教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
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2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
 
既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。 
   
九月末日(木)晩に尖沙咀に薮用あり早晩に佐敦站で地下鉄降りて「明日のことでO君に電話しなければ」と思って歩いていたところ背後から声かけられ振り向くとO君。O君の会社は九龍湾で自宅は香港島、余も珍しく佐敦、遭遇するだけでも奇遇なら恰度O君のことを思っていたところでのことでかなり驚く。薮用のまえの僅かな時間にAustin Roadの新發餐庁に寄り夕餉。新發は店に入れば烟草の煙朦々とするなかでサッカー試合中継=賭博に熱の入った客多く、出勤前のホステスらが腹拵え、給仕らはズボンのポケットに競馬新聞と其処らにありがちな茶餐庁だが格別。供す料理の美味さでは定評。かなり久々で名物の干炒牛河をば食す。高カロリーで油多き茶餐庁のメニューのうち干炒牛河はワースト3だかに入り余も余り食さぬがこの店の米河は絶品で「ついつい」だったがやはり美味。それに例湯とアイスレモンティーでHK$35で満腹。給仕らは粗雑なようで慇懃を極める。敬服。明日からの三連休に尖沙咀の人出多し写真は古物古蹟辧事処)。明後日の競馬開催日は國慶記念だが日本のスプリンターズ並びに遅晩にはフランスの凱旋門賞の中継あり。昨年の今頃は初秋の巴里に遊んだかと思へば巴里の街、殊にSt-Germain des PresのRue de Seineの界隈、月本さんらと晩にLa Paletteのカフェに飲んだ頃がじつに懐かしきかぎり。

九月廿九日(水)晴。昼までZ嬢とQuarry BayよりSir Cecil Rideをば二時間、10kmほど歩く。この丘陵の小徑が先の大戦での日本軍の進軍路でありブレーマー山の中腹は八五年の英籍少年少女殺戮の現場で加害者の一人で「等候董建華發落」待った受刑者は昨日出所。英軍の野営場だの山中には戦跡もあり(写真)昼にCitysuperの元八らーめん。Z嬢初めて食す。午後早くジム。文房具など購入し一旦帰宅。自宅片づけ。早晩にZ嬢とFCCに食す。湾仔の芸術中心にて是枝裕和監督の映画『誰も知らない』観る。子供が主人公の悲劇、不条理はドラマにしやすいわけで映画祭などでも関心が集まるものだが、秋から冬、春、夏と一年かけて子供四人のその一年での成長がよくわかる丁寧な作りで、悲惨な実話をば映画作品に上手く仕上げる。だが、後半から結末の展開は作りすぎ、大人の幻想ばかりの感あり。主役の柳楽少年(Z嬢の郷里の中学の後輩にあたるそうだが)の演技も確かに映画にハマっていても十二、三歳の少年が監督の指示通りに動いている中で何処からが自らの解釈で演技なのか、名子役はこれまでもいくらでもいるわけで、それでカンヌ映画祭で主演男優賞とはカンヌ映画祭の主催者側が何を考えているのか、結局は芥川賞と同じで話題性なのかと疑うばかり。せめて作品賞ならわかる気がするのだが。終わってグランドハイアットホテルの側らの公園から追月を眺める(写真)
▼真夜中のシャンゼリゼ大通りを時速140キロで飛ばすポルシェ警察に止められて降りてきたのはリビア最高指導者カダフィ大佐の息子で泥酔(こちら)。北京空港に現れた金正日総書記の長男・金正男氏と思われる男は派手な開襟シャツとジャケットで首に金と翡翠のネックレスで派手なサングラスはナイトクラブの業界筋の如し(こちら)。中国では共産党幹部の子弟の厚遇。李鵬一族は中国の電力発電をば掌握。中国で中秋の月餅の高級化進み勿論たかだか月餅で材料吟味しても数万元の月餅など作れる筈もなく月餅の箱開けるとデジタルビデオ機、万年筆や高級ライター、厳選茶葉などの詰め合わせで、ついに今年は三十一万元の月餅詰め合わせ登場。開けてみれば不動産の契約書つき(笑)。贈答=贈収賄のためこれが売れるといふ。
▼SARSの疫禍の責任ようやくとって間もなく辞任の衛生植物及福利局局長楊永強君はマレーシア華僑にて広東語解すが実は話すだけで中文は読めず。つまりSARS疫禍以降に自らがどれだけ罵倒されようが新聞雑誌でそれを読めず。これはかなり本人には幸いしたかと退任にあたり新聞に皮肉書かれる。
チベット仏教にてダライラマに次ぐ地位にあるパンチェンラマは印度に亡命したダライラマとは好対照に先代が北京に身を置いて親中の態度をとり、先代の死後にダライラマがパンチェンラマと指したNyima少年が中国政府当局の軟禁状態におかれ(こちら)北京政府はニマ君とは別の少年ノルブ君をパンチェンラマに据える。この14歳のノブル少年がパンチェンラマとして5年目?で初めての記者会見。当然の如く中国政府の指導下でのチベットの経済発展と安定がチベットにとって利益になっている旨の発言。北京での思想教育の賜物か。ただし老獪さでは中共もチベット仏教総部も負けず劣らず、でこのパンチェンラマ一派がどこまで北京の傀儡なのか実はわかった上での振る舞いなのかは誰もわからず。

農歴八月十五日。中秋。老父母のもとに先週末に慌てて月餅送るが届いたかどうか。電話するが実家不在。昨年も中秋の観月にパーカー山へとご一緒せしU女史と今晩も複び中秋の月愛でようかといふ話となりH氏夫妻誘い晩にShau Kei Wanの地下鉄站に待ち合わせ。石澳へと向かふバスは長蛇の列にてタクシー雇い石澳土地湾へ到る。土地湾のバス停より龍背へと上る。中秋の晩とて一昨晩と同じく人一人居らず。東方の海上に満月上がり眼下に石澳の浜辺に集ふ者どもの蝋燭だの灯籠の明かり揺れる。浜に遊ぶ若者らの歓声龍背の山上にまで聞こゆる。月を愛でつつ持参のポケット瓶にてジャックダニエル一飲。土地湾に下りバスで亦たShau Kei Wanに戻る。擦れ違う石澳行きの増発バスに中秋の月をば弁明に浜辺にて初秋の一夜楽しまむと十代の若者ら満載。不純交遊か狂った果実だのと老いた人眉蹙めるは易しきところ奈良平安の昔とて初秋の月夜の晩に月明かり他依りにに遊ぶは若者の性かと合点。越華會海鮮小館に食す。烏賊の揚げ物、清炒西蘭花、扁桃でからめた蝦子丸と一昨晩至極の油葱走地鶏など。地鶏食し終わっても大量の油葱残り、これで炒飯など即席で作ればかなり美味と思い残った油葱包んでもらふ。地下鉄站自宅まで漫ろ歩く。団地の広場には中秋の宴会あり。屋台など並び舞台上では近所の若者がブレイクダンスなど興じる。集合団地裏の小徑にも子供づれの若い家族が提灯たずさえ中秋の月見をば楽しみ近所の子供らもこの日とばかりに遅くまで遊技場のジャングルジムなどに遊ぶ。子供多きこの賑やかな節句の光景に心温まるものあり。日本にはすでにこうした団聚も珍しくなりぬ。帰宅せば実家の母より月餅届いたと伝言あり。慣れぬ漢詩にて今宵の月を詠む。
観月明亮在龍背  Kan yue ming liang Zai lung bei
南方之夜交酌盃  Nan fong zhi ye Jiao zhuo bei
回憶故郷歎月光  Hui yi ku xiang tan yue kwong
酔酒涕零首下垂  Zui jiu ti ling Shou xia shui
▼市街疾走する恐怖のミニバス(といっても最近は寧ろ大型二階建てバスこそ高性能で爆走しこちらのほうがよっぽど怖いが)は基本的にバスが個人所有であり、そもそもミニバスの誕生は六七年のスターフェリーの運賃値上げに発端あり文化大革命の影響もあり反英暴動となり市街の公共交通、バス運行が麻痺状態。そこでトラックの荷台に乗客のせて搬ぶ白タク?が登場。バス運行正常化の頃にはすでにライトバンなどで私営のミニバスがすっかり庶民の足となっており渋渋当時の香港政庁が認めたのがミニバス。但し政府が路線認可する緑ミニバスと放任状態の赤ミニバスがあり。緑ミニバスは路線もバス停も決まっており八達通(オクトパス)利用も可。赤ミニバスは運賃も天候や節句など需要の相場次第で、八達通使用できぬのもいまだに個人営業のため。とはいへ香港島であれば東行き赤ミニが乗客満載でも銅鑼湾でわざわざ糖街に入るのは此処が謂わば関所で「その筋」に通行料収めるため通行回数把握がこの場所ゆへ。説明長くなったが余が気になるは余の自宅近所で緑ミニバスに乗り車扉に書かれたバス所有者の住所と名前を見るにつけ、決まって九龍湾だかの「馬亜木」といふ人の名前。始めは偶然に「ああ、また運転手は馬さんか」と思ったが、頻繁に馬亜木さんに当たって、よくよく見るとダッシュボードの運転手証には別の名前。「なるほど、さては馬亜木さんはミニバス所有して、それを各運転手に又貸しか、九龍湾の団地だかが車庫住所になってはいるが、けっこう地味に稼いでいるな」と程度に推測の域を出ず。それがこの馬亜木といふ名前知って十年も経て今日の蘋果日報の財経欄見て驚いたのは「小巴大王3.5億買4舗位」といふ記事。六百輌のミニバス有するミニバス大王の馬亜木氏はミニバスの収益で不動産投資続け不動産資産がHK$20億だそうな。毎日のように見る、ミニバスの車扉の下に土泥で汚れたバス所有者の名前がこの億万長者であったとは。

九月廿七日(月)快晴。香港の美しき秋空始まる。銅鑼湾の商務印書館。商務印書館現代漢語詞典は一九五六年に国務院が普通話普及の指示出し中国科学院語言研究所が編纂始め五九年には大略初稿編纂を終え六五年には試用本発行に到ったが文革だの四人組による混乱で七八年に漸く発行に到った語彙数六万の簡明易解なる中型字典にて初版から四千万部の発行とか。但し余も十数年前に入手したものの簡体字でよっぽどのことない限り使わずにいたが先日、信報の記事でこの繁体字版香港商務印書館より数年前に出版されていたことを今になって知り早速この繁体字版購入し一読せば質の高き辞書と納得。辞書編纂は国家事業で政治色は例えば「人民」の項に「以労働群衆為主体的社会基本成員」(労働大衆を主体とする社会の基本構成者」とあり、「元首を除く被治者たる自然人。国家における被統治者。社会を構成する人」(広辞苑)からはほど遠い政治色強さも感じるが、少なくとも無産階級とまではしておらず。書館への道すがら「千秋楽」なる日本料理屋を銅鑼湾そごう向かいの一等地にて見る。千秋楽は相撲だの芝居の興行最後の日で商売には些か「今日で最後」は縁起悪き名と覚えるが、法会の雅楽で最後に奏でる曲が「千秋楽」でこの店の場合は文字通り「千の秋を楽しむ」で見事な紅葉でも想像したか。日本の地名とった料理屋も少なからず「嵐山」だの「嵯峨野」「津和野」ならわかるが「大手町」だの「横須賀」だの、けして美味さ感じぬ地名もあり。「八王子」も奇妙だが「八人の王子様」で縁起よしか。体調不良から立ち直ったかと思ったら今度は季節の変わり目で風邪の患者多く余もしっかりと咳鼻水で風邪ひきかかりつけのC医師の診断請ふ。晩に『世界』十月号で池明観氏(「TK生の手紙」の書き手)の半世紀「境界線を超える旅」など読む。連載三回目は朝鮮戦争での従軍の頃でこの理不尽な米ソに中国関わっての「内戦」につき銃撃炸裂場面多き映画よりこの池氏の淡々とした記述に当時の惨禍をば感じ入る。
▼蔡瀾氏が蘋果日報の連載で触れて、それを読んで懐かしく思い出したは「今夜不設防(今夜はタブーなし)」といふ九十年代前半に香港のテレビ局TVB翡翠台で深夜枠で放映されていたトーク番組。ホストは蔡瀾と作詞家・黄霑で作家・倪匡もよく出演。毎回、各界のゲスト招きブランデー飲みながら酔っぱらって煙草スパスパでタブーなき大人の会話で好評博す。香港でも「座頭市」で有名だった勝新太郎が逝去半年前だかにゲストで出演しホスト共々大いに酔っぱらって蔡瀾の通訳で座頭市だのの裏話などで大いに盛り上がった回は白眉。89年の天安門事件のあと政治的に不安定な香港で大人が自分の意志で自由に物語ることに意義を見出した番組であったが、内容があまりにエグいため非難多く終了となる。蔡瀾はその後、随筆と旅行案内、グルメ事業、作詞家・黄霑は半ば引退し、倪匡はサンフランシスコに移住し香港に一度たりとも戻らず。
▼蔡瀾氏といへば日本へのグルメツアーだが、蔡瀾に限らず陶傑氏の英仏教養の旅だの著名文化人と行く海外ツアーが流行り。近郊でも食通で知られる元朗の大栄華の経営者氏と行く、だの唯霊氏までが順徳美食の旅を主宰と知る。半ば芸能人の方々で芸人がディナーショウするのと同じと思えばいいのかも知れぬが、一つだけ気になることは陶傑氏であるとかこういったツアー旅行など「ダサい」と否定するのがこの人であり、美食もツアーで押しかけての団体餐とは対局にあるものでなかろうか。
▼プロ野球選手会会長としての古田選手の活躍で、古田氏のリーダー性とその高き資質に恐れ入ったが英和辞書を「英単語の解説がされている便利な本」と思う野球人すらいるなか野村監督が「当時、球場で本読んでいたのは古田だけ」といふ言葉も納得。立命館大学の経営学部出身で野球特待ではなく一般入試で入学だそうな。これについて築地H君が古田氏に米国路温飩問題の原書講読といふ地味な科目教えた深谷信夫氏(現・茨城大学教授)の手記見つける(こちら)。今回のストでの問題が経営権の範疇にあることでスト権が選手にないとされる点についての反論的言及あり。
▼先日、新宿のL君よりの同性愛雑誌『薔薇族』廃刊について述べたが、築地のH君がその朝日の記事(こちら)に「「タブーへの挑戦」を掲げ、発禁処分も4回あったという」といふ記事あり、何気なく「発禁処分」といふ言葉使われているが、発禁処分に汲みする「出版法」なき戦後の日本でこれは法律上あり得るのか?と疑問に思い調べてみると(こちら参照)猥褻物頒布などで該当書籍が「証拠品として押収され押収以後の販売は出来なくなり刑が確定した場合押収された書籍は返還もされぬので事実上の発売禁止処分」となるといふわけで、敢えてこの言葉用いるのなら「タブーへの挑戦を掲げ「発禁処分」も4回あったという」とせめてカギ括弧つきで用いるべき。朝日としては軽率。

九月廿六日(日)朝七時前には起きてしまひ雑事片づけ九時過ぎに読み残しの新聞雑誌携えバス乗り継ぎ南區の林間道を歩き海岸。中秋近ければ風も心地よく太陽もけしてじりじりと肌灼くほどでもなく木陰にて木漏れ陽のなか司馬遼太郎全講演1(1964〜74年)朝日文庫読む。司馬遼太郎に向けられる安心感が何処から起きたのか、がわかる司馬先生の白髪でもまだ四十代後半の頃の講演。思想嫌いで思想以前にもっと大切な民族性のようなものがあるのでは?と司馬先生は日本の歴史から何かそれを探りだそうとしている時期なのだが、問題は右でも左でもなく、で世界の民族と比較した結果「日本人は、国際的には異質な人間集団としてしか存在しない」だの「世界の中の国々は原理によって生きているんだが、自分たち日本人は不思議な伝統で生きている」といった日本人論(72年の富山での富山県教委主催の学制百年記念での講演)に司馬先生は到る。諸悪の根元はこの右でも左でも受けいられてしまふような司馬遼太郎といふ歴史物書き(この人は自分自身が学者でも専門家でもない、ただの好奇心の者といっているが言い得ているであろう)がこうっいった発言をすることで聴衆(=日本人)が自分たちを「個性的」だの「他の民族とは違う伝統や倫理観がある」などと意味もなき肯定をして自信をもち、その誤解が他者への不理解へと繋がる危険性。だいたいフランスの本屋でも北京の書城でも、日本の日本人論ほど自らの民族をいちいち語る書物にあふれる土地はなし。こうして考えると司馬遼太郎という人の、本人にはそんな意図ないにせよ、読者が司馬先生から得る「害悪」少なからず。余の乏しい「司馬観」では、確か司馬はこのあと日本ぢたいの右傾化や日本人論の全盛の時代に向かうに従い、この昭和四十年代の左翼学生運動盛んな時代に「思想以前の民族性」のような主張から少し離れ、あまり比較文化的な日本人特性論を宣わなくなった気がするが、どうだっただろうか。日本で司馬遼太郎の存在が死後もここまで人気と思うと、野球でいう長嶋的な、司馬遼太郎なら右でも左でも受け入れ可の如き印象をば安易に用いること、とくに死後の朝日新聞社の司馬キャンペーンなど見るにつけ、司馬遼太郎にConstitution=「このくにのかたち」を頼ってしまっていいものなのか、と思わされる。午後三時すぎに灣仔に向かいアウトドア屋にてトレイル用の杖を一竿購ふ。昨日の山歩きの際に大帽山への登りの最中不図気付けば片方の杖の先端の護謨がなく帰宅してよく見たら護謨外れただけでなく杖ぢたいの先端の金具まで岩にでも挟んだのか遺失しておりアウドドア屋でもそのパーツのみの販売などしておらず結局杖一竿購入するハメとなる。ジムに一浴し帰宅。晩に十三夜のお月見と洒落込みZ嬢の仕切りでShau Kei Wanにて十二名集まりバスで石澳の岬の付け根。拘置場から香港トレイルのコース逆行し2kmで石澳の「龍背」に登り十三夜の月を愛でる。
みなみ風 蒸して龍背の 十三夜 富柏村
ビール一缶飲む。土地湾のバス停まで下りバスでShau Kei Wanに戻り午後九時すぎならと油断して予約もせずに越華會海鮮小館に参れば街頭に卓並べての繁盛ぶり。上手い具合に大卓一つ空いており晩餐。「油葱走地鶏」がひじょうに美味(写真)

九月廿五日(土)晴。三週間ぶりにトレイルで朝八時にTsuen Wan站に集合し余を含む五人で車雇い城門水塘。この水塘の周囲の遊歩道はかなり古く整備され案内板だのベンチだの落ち着いた石造り。かつて水不足の香港にあって此処に消防活動用の水塘もあり(写真)水塘の西側を一時間かけて鉛鉱凹(Lead Mine Pass)まで上りMaclehose Trailの第八段に入り一気に大帽山へと続く高原に上り始める。体力なきこと懸念したが体重が一気に八磅も軽くなれば登山は驚くほどに快適にて心拍数も一三〇代と安定。大帽山の頂上近くのかつての英軍施設の廃墟(写真)。頂上の測候所(写真)。頂上越えて下り坂にてどの色もかぎりなく鮮明な真っ赤な帽子に黄色い上衣、オレンジ色のシャツにピンクの靴といふ浅草の大道芸人か大阪城公園のカラオケの有名老人の如き奇抜な衣装で颯爽と大帽山に登る七旬の紳士あり。思わず撮影すら忘れる。昼にRoute Twisk(この道路名が他の市街道路と異なるのは、もともとこの道が石崗の軍営地に向かう目的のルートであるからだろうか)近くで休憩し午後は第九段に入り大欖の山中歩き大欖水塘岸から午後三時すぎに掃管笏の村に出る。ここまで約三十五キロ、大帽山の上り含め六時間余でまずまず。気温は三十度といふが心地よく涼風あり。掃管笏の集落の小店にて麦酒一缶喉を潤し恰度来たタクシー拾ってTsuen Wanまで戻り夕方に路徳圍の山西刀削麺店。手拉麺も食したきところ刀削麺をばもう一度、今度は具なしの上湯麺で食したく注文せば麻辣か?と聴かれうっかり頷いてしまったが最後、耳掻き一杯でも辣い麻辣油が山盛りの大蒜の上にこってりとかかった「確かに具なし」(笑)の上湯麺。体調悪きことも忘れるほど強烈な辛さ。大蒜が甜く感じられるほど。店を出れば隣店で上手そうな豚肉の白煮の下ごしらえ中(写真)。Tsuen Wanのこうした小料理屋の質の高さ窺い知る。地下鉄乗り継ぎジムに一浴し帰宅。豚汁。突然の三十キロの連続歩行に身体も驚いたか微熱あり。

九月廿四日(金)晴れのち曇り。養和病院の歯科にて先週の切開箇所抜糸。見事なる技巧にて治癒に導かれたL医師に改めて深謝。晩に自宅にて珍しく鶏腿肉をば僅か一匙の油でソテー焼しソースは一瞬牛酪ソースらしく見えるがヨーグルトソースといたって低カロリー。葡萄酒をグラスに一杯。腹七分目ほどの食事で一切間食せず酒も殆ど飲まねば今月だけで8磅の減量も易し。ビデオにて「はねるのとびら」なるお笑い番組見てもせっかく展開追っても最後のオチの台詞が聞き取れず何が可笑しかったのかわからず。最近のお笑い芸人の早口な台詞が聞こえぬのは余の老いの所為か芸人の口跡の悪さか。
▼江沢民君辞任問題報道の先駆となり積極的に報道続けたる紐育タイムズ北京支局の助手・趙岩氏が国家機密漏洩のカドで当局に逮捕される。何も言うことなし。事実が真実語るばかり。
▼久々に新宿のL君より同性愛專門誌『薔薇族』廢刊とメールあり(朝日)。三十三年間も男色雜誌の草分け的存在として刊行されたその世界の『文藝春秋』か『世界』か。廃刊は「不況で廣告收入が激減」「同樣の專門誌が次々と刊行され」「インターネットが普及」など樣々な要因ありとか。それにしても朝日の記事の「大學教授や法曹關係者などもをり」が「だから何なのだ?」であるし「作家の故寺山修司も寄稿してゐた」でどうなのだ?だが。その道に詳しきL君は十六歳の夏にこの雜誌をば故郷の地方都市の大きな本屋で見かけ恥づかしくて誰に見られてゐるかと恐れ、町外れの小さな本屋、L君の喩えは情景目に浮かぶが、京大文學部出のインテリは入社せし大手會社で組合活動などでパージされ解雇處分で故郷に戻り地元の女子校の国語教師となるが肺を疾み友人らが出資に協力し生活のためと小さな本屋開き、賣上げ稼ぎは何といつてもエロ本の類ひ。店の半分はそのテの本と漫画本だの並ぶが書棚の一角には高橋和己だの左翼系哲學書だの買ひ取りで返品きかず赤茶けた背表紙のゾラなどの岩波文庫が並び、白髮の老店主と若い頃には「こんな筈ぢやなかつた」奧さんが店番……の本屋に自轉車止めて店に入り『小説實話』だの『スパイナー』などゝ一緒に並ぶ『薔薇族』を手にとつて俯いてレジでカネを拂ひ自宅まで我慢できずにセミが鳴く近所の八幡神社の境内の林のなかでひつそりと汗を流して讀んだ、と。橋本治の物語の如し。この雑誌には同じ世代の同趣の輩の投稿などあり、L君も夏期講習で上京し新宿の花街仲之町に足を踏み込み、その新宿にL君早幾年と感慨深し。
▼根来コミッショナーの後任について。こういった人事に前任者の如き資質惑わしき方ばかり天下り。法曹界といっても検察高官など体制派に対するご褒美人事。たまには護憲派の権威ある憲法学者でも起用しては如何か。築地のH君に長嶋コミッショナーといふような話ありやなきやと問えば長嶋コミッショナーでなら誰も文句言えず『プレジデント』誌的に言えば経営者としてのビジョンと情熱と実行力ある星野チェアマンが自由に大鉈振るふといふ噂もあったそうで星野コミッショナーでは必ず足を引っ張られるので長嶋といふ天皇が必要だった、と。長嶋茂雄が監督でオリンピックで金メダル獲りプロ野球コミッショナーといふのが最も理想的だったのかも知れぬがその長嶋が倒れたといふのは実に時代の象徴的出来事。長嶋なら万事が上手くゆく、だが、それはつまりは長嶋に頼ってしまって全て乗り越える、シンガポールのリークワンユー首相での成功と同じこと。先の大戦での敗戦も先帝をば頂き実際には米国に頼る図式の戦後日本、何も意識変革も市民革命も経ぬまま、で様々な問題をば抱えた今日に至るのと同じこと。それゆへ長嶋に頼れぬようになったことの意義を痛切に理解すべき。
▼仙台にプロ球団設立か。仙台出身のH君はチーム名は「仙台ドアーズ」でドアーズのキーボード奏者レイ・マンザレクを球場専属オルガン奏者にして、チャンスの度に「ハートに火をつけて」のイントロを弾きまくる、といふイメージ。間違っても「青葉城恋唄」だけはやめてもらいたいが。
▼読売新聞の今朝の社説(こちら)。NPB側にも、選手に理解を求めたりファンにアピールする努力が足りなかったことは否めない」とまるで他人事(嗤)。築地のH君、かつて小泉三世が外務省の汚職や田中真紀子と官僚のケンカでゴタゴタせし時「総理は何か他人事のようで積極的でない、との批判もありますが?」と記者に問われ「そんなことはありませんよ。わが事のように考えてます」と答えしこと彷彿させる愚者の答弁。社説で「今回の労使交渉は、球界関係者やファンだけでなく、ふだん野球にあまり関心を示さない人たちの注目も集めた」は余を含め事実だが(笑)。で最後に「この間のもやもやを吹き飛ばすような面白い試合、はつらつとした選手のプレーを見せてほしい」と結ぶが選手がはつらつとしたプレー見せられぬような状況作ったのは誰か。

九月廿三日(木)快晴。ふだん野球など興味なき余もイチローの打撃と、午後七時まで労使交渉で合意に至り調印した古田氏が試合に九時すぎに9回代打で登場しヒット打ったことなど関心もたぬわけもなし。築地のHクンの話ではNHKの晩のニュースでは「スト回避」がトップニュースで古田会長の苦闘の日々だのファンの声まで紹介しながら遂に妥結内容を一言も報じず、と。「私鉄の労使交渉だって××円の賃上げで妥結くらいは言うだろうに」とH君。まあそのおかげでw「北朝鮮がミサイル発射か?」という扇情報道が3番目くらいで地味な扱いとか。ところで根来君がプロ野球コミッショナーから今度は生協など消費者団体が組織せし「消費者機構日本」を旗揚げし会長が根来君(こちら)。しかも彼が公正取引委員会委員長までしていたとは。H君曰く江沢民君辞任とて中国で独裁であれ一応は人治でもって独裁抑制の機能あり毛沢東も登β小平も生前のことはおいといても死ねばちゃんと抑止力として機能。それが何故この人がこうも法曹界の大物として丁重に扱われるか。しかもコミッショナー退陣表明の翌日の読売新聞は一面で単独インタビュー掲載。勝谷氏呆れて「この男は法曹界の大物らしいけど、裁判官が係争中の事件の被告と飯喰ってるようなもんじゃないですか。載せる方も載せられる方も感覚が麻痺してますよ」と。御意。そもそも読売は庶民の新聞標榜したはずが一千万の発行部数で「大衆迎合はいかんね」感覚。H君の指摘通りナベツネは小泉三世にはかなり批判的でポピュリズム政治はけしからんとか、それはそれで正論だが、今回の顛末では「庶民」「大衆」のニーズからの乖離甚だし。
▼東京都が「青少年の性行動について考える委員会」組織し性交渉についての年齢制限などを検討。朝日の報道によれば「性についての知識が十分でない時期の性交渉は危険が多い」ため委員からは「性交渉は中学生は絶対にだめ」といった意見も出る。性についての知識が十分である大人でも性交渉にには危険が多し。条例で規制すべきことなのか。ふと思い起こせば余は幼稚園の頃に所謂「お医者さんごっこ」で医者をマネて救急箱から消毒用アルコール出して脱脂綿で消毒していたことあり。今に思えば幼稚園児でじゅうぶんな知識であったか。

九月廿二日(水)晴。晩にHerbie Hancock、Wayne Shorter、Dave HollandにドラムがBrian Bladeといふカルテットの演奏会あり。演奏会前にこれに参られる四氏と尖沙咀で食事済ますこととなり「尖沙咀の」Jimmy's Kitchenにて晩餐。メニューは中環や店の内装はの本店と同じだが中環の問題多き給仕長に比べこの尖沙咀店の給仕長のなんと温情あふれる接客の良さか。見事。ドライマティーニ。ムール貝、サラダに肉料理と秀逸なる生チョコのデザート。ムール貝は昨年の秋に巴里で堪能し香港の魚市場にて大ぶりのムール貝など見ても食欲もわかず。だが今晩のムール貝は小ぶりで牛酪ソースも十分に堪能。Z嬢と香港文化中心の会場で待ち合わせる。Herbie HancockとWayne Shorterは昨年香港芸術祭でも前衛な演奏あり今回は七十年代のフリージャズ彷彿させる演奏にすでに還暦すぎし二人のジャズの名匠は喩えれば地平線の彼方にあって未だ陽光まぶしき太陽の如し。曲のいくつかはジャズのスタンダードでも演奏はそれに回帰せず更に未来志向。不安定な時代の中に黄泉をば見出す。けして今更目立とうともせぬハンコックの威厳漂ふピアノ、「老人力」のWayne Shorterのサクスの音色は拝みたくなるほど。若手のがBrian Bladeが見事なドラム二人を煽る。ところで文化中心のコンサートピアノはSteinwayのはずがステージ上にはFazioliなるイタリア製のピアノ。ハンコック先生のまさか一晩のための持ち込みか、とすら疑ったがハンコックがこのピアノ好み香港の代理店よりの調達と知る。音色は非情に個性ありハンコックの演奏では、そう言ってしまふと陳腐だが電子ピアノのフェンダーローズ的な幻想的な音の丸みもあり。ピアノの演奏をば見るためにステージ下手かステージ左の壇上席によく座るが演奏前にステージに出て参った四人が観客の拍手と声援に手を挙げてこたえるなかハンコックが殊にピアノの背になるこちらにとくに大きく手を振ったようにも見受ける。演奏中ずっと背を向ける客への愛想かも知れぬがみずからのピアノ弾く指動まで見たい客がこちらに多いと知ってのことかも。余はジャズ聴くようになった頃にはすでにWayne Shorterはジョー=ザビヌルとウェザーリポート組んでおり数年後にHerbie Hancockがフューチャーショックで電子音楽全盛。マイルス=デイビスと二人がそれぞれ組んでいた頃のLPをば貪るように聴く。その二人がこうして今、目の前にて組んでの演奏にいたく感動するばかり。ちなみにこのツアーは東京ジャズ2004の公演終わっての、ジャズによくある「東京でギャラもらって香港立ち寄り」なり。

九月廿一日(火)快晴。晩にジム。二日続けて運動できるだけどうにか体力回復。遅晩に落雷豪雨あり。先日書斎整理して雑誌などかなり捨てたが『噂の真相』廃刊となりバックナンバー捨てるに惜しいようにまだ既刊だがやはり数年分捨てられなかった『世界』の十月號半ば読む。東京都の「再発防止研修」といふ題に何かと思って読めば件の日の丸君が代での学校長による「職務命令」に「違反」し「処分」された約二百四十名の教員に対する「服務『事故』再発防止研修」実施されたことのレポートで、この研修にはその処分対象の教員とそれが所属する学校の学校長も参加。夏休みの部活動の合宿指導できずに参加した教員もおり、生徒の中にはみずから都教委に電話で顧問教師の研修日程の調整を求めた者もいたそうだが(これも都教委にすれば教師による扇動か……)電話に応対した都職員は「先生は大切な研修があるのだよ」と答えたそうな。教員にとって生徒指導より大切な研修。研修場所の廊下には都職員の他にガードマン六人が配置され、提出義務づけられた研修の報告書は「内容何如によって研修修了か否かの基準になる」と担当者が宣ひ、だが実際には研修内容は国旗国歌論争避け法務観察課の課長が地方公務員法に基づき義務、禁止、制限などの規定について説明。この研修の受講者は職務命令に従わぬ違反と信用失墜行為の違反者扱い。服務事故により懲戒処分になった場合の免職、退職金没収、年金減額などについて説明。結局「だから命令には従ったほうがいいですよ」といふ、まことに情けなき様。こんなことしている暇が今の教育界の何処にあるのだろうか。だから憂慮する親は(公立学校教員も含め)子供を私立へと入れ公立校離れが助長される。ところで信用失墜行為って都知事には適用されないのだろうか(笑)、国内でも非難多いが特に国際的に東京都及び日本国への信用を失墜させた、と。
▼築地のH君より読売新聞の「社説」が久々に面白いと報せあり。抱腹絶倒、と。普段から余は読売の社説など不愉快唖然感じるばかりで「私は読みません、讀賣新聞」だし、ナベツネが主犯の騒動であるから「まさか読売が社説で取上げまひ」と思っていたのが大間違い。で一読してみれば(こちら)「不毛なストに突入した」と書き出しから(笑)。球団経営会社の新規参入について経営基盤のしっかりした会社であることが条件であるがゆへ審査は慎重に、といふのはその通りだが、経営基盤がしっかりしていれば無条件でいいかといへば読売新聞社見れば「経営基盤しっかりしているからゆへの傍若無人ぶり」もあり。「試合を拒む選手の背中など子供たちに見せたくないのだ」などと理屈の説明に子供持ち出すのは新聞への読者の投稿ならいざ知らず大江健三郎君の「せめて子供を」もそうだがプロの書き手にとって子供起用は余りにも拙い修辞に他ならぬ。寧ろ「試合を拒む選手の背中を見て世の中にはいったいどんな問題があるのか」子どもらも学べばよし。野球がたんなるスポーツに終わらず社会学習の一翼荷うことに何の問題があろうか。これを「会社の命令を拒む父親の姿など……」と置き換えることも可。ようするに読売の社説は管理者側に逆らうことを否定するだけ。この社説とて誰が書いたのか知らぬが「書けと言われた論調で社説も書けぬ論説委員など……」か(嗤)。教員だろうが新聞記者だろうが、はたまた野球選手まで組織に抵抗どころか素直に疑問呈した者に対する単なる否定。この程度の知力で日本一の発行部数誇るとは。そもそもH君の指摘する通り讀賣新聞が巨人軍オーナー会社として今回の騒動で自らが当事者でありながら「社会の公器」たる紙面を利用して労使交渉の一方の当事者を公然非難することが倫理的に許されか。この社説に対してはテレビのワイドショーまでもが「報道機関としてあるべき姿なのか、猛省を促す」と公然と批判したそうで(こちら)、世論を窺ふには敏な小泉三世ももわざわざ米国からテレビカメラの前でプロ野球経営側に厳しいコメントとか。総理大臣・経団連会長・日銀総裁すら支援しようにもできない経営側の醜態。とくにオリックス宮内君は本来「規制緩和」「構造改革」の旗を振ってきたわけで、老害ナベツネや土建政治の巨魁・堤二世らと企んだ今回の陰謀劇は、とんだ茶番、とH君。御意。「正義を拒むナベツネの厚顔など子供たちに見せたくないものだ」とつくづく思ふ。一方「古田会長の決断の本質。それは、天皇がいなくなった野球の国の荒野に、真の共和制をつくるための第一歩である」とゆう論評も現れている(こちら)。
▼八五年に香港島寶馬山で十代の男女二人殺戮あり犯人のうち三人は死刑判決(のちに無期懲役)あとの二人は十八歳未満で「等候英女皇發落」“Detained at her majesty's pleasure”の扱い。それが97年香港返還にて「等候董建華發落」となるが少年犯(しかも主犯に従ひ犯行補佐)の実質的無期懲役について家族らが刑期の決定を求め街工派の立法会議員梁耀忠(ランナーでレース参加では余といつも同じペースで走られる)らの支援活動で社会的関心集め『等候董建華發落』といふ映画になる(余の日剰〇一年五月六日に記述あり)。九八年に李國能大法官(最高裁長官に該当)が判例に則り董建華長官が最低二十年の刑期を定める可能性を示唆したが〇二年には裁判所は香港基本法第八条「香港の従来の法律(略)は、本法(=基本法)と牴触するか、あるいは香港特別行政区立法機関が改正したものを除いて、保留される」により「等候英女皇發落」について裁判所が刑期の決定することは基本法に違反と裁定。今年七月に立法会で刑法改定が通過し「等候英女皇發落」も刑期決定が可能となる。これによりこの「等候英女皇發落」で刑に服していた廿五名の者のうち、まず唯一の未成年犯であった今年三十五歳の彼は中秋節の数日前に出所と決定。少年犯罪について実名報道だの実刑求めるなど日本では刑の見直しなど盛んだが、この事件の場合は被害者の親までが服役者の釈放の嘆願に加わるといふ出来事なり。今年の中秋の月はこの三十五歳にどう映るか。

九月廿日(月)快晴。早朝に養和病院にて先日の全身検査の結果受領。医は仁術といふが仁といふ字を知らぬかの如き、まるで電脳が話す如く無愛想な医者に「とくに治療要す悪しき箇所もなく強いていへばコルステロール値の少しの高さ」と指摘され食生活改善しもっと運動をと医者勝手に宣ふが食生活など絵に描いた如き老人食にて外食も少なくはないがZ嬢と一皿シェアなどザラで運動もこれ以上したら職業団なり。毎晩の晩酌もなく飲むのもあっさりと一、二杯で泥酔だの宿酔など年に算えるほど。なぜそれでもコルステロール値高いか、もはや平素の修養にて身につけし素養の如きものと理解すべきか。あまりにも事務的に数字だけ見て語るこの医者には理解しきれまひが。晩にジムに寄り帰宅。鮭飯と蜆汁と里芋煮の夕餉で医者に見せたきほど。ここ二週間ほどのこの倦怠感と手足の寒さでつくづく老ひ感じ入るばかりながらふと荷風先生の日剰で余と同じ年のこの九月を読めばあまりの老成ぶりで余はまだまだと痛感。その大正八年の九月に画家平岡権八郎氏のアトリエ訪れる記載あり偶然にも昨晩臥牀燈下に読みし荷風日剰昭和十八年一月に戦火の東都は芝口の金兵衛にて荷風先生その店に居合わせた客より平岡の病没を知る。大正の四、五年には侶に清元の稽古に通ふほどの懇意ながら荷風先生敢えて淡淡と綴るがさらに寂寥の感あり。信報で劉健威氏が香港出身で紐育在住のMuna(曾廣智)なる舞踏家の死を綴る。五十四歳。香港に生れカナダに移民し巴里で藝術学び写真もよく撮り七十年代の紐育にてまだ無名のキースへリングの行動をば写真に納めキースへリングが脚光浴びると同じくMunaも注目され八十年代にはアンディ=ウォーホールなど紐育の藝術界の写真残す。死因はキースへリングやウォーホールと同じ「世紀絶症」。劉健威氏がこのMunaなる余は全く知らぬ芸術家について随筆の最後でセルフポートレートについて述べるのだが最も感傷は世界貿易センターをば背景にした一枚、と書いて「あっ」とその写真が余の記憶の何処かの抽斗から蘇りたり。網上その一枚のポートレイト貪るとやはり余の記憶にあった一葉(こちら)。しかもそれがカナダのアジア系相手の文化誌“Ricepaper”のサイトで、先週だかヘラルドトリビューン紙だかにこの雑誌の紹介あり興味深く思っていた、そのMunaのポートレイトとは。だがこのポートレイト写真を何処で見て鮮烈に印象にあったのか一向に思い出せず。

九月十九日(日)曇り天気でも予報は雷雨。トレイル練習は昨日O君に恐らく参加できぬと伝えてはおいたが天候不順と参加者稀少で中止。北京在住の畏友O氏より余のサイトに北京からアクセスできぬこと知らせる。ネット状況に詳しい彼の話では当局がいくつかのサイトへのアクセスを遮断しているようで、といっても富柏村の如き極小サイトが当局の監視に遇う栄誉に非ずInfoseek、Geocitiesなどの無料で作れる個人サイトはほとんどがアウトだそうな。特にアダルトコンテンツを置く事に制限が無いところは全てアウトとか。余の推測ではH画像に寛容→HP内容に無頓着→政治的サイトの運営も可といふことで、だろう。政治的管理の代償として経済優先の次に性欲の緩和?或は暗黙の了解はシンガポールや広東省など見ていればわかる通り。売買春が盛んになっても反政府運動にはつながらず寧ろそれを黙認してくれる政府はありがたきもの。ちなみに余のサイトはこういうこともあろうかと(笑)「はてな日記」でなら中国国内での閲覧も可(こちら)。昨日片付けた書斎は狭くも快適にて天気悪く昼前には雷鳴轟き書斎にて引き籠もりモード。この雷、江沢民の怒濤の怒りかw。午後テレビで中継見ながら競馬娯しむ。本日は日本中央競馬会錦標、といっても日本馬が来港のわけでもなし。天気不良で荒れると察しR1(Class-5芝1400m)から34倍のFree Wayに期待したのは騎手が鄭雨真で雨天の開催日には実際にアナで来るからなのだが見事にどん尻で荒れたのは事実で27倍でSize厩舎のElvisが入る。この馬のratingは毫か27、Class-5の最低ratingが0から20となり27はもはや最下位に近く夏にSize厩舎に移籍したものの今月五日の開幕日は1400mで10着、十五日にはハッピーバレーで十一着と全くパッとせず、だが騎手が魯柏軒君で七磅のハンディキャップあり一着。Size調教師は香港で二百勝達成は4季目で実際には91年の確か十月下旬だかの開厩であるから僅か三年での記録。続く2レースも勝ちに絡みR4(Class-4芝1000m)は一番人気はSize厩でDye騎乗のFashion Jewelleryが3.5倍だか、これに調教の時計48.5秒だけ頼みに複び鄭雨真に賭け43倍のRare Collectionと連複一点買いしたらこのRCがFJに競り勝って配当HK$1091.50と百倍越す快勝。勝ちは続けとR5でもWhyteと鄭雨真君で23倍の連複的中。日本中央競馬会がスポンサー日ながらフジキセキ父とするフジサンライズ(七戦未勝)がR6(Class-4芝1600m)で不名誉などん尻。R9の日本中央競馬会錦標(Class-2芝1400m)は馬主W氏のSaint Thomas(父Danehill)が2.5倍の一番人気、馬主C氏のDashing Winnerも調教の時計良く期待するがSize厩舎のWinning Dragonが今年一月のレースからの長い休養で満を持しての登場であっさりと一着。STが四着でDWは着外。雨あがりすっかり晴れる。気分良く歯科治療のあとも切開の痛みも消え気のせいか手足の寒さや倦怠感もあまり感じず(競馬での大勝ちの所為も多分にあろうが)早晩にマンションの裏手を早足で歩きジムで軽く運動。雲なき空に三日月。帰宅して新華社サイト見ると江沢民君正式に軍委主席辞任しCoquinteau君が接受と報道あり(こちら)。中上健次の『紀州』途中になっていたもの読了。一九七七〜七八年に当時の朝日ジャーナル誌に連載されたもので余は『面白半分』だの『ビックリハウス』に傾倒していた時期で「朝ジャ」読んでおらず。中上健次と紀州、そして差別の問題。中上健次の一連の路地を舞台にした作品は差別は重要な背景だが、被差別の中にある同志愛=エロスが際だつ。連載の編集者であった千本健一郎によるあとがきに中上健次が没くなったあとの健次の母の言葉がある。まるで、といふかオリュウノオバの語りそのもの。
健次は、だいぶ以前から目が見えなくなっとった。死ぬ前の日の夕方やった。あの子をさすってやろうとするとな、こうして手をおさえて、いかん、わしがなでたる、ゆうて顔から手から背中から、さすってくれるんや。かわいい、かわいい、ゆうてな。手を吸ってくれたりしたんや。そんなこと、いっぺんもなかたのにな。
目の見えなくなった健次はねずみ浄土へでも行っていたかも知れず。ころがるおむすびを追って地底に迷い込んだ若衆はネズミたちのキンジニヤニヤ猫の声すればよぉ、ここは袋の御用ねずみよぉとかけ声で餅をつくネズミ。
▼香港大の民意調査中心によると立法会選挙で余&何から民主党(楊森&マーチン李)に流れた票は民主党の獲得した十三萬票の約五分の一、2萬6千票で、結果論だが民主党の投票日直前の急告なくとも民主党は2名の当選が可能だったわけで余&何も当選で香港島で民主派が6議席中4席獲得と報告。
▼陶傑氏が蘋果日報の日曜日掲載の社説がわりの論壇で「議事堂変身草莽論政茶餐庁」。梁國雄君の立法会当選はBBCやCNNで世界中に流れ、立法会はかつての「総督閣下諮問の行政立法両局」が御用弁護士、財界や医者といった各界の上流紳士の集いにてメンバーの大半が馬主、これに加わる華人の背景見れば「優生学的」に理解できるが、それが97年の返還後の「董人治港」(自治の「港人治港」の捩り)でかつての立法局がマンダリンオリエンタルホテルならば、今の草寇化、コミック化、嬉戯化された立法会はそこらの新?記茶餐庁であると揶揄。だがこれはけして悪いことに非ず、中国の胡錦涛&温家寶の新体制からすれば盲流、老工、貧農といった弱勢族群に配慮の「以民為本」に合致するものと陶傑氏。梁國雄君がなぜ当選したのかなど、この董建華の七年見れば、行政長官の独善ぶり、行政長官輔佐すべき政務司長は英国統治時代の名残りで無能、最高裁の判決は全人代に覆され、政府官僚はただの遣いの小僧となり、李柱銘が漢奸扱いされ、民建連は単なる親中御用政党、大学の学長は権力の附傭と身を落とし、行政長官の顧問が飛び回り、最後はラジオの名調子と民主党の「買春」候補者が中国に抹消される始末。「東方の真珠」と謳われた香港が今では香港の人に権威もなく、ここまで落入れば「長毛」梁國雄の当然も必然的、と。ところでやはら持ち上げられる民主派とは何か?と陶傑氏。民主党の党首楊森氏は選挙終わって一夜にして江沢民化し(言い得て見事)民主派と一括りにするが極左の梁國雄から極右は弁護士の梁家傑まで聚ひ、ラジオでの政治論評の鄭経翰のように財界とも話通じる「大班」当選では民主党の地位も萎縮も当然。民主党は本来、民主派の旗艦政党のはずがこの二十年、書生論のまま。かつての中国共産党が党創設の時代、本来は李大?や陳独秀といった理論派の知識分子により結党され瞿秋白や王明といった輩が書生抗争繰り広げるうちに蒋介石と国民党に追い込まれ清党の危機についに出現したのが毛沢東という湖南の草寇。梁國雄をば毛沢東だとまでは持ち上げぬが民主派弁護士団だの李柱銘や楊森をば書生派とするなら梁國雄の影響力が民主派をば書生らの中央から周辺化せせることもあり。それに加え自由党の田北俊が23条立法に積極的姿勢みせたのにもかかわらず董建華これを抵むも、これが政治藝術に造詣深き中南海からの下令だと思えば香港に惨禍もなし。市民は民主派も民主党以外の個性的な民主派を選び、董建華は民主派が過半数に満たぬのに敢えてそれに協調姿勢見せる。長毛が当選したからといって喜んでなどいられぬ。もはや立法化の混乱を不安に思うばかり、といふのが陶傑氏の感想といったところ。陶傑氏はとても英国的に書生でなき本当の教養ある紳士が全て弁えた上で治世に寄与せば民主主義という名の下での陳腐な混乱もシンガポール的な独裁も要せず、というところか。
▼日本職業野球で選手側がストライキに突入。かつての国鉄ストなど労働ストで「市民は迷惑被り不満」が典型と思えば、市民の支持が選手側に多く集まるといふ労働ストの歴史では画期的なことかも。しかも労使交渉にあって球団側は巨人「軍」とオリック巣除けばセ五球団は選手会の意見に賛成、パも日本ハムが最後まで選手会側と、つまり労使交渉で会社側役員十二名のうち半数が組合側のようなもの。「改革」強行派の巨人=読売といふナベツネ独裁の非常に旧態依然とした独占型資本主義とオリックスといふネオコン的、竹中平蔵的なネオ資本主義が鉄道やハム屋、チューイングガム屋を無理矢理従わせ十九世紀型と廿一世紀型の資本主義で改革といふ。アホか。

九月十八日(土)曇。南華早報が一面トップにてJiang quits last post, giving Hu full powerと江沢民君の軍委主席からの辞任が党内で調整がつき明日の四中全会終了で正式に決定。他紙はこの胡錦涛と江沢民確執をばかなり報道し続けた紐育タイムズ含めこの予測報じず。一九四九年の建国から初めての平和裡の権力委譲だそうな。登β小平から江沢民への権力委譲は天安門事件での趙紫陽失脚での緊急抜擢で保守派との確執ありけして平和裡とはいへぬか。何れにせよ嗤へるは江君の軍委主席から辞任の最終条件が党内部でのlegitimacyの保証といふのが中国といふ国の而も共産党政府での人事確執の怖ろしさ物語るばかり。Legitimacyの保証なる概念は非常に理解しづらいが党内部で幹部であれ死後に批判されたスターリン、国家主席でありながら自己批判の上惨死遂げた劉少奇、華国鋒などポスト毛沢東で登β小平への権力委譲に最適なようでいて存在が疎ましければ名誉失墜など易し。江沢民君が最後にこの利益保護をば冀ふことも納得。退くところは退き登β小平の如く無職位にて権力の更に一つ上に、といふ目論み。昨日の歯科治療で今朝は出血止まったが口もロクに開かず疲労感も残り午後まで外出せず、ふと思い立って隘き書斎は荷物多く余計な家具もあり月本さんぢゃないが片付けに勤しむ。十五年前に中文大学で拾った中国製の書棚と九十二年だかにハッピーバレーに引っ越した当時に買ったサイドボードをば手放し書籍も少し処分。どうにか歩けるだけの広さ確保。卓下の電源コードの類も整理。切り取ったままのスクラップだのも整理。午後晴れる。晩にランニングクラブの定例会あるが参加できず定例会に先立ち会場となる北角のホテル屋上のプールサイドにて夕方O君ら幹事と解暑に麦酒一飲。ガラス越しで鮮明でないがビクトリアハーバーにジャンク船走るを眺める(写真)Z嬢とFCCに待ち合わせ夕餉。ビーフストロガノフなど。夕方の麦酒一杯でもう飲む気もせずラッシ飲む。FCCから歩いて金鐘を抜けHK Academy of Performing Artsに向かふ。HKAPAならいかにも英国倫敦の王立APAの流れ組む名称だが中文名はいきなり香港演芸学院でこれだと吉本の漫才芸人養成所の如し。トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の公演。場内これでもかといふほどに西洋人と地場のやんややんやの男衆ばかり。老洋男に妾の地場の若衆といふカップル少なからず香港らしさか。バレエぢたいは一応きれいに着飾るが胸毛朦々のプリマドンナが白鳥踊るだけで笑えるのだが個人的にはオカマバレエではトロカデロと双璧のLes Ballets Grandivaのほうが個人的にはバレエ本来の器量として好きかも。急いで歩いた所為か疲労感ひどく観劇の途中に生欠伸絶えず貧血気味。幕間の休憩でZ嬢一人残り先に座を失礼し帰宅。遅晩に驟雨。広東省の日系の会社の工場で(なぜか管理職クラスがCitysuperのT氏など役職者ばかり)田舎出の女工に混じり情報データの入力作業に従事する夢を見る。トロカデロ・デ・モンテカルロのトラウマだろうか(笑)
▼九一八事変(満州、柳条湖)記念日。中国各地で九一八事変の記念行事。香港での総領事館に抗議団体デモあり。特に今年は日本の国連常任理事国入りについて強烈なる反対。第二次世界大戦の加害国であり大陸侵略への贖罪意識も正当な謝罪も反省もなき日本に常任理事国入りなど認められるかといふ理由と常任理事国は中国がアジアの代表として入っており覇権国としての意地もあり。成都だかで反日運動に参加する市民の前列にまだ十歳ほどの少年の姿あり。笑顔で日の丸焼く姿を見ればピンクフロイド的に悲しい限り。ふと二十年前にその柳条湖をば一人瀋陽よりバスに乗り継ぎ訪れた夏の日のこと髣髴。鄙びた村で住民に柳条湖の場所を聞き道を辿れば玉蜀黍の畑など近き草生い茂る荒れ地の一角に九一八事変追悼の記念碑あり。静かな何の変哲もなき農村のここに走っていたといふ鉄道線路の爆破で、日本の中国侵略の序となる大きな事件が起きたとは想像するも難しい辺鄙なる農村だった記憶。
▼梁國雄君、立法会当選議員の一人として正式に香港政府より十月一日國慶節の記念式典招待受け、これまで会場外にて打倒一党専政叫び機動隊と衝突の彼は抗議デモに参加してから國慶節に参加など思案だそうだが、ただ問題は参加者は「スーツ、軍など制服か中山服など民族服」とドレスコード決まっており梁君はいつものチェ=ゲバラのTシャツでは参加できず。だがそのゲバラが梁君のトレードマーク。たとえばチェ=ゲバラのプリントの背広とか。その國雄君、本日、董建華長官の一連の与野党議員との会談の最後にエミリー劉慧卿女史ら三名の議員当選者とともに董建華と会談。十五分の遅刻。遅れた理由は董長官に贈る漢詩のコピーだったそうで贈ったのは白居易の「杜陵叟」。
杜陵叟杜陵居  歳種薄田一頃余
三月無雨早風起 麦曲不秀多黄死
九月降霜秋早寒 禾穂未熟皆青乾
長吏明知不申破 急斂暴徴求考課
典桑売地納官租 明年衣食将何如
剥我身上帛 奪我口中粟
虐人害物即豺狼 何必鉤爪鋸牙食人肉
不知何人秦皇帝 帝心惻穏知人弊
白麻紙上書徳音 京畿画放今年税
昨日里胥方到門 手持敕牒郷村 「片」は「片」扁に旁は「旁」
十家租税九家畢 虚受吾吾免恩 「益」は「益」扁に旁は「蜀」
政府の厳しい徴税に貧困なる農民がいかに苦労するか、と香港の現状がとくに低所得層の市民にとっていかに過酷かを述べ会談でも董建華長官に辞任求めるが董君に贈呈の「杜陵叟」のコピーに作者を誤って杜甫と銘したのはご愛敬か。

九月十七日(金)朝、絶好の快晴。午後に曇る。養和病院の歯科にて李医師の執刀にて歯茎の種痘の切除手術といふほど大それたことではないが看護婦二人がすでに打合せで理解しているのだろうがテキパキと用意する道具が通常の歯科治療といふより手術っぽくゾッとするばかり。実際にかなり麻酔注射して歯茎切開し差し歯の根茎の腐った部分取り除き更に差し歯のネジ釘をば截断し新しい歯茎の芯となるべき金属差し歯茎代用の物質をば注入し歯茎を糸縫まで。目を瞑っていても李医師のその執刀の見事さ、機敏さは明らか。そりゃ町医者よか費用も嵩むが歯茎内部の治療でこれに不具合あらば次は大変なことになると思えば信頼おける名医にかかるは一理ありなどと思っている間に終了。切開から糸縫までで一時間余かかり麻酔で痛みはなかろうが疲労はないか、目眩いはせぬかと労られるが口腔内に違和感ある程度。いずれにせよ鎮痛剤と抗生物質の服薬で酒も飲めず切開部分からの出血避けるため過度の運動も避けねばならず悶々とするばかり。FCCでペリエ飲みこの日剰綴り新聞読み。Z嬢とIFCの映画館にてPedro Almodovar監督の“La mala educacion”観る。スペインの全寮制の学校の同級生二人に神父の絡む物語だが筋立てややこしくしすぎ後半はその説明に終わってしてしまふ難あり。劇中劇を余は好まず。映画といへば『小城之春』の田壯壯監督が棋士・呉清源氏の半生描く『呉清源』なる作品の撮影中と知る。呉清源役は台湾の張震を起用。何か派手好きな張震にどこまで演じられるか多少疑問もあり。かといって李康生ならカルト映画になってしまふか。さすがに麻酔切れると縫ったあとが痛みでないが疼き体力消耗も甚だし。歯茎の中に異物感もまだあり。帰宅して甘蕉だのプロティンだの流動食食し服薬して早々に臥牀。
▼香港の一人の娘がデンマーク出身の香港駐在のビジネスマンと出会い恋におちるがそのデンマーク人はデンマーク王室の皇太子。九五年に二人は結ばれ香港娘はデンマーク皇太子妃に、といふ現代のお伽話あり。ただ香港娘とはいっても九龍牛池湾の坪石邨の公共団地に住まい長沙湾にある貨物輸送の会社のOL、父親は九龍湾の茶餐庁の給仕、母親は坪石邨の惠康超級市場でパート勤務、三歳年下の妹は勉強好きで香港大学で政治行政専攻、一番下の弟は中学出てから旺角界隈でふらふらとチンピラ気取り、なら生っ粋の土着の香港娘ながら(←陶傑氏風の表現)彼女は父親が中英混血で母親も泰西の生まれ。香港らしいといへば香港らしい「混血」であるが、その皇太子夫妻が離婚、と今日の蘋果日報は「董建華23条立法暫定再考慮」だのKCRとMTRの合併統合問題でもなく、この離婚報道一面トップ(写真)どうでもいいニュースだがふと気になったのはこの皇太子妃の紹介で父の中英混血はいいが母親は「墺太利と波蘭の混血」と紹介。オーストリアとポーランドといふ国家は確かに別モノだしそれぞれ歴史もあろうが国境はチェコ挟んでわずか200キロしか離れておらずポーランドはポーランドだとしてもオーストリアといふ人種混成の国家にあって母親のオーストリア人である片親の出自などわからず。欧州中部の近代国家の国籍異なるだけで「混血」といふのだろうか。同じ200キロでも熊本と松山のほうが豊予海峡でよっぽど隔てられるような気がするが。我々の常識はわずか百年、二百年の時間で物事を理解してしまふ誤謬あり。
▼ブラジル訪問中の首相小泉三世、十二年ぶりにブラジルに移民の従兄弟と再会果し、サンパウロでの日系人による熱烈歓迎にブラジル日本移民史料館での演説時で感極まり激動得流男兒涙(←こういった漢文のこの響きのよさが日本語に訳せず)。小泉三世、日頃日本では我々の如き「かくあるべき理想像から甚だ墜落した国民」にばかり接し不満落胆多きところ遠きブラジルの彼の地で懸命に活きる日系人に日本人の気概かくあるべきと感無量か。首相の気持ち察すれば心痛きほどにその心中感じ入るばかり。
▼築地のH君より。H君の知人(在日二世)が米国より帰国し成田からタクシーに乗れば運転手が外国の話始め道々延々と「向こうの連中はタチが悪いからねえ」とチョーセンジンの悪口を聞かされた、と。商売が在日のあくどい手口に騙されて会社をのっとられ、そもそも連中は性格がねじけて悪質、奴らのおかげで日本は住みにくくなった……と。H君の知人はあえて在日とは明かさず「運転手さん、しかし日本人でも悪い奴はいるでしょうが」と返すと「いやいや、向こうの連中は、なんていうの?戦争のこととかで日本人に恨みもってるでしょ、だから日本人を騙したりするのは全然平気なんですよ。同じ人間なら、あんなひどいことはしませんよ」と言われたそうな。運転手氏は自分からトランクの荷物を玄関まで運んでくれるような善良な市民、その「屈託のない」差別意識(そして裏返しの罪悪感?)。毎日タクシーで客と接していても「お客さん、ひょっとしてあちらの人?」と確認してみることすら思い当たらぬ、ようするに韓国人とか中国人というのは、自分とはまったく別世界の住人で、身の回りにごく普通に生活してるなてことが思いも寄らなぬか。余が朝鮮人なるもの初めて意識に記憶あるは六、七歳の頃か余の近くで毎日顔合わす普段はとても優しき大人が糞尿の汲取りで市が依託のバキュームカーでの作業員に何か注文があり話し戻ってくると「あれぇは朝鮮人でまともに日本語も話せねぇんだよ、これがぁ」と笑ってその日本語のマネをせしこと。この余には優しき人がなぜこんな酷さあるかと鮮烈な記憶あり。

九月十六日(木)饒舌陽気なタクシー運転手たまにあり。無愛想よりマシだがたまにうるさいだけで新聞読み運転手の饒舌遮ることもあり。本日乗り合わせのタクシー運転手「ここ数日の大気汚染醜悪」と語り始め適当に相槌打ったが「董建華の手腕より大気汚染はもっとひどい」と(笑)。董建華の話から先日の立法会選挙の話題となり運転手民主派支持らしく余も「それにしても民主党のマーチン李当落線上の危機なる急告」に余も民主党に一票投じ結果的に何少蘭の落選につながった、と述べると運転手「それは大変申し訳なかった」と謝られ、よくよく聞いたら運転手は民主党の党友だそうな。今回は民主党は戦略で失敗したが終わったことは十分に反省し次回の選挙に活かすことが大事、今回の選挙で民主派に投票した市民を四年後の選挙までいかにつなぎ止められるかに挑むこと、と。車は余の行き先にと近づいたが運転手「さいごにあと一つだけ」と余が日本人であることに関して「中国人はすぐに第二次世界大戦での日本の罪について言及するが、けして日本人が憎いとか、日本を許さない、と思っているのではない。戦争は国家と国家の争いであり、人はみんなが被害者。第一次大戦でも、その他の戦争でも多くの市民が殺され悲惨な目に遭っており、その過去を活かしてこれからどれだけ友好的になれるか、が大切。ただ例えば日本の総理大臣であるとか政治化の言動、歴史教育の問題が浮上することで「まだわかっていないのか」という反発が起きる。中国の民主化や自由など国内問題もかかわっている。たんに反日とかでないことをわかってほしい」と力説。また偶然乗り合わせたら続きを話そう、と別れる。中環に用事済ませふと戯院里歩いていて「あ、この建物が」と徳成大廈がここだった、と思い出す。Des Voueux Rdの電車道に面した街路沿ひは今ではつまらぬ店舗並び当時の面影もないが戯院里の大廈入り口は重厚なモダンの装い、エレベータホールもかつての萬宜大廈彷彿させる重厚な落ち着いた雰囲気(写真)昭和三十年代、日本の総領事館や香港線飛び始めた日本航空が、仮オフィス程度のビルの一室からきちんと立派なオフィス構えたのもこの徳成大廈。帰宅して栗ご飯など秋の味覚。NHKのニュースで石破坊やと網貞次だったか米国高官会談し石坊は武器輸出三原則について日本政府は見直しを進めており政府内で年内にも結論出すと発言。厳密には日本にとって武器輸出は相手国が共産圏だのテロ国家だのに関係なく違憲のはずだが、今さらそんなことも空論なのだろうか。ヤクルトの古田は昼はプロ野球存続の重大問題に選手側代表として調整に当たり夜は試合で連日の大活躍。立派。昼は政治家並みに働き夜は野球できるのだから夜は密談しか出来ぬ小泉三世らよか古田のほうがずっと立派。日本からもらったビデオなど見ていれば「最も嫌われる女優対決」だかの番組あり、日本をながく離れているから余もとんでもない幻想抱いていること少なからず、余にとっては「パパと呼ばないで」から金八の頃の清純派のままでイメージが凍結している杉田かおるが杉本彩だかと、その悪女対決でとんでもない破廉恥女優ぶり演じており、そんなこと日本では常識なのだろうが、その姿に余は唖然としたままテレビ消す瞬間にニュースで董建華が23条立法をひとまず政治日程に入れぬ発言見て民主党もこれを歓迎で「杉田かおるの悪女対決の場合ぢゃない」と慌てて日刊ベリタに送稿(こちら)。
▼中国の異見分子で98年に中国民主党結成し懲役五年の判決受けていた徐光氏が刑期満了で釈放。刑務所でも毎年六四には絶食など抗議続け毒打、虐待など受け身体衰弱極まる。改革派と見做される胡錦涛君は四中全会にて西欧型民主主義は中国に適合せずと強調。現在の共産党主導下で民主的な法治、汚職浄化などは可能であり、民主主義には様々な形があり普通選挙、三権分立や多党制だけが民主主義でない、と。香港の立法会選挙についての国内での報道見れば結果も六〇名の改選が順調に実施され、と紹介し政党別の得票数や民主派の過半数獲得失敗といった具体的な報道は勿論なし。中国にしてみればシンガポールなど一党独裁で民主的社会実現可能の好例か。その中国相手に日本は中国をかつてのソ連、現在の北朝鮮に加え中国をこのまま経済成長続け軍事費の増大と軍装備の増強続ければ日本にとって軍事的脅威となる仮想敵国に指摘と日経の報道(これ)がこちらでも流れる。米国はブッシュ路線貫徹にせよ欧州もスペインの追米主義からの離脱や中南米とてコスタリカにて政府のイラク侵攻での米国支持を違憲とする最高裁憲法法廷の判決あり。その状況に比べこのアジアの不安定さは如何なものか。
▼武蔵野のD君より「はらっぱ祭り」の中止が決定と報せあり(こちら)。この夏は吉祥寺駅前センター街でのイラク人からの大麻購入の東大生が職質受けて現行犯逮捕されたり大麻撲滅盛んなようだが、このはらっぱ祭りも参加団体に大麻解放主張するグループがあることが中止の要因。この程度の「一部の市民」の活動など社会の多様性として含有できることが都市の都市たる力、それを大麻解放団体の参加程度で「近隣住民に不快感と誤解を与えた」といふ程度の思慮で異形をば排除して何が近代か、何が都市か。祭りで公然と大麻吸引でもしていれば現行法で逮捕されるのは法治社会として理屈も合うが、大麻解放といふ主張の弾圧は違憲。だが憲法すら国家政府がそれを蔑ろにして改憲に向かうのだから違憲などと語ったところで誰も気にもせず。而もそういった動きに危惧を表すのも数日前の朝日新聞に大江健三郎君が「せめて子供を社会包む闇から救いたい」と書いていたが大江ノーベル賞先生が「この人の言ってることもわかるけど、なんかこの人、ちょっと変わってるよね」と思われてしまふ程、大江センセイが社会から乖離してしまっている、D君は「誰かが不快に思うかもしれない言論は存在することも許されない」のが今の日本社会。許されるのはNHKのテレビ番組「難問解決ご近所の底力」に見られる、ゴミ処理やカラス問題、不法駐車などに「立ち向かう」社会道徳、倫理や正義?ばかり。
▼上述の中国の問題と二つ目の「難問解決ご近所の底力」に格好の事例が中国にあり。広州市海珠区で九月六日から十五日の衛生週間に市民に対してゴキブリとネズミの捕獲促し公共団体が「ゴキブリ1キロ二百元、ネズミ1匹三元」で買い取り実施。三歳の子供も参加し十日間で百二十キロのゴキブリと一万匹に近いネズミ死骸を収穫と。ゴキブリとネズミの繁殖力考えれば一部のゴキブリやネズミを数万匹捕獲したところで何の意味もなし。半世紀前も「大躍進」の頃か欧米並みに衛生的な新国家建設のため国家をあげてハエ捕り運動展開され党幹部もハエ叩きもって運動に参加の革命運動?あったこと彷彿。何も変わっておらず。
▼十月一日の國慶節には当日、香港でも記念式典あり。政府要人、在香港の党中央政府代表、駐港軍代表や各国総領事らと一緒に立法会議員六十名も参加。昨年までこの式典当日は警察のバリケードで会場に近づけず「平反六四」「結束一党専政」とシュプレヒコールあげていたトロツキストの立法会議員「長毛」梁國雄君が今年十月一日の國慶節名の一人として参加か(笑)。本人は招待も受けておらず参加未定。この梁君の当選は党政府方面もかなり気になるようで党政府の香港出先機関中聯辨の幹部は「もし議員が一党専制終結を叫ぶことは愛国愛港の意識なければ立法会議員の資格なし」と苦言呈す。梁君にしてみれば本人の愛国心高きゆへの共産党政府への非難。愛国愛港といふが実際には愛党。全人代常委の香港代表の地場ネクタイ製造会社オーナーの曽クロコダイル憲梓は梁議員に対して立法会に入ったら理性をもつて」と提言。クロコダイル曽といへば中国国内絡みの贈収賄で有罪受け親中派への転向で今日の政治的地位築いた人。それが「理性をもて」と発言(笑)。梁君の理性といへば選挙運動期間中に候補者討論会などで対立候補の自由党・田北俊君にバナナを見せ「これがスーパーマーケットと町の市場のどちらが高いか、値段がいくらか知っているのか」とピークにお住まいの億万長者が突然、新界東で立候補して庶民の生活の何がわかるのかと指摘し、田君は経済語るばかりで政治知らずと指摘。FCCでの討論会では田君に対してジョージ=オーウェルの『動物農場』のペーパーバック取り出して、その一節を朗読して聞かせるパフォーマンスにFCCの記者ら感嘆させもする。また「学者は知識はあるが智慧がない」と指摘したのは、同選挙区で立候補の「在任年数だけは」ベテランの黄宏發議員への当て擦り。黄宏發は無所属で時々民主派に与して政府に反対票投じることもあるが、それだけで、飲酒運転で警察には捕まったことも記憶せぬほど泥酔も有名、中文大学の政治学系の講師長年勤めるが講義で学生相手に「立法会では……」と内情話するだけの才器、梁國雄君の当選の煽りで今回落選。そういった梁君の言説が市民の間で「長毛はただの過激派じゃない」と評価されたのが事実。クロコダイル曽と梁君のいずれが理性的かは明白。また今回も立法会に当選してしまった中華総商会副会長の黄宜弘(写真)は、二十三条立法化反対で立法会取り囲んだ市民に車窓から中指立てる壮挙(〇三年七月十日の日剰参照)、立法会で居眠りが取り柄、は梁君や辛口政治評論で有名な「大班」鄭経翰君らが当選したことで「今回の立法会選挙で、もう誰も立法会に代表性がない(=民主的に推挙されてない)とは言えない」と皮肉を口にしたが、裏を返せば黄宜弘自身が中華総商会といふ地盤だけで議員当選でいつも本人の資質問われ、今回は個性派の当選で自分の推挙も合理的と言いたいのだろうか(笑)

九月十五日(水)曇。大気汚染劣悪。昨晩海老蔵襲名ドキュメンタリ番組のビデオ見ている最中に口腔内に違和感あり。七月に歯茎の奥痛み結局鎮痛剤と抗生物質にて激痛も退き、そのあたりを鼻下から押すと少し痛む程度。それが口唇裏返すと歯茎に小さな腫瘍あり押した時の痛みの原因がこれかとわかる。直に指で押しても水疱であるまいし潰せるわけでもなし。今日になり養和病院の歯科にどうせ二週間かそこら予約で満杯とタカをくくり電話すると今なら李「顧問」医師空いていると言われ直ぐに診療請ふ。李医師相変わらず歯科保険は今は入っていないのか、高くつくぞなどと軽口叩き“Anyway, thank you for your coming back”と医者にあるまじき態度(笑)。で腫瘍見てレントゲン写真で差し歯の歯茎見ると古い差し歯の為に歯茎内部で金属疲労かで炎症起きていると診断。差し歯抜いて内部を治療しもう一度差し歯つけられれば簡単だが余の二十年前だかに歯茎から根刮ぎ抜いて治療し15mmほどのネジで差した差し歯(しかもブリッヂ)では一度抜いたら差し歯できず入れ歯となるので歯茎切開しての治療、消毒などが必要と李医師珍しく神妙。簡単な手術ぢゃないよ、と。歯痛ないのは神経がないから当然としても細菌の影響で頭痛だの気持ち悪さなどないか?と尋ねられ、ここ数週間の悪寒だの倦怠感だと話すと「保障はできないが、たぶん原因はこれだな」と李医師。ガチョ〜ン。まさか七月からの歯痛が原因とは。「保障はしないが歯の切開手術してその悪寒だの倦怠感が直ればね」と。直ぐにでも手術したいが細菌が生きてちゃ再発が怖いから少し強い抗生物質渡すので数日それを服薬しての手術を勧められる。通常の歯科治療なら日本に戻るまで待って保険使って日本でだが、こればかりは待つわけに行かず。晩にハッピーバレーで競馬。三開催日好調続けたが今晩はR1でさくさくっと連複とったあとは絡むが配当に結びつかず。
▼珠江デルタ地区の「開発」に余念なき合和実業の社主ゴードン胡應湘君「立法会選挙で「長毛」梁國雄が当選でもしたら香港から移民する」と豪語していたが実際に梁君当選(笑)。移民するのか?とマスコミの質問にゴードン胡曰く「梁國雄が基本法守って議員規則に従って行動するのなら移民はしない」と屁理屈。

農歴八月初一。快晴。すつかり秋の気配。昼に食欲なく目眩こそあれ午後回復し身体の冷えもだいぶなくなり寧ろ靴のなかで足の蒸れる気すら数週間ぶりにあり。早晩にジムで筋力運動。晩にZ嬢録画のNHKの市川海老蔵襲名のドキュメンタリ観る。父の團十郎がまことに才気濫れる人だと感じる。海老蔵は踊りはいいがカメラだのインタビューアに向つて話と全く駄目。饒舌で話も軽く言葉数多いのは父親似だが父は頭のいい人だと思わせ時々長嶋茂雄的天然呆けもあり面白いが海老蔵は単なる横柄さに映る。役者といふのは而も尊敬するのが十一代目團十郎なら寡黙に芝居していればよろし。
▼一昨日の立法会選挙の結果。董建華は「良好(good)」で「令人舒適(comfortable)」と述べる。首相が自民党総裁の議院内閣制ならまだしも香港の行政長官が実質的に北京中央の信任制であると思えば直接選挙で択ばれし首長でないからこそ広く市民の支持が必要なわけで行政長官たる者、立法会選挙での政党の議席の多少にこう易々と感想述べるべからず。粗忽。
▼親中御用政党民建連、港島選挙区で民主党が李柱銘当選求める「告急」策略が上手く李柱銘と民建連の福建婆・蔡素玉の対決の仮象をば作り民主派支持者票をば民主党に集め実際には何少蘭の落選が蔡婆をば当選させる策略であったこと民建連が承認。ったく余もそれにまんまと騙された有権者の一人と思ふと悔しい限り。だがこれが選挙の面白さ。競馬ならこんなのは八百長。それが堂々と通じるのが選挙。
▼余若薇はこの「香港民主の父」李柱銘への多くの支持票について「このマーチン李への賛同は市民がいかに民主制を支持しているかの証拠」と積極的に理解。そうでも思わねばやってられまひ。
▼今回の投票では投票箱が一杯になり投票所で投票箱が開けられ投票用紙をば畳み直したり、選挙開票で朝の三時頃から三時間余り開票速報が公開されなくなり、その間、開票見守っていた候補者らは選挙管理の政府官僚と連絡も出来ず。不思議なことも少なからず。投票用紙については華君も日記に書いていたが見開きA3版のカラー印刷の投票用紙。記名性でなく名前と写真見てV印のスタンプ押す投票用紙は文盲者や選挙に連れ出され民建連に投票せよと唆された八旬の老婆には親切な投票用紙だが資源と資金の浪費。
▼この選挙について新聞の論評はSCMP紙は社説で民主派の落胆について現状でこの議席維持はけして悪い結果ではなく寧ろ中国政府の後押しや組織票で半数維持の保守派与党に対して冷静な現実直視を求め民主的選挙の完成は一日にして成らず、失敗も含め大きな一歩であるとする。信報も社説で、この選挙制度で民主派過半数ならず行政主導体制がじゅうぶんに維持され親中派が影響力もつ議席数保持できたことに「特区政府放心、中央政府安心」だが支持多くも議席とれぬ民主派と職能別枠含め議席維持容易な与党との間で力の均衡維持の容易な現状のシステムが維持できる筈もなく、これについては中央政府の楽観ありと指摘。比例代表制と職能別選挙枠で民主派勢力を打破して「愛国愛港」の議員が多数を占めるにせよ、今後、この比例代表制と職能別選挙枠といふ二つは要検討。中央政府にすれば民建連がついに悲願の第一党となったことで嬉しかろうが実際の得票率で民主派に六割が集まっており、自由党も政府与党ではあるが昨年の二十三条立法で見せた「謀反」ぶりなど資本家利益に敏感で自由党は北京との関係を見ながら無条件に政府支持でないこと。課題多きことを示唆。紐育タイムスも民主派の過半数確保ならずも議会では李Baby國寶や?培忠など中間派の動きなど考慮すれば今後面白い展開ありと述べる。だが最も大きな問題は朝日新聞も指摘していたが民主派のこの選挙対策での失敗での内部反目などであり、現在は立法会からは退いているChristine Lohも"This was a very selfish and stupid mistake, and it's going to cost them a lot of friendship"と述べている。まさにその通り。民意こそ後押しになったものの民主派、殊に最大派閥の民主党が実はかつての日本社会党の如く単なる反対政党で終わらぬためには試練の四年が始る。
▼劉健威氏が信報の随筆で「拒絶娯楽化」と題して中国の金メダル選手らに歌など歌わせ芸能マスコミが追いかけまわし挙句の果ては選手生命短い彼らに芸能プロダクションが娯楽圏入り唆す様に「李麗珊を見習え」と一言。九六年のアトランタ大会にて香港初の金メダル獲った李麗珊女史は香港に戻ってからも一人の運動家としての尊厳守り自己の私生活を大切にしてマスコミとも距離置いた日々。それを劉氏は理想として「香港精神」と呼びたい、と。御意。
▼08年のオリンピック開催に向け建築ラッシュ續く北京で二年越しの懸案であつた中央電視臺の新社屋建設承認される。總工費五十億元。高さ230mの八十階建て。たかだかテレビ局になぜ?といふ氣もするが一黨獨裁政府にとつて政府プロパガンダ放映の國營局の存在の重要性。建物はその象徴であるべきか。本來はテレビ局といふのはテレ朝の新社屋にせよ日テレにせよスタジオなど制作現場は扁たくあるべきで建物も高層建築で目立つ必要なし。フヂテレビは目立たなければならぬ社訓あり例外(笑)。NHKの放送センターも目立つのは日本代表する氣負ひもあらうが實際に高層建築部は音樂藝能だので、報道局や報道スタジオなどテロ對策なども考慮された部分は扁たい部分に地味にあり。それを考へるとこの北京のCCTV社屋は實際の番組制作よりも權威、象徴としての意味あいが強いものといへやう。

九月十三日(月)快晴。立法会選挙は民主派が最も憂慮された票配分の悪さ見せ香港島選挙区で最後の六議席目争いで何少蘭落選。新界東で「長毛」梁國雄君が六万余票獲得して「まさか」の当選。開票センターに現れた「長毛」は記者に囲まれ、とくに地場の女性記者が羨望の眼で長毛を見上げ海外マスコミの長毛当選への関心も高い、と開票センターにいた和仁さんより電話あり。早晩にジムで久々に鍛錬。肌寒さだけ残り未だにずっと上衣離せぬが体力はどうにか回復。FCCでドライマティーニ二杯。新聞の選挙分析記事読みテレビニュース見れば直接選挙枠で十議席期待したところ十二議席獲得の民建聯が大はしゃぎ。政党支持率ではジリ貧でありながら何故自らの予測より多く議席が取れるのか(笑)。和仁さんと蘭桂坊のClub64にて選挙談義。長毛、午後六時すぎにClub64に立ち寄ったそうな。長毛といへば当選した足で政府総部に選挙運営手落ち非難のデモするが普段なら建物入り口で入館拒否され守衛に抗議文渡して終わるところ議員当選ですんなり建物内に招かれ政府官僚が対応とか(笑)。久々に九如坊の九記にて牛南伊麺食す。FCCに戻り再び歓談三更に到る。
▼昨晩、灣仔の会議展覧中心にて「喜多郎」の演奏会あり。高級按摩椅子の企業協賛あり喜多郎の音楽ボディソニックにして楽しむのは一興かも知れぬがコンサート会場のステージ前に按摩椅子並べ按摩椅子宣伝のため芸人ら他の観衆の前で按摩椅子に寝ころび音楽聞く姿は珍妙といへば珍妙。
▼民建聯が予想以上に組織票で善戦。香港島選挙区の選挙結果興味深し。
民主党
131,788票
当選2:楊森(党首)、李柱銘 落選:黎志強
民建聯
74,659票
当選2:馬力(党首)、蔡素玉  -
民主派
73,844票
当選1:余若薇 落選:何少蘭
無所属
65,661票
当選1:范徐麗泰(立法会議長)  -
民主派
 5,313票
 - 落選:曽健成(阿牛)
民主派が民主党(楊森&李柱銘)、余若薇&何少蘭、阿牛(曽健成)で21万1千票(総投票数の6割!)を得ておりながら3議席。対して親中派御用政党民建聯はその三分の一の7万5千票で2議席。世論調査で余&何の民主派コンビが一時は4割の支持集め圧倒的有利と報道されていたが終盤で民主党の苦戦(第二位候補の争いで李柱銘と民建聯の福建婆・蔡素玉の接戦)が流れた結果、民主派支持の票のかなりが民主党救済に流れ(余もこの影響受けた一人か)結果的に民主党が13万票稼いでしまい李柱銘は5番目で当選、その結果、最後の6議席目を苦戦など予想しておらぬ何少蘭と民建聯の蔡素玉が争ひ、末席争いに賭けていた民建聯が組織力で僅か815票の僅差で競り勝つ。結果論だが民主派が汎民主勢力組織出来ていれば4議席取れて范徐麗泰と民建聯1となった筈。選挙結果見たマーチン李が自らの善戦喜ぶどころか何少蘭の落選に遺憾表明。それにしても親中派御用政党民建聯、中国政府の神仏に願掛けた「軍佛天金」支援、つまり
軍 軍神 8月1日の人民解放軍成立記念日の軍施設開放 市民参観
佛 仏教 佛誕節(5月26日)に陝西省の古刹法門寺の佛指舎利を香港で公開
天 科学 中国初の宇宙飛行成功で宇宙飛行士来港
金 運動 アネーナイ五輪の金メダル選手ら香港を優先訪問
ここまで至れり尽くせりの支援受けても投票総数の五分の一余の得票とは情けない限り。
日刊ベリタに富柏村の今回の選挙概説と「長毛」梁國雄君当選の記事あり。

九月十二日(日)立法会選挙。休みだといふのに朝六時過ぎに覚醒め朝刊読み七時半に近所の小学校に立法会選挙の投票。民主党のマーチン李柱銘君比例代表制選挙で党内序列二位で親中派御用政党民建連の二位候補と競り合いのためマーチン李君の民主党に一票投じる。投票了えてそのまま自宅の近くを三十分ほど走る。朝食済ませ漢方煎じて(写真)昼まで書斎片づけなど雑事。文藝春秋十月号で中島美代子の良人・らも追悼を読む。灘高三年のらもがジャズ喫茶で知り合った彼女をつれて実家の三軒隣の連れ込み旅館に入ってからアルコール中毒や鬱病の、周囲から見ると悲惨な、だが夫人からすればその心境は達観の一言に尽きる。午後ジムでかなり久々に運動。夕方Z嬢とIFCの映画館にて田壯壯監督の『小城之春』観る。観客に老男女多きはこの映画が中国映画の古典代表作1948年の監督・費穆、主演・韋偉の同題の作品のリメイクの由。二年前の制作で昨年のウェネチア映画祭で確かグランプリだか、香港での上映遅れる。この物語の際どさは男女の三角関係ではなく、抗日戦争で荒れ果てた小古鎮の没落した名家でのこの人間関係が、それが主題のようでいて、結果的に原作の映画がまさにその時代そのままだったのだが、映画完成の翌年に共産革命となり今になって思えばこの名家の若夫婦も夫の幼なじみで妻の若い頃の恋人であった上海の医者も、夫の実妹も、その四人がこの先の共産中国でどれだけ苦労するか、命落としていてもおかしくない、そういう運命を登場人物たちは知らず、観ている我らはそれを察すると物語性が高まること。谷崎の『細雪』があの時代を背景にしておらねば全く面白くないのと同じことかも知れぬが、谷崎以上に、この作品は原作制作の当時の上海は抗日戦争勝利後の国共内戦に恐々としていた時期の同時代作品であることが中国映画史上に残った理由。今回のリメイクは田壯壯監督が単調な物語を敢えて単調なままで徹底した美意識を映像に映し出し谷崎的な域に至る。会話など殆ど「上品な中国語会話基礎」といふ程に削ぎ落としたことも効果あり。FCCで晩餐済ませ帰宅。選挙投票は十時半まで続き即刻開票となるが見出すと徹夜になること必至で早々に臥牀し読書。
▼昨日のヘラルドトリビューン紙にスペインが米英協調のイラク征伐路線から鉄道爆破テロ契機にいかに判断が正常化したか(副題は“Spain gets back to normal”)を“Dark Back of Time”の著者Jaview Mariasが書いており、そのタイトルは“There is no such thing as a war on terroism”といふTANSTAAFL(There Ain't No Such Thing as a Free Lunch)捩ったものだが、There is no such thing as a war on terroism. There can be no such thing againgst an enemy that remains dormant most of the time and is almost never visible.It's simply another of life's inevitable troubles, and all we can do asa we continue to combat it is repeat Cervantes's famous phrase "Paciencia y barajoar": "Have parience, and keep shuffling the cards." と、国家が軌道修正できることの当然性。
▼十月号は衝撃リポートとして「タカラジェンヌと創価学会」。歌舞音曲の芸人が信心深く学会信者多きことも事実。今更なにがタカラジェンヌと創価学会かと呆れるばかり。ところでこの記事で一つだけ気になったのは創価学会(池田会長)と中国の関係についての記述。昭和47年の竹入委員長ら公明党議員団の訪中があり、これが実は田中角栄の密命で、この訪中団が日中国交正常化への条件持ち帰り二ヶ月後の田中訪中で国交正常化されるのだが、これが今日の自公連立の芽吹き、と、それはいいが池田大作君が昭和49年以降たびたび訪中し中国党政府要人との親交結び周恩来先生から送られた桜木は今も創価大学構内で大切に育てられ「その仁義を守ってのことか」「世界中で布教活動にいそしむ創価学会が、中国国内では一切布教活動をしていない」といふ記述。この「その仁義」とは何か、なぜ中国要人との親交が布教せぬことにつながるのか話に筋が通らず。これは説明しようと思えば中国には中国共産党といふ巨大カルトがあるからこそカソリックにせよ信者多くなれば一つの力として法輪功などそれに觝触すると問題になるわけで創価学会もそれがわかるから中国国内においては学術文化交流としているのではなかろうか。ましてやかつて日中のパイプ役となれた当時は白雲賓館を場所としての一定の役割もあったろう。

九月十一日(土)曇。気温廿五度とすっかり秋の気配。午前ある打ち合わせあり金鐘。キチガイの如き冷房にすっかり冷える。昼に馬券購入してから午前の打ち合わせ一緒したY君と中環のGrappa's伊太利料理店にて昼食。中環で写真の現像依頼したり文房具屋に寄ったりの雑用ですっかり時間潰してしまひ午後三時過ぎにハッピーバレーの北京同仁堂にてX医師に脈看てもらひ五日分の漢方調合受ける。一昨日T君夫妻にパーカー山の丘陵のホタル狩りの道筋教えたら一緒にと誘われ晩にT君の会社の同僚らZ嬢含め計八名で裏山に登りホタル愛でる。さすがに七月ほどのホタルおらぬがまだいくつもの澤には五、六羽のホタルおり時間遅くなり暗くなると飛び始める。二更にQuarry Bayのインド料理屋マザーインディアに食す。体調少し快方に向かふ。競馬はメインのR6広東譲賽盃こそ「一季に突然一勝する」Siroccoが見習騎手黎海栄君騎乗で103磅の軽量で28倍の大穴で勝利、余はDanehill父とするVisorhill堅いと見て抑えにSize厩舎のWealthy Treasureと1400mの距離は牝馬「女王」Elegant Fashionには短すぎるかと思いつつ三着入賞は捨てきれず、で結果はVisorhill落ちてSirocco、WTにEFと入り、このレースこそ落としたが、これも含め前半から予想がいい調子で配当にならぬが絡んでおりR7の連複45倍から最終3レース続けて連複当てて今季3開催日で好調。これが続けばいいが。
▼茨城県の元知事竹内藤男逝去。享年八十六。建設省の官僚にて自民党参議院議員経て七十五年に知事就任五期十八年。建設省出身ながらポスト石油ショックの七十五年は茨城国体開催、鹿島臨海工業地帯建造などが済んだ後の謂わば建設冬の時代。常磐自動車道と余り儲からぬ筑波研究学園都市の開発くらいが目玉であったのは寧ろ建設省官僚が地味に地方自治体の長務めるにはよい環境。休日など水戸の市街の百貨店で夫人の買い物に付き合い近所の寿司屋に立ち寄り気さくさもあり。結局は九十三年に公共事業に絡む大手ゼネコンからの贈収賄で逮捕され知事辞任。本人無罪主張続け一昨年末に本人の病気理由に公判停止。本人は茨城県鉾田の出身ながら知事辞任後は横浜に蟄居続ける。
▼プロ野球のスト回避。讀賣新聞政治部の辣腕記者ナベツネの絡みで政財界のお座敷に招かれ洗脳されたか長嶋茂雄君が「社会党が政権とったらプロ野球ができなくなる」と歴史的名言発してから四十余年。首相候補古田君の握手拒否だったが武蔵野のD君は歴史的な大争議も早くも労働側の不戦敗かと懸念。D君は今回の1リーグ制の発想をファンあっての見せ物なのに市場の無視にこれは国内市場を意識せずに済んだ大衆消費社会以前の、プレ近代の、19世紀的な経営思想(古河鉱業とか)の水準での発想、と。米国流のスマートさが売り物の「新」自由主義やら「新」古典派とかいうのが、つまるところ福祉国家以前のムキダシの野蛮な資本主義への先祖帰りでしかないとD君。さらにテレビのインタビューに新橋の烏森口あたりで答える会社員が労働者であり消費者である筈なのに「選手の立場もわかるけど、経営者の立場で考えるとねぇ」でモノを語るのも不思議。

九月十日(金)曇。連日老人の養生日記の如し……如しどころか養生日記。早朝に養和病院にて昨日済んでおらぬ排尿流動量検査。検査といふが実際には起床から小用我慢して病院に馳せ参じて測定器に我慢して貯めた小用をば済ますだけのこと。測定器反応して排尿流動量の数値記録する仕掛けながら疑問はあそこまで我慢すれば排尿に問題ある者でもかなり勢い良く用足せること。あれでは中年からの男性に多き残尿感など測定も出来まひに。昨晩より中薬煎じて飲み始め本日は悪寒まだ残り上衣外せぬし足の血行悪き寒さこそあれど手はだいぶ血行良く煖かさ感じる。早晩に昨日に続き北京同仁堂にて煎じた中薬受け取り。X医師が恰度診察室から出てきて手はだいぶ暖かさありと伝えると余の手を触りそれ確かめ顔色も昨日より良いと言われる。北角の市場。X医師に昨日勧められた羊肉湯のため買い出し。羊肉は市場に精肉並ぶは冬だけでこの時期は凍肉専門店で冷凍の羊南肉購ふ(1.5kgで17ドル)。葱は地場の細葱で一束1ドル。大料は八角。花椒は山椒の実のこと。八角と花椒あわせて四両でHK$5。それに米酒と余は好みで五糧液入れて煮込んで塩少々で出来上り(写真)天然のにがりと粗塩使ってみたが、養生湯であってけして美味いものに非ず。但し滋養強壮には効果あり。毎日一椀服す。多く作って毎日分を分けて冷凍しておけば宜敷。ところで昨日X医師の処方箋に「分成飽、保持飢餓感」とあり意味わからず現地民に尋ねてもやはり首傾げられX医師に意味尋ねれば単なる書き損じで「八分成飽、保持飢餓感」(笑)。腹八分目で空腹感より食欲沸かせ、なら意味通ずる。
▼香港ではすでに過去の記憶の彼方に逝つた映画『無間道2』が日本で封切り。出演俳優ら東京で封切り館でファンに対面するが本人らはすでに五、六本前の出演作品だろうか。最もコアなファンはすでに「香港まで見に行った」とか「VCD入手」であろうに。何故ここまで公開遅れるのか。
▼北京での共産党四中全会の開催期間中に北京市内から一掃された「上訪者」は3.6万人。上訪者とは単なる「お上りさん」に非ず地方で地元の共産党地方政府での腐敗であるとか不公平な行政手段や土地接収だのの不満だの地方で上訴できぬ(しても潰される)案件などその憤りをば直接中央政府に上訴せむと北京にやって来た人々で虎視眈々と政府主要省庁の建物や中南海の近辺にて党政府幹部への直訴の機会待つ人々のこと。中にはホームレスに近い者も少なからず。それを今回の党政府幹部集結の四中全会で目障りと一掃。しかも手段は支給された食事に睡眠薬混入など手段も下劣と中国人権観察団体の報告。
▼自宅郵便受に民主党のチラシあり「比例代表制で李柱銘危うし」と。港島選挙区は六議席で平均すれば100÷6で一人16.7%の得票となる。民主党は今回、党首の楊森を指名一位として前党首で民主党の顔であるマーチン李柱銘を敢えて二位にすることで民主派支持票の獲得狙ったが非民主党の民主派単独候補らの善戦もあり民主党の支持率は世論調査で24.6%と出ており、この場合16.7%で指名一位の当選は楽勝だが残りは7.9%でこれがマーチン李の得票となるため、現状では確かにマーチン李の当選は危うし。今回の港島選挙区を見てみると(こちら)民主派無所属コンビの余若薇と何秀蘭が支持高く保守派で立法会議長のRita范徐麗泰が健闘しており本来、大政党に有利な比例代表制は強力な単独候補が数名(選挙枠の三分の一)出た場合に比例代表制が大政党にとって不利に働く実例。親中派の民建連は中国政府の手厚い背後応援受けて一議席死守が限界。党首・馬力はいぜん廣州で癌の治療中。

九月九日(木)小雨。午後に養和病院にて「全身體格檢査」(←「人間ドックといふ名称よかマシ)受ける。朝七時以降食事不可は当然として運動出来る服装の用意だの必需五時間と前もって告げられ覚悟して出向いたが四年前だかに日本での検査では十数人が一グループで並んで待って検査受けて並んで待っての繰り返しだったものがたった二人の受験者で空港のラウンジの如き待合室(写真)にいれば「はい聴覚」「はい超音波」とさっさと済むが体力検査でトレッドミルで「12〜15分走ってもらいますが心拍数が168になったら止めるから」と言われ傾斜は多少辛い8%で、そりゃ多少は走っているのでそう簡単には心拍数も上がらず走り始めてもう15分だといふのに5min/km近くまで速度高められ、それでなくともこの十日ほど寒さだ倦怠感だで体調悪くジムすら避けているのに「いい加減にしてくれ」状態。検査開始からずっと「水を沢山飲め」と指示され何かと思ったら最後に泌尿器系の検査で排尿流動量検査なるものあり尿意じゅうぶんに催したら知らせてくれといわれ、そういわれると尿意など催さぬもので漸くこの測定にかかったが「最低、尿量が300ml必要で全く足りず」明日改めて排尿に参る破目となる。いずれにせよ検査結果は十日後にこの科の専門医に会ってのこと。日本での前回の「人間ドック」では(西暦二千年二月四日でこの日剰綴り始める数週間前)医者に「年齢のわりに肥満でもないし運動もされているようですが、さすが香港で美味しいものをお食べになっているんでしょうなぁ、肝脂肪だけがじつにきれいについている」と医者に笑われたこと思い出す。帰り際に更衣室の窓から見下ろせば芸能人だの話題多き方少なからぬ病院だけあって「ここが裏口か」といふ風景見下ろす(写真)記憶に新しきはアニタ梅艶芳の闘病と逝去にてマスコミの取材避けて病院入りも出棺も可。検査終わったがどうであれ手足は冷えひどく気温も廿五度と涼しいにせよ上衣着ておらぬと我慢できず養和病院では検査だけで薬くれたわけでもなし、その足でハッピーバレーの北京同仁堂に参る。同仁堂のX医師は余に何も語らせず黙って五分ほど脈測り続け「脈といふのは波の押し寄せと退きのように〜〜〜となるべきがアナタの脈は_ ̄_ ̄_ ̄_ ̄と脈の昇降が激しく手の冷たさ、皮膚の色からして血行悪しく年齢からして身体労るべき時期で養生すべし、運動も運動とは気の流れと関わるもので朝の新鮮な大気の中を散歩するなりが大切で室内で走るなど愚の骨頂(ジムのトレッドミルでの走りなど誰も告げておらぬのに)、煎じて寄越す漢薬を長期にわたり服用すべし、葱姜・大料・花椒・料酒で羊肉煮たスープ(湯)を毎日飲むこと、冷房など暑期の不自然な寒さを防ぐことなど語られる。但し一つだけ禅問答の如く難しきは「分成飽、保持飢餓感」との指示。暴食せず少しずつ食す(分成飽)と、空腹感あっての食欲増進(保持飢餓感)は、それぞれは大切と理解できるがいつも少しずつ食して空腹感維持といふのはかなり難しい気もする。調薬は時間要すが一先ず今晩と明朝のぶんだけは一時間もあれば同仁堂にて煎じて渡せるといわれ一更に煎薬受取り一服。半時間もすると多少手足の寒気退いた気もする。晩にシンガポールより来港のI氏に誘われT君夫妻とZ嬢と天后の西洋料理屋Poppy'sにて晩餐。無農薬野菜用いて結構な味覚の料理供される。値段もけして高からず。ところで天后に「ミモザ」といふケーキ屋ありZ嬢発見。それが天后の地下鉄站A1出口を出て留仙街にナントカ海鮮酒家といふ料理屋あり、この横にどう見てもマンションの入り口にしか思えぬ門潜ると中に四軒市場の如き地味な商店街あり、そこにこの秀逸なるケーキ売る「ミモザ」あり。それをZ嬢がT夫妻に教えようとこのビルに入ろうとせば夜はすでに商店閉り守衛おり扉の中覗くとこの守衛が「いないないば〜」の如き奇っ怪なる顔して見せ我らを笑わせ(意味不明)扉開けてくれはするが何故か北京語で私らに語り始め「ミモザってここ」とT夫妻に教えていると我らが日本人だのわかると突然ハナモゲラで意味不明だが大変に日本語のツボ押さえて日本語らしく聞こえる語感とイントネーションで日本語会話のマネを始め余りの秀逸さに手を叩いて大笑いする。漢方の薬のせいかこの二週間の手足の寒さと倦怠感が、鼻水だの咳が出始め普通の風邪の如き症状となる。籠っていた病の「気」がいっきに吹き出したような感じあり。
▼小説家、水上勉逝去。若狭に生まれ十歳にも満たぬ頃に京都の禅寺へ徒弟に出され日本海の風土と京都を舞台にした陰影に富む作風(朝日の弔報より)と言われる。陰影といへば醜聞など皆無の如き人ながら噂では大久保あたりの鄙びた旅館に好事家の集いあり、その云々といふような噂もなきにしもあらず。
▼中国の中央電視台(第4台)がニュース報道中に視聴者相手に携帯電話からのクイズ実施してロシアでの学校占拠テロ事件での死傷者の数は次のうち何人?と不謹慎なるクイズ実施。数百人死亡のフェリー火災事故が数行のベタ記事で報道され済んだことを廿年前に驚いたが状況は変わっておらず? 東莞の検事当局は先月買春容疑の現行犯で捉まえた香港立法会選挙に立候補中の民主党候補者につき現在「更正所」にて六ヶ月の更正中のところ投票日四日前の今日に買春検挙現場での本人の上半身裸の写真だの相手の娼妓の生理中で汚れたシーツだの写真公開。人権団体“Human Rights Watch”は中国政府の香港選挙への意図的な介入と憂慮を表明(こちら)……だがそんな「内政干渉」など聞く耳もたぬが道理。
▼香港の先端技術基地「サイバーポート」にてIT技術者らこの地区の就業者相手のCanteenに、このサイバーポート建設の拡張工事の工事現場の作業員が昼飯に来ることに対してサイバーポート側が土木作業員の利用を禁じる。職業蔑視。だが(以下、陶傑氏の如きことを綴るが)Canteenは「食堂」と訳せば簡単な気もするが、もともとは「酒保」で軍であるとか学生相手だの職場での「閉じた」食堂意味する言葉だが必ずStudents CanteenだのStaff Canteenとなるように「特定の」相手を対象に閉じられた場所の食堂を指す言葉。と思えばこのサイバーポートのcanteeenは肉体労働とは好対照の全く身体動かさぬIT小僧ら「だけ」が相手の食堂で「IT小僧らにしてみれば野犬の如き」作業員を拒否するのは生理的なのかも。
▼江沢民と胡錦涛の主権争いは、結果的に、江沢民が軍事委員会主席からの辞任表明し、江沢民は党と国家の安定考慮した結果、その辞任は否決する、といふ、非常に「大人らしい」作業によりひとまず確執は一件落着らしい様相。江沢民は辞任表明することで本人の国家主席辞任後の非難少なからぬトップとしての権威固執を躱し江派が江沢民辞任に反対してみせることで一定の党内基盤を維持。胡錦涛は胡錦涛で江沢民が辞表提出したことで江沢民の親任は得ており本人が党と国家のトップとして安定した地位にあること表明できた上で江沢民の軍事委員会主席からの辞任を否決することで江沢民をけして蔑ろにしておらぬ様に見せる……書いていて「伊藤昌哉が語る田中福田の抗争の真相」如くこの政治取引など実に下らぬ気もしてきたが人口十数億の隣国の政府のトップのこととなると嗤ってはおれず。
▼香港からマカオに向かった中国の金牌英雄ら。飛び込みカップルの郭晶晶と田亮の二人は夜中に遊園地「海洋公園」訪れ、閉園時間中に何かと思えば大手芸能プロダクション英皇集団による映画撮影現場の参観だったそうで、この二人、昼間は同じ英皇集団の宝石屋で買い物もあり、この芸能事務所との契約も噂される。国家はこの二人の更なる飛び込みとそして何よりも金メダリスト夫婦の優秀なる二世誕生を期待するわけで、産れるなり子は中国政府が水注ぎこんだプールに飛び込むようなもの。

九月八日(水)曇。昨晩読んでいた中上健次の文章に「カーステレオ」で聴く「カリブ海ジャマイカの音楽だといふレゲエ」の話あり。歌手はボブ・マリーという「若い青年」なのだが、中上健次が尾鷲から矢ノ川峠越えて「日本的自然が一層深く人びとの身体に入り込んでいる」こと感じる場所で「レゲエは呪文だった」と突然、レゲエについて語り始める。
レゲエは呪文だった。カリブがカリブである事、プエルトリコがプエルトリコである事、ジャマイカがジャマイカであること事以外には、音は希薄化される。歌の力は薄められる。レゲエは、強い。だが、ここはカリブではない。まだ海は熊野灘である。夜目に眠っている海は、人をひとたまりに呑み込むことは可能である。雨の多いここで自然が樹木に作用し、良質の檜材を産出させると、製材所のにおいをかぎながら思い、自然の中心、自然の核をさぐりあてたいとあらためて思った。尾鷲のこの製材所で挽かれる一本の材木を考え、解き明かすことは、『資本論』を私が書き上げる事と同じである。私はその自分の直感に、呻く。私には何一つ鮮明に視えない。レゲエはひびく。
レゲエ聴いて一服していたのだろうか、きっと檜の木の香がとてもよかったのだろう。晩のハッピーバレーの競馬。中国金牌選手らの来場にてR1で余が巫山戯て注目の「華心寶」はオッズ23倍だかで三着に入り複勝で7.3倍とやはり注目の価値あり。但し次レースで「亜州之星」はそう簡単に続かず。R5が中国奥運金牌英雄盃でレース前に金メダル選手らパドックに現れるがオリンピックの晴れの場では凛々しき選手らも同じ競技場でも競馬場ではパドックで競走馬見て口あんぐりで而もお揃いのジャージ姿では単なる田舎漢、土郷の娘の如し。R7(クラス3芝1200m)で一着の五五波(Fifty Fifty)七戦四冠二亜一季〇負は今年注目すべき四歳馬。今季序盤でもあるしオッズも見ずに調教具合だけに絞った結果そこそこの結果得る。
▼南Y島の住人のインターネット利用でソニー資本のプロバイダ“So-net”よりネット接続料としてHK$11,592の請求書届く。明細みれば月額HK$278で1970年にまで遡る請求(笑)。単なる技術的ミスらしいが70年といふのはネット黎明期、まだネット研究者間での簡単なテキストメッセージの交換だの米軍での情報中枢破壊攻撃に抗ずるために情報の共有化としてのネット、情報伝達手段としてメールのまさに軍事利用が研究し始った時期。さすがにソニーでも民間へのプロバイダ事業はしておらず、と笑われる。

九月七日(火)この南洋特有の、といいつつかつては赤道付近で発生すること多きHazeが年追ふ毎に香港でもHazyな日が増え始め今では夏それが当たり前のこととなる。自然現象のHazeに地球の温暖化や大気汚染など光化学スモッグ的な要素も絡まり事は深刻。すでに台湾でもHazeが多く沖縄いずれは九州と拡散する気配もあり(余の憶測にすぎぬが)。で何せ日本では平安時代にでもHazeな気候あらば美しき和語もあろうがもともと日本になき気候現象ゆへ端的な表現なし。辞書引けば「もや」だの「きり」だが実際にこのHaze見れば靄だの霧と呼べず。巧く「ヘイズ」に合う語でもあらば語呂合わせ出来るが「塀図」では建築設計の如し。意味でいへば朦朧とした霧で「朦霧」で「もーむ」と読ませるか。南洋で文豪サマセット=モームに掛けていたりもする。素直に「ヘイズ」と読めばいいぢゃないか、といふ気もするが「ヘイズ」ぢゃ日本語ぢゃ音が悪く「屁不出」で屁モ出ズ。で今後「朦霧」と呼ぶこととする。ここ十日ほど疲労感倦怠感解消されず掛かり付けのC医師はインフルエンザの初期症状でないかと診断され服薬したが一向に癒らず日曜日に針山の登りでこれまでになき疲労感あり微熱もないが手足の悪寒だの老人特有の症状あり。養和病院で外来の診断受けるが医師も風邪でもないし兎に角、と血液検査せば肝炎だの血液の異常もなし。全身検査、所謂「人間ドック」(←感性なき嫌な言い回し)受けるよう勧められる。病院の帰りに乗合バスで大坑道抜ければ乗客が皆、車窓から眺めるは何かと思えば香港大球場にて今晩は中国の金メダリストら出演の一大祝賀イベント。帰宅してテレビつければ4チャンネルのうち広東語の2チャンネルは生中継。いきなり人民解放軍の陸海空三軍の兵士らの行進で始り国旗掲揚。軍。何故だ? スポーツ。そうか。歓声。国威発揚。最高。週末は立法会選挙……このままこの感動綴れば『踊る地平線』の谷譲次の気分。でこの祝賀企画は何をするかといふと金メダリストが歌う(笑)。筆頭は卓球の男子ダブルスで決勝戦争った中国と香港の金銀四名が一緒に「真心英雄」なる歌を広東語で歌ふことから始る。各種スポーツでは世界一かも知れぬが懸命に歌ふも歌の音程も本人らの音域に合せておらず而も慣れぬ広東語で可哀想に。で地場の芸人が歌ってまた金メダリストが歌って「オリンピックではプレッシャーはありませんでした。中国のそして香港の皆さんが応援してくれていると思うと不思議に……」とか「中国人」「中国魂」といふ言葉が幾度も語られる。司会も高揚してMCは「香港にこんなに沢山の金メダリストが集まるのは初めてのこと」と、そりゃ当然。ちなみに明晩は今季のハッピーバレーの初競馬。第1レースは取って付けたように「中国奥運金牌英雄盃」といふ冠レース。金メダリストが競馬場に来臨。このレースどうでもいいクラス4の芝のマイル競走。ドゥルーズ騎乗のMagic Touchに期待したいが昨季初戦以来六戦六負の「華心寶」なる馬、中華の心の宝といふ名前が「いかにも」で験を担いで、これか。第2レースは「亜州之星」とか。日本は台風18号来襲。台風の強風吹き荒れる市街に人が風で飛ばされそうになりながらも女子高生など「いやーん」といふ笑顔で走り抜け水に車体浸かった自動車が何台も走りバスも運行されているを見れば香港ならカンペキに8号警報発令で数時間前から市街に人影もなくホームレスすらシェルターが開放され静まりかえる防災体制からするとかなり不可思議な光景なり。ところでNHKの音芸での不正経理問題にNHK内部の調査結果発表。経営「御用」委員会の代表は「今後こういった事態を招かないよう海老沢会長を中心に……」などと述べるが会長海老沢君が引責辞職すべき。かつて島ゲジが会長の頃、政治部記者上がりの島ゲジ登用が最悪人事と揶揄されたが今となって思えば現会長よりはマシ。鮫脳の森君が最悪と思われ今になれば「クラゲの脳味噌」よりまだマシ、と同じことか。世の中どこまでよりひどくなるものか。服薬し早寝。

九月六日(月)夕方に驟雨あり坂の雨水の流れ瀑の如し。晴れて珍しく走ろうかと自宅に戻ったが恰度マンションの下に窓枠工事注えの老職人おり風呂場の窓枠の不具合あるを思い出し修理依頼。早速の十数分の修理で金具代含めHK$60は高いかも知れぬがマンション入り口の生け垣の傍らに一日じっと坐って一つ二つの仕事のはず。紀伊国屋より『江戸東京芸能地図大鑑』届き早速聞き入る。ノートブックのHDに複写してこれで何日でも何処でも文弥の新内だの五郎治の長唄で助六だの聴けるとは感慨無量。初めて聴く肉声多く十五代目(羽左衛門)の直侍など名調子と云われるが音源では一本調子。レコード吹き込みで舞台の名調子とは異なるのか。四代目の尾上松助、昭和三年に没くなった名優の源氏店が聴ける喜び。桂文楽師匠の明烏、なんていい調子で文楽師匠のちょとなよなよした感じで廓話が艶帯びる。思わず菊正宗を湯飲みで南京豆つまみ文楽師匠に聞き入る。唯一残念なのは落語の音源にお囃子なきこと。また台風が九州に接近と地場のニュースでも報道されNHKニュース10見るが冒頭から職業野球合併問題で選手会ストライキ辞さぬ決定といふニュースが続き台風情報は番組開始から十三分後。その職業野球ストについて首相小泉三世は「こうなると、ますます大リーグの方が面白くなっちゃうよね」と発言。ヤクルトの古田を首相に!。
▼マイレージのクレジットカードからの獲得ポイント移行がキャセイパシフィックのAsia Milesにアメックスからは随分と前にネット上で自動化されたがスタンダードチャータード銀行のマスターカードからもネット上で出来るとわかり七千哩分を移行試みれば容易に出来た筈がふと思えば名前だの連絡先電話番号は入力したが肝心のAsia Milesの会員番号入力しておらずどうしてポイント移行できようか銀行に電話して確認すると須臾待たされた結果「数日以内に担当者がお電話でAsia Milesの番号など確認します」との説明ぢゃ自動化どころの話でなし。キャセイパシフィック航空といへば先日そのマルコポーロクラブに入会。
▼中国のアテナイ五輪金メダル選手ら来港。董建華自ら空港に歓迎の大騒ぎ。明日より香港とマカオにて表演は数ヶ月前の宇宙飛行士と同じく国家的英雄の北京上海に続く来港は中央政府の優先政策。問題は中国の国宝である郭晶晶と田亮ら飛び込み選手が表演の九龍公園プールは赤虫沸き閉鎖して清掃消毒中、政府衛生署は飛び込み表演に問題なしとするが。どうせなら青馬大橋から郭晶晶と田亮が世紀の飛び込み、とか。選手らは超過密日程ながら来港して数時間後にはすでに尖沙咀でお買い物もあり政府のご褒美でもあり。

九月五日(日)今季の競馬開幕。日差し多少厳しいが競馬日和。パドックの有蓋工事未だ終わらず。開幕日恒例の行政長官杯といっても董建華来場は97年から二年だけ。競馬場に詰めかけた熱漢の紳士的な罵声浴びるは必至で姿も見せぬが恒例。例年代理役の曾蔭権政務司長も野犬の群れに放られるを恐れたか財政司長唐英年君ら来場。行政長官杯は02/03年に鳴り物入りでデビューしたわりにパッとせぬがすでに五歳で安定といへばいいのかThe Duke(星運爵士)が本命の五冠二亜〇負の芙蓉鎮を二位にして優勝。写真は日曜日にリトルマニラと化す中環のフィリピン女中対手の携帯電話屋のセールス風景。FCCに一飲。中上健次の紀行本『紀州』少し読む。「牛を虐殺する者は、それを生命を持った牛としてとらえ屠殺する(略)。牛は苦しさにあがく。あがくことによって体内から血が出る。従って、われわれの口にする牛肉に血の味はない。牛肉のみならず豚もニワトリも血を抜く。山で狩ったイノシシの肉が、くさみがあり荒い味がするのは、往々にして血抜きが不十分だからだ」と。馬の鬣で芸者の鬘を作り尻尾から毛を抜いて弦楽器の弓を作る。肉のついた尻尾の生臭い臭いただよう作業場で尻尾は塩漬けにされ尻毛に虻が集る。中上健次の筆は小説に比べるとこの随筆のような紀行文はたどたどしくすらある。それは、紀州の、そして出遇った人々のエネルギーに中上健次ですら負けそうで、懸命にそれに立ち向かって書いているといふことか。
▼台風多く浅間山噴火や地震など天変地異少なからぬ日本。こういった場合に古来日本では元号改めるなど易断は必須。平成も長引いた不況だのあり元号改め総理を交替させるなども一考とか。
▼陶傑氏が蘋果日報日曜版に「雅典奥運會留給中国的難題和挑戦」といふ文章あり。雅典でのオリンピックは希臘が西洋文明の発祥の地でありオリンピックもこの地に生れ現代のオリンピックが博愛、平和と寛容に基づくものであること世界に改めて告げたのに対して中国は張藝謀の「八分間で世界を震撼させた」閉幕式での発表もさることながら、問題は張藝謀の発想の貧困さではなく、中国が08年のオリンピック開催で“Welcome to Beijing”といふ合い言葉と中国がいくつ金メダルが獲れて世界に中国の成果を見せつける以外に何ができるのか?が問題と指摘。ハード面では具体的には北京の大気汚染や十数万人に及ぶ観光客を受け入れた際の会場と市内を結ぶ公共交通の問題があり、ソフト面では日本など「敵国」チームに対して罵声を浴びせ喧嘩売るような態度をどうするのか。雅典では閉幕の式典で希臘の古代の農民が春耕秋収の豊饒をテーマとした表演を行ったが、中国ではこの農民といふ階層こそ経済発展での大きな鍵となっており、とてもオリンピックでの表演のモチーフにできるようなものでなし。総じて、08年北京大会に向けて欠如するは「文化的主題」であり、金メダルがいくつとれるか、よりこの主題の検討こそ最も大切と。

九月初四(土)友人らとの二週に一度のトレイルの練習。黄大仙よりタクシーにて慈雲山の沙田凹。獅子山に登れば昨日よりの澄み渡りし大気にて香港島までの絶景(写真)に暫し見惚れる。Beacon Hillにてふと思い出すは小学六年の頃だかBCL流行り短波放送聴いていた折にBBCの放送が香港のBeacon Hillなる山の中継局あったこと。当時その遠き香港の山上の中継局のアンテナの横を幾旬経てこうして歩いていることに感慨もあり。野猿多き金山。かつて広東より香港占領企む日本軍対手に英国軍が九龍攻防の激戦地。今も高射砲跡地など残る。山徑にてばったりと同じランニングクラブのメンバーらに遭遇。ここ数日の忙しさか晴れ間の日差しに疲労甚だしく針山はどうにか登るが草山への道(写真)も歩くに厳しく草山へを諦め迂廻し城門水塘(写真)。ここ数日の驟雨に水塘も濫れむばかりの碧水湛へる(写真)。城門水塘のダムまで戻る。ここまで五時間半、十八キロほどの道程。ミニバスにてTsuen Wanの市街に戻る。とにかく冷えた麦酒をと和民(和民についての推考は昨年七月八日の日剰にあり)といふ案も出たが土曜日の午後三時過ぎに満席にて然も居酒屋の筈が酒など飲む客おらずファミレス状態でとてもとても。地下鉄駅前のコンビニにて500mlの罐麦酒をば立ち飲みし兎にかく喉の渇き癒し路徳圍Tuen Hing Pathの山西刀削麺店(写真)。山西名物の刀削麺食す前にまだ麦酒飲みたく「持ち込み可」で麦酒のツマミに頼んだ東坡肉とクラゲも格別。そのクラゲが山西名産の黒酢和えで刀削麺にこの黒酢の残りかけるとこれもまた秀逸。香港島に戻り近所の銭湯。帰宅せば夕焼けがピンクフロイド的な美しさ(写真)。テキーラを橙汁で割り一飲。蕎麦茹でて食す。晩にテレビにて宮崎駿『千と千尋』の放映あり。いろいろ雑事済ませつつついつい見る。話のあちこちで余には筋だの符丁意味するとこのわからぬ点多し。細かいことにいちいち着目する必要もないのであろうが結局、何の話なのか、主人公の女の子の活躍であるとか成長といふことなのだろうが。

九月初三(金)昨日に続き昼前に雷鳴轟き驟雨あり。午後雲ひとつなき晴天。すでに秋風心地良し。早晩に邦人史史料編纂の会合あり日本人倶楽部。終わって関係者にて日本人倶楽部屋上のビアガーデンにて納涼の宴あり。和仁さんお招きするがきちんとこの史料編纂のことについて和仁さんの感想等お聞きできず失礼の限り。昼の驟雨のおかげか大気澄み渡り何日になく鮮やかなる夜景楽しむ。

九月初二(木)午後驟雨ののち雲一つなき快晴。晩に薮用ありK氏とShau Kei Wan望隆街の越華會海鮮小館にて食す。美味。繁盛する店の味は当然として店の者のその愛想のよさ、接客の気配り。帰宅。疲労甚だしく湯につかり早々に臥床せむと思いつつふと電脳立ち上げればマイクロソフトのセキュリティ強化の更新パックなるものの自動更新始まってしまひ世界で何千万、下手すると何億かの者がこの更新に勤しんでいるかと思うとそのマ社の寡占にただ恐れるばかりだがなかなかダウンロード進まぬ上に恰度無線LANにてつないでおり余計に時間かかり早寝の機会逸す。
▼十一月歌舞伎座の顔見世。廓文章の吉田屋。雀右衛門の夕霧に伊左衛門が鴈治郎。京屋の夕霧は京屋の年齢考えるとここで見ておきたいところ。それにしても顔見世で京屋、中村屋に播磨屋、松島屋は揃ったがそれでも多少寂しいかと思ったが築地のH君は十年後、二十年後に松緑、孝太郎が大看板の時代想像してみれば今などそれに比べ、と。確かに。
▼半世紀に一度ほどメール届く畏友O氏が、今回のアテナイ五輪での中国大活躍でかつて「東亞病夫」と嘲笑されたる中国が世界注目の場でここまで、と感無量の喜びの言説多きことにつきこの東亞病夫なる言葉ブルース・リー映画の影響か、この言葉、中国人侮辱するがため日本人使い始めし言葉と思われもすれば実はこれ日本人の用い始めに非ず実は一九三六年伯林五輪に参加の中華民国が多くの選手送り込みメダル獲得皆無にシンガポールの新聞がそれ風刺の漫画掲載し題名が「東亞病夫」だった、とさ。とO君より陶傑氏『都市日報』に書かかれた文章の紹介あり。武術の力不足罵られし中国が奮起して勝つ、といふ点で今回の「大活躍」でのこの「東亞病夫」の用法は実に正しいのかも。ところで信報の社説がアテナイ五輪閉幕式での北京2008の八分間の演出の「低級趣味」の「失敗」につき張藝謀でダメなら香港の文化界この本番の演出に貢献しては如何か?と。香港に張藝謀に勝るまどの演出力あるかどうかも疑問だが社説で取上げるほどのことかと信報ですら北京五輪へのこの意気込み。

九月朔日(水)香港の学校の一年の始業日であり毎年通学時間にバス運行大混乱あり。北角(写真)のフェリー埠頭のバスターミナルで政府運輸署の副署長だかがバス運行状況の視察するのに遭遇(写真)。今年は例年にくらべ渋滞など少なし。晩にFCCで歴史家の和仁廉夫氏、某通信社支局長氏(某っていっても共同と時事しかないのだからイニシャルも出さず)と週刊香港の元編集長の畏友K氏と四人で(なぜ和仁さんだけが実名なのか、ご本人が著作もあるということで)歓談款語三更に至る。それぞれ文章発表される媒体のある方なので歓談の内容はここに誌さぬが、昨晩の二時間睡眠での朦朧も忘れるほどかなり「なるほどそうだったのだ」的な有意義な意見感想のやりとり。だが和仁氏が日本にありながら余など比べものにならぬ程に香港はじめ中国台湾の政治から歴史まで熟知されていることに敬服するばかり。
▼東京都の職員の某氏よりメールあり。余の度々の東京都知事に対する罵詈で今さらながら先月末の日剰に「余は東京ファシス都と書いているが厳密には東京ファシス都知事であり東京都の職員でも都民でも良識ある人がいるわけで容易に東京ファシス都などと呼ぶのは失礼かとふと思ふ。もちろん東京都の教育委員会のようにもはや完全に都知事の色のついた部署もあるが。」と述べたが、これについて、氏より「色のついた人は圧倒的少数です。彼の「ファシス都」はパフォーマンス色もだいぶ強く、そのことは皆十分承知してます」と。そうであろう。公務員といふのはトップが極右ファッショであろうと無責任男であろうと自治体の運営するもの。「アレが今度はこんなことやってるよ」で「まったく」と笑ってすませるのかもしれぬ。東京都民も同じかも知れぬ。その良識は信頼されるべき。だが問題は、内部で大気汚染対策とか財政改善とかどれだけの努力があっても、国家に隷属する地方自治体でなく自治体としてやることはやる、国と戦う、とかそこを見ればかなり意味あり、だが、石原慎太郎といふ人が日本の首都の知事であることでその都知事の言動が明らかに日本のある多数の世論を代表するもの、として外部からはとらえられること。実際の自治体運営とファッショ的発言は別と思えるのは内部で、外部では三百万票得た都知事とかなり信条同じくする、或はホンネでは知事に共感する都民がいるからこそ、あのパフォーマンスで解任もされない、と映る。豪州の白豪主義のPauline Hanson女史や仏蘭西のルペン氏など日本から見てみればわかること。Hanson女史にとって我々は迫害すべき敵と思われる、と感じるから。それが中国人からすれば石原の存在。
▼中国のオリンピック史
1922 中華民国で初のIOCメンバーが選出されIOCも中国を認可。
1932 ロサンジェルス大会の百米走に1名の選手が参加。
1936 ベルリン大会に7種目54名が参加。
1939 二代目のIOCメンバーを選出。
1947 親共派のShou Ti-tungが三代目のIOC委員に選出される。
1948 倫敦大会。5種目26名が参加。
1949 中華人民共和国成立。
1951 中華オリンピック協会(COC)の組織が中国から台湾(国府)に移設。
    IOCはこの台湾に移ったCOCを正式に認可。
1952 中共とと国府がそれぞれヘルシンキ大会への参加表明。
    IOCは中共の参加も認め国府はそれに抗議に参加拒否。
    中共より40名の選手参加。
1954 IOCは中共のオリンピック協会も認可。国府も認可維持。
1956 北京に残ったままIOC委員であるShou Ti-tungが国府のオリンピック協会のIOCからの脱会決議を求める。
    IOC会長Avery Brundageが拒否。中共は抗議のためメルボルン大会を参加拒否
1958 中共がIOC及び全てのスポーツの世界的組織から脱退。
    Shou Ti-tungはBrundage会長を「米国帝国主義の下僕」と罵りIOC委員を辞任。
1959 共産陣営のIOCメンバー国家から圧力かかり国府がCOCの名称使わぬことが決定される。
1960 ローマ大会に国府は「台湾(フェルモサ)」の名称で参加。プラカードは“Fermosa”で「抗議中」とも表示。
1971 IOCは中共のIOC復帰承認。但し国府の加入はそのまま。
1976 モントリオール大会。
    カナダ政府は中国は一つといふ政策で国府が「チャイナ」の名称使用を認めず。
    国府の青天白日旗及び中華民国国歌の演奏も認めず。
    台湾選手団が開会式前日に抗議の帰国。
1977 IOCのキラニン会長がモスクワ大会を前に北京訪問。
1978 スペインのIOC委員が北京訪問しIOCの中共承認を示唆。
1979 IOCは中共がCOCとしてIOC復帰を議決。
    国府側は中華台北オリンピック委員会となる。
1980 中国が冬季プラシッド湖大会に参加。中ソ対立からモスクワ大会は参加拒否。台湾も西側としてモスクワ大会参加拒否。
1984 ロサンジェルス大会。中共が中国代表として初の参加。
    金メダル15個で金メダル獲得数では4位。
1988 ソウル大会。中国は金メダル5、11位。
1989 COCが2000年大会の北京開催を画策と発表。天安門事件。
1992 バルセロナ大会。中国は金16、4位。
1993 シドニーが2000年大会の開催地に決定。
1996 アトランタ大会。中国は金16、4位。
2000 シドニー大会。中国は金28、3位と躍進。
2001 08年が北京開催と決定。
2004 雅典大会。中国は金32、2位。
    台湾が76年モントリオール、80年モスクワの2度除き1932年からの連続参加で悲願の金メダル(しかも2つ)を得る。
▼2008年北京五輪のメインスタジアムの完成予想図見て、何なのだろう、と思ったが、これはコンセプトは「寒天」だと思えばよろし。まず1のオリンピックスタジアムが素材としての寒天、で3のスイミングセンターが加工された寒天、で2の室内スタジアムがカビがはえた寒天、というわけで。
▼香港バプティスト大学の運動系の教員が香港は基礎体育文化と政策が欠如と指摘。オリンピックで活躍できるレベルの運動員の養成に向けてのこと。だが国家だからこその運動技能養成が必要、可能なのであって「たかだか地方都市」のレベルで誤解甚だし。寧ろ才能ある者を国家に送り込み養成してもらうほうが得策ではなかろうか。
▼オリンピック熱冷めやらず。六日には中国の金メダリストらが来港。宇宙飛行士と同じで北京、上海に続き香港特区重視。当然、愛国心高揚が目的に他ならず。その際に国威発揚歌『世界第一』熱唱と新聞にあり、何の曲かと思えば、00年に李小鵬らシドニー大会の中国金メダリストがこの歌を歌い収益を眼患者の治療費に充てたとか。
世界第一 

走在世界最前面 那裏才有明天 
Ni的掌声向這一辺 
我的一点光栄 来自Ni的驕傲 
這様才会贏得漂亮 
已経做好準備要拿走第一 
看 中国国旗瓢揚 
回来的礼物是世界第一 
不可有在一個人失望 
痛苦中有快楽 絶望裏有希望 
因為有Ni在身旁 
Pao在他們之前 涙水掉在後面 
要全世界都看見 
贏了所有友誼 帯給国家光栄 
開始精采的明天 

Niは「人」扁に旁は「尓」で「あなた」、Paoは「足」扁に旁は「包」で「走る」

世界でナンバー1 (訳:富柏村) 

世界のいちばんトップ走れば そこにこそ明日がある 
みんなのトップ走ろうってのも  
キミの応援があるからなんだ 
だからステキに勝つことができる 
もうトップ走る準備はカンペキさ 
ほら見てごらん 中国国旗がなびくのを 
持ち帰るプレゼントが「世界のトップ」さ 
誰一人だって失望はさせられない 
苦しみの中に喜びが 絶望の中に希望がある 
キミがそばにいてくれるから 
みんなのトップ走れるし 涙は後ろに飛んでゆく 
世界のみんなと出会って 
みんなの友情勝ち取って そして中国に栄光を 
すてきな明日が始まるのさ 
 

キミが世界でナンバー1になっても他の誰も喜ばないかも。国家主義、覇権主義。この歌詞での「きみ」は「同胞」であり訳詞で「みんな」としているが原詞では「彼ら」と実際には非常に排他的な競争観。たんに恋人をまえに他の誰にも負けないよ、ならいいのだが、歌詞で露骨に中国国旗がなびいて中国に栄光ぢゃ歌詞に品なし。

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