乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら)          

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

三月卅一日(土)早晩まで忙殺され続ける。通りがかりの九龍の某ショッピングセンターで手塚治虫のキャラクター展開催中。手塚治虫の世界はどこが「子ども に 夢と希望を与える」のかしら。よ くよく見ると大人が子どものキャラを使ったエログロ的なところもあり。それが「夢と希望」のオブラートに包まれるから、それが手塚治虫の凄いところなのだ が。宮崎駿あたりはそれを踏襲する気負いなのだろうが。科学館で映画『下 午狗叫』(監督:張躍東、中国、06年)見る。やっぱりどうもビデオ映画作品って苦手。フィルムに比べると何処でもロケできる手軽さが映像に出て しまう。マイクも音を拾いすぎたり雑音が五月蝿くて。都市に生きるさまざまな人間模様、みたいのを科白少なく傍観的に映したビデオがどこまで映画なのか、 ちょっと困る。二更に香港市大会堂で映画“No Regret”(中題:愛在基吧的日子、邦題は「悔いなき恋」らしいが不明、監督:李松喜一、韓国、06年)見る。ソ ウル舞台にした同性愛の恋愛物。田舎から出てきた主人公の青年は昼は工場に働き夜は自動車代行のアルバイトで将来の学費稼ぐが工場を解雇され、同性相手の 看板はカラオケ、実は淫売の店に入る。廓にいったん足を踏み入れたら泥沼、という友人の勧告に「カネを工面するだけだ」と主人公。自動車代行の客であった 青年実業家、実は主人公が解雇された工場の社長の御曹司、それ彼が主人公に恋し、この淫売カラオケに客として現われ、……あとは「韓国らしい」テイストか もしれぬが御曹司にはフィアンセがおり結婚の重圧、全てを捨てる覚悟で愛を貫こうとするが「このままじゃ泥沼」と覚悟した主人公は……と殺しか心中か、 と。成人映画指定はカラオケ淫売での口交や二人の肛交があるゆゑ、だろうが、どちらかと言うと韓国らいしい情と怨念の激愛モノ、である。映画終っ久々に FCCに寄る。ドバイからの競馬中継を見るがため。自宅でも見れるのだが。Dubai Sheema Classic(芝、2,400m)には香港からVengeance of Rain(爪皇凌雨)参戦。香港でのオッズ見ると何故かポップロックが人気。昨年5月に目黒記念(G2)に勝って思いっきりの重賞狙いだが昨年10月のメ ルボルンカップから有馬記念も2着、今年2月の京都記念(G2)も二着で、御祝儀も含めVengeance of Rainに賭けていたのだがよく頑張った!で優勝。続くDubai Duty Free(芝、1,777m)は昨年12月の香港国際で独走のPrideに迫り僅か首差で二着のアドマイヤムーン(武豊騎手)である。四着くらいのいい位 置から「きちんと出て」見せ鞭くらいで優勝。おっと気持ちがいいねぇ二連勝だよ、アタシは。でDubai World Cup(ダート、2,000m)である。ダントツで一番人気はDettori騎手のDiscreet Catなのだが、どうも神憑さの欠けた感あり、のDettori師(Duty Freeでゴールしてさすがに興奮の武騎手にパッカパッカと近づき「おめでとう」と祝福する自らは酸敗のDettori騎手の「優しさ」が印象的であった が)に賭けたいと思えずアタシは今晩の絶好調で「絶対に来る」と自信もってInvasorに賭けたら、来ちゃったよ。でドバイ三連勝。
▼本日、六世中村歌右衛門命日。丸五年で神式なら六年祭。青山のお墓も折りから満開の桜。黒御影の墓碑に散りかかり綺麗だった、と聞く。墓前には神谷町が 真喜雄さんの名で供花の由。さすがに岡本町の墓前に神谷町も五代目の名を継いだ栄次郎で花の手向けは躊躇われたかしら。大成駒の「關扉」については久が原 のT君の話によれば大檀那がこれ演じる時は小町姫と墨染の二役を必ず兼ねたものだが先帝崩御のあと、アタシも見た平成元年三月には六代目歌右衛門、さすが に体力衰え、小町を京屋に任せ墨染の片役のみ演じ、これは後にも先にもこの時かぎり。配役決まったのは「昭和」のうちだったが宗貞の「崩御を悼むあまりに や薄墨色に咲きたるを」というセリフは原作の能「墨染桜」に従い仁明天皇崩御後の設定、それが、そう、一月の先帝崩御で、諒闇の春の芝居になったもの。

三月卅日(金)教育再生会議が道徳を「徳育」だかにして教科に、と提案。1月の第一次報告では「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子供たちが確実に身 につける」とかワケのわからぬこと宣っていたが(そもそも道徳や倫理、文化などに「我が国が培ってきた」なんてフレーズを被せることぢたい陳腐で不自然だ が、敢えて「我が国が培ってきた」と言うのなら、自民党のオトーサンたちの土建文明のどこに倫理観や規範意識があろうか。とても恥ずかしくて子どもたちに 「これが我が国の」とは教えられまいに)、今回は「戦前の修身のように先祖返りするのではなく、人としてどのように生きるか、他人をどう思いやるか。命あ るものを尊重すること(を教えること)で環境教育にもつながる。全体主義になったり、右になったりするわけではない」と弁明(主査の白石真澄・東洋大教 授)。社会が荒廃しているから徳育が必要、って、テロの脅威があるから国家による安全保障の拡充が必要、街角に監視カメラも容認、と同じで、ほんとに荒廃 や危機あって、なのか、何か企みがあるから荒廃や危機の強調なのか……アタシには後者としか思えず。本日。滑り込みで早晩に尖沙咀東の科学館。今晩はここ で映画三本。最初は映画『檳 榔』(監督:楊恆、中国、2006年)。中 国の独特な方言話すどこか南方のような風景だが湘西。湖南省西部の、そう、作家・沈従文はこの湘西の鳳凰県の出。漢族、苗族、土家族など混在する土地で言 葉も普通話どころかさらに西の陝西や東南の四川より更に独特な方言を話す。物語はこの湘西の小さな街にふらふらする少年らと一人の少女の日常。ビデオ作品 でホワイトバランスが狂っていて終始ちょっと白けているのは意図的なのかどうか、はわからぬが、本当に淡々と日常を映すだけ。たまに恐喝したりする以外は バイクで走り回り、河を眺め煙草を吸うばかり。112分の作品だが煙草を吸っている場面が90分くらいで、本当に話の展開は30分くらい。自然にあんなに 煙草を吸うか。そんなにやることがないのか。演出だとしたら退屈。結局、自由にカメラの前で振る舞っていい、と言われた少年らが手持無沙汰で煙草を勧め合 う事ばかりになってしまった、ように思える。ふらふらしている若者を描いても中上健次のような若者に神聖性など見ない。魅力があるわけでもなく、それが自 然といえば自然なのだが。かといってドキュメンタリーでもないし、結局、中途半端なのか……。続 いて映画“Men at Work”(監督:Mani Haghighi、イラン、2006年)見る。冒頭から面白い。イランというと私らは勝手に殺伐とした中東の、イスラムだのテロだの戦争での混乱など、ば かり想像するがイランのテヘランに住む裕福で知的な中年の男四人が、山岳地帯にスキーに行くところから話は始まる。日産の高級ジープで、話題はもっぱらそ の晩の、ワールドカップ(たぶんアジア地区最終予選?)での母国イランの対日本戦。で山岳地帯の山道を走っていた四人が見つけたのは急な崖に立つトーテム ポールのような石柱。最初は眺めているだけだったが、その石を倒せないか、崖下の谷底に落とせないか、と思案し押したり引っ張ったり、を始め、だんだんと それに熱中しスキーに行くことも忘れ晩まで延々と……と、こう書いてしまうと面白みもないが、面白い。伊丹十三が撮ったら、もっとお笑い的な要素も入ろう が、この監督がシリアスに描くところがまた、これがいい。イランにこういう映画がある、こういう都市層がいる、とそれだけでも見た甲斐あり。さすがに疲れ て帰ろうか、とも思ったが昔は映画の三本立て、なんてあったし平気だった、と思い出す。京成線の堀切菖蒲園の映画館で桃井かおりデビュー作『エロスは甘き 香り』と『限りなく透明に近いブルー』と『エーゲ海に捧ぐ』の三本立て500円、とか、見たなぁ、昔は。で 三本目は映画“The Elephant and the Sea”(監督:Woo Ming-jing、マレーシア、2007年)。ちょうど蔡明亮が出てくる直前のころの台湾みたいな、マレーシアはそんな映画の時期にあたる。若い華僑の この監督の描くマレーシアは、自分の故郷であるマレーシアの田舎の華僑の街。鳥インフルエンザや水質汚染がひどく家族を亡くす者が多い。主人公の若者は兄 と一緒に田舎道に釘のついた板など並べては自動車が通りかかりパンクするのを待ってパンク修理で小遣い稼ぎ。その彼は兄を疫病で亡くし、もう一人の壮年の 漁師は漁に出ていた間に妻が亡くなり自宅は疫禍対策で封鎖されてしまう。漁師はシェルターに隔離され、失意の若者は淫売宿でバイクを使って客の送迎の仕事 にありつく。漁師は政府からの援助金で娼婦を買い、若者は小遣い欲しさに妹を淫売宿に売る……疫禍の中の絶望的な暮らしだが、この監督のセンスの良さで実 にいい映画に仕上がった。
▼香港教育学院の香港中文大学への合併吸収計画強要について。政府教育統籌局による大学再編成とメガ大学構想において中文大との合併案を教育統籌局局長ら が職権乱用で強要、として教育学院の学長が提訴。政府は特別委員会を編み、この問題調査に当たるが、香港政府の現・教育統籌局長で中文大学元学長のアー サー王(Arthur 李國章)が合併案合意強要では教育学院のPaul Morris学長に対して“the institute would be raped if it does not agree to merger with Chinese University”と語った、と証言。政府の教育担当最高責任者が大学再編成問題で「言うこと聞かないならレイプするぞ」と脅すとは……。また教育統 籌局長の教育学院の卒業式への来賓としての参列についても学生の中で自分に対して抗議活動などあるのなら身の危険を鑑みて出席せぬ、と表示。Morris 学長はアーサー王に対して「学生は抗議文を手渡すなどするだけで危害を加えるようなものではない。学生にも発言の機会は保証されるわけで物事を自由に考え ることをどうコントロールすればいいのだ」と諭すがアーサー王は「自分は率直な人間だ。先鋒に立つ。もし自分を攻撃する者がいたら自分は復讐 (retaliate)する」とまるで石原慎太郎。この会話を聡明なるMorris氏は録音しており昨日の委員会でこれを暴露。さすがの厚顔アーサー王も 顔を紅潮させ神妙な表情であった由。アーサー王がアーサー王なら王に仕えた教統局常任秘書長のFanny羅范淑芬(現在は廉政公署 ICAC の局長とは世も末)もさすが狂気の沙汰で執拗に教育学院に合併案呑まぬのなら課程見直しなど圧力かける。このFanny羅、一連の教育「改革」の最中、重 圧に耐えかねた教師が二人続けて自殺した際に「教育改革が自殺の原因ならなぜ二人だけなの?」と発言するなど政府でもその人格まで疑われる人。

三月廿九日(木)小泉三世の御世は毎週木曜日といえば小泉内閣メールマガジン話題にしたが安倍三世になってメールマガジンも話題にもならず。安倍内閣発足 以来今日まで27回のメルマガのうちいったい何度話題にできたかしら。今日は「予算成立に思う、がんばれ地方」と題して相変わらず毒にも薬にもならぬ作 文。24日に高松と岡山尋ねた記述あり。が、首相官邸側から岡山県庁の記者クラブに対しての記者会見開催依頼は記者クラブ側から岡山県庁の記者クラブとし て首相記者会見開催する意義見当たらずとして開催断られた由。本日。諸事忙殺され晩飯も食わぬまま二更に至る。バーYのバーテンダーT君が今月末で帰国と 思いだしバーYに寄りT君にお別れ。ハイボール二杯とモルト一杯。バーSにも寄りさっとモルト一杯。

三月廿八日(水)諸事忙殺され続けるが今日は強制終了ボタン押して夕方に尖沙咀。香港芸術館にて開催中のThe Chater Collectionの絵画や写真の展示見る。香港に公園や街道に名を遺すCatchick Paul Chater卿(1846-1926)は出自はカルカッタ生まれのアルマニア人。英国植民地にてWharfやThe Hongkong Landといった大企業の創始者、で1987年に英国政府よりCGM勲章得て1902年にSIrの爵位授けられる。香港開闢当時の絵や20世紀初頭の風景 写真などChater卿蒐集のもの数多く展示あり。Space MuseumにてPaolo Gioliの映像作品(こ ちら)を看る。写 真を次々と組み合わせた印象派作品……としか言いようがない。この人の映像作品を4回にわけ紹介する企みが今回の香港映画祭で実現したが(日本でも殆ど知 られてない作家のようだが)この日も十数名の観衆と閑散。変貌激しいKCR尖東站の地上部分歩き尖沙咀東。ズミルックスの50mmのレンズ買って以来で久 々に永安広場の新富山撮影器材(New Francis Camera)冷かす。西洋人の若い客あり。なんとライカの M8を買う算段中。M8の現物も初めて見たがM8を買う酔狂な御仁がいようとは……かなり驚 く。その客「妻が何と言うか」で思案顔。やはり世界中、ライカ購入で何が最も障害か、と言えば配偶者の怒りと落胆。最終的にデポジットをHK$2,000 だか預けることでカメラ本体取り置きで今日は落ち着いた模様。それにしても、その客が去った後に店主に聞くと、このライカM8、値段は41ドルだそう な……(この店主、上海人だと今日、電話でのやりとりを聞いて初めて知ったが、なにがイヤか、といえばカメラの値段を聞くと例えば今日も見たズミクロンの 35mmが12ドル、って当然これは12千ドルなのだが、全てがこの調子。つまりライカだから千ドル単位で当たり前、なのだ)。高い、ライカのMシリーズ とはいえ「たかだかデジタルに」HK$41,000だ。日本の57万円(価格.com調べ)のほうがまだ安いが……それにしても。41千ドルもあったら上 質のM3とレンズ2本くらい買うけどね、アタシだったら。と思うが「そんなの持ってるからデジタルM8に食指延ばしたのだ」と言われたらそれまで、か。い ずれにしても他人の買い物だ。科学館で映画“Black Gold”見る。黒い黄金、中文題は見ての通り、で『不公平珈琲』である。エチオピアなど産出国で低価格に押さえられた珈琲がどうやって20倍の 価格の一杯の珈琲にまで値段が跳ね上がるのか、エチオピアで生産者利益考えながら珈琲豆輸出する商人を主な主人公にして不公平な南北貿易の実態に迫った、 というルポ映画で、当然のようにスポンサーはOxfamである。会場ではFair Tradeの珈琲豆も販売。映画終って、ふと五味鳥で独り焼き鳥でも数串、と思ったがダイエット中の身、焼き鳥はいいが熱燗二合がね、と思って我慢。雲呑 麺食べて地下鉄で中環。ス ターフェリーの波止場に隣接する歴史長きQueen's Pierも取り壊しだそうで通りがかりに写真撮影。歴代の総督が船から上陸するのがこの波止場で、飛行機の時代になっても啓徳空港に着いてから自動車で尖 沙咀まで来て(海底トンネル潜らず)わざわざ総督の船艇に乗り換え、このQueen's Pierに上陸して総督就任式典に臨んだのも懐かしい集団記憶の一つ。今晩三本目の映画は“Poison Friends”という仏蘭西映画。巴里のソルボンヌ大学で文学や哲学学ぶ学生らの、興味ある人にはとっても巴里っぽい人文哲学の青春だけど、興 味ない人には「バカじゃねーの、こいつら」な物語。アタシは個人的にはこの文学青年らに「将来はない」と思うが、他人の勝手で、オタクだと思えば電車男の ように面白い。がこの青二才どもが突然、作家になってしまったり(石原慎太郎も、そうだが)「世の中、そんなに甘くねーんだよ」と言いたくもあり。ところ でこの監督、Emmanuel Bourdieuという人、実際に大学で人文学の先生で今回この映画を撮ってカンヌ映画祭でも批評家週の特賞取った由。でこのブルデュという名前、どこか で聞いたことがある?と思ったアナタは80年代のニューアカ世代。構造主義で「ディスタンクシオン」でしたか、確か今村仁司先生とかが日本で紹介、の仏蘭 西の社会哲学者ピエール=ブルデュのお子さんだそうな。京の桜を愛でてきた村上湛君からメール届き、歌舞伎だと「関扉」にあたる能の「墨染櫻」という曲、 アタシが能に疎いのは承知で「日の本の初花の心にて」と村上君自身が古い完本より起こした脚本見せていただく。歌舞伎の関扉だと関兵衛が盃中を見込む場面 が能の現行の演出では、この「能の前場でシテが出家する時に盥の水に姿を映す趣向のヤツシ」にあたるそれがないのだそうな。で村上君の本はそれの復活。こ の関の扉の墨染といえば先帝陛下崩御の年、アタクシも東都に在り、大成駒の最後の墨染を歌舞伎座で見たこと思い出す。
▼香港文化人類学会の会報で中文大学のCheung Wai-shanという学生の卒業論文だろうか“Training Good Citizens: A Case Study of A Boy's Home in Hong Kong”を読む。香港の政府系のBlue Sky Centreという非行少年収監施設(少年刑務所や少年院に比べ週末の外出が出来たりする)でのフィールドワークに基づいた調査。こういった更生施設の特 異性についてはフーコーなどすでに興味深い指摘あるが、この学生も、理不尽と思える罰則制度や見せしめ、寮生がシャワー中にたった2人が雑談していただけ で「声がデカイ」と注意され全員がシャワー中断され裸のまま注意勧告受けることなど、更生施設にありがちな制度などに着目。また更生施設では寮生らが実際 に「更生」したかどうか、が結果だが、施設内でどう振る舞うことによって寮監から評価されるか、それに合わせることなど寮生にとっては常識的に容易な見せ かけ行為で(これは精神病などの患者が医者の前で精神病的に振る舞うと医者が喜ぶ、というのと同じか)、論文は結論として、<施設>は非行少年の更生とい う大義名分、それに対して実際は非行の問題を社会から隔離することが存在の根拠の一つ、とシニカルに結論づけたことは興味深い。

三月廿七日(水)尖沙咀は宣昌街に沙龍撮影器材というカメラ店あり。Ashley Rdに行く横丁なので時々通るのだが一見して問屋。小 売とも書いてあるが客がいたためしもない。商品も箱のまま。ライカとかハッセルブラッドまで扱っているようで、おそらく、の推測だが尖沙咀に星の数ほどあ る、少なくとも「源記」系茶餐庁より数の多いカメラ屋にとって高価なカメラの在庫維持は難あり、この問屋はそういったカメラ店に急ぎ出出来マスなのかしら (当初、バッタ屋か、と思ったこともあったが)。Ashley Rdの京笹でZ嬢と待ち合せ晩飯。香港映画祭、というと京笹、がもう何年も続く。中落ち丼。文化中心で映画祭の重点上映作品となった『武士の一分』(監督:山田洋次、06年)を見る。木村拓哉が出てきただけで喜ぶ ファン多し。V6の岡田君のファンほど一挙一動に大騒ぎせぬだけ、まだマシか。その木村拓哉君演じる三村新之丞の役がどうしても最近の山田洋次の時代劇だ と真田広之にオーバーラップしてしまう。檀れい、こんな武士の妻が似合うとは……。この映画、何といっても笹野高史、といえば上海バンスキングだが、笹野 高史の名演よりも、さらに感動したのはやはり緒形拳の道場主役での剣捌き。この監督の前作の『隠し剣 鬼の爪』では悪代官役で殺陣なかったが今回で久々に 新国劇出身のこの人の剣捌きを見て、さすが。でもやっぱり藤 澤周平原作の山田洋次の時代劇もまだ続くのかしら。寅さん、じゃないが、卯建の上がらぬ下級武士が実は剣に優れ、何かの遺恨で……と。
▼朝日新聞の調査によれば都知事選で「東京が大きく変わってほしい」と望む都民は初回調査では浅野史郎支持が石原慎太郎支持を上回ったが今回調査では石原 支持が挽回。浅野候補の主張など聞くに従い官僚的な背景を感じ「これじゃ変わらない」でやっぱり石原、か。何か変わること期待した時に左翼的、革命的な社 会改革ではなく明治の御一新同様にお上からの変革、ひどいと昭和はじめの昭和維新のように右翼的なファッショに走ったわけだが、石原に期待、もそれに近い もの、否、まさにそれ。

三月廿六日(月)早晩にSpace Museumの会場で映画『副 歌』(監督:崔子恩、中国、06年)見る。109分の映画でシーンはわずかに11のみ。延々と十代の兄と弟の二人が映される。両親に捨てられ二人 暮らし(家があるということは両親は家に二人の子を残し蒸発という設定か)の兄弟。兄は所謂、精神薄弱。生活費にも事欠 き弟はギター弾いて路上で歌い小銭を稼ぐことで糊口を凌ごうとするが身体を売りHIVに感染という背景(ここは映画では具体的には語られず解説でようやく 知った事)。家族もおらず社会的福利も得られずで外界から孤立した二人。シーンは冒頭から家のなかで兄と弟は文字通り「赤裸」で振る舞うことは一見、異様 ではあるが、これは「赤貧」の記号だろう。が、そういった貧困と精神薄弱、疫病といったトピックスにしては、あまりに肢体の美しい二人の若者が赤裸でずっ とあることは(カメラは容赦なく全裸の二人を映す)当然、この崔子恩監督らしいところで、この映画は日本でいえば明らかに折口先生の身毒丸、それを蜷川先 生が演出するようなもの。死に急ぐ弟に妖精のように振る舞う兄。精薄であるはずの兄が晩に(ちなみにこの映画はわずか5日で撮影されたそうだが物語はまる で或る日の朝から晩にかけての物語にすら見える、とくに陽光がそうなのだ。)部屋に蝋燭を沢山灯して基督教の聖式の如く対して弟に主からの給わったような 葡萄酒とパンを与える。その葡萄酒は兄が夕方、自分の唾液を混ぜただけなのだが。その儀式が済み足を洗う二人。寝台に臥せると徐ろに兄は背後から弟に対し て肛交の如き仕草の真似を続け物語は終章へと導かれてゆく。ほんと折口先生の世界。今晩はあと二本、映画見るつもりではあったが帰宅してやり残したお仕事 の続き済ます。パスタと葡萄酒。阿部寛の『結婚できない男』だったかケーブルテレビで観る。先週あたりから忙しい日が続き憂さ晴らしにイースター連休など 論外で直近で悲しいかな夏の旅行の計画立てる。

三月廿五日(日)朝四時前に胃痛で目が覚めてしまい胃薬服してもまんじりともせぬまま夜明け。HK Distance Runners Club主催の第31回Mount Butler Race開催あり朝七時すぎにタクシーで黄泥涌水塘。もう何回目だろうか大潭に下りバトラー山の峠に上りSir Cesil Rideを走る約15kmほどのレース。坂道の登りは歩くに徹すと決めたが、さすがに体重は今朝で旧正月からわずか1ヶ月で4kg減は軽く感じて走ってい ても前方の三人を追い抜こう、と思うと瞬発がきくから面白い。昨年などの疲労感を思い出しつつ楽しく走り昨年より10分短縮で1時間40分ほどでゴール。 一旦帰宅して昼にZ嬢とMandarin Oriental Hotelの(このホテルの改装昨年末に終わり初めて)Cafe Causetteに食す。かつてのG階のMandarin Cafeが中二階に移りこの食肆に。ベーカリーも。ようはG階はブティックなどの賃貸でショバ代稼ぎ自店の飲食業は中二階でいいでしょう、という算段。メ ニューに海南鶏飯あり。もう二、三年前だか改装前のMandarin Cafeで悲しいほど不味い海南鶏飯出されこのホテルの嘗ての美味なる海南鶏飯思うと涙出るほどの失望トラウマとなり今日も怖くて注文できず。白葡萄酒は グラスで伊太利のSolaiaの02年。サラダ食し余は白葡萄酒と大蒜味のムール貝入りのパスタを注文。パスタは幼麺(linguine)とメニューにあ り。但し出てきたのは明らかにスパゲッティ。美味ければいいがやはり海鮮であっさりと、でパスタが歯ごたえあるスパゲッティでは美味いはずもなく給仕に 「これ、まちがってなぃけ?」と丁寧に尋ねると「linguineですが……っ申し訳ございません、これは明らかにスパゲッティッ!」と給仕低頭「すぐに お取り換えを」と。百歩譲って咄嗟にわかるだけまだキョービ許容すべきか。間違えは誰にでもあるが厨房でも料理人、料理長、給仕、給仕長……と誰かしら気 づかぬものか。暫 く待ってlinguineでパスタ供される。やはりこの店、Mandarin Cafeから何か「脇の甘さ」引摺っておらぬだろうか。先ほどのお詫びに、とデザートでチーズケーキ供される。これで今晩は夕食抜き決定。そうそう、昼食 前にThe LandmarkのThree Sixty°という高級食材店に初めて、Z嬢に連れられて行く。商品の陳列に難有り、というZ嬢の指摘に納得。CitysuperのK氏ならきっ と「バカじゃないの?、これ」と嗤うであろう、お願いだから点々バラバラはいいけど、家庭用品のパンパースの棚が酒売り場の隣、はやめていただきたいとこ ろ。これだけでOliversに軍配が上がろう、というもの。何を考えているのかしら……デリカシーの欠如甚だし。Z嬢と別れ尖沙咀に渡り午後、香港映画 祭で“This Film is not yet Rated”(監督:Kirby Dick、米国、06年)看る。米国の「映倫」の凄まじさに対する非難のドキュメンタリーなのだが社会派にならず敢えて風刺的なのが見事。それにしても、 やっぱり結局は基督教右派なのよね、問題は。終って旺角で映画『フ リージア』(監督は熊切和嘉)を看る。申し訳ないけど駄作。仇討ち法成立、って言われてもねぇ。原作の漫画読んでないので何とも言えないが仇討ち 法とか突然持ち出されても、着いていけましぇん。結局、主人公のオニイチャンが過去のトラウマから脱出できずに何人も仇討ちの助っ人で人を殺して、結局は 「スパゲッティナポリタンで大嫌いだったタマネギとピーマンが食べられるようになっただけじゃないのよっ!」と「おすぎ」なら言うかしら。つまらない映画 であった。銅鑼湾のUAで『十 三棵泡桐』(監督:呂樂、中国、06年)看るつもりで行列に並んだが満席で通し券はアタクシの数人前で打ち止めで入場できず。過去四、五年、通し 券で香港映画祭看て来て、確かに通し券は満席の場合入場お断りもあり、と書かれてはいるが実際に入場お断りされたのはこれが初めて。それほど人気の映画な のか、ただ銅鑼湾UAは気温摂氏25度で湿度高いなかTimes Squareの駐車場出口の横に並ばせるし映画館に映画祭の客を上げるのも面倒で実際に映画始まって10分ほどしてから通し券やプレスの客らに満席で入場 できず、と告げるなど手筈甚だ悪し。久々にバーYでハイボール二杯。新参のバーテンダー氏なかなか丁寧なハイボールを供してくれる。少したまった新聞と雑 誌『世界』四月号半分ほど読む(魚住昭『聞き書・村上正邦−日本政治右派の底流」という「余りに長すぎる」連載が「なんらかの事情で」休載)。浅野史郎氏 の連載もこの号で終ることになっていたのね。都知事選、その時点で出馬の覚悟決めてたか。西松建設の戦争中の中国人強制連行についての最高裁判決に向けた 記事興味深く読む。人権であるとか個人の尊厳であるとか「国際社会には、国家が自由に処分することができない利益がある」ということ、日本国憲法であると かが普遍法であることの意義、それが自民党のオトーサンたちや石原慎太郎はどうでもいいけど最高裁の裁判官でどれくらい咀嚼できているのかしら。

三月廿四日(土)北京より畏友O氏来港。O氏につき合い昼前に中環のカメラ屋巡り。目標はニコンのシャッターレリースAR-1の未使用品を探せ。40年前 のニコンのF、F2用で、アタシはF2にこれを中環の某カメラ店で「あげるよ」と授けられ使っておりO氏は御尊父譲りのFにこれを装備したい、と。御意。 Stanley街の有力カメラ店数軒覗くが在庫なし。それじゃ、と尖沙咀に渡る。「まぁここは新品のレンズとか眺めるだけで」と最初に天祥撮影器材に入り 一通りレンズ眺めアタシがLFI(Leica Fotoprafie International)という雑誌の2月号眺めているとO氏が「ありましたよ」と目敏くAR-1発掘。箱入りの新品。若い店員は「これ、何?」の表 情でHK$100で入手。ひとまず任務完了で香檳大廈の中古カメラ屋巡り。アタシなんざ眺めていても「これって何?」のようなファインダーであるとかアク セサリーがO氏の如き好事家にとっては垂涎のものばかり。い ろいろご指南いただく。David Chan氏の店でもかなり念入りにカメラ眺める。店の対面にある客は入れてくれないDC氏のカメラ倉庫は圧巻(画像)。徳發牛肉丸で昼に牛腩麺を食す。旺角。萬成などカメラ店ちょっと眺めO 氏と別れ午後は九龍で薮用済ませ夕刻、観塘のampなるショッピングセンターで確かCitysuperがあった、と思って葡萄酒買いに寄るが大きな勘違い だったようでジャスコがありジャスコ食品売り場の酒コーナーでMedocはCh. Saint-Hilaireの03年、St. EmilionはCh. De Monturonの2000年の二本購入し地下鉄で北角、タクシーでJardine's Lookoutの益新食堂。O氏夫妻とZ嬢と晩餐。益新は盛況。今晩も実に美味い粤菜堪 能。久々に夕食を腹一杯食す。まぁ明日走るからいいか。葡萄酒はCh. Saint-Hilaireが正解。それにしてもアタシが益新に入るなり支配人のW氏が厨房に「花彫、熱一枝!」と紹興酒のオーダー伝え「今日は葡萄酒だ よ」と慌てる。Z嬢が万歩計つけているのだが、それが東京から京都まで東海道五十三次のとても「ダサい」。中国でもこんなの売れないかね?という話題とな り、アタシの提案は題して万歩計「長征」。雷鋒に学べ!みたいなスローガンで万歩計で中国共産党の革命の苦難を実感、というわけでディスプレイは「遵義か ら延安まで」である。中国共産党のお墨付きグッズで、とくに若い党員などに向け販売、中学校とかでも使用が奨励され、かりに一個50元として少なく見積 もって五千万人に販売されたら25億元の売上げである。

三月廿三日(金)早晩に旺角UA映画館で映画“Dasepo Naughty Girls”(Dasepo Sonyeo、李在容監督、韓国、06年)看る。映画祭だから看ようと思った、B級クダラナイ映画で少し期待したが今ひとつ。コメディ映画にありがちな (マイケル=ホイの映画によく言えたことだが)冒頭のネタ満載、中だるみ、最後の筋もなんだかわからない極端な大詰め……。太空館で映画『垂 乳女』(監督:河瀬直美、06年)を看る。映 像にかけた人というのはここまで撮らないといけないのか、と柳美里の小説を読んだ時のような、何といえばいいのか、これを見せられてしまった者として「思 いつめ」を強いられる。男は、大宰治なんて甘い、江藤淳も此処までの覚悟に到ったかのか。河瀬直美は『萌の朱雀』を看た のが最初。その『萌』のスタイリストがアタシが恵比寿に住んでいた頃に仲良くしていただいた星さん、で納得。『垂乳女』と同時上映はファッション写真で気 鋭なNikki Leeが監督で自ら追ったドキュメンタリー“a.k.a. Nikki S. Lee”だったのだが『垂乳女』の河瀬直美のあとにどうしてもNikki Leeが生理的に受け付けられず半分ほど看てやはり我慢できず途中退場。雨降って空気がきれい。

三月廿二日(木)諸事忙殺され深更に到る。最近、夕食とらぬことに慣れ、せいぜいバナナ一本でも平気。朝かなり空腹で目覚めあんパンとか美味しく頂き昼は それなりに栄養価高く食す。旧正月日本に遊んだ頃より1ヶ月で5kg減。健康のため、というより「帽子がもっと似合うようにしたい」という気持ちから。勿 論、田中長徳とか嵐山光三郎とかデカい顔で帽子が似合う(とされる)御仁もいるが、ありゃ有名人だから許容されるのであって、普通はただの顔のデカいオヤ ジは「暑苦しい」だけ。寝際にウオツカの養命酒割り飲んでみると意外に美味い。椹木野衣『戦争と万博』続き読む。二月に日本に戻る際に途中迄読んでいて実 家に届いていた沢山の本に埋もれ昨晩発掘したもの。戦争と万博というテーマで話に満鉄が出てくるくらいは想像したがダダカンまで出てこようとは。アナーキ ズムどころかシュールレアリズムといった芸術でのアヴァンギャルドですら震災あればそれでお役御免なのが日本、関東大震災が大杉栄殺害や朝鮮人虐待といっ た政治的、社会的事件であるばかりか「視覚的」な意味で人々に与えた影響、都市とシステムの崩壊、箍が外れて、の昭和はあの態。或る面では「近代の超克」 か、と思う。ところで1940年の東京五輪開催に向けた東京の美化計画、今は石原慎太郎が歌舞伎町や新宿二丁目の浄化で同じこと再び。
▼香港映画祭で映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』看たZ嬢の話によれば主演の芸人、広末涼子と阿部寛来港し上映の小屋に登場。阿部寛のテレビドラマ『結婚できない男』が 丁度ケーブルテレビで放映中にて香港では今メジャー。今晩も映画見れず。だが四月十一日までの長丁場ゆゑ焦るまい。

三月廿一日(水)FCCでドライマティーニ二杯。香港映画祭始まって三日目にして漸く映画鑑賞。旺角のUA映画館。“Sons” (Erik Richter Strand監督、諾威、06年)看る。公共室内プールで監視員する主人公がプールで少年漁る男を見つけ勇気をもって告発してゆくのだが(ただそれだけな ら社会正義で終るが)この監視員じたいが売春婦の請け負いで買春客を恐喝したり単なる正義漢ではないのがミソ。さらにこの監視員や周囲の友人らの過去のト ラウマなどいろいろ絡み地味ながら面白い展開に。ちょっと映画館を出て旺角の裏町を歩く。「再開発」で出来たLangham Placeの裏手、Nelson街のあたりはまだ路上市場あり安堵の感。すぐに「再開発」されるのだろうが。「人和」系の豆腐屋で煎豆腐(HK$5)食 す。ほ んの数口の豆腐で今夜はこれが晩飯がわり。旧正月で日本から戻ってから香港マラソン挟んで体重は4kgくらい下がったままを維持。我ながら偉いと思う。映 画館に戻り“Three Days to Forever”(Riri Riza監督、インドネシア、06年)看る。ジャカルタの都市型上流階級の一族を舞台にイトコにあたる若い男女の恋愛物。結果が見えるだけにけったるくも あり。さりげなく煙草を吸う場面でつないでしまうのは演出の「逃げ」だと思うが、それが何度も続き食傷気味。勿論、ジャカルタからジョグジャカルタまで車 で旅する二人がイトコ同士ということで愛情を抑えようとすることをチェーンスモークが表わしている、ととらえることも可能なのだが。終って監督と主演俳優 との一問一答などあったが銅鑼湾での次の映画に急ごうと会場を出ると次の映画に並ぶ行列あり。一見して「クセのある」かなり年齢層の客筋に何の映画か?と 気になりパンフレットを見ると“The Yacoubian Building”(Marawan Hamed監督、埃及、05年)という映画で172分という時間に本晩3本目としてちょっと二の足踏んだが、どうせなら看てしまえ、と鑑賞(これまで香港 映画祭で一日に六本映画看たこともあるが、同じ映画で三本通し、というのは初めて)。埃及の首都カイロに1920年に建てられた高層の豪華な西洋建築の建 物(現存)を舞台に舞台をキョービに移し何人もの住人の態を描く。それだけでも面白そうだが住人というのが、このビルが栄華の象徴であった時代から住まう 財産家の兄妹は親の財産をめぐり骨肉の争い(兄の老いても尚盛んなエロ事も面白い)、路上での靴磨きから一念発起し贈賄続け政界進出を狙う自動車ディー ラー社長は愛人を囲い愛人が妊娠すると堕胎を迫り、ビルの屋上は半ばスラム化し貧困層が住まい、若い大卒の男は出自が被差別層であるため正職に就けず社会 正義のためテロ組織に加わり、その妹は生活費工面のため上述のディーラーの愛人となる。同性愛者である新聞編集長は路上で軍人など誘い自宅に連れ込み(そ の軍人を愛人とするのに軍人の妻子までこのビルの屋上に住まわせ)……とまるで現代のエミール=ゾラ的な世界。このビルが朽ちかけるように登場人物はみな 破局に向う。それにしても一つのビルディングをまるで生態系のように見事にモチーフにする。偶然ながら看て良かった作品。
▼中環の路上で見つけた自動車のナンバープレート。デザインが比較的自由なのは許容範囲としても香港でEUのナンバープレートの意匠は如何なものか。Dだ から丁抹の、ということになるのか、かりにこの車でユーラシア大陸横断してEUに行ったとしよう(あるいは自動車がナンバーつきで輸出されるとか、有り得 ないが)、その場合、このナンバーはEUで丁抹に属する、ということになりナンバー偽造の咎に。

三月二十日(火)多忙。晩八時すぎに新界大埔北で用事終わり香港映画祭は今更九時九よりの映画『さくらん』上映には間に合うのだが映画見る元気もなく「東 京メガネ」で出来上がりの眼鏡受領。これを食べたい、と思った時の執念は人一倍だが、空腹満たすためだけ、と思うと二更の銅鑼湾でなど別段何も食べたいと も思えず晩飯抜きでバーSに寄りウイスキー二杯飲み帰宅。 <狐>の書評少し読む。
▼中国では北京に長江から水を供す有史以来の大規模な用水路建設工事あり。北京の水不足は今に始まったことに非ず、古来、砂漠の中の都は水が足りず、それ だからこそ頤和園であるとか中南海であるとか北京で湖水のあることは権力者ゆゑの贅沢。今は2010年の北京五輪に合わせ長江から水を引く工事盛んで、長 江の三峡ダムもどこまでが長江の治水なのか、首都の思惑も気になるところ。若い頃に中国映画『駱駝之祥子』見て、何故、北京に駱駝?と訝ったが北京訪れ本 当に駱駝に乗った人が永定門近くの運河沿いを歩くのを見て驚愕(もう二十数年前のことだが)。ここは砂漠のなかの樓城なのだ、と知る。

旧暦二月朔日。石原慎太郎君の選挙対策本部長が「ミスター国家安全」「佐々が歩けばテロに当たる」、「中古カメラの買い取りなら新宿アローカメラ、危機管 理といえば」でお馴染の佐々淳行君である、と知る。愕然……ぢゃなくて当然、か。石原陣営(って言っても石原慎太郎という孤高の王様ただ一人、それに烏合 の衆だが)にとって今回の選挙は前回の独走時に比べマジに今回の選挙は浅野君が怖いのではなく都民にそっぽ向かれるんぢゃないか?の「危機管理」モードな の鴨。最近ずっと眼が疲れる。昼間しているコンタクトも数年前に手許の小さい字が全く見えず度数落とし、家でかけるメガネ(フレームは巴里のlafont)もコンタクトに比べると楽だが左目の乱 視に対応しておらず、外でずっとかけているには辛い。で「メガネを作らないと」と思ったが「そごう」の中にある「メガネは顔の一部です、だから」東京メガ ネがアタシは「わざわざ香港で日本の眼鏡店に行かなくても」と思っていたが東京メガネ香港店のM氏による検眼は懇切丁寧でかなり的確という噂を聞き春の セール期間中らしいので検眼。左目の乱視、左右のいわゆるガチャ目、年齢のわりには早い老眼(ただし老眼鏡までは「まだ数年」要らず近視レンズでの調整で いける、と)……昼間ずっとかけていて電脳の画面凝視続けても疲れず遠くもそれなりにクリアで手許の細かい字もきちんと見えるため、のレンズを選ぶ。30 分近く検眼に要したのは近眼歴30年でも初めて。さてフレーム選び、となったが、ふと昨晩「拝んだ」木村伊兵衛撮影の文人らの写真が、佐藤春夫、長谷川如 是閑、牧野富太郎、泉鏡花、片山哲、山川栄、宇野浩二そして荷風散人……と尊敬すべき読書人がみんなオシャレなロイドや丸眼鏡(菊池寛も、だけど)。当時 はそれがポピュラーだった、といえばそれまでだが「東京メガネ」にも伊藤幹という上野のメガネ商が供す大正時代のメガネの復刻版があり、ふざけてかけてみ ると意外とふざけておらず。それを誂えることに。本晩、第31回香港国際映画祭の初日。灣仔のコンベンションセンターで香港映画「跟蹤」(監督:游乃海) が開幕記念上映。梁家輝のきっときっとキテる演技に期待でチケットも入手していたが諸事忙殺されオマケに目の疲れ尋常でなく、とても映画見るに能わずチ ケットをK嬢に差し上げ映画が終る頃に帰宅。疲れひどく珍しく酒も飲まず(寝る前に養命酒は飲んだが)。<狐>の書評ほんの数篇読んだだけ。

三月十八日(日)香港ダービー。書斎の机上の雑事片づけ昼近くになり香港島東よりバスで沙田第一城。タクシーで沙田競馬場。ダービー当日としては一般席そ れなりに盛況だが会員席は閑散。中古カメラ商David Chan氏にはパドックでお会いしたが、DC氏はしっかりとメルセデス=ベンツ社のお得意様ご招待のメンバー席ダイニングで観戦の由。まったく擦りもしな いまま第7レースの地場G1、Chairman's Trophy(芝1600m)に到る。12月の香港マイルでThe Dukeに頭差で2着のArmadaは1月末のStewards' Cup(地場G1)を勝ち今日も1.2倍のダントツ。二番人気のGood Ba Baを軸に二、三着狙いで我ながら馬券的には賢いところに打って出たらGood Ba Baが最後は半馬身差でArmadaを破り、それは良かったが三着に最近不調のJoyful Winnerが入り「これは外してたよ」で失敗。で第8レースの香港ダービー。レープロを見れば丁度過去10年のダービー馬はOriental Express(97年)から始まり、年月の経つ早さ感じ入る。
1997年    奔騰    愛倫    馬佳善    Oriental Express、Orixと勝手に呼んでいたが。
1998年    告魯夫    賓康    李格力    馬主は梁挺生校長 
1999年    聖利    愛倫    夏力信    まさかの三馬身差でぶっちぎりの穴馬
2000年    勝利名駒    苗德禮    霍達   
2001年    實業先鋒    簡炳墀    巫斯義   
2002年    奧運精神    愛倫    馬偉昌    馬主はOrixと同じ榮智健
2003年    勝威旺    大衛希斯    巫斯義    美しく強い牝馬であった
2004年    幸運馬主    告東尼    高雅志    Lucky Owners
2005年    爪皇凌雨    霍利時    杜鵬志    Vengeance of Rain
2006年    爆冷    約翰摩亞    蘇銘倫    Viva Patacaで馬主はマカオのカジノ王・何鴻燊(Stanley Ho)
で今年は今季7勝5勝のFloral Pegasusで決まり、という空気。ちょっと伏兵は昨年ついにダービー制覇のStanley Ho氏がViva Patacaに続き今年はマカオもラスベガス抜いて世界一のカジノ売上げの威勢かViva Macauという馬を連れ(笑)ダービー二連覇狙う。馬 券的にはFloral PegasusぢゃツマラナイのでアタシはFloral Pegasus外しViva Macau軸に地味な馬三頭選び勝負に出たら、その「地味な馬」の一頭Vital King(活力金剛)がFloral Pegasusを鼻差で差して今年のダービー制覇。Floral Pegasus二着で三着(Champion Gallery)、四着(Able One)もアタシがViva Mcauから流した「地味な馬」。我ながら「よくぞ地味な馬を見立てて」と感心したが肝心のViva Macauが9着ぢゃどうしようもない。馬券は外したがアタシのすぐ横でこの「まさかの勝利」に歓喜するはVital Kingの馬主ご一行様。思わず35mmのズミクロンを着装したライカM6でアンリ=カルティエ=ブレッソン卿のように決定的瞬間をカシャッ、カシャッと 撮る。専業カメラマンたちは馬主席のスタンドに第四夫人と並んで観戦のStanley Ho氏ばかり望遠の一眼レフで狙っていたから、突然のまさかの結果にVital Kingの馬主が何処にいるのか、それどころか馬主が誰なのかもわからず、真剣に数名のカメラマンが馬主の横で歓喜の一瞬をライカでカシャッ、カシャッと 撮影してたアタクシを茫然と眺めていたのが、ちょっとライカ的な快感。だがアタシは写真撮りに来たんぢゃなくて競馬しに来たのだから8レース迄で大火傷被 り惨憺たる結果、満身創痍で残り2レースは馬券だけ買って晩は拙宅にランニング仲間のN君夫妻来ることになっていたのでさっさと帰途につく。が御仏のご加 護か我が家に近くなり携帯で競馬口座の残高を見ると今日の始動資金よりちょっと増えている。慌てて結果見るとなんと最後の2レースで大火傷見事に回復する だけの勝ちを得ていた。競馬は楽しい。また来よう。晩にN君夫妻と、Z嬢の酒の肴で歓談。N君持参の玉乃光、利休で残り物だけど、といただいた「いいち こ」飲む。晩遅く「木村伊兵衛 昭和を写す」の3巻目「人物と舞台」の写真眺める、というか拝む。女優や歌舞伎役者ばかりか上方の寄席の下座三味線の林家 とみ師匠なんて「久が原のT君のお祖母さま?」って感じ(笑)。木村伊兵衛の撮った役者というと六代目ばかりが有名だけど二世實川延若のきりりとした容姿 もいいし河原崎長十郎が秀逸。木村伊兵衛の写真によって長十郎がいかに凄かったか、が歴史に残る、というもの。今日は競馬に行く途中とか『水曜日は狐の書 評」日刊ゲンダイで長く続いた<狐>氏の八百字の書評集(ちくま文庫)を少し読む。<狐>氏はながく匿名であったが故・山村修氏だ、と公開される。リリー =フランキー、ナンシー関、東海林さだお、といった「一流の亜流」に絶讃を惜しまない。共鳴しつつ「自分には書けない」と正直。印象的なのは『ススメ ス スメ タバコノ ススメ』という反禁煙本についての痛切なる批判。禁煙のファシズムに対してアンチを唱えるのはいいが「喫煙は身体にいい」なんて教条主義 なのが、いけない、と。「反喫煙派の健康幻想は、健康というものを身体的なことに特化してしまうところ」にあるのに、それを突かずに同じ「健康という土 俵」にあがり、さらに文化なんて言葉で喫煙を正当化する。「文化などという言葉を使って何かを語るとき、人は恥じらいを覚えねばならない」とこの反禁煙派 の本を「恥ずかしくないのか」とまで糾弾する。いくつか読んだ書評のなかで最も<狐>氏が感情的に綴る八百字。これを日刊ゲンダイで読んでいたとしたら、 当時、この<狐>氏が『禁煙の愉しみ』を書いた山村修さんだとは誰も知らぬこと。
▼武蔵野のD君はその場にいたそうだが、昨晩、新宿ロフトで「王様は裸じゃないか!!」新宿から石原都政を倒そう!少数派総決起集会に浅野史郎氏が現われ た由。ホームレス、在日外国人、HIV陽性者、セックスワーカー、同性愛者などの「石原に虐げられる側」の人たちの集会で浅野君は「今日の集まりは少数派 の集まりというんで来ました。少数派ってことは、ここにいる人はみんな変わりものってことだよね。でも変わってるかよくないとか、多数派だからえらいって こともないので、十人十色がいいんじゃないですか」と語ったそう。D君曰く、都知事選の相手陣営にとっては「エロマンガ家のよびかけで、ホモのエイズ患者 だの売春婦だのが集まった集会」は参加するだけでリスキー。「浅野は石原のオリンピック開催に向けた浄化作戦で追い詰められた二丁目のゲイバーや歌舞伎町 の風俗店の支援を受けている」と言われるのも覚悟か、厚生省の元課長だと思うと、「よくぞ来た」という感じ。

三月十七日(土)昼にかけて尖沙咀。明日のダービーのレープロ購い一瞬、Domonでらーめん食そうかと思ったがカロリー考え厚福街の唯一麺家へと向う が、 この店が新装開店してからどうも経営者からすっかり変わったようで(推測だが)どうも落ち着かぬ新しさ。ふらっと越南麺の食肆に入る。厚福街であるから外 れはなかろう、という算段。生牛肉河粉注文すると套餐なら小菜と飲み物がつくと言うのでレタス包みの春巻きと齋琲(ブラック珈琲)いただく。怖い物見た さ?で香檳大廈の中古カメラ屋街に潜る。陳烘(David Chan)氏の店。ズミクロンの35mmは80年代の、確か第3世代でライカではかなり普及のレンズあり、眺めてみるとDavid Chan氏が「ほとんど新品ですよ、これは」と推す(から怖い)。R-D1sにつけて試し撮り。デジタルカメラはレンズの写り具合見るには好都合。銀座松 屋でのカメラ市や日本の中古カメラ相場の話などしていると突然、DC氏が明日のダービーは行くの?とアタシに尋ねる。「行 くつもりだけど」と答えつつDC氏と競馬の話などかつてしただろうか……と多少訝しいがDC氏は香港Derbyはメルセデス=ベンツがスポンサーだから、 と綺麗な化粧箱取り出して何かと思えばメルセデス社がベンツのオーナーお得意様に祝儀で出した明日の沙田競馬場の入場章のセット。思わず「写真だけでも撮 らせて」という気持ち抑えて眺めれば特製の入場章一対の他に当然の如く「ベンツのための」駐車券がバックミラーに掛ける意匠がいい。S厩舎系の予想表いた だく。晩は自宅でおでん。東京のお多幸でショック受けてからZ嬢の味つけはかなりうす味。京都でおでん屋でも開けば?なんて話をしていて、ふと巴里でおで ん屋、名前はL'hodenなんてイカしてないかしら、オデオン座みたい。遅晩に荒木経惟『東京人生』眺める。被写体の人物がほんと寛いでいたり撮影者に 対して身を投げ出してしまっている。なかなか眠れずちくま文庫の「木村伊兵衛 昭和を写す」の1〜2巻を見る。大家を今さら語る言は要すまい。
▼朝日新聞の「検証イラク報道と言論」という特集で米国のイラク征伐開始時に賛成論唱えた東大教授・田中明彦と劇作家・山崎正和に賛成論振り返させるイン タビュー記事あり。田中明彦はブッシュの「テロとの戦い」を当時支持したことについて「いま私たちは03年の春に知らなかったことを知っている」として結 果的に大量破壊兵器はなく米国が自らの能力に過信があったことが今ではわかったが「ただ当時の情報には、そこまで示唆するものはほとんどなかった」「開戦 時でフセインの大量破壊兵器が全然ないと確信していた人は恐らくだれもいない」のであり当時のブッシュの決断は正当化しえた、と嘯く。で小泉のブッシュ支 持は大変賢明な判断だった、と煽てるが、その理由は結果、日米関係が良好であるから、と。このレベルで東大で国際政治学。イラクが大量破壊兵器をもってお らぬと「確信」までは難しくとも、米国によるデマと疑い米国のイラク征伐の欺瞞、戦後の混乱などアタクシですら当時、察していたことで、確実な情報などな くとも素人でもわかることを東大の国際政治学の碩学?が「情報がなかった」から、と。詭弁もいいところ。朝日の記者から、研究者・言論人としての誤謬の責 任を問われると「学問の権威によりかかって自分の意見を言うのは避けなければならない」「そもそも社会科学としての国際政治学にそれほど高い予測能力があ るわけでもない」と(笑)。それなら東大教授という看板背負って国際政治評論などやめて、その社会科学としての国際政治の学究に勤しんでは如何か。逃げ口 上とはまさにこれ。もうお一方、山崎正和は「自分が支持したのは米国のイラク戦争ではなく02年の国連決議1441に対する不履行のイラクに対する制裁と しての戦争」だそうな05年4月のこの劇作家の発言は「今後、新政権のもとでイラクがどうなるか、とくに治安問題の早急な解決ができるかどうかはわからな い。しかしそれはもはや新生イラク人の問題であって、アメリカの問題ではない。(略)世界的にも国内的にも世論が分裂するなかで、最初から一貫してアメリ カのイラク戦争を支持してきた私にとっては、今や『戦争は終った』のである」と宣われる(レイプされてボロボロの身体になった人に、回復がうまくいかない のはアンタの責任、と言うようなもの)。これ読むとこの人は明らかに「アメリカのイラク戦争を支持」しているようだが……。明らかに自己矛盾。だが劇作家 だから「私のこの戦争の原点は国連決議にあり、米国の道義もその中にある」と表現は卓越。だが国連の平和主義、紛争解決の甘さに不満があるからこそ米国が 世界の保安官よろしくイラク征伐に出かけたのは明白。米国の道義は国連を超越してるのよ。「決議を背景に開戦した時の目標は、独裁者の排除、大量破壊兵器 疑惑の解明、イラクの民主化、テロリストの温床の制圧だったが、これらはほぼ達成された」そうな。大量破壊兵器の「疑惑の解明」のために何万人が命を落と したか。結果的に出来たのはフセインを殺しただけ。民主化、テロリストの温床の制圧が出来てなんていないことは中学生でもわかっている。
▼香港電台の「香港故事」 の番組からの抄録(信報17日)。香港の「盆菜」について。今年の旧正月十五日の元宵では新界屏山で地元名士の鄧氏宗祠でとくに盛大な盆菜宴開かれたそう で鄧家直系の宗主である畏友William鄧達智君はかなり張切った由。鄧達智君の言待つまでもなく中国人にとって「聚餐」はたんに食べることでなく海外 に散らばる者まで含め数百人の氏族が一斉に集う「家」の感覚の集大成。盆菜の起源は宋末に元軍に追われた宋帝の昺(衛王、祥興帝、1272〜79、南宋第 六代皇帝・度宗の三男。末代皇帝。元に攻められ家臣に背負われ入水自殺。享年8歳)が元に追われ今の新界にまで南走、村民らは突然の南宋の皇帝陛下の来臨 に供す贅沢な料理もなく慌てふためき地場の食材で煮炊きした食物を大きな丼に盛って差し上げたのが盆菜の起源。たかだか田舎料理が王朝の国家存亡の話に紆 るところが、いかにも、だが宗主・鄧達智君曰く、一族郎党で掃墓に合わせ墓の傍らの灶穴に肉だの野菜だの予め用意して簡単に煮炊きした「食山頭」が起源で あろう、と。

三月十六日(金)昨晩より殆ど寝ておらず昨日の日剰も綴らぬまま早晩に到り出先にて灣仔の某組織のスタッフルームで日剰綴ればWi-Hi環境も整い上網。晩に宴会あり全聚徳。北京の焼鴨料理の老舗は今では香港ばかりか東京も銀座、新宿に まで出店。同じ鴨でもアタシは個人的には益新とかで供す粤式の焼鴨のほうが好き。京式はあの「包んで食べる」のですぐにお腹いっぱいになってしまって。隣 室が某かの宴会の麻雀室になっており覗いてみると中学生くらいの子らが雀卓を囲む。香港では家庭麻雀は普通でガキ雀も別に鯢たてる事でなし。それでも料理 屋でずらりと学生が卓を囲むとなると興味あり何の宴会かと思えば香港喇沙書院(La Salle College)の春茗で、会場に侵入すると40卓ほどの大宴会。在校生と教師、卒業生ら一同に集結。香港代表する名門男子校の一つ。勿論、鹿児島と函館 のラ・サールとは姉妹?校。鹿児島ラ・サールというと進学校の印象強いが耶蘇学校で17世紀の仏蘭西の修道士であったJean-Baptiste de La Salleにより創設。仏蘭西革命より百年早い頃に「学校教育による社会改革」という近代に目覚めたLa Salle師は家財や栄職を捨てて迄して一生を捧げたのが「青少年の教育」の由。美談なのだろうが……。いずれにせよこの「学校による青少年の健全育成」 は今ぢゃ世界80余国で千校以上に修道士の数は八千人という。会場では「いかにも」という感じで威厳に袈裟かけた如き修道士が宴会前に説教など垂れるが末 席の学生らはPSPでピコピコと遊ぶ。今週は四日のうち三日が益新、雪園に全聚徳では粤滬京と並び、四川料理だけ入らず。水曜日だったか確か昼に灣仔の四 姐川菜で坦々麺食そうと誘われ辞退したことふと思い出す。


三月十五日(木)ちょっと銀行へ、という時もデジカメ持参すべき、と後悔は中環で朝、銀行に行つた時、睡眠不足でエスプレッソでも飲もうかしら、と Hutchison Houseの星巴珈琲に寄ろうろすれば隣にPacific Coffeeあり更にその奥にCaffé Hatituまで開店。三軒珈琲屋が並ぶとは。慌ただしいままに諸事忙殺され晩飯も食わぬまま深更帰宅。新聞を開くと「頭の体操」のような本の書籍広告に 私立超難関校中学入試問題だという1〜5の数字用いて25マスの数字合わせあり「こんなの始めて朝を迎えたら」と恐れたが始めてしまうと意外とあっさりと 解けて私立超難関中学に合格の気分。寝ようかと思ったが疲れすぎて眠れず文藝春秋四月号の小倉庫次侍従日記読む。昭和十四年から終戦まで。解説は半藤一 利。「これを読む限り」先帝の戦争責任はの有無を問われれば余は「戦争責任あり」と言わざるを得ず。確かに軍の暴走に押し切られた部分もあろうが殊勝願っ たところもあり。これを読了してみると、この小倉庫次侍従日記の前頁での「乱世こそおれの出番」と題した麻生太郎が手嶋龍一相手に語る言葉の数々がどうも 戦前の翼賛政治家の言の如く思えてならず。
▼18日から訪日のシンガポール首相・李顕龍君が日本の記者団と会見。安倍晋三君の従軍慰安婦発言につき「同じことを繰り返さないために、過去を終わら せ、次に進むべきだ」と述べ、戦争という「過去の出来事を理解し、真摯に受け止めることが、日本が普通の国となり、アジアでふさわしい地位を得ることにつ ながる」と指摘。御意。過去が終らせられぬばかりか曖昧に過去の正当化ばかり、平和憲法葬り愛国心だの道徳心の高揚だの望むことで「普通の国」になろうと する愚かしさ。
▼軍事ジャーナリスト田岡俊次著『北朝鮮・中国はどれだけ怖いか』元防衛庁長官石破茂君絶賛!。さてこの出版社は? 1文藝春秋社 2扶桑社 3朝日新聞  答えは3の朝日新聞。「隣国にいたずらに脅えないための真の軍事知識」の意味は何か?読んだおらぬから推測だが「隣国の真の軍事力を知っていたずらでな く本当に脅えよ」ということかいなぁ。

三月十四日(水)晩に宴会あり北角の雪園飯店に上海料理食 す。香港の、つまり上海以上に上海料理の本格的な老舗。だがどうも最近は肯定的評価に能わず。魚翅(フカヒレ)のスープも前回、塩辛すぎて今回は予め慎重 に、とお願いしたがやはり塩辛く、それは塩辛さに個人差もあろうか、と百歩譲っても上湯のスープがどろっとしており、それだけでいただけず。我が日剰で五 年前にかつての利舞台の益新のフカヒレスープ食し「魚翅は雪園にかぎる」と記述もあるが、どうも今では……。龍井蝦仁なども蝦に歯ごたえがなく粒も揃わず 一見して新鮮さに欠ける。紹興酒を最初、陳年の五年を注文したがさっと空いたのを見た経理のC氏が余にそっと耳打ちし「皆さんお飲みになるようですが、食 事も前菜が終わりますから、お酒は三年物にしてもよろしいかと……」と提案するあたり、ただ芳香の強い値段の高い酒を勧めぬところなど、さすが老舗の格 だ、とは思うのだが。雪園では銅鑼湾の店でも一昨年だったかかなり不愉快な思いもあり。ちょっと全体的に評価下げる。
▼朝日新聞の「ニッポン人脈記」で「安倍政権の空気」というシリーズで自民党の憲法改正について。自民党の最終案はみずからがパソコンで書き上げた、とい う自民党新憲法起草委員会事務局次長の舛添要一君が語る。現行憲法が占領軍憲法と言われるが「占領下だったけど、中身はよくできた憲法」と評価。改正案に 「国を支える責務」「公益及び公の秩序」など盛り込んだことで改正案は国権回復の面が強調されるが舛添先生に言わせれば、苦心したのは党内の安倍三世に近 い稲田朋美、山谷えり子といった国権主義、復古主義に凝り固まった「若い青年将校との戦いに苦労した」と。改正案でも9条で自衛軍創設はしても第1項の 「戦争放棄」は捨てず、それを舛添は「1項は不戦条約と同じなんです。人類の理想です。1項を変えていつでも戦争ができるみたいにしちゃいけないよ」と。 また第24条の「男女平等」でも「どんな生き方をするかは個人の自由。国家が子育ての仕方まで介入してはいかん。憲法は国家権力から身を守るための最後の 砦」として男女平等の項に「家庭を守る義務」だの反ジェンダーフリーの主張を加えず。舛添先生にしてみれば自らのスタンスは変わっておらぬのに右翼と言わ れたのが今では党内左翼、リベラル、と苦笑。

三月十三日(火)昨晩遅くに読んだ『写真美術館へようこそ』について追記。Louis Jacques Mandé Daguerreという写真家が1839年!に撮影の「タンブル大通り」という写真あり。当時のパリ市街の景観に、大通りのただ一人の男、路上で靴磨きを させている最中なのだろう。なぜ通りに人影も馬車も走らず、たった一人の男が靴磨きか……の答えはこの写真機の露出時間が極めて長く通りすぎる人や馬車が 一切写らず、靴磨きしていた男だけが写った次第。シュールな世界。この人が現存する写真のなかで最も古く=最初に写真に写った男性。で飯沢耕太郎の記述と いえば
多くの場合、写真家はモデルを「見る」存在として優位に立ち、モデ ルは一方的に「見られる」存在なわけです。どうやら写真という装置には、そのような普段はあまり意識されることのない、撮影者とモデルの間の身体のイメー ジを介した権力の関係(「身体の政治学」とでも呼ぶべきでしょうか)を明るみに出す動きが備わっているのです。
とフーコーっぽい一節もあり。ただこの権力の関係はそんなに単純でなく写真を撮る側もまた同時に撮られる被写体から見られている、という点についての考察 に欠けていないか?と思えるのだが、著者はしばらく先の記述で、医学写真を取上げ
一見、科学的、合理的におこなわれたかのように見える患者の撮影 に、医者と患者との暗黙の共同作業による“演技”が含まれていたことがわかってきました。例の「見る」−「見られる」という関係につきまとう固定された権 力の関係に従って、患者たちは時に医者たちを喜ばせるために、自分から発作をでっちあげることもあったそうです。
なんてことにも触れる。これならいい。本日。1970年創刊から半年ほどの雑誌『アンアン』でなぜ香港特集が「香港再見」だったのか、疑問であったが(こ の本を読むきっかけとなった)原田治氏ご自身から今日、メールいただき事の次第判明。この『アンアン1970』の著者である赤木氏が触れている香港特集は 実はアンアンですでに二度目の香港取材だけを取り上げていた由。初回は原田治氏とカメラマンのお二人、二度目がこの本に書かれたもので香港観光協会からの 招待で新谷氏が加わり三人で取材。雑誌アンアンが再び香港訪れたという意味での「再見」であったような記憶、と原田さん。なるほど。わざわざ教えていただ いた原田治氏に感謝。晩に畏友M君、香港で写真多く撮るM君、そして趣味人O氏の三人でJardine's Lookoutの益新美食館に食す(この「美食館」ってあんまりな名前だけはどうにかな らぬものか)。灣仔の鵝頸橋がなぜ=どこからどう見て鵝頸橋なのか、と いう話から始まり、今はHennessy Rdを跨ぐ高架道の橋を鵝頸橋と誤解している人すらいるが、実際はHennessy Rdにかかっていた橋(運河は今は埋め立てられ、その名もCanal Rd)が鵝頸橋で、なぜ此処が鵝頸か、と言えば、今では香港島から陸続きだが丁度、海底トンネルの入口近くに小島あり、中環のほうから見ると(昔は灣仔も 今のように埋め立てられておらず)鵝に喩えれば、この小島がちょうど水の中からちょっと出した頭べに見え、灣仔のMorrison HillやLeighton Hillが鵝の胴体や翼なら、ちょうど鵝の長い頸が水の中、そこが鵝頸だ、という見立て。そこに架った橋であるから鵝頸橋、とまことに明確。……そんな老 人話から始まり話題は尽きず款語続くが今晩はO氏とアタクシのカメラ勝負あり。チョートク先生とアルフィー坂崎氏の真似事で、当然、諸先輩方に比べると
可愛いものだが、まずは、と序盤戦の緒を切るのは両者とも Ricoh GR Digitalで、一瞬、アタシもこりゃ引き分けか、と思ったがアタシは外付けファインダー付きで点差でこの緒戦頂いたか、と思った瞬間O氏は実はこんな ものが、と取り出したるはVoigtländer製の28mmファインダーで、いきなり「勝負あり」。O氏の主力機は現在、ニコンのD200 で、O氏的にはアタシがそのあと出してくるのはEpson R-D1sとライカM6とわかっているので、カメラ勝負になるとD200よかレンジファインダーは趣味的なので、最初に勝ちに挑んだ、見事な作戦勝ち。オ ヤジ四人が料理屋で皮蛋、海月に叉焼を肴に紹興酒ちびちびとやりながらカメラ見せ合い。食後、O氏と「ちょっと一杯」のつもりでバーSに寄ると話が弾みGlenkinchieを飲み名前失念の Bottler's Brandによるスプリングバンクの12年物少し飲む。いろいろ深い話題で勉強になったが、あっという間に深更に到る。

三月十二日(月)早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅してドライマティーニ飲まず。親子丼。焼酎を湯呑に一杯だけ飲む。一巻目の途中迄読んだままだった 劇画『ディアスポリス(異邦警察)』二巻まで読む。江古田(日芸)の出身で最も学究肌、理論家であろう飯沢耕太郎(写真評論)の『写真美術館へようこそ』 読む。
▼英エコノミスト誌の今週号の特集は“China's next revolution”と題して中国の地産権整備を取り上げる。The legislature has been legislating quite prolifically. But the passage of laws is not the rule of law.と手厳しいところは手厳しく、この地産権がけして公民の土地所有権や売買権を守るものではなく、あくまで「開発」なので居住地や田畑など強制的に 奪われる公民にせめてもの償い程度、でも「ないよりはマシ」を説く。日 本の新聞の社説もこれくらいの内容があれば読むに値するのだがプロ野球選手の大リーグでの活躍に期待、だの西武球団のアマチュア選手への贈賄など非難して もどうしようもあるまいに。ちなみに香港では、そのエコノミスト誌の巻頭論説であるLeadersの記事は月曜日の蘋果日報に中文で転載され、信報でも今 日、すでに崔少明氏がこれについて詳しい論説を書いている。それくらいの響音がないと世界の論調にはついてゆけない、と思う。ところで中国の土地問題とい えば印象的な報道写真がSCMP紙にあり。ちょっと拝借。むかし子どもの頃に「小さいおうち」という絵本あったが……。
▼七日の信報で唯靈氏が「罪魁禍首」という題で香港の食べ物浪費、食べ残しについて書いている。今の飽食に比べ半世紀ほど前は「雑水」「餿水」と言われ る、残飯のリサイクルあり。食肆をまわり残飯を拾わせてもらうかわりに毎月某かのカネを払うのが厨房の料理人らの小遣いとなり、雑水はまだ人の喰える残飯 で、餿水は家畜の餌。中環の九如坊、上環の水坑口あたりには雑水を買う連中の推し車のようなもの並ぶ。当時、飲食業の店主らの話で香港島は黄竹坑周辺で飼 われる豚の乳猪がもっとも上質、なのは中環の名だたる料理屋の餿水を餌に育った豚なので栄養がとくにいい、と。それに比べ食物の浪費は甚だしく、豚もウイ ルスだの何だの、で間違っても残飯など非衛生的、と処分されるばかり。廿数年前に黒竜江省の大興安嶺山脈の山村で便所には糸車と同じ構造で荒縄の「尻拭 き」あり、汚れた縄は豚に舐めさせて天火で干して再利用、便所に入れば眼下に豚が歩くを見て、驚いて文字通り「尻込み」を思い出す。
▼香港最後の総督クリス=パッテン君、EUの欧州委員で対外関係担当の要職を経て牛津大学(Oxford)校監(実質上の総長)となりしが今度はBBC会 長に推挙ありとの報道あり(英国デイリーメール紙)。英国どころか世界のBBC会長職は保守党、労働党が虎視眈々と狙うポストにてパッテン君が保守党の元 党首なら(92年に香港総督になる迄)労働党からは現ブレア政権でのTessa Jowell文化大臣を推す声もあり。このBBCの会長職、年俸は要職わずか14万英磅(HK$221万)と要職にしては可憐だが、これは英国の伝統で公 共機関要職は任に当たることが名誉で禄を貪るものでないゆゑ。民間企業のCEOなどわずか数年の業績で巨額の報酬得ることが米国など目立っているが本来、 Companyつまり「ともにパンを喰らう集団」という意義では企業活動も社会奉仕の一環であり、日本の大企業も「他に比べれば」雇われ社長だの薄給であ るのは澁澤栄一の昔から英国のよき営利活動の伝統か。
▼仏蘭西の志らく大統領大方の予想通り続投せぬと発表。余生はぜひ東都にお住まい遊ばされ新宿は四谷荒木町か女子医大に近い牛込柳町あたりのしもた屋で、 表札には「志らく家」とでも掲げ、好きな相撲見物に今日は芝居、と羽織姿でイキなところ見せのご隠居暮らし、は如何か。当然、横綱審議委員会の委員長にも 推挙。

三月十一日(日)AVOHK主催のReservoir Raceの三回目、今期最終レースあり大潭で開催。出るつもりが昨日からの足の筋肉の張り具合如何ともしがたく断念。昼にかけ九龍のジムで筋力運動と有酸 素運動各一時間。小雨の寒空。ジムに行く途中『撮影世界』の四月号?コンビニで求めてしまい不安感。こんな天候の日はふらりと中古カメラ屋に寄ると珠玉の レンズなんかに出会ってしまったり、が怖い。ジム出て旺角の永成撮影器材でさらっと最近のカメラ器材眺め撮影器材の広告で気になる深水埗の鴨寮街のカメラ 屋二軒。不幸中の幸いかローライの二眼レフにこそ後ろ髪引かれたもののライカ関係は皆無で事無きを得る。灣仔に遊び銅鑼湾のスポーツ用品店でランニング用 の腕時計に探せばカシオGショックのレゲエシリーズ・ラスタファリア ンという思いっきり、な腕時計購う。ラスタよりも遭難した時に「この黄色なら目立つ」と。帰宅して旧正月に南欧を旅したN夫妻にいただいた生ハム とメロン、青菜と人参のサラダ、南アフリカ風に焼いた鰯を食す。赤葡萄酒は仏蘭西のSaint Estepheのla Chapelle de Lafon-Rochetの二千年。あと一年くらい置いたらもっと美味しかった鴨。でもじゅうぶんに美味しいのだけど。幸せ。赤 木洋一「アンアン1970」(平凡社新書)読む。帯に「“かわいい”女性誌を作ったのは、こんなにユニークな人たちだった!」とあるが37年たった今に なって著者や名物編集長の柴崎氏であるとか堀内誠一氏らの「当時の」写真を見ると「えっ、この人たちがあのananを編集していたの?」と驚くぐらい、今 なら「信じられない〜」と言われて当然なオヤジたちなのだがけど、大阪万博のあの年にこのファッション誌を隔週で出したと思えば、ホント凄いこと。創刊の 頃のパリジェンヌのモデル・ベロちゃん来日で鎌倉に遊び澁澤龍彦邸訪れるエピソードなどほんと70年代なのだ。三島由紀夫の割腹自殺のあとは「追悼 三島 由紀夫」なんて特集がアンアンで組まれていたなんて(澁澤龍彦と岸田衿子が一文を寄せる)今では想像もできないこと。話は創刊されて間もないアンアンがセ ンスこそ評価されても部数低迷の頃の話で、その後、集英社のnon-noが出たことで触発されアンノン族とよばれる風俗が生まれるほどに爆発することは後 日談、となる。ところでなぜこの本をアタシが読んだか、といえば、につながる話はこの本の最後に語られている。創刊当時からの編集者が入れ替えとなる頃、 第49号の13頁!にもわたるガイド&ショッピング特集の「香港再見」があり、この香港取材が創刊以来編集にあたったスタッフへの慰労も兼ねていたようだ が、香港で中国製の(って当時はまだ文革の時代だ)キッチュなアイテムなどかなり集め、かなり壮大な香港グッズ特集であった、という。その香港特集で (97年でもあるまいに、なぜ、香港が「再見」なのか意味不明だが)グッズの「図解」担当したのが原田治氏で、アタシはブログの原田治ノートの閲覧者であ るから、原田氏の記述からこのアンアンの本を知った(……話が長い)。この1971年のアンアンの香港特集ってホントに見てみたい、と思う。
▼五月の歌舞伎座は團菊祭。昼の部の最初は「泥棒と若殿」って周五郎の芝居でしょう。演舞場で十分。続いて勧進帳、團十郎の弁慶、菊五郎の富樫なら確かに 豪華だが(義経は梅玉)、「また勧進帳なの?」って声が上がるのは当然で今回は何が特別か、と言えば天覧歌舞伎百二十年記念!とは……。これから十年毎に 「天覧歌舞伎百●十年記念」の勧進帳見せられるってことか。で続いて海老蔵の 与三郎に菊之助のお富で源氏店。これは今が旬。昔の玉三郎、孝夫のようなもの。昼の部〆括りは神谷町の女伊達。今さら何をか言わん哉。で夜の部は十七世市 村羽左衛門七回忌追善狂言で萬次郎が巴御前の女暫。十七代目の追善のすごい事が近々ある、と耳にしていたが、それが団菊祭で、か。たしかに十七代目である から團菊祭に十七代目の追善をもってきてしまうのも「なるほど」……あまりいろいろ申すまい。ただ松緑はまぁ「別格」として菊之助、海老蔵に亀三郎が萬御 前の脇を固め橘屋の次男坊の「十七代目とそっくり」なのはちょいと早すぎるが光君も出演。長男の竹松君出演は、松緑が曽我五郎役の「雨の五郎」と三津五郎 の「三ツ面子守」の踊りのあとの夜の部の〆のめ組の喧嘩、で当然、辰五郎は音羽屋。團十郎が四ツ車大八の役で、去年の團菊祭での成田屋の舞台復帰から一 年、昼の部の勧進帳、夜の部のめ組の喧嘩で團十郎が元気なところ見せるのが今回の團菊祭なのでせう。神谷町の女伊達と橘屋の女暫……。

三月十日(土)昼まえに裏山を一時間ほど走る。先週の香港マラソン以来。走り出すと足が重い。走り終わるとかなり足が張った感 じで夜になるほどひどくなる。晩にZ嬢とFCCで待ち合せ夕食。ポーランドのショパンというウオツカ飲む。市大会堂でASGP(Asian Super Guitor Project)と題する渡辺香津美、韓国の李宇鎮(Jack Lee)と香港の包以正(Eugene Pao)という三人のギタリストにパーカッションはLewis Progasamで演奏会あり。三人ともほんとギターがお上手。当たり前か。でもこの三人がもしギター弾けなかったら「キャンディーズのファンだった若者 がそのままオジサンになってしまった」みたいなそのへんに普通にいるオジサンみたいな風体で、三人ともほんとギターが弾けてよかったなぁと思う。知人の ベーシストSteve U氏が会場で演奏後に言っていたがJack Leeが二人の先輩を前に遠慮していた気が確かにある。それにしてもギターが上手い。
▼東京都立高校の卒業式で来賓で呼ばれる教師OBなど選別(朝日)。都教育長が卒業式来賓について「校長が慎重に検討し適切に人選するよう指導」の結果、 君が代斉唱での不起立などあろう左傾教員ら排除。久留米高校では04年まで務めた前校長は朝日新聞「私の視点」に東京都の教育行政の行きすぎ憂慮する文章 など発表していたが歴代校長が招待されるなか現任校長より電話で不参加求められる。現任者は都教委の方針に従わない者を呼ぶことの問題あり、と説明。この 異論排除をファシズムと云う。
▼赤瀬川原平『中古カメラの愉しみ 金属人類学入門』読了。1993〜95年、ちょうどレンジファインダーではContax G1が話題となった頃に赤瀬川氏が「日本カメラ」誌に連載のもの、の文庫本。アタシも中古で得たG1をしばらく使ってはいたが、どうも最後まで苦手だった のはファインダで、この本でも原平氏はG1で目の位置がちょっとズレた時のファインダの翳り、ファインダを覗く快感の物足りなさ、を挙げていて納得。いず れにせよ、カメラ好きには面白い一冊。当時の「日本新党」に対して「日本中古党」というカメラ好きによる政党(田中長徳党首)なんて話が面白い。選挙の応 援にかけつけたのが「買い取りは信用できるプロにお任せください」のアローカメラの社長で「この人は選挙がよく似合う。好きそうだ。水を得た魚とはこのこ と」と勝手な話だが、アローカメラの社長を(広告ででも)見たことある人なら抱腹絶倒。ほんと自民党で選挙戦術に長けたオトーサンのよう。カメラの簡単化 でライカもストロボがポンッと出てくるとか駅のキヨスクやコンビニで売っている「使い捨てライカ」なんてのも赤瀬川先生は空想する。使い捨て、なのだがさ すがにライカであるから外装は紙製でも一個5万円、ストロボつきだと7万円の使い捨てカメラ(笑)。「ニコンSが二〇台潜んでいる大井町」なんてエッセイ も格別。

三月九日(金)寒さ続く。一昨日突然の寒波、気温低くとも建物の余熱の所為かあまり寒さ堪へずども今日に至れば気温多少上がっても建物ぢたい冷え室内こそ 冷気あり。今週はとにかく諸事忙殺され一昨日ちょいと銅鑼湾での宴会に顔出しただけでほとんど何処にも行けず。晩に帰宅してドライマティーニ一杯。Z嬢と お好み焼き。いいちこを二杯。食後少し寛ぎヰントン=マルサリスの新譜“From the Plantation to the Penitentiary”聴きながら「今週よく働いた自分への御褒美に」……なんてフレーズも最近は「元気をもらう」「いのちをくれる」が如き陳腐な表 現と同じくやたら巷間に流行るが、そう、そのジャズを聴きながらBowmoreの17年を開栓して飲む。
▼朝日新聞に「柳田国男と愛国心」という題で社会学者・武田俊輔(滋賀県立大学)が一考を寄す。教育基本法の改訂で「伝統や文化を尊重し、それらを育んで きた我が国と郷土を愛する」態度を養うことなど基本法に盛り込まれたが、これが1930〜40年代の文部省による愛国心と結びついた郷土教育の推進を彷彿 させるもの、でその「郷土教育」に鋭い批判を加えたのが郷土研究の指導的立場にあった柳田国男である、と論を興し、郷土教育の目標は、農村の子らに切実で あった「何故にうちは貧乏なのか」「どうすればもうちつと生活が楽になるのか」という疑問を社会問題として捉え、それに答えを与えることが郷土教育にあた る者の任務、というのが柳田翁の主張で、それは武田氏に言わせれば「偏狭な愛国心やお国自慢ではい。むしろ核にあるのは学問を通じた生活改善と経世済民の 志であり、貧困を自己責任でなはなく、社会的に共有すべき課題として見据える批判的視線」。それが「翻って最近の愛国心教育は、「国と郷土を愛する」こと を自明とし、社会的な課題を個人の道徳の問題へ矮小化させ」「それは公共の重視を謳いつつも、実際には「国と郷土」の「誇り」を吹聴し、個人に国家への奉 仕を要求するに過ぎない」もので、それは「人々が抱える課題の解決に何ら道筋を与えないばかりか、暮らしの中の不幸や苦難を歴史的・社会的に問い直し、公 共的な回路を通じて解決しようとする営みを封殺する危険すらある」と武田氏は憂う。御意。とこの若い気鋭の社会学者の筋の通った論を読んではないたが、久 が原のT君より、この記事の掲載写真が振るっていて「前面に写る柳田先生の背後に、横向きに写っておいでなのは、紛れもない折口大人」と。言われてあらた めて見てみれば確かに笑う柳田先生の背後に折口大人。どなたの書斎かしら。写真には柳田と折口の二人だけ、だが雰囲気からして書斎での数名での歓談のよ う。この写真、「国」の問題含むことで、折口大人との「ツーショット」を意図的にこれを選んだのか(それなら朝日も大したもの)、偶然か。
▼自民党にて郵政「造反」の衛藤晟一君の復党につき「今後、反党的な行動なしない」など合意の由。党に対して反目的なる言論すら封殺するとは中国共産党を 揶揄もオコガマしき唯党独尊の自民党。かつての魑魅魍魎的なる党内の言論の自由など遠い昔のことのよう。朝日のインタビューでは自民党の良心、山崎拓さん が答える。タカ派からハト派と目されるようになったのは山拓さんが変わったのではなく自民党が変わったのか?という質問に対して、
そう、後ろの景色が変わっただけです。戦後は遠くになりにけりで、 戦争忌避、平和主義といった観念が薄れ、「軍事力を背景としない外交は迫力に欠ける」といった考え方の人が多くなった。それと、正しい戦争史観がないか ら、このごろの議論を聞いていて、極端に言えば大東亜戦争聖戦説という妖怪がさまよっている感じがします。従軍慰安婦問題をめぐる河野官房長官談話の見直 しとか、南京大虐殺はなかったとか、ほとんど信じられないことを真顔でおっしゃる方がいる。それに非常に影響を受けた政治家がいる。力の信奉者にとっては 受入れられやすい議論なんですね。

三月八日(木)先考命日。三八とはじつに目出度き日となりぬ。先月三回忌の法要済む。余は華南のこの地にあり掃墓にも遠く先考の遺影に焼香のみ。寒さ続 く。遺影はY女史が2003年の夏に撮りし父の笑顔。Y女史よりいただいたデジタル画像にはLeica M6TTLでレンズはノクティルックスの50mmでf1.4で1/60とあり。今となって意味わかる。母のメールによれば父を慕しんでいただき家にたくさ んの花が届いた由。晩に帰宅して冬のあいだ蕾を少しずつ膨らませた蘭花が咲いたのを知る。懐 中電灯と拡大鏡にてよくよく蘭花を眺むれば永井豪のデヴィルマン的な蘭花の容姿。
▼安倍三世の慰安婦発言がInt'l Herald Tribune紙でも大きく報道有り。安倍三世にとっては戦前からの「日本政府」については些かの否定的見解もまるで自らのアイデンティティ崩壊の危機に つながるゆゑに直接的だか間接的だが慰安婦派遣に関して政府の関与の有無だか何だか知らぬがとにかく政府の直接的関与など否定せざるを得ず。ケツの穴いと 小さき輩。
▼みすず書房よりリーヴァイス創業者と遠縁のレヴィ=ストロースの「神話論理」 Le cru et le cuit / Fu miel aux cenresがついに翻訳刊行の由。レヴィ=ストロースの『野生の思考』であるとか、よく意味もわからぬまま学生の頃に「読まなければいけない」感じで読 んだものだが、もう「未開の神話の構造の話と現代との優劣のなさ」についてはもう食傷気味でもあり。だが何より驚くのは当時、すでに故人のように神聖化さ れていたレヴィ=ストロース自身が今でもまだ存命であること。串田孫一氏の詩を読んだ時にてっきり故人と信じきっていたのが串田氏が婦人雑誌のインタ ビューに現われていたのを見てかなり驚いたが。

三月七日(水)寒波再び到来。摂氏11度の厳寒。MPF(強制積立年金)香港に導入されし頃にある仕事で収入からMPFさっ引かれ最もリスク高いファンド に全額といっても僅かな期間の仕事で数千ドルであったが積立てていたのが年に一度のお知らせ来て見てみれば当時積み立てた額の約2倍に膨れたり。元金保障 なしのファンドなので崩れたらいっかんのお終いだが6年で倍というのは年利でいうと何%くらいなのかしら。計算できないけど。ところで禁煙条例もいいけど 交通機関内での携帯電話、あとあの携帯ゲームの音、あれの規制してくれないだろうか? 音出してゲームやってんじゃねーよ、このバーカッ!と張り飛ばした い輩多し。晩に銅鑼湾の日本料理・湖舟。或る送別会あり末席 を汚す。新潟は村上のすっぽんで鍋。美味。帰宅のつもりがふらりとバーSに 寄りGlenkinchieをさっと一杯のつもりが畏友B氏、デザイナーのT氏に加えお二方とご一緒に「まさかこの二人とお知り合いとは?」と驚かされた がK氏が連れ立って現われ暫し歓談。
▼民法772条で生じる「無戸籍」児について戸籍ないことで旅券発給も能わぬ事実につきここ数日報道多し。無戸籍者に戸籍を!という強い願いもわかるが何 故に戸籍制度なるものの見直し、撤廃の方向に至らぬのかしら。
▼四日(日)の蘋果日報の副刊「名采」で偶然か意図的か、蔡瀾氏が百年一日の如き自らコーディネートするツアー旅行にかかわる随筆で(もうウンザリなのだ が)台北の故宮博物館の大規模な改修終わり六十年に一度の大展覧をば見逃せず三月にツアー企画と書けば(これは本来、宣伝であって随筆じゃないのだが)そ の右欄で左丁山氏が台北の故宮博物館を全面改装後に訪れたW教授が内容に失望、と紹介。偶然のことだろうが編集者の心境如何に? 随筆大家の蔡瀾先生に編 集者が何も言えぬ状況にように思えてならず。
▼タイに白龍王と言う宗教家居り。映画プロデューサーの林建岳、アンディ劉徳華、トニー梁朝偉など香港の芸人、芸能界関係者らの信仰篤し。予言などよくあ たるそうで久々に大ヒットとなった映画「無間道」も元々「無間行者」という林建岳の考えた題名を白龍王が「三文字に」と授け「無間道」と改名、で大ヒッ ト。白龍王については神通力がある、怪しいと諸説様々。いずれにせよ宗教。旧暦正月十五日は白龍王の年に一度の大きな祝賀法要あり当然の如く林建岳ら香港 から大挙して法要に参列の由。
▼先日の朝日新聞の丸谷才一「袖のボタン」で岩波文庫のある書店=格が上、と語る。岩波文庫といえばアタシも子どもの頃に初めて買った岩波文庫は何だった か、が記憶にないのだがセロファンのカバーの岩波文庫を買って買えると母に「昔は星一つ40円だったの」と(50円だったかも)言われ、岩波文庫を読むよ うになったことに少し褒められた気分。当時は確か星一つ70円。近所のK書店は地元の大店で岩波文庫もずらりと並んでいたがセロファンが破れるのが怖くて 手に取りずらし。本といえば朝日の読書欄の「たいせつな本」というリレーエッセーが面白い。4日の朝日では笙野頼子女史が森茉莉の『贅沢貧乏』について語 る。
二十代初め、大学まで徒歩数キロ。小野篁が冥府への通い路にした六 道珍皇寺の側に下宿し、休日は通学路と反対側の、鳥辺野に歩いた。市電道の書店の文庫の棚、私はある日彼女に出会った。親はマンションにしろと言ってくれ たのに、望んで済んだ古屋、イタチが遊ぶ庭付きの六畳で彼女のお喋りを、繰り返し聞いた。ある日は彼女の文章(しぐさ)をまねしてみた。でも、無理だっ た。やがて長く付き合うようになった彼女をモデルに、私は評伝まがいのフィクションまで書いた。……
って、如何? ほんと森茉莉もいいけど笙野頼子もいいわねぇ。アタシの世代だと栗本薫から森茉莉に入った者が多かろう(ところで中島梓のこのサイトのセンス、ちょっと苦手)。

三月六日(火)諸々いと可笑しきことあれど様々な雑用に忙殺され綴る暇なし。帰宅してドライマティーニ二杯。コロッケ揚げて食す。コロッケだけ。米飯も食 わずコロッケはキャベツにほんの少しソースかけただけ。晩遅く赤瀬川原平『中古カメラの愉しみ〜金属人類学入門』半分ほど読む。
▼浅野史郎氏が都知事選に立候補。「社会的弱者への差別発言、都政の私物化、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政の問題点の変革」提唱。自 民党は確か幹事長だか「宮城県知事だった方が東京都知事選に立候補される意図がわからない」とか発言していたが、確かに都道府県知事の経験者が他の都道府 県の知事に立候補することなど確かに想定外、だが、その意図はまさに上述の浅野氏の発言が答えのはず。当の石原ファシス都知事は先日「(選挙戦の)お嫁さ んが決まってよかった」などと発言していたが石原慎太郎的なホモフォビア的には厳密には「お婿さんが決まって」のはず、なのはまぁいいとして今日もファシ ス都知事は浅野氏について「どうも江戸っ子、東京っ子的じゃない」だとか指摘。それじゃ石原慎太郎が(神戸の須磨生まれ、は別にして)感覚的に江戸っ子的 なのかしら。江戸っ子は社会的弱者に偏見をもち、トップになれば独善的で恐怖政治を敷く輩など本来好まぬと思うのだが。

三月五日(月)通りがかりの車から見たのだが芸人・アーロン郭富城君が自宅マンション前の路上でカーキチらしく新しく届いた黒のFerrariか何かを自 動車屋と眺めている。著名な芸人なのだから敢えて自宅前でこんなことしなくても、と一瞬思うが、やはり「見られてナンボ」の歌舞音曲の芸人というのは露出 本性というか、見られることが快感なのか……。帰宅してドライマティーニ一杯。問題はベルモット。これほどドライマティーニが好きだがベルモットはほんと 数滴なので一瓶が空になるのに一年近くかかり(そのあいだにジンが何本、空になるか、は別として)ベルモットは開栓して暫くするとかなり風味が飛んでしま うのが残念。小瓶のベルモットなんて売ってないかしら。キノコと豚肉の鍋。焼酎少し。料理研究家・辰巳芳子女史のドキュメンタリー番組をNHKで見る。料 理が上手なのはわかるが「人は見えるところばかり気にする。見えないところが大切」「人間も下拵えが大事」とか説教多し。「人は人に教わろうとばかり思っ ている。(季節や自然などの)事実から教わる、ってことがわかっていない」と発言ぢたいは確かにそうかも知れないが他人に料理の仕方教えていてこの発言は あるまひに。ナンシー関先生が健在であったら何と突っ込んだか。辰巳女史の消しゴム版画もみたいところ(実際にあったかな?)。自宅で開催される料理教室 でも、スープ作るのにまず芋を敷き人参を乗せ、と順番にやって見せ「なんでだかわかる?、あなた初めてでしょ」と参加者に尋ね「人参は硬いからですか?」 という答えに「そうじゃないの」と否定して、その女性の「思い入れですか?」とかいう答えに「あらら、よけいそれじゃ間違い」と苦言して「みんな煮え方が 違うからなの」って、最初の「人参が硬いから」つまり「よく火が通るように鍋の底にする」は正解なんじゃない?と疑問。これくらいの大家になると石原慎太 郎とかと同じで何を言っても誰も口を挟まないのだろうが……。最近のテレビ番組でナレーションでもトーシローのコメントでも「元気をもらう」とか「命をく れる」という受給表現が聞いていて不快。食後、バンコクのY氏にもらった京都の「おたべ」の生八ツ橋の「黒」頬張る。土曜日からの新聞たまったのをざっと 読み(といっても日に4紙であるからかなりの量)連夜になるが西湾河のカメラマンY氏にいただいたライカ本続けて読む。『M型ライカ』(世界文化社刊)を 読んでいて思ったが、だいたいどの本にもライカについては似たり寄ったりの「神話のような物語」多し。だがそれでもライカ本が出版され読む人がいるのだか らライカが凄いと言えば凄いのだが我も含めよくぞみんな飽きないもの。それでも「ライカを持っておらずに読む」のと「ライカが手許にあって読む」のでは精 神的にはかなり差異あり。後者こそオヤジの特権なのだろうがチョートク先生がアサヒカメラに書いていた通り老妻に「あら、なんかライカのカメラの数が増え ていない?」と言われるようになってこそ本当のライカオヤジか。チョートク先生といえばこれだけライカ本を読んでわかったが田中長徳という人は、やはりあ の饒舌の文章で、やはり誰も書いていないライカならライカ、R-D1ならR-D1、Ricoh GR DigitalならGR Digitalの、素人が知って「なるほど」と納得するカメラの、撮影のコツを書いてしまうところが凄い。このチョートク先生自身が60年代初頭のズミ ルックス35mmレンズみたいなクセ玉。カメラの本は読むとさっさと読めるので(というか知っていて端折る部分が多いのだが)同じくY氏にいただいた『カ メラマンのバッグの中身』(グリーンアロー出版)も読む。日本の名だたるカメラマンで意外とニコンが少なくキャノンが多いことに「へえ」と思う。「へえ」 と思っただけなのだが。ちなみにアタクシのカメラバッグはビリンガムのHadleyにライカM6はズミルッ クスの50mm/f2.0、Epson R-D1sにエルマリート28mm/f2.8、隠し撮り用にContax U4Rで、ジャケットのポケットにはRicoh GR Digitalと、こう書くと器材だけ、はチョートク派の流れ鴨。
▼仙台の河北新報より。浅野史郎氏が仙台の仙 台コリアプラザで開催された韓国観光名誉広報大使の委嘱式に出席。石原都知事との外交スタンスの違い問われ「近くの国の悪口が目立つ。非常によく ない」と批判し「立場がどうあれ、国民ベースの友情を深める役割を果たしたい。アジアの一員であることを忘れず、『世界の東京』として品格ある都市を目指 す」と強調。現任都知事は「いくつかの発言で、近隣諸国の誇りを傷つけている」と指摘し「アジアの人々が来たくなる都市の雰囲気を醸し出さなければならな い」と述べる。ところで共産党の独自候補擁立断念がカギとアタシは思ったが寧ろ共産党と距離を置くことで共産党アレルギーな中道票の獲得には有利、という 見方も聞く。

三月四日(日)第 11回香港マラソンの開催日。アタシは第2回目(1998年)と翌年10kmランに参加(当時、ハーフ開催なし、で10kmは4.7千人参加)。2000年より5年連続でハーフに出場、 2005年に初めてフルマラソン完走し今年で連続3回目。気温24度、湿度95%で小雨という最悪のコンディション。朝六時半くらいにタクシーで金鐘に向 うとすでに午前5時半スタートの10kmランの先発組数千人が続々とゴール目ざす。尖沙咀に到着せば06:10発のハーフマラソンと六時半の10kmの中 発組はすでに出ていたものの06:50分の10km後発と07:40発のフルマラソンの参加者1万数千名で騒然とした雰囲気。フルに5,980名、ハーフ に10,523名、10kmに26,781名の計43,284名が申請。高温多湿で当日の参加は多少減ろうが多数には変わりなし。レース終了後に聞いた話 ではハーフ組は海底西トンネルでハーフのランナーは10km組ののんびり組に追いついてしまいトンネルから香港島で混雑甚だしくレースどころでない状況 だった由。でフルマラソンは昨年より若干出場者減り(昨年、レースで死者出たことなど災いか)コースであるWest Kowloon Highwayもハーフの折り返しと遭遇せぬため四車線でかなり余裕あり。20kmくらいまではキロ6分半余というアタシにとっては絶好調(このままゆけ ば4時間40分くらい)。走り乍らいつも自動車道で走り抜けてしまうばかり、でついつい青衣の工業団地など眺めてばかり、で走りに集中できず。予想通り高 温多湿でいくら呼吸しようにも酸欠。青馬大橋の折り返し中間地点の汀九橋でもうぐったり。後半の戻りは途中、何度も歩いてしまう。がアタシばかりか周囲で もかなり疲労困憊のランナー多く、これほど皆が歩いている光景など見たこともなし。とにかく走れぬ。立ち止まり深呼吸してもぜんぜんダメ。足は痙攣するし 筋肉痛も甚だしく大幅に時間かかり屈辱的な5時間10分だかでゴール。今年は制限時間が5時間半になったのでよかったが昨年までならカットオフ。途中、歩 いても5時間半でどうにかゴールできる、と読めた瞬間に歩く者多くなる。ハーフで早朝に走った湘南のO夫妻などゴールで待っていてくれる。荷物受取りその 足で早々に按摩。体重が2kg減っていたがすぐにリベンジしそう。いったん帰宅して晩に所属のランニングクラブの定例会&香港マラソン打ち上げ。銅 鑼湾の風景は絶景なる私家菜の食肆。聞けば皆さんやはり今日はコンディション悪かったらしく自己最低記録打ち立てた方がほとんど。真剣にこの大気汚染、参 加者数の多さ、今後もひどくなること間違いなしの温暖化考えると香港マラソンへの参加は真剣に来年からは要検討。フルを3時間で走るランナーもいるが彼ら に「それじゃあと2時間走れる?」と尋ねると「無理だ」という返事に「だから5時間走るって大変なのよ」と説明。写真家のY氏よりライカM型関係の本など 数冊頂く。十五夜の月愛でる。帰宅してさすがに午後10時前に倒れるように寝入る。
▼本日、競馬はChairman's Sprintと香港金盃の地場G1レースあり。後者は一番人気のViva Patacaが二着で一着は05年のダービー馬Vengeance of Rain、三着に老いても着実なBullish Luckのがちがちの三頭で(買わずに正解)、前者は今期絶好調のAbsolute Championを軸にPlanet RulerとRegency Hourseに賭ければ的確にAC、PR、RHの順で入り連複もワイドもいただく。自分のレースはダメだがたまにやる競馬は好調。

三月三日(土)晴。旧暦ではまだ正月中日だというのに暑い。Tシャツ一枚で歩いていて汗をかく。明日もこの天気だと思うと空恐ろしい。昼頃にジムで 8km/hでゆっくり小一時間走る。こ れで「走り込み」終わり(笑)。銅鑼湾の「彷徨える魚蛋」文輝墨魚丸大王が Jaffe Rdにあり紫菜四寶粉を食す。かつて銅鑼湾のカラオケで一頻り遊んだ日本人のオトーサンたちがホステスとお夜食の「海苔そば」は文輝墨魚丸大王の紫菜河粉 のこと。夜中遅くまで開いていたが今の店は午前1時。晩に韮と豚肉の鍋。カーボローディングと称し「うどん」も。糠漬けも美味。だが考えてみれば胡瓜と茄 子なんて夏の野菜で、その糠漬けも本来は夏のもの。冬は白菜の一夜漬けと大根くらいだったはず、昔は。
▼アサヒカメラ三月号眺めれいれば「木村伊兵衛のこの一枚」で1960年3月の数寄屋橋交差点の写真あり。自動車の行き交う交差点のど真ん中で何か語り合 う男女が不思議だが背景に不二家レストラン。現在もこの場所に(先週は休業中であったが)不二家の旗艦店。今よりずっと店構え大きく軒下にスキヤカメラの ニコンハウスはまだないが不二家レストランの隣にアメリカ屋靴店があり此処は今はRegal Shoes、地下鉄の銀座駅B10出口はそのまま、アメリカ屋靴店の隣の銀行が(今はみずほだが)富士銀行だったか勧業銀行だったか、は記憶が定かでな い。続く「土門拳のこの一枚」はなんと1941年の人形浄瑠璃で女形の人形遣いでは不世出と言われる吉田文五郎の寺子屋から松王丸の妻・千代、と楽屋で天 綱島の治兵衛の女房・おさんに一服させて憩う姿。いやいや見事。
▼NHKで昨晩も「ひきこもり」だか何かの番組があったが今晩は「日本の、これから「いじめ、どうすればなくせますか」市民と文科省・教師が大討論」と実 に二時間半に渡り電波の無駄。いじめなど清少納言の昔も旧制中学も大日本帝国陸軍でもあった話で増大も陰湿化などしておらぬし、ただマスコミが面白可笑し く騒ぎ素人までが一億総白痴、マスコミに「市民の声」など求められ一家言宣うから始末に負えず。マスコミが応対するから「死にます」と声にしたり文相宛の 自殺予告だの後を絶たず。何かあれば「カウンセラーが必要」だの誰か一人死ねば組織で「なぜ救えなかったか?」と責任論。いじめも辛かろうが「いじめの全 くない世の中」というのも六十年代の「人民が主役の共産主義中国」や「この世の楽園北朝鮮」の如く想像するに嘘っぽくて怖い。
▼築地のH君(けっこう久々に登場か)によれば東京都知事選に立候補の意志固めた浅野史郎氏が(以下、大意)
石原都政に対する都民の悲鳴が届いている。教育現場の方からは教育 の、福祉の現場の方からは福祉の、それぞれの現場でもう耐えられないという声が私のところに聞こえてきている。いまの都政は、弱者の側、弱い人々の立場を 省みない冷たさをもっている。東京の政治は都民だけのものではなく、日本の政治そのものの貧しさを反映している。としたら、自分にもできることが相当ある のではないか、と感じ始めた。さらに、個別の政策だけでなく、石原知事の態度、言動に対して、これでいいのか、という思いを多くの方が抱いており、私もま たそれに同感する。
といったコメントとか。アタシも同感。お願いだから共産党が独自候補を取り下げてくれないだろうか。それに公明党支持者の諸君の理性がほしいところ。

三月初二(金)。晴。晩にようやく「利休」さんからいただいた糠床に漬けた胡瓜、茄子と人参を頬張る。いい感じで漬かる。NHKでドキュメント72時間 「東京山谷バックパッカーたちのTokyo」なる番組見る。秋 葉原のゲームセンターで遊ぶ蘇格蘭人が“Fucking! I lost the game!”と、確かに日本語に訳せば「負けちゃったよ」程度なのだろうが英語圏だと通常ピーッと音の消させるfuckingがNHKでは堂々と流れた。 また山谷の木賃宿の部屋の鍵なくした朝帰りの青年がリュックを逆さまにしリュックの中身が机の上にバザーッと出たところで最後にコンドームがポロリ、と。 青年は慌ててコンドームだけ隠したが。お笑いならいいが好意的に番組に出演した青年のハプニング、なら編集してカットしてもいいような気もするのだが。 Fuckingにせよコンドームにせよ番組の制作が杜撰なのではないかしら。晩に日本カメラ社の“EPSON R-D1 WORLD”と銀座松屋のカメラ市で買った「クラシックカメラプライスガイド2007」M型ライカ&レンズ特集を眺める。最近カメラ関係の雑誌などばか り。
▼三遊亭円楽引退。朝日で円楽師匠のインタビューあり書き手(篠崎弘編集委員)が、寸分の狂いもない芸で知られ、ただ一度の絶句で引退した文楽と、大病か ら復帰し、噺を間違えてもそれを笑いにつなげた志ん生。ろれつが回らなくても、志ん生のような芸風でなら落語は続けれるのでは?という問いに円楽曰く「あ たしは残念ですが文楽師匠の方なんですねえ。志ん生さんは天狗連上がりだから、あの破格の口調だった。最初から稽古したあたしたちのような噺家には、あの 口調はできません」ときっぱり(天狗連とは落語好きの素人らのこと)。円楽さんが自分を文楽師匠の方、というが、あたしは文楽、圓生という名人らの「笑わ ない」芸風に比べ、どうも「笑点」出身の人たちは苦手。
▼教育基本法について。教育基本法昨年十二月に年末のドサクサの内に改定され今ではもはや何事もなかったかの如し。で文部科学省のサイトでの変遷、でこの 教育基本法について話をさせていただくが、もともと驚いたことに数年前に確かめたところ文部科学省のサイト内に、この省の根本理念たるべき教育基本法が掲 載なし。それでいて教育基本法改正に向けた中教審の審議記録は公開されており「片手落ち」と思え文科省の広報部署に「教育基本法改定に向けようが向けまい が現行法は掲載されるべきではないか?」と指摘したが暖簾に腕押し。で暫くすると改定気運高まりサイト内に教育基本法資料室というPRサイ ト新設される。がこのサイトも改定前はトップページからリンクがあったが今では改定後役目終えたらしく直接この資料室に行きづらい。が見づらいところに、 ではあるが、現行の新しい教育基本法については条 文の掲載あり。かつての基本法はなかったのに新法はある、ということでいかに文部科学省が偏向しているか、は明らか。それにしても改定なされた今 になってこの「資料室」など見ても馬鹿馬鹿しいだけだが例えば、なぜ今、改定なのか?の参考資料として「昭和22年教育基本法制定当時と 現在の社会状況変化に関する各種データ」などというのもあり。これだけ教育をめぐり世の中が変わったのだから教育基本法も変えるべき、という主張 の裏付けのため、だろうが、法律基礎知識もない自民党のオトーサンや「明治二十年からの革新を伝統と誤解する」人たちは法律の基本知識もないから普遍法の 概念や「法が理念を謳うかぎり現状の国政や世相に左右されない」という常識もなく、だからこんな陳腐なデータをもとに教育基本法の改正の必要を訴えたの だった。……いずれにせよ改訂されたのだから負け犬の遠吠えかもしれないが。
▼唯靈氏が信報の連載随筆で「満漢全席」の誤謬につき記述あり。日本のマスコミ関係の友人に「香港で満漢全席を食すには何処がいいか?」と尋ねられた、と 書き起こし唯靈氏曰く抑も「満漢全席」なるものは存在せず。「満漢全筵」とは清朝の宮廷でのImperial Banquetの総称のつもりなのだろうが、清の宮廷料理に「満席」つまり清朝の出自たる満州料理の通し料理と「漢席」いわゆる支那料理はあっても「満漢 席」はない、という。

三月朔日。精神衛生上不愉快なことあり。ヤクが必要になり合法的麻薬であるタバコ一箱求め一服。タバコのばら売りがあったのはフィリピンだったか中国だっ たか。なんでタバコが合法で大麻程度が非合法なのか、とかねがね疑問。晩遅く荒木経惟『東京人生』眺める。アラーキーの写真はあまり好きで はな、と思っていたが、こうして眺めていると、圧巻。やはりアラーキーしか撮れない凄い写真がいくつも。ただ実母や妻の死に顔の写真は「禁じ手」じゃない かしら。だがとてもアラーキー以外では撮れないし、久世光彦の葬儀での樹木希林の合掌する手とは……。それにしてもこの『東京人生』の 1,500円はバジリコなる出版社、売れると見て、なのだろうが1,500円じゃロクな新刊書の買えぬ時代に見事。
▼今週の上海を発端とした株価暴落につき信報の曹仁超「投資者日記」が「環球跌市非Made in China」と題して語るに、今回の世界的株価下降の原因は中国とされているが、実際には大陸はまだまだ隔絶された証券市場であり株価上落は地場の原因要 素が高く国際的な投資家の影響は小さく、今回の上海株の暴落は一時的な株価の技術的な調整である、と見る。
▼劉健威氏が数日前の信報の連載随筆で「食店用語」を書いている。食肆での言葉遣いについて。例えば大陸で食中に給仕が「白飯をお持ちしますか?」は「添 不添飯?」なのだが香港では十中八九「要不要飯?」。広東人の語感が北方とは異なる点もある、としつつ劉兄は今後国内からの旅行者など増えること思えば常 識的に丁寧な物言いであるべき、と。また他に気になるのは料理屋で誕生日の宴会などすると食後に肆より免費で供される縁起物の桃をかたどった甘味の饅頭。 「壽包」と呼ばれるが、これは元来は「壽桃」。壽包とは戦前なら葬儀のあとの解穢酒(お清めの宴会)で「穢れおとし」にで今後の多幸祈り供した口直しが 「壽包」。広州のある酒家で祝言の際に給仕が食後に「壽桃」を運んだ際に、誤って「請用壽包」と言ってしまい大顰蹙をかい料理屋は支配人が低頭で宴会の費 用全免で詫びた、と。また給仕が料理を卓に置きながら「これは乾炒牛河で」などと言うのも、本来は料理に唾きがかからぬよう料理や恭しく運び皿を卓に置い ら数歩退き「乾炒牛河でございます」というのが本来の礼儀と。御意。もはやこのような気品もまことに昔の話となる。


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