そういえば数日前、HSBCよりご愛顧頂いておりますMandarin Oriental Hotelのハウスカードがこの夏をもちまして使えなくなります旨の手紙が届く。五、六年前だかかなりChinnery Barに入れ込んだ時期があり、当時の給仕頭に勧められし得意客カード、VisaだMasterだといった信販会社との提携もなく、ご優待があるわけでもなく、せいぜいMandarinでこのカードを見せると初めての給仕でも「上客か」と判ってくれる程度で、でもホテルであるからそれが価値あったし、BangkokのOrieantal HotelのRiverside Terraceではかなり客あしらいに違いがでて満足をさせてもらったものだが、最近ではこのカードの存在すら知らぬ職員が目立ち殆どお蔵入りしており、同じカネを使うならクレジットカードでマイレージを貯めたほうがよっぽどお得。カードは記念品にさせたいただこう。
4月29日(日)ランニング倶楽部の面々と大嶼山、梅窩まで船、貝澳から芝麻湾半島の海岸線を歩き大浪湾、この辺鄙な数軒の漁民が暮らす集落にてかなり奇抜にバーを営むJoe氏なる御仁がいたがバーはすでに畳まれ、住人に尋ねれば閉じてすでに数年とのこと、Joeは今何処。芝麻湾から横塘、水井湾とめぐり梅窩までおよそ15km。昭和天皇生誕百年だそうである、父方の祖父が確か同じ明治34年生まれ、明治もかなり遠くになりにけり。小学校の時に明治六年に開校した学校が創立百年でちょうど明治百年くらいかという意識が小学生でもあり、まだひとつのスパンで仰視できた気がするのだが、もう大正ですらかなり古代。その古典の荷風日記読むが、森麟太郎先生が荷風に最近森先生の娘が荷風の作を読み江戸趣味に耽りと苦笑、と、大正でもすでに当時はかなりモダンで江戸も遠くにありき。
4月28日(土)沙田にて競馬、Whiteが出場停止始まり、いかに今季はWhite中心にレースを組み立てていたか痛感、White抜きでは全てが穴馬に思え勘も冴えず、それにしてもWhite不在なら7出場にて3332211と上り調子で入賞を続けたFraddも困ったもの。香港では珍しく意味深な名前でデビューから好きなInca Roseが鄭君騎乗で一等、これも好きな馬だが心之靈New Asianはもう戦う意欲なしか。水曜日は沙田からKennedy Town行きのバスに乗り香港島へ渡ったはいいが北角から延々と街中を走られ閉口、やはりKCRと隧道バスなら45分にて帰宅できると納得。
4月27日(金)徹夜明け快活谷は祥興珈琲室にて早餐、馳名せ古典的な茶餐廰なれど客疎ら。
4月26日(木)雑事に忙殺される一日、百年ぶりかで遊び以外で徹夜するはめとなる。
4月25日(水)雨空、快活谷にいてまたわざわざ沙田まで夜競馬に行くとは我ながら呆れるが、 見習いのYT鄭君が通算54勝であと一勝にて見習い卒業、間違いなく今晩じゅうにはと思い、R2のDirtは鄭君の騎乗する游侠本色が先行、それをWhiteの勝招が直線で刺しにかかり、これは勝招にて単勝、游侠とのQもいただきと思ったら、いい速度で追い上げた勝招、一瞬先頭をとったがすぐにふっと力が抜けて(いつものWhiteならあのまま逃げ切るのに)鄭君がまた抜き返し一着にて見習い卒業。あれは八百長とはいわないが勝ちを譲ったな、と思えてもおかしくない勝負。鄭君の記念表彰は生憎の雨で一般席からちょっと歓声上がるものの表彰にはマスコミばかりで一ファンとして讚えるは本当に私と数名のみ、戻ってきた鄭君に思わず歓声を上げる。間近で見れば両親、母親は喜びの嗚咽、いい風景である。これだけでも雨空の遠出の勝ちありと思ったら、あとは勝てず。
CathayPacific航空が広告にて「空で最高の中華料理」と喧伝、愚か、中共の航空界は競争相手にもならず台湾のEvaAirくらいが競合で自画自賛。CathayといえばCathayはシナを示す英古語にて語源はロシア語でシナを示すキタイから、キタイは契丹が語源というのは確かか、CathayPacificは契丹太平航空か、正確には。 Fairy King Prawnの日本遠征問題、新聞ではPrawngateなる新語誕生、JRAの香港事務所の職員「日本競馬が閉鎖的といえば否定できぬ」となかなか正直だが、FKP問題についてなぜドバイから日本馬は帰還できたかについては「ドバイでの開催当日にこの決定が日本政府(厚生省)からJRAになされ、日本馬はすでにドバイへと日本を発ったあとのことで、日本は口蹄病がないので、参戦馬も疑いなく、それで帰還が認められた」と全くもって不可解な弁明、問題はドバイで外国馬との感染ではないか。
4月24日(火)曇。父親に持病あり中国のよく効く漢方ありそれを贖うよう頼まれ灣仔の中藝、Q嬢の紹介で割引を得、これまで孝行などしたこともなく、それが初めてが父のけして軽くはない病の薬とは我ながら悲しきもの。中藝などに行くと季節的にカシミアが安くなっていて衝動買いするかと思いきやカシミアではなく皮のジャケットとなる。珍しく日暮れ前に帰宅すれば黄昏てドライマティーニ。森君、退陣を正式に表明すれば同日、『噂の真相』が追及し続けた森君買春検挙疑惑での森側からの名誉棄損での同誌起訴、買春の事実は警視庁が証拠提出を拒みながらも森側はこの点については否定できず、同誌の「サメの脳みそ」といった表現も首相という公人であれば多少の厳しい中傷も覚悟せねば、と。一審では同誌が森君の女性問題などで記事に捏造があったとした点のみ300万円の支払いを命ず。それにしても首相退陣の日に買春疑惑裁判とは。
四月二十三日(月)曇。香港中文大学が愚かにもこのご時世にホテル学科創設し(創設などという言葉は勿体なく学科増産)構内に26階建て600室のホテルを企業と合弁にて経営、学生の実習に用いる、と。少なくとも香港が80年代後半の一流ホテル建造が始まる前、少なくても80年代初頭までに学科があれば良質な人材を放ち香港の国際観光都市としての役にもたとうがバブルは崩壊しホテルは軒並み飽和、営業成績も伸びずのご時世、PolytechUにはすでに同学科もあり、いい人材はスイスのホテル学校に留学する環境にあって、しかも沙田の田舎に誰がホテル学に勤しみ誰が野暮なホテルに泊まるか、阿呆めが。自民党総裁選は挙党ムードで地方選挙は地崩れ的に小泉純一郎君が連戦先勝と朝日新聞はどうせ自民党内閣が続くならせめて小泉君がマシかとかなり作為的に小泉君有利の報道を流し、それが功を奏したのか、小泉君といえば何度か木挽町にてご尊顔に拝し、客席に坐らせておくよか、め組の喧嘩で辰五郎、文七元結にて長兵衛、お祭り佐七でもさせたいニンあり、鮨やでいがみの権太でもやれば亡くなった延若の権太を彷彿させように、というわけで自民党の野暮な代議士の中では余もかなり贔屓でこそあれ、所詮質の悪き芝居小屋から出ようとせず小屋の一枚看板に収まろうとはとどの詰ま沢瀉屋や勘九郎ほどの器量もなしと云われても仕方あるまひ。李登輝君の来日(帰省か……)自らの赴日を「日本(の外交)がこれから人権や人道問題、自由とか民主とかを主体にしていくうえで、これ(ビザ発給)はひとつのチャンスです」と機内で語ったと朝日新聞、全体の文脈は判らぬが(の外交)の部分は朝日のまた小生意気な記者の挿入であって(の外交)が必要なのかどうか、いずれにせよ(の外交)を抜いて李君の言葉を咀嚼すれば外交にかぎらぬかつての祖国への叱咤か、小林よしのり等の輩が聴けば泣いて慶びそうだが、これで帰省が既成事実とならば次回の来日は容易、岩波書店の招聘でいかがか、京大時代からの岩波の愛読者、台湾で唯一?の『世界』の定期購読者である、岩波書店が唯一国策外交自民党に協調する快挙!。李君の「ビザ、やっとこさ」の表現、さすがである、台湾日本語の真骨頂「やっとこさ」sounds goooood!、「やっと」じゃなくて「やっとこさ」がいいっ、最近なかなか聞かないフレーズ、「やっと」より「どれだけ馬鹿馬鹿しい政治的判断があって弱腰日本政府がようやく」という感じがこの「やっとこさ」に含蓄ありゃせぬか。それにしても李君が蒋経国の総統を襲いし折誰が李君がここまで老練なる政治家筋と誰が計ったか、政治史の面白さ。昨日のQE IIにて優勝せしFairy King Prawn 蝦の安田記念凱旋参戦、口蹄病を理由に日本が受け入れぬ件、ドバイでの蝦と日本馬との共参ありしもの日本馬は日本に戻れ何故に蝦は赴日できぬかと、昨日の開催後のプレス発表でもジョッキークラブ馬會が言及、馬會は香港政府に対して本件を日本政府に働きかけるよう要請、馬會も総領事館に打診、南華早報は一面にて報道、かなり外交問題化する徴し、日本政府はJRAの問題と逃げJRAは政府厚生省の検疫の問題と逃げまさに日本的釈明、誰が納得しようか、蝦も結局「やっとこさ」安田記念に参戦し、まさにこれも「日本が主体的にしていくうえで蝦はひとつのチャンスです」か、実は銭湯やセックス産業での「外国人お断り」となんら変わらぬこの風土性。
四月二十二日(日)雨。生憎の天気沙田競馬場、国際G1の女皇盃は独逸から参戦せしSilvanoがWohler騎乗にて国際rating116ながら同123の仏馬 Jim and Tonicを破り一頭、女皇盃そもそも1975年に開催され始めしQueen Elizabeth II Cup にて97年以降もその名称残りしが高度なる政治的判断かどうか知らぬが99年にPiguetが協賛となりし折に名称は The Audemars Piguet QE II Cup と変わり、畏くも女王陛下におかれては簡略の名称が正規となるは陛下の名称残したくも北京を窺い苦慮の末のか、ただ漢字名は女皇盃と当初からエリザベスの名は没くこれなら楊貴妃か西太后かわからず(そんなことあるまいが)そのまま今日に至る。本日はここ暫くの運も尽き入場より遅れ精神はレースを後追いとなり冷静な判断もできぬまま、新馬ではClassic Master、R2のClass-4ではBank On It、R9の君子とこれまで応援してきた馬を悉く外し、R7の原居民の三着を的確に当てた程度の成果。それにしてもR7の主席短途獎を七分の力の出しようにて楽勝せしFairy King Prawn 蝦(南アより参戦せしMarwin騎乗)には脱帽、直線で軽くダッシュで四馬身差。YT鄭は二勝して見習卒業まであと一勝と迫る。月本氏ら日本からの競馬関係諸氏と尖沙咀福臨門海鮮酒家、それにしても箸袋に「一流粤菜」と署すは疑問、他の一流の店は一流などと自らを称えぬものなり。余談ながらもともと接客には得意客を除き温もり乏しきは陸羽か福臨門かと馳名なれど極めて冷徹、慇懃無礼な接客続き不思議と思えば我らの先の個室にその筋と思しき一見して興業関係の方々、客人はどうやら歌手L先生(本人不在にて)の好朋友T先生にてさういへばL先生の独演会先週成功しその慰労で本人欠席かと勝手に察するが、この個室に給仕たちの全神経が集中、一つ間違えばオトシマエ云々の空気立ち込め、それ故に我ら一見の客など視野になし、その筋の方々お帰りの後は給仕たちの表情に安堵、少なからず接客に余裕と温もりが高まりたり。福臨門らしき光景なり。月本氏とは競馬以外に話を聴きたき事様々あれど物語り尽くせず残念。荷風日記、大正九年荷風齢四十余、風邪にて40度の熱は確かに高熱、しかも病弱、しかし遺書を認めるか普通?、その数日後には麻布に普請する家屋のことにて大工頭と打合せとは遺書を認める者のすることか(笑)、かなり旺盛な生命力、そして現に昭和34年まで生き延びてしまふとは。
四月二十一日(土)曇。香港一年のうち最も湿度が高く不快な日、愛猫のPHコントロールの成猫餌を購い、晝から風呂屋で按摩、数日前の新聞を拾い読みすれば劉健威氏も先日の『哈哈上海』をドキュメンタリとしての質に厳しく疑問呈し、デリカシー欠ける監督本人の出ずっ張りよか華のある実母撮るを勧める、然り。Z嬢と尖沙咀Dan Ryan、ここの給仕の仕業は正に香港一、酒を注文し別な給仕頭が食事を尋ねてきたが注文を聞き終われば「お酒はまもなく参りますので」などと、見えぬところで給仕全体が店の卓毎の流れを理解、天晴れ。香港映画祭も楽日にて台湾は楊徳昌の『一一』Yi Yi、台湾映画といえば都会人の孤独と病ひ(80年代まではそうでなかったが他にないのかテーマは)、張震の出ない楊徳昌映画は初めて観るもの、なぜこの都会人の孤独と病ひで172分も要るのか、と思えば家族郎党の夫々の成員のいろいろな物語をすべて含んだからで、これは短く編集できぬし、この長さがいるのだろうが、けして好!とは云えぬ出来だがまぁまぁ、キーワードは扉と窓、成員はそれぞれがマンションから出て(外の世界で何かが起き疲れ)戻り、また出て戻りと延々と扉の開閉が繰り返される、しかも重要な点はその家族が一度として誰かと一緒に出入りせず必ず独り、そして窓、成員がどんなに苦しもうと悩もうと窓からは光が射している、雨の場面なのに家に入ると柔らかな陽射しなのも敢えてか、それにしてもこの都会の病ひなるテーマ、そして構造主義的、記号論的な解釈はすでに陳腐。このテーマはロバート・デニーロのタクシードライバーにせよウッディ・アレンにせよ、日本でも『家族ゲーム』でも『逆噴射家族』でも、香港ですらある面では王家衛の『阿飛正傳』、もう出尽くす。映画終わりシェラトンホテルにて作家の(というか競馬であれ狂言であれ資本主義社会についてであれ一つの完徹した自論がperspectiveしている点で「言論人」と云いたいが)月本裕氏、月刊『ハロン』編集長のH氏、穴馬的中師のN氏。月本氏がこのサイトをご覧になり、競馬だ歌舞伎、しかも『東京人』で邂逅したH君などまるで内田魯庵モード、便り頂戴しの一会となる。
四月二十日(金)曇。Runners Clubの宴会にて銅鑼湾は益新飯店、かなり呻吟して考えた料理を呈したが参加者減り飽食気味にて味覚欲鈍る。白酒君、週刊香港K君来宅、干葡萄をジンに漬けておいたのだがその葡萄の甘みが出たジンを滴らしこんだウォッカ(創作)とLansonの黒のbrutを夜半まで飲む。
四月十九日(木)曇。中央アジアはキルギスタンのAktan Abdykalykov監督のBeshkempir(英題はThe Adopted Son、中題は吉爾吉斯少年行)、今回の香港映画祭の中でこれが私の最優秀映画か、この監督、かなりエロスに対して思い入れと美学があり、子どもを撮ることでは『みつばちのささやき』のヴィクトール・エリセか黒澤明か、視線がかなりエロチック、少年を不安定な美としてとらえ少女は棟方志功的に少年を包む母性として映し、欧米や日本などの先進国ではこの映画など児童ポルノの範疇とされる惧れもあるか、少年たちが性に覚醒るあたり、その欲望と少年たちの性欲=いじめ(政治性権力)、祖母の死での葬儀を通過儀礼として大人の男に成長していく姿を見事な描写、じつにきれいな白黒でのキャメラ、とくに乾燥したキルギスタンの田舎の村で太陽に燦々とする光と水を静かな銀幕に映し(途中、意図的に使う天然色場面は不要)、レニ・リーフェンシュタール的に観客がぐいぐい映像に嵌り込んでいく。後半の葬儀の場面は82分の映画で長すぎるかと思ったが一旦は性への覚醒めと「雌の獲りあい」で断絶した少年たちの友情が葬儀で、しかも一老婆の死を村全体が哭いてともらふ、その演技とすら思えぬ泣き顔を映すにはあれくらいの長さが必要だったし、あの葬儀の場面の長さでラストでの成長した少年までの時間的経過でもある。Abdykalykov監督、これくらい映画の中に「まなざし」を込めることができるとは、変態だ(いい意味で)。こんな映画がキルギスタンから出てくるところが世界映画祭の面白さ。或る会合にて日本人倶楽部にて桜膳を頂く。先付から造り、焼物、煮物と懐石風に春めいた食材(鯛、ぜんまい、蕗、菜の花、花大根、細魚)と調理でうまくまとめ予想以上に美味、ただお膳で出てきてあら春めいた鮮かさというのもいいが、懐石風にきれいな料理が次々と出てくることでの艶やかさもいいかと思う。
それにしても歴史教科書の問題は、この教科書が水道橋にでもあって靖国神社のほうを仰いだ極小出版から出たならまだしも、扶桑社=フジ産経から出ていること。そしてこの会も出版社も然ることながら、この出版を消極的であれ許容している日本社会がもっとわからない。戦後50年以上たって「国のかたち」なるもconstitutionも作れず、まともな政治や経済政策もなく、問題を解決できないどころか問題の在り処さえ気がつかない。ただ小津の映画の世界のように日が過ぎてゆく。問題は小林よしのりでも産経でもなく一木一草に宿るその不感症的な許容性……。
まほろばにうごめく虫のいたずらに すめらみことの邦(くに)ぞたたえむ
四月十八日(水)雨。競馬は一年以上のスランプ脱出か、不快指数120%の快活谷にて順当に勝馬が的中、R1はDyeのRed Commander、R4はDyeの富萬家で複勝、Woodsの幻奔は11倍をきちんと複勝で押さえ、この二頭でQP、R5はHarrisonの大家旺とDyeのTop Winner、R7はWoodsでDolbridgeと一点買專家として実力を発揮、かなり儲ける。最近は観戦席で周囲が発狂していないいちばんクールな場所で冷静にパドックから返し馬までをじっくりと眺めること、それに尽きる。
四月十七日(火)賈樟柯監督の『站台(Platform)』を観る。賈の生まれ故郷である山西省の田舎町を舞台に文革末期、共産党の宣伝音楽隊に参加していた若者たちは党のプロパガンダに従い謡い踊るが、もちろん本当に好きな音楽はポップスであったりして夜な夜な音楽に酔うのだが、山西省の田舎にも徐々に開放経済が入り込む様は、彼らが巡業から帰ってくる毎に街並みに少しずつ広告看板が増え人々がお洒落になっていき、驢馬がバイクや自動車に変わっていくことで判るのだが、彼らも舞台から徐々に党のプロパガンダは消えて自分たちの好きな音楽やダンスに様変わりしていっても、観客だってかつては何の楽しみもなく党の宣伝だって舞台に歓声をあげていたのがテレビやラジオから最新の流行音楽を得ているので彼らの田舎ミュージシャンの舞台など面白くもなく、彼らは客を得ることはできず、だんだん最果てへと巡業場所を移して遠のいていくのだが、それでも流行の進出は凄まじく遂には彼らはもう演奏する舞台をなくしてしまう、その僅か10年の間の凄まじい変化を描いている作品。多少散漫な演出もあるが、この音楽隊を通じて中国の変化を描き、何がいいわけでないがかつての中国にあった何かが経済発展で無くなっていることを暗示するのが、1973年生まれの監督の為した作品だと思うと立派、音楽隊は建前から本音の音楽になっていくのに観客は建前でも喜んでいたんが本音になったらもう感心もなくなっている、という不条理、かなり小津的な静寂や制止があり、シネスコの画面の使い方もかなり小津的、でキャメラワークは大変よくシネスコの中での人物と風景の構図は最高にいい出来なのだった。Z嬢の隣りに許鞍華監督、煙草の臭いが体臭となっており映画の最中はガムを三枚一口で噛んでいたそうな。映画終わってM女史と遭遇、芸術中心の楼上のカフェにて映画談義、サンミゲルの生ビールがあまり売れないのだろう、もう酸化していて、しかも水がすげー悪くて最高の不味さ、このカフェ、眺めは最高だがキャフェとはどういうものか芸術中心も職員も全く理解できないまま運営されている悲しさ。中文大の某修士課程のS嬢と合い日本人倶楽部にて食事しつつ彼女の研究のための材料としてコメント、S嬢が録音するというから倶楽部の食堂は静かでいい、と。Z嬢とGo Go Cafe、夜遅くでもかなり客ははいっているが、やはり飲むだけの意図で行くと日本の喫茶店のパスタを茹でピラフを炒めケチャップとバターのにおいが強くてちょっとツライ。
四月十六日(月)晴。Z嬢と大嶼山は東涌から大澳まで途中空港を眺めながら発着の騒音にも気分を嘖まれながら歩く。大嶼山北側の海岸線で意外と歩きやすく三時間余にて大澳。巴士で島を縦断して梅窩。フェリーにて戻る。夕方、週刊香港連載の原稿を呻吟。香港の道路交通について。ふと自家用車と自宅の相関関係、1400ccにて700sqfの自宅なら2cc/sqfを身分相応としたら、この指数が1となる3000ccで3,000sqfならかなり裕福となるが、香港の場合400sqfの公共住宅ながら駐車場に6,000ccのベンツの場合、指数は15となり、これはかなり香港らしい無理となる。首相森君の後任は小泉君となると暴力団の次は遂に仁侠の親分の登場か。銅鑼湾の香港大厦、老朽化が問題化しているが銅鑼湾の一等地で世界でも有数の高賃貸物件、剥離した壁のコンクリが路上に降り通行人が怪我、この時期、雨と湿気か壁の剥離は香港の風物詩。
四月十五日(日)晴。A御大とI氏の両夫妻と藍田からウィルソントレイルに入り春の彼岸の墓参りに賑わう華人墓地と将軍澳を眺め清水湾道まで歩く。かつての国民党部落の調景嶺、陸の孤島と云われしものが今ではすっかり形跡もなく超高層マンションの建設が進む。芸術館にて山東省青州龍興寺出土の仏教造像展、千秋楽にて、仏像は傳教の果て日本に残るものが洗練され好きなのだが、毀れて出土した佛の御手に素晴らしきものあり。ただ三尊像のコレクションは殊に照明に執拗に神秘的に見せようするするあまりマテリアルとしての良さが見えぬ展示多し。埃及展での質の劣る硝子に近いものを感じる。先ごろアフガニスタンのイスラム強硬派による佛教遺跡破壊が野蛮とされたが廃佛は幕末から明治の日本でも、そしてこの龍興寺とて儒教の影響での廃佛にて多くの仏像が頭や手を毀されてもいる。宗教による宗教の弾圧を野蛮というのは易しい。科学館にて香港映画祭『哈哈上海』、30年前に母が文革寸前に海外へ移住しようと上海の家を2,000元にて手放し米国で育った娘が映画製作者となり30年ぶりに上海を訪れる、とここまでは最近珍しくない上海モノなのであるが、この崔明慧なる監督はこっちが恥ずかしくなるくらい屈託がなく、今回この上映に来ていたのだが「 イエーイッ!」と両手を挙げてステージに踊って上ってくるようなオバサンで、それはいいが作品もそのまま、いきなりその30年前の家を取り戻そうと、まだ文革で強制徴用されたならまだしも母は国外に逃げる資金を得るために2,000元を得て、その後の人生の安全との引き換えに家を手放したものを、何ら疑問がなく再び取り戻そうとは……破廉恥。尖沙咀の韓国宮、八年ぶりくらいか、相変わらず全席韓国同胞ばかり、それにしてもあの世界、香港での狭い韓国社会での礼儀を重んじるためか店に誰か客が来るたびに全員の視線が入口に集中し、いざ先輩知古ならば先ず礼を尽くす緊張感、飲みだした酒は自ら止めれず、勧められた煙草は断らず、先に席を立つは失礼、あの全テーブルは何処まで酔うまで飲み続けるのか。味でいえば秘苑なり、同じ韓国社会でも雰囲気の気軽さでいえば梨花苑なり、石焼ビビンバなら景光街なり、美味い店は他にいくらでもあるが、かなり濃い韓国社会を垣間見るには韓国宮、かつての銀座太郎での日本人社会のようなもの、ついこちらまで義理もないが思わずその義理で真露を二本700mlも飲んでしまい酔う。
四月十四日(土)今季ドリアンを初めて食せばイースター前でなかなかの熟し具合、味はまだ浅いがこれは98年以来のドリアン当り年の予感あり。香港映画祭にて沙田の競馬を逸するがため予め馬券を買い、Z嬢と海防道街市にて徳發の牛南面と牛丸麺。太空館にて昨日に続き看王家衛的『重慶森林』、前半の金城武主演の部分をどう看るかによるが後半は『阿飛』にて謎のラストシーンを演じた梁朝偉が二度目の王家衛作品にて「いちいち考えてもしょうがない」という気楽な芝居、王菲は王家衛の作品で見事に楽しそうに自然体、一応ストーリー展開しているぶん、ヘンに筋が目立つ、いずれにしても解らない。市大會堂にて阪本順治監督『顔』、どうして藤山直美を殺人犯にして映画が撮りたかったのか、看れば合点、全く華もなく針仕事とテレビとお菓子で家に引き籠った女が母親の死を契機に派手な妹に罵られ、それを殺し、逃げる話なのだが、女は酔った男(勘九郎)に強姦され自分が女になったお礼に祝儀を渡し(これが母親への香典である)、ラブホテルにて初めて家の外で労働し、自転車に乗るという自分の速度を上げる手段を会得し、自転車の乗り方を教えてくれた経営者(岸辺一徳)の自殺で警察との遭遇に脅え逃げ出し、旅の途中で男に恋し(佐藤浩一)、別府でついにホステスとして生まれて初めて明るく積極的に活きる性(さが)を会得するのだが、ここでも勤めたバーのママの弟、ヤクザなのだがその抗争で弟が殺され、ここでもまた「死」に遭遇し、また逃げ、最後は島で御用となりかけるが、ここからもまた今度は海を泳いで逃げていく……この展開で「顔」が引き籠る娘、殺人者、ラブホテルの従業員、恋する女、ホステス、健康そうな島の女と千変万化していくのである、この演技ができる女優は、と考えれば、ニンがあるのは市毛良枝だが、この女を主人公に「一本撮る」には彼女ではなく、また寺島しのぶではまだ若すぎ、とくに本当にブスな娘から色っぽいホステスまで演じきれるのは市原ではなく直美しかおらず、被害者ではなく加害者の視点から撮りたかったという監督だが、やはり加害者から撮るとなると『復讐するは我にあり』の緒形拳とか、これくらいの役者が必要なのだろう。この映画、成人映画指定できっと殺害などの凶悪場面のためであって、直美と勘九郎の濡れ場があったりしてね、それじゃエロ映画じゃなくてグロ映画だ、なんて笑っていたら本当に勘九郎が直美を強姦する役だった(笑)。久々に馬場に行かずの競馬、終わってみれば賞金高HK$7,600萬にまで膨れ上がった3Tでは(当然配当にはつながらないが)R3にて簡厩舎の力圖、R6ではこれはWhiteが騎乗だから難しくないが青山福将を押さえ自分の分析と勘に満足、好きな南美之歓もR7の1,150mの初のDirtで三着に入り、これは複勝を二枚買うミスも塞翁が馬となる。
荷風日記、「一昨日四谷通夜店にて買ひたる梅もどき一株を窓外に植う。此頃の天気模様なれば枯るゝ憂なし。燈下反古紙にて手箱を張る。蟋蟀頻に縁側に上りて啼く。寝に就かむとする時机に凭り小説二三枚ほど書き得たり」という、この日記二日目の記述、これが荷風散人数えで三十九歳である、本人がいくら老成を気取るとはいへ、これは老いのダンディズムの粋ではなく単なる老いの痴呆の域ではないか、病弱とはいえ市ケ谷から九段を散歩して翌日はそれで腹をこわし懇意にする医者の往診が不便だからと木挽町に医者の往診を受けるために借家する……こんなのアリか?。日記面白く、市川段四郎とあり、昭和33年の東都書房版の荷風日記を読んでおり読者の便宜にと付いている栞には「現猿之助の父」とあり、咄嗟に現・三代目の父?と三代目の段四郎を想像するが、よく考えれば昭和33年の猿之助は二代目で後の猿翁、つまりこの大正半ばの段四郎とは猿翁の父か、と判るヤヤコシサ、面白い。
四月十三日(金)百年ぶりに寶雲道を走る。ドリアンアイスを食べていたので走るとドリアンのおくび、けして気持ちいいものではない。Shau Kei Wanの香港電影資料館で王家衛の『阿飛正傳』を今度こそ途中寝ないで全編見ようとZ嬢と出掛け、維多利亞公園をバスから眺めれば今年も六四の国殤集会に向けてか大がかりな造成工事にて集会の矮小化狙い。途中バスの乗換えで北角、飽餃店なる灣仔と旺角にある店なのだが、これが北角にも開店し、小腹が空いたのでここで小籠包、菜肉蒸餃、葱油餅を食すが、けして不味くはないが再び来るかと問われれば否、丹精込めて作っているようで味があまりに一般的で化学調味料がいいコクを醸し出す現代風味。香港電影資料館は展示場のあまりの幼稚さに笑ってしまう。『阿飛正傳』はつひに途中寝ずに95分見通せば、やっとこの作品が駄作のしかも大作であることに気付き、とにかく単純明解な映画ばかり作ってきた香港が90年というエポックメーキングな時期に王家衛に抽象的な作品を撮らせ、香港映画の幅と度量を見せようと張國榮、張曼玉、劉徳華、梁朝偉、張學友という大スター共演させ、だからこそ駄作でも劇場公開されたし営業的には失敗しても伝説化し今日までこうして香港映画祭に掛かるほどなのだが、張國榮が次々と女を取換え引換えの遊侠も一見すれば花川戸、助六なのだが名分ってのがない、ただ遊んでるだけで生みの親を捜しにフィリピンに行く巣立てぬ鳥、張曼玉と意外に張學友の好演、梁朝偉も筋から外れてしまいチョー有名な全く意味不明のラストシーンで突然現れるだけだが、あのシーンでのロングテイクでの「男が出かける迄のサマ」はマジに歴史に残る素晴らしい演技であって、あれだけこの『阿飛正傳』のフィルムが捨てられない根拠になろう。この作品を敢えて意味深く看れば、鍵は<時間>である。香港のシーンで何処も彼処も時計が時間を刻んでいるのだが、この映画に登場する人々は劉徳華の警官を除き誰も時間など気にする必要のない遊び人ばかり、時間を刻むことの無用さ、それでも時間が過ぎる不条理、そしてフィリピンは一切時計が登場せず時間は唯一、船乗りとなった劉徳華に張國榮が時間を尋ねるシーンだけだが、この劉徳華もけっきょく船を捨て張國榮との逃亡となり時間から遠ざかっていく。そして止まない雨と湿気、これは台湾で蔡明亮が重要なモチーフとして現在まで引きずっている。映画終わって砲台山まで戻りS氏の評判の手打ちうどん屋を訪れるが戸にすでに手打ちは売り切れの看板あり、火曜日に行ったばかりの閔江春小館、今晩は鶏巻、海鮮滷麺と通菜、滷麺も美味いが鶏巻(鶏の肉と出汁で作った粽を春巻のように揚げてあると思ってくれ給え)は格別、これがビールと合うこと至極。余談だが鹵は塩だが滷は何かと思い辞書を牽いたら「にがり」、なるほど。ついに荷風の斷腸亭日剩を読み始める。これは何ヶ月かかることか。
四月十二日(木)山口瞳の随筆はだんだんと氏の病ひがひどくなってゆく。微熱が続くとかカラダの何処其処が痛いとかそういうことだけではなくて、最後まで一度も休載せず書き続けている中で文章が、である、一読しただけでは文意が解らぬことが徐々に多くなっていく。話も話題を変えているのではなく、話が跳ぶ。死に向かって一歩一歩近づいていることがわかるのだ。姿勢は優雅でもある。でも「老酒」なんて随筆はいいなぁ、病院での検査が一段落しての妻との銀ブラなのだが、癌で入院する氏が、である、日本橋の丸善でステッキをちょっと短くしてもらう、クロスのフェルトペン、高島屋の帽子売り場、銀座に出てフジヤマツムラの洋品、手頃な旅行鞄、麻のワイシャツ、布製のベルト、いわゆる夏用のペラペラの軽いレインコート……みんな外出に要る物ばかりじゃないか、銀座の見番は何処だったか場外の傍か?、氏が若い頃初めてコンドームを買った薬局で日常薬を購い、そして維新號で叉焼麺を食す、医者に止められている酒を妻がちょっと飲みましょうかと老酒を注文する、それが銀ブラで心底疲れている氏が(常人の疲れではないのだ)呑むと老酒がやけに熱く食道から胃のほうに染み込んでいく……。読了。
四月十一日(水)曇。当る日は当る。R1でWhiteの自知之明、これは固かったがEganのSpeedy Fowardも押さえていて、単勝とQとQP、R4でSt-Martinの紅鑽石にて単勝、Coetzeeの好力と併せてQとQP、R6は2,400mながら自信をもってまたCoetzeeで鑽石群英で単勝、14倍の半冷ながら梁明偉の百勝駒は複勝とこれでQにQP、R7はつい「快活谷の虎」F君の愛馬Commander Charlieに浮気してFraddの麒麟三寶を単勝でQとQPにしたのだが、Commander Charlieはこういうレースで10倍で来てしまうのである、麒麟は三着でQPと複勝、これでまたそれじゃ勝つかというと期待外れなのがCommaner Charlieの面白いところなのだが、いずれにしても我ながら1点買いでよくぞここまで当てるものと感心する成績にて、7レース中、単勝3勝、Qが3勝、QPは4勝、複勝は4勝とかなり好成績、3Tも9頭当てればいいうち5頭当てて残り4頭のうち2頭が接戦で4着、完全に外したのは2頭(ただしこれが30倍とかだから当らないわけだ)。最近好成績なのはやはりレース観戦をかかさず、それと験担ぎでもあるのだが私の場合は競馬場でもかなり静かな場所がいいようで、周囲のオヤジたちがかなり熱くなっているところで当った例しもなく、ゴールからかなり遠ざかって望遠鏡でぎりぎりパドックを眺めるくらいがいいらしい。快活谷なら会員席なら二階のかなり第1コーナー寄り、一般席なら第4コーナー寄りの7階、沙田は一般席では当った例しなく会員席の日本料理・西村から馬場に出た辺り、となっている。
四月十日(火)小雨。Z嬢が嗅ぎつけた砲台山の福建料理・閔江春小館(英皇道185號)、まず清炒通菜が供されたが一口食べて油が良いから美味い、続いて三杯鶏も大蒜を上手ってるが鶏が骨から滑るような軟らかさ、いい鶏だ、蒸茸豆腐も豆腐がカラリと良い具合に揚がっている、嫩餅(春巻か)はもう絶品、二人でこれだけ食べても三杯鶏の大蒜とタレが鎬にかなり残っており白飯にそれをかけて平らげ、食後の花生湯も落花生を本当に茹でているがかなり絶妙な甘さ、蔡瀾などかなり紹介しており有名な店で、この店がもしかしたら食通A御大がいぜん語っていた福建料理屋かと察したが、その足で夜半、西灣河に映画を観に行けば、会場にてH夫妻と遭い、その話をしたらH夫妻もすでに食しており、やはりこの店がA御大が讃めていた福建料理屋だと判る。かなり美味い、他で食べたことのない味だ、亭主の真摯な態度もいい、味はちょっと濃すぎるのだが。香港映画祭にて韓国は柳昇完監督の DIE BAD、低予算でのオムニバスだが、高校の落ちこぼれたちが警察と不良になり、憎しみもないのに殺し合う立場に陥るという、物語としてはすでに語られすぎたものなのだが、役者もいいが、なんといってもキャメラがいい、キャメラのスピード。喧嘩や抗争をあらゆる角度からこれでもかこれでもかと肉薄していく、それでいてドキュメンタリー的ではなく演出作品としてのワキマエが活きている、立派。この監督、かなり良い脚本に出会えばかなり面白そう。
四月九日(月)雹が降る。何年かに一度、春のこの不快な高温多湿の雨天に雹が降る、雹は不吉で相場まで荒れるそうな。数日前に銅鑼灣のWatheson街にあるレスリー張國榮が経営者だということで数年前に開業して話題を呈した料理屋が通りかかったら全面改装しており、まさに全面である、店の中を全て取り払い、道に面した硝子窓まで外しての大工事、それが一昨日だったのだが、今日の新聞に明日新装開店、つまりわずか数日で内装工事が終わるどころか料理屋が営業する、という。工事が突貫で終わっても水回り、塗装の臭い、埃……と料理屋というのは工事が終わってからかなり手をかけないといけないはずだが、お構いなしか、レスリーは経営から手を引いたと新聞には噂が……どうでもいいので店の名も挙げず。この日記を読んでおられる方もいれば、他人の日記を読むなんて、と嫌う方もいるようで、そりゃ他人の机中の日記を読むのはよくないが、この日記は他人に読まれることを前提に書かれ公開されている「作品」であって、心中を吐露する禁断ではないのに……。
四月八日(日)湿度百度の曇空。ふと最近、山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』を読んでいる。週刊新潮に連載していた「男性自身」の逝去直前の部分だが、連載していた頃はほんときらひな随筆だった。氏が毛嫌いする部分(その対象たる人)への悪意にも似た不快感と、と高橋義孝や吉行淳之介といった「先生」への順尊ぶりの、そのが鼻についた。それよりも何よりも氏の成人式の日のサントリーの広告で若者に一言述べる一言を小学生の頃から読む度に何かあの尊大な態度が厭だったし、あれだけ蘊蓄と頑固さ一辺倒の人が酒となるとサントリーしか飲まず(それは赦そうじゃないか、サントリーが『洋酒天国』の元発行人だ)、エッセイの中でバーに入ったクダリでいちいち「山崎の水割りを飲んだ」とか書かれるのが全く不快だ。せっかくのエッセイが山崎の水割りと云われただけで不味くなる、せめてロックだ。しかし氏にいちいち怒りながら、それでも読んでしまう。いくら男性自身というタイトルとはいえあのmaleというgenderに依存した姿勢が嫌だ、でも女性に嫌われる男性たちにはいい主張だったのか、何が嫌だって怒りながら、それでも読んでいる時分がもっと嫌だ……と文体まで氏になってしまったではないか。イチローが活躍している、それはいいが、イチローの活躍で、何かしなければならないことを忘れハレになって精算を勝手にしてしまう日本のイチローファンはダメだ。イチローは、野村証券にいてシンガポール駐在の時に「このままじゃ自分の才覚がダメになる」とジャパニーズファームを見限り非日本の投資金融に移ってしまった投資家と何も変わらない、彼は日本のためにメジャーで働いているのではない、勘違いしてはいけない。四月にはいってからの朝日新聞のイメチェン、悪口ばかり書いたし、旧に敵方の中曽根康弘君に長論を書かせたり(字が大きくなったので必要以上に紙面を占めたのは無駄だったが)石原慎太郎の人気を積極的に読解したりと、あんまり見方がフガイないので敵方を使う戦術に出たのは分かる気もするが、朝日側がそう思っても未熟な読者は中曽根君の強い日本の論を読み騙され結局読売新聞の読者になってしまうのだ、きっと。読書欄はいい。小林信彦が語る荷風の日乗もいいし、岡崎武志なるライターの梅宮アンナの?本の梅宮アンナなる名に「牛丼にホワイトソースをかけたみたいな」という形容もいいし、紹介する本はサイードの自伝(A Memoirは和訳は『ある記憶』であって、それを『遠い場所の記憶』なんてまた大袈裟にしたみすず書房は有罪)であったり(それにしても何故、この本が4300円もするのか?、原書はUS$26.95、香港でもHK$180だった、1,000円高いのは翻訳だからなのか)、写真家メイプルソープの背徳の伝記であったり、ゴダードであったり、読書欄は腐っても朝日、か。翻訳本につひに原書のタイトルを英語で搭せたことだけでもありがたい。CDもそうしてくれないか。
四月七日(土)雨。Grand Nationalである、英国の7200mの大障害レースであって、40頭の馬が出場する、中山の大障害なんて比べ物にならない過酷なレース、というわけで(もないのだが)、年に二度週末に快活谷で、ランニング関係の連中で快活谷のStable StandにてBuffet、衣笠氏は生まれて初めての競馬でいきなり単勝はHK$100だし、白酒君は軸馬1頭の総流しでしかもHK$50でかけてるから14頭だてだとHK$50賭ける13でHK$650ずつだし、週刊香港K氏は地味に独り三重彩Tieceなんか購入していて固いレースだったけどHK$600くらい当ててるし、ほんとみんなわかってるのかわかってないのか(当然、わかってない)、私は相変わらずの一点買いでHK$10、それでも単勝に複勝を足して連複にワイドも足してレース毎HK$40を投入した結果、やっぱり回収率はあがりHK$200ほどの儲けとなるが、なぜあそこまでじっくり時間をかけて研究し、それしか投資しないのかは他人には理解できぬこと(自分でも理解できない)、それでも今晩は地場での八レース中四レースでなんだかんだ当てているし、しかもGrand Nationalである、英国がAintree競馬場は昨年の五月の英国のような晴れ晴れした天気とは打って変わって大雨、これは荒れると私の選んだ24番のEdmondが英国でも一番人気、さすが英国紳士は私と一緒かと、レース始まれば1番と24番がレースを引張り、この天候ではこのままかと思えば騎手落馬にて斜行した馬が障害の前に立ちふさがり8頭だかの馬がそれで毀れたり波乱続き3600mの1週目が終わった頃には8頭ほどしか残っておらずEmonondも脱落、1番の落馬ともうレースを捨て気分になったら10番の騎手はGuestのRed Marauderなる馬が27番とたった2頭の競り合いとなり、ふと馬券を見ればEdmondは枠は10で10番と一緒、すわ10番頑張れと応援すれば最後の直線前の障害ですでに1番を引き離し独走、見事ゴール、動物愛護の観点から赦されない競馬ながらやはりGrand Nationalである。
四月六日(金)雨。T氏とMandarin Oriental HotelのChinnery Bar、久々に姿勢のいい給仕、黒服でいかにもきちんとした格式のバーで修業しましたという英国青年、グラスの扱いなど手並みは格別にいいが、カウンターの陰でバーの角に坐った私たちから見えるところで靴は磨かないように。西環は坤記にて排骨飯と白鰻飯、季節的に多少味が緩くなったか。海南島での合衆国と中国の軍用機事故、所詮、合衆国はパウエル国務長官の絶好のお披露目舞台としているばかり、中国は銭副首相が完成させた大国の外交部の一世一代、出来レースとしか言えず、事故で行方不明になった中国軍パイロット阮某は雷峰以来の神兵となり、その妻がこれまたどこまでいい人材かというほどに「いい女房」、行方不明の夫の安否が気になるのか(どうか?)、真摯な視線ときちんと整えた眉毛がとても場にそぐわず印象的。まさに北朝鮮のキムヨンヒのように燦然と現れた悲劇んヒロインなのである。
四月五日(木)清明節である、清明節といえば正月、清明、中秋、重陽……とかなり大切な節句のはずで商売も休みをとるのが習慣、さすがに今日漫ろ歩く路上にて熱気(イーヘイ)があり中環の回春堂にて涼茶を啜ろうと思えば休み、尖沙咀の海防道街市の徳發にて牛肉丸でも喰おうかと思えば休みとさすがに徹底した店は未だ節句を休むが中環の街市などどの店も何事も無きが如く営業しており、節句の中でも墓参を善しとする大切な節句もここまで忘れ去られたかと痛感す。大陸(尖沙咀)に渡り春物(夏物か……)を購いTUMIにて皮のwaist pouch、ウエストポーチと綴るとどうしてもWest Porchで西玄関と想像していまわないか?、に一目惚れしてこれも購う。そういえば人類の動物愛護は鯨、毛皮獣ばかりか最近は皮製品にまで及び、英国の狂牛病もあるのだが肉に対する嫌悪感も累なり、先日もSM女郎が黒皮でなくビニイル姿で登場し反皮を訴えていたが、ビニイルでは美しくないのである、ヒトが毛皮を纏うことでの美しさがないのである、ビニールでは築地のマグロ商いじゃあるまいし絵にならず、毛皮は毛皮を穫るためだけに獣を殺しこそすれ、家畜を殺生するぶんせめて肉も喰らい皮を纏うことは赦されないものなのか。
四月四日(水)つくる会の歴史教科書つひに文部省検定を通過す。こういう癪をもつ者が居るのは日本に限ったことではないが、この教科書の出版社が扶桑社つまりフジ産経グループであり、この教科書のメンタリティーは極右の癪ではなく日本の自民党的なるものそのものであることの怖さ。こんな教科書で初めて会得される民族のアイデンティティなど塵芥以外の何ものでもなし。朝日に渡辺保の歌右衛門追悼つひに載るが成駒屋の演目を通り一辺倒に紹介するのみ、意図的か。RTHKで永年日曜朝のトーク番組を司会進行していたRalph Pixton(昨秋引退)が65才で逝去。非常に植民地での英国人的にまったりとした番組も懐かしいもの。ネパールのTemba Tsheriなる15才の少年が二度目のチョモランマ登頂に向けて出発、史上最年少を狙うが、昨年は頂上から僅か22mで断念、そういうものなのか……その際に凍傷で右手三指、左手二指を失っている。大雨の一日、夕方ちょいと空も明るく快活谷の競馬場よりバスにて沙田の競馬場まで遠征す。
四月三日(火)そういえばDeep Purpleの夜、中学1年の時にPurpleを我に紹介してくれたT君、彼のことを思い出し、高校を出てBostonのバークレー音楽院だかにベース奏で留学して確か20になるかならないかの夏に一度会っただけだったのだが、ふとインターネットで捜したらT君より数年先に渡米した兄と同様紐育にて演奏家していることがわかり、しかも東海岸のジャズ界ではちょっとした演奏家でCDも出ており、AmazonにてCDを早速注文し、そのT君が参加するTopazなるCDはチェリストのErik Friedlanderのアルバムなのだが、この奏者が自分のサイトを披いており、そこにメールしT君への連絡を託けるとErik氏よりメールを確かに転送すると連絡あり数日後にこのT君よりメールが届く。ちょうど今日よりこのTopazにてT君は兄共々伊太利への演奏旅行とのこと。
四月二日(月)曇。新聞のテレビ欄を眺めればワイドショウで成駒屋逝去を謳うは日テレの僅か一番組のみ、殆どが倉木麻衣ちゃんの大学入学ネタ。勘三郎が亡くなった時は確かその晩か翌晩には神谷町がゲストで山川静夫が司会で「勘三郎さんを偲んで」を特番でやっていた記憶があるが、成駒屋の場合は予期されたXデーであった筈がNHKも未だ偲ばず。成駒屋逝って桜花(おうか)に冥(くら)き舞ひ。
四月一日(日)曇。旅行中の配達を止めていた新聞がまとまって玄関に届き、起きがけで瞭然とせぬまま何時の日の新聞かも判らぬまま一面に成駒屋の道成寺の写真、咄嗟に歌右衛門の逝去と覚醒、日を見れば本日の新聞にて逝去は三月末日に84歳、最後の舞台は平成八年夏於国立劇場の関寺小町、坐ったまま小町を舞ったもの、何よりも惜しいのは平成七年に島田正吾と共演した建礼門院、朝日には当然ことのように渡辺保君は書かず、語らず、それにしても團伊玖磨に哀悼を語らせるは如何か朝日の見識欠けるもの、一番読みたかったのはもし三島が生きていたら三島の綴る歌右衛門哀悼。歌舞伎といえば築地のH君より報せあり平成16年の新之助の11代目海老蔵襲名も道理、翌17年の勘九郎の18代目勘三郎襲名もこれは中村屋の実力と功績からして当然としても、なんと230年ぶり!に四代目坂田藤十郎(日本史の教科書か)を同17年に鴈治郎が襲名、それに伴い翫雀(全く印象なき役者)が四代目鴈治郎、そして大ニュースは来年いきなり辰之助が四代目松緑を襲名とはこれは無謀、先代もあの世にて孫可愛さとはいえあの芝居っぷりでは役者としては容せないであろうもの、松竹話題づくりは襲名披露の大安売りだけとは最早末期症状、会長永山君の二代目大谷竹次郎襲名でもしては如何か。MJQはミルト=ジャクソンに次ぎジョン=ルイスも逝去、香港での公演は96年か。朝日新聞の活字がまた大きくなり、比例して内容が軽薄になるのは今日に始まった事ではないが、世界の高級紙としてヘラルドトリビューン紙と提携し日本にてヘラルド朝日なる英字朝刊も創刊、無駄、この創刊をぶち上げし折に紙名を「ヘラトリ朝日」と云い「所詮、箆(へら)にて掬(すく)った程度の内容を自ら揶揄したか」と嗤ったが流石に「ヘラトリ」の野暮っ汰沙に気づいたか。シンガポールで学校内にゲーセン設置が流行り、学生をゲーセンでの非行から遠ざけるとは滑稽、ゲーセン(非政治装置=無政府状態)に非行あり非行との遭遇こそ成長過程での一環、学校なる政治装置下でのゲーセンほど危険なものはなし。