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■ブログについて。最近の猫も杓子もブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の心づもりでをります。ブログは見易いが取り柄。ですが敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。ヒット數もネット上のサイトにとつて勤務評定か内申書の如き數値ながら敢へてその電腦のIPアドレスの確認にて同日の閲覽を再カウントせぬ嚴格さで以つての爲業。讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
   
五月三十一日(火)曇。早晩にジムで一時間筋力運動。帰宅。ドライマティーニ一杯。鰻丼食す。日刊ベリタに下述の程記者逮捕の原稿書き送稿。珍しく一面トップ(こちら)。新聞数紙読む。柳治男『<学級>の歴史学』少し読む。
▼朝日新聞にシンガポールのストレーツタイムスの記者が中国で逮捕されたといふベタ記事あり。なぜシンガポールの御用新聞の記者が?と思ったが、その逮捕された記者は香港の程翔氏。程記者はもともと香港の中国共産党御用新聞文匯報の記者。89年の天安門事件では反中国政府の姿勢で「痛心疾首」の題で社論掲載。香港文匯報の社長李子誦氏更迭され程翔氏も退社し雑誌『当代』創刊。95年の廃刊までは知っていたが程氏その後シンガポールのこの新聞に加入し中国関係の報道続ける。で今回は趙紫陽の生前の談話まとめた手記原稿を入手し、それを持ち出そうとして公安当局に拘束され已に四十日。
▼朝日新聞の世論調査(こちら)で内閣支持率は45%。首相の靖国参拝中止をが49%ながら中国の対日姿勢について理解できないが51%だと思うと小泉三世といふ人は中国のあの対日暴策のおかげで支持率は少なくても8%くらい得しているだろうか。昨日、浜渦副知事問題の責任とり都知事こそ辞任を!などと口走ったが築地のH君より昨晩の日刊ゲンダイは石原慎太郎が都知事辞任で国政復帰か、安倍晋三への「若返り」抵む中二層世代による新党構想。安倍と石原……ブッシュ&ケリーで「不毛の選択」など言っている場合ぢゅない、とH君。御意。想像絶する世界。フランス大統領選挙でルペン阻止のため左派が「鼻をつまんでもシラクに入れろ!」と呼びかけた逸話あるが、この安倍か石原かの場合鼻をつまんでもどちらに投票すればいいか結論もでず。議会制民主主義の終焉、いやフランシス=フクヤマ的な歴史の終焉か。本来なら民主党がここで右派の票の分裂で漁夫の利を得るはずなのだろうが現在の民主党にはそれも期待できぬし、自民党の右派も恐れる極右からかつての社会党左派までいるこの理念なき政党の怖さ。今回の対中関係の悪化で小泉三世は資本(財界)の利益代弁せぬことでそろそろ排除されるて当然とH君。その後継が安倍では資本の意図貫徹されぬわけで財界指導部の見識と実力が問われる最終局面。ぎりぎりセーフが前官房長官で現在修行中の福田二世か。もしポスト小泉で安倍首班などとなれば財界の負け、ワイマール共和国をばヒトラーに売ったドイツ資本家の過ちの再現、とH君。御意。で、あまり自民党の文句ばかり言っていてもしょうがないので築地H君と組閣(笑)。今回の組閣はポスト小泉での対中関係の是正に主眼が置かれ、当然、真の目的は安倍外しで石原無視の財界が納得する理性的内閣。郵政民営化には非積極的。小沢一郎君は民主党離れ無所属の立場で参画。(Fは我、HはH君の推薦)
内閣総理大臣 - 福田康夫 H
無任所大臣(副総理) - 小沢一郎(無所属) FH
首相特命補佐官(中国担当) - 加藤紘一 FH
総務大臣 - 魚住裕一郎(公明党) F
法務大臣 - 武見敬三 F
外務大臣 - 古賀誠 FH
財務大臣 - 亀井静香 FH
文部科学大臣 - 久間章生 H
厚生労働大臣 - 河野太郎 F
農林水産大臣 - 園田博之 F
経済産業大臣 - 額賀福志郎 H
国土交通大臣 - 平沼赳夫(古賀君絡み) H
環境大臣 - 浜四津敏子(公明党) F
内閣官房長官 - 町村信孝 H
国家公安委員会委員長 - 中曽根弘文 F
防衛庁長官 - 高村正彦 H
内閣府特命担当大臣
 沖縄及び北方対策担当 - 麻生太郎(古賀君絡み) F
 金融担当 - 塩崎恭久 H
自民党三役は、といってもかつて政策決定で重要であった総務会の採決も小泉三世の確かに自民党をぶっ壊す、で総務会通す手続きも崩壊してはいるが(笑)旧大平派から「かつてのホープ」谷垣禎一君に総務会長として党務で汗をかいてもらい、旧福田派から政調会長は衛藤晟一君、で旧田中派から幹事長は笹川堯君。で実務的には自民党の「いい線」なのだが、この結果、何が起きてしまうか? 史上初の首相経験者の衆議院議長就任で森喜朗衆議院議長の誕生。森派(旧福田派)のこの福田内閣でプリンス安倍晋三外すには鮫親分を煽てねばならずの結果がこれ(笑)。
▼香港での禁煙条例での飲食店など全面禁煙への動き。愛煙家の蔡瀾氏ならともかく数ヶ月禁煙し自ら経営の店も客の要望で禁煙とする劉健威氏ですら、このファッショ的政策には反対。理由として経済好転ながら飲食業小売業は依然として経営困難。今年1季目の破産申請2,930軒のうち55%が飲食業経営者。景気回復で賃貸料上昇のうえ全面禁煙で商機失う、と。果してそうだろうか疑問。酒場は確かに。成人人口の二割台の喫煙率で飲食店の場合は圧倒的に煙草吸わぬ客多し。喫煙者でも周囲気にして吸わぬ者も多し。強いていえばワイルドな客多き茶餐庁は打撃あろうが。個人的にはパイプや葉巻、紙巻きでもジタンやゴロワーズの仏蘭西産黒煙草、ゲルベゾルテやダヴィノフ、日本ならピースやチェリーなど芳香豊かな煙草なら煙くても許容できるが百害あって一利なきマイルドセブンライト系の紙臭さは閉口。そういう意味で禁煙措置でもいいか、と思ふ。
▼昨30日のヘラルドトリビューン紙に終戦直後に日本で婦人の対男性平等社会建設と法整備に尽力したBeate Sirota Gordon女史の日本再訪の記事あり。憲法はじめ戦後日本のconstitutionalなものが米国の押し売りと言い捨てるは易しいがGordon女史の回顧読んでも昨日のジョン=ダワー『敗北を抱きしめて』の章で見ても当時の日本が建設に挑んだ戦後社会といふものは単に米国の押し売りと言うには当時の人々の努力が蔑ろ。労働基準法制定に関する戦前の特高警察警部の尽力など特筆すべきもの。
▼同じ30日のヘラトリ紙に市長訪問で紹介されるは和蘭陀はアムステルダムのJob Cohen市長。他の欧州の都市と同じくイスラム系市民少なくないが特に911以降のイスラム敵視の中でリベラルなアムステルダムへのイスラム移住者多し。アムステルダムの人口75万人(この「少なさ」に驚くが)のうち半数以上が非欧州人で主はイスラム人。だが市長曰く“Islam is here to stay, in this country, in this city. We haev to deal with Islam as a fact, not wether we like it. So the real question is how to get on with each other”と積極的に言い切る。大麻など軽い麻薬は解禁、同性愛結婚合憲と不真面目な都市は人口75万人に対して自転車80万台で郊外から市内に通う市民は市街の周辺のターミナルで自動車降りて路面電車に乗り換え。市街での10階以上の建物建設規制され運河に囲まれた中世の都市の容貌の維持。何が大人で大人はどういう思考ができるべきなのかの見本。実際の居住人口の一割以上を占め経済的にもその存在無視しできぬマイノリティー市民抱えながら「支那人」「第三国人の暴力」などと差別し拒否することしか知らぬお子ちゃま都知事が大気汚染対策以外でもかなり見習うべき都市の姿。
▼EU憲法否決の仏蘭西でシラク総統が首相更迭し後任にシラク氏の寵児 de Villepin内相を抜擢。日本語表記はドビルパンで、まるで子どもアニメの怪物の名の如し。de Gaulle首相と同じでせめてド=ビルパンのほうがまだマシ。ちなみにヘラルドトリビューン紙などVillepinで「de」は付けておらず。ビン=ラディンもそうだが、Dominique de Villepinなる名で姓名でいえば「名」はDominiqueで「de」は姓に属するから、なのだろうが、銭形平次が同僚の親分に「よぉ、銭形のぉー」と呼ばれるように、正確には「VillepinのDominique」でヴィルパン首相でいいと思うのだが。

五月三十日(月)見事なほどの天晴。ここ数日気になる蘋果日報の「名采」人気コラム頁での地殻変動。最高位である左肩に長く蔡瀾氏君臨しその右(つまり上中央)に陶傑氏、蔡瀾氏の下に左丁山氏と固定していた(図)
蔡瀾 陶傑 某氏
左丁山 尊子1コマ漫画
それが蔡瀾と陶傑が交替し下段から才女・李碧華女史が抜擢され
陶 蔡瀾 李碧華
傑 尊子 左丁山
といふ布陣となる。饒舌で字数も増えた陶傑氏の人気上昇に呼応しているが、どう考えても蔡瀾の扱いへの苦慮。蔡瀾の随筆が内容も雑で投げやりで面白くないことは事実。だが天安門事件のあと周刊壱が発行された際に反中国色の強い週刊誌に著名な人気随筆家である蔡瀾が潔く連載開始した過去もあり蘋果日報も創刊以来の人気随筆。その恩義もありそう簡単に落とせないのが蔡瀾。だがネタのマンネリは他の連載随筆家に揶揄されるほど。で今回の「異動」が現在の蘋果日報で唯一できることだろうか。香港の新聞に特有のこの連載随筆頁はどの新聞にとっても重要で、とくに並べ方は「その頁開いたら何処に目がゆくか」で黄金律の如きものあり。信報でも唯霊氏と劉健威氏の場所など本当に移動困難。早晩にジム。一時間有酸素運動。帰宅途中にバスで乱歩の短編『化人幻戯』を光文社文庫で少し読む。黄金色の夕焼け鮮やか。九龍の超高層ビル金色に映える。帰宅してドライマティーニ一杯。薯蕷芋で麦飯。小芋煮。当然のように焼酎をぐいっと一、二杯。なぜ麦とろ飯で焼酎なのか。八十年代後半に新宿の三越裏に「麦とろ」といふ店あり当時はそれほど脚光浴びておらぬ焼酎が充実していた記憶。テレビニュースで中国の通商担当大臣欧州の中国繊維輸出への警戒に対して口から唾飛ばしながら強い反発見せる。それは結構だが「発展途上国の経済成長に対して」といふ一言に椅子から落ちそうになる。人民の生活レベルでは発展途上かも知れぬがロシアなど足下にも及ばぬ米国に対峙できる覇権国家で欧州がその繊維に象徴される輸出に全欧でその輸出攻勢を憂慮するほどの経済力。発展途上国とは……。ジョン=ダワー『敗北を抱きしめて』上巻読了。第八章「革命を実現する」は圧巻。戦後日本を「マッカーサーの指揮下にあるGHQと改革の課題に不本意ながら従っていた保守派の有力者たちと、日本の「進歩的文化人」や日本共産党は、それぞれ形は異なっていたものの、ともに天皇制民主主義の実績者であった」とダワーは断言。徳田球一が「愛される共産党」は「民主的な人民戦線の創設は資本主義を覆してまでも社会主義を実現するものではない」として「共産主義が真の愛国者、真の民主主義の擁護隊である」もので「現在進行しつつある、わが国のブルジョワ民主革命を平和的に、かつ民主主義的方法によって感性させることを当面の基本目標とする」とした当時の共産党は今それを聞くと「当時の共産党が?」と驚きそうだが小熊英二クン的にも、当時はそういう時代であった。この戦後の社会民主主義政党の魁となるべきテーゼがなぜ武力闘争政党と化すのか、がこの章の一つの主題でもあり。1946年は世田谷区の米よこせ区民大会に端を発した食糧デモが皇居に押し寄せる食糧メーデーにまで規模拡大したのだがダワーがここで着目したのは抗議団体が宮中にまで参内した運動は「民衆の抗議運動が天皇へ上奏する」形態であったこと。「マッカーサー元帥に宛てられた手紙が最高司令官に対する媚び諂いと平和と民主主義への賛歌が混ぜ合さっていたように、左翼を自認する人々が、奇妙なことに天皇の絶対的権威に訴えかけるという伝統的なやり方をとることによって、民主的な人民政府求める運動に汚点を残した」とダワーは手厳しい。当時の共産党の社会民主主義的な現実的な政策は日本人民の支持を高め下手すると天皇制共産主義国家の実現か(ダワーはそこまで言っておらぬが)。この民主改革の勢いは当時、吉田「臣」茂君が組閣に苦慮するほど保守派を追いつめており、米国は食糧支援の追加を決めて吉田内閣がどうにか政権維持したほど。この時点で戦後の保守勢力の追米隷属の道が決定したようなもの。民主的で平和的なデモに対して対ソ戦略もあり米国は進駐軍司令部をして「組織的指導の下に増加傾向にある集団的暴力行為は、日本の将来の発展に重大な脅威となる」と声明を発表し「無規律な少数分子による行きすぎた行為」(これが現代ではテロリストに当てはまるのだが)これの弾圧を明言し実行する。その後、国鉄の列車転覆「事故」など続き「革命勢力」は過激化すれば「危険」から身を守るために社会が権力に対して隷属化する社会となる……まさに戦後の佐々淳行的な治安国家の誕生。このモデルが現在のテロ対策社会の原型でもある。柳治男『<学級>の歴史学』少し読む。好著。
▼フィリピン在住の残留日本人姉妹が老齢おして来日。日本国籍取得要望の陳情。フィリピンには戦争で二千五百人ほどがまだ残留。靖国とか歴史の見直しする前にこういった人たちに日本国籍与える作業こそ保守反動右翼の諸君が率先して行うべき。
▼東京都では浜渦副知事の問題に端を発して他の副知事、教育長らが辞表提出していたが都知事は都政一新の抜本的な改革として浜渦君更迭。全て任せっきりにした部下の監督も出来ぬのだから「男だ」「日本人だ」と威勢よき都知事自身が「男らしく」「日本人の道徳心でもって」責任とって辞任すべきでは?
▼ヴィクトリア港の埋立工事の影響でスターフェリーの運航が前年比で25%、日に百本削減(SCMP紙)。埋立てで運行距離短くなつたのではなく埋立場所迂廻で時間要す。運行頻度も繁忙時間で4分毎が6分毎となり閑散時間は6〜8分毎が12分毎に。迂廻ばかりかヴィクトリア湾狭くなり潮の流れ激しくなり波もかなり立つようになる。
▼ドナルド曽蔭権君の行政長官選挙立候補(御用選挙で実質的な当選)。選挙事務担当の責任者に現役の警察予備隊副司令官(Lawrence Lam Yin-ming君)が就任し選挙法上も警察予備隊法上も違法と判断され選挙事務担当役も副司令官も辞任。政治的中立が求められる警察組織のいくら予備隊とはいへ副司令官が御用選挙での事務方とは粗忽。尤もドナルド曽君の実弟が元警察長官であるから今更驚かぬが。
▼取引先銀行から誕生月でお祝い届く。開けて喫驚。まずは旅行券。次に定期預金での利息増し、で最後に慈善団体への寄付のお願い。だが問題は旅行券は指定の旅行代理店で片道6時間以上のフライト距離にある目的地に旅行する場合のHK$600割引でしかなく、定期預金も50万ドル定期にしたら0.25%の利息増し、でカネを消費するか高額貯金しなければ利益なしの上に慈善団体に寄付せよとは失礼千萬。客の誕生日賀す気持ちあるなら失礼なサービス再考すべし、と提言添え顧客服務担当の責任者に送り返す。数年前までは要不要にかかわらず小物入れだの洋服掛けだの贈られ不要だと無駄であったが先方の気持ちは気持ち。不景気になりコスト削減もあり過去二年だかはCOVAのケーキ買えば大きさ倍にして差し上げます、で我は誕生日賀すことせぬが普通には(本人の消費をば前提にするものの)誕生日ケーキなら周囲の家族と友人とそれを頒ちあふも可。それが今年はこれ。粗忽その2。
▼顧客服務の意味わからぬは銀行ばかりに非ず。アメリカンエクスプレスも粗忽さは同じ。八月に親友来港の打診ありペニンスラホテルの宿泊料金調べる。アメックスのペニンスラゴールドカード有するためカード所有者優遇料金の照会願えばHK$2200とのこと。ふと同ホテルのネット予約で料金見ればHK$2188と万人向けのほうが安値(笑)。これは納得いかぬと問えばカード所有者にはVIP待遇で様々なご要望に対応しますしアップグレードも場合によっては可、と。ペニンスラともなれば客対応は普段でも慇懃でアップグレードも柔軟。市価価格より廉価で而もアップグレードなりあるのが特典。電話口の職員では埒あかず、その上司と話すが、この上役が驚いたもので我に向かって「その価格の違いがあるのなら何故ホテルにクレームしないのですか?」と。アホである。「あなたのカード会社のプロモーションがプロモーションにならぬのだから、客ではなくカード会社側がホテルと内容の確認すべきことではないでしょうか?」と説くと「ホテルと確認します」とのこと。本日の粗忽その3。その電話のお答えは「8月は閑散期でホテルは割引料金を提示しています。これはアメックスカードでの割引より安くなる。しかし繁忙期はそうならない」とのお答え。確かに3月の繁忙期にはカード優遇料金のほうが安かったが閑散期であるからこそカード優遇で廉価提示できてこそ。少なくともホテル側のネット予約料金と同額にした上でアップグレードなど特典あり、とくらいはすべき。それがマーケティングだが思慮足らず。だがこのアメックスペニンスラゴールドカードで、まだ上述の銀行よかマシは誕生月でペニンスラホテルからのお祝い、とカード届きペニンスラでお食事すればシャンペン一本と誕生祝のケーキを無料奉仕致します、と。6時間以上のフライトで海外旅行に行け、よかまだ現実的なサービス。
▼ヘラルドトリビューン紙のビジネス面にデジタルカメラの普及でContaxどころか、あのライカまで存続の危機、と。昨年度のライカの損失は1,550万ユーロ。フランスのエルメス社がライカの三分の一のシェアホルターで再建(というか維持のため)増資決定とか。そういえばエルメス仕様のライカM7発売になっていたが、そういう背景か。スウェーデンのHasselblad社はデンマークのImaconというデジタル会社に買収されドイツのRolleiはMP3やフラッシュメモリ製造で生き延びている、と。

五月廿九日(日)Z嬢発案でランニングクラブの九名で朝九時前のフェリーで澳門。大陸からの田舎者の大量の団体客で波戸場の混雑甚だし。澳門に着き埠頭から眺めれば金沙(Sands)カジノがそびえ建ち、その手前にも何だか洋館建ち並ぶのはこれが建設中の漁人埠頭(Fishermen's Wharf)だそうでラスベガスにサンフランシスコにもともとポルトガル風の町並みなのだからもはや何でもありでの観光地化。見事。数年後には吉原の花街でも模した日本人町も出来るだろう。時間の流れ停滞した如き閑かな、夜になるとカジノのネオンだけが眩しかつたかつての澳門が今では徒花の如く咲き乱れる。地図を見れば来る度に市街が埋立で膨張してゆく様は香港どころの話ではなし。珠江の河口の泥流の浅瀬ゆへ埋立容易なこともあるがタクシーでコロアネ島に向かえばもはやタイパ島と路環(コロアネ島)の間にコタイといふ、国分寺と立川の間の国立の如き安易な地名の地区が造成され此処にも巨大なカジノリゾート建設中。ウェスティンリゾート通り過ぎ黒沙村の官立小学校前でタクシー降りる。折からAction Asiaの冒険耐久レース開催中。路環石面盆古道といふ山道に入るが路環の集落までこの古道だけではわずか1.5km、どうゆっくり歩いても四十五分あれば到着してしまふ山道。さすがにランニングクラブでトレイルもかなり熟すメンバーでそれではちょっとといふ話で路環歩行徑といふ標高100mにある散歩道を数キロ歩き澳門最高峰といっても標高172mまで登り澳門一望し路環の刑務所と少年感化院の傍らに出る。結局二時間弱歩く。路環でフランシスコ=ザビエル教会から集落の路地を散歩。昼食はRestaurante Espaco Lisbon(リスボン地帯餐庁)で秀逸なるポルトガル料理。ヴィノベルデ2本にデカンタで白と赤のビノタボロ2Lとは九人とはいへ実質飲むのは六、七人でよく飲むこと呆れるばかり。この店のポルトガル人のご主人の愛想の良さが格別。バスで市街に戻るが空は一気に好天となりワインの酔いもあり南湾大馬路のバス降りたところの公園の木陰の芝生で転寝。公園の木陰には日がな老人ら憩ふ。大陸からの田舎漢がSandsカジノなどでどんどんカネ落とすのに比べ日本人が公園で昼寝しているのかかなり不思議。この公園向かいが超級市場「パヴィリオン」でポルトガル食材だのパイプ煙草の葉、葡萄酒購入。ついに念願のKit Katの新製品Dark Noir味発見。香港では地下鉄の駅構内にかなり広告あるがスーパー、コンビニ、お菓子屋など何処にも見当たらず。ところでKit Katが「きっと勝つ」で日本では受験生に人気だそうだが発音的には「きっとカット」で入学試験で足切りされてしまふ不安はないのだろうか。公園の午睡も長引き夕方となり、ほんの少しだけ小腹空いて裏道歩いて祥記麺家にて雲呑麺と蝦子労麺。ここで解散。Z嬢とお決まりのコースで「もう晩飯はなし」を条件に更に杏香園にてアイスクリーム入り紅豆沙食す。バスでフェリー波戸場。リスボアカジノの近くにもギャラクシーなる巨大カジノリゾート建設中。澳門に何十回と来て未だにカジノに入ったこともない我にはラスベガスぶりが何か恐ろしいほど。中国人民のマネーがここで花火となつて爆発。午後六時十五分のフェリーで香港に戻る。船中、司馬遼太郎の『街道をゆく』の沖縄・先島への道の残り読了。歴史や風土に関する豊かな知識があり、それが旅により現実に目の前に様々な光景が広がることで知識が確証となり更に思考が止まること知らず広がる世界。父の遺した文庫本でところどころ頁折つた跡あり。いかにも父らしいと思える箇所も、なぜここを折ったのか想像つかぬ箇所もあり。帰宅して湯につかり久々にジョン=ダワー『敗北を抱きしめて』の続き読む。敗戦後様々な問題抱えておりながらも少なくとも戦後日本の復興に尽力したあの当時「国のかたち」的なものの存在は明らか。それがその戦後のフォーメイションがあつさりと否定され「普通の国」になるべく憲法から教育基本法、歴史の見直しまで「改革」断行。

五月廿八日(土)かなり久々に八時間睡眠。午前十時よりヴィクトリア公園にてランニングクラブの定期ジョグあり参加。だが着替えだの銅鑼灣のジムに置いてゆくつもりがジムで荷物置いたままでの外出認められず。荷物置き場にされる懸念もわかるがこちらは明らかにジョギングに出る恰好で小一時間での戻り。それも認めず。呆れてもう一軒のほうのジム。こちらは規則弛いがおかげでジョグに廿分以上遅れ。主宰のN君と常連のT君。土曜の午前中けっこうマジなジョガー多し。ジムに戻りシャワー浴び向かいの星巴で珈琲飲み(星巴のエスプレッソ飲むと頭痛あり普通の珈琲ばかり)昨日の日剰綴り上網しメールチェック。ジムに戻り筋力鍛錬一時間。タイムススクエアかなり久々に訪れる。Page Oneの新装なつた本屋。シンガポール資本のこの本屋、十数年前に社主のT氏香港訪れた折にお会いしたが此処まで商売大きくなるとは思いもせず。いわゆるクールなインテリアだのの本多し。見ててきれいだが買うかといふと絶対に必要な書籍に非ず。それほど売上げがあるかといふとHMWでCD何枚もまとめ買いするほどの客もおらず、この商売の伸びが不思議。想像に易いはデザイン関係の本などCDに比べ大量仕入れでかなり卸値低いのは確か。村上春樹の英訳小説がずらりと並びいくつか立ち読み。日本語よか英語のほうがずっとしっくり。あの「わざとらしさ」が英語だとあまり気にならず。英訳が巧みだからか。空腹で近くの何洪記に向かうと午後二時近くでも行列。久しぶりに鵝頸橋街市の清真恵記に参ればマジに何年ぶりだが熱食中心が冷房完備になつており驚く。恵記はとんでもない混雑で満席も満席。持ち帰りなら数分待ち。この店の名物は羊肉カレーだが昨晩も同じだつたのでもう一つ馳名が焼鵝。焼鵝飯注文したものの店の余りの混雑に勝手にカネ払い釣りをもらひ自分でタレかけて袋に入れる。それからふと気づいたのが持ち帰りなのだから何処か別の場所で食べねばならぬこと。それを全く考えておらず。そのへんの小さな公園も空気悪し。ハッピーバレーの競馬場の内場も多少遠い。結局ふらふらと灣仔方面まで歩き修頓サッカー場の暇な老人らに混じり観客席で焼鵝飯頬張る。実に美味。昼のテイクアウトでこれだけ美味な焼鵝が食せるのだから香港の醍醐味。実に幸せな気分。角の涼茶第一家で酸梅茶飲む。Protrekで山用の傘など購入。再びジム。拳闘系の鍛錬一時間。夕方小雨。FCCで新聞読みながらBloody Maryと珍しくドライシェリー一杯。ドライシェリーはいつも思い出すのは小学生の時だったか西洋料理屋での食事のハウツー本だか読んでいて(小学生のガキがそれ読むのが可笑しいが)巴里だの紐育だので立派な西洋料理屋で、坐るなり給仕に「食前酒は?」と言われた時ほど心の準備できておらず一瞬惘然とするもので食前酒に間違ってもビールは失格だしブランディなどと言わぬように、と。カクテルも食前に合うのは少なく口にへんな味を残さぬ酒がベストで、無難なのはドライシェリーと紹介あり。食前酒で困ったらドライシェリー、と覚えた次第。実際にシェリーを飲んだのは十年後だか。閑話休題。早晩に帰宅。雑事片付けつつドライマティーニ。昨日マザーインディアで食べ残しテイクアウトの印度料理。やはり一晩置くとさらに美味。カレー味ばかりかチーズのカレーであるとかホウレン草カレーなど美味い。NHK特集で三宅島の住民の島での生活再開のドキュメント見る。清水義範の講談社文庫『国語入試問題必勝法』の残りいくつかの短編読む。あとがきで丸谷才一が著者のパロディ性賞めるがパロディにしては皮肉といふものなく単なる発想上手。村上春樹の短編集『象の消滅』もこの本題となつた短編までようやく読了。『象の消滅』読めば確かに上手い。こんなこと小説にしよう、と普通は思えない内容。だがそのネタは小説にならないがそのネタを心に抱く主人公ってのは小説になりえるのだ、と理解。司馬遼太郎の『街道をゆく』の沖縄・先島への道も読む。眠気と残り百頁ではさすがにこれは読み終わるまひ。
▼安倍二世(岸三世)が小泉三世の次の首相も靖国神社参拝すべきで責務であると発言(朝日)。世論では愚直にも安倍が「次期首相にしたいナンバー1」であるが実質的にすでに首相レースから落ちたからか発言も過激に。ふと今週の元幹事長古賀君の動きが気になるとNHKのBSニュースで偶然なのかどうか次に古賀君現れ中国との問題など考えると首相の靖国神社参拝は慎重であるべきと発言。古賀君が日本遺族会の会長であることを記者に指摘されると小泉首相自身が判断すべきこと、とかなり無理もあるが自民党のなかで何かしらポスト小泉で動き垣間見られる態。安倍はいずれにせよ石原と同じ「支那の呪縛」といふ轍踏んだか。中国が、中国が、と悪口言わぬと自らの自己統一性すら保てぬ脆弱さ。さふいふ意味では何も考えておらぬから中国を悪者にする必要もなき軽口小泉のほうが強いのかも。
▼深センの政治協商会議が年次総会で専門部会が深セン市の人口問題検討。公式な永住人口は165万人で400万人の登記された労働人口あり。この400万人は出稼ぎで労働許可されているが永住権もたず労働契約解雇されれば深セン出て故郷に戻る。この人口の二重構造はSF小説の市民と労働奴隷の如し。だが問題は更に登記されておらぬ浮動人口あり深センの実際の人口は1200万人に上るといふ。香港の二倍近い、東京都より巨大な、この人口が香港の「裏」にずしりと構える重み。中国の共産党一党独裁だの非民主的社会を悪く言ふのは易いがこの人口動態をば抑えていてこの状況。抑えのタガが外れた時の怖さ。
▼北京当局がようやく北京郊外での口蹄疫発生と四千頭の牛処分を認める。当局がこの疫病を最重要に報道しなかった理由として口蹄疫が人間の健康に直接被害あるとは認識されておらぬため、と(嗤)。物は言ひ様。ちなみに世界の家畜用の豚の五割、牛の9%と羊の二割が中国にあり。
▼一週間近く前のNHKのニュースでだが大阪日本橋で「無職の」男二人がケーブルテレビを契約なしの見放題出来る万能チューナー販売したとして検挙される、と報道あり。売上げは実に八千台で売上げ2億3千万円。これが無職か。違ふ。
▼これも水曜日の新聞の切り抜きだが信報の林行止専欄に日本の相撲の勝ち負けに関する某経済学者の分析紹介あり。1989年から2000年まで大相撲の281名の力士による32,400回の勝負での統計だが千秋楽で七勝七敗と八勝六敗の力士の対戦で七勝七敗の力士の千秋楽での一番の勝率は統計上は48.7%なのだが(なぜ五割下回るかといへば引き分けに非ず八勝六敗の力士のほうがこの場所での強さ加味されるゆへ……見事な分析)実際には七勝七敗の力士が八勝六敗の力士破る勝率(つまり勝ち越し)は実に79.6%だそうな。で七勝七敗と九勝五敗の力士では七勝七敗の力士の勝率は47.2%まで下がるが実際には73.4%となる。これが相手が八勝七敗の力士での勝率を下回るのは正論では九勝五敗の力士の力が勝るからだが(ここまでは書かれていないが)九勝五敗なら八勝六敗より七勝七敗の相手に勝ちを譲ってもよさそうだが何故それをせぬかといへば九勝と十勝の一勝の差が翌場所の番付にかなり影響があるからで、また勝ち星の目立つ場所でない場合は技能賞、敢闘賞の選考にも残る成績となる。勝ちを譲る、事実は今さら驚かぬがここまで数字で示されると納得。
▼恩師?謝剣教授がまた信報で台湾独立反対の論陣で息巻く。清朝の頃の文献紐解き日清戦争で清が日本に負けて台湾をば日本に割譲した事実踏まえ、それゆへ台湾は歴史的に見て中国領土である、と。御意。だが「だから台湾は中国と不可分であり独立できず」となる。中国領土であっても台湾に独立の選択があること、はそれの実現の可否は別として、理論上は先生が文句つけることに非ず。マレーのシンガポールも独立の意思があり、それが国際的に承認されれば独立できるといふ事実がこの先生には理解できておらず。大中華思想の怖さ。

五月廿七日(金)睡眠三時間で六時半起床。宿酔なけれども眠たひのは当然。夕方より豪雨。雷鳴轟く。晩に昨晩痛飲の蘇州I君とQuarry Bayの酒場East Endに待ち合わせエール2パイント。Z嬢来くる。三人で近くの印度料理Mother Indiaに食す。さすがに睡魔に冒され晩十時半には寝入る。
▼朝日新聞の箱島君社長退任。67歳での退任といふ規定上のこととはいへ会長職につき院政の噂もありしところ相談役と多少はマシ。後任は政治部出身で箱島君の経済部天下も終焉か。
▼築地のH君に注意卯がされ朝日の「靖国打開「小泉後」も視野 アジア外交 首相候補の対立軸に」といふ記事読む。対中問題公明党や日経連が関係改善に動くが「中国側が困っているのは、ポスト小泉候補の中に参拝を明言している人がいること。これは厳しい」でこれで安倍二世(岸三世)は×になるのだが、自民党三役経験者の一人(おそらく加藤紘一君か)は「単純に国内世論に乗るのか近隣諸国との関係を重視するのか、ポスト小泉選びでの新たな対立軸となった」と指摘。元外相の高村正彦君は孫文夫人弾たピアノ飾る日比谷公園内の松本楼(とは大時代的)に古賀誠、平沼赳夫、麻生太郎らと中国の王毅駐日大使招き善後策語る。古賀君はともかく平沼、麻生と「かなり右」陣営で中国大使相手にどういふ意図か興味深し。古賀君は「アジアからどういう信頼を得るかをポスト小泉を選ぶうえで見定めないといけない」と語り、それならH君は加藤紘一だろう、と。高村君は「外交の最大の目的は、両方が勝ったという関係を導き出すことだ」と語つたといふがH君に言わせればかつてはタカ派であろうと反動であろうと保守政治家が当たり前に持ち合わせていた政治のリアリズムが今や決定的に失われている事実。保守=現実的が大看板で革新陣営こそ空理空論と嘲笑されたもの。それが革新の理想主義に輪をかけての非現実的な「感情外交」跋扈するさま米国の新保守主義跳梁にも似るがネオコンにはまだしも「アメリカの自由を世界に拡大する」という相手には迷惑だが本人らには「語るべき理想」あるのにくらべ安倍三世や都知事の「だって日本は悪くないんだもの」は理想といふにはあまりに幼稚でお粗末すぎ。しかし都知事が三百万都民の信任受け安倍三世は「総理にしたい政治家ナンバーワン」とは。この朝日の記事でも先日のヘラルドトリビューンの記事でも明らかなのは「ポスト小泉」が政治日程に浮上してきたこと。その直接の要因が対中関係といふのが「だからおかしい」のだろうが日本が脱却できぬ呪縛なのかも。

五月廿六日(木)晩に尖沙咀で薮用あり。終わつて二更に銅鑼湾。蘇州I君来港で招飲の約ありI君銅鑼湾に現れる迄バーSに独り飲む。隣席にかつて銅鑼湾にてJといふ酒場営まれしK氏居られ少し歓談。Jには関係者少なからず余り足を向けずに終わる。そろそろかと思い驟雨のなかバーYに参れば恰度I君現れる。小一時間でチリワインさつさと2本。当然それで終わる筈もなくバーSに戻れば恰度客足とぎれご主人ともゆつくりと語る。さすがにあまり飲まず、だがI君に馳走になりI君帰る際につい居残つてしまひ深更に至る。
▼本日の紐育タイムス紙。東京で日本経済新聞社主催の検討会「アジアの未来」にて新嘉坡のLee Hsien Loong首相による日中関係への提言大きく取上げる。両国のナショナリズム重視の姿勢への苦言。(以下、私見)ナショナリズムといへば新嘉坡だが新嘉坡にとつてのナショナリズムは国民の精神発揚であり対外的に外交や経済活動の障害になるもの非ず。勝手にやればいいもの。ところで新嘉坡とのLee首相とは小泉三世は23日晩にホテルニューオータニの寿司・九兵衛にて会食。ちなみに翌24日晩はマレーシア首相と帝国ホテルの天ぷら・天一。各国首脳ともホテルの和食といふのは相手が日経のシンポジウムへの参加で公的外賓にあらず宿泊先のホテルで簡単に。小泉三世といふ人、大切なところは軽口で平気のへの字だが、こういう小さな座敷やカウンターとなると大上段に日本だの国際社会はこうあるべき、などと上機嫌で語りそう。

五月廿五日(水)曇。先考と呼ぶには亡くなつて日も浅き父の誕生日。何度か香港より誕生日にと祝品送れば電話あり言葉少なく話したことも思い出となりぬ。Z嬢曰く命日も大切だがマーラー聖誕百年だのモーツァルト聖誕三百年だのと芸術家など聖誕祭あるが故人偲び誕生日の周年祝あつてもいいのでは?と。確かに。先日この日剰にて紹介の、「鬼谷組」と「ハローキティ」共存のトラック野郎だが今朝見ると「あれっ……」で冠の「鬼」の一文字と正面の「鬼谷組」の文字消える。扉の連獅子こそ残るが明らかに鬼谷組からキティちゃん化の過程にあること。つまり中古で日本から持ち込まれた際には立派な鬼谷組仕様であつたトラックが現有者の趣味がハローキティで着実にその世界に生まれ変わろうとしている。どうせならキティちゃんの連獅子もありかも。早晩にジムで一時間拳闘系の有酸素運動。帰宅して夕餉。鮪の中落ち丼など。菊正宗。諸事片付け早々に臥床。
▼二年暫定任期での行政長官「選挙」立候補のため政務長官ドナルド曽蔭権君政務長官辞任。北京中央の実質的欽定にて選挙ぢたいすでに終わつたが如し。97年当時、香港政庁の生え抜きの公務員のトップには政務長官に陳方安生女史が燦然と輝く。財務長官とはいへ実務派の曽君はまさか自分が行政長官になると思ひもせず。わかつていれば英国女王より爵位いただきもせず(←これが今になり北京中央の支持受けても香港の地場の「土共」らにとつて面白くなき話)。董建華の八年にわたる行政でかなり混乱あり北京中央もかなり負担多きところ今回の「あまりにも公務員らしい」曽君任命で結果的には香港特区行政長官に「華のあるスターは要らぬ」といふこと実証できたことの重要性。香港が中国の一地方都市として定着、である。
▼蘋果日報の論説で張華氏の「呉儀不見小泉的好処」は分析見事。呉儀にしてみれば小泉三世と会見し握手でもすれば後日小泉三世靖国参拝あれば呉儀にとつてはメンツ丸潰れで政治生命にも影響あり。これの前提が99年の朱鎔基首相で当時、中国が核開発で米国の機密技術入手画策との懐疑あり対米関係悪化。中国のWTO入り目指す朱首相訪米で関係改善したがNATO=米軍機によりベオグラードの中国大使館誤爆され三名の外交官死亡し反米感情高騰。事実上は関係ない朱鎔基だがスケープゴート的に批判の対象となり部分的に政治力も退えし事実。小泉三世が靖国参拝の可能性あれば中国首脳は国内の政治がため握手などできず。また日本の国連安保理常委入り問題。中国国内で民衆レベルで日本の常委入り反対の世論あり中国政府が日本の常委入り賛成すれば民意を敵にまわし反対すれば対日関係悪化。正常な対日関係維持のために反対できぬのなら支持か中立しか選択肢なし。だがもし対日関係が悪化していれば反対にまわるにまつわる圧力大きく減るわけで、これも中国には一つの選択である、と。御意。
▼紐育タイムス紙は“Japanese are left fuming, perceiving discoutesy”と06年9月からのポスト小泉三世での政局での対中関係を憂慮。日本の世論調査など見れば日本人の民意レベルで対中の歴史認識や靖国問題に常識的は配慮があるが、そういつた背景あつても歴史認識と靖国問題が対中の経済関係に大きく影響があるかといふことにはかなり楽観的なのが日本。何かと燻つても大局には影響せぬといふ感覚。そこに安倍、麻生、中川といつたポスト小泉の対中強行派の存在が日中関係で懸念されるところ。(以下、私論)自民党も先達らが築いてきた対中関係。台湾支持派も多いが根底には伝統保守として日本の伝統に漢文を大意は解す教養としての支那趣味があつた世代と「戦後の間違つた個人主義」で育つた世代の差。
▼加藤周一翁は廿四日の朝日「夕陽妄語」にて日本と中国の「すれちがい」を述べる。四月の中国での反日デモ見ていれば、日本はデモに対する中国政府の対応をば問題とし破壊の原状回復や在留邦人や企業の安全確保を求め、それに対して中国側はデモの背景にある基本的要因として靖国や教科書問題を挙げる。この着目点の相違。中国が王朝興亡など歴史を見る知的伝統があるのに対し日本には都合悪い過去はさつさと水に流し外挿法適用されぬ明日には明日の風が吹く、現在の状況に集中する日本の感覚。この感覚の差はそう易々と解消できぬものでなし。だが個別の問題は対処可。靖国は首相が参拝せぬことで解決でき(A級戦犯合祀も首相参拝なければご勝手に、の話)、作る会の教科書とて大多数の学校が採用しなければ問題にならず。こうした個別の対処が出来る話。で最も重要なことは『過去の』対中15年戦争の『現在の』日本による正当化、これだけは一切許されぬ話。日本の歴史観に中国が内政干渉といふ発想は戦争が相手国あり而も相手国が被害者であれば「内」の問題に非ず。そして戦争の死者を政治的にいま利用することが死者への冒涜であること。(以下、私論)今の日本の問題は、明らかに、当時の戦争も知らぬ世代が自らの国を「普通の国」にするがため(つまり自己満足)過去の歴史から死者までを利用することの傲慢さと粗忽ぶり。
▼「バン」で「アイビー」流行させし石津謙介氏逝去。享年九十三歳。あれだけ成功しつつメンズへの執はり。当時さすがにアーノルドパーマーはすでにダサかつたが「半纏」と聞こえるHang Tenやボートハウスのトレーナーがオシャレの時代に、VANもBの発音の「バン」と聞こえアイビーも蔦とは思はず、てつきりIBかと思つたほど田舎に育つた我も『ポパイ』誌にはなぜか我が街の老舗、かつての福田呉服店の経営せし店がアイビーやトラッドのセンスよきショップとして東京以北では唯一紹介されるほど脚光浴び、折から我=肥満児は僅か一年で体重廿キロ減量に成功し、初代ウォークマンにイエローマジックオーケストラの流行る時代、オシャレしたいがヴァンヂャケット社の衣料など小僧には高嶺の花。それが78年の同社倒産で前述の福田の店で大量の在庫処分あり「痩せて着るものないんだから」と母に二万円渡され足が震え竦むだ記憶も鮮明。

五月廿四日(火)昨朝の雷鳴に続き今朝は未明から大雨に目が覚め眠れず。昼に金鐘の旧東京銀行の入つた極東金融中心(通称金色ビル)にある日本料理・四季に食す。金鐘の日本企業の「社員食堂」として一世を風靡。今でもこのビルに三井物産などあり日本人も少なくないが当時に比べ地場の者圧倒的に多し。夜もかつては残業に励む駐在員に賑わつたもの。早晩にジムで小一時間拳闘系有酸素運動に励む。帰宅。飲まずに帰宅したところで冷凍庫からウォッカ取り出しショットで一杯。夕餉。サントリー山崎のロック並々一杯。大河ドラマ『義経』の録画二回分見るが出演者の戦に挑む際のあまりに鷹揚な演技に飽きて途中から転寝。演出上は中井貴一のあのキャラでの頼朝との対比なのかも知れぬが。日記記述中に二度もノートブック突然のクラッシュあり。前も数ヶ月に一度あったがやはりマッキントッシュのパワーブックとの併用=浮気で「電化製品によくありがちな」併用の旧機におきる不調だろうか。
▼中国の呉儀副首相の小泉会見取消ての急遽帰国。朝日は社説でも触れず(右派からはこれが「北京寄りの築地」の正体であろうし)産経が実に正論として吠えている(こちら)のは当然だが(右派的には主張は実に筋の通ったもの……実際の日本の姿勢と行動は別にして)興味深いのは読売が社説で吠えもせず、で何処に着目したかといへば呉儀女史帰国の理由とされた緊急の公務に関連させ香港電で23日の香港サウスチャイナ紙の記事から「北京郊外で家畜伝染病の口蹄疫が発生し数千頭の牛を処分」と報じ「中国政府は北京郊外での口蹄疫の発生を否定し」「中国メディアの記者は発生状況を報道しないように警告を受け」た可能性があり「牛肉や豚肉などの輸出に影響が出ることを恐れ中国当局が情報を隠している疑い」と。(こちら)これが呉儀副首相の急遽帰国の公務理由でなかろうかといふ扱い。偉大なる事実究明か限りない憶測か。だがこの分析での報道はヘラルドトリビューン紙も同じ。勝谷誠彦先生になると「SARSかあるいは私たちの想像を絶した病気があの汚穢国家では発生しても不思議ではない」とまで言いたい放題の断言。呉儀が大連に戻つたのは日本では通信傍受され疫禍について国家機密が日本にバレるため外遊続けるには北京に戻れず通信保全のため大連に寄り情報入手し事態検討と今後策協議の上、翌日から蒙古への外遊続けた、となる。だが気になるのはもし本当に口蹄疫の対策であるとしたら呉儀が緊急帰国することは国家機密扱いが寧ろバレること。だからそのまま信用もできず。ひとまず下記の記事を日刊ベリタに送稿。だが送稿後に中国外交部報道官が記者会見し呉儀副首相の帰国は「日本の指導者の最近の言論によって会談に必要な雰囲気がなくなったためだ」と説明し小泉三世との会談中止の理由が靖国神社参拝を含む歴史問題であることに言及。「緊急の公務」が帰国の理由と説明していた点も事実上撤回。これでこの記事の掲載見送り。気になるのは今回のやり方が大方の見方が小泉靖国参拝への反発であるとわかっているのに敢えて記者会見までして政府見解としたこと。明らかに対日関係悪化。寧ろそれを敢えてしたことに「実は帰国の理由は他に何かあったのでは?」と疑いたくなるほど。遅晩のRTHKのラジオニュースでは北京郊外での口蹄疫発生がその発生の事実を十日前に確認していた現場が組織的問題で上部への報告遅れた点にSARSでの教訓活かされておらぬ問題あり、と報道。
▼ヰリアム登β達智君がCCDCの舞踏≪鏡・花・圓≫につき厳しくも的確な劇評を書いている(本日の信報連載)。まずはシルヴィオ陳仲輝君による衣装について。同じファッションデザイナーがかたや舞台衣装の制作者とかたや劇評家の立場。第一部は日本の折り紙で始まり舞台には畳、舞者は柔道着モチーフにした衣装。この衣装が常識からすれば舞踏の衣装が「軽、薄、通」であることに反した厚い木綿生地であること。発想は自由であるが常識と奇抜さの難しい点を達智君は「蜜柑をいくつか買って来い、と言われて渡されたカネでマンゴー1個買ってくるようなもの」とたとえる。見事。で第二部のSMっぽい衣装につき達智君はフランシス=ベーコン髣髴と好意的なのだが余は寧ろ第一部の無印良品の如き衣装に比べこのSM衣装こそ陳腐と思えたもの。
▼余が好んだパシフィックコーヒーカムパニー、香港で三十九店舗の珈琲店あり、が香港の地場財閥・其士国際集団(Chevalier International Holdings Ltd)(こちら)傘下の其士科技により二億ドルだかで完全買収される。其士は日立だか東芝のエレベーター販売管理などで始まり創業主の周亦卿君は香港日本協会だかの会長。パシフィックコーヒーといへば香港では宿敵・星巴珈琲に対抗する地場企業。奇しくも星巴と同じ米国シアトル出身の青年が十数年前に香港でハイテク事業の傍らにサイドビジネスで始めた珈琲店。第一号店は確か美国銀行中心にあり。五年ほど前に星巴珈琲がマキシムチェーンの営業で香港開業。一気に市場独占かと思いきやパシフィック珈琲も健闘。記憶に残ることは七、八年前であろうか、中環ハリウッドロードに当時余のかなり好んだ独逸麦酒供すパブあり毎週土曜日ここに憩つたが突然の閉業(独逸人個人投資家の経営でバブル崩壊が原因)でそこに初めての大型店構えたのがこのパシフィック珈琲。中環の警察署向かいに今もあり。店内に重厚なソファ多く無料上網の電脳配置し寛ぎやすさは星巴以上。それが個人資本であったところが評価されたが財閥傘下の一企業となることは惜しいかぎり。

五月廿三日(月)眠れずまんぢりとせぬ儘に未明となれば遠くより雷鳴襲ひ日の出の頃に落雷猛々しく窓打つ雨音も太鼓に張つた皮を炒つた豆撥ねる如し。さすがに午後眠気さし銅鑼灣エクセルシオールホテルG階に出店のillyの伊太利珈琲初めて喫す。確かに美味。この場所はホテルのエレベータのどん詰まりにて隠れ家的だが問題はソファもなくストール六つだけでインターネットはホテル提供の三時間百数十ドルのサーヴィスでは客も寄りつかず。これなら近くの星巴珈琲の不味い伊太利珈琲でも環境で選択の客多きはず。早晩にジム。小一時間の拳闘系の有酸素運動。銅鑼灣に出てバーYの開店襲ふ。店の掃除も終わらぬうちに顔を出し口開けの客気取り。開店の準備で忙しいだろうからとウォッカをばストレイトでまずは一杯請ひ「ウォッカは何が?」の問いかけに冷凍庫開けて一番手前にあるのをお呉れと告げればフィンランディアならさつぱりめ。この早い時間に客もなければ若いチーフのH嬢とT君相手にお茶引きだの檀家参りだのと古い花柳界の隠語など語る恥かしさ。花柳界の言葉といへば芸者遊びでの畳算だの水を指す玉川だの売淫婦を達磨といふ事などもはや死語となりぬ。フォアロゼズの黒ラベルでソーダ割一杯。これで腰落ち着くのが怖いからねとソーダ割飲み終わらぬうちにお勘定願ふ。酒場はまだ飲みたいと思う半時間で出てこそ気障。ふと思い出すは荷風散人。玉ノ井の私娼家に早い時間にふらりと立ち寄り遊ぶでもなく茶一杯喫すれば女に「祝儀はつけておくれ」と請われるも最初の客に茶一杯とはいへ供しカネもとらずに返しては今晩商売あがつたりになりそうで怖いとの験担ぎ。他の客も来ぬうちに早々に酒場辞して車に乗れば東方に見事な満月上るを愛でる。帰宅してドライマティーニ一杯。今晩はかなり久々に自宅で夕餉。名古屋のオリエンタルカレーの所謂カレーライス。Z嬢と、もし天気良ければカレーライスをタッパーに詰め裏山で満月愛でてカレーも美味いかもと昨晩笑つていたが黒雲立ちこめ月は雲に隠れたり。残念至極。ワイルドターキーをロックで並々一杯。日曜日の晩にケーブルテレビで放映の、台湾の雲門舞集と香港のCCDC取り上げた短い番組見る。続いてNHKの朝の生活ナントカといふ番組で「ロック曾根崎心中」といふ文楽に阿木耀子&宇崎竜堂の音楽つけた「催し物」の紹介もビデオに残っており眺める。ロックといふよりモダン演歌の音楽で「お初」踊ればどこか梅田は堂山のゲイバーの和服似合ふママの一人踊りの如し。この番組とてまずは紹介に文楽の舞台構成と曽根崎心中の話の筋紹介せねば視聴者に理解されぬ時代となりぬ。ジャックダニエル。そろそろ飲み過ぎだろうが早い時間の酒場での一杯と自宅書斎での深酒ほど心地よきものはなし。
▼来日の中共の呉儀副首相本日午後遅くの首相小泉三世との会談急遽取消し帰国。本国にて嗇かならぬ公務と中国側。昼には経団連奥田豊太君との昼食会談迄は日程済ませての帰国は明らかに呉儀女史来日前日の衆院予算委での小泉三世の政府も外務省も呆れた靖国参拝の「どこか悪いのか」発言への竹箆返しか。勿論中国の金融対策など呉儀女史おらねば話進まぬ内政事情もあろうが日本の首相相手の会談を取り消して迄の急用に非ず。明らかに小泉三世への不快感の明示であろうが更に明らかなことは小泉三世と会談したところで明らかに共通言語抱ける筈もなく経団連奥田豊太君よか小泉三世など取るに足りぬ相手であるとの中国側よりの三行半と理解すべき。中国側のこの為打ちに産経、読売など明日の朝刊で非礼詰り憤るであろうし実際に外交慣例上非礼であるが中国が胡錦涛&温家宝にも物言える立場の呉儀といふ人をこの日中関係ぎくしゃくのこの時期に日本に遣ることのどれだけの日本に対する敬意かを充分に理解できず呉儀女史の来日前日にあれを語つた小泉の外交上の粗忽ぶり哉。だがもつと呆れるは安倍二世(岸三世)の「まるですべてわかっております」的なる記者会見でのパフォーマンス。中国側にしてみれば安倍二岸三(あべにきしぞう)こそ小泉三世以上に中国側には「不快」だが次期首相候補とは。嗚呼……。

五月廿二日(日)快晴。一昨晩の深酒と昨日の無為改めむと日曜乍らさつさと起き諸事片づけ午前十時過ぎ拙宅出で裏山に入れば気温は摂氏三十度と猛暑とは白せ湿気六十余度と香港にしては過し易く一昨晩の大雨に渓流の水音も勢ひよくパーカー山道上り大潭一気に下ればダムも満水の水湛へる。大潭のダムへの引水路も透き通る湧き水流れる様も心洗われる如し。島南の浜辺に出でれば太陽燦々と輝き肌を灼く熱も夏の訪れか。思わず麦酒二罐。突然だが清水義範『国語入試問題必勝法』読む。新刊の当時読んだがヤクルトの古田選手が心に残るだか若者にお勧めだか一冊に選び古田選手らしいと思ひ改めて読むだ次第。麦酒の酔ひに微睡む。午後遅くいろいろ考えるところあり往路を逆に復た走つて帰ろらうかといふ気になり午後の何とも絶好なる青空の下また走る。往復で廿数キロは我ながら立派。ジムにより一浴し帰宅。着替え中環。FCCでZ嬢と待ち合わせドライマティーニ二杯。タイ風のココナツと鶏肉のスープとフィッシュ&チップス。クリームチーズのデザートと珈琲。中環の高層ビルの合間に見事な月。IFCの映画館で蔡明亮監督の『天邊一朶雲』観る。今年二月の伯林映画祭にてFIPRESCI賞受賞するが香港映画祭では常連の蔡明亮ながら今年の香港映画祭の台湾映画締め出し?で期待に反して上映されず。蔡明亮といへば主演男優の李康生。昨年の香港映画祭には蔡明亮の『不散』と並び李康生の初監督作品『不生』上映されたが今回の『天邊一朶雲』は蔡と李の共同プロデュース作品。台湾では政府新聞局のかなり修正入つたと聞くが香港は修正一切なしの原版上映。相変わらず殆ど会話なし。蔡明亮といへば止むことなき雨だが今回は台湾日照り続きで断水。断水のマンションでAVのポルノ作品の撮影。AV男優役が李康生の熱演。濡れ場の相手役は夜桜李子チャン。李康生がここまでやるかの全裸で蔡明亮と李康生の映画づくりへの熱意感じ入るばかり。断水のマンションで李康生はじめ誰もが手にペットボトル持つ。その断水のマンションで濡れ場。その舞台設定の妙。日照りの断水と同じ如く乾いた人間関係の中で李康生が最後に情事の最中に汗をかく自然と、李康生との乾いた関係で同棲する女がおフェラで飲まされ喉詰まりの苦しさと嬉しさか流れる涙。「潤ひ」とは何か。見事な作品。だが上映は一週間で終わるであらう閑散ぶり。IFCの映画館の映画館は右も左も『スターウォーズ』の続編でかなりの人出と長蛇の列。ふと思へば『スターウォーズ』第一作目から一度も観たことなければ今回の回想録のような作品も全くチンプンカンプンであらうか。Z嬢も観たことないさうな。IFCのCitysuperで乾酪など食材購ひ帰宅。月は早晩にもまして見事。一昨晩の大雨で空気も洗われ本日の湿気のなさで夜景も格別。ため息。
数日前の画像だが朝いつも通る駐車場に気になるトラック駐車。トラックの頭には「鬼」の一字、正面には「鬼谷組」と勇ましく運転席扉には連獅子の猛々しさ。と見事だがフロントガラスにはハローキティと書かれダッシュボードはピンク色でキティちゃんに統一。いつたいどうするとかうなるのか? 外装は旦那で内装は女房の趣味か。いずれにせよ日本趣味ではある。

五月廿一日(土)朝寝貪る。昨晩といふか今朝までの遊行に反省しつつ実は量的には意外と飲んでおらず宿酔もなし。いくらか晴れ間続くがさすがに走り炎天下遊ぶだけの気力もなく午後に九龍の知る湯屋に寄りたつぷりと風呂に浸かり気功の技に長けし師傳による按摩二時間。早晩にZ嬢と尖沙咀で会いHMWでZ嬢がホロビッツのモスクワ公演のDVD購入に付き合う。かなり人気の作品らしく日本では入手困難だとか。京笹に早目の晩餐。いつもながらに美味なる酒の肴の数々。カツ丼を二人で分ける。あれだけの数の料理をどう拵えるのかこの店の厨房にかなり興味あり。文化中心のスタジオにて城市当代舞踏団(CCDC)の≪鏡・花・圓≫といふ舞踏公演見る。踊手の技巧も高くテーマの着眼点といくつかの演出面白いが作品としてのまとまりに多少の難あり。衣装は畏友Silvio Chan君によるもの。Xtcのジェラート頬張りスターフェリーで香港島に渡り帰宅。
▼英国サン紙に米国機密某所に捕虜として収容されるサダム=フセイン君の憐れなパンツ一枚の写真掲載。米国政府このサン紙のすっぱ抜き写真に不快感示し捕虜の人権が侵害され寿府条約にも抵触と指摘。イラクでの米軍の刑務所での収容者への暴行や人権侵害、そもそもイラク征伐の勝手を思えば米国こそ呆れるばかり。

五月廿日(金)バンコック在住のY氏大阪よりの戻りで香港滞在中。晩にY氏と銅鑼灣の割烹宇津木。野菜と小芋煮。小鰭、赤貝と粒貝の刺身。と美しいほどあっさりだが酒は「すずめ」なる焼酎を二人でさっと一本空ける。大雨。バーYに移り歓談。Y氏と別れバーS。Taliskerといふモルト飲む。店が終わるまで待つて主人M氏と軽く一杯でもと言つていたら五、六名の客あり。香港関係のブログで……などといふ話聞こえどなたかと思つて見ればやはり香港イラスト日記のN氏。その客の中に余を知る女性ありその方の紹介でN氏といろいろ款語続く。とてもM氏が閉店で店を閉める状況になく一人またバーYに戻り人に言えぬ閉店時間迄飲み店のT君と客のT君と明るくなりかけた銅鑼灣の繁華街からタクシーで灣仔。週末は24時間開くオールドチャイナハンドで麦酒一本のみさすがに疲れて両T君置き去りにして帰宅。
▼香港のペッグ制度、HK$7.8をUS$1とするが僅かながら変動相場とする策を受け銀行の利息は0.5%から1%に上昇するなど金融相場動き目立つ。信報の社説の指摘にある通り、人民元の将来の完全自由兌換制への移行を前に香港ドルが人民元切り上げの代用品として曝されることになるのだが香港が内地金融制度安定のために寄与できることの意義として楽観視を唱える。いずれにせよ人民元が将来、国際通貨となるとしたら、まず人民元(人民幣)といふ不思議な通貨名称の再考し中国元とすべきでなかろうか。人民元といふ名は貨幣制度とその理念の物象性、象徴性から見ても宜しからず。貨幣制度こそ人類の産物で貨幣など用いるのが人間だけで人民元に対して蛙ドルも猿フランもないのだから。人民元いっそのこと通貨単位をパンダにしてしまふとか。1パンダ、50パンダ、とか。

五月十九日(木)曇。晩に九龍にて工作任務あり早晩中環FCCに独り食す。FCCのラウンジに連日の如く老婆の姿あり。メイド連れいつも同じ卓に坐り白葡萄酒を一杯。テレビモニタにはBBCのニュース番組いつも流れ音も聞きたき客ヘッドフォン借り無線で聞く仕組み。老婆が席に坐れば黙つていてもヘッドフォン供されぶつぶつとつぶやきながらニュース聞くような聞いておらぬような。連れのメイドに今、何時だ?だの食事の用意は?だとの続け様に質すのだが耄碌ゆへか「さっき聞いたじゃないの?」の如き事多くメイドも主人への態度横柄で老婆の傍らで暇そうに新聞眺め時間潰す。素性知らぬままであつたがいつも坐る卓についに「この卓は朝八時から十時、午後四時から十時までミセスH某が予約されています」と掲示まであり。なぜこの老婆ばかり厚遇なのかと訝しく、すぐにラウンジのネット上にて彼女の名を検索せば、この老婆がかの名高き戦争報道記者のClare Hollingworth女史と知る。第二次世界大戦の開戦の第一報報じた伝説的記者(ご本人の回憶はこちら)。1911年英国生まれ。廿八歳で英国紙デイリーエクスプレス特派員としてワルシャワに駐在。英国総領事の自動車借り偶然にドイツ国境ドライブしたのが歴史的な1939年9月。戦車の列。ナチス=ドイツ軍のポーランド侵攻。彼女は倫敦の新聞社に緊急で電話でこの大事伝える。彼女の急報聞いた総領事も倫敦に至急電。第二次世界大戦勃発。その後も彼女東欧に駐まり戦争報道続けヴェトナム戦争でも報道で活躍。足場がアジアとなり香港に長く住まわれる契機となつたと解す。現在九十五歳で矍鑠たるもの。これ程の記者であれば敬意表しFCCの卓が約されても当然と理解。連日、晩に村上春樹の短編集読むが村上知らずの余も題名だけは知つていた『TVピープル』だの『中国行きのスローボート』など読んでもいつこうに興趣沸かぬどころか何が書かれているのかもさつぱり理解できず。余の感性の乏しさか。ジントニック数杯飲んで寝る。
▼香港政府公民許行く委員会の作成で各テレビ局(中文台)にて晩のニュース番組の開始にあたり放映義務づけられている<心繋家國>なる愛国心強要「洗脳」ビデオクリップは中国国歌勇壮に演奏されるが従来45秒であつたものに新たに15秒、芸人ジャッキー=チェン君ら出演の部分加え1分物に延長。国歌の歴史的意義、曲や歌詞の解釈や国歌の法的地位など解説がありジャッキー=チェンが国歌の重要性説くそうな。昨日このお披露目あり公民教育委員会主席は国歌の尊厳語る際に内地にては娯楽活動などで気軽に国歌歌い奏でることも法規に抵触することなど紹介したが記者から「すると国歌をば気軽に口笛で吹くことも娯楽活動か?」と質問あり。これは曽蔭権君が董建華君より董本人の行政長官辞任と曽君への代理職嘱託告げられた際にその会議に向かう曽君が満悦の笑みで口笛吹く姿あり。曽君の粗忽さで後日その口笛吹いた曲が中国国歌だつたと而も懇意の民主派議員に告げる浅薄さ。記者の質問はこれを踏んだもの。公民教育委員会主席の香灼幾君は実は曽臨時行政長官と義兄弟の杯交わした程の間柄でさすがに「あれは公開場面ではなかつた」と逃げ口上で「勘弁してくれ」と(笑)。時と場合によれば娯楽気分で国歌を気軽に口笛吹いただけで内地にては違法となること。で中国国歌は義勇軍行進曲。1935年制作の抗日映画「風雲児女」の主題歌。
起来!不願做奴奴隷的人門!
把我門的血肉、築成我門新的長城!
中華民族到了最危険的時候、
毎個人被迫著発出最後的吼声
起来!起来!起来!
我門万衆一心、冒著敵人的炮火前進!
冒著敵人的炮火前進!前進!前進!進!
立ち上がれ、汝ら奴隷になりしこと願わぬ者たちよ! 
我らの肉と血で我らの新しき長城を築かむ!
中国の民族が最大の危機に直面せし時、
各々より行動がため危急なる呼び声発し出る
立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ! 
我ら万衆一心に敵陣の放火に挑み前進せよ!
敵陣の放火に挑み前進せよ!前進せよ!前進せよ!
といふこの曲は作詞が田漢、作曲は聶耳。聶耳は国民党の反共策で中国追われ日本に亡命。当時やはり亡命で日本に在つた田漢と出会い田の書いた歌詞に曲をつけ、それが反日映画主題歌となる皮肉。この曲は共産党の抗日兵らに歌いつがれ中華人民共和国建国の直前1949年9月21日に開催された中国人民政治協商会議にてこの曲が「代」(つまり暫定)国歌(参照)となる。いずれ正式に国歌制定までのはずが生き延び78年には文革の最中、歌詞も毛主席賛歌に変えられたが82年に田漢の原作の歌詞に戻し人民代表大会で正式に国歌と制定。で作曲した聶耳はこの曲を作り曲が抗日映画主題歌となつたその年の七月、神奈川は鵠沼海岸での海水浴で溺れ翌朝遺体があがる(こちら)。で田漢は中国に戻つたが文化大革命で右派として吊し上げくらい逮捕され68年に獄死(79年に名誉回復)。田漢の無念思えば国家とは実に恐ろしいもの。「君が代」同様にこの曲をそう易々と国歌として讃美し難し。
▼中環では泰昌餅家の閉業に続き今度は路上営業八十年の老舗「民園麺家」閉業の危機(蘋果日報)。路上だろうが軒先だろうが七年だか八年その場所占拠し撤去命令受けぬ場合は占有権あり。だがこれも規則決まつた際の既得権者だけの話で今からはまず無理。しかも既得権は当事者一代のみ。民園麺家も既得権者逝去し今月廿二日で営業権失効と政府当局より通告。香港でも今では少なき路上営業で風景の一部と化し評判の老舗ゆへ営業権執行につき注目あり。(画像は〇三年五月に食した折のもの)

五月十八日(水)曇。突然「カハラヒルトンホテル」といふメール届く。ホテルのPRかと思えば送り主は久が原のT君。何かと思えば余が先日綴った川端康成がハワイはワイキキのホテルで云々という光村図書の国語教科書の随筆のことで同い年のT君も中学生の当時「ノーベル文学賞だとこれしきのことで随筆になるのか」と感じた、と。だが余と文学少年T君との差は彼はカハラヒルトンホテルといふ、そのホテルの名前、で随筆の題まで覚えていたこと。さすが。調べれば昭和五十年には訪米の昭和天皇皇后両陛下も宿泊。現在はカハラマンダリンオリエンタルホテルだと知る。T君は一昨日は永平寺の不老閣にていまだに若い雲水より一時間も早く座禅に入る宮崎奕保管長猊下のすぐ側でわずか十数人の内輪の催しにて梅若六郎の奉納能を見たそうな(こちら)。晩にハッピーヴァレイにて競馬開催あり。畏友A君の所有馬・新聖(Natural Model)クラス4にて九戦未勝ながらクラス5に格下がり今晩は調教の時計もよく騎手はホワイト君と千載一遇の初勝利の機会。折からA君とA君の両親に招待頂き香港大学美術館総監のY氏夫妻とともにZ嬢と競馬場馬主ボックス席に招待いただく。降雨あり。賭け手らは新聖の状況の良さに期待して倍率は前走までの十数倍から5.8倍まで下がる。が中盤につけ最後の直線で期待に反し延びきらず五着。A君の両親H氏夫妻も今晩はかなり期待していたようで残念そう。ボックス席で晩餐。今晩は二位から四位的中が二度もありQPでどうにか回収。第4レースでは31倍の駿球(Super Ball)なる馬を単勝ゲット。豪雨甚だし。H氏夫妻ら第4レース終わり帰宅され我らも第5レース終わり雨の止んだ隙にタクシーで帰宅。テレビで競馬中継見る。夜半まで雷鳴轟く。
▼紐育タイムス紙に著名コラムニストNicholas Kristof氏の“A Clampdown in China”なる文章あり(こちら)。胡錦涛君に対して見た目平穏、実際は高圧的な治安維持このまま続ければインドネシアやウクライナの如き民衆「爆発」起きると警告。一読の価値あり。
▼英国で「ずぶぬれの黒いタキシード姿」で「発見」されし「記憶喪失」の男性、病院では「人におびえた様子で口を閉ざして」いるが「鉛筆を持たせるとグランドピアノを描き」「鍵盤に向かうとプロ級の演奏を披露」し「沈黙のピアニスト」と評判とか(朝日)。容姿よく着衣のラベルすら切り取られ身元不明。描いたグランドピアノの絵は見事なほど精緻でピアノの前に座らせると一転してリラックスした様子となりチャイコフスキーの白鳥の湖や自作と思われる曲を2時間以上にわたって演奏。余りの出来すぎた話に新手の若手ピアニストの売り出し宣伝かとすら感じる。チャイコフスキーの「白鳥の湖」といふのがわかりやすすぎ。これでバルトークとか弾くともっとおかしいしリストの未完の曲の未完部分とか演奏するとちょっと怖いかも。

五月十七日(火)曇。昨年度分の所得税確定申告の書類記入済ませ郵送。毎年のことながら憂鬱。就労人口の四割だかが実質的に納税しておらず納税者の多くもかなりの控除枠で年にわずか数百ドルといふ現状。高額所得者もまた累進課税なきことで節税楽しみ結局は中途半端に収入のある層にかなりの負担あり。不公平。早晩に久々にジム。自宅マンション電気関係の緊急工事で午後十一時まで建物全面停電と報せあり。階下で漏電とか。「仕方なく」を理由にまずは銅鑼湾のバーYに寄りドライマティーニ二杯。Z嬢と北角の寿司加藤。板前N君の酒の肴美味。帰宅するとすでに通電あり。
▼朝日新聞夕刊で梅原猛「反時代的密語」に「日本の傳統とは何か」といふ一文あり。教育基本法の改「正」で政府與黨「傳統の尊重」謳ふことへの懷疑なり。筆者は「傳統といふものをどう考へてゐるかわからないが」としつゝ教育勅語を日本の傳統に根ざすものと考へ勅語の精神に基づき道徳教育行へば日本人が立派な道徳的人間になるといふ發想に對して持論述べる。保守反動右派勢力の最も深刻な誤謬は豐葦原瑞穗の國から明治の大日本帝國まで日本の姿をまるでパースペクティヴに日本の傳統的なものであるとすること。實は大きな斷層がいくつもあり、その一つが明治政府の近代へ向けての傳統の否定。梅原先生指摘するのは偏狹な國學的思想で占領された明治政府が日本の傳統である神佛習合否定して教育勅語も廢佛毀釋の神佛分離の延長線上で作られたこと。神佛不在の場所に新しい天皇といふ神を据ゑる。倒幕と近代國家建設に天皇が利用されたこと。そのやうな歴史の斷絶あること無視して實は存在もせぬ虚像でもつて傳統だの美徳説くことのまやかし。梅原先生は今上天皇が(と書くが今の若い人には「今上」なんて名前の天皇ゐたつけ?だらうか)百濟武寧王の血をひく高野新笠(桓武帝の母)に觸れ韓國との縁を語り、君が代を歌ひ日の丸を掲げる運動を嬉嬉としてとして務める棋士(笑)に陛下が「強制にならないことが望ましい」と述べることが天皇こそ實は今の日本が妄想する傳統だの美徳の嘘に乘らず本當の意味での豐葦原瑞穗の國からの神佛習合に見られるやうな日本のいゝ意味での「好い加減さ」の象徴であること。傳統だの美徳といふまやかしに瞞されてはいけぬぞよ。

五月十六日(月)佛誕。天気予報は雨ながらどうにか保ちそうな天気の気配。Z嬢と久々に二人で山歩きと決まり朝八時半に隧道バスでホンハム站。KCRで大埔墟。亡父の寝室の書棚から何冊か本をもらつて来た一冊の司馬遼太郎『街道をゆく 沖縄・先島への道』車中少し読む。1974年の南方諸島の旅行記。あらためてさすが司馬遼太郎の上手さ。何気なく歴史の見直しだの戦争反対だのを散りばめる筆致。だが上手すぎるから、あー面白かった、で終わつてしまひ、日本であれだけ司馬遼太郎が愛読されても司馬遼太郎の思想がconstruction(小文字でね)にならぬこと。烏蚊騰行きのミニバスはかなりの人出でバスも少なく取敢えず大尾督行きに乗り終点から新界タクシーで新娘潭を過ぎ烏蚊騰。晴天猛暑。吊燈籠の嶺を仰ぎながら先週の雨で水豊かに流れる山間の細き渓流愛でつつ今では廃村となつた上苗田、下苗田は住まえば桃源郷のはず。三亜涌まで水音楽しみながら一時間半ほど歩けば目下に印洲塘湾の海が広がる。三亜村まで歩き数軒だけの村落の福利茶室にて豆腐花と豆乳。美味。小高い峠越え新界の最東北の位置する茘枝窩の集落。鶴山寺。山に介り緩やかな坂上ること半時間で分水凹。四年前だかZ嬢と吊燈籠上り藪漕ぎで梅子林の廃村から下ってきたのがこの分水凹。時々重い灰色の雲走るが風に流れずつと晴天に恵まれたが峠越えで少し曇る。谷埔の廃村から沙頭角湾に出る。このあたり山間に土墓多し。いずれの墓も大陸を眺める北陵に位置し香港から帰れぬ遠き故郷を眺め望郷の念か。中英分境の徒花の如き沙頭角の市街の開発まだ続くを遠くから眺める。鶴藪に出て最新鋭のミニバスで粉嶺の聯和墟。肌ぢりぢりと灼く太陽。食の集落・聯和墟で今日の目当ては先日昼時の行列で断念の群記牛肉圓店でまずは清淨牛肉丸。当然美味。これだけ食し次ぎなる目当ては此処も先日通り過ぎて食感ピンときた和泰街聯昌街角のその名もズバリで山東餃子店。一皿六個だというのでそれなら、と店の自慢の山東餃子、羊肉餃子に韮菜猪肉餃子と三皿頼めば餃子の大きさ並ではなし(笑)。だが美味い。店ぢまんの山東餃子だけは奇を衒つて具盛り沢山過ぎていただけず。だが正宗の餃子は実に美味い。鶴藪でバス待ちで飲んだ麦酒とこの店で餃子を肴に更に二罐でかなり酔心地。お薦め……つて粉嶺の聯和墟などあまり行かぬだろうがジャズラーメンだけじやない!である。ミニバスで粉嶺のKCR站に着くと驟雨。KCRの一等席で爆睡でホンハム站。また驟雨。隧道バスで香港島。ジムのサウナに一浴し帰宅。NHKで午後八時になぜか「世界ふれあい街歩き」といふ番組の再放送で香港。中環から西環界隈の散策だがかなり笑える内容。とにかく風水先生に依存しすぎ。かつての総督府は中国銀行の新ビル完成で風水が悪くなり一人目(中国銀行ビル完成から一人目)の総督(つまりヨード総督)は亡くなり二人目(ヰルソン総督)は対中国政策で失敗し三人目(パツテン総督)は中国政府の反発かい今は誰も住んでいません、と。ヨード総督の北京訪問中の客死も中国銀行ビル完成での風水が原因だつたとは。で風水が香港にとても大切だそうで中環のエスカレーターで遊んだあとは「そろそろお腹もすいた」と入つた店が中環Jubilee街の金華焼臘店とびきり美味い叉焼を、はいいのだが「このお店、今年二月に改装したのですが風水を考えて今は大繁盛、でも改装前は信じられないくらいお客さんが少なかったのです」だそうな。「嘘もいい加減にしろっ!」である。改装前の方が明らかに繁盛していたしこの店の評判の白切鶏も昔は美味かつたのが事実。で「叉焼の作り方です」と紹介するのだが何処の家庭で気軽に香港式の直火焼きの叉焼など作れるものか。で中環から皇后大道西(ちなみに日本語読みの場合、余は皇后大道「にし」と呼ぶがNHKは「だいどうせい」であつた)に散策続き次が魚翅(ふかひれ)。上環の魚翅問屋が卸す店は海都海鮮酒家で「なるほど」だが、この店の厨房からも簡単な紅焼魚翅の作り方……っていい加減にしろ。家庭で簡単に出来るなら誰が大枚叩いて料理屋で食すだろうか。海都海鮮酒家といへば鮫の魚翅で思い出したが懐かしきは森首相。南アフリカだか訪問の折に飛行機のテクニカルストップオーバー(成田→香港で必要性もなき給油)で香港立ち寄り当時は豊かであつた外務省機密費で香港総領事が海都海鮮酒家で接待。官官接待の典型。で森君も給油済み香港飛び立つ。この番組、最後の〆は「欲が彼らにエネルギーを与えている香港」「欲をかなえるために生れた風水」だそうな(笑)。番組まとめるためなら嘘八百誤解ふんだんに盛り込むエネルギーのテレビ番組制作で呆れるばかり。NHKニュース10には外相町村君出演。冒頭から満足そうな笑顔で何かと思えば世界中から(イラクだの一部を除く)百何十名だかの大使召還して前代未聞の集会開催し日本の国連安保理入り目指し各国の大使に各地での工作に励むようハッパかけ、それ終わつてのテレビ出演でさすがNHKの報道芸者ぶり。町村君「常任理事国入り目指し各国に駐在する大使に『気合いを入れる』ことが目的」つてイトーヨーカドーの支店長集めての会議ぢやないのだから。スーパーやコンビニの支店長ならともかく特命全権大使。畏れ多くも何の特命かといへば陛下の信任状もつての各国への赴任であり陛下よりの信任状をば当地の元首に奉して全権大使として任に当たる。そりゃ外務大臣からしてみれば我が社の支店長感覚なのだろうが。気合い入れるために世界中から大使集めるとはお気楽もここまで出来るのはさすが小泉政権。飛行機のファーストクラス料金だけでいくら浪費したのだろうか。外務省内でもこの召還はかなり呆れられているそうで有事でも起きれば一大事。だが平気。何故か。テロの脅威、脅威と宣ふ政府が米国にせよ日本にせよ、その政府ぢたいがテロなど勝手に起きぬことを百も承知ゆへの話。ただ呆れるばかり。

五月十五日(日)馬鞍山で開催のRRAC Summer Run 2005なる10Kレースに申し込んでおきながら予定通り不参加で朝寝貪る。それにしても昨晩の同楽軒での葡萄酒の美味かつたこと。斉藤さんの話では葡萄酒だけで5〜6万円とられてもおかしくない、と。そりゃ美味いわけで、ちなみに名前失念がルイラトゥールのシャサーニュ・モンラッシェ01で次ぎがシャンソン(CHANSON PERE & FILS)のジュヴレシャンベルタン01で三本目がピーターレーマンのメントール99年。でご一緒したIさんは入江たのし氏。さういへば昨晩「同楽軒」の黒服サイモン君の指摘はサイレントウイツトネスはこれまでほとんど鞭打たれたことないので昨日は最後の直線で鞭打たれ驚いて「いったい僕が何をしたっていうのさ?」と驚いてしまつたのでは?と。確かに最後の最後まで引っ張ってゴール手前の競り合いで渾身の鞭であれば驚いた拍子に伸びたかも。それと昨晩は月佳し。見事な三日月。といふわけで本日。朝寝貪つたが天気予報は晴時々曇で雨の予想もあり出かけずにいたが晴れ間続き勇んで裏山上りパーカー山の峠から大潭下り島南の海岸まで走る、といつても気温摂氏三十度で流石に上りは小走りもできず滝の如き汗でじつくりと上る。大潭のダムも先週の雨で水嵩まして水満々と湛ふ。午後遅くまで曇もかかるが時折きれいに晴れる。海岸で村上陽一郎『安全と安心の科学』集英社新書さらつと読む。読了。午後遅く灣仔のジム。帰宅。夕陽に遠くは雨模様か雲映える。ジヤツクダニエルをソーダで二杯。ピンクフロイド聴く。ふと思い出すは中学の国語の教科書(光村図書)に川端康成の随筆あり川端先生がハワイのホテルで朝食の際に陽光が実に見事で一期一会と感じて云々と「さすがノーベル文学賞ともなると、これしきのことで随筆になるのか」と当時呆れたが我自身老いてみれば陽の光だの風だのと、それに一喜一憂する気持ちもわからぬでもなし。枝豆で麦酒。夕餉。昨日の同楽軒にて鶏料理の鼓油のみ「持ち帰り」として給仕にもかなり驚かれたが鍋で米炊いてその汁流し込みお焦げにすればやはり美味。菊正宗。先週録画の「義経」見る。村上春樹短編集続き読む。
▼四月十九日に北京天安門にて比律賓籍の男性死亡し妻重体。この男性シェル石油のマニラ会社の情報技術系の総合職にて四月十九日に天安門広場に観光でおり反日デモとそれ警戒の警察との間で何らか巻き込まれ死亡か。翌日には胡錦涛国家主席マニラ訪問にて比律賓政府も事荒立てぬが北京の比律賓大使館は事実確認求め折衝中。本日のSCMP紙日曜版一面トツプ。
▼朝日新聞読書欄に高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書の書評は野口武彦氏。これほどの評者となるとまとめ方秀逸なばかりか本書越える含蓄あり。本書の論旨はまず靖国神社が戦死の悲哀を幸福感に転じる装置とし首相参拝に合憲判決一つもなきこと、そして靖国信仰の「死者との共生感」に還元する点がまやかしで実は天皇のために戦死せし霊のみ祀る実際。何よりも靖国信仰が戦死者とその家族にどんな安心立命と死後の浄福約束したかは明らかで神聖な境内に戦場の死者の霊魂迎え入れられ永遠に眠る、その安息感が純真無垢な宗教感情以外の何ものでもなきこと思えば首相の靖国参拝が政教分離に反すること明確……とそこまでが本書への指摘なのだが野口武彦ともなればそこに+αが殊更見事で、本書のそれだけでは割り切れぬ点を指摘。本書の論理明晰でも土俗の匂いのせぬ点。戦前の招魂社の夜店見せ物の怪しげで猥雑な活気は確かに本書では把握しきれぬもの。つまり靖国「問題」ではまだ充分でなく靖国「感情」の「ドロドロとした低層から死者と生者が同一空間で行き交う精霊信仰の水の吸い上げ」に野口氏は着目。それゆへその泉に政治が手を突つ込むことの首相参拝の不純さを指摘。なるほどと納得。

五月十四日(土)薄曇。三連休といふのに朝七時に起床。雑用済ませ十時よりN君主宰でハッピーヴァレイ競馬場場内にて土曜日のランニング朝練あり参加。といつてもタクシーで参上では運動にならず。場内のジョギングトラックで走るがどこかしつくり来ず芝コースに沿つたアスファルト道走りだすがそれでもしつくり来ずふと思えばジョギングする人たち時計と反対回りで、つまり競馬の場合と逆。常に第一コーナーの傾斜から1000Mのスタートに当たる第二コーナーのバンク、ハッピーバレーの虎F君命名の乞食岩からアミーゴの谷を経ての第三コーナー、そして直角に近き第四コーナーと常にレース展開目まぐるしく変わるハッピーヴァレイ。やはりそれに沿つて走らぬとどこかしつくりせず。結局、走るといいつつデジカメでコースの写真撮影に終わつた感あり。場内はサッカーする若者多し。気がつけば本日の沙田での競馬開催でハッピーヴァレイも中継あり開場。タイムズスクエアのシティスーパーで元八らーめん食そうかと寄ったが餃子の王将あり初めて食す。日本では有名な店だと聞く。何気なく餃子定食頼めば餃子十二個!に炒飯と玉子スープついて唖然。小一時間走つても意味もなし。期待せし餃子は残念ながら灼くのに油多く用いすぎて閉口。ぼんやり眺めていると余の注文出来上る迄の僅か十分で焼きの担当が三人変わる。これぢゃいけない。銅鑼灣のジムでシャワー。帰宅。雑用片付け、ついサントリー角でハイボール二杯も飲んでいたら午後も遅くなり慌てて出支度。地下鉄で彩虹。タクシーで大老山隧道潜り沙田競馬場。ぎりぎりで地場G1の冠軍一哩競馬に間に合ふ。木曜日晩に成田からシンガポールに向かい今朝シンガポールからこのレースのため駆けつけた『ハロン』のS氏と再会。S氏慧眼でずつと前から「サイレントウィトネスはマイルは難しい」と仰つていたが本当にSWの連勝記録十七で止まろうとは。出走時から安定してハナとつてこのままいくかと思われたが第四コーナー回つていつもの余裕の伸び見られず牛精福星(bullish Luck)に止される。確かにBLのマイルの時計も調教も確実。SWの連勝記録を同厩舎のBLが止してはクルーズ調教師も複雑な心境か。SW馬の馬主ダシルヴァ氏の何ともいえぬ穏やかな表情。日本から参戦のコスモバルク沈没。余の期待の芙蓉鎮も格の差で振るわず。クルーズ氏は記者会見でSW馬は安田記念への参戦取消しと述べたとS氏に聞く。元ニッポン放送アナのI氏夫妻紹介される。一昨年の香港国際でお会いしていたが大人数でお話もロクにせず。かつて香港の花形若手騎手の銭健明君の姿もあり。やはり華のある騎手だが未だ香港競馬には戻れず。気分的に今日の競馬は終わつてしまひ次ぎのレース見て早々に引き揚げ中環まで戻りFCC。結局ここでも競馬中継見るのだが。いくらか回収。ジャックダニエルのソーダ割注文せば明らかにコーク割で「可楽だよ、これ」(って噺家の可楽師匠ぢゃなくて中国語のコーラだが)と指摘しても見て「ソーダ割」としか判断できぬ若い給仕、作り直し願えばジャックダニエルのソーダ割に檸檬皮ツイストする女バーテンダー。結局三杯。老練なるバーテンダーが懐かしきかぎり。黄時帰宅。搭つたタクシー自動車明らかな遠回り。金鐘から東往のGloucester Rdが海底隧道入る自動車で渋滞の際に銅鑼灣以東に往く車が最も海沿いのConcention街回る間道はあるが土曜の早晩で明らかにGloucester Rdの渋滞もない時にそれをされ「ちょっと運転手さん、なんでこちらを通るのでしょうか?」と質せば運転手無言。彼の表情に焦燥あり。銅鑼灣に出たところでもう一度上品に尋ねるが返事がないので「聞こえていらっしゃいますか?」と質すと「運賃を減らして降りてくれればいいよ」と開き直り。「何を根拠に遠回りしたんですか?」と執拗く質せば「渋滞してるからだよ」と銅鑼灣から海底隧道に入る渋滞を示すので「あれは西行きの渋滞でこちらとは関係ないでしょう。こういう遠回りで運賃稼いぢゃいけません」の話。結局運賃を5ドルまけさせる。競馬場でお会いしたI氏、晩餐にQuarry Bayは太古坊の同楽軒をばすでに予約されておりS氏のお誘いでZ嬢同伴で参る。名前失念の白葡萄酒で開胃。海折頭(折の字下に虫)、素鵝に酔香鴨と皮蛋。酔香鴨と白葡萄酒は秀逸。清炒河蝦仁も白葡萄酒に実によく合ふ。葡萄酒に明るいS氏とI氏は葡萄酒庫まで案内され選んだのがGevrey Chambertinだったかの01年Chensonで料理は特に鼓油鶏が絶品。酒蔵には著名なる弁護士などボトルキープ少なからず。梁司長の葡萄酒二本保管されており梁愛詩女史のなら一瞬地面に放つて割つてしまおうかと衝動に駆られる。この料理屋の名物の炒麺は勿論だが「富豪」炒飯も香港で食べた何処の店の炒飯より美味。葡萄酒は豪州のPeter LehmanのMentorでS氏とI氏に言わせれば葡萄酒の高い香港でこの店は「楽天で買うくらい」良心的な小売現価で驚くほど、と。給仕の慇懃さも立派。黒服君が愛想よく葡萄酒の知識も確かで競馬の話となりS氏がシンガポール国際レースで今回香港との往来で、などと話すと「ドバイとかも行かれるんですか?」とS氏の素性まるで熟知したかのような質問。安田記念どころか菊花賞まで知る競馬好きで驚く。葡萄酒の価格設定が低いこと指摘せば「お客さんはみんな葡萄酒の値段知ってるから。高くしたら喜ばない」と。S氏らが馬主だとわかると給仕長の黒服氏まで名刺持参で挨拶に来る(笑)。料理の質の高さと葡萄酒の良心的価格に給仕の見事さでこの店はS氏ら競馬関係で知人ら来られた時の指定料理店となろうこと間違いなし。少し飲み足りずタクシーで銅鑼灣。バーYで智利産の葡萄酒飲み深夜十二時に散会。S氏は明朝一番の飛行機でシンガポール戻り。バーYでチーフのH嬢にこのサイトがあるらしきこと指摘され、先日或るお客さんがご覧になってると聞きました、との事。自ら富柏村とは名告らぬが御存知の方もいらっしゃるか。

五月十三日(金)曇。忙殺される任務工作にあれど余の予定とメールをばマツキントツシユ恙なく執り調和の海泳ぐが如き気分に酔ふ。マツクのOS-X確かに嘗てのマツクとは全く異なれど何事も恙なく執る点においてはやはりヰンドウズとは比べものにならぬ快適さ。何処にも寄らず帰宅。ボムベイサファイアでドライマティーニ。いいちこ。夕餉。居間に貯つた雑誌とにかく粗読で片付け。芸術新潮四月号はラトゥールの特集読んだだけで終わつており続きの唐招提寺の至宝やアーキグラムの特集読む。唐招提寺は平成の大修理で盧舎那仏など東京国立博物館で特別展示などされたわけだが昨秋に唐招提寺訪れた折に修理現場をば直に観て盧舎那仏も算えるほどの参観者にまじりゆつくりと仏様拝めたこと実に有難し。アーキグラムも父の葬儀終わった数日後に水戸芸術館で駈け足で眺める。寝る間際にジャックダニエルをソーダで飲み村上春樹の短編で『ファミリーアフェア』読む。上手く出来た短編であると納得。

五月十二日(木)曇。ようやく雨止む。晩十時に佐敦で富都餐庁なる、客の大多数が喫煙し従業員はズボンの尻ポケットに競馬新聞、帳場の女将もくわえ煙草で伝票整理といふ環境よき、かなり繁盛の茶餐庁に晩飯食せば隣卓の若衆らの携帯に電話かかり「なんだと?バカヤロー、あなたのオカーサン強姦しますよ」は丁寧に言えばそういうことだが所謂Fuck you!で「せっかく一服しに来たってのに」と突然の敵対する組とのイザコザか管轄の売春宿が摘発食らったか、で出向く若衆。水商売の女も多し。例湯と飲物ついてHK$30の時菜牛片飯食す。帰宅。Bowmoreの12年物飲みながら松本清張『神々の乱心』読了。未完であるから内容にちょっと難儀こそあれ推敲重ねた暁に完成のはずと思えば当時『週刊文春』に連載あり。宮中、華族に満州帰りの胡散臭い新興宗教を昭和初期の時世に絡ませるとは着眼は凄いがあれもこれもの盆菜で食感今ひとつ。
▼中環は擺花街の泰昌餅家。このパン屋のエッグタルト。ふと市街散策で立ち寄りしパッテン総督の好物となり在任中何度も訪れドイツの当時のコール首相まで誘ひタルト立ち食い。パッテン総督で注目浴び行列できるほど繁盛するが香港バブルでの家賃高騰だのSARS疫禍だの生きのびたが最近の地代上昇で地主提示の家賃が月三万千ドルから八万ドルへの狂乱ぶり。数ドルのパン売ってはとても商いも営めぬ家賃で営業断念。僅か間口一軒半にも満たぬ店舗で八万ドル払へる商売など真っ当な筈もなく地主咒われるべし。
▼イラクで拘束されし日本人につき所属する英国の警備会社名をテレビニュースで「ハートセキュリティ」と呼ぶを耳にして“Heart Security”で戦地に武装では洒落にならぬと思へど実は人名の“Hart”で日本語発音で英語読みの紛らわしさ。
▼先週末に鑑賞の雲門舞集につき十日のサウスチャイナ紙に舞台評あり翌十一日のヘラルドトリビューン紙にもこの舞踏団の紹介あり。今月末より東欧公演続き七月五日には愛知愛知博で来日(こちら)。初来日が昨年だったといふ。
▼カソリック教会での避妊と中絶を認めぬ事。それゆへ避妊具を用いるも能はず。問題はそれゆへのHIVなど命にかかわる性感染症の拡がり。カソリック信者多き南米にて深刻。エルサルバドルを例にとれば初めての性交渉に安全套(コンドウム)もちいる組は交わる者全体の4%に満たず。公式には避妊認めぬが事実上は了解する神父も少なからず。解放の神学とのこともあり。カソリック信者の女性曰く「我が生命は神とともにあり神は我が他者病疫に感染させることを望まぬ故に我が教会の教えに従わぬを許し給ふと信ず」(九日ヘラトリ紙)。

五月十一日(水)未だ雨止まず。午後遅くに香港歴史博物館。近々歴史館にて案内役する数名の知人に請われ歴史館の案内内容とコツについて多少指南。早晩に銅鑼湾。昨日入手のPowerbookにつきスペックに不具合ありヰンザーハウスのアップル製品扱ふC店に寄り簡単な修理請ふ。C店に何の偶然か畏友O氏と邂逅。O氏開口一番「あれ、またマックユーザーになったのですか?」と。O氏はマックといいContaxなどレンジファインダーカメラなど趣味の話とても合う御仁で誰かに話したきここ数年のマッキントッシュからの浮気の懺悔。でO氏強引に誘ってビル1階のデリフランセで珈琲一服し談義。O氏も偶然にiMacのG5に食指動きC店訪れたそうで実は畏友M君も昨晩訪れており「ここ数日の低気圧は人の物欲を駆り立てるか」といふことにする。帰宅しようかと思ったがふらりと開店間際のバーYに寄りフォアロゼズのハイボール二杯。帰宅してパスタ。文藝春秋六月号読む。総力特集は「中国に告ぐ」って本当に文藝春秋的なオトーサンたちこそ中国の呪縛。中国という敵がいてくれればここまで元気になれるのか、と呆れるほど。中国というバイアグラ。本来の保守反動右翼であればもっと本居宣長的に漢意捨てて豊葦原に復るべきで、このオトーサンたちは伝統もなき、単なる「僕って何?」のアイデンティティ探しの旅で中国という僕の前に存在する敵に勇敢に立ち向かうことでの自我の目覚め。確かにオトーサンたちの指摘の中には事実あり。それは否定できぬが、石原慎太郎の緊急提言「北京五輪を断固ボイコットせよ」を読んでも重要な指摘がいくつもあるのだが中国が一党独裁で自由なき社会であるのは事実でも共産党の一党独裁が今の時点で崩壊した場合の日本の国家社会が接けるであろう重大な被害を考えれば寧ろ特色ある社会主義下での経済開放政策で日本が経済的に受けるのが恩恵だけであることがどれだけ中共に感謝すべきことか。そして何よりも深刻なのはオトーサンたちの勘違いの現況で例えば石原慎太郎が靖国神社を「日本人の精神と文化の本質に深く関わるもの」とまで誤解していること。あの神社が近代国家の産物で日本人の精神や文化の本質とは全く関係ない神社であること(梅原猛)がわかっておらぬ。松本清張続き読む。

五月十日(火)大雨。余はじつは未だマックユーザー。最近は日常生活こそ巨人読売マイクロソフトでヰンドウズ使ふが内心はやはりMacintoshなのだがグラフィックデザインするでもなく而も作業場にあるマックが5年も前のパワーマックG4機(岩井俊二監督の『リリーシュシュのすべて』で主人公の少年が使っていた、あれ)で而もOSが9.2で(だがこの9.2こそ本来のマックOSでその後のXとかは邪道であるとも言われる)古い資料の再利用時くらいしかマック用いないで、あとはいつもONにしてRTHK(香港電台)のニュース速報つけっぱなしにしていたが、そのG4機もついに故障し「もういいか」と思って三日ほど過ごしたが、やはり「マックのいない生活」に耐えきれず作業場用に「持ち歩くには重すぎる」Powerbook G4の12吋(こちら)を入手。やっぱりマックやなぁと感動の使い心地。やはり感性の違い。早晩にジムに行くつもりがマックの環境整備と雨で断念。晩にZ嬢と外食の予定だが悪天候恐れ珍しく「食文化不毛の地」太古城のシティプラザに参り此の商業施設内では恐らく唯一食すに値する西苑酒家と思ったが階下に上海点心で著名の王家沙があり香港ではホンハムの蔡瀾美食坊の店が有名だが太古城に新店で繁盛ぶりは午後七時でかなりのもの。試しに食すが「西苑の叉焼にすればよかった」である。客待ひは今まで飲食店で接客した経験乏しき者多し。味は有名な小籠包は(上海料理だからとはいへ)塩味が強すぎ豚肉の旨み失せる。担々麺は上海風で及第だが紅油抄手に至っては「手で抄ふ」の意味合いも理解できておらず。残念。この王家沙でもそうだし同じ太古城には銅鑼湾時代広場にまで進出の翡翠麺家などあるがMTR東涌線オリムピック站の名前失念の担々麺「行列のできる」店も同じで「味に個性ない」と断言する。さすがに休肝日。帰宅してゆっくり入浴し松本清張『神々の乱心』ようやく上巻読了し下巻に入る。松本清張の遺作(未完)は無論松本清張でなければ書けぬ時代と様々な小忙しき社会縦横無尽さなのだが一つの作品にするには脈略がどうもいけない。エピソードが飛びすぎ。特高警察の刑事と華族次男坊の二人がそれぞれ「なぜそこに辿りつけたか」が余りに偶然多すぎる感あり。
▼イラクで今度の捕虜になった日本人はプロの傭兵。而も元自衛隊で「現場」求めて。市民運動家=左翼で今度がプロの傭兵では築地のH君の言葉借りればまたダブルスタンダードと揶揄されるのも必至。政府関係者や「米軍関係者でも非武装なら」殺すなと訴えられようが。それでもプロの傭兵を「殺すな」と訴えるのが真の人道主義か。それにしてもジャーナリスト、左翼系市民運動家で今度が傭兵。勝谷誠彦氏がこの傭兵が「軍人」としての国際法上の扱いになった場合に「軍隊」を持たない筈の日本の国籍を有する人物が「軍人」として交渉の対象となった時に政府はどういう態度をとるのか興味深いと書いているが確かに。昨晩の読売夕刊は「残忍犯行 軍民区別せず」と走ったらしいが(H君談)軍民区別せぬのは米国やイスラエルのお家芸。それにしても新聞が敵味方はっきりさせ「敵は残忍」とは「いくら読売」でも戦時体制下の報道じゃあるまいし。意識的なのか無意識なのか。

五月九日(月)雨。Z嬢の旧友T嬢名古屋より来港。中部国際温泉空港開港記念の格安ツアー(三泊三万八千円)で名古屋より七十余人の団体旅行。かつてキャセイの客室服務員が日本便で「名古屋だけはイヤ」と内心を吐露。飲物サービス中に一人が「水割り」と言えば周囲が「俺も、俺も」で接客中にお尻触られビジネスクラスに乗せろと強要されカネ払えばいいならと財布から万札出す強者もあり、と。T嬢の宿泊先は屯門の黄金海岸酒店で団体飯は尖沙咀天文台道の漢京楼にて午後五時半より北京鴨。店にすれば晩の繁盛時間の前に客こなすわけで団体客も食後にオープンデッキバスでネーザン道お練りだのピークから百万ドルの夜景見物など楽しめもする。でT嬢の早い晩餐終わっても午後六時半でZ嬢お座敷かかるも芸者の務めと余がT嬢ピックアップ仰せつかる。といふわけで小雨のなか早晩にFCC。ドライマティーニ二杯。BLTサンドイッチ。T嬢より電話あり尖沙咀に向かうが折からの土砂降り。尖沙咀の地下鉄站より天文台道まで裏道選んでもびしょ濡れ。お座敷おわったZ嬢より電話あり尖沙咀には着いたといふので雨に濡れぬようシェラトンホテルで待ち合わせと決めT嬢連れまだ続く雨下シェラトンへと戻る。ロビーでZ嬢と前回はベトナム放浪帰りのT嬢十数年ぶりに邂逅。外に出るには雨もひどくシェラトンホテルのスカイラウンジ。FCCでフロア長であったE氏が此処で給仕長となっており偶然の再会。改装なった(といっても数年前)スカイラウンジ、もう少し隣席との余裕欲しいところ。夕餉まだのZ嬢は軽食。ドライマティーニ本日三杯目。天気さえ良ければ夜景もきれいなのだが一番の問題は湿気とホテルのこのラウンジの冷凍庫の如き冷房でガラス窓外気で曇り何如ともし難し。と突然ラウンジ内のBGMけたたましいMCに変わり何かと思えば曇ったガラスと雨と霧の向こうにぼんやりと霞む香港サイドの超高層ビルに派手な電飾踊り始める。これが噂に聞いていた光のページェントなり。テープのMCが紹介するビルが光り(ビル2つほどズレているのはご愛敬)十数分の演出が続く。これにあわせ団体客乗せた観光船がビクトリア港に浮かび月見ならぬビル見。屋根に金色の龍が踊る屋形船?もありダサいと思って笑ってみていたら、さすが名古屋出身のT嬢「うわ〜、あれに乗りたい」と一言。御意。「どうせなら中部国際空港との直行便就航記念でスターフェリーの屋根に金鯱(シャチホコ)のディスプレイもお洒落かもね、と余が宣うとT嬢曰く「あれをダサい」と思うのは簡単で「素直にステキと言えるようにならないと」と諭される。確かに。雨も小止み。最悪の場合はYMCAホテル横から出る黄金海岸酒店のシャトルバスに直ぐ乗れるべくシャラトンでの歓談をと思ったが雨が止むなら香港観光楽しんでもらうべきで尖沙咀から佐敦の先まで歩く。数年ぶりに重慶マンションに入る。噂通りでこのビルの改修進み商店街もかつてのアメ横的な香辛料や布切屋などすっかり少なくなり携帯電話や電脳など電化製品売る店目立ちテナント料吊り上げて「好ましくない店舗」の追い出し功を奏してか空き店舗多し。数年でさらに「きれいな」つまり何ら面白みもなきショッピングセンターに変貌か。いつも歩く尖沙咀も観光客気分で歩けばネオンも眩しくデジカメで写真撮り。佐敦の中華国貨・裕華百貨店の店内冷やかし廟街。街に企つ売春婦かなり減る。T嬢のシャトルバスの時間までT嬢と甘味でもといふZ嬢と別れ一人地下鉄で銅鑼湾。客のある日はあるもので今は東莞だかに住まふF君と実に六年ぶりかで再会の約あり。F君は十二年ほど前か尖沙咀のボトムエンドの日本料理屋・銀座太郎に働き、その後ハッピーバレーで近所に住まひ懇意にする。ハッピーバレーの競馬場では「ハッピーバレーの虎」と名を馳せ、当時より(最近よくご一緒の)B氏関連の仕事請け負ひ広東省で生活の日々。今晩来港とのことでB氏に誘われる。再会の約までまだ多少の時間あり銅鑼湾でバーYに寄りハイボール一杯。若いバーテンダーのT君が酒調合にありがちな微笑ましいミスあり。バーSに移るとすぐにF君連れたB氏とグラフィックデザイナーのT氏三人も現れ一気に歓談始まる。F君に再会できるなら、とZ嬢もT嬢シャトルバスまで送り三更に駆けつけるがバーS近所から電話ありF君帰ったことにしてZ嬢悲しませようと酒場にありがちな策略でテーブル席にはF君除く我々だけでF君はひとりキザにカウンターで知らぬ顔で飲んでいて、といふ指向。Z嬢あらわれ深更まで涙出るほど歓談尽きず。京都のB氏に西宮のF君と広島カープのT氏皆香港十年以上住まひの猛者で格別級の御仁。香港で酒飲ませての「べっしゃり」の面白さ。強かった巨人軍へのオマージュなど可愛いほうでF君が神戸の地震災害復興コンサートでシンディ=ローパーが来た際に生田神社でのコンサート会場通りかかったF君が何のイベントかと警備のオッチャンに「何してんの?」と尋ねたら「なんだかウーパールーパだかが来てますねん」と言われた、と。深更歓談尽きず「ひとまず」カラオケに突入の三氏と別れ帰宅。バーSで朝も辰の刻迎えた勇伝ありの三氏ゆへ今宵も再びバーSに戻るやも知れずとバー店主M氏も嬉し悲し。
▼FCCで五月一日のオブザーバー紙眺めていると五日の選挙での郵便投票について注意喚起あり「郵便で投票用紙を受け取ったら」がまず最初。次ぎに「投票する場合は」とあり最後が「投票用紙を郵送する場合」に続く。ちょとしたことだが投票用紙の受領から発送の間に個人の判断として「投票する場合は」の注意事項があるのが興味深し。
▼連日の深酒であたま壊れているかもしれぬ。ふと思い出したのは一昨晩にバーSでカクテルの話題となりドライマティーニくらいしかカクテル知らず、飲まずだがヘミングウェイを真似てフローズン=ダイキリをばシュガーレスで飲んで余りの酸っぱさに驚いた話となり、このヘミングウェイのレシピでのダイキリが何度も物語に登場するのが『嵐の中の群島』という作品名であると口走っていた我。お恥ずかしいかぎり。『海流の中の島々』の誤り。『嵐の中の群島』ってのもヘミングウェイの作品にありそうな名だがソルジェニーツィンの『収容所群島』とでも混同したのだろうか。意外と驚いたのはその場にいたB君、バーSの主人M氏など吉田秋生の『バナナフィッシュ(甘蕉魚)』でブランカが読み耽るのがこの『海流の中の〜』で印象あること。所謂少女漫画でありながらさすが吉田秋生。

農暦四月朔日。連日の深酒に朝寝貪れば窓烈しく射つ雨音に目覚め幾度か地響すらともなふ雷鳴に驚く。午後銅鑼灣に参りジムのトレッドミルで小一時間走る。ジムでの鍛錬中にバンコク在住のY氏より携帯に電話あり。香港の番号ゆへ「もしや」と思えばやはり香港空港での乗り換えでキャセイのラウンジ休息中とのこと。ふと思えば昨晩痛飲の蘇州在住I君が帰途そろそろ空港にいる時間のはずで電話すれば恰度チェックインの最中。Y氏キャセイのマルコポーロクラブの金剛石会員で連れのラウンジ利用も可であれば搭乗前に二人で痛飲を、とI君に連絡。もう一軒のジムに移り夕方の拳闘系の有酸素運動一時間。ここ三日自宅にいるより銅鑼灣に在る時間の方が長い。天后で一昨晩に痛飲のU女史と待ち合わせタクシーで北角。A夫妻とZ嬢と待ち合わせジャワロードの鳳城酒家。午後六時で予約も要らぬとタカをくくっておれば満席。母の日の家族宴ばかり。華順越南餐庁に向かえば席あるが十五分後には満席で行列できる。新光戯院にて中国少年京劇芸術団の京劇観る。この劇団、中国戯曲学院附属中等戯曲学校、北京戯曲芸術職業学院、天津市芸術学校、瀋陽師範大学附属芸術学校など華北の京劇学校の十一際から十五、六歳までの精鋭の少年少女集めた京劇団で若手とはいへその技量の見事さは格別。今晩の演目は中国の『楊家将演義』(これは『楊家将伝』とは異なるそうな……こちら)のうち楊家の十二寡婦征西の場を京劇にした『楊門女将』。歌劇としての歌唱と演技は勿論、馬丁や兵役の少年の舞台狭しとトンボを切る技量も舞台の端寸まで見事にこなし本日は千秋楽で殊更少年らは「これでもか」の曲芸に客席は拍手喝采に「好!、好!」の声がかかり舞台袖の楽団員すら驚いて見入る程。途中十五分の休憩はさみ三時間の熱演。見事。これだけの芝居、古典劇評論の村上湛君、築地のH君にも見せたし。

五月七日(土)曇。朝寝貪れば右足脹脛の筋肉強烈に痙り激痛に目覚める。昨晩といふか今朝未明「壊れかけ」帰宅。バーSよりバーYに向かう道で同行のB君にやたらぶつかる自分いたがバーYでは起きたまま寝ておりB君のご馳走になっった記憶も鮮明。十時間に及ぶ痛飲も不思議と宿酔なし。昨晩は食が進まずただ焼酎を飲み続けた「だけ」の結果か。本日午後は九龍の知る湯屋に浴し垢抹りと按摩。旺角花園街の楽園にて牛丸粉麺。花園街のアウトドア屋など素見す。通菜街の萬成カメラ店。他の量販カメラ店とは質の異なる混雑。Cotaxのカメラ製造中止発表されたが今までの場所に在庫きちんと並ぶ。唯一余の購入せしU4Rのみ売切れ。Prince Edward站近くの南風餐庁にて海南鶏飯食す。バスで尖沙咀。文化中心にて台湾の舞踏集団・雲門舞集(Cloud Gate Dance Theatre of Taiwan)の公演・竹夢の舞台観る。香港には二年に一度で公演ありこれまで見逃し続すばかり。実は今回も昨日の切符購入後に抜けられぬ宴会入りZ嬢のみ参観。昨日の切符捨て本日一人で参観。台湾の誇る現代舞踏の世界的演出家・林懐民率いる廿数名の男女の踊手。舞踏としては演出は極めて単調。踊りぢたいもけして奇を衒ふこともなし。それが何故に世界的評価得るかといへばひとえに林懐民のイメージを徹底的に表現するために踊手の身体が修業に修業層ねた結果、個性であるとか踊手一人一人の踊りの解釈などをすべて削ぎ落とし身体が表現体に物象化した結果。その身体表現の見事さにただ息を呑むばかり。但し最後の楽屋落ちの如き演出が許されるものか甚だ疑問。Z嬢が昨晩漏らした感想でエストニアの作曲家Arvo Partといふ人の全編に流れる音楽は確かに飽きる。今晩は所属するランニングクラブの定例会もあり。昨晩の宴会で雲門舞集が今晩にづれ込み雲門舞集の公演は明晩迄だが明晩は明晩で予定あり今晩の定例会失礼する。蘇州よりI君の参加もあり二次会必ずとのことで二次会からの参加約す。舞踏終わり電話するとまだ火鍋屋で食事中。銅鑼灣で時間潰しにと昨晩、否、今朝未明に参ったバーYに寄りドライマティーニ飲む。若いバーテンダーT君が経験浅くも真面目な様が若役者の芝居観るが如し。ふと思えば二次会は十名余のはず。銅鑼灣で賑やかなパブで呶鳴りあふより、このバーYであれば快適な板の間あり。他の客も少なく一人で店番するバーテンダーT君には突然十数名の客は大変だろうが電話で二次会組を招く。三更に歓談。深更にもうお開きと思ったが大陸から出ていたI君には香港の夜は楽しく今晩の幹事K氏や余も含め六名残る。この時間でどうかと思ったがバーSに参れば丁度早客が一気に退けたあとで六名でカウンター。K氏とZ嬢と鼎談。そこに今朝まで一緒に痛飲のB君現れ今朝ご馳走になったお礼。K氏もさすがに壊れ始め散会。I君まだ残る元気ありI君と二人快飲。閉店時間となりI君に更に誘われるが二晩続けての痛飲避けたくI君をご主人に托し帰宅。
▼築地のH君より。五四運動で反日デモ不発につき、当局は大学生のデモ参加を厳しく規制、参加者は放校処分を徹底、更に教授に対しても学生が参加した場合は処分をするという方針を明らかにしたことを「民主化が進んだとはいえ、やはり共産主義の国、まだまだ厳しい」とする認識がマスコミにあり。それはそれでいいが東京都教育委員会が国旗国歌で何をしているかといえばまさに中共と同じ。共産主義を先取りか。日本が民主主義の国なのかどうか。
▼築地といえば某新聞の畏友によれば、労組主催の五三集会では山室信一先生が登壇。涙ながらの訴え。「反日」を増幅させているのは日本側に多くの原因あり偉そうに相手をを非難する前に自省をすべきところは自省をした上で隣国との真の協調関係を気づきあげていく努力が必要である云々と指摘。御意。これは中国も同様。陶傑氏など日本の歴史認識非難する前に中国政府は自らの過去の歴史見直し反省点を明らかにせよ、と。野中広務先生もこの集会に参加。会場からの「国旗国歌法制定の当事者として、現在の状況に感想は?」に答え「たいへん遺憾なこと。私の意図していたものとはまったく違う。こういう事態にならないために、内心の自由を縛る物ではないという説明を何度もして、義務や尊重の規定も盛り込まなかった。私が考えていたのは、校長先生が組合との交渉で矢面に立たされたときに、法的な根拠をつくってあげようという程度のことだった。いまやられているような強制ということにつながるとは全く考えていなかった。石原さん(都知事)は思い違いをしている。」などと心中を語ったといふ。野中君ほどの百戦錬磨の政治家がいったん動き出した日本社会がどこまでエスカレートするか本当に読み切れなかったとすれば甘すぎるとしかいいようがない、がこのテの良心が歯止めきかぬ流れに溺れてゆく怖さ。
▼小泉三世についても日中関係に関連して靖国参拝を猛烈に批判。あの靖国参拝は信念があってやっているものにあらず。総理大臣になる前には一度も参拝せず。単なる票目当て人気取り。国会議員や大臣が靖国にお参りすることに反対するわけではないが、なにも八月一五日にみんな揃ってぞろぞろ行く必要なし。反対するのは、靖国神社というのはA級戦犯を勝手に祀ってしまい、そのために天皇さえもお参りすることができず。天皇さえも参拝できぬのに総理大臣が天皇をさしおいて出ていくとは何事か、と指摘したといふ。「天皇陛下」と言わず「天皇」と言い切ったところが凄い、が、これが京都の凄さと理解すべき。
▼武蔵野の市民運動家D君によれば革マルと右翼の衝突について某所で耳にした会話は「三日って建国記念日だっけ?憲法記念日? 有楽町で憲法改正だかに反対の人たちがビラくばってるとこに右翼がつっこんですごかったの。それが反対の人たちは、なんかアキバ系で弱っちいけど、右翼はみんなガタイがいいのよ。でもアキバ系もけっこうちゃんと応戦してたよ。なんか車でバックしたら右翼をひいたとかいって大騒ぎで」。革マルはいまや一般市民には「アキバ系」と認識される。昨日驚いた「この平和な時代に……」といふオジサンの述懐も寧ろ「この非常時に、反対反対ってけしからん」といふのならまだわかる(思想的に立場は違えど)。だが「この平和な時代に」といふ平和ボケは右翼からも「貴様のような脳天気な連中がおるから、共産主義者がはびこるのだ!」とか殴りかかられたはおうがいいかも知れぬ。

五月六日(金)薄曇。晩に宴会あり銅鑼灣広場第二期七回の火間土(かまど)といふ料理屋。出来合の漬け物と刺身を除きかなり奇妙な創作料理の数々。終わって宴会に参加のY氏に誘われU女史とY氏経営のといふビートルズ主題の店で焼酎。晩十二時くらいであったろうかU女史と更にバーS。深更に帰宅のU女史見送りバーSに戻りB君と痛飲。B君に誘われるままバーSの主人M氏とといふバーに参るが流石に足元も不確かで黒麦酒一杯。
▼一昨年、法輪功の対中国政府抗議座り込みを警察が強制的に排除した暴挙につき香港終審裁判所が道路交通法(笑)と公務執行妨害について無罪判決。日刊ベリタに記事送稿(こちら)。

五月五日(木)曇。早晩金鐘の太古広場、金鐘MTR站、尖沙咀站とどこも星巴珈琲に長蛇の列。割引だか何かの販促だろう。廿分並んで待って飲む意欲に敬服するばかり。晩に尖沙咀にて習い事の教室ありお稽古の前に何を食さむとふとビビムバを食べたいと思い一人なのだからCitysuperのフードコートでも行けばいいのについHumphreys街の錦城韓国餐館に入つてしまひ当然のようにキムチだの小皿づらりと並び習い事の前ゆへ麦酒飲むわけにもいかずビビムバも什景飯ぢゃなくつい「石焼き」頼んでしまひ食べきれずお持ち帰り。美味。晩十時にまた尖沙咀からタクシーで銅鑼湾でバーSに行きたい衝動に駆られるが帰宅。家でマッカランで一人バー気分になつた矢先に蘇州から出てきたI君がバーSに来たと電話あり。さすがに一旦帰宅してから飲みに出る体力もなく断念。松本清張少し読む。
▼英国では労働党ブレア首相三期目続投確実。米国のイラク攻撃ではブレア君実は九一一の直後にイラクと阿富汗攻撃をブッシュに進言したいたそうでブッシュすらそれを思い留まったといふ。ブッシュ二世といいブレア君といい小泉三世といい「脇があまい」筈なのだがテロの時代に本来であればもっともテロリズムをば刺激するようでいてテロ対策にいろいろな意味で長け三者いずれも失脚せず安定政権ぶり。ブッシュ二世もあれだけ国内で反発ありながら僅差で民主党候補破るいろいろな意味で実力。小泉三世も本来党内の政権交代が良くも悪しくも自浄作用であつた自民党が自浄作用不能状態で長期政権。ブレア君とて従米でのイラク攻撃など国内でも反発あるが失業率4%は欧州でも優等生で不支持率62%と高いが保守党党首への不支持が64%(笑)。政治が世論であるとか良心で機能せぬ世の中となりぬ。
▼JR西日本の脱線事故での死亡者、数日前の新聞に顔写真入りでその方のこと数行語られる一覧あり。経歴だのちらりと読んだだけだつたが一人かなり印象に残る方あり。何気なく読めば何でもないが松本清張的に深読みするとその数行の記述に、その人の半生やかなりプライベートな証しがあり。記者がわかつて書いたのか遺族や友人などから語られた言葉をそのまま写しただけなのかわからぬ(おそらく後者)。久が原のT君が大阪を訪れ聞いた話を余に報され「やはり」と納得。ご冥福祈るばかり。

五月四日(水)晴。ふと思い出したのは今日が我を育ててくれた義理の祖母の誕生日。明治三十六年生れの卯年。早晩にジムで一時間徹底して有酸素運動。マガジンハウスの『ターザン』誌が母から送られた小包荷物に在り。表紙にはChemistryなるグループの歌い手の青年の端正に鍛えられた裸姿で、この時期の『ターザン』誌にありがちな「夏までの腹を凹ませる』なる特集(これが腹デフの若者刺激して売上げが何割か増えるのだろう)。この雑誌に余の香港トレイル50kmのゴールの時の写真が実に小さく掲載されていると聞く。かつては運動とは自民党と革マル派くらいの距離にあった我が嘘でも『ターザン』誌に載るとは宮本顕治が靖国神社参拝するが如し。後生までの記念。帰宅してウォッカを氷で飲む。麦とろ飯。NHKのニュース10くらいしか見れないので時間があれば見るばかりだが今晩は冒頭から九分費やして「五四運動の今日、中国では目立った反日運動はありませんでした」がトップニュース。確かに「何もなかった」ことにも政治的に深い意味あるが静岡での県警ヘリ墜落や福知山線事故続報、民間ヘリが送電線截断して新幹線運休など日本での事故災害の報道より「なかった反日デモ」が優先とは。而も五四運動の紹介で運動の発端を「当時、日本による中国での権益拡大に対抗して……」と説明。権益拡大とは美辞麗句、関税引き下げなどなら権益拡大といふ表現でもいいが明らかなる侵略行為でこの表現。これが被害者側にしてみれば日本は歴史を深刻に反省していない、といふ証左となる。でニュースの最後は「北京の在住日本人や日系の会社はデモがまた起きるのではないかと懸念しています」と〆るが実際に北京の日本人の具体的にどれだけがこう懸念しているのか。取材したのか。SARSの時の思い込み報道と一緒。「現地の情報を総合すると」とか「今後の行方に注目が集まっています」「現地では懸念が広がっています」といった表現でまとめてはいけない、ということはマスコミで記者が最初に叩き込まれる基本の「き」の筈だが。NHKの北京総局の加藤青延総局長(「せいえん」はまるで日本画の大家のような名だが「はるのぶ」と呼ぶ)が当たり障りのない「今後の反日デモがあるような、ないような」のコメント。本来なら加藤君は89年の天安門を現場で取材した人であるから「反日デモは収まりした。しかし最も懸念されるのは政府が何らかの形で誘発した噂もある反日デモが、いざ実施されれば参加者が今度は不法活動の犯罪者扱いにされる、その民衆の憤りがまた深く抑え込まれ、これが今後の中国の安定をどう崩すのか、それが懸念されます」とでも言いたいところだろうか。で計9分。JR西日本の脱線事故の「続報」では「県警は今日は現場検証の範囲を拡大。列車がめり込んだ地下駐車場などで壁にできた痕跡の確認やビデオカメラでの撮影をしています」と。こんなことがニュース番組の原稿になることが甘い。そこで何か発見されて初めてニュースとなる。静岡での県警ヘリ墜落事故でも「こわいですねーっ」とよく話す主婦のコメント。ヘリの墜落よりテレビカメラ前にそれだけよく喋るアンタのほうが「怖い」と思う。これがニュース番組だと思うとやはり思考回路停止社会らしさか。渋谷の神南にあるNHK放送センターの建物の中でもテロ襲撃まで考え警備厳重なニュースセンターで莫大なエネルギーが注がれ毎日のニュース報道がされているわけだが「それでこの程度」なのだろうか。提灯張りの内職済ませジントニック飲んで臥床。
▼日本のマスコミが「何も起きなかった五四運動の日」を報道する時に紐育タイムスが何を記事にしているかというと反日デモに参加した世代へのインタビュー記事。これが報道。取材を受けた北京でNirvanaなる五店舗のジム経営する青年実業家の青年は反日感情を隠さず「自分たちの世代は中国の国際的地位にプライドがある。しかし日本人は六十年前と同じで中国人を見下している」と答える。マスコミが伝える言葉でこれを鵜呑にできないが。ここで記者が「具体的にどういう見下し方をされていると思うか?」とか「中国の国際的地位と覇権主義の関係は?」とか「トレーニングジム産業は非常に米国的産業だが、その米国は日本のように中国を見下していないのか?」とか、この青年実業家に問いただすと更に記事は面白いし、この青年がたんにマスコミの取材を喜んで受けてしまったのかどうかの真偽もわかる筈。いずれにせよこの反日感情が早かれ遅かれ対中国政府に向かうことへの懸念が記事をまとめている。
▼国民党連戦首席の大陸訪問終わる。今日の信報社説は具体的成果として、まず台湾へのパンダ一対贈与決定、次ぎに大陸からの台湾観光旅行解禁、そして台湾産果物の輸入品目拡大の三点挙げる。本来であれば中共と国民党との合作再開をば祝すべきところ「まずパンタ」とはにべもなし。今になって思うのは今回の両岸対話と先月上旬の反日抗議運動がセットであろうということ。昨日のSCMP紙で同紙編集委員のAnthony Lawranceが“Attacking Japan to win over Taiwan”といふ解説記事は興味深い。中国は台湾併合を急がないがその代償として日本叩きが必要であったこと。毛沢東が「台湾との対立が解決しないことは新中国建設にあたって中国共産党にとって最も重要な関心」と語ったと言うが「解決できない問題」の存在こそ国家経営にとって必須の命題。
▼その台湾問題について『世界』五月号に赤坂春和氏の分析が興味深い。台湾に対して「反国家分裂法」制定し両岸危機のように見えたが赤坂氏によれば胡錦涛政府の対台湾基本政策は「話し合いを求め、但し武力行使の策も捨てず、決して急がない」で、この「急がない」が大切。台湾の亜扁政府が新憲法制定に動いた際に米日政府が両岸情勢の緊張高まりに懸念が表明されたことで亜扁政権誕生以来初めて国際世論が中国に有利になり、米日の支持がない限り台湾の独立ができないとの認識で「急がない」時間をかけた台湾問題の解決の余裕ができたこと。そこで反国家分裂法を制定、と言うと何か矛盾しているようだが、この法制定で「台湾側が分裂行為をしない限り」中国は特段の実力行為はしないことを法的に明らかにしたこと。而も「統一法」にしなかったことは、統一法では中国が積極的かつ主体的な行為をとらねばならず、「反分裂法」としたことで急がなくても現状維持が可能になった、といふ赤坂氏の分析の妙。だが中国政府の誤算は、その「かなり懐深い」対台政策であったのに予想以上に国際的な反発を招いたこと。台湾に対してファッショ的強圧与える中国という印象で中国はその対応に追われる。赤坂氏の論析はここで終わっているのだが、現状は国民党連戦氏の大陸訪問にまで急展開。結局、反分裂法制定での負面の払拭が連戦の訪中急がせた、か。
▼ヘラルドトリビューン紙の読者投書欄興味深し。「ここまで、あり?」といふくらい要約際どい。例えば
Americans live in fear, not only of hostile foreigners, but also, and more grippingly, of sickness, joblessness, homelessness and despair about the future. The survival-of-the-fittestBush administration has turned the American dream into a nightmare of panic for basic survival - like affordable housing, education, health care - things other countries provide for thier citizens. とか
Your newspaper is pretty clear about what it doesn't like about the Bush administration. Please enlighten your readers if there is anything in the administration's approach to fighting terrorism that you do like.
とか前置きも婉曲表現もない。日本の新聞も見習うと面白いのだが。
▼三日東京は有楽町で革マル派全学連のビラ撒きに右翼が突入して小競合い(朝日)。それだけなら驚きもせぬが何が「えっ?」かといへば革マル派の諸君は憲法改正反対のビラ配り。革マルが憲法擁護。余が高校生の頃同級のH君は大学生に混じり週末は泊まり込みで成田闘争に参加の政治早熟で革マル派だったがH君に憲法擁護なんて言ったらブルジョワ似非民主主義の憲法など「ナンセンス!」と嗤われて終わっていた筈。その革マル派が護憲とは時代もここまで変わったかと感慨無量。H君は高校卒業後「組合活動にあこがれ」当時の国鉄に就職。その後JRへの民営化と組合活動の形骸化のなかでどうしているのだろうか。でこの報道で革マル派の憲法擁護より何に驚いたかと言えばこの騒ぎを見た六十三歳の男性の「まるで70年代の学生運動のころのようだった。平和な日本で今どき、こんな思想の衝突があるとは意外だ」といふコメント。まさに日本の最も深刻な問題がこのオトーサンの思考回路に集約されている感あり。冷戦下での健全な左右対立のあった政治的な当時の時代こそ平和だったのであり、今の日本が当時に比べどれだけ政治的に危機的状況にあるか。平和かもしれないが「護憲といった程度のことで」衝突になることの深刻さがこのオトーサンには全く理解できておらず。

五月三日(火)薄曇。憲法記念日。だが今では憲法改正推進の日の如し。自民党保守反動右翼の諸君は非現実的で不毛な改憲護憲の対立の時代が終わり現実的思考の中で廿一世紀の時代に合致した日本の新しい憲法の創建と息巻くが実際は真っ当な思考と判断もなきまま漠然と「そろそろ憲法も変えたほうがいいんじゃない?」の空気。その無思考状態を戦後の弊害とし間違った個人主義や偏向教育の所為にするが真実はその戦後を担った政府与党が無思考社会を完成に導き自由民主党の結党以来の党是である自主憲法制定がその無思考社会の中で具体化できる時代へと至る。恐ろしきこと。朝日新聞は憲法記念日にあたり樋口陽一先生の談掲載。
憲法とは国民が権力をしばるものだ、というのが、近代憲法が大前提にしてきた立憲主義です。憲法という国のかたちの中で、一人ひとりが自由に自分の生き方を選べるし、選ぶべきなのだという考え方。改憲論の中には、憲法に日本固有の歴史や伝統を書き込むべきだとか、国民が守るべき義務を盛り込んだ規範であるべきだといった、正反対の考え方がある。
と樋口先生の指摘。御意。西欧民主主義の憲法が「国民が権力をしばるという普遍的原理を掲げ、国民一人ひとりの生き方を指示しないのが原則」なのに対してアジア、アフリカやイスラム圏の憲法が自らの宗教、伝統、民族性など固有性を強調し、問題は「日本はこれまで国際的に西側文化圏の一員として自己定義してきた」のであり(明治以来の憲政上のこと)、その立場と「きちんとつきあわせた議論をしているのか」と樋口先生の指摘。つまり今どきの改憲が実は大日本帝国憲法制定する明治の近代国家からの伝統にそぐわない点。これは重要。晩に太古城にて工作任務あり「食文化不毛の地」太古城訪れるまえに北角ジャヴァ道街市対面の回味古法清湯南にて牛南米粉食す。美味。それにしても牛南「粉」(粉麺)注文したはずが牛南飯か?と言われ「飯じゃなくて粉」と言った末に「米粉」供され我が広東語の発音の拙さ恥じ入るばかり。太古城はあまり足踏み入れる機会もなし。ただその度にトラウマの如く思い出すは90年当時のクレジットカード発行事件。当時中文大学の学生であった余は香港でクレジットカードなき不便ありクレジットカード得ようと思うが収入も不安定(ほとんどない)学生で外国人とあっては信用皆無でさすがに当時銀行口座あった恒生銀行ですらヴィザカード発行せず。で困っていたところ「日系のジャスコやユニーのカードなら日本人であれば査定基準がかなり弛い。日本人家庭で飼う犬猫でも申請したら家族カード発給された」といふ噂あり。いわば都市伝説の類だが「佐藤ポチ」と印字され犬の写真と署名に足跡のついたカードあったら面白い。で当時は台所もない学生寮暮らしで日本食材購ふ必要もカネもない立場の余がジャスコとユニーのカード申請書ゲットのため香港に住んで半年だかして初めて太古城訪れる。でジャスコとユニーのカード申請書ゲットの帰路、太古城のMTR站(当時はコンコースにつまらぬ商店なく実に見事な空間)でアメックスカードの申請書も見つけ「どうせ無理だがついでに」とゲット。でクレジットカード申請。数週間後にジャスコとユニーから続けざまにカード発行不可の手紙届く。やはり。犬猫以下か、と落胆しておれば数日してアメックスより分厚い手紙届きカード在中に欣喜雀躍。懐かしきこと。工作任務完了し帰宅。ジントニック欲するがトニック罐はマークス&スペンサーの100ml罐もはや買い置きも欠いてシュウェップスの350ml開ければ雄に二杯飲んでも余る程で閉口。一杯目をゴードンドライ、二杯目をボムベイサファイヤで飲む。松本清張少し読む。
▼憲法の改憲が何が怖いかといえば戦後六十年、否、正確には明治の大日本帝国憲法施行からの百十五年の歴史のなかで日本が個人、人権と社会に関して原則的ルールも作れずに来て、その状態で改憲など口にするいい加減さ。その判りやすい例が教育。日の丸・君が代の強制で東京都立高校ではこの春、卒業式に警視庁の私服刑事が張り込み。日の丸・君が代反対の団体によるビラ撒きを監視。ここでは日の丸・君が代の問題は問わない。問題はそれに反対するという「それだけ」の主張行為がまるで国家転覆行為の如く扱われる不思議。警察ばかりか学校側の対応が異常。具体例は町田市の都立野津田高校。学校長は校外でのビラ配りに対して警察に通報。校長が「校外であるが学校の敷地内」といふことで被害届出し勾留請求。警察→検察は道路交通法違反で逮捕。さすがに司法(東京地裁八王子支部)は「被疑事実が建造物侵入罪の構成要件を充足しない」と勾留請求却下(『世界』五月号と三日朝日社会面)。この過剰反応がどれだけ異常なことか。校長たるもの本来は学校への警察権力の介入を防ぐべき立場であり(非行少年の警察による補導を学校長が学校での指導を楯に少年を学校で保護するなど)、戦前とて官憲の力強きなか旧制中学高校において学問の自由と自治が伝統として育まれ、例えば明治41年の旧制水戸中学の校長舌禍事件と学生の同盟休校など(参考)今の日本では想像もできぬ学問と思想の自由に対する姿勢。大学など本来は羽仁五郎の指摘を待つまでもなく「自治体」であり何れの権力も介入できぬところに学問の自由存在したが東京都立大の如く国家政府どころか一介の地方自治体の長によって学問自由が骨抜きにされる悲劇。「いわゆる先進国では」想像もできぬ、この惨澹たる個人主義と人権の蹂躪。でただ「和していればいい」集団社会。それが憲法改正に着手とは。憲法改正の暁には日本国籍離脱し……は「まさか」。
▼松戸出身で蘇州在住のI君、グリーンスパン君の金利引き上げに伴う円安嫌い東京三菱銀行に預けし日本円ドル転換し香港に送金せむとネット上で試みればオンライン繋がらず。四日は「国民の休日」でオンライン取引も休み。オンラインは年中無休に意義があるもであり而も外貨為替両替で「日本の」祝日でオンライン不通とは。それがワールドスタンダードか。為替操作は譲っても口座確認さえ出来ぬロジック乏しき「決まりごと」崇拝国家の僕のなせる業か、とI君。香港も銀行のネット業務当たり前の中で東京三菱銀行はいまだにセキュリティ重視で顧客に専用ソフト供してのモデム通信。そのサーヴィスに海外電信送金のオプション機能追加する場合に月額五百ドルの使用料としり驚くばかり。今の時代、寧ろ窓口業務こそ地代人件費量むのだから手数料徴収でいいかも。
▼香港の星巴克珈琲が営業開始から五年で五十店舗。珈琲文化不毛といわれた香港で俄然好調。香港のスタバ経営はご存じの通り美心飲食集団(マキシム)。信報の記事で興味深いのは美心集団の御曹司伍偉國の指摘によると米国では七割の客がテイクアウトなのに香港では95%が店内で飲食。また珈琲と一緒にケーキなど食す客がアジアでは多く売上の四分の一が珈琲など飲物以外の食品であるそうな。テイクアウト率低いのは、香港の場合とても店先や近くの公園で珈琲飲むには高温多湿と大気汚染醜悪で、どうしたって店内のほうが快適。ケーキなど甘味売上好調もわかる気がするが美心集団のトレーで各店舗に運ばれてくるのを見るとどうも我はあまり……。
▼ドナルド曽蔭権君の行政長官代理就任で気になっていたのが何故曽君は行政長官専用車(豊田自動車センチュリー)に乗らず「CS」ナンバーの政務長官車(BMWiL)のままなのか、ということ。代理でも行政長官専用車が使えることは董建華君外遊や休暇の折に代理務めた曽君であれ梁愛詩女史であれ専用車に乗っていたわけで曽君なら有無を言わさず専用車といふ気がするが。で今日の蘋果日報の副刊「汽車専題」でこの豊田センチュリーBMWの7シリーズ最高級車取り上げ比較。価格ではセンチュリーがHK$1.7M、7シリーズがHK$1.3Mで値段的にはセンチュリーが40万ドル高いし内装もずっと豪華。ナンバープレートがわりに香港特区政府のダサい紋章がつく。並んでいると比較に易いがセンチュリーは董建華には似合うがオヤジ臭く曽君はあヽ見えて格好つけるのが好きで実際は還暦だが若々しくヤンエグっぽくBMWの7シリーズに固執するのであろう。行政長官車は今のセンチュリーになる前は実はこのBMW7(99年購入)。曽君はそのお下がりなのだが自分がこれに乗りたくてボスの専用車をセンチュリーにした、とか。いずれにせよ曽君の横柄さはすでに露骨で自動車の話題だけでも先日は毎朝の出勤途中の教会での礼拝で山頂の政務長官公邸から下りてきたCS車は花園道で車線変更禁止を越えて聖ヨセフ教会に右折強行するのを蘋果日報に暴露され翌日から交通規則遵守。で昨晩はホンハムの香港体育館でのマイケル許冠文のトークショー参観の曽蔭権夫妻乗せたCS車は体育館側らを入場待つ参観者をこれ見よがしに進入禁止域まで乗りつけ夫妻は殆ど歩かず入場。国際会議など公務ならまだしも休日の個人的遊行でこの横柄さ。董建華には見られぬ(勿論董建華夫人は論外だが……笑)悪態なり。

五月初二(月)労働節代休。先週の天気予報では週末快晴のはずが今朝の予報では雨。週末三日天気今ひとつでふて腐れ家事雑用など済ませておれば陽光あり勇んで裏山上りパーカー山の自然公園に入り半時間山道登るが流石に摂氏卅度では家を出るなり汗吹き出しとても走るは難儀。大潭に下り約そ10km走り島南岸の海岸に到る。昼すぎより暫く快晴。松本清張の遺作『神々の乱心』上巻百頁程読む。タクシーで銅鑼灣に遊び夕方帰宅。枝豆で麦酒。雑魚味噌と葉山椒を肴に飲む。お好み焼き。お好み焼きならサントリー角でハイボールかと思ったがソーダ水切らしており山崎のロック。NHKのニュース見る。JR西日本の断線事故から一週間。遺族だの友人だのテレビカメラのレンズの前で実によく語ることに驚く。ニュースでは「×名の方が亡くなり×名が怪我をしました」といふ表現。なぜ死亡者のみ「亡くなった方」で怪我人は「怪我された方」にならぬのか。よくわからぬ。スミノフのウォッカを檸檬汁1:2で二杯。『神々の乱心』続き読む。
▼台湾国民党連戦主席の大陸訪問。連戦の訪中が成功裏に終わろうとする矢先に台湾の亜扁総統親書を来週訪中の親民党主席宋楚瑜君に托したこと公表し南太平洋の親台各国歴訪に旅立つ。連戦君の大陸訪問をいかに蔑ろにするかの為打ち。連戦君は今回の大陸訪問でも生まれ故郷の西安訪れたこと、そして父親が国民党の将校で「外省人」の如く扱われるが祖父の連横は日清戦争後の台湾割譲で台湾が日本領となること嫌い大陸に渡った生っ粋の台湾人で大陸生れの妻娶り(この祖母の墓が西安にあり)息子は大陸生れで国民党に入り長男孫の誕生に抗日を意図して「戦」と名付ける。その連一家が中共に追われて国民党とともに台湾に戻るも歴史の皮肉。いずれにせよ、この中途半端な出自が連戦が台湾の「最後の貴族」と言われながら台湾の領袖にとなれなかったことの因果。

五月朔日(日)曇。労働節。Z嬢と久々にバス修業と街歩き。十時に東隧道をバスで潜れば本日より通行料が自家用車でHK$15がHK$25への大幅値上げで休日とはいへ閑散甚だし。沙田第一城の団地でバス降りれば十数年前は新興住宅地もさすがに古めかしく見える。KCR馬鞍山線に初搭乗し車公廟站。この鉄道も閑散ぶり見事。日曜日の午前十一時にホームに人影なし。香港文化博物館参観。特別展数多し。まず「走向盛唐」なる唐の時代に向けての東漢から鮮卑、南北朝の各時代の文物を中国各地の博物館から蒐集の展示観る。内蒙古、新彊の博物館のシルクロード文化の布品が見事。続いて「文武兼擅-呉君麗戲劇藝術剪影」は香港粤劇のトップスター呉君麗女史の貴重な粤劇の衣装や台本の絢爛たる展示。で本日のお目当ては「世外桃源-徽州民居建築」といふ特別展で安徽省は黄山の麓、徽州の城市には明清の時代の古村落家屋見事に保存されユニセフ世界遺産の一つ。徽州ノ民依山傍水ニ居シ「青山雲外深白屋煙中出」ト誉レ高シ。徽州ハ陶淵ノ明筆ニ描カレタル桃花源ノ如ク是レ遊人徽州幽探勝之地ヲ尋ル者少カラズ。高低起伏ノ白牆?瓦ト令人稱奇ノ磚、木、石三雕裝飾ハ簡潔ナル民居ヲ平添特有ノ景致ニ使ム……といふ感じ。見事なるはこの徽州の民居に実に見事な木彫りの装飾据えられる生活文化。またバスで粉嶺に向かうつもりが70番のバスなかなか来ずとりあえず大和站までバスに乗り粉嶺まではバス少なく端折ってタクシー移動。粉嶺聯和墟の市街は美食に事欠かず本日は食通A氏がジャズラーメンの行列に閉口し路頭に迷ひ偶然入った金旋京川滬小館といふ料理屋。ジャズラーメンのすぐ傍(聯安街)。だいたいにして「京川滬」というのは北、四、上海()、つまり福建広東など華南料理除けば「だいたい何処の料理も出します」わけで京菜にしては洗練されておらず四川にしては揚子江下りすぎて辛からず上海料理は美味くもなし、で京川滬なんて看板に掲げる店は大して美味くないのだが、この店、食通A氏唸らせただけあり確かに美味い。前菜五品選びHK$100が麦酒の肴。四川の麻辣と北京の小菜がどちらも秀逸。紅油抄手(四川餃子)もただ辣いだけでなく甘みもあり。店員も親しげで午後二時にもかかわらず繁盛。手打ちの担々麺は期待したがちょいと上海麺風で満足できず。聯和墟は牛肉圓だの山東餃子の店など食指動く店多し。聯和墟のすぐ近くに人類飲食博物館といふ施設あり。これが香港飲食博物館なら「美食の聯和墟だからか」と納得するが「香港」ぢゃなくて「人類」と大風呂敷広げたところがどうも。人類と冠につくと、どうも温泉観光地の「世界人類性愛博物館」の如き怪しさ。而も公営でなく私営博物館となると世田谷の住宅地に突如の爬虫類蒐集館など想像してしまう。それでも新聞の紹介記事には食通の文化人五人が私財投じて開設とあり(その五人が誰らかわからぬが)折角来たのだし何せ今年の九月で閉館してしまふらしい。それなら是非参観と思ったが入場料HK$20で扉から除くと参観客もいなければ一見して展示内容は薄い。Z嬢が建物横から覗くとお土産コーナーなどあり「アステカの胡椒」とか「アルプスの塩」とか売ってそうで、ちょっと入ると出難い雰囲気あり。断念。三度バスで上水。上水は古来、福建省からこの地に移った廖氏一族の拓いた集落で上水圍に周囲のマンション開発から取り残されたようにひっそりと集落が残る。ここに廖萬石堂といふ廖氏祠あり見学。上水市街。新成路の噂には聞いていたがレトロな広成冰室にて厳選の小豆煮る量に限りあり午後しか供さぬと評判の紅豆冰(氷小豆)食す。秀逸。二つ食べたいくらい美味。新界の旧市街には大埔、上水、元朗と何処にでも必ず一つは「中華国貨」つまり中国系デパートあり。それが一つ二つと店終いは今日の趨勢で上水の「大江国貨」は数少ない既存店だが(外見はこぢんまりだが内は五階建て)訪れてみればあと残すところ三日で店終いのバーゲンセール中。上水も鉄道站付近や旧市街の周辺に大型ショッピングセンター次々と完成。本日のバス修業の最後は上水から粉嶺、大埔、沙田と新界の市街を丁寧に走って大埔公路から九龍の山越えで九龍市街走り佐敦に到る九龍巴士70番路線への乗車だったがこのかつての花形路線バスも今では三十分に一本で冷房なし。日曜夕方とはいへ恐らく始発から終点まで九十分で辿り着くかどうか。さすがに疲労感もあり(食べ過ぎ)つい270A路線(冷房で上水一帯を回ると一気に高速道路で大埔、沙田の市街止まらず獅子山隧道潜り九龍へ到る)に乗ってしまふが、それでも上水から佐敦まで七十分。といふことは70番だと二時間くらいかかったのだろうか。佐敦からさらに110番の隧道巴士で香港島に戻る。晩にNHK大河ドラマ『義経』見ながら湯豆腐。BS特集「中曽根康弘vs大江健三郎 戦後60年 憲法9条を語る」といふ番組あり期待したが何が大勲位vsノーベル文学賞で、ただお互い持論述べる録画を編集で並べただけのようで途中から見ず(そのあと対談でもあったのだろうか)。ふと気になったのは大勲位が憲法改正することで日本もこれで普通の国として……と改憲論者がよく口にする「普通の国」だが、これが例えば敗戦から占領期でサンフランシスコ平和条約締結で、という時なら「これで普通の国に」もわかるが「押しつけ憲法」だろうが何だろうが戦後六十年、而も戦後独立国として国際社会に復帰したどころか経済成長続け世界でも有数の経済大国になっておきながら、その戦後が普通の国ぢゃなかったら、いったい何なのだろうか。充分に世界の中で地位を築き貢献もしてきたであろう。それは世界でもそれなりに評価されているから(歴史認識に関して東アジアでの反日感情があっても)国連安保理の常理国にすら推されるわけで戦後六十年を積極的に評価すべき。結果よかったのだから良いぢゃないか。それを今さら「普通の国」などと言うと寧ろ「変な国」がうまれそうな不安感を抱かざるを得ず。
▼SCMP紙に掲載のAP電によれば北京で公安当局が昨日「不法の抗議デモに参加せぬように」と北京の携帯電話利用者に対して公安情報を送信。四月上旬の反日デモでは中国各地で携帯電話でのメッセージでデモ参加呼びかけがあったといふが今回はその逆で取締りに携帯網の利用。実は四月上旬も今回もメッセージの出所は同じだったりして?と思ったりするのは憶測の域を出ぬが、いずれにせよ携帯など使った政府当局の情報提供と治安管理の怖さ。香港でも一昨年のSARS疫禍の際4月1日に「香港が疫埠と指定された」といふ誤情報が香港で流れ政府が携帯電話会社の協力得てこのデマを否定、またWHOの伝染病地指定解除の際も吉報で流れたこと思い出す。

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