教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
 

既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。


五月三十一日(月)快晴。辱暑殺人も辞さぬ程也。九龍よりの還りに珍しく新聞も読み終え携帯の本も忘れiPodもなく英語で『聖書』内蔵のpalmも持っておらず本当に何もなく仕方なく自然と周囲の乗客の会話耳に入れば世の人は何を真剣にこんな馬鹿げたこと会話するのかと感じ入り、殊に隣に坐る旦那の耳元で怒鳴って話し続けるキチガイの女、地下鉄車内で「撒ク奴慣ル奴」食す輩だのに呆れるばかり、最後の手持ち無沙汰に携帯の表示中文に変えてメッセージをなるほどこうして我已経返家了!などとピン音入力で打てるのかなどと感心する。帰宅して今朝の朝刊(朝日)開けば女子重量挙げの三宅宏美選手が草間彌生女史似だと思ひ、叔父の東京五輪の三宅がまだ六十四歳とそんな若いのかと驚く。同じ社会面に「キャパが撮ったカラーの戦争」といふ英国タイムズ紙が掲載のロバート=キャパのカラー写真が白黒で掲載されるのは非情といふ他なし。新聞といへば昨日の朝日朝刊でイラクでの日本人記者殺害伝える記事が「「ジャパニーズ」うめく男性」といふ虐い見出しをつけ、その真下に<高遠奈穂子著・愛してるってどう言うの?5刷出来!>という広告打たれていることに勝谷氏激怒。

五月三十日(日)昨日より首から肩にかけてリンパ腺痛み頭痛あり。晴れても雲の動き怪しく不安定な空に天気予報も天気崩れるといふが競馬予想の間に晴れてまいり場外で馬券購入しバスと乗継いで海岸。大江先生の『万延』読んだあとで書棚よりふと取出したはジャン=ジュネの『泥棒日記』で香港の何処だかの古書バザーで入手したもの。十五の頃に読んで以来。海岸でJ君と会い暫し歓談、夕方には旧知のN氏とも遭い海岸の店で麦酒飲む。帰宅して競馬結果見れば今期最後の重賞チャーターカップで余の選んだ4番人気で9倍のSuper Kidが見事勝利。一週間前のジュビリー杯にて電子麒麟に惜敗を晴す。二着はQE II杯で突然優勝して唖然とさせられた主席馬・駿河、三着には牝馬王・エレガントファッション。Super Kidの勝利を祝し枝豆で麦酒。チゲ。Z嬢録画のテレビ版「ウォーターボーイズ」の第9回だかに続けて最終回見る。開催が危ぶまれるシンクロ公演に向けて困難乗越えてといふのが余りに青春ドラマすぎだが青春ドラマだからそれでいいのか。日本のダービーは驚異のコース記録でキングカメハメハ……ってまさかダービー馬になるとわかっていたらこの名前つけなかったかしら。確かにカメハメハ王は強靱であっただろうがカメハメハといふ名前がどうもサラブレッドらしからず。荷風先生日剰昭和十八年夏を読む。
▼本日六四天安門事件の追悼デモあり。約五千人が参加しビクトリア公園より中環の政府総部までデモ行進。天安門事件より十五周年。

五月廿九日(土)曇。昼よりジム。午後九龍にて薮用済ませ帰宅。ようやく大江君『万延元年のフットボール』読了。やはりよくわからず。読んでいても「これが中上健次の語りであれば」だの「劇画的にするなら村上龍」「面白くするなら井上ひさし」で「もっとキチガイな物語にするなら筒井康隆」とかこのままの筋でも大江先生の小説より鈴木清順の映画のほうが面白いか……などと気が散る。左翼のうち教養的に内省する蜜、兄・蜜の姿を見て真の革命を起そうとして暴動起すは成功するが専政に走り殺される弟の鷹、終っていったい何が残ったのか……左翼の限界、子育てに何かを求める蜜、そこから何が生れるのか、余に大江先生の知性は理解できず。水餃子、清炒通菜、香麻豆腐、炒茄子……と夏の北京の如き晩餐。香麻豆腐は余のつけた名で正しい名は知らぬが水切した豆腐に軽く粗塩、胡麻油で味つけし香菜をのせただけのもの。夏の涼菜に佳し。ビールと五糧液飲む。五月廿六日に東京の外国人特派員協会で挙われた姜尚中氏の講演をビデオニュース・ドットコムで見る。拉致問題と国交正常化をわけて交渉すべき。北朝鮮を硬直化させぬこと。その意味で「敢て」と小泉三世の二度の訪朝を評価すると姜教授。北朝鮮に出口を与えること、それに日本が六カ国協議のなかで先導権をとれる、と。「在日」の姜教授にこう評価され積極的な外交をと期待される日本の政治的かつ思考的な貧弱さ。金正日がまだ政権を息子に世襲させると決定していないこと、賢明な人物であれば息子に世襲させないはず。もし金正日が息子に世襲させなければまだ北朝鮮には未来がある、と。姜教授は「今の時代では楽観論者であることが生延びる秘訣」と講演を終える。続けて神保&宮台のイラクでゲリラに身柄拘束(下宿?)した安田純平氏&渡辺修孝氏のトークを途中まで聞き横田耕一氏(九州大学名誉教授)迎えての「人権問題としての天皇制を考える」も聴く。それにしてもこの鼎談で指摘されているが憲法について「国民を守る」ものと思われていることの誤謬。憲法とは主権者たる国民が国家に対して守らせるもの。
そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。
と憲法前文に謳われているのだが、国民にこの主権意識もなく、国民の信託受け国政を担わされる権力も堂々と「違憲ですよ。憲法がおかしい」などと公言するほどの無知。これで国政を担うのだから知力不足は困ったもの。二二六事件での反乱軍にせよ靖国での戦没者、部落解放同盟に至るまで救済されようと思うものが天皇に依存し吉野朝的にアイロニーを擁くことを宮台氏指摘すれば横田先生もそれに依存してしまう=他に依存できる精神性がないことの社会の責任に言及。御意。
▼産経新聞「産経抄」曰くイラクでの記者襲撃について自己責任につき決意して取材にあたった二人に対して「国家や政府の責任など持ち出せば二人にはさぞ迷惑なことだろう」とシニカルに述べる。二人への襲撃について直接、日本の国家や政府の責任はない、が、この戦争を起した国家、支援した国家に対する責任などに問題の火の粉染ることが産経的には不快なわけでちゃんと社説で「今回の事件をきっかけに、一部の勢力から再び自衛隊撤退論が叫ばれることも予想される」が橋田氏の著作での「絶叫して正義を訴えるみたいなことはしない」「戦場記者は戦争を語ってはならない」「戦争はすぐれて政治の世界であり、戦場からは見えないからだ」という記述引用し、だから自衛隊撤退論などは「橋田氏流にいえば、戦場と戦争を混同した議論といわねばなるまい」と結論づける。わかりやすいといえば「産経流にいえば」戦場がどれだけ惨澹たる状況にあっても戦場は戦場、国家間の戦争とは別なのだから、国家の大義に口をはさむな、とわかりやすいが、橋田氏がこれを読んだら「勝手な解釈をするな」と怒るであろう愚論。
▼東京ファシス都での卒業式入学式での国歌斉唱時に起立せぬ生徒がいた学級の担任らに対する「厳重注意」指導につき文部大臣は「それぞれの教委が適切に判断すること」と述べ文部省としての評価避ける。天晴れ。国家が教育権放棄する筈もなく都合よき時には地方自治体の判断、と。ならば知事の意向で教委が国歌斉唱での不起立は自由とした場合それに文部省は何も言わぬのだろうか……まさか。
▼「民意の男芸者」と敢て言おうか、青島幸男君東京都知事の実質上の失職の年季も晴れたか7月の参議院選挙に立候補。

五月廿八日(金)早晩にジムに入れば雷雨激しくジムの窓より眺む中環の超高層ビルも雨で見えず。落雷轟くこと暫し。「忽然1周」といふ他人に「これ読んでいます」と云ふのは恥ずかしきほど無教養の週刊誌を入手。芸能人のスキャンダルにもならぬどうでもいい取材ネタで勝負はアサヒ芸能の如し。今週号の特集はカンヌ映画祭でトップ記事はカンヌで「梁朝偉(トニー・レオン)が妻・趁嘉玲の着替えの間に三分間だけ張曼玉(マギー・チャン)と忍び会い」、その他の記事は「梁朝偉が日本人のガキに最優秀男優賞取られてムッ」だの「農民(=田舎者)映画監督・張芸謀もカバンはルイヴィトンづくし」だの「キムタク、カンヌでの赤絨毯で掟やぶり」だのとまことにどーでもいいカンヌ記事続き、極めつけは忽然1周お得意の「芸能人ホテルの部屋侵入」で芸人チェックアウト後の部屋に侵入しゴミ箱の中まで徹底撮影といふまことに下品な企画(だが最も可笑しいのが事実)。かつてアイドルとして売出した二人組Twinsのホテル客室より煙草の吸殻から酒瓶まで撮影の「スクープ」もあり。今回は中国の誇る大女優・鞏俐(コン・リー)と売出し中の章子怡の客室訪問。鞏俐のゴミの散乱しぶりお見事。イヴ=サンローランのハイヒール靴までポイ捨てでさすが大女優の貫禄か。ストッキングは中国国産。章子怡の部屋は鞏俐ほど散乱っていないものの部屋のきれいな絨毯に瓜子種の殻があちこちに散乱り中国の田舎者よろしく部屋で瓜子の種つまにながら其処らに散乱す粗行。極めつけは金城武先生で年上の「伊藤」なる男性髪形師を助手としてカンヌに同行、ホテルは同じ部屋に泊りバルコニーで一緒に寛ぐ姿など隠し撮りされた上に忽然1周が客室に侵入するとダブルベッド(笑)。「金城本人がベッドに寝て助手はソファ」などと言逃れされぬためにとベッドの左右両側の床に敷かれたタオル布まで撮影し「二人で寐ていた証拠」と証拠写真の徹底ぶりに笑ふ。芸人にプライバシーなどなきことは芸人ゆへの業か。見られてナンボの世界、恐ろしや。テレビつければニュースでイラクで日本人ジャーナリスト二人が死亡か、と。勝谷誠彦氏が日記で今朝早く被害者が橋田信介氏と甥の助手ではないかと危惧強めるがそれが当る不幸。橋田氏の『イラクの中心でバカとさけぶ』も『戦場特派員』も書評でいくつか見て読もう読もうと思いつつ今日に至る。NHKのニュース10観てこの二人の妻や母、叔母といった人たちの悲しくもきれいな笑みを浮べた「自分の好きでやってきたことですから」といった物言いに、日本にもこういう大人がいるのだと妙な感銘受ける。この家族もまた罵詈雑言に遭うのかも知れぬが負けぬのは確か。それに比べて小泉三世の「以前からイラクには入らないでくださいと勧告してたんですけどねぇ」のその「ねぇ」が耳に残る。不愉快。ジャーナリストが入って真実伝えることなければ三世の盟友ブッシュ二世の軍隊がイラクにて何をしているのか伝わらず。イラクとは小泉三世の政府が「入らないでください」と勧告する危険なところ。なにが戦後処理だの復興支援か。戦場。それゆへ戦場を専門にする写真ジャーナリストが要る。雨歇んだかと思うとまた驟雨あり。まだ性懲りもなく大江君『万延』読む。
▼先日「商業電台」の「風波裡的茶杯」の司会降板せし「香港政界の青蛙」李鵬飛君降板にあたり具体的な中央政府よりの政治的圧力なしと語っていたが一転して昨日の立法議会民政事務小委員会にて参考人として参加し具体的な政治的圧力について語る語る。親英から親中に転じ今度は民主派なのだろうか……と揶揄も易いが全人代の香港代表の身分を考えれば保守派の彼の今回の翻身は何だのかんだの言って香港が為と尽力してきた李君にとっても本来もっと理想的であると信じた中共政府のあまりの被害者妄想的な硬直ぶりに呆れたのが本音か。香港にて戦後の混乱から懸命に努力して繁栄を得た世代が最後に香港が悴れる姿に「やっぱり許せぬ」と。この李鵬飛証言を日刊ベリタに記事送稿。(こちら

五月廿七日(木)晴。文藝春秋六月号読む。小田島雄志氏の手記に『銀座百店』誌創刊半世紀とあり。幼き頃に老人趣味だがこの名店街の地図で行ったことある店に印つた記憶。何よりの贔屓はおもちゃキンタロウ、ちょっと大きくなりヤマハと天賞堂。この販促雑誌では連載のうち荻昌弘「今月の映画」、向田邦子の後の『父の詫び状』となる小説に山川静夫の歌舞伎随筆『歌右衛門の疎開』として文春藝秋より上梓されたものなどに強い記憶あり。同じ文藝春秋に市川新之助君(海老蔵)の対談二つあり。ひとつは相手が安藤忠雄でもう一つが山本耀司。ヨージヤマモトと香港の劉健威氏が似ていると発見。いい顔だち。それにしても海老蔵の「梨園に育って子供の頃から一流のものを観ているから凄いものを素直に凄いと思えない」「でも歌舞伎はそういう贅沢な位置にあると思う」「だから贅沢な悩みを抱えて乗り越えるしかない」「世襲の意味はそこにある」とはさすが成田屋。そんじょそこらの者にはけして言える台詞でなし。廿幾年でここまで言えるのが成田屋の格。柏書房の『旧字旧かな入門』なる書籍入手。非常に気になるのは共著者による「はしがき」にて電脳関係への言及で外来語使うのはわかるが、例えばキーボード、プログラムなど、和語用いようと思えば鍵盤、程式とも表現できるが、それは置いても、「本書では、明朝體活字の舊字體を常用漢字と對照表にして示し、歴史的假名遣・字音假名遣の一般的原則をポータブルに纒めると共に、現在ではなかなか見られなくなつた用字法や用語の一覽を掲げて舊字舊假名の文章を綴るための手引となるやう編輯致しました 」とあり、この一文でなぜ「ポータブル」の一語のみ外来語用いるか、而もポータブルの意味は「携帯用」であり、この本が携帯用辞書のように小型簡易に携帯用に編輯されたものならまだしも、この本はA5版で二五〇頁厚さ1.5cmと携帯用かどうか難しいところ、「仮名遣いの原則を携帯用にまとめた」というより寧ろ「簡易に」とか「わかりやすく」の筈。現代の日本語の乱れ歎く書の専門家による「はしがき」がこれではねぇ。余が思ふに漢字については新漢字でいいとしても例えば「澤」を「沢」、「驛」を「駅」とした俗字、これはもともと「釋」の音が「しゃく」であるゆへ「尺」用いて「釈」にしたわけで(ここまではまだ理解できるが)だからといって同じ旁りの「澤」や「驛」まで旁りを「尺」にしてしまふのは「タク」の原音が漢字から読めず。最悪は「驛」で、「驛」は「えき」が訓読みと誤解されるがこれは「易」と同じく音読みの「エキ」で(古来「駱駅ラクエキ」などと用いる)、「シャク」や混同された「タク」とも一切関係なし。ちなみに、これは余の想像だが「驛」に限らず「液」の「エキ」や「役」の「ヤク」も音読みが訓読みの「えき」「やく」と思われがちで、現代シナ語でいう「yi」の発音にあたるこれらの漢字がそれに該当している。ゆへに明らかな漢字の語源語意すら誤まるほどの字は敢えて旧漢字を用いるべきはず。舊かなについては餘もしばしば用ひるがこれは使ひ手の趣味の範圍でよろしいかと。大江君『万延元年……』引き続き読むが余り進まず。初期の『セブンティーン』だの『政治少年死す』『性的人間』は十代の頃に読み感銘すら受け『万延……』を漸く読んだわけだが。
▼久が原のT君より御日記御言及中、荷風散人の謂ふ團藏とは入水八代目の父・七代目三河屋、所謂「澁團」なり。九代目團洲に楯突いて諸國流浪の經歴もある偏屈者、明治三十六年成田屋沒後は皮肉なる古怪味珍重せられ、仁木彈正など團十郎以上と評する人もあり。團十郎を張りし初代吉右衞門、一面この澁團にも傾倒し、布引三段目など敢へて三河屋の型を學びたる役もあり。これら殆んど今の世に正確には傳はらず。八代目の入水は、遠因を辿らば七代目に及ばざりし自身の力量を知るがためなりとも云々。從つて、澁團は現團藏の曾祖父に當たれり。と。なるほどねぇ。 ちなみにT君によればこの七代目團蔵の逝去は帝劇開場のわずか半年後だそうで荷風先生の観た菊畑まさに最晩年の舞台なり。
▼カンヌ映画祭での「誰も知らない」の主演の柳楽優弥君の男優賞受賞につき松山の畏友S君曰く「海外(欧米)での評価を絶対に価値あるものとする現代日本流の思考の空虚に恐れ戦くのみ」。御意。S君指摘するにこのカンヌブームで才能ある子役(例えば神木隆之介)などこのブームでそういった実力ある俳優の凋落もあろうかと。ところでS君もバッハの無伴奏チェロ組曲好み好きな奏者はと問えばアンナー・ビルスマ。納得。ビルスマの音楽観について興味あるサイトあり(こちら
18世紀には、人々の寿命は今日ほど長いものではありませんでした。30代、40代で死ぬ人も多かったのです。このことは、音楽の精神性にも大きな影響を与えていたと思います。誰かが二階の寝室で死にかけている……もしかしたら、それは親友の奥さんだったかも知れないし、家族のうちの1人だったかも知れない。そんな状態で仕事をする、ということも、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの時代には珍しくありませんでした。死はいつも身近にあったのです。ですから、教会の司祭たちの責任は重大でした。彼の前に集まってくるのは、十字架を背負った何百人もの人々、そして、彼自身も大きな十字架を背負っていたのです。音楽を作曲する、あるいは演奏するという行為もまた、精神の深いところに根ざしていました。そうした深みは、今の人々にとっては、あまり一般的なものではなくなってしまいました。この時代には、工場とか、騒々しく街を駆け抜ける馬車とかを除くと、人々の周りは今よりもずっと静かでした。そうした静寂の中で、音楽は人々を夢中にさせました。人は、何かに没頭しているときは、日々の悲しみを忘れることが出来ました。それが音楽の役割の1つでもあったのです。バッハの音楽は周りのこと一切を忘れさせてしまうような音楽です。碁やチェスに興じている人を見たことがあるでしょう? そうしたゲームに夢中になっている人は、すぐそばに大砲の弾でも射ち込まない限り、周囲の出来事に気がつきません……。
何度読み返しても含蓄のある、これ以上の音楽を語る言葉はなし。音楽、とくにバッハなどこれほどのものとあらためて納得。ところでふと思うは、この死との共存なるものがパレスチナだのイラクといった戦地でないかぎり死と隣り合わせになき我々の生活において、伝染病すらSARSの如き局地発生こそあれかつてのペストの如き感染なき時代に、やはりこの時代に死との向かい合いはHIVであろう、と思ふ。

五月廿六日(水)快晴。佛誕節。陝西省の古刹法門寺の由緒正しき?佛指舎利が香港訪れ佛誕節法要。中央政府より御用政党政協副主席にて厳めしき名の中央統戰部長の要職にある劉延東女史来港。特首・董建華「佛指舍利有利團結,各界祝願社會祥和,對香港有莫大鼓舞」と宣ふ。自らの失政理解できず佛に縋るとは呆れるばかり。余も仏教徒ながら仏陀の指の骨だかに畏まる物象性理解できず。殊に今日の法要など明らかに中央政府が仏教界と癒着しての政治的行事であり数万の法要参加者など佛様の御利益に縋るように見えて実は中央政府の御加護祈願なり。法要に神妙に振舞ふ高僧らの欲深さに呆れるばかり。午後遅くまで九龍の某施設にて休養。競馬中継眺め大江健三郎君『万延元年のフットボール』読む。晩にZ嬢の級友にて現在シンガポール在住のM嬢来港しておりFCCのダインにて三人で晩餐。環境は快適ながら不自由なる新嘉坡と環境劣悪にて「まだ」自由な香港のいずれがマシか宛も目糞鼻糞の議論ながら香港も新嘉坡並の不自由さに近づきつつありその場合シンガポールのはうが生活環境いいだけマシとなるのだろうか。M嬢より新嘉坡での市民(=国民)と永久居民の扱いの違い(公団住宅購入だの立替え時での差別)などいろいろ聞く。外国籍の者の新嘉坡での居民申請の場合、大卒であることが条件で成績まで考慮されるとか。IDカード(身分証)であるが香港の場合もICチップ型導入で住所から指紋までカード内に記録されてはいるもののカード裏面に指紋印刷され住所まで記載された新嘉坡IDに「さすが」と驚く。ちなみにID番号にて当局は国民の小学校時代からの成績、過去の軽犯罪歴まで全て把握可能とか、さすが警察国家。李光耀よりまもなく息子に政権どころか国権禅譲される北朝鮮並みの独裁国家、李光耀君などネクタイと背広は地味で廉政ぶりアッピールするが電力通信といった国家の基幹産業にて李家の資本率の高さ考えれば何をしても李氏の利潤となる凄さ。粗呆区近くまで散歩してXTC ICEにてアイス食す。ホットチョコレートなる赤唐辛子入のチョコ味のアイス予想よかずっと美味。バスでM嬢の投宿する銅鑼灣のホテル近くまで送りタクシーで帰宅。バスの中に禁煙HK$5000と罰金の掲示ありシンガポールの場合公共交通機関の車内での喫煙など禁固刑か、いやこれは二次喫煙で他人に害与えたことで死刑ではないかと嗤ふ。帰宅して『万延』の続き読む。
▼IDカードといえば多摩のD君ら東京地裁に住基ネットの付番は違法とする裁判起す。朝日の多摩版には載ったそうだがウェブには掲載なし。
▼東京ファシス都での國歌齊唱生徒不起立での教員處分につき文部科學省「あまり聞いたことない」とし「單に起立しなかつた生徒がゐたからといふことではなく、そこに至る教員の指導に疑問や不十分な點があつたのではないか」と本來なら行政指導すべき國家機關がファシス都の暴走をば單に「あまり聞いたことがない」傍觀の如し。だが「そこに至る過程に……」といふ發言こそ本音にて國歌齊唱の徹底など愛國心昂揚を謳ひつゝ結局の目的が異見分子の排除以外の何ものでもなし。異見の輩一切排除され命令貫徹の一元社會において何が創造的な教育か嗤ふべし。

五月廿五日(火)。父の誕生日。親孝行に値すること何もなく父の持病快方には向わぬが平静保つをせめて
薫風や軒の板戸をたたく音
と詠み送る。荷風先生日剰にある岩波書店版荷風全集発行中止に房陽子(平井程一)の詠んだ 秋風や古き板木を摧く音 が元句であること明らかなるべし。初更に北角の寿司加藤に食す。酒は峰乃白梅。客に母子共々躾け悪しき隊あり。同胞。子を一卓に据え母のみ別卓にて飲食のうえ子が店内駆回るも放置。そればかりか帰りしな和富道の路上に迄子どもら出でて駆回るを見て人攫ひなど気にもせぬ親に唖然。余が幼き頃には親は子を大人の間に据え子には躾きびしくも何が美味いかときちんと講釈たれ供せしもの。銀座の天婦羅屋、築地の鮨屋と連れられて余も親の為草見て育つ。親に礼節も躾もなくば誰を先達に子は育つか。邦人の礼節など已に何処へか消え去る。戦後民主主義の弊害に非ず荷風先生に云わせれば震災にて既に美徳など消え去りぬ。帰宅してGlenmorangie一酌。荷風先生日剰昭和十五年八月を読めば帝国劇場九月かぎり閉場といふ記載あり。「明治四十二三年に同劇場開演前たしか丸の内中央亭と云ふ洋食屋に招がれ渋澤榮一末松青萍等の卓上演舌に苦しめられ」「鴎外先生も出席せられしが演舌途中窃に席を立ちそのまゝ帰宅せられたり」と荷風先生帝国劇場の開館以前を回顧。これがふと思い出すは成駒屋の大旦那の今年三月の三回忌に東京會舘にて集ひあり……と久が原のT君よりのメール発端に帝国劇場、東京會舘、渋澤榮一君の話となり(余の日剰三月下旬にこの記載あり)これがT君の語っていた鴎外先生渋澤君の講演に席を立ち……のことと合点。荷風先生の記憶に残る帝劇の舞台は露西亜オペラ、パブロワの舞踏に梅蘭芳の華劇と日本では市川團蔵の菊畑、と、この團蔵とは八代目、役者引退し四国巡礼に出で瀬戸内海に没した先代(現・團蔵の祖父)のことか、パブロワ、梅蘭芳とは真に垂涎の舞台……だが荷風先生この昭和十五年の東都をば「往事茫々都て夢のごとし」と慨く。
▼新宿のL君より伊蘭人シェイダ氏の在留裁判こちらにつき東京高等裁判所に控訴といったお知らせ貰ふ。シェイダさんもここまで不当なる扱い受け「それにしてもなぜ日本」なのだろう……と思いつつシェイダさんにせよベトナム難民にせよ中国人にせよこんな国でも「住もう」と思っている人を受け入れられないということがどれだけ「国家」として寂しいことか。不服なら住まなければいいでしょう、別に頼んだわけぢゃない、と日本に住みたいと願う異邦人を受け入れず、だが社会は少子化にて将来の労働人口すら確保できぬといふのに。
▼東京ファシス都にて都立高校など今春の入學式で國歌齊唱時の不起立につき教員ら40人餘を誡告などの處分。朝日新聞によるとこちら「卒業式で不起立の生徒が多く出た學級擔任らへの處分も檢討したとみられ處分數はさらに増える可能性がある」と。生徒の不起立は教師の「思想的偏向的指導」の賜か。「とんがつた」生徒或は敬虔なる基督者にて本人の意志で不起立の場合なども教師の責といふ發想。生徒自身が不起立をば決めてもその行爲にて恩師に被害及ぶと思へば起立に從ふ者もあらうし、教員も「お世話になつてゐる校長に」と同じ發想にて起立もあらうし、結局は「先生のため」「校長のため」で校長も教育委員會で餘計な問題起こさぬため……と、この「何某かのため」の「ため」「ため」の連續にて、これに何ら明白なる意思も根據もなく、これが至上に「國のため」となるのがナショナリズム、そしてこの無責任の體系こそ最後は「天皇陛下のため」と本來の皇室、陛下への敬ひなどゝは結びつかぬ形骸化せし思想なき體系。怖し怖し。

五月廿四日(月)快晴。世の中うまくいくようでいかぬもの、早晩にタクシー雇い金鐘のPacific Placeと行き先告げて走ってから「時間もあり早い夕餉に金鐘では食すものなし、灣仔ならSabahなり蝦麺店なりあるのに……」と後悔し運転手に行き先変更するかせぬかと迷っておれば車は灣仔にてとある方向に曲がりふと余が告げた行き先がPacific Placeに非ず間違って金鐘地下鉄站であったこと幸いと灣仔にて車降りてSabahに参れば午後五時より六時はわずか一時間賄い飯のためか閉店。チキンラスカ食せず站近くガード下のSonthraなるケバブ屋にケバブ食す。枡野浩一の短歌集『てのりくじら』実業之日本社読む。
月曜日から枡野浩一の短歌とはブルーなようでブルーでもなし 富柏村
という感じであろうか。短歌でも俵万智には一切共感もなかった余がふと枡野浩一詩集を読む。「複雑な気持ち」だなんてシンプルで陳腐でいいね気持ちがいいねとか読んで、これが俵万智とどこが違うのかと言われると難しいが枡野はいい。無理してる自分の無理も自分だと思う自分も無理する自分など往年の八十年代の怪僧・上杉清文和尚の意味こそは無意味に意味する無意味なり意味に無意味に意味を許すなをふと回想。土屋守著『シングルモルトを愉しむ』光文社新書読む。光文社の新書新参ながら上原浩の純米酒、田崎真也の焼酎、他に麦酒など左党相手の良本多し。余の最も好むシングルモルトにつき歴史、醸造蒸留の法、文化から銘柄まで詳細に亘り殊にピートだの酵母だの解り易く講れる。ウヰスキーといふとスコッチだが英国(英蘭)にては蛮酒として中世相手にされず専らブランデー嗜むところ十九世紀後半に英国人アメリカより持ち帰りたる新種の葡萄苗木にフィロキセラなる虫あり免疫なき欧州の葡萄木にとってこのフィ虫の害あり大打撃被り葡萄生産撃滅しブランデー生産出来ず英国に供給なく致し方なくスコティッシュの蛮酒飲むようになったこと、またヴィクトリア朝の時代に穀物用いたグレン酒とのブレンド酒の大量生産可能になりウヰスキー普及したこと知る。余はスコッチのモルトにて「マッカラン」酒最も著名にて文藝春秋誌にも広告あるほどでマッカラン飲むは玄人に非ず?と多少懐疑もあったが土屋氏の厳しい評価でもやはりマッカランはスコッチモルトの美酒。大麦からしてゴールデンプロミスなる純米酒でいへば山田錦の如き良質の麦芽のみ用いピートの薫香が大切なるモルトにあってピートの焚き具合示すフェノール値が1ppmと最も低く(ちなみにピート香の秀なるラフロイグは同値35ppm)而もマッカラン酒の極みは熟成に用いるシェリー樽にも及び英国においてもアメリカ産のホワイトオーク材の樽普及するなか敢えてオークでもブリテン島地来のクエルクスローブルなるオーク材での樽に執りその樽をばシェリー酒生産盛んなスペインにて無償にてシェリー業者に二、三年使わせて(シェリー業者にすれば高価なるこのクエルクス樽など自前では使えぬが無償提供されれば願ったり叶ったり)マ社はそのシェリー樽をば自社のモルト用樽として逆輸入しモルト酒の熟成に用いるといふ手間のかけ様。十数年前に香港のマンダリンオリエンタルの酒場チナリーにて余が初めてモルト酒なるもの意識的に賞味しようとした折にスコット人のバーテン君に勧められしがマッカラン酒にて彼の選択に間違いなし。久が原のT君も彼の私剰にマッカラン酒をば酌す記述あり。それほどの酒と知る。ちなみに土屋氏の評によれば百種ほどのモルト酒の紹介のうち星5ツはマッカラン酒とGlenmorangieの僅か二酒にて星4ツ半が前述のLaphroaigSpringbankArdbegLagavulinの四種。モルトにて最も古いThe Glenlivetと余の普段愛飲するBowmoreで星4ツ。このうち余の書斎の棚に十数本のモルト並ぶうちSpringbank、ArdbegにLagavulinの三種がなし。未だ試飲しておらぬのはLagavulinのみと我ながら酒狂と呆れるばかり。ふと余とウヰスキーの付き合い回顧すれば子どもの頃に父の飲む確かサントリーのオールド嘗めたが最初。十七の頃には当時通ったジャズ酒場にホワイトのボトルをばキープもし当時の高級酒はジョニ黒にて父にいただき飲んでもみたがけして美味いと膝叩くほどに非ず田中角栄で名を馳せたオールドパーも時の首相が飲む酒がこれか、銀座の高級バーではこれが何万円かと若輩ながら疑問の念。大学の頃にはバーボンに憬れつつも当時九千七百円だかのジャックダニエルなどとても購えず二十歳過ぎだかに初めて香港訪れし折に空港の免税で購ったジャックダニエルの実に美味かったこと。その後どうにかいっぱしのウヰスキー飲める齢となったがブレンド酒はグレンフィディック飲んでも満足できずバランタインの十七年で「なるほど」と、二十五年で「これだ」と納得。そしてモルト酒にはまって十余年。ウヰスキーとの長き付き合い。だが余がこれまでに飲んだ、最も美味きウヰスキーは十四の頃か北海道の余市のニッカウヰスキー蒸留場訪れた時のこと。熟成の蔵にてシェリー樽のほのかな香りに至極の時を過ごし蒸留場見学の最後に試飲の場あり。子どもは蘋果果汁と。この蘋果果汁とてニッカの大日本果汁(日果)といふ元名の通りニッカの立派な産品ながら子どもながらに先ほどの蔵にて寝かせたウヰスキーをば是非飲みたいと思いモルト酒の小さな樽の前に立ったところ初老の職員余をじっと睨み「子どもはダメだよ」と言うのかと思いきや「飲みたいか?」と一言(笑)。余が肯定くと小さなショットグラスに琥珀の液をば注ぎ「ほら!」と。そこでグイッと飲んだ酒の美味いこと。十年近くしてニッカよりシングルモルト余市なる瓶詰めも売られ勿論試し仙台に住まいし頃には作並の同蒸留所も何度か訪れたが余市で十四の時に飲んだ美味さにその後一度も出会えず今日に至る。今でもあの余市のショットの舌にのった時の味の柔らかさは忘れられず。一昨日「支連会」首席司徒華氏が89年天安門事件での七月九日の香港での支援集会突然の中止決定につき真相明らかにして香港政府高官より中国より「工作員」来港し支援集会攪乱の恐れありと司徒氏に電話にて緊急通告あり市民の安全優先し支援集会中止決定と……日刊ベリタに送稿こちら。遅晩に荷風先生日剰昭和十五年の春読む。日毎に国家主義東都を襲ひ荷風先生それへの拒絶と抗議の筆冴える。
▼カンヌ映画祭にて香港の『2046』が受賞逃したことは王家衛監督が全く理解できぬ余には驚きもせぬが是枝裕和監督の『誰も知らない』の主演の少年14歳が初演で史上最年少で最優秀男優賞受賞とか。映画も面白いのであろうしこの少年も輝いているのであろう。「だが」本人も芝居、役者を意識もしておらぬ少年に世界最高の賞を与えてしまふというのは安易すぎないだろうか。世界中で何千、何万といふ映画作品が造られ五万と役者がいるなかで評価に値する演技をする役者は少なからず。今後の役者稼業すらどうなるか定かでない少年にはせめて最優秀新人賞でいいのでは。例えば坂東玉三郎といふこの世の奇跡の如き女形が現れ椿説弓張月の白縫姫だの東文章の桜姫など演じて評判になっても若い頃はせいぜい文化庁の芸術祭奨励賞とかで今後も芸道に精進しなさい。カンヌほどの眼識が少年のいっときの演技に最高の賞を与えてしまふのは話題作りにおいて芥川賞以上の世間への諛いか。来年はアニメの主人公が最優秀演技賞か。映画ぢたいは88年だかに東京巣鴨でおきた子ども置き去り事件が実話。当時は中学生の長男も今は二十代後半のはず。壮絶なる事件が芸術的に描かれる。監督曰く事件をジャーナリスティックに描くのではなく、生き抜こうとする子供たちの心象風景に迫りたかった」と。この是枝監督のこれまでのドキュメンタリー作品の視点だの見ればどういう人がよくわかる。が、それに対してこの映画のサイトには例えば児童養護施設で働いているといふ男性から「出勤前にテレビをつけたらニュースでカンヌ映画祭・男優賞に柳楽さん…史上最年少の受賞を知りました。おめでとうございます。柳楽さんの演技すごいなと関心しました。テレビで放送されている「電池が切れるまで」も欠かさず見ています。職場では中高校生男子の担当をしていますが明の生き方をすごく見たくて楽しみにしています。そんな明役の柳楽さんの演技のすばらしさ。一度お会いして話をしたりしてみたいです。施設で暮らしている子どもがこの映画をみてなにかを感じてくれれば。。。楽しみです。。。。おめでとうございます。活躍を期待しています。」といったメッセージあり。フーコー的。施設の子どもがこの映画見て何を感じるか。実話からの映画製作、受賞、感動と「大人の思惑」は果てしなし。

五月廿三日(日)快晴にてZ嬢の発案でT氏夫妻誘い大嶼山。中環より快速船で梅窩。銀湾邨の団地より古塔(写真)残る鹿地塘の集落抜け南山古道に介り緑一面の南山の休憩地(写真)より南大嶼郊遊径を7kmほど歩く。新緑目に蒼く暑さ酷くも二東山、大東山の丘陵より幾條も流れ落ちる渓流に涼風も心地よし。伯公峠に出でバスで長沙下村まで下り海岸に面したThe Stoepなる南アフリカ料理屋(写真)に食す。砂浜の木陰に寛ぎ素朴な料理に肉も野菜も香ばしく葡萄酒二本空け夕方まで憩ふ。バスで梅窩に戻り夕方遅い快速船で中環に戻る。風呂に半身浴し池波正太郎『男の作法』十数年ぶりで読む。余も老いて今では知らぬことより池波先生の言説とて「果してそうか」と思う点もいくつかあり先生の饒舌ぶりが「キミ、僕はね」と聞えて多少耳障り。荷風先生日剰昭和十五年読む。一月初四の記述に「午後食料品を求めむとて日本橋大黒屋に行く。道すがら電車の窗より新年の町を見るに松屋松坂屋高島屋白木屋 ……」とあり麻布からの道すがらならやはり松坂屋松屋高島屋白木屋と書いてほしいなどとどうでもいいこと気になるが、もっと気になるのは例えば「根岸笹の雪側の横町に馬場といふ家私娼の周旋宿なりと云ふ」とか例えば麻布××町の私娼米坂イネといった具体的な記述あり、これを日剰を偶然に読んだ者が米坂イネが実は自分の祖母であったりとか根岸の笹の雪といへば豆腐料理の老舗、その横町に今でも馬場さんが住んでいた場合、自分の家が戦前私娼家であったと知ったりとか、そういう不具合などないものか、と余計なことばかり気になり日剰読むもちっとも先に進まず。

五月廿二日(土)曇。中国にて「統一法」制定に向け香港並びにマカオでも適用と。特区での独立した法体系といふ基本法の規定も「国家」のまえでは意味もなし。日刊ベリタに送稿(記事はこちら。昨秋巴里のボンマルシュ百貨店にて購ひしTumi社のジッパー部分に不具合生じ香港にてTumi製品取扱ふLane Crawford百貨店に電話せば香港以外に手購入のものでも無料修理に応じると回答あり尖沙咀の同百貨店に持参し修理依頼。昼よりジムにて鍛錬。毎週のことながら九龍で薮用済ませ香港島に戻るのに初めて美孚よりKCR西鉄に乗れば美孚は西鉄とMTR(地下鉄)との乗換えの主要駅でありながら閑散凄まじ。駅のコンコースは必要以上の広さ有し(写真)茘枝角公園見渡すバブリーな豪華さ。公園の向うに見える大型マンションがかつての故アニタ・ムイ嬢幼き頃に歌ったといふ茘園遊園地の跡地。懐かしき。駅のホームには土曜夕方というのに余を含め僅か四名の客のみ(写真)永久的に収益など出まい。たかだか日に数万の客を搬ぶのに投資資金過剰。香港島に戻り中環の三聯書店。Lonely Planet社の旅行案内本中国版購ふ。四月にダイヤ全面改定となった中国鉄道部全国鉄路旅客列車時刻表も購ふ。数年前まで余が二十年前に中国を旅した頃と殆ど変らぬダイヤであったものが今回の全面改定では確かに大きな改善あり驚くばかり。Z嬢とFCCで待ち合せ早めの晩餐。ドライマティーニ二杯、秀逸なるブルー乾酪のソースで野菜サラダ、海南鶏飯、アップルパイと伊太利珈琲。BBCのニュースにて小泉三世の訪朝、北朝鮮拉致被害者の家族帰国の映像見る。夜遅くネットで見たら拉致でまだ不明の十名の被害者の家族から再調査といふ結果に「解決能力がないなら次の政権トップにやってもらうしかない」と小泉三世更迭かといふ声あり。首相すら据え変えも可能か。いっそのこと蓮池透氏首班内閣とか。食事済ませスターフェリーで尖沙咀。香港文化中心にて実に十四年ぶりかで香港管弦楽団の公演聴く。香港管弦楽団その立直しに音楽監督としてエド=デ=ワールト君招聘。世界の一流オケへの仲間入り目指し北京、上海のオケに負けじと勝負に出た感あり。今晩はワールト君の香港フィルの初演。Charles Ivesの“The Unanswered Question”なる小曲で幕開け、Andreas Haefligerなるスイスのピアニスト参えシューマンのピアノ協奏曲イ短調。「いい意味でなく」あっさりがこのオケらしさかこの曲では面白みなし。今晩の主演奏はブラームスの交響曲1番。ワールト君の香港フィル初演で無難な選曲だろうが、やはり4楽章で「ここぞ」といふ時に「唸り」の歌うが如きハーモニー、音量も出ずまだ力不足。弦楽器、殊に第一バイオリンが主旋律で弱さあり。今晩は未だワールト君就任でのご祝儀公演といふ雰囲気。これだけそつなく演奏できればワールト君での今後の発展に少し期待もつ。七月からワールト君の下かなり精力的な公演が1年続く予定にてどれだけ香港フィルに個性が育まれるか。本日午後沙田にて競馬あり。7RのTHE QUEEN'S SILVER JUBILEE CUPに電子麒麟(Electronic Unicorn)参戦。先日のQE II CUPの日に挙われたTHE CHAIRMAN'S SPRINT PRIZEに1年ぶりで参戦、不調といふ周囲の予想覆し3位入賞しその実力にあらためて敬服したが今日は一番人気で見事に一着。余はまだ復調信じられず同じSize厩舎の風雲小子にしたがこちらが二着で連複はがちがちのHK$27の配当。それにしても電子麒麟をここまで見事に復調させたSize調教師はお見事。香港競馬の名物男・譚さん(日剰〇三年四月廿七日に写真掲載あり)は先日の電子麒麟の三着に嬉しくも一着でなければお揃いの勝負服を見せられず暑いなかジャンパー脱げず不愉快そうだったが今日はさぞやご満悦であろう。今日も競馬新聞見る余裕もなく慌てて最終4レースのみ購入したが最終レースでWhyte騎手の五穀豊収を当て前述の電子麒麟と風雲小子の連複とで収益あり、でもレースも見れず予想すらきちんとせずで余り嬉しからず。
▼昨日皇居紅葉山の養蚕所にて皇后陛下御自ら繭つくる場=(まぶし)に蚕移す上蔟の作業なされる。成長した蚕をば畏れ多くも皇后樣お手に取り藁で手作りされた蔟の中に蚕置く作業にて明治期に昭憲皇太后始められ以後歴代皇后に受繼がれてゐる、とあり。當然のことながら明治期に養蚕がわが國の重要なる基幹作業となり養蚕をば宮中にて行事に取入れたことも成る程と合點。わが國の養蚕の傳統守る行事にて重要なのか、ふと氣になるは皇太子妃殿下雅子樣のこと。ゆくゆくは雅子樣も皇后樣としてこの上蔟をばなされるのかもしれぬが、上蔟は妃殿下ご本人の穎才とは一切係りなきことゝ思へば妃殿下の教養と智識、語學の才をば要す聖職であるはずの外交と比べれば、いづれが妃殿下ご本人にとつて成すに値することか、野鄙なる言ひ方すればご本人の滿足感ある「やり甲斐」のあることかと思へば、答へは明白。それを敢て制限されかうした皇室の傳統行事への從事をば強いられては妃殿下御心勞多きことも察するに易し 。

陰暦四月初三小満。三ヶ月ぶりに献血し蛋白質採らねばと(言訳け)昏時灣仔謝斐道の莎巴(SABAH)馬来西亜餐庁に食す。かなり評判のマレー料理店にて食すべきは椰汁カレー鶏絲湯米(ココナツカレーチキンラスカ)であろうが下午茶(アフタヌーンティー)メニューの最初に馬来西亜肉骨茶湯麺なる料理あり想像もつかずこれを注文せば牛の肋肉を茶湯にて煮込んだ麺供されこれが秀逸。肉の脂身が茶であっさりと調理されまことに美味。麺も歯ごたえ良し。これに飲物つきでHK$22とお得。ジムにて一時間余の鍛錬。さすがに重いもの持上げようとすれば献血の針さしたあたりが疼き針口より血がピーッと噴出しては三流お笑いカルトムービー的に困るので(笑)さすがに軽めに済ます。帰宅して牛丼食す。今井環君のNHKニュース10みれば明日小泉三世訪朝だそうで何より驚くは羅致被害者であれ家族であれそこのけそのこのけ蓮池透氏ばかりか皆テレビでのベッシャリの巧さ小泉三世に首相としての職務の役割など命ずるなどトーシローとは思えぬ達者ぶり。三菱自動車再建のニュースに登場の愛知県岡崎市だかの商工会議所会頭とて田舎の企業社長とは思えぬテレビ慣れしたコメント対応。テレビ制作者側が「ほしい」コメントを上手く手短かにまとめるあたり羽田孜君などに比べよっぽど「使い易い」はず。大江健三郎君の『万延元年の』続き読む。

五月廿日(木)曇。朝のラジオにて鄭経翰氏降板の商業電台「風波裡的茶杯」引き継いだ政界の青蛙・李鵬飛君もわずか二週間で番組から降板と知る。日刊ベリタに送稿(記事はこちら。本日台湾の亜扁君の総統就任式あり。昨年の夏に東京麻布の外交資料館にて入手の資料のうち昭和4年に在香港総領事より外務大臣田中義一君宛に提出の「日本人小學校新築資金補助方稟請ノ件 」といふ文書あり。これを本日ようやく読んでみれば、稟請の書類のうち基礎資料としての学校概要に児童数教職員数などあり。興味深き点は二つ。一つは御真影並びに教育勅語、もう一つは児童の身体検査報告。
八.御眞影又ハ勅語謄本ノ下附ヲ受ケタルトキハ其年月日
御眞影ナシ
勅語謄本下附アリ右勅語謄本ハ學校ト共ニ當地本願寺ヨリ引繼キタルモノニシテ元福州ニ於ケル本願寺ニ御下附ノモノナリト聞ク
御下付年月日不詳
とあり。昨晩も読んだ原武史氏の『可視化された帝国』に言及あることだが、御真影なるもの教育勅語とセットで考えられるが、全ての学校に下付されたと思いきや実は何らかの基準なりコネなりで下付された学校とされぬ学校あり。さすがに海外では、寧ろ海外だからこそ下付されそうな気もするが、蛮族の地にあって校舎焼き討ちにでも遭ひ御真影焼かれれば校長進退伺いどころでは済まぬ程の大事、下付も難きところか。教育勅語は明治期の謄本が当時の福州の本願寺学校に渡りそれが香港本願寺学校にまわって本願寺学校が香港日本人小学校となった際に引き継がれたもの。謄本とていかに大切に扱われたかが察せられるが本願寺が明治の当時どれだけ政府の海外政策に寄与していたかもここから伺えよう。また身体検査報告が興味深い。当世の感覚では、学校の校舎新築に関する資金援助要望で何故に児童の身体検査報告が語られるのか不自然。だが原氏の一連の著作など読めば(またフーコーでも宜敷いが)当時の公の義務教育、近代国家にとっての健全健康なる国民の養成こそ国の要、学校新築とて「南洋の瘴癘之地に於て健康なる日本国民の育成に励み」となれば大義名分といふところか。昏時在灣仔。昼餉時には行列すら出来るといふ麺屋蘭杜街にあるを聞き早晩未だ混ぬかと訪れれば飴軒といふ甜味並に河粉にて著名なる店にてさすがにこの時間客もなく龍蝦球竹撻河粉食す。不味からず但し龍蝦ロブスター用いようが所詮河粉(米粉麺)は河粉にてHK$40は如何なものかスープ脂濃すぎ。店内にムード歌謡の曲(歌唱なし)の音楽流れ懸命に思い出せば内山田洋とクールファイブの「逢わずに愛して」。……後日談あり最近この蘭杜街にて評判の店は「蝦麺店」にて飴軒すでに開業より十数年でブーム過ぎた店にて余の勘違い。晩に尖沙咀に薮用済ます。畏友M君と話したこと、日本語の表現にて翻訳難しきは「いい思い出がつくれれば」とか「いい思い出になるよう」など。思い出は結果でしかなく期待すべき目標とは異なる筈が日本人の、とくに旅行であるとか学校といった世界にて「いい思い出になるように楽しんでください」だのと用いるを英語、シナ語にした場合の珍妙さ。遅晩に荷風先生日剰昭和十五年一月を読む。
▼蘋果日報の連載で左丁山氏が香港経済日報の記事紹介しイラクでの日本人人質について興味深き分析。この人質救出とその後の国内での対応「きわめて東洋的」と。人質の解放までは政府積極的に動くが一旦解放されようものなら国内にて、人質となった者に非難囂々。これが、親は子どもが親の言うこと聞かず冒険に出て何かあらば親が出て解決し無事に子を家に連れ帰れば叱咤してこれからは親の言うことをきちんと聞け、と説教。これに対して米国のパウエル国務長官のこの日本人人質についての言及を取り上げ、国家にとってこのように理想に燃え冒険する民がいることが大切、そういった民の理想あっての国家の進歩、と。実際の米国の状況鑑みれば素直にこの米国魂をば賞賛できぬが一理あり。
▼実(げ)に恐ろしきは党独裁にて朝鮮半島の将軍様、シンガポール李王朝の世襲。中国共産党こそ政治権力の世襲はせぬが李鵬を例えにせば妻の朱琳は広東大亜湾原子力発電所の北京弁公処主任で長男の李小鵬が華能国際電力公司の董事長と中国の電力をば掌握の如し。江沢民も長男の江錦恆は中国網通(チャイナネットコム)の会社創設者の一人。ファイナンシャルタイムズがこの中国網通による香港の電話網寡占会社PCCWの買収を記事にしたがこちらPCCWは現在、李嘉誠の次男所有しておりバブルで買収した結果惨澹たる状態、これを中国政府系の中国網通に売却せば少しでも投資資金回収した上に中国政府に香港の電話網提供し忠孝でもあり。この買収など成功せばPCCWの子会社であるインターネット網のnetvigatorも中国の掌握下かと思ふと首根っこ捕まれたが如く暗澹たる気分。
▼ジャズのドラマー、エルビン・ジョーンズ氏逝去。新宿や「かつての」渋谷のジャズ喫茶に背中丸めうずくまり聞きたるコルトレーンとの名演奏の数々。余の世代には忘れ難き名演奏家なり。

五月十九日(水)小雨。上環の嶢陽茶行にて鉄観音の茶葉購ふ。店員の慇懃さにいつも敬服。上環より中環の商家街散策。FCCにて珈琲一飲。晩の競馬の馬券購入済ませ維園にて水泳。競馬テレビ中継にて観戦。最終レースの騎手Whyte君のコスモサクセス馬の一等にてどうにか損回収。Whyte君今季八十八勝に達し彼の自己ベスト九十まであと二勝、残り九開催日で香港初の通期百勝に届くかどうか期待。久々に原武史『可視化された帝国』みすず書房少し読む。
▼昨日のマカオの新カジノへの客の殺到は一万五千人とか。その殆どが珠海中山などマカオ周辺の珠江下流地域の住民にてこのカジノ開幕にあたりこの日は祝儀にて客にチップの配給ありと噂流れカジノへ殺到。この話まずは前日に澳門紙が開幕日入場者に100パタカのチップ配給ありと報じ珠江下流地域の在所にては千元とまで騰がり当日には実しやかに台湾客は二千元、大陸客五百元、地元民二百元と確定情報まで流れる始末。結局一万五千人の来襲にカジノ側このチップ配給は流言飛語と否定せば、元手要らずの元金で遊ぼうと思った客、賭博で貼らずに元金そのまま懐に帰ろうといふ魂胆の客など憤り制止をば振り切り場内に入場。カジノとはこれほど賤しき空間か。何が東洋のモナコかと嗤ふばかり。ところで澳門政府の昨年度の税収百四十億パタカ(約二千百億円)のうち実に百億パタカが賭博税にて、つまりスタンレー・ホー君がこの納税者、その賭博と独占の様に今更乍ら驚く。

五月十八日(火)一昨日の滝遊びにてZ嬢持参の虫刺れ薬の効能に蚊や蜂、植物によるかぶれに加え Wasps とありこれが何か?と話題に。WaspならアングロサクソンのところSがついてはアングロサクソンスパニッシュなる新種では?とT君。Waspに複数形もなく何かとZ嬢調べれば結局は雀蜂をwaspsと云ふと知る。だがこのご時世、waspの来襲に効く薬あらばイラクの諸君に配ってあげたいところ。さて本日。曇。早晩に私娼家に勤むKに邂逅。まことに気性優しき者何が悲しく当世に娼妓となるかと思ふが一たび廓に身堕とさば廓より出でるはまことに難きことにて良き旦那でも見つけ妾にでもなること祈るばかり。ぶらりとDVD屋など覗けば娯楽大衆作品ばかりか“Ken Park”だのケン=ローチ監督の“Sweet Sixteen”だの並び大したものだと感心しつつ自宅にて映画鑑賞の習慣なく何も購わず。帰宅せばマンションの同じ棟に住ふ潔癖性のキチガイな中年の婦人に遭遇。この潔癖夫人外気の汚染気になるようでいつも鼻に塵紙当てマンションの入口にては暗証番号での扉鍵解除もキーパッドに触るを惧れ誰か出入りあるまで待ちエレベータの▲▼の鈕すら直接触らず塵紙で押すほど。今晩は恰度どこかの部屋にて内装工事でもあったかベニヤ板だの塗料など搬ぶに出交したこの女、運搬作業中の工人に罵声浴びせ発狂状態。エレベータホールをば汚すことへの非難。工人このキチガイ相手する暇もなく無視し立去れば誰もおらぬホールにて奇声上げ怒り続け守衛室に迄罵声浴びせエレベータに乗り消え去る。この女の発狂ぶりもは個人の人権ゆへ尊重するが公共の福利に觝触せぬこと期すばかり。いずれにせよ潔癖性とはいへ鼻孔をば抑えた塵紙にてエレベータの鈕押しまた鼻に当て、と実は衛生どころか寧ろ不潔。その女の洟ついたであろうエレベータの鈕を押さねばならぬこちらこそ被害者。日刊リベタへの記事四本。食前にBowmore、鰻丼食し菊正宗。テレビドラマ「ウォーターボーイズ」の録画観る。食後にジャックダニエル。量的には大したことないが環境として飲過ぎ。ポリーニの演奏でベートーベンのピアノソナタ聴く。
▼マカオにラスベガス資本の金沙娯楽場本日開業。スタンレー・ホー氏の40年にわたる独占経営に終止符。40年前には対抗勢力による銃撃すら懸念されマカオ市民外出控え、ホー氏の賭場に職を得た者は対抗勢力によるいやがらせなど恐れ就業日まで誰にも云わず待ったといふ逸話あり。当世はまことに平和なマカオ。(日刊ベリタに詳細記事)……と書いたが晩のテレビニュース見ればカジノ開幕に集った数千人の民衆、開幕待ちきれず職員や守衛の抑制押切り場内に乱入。バカラだのブラックジャックの台に群がる様はデパートのバーゲン会場かスーパーの特売日の如し。民衆の浅ましき様まことに哀れなり。
▼昨秋開催されし「ハーバーフェスタ」につき政府の独立調査委員会報告書政府に提出。報告では、この開催が公共利益にどう合致するのかの検討を怠った政府、政府の投資拡推署の署長でありインベスト香港の代表も務めるマイク=ロウズ君、このフェスタの発案者である在香港米国商工会議所代表のジェームス=トンプソン君、そしてフェスタ開催を実際に請け合ったイベント会社「耀亜国際」、その4者のそれぞれの問題的を指摘。とくに政府側の責任者であるロ君はこの公的資金の融資を殆ど一人で決定し企画内容の詳細を検討しないまま事前に資金を振り出し開催前に一ヶ月の長期休暇の無責任さ。発案者のト君は耀亜国際の出資者の一人と実に背景が怪しげ。具体的に出演したミュージシャンの出演料の高さも指摘されプリンスの百三十万米ドルは米国での開催に比べ六割高、ニール=ヤングにも1000万円あまり高いギャラが支払われ、その過剰支払いだけでも総額千三百万香港ドル(約2億円)。しかも単独で招聘した場合なら出演料が高くなるが今回の場合プリンスもニール=ヤングもそれぞれアジアツアーの一環での香港公演。またミッシェル=ブランチの場合(といってもこれが誰か知らぬが)東京公演を終えて福岡での公演の間の日程で香港に招聘し往復にチャーター機を飛ばし50万香港ドル(約750万円)と。呆れるばかり。責任者は死刑とはいわぬが無期懲役の処すべき。(日刊ベリタに詳細記事)
▼梅原猛先生朝日に月一の連載で『反時代的密語』あり。ポスト加藤周一&吉田秀和のための連載なのだろうか。梅原先生はじめ山崎正和とか中曽根大勲位が首相の頃のブレインら保守派と見做されたこの人たちが最近の日本についてかなりその欺瞞を尽く発言あり漁り慶太氏については論評差し控え)。梅原先生は先月のこの連載にても靖国神社について言及。先生は大勲位首相時の首相靖国公式参拝合憲性審議のための藤波官房長官の私的諮問機関「靖国懇」の中にても靖国参拝に反対。その理由の一つに、記紀にある伝統的神道は味方よりむしろ味方に滅ぼされた敵を手厚く祀るが「靖国」神道は自国犠牲者のみ祀り敵を祀せぬ、これは靖国神道が欧米の国家主義に影響され伝統を大きく逸脱する新しい神道であるため、と指摘(詳細はこちらが興味深い)。今月は「神は二度死んだ」と題し日本に於いて神殺しは二度あり一度目が廃仏毀釈。明治の「近代化」のなかで仏教が役割をなさぬからと排除され(浄土真宗などその危機回避で明治政府に近づくのだが)「外来の佛と土着の神を共存させた」修験道もまた否定され、明治の国家主義的なる靖国神道が生まれ現人神(天皇)信奉する。ここで生れた教育勅語は「現人神への信仰をもとに儒教道徳に近代道徳を加えたものが羅列すぎたにすぎない」もので結果として大日本帝国の崩壊となる。そして二度目の神殺しが一九四五年のこの現人神の人間宣言。三島由紀夫がこの現人神の死を嘆きその神に殉じるため「悲惨で滑稽な劇」を演じている(梅原先生の興味深指摘はもし三島が第一の神の死にも目を向けていたらドストエフスキーほどになっていただろう、と)。梅原氏の指摘は、今日、社会の荒廃だの道徳の欠如だと憂われるわけだが、教育勅語に戻れといった声(教育基本法の改正だの日本の伝統、愛国心だのもこれに該当)もあるが、教育勅語はその第一の神殺しの後に造られたもので伝統精神どころか「伝統の崩壊の精神」に立脚していること。……と以上、梅原先生の御高説。結局、自民党であるとか(民主党、公明党にもいえるのだが)保守財界右翼といった方が「伝統」だの「道徳」だのと宣っても所詮、明治の近代主義にもとずくものを日本の伝統だの、と誤解していること。その明治の近代主義は日本の近代化を成し遂げた結果、帝国のファシズムと崩壊という終焉迎えたわけで、今日の改革なるものが結局、戦後の否定で戻ろうとしているところが其処だと思へば将来の結果の失敗は明らか。それにしても伝統として培ってきたものを明治の近代化であっさりと忘却し一九四五年には民主国家建設で亦た戦前なるものを忘却し、今日に至り三度び戦後の否定……とこの節操のなさは特筆に値しよう。

五月十七日(月)薄曇。べつだんこれといつたこともなし。二更に九龍より島に戻る地下鉄道にて大江健三郎君『万延元年』少し読む。序章のタルさに些か辟易。車内に発狂した如く語り合うオバサンと若い娘の組夫々あり火炎放射器でもあれば手にするところ我慢してiPodの耳栓すれば流れる曲はピンクフロイドにて曲を聴きながらその発狂した如き連中の様を眺めるとまるでピンクフロイド作成の音楽ビデオの如し。
▼昨日搭乗し余りの閑散に唖然とせしKCR西鉄について競合するバス路線の廉価及び増発ゆへ西鉄乗客伸び悩み指摘されるが環境運輸及工務局局長廖秀冬女史本日曰く単にバス走行減にては西鉄乗客増期待できずバス会社との路線調整や利用者の需要に見合う検討を、と。元朗から屯門に至る新界西地区の発展著しくそれに見合う公共鉄道の建設ながら全線高架路の上に超近代的なる設備、駅舎建設と建設費用嵩み、同じKCRでも香港と深セン結び市街地をば縦断する東鉄に比べ乗客数期待できず。最も深刻なる問題は東鉄が九龍塘にてMTRと連絡し始発が尖沙咀と便利此上ないのに比べMTRとの連絡が美孚、東涌線では南昌と不便極まりなく西鉄が南昌より尖沙咀にまで路線延長でもできぬかぎり高速道路を抜け市街地と直結するバス路線に競合できるわけもなし。

五月十六日(日)快晴。毎年恒例となるか昨年の六月末に引き続き余の属すランニングクラブにてKCR東鉄の太和駅に集い林村の梧桐寨より大帽山に向かい渓谷をさかのぼり梧桐寨群瀑の滝めぐり。梧桐寨の集落より山道に入ると四輪車も入らぬ山中に萬徳苑なる見事な寺院あり(……と昨年六月の日剰の引用そのまま)廿分ほど歩き最初の景観は低瀑(下滝)の滝底の井低瀑。見事な水量の中瀑(中滝)にて水浴び、香港一の35mの高さを誇る長瀑(主瀑とも云う)に至れば高度三百米ほどとなる。滝はここ数日の大雨で見事な水量を有しその姿も水のおちる音も太陽の光あびてきらきらと輝く水飛沫も見事(写真)ここから数年前の大雨で岩崩れがあって未修で一応通行止めの滝横の沢のぼり散髪滝と云う小さな滝まで上がる。山道を一気に梧桐寨まで下り林村よりバスで錦田。溽暑。先日ネパール人G氏に聞きし石崗のパキスタン料理屋は今日は人数多く子どももおり今回は断念。錦田にてネパール料理屋カトマンズ訪れれば日曜午後に店閉めており閉業の予感もあり。龍華(瑞興)大酒楼なる地場の料理屋。朝に慌てて馬券購入の結果8Rにて一番人気の口力蝦王(往年の名馬青見蝦王と同馬主)を余の贔屓にする芙蓉鎮が破り他にも3レースほど単勝で勝つ。錦田の集落に見事な鳳凰木の花を愛で(写真)KCR西鉄の錦上路站まで歩き五分毎に走るが見事に閑散とせし赤字鉄道にて南昌から東涌線に乗り換え中環経由でT氏夫妻らと灣仔。芸術中心にて再び糸崎公朗のフォトモ個展参観。前回の展示会公好評にて来港の糸崎氏香港にても撮影されその作品の展示あり。尖沙咀だののフォトモ作品期待するがさすたに時間要すであろう、今回は灣仔皇后大道付近の写真撮影だの昆虫大写しだの展示あり。また香港の若者のワークショップでも開催されたのかその参加者のフォトモ作品の展示もあり。同じ芸術中心にて“Fridge”なる展示会ありこれも参観。Whirlpoolの冷蔵庫を使い冷蔵庫内の世界にオブジェ制作。閉じた冷蔵庫の内部は知れず自分で冷蔵庫の扉開ける期待感面白し(写真)帰宅。電脳立ち上がらず危機感。セーブモードで立ち上げ昨日の内容復元し電脳立ち上がりはするがインターネットつながらず。不安と憔悴感。晩に昼に一緒のT氏、N氏夫妻と北角の寿司・加藤に食す。インターネットもどうにか復旧し安堵。
▼嶺南派シナ画の大家・楊善深画伯が香港半山区寶珊道の自宅にて逝去。享年九十一歳。

五月十五日(土)昨日迄の天氣豫報本日快晴傳へるが鬱葱と雲たちこめ氣分も晴れず。晝にジムにて一時間鍛錬。午後九龍にて籔用濟ませ昏時に再びジムに戻り一時間鍛錬。午後になり雲ひとつなき快晴となりぬ。晩にランニングクラブの定例會ありQuarry Bayの「泰好」なるタイ料理屋。終つて近所に住うY君と酒場East Endに一酌。ハイネケン一本飮み直ぐに歸宅。荷風先生日剩昭和十四年九月から年暮を讀む。

五月十四日(金)昼前にひどい雷雨あり。早晩にFCCの酒場で新聞読み資料整理。久々に日刊ベリタに記事送稿。倶楽部内でのワイヤレスLANの設定をもらうがつながらず。スコッチのモルト酒のTamnavullin飲む。Y氏来港にて此処の酒場で落合い一酌。Y氏来しなに蘭桂坊の坂下にてバス一輌走行に過失あり家屋に突っ込む事故あり周辺大混乱との話。テレビのニュースに映るは金庸記の隣りの奇華餅家なり。狭い坂道の交差点に高性能の大型バス走り而も交差点の二カ所にて地盤工事で道路幅狭まり事故おきぬほうが不思議。車雇いY氏とHappy Valley。Z嬢来て益新に食す。卓につくなり黙っていても紹興酒が一瓶置かれるはこういった小さい店ゆへのこと。店の主人に石班の芝麻班を苦瓜と湯葉と供す料理勧められ食すが実に美味。店内に映画『金鶏』の主演女優・呉君如らの姿あり。Y氏が松山の皆美館の話され此処のみな美なる料理屋が東京にも凝れど日本橋に出店ありと言われそのコレドなる場所何処かわからず「あ、昔の白木屋」と言ってしまふ。結局三人で紹興酒二本飲み更に源遠街の葡萄酒酒場にて赤葡萄酒一酌。車雇いY氏を銅鑼灣の地下鉄站まで送り帰宅。リベタの記事手直し。
▼中国側からの香港の選挙介入あり。選挙人登録を求められる、親中派への投票を大陸の親戚だの取引先から求められる、そればかりか投票所にては投票用紙記入の際に携帯電話にて投票用紙撮影し証拠としての提出だの、尋常にあらず。翌十五日の朝日にはベタ記事で出るが日本とて田舎の村長選挙から国会議員選挙まで投票勧誘だの買収すらあり中国を罵る立場になし。
衆議院健保調査会の昨日の公聴会猪口邦子(上智)川本裕子(早稲田)小熊英二(慶応)、文化人類学の船曳建夫(東大)山崎正和(劇作家)ら公述人として参加。朝日新聞本日の報道によれば(不思議とインターネット上の朝日新聞には一切報道なし(何故だ?)……ゆえに下記の発言もコピーできずいちいち打字)
船曳君……憲法を改正してはいけない、という言い方は平和主義者の発言であってもそれはある種の脅迫。だが結論としては、九条の制限あるのに自衛隊を有し自衛権はあるという苦しい議論jを続けた、これは六十年の積み重ねによる財産。論理的には苦しくとも九条を保持し続けるほうが得策。世界は次第に戦争をしなくなってきており、戦争ができにくいことは理念的にも現実的にも認められている。世界は日本の考えに近づいている。世界が動く方向と逆に日本が進むのが危険。国家百年の計に非ず。
猪口君……国民は半世紀を超え憲法守り抜き理想を目指し努力。まぎれもなく憲法は国民のもの。それを否定することは戦後を誠実に生きた無数の国民の努力を軽んじることになりかねぬ。自衛のための実力組織について憲法上言及する可能性は研究に値するが軍縮・不拡散・人道支援で九条の平和哲学を確保しつつ実行は可能。
山崎君……(九条改正に柔軟な氏だが)戦後民主主義か愛国的国家観といった二項対立や漠然としたイデオロギー対立は排除してほしい。九条改正といっても、どう改めるのか具体的な選択肢を政治が示していないのだから国民が混乱した答えを出すのは当然。教育基本法の改正の議論でも「愛国心の涵養」という言葉使われるが日本の伝統文化への尊敬と愛国心は別のこと。九条にまつわる具体的問題とイデオロギー的問題が一緒に包括的に議論されることがおかしい。
小熊君……憲法九条は米国による押しつけという面もあったが日本の非武装化と天皇制の維持とがバーター関係だったことから当時の保守陣営は歓迎。冷戦激化や朝鮮戦争で日本を改憲させ反共のため再軍備させる方針に米国が変換しても、これに当時の革新と「保守の一部」が反対。米国の傭兵になるという危惧。吉田茂首相は九条と国内の反対世論を理由に再軍備要求を値切り経済成長に専念。それが日本の基本姿勢。イラク問題でも世論の反対があるからこそ米国の要求を抑止。押しつけ憲法だから自主憲法という議論は感情的。改憲は必要か、という世論調査の疑問が「改革」が必要か、と受け止められている。何となく行き詰まっているから改革は必要だ、というもの。
吉田健一(一般・弁護士)……自衛隊のイラク派遣など憲法に従って政治が行われていない中で憲法「改正」すればそれが正されるのか。戦争への道進む憲法改正は認めるわけにいかぬ。平和主義が危うくなれば人権保障も危うい。前文や十三条をもとに権利の救済を求めてきたが改憲を口にする人はこうした救済に対して寧ろ足を引っ張っている。
日高明君(一般より公募)……憲法前文と九条は不戦条約に始る世界の戦争違法化の流れで確立されたもの。とくに広島長崎への原爆投下の教訓。前文は不安からの脱却を視野に入れた「人間の安全保障」の必要性を定めたもの。これは誇り。
などと供述。じつに真っ当。それに対して
川本君……憲法は国の基本法として経済的自由を保障すべき。政府の経済介入の制限。
など川本女史の早大大学院ファイナンシャル研究科というその狭義での学問?の範疇だけでの発言で、実際に憲法には経済的自由は保障されており政府の経済介入は憲法問題ではなく政策的技術論であり現行憲法でも自衛隊があるのと同じこと。それと傑作は
安保克也(一般・日本電子専門学校専任講師)……戦争のあり方が大きく変化しハイテク戦争やサイバー戦、情報戦といった視点が重要で、サイバー戦争に対応するためには従来の警察組織では不十分で、九条を「国軍は、サイバー軍、陸軍、海軍、空軍の4軍から構成され……」などと改正し、情報省を新設……
などと殆ど???の域での発言(笑)。実況中継をばみると更に迫力あり(こちら)。……と一部を除き非常に真っ当なる発言ばかり。自民党の元文相・森山真弓君の憲法前文への「愛国心」なる言葉入れるがふさわしいという意見には「国会議員はどうしてこれほど愛国心を語るのか不思議。国政の政治家は国が愛されないと困る。野球選手が野球人気を気にするのと同じ(船曳)、「憲法まで持ち出した愛国心教育より二十人学級実現のような具体策が有効(小熊)、「憲法問題というより技術的な問題(山崎)と森山愛国心ににべもなし(笑)。これが常識的な知識ある人たちの発言。これと世論の過半数が改憲に賛成というのは乖離みられるが、結局、マイケル=ジャクソン似のロッカー小熊君の指摘する「不透明な現状から改革の必要性が改憲気分」となっていること。これだけ有意義な発言あっても深刻なる問題は、もはや改憲は現実日程で、この公聴会とて定数二十五人を九名下回る十六名の参加のみという低調さ。国会議員の非常識、知識水準の低さに呆れるばかり。ところで、産経新聞がこの公聴会の護憲的内容を記事にもできぬのはわかるが、是が非でも改憲したい(だけの)読売新聞は「改憲巡り賛否…衆院公聴会で公述人の意見分かれる」と一瞬、これは事実の改竄か、と驚くが「一般公募と政党推薦の公述人3人から意見を聞いた」と紹介される意見は、まずサイバーオタク安保氏の「憲法前文に「日本国民は祖先から受け継いだ文化、伝統、言語を保護し、国力に応じた国際平和協力に貢献する」などの表現を盛りこむべきだと主張」と改憲主張を紹介。そして「憲法9条についても「国軍は(電子戦などを担う)サイバー軍、陸軍、海軍、空軍の4軍で構成する」と明記するよう求めた」と、この改憲主張1名だけが実は改憲派で、仕方なく一般公募の吉田氏と日高氏の護憲主張を添える。当然の如く猪口、小熊、船曳、山崎ら諸氏の護憲論、慎重論は紹介することもなし。これこそ偏向報道。だから読売新聞などだけ読んでいてはいけぬ証左なり。……と書いたら、この読売記事読んだ築地H君より「サイバー軍、って巨人軍かと思った」とメールあり(笑)。だが読売新聞はすでに軍を保有。いま日本で軍を名乗っていいのは巨人軍と救世軍くらい。その「特権」を国軍創設でみすみす手放す気か、読売新聞社。軍をもってる新聞社なんて素適。革命家の如し。いっそのこと読売の改憲試案で、国軍の創設するのに巨人軍を軍隊にするのはどうか。相手が戦争しようとしているのに野球で挑む! これぞ平和主義。
▼教育署前署長にて現在、教育統籌局常任秘書長の要職にある羅范椒芬女史、最近、暴言続く。余の日剰四月十一日並びに十三日に綴ったは「学生に行政長官董建華批判する資格なし」だが今月に入っても立法会での教育改革に関する質疑に対して「教育改革は麻薬のの如し。一度始めればやめられぬ」と妄言。それに続き十日には「若い教員の就業機会確保のためベテランの教員は早期退職するか非常勤への転職を」と暴言。羅女史、かつては香港政府の花形にて市民の信望も厚きものが、今では様相からして変わり、この常軌逸する発言の数々。四月の董建華非難否定の発言のあと本人ばかりか海外に学ぶ女史の子どもまで精神的圧力あり、とラジオ番組で溢すが、どうであれ本人の暴言が原因。同情する気にもなれず。
▼先日のラジオ政談家・鄭経翰氏の降板(五月四日に記述あり)に続き鄭経翰氏の畏友にてやはりラジオにて「名嘴」と賞されし黄毓民氏も同じく商業電台の政治談義番組「政事有心人」より降板。「心身疲労甚だしく休息をば要す。申し訳ないが暫くマイクに向かって話せず。皆の幸運を祈る」と書き置き。言論自由への抑圧ますます強まる。

五月十三日(金)曇。昨日、携帯電話を交換。軒屋の8850なる古典的機種をば〇二年十二月に購ひしが(当年十二月十二、十三日の日剰に記述あり)接続不良あり外殻も緩み交換の要あり。見世にて交換機種見せられるが余が好むのは8850の如く余計な機能なき機種。世はすでに多機能主流でこういった機種はもはや8910のみ。だがこの黒金のチタン用いた高級機種もはや製造中止にて在庫あるは旺角などの怪しげな見世のみ。しかも今でも価格はHK$4000と値が張り今更二年前のこれをこの価格で購ふには風険高し。結局、見世で紹介されるは6100なる機種で8850の器品には甚だ遠かりしものなれど半分諦めてこれを購入。携帯などいっそもたぬことが、久が原のT君や築地のH君の如く当世イキなはず。携帯など便利である以上に携帯に気軽に電話かかることで下らぬ諸事に翻弄されるが現実。だが問題は香港など十年の昔なら(電話料金固定額制ゆへ)商店の軒先に無料の電話多く不便なきものが当世、携帯の普及にて軒先の電話もなくなりぬ。不便このうえなし。本日。立夏すぎ溽暑甚し。大江健三郎君の『万延元年のフットボール』読み始める。ふと気になるは書籍に挟まれた注文カードなるもの。通常は書店にて書籍購入の際に外される票(現在、書店が在庫管理に電脳用いて売上げもバーコード読む時代に注文票がどれほど用いられているのか不思議だが)。余が気になるのは余は紀伊国屋の網上書店にて書籍多く購入するがこの場合この注文カードが外されずに届けられること。蔵書の記録に用いるなり枝折の代りにするなり捨てずとも用途あるが何が気になるかとういふと「どうも万引きした」気分。万引きしてそっと注文カード捨てた時の罪悪感とか。晩にふと中学七年(旧制の大学予科に該る)の中国語文の教科書見る機会あり。近代よりの名文家なる先達の文章の要所要所の抜粋読む。文章の流暢なること日本でいへば一葉、紅葉の如し。日本語との大きな違いは日本語にはひらがなあることで一種の「逃げ」あるのに対して中文での漢語には書き手の「どの漢字をば用いるか」の素養大きく影響すること。日本語でも文語ある時代はこの「逃げ」少なきものが言文一致の結果、確かに夷斎先生であるとか吉田健一など優れた名文もあるが、基本的には「春になると気分がいいものだ」との表現に玄人素人の差はなし。シナに於いては民国以降の言文一致によりかなり文章の平民化図られども今以て明らかに文章の書き手の甲乙あり。どの字、どの語を用いるか、はたまた韻だのの素養。それゆへ「文人」なるものの存在あり。ネパール出身の文人G氏とタクシーに乗り新界の錦田に在住するG氏と錦田界隈のエスニック料理屋につき教え請ふ。石崗に大きな軍営地ありかつて英軍駐在の折ネパールのグルカ兵多く、それ以来、この石崗、錦田界隈にネパール人の居住多し。タクシーの初老の運転手、英語堪能にて、その界隈のエスニック料理屋につき会話に加わる。G氏先に車降り運転手さらに余に話かけるが「ネパール人は誠実」だの意思の強さ賞め余に同意求め、何かおかしいと思えば余もネパール人と勘違い。日本人だとわかったが運転手曰く顔つき云々より余の英語がネパールの英語層、と(笑)。遅晩に荷風先生日剰昭和十四年の夏を読む。軍国の時代に荷風先生にも忍び寄る自由拘束の足音。荷風先生
日本といふ國にては一個人單獨にて事を爲せば必ず障礙を生ず。集團の力を借る時は法を犯すも亦容易なり。
と綴る。
▼経済発展著しき広東省は中山。孫文の故郷で孫文が日本の千葉に住まいし折に偽名に使ったのが千葉の今では競馬場で有名な地名「中山」にて中国に戻ってからも中山の名を使い孫中山と称し孫文の故郷は彼を崇び中山といふ地名となる。この中山の分譲地も豪華さ競い遂に出現したのがこの「ベニス風」の運河ある分譲地(笑)。写真見ての通り各棟の居間と思わしき部屋からの芝生庭が運河に面しそこに各戸ごとにゴンドラ船まで供す。芝生庭も猫の額の如く、亦た芝生庭からは隣宅の居間容易に覗かれる。この船とて何の利用価値があろうか、不思議。よく見ると手前右側にゴンドラに遊ぶ二人あるが家屋の大きさ、庭の鉄柵や石柱に比べやたら小人。人形か。普通の背丈の人ならこのゴンドラはほとんど一人用カヌーのはず。かりにこの人が真物であれば家屋は居間が二階分吹抜けの超豪邸か。
▼市川團十郎の九日での歌舞伎座休演。息子の海老蔵襲名披露で休演とはかなり病気が重いのか、血球異常といふ噂も耳にしていたが、白血病と公表。まさか海老蔵の襲名披露が最後の親子共演とならなければよいが。余が新之助(現・海老蔵)の初のまともな芝居見たのが現・團十郎の團十郎襲名披露での助六。福山のかつぎ演じる新之助君の溌溂とした芝居に彼の海老蔵襲名はいつのことかと期待したがまさかこんなことになろうとは。築地のH君より、そういえば海老蔵襲名発表の記者会見にて團十郎「このたび新之助の團十郎襲を」と口滑らし間違ったのも今では笑えず。

五月十二日(水)曇。早晩にHappy Valleyの日本料理・慕情。赤貝と〆め鯖を肴に加賀の福光屋の純米酒を燗で二合。Happy Valley競馬場にて競馬観戦。レースでの抗議続きでレース遅れ気味、レースの合間に雑誌『世界』読む。三更に小腹空き銅鑼灣の何洪記に往きカレー牛南麺注文せば女給一瞬たじろぎ何かと思えば麺や粥のほか殊に「金牌」と誇るカレー牛南飯にて馳名の店ながらカレー牛南「麺」はメニューになし。だが「HK$29でいいわね?」と確認のうえ注文は厨房に通り供された上湯麺に別添えの牛筋カレーかけて食す。美味。『世界』六月号読了。
▼『世界』の公明党と創価学会の特集、マトを得ず。中道にて平和標榜する政党が自衛隊イラク派遣については自民党よりその派遣支持高いといふ数字などの分析は興味深いが「なぜか?」といふ理解足りず。創価学会の海外での活動見ればわかる通り平和は傍観にあらず積極的なる寄与が彼らの高き意識。公明党についても創価学会の信者数が五百万人から八百万人に六割増したら公明党の議席数が六割増するかといえばさに非ず。そういう意味では公明党が力つけたといふより自民党が絶対多数を掌握できず且つ二大政党制にならぬ政治状況「ならでは」の公明党の位置。中道左派の弱体化のなかで平和主義であるとか民生向上など掲げ教育基本法改悪反対などで中道左派票の獲得も本来の政治政党であれば可能なのであろうが、浜四津敏子参議院議員の愛国心容認の発言も自民党にとっては喜ばしきところ、政治政党としての「発展」は竹入元委員長、矢野元書記長の言を待たず限界ありか。編集後記にて編集長曰くイラクの日本人捕虜「事件」について様々非難もあるが彼らが解放され伊太利亜人人質が殺されたのは伊人が米国系の民間「警備」会社(実際には公安の如し)の社員であったのに対して日本人三名がそれぞれ何らかのかたちでイラクの米国による成敗といふ現状の改善に協力しようとした人たちであるからイラクの者がそれを知り尊重した上で解放されたのであって、解放されたのは人質となった彼ら自身のやってきたことの評価である。また、イラクでの日本の評価もこれまでの外交だの企業の努力の積み重ねであり、人質となった彼らもNGOなどで活動に協力する者は現行憲法の生んだ世代なのであり、それを評価すべき、と。
▼築地のH君より産経新聞が昨年ケン=ローチ監督に世界文化賞授けた快挙に続き核問題、原発、イラクの劣化ウラン弾被害や沖縄の基地問題など写し世に問うてきた写真家・森住卓氏に対して森住氏の著作『私たちはいま、イラクにいます』講談社に対して第51回産経児童出版文化賞に選び(こちら)森住氏がそれに対して「イラク戦争やこの間の産経新聞の論調は日本政府やアメリカサイドの報道に偏り、イラクの独立のために抵抗している人々をテロリストと呼び、アメリカの戦争に協力的です。イラクのこどもたちの事を描いた本が賞をもらうことはとても嬉しいことですが、この新聞社からもらいたくないと言うのが率直な私の気持ちです。」「イラクの子どもたちの写真は、悲惨な戦争のなかでも、それを乗り越えてたくましく生きていました。彼等は無法なアメリカの侵略戦争を身をもって告発していました。空爆された跡に立つ少女や劣化ウラン弾の影響と思われる白血病の少年がじっと見つめる瞳はこの戦争を止められなかった大人たちの責任を静かに追及しているようでした。この戦争を産経新聞社はどのように伝えたのでしょうか?日本政府のこの戦争に加担する姿勢を一度でも批判したのでしょうか?この賞を受けてしまったなら、イラクの子どもたちに2度と顔向出来なくなってしまいます。」と受賞拒否。天晴れ。産経新聞社事業部は「コメントは差し控えたい」(共同通信)(笑)。こともあろうに森住卓に賞を出そうと産経で誰が考えたのだろうか。H君の推測は末端の担当者は確信犯で「社の上の連中はバカだから、どうせケン・ローチも森住卓も知らねえだろう」と申請、だとしたら気づかずメクラ判押すほうがわるい。それにしても産経新聞読者諸君、ケン・ローチは気づかぬだろうが今回のはバレる。賞返上し他紙で報道されちゃあ「なぜ森住のような反日分子に賞を出したのか。見識を疑う」というような抗議の投書が殺到するとか。ところでH君の指摘で確かにそうだが、御用学者御用ジャーナリスト御用文化人というのは数許多いるがですが個人の名前で勝負する写真家で御用写真家というのは見あたらず、と。確かに。筆の力はどうにでも曲げられるが、レンズに映る真実はいつも一つということか、とH君。

五月十一日(火)快晴。松山のS君より鉄斎ならびに南画についてメールいただく。「文人画・南画・南宗画を「素人画」と見なすのは建前としては正しい」が歴史的な事実としては文人が士大夫(科挙ニ合格シ官僚トナツタ学者)であり文人画を士大夫画と呼ぶように絵は素人風でもその書き手の資質としては科挙に受かるほどの学があること、それゆへ久が原のT君の言う「南宗畫は學人の手による偉大なる素人畫にして、漢學滅びて南宗畫殘るべくもなし」となる。そういう意味で士大夫になるほどの文人の「素人」画に対して科挙に合格するわけもなき南宗画の画家がいるわけで鉄斎もその一人とS君の指摘。鉄斎自身が「わしは儒者であって画師ではない」と宣ひつつ画業が自分の生業であるとの自覚も確かにあり「画師」と刻んだ印を用いることさえあった程、とS君。ゆえに一括りに「文人画・南画・南宗画を「素人画」と見なす」こと能わず、となる。鉄斎の目利きであるS君曰く、人は鉄斎の絵を「素人絵」と見なすことで納得しがちだがよく見れば鉄斎の絵は下手ではなく殊に贋作と比較するとき意外なまでの鉄斎の上手さを思い知るを得る、と。鉄斎の表現は思いのほか細部まで確りしており意味ある絵を描くからこそ細部まで決して疎かにはしないという姿勢を貫いていており、難しいのはS君の言う「鉄斎にとって略して描いても許されるのか許されないのかの別は「鉄斎なりの学」に基づいて判別され」「鉄斎の学を把握し切れない我々には鉄斎のこだわりのポイントがなかなか見えてこない」と。御意。ところで「南宗画」という語は何と読まれるべきか?、とS君。今日の美術事典の類で「なんしゅうが」と読ませるのは禅宗の南宗なんしゅう(達磨の五世法孫・弘忍の弟子・慧能を祖とする)からの連想ゆへ「なんしゅうが」となるが明治大正期の雑誌等では「なんそうが」という仮名が振られ、その流れからか今日でも年配の古美術商・書画愛好家など「なんそうが」と読む、と。余の浅き知識を恥ずかしながら披露せば「なんそうが」に分があり。そもそも「宗」の字は「綜」や「総」と同じくシナの音は「zong」で「綜」や「総」が「そう」と読むように「宗」も漢音では「そう」であり、それが慣習で「しゅう」の読み方になったもの。古きを重んじる上では「なんそう」のほうが佳かろう。だが更に細かくみると「宗」の字はもともと同じ祖先(祖宗そそう)から出た一族を謂ひ、それゆへ宗族、宗家、宗主など「そうぞく」「そうけ」「そうしゅ」と皆「そう」と読むわけで、国家すら宗主国などと用いるのに日本語では「宗教」についての言葉のみ「しゅうきょう」「宗門しゅうもん」「宗派しゅうは」と「しゅう」と呼んでおり、いつからかは知らぬが「宗教」といふ概念が日本語に存在してから「宗」の字から宗教関係だけ「しゅう」といふ慣習読みが起きたことは特筆に値ひしよう。ところで「南宗画」を敢えて「なんしゅう」と読むのも中国でも絵画興隆の時代「南宋」なんそう画と区別する意味では(南宗画と南宋画が混同される場合少なからず)わかりやすいかも……などと考えつつ早晩にジム。一時間鍛錬。帰宅してハヤシライス食す。上原浩『極上の純米酒ガイドカラー版』光文社新書パラパラとめくる。香港で見ても何ら役立たず次回の訪日の折にでも使えるか、と。ちなみに香港ではこの本で紹介される酒のうち入手できるのは浦霞とHappy Valleyの日本料理・慕情などが置いている福光屋の黒帯、加賀鳶など。雑誌『世界』六月号少し読む。イラク関係の特集記事は現状理解に読むに値するものあり。テッサ森巣鈴木女史の連載での「戦争の民営化」読み背筋寒くなる思い。時代は、仏蘭西軍のモロッコ戦での外人部隊であるとか、ボーイングや三菱重工や小松製作所が軍事産業でもあるといふようなレベルの問題ではなく、戦争が民間企業に委託される!ことが現実に起きている詳細なレポート。当然、その会社と米国首脳との癒着などもあり(といふより厳密にはそういった企業背景にした者が商利のために政界入りしている事実)、企業であるから売り上げをあげるには戦争や治安不安、動乱などが必要となること。

五月十日(月)快晴。晩に九龍に薮用あり往復の車中に上原浩氏の『純米酒を極める』光文社新書読む。上原氏は広島財務局鑑定部より鳥取県工業試験場に長く勤務し日本酒の酒造技術指導に携ったが仕事ばかりかご本人が真の酒好き。八十になるも毎日四合をきちんと飲むそうで写真拝見しても十五代目羽左衛門似の二枚目、矍鑠とした紳士ぶり……といっても昭和二十年に亡くなった十五代目を知る方も今では少なかろうし、逆に十五代目知る方には「そんな美男子が今の世に」と嗤われそうなので敢て十五代目と上原氏の近影並べるがどうでげす?、似てるでしょう十五代目に。 かなり専門的な酒造の話もあるが、要はよい純米酒を少し割り水(つまり加水)し酒精分十三度くらいにおちつかせ摂氏五十度くらいの燗で呑む、といふ酒の醍醐味。割り水というのは初めて知ったが、強い酒を強いまま飲むのは能なしと。硬い酒を柔かくして飲めば旨さ増すのはウヰスキーも一緒だが上原氏が理由はわからぬが、としつつ水をさきに杯に入れてそこに酒を注いだほうが美味いと説あり。じつは余も日本酒はわからぬがスコッチのモルト酒で確かに水を先にそこにモルト注いだ場合とモルト先で水を注いだ場合では全く味が違ふことはその通り。水を先にして酒を注いだほうが馴染むのである。化学的なことはわからぬが水先のほうが注いだ酒の余計なアルコール分が揮発するような気がするのだが。スコッチのいいモルトなど生(き)で飲むものと誤解される方もいるがMacallanあたりであれば生でも楽しめるが例えばBowmore、もっとならLaphroaigあたりになると生では硬すぎて独特の香りが鼻につくばかりか舌を麻痺させるほど。適度に割り水することで旨さが何倍にもなること事実。で上原先生の純米酒論に戻るが新書一冊徹底してよい純米酒とはどういう風に造られるのか、を酒造の技術的な面から造酒屋、杜氏らの心意気まで真摯に語る。かなり堅物の酒造官吏のようだが「あとがき」の最後で
酒も煙草も女もやめて、百まで生きたバカがいる
といふ古い川柳を挙げて「私は真っ平ご免」と(笑)。じつにいいぢゃないか。二更に帰宅。撥条(ぜんまひ)の煮物と博多の辣韮(らっきょう)で菊正宗をコップに一杯。適度に心地よく、薄口の出汁のきいた汁で煮うどんを小椀に少し食す。満足至極。割り水の「検証」のためこの日剰綴りつつBowmoreの12年モノを水先と水後で飲み比べてみるがやはり水先のほうがずっと美味。
▼新之助君の海老蔵襲名披露、父・團十郎が病気休演。「海老蔵をこじらせた」か。この休演で今月の弁慶は三津五郎が代役。高野山に参った築地のH君より、大阪で電車の中吊り広告見れば七月の大阪松竹座での新之助君の海老蔵襲名披露公演は与三郎に弁慶。しかも勧進帳は富樫が仁左衛門で弁慶が鴈治郎。六月末に東都に戻り助六、月を改め京都にでも遊び大阪でこの与三郎見て香港に戻るとか……それができれば最高だが。  
▼久が原のT君よりも鉄斎漁史についてメールいただく。こうして浅学非才の余に畏友ほど有難きものはなし。京都といふ風土ゆへの鉄斎漁史の生き方についてT君より興味深い指摘受ける。またT君曰く「南宗畫に於いて鐵齋漁史は殆ど最後の妙手」だが「そのよろしさ西洋畫の見方にては恐らく神髓を得ざるべし」と。御意。「南宗畫の善し惡しは、まづ畫人その人の學徳の高下に據る。萬卷の素養と浩然の詩心、二つながら紙背に徹してこそ名畫」で「その筆力すなはち墨色の淺深に顯著にして、寫眞版にては眞の鑑賞なす能はず」と。やはり富士山図の屏風の前に対峙することが大切。「而して、古來畫論の第一に論ぜらる氣韻生動の趣を見る。この「氣韻生動」、不立文字教外別傳の祕説めきたれど、馴るればどうといふこともなく、一目瞭然の事柄たり。約言なさば、南宗畫は學人の手による偉大なる素人畫にして、漢學滅びて南宗畫殘るべくもなし」とT君。ちなみにT君指摘お通り鉄斎漁史の「再評價」は小林秀雄によるものだが、その「前近代とは無縁のところから言擧げなせし無責任の言説未だに生きて後代の人は鐵齋漁史の影すら踏まれず」といふ現状を「嗤ふべく、また歎くべし」とT君。ちなみに赤瀬川先生と山下裕二の対談でも鉄斎の富士山図を見続けた小林秀雄が書いた評論にて絵中の浅間神社の鳥居の赤さを小林秀雄が言及したが赤いのは鳥居でなく社殿、と(笑)指摘あり。

五月九日(日)快晴。昨晩午前三時に臥床も八時には目覚め快晴のところ昼まで在宅。新聞雑誌の類読み書斎の整理などして過す。昼にZ嬢と中環。何処の食肆も母の日の会食なる消費活動に混雑を見込み外国人記者倶楽部に参れば此処もメインダインにて母の日記念ビュッフェあり客濫れ酒場の食卓までこれに当て客は二階のメインダインよりいちいち食事を皿に盛って階段上り下り。さすがに酒場は「母の日がなんだい、てやんでぃ」と昼から赤ら顔の諸君多し。開胃に発泡酒。前菜はエスカルゴ、Z嬢はタイ風味の野菜カレー、余は愛蘭土風シチュー食す。ウヰスキー・ソーダ飲む。何も気にせずいつも銘柄も指定せずウヰスキーソーダと頼むがいったい何の銘柄かと思えば The Famous Grouse で蘇格蘭の地場では定評のブレンド酒。窓の格子帷より眺むる三々五々の陽光に心地よきほろ酔い。スターフェリーにて尖沙咀に渡りSpace Museumにて遅い午後に昨日に引続き清水宏監督で李香蘭主演の映画『サヨンの鐘』観る。1943年の松竹映画であるが台湾総督府が実際の製作元で製作は満州映画協会、故に李香蘭が純真無垢にタイヤル族の皇民化に邁進する娘演じる。霧社事件経ての政策転換による高砂族の皇民化に尽力する日本人の警官らと純粋無垢に皇心培われる高砂族の物語。高砂義勇隊。渡辺はま子の歌う「サヨンの鐘」にのって高砂族の皇民化に尽力した娘(李香蘭)が出征する兵士見送る大雨の中で命落す「美談」なり。上映終り一人拍手する客あり。大東亜・八紘一宇信奉する地元の者か(笑)。それにしても李香蘭の動き(演技)サイボーグの如し。亦たフェリーで中環に戻りLandmarkのRalph Laurenにて衣料購ふ。同じLandmarkのDavidoff烟草店にて烟草パイプの掃除用のモール購ふ。エスカレータで久々に粗呆地区に上りXtc Gelatoにて氷菓子。オリンピアグレコ珈琲店にて珈琲豆購ふ。北角街市にて食材購い帰宅。遅晩に山菜、菎蒻、葱焼を肴に菊正宗飲み蕎麦食す。Z嬢録画の「ウォーターボーイズ」数話観る。昨夏のテレビ放映当時にS君が「真直ぐな青春ドラマを見て真直ぐに感動したいと欲望する人々の期待に悉く応じようとする姿勢」と論破していたが録画で作品見てなる程と納得。柑橘皮いれた風呂につかり月刊『東京人』六月号読む。創刊二百号越えてだいぶ変った感じあり。松葉一清の巻頭「東京発言」がないだけでもはやダメなのだが。来月がエノケン生誕百年だか記念しての東京のお笑い特集だそうな。それで定期購読を終えてよいかも。荷風先生日剰昭和十四年の春を読む。
▼畏友S君より富岡鉄斎について「わからない」余に長文のメール頂く。専門家でも迂闊には書けぬのが鉄斎で、鉄斎の孫である富岡益太郎や『富岡鉄斎の研究』藝文書院1944年の小高根太郎といふ偉大なる先達ある上に鑑定の難しさも鉄斎を怖いものにしてしている、と。確かに絵の才なき人が書いた「下手な絵」が鉄斎と評され、なんて筋は初期の『教祖誕生』の頃の北野武の映画でも面白いかも。いずれみせよ次回阪神に遊ぶ機会あらばぜひ清荒神清澄寺に拝し最高傑作といわれる「富士山図」屏風に対峙してみるべき。いずれにせよS君の指摘する鉄斎的なる前近代性は当世であるからこそ検討が重要。「中国趣味に支配されているが反面、中国そのものからは遠く外れてもいる」という立場。西洋に近付くことで近代(美術)になろうとしたこととの好対照。而もS君の言う通り「前近代の人」ゆえに「近代を嫌悪しない」姿勢。「近代の新技術の便利さ」は積極的に受入れてしまふ柔軟性。だが絶対的に自分の「生きる姿勢において前近代に留まった」なんて、何と素適なことぢゃなかろうか。「儒服を着て杖をついて近代の京都の街を歩き、美術学校では新世代の若者たちに修身と有職故実を講義」する鉄斎先生。S君は、明治帝の政府が大勢の「勤皇の志士」たちを謂わば「使い捨て」にされた中で鉄斎は最も幸福な人物だったといえるかもしれない、と。S君のメールを何度も読み幾分、鉄斎への気持ちは落着くがやはり清荒神清澄寺、である。

五月八日(土)朝、雨音に覚醒め七時頃視界遮る豪雨。拙宅より眺む山の渓流滝の如く渓流集る引水路怒濤の如く爆ける。雷鳴轟く。赤雲警報発令されすぐに黒雲警報に変る。赤雲迄は学校臨時休業だが黒雲となると證券取引から企業も従業員自宅待機だが朝食済ますうちに赤雲に変り雨は小康。昼にジムにて鍛錬。九龍にて薮用済ませ早晩にジムに戻り鍛錬。晩に香港映画祭の第二部で清水宏監督の回顧上映ありSpace Museum視聴覚ホールにて水谷八重子主演『歌女おぼえ書1941年見る。傑作。懐銭も怪しき旅芸人の三人組が山間の旅館にてふとしたことで遠州の茶問屋・山平の主人(藤野宏の好演)と知合い女優くずれのお歌(水谷八重子)を山平の主人が見受けし家に置く。主人はすぐに亡くなり東京の大学に通ふ長男(上原謙)はお歌に惚れて結婚を約ふが学業の修了目指し茶問屋は休業。芸人風情と白眼視されるがお歌懸命にこの家を守る最中かつて取引あった米国の貿易会社(41年の映画で!)より緑茶の注文受け経営者おらぬどころか休業し茶葉もなき茶問屋の再興にお歌尽力し見事問屋家業再興。上原謙戻る日かつての旅芸人一座の旦那現れカネの普請。お歌はあっさりと「アタシを連れていっておくれ」と堅気の暮しはやっぱり肌に合わぬ、旅の芝居一座が懐かしい、と。旅芸人になったお歌のもとに上原謙現れ「何しに来たんだい」といふお歌に「俺の女房を迎えに来た」と啖呵。「堅気の暮しの嫌いな女にあの堅気の暮しができるか。みんなお歌が山平を再興と賞めている」と言われ、道成寺の舞台間近でお歌化粧台に向ふが目から涙。やがてお歌は目出度く茶問屋に戻り内儀になったといふ筋。水谷八重子絶品。「八重子はいいねぇ」と八重子の芝居の帰りの祖母よく感嘆していたが幼き余に八重子の良さなどわからず。歌舞伎の女形の艶やかさわかっても八重子の新派の芝居のどこが八重子が大女優なのかわからずにいたが、今でもこうして若い頃の八重子見てもけして別嬪に非ず、だが女性にとって八重子演じる女は理想型。実に佳し。その上でこの作品にては山間の商人宿の座敷で芸者のように座敷で舞う八重子の踊りまで拝む。まるで新派の芝居そのもの。筋書もいいが清水宏あらためて敬服。同い年の小津安二郎とよく対比されるが、この41年に小津の作品が『戸田家の人々』(戸田家の主人も藤野秀夫であった)であり、映画としての演出、技術面では確かに清水宏、秀でる。八重子が木戸を閉めて茶屋問屋の家屋の中に入っても建付け悪しき障子戸のほんの隙間から八重子がいったん土間を小走りに歩いてふと引返し土間から板の間に上がる動顛ぶりのほんの隙間から見せる演出だの、問屋のなかの石牀をカメラが走り脱ぎ捨てられた子供の草履大写しにして子の慌てて帰ったところを見せ、繁盛する茶問屋の店内だの旅芝居の楽屋だのをキャメラが廊下をさーっと走り遠近さまざまに動く人々を見せることでその場の空気を映画館全体に吹込むほど。戦後でいえばヒッチコックに見られるキャメラ。八重子の道成寺の芝居控えた楽屋での鏡見て化粧しながらの涙で映画完ればほぼ満席の客席より拍手わき上がる。三四十分時間あり尖沙咀のCitysuperにある鹿児島・阿九根ラーメンに食す。いつも混んでおり午後九時過ぎのこの時間なら、と期待。カウンターに坐ればラーメン出来たのにカウンターの上の高台に置かれただけで余は自分の注文した品とは教えられもせず暫し放置されたままで余が気づき店員に確認してゲットするほど店員も粗忽。Space Museumに戻り二更に清水宏監督で田中絹代主演の『』見る。山間の温泉にて大学教授(斉藤達雄)、商家の新婚の若旦那、退役兵・納村(笠智衆)、ご隠居と孫らが41年といふ戦争まっしぐらの時代に優雅にもこの温泉旅館に逗留し避暑。そこで旅の女・田中絹代が風呂の湯の中に落していた簪が原因で笠智衆が足に簪を刺して怪我。田中絹代はすでに旅館を発っていたが東京より謝罪にと舞戻り何か訳ありで逗留続ける。納村と田中絹代をどうにか縁組させようとする周囲の者の関心と、笠智衆の痍癒えてゆくことくらいしか話題なし。団体客があるとこの長丁場の逗留客に不便多く彼らは「隣組」の寄合いのようなこと迄始めるが議案が旅館の食事献立改善だの大学先生とご隠居の鼾への苦情だの、とこれは皙かに戦時中の社会風刺。結局、夏も終りに近づき大学先生、若旦那夫婦と山を下り、最後、納村もご隠居と孫らも去って田中絹代だけが戻る。納村から東京に戻ったらまたみんなで会いましょう、といふ葉書が逗留中の絹代に届くが、結局、笠智衆演じるこの男は絹代を連れて帰るでもなし。敢てその同宿の者らの下山を映さず子供らの日記でだけさらりと流し孤独な絹代の姿だけにしたのも演出。ここまで平凡なところで面白可笑しく最後は寂しさといふ清水宏ならではの作品か。それにしても最も大きな矛盾は、簪を足に刺した痍が癒えぬのに笠智衆はこの子供らに唆され旅館の近くで歩行訓練の毎日。関節だの筋肉障害であるとか複雑骨折のあとのリハビリならわかるが簪で足を刺した痍の癒えぬのになぜ歩行訓練なのか、びっこひく納村をわざわざ歩かせて「あと少し、あと少し」と痍に悪いだけ。刺傷なのだから治れば歩けるのに(笑)笠智衆のびっこひく演技の下手さも特筆もの(ところで若い笠智衆がいつものことだがさりげない訳でスクリーンに現れると香港でも客席からわーっと声あがるほど)。この非常に不思議な物語、もしかすると「みんな頭がおかしいのでは?」という、世間から隔絶された山間の温泉での話であるからもう少しブラックジョークだのかませると筒井康隆的世界。犯罪が起きれば最高のミステリーになるのだが。ところで映画のなかにこの山間の温泉でも朝、ラジオ体操あり。河原で逗留客がラジオ体操。当然この体操、国民の健康増進といふ昭和初期の国策的国民体力増強の政策であり、独逸にも見られた民族の遺伝学的な健康体の完成。それが戦後も続くのだが、余は小学生の折、朝、夏休みだといふのに小学校の校庭に集められ(自由参加だが半ば強制)、家が学校の近所であったためラジオ体操も学校の校庭だったのだが、不思議なのは校庭にそれぞれの町内会毎の班あり別々に体操実施。町内会長だの仕切役の人に、どこかの製菓会社だかがお節介にもスポンサーになり製作せしラジオ体操カードなるもの配られており、それに参加すると班押される。自由参加の筈が夏休み終ると担任の教師にラジオ体操参加について質され「結局、強制ぢゃないか」と余は暗澹たる思い。朝起きることとか運動の好き嫌いより、こうした集団行為の強制が不愉快。もっと不愉快なるはこの半ば強制された集団活動をば健康だの健やかさだの爽快感だのと感じ入り積極的に参加し他人にその参加まで促す人たちの存在なり。深夜零時帰宅。

五月七日(金)新界に往く用あり昼に粉嶺聯和墟の「ジャズラーメン」に食す。ネギラーメン麺HK$10増し辛み度1スープ。麺の茹で加減、ネギもネギラーメンだと見た目にてネギを縦に細く切る食肆多きに対してジャズは「従来通り」駅の立食い蕎麦の如く小口に切り天こ盛り。野暮だがネギの風味増して引立つ。スープ少なく敢て堅めに茹で必要以上に解されておらぬ麺。昼も正午より十分も過ぎれば狭い店内は満席の盛況なり。晩にビビンバ食しZ嬢に「一度「だけ」見てみればよろし」と勧められ毒にも薬にもならぬ百年一日の如きNHKのクイズ番組の「挑戦!ことばゲーム」見る。面白みもなき司会と回答者。点数競っても賞金にならぬのはいつものこと。言葉の連想にて解答「写真集」のヒント「篠山紀信」で「南沙織!」とか笑いもとれず、頭と尻の言葉あわせで「う」と「こ」を繋がねばならぬ時に回答者の全員が「ウンコ!」と答えてしまえばいいとわかっていても言えぬのがNHK。回答者が尻取りで焦燥って「かたわ」とか言ってしまったらスタジオはどうなるのか、などと想像しつつ見終ってテロップで井上頌一先生の構成と納得。それに続くニュースで官房長官福田二世辞任を知る。記者会見の録画見れば、あれけ横柄なほどの自信に濫れし人が原稿持つ手は震えその手の震え抑えられず演台に手が当る音マイクが拾い言葉に詰訥あり尋常でなき様甚だし。辞任の緊張もわからぬでもないが国民の前でのあの動顛ぶり披露は所詮二世政治家の限界。福田一世の「天の声にも変な声がある」には到底及ぶまじ。福田二世「国民におわび申し上げたい」と宣ひ朝日新聞もそれを「陳謝」と表現するが記者会見の映像から国民へのお詫びの陳謝の念など微塵も感じられず。政治家なるもの一世の大胆さ、二世のひ弱さに比べやはり孫の代にもなるとDNAに非動顛性のデータでも刷込まれているのか福田君の辞任接けた小泉三世曰く「私も……衝撃、でした……翻意を……促したが本人……の意思が…固く、残念だ……けど仕方がないと思っている」とこの人のコメントはゆっくり語り始め最後が突然の早口で記者の速記を逸らかす術あり。ブッシュ二世は米軍のイラク軍捕虜に対する蛮行につき加害の兵隊らは「いずれ裁きを受けなければならない」と米国の公平さと正義を説くが「裁きを受けるのはアンタや!」。シーア派の指導者が「あんな残虐さをもつ国がどうして他の国に平和だの民主主義を説くのか」と。御意。
▼ピカソ廿四歳の作品「パイプを持つ少年(拿煙斗的男孩)(絵)約113億円にて競売にて落札とか。この絵が名画たる所以は何処に。確かに、色彩的には美しい。少年の顔面の微妙な紅、花の冠と背景の何ともいへぬ茜の色、そしてその紅系と見事なコントラストの青い衣色。薔薇色の時代の代表作などと賞めることは簡単。この少年が素朴で若さ濫れるけがれなき明るさであれば実に通俗的で名画になど値せず。どこにでもある三流画家の作品。だが誰でもわかることだが少年のこの表情に陰鬱とした翳りあり。そこから見てゆけば、結論から言えばこの作品の「卑猥」さに気づくわけで、これは「パイプを持たされた少年」といふこと。少年とパイプといふ似合わぬ、まさに対比。パイプは老いた男であり、少年の持つパイプの吸口がこちらを向いていることからも、少年がパイプを吸っているのではなく、こちら側にいるもう一人の人物のパイプを持たされていること。しかも花の冠。女の子なら自分で花の冠づくりも「あり」だが。三島由紀夫の『豊饒の海』天人五衰の有名なる筋に海を見渡す信号通信所で本多繁邦が少年安永透に邂逅したところで
「はい」と、階段の上から一人のランニング・シャツの少年が顏を出した。その少年の髮に一輪の紫の花が傾いでゐるのに目を留めた本多はおどろゐた。紫陽花のやうである。少年が顏を出したとたんに、花はその髮から離れて、階段をころがり落ちて、本多の足許に屆いた。それを見て少年の動顛してゐる樣子がわかつた。頭上の花を忘れてゐたのだらう。花をひろつた本多は、その紫陽花が蝕まれて、半ば茶色がゝつて、萎み果てゝゐるのに氣づゐた。
とあり、これこそ花、少年、老人の図式だが、これもしばらく読むと、その紫陽花も透自身の装いでなく女友達絹江の悪戯で透本人は知らずにいたことがわかる。つまり少年は自分では花を飾らぬことが常識にある。このピカソの描く少年も白かに、この花の冠は厭々ながらかぶることを強いられている。この少年の姿勢にしても、上半身の窮屈さと逆に太腿を大きく開いた不自然さ。少年は、こちら側にいるパイプの持主により、この「まなざしを被る側」を強いられている、ということ。そこまでわからなくとも、我々がそのパイプの持ち主と同じ側から少年を見ることで、非常に猥褻なる視線を投げかけている。ピカソの凄さ。

五月六日(木)さしたることもなし。昨日あたりからの疫毒メールかなりの数にのぼりWindows XPのシステム更新しておらぬこと流石に気になりUpdateせば一時間半もかかる作業となり終らず三更に歴史民俗学資料叢書(批評社)の史料読む。芝居と淫売との関係など興味深し。

五月五日(水)雨。立夏。新暦にて「日本だけ」端午節。Z嬢の計らいでBaccaratの水晶のスヌーピーも兜冠(写真)源吉兆庵の柏餅賞味。新暦で農暦の節句祝ふは「近代」日本の錯誤だが柏餅は「日本の端午節」の祝餅。香港の旧暦で食すのは粽(ちまき)にて柏餅を頬張ろうと思うと新暦五月五日。Happy Valleyの競馬テレビ中継にて観戦。なんとなく的中。芸術新潮三月号読む。特集は「おとなのためのディック・ブルーナ入門」。ペーパーバック本ブラックベアの一連の意匠秀逸。ブルーナ翁の和蘭陀はユトレヒトでの生活。ブルーナに続いて檀一雄の福岡は能古島の家。これもいい。また赤瀬川原平と山下裕二が鉄斎について対談。山下君ですら「鉄斎はどうも苦手で(美術館でも)通り過ぎていた」「近づきがたいバリヤー」と語り赤瀬川君も鉄斎を相田みつをに近いものがある、と。余にとっては「こわいもの見たさ」だが松山のS君に贈られた鉄斎の本を見てもまだまだ余の修養足りず。遅晩に荷風先生の日剰昭和十四年三月から五月読む。
▼昨日の政府立法会にて昨年の政府の愚挙、HK$1億(10数億円)公金拠出してのHabour Fest開催につき公聴会あり。SARS対策基金よりの捻出金で僅か百日余の準備期間にてローリングストーンズ、プリンスなどの公演開催は全く以て意味なし。これについて財務司長・唐英年君このフェスティバル開催の誤算認めつつ「我々は経験から多くのことを学ぶ」と宣ふ。唖然。経験から学ぶのは幼児の昆虫虐めや少年の非行からでありクレジットカードの負債だの浮気バレてのこと。公金をば10数億もかけて当初から意味なきこと明白な興業開催終えての言にこれは赦されまじ。何為に責任ある地位に厚遇の高官を据えるか。こういった愚策せぬが為なり。それを幼児の如く「経験より学ぶ」では愚人をば高官に不要。そもそもこの責任ある地位にある者の罪と謝罪は米国前大統領クリントン君の在任当時の白宮での某嬢との情事口交の醜聞につきク君国民に向けて謝罪彷彿。だが米国の元首として口交在白宮に道義的責任もあろうが、個人の性的嗜好といへばそれ迄。だが公的なる政治上の判断での誤算は厳しく弾劾されるべき。10数億円かけて経験学ばては困ったもの。その政府に対する甘さに対して昨日は自宅屋上にて個人の嗜好用に大麻艸39株栽培していた兄弟逮捕。これが断罪され10億円の浪費が許容される社会に矛盾あり。
余丁町散人の隠居小屋といふサイトあり。余はボオドレヱルの詩“Le Mort joyeux”の荷風先生による『珊瑚集』での和訳「死のよろこび」を山崎俊夫の文章で読み、この原詩と訳詞を並べ読みたく探ればこのサイトに遇す。風流なる隠居暮らし楽しむこのサイト氏の日記も興趣あり。そこで五月三日健保記念日の記載あり引用せば
今日は憲法記念日。今や国民の過半数が憲法を改正すべきだと考えているようで(日経4月世論調査)、今朝の日経社説も「憲法改正の機は熟しつつある」というもの。たしかに文章がおかしな憲法ではある。前文が長ったらしいのは特にカッコウが悪い。でも冷静に解釈すれば特に不都合がある部分があるとは思えない。解釈をきちんとすれば何ら支障はない内容である。また借金や連帯保証を頼まれた時に断る際によく使われる「それは親父の遺言でダメなんだ」という口実のような便利な使い方もできる。
と。含蓄あり。

五月四日(火)天気崩れるといふ予想が午後より晴れ渡り晩に雲もなき空に満月。Z嬢と月を愛でつ散歩。暫く前に読んだ秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』の続刊となる『写真と地図で読む!帝都東京地下の謎』なるムック本読む。ムック本と聞いて戦後のゾッキ本彷彿するは余の如き老いた世代のみか。このムック本、前作の新刊書が文章主体で而も著者の言い回し些か読みづらき点あり読後にこれは写真と地図多く用いて説明文章を要領よく纏めたほうがよいと感じたが、その通りのムック本となり上梓され、やはりこの余の感想多くもたれた方多かったことかと推測。で、このムック本だが依然として読みづらき事実。著者の文章がちょっとしたことなのだが例えば丸の内線と日比谷線の霞ヶ関駅についての記載で見れば「この地図では地下鉄が交差している。だがその地図では地下鉄は遠く離れている」といふ一文あり、これを普通に読めば「この地図A」について語り「その地図」といった場合、地図Aを指していると読むのが当然だが、文意の通り、地下鉄が交差する地図と遠く離れた地図があり、つまり違う地図を指している。落語なら高座で噺家が「これ」「それ」と指せば判るが文章ではそう理解できず。つまり本来なら「左頁の上にある地図では地下鉄が交差している。だがもう一枚の地図(同頁下)では地下鉄は遠く離れている」とでも書くべき。或は「この地図では……もう一枚の地図では」でよし。こういった非常に基本的な記述にわかりづらい点散見される。それを除けば、この帝都東京の地下といふ舞台はかなり興味深いのだが、例えばその霞ヶ関駅の路線図の謎であるとか(地元住人・月本さんにも聞いてみたいが)後楽園駅の南北線駅になぜ巨大な円柱があるのか、赤坂見附駅コンコースの柱の多さなど、目に見える事象が実際に写真で見せられ不思議ではある、が、では何故それがあるのか、については一歩核心に踏み込めず、何かあった、で終わってしまっているのがまことに残念。
▼昨日のこと。銅鑼灣の手打ち蕎麦屋和三郎に食し窓より眺むればLockhart通りに行列あり。どうやら行列の先頭は楽器商Tom Leeにて何か音楽会の切符売り出しと察するが行列は比較的年配の客多し。今日の新聞見て、それが十一年ぶりに復活公演の香港の「歌神」と称される香港ポップスの大御所・許冠傑(サミエル・ホイ)君と知る。ご存知の通り日本でも七十年代に『Mr.Boo!ギャンブル大将』など一連の娯楽映画ヒットせしホイ三兄弟の次男。このサム氏ももう五十代後半。十一年前の引退興行は余も参観。単なるポップスに非ず、その韻を踏んだ歌詞など広東語で格別の楽曲多し。だが一旦引退して復活といふ姿勢を余は好まず。芸人は芸道に精進すべき。芸の盛りの折に自らの意思でいったん芸を絶てばそれまでといふ姿勢であるべき。山口百恵、キャンディーズの如し。都はるみを見ればあれだけの芸人も復活後の生彩欠く事実。芸人なるもの人の尋常の平凡なる世より異界に脚踏み入れ常人には見えぬ域に達するが芸道。芝居の役者死ぬまで足腰立たぬ身でも先代の松緑の如く舞台に立つ心意気。それを脂乗り切った四十代にて脚を洗ふ、優雅に若隠居、それで亦た芸道に入るはなかろうに。
▼香港の民間ラジオ商業台にて十五年にわたりフリートーク番組「風波裡的茶杯」にて政治論評続け好評の鄭経翰氏が「政治的圧力」を理由に引退。事実上の更迭か。引退にあたり鄭氏「友人のなかにも変節した者あり」と発言。これは暗に政務司長・曾蔭権君指すものと「政界の青蛙」李鵬飛君が指摘。鄭氏日本でいへば久米宏君が政治評論しているようなもの。董建華率いる政府批判も多くそれゆへに愚政に呆れた市民にすれば溜飲下がり好評博すが鄭氏の言動に対して間接的な威圧どころか数年前には放送局駐車場で暴漢に襲われ重傷の過去もあり。鄭経翰であれ久米宏であれあの程度の言動も許容できぬ今日の政治的環境。優しいファッショ社会以外の何ものでもなし。

二〇〇四年五月三日水曜日。午後十時〇五分大西巨人著『神聖喜劇』読了する。敢て私(富柏村)がこの東堂太郎という主人公の(それが著者大西巨人の投影であることは明白だが)僅か三ヶ月の軍隊生活を四百字詰め原稿用紙四千七百枚の長編小説に、著者の奥書きを借用すれば「遅きが手ぎはにはあらず、其の事の思出のみ」に綴った(この言葉が泉鏡花の『外科室』の鏡花による「小解」の「小石川植物園に、うつくしく気高き人を見たるは事実なり。やがて夜の十二時頃より、明けがたまでに此れを稿す。早きが手ぎはにはあらず、其の事の思出のみ。」の反語的引用であることを著者自身が述べている)、その著者に経緯を表し、敢て拙筆ながら私が大西巨人の筆致を真似て今日のこの日剰を綴れば、今日の晩までにこの小説の光文社文庫の第五巻、つまり最終巻の第八部「永劫の章」の第四「面天奈狂想曲」の半ば迄読み終っており、(本来は昨日のうちにでも読み終えるべきだったのだが昨日は海岸で直射日光に、且つ飲んだビールの酔いで不覚にも微睡み、読み終えておらず)、残り八十余頁をどうにか今日のうちに読み終えたい、と私(富柏村)は考えた。この小説を購入したのが二〇〇二年十一月十九日であり、いくらこの長編とはいえここまで読了まで時間がかかるとは私も予想していなかった。ちなみにこの〇二年十一月十九日という日付けも私にはこの東堂太郎のような異常なほどの記憶力を有する筈もなく、これもこの富柏村日剰を、それも読直さずともGoogleで検索掛ければ「fookpaktsuen」と「神聖喜劇」の二語でたちどころに〇二年十一月という過去に辿り着く。その月のこの日の前後の記述から益新飯店の突然の閉店が同年同月十五日であったことを再認識したこともここに付け加えておくことは余談だが。私の、どちらかというと粗読気味で内容の理解はともかく読むのだけは速い筈が、この小説の読了までに十八ヶ月も要したことについては、いささかの弁明、あるいはこの小説への賛辞として述べておくべきだが、大西巨人はこの小説を一九五五年二月二十八日に書き始め八〇年正月八日に脱稿、実に四半世紀の年月をこの小説に賭けたのであり、それ程の意気込みに読者もじゅうぶんな年月を課けることは当然でもある。内容とその重き筆致に、途中で何度も読む作業を中断して考えさせられ、数十頁を読み戻ることも屡々、途中、あまりの「こってりとした」記述に二週間ほど離れているようなこともあり、その結果がこの遅読という結果を招いた。だが並行して、『週刊読書人』でも大西巨人の口述が一年以上に渡り続いており、それが終るのが先か私の読了が先か、という感じでもあった。私はいずれにせよ今日を迎え、どうにか今日じゅうに読了しようと試み、だが地下鉄の中での立読みは疲れ、自宅に帰っては疲労感でまた読了が明日明後日に延びることは当然のように予想され、であるから、読了を目的に午後九時二十分頃、九龍の美孚から、地下鉄に乗らず、九龍バスの美孚総站より香港島西に向う長距離バスに搭ることを決め、これなら渋滞も考慮すれば小一時間、少なくともじっくりと車中腰を据えてこの読書に没頭できる筈であり、目的地に到着する迄に読み終えようと自分に命じたのだった。バスは予想より渋滞もなく快適に九龍を走り抜け、私の読書もどうにか下車站までに済ませようと焦燥った。午後十時〇五分、バスが目的地に着く、停留所の数でわずか一つ前に読了。この十八ヶ月に亙る読書を、ここで読了の晩に数行の感想で述べるには、私の読後感の整理がまだつかないのが事実である。ただ一つだけ今晩のうちに綴っておくべき感想は、軍隊において、実はこの三ヶ月の生活のなかで、東堂は精神的に知学的に何も成長しておらぬ、ということ。寧ろ抜群の知識教養を無駄にし、寧ろその知識教養ゆへに疎んじられ、結果的に不遇であったことの事実。軍隊という謂わば喜劇の中でひとり「深刻劇」を演じたこと。いろいろな意味で興味深い。
▼憲法記念日。改憲改憲と現行憲法尊重などしておらぬのなら憲法記念日など廃すべき。改憲の主張もわからぬでもないが、現行憲法の崇高なる理念も弁えず、半世紀以上この憲法有してもその普遍的真理を理解できぬまま、それでいて会得したふりして、実はこの憲法の普遍的真理からどんどん離れ、寧ろこの憲法発布の頃に有した理念など壊滅的に忘却の彼方に追いやり、真の個人の尊厳も自由の勇気も蔑ろにしていて、それでいて、現行憲法の役割は終っただの、憲法改正の意義を説く、その大きな矛盾が理解できず。本当の意味でこの現行憲法の崇高さを会得し、それを咀嚼した上での改憲に非ず。読売新聞の憲法改正試案自画自賛は恥ずかしきもので、「日本国民は、民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、これらを未来に活かして」(前文)など普遍法たる憲法にこの文言も読売的な限界だが、それでも一読して「なかなかよくできている」と思うところあるのも事実。だが、
第十一条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止) 第一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。
って、その「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」する国民が、どうして米国のイラクでの「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇」どころか「武力の行使」による「国権の発動たる戦争」行為に自衛隊を遣りその軍事侵掠に加担できようか。読売新聞は憲法改正の試案もいいが、そのまえに自らのこの憲法試案にも反する政府の行為を質すべきではなかろうか。ところでもう二十日ほど前に築地のH君より読んでほしいと言われたのが「ファルージャの目撃者より」で、その掲載されたサイトが益岡賢氏のもの。日本は、イラクのこの米軍の行為をの後方支援。

五月初二(日)朝席の高座の代役請はれ北角。正午に終わって街路に立てば五月晴れ通り越して酷暑の快晴。気温摂氏三十度。島南に往き実に半年ぶりかで海浜。大西巨人『神聖喜劇』読む。炎天下木陰にて麦酒三罐。帰宅。今年初物の枝豆で恵比須麦酒。冷奴、茄子焼に筍御飯。泡盛の忠孝飲む。美味。神聖喜劇読む。東都歌舞伎座にて新之助君の海老蔵襲名披露。久が原のT君より勧進帳の富樫には厳しき評も口上につき「口上。司會は雀右衞門。口切は菊五郎、團十郎直前のトメは梅玉。上手に芝翫、下手に富十郎並び居たり。この一幕中の海老藏、しこなし態度、初々しく謙譲真摯かつリラックスして豪膽なること、いつものことゝはいへ一驚に価す。最後に成田屋相傳のニラミあり。最前列十九番の席とて、文字通り咫尺の間に盛儀を拜む。目を閉ぢてキッと開くや瞳を中央に寄せ、足を突き出し三寶を構へツケ打ち上げての奔放なるキマリぶり、高山大澤の崩るゝ勢ひにて、滿場の觀客みな我を忘れて等しく嘆声を發す。海老藏の眼たちまちに血走りたるその面相のうつろひ具合、幕の閉まるまではごく僅かの間なれども、目前に見るうちげに背に百石の冷水を浴びたるが如く、思はず知らず膚に粟を生ず。芝居に勝りてこのニラミぶり、海老藏龍吟起雲の勢ひ、蓋し壓卷と言ひつべし」と。先月の松島屋仁左衛門丈の芝居といい海老蔵襲名といい南方にあり見過ごすこと忸怩たる思い。

五月朔日(土)快晴。昨晩の深酒に朦朧と起きて新聞見れば仕事にて係りなきにしもあらぬ某社の職員大幅解雇事実上の業務停止の報あり眠気も覚め当方の関係者らにお知らせなど済ます。昼にかけて裏山のジョギングトレイル八キロほど走る。夏来たり陽光肌を灼き汗瀑の如く遉に昨晩の酒も抜けつ。午後は金鐘にて高座ニ上ル。競馬は本日冠軍一哩賽(Champion Mile)ありSize厩舎のスーパーキッド堅いと見て抑えに穴でステイヤングを入れると穴馬で水星(Figures)一着でスーパーキッド二着にステイヤング三着。こういう時に限って連複だけでワイド買っておらず。この二着の二三着でHK$100とまずまずの配当を逃す。ジムにて鍛錬。未だ見習いの指導員に「初めてか」と失礼なこと言われ否定したがやたらと善意といふお節介甚だしく而も間違ったことばかり指示され不愉快。XTCアイス店にてジェラート購い帰宅。灣仔の波止場付近は大陸よりの観光客の観光バス多く混雑。岩波の『世界』に三月号より連載されていた陳真女史に関する半生記読む。著者は京都女子大教授野田正彰氏。陳真女史は七十年代に北京放送の日本語放送のアナウンサーで流暢な日本語に聞き馴染んだ聴取者多いはず。余もその一人。九十年代には来日しNHKの中国語講座に出演していたと知る。日本の敗戦後陳真の父の陳文彬が台湾大学に招聘され台北に渡りこの陳家が住むのが台北市でも台湾大学教授官舎のあった古亭町とあり、此処が今の温州街、牛古嶺街……とありなるほど楊徳昌監督の『牛古嶺街少年殺人事件』で彼らの多くが知識人層の家の出にて主人公の少年少女らが台北でも名門校の建国中学に通う環境が此処なのだ、と納得。野田氏の文章読進むと偶然にも!陳文彬が四十七年の二二八事件のあとに建国中学に学生と市民集め民衆蜂起は国民党の圧政との戦いで外省人迫害ではないと説く記述あり。荷風散人日剰昭和十四年二月読む。
▼昨日の中国海軍のミサイル駆逐艦だの潜水艦八艘の入港、公式的には海軍創設五十五周年記念の香港市民との祝賀だが、今朝の朝日には「香港行政長官と立法会選挙で普通選挙を導入しないとした全人代常務委の決定について、香港の民主派が反発していることに圧力をかける狙いがあると見られる」と分析。当地にては蘋果日報すらこの軍艦来港を台湾の総裁選挙がらみの威力誇示かとするが、朝日ほどの極論はなし。本日より中国はメーデーの大型連休にて本日大陸より来港の観光客は十七万人に及ぶとか。

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