乾 坤容我静 名利任人忙

教育基本法改正で愛国 心の 育成? ちゃんちゃら可笑しくて、そんな「国」はとても愛せない。文化人129名の反対声明 
憲法改正反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。(誰 かの言 葉

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十一月卅日(木)諸事忙殺され遅晩に至る。晩に僅かな時間惜しみ湾仔の茶餐庁に肉絲炒麺食し凍檸茶飲む。肉絲炒麺は日本でいえば細切り豚肉堅焼そばだが日 本なら「かなり美味い」それがそのへんの粗末な茶餐庁のどこでも食せることは香港の食の見事さとあらためて思う。アイスレモンティーとて香港中文大学で日 本語教えたY先生が日本の旧東京教育大学留学の折に東京の喫茶店でアイスレモンティー注文するとレモンが薄切り一枚しか入っていなかったことに「差別され たのか?」と思ったというほど日本のケチぶりにくらべ「これでもか」というほど檸檬が沢山の香港のそれがいかに贅沢なことか。

十一月廿九日(水)安倍三世が北朝鮮をいかに利用しているか。03年に安倍訪朝実現で蓮池薫氏らの家族連れて帰る見返りに速やかに日朝国交回復するとした 密約を将軍様に近い中国籍朝鮮族実業家に託し成功報酬60億円は国交正常化後に日本から北朝鮮へ渡される経済協力資金から一部を充当する、という話。横田 めぐみさんの良心ら安倍三世に娘の救出を、と願うが、もしそのシナリオで国交回復していたらめぐみさんらのことなど棚上げされていたのでは?という週刊現 代の特集面白い。ところで週刊文春と同じくサントリーの提灯記事で週刊現代もモルトウイスキー特集の保存版グラビア特集。実はあたしゃ最近「シングルモル トはわざわざバーで飲む必要があるのだろうか」と最近思う。モルト酒なんて自宅で飲めるのだからバーではむしろカクテルを、と。ウイスキーの基本は、映画 で、広い屋敷の書斎で急に友を訪れると、彼は机から立ち上がり「やぁ」と一言、徐ろにタンブラーからショットグラスにウイスキーをショットグラスに注ぎ、 杯を一つ自分に渡して、さっと目配せで乾杯、すっと一気に飲み干し、でソファに座り「で、用件は?」と。ショーン=コネリーのジェームス=ボンドもウイス キーはベッドサイドとかで雑にグラスに注いで風呂に向う途中で飲むものでバーではシェイクしたウオツカマティーニであった。余は007のおかげでずっとド ライマティーニはウオツカであり本当はシェイクするのにレシピを知らぬバーテンがスティアしてしまうので困る、と廿幾歳まで信じていた。晩に帰宅して昨日 の鏞記の羊腩煲、半分ほど残りお持ち帰りしたがだいぶ煮詰まっていたので土鍋で大根を煮たところに羊腩煲をあけて煮て食す。一晩おいた鍋は大根もよく案の 定、美味。残った煮汁でうどん食す。満足。
▼一昨日参観の写真家Leslie Keeについて。畏友O君より。この写真家の新嘉坡の実家、彼の少年時代、同じ集合住宅に或る日本人居住。その日本人の家からよく流れてくる歌が好きにな り誰だろうと思えば松任谷由実(荒井由実だった鴨)。ユーミンに会いたい!、どうしたらいいかしらと思案した結果、日本に行きカメラマンになればユーミン に会えるかもしれない、と留学。写真家としての修行を積みプロのカメラマンになり遂にはユーミンのアルバムジャケット撮影するまでに大成、との由。あらた めてこの写真家の人物写真に思うことは実にあっけらかんとして色気がない。ヌードでも陰湿さもない、エロ写真とはほど遠い明るさ、健全さ。それはそれで作 風か、だがどうも私にはピンとこない。

十一月廿八日(火)人民元切り上げUS$1=7.84となり香港ドルとの換算はついに1:1の時代到来。1990年だったか某日銀の方が余の財布に人民元 札があるのを見て「あ、紙屑」と冗談言われたことふと思い出す。畏友O君とメールでレンジファインダー談義。なぜ「プリンタのエプソン」から光に対し守備 範囲の広い(ダイナミックレンジの広い)写真機が生まれたのか?、O君曰くスキャナは(さらにはコピー機も)カメラそのもの。レンズがあって像を読み取り 現像まで。そして一眼レフとの大きな違いは撮る側の気分も異なるが何よりも撮られる側の気持ちの大きな違い。被写体が「はい、撮られますよ」と準備しての 記念撮影やらポートレートなら一眼レフのほうが「その気になる」かもしれぬが、それを除けばレンジファインダーのほうが構えない自然な有様を撮れること。 その対象が人間や動物に限らず、風景であっても、なんて言うと何やら超心理現象講説になってしまうが、現実的には一眼レフより「不穏な動き」感が少ないこ とは確か。だからストリート・スナップにはレンジファインダーのほうが向いている、という結論。O君曰く「一眼レフのレンズの出っ張り。あれは男根ではな いか」と。それは一般的には禍々しいものだが特に女性ポートレートにおいては男根的なその本質が効果的に、攻撃的に発揮され、とO君。御意。日本からN氏 来港。戦前、小学生時代を香港に住まい当時の貴重な資料お持ちで、当時の話など何度かお聴きする。ご尊父が湾仔利東街で地元民相手の雑貨商営む。利東街は 大規模な「再開発」直前で立ち並ぶ老朽化した建物は取り壊し寸前。晩にZ嬢と三人で中環の鏞記に食す。蛇 羹もいいが数日前に食したばかりなのに羊腩煲、それも鏞記が「古法羊腩煲」と呼び値段もなかなかなので期待して注文。頗る美味(「腩」という字、これまで 牛南麺なんて綴っていたが「腩」という字を中国語から引いてくればいいんであって、これからは牛腩麺と正字で綴ろう)。N氏に或る歴史編のDVDを差し上 げ、それを見るためにN氏の投宿されるRitz Carlton Hotelの部屋にお邪魔する。アップグレードの特典あり瀟洒なSuite部屋。ヴィクトリアハーバー一望。N氏はMandarin Orientalに常宿されるが改装後の人気で部屋がとれず、の由。日本では「新装マンダリンオリエンタルに泊まる香港三泊四日の旅」の如きパッケージ旅 行があった、とN氏。いつもお一人でダンディなブレザーの胸ポケットには素敵なハンケチ。世田谷は等々力のお住まいから「自動車を雇って」成田に向い、ホ テルはマンダリン常宿、手持ちのトランクも年代物と全てに紳士的。戦前、当時の香港日本人小学校に学び、満州事変からは香港でも反日感情高まり下校の際に 地元の子に石を投げられるなどひどい目にあった、とN氏。日本が中国で「ひどい事」をして日本は何ら被害もなく香港で日本人の子がその竹篦返しを喰らう。 今になって思うと満州事変からの情勢不穏な折に小学生が香港で一人で学校から帰宅の途についていた、というのだから、それが、当時は日本人にとって満州事 変からの中国侵略がけしてそれほど深刻なものとは認識されていなかったことの証左、とN氏と語る。香港に於いてすらそうだったのだから日本国内での認識な ど言わずもがな。
▼廈門大学が経営学などの学生にゴルフ必修とした愚行について先日綴ったが海南島は観光客誘致のためゴルフ場を現在ある18ヶ所から今後5年以内に20ヶ 所更に増やす計画。島じゅうゴルフ場になりそうだが、それでも島面積3.9万平方キロに38ヶ所だと1,026平方キロつまり32km四方に1ヶ所という ことになり、成田に到着する飛行機から眺める千葉県(5,156平方キロ)の実に154ヶ所のゴルフ場、33平方キロつまり5.8km四方に1ヶ所!って ほとんどゴルフ場以外に何があるの?に比べるとまだマシか。いずれにせよゴルフに興味ないものには地球の環境破壊以外の何ものでもなし。
▼まさに満を持して、と言うべき哉、信報にて林行止氏がThomas Friedmanについての追悼を語り始める。朝日新聞(経済面)のFriedman追悼記事が
チリの有力紙メルクリオ(電子版)は、「彼(フリードマン)の思想 の多くが米国よりチリで先に具体化され、成功を収めた」というエコノミストの言葉を紹介した。チリでは、アジェンデ社会主義政権をピノチェト氏が73年の クーデターで打倒。経済の混乱収拾に向け、フリードマン氏の下で学んだ経済学者たちを重用した。「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた彼らは民営化と外資導入を 推進し、インフレ抑制と経済回復を果たした。ただ一方で、貧富格差が広まり、失業率も上昇したとされる。
などとアジェンデ社会主義政権で疲労した国家をピノチェト大統領が建て直し経済が持ち直した、とピノチェト体制の讃美で無節操に宣ってみせたことは十八日 の日剰に綴ったが、林行止氏も昨日の専欄でこのフリードマンの教え子たちによる智利の経済改革を取上げ、経済改革成功というが、その陰で智利の失業率は 1973年の9%がピノチェト軍事政権成立後の75年には19%に上昇、前年比の生産力は13%下落。77年のGDPが前年比8%上昇見せたことでフリー ドマンは当時ですら独裁者として悪名高かったピノチェトだが「ピノチェト政権で智利は奇跡的な経済復興遂げた」と宣ってみせたが82年には失業率が最高 34.6%にまで達し生産力28%減(前年比)、83年のGDPが前年比19%減と低迷。70年に貧困層は国民の2割だったものがフリードマン改革の結 果、90年には貧困層が国民の4割にまで増加。逆に70年に人口の上層2割が国の45%の財産占有していたものが89年には55%となり特権階級と資本 家、それに対する貧困層の貧富の格差大きくなったことだけが結果として残る、と林行止氏はフリードマン経済学がいかに優れていようが実態として智利のピノ チェト独裁に加担することで富む物を富ませただけで終わったこと厳しく糾弾。今日の続編では、フリードマンの強調した貨幣供給が経済発展とインフレに与え る影響について述べる。貨幣供給の制限と高金利政策によるインフレ抑制が70年代から効力発揮したが90年代中頃になりその抑制力弱まったのはフリードマ ンの「貨幣が全てを決める」貨幣崇高主義が間違っていたのではなく東側共産主義の崩壊や社会主義国家の資本主義化により生産力(低い人件費など含め)が現 われ西側国家がインフレなどのコントロール能力を失ったもの、と指摘。この連載、まだまだ続くそうで話はフリードマンが経済学と経済政策に与えた貢献につ いて述べる、と言う。

十一月廿七日(月)2006年11月27日という、世間にとっては何でもないこの日が、競馬関係者にとってもジャパンカップの翌日、程度の日が北海道のば んえい競馬にとってはとても深刻な一日であったりする(斉藤さんの日記、こ ちら)。Kennedy Rdの香港設計中心にて新嘉坡のLeslie Keeなる写真家(見た目はほとんど田代まさし)がアジア各地の芸人やスポーツ選手だの所謂スター集めて撮った写真の展覧Super Stars参観。収 益は慈善事業に寄付だかだそうで著名スターがかなり大胆なヌードなど披露し東京でもつい最近、表参道ヒルズで展覧の由。日本では千五百円だかの入場料で香 港は無料。而もKennedy Rdのかなりアクセスの悪い場所ゆゑ平日など会場は数人の参観者のみ。まぁ芸人の脱いでなんぼ、の芸人根性とにいい意味で脱帽。ちなみにこの香港設計中心 が近いうちに九龍に移転。此の洋館が前行政長官・董建華君の官邸?になるそうな。無駄。ところで墓地の鳥瞰写真はHappy ValleyのParsee Cemeteryはあまり人目に触れぬ場所。白黒写真の、墓地の石碑の写真は香港(紅毛)墳墓(HK Cemetery)もの。Parseeとはペルシア系のゾロアスター教徒で香港にはかなり長い足跡あり。晩に自宅でパスタ食してGeorges Duboeuf Morgonの04年飲む。食後Dalmoreをロックで飲む。栓が多少緩かったが数ヶ月そのままにしていたらモルトが梅酒のような味になる。それはそれ で愉快。モルトといえば先週の週刊文春に保存版「シングルモルトウイスキーを知る、飲む、愉しむ」なる、明らかにサントリー提供の提灯特集あり。ウイス キーの「飲み方」は きちんと基本押えており、ロックの場合、まず氷を水でリンスして水を捨て氷を〆てから酒を注ぐことや水割りで氷たっぷりに酒を注ぎ十分にステアしてから天 然水を入れること(ハイボールもほぼ同じだがサントリーが供するThe Premium Sodaなるソーダ水はちょっと使ってみたい)、ブレンダーが原酒テイスティングする際の1:1の(当然、氷なし)Twice Upにまで言及しているのは立派。
▼十八日の蘋果日報に経済評論で著名なる楊懷康氏(壹週刊社長)がMilton Friedman氏追悼の記事を書いているのが興味深い。フリードマンが香港の政経に関わった切掛けとなったのは1955年の印度訪問からの旅で香港に寄 港したもの。この時に香港政庁の経済担当高官であったJohn Cowperthwaiteと出会い、Cowperthwaite氏はその後60年代に香港のFinancial Secretaryとなり、香港経済の飛躍的発展と生産力、貿易量増大の中で香港型自由主義市場経済の推進役として活躍。香港に立ち寄った Friedmanは、自らが貨幣問題の専門家でありながら当時の香港の通貨政策が今ひとつ解せず米国総領事館の経済担当領事やCitibank、HSBC の専門家に尋ねるがそれでも答えが出ず。でCowperthwaiteに「HSBCの専門家ですら香港ドルの発券の仕組みがよくわかっていないようだ」と 香港の通貨政策を質すとCowperthwaite曰く「奴らに絶対にそんなこと解らせないほうがいい。せっかく上手くいっているのを奴らが壊すことにな る」と言ったという(笑)。戦後の英国は労働党が政権を握り市場主義信奉する近経のエコノミストらは活躍の場を求め植民地香港へとやって来る。 Cowperthwaiteもまさにその一人。今年の一月にCowperthwaiteも逝去。91歳。
▼小泉三世に比べ安倍某は話題性乏し。首相官邸への引越も朝日で社会面のベタ記事。辛うじて一段幅45mmの写真あり「引越にあたって首相はこの日、都内 で工具セット、文房具などを購入」とおざなり。工具セット買い求めるのはいいが首相官邸という公共施設にかってにネジなど刺さぬようお願いしたいとこ ろ……くらいしかツッコミも話題もないわけで、これじゃ谷山浩子のオールナイトニッポン(木曜深夜27時〜、ビートたけしが当時1部)ですら葉書に書いて も話題にすらならなかったでしょう。

十一月廿六日(日)さすがに夜明け頃に目覚めもせずものの七時すぎに起きて明太子と納豆で朝餉。午前、月曜より溜まった新聞読む。昼前に出街。尖沙咀に渡 り香港芸術館で「似 與不似」遼寧省博物館蔵齊白石精品の美術展観る。本 日が最終日。「似與不似」とは齊白石の文人画を見事に言い表したさすがに上手い名づけ。今朝読んだ廿三日の信報に、日本では長崎剣術美術館の西班牙絵画 (須磨コレクション)くらいでしか注目されぬ伝奇的御仁、須磨彌吉郎(1892〜1970)が西班牙公使となる以前の1927年から37年にかけての足掛 け11年、外交官として中国に駐在し齊白石と出会い海外に齊白石の文人画をば紹介するに到る話あり。彌吉郎が白石に出会う切掛けは1928年に北京の日本 人倶楽部で挙行された齊白石の個展の由。そこで白石の「松堂朝日圖」を購った彌吉郎はその日の日記に「絵図中の朝日、家屋、松……それぞれは子供の描いた 絵のようだが全体の雰囲気は何とも言えぬ感動を覚える」といった感想あり。彌吉郎は白石の作品を蒐集し始め1929年の正月には彌吉郎は白石の自宅を訪れ るほど昵懇の間柄となる。須磨は1930年に広東領事となり33年に南京領事となるが37年渡米し40年から西班牙特命全権公使。欧州にてもピカソやマ ティスにまで齊白石の名が知れ渡ったのは須磨彌吉郎の業績という。戦後、A級戦犯の一人に挙げられたが釈放され衆議院議員になった須磨は1954年に超党 派の訪中団の一人として中国に渡り齊白石と再会。この年、白石九十四歳。彌吉郎に山水画「水連天」と篆刻家・姚華の「四君子圖」を贈った由。彌吉郎の白石 のコレクションは1973年に当時の香港博物美術館にて齊白石展で公開されたという。余は文人画の良さが殆どわからぬが何事も勉 強、そして何より齊白石の篆刻を一目みたいと今日の展覧千秋楽に駆けつけた次第。同芸術館にて巴里のポ ンピドーセンターのマスターピースコレクションがやってきて展覧会開催中。それも観る。モデルを描いた絵画ばかり彙める。警備員のほうが観衆より 多い? 何よりもピカソのHarelquinの闘牛士の肖像が、その細かい線の一本一本までけして無駄がなく見事で見入る。中環に渡り擺花街の懇意にする カメラ屋に寄る。先日放出のカメラ関係の周辺アクセサリー届ける。代りにというわけじゃないが49mmのレンズフィルターいただく。二時間こってりと按 摩。ジャパンカップはディープインパクト見事な勝利をテレビ中継で見る。この馬が強いのはわかるが全盛のうちに引退というような態度がどうも癪に障りハー ツクライとOuija Boardに賭けて負ける。Quarry Bayの行列のできる粥店、金龍にて及第粥、痩肉皮蛋粥を購い帰宅。机まわりの雑事片づけ晩に粥を 食す。
▼余はブルグミュラーを呪う。耳を澄ますとマンションの階上か、そして少し離れた棟か、何処からともなくブルグミュラーの「25の練習曲から第20番 op.100-20」って、よーするにタランテラが聞こえてくる。あの早いテンポで延々と一時間も繰り返されると不愉快極まりなし。ブルグミュラーを呪 う、というより正確には香港のナントカメソッドという英国系のピアノの級認定試験のある所為で、何年か土味噌から勉強した子どもらが中級の入るくらいの、 いわば彼ら彼女らにしてみればかなり大切な級にこのタランテラがあるらしく、だが本当のピアノのテクニックなど関係なく、よーするにタランテラが弾ければ いい、という安易な試験。で「ピアノ技能の普及」なんてお題目で結局は試験主催者側が儲かるばかり。
▼歩きながらとか地下鉄のなかで脇目も振らずに没頭して読まれている、そういう本の十中八九は間違いなく金庸の武侠小説。今朝もマンションのエレベータに 乗ってきた十二、三歳の子が読み耽る姿勢と、本の厚さで「あ、また金庸」と思ったが、やはり。余は金庸も池波正太郎、藤澤周平も読めぬので武侠小説のどこ がそんなに面白いのか全くわからぬ。
▼二十日のSCMP紙に政治面担当のGary Cheung氏の“The secret handover”という興味深い記事あり。香港の中国への返還というと1984年の中英合意がまず思いつくが更に遡れば1979年に香港総督 MacLehose卿が香港総督として初めて中共訪れた際に鄧小平から香港返還に関して香港の繁栄を寧ろ中国に反映させる中共側の実務的な感触得たこと で、これが英国側に香港返還を決意させた起点のように思われているが、実は今回公開された英国政府の機密文書によれば1969年にすでに英国側は新界の租 借期限である1997年に中国側が断固として香港奪回をする決意堅きことを弁え平和裡に香港返還する決意をもっていた、と。ただし1969年は文革もまだ 収拾されず香港も1967年の反英暴動からの社会的安定が立ち直っておらず、中国側との香港返還交渉は未だ時期尚早として80年代に入ってから、とされ た、という。それが鄧小平の登場で一気に70年代末にそれが現実となる。でMacLehoseの70年代の香港は社会的インフラ整備が飛躍的に整備され新 界開発など着手されたことで有名。それも実は、英国の香港統治にとって尤も面倒なのは香港での代議制の実施であり、MacLehose卿の言によれば「共 産主義者が政治を掌握せば香港の末路であり、ナショナリスト(当時は反共主義者を指す)が勝てば共産党が介入する口実を与えることになる」もので、そう いった代議制を実施せぬためには政庁の積極的な民生改善こそ重要。而も香港の中国への返還が決定すればカナダなど欧米系各国への移民が大挙して発生するこ とも明らかで、英国は中国に「繁栄した香港」の返還をするためには香港市民が香港を捨てぬだけの安定が必要であり(その点での中英合意)、 MacLehose卿の社会改革もそういった意図に則したもの。
▼満鉄について。地平線に沈む夕陽、特急アジア号……と満鉄は大陸のロマンとして語られる。満鉄設立から百年。日本での関連行事に比べ現地は静かで朝日の 記者が当時、満鉄で機関士であった81歳の老人のを取材したものが興味深い(朝日11月26日、水平線「満鉄」古谷浩一)。「当初、日本人職員との関係は よく、中国人でも機関士として尊重される雰囲気があった」ものが戦争の激化とともに43年ごろから変わり日本人職員が中国人を殴るようになり差別が残酷 だった、と云う。中国人職員が数名で集まり話しているだけで思想犯と疑われ、機関士として車両の暖房の故障を担当の日本人副機関士に注意したところ殴ら れ、上司にはその副機関士に謝罪しろ、と迫られる。よく「満鉄は中国東北地方のインフラ整備に大きな貢献をした」と言われるが、終戦の頃、或る日本人は 「おまえら中国人は何もできない。30年後におれたちがまた戻ってきてやるよ」と言ったそうな。週刊新潮や諸君なら「そらみたことか満鉄マンの言った通 り」と言うのだろうが、この言葉に結局は黄土建設だの五族共和だの嘘っぱちであったことの嘘だけは確か。

十一月廿五日(土)朝七時頃に雨音で目覚める。朝寝貪りたきところ日本より大先輩方来港中にて喜寿の方が実に三十五年ぶりにご来港では歓待する側も嬉しき もの。Z嬢と尖沙咀東の宿に皆さまお迎えにあがりタクシーで尖沙咀。幸いに雨歇む。総勢十二名にて艇船一艘雇い船に遊ぶ。西 九龍の埋立地眺めつつ佐敦フェリーの話、舊英海軍の軍港で今では九龍半島より地続きのStonecutters島に戦時の日本軍兵の遺骨収拾のこと、世界 一の規模である香港コンテナターミナルを眺め青衣の島を巻いて汀九橋潜り青馬大橋の橋桁の如き馬湾の島に上がる。もう何年前かZ嬢と、青馬大橋が出来て馬 湾の島に珀麗湾(Park Island)なるマンション群の工事始まる頃に一度この島訪れる。深井より渡し船あり。島の古くからの村は賑わうが島の反対側ではマンション群建設のた め巨大な規模で地盤工事の最中。それから何年の年月か、本日、埠頭から上がれば集落にはわずか数軒に人が住まうのみで、過密に空家並び何れの家屋も政府に よる接収と管理下にあるという札かかる。廃墟マニアには垂涎の島の集落となる日も近い。此処にテーマパーク建設計画もある由。小高い丘に上がると美經援村 (CARE Village)という何らかの財政的公共支援受けた小さな集落あり数世帯が住まう。嶺南様式の小学校舎版とでもいおうか芳 園学校舊祉も近くまでマンションなどの造成進み、どうやら校舎自身の解体こそ免れた模様。人の住まぬ集落の大通り抜けて波止場に戻り再び乗船。ラ ンタオ島の東南をぐるりと回り、此処もいずれの日か廃墟となるのであろうか香港鼠楽園を遠くから眺める。巨大なホテルと中国からの旅行者期待の合宿所の如 き安ホテル、遠くに粗末なシンデレラ城。長州島に上る。海より波止場に向い右手に旅行者相手の海鮮料理屋並ぶが雇った船頭に「左のほうに行けば安い料理屋 ある」と聞き北帝廟の方に歩き地元の客で賑わう料理屋に入る。お決まりで白灼蝦だの、浅蜊、烏賊、石班など食すが長州島にはまずおらぬであろう羊の南肉鍋 が、これが実に美味。十品ほど注文し麦酒も数本飲んで十二人で八百ドル弱(一人千円)とかなり割安。公用除き自動車走らぬ長州島においてはベンツの三輪車 もあり。香港に戻り中環の皇后埠頭(ここもあとわずかで廃止か)で今晩より湾仔に泊まる客人下ろし尖沙咀にて解散。Z嬢がスターフェリーでまだ中環側の新 しい波止場迄渡ったことがない、と言うのでスターフェリーで中環。Z嬢もやはり「二度と乗るまい」の感。夕方遅く帰宅。ひやむぎを食す。昨日までの疲労感 と眠気でほとんど何もできず今日の写真を編み辛うじて日剰綴るのみ。

十一月廿四日(金)先週より多忙続き月曜より一切新聞も読んでおらず新聞分厚く溜まる。遅晩に体重測ると一週間で2kg減。
▼琉球舞踊の祝賀の舞「かぎやで風」観る。琉球に大陸から来たる冊封使と国王の御前にて舞われたという、ゆっくりとした調子の古い琉球の音色に合わせた恭 しき踊り。呼吸、風、荘厳さ。国家安泰、延命長寿、五穀豊穣の念を込む。が<国家>とは中世の琉球王国であり、日本ならさしずめ平安の京。国家安泰の念に 近代の偽造感じられず。話によれば1719年に尚敬王の御世、大陸からの冊封史迎えし式典の後の重陽の宴にて「老人祝聖の事」として演じられし記録あり、 のちに「かぎやで風」と歌曲の名が用いらたという。

十一月廿三日(木)廿年前の仙台住まいの頃の旧友K君ご夫妻で来港。昼にHappy Valleyの益新酒家に食す。二歳のお譲ちゃん幼気可愛らし。益 新の副給仕長曰くHappy Valleyのこの小さき食肆はそのまま山あいの高級住宅地Jardine's Lookoutに新たに食肆開業との由。かつて銅鑼湾Lee Theaterに益新在りし頃の料理人、給仕ら復た雇い舊肆にて評判の焼臘、殊に焼鴨、點心の類い供すると云う。まことに嬉しき話。諸事忙殺され遅晩に至 りと言いつつ、ちゃっかりEPSONのR-D1sを 入手。問題のレンズについては熟考の末とはいえぬ衝動買いでElmarit 28mm f2.8得る。二更に銅鑼湾のバーSに寄り一飲。Z 嬢来て酌す。

十一月廿二日(水)諸事忙殺され晩に至り帰宅して酒飲まず、で夕食。年にわずか数日の休刊日。深更まで仕事。ContaxのT2とG1、手放す決意。カメ ラを飾る趣味はなし。左の画像は銅鑼湾のヘネシーセンター解体工事。三越百貨店香港店、香港日本人倶楽部などこのビルに。見事な竹組み。T君撮影の写真借 用。
▼週刊文春も週刊新潮の前ではリベラルに思える、というくらい週刊新潮の論調は極端だがお粗末な文章もあり。毎日新聞の佐賀支局記者が県知事の記者会見で 天皇の「全国豊かな海づくり大会」への招聘につき県予算の無駄遣いと噛みついた、という話。記者の県知事に対するゾンザイな口の利き方が記者会見のネット 画像で見られ記者の不謹慎が話題になっている、という。それはいいのだが記者の履歴紹介に突然「今年、佐賀出身の日本人女性と結婚」とあり、そのあと知人 のコメントn「彼が生まれた村では在日朝鮮人の家は一軒だけ……」云々の話があり、どうやら、この記者が在日朝鮮人である、ということがようやく憶測され る。記事の文面ではこの記者が「礼儀知らず」「敬語知らず」と厳しく糾弾され在日であることは一切触れられず(そこで触れると差別、蔑視になるのだろう) さりげなく「今年、佐賀出身の日本人女性と結婚」でそれを臭わせ、知人のコメントで記者の出自に触れる、なんという卑怯さ。

十一月廿一日(火)東方日報に「幇弟弟入名校大家犠牲下父母逼兒子留級」と一面トップ記事。香港のラサール小学校で在校生の弟の場合(ここは男子校)、入 学試験で優先枠あり。長男が小6でこの学校に通う家庭で弟の入学図る際に兄が卒業してしまうと弟優先枠得られぬため(同校の中学部入学では弟の優先枠得ら れず)長男を無理矢理留年図る。世も末。下午下多雨。晩に大雨。「黄雲」の集中豪雨警報発令は観測史上11月では初の由。闇の中FCCに向おうとピーク近 く越えると突然雨歇み雲の絶間に見事なヴィクトリアハーバーの絶景。雨で汚れた空気流され遠くまで鮮明な夜景に見惚れる。FCCのラウンジでI氏と会い一飲。ダイニングルームに移り夕食。ワイ ン好きのI氏選んだ西班牙のJean Leonというシャルドネの赤葡 萄酒の2000年。「香りはいいですが、ちょっとまだ風味は固い、でもしばらくすると味がよくなりますよ」但しデカンタに空けるほどではない、とのご指 摘。料理に頼んだ鴨の腿肉の煮込み料理がワインにとてもよく合い、而もワインが本当に食後の頃には実にまろやかになり食後の飲み干しも実に心地よし。食後 に地下のジャズクラブでピアノとベースのデュオ聞きながらボムベイサファイアのジンを一杯飲み帰宅。
▼「また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし」(新約聖書ヨハネによる福音書8章32節)について。この言葉の揮毫「真理令爾得自由」が某 国立大学の図書館にあり。別に匿名にする必要もないが北海道のプロテスタントの学校といい「真理は人を自由にする」と謳う国会図書館といい、この国立大学 といい、そういう<自由>がすべて反体制のよからぬ扱い受けるような危機感がいまの教育基本法改正で愛国心強要の日本の空気。恐ろしいかぎり。でこの「真 理令爾得自由」はかつての最高裁判所長官、故・藤林益三元氏揮毫によるもの。もともとは藤林氏が関西の女学院に掲げられた「真理令爾得自由」 を見たもの、でこの女学院の揮毫は厳谷一六によるもの。
藤林益三(1907〜)京都府五ケ荘村田原生。弁護士。第7代最高裁判所長官。夫人は巖谷小波の末娘。昭和52年に勲一等旭日大綬章受章。
厳谷一六(1834〜1905)滋賀甲賀市出。官吏、政治家。中国の六朝風の書体をよくし、一六派ひらく明治三筆の一(一六の他に日下部鳴鶴、中林梧 竹)。巖谷小波の父。
というわけで一六は藤林氏の妻の祖父。
▼昨日ヤンキー先生の母校での学校存続の危機となったという大麻「事件」について綴ったが、ふと思ったのは「自殺しようと思った子どもたち」に鴻上氏の 「学校から逃げろ」もいいが、せめて15歳くらいから、なら「まぁ、大麻でも一服」も一興か、と思う。少し肩の荷をおろしてリラックス、で。
▼ヤンキー義家先生について、昨日、リベラルから体制派への「転向」と言うにもおこがましい「移動」について書いたが、これは何も考えていないから、なの か(本人はそうであるにしても)何か強い力が働いたのではないか、と憶測。話題性のあるキャラとはいえ、いきなり安倍三世の教育改革の目玉組織の中心に据 えるのはあまりに大胆(小泉内閣でのお猪口大臣の比でなし)。例えば与党内(公明党を含む)での強い推薦であるとか、ヤンキー先生を与党側に惹きつけたと ころにヤンキー先生もころっと転ぶようなかなり威厳ある人物が直接会って一本釣りした、とか。「偉い人に弱い」のがヤンキーの習性。偉い、といっても単に 組織のトップとか肩書とか、だが。
▼遺した芸談集で貴重な歌舞伎の尾上多賀之丞が日経の「私の履歴書」で昔「脇役がもっと恵まれないと、脇役をやる役者が出てこなくなってしまう」と語った 一言について、今になって、の面白い話を聞く。

十一月廿日(月)四国松山の山田屋まんじゅう、を頬張る。美 味。晩にAberdeen(と聞くとどうもYellow Magic Orchestraを思い出してしまうのだが)香港仔の某所で開催された某パーティで末席を汚す。パーティ苦手で同行の氏2名と途中で遁走。Happy Valleyの寿司澄に食す。銅鑼湾に参りバーSに一飲。
▼安倍三世の教育再生会議で担当室長まで兼任するヤンキー義家弘介先生、かつては岩波『世界』などで国家権力による国旗国歌の押し付けに反対するような論 調張っていたが今ではすっかり体制側。いじめ問題への対応に国の関与が必要との認識示し、産経新聞の取材に「教育委員会と教職員組合がなれないになってい るのは健全ではない。教育委員会からいじめによる自殺が7年間ゼロという誰も信じない報告が上がってきても国は事実上何もできない。国がマニフェストを出 させて(教育委員会から?)いい教育委員会を支援すべきだ」と宣われるのだが、義家先生にはまず、現行の教育委員会制度がどう民選制から任命制となったの か経緯を勉強していただきたいところ。また境域基本法改正反対などこれまでの論調を質されると
私が勤めていた北星学園余市高はそういう傾向の学校だ。しかし、い ろいろな人と出会って疑問が出てきた。自由も権利も個性も、教育のスタートではなく結果だ。教育基本法を変えることで意識を変えるきっかけになる。それ に、現行の基本法には家庭の責任が書かれていない。(国旗国歌の指導については)生徒に校内規則を順守させているのに、教師が学習指導要領に従わないのは おかしい。国旗国歌を教えるのは思想信条ではなく教育者としての責任だと、今は思う。
と。あのリベラルな主張は結局、自分自身の声ではなく所属校のカラーだったとは(嗤)。赤い水に泳げば赤く染まり青い水なら青く染まる、という、これは思 想的「転向」以前のことか。国家と社会の規則である法律に、なぜ<家族>のことが謳われないといけないのか、法律がなぜ家族の範疇に可侵できるのか、基本 的な法の知識もこの先生には欠如。国旗国歌については国旗国歌法制定時に小渕さんが「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えており ません」と強調。最高法規たる憲法で思想信条の自由が謳われており、陛下の言われる通り「強制はよくない」の御言葉その一言に尽きる。であるから、それを そんな勝手に「教育者としての責任」なんて安易な妄想にて強制されては困る。また愛国心については
教育は「大切なものは何か」を示すことからしか始まらない。それは 学校であり地域であり国だ。いじめが放置され、子供の安心、安全がおびやかされていては、子供たちに帰属意識は生まれない。そのためにも、いじめをなくさ なければならない。
と宣われる。まるで本末転倒な認識。大切なものは何か。それは<己>、自分自身という個人。ヤンキー先生、たしか以前は「自分を大切に」とかおっしゃって いなかったか。大切なのは自分自身であり、その自分自身を守るために地域や社会があるはず(本来は)。帰属意識など、その地域や社会を維持するために「自 分もその構成員である」というお約束事のために必要なだけのもの。帰属意識がなくても生きていけるなら、それはそれでよい。こんなレベルの人が教育者とし てチヤホヤされるのだから呆れるばかり。
▼札幌の中学生が教育基本法改正案について阿倍三世に反対の声明文送ったところ「匿名の大人」から抗議文届く。この中学生らは自分たちで考えた結果(それ が偏向教育だ、と指摘されるのだろうが)教育基本法改正は「愛国心を国民に強制するものだ」との結論に至り阿倍三世に手紙を送った由。
自分の国を大切にというのはいいが、間違った方向に進んでいるん じゃないか。改正反対の人はしょうがないと思っている。動かないとこのままですよね。
とこれくらい思考回路の開いていることは15歳に頼もしさすら感じるが、この少女に対して「安倍首相の送った中学生の意見書は何だ?、お前ら、学校で何を 教えているんだ」とこの中学生の学ぶ学校に匿名のメール。その学校の教頭曰く「生徒が自分で関心を持って意見を表明したのは素晴らしい。いろいろな意見を 封じ込める残念な反響だ」。愛国心の強制どころか自由な言論すら封殺するが如き風潮(道 新記事)。ちなみにこの学校、ヤンキー先生が教鞭とった学校と同じ学校法人に属すプロテスタント校。高校時代に暴力事件起こし高校を放逐され親に 絶遠されたヤンキー先生を救った母校を含め、この学校法人はもはや「偏向教育の拠点校」の如き色眼鏡で見られるのであろう。ヤンキー義家氏はその高校卒業 後、やはり数少ないリベラルな校風誇る明治学院大学に入学。大学3年の時にだかオートバイ事故で内臓破裂。生死の境を彷徨うが恩師の「おまえは俺の夢なん だ」という励ましに感動し奇跡的に一命をとりとめた、というような美談もあり。その後、母校に教鞭をとり担任した学年で大麻吸引「事件」などで大量逮捕者 出し(べつに大したことぢゃない)学校存続の危機に陥るが見事に生徒ら更生させヤンキー先生の名が全国に広まる。自意識過剰がかなり強いことだけは明らか なヤンキー先生。母校カラーの強い反体制的なヤンキー先生を取り込み手懐けた自民党政府は見事という他なし。もう一度、この学園の教育理念をよく読んでみ たい。
本学は、プロテスタンティズムを建学の精神とする(略)。(略)基 本は知的誠実である。それは、神の前で自己や自国を相対化し、謙虚に学びつづける姿勢である。「神を畏れることは知識の初めである」(旧約聖書:箴言1章 7節)。自他の人格の尊厳を知り、人間を何かの手段と見ないキリスト教的価値観が、本学の営みの根底に潜む。見識を備え責任を自覚し、社会に貢献する独立 人を養成することが、本学の目標である。それは、抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ、内外のあらゆる人を隣人と見る開 かれた人間である。そういう意味での自由を本学は目指している。
と。まさに個人の尊厳、自立の大切さ。そしてそれを維持するための自由。学園長先生は新約聖書ヨハネによる福音書8章32節を引く。
また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。

十一月十九日(日)朝日の読書欄で陣内秀信氏が(この陣内書評の隣にある高原明生先生の米国の中国本の評論も面白いが)元田與市『日本的エロティシズムの 眺望』という本を紹介。極端に例を出せば、前近代の日本では女性の乳房は男にとってエロティックではなかった、と。それが性的な視線になるのは近代を迎え る頃の西洋への憧れ、とする。元来、女性の表情や容姿、浮世絵に見られる脹脛や太股の一部のチラリズムや近松の曾根崎心中で人形浄瑠璃で男の人形の手が女 の人形の素足や肌を触れる、そのあたりにあるエロティシズム、と言う。風邪からだいぶ回復したが頭痛と喉の痛み残り午前中大人しく養生。昼すぎに尖沙咀。 香港芸術館で中国の20世紀、恐らく最期の文人画家であろう齊白石の作品展(遼寧省博物館収蔵品)開催中で、それを見るつもりがのんびりと隧道バスなど 乗ったら意外と時間要してしまい(新聞に目を通すにはよかったが)じゅうぶんな時間なく齊白石は断念。それにしても大気汚染厳重。風邪っぴきでマスクして いたからいいようなものの、ちょっと歩くのは躊躇うほど。ぶらぶらとカメラ屋など覗きながら漫ろ歩く。ラ イカのM8までは要らぬ、EpsonのR-D1sでライカレンズがいくつかあれば後生何も欲しくないなぁと思う。今日も午前中、書斎で書棚に並んだカメラ を眺めがならフィルムカメラをデジタルの時代だからこそ愛着もって使おう、と思っているのに全く使わずにいて、このままではカメラ本体は劣化しレンズにカ ビがはえるのは必至。それならいっそのこと全部処分もあり?などと考えた次第。薮用あり金鐘。久々に競馬の話題。今日は沙田で12月の香港国際レースの前 哨戦となるスプリントとマイルの予選あり(いずれも地場G2)。午後薮用あり中継すら見られず。結果、スプリントは馬主W氏のSunny Sing(新升力)に全力投球したが6着(Silent Witnessは4位同着で優勝はAble Prince)。で悔しい結果は珍しく三連単など買いましたマイル予選。一番人気のArmada(好利威)の勝ちは堅いと軸にして実は狙いはSir Ernesto(小武士、10倍)とThe Duke(星運爵士、16倍)を2、3着の脚にした2点買い。結果、Armadaで2着にやっぱりまだ確実2着でThe Duke、でSir Ernestoが3着に入れば「やったねライカ」の500倍?のはずが2番人気のFloral Pegasus(俊歓騰、4.1倍)がSir Ernestoと1/4馬身差で3着に食い込んでしまい「ありがち」な負け、の結果。ライカ、とまでは言わぬがEpsonのR-D1sへの道も遠い。夕方 遅くHollywood Rdの懇意にするカメラ屋に寄る。銀塩カメラの中古機下取り価格がわずか一年前より激安というか、もはやタダ同然となっていることを知る。カメラ屋のご主 人曰く下取りしたところで放出された銀塩カメラ溢れてしまいどんなに安くしても売れぬ、と。御意。擺花街でばったり遭遇したのはカナダ人のE君。香港でも 屈指のおしゃべりで遭ったら最期、半時間は立ち話は覚悟。それも「ちょっと此処ぢゃ何だから」とエスカレータ下の階段横の植え込み花壇に腰かけ「蜘蛛女の キス」のモリーナの如くジェスチャアたっぷりに話し始め、余はバレンティンほどにも話せず、ただ間の手を入れる聞き役となる。ただ無駄話ではなく一つの話 題で饒舌に物語るから聞いてタメになる話も多く今日の話題はカナダの年金制度について。老後は日本に帰るの?というちょっとした問いに「帰らないだろう」 と答えると「年金は?」「国民年金も入ってないし貰えるはずもない」からアトは延々とカナダのお話でカナダの場合、所得や年金累積積立額により年金給付額 に多い少ない、はあるが基本的に国民は全員、年金の対象である、と。日本はおかしい、年金がもらえることは国民の権利であり、その義務を行使しない政府を なぜ支持できる?、とE君。御意。だが(珍しく日本政府の肩を持つが)税率は所得税が収入の4割強のカナダと日本を比べられぬし、日本の老齢化は深刻で若 年層の移民など多いカナダとは違う現実がある、カナダも将来のことは約束できぬのでは?と問うと、E君の話では確かに若者の老後までは確実な保証はないが 現在40代まではまだ確実だと言う。でなければ誰が年金積立どころか税金を払おうか、と。国家、政府とは、ここまで国民が「使ってナンボ」のもの。「使わ れてナンボ」ぢゃない。それにしても十数年前なら蘭桂坊のディスコだのでばったり遭ったE君と立ち話で老後と年金が話題とは……。帰宅して晩におでん。
▼越南河内で開催仲のAPEC首脳会議。日中外相会談というとアジアの両大国の外交の華の如し。だが面子が麻生という「筑豊飯塚の若頭」と「山東省青島の 網元」の如き李肇星であるから、笑顔での握手はどう見ても山あいの畑地めぐる抗争での示談か手打ちにしか見えず。その李肇星外交部部長、記者団から新嘉坡 海峡時報記者で中国で身柄拘束されたままの香港人記者・程翔氏について質されると「誰是程翔?」と答え「那他是中国人還是外国人?」と逆に記者団に尋ねて みせる。唖然。

十一月十八日(土)風邪直らぬ。深圳に用事あり香港から直通のバス仕立て皇崗の境界越え深圳は宝安区の福永へ。工業都市建設ラッシュで殺伐たる風景。日系 某社の工場見学。実 に考えぬかれた組立ラインで河南、湖北、湖南、陜西省などから集まった千名超える平均二十歳の女性(7割)が精密機器の組立に従事。精緻なる工程を寡黙に 唖然とするほどの素早さで作業する態に言葉もなし。器用さ、そして何よりも視力が抜群でゼロコンマ単位の精密作業を裸眼でこなす。日本人は細かい作業に向 いて勤勉? 工場の責任者の方の話では同じ工程をそのスピードでこなすことは日本では不可能だそうで、この工場の生産製品は実は日本でも全く手をつけてお らぬ会社にとっての新機軸商品で、それが最初から深圳のこの地で生産されている現実。昼に柴火酒家なる湖南料理の食肆に食す。美味。東莞、深圳で 手広く展開の、このテの飲食店は数限りなし。深圳というと重慶火鍋の印象強烈だが湖南省出身者などかなり多いわけで湖南料理も深圳らしさ。午後、香港に戻 る。風邪からだいぶ回復。帰宅して夕方にハイボール飲む。風邪の時にハイボールがいい、と誰だかも言っていた。Z嬢が湾仔の靠得住のお粥買ってきてくれて夕餉。風邪治すために寝入る。
▼Milton Friedman逝去につき日本の新聞の経済面の記事。フリードマンの経済思想が世界に大きな影響与えた、という要旨で、一つの例として南米智利を取上げ る。
チリの有力紙メルクリオ(電子版)は、「彼(フリードマン)の思想 の多くが米国よりチリで先に具体化され、成功を収めた」というエコノミストの言葉を紹介した。チリでは、アジェンデ社会主義政権をピノチェト氏が73年の クーデターで打倒。経済の混乱収拾に向け、フリードマン氏の下で学んだ経済学者たちを重用した。「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた彼らは民営化と外資導入を 推進し、インフレ抑制と経済回復を果たした。ただ一方で、貧富格差が広まり、失業率も上昇したとされる。
と。一読してアジェンデ社会主義政権で疲労した国家をピノチェト大統領が建て直し経済が持ち直した、とまるでピノチェト体制の讃美。「民営化と外資導入を 推進し、インフレ抑制と経済回復を果たした」という功績の断定に比べ、負の側面は貧富格差が広まり、失業率も上昇した「とされる」と婉曲な表現にも表れ る。一瞬、産経新聞のようだが、これが朝日新聞。
▼いじめ、について大人の大きな反響はちょっと変、と思う。朝日の「いじめられている君へ」なんて一面の最近の連載も読まないようにしているが鴻上尚史氏 が「死なないで逃げて逃げて」と題して書いていたのをふと読んでしまう。
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていい のです。あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はあり ません。(略)だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さ な村か南の島かもしれませんが、きっとあります。蹼は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
と。ふと、香港もそんな南の島なのかも知れない、と思う。

十一月十七日(金)明日迄だか香港の独逸麦酒祭で今晩はランニングクラブでこ の麦酒祭で飲もうと約束。私自身が風邪で最悪だが今晩は幹事役のお約束で席取りして麦酒飲みつつ新聞読みでじんまりと皆さんの来場待つ。日本から偶然に今 日出張中のT君が参加。つい数ヶ月前にT君夫妻とあちこち食べ歩いたのも懐かしい。皆さん揃ったところで先に失礼する。Ocean Terminalの入り口にかなりの人出で何かと思えば今晩から歳末のクリスマスの電飾が光る。異 教徒相手にかなりの盛況。モノは試しでスターフェリーで中環側の新しい波止場へ渡る。最悪な不便さ。自宅に戻るタクシーのメーター3つ分余計。つまり最低 600mはこれまでの波止場より遠くなったこと。帰宅して倒れるように寝込む。
▼シカゴ経済学の雄、廿世紀代表する経済学者のMilton Friedman氏逝去。享年九十四歳。老いても健筆衰えず僅か一ヶ月余前には香港の自称「政治家」Sir Donald行政長官が施政方針演説にて香港政府に積極不干渉(laissez-faire)政策なき旨の発言に対してFriedman氏はこれを香港の 繁栄を滅ぼすと苦言(こ ちら、詳細は十月廿七日の日剰にあり)。思考は活発なまま、ただ心臓が止まった、か。大往生。それにしても二十世紀最大の経済学者に最期の最期で 罵声浴びせられしSir Donald、そしてFriedman氏を恩師と仰ぎFriedmanに続くノーベル経済学賞も期待された張五常教授は「逃亡先の」中国国内で何を思う か。恩師の葬儀といえども国際指名手配中では米国の土は踏めず。

十一月十六日(木)珍しく午前1時半すぎまで『モンテクリスト伯』読んでいたのに5時半に起床。風邪の諸症状であまり熟睡できず。朝日新聞朝刊一面トップ に「教育基本法改正案可決」の見出し。否応なく眠気から覚める。読売は和歌山県知事逮捕が一面トップ。教育基本法審議については社説で「野党の反対はこじ づけだ」と相変わらず節操なし。朝日の社説「教育基本法 この採決は禍根を残す」は今ひとつ論点定まっておらぬが「成立を急ぐあまり、肝心の国民が置き去 りにされる」としているのに対して、昨日の産経抄は「教育基本法改正については、すでに国民の間で議論が煮詰まっている」とまで言い切ってみせる。詭弁。 今朝の産経(社説)は「この改正案は戦後教育の歪みを正し、教育の主導権を国民の手に取り戻す意味合いがある。与党単独の採決になったが、やむを得ない」 と不見識。今朝のNHKの「おはよう日本」は和歌山県知事逮捕、続いて職業野球松坂投手米リーグ入り(朝日は「レッドソックスが落札」って、野球選手は 「物」か、否定できず)、津波予測に続きようやく教育基本法改正に触れるが主眼はあくまで「与野党対立続く」にすぎず。メールでは朝6時発(香港午前5 時)で安倍三世のメールマガジンは当然の如く教育基本法について。
国会では教育基本法改正案の審議が行われています。今なぜ、教育基 本法を改正する必要があるのか、私の考えを改めてご説明したいと思います。
現在の教育基本法が制定されてから半世紀以上が経過しました。
戦後教育は、機会均等という理念のもとで国民の教育水準を向上さ せ、戦後の経済発展を支えてきました。また、個人の権利や自由、民主主義や平和主義といった理念についての教育も行われてきました。
しかし、他方で、道徳や倫理観、そして、自律の精神といったものに ついての教育はおろそかになっていた点はやはり否めません。
現在、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低 下といった問題が指摘されています。こうした中で、いじめ問題や未履修問題が相次いで表面化し、子供たちも保護者の皆さんも不安を抱き、教育再生の必要性 をさらに強く感じているのではないでしょうか。
海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなく てもそうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を身につけさせることが必要です。
さらに、利益にならなくても、海に捨てられた空き缶を見つければ 拾ってゴミ箱に捨てる、といった公共の精神を培っていくことも必要だと思います。
教育は学校だけで全うできるものではありません。道徳を学び、自分 を律し、人を思いやる心は、家庭や地域社会の中で人と人のふれあいを通して醸成されるものです。
こうした教育に対する基本的な考え方や価値観を、まずはみんなで共 有することが大切なのではないでしょうか。毎日様々な問題が発生し、教育のあり方に対する危機感が広く共有されつつある今こそ、家庭が、地域が、学校が、 そして一人一人が、自ら何ができるかを考え、自覚することが教育再生の第一歩であると考えています。
これが新しい教育基本法の意味なのです。最近起こっている問題に対 応していくために必要な理念や原則は、政府の改正案にすべて書き込んであると思っています。公教育の再生や教育委員会のあり方など、具体的な教育政策を今 後検討する上でも、一刻も早い改正案の成立を願っています。
と安倍三世。現行の教育基本法で何故に道徳や倫理観、自立の精神が教えられないのか。教育基本法改正すれば空き缶を捨てる子が減るとはお嗤い。もし改正し て子どもの道徳や倫理観念が向上しない場合、誰がどう責任をとるのか。それにしても小泉三世の郵政選挙などにまんまと騙され時流に乗り自民&公明での多数 議席を与えてしまったのが国民。南無阿弥。個人の社会性に起因する事象であるはずの「いじめ」が学校の問題、教育改革や基本法改正のきっかけとして語られ ていることにつき月本さんが書いている(こちら)。 諸事忙殺され晩にわずかな時間に銅鑼湾。Times SquareにあるBOSEの出店に寄る。ノイズ消去型ヘッドフォン(Quiet Comfort 2)の耳当て部分が劣化したので、そのパーツ入手のためだが、すでに新型の軽量型Quiet Comfort 3も発売中。BOSE初のイヤフォンも少 し食指動く。旭屋でアサヒカメラ12月号受け取り。ライカのM8の評判が前月のライカのMシリーズでデジカメ?という懐疑から、デジタルでもやっぱりライ カならでは、のMシリーズ、という論調に変わる。まだまだ先の夢だが個人的にはEpsonのR-D1sでライカのMマウントレ ンズで遊べたら、が本望。湾仔はStewart Rdの泉記に 紫菜四寶河粉を食す。美味。晩の薮用済ますが風邪の諸症状ひどし。

十一月十五日(水)寝る間際ずっと『モンテクリスト伯』読んでいるつもりが全く進まず。たまに本を開いても筋すら漠然。登場人物が多く而も皆さん出自だの 昔の名前隠して巴里の上流階級でブリブリと振る舞うため誰だが誰だか。早朝、あらためて登場人物をまとめメモにする。昼に来港中のY君と一緒にHappy Valleyの譽満坊に食す。高級飲茶店として一斉風靡して 十数年。十年ぶりくらいに訪れたが店員は三流茶餐庁の如く弛れ、帳場や洗面所あたりは乱雑。これであの客単価?と呆れる。数ヶ月ぶりのまともな降雨。気温 下がる。風邪気味。Y君の泊まるIsland Shangri-la Hotelに寄る。香港のホテル料金高騰凄まじ。普通の海景の一部屋で一泊5万円強。佐敦の国貨・裕華百貨公司にY君の買い物付き合う。Y君と尖沙咀で別 れる。奇事あり。筆にすること能はず。早晩にZ嬢と落ち合い尖沙咀はAustin Avenueの北京水餃店に食す。餃子の美味さでは香港でも屈指。丁寧に拵えた、歯ご たえのある餃子の皮。肉と韮の飴も見事。店員らの話す北の方言もまた餃子を美味く感じさせる。科学館にて寺山修司映画特集も最後で短 編実験映画集その2。1977年に撮影された「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」「二頭女−映画の影」「消ゴム」「書見機」の5本。 アタクシには意味が全然わからぬ。実験映画というが77年といえば「ぴあ」が自主制作映画の登竜門となったぴあフィルムフェスティバルの前身たる「ぴあ 展」開催の年、と思うと「前衛」としては寺山修司が77年でこれ?と多少疑問もあり。映 画の技術的な実験性と美しさではずっと昔のコクトーがもっと優れる。但し寺山映画の一連の音楽担当したJ A シーザーに よる曲はいいのが多い、と思う。今晩で今回の寺山特集はお終い。「ボクサー」は見ず短編集その1見逃す。それにしても香港でこうして今回の寺山修司にせ よ、小津や溝口は当然のように、鈴木清順や今村昌平といった監督の映画特集で日本でなら絶対にこんなに沢山は見られないという数の映画見続けられるのは幸 せ。ところで(こんなこと誰も綴っておらぬだろうから綴っておくが)香 港の優れたコンサートチケット販売網(日本では「ぴあ」にあたるが香港は公共)である城市電脳售票網(URBTIX)のシステムが変わり(切符売り場窓口 では今回の新しいIBMのシステムはかなり使い勝手が悪い由)チケットが少なくても余の知るかぎりで16年ずっと変わっておらぬデザインはもうこれが最 後。蒐集癖も全く起きぬ変哲ないデザインのチケットであったが、これも最後かと思うと、あまりに目に焼きついた図案。何百枚これを入手したのかしら(全て スクラップ帖のあちこちに貼ってはあるが)。映画終わり外に出ると気温は摂氏20度くらいだろうか。突然、セーターや薄手のコート姿の者少なからず。帰宅 途中『モンテクリスト伯』の第四巻読了。ちょっと、のつもりで第五巻読み始めたら眠気が失せ結局一気に読了。
▼一昨日の蘋果日報に余杰という人が紹介する廈門大学の話。廈門大学で中国国内でも最優なる水準のゴルフ練習場を校内に開設。学長誇らしげに曰く、社会引 率するエリート育成の精鋭教育の一環としてビジネス管理、法律、経済、電脳の学生はゴルフ課程は必修、と。呆れるばかり。

十一月十四日(火)斉藤さんがどんな に忙しくても日記は翌日のうち(翌晩、日付が変わらぬうちに)前日の日記を更新することを(飛行機での移動中でもない限りは)自分の課題としているのは、 日記の更新など遅れ出すと遅れっぱなし、歯欠けになること必至だから、とおっしゃっているが同感。今現在十四日晩十一時、あと一時間で翌晩の日付変わると ころでギリギリセーフで十三日の日剰綴る。というほど諸事忙殺される日続き朝もさすがに五時すぎに目覚めずぎりぎりまで睡眠貪り、あっという間に晩に至 る。NHKの「クローズアップ現代」で「愛国心、揺れる教育の現場」という番組流す。このタイトルだけで自民党政府よりNHKの偏向ぶり質されそうだが、 愛国心を小学校でどう教えるか?につき東京の学校現場での取材。二つの授業風景。一人目の教師は愛国心は「国を愛せ」と強制でなく具体的な感情を育むこと が大切、と児童に日本の素晴らしさ、美しさを感じるか?と導入で問いかけ漠然とする子どもらに美しい富士山だの四季折々の風景など見せ授業の最後には子ど もらが版で押したように「四季のある美しい日本に生まれたことの幸せ」語る。おぞまし。美しい風景など見せ「きれいでしょう」と。そりゃきれい。それぢゃ 四季もない砂漠で、アフガニスタンの荒涼とした風土で、この教師はアフガン政府から愛国心教育を求められた場合どう教えるのか? それが出来たら大したも の。四季のある日本の美しさ、は怏々として他国への蔑視となる。別の教師はかなり考えた結果「箸」を材料に、箸の作法を提示し千二百年にもわたり?なぜ箸 の作法が受け継がれてきたのか、それが伝統であり文化だ、と。それぢゃなぜそういう箸の作法が生まれたのか、みんなで考えてみよう、って小学生相手 に……。そんなもの、美しいか、美しくないか、箸と箸で渡すのが焼き場での骨拾いのようなのでいけないといった禁忌など、箸にかぎらずナイフ&フォークで も、手づかみでも作法あり。箸づかいから伝統や文化教えようという発想は「四季のある美しい日本に生まれた幸せ」よかまだマシだが結局、伝統や文化の大切 さから愛国心教えようというところに無理あり。この取材はNHKの限界で、一人の教師に小学校で愛国心を教えるのは限界がある、と終わる。このような番組 が作れるのはNHKがBBC的に公共放送であるから。だが着々とNHKのプロパガンダ放送化は進む。久々にNHKらしさにそれなりに感動したがNW9が 「またいじめで自殺」と「また」いじめ報道。会津の男、柳澤某のつまらないコメント。マスコミがこんなに「いじめ」取上げてくれたら自殺する子も増えるだ ろう、と思いつつテレビを消す。最近、偶然にネットで再開した小学校の時の同級T君(今では某大手電力会社のエリート研究員となっていた)とメールのやり とりしていて「いじめ」の話となり、今の子も真っ青なほどかなり悪質な集団でのいじめをしたり、一部されていたりもしたが、当時、それで相手が自殺すると も思ってもいなかったし、実際にいじめられていた子も登校拒否にすらならず、なんて強かったのかしら。おそらく「いじめ」の度合いはけしてひどくなってお らず(本当に当時のいじめもかなりの悪質であった)、今の子どもがけして昔よか弱くなっているのでもなく、いじめを苦にして自殺、の増加は「いじめられた ら自殺という方法で」その苦境からの解脱、いじめをした子や助けてくれなかった大人への復讐、文部大臣をも狼狽させるだけの社会的な反響などなど……マス コミの報道みれいれが「こういうテもあるのか」とじゅうぶんに学習できよう。マスコミは偉大。
▼数日前の新聞に中国の北朝鮮国境で黄海に面した遼寧省の丹東からロシアのウラジオストクまで鉄道路線を敷き産業復興という記事あり。その路線が北朝鮮国 境の秘境、カルデラ湖の長白山(白頭山)に近い麓の二道白河を通るとあり、あの山中を……と驚いたが今日の新聞には中国側が、この朝鮮民族の聖地を観光開 発に意気込み3.6億元かけて空港建設との由。世も末。私自身はもう二十年ほど前だが一人旅で確かハルビンから吉林省の吉林を経由して朝鮮族多い延吉行き の列車で確か敦化という小さな都市で列車を降り、そこから山道を越えるかなり危ないバスで一日かけて白河という山中の小さな町に至り更に長白山の天池の麓 の村で一泊。小さな宿で「あんたの水はこれ」とバケツに1杯の水を、これが明朝までの生活用水と渡され、水がこれほど貴重か、と驚いたもの。翌朝、そこか ら長白山へと登ればカルデラ湖の対岸は北朝鮮。夕方、麓の村に戻りまた一泊して翌朝、白河から列車で通化という小さな都市に出る。かなり山あいなのに鉄道 が敷かれていたことに驚いたが、これが満州の鉱石運ぶ鉄道であったため。で通化はソ連侵攻受けた満州の戦争末期の政府大本営の移設地であったことなど知 る。そこから夜汽車で一晩揺られ翌晩に瀋陽に出る。ハルビンから瀋陽までかなり急いで長白山観光に費やした四泊五日。中国の確か死ぬまでに訪れたいと願わ れる三大秘境だか何かの一つで、標高2744mで年のうち9ヶ月は雪に覆われており、この交通の不便さ、で当時は夏でもカルデラ湖畔には何十人だか数えら れる程度。長白山から下る時に麓から輿に担がれ上がってくる客あり警備員も同行で、誰かと思えば周恩来夫人の鄧頴超女史であった。

十一月十三日(月)諸事忙殺されるまま晩に至り東京から来たY君と再会。十数年前に某銀行の香港駐在。いただいたお土産は、ぬれ甘納豆、銀座ウエストのフ ルーツケーキ、鳩居堂のにほひ粉など。FCCのバーで一飲。鏞記に晩餐。予約していても待つこと必至の混雑。だが知己のアシスタン トキャプテンJ嬢のおかげですぐに席に通される。お心付けも大切。紹興酒数杯ずつ。海月和え物。焼鵝少し。蛇羹。蟹肉と卵白、豆苗の炒め物。焼臘の少し 入った糯米飯。もうじゅうぶん満腹なのにJ嬢に紅豆沙と果物供される。帰りがけバーSに寄り十時すぎには帰宅。

十一月十二日(日)晴。朝8時半にMTRのTsuen Wan站に七名で集まりタクシーで大帽山麓の駐車場。一昨日から開催されたOxfam Trailwalker終了後のMacLehose Trailの清掃ボランティア活動に従事の為。といっても地味な活動でこの大帽山手前から鉛鉱峠までの逆行9.7kmの清掃は我々七名のみ。特 筆に値するは今回のTrailwalkerに参加し昨日午後2時に23時間52分の好タイムで完歩果たしたN氏が一晩の休養にて今日の清掃活動に参加。敬 服に値す。昼過ぎまでゴミ拾いしながら山歩き。水やスポーツドリンクのペットボトル、予想以上に多いのがEnergy BarやEnergy Gelといった栄養補給食品の袋。それに悪質なのは電池などの置き捨て。山徑の清掃ボランティア活動というと聞こえがいいが本音は自分が山歩きしていて不 愉快にゴミを目にしたくない、こと。鉛鉱峠でゴミの仕分けなど済ませ城門水塘に沿い5kmほど歩き城門ダム。公営売店で麦酒2缶。Tsuen Wanに出て午後3時くらいに山西刀削麺にて前回麻辣の激辛 に閉口したこともあり上湯刀削麺食すがこれだと今度は辛さ足りず。ジムに一浴し夕方帰宅。着替えて尖沙咀。Z嬢と待ち合せKimberley Rd香檳大廈の中古カメラ店多い怪しげな商場にある新記餐庁に 食す。猪頸肉評判で蕃加(トマト)猪頸肉飯。科学館にて寺山修司映画特集で『草 迷宮』と『上海異人館』見る。Z 嬢は本日夕方、寺 山短編映画集その一見ていたのだが、その中で『トマトケチャップ皇帝』(1971年)では10歳くらいの男の子が数名の妖艶な女性に具体的に濡場 の如く性愛迫られる場面あり、泉鏡花原作からかなり寺山的に解釈された『草迷宮』(制作は1978年、83年公開)も当時15歳くらいの三上博史が全裸で 性器露わに演じる場面もあり、O嬢の物語を原作した『上海異人娼館』も未成年の男女の性愛場面も露骨。つまりはキョービのモラル(社会常識や道徳観念?) では好き嫌いは別として寺山修司の映画は撮れない事。乱歩やジイド、トーマス=マン、寺山修司も今の時代なら立派の犯罪者か。『草迷宮』が期待以上に秀 作。『上海異人娼館』は『支那人形』『チャイナドール』という作品名もあり。偏見に満ち溢れた「中国舞台にした異人相手の娼館」が舞台では『支那人形』も 『チャイナドール』も地元的には映画題名としては「よくない」が内容も「上海」舞台といいつつ実写は懐かしいほどに香港で、娼館のある港町は長洲島?、水 上レストランのジャンボも映り、結婚披露宴の支那趣味な寺は一瞬、懐かしいタイガーバームガーデンかと思いきやリパルスベイで観光客に「お寺」と親しまれ る拯溺會と天后像の辺り。色街の警察の派出所にも「香港警察仮派出所」なんていい加減な看板かかり正確には「香港異人館」だろうか、史実と全く関係ない作 品なのは当然としても、フランス人の女衒だのフランス租界っぽさは香港にはないもので、すべてがディティール的にヘンなのだが、それは香港で見ているから エキストラも広東語話していたり香港の昔の俳優がチョイ役で出ていたり風景が香港らしすぎるから、の違和感であり、日本で廿数年前にこれを見ていても「支 那趣味」という点では上海だろうが香港だろうが関係ないか。いずれにせよ、例えば三池崇史の『インプリント』が米国向けホラーである点で日本人にとっては 全く論外な日本趣味である以上に、この『上海異人娼館』では上海(或いは香港)の租界?舞台に日本人の若者がフランス人のO嬢(桜嬢)に恋するだけで上海 (或いは香港)は支那趣味な舞台にされるだけ。どうであれ寺山修司の映画のなかでは香港ロケまでして大掛かりなだけに失敗作。この『上海』のあとに78年 の『草迷宮』が公開され84年には『さらば箱舟』を撮り(これが遺作となり)少なくともこの『草』と『箱舟』で「寺山の後期の映画は失敗」と烙印押されず に済んだことになろうか。出演者の演技ではピーターの娼館の女将役は上手いが美輪明宏に比べ怪しさはなく銭勘定に精出すばかり、で全盛期の山口小夜子が妖 艶。

十一月十一日(土)晴。蒙霧。昼だけ時間が空きジムで小一時間鍛練。早晩にZ嬢と尖沙咀の京笹に食す。相変わらずちょっと気のきいた肴あり。カツ丼。晩に文化中 心にて草刈民代のバレエ“Soirée de Danse Roland Petit”観る。草 刈民代のプロデュース、ローラン=プティが振付、巴里、上海、台北に続く香港公演で来週から日本各地で10数公演。プティの演出したピンクフロイドバレエ が観られると期待。序幕からピンクフロイドの Run Like Hell でモンゴル出身の24歳だかの若手Altankhuyag Dugaraa君が見事に踊って見せる。ピンクフロイドから3曲、その後クラシックのポピュラーで4曲、中入り、後半は前衛的なバレエからコメディまで、 途中から「ラスベガスのホテルのショー」の如きモジャズダンス?風の踊りで最後まで行ってしまい、結果、なんだか何がしたかったのか?、トータルコンセプ トが全く不明。草刈民代のプロデューサーとしての新機軸にローラン=プティが贈った振付だと言うのだが……。草刈民代の知名度で、「いろいろやってみせま した」で客も入ろうし、草刈民代がやる、というだけで喜んでくれるお客さんも多かろう。が、アクロバティックなテクニカルな踊りなら今では上海雑技団など かなりの水準、コメディなら見事なコメディダンスカンパニーもあり、ラスベガスのショーならバレエダンサーよりもっとプロがいる。なぜバレエダンサーがそ れを真似しなければならないのか。サブタイトルでASIENCE Discovers the Asian Beauty in Balletと銘打つが草刈民代が20年代だかのクラブで魅力醸す女を演じてモダンダンスで踊ってみせても、宝塚のようにショーアップされているでもなし 美輪明宏のような妖艶さでもなし越路吹雪のように歌うでもなし、結局、中途半端。最後のアンコールも無理矢理で而も本編のエンディングでの演出のダンスそ のままくり返し。プティのピンクフロイドバレエの演出を蒙古の若い踊り手のソロで見られただけが収穫か。今晩を最後に天星小輪(スターフェリー)の中環側 の埠頭が沖合埋立地に移転。旧来の埠頭への郷愁か今晩はかなりの人出になる由。文化中心ならスターフェリーすぐそばだが人ごみ恐れ地下鉄で帰宅。
▼昨晩Dr.Haseという英国人の香港史研究家がRoyal Asiatic Society香港支部の講演会で1899年の新界割譲について新界の鄧家中心とした土民の反英蜂起について講演会あり。寺山の映画で聞き逃したが今日の SCMP紙に詳しい記事あり。北京の清朝は99年の年期での英国への新界割譲にあっさり応じたが地元民にとってはたまったものぢゃない。新界に住まういく つかの氏族が英国植民地政府の新界占領に合わせ武装蜂起するという計画が察知され英国軍と軍事衝突し数百人の命が奪われた、という史実。あまり注目されな かったが、このSCMP紙の記事でも南京虐殺や天安門事件と同じく史実として記憶されるべき、と。ちなみに湾仔から銅鑼湾に走るLockhart Rdに名を残すLockhartも当時の英国植民地政府の治安高官の一人で英国政府に対して新界割譲につき大きな衝突もなく無事に成功と報告の主。

十一月十日(金)晴。ずっと晴れの日続くが数日前の爽やかさに比べ今日は無風の暑さ、且たヘイズの蒙霧あり本日今年のTrailwalker開催で参加者 にはさぞや過酷かと察す。晩 に尖沙咀東の一平安。核攻撃受けても此処なら助かるのでは? というくらいビルの地下奥まったところにあり。かつては確かビルの半地下に入ると吹き抜けでこの地下二階のラーメン屋が見えた気がするが。更に地下三階も 構造的にはあるが数年、此処は虎塚古墳どころかチェルノブイリのように棺のように厳封されエスカレーターすら「なかったことにする」ような封印ぶり。此処 にかつては屯する若者がかなりおクスリ関係で警察のご厄介になったディスコあり。一平安ではZ嬢と待ち合せ湯麺を食す。科学館にて寺 山修司の映画特集で今晩は『書 を捨てよ町に出よう』観る。何といっても美輪明宏の地獄のマヤ役が絶品。口跡の良さ。わずか二、三分のシーンだが本当に素晴らしい。あらためてこ の映画観て、結局は「私」が大人になろう、男になろうと足掻き、結果的には最後、父に買い与えた屋台が警察の取締りに遭った時に警察に反抗しショッぴかれ る、その時にようやく大人に、男になれたこと。大人になる、男になるために先輩でも娼婦でも父殺しでもなく実は<警察>が要る、ということの象徴的意味考 え面白いと思う。寺山修司について、ふと思ったことは、天井桟敷や『書を捨てよ』で登場した寺山を同時代的に知るには私は当時は幼すぎ、作品こそアトから 観ても、実際に寺山が目の前に具体的に現われたのは1980年のアパート「のぞき」事件での逮捕で新聞の社会面に顔写真入りでの報道。これが最初。そして 寺山本人よりもタモリによる寺山修司の模写「例えば此処に灰皿があります。灰皿は灰皿ですがここに宇宙があるわけですね。宇宙というのは……」に親しんで いた。この『書を捨て』の映画の制作者にせよ、寺山ばかりか作中ピンクフロイドのように流れる音楽のクニ河内もテレビ朝日の」夕刊タモリこちらデス」(同 局で筑紫哲也キャスターデビューした「こちらデスク」日曜午後6時から、のパロディ番組で6時半より放映されていた、確か1980年くらい)にクニ河内が 出演していたから、であり、それに中島みゆきの歌う「わたしはカモメ」で荘厳なパイプオルガンでの編曲もこの人であった。それにこの『書を捨てよ』の映画 の美術担当の榎本了壱は萩原朔美に続く雑誌『ビックリハウス』の二代目編集長であり余は彼の主宰するジャパベン合衆国?だかの国民証を中学校の生徒手帳に 忍ばせていたもの。何かと懐かしい。映画撥ねて一平安と同じ飲食店街にある五 味鳥。焼き鳥数串とチューハイ二杯。
▼教育改革に向け民意汲み取り意図したはずの政府主催タウンミーティングで文科省側が質問案作成や出向者ら関与の「やらせ」かなりの数が発覚。市民の声と して政府案への積極的な発言演出など悪意露骨。ただ安倍三世など「やらせ」発覚でも「国民との信頼関係を危うくしてしまったことは大変残念で遺憾だ」とし つつ「二度と(やらせが)起らないように徹底しながら、タウンミーティングを大切な対話の場として生かしていきたい」と宣う。最初から国民との信頼関係な どないし対話の場などもない。ただ既成事実としての場の存在さえ「あったもの」でよいのだそう。国民もこのような「やらせ」に憤慨するほどの意欲もないか ら安倍晋三も教育基本法改正とこのタウンミーティング「やらせ」問題は別、として「教育改革を進めていく上においても、速やかにこの教育基本法の成立を図 りたい」などと宣うし自民党の国対委員長の二階堂某も教育基本法を60年ぶりに改正しようとしていることに比べたら「タウンミーティングでやらせがあった なんて、やる方もやる方だが、誠につまらなん」とまで言い捨てる。ここまで民意など形骸化するなかで(それが事実としても)政治家が民意なんて関係ない、 と言い放ち、それを放置しておくのだから最終的な責任はバカな政治家でなく国民にあることは明らか。
▼米国でラムズフェルド国防長官辞任。実質上の更迭。ブッシュ二世のスケープゴートとして葬られる、か。それにしてもこのラムズフェルドの発言
As we know, there are know knowns; there are things we know we know. We also know there are know unknowns; that is to say we know there are some  things  we do not know. But there are also unknown unknowns - the ones we don't know we don't know.
という珍紛漢紛や、小泉三世の「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」発言に勝るともおとらぬ
We do know that he (Osma bin Ladin)is either in Afghanistan, or in some other country, or dead.
も珠言に値しよう。だがいずれにせよ中間選挙の結果を見てあっさりと国防長官更迭するところが民意反映といえば民意の反映。紐育タイムス紙は8日の社説で “Post-Election Job Number One”と評す。中間選挙といえば、同紙でThomas L. Friedman氏が“this needs to be our last election about Iraq”と述べているが米国民の本音であろう(勝手に征伐に行っておいて今更、と憤慨も感じるが)。同日のもう一つの社説は民主党の勝利は反ブッシュ、 反共和党への a negative victory であるとして民主党は具体的な政策の建設が急務、と指摘。昨日の信報でも林行止専欄は、民主党の勝利とて(イラク問題などでなく)米国が好景気で株価など 上昇するなか給与所得階級が何ら恩恵得ぬ現実に与党共和党の票が民主党に流れたもので民主党の免費午餐=TANSTAAFL(There ain't no such thing as a free lunch)的な福利主義をもってしてもブッシュ政権がいくら弱体化しようと拒否権行使ができるわけで余り大きな改善は観られぬだろう、と冷やか。御意。
▼数日前の信報に葉劉淑儀(元保安局長)の「恥辱之柱」という文章あり。香港観光業の弱点につき述べるが「恥辱之柱」は六四、天安門事件で香港で建立され たモニュメントで現在、現物は香港大学にあり毎年の六四追悼の象徴。その「恥辱之柱」を文章の題にするあたりが葉女史らしい。で内容は、といえば、先日報 道された中国からの旅行社に高い買い物させてそのバックマージンで旅行費用から収入得られぬガイドらが糊口を凌ぐ実態取上げ「捕虜市場」と呼んでみせる。 香港政府は観光事業振興と大型投資続けるが実際には、広東省からの日帰りでは多くホテルなど恩恵は得られず、旅行団送り出す旅行社とて、それも机一つに電 話とPC一台の個人営業が多く、そういった零細代理店の収入が増えたところでそれがどう経済に反映するの?、と。弁舌ぶりは相変わらず。ただしこの一文、 最後は、観光は観光でいいが、そんなところに公的資金投資するよかハイテクへの投資のほうがよっぽど経済効果あり、とちょいと結論は安易。

十一月九日(木)米国のBarack Obama上院議員より民主党の中間選挙圧勝祝賀のメール届く。“in order to change history, we now hove to work even harder to turn last night's results into tomorrow's progress”ってカッコいいねぇ。メールソフトにはそれと並んで安倍三世メールマガジンで「日米野球の始球式」について。一読して無意味。罵る価値 あっただけ小泉三世メールマガジンに懐かしさもあり。ひどく多忙にてDeli Franceのチョコレートクロワッサンと珈琲で軽食とっただけで二更に至る。ドライマティーニ三杯。
▼一昨日の信報林行止専欄にて信報社主林氏が来年の第三回行政長官選挙について論じ論末に香港廿年来の政治状況の未進展嘆き「該是筆者停止『論政』的時候 了」と論壇からの引退仄めかされる。信報も李嘉誠(次男)資本入り林氏夫妻も齢高まるにつれ第一線退くか、と噂もある中でのこのひと言。香港代表する論 客、知識人ゆゑ気になるところ。
▼旺角鼓油街臨時熱食市場(屋台街)今月末にて17年の暫定営業終了。雑多なる公共の屋台街の終焉ばありに非ず、此処の別名は「旺角人肉市場」という淫売 集中営む。旺角馬房(厩舎)、沙圏(パドック)、観鳥園、金魚鉢、鶏倉など別称多し。いずれにせよこの市場周辺に企つ淫売婦多く客も自然と此処に集まり熱 食市場内の屋台は馬扶(ヒモ兼用心棒)の時間潰しの場と化す。今でこそ香港の淫買客は深圳などへ北上するが曾て淫売盛んな頃は旺角のこの一帯だけで400 軒の買春場所あり一軒あたり一晩50人の客をとったとして一人HK$360の相場で旺角だけで買春業の上がりは一晩HK$720万、月に実にHK$2億の 巨大買春産業であったと聞く。

十一月八日(水)早晩にジム。トレッドミルで三十分だけ走る。せめてもの過重と傾斜3%だけつける。帰宅してウオツカのレモン割1:1。晩のニュースは WHOの事務総長に陳馮富珍女史当選、米国中間選挙での民主党の圧勝など伝える。
▼WHOの事務総長に中国政府推薦する香港政府元衛生署長のマーガレット陳馮富珍女史選ばれる。日本の尾身茂氏もかなり有力視されたが中国の「国連専門組 織代表に初の中国人を!」の外交の勝利。米国が最終的に中国支持に回ったのと、欧州には98年に同職辞した中島宏氏に対した不快感がまだあり尾身氏はその 煽りを被った、と蘋果日報の記事。いずれにせよ陳馮富珍といえばあのSARSの際の衛生署署長で疫禍の担当責任者。新型の疫病とはいえ香港政府の対応の悪 さで死者の数が増えたのも陳馮富珍署長、董建華行政長官等による「人災」という定説あり。SARSの疫禍の後、立法会での答弁で陳署長は「中国国内の疫禍 状況の把握が重要だったが当時、この流行は北京中央が国家機密の扱いとしたため情報収集が困難だった」などと発言。香港政府のSARS対応について政府自 らが独立(笑)調査委員会を組織して責任問題の調査続けたが、その調査最中に陳馮富珍はすでにWHO幹部採用となりSARS調査結果も待たぬままジュネー ブにてWHOに従事。でわずか3年で着実に出世して今回の代表就任とは余りに見事な世渡りぶり。SARS被害者遺族や集団感染のあった集合住宅の住人らか ら陳馮富珍にWHO代表務めるだけの資格と資質あるのか?と疑問の声。だが結局のところ中国の「国連専門機関に中国人を」の外交の意地、そして実は欧米を 中心に「中国にWHOの代表職譲る」ことで何かと疫禍の災いの元凶で、かつ情報公開など遅れる中国に、「WHO代表国として」の体質の改善求める戦略あ りゃせぬか、と察す。
▼ニカラグアの大統領選挙でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のオルテガさん(元大統領)が当選。大統領に復帰。サンディニスタ民族解放戦線、オル テガ、というと80年代の朝日ジャーナルっぽいがオルテガ氏がまだ60歳だったと今になって驚く。
▼東京の地図眺めていて「へぇ」と気づいたのだが上野から有楽町は山手線で近い感覚なのに対して同じ上野から北千住は「遠い」と思う。が実際には上野から の距離は一緒。北千住はもっと正当に評価されるべきでしょう。どうしてもイトーヨーカドーとオバケ煙突みたいな印象から脱し得ない。食べ物だって日本食堂 のレストランしかなかったのは昔の話。美食。常磐、東武、日比谷、千代田、つくばの各線が交差して半蔵門線に東武が乗り入れだってねぇ。
▼雑誌TIMEがアジア版発行60周年記念して亜州英雄56名選ぶ。日本からは黒澤明、宮崎駿、丹下健三や王貞治など選ばれているが香港から70年代の香 港総督Murray MacLehose卿が選ばれているのが見事。英国人であるがこの人が香港の社会改革、民生向上に果たした役割の大きさ。

十一月七日(火)朝六時すぎに茶を啜りながらSCMP紙のスポーツ欄で今日のメルボルンカップの記事を読んでみると(競馬欄でなく純粋なスポーツ欄)日本 馬ポップロック評価しつつデルタブルースも侮れぬと分析あり、まぁ地元贔屓で香港馬Tawqeetとその日本馬二頭の三点買い、単勝は香港ならオッズ的に はポップロックか、と思う。午前中のっぴきならぬ急件ありバタバタしているうちに馬券買うことも忘れており、ハッと気づけば昼すぎ。メルボルンカップ終 了、で結果見れば「あらーっ」でデルタブルース優勝で二着がポップロック。香港で連複56倍……買い逃す。諸事忙殺され晩に至りHappy Valleyの寿司澄にY氏と食す。音楽会帰りのZ嬢も来 る。Happy Valleyで競馬開催あり。昼のメルボルンカップで馬券買えなかったことがまだ悔やまれる。
▼教育基本法改正案来週中に衆院特別委員会にて与党賛成多数で政府案のまま可決見通し強まると朝日新聞一面トップ。立花隆氏が述べている。(以下、要旨)
いま教育が多くの問題をかかえているのは事実。それらは教育基本法 とは全く別の次元の問題であり、ひとつひとつ丹念に慎重に解決していかなければならぬのに全てを差し置いて教育基本法改正への動き。教育基本法に謳われて いるのは「人格の形成」「平和国家」「真理と正義」「勤労と責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など人類の普遍的価値として認められてきたことばか り、それをなぜバタバタとロクな議論もしないで改正したいのか。その理由はただ一つ「前文の書き換え」。前文にある基本法と憲法の一体性。
(教育基本法前文、引用)われらは、さきに、日本国憲法を確定し、 民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものであ る。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底 しなければならない。ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
と、この「新憲法に盛り込まれた新しい社会を実現していくことがこ れからの教育の目的だ」としている、憲法と一体化している教育基本法の存在が阿倍内閣にとっては邪魔。憲法改正するために「将を射んとすればまず馬を射 よ」の教え通りまず教育基本法を射よう、と。教育基本法制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏が述べるのは、先の戦争において日本が「極端な」 国家主義と民族主義に走りファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは教育が国家の手段と化したから。教育勅語。教育基本法は教育を 時の政府の国家目的の奴隷から解放し国家以前から存在し国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えること。教育は国家に奉仕すべきでなく、 国家が教育に奉仕すべき。国家主義者の安倍首相は再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。
立花氏の御説尤も。何よりも政治家にとって不愉快は「国家の上位概念」という奴かしら。人類普遍の価値とか真理とか。国政に携わる政治家が一番偉くなく なってしまうのだから。いずれにせよ、こうした状況わからぬまま政治家の教育基本法改正を許してしまう国民に責任があるし将来的に災い被ることも自業自得 か。現行の教育基本法は結局、制定から六十年、この普遍的真理が日本に根づきもしなかったし、日本国民のレベルには高尚すぎた、で民度に合う程度の低水準 に戻すことも最善かしら。
▼自民党の山拓さんが現代においてはまさに稀有な政治家に映るように「SPA!」に連載中のペログリ日記では「政治家にとって最も重要で困難な任務はナ ショナリズムを制御することだ」といった中曽根さんの言が紹介されていたそうな。本来のナショナリストこそナショナリズムについて厳格な見方あり。単なる 軍事オタクのはずだった石破さんまでも中川の核武装論批判して「きちんと議論し、なぜ核を持つことが国益にならないかを示すことが政治家の責任だ」と正常 な見識を披露したという。驚き。
▼昨晩、日テレのNews Zeroで(ほんとに内容がゼロという 風評もあり)米国のバラック=オバマ氏取上げ「民主党のホープ。次期大統領か?」と紹介されたそうだが「黒人」「演説がうまい」「カリスマ的人気」とかい うだけで「肝心の政策政見についてはまったく触れず」と築地のH君から。しかもコメンテーターの星野仙一君に「星野さん、どうですか?」とふって「まだま だ若いね。カリスマなんてないよ。もっと苦労せにゃ」と言わせて終わった、と……さすがゼロ。この番組、ジャニーズの桜井某がサブキャスターで「防衛庁の 省昇格問題」解説したり、長嶋ジュニアに朝鮮半島の安全保障についてコメントさせるという痛快娯楽番組。だからあまり真面目に取り合うのも……だが小泉登 場にあたってあまりの馬鹿馬鹿しさに真面目に取り合うこと放棄したことが今日のカタストロフを招いた、という辺見庸の一大反省も思い起こせば、馬鹿馬鹿し いものを馬鹿馬鹿しいと嗤って済ませず「馬鹿だ」ときちんと否定してゆくことは大切か。
▼日本政府が国連安保理の北朝鮮制裁決議受け北朝鮮への輸出禁止品目での「贅沢品」の選定につき将軍様の好物と思われるトロ、松阪牛や名古屋コーチンが選 ばれる、というのもお笑い。将軍様の料理人務めた著者による『核と女を愛した将軍様』(小学館刊)の内容の受け売りだそうで、人民が飢餓に命落としたりし たら元も子もないので全面的な兵糧攻めで日清のカップヌードルの輸出禁止はできぬそうな。核実験の見返りがトロ禁輸というのだから将軍様もさぞや痛快にお 笑いか。
▼先週の『亜州週刊』で福建省廈門での500億元横領で現在カナダのオタワに逃亡中(といっても豪邸住まい)の頼昌星氏に関する記事あり。頼昌星氏は北京 中央に対して自らの保身に関する一定の条件提示し条件が見合えば福建省の党有力幹部の汚職につき供述する意志がある旨伝えている由。頼氏が口を開けば何人 もの北京、福建の党政府要人らが贈収賄で失脚、逮捕されるようで、頼氏がカナダに逃げていらるのも実は頼氏逮捕で供述を恐れる中国側の幹部の作為ゆゑ。

十一月六日(月)朝五時すぎに目覚め目呆けたまま居間に向うと「灯をつけっぱなしかしら」と思う明るさは東空に十五夜の月が部屋の中まで青く明るく照らす もの。思 わず見惚れる。日本酒でもくいっと一杯ひっかけたいところだが朝の五時は拙い。じっと我慢。今日は、三晩も続けて 寺山修司だった所為で、ふと気づくと頭のどこかで「死んでくださいっ〜お母さん〜」というフレーズがエンドレスで流れており、脳裏の画像は天井桟敷の面々 が不具者だと奇形演じる見せ物サーカス小屋。困ったもの。T牙医に歯の治療請う。今日の治療も奥歯の詰め物したがHK$300とやはり廉価。T医師にも熟 練の看護婦にもすっかり知己のごとく振る舞われ、やはり台大仲間と思われてしまったようで恐縮。日暮れると九龍は飛鵝山の山の上空にくっきりとした月が宙 に吊ったように見事に浮かぶ。学芸会芝居の舞台セットのような満月。晩に帰宅してドライマティーニ一杯。山芋でとろろ、麦飯……とくれば焼酎。八十年代の 新宿南口の「麦とろ」気分。南瓜、それに昨日Kadoorie農場で仕入れた菠薐草のお浸しと芥蘭。美味。
▼陶傑氏が蘋果日報で中国の博禍を嘆く。中国政府の発表によると中国の賭民による博打で海外に流出する資金は六千億元に及び今年年初よりの八ヶ月でマカオ の21箇所のカジノで中国からの賭民らによる投資額は321億元。この六千億元が海外流出しなければ中国は第三世界の貧窮国にあらず、と陶傑氏。大陸の貧 官どもの収賄、公金浪費や実質的横領は年に1兆元に達し13億人で老人や子ども、不具者や乞食など人民1人あたり百元余の損失。これが10年で10兆円だ と思うと、これが公積金にでもなり自然環境や医療福祉、教育などに投資されていれば中国は米日両国に並ぶ一流強国になれる、と。それにしても国内各地に蔓 延る、銀行と癒着し土地投機して高値で売り払い自腹肥やす地方官僚どもにとって中華民族の素質や総合的国力の向上など眼中になし。かりにどうしてもカジノ 好きが止められぬのなら賭場をウルムチやラサに設けてはどうか、と(笑)。1年に六千億元だとしたら中央政府は5割の上前を撥ね民生基金としてウイグルや チベットのインフラ整備に充て結果的にウイグルやチベットの独立分子駆逐し少数民族は漢化される。マカオも賭場は米国のラスベガス資本が大挙して進出し、 その中に中国の民族資本家はわずかに一つのみ。中国大陸での贈収賄や官民腐敗によりマカオが儲かるという、まるでマカオが胎内に育つ赤子なら母体(中国) は不断に栄養を送り続けねばならず、中国が汚職取締りなど強化すればマカオの流産は必至。マカオの賭場経済崩壊すれば宗主国ポルトガルの知徳でEU旅券有 するポルトガル市民はみな大量にポルトガルに移民しかねず。結果、大陸の汚職風土がマカオの繁栄維持し続けることに、と陶傑氏。
▼米国の中間選挙は民主党かなり有利の由。「ブッシュのイラク征伐は間違いであった」と、確かにその通りだが、それを知るためにいったいどれだけの代償が ないと学べないのだろうか。人間は間違いがあるもの、その間違いがあっても悔いて改めて真実と正義を求めて生きていこう、とアメリカのこの精神も百歩譲っ て「悔い改めぬ」、例えば侵略者たる祖父の功績に酔うどこかの国の首相や「勃起した陽具で障子破る勢い」以外の勇気もたぬ作家都知事よかよっぽどマシだ が、「ブッシュのイラク征伐は間違いであった」こと学ぶためにイラク市民の死亡は最低でも5万人で間接的な死亡者含めると65万人を超えるという指摘もあ り、加害者たる米軍とて2818名の米軍兵士が死亡し負傷は21419人、戦費はHK$2.6兆、毎日HK$19.5億費やさねば「間違いがわからない」 のは(以上今年10月末までの総計)。

十一月五日(日)晴。HKDRC主催のハーフマラソン大会。今年で初出場から10回のはず。朝6時に天后MTR站より大会主催者側手配のバス出て新界大尾 督へ。所属するランニングクラブのK会長のトヨタクラウンに荷物置かしてもらい同クラブから6名ほど参加。マラソンは中年向きのはずが毎年確実に5分ずつ タイム延びる。暑いしタルし腰痛だいぶ回復したがやはり腰は身体の要、どうも力入らず(理屈はいくらでも並べられるが)記録的な2時間17分だかで確実に どん尻組の一人。このまま時計が延びてゆけば2年後には2時間30分の制限時間にひっかかり3年後の出場は絶望的。走り終わってもハーフで2時間17分で あるから疲れるはずもなく応援に来たZ嬢とバスで大埔墟。タクシーでKadoorie農場へ。毎月第1日曜に同農場で開かれる有機野菜市で野菜たくさん購 う。バスで錦田。堀と高い塀に囲まれた吉慶圍は掘割の緑も鮮やかな古跡。だが牆内に住民にとっては蚊も多かろう、蚊帳を売る店多し。ネパール人経営のコン ビニ「11イレブン」もあり。印度料理のShahjahan Restaurantで昼食。KCR 西鉄の錦上路站より南昌経由で香港島に戻る。疲労困憊で擦背と按摩。帰宅して早晩にZ嬢と西湾河の蛇王福にこの秋初めて蛇羹(いわゆる蛇スープ)食す。小さなお椀の臘腸 飯も美味。三晩続きで香港電影資料館。寺山修司特集で今晩は舞台『身 毒丸』のビデオ上映(こ ちら)。1978年6月24日の新宿紀伊国屋ホールの録画。一台のビデオカメラでの直撮りで編集もなし。かなり画質落ちるものを劇場での上映なの で画質、音質ともかなり難あり。しかも「中英字幕なし」はかなり厳しく電影資料館での上映で七割くらいの客入りで半数近くは「降参」で途中退出も致し方あ るまい。私自身、身毒丸は折口信夫の物語読んだだけで天井桟敷の『身毒丸』も見てはおらぬし(70年代後半、当時、面白半分などで時たま天井桟敷の公演案 内などあり「前衛」という印象ばかり)同 じ舞台でもこの天井桟敷と蜷川先生演出の藤原竜也と白石加代子の最近の演出(ス トーリー)がどう違うのかも知れない。だがこうした抽象劇はとくに舞台を直接見ないとどうにもいけない。香港の客にとっては字幕もないから尚更。 実は今晩はこの『身毒丸』ともう一本、寺山の遺作で天井桟敷最後の舞台公演となった『レミング』のビデオ上映もあり。それぞれ100分超えるビデオで2本 連続上映は見る方にもかなり過酷で(しかも電影資料館の最悪の座席……)私らも今朝は五時起きを理由に『レミング』は残念ながらパスする。今晩はビデオ上 映ということで入場料はわずかHK$20なのであった。十五夜の月、雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かび、愛でながら漫ろ歩く。
▼風呂屋で英エコノミスト誌読んでいたら、米 国民主党の次期大統領選挙候補の有力としてObama上院議員を紹介。ヒラリー=クリントン女史も形勢は不利、と。私自身はObama氏がイリノイ州の上 院議員選挙立候補の頃から支持しているので将来の米国大統領と願ったがまさかブッシュ後でいきなり、とは思ってもおらず。競馬でいえば新馬の競りとまでは 言わぬが新馬戦に出てきた三番人気あたりのサラブレッドを「これは将来のG1候補」と予感したような気分。大統領に当選でもしたら上院議員選挙キャンペー ンの際のTシャツなどレア物で所有しているのでかなり価値があがろう。当時、Obamaというポスターを或る日本人に「小浜?」と読まれたのも可笑し。

十一月四日(土)快晴。台湾総統府機密費私的流用の容疑で扁嫂(阿扁総統の夫人、呉淑珍)や総統元副秘書長など数名が汚職罪や文書偽造罪などで起訴され る。阿扁総統も同罪の疑いありとされたが総統の刑事訴追免除特権に基づき起訴を見送られる。今回この起訴断行の陳瑞仁・検察官は台湾大学の学生時代は学生 新聞社の編集長で大学当局から急進分子とマークされ検察官になってからも個人的には民主党支持を公言。だが今回の阿扁総統起訴につき陳検察官曰く「我雖是 深緑、但離開投票所的布幔、心中就没有顔色(自分がいかに深緑(民主党の熱心な支持者)だとしても一端、選挙の投票所を出れば(職務上は)いかなる色にも 染まらない)」と。恰好良い。朝から机まわり の雑用済ませ昼まで裏山のジョギングトレイルを8kmほど走る。昼過ぎ中環。ランドマークのHarvey Nichols百貨店にてSmythsonの来年の手帖眺めるが食指動かず。FCCで スープとパンで軽く昼食。午後遅く九龍に用事済ます。十四夜の月を愛でる。早晩にFortress HillのCity Garden HotelでZ嬢と待ち合せCity Garden Hotel G階のカフェレストランで美味いと評判の海南鶏飯を食す。これが美味いと聞かなければ、待ち合せで珈琲でも飲むのでなけりゃまず入るはずの ないホテルのありがちな「朝食のために設けられた」レストランだがHK$75の海南鶏飯は鶏肉がまさに「滑」で上品に美味。マンダリンオリエンタルホテル の改装前の「バカヤロー、カネ返せ」など比べ物にならぬ美味さ。他の一品料理も意外と美味しそう。バスで西湾河。昨 晩に続き香港電影資料館の寺山修司特集で今晩は『田 園に死す』見る。私らの世代ではNHK少年ドラマシリーズの眉村卓原作の「謎 の転校生」の主人公役、高野浩幸の映画デビュー作が これだったのか、と今になって合点。映画の最後、青森の恐山近くの辺鄙な村から新宿東口駅前へのどんでん返しでが印象的だが当時、これはゲリラ撮影だった のか。駅前に「二幸」あり。新宿のアルタで「笑っていいとも」の放送始まった当初はテレフォンショッキングがまだ芸能人の間で知名度もなく「明日アルタに 来てくれるかな?」「いいとも〜っ!」がまだ当時は「アルタって何処?」と聞き返されタモリが「新宿の東口の昔の二幸です」などと説明していたのももう二 十年以上前。今ならこんな映画の撮影、それも天井桟敷の役者らが特異な姿で徘徊、など「石原の東京」ではどだい無理か。新宿駅前など無数の防犯カメラで逐 次、監視されているのだからセットの設営すらする頃には警察が察知のはず。帰宅して風呂に入りながらNational Geographic誌9月号の特集“China Manchuria's Rust-to-Riches Gamble Rising”という特集読む。
▼九月末にチベットから雪深いエベレスト山脈越え印度のダライラマのもとに向う一向を中国の国境警備隊が銃撃。ルーマニアの登山隊に同行したTV局のカメ ラが現場を撮影(こちら)。数 十人の一向の半数が6歳から10歳くらいの子ども、で殺されたのは二十代の尼僧と一向率いた15歳の少年僧だという。IHT紙の記事(こ ちら)。産経新聞の記事(こちら)。 15歳で雪のエベレストを越える信心、自由への意志、そして銃撃され雪の大地で命おとす……その心に何をどうにも言葉もない。
▼東京都足立区教委が区立小中学校に対し学校間競走促進がため各校の学力テスト成績により予算配分に格差つける呆れた措置。平成の教育改革のまさに象徴的 愚策。教育基本法改定もまさにこれ。
▼唯靈氏が信報の随筆で「ちょとしたことに驚く」と、例えば5ツ星ホテルでの宴会でオレンジスカッシュ頼んだ際に炭酸が抜けていたりハイボール頼んだら氷 なしはいいがソーダが室温であったり。香港のホテル業界はマカオに熟練スタッフ引き抜かれ好景気で人材難か、あまりにも非熟練の若い従業員ばかりで当然 サービスの低下に陥る、と。御意。

十一月三日(金)皇居にて文化勲章親授式あり。聖上陛下から吉田秀和翁に文化勲章御親授。禁中車寄からただ一人歩み入る翁の御姿、車椅子どころか足早な通 常歩行は実に矍鑠たるものにて一驚、と久が原のT君。五人の受賞者より最高齢ゆゑ吉田先生謝辞述べ陛下答礼。まさに「君臣相和す」の景ながら先生が皇居に て……とは夢想だにせず。荷風散人が曰ふ、下世話にも言ふ、長生きはするものなり、と。記念写真で先生の隣席に安部三世着座。先生の胸中察すべし。早晩に 久々の歯科治療。老いの証か奥歯欠けたり詰め物剥れたり。簡易なる治療のはず養和病院の門敲く要もなく近隣の間口一間半、四畳半ほどの診察室の歯科訪れ る。歯科治療費はまるで暴力バーの如し。患者の住所で治療費が変わるといつた風評すらあり住所は嘘でもガサツなる路地裏とでも書けばいいとか。待合に医師 の大学の卒業証書の刻板あり眺むれば台湾大学歯学部卒。思わず治療終わり「台大のご出身で?」などと患者の分際で愛想売り医者も「台大に留学でもされた か?」と 聞き返され(事実、そういう過去はないが背に腹はかえられぬ嘘も方便)その結果か?、まさか、いずれにせよかなり廉価で相済む。Z嬢と西湾河に待ち合せ二記海鮮酒家に食す。晩に香港電影資料館にて世界電影経典回顧2006 節目3で寺 山修司映画特集あり「さ らば箱舟」観賞。70頁の寺山修司全カタログをこの寺山特集のために制作し観衆に無料配布。かなり緻密な資料にて立派。当時、この映画に出演の小 川真由美が髪をばっさりと切ったのが日刊スポーツの芸能欄だかで大きく取上げられていたような記憶。物語は近代化で崩壊する村落共同体。とても素直な内容 とあらためて思う。ギリヤーク尼ケ崎氏も出演、八十年代っぽい。寺山修司の映画での遺作。寺山修司が亡くなったが47歳とは……。

十一月二日(木)長らくお待たせしました。やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ。でも、これまでとちょっと違う……と吉田秀和 先生が朝日新聞に「音楽展望」連載(季毎)再開。吉田先生敢えてもう今年は食傷気味のモー ツァルト取上げる。半世紀前にワルター指揮の「フィガロの結婚」を紐育で聞いた、と語り始め、その対比にNikolaus Harnoncourtを突然挙げ、でワルターのアポロ的モーツァルトと反対にニーチェのデュオニソス的なもの、として昔「きいてしまった」ザルツブルグ でのフルトヴェングラーのドン=ジョヴァンニを語る。話題は今年来日のメトロポリタン歌劇場、そして内田光子のピアノへと吉田先生の軽やかなスキップのよ うな文章。モーツァルトに続いて語られたショスタコーヴィッチについて。
かつては「革命の賛歌」として多くの人を説得し感激させた第五交響 曲や「戦争の残酷と惨禍の告発」として記念碑的作品とされた弦楽四重奏曲第八番などは、今は言い尽くせない複雑な思いを秘めた多面的多層的芸術としてきか れるようになった。また彼のヴァイオリン協奏曲第一番、第四、第十交響曲などからは「何と恐ろしい、助けてくれ。私だって普通に平穏に行きたいのだ!」と いう憤怒、呻き、悲鳴などが耳を塞いでもきこえてきはしまいか。
音楽展望は2003年の秋以来、実に三年ぶり。04年7月に「今は体の半分なくなったよう」と題して「音楽展望休みます」と前年11月に妻バルバラさん亡 くした氏は連載再開が「せめて正月にならなければ、この先いつになるかわからない」と語られていたが、もしかするともう再開はないのではないか?と思った のも事実。それが矍鑠としたお姿も今年は音楽会場で拝んだという人の話もあり。で朝日での連載再開の決定と文化勲章受賞の吉報。嬉しいかぎり。
Z嬢に「ハロウィン、見たい?」と言われ何かと思えばモーツァル トのピアノソナタ連弾するアルゲリッチ女史とキーシン君。確かにハロウィンっぽいか……これはZ嬢購入したDVDでスイスのThe Verbier Festival & Academyの10周年記念Piano Extravaganzaのライブ版。バッハの4台のピアノとオーケストラのための交響曲、なんてピアノがアルゲリッチ女史、キーシン君にJames LevineとMikhail Pletnevの四人でオケはこのVerbier音楽祭の10周年Birthday Festival Orchestraで、さりげなくチェロでマイスキーなんていたり。10台のピアノでのロッシーニのSemiramide Overtureやワーグナーのワルキューレなんかも圧巻。吉田秀和にこのPiano Extravaganza、水野晴郎的に目をきらきらさせて「音楽って本当にいいですねっ!」としか言いようなし。
▼自民党の良心、山崎拓さんが述べている。
憲法の定める言論の自由は、権力側が何でも言っていいということで はない。閣僚や国会議員には憲法や条約順守の義務がある。「核武装には反対だが議論すべきだ」と言うなら、まず反対の理由を明確にすべきだ。核武装論に は、戦前回帰の軍国主義思想が内包されているように思える。「核保有について大いに議論を」という発言をコントロールできないのは内閣不一致を問われても 仕方がない。
▼無料雑誌「コンセルジュ香港」で唯靈氏によるレストラン紹介、沙田の龍 華酒店の巻、驚 くなかれローストの鳩が旅館の女将よろしく正座して三つ指つきお辞儀してお客様お迎えの姿勢。写真撮影だとここ までするのだろうか、と抱腹絶倒。これ見て「あら、ゴージャス」と思って龍華に赴けば、供された鳩の「火事場の焼死体」状態は驚くかしら。
▼畏友鄧達智君が重陽節の「拝山」について信報の随筆に語る。野山にある先祖の墓に参るのが「拝山」。拝山は新界の原住民にとって重要な伝 統的風習で、東莞、寶安、つまり今の新界に住み着いた北宋は神宗(1048年-1085年)の頃からの祖墳があると言う、鄧達智君はその鄧家の第廿六代目 宗主であるから、拝山せむと思えば廿五代それぞれの掃墓となるわけで中秋から重九(旧暦九月九日、重陽)まで広東から江西をずっと回らねばならず。達智君 は張婉テイ(「女」扁に「亭」)と羅啓鋭の映画『我愛扭紋柴』を見た達智君が懐かしくも笑ったのは周潤發演じる村長が集落の祠堂にある学校の教室で子供ら に「男生回家拝山分猪肉、女生回家料理家務」と語る場面。それは多少の誇張もあるが当時の風景にもとづいたもので、達智君幼き頃に通った小学校は新界に初 めてできた公立学校で屏山の鄧家の祠堂にあった屏山英文小学。のちに英国教育官員が華籍の子どもらが全部英語で教育を受けるのは学習進展に不利と判断し元 朗に植民地様式建築の元朗公立小学校が開設される。当時の春分秋分の祖宗拝祭はそりゃ盛況で祠堂にあった学校は当然のように休校となり拝祭の空間となる。 学校が新校舎に移ってからも地元の男の子は春分秋分に学校を休むのは公認、ただ映画のように「休校」は誇張。村には鄧姓以外の子もいるわけで「学校が休 み」は本当の地元の子の特権であった、と。今では村校も閉鎖され春分秋分の節句の祭こそ残るが昔とはだいぶ賑わいも異なる。かなりの数の同族がカナダや英 国などに住まい子どもの数も減り仕事だ勉強だと忙しく拝山もかつてのような一族郎党の聚会にならず。時代は変わるが新界の旧家の子孫らがトロントだ、ケン ブリッジだハーヴァードだと学びBMWだのフェラーリ乗るほどに成功するのも本人の功績でもあるが寧ろ父母、祖父母、そのまた曽祖父母の遺徳によるものの はず、と達智君。
▼漢字研究、白川静氏逝去。享年96歳。漢和辞典の『字通』CD-ROM版ももってはいるのだがWin機専用でMac機で使えぬのが難。「平和だった東洋 は1850年の太平天国の乱以来、分解した。中国は簡体字、韓国はハングルが主流になり、漢字文化圏は四分五裂した。アジアが分裂して争うのは不自然極ま りないこと」と白川氏。中国なら太平天国の乱、日本なら尊王攘夷、どうもあのへんの<近代>から何かおかしくなる。

十一月朔日(水)来客あり早晩に湾仔のホテルチェックイン付き合い湾仔の下町漫ろ歩きご案内。春園街など通りに並んだ礼状印刷舗すっかり移転してスラムの 如し。取り壊し待つのみ。新 築の公営市場出来て交加街の路上の市場も移転迫られる。Delaney'sで ギネス麦酒一飲。数年ぶりに六國酒店の粤軒に食す。給仕ら すっかり変わり旧知の者一人もおらず。食事は万人ウケ的に美味。お客人湾仔のホテルまで送り独り銅鑼湾のバーSに飲む。バーYに梯子しハイボール一杯飲み帰宅。
▼昨日読んだ『世界』十月号に日経の田村秀男さんが「中国への戦略的援助を提言する」を書かれている。「日本のODAこそ冷徹な現実主義の武器で、戦後営 々と築き上げてきた市民社会の道理に裏打ちされた日本独自の対中戦略の主柱」なのだが宇宙飛行士を自前のロケットで宇宙に送る国、生産消費大国化した中国 になぜ援助が必要なのか?、反日感情や「暴動」に対するマイナスイメージも働き、中国はもう援助から「卒業すべき」というのが小泉的な、短絡的な発想。円 借款など従来は外務省が基本的な大枠決めていたが小泉三世の御世に円借款実施してきた国際協力銀行の円借款部門切り離し国際協力機構(JICA)に任せ JICAの主業務たる技術協力と統合。ODAのうち外務省が決定権もっていた無償援助は外務省がJICAに実施「委託」となったそうな。で田村さんは円借 款のうち例えば環境円借款がどれだけ中国の環境汚染を改善しているか、を挙げ、それが日本にとってもどれだけ見返りのあることか、また円借款は返済義務が あり、実際に対中円借款は地方自治体が返済すること、その借款で建てた設備のコスト負担は最終的に住民であることから、ある種の民主的なコンセンサス、社 会的環境の整備にもつながり、人材育成、料金回収による返済など近代市民社会制度の移植にあたる、と。それが戦略的に日本の国益を守り、沸騰し暴走する中 国の軟着陸を支援するという重大な国際的要請が円借款には篭められてよい、と田村さん。御意。外務省のこの「国際協力」でふと思い出したことあり。今年の 8月、外務省では経済協力局と国際社会協力部の関連部門を一本化し「国際協力局」を新設。初代国際協力局長には小泉内閣で首相補佐官の別所浩郎氏が就任 か?というスクープも今年4月にあったが(阿部重夫氏のこちら)、経済 協力局の局長であった佐藤重和氏(元中国課長)が就任という報道が7月に流れ(毎日新聞など)それが一転して、国際協力局長はあの薮中三十二・外務審議官 が兼任と決定。佐藤氏は香港総領事に。で結局は薮中氏は暫定で最終的にこの国際協力局の局長に落ち着いたのは別所浩郎氏。別所浩郎といえば小泉三世の首相 秘書官で、飯島勲が内政なら日朝など小泉外交(それが外交に値したかどうかは別として)仕切ったのがこの人。薮中氏も言わずと知れた元アジア太平洋局長、 で別所、佐藤両氏ともいずれにせよ中国絡み。国際協力が対中関係絡みどころか国際協力=対中問題であることはこの人事からも明らかかしら。外務省は小泉内 閣幕引きを機に国際協力局通じて建前は官邸主導のODA戦略を換骨奪胎、事実上外務省主導にするつもり、というのが事情通の某氏の見方。

日記インデックスに<戻る>