香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!  ひとまず董建華は9月5日に白紙撤回を表明!

教育基本法の改「正」にも反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

十月卅一日(金)晴。十月末日にてHalloweenなり。毎年同じことばかり繰り返し述べて恐縮だが10月31日の夜に行われる古代ケルト人のサムハイン Samhain 祭が起源と謂れ死の神サムハイン賛え新しい年と冬を迎える祭り。この日の夜には死者の魂が家に帰ると信じら基督教の伝播にともないこの節分基督教にとりこまれ諸聖人の祝日である万聖節(11月1日)の前夜として位置づけられる。hallow とはアングロ・サクソン語で〈聖徒 saint〉を意味し“All Hallows Even”(万聖節前夜祭)詰って〈Halloween〉となる。今日に致るに「米国の子どもの祭り」として普及、この夜のため大きなカボチャをくり抜き,目鼻口をつけた提灯 作り窓際に飾り学校では仮装パーティなどが開かれるが、夜になると怪物、魔女、海賊などに仮装した子どもたちが隣近所の家々を回って“Trick or treat!”「ごちそうしないと,いたずらするぞ 」と言いながらチョコレートやキャンディをせびってゆく、と(以上、平凡社世界大百科より)。なぜこの祭りが誰もその意味すら理解できぬまま(という意味では聖誕祭のほうがまだ明確か)世界中に流布されたのか、当然米国の<文化>の帝国主義だが「ごちそうしないと,いたずらするぞ 」ってまさに米国がアフガンやイラクでの「俺たちに利権よこさねぇとぶっ殺すぞ」と発想は同じぢゃないか。ともあれ、そもそも異教徒の基督教への取込みがハロウィンかと思えば東洋の異教徒らハロウィンの由来も知らずお化け祭と噪ぐは本来の趣旨に則るのか、とも察すも可。早晩にZ嬢と太古城。映画のまえにそれ程の空腹感もなく阿二青見湯に入る。十年ほど前からか滋養強壮のスープと香妃鶏に素朴な料理といふそれ迄にないコンセプトにて開業し広まって今日に至る阿二青見湯ながら何処にでもあるが機会なく余もZ嬢も考えてみれば食すのは初めて。確かに立派なスープ供す。太古城から湾岸沿いに出て散歩して香港電影資料館。『緑茶』(02年北京北大華億影視文化)見る。監督と脚本が張元、主人公が姜文と趙薇ではかなり期待するが都市の男女という設定で生活臭さも仕事も家も一切見せずただ都会の洒落たバーだのカフェでの会話劇に徹するがそればかりが先行してしまい今ひとつ内容がピンと来ず。次の映画まで時間ありセブンイレブンでアイス購って舐めつつ鯉景湾の湾外沿いに迎えばハロウィンにて妖怪だの魔女、ドラキュラだのに変装した大人子ども多く鯉景湾のレストラン街も店をハロウィンでお化け屋敷風に飾り店員も奇っ怪な化粧施し客も亦た変装者多し。いったい何でこんなことになるのか全く理解できず。電影資料館に戻り『天上的恋人』(監督は蒋欽民、02年北京紫禁城影業出品)見る。『藍宇』などで目立った今の中国代表する青年俳優・劉火華が主人公。広西省の山中の仙人住うが如き山村舞台に盲の父親と聾の息子、偶然迷いこんだ唖の少女を中心にしたムーミン谷の如きほのぼのとした物語。都会から流れ着きし百貨店のアドバルーンにて物語始まるが、まさか最後にあのような演出で使われようとは……。観衆も苦笑抑えられず。単純な疑問としてアドバルーンなど数日でガスが抜けて萎むのは子どもでも理解できる常識。それが数ヶ月だかにわたりこの山村の家で空に浮いているだけでも不思議なのに最後にあれぢゃねぇ。劉火華、純朴な田舎の青年役ばかり。帰宅するとフランスよりの封書あり。開封せばPMU(Pari Mutuel Urbain)競馬協会よりEuro61.0の小切手。今月5日凱旋門賞当日の最終レースで知古の騎手Eric Legrix君の30数倍での一着での複勝馬券の配当金。小切手に至る筋は今月六日の日剰に記載あり。一ヶ月以内にこうして小切手送付とは有難い限り。
▼先日半ば冗談で「司法は産業廃棄物以下などと言われぬよう」と書いたが多摩のD君より先週の東電OL殺人事件での、「疑わしきは被告人の利益」というわが国刑事裁判の大原則を否定する、最高ならぬ「最低」裁判所の驚愕の判決知らされる。刑法は罪人の人権を守るためにある、といふ羽仁五郎先生の言葉など忘却の彼方、疑惑わしきは罰す判決。裁判は実は被告と原告の裁きに非ず「社会への見せしめ」なわけで、今回の事件ではネパール籍の容疑者を「疑う」材料はあったとしても犯行を立証する証拠なし、それでも有罪とは、結局、この裁判で何が社会に伝えられたかといへばネパール人被告無期確定で日本にうじゃうじゃいる外国籍「市民」に対して「貴様ら、デカい面して勝手なことやってるが日本の官憲を甘く見るな」といふこと。今回逆転有罪の2審判決を支持し被告無期確定させた最低裁の裁判長は藤田宙靖君。東北大の法学部元教授で橋本政権?時に国立大学独立行政法人化に関する首相の諮問委員会の座長になったあたりで「変節」なのか「本領発揮」なのかか急に権力に食い込み当時は東大総長はじめ各大学の学長が皆「独立行政法人化絶対反対」のなか今日へのの流れを作ったのがの藤田座長の答申だった、と。で殊勳、最高裁判事にまで出世の結果、こういった判決に寄与。呆れるほど天晴れ。元来、行政法が専門、どうして今回のよな複雑な刑事事件の判決に殆ど素人で関与できるのか、とD君。藤田君に可能なのは2審判決が「法理に基づいて適正かどうかという判断」で、それであれば行政法学者とて専門家としての能力を発揮できたはず、と。
▼築地のH君は日本の司法について、中学校で裁判とは何か、民主主義とはなにか、を考える絶好の教科書としてヘンリーフォンダの「12人の怒れる男」見せてレポート書かすべき、と。日本で陪審員制度が成立するかどうか贊否岐れるが否定的な意見は「権力に迎合する国民性」に論據。だが専門の判事ですらじゅうぶんに権力に迎合するのが風潮なら、陪審員制になることで国民が民主主義や人権とは何かと学べるだけ権力に迎合する裁判官に任せるよか陪審員制のほうがマシではないか、と。全く。
▼「あれ」の妄言について。先日のテロ発言では都庁に来た意見ではテロ肯定が賛成多数だった、とD君。それほど「あれ」の支持ばかりか、といふと元東京都民として弁明すれば良識ある都民は「あれに説法」の馬鹿馬鹿しさ痛感しており抗議の電話など都庁にせず。逆に「石原、よく言った!」だけが電話。だがD君も馬鹿馬鹿しいし構いきれないとは思いつつも「日本国民としての誇り」にかけてこのような人物を許さないという意志を示さねばならぬのでは、と。そこまで思うは例えば『朝鮮日報』の29日の社説「「石原妄言」日本国民の代弁か」を読んだから。
日本の石原慎太郎・東京都知事が再び、「韓日併合は彼ら(朝鮮人)の総意で日本を選んだ。植民地主義といっても、もっとも進んでいて人間的だった」との妄言を行った。彼の発言を、ただ「口さえ開けば日本の侵略の歴史を美化し、韓国をはじめとする隣国とその国民を冒涜する大衆煽動術で人気を集めてきた極右政治家の間抜けな発言」と片付けてしまえばそれまでかもしれない。しかしここまで来ると、われわれは日本の国民に真剣に問わざるを得ない。「石原都知事の妄言を日本国民の発言として受け止めてもいいのか」と。彼が妄言を吐けば吐くほど人気が上昇する奇怪な現象を、韓国国民は到底理解できないためだ。石原都知事は、韓国人をはじめとする外国人不法滞在者が東京を無法地帯に仕立て上げ、有事の際は暴動を起こしかねないとか、中国人の凶悪犯罪は民族的DNAによるもので、中国を懲らしめるべき、などの極言を何のためらいもなく叫んできた。にもかかわらず、彼の政治生命は終止符を打つどころか、今年4月、任期4年の東京都知事選挙で圧倒的支持を得て再選に成功した。その上、彼の人気は日本の政治家の中でも常にトップクラスで、直接選挙制で日本の首相を選ぶ場合、すでに彼は当選しているというのが世論調査の結果だ。日本版のヒットラーと呼ぶに値する政治家が最高の人気を集めている国は、世界のどこを探しても日本だけだろう。日本国民は石原都知事を通し、一体どんなメッセージをアジア諸国に伝えようというのか。過去の侵略の歴史を消し去ることで、新たな侵略の可能性を開拓したい欲求を、石原都知事が代弁していると受け止めてもいいというのか。そうでなければ、日本国民はもう「石原シンドローム」を整理しなければならない。日本は、石原都知事のような政治家が幅を利かすよう放置しておく限り、アジア国家との和合は諦めざるを得ず、世界の指導国はおろか、「異質国家」として空回りするほかないだろう。
と。ちなみに朝鮮日報の記事「「韓日合併は朝鮮人の選択」石原都知事がまた妄言」はこちら。中央日報東亜日報など。
▼香港一の富豪李嘉誠の市場独占甚だしければ嘗ては一大で巨万の富築き香港経済の象徴と譽れ高きも最近は経営手法に傲慢さと映る綻びも少なからず。一例挙げれば李氏の長江実業独占にて開発するHung Homの住宅地は公共交通機関バスに他依る不便あり長実は居住者優待と尖沙咀までの自社運営によるシャトルバス提供開始。運賃は従来のミニバスより安く居民には有難いがこれまで付近住民の足となるべく運賃値上げも押さえ懸命に努力続けた地元のミニバス経営の零細企業はこのシャトルバス運行開始で営業などあがったり。ミニバス会社の経営者新聞に李嘉誠先生宛の意見広告掲載。今日もまた別の李嘉誠宛の広告あり。投訴するは香港新聞販売協会。今回は同じく李氏の所有する戸数数十万の集団住宅地にて居住者サービスと特価にて新聞販売。新聞料金は毎月の住宅管理費とともに徴収され新聞は階下の管理人室で毎朝受け取る。通常HK$6の新聞がHK$4.7と住民には有難いが、これに対抗しようとしたら新聞販売店も同等の値下げに踏み切らねばならずHK$4.3の卸値にては薄利甚だしく死活問題、と。結局、巨大化した企業資本が独占により良質なサービス提供するようでいて実は安定した市場社会を崩壊させる社会悪と化す実例なり。
▼築地のH君より。衆議院東京1区立候補者の又吉光雄氏。総選挙後発足する新政権の望ましい枠組みは「又吉イエス中心」(笑)。憲法改正について「改正するとすれば最も重要な分野」は「天皇制廃止」と共産党ですら今は主張せぬ貴重なご意見。このところめっきり減ったこういう香ばしい候補者は大事にしないと、とH君。嘗て選挙に欠かせなかった彩、東郷健先生をはじめとして「ニシンと食べると頭がよくなる」三井理峯、日本UFO党総裁・森脇十九男、ユダヤの陰謀・ドラゴン将軍大田龍といいた常連さんも今は何処。ひょっとして「選挙」というイベントが活力が低下してこれらのトンデモさんたちを刺激する魅力を失ってきたのではないか?とH君。まさに日本の民主主義の危機。
▼シャンソン歌手でフランスの人口700人のシュル・マルヌ村の村長も役るイヴ・デュテイユ氏長野県訪れ田中康夫知事と会見。住民自治や教育などについて語る(朝日)。康夫ちゃん曰くフランス料理、ドイツの車、イタリアの服飾の外見ばかりで身を以て欧州の弁証法的哲学や自治を理解せぬのが日本、と。少なくとも明治の欧化は泰西の知識学ぶ者にその文化付随し生活に滲透したわけで、而も鴎外荷風に見られるようにその欧化の下地にしっかりとした江戸の教養と唐文の素養まであり、それ故に単なる表面上の欧化に了らず。
▼中国の初有人宇宙飛行遂げた楊某なる宇宙飛行士本日来港。中国全土を隅無く巡回すべき国民的英雄がこの早い時期にまず港澳訪問、しかも香港には六日滞在といふことの意味。香港にて市民はこの楊某の講演会の入場券取得に長蛇の列、香港科学館にての短期の展示会は百万に及ぶ入場者来襲予測され通常の開館時間にては対処しきれず夜通しの開館とか。嗚呼、祖国の科学技術の偉大なる進歩。経済成長。次は北京オリムピック。本来勝手極まる個人が民族に統合され民族が統合され国民化されるためのプロパガンダ。じつは世の中は欧州見ればわかる通り共産主義に象徴される国民化体制瓦解し民族主義再び台頭するがそれも欧州連合なる国家体制越えた政治体の下での独仏に見られる個人主義へと還元されてゆく。それに対し半世紀遅れた中国はいまだ昭和30年代の如き国民化、それはそれで楽しむべきか。最も深刻なるは日本。欧米に並ぶとも送れず経済成長遂げ本来なら欧州の如くアジアに於ける跨国家の政治体設立に動くべきところ寧ろ矮小なる国家主義、民族主義に陥り、最早、亜太地区にて信頼もなし。ただ自動車と家電製品、アニメ供給するだけの工場と成り果てたり……といふか戦後といふものぢたいそれだけだったのかも。巧妙なるロボットは製作可ながら自律した個人の育成はできぬ、と。
▼中国の初有人宇宙飛行といへば昨日の蘋果日報にて陶傑氏、中国の漢字文化の衰退歎く。宇宙意味するSpaceを中国政府は「空間」と譯し宇宙船をば「航天機」とす。劣訳。翻訳の基本原則はAmbiguity即ち「曖昧さ」避けること。Spaceは宇宙空間から抽斗の片隅の余地までの意味あり。航天機も飛行機か宇宙船かすら不明確。これらは全て共産党の「新中国」の新言語(Newspeak)にてジョージ=オーウェル『1984年』にて描いた独裁国家の反知性。これは「政治」「民主」「共産党」といった日本での漢字訳の素晴らしさに及びもせず。Economicsをば治国の理想たる「経邦済世」より「経済」とし利潤並びに貨幣に係る理財之道とした、その名訳。本来自らの漢語を日本から輸入、この日本の先見が尖閣列島をば早くからその価値見入いだし占拠させたか、と陶傑氏。(この日本への賛辞、幕末から明治期の、であって当時の漢語の素養溢れる兆民諭吉の如き先達ゆえの翻訳ゆえ今日の素養もなき日本人がその評価を「だから日本は優秀でシナは劣る」などと石原某の如く誇るべからず……富柏村註) 陶傑氏曰く、本来、漢語の言葉の深さは譯すのも難しきもの。例えば「腹有詩書氣自華」の七文字の、この「氣自華」を英訳すれば look proud だの look dignified となるが、それぢゃ「腹ニ詩書有ラバ気モ自ラ華(はなや)グ」(富柏村読み下し)と、知性教養有らばの心の満悦を表すこれが“He who reads a lot looks very proud”「沢山本を読んだ人は満足しています」ではあんまり。中国人として中国を愛しむなら中国語文汚す江沢民やCoquinteauの中国政府とは一線を画すべき。宇宙飛行士の楊某来港にあたり香港の学生は中国語文への愛国的立場を維持して「航天」を「宇宙飛行」、「空間」を「太空」と言うべき、と。
▼陶傑氏は今日の隨筆でも、不動産の紛争で政府相手に訴訟おこした原告についた弁護士が提出した原告側資料が「国家機密機密漏洩」に当たるとして三年の禁固刑となった(怖ーっ)こと取上げ、中世の欧州すら宗教上の異端分子裁判とて被告に代わり教義に反する邪説説く=惡魔の化身としての弁明を行い悪魔に罪きせることで被告を免罪とするための役割の悪魔の代理人(Devil's Advocate)が存在し、この謂わば当時の弁護士に当たるこの職は教会側から給与が払われており、つまり中国にはこの制度の観念すら欠ける、と。中国では弁護士とて党と国家の保全に寄与する職か。公費の法廷弁護士すら存在できぬのだから公務員とて国家から給与もらっていては中立ができぬ、という感覚もあり。英国のBBCが公務員でありながら政府非難の報道が可能ということが中国では通じず。司法が国家権力のためにある事実で思い出すのが登β小平が仕掛けた反政府活動家・魏京生への懲役15年の判決。当時の国家主席・華国鋒は欧州歴訪中でこの人権蹂躙の判決に西側メディアは華国鋒にこれについて容赦なくコメント求め歴訪も台無し。司法から外交まで権力闘争の材料となるのが中国。現代化だの国際基準への上昇だのと表面的には伸展遂げているかのようだが現実には旧態依然とした悪慣蔓延る、と。

十月卅日(木)快晴。ここ数日気持ちどこか切なくチョコ食しほっと束の間の安堵得る日々。チョコの食べ過ぎ。巴里にて珈琲飲むたびに添えられし一片のチョコに魅了されたか。晩遅く山崎俊夫『夕化粧』少し読む。荷風絶賛と伝えられる文才、確かに一葉、露伴よりの文字追えば情景目にありありと浮かぶ「声に出さなくても読めばわかる美しい」言葉の世界。
▼名前出すのも不快千萬の「あれ」が今度は救う会東京主催の「同胞を奪還するぞ!全都決起集会」にて
私たちは決して武力で侵犯したんじゃない。日韓合併を100%正当化するつもりはない。彼らの感情からすれば屈辱でもありましょう。しかしどちらかといえば彼らの祖先の責任
と発言し当時の朝鮮半島について
分裂しすぎてまとまらないから、彼らの総意でロシアを選ぶかシナを選ぶか日本にするかということで同じ顔色をした日本人を、まぁ手助けを得ようということで、世界中の国が合意した中で合併が行われた
と。今さら「あれ」の発言について目くじらたてたところでで「あれ」がこの程度なのは明白なる事実で問題は「あれ」を首長に選んだ300万人の都民の民度が疑われること。どうすれば「あれ」を都知事に選べるのか。こうした発言続いても都知事リコールの声も起きぬのは、結局、一昨日の暴走族少年に対する裁判官の産業廃棄物以下発言と同じで、実は朝鮮についても「朝鮮なんて後進だったから日本が経営してやった」的な発想が、事実でないにしてもそうとでも思わねばアイデンティティすら自律出来ぬほど弱い民族精神、国家精神なのだが、さふいふ弱輩がうじゃうじゃしている、ということに他ならず、石原の暴言にスカッとして内心「よくぞ言った」と賞めており、みんな言いたいこともいえず悶々としている中で堂々と主張する首長の姿が誇らしいのか。選んだ上で「あれ」がこうした発言を繰り返しでも、300万人はそれが実際には都政に影響がないからと割り切っているのだろうが、常識的に考えば都政に影響がなくても自治体首長の、それも一国の首都の首長の人格が疑われるだけで失職して当然。「あれ」が都知事としてこういう発言続けているという事実だけで「あれ」を選んだ都民も日本という国家までが海外から白眼視されている現実。救う会も救う会で、「あれ」は都議会の答弁の中で曽我ひとみ女史の母について「殺されたんでしょ、その場で」と不謹慎発言(さすがにこの発言は撤回し深謝)、本来なら救う会は都知事のこの発言を徹底して糾弾すべきなのだが、それを決起集会に来賓として招くとは小学生が見ても胡散臭い世界。

十月廿九日(水)晴。昨晩遅く読了の“Sarah”に続けて“the heart if deceitful above all things”読む。Sarahの散文に比べずっと小説っぽく列挙された事実が現実問題となる。映画“Ken Park”彷彿。映画“Seabiscuit”見る。月刊『ハロン』のS編集長は海外へ行ってでも早くみたいと言うほどだし月本裕氏も忙しいのに一昨日の東京での試写会で見て、と皆さんの熱意。それに対して余は先月から香港で上映され巴里でも“Pur Sang”の題で銀幕に掛かり、いくらでも見れる状況で見ておらず深く反省し漸く場末の映画館にて鑑賞。1920年代。米国が自らの夢を叶えることが未だ他人の迷惑にならなかった美しき時代。日本が支那にて泥沼の侵略行為続ける頃に米国で国を挙げての喝采が名馬War Admiralに対するSeabiscuitの挑戦だったてんだから日本が米国に戦争で勝てるはずもなし。役者もいいが何といってもSeabiscuit役の馬にアカデミー賞最優秀男優?(牝優賞か)、そして誰よりも名演はWilliam H. Macyの巧妙な競馬実況中継アナ役(日本なら小沢昭一であろう、あれができるのは)。自分の競馬に足りぬものは馬への愛であると反省。帰宅してテレビで競馬中継参観。複勝が二つ入ったのみ。“the heart if deceitful above all things”読了。LeRoyの短編いくつか読む。
▼島田雅彦先生<無限カノン>三部作完結させ天皇制について語る(朝日)。陛下のお言葉の節々に見られるように「皇室は憲法擁護の立場」なのだが、それに対して今日の政治的状況は政治家が国家主義的で国家の体裁を示すために軍隊を有したがり改憲につながっている。世界が小さな国家意識を越えて普遍性を目指す時代だからこそ日本国憲法が生きる、と島田氏。だが、だからといって「皇室も平和を愛するならばダライ・ラマのように国際的平和活動に奉仕することができるのではないか」というのはちょっとねぇ。陛下が護憲派であることは紛れもない事実、陛下の臣たる保守政治家が陛下の御意志を軽んじ改憲とは不敬千萬のはずなのだが、その矛盾には「改憲主張する親皇派」の保守政治家自身もマスコミも触れず。この矛盾は先帝の三島嫌悪と三島先生の先帝に対する歯痒さに象徴されるもの。
▼文化功労者に選ばれたイスラム中東研究の板垣雄三先生(東大名誉教授)。昨晩の報道でも確かにいわゆる「受賞の喜び」にしてはかなり重い発言で「日本人がイスラムに目を向けるべきだし、自分もそのために役立てれば」と耳に残ったが、多摩のD君より、この板垣先生『インパクション』だの『情況』といった雜誌の寄稿者としては初の文化功労者では?、と。9-11の直後に『インパクション』に掲載された「ニューヨークがアフガニスタンに接続する理由」は今でも、というより今だからこそ必読。あの9-11直後の懸念が現実となる。今回の受賞は曽野綾子先生と同時でバランスがとれたのかも(笑)。といいつつ確かにD君の指摘通り曽野先生もイラク戦争には批判的。

十月廿八日(火)晴。早晩に百年ぶりに走る。たまに走った時に誰か、しかもランニングクラブの誰かにでも遭遇すれば「いつも鍛錬」と思われるものを、などと愚考しつつ太古城から西にQuarry Bay公園、引き返し西湾河公園まで小一時間走った帰路、偶然にもランニングクラブのK嬢と遭ふ。帰宅して秋刀魚で晩飯。“Sarah”残り一半読む。それが未だ廿歳にも至らぬLeRoy本人の最初からの表現であるとしたら驚くばかりだが神と羅馬法王に対する冒涜と尊厳の交錯の凄まじさ。
▼茨城県三和町で無職少年(15)が暴走族グループから暴行を受けて死亡した事件で傷害致死罪で起訴された15〜16歳の少年ら水戸家裁下妻支部の少年審判で裁判官に「暴走族は犬のうんこより悪い。犬のうんこは肥料になるが、お前らは産廃でどうにもならない君らは産業廃棄物以下だ」とか「暴走族をしてきた君らはリサイクルできない産廃以下だ」と言われた、と。一人少年の父親は裁判官のその発言に「更生するのに落っことされた感じがした」と、別の母親は「人間ではないと言われているように感じた」と証言しているが(以上、朝日)、親は「人間ではないと言われているように感じた」と婉曲に表現しているが、これはまさに「人間でないと言われた」もの。裁判官は冷静に法に従い裁き下せばいいのであり、短絡的な発想でモノを言うのはせめて首相だけにしてほしいところ。だがタテマエはこの裁判官の発言は少年の更生を考える「少年法の趣旨を考えれば、適切な発言とは言えない」(弁護士)というわけだが、実際には親や友人など近親者除けば、中学出て無免許で暴走族してる手のつけようのないどうしようもない少年たちが案の定中学出てブラブラしている少年を暴行殺人ぢゃ暴走族のこの少年らに対して誰もが内心はこの暴言裁判官と感想は似たり寄ったりなのが本音かも。それにしても裁判所の拙さはあきれるばかり、少年裁判での非公開の原則は本来少年の将来を考え更正を願うから故なのに、それを解釈してこの裁判官の発言について水戸家裁総務課は「少年審判は非公開が原則なので、事実かどうかも含めてコメントできない」と(嗤)。「司法は産業廃棄物以下だ」などと罵られぬことを祷るばかり。理想的な物語はこの少年の一人が更正し裁判で受けた屈辱忘れず司法を修め少年裁判で非行に走った少年を立ち直らせる人権派裁判官になるとか……なんてね。

十月廿七日(月)快晴。いつも帰宅遅きH氏に夕方逅い「お早いお帰りで」と申せば逆に「野球見ないの?」と言われ「あ、日本リーグ」と口走ってしまひそれは間違いと思ふも遅し。余は大リーグと日本シリーズすら混乱するほどで「どことどこがやってるか知ってはる?」と尋ねられ「阪神とホークス」と答えることには能ふが「タイガースなら相手はホークスやけど阪神なら何て言うねん?」と突っ込まれ「南海やろ?」とH氏ニンマリ。「ちゃうがな」と否定したものの王監督の顔と黒いユニホームは浮かぶが球団名思い浮かばず中内功の顔から神戸の地震、田中康夫のエッセイからダイエー批判と結びつき「ダイエーや」と漸く答える始末。ゆえに野球の話題で盛り上がるような場(例えば阪神優勝に沸いたHappy Valleyの慕情など)には顰蹙かうのも当然で危なく顔も出せず。Amazonより届いたJT LeRoyの“Sarah”半ば読む。余りの文章の冱えに驚き検索してみてこの本が『サラ、神に背いた少年』という邦訳あること(金原瑞人譯)熱心な読者のサイトにて知る。“The Heart is Deceitful Above All things”も同譯あり。80年生れの筆者不幸な身上にて十代になった頃より童娼とされ、その苦界より拯われ精神治療にと書かれた文章見事、三年前の処女作“Sarah”から脚光浴びたそうだが余は最近まで全く知らず。短編“Blue Christmas”など一読して言葉も出ず。
▼中曽根大勲位衆議院選不出馬決定。大勲位の宣われた戦後政治の総決算がまさか大勲位本人の実質的辞職で終焉迎えようとは。1945年より60年近く続いた戦後の終焉。パンドラの匣を開けてしまった小泉、いや「ゲームやプラモデルでしか戦争を知らない」(魚住昭)小泉安倍石破らを実質的に支援している国民、石原に300万票投じた都民。その責を自らどうとるのか、その責どころか自らの決定のどれだけ深刻なことなのか、バラエティでしか養われぬ思考力では到底何もわからぬのだろうが。魚住昭が述べていたが(朝日)「戦後の本当の終わり」はつまり「戦後憲法体制の終わり」。それを解体するのはいいが、愚政で以て戦後憲法体制に代わるいったい何を構築できるといふのか。
▼マレーシアのマハティール首相のイスラム首脳会議(16日)での発言読む。
We are actually very strong - 1.3 billion people cannot be simply wiped out. The Europeans killed six million Jews out of 12 million. But today the Jews rule this world by proxy. They get others to fight and die for them. We are up against a people who think. They survived 2,000 years of pogroms not by hittng back, but by thinking. They invented and successfully promoted socialism, communism, human rights and democracy so that persecuting them would appear to be wrong, so they may enjoy equal rights with others. With these, they have now gained control of the most powerful countries and they, this community, have become a world power. We cannot fight them through brawn alnone. We must use our brains also.
これももう限界発言であろう。
▼以下、巴里でのスナップ写真いくつか。巴里のお上りさん的観光名所写真。写真はデジカメに非ず。ライカ同盟に対抗して魂託。室内写真も全て自然光の「ひざし」のすばらしさ。
セーヌ河からシテ島望む。 La Sainte-Chapelleのステンドグラス。 ノートルダム寺院。 ルーブル美術館。 カフェ・ド・フロール。 ホテル向かいのセーヌ河沿いの古本屋。   オルリー美術館。

十月廿六日(日)晴。巴里より戻りてからの身体の不調と疲労はひとえに太陽電池切れと思わされるほど野外に出る機会なし。紫外線が肌に悪いだの皮膚癌だのと怖れる風潮あるがやはり燦燦と照る陽に充たろうと百年ぶりに裏山に入りMount Parker Rd上れば季節柄行山の人多し。Mount Parker の峠より大譚を下り島南の海岸まで休まず10kmほど走る。我ながらよくぞ走るものと感心。気温は25度ほどながら湿度は40%台まで下がり日射しもけして苛しからず。海岸で三田村鳶魚著(朝倉治彦編)『娯楽の江戸、江戸の食生活』中公文庫読む。娯楽、主に芝居についてよか江戸の食に関する文章面白く、今では江戸の伝統と思っているような天婦羅すら明治の十年代に天婦羅を食わす料理屋といふのは東京(とうけい)に僅か数軒しかなかった、つまり天婦羅など屋台だので立ち食いする下品な食品にすぎず。鮓は江戸では鮪が主だがそもそも寿司は酢で〆たのが寿司であり鮪とは酢で〆られぬ魚ゆえ、それを寿司といふ大きな矛盾と。確かに。浜辺で転た寝。灣仔のジム。帰宅。遅晩の映画あり簡単に夕餉済ましているとT夫妻より電話ありT君本日Wilson Trailでのレースに出場したところ夫妻で寿司加藤にてご一緒せぬかと誘いあり。すでに食事していたが「加藤なら」と(笑)。加藤にて麦酒飲み笑話つきずばってらと穴子の押し寿司。三田村鳶魚読みやはり寿司は〆た肴と押し寿司か、と。夜九時すぎより電影資料館にて『生活秀』(原作:池莉、監督:霍建起、02年北京)見る。中国映画はもう第六世代なのか第七なのか重慶で料理屋営む若い女性(陶紅)主人公に都会の孤独、筋はあまり好きぢゃないが都市舞台に陰鬱な雨と曇り空ばかりの映像はかつてのATG映画の如し。物語の単調さもATGを彷彿させるばかり。客席最前列中央にかなり不快な体臭放つちょっと気の振れたらしきコーカサス系の男あり周囲の客が退散するほどの悪臭に閉口。へんな客といえば昨日の聖ペテルブルグフィルの会場に終始毛糸の編み物するオバサンおり。係員も一瞬たじろぐが「音をたてていない」という判断でか放置。隣の客はかなり迷惑そう。余の席より視界に入り気になるとかなり気になる演奏中の毛糸編み。一階席の端のかなり目立つ席でのことゆえビオラ奏者あたりからは見えたはず。「香港では……」とかなり話題になっただろうか。そういえば、この毛糸編みオバサンほどでないが呆れたのは昨日のペニンスラホテルのバーでの米国人二人。男は半ズボンにスニーカー、女はTシャツにジャージ。米国人ゆえ(しかも言葉からして加州)本人たちにしてみれば土曜の午後、何ら問題なき服装なのだろうが、結局問題はホテル側。かつては半ズボン客をロビーすら通さずのこの「スエズ運河東で一番」のホテルもこうして品のない客を待し、かつては携帯のベルがなっただけで「お客様、当バーでは……」と給仕が走ってきたものが今では客の大声での会話も放置。そういえば昨日そのバーで不快であったのは路祥安(写真)を見てしまったこと。董建華の行政長官就任以前からの腹心にて行政長官上級特別秘書になったが三年前に香港大世論調査に中止圧力かけたことで失職、但し当然董建華の信任厚く前の行政長官選挙では董建華の選挙対策責任者(といっても形だけの選挙であるからたんに財界から資金提供受けるだけの仕事だが)で今は董建華の家族会社である船会社に戻っているのが路祥安。かつてJimmy's Kitchenにて司法司長・梁愛詩女史見かけていらいの不快感。
▼APECののち精力的に豪州、新西蘭と訪問続けるがAucklandにて独立主張する台湾系市民の示威行為に遭遇。世界でも言論の自由では秀でる新西蘭であるから国家間外交の場とはいへ当然のように警察がこの台湾系市民を威圧することもCoquinteau主席から見えぬ場所まで移動させるような指圧もなし。台湾の高雄では台湾を独立した主権国家とする新憲法制定を求める与党民進党主催のデモにいくら民進党支持の高い台南とはいへ18万人の市民が参加。日本は真剣にこの台湾問題に対処する必要があるが解ってはおるまひ。ところで首相の秘書というか実質的に小泉を仕切る飯島秘書官の別荘、高級車二台購入など目立つとか。著書の印税だそうだが購入した車が米国車キャデラックといるのがさすが親米政権。
▼松山のS氏が書かれている。昨晩TBS系「ブロードキャスター」見られば中途半端な女性コメンテイターがまた中途半端なことを語り「現在の政界において最も信用できないのが小泉安倍政権であるのは今や明白であるはずであるのに報道各社も批評家諸氏も、そこだけは聖域であるかのように、決して否定しようとはしないのは何故なのだろうか」と。Sしは郵政事業民営化を取り上げ「そもそも郵政事業の民営化を、日本国民は望んでいるのだろうか。民間で可能であることは全て民間で行えばよい!というのは都会人の発想でしかいない。都会では郵便よりも宅配便の方が速くて便利なのだそうだが、地方では実は宅配便よりも郵便の方が速い場合がある。四国最大の都市とされる松山でさえそうなのだから、もっと田舎の方面へ行けば郵便の必要性はさらに大きくなる。離島ともなれば必然的にそうなる。郵政民営化ののちには大都市以外に住んでいる人々は徹底的に不便を強いられることになるはずだ。幸せになりたければ都会に住め!というのが政権の主張だろうか」と。余りに説得力ある具体例。これは「なるほど、かの田中角栄とは正反対の考え」であり「それは自由民主党の旧来の美徳に反対すること」であり「自由民主党が強かったのはもともと弱者救済のことを旧社会党(社会民主党)よりも熱心に推進してきたところにこそあったわけで、それだからこそ永年の一党支配があり得た」のに「日本国民は本当に小泉改革を待望しているのだろうか。そのことの意味を真面目に考えたことがあるのだろうか」とS氏。全くその通り。この小泉政権に矛盾ばかりなのは言わずもがな、S氏は中曽根大勲位の引退問題取り上げ「大勲位の引退そのものについては僕は全然惜しいとは思わないが、ただ小泉の「非礼」は確かに許せない」わけで、この大勲位に比例代表制終身筆頭を確約した橋本君が非難されるが「橋本龍太郎・加藤紘一を非難しがち」なのは「見当違いも甚だしい」のであり、「当該問題を引き起こしたのは小泉であるのだから、石原慎太郎はじめとする大勲位礼賛者は小泉をこそ非難しなければならないはず」であり「小泉だけを聖域にしてしまっているのは何故なのか。聖域なき構造改革を主張する小泉その人だけは聖域であるのか」と。

十月廿五日(土)晴。殆ど使わぬマンション付属のクラブハウスの退会手続済ます。昨年の引っ越しも落ち着いた晩秋に眺めば肌寒きなか早朝より泳ぐ人多くてっきり温水プールかと思い入会手続せばさに非ず寒中水泳にて春を待ち利用したものの月に一、二度程度では勿体ない限り。昼前に銅鑼灣。Boseの直営店にてheadphoneのQuiet Comfort現品試す。驚くほどの周囲の雑音の消去ぶりに唖然。但し現品は初型にて新型は来月中旬入荷、と。すでにこの店だけで20名ほどの予約者あり。昼に中環。FCCにて海南鶏飯食す。競馬予想。馬主C氏のDashing Champion観戦できぬ残念。パリの写真焼き伸し受取り、中環場外で馬券購入。旺角。九龍某所で高座あり。早晩にZ嬢と尖沙咀にて待ち合せペニンスラホテルの酒場。独逸麦酒一飲。尖沙咀には北京道一號といふ高層ビル出来て周囲の様子も一変。Z嬢とCitysuperへ。Z嬢は何故かオリエンタルカレー好きで香港にもオ社のカレー店出来たそうでZ嬢試食所望。Citysuperのフードコートにて探すが見当たらず同じCitysuperの経営する広東道向いのビル地下のフードコートでは?と行ってみればオリエンタルカレーあり。カレー食す。当然「あの」パンチなき昔のカレーの味というか、色だな、あれは。香港文化中心にてレニングラード・フィル、元へ、聖ペテルブルグ・フィルの公演。どうしてもソ連時代でレニングラードって味気ない名前なんだけどやっぱり一流のすごいオケってのに郷愁感ず。突然、なぜ香港にYuri Temirkanov将いる聖ペテルブルグかといえば当然、日本公演(日テレの03年秋ロシア芸術祭だか)あり17日までサントリーホールでの終えての来港。よくあることだが日本で興業終えてたんまりギャラもらって帰路香港でお買い物&食の堪能で公演も一二晩といふやつ。いずれにせよ香港に単独でこういったオケ来ることなど考えられず素晴らしい機会。これで一流の音楽会場あれば言うことないのだが香港文化中心の音響の悪さは今更言う必要もなし。ムソルグスキーの「モスクワ河の夜明け」にてさらりと余裕の始まり。チェロがNatalia Gutmanでドボルザークのチェロ協奏曲。Gutmanは一流のチェリストでも例えばアントニオ・メネシスや(好きじゃないが)馬友友とか楽団がどれだけの音を鳴らしてもそれに負けぬソリスト性に比べGutmanは悲しいかな音量は秀でず。ゆえにチェロのソリストを迎えた時に一歩禅り伴奏に徹する楽団であればいいのだろうが、聖ペテルブルグともなれば楽団の力量もそうだしTemirkanovも愛する我が楽団を遠慮なく鳴らしてしまふからGutmanのソロは活きず。それでも技量的なこの女性の凄さで楽団と対峙するのが面白いのだが。終わって喝采の中で弾いたバッハの無伴奏組曲の二作品で、このGutmanのチェロの上手さ、けして見た目華麗でもなくむしろ「下手そうに見える」弾法でチェロ鳴らすが、出てくる音はカザルス的ななめらかさ。不思議。休憩あってラフマニノフの交響曲第二番。この楽団の真骨頂。凄い、ただただ凄い。とくに木管の演じ手、とくにクラリネット(Vakentin Karlov)と、まるでソ連が開発したティンパニー演奏のための完璧なサイボーグの如きSerguei Antoshkinはお見事。このTemirkanovによる聖ペテルブルグはバーンスタイン先生の紐育フィルと同じ「吟う楽団」ぶり。やっぱりオケはこうでないと。N響がデュトワで変った、変ったというがデュトワ自身がフランス人とはいえ非常にN響に近い真面目さがあるから、どうも楽団が「銀行員の同好会」に見えてしまうし聞こえてしまうのだが……。このラフマニノフの二番。今まで聞いたなかでこんなに明るいラフマニノフなし。曲の解釈、演奏は世界の状況によってどんどん変っていいのであり、今のロシアを表す演奏がまさにこれなのであろう。それにしても本当に世界の至宝といふに値する楽団。宮廷楽団として創始、欧州でも名声を得てからの二度の革命を経て練りに練られた結果がこれ。Temirkanovが何度も客の万雷の拍手に応え、香港でもこれほど客の盛り上がりは今まで見たこともないほど。終わっても客の会話から興奮ぶり伝わる。素晴らしき一夜。確か明晩は沙田の公会堂にてチャイコフスキーのピアノ協奏曲とかのはず。Temirkanovの聖ペテルブルグが沙田ってのも凄すぎだが、受けたTemirkanovも音響だの施設などに文句を言う姿も想像できず、当然プログラムはふだん余り音楽聞かぬ人から子どもまで楽しめるわけで沙田の公会堂でこれほど一流のオケ聞けることの素晴らしさ。それで音楽の素晴らしさに覚醒る子どもが何人もいればそれでいいのだから。ちなみに本日の競馬はDashing Champion三着に甘んじるが入賞でHappy Valley CHallengeの更に総合点上昇単独一位。このHSBC100周年記念盃、固いレースだが三着まで見事的中のほか4つレースとり結果的にかなりの収穫あり。こういう日に馬場で観戦できぬのだから……。
▼昨晩読んでいた月刊東京人に六本木特集あるが六本木ヒルズ出来たことで何をあんなに大騒ぎするのか理解できず。東京の都市開発は何処か寂しげ。理由の一つは周囲の全く主張なき何の美しさも有さぬごちゃごちゃした環境に突然未来都市現れること。パリのような完成された市街にポンピドーセンタがあったり香港のような絵面にもならず。狭い路地、醜悪な電柱と電線、その向こうに六本木ヒルズ、これぢゃ演歌聞こえてくる。そんな新しい都市?に出来たLouis Vuittonは年中無休、夜は日曜から水曜が21時まで、木曜から土曜は23時までだそうな。一流店というもの平日だけでそれも夕方終ってしまふから、その時間に店訪れられる客だけの、それで捌ける程度の数量市場に出回ることで一流品の格あり。コンビニか神社の縁日ぢゃあるまいに。六本木ヒルズを写真に納めた赤瀬川原平氏らのライカ同盟の写真もいいところ全くなし。同じライカ同盟でも例えば恵比須でガーデンヒルズに対して昔からの恵比須の下町を撮ったり(東京人)、97年香港返還で旺角界隈を撮ったり(芸術新潮)、赤瀬川氏らの仕事はそういった良さが売り物であるのに、出来合の施設の中に入ってしまっては当然いい写真など撮れるはずもなし。

十月廿四日(金)晴。夕に太古城。Cityplazaも平日のこの時間は閑散、音響製品Boseのヘッドフォン欲すがBose?の直営店あるべき場所に萬寧商店あり。購買の機を逸す。香港図書公司の大きな店ありペンギン版でFitzgeraldの“The Great Gatsby”とJoyceの短編集“Dubliners”の二冊購うがいったい何時読めるのか皆目見当もつかず。晩餐時間で店開けたばかりの西苑にてZ嬢と待ち合せ。真面目な接客態度に敬服。蛇羹、叉焼、四季豆を食す。歩いて香港電影資料館。中国電影展。『荷香』(監督は戚健、03年福建)鑑賞。福建省の茶の産地武夷が舞台。農家に嫁いた若い女が旦那を事故で亡くし力強く生きてゆく筋は平凡ながら、何よりも見ていて感じ入ることは、中国映画で農村を舞台にすること=貧困であったのが、この映画では温暖な気候と山間とはいえ適度な雨に恵まれた耕地で稲作と有名な武夷の茶の生産をする農家はけして裕福ではないが茶の乾燥から焙煎まで出来る庭付きの小綺麗な自宅を有しカネの工面といっても数千元、数万元という単位という豊かさ。福建の武夷が舞台なら流暢な北京語でなく福建の言葉ならもっといいのに。続けて『美麗的大脚』(監督は楊亜州、02年西安)見る。これも粗筋見れば北京の若い教師が三年も雨が降らず黄河上流の川が干上がった黄土の貧困なる辺疆にて小さな小学校の女教師と純朴な子どもらに出遇うといふ「ありがち」な物質文明への懐疑と革命精神見直しなのだが、どんな辺疆の黄土の村とてある社会のどろどろした裏話も盛り込み、ヒトの業きちんと描いた点では単なる党のためのプロパガンダ映画には陥らず。何より西安電影制作廠らしく上手い役者を集め特に地元の女教師役の倪萍が北京から来た美人教師役の袁泉相手に藤山直美に似た熱演。『荷香』が温暖な気候と水に恵まれた福建、『美麗的大脚』は厳しい風土で一滴の水すら無駄に出来ぬ西疆の地と偶然とはいへ中国の対照的な風土舞台にした映画が続けて上映される面白さ。
▼蘋果日報の陶傑氏の連載隨筆今日も炸けむばかりの冱え。「愛情と麺包(愛とパン)」といふ題にて中国の有人宇宙飛行につき未だ飢える民あり教育受けられぬ子のいる国家(つまり中国)が百億の多額の資金費やし宇宙ロケット飛ばすことの可否を問うは感情論と。情緒にまつわる問題には正解などなくそれ故に愛は盲目。同じく民族主義も盲目ゆえ国家が「原子核が要る、ズボンは要らぬ」(漢文にては「要核子、不要庫子」と韻を踏む、「庫」は正確には衣偏あり)と言えば異議も唱えぬのは感情と理性が異なる故。生物学者が「白髪三千丈」に異を唱え論文書いても無駄ということ。歴史をみれば北京の頤和園とて西太后が海軍の軍艦建造費を用いて庭園築いたと非難されもしたが、これの是非を考えれば西太后に非があるかどうか。今では頤和園は北京の重要な史蹟庭園となり多くの観光客集めるが、軍艦建造したところで官吏の汚職生じ日本海軍に沈められるばかり。それゆえ今日「国家が窮する時に宇宙ロケット開発の可否」など問うのは愚鈍。16歳の子の弁論大会じゃないのだから、愛情とパンとどちらが大切かなど問うべからず。貧しい男女が恋愛中に結婚や将来の夢語らい子どもは五人欲しいと語ったら、当然それに余計な口出しなど要らず、ただ笑って「お幸せに」と言うもの、と陶傑氏。この中国の有人飛行だけでもまず中国の権威主義を嗤い、宇宙飛行士は美男子であるべきとマーケティングを分析し、そして今回はこれ。立派。

十月廿三日(木)晴。昨晩遅く月刊東京人開けばいつも初頁から捲るところ目次眺めれば巻末に近き川本三郎の連載「東京近郊泊まり歩き」が荷風先生晩年の地・市川とあり川本氏で荷風では読まぬわけにいかず特集の六本木特集など興味もなく頁飛ばして市川を読む。戦後の荷風先生は浅草でのお遊び除けば市川での暮し寂しく川本君の筆もいつも以上に寂しげに鄙びた市川を語る。まだ眠れず荷風先生断腸亭日剰昭和12年少し読み漸く寝入る。昼に馬主C氏にメール。今季12月までにHappy Valleyでのクラス1〜3の競走にて最多勝の馬に贈られるHappy Valley Championshipは目下二勝のC氏の持ち馬Dashing Championが独走中。一勝目は口取りにも参加させて頂き二勝目を知ったのはドバイで見た香港紙の競馬欄。そのDashing Championが明後日、年に一、二度といふ珍しいHappy Valleyでの昼競馬に出走。だが残念ながら土曜午後に藪用あり観戦できず予め残念無念をメールせば隙かさずC氏の次男B君より返事あり本日の抽選にて1枠を獲た、と。しかも騎手は前勝も騎乗の見習ながら4勝と地元騎手では最多勝にある魯柏軒君騎乗で見習ゆえセキ量は10磅減で112磅と出走馬中最軽とは、これぢゃもはや勝ち名乗りも当然。観戦できぬこと悔しいばかり。競馬家族のC氏父子、余が凱旋門賞観戦のためパリにまで出向いたこと知り、“Great horserace lover”とお褒めの言葉いただく(笑)
▼その昨晩の荷風先生の市川での話だが、川本氏のかなり興味深き記述あり。荷風先生の市川での食卓であった駅前の大黒家、荷風先生連日菊正宗一合とカツ丼にお新香注文するのだが、川本氏店に入ると来客に気づかぬ女将に「お客さんですよ」と言ってくれた一人の褐色の肌の色した女性あり、その女性が去ってから女将に言われて判ったのはそれが今井正監督の名作「キクとイサム」1959年でキク役の高橋エミ子(川本君は恵美子と書いている)とは……!。なんといふ偶然。このへんの映画に詳しい川本氏が荷風先生の市川訪ね歩きの最中に大黒家でキク役の元女優と遭遇なんて……。すごすぎ。ちなみに高橋エミ子、映画出演はこの一本のみ。川本氏は彼女が「現在は高橋エミの名で歌手として活動を続けている」と書いており、更に余は驚く。いろいろ検べたが、高橋エミといふジャズ歌手おり、同名だが年齢も異なり別人。川本氏が勘違いされているとは思えぬが、こちらのキクの高橋エミのほうの歌手活動がどのようなものなのか不明。絶版だが本間健彦『戦争の落とし子ララバイ―「キクとイサムのヒロイン」高橋エミの戦後50年三一書房といふ本が出ていたことも知る。
▼半年ぶりに朝日新聞購読し昨日の吉田秀和先生も今日も夕陽妄語に加藤周一先生ご健在ご健筆揮ふを読み甚だ畏まると同時にふと連想したのは自民党の中曽根大勲位と宮沢喜一君。昨日の朝日で早野透が書いているが小泉君が「今ちょっとお年寄りが頑張って困っている面があります」などと街頭演説で言っているからダメなのであり、自民党の「若手」などに比べれば世界的な視点で的確な判断と意見をもっている点では大勲位と池田子飼の(などといってもお若い方には解るまひが)宮沢君の二人を置いて他におらず毎日新聞では岩見隆夫君が書いたように大勲位と宮沢君は「日本の財産」と。具体的には、例えば、大勲位は9・11の直後に「アメリカの覇権的な政治への嫌悪感が事件を引き起こした面もある」と述べ、宮沢君がイラク戦争で「これは9・11に対する報復。ある日、空に魔物が現れたと、大量破壊兵器を一くくりにして全部サダム・フセインに背負わせた感じを歪めない」と宣ふ。早野氏曰く「こうした発言は小泉首相からはついぞ聞かれない」と。小泉君ばかりか石原慎太郎君や新保守の安倍、石破といった輩などテロ攻撃に勇むばかりで確かに大勲位、宮沢君の如き世を見据えた視線など微塵もなし。本来であれば大勲位、宮沢君に「世代交代しても大丈夫」と言えるべき、と早野氏指摘するがその通りで、而もそういえるだけの後輩育っておらぬ事実。で、これが朝日新聞での吉田、加藤の両御大が八十を過ぎても健筆揮ふのも同じこと。評論家などいくらでもいるのだが、例えば昨日の吉田先生の「音楽展望」では最近評判の河島みどり著『リヒテルと私草思社取り上げる。吉田先生も指摘するようにこのリヒテル本、実はリヒテルの音楽についてなど殆ど語られておらず、であるから音楽評論家はこの本を取上げられないし、取上げたらけして好意的には書けぬのだが、それが吉田秀和だから大上段に構えて余裕でこの本を楽しく語れる。今日の加藤周一とて塩津哲夫の能「山姥」を語るのだが、京の曲舞師らの一行=強い側(majority)に対する山姥=弱い側とし、この能劇は世阿弥が内乱と一揆の時代にあって紛争をよく観察した結果の物語である、という。加藤先生は、その弱い側の主張を強い側の言い分より注意して聞くのが常識的な判断で、だがそれだけでは十分でなく、紛争急迫すれば嘘を言うのは強者ばかりとは限らぬし、できるかぎり客観的な判断に到達するためには対立または紛争当事者の両側に超越する基準乃至権威が必要、世阿弥による「山姥」の話の偉大な独創性は「都の猫も杓子も世を挙げて山姥の怖るべきことを呼号していたであろう時、ひとり相手側の立場から見てその怖れに足らぬことを指摘した点にあるだろう」と加藤先生は賞める。加藤先生らしく世阿弥の古典劇から現世のこのファッショ的状況を憂う、確かに見事な一文。この古典劇を語る文章から、現世の、この国の、山姥に相当するのは「北」かラディンかフセインか、「テロ、テロ」と相手を詰ることしか知らぬ政治家に踊らされる国を憂う要旨を読み取れるかどうか、大学入試で現国の問題で東なら立教、西なら立命館あたりが好んで使いそう。結局、こういった文章を書ける後進がおらぬこと。で、結局は朝日でも誰も両御大に「お引き取りを」などと言えず。老害なのではなく、実際は若手から育つ者おらぬことが問題。
▼APEC終了し中国のCoquinteau主席は豪州訪れカナダ首相は北京訪れ温家寶首相が応じるなど各国とも積極的な外交続ける。日本もAPEC開催前にはメキシコ大統領来日するが貿易協定結べずブッシュも立ち寄るが日本などブッシュにとって殆ど藩下の街道筋の宿場町の如き様。APECにては日本は米国の「ぱしり」役をば演じたのみ。終われば何事もなかったが如く衆議院選挙ばかり、しかも中曽根大勲位と宮沢喜一君への引退勧告が首相の課題とは呆れるばかり。もはや亜太地区に日本といふ国家の存在感もなし。
▼ケン・ローチ監督続報を築地のH君より。産経新聞本日の社説で世界文化賞について受賞者を紹介するが何故か(笑)ケン・ローチ氏については触れず。触れられず、が正解か。六ヶ所村を舞台にしたドキュメンタリ『海盗り』などの土本典昭監督が日本原子力文化振興財団より映画制作費を頂くが如し。さすがに記事では紹介するがローチ氏は「予想もしなかった賞に驚いている」といふコメント。笑えず。しかもローチ氏は「今回の賞金の一部を日本の市民運動などに寄付する予定であることを明らかにした」と。さすがに「市民運動など」の表現が産経では精一杯、まさか労働運動とか左翼運動とは書けず。この賞の背景考えれば辞退も考慮できるところ受賞して賞金を運動資金に投入とはケン・ローチ、じつにお見事。H君懐疑するは、ふと、なぜケン・ローチがこの賞を受賞したのか、と考えた場合われわれはつい「産経だからよくわかってないのだろう」と安易に考えてしまいがちだが、ひょっとして何か深謀遠慮が働いているのかも。単に「見識がない」という結論が正解ならだとするとその新聞社を我らが祖国に君臨する政財界が応援しているとしたら皆さんあまりに低レベル。敢えて何か深謀遠慮あってのケン・ローチ監督への授賞とすれば、理由は余りの保守の余裕気取りか不甲斐なき左翼の現状に敵に声援送る故かとも察すが、いや、やはり事実はたんにケン・ローチが誰かわからずの授賞。

十月廿二日(水)晴。百年ぶりに競馬、といっても病み上がりにて自宅にて電視での中継観戦。今季競馬はHappy Valleyに一度行ったきりか、確か沙田までは足運んでおらぬ筈。第四場までは勘冴えて単複で軍資金を倍増させ喜んでいたが騎手Whyte君本晩八戦のうち六戦出場し四冠一季一負の絶好調、しかも四五七八場と固め勝で第五場より着いてゆけず殊に第七場で期待のSize厩舎の大文豪(Mighty Hugo)二着に甘んじ(一着はWhyte君の雀躍)、最終第八場こそまさかWhyte君四勝あるまひと今季好調の伍さんに肖り一番人気の南荘之寶とすれば腐っても元一班馬で数糊をWhyte君鮮やかな手綱捌きで外枠から一着にまさに躍り上げる。第四場畢って余も資金に余裕ありWhyte君の好調見た時に「今夜はWhyte君や」と運に乗れぬ己を悔むばかり。遊びなのだからそういった遊び心が余には足りず。猛省。

十月廿一日(火)朝も重湯。点滴にて抗生物質投与され眠くもならず『世界』十一月号読む。毎月考えさせられる事多き寺島実郎氏の連載にて寺島氏曰く氏が夏の欧米、中国への旅で痛感させられたのは(以下、要約)縮む日本=米国への過剰依存の中で主体的に行動しない日本への失望感。イラクでの米国支持で日本=勝ち組と認識するのは「とんでもない誤解」。中国は米国との関係を決定的に損ねることのない範囲で米国の行動を批判しイラク攻撃に反対し北朝鮮問題では米朝中の三者会談を実現して六カ国協議を北京で開催することで国際社会での存在感を示し特にアジア諸国から中国は対米でも筋通すアジアのリーダーとしての評価を得たのに比べ、日本は日本が国連の安保理で常任理事国になったとしても米国の支持票を一票増やすにすぎないという印象を与えた、と寺島氏。続けて、日本の根源的不安定は、ドイツのEUでの存在とは対照的に、アジアとの協調と安定の基盤を持たないこと、と。N医師の診断あり体調回復見られ晩の診断で担任許可出すと言われ昼に平常食許可でるが何も入っておらぬ腹に突然ヘヴィイな食品は……と自ら気がかり辛みなしの麻婆豆腐かけた軟飯。午後も眠れず江戸川乱歩の『孤島の鬼』(光文社文庫)読む。かなり以前、余がまだポプラ社?の少年探偵団モノ読み耽った小学生の頃に創元社だったのか角川だったのか(それが桃源社版でなかったことは余の郷里のその本屋に桃源社版などなかった筈で(パリのジュンク書店にあったのが立派)それに桃源社版では漢字多く小学生なら書店で手にして購入する気はおきぬはず)少探=子ども向けに飽きたらず本屋で手にした乱歩が偶然にも『孤島の鬼』なり。余は当時からかなり「怪しげ」なもの(奇譚小説、絵、物置や蔵、人形、映画……とかなり乱歩趣味)に興味ある子でこの乱歩の文庫本にかなり惹かれたのは事実。だが流石に十だか十一だかの子どもいに内容が「難しい」以前に「子どもが読んではどこかまずい」といふ直感あり。当時、近くの書店は「つけ払い」がきいて小遣いの心配要らぬのだったが買った本は明細が家に届くわけで、この本は親に叱られのぢゃないか、と。当時同じく諦めたものに平壌放送で知ったチェチェ思想研究会あり(笑)。数十年を経て今回読めば最初の数章で最後の展開まで粗筋を思い出し、当時、書店で立ち読みしていたのかとも思う。老いて読めば奇形趣味も残忍さもそれほどの衝撃もなく寧ろ乱歩先生の物語の美学すら感じ入る。乱歩自身の解説にてこの物語が伊勢に滞在し乱歩先生の畏友である岩田準一氏との歓談のなかで生れていたと知りなるほどと理解。乱歩、岩田準一、南方熊楠や村山槐多というネットワークも山口昌男的に面白い世界。一人閑かな病室にて乱歩先生など読むのも「あんまり」だが午後にさすがこの季節となると陽が傾くのも早く小高い西の丘陵に隠れようとする太陽の光が点滴の硝子管に光りとても乱歩的(写真)ふと川端康成君もデジカメ携えていたらいろんな光のある景色撮影していただろうと想像。どうでもいい風景からきっと「へぇ」という光を獲ていただろう。病室に臥せていると普段考えぬいろいろなことを考えるもので、晩に有線電視のニュースで台湾の李登輝君のインタビューあり。台湾「正名」運動など積極的な李登輝君「台湾人の李登輝が台湾愛し台湾を憂うことが何がおかしいのか。政治に従事したがもともと牧師になりたかった李登輝が人の幸せ、人権を考えることがおかしいか」と。李登輝先生の発言をかなり取上げた形になりこれが香港で許容されるのが不思議なほどだが考えてみれば地上波局に比べ有線は台湾の取上げが弛いといへば弛い感じもあり。地上波が香港とはいいつつ広東省一千万世帯?とかで見られているのに対して有線なら香港だけといふことで中国公安も比較的有線には弛いとか? 晩の有線でのニュースの途中でバンコクからAPEC会議了えた中国主席Coquinteau君の記者会見の生中継あり。今ひとつ華に欠けるが優秀なる官僚然としたCoquinteau主席の会見の様子見て、日本ならさしずめ加藤紘一君であればこのような振りかと加藤君失脚が残念に思えてならず。いずれにせよCoquinteau主席の記者会見に集まった記者の数の凄さ。小泉改憲ぢゃない小泉会見の有無、どれくらいの記者集まったのか知らぬが世界の注目は経済大国日本よか大国中国にあり。基調談話終わり記者からの質疑応答あり朝日新聞の記者勇んで質問、含羞みつつ中国語にて「手短か」が原則のところ3つも質問、1つ目は中国国内の経済格差、2つ目は日中関係、3つ目がAPECでの台湾代表李遠哲との会談の内容について。日中関係の質問の仕方は粗忽、勝谷誠彦氏なら「築地踊り」と揶揄するだろうが「日中関係でここ数年政府首脳の相互訪問が杜絶えているが関係改善のために日本は何が必要か?」と、これぢゃまずい(笑)。これじゃまさに朝貢外交。たんに小泉靖国参拝だの日本の歴史認識に中国が不満なのは誰にも明白、日本には円借款だの技術援助などじゅうぶんにしているといふ認識もあり、中国にもいつまでも過去の侵略行為持ち出す中国の姿勢にも疑問の声もあり、そういった点でも突くべき。偶然だろうが朝日新聞への主席応答の最中に30以上に及んだ生中継中断される。晩に養和病院名物の(と勝手に決めているが)滑鶏の釜飯食す。N医師の診断あり抗生物質の点滴更に1本済ませ昨晩から点滴続きシャツ脱げずの百年ぶりにシャワー浴びて退院。帰宅。昼寐もしておらぬのに薬の所為か夜眠れず乱歩『猟奇の果て』読了。乱歩先生の長編で連載作品にありがちな有名な「駄作」ながら此処までもうどうしようもない筋となると亦たそれも楽し。先生が途中で「あー、もう投げ出したい」と思いつつの連載ゆえ(編集長は横溝正史)明智小五郎登場し警視総監から総理大臣まで登場し殆ど曽我対面。光文社文庫版では横溝氏提案での路線変更に至らぬ地味な結論ながらの別本も掲載され貴重。
▼築地のH君によればケン・ローチ監督、朝日新聞には「国労闘争団支援の集会に映画監督ケン・ローチ氏が参加し組合員を激励」との記事あり(笑)、招聘元である産経新聞では「第15回高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式に出席するため一足早く来日した映画監督で演劇・映像部門受賞者のケン・ローチさん(67)が二十日、京都市西京区の桂離宮を訪れ、約一時間かけて散策を楽しんだ」となぜかカラー写真入り(笑)。不確かな表現、これでは本来目的があるが「世界文化賞の授賞式に出席するため一足早く来日」とも読めるが実際は「世界文化賞の授賞式に先立ち国労闘争団支援の集会出席のため一足早く来日」のはず。どうであれ、産経新聞は監督が何のために「一足早く」来たのかは当然あくまで不問。ちなみに監督の桂離宮でのコメントは「細かいところまでていねいに作り込んである美しい庭園で、感激です。雑然とした街中とは別世界にいるようで、気持の良い時間を過ごせました」。朝日のほうには「イギリスの国鉄民営化は完全な失敗。鉄道の安全性も労働者の働く条件も悪くなった」との発言。漫然と読んでる読者は、同じ人とは気づかぬだろう、と。まさに。これ今年最高の笑話。

十月廿日(月)快晴。朝から多少悪寒。午後に下痢ひどく悪寒は身体の節々の痛みとなり夕方には腰と大腿の関節痙攣の如き痛み。掌と指は血の気失せ熱は38度で血圧は145/110、横になり痙攣の如き痛み少し治るを待ってHappy Valleyの養和病院。歩けず車椅子。N医師の診断。血液検査は異常なし。解熱剤と鎮痛剤をば注射され入院措置。せっかく海外旅行者保険に入っているのだからと遠慮せず個室。病室が競馬場側であれば水曜日の夜も入院中なら競馬観戦可と考えられるくらいには頭の回転は回復。個室に入り横になる前に撮影(写真)我が拙家に比べもできぬ、もったいないほどの広さ。これが「普通」個室。この上に次の間ありだの上には上もあり。下痢ですっかり胃から腸まで空っぽ、さすがに空腹忍びなく気晴らしにとテレビつければ衛星放送の陽光チャンネルにて見慣れた顔が美味そうに日本酒!と思えば月刊『東京人』で東京酒魚繁盛記連載する太田和彦、「日本居酒屋紀行」なる番組で高知の美味そうな地酒、鰹の叩き、とんちゃんなる居酒屋……此方は重湯しか許されぬ身に目の毒。新聞にざっと目を通すがさすがに本も読めず。
▼多摩のD君より。産経新聞社が何を勘違いしたのか高松宮記念世界文化賞授与してしまふケン・ローチ監督、授賞式の参加のため来日、20日だから今日か?、なんと産経新聞の招待での来日ながら国労闘争団の支援活動といふ快挙(笑)。「ナビゲーター」という近作で英国の鉄道民営化がいかに労働者を蝕み公共鉄道を破壊したかを静かに告発するローチ監督が鉄建公団訴訟原告団の集会に参加し国労闘争団を激励するそうな。もう一度言うが(笑)産経がカネ出して来日して、だ。快挙。来年は世界文化賞はチョムスキーとアルダンティ・ロイに!とD君。いや、来年の世界文化賞は異なる思想信条を有する左翼映画監督に世界平和賞を授け日本の労働運動支援までした産経新聞社こそ世界文化賞を受賞すべき(笑)

十月十九日(日)快晴。昼に知人宅にて一宴あり山頂。M君に送られ中環。FCCにて珈琲一飲。親中派団体主催の中国有人宇宙飛行成功の祝賀行列。約千名参加とか。銅鑼灣。北角。晩におでんに「ちくわ麩」なしとZ嬢より緊急の電話ありCitysuperにならあるとのこと。すでに身は北角。太古城のユニーならちくわ麩ある場合もある、と。ショッピングセンター而も日曜日而もユニーとは願わくば接りたくなき混み場所。思わずコンビニで麦酒一飲して酔った勢いでユニー。菓子など購ふ。帰宅しておでん。NHK特集にて「最期のひばり」見る。余は80年代の後半NHKの当時の音芸部にてMプロデューサーの下美空ひばり嬢の最期の追悼番組製作のため資料収集等に従事したことあり興味深し。製作はS氏プロデューサーに昇格されており14年といふ月日感じるばかり。ひばり嬢の付人であった関口女史の克明なる闘病の記録が今回の番組の目玉、それを加藤和也氏当時回顧しつつ医者の証言など交えた内容。番組は昭和62年のひばり50歳大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎での済生会福岡総合病院入院より始まり翌年の退院と復活、伝説となった昭和63年の東京ドームでの不死鳥コンサート開催、翌年昭和が終わった翌月小倉から全国ツアーから始めたが直後に済生会福岡総合病院に再入院、東京に戻り石井ふく子女史の紹介の代沢診療所の医師が間質性肺炎と診断、順天堂大学に入院、三月にニッポン放送「美空ひばり感動この一曲」10時間生中継番組に在宅出演が生涯最後の仕事。番組の最期「この歓びの半分はひばりを応援してくださったファンの皆様に。だけど残りの半分は私が歌を歌い続けられるよう私にください」といふ一言耳に残る。この時期お嬢の描いた色紙絵の素晴らしさ。6月に永眠するがその日は奇しくも余の誕生日。この6月天安門事件。
▼二週間前だかの週刊読書人に佐藤嘉尚著『「面白半分」の作家たち』(集英社新書)の紹介あり。冒頭に吉行淳之介氏の言葉として「面白半分を英語では <Half selrious> というらしいね」が紹介され評者(金田浩一呂氏)は「なるほど日本語でマジメ半分とは、まず言わない」と語られているがseriousでなくselriousといふ言葉あるのか?と辞書まで引いてしまったが単なる誤植(笑)。それにしても1971年から80年までかっきり70年代そのものの『面白半分』の編集長であった12人の作家のうち半数が已に故人とあり目を疑う。吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一。確かに。半数どころか現在だに「まともに小説家として」健在は井上ひさし唯一人では? つい昨日の如き70年代、確かタモリが全日本冷やし中華同盟とかやっていて原稿間に合わず白紙の頁!などあったのもこの雑誌ならでは。当時『面白半分』『ビックリハウス』、植草甚一責任編輯の月刊『宝島』、まだ手作りに近い『ぴあ』や『本の雑誌』など面白かった時代。最近あの時代から80年代の回顧出版物多し。
▼昨日の蘋果日報の陶傑氏の随筆、中国の有人宇宙飛行取上げる。これが中国人の成就であることも先端技術であることも事実。だが、と陶傑氏、まず宇宙からの第一声は歴史に残るもの、ゆえに宇宙飛行士自身の言葉なのか、まぁ政府が決めて宇宙飛行士に諳じさせるのだろうが、ソ連のGagarinは「神はいない」と西側に向けて共産主義の無神論を宣べ、69年のアポロ月面着陸では有名な「これは私の小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩である」といふ格言を遺した。それに比べ中国の宇宙飛行士が口にしたのは「とても快適だ、気持ちいい」と余りに個人的感想に過ぎず本来なら「中華万歳!」とか、政治的には面白いのは「宇宙から毛主席が見える」とか「宇宙から董建華の香港統治を支持する!」だろうが(笑)いずれも中国の幽黙感に欠ける。飛行士の家族との会話も奥さんに「励ましに感謝するよ」では余りに革命的、中国ではさすがに「愛してる、ここで一緒にいたかった」とは言えぬだろう、あくまで党と国家である。ただし「励まし」とは……あまりに味気ない。息子も父親への一言は「宇宙から見る星はどんな色なの?」とか「宇宙人はいる?」ではなく「ご飯たべた?」というのは宇宙に行ってもまだ中国人が長年最も憂う深刻な問題で食か。それに加えて発射の時の歌舞音曲の民族踊りは香港返還での愛国騒ぎと変らず、着陸時の大騒ぎなど飛行士の体調など考えもせず娯楽性ばかりの大騒ぎ。アジアの一大農業国から一変してロケットに乗ったわけだが、彼らは「百年の屈辱」を忘れるべきではない、と陶傑氏。米国の月世界探検は好奇心(Curiosity)であり、これが西方文明建設の原動力。ソ連の宇宙開発は政治的。中国の神舟五號は民族の尊厳であり宇宙開発には何ら興味もなく、ただ自己の欲求の満足なのだ。董建華ですら「やればできる(大好河山遭受軍割了=どんな大河や高い山でも軍力で割ることができる)」などと宣っているが、あの宇宙飛行成功の一日は董建華も在米の中国大使もみんな田舎者丸出しの大騒ぎだった。……と。この陶傑氏、サイード語らせればロラン=バルト的だが皮肉言わせるとかつての筒井康隆の旺盛時よか凄し。
▼17日の朝日に人口問題特集で中仏の碩学二者の展望一読に値す。中国の国務院発展研究中心社会発展研究部長・丁寧寧氏は(要旨)
少子高齢化を迎える国と人口増加中の国がありそれぞれ問題を抱えるが国単位でなく欧州が高齢化した独仏などが若い周辺諸国を取り込みEU全体の高齢化緩和するようにアジアでも最初に高齢化迎える日本は他のアジア諸国からの移民受入れるべき。アジアと日本の間には(ここでアジアに対比する存在として日本が置かれている現実を日本は理解すべき……富柏村)歴史認識の違いなど障害があるがこれを乗り越え人的交流を早急にすべき。日本は労働力不足解消し送り出す国は雇用や所得確保ができる。中国にとっての人口問題とは、一般的には英国の産業革命や日本の近代化に見られるように国家が工業化する時に増えた人口の余剰人口を労働力として工業に投じて産業化したのだが、中国は農業国の段階でソ連モデルで出産奨励したため人口増大してしまい、一人っ子政策で急激に抑えた分の今後の高齢化が速まる。今後の課題は、過剰人口の抑制から急激な高齢化対策。今後10年は成長率の維持は可能。2億人に満たぬ二次、三次産業労働力がGDPの9割を占め、残り5億人でGDPの1割といふ極端な二重構造だが、農村部から都市に流入する若い人口が成長を引っ張る。だが2015年頃には60歳以上が人口の15%となり年金や医療など高齢者ケアのコストがGDPの1%〜2%となり問題化する。まだ一人っ子政策は有効。短期的には、人口増を抑制し経済成長に資金を回し貧困など社会問題の緩和をする。まだ社会資本や社会保障制度が整わず出産抑制は必要。だが将来的にはこれの緩和も必須。すると出産願望が一気に吹き出す懸念もあるが女性の社会進出や子育てのコスト(共産主義で!?)増大で出生率は上げたくても上がらぬかも、と。
日本が重要な判断を迫られているのだが今度の衆議院選挙での各党の政策でもこの深刻な人口問題に具体的な言及は見られず。
フランスの人類歴史学者のEmanuel Tods氏は
20世紀の歴史は独逸や日本に見られるように人口急増が国際社会を不安定にさせた。それに対して21世紀は出産減による人口均衡で世界が安定するのではないか。欧州に見られるように人口が安定化すると隣国から攻撃受ける疑念が政治家の頭からぬぐい去られ欧州統合が促進された。移民差別や極右台頭もあるが均一社会に慣れきった老人は去り移民の若者もフランス人になる。極右のルペン氏が初回投票で2位になっても2回目投票で有権者の8割が志楽氏に投票したことを積極的に評価すべき。せっかく安定期に入るべ世界で米国の存在が問題。人口増の時代なら世界安定に米国の存在が不可欠だが米国は人口安定化した今の時代にまだ存在感を誇示するため秩序破壊をしている。日欧など先進国はこの米国の単独主義を暴走させないよう囲い込む必要がある。世界は均衡の方向に向かっており最期のあがきをする米国と軍事力で競争することは無意味。先進国は自国内の経済社会問題の現実だけに対処し人口減ばかり消極的にとらえず途上国をどう引っ張り上げるかに力を発揮すべき、と。
人口安定化すると政治家は隣国からの攻撃など口に出来なくなるそうだが日本では人口安定化しても隣国からの攻撃が政治家の頭から離れないというのは日本の政治家がどれだけ馬鹿か、といふことか。移民を受入れての将来のフランス国民の養成。これはつい先日パリで見受けた多民族の若きパリの若者たちを見て痛感したこと。これが健全なるナショナリズム。堂々と在日の、ポルトガル語の子供らを日本国民に育てられぬ日本の国家主義以前の社会の現実。といわれても小泉政権での無思慮な単なる追米主義見ていれば「日欧など先進国は」と言われることすら羞ずかしいかぎり。
▼秀逸なる新聞の文章見たあとに椅子からひっくり落ちそうになったのが17日朝日の文化欄に掲載された「日本を代表する中国問題も専門家」中嶋嶺雄先生(東京外語大の前学長で現在は北九州市立大学大学院教授)の「香港・台湾の新潮流」といふサブタイトルで何が驚いたかと言えば「「中華」からの離脱始まる」という標題。えっ、いつから香港と台湾が「連帯とアイデンティティ求め」なのか、と驚き中嶋先生がそこまでおっしゃるのに香港に住まう余は自らそれを理解できておらぬことに恥じ入るばかり……。何が香港・台湾の新潮流で「中華からの離脱」かといえば、先生曰く「アジアには歴史の深部の潮流に根差す大きな変化のうねりが起こりつつある」のだそうで「東アジア世界が従来の国家的・権力的統合の枠組みとは異なった次元で、新しい時代のアイデンティティを摸索しつつ、広く民衆レベルで胎動しはじめている動き」と、うーん、さすが中嶋先生、こういったキャッチーなフレーズでの文章展開が見事だが、それが具体的になにか、といえば「私がここで具体的に示すのは、いずれもこの夏以来の出来事」で「東アジア世界の将来に大きな影響を、時がたつにつれてじわじわと社会の内部からもたらすものと思われる」とまだ中嶋先生核心を顕にせず前書きが長い。論文でこういう書き方は御法度のはずだし、新聞の文化欄でここまで「思わせぶり」も釈されるのかどうか、中嶋先生くらいの大御所になると誰も文句言わないのだろうが、で、そこまで実に15字×20行耗やしていよいよ紹介される事例は、まず、香港の60万人デモ(さらに十万人増えた!)、二つ目は一国両制シンポジウム台湾にて開催され香港からも参加し熱い論議が繰り広げられたこと、三つ目は台湾を国の正式名称とする正名運動の本格的な開始、この3つなのである。うーん、なるほどなぁ。中嶋先生が「返還後の(略)香港でこれほど多くの市民が政治的な意思を表示したのは画期的なこと」と評価する60万人デモ……デモを積極的に評価する論調で50万人なのだが10万人増えたのは何故か、中嶋先生が積極的に評価したからか……確かに画期的なことだが、これはあくまで董建華の愚政に対する市民運動であって「中華からの離脱」とは全然関係ないのだが。で、このデモを積極的に組織したのが先生曰く「急進的」民主党派「前線」の劉慧卿(Emily Lau)女史であり、彼女らが8月に台北で開催された「一国両制の香港」検討会で、これは李登輝氏も参加、劉女史らの香港からの代表の参加に中国政府がかなり不快感示したことで話題になったもの。で、ここでこの中嶋先生の文章が「あ、なるほど」と合点がゆくのだが、中嶋先生もこの「国際討論会」に基調報告者として参加されたのであり、先生は「沈みゆく香港と台湾の将来」といふ報告を用意していったのだが「その報告が不適切と思われるほどに香港の人たちは活気に満ちていた」と……。凄い標題。「沈みゆく」と一蹴されてしまったぞ、香港(笑)。でもこれ、「沈みゆく香港」と「台湾の将来」なら台湾で許されるだろうが、日本語流暢な李登輝先生など「中嶋さん、これ「沈みゆく」は「香港と台湾」の両方に係って、その沈みゆく台湾の将来じゃないですよね?」くらい言いそうなものだが、この会で、中嶋先生曰く「香港のジャンヌダルクといってもよいほどの魅力で香港市民の間に立ってきた」(中嶋先生、最近は民主党派の女性議員といえば余若薇女史であることは御存知ないかも知れぬ、いずれにせよJeanne d'Arcは賞めすぎ)の劉女史は台湾に対して「一国両政下の香港のように鳥籠の中の自由に甘んじるのか独立への道を歩むのか台湾人自らが決定すべき、と述べた、と(ここまで事実)。で中嶋先生「従来、香港人は政治的意識が必ずしも成熟せず台湾に対しては冷たい視線を持し、一方の台湾人は香港社会を別個の中華社会と見做して違和感をもっていた」と。これまで「広東語の世界と台湾語の世界の違いもあって、両者が共通言語の北京語を用いてこのように連帯することなどなかった」と断言の上「今回は香港の民主派が台湾の民主派と強く手を携えた」のだそうな。うーん、ちっとステレオタイプな香港と台湾の見方すぎる。地方銀行の香港駐在事務所の駐在員が綴る来港三ヶ月目の作文の如し。今回のこの討論会、台湾に対して中国が提示した一国両制に対して台湾が香港の民主派に参加呼びかけたのは事実、劉女史が台湾が香港のように甘んじるのかどうか自分たちで考えるべき、と宣ったのも事実だが、果してこの討論会が香港と台湾の民主派が連携とまで言い切れるかどうか。事実、民主党派でも最大の民主党は台湾独立を認めず平和的統一を掲げ、香港で台湾独立を言うことがどれだけ厳しい現実問題があるのか理解できていれば、安易に民主派なりリベラル派=台湾独立とならぬといふこと。であるから、劉女史らのこの検討会への参加は、確かに香港の言論の自由の一環として台湾で自由に語ることへの態度表明ではあったが、けしてそれが香港が中華からの離脱するほどの意思表示と言うのは誇張。で三つ目だが中嶋先生の論調は更に勢いを増して「このような経緯ののちに」(といふのはこの検討会のことか?)九月に入り董建華が国家保安条例立法化を白紙撤回したことを挙げて「今回の一連の動きは」これも60万人デモと討論会のことか?「香港の将来のみならず中華世界の将来にとってもきわめて意味の大きいものだといえよう」と。嗚呼、なんなのだろう、この論理的?展開は……もう現実と自分の参加した討論会の持ち上げがごちゃごちゃになってしまっているぢゃないか。で中嶋先生続けて(もう誰にも止められず)「こうした香港の成功に刺激されるかたちで」って、だから香港の60万人?デモはけして中華からの離脱ぢゃない、って言うのに……先生曰く「こうした香港の成功に刺激されるかたちで」「李登輝氏自ら先頭に立った台湾の「正名運動」のデモ」があり「どこから見ても現実には主権国家である台湾は、自らの発意でいよいよ中華民国という仮面を捨て、台湾という実像をつかもうとしている」と台湾独立を強調し、それは「どんな政治的・軍事的な強制によっても覆すことのできない歴史の流れである」とする。先生が台湾独立に対してどのような考えがあるかは自由であるし、この台湾独立派の言い分は先生の言う通りであろう。だが、だが、それと香港の国家保安条例立法化反対の運動や劉女史らの台湾での自由な言動を「新潮流」とするのはまだ先生のお考えがわからぬでもないが「中華からの離脱」とは言い過ぎ。いぜんから中嶋先生は自分がかかわった研究会での内容となるとかなり大袈裟に紹介される癖あるが「このような東アジア世界の基底の新しい潮流をしっかり見据えてゆくことが、差し迫っての重要課題だといえよう」って、これをそのまま鵜呑にしたらしっかり誤解します、って、これぢゃ。朝日新聞も北京の不快感承知で台湾独立に熱心な論調をば掲載するのもいいが、どうせそうするのならもっと正確な現状分析できた文章を掲載すべきでは? これでは麻布の中国大使館の専門家からも「這個朝日新聞上中嶋嶺雄先生写的和産経新聞的台独論差不多一様、為什麼朝日新聞載上那麼奇怪的両岸論?」と嗤われるばかり。

十月十八日(土)快晴。昨日のPrince演奏ありのHarbour Fest惨澹たる客の入りと蘋果日報など報道あり。開場時に入場者三割と写真も空席ばかりの会場、但し記事よく読めばPrince公演時には八割方の観衆などと記載。このHarbour Festの開催での公的資金導入には余も反対ながら意図的な報道に唖然。香港の秋の素晴らしき晴天にもかかわらず昼すぎまで在宅し卓上にたまる雑事済ます。午後九龍某所にて立仕事。ラグビーW杯の日仏戦の中継が衛星放送にてあり観戦所望すI君、Z嬢FCCの酒場に居り合流。前半終了間際日本反撃開始19-20という接戦で後半に入れば実力差なのか否、体力差であろうか仏蘭西の反撃凄まじく日本は抗戦もできず立ち往生状態。客少なく殆ど夜の英格蘭対南アフリカ戦待つ英国人だが日本への応援は弱者応援なのか厭仏感なのか。夜になり英戦見ようと客続々と聚まりどうせだからと酒場のカウンターより卓に移り赤葡萄酒飲みつつ食事注文して英格蘭対南アフリカ戦も観戦。余が球技観戦とは甚だ奇しきこと。Z嬢と蘭桂坊のHaagen-Dazsにて氷菓食し帰宅。

十月十七日(金)快晴。後世にファッショ選挙として名を残すことになるのだろうか来る11月の衆議院選挙の在外投票の報せ見てふと余の在外選挙人証みれば昨年七月に転居したものの旧住所のまま。香港は在外公館での投票できず郵便投票にてこれでは投票用紙旧住所に送られ已に郵便転送措置も了い投票用紙受け取れず。早速住所変更の手続要すが郵便投票なる方式甚だ不便にて当方より選挙人証同封して投票用紙請求し投票用紙入手し返送する1往復半の手間あり住所変更との問題は住所変更に選挙人証送っては投票用紙請求できぬ事。住所変更であれ投票であれ選挙人証という原本を各選挙管理委員会に送るという行為が大きな問題。だがこれで四五年前に在外選挙始ってしまい一旦始ると改善もできず。この住所変更と投票用紙請求が重なった場合の手続きについて恰度昼時にて総領事館に問い合せできず外務省サイト見るが説明なく電話にて問い合せば具体的方法の提示なく投票できる在外公館もかなりあるので出張の折など何処かで、というのも無理ですかねぇと。無理。外務省何が興味深いかといえば電話での質問に対して「お名前は?」「個人の方のご質問ですね?」とかなり慎重(笑)。何をか惧れるか。郷里の役場の選管に問い合せ。余の質問は簡単にて住所変更と投票用紙請求が一度機に出来るかどうか。担当者不在で選管より折り返しお電話しますと余の電話番号聞かれ香港といふと先方のオヤジ職員「選挙の問い合せで海外に国際電話できることの可否」に悩み「ほ、香港ですか……」と凍り付くばかり。結局、夕方総領事館にて住所変更手続せば衆議院選挙近きこともあり「ついでに投票用紙請求も送ってしまいませふ」と。早晩に巴里とドバイの写真現像上がり受領。FCCにて独り鶏肉バーガー食しギネス麦酒。小さいが充実した蒸風呂とジャグジーは余の他誰も居らず貸し切りで風呂に浸かり乍ら3週分の週刊読書人など読む。香港政府前から金鐘に歩きTamar Siteにて開催のHK Harbour Fest 2003にてPrinceの演奏会参観(写真)香港米国商工会議所主催のSARSより復興記念の大企画ながら単なる大物外タレの音楽会続くばかりにて開催ぢたいは勝手だが問題は政府これ支援しSARS基金よりHK$八千萬(1.2億円)捻出に疑問の声多し。しかも殆どが入場料収入にては賄えぬ高額のギャラの補填にて殊に今回最大の目玉はローリング還暦ストーンズにて出演料も天井知らずの高値。この開催に市民よりの税収入を而もSARS対策の基金より支出することに疑問の声高し。ちなみに地元芸人にも出演依頼あれども外タレの高額ギャラに対して地元芸人には数万ドルのお車代のみで梅艶芳など馬鹿にするにも程があると出演辞退。当然。そのような米国商会主催の胡散臭き催事に関わりたくなどないがPrinceの初来港となれば話は別。Princeは80年代の始めからか当時カフェバー全盛にてMTVには肌黒きMichael Jackson先生など全盛、Princeも楽曲1999の頃より余は贔屓にし80年代も中葉かPurple Rainの流行のあとの日本公演あり当時、仙台にでアマチュアとして活躍のダンスバンド阿Qの諸君らと横浜まで参観したが最初、その後80年代末には後楽園ドームにて複び。この時は公演当日に余の渋谷川沿いの恵比須の安アパートにて「ああ、折角のコンサートで××でもあればなぁ」と呟けば恰度X嬢「あら××ならあるわよ」と宣われ折角だからミュージシャンのT君も呼びませふと電話すれば中目黒より僅か1分でT君現れ三人にて××愉しみPrinceの演奏会に馳せ参じた次第。懐かしきことなり。それから早十五年余。当然開演遅れるだろうと午後8時の定時すぎに来場するが香港の女歌手の前座ありPrinceの演奏は午後九時より。約8割の入り乍らPrinceとは誰ぞ?といふ表情の誠実な家族連れだのPrince全盛の頃に生れたか生れぬかの稚いPrince知らずの客も動員だろうが少なからず。最初の曲がいきなり“Let's go crazy”にて当時青春謳歌せし30代後半より四十代の客は大騒ぎ。Princeのポップ音楽とは安来節なのである。Prince先生45歳乍ら未だお若く、頬の筋肉動かず表情変らぬ気もするがそれはまぁ芸人ゆえのご愛嬌、可愛らしく妖精の如し。バンドとしての演奏力など80年代当時より確実に向上しつつ往年のヒット曲メドレーなど過去の追憶。このHarbour Festには疑問多いがPrinceがこの金鐘の超高層ビル背景に演奏とは香港に住まう往年のPrinceファンにとっては幸事。屋外のこの会場で噪ぐはWoodstockの香港版かと思いつつ米国商工会議所が主催し政府の投資組織Invest HKが資金面支援しSARS基金費われと実に政治的にてWoodstockとは同じにできぬ実に政治的に仕組まれた催事。口悪く喧ればSARSに便乗した米国商会赤字補填を香港政府に強請し利益米国に吸上げる。Princeの演奏一時間四十分ほどで終い最後アンコールはお決まりでPurple Rain聞けば80年代の娯しき日々思いだし感慨に耽る。終演後の混雑避け楽曲終了早々に退場。最後まで残った客は六七割か。12,000人収容の会場は一部座席撤収されており一万人として入場料払った客が同じく六七割としたら一晩の公演にては当然赤字。ここにSARSのための基金が浪費されるとは。

十月十六日(木)快晴。心地よき晴天。ちなみに昨日より半年ほど購読せし日経に代えて再び朝日新聞。日経にどうしても余には疎き企業経済記事多く日経夕刊の文化欄の内容期待したが国際衛星版にてはそれもなし。朝日の質の低下、殊に主張の昏迷、少なからぬ記者の文章力のなさ、そしてその文章を垂れ流す本社デスクの見識ののなさは呆れるばかりでも腐っても鯛か、毎日新聞は国際版なく不便、讀賣はナヴェツネある限り読むまじ、産経に「運動資金」提供するなど言語道断、と結局朝日に戻る。中国の有人宇宙船の無事生還に報道はその祝賀一色。国威発揚。人権や自由の制限なども払拭され中国!、中国!わが偉大なる祖国と。中国は世界の最先端の科学技術に到達した、だの、市民の声も近い将来アメリカに追いつき世界一の経済大国にと意気込む。これで来年からの四年間はオリムピック一色。すべて政治、政治、政治。目的は国威発揚、結果は盲目的な愛国主義。せいぜい娯しんでいただきたいもの。少なくとも明るい話題あるだけファッショ的全体主義に陥ろうとする日本よかマシか。ここ数日新聞もロクに読まず寐てしまひ晩に数日分の新聞雑誌など読む。
▼朝日新聞に9段ぶち抜きで月刊「ハロン」の編集長S氏応援する新嘉坡の高岡厩舎紹介記事あり。競馬といへば今年12月の国際騎手賽は参加騎手例年になく豪華。 Demuro(伊)、Dettori(UAE)、Dye(新西蘭)、Fallon(英)、Kinane(愛蘭)、Oliver(豪)、Soumillon(仏)、Starke(独)に武豊とWhyte(香港)、よくぞ鳩めてくれたもの。
▼築地のH君より。産経新聞何か勘違いをして産経新聞社主催の「高松宮記念世界文化賞(演劇映像部門)を「左翼映画の巨匠」イギリスのケン・ローチ監督に授与。三笠宮様記念ならケン・ローチもわかるが、この賞の国際顧問には中曽根大勲位すら居るといふのに。7月にローマで常陸宮様ご夫妻お招きし受賞者発表式典にはローチ監督は「所用により」欠席。で産経に今月下旬の授賞式を控え「抱腹絶倒」のインタビュー掲載あり(一部要約)
――監督は、「カルラの歌」「ブレッド&ローズ」など、ラテンアメリカの人々にスポットを当てる作品を撮っていますが、なにかきっかけがあったのでしょうか。
ローチ●一緒に仕事をしていた脚本家のポール・ラヴァティがきっかけを作りました。彼は弁護士でもあり、人権監査委員としてニカラグアで活動を行なった経験があります。……ニカラグアは87年に新憲法を公布して社会主義路線を歩み始めましたが、米国に支援された反政府ゲリラ(コントラ)との内戦が起こり、多くの人々が傷つきました。米国は自由と民主主義を旗印にニカラグアに介入したわけですが、それは真っ赤なウソだった。この事実を語り伝えることはとても重要なことと思えたのです。
――では「ブレッド&ローズ」は。
ローチ●この作品は主にメキシコ、ホンジュラス、エルサルバドルといった中央アメリカの出身者からなるロスアンゼルスのビル清掃員の闘いを扱ったものです。なぜこの作品に取り組んだかといえば、米国の移民に対する姿勢を伝えたかったからです。米国は彼らを安価な労働力として利用することしか考えず、適正な扱いをすることを拒んでいるのです。セットをロスに組んだのですが、ロスは住むにはとても不快な街だったという記憶があります。
……とここで本音は「ヤベーッ、ウチじゃあ記事になんねーよ」ともはや記者は青くなってるはず。で、インタビューは急展開をみせる。(笑)
――質問を変えます。ハリウッドを中心に、映画には次々と新しいテクノロジーが投入されていますが、監督はテクノロジーに関心はありますか。
ローチ●関心はありません。私はそんなに賢くありません。依然ペンとインクで事足りる人間なのです。
――唐突ですが、ジョン.レノンに関心はありませんか。
ローチ●はあ?こんな質問は初めてです。彼と私の共通点は、ともに労働者階級の出身だということぐらいでしょう。彼の歌には階級を反映したものも多いですが、「平和を我らに」はあまり感心しません。なぜなら、あまりにナイーブすぎます。現実はもっともっと複雑だと思うからです。私は「ペニーレイン」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」といったビートルズ時代の作品の方が好きです。これらの曲はリバプールという街の特徴をよく表していますから。
――ジョンの曲を映画で使ってみようとは思いませんか。
ローチ●考えたことはありません。
――最後の質問です。日本を舞台に映画を製作する可能性はありますか。
ローチ●自国と言葉も文化も異なる国では洞察力が働きません。そういう状況の中で、私が映画を撮ることはないと思います。
(笑)。H君「この記者、断言できますがケン・ローチの映画観たことないどころか、ケン.ローチが誰だかもよく知らないのでは?」と。「イギリスでなんか労働者を主人公に映画とってるらしい」ということだ見聞しイギリス、労働者というキーワードから思いつくのがジョンレノンしかなし。「ブレッド&ローズ」や「カルラの歌」については、お願いですからもうそれ以上喋らないでください!と切望。ケン・ローチに対してテクノロジー云々とは、これは美輪明宏先生に「ハウスミュージックは歌わないんですか?」と尋ねるようなもの、とH君。まさに。それにしてもアメリカの中米政策の批判が産経の紙面に載るとは天晴れ。しかも本来なら掲載し難き内容ながら改竄もせずそのまま掲載とは美談といふ他なし。サイード先生の件といい産経新聞、どうも外国の文化人については詳しくない様子が窺われる。ちなみに<産経抄>ではピカソ展を観にいってピカソの暖かい人柄に触れる思いがした…とか書いているそうだが「作品を誉めるのはともかく死ぬまで共産党員だったピカソの人柄をそんなに賞賛する」とは確かに産経新聞としては社命に背く行為ではなかろうか。

十月十五日(水)曇。或るツアーのマイクロバスに添乗の機会あり。かなり久しぶりに地元バスガイドの香港案内聴く。あれ?と思わされる事実とは異なる点も少なからず、連日の如く同じ説明反復すうちに自ずと構築されし物語ありや、と察す。笑い堪へられず思わずガイドの視線より隠れて笑ったは「はい、あそこが湾仔。海のところにコンベンションセンタみたいな建物が見えるでしょ、あれがコンベンションセンタ」と。晩に銅羅湾歩けば通行人が路上に佇み何かを見上げ何かと思えばケーブルテレビに中国の有人宇宙ロケット発射成功、と。果敢なる栄光!、中国は旧ソ連、米国に続き(といっても43年ぶりだが)太空人世界に参入、世界に誇る中国の科学技術の進歩、21世紀中国の躍進への一歩……と。実におめでたい限り。飛行士は中国国旗と国連旗を機内にて掲げ中国と人民とそして「台湾同胞」に熱きメッセージ贈る。Excelsior Hotelの地下の酒場にて数名で麦酒一飲。聞いた話では某氏ら週末に珠海に一泊でのゴルフ企画しホテル予約せば「シングル7室」に対してホテル側より「時節柄日本人客のシングルの予約はうけがたし」と(笑)。日本人=集団買春の疑いあり。7名はゴルフ目的にてうち3名は女性と説明すれば本当に間違いないかと念押しあり、もし買春行為発覚せばホテル営業停止を惧れるばかり。晩に睡魔に襲われつつ休刊まで残り5号となった噂の真相読む。岡留編集長編集後記にて曰くこの噂の真相の告発が最も必要な危険な時期での休刊に対して継続希望の声高けれども日本の状況はもはや一旦壊れるところまで壊れない限り再生不可能ではないか、と。確かに。いったん休刊し余力を保ち再刊を期待するばかり……って、それじゃ崩壊はあり、といふ前提になるか。

十月十四日(火)曇。気温廿三度、湿度六十と心地よき気候。日剰に残すも値せぬ喰飯脱糞の如き雑事多し。晩に秋刀魚だの秋の青物食し恵比須の黒麦酒飲む。恵比須の黒それほど美味いか首傾げる。黒麦酒のコクに欠け味は普通のラガ麦酒が黒色しているだけと思へてならず。さすがに睡魔に襲われ二更に臥牀。

十月十三日(月)曇。昨晩は朝四時半まで眠れず漸くで二時間睡眠。前晩も四時間で香港に戻り五十四時間で六時間睡眠。だが眠くならず困ったもの。ドバイからの空路にても三時間ほどしか寐ておらずドバイの宿泊もホテルの賑やかさで五時間くらい寐ただろうか。といふことは木曜日朝パリで覚醒てから五日間で十四時間睡眠とは。眠気には襲われずともさすがに疲労著しく牀に臥せれば漸く眠魔に襲われ尋常に寝入る。
▼蘋果日報の隨筆欄に登場の陶傑氏の連載、隣の蔡瀾が相変わらず自ら主宰する日本旅行の読むに値せぬ内容であるのに対し連日興味深き内容。今日はSARSに関する政府報告書取り上げる。要旨は
SARSの報告書指摘するに香港特区の医療制度新型伝染病への対応に準備足りず指揮監督権不明確にて情報交換竝びに病院施設能力に缺けたが特定の責任者がこれの責任を負うものでなし、といふ。しかし陶傑氏曰く制度は人が創ったもので制度は人に依り維持され医療制度に重大な錯誤あった場合に医療機構の誰一人として責任を負わぬのか、と。これ人類最古の矛盾困惑は旧約聖書より始まる。神は全能全知にてこの世と人創造ならば紙の決定は全て正確であるべき乍ら聖書を見れば神も後悔少なからず。神見るにこの世と人の罪悪大きければ神後悔し自ら創造せし人や獣を毀滅し洪水生じさせノアの方舟一艘にのみ生路を与えたり。出埃及記にはモーゼ神に何故埃及人猶太人をば追殺せむか神は答えず後悔す。後世基督教に対する最大の質疑は神が全能全知先知先覚ならば結果も亦已知の筈に何故後悔せむ悲事発生するか、と。暗黒時代の宗教裁判など異端者を屠殺せし災難も神の無意無力の現れにて然らば神全知全能に非ず。神に使える者の做す事全て為真理服務“In the service of truth”ならば錯誤犯すことも真実にて、それに“We were wrong but we weren't Wrong”(悔い更めれば罪人に非ず)という判断もあり、それ故に神も亦間違いあれど後悔することにより神全能なり。SARSの今回の全ての行為に錯誤あれど人に罪なしなる判断、とても理性論述とはいへぬが、神学的観点によれば特区のカソリック信者が平民でなきこと鑑みれば(政府高官に基督者多きことの暗喩……富柏村注)これもよく判る、と。
SARSの政府報告と基督教を結びつけかなり論理の飛躍もあろうが、結局は人が本当に悔い更めてなどおらぬ、ゆえに世界永遠に平和にならぬことを辣しく呵責する一文。
▼13日の日経にて野中広務氏曰く「村山富市という首相を迎え戦後五十年の特別決議をできたのは非常に印象深い」と。確かにそうだろうが社会党の首相を「迎え」で終わってしまったことのマズさ。自社連立など何にも繋がっておらず。野中氏続けて「若い人にかつての戦争の悲惨さを肌で感じてもらうのは不可能だが、もう一度、1945年以前の45年ほどを振り返って、当時の新聞や文献を見て、わが国がどんな異常な状況にあったのか、歴史の検証をぜひしてほしい。米国とも協調しながら、アジア各国との友好、信頼をより強固なものにし、平和な日本であり続けるようにぜひ努力してほしい。それのみを期待している。」と。正論。だが、いっそ小泉政権の現在で「わが国がどんな異常な状況」か理解することのほうが有益では?と思ったら、案の定野中氏も「今の政治状況は危ないと思う。危険だ。何かみんなが立ちすくんで、一つの方向にざーっと流れていく怖さがある。」と。ほら、ね。この状況をファシズムと呼ぶ。
▼小沢一郎氏も同じ日経で日本を「その場その場で、しかも情緒的な議論ばかり。もっと自己を見つめ、自己を認識して他人を見つめるという、本当の民主主義の確立がない限り、日本の改革はできないですよ」と。民主主義。野中氏にしろ小沢氏にしろ権力の中枢でいろいろ做され脛に傷ある身だろうが正論は正論。野中氏といえば噂の真相の永江朗による田中良紹(元TBS報道局「報道特集」制作ののちC-NETにて「国会TV」開局)インタビューあり田中氏指摘するに新聞社がテレビ局系列化完成した70年代から電話利権握った政治家に新聞が操られるようになり新聞が郵政省=政府に反旗翻せぬ、これが支配の論理、と。この利権作ったのが田中角栄であり、それを受け継いだのが野中広務、と。「政治の世界ではとっくに終わっていた野中を、新聞とテレビはつい最近まで大きく見せていた」と田中氏指摘。

十月十二日(日)時差惚けか朝の五時に覚醒てしまい夢野久作『ドグラマグラ』下巻半分ほど残っており読了。夜明けに朦朧とせしまま読むには良書かも。後半は意外と平凡。現当時では奇書だろうが。少し寝入り、午前Island Shangrila Hotelに宿泊の旧知のY君尋ねる。Y君はかつて香港に居住、今回松任谷由実の公演あり十日と昨晩の公演最前列と二列目の中央で参観だそうな。昼に尖沙咀は広東道の糖朝。十年ほど前にハッピーバレーにあった店と同じか、いずれにせよ通りがかりで初めて来てみれば客の半数は日本人。松任谷由実で日本から三千人来たそうで糖朝の客も殆どユーミンかも。糖朝、東京の青山と日本橋高島屋にまで店あるそうだが、甜品以外の点心、麺類はけしてお勧めできず。日本人に流行るにしてもけっこう地元客も多くそれが驚き。注文は注文票に記入するのだが頼んだ蓮子杏仁茶の蓮子がなかったらしく、普通なら給仕が「蓮子がないが普通の杏仁茶でいいか?」と尋ねるところ女給頭か内儀か私らの卓に注文票を投げ捨て「蓮子はないよ」と一言残し立ち去り唖然。普通の杏仁茶にして注文票をこの女の坐るレジに持参してポンと放ったら憮然とした表情。自らのサービスの欠点も理解できておらず。ちなみにお会計はレジに伝票持参。茶餐店なら当たり前だがこの程度の格の店なら普通は卓でお会計だが、日本人客多い故か、普通、卓で埋単!といえばHK$100もこえれば伝票持ってくるが「レジに行け」と横柄。客が店を作り店が客を選ぶ、ということを納得。Y君とスタバで雑談し別れジム。旅の垢落しに垢抹りと按摩。パリのLafontで購った眼鏡にレンズ注文。巴里より戻ると香港が路上に塵や煙草の吸い殻はなく犬の糞を気遣う必要もなく地下鉄は駅は美しく空調行き届き車両は広く快適(路上の人の混雑と市街の大気汚染だけは別だが)。どちらも勝手な生活文化だが、違いといえば歴史的にみれば巴里は市民革命歴ての市民の権利行使としての自由であり香港は権利も保証なかったが故の自由か。自由であればそれが一番であることは同じ。帰宅してドライマティーニ飲みつつ雑事済ませ湯豆腐と酒は菊正宗。有線テレビで「ランチの女王」最終2回分続けて見て(平凡な内容)Glenmorangie飲み日記整理す。
▼話は旧聞に属すが広東省珠海での日本企業集団売春の話。外務省が「関係したとされる」企業から取締役一人を呼んで事情聴取を行った結果「会社として組織的に買春行為を行った事実はない」と発表。企業側の説明では「表彰式後のパーティーには多数のコンパニオンが手配されていたが」し「自由行動となったためその後の個人の行動は会社として事実関係を把握していない」そうなのだが(以上、東京新聞この言い訳で面白いのは何処までが組織で何処からが個人かといふこと。この釈明では「パーティー後出席宿舎である別のホテルへ移動」したためその後の個人の行動は把握していないとしているのだが問題は「社員は社員だけでバスに乗り」の部分。ここで社員から除外されているのは何か。重役か、責任者か。ただ重役だの責任者とて社員。つまりこの釈明で何が言いたいかといふと「会社はバスに乗って宿泊先のホテルに戻らなかった」ということ。会社という組織がバスに乗らないのは当たり前と思われるかもしれぬが会社とは法人であり法人とは「組織体に法-人格を与え自然人と同様に法律行為を含む様々な経済活動をなし得る」(広辞苑)なわけでツマリ会社とて熱海の温泉で芸者上げても珠海で買春もできてしまう。だからこの重役は「法人は公的行事したホテルに居残り」その法人を組織する構成員がバスに乗って宿舎に戻って買春したのだから偶然にその買春客らが法人の構成員であっただけで法人としての会社としては免責ということ。バカな話のようだが法的にはとても重要なこと(笑)。法的にはそういうことだが実際問題として日本から珠海に出かけた会社ご一行の社員が自発的に買春できるはずもなくお膳立ては当然。買売春は個人の勝手だが組織ぐるみとは野暮。これにつじて余は九月末日のHerald Tribune紙で読んだのだが、それによると中国紙の報道では買春客には16歳のお若い方までおり(中卒で採用の社員?、家族かバイト君か……まさか)まだ「お隠れ」で遊ぶならまだしもホテルのロビーから昇降機まで泥酔した買春客が淫売婦にかなり烈しき抱擁やチューなどしつつ御練りしたそうで、それが顰蹙かった次第。毎年反日感情の高まる「満州」事変の時期だなど、このテの買春族には識る知識もなかろうが。多少気になるのはこの買春から二週間もたって地元の新聞が報じた事由。かつての韓国へのキーセン観光だの台北の北投温泉だの会社ぐるみでの買春ツアーなど現在に始ったことではなし。組織になれば何でもできるのが組織の怖いところ。したきゃ荷風先生の如く個人の責任で遊ぶべき。
世界銀行調査によると会社設立にかかる手間、日数、コストを経済体別に比較した結果、豪州が手続2つ、2日で世界1簡単に会社設立可、以下カナダ、新西蘭と続き4位のデンマークは費用0で以下米国、プエルトリコ、新嘉坡と続き香港が第9位。香港は設立費用が安いようで上位9社の中で最も高いUS$249となる、といっても3万円だが。で日本は38位、手続11個、日数31日で費用は世界一高くUS$3,518となる。この調査では言語を比較要素としていないが言葉の弊害考慮すればもっと順位も落ちるはず。更なる構造改革だの衆議院選挙だのと空虚な盛り上がりしている暇あらば、こういった現実の問題を凝視して改革せねばならぬのだが、全くわかっておらず。どれだけ日本が世界から取り残されているのかといふ事実。
▼香港のビクトリアハーバーの埋立て反対を主張してきた保護海港協会の主席で弁護士、倫敦大学でも法律教鞭とる徐嘉慎氏が主席を辞任。理由はこの埋立て反対に対する運動に対してこのまま継続すれば本人及び母親の生命の保証なしといふ脅迫状受け取った故。その脅迫遊びでないのはここ数ヶ月の九旬を迎えた老母の行動を緻密に尾行した記録まで提示された故、徐氏本人は倫敦大学での講義のため香港を離れる期間など母親の安全が保証できず、と涕の辞任。海を埋立て建物たててナンボの業界の方々にしてみればカネの沸き出でる海を自然保護のため埋立て反対など宣はれては「命惜しくないんかいっ!」だろうが、どこが脅迫の元凶か知らぬが最終的に埋立てで儲かるといへば大手財閥系デベロッパーであり埋立てのお膳立てするのは政府。李嘉誠あたりが埋立て反対とでもいわぬかぎり無理な話か。
▼七月初日の50万人デモの後九日に立法会議事堂より退場の際に抗議デモの市民に向かい「中指立てて」男を上げた親中派保守の議員(親中派の商工団体・中華総会が選出母体)黄宣弘が香港政府よりGold Bauhinia Star (GBS) を受賞。これはGrand Bauhiniaに次ぐ勲章でいわば勲二等。さすが董建華ともはや嗤うばかり。

十月十一日(土)24時間眠らぬ空港は世界一と有名な免税店はさながらクリスマス商戦のショッピングセンター、夜中にこれだけの職員が働いていることが当たり前なのだが不思議。ラウンジも成田の日航の二倍の広さはあろうかというものの一時間に六七本が出発するこの夜中の繁忙期には空席探すも難儀するほど。何処かで寝入ってしまう客も多く次々と搭乗客の名前での最終案内続く。この空港、かなりの施設だが利用者数を考えれば飽和状態を越えており、とくにいちばん基本の「坐る場所」と適度な空間に余地なし。あちこちに難民か浮浪者の如く地べたに坐わらざるを得ず、大阪から着いたエジプト旅行の団体客らも午前2時に「それでは午前4時10分がカイロ行きの搭乗時間となりますので何番ゲートにお集まりください」と案内人に言われ老人ら途方に暮れるばかり、24時間の空港運営をするのなら、地元の旗艦航空会社はフライト本数と客の数に見合うだけの施設を設けるべき。ラウンジとて寝入る客がソファ占領し新参の客は席が足りず徘徊う有様、せめて数時間持てあます睡魔に襲われた客が寝ていても時間になれば起こしてやれるくらいの睡眠室など設けてもいいはず。個人で持ち込んだnotebookも接続できず。機体と同じでかなり航空会社ぢたいが老朽化してしまっているぞ。そういえばエミレーツ航空、これだけ営業拡大しつつ日本は成田発着は未だ実現せず(大阪のみ)韓国人スッチー多いが韓国も中国の乗り入れしておらず、ありがちな中国なしで台湾ありといふわけでもなく、米国に乗り入れておらぬのはわかる気もするがカナダ、中南米、南米とアメリカ大陸には一切の乗り入れなし。アラブの優等生国家でこれは何か政治的な影響とか? 深夜3時すぎのEK382便にてドバイ発。B777-200の機内設備の老朽は言うに及ばず。タイ航空との共同運航便にてバンコク停留。バンコクは大雨。小一時間の間に降機客が出て香港行きの客機内に残したまま清掃など業務始まる。換気も止まり思わずマスクして粉塵禦ぐ。せめて機内整備の間だけでも空港内に移動させてくれてもいいのに。香港に午後五時半頃到着。機内で葡萄酒を飲むことが身体に合わぬと今更ながら実感。ふだんから葡萄酒だけはやけに酔うのだから機内でなど余計になのは当然。今回は巴里〜ドバイもドバイ〜香港も搭乗直後の三鞭酒にちょいと口つけた程度で葡萄酒飲まず機内にて朦朧とせず。酒といえば巴里より東京に戻った月本氏は禁酒中。立派なもの。香港空港より飛行機会社手配の車にて自宅。いつものことながら坐りもせず荷物片付け二時間弱。カップヌードル食し手紙などメール整理してどうにか日常に戻るところまで落ち着かず。Jack Daniel's飲みほっと一息つく。

十月十日(金)昨晩はというか今朝4時くらいまでホテルの比律賓「カフェ」でのご乱痴気騒ぎは続いていただろうか。ジャパゆきさんならぬドバゆきさんのフィリピン娘も少なからず。Al Jazeeraなどテレビで流れているのだがアラビア語などAlが定冠詞であることくらいしか理解しておらず残念。雙十節。英語紙Khaleej Timesは本晩在ドバイの台湾商業部の主催により“92nd Anniversary of the founding of Taiwan”の晩餐会あり、と。中華民国建国92周年であり台湾は独立しておらず(笑)。ホテルにて朝食済ませ朦朧としたままホテルの屋上のプール。摂氏39度、余りの炎天にさすがの余も眩暈するほどに少し泳ぎジムにてかなり久々にウェイト、少しだけ走る。数キロ先に立ち並ぶ超高層ビルもゆらゆらと陽炎の如し。金曜ゆえ祈りの日にて市街は閑か。午後にはぼちぼち商業地区は復活するそうで部屋にて午睡。午後、ホテル向かいのBur Juman Centreという商業モールへ。入口付近にいきなりSushiといふ文字見つけた気がして「まさか」と思ったがアラビア人経営の回転寿司(写真)確かに回教に生の魚を食うなといふ戒律もなし。かなり高級なモールらしくVuittonだのFerragamoだのの直営店多くアラビア人のかぶり布など扱う店にはジバンシー特製の美しいかぶり布まであり(写真)モールのフードコートにてインド料理で蝦のマサラ食す。フランスで中華は香港のほうが美味いのは当然としても期待のベトナム料理もイマイチにてそういった意味では世界のどこで食べても水準が維持されているのはインド料理が確かかも。それにしても商業モールのフードコートで食しスタバの珈琲飲むといふのは世界のどこでも典型的な「当たり前」の風景。快適、便利なようでこの単純化がglobalismそのものかも。倫敦が基点の都市情報誌Time Outのドバイ版スタバで見つけ(Dhs10)一読するに、この表面上は戒律にて健全な都市はとりあえずライブハウス=音楽とスポーツ活動(水上スポーツから三種鉄人まで)で蟠かまりを発散させませふ(とまるで「どうしても異性のことが気になったり、自慰がしたくてたまりません」という質問の答えのようだが)といふ感じ、ちなみにインターネットも所謂エロサイトには一切つながらず。ホテルに戻り夕方より香港=水上レストラン、東京=吉原松葉屋でのお大尽遊びの如きドバイ観光といえば、の夜の砂漠観光。朝食の折、ホテルの観光デスクで尋ねればお一人Dhs175と(Dhs220を暑い閑散期で割引というがこれもホテル価格で高いのだろうが)まぁ二人で六時間で食事から込みこみで一万円以下ならいいか、と参加を決めてのこと。トヨタの八人乗りの大型ランドクルーザー、一組行方不明でカナダ人の若い男女と私らの四名のみ。国道44号線を時速130kmで東のオマーンにむけて50kmほど快走し一面の砂漠(写真)ふと安部公房の、といっても「砂の女」ではない、この砂漠は鳥取じゃないから「砂の女」も物語で重要な役割の近隣の村落すら存在せず、17歳の頃に読んだ、安部公房の確か『砂漠の思想』といふ思想書を思い出す。此処に同じ旅行代理店のクルーザー十数台集まり砂漠へと入り砂漠の丘陵をクルージングする一興といふ嗜好。クルーザーは砂漠に入る時にタイヤの空気圧をかなり下げたのだが、そういうものなのか。クルーザーで砂漠を走り駱駝と羊の放牧場?に遊び行楽者が砂スキーだかの余興に遊ぶ頃、それに興味もなく、Z嬢と小高い丘に登り丁度、砂漠に落ちる夕陽を眺める(写真)今宵は満月。小一時間砂漠を走りこの旅行代理店が設けた「キャンプ」あり、そこで「地元の踊り」見せられた後、地元料理と。観光客相手の民族舞踊、だいたい踊り子に参加求められ……で、それが怖くキャンプを出て駱駝と遊び満月の月を愛でる写真の駱駝の背後は画像でブレてしまったが、かなりの光量の月)食後、運転手兼案内役の氏に水パイプ勧められ折角昨日からまた禁煙しているのに(笑)生まれて初めて水パイプ試すとこれがいい芳香にて煙草のニコチンの血管圧迫や不快感もなく、芳香は運転手氏曰く林檎木だそうで、これが最も(恐らく慣れない者には)好まれる、と。何かのついでの紙巻き煙草と違い、きちんと時間を割いて腰を下ろし一服しませふ、とこの時間がよいではないか。旧来の水パイプも素人用にはまずニコチンフィルターついて、その上にプラスチックの個人用の吸い口まで用意あり。砂漠の中を真っ直ぐに走る高速道路、空には満月、ラジオからはホテルカリフォルニア流れドバイの砂漠もどこか南加州の気分。市街に戻ると夜の十時近くだといふのに昼間とは違いどの店も開いて市街に人通りというものあり。確かに炎天下の摂氏40度に比べ夜ともなると気温も28度くらいには下り風も心地よし。金曜でも夜になると営業する店多く町歩きする時間といふわけ。もう一度Bur Juman Centreに参ればLouis Vuitton以外の店は全部営業中。ホテルに戻りすでに退宿しているのだがジムの更衣室でシャワーして砂漠の砂埃落とし着換え。エミレーツ航空手配の車待つが現れずホテルの職員エミレーツに電話すると予約はない、と言われ巴里でも一度今朝も再び確認しておりそんな筈はなく、十分待って再び余が電話すると旅行代理店が車手配取り消した、と。余は代理店がどれかも知らず一切の連絡もしておらず明らかに間違いであり直ぐに車まわすよう依頼するが須臾に電話あり代理店と確認とったが云々と。こんなことでは飛行機に乗れず、とタクシーで空港に参るがその費用は貴社に請求可能かと質せば領収書持参せよ、と。当地にてはタクシーも豊田カムリの上級種にてリムジンなみの、少なくとも巴里でのプジョーの中型車よか快適、しかも初乗料金はLhs3.50(100円)で空港までわずかLhs14と、快適さと値段では世界一であろう。ちなみに当地ではBMWのZ5がわずか450万円で一切の課税なし。羨ましい限り。空港に到着しcheck-inカウンタにて車の事情を話し電話にてそのタクシー代を請求するよういわれた、と伝えると数人集まりしばらく協議の上で「このミスはArabian Adventureなる旅行代理店によるものでエミレーツ航空に責任がなく日本で代理店に連絡して……」と。先ほどの電話での指示に従ったのだが、余は日本ぢゃなくて香港に居住するのだがだいたいこの客が何処に居住しそこにこの代理店の支店の有無もそういったこともいい加減なままただその場逃れの対応ぢゃないのか、「この程度の金額なのだから請求しなくてもいいだろうということなのか?」と質すと対応に当った職員、思わず“Yes, it's small amount”と宣ってしまい「まずいこと言った」といふ表情(笑)。ほら、金額のことぢゃなくて、そういうホスピタリティのない対応が問題なのです、だいたい東京だか香港に戻ってわずかこの500円のために時間を使うのももったいない、いちばんの得策はエミレーツ航空のミスではなくても金額が小さく、しかもその代理店が日航にとってのジャルパックみたいな子会社なのだから、エミレーツが立て替えてあとから代理店と精算すればいいだけの話、と諭すが硬直しきった官僚主義的大企業そういう機転がきかず。その小役人的職員の前でタクシーの領収書破り棄てる。“Thank you”と職員。呆れるばかり。

十月九日(木)曇。朝起きて二週間弱の巴里滞在の果ての荷造り済ませZ嬢とぶらりぶらりとSt-Germans des Presまで歩けば巴里に到着した晩に時差惚けなどないといいつつ香港時間にては午前4時頃に朦朧と食した肉々しき晩餐もかなり昔のことに思へ、そのbrasserieもこの界隈(結局前菜、主菜にデザートと二人で一人前ずつ食したのはこの一回であとは一人前を二人で一半するばかりのか細き食欲)、毎日の如く夕方のマルシェへの買出しだの夜な夜な月本夫妻とカフェで一飲に通った道に旅愁ならぬ郷愁の如きもの感じ入る。この界隈にては最も馳名のLes Deux Margotsにてブランチしつつぼんやり。甚だ不便などと文句いいつつもやはり他を凌駕する巴里のこのセンスに惚れて次はいつの来里となるかと思案。自由だの個人主義というものがいかに厳しきものにて毎日が琢磨の日々であるのかといふことも学んだ思い。この濃厚なる珈琲もCafe Cremeも次はいつ飲めるものか。ホテルに戻りエミレーツ航空より遣られた自動車にて巴里市街を北上して高速道路に入りCharles de Gaulle空港。設備の老朽化甚だしい上に免税も酒を除けば化粧品や香水など物によっては香港の莎莎のほうが安く航空会社の契約ラウンジもまるで70年代のモスクワかワルシャワの空港の如きモダンにて惑星ソラリスの世界。EK74便にてドバイ。ブカレスト上空にて十四夜の月を愛でイスタンブール上空が雲晴れて夜灯のイスタンブールを楽しむ。サイード先生の遺稿いくつか、久々に『神聖喜劇』読む。深夜ドバイ着。この時間欧州各地よりのフライト多く到着し未明にかけてアジア太平洋に飛立つフライト多くこの深夜に空港の混雑甚だし。空港といふより巨大なショッピングセンター。最近どこの空港の中にも必ずIrish酒場があるのはどうしてなのだろうか。飛行機からひょっとして1km近くあったのでは?という距離を歩き(動く歩道で、だが)、入境カードの記入も要らぬと機内にて言われ、これだけの空港ゆえフランスの如きお気軽な入境を想像していたら入境審査は長蛇の列にて審査も入念にて驚くばかり。幸いにエミレーツ航空のExpress Trackの通行証あり列ばずに入境、かつての香港啓徳彷彿する混雑の中でエミレーツ航空手配のChevroletのリムジンにてBur DubaiにあるRegent Place Hotelまで送られ投宿。気温は午前1時で摂氏29度。木曜日の晩はいわば週末、何が回教国だろうか、ホテルゆえにか泥酔者多く「カフェ」は深夜三時になってもまだ客室までご乱痴き騒ぎ聞こえるほどのご盛況ぶり。

十月八日(水)久々の快晴。午前中出掛けにDauphine街の瀟洒なホテルに寄り次回に機会あれば泊りたいとtariffだけでも頂こうかと門を敲けば日本の若い女性二人checkoutらしくブランドの大きな袋たくさんでフロントにあり。係員に丁寧な英語にて「昨晩、部屋のミニバーのご利用はありましたか?」と尋ねられるとその女性、日本語にて「ラストナイト……」と鸚鵡返し、係員がYesterdayと付け加えると今度は「……昨日」と答えた?だけであとは宮島ならぬサンジェルマン・デ・プレのだんまり決め込み係員諦めて面倒くさいとミニバーの件は触れず。このような稚拙な者らが高級ブランド品漁り歩きパッケージだから多少は安いだろうが一泊Euro300と料金掲げるホテルに宿泊しているかと思うと呆れるばかり。日本は日本への渡航者に厳しいビザ申請求めるのなら同等に海外に渡航する国民に一定の審査でも実施すべきでは? 昨日巴里にて購買欲なしと言ったは虚言にて今日になりMadeleineはVignon街の眼鏡の老舗Lafontにて眼鏡誂えBaccaratにてウヰスキー用にと細工なき単装の、Baccaratと言われねば其れとわからぬグラス購ふ。昼にホテルに戻りZ嬢と一緒にもう一度だけあのムール貝食したしと8区はGeorge五世通りの海鮮料理屋 Marius et Janette にて白葡萄酒でムール貝とCarpaccio。ムール貝は何度食べても秀逸、Carpaccioも伊太利料理だとソースだの味が強いがこの店のは殆ど刺身。デザートのMille-feuilleもFondant au chocolateも実に美味。昼もぎっしり満席の盛況。それにしてもビジネス客なのだが昼に二時間かけてこれでけ喰らい酒を飲み、この人たちの仕事ぶりというもの猜うばかり。魚料理の店らしく店内には至るところに魚だの釣りに纏わる飾り物あり丁度Z嬢の背後にヘミングウェイが使った疑似餌あり(写真)小雨ふる中メトロにてグランパレ美術館、タヒチのゴーギャン展に赴くが入場制限され長蛇の列、雨具もないまま外で小一時間、ようやく入場しても混雑でまともに絵の鑑賞できる様子もなく折角だが断念。買物するZ嬢と別れホテルに戻り午睡。夕方市街をぶらぶらと歩いてから巴里最後の晩、オペラ座ガルニエにてバレエ鑑賞。George Balanchineの生誕百周年記念でビゼーの“Symphonie en Ut”、プロコフィエフの“Le Fils Prodigue”にHendemithの“Les Quatre Temperaments”の三幕なり。二幕目の“Le Fils Prodigue”は父の教えに反し浮かれて放蕩尽す息子がさんざん遊ばれ身包み剥がれボロボロに果てて父の許へと戻り父の許しを得る贖罪の物語、非常に聖書的な筋でこの主人公演じたNicolas Le Richeが三幕目の“Les Quatre Temperaments”でも鍛え上げた体躯に柔軟な踊り素晴らしく、バレエというより舞踏的な圧倒感あり。プリマドンナはAgnes LetestuとKarine AvertyだがRicheの存在感が全てを圧倒。踊りの見事なRicheだが敢えていえば色気に欠け踊りが多少音楽より遅れるような気もしたりするがバレエの素養なき余は語る資格もなし。それにしてもオペラ座の格調高く美しいこと。建物と内装の見事さは当然として(シャガールの描いたモーツアルトの魔笛モチーフにした天井画(写真)が余にはけしていいとは思えぬが)、バスティーユのオペラ座が半蔵門の国立劇場ならこのガルニエが歌舞伎座なのだろうが、芝居撥ねて正面玄関より真っ直ぐにルーブルまであでやかな通りを眺めれば自然と気持ちも高揚するといふもの、歌舞伎座など出ても向かいは弁当屋、せめて銀座を向けば多少は賑わうが、国立に至っては半蔵門から皇居の暗闇ではやはり華というものなし、歌舞伎座もこのオペラ座とまでは言わぬがせめて1920年代にでも松竹兄弟が大谷に姓に肖かり大谷光瑞師の支援を得るなりして辰野金吾設計で築地の本願寺なみの芝居小屋とか、朝香宮様風にアールデコの劇場作ってしまうとかしれいれば……歌舞伎座はあまりに豪華さに欠け国立など論外も論外。オペラ座出てグランドホテルのカフェに入ろうかと思ったがすでにオペラ座よりの客で混雑し十三夜の月を愛でつつオペラ通り下りPyramidのカフェ。折角のオペラ座の帰路だというのに何故かラーメン食したくなるが(Z嬢はさすがに反対)十時半にてすでに来々軒もさっぽろラーメン2ももう一軒も軒並み暖簾を下ろしてしてしまいメトロにてSt-Michelまで戻り頼みの香港快餐店を覗いてみるがここも閉店。結局、正油味の麺が食せぬ無念。
▼メトロの構内に映画ラリー・クラーク作品“Ken Park”の宣伝かなりあり。当然、合衆国の真実描いたこの作品はノーカット版で香港で修正された広告写真も当然だがそのまま無修正。これが自由というもの。見たくなければ見なければいいのであるし、これを猥褻だの判断することのいやらしさ。
▼メトロの広告といえば明後日(10日)より音楽博物館にてPink Floyd回顧展あり。見られぬのが残念。
▼十日ほど前の新聞に記事あったのを突然思い出したがジーンズのLevi's社、02年に米国内の工場閉鎖し北米で最後に残っていたカナダの工場もついに閉鎖、と。主力工場はみなアジア、北米の象徴であるジーンズのはずが。いま米国製のLevi'sがあればビンテージ物として貴重。ちなみにLevi'sはフランス名のLevi Strauss(文化人類学者と同じ名)を略したものだとか。
▼今日のヘラルドトリビューン紙(紐育タイムス)の記事に米国が5つのイスラム国家に米国のThe Dept. of Homeland Security(母国保安省?)直属のビザ発給審査機関を設けることを決定、と報ず。これまで国務省、移民局が発給していた査証だったが9-11でのテロリストの入境に無防備であったことが非難され今年に入りこの母国保安省が設置されイスラム国家で特に米国ビザの発給多い埃及、インドネシア、パキスタン、モロッコとアラブ首長国連邦にこの事務所を設置しアルカイーダなどテロ組織にビザ発給されぬよう発給審査をするそうな。実はすでにこの機関はすでにサウジアラビアとリヤドに設置されていたという事実。それにしても何という横暴さ。せめて国家保安とか国家安全保障というのなら百歩譲って理解できるがHomeland Securityと云っていまうところがさすが愛国法を制定した国家だけのことあり。感心するばかり。

十月初七日(火)午前St-German des Pres歩きBon Marche百貨店。巴里では余り買物の意欲わかず、理由は何よりも冬物の衣料購っても香港にて余り被られぬこと、そして置物などに余は興味なきことの二つだろうか。……といいつつBon Marche百貨店の「予感」は月本氏がTumiのバックを買ったといふ話(笑)、薄手のセーター一枚購い、Z嬢と別れ恐る恐る革鞄売場へと向かい、気になるのは牽車つきの鞄にて、5年ほど前に香港の空港にてSamsoniteのもの購い使ってはいるが丈夫は確かでも余りにも単調、誰でも持っている定番で空港で預け間違えられしこともあり、Z嬢と会いZ嬢を毛糸売場へと誘い毛糸売場の隣の革鞄売場にて再度眺め最終的にZ嬢に平伏しつつ購う。雨ひどく百貨店向かいのbrasserieにて昼食。Bon Marcheの食品売場La Grand Epicerieにて香港に持ち帰る食品購い大雨のなか濡れながら歩いてホテルへと戻り一憩。夕方にメトロでMadeleineに赴きSt Honere街歩くが高級ブランド品には興味もなし。Mont Blancの本店ありここ数日調子悪きボールペンの部品交換を依頼すれば上階に専門家がいるので其処で見て貰へと云われ上階に上がると病院の窓口の如き一角、中を除けば手がインクで藍染め職人の如き職人一人おりボールペン見せると早速分解にて細部を調整、油点して研磨機にて微かい傷など落とし(写真)当然の如く無料。香港ならいきなりmovementの部分取替えてるだろうに。エリゼ宮抜けここ数日で一段と色を増した紅葉のマロニエ愉しみつつシャンゼリゼの大通り。凱旋門よりVictor Hugo通りの魚料理の老舗Prunierにて晩餐。肉料理あまり好まぬ我らにとって今回の巴里滞在の極みが此処。1925年創業といふこの店の見事なアールデコの内装はため息ばかりの見事さ(写真)食前酒にドライマティーニ注文すると赤か白かと云われ時々ある不安に嘖まれれば予感適中り氷にvermouthそのまま注がれ供されたのはご愛嬌、前菜はキャビアのパンケーキとEscaminero?とか云う貝、主菜は鱒と名失念の白身魚のムニエル、白葡萄酒はDaniel-Etienne DefaixのPremier Cruのシャブリはこれまで飲んだどのシャブリより風味あり。優れた給仕長はメニューが仏語だけだからときちんと英語にて料理を説明し、それ以上は余計な「ご満足いただけましたか?」もなく適度な親切。デザートのチョコレートケーキもシャーベットも、「よろしければご賞味を」と供された食後酒のKielも美味。かなりの満足の三時間の晩餐。酔い覚ましで凱旋門まで歩きメトロにてホテルに戻る。

十月初六日(月)気温一段と下り朝摂氏六度でしかも雨。週末のHerald Tribune紙にPonpidou Centreで開催中のJean Cocteau展につき展示内容がこれまでのCocteau展に比べかなり評価高い紹介あり殊に美術の教科書的な部分以外のCocteauのかなり好事家的な面にスポット当てたことを紹介につき早速Pompidou Centreに向おうとホテル出でSt-Michelのメトロ站にて昨日の最終レースで単勝30倍であったRegrix君に祝儀でせめて複勝だけでもと買ってレースも見ずに競馬場後にした為その結果見てみれば驚くなかれ一着にLegrix君の名が……複勝でも六倍は見事、余の負債も半減されたこと嬉しいものの、何故にこのレースのみ単勝買わなかったのか(買っていればEuro10でもEuro300とかなりの小遣い)、二日もLegrix君応援して何故最後のレースのみ見放して帰路についたのか、Legrix君の大穴の殊勲に声援贈れずなんと失礼なことをしたのか、と悔んでも悔みきれぬばかり。全く今回の二日間の競馬は馬券うまくいかず。だが負け越しを半減してくれたことにLegrix君に感謝するばかり。呆然としつつ手許にはその複勝の勝ち馬券。昨晩この最終レースでLegrix君の複勝のみ買ったことカフェにて話し「そんな時に限って勝ったりするんだよね」と話していた月本氏に電話で驚きを報告、で馬券は?と尋ねると、ひょっとすると競馬場でしか換金できないかも……と。確かにそんな気もしつつそういえば先週、St-Lazareの鉄道駅前に場外馬券場あり、Pompidou午前11時の開館にて半時間ほどありZ嬢がForumにて買物している間に仏蘭西の競馬会と観光案内所に電話してみるが何れも有料制にて携帯からはつながらず。近くにCitadineの系列ホテルありフロントで尋ねると近くの場外教えられるが多少如何わしきSt-Denis街に場外見つからず。PompidouにてCocteau展参観。確かに見事。一時間半ほどかけてじっくり。展示物もいいが展示のレイアウトだの照明だの、これはやはり仏蘭西と敬服するばかり。展示物を透明の硝子什器に並べ照明でできた展示物の影までオブジェにしてしまふ美しさ。Cocteauの映像がかなりあり、パリの小劇場舞台にした映像見ていれば1920年代、パリから浅草繋がっていたことを改めて理解。コクトーの装飾した舞台の青年が田谷力三に見え演出も菊谷栄のものを見ておらぬがエノケンの「最後の伝令」もこういったパリからの影響あったのだろうか、と思ふ。コクトーの描いた走り書きの如き有名な一連の作品ばかり見てきてコクトーは下手上手などと思っていたが展示の最後のほうに「この先のコーナーは性的描写が際どく成人向けの内容と判断されますのでお子さんの立ち入りについてはその点を理解の上判断をお願いします」とけして「18歳以下立ち入り禁止」とせぬのが仏蘭西らしいが、その性行為の描写は性器や結合部分のデフォルメからして春画の影響もあろうと思うが、その素描の肉体の線の確かさ、コクトーの場合、女人の裸体の素描に比べ男色の二人の男の絡みを描く時のその肉体の線の的確さなどはコクトーという人を下手上手などと言っては絶対にいけぬ、と反省。コクトー展の会場出ると記念品売場が、一面の壁の向こうにパリの北側の市街が見事に広がり、しかも硝子に薄い黒い遮断がありそれが風景をまるで精緻な絵か写真のように見せ、現実の単なる眺望ではない作品化をしており、マカオの歴史博物館を出た時以来の感激。コクトーの描いた猫の絵のTシャツ購う。Pompidou前のbrasserieにてCroque Madameとサラダで昼食。コクトーで憑れ赤葡萄酒一杯で少し酔ふ。Z嬢羅馬通りに楽譜買いに行くのに合せSt-Lazare駅前の場外馬券場。当たり馬券窓口にて素直に受け取られたので安堵すると機械に刎ねられ係員が「これは競馬場の馬券だ」と余に告げる。確かに競馬場の馬券だがここは同じ競馬の場外だろう、と思ったが埒あかず。最後の最後で単勝30倍を逃しせめての祝儀の複勝の馬券は換金できず、とツキがなし。駅前にて雨空見上げ呆然としておれば、ふと「さふいへば帰路の飛行機のreconfirmationは72時間前」と突然思い出し、といふことは……と数えたら今日が期限。最近、アジアの日本便などreconfirm要らぬ航路ばかりで72時間前のお約束などすっかり忘れる。慌ててZ嬢に電話すると探した楽譜もなく羅馬通りで交通事故見てしまい気がすぐれずといふので飛行機のreconfirmもホテルに戻らねば電話番号もわからず、Z嬢の乗ってきた地下鉄に乗り込みホテルへと戻りreconfirm済ます。72時間と10分前のこと。で、馬券である。「わからなくて当然か」と思いつつホテルのフロントに尋ねると最初は「この近くの馬券だのLottoだの売ってる烟草屋に行け」と言われたが場外馬券場でも受付けられず競馬場へ行けと言われたが行っても今日は開催なし(今日の公営競馬はニース競馬場などパリ以外)、Longchampまで出かけて閉鎖されていては話にならず、その点をどうにか競馬協会に電話して確認してくれ、と請うと6倍の配当がホテル1泊分とわかったら「それは確かに」と途端に神妙になってくれ競馬協会に電話。やはり競馬場の馬券は競馬場内でしか換金できず、次のLongchampの開催は木曜日なのでその日かそれ以降の週末に換金せよ、と。木曜日はパリを発つのだ、と説明すると、それならどこかの競馬場へ、と協会側。わざわざTGVに乗ってニース往復するかっ!とフロントの係員も呆れ、結果、勝ち馬券を協会に郵送すれば配当を小切手にて送り返す、と。これだけでも大した成果。そもそも馬券だけ買って早々に退場した我々がいけないのだが、場外で配当受け取れると思うのも常識ではないか。馬券を買うのは口頭で伝える窓口だけでレース終れば20分も待って配当金が決定し競馬場の窓口でしか配当受け取れぬというのは余りにも不便。しかもこのシステムのことなど競馬をせぬ者は誰も知らず。香港なら勝ち馬券を持って「これを現金にしたいのだが」と尋ねれば中学生以上の98%が市街のいずれかの場所にはある場外馬券場を教え、そこで窓口に出せばすぐ換金できる、ちなみに場外が開いてるのは競馬開催日とMark-6の当日と前日、あ、最近はサッカー賭博も始まったから殆ど全日開いてるよ」と教えてくれるだろうし、場外だって英語が通じることは当然。なんと便利な競馬を楽しんでいたのか、と香港を懐かしむ。で、問題は小切手である。ホテルのフロントの係員も「小切手が出るのはいいが仏蘭西フランの小切手を受け取って自分の国で入金処理ができるか」と(Euroをついフランと言ってしまうわけだが)その点を心配。ひとまず大丈夫、と答え香港の銀行に電話してみると香港時間は深夜12時近いのだが銀行の24時間サービスセンターの係員がちゃんと応じ「お客様の総合口座にはEuro普通預金がありませんがEuroの口座を開いておけば手数料は額面の0.25%、それに振出し側銀行の手数料が銀行の系列と額面により異なりますが……」と実に懇切丁寧で「今、お電話でEuro口座を開設されますか?」と迅速なこと限りなし。夕方になり天気回復し4区のPont Luis Philippe街よりboutique並ぶFrancs Bourgeois街散歩しつつ(写真)Bastilleへ。ムール貝のすかいらーくLeon de Bruxellesにてムール貝の白葡萄酒蒸と浅蜊烏賊白魚の揚げ物食しBastilleのオペラ座にてPucciniのオペラ“Boheme”観劇。幕間に三鞭酒は此処では余の好むLansonの黒。歌劇の素養なき余は、その理由はどうしても全てが歌で進行し歓びも悲しみも歌で表現される、この歌劇という形態であると余はどうも「退いてしまい」それ故にこれまでも歌劇はあまり関心なかったのが事実なのだが、今宵は舞台装置といい照明といい圧巻され、ただ歌劇歌手の声量に驚き楽団のいきの合った演奏にため息ばかり。それでもこのBohemeは話の筋が弱くないだろうか。パリで絵画や詩に夢を追う貧乏な若者たちと、そのうちの一人RodolphoとMimiの愛が叶ったのにMimiの死をもって悲劇となるのだが、素直な若者たちにそれ以上の魅力が感じられず。貧困という問題がありMimiの病気を療養するにもいい旦那でも見つけねば、というところがあるがコミュンテルン運動とか民族問題が絡むとかMimiが置屋に身をおき廓から出られぬとか不条理がないことが筋の弱さなのだろうか。オペラ撥ねメトロにてホテルに戻る。

十月初五日(日)快晴。昨晩の深酒で起きれば早十時。凱旋門賞にて朝食もとらず珈琲一杯にてZ嬢とRER-3からメトロ乗り継ぎ送迎バスでLongchamp競馬場。昨日までの温かどころか暑さから急に冷え摂氏15度ほど。さすがに昨日など比べものにならぬ人出。第1レースまで時間ありどうにか卓子確保してluncheon一箱購ひ食事しつつ予想。第1レースには騎手Eric Legrix君Businessmanに騎乗、paddockより馬場への通路にてZ嬢声かけるとEric君もそれに応へご挨拶。せめて三着期待したが着外。賭けの結果はR2はDarasim(Fanning)で三着、R3はPleasure Place(Vargiu)が着外、R4はBright Sky(Boeuf)が三着、R5はNecklace(Kinane)が着外、R6はCharming Prince(Peslier)が二着、とどうしても単勝が取れず。で凱旋門賞、一番人気も競馬紙Paris Turfの扱いも貴公子Soumillon騎乗のAga Khan王の持ち馬Dalakhaniがダントツ。展開として同氏のDiyapour(Gillet)が先行してレース引っ張り直線でDalakhaniが、と判るのだが、一昨年のSakhee、昨年のMarienbardと二連勝(他に95年にLammtarraで計三勝)の天才騎手Dettori君、今回はDoyenに騎乗ながら10倍と揮わず。Dettori君、香港での騎乗を見る限りすでに最盛期は過ぎた気もするが凱旋門賞に三連勝すればPeslier君の三連勝に並び計五勝目と、その神話づくりを佑ける気持ちでDettori君に賭けるが予想通りの展開でDalakhaniが優勝、Detttori君のDoyenは四着と無念。Soumillon君の悦びの表情とそれへの満場の歓声、それが美しき雲流れ柔らかい早晩の日射しのそそぐLongchampの競馬場(写真)これを観に来たのだと余も感激一入ながら、そのDettori君に続く新しい巨星の誕生に賭けなかったことは無念極まりなし。実に素晴らしき凱旋門賞の一日。それにしても競馬場はこの大群衆を裹むには施設といい交通機関といい不足(といふか年に一度この日とダービーを除けば閑散でこれで十分なのだろうが)、馬券はマークシートもなく窓口で口頭で馬券を告げねばならず、英語では1から20の数の勘定さえ指を折って数えても儘ならぬ職員多く、掲示板は少なく小さく、座る場所にも事欠き洗面所は長蛇の列、レース後配当金まで20分……と香港の六万の観客とてメンバー席といわず一般席ですら快適な競馬施設と迅速なシステムに慣れた者には不便を感じ入るばかり。最終の第七戦にLegrix君再び登場ながら帰路の混雑あり複勝のみ購い送迎バスに向えば帰宅ラッシュになる直前のバスに乗り込め早々に競馬場離れメトロにて市街へと戻る。遅晩に食事済ませた月本夫妻とSt-Germain des PresのBonaparteにて一飲。Longchampにて余とZ嬢凱旋門賞終り早々に退場したがSoumillon君の表彰の頃にきれいな虹かかったと月本氏より聞く。Soumillon君といふ新しい巨星の誕生に相応しき。この日のその凱旋門賞に立ち会えたことの素晴らしさ改めて感激、月本氏とそれを物語りする。とくにEl Condor Pasa(蝦名騎手)がMontjeu(Kinane)に刺され二着となった99年の凱旋門賞の頃から未だ見習いであった若干17歳のSoumillon君を見て大成を予感していた月本氏にとっては感慨無量。新之介君の登場を見た時のような一つの時代の幕開き。半月から丸みをます月がSt-Germain des Presの南の空に美し。

十月初四日(土)曇。午前はホテルにて雑事済ませ午後Longchamp競馬場にて明日の凱旋門賞の前哨の競馬ありメトロでPorte d'Auteuil、競馬場への送迎バスにてLongchamp競馬場。世界でも有数の競馬場ながら香港の競馬場に慣れた目には地味で閑かな競馬場と映る。あちこちに三鞭酒の立ち飲みあり着飾った乗客らの華やかさ。今日のメインレースである3eのPrix du Casino Barriere de Trouvilleに昨季まで香港で活躍の騎手Eric Legrix(李格力)君登場、馬主C氏の二頭にも騎乗しパドックにてお会いしたこともあり、今日はパドックから馬場に向かう途中でEric君と声かえれば李君いつものながらの愛想の好さで余がLongchampにいることに驚き“Hey, how are you?”と余に問い、貴君今から勝負といふのに相変わらず……と思ったが30倍で5着。こちらは複勝にもならず、だが李君は5着入賞で賞金はEuro3,575ということは本人の手取りはEuro358、まあ日当というところか。客の閑散としたところはマカオの競馬場の如し。夕方競馬場あとにしてセイヌ川沿いを歩き対岸のSuresnes地区、軽便鉄道にてLa Defense(新凱旋門)に向かいメトロにて市街に戻る。晩に月本氏夫妻とSt-Germain des Presで待ち合せSt-Germain des Pres教会の裏道歩いていけば向こうから歩いてくる方に見覚えあり、あら、と思えば三、四年前の冬だったか比律賓の、ダイアナ妃も生前に世を偲びいらっしゃっていたといふリゾートAmanpuloにて同じ時期に泊まりお会いしたカメラマンのS氏、氏はパリ在住でパリコレなどで仕事する写真家にてパリ在住ならお会いする偶然の可能性も高いが氏の話ではその後紐育に活動場所移し今は仕事で巴里に戻っていらっしゃる、と。何といふ偶然か、暫し立ち話、また何れ何処かの街かリゾートにての再会を、とお別れ。Buci街のL'arbuciなる料理屋にて晩餐。昨年だかにおしゃれに改装したがこの店の目玉はEuro29.5での牡蠣食べ放題にて流石に四人でこれだけでは味気なくもあり二人分この牡蠣、残り二人分はEuro3安い牡蠣9つと肉料理とし結局は四人で牡蠣百個近く食す写真はZ嬢の三皿目)美味。葡萄酒はChablisを三本。その後セイヌ街のLa Paletteに移り赤葡萄酒。Bastilleのオペラ座にて歌劇鑑賞終わったいなご社長もいらっしゃり歓談。月本氏がこの日剰にも何度も登場のT君、T君と今まで呼んでいたが彼は古典芸能評論の村上湛君にて、月本氏と歌舞伎の話で歌右衛門のこととなり村上君の名前出て月本氏はデザイナーOさんといふ方の関係で村上君と会っていたことわかり写真家のS氏のことといいこのことといい世の中狭いものと感嘆。深夜の市街は今日は左翼にて男色家であること公言するパリ市長の肝煎りにて昨年よりこの日の夜はパリをあげての大騒ぎの一夜にて夜中終日運行のメトロは只で乗り放題だとか、かなりの人出で賑わう。
▼昨晩、月本さんに教えられて眺めた、St-Germain des PresのLouis Vuittonの店頭に飾られた特製の麻雀牌と牌入れは当然Vuittonのmonogramという逸品。牌のデザインもかなり精巧。(写真)
▼巴里にいてつくづく観光客の多さに驚き、過去の遺産と巴里の活気にてこれだけ観光客集める事実に驚くばかりだったが、昨日のHerald Tribune紙に日本が海外よりの観光客誘致に熱心、と記事あり三年後に現在の渡航者の倍増を計画、と。ただしHT紙の指摘は日本が世界第二の経済大国ながら年間観光客数520万人は世界で35番目!、ちなみに世界一の仏蘭西は年間7,000万人(人口の1.5倍?)でタイが1,080万人と、これが日本の目標に値する事実。それに比べ日本からの海外への渡航者は多く、日本人が三人海外に出かけるのに対して1人日本を訪れ、米国だけを見れば1:7と圧倒的に日本からの渡米者多し。日本になぜ渡航者が少ないのか。観光客物価でいえばタクシーこと高いがホテルなど日本のデフレもあり巴里のほうが断然高く、言葉が通じないという問題よりも、何よりも渡航者に求める査証、と同紙は指摘。とくに韓国、中国からが日本の最も上客であるはずなのに、来にくいのが事実。巴里の空港など旅券見るだけで何もチェックせず。確かに身元の怪しい者も居ろうし犯罪もあろう。だがその少数の問題がリスクであっても「入り易い国」であることが仏蘭西が世界一の観光大国である要因。日本が観光客誘致願うのなら東京など巴里なみに非仏系市民が多くならねばならず、福岡での中国人留学生が犯人という殺人事件一つで「だから中国人は」だの「留学生といっても実は」と下種な恐れを抱いていてはどうしようもなし。

十月初三日(金)曇。布屋など巡るZ嬢と別行動にて一人セイヌ川沿い散歩してMarais地区。Poet Louis Philippeの文房具屋など素見かすが色とりどりの装丁の帳面や飾り物の類ばかりで実用性なければ興味なき余にはあまり楽しからず。競馬新聞買いカフェにて一読。仏語解せぬも競馬新聞となると意味理解に能ふ。それにしても巴里にて仏語解せぬは文盲の如く自らが粗野と思えてならず。昼になりメトロにてPyramidに参り国虎屋にてとろろ昆布うどん。Vendome広場のCartierにて当然何も買わぬが商品名言ふと取り出だす越後屋以前の商法。鰻の野田岩のまえ通れば鰻丼Euro18にて国虎屋のうどんEuro10と思うと鰻丼高からず。一憩。St-Honore街歩き再びマレ地区。裏通りの商店あちこち眺め歩きFilofaxの直営店にて来年のrefillや過去のrefill閉じるbinderなど購ひメトロにて夕方ホテルに戻る。Z嬢Montmartreの布屋からバスにて戻る。晩に15区のDupleix付近、Phetburiなるタイ料理屋にて夕餉食し巴里日本文化会館にて浄瑠璃の公演観る。演目は万歳、近江源氏先陣館より和田兵衛上使の段、盛綱陣屋の段。浄瑠璃は竹本津駒大夫、千歳大夫、睦実大夫、三味線が豊澤富助、Sosuke、Ryoichi、Ryoji……とちなみに太夫も三味線も出演者の名が漢字で表示されておらず太夫と富助の名は余もわかったが、会場の係員もわかっておらず。三百人ほどの観衆の八割は仏蘭西人。途中に三十分ほど浄瑠璃と三味線の解説入り二時間半に及ぶ公演は立派だが盛綱陣屋はかなり端折り、しかも折角和田兵衛の段あってもこの段での酒盛りが陣屋にどう繋がるのか肝心な部分も端折っては首実検までの策略がよく見えず。それでもきちんと日仏対訳の端折る部分が薄書き解り易い本が用意されたのは立派、端折りすぎと思ったのか後半は大分端折りをやめきちんと演ず。源平の乱世に佐々木が盛綱、高綱が敵味方に分かれ母の心労、その犠牲になる子の小四郎と、忠義ゆえの理不尽が日本的などと安易な捉え方はあろうはずもなく、HugoやShakespeareにも通じるもの、と捉えたし。途中の休憩にて日本語堪能にて古典芸能に造詣深き老人に声かけられ、これは何時代の話ですか、と。源平の話なら平安末期、だが鎌倉時政公現れ鎌倉かと思えば三井寺の鐘が鳴り南蛮渡来の鉄砲まで現れては確かに理解不可能か。江戸時代に歴史まぜて筋作るのが当時の作法、とお答え申し上げる。英国の諸侯を登場人物に普仏戦争を用いて舞台は維納にてアラビアの火薬兵器が出てくるようなもの。それにしても浄瑠璃で盛綱陣屋聴けば人形が玉男で盛綱演じしをまた観たい、と思はざるを得ず。終わって巴里で初めてのタクシーでSt-German des Pres、教会向かいのBonaparteといふカフェにて今晩東京より着かれた月本裕氏とお会いし麦酒一飲。Z嬢先にホテルに戻り更に月本氏贔屓のセイヌ街のLa Paletteなる百年老店のカフェ。競馬の話がいつものように歌舞伎の話となり政治の話となり歓談尽きず。衆議院選挙にて自民党の覇権崩れば日本の何が間違っているのか明らかになるはず、そうなれば彼方此方の、例えば競馬でも歌舞伎でもある自民党的なるものが崩れ、自民党でも有能な若手代議士だの歌舞伎であれば中村屋だのが本来の力を発揮するはず。だが今回は自民党の圧勝の予感もあり。雨のなか深夜ホテルへと戻る。

十月初二日(木)快晴。昨日の日剰上網。RER-3の地下鉄道にてVersaillesに赴く。Versaillesといへば池田理代子先生の大作『ベルサイユの薔薇』、当時、六代目、初代吉右衛門、勘弥といった贔屓役者を亡くし自分より少し年下の勘三郎贔屓に歌舞伎三昧で歌舞伎以外では初代八重子の新派くらいしか見もせぬ祖母が突然に宝塚、宝塚と何かと思えば「ベル薔薇」にて宝塚など見もせぬ祖母まで宝塚とはベル薔薇ブームも大したものと思へば実は宝塚の鳳蘭に確か遥くららだったか(失念)のベル薔薇、演出が長谷川一夫でベル薔薇。長谷川一夫の色気と気品がどの程度宝塚のベル薔薇に反映されたものか見ておらぬ余にはわからぬところ。長谷川一夫といへば祖母など林の頃からの贔屓ながら幼少の余にはその色気などわからずにいたがテレビの「笑点」の正月特番だかで司会の南伸介がいつもの笑顔もなく神妙な顔で「今日は特別出演です、長谷川一夫先生です」と紹介し長谷川一夫がテレビ舞台で黒田節を舞ったのだが、これが当時、六つか七つの余もぞくぞくするほどの舞だったもの。(閑話休題)でベルサイユであるが宮殿前の広場は天安門の如く宮殿内は故宮の如く中国人多し(写真)宮殿内をば一応通り抜け庭園に出で並木道(写真)散歩すればすればすでに宮殿内のような群衆もおらずLe Marie Antoinetteが村里真似たといふHameau de la Reineに至る。現実の農村に重税を課しその潤沢なる上前を以てこの世の栄華愉しむ王族が絢爛豪華なる宮殿暮らしに飽きて農村をば模倣するといふのも可笑しな話ながら宮殿には何ら興味なくもこの村里「もどき」の農家の佇まい、英国のユートピア思想であるとか空想社会主義にも通じる、庭先の畑にて野菜栽培し家畜が遊び心落ち着く風景であるのも事実。宮殿より歩けば半時間ここまで訪れる観光客は殊更少なし。肌を刺すほどの日射しで気温は25度とか。晩に天気予報見れば独逸ミュンヘンの十月の平均気温13度が今日は22度、北欧のオスロから新西蘭のオークランドまで熱帯の高温のぞけば20度前後とまさに地球の気候までglobalism進む。さすがに炎天下宮殿まで戻る元気もなくカート式の車にて宮殿まで戻りVersaillesの市街のレバノン料理屋にて昼食。何故か客のほとんどがロゼの葡萄酒飲んでおり葡萄酒品書きも普通なら一番隅に追い遣られるロゼが主の如く坐しましてロゼを飲むのなど三十年ぶりくらいだろうか、久しぶりに飲んだロゼは赤でもなく白でもなくといふ時には当然ながら殊に昼には心地よきもの、あっさりとした混ぜもの系のレバノン料理には確かに合適と納得。午後の日射しも強くPicassoやFoucaultの愛した直射日光とはまさにこれかと合点するほどの白日夢、朦朧としたまま停車場よりパリ市街に向かう列車に坐ったあとはオルリー美術館站で目を覚ますまで記憶もなし。一旦ホテルに戻りふと写真機を見るといつもカラーフィルム入れているはずのContaxのT-2に白黒フィルム装填していたことに気づきHameau de la Reineにて色とりどりの花や緑に囲まれた農家の装い白黒にて写していたことに気づく。暫し午睡。美術館見学にと購った5日有効のCarte Musseも今日が最終日と午後三時頃にホテル出でセイヌ川渡りLouvre美術館に接したMusse de la Mode et du Textile(モード並に織物博物館)及びMusse de la Publicite(広告博物館)訪れれば閉館にて同じ棟の今ひとつ勉強にもならむMusse des Arts Decoratifs見学。メトロにてシテ島にと渡りSte Chapelleの教会お詣り有名なステンドグラス暫し見とれる。麦酒購いセイヌ川岸の石畳にて一飲、セイヌ川南岸に並ぶ建物の陰に隠れようよする夕日愉しむ。St-Michelよりオデオンまで散歩。オデオン写真機店に並ぶ中古のライカの美しさ。写真といへばパリの美しさは太陽の光線の斜め具合。被写体に何ともいぬ照らし具合、これが被写体を美しく演出。オデオンの市場にて惣菜だの葡萄酒購いホテルに戻る。ようやくホテルのビジネスセンタにてモデム接続できること判明、実はethernetの差込み口と思っていたソケットが実はモデム兼用!にてパリ市街であれば無料通信可、余が用いるiPassのパリ番号もフリーダイヤル。取敢ず他に利用者なければここから通信可。パリ滞在六日目にてどうにか通信可。別府の湯とか入浴剤持参しており風呂に入り月刊『新潮』に四方田犬彦氏綴る時代回顧「ハイスクール1968」読む。70年の三島先生の自決につき四方田氏は「兵庫県の農家に出自を持ち」「平民でありながら学習院に通学を許され」「徴兵検査に落ちた」その三つの過去に触れ三島が「神話の醸成に勤しむことができたのは、彼があれほどまでに呪詛したアメリカ風戦後民主主義が前提となってた」のであり「三島がキッチュな民族主義者の映像をえんじてしまったおかげで70年代において日本の右傾化には大きなブレーキがかかった」と四方田氏述べる。御意。それを平成のこの時代にやっているのが都知事。三島であり石原であり実は戦後日本の民主主義社会の申し子であり、そこで育ったことでidentityが形成されているのは事実。戦後民主主義といふ構造が崩壊すれば実はナショナリズムも何もidentityとして残らぬのかも。そういった意味では戦後民主主義での戦士でもあり。それにしても60年代より70年代初頭にかけて三島先生の自決であり浅間山荘であり大阪万博(これについては同じ『新潮』十月号の磯崎新が浅田彰ら相手に述べる建築論で丹下健三の構造を岡本太郎が破ろうとした政治劇の逸話が興味深い)であり、少なくとも田中角栄の登場と石油ショックの時代まで、ウルトラマンが「帰ってきた」のそれ以降の陳腐さに陥るまでの時代は実に意味の深い面白い時代であったと彷彿。ちなみに72年の春、大学入試が終わった四方田氏は当時彗星の如く現れたウェザーリポートのコンサートを見ているのだが、この72年の時はまだジャコ加入以前?かどうか。夕方購った惣菜とEuro5.40とかなり廉価ながら日本なら1,000円、香港ならHK$95してしまうのであろう安葡萄酒で晩餐。長期滞在型ホテルといふのも便利なもの。
▼先日訪れたPicassoの美術館にて46年より52年のPicassoの仏蘭西共産党の党員証、それに49年に描いた蝋燭を掲げた手の図案のポスター“Staline ata Sante!”も興味深し。スターリン主義全盛にて共産党がいまだ希望の思想であった時代。Picassoといえばピカソの家系図で何が可哀想かといへば二人の婦人と同じく二人の愛人のうち最初の夫人除く三人と子沢山ピカソの九人の子供のうち4人、つまり女性と子供の七人が写真でなく「ピカソの描いた肖像画」が本人の遺影の如く使われていること。どんな美人でも画家がいくらピカソかといへ自分をモデルにした絵が「あれぢゃ」嬉しくもあるまひ。芸術と商才に長けたパロマ・ピカソもやはりピカソの絵の顔(笑)
▼築地のH君より余が先日述べたビーマン航空につき「ビーマン航空は緬甸に非ず。バングラデシュ国が航空会社なり。嘗余が印度へ赴きし折泰国バンコックよりダッカ空港まで搭乗せしことあり。旅行会社の事務員曰く国際航空路中路賃最も安価なる航空会社の一也と。然雖機内食が鶏肉カレー頗美味にて添乗の女乗務員の容貌皆賤しからずことなど記憶にあり」と。
▼多摩のD君より。我れらが心のオアシス産経新聞にサイードの追悼記事あり、と。5段!の「これが実に驚くべき記事」とD君。表題からして「市民社会の原則貫くパレスチナ論」で産経に市民社会なる語彙肯定的に扱われるだけでも稀ながらカイロの村上大介なる特派員電にて、要旨は
サイード氏の立場は宗教過激派の「拒否路線」とは異なり、あくまで公平な権利を実現する市民社会の理念に基づく「原則主義」に根差していた。本質的な問題を考慮せず、「和平」という美名の下に「パレスチナ問題」にふたをしてしまおうとする国際社会の態度への異議申し立てだったといえるだろう。/イラク戦争にも反対を唱えたサイード氏だが、その「原則論」は冷戦終結後の米一極集中化の中では少数派であり続け、ともすれば「非現実的」との批判も受けてきた。/しかし、パレスチナ問題に関する氏の指摘は本質的であり、「現実」もその通りに動いてきた。/…泥沼化し出口の見えないパレスチナ紛争の先行きを考えるとき、サイード氏が訴えた公正な解決が実現するのか、やはり悲観的にならざるを得ない。
と。D君曰く、中東報道では徹底的に米=イスラエル寄りの姿勢を貫いてきた産経新聞にもこんな記者がいたのかと愕然、と。だが確かにD君指摘の通り「この記事載せた外報部デスクの判断もわからぬ」のは確か。D君、「案外、デスクはサイード知らなかった、とか」と。嗤えず。余は、サイードの孤高の姿が自社と同じに映ったのかも、と察す。

十月朔日(水)国慶節。朝早くホテル出でメトロにてリヨン站に向かい停車場プラツトホームに面したカフヱにてクロワサンとカフヱオレの朝食。TGV列車の雄壮なる車両並ぶなか古めかしき客車が八時廿七分発のMontargis-Sens行き。リヨン站を出でてすぐ列車の揺れに十五分ほど微睡し目を覚ませば周囲はすでに林と農地の広がる平野。小一時間揺れFontainebleau-Avon站に着く。小雨降る中バスでFontainebleau離宮(写真)雨ひどくなり参観客少なきは幸いながら宮中暗く殿上の王侯貴族も召使ももおらぬ主不在の宮殿に静寂と隔世の感あり。雨ひどく本来は自転車借りBarbizonの村まで林抜けるはずがこの雨では致し方なく站に戻り昼の列車にて巴里に戻る。リヨン駅に着き駅前料理屋のTaverne de Maitre Kanterなる独逸料理供する店に入りKarterbrauなる麦酒飲み腸詰だの豚煮、温野菜食す。Z嬢とかなりある一人前を一半する食事続くが大皿の腸詰だの骨付き肉をば一人でペロリと平らげるご婦人だの蟹、牡蠣、ムール貝といった海鮮山盛りとなったplatterをばやはり一人頬張る老紳士だのこの人たちの胃袋に感心するばかり。雨歇む。メトロにてSt-Sebastien Froissartに向かいピカソ美術館。余の愚才にはピカソの絵など理解できず。ただピカソの素描など見ればこの画家がいかに基本押え通常の絵画など十分に画ける才能を以てしてあの世界に入ったことが十分に納得できるわけで今回初めて見たのは1910年代にまだ30歳にならぬ若きピカソと巴里で親交厚き作家Max Jacobをピカソが描いた簡単なクレパスの黒い線だけのJacobの肖像画にて、無駄な線もなければ1mmまで的確に耳、鼻、口の輪郭描き、素晴らしきこと余の乏しき文言にては表せもせず。Pompidou Centreまで参りZ嬢と別れ裏町を散歩。ForumのFnacにてまさか巴里では使うまひと持参せずのUSB挿入型の小型メモリ128mbなど購い夕方ホテルに戻る。このメモリあらばこの日剰もメモリに謄して歩けば何処ぞのPCにても上網可にてnotebook持ち歩く手間もなし。早晩にホテル出でRER3の地下鉄道にてPont-de l'almaに至りセイヌ川渡り閑静なJean Goujon街歩きグランパレ近くの巴里記者倶楽部の酒場にて麦酒一飲、Z嬢十月に入りムール貝など海鮮を所望し近くのジョルジュ五世通りの海鮮料理屋 Marius et Janette に参ればすでに予約で満席乍ら街頭に面した屋外であれば幸い雨も上がり如何と勧められる儘に白葡萄酒はSanccere、小ぶりのムール貝は牛酪のソースが多少鹹いが格別、Pelite Pacheなる白身魚の料理もまた好し、甘味のショコラも絶品にてこの上なき満足。Z嬢曰くこの店の味もさることながら給仕らの「蛇を売ったりこつらいもせず」といったい何かと思えば「媚を売ったり諛(へつら)いもせず」の誤りに大笑い。セイヌ川の上に半月も美しく写真、手前はDebillyの歩道橋、エフエル塔の左に小さく半月)折角此処まで来たのだからエフエル塔に昇りませふとセイヌ川沿を歩けば其処は「紐育のケネディ通り」(Kennedy Avenue de New York)とは不思議な名の通り、其処にPalais de Tokioありと国籍不明の巴里の夜にエフエル塔が光り輝き……とこれぢゃ谷先生の『踊る地平線』(岩波文庫)だが、『踊る』でも何故そこまで巴里の街に興奮したのか確かに合点がゆく愉快な巴里の夜、エフエル塔もさすがに夜十時半ともなれば行列もなくさっさと昇降機にて中階、昇降機乗換え展望台まで昇り巴里市街の夜景愉しむ。展望台に中国からの観光客が濫ふれ大声で「ここからなら北京の国慶節の花火が見えないか!」などと躁ぐのを期待したが中国人ツアー居らず残念(笑)。展望台にはあちこちからの人種も異なる友人連れた地元の若者ら多く、巴里の街を一緒に眺めた彼らの友情がいつまでも続くことを、老いた余はただ願うばかり。そういえば、とI君に「ださい巴里土産」をと所望されZ嬢「どうせならボールペンでカンカン踊りの踊り子なのにペンを逆さまにするとヌードになるやつ」がいいのでは?と展望台の土産物屋にて探すが見つからずダサいエッフェル塔の柄にParisと書かれた、とても恥ずかしくて使えそうになきボールペン購う。展望台にはエッフェル博士の書斎での等身大の姿人形ありその書斎の壁にはエッフェル博士わが国への貢献を以てわが国より厚く歓待され畏れ多くも大正天皇より勲三等賜れしの時の御璽輝く賞状あり。皇国の、御時の陛下よりの褒美をばこうして巴里を代表するエフエル塔の塔上に掲げし仏蘭西共和国並びに大統領陛下に敬意表すばかり。Champ de Mars站より閑散とせし夜中の地下鉄道にてホテルへと戻る。

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