教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

農暦五月初五。端午節。珍しく朝寝貪り七時半起床。端午節の日は恒例の龍舟競賽(Dragon Boat Race)が盛ん。だがうんざりする雨空に知人らのチームも参加するが赤柱(Stanley)まで山を越え走ってゆくにも能わず。朝食に一昨日C嬢よりい ただいたお手製の粽を食す。昼にかけて秘密基地にて明日の高座の準備。かつて高座といえば話だけの一本勝負で、せいぜい幽霊話など灯りだの鐘や太鼓の多少 の演出もあったが、キョービはヰンドウズOutlookなど用いてプロジェクターで資料投影してのプレゼンテーション形式で準備も必要。午後、九龍に渡り 知る風呂屋にて擦背と按摩。香港島に戻り今晩はお粥で済まそうか、とQuarry Bayは祐民街のお粥屋(名前失念)に寄るが端午の節句で休み。当然であろう。 五節句は畏友村上湛君も書いていたが(後述)もともとは厄日で休むべき日。そういう戒めが無視される世になってきたが香港でも古い肆は年中無休でも五節句 と暮と正月は休む。端午節は中国、台湾そして韓国も祝日。東アジアで日本だけが太陽暦の5月5日に「こどもの日」などとしている。夕方遅く帰宅。溜まって いた雑誌などずいぶんと目を通す。香港競馬の『賽馬天下』(Racing World)誌の創刊30周年記念誌。古い記事の復刻があり読んでいれば、1976年4月号は見習騎手特集で(香港競馬のプロ化で地元騎手養成が目的だが 現実には鳴かず飛ばずの地元騎手で今では見習修了してもハンディキャップもらう始末だが)この第一期生にはTony Cruz(現・調教師、89年には欧州巡業でフランスのThe Prix de Diane Hermesに勝利納め香港の地場騎手がヨーロピアンクラシックで勝利納め話題、地元騎手で唯一の年間最多勝記録あり)の他に今では調教師の羅国洲と姚本 輝もいたと知る。村上湛君にいただいていた『東京文花座』の創刊号から6冊じっくりと読む。村上君の花にまつわる巻頭エッセイが素敵。ここで湛君が五節句 がもともとは厄日であることに触れている。今年の1、2月号の水仙香の文章はとくに秀逸だが、この号は余も憧れるほどご立派な片岡仁左衛門夫人インタ ビューもあれば斎藤道三のような風采で復活の團十郎のインタビューもあり(團十郎の「国語」教育についてのコメントなどさすが)、竹本葵太夫さんも登場し、かなり濃い号であった。今日は 九龍でふと「酔いたい」と発作で、だがビールは飲みたくないのでコンビニで安いウオツカの小瓶(350ml)購い、さすがに路上でウオツカのぐい飲みは憚 れたが隠れて一杯引っかける。ほとんど酒屋の立ち飲みモードのオヤジ。これが残っていたので、そのまま飲むにはさすがに安酒なので、柚子を搾ってウオツカ にいれるとこれが絶妙な美味さ。結局、この小瓶を空けてしまった。それでそれなりに泥酔していれば可愛いが、寧ろ「しゃっき」と読書続けるなどはむしろア ル中的ですらある鴨。築地のH君からいただいた朝日新聞の司馬遼太郎『街道をゆく』仙台の巻も読む。昭和55年の仙台は対橋楼春風亭での司馬遼太郎、井上ひさしに樋口陽一という対談の 写真あり。大人の集会。司馬遼太郎が仙台を沃土の地と呼んだことは、さすがお目高。沃土であることがむしろ仙台が「伊達」であっても、それ以上何か秀でる ようなところにはいかない、その風土らしさ。魯迅の碑のことにも言及あり。高橋剛彦氏らの尽力で郭沫若の揮毫ある碑。樋口陽一先生の司馬遼太郎と仙台にま つわる話もいい。樋口先生のご自宅(当時、米ヶ袋の閑静な住宅地にあり、魯迅の「藤野先生」にある下宿も近い)訪れた司馬遼太郎がのちの私信で「絵のよう におぼえています。御門のそばの暗がり、玄関、そのあたりの灯が地面にうつって黄色い果物のような道でした」と。すでにこの佇まいは残っていない。樋口先 生が司馬遼太郎について語る、能にたとえての話も面白い。ワキ僧(司馬遼太郎)が呼び出す人影(さまざまな人の姿)、と。
司馬さんは、「街道をゆく」ことによって歴史のみちをゆく。そし て、能の諸国行脚の僧がそうするように、無名有名の人影を呼びよせる。ワキツレも、時としてさりげなくだが、登場する。能とちがうのは、中入り後の場で も、このワキ僧はシテとの対話をくり返し続けるということだ。「仙台・石巻」街道のシテ役として呼び出されているのは伊達政宗である。
ほろ酔い加減でじっくりと雑誌読み続け夜も更ける。
▼産経新聞の「「君が代」替え歌流布、ネット上「慰安婦」主題?」という記事(こちら) がスタンスとしては産経的なのだが逆にこの替え歌をまるで流布するが如き態。記者が巧みだったのか産経の脇が甘いのか。この替え歌は Kiss Me Girl で、この英語で歌うと発音も原詞に近く口の動きはきちんと国家斉唱しているように見える、という。
Kiss me, girl, your old one. 
き み が あ よ お わ 
Till you're near, it is years till you're near. 
てぃ よ う に い い や てぃ よう にい 
Sounds of the dead will she know ? 
さ    ざ で  うぃ し の 
She wants all told, now retained, 
し わ  お と  な りて 
for, cold caves know the moon's seeing the mad and dead. 
  こ  け  の    むう すぃ   ま  あ で 
(訳)私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。 
おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来て く れるまで。 
死者たちの声を知ってくれるのかい。 
すべてが語られ、心にとどめておくことを、今、望んでくれるんだ ね。 
だって、そうだよね、冷たい洞窟は知っているんだからね。 
お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるっ てことを。 
と。対抗勢力にとっては、キリスト者の間にも、まるで隠れキリシタン的な良心、で
きみがこは きよき おしろに たたれ ちちの いさおとなりて  こえの みつまで 
(意味)あなたの御子は、きよい御城(御国)に発たれ、父の栄光を 現された。御声が(世界に)満ちるまで。
といったものもあり。
▼朝日(衛星版)に「最高裁、変化の兆し」という記事あり。行政訴訟で一審での住民勝訴が高裁で逆転され「消極主義」と思われていた最高裁が再逆転する ケースが目立つようになり「そのことを端的に示すのが東京地裁の藤山雅行裁判長(53)の一連の判決をどう受け止めているか……という点だ」と記事は始ま るのだが「へぇ日本の司法も少しは風通しがよくなったか」と記事を読み進むと最後の最後で「藤山判決は、高裁で覆され続けるとともにその「特異性」が喧伝 された。藤山氏は04年、東京地裁医療集中部に異動し、現在も同じ部署にいる」って(これは降格?、左遷?)、おいおい、記事ぢゃこの藤山氏がすでに東京 地裁の裁判長じゃない、なんてことはずっとわからず、リードの「そのことを端的に示すのが東京地裁の藤山雅行裁判長(53)の」って書き方で年齢まで入れ られたら、誰が読んでも現役。せめて元・裁判長にすべきだろう。
▼映画監督の今村昌平氏逝去。あら ためて作品一覧見ると寡作。今村昌平が最後に助監督している1957年の川島雄三監督の『幕末太陽傳』が作風といい一連の出演者のカ ラーといいい、その後の今村映画の源流。香港では数年前に今村昌平特集があり凡その作品が上映された幸運。日本では『復讐するは我にあり』、『ええじゃな いか』と『楢山節考』しか観ていなかったが長門裕之の『豚と軍艦』、左幸子に小沢昭一の『にっぽん昆虫記』、男性陣だけでも小沢昭一、殿山泰司、中村鴈治 郎の見事な演技ぶり発揮の『エロ事師たちより』など観る機会を得て、他作品も再見、『女衒』は前半が開闢まもない香港で興味深し。楢山節考といえば深沢七 郎の原作とこの映画で、日本社会の社会思想的縮図をこの楢山節考に見る某先生が日本研究業界におり、十数年前に近くにいた時には昼食での雑談など何かにつ け話しているとすぐ「楢山節考は……」と始まり閉口したもの。

五月三十日(火)北角の波止場で数日前に見かけた浮浪老人の家財道具が、最初見かけた時はちょっと置いてあるだけか、と思ったが、今朝まで放置されたま ま。ガー ドレールに鉄鎖で繋がっているでもなし、それでも置きっぱなしなのは、道路清掃員も誰も「ちょっと置いてある」と思ったからか。この老人にとって全財産が ここに放置されているのだから老人は不幸に遭ったか収容されたか。あるいは全ての財すら擲って更なる日々に旅立ったのか。午後にZ嬢より電話あり。銅鑼湾 歩いていて「巴士阿叔の、みたいにビデオ撮影できる携帯持ってなくて残念だったねぇ」と。何かと思えば週末に西湾河のマンション・嘉亨湾(Grand Promenade)のプールサイドで水着姿披露していた金髪のデルモ嬢らが今日はオープンデッキのダブルデッカーバスで市街を水色のボンボンを振りかざ しながら雨空に水着姿で市街をお練り。仕事とはいゑ難儀なり。諸事に忙殺され晩に帰宅。NHKのNW9にて米軍在日基地の問題につき「閣議決定」を「内閣 が変わっても引き継がれる最も重い決定」と紹介。そんな……(嗤)。調べてみるとやはり
閣議の意思決定には閣議決定、閣議了解の二つがある。内閣としての 意思決定を閣議決定、本来は主務大臣の管轄事項だが、その重要性から閣議に付された案件に対する同意としての意思決定を閣議了解と区別するが、その効力に 差があるわけではない。意思決定は閣僚の全員一致を原則とする。(ウィキペディア)
とある。そもそも閣議が内閣法4条「閣議は、内閣総理大臣がこれを、主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針そ の他の案件を発議することができる」と規定されたもの、で「会議の手続きについては定めがなく慣行によるもの」だとしたら、NHKの言う「内閣が変わって も引き継がれる最も重い決定」は何に根拠があるのか。法律や憲法すら軽視され内閣総理大臣が国家の最高法規たる憲法を「現状にあっていない」と考えるほど 憲法すら遵守されぬ国家において、いや、そんな国家だからだろうか、閣議決定が重要か。だがそれほど閣議決定に重要な決定権があれば、必ず法的根拠がなけ ればならない。が実際にないだろう。NHKの安易な粗忽解説。なので毎月多額の受信料払う海外の聴視者としてNHKに
5月30日のニュースウォッチ9の報道のなかで、在日米軍基地に関 する報道で、内閣の閣議決定について、閣議決定は「内閣が変わっても引き継がれる最も重い決定」と解説が入りました。この根拠をご提示願いたい。閣議決定 は閣議の意思決定の一つであるが、内閣法第4条に「閣議」について「閣議は、内閣総理大臣がこれを、主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の 重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」と規定されているのみ。あとは慣例だけ。でどこで「内閣が変わっても引き継がれる」と 決められているのか。政権交替があって内閣の意志が変った場合など如何か。
とお尋ねする。実際には閣議決定は閣議で「こうしますよ、内閣としては、いいですね?」の全会一致での意志疎通であって、例えば「イラク人道復興支援」と いう名の米軍イラク侵略後方援助活動についても基本計画に ついて閣議決定は計画をちょこちょこ変更するに用いられる(04年12月05年12月)。 国会の、国家の最高議決機関とは異なる、内閣の内輪の決定。郵政民営化の基本方針が閣議決定されても国会で否決された場合、廃案となれば、それで終わり (実際には亡霊のように復活したが)。1995年8月15日の村山富市首相「戦後50年に当 たっての首相談話」で言えば、日本が戦前、戦中に行った侵略行為や植民地支配について村山内閣として政府は公式に謝罪した談話を出しますよ、自社 さ連立政権で、自民党もその決定でいいですね、ダメなら連立解散か内閣総辞職か、ですよ、と(自民党は自民党で戦後50年でどうにか戦争の総括をしないと いけない時期であるから自党でなく社会党という天敵との連立内閣で首相談話を上手く利用した)。小泉内閣が教育基本法改正案を閣議決定しても、かりにポス ト小泉内閣が基本法改正を引き継がなくても何ら問題はないのだ。閣議決定とはそういう性格だろう。ところで同じNW9で、北朝鮮による拉致では日本人で拉 致されたYさんの北朝鮮での夫と思われる男性の親族が日本訪れYさんが拉致されたと思われる海岸をYさんの両親とともに「視察」、と。「視察」とは実地の 状況を見きわめること(広辞苑)であり出かけて実際に目で見て調べること(講談社類語辞典)。警視総監自身が現場を視察、広州の自動車製造工程を視察、で あって、出向いて状況や現状の調査の結果、何らかの決定や結論を導くための行為。だから「おそらく、ここで拉致されたんですか」と感慨を覚えることは「視 察」ではなかろう、「訪問」でよい。ところで政府の「再チャレンジ推進 会議」。総理府での会合の映像で議長は安倍晋三官房長官。阿倍君にとって「失敗しても再挑戦できる社会」は自民党総裁選出馬前に縁起悪いはず。日 刊ベリタに香港鼠楽園不振に地元遊園地の賑わい、について送稿(こちら)。
カンヌ映画祭で金棕櫚奨(パルムドールなんて意味もわか らないでフランス語のカナ書きに比べ、金の棕櫚という漢語の美しさ)にKen Loach監督の The Wind That Shakes The Barley が選ばれる。この受賞をいちばん喜んでいるのはローチ監督本人よか高松宮記念世界文化賞をローチ監督に「間違って」授けてしまった産経新聞であろう。ロー チ監督がカンヌで選ばれれば産経新聞からの賞金を日本の労働運動にカンパしてしまった「左翼監督」の印象も薄れるか……。今年のカンヌは「ダ・ヴィンチの コード」で盛り上がるはずが、カンヌはカンヌの美学があり是枝監督の「誰も知らない」で未熟な若手俳優に賞は与えても「ダ・ヴィンチのコード」は無視する だけの良識?があるようで、カンヌで開催なのに(カンヌだから、か)閉会式のセレモニーで開幕式とヴァンサン=カッセルがフランス政府の移民政策への抗議 をスピーチに盛り込むことなど、昨日亡くなった岡田真澄や高島忠夫が司会する日本の映画祭では想像もできぬこと。それにしても、なぜ王家衛がカンヌの審査 委員長なのかしら。これが不思議。巨匠か……。確かにこれでもう映画制作やめてもらっていいのだが。
▼蘋果日報の論説欄に蒋峰なる書き手の「辛辛學子」罄竹難書という文章あり。「辛辛學子」は学生の苦学の意か、罄竹難書は読めもせず。で文章読むと台湾で もはや死に体の阿扁総統だが、台湾の白沙湾という海岸での環境保護のボランティアが海難に遭遇したこと追悼するコメントで「台湾のボランティアの貢献は罄 竹難書である」と語ったことで台湾中で唖然、と。これは呂氏春秋の故事によれば「悪罪多くいくら竹筆を用いて書いても竹を使い果たしても(罄は「尽くす」 の意)書き尽くせぬ」の意味。明らかに阿扁の誤用だが台湾政府の教育部長(文部大臣)が罄竹難書の意味は「いくら言葉を用いても語り尽くせない」の意味で 悪罪多く云々の意味でないと議会で釈明したものだから総統ばかりか政府までかなり嘲笑の的。これに対して「辛辛學子」は中国の胡錦涛主席のエール大学での 記念講演で「エール大学のキャンパスを訪れてみれば、此処に青春に目を輝かせた学生たちが数多く学び……」と言うべきところで「莘莘學子」(多くの学生) を読み間違えて「辛辛学子」と言ってしまい(莘はshen、辛はxin)これも「此処にさんざん苦労する学生たちが……」では演説が必要以上に現実的にな ろうが、この胡錦涛君のは単純な読み間違えで、阿扁の場合はちょっと恥ずかしい誤用。だが阿扁がさんざんこれを揶揄されるのに対して胡錦涛君の誤読はほと んど小話の話題にもならず、と。その扱いの差が言いたい放題と言論統制との差。

五月廿九日(月)慌ただしく一日が終わるだけで綴ることもなし。
▼最近この日剰で一つのネタ引張るが巴士阿叔(バスおじさん、こちら)もいろいろなversion 登場しているが余の提案はやはり勧進帳で安宅の関。忠 臣蔵で松の廊下も一瞬いいかと思ったが、やはり勧進帳で、阿叔が弁慶で空文の勧進帳を読み上げるノリで捲し立て、聞き役(Elvis青年)が富樫。でこの ビデオ撮影の青年(Jon君)は義経で、弁慶と富樫のやりとりをじっと身を伏せて携帯でビデオ撮影する、というのがミソ。で話題のこのビデオクリップ、撮 影者のJon青年が現場の仔細語り、Elvis青年も弱冠23歳で旺角で小さな不動産屋「民福地産」営む実業家と判明し当日の様子をマスコミに語る。依然 「巴士阿叔」だけが誰か暴露されず。阿叔本人は赤面の至りだろうが、こういう場合、隠れたり否定するより、それで芸人になってしまったりするほうが実は処 世は楽かもしれぬ。「未解決」バッグや「我有壓力」Tシャツなども発売。
香港海洋公園。昨年の今頃には香港 鼠楽園の開園で客奪われ大打撃と予想されていた海洋公園が年間入場者数の最高記録更新。毎年7月からが新年度。これまでの年間入場者数の記録は403萬人 だが今年は6月末の年度末まであと1ヶ月で余裕で記録更新。開園29年目で快挙。すでに人気の峠越した、と思われし遊園地の経営託されたは蘭桂坊仕切るAllan Zeman氏で「去年の今頃は香港鼠楽園の開業で20%の減益必至、最悪25%減と見積もっていたのは、これまでディズニー開園で太刀打ちできた 遊園地などなかったから」と喜びを隠さず。それがまさかの入園者増は確かに海洋楽園の大規模な設備改善や「クラゲ館」のヒットなど自助努力もあるが鼠楽園 の予想に反する不人気が追い風になり海洋公園の入場者数の伸びの最大の要因は実は中国からのツアー客ばかりか地場の客の増加。鼠楽園の開園であらためて昔 からの地場の娯楽施設をば認識しての再訪。

五月廿八日(日)昨晩から歇まぬ雨にぼんやりと軒から雨空を眺めて をれば「あら、やだ、停電だわ、まつ度く」と女の聲。卓袱臺に置かれたる出がらしの茶のはいつた湯呑みを眺めてゐれば「此の雨ぢや今日はお茶挽きかしら」 と女の爲息に吾人も客の積りでゐたが女には客とは思はれていぬ樣で、雨の少し弱くなりたる處見計らひ淺草迄戻らうかと立ち上がる。「せめて少し置いてつて くださいな。祝儀で」と女。確かに晝からの一番客が茶の一杯で歸られては、と札入れから數枚拔き取り卓袱臺に置いて玉ノ井の私娼家をあとに……と、 荷風散人ならこんな日を送るかしら、という雨空(出鱈目の一文なので断腸亭日剰などで捜されぬよう)。この悪天候での午後の競馬の予想済ませZ嬢と昼に湾 仔の聖Francis街の画廊に湾仔の旧市街の記録画など飾ると大雨のなかバスで出向くが生憎の休館。金鐘でZ嬢と別れ独り中環。黄枝記でカレー牛南麺。カレー味の牛肋という下品な麺をここまで上質 に、極み。汁の一滴まで飲み干す。星巴珈琲にてエスプレッ ソ。大雨に欄桂坊下の星巴の日曜の昼過ぎが閑古鳥啼く。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。鍛練は水曜日から都合八時間。ストイック通り越し、ただ暇な 阿叔か。ジムからFCCに向かうがFCCのバーも閑散。一台 のモニタはラ式蹴球の中継。そういえば昨日此のバーで眺めたラ式の英国ラグビーユニオンなる試合中継は濃霧のなか蹴った球の行方さえ霧中。英国の五月なら では、か、ディケンズの描く霧か、と納得などできぬ濃い、濃い霧は世界的天候不良かしら。今日はそのラグビー中継を眺める客も一人だけ。もう一台のモニタ はCNNでインドネシアの大地震の現場中継流すが誰も見ておらず給仕に競馬中継にしてもらう。今日の雨での重馬場に携帯で確認せば第6Rまで少し儲け出て おり本日は日本はダービー(単勝1番人気のメイショウサムソンの優勝)で香港はThe Hong Kong Champions & Chater Cup(地場G1)のパドックよりの中継始まる。一番人気は12月の香港 ヴァース3着でQE II Cup2着のBest Gift(自由行)。マカオのカジノ王Stanley Ho氏のダービー馬Viva Patacaもかなり人気だが敢えて捨てて土星 (Saturn)と雨空には鄭雨滇君騎乗のGreenessy (緑色天地)に賭ける。Greenessy がかなりいい線に来ていたが最後直線で脱落。QE II Cupでは2着に甘んじたViva Patacaが八位くらいにつけていたが第四コーナーにさしかかる処で内枠から思いっきり馬の首を折りゃせぬかというくらい無理矢理の手綱捌きで外枠に転 じて悪路で内枠が混戦模様のなか見事に自らの花道をば見出しての一着。騎手はKinane師。今日のこのレースのために来港参戦のKinane騎手に脱 帽。Soumillon騎手で三勝(QE II CupはMosse騎手で二位)の馬を今日はSoumillon君来港ならず、でKinane騎手が吉と出た結果。この悪路に見事な、見事な騎乗。雨も歇 む。二杯目のDalmoreウヰスキ飲み干してFCCのバーを出で中環に下ればQueen's Road Centralに尋常ならぬ警官の数、は六四追悼のデモ行進が中環(政府総部)に向かうゆゑ。デモ行進も近くまで来た由、金鐘まで歩けばデモ隊の行進あ り。最 初に司徒華氏、李卓人氏ら先頭に「愛国民主大遊行」の横断幕掲げ、主催の支聯會の一群。民主党には李柱銘氏の姿見当たらず。劉千石氏も見当たらず。国民党 政府の青天白日旗の団体もあり。何より実は目立つのは様々なスローガン掲げるが法輪功の信者の数の多さ。おそらくデモの三分の一は法輪功信者(主催者発表 でデモ参加は1,100人(悪天候の影響で昨年より300人減)、警察発表は600人)。「長毛」梁國雄立法會議員。日本からも参加者ありか、左翼文字で「反日憲法改悪、建立 亜州民主」(反日憲法改悪はちょっと言葉足らず)と書かれた横断幕の亜州平和協会がデモの最尾。それにしても市民参加のデモでいつも敬服は香港警察の紳士 然としたデモ誘導の態。東都の機動隊の如き強硬的なる規制も抑圧もなく交通規制でのデモ隊参加者の安全確保だけに専念し金鐘の先の花園道(Garden Road)下では「今日のデモは直進だから、間違わないでね」とデ モ参加者に指示。警察官や白バイ隊員どうしの会話には笑顔すら散見される。中国で(いくら特別行政区とはいえ)反政府デモがここまで平和裡に行われること の大切。デモ隊をば見送り太古広場のGreatにてジェラート購い帰宅。ドライマティーニ一杯。ラフマニノフのピアノソナタをホロヴィッツの演奏で聴く。 晩に豚カツ食す。晩のニュースではインドネシアの大地震がトップニュースは当然として、夕方のデモはPearl局が30分のニュース番組で半ば15分の CMの後、有線電視のニュース台ではトップから10分後。天安門事件から17年経たとはいえ扱いは意図的に主要ニュースに持ってこない、という暗黙の了解 だろうか。『世界』六月号読了。この号(憲法にとって「国」とは何か)の特集はこれまでの『世界』では珍しくもない憲法特集でも読みごたえかなりあり。萱 野稔人(以文社『国 家とは何か』の著者)の「国家の思惑と民衆の要求は、なぜ 逆説的に一致するのか」はかなり面白い。そう、「セキュリティとは、たんに「暴力から保護する」といったことだけを意味しているではない。(略)安定した 雇用のもと安定した収入を得られるということもセキュリティだし、失業や事故に遭っても生活が保障されるというのもセキュリティだ。(略)国民国家が今の ような形に形成されてきたのは、治安や安全保障という狭い意味でのセキュリティだけでなく、民衆の生存にかかわる広い意味でのセキュリティを国家が保障し ようとすることによってであった。(略)ところが現在、この広い意味でのセキュリティが逆にどんどん低下している。雇用は不安定化するし、財政難というこ とで社会保障も縮減されている。将来の生活の見通しがなかなかたたなくなり、国民のあいだに不安が広がる。この不安がいまのナショナリズムの原動力となっ ている。(略)国民は、治安や安全保障をめぐる狭い意味でのセキュリティの強化を国家に要求することで、生存条件をめぐる社会的なセキュリティの低下を埋 め合わそうとするのだ」と引用は切りがないが、こうして国家もナショナリズムの要求を背景にして「国民生活全般にかかわるセキュリティか ら、治安や安全保障を特化したセキュリティへと活動の重点を移すことができる」と。まさにキョービの米国や日本の「テロ対策」がこれ。
▼香港のバス車内での「怒れるオジサン」(巴士阿叔、Bus Uncle、バス叔父さん)のビデオクリップ(こちら)について。この携帯で撮影さ れしクリップがオジサンの発狂開始直後からで脈絡が多少解りづらいが、一瞬、シチュエーションとしてはオジサンが若者の不作法にキレたようにも見えるが、 実際はオジサンの携帯での通話の大声に若者(Alvin君は今では世界中で有名だが、オジサンのほうはいまだ身元公開されず……だがすでにいくつかのマス コミなり芸能プロダクションが画策中か)がオジサンの肩をトントンと叩いて「ちょっと静かにしてくれよ」が発端。都会の狂気、だが実際に電車や地下鉄のな かで、こういう状況はいくらでもあり。携帯だの電子ゲーム機の利用者の不作法であるが、元凶はこういった「便利な物」作った産業社会であり、携帯電話など 本体価格も使用料も高価であればよかったものを廉価にして誰でも浪費できるようにした市場社会。……で天気も悪い日曜の暇に任せて日本語に訳せば会話は次 の通り。だが広東語の、あの罵り言葉の語呂は英語でも、ましてや日本語では表わしようもなし。
オジサン(叔)「降りろ、バスから降りろ! バスに乗ってるんじゃ ない」
若者(若)「なんでだよ」
叔「なんで俺の肩を叩いた? 俺が電話で話していたって言うの に……ったく」
若「大将、」
叔「おい、大将と呼ぶな。公平にな。おれたちはお互い、見ず知らず だ。なんで俺をそう呼ぶ? なんでだ? いいか、誰もがみんな世の中でストレスがあるんだ。オマエがしてることは、いいか、不公平なことなんだ。俺はオマ エに何か言ったか? オマエに触ったか? どうだ?」
若「わかったよ、謝るよ。ごめんな」
叔「なんでだ? 俺が正しいか?」
若「ああ」
叔「なんだと?」
若「面子の問題もあるしな、ごめんよ、大将」
叔「面子なんてどうでもいいんだよ。いいか、俺はオマエがケータイ で話していても邪魔しなかった。いいか、俺が大声で話してたっていうのか。簡単なことだ。俺はオマエの邪魔をしなかった。俺が正しいだろ」
若「それで? べつにどうってことないじゃないか」
叔「おまえに何が関係あるっていうんだ? どうしたいんだ? 俺は 事を納めたいんだよ。簡単だ」
若「もう解決したよ」
叔「未解決! 未解決!! 俺はきちんと事を納めたいんだ。簡単な ことだ。俺はオマエの通話を邪魔したか?」
若「……」
叔「だろ、じゃぁ、なぜ俺の邪魔をした?」
若「声がデカイからだよ」
叔「オマエだって声は大きかったよ。俺が邪魔したか? オマエも俺 も電話で話してたんだ。音はするだろ。おなじなんだよ。わかるか。俺はオマエの邪魔をしたか? どうだ? えっ、やるかっ? Fuck! やるかっ、この 野郎! 俺にはストレスがある。オマエにもストレスがある。なんでオマエは俺に絡んでくるんだ?」
若「ごめんよ」
叔「なにが「ごめんよ」だ。謝るのか?」
若「申し訳ない」
叔「もっと大きな声で!」
若「申し訳ない」
叔「わかったか、注意しろよ、オマエに警告しとくぞ! よし、握手 だ。なんで握手しない? 妥協しないのか? 謝ったあとは握手するもんだろ。握手しなかったらどうなる?」
若「必要ないよ」
叔「なんで必要ないんだ? 握手しなかったらどうしようもないだ ろ」
笑い声。
叔「握手しなかったら、納まらないだろ、この場が。どうだ? オマ エは俺の電話の邪魔をしたんだ。俺はオマエの邪魔したか? Fuck! 俺はいい加減アタマにきてんだよ。テメーは俺をバカにしてんだよ、この野郎。オマ エのカーチャン、強姦したろか? 俺が携帯で話している時にオマエも話したんだよ。なんでオマエが俺に因縁つけんだよ。オマエのカーチャン、強姦したろ か? ええっ? 握手もできない、えっ、納まらないだろーがっ」
若「わかったよ、わかった……」握手。
叔「よし。もう、二度とするなよ。今度会ったら、ちゃんと俺の話を 聞けよ」
若「もし出くわしたらな」
叔「そうだな、もうするなよ。俺の邪魔をするな、俺もしないんだか らな。わかったか? 俺たちみんなストレスがあるんだ。わかったか。いつでもかかってこい!」
若「もういいよ」
叔「よし」
若「君子動口不動手(君子は口では言うが手は出さず)」
叔「何を言ってんだ? オマエが口出ししたから面倒なことになった んだ。オマエが俺の肩を叩いた、俺が電話していただけなのにな」
若「もしかするとアタマを叩いたのかもね」
叔「オマエは謝った。まぁそれはいい。だけどな、オマエは俺の邪魔 をしたんだよ。俺はしていない。だから、オマエのカーチャン、強姦したろか?って言ったんだよ。わかったか。いいな」とオジサンは自分の席に坐ろうとす る。
若「どうでもいいけど、ウチのカーチャンを姦すとか言うなよ」
叔「それじゃ、だれをfuckすりゃいいんだよ。だからオマエの カーチャンを姦す、って言ったんだよ。俺のチンポがオマエのカーチャンにペンペンってな。そりゃ中国の粗口(汚い言葉)だよ。Fuckingは楽しいよ。 俺のチンポがオマエのカーチャンをな」とオジサン座席に身を落とす。
若「おい、言っておくけどね……」
叔「俺に何をクチゴタエするってんだ?」と立ち上がる。「オマエ、 何を俺にクチゴタエする、ってんだ? 俺たちは握手した。どういう意味だ」
若「もう解決したろ」
叔「それなら、なんで俺にクチゴタエするんだ? 俺にはすごいスト レスがあるんだよ。だから握手して解決しようとしたんだ。それでいいだろ。なんで俺にクチゴタエするんだ? なんでだ? わかってんのか? えっ? 意味 ねえんだよ。俺たちは握手した」
若「いいかい、これは俺たち二人のことなんだ。他の人に迷惑かけな くてもいいだろう」
叔「何を言ってんだ。オマエはfucking(ここでは「叩きのめ す」くらいの意)が好きだろ。俺も好きだ。Fuckingは恥ずかしいことじゃないんだよ。オマエは二度、叩きのめしてやらねーとわからないみたいだな。 わかったか。事を納めようとして俺に警告なんかするな。オマエが俺にクチゴタエしたってな、俺は怯まねーぞ。俺たちはすごいストレスがあるんだよ、わかるか」
若「わかたよ、だけど……」
叔「いいかららクチゴタエするな。もう解決したんだ。俺にクチゴタ エするから解決しないんだよ。わかったか。握手したろ」
若「わかったよ、もういいよ、話すことはない」
叔「なんでそうやってクチゴタエするんだよ! まだやられてーの か? わかってんのか? Fuck!」
オジサンの電話が鳴る。
若「ほら、電話が鳴ってるよ!」
オジサン、ようやく自分の座席に身を沈め「はい、もしもし」

農暦五月初一。陰鬱なる天気に何も予定なく朝寝決め込むが午前六時半には目覚めてしまい朝食はさみ土曜日は五紙届く新聞にあらかた目を通し昨日の日剰清書 せば昼近くとなる。SCMP 紙の「Sudoku」で星5ツの最難関もさらっと出来た。昼すぎよりジムで筋力運動と有酸素運動を各一時間 こなしFCCのバーでハイボール二杯とかなり遅い昼飯がわりでチーズとクラッカー食す。午後遅く同じくジム帰りのZ嬢と待ち合せ西湾河のマンション・嘉亨 湾(Grand Promenade)の「日本まつり」訪れる。マンションの敷地内に有蓋の広大なバスターミナル(最初の画像)、このターミナル部分をデベロッパー(この 土地開発業者、を意味するデベロッパーなる語、まるで妖怪の如し)に譲渡することでデベロッパー側はバスターミナル上部の面積をば駐車場と屋上部分を「庭 園」にできる他、最も重要なることはバスターミナル部分得ることで敷地面積に対しての建蔽率が大幅に高まり確か十階分だか建物を高層に出来る。それゆゑ本 来はバスターミナル部分の敷地をば譲渡することでHK$数億の収入を政府が得るべきところ政府の高級公務員の某がこの敷地部分を無償で譲渡してしまう決定 出し、日本で言うところの会計検査院がこの粗呆を見つけ指摘し問題化、それを政府お得意の独立調査諮問委員会に調査託したが、そもそも政府子飼いの輩ばか りの「第三者」に公正なる評価など出来る筈もなき茶番、で「問題なし」の結論に親中派多き立法会もさすがに政府の態度に不満示し立法会で審議継続。で本日 の「日本まつり」だが正面玄関前に不動産屋が群がる中を恐る恐る中に入ればかなりの面積のクラブハウスフロア利用してのオープンデー。入口から浴衣姿のア ルバイトの子らが「いらっしゃいませ」と頭を下げてのご挨拶。ク ラブハウスに入れば、すでに元横綱・輪島のサイン会開催の様子。ジムでは筋力運動のマシン並ぶなかで剣道の防具つけた剣士が素振りの稽古!(日本まつり、 これ期待してきたら真面にこのシーンにおもわずカメラの焦点もブレる)。スパのジャグジーも悪天候のなかプールサイドも「ジンガイのデルモ」が寛いでみせ ての豪華さの貧困なる演出。ビュッフェ形式の食べ放題に参観者群がり、シャンペンや樽酒などディスプレイはされているが、お飲み物は無料のジュースばか り。知人のA氏家族に遭遇。ここにお住まいだそうな。関取二人による相撲のデモンストレーション始まり、クラブハウス施設をばふらふらと歩いていればサイ ン会の終わった輪島氏が手持ちぶさたにふらりふらりと歩かれおり、こちらに来られてしまいなりゆきでZ嬢がご一緒に記念写真。輪島関の現役の頃のあの強さ 知る者には、い くら引退されお年とはいえ目の前にあの横綱が居るとは、それだけで緊張して声も出ず。相撲に続き「歌舞伎」であったが花柳ナントカ社中みたいな男性三人が アップテンポの新宿コマっぽいアレンジの黒田節をば踊り始め「なるほど」と納得。忍者ショウも日本舞踊集団ASUKAも見ずに会場をあとにする。結局、や はり何のための「日本まつり」か、からっきしわからず。日本人も一割くらいだろうか会場にいるにはいるが、ほとんどがこのマンションか隣のLes Saisonsの住人。香港の地場の参観者がまぁ珍しいもの(実は日本人には奇妙なもの)見て、の大衆娯楽だったのだろうか。太古城までQuarry Bay Parkを散歩してユニーの日本食まつりで「鮪の解体」あり、美味そうな鮪の赤身やはまち、鯛などの刺身の切り身いくつか購う。晩にそれを食す。菊正宗の 残り少しと「花てんじゅ」なる芋焼酎(宮崎、王手門酒造)飲む。
▼今朝の信報に「李福善先生的公開信」という、香港司法の重鎮、李福善氏(前、最高裁上訴裁副裁判所長)の香港政府新庁舎建設反対の公開意見広告あり。こ れは香港政府が金鐘のTamar Site(添馬艦)に政府新庁舎建築の計画、「香港の繁栄のシンボル」となるHK$50億だか投じての超高層ビルだそうで、立法会で野党民主党が条件つき ながら建設に合意。金鐘のTamar Squareは中環の英国海軍総部(現、中国人民解放軍駐香港部隊総部)に接した、もともとは海軍艦船の港で、そこが埋め立てられ1997年の香港返還の 記念式典だの03年のSARS疫禍後の忌まわしきHarbour Fest 2003(香港米国商工会議所主催のSARS復興記念の大物外タレ多数招聘の一連のコンサート。政府これ支援しSARS基金より約1.2億円捻出の上に惨 憺たる入場者数で収益では賄えぬ高額のギャラの補填まで公金充てる始末)など此処で開催される。李福善氏は、この計画につき、巨額の公的資金投じての高層 ビル建設は付近の交通渋滞、大気汚染、騒音など環境保護の観点から悪化深刻であり、ヴィクトリアハーバー沿岸の公共の一等地は香港の市民や来港の観光客の ためにもっと福利還元される用途に用いられるべき、と。御意。たかだか人口700万だかの「一地方自治体」の庁舎建築になぜ70階建てだかの超高層建築が 必要なのか。小役人の権威誇示。虚勢。それにしても地方自治体が豪華な庁舎建設は、考えてみると東京都庁、ソウル市庁舎、それに言わずもがな中国の各地方 政府、郷鎮レベルでの異様に巨大で、しかもダサい欧風ごちゃまぜ様式の庁舎建設など、アジアに特有の威勢。もちろん紐育市庁舎だの巴里市役所だの建物は立 派であるが、周囲の建築から抜きんでて、というほど威勢は張らず。むしろ役所など事務的に機能すればよく目立たぬことが本望。東京都庁は結果的に、威厳的 を選択し丹下健三の「あれ」となったが、磯崎新の都庁コンペ作品はまさに樹木のなかに隠れるような庁舎。これは「市」にとって市民が中心であり市役所とい う事務的なる箱は目立つ必要ない、という意志。香港も英国統治時代からの香港政庁の建物は中環にありがなら樹木のなかにひっそりと佇む奥床しさあり。当 然、総部だけで足りる筈もなく多くの部署は各地に点在しオフィスビルの間借りなども多いが、寧ろ、部署が拡散されることで公務機能の中環への集中を防ぎ市 街の拡散に寄与する側面もあり。それをあえてTamar Siteに集中させましょう、というのは、たかだか地方自治体の威厳以外の何ものでもなし。

五月廿六日(金)『国家の品格』ショックより立ち直れず。ホッブスの社会契約論の藤原センセによる無理矢理な解釈だったが、富柏村的には「すなわち国家と は人間が自然を放棄した状態」である。昨日の朝日に『敗北を抱きしめて』のジョン=ダワーのインタビュー掲載あり。「戦後処理」の無理矢理が、結局、藤原 センセ的な「思想」生んでしまう原因なのだろう。加藤周一の夕陽妄語も「藤田嗣治私見」がいい。東京の国立近代美術館でレオナール=フジタの生誕120年 で開催されている藤田嗣治展。 加藤周一はフジタの生涯を紹介しつつ、最後はフランスと日本の間で浮遊するフジタの姿に、自らを投影させている。さすがの加藤周一にとっても今どきの日本 の姿はもはや(戦時中すらまだ戦後への期待を込めた加藤周一であったが)精神的にはディアスポラなの鴨。陰鬱なる暗い曇天。香港は雨期でまだ季節らしいが 東都は季節外れの雨空続きとか。早晩にジムで一時間の有酸素運動。Z嬢と銅鑼湾で待ち合せ南亜餐庁に海南鶏飯を食す。南亜餐庁といえばかつてSharp街 Eastの老舗。共同経営者らの縺れで一旦は閉業したが(恐らく彼らのうちの一人か、あるいは息子か、が)Leighton Stに当世風の小ぎれいな内装で復業。総じて店が新装などすると、銅鑼湾では皇后飯店などがいい例だが、高級化で客単価も上がり供する料理はそれほどでも ない(旧と同じ水準なのだろうが薄汚い店でなら美味い料理が小ぎれいな店になると美味くも感じられず)。それにしてはこの肆の海南鶏飯は値段は変らず、 「滑」っとした食感は変らず。だがかつての白衣姿の給仕のオヤジらの姿もなく今様の若衆が給仕していて、どこか落ち着かぬ。
▼明日からの週末に開催の西湾河のマンション・嘉亨湾(Grand Promenade)の「日本まつり」。今日も新聞に折り込み広告あり相撲には元横綱の輪島が来港で(相撲はとらぬようだが)記念写真撮影、とあり。ちな みにパンフレットには輪島博士氏とあるが、これは輪島大士だろう。で忍者ショーが伊賀流忍者集団・黒党で、日本伝統舞踊アカデミーASUKAの舞踊が「芸 者によるパフォーマンス」なのは出演者には不本意だろうが、ここまではわかる、で最後まで謎なのが歌舞伎。ASUKAが飛鳥流で沢瀉屋の市川右近の実家な ら歌舞伎も右近が来るかと言えば沢瀉屋一門は28日まで名古屋の中日劇場で「雪之丞変化2006」なる舞台あり、一昨日、七月歌舞伎座での泉鏡花の芝居で も玉三郎と海老蔵が記者会見あり共演の沢瀉屋一門は名古屋からビデオで挨拶、七月といえば歌舞伎座はかつては猿之助の月で、今もこうして平月よか多少奇を 衒った芝居が掛かり、而も沢瀉屋の月を大和屋と成田屋でこうして盛り上げるのだから沢瀉屋一門にとっては有難い話で、その記者会見にすらビデオで挨拶なの だから、まさか中日劇場の千秋楽に出ずに来港は不可。香港での歌舞伎役者の営業といえば、何といっても芝翫香の香港店の開業にあわせ来港しペニンスラホテルにて素踊り披露し て一泊で帰った神 谷町の印象、今以て鮮烈。香港での歌舞伎といえば橘 屋さんだが、たかだか香港のマンション売り出し、である。歌舞伎といえば、六本木に「うまや」夫婦庵という食処あり。六本 木の一等地にて夫婦庵と名付けるは藤間紫と、この店の企画発案が沢瀉屋、で納得。此処はかつて六本木宗家藤間稽古場。ここに紆る話、久が原のT君より聞 く。興味深し。
▼台湾で亜扁総統、夫人の太平洋そごう経営者からの贈賄疑惑に続き娘婿が株のインサイダー取引で拘留される。反国民党の民主運動で投獄された亜扁、大学時 代から同じ運動に加担し白色テロにて車椅子生活余儀なくされた夫人、だが亜扁が総統になり「疑惑の銃弾」の二期目就任からは全く以て「地に堕ちた」感あ り。
▼旧聞に属すかも知れないが、香港のバス車内での「怒れるオジサン」のビデオクリップ(こちら)。都会の狂気。

五月廿五日(木)先学生日。生きていれば74歳か。早晩にジムで一時間の筋力運動。一瞬ちょっとショットバーに寄ろうか、と思ったが昨日から「毎度おさわ がせします」がトラウマのようで真直ぐ帰宅。豆腐と苦瓜、茄子の冷菜など素食。藤原正彦『国家の品 格』間接的に借りた(海外でよくあることだが「廻ってきた」が正しい)ので読む。。これが「国民的ベストセラー」だとは。「国民的ベストセラー」 の誕生は『窓際のトットちゃん』でも『気くばりのすすめ』でもそうだが「普段、 本をあまり読まない人まで読む」現象。という意味では、ふだんそれなりに本を読んでいる読書人、ある程度、教養のある人なら、この本のイカサマぶりは一読 して明らかだが、ふだん本など読まぬ人だと、この本の内容に共鳴したり。著者は、その妻が著者の「話の半分は誤りと勘違い、残り半分は誇張と大風呂敷」と 指摘したそうで、言い得て妙。内容は抱腹絶倒の椿説奇譚。結局、結論は「国家の品格」など言及できず、たんに「世界を救えるのは日本人」という、叩けば埃 の出そうな民族の誇りの一点張り。これを読んでしまうと八十年代の山本七平のイザヤ=ベンダサン本も至極真っ当であるし、国威発揚でも、まだ当時、『ジャ パン=アズ=ナンバー1』など読んで浮れていたことや石原慎太郎&盛田昭夫の『Noと言える日本』ですら良識的とすら思える。大風呂敷でも和辻哲郎の『風 土』のほうがずっと感性だけで推論として今になって「なるほど」と理解できる。だが『国家の品格』なんて、こんな本がベストセラーになるくらい、『ジャパ ン=アズ=ナンバー1』や『Noと言える日本』の時代よかずっとずっと日本が疲弊している証左。これを読んで「日本は大したもんだ」と元気が沸くことがベ ストセラーの原因なのだろうが、悲しい事実は、この本でも実は著者は、民主主義だの自由だのを非難するとで、エリート主義と大衆の妄従ぶりについて指摘し ており、つまりは、小泉改革での格差社会で実は「負け組」になる人たちが小泉三世の熱心な支持者であるように、この本も、これを読んで「元気をもらった」 人が実は著者のいう「市民なんてものはエリートの引率に従っていなさい」的な層であること。また、この本がここまでベストセラーになったもう一つの原因 は、日本人意識高揚本であっても、主張がけして「作る会」や渡部昇一的に右翼的、タカ派でないことで、一般の読者のアレルギーに触れないこと。日本の東ア ジア侵略などの罪を認め、「国を愛する」こともnationalisticな愛国心ではなくpatrioticな祖国愛(エトノス的なもの)である、とす る。そこで偏狭に右ばかりでなくノンポリな中間層まで読者として取りこめた。それにしても、この本で述べられている「誤りと勘違い、誇張と大風呂敷」にい ちいち反論などすることも馬鹿馬鹿しいが、いちばんのお笑いは何といっても、この著者の「自由」嫌い。究極の自由としてホッブスの自然権の概念を挙げ社会 契約論に言及しているが、自然権を認めたら無秩序と野蛮と渾沌の世界になるので、それを万人が放棄して、ある機関に委託する。それが国家だ、と。まぁここ までは高校の社会科の倫理社会で教わったような気も一瞬、するが、ちょっと倫社の授業をマトモに受けていた高校生なら、それでも自然権=無秩序と野蛮、ま た自然権を「放棄」は誤謬も甚だしい、とわかるわけで、而もこの著者は「すなわち国家とは人民が自由を放棄した状態」と結論づける(笑)。これは高校の倫 社の期末テストでも採点でバツになる暴論。樋口陽一先生の説明を持ち出す迄もなく(先日この日剰にも書いたが)国家とは「契約というフィクションにより」 創られたもので、無理や弱点があるのは当然で、それを維持し発展させるべきもの。まさにこの著者は樋口先生の言う「それを攻撃してエトノス的な国 (nation)の復興をば訴えるのは(まさに自民党的だが)勉強が足りない」人(情けない、これで東大卒のお茶大教授)。ホッブスですら目の敵であるか らロックだのジェファーソンなどもう罵り、である。それにしても読めば読むほど酷い内容。日本の誇るものとして情緒だの形、秩序、四季など感受性、庭師の 技術から武士道など挙げるうちはまだいいが、日本は「万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者を やっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います」と。どうやって立証するんだよ!(笑)と突っ込まれ る、と、さすがにこのセンセイも察したが、ここだけは「想像するに……かと思います」と婉曲である。だが藤原センセイはこれに留まらず前や儒教も「中国で 生まれたものですが、中国にはまったく根付かなかった」そうで、禅と儒教は「日本人の間に古くからあった価値観」で「理論化したのは中国人」とは……単一 民族の中曽根大勲位や「日本は神の国」の森さん、靖国参拝は個人の信条の小泉三世でもあっと驚く藤原センセイの暴論の極み。こんな内容の本が「すべての日 本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」と新潮社もよくも恥ずかしくもなく宣ったもの。まぁ、売れればいいのか。画期的日本論であることは確かだが、こ んな内容で誇りも自信も得られない良識的な人々はかなりいるはずで、だからお願いだから「すべての日本人に」は止めてほしいところ。あまりの画期的さに衝 撃受け臥床。
▼香港島の西湾河(そこを不動産業者は「アイランド・イースト」と呼ぶことで周囲の喧騒を誤魔化すのだが)に嘉亨湾(Grand Promenade)という新築マンションあり。超高層マンション立ち並ぶこの界隈でもかなり目立つ威勢、一つの建物群としての巨大さ。売り出し 中、賃貸募集のこのマンションがなぜか今週末に日本の伝統文化芸能紹介の開放日。相撲のデモンストレーション、歌舞伎劇場、伊賀流忍者集団・黒党(くろんど)に よる忍者アクションショー、芸者によるパフォーマンス、日本伝統舞踊アカデミーASUKA(沢瀉屋の市川 右近の実家はこの飛鳥流の家元)などの他、生け花、茶道、剣道などもあり。ちなみに、例えばこのマンションは日系のデベロッパーが開発し和室があ るなど日本趣味、というのなら、この日本の伝統文化芸能紹介も頷ける鴨しれぬが、そういうわけぢゃない。恒基兆業地産という香港のコテコテのデベロッ パー。この西湾河一帯のマンション、衛星放送受信など整いNHKのBSなど観られると日本人にも人気で、このマンションも日本人狙いもあろう。が、日本人 の集客に胡散臭い日本趣味の展示など要らぬ。このマンション、もっと売れる、貸せるはずが埋立による公用地の払い下げでマンション建築に絡み政府の役人が 建築面積の許認可で必要以上に建築面積をば認可し路線バスターミナルであった土地の部分の提供では本来政府収入となるべき億単位の額で政府に損失与える。 この政府高官、おそらくは民間デベロッパーへの便宜供与で公務員退職後の天下りか何か期待したのだろうが、この便宜供与暴露され政府は「独立の調査委員 会」で審査の結果、便宜供与の疑いなし、と聞いて呆れる報告済ます。その問題で、賃貸や居住には直接の影響ないはずだが「トラブルあり」で日本人にも敬遠 されているような気配あり。それが事情なのか、いずれにせよ、このマンションのこの日本趣味のオープンデーの宣伝(日本語)が日本の新聞に折り込み広告で 入ってくるから不思議。而もわざわざ日本文化の紹介が日本語でされている。日本語は文法的には間違いないのだが、説明内容がどこか奇妙。
「相撲」 相撲はまわしをつけ、素手の二人が、土俵内で相手を倒す か、または土俵外に出すことによって勝負を争う競技。古くは武術・農耕儀礼・神事として行われ、平安時代には宮中行事として相撲(すまい)の節(せち)が 行われた。日本の国技とされる。
「歌舞伎」 日本独特の演劇で、伝統芸能の一つである。というのは 当て字でるが、歌い、舞い、技(技芸、芸人)を意味する、この芸能を表現するのに適切な文字である。
……とどこか怪しい感覚の日本語。いったい誰をターゲットにした催しであり宣伝なのか不明。

五月廿四日(水)北角の波止場界隈徘徊する浮浪老人の全財産、いつも車仔でハンドキャリーしているが、今朝はポツンと歩道に放置されており、近 くでしげしげと眺める。ぎりぎりまでスリム化された全財産の中でカップ類だけがやたら目立つが、人生がこれくらいの荷物に納まってしまう。ほとんどお遍 路。だが何といっても旅荷の少なさは水戸黄門ご一行か。晩にジムで有酸素運動と筋力運動それぞれ一時間ずつ。……というと立派に聞こえるが見方によれば 80年代のドラマ「毎 度おさわがせします」の仕事帰りにエアロビに夢中の板東英二らと何等変わらず。帰宅してきのこの炊き込みご飯など食す。NHKの「ためしてガッテ ン」で、もうウンザリのモーッアルト特集はモーッアルトの楽曲が一度、四度、五度の三つの和音がかなりの部分を占めるから、いい感じで息継ぎができるフ レーズだから、などなどの理由でモーッアルトは聴き易い、と「もういい加減にして」の陳腐な内容。だが、モーッアルトの音楽は聴くとリラックスできる、と 思われているが、バンジージャンプの直前ではモーッアルトを聴いてもストレスは寧ろ高まる、というのだけ「へぇ」と。それを知ったからといって何になるわ けでないが。
▼サッカーにはあまり興味ないが伊太利のサッカー醜聞はW杯での伊太利チームの士気にもかなり影響あるだろう。4年前のW杯でブラジルに賭けて見事優勝。 その配当をそのまま英国のブックメーカーで「4年後は伊太利」と賭けており今更にっちもさっちも行かず。ただただ伊太利の奮闘を祈るばかり。

五月廿三日(火)幾度も驟雨あり。昨日、話が途中になったがバンコクの四面佛の篤信で、何が言いたかったか、と言えば、(睡魔に襲われオチも忘れて書き終 えていたが)実は事実上失脚のタクシン首相。篤信(とくしん)でタクシン……面白くないか。芸人も凄いが先月、国王の命により副首相に政権をば譲り日本を 含む海外歴訪だのゴルフ三昧のタクシンが今回の四面佛の復興に現われ篤信ぶり誇示。昨日の朝日(国際面)にタイ王国にて総選挙のやり直し選挙も決まらず経 済の悪化や南部のイスラム地域での治安悪化(って元凶はタクシンの施政にあるのだが)など問題山積みでタクシンが職務復帰という報道もあったがタクシンは その復帰のまるでプロローグの如く四面佛の復興に姿見せる。ほんと芸人……。タクシンをルックス的には松竹新喜劇に出したいところ。で、四面佛といえばマ カオにもあり。場 所はフェリー埠頭にも近い新八百伴百貨隣りの国際中心商場。マカオでも「怪しい」「濃い」ことでは有数のビル。大通りに面するのは普通の観光客相手の商店 並び楼上にはマンションだが一歩中に入れば空き店舗ばかりの虚無なる空間。地下に「食街」とフードコートありの看板あるが実際には地下のレストラン街は廃 虚。G階の横に延びた通路にはちょいと怪しげな按摩だの安食堂、媚薬売る薬局など並ぶ。地下は三階くらいまであるそうで、其処に人が近づかぬのは其処がマ カオの賭場で一文無しとなった香港や大陸などからの客がビルの地下にホームレスで住み着き地下の奥深くは食べ物の腐臭から糞尿まで言葉絶する地獄あり、と いう噂もあり。地下1階の食街の廃虚までは降りてみるがさすがにそれより深くには二の足を踏む。でこのビルの裏手にまわると、そこに四面佛。バンコクの四 面佛の別院と縁起にあり。博打場居並ぶマカオゆゑ金運授かるという四面佛はそりゅ御利益あり哉。でこの複合ビル、楼上のマンションに上がり下りする住人も 普段着も派手な大陸からの若い芸人夫婦など東欧か露西亜からの踊り子か売春婦か。その迷宮なるビルに四面佛あることの不思議。ところで怪しく閑散としてい る、といえばマカオのDoca dos Pescadores(Fishermen's Wharf)であるが此処も閑古鳥。隣 接のラスベガス資本の賭場Sands Casinoの賑わい。本日、晩に斎藤さんからいただいた03年のメルローで「長野県塩尻市桔梗ヶ原地区収穫地ワイン」メルシャンが販売、を飲み珍しく羊 の骨つき肉、とふんだんな有機野菜各種、サラダや酢で食す。自宅で二人という場合のワインは500mlくらいがちょうどいい、という話をしていたら先日来 港の際にいただいた一本。美味。とても料理に合い感激。NHKのNW9見れば日本では子供が殺されたり虐待されたりばかり。やはり憲法と教育基本法改正し て健全なる世の中作らねば。そういった犯罪が秋田だの、本来とても穏やかなはずの田舎でおこる症状。それもヘンだが子供の虐待で裁判官が虐待した親に「人 間としての感情のかけらもない。残虐極まりない」と判決の際にコメント。果たしてそうだろうか。筒井康隆的に。あるいは岸田秀的に。人間だからこそここま で残虐なることが子に出来る。崩れ。秋田での子供殺害では「心のケア」のため、その子の通った小学校に心理カウンセラー派遣され恐怖症や不眠など訴える子 供のケアにあたる。小学校校に設えられたカウンセリング室で向かい合う「ケアの必要な子」と心理カウンセラー。心理専門家がやさしく子供に語りかける、の 図。これがどう子供に影響するのだろうか。フーコー的に。寧ろ、怖い。東京で四谷に育った我が母は空襲の惨禍に焼けただれた死体の中をがむしゃらに死体を 踏みつけたかもしれずに逃げた、と言う。小学校に上がったばかりの齢。残虐極まりないなかで心のケアもカウンセリングもなく生きてきたが精神など病んでお らず。寧ろ地獄をば見た逞しさ。話は違うが、日本では異常気象での日照不足。五月の日照時間が平年の半分とか。久が原のT君は行きつけの、新宿の鮨「いし かは」でも祇園の割烹川上でも、食肆のご亭主が食べ物の旬のメチャクチャ嘆いていらっしゃる、と。心のケアとかカウンセリングとか、何度もシツコイが改憲 とか教育基本法改正とか、そんな、敢えていうが「バカバカしい」ことよか、日照りが尋常になることの大切。オゾン層の破壊も気にすることなくお天道様の陽 光に当れることの幸せ。それのほうがずっと毀れた人間をば尋常に戻すのだが。……とそんなこと考えてNW9をば見ていたら番組終わり油断していたが火曜日 晩でNHK歌謡コンサート。演歌。五木ひろしと石川さゆりがデュエットで「居酒屋」なる楽曲をば唄うがこれが「銀恋」と曲の展開が一緒やんけ?と思ってい たらデュエットメドレーの最後で「銀恋」がかかり、その通り、と再確認。このまま「居酒屋」に戻ればエンドレス。NHKホールの満員の会場で支持政党とか 小泉三世支持の有無であるとか憲法改正などアンケートとってみると面白いか(結果は明らか鴨)。山川豊なる芸人が「アメリカ橋」なる唄で、司会のアナウン サーがカラオケでこの曲を唄うポイントとして作詞の山口洋子だか作曲の平尾昌晃のコメントで「ワルツのテンポに乗ること」だかと紹介。だが楽曲を聴けば、 これは敢えて言えばマズルカ。これはワルツぢゃなくて八分の六拍子ぢゃないかしら。演歌など聴いている限界に達しつつあるところでCDで Rubinsteinのショパンのマズルカ曲集を聴く。テレビモニタでは(音量なし)まだ山川豊が唄っている。それだけでも怖い世界なのに氷川きよしが清和大学なる女子剣道の強豪校の道場から「一剣」なる曲を唄い始め る。ルービンシュタインのマズルカをちょっと止めて、氷川きよしの唄を怖いもの見たさ、で聴いてみる。いつまでもあんな歌唱ぢゃ拙い。村田英雄先生とか存 命であったら一喝でしょう。だが誰もそれを指摘できるのが今の世の中。清和大学、教育理念として「教育基本法並びに学校教育法の定めるところに従い、君津 学園の一貫した教育体系の最高教育機関として、学園の教育理念とする「真心教育」に基づき……」と言っているが教育基本法の「理念」に従い、でないところ がミソかも、で時代にとにかく融合かしら。ところで岩波書店『世界』六月号。樋口陽一先生などの憲法特集もいいが品川正治氏(日本火災の元会長、経済同友 会副代表幹事、現在は同終身幹事)が河野洋平君相手に語る「私たちはどのような社会・国家をめざすべきか」は必見。本屋の立ち読みでもいいから(といって も『世界』置いている本屋すら稀だが)財界にこういう人がいたのだ、と正衿して読む。経済同友会が小泉三世の靖国参拝に苦言しようと小泉三世は理解する知 力もないが財界にもこういう、岡崎嘉平太などの流れ組む人がいた(まだ稀にいる)こと。小泉三世も奥田豊太だの、田中直毅センセイなどとばかりニューオー タニのクレセントなどで食事&談合しておらずに理性ある先達のせめて教え授かるだけの智慧があればいいのだが……。
▼赤坂のキャピタル東京ホテルに村儀理容室あり。新宿のヒルトンにも店あり。このキャピタル東急の村儀がなぜ有名かといえば小泉三世行きつけの理髪店ゆ ゑ。昭和47年に福田首相の秘書の頃からの行きつけというから年季。それにしてもあの獅子頭に、例えば一昨日も朝日の首相動静によれば晩の20:14分に 村儀に入り首相官邸へ戻ったのは22:38で二時間の理髪。個室にて実は隣の個室の客と壁が開いて密会できるとか楼上に上がる秘密のエレベーターがあると か、実はたんに電髪で時間がかかるだけとか、この村儀での時間が小泉三世にとって唯一の安息の時間とか噂耐えぬが、いずれにせよキャピタル東急ホテルが、 お若い方はご存知なかろうが此処が旧・東京ヒルトンホテル。昭和の30年代には政治家子息と芸能人の結婚式は「ここ」と決まっていたが当時は虎ノ門の米国 大使館の御用達でもあり。いろいろ「仕組み」ありのホテル。ちなみに新宿に東京ヒルトン開業しているが其処にも村儀理容室あり。これでワシントンのウィラードホテルにも村儀理容室あるとかな り可笑しいのだが。

五月廿二日(月)晩に強雨。尖沙咀の古いビルの吹曝しの廊下に出ずれば中庭にザーッと雨の降りおち、まるで蔡明亮の映画のシーンの如し。喜怒哀楽などすべ て流し去るような雨が胡散臭い都会にはよく似合う。
▼バンコクのErawan Phum(四面佛)復興。バラモン教のブラフマー(梵天)祀る祠。祠の縁起によれば半世紀前にErawan Hotel(現在のGrand Hyatt Erawan Bangkok)建築の際、工事現場の事故で怪我人続出。ホテル建築の礎石をば厄日に据えたゆゑの祟りとされ地霊封じ込めむとホテルの前に建立の祠がこの Erawan Phumなり。それからと言うもの恋愛から博打、芸事から金運まで幸運招くと殊に東南アジアの華僑の間にて絶大なる信仰うけ香港の芸人には往年の二枚目ス ター四哥(謝賢)、その前妻の拉姑(狄波拉)など四面佛をば篤信する者少なからず。この祠の場所もエラワンショッピングセンター(旧そごう)角という一等 地で観光客の参観も絶えず。それが三月に鬱病の男により四面佛、粉々に破壊され男は周囲にいた信者らのリンチに遭い殺害される不幸。篤信者らの寄進により 大急ぎにて四面佛再造され昨日その開眼式。運ばれた神仏拝み感涙に咽ぶ拉姑ら。人々の信心厚きこと、それにもまして歌舞音曲生業にする芸人のこの神仏への 寄進ぶり。興味深い。

五月廿一日(日)数日前の天気予報では週末快晴のはずが昨日より天気崩れ今朝は本格的な降雨。昼までのんびりと雑事片づけ午後はジムで二時間くらい運動す ればFCCにでも夕方飲みに行くせめてもの免罪符かと思っていたがMission ImpossibleならぬMission Possibleな用件でマカオに馳せる必要あり午後1時25分に家を出てタクシーで上環のマカオフェリー埠頭。発 券とイミグレ潜り13:45のフェリーに乗船は最短時間新記録か。マカオに着き、ちょっとややっこしくなるかと思ったが切掛け上首尾でいくつか順番に用事 済ませ大雨のなかClube Militar de Macau(マ カオ陸軍倶楽部)のメンバー専用ラウンジで一憩。さらに用事の続き済ませ、ある程度先行き見えたので一旦フェリー埠頭で帰りのフェリーの発券済ませ埠頭前 の伊太利料理屋Pizzaria Toscanaで白ワイン グラスに一杯とキノコのパスタ。これが美味。慌てて先方に戻り用事終わる。ふと気づくと先方がメモに使い必要事項書き込んで当方にくれ た紙の裏を見れば個人情報記載のコピー。呆れる。マカオから戻るフェリーは空いていたがピコピコと電子音うるさく、どこのバカ者がまたPSPだかでゲーム かと思えば、なんと乗務員四名が後方の座席に陣取りゲームに熱中。海上で事故でもあればこんな連中に命預けているかと思うとぞっとする。香港に戻ればほん とに最後の用事が残っておりこれを済ませ21時半すぎに帰宅。雑事済ませサントリーホワイトのハイボール二杯。
▼蘋果日報一面トップで「自称政治家」の行政長官Sir Donald君がマカオで陳太と密会、と。Sir Donald夫妻午前10時頃にヘリコプターでマカオ入り。マカオ行政長官何厚鏵氏と昼食ともにしながらの会談。陳方安生女史のほうは元・行政局メンバー の張健利(香港民主派の教父と云われ、45絛關注組が公民党結党で創設メンバーとして参加)、王葛鳴女史、HSBC重役の鄭海泉、嶺南大学学長の陳坤耀な ど気心知れた連中率いて午後にマカオ入り。マカオでの行程一切非公開ながら晩9時すぎにSir Donaldも陳太ご一行もそれぞれ別にマカオの埠頭に現われマスコミの取材受けたSir Donaldは陳太との面会認めたものの「唔講、唔講、我絶對無講」と何も語らず。本当に秘密裏の面談であれば香港で一対一で済むはずでわざわざマカオに まで行き陳太のほうは御一行様で明らかに親睦深めた程度のはず。ただわざと今回のマカオ面談をばマスコミにリークしたフシもありSir Donaldもヘリコプターなど使わずフェリー乗り場でマスコミに笑顔で「唔講、唔講、我絶對無講」と語るのは明らかにマスコミ受け狙い。

五月廿日(土)快晴のはずが朝から曇天。しかも涼しくもあり清明節から中秋までは冬眠ならぬ夏眠と散策やトレイルなどせぬZ嬢もこれなら、と二人で久々に 散策に出ることなりタクシーで天后。関西料理・利休のまえから5番のバス始発に乗車。利休のご亭主、朝の準備中に出くわしご挨拶。新聞などゆっくりと読み ながらバスは香港島市街走り抜けKennedy Townに至る。Kennedy Townは香港の市街の西端。トラムの終点となるCadogan街の公園の端にかつてのVictoria Cityの境界示すCity Boundaryの石柱も残っており、その区外に屠殺場であるとかゴミ処理場、政府の死体置場などかつては存在し、19世紀末からは北里柴三郎博士や青山 胤通教授の頃の黒死病研究の研究所なども此処にあり。此処が当時のヴィクトリア市に対しての物忌みの場所である、とわかりやすい。バスは海を見下ろしなが らヴィクトリアロードの坂を登り始め、いくつも廃屋となった豪邸を眺めながら終点へ。「なぜこんなところが終点?」という侘しさ。Mount Daivsにあがる山道の分岐点。ここに最近話題となった「白屋」あり。高 い塀に囲まれた白亜の洋館。現在、改修中。此処が60年代より80年代まで香港政庁保安局の過激思想犯収監の秘密施設。最もここが「賑わった」のは60年 年代後半からの文革期に香港で展開された反英暴動で、左翼組織の幹部、左翼芸能人ら収監し取り調べ。公安警察による取り調べは拷問に近い手口もあったと か。その後は香港で逮捕された日本赤軍の活動家もここに収容されたと聞く。当時はこの施設の存在も秘匿とされ地図にも記されず。80年代にはすでに役割終 え97年返還後には反英暴動の指導者であった男性が香港政府より長年に渡る社会民生活動に従事讚えられ勲章授けられ、此処も映画撮影などに開放される。さ すがに「革命拠点史跡」には指定されず。夕方なら夕陽が美しいと聞く海岸に下り、またヴィクトリアロードに戻りバスで華富団地。かつて旅行の時になど我が 愛猫を預けていた動物愛護協会の犬猫センターも華富団地に近い人里離れたこのあたりにあったが道路整備されCyberportの開発であたり一面まるで別 世界。英国船が19世紀に(香港占領以前)水の補給をしたという華富の滝まで下ってみるが、今では滝の上に大型高級マンション聳え立つ。華富商場。40 年前だかに華富のこの団地が出来て(当時、この風光明媚なる場所に低所得者向けの公共団地の建設にかなりの反対もあり)その当時から内装があまり変わって おらぬであろう銀都冰室にて炒飯と米粉の昼食。もう一軒ハシ ゴして和富冰室で紅豆冰。潰れた映画館利用して大陸からの田 舎観光客相手にタイから招聘のニューハーフのステージショウ始めて大当たりの香江大舞台も眺める。その存在、香港人が殆ど知らず、六十代の大陸から観光の 男性客がこの劇場で心臓発作で死亡し話題となり、この劇場も一躍有名に。41Aのバスで香港島の南まわりで香港仔(Aberdeen)から山を越え大坑道 経由で終点の北角埠頭。Z 嬢とここで別れフェリーで九龍塘。美孚行きの最新型バスで旺角。かなりの遠回りで二時間近く要するが車中、仮寝し新聞や雑誌読み、飽きず。旺角の新しいジ ムで一時間の筋力運動。初見参だが事前に此処の仕組みをば旺角界隈に在住の方のセンスのいいブログ(JCHECA*F)で知っていたので複雑 な構造に迷わず。運動しながら外をぼんやり眺めていると曇天から小雨が本降りに。西洋菜街の歩行者天国に突然、いくつもも店が店頭で傘を売り始め「山口文 憲の書いた香港みたい……」と思う。ジムを出てMTR站に向かうと法輪功の諸君の反共宗教活動。見慣れた光景だが人だかりあり何かと思えば中共による法輪 功弾圧糾弾はいつものことだが何と法輪功の信者をば収監し、拷問などで死に至った場合の内蔵摘出!手術の現場再現と、実際に法輪功信者が医師、看護婦、は たまた死体にまで扮装して現場再現。じっと動かぬパントマイムはさすが信心、と驚くほど。それにしてもエグすぎ。よくここまでやっていくら香港とはいえ警 察に撤収も求められぬな、と一瞬思ったが、考えてみれば、ここまでやってしまうと中国共産党政府にとっては「思うツボ」であろう。単なる瞑想をば中心とし た宗教活動だけなら「なぜそれが弾圧されるのか?」と世論は法輪功に同情もしようが、ここまでやると、寧ろ通りがかりの市民は奇異に思いもする。まぁ信心 は自由だが自分はちょっと……、と。こういった活動が高揚していけば一般的市民の常識から乖離して宗教活動の常識的な範疇越え、いつかは反政府、国家転覆 で法輪功撲滅しても世論も見方するくらいになることを中共はじっと待っているようにすら思える。世界の世論をば敵にまわしてしまった、チ ベット仏教の扱いの経験で中共はそれくらいじゅうぶに学んでいるはず。かつて某英国放送局の上海特派員であった畏友D君が中国政府の法輪功弾圧は「巨大な カルトが小さなカルトを弾圧している」と評したのが秀逸であったが(みずからがカルトゆへ同じカルトの存在は糾弾する、と)、中共政府にとっては法輪功が オウム真理教のように異常なカルト団体化してくれることこそ本望のはず。ダライ=ラマのように人権運動家としてノーベル平和賞をもらわれては困る。帰宅し て夕飯済ませ自宅近くの映画館で午後九時半より映画「M:I:III」 観る。ロードショー公開の映画をこうして観ることは私にとって稀なこと。而もアクション映画。先日ふとアクション映画が好きであった父のこと思い出し久々 に気楽にアクション映画など観てみたい、と思ったこともあるが「ミッション・インポッシブル3」が中国で当局から、映画に登場する上海の印象や間抜けな護 衛員役などが問題視され中国国内での上映が無期限延期となり修正求められている、と報道されたため(朝日) どれくらい反中的なのか実際に見てみよう、と思った次第。確かにストーリーの山場となる上海での場面、最初は浦東の超高層ビルで始まり近代的な市街での カーチェイスと続くが、それが相手の秘密アジトにトム=クルーズが連れて行かれるところから、まるで蘇州か世界歴史遺産の如き運河に太鼓橋、古い街並みに 洗濯物がはためき、阿片窟の如き西洋人にはわかりやすい支那趣味の世界。世界の有数の大都市であり、紐育、倫敦、東京などに匹敵する経済中心地がこれぢゃ 確かに中国にしてみれば不愉快。日本とてスピルバーグのゲイシャ 映画でどれだけひどい内容で、日本でのロードショー公開も思いっきりコケたのと同じ。それにしても最初からゲイシャ映画ならまだしも、トム=ク ルーズの大人気アクション映画で世界的に大ヒット間違いなし、で08年の北京オリンピック前に空前の急成長遂げる中国の上海がこの演出では確かに。思い起 こされるのはちょうど高度経済成長の1967年に公開の「007は二度死ぬ」の日本ロケ。これは東京オリンピック開催から三年後。いわゆるゲイシャに遊廓 の如き日本趣味のシーンもかなり協調されたが基本的にはホテルオークラをば敵方の総本部としての近代の東京の場面続く。少なくとも1967年の東京に明治 時代の大川界隈の下町情緒は出てこない。やはり米国は中国に偏見を持っている、と、それで今回の上映無期限延長なのだろう。それにしても世界的にはもう公 開され(日本除く)中国での国内上映だけ延期したところで中国の印象はすでに悪くなっていると思うわれ、しかも中国ならべつに寧ろ上海の近代的な現実とは 異なる誤解野シーンでも今さら国内で印象悪くする気もせぬ。だが中国の当局が敢えてクレームしたのは、むしろそういう中国への偏見にたじろがずに正々堂々 と制作側に物も申す政府の強い姿勢の協調でなかろうか。Noと言える中国。それにしても、日本は、中国でのこの動きよか注視すべきは、それほど世界的には すでに5月3〜5日に世界一斉大公開で「観たけど、それほど偏見あるか?」「確かにありゃちょっと……」と感想も言えるなかで、日本だけが(厳密にはエジ プトが5月24日公開、映画大国インドが6月16日)公開がなんと7月8日であるという愕然たる事実。世界のなかで日本だけが「この話題についていけな い」事実。洋画の配給とはいったい何が遅れる問題があるのだろうか。世界中でエジプト、インドの上映が始まれば(もちろん北朝鮮や、無期限延期の中国など 上映されておらぬ国は別として)市場経済の価値(小泉語録)を大切にする先進国たる日本だけが蚊帳の外。これは深刻な問題。構造改革するなら、まず洋画の 遅延、これは市場経済の価値にかかわる問題だから、どうにかしなさいよ、小泉君。憲法改正より洋画上映の配給改善を! それに教育基本法改正以前に英語の 普及、ついでに「洋画のダサい邦題」を文化庁あたりでどうにかレベルアッ プする審議会でも作っては如何か。
▼朝日新聞の「次世代と愛国心」という論壇に雨宮処凛(か つて愛国ロックバンド主宰、現在は作家)の主張読む。社会の保守化、右傾化、学校での国旗国歌強制や教育基本法、憲法改正の一連の動きに対して
「強い国」を求め、こうした動きを支持する若者も多い。自信を失っ た人たちが「国家」にすがっている。強い日本を求めるのは、弱い自分の裏返しだ。家庭や学校や職場には裏切られたが、国家は新しい居場所を提供してくれそ うに思える。(略)国が強くなれば、フリーターやニートと呼ばれる自分も、強国の国民としての誇りとプライドを持てるるかもしれない。生きづらい社会の中 で、悲しい希望が愛国に向かっている。
▼雑誌『世界』に樋口陽一先生がこの雑誌の編集長氏相手に「「国」とは?「愛する」とは?」という題で語る。樋口先生は自らが読売新聞で司馬遼太郎氏と対 談した時に(正月元旦の特集記事で80年代半ばだと記憶していたが樋口先生はそれを90年のこと、としている)司馬遼太郎が使った「この国のかたち」とい う言葉が本人の意図と全く違う「何か日本の国柄のようなものを表わしているように扱われている」ことの間違いから説き起こし(司馬遼太郎の述べた「この国 のかたち」は、それぞれの国には、その「国のかたち」=constitutionがあるわけで、それが明文化されたのが大文字のConstitution である、といったことを対談で樋口先生と語っていた。フランスにはフランスのかたち、英国には英国のかたちがあり英国はそのかたちが堅牢であるから成文化 された憲法典がなくてもよい、といった話で、日本は憲法論議以前に近代国家としての、この国のかたちがきちんと出来ていなかったこと、それを創らなければ ならないわけで、それを創るのは国民の作業だとしたら国民主権を明らかにした現行憲法(これをピープル憲法とお二人が呼んでいたのがちょっとヘン)の意義 などについて「読売新聞で現行憲法の意義説いたことにかなりの驚き)、最近の憲法改正に向かうエトノス(民族、血、national identityなど)の動きはデモス(人為、民主主義、制度)による近代国家の欠点の論ひから始まるが、そもそも近代国家は法によって人為的な国家 (state)建設のためにホッブス、ロックやルソーの社会契約論で「契約というフィクションにより」創られたもの(であるから、無理や弱点があるのは当 然)。それを攻撃してエトノス的な国(nation)の復興をば訴えるのは(まさに自民党的だが)勉強が足りない。近代国家の弱さなどわかった上で建設し ているもの。その好例がドイツで、ドイツがどこに「国のかたち」を求めたか、といえば、人類普遍の原理にコミットしてドイツという国家枠を越え自らの公共 社会を自分たちで創り上げることへの寄与。これが出来る基盤に個人の尊厳があり「日本国憲法の場合にも、日本国憲法という実質価値ではなくて、憲法が枠組み としてつくってくれる一人ひとりが個人として尊重され、いろいろが言説が寛容に取り扱われる枠組みこそが大事だということ。実質価値の問題ではなくて、あ くまで形式。形式では安心できないから、つい何か実質がほしくなるのが人間だが、それに対しては何度でも「いや、実質を決めるのはあなた自身です」といわ ざるを得ない。誰かに決めてもらおうと思ったり、何か神秘的な歴史の過去にすがったりしてはいけない」と樋口先生。キョービの改憲はあまり に憲法という成文化された目に見える部分での改正にばかり熱心で、而も憲法は日本が近代国家として必要だから明治時代に出来たものなのに、キョービの愛国 憲法への改正は教育勅語以前のレベル、と樋口先生は指摘。教育勅語には総理大臣や文部大臣の「副署」がない事実。そこには「これは国家の法ではない」なぜ なら「立憲政体の主義に従えば君主は臣民の良心に干渉せず」(井上毅)だからで、明治の政治家には少なくても天皇を戴く國軆(nation)と近代の立憲 制国家(state)のきちんとした区別、共存が出来ていたこと。それがキョービではごちゃごちゃになり改憲派の代議士などは「国を愛する心」なんて憲法 に入れてしまおうとする。よく戦後の教育が日本の社会を荒廃させた、などと言うが、実は戦後の教育の失敗例が、上述のような「近代国家の仕組み」すらわか らぬまま政治家になってしまう、一部の、というより大多数か、今では、の自民党や松下政経塾出身の代議士先生たちなの鴨。

五月十九日(金)夕方よりの某打ち合せ終え晩に打ち合せ出席の方々と北角の寿 司加藤に食す。帰宅。昨日、香港日本人倶楽部の図書室に「ご自由にお持ちください」の書籍箱あり、そこからいただいた福 島哲史『マッキントッシュ仕事術』PHP研究所(1995)を流し読み。1995年といえば瀕死のMacがPowerMac発売し延命措置の時代 (iMac 発売での復活は98年)。Macユーザーとしては歴史書として面白いか、と思ったが、内容は「Mac使った仕事術」というより、エクセルでの表計 算の仕方とかフロッピディスクの使い方!といった一般のパソコン入門書でパソコン利用の実践テク紹介にすぎず。この本のほかにフランシス福山の『歴史の終 わり』三笠書房の中、下巻も入手。なぜか上巻なし。
▼香港鼠楽園は今月初旬に中国からの数十万の旅行者が香港訪れた労働節大型連休期に連日、平均わずか7,000人の入場者。一昨日のSCMP紙に、鼠楽園 内部で入場者数の実数をば直接掌握する職員からの情報として報道あり。鼠楽園が当初掲げた年間560萬人の入場者得るためには日平均15,000人の入場 が必要で、その半分にも至っておらぬ実態。
▼俳優の田村高廣氏逝去。77歳。勝新太郎との共演の「兵隊やくざ」や「泥の河」、『トラトラトラ』の淵田中佐、小林桂樹との『仕掛け人梅安』などなどの 映画。そのなかで名優共演の「海と毒薬」 と、なぜか角川映画「野生の証明」での地方新聞の老練記者役がとくに記憶に残る。大河ドラマの太閤記に黒田孝高役というのは余は見ておらず(この太閤記に 片岡孝夫、当時16歳、が森蘭丸役で出演)、「花神」に長州藩の家老、周布政之助役で出演というが、これもなぜか記憶にない。

五月十八日(木)台風一過。といっても台風、香港掠りもせず廈門に向かう。晩に銅鑼湾の香港日本人倶楽部。この倶楽部の創立五十周年で『香港日本人社会の 歴史』並びに『写真集 香港日本人墓地』の二冊組記念誌創刊され史料編纂手伝いの経緯もあり本晩慰労会となり招飲受け末席汚す。宴会終わり座長のN氏、同 社のN氏と三人でバーBにて歓談。竹鶴でハイボール二杯。深 夜十二時に至り独り久々にバーSに寄りモルト酒二杯。Ben Nevisの酒を瓶詰めはMurray McDavidの 7年物。香りは丸いがかなりカチンとした味。
▼一昨日、入管法の改正成立。入国者の指紋、顔写真など採取。この制度の導入は米国に次いで二番目。日本を狙ったテロなどあまり考えられず、さすが従米主 義。対韓国、中国には毅然とした態度で米国にはこの態。哀れ。朝日新聞によれば「入国審査時に採取した指紋は、その場でコンピューター処理され、国際的な 指名手配犯や過去に退去強制になった者の指紋リストと照合。後日、指紋ごとの「名寄せ作業」も行い、同じ指紋なのに違う名前で入国した者をあぶり出した り、犯罪捜査に応用したりする。採取を拒否すれば強制的に退去させられる」。
▼小泉内閣メールマガジン。「挑戦の魂を忘れずに」とますますお盛ん。
私たちは、敗戦後の苦難の時代に国際社会から受けた温かい支援を忘 れることなく、戦後60年、自由と民主主義と市場経済の価値を守りながら平和のうちに発展してきた日本の経験を活かして、世界の平和と繁栄に貢献するため に、国際社会の有力な一員としてその責任を果たしていかなければならないと思います。日本社会には、今、さまざまな不満があります。不平があります。しか し、今日ほど、日本の歴史の中で、豊かで平和で自由な社会はありません。しかしまた、今日ほど不平不満の多い時代はないと言っていいほど、あちこちで不平 不満の声が聞かれます。ここが人間社会の難しいところだと思います。
そういう中でも、日本人として失ってはならないよいものを大切にし ながら、やるべきことをやる、やらなければならないことをやっていこうと、苦しくてもきつくても乗り越えていく、そこに喜びなり生き甲斐を感じる。そこが また人間のよいところではないでしょうか。
私も挑戦の魂を忘れずに頑張っていきたいと思います。
……と。市場経済の価値とは何のことか。「資本主義体制を守る」なら反共主義としてわかるが。市場経済の価値、ちなみにGoogleしてみると小泉発言以 前はわずかに51件ヒット(笑)。今の世のさまざまな不安、不平不満とは小泉三世自らに起因すること本人どこまで理解しているか。この首相は自分に対する 非難も不平不満としか思えず。豊かで平和で自由な社会か……豊かな人は豊かで、格差がひどくなっているが貧しくても餓えるほどぢゃないからピンとこず、平 和ボケで隣国とも協調外交が進まず、自由ぢゃなくて勝手な社会。「日本人として失ってはならないもの」って何よ。「日本人として」と限定するものとは。あ なたが率先した創った「新しい日本」では喜びも生き甲斐も感じられません。で今回のメールマガジンには文部科学大臣小坂憲次君が「教育基本法から始まるよ り良い教育を目指して」の一文を寄せる。
近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下 などが指摘されており、若者の雇用問題の深刻化など、教育について様々な課題が生じてい ます。このため、教育の根本にさかのぼった改革が求められています。
と言葉は威勢よく流れるが、よく考えてみたまへ。「子どものモラルが近年、低下しています」とか言うに易しいが我々はどれほど、昔の子どものモラルを知っ ているのか。たんに「昔はよかったのが最近は……」は古代エジプトから続く安易な言い回し。江戸の少年の悪戯さぶり、旧制中学、高校のモラルのなさ、終戦 直後の混乱期、石原家の太陽の季節、自分が子どもだった時、それほど「モラル」なるものがあったのかどうか。たんに学校なら学校で今に比べたら校則は厳し く体罰もあり、たんに上手に押さえつけていたにすぎぬの鴨。家庭がかつてはそれほど教育力があったのかどうかは知らぬ、が地域社会で教育力が低下している のは事実であろう。ただ教育力の問題でなく「地域社会」なるものぢたいが壊滅的なのが事実。「若者の雇用問題の深刻化」は直接、教育とは関係ないこと。強 いて言えば若者が働こうという意欲をもてぬ社会を作ってしまった大人の責任。戦後ほとんどの長きにわたり政権を担った与党・自由民主党に本来はその責任を 問うべきなのだが。それを全て「教育基本法が悪い」とするこの陳腐なる発想。この改正で教育が良くなるならいいが、そんな筈もなし。
▼ちょっとしたニュースには驚かぬが「性同一性障害の男児 小学校が「女児」として受け入れ」にはかなり驚かされる。(朝日)。兵庫県内の公立小学 校で「性同一性障害」と診断された小学2年の男の子が女児として通学。これが親の勝手な希望とかぢゃなく地元自治体の教育委員会が専門医のアドバイスなど をもとに判断し受け入れを決定。ある程度「もうこれぢゃダメになっちゃうわ、アタシは」の年齢ならわかるが思春期の第二次性徴控えた児童では「全国でも珍 しく」って他にあるのだろうか、「専門家からは慎重な対応を求める声もあがっている」と。幼児期からぬいぐるみやスカートが好きで、男の子として生活する ことに苦痛を感じていた、と。この程度の子の存在はけして珍しくはないであろう。丸山明宏であるとかピーターであるとか、女の子のような男児はいても驚か ぬ。異常ではない。が「7歳の子どものジェンダーをば医師が診断し、教育委員会が女の子として扱うと決定した」ことがむしろ異常に思える。今後の様々な問 題に誰が責任をとれるのだろうか。こういう問題が起きることを考えると、やはり根本的には社会的なジェンダーが存在すること、それをもとに学校教育などが 行われることの限界が見えてくる。今回のこのことでわかることは、学校での扱い、が問題となっていること。この子が家庭や近所の子らとと遊んでいるのな ら、女の子の恰好をしていようが何も問題もない。ただ、学校が男女を分けることで「扱い」が問題となる。そういうことからジェンダーフリーが考慮されてく るのだが、この報道に接し、誰の顔がまず頭に浮かんだか、といえば東京都知事(笑)。「兵庫の教育委員会は何をバカな決定してるんだ!」と激怒し、これで またジェンダーフリーなど槍玉に挙げるのであろう。東京都では「性別指導の徹底強化」が各校学校長宛に通達される、の図。

五月十七日(水)昨晩、ちょっと飲んだせいもあるがかなり元気。快調であったのが今日のこの倦怠感と強烈なる睡魔の来襲。マラソンでもそうなのだが老体は 翌日は不思議と元気で翌々日に疲労が襲い数日間倦怠感残る。午後遅く香港歴史館に知人数名お連れして歴史館常設展展示内容(香港歴史)につき引率、展示内 容解説の際の「ツボ」などご説明する。展示内容が想像力掻き立てる内容であれば勝手に、でいいのだが、悲しいかなこの歴史館は通常の参観者にとっては展示 内容に詳しく、かつ面白い解説でもないと、とても興味もてず。マカオの歴史博物館、かつて九龍公園にあった頃の香港歴史博物館はとてもレベルが高かったの だが。残念。この歴史館、館側は「人手不足」を理由にするが、館が所有する数万点の歴史史料の整理、展示準備が終わらず、と。だが開館していったい何年、 レベルの低い常設展示を全く変えずにいれば気が済むのか。台風はシグナル3となるが少し風が強い程度。香港島に戻り中環のFCCで独り夕食済ます。タイ風 牛肉サラダ、のみ。ハイボール二杯。晩に市大会堂にてPascal Rogé(パスカル=ロジェ)氏のピアノ演奏会あり。Z嬢と観賞。桶は香港シンフォニエッタ。まずはシンフォニエッタの奏者らによりラ ベル作曲、ハープ、フルート、クラリネット、弦楽四重奏曲のための序奏とアレグロ。疲労感でかなり眠い、というか仮寝してしまう。ロジェ先生登壇で同じく ラベルのピアノ協奏曲ト長調。香港シンフォニエッタ、で指揮は葉詠詩(Yip Wing-sie)、これには苦言をし始めればいくらでもあるが、厳しい状況の中で音楽好きな人たちが頑張っているのだから。それにしても木管の音の不安 定さや、ステージ中央の高い位置で目立つホルンの女性がのべつまくなし楽器から唾抜きを大きな動作でするようなことがかなり気になる。監督でもある葉女史 は、シンフォニエッタ(小楽団)なのだから、むりに音量や抑揚など煽る演奏に挑むより、ちょっとしたそういう所作に気づかったほうがよかろう。それにして もパスカル=ロジェ、フランスでフランスの作曲家のピアノ曲弾かせたら当代一、とは聞いていたが、お見事。ラベルのこの曲では今ひとつピンとこなかったが 休憩挿んでFrancis Poulencの「2台のピアノと管弦楽のための協奏曲」。プーランクはフランスのピアノ曲に傾倒するZ嬢の影響で聴くようになったがサティやオーリック と出会いジャン=コクトーのサロンに出入りする、まさに青春が20年代の巴里。そのプーランクはこれまでCDで聴いていたピアノ独奏曲が何ともいえぬ寂し さや憂いの感じがあったのだが、この「2台のピアノと……」の思いっきりの破天荒な明るさに、驚き。1932年、プーランクが33歳のまさに巴里で楽しく て仕方がない時期の作風なのだろうか。帰宅してからネットで調べると、プーランクは36歳の時に作曲家としてのライバル、無二の親友、実はそれ以上に恋い 焦がれた?フェルーの死でロカマドゥール訪れる話など、そ うそう今日は市街「ダ=ヴィンチのコード」に悪酔いするほどだったが(最悪)、ダ=ヴィンチのコードなかよかずっとプーランクのほうが興味深い。ところで レオナルド=ダ=ヴィンチでいえば、こんなキリスト教の隠された真実、なんて話よか、モナリザの肖像がじつは自画像ではオヤジくさいダ=ヴィンチが女装し たらの理想像であった、という話のほうがよっぽど可笑しくはないか。それはいいとしてプーランクのこの曲なのだが、その2台のピアノでロジェと共演するの が伯野亜美さんという日本人の若いピアニスト。ロジェとプーランクを一緒に弾くなんぞ若手ピアニストとしてどれだけ緊張するか……と思うが、もう何度もロ ジェ先生のご指名で共演するから気の合ったコンビなのだろうが、これがまた堂に入った、見事な弾きっぷりで驚く。ロジェがこのHakuno Ami(伯野亜美)なるピアニストを完全に信頼しているからなのだろう、立てている。素晴らしい共演。この紐育在住のピアニストのHakuno Amiさん、あまり情報がないがamazon.comにてCDレビューいくつか書き込みあり(こ ちら)、その一つが矢野顕子のPiano Nightlyで、これはZ嬢のCDだが余の愛聴盤。とても親近感あり。この見事な演奏に続き、ピアノ仕舞われ(ということはアンコールでもロジェ氏や Hakunoさんの演奏がない、と言っているわけで、ちらほら帰る客もあり)、シンフォニエッタだけでプーランクのシンフォニエッタ(ややこしいが曲名が これ)演奏。タイトルからして自家薬籠中の曲か、と思う。この曲ももっと軽く演奏していい気がする。帰宅して少し読書。
▼自民党総裁選挙に立候補?の河野太郎君のメールマガジン「ごまめの歯ぎしり 」に国連のアナン事務総長との昼食会の話あり。河野君、いきなり「改革タリバンの巣窟へようこそ」と開口一番、というのも洒落にならぬ失礼で、それに加え 「国連は改革できないのなら、日本は任意拠出金を削減する時期に来ている」と弱い者いぢめ。これに対してアナン氏の対応が秀逸。にっこりしながら「あなた は強硬派だがお父上はそうではないでしょう。お父上は元気ですか、妹さん(河野洋平外相のお供で国連に行ったことがある)は元気ですか」と切り返し「原理 主義者は決してイスラムの世界だけではない、アメリカにも原理主義者はいろいろな形でいる、拠出金の議論をするときは中国をねらい打ちにしているととられ ないような議論が大切だ」と河野三世をば諭す。参院議員の遠山君が、事務総長に最も必要な資質は?と問えば「笑えること、特に自分を笑いの対象にできるこ と、面の皮が厚いことだ」とにっこりしたそうな。見事。

五月十六日(火)台風シグナル警報1持続。昨晩は午前十二時半くらいまで文藝春秋読み寝入って二時間で電話に起こされ午前三時には突然で現場。魚河岸の朝 は早い。着の身着のままのため朝一度帰宅したが復たすぐ現場に戻り晩に至る。さすがにふらふら。所属するランニングクラブの隔月の定例会あり銅鑼湾の日本 料理・湖舟。なにせランニングクラブなので、とあっさりめの 料理で而も低予算でお願いしてしまったが親方のS氏にかなり奮発していただく。ほんと最近は二次会、ましてや三次会なんて感覚がまったくなくて午後十時台 に帰宅。さすがに月曜の朝からで二時間しか寝ておらぬゆゑ朦朧として帰宅と同時に臥寝。
▼十四日(日)の新嘉坡。Singapore Airlines Int'l Cup 2006でコスモバルクが優勝(こ ちら)。香港では昨年のChampions Mileにて十着であったが海外での名誉挽回。新嘉坡は当地の高岡厩舎、ダイヤモンドダスト馬も5着と奮闘(こちら) は馬主である村上さんおめでとう、そして何よりも新嘉坡の競馬を日本と結んだ齋藤さんを祝福しなければ。当日の様子は齋藤さんのブログであざかやかに伝 わってくる(こ ちら)。競馬といえば、香港では、サッカーのワールドカップ開幕前に香港ジョッキークラブの営業について。03/04年は競馬の売上げHK $650億に対してサッカーはHK$161億であったが翌年は競馬がHK$627億と下落に対してサッカーはHK$267億と健闘。今季はW杯開催でサッ カーでHK$400億と期待大。競馬開催のための甚大なるコスト、かたやサッカーでも「他人の褌で相撲をとる」と言うのだろうか。コストだけで考えたら競 馬などできぬ。日本ではサッカーのtotoなどかなり不振と聞くが。
▼1966年の5月16日に「五一六通知」が発表され文化大革命の幕が正式に切って落とされる。それから今日でちょうど四〇年。香港の新聞にも連日、文革 特集の記事あり。見入る。だがもはや文革も歴史で若い読者に「文革とは何か?」の解説も散見される。当時、クーガー7だの短波ラジオで北京放送の日本語放 送で連日、文革の熱気をば勝手に感じていた我が身。中共内部の権力闘争としても、あれだけの民族運動になり数ヶ月で一千万人を超える紅衛兵が天安門広場に 集まる。何がなんだったのか、改革派右派がなぜあゝも見事に粛清されたのか。正直なところ誰もいまだに解明もできず。それが出来ぬかぎり天安門の毛沢東の 肖像が外されぬことだけは確か。土民は炉端の神棚に毛沢東の肖像画掲げタクシー運転手は事故防止の厄除けにと毛主席のお札。キリスト教のバチカンすら恐れ ずカソリックまで赤化する、その風土において、この文革をばどう理解できようか。
▼読売新聞社説が民主党の教育基本法案に対して「政府案との妥協点を探るべきだ」と素っ頓狂なる主張(こちら)。 基本法改正で政府案の「不当な支配」を民主党が排除したことについて、日教組などの教育行政への介入を懸念。呆れるばかり。今どき日教組に日本の教育を破 壊する左翼革命の力などあろうものか。寧ろ怖いのはに政権与党だの都知事による不当なる教育への干渉であったり。
▼信報によれば日経と共同通信それぞれの自民党総裁選支持率調査でダントツの一番人気阿倍某の人気下跌し福田さん支持上昇。日経では阿倍7点下落の33で 福田同じ7点の上昇で21。共同通信は阿倍51.9から40.1に下落し福田22.1から31.4に上昇。また51.8%の回答者が首相が靖国参拝するべ きでない、とする(参拝支持は35.8%)。今回は首班指名で民主党が敢えて福田支持にまわり前原ら脱党し自民党保守派と組み、政界再編成とか。
▼最近、話題にするも不憫なる香港鼠楽園。今月上旬にはタクシー運転手5萬人に無料入場券配り家族や友人など同伴者半額の優待。タクシー運転手に鼠楽園へ の親しみをもってもらい観光客誘致に協力願いたいところ。タクシー運転手はこの優待を喜ぶものもあれば「壮年層から上の多いタクシー運転手でどれだけが喜 ぶか」と疑問の声もあり。いっそのことタクシーで客を誘致する毎にリベート支払いでもすれば? 最終的には鼠楽園初の入場料無料でアトラクション毎の課金 とか。だがアトラクションぢたい魅力に欠けるのだからお話にならず。

五月十五日(月)曇。台風シグナル警報1。まだまだ遠方。「来い、来いっ!」とまるで競馬気分。早晩に湾仔で独り晩飯済まそうと思い、ふと思いついたは船 街(Ship St.)のマレー小料理屋。数カ月前にふらりと立ち寄り独りラクサだか食した記憶あり。店の名前失念していたが唯霊氏が信報の連載でこの店を「また行きた い」と紹介(名前出さず場所だけ)。すると数日後に同じ連載欄で劉健威氏が「唯霊叔、また行ったらきっと失望しますよ」と、この店がすでに閉店したこと綴 る。店の名は「馬拉王」といい、店の客の間からは auntieと呼ばれていたマダム黄が女将。祖父の代からマレーシアで飲食業、本人も英国で二十年の小料理屋経営。香港にまともまマレー料理供す店がな い、と友人に言われ香港で「馬拉王」を開業。劉氏は一昨年、この食肆を知り連続三日通った、と。ラクサ、蝦麺、肉骨茶などなど美味で廉価。それが突然の閉 業とは。いずれにせよ、その店がないのだから、意外と湾仔で独りでふらり入りたい食肆もなく結局、永華麺家で薑葱撈麺。それにしてもHK$32とは高値。確かに葱など上 等であるし今どき竹打ちの麺も立派。だがHK$32ならかなりの利潤。利潤といえば「白花油」で有名な和興は歌手気取りの社長が可笑しいが(サイトでは いきなり社長の唄うテーマソング流れる)05年の営業額はHK$9,620万元で白花油の独占企業としては「こんなものか?」の売上高。ちなみに「風前の 灯」と言われる星島日報社(社主の胡仙女史が新聞発行量偽装で刑事訴訟されるところ董建華の指揮権発動で「香港の法治」象徴する梁愛詩司法長官により刑事 訴訟免れる)は営業額がHK$18億2452.2万で雲泥の差だが純利を見ると白花油がHK$3,363.5万に対して星島はHK$2億2077.3萬 と、白花油の純利率35%に対して星島は12%たらず。白花油など「ずいぶんコストは安いだろう」とかねがね思っていたが、やはり歴然とした事実。しかも 白花油は顔氏の家族経営。晩遅く文藝春秋六月号読む。京大教授中西輝政君の「日中戦争はもう始まっている」だの「媚中派大臣二階俊博の招待」だの「発禁  毛沢東を汚す中国性愛小説」だのと、まぁ煽る、煽る。それにしても京大教授ともあろうものが「次期首相は、北京でなく東京で選出されるべきである、この日 本のあらたな「覚悟」を示すこと。そこから、「相互の均衡」を基本コンセプトとする真の日中友好関係が始まる。ポスト小泉の総裁選は、そこへの一里塚とな るべき「新・日中戦争」の主戦場であることをゆめ忘れてはならない」だって。情けない。この先生であるとか文藝春秋であるとか文春文化人であるとか「中国 の呪縛から解放されるべき」とか叫んでいるが実は「中国の呪縛」に拘束されてしまっているのは、この人たちなのであろう。日本は中国に支配されている、と いう自虐史観。本居信長なら後世の、この思慮浅き人たちを見たらさぞや情けなく思うのではなかろうか。その文藝春秋の今月号で唯一面白き記事は保坂正康の 「新・昭和史七つの謎」で、戦争終結につき昭和天皇がどう聖断を下したのか?という事につき(本題は「なぜ」だが「どう」の方が内容には適切であろう)、 大本営からは正確な戦況報告などない中で先帝がどう情報を得ていたのか。ポツダム宣言受諾の聖断に対して国体護持のため本土徹底抗戦を主張する阿南陸相に 「阿南、泣くな、余には(国体護持の)確信がある」と言い放ったという、その確信の根拠。天皇の独自ルートが皇族や周囲の侍従武官か、いや天皇は米国の短 波放送を聴いていた、と保坂氏は寺崎日記のさりげない記述から推測する。敵国の放送を聴くことなど国民には全く許されぬ時代にあって宮中で先帝が米国の放 送をば敵国民相手の日本語放送ばかりか英語放送もお聴きあそばされていたとは。先日、イッセー尾形の演じる先帝なら短波放送に耳を傾けるところ想像に実に 易し。
▼キャセイパシフィック航空のスチュワーデス制服着た29歳の男性が銅鑼湾のVictoria Parkを遅晩に徘徊しており女性の歩行者を追従していたとして不審者扱いで警察に身柄拘束される。CXのスチュワーデス制服の入手経路については明らか にしておらず。「下體蔵有一雙自慰用的「震蛋」」だそうで、それ以上詳細ないが、電動「震蛋」の「挿入」など詳細語られぬほうがよい……但しこれは罪には なるまい(笑)。スチュワーデス制服も盗品なら問題だが。この男性、03年には女装で尖沙咀スターハウスのマクドナルド内のトイレに侵入し「遊蕩導致他人 擔心罪」で有罪となり懲役8ヶ月。06年には女子高生の制服でマスクして中環のビジネススクールの学生食堂にいたところを「遊蕩罪」で懲役28日、執行猶 予2年。で今回。裁判には三つ揃いの背広にシャポーかぶって紳士然として登院。女装だけでなく被服についてかなりのコダワリあり。無職で生活援助金を受け ているが賃貸アパートの家主は女装癖は知っているが家賃支払いもおくれぬため個人の嗜好には関与せず、と。今回の徘徊がどこまで罪状となるか。「震蛋」は 別として、女性トイレに入っても、この人の場合は盗撮などに比べれば他人の被害はかなり少なく「他人を不安がらせる」という罪状?以外なし。それにしても 「ふらふらして他人を不安がらせる」なんて罪状、いくらでも適用可能。
▼元郵政相、箕輪登先生逝去。享年82歳。佐藤栄作元首相の秘書経て67年に旧北海道1区から初当選。90年まで8期衆議院議員。防衛族で防衛政務次官な ど歴任。防衛力増強や自主憲法制定も主張。元郵政相。04年1月には自衛隊イラク派遣が憲法や自衛隊法などに違反するとして国を相手取り派遣差し止めなど を求め提訴。「自衛隊は軍隊ではなく、外国から攻撃を受けた時に防衛する集団。イラク派遣で日本人がテロの標的になる可能性が高く、平和的生存権を侵害さ れる」と主張。イラクで起きた日本人の人質事件では「自分が身代わりになる覚悟がある」などのメッセージを犯人に訴える。自民党の理性。すでに「自民党は 変わった」で果たして良くなったのか。自民党内の保守派リベラル主義、理性。防衛族が憂慮した自衛隊の海外派兵。

五月十四日(日)晴。朝、気温摂氏21度、湿度50%台と心地よし。フィリピン沖の台風が香港に向かうらしく風強し。久々に所属のランニングクラブのトレ イルあり午前九時に太古のMTR站に六名で集合。Wilson Trailに入り一時間で標高400m登り小馬山、Jardine's Lookout(433m)から陽明山荘(200m)まで一時間。Violet Hill(ここも同じ標高433mでJardine's Lookoutと全く同じと初めて知る)を越えリパルスベイの峠(標高150m)まで一時間。ここからThe Twins(385m)に登るのがWilson Trailの逆行コースであるが、もう三時間歩きだいぶ陽射しもきつくThe Twinsは引水路に沿いぐるりと巻き昨日の交通事故現場近くに降りて馬坑の団地から赤柱へ抜ける。今朝の新聞に昨日、そのThe Twinsにて日本人の五十代後半の男性が心臓発作で死亡、と報道あり。仲間と陽明山荘発ちViolet HillからThe Twinsに登り疲れたので仲間に先に行っていてくれ、で待っても下山せぬので引き返せば倒れておりヘリコプターで救助されたが晩に逝去される。昨日、午 後、海岸で読書中にヘリコプターが大潭のほうに向かうのを眺めたが、それがこれだったとは。昨日は気温も三十度越えかなりの酷暑。我々もフルマラソンのラ ンナーに香港の山の達人のようなメンバー揃いだが「勇気ある撤退」だのと悪戯てはみるが実際に怖いから無理をしているようでしない。Stanleyの Murray Bldg.にあるKing Ludwigとい うドイツ風料理出す料理屋にて麦酒飲み肉詰など食す。気温は摂氏27度くらい迄上がるが台風の影響か強風。昼頃にいっとき曇るが復た快晴。Y氏とミニバス で柴湾。Y氏と別れ柴湾を散策。香港島最東のかつての工業団地で新興住宅地。下町らしさあり。柴湾街市の孰食中心に泉記という評判の料理屋あり覗いてみるが午後三時で昼の営業終わり。ぶ らぶら歩いて小西湾に近い柴湾の公共プール。水着ないがランニングパンツのまま少し泳いで「今どき身体に悪い」甲羅干しで少し寝る。夕方の柴湾をまた歩 く。柴湾が残念なことは何本もの幹線道路で市街分断され殺風景。旧中華バスのバス車庫のビル(画像)。今 どきもう珍しくなった旧型の公共団地は漁湾邨。洗濯物を竿にさし部屋から外ににょきにょきと伸ばす風景もだんだん珍しくなってきた。団地は外向きは殺伐と しているが、一歩中に入れば中庭で多くの子供らが遊び老人がベンチで新聞読みうとうとと昼寝も涼しげ。ここに真好味焼臘という評判の焼臘店あり。柴湾までなかなか来る機会もないの で行列のできるこの焼臘店にて叉焼購う。ジムに寄り自宅に帰りウオツカ一杯。晩に自宅で平野レミのレシピによる韮と豚の鍋を食す。叉焼を肴に芋焼酎「花て んじゅ」少し飲む。NHKスペシャル「小泉改革5年を問う①聖域なき構造改革は国と地方に何をもたらしたか」見る。島根での取材。地方で国からの公共事業 投資が4割削減され、実際に土建政治の弊害もあっただろうが、集落まわる零細路線バスや医療福祉などにも影響あり。厳しい現実に、それでも自民党に頼らざ るを得ぬ、「小泉さんのやり方には不満もあるが地元の先生にここはひとつ頑張ってもらって」の現実。格差社会での被害者の如き若い世代に小泉支持だの改憲 賛成多いのと同じ不可思議なる現実。
▼秋葉原(アキバ)の交通博物館の閉館に続き、北京在住の畏友O氏のブログで、北京の旧・永定門站、今の北京南駅が営業最終と知る(こちら)。1958年に開業。1988 年に北京南駅と改称され現在に至る。ローカル列車の始発駅だったが今後は高速鉄道のターミナルに生まれるため駅舎の取り壊し。八十年代初頭にバックパッ カーで大陸縦断の旅で、北京に一週間ほど滞在し永定門站に近い外国人宿泊化の国営旅社があり投宿。北京でも当時は郊外のこの駅のあたりに外国人、とくに バックパッカーふらふらしており不思議な光景。当時は駱駝やロバが夏の夕方、西瓜とかトウモロコシとか積んでのんびり運河沿いをとぼとぼと。今日まで駅舎 が昔のままで驚く。北京のこの旅社では、ちょっと楽しいことがあり、英国人のG君と「ちょっと高いなぁ」と言いつつ永定門站前の売店で3元の中国産ブラン デー購いホテルの部屋でちょっと楽しいことしながら乾杯し多いに酔いバカ話に興じたのも懐かしい日々。

五月十三日(土)晴れ。朝六時半にはいつも通り目覚めてしまい雑用など片づけ九時半すぎに家を出て裏山をのぼり大潭抜け10kmほど走り海岸に至る。快晴 であるが陽射しは先週の土曜日ほど厳しくもなく、木 陰で川本三郎『雑踏の社会学』再読。何より驚いたのはこの文庫本(ちくま文庫)の親本(TBSブリタニカ版)は1984年刊で川本三郎は40歳。しかもサ ントリークォータリーでの連載まとめたものであるから実際に東京の街中をぶらぶらと散歩して夕暮れに居酒屋でひっそりと麦酒に焼き鳥でぼんやりとする川本 三郎は三十代であったとは。取材で始めて訪れたという銀座のクラブでどうも居座りが悪いと思っていたらママに「銀座のクラブで三十代の男が飲んでいるなん て場違いで……」と言ってくれて安心した、とあり「えっ?」と思って奥付を見たら当時の年齢が判明。驚く。読んでいて、いろいろ思い出したり。ひとつは川 本三郎が八十年代に月刊誌『月光』でまつざきあけみの漫画「北千住哀歌」愛読しており、その連載で千住のお化け煙突に触れたので川本氏も懐かしく感じたこ となど書いているが川本氏自身『月光』に連載していたような気もする。もう一つ。和泉聖治監督の『沙 耶のいる風景』についても触れている。久々にこの映画のこと思い出したが(まだ見ておらぬ)DVDが発売になっていることにもっと驚いた。この 『雑踏の社会学』は一冊まるごと東京の地味な居酒屋にまつわる随筆なのだが、余にとっての居酒屋の原体験は七歳くらいだったか、父に映画の帰りに連れてい かれた確か「河合」という居酒屋。これよりずっとまえから「よしむら」という小料理屋は祖父母に連れていかれ馴染であったが、ここはおそらく生まれた頃、 いや生まれる前からの原体験で話にならない。で「河合」は小学校から帰ると父が珍しく休日に「映画、見にいくぞ」と京王グランドという町では一番大きな映 画館にショーン=コネリー主演の007の映画に連れてゆかれ、濡場などもあり目のやり場に困ったが、映画跳ねて父親が「ちょっと焼き鳥でも食べていくか」 と料亭や検番などある花街を抜けて、ひっそりとした路地裏のこの居酒屋で父と一緒に焼き鳥を食す。おそらく生まれて初めての焼き鳥。「よしむら」はおにぎ りとおでんか田楽で、焼き鳥はなかった。そんな昔のこと思いだしながら、この本、読了。居酒屋といえば放送作家の村上さんがブログで
最後の会議終わりで作家Yくんとサラリーマンの聖地ともいうべき新 橋烏森口の居酒屋で遅い夕食。上司のグチを叫ぶ中年のオッサンにヒソヒソと話し合うOL……まるでコントの設定のようにイメージに忠実な人々に囲まれて落 ち着かず、早々に退散。
……と書いている。さすが放送作家。「まるでコントの設定のようにイメージに忠実な人々」というのが新橋の烏森口でとても想像できる光景。川本三郎が本の なかでずっと飲んでいるので、こっちまで麦酒を三缶も飲んでしまった。もはや走ったり歩いて帰るわけにもいかずリパルスベイのコンビニで月刊信報の当月号 買い赤柱(スタンレー)行きのミニバスに乗る。乗る直前に白バイが走り抜け(その時点で察するべきだったが)乗って少し走ると渋滞でバスは寸とも動かず。 のろのろ三十分くらいかけて1kmほど進むが、冷房も寒いしミニバス降りて歩き始める。かなりの渋滞で、向こうから知己の英国人H君が歩いてくるぢゃない か。少し先でトラックと乗用車の事故で道が塞がっている、と言う。彼は赤柱から中環に戻るのに仕方なく歩き始めた、そうな。もう少し歩けば中環方向に引き 返すバスに乗れるよ、と教えて、暫く歩くと、これは見事に対面交通の狭いリパルスベイロードで中型トラックと自家用車が接触し自家用車は前面大破でしっか りと山側の岩崖と谷側の歩道に乗り上げたトラックの間で道を塞いでしまっている。これぢゃ片道通行で上下線の車を行かせるわけにもいかず。大型のクレーン 車が来るまでにっちもさっちもいかず(携帯のデジカメの電池切れで撮影できず)。峠を越えて谷をおりる山道を抜け赤柱まで歩く。すっかり麦酒のアルコール も抜けてしまった。午後三時すぎとはいえ炎天下歩いたのでまた喉が渇きサンミゲルのロング缶買い赤柱から始発の西湾河行きのバスに上手い具合に乗車でき る。当然、島東を廻るこの西湾河に抜けるダブルデッカーと柴湾に向かうミニバス以外、赤柱にはバスはまったくやって来ず、かなりの人たちが立ち往生。晩の 報道によれば結局、この道路封鎖は三時間に及ぶ。ジムでサウナに浴し帰宅。かなり夕凪の風があり涼しくて気持ち良し。Z嬢宛に司法院からの手紙で何かと開 封すれば高等裁判所司法常務官よりZ嬢を陪審員に任命いたしますと手紙届く。日本でも陪審員制度始まるらしいが、香港ではずっと前から。それにしても自分 が陪審員になる、とは想定外。日本ではたとえ永住権あっても外国籍の市民に裁判所が陪審員をば命じるなど考えもつかぬだろう。市民社会でない証左。従兄の S兄より、明日で閉館の交通博物館に行ってきた、とメール届く。我 々にとっては子どもの頃の懐かしい思い出の場所。まだ乗ったことのない新幹線の車輌の「輪切り」で椅子に坐り窓の向こうの走り去る風景の映像に興奮したあ の頃。幼い頃は何度か父に連れていってもらい(父もだいぶ楽しんでいた)、小学校高学年になると自分で友だちを連れて行っては「ここはね、戦前は万世橋ってね、今の中央 線の始発ターミナルでね」などと知ったかぶりで説明(今もこのクセは変わっておらぬ)。交通博物館から鈴本演芸場というのが当時のお気に入りのコース。老 いて幼き頃の日々、懐かしいばかり。晩は鮪の赤身で中落ち丼。晩遅くZ嬢と十六夜の月を愛でながら西湾河まで歩き電影資料館にて中川信夫の『思春の泉』観る。昭和28年で石坂洋次郎の 原作という、あの時代。主演が左幸子、宇津井健(デビュー作)で、脇をかためる役者が凄い。岸輝子と高橋豊子の二人の婆さんの掛け合いの見事さ、トリック スターである行商人役の永井智雄、巡査役の東野英治郎、それに花沢徳衛や千田是也……製作は新東宝だが俳優座の役者の総出演。当時の俳優座といえば東山千 栄子だが、映画が始まると配役に東山千栄子の名前もない。而も映画のタイトルが『草を刈る娘』になっている。帰宅してから調べてみれば石坂洋次郎の原作が 『草を刈る娘』で映画は『思春の泉』で公開され、その後再上映では短縮版となり『女体の泉』(ちょっと違う……笑)、次が原作と同じ『草を刈る娘』とな り、今回上映されたのは国立フィルムライブラリーの所蔵フィルムでこのプリントが『草を刈る娘』で、推 測であるが東山千栄子の隠居役というのは短縮版の『草を』ではカットされているのだろう、きっと。で物語は北上山(だと思う)の麓の農村地帯、村総出の草 刈りで二つの村が鉢合わせ、左幸子と宇津井健が二人の婆さまの引き合わせで出会うのだが、純情恋愛物かと思えば、実は「封建的な村」のようでいて、まるで 中共の建国直後のような共産主義的逞しい農村社会に日本の戦後民主主義の理念が明るく反映されていて興味深い。それだけであるなら中川信夫らしくないが、 村の旅館の跡取りの祝言の場で巡査(東野英治郎)が左幸子と宇津井健をめぐる農民らのイザコザをまとめる場は、その狂気的とすら思えるようなハレの場の 「極み」の演出が中川信夫の真骨頂だろう。さすがに今回の中川信夫特集はそりゃ黒澤明や小津、木下恵介などに比べてぐっと客足も落ちるのは当然で(なにせ 日本人だって中川信夫を知る人はもう少ない)、晩九時半からの上映は二十人に満たない観客だが、会場には川本三郎氏がいるのぢゃないか?と錯覚。
▼中国のロックバントの雄、かつての「黒豹」のリーダーでボーカリスト、そして人気シンガー王菲と結婚し娘生まれたことでかなり話題にもなった竇唯。王菲 と離婚後は音楽活動も今一つで、最近はその悶々とした日々が新聞の芸能欄などによく掲載されていたが北京の新京報なる新聞が面白可笑しくこの竇唯の生活を ば報道し、竇唯がキレて編集部に殴り込み。編集者の車に放火して現行犯で逮捕される。
▼倫敦での昨年七月の地下鉄とバス爆破のテロ行為について英国国会と内務省がそれぞれ調査結果発表しアルカイダの関与なし、と発表。これが某国だと無理矢 理アルカイダの関与ありとされてしまうかもしれない。ところで昨日の朝だったが、朝のRTHKの英語チャンネルのラジオ聴いていれば、何度も同じニュース が繰り返されるが、米国政府がアルカイダなどテロリスト対策強化するが国民の人権や自由などは保障され、あくまでアルカイダという敵がこの対策強化の目標 なのである、などとブッシュが演説しているのだが、あのブッシュの英語で“Al-Qaeda is the enemy”という演説が繰り返されていると、なんだかジョージ=オーウェル的な世界にいる錯覚を覚える。
▼民主党の教育基本法改正案。自民党とほぼ似たり寄ったり。唯一、自民党の「教育は、不当な支配に服することなく……」を削除した程度で(むしろ「教育は 政府与党など、不当な支配に服することなく」の意味で、この条項は残してもいいかも……)、「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、 伝統、文化、芸術……」だの「宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の習得及び宗教の意義の理解は、教育上重視されなければならない」などと、自民党案に 勝るとも劣らぬ誤解に基づく復古主義。国家を連想させぬよう「国を愛する」を「日本を愛する」にしたら、どうだ、というのだろう。日本を愛せだの、祖先を 敬うだの子孫に想いだの、伝統文化だの、いちいち言葉にしなければならぬ、言葉にしたからといって何もそこから生まれぬことに代議士諸君も少しは頭をつ かって気づくべき。見せかけ、形式主義が教育にとって最も無駄なのに。

五月十二日(金)晴。通りがかりの湾仔でスナップ。簡単修理専門の出店だがどこかアーティスティック。看板もお洒落。英語名はDr.だし。早 晩に中環のRitz Carlton Hotelにて日経の香港印刷開始十周年記念の講演会とパーティあり日経香港現法のO社長よりS嬢通じてお誘いいただき経済評論家田中直毅君の講演拝聴。 日経からは論説主幹の岡部直明君。テーマは「ニッポンの力 復活は本物か」で岡部君も紹介していたが「小泉三世が最も頻繁に長い時間会う民間人」である田 中君なのであるから日本経済の復活なんて嘘っぱち、と言うはずもなく、紛れもなくホンモノと言うに決まってる。基調講演も最初は、日本経済の復活を裏付け る話として田中君紹介したのは、米国資本が日本が投資に値する国だ、と認識している、という話で、中国にはビジネスの機会がある、だがリスク回避のために は中国に直接投資はできぬ、で中国に進出する日系企業と組む、つまり日本に投資することが最も確実である、だそうで、それを「シティバンクの人間が言って いる」そうな。確かにね。だが本来認識すべきは、ここで、結局は中国あっての日本になっていることのはず。だが田中君はそこには踏み込まず。田中直毅とい う経済評論家は、80年代前半のエコノミスト誌で「理屈より改革を」の若手経済評論家としてかなり注目集めていたが(ところであの当時の竹内啓先生のエコ ノミスト誌での経済論評が懐かしい)、それが今では小泉改革の成功で田中君にしてみればマネタリストなど理屈家など「それ、見たことか」。フリードマンで すら田中先生にかかると容赦ない。84年に(というのはまさにレーガノミクスの時代だが)フリードマンの米国経済のインフレ予想に対して欧州や日本など先 行き懸念から対米輸出が過多となり結果的にデフレを招いた、と。これがマネタリストの限界だそうで、これだけでフリードマン失墜と言い包めるのは余りに乱 暴な気がするし(単純に、七旬も半ばの大経済学者が一線を退いただけ、でいいと思う)、むしろ本当にフリードマンのインフレ懸念がデフレの原因となったの なら、老経済学者の影響力の大きさ、当時のマネタリズムに対する信頼の裏返し、とも考えていいはず。で、このへんまでの話は勉強になったが(せっかく招い ていただいてので以下、感想は遠慮なく)、ここからはもうずっと「小泉、小泉、小泉」(笑)。佐々淳行君ほど「自分が、自分が、自分が」よかずっと控え目 だが、そりゃどうしたってテーマは「ニッポンの力、復活は本物か」から「小泉の力は本物だ」に。この「投資価値のある」日本に(実はそれが「米国にとっ て」という点が実は大切なのだが、このへんは同じ日経でも田村秀男さんあたりだと面白い)、日本をそう変えたのは誰か。小泉さん。どれくらい小泉さんが力 があるかと言えば、例えば、米国でもブッシュに働きかけようと思うと民主党ばかりか与党共和党ですら東京のチャンネル(つまり小泉さん)を使うほどだそう で、イラク侵攻で孤立していたブッシュの米国でブッシュ外交をもっと欧州と国連に向けさせたい時に共和党ですらブッシュに意見できない状況で、その時に 03年にバンコクでAPECだかあった時に一晩だけ東京に立ち寄ったブッシュに小泉なら話せる、ということで共和党から依頼の使者が馳せ参じた、と(この へんの話の面白さは佐々っぽい……笑)。で小泉三世はブッシュに対してこう諭した、という。日本には昔から権力(武士)と権威(天皇)という二分がある、 と。米国は世界を牛耳るだけの権力(軍事力)はあるが国連の権威はない。それに目を向けなさい、と。また中国首脳もなんとかして小泉賛成と関係修復を願っ ており、江沢民君も小泉三世の、それまでの自民党指導者にはない資質に目を向けていた。中国の党政府幹部でも小泉は避けてポスト小泉とうまくやればいい、 なんて思っている連中は、それらぢたいが来年にはクビになるような人たちで、本当に対日関係を理解している若手幹部らは間違いなく日本を復活させた小泉三 世の力がポスト小泉に大きな影響力があることを理解している。小泉改革とは郵政民営化や行政改革、財政改革で終わったのではなく、多くの改革の始まりであ り、昨年九月の郵政選挙は、一つの政治課題だけ焦点として選挙に打って出たことに非難もあるが、実は日本の有権者はバカじゃないから、あの選挙には郵政だ けではなく多くの日本の課題があり、それを改革するかどうか、であり日本のバカじゃない有権者はそれをわかった上で支持したのだそうな。小泉三世が日本の 有権者の想像力を喚起させた、のだそうな。そうだったのか……それに気づかずにいた我はただ恥ずかしい。もはや小泉の改革路線は変えられぬ、日本の新しい 軌道。……もうここまで話がキテしまうと「近代の超克」だね、こりゃ。と田中先生はぼそぼそ、と話が長い。話が長いことは論説委員の岡部君も、小泉首相が 長い時間田中先生に会うのは「話が長いせいもあるでしょうが」と皮肉(笑)。それにしても田中直毅先生は、ずっと「わが日経新聞は」と何度も言っていた が、いちおう部外者だろうに。「わが日経新聞は」は連発だったが、「わが日本銀行は」とも一度言ったね。岡部氏であるから田中先生の話のじっと聞き役に なっていたが忸怩たる思いだった鴨。岡部氏といえば経歴見れば47年高知県生まれの早大政経で紐育支局長など歴任で、土佐といえば思わず田村さんがほぼ同 齢で同郷、同窓か。田村氏であったら田中先生相手じゃ聞き役では納まるまい。というか日経側がそんなセッティングしないか。なにせ田村さんだと「小泉改革 路線が築いた日本の姿を代表するのは不良債権処理」で、これはブッシュ・小泉の連携プレーの産物、地上げもかつてはヤクザで海外(=米国)資本も投資に二 の足踏んだが、小泉時代となってノンバンク系金融やITなど新興企業がふんだんに入る資金で土地投機をして最終的には外資系などの投資ファンドに資産売却 して投資回収。海外資本も小ぎれいなお取引きでスーツも汚さずがっぽり儲けて。銀行の不良債権もこれで片づく、という仕掛け(こ ちら)。結局、郵政民営化もそうだが小泉改革というのは全て米国が儲かるようにできている。ところでRitz Carlton Hotelの地下三階(日本料理の榮川が地下二階)のボールルームなど始めて来たが、地下鉄(MTRのTsuen Wan線)の列車が通るたびにゴーッと地響き。銀座線の稲荷町駅のコンコースにいるが如し。今日、会場にいた人もかなり気になったでしょう。あれはたんに 地下鉄の走る音ではなく、Tsuen Wan線の場合、中環站のホームへの出入りで往復路の列車が2つのホームで順々に発着するためホーム直前でX字の分岐あり、それがちょうど、このホテルの 地下三階のかなり近くらしい。講演会終わり、そのあとレセプションパーティであったが、その待合の時間にS嬢とワイン一杯だけ飲んでよもやま話。レセプ ションの始まる前に場を辞して地下鉄で西湾河。小腹空いており太安樓(太康 街路傍)の基記水電工程の行列のできる牛什が屋台出しておらず。偶然、牛什だけ休みだったのか(オバサンが水電工程のほうの店番はしてい る)、もしかするとあまりの繁盛に太安樓の他の屋台から「電気屋のくせに牛什売っちゃ困る」とクレーム受けたのか。残念。香港電影資料館にてZ嬢と待ち合 せ中川信夫監督『エノケンの頑張り戦術』 (1939年)観る。30代半ばのまさに全盛時代。この年のエノケンは忠臣蔵、鞍馬天狗、森の石松、弥次喜多と時代物の名作多いが、その中でこの「頑張り 戦術」だけが東京の当時新興のサラリーマンをば描いているから興味深い。通勤シーンのロケはPCL映画であるから砧撮影所の界隈だろうか。昭 和11年にあれだけの瀟洒な新興住宅地があったか、と驚き。それにしてもエノケンの同僚で敵役の如月寛多、どうみても社長の課長役・柳田貞一の二人の助演 がエノケン映画の面白み。ドタバタ喜劇のようだが、この作品、なんでこんなシーンが?の挿入の連続だが実に巧妙にストーリーがまとまっており見事。佐藤忠 男先生的にまとめれば「1939年という、戦争で泥沼の時代に入りかけている実は不安な東京で、サラリーマンという当時まだ新しい階層を主人公に、落語の ような小気味よく、喧嘩っ早い八っつぁん熊さんの話にまとめたところが、この作品の面白さである」といったところ。映画館でると雲一つなき空に太安樓の大 きなビルディングの左肩に見事な月。農暦四月十五日。十五夜の月を愛でる。太安樓の二記飯店にて晩飯。藍娘麦酒小姐が健気に宣伝しているので藍娘麦酒飲 む。香港でこの店ほど客が麦酒飲んでいる店も珍しい。腰果蝦仁と大元子豆腐という謎の揚げ豆腐、それに好物の生姜と葱の炒飯。いつも繁盛のニ記。頭が下が るくらい店員がみんな懇切。忙しそうに働くが機転が利いて凄い。帰宅してバランタイン17年ごくごくと飲む。
▼昨日のSCMP紙にJoyful WinnerとDanacourtは安田記念に不出馬決定、と記事あり。Joyful Winnerは国際レーティングが114で、JRA側は115を下回ると輸送費や人員の参加費が参加馬側となるそうで、それで断念。Danacourtの 場合はSize調教師によれば招待の情報も届いておらずJRAの関係者に香港から5頭と噂されていたので順番に(つまりBullish Luckから)Danacourtを除く五頭挙げたらJRA氏は順番に「招待される」と答えられたそうで、それでDanacourtは招かれていない、と 判断した、と(Size氏らしい言い回しが可笑しい)。それが今日の同紙には一転して安田記念にBullish Luckの他、Joyful WinnerとDanacourtの参戦決定と報じられる。つまりChampions Mileの1〜3等馬の揃い踏み。楽しみ。
▼先日のSCMP紙の社説がシンガポールの国会選挙をかなり非難した社説載せたが、それに対して昨日の同紙に在港のシンガポール総領事が反論。シンガポー ル政府は社会の安定と発展を企図しており、そのためには最良の政治環境が必要で、人民行動党は建国以来の与党として、そのシンガポールの健全なる発展に寄 与してきた、と。シンガポール社会では言論の自由も思想信条の自由も保証されており、国民がその自由の環境の中で賢明な判断で人民行動党に政権を託してき た、と。お見事な回答。理屈はわかるが恐れ多くも一国の全権総領事なのだが、ほとんど党のスポークスマン。一党独裁国家だとここまでキテしまうか、と驚く ばかり。その総領事発言に対して「冗談もほどほどにしろ」と今日は読者の反論掲載。45年間政権にある、といっても敵対する反対党をば不利な選挙で落選さ せ有力は反対者は裁判で有罪にする、政権は父子で委譲される、新聞も政府資本で言論の自由も剥奪され、経済的には成功したかもしれぬが国家としては半人 前。観光ならいいが、そんな非民主主義国家はゾッとする、と香港仔にお住まいのジョン=イートンさん。ふだんお上品なSCMP紙の社説と投稿欄にしては、 今回はかなり熱い。これが対中国政府だと熱くならない(なれない)のだが相手がシンガポールとなるとムキにある(あたしもか……笑)。

五月十一日(木)快晴が一転し怪しげな空。早晩に久々にバーYに 寄りハイボール一杯。帰宅してビビンバ食し韓国焼酎少し飲む。恐ろしき睡魔に襲われ朦朧と臥床。
▼小泉三世メールマガジン。アフリカ訪問を語る。今回、野口英世賞なるもの創設され、当然こういうものはお膳立てがあり首相訪問にあわせご披露と思ってい たが、ガーナにて野口博士の功績に触れた小泉三世、
エチオピアに向かう飛行機の中で野口英世賞を創設するというアイデ アがひらめきました。アフリカの医学や医療に貢献した人に、アフリカの人に限らず、アジアの人でもヨーロッパの人でもよい、そういう功績のある人に野口英 世博士の名前を冠した賞を授与するというものです。クフォー大統領とともに臨んだガーナでの共同記者会見の場でこの考えを披露したところ、現地でも大変な 反響をよびました。
と。これがホントだとしたらお役所もかなり大忙しのことであろう。ひらめき、か。

五月十日(水)快晴。朝日の芸能欄に歌舞伎座五月の団菊祭の劇評、というか紹介あり。成田屋が外郎売で復帰。天晴れ。大仏次郎の「江戸の夕映」を旗本・小 六演じる「海老蔵の白刃のような凄み」も凄そうであるし菊之助の柳橋芸者というのも、なんか必要以上に芸者してそうだが、「13歳の右近が舟宿の娘になり 船頭たちを取り仕切る小気味よさ」というところに右近?、右近といえば沢瀉屋の市川右近と思ったが13歳のはずもなく、えっ誰ぢゃいな?と思えば尾上右近 で七代目清元延寿太夫の次男、子役の岡村研佑が昨年、右近襲名だそうで(日本におらぬととんと知らぬ)尾上で右近とは延寿太夫の子とはいえ厚遇と思えば祖 母が六代目の次女多喜子さん、とは、なるほど。海老蔵の藤娘もいろいろな意味で凄そうだし菊之助の保名も見てみたい。やはり東京にいてみたい。本日、呆れ るほどの青空(画像)。猛 暑。先日、突然、03/04年の税金の追徴金郵送で受取り「今更、知るかよっ!」の世界だが期末ぎりぎりの出演料 で寄席も怠慢で支払明細の発行かなり遅れ5月の所得税申告に間に合わず翌年(04/05年)の所得税申告に加え「その分を加算しているが問題あれば連絡せ よ」とメモつけたが税務署からは何ら連絡もなく、而もその年の所得税額の算出基準となる所得合計にこの分もちゃんと加算されていたものだから、それの納税 済ませ全て終わったものと思っていたら、の今になっての追徴金。翌年度に支払っていますよ、では済まぬのが役所の世界。湾仔の税務署に出頭し、資料見せ、 これこれこういうわけで、ほらね、と説明すれば「ご説明ご尤も、しからば、一旦03/04年の追徴金分を支払って、その上で04/05年分の過剰支払いの 還付を受けよ、と。確かに、それも一理あるが、相殺できるのだから「そこをどうにか」で通じぬのが役所の世界。もはやこういうやりとりに慣れているので 「その03/04年の追徴納税は拒否する」と宣言。縁切りでご破算のようだが、納税者に「拒否」と言われると税務署の窓口の前線職員にとっては楽なわけで 「それでは階上でオフィサーのインタビューを受けてくれ」となる。で湾仔の税務タワー23階のそっけないフロアに向かう。窓口の左右に4つのブースあり、 一応は納税者のプライバシー保たれているが、覗いてみると税務署職員の説明に机叩かんばかりに興奮して抗議する男、北京語で申し訳なさそうにブースに入る 男女、六年分くらいの納税の請求書と格闘する男……などなど。壁のあちこちに「職員は納税申告の代筆をお断りします」と張り紙。一瞬、文盲の納税者への対 応か、と思ったが、さにあらず、おそらく最後まで納税拒否し「そこまで言うならテメーが申告書書きやがれ、バカ野郎がっ!」と怒った納税者に申告など代筆 しようものなら「テメーが書いたんだろ、誰が知るものか」と怒鳴られるのがオチ、その自衛だろうか。でブースに入り担当官と面接。これこれしかしかと事情 話す。こちらとしてはきちと申告し納税義務も果たしており落ち度は見当もつかぬ、と説明。これ以上言わぬが「これを認めなければ申訴専員公署に提訴する」という表情は担当官にも伝わっていただろ うか。無表情な担当官は事の内容を把握すると「追徴納税は納期まで一ヶ月近くある、追徴課税の対象額と翌年の過剰申告額が同額というわかりやすいケースな ので、それを理由に04/05年の過剰納税分をここで還付の申請をすれば二週間か三週間で還付されるので、それの還付を前年度の追徴課税にまわせ、とリク エストしておいてくれれば相殺する」と。そう、それでよい。「あなたの判断、説明はじつに的確だが、なぜ、こんな簡単なことも1階の諮問処では処理できな いのか、1時間も要した」と少し文句を言うと、無愛想な担当官は少し笑顔見せる。湾仔皇后大道東を通り抜けると深紅の派手なPacific Coffee店出現。ここはかつて滬菜の老舗三六九飯店の旧址にて、あ の深紅の壁のなかにまだ三六九飯店の<過去>残るのかどうか。三六九飯店なくなったのはもう十年近く前だろうが、そのあと萬寧化粧品店となり、その店の撤 退で外装解体の最中、壁の中から三六九飯店の文字の出現に昨夏、懐かしさに立ち止まる。それが今度は深紅の壁に。年老いてただただ過去の記憶へのこだわり ばかり。早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅してHappy Valleyの競馬中継見ながら(少し賭けながら)ハヤシライス食す。
▼衆議院議員河野太郎君(河野三世)のメールマガジン「ごまめの歯ぎしり」にGW期間中の日本の空港の入管業務についての報告あり(入管業務は法務省管轄 下で河野三世は法務副大臣の由)。冒頭で「法務省は4月に人事異動があり、空港担当の職員も異動し、習熟度が下がることで、待ち時間の増加が予測された」 という一言に愕然。お役所で4月の人事異動は当然だろうが空港のGW繁忙考えれば空港の入管業務は熟練者を据置くことが必要ではなかろうか。この時期に職 員の習熟度が下がることはフライトの待ち時間ばかりか安全対策上も我が国の安全をば脅かす悪質なテロリストを対象にした対策(実際には皆無だが)も質が下 がることになり我が国の治安にまで影響する(笑)。それにしても各空港の状況を読めば呆れるばかり。
羽田空港:人事異動で人が半分変わり、GW中に外国人が増加すると いう条件の中でも健闘し、4月24日から30日までの週で平均待ち時間は19分。168機のうち100機は20分以下。
成田空港第一ターミナル:4月29日に最長51分の待ち時間を記 録。これはGWで日本人の出国が非常に多く、そちらに職員を貼り付けることになったため。三月末に平均待ち時間21分まで短縮したが、4月の人事異動後に 30分まで伸びる。その後4月の最終週に25分まで短縮。セカンダリー審査の部屋がまだないため、ブースでつっかえてはねる数が第二ターミナルの四分の一 以下で、これが時間短縮できない原因の一つ。5月末にセカンダリー審査用の部屋が完成すると短縮につながるはず。
成田空港第二ターミナル:3月20日の週に19分の平均待ち時間を 記録したが、異動をまたいで4月3日の週には37分にの伸びる。その後、週ごとの平均待ち時間は36、33、20分と落ち着いてきた。
以下、似たり寄ったりの状況だが福岡空港が「人員配置と勤務体制の変更が功を奏して待ち時間20分以上がない状態」で、那覇空港は「EDカードの案内や勤 務体制の変更が上手くいって、平均待ち時間は12分」ということは評価に値しよう。それにしても飛行機の定刻出発をば妨げる原因がバカな乗客の個人的理由 での遅れでなく、イミグレ通過が障害になっているとは。香港などでは全く想定できぬ話。基本的に出国など旅券のデータをば光学的に読み取り本人確認して (写真のみ)出国に問題なければ通すだけのこと。審査が必要な乗客をば他の部屋に移すことなど中国の空港などでも設備は整っているのだが(あ、理由は別 か……笑)。

五月九日(火)快晴続き。昏刻に西の空眺むれば日暮れに夕焼けどころかいつまでも西の空ただただ蒼し。見惚れる。晩飯の後ぼんやりとニュース見れば、組 織犯罪処罰法改正での「共 謀罪」新設につき衆院法務委で審議大詰め。衆院法委の委員長が石原伸晃君で、思わず都知事閣下との父子による政治活動は共謀に当らぬのか……など と苦笑するが、シンガポールならこんなことに言及するだけで将軍様父子から名誉棄損で訴えられ莫大な慰謝料請求され破産し服役か。シンガポールでは将軍様 父子の公的基金絡みの醜聞に言及に対して発言者ばかりか、それを活字化した印刷業者まで慰謝料請求され破産だそうな。共謀罪といえばNHKのNW9では 「あの」櫻井よしこ女史が共謀罪新設に懸念表明。櫻井女史が香港では銅鑼湾の某炉端焼きの女将にだんだん似てきた、と思っているのは我だけか。NW9とい えば朝青龍の休場、番組トップで5分。そしてワールドカップ開幕まであと一ヶ月、と特集。報道番組どころかスポーツ情報番組。さんざんスポーツ関連の話題 続けたあとに「では、続いてスポーツです」に大いに嗤う。ワールドカップといえば「あの興奮」から早四年か。ふだん全くスポーツ中継見ぬ我も四年前は不 図、開幕前に英国のブックメーカーでブラジルにそこそこ賭け、ブラジルの勝ち続きに思わず準決勝あたりからか中継見る。四年前にすでに来月のワールドカッ プでは「伊太利」に賭け済み。どうなることか。あたしのような者ですら観戦なのだからワールドカップは大したものでNational Geographic誌6月号も特集は Why the world loves Soccer である。個人的にはなぜスポーツのなかでサッカーがこれほど世界中で人気なのかわからぬ。簡単な球技のようだが足だけ使い不便、なかなか点も入らず。ドッ ヂボールやヴァレイボールなどのほうがずっと簡単。それでも02年のワールドカップでは21億人だかが中継を見たそうで(あたしが観たくらいだから)。不 思議。
▼Silent Witness馬の今後につき馬主Archie da Silva氏と調教師Tony Cruzの間で確執か。da Silva氏はサ馬をば今季じゅうぶんに休養させ来季に臨みたきところク調教師は六月の安田記念への参戦をば企図。調教師にしてみれば先日の Champions Mile二連覇のBullish Luckの安田記念参戦でSilent Witnessと二頭立てで臨みたいところ。ところでJoyful WinnerはChampions MileにてArt Traderの干渉で不利になったがJohn Moore調教師は招待さえ得られれば、と安田記念への参戦に意欲。ただし調教師的には勝利を三度も逃したShane Dye騎手には大いに不満あり安田記念参戦ならばChristophe Soumillon騎手招聘と。楽しみ。
▼ICチップ入り日本国旅券。現物を目にする機会あり。問題のIC頁には
この旅券には電子部品(ICチップ)が内蔵されていますので、次の 点に注意し、携帯用の電子製品と同様に大切に使用、保管してください。
とあり。「携帯用の電子製品と同様に大切に使用、保管」というくだりに呆笑。携帯の電子製品とは携帯電話、MP3の類いか。放っても壊れぬくらいなのが携 帯の電子製品。単に「電子部品(ICチップ)が内蔵されていますので、慎重に使用、保管してください」くらいでよかろうものを、この「携帯用の電子製品と 同様に」がいかに「現実離れした」人がこの旅券作成にあたったか、を物語るぢゃないか。
▼朝日新聞で、東大先端科学技術研究センター教授だが表情はぜんぜん古代的な御厨貴君(政治学)と同じく東大大学院総合文化研究科教授で髪形が総合文化し ている松原隆一郎君(社会経済学)が小泉長期政権について座談。松原君が、小泉政権について情報公開は進んだが経済財政諮問会議など「選挙のみそぎを受け ていない人が方針を決め、それがほど修正されぬまま閣議にかかり予算編成の方針が決まってしまう」ような現状や郵政解散など取り上げ議会制民主主義との兼 ね合い、意思決定メカニズムの検証が必要、と言及したのに対して、御厨君が「国鉄民営化などの行政改革をした中曽根元首相は戦後民主主義の申し子で、議会 制の枠や政党の役割を非常に重視した」と指摘。それをなんの疑問もなく読み進んだが「はっ」と思えば中曽根大勲位が「議会制の枠や政党の役割を非常に重視 した」点は認められても、まさか「戦後民主主義の申し子」と呼ばれようとは……。大勲位の治世なる当時なら、まさか「中曽根が戦後民主主義の申し子?、冗 談ぢゃない」と否定したろうが、小泉三世のこの御世にあっては中曽根大勲位などまさに「議会制政党政治を重視の戦後民主主義の申し子たる名宰相」と呼びた くもなる。ナベツネさんも「その中曽根氏を支持して戦後日本の民主主義の発展に尽力したリベラル派大物ジャーナリスト」であろう。

五月八日(月)諸事に忙殺され晩に到る。78歳になるPaul Badura-Skodaのピアノリサイタルも聴けず。いつも乗るミニバスに「残骸」あり。三年ほど前に九龍バスなどの車内放送真似てミニバスに も設置された、衛星から放送受信し番組流すハイテク機器。た かだかミニバスで、だ。狭い車内五月蝿くてしょうがない。唯一の救いは4つだかのスピーカーそれぞれにスイッチあり「オフ」にすれば少なくても自分の頭上 は消音化。登場した頃はかなり物珍しさもありかなりの乗客も眺めていたが、何が衰退の原因になったか、といえば「いつも同じ番組、同じ宣伝」の続くこと で、飽き飽きして消音する客少なからず。そのうち乗るなり順番に消音して歩く客もあり(我も含む)。運転手も最初のうちは営業指導受けたらしくこまめに始 発の際などオンにしていたが、同じ内容に飽きるのは運転手こそ、でそのうち消音モード続くことになる。半年ほどして番組も宣伝もついにずっと同じものが流 れ始め「はやくも失墜か」と期待していたら、スクリーンがオフというケースがかなり目立つようになり、いつしかモニタは消えたまま。おそらく、運営コスト は広告収入でどうにか賄えても、初期投資が莫大で一部のミニバス路線で始まったサービスの拡大が図られず資金繰りに躓いてのサービス休止だろうか。いずれ にせよ迷惑千萬に呆れていた客としては朗報。でふと気づけば天井に設置されていたモニタがこの姿(画像)。ちなみにモニタ前に置かれた「匣」に衛星からの 電波受信のチューナーやアンプなど。この箱を一つ置くだけで運転手横の座席の貴重な一席が欠けたわけでミニバスにとっては数ドルでも運賃収入減ったのだか ら皆にとっていい迷惑。残骸積んでミニバスは走る。晩遅くふと聖書など読む。コリント人への前書(第3章18)に
誰も自ら欺くな。汝等のうち此の世にて自ら智(かしこ)しと思ふ者 は、智くならんために愚なる者となれ。
と。愚かなるほどに自らを欺くな、か。ところで聖書の凄いところは完成形として言語に関係なく一句一句意味の完璧に同じところ。漢訳なら
誰也不要自欺。爾們中若有人在今世自以爲是有智慧的人該變爲一個愚 妄的人爲成一個智慧的人。
語学学習に例えば対訳で読めばかなりの学習効果もあろう。
▼蘋果日報の連載随筆で陶傑氏が「佩服日本人的理由」という文章あり(佩服:「はいふく」は「心にとめて忘れぬ」意)。毒舌が売りの陶傑氏が日本映画から 伝統重視、西洋文明文化の輸入の見事さ、将又「日本語の縦書き重視」まで讃める、讃める。どこまで讃めて、そして「落とす」のか、と察しながら讃め殺し か?と読み進むが落とさない。日本を讃めて反語的に中国の文化や社会への批判か、というと、それもせぬ。ただ蔡瀾先生のように日本語が読めたら……といつ も新宿紀伊国屋で後悔する、で終わる。それほど陶傑氏が日本贔屓とは。この文章で印象的なることは、明治以来の日本の現代化は全て素晴らしい、民族の尊 厳、品味、Common Senseまで全て They always made the right choice. と。ただ唯一の汚点が第二次世界大戦での侵略行為と陶傑氏。御意。本来であれば明治からの大陸政策をばすべてひっくるめて非難することも可。だが帝国列強 の中国侵略とは一線画して、日本の昭和の大陸侵略は何がどう問題で、その戦後の反思がどう間違っているのか、が重要。つまり、歴史的な侵略の事実は事実と して、戦後、それをどう日本が思想的に解決し善後を構えられるか、それさえできていれば最良、ということ。それを「侵略はなかった」だの過去の見直し、は たまた「歴史を作る」が如き呆れた行為にばかりご熱心では救われまい。
▼昨日のChampions Mileであるが今日のSCMP紙の競馬評論記事によれば10着に終わったArt Trader馬に騎乗のE. Saint-Martin騎手がレース後裁定で8開催日の出場停止処分。大きな記事の扱いに何事かと思えば900m付近でSaint-Martin騎手の improper riding(日本語の競馬用語で何と言うか知らぬ)で大きくスリップし内枠にいたJoyful WinnerのShane Dye騎手に接触し走行妨害。これがなければ三着に終わったJoyful Winnerも「ればたら」で勝利の女神は余にむかって微笑んだかも。
▼土曜日に大潭山中のジョギングで見つけた泡々の卵。三月まで香港在住で現在、京都にお住まいの自然H氏に尋ねれば、写真から見るとこれはカエルの卵で、 しかも泡状で地上にあるので日本で言えばモリアオガエルかシュレーゲルアオガエルのいずれかに絞られるが香港にどんなカエルがいるか不確かながら綺麗な水 のある所に繁殖するのがこれらのカエルなので、おそらくその仲間だろう、と。それにしてもガードレールの欄干という、そんなとこに産むのか。ジョギング中 にそれを見つけるのも走りに集中しておらぬ証左。

五月七日(日)快晴。猛暑猛々し。書斎の窓は当然閉め切り冷房つけているがじわじわと熱気が窓ガラス越しに。下げたブラインドの隙間から青空。雑事済ませ 競馬の予想など少ししてタクシーで金鐘のコンラッドホテル。放送作家の村上さんと待ち合せバスで中環。擺花街の羅富記まで歩えば大汗。炸醤撈麺、炸魚球、白灼猪レバー食す。 美味。FCCのバーで昼から熱冷ましでジントニック一飲。尖 沙咀経由でKCRで沙田競馬場。斎藤さんと QE II Cupから二週間ぶりに再会。メンバー席の5階ロッジ席に陣取り地場G1のChampions Mileなど観戦。Champions Mileは三月の豪州Futurity Stakes皮切にドバイのDubai Duty Freeに続き香港のこのChampions Mileで六月四日に安田記念に到る四連戦。日本馬の来港期待したがハットトリックとアサクサデンエンの二馬、ドバイ戦での思わぬ不調で香港諦め安田記念 に照準合わす。そういったわけで海外馬はわずか数頭で地場レースのChampions MileはSilent Witnessの復調なるか、に注目集まる。なにせ昨年のこのレースまで17連勝負け無しと破竹の勢いのSilent Witnessは初マイルに臨みBullish Luckに敗れ二着。18連勝ならず。その後、日本でスプリンターズステークスこそ勝ったが入賞こそあれ勝ち星なしのまま今回のChampions Mileでファンの期待で一番人気。パドックで斎藤さんに競馬評論家の須田鷹 雄氏を紹介いただきご挨拶。昨年の覇者Bullish Luckも一年勝ち星ないまま参戦。思わず「ったく、去年の勝利が偶然ですよ」と自信満々に指摘してが本命はJoyful Winner、これを軸にSilent Witness、Danacourt、Russian Peralと地元馬並べMarwing騎手のSeihaliという馬券各種。でレースはSilent Witnessがハナをとって第四コーナーまわり、追うはBullish LuckでJoyful Winnerも追い込むが、まさか……と思ったらBullish Luckが一着。Silent Witnessは思いっきり落ちてDanacourtが二着、Joyful Winnerが三着でRussian Peralと続く。Bullish Luckさえいなければ、のお得意の「それさけいなきゃ三連単」である。その時、背後から村上さんの「三連単〜!」という声が。馬 券見ればちゃんとBullish Luck加えており三連単的中(443倍)。これだけなら「まだ」驚かぬが彼の手許にはBullish Luckの単勝13倍のHK$100馬券。それに連複もワイドもBullish Luck軸に厚くご所持。マジだろうか……Bullish Luckをばパドックで嗤った身としては穴があったら入りたい気分。払い戻しでにんまりの村上さんと馬場をあとにして尖沙咀。ドイツ麦酒屋Biergartenにて麦酒ごちそうしていただく。Z嬢と太空館にて 中川信夫監督の『地獄』観る。天知茂の 演じる大学生の四郎が悪魔の如き同級生の田村(沼田耀一)の怨念でさまざまな不幸と殺人に巻き込まれ最愛なる恋人の幸子と妹(三ツ矢歌子の二役)など周囲 の人が悉く死亡し皆、地獄に堕ちて、の地獄絵図。大胆なカット割りやカメラワークなど見事だが王道をゆくB級映画。それにしても沼田耀一の演じる田村が不思議な役。そ もそも善良な四郎がなぜ田村によりここまで不幸にされるのか、の前提が全くもって不明。唯一想像に能う前提は田村が実は四郎に恋い焦がれており大学教授の 娘・幸子といい仲で婚約までした四郎への復讐劇とでもとることだろうか。いずれにせよ四郎の郷里で殺戮など始まる場面からはもう筋もめちゃめちゃで可笑 し。銅鑼湾で斎藤さん、村上さんのお二人と待ち合せZ嬢と四人で銅鑼湾の雪 園飯店。時々行くのは北角の本店で銅鑼湾の店は何年ぶりだろうか。村上さんの大勝ち祝し本人のお振舞いでシャンペンで乾杯。前菜からいつも のように食べ始め、さすが雪園、と満足していたが最後に頼んだ「什錦鍋巴(五目おこげ)」で唖然。上海料理で有名な「おこげ」は料理屋で供す料理と化して からは実際には自然に飯炊きでできる「おこげ」ではなく米飯をば油で揚げて熱々のところにこれまた熱い餡をかけ、ジューッとおこげが餡で蒸され柔らかく なったところを頬張るのが常識。それが卓の近くまで運ばれると経験浅き給仕に黒服が供し方をば指導。それはいいのだが眺めていると、さっと供してなんぼ、 の料理に、どうも様子が可笑しい。給仕は、銘々の小碗に餡をばスープのように分けて我々に出すと、おこげの山を卓中央に置いた。えっ……これどうするの? の新機軸。懸念の通り「おこげ」は手でもっても熱くもなく「おこげ」どころか「おこし」の如し。それを手で割って餡に浸して。浸したところで「おこげ」も 餡も冷めているから見た目からして不味そう。四人して唖然。思わず給仕長呼んで「これ、なに?」「どうやって食べればいいのよ?」と尋ね「おこげ」を手に 持ってみせると給仕長恐縮するばかりで至急作り直し命ず。非熟練の給仕に指導した給仕が「おこげ」が熱くないのに気づいていたのに「どうせ中国人じゃない からわからないだろう」的安易な発想だったのは明らか。あらためて運ばれた「おこげ」は餡をかけるとジューッと、これが当たり前。このいい加減な接客にた だただ呆れるばかり。二度と銅鑼湾の雪園飯店には行くまい。
▼台湾の阿扁総統、中南米への旅で米国に経由拒否され西廻りで当初、ベイルートかはたまたリビアのトリポリか、と言われていたが結局、アブダビとなり、た だ中近東から中南米までひとっ飛びというわけにいかずオランダのスキポール空港が中継と給油受入れ33時間の長旅でパラグアイへ。さまよえるオランダ人な らぬさまよえる阿扁。さまよえる台湾人、とは言わぬのは、台湾人の彷徨にあらず、あくまで阿扁総統の外交下手ゆえのこの態であるから。
▼シンガポールの国会選挙。聞けば聞く程にただ呆れるばかり。野党候補強い地域では現職外相など与党は有力候補「刺客」に送り込み当選の暁には、と地域の 公団住宅だのインフラ整備の確約。選挙での公約にすぎぬが与党候補当選すれば当然その公約が叶い、つまりは野党候補当選させたら「てめーら、わかってんだ ろうな」の地域開発の置き去り。選挙での実際の買収はないが選挙前には国庫黒字を理由に国民に対して成人で一人あたりS$12,800の還付金支給(選挙 のない前年はS$987)。これは実質的に与党に投票してね、の買収。選挙翌日には野党・労働者党の幹部ゴメス氏チャンギ空港で出国の際に逮捕される。警 察によれば選挙管理委員会からの訴えに基づく調査のため。不幸中の幸いは与党人民行動党の得票率が前回の75%から67%に落ちたこと。だがこれに対して 一党独裁がために更なるテコ入れも必至か。

五月六日(土)ふと思い出したが(老いて健忘症ひどいが幼き頃のことばかりよく思い出す日々よ)今日が母校の小学校の創立記念日。明治六年だかに創立の古 い小学校で五月のこの大型連休が+1日なのが嬉しかった。本日、久々に天気快方に向かう。大潭を10kmほど走り島南の海岸に向かう。大潭のダムもこの二 週間ほどの雨空に上ダムこそまだ五分の水嵩ながら中ダムは満水。気温摂氏28度で湿度95%は家を出るなり汗だくだが青空に珍しく朦霧(Haze)もなく 心地よし。大潭の引水路でカエル?、蟷螂?の卵発見(画像)。海 岸でサイデンステッカー『東京 下町山の手」(ちくま学芸文庫)読了。サイデン先生の原著は“Low City, High City -  Tokyo from Edo to the Earthquake”で、安西徹雄の名訳。荷風、谷崎、白秋、小山内薫、久保田万太郎、緑雨、虚子、一葉、綺堂、時雨、花袋、芥川といった当時の東京を 語る文章が引用され図画は清親の版画。たまらない。明治から震災までの東京で何が恋しいかといえば花街と悪所であろう。山の手の歓楽街に荷風も嫌悪と軽蔑 を隠さなかったのは「性を、あるべき位置に抑えておく術」を知らないためで「結局は色を売ることが眼目だったことは言うまでもないけれども、そこに到るま での段取りが演劇的」であったというサイデン先生の指摘の通り。そして当時の人々にあった「芝居っ気」。すっかり青空。何ヶ月ぶりだろうか、こうして炎天 下。缶ビールがとても美味い。午後遅くバスでスタンレイ経由で帰宅。晩に本日来港の放送作家の村上さん(こちら)と湾仔で待ち合せZ嬢と三人で北京水餃皇に軽く食す。村上さんと別れZ嬢と二人で晩遅く芸術中心で Walter Ruttmann監督の『伯林−大都会交響楽』映画観る。1927年の白黒の無声映画でベルリンを舞台に夜明けに郊外から伯林に上る列車からの映像に始ま り朝の目覚め、出勤、勤労、食事、休息、遊興、夕食、ダンスパーティにパブ……と伯林の夜明けから晩遅くまでを一日のドキュメンタリーにしたフィルム。た だ伯林市民の生活を追っただけではつまらないのだろうが同じ「食す」という行為を勤労者、子どもばかりか犬や猫から伯林動物園の野獣まで並べたり、で 生態学的な面白さあり。鉄道シーンの導入から夜明けの伯林まで、しばらくは人が全く映らない。印象派でこのままシュールにゆくのか?と思うと朝早く犬の散 歩の市民がちらほらと映り始めてからは、ただただ人、人、人。都市を映しているようで伯林という20世紀の歴史でも奇異な都市であるが映画では伯林は全く 見えない。昨年の夏には東京ではジャズで高瀬アキがこの映画をもとにライブパフォーマンス(こちら)。
▼サイデン先生の『東京 下町山の手』で「万歳」についての記述あり。かねがね私にとっては、あの「万歳〜!」というのが、しかも集会とかで司会者が「そ れでは皆様、万歳三唱をご唱和いただきたく」という、あのシチュエーションが(といいつつ、そんな自民党のオトーサンたちみたいな場に居合わすこともない のだが)、あのノーチョイスの、思考力略奪されての「万歳〜!」ほど嫌いなものはないのだが(サッカーで応援するチームが優勝でもして勝手に「万歳〜!」 とかしてるのは勝手だが)、サイデン先生曰く、「万歳は」、言葉そのものは古いけれども、これをなにか歓ばしい時に大勢で叫ぶというのは、明治二十二年、 憲法発布の時に始まったことのようである、と。やはり「万歳〜!」は国家と濃い関係。日本の伝統だの文化だの思っているものが、実は明治時代に始まったも のが多いことはサイデン先生の指摘の通り。古来行われてきたような雰囲気の神式での結婚式も明治から。だいたい明治二十年代というのが曲者。この頃に「日 本の伝統と文化」が作られ、政治的には日露戦争終結が政治的なターニングポイント。
▼シンガポール総選挙で当然、人民行動党(PAP)が84議席中82議席独占で圧勝。野党はこれまでの2議席死守。野党が1議席でも増やせば政府与党に とっては責任問題、ことに今回は李ジュニア首相世襲し初の総選挙。(以下、SCMP紙の社説、ヘラトリ紙の一面トップ記事をまとめれば)Freedom Houseの 評価ではシンガポールは partly free の範疇にあり、シンガポールと同レベルにあるのはアルメニア、コンゴ、ヨルダン、リベリアにモロッコ。シンガポールの三百万人の国民のうちすでに4割はシ ンガポール建国後に生まれており、建国に到る緊張など知らぬ世代。国祖・李光耀の神通力が何処まで通じるか、に今回の選挙でも注目されたが一党独裁国家ら しい選挙結果。なにせ各選挙区ともPAP候補を当選させるかどうか、が地区の民生に大きく影響。勿論、日本でも自民党の土建候補をば当選させることで地域 に道路や橋を建造、という時代はあったが、少なくても社会党議員が当選したから、といってインフラが整備されぬ、という事態には至らず。だがシンガポール の場合、野党候補など当選させようと思えば露骨に、その地区のインフラ整備が滞る、という話もあり。政府の廉政度ではアジア一と評価高いが、一党独裁の党 政府内で廉政なだけで、党独裁に刃向かう者には容赦ない世界。シンガポール民主党の代表 Chee Soon Juan博士など国家保安法の適用で李光耀と李ジュニア首相への誹謗中傷で告訴されS$50万の賠償金支払い命じられたが破産で応じられず高裁はChee 博士は今後10年間、被選挙権剥奪。シンガポールがこれまで中継貿易、金融などで南アジアで確固たる地位築いたのは事実。それには法体系の整備に加え政治 的安定が必須条件。情報化社会にあってネットすらSinsor(富柏村造語、シンガポール政府のセンサー)で閲覧管理され、空輸された週刊少年ジャンプす ら暴力シーンで検閲が入るという。怖い限り。李ジュニアは創業者である父から引き継いだ国家と自らの地位について選挙前に記者会見で「我々は新聞の特派員 やジャーナリスト、それに我々にああせえこおせえと言うのを許さない。シンガポールの政治について私が知らないことはほとんどない。海外からの特派員が私 にシンガポールについて助言できることなどほとんどない」と断言。成長が続くうちは良いが、周辺各国の経済的成長に従い、すでに成長率ではアジア平均を僅 かながら下回っているシンガポールが今後、どこまでこの地位を維持できるか。「成長し成功し続けるかぎりは」許される一党独裁。成長が頭打ちになった時に この一党独裁がどうなるか、に注目せざるを得まい。中国も一緒なのだが。

五月五日(金)。佛誕。長州島では太平清醮飄色巡遊といふ祭行列あり。縁起に合わせた仮装の子らが巧妙な乗物の上に据えられ長州市街巡回。真夜中には数年 前から復活の搶包山(在港邦人の間で「饅頭祭」と呼ばれる)の饅頭取り合戦もあり。佛誕に合わせた祭礼にて長州島では今日から三日間は島をあげての素食に て島一軒のマクドナルドもこの三日間だけは菜食だとか。本日、朝から自宅にて雑用済ます。昼まえに近くに住むT夫妻に日曜日の晩遅くの『人形伝七捕物帳』 の映画の切符差し上げることになりお届け。中川信夫監督で若山富三郎主演の1959年の作品。T夫人に切符のお返しに、とお香(源氏香で「若菜」と題す る)とZ嬢にと「よーじや」の油とり紙いただく。さっとこんなものを香港で、とはさすが京都の方。東京の人が香港でさっとお返しに、と日本橋榛原の一筆戔 と錦松梅など出てはこない。ジムに行くつもりが、はっ、と今日は金曜日であることに気づく。朝からずっと土曜日と誤解。三連休であると今更ながら気づき何 か一日得した気分。九龍に渡り二粒(一時間半)按摩。午後遅くジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。ちょっとHappy Hourの気分であったが帰宅。日本は「子どもの日」でもある。かねがね不思議なのは保守右翼反動の諸君は「日本の伝統、文化」などと口にするが旧暦五月 初五の端午節をば破廉恥にも太陽暦に強引に合わせてしまったことは「日本の伝統、文化」に反しないのだろうか。国家主義遂行がために「日本の伝統、文化」 など言葉だけ遊ばず本当に「日本の伝統、文化」考えるなら本質がなにかよく鑑みるべき。韓国で空軍の航空ショーで余興飛行中の空軍機が墜落。韓 国も今日は「子どもの日」というNHKのニュースに、韓国の太陽暦でのこの端午節が自前のものなのか、日本の侵略時の影響なのか、と考える。調べてみると 1948年制定。否、考え方によっては古来、唐国の五節句が平安の頃に定着したわけで、唐土の農暦に従わぬのは日本独自の伝統と文化かも。いずれにせよZ 嬢が紙で兜を折りいろいろに被せている。魯迅はんにも一つ。晩にお好み焼き。NHKのNW9は祝日でもやっていると知る。祝勝ではあるが、どうもイントロ のグラフィックからしてもキャスターのキャラからしても晩23時30分からの「今日の出来事」っぽい。NW9に続き「プライスの謎」なる番組で百円ショッ プ特集し百円ショップの多くの商品が中国からの輸入、その中国は浙江省に義烏という日用雑貨の巨大流通市場あり、とこの杭州郊外の都市をば紹介。こんな大 規模なのか、それにしても「なぜこの巨大流通市場が義烏に、なのだろう?」とぼんやりと眺めながら、ふと読みかけの新聞に眼を落とせば偶然にも信報に「揚 開義烏之謎」という記事あり。偶然に驚く。がテレビでは紹介されなかった義烏の背景について詳細あり。義烏は豊かな浙江省にあっては渇水に悩まされ農作業 も振るわぬ貧困が続き、古来、就是窮得没吃了、只能靠物物交換(食うものがなければ物々交換するばかり)で鶏毛すら抜いて市場に売りに行くが如き惨めな交 換経済が元になり小規模な市場経済が発達。そこに経済開放政策が始まったことで、それまでの他の地域にない流通経済のノウハウを活かし今日に至る、と。
▼陶傑氏の「醤缸裏的女人」という随筆(今日の蘋果日報)が凄まじい。アンソン陳方安生女史(陳太、マダム陳)が土共左派による女史の政治的姿勢への揶揄 につき先週発売の雑誌『壱周刊』にて「もういい加減にしてほしい」と苦言呈しているのだが、陶傑氏にしてみれば中国人社会の三民主義は農民、蟻民と暴民 で、太平天国も義和団も文革もみんなこの「三民主義」的な見事さの結果であり、そういう野蛮な社会でアンソン女史の如き一人の精神的に自立した女性など現 われでもしようものなら「異端」として排除されるのが当然。フランス革命ではマリーアントワネットは暴民らにとって恰好の餌食、人民法廷ではかなりの侮辱 受け死刑台へと登台。「パンが無ければお菓子を食べればいい」と言ったなどと悪評つきまとい人民の敵として扱われたが、最期までの毅然とした態度が少なか らず国民に強烈な印象与え、実は彼女に喝采をおくった国民もある、という話を陶傑氏は続ける。言いたいことは暴民の野蛮さと淑女の気高さの温度差なのだろ う。で陶傑氏曰く、人は陳太に同情しもするが、97年の香港返還以降の中国の政治醤缸に入ってしまったことは陳太の誤謬。陳太と同郷(上海)のリディア鄧 蓮如女男爵は逸早くその危険性に気づき身を退く聡明さ(返還後の行政長官候補と噂もされたが香港政界から離れ英国で爵位受け貴族院議員)。リディア女男爵 は「中国人の自相残殺は観るもので参加するものじゃない」と知っていたから逃げた。それでその無残なる騒ぎをば遠くから眺めるのはけして悪くない暇つぶし であり娯楽、と。中国という国家、社会と人への自虐的皮肉、が陶傑氏のまさに骨頂、という一文。
▼台湾で雲門舞集がこの五月は「白 ×3 美麗島」の舞台を台北、高雄、台中で上演。美麗島といえば台湾の別称であるが「美麗島」という言葉にこめられた台湾の民主化や 独立への希望などなどあり。「白」 も白色テロ時代の白でもあり、今回の舞台のタイトルからして政治的すぎる、という声もあり。だがポケットマ ネーで切符購い「白×3 美麗島」舞台観た馬英九台北市長(間違いなく次期総統か)が舞台の芸術性を讃め政治的などという非難をば一蹴。雲門 舞集の制作者である林懷民氏が実は誰よりも崇高な意味で政治的であるから、そんな安易に政治的メッセージなど舞台に掛ける筈もなし。台湾といえば阿扁総統 は中南米訪問で米国立ち寄り切望したが米国に刎ねられアンカレッジ経由もならず急きょ、中近東を中継し出発。94年に李登輝総統が中南米訪問の途中、ハワ イに給油立ち寄りに始まり(この時は米国の非礼に李登輝君憤慨しパジャマのまま機内にて米国側代表と会見)、翌年は米国側譲歩し中国への牽制もあり李登輝 総統晴れて母校コーネル大学訪問し記念講演。阿扁総統も米国の人権団体からの人権賞授賞や紐育訪問まで出来ていたが、再選後は阿扁君の内政無策外交行き詰 まりで米国もすでに阿扁君に見きりつけ国民党・馬英久台北市長をば三顧の礼で歓待しておいてのこの阿扁への対応。阿扁への国民の期待は何だったのか。先日 の新聞に米国の中国研究家が、民進党の阿扁政権が対中緊張のなかで台湾の政治化にばかり熱心で、国民党政権で不満も多かった福祉、自然環境保護などにまっ たく力をいれず経済政策の無策ぶりが支持失墜の要因、と。まさに。

五月四日(木)昨晩十一時前には熟睡していたが朝三時に目覚めてしまう。高野山か永平寺どころか修験道の世界。眠れぬといろいろ考え余計に冴えてしまい五 時くらいまで読書。また一時間余寝て起きる。老人の性か。諸事忙殺され晩に至る。FCCにてハイボール一杯。美味なる青菜のサラダ。夕食はこれだけ。 ジャックダニエル一杯。市大会堂にてZ嬢と待ち合せ李 垂誼(Trey Lee)のチェロリサイタル聴く。ピアノはNoreen Polera嬢。33歳のチェリストは香港の音楽家の両親のもとに生まれ八歳で家族はカナダに移住。チェロ弾き始め12歳だかでバークレー音楽院に学ぶほ どの器量見せるがハーバード大学の経済学部に入学したことで五年ほどチェロは余暇に奏でる生活ですっかりプロのチェリストになるような訓練からは遠ざかる が大学卒業後一旦は就職したもののチェロへの思い捨てきれずあらためて欧州にてチェリストとしての修業。一昨年の国際Antonio Janigroコンクールにて一位となり頭角現わしたという。余は全く知らぬチェリストであったが会場で会った香港大学のTK氏の話では三度目とか。曲は タルティーニの小曲で始まりブラームスのソナタ(ホ短調作品38)に続いたが音もどうも真面目な青年ぶり。小説でいえば梶井基次郎。ブラームスのこのソナ タなどもっと演歌だと思うのだが。音がいまひとつ響かず、会場としては香港文化中心などよかこの市大会堂の音楽庁のほうがずっとマシだとは思うのだが、曲 間にしきりに調弦しており、会場の湿気も気になるところ。休息挿みポッパーのハンガリアンラプソディー、シューマンの民謡風の5つの小品op.102とな るとだいぶ緊張が解けたのか演奏も大きくなる。かといって全く雑にはらなぬ技巧派。個人的には、これは本人よか楽器にかかわることだろうが今晩のチェロの 音色はあまり好きになれず。トランペットのように突き抜けた音で、奏者本人の真面目さが加わるから、いい意味での曖昧さ、に欠ける。ショパンの序奏と華麗 なるポロネーズ(ハ長調、作品3)でかなり会場沸く。ソリストとしてやってゆくのか楽団の入るのか、指導者になるのか、経歴的にも難しいところで、近いと ころで選択をば迫られるのだろうが、指導者タイプであろう。会場には香港の音楽指導者ら少なからず。今日はもう亡くなって二十年となるが余の祖母の誕生 日。明治三十六年五月四日。両親が夫婦養子で入った家の祖母で所謂「血のつながり」ないが余を育ててくれた人で誰よりも何かと思いで多し。憲法記念日と子 どもの日の間で、祖母の生前はこの日は平日であった。ふと思ったが改憲するのなら記念すべき五月三日の米国押し付けの「戦後憲法」の記念日は祝日返上で平 日に戻すべき。
▼二月八日の日剰の続き、となるが、在港の著名ジャーナリストClara Hollingworth(94歳)が横領詐欺に遭ったと知己のTed Thomas氏(74歳)訴えた裁判、TT氏側はCH女史が返済求めるが返済に応じぬのは、うちHK$96KはTT氏によるコンサルタント料と主張。CH 女史が老人性痴呆症でまだ自分がデイリーテレグラフの特派員であると錯覚しているほどで、そのCH女史に彼女の日常生活の便宜、私財管理や運用など説明し 聞き取らすために時間費やし、その時給がHK$400だそうな(呆)。あとでとってつけた方便であろうが240時間分。親友だと思って任せておれば、の竹 篦返し。FCCでこの新聞記事読んでいたがラウンジの隣席がCH女史の名誉卓。かつては夕方から他の客に坐らせず常時CH女史の君臨待った席も最近はけっ こう他客も坐っておりCH女史も姿あまりお見せにならず。TT氏もすっかり面目なくしたか我が物顔でいたが姿見せず。
▼香港の上場株式総額史上初の10兆香港ドル(150兆円)記録する。ちなみに東京の四分の一ほど。恒生指数も17,000を超え97年のバブル時と同じ 水準に。ただしあの当時の「なんでも買えば上がる」の風潮もなく落ち着いた感じ。株価上昇も個別の株では値上がり感ないのは、結局、中国企業の香港の株式 市場への参入による市場膨張ゆゑ。ところでその150兆円のうち李嘉誠の財閥による占有は7.67%に及び郭三兄弟、李兆基の三者で12.5%となる。
▼八方弟子、といっても三月に鶴瓶師匠の香港での落語に前座できた月亭八天(月亭八方の弟子)に非ず。八方弟子は44歳無職の査傳倜君のニックネーム。 44歳無職はニートなオジサンすぎるが自宅がビクトリアピークにある金持ちの息子であるから不自由はない。生活に不自由ないから食道楽で食通、グルメとし てちょっと評判。元祖!でぶやに出演させたいほど巨漢で愛嬌あり。お父様は、かつて香港の胡散臭き新聞界で高級紙として一世風靡の「明報」創業の社主・査 良庸(庸は正確には「金」扁に旁が「庸」)、つまり中国武侠小説の大家の金庸。その八方弟子も劉健威兄なども一目置く異色の食通として数年前はちょっと注 目されていたが最近そういえば噂も聞かぬと思っていたら今日の蘋果日報に「八方弟子CD万引きで逮捕」の報道。情けない(笑)。銅鑼湾のHMVで88元の CD万引き。中学生じゃないんだから……、だがこれまでも携帯電話の紛失は日常茶飯事、銀行の現金引出機で現金置きわすれ、スーパーでレジでカネ払う前に 食べちゃった、だの椿事珍しからず、の非常識ぶり。今回は万引きをば店内の警備員に見つかり事実認めたが「44歳の無職」という怪しさから警察に突き出さ れると警察では事実否認。本人曰く万引きと疑われた1枚は購入前に試聴したが已に所有すること思いだす。店内で10数枚のCDを手に徘徊。結局そのうちの 2枚購入決めて支払い済ますが、試聴したその1枚もやっぱり購入と気が変わり、それはカネ払っておらぬこと忘れ手提げ鞄に仕舞ってしまった、と。罪状否認 続けたが八方弟子は今は深圳にお住まいだそうで警察が情状酌量する気配もないことから弁護士の説得もあり事実認めたという。一ヶ月前の話。個人の軽犯罪な ど本来こうして取り上げるべきでない。親が社会的に高い立場にあるからといって報道されるのも朝日新聞社長息子の大麻所持と同じ親にも子にもとんだ災難 か。朝日新聞の社長が30過ぎた息子の「犯罪」で開き直ったように金庸氏もオックスフォードに遊学中ゆゑ愚息の万引きには関わらず。だが八方弟子の場合、 その特異なるキャラで「44歳無職でのCD1枚の万引き」がどこか笑えるから可笑しい。
▼朝日新聞の社説は「天皇と憲法を考える」。天皇を擔ぐことが護憲の最大の錦の御旗になろうとは。今上天皇が改憲への最大の抑止力であることは確か。昔な らこれだけで安泰であるがキョービは首相とて天皇に平気で嘘をついても屁の河童の時世。

五月三日(水)憲法記念日。朝日新聞の調査によれば憲法改正必要とする国民の割合は53%と過半数超え殊に20代男性66%、30代女性67%など40代 未満に改正指向強し。だが20〜30代で62%が憲法について「ほとんど知らない」そうで、つまりどう少なく考えても同世代の三人に一人は「憲法について ほとんど知らないが憲法改正は必要」という「てめーらバカかっ!」な若者たち。70歳以上となると改憲指向強い男といジェンダーでも改正必要は49%と過 半数下回り女性は35%に留まる。憲法を知る人ほど護憲意識が強く、ニートだのフリーターだの格差社会での実は被害者ほど小泉三世支持で「憲法は知らない が改正は必要」で靖国で「石原ーっ!」とか掛け声かけたりしているのかしら。少なくてもまだ幸いは憲法第9条につき改正の必要なしが4割で全面なり部分的 改正支持が3割余ということ。平和についてのぎりぎりの良識か。というわけで早晩にジム。一時間有酸素運動。帰宅して明太子のパスタ。山西省のGrace Vineyardの赤葡萄酒少し。
▼中国のジャイアントパンダ保護区だかでパンダを野生に返す瞬間の写真。みんな和やかな雰囲気の中で向かって檻の左で完全防備で猛獣に挑もうとする公安? の警官だろうか。職業柄たかだかパンダでもこういう姿勢とってしまうのかしら。

五月二日(火)中国の労働節の大型連休で中国国内で行楽者の数はなんと1.2億人。香港に42万人押し寄せ17億元の消費。それでも香港鼠楽園はスペース マウンテンで「待ち時間」なし、の閑散ぶり。海洋公園は「海クラゲ館」オープンで相変わらず盛況。この連休中とにかく香港も尖沙咀や銅鑼湾中心にすごい人 出。そごう百貨店など押すな押すなの混雑。一昨日、そごうで旭屋書店に上がるのに十階の健康按摩椅子の売り場など中国からの田舎漢に占拠されており旅の疲 れ癒すのに按摩椅子で極楽気分。店員も所詮、按摩椅子ご購入のはずもなき客の殺到にうんざり気味。按摩椅子といえば寄る年波に按摩椅子でも家にあれば、と Z嬢に話すと、どんな按摩椅子だって熟練の按摩師の技には敵いますまい、とZ嬢。確かに。それなら、とふと思いついたのが人間按摩椅子。生きた人間を椅子 にしてしまったのが乱歩先生の「人間椅子」なら、腕のいい按摩師を生きたまま椅子にしてしまえば、坐れば按摩師が揉み解す、という仕掛け。というわけで本 日まだ飽きずに連日ジムで鍛練。筋力運動一時間。帰宅。昨晩久々にピアノ弾いてシューマンの、というとカッコいいがシューマンでも「子どものための3つの ソナタ」だが今晩も練習、と思ったが二日も続かず。自家製コロッケ食す。NHKで聖飢魔 II「地球デビュー20周年恐怖の復活ライブ」観る。聖飢魔 IIのデビュー直前の頃にライブ観ているZ嬢。デーモン小暮閣下 が「単位が足りなーい!」とMCで叫ぶ早大生で当時の岩波『世界』にコメントが載り素顔でギター弾く姿も。真面目な人であるとは思っていたが大相撲解説ま でするとは思いもせず。80年代のその頃、デーモン閣下の漫談、文七元結の長兵衛を地でゆく快楽亭ブラック師 匠の落語、本職の落語よりジャズの音楽評で実力見せつけたこぶ平など実に面白かった。何冊か積みっ放しの雑誌に眼を通しサイデン先生江戸本少し読む。
▼白血病再発克服の成田屋歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎で本日舞台復帰。天晴れ。来春には海老蔵連れ巴里のオペラ座公演。海老蔵君といえば四月は金毘羅歌舞 伎いろいろ話を関係者から聞く。歌舞伎の世界で何より不思議なのは松竹永山会長(胴元)への役者の口上などでの尊敬表現の過剰だが歌舞伎座のニュースマガ ジンにも仁左衛門丈の紫綬褒章受章というニュースが「片岡仁左衛門が、平成18年度春の褒章で紫綬褒章を受章されることになり、歌舞伎座で記者会見を行い ました」との一文。胴元として役者である松嶋屋を「仁左衛門が」と呼びつけにするなら「受賞し」でいいし、「受章されることとなり」と敬語使うなら「仁左 衛門さんが」とか呼ぶべき。
▼前回の香港立法会選挙に「45条関注組」と名乗り立候補のリベラル派弁護士が4名当選し政党党派別支持率ではトップを維持する一定勢力となったが最近 「公民党」結党。アンソン陳方安生女史がこの政党に属し政界進出という噂もあり。民主党などに比べも穏健なリベラル政党の登場に中国政府も注目するのはア ンソン陳方女史の動きにも加え、政財界でどの程度、この政党が支持されているか、の具合について。というのも行政長官選挙にて投票権をもつ数百人の選挙人 は従来、親中派が大半であり、さすがに民主党など「過激派」支持は少ないが、公民党となると心情的に支持する選挙人が出てくる「危険性」。そこで中国政府 がいま躍起なのは公民党の結党に参加した非公開の結党参与者の名簿の獲得。ここに名前のある政界人は今年後半から予定される次期行政長官選挙選挙人の選定 で予め排除も可。こんな「非文明的な」選挙対策が現実なのだから行政長官や立法会の直接普通選挙実施など実現など無理な話か。
▼連休中に休日に憩うフィリピン人家政婦らを見てふと思ったのだがフィリピン人女性のなかに所謂 “tomboy” (男性的な女性、男装)少なからず。地下鉄のなかで乙女役のフィリピン女性とこの男っぽい女性が抱擁などしているのを見て、そう思う。それぢゃフィリピン でマニラとか歩いていると男っぽい女性が多いかというとけしてそんなことはない。香港でやたら目立つ。恐らくこれは「社会的なジェンダー」で、香港に十数 万人働くフィリピン人家政婦に対してフィリピン人男性の数は1割に満つかどうか。しかもフィリピンに夫や家族残し出稼ぎの女性たちで圧倒的多数がカソリッ ク。そうそう簡単に操をばなくすとは思えぬが、こうした海外での女性社会という環境が男っぽい女性を生む構造になっているのではないか、とふと思う。
▼マカオで五月朔日のメーデーに五千人規模の労働者デモ。ハリウッド資本のカジノなど建築ラッシュのマカオだが慢性的労働人口不足とはいえ工事現場で働く 労働者が大陸からの廉価労働力流入(不法出稼ぎ含む)に加え香港からも現場への出稼ぎあり地元の労働者の賃金まで不当に安く抑えられている、と抗議。99 年のマカオ返還以降初めての大規模デモ。

五月朔日(月)労働節。旧暦では四月初四日。大陸は大型連休で広東省で工場も休みなのだろうか大気汚染もなく快晴で遠くの山の稜線までくっきり。早朝寄席 で高座一席済ませ昼に尖沙咀の太空館ホールにて映画『エノケンのとび助冒険旅行』1949年観 る。香 港国際映画祭の第二部にて今年は中川信夫監督特集。この「とび助」はアタシも初めて観るエノケン映画であり戦後のエノケン映画は実に初めて(ひばりちゃん 主演の「東京キッド」でのエノケン助演がアタシの唯一のエノケン戦後作品)。プロデューサーが「ジャズの伯父様」野口久光で監督が中川信夫、脚本が山本嘉 次郎で全編にわたりふんだんな画は画案が清水崑、と映画好きには垂涎の制作陣。かなり期待(それも香港でエノケン映画である!)。戦国時代で荒れ果てた京 を舞台に孤児の娘(お福ちゃん、ダイゴ幸江)拾った人形づかいのとび助(エノケン)がお福ちゃんの母をさがしにはるばる駿河まで毒グモや大男、人喰い鬼な どに襲われ危機一髪、地獄谷やインチキの町など通り抜け旅する話。B級な特撮、背景など一切が清水崑の書き割りなど面白いが、正直言って1935年の「エ ノケンの近藤勇」の池田屋の場面で眼からウロコでエノケンに出会い、「ちゃっきり金太」「猿飛佐助」「猿飛佐助」「風来坊」に「法界坊」、「忠臣蔵」「鞍 馬天狗」「弥次喜多」から「孫悟空」まで戦前のエノケン映画にただただ笑い続けたアタシにとって戦後の、この「とび助」がなぜこうもテイストが違うのか、 と驚くばかり。この話が、ただ人がいいだけの正直者のとび助と小さな女の子の二人連れでも協力しあって頑張れば願いは叶う、という、子ども相手の映画であ ると思えば確かに納得もできるのだが。映画で落ち合ったZ嬢と尖沙咀の寿司 亭にて軽めに遅いお昼で寿司にぎり。韓国食材街へと向かうZ嬢と別れジム(韓国産辛子明太子が値段高騰とZ嬢の話)。三日連続で飽きぬもの か、で筋力運動と有酸素運動を各一時間。夕方のきれいな空も風も心地よく湾仔のDelaney'sでギネス麦酒。ぢっと待つこと五分。飲むのも惜しい くらいきれいに「アイリッシュクリーム」冠るギネス供される。ドラフトのギネスは随分と味がマイルドになった気がするが、窓も扉も大きく開いたアイリッ シュパブで新聞に眼を通しながら飲むギネスはやはり美味でついついさっさと二杯目。帰宅。日本蕎麦茹でて食す。菊正宗一合。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」 で埼玉県の群馬との県境の小鹿野町。歌舞伎が盛ん。小学生が重の井の子別れの場面など科白を名調子。町の女歌舞伎の指導役の齢八旬の老人が鶴瓶師匠に若い 頃の舞台写真で「あ、釣瓶寿司や、これ聞かせてください」に鮨屋の権太の科白乞われれば(義経千本桜、すし屋の場)老人少し語り始めるが、ご老人咄嗟に権 太になり切り感極まり涙。見ていた妻も眼に涙。これが芝居の原点か。本日、サイデンステッカー先生の『東京 下町や山の手』少し読む。1986年に新刊で 数年後に読んだが今回は文庫での読み直し。その当時、サイデンステッカー先生は冬になるとハワイに避寒されたが年の半分は上野にお住まい。シアトル人の畏 友JB君にその頃「今日は珍しい人に遭ったよ、不忍池でね」と言われ、JB君が浅草での日本舞踊の稽古の帰りに上野の池ノ端で、不忍池のベンチに坐って夕 方のひとときをお過ごしのご老人、それがサイデンステッカー先生であった、と。かたや日本文学の碩学と若い日本舞踊家のJB君、年はずいぶん違うが同じ江 戸趣味のアメリカ人でベンチで少し話し「今度、またハワイから戻ってきたら是非、遊びに来て」と言われた、とJB君も喜んで「一緒に行きましょうよ」と 誘ってくれたが余も日本離れJB君もバリ島に本拠地移しサイデン先生のお誘いも無碍に。この本、「はしがき」の荷風散人への追悼の念だけでも一読の価値あ り。
▼武蔵野のD君より。例の都立校の「採決」について。都新聞の記事で都教委の課長のコメント。「学校の責任者は校長。責任を問われない人が重要なことを決 めるのは、一般の人から見てもおかしいはずだ」と。責任をとれるはずもない都の課長如きが片腹痛し。そのうえおかしなロジック、とD君。国政に責任を負う のは総理大臣だが、じゃあ、陣笠代議士が重要法案の採決に加わるのはおかしいか。議員と教員は比べられないかもしれんが「上御一人以外は発言権なし」か。 責任者というのは結果に責任を負うのであって、それ以上ではない、が原理。「よしわかった。君たちの思うようにやれ。責任は俺がとる」がかつては「理想の 上司」だったが……それが今じゃ首相が「よし、俺が勝手にやる。(選挙で)責任はみんなでとろう」が自民党か。昭和の先帝など極意の「無答責」の体系で最 初から責任とる気もとっていただく精神も制度もないのに「御前会議で終戦を決断」ということに。今になって思い起こせば「ぶっ毀れる前の」自由民主党にも 政策決定は「総務会で採決による了承」の手続き必要であったが、それも今は昔。
▼また知的巨人が一人、JKガルブレイス氏逝去。知己のG氏より追悼のメールあり。逝く。主流派経済学とは常に一線を画しながら社会通念を疑い「リベラル とは何か?」問い続ける。余の感じたところは「本意での」リベラルというのがこれからどうなるのか。本意でのリベラルという意味では最近は余は中曽根大勲 位もあの人はリベラルなのではないか?とか、ナベツネすら靖国発言などこの人はリベラルである、とすら思える今日この頃。常識と知性と教養、それに少しの ウイットがあれば、リベラルになれるはずなのに、それのない「大人」が増えすぎたからかも。
▼紐育にてイラクからの米軍撤退求める市民デモに30万人。あの「戦争」が侵略行為であり全く意味のないものであることなどあの当時からわかっていようも のを。だが数年と多くの代償かけても今になって理解できるだけ、まだ米国民には学習機能と判断力があるだけ、思考と判断の停止した国家よかまだマシかもし れない。

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