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乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十月三十一日(月)曇。気温21度だかに下がり肌寒し。小泉内閣改造。昨日、携帯電話紛失。フェリーの中でSMSのメッセージ受けたのが最後。昨年の Trailwalkerの100kmで出発前にタクシーに置き忘れ、で1年で紛失。CSLで携帯新規購入しSIMカード受領し15分後には通話復活、は香 港らしい迅速さ。晩に尖沙咀に薮用あり終わって晩10時すぎ尖沙咀歩けばハロウィンに浮れる若者多し。小娘が魔女の格好で泥酔か路上に屈み嘔吐している姿 はまさに化け物の如し悪夢。Austin街の北京餃子店に水 餃麺食し帰宅。NHKのニュース10録画されていたのを見れば小泉内閣改造に「街の声」で「新しくなったことで何か良くなれば……」と市民の声。何も思慮 もなく「ご一新」で明るい未来期待するこの発想。敗戦もこんなものであったのであろう。画面には晩八時半に皇居にて認証式、陛下より親任を授かる大臣らの 姿。今回の組閣を陛下が親任せねば世の中面白いのだが。陛下のお気持ちは如何に。
▼小泉内閣改造。期待したのは変人と称される首相であるから内閣改造で自ら総理大臣に福田康夫君選び天下を仰天させるとか。これをやったら歴史に名前が残 るのだが。それにしても官房長官に安倍二世(岸三世)、外相に麻生君(臣茂三世)とは。中国をそこまで刺激したいか、の組閣。麻生君が学習院出身だとい ふ。そりゃ麻生家のお坊ちゃまで臣茂の孫ともなれば学習院驚きもせぬが、学生の頃もあの強面だったのだろうか。お猪口女史が少子化担当大臣。お猪口といへ ば国際関係論で「将来は外相」で自民党が口説いたといふが「少子化担当」なら、やはり強靱な夫相手に二人の息子産み育て歌舞伎役者にした扇千景先生こと適 任かも。だがお猪口女史起用も「はた」と思えばこれは小泉内閣の少子化対策の極み。日本での少子化、出生率の低下は防げない。そこで抜本的発案は「双子」 政策。これなら出産は一度でも子供は2倍。というわけで双子を産み育てた経験のある猪口女史抜擢とか。ふと思ったが、なぜにここまで中国を刺激するのか、 の内閣人事。この反中国陣営はもしかすると米国の政策に沿ったものではないだろうか。昨日ネットで拝聴の亀井先生の話からそう思ったのだが、米国が最も恐 れる中国の覇権で困るのは日中関係の連携強化。アジアがEUのようにまとまることは米国にとって不都合。となると日本に親中政権が出来ることは回避すべ き。考えてみれば田中角栄以降「親中派は絶対に首相になれない」原則あり。田中角栄ぢたい亀井先生も言葉濁したが「何かの理由で」ロッキード事件での退 陣。それ以降、最近だけで見ても河野二世、加藤乱など。河野君が自民党総裁で終わり(この時に社会党の村山内閣で戦後50年の対中談話が発表されたことは 作為的)加藤君も党内で不思議な外され方をしている。となると、この「親中派は絶対に首相になれない」原則でいふと今回、入閣しなかった福田康夫君である とか外交のホープ高村正彦君であるとか親中派のレッテル貼られ、おしまい。安倍、麻生といった反中勢力が跋扈することになる。これは民主党にもいえること で小沢、横路、菅といった中国に強いパイプもつ有力者が避けられ非常に自民党的な、つまり親米(新米とも言えるが)の若造がすでに党代表となる動き。非常 にわかりやすい、といえばわかりやすい。

十月三十日(日)曇のち晴。ゆっくりと朝食済ませ午前10時にチェックアウト。今日の行程は自動車がなければとても回れずタクシーを雇ふ。あちこちまわり 午後遅くには江門まで行かねばならずタクシーの運転手も行程にうまく合わてくれるかどうか。タクシーの貸し切りは1時間60元で江門まで行くのは遠距離で 有料道路と高速道路も走るので4時間でも430元とホテルのドアマンに言われるが渋々受諾。だが回されてきたタクシーの運転手が、張君というなかなか誠実 そうな若者で、いくつかの行き先を把握した上で上手くまわれるように行程も考えてくれる。ホテルを出て開平の郊外に向かうと国道沿いのあちこちの村々に古 い高層建築がいくつも並ぶ。けして珍しい建物にあらず、どの村にもかならずいくつか。日本語では「梲(うだつ、卯建)が上がらない」といふ表現があるが、 その家が豊かになれば高楼を建てるのが、この「梲があがる」に相当するようなものなのか、と思ふ。張君は頼みもせぬのに、わざわざ裏道に入って村の中を 通ってくれるし、いい運転手に当たった、と安堵。まずは自力村。豊 穰なる田畑に囲まれた村は今がちょうど米の収穫と脱穀の真っ直中。この村はとくに高楼建築が多く国の伝統歴史建築に指定されている。集落の入り口でここは 入場料を払い村に入る。農村で庄屋であるとか豪農の家だけが立派なら驚かぬが高楼とまでは言わぬものの殆どの農家がかなり立派な家屋敷。それに四、五十軒 の村落なのにかなり立派な小学校。通りかかった道すじにもかなり立派な学校が多し。張君に尋ねると昔から開平は教育熱心で、かなりの数の開平出身の者が広 州や香港に学び所謂「士」「師」のつく職業に従事した、と。潭江の豊かな水量で田畑が潤い屋敷と教育に投資する時代が長く続いた。開平は広東省では欧米に 留学し移民した者が多いことでも知られるが、貧しさゆへ、でなく遊学なのがこの土地。自 力村の高楼建築のうち二つの楼が内部参観に開放されているが当時の家財道具を見れば洋行の行李には羅府(ロスアンジェルス)や桑港のホテルのステッカーが いくつも張られ、写真を見れば船で甲板に白い麻の背広姿の端正な青年たち。家内の調度品や内装のドアの把手や陶器の壁掛けなど眺めていると、この開平が昨 日市街を歩いて水まわり、内装関係の店が多いのも昨日今日の産業でなく、古くから家屋にカネをかける伝統、と思わされる。それが恐らく今は、香港などから の注文で内装家具など作り売り渡す産業に続いているのだろう。司馬遼太郎氏が来たら、さぞや面白い文章を書かれたころだろう。これほど豊かな農村が戦争、 そして共産政権での混乱に遭遇する。中国の共産革命は毛沢東による貧しい農村からの蜂起による都市への囲い込み、だが、この開平の場合、貧しくないのだか ら革命も「いい迷惑」だっただろうか。幸いなことは農村が平均して経済的に豊かであるから大地主の土地の小作人への解放といった土地改革はあったにせよ近 隣の豊かな農家の糾弾であるとか家屋接収などはなく、文革で建物破壊などといった被害もなく、建物はほとんどが20世紀前半の20年代くらいに建てられて いるが、そのまま原形を保ち、ずっと居住を続け、まだかなりの高楼は実際に住んでいるといふ。村の田畑を見ても敬服するほど整地され、かといってコンク リートで水路作るような現代化はせず、鴨が田圃の水路を泳ぎ地鶏が畔を走り回り、桃源郷の如し。ちょっと立ち寄るつもりが小一時間この自力村。急いで赤欣 に向かう。赤 欣は潭江の河岸に開けた小さな都市。運河に沿ってかなり欧風の建物が並ぶ。欧州風情街と呼ばれ映画の撮影も多く映画撮影所もあり。続いて訪れたのが馬降龍 村。ここは大きな高楼建築はないが19世紀末と古い様式を遺しており、すでに高楼は鬱蒼とした竹林のなかに姿を隠し川に面した平地に村民の多くは石作りの 頑丈な屋敷を並べて住まう。不思議なのは香港にも現存するが、こういった村は多くの場合、というか殆どが城壁村であり村の周囲を高い城壁で囲むが、開平に は城壁村が全く見られない。せいぜい高楼建築の場合、二階などから玄関を見下ろし鉄砲が撃てる穴がある程度の防御。ここから今日の最後の訪問地である瑞水 楼への向かふ。瑞 水楼は開平第一楼の名前をいただく開平で最も高層の9階建ての高楼建築で、その意匠の見事さでも群を抜く。集落の手前の川沿いの土手から眺めると、午前中 からさんざん高楼を眺めてきたが「はぁ……」とため息が出るほど見事な建築。集落を抜けて一番奥が瑞水楼と、それに並ぶ高楼が二塔。瑞水楼の建物は鍵がか けられているが建物の前庭に暇そうな壮年の男がおり、管理人かと思えば張君の紹介では、この楼の持ち主の男性で1人15元で内部を案内し参観をさせてくれ るといふ。せっかくここまで来たのだから、と入って正解。黄さんという、この男性の祖父は香港で手広い商売で当てて故郷に錦を飾り1932年にこの高楼を 建てた。この建物が国の重要歴史建築に選ばれた1993年まで黄さん自身も子供の頃から、この楼に住んでいたそうで、今は開平市内に住むが週末は参観者も いくらかあるので、ここに来て参観者があれば内部を見せている、といふ。5年の年月をかけ1932年の竣工は開平の高楼建築の中では最も晩いもので高さも 意匠も最高のもの。黄さんの話では93年に退去するまで、この建物から追い出されたことも接収にあったこともなかったそうで開平は土地全体の豊かさからか 革命の荒波も他に比べればあまり被らずに済んだ様子。午 後も1時半近くなり昼飯を食べ損ねると昨日の二の舞い、と開平の地図にも名前の出ている「彪記羊肉餐館」は如何?と張君に尋ねると開平では評判の料理屋だと言う のでこの彪記に参る。張君も一緒に、と誘い三人で羊肉の葱炒め、羊と鶏肉の蒸し料理など食す。美味。運転中だから、とビールを少しだけ飲んだ張君は少し弁 舌が冴え、中国が経済成長などと喜んでいるが駐車場に並ぶ自動車の殆どが日本製でトヨタの天下、あとは合弁のドイツ車がある程度で中国で実際に何が生産で きているのか、ただ消費経済が盛んになっているだけで本当の経済成長などしていない、と厳しい主張に遭ふ。この開平から江門まで高速使っても一時間、途中 で事故だの渋滞でもあれば今日中に香港に戻れなくなるので午後三時前には店を出て一路、江門へ。張君は真面目な運転手で430元といっていたが始発から ちゃんとメーターを倒して料金表示もしており運賃だけで江門の波止場に到着すると360元余になっていた。しかも時間は6時間で4時間の約束を優に超えて いる。4時間なら240元だが430元と言われ差額が190元なら、6時間だと360元+190元で550元となるが、どんなものか、料金交渉もせずにい たが車を降りて張君に500元渡すと本人は430元のつもりでいたらしく固辞するが祝儀、ということで500元。翌日、広東省の自動車事情に詳しい知人に 尋ねたら6時間はもはや終日借り切りで160kmも走り遠地で乗り捨てなら500元は安い部類、と言われる。実際に波止場で香港からついた船の客にタク シーの運転手が5kmほどしか離れていない江門市内まで60元と提示していた程であった。500元が北や西のほうに行けば一ヶ月の収入、なんてのもある が、広東省は今日の昼飯でも三人でちょっと食べてビール2本で85元。中国の収入と物価の格差は本当によくわからない。香港への帰りの船では松本健一の 『北一輝論』を少し読み始めるがすぐに寝てしまふ。同著『竹内好論』も途中まで読んだままなのに。最近いっこうに本が読み進まず。香港に到着して晩は京笹 で食すといふ噂もあったが疲れてタクシーで帰宅。陽気なタクシーの運転手の名前が黄一水といふ名で、新潟は佐渡の青年、北輝次が支那革命に燃え名前も支那 風の一輝としたことをさきほど呼んでいて一水という名が北一輝と、更に鈴木邦男と オーバーラップする。
▼朝日新聞に石坂啓女史が「憲法はもともと国民の自由や権利を守るために私たちが国を監視し、国が暴走しないようにするための決りのはずです。それなの に、国が国民に命じる内容を盛り込むのは、憲法の性格を百八十度変えてしまうことにつながる」と懸念表明し「国の横暴から国民の自由と権利を保障してい る」憲法改正に明確に反対を表明していた。ビデオニュースドットコムで亀井静香チャンの発言の後半を聞く。日本はの最大の問題は、戦争に負けて、本来はす ばらしい機会であったのに、過去の価値観にかわる新しいものを創り上げることができなかったこと、と指摘。戦争は勝つだけでなく支配できるかどうか、であ り、そういう意味では米国は日本経営について周到なる政策で臨み、それが60年を経た今、米国にとって最大のメリットになっている、と。具体的には日本は 米軍に安全保障上、基地をおいて守ってもらっているのではなく米国の極東戦略上の、殊に今日は対中戦略において重要拠点として国内の土地を貸与しているの であり本来は立場が逆。郵政民営化も然り。すべて米国の臨むがまま日本という国家が機能するシステムが完成し、それがいま実に見事に運用されていること。

十月廿九日(土)曇。Z嬢と尖沙咀の中港城の埠頭から午前八時半のフェリーで広東省の江門(Jiang Men)に向かう。目的地は広域では「江門」だが、その「開平」というところ。かなり旧式のフェリーで僅かHK$50高く払い一等にしたのはまだ正解。い くつかの座席の横にゴミ箱がついている。便 利なようで自分だけでなく周囲の客もゴミを入れると思うと不快。二時間半の船旅で持参の新聞も四紙熟読。自民党の憲法草案までじっくり読む時間がある。マ カオでフェリーはマカオ旧市街とタイパ島を結ぶ海峡を抜け珠江下流のデルタにある河と呼ぶにはあまりに幅広い河を遡る。この河も珠江の河口の一つだと思っ ているが地図で見ると中流は広東省の肇慶市があり上流は広西壮族自治区から貴州に至り、珠江とはまた別の大河。肇慶の先では西江と呼ばれているが広西自治 区では郁江、さらに上流では紅水と、いくつも名前がある。河口から遡ること80分ほどで江門の波止場に到着。かなり整備はされているが付近には何もない、 市街からはだいぶ離れているらしい開発地区のようなところに波止場があり、波止場を出るとタクシーだの白タク、バイクの客引きが五月蝿く、さてどうやって 開平に向かおうかと案じていると市街各地に向かう無料のシャトルバスあることがわかり「これは便利」と職員に「開平行き」を尋ねるがフェリーから百名を越 える客が降りたのに開平に向かうのは我ら二人だけ。開平はそんな田舎のはずもないが、と案じたが、「新会」という、これも広域では江門だが一つの大きな町 に向かうバスがあるので、とりあえずそれに乗り新会で乗り換えろ、と言われる。今回の旅の問題は香港で、この江門についていろいろ調べるがロクな、という か観光案内の書物も結局一冊も見当たらず、珠海だ中山だ、と言えば誰でもよく知っているが江門は中山から一つ西の都市であるのに誰も知らない。唯一、A氏 がむかし広域では江門だが沿海の台山に工場誘致の話があり視察した、がお粗末な魚肉加工の工場で投資にならず断念、という話を聞いたのみ。詳細な地図もな ければ江門のどこに波止場がありフェリーが着くのか、開平がどれだけ離れているのか、もよく見当もつかず。そもそも、この旅の発端は四ヶ月ほど前の SCMP紙に(広東省の旅行案内が数ヶ月に一度、別冊付録であるのだが)江門の特集があったこと。そのなかで紹介されている開平の僅かな情報が頼り。とり あえず新会行きのマイクロバスに押し込まれ三十分ほど走り新会の市街に着く。江門の郊外都市だがこれだって規模はかなりの都市。その華僑大廈の前でバスを 降りるが、当然、我ら二人のために此処から開平行きの継続バスが用意されている筈もない。バスの運転手に聞くと少し離れたところから開平方面に行く「長距 離」バスが出ている、と言われ「長距離」にぞっとするがバスは面倒だし「このタクシーで行けばよろし」と勧められるが、どうもこのタクシーが江門の波止場 からの連絡で待っていたようでさっさと余の荷物をトランクに入れる。タクシーに乗り込み、とにかくメーターを動かしたので値段交渉の難がないだけでも安 心。距離がわからないのだから値段交渉もできぬ。がZ嬢が「あのメーター、基本料金が0だ」と言う。見てみれば確かにメーターは倒したが「空車」のサイン が倒れただけで料金は0(笑)。つまり値段交渉せねばならぬ。で運転手曰く180元。冗談じゃない。高いから降りる、と言うがタクシー会社の規定では 250元のところ180元にしているのだ、と運転手は言い張り無線で会社に問い合わせて250元と無線の向こうの職員が言う。それも信じる気にもなれぬが 150元で妥協。とにかく早く開平に着かねば。で埃っぽいバイパスだの国道を走る。手許にあるかなり大まかな地図で新会から開平まで20kmくらいか、と 予想していたが料金は0のままのメーターの距離表示は動いていて開平市に入ったところで既に30km。国道沿いに浴室関係の水まわりや内装関係の展示場、 問屋などがかなり目立つ。開平市内にようやく入るが新会の運転手は、予約したホテル「潭江半島酒店」というホテルが何処かわからない。何度も通りがかりの 者や信号で止まった隣の車の運転手に問い合せ、市街中心部を流れる川を何度も渡りホテルを探す。開平は蒼江と潭江という川が交わる水域、そのいくつかの中 洲を中心に出来た街。そのため市街をぐるぐる回ると蒼江と潭江の橋をいくつも渡ることになる。ホテルの住所が中銀路2号というくらいだから市街の中心にあ る中国銀行開平分行のビルを目指していけばいいのでは?と提案して、ようやく遠くに聳え立つビルが中国銀行だとわかり、また橋をいくつも渡ってようやく到 着。結局、メーターでは60kmで市街で迷った分を差し引いても新会から55km。一応、基準としてあるタクシー料金が初乗り6元で250m毎にいくら、 というので計算するとメーターでも110元ほど。それほど「ぼったくり」でない。タクシーの運転手が「5星だ、5星」と興奮してホテルに入っていくので見 上げると確かに30階建てくらいの高層ビル。潭江の中洲の突端に中国銀行のビルとツインタワーになっている。大型ホテルらしく正面には万国旗がはためく。「日 の丸がない」とZ嬢。本当にこれだけ並んでいても日の丸がない。小泉三世の所為。ホテルはとんでもない豪華さ。ホテル経営は広州の白天鵝酒店の管理会社が 受け持っている、と宣伝するくらいだから客の接待のレベルなど香港のホテルに学んでもらいたいほど丁重、慇懃。27階の、かなり見晴らしのいい部屋。浴室 もいれると45平米くらいの広さ。これで一泊480元はかなりお得。眼下には潭江と支流が流れ込む一帯を見下ろし絶景。旅荷を置いて、部屋に置いてある、 と言われた開平の地図を眺める。タクシーでぐるりと周り地図を見て客室の窓から外を眺め、ひとまず開平の町のつくりが把握できた。ショックだったのは、こ の地図を見ると、なんと香港から開平に直行のフェリーがあること! SCMP紙の江門特集でも開平を紹介していながらフェリーは江門しか書いてなかった。 不覚。開平のフェリー波止場は市街の外れ。これがあるのだから江門港で降りて開平に来る客がいるはずない、と今になって納得。ただし香港〜開平のフェリー は1日1往復。片道4時間も要するのはマカオを過ぎるまでは江門行きと一緒だが、どうやら珠江デルタではなく潭江を遡るのに江門行きより沿海をずっとまわ るため距離を要するためらしい。同じ朝8時半の香港発で4時間であるから開平着は午後12時半。ホテルに着く時間では江門経由も同じだがタクシー代を考え ると当然、江門経由は高くついた。しかし明日の帰路は開平発のフェリーは午後1時半で、これでは明日は午前中のみ。江門発は午後5時なのでせめて午後まで 時間が使えるだけ江門経由でよかったか、と無理やりの納得。昼も一時近いので昼食を兼ねて市街を散歩しよう、と外出。だがこの中銀タワーのある場所は一つ の中洲であるが、他の一帯がかなり古くからの市街であるのに比べ、ここはこの中銀タワーとその背後にかなり高級そうな一戸建て住宅などが並ぶ新しい開発区 で、場所的には不便。というか、此処に来る客の足は自動車、が前提。たかだか昼飯にタクシー使う気になれず、取りあえず歩き始め一番近くの橋から「風采 堂」のある対岸に渡る。風 采堂は1914年に建設された地元の教育施設。清の時代までなら科挙の試験受ける学生を対象にした高等教育機関のようなもの。華南の、当時、西洋建築の影 響をかなり受けた「嶺南建築」と呼ばれる様式で西洋風の洋館の至るところに中華的な意匠が施されている。この建造物、実は現在も中学校敷地内にあり図書館 などとして風采堂の一部が利用されている。土曜の午後もまだ授業あり。勉学熱心。かなりエリート校らしく賢そうな女学生に尋ねると敷地内に入って見学でき る、と言う。それで入って見学していると、さっきは正門にいなかった守衛が飛んできて「写真撮影するなら料金を払え」と言う。風采堂の中は一般公開してお らぬようで外観の写真撮るだけでカネを払うのも癪なので断り退場。だが守衛室に料金表示もなく、どうも守衛の小遣い稼ぎと思える。で東南アジア的にパサー ドの続く古い市街地を歩く。通りがかりの店で餃子でも、と歩くが、飲食店がない。選り好みしているのではなく、飲食店がない。橋を渡り市の中心部へ向か う。飲食店がない。とにかく目立つのは市街でも浴室の水まわり、室内内装関係、照明、音響製品といった住宅関係の店ばかり。ようやくあったのがマクドナル ドとケンチキ。茶餐庁のような店もいくつかあるがどうも入りたくない。料 理屋がないのに、不思議なのは何処でもあるのが「涼茶」の店。しかも五軒も並んでいると圧巻。しかもどの店も客がいない。不思議。結局、一時間歩き、よう やく餃子を売る店を見つける。「21世紀の新風味」という看 板がどこか気になったが歩き疲れビールで喉うるおし出てきた餃子。マズイ。本当に食べられぬほどマズイ。飲食店が本当に少ない上に、ようやく見つけた餃子 屋の不味さに開平は「住」はこだわるが「食」は不毛か、と懸念。とにかくビールで空腹感抑えたので、また歩いてホテルに戻る。二時間余歩いて風采堂を外観 だけ見学したのとマズイ餃子で終わってしまった。しかし、おかげで市街の地理にはだいぶ明るくなる。ホテルのサウナ。按摩するには早晩からの外出に時間も なく垢擦り。江西省出身という師傳のオヤジ(といっても余より若い)は垢擦りといってもお湯をびちゃびちゃにしての垢擦りとは違う。かなり乾いた擦りの世 界。垢擦りに慣れた人ならわかるだろうがお湯でびちゃびちゃした垢擦りはいっこうに垢がでない。それに比べ客のカラダなど少し蒸した程度で殆ど乾いたタオ ルで擦ると恐ろしいほどの垢が出る。というか皮膚が剥けているのだ。これが肌にいいとはけして思えないが。で師傳に「どこから来た?」と尋ねられる。「香 港」と答えるが、あまりの垢の出具合にどこか山奥の未開地から来た、とでも思われたに違いない。顔まで垢擦りされる。たまったものじゃないが肌はすべす べ。早晩に外出。この中銀タワーの裏にはとてつもない高級一戸建て住宅が並んでいるが、ほとんど空き家。バブル崩壊か。だが、たんにバブル崩壊なら安値で 買い取られ住人がいるはずで、推測だが、この一帯、中国銀行のこのビル建設で開発された地区で、この住宅地は「その関係」で建てられ「売られた」分譲地で はなかろうか。だが当然、建設資金の出所と売る相手、売った価格や、その購入資金の出所など問題になり関係者粛清になったとか……何となくそういう物語を 想像させる空虚なる住宅地。いずれにせよ、こんな広東省の江門の衛星都市に、中国銀行がなぜ30階建ての分行を建てねばならないのか、而もホテルつきの複 合建築。中国は地方政府や党委員会の庁舎やビルの豪華さが問題になっているが、これもその一つ。こんな資金があるのなら民生だのインフラ整備にまわすべき なのだが共産党政府はそうはいかない。でバス通りまで歩くと、昼に戻ってくる時には午後の休憩であった海鮮料理屋が開いている。何気に店先の海鮮の水槽な ど眺め歩いていると「野味」の看板あり「いやな予感」したら案の定、蛇やウサギと並び籠の中に一匹のネコ。しかも愛らしいネコで、これが今晩、鍋になるの か、と思うと、いたたまれない。Z嬢と言葉もないままバスに乗り市街へと向かう。ホテルの部屋にあった地図では「商業地域」とある幕沙路でバスを降りる。 大型家電店と茶葉屋がある程度。潭江の川沿いを「ショッピングアーケード」に向かい歩く。暗い路上にいくつもテーブルを出した料理屋が並ぶ。どうやら昼間 は営業しておらず晩になると路上の即席レストランとなる様子。ショッピングアーケードをひやかし、此処は飲食店はやはり一つもなく、裏通りの路上の、通り を暴走する自動車とバイクの排気ガスと路上の埃が舞う、暗い「四川料理の看 板」の店で夕食。昼の餃子のトラウマで四川料理が本格的四川料理には思えなかった、味 はまぁまぁだが、やはり四川というよりも「京滬川」の何でもあり、の店。何の特徴もない店にかぎって「京滬川」つまり「北京、上海、四川」とごまかしの看 板出す、と劉健威氏が書いていたが、そういえば今日の信報の随筆で「滬川」上海風四川料理というのは、戦時中に上海資本が日本の攻撃から逃れ南京、重慶と 遡り、戦後また上海に戻る時に四川から運ばれた四川料理の味覚が上海で定着したもの、と書いていた。なんか今回の旅は食事については期待外れかも、という 感じ。バスでホテル近くまで戻り、さっきのネコの野味料理の店の角を避けホテルに戻る。テレビではマカオで開催されるスポーツの東アジアゲーム?だかの開 会式。お祭りさわぎ。大会主催者の代表が下手な挨拶をしているがフィールドに並んだ選手らは話も聞かないどころかデジカメで記念撮影に興じるだけならマダ しも携帯で「今、テレビで見てる?」とか電話する選手も多し。チャンネル変えると呉君如が風俗業の名演みせた映画『金鶏』をノーカットで上映。一流の俳優 らの友情出演で面白い喜劇を再び見る。
▼自民党の憲法草案。「愛国心」だの「和を尊ぶ日本の伝統」といった言葉が削られたことに寧ろ憲法改正に本気。前文の「日本国民は帰属する国や社会を愛情 と責任感と気概をもって自ら支え守る義務を共有し……」などと謳ふが、憲法は国民が国家に規制を与えるもの、という憲法の本質を全く理解しておらず。現行 憲法も前文を読めば確かに「日本国 民は……」と全ての段落で「なすべきこと」を述べるが、それは全て「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ための もの。全くスタンスが異なる。とくに気になるのは草案の第12条の「国民の義務」
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によっ て、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序 に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。
これは現行憲法の
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の 努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
と読み比べればかなり国民の自由や思想信条の自由に踏み込んでいる。現行憲法では国民が自覚して責任をもつ、というものが草案では、義務となり自由と権利 が制限される。こんな草案で憲法改正されたら、たまったものぢゃない。


十月廿八日(金)晴。日本からのお土産に、と東京銘菓「ひよ子」をいただく。一瞬、鳥インフルエンザ懸念。11日に打撲した左手人さし指(英語で Index Fingerと云うのを先日知った)の間接の痛みと腫れが全く引かず寧ろ間接が打撲直後より曲げ難くなり突き指の完治には数ヶ月必要とわかってはいるが五 年後のショパンコンクール目指しピアニストとしての将来をフイにせぬため養和病院で骨科のW医師の診断受ける(これまで二回は一般外来)。診 察の結果、側副靭帯(英語で言われ医学名称などわからぬが後で調べたら此処)の炎症と内出血で(って突き指の殆どがこれだが)かなり腫れがひどいので指に 無理な負担(指を関節で曲げる以外の動き)与えぬよう指用のギブスをして様子見るよう言われる。ギブスや義手義足など製作する専門の技術者が骨科に来て作 業。患者の症状とギブスの効果を考え数分で適切な形のギブスの設計を決めて即座に製作するのだからかなりの専門技量。早晩に独りFCCにウィスキーソーダ 一杯。きちんと読もうと思い切り取ったままの新聞スクラップかなりの数を読む。尖沙咀に渡り海防道街市の徳發にて牛南麺食す。もうこの季節なら徳發で食すも暑くな いかと寄ったがやはり暑く大汗。あの店の辣油はとても香りいいがかなり辛い。火曜日も北角の回味で牛南麺食しており「よくも飽きずに」と思われるだろうが名 前は同じ牛南麺でも究極のあっさりの回味とかなり濃い口の徳發、用いる牛肉も同じ牛南(南は正しくは「月」扁に旁りが「南」)だが全く違う。午後七時過ぎ からSpace Museumで中国映画特集で水華監督の『土地』(1954)と同監督の『林家鋪子』(1959)を二本続けて見る。『土地』は或る農村舞台に地主の所有 する土地の解放運動を描く。30年代に共産主義信奉する独りの男が土地 解放試みるが失敗し焚刑に処せられ中共建国の翌年50年にその男の遺した独り息子が成長し父親の意思を継ぎ、この農村の土地解放に挑む。共産主義がまだ理 想に燃えた時代のリアリズム主義のプロレタリア映画。但し物語大詰めの農民蜂起で共産党の指導、毛沢東思想が連発され、建国から僅か5年目の作品だが、す でに毛沢東の神格化がこれほど徹底していたのか、と驚く。だが5年など人の思考変えるには十分なことは我が国を見ていれば6、7年前まで変人扱いされた代 議士が自民党の領袖となり今では改革の指導者として国民にかなりの支持を得ている。物語は容易に創られる。胃痛あり映画の合間にコンビニで胃薬買い求め戻 り『林家舗子』観る。茅盾の原作、夏衍の脚本。浙江省の水郷の町が舞台。古い町並みの実写と見事なまでの屋外と室内のセットに唖然。いやー凄い、の一言。 舞台は1931年の旧正月間近、九一八事変で満州を襲った日本軍が上海にも攻め込み、この水郷の町も日貨排斥が叫ばれる。林源記という商店は(この店の名 前から「林家舗子」というタイトルがついているのだが邦題は「林商店」ぢゃ林芙美子が営む雑貨屋の如し)日本製品売るため体裁も悪く事実、上海が戦禍に見 舞われこの町には国貨も含め日用生活品などの物流が滞り林家も含め商店街の店々は明日の営業にも不安が募る。林源記の主人は国民党の役人に贈賄、日貨に中 国製のラベルを貼る偽りで商売継続するほど胡狡くもあるが、それも商売を続けるため。誠実で家族にも使用人にも優しい主人であった。が懸命に商売しても国 民党の小役人への賄賂は要るし上海から来た借金取り立てにも応じねばならず年越しの現金も工面できるかできないか、の瀬戸際。そこに上海事変で上海からの 難民が多くこの町にやってくる。機転の利く若い番頭のアイデアで、これを商機に、と難民相手の一元商品(百円ショップか)が好評を博し、どうにか年を越す が、不幸は愛娘が国民党の小役人に妾にと見初められたことから始まる。主人はこれを頑なに拒否するが小役人と子分である町の理事長は林源記の営業に難癖つ け主人を逮捕、拘留する。店の有り金すべてを番頭が携え役場に行き主人を釈放させるが、娘を差し出す以外この町で商売を続ける策もない。それを避けるには 夜逃げ。病身の妻が我が身はもってあと数日、主人に娘と二人で逃げろ、店には自分(妻)と番頭が残り対応する、と覚悟決め憔悴しきった主人は娘を助けるべ く夜中に小舟でこの町を逃げ去る。……と人情物で芝居に出来る、明治座で森光子に主人役は小松政夫(というのは主人役の謝添が小松政夫にとても似てい る……ちなみに謝添は82年に老舎の『茶館』を自ら監督し映画化)で、この筋なら十分にいいでしょう。上方の歌舞伎でもいい。だが映画の結末は翌朝に「負債かかえ廃業」 と張り紙の書かれた店に町の住民が集まり大騒ぎで始まる。商店主の夜逃げなど「売り掛け」のある問屋くらいしか被害がないようだが民衆がなぜ大混乱に陥る かといへば、映画で見ていると林源記は町の住民の貧困層からも借金し利息の返済にも窮するような場面が途中に出てくるが、あれは商店にカネを預けると一定 の利息が配当される仕組みが行われており、そのカネを預けた商店が夜逃げするのは銀行の倒産のようなもので被害が大きい。それで「カネ返せ」と騒ぎにな る。この場面を「資本主義の走狗を人民が打ち壊すというシーン」と紹介しているサイトも見かけたが、実際には民衆は相手にされず泣き寝入りで、まだわずか に商品の残った店の中では「知らぬ存ぜぬ、主人が勝手にやった夜逃げ」と頑なにしらばくれる番頭ともう虫の息の病床の女房に楯突き、高利貸や町の有力者が 国民党の小役人ととに一元でも回収してやろうと店の整理に忙しい。国民党の兵隊が民衆を散らそうと空砲を撃ち逃げ惑う民衆と街頭で民衆に踏まれ亡くなる幼 子、そして河のなかを進む小舟に憔悴しきった林家の主人……で映画は終わるのだが、大詰めまでは、何とか商売を続けようと巧みに働く林家の様子がとても小 気味よいが最後のシーンでは人のとてもエゴと愚かさが強調され暗澹たる思いで終わる。もともとは日本軍の侵略が不幸の始まりであり(映画の中では、侵略さ えなければ日本はすでに優れた日用生活商品を生産し輸出し、中国側はそれを購買することで生活が豊かになる平衡関係であった)、具体的には水郷のこの町の 国民党の小役人の悪さが林家が不幸に陥る元凶として描かれる。共産主義化した中国で、これほど社会派ではあるが明治座的な人情物で、共産主義のプロパガン ダの色が殆ど全くない作品が撮られていたことが驚くほど。だが当然この「革命的な思想性のなさ」が文革では毒草映画と批難され監督の水華は下放で労動改造 処分、原作の茅盾は党除名処分。この映画が文革で批難されたのを「日貨排斥という民衆運動がいかにその場限りで方向性を欠いた狂騒に過ぎないかをリアルに 描きすぎたから」という理由による、としている大学の先生もいるが、それは勘ぐりすぎ。たんに「共産主義的な思想性」のなさ、である。あれで共産党がこの 町に進軍し悪い国民党の小役人を追い出し……とするかでもしないと。共産主義的には何の魅力もないはずの林家の主人(なにせ商売のためには贈賄も厭わぬ愛 国思想も乏しい反革命的は守銭奴である)を人情味あふれる好人物と描いたところが反動映画と烙印押される。それにしても実際には、権力のまえでは「へーこ ら」して日々の商売では霹靂としつつどうにか生きていこうと奮闘する、この姿勢が市井のよくある市民の姿でリアリズム。それだからこそ茅盾らしさであり魯 迅の流れやゾラのような世界もここに垣間見られる。このような共産中国では異色の作品を水華が遺したことは興味深い。1916年生まれの水華かなりの英 才。11歳から文章の創作活動に目覚め17歳で上海復旦大学法学院に入学。左翼演劇活動に従事するが組織解散され36年にはすでに中国侵略をしている日本 に敢えて留学し東京帝国大学で演劇を研究。だが翌年には中国に戻り抗日宣伝活動に従事し正式に共産党に加わり演劇から映画へと活動の場を移していく。文革 が終わり名誉回復され81年には魯迅聖誕百年を記念した『傷逝』を製作。中国映画での功績から栄誉賞をいくつも受け95年に79歳の生涯を終える。この映 画、17、8年前だかに当時、千代田区の区役所隣の区民センターだかで中国映画上映会が続けられており、これが上映されたが何か用事できて見逃した作品。 謝添の『茶館』はそこで観ている。『駱駝の祥子』は確かZ嬢と一緒に観て日曜の夕方だか九段会館の屋上のビアガーデンで「右翼っぽい景色や」と思いながら ビール飲んだ記憶あり。
▼中国の「愛国資本家」で国家副主席も歴任の栄毅仁氏逝去。享年89歳。江蘇省無錫の裕福な商家に生まれ(1916年)上海の聖約翰大学(St. John's University)の歴史学系を卒業(37年)し家業継ぐ。49年の中共建国で多くの資本家や商人が大陸を離れ香港や台湾に移る中、栄家は敢えて国内 に留まり中共による建国を支持。57年には当時の副総理・陳毅が「赤い資本家」と賞し上海市副市長に弱冠41歳で抜擢される。59年には家族で所有の一切 の商工業資産をば国家政府に寄贈。政府より代価として600万米ドル(当時)として受取り毎年、国営化された企業利益から配当も得ていた(文革時期ま で)。同年、紡績工業部副部長(副大臣)に任命される。が66年に文革で資本家として批判され一切の公職解かれ幽閉の身。だが国家主席劉少奇すら殺された 文革の中でも周恩来の指示で栄毅仁は保護され一命取留める。78年に文革結束で全国政協副主席として復活。この年、一人息子の栄智健(16、7歳であった 60年頃に上海で英国製スポーツカー乗り回し友達連れて国際飯店で食事していた、というから並外れたお坊ちゃま)が中国を離れ殆ど無一文で香港に移民。智 建は現在の「中信泰富(Citic Pacific)」の社主で名馬オリエンタルエクスプレスなどの馬主でもある。で毅仁であるが復活の翌年79年に中国国際信託投資公司(中信)を創設。鄧 小平の経済開放政策の旗艦企業として成長。93年から98年まで国家副主席。「中信」の事業拡張で栄家の占める総資産は19億米ドルとすら言われる。
▼で興味尽きぬのは上海の聖約翰大学(St. John's University)(写真) である。1879年にSamuel Isaac Joseph Schereschewsky神父により創立(当初は中学の