香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!

  緑色のものを何か、布でも紙でもいいのですが窓とかに貼るだけでいいのです。イラク侵略、占領継続中。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


四月二十七日(日)晴。走行会にてWilson TrailをQuarry BayよりStanleyまで歩く企画ありZ嬢も参加ゆえ朝Quaryy Bay Jogging Trailまで同行、一行と別れ3kmほど走り帰宅。昼に沙田競馬場。バスに乗るとキャンベルスープの内装(広告)がすごいキッチュ。三月中旬のダービー以来一ヶ月ぶり。2003年のWorld Champiion Seriesの緒戰飾るQE II Cupにて昨年の覇者エイシンプレストン再来なのだが疫禍あり日本からの客は少ないようでプレスルームも大幅にこじんまりとしていたが月刊『ハロン』の編集長S氏に邂逅。月本さんだの放送作家のA氏やいなご社長ら常連は今回は来港しておらずS氏だけとのこと。S氏が一人来港されていたことだけでも予想もしておらず。初戦より二番人気のCool SwingにてWinとSilly BoyとのQなど獲り今日の10戦の資金としては結果赤字にはならんであろう額を得て幸先良し。地場G1のChairman's SprintはSize厩のGrand Delightが四連勝で、同じく地場G1のThe Champions Mileも電子麒麟がHK$14といふ一番人気で殊勝。他のどうでもいいレースはきちんと馬劵当るのになぜか重賞レースとなると全くダメな余のジンクスは今日も着実、どちらのレースも配当与らず。写真はその電子麒麟を応援する譚さんの勇姿。右二の写真は譚さんがFradd騎手にかってにゴール前の花壇の花を手折って渡している美しき光景。Fraddも最初その花を口に加えレース後の計量の際には電子麒麟の鬣に花をさす粋な計らい。で、QE II Cupである。国際レースとなると今までの5年の競馬経験でほとんど馬劵とれた例しなく今日も全く自信なし。一番人気はエイシンプレストンなどだが、この馬、昨シーズンは香港国際とQE IIを連勝したものの今季は毎日王冠こそ2着だったものの続く天皇賞8着、香港カップ5着でフェブラリーステイクス16着のどん尻と「もはや来まひ」と信じたが疫禍敢えて香港に来た甲斐あっての優勝。写真(右一)は福永騎手。二着には香港のダービー馬、牝馬のElegant Fashion入る。重賞レースまた逃したが最終2レースはまた勝って結果的には儲かるがどうも気持ちパッとせず。昨晩遅くまで飲み今朝の行山にも参加していたI君競馬場まで来るが短パン姿にてメンバー席にいったん入ったものの監視員に招かれHK$50の入場料返すからメンバー席より出てくれ、との措置だったそうな。タクシーで沙田病院前、そこから隧道バスにて帰宅。S氏の泊まる湾仔のRenaissance Harbour View Hotel、歩いて六国酒店の粤軒にて晩餐。QE II Cupで余がPrecisionを選んだことを知った黒服氏に「今日みたいな時計のいい日にはPrecisionは絶対に来ない。これが得意なのは状況変化している馬場のとき」と冷静なコメントいただく。何も反論できず。S氏のホテルに戻りロビーのバーにて一飲。氏の得意とするシンガポールからドバイ、カタールの話聴く。帰宅。二晩続けて四時間睡眠だったのが疲れて早寝。翌朝早く起きて日記綴る。
▼北京など深刻化する疫禍、レストランなど軒並み休業し日経には北京飯店の日本料理屋つまり五人百姓も日本人支配人が帰国、と。香港では駐在員の帰国措置にまでは至っておらず。江沢民氏は「必ず新型肺炎に打ち勝ち最後の勝利を勝ち取れると信じている」と、かつての「アメリカ帝国主義に打ち勝ち」彷彿させるコメント。どうせなら「新型肺炎は張子の虎」とでも言ってほしいか。いずれにせよ中国貿易など大きな打撃あり疫禍はもはや政治経済の問題となりぬ。

四月二十六日(土)薄曇。昼前に浜辺にて昼寝、新聞雑誌目を通すが初夏の風心地よく携えた本まではとても読めず。夕方に百年ぶりにジムにて鍛錬。晩にランニングクラブY氏台北に転勤の送別会あり中環は黄色門(写真左)にて四川料理。相変わらず秀逸。ことに四川風味の鶏(写真左二)は格別。八寶鴨(写真中)はこの店の定番。19名でビール46本、ワイン10本は飲み過ぎ(反省)。終って蘭桂坊にてギネス麦酒にて二次会。蘭桂坊は香港きっての酒場街ながら中環のゴミ集積地でもありゴミ満載した台車押し蘭桂坊まで坂上る過酷な労働もあり(写真右)

四月二十五日(金)快晴。このところ煩事多くつい喫煙していたがまた断つ。Z嬢と湾仔藝術中心にて昏時待ち合わせ藝術中心の六階だかにある食堂。不味さ名を馳せていたが雅厨なる名前となり梃子入れしたらしく南の味覚取り入れ評判だそうな。お薦めのNonya Laksa食す。確かに本格的なラクサ、麺の独得のコシと臭み、スープのコクも本場の味「だが」たかだかラクサにHK$70は高すぎる。見た目よかずっとコストと手間かかったラクサなのは認めるが所詮ラクサはラクサ、HK$70はあるまひ。しかもセルフサービスの食堂で、である。今晩から小津安二郎生誕百周年の記念上映あり。まずは昭和10年の六代目(菊五郎)の鏡獅子。政府の文化交流だかのために当時依頼あり松竹が撮った歌舞伎紹介短編映画で、六代目の楽屋での姿の撮り方に確かに小津らしいローアングルがある程度で、鏡獅子ぢたいは固定カメラでじっくりと追ってはいるものの、寧ろ六代目がカメラのフレームから出ないように意識している気がするが。25分の短編で鏡獅子の踊りは15分、であるからかなり無理な短縮をしており鏡獅子という九代目(団十郎)のこれが余りに雑な編集をされてしまっており作品として芸術性に堪ええるか、といへば疑問なのだが、六代目の51歳という円熟した当時の鏡獅子が映像に残っている、それが今も見れるということだけでもどれだけ有難いことか。六代目の鏡獅子といへば国立劇場のロビーに大きな六代目の鏡獅子の像があり、これに圧倒されるが、実はこの小津の映画を見たのは余は今晩が初めて=六代目の舞台を初めて動画で見た、といふこと。子どもの頃に祖母が「六代目、六代目」と時々口にして「梅幸の義父だよ」と教えてくれたが書籍にこの名人のことは数多書かれており、いったいどれくらい名人だったのか、今晩この鏡獅子見て、弥生の踊りは残念ながらこのフィルムからは良さ見えぬが、獅子になってからのその動きの機敏さ、鋭さは他の誰の鏡獅子でも見たことなき、本当に何か憑いたのでは?と思うほど。圧倒される。続けて『淑女は何を忘れたか』1937年。これも初めて。じつは昭和12年といふかなり焦臭い時代なのだが大学で医学教授する夫とその有閑夫人、大阪から現れたモダンな姪っ子、一見平凡な作品に見えるが会話もだが、何よりもその役者らがとる構図の中で奇妙な立ち位置、動きの非現実さを見ていると、小津という監督の一瞬平凡な生活描写のようでいて、こんな奇妙な非現実的な世界描いており、それは「異常」であり、こんなもの映画でしか描けず、そういう意味で森繁の小津非難は少なくても戦前は当っていなかったはず、と思ふ。会話のアバンチュール、動きの素っ頓狂さ。続けて『東京物語』昭和28年、もう今更語る必要ない作品だかいったい何度見てるか。映画館で三度目、VCDでもケーブルテレビでも看ているはず。だが今でもまだ新たな発見のシーンなどあり。しかも35mmで初めて看ると、原節子の住むアパートの廊下のゴミだの銀座松屋の建物の装飾だの、それぞれの家々の細かな置物だの、笠智衆の千鳥足の妙までよく映っていること。香港での上演は何年に一度かのその度に若い観客があふれ、この独得の世界に終演後拍手すら起きる。芸術系志す若者にが「こんな物語が映画になる」という点では必見の教材なのかもしれないし、小津を見ても今後何かに役立つか、という批判もあろう。が、尾道の船の動きまでが絶妙な位置で桟橋の屋根と埠頭の間にはさまれた狭い海のなかをすーっと航海しているような、そんなシーンだけでもやはり敬服。ところで有名なローアングル、あれは座敷で猫の視線から見ると人間といふのは奇妙な動きばかりしているのかも知れぬ。
▼教育統籌局は週明け28日の休校措置解除は小学校まで予定していたが、昨日、中学のみにて小学校以下依然として休校措置延長、と決定。これに反発するのはインター校、何故かといえば水曜日にインター校代表集めた教統局の会議にて週明けの開校を告げており各校それに従い開校準備しており、翌日の突然の変節に唖然。結果的に今日、インター校は独自の判断で開校決定できる、という通達あったそうな。分け隔てなくしているようで実はこのダブルスタンダードあり。マスク着用にしても地元校には「必須」としつつ英文では着用が望ましい。消毒まで徹底している地元校に対してインター校ではマスク着用など個人の判断の範疇なのか着用率かなり低く、それについて当局の指導もなし。治外法権か。
▼昨日の信報に興味深き「非典型肺炎死亡率之謎」なる文章あり。筆者は科技大の資訊與系統管理学系助教授の黄寶誠氏。香港政府の高官、例えば4月16日に楊局長は1,268名の患者中の死亡者が68名によりこの疫禍の死亡率を5%と宣った。が、その前日に医院管理局の高官は死亡率が10〜20%と語っており、どうしてこの僅か一日で5%も死亡率が低くなり、これはつまり減少率でいえば50〜75%、つまり20日もあれば疫禍解消させるようなもの。そんなはずがなくいったい何があったのか、といえば、楊局長は1,268名の感染者中61名の死亡でもって5%と弾いたが、1,268名中完治して退院したのは257名、残りの950名はまだ治療中。もし死亡率が5%と言うのなら回復率は95%でなければならず、つまり治療中の950名も治癒して、初めて死亡率5%が確証される。回復率がそんなに高いわけなく、では死亡率はどう計算されるべきか。硬貨を例にすれば、1,268枚の硬貨を用意、表が数字、裏が絵柄である。この硬貨を投げて絵柄の出る確率をPとする。もし318枚の硬貨を投げて61枚絵柄が表になった場合、その割合は19%となる。で、残りの950枚を投げたとしたら絵柄が表になる確率はおよそ19%に近いはず。その標準誤差は2%。これを肺炎に当てはめると、318という数字は治療結果の出た患者の総数で、うち61名が死亡し257名が治癒。硬貨で絵柄といったのは肺炎での死亡であり、つまり結果の出た感染者の19%が死亡していることになる。およそ5名のうち1名が死亡ということ。事実、4月8日から21日までの感染者数を見ていくと死亡率は18%、完治は82%となる、と。

四月二十四日(木)曇。日本や海外より疫禍見舞のメール何通もいただくが某大学にて平安文学と古典芸能教鞭とるT君より「いにしへより「唐土の鳥の渡らぬ先に」と七草を囃しますごとく、このたびの悪疫流行、否応なく遠からず我朝にも渡来のことでありましょうが……」とメールにあり。この「七草なずな唐土の鳥の渡らぬ先にトントンバタリ トンバタリ……」と、これは正月の七草粥の七草を叩く時のお囃子の歌、唐土の鳥が渡るが如く疫禍も日本に災ふかどうか。東京の某大学に通うK嬢よりメールあり、メディア特講にて某新聞社より遣られた講師がSARSがあんなに驚異的ウィルスになるのは自然なことではない、むしろ人為的に開発された新ウィルスを誰かが試験的に流したと考えたほうが自然だ、と述べていたと。確かに可能性としてあるが、疫禍の言論は百花斉乱の如し。何でもありなら疫禍の上海陰謀説も可。上海が今後の経済発展のためまずは国内の宿敵である広東省に細菌ばら撒き感染者香港に遣って香港でも蔓延、つぎに首都北京も攻略して……と。香港での董建華の遅れた対応も実は董建華が上海人であるが故、と(笑)
▼ネタとしては旧聞に属するが行政長官董建華の夫人による牛頭角の団地でのボランティア活動での勇姿。この完全武装で団地に住む老人らに「手を洗って、手を洗って」と繰り返しマスクを配った、と。それにしても見れば見るほど人間には見えぬ(笑)
▼ゴーン社長の日産自動車、経常利益が過去最高の7,090億円、99年再建始まる時に2兆1000億円あった実質利子負債が0といふ快挙。大したものだが日経でインタビューに答えるゴーン社長「企業イメージは大幅に向上したが、まだトヨタ自動車、ホンダの後塵を拝している……」と語る。語るのはいいが社長は日本語すら解せぬと思うと、この「後塵を拝して」といふ表現、当然、記者がこう訳したのだが、キョービの日本人の口からすらちょっと出てこない表現なわけで可笑し。
▼ピアノの井上直幸氏逝去。享年63歳。昭和60年代初だったかNHKの「ピアノのおけいこ」にて無味乾燥だったこの番組に井上先生颯爽と登場し服装から雰囲気、物言いから仕草までかなり個性的な先生、つまらぬ練習曲を選ばずドビッシーのような簡単でもかなり面白い曲ばかり選び、思わず教習本買って倣ってみた次第。

四月二十三日(水)快晴。日本より母からユニチャームのマスクやイソジンが疫禍見舞いに届く。小包受取りにZ嬢郵便局へ行くとマスクの小包受取りでなく発想する日本人の女性あり、見てみれば宛先は北京と上海。北京にて疫禍広まりマスク不足で緊急物資送付か。北京といえば日本の新聞見れば「封鎖」だの「首都機能の一部停止」だのと言葉ばかり踊る。マスコミの恐ろしさ。ただし実際に怖いのはこの疫禍にて北京を離れる群衆の存在にて数十万人の帰郷にて感染広まらぬことを祈るばかり。香港国際映画祭も閉幕。30本ほどの映画看たがこのあと小津安二郎の特集もあり。閉幕に選ばれた作品は路学長監督の『Kala是條狗』にてZ嬢と看る。北京の新街口を舞台に90年代の北京での飼犬禁止令をモチーフに犬好きの夫婦が養犬許可証なきをもって犬を警察に取上げられ、その犬を奪い返すための画策。新街口の警察署には犬と同じく息子までチンピラとの喧嘩で拘束されており、家族の物語。佳作ではあるがとくに閉幕を飾るほどの作品でないのでは?といふのが正直な感想。中国作品なら『老井』こそ閉幕に相応しいはず。閉幕映画のあと更に韓国の南紀雄監督『周潤發與蝸牛女』なる映画あり看たかったが疲労甚だしくZ嬢と北角の寿司加藤。マンション近隣のO君おり閉店後も麦酒振舞われ加藤のご主人と歓談。深夜O君を拙宅に招きコルトーレイン聴きつつバランタインの21年飲み写真談義。
▼昨日の「大埔での感染」にて「日本人住民も多い」といふ朝日の記述、幸いか本紙にはなくasahi.comだけの報道のようで朝日の広報室にまで指摘するほどのことでないと思いつつも事実と異なるわけで朝日の香港支局にお電話。書かれた特派員氏だと思うがご本人も自分の送稿が編集で料理されているようで、それにしても大埔に日本人が多いというようなことを書いては誤解、必要以上の心配感を読者に与えるばかり。
▼村上春樹訳の『ライ麦畑』発売される。かねてから指摘してきた“Catcher in the rye”の訳として『ライ麦畑でつかまえて』では不確か、という点、今回の村上訳本では無難に『キャッチャーインザライ』と。『ライ麦畑の捕え手』が適切と白水社並びに村上春樹氏にまでメールしたが相手にされず(笑)

四月二十二日(火)快晴。昨晩遅く荷風先生の日剩、久々に開いて昭和11年の初秋を読む。ようやく墨東綺譚書き出す頃なのだからいったいいつ読了することやら。諸事に追われ晩に慌てて尖沙咀の文化中心に滑り込むが映画は今晩は7時45分とわかり半時間持て余し夕食もとっておらず、Expressなる文化中心の外にある、映月樓の階下だが、おそらく美心集団の経営であろう快餐店に初めて入り海南鶏飯食す。海南鶏飯それぢたいはけっこうそこそこなのだがやはりどこに美味い店との差が出るかといへば例湯(らいとん=出来合いのスープ)なわけで、例湯が美味い、例えば旺角の新旺記(彌敦道亞皆老街東入ル)であるとか中環の金華であるとか、そういった店の例湯に比べると、いかにも例湯のために作ってしまった、という味で、余った肉の切れ端、野菜だのを徐に足しつ放りつ煮込んで塩だけでさっと味つけした「明火例湯」といふ名がいかにも、という例湯とは全然違う重湯の如し。文化中心にてKen Loach監督“Sweet Sixteen”看る。いかにもありがちな、とくに台湾映画に多い、筋は若者の粗い、だが純粋な青春の希望と挫折、最後は殺傷事件で、という話だが、とにかく主人公演じるMartin Compston君が、これが本当に初めての演技なのだろうか、と驚くほど天性の素晴しい芝居ぶり、とくに麻薬中毒にて収容所から出てきた母親迎えるシーンは絶望的な終焉が控えているとわかるからこそ、直いっそう、その母親とに期待した平凡な生活への憧れが感動的。続けて“Taxi Driver”の印象強いPaul Schrader“Auto Focus”看ようかと思っていたが疲労甚だしく断念。
▼朝日新聞の疫禍についての報道(こちら)に「九竜半島の郊外、大埔では、SARS感染者を収容している公立ネザーソール病院周辺で大量に感染者が出ている。同日の発表では96人。衛生当局によると、感染者の7割は病院関係者とみられる。同地区には日本人学校があり、日本人住民も多い」とあり記事のいい加減さに愕くばかり。確かにNethersole病院の件は事実だろうが、大埔の市街地でも北側にあるこの病院とこの日本人学校の大埔の学校は確かに行政区分は同じだが直線距離で4kmは異なるであろうし、大埔に日本人は多いだろうか。沙田ならまだわかるが、それだって太古城やBraemar Hillなどに比べれば沙田ですらけして日本人は多くはないだろう。具体的な数字もないまま、よくもこんな出鱈目が書けるものと感心。こんな記事を読めば、ウイルス蔓延する大埔、日本人多く学校もあり、で日本人にも大きな不安、感染はありやなしや……とそういう根據もない無駄な不安感を抱かせるだけ。呆れるばかり。
▼数日前に見た『風風雨雨』に客演していた李怡氏は雜誌『九十年代』廃刊となってから蘋果日報の論壇に連日政治関連の文章掲載しているのだが、今日のこれにて曰く、台湾はこれだけ中国、香港と経済的に密接な関係ありながらSARSの感染者わずか29名で死亡者なしという状況。米国はSARSでの死亡はまだないにもかかわらず感染者200余名だが、すでに専門家を台湾に派遣して台湾のこの感染への取組みを視察、と。台湾は昨年11月に広東省でこの「謎の怪病」が発生した時にすでに台北市の衛生局長は警戒を呼びかけ三月上旬にWHOがこの感染病の広東省と香港での拡散について言及した時にすぐさま「これは大陸内部の問題ではない」と行政レベルでの対応を始め台湾にて初の感染者出て即刻、台湾政府はこれを「法定伝染病」として感染者の隔離治療、密接接触者の隔離検疫を実施。WHOにもこの一人目の感染ですぐに通知。医療機関もこの感染症の治療を公立の三大病院に限定して三級防護規程なる感染対処の徹底した防染体制をとり医療感染者の二次感染は僅かに1名。……とこのような台湾の対感染の行政が事実すら隠す中国や対応が遅れに遅れ病院での二次感染など拡散した香港に比べ適切な対応か、と李怡氏。台湾では反中国派の象徴である副総統・呂秀蓮女史がこの感染症の中国での蔓延を非難したり、この感染症までを「だから中国とは統一など応じられない」といふ台湾独立論に利用するのでは、ということが大陸、香港側で憶測もされていたが(事実、その政治的背景がないとはいえないが)、事実として台湾がこれだけ秀逸なる政治体をもっている現実を中国側も真摯に受け止めなければならぬわけで、それを統一しようというのなら自らもそれと同等の行政能力がなければならない、ということ。
▼『信報』の社説は今回の疫禍にて中国に問題あり、WHO査察受入れと感染状況公開が大きな経済損失恐れての結果にすぎず、ASEANと中国政府官僚との会議が中国での開催がタイに変更され中国政府が招待されないなど外交でも失望を受け、医療行政も衛生部が北京市内の病院との連絡網すら整備しておらず軍病院が全く蚊帳の外にあるなど、かなり深刻な状況でこそあれ、党中央が政府衛生部長と北京市長更迭したことを挙げて中央政府は民主制度こそないが官僚の失責を質し処罰できるだけまだマシ、と。確かに。香港ではこれだけ統率能力に欠ける董建華、それに財政司司長の梁錦松はじめ問責制といいつつ一切責任問われぬ局長制で、これでは中国以下。
▼そうえば突然思い出したのだが銅鑼灣の古本屋「とまと」で何冊か余が手離した書籍見つける。まず香港でこんな本買う奴はおらぬ、という類の本ばかりでマイケル=ハイの『無限都市ニューヨーク伝』文藝春秋社などちょっと買戻したかった気もする。が、余が某バザーに出して(つまり無償)の本がこうして売られていると思うと誰か儲けているわけで複雑な思い。ただ本がむざむざと捨てられるよかこうして読み続けられるほうが本も幸せか。某バザーといえば偶然にも知人が三島由紀夫先生の中学時代の書簡集と美輪明宏先生の『紫の履歴書』を入手し開いてみたらどちらも富柏村の書印あり、と教えてくれたが、本というのは手放す類の本には安易に書印など押すものではあらず。

四月二十一日(月)昼前に湾仔詩藝劇院にて黄精甫&李公楽監督『福伯』看る。マカオの検死所(法医師の下、検死の解剖に当る職員の通称が福伯)と死刑囚が刑執行待つ監獄にて死刑囚に美味なる料理供するポルトガル人の主厨。いい役者揃えて、深刻な映画不況に直面してからの最近の香港のあらためてじっくりと映画制作に取り組んでいる姿勢が見える佳作。昼から同じ詩藝劇院にてPeter Mullan監督“The Magdalene Sisters”看る。今年のヴェネチア国際映画祭にてLeone d'oro(金獅子賞)の作品にて60年代のアイルランド舞台に修道院の施設に収容された少女たち、その多くが私生児出産や非行、場合によっては男に暴行された被害者ながら処女でなくなったことを親親族に咎められ、この施設に遣られ、ここが神の名の下に監獄の如き世界で修道女たちにより暴行加えられ、少女を甚振る神父までいるのは昨年の神父男童性犯を見れば今さら愕かぬが……。この修道院、ホテルだの役所の洗濯業請負い、それをこの施設に収容された少女らに過酷な労働強いてがいたが、当時、大型の洗濯機だの乾燥機の登場により、また教会勢力の弱体化で経営成り立たなくなり、推定で約30,000人の少女がこれらの施設に収容されていた、といふが最後に残った施設も96年に閉鎖され、この映画は当時の収監された少女たちの実録をまとめたもの。教会側は未だに謝罪賠償には応じておらず。フーコーの明らかにした、この政治装置。当然、この修道院、アイルランドの宗教社会、カソリック、如いてはキリスト教の描き方が意図的に悪しく描かれている、と非難もあるが、この映画がバチカンを圍む伊太利のヴェネチアで金賞、なのである。マカオの検死所と監獄、アイルランドの修道院施設とせっかくのEasterの休日に重い映画続き陰鬱とした気分のまま午後遅い映画に向おうとHarbourview Renaissance Hotel(写真左)とGrand Hyatt(同右)を通り抜ければ宿泊ロビーには客一人もおらず。ここまで旅行者激減かと体感。藝術中心にて白川辛司監督『眠る右手を』看る。208分の長編、デジタルビデオ作品だが先日の“ Welcome to Destination Shanghai”のような技術的な問題は当然なくビデオの良さが出ているのだが、脱疽の如き難病にて身体が失われてゆく画家、右手を失った彼と崩壊する家族、オカマの介護師、その介護師と愛人、ゲイの友人たちを巡る物語、自ら来港していた監督は人間同士の愚かな駆引きが描きたかった、と語っているが、余はこうした実験映画的なものが理解できず。鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』が理解の限界だといふと実験映画好きには哂われるだろうが事実。寺山修二の『書を捨てよ町へ出よう』(71年)はまだ理解できたが『田園に死す』(74年)看ても何がなんだかさっぱりわからず。ただ当時(といっても実際に見たのは80年くらいなのだが)こういった映像がわからない、と言うことはかなり勇気要ることだった記憶。閑話休題白川辛司は寺山、それに萩原朔美、商業映画では鈴木清順からATG作品の流れに位置するのだろうか。帰宅してかなり久々に自家菜(レストランでの外食に対して「内食」でもいいか)。久々にテレビ看る。疫禍感染者20名台と少し減り安堵。だが問題は今後、中国本土の疫禍。
▼かなりいぜんから気になっていたのだが湾仔の藝術中心の地下、つまり度々訪れるLim Por Yuen Theatreの男子トイレ、便器の下に高さ10cmほどの上げ底あり便器の位置かなり高く、便座に坐れば酒場のバーの椅子の如し、小用にと思っても普通の小便器より高い位置。ジャイアント馬場向き。何故に不条理なこの設計かと思ったがZ嬢の話では女子トイレも同じだとか。絶対に必要ない設計であり、わさとそうしたのでないことだけは確か。考えられるのは水まわり、だが水道管なら下げることは容易、では汚水管だと思えばその高さに横から引かれていてしまい、それ以上管を下げると汚水が便器に逆流でも起きるとか……そんな事由しか考えられず。いずれにせよいぜんから気になっていが画像に収めたくてもトイレ利用者ありデジカメ携えておらず。今日はデジカメあり、3時間半長丁場の映画の途中、劇場内冷凍庫の如く冷えて小用あり上映中にトイレにて画像に収める。
▼北京の非典型肺炎感染者発表数37名から一気に九倍余の349名となり中国での昨年11月衛生部長及び北京市長解任。香港ですらこれだけの蔓延なのだからこの疫禍、中国にてどう対処できるか、は深刻な問題。北京や上海などに集る出稼ぎ労働者、そして盲流の如き浮流人口、北京だけでこういった者や旅行、仕事などで首都に出入りする非定住型の人口が400万人いわれ、メーデーの連休もあり、そういった移動人口から感染が全国に広がる恐れもあり。50年代の大躍進期の衛生運動にて全国から蝿を一掃と蝿叩きが全人民に奨励されたが如き国民運動では到底防げぬ疫禍にて、中国にとっては89年の天安門事件以来の非常事態だが、政治運動は党專制にて抑制可能だがウイルスと感染症は政治による解決不能にて、広範な民衆レベルでの対処要するが、問題は、49年の建国以来最も疎かにされたのがこの民生であり、経済成長は容易いが49年以来の負財産がここにて炸裂する可能性大。文革ですら乗り越えた中国であるがこれまで対処したことなき初めての疫禍にどう対処できるのか、問題が政治だけでは済まされぬ点に於て建国以来の試練かも知れぬ。

四月二十日(日)快晴。盛夏。一路海灘。炎天下といつても肌炒るほどの陽射でもなく新聞、『世界』読む。浜邉に人出多し。湾仔からの夕暮れ一景に値す。日暮れてジムに一浴。尖沙咀のDomonにて葱味噌拉麺。Z嬢と科学館にてタイのJila Meligool監督“Mekhong Full Moon Party”看る。製作陣は“Iron Ladies”、メコン河に満月の夜現れるfireboll、その妖しげな「自然」現象が、実はある老僧による仕業にて、それが人々への施しなのか欺瞞なのか、ただそれがタイの風土とタイ思想になると善悪といった単純な判断超越して愛しみとなる。終って深夜、久々にQuarry BayのEast Endにてale一飲。皐月賞、サイレントディール(武豊)に淡い期待寄せたが順当にネオユニヴァース一着。
▼『世界』にて寺島実郎氏曰く米国のイラク攻撃に対する日本の「信頼される同盟国でありたい」といふ一念からの支持は華盛頓でこそ期待通りと受け止められたが日米関係熟知するJapanologistsの間では寧ろ仏蘭西を明白地に批判してまでの米国支持する日本に当惑し「なぜ米国の主張と同じなのだ?」と失望感あり、と。アジアや中南米から華盛頓に遣られた外交官やジャーナリストは「日本は米国周辺国でしかない」と幻滅、日本外交は「敢えて話題にする特色もない」と。寺島氏の指摘は日本は二点見失っており、一つは憲法精神の積極主張であり、軍事の論理が跋扈する時代だからこそ「武力をもって紛争解決の手段としない」思想を日本の信念体系として強調すべきであったし、もう一つは広島長崎の悲劇有する日本だからこそ大量破壊兵器廃絶への主張をすべきだった、と。これを寺島氏は「堂々たる臆病者の論理」と宣い「力の論理を否定する憲法精神は世界に訴えるべき日本外交の基軸」と。御意。これを理解せぬ国賊どもが平気でアメリカ従属、北朝鮮を敵としての日本の威力推進に躍起となっている。

四月十九日(土)昨日に引き続き快晴。イースター連休にこの清清しき天候、昨日も郊外に行楽に向う人多く山や海はかなりの賑わいとか。窓から眺めると確かに山道に行山の輩多し。気温も上がり夏の如し。疫禍に鬱々としているよか郊外の自然のなかで欝憤発散するほうがよっぽどよいが「あの」混雑したBBQとゴミの山想像するとぞっとする。外出したきところながら連休明けにはまとめておくべき資料あり午後まで自宅にて翻訳、資料纏め。午後遅く湾仔の藝術中心にてMarco Bellocchio監督の“La Cina e Vicina”(中国は近い)1967年伊を看る。伊太利の60年代の政治風刺なのだが政治の虚構性を語るにも、これを風刺喜劇として見れるほどの素養が余にはなし。裕福な家族の、政治家になるがために方法論として中道左派の社会主義者演じる医師(長男)と革命貴族でしかないのだが遠い中国の文化大革命に共鳴する弟。映画終ってZ嬢と待ち合わせ藝術中心にて開催されている陶芸展、A嬢の陶芸展示あり。タクシーで香港站、当然のようにこの香港站の航空会社のカウンター閑散としているどころか客は写真に写った一組のみ。凄まじきほどの閑散。昨日に引き続き葵青劇場。テレビドラマ『獅子山下』の精選集。70年代中葉になると『獅子山下』は張敏儀プロデュースにより方育平の脚本で深刻な社会問題取上げつつ当時の若手の映像作家ら(許鞍華など)が瑞々しい映像を撮る素晴しき時代。映画の合間にZ嬢と商業ビルにある寶蓮なる素食料理屋。素食といっても豚脂くらい使ってるんじゃないの?といふくらいこってりした味。この料理屋はHK$68にて食べ放題、しかも出来合いのビュッフェに非ず注文すれば調理して、でこの値段。となりの幸福樓の店もHK$68で鍋食べ放題、鱶鰭(ふかひれ)海鮮宴も一卓(12名)でHK$1380と飲食店不況のなか出血どころか危篤大サービスでどちらの店もそこそこの繁盛。『獅子山下』精選(2)看る。最初の『馬路尋寶』は73年の、15分物の社会公衆道徳推進の内容なのだが、これが張敏儀の製作になって百花齊放、深刻な社会問題を映すようになり、代表作でもある78年の『橋』。黄大仙のドヤ街の歩道橋を巡る確執。そして『獅子山下』シリーズではないのだが93年の『風風雨雨』。89年の天安門事件に絡み中国政府の欺瞞と香港の報道の自由を問う作品なのだが、その内容が反北京の姿勢露骨と当時も放送禁止かどうかと議論されたが、今では絶対に製作できない内容。報道の自由を頑なに堅持する製作者の姿勢が賛美され中国はその敵として描かれているのだから。当時、雜誌『九十年代』の編集長であった李怡氏がテレビ局の報道部長役にて出演。『獅子山下』は日本でいえばNHKの『日本の素顔』であるとかNTV系の『ルポルタージュにっぽん』で取上げてきたような社会問題をドラマ化したようなもの。日本にはなかったジャンルかも知れぬ。が、『獅子山下』にせよ『日本の素顔』や『ルポルタージュにっぽん』にせよ今のテレビでここまで深刻に社会問題を取上げられるかといへば無理な話。若い製作者が自由に発想し映像作り上げることも無理。今なら貧困であるとか家族崩壊取上げても「みのもんた」が白々しく司会する番組で素人である本人がカメラの前で羞恥心すらなく喚き号泣し激怒してみせ、番組がおわって「あー、面白かった」で終ってしまふ。
▼今日と明日が政府の呼掛けで香港を清潔にする運動開催。あちこちで清掃活動が一斉に行われ、葵芳の商業施設にても手を消毒しませふといふ衛生活動あり。連休を利用して香港で郊外に出かけ美味しいものを食べて滋養強壮、という呼掛けに応じた市民も多し。香港のこの最悪の状況でもどうにか明るくしようといふ姿勢こそ香港の魅力か。中国政府といへばWHOの査察の際に人民解放軍の病院では患者を他の宿泊施設に移したりバスで病院外に連れ出すなどして患者数を隠蔽していた、と報道あり。北京市は患者数隠蔽疑惑に対処しきれず軍関係の病院など市内にあっても患者数の把握が管轄外であったといふような釈明をして今日、日曜日に北京市長だかが緊急会見とか。映画『盲井』に描かれた、ただただ自分の管轄での事故不祥事の隠蔽に躍起となる官僚制の醜悪なる様。
▼日経に広告あったPHP Business Review創刊号。トップ記事が「日本経済のカギをにぎる松下電器の復活」だって(嗤)。PHPで松下、って創価学会の『創』ぢゃないんだから……。PHPの存在する意義っていったい何なのだろうか。さっぱりわからず。PHPといへばいちばん最初にPHP認識したのは木村治美だったか『黄昏のロンドンから』だったか、これの出版元がPTP研究所。今でこそ多い海外駐在主婦のエッセイだが70年代では革新的、大宅壮一ノンフィクション賞なんて受賞してしまったが、この本から子どもながらに海外の社会風俗の理解なんてこんなに独善で勝手でいいのだ、といふことを学んだかも……(笑)。いずれにせよこの本に「オー、カルカッタ」の話題があり、全裸で踊る場面がありそれを見たさに日本から来る者がロンドン駐在の夫婦にそれを強請るというのを知り、子どもながらに当時はストリーキングなどあり、それは変態さんなのではなく自由の表現であり、オーカルカッタもそういう芝居である、と子どもながらに理解した上で、その芝居を全裸の芝居見たさに訪れる大人というものは馬鹿ぢゃないか、と思ったもの。それがもう25年も前だ、と今日知る。いずれにせよPHPというのはいったいどういう社会貢献しているのだろうか。全く理解できず。

四月十八日(金)書斎の冷房機これからの季節といふ時に数日前冷房機能不調となりもうだいぶ老朽化した騒音ばかりうるさくそのかわりちっとも冷えず然ぞや電気代だけは浪費しているのだろうと思え買換えを決めるが疫禍にて消費は滞っていると聞いていてもどうやら冷房機は例外らしく疫禍にて旧い冷房機買換えをする者少なからずか配達と取付けまで四日を要す。今日がその取付けにて冷房機の前はだいぶ散かっておりこれを機に本の整理。売り払う本まとめて午すぎ銅鑼灣の古本屋「とまと」に持参。朝はかなり霧たちこめる曇天だったものがすっかり雲ひとつなき晴天。これで少しでも疫禍治まればよいが。葵芳の葵青劇院にて程裕蘇監督『目的地上海』看る。デジタルビデオによる作品、どうもこの鮮明な画像、余は好まぬ。画面に奧行きがなくテレビモニタならこの鮮明さもいいが劇場のスクリーンでは奧行きない上に歪んで見えるようで。この作品はとくにレンズの選び方に難あり。岩井俊二くらいになるとデジタルビデオ使ってもかなりフィルムに近い感觸をもたせるが硬件としては利用が楽なようで実は難しい。で作品だが現代都市としての上海の病態、かなり「歪んだ」個性豊かな市民を抽出して焦点あてているようで実はどれも中途半端にて描ききれず。期待していたぶん残念。地下鉄東涌線のOlympic站、Olympian Cityなる商業施設にかなり大規模なゴルフ練習主体とするジムありふらついて葵青劇院に戻る。葵芳駅前の商業施設はかなりの人出で先月末からの疫禍を思えばかなり回復。恐れても仕方ないと思ったのか疫禍に「精神的には」すでに抗体できたのか、いずれにせよ好事。Z嬢と落ち合いCarma Hinton監督『八九點鐘的太陽』看る。中国の文化大革命を劉少奇の未亡人、娘、奇跡的に生き残った党秘書、その娘、知識人、紅衛兵運動の創設者などの証言中心に『東方紅』などかなり効果的につかい編輯見事。よくぞここまで当時の貴重な映像集めたと敬服。自ら流暢に北京語で語る監督指摘する通り今回の上映は英語での翻訳がすでにオーバーラップしてしまっており、原音の北京語と英語、それに中文の字幕でかなり見づらい作品であること、とくに原音で聞いてほしかった、といふ監督の指摘通り、この作品に登場する、当時文革にて徹底的な避難の対象となった人々は、文革で否定されるくらいの知識人、資産も教養も残念ながら豊かな人たちで、その容貌、雰囲気からして格と華あり、話の内容もそうだがその話しっぷりといったらそんじょそこらの庶民からは出でて来ぬ見事なまでの白話(会話)、確かに原音でもっと聴ければ、と残念。芸術家の老人が文革の紅衛兵による騒ぎ、廟仏閣の破壊を「野蛮人が燃えるもの持ち寄り火をつけてその周りを踊っているようなもの」と比喩したのが興味深い。確かにその通り。だがそれはそれで文化であることが文革の複雑なところ。文化といふのはけして高尚なものばかりにあらず。別な登場人物が同じ騒ぐなら今どきの若者がコンサートで人気ミュージシャンみて興奮して踊り狂うほうがマトモ、当時は毛沢東という象徴がいたが天安門の上に人民服着て立っているだけで踊りも歌いもせぬ、と揶揄。文革を「権力者が無知な若者焚きつけキチガイ騒ぎした」と言ってしまうは易しいが党中央の政治劇は別にしてもこの文化大革命の呈示した革命の問題は重要であり今だに解決できるものでなし。自らの党での権力闘争の最後にこの文革を用いた毛沢東といふのはやはり偉大か。ただ、いずれにせよ文革は若者らはいいように利用され中国にとって貴重な多くの人材が一掃され貴重な史料的価値のある財産が破戒され、結局はそれが党中央での権力闘争に集約されたことは茶番も茶番。この映画、この劉少奇失脚と林彪まではとても精緻にまとめているのだが、そこからが突然林彪の死、周恩来逝去と天安門事件、毛沢東逝去と四人組失脚と断片的に進んでしまう粗さ、なぜ4時間の大作としてでもそこをもっと精緻に語らぬのか、とも思ったが、よくよく考えてみれば、このドキュメンタリーはけしてたんに文革を否定して終らせるような浅い視点でなく、もっと深い中国理解がそこにあり。もし林彪失脚からを描けば登β小平らによる巻き返し、開放改革……であり、それを描けば今度はそれが肯定となり文革を暗黒の時代とせざるを得ず、勿論経済的には豊かになっているがいまの路線が中国においてどう作用しどう評価されるのかが一党独裁という問題も含めて何ら結論が出ていないのだから、この作品があくまで文革とそのなかでの毛沢東の象徴性という部分だけに焦点を当てた、ということは非常に正確なこと。それにしてもこの監督らの仕事にはただただ敬服。吉野家で牛丼。星巴珈琲にて一喫。吉野家、最近はあちこちにかなりお洒落な出店続くが台湾での成功のあと10年以上前に香港に新出したものの何故か繁華街から外れた湾仔、沙田に消極的出店しただけで数年がたち、ようやく尖沙咀で客足つかんで、とかなり時間を無駄にした感あり。香港は日本のようなカウンターで3分で食べるのでなく、ファミレスのようにテーブルでのんびりゆっくり食べているのも興味深い。SABU監督『幸福の鐘』看る。工場が不況で突然閉鎖された男が偶然に偶然がかさなり数奇な出来事続き……と。ただ最後がなぁ、あそこにもっていったか、という感じ。あれだけ眉間に皺寄せた主人公、一言も喋らず、実は、って。
▼South China Morning Post伝えるに今週始めだったか香港政府公開した非典型肺炎発生の住宅地のリスト、なぜか山頂に住む感染者一名あったことがリストから外されていた、とスクープ。それが偶然のミスなのか、こういった情報提供作業の不完全さ、限界なのか、それとも敢えて山頂という超高級住宅地を外したのか。おそらく後者であろうが、この肺炎、かつての日本人駐在員夫人による「下界」発言の通り、人口密集地だの老朽化した公共団地だので感染、というのが印象であって、それゆえに香港島は東区の比較的人口密集地だけ。ミッドレベルであるとかは比較的安全なら山頂など最も安全であるべき、ということ。だが実はそこでも感染者がいて病院に収容され自宅では家族が軟禁状態なのだが、それが隠蔽されていたわけ。

四月十七日(木)昼は快晴。こんな青空いったい何ヶ月ぶりだろうかといふほど爽やかな晴天、気温もあがり湿度さがり爽快。このような天気続き疫禍収まることを祈るばかり。疫禍にも効用もあり。まずエレベータ、ふだんなら人が乗り降り終わりもせぬうちに「閉」ボタン押され扉に挾まれること頻繁な香港、それも「閉」ボタンをテレビゲームのごとく連打、エレベータを待つにも△▽ボタン、一度押せば済むものを二、三度押さないと気が済まぬのが香港なれど疫禍ひどくなり、そういったボタンだのへの接触警戒し、ボタン押すにも指の腹でなく指の背でちょっと触れる程度、それもかぎりなく一度っきり。「閉」ボタンを押さずに自動で閉まるを待つなどかつて香港にはなかった所作。素晴しい。ただマンションの入り口のオートロックなど暗証番号のキーボードだに触れるのが嫌なのだろうが誰か出入りするのを待ち、そればかりか他人が押して開いたドアをさっと入ってしまふような輩もあり。地下鉄とてラッシュでも滿杯の乘客に揉まれるようなこともなく、いつもならドア周辺に陣取ってしまい乗降りに不自由するところが他人との接触さけるため乗客も比較的空いている奧へと詰めるのも好き事。これで唾飛んでの感染恐れ静かなら猶のこといいのだがマスクすれば安全と思ったか、しかもマスクして声が通らないとでも錯覚していつも以上にデカい声で話す輩すらおり。ところでひとの噂といふものがどういふふうに伝わるか、という実体験だが、今週末の成田発香港行きのフライト、この疫禍にて飛行機などガラガラ、欠航相次ぐなか来週末の香港便のみ「そこそこ混んでいる」と耳にする。疫禍にて休校中の日本人学校がその翌週明けに開校だからだそうで、それに合わせて日本に一時避難している家族が香港に戻るためだとか。で、そのそこそこ混んでいるフライト、しばらくしたら「かなり混んでいる」という表現になっており、二時間もしたら「滿席」、それあとは「もうウェイティングも多くてチケットがとれない」とまでなり、どうしても出張で香港に来なければならない人がどの便もとれず仕方なく北京経由で香港入りするそうだ」といふ噂まで。かふして非典型肺炎以上に噂といふ名のウイルス拡散してゆくのだと痛感。
▼旦那もかなり失望の的だがこの董建華夫人といふ人もとにかく人望得られず。行政長官夫人になって最初に世論の顰蹙かったのは上海行きだかのドラゴン航空フライトにてファーストの1A席を要求し、そこがふさがっていると知ったら「ちょっと、アタシを誰か知っているの?」と劍幕だったこが新聞に叩かれ、それ以来、できない男として名を馳せる旦那にこの妻あり、といふ存在感。悪い人ぢゃないのだろうが、ようするにただの上海のちょっと大店の商売家の内儀ふぜい、今回やってしまったのは香港赤十字の会長(名誉職)だかで非典型肺炎ひどかった牛頭角の団地訪れマスク配るなどのボランティア活動に従事したのはいいが、放射能漏れの現場探検するが如きこの完全防備、着装に半時間要したそうな、これで庶民普通に暮す団地訪れたのだから大顰蹙と物笑い。マスクすらせず悠々とする老人にこの重装備にてマスク渡し、口にする言葉といへば「洗手、洗手」ばかり。本人は慈善だろうがこちら側から見れば、やはり董建華夫人はヤヴァイと思わざるを得ず。それにしてもこの装備は醜悪。これを香港の市井にては嗤ひの対象で、海外ではここまで厳重かと察しられもし、いずれにせよ良き効果は何もなし。結局、本音は疫禍などなくても牛頭角の団地など「汚い、怖い」で、事実、昨年、公共住宅の歴史展示ありここ訪れたが、老朽化して、けして汚濁とはいわぬが全く通り抜け自由なG階など衛生的とはいへず。であって董建華夫人などにしてみれば普段でも身の毛もたつほどであろうし、そのうえ肺炎となっては被爆地訪れる如きものか。
▼イラク攻撃だの北朝鮮だのSARSだのと視線そちらに向いている最中、個人情報保護法案、すらすらっと国会通過しそうな勢い。一握りの者いがい誰もこの状況の窮迫理解しておらず。
▼築地H君より笑譚届く。
アメリカのとある高速道路を走っていた若者が、たいへんな交通渋滞に出会した。
いらいらしながら待っていると、路上を一人の男が歩いてきて、窓を叩く。
青年は窓を開けて「なんあかあったの」
男は言った「ブッシュがテロリストに誘拐されたんだよ。100万ドル払わないと、
頭からガソリンかけて火をつけるって言ってるんだ。
だから、こうして車をまわって寄付を集めているのさ」
「で、どれくらい出せばいいの?」と青年が聞くと、
「そうね、人にもよりけりだけど、5リットルから10リットルくらいでいいよ」

四月十六日(水)曇。晩に映画看ようかと思ったら午後六時過ぎに董建華及び衛生局長、教育統籌局長の記者会見開催されU姉とそれ見て映画逃す。Happy Valleyより尖沙咀東まで車で15分きっかり。水曜日とはいへ沙田で競馬開催にてHappy Valley道路規制ないにせよ海底隧道でも渋滞もなし。疫禍の影響あり。見逃した映画が尖東の科学館にて半ばのところで今さら尖東になぜ出向いたかといへば尖東でふと五味鳥の焼き鳥所望し、普段なら午後八時は盛時、席もなかろうが疫禍にてこの時ぞとばかり、それに今で五味鳥、年に数回とはいへ10数年一人で酌んだこともなく閑散とした店にふらりと立ち寄り一飲もまた好しと思ったが、五味鳥、滿席。ま、ん、せ、き、だ。疫禍だから、と高を括ったが大間違い。肺炎騒ぎだろうが10数年地道に焼き鳥供してきた成果がこれか。仕方なく同じビルの一平安にてらーめん食さむと赴けばビックエコーカラオケ閑散。密室にてマイク奪ひあふカラオケ業の衰勢甚だし。一平安、数年前に「かつてあった」ようなこと書いてしまひ、実は余が往なぬだけのことで香港で日本のらーめん、餃子供してすでに20年近い店。地味ないわゆる普通の食堂系らーめん屋だが貴重。スープが熱いだけでも貴重。ねぎらーめん。文化中心にて賈樟柯監督『任逍遙』看る。賈監督の作品昨年の映画祭にて『站台(プラットホーム)』見ているが、この人の映画は「たるい」。太原から田舎に入った小さな都市での若者の悶々とした生活。主人公は若者二人で無職、ふらふらと毎日を送るのだが、これは『站台』において当初、文化大革命の宣伝隊のように誕生した若者の楽団が時代を経てフォーク、ポップス、ロックとなってゆく変遷を描き、その若者たちが田舎でなりに都市化してゆくのだが、この『任逍遙』の若者はその成りの果て、として描かれる。『站台』においては革命の宣伝隊であり、フォークで自分の気持ちを歌にすることに目覚め、ロックでは多少なりとも社会的な反発があったが、すべて何らかの感情の宣伝活動であったのだが、それがこの映画にては見事に時代の変遷で、蒙老王酒とかいふ焼酎の宣伝のためドサで歌舞音曲みせるつまらぬ歌舞団であり、街中に延々とうるさい宝くじの宣伝放送が流れており、革命の宣伝はついに余りにも下世話な資本主義の宣伝へと零落。といくら評してみたところで「たるい」。
▼北朝鮮からの拉致被害者5人帰国して半年家族会並びに救う会が代表外務省訪れ五人北朝鮮に遺せし家族並びに他の拉致被害者安否確認推進なきを以て北朝鮮への経済制裁踏み切るよう政府に強く申し入れ。外務省話合い継続姿勢みせるが家族会「ここまで来たからには目に見える結果が必要だ」と反発、と(日経)。経済制裁求めつつ「そののけそこのけ蓮池透」家族会事務局長など「全く進展がない状況で平和的解決といっても無駄。がっかりした」と、これぢゃまるでブッシュ。さすが米国にて米政府高官と対談しただけの箔あり。それにしても何故ここまで家族と救う会に力がついたのか、当然彼ら利用する輩あり、北朝鮮攻撃したくてしたくてしょうがなく北利用しての軍備増強、それをするには家族と救う会利用しての代弁こそ有効か。それにしても拉致被害者も家族も北朝鮮、つぎは日本と国家に弄ばれるばかり。
▼日本ではインターネットのワイヤレスLAN免許制撤廃し登録制へと移行、と。こんなものまたしち面倒くさき免許制であったことも驚きながら、撤廃といっても来秋つまり2004年の秋、つまり1年半後……こういった分野において数ヶ月でもどれだけ技術環境の進歩あるかと思えばこの1年半での損失はかなり大きく、その深刻さが政府など全く理解できておらず。中国の共産党政府だってもっと技術社会に対応しているだろうに。

四月十五日(火)曇。在香港日本国総領事館で在港邦人にマスク(1セット5つ組)配布あり。外地に暮らし13年目、日本政府より物資配給に預かるは初めて。物資供給など中近東だの遠い世界の話と思い、まさか香港にて自らがその恩恵受けるとは思いもせず。で、ブツは、といへば日本バイリーンの使い捨て式防塵マスクのX-1502、日本バイリーンのサイトみるとこの製品ラインアップになく、製造中止で在庫品?などと勘繰るべからず、日本政府に税金すら納めておらぬのにこうして恩恵蒙るだけでもありがたきこと。で、マスクだが「防毒マスクではありません」って注意書き。香港だから疫禍対策ばかりか防塵だけでもかなり有効か……。このマスクの問題は密封性あり口臭強いとか餃子だのドリアン食した場合とか歯槽膿漏患っていたらかなり難あり。中江裕司監督『ホテルハイビスカス』看る。沖縄舞台に愛しさ。不覚にも涙する。悲しくではなく、そのあまりに愛しき空気。なにゆえにこのホテルハイビスカスの家族、そして沖縄の精霊生き続ける集落が素晴しいかといへば、そこに<政治>装置がないこと。偏見も憎しみも<まなざし>に呼応するための社会的コードと化した道徳も其処にはあらず。必見。終って某テレビ局で映画番組構成を職とするW君と邂逅、といっても毎年この映画祭では何度も顔合わせるが次の映画まで半時間ほどあり文化中心のロビーカフェで珈琲飲み暫し款話。湾仔の藝術中心がここ数年いかにダメになったか、台湾映画のここ数年の停滞、山田洋次監督のどこがつまならい部分なのか、などなど。続けて李楊監督『老井』看る。期待よかかなり面白し。物語ぢたいかなり面白いのだが92分におさめた脚本が亦た好し。悪意と善意、その社会性がとてもシェイクスピア的。今回の映画祭のなかで今まではいちばんいい映画を然も二本続けて見られた満足。六月の歌舞伎座は昼の部、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の葛の葉姫が雀右衛門、で、次のが玉三郎の藤娘。京屋で大和屋、平成の二大女形の、これはすごいことだ。夜は夜で曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)、御所五郎蔵・後室百合の方が仁左衛門、愛妾時鳥・傾城皐月が玉三郎、肺炎で陰鬱である日々続き芝居でも見て晴れやかな気分になりたいもの。
▼ 14日の信報に黎加路による隨筆、疫禍のなかそれを忘れ暫し笑えるは英国Guardian紙にあった評論で、香港旅遊局の広告がかなり笑える笑いネタになっている、と。それは非典型肺炎跋扈する香港にあって広告には“Hong Kong will take your breath away”と。よく解釈すれば「香港はあなたを魅了する」なのだが、息できないくらい愕く、では時節柄洒落にもならず。旅遊局はこの広告、肺炎発生の前に製作されたもので、当局はこの広告を“There’s no place like Hong Kong”に変更する、と言ったものだから、「香港のような場所は他にない」ではもっと洒落にならず。この隨筆、笑わせたあとLeslie張國榮の遺書にあった「自分はdepression、一生、なにも悪いこともしてないのに、なんでこうなってしまったんだろう」を挙げて、この疫禍のなかでのLeslieの自殺のこの遺書の文句こそ、いまの香港の人々の心境そのもの、と。御意。
▼ South China Morning Post紙の董建華に対する失礼とすら思えるまでの厳しい論調が昨今話題になっているが、同紙のこの姿勢、香港の世論を代弁する正論か、と信じるよか、親中資本となった背景でのこの論調は寧ろ董建華を選び再選まで支援しつつ今になって中国政府からの董建華に対する三行半ではないか、という憶測もあり。昨日14日の社説“Hu’s southern mission a much-needed step”など先週末のCoquinteau(胡Hu錦濤)国家主席による今回の疫禍に対する広東省視察と省幹部及び董建華との会談を、それがいかに重要であるか手放しにて絶賛、読売の中曽根贔屓の如き破廉恥。勿論、Coquinteau氏が赴南せぬよりしたほうがマシだが、これまでの北京中央のこの疫禍に対するあの遅滞ぶり見れば政府非難されるべきであり無節操なこの社説読めばSCMP紙の変節は明白地。それにひきかえ『信報』は中国政府はようやくこの肺炎が国家イメージ破戒する現実を理解し温家寶首相による北京の病院視察やCoquinteau国家主席の南下など実施されているが、Coquinteauの「香港の困難に対して中央は全力支援する」と宣うがそれぢゃその支援が何かといえば「医療物資及び防護機材の供給」って、信報社説「冗談ぢゃないよ、まったく」といふわけだろうが「香港は豊かであり肺炎に対して欠けているのは医療物資や器材などのハードウェアでなく、内地政府とくに広東省当局との協力体制なのだ」と一刀両断。全くその通り。この社説でも今日15日の社説でも続けて主張するは疫禍にて悲観論、閉鎖傾向に覆われそうだが、現実に感染問題はあっても来港者が激減するような状況だからこそ港内で消費維持だの社会活性化だのを積極的に推進していこう、と。
▼ 『信報』の林行止専欄、疫病の黒死病について述べる。この黒死病、蒙古にて発生し鼠のリンパ腺病毒が虱により急速に繁殖、それが駱駝に乗ってシルクロードをわたり欧州に侵入。1347年より51年に欧州だけで欧州全人口の三分の一に充たる2,500万人が死亡し都市部での死亡率は人口の70%以上、と。悲劇ではあるが結果論であるにせよこの疫病により所謂「暗黒の」中世が終焉迎えルネッサンスだの宗教改革といった、その後の欧州の先驅けがあり、人間は抗体の生造と医学発達してからはワクチンの開発によりこういった疫病を免れてきた、ということ。そして有名な歴史だが大航海時代に欧州よりアメリカ大陸に性病持ち込まれアメリカ原住民壊滅的打撃受け、原住民の間では自らの太陽神がこの悪魔の病に勝てず西班牙人は助かるのを見てキリスト教に改宗が進んだ、と、これはW.h. cNeillの“Plagues and Peoples”が出典。また林行止によれば、マスクも研究に値する。マスクが防止できるのはMycobacterium Tuberculosis(大型肺結核細菌)だけである、こと。N-95型のマスク使用が提唱されるが、マスクの作用は当然有限であり正確に着装して0.3ミクロン(100万分の3mm)のウイルスを防御できる確立が95%であること。実際に市販されているこのN-95は製造元によりかなり品質に差があり、この0.3ミクロンのウイルスを通さない割合0%から92%、米国の疫病管制センター(CDC)の総幹事が「感染者に近づくときはTシャツで顔を蔽うだけでも有効」と言っており、つまりは高性能マスクでもTシャツでも感染を防ぐ場合は防ぐが防げない時はどうしようもない、ということ。林行止氏曰く、マスクの唯一の効能はマスク着装することでの危惧感からの回避、だが、多くの人がそれをすることが恐怖心を煽ることにもなり、外国でテレビメディアで香港ではみんながマスクしていることを見ればさらに恐怖心を煽るのは必然的。つまり総じていえることは、マスクをするかどうか、に絶対的な肯否の答えはない、ということ、と。

四月十四日(月)六日で15本映画みたが藪用あり今日は映画見られず。
▼ 昨日の日経、内閣府による「人権擁護に関する世論調査」にて在日の外国籍市民に対して「日本人と同じように人権を守るべきだ」と答えた日本人は6年前の調査での65.5%から54%まで下落、「日本人と同じような権利を持っていなくても仕方がない」と答えた者は21.8%(3.3%上昇)に達した、と。法務省人権擁護局は「外国人による犯罪が急増し、複雜な感情を抱く人が多くなったこと」を挙げているが、外国籍市民が多くなればその犯罪が増えることは当然で、しかも当然のことながら日本がこれでも経済的には他より潤い、東京が世界都市であれば、そこに集まる者で犯罪にかかわる者が少なくないことは寧ろ当然、紐育も巴里も倫敦も同じような問題はある、が、それがメトロポリスの宿命。寧ろ外国人をいかに積極的に受け入れているか、が大切なのであるし、どこかで余も書いたが外国からの移民を受け入れて少子化する社会で労働力を維持し外部からの知力を導入することが日本が経済回復する重要な方法であることが海外のシンクタンクから指摘されているのに、「やっぱり外国人は怖い」という発想ではどうにもなるまい。「(外国人は)日本人と同じような権利を持っていなくても仕方がない」という、この貧困な発想。外国人であろうと日本に居住し勤労し納税するなり、学生であるなら、日本国民と同様の公的福利を授与する権利はあって当然、香港は現実に同等の権利が供与されている。それにしても何よりも唖然とするのはこの政府調査のレベルの低さ。人権とは国家などといふ陳腐な範疇超える観念にて、守られて当然の普遍的理念。人権護られぬといふことは犬畜生の扱い、といふこと。憲法にもそれ故に基本的人権謳われるのであり人権擁護こそ憲政。犬畜生だとて動物愛護のためには殺人すら辞さぬといふほどの過激派に護られているこの時代に人権すら擁護されぬとは……。政府当局は人権擁護を重視しており、それ故にこういった世論調査して……といふのであろう、が、「日本人と同じように人権を守るべきだ」なる設問の間違いに気づかぬのだろうか。この「外国人も人権が守られるべき」という設問ぢたい国家=政府がそこまで人権を守る必要はない、という考え方もある、という前提。本来ここで問うべきことは「外国籍市民に対する公共福利について」、つまり生活権であろう。それを仰々しく人権などという理念持ち出し、それの擁護の要不要を質す政府、憲法の理念も会得できぬまま、そういった人権の否定=違憲といふことなど判らぬまま国民の半数弱が外国人の人権すら擁護できぬ国民性……SARSの疫禍よかもっと恐ろしきはこの貧困なる国家と国民性なり。だから改革を石原に期待することしかできず。恐ろしや恐ろしや。殺し合いの世が訪れるぞよ……って「ぞよ」は大本
▼ 野坂昭如氏の言説がイラク攻撃という愚挙に遭遇しアルコールの攻撃に負けず素晴しき活性化果している。以下、全面的に引用。
指導者立像が「民衆」により無惨に引き倒される。少し異様な印象で、解放軍としての、米戦車を歓迎する市民。決して大群衆じゃない、カメラの周辺、少しフルと人影まばら。かつて皇軍が南京占領、これで「事変」終結とみたら、以後、泥沼に引き込まれ、確保していたのは、危なっかしい点と線だけだったの記憶があるせいか、各紙一面「イラク崩壊」の文字に同調できない。
これも昔話。米進駐軍がジープの上で、にこやかに笑いつつ、あわれな姿の日本の子供に、ハーシーのチョコレート、リグレーのチューインガムを手渡している写真、ぼくの知るか限り「ヤラセ」だった。GI達は常にカービン銃を持ち2人連れ、子供たちには、チューインガムを離れた地点から放り投げ、子供の争って拾う姿を笑って、時に銃撃つ構え、たちまち子供は逃げる。ギブミーチューインガムなんて口にして、GIに近づく子供はいなかった。
大人の中の、少し英語の出来る手合い、実に卑屈な表情で、GIに近づき、ハウドゥユゥドゥなどと言って、煙草をねだった。これはよく見た。シガレットを「滋賀劣等」との発音も耳にした。頂戴したガム、端からまるめて口に入れ上品ぶる奴もいた。
バクダッドにおける、「解放軍」と市民の交歓風景、あやしいものだ。そして、この市民たち、TVで見る限り、それまでのイラク人の誇りまったくうかがえない。知識人、学生、普通の母親はどこへ行ってしまったのか。(以下、略)

四月十三日(日)曇。疫禍続き精神的な疲労ないとはいえず。ふと気がついたマスク着用の効用。まずバス停での排ガスに効果覿面は勿論だが大気汚染の香港ではマスクしていれば鼻のなかが汚れないほど。具体的にはどれだけ今のマスクが高性能か、といえば鼻クソが黒ずまずせいぜい灰乳色なほど。愕き。そして映画館の厳寒のなかでマスクするとかなり呼吸が温かく楽。この疫禍過ぎ去ってもマスク離せぬかも。午前、週刊香港の連載原稿呻吟。昼から映画看るのにタクシーにて中環、天星小輪で尖沙咀に渡り文化中心に赴けば上映作品異なり見たい映画は尖沙咀東の科学館と判り上映時間五分前に慌てて科学館。香港電台制作のテレビドラマ『香港香港』から81年の『江湖再見』と83年の『蒼生』、それにこの『香港香港』の前シリーズである有名な『獅子山下』の『小童老同』看る。『獅子山下』にては『小童老同』が少年の麻薬問題を取上げているように貧困であるとか社会道徳などが取上げられていたのが『江湖再見』は10代の中学生の非行と妊娠を取上げる。興味深いのは日本で3年B組金八先生での杉田かおるの妊娠が79年、マッチ髪型した若者が多い83年の香港、この妊娠したA子に友人B子が「深センに行けば堕胎が安くできる」と提案しているのも興味深い。?小平復活し四人組追放、華国鋒失脚し開放経済唱れた第十一期三中全会の開催が78年、80年に経済特区開発が決定され深センの都市化進むのだが、その三年後には中学生に深セン堕胎が話題になるこの進展ぶり。この妊娠したA子は彼と結婚して愛でたく出産するのだが半学半勤の旦那との口論の最中、夜泣きした赤ん坊うるさく泣き止まず不意に枕で赤ん坊の泣き声抑え、B子はチンピラのレコとなりのだがそのチンピラに別なナオンがいることに腹立ち二人に硫酸だか浴びせ、A子とB子が再会した場所は鑑別所。『蒼生』は80年代の香港、中国の開放経済の恩恵で経済発展著しいなか佐敦の廟街を舞台に、まだまだ生活環境苛しき貧困があることを物語る。3時より香港電台製作の別なテレビドラマシリーズで『郷曲』といふ農村描いたドラマと『Goodbye Suzie Wong』といふ映画『スージウォンの世界』の主人公・酒場の女スージーのその後の半生描いたドラマ看る。スージーは湾仔での酒場女していて麻薬に溺れ更正施設での物語、張敏儀女史プロデュースで期待したが、Suzieが余りに普通のオバサンすぎてドラマとしては面白味缺ける。銅鑼灣のSony Style訪れ、先日買ったデジカメのMemory Stick用のPCカード購う。小売業深刻な打撃といふがそごうのあるビルの16階にかなり地味に存在するはずのこのソニーの直営アンテナショップはソニーの一人勝ち象徴するかの如く盛況。帰宅して夕食。自宅にて夕食かなり久々。夜9時から湾仔詩藝にて台湾の鄭文堂監督『夢幻人生』看る。アルタイ族の男とその家族、都会の孤独な若者の物語だが93分の映画で人間関係などかなり理解できず、帰宅して調べたら『瓦旦的酒瓶』なるテレビドラマあり、これの筋を読めば(こちら)この『夢幻人生』で判り難い登場人物の関係がなるほど、と理解できるのだが、映画だけでは山の物語と都会の孤独とはわかっても、せっかくアルタイ族のミュージシャンYu Lao Yu Gan、莫子儀と呉依亭の美少年少女コンビ、それに古本屋の主人役が戴立忍といいキャスティングでも筋が漠然としすぎて活きないであろう。莫子儀は鄭文堂にとって楊徳昌監督が張震を見出して育てたような感じなのだろうか。帰宅して統一地方選挙、東京都は当然の如く石原の圧勝。さいたま市議会選挙では北区にて立候補した畏友吉田一郎君(月刊『香港通信』元編集長)惜しくも落選。石原の当選は、これだけ思想的には毀れている人でありながら実際に首長として政治が毀れている中では実際の都政改革が期待できることを期待するには石原のような輩じゃないといけない、という都民の支持。それにしてもこんなのが都知事に選ばれ、その改革に期待するしかない、のならもうかなり末期的。ただ一つだけこれは注目に値することだが歌舞伎町の有力な台湾系資本家であるとか、私の近くでも華僑で日本に帰化した友人であるとか、第三国人の一員であるはずの当然石原を激嫌しそうなのに石原支持。石原を否定することは簡単だが、では石原にかわる都知事を選べぬのだったら何もいえぬはず。都知事選に当選だけなら青島幸男でもできたわけで永六輔なら石原に勝てるかも知れぬ、が、実際に都政運営しこのひどい状況で改革をできるか、となると実務的には石原を越える「スター」は存在しないのかも。吉田一郎君は最下位ながら8議席に10人立候補し最下位当選との票差は3500と2500だかで千票さ。政党支援も資金もないのだから善戦も善戦。ちなみに彼の首長は全開の大宮市議会選挙立候補の時から、今回のさいたま市への合併、政令指定都市化のなかでの大宮存続、で彼はやっぱり大宮市民の会の会長。大宮市バーチャル亡命市役所なんてサイトもあり。
▼多摩在住のD君より米英のイラク攻撃での生々しき被害者の画像のせたサイト教えられる。これが戦争の現実。米軍の「アゴ、脚、枕付き」に参加した従軍ツアー記者の報道ぢゃなく、これを見ないといけないが目を蔽いたくなるのは事実。なぜこれが赦されるのか……戦争は平和である、というジョージ・オーウェルが『1984年』にて書いていたプロパガンダは本当だったのですね、とD君。

非典型肺炎。香港だけで4月12日現在、1,059名の感染者、死者32名、医療支出だけでHK$250Million/日(4,000万円)、164便の飛行機欠航、26,000名の旅客減、深センとの羅湖の境界を通過する客は97,500名減、10,000社が倒産の危機……これがたった一人の運んできたウイルスから災いする。
昨年末より広東省にて謎の肺炎広まる。白酢が効力あり、と酢ブーム。
2月22日 64歳の広州中山大学の感染症専門の医者が来港。結婚式参列のため。太子の京華酒店9階に宿泊。この医者がIndex Patientとなり感染拡大、7名の海外からの旅行者がこれに感染したまま離港。
2月24日 衛生署、この医者入院する廣華医院を検査。
3月4日 この医者が亡くなる。
3月6日 京華ホテルに宿泊して、その後ハノイ訪れていた米国籍中国人、香港に戻りPrince of Wales Hospitalに入院。13日に死亡。
3月8日 Prince of Wales Hospitalにて医療関係者の感染広まる。
3月11日 衛生署、この感染症について初めて正式にコメント。
3月13日 ハノイにてその感染者を診断したWHOの医者がSARSについて警告。
3月19日 非典型肺炎と思われる感染者、Prince of Wales Hospitalへの入院相次ぐ。いくつかの学校が休校措置。
3月22日 九龍地区のアモイガーデンの住民に感染者、Prince of Wales Hospitalに入院。
3月24日 Prince of Wales Hospital視察した医療管理局高官が感染。
3月25日 教育統籌局、香港の全幼稚園、小中学校の休校措置決定。
3月26日 アモイガーデンで感染増大始る。
4月1日 14歳の作製した疫埠記事がインターネットで広まりパニック。アモイガーデンの感染者、日に237名。
4月2日 WHO、香港、広東省への渡航自粛を要請。
4月3日 教育統籌局、学校の21日までの休校措置延長決定。
4月4日 英国航空、カンタス航空、香港への直行便欠航決定。
4月8日 九龍のそのマンションに隣接する公共団地で30余名の感染。ゴキブリによる感染か。
4月10日 70世帯に対して14日より10日間の軟禁措置決定。アモイガーデンE座の住民、軟禁措置解かれ帰宅。ウイルスはこのマンションE座のトイレの下水で拡散と解明。
4月11日 香港の空港から出発する全ての搭乗客の体温検査開始と決定。
こうして並べると深刻な時代だが、Z嬢曰く、これだけの疫病がわずか1,000名余の感染で済んでいることは客観的に評価されるべき、と。確かに。
13日の蘋果日報、1面で大きく「國泰準備全線停飛」とキャセイパシフィック航空の飛行全面停止?、実際はそこまで至らぬものの、キャセイのCEOが社員に対して現在42%のフライトが運行中止しており19機が待機、正常運行は30%のみで通常は日に30,000名の搭乗客が現在は10,000まで減っている困難な状況を通告、毎日の損失額はUS$300万、と。これについて野村證劵の分析ではキャセイは現金がHK$130億で、負債比率は3割、かりに毎日US$300万の損益が続いても手持cashで18ヶ月となり、今後フライト削減が続き最悪の場合、全面飛行停止になっても3ヶ月猶予あり、倒産を含む深刻な経営危機には至らぬ、と。そういう内容でその見出し、どうにかしてくれ(笑)。
いずれにせよこの打撃、香港がこれまで蒙った危機のなかでは、かつてのコレラ蔓延、日本軍による香港占拠に続くほどの戦後最大になりつつあり。経済危機であるとか文革の影響受けた香港暴動、天安門事件、中英合意による香港返還などあったが、少なくとも海外からの来港者がここまで急減し市街が閑散としては第三次産業は壊滅的打撃。

四月十二日(土)曇。朝五時に寢て八時起床。目覚めに老境を覚えざるを得ず。ジャスコの薬局にてサトウ製薬の高性能マスク、携帯消毒噴射液購ふ。昼前に湾仔詩藝にて陳善之こと劉鎮偉監督『92黒?瑰對黒?瑰』1992看る。92年に見逃せし梁家輝主演のコメディにて60年代の粤語片黄金時代彷彿するオーバーな演出に大笑い。佳作。昼にZ嬢と落合い曽文珍監督『春天:許金玉的故事』2002(台湾)看る。台湾の50年代の国民党蒋介石政権による白色テロ、この作品は台北郵便局で起きた内省人による待遇格差是正抗議に加わった首途で15年牢獄にあった利発的な許金玉女史(81才)の半生辿るドキュメンタリー、台北で6000名が処刑されたといわれる馬場町の処刑場跡地、政治犯収容の緑島などを巡る。遅い昼餉とInter-Continental Hotel、かつてのRegent Hotelから一昨年?Inter-Contiとなり宿泊、食事どころか入ったのも初めて。ロビーは本当に投宿の客おらずロビーカフェも人っ子一人おらず。さすがに階下のダインHarbour Sideこそそこそこ客おり安堵、Club House SandwichとCaesar Salad。坂本順治監督『ぼくんち』看る。瀬戸内海の小島、その島の「おもて」に対してさらに「うら」と呼ばれる辺界の小さな集落の物語にて、どこかで見たことのある風景と思えばこれは黒澤明の『夢』にでも出てきそうな人々。余にとっては何よりも宝塚のベルサイユの薔薇の鳳蘭がすでに孫もつ役とは。Z嬢、この坂本監督、てなもんやコネクション?と尋ねられたが調べたら違っていた。Z嬢は科学館に北野武『淺草キッド』看に行く。さすがに睡眠不足で日に5本の映画は易しからず、ジムで一浴し文化中心に戻りFernando Meirells監督の“City of God”(無主之地)看る。リオデジャネイロのThe City of Godとよばれるスラム舞台に、10代の少年たちが余りにも易しく拳銃を得て誰彼なく何かあれば銃殺、その命は酒一瓶より安し。このThe City of Godに育ち、ひょんなきっかけにて新聞社の坊やとなった少年、偶然撮ったそのゲットーの少年ギャングの写真が記者の目にとまりカメラマンとして採用され、ゲットーの組の抗争にて警察の癒着まで写真に収める機転きかしスクープ、この映画は実話。確かこの映画、スラムで撮影するだけでなく貧困にてさして収入もなき若者たちを映画に出演させて、出演料を僅かでも払う上に収益からスラムか環境改善の基金創設したはず。Z嬢と海防道街市の徳發にて閉店間際に牛南麺、隣家の合香園の凍檸茶。文化中心に戻り陳果監督『人民公厠』、もっと厠を舞台にオムニバスかと期待したが北京、釜山、紐育、印度とへんに話を結びつけてしまい、正直言って撮影海外旅行で終ってしまった感あり。よくわからぬがアベツヨシなる青年、北京語堪能にて北京舞台の主人公演ず。Z嬢とビール飲みつつスターフェリーにて中環。ちょうど市大会堂にても映画跳ねたらしく数名知った顔出て来るを見て何の映画かと調べれば異色作Carlos Reygadas監督の“Japon”、公厠択び“Japon”見逃したかも……次回上映で必須。
▼ 10日の日経にもあったが人民解放軍に属す北京の301医院の医師・蒋彦永氏、政府の非典型肺炎感染者北京で19名という公式見解に対して氏の病院だけでも患者は46名と明言。良心の呵責であろう、中国政府に正確な情報の公開を訴える。
数日前、Sony のデジカメCyber-Shot購ふ。ほしかったのはLumixなのだが、それでなくてもホームレスの如く荷物多く、毎日持ち歩くにはLumixでも大きすぎ。で、この画像は
Inter-Continental Hotelのロビーカフェ。土曜日の午後、客おらず。Top Endのホテルの客室稼働率1割をきっているそうで夜中に中環のMandarin Orientalも東側の部屋で明かり灯るは3室のみ。
尖沙咀海防道街市にある牛肉丸にて有名な徳發。この街市、イスラム系の肉屋多く、当然、豚肉は売らず。この徳發が牛肉麺であることはそれと関わりありやなしや。

四月十一日(金)曇。不思議と、当初はマスクする人が怪しげに見え、自分がすると照れくさく、いずれにせよ慣れぬマスクがいつの間にか装着していることが当たり前となり、寧ろマスクせぬ人を珍しいものでも見るように見ている自分がいる。マスクもここまでくると文化のようで、あ、あの人はマスクが似合う、とか、このマスクはカッコいいだの、これはダサいだの、いろいろマスクについて価値基準あり。個人的に最にナイス〜!と思うはユニチャームの超立体型マスク。まさか男にうまれてユニチャームのお世話になるとは思いもせず。今回、疫禍にて香港で突然マスク普及したがこれを機会に感冐や咳、花粉症や煤煙、大気汚染などの対応にマスク利用されるべき。イラク攻撃、バクダッドも陥落、米軍笑顔で迎え入れる市民の表情、不思議なことはテレビの画面につい先日までは米国を倒し死を代償にしてもフセインを守る、と豪語する市民が登場していたのが、いまは親米の笑顔ばかり。なぜこうもきちんと入れ替わるのか……マスコミ取材の意図的さ露骨。張國榮の自殺まだまだ週刊誌中心に記事並ぶがちなみに昨年の香港の自殺者数988名、人口比でいえばわずか0.016%にすぎず、人口10万人で16.4名、ちなみに日本はこれが25名を越える世界一の長寿国兼自殺大国であるそうな。非典型肺炎の防疫も重要だろうが、長寿と医療衛生の充実のなかで人が自らの命を断つ現実……。晩に張作驥監督(台湾)『美麗時光』看る。青春、チンピラ、事件に巻き込まれての死、といふいかにも台湾らしい青春モノ。北野武にはもはや許されない素朴な悪くいえば粗い作りは台湾でこれなら許されるかも。主人公役の二人の好演。映画の合間にZ嬢と尖沙咀はHanoi Rdの朝鮮料理・梨花園。ユッケビビンバ秀逸。參鶏湯は秘苑のほうが朝鮮人参は上質、味も洗練されているが、この梨花園のこってりとした參鶏湯もこれはこれで美味。23時に尖沙咀の星巴、ノートブックでワイヤレスLAN使えるのだから便利、深夜、塚本晋也監督『六月の蛇』看る。途中までかなりいい緊張感と切迫、不安定な関係の夫婦、その夫婦を脅かす癌末期症状のカメラマンといふ三人の物語、それを見ながら、じつは「いつ塚本晋也といへば『鉄男』のあのリョロリョロ、チューブみたいなあのクネクネ」が突然身体から出てきたりとか……それだけは「絶対にありませんよーに!」と願っていたのだが、やっぱり、あった(笑)。Z嬢曰く、きっと台本にはないのだけど、じつは大道具にはちゃんとあのチューブがしまってあって、監督が突然発作おこして「おい、出せ!」というと大道具さんがチューブ出すのでは?、と。確かにw。べつにチューブなくてもいいし、拳銃も要らないし、旦那役をあそこまで禿げデブにしなくても、と思うのだけど、どうしてもそれをやってしまうのがそれが塚本作品なのだろう、とこれはもうそれを受け入れるしかないのだ、と痛感。
コンコルド旅客機10月でついに完全引退決定。子どもの頃にこのコンコルドとジャンボ747に乗ることを夢見て、747こそ大学生の頃にパンナムの成田?香港線で夢を果したが、このままではコンコルドは終に乗れぬまま、か。ちなみにコンコルド、67年にパンナム、AA、TWA、UA、カナダ航空、カンタス、日本航空、ルフトハンザ、Continentalなど16航空会社74機のOption(購買契約権)があったが実際に72年には英国航空に5機、エールフランスに4機しか売れず、英仏は16機製造し、そのうち4機は試作機ですぐに引退、結局、残り4機を79年に英仏の両航空会社が買い受け。かつてはパリからリオデジャネイロ、ロンドンからバーレーンなどまで飛ぶ。
▼ 野坂昭如氏バグダッド駐在、命懸けの現地リポート諸氏に向かって曰く、「御苦労様。一つだけ注意しておく、弾丸、爆弾飛沫の音を耳にしたら、首をすくめるんじゃなく、親指を耳、中指人差し指で眼を掩い、薬指で鼻の孔をふさぎ、口を大きく開ける。突っ立ったまま肩をすくめても始まらないよ」と。本当に自分が爆撃を受けていないとわからぬこの感覚。覚えておこう。
▼ 信報林行止専欄より抜粋。 “The Story of Civilization” の大著半世紀かけて上梓したDurantの“The Lesson of History”によれば泰西で有史以来3421年の歴史のなかで戦争おきておらぬのは僅か268年。戦争こそ常態か。林行止は20世紀の独裁者と殺人としてヒットラー、レーニン、スターリンと同列に毛沢東挙げ(これは中国にとっては侮辱、だが革命の功績がどれだけ偉大であろうと大躍進、反右派闘争と文革での悲劇は「大量殺人」であり、これは否定できず)、リンカーンとて黒人解放が称賛されるが彼の命令にて殺戮された南軍と原住民の總數は62万人強(当時の米国の総人口3000万人満らず)、これは経済学者Dilorenzoの“The Real Lincoln”(2002)にて明らかにされた事実でリンカーン像をかなり下落させるもの、と林氏紹介。今回のイラク攻撃はこの殺人容赦なき独裁者征伐しての民主化が目的とされたのだが、では具体的に民主化はどのように進んだか、といえば、米国の「自由の家」の調査によれば、1900年当時、世界には完全普通選挙(男女均等)実施する国家はなかったのが20世紀末には192の国家中119(62.2%)が普通選挙実施。1950年に民選制度の国家に属した者は7億4320万人(地球人口の31%)が現在では34億4390万人(同58.2%)となっている。ちなみに民選国家数の62.2%と民選国家人口の58.2%に開きがあるのは人口多い中国が一党独裁など権威政権国家に属すため、と林氏またも中国激怒するような指摘あり。これだけ見ると20世紀のうちに地球は民主化された、と見える、だが、確かに1950年以前には12国あった極権政権(Totalitarian Regime、つまり北朝鮮などの完全自由剥奪の超管理国家)こそ20世紀末には5国に減ったものの1950年以前、この一党独裁などの権威政権国家はわずか10国のみで人口は1億2200万人(5.1%)だったのが中国などの加入により2000年には39国、人口19億6770万人、これは地球上の人口の三分の一が非民主的国家で抑圧下にある、ということ。つまり民主化は進展しておらぬ、といふ結論が導かれる。で、イラクはどうか?、フセイン政権が打倒され民主国家が建設されればアラブにて初の快挙、これまで首長制にて石油が国有という名のもとの王家資産となっていたものが私有化され、これにより競争原理働き価格も下落、これが米英がイラク解放することの世界経済への積極的意義、と予想以上に林氏は肯定するのだが、果たしてそうだろうか。結局、首長が牛耳っていた石油資産が大手石油メジャーの手に落ちる、ということ。それで富が分配されるだろうか……そんなわけなく、実際には首長らよか大手メジャーの策略はもっと侮れず。少なくとも石油有する首長国家にあっては国民に自由の代償として石油利潤が無税であるとか社会福祉といった部分で頒たれていたわけで(封建制下社会の肯定部分)、外国石油メジャーに牛耳られた場合、当然のことながら利潤は根こそぎ略奪されるわけで、地元にかつて首長が頒ったような利潤投下はないのは明白。
▼朝日の「戦争と宗教」なる特集に宿敵?曽野綾子女史の「政治が語る神は方便」という取材記事あり、冒頭で「ブッシュ大統領は宗教心のあついクリスチャンといわれています」といふ問いかけに曽野女史いきなり「ブッシュ大統領のしていることはキリスト教に反しています」と断言。ブッシュの手法を「限定的な復讐法である「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典に近い」という発想はちょっとステレオタイプすぎてハムラビ法典はそればかり強調されている間違いなのだが、それを除けば先生の御説、拝聴に値し「キリスト教における正義とは「少数民族が圧迫されない」とか「冤罪がないこと」といった通俗的なことではない」のであって、それは「神と人との折り目正しい関係」のみを指し、狂った人や残酷な人がいるからといって「その宗教を裁いてはいけません」と(上祐先生が聞いたら喜ぶはず)。そして自らの戦争体験から「戦争とは人が死ぬもの」で「日本人の中には無辜の市民を殺すのは悪いという人がいますが、非戦闘員が死なない戦争などあり得ません。それが戦争です。だから戦争は悪いんです」とまさに正論。『正論』で展開される論調とはずいぶんと違った、いかにも朝日に載りそうな正論で曽野先生変節?とすら思う。全く先生の言う通り。だが「戦争は政治がやるもの」で「私は政治は嫌いだし、自分でできるとも思っていません」ってところで「あれっ?」と思わざるを得ず、日本財団会長って政治的じゃないのかしら……。よくわからぬまま読み進めば、日本政府の米国支持について「外交のまずさだと言うのは簡単ですが、そうさせたのは国民とマスコミ」と、それは正論なのだが、やっぱり最後は曽野先生らしく「日本は自分で自国を守る方法をもっていない」「日米安保だって信じられるものではありません」(これは同意)、で「自国を守るだけの最低限の軍備をもつべき」で「自国は自分で守らなければならない」と。……。結局、やっぱり落ち着くところは軍備(笑)。でも自衛隊ってすでに軍備としては最低限どころぢゃないんですよね。その上、曽野先生の最大の矛盾は、国を守る、っていうと聞こえいいですが、相手が攻めてきてそれに応じたら、これは戦争、つまり先生の言うとおり人が死に、これは悪いこと。しかも現実的にイラク攻撃見ればわかるとおり、今日の戰鬪兵器の時代は国を守る最低限の軍備なんかじゃ最初から国なんて守れない。だったら本当に人が死ぬ悪い戦争をしたくないのなら、本当にそのキリスト教の正義があるのなら、陳腐な自国防衛の軍備、じゃないと思うのだが、どうだろうか。いずれにせよ朝日の変節天晴れ。もうこの曽野先生の論調ぢゃ朝日だか読売だかわからぬ。それじゃやっぱり朝日読む必要なし。
▼中国政府ようやく非典型肺炎を法定伝染病に指定。発生から五ヶ月。国際会議などの中国での開催回避など顕れ、中国の情報非公開への非難などにようやく重い腰あげる。信報林行止専欄も指摘するは今回の肺炎対応の遅れは「二大」開催故、と。二大とは今年三月に開催された第九期全国人民代表大会と中国人民政治協商会議第十期大会であり、国家の威信にかけて江沢民からCoquinteauへの政権移譲を安定して行うこと優先のため疫禍などといった負材料は大きく採り上げられぬ背景あり。結局、疫禍も政治的に扱われる事実。これは北京の医者が暴露したことで、疫病の拡散について「家醜不可外揚(家の恥を外に言うべからず)」ということでこの二大の成功目的として防疫が等閑にされていた、と。林行止指摘するは、この医者も基本法23条の公安立法によれば「国家機密漏洩」にて処分対象。
▼ 蘋果日報の蔡瀾の隨筆、この人は映画プロデューサーであった当時の映画に纏わる話など書いていた当時がよかった、とかつて余も述べたが、ここ数日、自分の企画する旅行の話などでなく(この肺炎疫禍でツアー旅行も企画倒れかっ……?)珍しく映画を語り、期待。しかもコッポラの『地獄の黙示録』だ。制作費上限なしでフィリピンでベトナムを想定したロケ続き、蔡瀾氏語るに、このロケ、資材調達が香港の蔡瀾氏が所屬したショウブラザースだったそうで、その裏話など面白く、そう、こういったネタこそ蔡瀾氏ならでは、のはずのだが……悲しいかな、精神的にもかなり緊い環境である上に台風で撮影地は壊滅的打撃うえ撮影中断が伸びるなど悪条件下で監督も出演者も精神錯乱状態、とそれは事実なのだが、最後、「というわけでコッポラは気が狂ったままで、その後、黙示録を越える作品は撮れなかった」と。否定的にこう書く必要もなかろう。蔡瀾自身、この黙示録(2001年)を絶賛しているように、これは映画史上に遺る傑作、かりにコッポラが正常であってもこの黙示録を越える作品の製作が可能だったか、といえば、どうだろうか。黙示録を完成させた段階でコッポラは使命果たした、と理解すべき。どうしてもやはりこの蔡瀾という人の感覚が余は生理的に受け入れられず。
▼ 九日に書き忘れ。八日に『たそがれ清兵衛』開幕上映であった山田洋次監督、じつは九日に夕刻『小津を語る』という記念講演も予定されており、当然これも中止。かなり期待していただけに残念。小津といへば『週刊香港』の香港国際映画祭特集記事で映画評論される世良田さんが小津を褒めるだけでなく、ちゃんと森繁の「映画じゃなきゃ撮れないものをとるのが映画」という小津作品を否定的にとらえたコメントも紹介していたのは偉いなぁ。森繁といえば「映画は何でも捕らなければならないが「ローポジ、パンなし、移動なし」では戦争映画は撮れないだろう」とやはり小津のローアングルを揶揄した発言もあった、と思い出す。確か小津も森繁を「いい役者で、どんな演技もできるが、ニ度と同じ芝居ができない」と言っていたはず。

四月十日(木)小雨。香港映画祭。二更にChristian Frei監督の『War Photographer』(2002年スイス)見る。悲慘な戦争、貧困の現場を撮る写真家たちのドキュメンタリー。淡々と。記者のカメラにつけられた小型ビデオカメラが戦争で傷ついた人々、死者默々と写すのだが、そのビデオカメラのアングルの下部に記者が撮影するカメラのウィンドウが映り、そこの数字(シャッタースピードと絞り)が困難な状況での撮影でありながら被写体にあわせカメラマンの操作で数値が刻々と変わりのが見える、その絞りや露出補正する操作の指先とダイヤルも映っていて、見ているとやっぱりプロは凄い、と。この映画にしても昨日のNaqoyqatsiにしても政治的といえばかなり政治的、であれば香港映画祭で政治的作品回避される、ということは事実に反する。だがよーするに中国、香港にかかわらなければいい、とそれだけのこと。政治に敏感なのでなく中国、香港に敏感。

四月九日(水)曇。朝八時にマンション出てミニバス乗ると感染者出た棟より偶然か朝早くから運送会社のトラック止まり引越し。肺炎からの避難かマンション封鎖されること恐れての措置か。ふと、もしかすると大切なニュース読んでおらぬのではないかしらとふと心配になり一週間分の朝日新聞に目通し。さしたる記事もなく?安堵。連日4頁のスポーツ記事要らぬし地球防衛家の人々が読めぬ程度の不満。天声人語のインターネットのネタ盗用疑惑にて週刊新潮告訴という記事を笑った程度。昨日に引き続き香港藝術中心にてGodfrey Reggio監督『Naqoyqatsi』看る。人間の行為に基づく戦争の有り樣、そしてそれに対する平和へのメッセージが映像とナイスな音楽にて繰り広げられるが正直言って90分長すぎ。せめて30分の映像に集中したら効果的でなかろうか。続いて北野武監督『Dolls』看る。最初に文楽で曾根崎心中見せられれば結末まで見えてしまふのだが何故敢えてさふしたかといへば曾根崎心中の筋知る者には不要ながら必要なのは当然、心中物知らぬ観衆、具体的にはカンヌの審査員のため。設定と筋ぢたいはかなり好し。結婚まで約束した彼女裏切り逆タマの結婚決意したものの彼女自殺図り未遂にて気がふれたこと結婚式当日に知り彼女の許へと走り放浪の旅続けるカップル(二人で紐につながれ乞食)、30年前の彼女への再会を願う暴力団親分と気がふれたように30年その彼の再來を待ちつづけるその女性、アイドルのおっかけの青年はアイドル顔面損傷にて引退し自らはその偶像を忘れぬため目を傷つけ失明……と三組、気がふれておらぬのは親分とアイドルなのだが極道と芸道に生きる者は中上健次の物語を持ち出すまでもなく異人にて、つまり六人六樣常人に非ず。この異人描いたこの作品、もし中上健次が生きていて脚本にでも參加していたらかなり、のはず。ただ殘念なことはあまりにカンヌの賞狙い露骨にて、いかにもフランス人好きそうな不条理だの幻想だの、と。ただ映画的な技巧として、これまで作ってきた北野世界とは異なるため正直いってその主題に見合うだけの映画としての技巧が滿たされず、でカンヌでは賞はとれず、といふことか。
▼築地H君より。もはや笑い話にするにもレベル低きことながら、またも我ら愛読するw産経新聞からの引用だが、教育基本法改正について改正が不徹底と不滿な新しい歴史教科書をつくる会の事務局長のコメントは「教育基本法改正案は、いまだ憲法を前提にしていることが遺憾」と。「あーた、法治国家において憲法を前提としない法律というのは存在できないのですが……」と、確かにH君ぢゃなくてもそう思うよね。こういう人たちが「公民」の教科書までつくろうとするんだから、無知というのは強いもの。

四月八日(火)昨晩読み残しの『反逆の獅子』ミニバスにて読み耽り北角葬儀場のまえ過ぎるも忘れLeslie張國榮の葬儀の朝の様子見逃す。昨晩の通夜には萬千の参列者あり隣せし運動場まで開放。供花は英皇道にまで長く溢れむ。折からの肺炎禍にLeslie急逝、どんよりとたちこむ雨雲。夕刻、近隣に住まふO君より電話あり昨晩遅く帰宅せば深夜にマンション入口にて入念なる清掃作業、一抹の不安覚えつつ郵便箱開けるとマンション管理部より一状ありその棟に感染者出た、と。冷静に自己の衛生に留意するしかなくО君にスミノフのウォトカ1瓶でも陣中見舞い、火事見舞いに差し上げようかと思案。香港映画祭開幕。名誉ある開幕作品に山田洋次監督『たそがれ清兵衛』選ばれしところ山田監督肺炎禍恐れ来港せず。香港文化中心にて満席切符売切れのところ実際の客の入りは七分。上映前にLeslie追悼し黙祷あり。個人に敬意表す気持ちの有無別にしてさふいつたこと強制されること余は馴染まず。手許の書に目を落す。「たそがれ清兵衛」あまり期待せず看れば、寅さんの自由人としての生活とは異なり、幕末=不況の藩=会社といふ組織での給料とりの侍=会社員の社命と己の信念の間での厳しき生活、なかなか。実直にて?屋上がらぬ平侍ながらじつは剣の凄腕にて、それを潜ませて生きる男、といふ設定、演じるは真田宏之、この平成の時代の往年の高倉健的なる理想像か。終わって万雷の拍手あり。監督なるもの映画上映あり而かも開幕上映にてこれだけの感激あれば肺炎の騒ぎなど脆ともせず来港されれば素晴らし。ロビーに下りると映画評論されるS姐、ライターのH嬢、香港大博物館のA君らと邂逅。外は大雨落雷。視界遮られるほどの豪雨に文化中心前の椰子樹折れんばかりに揺れる。香港いつたいどうなるのだろう、と皆で思案。香港の不安象徴するが如き風雨、これで一掃されるほどの疫病にも非ず。続いてJonnie杜監督の『PTU』。明日の夕刻にも上映あり夜も10時過ぎての上映、明日看ようかと思案もするがどうせ今帰っても雨に濡れるだけ。PTU、深夜の尖沙咀舞台にヤクザとのふとした絡みにて拳銃失くした刑事、警邏の警官ら、エリート警部らが組織の中での立場鮮明に立ち回りる樣の差異面白く、偶然にも「たそがれ」も「PTU」もテーマ同じ部分多し。深夜零時近くに劇場出るとすでに雨止みPTUの映画の如くひとけなく静かな尖沙咀、肺炎禍に豪雨にて事の他閑散とす。帰宅。拙家の棟のロビーにも同じ一帯の近隣のマンションにて感染患者発生との貼り紙あり。『反逆の獅子』読了。深夜、新聞読む。William Tang君の『信報』火曜日連載の秀逸なる隨筆、今回は当然の如く追悼。さすがに気の動揺抑えきれぬ文章。
▼ 香港映画祭について無署名の評論『信報』にありドキュメンタリー作品『皇家香港警察的最後一夜』の製作者劉成漢氏非難するは香港映画祭の政治敏感(政治的自主規制)にて、本来ドキュメンタリーなるもの映画の重要なる形態にありながら、これまでも『香港製造』であるとか『等候董建華發落』など政治色ある内容の作品悉く退けられし事実あり、と。主催者側今回も呉仲賢的故事など政治色ある作品も上映されている、と反論。
▼昨日の『信報』林行止専欄にてイラク攻撃と肺炎禍取り上げ碩学林行止冷静に不安材料ばかり乍ら社会不安定にて株安の時節こそ実は投機格好の時季なり、生化学、薬品など扱ふ企業への投資良好、と紹介。

四月七日(月)雨。わが国に強靭なる細菌、悪疫すら防ぐ効力「えんがちょ」あり。由来知らぬが、左右の手、人差指に中指絡ませ「えんがちょ」と叫べば即刻防御壁出来、外界より自ら遮断される秘伎なり。子どもの遊びのようでいて指のかたちの意味深さに余は空海上人が真言の業、身口意の三密想像す。謂れもわからぬが余は勝手に「縁が」「ちょ」、「ちょ」は一瞬「緒」の字当てると思ったが「縁が緒」ではそれが縁で緒になっては、この語の原意の縁切りどころか縁結び、これでは防御にならず、そこで「えんがチッ」なら(広東語の発音汲んで)縁が切(Chit)なのだが、これも無理あり。「縁がちょん切れる」の略か、とも思う。この「えんがちょ」、左右の手、人差指に中指絡ませ左右で二つできるのだが、子どもらの間にては更に薬指と小指にて左右で二つ出来て計4つ、更に左右の親指絡ませれば計5つ。一つより二つ、二つより三つとさらに効果絶大、左右の腕絡ませ六つ、両足絡ませ七つ、さすがに足の指にて「えんがちょ」難しいが七つまでした「七重えんがちょ」まですれば、非典型肺炎など何のその、これ古来よりの仏教の秘業と銘打ち銅鑼灣のそごうの前でこれすればかなり怖がられるか。いっそのこと香港総領事、肺「延」に惱む香港に日本古来の伝統習法とこの七重えんがちょしてみせるとか、即「南極大使」に左遷されるか。閑話休題肺炎また感染多少高まり40名余感染。そろそろマスコミも感染ネタだけでは面白くないか、蘋果日報一面は行政長官董建華感染の場合の臨時長官は司政司長・梁愛詩有力とどうでもいい話題、紐育時報にはこの肺炎は中国の細菌兵器製造実験にて洩れ出た細菌によるものだといふ説もあり。日本での肺炎禍の話題盛況、TBSにては(4日だかの報道だが)香港より日本に一時「罹災」の主婦、成田空港にて「やっぱり子供が危険かなと思いまして。(香港では)一歩も家の外に出られない状態でした」と語るが、「一歩も家の外に出られない」のは軍事クーデターで戒嚴令が施されているような場合であり今回の肺炎はたんに「あなたの判断」で「一歩も家の外に出なかった」にすぎず。それがこう表現されるだけで平和ボケ日本にては無知な視聴者が「あらまぁ大変よねぇ、ちょっとお父さん見てよ」と煎餠齧りながら呟く。いちばんのヒットは成田空港にて「私たちが住んでいるマンションは山の上にあって、わりと下界とは離れているので下に降りないようにしていました」と宣った主婦(ニュース画像はこちら。陽明山荘居住といふ噂だがたかだか駐在員の妻の身分で「下界」発言には恐れ入ったもの。香港にては下界に金輪際下りるべからず。肺炎が拡がっているのではなくパニックという疫病が社会覆う。人の浅慮ばかり目立つ今日この頃。小泉三世はイラクが「早く降伏すればいいのに」発言、これぢゃ明らかに「森以下」。降伏の時期を間違ったがために新型爆弾の被害広島長崎に被った悲惨な過去もつ我が国の首相ゆえの発言か、といふ書き込み見かけたが、この朴訥とした軽薄な発言、この首相のOSの低質ぶりそのもの。産経新聞にて肺炎特集の記事見たつもりが突然鉄腕アトムの誕生日なる記事現れ驚いたが、よくよく見れば「政治」「社会」「経済」なる区分けにて「流行」選んでいた自分嗤ふ。桐山桂一著『反逆の獅子』角川書店読む。大正9年の八幡製鉄所ゼネストの主犯にて第一回普通選挙にて無産階級の代表として福岡二区にてトップ当選、翼賛化の時代、衆議院落選するが石原莞爾の知遇得て満州建国、和平工作など画策、といふ数奇な生涯送った浅原健三の生涯。二年前の春、フィリピンのボラカイ島のリゾートホテルにて貪り読んだ山口昌男『挫折の昭和史』に幾度か名前登場する浅原健三その人。

四月六日(日)小雨。Runnning clubの有志にて青山Castle Peak登る。金鐘よりバスで屯門、市中心よりタクシーで青山寺麓。小雨あがりここから坂道一気に登り583mのCastle Peak、屯門の市街見下ろす絶景。このあたり一帯かつて英軍の野戰訓練域にて立入り禁止、不発弾もありといふ。頂きより急坂下り尾根づたいに双清渓、一縷の水の流れがじょじょに水嵩まして谷間下り臥龍潭の渓谷に出れば噂には聞いていたが静かな渓流岩場を流れおち水墨画の如き世界。訪れる人も少ないのか塵もなく、このような自然の極み、市街地から歩いてもわずか一時間のところにあろうとは。下流より山岳バイクの一行現れる。静寂は壊すがせいぜい砂地に轍と車輪跡残す程度にて風と雨で風化と思えばゴミを捨て岩場に落書きなどするハイカーよかよっぽど自然愛好家か。それにしてもバイクにては風情もなし。大水坑と云われるこの渓流も平地になるに従い海水流れ込むのであろう、水の色も濁り微生物も繁殖、潮臭さ。殊にこの先は珠江の河口、世界でも有数の汚染河川の河口に世界的にも貴重な野鳥生態豊かな米埔の自然保護区ある世にも不思議な世界。その米埔のすぐ隣りが自然破壊と開発著しき深センの福田区の都市が広がっているのだから。で、この渓流下り河口へと出ると右手古くからのマングローブとそこでかつては漁業や農業営んだ下白泥の集落あり、左手はかつて巨大なマングローブであったところが数十年に及ぶゴミ埋め立てにて屯門の火力発電所から続く陸地と化しているのだがゴミから発生したガスなのだろうか独得の悪臭放つ。自然と人間の毀れた文明社会との接点。下白泥という地名もかつてはこのあたり白い土砂堆積しマングローブに樹木繁る自然を思わせる。この村からミニバスで流浮山、ここで同行の有志らは下りて海鮮料理、我ひとり元朗の街までバスに揺られる。久々に元朗の街ぶらつきお下品さでは香港でも有数の場外馬劵場通れば英字紙の競馬新聞に目落す者がかなり多いのは錦田界隈に居住するネパール系住民ら。元朗ともなるとマスクする住民はかなり少なく、いつもの街に佇む者多き週末。公園だの木陰に老人ベンチに腰かけ日がな過ごす。バスで高速ぬけて小一時間で天后。電氣道の大利牛南にて遅めの昼食にて牛南粉。いったん帰宅して夕方湾仔に出ていろいろ買物。晩は神妙にもこの時節柄日本からお越しの方々あり歓迎の意こめて銅鑼灣の杭州料理家・張生記。要予約とあったが注文できて老鴨保火のスープ絶品。龍井蝦仁も東玻肉も美味いがなぜ杭州料理屋にて龍井茶で一坏HK$35もとるのか理解できず。帰宅してたまった新聞読む。

四月五日(土)曇り。在港の知人幾人かより離港の報せあり。本人が意思より駐在員が家族にての遅ればせの会社命令多し。戦線離脱の如し。それにしても何度どう考えても何故肺炎感染のリスク最も高い頃に何ら対処せず傍観し今ごろになって勧告、危険情報出ればそれに過剰に反応し帰国避難まで決定するのか、余りに自主的客観的判断乏し。翼賛的。これあくまで避難、退避の類、罹災、現に被害受けての罹災、被災に非ず。日本にて報道見た方より電話、メールなど少なからず頂く。ありがたきこと爲れど昨日偶然通話中に親類より電話ありキャッチフォンに気がつかず応答できぬだけで「留守番電話も反応しない、香港に『電話がつながらない』けど大丈夫だろうか」と過剰に心配され、そのお気持ち嬉しくも余りに平々凡々とせし香港が現状と日本にて「騒ぎ」知り杞憂されるに懸隔多きことは事実。Z嬢と出街。北角より56番のミニバスに乗り西半山に向かふが始発より終点まで乘客われら二人にて(これ肺炎禍に関係なし……笑)バス高速にて暴走、肺炎にて死亡のリスクよかこの交通事故のほうがよっぽど危険と痛感。香港大博物館の特別展香江知味:香港的早期飲食場所ありsiteにて確認すると肺炎禍にて休館といふ報せもなく赴けば休館。休館公示せぬことに憮然。晝に第三街の祥發飯店、梅菜蒸肉排、蒸滑鶏食す、美味。King George V公園、Blake Garden散歩してBridge街、ETConIce旧来の店訪れば既に此処にてはアイスクリーム販らず製造のみにて、Hollywood Rdに下りればPeel街の利園麺家も裡の甜品の屋台も店封じており肺炎禍ここまで悲惨かと痛感せば「あら、今日は清明節でせふ?」とZ嬢気づき、利園であれ香港大博物館であれ単に祝日にて休みと気づく。今日は土曜日でなく祝日なり。Cochrane街のETConIceにてgelato食す。Stanley街場外にて明日の競馬、馬主C氏のDashing Champion、馬主W氏のGogglesの馬劵購入、最近の傾向として馬場に赴けぬ日に戰績好し、殊にGoggles、3月23日のChairman’Trophy(G2)、Electric UnicornとPricisionの一、三着での31倍での二着はお見事、明日は131磅ながらWhyte騎乗に期待。密封され流気なき地下鉄だの空調バスこそウイルス感染度高しといふ判断もあり冷房もなき路面電車最も安全といふ理屈もあり、そのぶん汚染させし大気塗れながらマスクすれば確かにマシかもしれず路面電車にて銅鑼灣、無印良品にて買物、Z嬢買物の間、星巴珈琲にて一喫、新聞読む。帰宅。NHKの週刊子どもニュース、今回もまたガキ相手におとうさん病的にイラク攻撃の武器だの兵器だの米国の支出だの述べ怖いほど芝居慣れした子役驚いてみせる様気味悪し。日暮れ前に裏山一時間ほど走る。ドライマティーニ。住宅にての換気奨励されどの家も季節もよきことあり窓あけて子どもらの騒ぎ声、音樂歓声轟き煩きこと甚だし。されどこの喧しさも健康、団欒ゆえかと思えば不快でもなし。残り物の葡萄酒で淺蜊をクリームソースのパスタ。たまたった新聞読む。
▼断片的なこと。四月一日の夕方、突然、携帯にDirector of Health announced at 3 pm today there is no plan to declare Hong Kong as an infected area.という伝言入る。香港が感染域と宣言する予定がない、といったい何を突然宣言するのか意図わからなかったが、これがあとになってわかったことはインターネットで香港が疫埠(infected area)と政府宣言し出入境を禁止する、というガセネタが流布され、それでスーパーなどでの買い溜めなど混乱招き政府躍起になってその否定に努め、この携帯への伝言は政府情報局の依頼により携帯電話会社が利用者に流したもの、だそうな。こういった携帯と伝言の利用による政府の緊急発言は当然、初めてのこと。急を要したのだろうが一度使えば實績となり今後どのような使い方されるか心配といへば心配。で、このガセネタ、14歳の少年が学校は休校だし暇に任せて明報のウェブサイトのフレームを利用して捏造、ただし自分のHPに乗せての氣晴らしに過ぎず社会混乱を招く意図なし。ただそのサイトみた者がそれを拡散させたのが事実。この少年、警察の事情聴取は受けたもののHK$1,000の保釈金にて解放され三週間後の出頭命じられるが、少年であるかどうかの問題ではなく、本人はせいぜい明報著作権有するサイトを無断コピー利用した程度の問題、そもそもインターネットでガセネタ流したことを取締る法律などないのが事実。いずれにせよ、14歳でいかにもきちんとした政府の疫埠宣言を作れただけ理知的な少年。
▼ 断面的なこと、その2。同じ四月一日の張國榮の投身自殺。マンダリンオリエンタルホテルの24階の私人會所Private Clubより飛び降り、その露台balconyにて最期、遺書認めたと当初報道あり、このホテルの24階にバルコニーつきの倶樂部などあったかしら、と思ったがその後の報道で24階のジムとわかり、それなら合点がいくが、でもビルの構造上広いバルコニーあるが「あのジムに開放された」バルコニーなどあったか、と疑問。すると週刊壱読んでいたら、不幸なる偶然は、ふだんはこのバルコニー閉切っているのだが折からの肺炎感染で空気流通よくするがため扉開いており、このジムの熟客でスターでもある張國榮ゆえ、スタッフもバルコニーに彼が出ることを厭わず、しかもジムからは窓帷に遮られバルコニーの様子は知るべくもなし、というのが当日の状況。それなら凡て納得。ちなみにこのジム、当然ホテル宿泊者対象にてビジターはあまり宣伝もしていないが、年会費HK$27,000、お高いがジム、羅馬風呂の如きプールが使え、月1回だか按摩、フェイシャルが無料、考え方によっては納得できる価格かも。一ランク下も用意されているがHK$3000の入会金と年会費15,000でこちらはお安いがジム利用が平日と土曜の晝間と閑散時間のみ。ちょっと使いづらい。但し『忽然一周』誌は張國榮がホテルの總統套房(Predidential Suite)に投宿、此処には露台あり、ジムにも行ったがこの部屋より投身、部屋の家具などもかなり乱しており事故後部屋は閉鎖され修復中、と。またあくまで張國榮の鬱症とする他紙に対して『忽然』は張國榮の助手にて新しき若き愛人、張國榮に距離おき横恋慕、芸人の某君らと遊興、それが張國榮悲しませ、自殺の当日もこの助手をホテルに呼び出そうとしたものの断られた、と。更に「劇的」なることはこの日、張國榮、曾てのマネージャーにて畏友というべき女性とこのホテルのクリッパーラウンジにて一約あり、その場に約束の時間に現れず、じつはすでに張國榮ホテルにいたのだが、駐車中と言い、この女性にラウンジ出て車寄せにて待つよう指示、但しこの女性ロビーにて張國榮待つ。もしかりに彼女、車寄せにて張國榮待っておれば、其処に天から張國榮降ってくる……といふことか。余りに出來すぎといふ話にて『忽然』ゆえにそのまま信じられぬが、想像するだけで背筋寒くなる話。
▼ 東京海上火災が海外旅行保險にてSARSも対象、と(日経)。通常、旅行を終えて72時間経過した疾病補償対象外ながらSARS新感染症に指定されたこと考慮しこの決定。これに安堵する方もおられようし、この決定吉報のようだが、保険会社とてこの措置、今後日本にての拡散も有得なくはないがあくまで海外旅行保険にて、旅行中にSARSに感染する日本人かなり稀、とじゅうぶんに見越しての決定と察す。
▼ 日経の「春秋」昨日に続きSARSについて秀逸なる文章。この感染症、新出企業の活動停滞させるなど経済活動への影響懸念されるが疫病が戦争やテロも及びもしない文明の破壊を齎した歴史思い起こす、と書き始め、ペストにて17世紀半ば10万人の市民失った維納(ウィーン)を挙げ、新たなウイルスが流行する背景には人口集中で高密度社会が急速に広がるなど大規模な環境破壊があり(産業革命時の結核など)SARSの「震源地」が都市化による人口集中と急ピッチな経済発展が進む中国南部とされるのは象徴的、いたずらに危機感を煽る必要ないが文明の傲り戒めながら厳しく向き合う必要あり、と。御意。朝日の天声人語の「戦争で血を流し合っている人類へ「もっと大事な闘いがある」との警告かもしれない」といふ書生論に比べ真摯なる説得力。

四月四日(金)曇り。Exodusが始まっている。香港から大量の日本人がWHOの渡航自肅勧告と日本政府の危険情報発令に靡いて香港から避難してゆく。結論から言おう、常軌を逸している。現実問題として最も感染のリスク高かった時を逸してリスク急減する今にこの過剰なる反応。その一般市民が最も感染リスク高かったのは病院の医療関係者が高感染度を知らぬまま治療にあたり自らが感染し家族などに感染広まった三月下旬の数日と感染蔓延したマンション居民で自らの感染しらぬまま図書館や銀行などに出勤していた日で、その時に何も知らぬまま香港に居住続けたのが我々であり、今現在、今日の感染者数は27名、そのうち5名が医療従事者で8名がその特定のマンション居住者、そのほか14名が感染者との接触か感染経路わからぬ者。明らかに控制できつつあるのだが、実態に見合った判断できなかった者がお上の勧告だけを拠所に盲目的なexodusを始めた。WHOの勧告は明らかにこの感染症の原因解明に非協力的な態度続けた中国政府への圧力であり、日本政府の危険情報は発令に踏み切れずにきたものがWHO勧告というお墨つき出たことに據る遅ればせのいつもの追従思想。なぜ最もリスク高かった時になにも発令せず今なのか、きちんと考えてみればわかることで、そのような勧告発令に従うだけの信憑性があるのかどうか、真っ当な思考力があれば判断できること。だがその危険情報とて「渡航の是非を検討」するよう呼びかける、って、だいたいニュースソースは限られる、外語はできない、普段からソースを相対的に比較して事実を得る訓練に慣れていない、の三重苦の素人が、だ、検討するに値するまとまな判断材料も何もないのだから、真っ当な渡航是非の判断などできるはずもないだろうに。判断材料といえばマスコミの流すニュースなのだが、某テレビ朝日の取材依頼を知人を通して受けたY嬢は「とにかく情報が不足してる」ってことを言ってもらえばいい、と諭され、某産経新聞社会部の記者が電話で「どれくらいパニックになっているのか?」を執拗に質す取材受けたK君は「香港を感染源とする肺炎」と宣った記者に逆に「香港が感染源とは特定されていませんよ」と指摘する始末だった、と。そのくらい意図的で、時期外れで最初からパニックを報道したいマスコミ、それを見聞きする判断材料も判断能力もなき市民……日本のこれこそパニック状態。日経の「春秋」はまだマトモで「流行地帯に滞在したというだけで感染を疑うほど強い伝播力はないとみられている」と述べ「でも、見えない敵ほど怖い」「感染は杞憂」な例が多く、確かに「過敏な反応のほうが病気の拡大防止には役立つ」が「海外旅行による病死で」は「感染症による例は少なく心筋梗塞や脳卒中が多い」と冷静で正直に述べている。だがその日経も香港の桃井特派員の記事で「香港政府は三月三十一日にSARSが大量に発生したマンション一棟の隔離を発表したが、既に過半数が転居した後といわれる」と書いている。この記事を読んだだけでは過半数が逃げてしまって隔離できずにいる、というように読める。センセーショナル。確かにこの措置が後手後手にまわったのは事実だが、住民のそれ相応の数の住民が「転居ではなく」伝染性の高いこのマンションを避け親戚や知人宅に一時避難していたのであり、政府は隔離の時にマンションを離れていた住民にも自己出頭を求め、勿論それに応じず未だに消息不明の者もいるがもともと確実に居住していたのかどうか吝かでなき者も含め58戸、というのが事実。全くリスクも関係もなき遠い日本にいる輩がこんな記事読んで不安を感じる。朝日は社説で「私たち一人ひとりも、インフルエンザが流行した時と同じように、手洗いやうがいを心がけたい」だって。こういった日頃の励行は大切だよ、だけど新聞の社説で宣うことかよ、これ。ちなみに朝日の天声人語はやはりこの新型肺炎について「人間同士が戦争をしているときに、謎のウイルスが人間に襲いかかっている」と語り始め「どれだけ医学が進歩しても、その裏をかくように新種の病気が出てくる。病との闘いは続く」と続け最後「戦争で血を流し合っている人類へ「もっと大事な闘いがある」との警告かもしれない」といかにも朝日的な「はい、よくできました」のまとめ方。非常にリベラルな正論のようだが、一昨日紹介した養老先生も昨日のVittachi先生もウイルス感染症の病はけして闘う相手、と述べていない。私にはそっちのほうが共感できる。夜、自宅へ戻る途中、車で北角を通る。確かに人通りはいつもに比べ少ないし、飲食店などにとっては大打撃だろうが、それでも北角の英皇道ですらこの閑散とした程度が倫敦でいへばRegent街かCovert Gardenほどの人ごみ、少なくともハロッズの正面よか賑っている。マスクをする人は減っている。空気感染がなく、感染が感染者との近距離接触に限定されており、それを除く日常生活では感染の機会がかなりないことからの安心感なのだ。車が東區走廊に出ると昨日来の雨と気温の低下、それに何よりも経済活動の停滞もあろう、人と物の流通が減ったことの大気汚染の改善のはずだ、ビクトリアハーバーの対岸、その肺炎ウイルスが蔓延したといふ牛頭角のマンションのほう、沢山の集合住宅の明かりがいつもよりずっと鮮明にきれいに光っている。そればかりか遠い大帽山の頂の測候所の灯火までがはっきりと見える。春のこの時期にこんな空気が澄んでいるなんて。肺炎騒動がこんなに香港をきれいに見せてくれるとは。あまりの夜景の美しさに、この香港という都市の素晴らしさをあらためて感じ入る。ここは逃げ出すには勿体ない。少なくとも日本よかマシ。帰宅して豆乳しゃぶしゃぶ。これが予想以上に美味。しゃぶしゃぶしたあと、その汁でらーめん食す。日本の一億総白痴(総白痴といったら失礼だし事実、知力ある方はいるのだがそれが五人か六人に一人だとしたらちょうど人口比で残り一億くらいは白痴であって、正確には一億白痴と「総」を含まぬのが正しいのかも)象徴するのがみなさまのNHKのニュース10である。今日もイラク、肺炎、プロ野球だけ。他に、いやイラクや肺炎や野球などどうでもいいのである、自分たちが真摯に惱み考えるべき問題が鬱積しているというのに……それを全く触れもせず、なぜ2m四方もの巨大なバクダッドの市街地の立体地図模型まで作って米軍が占拠したらしいバクダッドの空港から大統領府までの戦闘を分析してみないといけないのか。それはけして米軍の進攻がどれだけ市民を巻き添えにしているか、の検証ではない。ただボードゲームのように戦闘のシュミレーションをして遊んでいるだけ。自分たちが余りにバクダッドから遠いところにいるからせめて気分だけでも戦争に浸りたい。こんな立体地図まで用いてイラク進攻はCNNもBBCも放映していないのだ。なぜか、意味がないから。結局、30分以上にわたってこのイラク侵略を「報道」するのだが、結局、米軍の進攻の詳細だの枝葉のどうでもいい詳細の紹介が続くだけで総論としてのこの戦争の是非といった検討に欠ける内容。5分で済む。そして肺炎だ。ここ二、三日に比べ内容に欠ける。いま一つセンセーショナルなパニックぶりがないのだからそりゃそうだ。でも意図的なのは感染症の病原拡がる香港の映像はなぜかいつもの中環の超高層ビルやハーバー、山頂からの眺望でなく土瓜湾のいかにも病原菌蔓延りそうな薄汚い老朽化した雑居ビル(笑)、無意識であれ意図的な画像。でこの二つの「視聴者らにはなんら影響もない遠い地方の惨禍」が終れば熱狂的な野球、野球、野球。もう番組始まって40分以上が経過、ようやく他のニュースになるのだがトップは「大型再開発で完成の六本木ヒルズは暴力団排除を宣言」「准看護婦の免許再公布された曽我ひとみさんが幼稚園の予防接種のお手伝い」「ミスタードーナッツ経営するダスキンに対して株主が肉まんに食品添加物いれて会社の社会的信用落としたことに株主訴訟で10億円を損害賠償要求」とこの3つを手短に5分ほど。わるいけどどうでもいいこと。もっと大切なニュースはいくらでもある。そして天気予報では春告げる、山形の養殖鯉の越冬用の池からの引っ越しと京都祗園の夜桜。簡単に為替と株の相場。これで終るかと思ったら時間が余ったらしく「また」大リーグのこと。馬鹿だ、こりゃ。こんな意味のない無意味なニュース編制、日本以外のどこにあろうか。これが渋谷のNHKのあの世界でも有数の設備と資材有する、しかもクーデターなどの安全防備でも世界で指折りの施設である、あのニュースセンターでこんなお粗末なニュースが作られ、それが世界でも言論と思想の自由さでは有数なる国家の一つである日本でこんな番組がメインニュースで流れる。これは明らかに超バカ国家。香港から肺炎恐れて避難するよか、この超バカ国家からディアスポラするほうが優先課題のように思えてならず。少なくとも今、香港から避難する必要はないし、短観的な感染症などよか今後の政経環境まで考えたリスクを判断した場合、日本よか香港のほうがマシだろう。ちなみに今日の日経にあったが、米国のミルケン研究所グローバル会議で「日本は移民受け入れと大胆な構造改革なしでは日本は停滞を続ける」と断定される始末。「移民を受け入れないため高齢化が急速に進み潜在成長力が落ちている」と。その通り。子どもは国の宝。子どももおらず移民もなくどうやって経済力を維持するのか。米軍の軍事進攻ぶりだの遠い感染症だの報道して現を忘れるまえにこういった深刻な自らの国の問題をぜひ考えるべき。

四月三日(木)天気予報は最高気温26度、濕度92%、すっかり不快な春、気温は24度止まり乍ら驟雨幾度かあり雲の絶間に陽光さす。WHOの香港及び広東省への渡航自肅勧告、日経も朝日も一面トップで伝える。ちなみに香港の新聞では蘋果日報は巻頭10頁特集は張國榮の追悼、South China Morning Postはイラク攻撃、信報はスイスにて世界宝石時計見本市に参加予定の香港からの出展者がスイス政府により見本市参加を拒否されたこと。日本のマスコミ、今回のWHO勧告を必要以上に大きく扱っている、といふのが香港で冷静に見ての感想。日本企業の対応として某社など「不要不急の出張を延期」だって。不要不急の出張など平時でも不要、そんなものしてる会社など倒産して当然だろう。今回のWHO勧告、明らかに中国政府の不明瞭、誠意足りぬ対応への圧力にすぎず、現状は昨日の感染者20余名と沈静化に向いつつあり、事実、昨日のうちに中国政府はWHOの担当官の広東省への渡航と調査、感染者数の公示を確約。本日、WHO調査官らは広東省に到着(中国国内線エコノミークラスでの移動とは立派)、広州白雲飛行場には広東省の衛生当局担当者笑顔で出迎え握手(危険……笑)とは国賓級の対応。但し北京の衛生局長はこれまで「肺炎は国内ではすでに管制下にある」という声明覆すが如き今回のWHOへの隷従についてかなり不快らしく公式会見のあと「中国の老百姓(市民)は理知的であり香港など国内に比べ更に理知的であり(感染症への衛生について)理知的な対応できる!」とかなり興奮し、その面子丸潰れに対する不満もわかるが、余りの興奮ぶりに周囲の記者も苦笑禁ぜず。香港政府教育統籌局休学措置の公立学校に対してその休学措置21日までの延長を決定。今週は誰かと会う予定もなければジムに赴く意思もなく空白の如き日々、鬱にならずこれを機に山を歩くとかシェイクスピアの全集読むとかモーツアルトのオペラを聴きまくるとかブリッヂを覚えるとか、そういう発送の転換が必要と畏友J氏と語る。余もせめてディケンズの『デビッド=コッパフィールド』は讀み終りたいもの。J氏より啓蒙的なVittuchiによる記事教えられる。読んで溜飲下がる思い。下記に訳を掲載。黄昏、歸途一緒になつたM君と太古城、ビールでも一杯飲みませふといふことになりJimmy’s Kitchenの普及店であるLittle Jimmy入るが晩には早い時間とはいへ軽食の一組出たあと七時くらいまで我らの他に客も来ず飲食店の閑散ぶりを痛感。競馬誌買おうと雑誌屋に寄るといつも買わぬ『週刊壱』、肺炎に加え張國榮の特集、早くも特集組み、編集部にしてみれば「美味しい」ネタ二つも重なり嬉し悲しか。自宅にてチゲ鍋、真露飲む。連日「中国政府の陰謀」(笑)により香港にて肺炎ニュースが「謎の」放送中断されるNHKニュース10、今晩は(日本時間)9時27分すぎから肺炎といつもの予告、生放送なのだからこの予告止めてみるか「まずイラク戦争についてです」と言っておいて「が、香港、広東省を中心に広まる謎の肺炎について先にお伝えします」とフェイントかけてトップでやってしまとか如何か。どうであれ、つまりは9時から27分もイラク攻撃を話題にする、というわけで、こんなのCNNとBBC除けばNHKのみ。イラク攻撃、報道過剰。イラク、肺炎、松井以外のニュースはないのだろうか。で結局、今晩はなんら中断もなく肺炎について、が始まり、イントロでいきなり医者が「感染してこんなに人に感染るというのはそもそも今までなかった」というようなこと宣い「マジ?」と嗤ってしまふ。ペスト、コレラ、腸チフス、天然痘……。こういうセンセーショナルな報道、大衆の心配を煽る扇動だよ。で、WHOは空気感染がない、と言っているのに「空気感染の可能性も否定できず」とテロップ。で、冒頭のその医者だが東大医科学研究所岩本愛吉教授、この「感染してこんなに人に感染るというのはそもそも今までなかった」という爆彈発言、いったいどういう経緯と背景、脈略でこんな発言したのか真相は?と期待したが、冒頭のその発言部分は触れず、たんに一般的な感染症のわずかなコメントのみ。おいおい、冒頭のあの発言はいったい何だったのだ?、明らかにマスコミのニュースは美味しいところとって面白いニュース構成してる、と痛感。おそらく、だが、この岩本教授の発言は「通常の肺炎で」という前置きがあったのでは?、そこがカットされると冒頭のような「暴論」に聞こえてしまふ。事実、昨日の感染者は27名と急激に減少しているのが事実。つまりアモイガーデンで特定の一、二日に感染があり、その感染者が感染知らぬまま職場に行った点で尤もパニックとなった、ということ。潜伏期間は7日であり、その特定の日より一週間すぎれば事態は必然的に好転する。と嬉しいことなのだが、マスクにやたら詳しくなり数種類のマスクを二、三枚ずつ有する身として、それが無駄になることにどこか惜しい気すらするのが本音。いずれにせよ、こういう状況が香港の現状。つまり日本のマスコミは「騒ぎすぎ」で、しかも騒ぐのも遅すぎて、「いつものことだが」事態が収拾に向かう中でのパニック報道で皆さんに迷惑をかけている、ということ。わかっちゃいないのだろうが。
▼ 小泉三世、NHKのインタビューで首相自ら英仏など訪問し首脳会談する意思の有無問われ仏蘭西の志楽大統領三月の訪日延期になったことを挙げ(これは霧島の引退が訪日延期の真相といふ噂あるが)状況が一段落し5月の連休のことだろうが「連休が休みになったら」と宣い自ら自分が忙しいかどうかでなく言葉として連休は休みといふことに気づき思わず苦笑していたが、この人のインタビュー聞いていて、改革改革と言葉こそ積極的だが実質的には何もできず、やはり自民党のなかでは単なる奇人として扱われる現実、不憫以外の何ものでもなし。
▼ Far Eastern Economic Reviewなどの人気コラムニストで曾てSouth China Morning Postの「利是」の名編集者であったNury Vittachi、そのSCMP紙に “And Now Good News”といふ今回の肺炎に関する文章を発表、と畏友J氏より報せあり。
危険なウイルスが香港に蔓延している。が、そのウイルスは「謎の」肺炎でなく「パニック」というウイルスなのだ。感染性の高い例えば英国の狂牛病などいずれの病原体や病気も二つの大きな影響がある。ごく少数の人々がその疾病に感染する。多くの人々、組織と企業はそれに付随するパニックに打撃を受ける。そう、もちろん感染症に注意を払い医療関係者のアドバイスを受けるべきだが、パニックに陷る必要はないし、香港を離れる必要もない。
1. 家に閉じこもる必要はない。この文章を書いている時点で(2003年の4月第1週)香港の99.999%の人はSARSウイルスに感染していない。
2. 感染者の増加はすべてのマンションのブロックで、を意味しない。ウイルスの感染は非常に限られたエリア、the Prince of Wales Hospitalとアモイガーデンに限定されている。
3. 米国だけでも毎日99名の人が風邪で死亡している。この99名のうち約30名は呼吸器系の失陷である。香港では毎月16名が死亡している。
4. 香港と同規模の大都市においては常時、数百名の肺炎患者がおり、内数十名は非典型の(つまり通常以外の)肺炎である。
5. もちろん、ウイルスは突然変異する。が、それが更に感染度が高くなる変異を意味しない。科学者はSARSが拡散すればするほどウイルスの効力が弱まることを述べている。
6. 医者はこのウイルスに殺人性があると述べているが、今回の生存率は96%である。
7. もちろん、我々は子供を心配するが、子供への感染は稀であり、注意深い調査結果は今回の感染者の多くが菌保有者と直接の接触のあった年配の者に多いことを証明している。
8. 汚染された場所は清潔にされれば、ウイルスは感染者がいなくても死滅する。ある科学者はこのウイルスじたいの生命力は3時間と述べており、それが多少長いと述べる科学者もいるが、誰もがこのウイルスが冬眠性がない(つまりいったん消えて再生すること)ことを認めている。言い換えれば、なんの恐れもなく(最初の感染拡大のあった)メトロポールホテルの9階に投宿できるのだ。
9. ウイルスは気温が27度になれば死滅する、と考えられる。盛夏の香港で蝿が地上から影も形も見えなくなるのと一緒。
10. オフィスではエアコンをつけていてもよい。プリンスオブウェールズ病院の8B病棟は8A病棟とエアコンを共有していた(そのため感染が広まった)。8B病棟には単体のエアコンがなかった。
11. 多くの人はウイルスの拡散をSF映画のシナリオのような急激なもの、と考えている。広州の事例を見るように、拡散は数週間を経て、それからようやく感染が始まる。
洪水のようなメール、それも事情通の医者を含む、が人々の間に流れているが、それは有益ではない。一通のメールが状況把握のできない人をさらに脅えさせる。パニックは頭の混乱を引き起こす。上述の事実を考慮してほしい。香港はわれわれの住処なのだ。落ち着いて、健康的に暮らそう。
……と。こういう文章がマスコミでのるべきこと。
▼築地のH君より「もはやいちいち愕くのも馬鹿馬鹿しい」産経新聞の産経抄の紹介あり。引用するのも呆れる内容だが最後の一文のみ紹介すると「「警鐘を鳴らす奴は、いつも安全なところにいる」という警句があった。(略)そうなのである、反戦にしろ、平和にしろ、かっこいいことをいう奴は大概安全なところにいる」……と。反戦とか平和ばかりか戦争を仕掛けて煽り平和を壊す者だって大概安全なところにいる。海軍とはいえ戦地とは遠い主計少佐であった大勲位、幼少で平和裏に疎開生活を送った都知事が戦争で命を失った若者を語る。
▼張國榮の死亡の記事、今日の香港紙、日本での反響の大きさ取上げる。どこのスポーツ紙がわからぬがレイアウトからして日刊スポーツかスポニチだろうが記事の文に「4月1日がエイプリルフールのため身元確認に手間取った」とあり。おいおい、そりゃ「エイプリルフールのためニュースが流れてから事実確認に手間取った」だろうが。ホテルで投身自殺があり救急車が到着した段階で所持品から(そして偶然にも損傷なかった顔からも当然だろうが)自殺者が張國榮であることはわかっている。「エイプリルフールのため身元確認に手間取った」としたら、張國榮にはこういう言い方をしたら失礼だが、投身自殺はあったが精巧にできた人形かそっくりさんでも落ちてきてホンモノのLeslieかどうか確認に手間取った、というようなこと。築地H君によると筑紫哲也のニュース23でこの張國榮の「自殺が波紋」とかいうので「香港の肺炎さわぎ絡み」かはたまた「中共の陰謀説か?」とH君思ったら「世界中でファンが悲しんでいます」だったそうな。まぁ神戸の地震で被災地をヘリでながめ煙硝を「まるで温泉のよう」と表現してしまった築紫先生の番組、これくらいで愕いてはいけない、か。そういえば築紫先生といえば97年香港返還の当日は先生自ら来港、香港から生中継されたのだが丁度、中環のBank of America Towerの横で取材準備(リハ?)する先生のお姿に接したが、かつて「こちらデスク」での気さくさの微塵もなき威厳の固まり、ご本人の仏頂面と周囲のスタッフがまるで○○宮様にお仕えするが如きピリピリとした緊張感、これじゃもう自分の足で見て聞いての現地取材などダメだな、と痛感。話は違うが新聞記者でも邦字紙の『週刊香港』や『香港ポスト』読んで記事の参考にするのがいるのも事実。
▼連日できるかぎり要点を絞って短い記述を、と思うのだが「時節柄」どうしても書いておきたきこと多し。野坂昭如先生がいいことをメールマガジンに書いている。「イラク戦争」とマスメディアは呼ぶが宣戦布告ナシ、昔の大日本帝国に倣えば、「イラク事変」そして正確には、「イラク侵略」。クェートからバクダッドへ向け「時速4.5キロで」米戦車軍団「進撃」。軍事シロートの先生の杞憂適中、補給が続かなくなって前線将兵泥水すすり砂を噛みの惨状。「チグリス河の水を飲むらしいが確実に下痢をする。これ、別にイラクの生物兵器じゃない」と(笑)。「砂嵐はまさしくイラクにとってアラーの恵み」であり、4月になればなお猛威をふるい気温は日中摂氏40度のなか、ベトナム戦争の時のようにアイスクリーム、クリーニング専用駆逐艦を派遣するのだろうか、と。また冗談はこれくらいにして「15、16歳の少年が自爆テロを行う。日本の評論家いわく、「こういうことをさせる国ですから」と憮然たる面持ち。オイオイ、はばかりながら私、58年前の今頃、黄色火薬の袋を抱いて、鬼畜アメリカの戦車に接近、放り投げる訓練を行ったよ。14歳だった」と野坂氏。そう、着実に日本人は歴史の事実を忘れてゆく。大切なことなので以下、引用。「聖戦」に生命を捧げれば、アラーの祝福をさずかる、だから喜んで「自爆」する。言葉通りには受取らないが、少なくともぼくは他人事には思えない。当方、「御国」のために生命を捧げれば、「神」になれた。某TV局の街頭インタビュー、若い女性3人に、今の「戦争」について訊く、「えっとォ、ハワイとアメリカ、ちがう?」「アメリカとヨーロッパの、ドイツかフランス」「日本じゃないよね」。こりゃもう立派、TVも観てないらしい。リッパリッパ、せいぜい青春を楽しめ、恋せよ乙女。北朝鮮の核武装がいわれるようになった。核武装など、その気になりゃ明日にでも造れると。確かに材料はいやというほどある、問題は起爆装置。ミサイル防衛システムの設備もいわれる。着手してまず5年かかる、しかも完璧じゃない。北の「脅威」を大袈裟に考えることは危険。まったくその通り。

四月二日(水)いぜん肺炎感染収まらぬ模様。『信報』の隨筆(粛威廉)語るに、ローリングストーンズの歴史的香港公演が肺炎で中止となったがかりに実施されていたらそれこそ歴史に残るマスクコンサートになったのだろうが、この筆者、先月末に香港小交響楽団の音楽会に赴けば客の6、7割はマスク着用しバイオリンも三分の二の楽団員はマスク、さすがに木管金管はマスクせず、と(笑)。外出する気にもジムに行く気にもなれず終日在宅。暫く怠けていた写真の整理だの済ます。このまま在宅していたらそのまま夜になってしまうことが赦せずZ嬢と日暮れ前に裏山に参り一時間余トレイルを歩く。Quarry Bayの太平街市にて食料品購い帰宅。三平汁。焼酎、二階堂の吉四六飲む。Happy Valleyにて競馬、テレビ観戦。R3(四班芝1,200m)好朋友Good FriendがWhyte初騎乗で一番人気。この馬、馬主は香港明星體育会團體、競馬好きの陳百祥、曾志偉、譚麟詠らのシンジケート、なかなか勝てないが四班に降格し得意の1200mに期待高いわけだが、何よりもこの芸人らから想像に易いは彼らの畏友であり昨日自殺して亡くなった張國榮の存在、しかも張國榮は恋人の唐鶴年君を好朋友と言訳したことからマスコミは唐氏をいつも「レスリーの好朋友」と揶揄していたもの、偶然のことだがこの好朋友が勝つ、勝たなければならない物語、のはず。で勝ったのだが口取りには陳百祥、曾志偉、譚麟詠のいずれも姿なし。競馬はそれでなくても入場者減少に歯止めかからぬのに肺炎騒ぎで馬場は閑散、そのうえこの好朋友の勝利も華もなし。そこそこ当るが愉しくもなし。『帝国』引き続き読む。
▼ 金融經財相竹中君と財相塩爺との間で仲違い公然化、小泉三世取材に大いに議論すべきだが違いを強調するのではなく互いに出來ることを見つけることが大切、といったのような「何か答えてはいるのだが」意味不明。内閣として全く機能しておらず。
▼ Wall Street Journal紙一昨日の社説にてQuarantine China(中国を隔離せよ)なる題でこのまま中国政府が感染拡大防止に有効な措置をとらない場合、香港を含む中国との通航遮断すべきと訴える。単なる黄禍論なら否定するだけでいいのだが中国のこの対応はかなりまずい。イラク、北朝鮮が「片づたいた」時に次なる大いなる不信感の対象に中国がなる可能性はじゅうぶんにあり。しかも問題はこれがフセインとか金正日という領袖の治める国家ではなく毛沢東や?小平という「顔」のなき今の中国が中国共産党政府といふ巨大な官僚機構として、この「いかにも中国的な」すでに中国においてこの肺炎は管制したにある、といった公式コメントで海外の注意をかわそうといふ態度。そしてついに今日、WHOは肺炎の感染源の究明できず香港、広東への渡航延期するよう勧告を発表。香港でこれをされたらお終いなのだが、ひとえに中国のWHOに対する対応の拙さが元凶にて、さすがに親中派の議員らからも中央政府に対して肺炎の原因究明と情報公開、WHOや香港当局との合作を求める声が上がるほど。
▼ 鯨岡兵輔氏逝去、享年84歳。鯨岡氏であるとか宇都宮徳馬氏であるとかもう国会には存在し得ぬ生っ粹のリベラル。
▼ 昨日読んだ『疫病の時代』の断片的なメモ。イラク攻撃と非典型肺炎という、全く異なるような事象が実は密接な関係にあることを認識できる。帯にある通り「古来、疫病は社会を変え、歴史を変え、人々の世界観を変えてきた」こと。村上陽一郎先生(20年ほどまえに余が『朝日ジャーナル』にした投稿に先生より罵声を浴びせられたことあり、それに対して猿谷要先生が余を援護、但し村上先生から頂戴した達筆の書状はいかにも先生らしい流れるような字体にただただ敬服)は泰西の黒死病とり上げ感染症の流行の状態をpandemicと呼ぶが感染症がどういう切っ掛けでpandemicな状態になるのかはわからないが、少なくてもいえることは多くの感染症の流行が汚染地からの<交通>によって齎されること。また医学いぜんの問題としてこういった感染症は交通の制限=検疫など非常時の強硬施策を講じること(今日の香港政府の如し)。日本では厚生省の誕生は実は昭和10年で、それまでは感染症の管轄は警察と同根の内務省。流行病は公安の対象であること。(厚生省の誕生がまさに日本の軍国主義の時代と一致することは興味深い事実、つまり衛生は国民福利ではなく国家富強が推進する時代にこそ注目されるといふこと) 流行病が蔓延すると人々は刹那的な快楽の追及に走り、一方、悪疫の流行を神が人間の墜落に対して下した罪と考え極度の禁欲と贖罪へと赴く人がいること。また流行病=ペストは社会に対してユダヤ人に対する迫害、ラテン語の衰退(大学におけるペスト流行でラテン語必須のところラテン語のできぬ者の登用が始まる)、農奴の大量死による荘園の崩壊などさまざまな社会的事象をもたらす。そして現代は長寿社会だの健康だのを謳歌しているが人間は死を忘れたときに醜くなる、のであって流行病はその死なる記憶をあらためて思い起こさせること。宗像恒次……病気(disorder)は即ちある種の無秩序(dis-order)を表現。衛生が重要視されたのは日常生活ではなく軍隊。ナポレオンの頃、つまり近代国家の近代戦が始まる頃。じつは当時の戦争において最も大きな被害は敵との戦闘ではなく軍内部の不衛生による病死。クリミア戦争で仏軍は31万人の兵隊を動員、そのうち戦死は3.3%で27.6%の兵隊が病死。敵のロシア軍も9万人が病死しており、ここでナイチンゲールの活躍があったが実は戦争での負傷者救援よりも病人介護が戦場で重要であった事実。アメリカ南北戦争(これは独立戦争と記されているが南北戦争の誤り)でも北軍で戦死者9万人に対してその倍の18万人余が腸チフスと赤痢などで死んでいる。この頃に細菌学が生まれる。日露戦争が画期的なのは戦死者の数が戦争中の病死者数を初めて上回った戦争であること。森麟太郎君=鴎外先生も衛生学を専攻、発展途上国の日本が帝国となるには近代的武器を有する軍隊の育成ばかりか実は防疫衛生の推進があったこと。養老孟司……一般の人の感染症への興味は、今では興味をもつ人の人間側の問題であって、病気じたいが重要だからとか、病状がとくに興味深いという理由からではない。交通事故のほうが死者及び障害者の発生数で比較すれば感染症より深刻。だが人々は交通事故より感染症を恐れる。何故か。自動車は人間が作り出したもの=人工で交通事故の原因もわかるが、感染症は正体不明であるから。そしてその正体不明の感染症に対して人は治療=人工で挑む。感染症は自然、治療は人工。現代人は自然よりその人工を信じる、それが都会人。その感染症を恐れるヒトの感覚はSF小説などによくある、陳腐な、なぞの疫病で人類が死に絶え、生き残ったヒトや他の生命体が新たな社会を創る、といった物語が多い。が、これまでもそういった疫病はいくらでもあって、だが現実にヒトは死に絶えない。感染症のウイルスはもともと自然のもの、突然変異などと恐れられるが細菌であれヒトであれ遺伝子系とはそれがたがいにじゅうぶんに適応しあった遺伝子から構成されている。きわめて洗練された形。かりに一つ新しい遺伝子が誕生しても、その遺伝子の機能が既存の全ての遺伝子の機能と矛盾しないか、矛盾しないとなって初めてその遺伝子が現存する。これまで何億年もかかってその遺伝子の世界が形成されたのであって(自然の選択)、それの科学による操作(遺伝子操作)はそんな簡単にはいかない。遺伝子操作でも疫病対策でも「何かがおきる」ということばかりが目立つが、じつは「何かがおきる」ことを証明するのは簡単だが、難しいのは「何もおきない」を証明すること。現代人はデジタル化した思考、ある、ない、ばかりに慣れて、その「ある」と「ない」を等価だと思っているが、「筑波山にアゲハチョウがいる」ことを証明するのは筑波山でアゲハチョウを一匹捕まえればいいが「筑波山にアゲハチョウはいない」ことを証明する手立てはない。現代は昔に比べて感染症の被害が減ったのは、ウイルスが強くなったとか人間が弱くなったとかではなく、社会が豊かになり交通が盛んになり社会が安定したからではないか。エイズの広がりは、もともとアフリカの風土病でしかなかったものが、これまで実質的に縁のなかった人たちが航空路など交通手段の発達で頻繁に接触するようになった結果。生命がある以上、遺伝子があり、そこに関連する感染は今さらどうしようもない。重要なのは環境。感染症への対処で医療そのものと生活環境のどちらが大切か?と問われれば養老先生は生活環境を挙げる。抗生物質はまさに近代医学の成果だが、細菌じだいには有効であってもわずか一錠の薬が十日有効ということはヒトの身体への副作用が十日ある、ということ。そういった薬に依存することよりも社会の生活環境を変えること。……確かに香港の都市環境は異常以外の何ものでもない。空気の流通よくするために公共交通機関の窓を開けろ、という。窓を開ければ確かに車内に菌は蔓延しないだろうが、イヤといふほど排気ガスで汚染された空気を呼吸する。下水の悪臭。そこまでして大量の人間が密集して暮らしていないと成立し得なくなってしまった経済体系。全てが間違っているのであり、そこで肺炎が流行るなど当然のこと。あらためて経済体系すら問い直す程の社会環境改革を実施しないかぎりマスクをしたまま戦々恐々とウイルスに怯える日々が続くのだろう、きっと。
▼ 昨晩投身自殺した張國榮というと近年では王家衛監督『春光乍洩』(Happy Together、邦題:ブエノスアイレス)が話題作なのだろうがチャイニーズの同性の恋人(相手役は梁朝偉)とブエノスアイレスで同棲しており、しかも働く場所ばブエノスアイレスのタンゴ酒場だって(それって東京舞台にしたら吉原の松葉屋だよ)、その物語の因果であるとか経緯、背景を王家衛に求めることじたい愚の骨頂だが、この作品でも梁朝偉は相変わらず自分のスタンスにあるものの張國榮の存在感が作品のなかでも次第に薄くなり、それと相応して物語にかかわってくるのが台湾出身の若者(張震)、物語の最後もこの若者の出自を探ねるべくキャメラは台北の街へ。この物語のなかでの登場人物の移り変わりは90年の同じ王家衛監督の『阿飛正傳』(Days of Being Wild、邦題:欲望の翼)でもあったわけで、60年代を舞台にJames Dean的にやり場のない若者演じる張國榮は張曼玉相手にかなりいい演技を続けるが、殊に最初の南華のボーリング場のコーラ売場は張國榮にとって最もカッコいい場面、(物語は王家衛であるからどうでもいい)そこに警官の劉徳華、それに梁朝偉が絡み始めると磁場のズレがおこり始め、最後は有名なシーンだが梁朝偉が身支度整え夜の街に出てゆくシーンはもはや張國榮の存在の欠片もない(『春光乍洩』の台北の街の夜景を追うキャメラと同じ)。王家衛作品という特性はあるが、映画のなかで存在が消えてゆく、珍しい主演を演じている。芸人にとって「老い」は難しい問題で、老け役となってゆける自然体はいいが、結局はアニタ=ムイ姐や美輪明宏先生的な昇華か、譚麟詠や加山雄三的に永遠に青年のままでいるか、Greta Barboか原節子的な隠遁以外、他には死しかないのかもしれない。それにしてもすごい場所を選んでくれたもの。沖雅也の京王プラザホテルだって普段は目にしない低層建築部分の屋上?だし三島先生の市ヶ谷にせよ象徴的な場所で意味こそあれ日常生活から遠い。だがレスリーのマンダリンオリエンタルの正面玄関は車でこの香港を代表するホテル訪れれば否応なく通る狭い場所。その車寄せの花壇を見るたびにその道路に広がった鮮血を思い出すことになる。何を意図したのか。いつまでも自らが人々の記憶に残ることへの意図があったのかも。Leslie張國榮の自殺は日経の社会面にも写真入で。経済紙『信報』が「何去何從(何処から来て何処に去るのか)」なる無署名評論にて張國榮を香港の80年代からの個人主義の象徴として捉え映画監督・許鞍華を引用、また李志超は同じく映画監督の關錦鵬との張國榮の関わりを回顧する文章、いずれに一読に値する。

四月一日(火)戦争は終わったって、と築地H君より報せあり。フセインはシリアに亡命、イラクには親米政権樹立のはずが予想以上の反米感情の高まりで工作失敗、アラブ民族主義掲げる反米政権が樹立され、フセインなきイラク、反米政権だからと攻撃する口実もできず米英軍は撤退、ラムズフェルドは執務室で拳銃自殺、ブッシュとブレアも敗戦責任とって日本時間の今日午後3時から退陣表明の記者会見、と。雑事に追われこのH君のメールみたのが時間はちょうど日本時間の午後3時。朝日新聞のサイトみると「名古屋で女性また刺される」がトップニュース。……あ、今日は4月1日か。H君、続けて一昨日の日曜日は「3月30日の日曜日」。どこかの新聞が「フランシーヌの場合」のことをコラムに書くかと思ったけど、なかったみたいだね……と。私とてH君にこう言われるまですっかり忘れていた。世の中、戦争と肺炎ばっかり。ただただマスクに詳しくなる日々。昨日M君にもらったマスクが株式会社スズケンバイオマスクX。M君はお座敷かかった芸妓が歌舞音曲もできぬは困ると「ドームマスク話せる君」まで下さる。忝ぬ。が、このドームマスク、よーするにマスク内部に空間あり自由に話せるといふのがウリモノながらドームって確かに形はドーム型だがdomeといふ建築様式は必然的に人が集まる場所(後楽園ドームとか)、なんか病原菌とかスギ花粉が終結しそう、でも日本製品だからね英語が奇妙なのは当然か。外出。バスに乗る。マスクしているのはいいが殊に爺ィ婆ァら、マスクしているといつも以上に声がよく通らないとでも思っているのかいつも以上の大声で、マスクがスピーカーのWooferの如く爺ィ婆ァの荒い息づかい呼応、なんて元気なんだろう、あなたたちは死なない、と痛感。Citysuperにて豆腐買い此処の家庭雑貨売場なら日本製のマスクいろいろ置いているのかと思ったが売切れなのか間に合わぬのか何もなく、消毒抗菌関係のアイテムもそれほど売れてはおらぬようで、Watson’sに立ち寄ればずっとマスク売切れ状態だったのがマスクの発売は午後1時と7時だか、と表示あり、これじゃまるで行列のできるチーズケーキ屋さん、だが、それでも午後の3時すぎに「一人限定4個」とピップフジモトの「ピップガードマックス」を1個HK$30で売っている。これもすごい英語だが英語だと思うから奇妙なのであって日本語なのだ、これは。これがHK$30で売られており「暴利!」と思われたが日本でも希望小売価格は450円、けしてHK$30は高くない。さすが李嘉誠、とへんなところで感心(Watson’sは李嘉誠のワンポアグループ傘下)。同じ時代廣塲のPage OneでMichelinのフランス本買おうとしたが扱っておらず。かつては読ませる旅行ガイド本だったのが、かなり写真だのイラストだの増えたLonely Planetなどばかり。銅鑼灣も地下鉄のなかも心地よいほど閑散。買い物も楽、店員は暇もて余し親切丁寧、食べないが元気寿司も待たず、午後4時の地下鉄で空席あり坐っても隣席など気にせず新聞広げられる。帰宅。Z嬢の妹よりマスク届く。(株)興和ヘルスケアーの「クリーンライン」とライオンのマスクにつける「爽快ウェットフィルター」なのだが、肺炎の菌がウェットフィルターについてしまった場合に問題ないのかどうか多少気になったりもする。Z嬢が日系の某スーパーに買い物に行ったところ半狂乱気味の女性が日本語で(けして日本人とは断定すまい)「ユニーも売りきれでジャスコなら大丈夫だと思ってきたんだけどマスク、ないのよーっ、わたしどうすればいいのよーっ」と半泣き状態だった、と。マスクならもうそろそろ需要と供給は均衡から供給過多になりつつありWatson’sでも売れ残っており、旺角など路上だの地下鉄站の通路でのhawkerなどそろそろ粗悪品を高値でも売れず持余していることだろう、そういうものならいくらでも入手可能なわけで単純に日系ストアから足を一歩踏み出せばいいこと、もしくは楽天市場なり時節柄花粉症対策でマスクならいくらでもあり注文すれば二日で届く、少なくともスーパーの雑踏のなかで携帯で喚くこと止めれば感染の機会も多少減るのでは? で、閑古鳥なく飲食店に対してマンション封鎖が明日は我が身とまでは思っていないだろうが自炊が増えスーパーは食料品買い込む者多し。午後3時くらいだかにはインターネット通じ香港にて外出禁止令発令というデマが流れたそうで、明報のウェブサイトのレイアウトコピーし、それにデマ綴った少年逮捕される。このデマかなり広まったそうでとんだエイプリルフール。食料品の買い溜めもこれも影響か。そういう我も自宅にて八海山飲みながら湯豆腐。M君より芸人レスリー張國榮(哥哥)午後6時41分に中環のマンダリンオリエンタルホテルより投身自殺。現場には遺書あり。享年46歳。沖雅也先生の如く芸能にどっぷりと漬かった芸人中の芸人、今さっきテレビの中継みたがマンダリンオリエンタルホテルのまさに正面玄関車寄せに直落、何がおきたか知らぬがまさに劇的なる人生。叩き上げの芸人にてデビュー当時からの同性の恋人の存在を否定せず。ただ歌舞にしても芝居にしてもかつてのアイドル時代に比べ今ひとつパッとはせず、芸人として美輪明宏先生のように昇華してしまひもせず、かといってアラン譚麟詠先生の如く万年青年でもいられず、老いることも許されず厳境にあったのは事実か。99年に購ったままになっていた酒井シヅ編『疫病の時代』(大修館書店)読む。戦争と肺炎のキョービ、必読。晩も二更に肺炎蔓延にて封鎖されたマンションより住民の郊外の「自然の家」臨時隔離施設となり、そこへの転移始まる。ケーブルテレビのニュースは30分の番組枠いっぱいいっぱいイラク攻撃も張國榮の自殺もなくその中継続ける。午後11時すぎてイラク攻撃だの張國榮自殺関連のニュースも流れ始める。
▼非典型肺炎、また72名発病しそのうち52名が特定のマンション。潜伏期間1週間ありすでに感染していた人の発病で、このマンションでの52名の集団感染もすでに何らかの経緯で感染があったことが事実と思えば今更驚くことではない。そのマンションでの大量感染、いろいろ原因は憶測されるが一つの棟のうち特定の方向のみの縦2列、しかも上層階に感染者集中していることから、おそらく下水管の腐食などありそこから感染者の糞尿についた菌が下水管通じて拡散したのではないか、といふのが有力な説。
▼ 購読する新聞を30年購読し続けた朝日から日系にと変え、日経はやはりもともとが中外物価新報なわけで、東京新聞=都新聞を愛読し続けたうちの祖母など日経を「株屋だの相場師の新聞」と蔑んでいたものだが、内容が硬い分内容にあまり期待もせず、ただ朝日のあまりのテイタラクに呆れた結果、かといって読売などナヴェツネが死ぬまで絶対に読まぬと決めており読んだところでなんらマトモなタメになる記事などなく、毎日は読みたいが破綻しような経営状態にて香港にて衛星版発行もしておらず、産経など論外、で消去法の結果、日経となったわけだが、期待せぬ期待に反して最高におかしいのは中国総局長・泉宣道の書きもの。3月18日のこの日剩にて中国の新首相・温家宝君の徹底的した地方視察ぶりでカミソリ後藤田の週末のデパートでの買い物に譬えに出した泉局長、どうもこの人は「何か譬(たと)えないと気がすまない」ようで、今度は30日の「地球回覧」でまた温家宝取上げ、今度はこの温家宝の故郷・天津を語るのに天津=名古屋を力説。政治の北京、商業の上海、で天津がいまいちよくわからない第三の都市で、そういう意味では確かに名古屋的なのだが、そんなこと今さらいわなくてもみんなそう思っていること、が泉局長にかかると「市内の大型スーパーで5?入りの特用サイズの食用油は49.5元で300m?の小瓶つき。「金台源」という42元の500m?の白酒にも200m?の小瓶がつく。名古屋の「おまけ商法」に似ている」と、かなり「スーパーで調査した」事例つきで天津=名古屋説裏づける物証が並ぶ、が、こんなおまけ商法、世界中どこでもやっている。べつに天津だけの話ではない。そして次なる事例が貯蓄好き。中国人民銀行天津支店によると天津市民の預金残高は14,000元/人で全国平均の二倍。名古屋も愛知県は6,520,000円で全国平均の1.13倍、といふのが泉局長の説明。だが、大都市というのは通常、過疎化の進む農村地帯などよか貯蓄額では富裕なわけで、中国はことに富貧格差大きいわけで、かりに名古屋も日本の平均預金残高の二倍ならこの天津=名古屋説も通じようが、これでは天津と名古屋の貯蓄傾向で同一視は難しい。そして最後に「天津市で最もよく知られている日本企業はトヨタ自動車」で「トヨタは天津汽車と合弁している」ことを挙げている。この合弁は事実。で、とどのつまり、天津と名古屋は似ている、それは事実なのだ。が「天津と名古屋は似ている」という11字で済むことで、3つも具体的事例あげて300字ちかく綴るほどのことではない。が依然としてこの泉局長の「たとえ好き」は注目してゆきたい。
▼昨晩、NHKのニュース10での肺炎関連のニュースの部分だけがきっかり放映されなかった件、NHKの自己規制の場合「放映権の都合で放映できません」とか通常は流れるものがNHK will resume shortlyと画面に出ていて肺炎ニュースのあと放送が再開したことで、いろいろ憶測あり。シンガポールなどではこのニュース映っていたそうで、そうなるとNHK側の衛星放送未配給ではなく、ケーブルテレビ側かもしくは中国政府陰謀説まで。だが今回の肺炎が中国元凶の可能性大といった報道など香港でいくらでもされていることで、今さら中国政府がNHKの日本語の放送で神経とがられる気もせず、たとえばNHKがお得意で朝鮮中央放送の番組勝手に流すのと同様、香港のテレビ局の画像使ってしまっていて、とかそういうことも考えられないだろうか、この放送中断。それにしても生放送であるNHKニュース10で見事にその特集だけカットしたのはあまりに策略的だが。

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