ減とか。吉報。ザ・フォーク・クルセダーズの1968年10月大阪フェスティバルホールで開催された最終公演の実況録音が見つかりCD化され発売となり、35年ぶりにそのライブが蘇る。予約していたのが届いたのだが、いちばん驚いたのは35年前のフォークルに坂崎幸之助が入っておらず(笑)、35年前の音源復元でもし当時の写真まで「はしだのりひこ」が消えてそこに坂崎先生が写っていたら歴史の改竄にどう対処しようかと思ったがさすがに「はしだのりひこ」の存在は歴史からは消えてはいなかった。ただし当然のことのようにこのCD化にあたっても選曲監修は加藤、北山だけ。70年の大阪万博ですら行きたくても当時行けなかったのだから68年のこのファイナルコンサートなど知っていても行けなかった。当時、テレビで「帰ってきたヨッパライ」の今でいえばMTVといえるのか、映像を見ていた記憶のみ。当時、食堂を営んでいた祖母の家で店を手伝っていた叔父が閉めた店の明かりも消えた食堂で見ていた歌番組(このCDについてきた年譜でそれがNTV(現テレビ朝日)の「グループ・サウンズヒット10」かCXの「今週のヒット速報」であったことが判明)にこの歌が盛んに流れていたもの。年譜を見て驚いたがこのフォークル結成のきっかけは加藤和彦が65年に『メンズクラブ』9月号に「フォークコーラスを作ろう」と読者欄に投稿してそれに応じた北山らによって結成されたそうな。それからカレッジフォーク全盛でE.H.エリックの司会で高石友也、マイク真木まではわかるが佐良直美!(そう、かつてはギターもって歌っていたのだ)らと共演。このCDが日本のamazon.comから届いたが同じく米国の本店よりAMP(Adventures in Motion Pictures)の「白鳥の湖」のVCDも届く。いつ見られることやら。
▼築地H君より13日の産経新聞「産経抄」がアザラシのタマちゃんについて書いていたそうだが、「タマちゃんを北海へ戻してやろうという試みも人間の善意からだろうが、動物には大きな迷惑、余計なお世話かもしれない。その独善に気がつかぬ人は世に少なくない」と正論あり、と。ただ「正義と並んで善意と良心を売り物にすることなかれである」って、それこそイラク国民を独裁者から解放し民主化するというのは「善意と良心」の押し売りではないのか、とH君。公称100万部とかいう全国紙の一面で自慢気に……「善意」も「良心」も「正義」もいまやアメリカの最も吹聴するところであると誰か教えてやる奴はいないのか。
▼長野県知事田中康夫ちゃん、凄いなぁ、北朝鮮「救う会」に対してみんなが思うところ口塞ぐなかはっきりと言うことは言い、台湾が長野県訪れる海外からの旅行者トップだからと台北での長野観光宣伝に赴く、と。自由とは何か、自主的な判断とは何か、を身を以て示しているが、長野県知事の記者会見の模様など見るとわかるのはその緊張感。リベラルとはここまで厳しいものなのか、と思わされる。内閣官房長官の記者会見などに比べて本音だから知事にも記者にもものすごい緊張感。ちょっとパゾリーニ監督の映画を見てしまったような、そこまで言わなくても、みたいなところもあり。知事と記者とが知事は「腹を割って話しましょう」と思っていても格の違い、あきらかに一方的、と見えるわけで、それなら談合的な、茶飲み話的なオッサン政治の県議会議員のやり方のほうが風土としての民主制なのかも知れぬ。
▼ちょっとしたことだが、香港は壮老年は当然として若者の新聞読みの率がかなり高いのではないか、と思った。香港ばかりか中国内地となると媒体が少ないぶん、当局の規制厳しくけして面白いというには程遠いが薄いタブロイドのような新聞が穴が開くほど読まれている。日本でいえばそのへんの若者が新聞を読んでいる、とくに貨物運転手や運送などしている若者がちょっとした暇に新聞熱心に読んでいる。日本でスポーツ新聞ですら渋谷だの繁華街に「路駐」している若者が読んでいるか、というと皆無ではないか。香港の新聞が実は本当の意味で総合紙で政経から芸能、スポーツ、競馬からナイト情報まで満載で50頁くらいあるのだから読者も多いのだが、いずれにせよ新聞を読んでいることに変わりはない。そういえば、活字情報がまだ飢えられている中国にあって廣州で発行され各地に購読者増やしていた新進気鋭で評判の『二十一世紀環球報道』なる新聞と副刊の『明星周刊』が発行停止処分。共産党一党独裁を非難したわけでも李鵬の退任を賛美したわけでもなく政治改革の必要性説いただけ。築地H君にいわせると日本では電車のなかでも新聞読む人はタブロイド版と蔑まされていた「日刊ゲンダイなんてもう、クォリティペーパー」(笑)だと。今さら新聞など読まなくても生きていけるのが日本。ただそれに相応して思考停止しただテレビからくるうまいラーメン屋、秘湯みたいな「情報」がでれでれと流れ出てきている。

三月十六日(日)薄曇り。日本ではなぜあれほどまでにアザラシ1匹に騒いでいるのか。十数年にも及ぶ不況、為体の政治、平和ボケとさまざまな問題あるのに、そういったことには「ほんとにねぇ」で済んでしまう。最近の疲れでかなり目が痛む。Z嬢の××会あり(結婚式ではない)お手伝い。H嬢とK夫妻にお手伝い願いランニングクラブからもシンガポールに転勤になるI氏、T嬢、N嬢お見えに。集合写真を撮ってくれといわれ撮影したが、あとからT嬢、N嬢らに余が「はい、1、2、3〜!」と言って写真を撮っていた、と笑われる。それが何が可笑しいのか見当もつかず、日本では「はい、チーズ!」とか言うが「1、2、3〜!」は香港の「ヤッ、イー、サーン」を日本語にしているのでは?と指摘され否定できず。疲れ甚だしく帰宅して夕方転寝。起きてプールで泳ごうと出向いたが冬でも気温10度くらいで泳ぐ人少なからず屋外だがてっきり温水だと思ったがさに非ず、とても冷たくて泳げず退散。週刊香港の原稿 Jimmy’s Kitchenについて。うどん煮て食す。NHKにて「武蔵」見るがつまらなく途中で飽きる。資料整理。たまった新聞雑誌読む。
▼蘋果日報日曜版に財政司司長 Financial Secretary の梁錦松が辞職願を十日、董建華に提出、問題は新年度予算案で自動車登記税の大幅引上げあり、梁本人がその増税案に携わっていながら1月にトヨタのLexus購入、節税を図ったことが役職との利益衝突あり、その後の対応でも粗忽さがあった、というもの、但し董建華は珍しく厳しく規定違反と指摘したものの梁の弁明である子女誕生で急務での自家用車買換えと民間の厚遇を辞して敢て香港政府に加入したその意思を讃え今回の粗忽さを厳しく教訓として、と辞職願を預かるだけ。すでに問題は梁の自家用車云々に非ず董建華の体制、とくに昨年鳴り物入りで導入した局長級の問責性(各省庁のトップを公務員でなく契約制として活性化図った)じだい今回の梁に対してそれを問うことを避けているのだから、この問責制じだいが虚構であることが証明されている。
▼『噂の真相』創刊24周年にて編集長岡留氏の宣言する廃刊まであと1年。メディア鼎談にてマスコミの翼賛体制が進むなかで朝日とてICカード導入など社長が箱島になってから社内の反動化進んでおり、日経の鶴田体制も(こちらの鶴田解任取り沙汰される株主総会は今月26日)含め巧い表現をしているが「どこもナベツネのいない読売」みたいなもの、と。読売はナヴェツネがいるから分かりやすいだけで日経の鶴田、朝日の箱島とて小渡邉に過ぎぬ、ってこと。

三月十五日(土)曇。一昨日あたりから富柏村サヒトのカウンタがまた日に100件ほどとなり、ふと気がついたらようやくGoogleのサーチエンジンで富柏村関係のものが今ではコンテンツなき旧祉からtripodになっていた。細かい記事も「歌右衛門、マニラ、志賀直哉」と(これじゃ何の脈絡もない三題噺だが)検索すると偶然であれ富柏村の日剩にたどりつく。この2ヶ月ほど検索エンジンから消えていた間はこの日剩、カウンタが日に50ほど上っており、つまりGoogleなどで日に50名ほどの不定期な予想外の閲覧者を得ていることになるが、自分でも日記の内容の検索に使えるのは有難い。それにしても凄いサーチエンジンである。ついでと言ってはなんだがYahooもtripodの新URLになっていた。これでひとまず3箇月に及んだ引越しの余波も解消か。引越しといえば昨年7月末だかに拙家引越ししてからいぜんに比べれば高台からだいぶ平地となったものの一度も乗っていなかった自転車は埃かぶっており車輪の空気の抜けていて掃除して空気入れる。それでもまだ乗らず。年老いて朝寝も決め込んだつもりでも8時すぎには目が覚めて机まわり整理して雑用済ませ、その自転車メンテしただけで昼近くなりマンション付属の倶楽部施設(といっても遊泳池とテニスコート、小さなジム程度で最近のマンションの豪華倶楽部会所に比べたら月と鼈だが)数日前に入会手続きすませ入場証受け取る。午後たまった仕事済ませる。湾仔でいろいろ買い物。ランニングクラブの月例会、金鐘の名都酒樓。巨大な宴会あり何かと思えば広東省の台山系の工商親睦会、東京で仙台出身の事業主が地元出身の者を多く雇用し、そういった企業の親睦会と思えば宜しかろう。メンバーのカナダ系秋田人T君、休暇使って前回のバングラディシュに続いて今回はインドで貧困地帯に家を建てる運動に参加。Habitat for Humanity In Internationalというキリスト教系のNGOだそうな。自ら旅費を捻出し而も参加者一人あたりUS$375を持ち寄る。そういったこと何もせぬ自らへの反省も込めて僅かばかり寄付する。家というのは生活の基本、どんな苫屋であれ雨露をしのぐ家屋あれば幸せなもの。同じキリスト教でもこうした活動に従事する団体もあれば権力に加担し自利益のため世界に混乱撒き散らす団体もあり。家を建てる善者もあれば何ら罪なき市民の家庭破壊する覇権主義の暴力もあり。この名都酒樓のある統一中心の大廈の外壁に名都の看板と並んで大きな聘珍樓の看板、店は銅鑼灣のTimes Squareにあるのに何故ここに看板?と思っていたが、この名都も聘珍樓の経営なのだろうな、納得。聘珍樓といへば横浜中華街の大店だが10年前だかに香港に店を出して高級中華で逆上陸。当時バブルな高級中華の店がいくつも開業したが新同楽だの潰れた店も多く残っているのは聘珍樓であるとか太古廣塲のZenなど。
▼昨日、築地H君の語っていたブッシュとイスラエルの関係、12日の『信報』に詳しい解説記事あり。話は1980年にさかのぼるが米国にPat Robertson師なる宗教家現れ82年に世界末日の戦争が起き救世主現れると説いたが戦争起きずこのロ師政治意欲あり88年には大統領選に出馬、残念ながら共和党内の選挙戦にて敗出したのだが、その相手が老ブッシュ。翌89年にChristian Coalition of America なる宗教団体を興す。92年に老ブッシュは若輩のクリントンに負けたのだが、この敗因がH君の言った老ブッシュのイスラエルとの距離を置こうとした政策。具体的にはイスラエルへの毎年30億ドルの借款の中止決定とヨルダン河西岸での入植地拡張停止など。96年にクリントン再選果たしたのもユダヤ系の支援の賜物、共和党ユダヤ系の支援得ようと躍起となる。そのころロ師、2007年に中東にて大戦争ありそれが世界を末日に導くと宣い救世主の来臨求めるならイスラエルを復国しその領土を西は地中海から東はヨルダン河の全ての土地まで拡げよ、聖地カノッサは分断されてはならぬ、と声高く説く。2000年の大統領選に向けてブッシュは98年に大統領選に向けての外遊を実施、ロ師に引導わたしカノッサにてイスラエルのシャロン首相と見面。かたやクリントン、中東和平交渉にてパレスチナ建国まで見通す和平案に当然ユダヤ系の反発あり。そのクリントン「破り」大統領となったブッシュはイスラエル紛争への不介入、イスラエルへ主導権渡す。9-11のあとはブッシュとロ師の関係は急速に親密化、ロ師はアフガニスタン児童基金を全面的に任せられ、昨年末にはブッシュは大統領令により建国以来始めて連邦予算より宗教団体資金援助を実施、政教分離の原則は何処へ。今後、中絶禁止など宗教的保守化が懸念されるところ。民主党が大統領の座を奪回するにはこうしたユダヤ系と宗教の支援要すがかなり難しいのは明白。

三月十四日(金)曇。多摩在住のD君、娘の幼稚園の卒園式にて牧師である園長の「式辞」を教えてくれる。こういうのを紹介するとそれだけで思想教育だの偏向だのと揶揄されるのだろうが。ただちゃんと「平成○年度」卒園式だったそうで(笑)
きみたちに聖書のなかから「真理が人を自由にする」ということばをおくります。「真理」というのは、すこしむつかしいかもしれないね。「自由」はみんなも知っているでしょう。たいへんすばらしいことだよね。「自由」っていうのは、なんでも好き勝手にできる、ということとはちがうんです。たとえば、きみたちは入園したころはブランコをこぐことができなかったでしょう。でも今はみんな上手にこぐことができる。ブランコをこぐというのも好き勝手にやって、うまくいくものではないのです。ブランコにはブランコのこぎ方がきまっています。これが「真理」ということです。「真理」を知れば、ブランコを自由自在にこぐことができます。「真理が人を自由にする」というのは、そういうことです。戦争をとめる、ということにも「真理」があります。私はもう歳をとってしまったので、その真理をじゅうぶんに知ることはできないかもしれません。でも君たちはきっとできます。そうすれば戦争をとめることだって、自由自在にできるようになるでしょう。…それでは卒園おめでとうございます。
素晴らしい式辞。「自由」といふのはなんでも好き勝手することではない、ということを真理の意味など理解できぬブッシュであるとか愚劣なる方々にご理解いただきたい。敬虔なるキリスト者であるブッシュは毎朝毎晩聖書お読みになるそうだが。この言葉から思い出すのは国会図書館の「真理がわれらを自由にする」なのだがそれと聖書のこれとは原典が異なるそうな。こちら) 三月もこの時期になると晩に或る送別宴あり終わってZ嬢に電話すると銅鑼灣におり食事がまだだといふのでPercival St の香河越南餐庁にてZ嬢が生牛肉米粉食す間、越南333麦酒一飲。
▼ブッシュパパ、不肖の息子に向かって「国連決議なしでイラク攻撃してはアメリカの国益を損なうぞ」と説得してるという噂あり。パパブッシュはもともと宗教右翼を基盤にしたレーガンとは出自の違う共和党中道派。アメリカ史上最もイスラエルに冷淡な大統領と言われてユダヤロビーの圧力で再選果たせなかったのがパパ。現ブッシュはパパの失敗に懲りて親イスラエルのネオコン右翼丸抱えでチェイニー、ラムズフェルド……。パパブッシュの路線はパウエルくらい、と築地H君のつぶやき。
▼米国の対仏批判の急先鋒、国防政策諮問委員長リチャード・パール、仏ラジオのインタビューで「今やフランスはサダム・フセインの側についた。シラク仏大統領にはサダムと個人的つながりがあるからだ」と非難。自国の大統領が石油原産大手と軍事製造業のためのために戦おうとしているのに。こういうバカどもが政治を担っているのだからどうしようもないが、そういうバカども放置しておく民度と知力の低さが根本的な問題なのだ。
▼首相小泉三世は野党党首とのイラク問題めぐる個別会談で愚かさ(当然だが)暴露。菅党首の「武力行使を容認する米英の決議案に加担しているのではないか」と指摘したのに対し小泉は「米英案には賛成だが武力行使を容認する決議ではない」と反論。当たり前だ。その決議案じだいは武力行使容認などしておらず、これぢゃ反論どころか論点をズラしているだけ。共産党の志位委員長の「新たな決議案は査察を打ち切るものだ」と主張したのに対しては「その通りだ」と認め「査察の手段がなくなったら戦争と同じだ」との指摘に小泉は答えなかった、と。ブッシュと同じで失語症か?、それともバカなだけか。「それとも」ぢゃないな、ブッシュは両方だった。自由党の小沢党首「政府としての原則、方針がきちんとあって、それに基づいて事態を判断すべきだ」と質せば小泉は「その時になってみないと分からない」と答えた、と(以上、朝日)。日経はこれを「その場の雰囲気だ」と言ったと伝えている。その場の雰囲気で戦争に巻き込まれてはたまったものじゃないが、自民党の国防キッズ、virtualな戦争しか知らないのだから戦争ゲームと同じでその場の雰囲気で駒を進めるのだろう、きっと。どうせ同盟国であるはずの米国からは従属国にはなんら具体的な情報も伝えられておらず戦争なんかしたことないのだから何もわからなくて当然。小泉のこの答弁は「ばんがるしかない」とか「やることをやるだけ」といった抽象的な発言しかできぬ人の正直な感想か。それにしてもサメの脳味噌首相からしたら「まだマシ」かと思ったが、それ以下だとは。米国も米国だがこんなのを首相にしているわが国も民度と知力の低さ、と自らの懐に手当てて猛省を要す。

三月十三日(木)曇。ふと思ったのだがブッシュが「テメーとは思想も哲学も天と地ほど違うんだよ」と言いたいが厚顔無恥でキング牧師称えその記念堂にて米国の正義など説く下品さに対しておフランスのシラク大統領、最近の雄弁ぶりとあの高座での姿の美しさ、仏蘭亭志楽師匠と名づけよう。晩に一人、太古城と並ぶ「食の不毛地帯」美孚にて路頭に迷いふと入った茶餐庁、客家料理でなかなか。客家煎炒豆腐の定食にしたら豆腐多く食べきれずお持ち帰り、102の路線バスのなかで汁が漏れて恥ずかしい思いする。
▼芸人謝霆鋒君、昨年10月の2週間の収監のあと240時間だかの公共服務令を済ませ、これでお清め済んだ、と正式に芸能界に復帰宣言。そのお披露目開催されるが子どもの頃からの写真など流し新しい宣伝画像見せて本人より4、5分のコメントあったあと、目玉は新しい広告スポンサーとの調印だったそうな。その霆鋒君起用する会社というのがNew World MobilityMatsunichi MP3、San Xing Sports Goods Co.とBaoli Guanzhou Cosmetic Co.の4社。謝霆鋒君といへば逮捕前までコカコーラのイメキャラつとめ、裁判にむかう際もいつもコカコーラを手に、しかも父親までコカコーラもって忠義示すほど。芸人の極み見た思いしたがコカコーラなる大手に比べ今回の調印4社がいかに小物か。芸人としての格下げなのだが、それでもそれを披露せねばならぬ現実、この4社とてこの復帰記者会見での調印まで含み宣伝効果ありとしての契約なのであろう。芸人とそのタニマチとのこの恐ろしいまでの関係。
▼昨日「あげ半」にてY氏より聞いた話。ある航空会社、組関係の方ご一行様の××島への賭博目当てのツアーと、同じ頃におなじ国の首都で行なわれる××××の××××式のツアー、どちらもチャーター便で、という注文あり。どちらも200名弱で一機だけ飛ばすには採算合わず、とくに××××のほうは往復2万円で、といふ超破格値をご所望、どちらのお客様もお断りしたらいろいろ厄介のある方々、で航空会社何を企てたかといへば747機を1機按配して××島経由の首都行きのチャーター便フライトを作り頭等とCクラス、Yの前方に組関係のご一行を収めYの残りに××××。想像するだけですごいフライト。で××××、航空運賃は2万円ながら(宿舎も当然自前のものがあるのだろうか)それを参加者に11万円で売ったそうな。暴利。しかも×××××に参加するには一人100万円だかかかっているそうで。

三月十二日(水)昼に Exchange Square の「あげ半」にてY氏、H嬢と天麩羅食す。あげ半、旧フラマホテル地下にあった頃に何度か行ったが移転してからは初めて。電話で予約すると「会社名かお電話番号を」と言われて、かういふ対応は香港でここくらいだし、この店の姿勢がよくわかるが、そこで「あ、○○商事」とか言って愛想いい応対されて満足する方もいようが、たかだか天麩羅定食の昼で接待でもあるまいし会社名名乗ることに抵抗ある方もあろうし、ましてや会社に属さぬことを好しとする者にはちょっと不快感もあろう。店のつくりは完全な昼飯対応のレイアウトで食堂のよう、かつてのカウンターで揚げたての天麩羅賞味するのとは大きな違い。それにしても気軽にHK$140もする定食を食すこのへんの若い会社員らというのは大したもの。晩に競馬あり馬主C氏の Dashing Champion が第6レースで初の1650m、前戦は同じハッピーバレーの夜競馬で1200mに勝っているがこの距離はどんなものか、前日オッズは10倍。ただし今晩は来週帰国するK夫妻とかねてから食事しようといっていてもK氏とは競馬で時々一緒するばかりで夫妻との食事はないまま。それで今晩、となったが愚猫亡くなる直前にこちらからお誘いした晩餐にてZ嬢ともどもまだまだ気持ちの整理つかないままだが、誘っておいて取り消すのは失礼。それにかなり久しぶりのペニンスラホテルの仏料理の Gaddi’s なわけである。でもやはり家で塞いでいるよりも気のあう方と楽しく食事するのは好事、束の間だが愚猫のことも忘れるというもの。Gaddi’sに8時すぎに着くと1組の男女が食事するのみ、いくら競馬のある水曜日とはいえ閑散としているなか連れはまだ来ておらず。ドライマティーニ飲みながら新聞読んでいるとおしぼり出され、仏料理屋でおしぼりも珍しいと思っていたらZ嬢来ておしぼりは出ず。なにかと思えば余が新聞読んでいて手がインキで汚れるだろうから、という気配り、大したもの。今晩はこの広い店で私ら4名とあの男女1組のみかねぇと思っていたら恰幅のいい紳士現れ、誰かと思えば××銀行の頭取×××氏、マスコミに何かと醜聞ネタにもされる御仁で、もちろん上客であるから奥の間に通されたがパーティでもなくひっそりとしたまま。すると醜聞雑誌でお見かけする愛人嬢一人で現れ奥にお入りに。すかさずシャンペンはドンペリがボトルで運ばれて。K夫妻来て晩餐始まる。×頭取と愛人のところには他の客ないままお食事は少ししか運ばれず、するとそのへんの生演奏とは比べ物にならぬ質の高さなのだがバンドが×頭取のいる奥の間に移り、そこでハッピーバスデーの演奏。愛人の誕生日か。続いてエンドレスラブを奏で始め私ら4人は唖然とするが3曲目がケセラセラ、いくら醜聞を書かれようとエンドレスラブで人生はケセラセラかと思わず笑ってしまうが4曲目はなんだろう、ケセラセラの次だから Let It Be かな、などと軽口を叩いていたら Only You となり、邸宅には正妻あってホテル住まいの頭取、よくもここまで、と感心しつつ、次は「銀座の恋の物語」でもリクエストしてあげようか、などと笑話しつつ食事楽しむ。頭取はお帰りになり食事の主菜の頃には客は私らだけ、Gaddi’s 独占して食事するといふのも気持ちいいもの。料理も美味いし雰囲気も最高なのだが、あの受付の電話の呼出音だけはどうにかならぬものか。客にジャケットとタイの正装を求め携帯電話も禁止とまでして、あの電話の呼出音は最悪。それと給仕ら、胸に小さな名札で十分なのに「セキュリティ上」の問題か写真入りの社員証を胸につけてるのも不健全。Dashing Winner 1着!、10倍が5.2倍で1番人気になっていた、が、もう少し大きく賭けていたら Gaddi’s の食事代になった、ちょっとした儲け。ゆっくりとデザート、珈琲まで終われば11時、やはりK夫妻とならここを楽しめ堪能して、すでにマンション引き払った夫妻をホテルに送り帰宅。帰宅するといつも玄関の外で鍵開けようとすると鳴いて迎えてくれた愚猫の声せず扉開けても足元に絡まず寂しきことかぎりなし。
▼大切なことです。この項。いぜんから書こう、書こうと思ってそのままになっていたが、メールアドレスのドメイン名、例として nantoka@iroha.co.jp なら co が com (company)で jp が japan ということについて。もともと米国で始まったインターネットは com の部分、これを gTLD (Generic Top-Level Domeins) というのだそうだが com、edu、net、org とかは3文字であったものを、米国以外にインターネットが広がるにあたって ccTLD (Country Codo Top-Level Domeins) という国名を示すものが日本は jp で英国は uk とかつくようになり、 gTLD をつける場合はそれも com は co と2文字にしてください、ということが実質的に「米国により」決まった。そこでの問題は米国の会社は ccTLD が us ならば平等なのだが米国だけは ccTLD はなし、で gTLD も3文字のまま、米国の会社は abc.com だけど日本の会社は iroha.co.jp というように。これがいかに米国主導で差別的かというのは明らか。で、結局は米国以外でそんな統一に従うわけなくて香港の会社でも hongkong.com.hk でもいいし ccTLD をつけずに hongkong.com でもいい、という、つまりどーでもいい、というようになった。世界中みんないい加減にそうしてる。インターネットが国家の符丁であるccTLDに制約されない、という実に理想的なかたち。それでいいのだ。しかし唯一この米国主導のドメイン名作成に従っているのが「独立した主権国たる」日本なのだ。いまだに宗主国米国の取り決めに従い iroha.co.jp とやっている。元駐米大使の松永信雄センセは「日本は米国の従属国でないかとする謝った見方が、国内にも国際社会にも存在している」のを否定されているが、こんなところにも従米思想が蔓延。本当に主権のある独立国たる思想哲学あるのなら、とっととこのドメイン名の奴隷主義から脱すべきであるし、保守反動右翼の諸君も共産党の諸君もなぜこういったことを問題にしないのか、とても不思議なのである。
▼日経平均株価一時8,000円割れ、今さら誰も驚かないのだろうが20年前の水準。20年前、自分はいったい何をしていたのか、と考えるに本読んで日記書いて酒飲んでいた、と、つまり何もかわっておらず。官房長官福田二世「実効性のある対策を日銀も含めて検討していかなくてはいけない」との仰せ、首相小泉三世「株価は厳しい状況だが金融危機を起こさせないという態勢を取っている。動向を注視しつつも日銀と一体となって政策を運営していきたい」と宣はれる。「実効性のある対策を日銀も含めて検討していかなくてはいけない」なんて誰でもわかっている、「金融危機を起こさせないという態勢」などと漠然と言っているが問われているのはもう10年以上具体的に実効性のある対策の具体化。首相の「動向を注視しつつも日銀と一体となって政策を運営」って「AしつつもB」で一瞬、政府と日銀は仲悪いのか、日銀には動向の注視ができないと諦めているのか、と思ってしまったが、これ「動向を注視「しつつ」日銀と一体となって」だろうし「政策を運営」ってのも聞きなれぬ表現。無策で言葉だけ並べているからこういう表現になってしまふ。
▼仏シラク大統領のイラクに関する安保理には各国の首脳出席すべきという提案にいち早く賛同示した独シュレイダー首相だがその対応に「選挙戦にらんだパフォーマンス」というような記事あり(日経11日)。確かにそふかもしれぬが、つまりは国民に反戦の世論あり反戦の対応せねば首相失脚という、実に明確な世論と政治の関係。それを知った顔して「選挙狙いだよ」などと揶揄するだけしかできぬ、首相が従米しようがしまいが一切おかまいなしの自らの国家の体たらくを恥じ入るべし。

三月十一日(火)愚猫三平糖尿患い療養中のところ本日逝去。Z嬢より電話あり病院へ向かおうと思うと青空。あとになって思えば、朝、ブルックスブラザースのスーツ、ってここで気取っても仕方ないが気晴らしにてご容赦、スーツの上着のボタンぽろりと落ちて、ちょうどその頃に愚猫、死を予感させるひどい発作あり。9年前にハッピーバレー景光街の路上で新聞売る屋台のオヤジがゴミ箱に捨てようとした子猫2匹拾い、とりあえずの数日の世話始めるとZ嬢拙宅の裏口階段で毛虱取っていたら子猫の鳴き声に子猫探す母猫の呼応、断腸の思いで子猫放置。それを知り気になり余が昼に帰宅して恐る恐る裏口を開けると子猫おらず「母親、連れて帰ったか」と安堵すると足元で「ニャーッ!」と絶叫。あやうく数センチで子猫踏みつけていたところ。母猫1匹だけ連れていった模様。結局、この「うるさいほうの」猫飼うことになりそれから9年。ミッドレベルに越して広いバルコニーある拙宅にてはバルコニーで月眺めるような姿、池の金魚に怯え、さかりひどくなり西摩道に引っ越す日に去勢、台風の香港直撃に寝台の下で怯え、干徳道に引っ越してからは漏尿ひどくなり医者に去勢した猫に多き泌尿器系の成人病とかなり神経質さゆえのことにて食事療法できるがこの猫飼うかぎりずっと世話要すといわれる。去年は膀胱炎、胆石。このところ糖尿まで患っては満身創痍だろうが今になって思えば懸命に日常生活にて平常振舞っていたと。診察室にて最期の別れ。病院に荼毘に付すを頼む。晩にとても食事気分でもなくZ嬢と静に素食ででも済ますべきところどうしても外せぬ送別宴あり、しかもその按配を自ら六国酒店の粤軒でしていれば「とても食事では」と思いつつ前菜の焼臘から秀逸にて箸すすむ我が情けなし。陪席された食通のお三方も出てくる料理にご満悦。生太子炒飯は初めて食したが殊の外美味。今日は煙草でも吸わねばやってられず。閉店間際のPacific Coffeeにて珈琲のみハーゲンダッツのアイスクリーム購い帰宅。すべて精神安定剤。帰宅して何もする気もおきず柚子湯にはいり寝入る。
▼米国はいよいよ国連脱退?、思い出すのは松岡外相による国際連盟脱退の大日本帝国の雄姿、9票とか10票とか根拠のないヨタ話で非常任理事国を恫喝するかと思えば、イギリスは再修正案提出で採択の日程は繰り延べとか。阿南ぢゃなかったアナン事務総長は国連の承認を得ないイラク攻撃は国連憲章に違反と当然の認識示す(記事はこちら。米国は国連憲章を蔑ろにし日本は日本国憲法を蔑ろにする。南無阿弥。
▼ところでちょっとフランスに引き込まれた感ありのロシア、築地H君により拒否権行使について全く相反する外電が二つ、と。「ロシア外相国連決議案に拒否権発動の方針示すこちら」と「ロシア決議案採決を棄権か=電話協議で米大統領が確信?米誌こちら」の二つ。しかし読んでみると後者のタイムの記事は単に「米当局者の感触」(笑)としただけ。いよいよなりふるかまわぬガセ情報を撒き散らしはじめ?、それなりに追いつめられているかも。
▼先月末日の日剰にて「イラク攻撃と有事法制に反対する演人の会」の会合について綴り中村屋の司会ありやなしやと察していたが、そこで「H君指摘するに、この反戦集会、共産党系新劇系から、アングラ、新左翼系までよく網羅されているが加藤剛先生の名が見当たらぬのは不思議」とあったが、H君より「加藤剛先生はご健在!」と報せあり。この反戦集会党中央お墨付きの大集会、先月のような自主企画とは格が違い加藤先生クラスになるとやはり滅多なところには名前は出ぬか、と察す。

三月十日(月)曇。晩遅く九龍某所での藪用終わってT氏と邂逅、「ちょっと軽く食事でも」と誘われ「とんかつ如何ですか?」と相変わらずT氏らしさ、いつかかういふオファーのできる大人になりたひと思ふ。すかさず九龍から香港島に渡る海底トンネルバスのなかから銅鑼灣のとんきちに電話し閉店間際なのだが懇意のマネージャーに20分でいくから、と電話、余はヒレとロースの区別もわからぬ脂の少ないほう(ヒレ?)注文しT氏ととんきちに着くと店の行灯すでに消えていても丁度揚げたばかりのとんかつ卓に運ばれT氏のかういふ手際のよさに敬服。遅かった所為か白飯は冷飯を蒸かしでとてもお茶漬けならまだしも揚げたてのとんかつではとても頂けなかったが文句はいへまひ。
▼ペルー最高裁、元大統領フジモリの逮捕請求を国際刑事警察機構(ICPO)に提訴、ICPOは本件捜索とフジモリの身柄拘束を命じる国際手配の決定を下す。 それにしても日本のマスコミのこの事件の扱いの小ささ。新聞休刊日とはいへネット配信のニュースでもトップの見出しなどなく「フジモリ」と検索してようやく出てくる始末。時事も「フジモリ氏を実際に拘束するかどうかは、日本側の判断に委ねられるとみられるが、同氏の身柄引き渡しを求めるペルー側の外交圧力が強まるのは確実だ」とする程度。このICPOの決定を受けてドイツ、コスタリカ、イタリア、スペインなど各国はフジモリ入境の場合即刻逮捕としている。この日本のフジモリ擁護も「独立した主権国であることを内外に明らかにしていくこと」の一環なのか、呆れてモノも言えず。フジモリなど擁護するまえに日本国の外国籍「市民」の擁護を! でもここまでして日本がフジモリ擁護するのって当然のことながらフジモリ擁護よかフジモリ絡みの日本の対ペルー利権の隠蔽なのだろうが。で、気になるのはこれを産経新聞がどう伝えるか(笑)なのだが、共同電を使って「日本政府は、フジモリ氏が日本国籍を保持しているとして、日本の刑法に従い、身柄送還はできないとの立場を取っている」と。おいおい、これって日本政府が以前からペルー政府に対して送還はできない、としていることであって、ICPOの加盟国なんだからICPOに対してはそんなこと言っていられないはずだけど、どうなってるの? この記事は見出しがあくまで「ICPOは」なんだから、かりにこの「日本政府は身柄送還できないという立場」というくだりを紹介するなら「ペルー政府に対しては」と書かないと。書き手の無知か意識的な世論操作か。いずれにせよ日本政府、ICPOの決定を無視してまで独立した主権国としての意思を貫くか、乞うご期待!
▼ザ・フォーク・クルセダーズの「はしだ隠蔽疑惑」だが築地H君によるとNHKBSの「なつかしのフォーク大全集」とかいう懐メロ番組でもはしだ先生の大ヒット曲「風」が流れているのだが歌っているのはなんとはしだ先生ではなく、コトもあろうに坂崎幸之助!と。まるで「はしだのりひこ」は最初から存在せず、ただ坂崎幸之助がいた、という「歴史の書き換え」が進行しているのだろうか。南京大虐殺がなかったかのように「フォークルにはしだ先生は存在せず」、若いファンは坂崎先生は「アルフィ結成するまえはフォークルだったんだ」と思うだろう、これじゃ。
▼フランスのシラク大統領がカッコいい。素直にカッコいい。演説見てても惚れ惚れするねぇ、いい役者だ。相撲好きは有名だが先代の幸四郎、勘三郎だのと並んでもらったら絵になるねぇ。ドビルパン外相も脂の乗り切った49歳。外務省に勤務していた27歳のときにパリ市長シラクに見初められ以後シラクの右腕として外交を補佐してきた、とH君情報。シラクとは「アフリカ民芸品のお面を集める趣味まで同じ」というのがよくわからぬが仲いいのだろう、いろいろ。ドビルパン本人もシラク後継=大統領を狙ってるらしいがフランス外交ここにあり、という面目躍如。やはり政治家として教養の質が違うのか、つまり有権者の民度の問題になるが、とH君、シラクにせよドビルパンにせよ保守政治家がこれだけの人物、この時代になんと稀有な、さすがフランスざんす。シラクにしてみれば自らが愛し慕う日本であるからこそその日本に独立した主権国であることを内外に明らかにしてほしい、と願うところだろうが失望して3月来日延期、だが隠れた真相は実は寺尾の引退あり日本で相撲見る楽しみが一つ減った、という噂もあり(笑)

三月九日(日)朝香港仔水塘にて14kmほどのReservoir Runあるが参加せず朝寝。新聞読み資料整理、競馬予想。昼にかけて百年ぶりにジム2時間。灣仔の藝術中心にて72年のソ連映画『惑星ソラリス』見る。タルコフスキー監督のこの映画、高校の頃に「ぴあ」の映画人気投票の上位何作かに入ったからか(1位はずっと「2001年宇宙の旅」だったはず)リバイバル上映あり(池袋の文芸?)そこで初めて見て10数年前にNHKのBSで深夜にノーカット放映し(その時のビデオがまだ手元にあり)見るのは3度目なのだがまだよくわからず。永遠によくわからないだろう、きっと。人類が進化すると記憶のなかに生きるようだが老いれば嫌でもそうなる、楽しみ。この映画がそれでも「2001年宇宙の旅」以上に難解なのは2001年が資本主義なのに対してこの映画はソ連といふ、我々「西側」に活きる者がいずれ到達するはずの未来でありながら到達する以前に崩壊してしまった社会主義、共産主義という未来社会の、それも1972年というソ連社会主義が絶頂であった時代の作品だからであり、未来社会にいた72年のタルコフスキーらには我々がまだ感じられない未来主義がそこにはあったのだろう、と30年も前の未来映画を見ながらそんなことを考える。劇場を出ると普段でも確かにヒトケない界隈なのだが陰鬱な天気で寒さもきびしくしかも偶然にも全く嫌になってしまうくらい人は歩っていないし車も走っていない。核戦争でもあったの?、こんな静寂は珍しい。Z嬢に電話すると珍しくお買い物中だといふので金鐘の太古廣塲まで歩こうとしたら香港藝術学院の建物もHarcourt Grdenへの歩道橋もホント、タルコフスキーの映画に出てくる景色そのままで金鐘の超高層ビルの夕方のその景色もいつも見慣れているはずなのに未来主義。せめてもの救いはHarcourt Grdenに憩うフィリピン人らの女中さんら、その光景に日常を見た気がして気持ちがいくぶんか未来主義から引き戻され安堵。Z嬢と落合いZ嬢も普段慣れぬ休日の買い物に疲労困憊にて星巴にて珈琲一服。中環まで買い物に付き合う。Episodeなる婦人服店にて久々に邂逅するは「中環の魔女」のお二人。元気そう。いつも遠巻きに見るだけだったがボロ着重ねの服に足の指が飛び出した汚いズック、近くによるとかなりきつい体臭漂うが、しかも二人とも化粧しておりかなかなりの美人とお見受けする。元女優であるとかオーストリアだかのかなり高貴なお家柄だとか都市伝説となっているが真相はいかに。それにしても閉口するのは店の方で追い出すわけにもいかず店内を邏回しつつあれこれと服触りまくる魔女二人をただ遠巻きに眺めるばかり。あまりの臭いに芳香スプレーなど撒いてせめてもの気休め。中環で営業するには避けられぬお二人か。帰宅して昨日の肴の残りで八海山飲む。ちらし寿司。美味いねぇ。
▼日経平均20年来の最安値に対して経財相曰く「日本経済の状況が必ずしも適正に反映されていない」と述べる(8日日経)。理由は「イラク情勢に関する不確実な要因、米株式市場や外国為替市場の動向などが作用している」と。この竹中某、やはりこんなのを経済担当大臣にしているのだから日本は救われず。常識だろうが、株価なるものはたんにその企業なり日本経済の単体としての評価に非ず。つねに不確かな外部状況があり、そのなかでどういう状況にあってもその企業なり日本がどれだけ対処できるか、という点も企業なり日本の株価に反映されるもの。最安値はキョービの戦争気分の世界経済のなかで日本はとくに上手く乗り切れないだろう、という不安があるから、それが適切に評価された結果。それをわかっているのかわかっていないのか、日本経済だけ見ればこんな最安値はおかしい、などと平気で公言するようなのが経済担当大臣を務めている。怖い怖い。
▼中東国際政治の碩学にてカイロ大学政治学部長のハッサン・アッサイド・アマハド・ナファ氏、8日日経のインタビューで言っている。米国のイラク攻撃の狙いは中東の再編成、つまり石油支配による米国の覇権確立とイスラエルの安全保障。フセイン政権も確かに独裁者で愚かだが体制の交代はイラク国民が選択する問題、しかも米国はそのフセイン政権を支援してきた。フセイン政権転覆は簡単だがクルド問題など中東を不安定に追い込む問題が多い。また米国は中東の教育や社会システムに問題があるとして民主化という名の下にこれを変えようとするだろう、だがアイデンティティは自ら見つけるもの。そしてイスラエルのシャロン首相は米国と同じような理由でアラファト・パレスチナ自治政府議長を排除するだろう。イラク攻撃を認めると一国の指導者も米国の(アラブの場合はイスラエルを含めての)好みで代えられることになる。アラブ・イスラエル紛争が解決しないかぎり安定は実現せず、米国のイラク攻撃は正当化できず世界で何百万の人が反対を唱えている。国連を通して解決を図りイラクが大量破壊兵器の破棄を証明することが重要だ、と。明知の知だが、このような正論すら通らぬ世の中。
▼朝日では元駐米大使・栗山尚一センセや『それでも私は親米を貫く』の阿川尚之センセなどが親米主義の論陣張っていたが日経では(9日)元駐米大使の松永信雄センセが「日米同盟と主体性」なる一文寄す。センセ曰くフランスやドイツなどEU組織する「大国」でありNATOに守られておりそれと北東アジアにてそういった跨国組織もたぬ日本を同一に見てはいけない、と。そういった跨国組織に属さぬ日本にとっては米国との強調が必要、と。それはそれでいいが、日米を「死闘を重ねた敵国同士が生死を共にする同盟国同士となり、世界経済の中で一位と二位の経済力を持つパートナーとしても世界的な責任を分かち合うこととなった。これは歴史的な一大偉業であり、自他共に賞賛すべき成果である」って、さすが駐米大使ともなるとそこまで自画自賛か(笑)。これだけでもかなり???な点あり、まず「死闘を重ねた敵国同士」って日本だって田舎ではB29に子供が手を振ってたようなわけで都市部の被害や戦場では確かに死闘だったかもしれないが米国は真珠湾攻撃受けただけで国内は平常の生活が続いており死闘なんてしていない。戦争がおわって60年近くたつと歴史の記憶は現実からこうした思い込みになってゆく。次に確かに日米安保で同盟国となっているが日本は米国に縋って生死を共にしたつもりかもしれぬが米国は日米安保程度で日本と生死ともにするなんて気はさらさらない、って。自他共に賞賛すべき、って賞賛してるのアンタだけ(笑)。こんなのが駐米大使、というかこんなのだから駐米大使に適役なのだろうが、本人もすこしは論考できるようで「一方、日本は米国の従属国でないかとする謝った見方が、国内にも国際社会にも存在している」って、あ、少しはわかってるのかな?センセも、と思わせるが、これもやっぱり誤解。「独立した主権国であることを内外に明らかにしていくことは、日本にとっても、国際社会にとっても最重要事項の一つである。換言すれば、日本の主体性、独自性を打ち出すことによって日本は国際社会の名誉ある一員としての地位を向上させなければならない」だって。センセ、自分でやっぱり日本は独立国ぢゃない、って認めているよ、これぢゃ。「独立した主権国であることを内外に明らかにしていくことは重要」って、つまり独立した主権国だと思われるような主体性がない、ってことでしょ、だから米国の従属国だって揶揄されるのだから。それにそれは日本にとっては大切かもしれないがそれが国際社会にとっても大切、って誰もそんなこと今さら日本に期待してない、って。そして「日本は国際社会の名誉ある一員としての地位を向上させなければならない」って、さすが日本国の全権大使、日本国憲法の精神だね、こりゃ、でもセンセが終戦直後のこの文句を今こうして宣わなければならないことじたい、日本がこれだけの経済力まで有しながら国際社会の名誉ある地位を向上させきれていない、ってのが現実ということの表れ。で、その独立した主権国としての国際社会での名誉ある一員としての、珍しく日本の姿勢を内外に明らかにしたのが、この米国のイラク攻撃支持、ってこと、笑うほかなきお粗末さ。結局、戦後60年近くたって、憲法に謳った確固たる地位、精神をなんら築けないまま今日に至ってしまって、そこでそれを血と肉にできないまま戦後の一応通してきた平和主義をかなぐり捨てて戦争加担、このままいけばその加担を国際的責任を果たしたと誤解して憲法改正もあり、だろう。すごいな、すごいとしかいえない、愚政国家。朝日新聞の購読やめて少しは愚痴減るかと思ったが日経もけっこう美味しい話題が載っていて安堵(笑)

三月八日(土)晴。T君主宰にてWilsonTrailのトレイルあり参加するつもりが愚猫泌尿に難あり糖尿病と診断されZ嬢により毎日インシュリンの注射されているのだがあちこちに放尿ひどかったものが投薬と注射いらいだいぶ改善されたものの昨晩夜鳴きひどく余り眠れず未明よりまんじりともせぬまま朝迎える。さふいへば昨晩下弦の月美し。午前ぼんやりと新聞など目を通す。午後中環は昭隆街の永楽園にて名物の熱狗(ホットドック)食してから或るセミナーに参加。勉強になる。少しだけジムにより帰宅。Z嬢のところにH嬢「男山」の純米大吟醸持参で来られて先月父より頂戴した「八海山」飲みながらZ嬢手作りの肴。アイスクリームも自家製。
▼では米国と日本を比べてみれば最近の10数ヶ月では米国経済は緩慢ではるが復調の兆しあり、日本は敢て言う必要もないが経済は下落する一方で回復の兆しすらない……と一刀両断のこのコメント、これは昨日開催された中国の全国政治協商会議にあわせ香港マカオ選出の政協委員に対して中共の新総書記Coquinteau氏が述べたもの。中国の経済開放のまるで教師であり資本投資の重要な水源であった日本はその「遅れた大国」であったはずの中国にここまで罵詈されるほど落ちぶれているのだ。だがこういった発言がされていることすら日本は知らず。日経平均株価8,144円、20年ぶりの低水準、通常の、日本以外の感覚であれば自民党は当然この10数年の不況克服できぬ「罪」にて与党の座を追われているのだろうが日本の不思議なところは自民党が寧ろ安定を果たし然もその自民党と連立与党となる政党があるといふこと。
▼文部省「規制緩和」にて大学入学資格与える国内の外国人学校の対象を米国と英国の学校評価機関による認証受けた学校のみに限る方針、中教審に報告し了承される。何でも米、英のみ(笑)。朝鮮学校、韓国、中華学校は122校ある学校うち約100校を占めながら対象外。教育基本法の改正などばかり躍起、最も大切なことはこうした様々な学校出た子どもらをどれだけ日本の大学に取り組みその後の社会にて活躍させるかが課題であるのに、こういった規制により優秀なる学生はどんどん日本を避ける。こういった排除で損をしているのが日本であるということが解らぬ馬鹿さ加減。亡国への道まっしぐら。

三月七日(金)冬の如き晴天。昨晩遅く『現代思想』のマイケル=ハートと長原豊の対談「『帝国』を超えて」を少し読む。ハートは当然『帝国』の著者、長原氏は法政大(経済)教授で帝国主義と植民地の問題を経済文化史的に研究している。ハート氏曰く、現代社会には二つの選択肢あり、一つは米帝、もう一つがいかなる国民国家をも中心としない世界秩序が形成された<帝国>なるもの。で、米帝は懸命にイラク攻撃などを利用して覇権に挑んでいるがハート曰くこれが成功する見込みなき理由はまず企業に利潤を、そして世界の諸政権に安定をもたらさないため。そこで世界はこの新しい<帝国>に向けて動いてゆく、と。確かに、少なくとも朝鮮戦争であるとかベトナム戦争までは企業とその覇権に追従する国家に利益が舞い込んできていた、がイラク進攻で日本の国益など0に等しく、むしろこれにより更に経済混乱、景気低迷に拍車がかかるのではないか、と懸念されている。実際、今日はバブル崩壊後の最安値更新、小泉先生は「どういう事態になっても金融危機は起こさない態勢を取っている」と宣うが、どういう事態になるかがわからないのにいったいどんな対策があるのか、つまり「無策」なのだ、唯一信奉できることは追米主義の徹底にて米国経済がこの対イラク攻撃で経済混乱に陥らなければ日本も大丈夫であろう、ということだけ。香港映画祭のチケット、インターネットで即時予約。今年も20本は観るだろう、始めて通しの通行証購う。イースターの連休も毎年この映画祭で旅行せず節約になっているようで2月の香港芸術祭から映画祭でZ嬢と二人でちょっと小旅行にいけるくらい散財している(汗)。今日こそジムに行くつもりがA氏、H氏と黄昏に銅鑼湾のEast Endにて一飲。早めに帰宅して資料など片づけ。
▼築地H君より読売ナヴェサダ新聞に「米軍イラク攻撃の場合国連安保理の新決議なしでも米軍行動支持と小泉先生方針方針固める」という報道あり、と。理由は「大量破壊兵器の拡散の脅威をこれ以上放置できない」のと「緊迫化する北朝鮮情勢も考慮し日米同盟を重視すべき」だから。この支持表明は武力攻撃開始直後に安全保障会議招集して決定し小泉首相が記者会見で内外に表明する予定だそうだが、それを事前報道したナヴェサダ新聞のこれは大スクープか(笑)。それにしても、国際社会で確固たる地位を占め役割を果たすことがこの盲目なる米国追従とは情けなきこと限りなし。大量破壊兵器拡散の脅威を放置できぬのなら米国に対してモノ申すべきであるし北朝鮮情勢考慮で日米同盟(同盟といへば聞えがいいが単に米帝の衛星国であろうに)重視とは。また同じ紙面にて「つまらない男」山崎正和が「米の軍事行動に正当性」との大論陣。H君曰く山崎正和といえば保守論壇では近代主義者として有象無象の右翼反動とは一線を画していたものだが、なるほど保守内部でも「親米=近代主義=開明保守=とにかくアメリカ支持」派と「反米=復古主義=極右反動=アメリカいい気になんなよ」の2大潮流に分化しており、両派ともそれなりに筋は通っているとも言え、親米でも「国際協調」優先で一定の留保をつける宮沢喜一・河野洋平流もありうる状況。H君の指摘にあったが問題は「極右反動の国粋主義者」のくせにアメリカ万歳の某知事、新しい歴史教科書の首謀、某新聞という売国右翼の連中であろう、と。御意。
▼某新聞といへば「迷いも葛藤もない正論を吐きつづけること」では定評ある産経新聞、本日のコラム「久保紘之の平成の考現学」珍しく苦悩が色濃くにじみ出ている、とH君より。
いま「日本の国益と国民の生命財産を守るために、断固アメリカに協力すべきだ」と声高に言い切ることに、筆者は心の奥底に黒々とわだかまる抵抗感を覚えざるを得ない。(略)ブッシュ演説で日本人なら聞き捨てにしてはならないくだりがある。(このブッシュ演説とはイラク民主化の手本が日独の戦後民主化というが、久保は日本においてそれは、マッカサー憲法による戦争の否認・マゾヒスティックな東京裁判史観・自立心の欠落した片務的な安保体制……であったとする) いま、無神経極まるブッシュ発言に何の異議も立てないで、ただ「アメリカに追随するのが日本の国益」と声高に言うのは、こうした屈辱的な戦後史との保守派のささやかな戦いの経緯さえすべて御破算にして勝者による不当な東京裁判史観を改めて唯々諾々として受け入れ「どうか北朝鮮から日本を守って下さい」と、哀願するに等しい。しかし、そうまでして「守られるべき国益」とは、一体何なのか?
著者の久保某は産経の編集特別委員にて看板記者の一人。国の威厳もかなぐり捨てて追米主義、そうまでして「守られるべき国益」とは一体何なのか?、というのは心境の吐露であろう。実はないのだ。ないからこそ愛国心だの日本の伝統だのとお題目だけ唱えなければならない。どこか可哀相な、右翼としてのアイデンティティ・クライシス。分裂と対立繰返す左翼に比べ一枚岩のように見える右翼も実は今回の米国観で明らかに攘夷と親米の乖離大。しかし、読者も少ないだろから紹介しておくと「産経抄」では「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治をやると間違うこともある」との小泉の見解の「どこがおかしい?、大正論ではないか」と持ち上げ、美濃部、青島、田中真紀子といった世論が持ち上げたブームの結果の酷さを揶揄(そういう意味では小泉こそ世論が持ち上げたブーム「だった」のだが)、小泉が直面するイラク問題について「戦争とくれば、だれだって反対したい。しかし事態は戦争ではなく、国際テロリズムに対する武力行使であり、予防行動なのである」と正当化、「反戦デモやスローガンだけで独裁やテポドンを封ずることができるのか。できないために米国を支持する、それが大局的国益だと判断するのなら、首相は断固として世論に逆らえばいい。勇気と信念と責任を持って国民に語りかけたらいいし、語りかけるべきなのである」と。H君曰く正論勇ましいが「小泉はそれができてないから批判されてる」わけ。H君の指摘通りかつて「日本国政府が東京裁判の結果を受け入れてアメリカの属国に成り下がったというのも「大局的国益」ゆえのこと」なのだから、久保のような批判は先先達の達見を卑下することにもなりかねず。

三月六日(木)雨。気温下ル。昨日の新年度予算発表で増税気分、天気と同じく出勤時に新聞読む人の顔もどこか憔悴。しかし政府予算が具体的に見えてそれが香港経済に直接的な影響があるわけで増税と同時に支出削減も大幅に見られ、3年後には黒字を目指す、とどこかの国家の出口見えぬ景気に比べればまだマシか。Windows使って初めてこのサイトをアップロードする。やることはMacと一緒なのだが慣れていないからかなり緊張。Macのしなやかさに慣れてしまっているからWin機の動き、どこかぎこちなし。啓蟄だといふのに寒さぶり帰し先月母に頂戴した柚子用いて柚子湯に入りながらザ・フォーク・クルセダーズ昨年11月開催の新結成記念解散音楽會のCD聴く。風呂に新聞雑誌持ち込んだが「花(すべての人の心に花を)」「悲しくてやりきれない」「イムジン河」など聴けばとても本など読めずただ聴入る。「戦争を知らない子供たち」は戦争を知らないからこそ平和を希求するはずが戦争の悲惨さしらぬ石破某の如き国防キッズの台頭、「戦中派」であっても恵まれた疎開にて戦争の悲劇の惨禍知らぬ石原某らの好戦性、あれはいったい何なのか。唯一の救いは「イムジン河」は歌われて30余年過ぎて南北対話始まり歌詞も新たにアンコールで再び歌われる。北山修の「生きていてよかったね」といふつぶやき、そう思いたいが現実は余りにも馬鹿げている。最後は「さくら」が、それも何故か「外タレが日本公演のアンコールの余興で歌うように」巫山戯て歌われる。意味不明なのだが敢えて解釈すれば「さくら」は日本の美しさ、素晴らしさであって日本人自身が愛国心だの「国の」伝統だのと馬鹿なことを言って実は本当の日本の良さなど見えなくなっている時代に、外タレが本来の「それ」を歌ってしまったような、そういう意図か、と積極的に感じる。
▼日経に(マジに朝日新聞止めて昨日より日経を購読し始めた)、中国の医薬最大手・三九企業集団が深センに最新鋭の検査医療機器備え漢方治療やホテル並の病室を売り物にした中国深セン三九病院開業しその九階に日本人医師看護婦と通訳配置した日本人専用病棟開設、と。日本法人の三九本草坊医薬がそれの日本での予約受付など。標準的な脳梗塞の入院治療で室料、検査、治療に医薬品込みでUS$140(これは1日?)日本で保険きかぬ自由治療受けた場合に比べ半額以下だそうな。日本では困難な臓器移植など「材料」安い中国で、という宣伝でないだけ安堵。それにしても問題は豊かなはずなのにそういった満足のいく治療受けることが困難な日本の現実。

三月五日(水)雨。気温少し下がって17度。昨日に続きレインコオト着れる嬉しさ。雨外套着たくてもこれ以上気温湿気高まると外套のなかで蒸してしまってかえって汗かくのだから。冬は雨降らぬし年に二度ほんの短い間だけ雨外套が着れる。昏時Happy Valleyの図書館。近くに来ていたZ嬢と待ち合わせ銅鑼灣、HMWでAMPの白鳥の湖のDVD探すが見当たらず。日本のAmazonでも当然の如く在庫なく米国Amazonに注文するがUS$26.97、日本価格は3,600円で日本のデフレは価格格差ほとんどなし。晩にZ嬢と北角の寿司加藤。余は殊に小鰭好むが加藤の小鰭は酢で〆すぎず新鮮な赤身と〆た外身との味のバランスかなり好し。なぜかふと天后のI君に電話せば在宅、天后の「濃情」なる、未だにジャンケンしながら勝ち負けで酒酌み交わし泥酔した客が背負われて退場するような、かなり古典的にダサい酒場でビール、ウォッカ飲む。
▼ノーベル化学賞受けた台湾の学者にて国民党専制解体と民進党の阿扁総統当選にかなり尽力した李遠哲氏(現在は中央研究院院長)、台湾の教育改革に当たるが、どこかの国のお題目での教育基本法改正だの愛国心だの日本人としてのアイデンティティだの伝統だのという提唱に比べ台湾の、現実的な今後の社会でどういった子どもの育成が必要なのか、台湾で教育を受けたものがどう国際的に通用するか、という現実的目標をもった改革は実行に値するもの。目下香港訪れ中文大学で教育改革について講演。
▼本日、政府予算案発表される。その、この日の朝『信報』に張敏儀女史の「獅子山下、羅文、財政予算」なる評論が大きく掲載される。張女史は香港電台(RTHK)の代表にて台湾の台独などもリベラルに報道するその姿勢が董建華政府により疎まれ香港特区政府駐東京経済貿易代表部首席代表に左遷され昨年退職した、陳安生女史と並び香港の良識を代表する英才、香港大卒業後RTHKに入り「獅子山下」などの番組制作に携わった。この獅子山下が昨年の今日、この予算案発表の折、財務司長・梁錦松によって困難な時代を共に協力して乗りきっていこう、というメッセージを託し、かつて70年代にテレビで放映され市民の共感得た「獅子山下」を挙げて、この精神を、と宣った。それから一年、その「獅子山下」の製作者であった張女史が、当時を彷彿しつつその精神の真意を述べる、まさに物事の真実を語る名文に敬服。原文の格調高さも伝えられぬが要旨は下記の如し。
昨年三月、まだ東京勤務であった頃に聞いた梁錦松司長就任後初めての予算案は「当時」信じるに充足しその梁氏の雄姿は共に苦しい時期を乗り越えていこう、と語った。そこで「獅子山下」が取上げられブームとなったのだが多くの市民は「獅子山下」のドラマを見たことはなく羅文の唄う主題歌だけ知っていた。番組は再放送され当時の香港の市井の様子に現在の市民は過去を懐古し、朱鎔基総理来港しその演説でもこの「獅子山下」の歌詞引用され、この歌がまるで香港区歌のようになった。この歌はとても歌唱が難しい歌で羅文だから唄えたのだが、その羅文が昨年癌に冒され逝去したことで「獅子山下」ブームは最高潮に達したが、実は、羅文という存在とこの獅子山下の歌を一つに括ることは、キョービの大きな誤解なのである。羅文はその妖艶が魅力であり、それがあるのはあと一人は梅艷芳(アニタムイ)だけだろうが、羅文は徹底した個人主義の先鋒であり、獅子山下の番組にキョービ託された集団精神を好まなかった。当時の「獅子山下」の番組で発せられた市民の声もそれは自己の声であり(キョービ理解されているような)集団精神ではなかった。当時を思い返せばRTHKじたいも政府の公共放送局になったばかりで製作番組は3つのみ、スタジオどころか職員の更衣室すらなく出街して屋外で番組を製作するしかなかった。当時は市民も総督が英国人という以外、政府高官の名前すら知らず、警察とて屋台の雲呑麺を啜りながら腹を見たし警邏。屋台も警官からカネを受け取らなかったが、それもただの親切心。当時はそんな、自然で寛容で素朴で、みんな「自分の」生活に何か活路見出そうと懸命で、そういった若者たちが官僚、弁護士、映画監督、専門職へとなっていった。或る若い弁護士は不法な屋台営業から屋台の店を押収しなければならなかったが、その店を押収されれば生活に窮する被告にポケットマネーから300元渡して生活の足しにしてくれ、というような度量もあった。当時は、中学生が店で何か些細な物を盗もうとしても店主は子どもを諭すだけで警察には通報もしなかった。当時は、デモをする者もなく、ただ司徒華だけが大丸デパートの前で蘆溝橋と918事変について演説していた。1979年になって「獅子山下」は(その舞台であった貧困の)九龍城をすでに出て国際的な賞まで受賞するようになり、当時の香港と同じく中産階級(を映す)番組となり質の高さや様々な創作的なテーマを扱うようになった。いつからだのだろうか、香港は中年になりいろいろな衝撃があって様々な「見直し」が行われ記憶は自らの手を離れ過去を肯定する集団の記憶へと変貌してゆく。「獅子山下」の歌は90年代になってリバイバルヒットし、それは番組の記憶から独立していった。一切の象徴的意義は主観的な願いから生まれるのだから集団精神もそれぞれの人々の自らの心から、下から上へと汲上げられてゆきべきものだから、特区政府が人々に共に苦しい時代を乗りきろう、という時、小市民との距離はどんどん遠くなってゆく。去年の梁司長には今日のような憔悴しきった表情はなかった。「修身、節約、治港、緊縮予算」の圧力のしたで、財務司長はいったいどんな歌を唄うのだろうか。
……含蓄のあるすばらしい内容。個人の奮闘という事実が30年たって集団でともに頑張ってゆこう、と全く正反対の意味を含蓄して集団の記憶というものになってゆく、小熊英二『民主と愛国』でも言われているこの共同の歴史の記憶がいかに変遷を辿るか、という核心、実に面白い。それにしてもこのタイミングでこれを書いた張女史もそれを載せた信報も見識という他なし。
▼蔡瀾氏、蘋果で「我」という随筆に子どもが成長するにつれ我=私といふ一人称使うようになる、というところから話始めるのだが、そこで紹介するのが日本語で女の子が自分の名前を「私」の替りに使って「久美子はアイスが好きじゃないですかぁ〜?」というような用法をすること、これは日本語特有で興味深いこと、と、それは確かにそうなのだが「日本の法律では20歳で成人になり少女は20歳になるとこの「久美子はぁ」を使わず「我」を示す「私」を使うようになる」って……そんな。こんなの人によって違うって、使うか使わないかも何歳まで使うかも。またこの「我」を意味する日本語の「私」の例として一人称で書いた小説を「私小説」と呼ぶ、この語をそのまま(中国語で)読むとちょっと誤解されるが、と(私小説と何か悪いことを書いているように読める)。私小説は確かに「私」という一人称で書かれることが殆どだが「陽一にとっての一番丁は……」とか敢て名前を使って私小説性を匿名にした私小説ってのもあり、だろう。難しい。
▼いぜん築地H君と朝日新聞の加藤周一先生と吉田秀和先生の連載について赤い朝日とて最近は保守色強くあの連載二本が「よく続いているよね」という話になり、あれだけの巨匠となると誰も連載中止を言い出せず、ただお二人が老いて連載不可能となることを待っているのでは、などと失礼なことを言っていたのだが、H君によると朝日の『論座』4月号でマジに加藤周一先生がそれについて言及、と。
――もともとどういうきっかけで「夕陽妄語」はスタートしたんですか。
加藤先生……私は例えば憲法を変えるなという主義ですから、そのことをしつこく長く言いたい。でも、朝日新聞が嫌だと言えばそれっきりでしょう。だから、それには連載がいいんですよ(笑い)。連載はやめにくい。これだけ長くやっているのをやめるのは少なくともいくらか心理的抵抗があるでしょう。ところが連載でなければ、やめるんじゃなくて、ただ注文しないだけの話です。注文を新たに発しないということと、今やっていることを変更するということは違う。すべては変更を嫌う。したがって、朝日新聞も変更を嫌うだろう。だから連載の方が都合がいいということもあるわけです。
……朝日新聞は、だれにでも毎月1回書かせるわけではないですね。私は運が良くてということもあるけれども、とにかく朝日新聞は書かせてくれているわけだから。そうしたら、そこで何を言うかは私の自由なわけだ。憲法が、第9条が問題になっているとき、黙っていれば、黙っていることの責任をとらなければならなない。黙っていることは発言です。それは重要じゃないと言ってることでしょう。重要なことから書くんだから。朝日新聞に定期的に書く習慣を持っている人は少ない。だから、それには責任も伴う。いくらか意味のあることを書かないと、と思うのです。何百万部の新聞に「ごちそうがうまかった」とか何とか、そういうことを書くばかもいるけど、それは無責任ではないかと思います。紙面が限られてるんだから。そんなむだ話じゃしょうがないんだね。
――もう一つは、加藤さんはずっと自由に発想し、自由に行動してこられましたが、その秘訣はなんでしょうかというご質問です。
……えー、そうねえ、私はわりに自由に生きてるみたいに見えるって、まあそうかもしれないですがね。秘訣があるかといったら、それはやはり代価を支払わなければだめですね(笑い)。自由と言うものはただでは手に入らないですよ。
と。さすが先生、わかっていらっしゃる。若い世代がどんどん転向していくなかで(あるいはバケの皮が剥がれてゆくなかで)加藤、吉田の両先生が老いても尚健筆揮う現実。朝日購読止めて読めなくなるのは悲しくもあり。H君、この「自由のための代価」について、よくとれば自由を得るために戦う姿勢であり、意地悪くとれば例えば高額の原稿料につられて『潮』に書くようなことか、と(笑)

三月四日(火)久々にしっかりと雨降ル。昨日綴った『香港攻略本』について東京書籍の出版部に電話。トイレの「日本人向きではない」という表現は電話に出た編集者「確かにここだけなんでこういう表現しているのか」と過ち認め丁度4月に改訂版出す作業中なので訂正を要検討、と。「鶏肉のムニエル」については教科書出版会社としてはかなり拙いが益新が潰れてしまつたので言及せず。そういえばこの『攻略本』で「気さくで親切」と称された海都海鮮酒家、Q姐に聞いて呆れたが、個室を要すほどの或る宴席ありQ姐、海都と海逸酒家の二軒に予約試みる、がHung Homの海逸は個室満席にてキャンセル待ちでメニューのみもらい海都は個室あったが送られてきたメニューは高いばかりで酒の肴になるかならぬか程度の遜色に欠けるもの、客を馬鹿にするのもいい加減にしろ、と思ったQ姐、海逸のメニューはかなり期待できる料理並び値段もまぁまぁ、海都にアタマきたので海逸のメニューにある鱶ヒレ、鮑魚など含む料理を並べ海都に送り、これか同等の料理を供せと言ったところ驚いたことに当初の、その値段で食すに値もせぬメニューをそっくり変えて同じ値段でオファーしてきた、と。当然、店は当初のメニューなら食材も安い分多益なわけで客を馬鹿にするのもここまでいくと大したもの。怒れるオヤジは東京書籍ばかりか朝日新聞広報部も襲撃(笑)、下述した教育基本法改正について「前文を残す」の不明朗な記述を質す。電話で応答した、香港からとわかったら「お客さん、遠いところ恐縮です」って温泉旅館の番頭さんみたいな広報部のオッチャン、国際電話=高い(虚実)とわかったら少し早口になるのがご愛嬌、前文を「ぜんぶん」と読んだら「まえぶん、ですね」と指摘され、へぇそうなんだと我が浅学恥じたが、アトで調べたら「ぜんぶん」でいいのでは?、「まえぶん」は新聞の業界用語か、それはそうとオッチャン、手許にこの記事掲載された版が見当たらず、としながらも「前文を残す」という表現は確かに「そのまま」ととれるわけでこの点は要確認、とのこと。
▼小泉三世内閣の千古罪人に値する教育基本法の改訂、1日の朝日新聞に百害あって一利なき中教審の鈍才どもの答申素案明らかに、と記事あり……ってこう書いたら「百害あって一利なき中教審の鈍才どもの答申素案明らかに」って見出しになってそうだが、まさか(笑)、答申素案の記事があっただけ。そもそもこの改訂が間違っていることは小泉三世の愚鈍さは今更述べるにも値せぬが文部科学省も呆れるのは教育基本法の改訂ばかりに熱心にて憲法に基づく法律でありながらその基本法原文すら文部科学省サイトで公開しておらず。つまり本当に基本法を吟味した上で改革必須と検討したのではなくたんに「どうしようもない」状況の五里霧中のなかでただ基本法変えればどうにかなる、という幼拙な発想に他ならず。だが悲しいかな問題は、その基本法の改訂に異議唱える側(だろう)=朝日新聞の記事読んでみると、これも文部科学省の幼拙さ加減に勝るとも劣らずの悪文で「内容が理解できない」こと。記事には「新たに法に規定する理念として『国を愛する心』など8項目を確定」とあり「法律(基本法を指す……富柏村)の冒頭にある『前文』を残して、前文か条文にそれらの理念を盛り込む方針を示した」と。おいおい、「前文を残して」って、この愛国心とか盛り込んだら崇高なる前文は残していないんじゃないの? それってたんに前文という項目だけ残して内容まるっきり変えて、だったら「前文を残して」って表現は間違っている……と思ったのだが、更に意味不明になるのはそのあとで、「素案は、前文を残す理由を『教育の基本を確立する重要な法律であることを踏まえた』と説明。法制定の目的などを引き続き規定するとした」とあり。これだけ読むといくら中教審で騒いだところで崇高なり理念は変えれまじか、と安堵したいのだが、だが更に追い討ちかける謎の表現が「日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養を、『前文か各条文にわかりやすく簡潔に規定することが適当』としている」って、やっぱ前文を「弄くる」んじゃんよぉ、やっぱこれ「前文を残す」んじゃないし、すげー悪文、読んでもこんなのさっぱり意味わかんねーよ、とにかく文部科学省も朝日新聞もどっちもかなり「ァッタマ悪り〜っ」てこと。たしかに法律的には「前文」をもつ法律というのは珍しいわけで憲法と教育基本法は前文あり。であるから改訂に際しても前文という形態を残す、ということが焦点になることもわからぬでもなし。ただしこの前文というのは本文以上に法の根元にあたる精神の表明であるから重要なわけで、それがわかっているから今回の基本法「改竄」分子どもは前文にこだわっているわけ。だからそういう意図がミエミエなんだから、だからこそ「前文を残す」という表現は似合わず。書くならそのへんの真意に触れないといけない。で、その同じ教育基本法の答申を産経新聞が伝えるとどうなるか、というと「改正答申案『男女協力』を追加」と「過剰性差否定に一線 共同参画社会理念」となる。「新たな基本理念として「男女が互いに敬重し、協力する」と盛り込む方向性が示され、中間報告にあった記述を大幅に削除、精選し、「男らしさ」「女らしさ」まで否定するジェンダーフリー(性差否定)教育と一線を画した」そうな。H君の指摘通りサンケイというのはもっと大所高所(笑)から天下国家(笑)を憂う新聞だったはずなのに、このジェンダーフリー否定の書き振り、で問題の前文についてはこの記事の続きでさりげなく「また中間報告で先送りされた前文の扱いについては『基本法の重要性を踏まえて、趣旨を明らかにするために前文を置くことが適当』とし、前文に記された基本理念も『引き続き規定することが適当』とした。この結果、現行の前文を踏襲、もしくは加筆する方向性が示され、抜本的な書き換えは見送られた」と。これ読めば「理想は重要な前文ゆえ全面的書き換えが理想的だが今回は残念ながら見送り加筆に留める」という真意よくわかる。朝日の記事よかこっちのほうがわかり易いか。この改訂、これを認めたらもう日本は終わりだね、全て終わり。じっさい何の思考もないまま、つまりその段階で自立した個人としての責任放棄、それで根本法みたいの改訂とかで「何か変わるのじゃないか」みたいな淡い、拙い期待。小泉に何か期待して何も変わらないのにまだ懲りないこの風土。どうダメ。教育基本法の、その前文に何が書かれているか、もう一度読んでみませふ。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
……って。この感覚と
日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養
ってゆー箱庭的発想とどちらがこれからの「国際社会」(ダサい言葉)で必要なのか、どちらが合適しているのか、わからないものだろうか。何度も言うが伝統とか文化ってのは国家が規定できるものぢゃなくてセンスいい人の個人の素養、郷土愛と愛国心は並列できるものに非ず。
▼今日の朝日に「是か非かイラク攻撃」という記事。外務省顧問とかいう元駐米大使・栗山尚一センセのインタビュー「安保理は正義の場でない」、築地H君より「これがまた失笑ものツッコミどころ満載の低レベル」と。『それでも私は親米を貫く』の阿川尚之センセにも勝るとも劣らぬ親米論者、「こんなのしかいない」ならいっそのこと岡崎久彦みたく「ご無理ごもっとも。日本はアメリカの言う通りするしかないんでーす」といった感じになってくれたほうがいってくれた方が、正直なけマシ、とH君。それにしても栗山センセ見てると、いつから日本ってこんな国になってしまったのでせふ。急になったんぢゃないよね、ずっとそうだった、ただ敗戦ショックで戦後半世紀封印されていただけ、でも半世紀前と違うのは國體の在り処が米國になつたこと。彼らにとって結局、思想的基盤は右とか左とか尊皇か攘夷かなど紙一重どちらでもよく、ただ赤子健やかに眠ることできる母体としての國體あればよし、ってことだね。
 栗山尚一センセ  H君の常識
国際関係では武力行使がいかなる場合も絶対悪だと考えると、秩序や平和が守れないことがある。 国連憲章では武力行使が認められる場合をキチンと定めてる。それはつまり急迫不正の侵略に対する自衛行為と安保理決議に基づく国連軍の軍事行動。大国がルールを公然と無視するのでは、国際社会の秩序は守れず。
(武力行使が必要なほどの差し迫った脅威があるのか?という質問に)その点は確かにある。しかし、10年以上も国連決議が守られない状態を放っておいていいのか。何も強制的な措置をしないのは結果として放っておくことになる。 国連決議を10年どころか建国以来(笑)無視しつづけてる国もあり。米国とて国連無視の横暴。栗山センセが「国連決議違反即攻撃」という新たな国際秩序を提唱されるなら、それはそれで一つの意見になるが、イスラエル放置との整合性はどうなる?法と秩序は何処?
ブッシュ政権内では当初、『国連は有害無益。国連抜きでやる』と言われていた。それに対して日本が『そうじゃない。国連を通すべきだ』と言ってきた。ブッシュ大統領も結局、国連を使うことにして決議1441を採択した。 これはこのインタビューの白眉、妄想炸裂! 日本の進言が容れられて国連利用に米が方針転換!?……まさか(笑)。人間の脳内では何が起っても不思議ではなし。小泉も川口も「国連決議が望ましい」とはいってったが裏では「通すべき」とまで言っていたか(笑)。仮に妄想通りだったとして、決議がなければ支持を取り消す? 結果はどうでも、最初から米国支持は決まってるくせに。だいたい「国連を使う」って何事? どういう根拠があって、アメリカには侵略もうけず国連も通さず勝手に戦争を起こせるのか?、素直な疑問。

国連安保理は大事な存在だが、そのお墨付きがなければ何もできないという立場は危険だ。安保理は正義の場ではない。常に正しい議論が多数を占める保証はない。
……で、アメリカは常に正しい政策をとる、と?(笑) どこをどう押せばこういう馬鹿げたリクツが出てくるかね。この人の意見でいったら、国連脱退せよ、ってことか。自分に有利な結論が出るとは限らないから、そこでの結論には拘束されない、って、それじゃ国連加盟国としての義務も責任も果たせない。もう脱退しかないでしょうな。アメリカと一緒に第二組合でもつくりますか。「脱退するぞ」と脅して言うこと聞かせるってのは、ナベツネがいつも使う手(笑)

日本の平和主義とは何なのか、日本人自身が考えるべきだ。『いかなる場合でも武力を使わない』では、国際的に説得力がない。国連憲章だって武力行使は認められてるわけだから。
だ・か・ら・あ〜、国連憲章51条になんて書いてある? 栗山センセの脳内変換では「加盟国は自国の判断に基づいて、任意に他の国連加盟国に対して武力行使を行うことができる」とでも読めるのか? 「いかなる場合でも武力を使わない」という立場を批判することは自由だが、安保理でいま問題になってるのは「法で認められた条件を超えて恣意的に武力行使を行うことは許されない」ってとこ。外務省がこんな××××ばっかで、どうやってシラクを説得する? 政治家はブッシュとか小泉みたいなアホばかりでなし。
▼築地H君と、一党独裁、自由弾圧、腐敗といった悪を有する国家は成敗していい、というのが米国の理論ならその対象ってイラクとかもっと他に大国があるよな、とw。確かにね。でも中国の場合(笑)、少なくても集団による統治徹底されていてブッシュ独裁の米国よかまだマシ。全人大開催されるが一党独裁の中国共産党とて江沢民襲ヒ国家主席就任のCoquinteau 胡錦濤氏、自民党でいへば宏池会から加藤紘一が首班指名受けるようなもので、巨悪も跋扈する同じ利権政党でありながらテクノクラート集団の引導徹底されるだけ「変人お題目で改革叫ぶばかりでますます巨悪と化す」自民党よかまだマシかもしれぬ。

三月三日(月)小雨ノチ曇。遅晩一人北角の某店にて拉麺食す。店主の日式でなく本格的な拉麺香港にて供しようといふ態度敬服、だが折角西山製麺の麺まで仕入れても茹で方に難あり。ちょっと茹ですぎで且つ解れておらぬ麺。考えられるのは茹でる時によく解してないことだがそんな初歩的な仕損じあるはずもなく、おそらく大鍋で茹でているがその日に大量の麺の茹ですぎで湯が濁ってしまい水どんどん足しておらぬため解しながら茹でているつもりが麺がベトベトしてしまい「シャキッ」と茹だらなずと察す。
▼一昨日、S氏持参の東京書籍の出した観光ガイド『香港攻略本』なるレストランガイド本、ページめくっていたら銅鑼灣の益新あり店閉じて五ヶ月経った今でも誰かに「益新連れていって」といわれること少なからず益新存在せぬことに涙禁じ得ず。だが益新の名物料理であった檸檬鷄に「鶏肉のムニエル・レモンソース風味」と紹介あり、あれはムニエルだったとは抱腹絶倒、ムニエルとはフランス料理の料理法の一つで『魚に』小麦粉塗してバターで焼き上げたもの也、鶏のムニエルも珍しいが、そもそも檸檬鷄は「鶏肉の唐揚げに檸檬ソースかけたもの」であってバターで焼かず。而もサービスのよさでは定評あった益新は「特別サービスはよくない」と。ムニエルが何かも知らぬ田舎漢ではまともなサービスなど受けられる筈もなし。この『攻略本』詳細なデータの中には各レストランの地元客比率とかサービス、日本人の多少、トイレの清潔度などあるのだが、評価にどれだけ信憑性あるのかかなり疑問。そもそもレストラン評価など客観性ないがミシュランであるとか匿名の評定家足を運ぶわけだが、この『攻略本』その記述一見すれば実に無責任且つ信憑性に欠けるものであること明か、椅子から転げ落ちるほど驚く。益新が「特別サービスはよくない」のだが金持ち常連以外には慇懃無礼の感もある海都海鮮酒家は「気さくで親切」と……鮑魚だの燕の巣でも食べれば親切かも知れぬが気さくとは。で、陸羽茶室は「サービスはあまりよくないが日本語のできるJohnさんは親切」と(笑)。陸羽など常連の店にて観光客に慇懃無礼は当然、言葉も通じないから日本語のできるJohnさんだけが親切と思えた、とその程度。野暮。白眉は北角の東寶小館にて、日本人も行く、とあるがここは日本人か地元民でも「街市の汚い熱食中心など行ったことない」若い世代が時々あらわれる「スター」との邂逅期待して参って繁盛しているわけで、つまり日本人とかそういう連中「しか行かない」店なのだが、この街市にある、つまり当然、他よか汚かろう、しかし他の街市の熱食中心に比べたら冷房完備で段違いにきれいなこの店なのだが、ここのトイレ評価は他頁は「きれい」だの「あまりきれいじゃない」だの「普通」だなのに比べ東寶小館だけ「日本人向きではない」と。日本人=衛生的?で東寶のトイレは「汚い」という意味か、支那式なので日本人向きぢゃないのか?、日本式の雪隠じゃない、という意味か、いずれにせよ非常に不快さ伴う表現。この程度の認識は観光客ならいざしらずそれをレストラン評価として買くライターもライターならそれを出版する東京書籍も東京書籍。東京書籍、社会科教科書では検定教科書のなかで良識的と定評「あった」大手ながら最近は新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国つらいよ条例」として教科書に載せたり公民教科書での誤植ミスなど大丈夫だろうか、この出版社。

三月二日(日)片道HK$100もかけてAirport Expressにて空港。九時からAdidasのKing of the Roadの10kmレースに参加。五回目?、香港で始めて本格的に時間順位測定のためのChampion Chip導入、先週のGreenpowerの50kmから全然運動しておらず走り出してどうなることかと思ったが、どうやら余の身体は最初1kmで目が覚めて3kmで酒が抜け胃がこなされ1kmでウォーミングアップされるようで最初5kmは6km/分くらいだったものが5kmから楽になり5km/分には上がったようで結果的に56分で終了。香港マラソン(ハーフ)、50kmに今日と3週レース続き、これで今季のメインレースはほぼ終了……と思ったら今月末にマカオのコロアネ(ハーフ)あり。なかなかナイスなTシャツもらって空港バスで帰宅。わずか10km、1時間弱走るために往復でHK$140。往復路たまった新聞乱読。「一門や東西の壁を超えて落語会に革命を」と気鋭の話家「六人の会」結成。小朝と釣瓶にこぶ平、志の輔、昇太と花緑。曾ての志ん朝、談志、三平と円楽が若手で活躍していた頃はこんな会など結成する必要もなかったし、それどころか高座で己のの芸風磨けば相乗的な勢いが出ていた時代、それに比べると悲しき現実。それにしてもこぶ平の顔がいちだんとよくなってきた。三平逝去の頃はこれで林家の看板背負えるのかと心配だったし、書く文章、殊に音楽評は素晴らしいが噺はイマイチだったがいい顔だ。ところで小朝、ますます見た目が美輪明宏先生に似てきてないか?(笑)。かなり旧聞に属すが21日の朝日新聞「首相の姿がかすんでいく」なる社説の出だし読み空港リムジンバスの座席から転げ落ちそうになる。社説曰く「『自民党をぶっ壊す』。2年前、そういって国民の喝采を浴びた小泉首相の姿はしょせん幻だったのではなかろうか」って(笑)、そんなこと誰でも幻だったととっくに気づいている。最初から幻想だったのだ。小泉三世など自民党という魑魅魍魎跋扈する奇界にあって変人と揶揄され疏外されていたものが、もう誰も自民に首相のコマなくなった時、自立した思考力乏しく国際情勢のなかでの日本の置かれた深刻な立場理解できぬまま安易に他力本願で「小泉さんなら何か変えてくれるのでは?」などという澹い、本当に呆れた8割の国民の支持を受けて、真紀子モンスーン吹いて首相になっただけ。自民党をぶっ壊すという発言も党内で「また小泉が……」と嘲笑されていたばかりか、実際には小泉三世のこの在任中、自民党という組織はますます強固なものに変貌を遂げているのだ。自民党を壊すどころか自民中興の祖。結局、日本という国家にとっていちばん大改革を要したその時期にこの変人を首相に当てたことで改革どころか本来もうこれではやってゆくことのできない自民党官僚財界政治を強固にしてしまった。このツケが、結局は「小泉さんなら改革をやって『くれる』んじゃないか」と期待した8割の国民にツケとなってまわってくる……残り2割の国民にも同じだが。政治もひどいがこんな社説書く朝日も大丈夫だろうか。完全にズレてしまっている。晩に銅鑼湾に出て富臨飯店にて阿二鮑魚にしようか味千拉麺にしようか迷って(嘘)にんにく屋経営のK氏新しく開いた和三郎なる香港初の手打ち蕎麦屋、ざる蕎麦と鴨南蛮。香港に天麩羅屋とんかつ屋鮨屋とあって蕎麦屋だけないのが惜しかったがついに登場、決してそれほど期待せずに訪れたがなかなかどうして外地でこれだけしっかりした蕎麦供するは大したもの。欲をいえば蕎麦細すぎてコシに欠けるか。Culture CentreにてCesaria Evoraのコンサート。Cape Verde、といっても余も知らなかったがアフリカ大陸の西端から更に600km西の太平洋上の諸島、ポルトガルの植民地で今は共和国として独立しているが、Cesaria Evoraが歌うのはCriouloと呼ばれるポルトガル語に西アフリカの言語混じった土地の言葉。Cabo Verdeは15世紀末にポルトガル人によって「発見」されたときには無人島であったらしく、そこへ西アフリカから多くの奴隷が送り込まれポルトガル本国からも移民が入植、19世紀末に奴隷貿易が廃止されるまでアフリカとアメリカの両大陸をつなぐ奴隷貿易の中継地、でおそらくポルトガルから入るラテン音楽にアフリカの多くの音楽もここを通過し或いは種を落としてキューバやプエルト・リコなどに流れていったのだろう……と引用はこちらから。その無国籍な音楽が80年代末にフランスで火がついてプレイクする。Cesaria Evoraはステージを見てもけして物凄い歌い手ではない。正直言って歌唱力もこのくらいの歌い手はラテンから南の音楽に少なからずいるはず、音程だってちょっと#がかって不安定、だがその普通さがCesaria Evoraのよさか、西欧により「発見」され世界音楽に組み込まれた感あるが音楽としては「歓びだの悲しみだの通り越したところでリズムにフレーズが乗っていう、というその感じ」が実に心地よい。ただ音楽会の会場で姿勢正して聴く音楽ではないはず。自分で音に合せて身体揺らし酒でも飲みながら場末の酒場の一角で酔っているのが気持ちいい音楽なのだ。今年の香港芸術祭はこれで終わり、次は香港映画祭。
▼自民党といえば、この党のもうどうしようもないオヤジ体質がこれ。オヤジだから老齢化して消え去ってくれればいいのだが不幸なことに長寿大国、このオヤジ体質がますます強くなっている。大阪府議会28日の一般質問で大阪市中央区より選出の自民党府議八木博、府立高校卒業式にチマチョゴリやチャイナドレス着て参加する生徒いることを「いぜんはチョゴリ、チマ、アオザイ、それからチャイナドレスで、どっかキャバレーに来たんちゃうかな、そんなような卒業式もございました」と発言。「チャイナドレスのスリットが深かったことを『キャバレーのようだ』と言うつもりだった。民族衣装は文化の一つと尊敬している。表現の仕方がまずかった」と弁明。
この日の府議会の中継見ると、八木は議長の指名され失言でも多くかなり有名な議員センセイなのか笑い声や私語ざわめくなか壇に上がりあがり質問を前に突然「本日、私、府立高校の卒業式に行ってまりまして」と語り始め(これは議会の一般質問ではかなり異例)、この学校は大阪府立夕陽丘高校であることがあとで言明されるが、「卒業式は指導に従わずいぜんはかなり乱れていたものが今日は入り口に校旗と国旗日の丸が掲げられ檀上にも校旗と国旗日の丸掲げられ、この学校は私服なのだが卒業式は振り袖の生徒がいるなど華やいだ雰囲気で……」と続け、そこで「いぜんはチョゴリ……」と問題発言。議場からは笑い声も聞こえ(唖)議長の向かって左に坐る男は笑い顔。府議会の公開している画像はこの発言の最後がちょっと切れている感じあり(作為的か?)。いずれにせよ八木は「ではここからが一般質問ですので」と質問の台本を見せ議場からは苦笑、いつも質問等で脱線するのが八木の十八番か。つまり大阪府議自民のトリックスター的存在かといえば実はこの八木博、平成5年から府議会議長も勤めたことあり、もともとは歯科医師。中央区谷町の空堀商店街にて八木歯科医院(中央区谷町7-2-30 電話(06)6761-0640 Fax(06)6768-8267)を開業。府の歯科医師会をバックに府議をしている御仁。それにしても韓国朝鮮系の市民多い大阪(大阪府サイトもハングル版あり)の議員でチョゴリ=韓国キャバレーといふこの認識、しかも高校の卒業式からそれを連想、こんなのが自民党選出府議……八木博本人よりもこれを選んだ自民党、中央区民、府歯科医師会も愚行を恥じ入るべき。
▼香港から日本への渡航者に課せられている査証取得が年内にも免除になるような話。低迷する経済の刺激として観光業の促進があるのだろうし日本訪れる旅行者年間500万人の1割が香港。査証免除は大きいが在香港の総領事館は50万人からHK$71のビザ手数料をいただいていると思えば実に年間HK$35.5百万(5億6800万円)也?、この収入減は大きいはず。一人の旅行者がかりに20万円日本に落としてくれるとしたらわずか2840名分でビザ免除になれば多少増える旅行者者からいえば確かにビザ免除か。それにしても過去から日本からの来港者は当然査証免除で不公平、かなり望まれていた査証免除も所詮、日本の台所事情で決まるという独善か。
▼日本といえば『信報』に香港大(教育)の程介明(元立法会議員で民間への機密漏洩で有罪となった程介南の兄、こんなことで何故議員辞職で有罪?と日本の議員には理解できぬだろうが)、日本の大学の国際化について述べている。程教授、日本のT大学(おそらく筑波大)に招かれ大学主催の国際化の諮問部会に参画。程教授曰く日本の教育が国際化を提唱したのは1987年の教育改革で学校の個別化と並んで改革の二大重点とされて以来のことだが、当時、日本の学生の留学促進、留学生受入れ、英語能力向上、年度9月開始、第二外語など提唱されたが10数年経ってみてそれは「只聞樓梯響」ただ階段に響いているだけ=何もなされていない。国際化を提唱しつつ、日本の大学に行ってみればわかることだが留学生非常に少なく、外国籍教員は殊の外少数、使われるのは日本語ばかり。いくら国際化を提唱してもこの環境では国際化など難しいのは明か。今回、程教授を招いたのはT大学のコロンビア大学のPhDをもつ教員。ユネスコのパリ本部で働いた経験がありユネスコの在北京教育代表を勤めた後にコロンビア大に復学し国際関係論学び博士論文のテーマが「中国農村の教育発展」で、その指導教官に程教授が当った、と。程教授が奇怪に思うのは、これほど優秀で経験豊かな教員がT大学に得た職が「情報テクノロジーと国際関係」なるもの。程教授はこれがその教員に的確かどうか疑うが、能力ある研究者ゆえ適任なのかとも思ったが大学がその教員が勤務始めて最初に与えた課題は「何をもって国際化と呼ぶのか」を明確にする、ということ(笑)。この大学は国際関係企画室を開設、と。この感覚が日本の大学の焦りを象徴していまいか、と程教授。立命館太平洋大学は全ての授業を英語で行い早稲田は英語用いる国際研究所を開設したが、このT大学も全面国際化を狙っている。この大学の留学生の数は800名で日本でも屈指なのだが1,100名いる常勤教員に外国籍は一人もおらず。とにかく英語推進をすること、それに尽きる、と程教授。英語なくして国際化はできるはずなし。つまり、英語浸透が日本語の衰退につながる、なんて感覚なのが「我が国」なわけだから英語推進=国際化なんて無理、ということ。世界の孤児のままだね。
▼朝日新聞といえば読売を好んだ祖父逝去のあと母が朝日に変えて以来もう30数年間朝日を愛読、大学の頃に新聞購読料延滞し配達止められた時もコンビニで買い求めていた朝日だったが、月に1万円だかかけて国際衛星版購読しており、こうして日剩に悪口書く点では余に貢献してくれているが(笑)、日に300円以上かかっていると思うと余り読まず(読めず?)無駄、ぢゃ読売か、ってナヴェサダ逝去するまでは読売は購読せず、ともう20年ほど決意しており、産経など言語道断、ちょっと好きな毎日、それに祖母愛読していた都新聞(東京新聞)は香港は航空便輸送配達で朝刊朝に届かず、で結局、日経に変えようかと思案中。
▼築地H君より演劇人による反戦集会、結局は司会は渡辺えり子だけ。やはり中村屋は「交渉」失敗か。だろうな。中村屋のお気軽さだったのか松竹という壁か……。
▼27日に築地H君教えてくれた勁草書房から『それでも私は親米を貫く』の著者・阿川尚之センセイ(駐米公使)、23日の朝日にインタビュー出ていたのを読む。ジョージタウン大、同代Law School卒、米国憲法専攻で慶應の総合政策学部教授経て外務省民間人登用により駐米公使。一読しやはり呆れる。リンカーン演説を用いた9-11の1周年の式典でニューヨーク州知事の演説に感銘しているが、リンカーンの時代と今の米国では国威なるものの作為性が全く異なっているのだ。純粋な自由と民主主義の理想実現とは思えまいに。阿川センセイの「テロの前までは米国人は自分たちの国には色々問題があると考えていた。が、ユナイテッド航空93便では普通の市民が "Let's roll" と抵抗したために飛行機が墜落、テロリストの攻撃を阻んだ」ってのも凄い、93便の乗客の抵抗で飛行機が目的に撃墜しなかったのは事実だが、ありゃ「テロの攻撃を阻んだ」んじゃなくて、もうあの段階でテロに襲撃されていたのだ、この修辞、かなりあやしい。また、米国の愛国心高揚について好意的に受け止め「日本には日の丸を拒否し、君が代を歌わないことが染みついた世代がいる。米国は国旗に忠誠を誓うことで統一を保っている」と言及、これも凄い発想、米国憲法専門でも米国の理念が全く理解できておらず。米国にも国旗を、というより現状でのブッシュ政権に見られる国家主義の象徴としての国旗なら拒否する者はいくらでもいる、ただ米国の建国以来の自由と民主主義の象徴と理念として米国という国家への愛国がある、といふこと、それが米国。それをそのConstitutionないままただ漠然とした「日本」というものに対して、その国家主義の象徴たらんとする日の丸と君が代を否定する者がいるのは当然、それへの盲目的な追従に疑問をもち日の丸拒否、君が代歌わぬ市民を否定しようというこの幼稚な発想……これが米国公使、いやこんなレベルの親米派だから外務省が米国公使に登用できた、と考えれば理解可。「米国は最後には力が平和を守ると考えているが、何も悩まずに力に頼っているのではない」としてマジに「ブッシュ政権は極めてまじめな政権」って本当に言及してる。そりゃそうだ、確かに「何も悩まずに力に頼っているのではない」のである、本当は「何も考えずに力に頼っている」のだから(笑)。仏独を中心にした厭戦感について日本がそれを気にするのは「日本には欧州コンプレックスがある」からだそうで(驚……米国コンプレックスだろう、実際にはこのセンセイにょうに)「日本にとって重要なのは米国だ」と……ホントにこれは只者ぢゃないぞ、正真正銘の××だ。これが米国公使、それを米国公使にする外務省、すごいなぁ日本政府。ちなみにイラク問題の安保討論会(2月20-21日)62カ国・機構が発言して仏独などの主張する査察継続支持が約50と大半占めるなか米英支持をしたのは僅かに日本、豪州、アルバニア、ウズベクスアン、マケドニア、ラトビアなどのみ。日本が国際政治で責任ある立場担うというのはこういうこと?。ただの米国の腰巾着。豪州や他国も10カ国とはいへ支持している、と見えるが、見ての通り、日本を除けばイラク周辺各国は真にイラクを脅威と思うかイラク石油が打撃受ければ国益上ルわけで、豪州だけ???だが実は安全保障上最も対イラク攻撃の余波受けぬ資源大国、中東が壊滅して最も儲かる国だろう。つまりみんなイラク攻撃の国益あり、世界で唯一のバカ国家がイラク産石油の安定供給という恩恵受けながらそれの打撃を支持する日本。米国のためなら国益失うも致し方なし、か。なぜそんな政府与党を財界、右翼が支持するのか理解できず。

三月一日(土)晴。深センに遊ぶ。昼に深セン発展中心にある日本人経営の伊太利庵なる店、パスタ美味いと評判だが綺麗で落ち着いた店で午後の木漏れ陽、わずか40元でサラダとパスタ。ティラミスも秀逸。午後、按摩。夕方香港に戻り紅碪カの站樓上にてY氏と歓談。Ritz Carlton Hotelに赴きS氏、O女史夫妻と再会。擺花街のDublin Jackにてギネス一飲。Z嬢現われてから樓上の劉健威氏営むYellow Door Kitchenにて晩餐。前菜の小皿が蒜泥白肉、涼拌豆腐、漕毛豆、甜酸小黄瓜、辛辣銀魚、鹵鴨舌、芥汁白菜、孜然排骨、主菜は洋葱一字様、醤粒粒、清炒時蔬、宮保銀雪魚、金瓜緑豆湯、八寶鴨、それに炸醤麺と杏仁露。赤葡萄酒に酔う。食後筋向かいのXtc on Ice半月の休暇経て再開、人参のジェラートなど。Wellington St 下りてきたら庸記のまえに若者群がり丁度芸人風情庸記にて食事終わって車乗り込むところ。遠目に見て浜崎歩ふう。よくわからぬが、いずれにせよどーでもいいこと。夫妻ホテルに送り帰宅。明日の10kmレース大丈夫か? 夫妻に東京土産で大森の守半海苔店の海苔いただく。
▼昨日、South China Morning Postの社説、見逃しているが、"Time for Mr Tung to step up and sit back" なる題にて香港特区行政長官・董建華に対して「いっそのこと中国共産党香港特区委員会作ってそこの党書記に就任しては?」と揶揄。その象徴的立場の下に実質的に行政司る有能なChief Operating Officer を置いて、と。親中資本入り凄腕記者の解雇など精彩欠く同紙がこの突然の社説、確かに市民の不支持日増しに高まる董建華に対してそこまで親北京の子飼いならいっそのこと党書記を、という皮肉に一利あるが素直に独自の社説ととるべきか、マジに大陸側にも董建華の留任支持したもののその手腕に疑問あり、の観測気球なのかという臆測も拭い難し。

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