乾 坤容我静 名利任人忙

教育基本法改正で愛国 心の 育成? ちゃんちゃら可笑しくて、そんな「国」はとても愛せない。文化人129名の反対声明 
憲法改正反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。(誰 かの言 葉

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十一月卅日(木)諸事忙殺され遅晩に至る。晩に僅かな時間惜しみ湾仔の茶餐庁に肉絲炒麺食し凍檸茶飲む。肉絲炒麺は日本でいえば細切り豚肉堅焼そばだが日 本なら「かなり美味い」それがそのへんの粗末な茶餐庁のどこでも食せることは香港の食の見事さとあらためて思う。アイスレモンティーとて香港中文大学で日 本語教えたY先生が日本の旧東京教育大学留学の折に東京の喫茶店でアイスレモンティー注文するとレモンが薄切り一枚しか入っていなかったことに「差別され たのか?」と思ったというほど日本のケチぶりにくらべ「これでもか」というほど檸檬が沢山の香港のそれがいかに贅沢なことか。

十一月廿九日(水)安倍三世が北朝鮮をいかに利用しているか。03年に安倍訪朝実現で蓮池薫氏らの家族連れて帰る見返りに速やかに日朝国交回復するとした 密約を将軍様に近い中国籍朝鮮族実業家に託し成功報酬60億円は国交正常化後に日本から北朝鮮へ渡される経済協力資金から一部を充当する、という話。横田 めぐみさんの良心ら安倍三世に娘の救出を、と願うが、もしそのシナリオで国交回復していたらめぐみさんらのことなど棚上げされていたのでは?という週刊現 代の特集面白い。ところで週刊文春と同じくサントリーの提灯記事で週刊現代もモルトウイスキー特集の保存版グラビア特集。実はあたしゃ最近「シングルモル トはわざわざバーで飲む必要があるのだろうか」と最近思う。モルト酒なんて自宅で飲めるのだからバーではむしろカクテルを、と。ウイスキーの基本は、映画 で、広い屋敷の書斎で急に友を訪れると、彼は机から立ち上がり「やぁ」と一言、徐ろにタンブラーからショットグラスにウイスキーをショットグラスに注ぎ、 杯を一つ自分に渡して、さっと目配せで乾杯、すっと一気に飲み干し、でソファに座り「で、用件は?」と。ショーン=コネリーのジェームス=ボンドもウイス キーはベッドサイドとかで雑にグラスに注いで風呂に向う途中で飲むものでバーではシェイクしたウオツカマティーニであった。余は007のおかげでずっとド ライマティーニはウオツカであり本当はシェイクするのにレシピを知らぬバーテンがスティアしてしまうので困る、と廿幾歳まで信じていた。晩に帰宅して昨日 の鏞記の羊腩煲、半分ほど残りお持ち帰りしたがだいぶ煮詰まっていたので土鍋で大根を煮たところに羊腩煲をあけて煮て食す。一晩おいた鍋は大根もよく案の 定、美味。残った煮汁でうどん食す。満足。
▼一昨日参観の写真家Leslie Keeについて。畏友O君より。この写真家の新嘉坡の実家、彼の少年時代、同じ集合住宅に或る日本人居住。その日本人の家からよく流れてくる歌が好きにな り誰だろうと思えば松任谷由実(荒井由実だった鴨)。ユーミンに会いたい!、どうしたらいいかしらと思案した結果、日本に行きカメラマンになればユーミン に会えるかもしれない、と留学。写真家としての修行を積みプロのカメラマンになり遂にはユーミンのアルバムジャケット撮影するまでに大成、との由。あらた めてこの写真家の人物写真に思うことは実にあっけらかんとして色気がない。ヌードでも陰湿さもない、エロ写真とはほど遠い明るさ、健全さ。それはそれで作 風か、だがどうも私にはピンとこない。

十一月廿八日(火)人民元切り上げUS$1=7.84となり香港ドルとの換算はついに1:1の時代到来。1990年だったか某日銀の方が余の財布に人民元 札があるのを見て「あ、紙屑」と冗談言われたことふと思い出す。畏友O君とメールでレンジファインダー談義。なぜ「プリンタのエプソン」から光に対し守備 範囲の広い(ダイナミックレンジの広い)写真機が生まれたのか?、O君曰くスキャナは(さらにはコピー機も)カメラそのもの。レンズがあって像を読み取り 現像まで。そして一眼レフとの大きな違いは撮る側の気分も異なるが何よりも撮られる側の気持ちの大きな違い。被写体が「はい、撮られますよ」と準備しての 記念撮影やらポートレートなら一眼レフのほうが「その気になる」かもしれぬが、それを除けばレンジファインダーのほうが構えない自然な有様を撮れること。 その対象が人間や動物に限らず、風景であっても、なんて言うと何やら超心理現象講説になってしまうが、現実的には一眼レフより「不穏な動き」感が少ないこ とは確か。だからストリート・スナップにはレンジファインダーのほうが向いている、という結論。O君曰く「一眼レフのレンズの出っ張り。あれは男根ではな いか」と。それは一般的には禍々しいものだが特に女性ポートレートにおいては男根的なその本質が効果的に、攻撃的に発揮され、とO君。御意。日本からN氏 来港。戦前、小学生時代を香港に住まい当時の貴重な資料お持ちで、当時の話など何度かお聴きする。ご尊父が湾仔利東街で地元民相手の雑貨商営む。利東街は 大規模な「再開発」直前で立ち並ぶ老朽化した建物は取り壊し寸前。晩にZ嬢と三人で中環の鏞記に食す。蛇 羹もいいが数日前に食したばかりなのに羊腩煲、それも鏞記が「古法羊腩煲」と呼び値段もなかなかなので期待して注文。頗る美味(「腩」という字、これまで 牛南麺なんて綴っていたが「腩」という字を中国語から引いてくればいいんであって、これからは牛腩麺と正字で綴ろう)。N氏に或る歴史編のDVDを差し上 げ、それを見るためにN氏の投宿されるRitz Carlton Hotelの部屋にお邪魔する。アップグレードの特典あり瀟洒なSuite部屋。ヴィクトリアハーバー一望。N氏はMandarin Orientalに常宿されるが改装後の人気で部屋がとれず、の由。日本では「新装マンダリンオリエンタルに泊まる香港三泊四日の旅」の如きパッケージ旅 行があった、とN氏。いつもお一人でダンディなブレザーの胸ポケットには素敵なハンケチ。世田谷は等々力のお住まいから「自動車を雇って」成田に向い、ホ テルはマンダリン常宿、手持ちのトランクも年代物と全てに紳士的。戦前、当時の香港日本人小学校に学び、満州事変からは香港でも反日感情高まり下校の際に 地元の子に石を投げられるなどひどい目にあった、とN氏。日本が中国で「ひどい事」をして日本は何ら被害もなく香港で日本人の子がその竹篦返しを喰らう。 今になって思うと満州事変からの情勢不穏な折に小学生が香港で一人で学校から帰宅の途についていた、というのだから、それが、当時は日本人にとって満州事 変からの中国侵略がけしてそれほど深刻なものとは認識されていなかったことの証左、とN氏と語る。香港に於いてすらそうだったのだから日本国内での認識な ど言わずもがな。
▼廈門大学が経営学などの学生にゴルフ必修とした愚行について先日綴ったが海南島は観光客誘致のためゴルフ場を現在ある18ヶ所から今後5年以内に20ヶ 所更に増やす計画。島じゅうゴルフ場になりそうだが、それでも島面積3.9万平方キロに38ヶ所だと1,026平方キロつまり32km四方に1ヶ所という ことになり、成田に到着する飛行機から眺める千葉県(5,156平方キロ)の実に154ヶ所のゴルフ場、33平方キロつまり5.8km四方に1ヶ所!って ほとんどゴルフ場以外に何があるの?に比べるとまだマシか。いずれにせよゴルフに興味ないものには地球の環境破壊以外の何ものでもなし。
▼まさに満を持して、と言うべき哉、信報にて林行止氏がThomas Friedmanについての追悼を語り始める。朝日新聞(経済面)のFriedman追悼記事が
チリの有力紙メルクリオ(電子版)は、「彼(フリードマン)の思想 の多くが米国よりチリで先に具体化され、成功を収めた」というエコノミストの言葉を紹介した。チリでは、アジェンデ社会主義政権をピノチェト氏が73年の クーデターで打倒。経済の混乱収拾に向け、フリードマン氏の下で学んだ経済学者たちを重用した。「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた彼らは民営化と外資導入を 推進し、インフレ抑制と経済回復を果たした。ただ一方で、貧富格差が広まり、失業率も上昇したとされる。
などとアジェンデ社会主義政権で疲労した国家をピノチェト大統領が建て直し経済が持ち直した、とピノチェト体制の讃美で無節操に宣ってみせたことは十八日 の日剰に綴ったが、林行止氏も昨日の専欄でこのフリードマンの教え子たちによる智利の経済改革を取上げ、経済改革成功というが、その陰で智利の失業率は 1973年の9%がピノチェト軍事政権成立後の75年には19%に上昇、前年比の生産力は13%下落。77年のGDPが前年比8%上昇見せたことでフリー ドマンは当時ですら独裁者として悪名高かったピノチェトだが「ピノチェト政権で智利は奇跡的な経済復興遂げた」と宣ってみせたが82年には失業率が最高 34.6%にまで達し生産力28%減(前年比)、83年のGDPが前年比19%減と低迷。70年に貧困層は国民の2割だったものがフリードマン改革の結 果、90年には貧困層が国民の4割にまで増加。逆に70年に人口の上層2割が国の45%の財産占有していたものが89年には55%となり特権階級と資本 家、それに対する貧困層の貧富の格差大きくなったことだけが結果として残る、と林行止氏はフリードマン経済学がいかに優れていようが実態として智利のピノ チェト独裁に加担することで富む物を富ませただけで終わったこと厳しく糾弾。今日の続編では、フリードマンの強調した貨幣供給が経済発展とインフレに与え る影響について述べる。貨幣供給の制限と高金利政策によるインフレ抑制が70年代から効力発揮したが90年代中頃になりその抑制力弱まったのはフリードマ ンの「貨幣が全てを決める」貨幣崇高主義が間違っていたのではなく東側共産主義の崩壊や社会主義国家の資本主義化により生産力(低い人件費など含め)が現 われ西側国家がインフレなどのコントロール能力を失ったもの、と指摘。この連載、まだまだ続くそうで話はフリードマンが経済学と経済政策に与えた貢献につ いて述べる、と言う。

十一月廿七日(月)2006年11月27日という、世間にとっては何でもないこの日が、競馬関係者にとってもジャパンカップの翌日、程度の日が北海道のば んえい競馬にとってはとても深刻な一日であったりする(斉藤さんの日記、こ ちら)。Kennedy Rdの香港設計中心にて新嘉坡のLeslie Keeなる写真家(見た目はほとんど田代まさし)がアジア各地の芸人やスポーツ選手だの所謂スター集めて撮った写真の展覧Super Stars参観。収 益は慈善事業に寄付だかだそうで著名スターがかなり大胆なヌードなど披露し東京でもつい最近、表参道ヒルズで展覧の由。日本では千五百円だかの入場料で香 港は無料。而もKennedy Rdのかなりアクセスの悪い場所ゆゑ平日など会場は数人の参観者のみ。まぁ芸人の脱いでなんぼ、の芸人根性とにいい意味で脱帽。ちなみにこの香港設計中心 が近いうちに九龍に移転。此の洋館が前行政長官・董建華君の官邸?になるそうな。無駄。ところで墓地の鳥瞰写真はHappy ValleyのParsee Cemeteryはあまり人目に触れぬ場所。白黒写真の、墓地の石碑の写真は香港(紅毛)墳墓(HK Cemetery)もの。Parseeとはペルシア系のゾロアスター教徒で香港にはかなり長い足跡あり。晩に自宅でパスタ食してGeorges Duboeuf Morgonの04年飲む。食後Dalmoreをロックで飲む。栓が多少緩かったが数ヶ月そのままにしていたらモルトが梅酒のような味になる。それはそれ で愉快。モルトといえば先週の週刊文春に保存版「シングルモルトウイスキーを知る、飲む、愉しむ」なる、明らかにサントリー提供の提灯特集あり。ウイス キーの「飲み方」は きちんと基本押えており、ロックの場合、まず氷を水でリンスして水を捨て氷を〆てから酒を注ぐことや水割りで氷たっぷりに酒を注ぎ十分にステアしてから天 然水を入れること(ハイボールもほぼ同じだがサントリーが供するThe Premium Sodaなるソーダ水はちょっと使ってみたい)、ブレンダーが原酒テイスティングする際の1:1の(当然、氷なし)Twice Upにまで言及しているのは立派。
▼十八日の蘋果日報に経済評論で著名なる楊懷康氏(壹週刊社長)がMilton Friedman氏追悼の記事を書いているのが興味深い。フリードマンが香港の政経に関わった切掛けとなったのは1955年の印度訪問からの旅で香港に寄 港したもの。この時に香港政庁の経済担当高官であったJohn Cowperthwaiteと出会い、Cowperthwaite氏はその後60年代に香港のFinancial Secretaryとなり、香港経済の飛躍的発展と生産力、貿易量増大の中で香港型自由主義市場経済の推進役として活躍。香港に立ち寄った Friedmanは、自らが貨幣問題の専門家でありながら当時の香港の通貨政策が今ひとつ解せず米国総領事館の経済担当領事やCitibank、HSBC の専門家に尋ねるがそれでも答えが出ず。でCowperthwaiteに「HSBCの専門家ですら香港ドルの発券の仕組みがよくわかっていないようだ」と 香港の通貨政策を質すとCowperthwaite曰く「奴らに絶対にそんなこと解らせないほうがいい。せっかく上手くいっているのを奴らが壊すことにな る」と言ったという(笑)。戦後の英国は労働党が政権を握り市場主義信奉する近経のエコノミストらは活躍の場を求め植民地香港へとやって来る。 Cowperthwaiteもまさにその一人。今年の一月にCowperthwaiteも逝去。91歳。
▼小泉三世に比べ安倍某は話題性乏し。首相官邸への引越も朝日で社会面のベタ記事。辛うじて一段幅45mmの写真あり「引越にあたって首相はこの日、都内 で工具セット、文房具などを購入」とおざなり。工具セット買い求めるのはいいが首相官邸という公共施設にかってにネジなど刺さぬようお願いしたいとこ ろ……くらいしかツッコミも話題もないわけで、これじゃ谷山浩子のオールナイトニッポン(木曜深夜27時〜、ビートたけしが当時1部)ですら葉書に書いて も話題にすらならなかったでしょう。

十一月廿六日(日)さすがに夜明け頃に目覚めもせずものの七時すぎに起きて明太子と納豆で朝餉。午前、月曜より溜まった新聞読む。昼前に出街。尖沙咀に渡 り香港芸術館で「似 與不似」遼寧省博物館蔵齊白石精品の美術展観る。本 日が最終日。「似與不似」とは齊白石の文人画を見事に言い表したさすがに上手い名づけ。今朝読んだ廿三日の信報に、日本では長崎剣術美術館の西班牙絵画 (須磨コレクション)くらいでしか注目されぬ伝奇的御仁、須磨彌吉郎(1892〜1970)が西班牙公使となる以前の1927年から37年にかけての足掛 け11年、外交官として中国に駐在し齊白石と出会い海外に齊白石の文人画をば紹介するに到る話あり。彌吉郎が白石に出会う切掛けは1928年に北京の日本 人倶楽部で挙行された齊白石の個展の由。そこで白石の「松堂朝日圖」を購った彌吉郎はその日の日記に「絵図中の朝日、家屋、松……それぞれは子供の描いた 絵のようだが全体の雰囲気は何とも言えぬ感動を覚える」といった感想あり。彌吉郎は白石の作品を蒐集し始め1929年の正月には彌吉郎は白石の自宅を訪れ るほど昵懇の間柄となる。須磨は1930年に広東領事となり33年に南京領事となるが37年渡米し40年から西班牙特命全権公使。欧州にてもピカソやマ ティスにまで齊白石の名が知れ渡ったのは須磨彌吉郎の業績という。戦後、A級戦犯の一人に挙げられたが釈放され衆議院議員になった須磨は1954年に超党 派の訪中団の一人として中国に渡り齊白石と再会。この年、白石九十四歳。彌吉郎に山水画「水連天」と篆刻家・姚華の「四君子圖」を贈った由。彌吉郎の白石 のコレクションは1973年に当時の香港博物美術館にて齊白石展で公開されたという。余は文人画の良さが殆どわからぬが何事も勉 強、そして何より齊白石の篆刻を一目みたいと今日の展覧千秋楽に駆けつけた次第。同芸術館にて巴里のポ ンピドーセンターのマスターピースコレクションがやってきて展覧会開催中。それも観る。モデルを描いた絵画ばかり彙める。警備員のほうが観衆より 多い? 何よりもピカソのHarelquinの闘牛士の肖像が、その細かい線の一本一本までけして無駄がなく見事で見入る。中環に渡り擺花街の懇意にする カメラ屋に寄る。先日放出のカメラ関係の周辺アクセサリー届ける。代りにというわけじゃないが49mmのレンズフィルターいただく。二時間こってりと按 摩。ジャパンカップはディープインパクト見事な勝利をテレビ中継で見る。この馬が強いのはわかるが全盛のうちに引退というような態度がどうも癪に障りハー ツクライとOuija Boardに賭けて負ける。Quarry Bayの行列のできる粥店、金龍にて及第粥、痩肉皮蛋粥を購い帰宅。机まわりの雑事片づけ晩に粥を 食す。
▼余はブルグミュラーを呪う。耳を澄ますとマンションの階上か、そして少し離れた棟か、何処からともなくブルグミュラーの「25の練習曲から第20番 op.100-20」って、よーするにタランテラが聞こえてくる。あの早いテンポで延々と一時間も繰り返されると不愉快極まりなし。ブルグミュラーを呪 う、というより正確には香港のナントカメソッドという英国系のピアノの級認定試験のある所為で、何年か土味噌から勉強した子どもらが中級の入るくらいの、 いわば彼ら彼女らにしてみればかなり大切な級にこのタランテラがあるらしく、だが本当のピアノのテクニックなど関係なく、よーするにタランテラが弾ければ いい、という安易な試験。で「ピアノ技能の普及」なんてお題目で結局は試験主催者側が儲かるばかり。
▼歩きながらとか地下鉄のなかで脇目も振らずに没頭して読まれている、そういう本の十中八九は間違いなく金庸の武侠小説。今朝もマンションのエレベータに 乗ってきた十二、三歳の子が読み耽る姿勢と、本の厚さで「あ、また金庸」と思ったが、やはり。余は金庸も池波正太郎、藤澤周平も読めぬので武侠小説のどこ がそんなに面白いのか全くわからぬ。
▼二十日のSCMP紙に政治面担当のGary Cheung氏の“The secret handover”という興味深い記事あり。香港の中国への返還というと1984年の中英合意がまず思いつくが更に遡れば1979年に香港総督 MacLehose卿が香港総督として初めて中共訪れた際に鄧小平から香港返還に関して香港の繁栄を寧ろ中国に反映させる中共側の実務的な感触得たこと で、これが英国側に香港返還を決意させた起点のように思われているが、実は今回公開された英国政府の機密文書によれば1969年にすでに英国側は新界の租 借期限である1997年に中国側が断固として香港奪回をする決意堅きことを弁え平和裡に香港返還する決意をもっていた、と。ただし1969年は文革もまだ 収拾されず香港も1967年の反英暴動からの社会的安定が立ち直っておらず、中国側との香港返還交渉は未だ時期尚早として80年代に入ってから、とされ た、という。それが鄧小平の登場で一気に70年代末にそれが現実となる。でMacLehoseの70年代の香港は社会的インフラ整備が飛躍的に整備され新 界開発など着手されたことで有名。それも実は、英国の香港統治にとって尤も面倒なのは香港での代議制の実施であり、MacLehose卿の言によれば「共 産主義者が政治を掌握せば香港の末路であり、ナショナリスト(当時は反共主義者を指す)が勝てば共産党が介入する口実を与えることになる」もので、そう いった代議制を実施せぬためには政庁の積極的な民生改善こそ重要。而も香港の中国への返還が決定すればカナダなど欧米系各国への移民が大挙して発生するこ とも明らかで、英国は中国に「繁栄した香港」の返還をするためには香港市民が香港を捨てぬだけの安定が必要であり(その点での中英合意)、 MacLehose卿の社会改革もそういった意図に則したもの。
▼満鉄について。地平線に沈む夕陽、特急アジア号……と満鉄は大陸のロマンとして語られる。満鉄設立から百年。日本での関連行事に比べ現地は静かで朝日の 記者が当時、満鉄で機関士であった81歳の老人のを取材したものが興味深い(朝日11月26日、水平線「満鉄」古谷浩一)。「当初、日本人職員との関係は よく、中国人でも機関士として尊重される雰囲気があった」ものが戦争の激化とともに43年ごろから変わり日本人職員が中国人を殴るようになり差別が残酷 だった、と云う。中国人職員が数名で集まり話しているだけで思想犯と疑われ、機関士として車両の暖房の故障を担当の日本人副機関士に注意したところ殴ら れ、上司にはその副機関士に謝罪しろ、と迫られる。よく「満鉄は中国東北地方のインフラ整備に大きな貢献をした」と言われるが、終戦の頃、或る日本人は 「おまえら中国人は何もできない。30年後におれたちがまた戻ってきてやるよ」と言ったそうな。週刊新潮や諸君なら「そらみたことか満鉄マンの言った通 り」と言うのだろうが、この言葉に結局は黄土建設だの五族共和だの嘘っぱちであったことの嘘だけは確か。

十一月廿五日(土)朝七時頃に雨音で目覚める。朝寝貪りたきところ日本より大先輩方来港中にて喜寿の方が実に三十五年ぶりにご来港では歓待する側も嬉しき もの。Z嬢と尖沙咀東の宿に皆さまお迎えにあがりタクシーで尖沙咀。幸いに雨歇む。総勢十二名にて艇船一艘雇い船に遊ぶ。西 九龍の埋立地眺めつつ佐敦フェリーの話、舊英海軍の軍港で今では九龍半島より地続きのStonecutters島に戦時の日本軍兵の遺骨収拾のこと、世界 一の規模である香港コンテナターミナルを眺め青衣の島を巻いて汀九橋潜り青馬大橋の橋桁の如き馬湾の島に上がる。もう何年前かZ嬢と、青馬大橋が出来て馬 湾の島に珀麗湾(Park Island)なるマンション群の工事始まる頃に一度この島訪れる。深井より渡し船あり。島の古くからの村は賑わうが島の反対側ではマンション群建設のた め巨大な規模で地盤工事の最中。それから何年の年月か、本日、埠頭から上がれば集落にはわずか数軒に人が住まうのみで、過密に空家並び何れの家屋も政府に よる接収と管理下にあるという札かかる。廃墟マニアには垂涎の島の集落となる日も近い。此処にテーマパーク建設計画もある由。小高い丘に上がると美經援村 (CARE Village)という何らかの財政的公共支援受けた小さな集落あり数世帯が住まう。嶺南様式の小学校舎版とでもいおうか芳 園学校舊祉も近くまでマンションなどの造成進み、どうやら校舎自身の解体こそ免れた模様。人の住まぬ集落の大通り抜けて波止場に戻り再び乗船。ラ ンタオ島の東南をぐるりと回り、此処もいずれの日か廃墟となるのであろうか香港鼠楽園を遠くから眺める。巨大なホテルと中国からの旅行者期待の合宿所の如 き安ホテル、遠くに粗末なシンデレラ城。長州島に上る。海より波止場に向い右手に旅行者相手の海鮮料理屋並ぶが雇った船頭に「左のほうに行けば安い料理屋 ある」と聞き北帝廟の方に歩き地元の客で賑わう料理屋に入る。お決まりで白灼蝦だの、浅蜊、烏賊、石班など食すが長州島にはまずおらぬであろう羊の南肉鍋 が、これが実に美味。十品ほど注文し麦酒も数本飲んで十二人で八百ドル弱(一人千円)とかなり割安。公用除き自動車走らぬ長州島においてはベンツの三輪車 もあり。香港に戻り中環の皇后埠頭(ここもあとわずかで廃止か)で今晩より湾仔に泊まる客人下ろし尖沙咀にて解散。Z嬢がスターフェリーでまだ中環側の新 しい波止場迄渡ったことがない、と言うのでスターフェリーで中環。Z嬢もやはり「二度と乗るまい」の感。夕方遅く帰宅。ひやむぎを食す。昨日までの疲労感 と眠気でほとんど何もできず今日の写真を編み辛うじて日剰綴るのみ。

十一月廿四日(金)先週より多忙続き月曜より一切新聞も読んでおらず新聞分厚く溜まる。遅晩に体重測ると一週間で2kg減。
▼琉球舞踊の祝賀の舞「かぎやで風」観る。琉球に大陸から来たる冊封使と国王の御前にて舞われたという、ゆっくりとした調子の古い琉球の音色に合わせた恭 しき踊り。呼吸、風、荘厳さ。国家安泰、延命長寿、五穀豊穣の念を込む。が<国家>とは中世の琉球王国であり、日本ならさしずめ平安の京。国家安泰の念に 近代の偽造感じられず。話によれば1719年に尚敬王の御世、大陸からの冊封史迎えし式典の後の重陽の宴にて「老人祝聖の事」として演じられし記録あり、 のちに「かぎやで風」と歌曲の名が用いらたという。

十一月廿三日(木)廿年前の仙台住まいの頃の旧友K君ご夫妻で来港。昼にHappy Valleyの益新酒家に食す。二歳のお譲ちゃん幼気可愛らし。益 新の副給仕長曰くHappy Valleyのこの小さき食肆はそのまま山あいの高級住宅地Jardine's Lookoutに新たに食肆開業との由。かつて銅鑼湾Lee Theaterに益新在りし頃の料理人、給仕ら復た雇い舊肆にて評判の焼臘、殊に焼鴨、點心の類い供すると云う。まことに嬉しき話。諸事忙殺され遅晩に至 りと言いつつ、ちゃっかりEPSONのR-D1sを 入手。問題のレンズについては熟考の末とはいえぬ衝動買いでElmarit 28mm f2.8得る。二更に銅鑼湾のバーSに寄り一飲。Z 嬢来て酌す。

十一月廿二日(水)諸事忙殺され晩に至り帰宅して酒飲まず、で夕食。年にわずか数日の休刊日。深更まで仕事。ContaxのT2とG1、手放す決意。カメ ラを飾る趣味はなし。左の画像は銅鑼湾のヘネシーセンター解体工事。三越百貨店香港店、香港日本人倶楽部などこのビルに。見事な竹組み。T君撮影の写真借 用。
▼週刊文春も週刊新潮の前ではリベラルに思える、というくらい週刊新潮の論調は極端だがお粗末な文章もあり。毎日新聞の佐賀支局記者が県知事の記者会見で 天皇の「全国豊かな海づくり大会」への招聘につき県予算の無駄遣いと噛みついた、という話。記者の県知事に対するゾンザイな口の利き方が記者会見のネット 画像で見られ記者の不謹慎が話題になっている、という。それはいいのだが記者の履歴紹介に突然「今年、佐賀出身の日本人女性と結婚」とあり、そのあと知人 のコメントn「彼が生まれた村では在日朝鮮人の家は一軒だけ……」云々の話があり、どうやら、この記者が在日朝鮮人である、ということがようやく憶測され る。記事の文面ではこの記者が「礼儀知らず」「敬語知らず」と厳しく糾弾され在日であることは一切触れられず(そこで触れると差別、蔑視になるのだろう) さりげなく「今年、佐賀出身の日本人女性と結婚」でそれを臭わせ、知人のコメントで記者の出自に触れる、なんという卑怯さ。

十一月廿一日(火)東方日報に「幇弟弟入名校大家犠牲下父母逼兒子留級」と一面トップ記事。香港のラサール小学校で在校生の弟の場合(ここは男子校)、入 学試験で優先枠あり。長男が小6でこの学校に通う家庭で弟の入学図る際に兄が卒業してしまうと弟優先枠得られぬため(同校の中学部入学では弟の優先枠得ら れず)長男を無理矢理留年図る。世も末。下午下多雨。晩に大雨。「黄雲」の集中豪雨警報発令は観測史上11月では初の由。闇の中FCCに向おうとピーク近 く越えると突然雨歇み雲の絶間に見事なヴィクトリアハーバーの絶景。雨で汚れた空気流され遠くまで鮮明な夜景に見惚れる。FCCのラウンジでI氏と会い一飲。ダイニングルームに移り夕食。ワイ ン好きのI氏選んだ西班牙のJean Leonというシャルドネの赤葡 萄酒の2000年。「香りはいいですが、ちょっとまだ風味は固い、でもしばらくすると味がよくなりますよ」但しデカンタに空けるほどではない、とのご指 摘。料理に頼んだ鴨の腿肉の煮込み料理がワインにとてもよく合い、而もワインが本当に食後の頃には実にまろやかになり食後の飲み干しも実に心地よし。食後 に地下のジャズクラブでピアノとベースのデュオ聞きながらボムベイサファイアのジンを一杯飲み帰宅。
▼「また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし」(新約聖書ヨハネによる福音書8章32節)について。この言葉の揮毫「真理令爾得自由」が某 国立大学の図書館にあり。別に匿名にする必要もないが北海道のプロテスタントの学校といい「真理は人を自由にする」と謳う国会図書館といい、この国立大学 といい、そういう<自由>がすべて反体制のよからぬ扱い受けるような危機感がいまの教育基本法改正で愛国心強要の日本の空気。恐ろしいかぎり。でこの「真 理令爾得自由」はかつての最高裁判所長官、故・藤林益三元氏揮毫によるもの。もともとは藤林氏が関西の女学院に掲げられた「真理令爾得自由」 を見たもの、でこの女学院の揮毫は厳谷一六によるもの。
藤林益三(1907〜)京都府五ケ荘村田原生。弁護士。第7代最高裁判所長官。夫人は巖谷小波の末娘。昭和52年に勲一等旭日大綬章受章。
厳谷一六(1834〜1905)滋賀甲賀市出。官吏、政治家。中国の六朝風の書体をよくし、一六派ひらく明治三筆の一(一六の他に日下部鳴鶴、中林梧 竹)。巖谷小波の父。
というわけで一六は藤林氏の妻の祖父。
▼昨日ヤンキー先生の母校での学校存続の危機となったという大麻「事件」について綴ったが、ふと思ったのは「自殺しようと思った子どもたち」に鴻上氏の 「学校から逃げろ」もいいが、せめて15歳くらいから、なら「まぁ、大麻でも一服」も一興か、と思う。少し肩の荷をおろしてリラックス、で。
▼ヤンキー義家先生について、昨日、リベラルから体制派への「転向」と言うにもおこがましい「移動」について書いたが、これは何も考えていないから、なの か(本人はそうであるにしても)何か強い力が働いたのではないか、と憶測。話題性のあるキャラとはいえ、いきなり安倍三世の教育改革の目玉組織の中心に据 えるのはあまりに大胆(小泉内閣でのお猪口大臣の比でなし)。例えば与党内(公明党を含む)での強い推薦であるとか、ヤンキー先生を与党側に惹きつけたと ころにヤンキー先生もころっと転ぶようなかなり威厳ある人物が直接会って一本釣りした、とか。「偉い人に弱い」のがヤンキーの習性。偉い、といっても単に 組織のトップとか肩書とか、だが。
▼遺した芸談集で貴重な歌舞伎の尾上多賀之丞が日経の「私の履歴書」で昔「脇役がもっと恵まれないと、脇役をやる役者が出てこなくなってしまう」と語った 一言について、今になって、の面白い話を聞く。

十一月廿日(月)四国松山の山田屋まんじゅう、を頬張る。美 味。晩にAberdeen(と聞くとどうもYellow Magic Orchestraを思い出してしまうのだが)香港仔の某所で開催された某パーティで末席を汚す。パーティ苦手で同行の氏2名と途中で遁走。Happy Valleyの寿司澄に食す。銅鑼湾に参りバーSに一飲。
▼安倍三世の教育再生会議で担当室長まで兼任するヤンキー義家弘介先生、かつては岩波『世界』などで国家権力による国旗国歌の押し付けに反対するような論 調張っていたが今ではすっかり体制側。いじめ問題への対応に国の関与が必要との認識示し、産経新聞の取材に「教育委員会と教職員組合がなれないになってい るのは健全ではない。教育委員会からいじめによる自殺が7年間ゼロという誰も信じない報告が上がってきても国は事実上何もできない。国がマニフェストを出 させて(教育委員会から?)いい教育委員会を支援すべきだ」と宣われるのだが、義家先生にはまず、現行の教育委員会制度がどう民選制から任命制となったの か経緯を勉強していただきたいところ。また境域基本法改正反対などこれまでの論調を質されると
私が勤めていた北星学園余市高はそういう傾向の学校だ。しかし、い ろいろな人と出会って疑問が出てきた。自由も権利も個性も、教育のスタートではなく結果だ。教育基本法を変えることで意識を変えるきっかけになる。それ に、現行の基本法には家庭の責任が書かれていない。(国旗国歌の指導については)生徒に校内規則を順守させているのに、教師が学習指導要領に従わないのは おかしい。国旗国歌を教えるのは思想信条ではなく教育者としての責任だと、今は思う。
と。あのリベラルな主張は結局、自分自身の声ではなく所属校のカラーだったとは(嗤)。赤い水に泳げば赤く染まり青い水なら青く染まる、という、これは思 想的「転向」以前のことか。国家と社会の規則である法律に、なぜ<家族>のことが謳われないといけないのか、法律がなぜ家族の範疇に可侵できるのか、基本 的な法の知識もこの先生には欠如。国旗国歌については国旗国歌法制定時に小渕さんが「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えており ません」と強調。最高法規たる憲法で思想信条の自由が謳われており、陛下の言われる通り「強制はよくない」の御言葉その一言に尽きる。であるから、それを そんな勝手に「教育者としての責任」なんて安易な妄想にて強制されては困る。また愛国心については
教育は「大切なものは何か」を示すことからしか始まらない。それは 学校であり地域であり国だ。いじめが放置され、子供の安心、安全がおびやかされていては、子供たちに帰属意識は生まれない。そのためにも、いじめをなくさ なければならない。
と宣われる。まるで本末転倒な認識。大切なものは何か。それは<己>、自分自身という個人。ヤンキー先生、たしか以前は「自分を大切に」とかおっしゃって いなかったか。大切なのは自分自身であり、その自分自身を守るために地域や社会があるはず(本来は)。帰属意識など、その地域や社会を維持するために「自 分もその構成員である」というお約束事のために必要なだけのもの。帰属意識がなくても生きていけるなら、それはそれでよい。こんなレベルの人が教育者とし てチヤホヤされるのだから呆れるばかり。
▼札幌の中学生が教育基本法改正案について阿倍三世に反対の声明文送ったところ「匿名の大人」から抗議文届く。この中学生らは自分たちで考えた結果(それ が偏向教育だ、と指摘されるのだろうが)教育基本法改正は「愛国心を国民に強制するものだ」との結論に至り阿倍三世に手紙を送った由。
自分の国を大切にというのはいいが、間違った方向に進んでいるん じゃないか。改正反対の人はしょうがないと思っている。動かないとこのままですよね。
とこれくらい思考回路の開いていることは15歳に頼もしさすら感じるが、この少女に対して「安倍首相の送った中学生の意見書は何だ?、お前ら、学校で何を 教えているんだ」とこの中学生の学ぶ学校に匿名のメール。その学校の教頭曰く「生徒が自分で関心を持って意見を表明したのは素晴らしい。いろいろな意見を 封じ込める残念な反響だ」。愛国心の強制どころか自由な言論すら封殺するが如き風潮(道 新記事)。ちなみにこの学校、ヤンキー先生が教鞭とった学校と同じ学校法人に属すプロテスタント校。高校時代に暴力事件起こし高校を放逐され親に 絶遠されたヤンキー先生を救った母校を含め、この学校法人はもはや「偏向教育の拠点校」の如き色眼鏡で見られるのであろう。ヤンキー義家氏はその高校卒業 後、やはり数少ないリベラルな校風誇る明治学院大学に入学。大学3年の時にだかオートバイ事故で内臓破裂。生死の境を彷徨うが恩師の「おまえは俺の夢なん だ」という励ましに感動し奇跡的に一命をとりとめた、というような美談もあり。その後、母校に教鞭をとり担任した学年で大麻吸引「事件」などで大量逮捕者 出し(べつに大したことぢゃない)学校存続の危機に陥るが見事に生徒ら更生させヤンキー先生の名が全国に広まる。自意識過剰がかなり強いことだけは明らか なヤンキー先生。母校カラーの強い反体制的なヤンキー先生を取り込み手懐けた自民党政府は見事という他なし。もう一度、この学園の教育理念をよく読んでみ たい。
本学は、プロテスタンティズムを建学の精神とする(略)。(略)基 本は知的誠実である。それは、神の前で自己や自国を相対化し、謙虚に学びつづける姿勢である。「神を畏れることは知識の初めである」(旧約聖書:箴言1章 7節)。自他の人格の尊厳を知り、人間を何かの手段と見ないキリスト教的価値観が、本学の営みの根底に潜む。見識を備え責任を自覚し、社会に貢献する独立 人を養成することが、本学の目標である。それは、抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ、内外のあらゆる人を隣人と見る開 かれた人間である。そういう意味での自由を本学は目指している。
と。まさに個人の尊厳、自立の大切さ。そしてそれを維持するための自由。学園長先生は新約聖書ヨハネによる福音書8章32節を引く。
また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。

十一月十九日(日)朝日の読書欄で陣内秀信氏が(この陣内書評の隣にある高原明生先生の米国の中国本の評論も面白いが)元田與市『日本的エロティシズムの 眺望』という本を紹介。極端に例を出せば、前近代の日本では女性の乳房は男にとってエロティックではなかった、と。それが性的な視線になるのは近代を迎え る頃の西洋への憧れ、とする。元来、女性の表情や容姿、浮世絵に見られる脹脛や太股の一部のチラリズムや近松の曾根崎心中で人形浄瑠璃で男の人形の手が女 の人形の素足や肌を触れる、そのあたりにあるエロティシズム、と言う。風邪からだいぶ回復したが頭痛と喉の痛み残り午前中大人しく養生。昼すぎに尖沙咀。 香港芸術館で中国の20世紀、恐らく最期の文人画家であろう齊白石の作品展(遼寧省博物館収蔵品)開催中で、それを見るつもりがのんびりと隧道バスなど 乗ったら意外と時間要してしまい(新聞に目を通すにはよかったが)じゅうぶんな時間なく齊白石は断念。それにしても大気汚染厳重。風邪っぴきでマスクして いたからいいようなものの、ちょっと歩くのは躊躇うほど