乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


十一月卅日(日)晴。朝の気温は摂氏10度ちよつと。昼は廿度近くで日較差大きな乾燥した天候。それにしても広州でこんな見たこともない青空。朝早く朝食 済ませ香港から破つてきた未読の新聞読み。タクシーで広州東站。和諧号で深圳。A氏と別れ深圳の知る店に按摩。ふ と、かつての皇崗のボーダーが新しくなつてから渡つてゐないことに気づき会展中心站で乗り換へ福田口岸。そりやたいさう立派な施設。站前に風俗店乱立、と いつた感じのかつての猥雑さ一掃された。香港側の落馬州もボーダー超えるとMTRの列車乗り場。バスで湾仔まで戻らうか、と思つてゐたが時間なくMTRで 紅磡。銅鑼湾のホテルでK氏を拾ひタクシーで北角の寿司加藤。 Z嬢、深圳から戻つたA氏と夕食済まし二更に入つた頃には帰宅。ジャパンカップはスクリーンヒーロー(デムーロ騎手)がG1に初出走で優勝の由。
▼香港でタクシー料金値上げ。初乗り(2km)がHK$15から2ドルの値上げ。以降200m毎のHK$1.4がHK$1.5に。但し長距離は逆に安くな る設定だがブレイクイーヴンがHK$85から。狭い香港では尖沙咀から香港島へ乗つても海底隧道料金除けばHK$60〜70くらひでHK$85となると香 港島から九龍深部、新界にならぬと恩恵もなし。空港ともなるとHK$150くらゐの割引となるが。今晩、北角から陋宅がHK$5の値上げであつた。「自家 用車はコスト高」でタクシー利用の方がずつと/\お得、でつい/\タクシー移動が癖になつてゐるアタシだが愈々鳥渡考へ直しの時期鴨。

十一月廿九日(土)晴。昼近くまで机に凭り諸事済ます。昼。炮台山の場外馬券売り場。明日のジャパンカップでO君に促され石橋守騎手の応援馬券購ふ。メイ ショウサムソンに勝ち期待するのは鳥渡。で複勝多め。自然や。午後からご一緒のA氏とZ嬢と昼を食す。昼からちらし寿司といふ名の海鮮丼。Z嬢と別れ某氏 とタクシーで紅磡站。午後の直通列車で一路、広州。久々の客車列車はかなりオンボロ。時間が合ふ限り皆が九廣通(Ktt)号に乗るのはわかる。が機関車に 牽かれた九輛が深圳〜広州間は前後走る和諧号に負けじと全速力で時速160キロくらゐは出してゐるのかしら?で走るのはご立派。広州東站に到着。哈爾浜行 きの列車見かける。広州から哈爾浜まで列車の旅が羨ましい。H氏の出迎へ受け自動車で花園酒店。投宿。晩にM氏とH氏と四人で天河北路は嘉逸 国際酒店にある「武蔵」なる日本料理屋。A氏とM氏はもう三 十年来の知己でM氏とアタシも1991年だつたかにバリ島で出会つてからのおつきあひ。H氏とはA氏もアタシも2000年からの知己で今はM氏とH氏が今 はお仕事上で親しく……と世の中ほんとに狭い。武蔵は気風の良い和服の女将が仕切る。豚しやぶ/\。女将も誘ひ焼酎バー和葉葉。ホテルに戻るとA氏のかつての会社の後輩G氏らいらつしやつて をりホテルのバーで旧交深め更に一飲。それでも半夜三更でお開き。

農暦十一月初一。疲れ通り越して自分でも何をしてゐるのかよく解らず能率悪き一日。帰国間際の 某氏に背広や上着などいただく。晩に来港中のK氏と湾仔の六國ホテルの粤軒に 食す。紹興酒を飲んでゐたらどうも指がべと/\。飲み方がだらしないほど酔つてはをらぬ。硝子の杯から酒が漏れてゐるやう。よく見たら微細な亀裂あり指も 少し切れ て、べと/\を拭ぐひてゐたおしぼりに少し血がついてゐた。お詫びに、と紹興酒再来一瓶、で気持ち良く酔ふ。銅鑼湾のバーSに飲み二更のうちに帰宅。本 日、陋宅の居間にワイヤレス網拡充。
▼ボムベイの惨禍。「人命の犠牲よりも」といふのは不謹慎かだらうが更に強烈にタジマハールホテル炎上が目に焼き付く。法隆寺金堂であるとか金閣寺、紐育 の911の国際貿易中心であるとか建物の焼失が人に与へるインパクトの大きさ。建物の象徴性。ふと子どもの頃の近隣の大型商業ビルの火災思ひ出す。二人が 死亡。当時は市街でも有数の大型ビル。でほゞ全焼。火事場と呼吸困難に陥つた被害者の救出など混乱する中で、まだ貰ひ火の危険性すらゼロではないのに、火 事も収まらぬうちから酒屋が次々と火事見舞の清酒を届けに来ることにこそアタシは驚いたものだつた。

十一月廿七日(木)忙しいのに昨日、突然思ひ出してもう二週間くらい前に入手済みのアップル社のTime Capsuleをセットアップ。アップ ル社の宣伝では
Time Capsuleは、セットアップも簡単。すぐにバックアップを始められます。
とあり
Time Machineが、ネットワーク上のTime Capsuleを検出してくれます。あとは数回クリックするだけ。新しいTime Capsuleがバックアップドライブとして設定されます。
のださうな。具体的には
アップルメニューから「システム環境設定」を選び、「Time Machine」をクリックします。スヰツチを「入」にします。使用するTime Capsuleを選び、「バックアップに使用」をクリックします。初回バックアップでは最初の24時間分が保存されます。
といつも(説明では)設定は簡単。だが実際に設定しようとすると、先づAirPort使つたwi-fiの設定も慣れてゐないと易しからず。繋いではみたが 既存のネットワークで初回のバックアップはかなりの時間、説明にある通り一昼夜は必至。で、こりやたまらぬ、とethernetにしたら一時間もかからず 50GBが終はつてしまふ。ならば「とくに大量のバックアップが必要な初回はethernetなど使つた中継をお勧めします」とでも言へばいいのだが、 アップル社は他社に先駆けフロッピディスクドライブの廃止したのと同様、もうアップル社にとつて接続といふのは無線が当然らしい。いづれにせよ黙つてゐて もバックアップ続けてくれる、而も過去に遡り復元可能な、そんな製品を出すだけアップル社は大したものだが。晩に或る方の送別会あり日本人倶楽部。末席を 汚す。二次会に誘はれたがさすがに疲労感甚だしく二更のうちに帰宅。臥床。忽ちに眠りに堕ちる。ボンベイの惨禍も全く知らず。

十一月廿六日(水)インフルエンザ予防接種。昼に二年ぶりに東京よりN氏来港にてZ嬢と鏞記に食す。戦前に香港で幼少送りし御仁なり。もうすぐ八旬の氏は 矍鑠とされたもの。地図の細かい字を読むにも老眼鏡要らず。机上の諸事強制終了で遅晩に知己の両名と渡辺貞夫のコンサートあり市大会堂に聴く。このナベサダも1933年 生まれ。アタシが高校生の頃にカリフォルニアシャワーだのモーニングアイランドのLPで所謂ナベサダブーム。ナベサダ、そしてソニー=ロリンズばかりか チック=コリア、復活した帝王=マイルス=デイヴィスまで!明るいジャズの時代の到来。当時、高校の近くにあつたジャズ喫茶に昼は学校の塀を乗り越えて抜 け出し、夜は夜で1500円でボトルキープできたサントリーホワイトを大人ぶつてちびちびと飲みながらコルトレーンに傾倒してゐた(つもりの)アタシにと つて「ナベサダねぇ……」な感じであつたし、シーラ=ジョーダンといふ女性ヴォーカルのMy Favorite Thingsが好きでいつもそれが昼の店開け曲にしてゐた、そのジャズ喫茶の女将。昼から暗いジャズ喫茶でカリフォルニアシャワーは絶対に似合はなかつた だらう。が、スタンダードなジャズのナンバーが流れ、誰の曲かしら、と“Now Playing”の棚を見たらLPのジャケットにナベサダ。えッ?と驚いたのが確か“I'm Old Fashioned”といふアルバムでハンク=ジョーンズ(p)、ロン=カーター(b)、トニー=ウィリアムス(ds)のトリオとの合奏。こつちのナベサ ダの方がずつと良いぢやない、と。それにナベサダ著の『ジャズスタディ』なんてジャズ音楽の教則理論の本も読ませてもらつたのだつた。で、市大会堂で満員 御礼の今晩もC調のあの明るい音楽続き途中、数曲の短調、バラードもあつたがAマイナーで白鍵だけの曲がこゝまで続くと途中鳥渡食傷気味のアタシだつた が、途中一滴の水すら飲まず、二時間演奏しつぱなし、でやられてしまふとただただ敬服の極み。渡辺貞夫(as)、小野塚晃(pf)、矢堀孝一(elg)、 コモブチ・キイチロウ(elb)、石川雅春(ds)、ンジャセ・ニャン(per)といふ布陣でニジャセ=ニャンの太鼓が格別。ベースの菰淵氏は幼きころ香 港育ちの由。香港でこんなに動員があるとは驚き。しかも日本人の客など2割程かしら。MCもずつと英語だがイントネーションが平坦なのは栃木つぽいとこ ろ。タモリがオールナイトニッポンでナベサダの栃木弁をよく真似してゐたこと思ひ出す。アンコールでは香港の若きジャズサックス奏者を招き合奏で殊更盛り 上がる。市大会堂を出てご同行の氏が銅鑼湾に知る家に飲む。

十一月廿五日(火)忙しくてふら/\。晩に香港国際空港。急ぎターミナル2の全く美味くないが空いてゐることだけが取り柄の餃子屋で晩飯を済ます。来港の 某氏お出迎へ。銅鑼湾の宿にお送りして打合せ小一時間。バーSに獨酌。Mortlackの1970年のモルト酒を飲む。帰りがけにやはり独り来飲の某氏と 邂逅。氏がボトルで入れられしStrathisla(ストラスアイラ)の1963年物賞味賜はる。美酒の極み。

十一月廿四日(月)諸事忙殺され昼に来港中の斉藤さんと昼食の予定が直前で断念。昨日は十二月の香港国際のスプリントとマイルの予選であつたが全く出走馬 すら見てをらず。斉藤さんはその観戦。で夕方、慌てて軽率なポカ。しかもメールで何名の方が気遣ひのなか遣り取りしてゐたものを軽率にも送り先拡大してし まふ。かなり精神的に凹んだが晩遅くまで仕事続く。帰宅してThomas Hardy's Aleを飲む。2006年モノはまだ若いのだが。
▼厚生省高官殺害事件。容疑者が出頭。容疑者は「小学生の時に家に来る野良犬を飼ふやうになつたが自宅で営んでゐた駄菓子屋の客や周囲の人によく吠えるた め保健所に処分されたことを根に持つた」さうで朝日新聞にメールで「今回の決起は年金テロではない。34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである。やつ らは今も毎年、何の罪のない50万頭ものペットを殺し続けてゐる」と声明を送る。この背景だけでの判断は危ふいが十九日に「同時多発テロ」とまで言ひ切つ たNHKはやはり低レベルであつたことは確か(十九日の日剰の記述参照されたし)。それにしてもアタシもまさかこの犯行の背景が小学生の時の可愛がつた犬 の処分が背景にある、と迄は思ひもせず。四十代のこの官僚と妻の殺害といふ行為の是非は明らかだが、この事件、上海で自転車の登録の有無での警察の対応根 に持つて警察署に乱入し警官九名だか銃殺の青年(死刑求刑)への何らかの社会的同情や共鳴と同じく、容疑者の「官僚は悪」といふ主張に内心共感する者も少 なからず、か。
▼今日の信報より。馬國明氏の「麻醉藥當定心丸」より抜粋。
在後九七年代裏,永享「安定繁榮」既是國內領導人不斷重複的承諾,也是香港社會自我麻醉的針藥。在後九七年代裏香港名義上已脫離殖民統治,享受高度自治, 但實質上殖民統治的格局依舊維持不變。更甚者維持不變這種格局是中國大陸順應民意才白紙黑字寫進基本法裏,即使維持不變的格局出了問題也不能怪誰。
後九七年代的香港社會有如武俠小說所的自廢武功,在完全沒有檢討香港社會在殖民統治期間造成的各種弊端的情況下便一味要維持這樣不變,那樣又不變。香港的 貧富懸殊十分嚴重,而且不斷惡化,這一點不是什麼秘密,特區政府亦曾裝模作樣成立了一個扶貧委員會。扶貧委員會無疾而終,政府隻字不提,社會上亦好像沒有 異議,如果能夠永享「安定繁榮」,如果香港奉行的自由放任資本主義能夠不斷創造無窮無盡的財富,貧富懸殊便不成問題,只要懂得投資,懂得理財,連十多歲的 學生亦可以賺到第一桶金,接着大展拳腳。人人永享「安定繁榮」,有人腰纏萬貫亦不必眼紅,反正那只不過是紙上富貴而已。曾蔭權是聰明人,絕對不會自找麻 煩,取去「安定繁榮」這支麻醉針。他成立的是「經濟機遇委員會」,當前的危機其實是機遇,商業機構大條道理裁員;最低工資、最高工時立法亦可以免問。為什 麼貧富懸殊?經濟好景時不能受惠的大有人在,而這些人恰好是經濟轉壞時首當其衝的人!

十一月廿三日(日)晴。「日本のまつり」なる香港日本人倶楽部主催のイヴェントあり。香港中央図書館裏のMoreton運動場にて。Moreton Terraceなる街道、テラスと名づくのは尖沙咀のKnutsford Terraceとか文字通り高台だが此処の場合、何処がMoretonと云ふ高台なのか見当つかぬ。朝から汗ばむやうな陽気。昼は夏のやうな暑さ。今日が 毎年恒例のNikeの10kmレースと競馬は香港国際カップ予選。Nikeの10Kなど朝は肌寒いはず。今さら温暖化は驚くに値せぬか。

農曆十月廿五。小雪。晝過ぎまで晴れなれど片づかぬ諸事少なからず。基地にて机に凭り午後に至る。按摩。早晚にFortress HillのM家。Z孃もJenny Bakeryのクッキー持參で來る。ご亭主によるパキスタン料理食す。ゴードンのジンをペリエで割つて飮む。

十一月廿一日(金)昼過ぎて今週の多忙も少し和らぐ。が夕方に参加しようと思つたインターコンチホテルで開催のみづほコーポレート銀行主催の野上義二氏講 演会「米国大統領選挙後の国際情勢を読む」聞 き逃す。野上氏はもう十五年くらい前だつたか、の香港総領事。経済局長から外務審議官で「上がりか」と思はれたが真紀子大臣の騒動で外務次官になり「髭の 次官」の真紀子大臣との確執は万人の知るところ。真紀子外相と言へばさんざん苛められた髭の局長、槙田氏も野上氏の数代後の香港総領事であつたが。で野上 氏は真紀子大臣との喧嘩両成敗で次官退任、だが英国公使の身で暫く蟄居したと思へばPiccadillyの主(英国大使)となり外務省的には殿上に昇り詰 め、で今年6月からだかみづほ銀行の常任顧問。結果論だが真紀子騒動なければ事務次官▶英国大使の最高待遇になるはずのない省内非主流派(経済)と思へば 真紀子大臣に感謝、鴨。英国人の奥様が気さくな方であつた。で早晩に尖沙咀でI氏と贈物買物。ダンヒル。晩に三十人近い宴会あり「自然や」。末席を汚す。 二次会で銅鑼湾のバーY。半夜三更に帰宅。
▼十八日(火)の蘋果日報で陶傑さんが米国の小浜氏の総統就任と、その「変革を!」と訴へた揚げ句の「クリントン回帰」酷評。題して「用 錯一個人」は一読に値す。もう一つ同紙十七日(月)の李怡氏の「陳 水扁往事如煙」は七十年代の台湾の「党外」の民主化運動と美麗島事件の被告側・阿扁弁護士の活躍、その活躍を当時をよく知る李怡氏ゆゑの嘆き。

十一月廿日(木)朝から出稽古。昼に然る祝賀会あり末席汚す予定が俄に他の仕事舞ひ降り夕刻まで調整に追はれ晩には或る社中の舞台お手伝ひの筈がそれまで 取消し。急きよ晩に出ずつぱりのZ嬢と城市花園の「自然や」 に食すことに。メニュー上はAといふ名のBがお見事、だが評判になると採算の合はぬ献立で出に くゝなるので匿すべきか。連日の多忙と疲労感に飲酒避け休肝日を、とか思つたりもするが酔ふと肩凝りや目の疲れが解消されすつきりなのも困つたもの。暫く すると睡魔に襲はれるのだが。

十一月十九日(水)呆れるほど忙しさ続く。かなり久々に自宅で夕餉。秋刀魚を焼いて食す。ふら/\で午後九時過ぎには朦朧として意識失ふ。今月初めに買つ たカメラ雑誌とて遅々として読み進まず。
▼厚生省の元高官2名狙つた殺害行為。NHKのNW9など「この連続多発テロ」と言ふ。年金担当の局長経験者二人狙つた 点では意図的な殺害行為。但しテロは暗殺や暴行、粛清とか殺害に及ぶが「一定の政治的目的」があるもので、今回の殺害行為に政治性があるかどうかわからぬ ところで「テロ」といふ表現は如何なものか、疑問。テロの定義以前に、二人を狙つたものを「多発」とすら言つてしまふNHKのNW9のレベルの低さに呆れ るばかり。かうやつて視聴者の不安感など煽るのがマスコミ報道か。風が吹けば桶屋が儲かる、の類ひ。更に「犯人の足取りを追ふ上、駅周辺には防犯カメラも 設置されてゐますので、さういつた画像の分析ができる」だの、そりや事実だが、それはアタシらが都市を徘徊する態を見事に覆ふ怖い怖い防犯カメラ整備網の 整備拡充と表裏一体だらうに。で最後はいつもやうにベタな「一刻も早い解決とかういつた事件が二度と発生しないやう当局には徹底したナントカ(失念)を望 みたいところですねッ!」で〆てお終ゐ。バカそのもの。結局、かうした事件で社会、治安の不安が煽られの警察国家化。繰り返すが、そりや今回の殺害行為は 困つたものだが、天皇の戦争責任に言及した長崎市長狙つた右翼の方による殺害行為は明らかにテロなのに対して、今回の年金担当高官殺害は政治性は低いと思 へてならず。マスコミは冷静になるべき。マスコミの仕事=必要性を増やすのに煽り報道されチャたまらない。

十一月十八日(火)わかつてゐることなれど今週は超多忙。と言いつゝ晩に強制終了で数名でハッピーヴァレイの寿司澄に食す。酒肴の佳いこと多言不要。たゞ 美味い生牡蛎があると聞き及びシシリーのシャルドネ、Planetaの06年。日本酒は福壽。かなり佳い気分で某氏と銅鑼湾に繰り出し三更に至る。

十一月十七日(月)多忙二更に至り晚飯を逸す。疲勞困憊。日暮れからの視力低下。眼精疲勞も少し心配な老境。

十一月十六日(日)雨空。九時くらゐにZ嬢と東京驛八重洲口地下街の食堂で朝定食。朝から快適に酔つたオヤヂばかり。丸善が朝九時半開店。ありがたい。新 装の丸善はシニア相手の小物などかなり充実。かつて消費は若者が賑はつたが今では若者は資金繰りに難あり。中年以上のある程度余裕ある層相手が確かの由。 欲しいものは澤山あるがもはや資金不足。髙島屋日本橋本店。男装も香港よりずつと素敵な服ばかり。見るだけ。雨小歇み。散歩しつゝホテルに戻り昼にチェッ クアウト。成田エクスプレスで成田空港。宅急便で届けた荷物受け取ると殊に今回荷物多きZ嬢と二人で70kg、愛想よくチェックインすると親切な職員に遭 ひ荷物の重量超過も10kgでしたら、と笑顔。予約してあつたのは台北経由だが新聞すら満足に広げるも能はぬ(Z嬢談)莢豌豆型の新型Cクラスで香港着も 遅い=自宅での荷物片づけも遅れるわけで直行便へのフライト変更願へば「2席ならご用意できますから」とCX521便。搭乗まで2時間もあるが香港着は台 北経由より1時間早い。ラウンジで珍しく酒を飲まずに珈琲。ノートブックで執務。CX521便はAAとの共同運行便。満席で米国人多し。香港に戻り出稼ぎ のテキ屋の如く段ボール運び。香港であるからエアポートエクスプレスとタクシーで難なく陋宅まで荷物運べるのだが。帰宅して速攻で荷物片づけ三更に至る。
▼大学生に広がる大麻汚染、とか中学校での非常識なルール破りの遊びで非行生徒は予備軍含めると8割、とかテレビが煽る。アタシが若い頃も大麻は「一部 の」大学生どころか高校でも吸ふ者はいたし中学校で廊下に水を撒き掃除用のモップに乗つて滑つて距離を競ふなどあつた遊び。まるで世の中が悪化してゐる如 く騒ぐマスコミと無節操にテレビ見続ける視聴者たち。

十一月十五日(土)曇。朝七時に目覚めれば昨晩の深更までの痛飲にそれなりの宿酔あり。ホテルから退去。新橋驛でそれなりに上手い本格的なさぬきうどん (ぶつかけ)食す。東京驛日本橋口のホテルメトロポリタン丸の内に荷物預 け新橋に戻り銀座八丁目。宮脇賣扇庵で扇子いくつか購ふ。菊水煙草店でパイプ(菊水オリジナル)の吸ひ口中に仕込む部品購ふ。鳩居堂でポチ袋、大野屋で手 拭ひ……といつものお買ひ物。歌舞伎座で母とM夫人と待ち合はせ顔見世の昼の部。盟三五大切(かみかけてさんごたひせつ)は南北の作品を郡司先生による改 編で忠臣蔵や四谷怪談を折衷劇にしたもの。源五兵衛(仁左衛門)が惚れた芸者小萬(時蔵)とその亭主三五郎(菊五郎)に騙され伯父助右衛門(東蔵)から討 入りの軍資金にと預かつた百両を騙し取られ、その復讐で源五郎による猟奇的に殺人が続く。が源五郎の後に明かされる真姿からしても殺人鬼ぶりとのバランス がとれてをらず。さう思ふのも、現実の社会で見る猟奇的殺人が「誰でも良かつた」であり、それにこそ真実味があるからこそ、なのだが。噂には聞いてゐたが 東蔵が実に渋い芝居。かつての十七代目羽左衛門のやう。仁左衛門さんの源五兵衛を二列目かぶりつきの花道寄りから惚れ惚れと見上げる。廓文章の吉田屋は伊 左衛門演じる藤十郎の、当然のニン。この人自身が77歳でフェロモン?たつぷりに伊左衛門役。何もコメントせぬ。夕霧は魁春さん。舞台跳ねロビーで松島屋 の博江夫人にご挨拶。仁左衛門丈がかうも忙しくては海外旅行もまゝならないでせう、と。歌舞伎座を出ると本降りの雨。松屋デパートで母に傘を購ふ。タニザ ワ鞄店に向ふ途中、怖いもの見たさ、でトラヤ帽子店覗くと灰兎皮のボルサリーノが目にとまる。春秋には良いわ、とお買ひ上げ。タニザワでは探してゐた同店 オリジナルの散歩ショルダーは絶版であつたがソメスサドル社 の小さなショルダー見つけお買ひ上げ。銀座は怖い。タクシーで丸の内のホテルに戻る。部屋はZ嬢がすでにチェックイン済みでお出かけの由。荷物だけ置いて 母と東京驛。改札過ぎた地下街のはせがは酒店の立ち飲みに寄 り曾て香港のバーYに働いたT君に再会。大賑はひの酒屋。上野。アメ横。黒門町の絵馬亭なる食肆。西新井に住まふ伯父伯母、従兄のS君夫妻と食す。酒肴 が秀逸。黒門町といへば文楽師匠。伯父母、上野驛に向ふ母を送りS君夫妻と池ノ端のパブに一飲。半夜三更に丸の内のホテルに戻る。

十一月十四日(金)朝から母と郵便局で満期の保険の解約手続きだの銀行だの諸事済ます。ほとんど使ふことのない携帯もソフトバンクにて解約。バタ/\する うちに昼に至る。午後、まづは新橋。汐留なんて昔は貨物驛が「潮騒と」なんて名の開発地に変貌。ロイヤルパーク汐留タワーに投宿。充分なシング ルの客室。都営大江戸線で六本木。母より貰つた入場券で国立新美術館にて「巨匠 ピカソ 愛と創造の軌跡」なる作品展参観。青の時代から変遷を見せようとする。「本来、ピカソは非政治的な人間であつたが」と、さういふ解説文が あり、それがずつと気になる。若いピカソに政治的主張がなかつただけ、で言葉として「非政治的」と片づけて良いのかしら。で「非政治的であつたがフランコ 独裁の西班牙と第二次世界大戦でのナチスの……」と続けるのはあまりに紋切り型すぎないか。何年ぶりか、の六本木で青山ブックセンターなど流してカフェで 吉田健一対談集成(講談社文庫)を読む。佐伯彰一との荷風論が面白い。夕方、鳥居坂の国際文化会館。面談一つ。早晩に新橋。オヤヂの殿堂ニュー新橋ビル のはつ花なる小料理屋にK氏に招かれ飲み食ひ。日本に戻ると 「生牡蛎がこの値段?」と驚くばかり。築地が歩いて10分といへばさうだが。「やつぱり地下鉄は銀座線」で見附経由で新宿。御苑の近くを鳥渡流してから三 丁目。末広亭隣のLe Parrainなる酒場。久が原のT 君、築地のH君と再会。T君に連れられるまゝジュクの酒場を回遊すること深更に至る。景気づけにVeuve Cliequotまで開栓。御苑の緑を窓越しに主人(ピアノ)と客(チェロ)が合奏するやうな店があらうとは……。電車などとうに逸し自動車を雇ひ汐留に 戻る。月が見事。

十一月十三日(木)晴。昨晩疲れ二更の内に就寝。今朝三時過ぎに目覚め五時頃より雑事済ます。朝の八時前に香港国際空港。東京への便は台北経由の CX450便としたのはキャセイパシフィック航空の新型キャビンのお試しのつもりだつたが先週末にご搭乗のZ嬢よりCクラスは「莢豌(そ ら)豆のやう」とコメントいただいてゐたのでチェックインの際に直行便へのフライト変更申し入れると504便が出た直後の548便なら 「かなりお席に余裕がありますからゆつくり過ごしていただけます」と職員も機転が利く。ラウンジで軽く朝食済ませご搭乗。もうすつかり古ぼけたアジア短距 離用のCクラスキャビンだが44席に10人ほど。豪州はMoon Mountainのシャルドネ07年。お食事では昼から久々にビフテキ。Peter Lehmann BarossaのCab Sau(05年)。二つ折で厚さ3インチ以上溜まつてゐた新聞まとめ読みするうちに成田着。両替せばUS$300が3万円にならず円高実感。エアポートバ スの発車まで小一時間あり空港内のカフェに入る。店のwi-fiのネットワークが検出されたので客の使用の可否女給に尋ねたが
余:この店のネットワーク、使へるんですか?
女:ええ、使へます。
余:パスワードが設定されてますよね?
女:はい。パスワードがないと使へないんですよね。
余:パスワードは客に提供してゐない、んですね?。
女:はい。
余:だから「客は」使へない、つてことぢやないですか。
女:いへ、ワイヤレスは使へるんですけどパスワードがある人しか……
……とまるで会話にならず。実家方面へのエアポートバスは本数も少し増えバスを降りて歩いて3分で自宅に着くのが有り難い。利根川の大橋渡れば鹿島の宮の 森の方、空に大きな月の見事な白影。左の車窓からはちやうど夕暮れで北浦の湖面に夕焼け空が映る。まるで江戸版画の世界。さういへば確か今月の満月が二十 数年来で最大だとかZ嬢の話思ひ出す。それにしても見事な十五夜の月。ただ/\愛でる。自宅に荷物を置きアマゾンなど注文の書籍など整理。妹も戻り母と三 人で鰻の館東條。鰻重。晩遅く妹に車で5分の大型銭湯に連れ て行つてもらふ。
▼マカオではラスベガスの賭場集団Sans(金沙)の資金繰り悪化でコタイでの新カジノ施設建設工事が中断の由。コタイが荒城廃虚と化す日も遠くなし。ホ テルカジノなど北京中央政府が買ひ上げ国内で自然災害など発生した際の住民の短期避難施設に利用は如何か。国費にて住民をマカオに避難させ「暫くの間ご休 養ください」と。
▼先日の蘋果日報で「食街」開設が仕事の蔡瀾氏が香港新界天水圍の底上げに市中に大牌档(屋台街)を作つては如何か、と提案。それに対して劉健威氏が信報 でこの案を否定もせぬが賛成もせぬ、と。大牌档は本来、自然発生の屋台街であり行政主導ではなからう、と。

十一月十二日(水)昨晩の宿酔もなく諸事に忙殺され晩に至る。北角の勝利小 厨に海南鶏飯購ひ帰宅して飯す。雲なき空に十四夜の月を愛でる。
▼数日前読了の原武史『昭和天皇』岩波書店。いくつか覚え書き。1946年11月3日の日本国憲法公布。昭和天皇は宮中三殿に「憲法公布親告の儀」挙行。 著者は「新憲法の精神と矛盾しているのは言うまでもなかった」と指摘するが……。また1952年5月に昭和天皇が伊勢神宮にて(香淳皇后の言による)「親 しく事のなりゆきをわびさせられ」を著者は1942年に伊勢神宮参拝し勝戦祈願をあらためて謝罪したといふ意味だらうか、と推察し「天皇は独立回復にあた り少なくとも「祖宗」に対しては謝罪の言葉を表明したことになる」と指摘。本当に勝戦祈願が間違つてゐた、と詫びたのか。敗戦と皇国が他国に実質的に占領 された屈辱の年月の詫び、とはとれぬか。戦後の国民体育大会や植樹祭は戦前の陸軍特別大演習に替はるイベントだといふ。軍の総帥としての天皇が訪れる各地 の歓迎ぶりと地域整備はかなりのものだが、原武史氏が別の著作で紹介するやうに例へば昭和4年の水戸で朝靄のなか畏くも陛下がお伴を連れた程度で白馬に乗 つて郊外に現れ付近の住民を驚かせ新聞がそれを神話の如く伝へる……さういふ構図があり。

十一月十一日(火)秋晴れ続く。晩に某氏とハッピーヴァレイの寿司澄。 美味至極の海産珍味の数々堪能す。酒は福寿。口開けで銅鑼湾のバーSに一飲。氏に付 き合ひフィリピン系カラオケを二軒梯子。ふだん縁のない世界で社会勉強なり。半夜三更に帰宅。

十一月十日(月)早朝に毛布一枚かけて寝てゐたら寒くて目覚める。気温は摂氏廿度を少し下回る「寒さ」。朝のうちに夏物のジャケットをクリーニングに出し て春秋物のジャケットを羽織る。ブルックスブラザースである(ぢまん)。諸事忙殺され晩に至る。秘密基地でネットのwi-fi環境不調。メール等はヰンド ウズ機で済ませるがMac Book Airのethernetソケット持ち合はせず寸暇を惜しみ市中の星巴珈琲に寄り日剰綴り上網。湾仔の再興焼臘店に飯す。この食肆、タレは客のお好みで、 で供された時にはタレなしなのが良い。叉焼など味付けの蜜汁だけで充分と思ふアタシには嬉しいかぎり。

十一月九日(日)昨日、広州に着いて列車を降りたら肌寒いほどだつたが香港もやうやく気温が下がり突然、朝の気温は摂氏廿度余。空の雲も高く秋めく。日曜 だといふのに終日ご公務あり。夕方サウナで汗を流し、昼の行事の流れで晩に湾 仔の某日本料理屋で関係者の大宴会あり末席を汚す。宴会は三更に入らうとする頃に終はり二次会招飲を辞し帰宅。中国現代映画の特集で今夕は 科学館で「築夢2008」なる北京五輪栄光祝賀映画の上映あ り。切符買つてゐたが時間なく見過ごす。五輪映画といへばレニ=リーフェンシュタールの伯林五輪映画『オリンピア』だが市川崑監督の東京五輪映画も印象強 し。今回の北京五輪映画は五輪絡みの都市近代化がテーマで興味深く見逃したのが惜しい。

十一月八日(土)九月から広州の広東美術館にて第三届广州三年展(広州トリエン ナーレ)開催中。行きたいと思つてゐたが時間がないまま会期はあと一週間。九月 からずつと週末が忙しく今日は無理矢理、で時間を空けての広州行き。朝八時半の直通列車で自分へのご褒美に特等で(ッて一等と大した料金差もないのだが) で隣の乗客の視線を気にしつつかなり大量の新聞読み。であ つといふ間に広州東站着。メトロで天河。路線バスで二沙島。タクシーが渋滞に巻き込まれなければ広州では最も便利な足なのだが地理のお勉強で羊城通のパス で地下鉄とバス移動。で広東美術館。「與后植民説再見」Farewell to Post-Colonialismと題した今回のトリエンナーレ。器として好きな美術館で出展もなか/\見応へあり。政治的自由がご法度の中国にとつて芸 術は表現手段として深い意味あり。かつてのソ連のやうには芸術に革命的かどうかといふ介入がないだけ幸ひ=逆に「芸術的といふ手段」が容易すぎもする気が するが。百人を超えるアーティストの作品は個人的には鳥渡苦手なビデオ映像作品多いのは食傷気味だがWu Junyong(呉俊勇)と いふ作家の確か“Circle of Spiders”といふ題だつたかのビデオ作品は圧巻。暫し見入る。またバスで天河。メトロで広州東站。深圳行きの便利な和諧号は乗車が20分後だつたの で驛構内の李先生美国加州牛肉麺大王で牛肉麺。チェーン店だ と思へば美味。時速200キロで深圳までの1時間爆睡。深圳に到着して他の乗客が降車し始めてゐる頃に目覚めて慌てる。10数分後には折り返し運転。香港 の直通列車も和諧号もゴミなどの簡単な車内清掃を終着驛到着前に車掌にやらせてしまふのは運行上はかなり効率的。今では中国も地面にゴミをまき散らした り、ましてや痰を吐く客も「この路線では」ゐないし。深圳は大劇院界隈まで地下鉄で向ひ知人推薦の店で久々に深圳での按摩。2時間の按摩の前に足マッサー ジが無料で128元は高級。香港に戻りかなり久々に北角の寿司加藤に 食す。Z嬢は本日より秋のご帰国。
▼陶傑さんが蘋果日報の随筆に米国の総統選挙を“China Free Election”と書く。米国は中国産品が様々な「疑惑つき」で消費市場を席捲。金融でも外交でも何かにつけ「中国」が絡むなかで今回の総統選挙だけが 候補者が中国系でなかつただけ“China Free Election”であつた、と。
▼筑紫哲也氏逝去。享年七十三歳。アタシらの世代にとつては下村満子女史を襲つた朝ジャ編集長。だがそれ以前に1978年のテレ朝「こちらデスク」での柔 らかいキャスターぶりがあり、日曜六時からのこの番組が話題となり同局が裏番として置いた「夕刊タモリこちらデス」も面白かつた。この「夕刊タモリ」はク ニ河内氏らを含め「タモリ倶楽部」に移つていくのだが。で人懐こい印象の筑紫氏だつたが1997年の香港返還の際にNEWS23で香港から実況中継の際、 現場での段取りが悪いからかスタンバヒ中に不機嫌でスタッフをまさに顎で使ふあまりの威張りん坊ぶりを垣間見て唖然。テレビの力なのかしら。

農暦十月初十日。立冬。朝四時起床。世の中が動き出すまでの数時間の寂寞よ。暦では立冬だが汗ばむほどの暑さ。日暮れだけはすつかり早まる。二更に原武史 『昭和天皇』読むがまた残り廿数頁残し睡魔に襲はれ読了せず。
▼気になる言葉。大リーグで活躍の岩村選手が帰国。空港で長旅の疲れも見せず会見に応じ……の「長旅の疲れも見せず」。エコノミーの狭い座席に窮屈に座つ ての十数時間ぢやあるまい。今季活躍して自分へのご褒美でFに踏ん反り返り……少なくても有名人にとつてフライトはマスコミやファンの目も気にせず寛げる 場では。さういふ意味では「長旅の疲れも見せず」は無意味なベタな言ひ回し。
▼ピナ・パウシュ、シルヴィ・ギエムが愛してやまない現代コンテンポラリーダンス界を牽引するリン・フアイミン率いるクラウド・ゲイト・ダンスシアター が、2009年3月オーチャードホールで、2006 年に制作された「WHITE ホワイト」を上演いたします。……つてカタカナの羅列。もしこれが、伝統と現代舞踊、禅と視覚芸術を見事に融合させ台湾から世界に美しさを発表し続けた林 懐民率ゐる雲門舞集が2006年の作品「白」を東急文化村で上演。……とか書かれたらアタシにはピンと来る(公 演情報)。ただ「発表し続けた」と過去形だらう。
▼朝日新聞で連載中の島田雅彦の小説『徒然王子』が朝日新聞出版より「空前絶後の冒険ファンタジー」として第一部堂々の刊行!の由。連載開始の頃は何かと バッシング対象の皇太子殿下思はせる殿下の自分探しの旅が興味深く皇室ネタで何処まで面白い小説になるか、と島田雅彦に期待したが物語は何だか国内のアウ トローの世界から異界、霊界、そして過去の日本にまでタイムトラベルしてしまひ今では安土桃山で皇太子殿下は転身し伴天連の宣教師の通訳の身。途中から読 んだ者にはいつたい誰が主人公か、この通詞役がまさか21世紀の皇室の皇太子とは全くわからず。やはり時節柄、皇太子ネタはまづい、といふ然るべき筋の判 断でもあつたのかしら。それにしても「二千年の歴史を駆け抜け、日出る国へ、ふたたび」つてコピー、まだ連載は二千年の歴史に停滞してゐる最中で現世には 戻つてきてもゐないのに(笑)。

十一月六日(木)連日の多忙。どうにかぎり/\「遅れぎみ」からオンタイムより鳥渡、先行に迄は辿り着いた感あり。少し安堵。だが日程的には十二月までか なりしんどさう。久々に自宅での夕食。コロッケ揚げて食す。 幸せ。八時半には睡魔に襲はれ原武史『昭和天皇』あと数十ページも読了に至らず就寝。
▼お馬鹿なNHKのNW9。キャスターが「オバマ氏の演説は何か心にぐつとくるものを感じさせてくれますね」だつて。かういふベタなコメントでよくもまぁ 全国区のプロのキャスター。呆れるばかり。具体的に何にどう心がぐつときたのか100字で述べてみよ、である。NHKと言へば台北(NHK的には「たいほ く」と呼ぶ)では中国からの代表団来台に抗議する市民の反対運動で「抗議は収まる気配を見せてゐない」さうで「市内は混乱」の由。ニュースキャスター見て きたやうな嘘を言ひ。盤谷の反政府運動同様に市内は大部分が平静を保つてゐるのは言はずもがな。

十一月五日(水)昼には(米国時間火曜晩)米国総統選挙で共和党負因候補が小浜君勝利認めたり。なにせ過去2回の総統選での「疑惑のフロリダ」が早々に小 浜当確出したのだから。結局のところ今更ながら米国民がブッシュからの離別。遅すぎ。アタシが初めてイリノイ州で上院議員選挙に立候補の小浜馬楽君に注目 せし時はGoogleで「バラク オバマ」と引いてヒットはわづか1件。その上院議員選挙の選挙資金に募金までしてやつたが06年に「バラク=オバマ君を 米国総統に!」なんてアタシも言つてゐた当時はまさか本当に実現するとは思ひもせず。だが複雑な気分。この小浜馬楽君の当選で新聞の論説記事は百花斉放だ が内容はイマイチ。紐育時報でKrugman教授の“The Republican rump”なんて題も題だが共和党を指して“they're going to have to realize that the Republican Party has become the party of intolerance”なんて「ざまーみろ、共和党!」で言ひたい放題。ノーベル経済賞の学者なのに。そんななかFinancial Times紙のGideon Rachman氏の指摘は一読に値する。他の者がみんな「黒人初の総統」で踊るなかRachman氏は“The first blue president”と題して、今回の小浜氏は「米国初の北部の、都市型リベラル」の総統当選であることに着目。1960 年代のカウンターカルチャーの時代から40年(ケネディ暗殺以降)、宗教や愛国心、政治指向などで米国社会は赤州(共和党)と青州(民主党)に色分けさ れ、その衝突が拮抗してきたもの。その40年の間で民主党出の総統はジョンソン、カーター、クリントンとみんな南部出身の白人。その3人の民主党の総統の 出身州が04年の総統選では3州ともブッシュを選びたり。そして逆に本来、共和党の地盤であつたシカゴが前回の上院議員選挙で民主党のオバマ候補がこれま でにないリベラル票を獲得。このやうに過去40年間に硬直してゐた赤と青のconflictが変動し始めてゐる、と。で本日も多忙。昼に日清のカップヌー ドル、晩に雑事済ませつつ日清の「はるさめ」で空腹満たし晩八時に尖沙咀の文化中心に滑り込みZ嬢とLeif Ove Andsnesのピアノリサイタル。Leif Ove AndsnesはZ嬢にとつて憧れのピアニストの一人でCDも数枚彼女は持つてゐるがアタシは今晩がほぼ初聴。この諾威のピアニストの演奏にコメント出来 る立場にもないが前半はシューベルトのソナタハ短調D958から。シューベルトのピアノソナタではAndras Schiffが最近お気に入りのアタシは、この人の厳粛なソナタらしいアレグロ、アダージョの部分は今ひとつこの人の魅力がわからなかつたが最後のタラン テラあたりでは「できる!」と思はずにゐられず。で続いてベートーヴェンの「月光」。この人は自分の好きなピアニストにリヒテルとミケランジェリを挙げて をり、アタシにはリヒテルとミケランジェリはかなり印象が異るが、アンスネスにとつては両者が融合してゐることが解らぬでもなし。中入後にムソルグスキー の「展覧会の絵」。この曲をピアノの原曲で生で聴くのはアタシは初めてだらう、きつと。アンスネスの演奏は「なんぢやこりや〜!」で破壊的なやうで緻密さ もあり。一瞬、ホロヴィッツの同曲の壊しつぷりを思ひ出したが、それは小泉純一郎的ほど壊すだけでなく長嶋茂雄的に見事なもの、でも20世紀の米ソ対立の 時代のホロヴィッツに比べアンスネスはホロヴィッツをデジタルで打ち込みしたやうな、では讃め言葉にならないが、ぎりぎり原曲の体裁は保ちつつ解釈は自 由、といふ均衡の面白さ、とでも言へば良からうか。アンコールはドビッシーの変奏曲から2曲。実は今晩の演目は元々は「展覧会の絵」に非ずヤナーチェクと ドビッシーであつた。それが急きよ「展覧会の絵」に。玄人受けの地味な曲を「展覧」に差し替へ集客に期待したのかしら。でも「ユンディ=リとランラン以外 はピアニストに非ず」の香港だから今晩も客の入りは五分程度。でスカルラッティのソナタでお終ゐ。かなり印象に残るアンスネス。Z嬢が今晩もCD3枚お買 ひ上げなので後ほどぢつくりと聴かせてもらはう。
▼米国総統選挙につき信報の林行止専欄が面白い。同紙の元編集長の鑒治博士はアラスカに近親居り度々アラスカに参るのでアラスカ州知事としてのペイリン女 史のことも熟知。気さくで素朴、州知事に就任して最初にやつたことは前任知事の知事専用機のeBayでの売却で知事専用車も辞退して自動車の運転は専ら自 分で。そんな彼女が突然、共和党の副大統領候補として全国区に引摺り出され、かなりマスコミに嗤はれたが、選挙ゆゑ田舎の州知事もイメチェンが大事、と、 紐育時報の報道に拠れば、十月の僅か前半二週でペイリン女史に共和党が当てた化粧師の費用が22,800米ドル。共和党は彼女に15万米ドル支給し紐育は 五番街のSAKSやミネアポリスの某店などで衣服など整へさせた由。この田舎の女性知事を副大統領候補に仕立てるのに共和党の支出は120万香港ドルの相 当。

十一月四日(火)午前中に出かへた際に銅鑼湾で派手な帽子かぶつた西洋夫人と正装の紳士を見かけ、はッ!と思つて新聞紙広げると今日はメルボルンカップ。これに気づかずとは我ながら忙しすぎ。慌 てて予想。SeptimusとMoatizeが堅さうだが、この2頭では馬券的につまらないのでMad RushとProfound Beautyに「ひよつとしたら」を期待する。多忙につき午後遅くレース結果見ると「ひよつとしたら」は更に穴馬に幸運齎しViewed優勝。とほゝ。早 晩にFCCでハイボール二杯。メールなど雑務済ませて鏞記酒家。 K氏、Y氏、Z嬢と奈良は生駒から来港中のT&A夫妻との会食。最近外食が多いが鏞記、味も然る事乍ら、内容に比べお手頃な価格にも敬服。K氏のレクサス 新車で送つてもらひ帰宅。
▼朝日新聞の一面トップは音楽業界人小室哲哉君の版権詐欺。社説は大学生の大麻問題。その程度のことで騒ぐべからず。新聞こそ大丈夫か。
▼香港で蘭桂坊の(大人の静かな街を歓楽街に化かす)六本木化に成功し香港海洋公園の復活請負ひ成功させ香港の地場ガイジンの中では知名度高く、更にレ ジーナ葉劉淑儀女史主宰の保守系政治団体にも参画、で親中保守派にも覚え目出度きAllan Zeman氏がカナダ国籍棄て中国に帰化。香港特別行政区の旅券と中国への通行証得て晴れて中国公民。末は全人代香港代表か、と巷の噂。

十一月三日(月)朝遅く驟雨あり。多忙につき晩飯を逸すら二更に至る。
▼航空自衛隊で更迭の幕僚長。今日の記者会見も男子の本懐か。あゝいふ事に言及せぬと確立できぬのが自己のアイデンティティとしたら日本は甚だ悲しきも の。まだ/\お子ちやまの世界。
▼陶傑さんが昨日の蘋果日報の連載で「談 奧巴馬」論ず。「奧巴馬像隻猴子」(オバマは猿のやう)と指摘し「人種差別、偏見だ」といふ反論に「ブッシュだつてサルのやう」と答へるのと同じ でと(さうは今回は言つてをらぬが)正面切つて反論して論を通せるのは陶傑さんくらい。それにしても小浜候補の週末のテレビネットワーク7局独占の枠買ひ 取りなど異常事態。一党独裁の共産主義国家でも、こんなことはないはず(いやシンガポールなど選挙じたいが茶番か)。だがどうであれ民放ネット局の番組買 ひ占めは異常。こんな環境で有権者の全ふな判断などあるかしら。
▼先週のことだが中環で靴磨きに靴底の直しで靴を四、五足持ち込む良い身なりの御仁あり。「不況だからな、ご時世か」と一瞬思つたが、実は単に「ちよつと 身なりの良いビジネスマンが靴の修理を持ち込んだだけ」の事象。この人は節約家でバブルだらうが不況だらうが「靴は直して穿く」人かもしれない。それを 「不況だから時節柄エリートビジネスマンも靴を直して穿く」と、こんな解釈が新聞の社会面に記事を与へNW9で7分くらゐの話題となる。さういふもの。

十一月二日(日)曇。午前中、書室にて机に凭り書き物など済ます。昼に尖沙咀。重慶マンションに出向きH君らと雲陽閣で四川料理。尖沙咀ではマシな川菜の食肆も心なしか閑散。特段に 不味くなつたとも思へず不況?と思つたが香港人にとつて川菜は今や本場は深圳かしら。食後九龍公園散歩して広東道。糖朝に甘味食す。かつては間口二軒の肆が今では広東道の此処は増床の旗 艦店。日本のテレビ番組の取材中。当然のやうに現地コーディネーターは第一人者のT氏お見受けする。日曜午後の繁盛時に背景の卓は空けての取材に「客払ひ か」とK君。本当だねぇとH君と首肯いて「鳥渡、14歳で「客払ひ」なんて言葉なんで知つてるのよ」とK君の語彙に感心するばかり。で席を立つと「何して んねん!」と奈良は生駒市在住のA嬢の声。檀那(T君)と来港、チェックインしてすぐ甘味の由。相変はらず。明後日ご一緒に食事する予定なのに、ね。尖沙 咀横断して香港歴史館。学究肌のH君、A君とK君でつい/\ぢつくりと歴史学習。夕方まで。で隧道バスで陋宅にお招き。Piper-Heidsieckの ロゼ。A君の飲みつぷりが、殊に杯を空ける時の高く杯を掲げ胸を張り見やう見真似なのか自然体なのか大袈裟に飲む態が若さ燦々でゴクッと酒が喉頸を流れ落 ちてゆくのが眺めてゐて甚だ愉快。アタシも昔はかうして年寄りに勧められるまゝに酒を飲んでみせてゐたのかしら。でもアタシが若い頃なんて誰も本場の三鞭 酒なんて振舞つてくれなかつたが。Z嬢と五人で湾仔。ハッピーヴァレイの肆は閉ぢて金融混乱の最中に湾仔に新装開店の益新美食店に葡萄酒持参で粤菜を食す。この店の琵琶鴨は格別。湾仔の路 面店は地下のフィリピンディスコが日曜早晩の書入れ時でかなり地鳴り五月蝿いのは異様だが益新は昔からの常連で大盛況。マネージャーのK氏もご満悦の忙し さ。銅鑼湾の利舞台の店を閉ぢた際にいつたんは引退し数年前に渣甸山の店の開店で復帰の料理長氏は齢七旬でこの店の調理場を切り盛り。一段落で出て来られ た際に敬意を表す。涼茶第一家で龜玲膏。H君らを湾仔埠頭ま で見送り帰宅す。

十一月朔日(土)朝八時に尖沙咀。重慶マンション。H君らホテルから連れ出し徒然に散歩。スターフェリーで湾仔に渡り散歩続け龍門大酒樓にて點心頬張り飲茶。路面電車で西環。普仁街。東華三院見 学。若い二人も道教に多少の興味あり百姓廟など太平山街の寺を巡る。孫中山記念館(旧高雲臺)参観。此処でもこの三人だと「此ハ誰、彼ハ誰」、袁世凱つて 孫文を襲ひ臨時総統に就任して皇帝にもなりたくて最期はいつたいどうしたんだつけ?、蒋介石が十間握るまでとか知識が抜け落ちてゐるなぁ……と。知つてゐ るやうでアタシも淺学。A君もK君も海南鶏飯が好きだと言ふので昼にFCC に海南鶏飯を食す。香港公園。三人とも「茶飲み」なので茶具博物館。此処でも二人の見方が「無印良品の陶器つて宋代のコピーだよね」なん て下らないコト話してゐるアタシらより若い二人の見方がぢつくりで可笑しい限り。付属の茶藝館で茶談義続け茶を喫し銅鑼湾。老成しちまつてゐる。アタシら も十代のあの頃はずいぶん爺臭かつたが。嗚呼、もうすつかり酒で出来上つた(中環の酒場も昼から盛況だつたが)洋鬼ばかり。新年の元朝参りの衆の如く表参 道(Caroline Rd)香港大球場へと向ふ。ANZ Bledisloe Cup 2008なるラグビーの試合見物。若い二人がラグビーしてをり築地のH君がスポーツ観戦好きなのが彼の芸風に合はぬ から驚き。今回三人の来港のメインイヴェントがこれ。4万人収容の大球場は八分の入り(主催者側発表は四万人近い満員御礼だつたが)。それぞれの国のラグ ビー協会などの大きな升席の他、ス ポンサー企業のボックス席多数。モーガンスタンレー、メリルリンチ、AIGやJPモーガンなど十月は世界的に話題の大手金融企業がづらり(笑)。悠々と ゲーム楽しんでゐるからさすがリスクのなか生き抜く金融投資専門家は大したもの。その中に看板なく閑古鳥のボックス席がいくつか。ありやリーマン兄弟かし ら、どこの投資会社かしら、と訝む。兎に角スポーツ観戦といふものに全く興味なきアタシも「せつかくの機会だから」とご一緒に物見遊山気分でご同行。アタ シの人生でスポーツ観戦は小学生の時に郷里で巨人対ヤクルトのオープン戦とB級のボクシング巡業、高校野球の応援が2回(いづれの年も1回戦コールド負 け)、で高校3年の頃に代ゼミの夏季講習であんまり時間を持て余し(勉強しろッ!)西武球場でライオンズの野球試合観戦。当時の四番打者は田淵。それ以 降、香港で前回の蹴球のワールドカップで韓国の試合中継をヴィクトリア公園で応援した程度。あの時だつて飲みに行つたやうなものだが。ラグビーはボールは 後ろにしか投げてはいけない、くらひは知つてゐるが、何故、相手しかをらぬ敵地に球を蹴り放つのか、とか、スクラム組んでゐる時や縺れた時にどういふ行為 で審判が反則として組み直しになるのか、とか皆目不明。だが新西蘭と豪州となると力は互角、拮抗が面白くないわけがない。前半が14点の同点で後半、新西 蘭が1ゴール、ぢやなくてトライであるくらゐは知つてゐる、を決めて19対14の僅差で新西蘭が勝ち。観衆も「アンタが試合に出れば?」のやうな猛者ばか り。リットル単位の量り売りのピッチャーで麦酒飲むのはやめて! こんな連中相手に戦争したんだから当時の日本人は何を考へてゐたんだか、明らかに誤算だ が度胸だけは大したもの。太平洋戦争の緒戦の連戦連勝で当時の日本の知識人の多くが「神風」だの信じちまつたのも道理ありかしら。こんな連中を捕虜にして 肉を日に500gくらゐ食べさせなきや虐待、と言はれても仕方あるまい。戦争と言へば航空自衛隊の幕僚長により先の大戦の見直し歴史観の論文が書かれ幕僚 長更迭。どうであれ「我が国が侵略国家といふのは濡れ衣」だとか「蒋介石の罠に嵌つた」等といふコトは事実だどうか以前に「思つても言はない」のが大人の ルール。陶傑さんも日本軍に南京への無血入城、占領赦した国民党の失策であるとか指摘してゐるが、だから「民衆虐殺がなかつた」とか「太平洋戦争の目的は アジア解放」と言つても結果的に日本の対アジア政策は失敗で戦争にも負けたのだから、侵略国家だらうかなからうがダメだつたものはダメ。足掻いても仕方が ない。それを幕僚長の立場にある者が主張しちや、しかも民間企業の懸賞論文に応募したのは拙事としか言ひやうなし。更迭先が資料室とかで幕僚長時代以上に 歴史見直し研究に専念か、とH君と笑ふ。話は逸れたが、これくらゐの強豪のラグビーの試合はやつぱりアタシのやうなラグビー音痴にも面白い。最高にハッ ピーな洋鬼どもに囲まれ銅鑼湾に戻り時代広場のPage One書店で鳥渡時間潰して四人で太湖海鮮酒家。かなり久々に大閘蟹。A君の麦酒の飲みつぷりがなか/\ 大したもの。自分の若い頃のやう、と思ふのが年寄り。タクシーで山頂。かなり風強く寒いほど。ピークトラムで下りスターフェリーまでバスで向ひ九龍に渡る 三人と別れ帰宅。

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