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乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

八月三十一日(水)晴。総選挙の公示内容を朝刊で眺める。北関東に埼玉も算 入されていることを知る。多少は常識的な(北関東的には非常識な)選挙結果期待できるのかも。定数20に対して自民39、民主32、社民・公明・共産が各 4と新党日本1の立候補。公明4人全員当選、社民の0、新党日本の埼玉的な1が確実で共産が1か「よくいって」2、で残りの33か34を自民、民主がどう 分けるのか。北関東であるから7:3くらい、埼玉が常識的に投票して6:4くらいで「小泉さんの改革支持」で自民党の郵政、否、優勢であろう。昨日、安倍 晋三君は札幌で「東京駅前の中央郵便局は 小さい建物だ。しかし民間会社にすれば50階建て、60階建てのビルが出来て、この建物に入りたいという会社が殺到する」と郵政民営化をアッピール。札幌 市民をバカにしているのだろうか。これが自民党の次期首相候補とは。1933年竣工のあのモダニズムのビルは美しい。ブルーノ=タウトとアントニン=レー モンドも絶賛したといふ逓信省営繕課の建築技師吉田鉄郎の設計。タウトは柱と梁による 日本の伝統的な意匠がこの中央郵便局に反映されているとして「モダニズムの傑作」と評価したといふ。北海道民はあの東京中央郵 便局の建物を見たら「シンプルできれいだね」と思うと信じたい。それを御祖父岸信介先生が1930年代に若手官僚として跋扈さ れたであろう帝都の現代に残る歴史的な建物を、ただ「小さい」と指摘して高層ビルへの立て替えなど言及するとは。何といふ祖父への遺徳知らず。早 晩に帰宅してズブロッカをロックで一杯。東京の外国特派員協会での選挙絡みの記者会見の映像いくつか眺める。新党日本の垢抜けなさ。田中康夫ちゃんが本来 は「北朝鮮じゃないんだから」と絶対に嫌いそうなのにバッチ好き。で結党の4名で新党日本のバッチが襟に目立つ。29日の6党党首会談も田中康夫不在は面 白みに欠け同日の安倍晋三君の会見を見るが当然、面白みに欠け、結局、www.videonews.comで神保&宮台の平野貞夫氏(前・参議院議員)加 えての「小泉政権と創価学会」を眺める。創価学会といへば公明党で最近、余が気になるのは公明党議員の顔が自民党顔になつてきたこと。昔は公明党には公明 党らしい丸顔だつたのだが今は神崎代表など自民党議員の相である。それにしても公明党は自らの存在が二大政党制の中でどれだけ大切か力説するが公明党さえ なければ政党政治がもつと面白くなるのも事実。自民も民社も公明党と手を組まねばならぬ、といふ「うざったさ」を宮台先生も指摘しているが。いずれにせよ 公明党の存在は政局の動き以外の部分で近い将来の党と支援団体内部で某Xデー以降に大きな変化を見せるかも。平野貞夫氏の登場ゆへ先帝の核不拡散条約に関 する「政治介入」の話題から天皇の政治性について話題が移り今上天皇の(米長某による暴走に対しての)国旗国歌強制非難の発言についても陛下があゝ仰つて も政府与党が陛下のお考え無視したまま国旗国歌強制続けることの欺瞞性など話は面白い展開に。平野氏から見れば先の郵政民営化での衆院解散は衆議院では民 主党からの小泉内閣不信任案の動議に対する小泉三世による衆院解散。郵政民営化法案を衆院に持ち帰り審議の上での解散なら郵政解散。今回の選挙はそういう 意味で小泉内閣信任投票と考えられるべき。それにしても今月八日のあの衆院解散をネットで見直してみたが(こ ちら)わずか三分のあの儀式。それへの参加と解散しての万歳だの握手。政治家ほど非熟練でも可なる非知的なる単純労働はこの世になし。もう一つ平 野氏の指摘で面白いのは名指しで「小泉純一郎の重大な憲法違反」について。真紀子大臣更迭で小泉は陛下に対して嘘をついた、と。実際に深夜の突然の更迭決 定で真紀子大臣から辞表が出ているわけもなく罷免とすべき。辞表も出ておらぬのに罷免せぬままの更迭で、平野氏は衆院予算委でこの点を追求しNHKの中継 でも流れると自民党から人が遣られ「その点には触れないで欲しい」と言うので平野氏が「それならきちんとしろ」と言うと翌晩にようやく真紀子大臣が辞表提 出。すでに後任の外相が決ってからのこと。これが事実であれば首相引責で内閣総辞職。戦前なら米長某の舌禍でも内閣総辞職であろうし首相の虚偽上奏など言 語道断、そう思うと何度、大きな政治変革の機会があるところだろうか。それが平成の、この社会ではワイドショーの話題で終わつてしまふから。本日かなり久 々に日刊ベリタに9月下旬の自称政治家Sir Donald率いる民主派(反愛国)議員含めた立法会全議員での広東省視察旅行批准と香港鼠楽園開園の記事送稿。
▼九月三日の抗日戦争勝利記念日。六十周年が政治的に上手に利用される。中共側は抗日戦争での共産党主導の地位の優位は譲らぬものの国民党の抗戦貢献を初 めて評価。そればかりか台湾住民の日本統治時代の抗日運動も評価。当然、1945年から国民党入台までの時代の台湾共和国建国運動などには触れず。台湾に 住まふ国民党の旧幹部将校らに記念行事に合わせての大陸訪問も歓迎、と。また完成から10年お蔵入りされていた、国民党軍の奮闘描いた抗日戦争映画『鉄 血』の上映もされる見込みで昨日、内部試写の形で上海黄埔軍校の退役兵ら参観。これに対して台湾では李登輝総統に追われた国民党の元・首相である郝柏村君 が久々に元気そうな姿見せ国民党軍で若い頃に蒋介石の侍従武官であつた立場で抗日戦争では明らかに国民党軍が主導であつた点を力説。寧ろ中共軍が抗日戦で の損傷少なかつたことが国共内戦で有利に作用したこと暗示するが郝君ですら国民党と中共との立場を越え中華民族としての抗日であり三千万人が犠牲になつた ことを強調。日本側は「どこまで謝れば中国側の気が済むのだ?」といふ不満もあろうが寧ろ抗日という観念でもつて中国と台湾との間が平和裡に関係維持でき るのなら中国側の抗日観、抗日感も敢えて「加害者の立場に甘んじて」受け入れることも、ちょっとその発想に危なさもあるのだが宮澤賢治的に(危ないのは賢 治的なるものが発展すると石原莞爾的なところに行き着く可能性も孕むこと)大切かも知れぬ。
▼かなり久々に日刊ベリタに9月下旬の自称政治家Sir Donald率いる民主派(反愛国)議員含めた立法会全議員での広東省視察旅行批准と香港鼠楽園開園の記事送稿。中国に89年の天安門事件での国内民主支 持依頼、内地に入れずにいた民主派。97年以降に立法会で今では自称トロツキスト梁国雄君までが立法会議員に推挙され、つまり中国の法的に認められた香港 の議会の議員でありながら内地に入境も許可されぬといふ大きな矛盾にあつたが、今回の全議員の内地視察批准は中国政府も香港の立法権に一定の代表制と社会 的地位与えるもの。今回の自称政治家Sir Donaldのこの視察旅行企図は、さすが自称「政治家」であり、自らの起案を中国が批准し全議員を視察に誘ふということは、中国側にしてみれば反愛国運 動家を自らが招聘したことにはならず民主派運動家にしてみれば視察受け入れた形で自ら内地入境について「折れた」ことにならぬといふ、政治的智慧と讃めた いところだが(信報は林行止でこう讃めているが)本当にこの策略を巡らしたのが香港政府の自称政治家Sir Donaldなのかどうかは不確かなところ。
▼朝日新聞に内田樹(神戸女学院教授・仏現代思想)の「生者は儀礼決められぬ」といふ靖国論争めぐる論説あり。靖国を巡り首相参拝に賛否あるが内田先生の 指摘は賛否両論とも根本には「死者は正しく祀らねばいけない」といふ発想あり。死者は正しく祀られるべきだが生者は何が正しいのか正しくないのかわから ず。もしわかるとすれば死者を活殺自在といふ権限を生者に付与されることで、これほど死者の眠り乱す不遜な考え方はない。とすると大切なことは死者のため に/死者に代つて何をすべきか「知っている」と主張する傲慢な司祭を押し止めることであり(この「死っている」者の極端な形がテロリスト、と)、死者の無 権利への気遣いと畏れをどういう形にすべきか「その答えを私たちは知らない」といふ無能のうちに踏みとどまること、それが服喪者に求められている節度、 と。御意。これでいへば小泉三世の「首相としての」靖国パフォーマンスも靖国反対だからと国立の慰霊施設建設だの、と死者を弄ぶことこそ<死>への畏怖も 畏敬の念もなき行為。これに対して思い出すのは路地の寺の前でふと足を止め合掌するバンコクの市民の姿。何も大げさにされること=政治に取り込まれること なく、ただ日々の生活のなかで死者を弔ふこと。

八月三十日(火)快晴。数年前まで愛用のMacのOS9搭載のG4機で作成 せし書類数点が突如必要となり現用のOS-Xで動くPowerBook G4機でOS9をばヴァーチャルで用いるための環境設定にかなりてこずる。画面に映る懐かしきMacらしい世界。無事、書類は見られるようになるが印刷機 の設定反応せず早晩にWindsor HouseのCablexにPowerbook持ち込み亭主に設定見てもらふ。一時は経営は大丈夫?と思えたMac屋も今ではiPodからMac機の売れ 行き好調で何より。帰宅。赤魚の粕漬など食す。信報の見知らぬ人の随筆、「酒場の遊び」といふ題で、西欧では酒場(パブ)とは二三人の知己なる人で麦酒だ の杯を傾け和む場所であり遊ぶにしてもカードやダイスなど時間潰しであるのに対して中国人社会では酒場とは遊ぶとなるとジャンケンで負けた方が酒を飲み干 すように酒が「刑具」であると指摘。さう、かねがね不思議なのはジャンケンなど負けるとなぜ刑罰が酒なのか。たんに勿体ないと酒好きの余は思うばかり。そ の酒についてATVで晩にドキュメンタリーで“Beer Culture”といふ麦酒の話を放映。ノッケから麦酒の話が豪州で始まるのが面白い。豪州人の麦酒好き格別で我も先帝崩御の頃豪州Pearthに滞在し た際いわゆるCar Throughの酒屋で葡萄酒1本と麦酒購ふ際に“One red wine  & 3 beers, please!”と述べたら3Lの葡萄酒にも閉口したがトランク開けろと言われ缶ビールが3ケース積まれた時の驚き。Chicken Treatといふ不味い鶏肉のサンドイッチ を麦酒で流し込んだ日々よ。衆議院選挙公示。香港では明日より投票開始で「さてどの党に投票か」と少しは悩んだが考えてみれば余の投票は北関東の日本で最 も思考的に保守といふ土壌しかない土地での比例区のみ。北関東といふのは自民党以外に存在せず北関東三県で民主党が数名当選するのは親(当時は当然、自民 党)の地盤引き継いだ二世候補が偶然に民主党であるから、で無所属も一人復活当選するだろうが中村喜四郎でこれも実は自民党。それだけ。公明党の含めそれ 以外の党に一票を投じることで政局は何も動かず死票となる。この無変化。それにしても郵政民営化しか語らぬ小泉三世の選挙応援演説を聞いて、本当にこの人 が奇人変人であり、その人に国政を託す国民に驚くばかり。郵政民営化で判断を、と言ふが冷静に考えて、郵政民営化にかりに賛成であるにせよ、その民営化で の成果を例えば得点3とした場合に他での小泉政権での損得点数にした場合に得点3から更に得点されるのか、負の数が多く寧ろマイナスとなるのか、を冷静に 考えて、この政権への賛否が決るべき。郵政民営化だけを争点にすることが明らかに誤謬。政策論点だけで言えば新党日本の田中康夫君の指摘する点などかなり 真っ当なのだが(郵政民営化について日本長期信用金庫の6兆円かけての救済と10億ドルでの外国資本への売却、で結果的に新生銀行で年1兆円の利益挙げる 事実を反思すべきことなど指摘として見事)、23日の衆院選についての知事記者会見(こちら)など見聞きす るにつけ、この人が石原慎太郎以上に広汎なる支持は得られぬ点熟く感じる。地元の新聞記者をあそこまで敵にしてはいけない。本来、見方になる人があれぢゃ 逃げてゆくだろうに。

▼華君が日記で民間団体の香港鼠楽園批判について「花火の打ち上げによる空気汚染」や「入場の遊園規則が不平等」や「香港政府の監察不足だ」など列挙する が華君曰く「ディズニーランドは租界」であり「治外法権」であり香港政府の監察なんて笑止千萬、鼠楽園建設にあたり董建華による喪権辱国(権力を喪失、国 を侮辱)がどういつたものなのか今になつてわかるだろう、と。御意。鼠楽園の誘致が華君の指摘にあるように盲目的な売国追米行為であるのは明白。日本で千 葉浦安に鼠楽園開幕が1983年で中曽根大勲位(当時はまだ大勲位でないが)が首相。ロンヤスで日米の真の友好の幕開けの時代。それに続く香港=中国での 鼠楽園誘致。一つだけ不思議はなぜ「フランスに鼠楽園?」なのだが結果的に「欧州では鼠は儲からない」こと恒常的に立証してしまひ実質的なフランスの勝利 に納得できもする。
▼今日の蘋果日報には香港鼠楽園について100名余の6〜12歳児が集められ開園記念のプロモーションビデオに出演したが「ディズニーランド開幕に携われ る」といふ名誉を売りに児童はボランティア扱いで、つまり香港鼠楽園お得意のノーギャラで、その上、朝六時に(家を出て)自前で鼠楽園に集合させられ弁当 も持参、場内での鼠などとの写真撮影は禁じられ、児童に怪我などあつても鼠楽園側は免責、だつたといふ。子どもたちに夢を、と売り物にするが実際には子ど も利用してカネ儲け、と香港で組織された学生らによる反ディズニー団体「獵 奇行動」(Disney Hunter)が非難。この団体が昨日紹介したロゴで鼠楽園から訴えられる組織であつた。これに対して香港鼠楽園側はこの児童によるプロモ撮影では来園用 にバスを用意しており食事も提供、保護者の同行も認め撮影後に鼠楽園に留まり施設での遊興も鼠らとの記念撮影も許可している、もし保護者に不満があれば今 後、改善を検討、と。

八月廿九日(月)いくつか経緯もあり香港の戦前の日本人社会の歴史まとめる 作業に加わり日本人学校の歴史など調べて数年。学校の所在地だけ記せば、明治40年に湾仔道117号の本願寺の経営で始まり明治42年から日本人慈善会な どの経営に移りに、これが大正5年から移転を繰り返し昭和5年にKennedy Rd26号に自前の校舎建設。記録によれば
明治40年から湾仔道117号 香港本願寺跡地 現在:得利商業大廈
大正5(1916)年 シマープスリフード東1号
大正6(1917)年 College Garden, 1 Upper Albert Rd, Central 旧総督府の隣地 現在:Martin's House
大正7(1918)年 28 Ice House Street, Central  現在:順豪商業大廈(Shun Ho Tower)
大正8(1919)年 7 Kennedy Road 現在のSt. Joseph College
昭和5(1930)年 26 Kennedy Road 現在のSt. Paul's Primary School 当時建設の建物が現存
と見事なほどの一等地に学校を構え当時の日本の教育重視策伺わせ殊に昭和5年建設の白亜の洋館は歴史的にも貴重な現存の建物。このなかで数年ずっと疑問で あつたのが「シマープスリフード東1号」で街頭する英語の住所も見当たらず。Sで始まる街路名を一つ一つ見ても街頭なし。わずか1年とはいへ学校が湾仔か ら中環に移る貴重な1年で現在はないストリート名なのか?とまで疑つていたが本日ふと「東」とつくのは「皇后大道東」か銅鑼湾の時代広場裏の霎東街 (Sharp St East)の2つしか思いつかずQueen's Roadも音が違うしSharp St Eastもシャープストリート東ではだいぶ違う、と思つが
シマープスリフード東
シヤープストリート東
と並べてみれば、これは昭和初期から戦後(昭和30年くらいまで)の資料の書き写しの中での慣れぬ音のカタカナの書き間違えと推測。恐らく間違いあるま ひ。Sharp St East1番地であれば現在のLeighton Centre、利舞台の前のStandard Chartered BankとG.O.D家具店のある場所。ここが日本人小学校のあつた場所で湾仔から中環に移るわずか1年だが「当時はかなり僻地であつた」銅鑼湾に仮住ま い。小さなことであるが疑問ほぼ間違いなく解けた予感。この件さっそく龍谷大学で戦前の東南アジアでの日本人子女教育史の研究されているK教授にお伝えす る。早晩にジムで一時間の有酸素運動。晩に北角の寿司加藤に I君、O君と集い九月からの山歩きの日程調整という名目で酒肴三昧。鰹の叩き、それに日本から空輸のレバ刺身(香港では中国産はご法度?)など美味。深酒 痛飲になるも易しいメンツだが「これから銅鑼湾には出まひ」と決めて〆にCity Garden Hotelの地下のバーで麦酒一飲で午後11時には帰宅。
▼香港で6月に組織された「グローバルなテーマパークでの労働環境や自然保護など」について調査研究をする民間ロビー団体がそのロゴが耳に火がついた米奇 鼠の顔に酷似しているとして香港鼠楽園は肖像権侵害として法的措置を検討中。この団体は香港鼠楽園に対して事前からテーマーパークにかかわる労働環境問題 の調査、その内容を鼠楽園側に提示し環境改善など必要に応じて検討を申し入れており突然の香港鼠楽園側の対抗措置に驚いている、といふ。ちなみに中国国内 でテーマーパークの記念品など生産の工場では時給が時給2.7元で、これが法的に決められている最低賃金3.3元を下回つており一日の労働時間も10〜 12時間で週6日、週の労働時間が260〜312時間となるのも法的な基準となる月168時間の基本労働時間と36時間の残業を大幅に越えている、として いる。

八月廿八日(日)薄曇。昼すぎ北角からフェリーでホンハム。フェリーは六月 から20分に一本が30本に一本に削減。風前の灯。波止場につくと丁度フェリーの出たところで司馬遼太郎の『街道をゆく』熊野古座街道を少し読む。これは 築地のH君よりの或る示唆で改めて読もうと自宅から持ち帰つた文庫本。ジムにて筋力鍛練と有酸素運動各一時間。自宅は最近「ゆかしい香り」といふか鳩居堂くさいのだが鳩居堂のにほひ粉のせいかジムで も汗をかくと鳩居堂の「お人柄を偲ばせるよすが」あり。Z嬢と待ち合せホンハムよりフェリーで中環。Oliver'sにて食材購ふ。珍しくズブロッカ並んでおり一本調達。 四半世紀程前にカフェバーなどでかなり流行つた蒸留酒。もともとZubrowkaだがラベルは今はGrasovkaと記されている。当 時カフェバーにてズブロッカ飲みながら流行りのMTVでPrinceのWhen Doves Cryとかが流れていたもの。ランドマークに開業のマンダリンオリエンタルホテルのスノッブさ眺めFCCに一飲。氷なしのハイボール二杯。車で帰宅。豚の 頸肉は美味いが脂こいのに閉口だがZ嬢が一旦かなり湯がき焼いてみて美味。野菜やチーズ食し新西蘭のRosemout Estateのシャルドネ04年飲む。歐陽應霽君のTVB『回味無窮』のマカオ特集をビデオで見ておれば終わったあとにNHKスペシャルで林芙美子の放浪 記の舞台演じる森光子の特集番組の最後が少し残つており何気なく見ていて豪邸の書斎で寝入る芙美子(森光子)に日夏京子(池内淳子)が「お芙美、あんた ちっとも幸せじゃないんだね」と声をかける有名なシーンで
森光子の背後の書棚に「大 岡昇平・三島由紀夫集」あり。思わずソファから思わず転げ落ちる。荷風全集などと一緒に「大岡昇 平・三島由紀夫集」が芙美子書棚に並ぶと は。まさか「そんなはずなかろう」と調べてみると、はやり林芙美子逝去は昭和26年で荷風全集は確かに昭和23年に中央公論社 版が出始めているので芙美子の書棚に十数冊が揃っていてもおかしくはないが昭和26年は三島由紀夫はまだ『仮面の告白』出した二年後で朝日新聞の特別通信 員など演じて世界一周旅行などする若手作家で「大岡昇平・三島由紀夫集」は有名な講談社の日本現代文学全集の発行は昭和36年で芙美子の死の10年後。誰 か気づかぬのだろうか。芸術座も制作スタッフ、出演者もみな戦後生まれ育ちでは荷風、芙美子、三島由紀夫の流れ一緒くたか。それにしても、である。『街道 をゆく』熊野古座街道を読み続ける。
▼北角からR11なる香港鼠楽園行きのバスが始発のことは数日前に綴つがバスに詳しいZ嬢が「Rは新参」と気づき(空港行きリムジンはAで空港行きでも普 通バスはE)ディズニーランドならDでよかろうにRとはZ嬢「鼠だからratでRか」と見解。否定したくなし(笑)。
▼九月三日は中国の抗日戦争勝利60周年で香港から行政長官「自称政治家」Sir Donald赴京で式典に参列予定だが今日の蘋果日報の日曜日論壇にて陶傑氏が中学で歴史が不合格であつたSir Donaldは英語と理数系が特異であれば立派とされる典型的な香港仔で寧ろ歴史苦手はよいかも、と皮肉る。日本の中国侵略は南京大虐殺で殺された市民の 数ばかりでなく重要なのは中国で誰が(どの組織が)抗日戦争を戦つたか、であり誰が日本軍を追い散らしたか、が大切。(で結果的に共産党の成果となるのだ が)陶傑氏が挙げたのは1948年の中共新華社が発表の「国民党戦犯リスト」で蒋介石筆頭に50名の名前が挙がる。その中で張羣は尖沙咀の東英大廈のビル 正面に輝く「東英大廈」の四文字揮毫の人であり同じ戦犯の薜岳と余漢謀は広東省での抗日戦の名将、白崇禧は小説家・白先勇の父親……と香港は戦後の一時期 「戦犯之城」とでも言ふくらい国民党名将に因縁あり。で陶傑氏が皮肉にも本来この共産党が名指しの「国民党戦犯」に加えられるべきで加えられておらぬ常勝 将軍として挙げたのが張霊甫。張霊甫は西安の人で中学時代から書道に優れ二十歳で北京大学歴史学科卒業し国民党の黄埔軍校に学び国民党士官となり国民革命 軍第一師団に属す英才で戦役に活躍するが妻が他の男と通姦したとして妻を殺害し収監されていたが1937年の蘆溝橋事変勃発で国民党政府は張霊甫を秘密裏 に釈放し精鋭の第74師団に加えられ抗日戦争戦い南京、長沙から最後は湖南省南雪峰の抗日戦を戦い抜き戦後は蒋介石より受勲受けたほどの名将。戦後、共産 党との内戦となり共産党と戦うが国民党政府国防作戦庁長劉斐に陥れられ苦手な山林地帯での戦いで二十万の共産党軍に囲まれ共産党軍に捕らえられ捕虜となる が毛沢東の決定で処刑される。ここで殺されたことで48年の国民党戦犯リストには名前なし。これを陶傑氏、よかったのでは、と。かりに生き延びれば共産党 の思想改造センターに送られ洗脳され自己批判させられの顛末。この張霊甫将軍が陶傑氏にとつて最も魅力的なる抗日戦戦での英雄。……といつた知識もなく歴 史落第であるからSir Donaldは共産党政府の抗日戦争勝利60周年祝賀に赴くには格好の人材であろう、と。
▼三度シンガポールについて。本日の SCMP紙のシンガポール特集の記事でシンガポールのALex Auなる市民活動家の言葉がシンガポールの政治現状を言い当てて見事。“There is a bit more space for pure entertainment, even of the slightly more erotic variety. There is a call for political engagement by citizens, but it is clearly on the PAP(恒久与党・人民行動党)'s own terms. Essentially, they want ideas and suggestions from the people to help them govern better but without in any way trimming or threatening their political monopoly”と指摘。御意。

八月廿七日(土)曇ときどき雨。突然の「出張サーヴィス」の仕事あり朝から 新界までタクシー飛ばす。東海底隧道と大老山隧道の通行料の値上げに驚く。帰宅前に太古城のユニーに寄る。太古城など歴史も物語もなにもないようでいてユ ニーの入るビルの横には太古造船所の記念碑あり。この一帯20世紀の初めに英国資本のSwire集団の製糖工場や造船所などあり。そ れを記念するもの。晩に京都からH氏夫妻来港し知人ら12名で集まり銅鑼湾の韓国料理屋・郷村に食す。H氏夫妻は数人の走り仲間で今日はMacLehoseトレ イルを北潭峠から城門水塘まで40km走つたそうで脱帽。終わつて8名でかなり久々にバーY。午前零時まで歓談。東莞に住む登山家のO氏が余の実家の近くに 住まわれ先考と昵懇であつた登山家のY氏(新田次郎の小説に描かれたマッターホルン北壁を日本人で初登頂)の中学高校の後輩と知る。今晩、甚平を来て銅鑼 湾に出かけたが銅鑼湾は面白いところで日本料理屋多く日本料理屋の板前の白衣姿に下駄履きなど少なからず甚平姿も何処かの日本料理屋の親方と思われる程度 かも。
▼昨日日剰に綴りし芸人呉彦祖(Daniel Wu)君の鼠楽園ボイコットにつきSCMP紙に本日続報あり。呉彦祖のサイトのブログの紹介あり読めば8月23日の記述(こちら)は以下の通り。(文中のJC Groupはジャッキー=チェンの主宰する「ダクション」で呉彦祖もそこに加入しているのだろうか)
Hey Guys!
After our Taiwan trip we came straight back to Hong Kong and directly to Hong Kong Disneyland. We were asked to help out and do a promotional show for TVB to help introduce Disneyland to the local HK people. There was no pay for this job but ALIVE and the rest of the JC Group artistes decided to do it because we thought it would be fun and we wanted to help out. Now we all regret doing it. The work was not difficult BUT the Disney staff (specifically the ones from America) were very rude and impolite. They spoke disrepectfully to us and were constantly nagging the camera crew. We all thought this was a terrible attitude to have since we were all there working to help promote Disneyland for free! They didn't have to treat us like superstars but they could have at least treated us with some courtesy and respect. (Note to you American Disney staff: I know you may not want to be here in Hong Kong and I know it's a different and maybe sometimes difficult culture BUT this is your job, if you don't like it go back home. So please get off your highhorse and adjust the attitude! AND if you are going to talk down to someone...at least look them in the eyes when you do it.) Because of this experience, we at ALIVE have decided to boycott Disneyland for good. We will not be going to Disneyland EVER again. We are not saying you shouldn't go but if you do, watch out for the pale skin staff they will try and talk to you as if you're stupid! Peace Out!
Daniel+ALIVE
香港鼠楽園側は今回の呉彦祖君のボイコットに対して「来園者はすべてゲストとして歓迎されている。今回の件は双方でコミュニケーション上に誤解があったも のだろう」と解釈。この番組で呉彦祖の出演部分がオンエアーされるかどうかは確かでない、と(今日の段階で呉彦祖のオフィシャルサイトに上記の如く「地球 上で最大のタブーの一つ」とされている鼠楽園抗議が掲載されているのだから呉彦祖側も強気であり鼠楽園がこの不名誉に甘んじて呉彦祖君の出演部分を流すと も思えず)。この香港鼠楽園の紹介提灯番組の放映は9月11日の午後8時だそうで注目(香港鼠楽園の開幕日は11日と昨日書いたが12日らしい。どうでも いいことだが)お決まりのようにジャッキー=チェンや張学友などTVB系のスター多く登場し香港鼠楽園の開園祝賀。なぜノーギャラなのだろうか本当に不思 議。鼠楽園が今回の不名誉にどう対抗するかも見物。鼠楽園の欲張りは恐いもので月本さんが「ディズニーランドにお弁当持ち込めないどころか場外の駐車場の 一角でお弁当食べていても持参の「おにぎり」が海苔でミッキーマウスの顔になっていたら肖像権で「はい100万円!」くらい請求されそう」と冗談を言われ 大笑いしたが、今回のケースは事の大きさからして名誉棄損で慰謝料12億ドルくらい請求か。興味深いのは制作側のTVBの関係者の発言で「他の出演者から はこういった発言はなかった。驚くのは呉彦祖とALIVEのメンバー全員が華僑なのに、ということ」と。この発言こそ考察に値する一言。サンフランシスコ 生まれの呉彦祖らだからこそ米国人スタッフとコミュニケーションは問題ない、と思うのが間違い。華僑の若者ら、だからこそ米国からの the pale skin staff の横柄さが不快なのであり、寧ろどっぷり地元のスタッフや出演者こそそれに気づいておらぬ話。毛唐が横柄なことには慣れた感覚かも知れぬ。香港鼠楽園開園 の鼠禍には関心もなく日剰で触れることすら野暮かと思つたが今回の呉彦祖君の問題提示で敢えて触れた次第。当然、我は香港鼠楽園を今後、訪れることもない が気になるのは、あの場所がかつて香港有数の製錬所であつたこと。香港政府による鼠楽園の土地造成の際にカドミウム、鉛の有害物質などが検出され問題にな つたのだが「あら、不思議」その後一切その報道がない。瀬戸内海の直島に大正時代に三菱財閥の製錬所が設けられ土地の被害がひどかった(こちら) が工場の環境保護化で改善とベネッセミュージアム誘致してのイメチェン図るのと、この精錬所跡地での鼠楽園建設が同じようなことに思えてならず。
▼香港鼠楽園についてばかりになるが、今日の蘋果日報の李八方のコラムも香港鼠楽園が広告費をかけずとも地元のテレビ、雑誌、新聞のメディア挙つて鼠楽園 の「免費宣伝」効果を指摘。正式開園前のプレミア招待でも先週土曜日に董建華の家族など招待されたこと。香港鼠楽園の誘致が董建華の「治世」七年で最大の 偉業だが惜しいかな僅か半年の差で行政長官として鼠楽園開園に臨席できず、と嗤ふ。董建華は三月の行政長官退任が確かとなつた晩も香港鼠楽園の幹部と会見 していたといふ。陶傑も今日の連載で「ディズニー要銭不要黄禍」と題し、アジアの落ちぶれた小農社会が先進文明の米国中産階級的なテーマパークを開設する にあたりディズニーランドは中文で二十二条の遊園規則を提示(こ ちら)。これは巴里講和会議での対華二十一箇条の要求より一条多いもの。食べ物を持ち込むな、ビデオ撮影禁止、衣服を整えろ、汚い言葉使うな、遺 失品あつても楽園側は責任負わぬ、と世界中のテーマパークで中国語でここまで規則並べられることもないが、巴里のルーブル宮も中国語で「床に痰を吐くな」 とと示されているのも中国人のカネは欲しいが中国人の無礼と粗暴なる様は見たくない、というわけで、中国人からカネは儲けたいが黄禍をどう防ぐか、とな る。この二十二条の「不平等条約」提示されたことで民間団体には香港鼠楽園ボイコット求めるような動きもあり。ところで陶傑氏のを読むまで知らなかつたが MTRの東涌線にできた香港鼠楽園への乗り換え駅の「欣澳(Yan O)」なる站だが元々の地名は「陰澳」でその陰の字が淫猥であるとして改名求められた結果が「欣澳」だそうな。

八月廿六日(金)曇。北角の埠頭前のバス停にR11といふ新しいバスの始発 が登場。香港鼠楽園行き。九月十一日に鼠楽園開園とか。市 中、鼠禍。蘋果日報の報道によれば呉彦祖なる若手芸人と彼の率いるALIVEなるグループが香港鼠楽園に対して「今後、鼠楽園関係の番組には出演せず」と 公開抗議。テレビ局翡翠台制作の香港鼠楽園紹介番組に出演。テレビ局制作によるスポンサーなしの香港鼠楽園紹介のプロモーションビデオで呉彦祖らも所属テ レビ局からの依頼で出演(ギャラなし)。一民間娯楽施設でありながら鼠楽園が自費で宣伝せぬところからして奇妙だが香港鼠楽園の開設ぢたい香港政府が無償 で土地提供し埋め立てなど地盤整備まで経費負担したほど愚かなる鼠誘致。でこのプロモ、十一日の開幕前夜に放映予定だそうだが収録にあたり鼠楽園側の米国 本社からの派遣職員らの横柄さ、無礼、我が侭に呉彦祖らキレたのが事実。サンフランシスコで生まれ育つた呉彦祖「同国人の」その様に呆れる。さもありな む。ところで香港鼠楽園といへば開幕には国家的行事らしく中央政府より国家副主席曽慶紅君が来港し開幕祝賀式典に参列。曽慶紅君は中国政府の香港マカオ特 区の最高責任者であり香港の民主諸派との関係改善に注目集まつているが香港鼠楽園開幕式典には民主党幹部らも招待受けており曽慶紅と民主党幹部が香港鼠楽 園か、或いはその晩に香港政府主催のカクテルパーティーで「邂逅」し「歓談」が設定されるとの噂もあり。鼠が橋渡しして、とはイソップ物語か。早晩いつも のようにジムへの通り慣れた路地に入ればふと「えっ、三六九?、まさか……」と通り過ぎて戻つてみれば「上海三六九飯店」といふペンキもまだ鮮やかな文字が壁にあり。見 ていて十年前の頃のことなど様々思い出され暫し站ち呆ける。上海料理の老舗で床のモダンなタイル張りと奥の客席が一段高くなり品格あり。映画でも何度かこ こでロケあり。昭和四十年代に在港の日本人多くがケネディロードに住んでいた当時この店は彼らのお気に入りであつたと当時産経新聞の特派員であつたI氏に お聞きした。四、五年前に店と経営者と給仕らの老朽化で惜しまれつつ閉業。同じ湾仔にO'brien Rdに余が湯圓を求める同名の店があるが、あれは別。尖沙咀にも上海三六九があつたが同じく閉業。上海三六九飯店といふ名がどう香港で普及しているのか興 味深い。でこの皇后大道西の店が閉業すると家庭生活雑貨連鎖店のManningsになつたのだがManningsもこの支店を閉めた模様。この一帯の土地 開発でビル取り壊しであろう。
そのManningsの取り壊しで「上海三六九飯店」といふ店の名が現 れる。タイルの上に見事な紅色のペンキ塗りで全く色あせておらず。高松塚古墳で土の中から半牛半人の壁画現れたが如し。このタイル壁をそのまま香港民俗博 物館にでも保管すべき。ジムで半時間の有酸素運動と一時間の筋力鍛練。帰宅して夕餉。Z嬢に「ナイスなもの見せてあげる」と言われ何かと思えば(世代的に ビックリハウス誌や「昔の」月刊『宝島』の世代はキッチュな変なものが好きなようだ)入浴剤「香港の夜景」。霊験灼かで正式には「光彩の風景 セント・オ ブ・シーン「香港の夜景」煌びやかなネオンの光。妖艶な街の賑わいに想いをはせる」のだそうだ。大阪の(株)ビージークリエイツの発売で、湯色は水面に揺 れるネオンの色でパープルピンク、香りはオリエンタルなスパイシーの香り、で配合エキスは真珠パウダーのアンズ果汁を保温成分として配合。Z嬢が太古城の Citysuper系雑貨屋Log-onのバーゲン品の中だかに2袋だけ残つていたものを入手した、といふ。週末にでも入浴して香港に浸りたいもの。
▼「培根」といふ言葉を香港人のD嬢が何か?わからず「根を培ふ」で生物関係の言葉なのか、それから派生の抽象語なのかとD嬢も余も一瞬、思ったのだが、 よくよく調べれば「ベーコン」だつた(笑)。
外 来語の当て字で台湾人のQ姐は「ベッコン」といかにも台湾語らしく発音。外来語ほど難しいものはなし。しかも漢語の場合、日本語ならAIDSが「エイズ」 で音だけなのに対して「愛滋」と意味まで含むところもあり「培根」など実は音だけなのに難しく判断してしまつたり。
▼陶傑氏が連載で衛生福利及食物局局長周一嶽君を「周一鑊」と呼んだことは七月に日剰に綴つたが余はこの鑊を単に一字で読み誤解していたが畏友O氏のブロ グで(こちら)「「鑊」は、身の回 り的には「お鍋」を指す一方、「大鑊」となれば、「えらいこっちゃ!」と眉をしかめたり脅えたりと、大変なこと、極めて良くないこと」を意味し「数詞とし て「良くない出来事」の回数」も表す、と知る。で「周一鑊」を分析すれば「ブタ連鎖球菌騒動に続き、ウナギからマラカイトグリーンが検出され、さらに淡水 魚一般も危ない、いやいや、海水魚だって負けてはいないぞ」と「衛生や食物」の分野に週に一回のように大事件が発生で「周一鑊」と。なるほど、とO君の説 明にただただ納得。

八月廿五日(木)曇天。蘋果日報一面トップに「少年同志性愛解禁」と記事あ り何かと思えば21歳以下との、或いは21歳以下の同志同士での「男 性の」同性愛(同性肛交)禁じた刑法118条について高等裁判所がこれを「男性の」同性愛者蔑視として昨日、違憲判決。異性愛であれば16歳なら性愛が合 法であり(15歳以下との性愛は青少年保護で禁じられている)それに対して男性の同性愛について不公平であると20歳の青年が訴えたもの。英国法に準じた もので英国ではすでに撤廃された21歳制限。興味深いのは女性の同性愛であれば21歳以下の性愛も「非合法ではない」こと。これがよく「女王陛下の英国に はレズはない」とされたから、などと言われているが(おそらく聖書で禁じられているのが男性のsodomyで女性の同性愛には言及されておらぬとろこに源 泉あり)、いずれにせよ「いいか」「ダメか」は刑法が合法とするか非合法とするか、でしか判断されず。男性の同性愛の場合は非合法で最高が終身刑、女性の 同性愛であれば刑法に条文がないから「合法か非合法か」が判断できず結果「非合法ではない」(無罪)としか判断できずお咎めなし。法律の面白さ。 Z嬢に借りたCD、Vladimir Ashkenazyの演奏でProkofievのピアノソナタ集を聴く。断然面白い。プロコフィエフのピアノ曲がアシュケナージではここまでなめらかな旋 律になるのかと驚くほど。昏時、北角。香港殯儀館。知人L君 のご母堂の通夜。焼香。L君の奥さんは大陸から香港に嫁ぎ今もって香港の永住権なく短期滞在期限が終わる前に復た大陸の郷里に戻つては来港繰り返す。この ような「大陸妻」少なからず。結婚して二年だかになるが、 この奥さんが親族の誰よりも彼女にとつての姑の逝去に悲しんでいる様、見て辛いもの。Z嬢と待ち合せに時間あり華豊国貨公司覗く。かつて香港にかなりあつた中華国貨も今では旗艦店た る佐敦の裕華百貨の他はこの北角ぐらい。だがさすが香港の愛国基地、北角の国貨公司は時代錯誤のまま健在。冷房対策で寒暖計購ふ。Z嬢と待ち合せ久々に鳳城酒家に食す。銅鑼湾の松竹樓の閉業の跡地も鳳城酒家となり羽振り良き順徳料理屋。海月、叉焼 は小菜で。通菜、この店の名物の鍋貼大明蝦半人前に揚州炒飯。二人では食べ過ぎか。美味ながら良くも悪くも昔ながらの油っこさ、塩からさと甘さ。毎月一度 食べろといわれると閉口かも。広東菜でも伝統的な順徳料理供する店で地元民多いかといへばさにあらず。周囲の卓からは流暢な国語ばかり。大陸からの野暮な 観光客にあらず愛国基地・北角らしく北角の地元の「国語民」多し。余の背後の卓がこれが見事な北京語で、振り返れば「さもありなむ」で十五年前に中文大学 の言語中心で半年ほど北京語習つた際の老師のお一人とその家族。新光戯院八 月末に閉館決定し日本でも報道されたが粤劇の常設小屋の閉業惜しむ声多く政府も動き地主デベロッパーも賃貸料の大幅値上げ見合わせ暫くの間営業継続。北京京劇院の京劇団来港。昨今晩は「記念中国人民抗日戦争勝利60周 年」で革命歌劇「沙家浜」上演。時は抗日戦争期の中国、沙家 浜の集落。茶屋の女将・阿慶嫂は実は共産党の連絡員。ここに駐在する国民党系の救国軍隊は実は日本軍と通じた傀儡。沙家浜で共産党の新四軍の傷病兵たちを 捕らえようとするのだが阿慶嫂が気転きかし共産党軍が傀儡救国軍と日本軍を一網打尽にする物語。革命戦争時代の理想型としての共産党軍。劇中の毛沢東主席 賛美の歌曲も時代的。先考の遺品となつた200mmの望遠レンズで撮影してみたデジカメの画像見ると動き止った蝋人形の如し。ピタリ、ピタリと型の決り様 はさすが北京京劇院と驚くが、これでも役者の年齢からして一軍に非ず若手ばかり。この劇を紹介するサイト(こちら)では「煙草 を一本いかが?」で昔は実際に煙草に火をつけていた、とあるが今晩の芝居では実際に舞台上で煙草に火をつけ一服するし、而も煙草が普通の紙巻きから上質の 葉巻まで役柄や立場で煙草も何種類かにこだわるほど。各幕毎の大道具の変り様の早さに京劇好きの常連客の間からも称賛の声あがる。芝居見物愛する客の中に 埋もれあらためてこの新光戯院の劇場らしい雰囲気に浸る。
▼IHT紙にJonathan Mirskyといふ書き手の“China II”なる記事に中国の反体制文筆家Yu Jieの発言が紹介されている。Yu Jieについては六月八日の日剰に紹介したが中国の反日運動に対して国内問題としての革命後の惨禍の再認識を鋭く指摘。このIHTの記事によれば余は見逃 していたが香港の雑誌でYu Jieらが、毛沢東の遺体を天安門広場の毛沢東記念堂からから生地にでも移すことで毛沢東崇拝の呪縛と決別し文明化された首都となることで08年に文明化 されたオリムピックの開催を、と言及。主張はわかるが前回の引用にあるように毛沢東の否定はその後の党幹部の出自まで全て否定することになり毛沢東「削 除」が一党独裁をも揺るがすことの恐さでもあり。

八月廿四日(水)また雨。石巻で14歳の少年が宮城県北の登米の駐在所に 「夏休みの自由研究」と称し警察の仕事の内容聞きたいと訪れ57歳の警官の隙をついて刃物で襲う事件あり。死のうと覚悟した14歳の少年も定年間際の57 歳の警官もいずれもさぞや無念の一言であらう。希望がない話ばかり。加藤周一「夕陽妄語」はもう毎年だが真夏の夜の夢で加藤の傍に現れた幽霊や亡霊との対 話。一夏とて「去年に比べれば今年は少しはマシか」なんてことはずつとない。毎年、幽霊と加藤との対話は世を憂い居て深く陰鬱となる。そんな日に選挙公示 前に朝日の社説が凄い。郵政改革について(こちら)。朝日の郵政 民営化支持は今さら驚かぬが郵政問題をダシに選挙前のこの時期に「自民党案に懸念はあるが、将来の姿がみえない現行の民主党案は、さらに問題が多い。私た ちはそう考える。」と明らかに民主党を退け自民党支持掲げる。これもメディアの小泉自民党支持の一環なのだろうか。こうなるとますます産経新聞の良識に期 待かけるしかない(笑)。で、ところで最後の「私たちはそう考える」って、私たちって誰? 論説委員室でここまで意見がまとまつているのだろうか、すら疑 問。怪しい。早晩に北角新光戯院にて明日の京劇の切符購入。かなり誤解していたが北角の豆乳はいつも購入の店は「天天」で公和に非ず。書局街の豆乳激戦地 は見れば公和が潰れており天天の一人勝ちの様子。帰宅。パスタ。山東省の葡萄酒。晩のNHKのニュースで自民党の悪役顔の幹事長武部君が新党2つについて 「新党というより選挙互助会」と感想述べ「選挙互助会といえば自民党だろうが」と思つが、そのあと新党日本の田中康夫君が「選挙互助会は自民党」で「民主 党も社民党から松下政経塾まで呉越同舟」と指摘。
▼朝日に「小泉劇場に何を見る」といふ宮崎陽介なる記者の分析記事があつた。小泉政権では世論調査の支持率の中に小泉劇場というドラマの視聴率も含まれ る、といふ指摘は言い得ている。昼の低俗なるバラエティ、つまらないテレビドラマ的関心のレベルでの高視聴率。高視聴率でも任期延長せぬといふ主人公(小 泉)の発言で好感度。八十年代の初めロン・ヤスの政治を「劇場国家」と称したもの。が今にしても思えば劇場演劇であるだけ小泉プロダクションの安手の三流 テレビドラマよかずつとマシ。
▼蘋果日報八月廿一日に掲載の陶傑氏の随筆「胡文海」。大陸にはなぜ鉱山事故が多いのか。その問題の背後には一つの真実の物語がある。2000年暮れに山 西省の公安当局が一人の殺人犯を捕らえた。名は胡文海。公安局で公安が彼に尋問する。「何でしょっぴかれたかわかるかい?」 胡文海は答える。「知っます よ。数人だか殺したからでしょう」。公安は机を叩き「数人だと? 十四人も殺したんだよ」 胡文海はちょっと考え「十四人じゃない。十七人のはずだ」 公 安は「殺したのは十四人だ。残りの三人は死んではいない」と説明する。「生きてるのがいるとは知らなかった」と胡文海。公安が「後悔してるのか?」と尋ね ると胡文海は「そりゃ後悔してますよ。女の子がいたでしょう、殺されたなかに。家族で巻き添えになった。まだ殺されてない相手がいる、ってのに」。「殺さ れてない相手だと?」と公安。胡文海は答える。「何人かいてね。ヤツらがあの村の共産党支部の書記と主任だった当時、三年で五百万元勝手に使って村にある 三つの炭坑のうち二つを買い取った。ヤツらの罪状を俺たちは上部に訴えたが聞き入れられもしない。去年六月、ヤツらは俺を待ち伏せして鍬で殴りかかり俺は 数十針も縫う怪我をした。村の支部書記はそのうえ人を遣って俺を探してカネまで奪おうとした。俺はその時に殺してやろう、って気持ちが起きたんだ」。 裁 判では共犯の男も上げられたが胡文海は共犯の男は殺人はしておらず自分に銃で脅かされ殺人を幇助しただけ、と主張する。判決は死刑。山西法制報(新聞)の 記者が、汚職の公務員を殺すことが避けられないと判断したにしてもなぜ家族まで殺したのか?、と質問した。胡文海は「ヤツらの子どもまで殺さないと、その 子どもらが大人になった時に自分の子どもらが面倒な立場になる……」と目を潤ませた。2001年の聖誕祭の日、胡文海の最期の陳述があった。「自分は新社 会に生まれ赤旗の下に育った。一人の正直な人間になとう、と願った。しかし年々、村の幹部の汚職、贈賄はひどく、農民を圧迫し、村の小さな炭坑も農民が長 年、命がけで採掘し四百万元も上納金を納めた。この四年来、自分は村民に選ばれて、さまざまな問題を公安に訴えてきた。公務員が三十万元の自動車を所有す ることなど本来、何も問題にされないが、世の中の不公平を訴えてきた。もうこれ以上、自分は奴等をどうすることもできない。もうすぐ死ぬんだ。しかし、自 分の死が、それでもし国家がそれに注意を向けるなら、汚職の現実を調査するなら、それでいい。だが、自分あどうしても奴等を見逃すことが……」と胡文海は 泣いて最期言葉にもならなかった。法定は一瞬、静まり返り、沈黙していた傍聴席から熱い拍手が始まった。裁判官は小槌を打って叫んだ。「静かに! 聞こえ ないのか、静かに」。
▼筑波と秋葉原を結ぶなら筑波エクスプレス(TX)よか「筑波原鉄道」は如何か、が本日開業。「つくば」と「あきはばら」で筑原(つくばら)鉄道もいいが 秋葉原は今は奇妙に「あきはばら」などと呼ばれるが元来、江戸では文字通りに「あきばはら」で薩長など田舎者が「あきはばら」などと訛った由。今でも東都 には秋葉原を「あきば」と略す者少なからず。ゆへに「つくばはら」の方がよかろう。始発が産学共同の人工都市都心なら筑鉄の都心の終点が秋葉原といふのは 面白い。筑波の地に研究学園都市できて早や四半世紀。昔は自転車でエコロジーが売りだつたが都市化で自動車なければ生活できず。交通事故の多さは茨城でも 筑波は驚異的。研究者多く運転中も実験内容について思案か、ただボーッとしているだけか、とにかく区画整備された市内で事故多し。東京〜筑波間は大した数 ではない東京在住の研究者、学生の通勤通学が主で、秋葉原、御徒町、浅草、南千住に北千住、青井と「こち亀」のような下町を縫いて埼玉、千葉、茨城の「か なり郊外」の住宅地の通勤に依存では乗降客数に期待できる筈もなし。関東つくば銀行といふ地元銀行の調査では県内の主要企業数百社のうちこの鉄道開通で業 務上の利用があると答えた企業は三割にも満たず。自動車道路なら波状的に利用が広がるが鉄道は「駅に行って」利用しなければならぬのだから人口密集地でも なければ(バンコクの高架鉄道のように)利用効率よいわけがない。「田舎に鉄道は造らない」という当たり前のことだが茨城県元知事・収賄で有罪の竹内藤男 君らの土建地方自治の置き土産での祝開通。
マンダリンオリエン タル香港が中環のランドマークに本日ホテル開業(こちら)。数ヶ月 間前よりランドマークの山側で工事続き埃と騒音甚だしい中にMandarin Oriental Landmarkといふ大きな看板あり「ケーキ屋だか土産物屋にしては大規模」と思つておれば、これがマンダリンオリエンタル香港のホテルの来年一年かけ ての大規模な改築工事に向け、その代替としての営業手段。てっきり飲食部門だけかと思えば、あの狭い敷地内でどうしたのか知らぬが宿泊部門も最低で54平 米の客室設えてのプチホテルとして営業とは。蘋果日報の左丁山氏の随筆で先日この開業を知つたが此処のMO Barが紐育のマンダリンオリエンタルの同バーよかChicになる期待だそう。左氏の指摘通りSARSの惨禍に見回れホテル業界惨憺たる03年に一年閉業 しての改築であれば、と結果論だが。で1年かけてのマンダリンオリエンタル香港の本体の改築は、このホテルも出来て半世紀の老朽化で対抗ホテルの豪華さに 比べ質では対応できても部屋の狭さが深刻。全室バルコニーつきは香港では白眉だが中環の中心で大気汚染と騒音でバルコニーなど死んでいるのも事実。で今回 はバルコニー潰して部屋の拡充……って初期の公団住宅の改築と同じか。何よりも今年末だかのFour Seasons Hotel香港の開業がマンダリンオリエンタルを大規模改修決定づけたのだろうが、出来ればFour Seasonsの開業に間に自社ホテルの改築完了も合わせるべきであつた。Four Seasons Hotelといへば当初Regent Hotelの買収をほぼ仕留めたのがInter-Continental Hotelに攫われ香港での営業展開足止めかと思われた。また、それとは別に中環のIFCに大型ホテル建設の計画持ち上がり建物老朽化著しいマンダリンオ リエンタルがIFCに新規移転し旧ホテルの一等地を商業施設兼高級オフィスビルとして再開発といふ話も一旦は具体化しかけたがマンダリンオリエンタルは既 存のホテルでの営業継続を決定。でIFCのホテル部分を最終的に得たのがFour Seasons Hotelといふ一連のホテル業界のお話。いっときはホテルでの飲酒、飲食に興味ももつたがホテルに品格といふもの乏しくなり「カネさえあれば誰でもい い」客あしらい、スタッフの威厳と経験の乏しさ、五月蝿い客の質の低さと野暮さに最近は殆どホテルの利用もせず。


農暦七月十九日。処暑。朝日新聞に月イチで連載の梅原猛「反時代的密語」が 凄い。「アニミズムと生物学」といふ題で明らかにホリエモンらであらう「今の二本で活躍している短期日で何百億という金を儲けたような人たちは、酪酸の匂 いにのみ敏感なダニのようにカネの匂いにのみ敏感で、獲物とみるや飛びかかるような人間」で「そういう人はこのような世界のみが現実であると思っているよ うであるが、それはカネ以外のものが捨象された大変貧しい世界」と手厳しく断言。中曽根大勲位の治世までは理解できた梅原先生も小泉の日本精神だのマネー ゲームの下品さに危ないもの感じ入る一人。早晩にジムで筋力鍛練一時間。筋力などつけるよか減量のほうが先決なのだが。とわかつていて帰途ふと Delany'sに寄りギネス麦酒一杯。湾仔のこのアイルランドパブで最近チーフでバーテンダー勤める青年の慎重かつ機敏なギネスの注ぎぶりは見事。馴染 みのアウトドア屋に旅行中に紛失(だと思ふ)携帯用のMagliteの懐中電灯購入に寄れば我の傘の忘れ物あり。呆れ顔で「保管料ちょうだい」と言われた のは五月に忘れた傘ゆへ。それ以来買い物にも寄つておらず。帰宅してカレーライス。バンコクで見過ごした「義経」ビデオで見る。歐陽應霽君の伝統的なる美 食探訪番組『回味無窮』の第2回も見る。劉健威氏がゲスト。歐陽君が宝塚の立役ばりのメイクなのに劉氏が本物よか老けており好対照で可笑しい。七月くらい からの切り取つたばかりで整理もしておらぬスクラップなどかなり整理。山田吉彦『モロッコ』少し読む。岩波新書で昭和27年はかういふ淫美な内容もあり か。
▼築地のH君が自民圧勝の勢い、冗談抜きで四百議席くらい取るんじゃないか、と。自民及び反小泉で枠外だが所詮は自民迄含めれば350議席に追い風の公明 党が50で400といふのはまんざら嘘でない鴨。もう「行くところまで行く」で。旅行中のInt'l Herald Tribuneや信報など読めば自民党の一人勝ち、の予測。何かが変わる、なんて期待もなし。二大政党による政権交替が欧米的理想型なら民主主義での国民 の選択による一党独裁の恒的な保守党政治。他に選択ないのだから安定していれば佳し、と。アジアでは日本の自民党、台湾の国民党(馬英九が次期総統確実 で)、中国共産党、で最終的な理想型としてシンガポールの人民行動党による実質的な一党専制が政経的に安定しているならいいでしょう。フランスならル・ペ ンの登場に伝統的左翼票が大統領選挙の決選投票で「鼻をつまんで」シラクに入れたが日本で非自民党票が「肥溜に入ったつもりで」民主党にいれるかどうか。 極右から松下政経塾、旧社会党左派までの「幅の広さ」の胡散臭さで亀井党や田中新党に票が流れ得票数では政党別でかなり割れるが最終的には議席数で現行の 選挙制度では自民党と組織票の公明党で夢の四百議席。フランシス福山的な「歴史の終焉」が今ここに。築地のH君に言わせれば小役人や松下政経塾生など本来 は自民党の若頭予備軍が小選挙区制で現職有利となり新人が何ら深慮なく民主党から出馬。ところが今回は小泉三世の「古い自民党」の一掃で候補者の劇的な入 れ替え。中曽根大勲位やヘラルド宮澤らに続き「平成の妖怪」化するはずの綿貫先生や亀井先生追い出したところで民主党に暫く預ける形であつた小役人&政経 塾が自民党に戻れば小泉三世支持の有権者にバカウケ。政党政治といふもの本来は党是、党の理想政治があり、その実現のため議員となるもの。それが今では松 下政経塾など最たるもので議員になること先行し「で、具体的にどの党が最も確実か」での政党選び。実際に自民でも民主でもあまり変わらぬのだから。今どき 党利党略のため議員になるなど公明党と共産党くらい。……なんて「わかりやすい」政治。「若い政治家の登用」は電通あたりの仕掛けか(笑)。仕掛けといへ ばH君が教えてくれた森田実氏の指摘「郵便貯金350兆円を虎視眈々と狙ふウォール街が小泉自民党圧勝に向け巨額資金投入しメディア操作」(こちら)も、さもあ りなむ、の話。メディアといへば昨日の産経新聞「産経抄」が見事(こちら)。 朝日の天声人語子に読ませたい格調高さ。森田実氏は民放キー局に対して「NHK並みの中立性」求め、罵詈雑言しかないはずの産経抄がこの筆致。世の中全く 混迷の度深まるばかり。
▼アジアの理想型としてのシンガポールについて。昨日この都市国家の社会規制緩和について言及したが今日のIHT紙に21日だかの星港の建国記念日関連の 記事ありLee Hsien Loong首相の演説を読む。賭博解禁について李光耀の息子は「砂漠の中に都市を建造して年間四千万人が訪れる」ラスベガスに「我々はそれになろうとはし ないが多いに学ぶところはある」と。中国と印度といふ二大国の間に位置し中間貿易と金融や情報産業、観光だけで生き残るにはどうすればいいのか。テロに脅 える世界の中で治安の安定を維持し福祉切り捨てもせず失業保険や強制積立退職金制度の完備、低所得者への公共住宅の供給や教育補助など星港が生き残るため に何をしていくのか、と強調。確かに。一党独裁でも結果何が残るか、で安定した豊かな未来があればいいでしょう。少なくとも小泉改革で具体的な政策も明示 されず年収300万円社会の到来が約束されるような社会よか「星港のほうがまだマシ」かも知れぬ。
▼そういうアジア政治型がうまくいくならいいのだろうが最大の懸念は中国。中国政府が公式に中国の貧富格差が「黄色」の警戒レベルに達していると報告。 チャイナデイリーの22日の報道で政府の労働&社会保障省の渓谷によれば貧富格差の両極分化がこのまま続けばこの5年で「赤色」警戒で2010年には社会 動乱など不安定が必至。貧富格差や社会不平等、贈賄などの腐敗に土地の強制接収などで昨年一年で七万件の社会的抗議活動があつた、といふ。貧富格差は03 年以降に急激となり都市部で所得増長が前年比で8〜9%なのに対して農村部では半分の4〜5%に留まり農村内でも収入格差が増大。国内の人口の1割の富裕 層が国家資産額の45%を独占し、逆に最貧困層の私産額は国家総資産額のわずか1.4%。共産主義社会でのこの貧富の格差の増大。共産党政府にしてみれば 一党専制での経済成長と社会的安定の維持で「これだけに納まっている」と判断だろうが国民の不満の増大は中国国内の問題では納まらず。
▼築地のH君から「名取の小学校の男性教諭 2ヵ月休んで英国でダンス公演」といふニュース届く。「子供のころからバレエに精進し夢はロイヤルバレエのダ ンサーだつた若者が夢破れ、故郷の宮城県名取市で教職に就くも夢捨てきれず英国でバレエ公演を実現の、学校では子供にも有名な「男バレエ先生」。だが休職 について教委が懲戒処分」とか(笑)想像に易いが、現実は「障害者と健常者が一緒に踊る舞台芸術の世界大会に参加」で四月上旬から六月下旬まで平日は有給 休暇を充て足りぬ13日間は特別休暇申請したが県教委は「個人的関心に基づく活動」として申請認めず、教員も校長の期間短縮の求めにも従わず。特別休暇が 「職務に関連する海外視察などにも適用され今回も当てはまる」と教員の弁護側は主張。この先生が組合員で組合員に対する嫌がらせ、鴨。むしろ学校の枠から 出て様々な教育活動の経験を積めることが今後の教育に活かせる、といふ視点が「外国では」普通なのだろうが。

八月廿二日(月)霪雨ようやくあがる。二年半愛用のシャープのノートブック MM-1がついにハードディスク作動せず。調子悪くともノートブックを90度横にして建てるとHD立ち上がり対処していたが旅行から戻ると15回ほどス イッチオンしてようやく1回立ち上がるかどうか。MacのPowerBookに浮気したツケか。中央郵便局よりEMS便で実家に送り妹に修理依頼。Z嬢に マンダリンオリエンタルホテルで「生日西餠」購ふ。他にいくつか用事済ませる。中環の歩いて5分ほどの一角で全ての用事が済む、この香港の便利さ。帰宅し て家のまわりジョギングするが身体の重さ。今月に入つてからの運動不足と美酒美食で当然の結果か。遅ればせながら自重。ジョギングの帰途、ジムに寄るがメ ンバーシップが8月上旬で切れている、と。月会費HK$299で(これも日本に比べれば圧倒的に安いが)2年契約すれば月額×24ヶ月=HK $7,176の一括払いで1年無料特典が付き36ヶ月利用となるので割れば月HK$199でお得ですよ、とありがちな説法。それでも七千ドルの支出は負担 感があるなぁと思ふ消費者に対して「そこで奥さん!」と今だけ永久会員の募集しておりHK$15,000で永久利用可。でもHK$15,000こそ負担感 あるしジムが潰れたら、と思へば「そこでHK$15Kも24ヶ月分割、利息なし」で結構ですから月HK$625を24回払いで、とオファー。成程。分割払 い中に閉業すれば分割の残りは「ケツを捲る」しHK$15KをHK$199で割れば75ヶ月で6年余で回収。リスクが高いのは月賦完納の2年後から回収に まわる6年目までの4年間。際どいところだが七千ドルの一括払いの負担感に比べれば、とHK$615Kのオファーに応じる。先方のまさに「思う壷」。鯵を 焼いて食す。納豆。ニュース10を見ると今度は田中康夫君代表で新党結成。日本が大きく変わる、と期待も一部にはあれど今になつて思えば新自由クラブ、日 本新党、新政党、民主党などの旗揚げのたびに「これで日本の政治が変わる」と期待で実際に何が変わつたのか。現行の選挙制度では小政党乱立は寧ろ自民党が 利するばかり。実際に自民党は対抗政党が出来るたびに悪い意味で柔軟な、目的はただ一つ政権党であるために何でもあり、の永久政党と化す。今回の選挙での 東京12区での八代英太君の出馬断念など政権党であるために自党議員切り捨てなど政党としての道義など微塵もなし。本来、政党とは自党議員で政権獲得するべきもので選挙結果で他党との協力はあり得ようが選挙前から他党汲んでの政権 獲得目指すとは。自民党も自民党なら公明党も何がキャッチングボードか、最初からイソギンチャクの様なり。日本で集めたスクラップなど整理していて母から 渡された六月十六日の茨城新聞の切り抜きをあらためて読む。二つ興味深き記事があり一つは茨城最初のモダニズム詩人として桜井薫先生が取り上げられている こと。日本近代文学(茨城大学)の佐々木靖幸教授の「新・茨城の近代文学」という新聞連載の第1回で桜井先生を紹介。晩年の桜井先生に幼き頃、児童書をか なり買つていただき朗読までしてもらつたこと思い出す。もう一つは水戸芸術館開館15周年の記者会見での館長・吉田秀和氏の91歳の元気そうな姿。「努力 すればいつでも百点を取れるような展覧会になるというのは大間違い。努力してかえって悪くなる場合もある。それが芸術というもの」「芸術は生活の中で良い 面だけを取り上げるものではない。良くないんじゃないかというのも取り上げないと。不協和音を出すものがなくては」と指摘。偶然にも久が原のT君が昭和 55年前後の朝日紙上の吉田秀和「音楽展望」を集めた朝日文庫の「音楽・展望と批評3」を読み当時、まだ若い若いT君が費用を捻出して通つたロイヤルオペ ラやヴイーンオペラ来日に触れる項が懐かしいどころか、つい昨日のよう、とT君。
▼いぜんから作ろう、作ろうと思つて、未着工の、香港の観光土産用トランプの「ナイスな古い写真」集めたサイト。このトランプ、かなりの枚数は最近の新しい写真に置き換えられているが、まだ「ナイスな風景」も何枚もあり。それ を味わおう、と。どうせこの写真など複製また複製で版権も何処に?で勝手に流用。かつては香港土産で「クロスの金色のボールペン」や「ピークで撮影の写真 絵皿」などと並び香港風景トランプもかなり売れたのであろうが今では余り見かけず。ビクトリアピークの観光土産物屋で数年前にゲット。スライド写真の幻灯 機みたいのもあり。これもスタンレーの土産物屋でずいぶん前に入手しているがスライドをデジタルに起こす作業をしておらず。とりあえず、まずは香港といえ ばビクトリアピークでピークトラム。♦8の二世代前の展望台の美しいフォルム。それが今では♠3になつているが、これも今はさらに商業施設拡充のための工 事中。本来、香港の百万ドルの夜景と讃められる景色が売り物のはずが今では風景など大気汚染と異常気象での朦霧でまともに見えずピークは商業施設。 Madam Tussaudの蝋人形館など。本来、その絶景なる眺望こそ「売り」であると思えば商業施設の拡充より眺望のための大気汚染改善などこそ急務であろうが小 役人や目先の利益しか負えぬデベロッパーには理解できぬ話。♦4のトラム電車も二世代前のもの。現在はアンティークな車両の二両編成。よく見ると湾仔は Gloucester Rd以北の埋め立て済んだばかり。このトラム、今では観光電車だがもともとはピークに住まふ英国人のための生活鉄道。開通は1888年で路面電車のトラム の開通1904年よりずっと早い。
▼最近気になる日本語の表現。「あの○○って噂聞いたんだすけど本当ですかぁ〜?」と。非常に漠然とした勧進元への「西郷輝彦のコンサートがあるって噂、 聞いたんですけど本当ですかぁ〜?」ならマダしも例えば自分が何か習い事をしたい時に先生に対して「あのぉ英語教えてるって噂、聞いたんだけど本当です かぁ〜?」と。これは失礼甚だしい。常識的には「○○と申しますが○○先生でいらっしゃいますか? ○○さんから○○先生が英語を教えているとお聞きした んですが、私もぜひ勉強したいと思いまして……」なのだが。戦後教育の弊害か(嗤)。この話してくれた知人はこういう電話がかかつてきた場合「本当です かぁ〜?」と尋ねられたら一言「噂です」と断言し退ける、と。
▼シンガポールといへば蘋果日報が一面で(この8月といふのは政治など夏休みで動かず「ウナギや淡水魚に発癌性物質」など突発的な話題がないと何も報道す ることもないのだが)シンガポールが性風俗など解禁の動き、と報道。健全なる都市国家は建国からしばらくは「男性の長髪」すらご法度でザ・タイガースで沢 田研二君らも渡航できなかつたほど。キャバレーのショウであるとか飲み屋の通宵営業も禁止。ヌード雑誌どころか少年ジャンプの暴力シーンすらダメで同性愛 も違法。だが実際には買春窟もあれば所謂Pink Dollar得るためにゲイの祭典The Nationの開催もすれば建国以来厳禁であつた賭場も観光開発として開設の動き。徐々に「自由化」していることはシンガポール市民にとつても幸事であろ うが都市国家政府にとつての最大の悩みは「行き詰まり」。建国四十年で経済的には成功したがテーマパークの如き都市が「厭きられる」ことの恐さ。これの打 破は緩和政策、と一連の措置。結局その目的は営利であり効率。
▼そういえば昨晩の大河ドラマ『義経』第33話。熊野別当湛増(原田芳雄)と弁慶の交渉だけのために一話を費やしてしまうとは何と贅沢なことだろうか、と 畏友S君が指摘。御意。S君曰く、そんな無駄使いをする位なら一の谷の合戦で敦盛の最期であるとか、或いは梶原源太景季に無意味な出番を作る位 ならむしろ宇治川先陣争いをどうして描かなかったのか?と。制作サイドが出演者も含め「新平家物語」などの頃なら源平合戦など常識的に大方の筋もわかつて いただろうが平成の今日では敦盛最期、宇治川の先陣争いといわれてもピンとこない鴨。

八月廿一日(日)雨続く。South China Morning Post紙のトップ記事がスティーブン=スピルバーグ監督の映画“Memoirs of a Geisha”の紹介。主演の章子怡、Michelle YeohとGong Liの芸者姿の写真を大きく掲載し今年末公開の映画宣伝の提灯記事。本 来であれば日本の女優起用のところ中国人にしたのは英語での監督とのコミュニケーションのためとか噂もあるが、章子怡の胸隠しの如き帯の位置の高さ、宝塚 の男役の女装の如きMichelle Yeohの表情とGong Liのオデコと花魁?意識してか襟のズレ落ちまで全てが「こりゃダメだ」の予感。たまつていた新聞かなり読む。午後に九龍の湯屋に擦背と整体按摩。畏友高 添勉君の『香港今昔』の改訂版十一年ぶりに出版されたことを信報の書評で知り中環の三聯書店にこの本を求めると同じ高君の『香港日佔時期』も高君らしい見 事な歴史史料集も出ている。それに加え意外と知らぬことばかりの『趣談九龍街道』と上環から中環の古い風景を写真と随筆でまとめた『集體回憶』(何耀生・ 著)に畏友鄧達智君の随筆集『塵世集』の五冊購ふ。この時期に興味ある本多いのは多くの著作が七月末の香港ブックフェア(書展)に合わせ出版されるため。 香港大学で日本研究する陳湛頤氏の『日本人訪港見聞録1898〜1941』上下卷も上梓されていた。この本は明治期以降にその多くは欧州や南洋への船旅の 途中、香港に立ち寄った人たちで旅日記から香港に関する記載を集めたもの。彼らは船旅の目的は欧州や南洋にあり香港については寄港地にすぎず簡略な記載多 いのだが香港に関する記述がされている点では集めると歴史的史料価値はかなりある。平岡商店を開く平岡貞や戦後、香港日本人倶楽部や日本人学校の経営に尽 力する藤田一郎の戦前の三井物産支店長時のことにまで触れる。明治初期の在港日本人の座談会まで翻訳。昏時、FCCに参りウイスキーソーダ二杯。買つたばかりの本の頁めくる。『香 港日佔時期』に占領地香港で「君が代」普及のために配布されたチラシが紹介されている。現在「君が代」について日本政府は文部科学省の指導要領で「国歌 「君が代」は,日本国憲法の下においては,日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌であ る」なんて、まわりくどい表現で説明しようと無理をしているが(こちら)香港 で撒かれたチラシには「君が代」の中文訳があり「君が代」はずばり「皇祚」で歌詞の
漢訳は「皇祚連 綿兮久常 萬世不変兮悠長 小石凝結成巌兮 更巌生緑苔之祚」とある。「兮」(助字「けい」。意味なし)使いすぎだが、天皇の御代が長く続きますように、 でわかりやすい。Z嬢も来てFCCのダインで夕餉。カイザルサラダ、タイ風チキンスープをシェアしてZ嬢は海南豆腐飯で我がビーフストロガノフととりとめ のない注文。帰宅。香港に戻り気温は廿五度と東京から十度も下がり少し風邪気味で悪寒あり。
▼旅行中の新聞読んでいて呆れたのは自称政治家Sir Donald行政長官の官邸(旧総督府)は自称政治家が住まふための改装費用がHK$1,450万でこの他に粉嶺にある別荘もHK$136万で改装し Sir Donaldが好きな錦鯉のために池の修理がHK$30万まで含まれる。小市民根性の小役人がトップになるとこの厚顔無恥といふか成金趣味の恐さ。董建華 を今更誉めるわけでないが生まれながらのお坊ちゃまは行政長官になつたからといつて旧総督府に住むなどといふ欲望も見栄もなくミッドレベルの住み慣れたマ ンションで結構です、と。それがSir Donaldになると父親が警察官でハリウッドロードにあつた狭い警察官官舎の団地育ちで広い邸宅に対する憧れ、しかも成金趣味であれこれ改築など煩いこ とばかり。税金が小役人の住宅の改築に浪費されるかと思ふとバカげた話。しかも行政長官に棚から牡丹餅で就任して二ヶ月。まだ何も成果もないうちに、であ る。

八月二十日(土)終日大雨。一日の雨量300mm越え観測史上八月第二位と か。昼まで旅で得た物品多く机まわり片づけ。午後に尖沙咀のジムで一時間の筋力運動。ミニバスでホンハム。ホンハムの交通の不便甚だしく何故ここに多く人 が住まい商業地区としても繁盛か理解に苦しむ。ジムで一時間の有酸素運動。蔡瀾美食坊にある鐘記で車仔麺食す。同じ美食坊の春和樓で餃子テイクアウト。ジャスコで食材購いフェリーで北角。公和で 豆乳、隣のパン屋で美味なるアンパン購ふ。帰宅してドライマティーニ。香港に戻り何処かホッとするいつもの生活。昏時に先日、福島で会つたO君来宅。不在 の間に配達されてしまつた新聞何紙かO君がまとめておいてくれる。そのまま簡単に夕食を、といふ話となりZ嬢と三人で薩摩白波の焼酎四合瓶飲み干す。日本 で入手の吉田拓郎とかぐや姫の嬬恋コンサート75年のVCDを見る。ステージにあがるなり上半身裸の歌い手ありフレディ=マーキュリーかと思つたら南こう せつ。井上陽水、泉谷しげるとの雑談の映像も貴重。小室等が「社長、社長」と呼ばれている当時のはフォーライフレコード。75年のコンサートなど知る由も ない若いO君が「あ、水谷さんが制作スタッフに入っている」と驚くので何かと思えばO君は浜田省吾のかなりのファンだそうで浜省のコンサートメンバーでは 水谷公生はレギュラーメンバーだそうな。実は水谷氏、我は昭和帝崩御の時に水谷氏とご一緒に仕事の関係で豪州パース市にあり。ご活躍と驚けばO君自宅より 浜田省吾のライブのDVDを持つて来て水谷氏のギター演奏を見せてくれる。75〜78年のライブ画像編集の「かぐや姫フォーエバー」も見る。感慨深きもの あり。

八月十九日(金)快晴。猛暑。ホテルの食堂にて朝食。明治神宮の緑を見下ろ す。荷物まとめ午前十時に宿の精算済ませ荷物預けて外出。東急ハンズに参るが数えれば四半世紀以上前に渋谷の東急ハンズで受けた衝撃と購買欲も今や何処 に。物 はあふれ「東急ハンズぢゃないと他にない」であつたアイテムが今や地方都市の郊外のショッピングセンターの生活用品店に並ぶ時代。イトーヨーカドーの北千 住にすら東急ハンズ、である。高島屋に用もなく伊勢丹。東急ハンズに続き見るだけ。あまりの暑さに昼前だといふのに一憩。歩くだけでも汗拭き出す、肌を灼 く日ざしに丸ノ内線で新宿三丁目より西新宿。甲州街道を少し新宿に戻り日蓮宗常圓寺に祖母の墓参。墓石も水をかけた隙に余りの熱さで石肌の水も蒸発するほ ど。損保ジャパンビルとなつた旧安田火災のビルを見上げる。昔はこんな辺鄙なところに、と思つたものだけどねぇと日本橋生まれで四谷に暮らした祖母が新宿 の寺に参ると、浄水場の跡にこんなビルが建つなんて……と安田火災のビルが出来た当時、墓参りのたびにシンセイを一服しながら見上げていたもの。
Z嬢と待ち合せ新宿エルタワー地下の鮨いしかわ。久ヶ原のT君にこの時期、新子が美味と言われていたがまさ に。美味い鮨屋。西口の京王百貨店抜けて高島屋の地下でジェラート。ホテルに戻り荷物受取り日陰を縫つて新宿駅新南口まで荷物押して歩き午後三時すぎの成 田エクスプレスで成田空港。キャセイパシフィック航空のラウンジで一憩。CX505便で香港に戻る。旅程の調整の早さは人後に落ちず満席のフライトながら 二階席の81列A、C席の最前列を確保。晩になり台湾までは好天に満月の月を愛でる。機内の照明暗くなると月の青い光が窓から差すほど。めずらしく機中で 葡萄酒飲み条件反射で食後爆睡。雨の香港に戻る。預けた荷物だけで五個口の67kg、そのほかに機内持ち込みのキャリング2つで大雨のなかずぶ濡れで荷物 をマンションの玄関に運ぶ。荷物片付け深更に至る。香港は今度は中国の養殖ウナギで発癌性の養殖剤投与が発覚とかと大騒ぎ。

八月十八日(木)晴。朝日新聞天声人語。新幹線の混乱が長引いたのは残念だ が、宮城沖の地震で犠牲者が出なかったことは不幸中の幸いであった、と。文法的には間違いぢゃない。素人なら許せるが新聞の看板コラムであると思えば言い 回しに多少不自然な点が幾つかあり。「宮城沖でM6といふ大地震が起きた。耐震建築の不備などが原因で怪我人が出て、お盆休みの帰省ラッシュに新幹線の混 乱が長引いたのは残念だったが、あの規模の地震で死者が出なかったことは幸いであった。」とかのほうが自然。大地震、死者なし、新幹線は混乱、とすれば時 系列の流れも先から後になり、不安の大きさも大きい方から小さい方に移つてゆく。天声人語子にとつては新幹線の混乱が地震より強調されすぎ、犠牲者が出な かったことを不幸なる地震の中の幸いとしているが、犠牲は「戦争、天災や事故の巻き添えなどで生命を失ったり傷ついたりすること」(広辞苑)であり仙台で プールの天井落ちるなどして怪我人が出たことは犠牲であり、地震の規模であれだけの被害で済んだことぢたいが幸いであり(不幸に非ず)但し耐震建築の不備 などで犠牲者が出たことや新幹線の混乱は巨視的には幸いに大規模な災害がなかつた今回の中で今後検討と対策が必要な2つの事例となつた、といふことを指摘 しなければいけない。このような文章展開は新聞記者にとつて基本的なこと、本多勝一の『日本語の作文技術』などでよく指摘されている論理的な文章展開の常 識なのだが。朝、駅で特急の乗車待つ間、改札口前で「安倍晋三似の年のころ三十の明らかに男」が女子高生のセーラー服の夏服姿、セーラー衿に白いブラウ ス、チェックの超ミニスカート、露な大腿にハイソックス姿でもつて恥ずかしそうに歩くのに遭遇。身長が175cm程と高く、少し羞恥心があるらしくマスク でしっかり顔を隠しているので、目立つ結果に。あれで身長が低く安倍晋三顔でも嘘でも髪形さえ長髪とはお下げにしていれば気がつかれないのだが、髪形まで 安倍晋三のままでマスクしていることで目立つのは見られるのが恥ずかしいけど見て欲しいといふ複雑な心情だろうか。敢えて朝の通勤通学時間(8月だといふ のに朝8時半頃の駅には制服姿の高校生かなり多し。どこが夏休みなのだろう)に女子高生ルックで登場するところが、いい。満員電車の中とかで「ゴリエ、痴 漢にあったらどうしよう?」気分までエンジョイだろうか。一本早い特急に間に合ふ時間で乗車変更しやうと思つたがすでに一度「乗変」しており(乗車日を一 日変更)今回は払い戻し精算の上あらためての購入となるのだが「当日ですと手数料は三割」といふJR職員の説明に驚き乗変せず。改札口前のカフェ(といつ ても巴里の駅舎を想像するべからず)で列車待ちで珈琲。店員に「おめしあがりですか?」と尋ねられ一瞬たじろぐ。おめしあがりでなければ何故、珈琲を注文 するだろうか。「こちらで」だろう「こちらでおめしあがりですか?」と言うべきなのに毎日の同じセリフの繰り返しで簡略化されてしまつた結果。簡略化され るにしても此処で飲むのかお持ち帰りかを尋ねると思えば本来は「こちらで?」のほうが質問内容としては大切。特急に乗車。D席に坐るのに廊下側のC席のオ バサンに「すみません」と声かける。立ち上がれと迄は願はぬが膝をずらすとか多少の心配りがほしいが微動だにせず。もう一度「すみません」と言うと不愉快 そうな表情される。日本人の思いやりの美徳?は何処に。自分勝手な中国人や今日のことしか考えない怠惰なタイ人の中にもこういうオバサンがいるのだろう か。憲法改正して国民の義務とか責務が謳われ教育基本法で道徳心などが強調されると、こういうオバサンはいなくなるのだろうか。自宅にあつた祖父の蔵書か ら横山大観『大観畫談』(昭和26年初版・大日本雄弁会)を持ち出し、これを読む。講談社上野から山手線で新宿。荷物引き摺つて小田急のホテルセンチュ リーサザンタワー。午前11時の投宿だが部屋に通される。最近このホテルが東京での定宿。交通の便の良さと国鉄の線路の陸橋渡れば紀 伊国屋、東急ハンズに高島屋は便利。昼前にホテル出て西武新宿駅。多摩湖に近いZ嬢の自宅訪れる。小平の駅で「テロ警戒中」に嗤ふ。アルカイダは西武遊園 地線は狙ふまい。気分は世界の中の西武線、
世界の中の小平。テロに怯える社会を演出。午後遅くZ嬢 と西武線で都心に戻りZ嬢と別れ高田馬場から東西線築地経由で日比谷線で東銀座。大野屋で手ぬぐい数枚。東銀座、といへば歌舞伎座。八月でも勘三郎君の納 涼歌舞伎が日に三部興行。先月十五日に切符発売であつたが発売開始すら忘れるほどいろいろ多忙で数日後にZ嬢とようやく話したらすでに八月見事に完売。母 から某クレジットカードのメンバー特典で観劇可と知らせ受けたが昼に東京駅集合で汐留だか天王洲だかの高層ビルにある吉兆だかで食事して宝石だかの販売会 に連れていかれ、それで歌舞伎座で午後の部、とはあまりに「オバサンばかり」で遠慮。結局こういう松竹の「営業」努力で歌舞伎の切符も求め難くなる。で今 月の中村屋のこの納涼歌舞伎は久ケ原のT君が昨夕見たそうで「法界坊」の一幕目、永楽屋おくみに宛てた付け文の詮議で法界坊が失敗する件。T君の話では、 自分に有利な拾い文したと思い込む法界坊が文の名宛を客席に示して同意を得るのは常ながら串田孫一長男の演出になる今回は、勘三郎君、舞台から平場(客 席)に飛び降りてお客を色々いぢる(客に絡んでみせる)。T君はカブリ(最前列)中央にあり最後にT君のところに参つた中村屋。文を突きつけられたT君、 思わずうなづけば「大成駒の贔屓だって、そう書いてあると言ってるぢゃねえか」と大声で呼ばわつて舞台に戻って行つた、と。芝居好き冥利な話。さすが中村 屋らしさ。だが宝石販売会から流れてくるようなトウシロ同然の客に満ち満ちた歌舞伎座で「大成駒」と言つたところで果たしてどれほどの者に通ずるか。歌舞 伎座まで来て今回は築地のH君にも聯絡とらず失礼。同じ築地界隈に月本さんもあろうがこちらも失礼。惜しまれるが今晩だけでは二進も三進もいかず。銀座八 丁目の宮脇賣扇庵の出店で扇子二本。昏時、銀座通り渡り同じ八丁目のバー Brickに十数年ぶり。サントリー角でハイボール。西 武線でも読み『大観畫談』読了。予想より大観翁が軽妙に語る内容が面白い。明治22 年の東京美術学校の入学が帝国憲法発布にあたり画家としての独り立ちの頃が日露戦争。大観本人も戦後のこの書物で自分が国粋的であると非難されるが、と書 いているが確かに明治のこの日本画家は国家主義的であり近代日本の繁栄に日本画家として寄与するような姿勢あり。だがやはり岡倉天心の流れで、そのナショ ナリズムに偏狭さがなく、自国のナショナリズムのために他者の卑下だの蔑視ないところが昭和の、そして平成にも及ぶナショナリズムの不健全さとは異なるも の。岡倉天心が着用する写真で有名な東京美術学校の天心先生考案の「闕掖の袍(わたいれ)の制服」だが昨日あらためてそれを見て裁判官の法衣に似ている、 と思つたが実はこれは、この本によれば、天心先生が奈良朝の昔に範をとり頭には巾冠、身には闕掖の袍を着せしめ生徒は黒色、教職員は海松色、品質にも等差 をつけ、学校長(つまり天心)は海豹の靴を穿いた、と説明があり「今日の司法官や弁護士の法服は学校(つまり東京美術学校)の制服を真似、それ(学校の制 服制定)より二、三年後れて司法部に採用された」と。初見。大観先生の九代目団十郎の芸評や六代目が大観先生に絵を習おうとした事の話など面白い。でこの 畫談の最後は大観が天心先生の薫陶を受けた「酒」の話で終わるのだから軽妙。Brickで美味いハイボール飲みながら、こんな本を読むことの楽しさ。丁度 二杯目が終わつたところで読了。もう一杯「いかがですか?」のバーテンダーの勧めを笑顔で辞して二杯目で終わる。たかだかハイボールがなぜこのバーだと美 味いのか。酒はサントリーの角だ。炭酸水の円やかさ、に秘密がある。市販の泡がきついソーダだと飲んだ瞬間に口の中で炭酸水がパチパチとうるさいのだが、 この店の炭酸水は悪く言えばガスが抜けたような、だがガスの抜けた炭酸水の不味さとは違い微妙な発泡が酒の香りを楽しませる。二杯目を注ぐ時に見ていると 炭酸水はバーのカウンターに設えられた古めかしいディスペンサーから。ずいぶん長く使われてきた特注だろうか。今どきのパブのノズルのボタン押すと水にな つたり炭酸水になるのとは違ふ。銀座らしいバーで二杯さつと飲んで1,050円。その足で和装小物の「くのや」に寄り風呂敷二枚。狭い店だが四階に案内さ れ畳間に上がり店員と一対一で風呂敷を選ぶ。余の手ぬぐいを「曝しですか?」と店員目敏く夏はこれ一枚で昼の汗から夕方の一風呂までと談義。五丁目のビル に入る甘味の若松で豆カン頬張る。トラヤ帽子店。ハンチング 帽は父の遺した冬物だけで先日来港の久ケ原のT君よろしく夏物の麻地のハンチング購ふ。トラヤで「いつもありがとうございます」と常客扱い嬉しくない筈も なし。Z嬢に教えられた四丁目のHenry Cottonは秋物で好きな色合いなし。鳩居堂でお香、線香、におひ粉、一筆戔、ポチ袋を購入。Z 嬢と待ち合せの教文館書店。四丁目の料理屋・いまむらに食 す。ゆつくりと二時間。秀逸。ご主人も気さくで、ともに店に働く息子に優しく。国鉄で新宿に戻り久ケ原のT君に教えられた東口コンコースのビール屋に寄ろ うとするが混雑であきらめ、東口から南口に八十年代末にZ嬢と飲み歩いた店(全て今は高層ビルに潰される)思い出しながらホテルに帰途。十四夜の月が見 事。新宿で九時半にはホテルに戻り静かに過ごす。東京の夜景で高層ビルやタワーに設えられた赤色の点灯ランプはどうにかならぬものか、石原君。今では高層 ビルが増えホテルの窓から眺むれば池袋、水道橋、赤坂、六本木とずーっと赤色のランプが脈となり震災か空襲かでめらめらと大火に焼けるように見える。ヘリ コプターや飛行機への対策なのだろうがヘリコプターはあれぢゃランプ点灯し過ぎて目的のヘリポートも見えず飛行機で都心上空を飛ぶのはタイ航空だけ (笑)。

八月十七日(水)快晴。旧盆の仏壇のまわりに飾られた提灯など片付け。新の 盆で父の初盆は済んでおり旧盆で親戚や知人で集まることはなくとも焼香にいらつしゃる方も多く母が旧盆前に慌ててまた提灯など揃えた、といふ。さういへば 昨朝、蕎麦を持参された方に母が「何時頃に送るのですか?」と尋ねられ一瞬、何のことかわからずポカンとして、お盆が終わり家に帰つていた祖先の霊をお墓 にお送りする、何時にお墓に参るのですか?の意味。さういつたことさへ忘れてしまつている。幼い頃には早い夕餉のあと風呂上がりに祖母に浴衣着せられ提灯 もち初盆の家に盆参りに連れていかれたもの。その家は暗闇のなかに煌々と提灯や行灯がともり、それはそれは明るく、ご先祖様が迷わずに家に戻つてこれるよ うに、といふ話に「なるほど」と納得していたもの。母と妹と常磐高速で北茨城は五浦の天心記念五浦美術館特 集は芸術院の日本画。上村松篁の「樹下幽禽」や高村辰雄の「沼」など。現代の日本画はどうも苦手で松林桂月の「香橙」といつた古風な作品であるとか松篁の 孫?の上村淳之の「雁金」といつたシンプルなものに魅かれる。岡倉天心の資料を眺めていたら東京美学校の開校が明治22年で翌年、天心が28歳で校長とな り、明治35年頃にはアジア主義を確立。日本の「近代」にとつて明治二十年代初といふのは大切で十年後には帝国としての日本といふ観念が完成する。その時 期に天心の美術運動が重なることが興味深い。天心であるとか宮崎滔天であるとか孫文やゴダールにまでつながるアジア主義がどこで拗れたのか。五浦の岬の高 台に位置するこの美術館から福島の浜通りの海岸を一望する。美術館は天心の横顔をロゴマークにあしらうのだが果たして何人がこの横顔を天心と知るだろう か。天心の特徴ある頬はこの断面的なロゴには表せず天心といへばあの目つき。鴎外先生や柳田先生と同じくなぜ明治の官吏あがりの芸術家、文人といふのは失 礼だが憮然とした表情でけして美男でないのだろうか。天心が辺鄙さゆへに選んだこの地。緑の美しい浜林のなかに幾基の原子力発電所の煙の出ない煙突。五 浦の天心らの日本美術院に近い天心丸なる船頭料理名乗る店で 昼食。この料理屋で供す魚肴のほとんどは店主みずからが漁つたものだそうで岩牡蠣、刺身、平目のフライなど食す。目光(めびかり)といふこの周辺で捕れ る、いわゆる雑魚だが、この目光の唐揚なるもの初めて食す。午後帰宅。何するでもなくのんびりと過ごす。鰻の蒲焼。サッカーの日本対イラン戦テレビ観戦。 なんで中継と解説があんなに話すのだろうか。うるさい。勝手な精神論とか、ゴール前は戦場ですから、とか。晩遅くスーパー銭湯に浴す。
▼亀井静香君の広島六区での対抗馬に自民党執行部は女優の東ちづるを当てる。しづかvsちづる、は音の響きだけならアダルトの如し。元国連軍縮大使の猪口 女史からホリエモンまで自民党から立候補。文化放送のラジオで猪口先生なら外務大臣含みで民主党が口説くべき、と指摘されていたが。猪口孝教授はこの妻の 「喝采」ぶりをどう眺めているのだろうか。猪口嬢にしてもホリエモンにしてもでは民主党ではいけないのか?といへばホリエモンも昨晩、民主党代表岡田君と 会見したといふ。結局、本人にとつては本人を自民党と民主党のいずれが高く買つてくれるか?だけの話。FA制の野球選手と同じ。思想信条に非ず。チヤホヤ してくれれば煽てに乗る、のだから自民党は集票力のあるキャラ集めるほうが扱い難い党人肌の代議士を党が懸命に支援してギリギリの線で当選させるよか、執 行部にすれば容易。議会制民主主義だの政党政治だの、これだけ弄ばれれば形骸化は当然。その安易な候補者選出する政党も政党なら、それに投票する方も投票 する方。昨日みのもんたが司会の番組で毎日新聞の編集委員が「今回の選挙は日本で初めて政党の政策が争われる画期的な選挙」と指摘していたが、嘘。これほ ど政策など一切評価されず、ただ小泉三世の親任選挙。結局四年前の「小泉さんならどうにかしてくれる」と同じで、ではこの四年、具体的には何もしていない のだが、まだ「小泉さんなら」で小泉三世の支持率が五割越えているのだから、その小泉さんが「改革の同志」と推挙した有名人が出てくれば一票入れてしまふ 構造。お話にならず。小泉三世と「小泉さんなら」と無思慮な一部といふには多数の有権者の協力で、この国が「改革、改革」と実は何も変わらぬ、言葉だけ踊 る、だが小泉首相に言わせれば「これだけ変わったじゃないですか」の改革路線躍進。

八月十六日(火)晴。午前、母の用事を車で送つた足で段ボール十箱ほどの書 籍をネットサイト「日本の古本屋」で捜した近隣の古書商に売却のため持ち込む。昼前に母と会津だかから一躍関東でチェーン展開の幸楽苑だかいふラーメン屋。正午前にはもう満席で待ち客多し。車に戻り ラジオで宮城沖震源地とする地震あり仙台で震度5強と速報。自動車運転しており震度3ほどの揺れに気づかず。帰省の帰宅ラッシュの日に東北新幹線など不通 とは。地震の大慌ての中で小泉三世の靖国参拝が突然挙行されるのではないか?と一瞬思ふ。昨晩三時間ほどしか寝ておらず昼寝心地よし。風通しよくヒンヤリ とした畳の肌触り。午後、郵便局で古本屋の支払いいくつか済ませみずほ銀行。機械で定期預金まで出来るのはカウンターの理不尽なまどろっこしさなく便利。 二軒ほど古いカメラ並べる店を覗き地元で唯一残る百貨店で甚平一着購い今日が最終日の空襲の記録展。ボランティアらしい初老の男性が写真説明してくれる。 我が「若い」と思われ説明してくれるのだが終戦直前の八月四日の空襲後の写真で「これは駅前でね」と説明に内心「そう、この建物は旅館からホテル建築にな つた太平館の玄関」と思い出す。芸者衆の防火訓練のバケツリレーも昭和14年の花柳界の三業組合による大陸慰問団も写真を眺めながら防火訓練も慰問団も仕 切つているのが実は我が祖父。戦争の記憶を戦争を知らない世代に伝える、というのは大切。だがなぜ空襲をうけ命さながら逃げまどふほどまで追い込まれたの か、の原因が軍部に暴政ゆるした政治と朝鮮、中国への侵略行為に端を発しているから。加害者ゆへに最後に被害者になつたこと。どうも今年の終戦六十周年の マスコミの特集にも加害者がバツで被害者になつた事実を述べず感傷的に「死んでいつた者」への哀悼が強調されているやうに思えてならず。戦争を知らぬ世代 が増えるに従い、この事実から乖離した「戦争の記憶」が構築され歴史が作られてゆくことの恐さ。同じフロアで沖縄の物産展が今日まで。甕から瓶詰めする泡 盛の芳香。自動車運転さえなければ……。水戸芸術館の中を通り抜けると中央の石と水のモニュメントで水遊びする家族の姿。芸 術作品であるとか危険さだの管理責任など言わず水遊びの場とするのを許すとは行政もなかなか。空港に宅急便で荷物送る。午前中訪れた古書商で古書の代金受 領。この古書商は自宅に玄関まであふれるほど書籍積む。話を聞けばいぜんは店構えていたのを畳んで自宅で商売。ネットで「日本の古本屋」などのサイトあり 通販が商法。書籍をずらりと見れないのがつらいところ。ご亭主とはもう少しお話ししたいところを辞す。ジョイフル本田なる郊外のショッピングセンタに寄 る。日本では当たり前の日常生活用品店も香港からの我には「魔法のお城」の如く何でも揃ふことに感動。スポーツ用品部でついついグリコばっちり買いまショ ウ状態。デイパック一つとつても香港より安いのなんの。このあたり道路もかなり整備され緑も多く実に快適な生活空間。臨海公園など見事。観覧車が夕陽に映 える。この地は戦前は軍の射爆場。なぜこの地がここまで環境がいいのか、の答えは臨海公園の向こうにある核燃料サイクル機構の施設。その設置の見返り。高 速道路から自動車専用道路が此処まで延びているのもこのあたりに原発関係施設多いからゆへ。昏時スーパー戦争に浴す。帰宅して野菜の天麩羅で父の友人が 打って今朝届けていただいた蕎麦を食す。妹と車で本屋。大きな本屋が深夜12時まで営業。市の郊外にそんな店がいくも。便利なのだがみんなが自動車で移動 するから店の外は真っ暗で雑踏どころか人影もなし。暗闇の中に大型店が照明浴びて点在。中に入るとそこそこ人がいて愛想のいい店員がきびきびと働く。どこ にいれば人がいるのだろう。香港にいると不愉快な市街地の雑踏がどこか懐かしく思える。テレビでは為末、為末、とヘルシンキの世界陸上でハードル三位入賞 の為末選手のインタビューや特集が全ての局で。為末選手は見事だが、決勝に「秘められた作戦とは?」とか「秘められた決意とは?」と振ってCM流れ……っ て全局で「秘められた」「秘められた」って全局がそれぢゃ全然「秘められて」ない。陳腐すぎる。過去の栄光、父の死、スランプの苦悩と精神鍛え、祈る母、 天が見方するかの如き大雨で環境が悪くなつた中で相手選手が苛ついたり精神的に不安定になつてゆくなかで冷静にレース展開を読み力発揮する……藤沢周平原 作で山田洋次監督の映画の如き実話。小林秀雄の『モオツアルト・無常という事』新潮文庫で読む。無常である事、は小林秀雄41歳の時の文章。

八月十五日(月)晴。朝早く護国神社近くを自動車で通る。意外とひつそり。小学四年の時だか写生会で一度だけ訪れたことあり。余は当時、郷土の歴史にかな り興味あり、耳年増で祖父母の話に親しむだがため戦前の市街の様子だの「まるで見たように語る」奇妙な子であつたが(今もあまり変わつておらぬが)護国神 社については知識なし。祖父母や近くの大人たちの話に護国神社は出てきていたのだろうか。小学四年の学級担任のS先生が写生会の日にこの 神社がどういう神社なのか説明された記憶もなし……と言うと日教組の偏向教員が祖国の歴史をきちんと指導していない!と今なら指摘されるのだろうが。午前 中、旧宅にて書庫整理の筈が書庫と読んでいた部屋は開けてびっくり亡き父の骨董品市などで蒐集の所謂「がらくた」ぎつしりで入るも能わず。叔父の助け得て 三時間ほどで徹底的に整理。書籍も古書店に引き受け願う分段ボール箱十二個ほどまとめ残すに残したのは本棚2つ程。岩波新書の旧赤版数十冊、月刊趣味誌 『月光』全18刷、中森明夫編集の『東京おとな クラブ』、『満州読本』や戦後すぐの社会科教科書『民主主義の話』や清原なつののコミックスなどなど残す。昭和62年のキティレコード創立15周 年記念の多賀社長の礼状入りの記念オリジナルワインセットなど物置にあつたことも本人知らず。母 子手帳から小学生の頃のユースホステル協会の会員証、鉄道切符などのスクラップブックなど自分で保存していた記憶なき子供の頃の記憶の品々。保存してくれ た父に感謝するばかり。父方の祖父の戦時中のスクラップブックは祖父の長男にあたる東京のM叔父にお返しすべき物。昭和12年、中国に出征した祖父の記録 集。昭和14年10月23日の日捲暦が表紙に貼られ下記の通りの書き込み。(便宜上、句読点を打つ)
昭和十二年十月十二日丿夜充員召集ヲ受ケ同月十八日二●應召、中 支、地ヲ西二東二馳セ轉戰亦轉戰、身二何等丿障リモ無ク昭和十四年二月五日無事郷●凱旋。今日有ルヲ思ヘバ自分ナガラ不思議デ●●二戰死シタ戰友、從弟、 國家丿爲トハ言ヒ痛惜堪ヘナイモカ有ル。今日此丿想出集ヲ作ルニ當リ自分モ出征中常二戰死スルコトヲ覺悟シテ居ツタヽメニ征中何等記念トナルモノヲ集メテ 來ナカツタ事ガ甚ダ殘念デアル。
とあるが開けて見れば、その自家製のスクラップブックには故郷の送つた手紙や当時の写真の他に中国の戦地での鉄道切符や弁当の包み紙、煙草の包み紙などか なりの数が丁寧に貼られ祖父の几帳面な記録癖に頭下がるばかり。祖 父の手紙は軍事郵便で検閲済みといふわりには具体的な戦地の記録多し。敵兵掃討。相手兵の潜む町を焼き払い相手兵を二十名程打殺。「農民や町の商人が逃げ るのは可哀想でしたが戦に負けた国は本当に可哀想です」と語る。祖父は中国の生活がいかに貧困か、戦争の中で子供らがどれだけ苦労しているか、を故郷の三 人の息子に平易な言葉で語る。そして自分たちの生活がそうならないために、お国のために戦う、はやく戦争が終わればいい、と。祖父の手記を冷房どころか扇 風機もない暑い物置で読んで、祖父の思考には、戦争に負けるとこんなに(中国のように)惨憺たるものになる、といふ観念あり。そこまでわからぬわけではな い。だが不思議なのはその六年後に日本は敗戦で、どういう不安感があつたのか、といふこと。マッカーサーにお礼状が数多く届いたのである。ラジオを聞くと 小泉三世の靖国神社参拝は「回避されている」様子。01年8月13日の小泉靖国参拝を思い出す。あの日の朝、その日がさうなるとは思いもせず皇居一周ラン ニング。右翼の街宣車、日本国憲法を護りましょうと共産党の宣伝カーが静かな市街を走るのが聞こえる。午後、静かな場所にあり雨音で土砂降りを知る。昏 時、バイパス沿いのヴィクトリア運動具店で買物してからケーズデンキ本 店。六歳の時に父にせがみソニーの中波ラジオ買つてもらつた間口四間ほどのカトーデンキ。父のお気に入りの家電店。このラジオが我が家で最初のトランジス タ製品であつたはず。でカトーデンキは確かに他の家電店よりオーディオなどに力入れていたが昭和60年代はまだ市内に二、三店舗程度。それが今では全国に 220店舗の東証一部上場企業……。ヤマギワだの石丸だのヤマダ電機など東京資本の量販店が全国席捲する中で地方都市のあの小さな電気屋のこの急成長。本 店の規模のデカさに感無量。創業店舗など知る店員はいるのだろうか。香港では入手できぬ様々な品、オーディオテクニカの耳フィット型ヘッドフォン、ジム用 にとソニーの防滴使用のヘッドフォン、フィリピンで紛失のソニーのラジオICF -SW100Sに代るローテクなソニーのICF-SW11など購入。Sharpがノートブックで余も重宝する軽量のMMシリーズ製造中止となつていること を店員に教えられる。オーディオテクニカの噂の最高級ヘッドフォンATH-AD2000を 試聴。試聴用のCDをオンにすると、いきなりコルトレーンのバラードが流れ、思わず「このヘッドフォンください!」だが定価84,000円がケーズ価格 65,000円。でさすがに我も衝動買いに躊躇。たかだかヘッドフォンに65千円?と思うがオープンエア構造で外にも音がスピーカーからのように漏れるの だから防音のためのヘッドフォンでなくスピーカ以上にいい音を聴くためのヘッドフォンであることを理解。革命的。美しい世界。革命の美しい世界といへば書 庫から母が19歳の時に購入した『ドクトル・ジバコ』の上下巻と尾崎喜八の詩集を自宅に持ち帰つたのだが母に聞けば当時、月給が四千数百円の時代に『ドク トル・ジバコ』は一冊300円。本一冊を購入することにどれだけの思い入れがあつたか。帰宅してそんな話を聞きながら祖父の戦時中の記録集をあらためて母 と妹と眺める。母にねむの木学園の「ねむの木とこどもたちとまり 子」といふ園児らの画集(こちら) を見せられる。圧巻。言葉もなし。やましたゆみこと いふ少女の絵は草間弥生より凄かった。深夜のオーラ番組に美輪明宏と山咲トオルが共演。長崎県の凄さ。涼しい夏の晩がさらに涼しくなる。深夜のオーラ番組 に美輪明宏と山咲トオルが共演。長崎県の凄さ。涼しい夏の晩がさらに涼しくなる。山咲トオルの怨念の強さといふ話で「漫画家になるまでいろいろなバイトし てきたんですが、いろいろ理不尽なことをされたりして、その店がみんなそのあと潰れているんです」といふ山咲に美輪先生が「そうでしょう」と深く頷いてい るのだがオカルト論破の大槻先生なら「アナタがバイトしてたのって新宿のお店でしょう、よく潰れるじゃないですかっ!」と指摘しそう(笑)。
▼久ケ原のT君が昨晩、初めて大河ドラマ『義経』見た、と。余も昨晩見ていたが那須与一の屋島での登場と活躍で滝沢義経に対して相方・今井翼君の演技が期 待とかなかなか大河らしいと驚く。T君に言わせれば、平家物語の原典と比べれば、扇の的に鏑矢の命中する位置も違ければ的の下に立つのは上臈女房のはずで 平家の身内(義経の妹・能子=後藤真希)が矢面に立つはずナシ。その衣装も春らしい「柳襲の五ツ衣」に緋の袴と原典にあるのに全く踏襲せず。「扇撃ち」も 戦場の慰みとて敵も味方も大喝采するはずのところ平家の反応鈍く祝祭的にも地味(こうした戦いの中の祝祭が日露戦争まではあつたもの)。二位尼君以下平家 の女人が長袴を着ておらず下臈でもあるまいに、この当時のこの身分の女が着流しに袿を羽織るなんて風俗がありますかいな、とT君。

八月十四日(日)晴。お盆休みの日曜日で休館かと心配ながら水戸芸術 館に参れば幸いに平常通りで開館(月曜休)。日比野克彦 の一人万博 HIBINO EXPO 2005 開催中。も う二十年も段ボール工作していることは素直に凄い。飽きないのだろうか?と思う。飽きないからやっているのだろうが、そういう疑問もおかしいわけで、画家 が生涯、絵を描いていても誰も「飽きないのだろうか?」とは疑問に思わないわけで、日比野克彦という芸術家に対してだけ「飽きないのだろうか?」と思うこ とじたい段ボール工作を実は内心、芸術なんてみとめていない、という本音があるからで……と橋本治の評論はこういう書き出しになるのだろうか。いずれにせ よ段ボールで今では東京芸術大学の助教授である。日比野克彦が脚光浴びた当時、芸術関係にある友人T君は「同じようなことを美大でやっている人は沢山いる わけで日比野さんが初めてではない。ただ何が他とあの人の違いかといえば、それを芸術として認める権威者がいるかどうか、ということ」と確か国立で当時お しゃれであったPenguin's Barで語つていたこと思い出す。で一人万博といふコンセプト。愛知の万博に対するわけだが万博というのは異国の様々な珍しいものが展示されてこその万博 で一人の芸術作品が並ぶことは明らかに万博ではないから一人万博は間違つているのだが、間違つているのは百も承知で、万博には実は珍しいものなんて存在せ ず、日比野克彦というアーティストの創作のなかにワンダーランドがある、といふことか。今回はこの一人万博の前に七月下旬から日比野克彦が水戸に乗り込み 地元の住民や子供たちと作品を共同制作したこと。試みとして面白いが、その制作場所が東水ビルといふ、ここは旧ユニー、だがユニーといふより東急ストアで あり古い地元民には「東光ストア」といふ方が懐かしい場所で、もう十年以上だろうかユニー撤退から空き家ビル。そこが今回こうしたアトリエに利用される。 ちなみに東光ストアは東方教会とも今東光とも関係ない。ダイエーも進出当時は地元商店街が東京資本の大型店の進出に反対していたが、つい数日前に年内の閉 店が決定し地元商店街は閉店撤回求める嘆願書をダイエーに提出。時代も変わる。で日比野克彦の展覧会を見終わり会場出るとパイプオルガンのある回廊なのだ が、そこを歩くと芸術館の外側に面した大きなガラス窓。そこから見えたのが日比野克彦の展示の続きか、と一瞬誤解する、N美容室。ポストモダンである。 70年代前半に20年後の芸術館の誕生を予期したが如き意匠。旧宅に参り物置にずつと置きつ放しの余の若い頃の書籍整理。近隣の町で舎弟N君と会い談義。 天気よく海岸で海を眺める。晩に市街のバイパス沿いのデジカメ専門店。店員の専門知識と細かいアイテムの充実。石丸電気も同様。帰宅して夕餉。晩遅くスー パー銭湯に浴す。

八月十三日(土)晴。昨日、新潟の新津での「そうのババール」展のこと綴つ がこの夏の日本で勘三郎の納涼歌舞伎より是非行きたいと思つたのは新潟の21世紀美術館だかで上映中のMatthew BarneyのDrawing Restraint 9であつた(こちら)。猪 苗代からなら車で一時間半ほどで新潟か、と思ふと残念。日本は、聞いて驚いたがマンションでバルコニーに花を置いたくらいで階下から「バルコニーに花びら が入ってくる」と苦情があり管理事務所が全世帯に「バルコニーに花びらや葉っぱが散るものを置かないでください」とお知らせを出してしまふくらいバカな警 戒社会であること、そして地方都市の空洞化の寂しさはひどいが、朝食からの美味さ、そして舞台だの美術展などの多いことは羨ましいかぎり。朝、東京に戻る Z嬢を駅に送る。帰宅して通販で届いた書籍など整理。澁澤龍彦の『血と薔薇』創刊号〜第3号入手。父の遺した写真機とレンズなどの整理。午後遅くまでかか るほどの量。几帳面な父は写真機やレンズの箱から説明書、保証書にレシートまできちんと保存されており、写真機用の除湿収納ケースから出したレンズなど箱 と合わせるに難儀。若い頃に愛用のオリンパス数台と、我が生まれた頃からのニコンの一眼レフばかり。ニコンのカメラのうちAFになつたF-301以降のモ デル五台は電池部分の故障や今後の使用はおそらく考えられず父の遺品といへ並べておくにも能わず、それに残念であるが高校の頃に父にあてがわれた写真機 Nikon EMは当時Kの写真撮つた思い出もあるが故障しており、母とも相談の結果、さういつた写真機とそれ関連のレンズやアクセサリは処分することとする。結果的 に残したのはニコンF、F2、FT2台、EL2台(このうち一台は余が二十年前に上海の和平飯店ロビーの大理石の床に落とし上部に打撲傷あり)、その頃の レンズ数々。ニコン以外では小西六のPearl IIやオリンパスはWide、35EDとまだ現役で使える精度のPen-EEの三台。ContaxのT2は化粧箱から説明書、保証書にContaxの包装 紙まできちんと保存されており驚くばかり。母の友人であり地元では名の知れたアマチュア写真家のY女史に来宅いただき写真機見てもらふ。Y女史には父の形 見に、とProd-20'sのミノルタによる復刻版差し上げる。いろいろ片付けで一日が終わる。物置のなかに我が幼児の頃に「いろは」の仮名文字覚えるの にとあてがわれた玩具など見つけ当時懐かしむ。
▼元・衆議院議長綿貫君が無所属での衆院選立候補にあたり「自民党と戦うつもりはない」「自民党はとんでもない人にハイジャックされている」と小泉批判。 ハイジャックされれば通常は数分から、遅くとも数十分後から数時間以内で旅客はハイジャックされている事態に気づく。四年の長きにわたりハイジャック犯が 操縦する旅客機に搭乗していたほうが異常。自民党といふのは総裁が機長で所属議員といふのは旅客であるほど運命を機長に委ねるほど主体性のないツアー団体 客なのかと驚く。確かに各旅客は(尖沙咀などで見かける野暮なツアー客同様に)個性的なのだが連れられていくままに着いてゆくのがツアー客。厳密には、こ の旅客機の乗客は機長を信じているのではなく自民党という旅客機に対する信頼。それが機長がおかしいから旅客機の航路が迷走している、といふのが自民党の 反対派。日本航空が御巣鷹山の事故から20年目のこの夏に旅客機の整備不良や機体事故続いているが自民党は実はおなじような金属疲労を小泉三世就任以前に 起こしており、機体を徹底改良整備する気もなく安易に変人機長が操縦すれば機体も驚いて少し正常になるかも、程度の発想。で結果がこれだよ、えっ、そうだ ろ(と談志調)。だが旅客機で機長が全権掌握。下手すると変人機長が航空旅客規定、機長の命令に従わない」乗客を飛行の安全を理由に振り落として安定飛行 に入る可能性もじゅうぶんにあり。

八月十二日(金) 雨。朝早く露天風呂に一浴。旅館の本館より急な斜面に設えた屋根つきの階段をおりて露天風呂に向かふ。小雨もまた佳し。澤の音に心洗われながらの風呂。
部屋に戻り湯豆腐までついた立派だが豪勢ではなくあくまで朝食の常識での朝餉。午前十 時半までゆつくりとして宿を出る。土湯の温泉街を車で走る。かつて昭和三十年代から石油ショックまで福島の飯坂、土湯といへば東北の温泉地の代名詞でかな り賑わつたが今ではかなり斜陽。老朽化。風景が昨夏に訪れた台湾の廬山温泉そのもの。土湯から福島市街のほうに少しおりて宿で紹介された高橋果樹園なる店で桃を幾箱か購ふ。桃は七月上旬から暁星、八月に入る と白鳳、暁、月も末近くなれば黄金桃に川中島白桃で九月上旬に夕空で終わる。白桃が大の好物だと言つていた久ケ原のT君に桃を宅急便で贈る。母も余も好み は「あかつき」でなく「はくおう」であつた。昼前にゆず沢の茶屋。福島が実家のO君、O君は香港で100kmトレイルだの香港マラソンに一緒に参加する、 自宅もきわめて近いO君だが彼の実家は福島市内でお父様は画廊主。丁度O君も帰省中でそれなら昼食でも一緒に、とO君に誘われたのが「ゆず沢の茶屋」といふ田舎料理屋(こちら)。此処が偶然にも高橋果樹園から少し入つた山 あい。福島ではかなり有名な郷土料理の店で大和忠子さんなる高齢だが矍鑠とした女将が今も店を仕切る。O君家族と彼のご両親と会食。O君のお父様にいろい ろ話お聞きする。土湯や飯坂の温泉街の斜陽は儲かる時はそれはそれは儲かつたが客の生活レベルが向上するのに旅館の設備投資は余り重視されず「なんかウチ より旅館のほうがボロ」と思われては客足も遠のき、古くからの温泉街のほかに新しい温泉地や旅館、客を絞り恒久化した旅館などどんどん現われ客がそちらに 流れた結果が昔からの温泉街の斜陽。ところで昨日、母が好物の麦煎餅の太陽堂で麦煎餅買おうと訪れたのだが確か太陽堂があるはずの場所になく場所を勘違い したかと周囲の繁華街をぐるぐるまわつたが見つからず、誰か地元の人に尋ねればいいのだが結局見つからず駅前に車止めて母は駅ビルの太陽堂の出店に寄つた のだがO君の両親から太陽堂も国道沿いに新しい店を構えたと聞いて少なくとも記憶は確かであつたと安堵。福島は太陽堂の麦煎餅と菊屋の羊羹。ゆず沢の茶屋 の女将の尊顔に拝しO君家族と別れ自動車で再び土湯の山あいのほうに向かい磐梯吾妻レイクラインに入り中津川渓谷の橋を渡る。眼 下に中津川の渓流とそれに沿つた遊歩道。歩いてみたいとZ嬢と話す。このあたりはすでに秋の蜻蛉とススキである。秋元湖を眺めドライブ続け五色沼近くにあ る諸橋近代美術館。世界でも有数のサルバドール=ダリの作品を蒐集した美術館でダリの彫刻、 絵画と版画百余点を所蔵、展示。偶然にこの美術館のダリ展が七月末にだか朝日新聞の衛星版にまで広告あり福島に行くのなら足を伸ばそう、と思ふ。1947 に原爆に対して描かれた「ビキニの3つのスフィンクス」や「孔雀」のタペストリーなど圧巻。1928年にダリが制作にかかわつた「アンダルシアの犬」ルイ ス=プニュエル監督の短編映画も観る。美術館のある暮らし、憧れ。新潟の新津美術館では「ぞうのババールの世界」とか高速飛ばしてでも見たいのだが。猪苗 代町まで下り磐越道。東北道はお盆休みで下りが渋滞始まり東京に向かうのは大丈夫だろうとタカくくつておれば小雨から豪雨となり渋滞。黒磯で渋滞となり東 北道下りて四号線南下し雨あがり黒羽から馬頭と古い宿場町の面影まだ残る旧街道沿いを走る。那珂川の流れ、見事な稲田。とても好きな街道筋。日暮れ。栃木 に比べ平成の大合併で無思慮に「市」といふ名の巨大な田舎・茨城は旧・美和村(現・常陸大宮市)に入り村里にひそつりと佇む珈琲屋Le Temps(ル・トン)に寄り珈琲一杯。この店のご主人は余が中 学から高校の頃にピンクフロイドだのボブ=マーレイのLPを買つたフジディスクといふレコード店(すでに閉業)の経営者であつた方、と母に教えられる。ち なみにプログレはフジディスクの近くに名前失念の中古レコード屋あり。狭い五坪ほどの店ながら品揃え充実しポスター特典が他の店よりよし。ピンクフロイド のザ・ウォールの巨大なポスターもこの店でもらつたもの。そのご主人が趣味の極みの珈琲屋をこの山あいに周囲に何もない街道沿い、夜になれば真つ暗だが夜 空に星や月は天気よければさぞや美しいであろう。店に入れば「えっ……」と驚くアンティークの蒐集。バカラのクリスタルグラス、陶器の珈琲碗、年代物の写 真機に壁時計、電話、洋灯。そして何よりも秀逸なのはTannoyの大きなスピーカーから流れる柔らかな音のジャズ音楽。ご主人と昔話したいところだがレ ンタカーを成田で借りてから48時間(当然、実家近くに乗り捨てだが)の期限まであと1時間でまだ46kmだか距離残す。営業所が午後8時に閉まるからと 山あいの道で渋滞と信号ないのが幸いだがかなり飛ばして午後8時二分前にゴール。桃だの麦煎餅だの荷物多く妹にレンタカー営業所まで迎えに来てもらつてあ り、その足で「千両」なる元気寿司系の高級回転寿司。香港で あれば寿司屋でかなり上の部類に入つてしまふが回転寿司。「ベルトコンベアの皿又は湯飲みを取り、チェーン(ベルト)には触れないで下さい」と注意書きあ り。意味不明。「皿または湯飲みを取る時に」なのだろうか。新潟のメーカーである。二日も続け自動車運転して疲れよりも慣れない神経過敏だか眠れず。
▼杉並区で「つくる会」の歴史教科書を採択。5人の教育委員が多数決で3対2で採択決めたそうで公正な作業なのだがそうだが、選考委員の選定ぢたいが偏向 なのだから茶番も茶番。これまで日本政府は韓国や中国に対して「つくる会」の教科書の出版は思想出版の自由で教科書出版ぢたいが制限されないもので実際に 採用を見てもごく一部の私立校や養護学校など日本全体で1%にも満たない採用率であり常識で採用されないことを言い訳としてきたのだが、都立の中高一貫校 は「石原学園」であり栃木の田舎も「保守以外に思想の存在しない」田舎のことで、と「まだ」言い訳もできたであろうし中韓両国も大事にせずにきたが、今度 は杉並である。杉並。東京23区。皇国館高校だとか石原学園とは違い東京都の尋常なレベルの都民たる中学生がこの教科書で学ぶ。万歳。これでもうなし崩し 的に「つくる会」教科書の普及。

八月十一日(木)朝早く真言宗豊山派神崎寺。庫裡にいらした住職にご挨拶。 新盆の供養御礼。Z嬢と掃墓。実家に戻り朝食。 白米、茄子と油揚げの味噌汁、鱈子、納豆に胡瓜と冥加の漬物。ここ数日涼しいようで扇風機もつけず夏の朝の食事の何と美味なることか。午前十時すぎに母と 三人で常磐自動車道から磐越道を抜け帰省ラッシュ始まり走行車両増量で80km制限の東北道を走り正午前には福島市街。喜多屋といふ市街の古くからの蕎麦屋で昼食。市内渡利に住まふ大伯母を 見舞ふ。我が義祖母の弟にあたるJ大叔父が昨年晩秋に亡くなりこの夏は初盆。その焼香。この家は長男のS兄が39才で早逝され早十五年。S兄は当時の福島 女子高の音楽教師で管弦楽と合唱でこの学校をいくつかの全国コンクールで最優秀賞にまで導かれた情熱的な音楽家。香港におられた福島出身の小学校の音楽の K先生もS兄と懇意であつた。S兄は弟が二人あり廿二、三年前だか仙台からこの家訪れると夏の今頃の季節か兄弟など皆集まりチェロ奏者、フルート吹きなど ばかりの音楽一家は賑やかで兄弟三人で酔つて筑波山麓合唱団♪だか男声合唱。S兄の葬儀には福女の学生らの涙ながらの合唱。先週この学校(今は男女共学と なり橘高校と云ふそうな)の定期演奏会ではS兄の弟であるY兄が指揮をされたと大伯母から聞く。仏壇にかかげられたこの演奏会の記事を読む。亡くなつて十 五年経つても慕われ弟がブラームスの二番など指揮された、と。午後遅く土湯温泉。辰巳屋山荘・里の湯案内)に投宿。予約も難き、わずか十室の 宿で亡き父も生前に隠居の身となり母とここに宿さうと予約したら満室で断念だつたと母に聞く。十日ほど前にダメもとで電話すると今日は一室ぽつかりと空い ており、遊ぶ。土湯の温泉街の手前の渓谷に陥り鬱蒼とせし林の中にひつそりと佇む宿。昨日からとか気温も摂氏25度ほどで冷房止め窓を開けると谷川の渓流 の水音と涼風。さつそく湯につかる。総檜の風呂はいくつもあるが湯上がり場まで総檜とは恐れ入る。樹齢二千年の檜が雷だの大雨で倒れ百年から二百年寝かさ れ朽ちずに枯木となつた、まさに神の宿るが如き古檜。それを組んだ風呂に入る極楽。この宿の風呂は総檜の大浴場、渓流に近い露店と家族風呂の三つが勝手に 浴せるわけでなく部屋別にきちんと予約で時間限られ不便といへば不便。だ が夕方、その畳六畳ほどの総檜の風呂(と同じ広さの洗い場)独占する快楽。部屋の内湯も風呂桶は古檜。部屋に戻り夕方に灯も消して持参のiPodをテレビ につなぎ(高校野球中継もよからうが)音声だけでマイスキーの演奏でバッハの無伴奏チェロ組曲を聴く。渓流の音となかなかの合奏。麒麟麦酒大瓶を三人で一 杯ずつ飲み涼を癒す。福島の大伯母に「酒、好きなんだろ、持っていきな」と山形は遊佐町高橋酒造の「ちょっとおまち」と名前は名前だが米は雄町100%の 純米酒一升瓶頂戴し、それを湯飲み茶碗で一杯。美味。程好く酔い懐石の夕餉。別室に設えられ中居が丁度よい頃に次の料理運ばれる。酒は会津坂下(ばんげ) の天明。
夕餉のあとブレンハイムの奏でるバッハの平均律を聴く。夏の夜の涼しさ。母の話で朝日新聞に丸谷才一君の水戸管弦楽団絶賛について。それならバン コクで朝日を読みあまりの絶賛ぶりに
丸谷才一君が朝日新聞に月イチの連載の「袖のボタン」(九日)で水戸室 内管弦楽団について「東の水戸室内管弦楽団は西のこんぴら大芝居と並ぶ、わが地方 文化の大輪の花だろう。首都圏および京阪神とそれ以外の地域との格差の問題は、わたしたちの文化の久しきにわたるわたる悩みの種なのだが、水戸市と琴平町 は、その難題に対してじつに懸命に、そして持続的に努力し、文明全体に貢献している。東西の二つの都市に敬意を表したい」と絶賛。
……とバンコクから香港に戻る機中、書き残しておいたが「なぜあそこまで誉めるかね」といふ余の疑問に水戸室内管弦楽団の熱心な聴者である母曰く水戸室内 管弦楽団は結成15周年だそうで常任指揮者小澤征爾君が演奏後に感極まり館長であり当日も来臨の吉田秀和氏に壇上から謝辞を述べた、と。吉田秀和氏に誘わ れこの室内楽団に参りの感慨無量。あの場におれば誰でも感動する、と母。当日の様子はNHKの衛星放送だかで後から見てみれば小澤君の頬に一筋の涙あり、 と。客席のいつも決まつた席にあつた吉田先生が立ち上がりそれに応える。母の話では吉田秀和夫人も生前は夫妻でよくこの演奏会に訪れ、夫人の拍手する鷹揚 な様が実に印象的であつた、と。吉田秀和氏といへば昨年、朝日新聞の連載「音楽展望」中断したままだが母の話や、鎌倉のあたりの話に久ケ原のT君も吉田秀 和氏が幸いに元気であることを知らされる。酔いざましに内湯につかり日剰綴つて晩遅く外湯に三度浸かる。家族風呂といふが更衣室から立派だが内湯も大きな ガラス張りで外が一望なら内湯のむこうに露天風呂もあり。極 楽。報道ステーションを観る。公明党のいわゆる公明党顔した冬柴幹事長。「政治は数ですから」と断言。与党が過半数確保することでの政治の安定。宗教も信 者数か。で何が驚いたかといへばこの番組の司会者・古館某。冬柴幹事長の発言に対して「そうですか」ぢゃなく「そうですよね」と返答(笑)。而も「公明党 は福祉と平和を重要視しているわけですが」と古館。何者だろうか。古館は朝日新聞から出向のコメンテーターにようやく質問の機会与え、その人が「公明党は 小泉首相の靖国参拝に反対しているわけですが八月十五日に参拝があるかどうかはどう思いますか?」と質し冬柴君も「それについては「ない」と確信しており ます」と答えている途中なのに古館は「それで、それで」と口を挟み無理やり財政問題に話を変える不思議な態度。で冬柴君の独壇場となると今度は「公明党は 民主党とかなり同意する部分があるわけで今後は民主党と」と勝手に民公路線に言及し冬柴君慌てて「いや、自民党とも多いに同意する部分があるわけですか ら」と打ち消す始末。古館といふ人いつたい何者なのだろうか。番組の後半には広島の尾道より戦艦大和復元の記念館だかから長淵剛。古館は「いつまでも若い ですね」云々と長淵に若さの秘訣など質問し続け「あたまに剃りいれて」などとの指摘に長淵のほうがいい加減呆れ「今日はですね」と話題を戦艦大和にする始 末。戦艦大和の沈没で命落とした十七、 八歳の若者たちに、自分たちが死んでも親や兄弟に幸せになつてほしいと願つた「自己犠牲による人間愛」を感じたと長淵。究極の愛、優しさ。……で最後には アメリカとの戦いで「日本は犠牲者だった」と。見事なる歴史の見直し。戦艦大和に乗り込んだ水軍兵は家族の幸せのためより「日本が戦争に勝つため」であつ たのは明白。人間愛でなぜ戦争ができるのか。究極の愛と優しさは戦いか。当時の戦争で犠牲になつた兵隊を非難しているのではない。それを今の時代に勝手に 賛美することの恐さ。南洋の島で「死にっぱぐれた」当時の戦史をまとめることライフワークにする大叔父にこのような「賛美」をどう思うか聞いてみたい と思ふ。喜ぶはずもなし。これを番組にするテレ朝もテレ朝。この長淵中継の間、朝日新聞から出向のコメンテーター氏は一切姿も見せず。山田吉彦の『モロッ コ』を少し読む。昭和26年発 刊の岩波新書青版で今ではかなり入手困難。福岡の古書店にあるを知り注文し実家に郵送されたもの。山田吉彦については我が実際に読みたかつたのは『道徳を 歪む者』より寧ろこの『モロッコ』であつたと信じる。

八月十日(水)晴。朝五時半起床。バンコク市街の霧のなかに(排ガスのス モッグでないと信じたいが)朝日が昇る。六時半にホテルの朝食ビュッフェ開くの待ち急ぎ朝食済ませる。
ふ と思えば今回 は航空券購入が主なる目的とはいへ七年ぶりかで三泊は多少物足りず。これからはかなり頻繁に来ることにならうが。この三泊で飲食、宿泊と交通費など 除くと純粋な買い物はコンビニで日清のタイ式カップヌードル2つとカルビーのかっぱえびせんのタイ風味の購入のみ。あと一切何も買い物らしい買い物もせ ず。七時すぎホテルを出てタクシーで空港に向かふ。タクシー運転手は英語も上手で親切そうだが笑顔でメーター倒さずメーター使 うなら高速料金など客負担で400バーツなら高速料金なども込みで行く、 と言ふ。1,200円くらいで日本人なら安いと思える価格設定か。メーター使うよう言ふと途端に不機嫌。「最近、バンコクではタクシーがメーターがついて いてもメーターを使わず客に法外な運賃を請求する悪質なド ライバーが多いです」とNHKの海外安全情報ならさう言ふのだろうか。快適な走行で20数分で空港着。高速料金20バーツはZ嬢払い運賃は150バーツ。 計170バーツ。倍以上ふっかけているが騙されるほうが悪い。騙されるか騙されないかの旅のゲーム。空港に着き運転手君に200バーツ渡すと50バーツお つりくれようとするのでZ嬢が辞すとキョトンとした表情。400バーツもふっかけていたので我らがかなり不機嫌と思つたらしい。微笑の国。そんなことで怒 らぬ。バンコク空港のCXのラウンジはバンコク在住Y氏に「大したことない」と言われていたが、やはり実際に大したことない。CXの時刻表すらないのに驚 いた。昨日の日剰綴る。この空港近々新空港に移転だそうだがCXの場合、One World Allianceが一方に押し込められたことでゲートまで歩いて15分。タイ的にゆっくり歩けばいい。Y氏に何度も「そんなに急いで歩いたら汗かくよ」と 窘められたがその通り。CX708便で香港に戻る。エアバス340-600の機種新しくて快適。フライトは睡眠不足で眠いが昨日のでデジカメ画像の整理。 昨日の朝日新聞読む。小泉三世の首相記者会見。「異論と言われながら郵政民営化を訴えて自民党の総裁になり、総理大臣になった。衆院選でも参院選でも公約 と言って戦った。いまだに反対だなんておかしい」と宣われる。確かに小泉三世は持論の郵政民営化訴えてはいたが自民党の総裁に選ばれ首相となり支持率八割 越えたのは国民には「自民党をぶっ壊す」への漠然とした期待であり自民党内では誰の目にも瀕死寸前であつた党体質を変えるには一度くらい変人に任せてもい いのでは?といふ国民も党内も安易なるこの人への期待。誰も中曽根大勲位以来の四年に及ぶ長期政権になろうとは予想だにせず。つまり小泉政権は郵政民営化 の具体的推進の訴えに共鳴した支持で成り立つていたのではないのだがご本人はそう勘違い。そして対中関係については「私は日中友好論者だ。草の根の交流は かつてないほど深まっている。私は靖国問題が日中全体の関係とは持っていない」と宣われる。草の根交流の深まりは小泉先生とは一切関係なし。むしろ草の根 交流してきた人や中国と友好関係築いてきた団体や商売をする企業が小泉三世のおかげでどれだけ被害被ったか。この人はやはり森さんの言ふ通り変人以上。だ が読売新聞の世論調査では衆院解散を当然と思う人が52%と過半数越え小泉三世の続投望む人が46%で望まぬの43%を若干上回る。何が小泉三世をここま でもたせるのか。周囲の様々な勢力のなかで孤軍奮闘し己の意思貫く小泉三世に自己の投影か大映のチャンバラ映画の主人公を見るような羨望か。ところでバン コクの空港のラウンジでPowerBookの電源コードを預けた荷物にいれてしまつたことに気づいたが遅し。機内用の電源アダプタも電源供給されていても MacのPowerBookG4用のソケットは先日注文して実家に届いているはずで未だ手元にない。バンコクのラウンジでも二時間余のフライトもバッテリ 十 分で香港に到着し香港のラウンジで昨日の日剰を上網する間も問題なし。素晴らしい。で香港に到着し一時間余の待ち時間でCX500便成田行きに乗り換え。 結果的 に沖縄上空までPowerBookのバッテリはもつてしまつた。機体はB777-300で成田便のこの便は頻繁に利用する客にはあまり人気なし。機中、西 の空に見事な下弦の月。香港に戻る晩が満月、とZ嬢。香港の離 陸が込み合い小一時間出発遅れたまま晩に成田着。空港でレンタカー借りて一時間半ほど走り実家に帰宅。仏壇の父の位牌に焼香。仏 壇の横に柔道着具えられるを見る。黒帯に 巻かれた胴着は父の若かりし頃のもの。余も初見。母もそれのあるを知らず。父の逝きし後に母が物置片付けると物置の奥の殆ど空の茶箱の中にこの柔道着あ り。何も語らず父が若き頃の思い出のそれをそつと仕舞つておいたもの。当時、父と柔道の稽古をともにしたT氏が新盆に参られ、その柔道着見て、当時、父に よく投げられたと涙された、と母に聞く。
▼シンガポールが昨日建国40周年。マレイの小さな華僑多き港町が世界有数の近代都市国家に成長し法治(極度だが)や経済システム、ハイテク などの分野で は世界屈指。世界第七位の競争力をもつ経済体となる。現状での問題はミッドエイジクライシス(中年危機)だそうで今後の低成長、そして最も恐れるのが実体 なきシステム経済ゆへ競争力なくした場合のシンガポールの存在価値。李顯龍首相は父君が禁じた賭場の経営に乗り出し、かつては重大なる犯罪行為であつた同 性愛に対して昨年からだかThe Nationなるゲイの国際的イベント開催地に名乗りを挙げアジア各地から集まる彼らの落とす所謂「ピンクマネー」まで獲得しての観光立国化の邁進。つま り道徳だの何だの言つてはいたが結局は道徳も経済成長のための効率化の役割であり儲かれば賭場もオカマもどうぞ、といふわかり易さ。

八月九日(火)奇跡的に朝八時まで朝寝貪る。日の出で目覚めず。小雨ぱらつ く曇り空。朝イチでバンコクで発行の読売新聞衛星版読む。小泉三世は郵政民営化が「国民に本当に必要ないのか聞きたい。今回の解散は『郵政解散』だ」と宣 つたそうな。国民が小泉政権に期待することは景気対策や民生改善が最も多く郵政民営化など新聞の世論調査でもかなり下位にあることは事実。今さら何を国民 に問うのか。それにしても狡い手である。自民党の獲得議席数で郵政民営化に対する国民の意思をはかるとは。自民党自身が造反組と造反はせぬが小泉政権から 距離を置く議員も多いわけで、自民党得票数がそのまま郵政民営化賛成ではない。本来なら郵政民営化だけ国民投票でもすればよし。読売新聞は一面に政治部長 小田尚君の署名論評で「歴史の審判に堪えられるのか」と小泉三世の政局混乱と政治空白生んだ衆院解散にかなり否定的。自民党造反組にも民主党にも否定的。 そこまでしか書いていないが暗に今回の造反には加わらなかったものの小泉三世とは一線を画す自民党の新しい主流派への支持と読めなくもない。Int'l Herald Tribune紙も一面で小泉三世国会解散報じる。Norimitsu Onishi記者はこの選挙結果が小泉三世の続投の可否を決めるばかりでなく小泉三世がブッシュ二世の最大の支持者であることを指摘。自民党の分裂や議席 激減などあれば英国の選挙ではブレア労働党が勝つたブッシュ君にとつても痛手であること。朝食をとりながら日本の政局混乱の新聞読みふけるビジネス客少な からず。この日本に比べタイは「おだやか」である。英字紙のバンコクポスト一面トップに、タイ湾を70kmにわたり横断するLeam Phak Bia海峡橋の建設につきラーマ9世(Bhumibol Adulyadej国王)が投資価値の有無、環境破壊など懸念をThaskin首相にご下問。首相Thaskin君は御意に従い即刻この橋の建設計画白紙 撤回、といふ記事あり。立憲君主制の極意。日本の象徴天皇制ではかうはいかぬが日本がタイのようであれば陛下が平和憲法改正に懸念表明したら小泉内閣総辞 職で終わつてしまふ。朝食後にゆつくりとホテル出てSkytrainで昨日同様にチャオプラヤー川岸のSaphan Taksin駅まで行きSathornの波止場から水上バスでN15のThewet波止場まで船に乗る。汚い川だが周囲の寺院が青空に輝けば、このタイの 文明に包まれているか安堵。国立考古学研究所、これが国立?と思うほど小さな国立図書館を経てDusitのVimanmek Palace訪れ王宮のなか見学。ラーマ五世(Chulalongkorm王)の造営した宮殿。王室領で貴重な所蔵品も展示といふことで警備厳重。靴を脱 いで15人ほどのグループで英語での解説聞きながらの移動。ちょっとグループから離れると何処からともなく係員現れる。宮殿の原形をとどめつつ冷房設備を 床下や天井に見事に埋め込む。良子妃殿下の写真あり。携帯品も全て預けポケットには小型のデジカメあるが撮影でもしようものなら王宮警察にしょっぴかれそ う。他の国立の美術館など全て月・火は休館。午後は隣地のDusit動物園。倫 敦でも北京でも何処でもZ嬢と動物園だけは訪れる。動物との距離が近い親しみやすさ。入園者も少なく近所の学生が時間つぶし。気軽に餌をやる市民。現国王 ラーマ9世のChitralada王宮の前から5番のバスで、かつでの市街の中心部であるMahakan Fortまで行き47番バスに乗り継ぎ息をするも控えたくなる渋滞の排気ガスのなか国立競技場前まで。市内の移動で動物園出てかれこれ一時間半。 Skytrainでホテルに戻る。乗り物好きとしてはKhlong Sean Sabの水上タクシー利用しなかつたのは残念。昼食とれぬままの市内歩きでホテルのラウンジで軽く下午茶。スパに一浴。スコールと呼ぶには二時間ほど続く 大雨と雷雨。晩はルンピニスタジアムムエタイ観戦。観光客らしくリングサイド。隣席の西洋人一団はバン コク在住か常連らしく場内の私設ブックメーカーでかなりの賭け。賭ければかなり盛り上がろう。予想以上にムエタイ面白いのはその宗教的色彩からだらう。ル ンピニのボクシング場はかなり庶民的で冷房もなく所々に雨漏り。選 手の控室も満足になく観戦者の洗面所の横で試合前の準備をして試合後に戻る。一連の画像はメインイベント第5試合の一つ前116磅の試合に出た若干17歳 の Sithisakなる選手の試合前の準備、試合見守る家族、試合ぶりと試合後の表情。第7試合まで見て全試合跳ねた後の混雑避けようと会場 出る。Suan Lumのナイトバザールを少しだけ歩く。政府の政策もあり若者に就業、事業の機会与えるべくバザールの店舗貸し出し。衣料雑貨など商売する若者多し。 MRTでSilomに戻り、晩飯も逸したため、これから遊びに行く若者相手のNoodieな る麺屋で軽く麺を食しホテルに戻る。昨日の日剰綴るなどして午前二時半に至る。
▼ルンピニスタジアムに向かうSkytrainの中でバンコク在住らしき日本人が日本から訪泰の知人相手にタイ論評。「タイ人は急がない。」それはいいが 「努力というものがないんだよね。今日、生きていればいい、ってわけだから明日のことは考えないんだよ」と。それじゃアナタは努力して何を得て、それがタ イ人の得るものと何が違うのか。聞いている方も「なるほど」と納得顔。このタイ観が拡散して「タイ人」が形成される。でも否定的な印象だが「悪くない」か も。努力して何になる、明日のこと考えて何になる、かはこのオジサンに聞いたところでまともな答えもないところ。
▼Skytrainの駅で改札潜ったところで午後六時。国歌演奏。立ち止まり。何も知らずに改札潜って歩いていて係員に足止めされる日本人観光客。コン コースの上を電車が走っていく。あ、電車を一本逃した、などと残念がることが上述のタイ観ではタイ的でないのかも。王室に敬意払うならばSkytrain も路上の自動車も一旦停止すべきでは?と思ったがバンコクの小話だと「まぁ路上の自動車は渋滞でいつも止っている」となるか。
▼自民党の河野太郎君のメールマガジン。首相官邸からの連絡あり、と。「小泉純一郎という政治家は」といふ突き放した書き方で河野君の話では、小泉三世は 選挙制度上、重複立候補という制度に批判的で、これまで比例代表に重複立候補せず。だが自民党神奈川県連として「今回は郵政解散であり郵政民営化に賛成、 改革し続けることに賛成の人は自民党に一票を投じて下さいという選挙であるので、今回の比例代表には重複立候補して下さい」と県連会長として小泉三世に打 診したそうな。その結果が官邸からの連絡で小泉三世は今回は「そういうことならば県連会長の意向通り重複立候補する」と了解したと言ふ。

八月八日(月)朝六時起床。NHKの海外安全情報でテロなど無差別な攻撃で の被害避けるために「安全対策のしっかりしたホテル」に宿泊し「外国人が多く集まる場所、観光地、欧米関連の場所」に近づかず爆弾が仕掛けられた可能性あ るため「ごみ箱には近づかない」ことと「不自然に厚着、大きな荷物」の人には近づかないことなど挙げる。安全対策のしっかりしているホテルとは狙われる対 象の国際的ホテルであり、欧米関連の場所は避けられるが外国人が多く集まる場所の代表格は空港でありホテルも空港も観光地も避けるなら海外に出ることぢた い否定されるべきで「ごみ箱に近づかない」といつた小手先の口上は無駄。何の意味があろうか。ごみ箱もポストも下水溝もすべて爆弾仕掛けることは可能で、 テロで用いられる時限爆弾は厚着や大きな荷物になるものとはかぎらない。そこからわかることは、こういつた安全対策情報が実は実際の安全対策ではなく「世 界がテロに狙われている」といふ危機感の増幅に役立つていること。オーウェル的な世界。朝はゆつくりと朝食をとりZ嬢は私用。Y氏がホテルに来られる。 Suriwong Rdにある、放送作家M氏に紹介いただいた旅行代理店で既にメールのやりとりで予約完了の航空券発券受ける。すでに航空券も用意されておりわずか五分の手 早さ。朝の閑散としたパッポン通り。ロビンソン百貨店も昔は高層の建物が目立つたが周囲の建物が高くなりスカイトレインや自動車の高架道に隠れる。かつて の高級店が今ではダイエー並みの扱い。ルンピニ公園抜け散歩。老朽化したカンボジア大使館隣の広大な敷地が米国大使館員住宅群だとY氏に教えられる。 Thanon Witthayuにある米国大使館と大使公邸、それにこの館員住宅敷地合わせたらルンピニ公園の半分くらいの土地をバンコク市街中心部で米国が占拠。Y氏 宅はFour Season Hotelの横を入った高級マンション。警備万全。場所がらテロ遭遇の可能性高い、と苦笑。Y氏のマンション訪問。ちょうどNHKのテレビ放送で参議院で の郵政民営化採決で投票終わり否決される瞬間を眺める。バンコクで偶然。自民党から予想以上の離反。自民党がこれだけ割れても郵政民営化に一枚岩で推進の 態度とれる公明党の凄さ。国会議員とは本当に楽な仕事。国会に登院し議員席に坐り数分の間に衆議院解散。万歳三唱で笑顔で握手しながら退場。これで仕事に なる。スーパーのパートのおばちゃんの仕事のほうがどれだけ技能職で大変か。築地のH君は加藤紘一君や福田康夫君も自民党公認で出る以上「小泉首班」で戦 わざるを得ない選挙で自民党を勝たせつつ小泉続投を阻止することは相当困難、と。そこまで計算した戦術が小泉三世にあるのかどうかは疑問だが。柏村武昭防 衛政務官のおかげで余のサイトの閲覧数伸びる(笑)。柏村武昭といへば地方民放局(広島放送?)のアナウンサーでありながら東京12チャンネルだったか 「お笑い漫画道場」だかの番組司会で中央進出。オバサンにウケるマイルドさが持ち味であつたがイラクで人質になつた民間人に厳しい態度示し「イラク派遣に 反対するのは非国民」とタカ派ぶり発揮(こちら)。今回の政務 官罷免でかなりマスコミに露出してすでに選挙活動万全。イラクでの一部支持者の反感も払拭。当選確定。世渡り上手。それにしても郵政民営化ばかりが目立ち 靖国は何処へ。8月15日に強行に参拝して総辞職といふ噂もあつたが衆議院が先に解散してしまつた。もうやけつぱちで15日に参拝だろうか。参議院散会の あとの閣議での小泉首相の嬉々とした表情。覇気すら感じられる。いよいよ本番、という熱気。サミットから帰国した時の憔悴しきつた様が嘘のやう。首相公邸 で干からびたチーズなど肴にビールを飲む孤独感を癒す、こういう事が本当に好きらしい。しかも自分自身が主人公での国を挙げての大騒ぎ。心地よかろう。さ まざまなこと思いながら国会中継に続く報道番組を見る。昼になりY氏夫妻とマンションを出てCentral World Plazaまで歩く。Z嬢と待ち合せ。四人で伊勢丹百貨店の上にあるMKな るタイ式すき焼きチェーン店で昼食。参議院での否決で衆議院解散といふ不思議。首相が切腹とか?。首相が公邸で公約遂げられぬ無念で切腹、は美学かも。ご 本人が「殺されてもいい」と宣われたといふが後世に名を残すには自害もあり得る。ホテルに戻り36階のスパで入浴。「船 に乗りたい」といふZ嬢のたつての希望。夕方遅くスカイトレインでチャオプラヤー川岸のSaphan Taksin駅まで行きSathornの波止場から水上バスで港湾局(Harbour Dept)まで昏時の船遊び。波止場から歩き出せば
、 市街「再開発」進むバンコクでこの一角はかなり取り残された感あり。ス カイトレインや地下鉄もこの旧市街には入り込まず。で20分ほど歩いてHualamphong駅。この駅から始発の地下鉄で Sukhumvit駅まで行き地下鉄と連絡するスカイトレインのAsok駅でY氏夫妻と待ち合せに合流。バンコクの地理に明るい方ならアホか!の移動で InterContinentalのあるのはスカイトレインのChit Lom駅でここからスカイトレインで真直ぐAsok駅までわずか三駅。五分とかからない。それを八の字書くようにスカイトレイン、徒歩に地下鉄の移動で小 一時間。だがこの複雑な移動が交通渋滞の都バンコクで出来るのも99年のスカイトレインと昨年の地下鉄開業のおかげ。Asok駅から暫く歩き「咲乃や」といふ日本料理屋に食す。経営者のO氏は十年ほど前に全盛時代 の香港北角の順寿司におられ数年前にバンコクでこの料理屋を開業。一瞬、創作料理風だがしつかりとした酒の肴多し。マグロが美味く廉価なのはタイらしさ。 「鉄幹」といふ芋焼酎一本飲む。O氏と少し物語りする。店に古い映画のポスター多くカウンターには小津安二郎の大きな写真が二枚。帽 子かぶつた撮影中の写真は有名だが帽子脱いで酒を眺める小津安二郎の写真は初めて見る。終わつてタクシーでホテルに戻る。恐いもの見たさ、で見てしまふ NHKの海外安全情報。「ウランバートルでは日本人が被害に遭う強盗事件」多く「日没後は歩かない、タクシーを利用」がお勧め。「海外旅行の際にホテルな どで法外な料金を請求されるケースが『最近』多い」そうでベトナムではメコン川クルーズで一日一人100米ドルのはずが(これでも十分に高いが)客がこの 日本人二人だけだつたため船頭から一隻の貸し切りだと1,000ドル要求され支払ったケース。「韓国では」タクシーで運転手に安い土産物屋を紹介され安い はずが割高、タクシーは土産物屋とグル。「日本人はお金持ちという印象」で見られているので注意しましょう、と。アホな話ばかり。ウランバートルで「日本 人が」被害に遭うのは現金持ち歩くから狙い安いから。タクシーに乗れば安全かどうか。日本人が法外が料金請求されるのは最近に始まつたことぢゃない。タク シー運転手が土産物屋とグルというのは観光地でよくある話で「韓国では」と強調される話に非ず。日本人はお金持ち、なのではなく現金を持ち歩く騙しやす い、脅しやすいカモなのである。「海外で日本人だから、と相手を信用してはいけません。最近は日本人旅行者を騙す日本人も増えています」と。明治時代にす でに巴里や倫敦で日本人の渡航者騙す日本人などいた事実。金子光晴の『どくろ杯』読めば昭和初期の東南アジアも然り。
▼英国元外相Robin Cook君、六日に蘇格蘭にて野山歩きの最中に心臓発作で倒れ逝去。享年59歳。香港の97年「祖国回帰」の際の英国側外相にて香港では印象強し。特異な 表情に温和な人柄。ブレア率いる与党・労働党の重鎮でありながら03年にはイラク征伐直前にブレアの進める追米イラク侵攻に反対し閣議メンバーである下院 院内総務役を辞任。立派。夏の日に夫人との山歩きの最中の逝去。追悼。

農暦七月初三。立秋。先週ずつと夏風邪か熱はないが悪寒発汗甚しく何より堪 えるは冷凍庫の如き冷房。薄着でべつとりと汗かいて冷凍庫に入つた瞬間の悪寒。ふと思い出せば先週Contax写真機G1修理出来て受取りの日にMTRの 車内での寒さが所因。養和病院にてもらつた薬飲み終えるがさつぱり効かず日曜も診療される近所のC医師の診察所訪れ診断受け薬を授かる。風邪にあらずウイ ルス性胃腸炎であらうとC医師。開業医も土日も休まずじつと患者来訪待つは孤独なる業。Z嬢と午後に香港站。エ アポートエクスプレスで空港。国泰航空(Cathay Pacific Airways=CX)の701便でバンコクへの出発。今回はバンコクで航空券購入のため香港からバンコクは片道のみ航路を調達。常識的には正規運賃でし か購入でぬので余はCXのマイレージ利用でZ嬢は格安運賃でいえば香港からバンコク往復できる価格でYクラスの片道購入してCクラスへのアップグレード。 今後の壮大なる計画のためには緒回のこのバンコク片道は致し方なし。空港のCXのラウンジにはヌードルバーあり坦々麺や雲呑麺など供すがZ嬢はラウンジ使 用しても東京行きの朝便ばかりでヌードルバーで食麺の機会これまでになく坦々麺を食す。上海風で美味いわけではないが空港のラウンジで即茹の麺食せるだけ でも奇妙。C医師処方の薬が予想以上に効いて悪寒も去り旅に幸い。咳止めシロップいただき機内でも酒要らず快適なる朦朧。バンコクつくまでにここ数日、久 ケ原のT君の来港に遊び読み残しの新聞をまとめて読了。夕方の中途半端な時間だといふのに機内ではいつものAsian Vegetarianの素食料理を少し食すがZ嬢の普通食のラビオリともどもかなり塩辛い。塩分取り過ぎは困るのだが。二時間少しのフライトでバンコク空 港着。噂には聞いていたが高速道路をタクシーは時速120kmで爆走して空港からわずか20分でバンコク市街。日曜日のせいもあろうが、かつて二時間の渋 滞などザラであつたこと思えば驚くほどの改善。Inter-Continental Bangkokに投宿。クラブフロアで快適。大河ドラマ「義経」見ようと思つたがテレビは中国の中央電視台英語チャンネルしか映らぬ怪。バンコク在住のY 夫妻はホテル近くのマンションにお住まいで自宅で「義経」見終わつた夫妻がホテルに来られる。四人でスカイトレインでSala Daengに向かいY夫妻にMango Treeな るタイ料理屋でご馳走になる。この店、東京支店が丸ビルの35階にあるそうな。食後またスカイトレインに乗るべく観光客ばかりのSilom RoadをSala Daengの站に向かえば站のホームでZ嬢が歓声あげるので何事か思えば何たる偶然か八王子に住まふドイツ人のH夫妻の姿。H夫妻は97年まで香港に暮ら しH夫人は兼業画家でもあり一昨年の夏に銀座での個展に駆けつけもする。H夫妻はH氏のフランクフルト近くの故郷に遊び、その帰路のバンコク立ち寄り。Y 夫妻とはRatchadamri站で別れH氏夫妻と我が宿のラウンジのバーで旧交暖める。
▼自称政治家Sir Donaldの傲慢ぶり緒見。五日に警察やICACなど公安に関する執法権もつ部署人員の秘密捜査について行政命令の形で捜査指針となるべく「執報(秘密 監察秩序)命令」を出し翌六日より施行。政府にしてみれば行政府内での執行規定であり法律条例とする必要なし、との判断だが立法會では45条関注組などか ら立法秩序無視と非難あり。見方によればSir Donaldが行政長官となり二ヶ月足らずで行政命令という権限執行はまず軽いジャブで今後この傲慢が拡大かといふ懸念。董建華ならみずからの判断ではで きぬ行政命令も官僚の権限熟知のSir Donaldには容易いところか。

農暦七月初二。晴。「前略御免ください」と旧知の浄瑠璃本研究家神津君か らメールいただく。
神津君ご指摘で余の赤面はM君からいただいた旧知のK君が揃えてくれたDVDのうち「桜鍔恨鮫蛸」はタコ (蛸)に非ずサヤ(鞘)で「桜鍔恨鮫鞘(さ くらつばうらみのさめざや)」の「鰻谷」は人形浄瑠璃と片岡家の十一代目仁左衛門選定の片岡十二集の一つ。刀の鍔に対して鞘、を「鮫」の次で「蛸」と打つ たはお恥ずかしいかぎり。また「裙重浪花八文字」は「なにわの」の「の」は不要で「つまがさねなにわはちもんじ」と読むそうで、これは神 津君の「浄瑠璃本 の包紙(漢籍にては「封面」ヵ)の振り仮名で、確定の読み方」と丁寧な説明も門外漢には一瞬「?」だが浄瑠璃本で「包紙」と言われると文字通り浄瑠璃本の 包装紙など想像してしまうといけないからと神津君はわざと「漢籍にては「封面」ヵ)と註してくれた 親切で成程ね、判明。封面(feng mian)とは「綫装書指書皮裏面印着書名和刻書者的名称等的一頁」(商務印書館現代漢語詞典)具体的にこの画像見ると わかりやすいが書名と昔は木版でその刻版の版元の名が記された頁のことで、つまりの説明の言わん とするところは「つまがさねなにわのはちもんじ」と の読み方もございますが浄瑠璃本の包紙(つまり封面)の頁の振り仮名に「つまがさねなにわはちもんじ」とあるのですから、こちらが忠実、といふこと。と思 ふ(多分)。昼前にペニンスラホテル。M君とK君の離宿に付添ふ。M君の部屋で昼まで歓談。中村屋での覚醒剤騒動をM君にお教えする。築地のH君の 「ポンは先代譲り」といふコメントからM君と戦後あの当時の芸人らのヒロポン流行りの話。だが、ふと思えば今回逮捕された大部屋役者は年齢からすれば先 代の勘三郎亡くなつた昭和63年は本人15歳では先代の舞台は見ておらぬかも。ポンは先代譲りと言われても先代が何事にも一途であつた人柄など知る由もな し。部屋を出る時に余が何処かに置いた万年筆を見失い「あれ、 あれれ」と部屋を見回し捜していたらM君が「それじゃ『晩春』の杉村春子だねぇ」と笑ふ。あのシーンひとつで何十回も撮直ししたのかしら、とZ嬢。誰も 探すのを手伝つてくれず。孤独な撮直しの杉村先生の気持ちも少しわかつた気分。すでに筆入れに仕舞つていたのにソソッカシイ。女優で「先生」と呼ばれるの はやはり杉村春子か東山千栄子。いま大女優と呼ばれる人も、この二人から比べれば「ベルちゃん」(五十鈴)や「もりみっちゃん」である。昼からZ嬢と四人 でペニンスラホテルのGaddi'sにて昼食。階下の工事で ドリル用いて騒音甚だし。案内された席の真下での騒音に席替え。客が増えてから給仕主任が「急な修理工事で」と各卓回つて詫びていたが階下のショッピング アーケードにて店舗改築中で「急な」は明らかに嘘。「スエズ運河以東で……」と称されるべきフランス料理屋であれば正午からの2時間と晩餐の時間に階下で の工事など許すべからず。料理は及第であるし午餐の前・主菜にデザート、葡萄酒一杯に珈琲でHK$400はこの料理屋であればけして高くないと信じる。が 「脇が甘い」のはいつも感じること。ところで目立つ客あり誰かと思えば老いても巨乳で有名なタレントとその親族三名。孫か甥だか知らぬが呆け顔でジャケッ トこそ着てはいるが野球帽もとらずに食事。家族揃つて姿勢悪く犬喰ひではスターも聞いて呆れる品の無さ。帽子はご婦人にだけ許され食堂内での携帯電話使用 不可も給仕は大目に見て何も言わずとは。苦言続くが音楽もM君が「ファミレスみたいだねぇ」と嗤つた軽音楽と昼からのジャズは城達也のジェットストリイ ムのような野暮。♪くるくるまっわ〜るぅ回転木馬ぁ♪と流れる曲に思わず♪くるくるまっわ〜るぅ杉村春子ぉ♪と歌ふがあまりウケず。M君の扇子にも注 目。地紙そのまま無地の白で中骨少ないぶん地紙の折つた幅広くなるが親骨の背も地紙に合わいくぶん幅広いが、それで野暮にならぬのは親骨を肩のところで柔 らかく削り手にする部分がかなり細身。こんなお扇子見たことごじゃりません、に「よくぞ気づいてくれました」とM君。京の宮脇賣扇庵でのお誂えの扇子だ そうでお茶席で帯に差すのに骨は細身。しかも扇子の要の留め金は銀粒。我が扇子も宮脇賣扇庵の扇子だが見ての通り要の留め金はプラスチックが普通。M君 の説明によれば昔は「鯨の髭」を要に用いたそうだが宮脇さんですら数年前に最後の職人が亡くなり今では鯨の髭は用いられず「せめて」が銀粒。へぇ成程ねぇ とつくづく勉強になる話が続く。Gaddi'sでの扇子談義もまた佳し。食事といふのは会食で最も大切なのは食中の会話なのだ、とあらためて思わされる話 上手な食事。たつぷりと二時間。ちなみにM君は戦前に織られたといふ宮古上布の 着物。給仕に「まえにいらっしゃいましたか?」と尋ねられていたが男で着物姿とはM君の前に誰だろうか。先月下旬に香港で橘屋さんの海外歌舞伎教室があ つたが此処に来られたも存ぜぬがM君とは間違えまひ。Z 嬢が「ペニンスラホテルといへば芝翫」と言つていろいろな意味で皆、笑ふ。もう十年も前だろうか、このホテルに宝石の芝翫香が出店して神谷町が一泊の日程 で来港して素踊りしたことあり。ホテル出て九龍站まで、とタクシーに乗るが元船乗りだといふ英語達者で日本の港町いくつも並べてみせる粋な運転手に四人な ら空港までタクシーで行つたほうが安いと唆され九龍站でお見送りかと思つていたが会話も終わることなく空港までタクシーで談義続く。空港でお見送り。楽し い三日間。今度は是非、北京で京劇と、そして郭沫若の足跡を辿りながら、と約束。市街に急ぎ戻る用事も別段なくエアポートバスで小一時間かけ微睡みながら 銅鑼湾。買い物済ませ帰宅。やわらかな夕陽。晩に韮とキムチのチゲ。先週録画しておいた大河ドラマ『義経』と翡翠台で歐陽應霽君が制作にかかわり司会もす る『回味無窮』といふ番組の第一回放送分を見る。香港の古くからの茶楼をいくつかまわり伝統的な(今、すでに珍しくなつた)点心をいくつも作り方から紹 介。テレビ用に別人のようなメイクで應霽君は「テレビの司会など……」と固辞しそうだが出たら出た で見事なしゃべりに芸人ぶり発揮。
▼森喜朗さんがこれほどまでに常識的な理性ある人と彼の首相在任中に誰が信じていただろうか。教育勅語礼賛や神の国発言に余も苦言した一人。噂の真相での 買春逮捕歴疑惑や「鮫の脳味噌」やクリントンとの英会話(あれは作り話らしいが)嘲笑止まず。だが今晩の小泉三世に直談判終えて出てきた森さんを見ればい ささか酔つてはいるが一国の明日を憂慮し首相とサシで語ろうとした常人ぶり(朝日)。首相小泉三 世は首相公邸で「缶ビール10本を自分で抱えて迎え」肴は「これしかないんだよ」と干からびたチーズとサーモン。深センに単身赴任のオトーサンより寂しい 一国の首相の公邸での孤独。確かに永田町はふらりとコンビニに行くには不便だ。森さんは「解散回避に努力している人たちを苦しめて、何の意味があるんだ」 と小泉三世を質すが首相の驚くなかれ「おれの信念だ。殺されてもいいんだ」の一言。「変人以上だよ」と森さん呆れ果てて言うと小泉三世は「そうだ。それで いい」と突き放した、と言ふ。小泉三世が籠る首相官邸から出てきた森さんは記者団に談判での証拠品のチーズのかけらやビール缶を見せ酔いざましの缶入り ウーロン茶飲みながら語る。恐怖。小泉三世を党の総裁に推し首相にして四年も放置した自民党は今になつて「自民党をぶっ壊す」が現実味帯びたことに背筋 ぞっとしているのであろう。小泉三世を支持した八割の国民はやはり、国を、変えた……。

農暦七月初一。快晴。昨日の日剰を綴ろうとするがCH女史に関する日剰での 過去の記載見つからず
M君がこの話ご存知といふことは間違いなく記載あつたからの筈で謝つて削除 したかとか思案していたら結局日剰の記載終わらぬまま朝遅くM君泊まるPeninsula Hotelに向かいM君とK君の二人と一緒に地下鉄で上環。お二人とそして大成駒のDVDを焼い てくれたといふK君に土産託すべく嶢陽茶行にて鉄観音を購ふ。生記粥品専 家にて朝粥。文武廟参拝。中華基督教青年會など古い建物見ながら香港医学博物館。参観。バスで香港大学。美術博物館参観。徐展堂楼から出て きたところで同美術博物館総監のY氏に遭ふ。M大学の助教授でもあるM君を紹介。Y総監に同博物 館の図録から中国古典楽器の図録一冊M君に頂く。英皇書院が夏休みの工事中で、いつも閉まつてい る校庭に入る扉開いており古い英国式の学舎の中を眺める。西区社区中心となつている古い病院や隣角に残る古いタイプの公共浴室(画像)な ど見て西環の源記で緑豆沙など食す。バスで中環。ハリウッド ロードの家具屋を再び覗き歩いてFCCにビールで涼を癒しお 二人はパスタ。余は昼からウオツカライムソーダなど飲んで気分はヘミングヱーか。尖沙咀に戻りホテルで午睡のM君。 弟子のK君の希望で香港歴史博物館にお連れする。折りから19世紀前半に華南に暮らし数多くの絵を残した英国人画家George Chinneryの絵画展あり参観。Chinneryは当時の肖像画家で、画才はけして歴史に残るほどではないが19世紀前半、つまり英国の香港統治以前 の華南に滞在。広東から後にマカオに長く住まふ。Mandarin Oriental Hotelに彼の名を冠りChinnery Barがあり由緒あるバーゆへ、さぞや香港に名を残す画家かと信じるが実は彼は開闢前夜の殺伐とした香港好まず実際には香港の風景画は余り残しておらず。 このホテルが名を戴いたのは昔の植民地的華南へのnostalgieゆへ。だが今回この歴史博物館が彼の絵を180張だか蒐集せしことは立派。 Chinneryの現存するほぼ全ての作品網羅。肖像画の多くは現HSBCなど古くからの英国系企業などで、そのオフィスや幹部用住宅の「壁のインテリ ア」扱いで残つているもの。当時の肖像画家から一歩出ておらぬChinneryの絵に強い印象ないが当時この地に西洋画家などほとんどおらぬ中で歴史資料 としてChinneryの絵が現在に遺つた由。ホテルに戻りM君と三人で歓談。地下鉄で香港島に渡りタクシーで余の拙宅。M君 に彼の著作「身体をつくるもの」の収まる岩波講座『歌舞伎文楽』の5巻『歌舞伎の身体論』に署名願ふがM君は固辞。余の蔵書眺め村 上君くらいからしか聞けぬ話いくつも。読書談義などできる友も少なくなりき。晩にZ嬢と四人で太古坊の同楽軒に食す。冷菜からどの料理も及第だが何といつても富豪炒飯は格 別。M君とK君をホテルに送る途中バーRで一杯だけさつと飲む。ホテルに戻るお二人と中環で別れ帰宅。村 上君の話の面白さ綴れば枚挙に暇ないが例えば二階建てのトラムに乗れば「祇園の山鉾のよう」で走り出せば博多山笠かと笑ひZ嬢が中学の頃にソフトボールの 投手であつたといへば「あなた、巴御前みたいだ」となる。もうかういふ会話も我らの世代で終わるのだろうか。
▼築地のH君より中村屋一門の若い大部屋役者が覚醒剤で逮捕されたと一報あり。 「中村屋ならしょうがない。ポンは先代譲り」とH君つぶやく。若い方は誰もわからぬであろう昔の話。それにしても中村屋、勘三郎襲名に沸くが息子だの弟子 だのの「不祥事」後を絶たず。
▼自民党の荻原健司先生。七月に自民党の首相の靖国参拝慎重派議員の勉強会に参加。一般的には「人寄せパンダ」「集票装置」「多数決での人数合わせ」に利 用されることばかりのスポーツマン&タレント出身代議士多いなかで荻原先生のこの姿勢に築地のH君と耳を疑い群馬県出身で福田先生の影響か?などと勘ぐつ てみたりもしたが(七月十三日日剰)H君によれば週刊文春のアンケートで「小泉首相は8月15日に靖国神社に参拝すべき」に「やはり」丸印であつたそう な。つまり靖国勉強会はたんに靖国神社に関する勉強会と勘違い?して参加の線が濃厚。やはり、といふべきか。
▼自民党といへば郵政民営化の参院採決を来週月曜にひかえ衆院解散ムード高まる中で父を衆議院議長にもつ河野太郎君のメール通信が面白い。こ ちら

八月四日(金)晴。東都より二十年来の畏友・久ケ原のT君といふべきか古典劇評論されるM君が来港。空港に迎える。飛行機は成田出発定刻でも台風の影 響か四十分も早く到着。M君には後輩のK君が同行。
M君は夏らしい着物姿に銀座トラヤ帽子店のパナマ帽と いふ出立ちに小型マシンガン携えた空港警備隊もアルカイダ関係者に遭遇以上の驚き隠せず。香港鼠楽園開園控え既に開通の鼠楽園線の乗り換え駅は「せめて鉄 道だけでも先に」といふ鼠ファンでかなりの人出あるを眺め成田エクスプレスで九龍駅。タクシーで尖沙咀のペニンスラホテル部 屋の手配と暫く待たされ「タワーの何某デラックスにアップグレードいたしました」と若い職員が案内しようとするので「ちょっと待った、旧館で予約の筈」と 申せば職員君は「新館高層にアップグレードしてるのに拒否?」と驚き隠せず。ホテルは奈良ホテルでも箱根富士屋でも日光金谷ホテルでも旧館でせふ。「しば しお待ちを」と旧館の部屋手配。部屋に通されると車寄せ見下ろし左手には中環を眺め普通のホテルなら「ハーバービュー」と宣い料金上げるだろうがペニンス ラではあくまでコートヤードと謙遜。次の間あり洗面所浴室も外に面して日光も明るく立派なお部屋。さすがペニンスラ。お土産に、といただいたDVD−R は、亡き大成駒の古い順から昭和31年7月の歌舞伎座で東海道四谷怪談は伊右衛門が八代目幸四郎(白鴎)で按摩卓悦が中車、二代目猿之助(当代の父)が直 助権兵衛、それに続く8月の明治座での「瀧の白糸」に昭和46年11月歌舞伎座の十三代目・仁左衛門との忍夜恋曲者。これに十三代目の昭和55年3月国立 小劇場での「桜鍔恨鮫蛸」は何と読むの?だが「裙重浪花八文字(つまがさねなにわのはちもんじ)」の「鰻谷」の場だそう で貴重な映像。M君が余も旧知のK君(本日同行のK君とは別)にお願いしK君が用意してくださつた、と。K君は二十年前くらいに余が東都にて歌舞伎座に 通つていた頃にM君に紹介される。あの当時、我は恵比寿から自転車で出かけ都内のプールで泳ぎ夕方から歌舞伎座まで芝居見物などしていたもの。いぜん も日剰に思い出話で綴つたが先帝ご体調悪しく昭和も終わりかといふ頃に歌舞伎座では大成駒の有終の美。道成寺などに東西の三階席に陣取つた若いM君とK君 が舞台の大成駒に「一目千両」「一目萬両」と掛け声掛け合つたのも懐かしい話。アルバムをめくれば89年暮に京都で全面改修工事前の最後の古い南座で の顔見世の桟敷席にM君、K君とZ嬢の笑顔の写真あり。もう17年も昔のこととは。で、さっそくスターフェリーで中 環。ぶらりぶらりと歩き中環からハリウッドロードの骨董品屋などひやかす。すでに先週末で閉業が民園麺家であるが隣家の玉葉甘味はいまだ健在。で お汁粉でもと寄れば三人で紅豆沙と緑豆沙を各一注文せば「三人で二つ?」と訝しげ。昔はこんなこと言わない女将であつた記憶。中区警察署跡など眺めFCCでギネスビール飲み涼をとる。ラウンジに「あのお婆さんは今日は いないの?」とM君。あれ、今日はまだいらつしやつてない、と言つていたら数分後にM君が「ほら、いらっしゃった」と。満を持したかのやうにCH女史 いらつしやる。「さすが」と大成駒の薫陶受けたM君ですら拝むように眺めるCH女史の格、雰囲気、所作のすべて。CH女史についてM君ご存知なのは余 の日剰でのCH女史に関する記述を読まれたからだが、実は翌日談にもなるが、M君にCH女史の話され、ふと「日剰に記載あつたか……」と気になり頭から 離れず。といふのは日剰の記載は幾度となく余みずから見直すわけで綴つた記憶あるが読み直した記憶なし。記載ありしことはM君読んだのだから確かで、も しや誤つて消したか、などと気になり仕方なし。老いて浅い記憶辿れば、CH女史について一度は綴つた、が翌日だかにFCCといふ倶楽部に個人の資格にて遊 ぶCH女史ゆへ倶楽部メンバーのことを余が日剰に勝手に綴るは失礼にあたると判断して記載を削除。だがその短い間のうちにM君の目に留まつた、か。だが 20世紀の歴史にジャーナリストとして貴重な報道をしたCH女史ゆへ、その点についてのみは我々の記憶に残しておくべき。とくに日本での紹介が皆無ゆへ。 CH女史のお名前はClare Hollingworthとおつしやり女史の歴史への功績はこ ちら。話はFCCでのハッピーアワーに戻る。昏時、FCCを出て歩いて山頂纜車=ピークトラム站。乗客の長い列に纜車を断念しタクシーで一気に山 頂。突然の霧に視界開けず。おまけに展望台など「また」改修工事中。観光用展望台であるだけでよき建物を商業施設化する無策。Tussaud夫人の蝋人形 館など愚の骨頂。ミニバスで中環まで下り「史上最悪に無愛想」な壮年運転手のタクシーでハッピーバレー。あまりの客あしらいの横柄さとふざけた態度を叱 る。益新美食館にて晩餐。秀逸。トラムで金鐘。地下鉄で尖沙 咀。ホテルのM君の部屋でZ嬢ともどもビールご馳走になり歓談暫し。帰宅。
▼本日より香港で第一回香港 日本映画祭の開催。山田洋次特集は無難だが今日の朝日衛星版の全面広告に宣伝文は「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は 車、名は寅太郎、人呼んでフーテンの寅と発します」と。おい、そこの若者、ちょっとこっちに来い。えっ、なにかいオマエは、オレを怒らせたいのかい、人を だな、わざわざ香港だか敦煌だかリオデナントカだか知らねーが、言葉もわからないところにまでオレを呼んでだよ、呼ばれたから、こうしてこっちだって礼に は礼を、で来てやったんじゃないか。それをだよ、ハナの紹介で人の名前を間違えるんじゃないよ、えっ、誰だ寅太郎ってのは。金つばの徳太郎なじゃないんだ よ、キャバレー王は福富太郎だ、だけどどこに寅太郎がいる?、えっ!……とまだ魅力的であつた前期の寅さんなら怒るだろうか。
▼蘇州のI君からNHKのBSニュースについて。担当のアナウンサーの黒板を爪で「きぃ〜っ」とやつた感じ、イントネーションは安定せず声はかすれるは音 程が外れるわ、と。御意。新卒でNHKの宇都宮放送局配属となり晴れて「女子アナ」となつたが「毎年恒例、宇都宮のギョウザ祭りですが」とか「今年のコン ニャクの出荷量は昨年を大幅に……」の栃木県内ニュースに愛想尽かしたのかNHK退職し事務所入り。これが奏して古巣のNHKで「渋谷で」BSニュースの キャスター。名誉回復。だが確かに聞くに堪えないのである。中村麦香といふ人。

八月三日(水)晴。蘋果日報で「論壇」が格上げとなり陶傑氏、経済学の鬼 才・張五常容疑者と『七十年代』(のちに『九十年代』で廃刊)の元編集長・李恰氏など蘋果日報らしい豪華な面子での一ページ建て。どれくらいの人が読んで いるのか知らぬがここ数日、朝の通勤時間に地下鉄に乗り合わせるが本当に無料タブロイド紙ばかり。有料の新聞(こんな表現ぢたいヘンだが)は大丈夫なのだ ろうか。有料の朝日新聞で連載中の早野透のニッポン人脈記で「国家再建の思想」と中曽根大勲位持ち上げているが今日の連載のなかに福本邦雄について「共産 党から転向」という表現がある。「転向」はgooの辞書に拠れば「方向・方針を変えること。向きを変えること。」と「思想的政治的立場・信念を変えるこ と。特に、社会主義者・共産主義者が弾圧によってその立場を放棄し、他の立場に転換すること。」の2つがあり前者であれば「ボーカルからギターに転向」で あろうし後者は文字通り「特高に検挙されての投獄中に転向し共産主義から足を洗った」とか。「党」が思想的政治的立場・信念と密接に関係があれば「共産党 から転向」という言葉もおかしくないような気がするが「組織から組織に転向」というのは「伊藤忠から丸紅に転向」とは言わないようにあまり使われない。 「共産党から転向」といふ表現はgoogleで検索しても十数件のみ。……で本日。月曜日から熱はないが風邪気味で昨日より悪寒ひどく養和病院。診察前の 体温や血圧測定で看護婦が数名で「日本人だ、どうしよう」と相談するのが見える。名前が読めない。ローマ字が想像絶するほど音読みできないのが香港。例え ばYamanouchiという名前を東南アジアでならまぁ聞き取れるくらいに読めるし欧米人はイタリア語的に「山の雨期」くらいに発音できる。が香港はか らっきしダメである。広東語のローマ字なら日本語表記ならトニー・レオンの梁朝偉の梁のLeungとかマギー・チョン張曼玉の張のCheungとか欧米人 には発音不可能な呉さんのMr. Ngや自称政治家 Sir Donald曽権蔭の曽 Tsengなど正確に発音できるがYamanouchiどころかHashimotoやKoizumiも難しい。でとにかく名前呼ばれて今度は「英語がわか るか?」である。英字新聞読んでいたのでその新聞を見せて“I hope so...”と答えたがギャグ通じず。日本人=英語も通じないで相手に戦々恐々とされる状況は香港ですら十年経とうが二十年経とうが何も変わらぬ。いや、 香港だから、なのかも知れぬ。英語圏なら日本人ももつと英語話す。シンガポールしかり。香港といふ中途半端さが日本人に英語強要せず。医師は外来担当医が よく変わる病院で新米だが説明の正確なY医師に当たる。確かこの部屋はかつて部屋中に「日本の東洋東和配給のジャッキー・チェン映画のポスター」張り巡ら した医師だつたはずだが辞めたのだろうか。ジャッキー・チェンのファンであるだけなら驚かないが、総合病院で自分に宛てがわれた診察室にポスター張るのは 非常識だし而も日本のジャッキー映画専門というオタク性がかなりキテいる。晩に某会議あり。終わつてA氏とかなり久々にバーSに寄る。Macallanの1861年再現物(こちら)飲む。ほぼ満点。

八月初二(火)快晴。斉藤さんのブログに 吉田拓郎とかぐや姫が つま恋コンサート再現(こ ちら)といふ話あり。あれからもう三十年!とは。バンドの再結成といふのはあまり好きぢゃないが75年のあの嬬恋コンサートの映像が見つかり DVDとして今日発売といふ。早速amazonに注文。以下、ふと昔の思い出話。郷土の明治元年生まれの横山大観や中村彝ら輩出だけが自慢の小学校でお昼 の放送が小学一年入学の時からまさに百年一日の如く毎日同じように誰それのメヌエットだか毒にも薬にもならぬ曲がもはや摩耗したLPレコードから流れ続け 余は小学五年で放送委員会に属すとさっそく「お昼の放送の改善」に乗り出し何枚か「教育上好ましい」レコード購入してもらい、また本当はいけないのかも知 れぬがNHK-FMからクラシック音楽など懐かしい言葉だがエアチェックし放送。本当にエアチェックしていたコレクションで流したかつたのはブリティッ シュロックなのだが「さすがに小学校ではまだ低学年の子どもたちもいるのでマズい」といふのが六年で放送委員会委員長の重職に就いた我の判断であつた。当 時、田舎町の11、12歳の少年がなぜクリムゾンであるとかジェフ=ベックどころかフランク=ザッパなどまで聴いてプログレしていたか、といへば地元の NHK-FM局に田中勝美といふアナウンサー氏がおり田中氏の土曜日夕方のロック番組がNHKとは思えない、それも深夜どころか土曜日夕方といふ時間帯で 当時FM東京ですら流れるはずのない世界で最前線のロックが流れていたのである。この番組ではピンクフロイドやツェッペリンはポップスの範疇と思えるくら いプログレであつた。で12歳の独りプログレ小僧は「クリムゾンは小学校では受け入れられない」といふ認識であつが放送委員会の同僚であつた親友のK君は フォーク小僧で彼の持参した陽水の「氷の世界」は日本語のフォークであるから「これなら問題ない」と判断してお昼の放送で「白い一日」がまず流れたのであ る。職員室から飛んできたのは教頭のA君。「なにをかけているんだ〜ぁ」と怒りでなく単なる驚きで放送のメインボリュームを下げ「いつものこれをかけて」 と毒にも薬にもならぬメヌエットをレコード棚から取り出す。お咎めはなし。放送委員会委員長に対しては懲戒免職どころか訓告の処分もなし。学校が寛容であ つたのではなく、ただ「わからない」であつたのだろう、と今、余は思ふ。小学校でフォーク=不良の音楽が流れた。それは間違いである。何もわからない小学 生が何か兄か姉のレコードを学校に持つて来てレコードを流した、それだけのこと、である。当然、その音楽的背景にはNHK-FMの地方局でのプログレ番組 も当時、放送室でお昼の放送しながらK君が熱く語つていたつま恋の拓郎とかぐや姫のコンサートがあり(ここで話はようやく最初の話題に戻るのだが)12歳 の少年のこの音楽の情熱が田舎町にあつたのだつた。余談ではあるが中学に入ると幼稚園が一緒で小学校は隣学区であつたT君がすごいプログレ愛好家となつて いた。T君も当然、田中氏の番組を愛聴し熱心にリクエストするリスナー。級友たちもロックに目覚めビートルズ、KISSやQueen、パープルなど聴き始 めるのだが小学生でザッパを聴いてしまつた私らプログレ組は教室での話題にも入れず地味な存在。で塾で当時、地元の大学の付属中学に通う田中さんといふ少 女と遭遇。彼女はしばらくして転勤するのだが転出間際に「田中さんのお父さんはNHKのアナウンサー」と発覚。「も、もしかしてお父さんってあの……」と 尋ねると「そうなの、家じゅうがレコードで大変なの」と。番組が終わる? いや、厳密にはFMリクエストアワーは続くのである。しかし田中アナウンサーの 異動でプログレが続くわけがない、のは15歳の少年にも明らだつた。田中氏は我が内々に氏の転勤を知つたあとも一回だつたのか二回だつたのか、番組は普通 通りに始まり普通通りに終わった。番組の内容は偶然聞いてしまつた人には「なんだ、これは……っ?」だが常連リスナーにとつてはいつもと同じ普通にプログ レが流れていた。で突然、司会者が変わつた。当然、番組は違う、もはやどーでもいい内容。田中氏のお嬢さんと遭遇してプログレ家族の「お婿になりたい」 と思つたものだつた。……でさきほどネットで検索していたら偶然にも、その田中氏に関する田中氏のそのお嬢さんと田中氏本人のレターに遭遇(こ ちら)。転勤前の最後の放送についてもお嬢さんが書かれている。読んで
感涙に咽ぶ。三十年前のこと。更 に余談であるが大学生になりAといふ一年上級の先輩がプログレなどかなり詳しく話していたら、やはり中学生の多感な ころにわざわざ宇都宮から遠いNHK-FMの地方局をエアチェックして田中氏の番組聴いていた、と。あの当時はそういふ文化ありき。今では小学校で浜崎歩 とかChemistryとか流れる時代である。三十年前のように教頭先生が走つてきて、といふことはない。ポップスがポップスとして小学校でふつうに流れ る。しかし「でもポップスだもの」と当時の多感なプログレ少年少女はポップスだからべつにどーってことない、と思う(……だんだん文章が橋本治か中森明夫 になつているが)。しばらくしてピンクフロイドの『ザ・ウォール』がリリースされる。高校の教室の壁にはこのLPの購入特典の巨大なポスターが貼れてい る、そんな自由な学校であつた。……ふと音楽のことで長々と回顧談。京セラの香港営業所から電話ありContaxのデジカメU4Rの修理終わつた、と。引 き取り。思えば十年ほど前にContax T2購入しレンズカバーが作動しなくなり修理依頼すると保証期間内だが香港の正規の代理店で購入された「行貨」でなく第三国から平行輸入の「水貨」である ため修理は実費と言われシンガポールからからの輸入品を多少安く購入したのは事実だがContaxの純正であることは事実で香港の代理店の判断よりも ContaxのWorld Guarantee制度からしたら購入地毎で保証内容異なることは遺憾。結果的に無償修理。その後ContaxのG1は接眼カバーの不良、今年に入りAF モーター不良とバッテリーの極度の消耗、で今回がU4Rのズーム機能エラーで少なくともこの10年で思い出すだけで最低4回の修理。それでもContax への愛着。京セラがカメラ事業からの撤退を宣言し(こちら)修理もあと10年のみ。晩に北京よ りO氏来港。北京語言大学に留学中のO氏の北京でのブログはこちらだ が、この日剰ではかつて香港賽馬中心サイト(こちら)運営のフジヤマ館 長と紹介すべきかも。Z嬢と三人でFCCに食す。O氏は北京 から遥々、列車乗り継ぎ鉄路での南下。最近の北京や鉄路事情の話。北京〜広州の列車は今は最速で22時間。20年前に36時間かかつたと思ふと隔世の感。 何が改善されたかといへば恐らく列車速度ではなく各駅の停車時間。かつては三十分の停車などザラであつたがO氏の話では今回は途中の停車駅もかなり減つて 停車時間も5分程度。北京を出て最初の停車駅が鄭州。石家荘も止らずに黄河渡つてしまふ距離。緯度でいへば八戸から神戸くらいノンストップ。だが相変わら ずなのは座席寝台の予約システム。駅毎に発売枚数が予め決まっており始発駅が多く途中駅は終着駅に近いほど割当が少ない。問題は発駅から途中駅までの乗客 がいた場合、途中駅からは空席になるが、その席の切符は販売されないこと。途中駅からは「無坐」つまり立席で切符購入し乗車の場合、車内で車掌の判断で途 中駅で乗客下車した席が販売されることが唯一の対応。日本で昭和40年代始めにはマルスによる予約システム(こちら、見たい方だけプ ロジェクトXのこちら)が普及していたのに。Z嬢 曰く「有人宇宙飛行に成功する前に鉄道の座席指定システムが先だと思うけど」。御意。国鉄のマルスでの予約システムの話も盛り上がるが当時、みどりの窓口 の職員の手際の良さと列車ダイヤの知識は感嘆するほど見事な職人芸。あらゆる注文に遠い北海道や九州の路線までかなり敏速に対応。時刻表めくるもカンでピ タリと開くわけでプログレに加え「鉄ちゃん」であつた我も毎月購入するJTBの時刻表であちこちの路線をピタリと開くワザ習得したもの。いまだにJTBの 大判以外の時刻表は苦手でネットでの列車検索など時間がかかり苛々するのも三十年前の杵柄か。その国鉄の駅員の花形であつたみどりの窓口も今ではすつかり 若い女性。若い女性でもいいのだが専門知識どころか常識がない。実家より午前中に上野駅に着き午後遅くの成田エクスプレスで東京駅から成田に向かうのに乗 車券を都区内で途中下車できぬ一枚切符を寄越す。こちらの常識では乗車券は上野まで、と東京駅から、で2枚のはず。「ちょっと、上野から東京で五時間もあ るのに、どうしろ、って言うの?」と尋ねると「こちらの通しの乗車券のほうが900円ほどお安くなるものですから」と配慮の結果を強調される。900円の ために東京駅の構内で列車待ちか。山手線二周してついでに中央線を高尾まで往復して時間潰せ、と言うのか。鉄道話に盛り上がるが午後十時にはお開き。
▼自民党の憲法改正案(こ ちら)。どうせなら八月十五日に発表してほしかつたが党是であり結党以来の半世紀の成果が「これ?」といふほど拍子抜け。この程度なら国論二分し てまでの改正が必須なのか疑問。つまり実質的な必要性よりも「憲法を改正すること」ばかり。あ、これが自主憲法制定の党是か。納得。実はもっとも大切な 「前文」が提示されていないこと。ところで自由民主党を「自民党」と略すが今頃になつて気づいたが「民」でなく「自らが主(あるじ)」で自主憲法改正が当 然の自主党であること。朝日の憲法案特集で「整形後のマイケル=ジャクソン似」の小熊英二氏が氏と宮崎哲弥、桜井よしこに対する取材に「憲法の専門家のご 意見を伺えたほうがよかった」と指摘し自民党で起草委員会で唱えられていた「家庭を保護する義務」「環境権」「健全財政主義」などは「財政の健全性」が 83条に残った以外は案から消えていることに着目し「これらは、それらを具体化する法律や政策が伴わないかぎり、何の効力もない空言や「お説教」でしかな いことが、すでに指摘されていた」「経済の停滞と閉塞の中で、近年は偏狭な歴史観や道徳観を唱える動きが目立つ。私は自民党の改憲議論が報道されるたび に、彼らは憲法というものを、国家の最高規範というよりも手前勝手な道徳論や文化論をぶちまけて国民に説教を垂れる場と勘違いしているのではないか(これ が自主党らしさ……富柏村註)と感じてきた」として「この案の実現をめざす政治家たちの元来の資質を忘れるべきではない」と説教。御意。ちなみに言葉に厳 しい小熊クンが「資質」を用いたが、これは政治家を評価しての「生まれつきの才能」ではなく政治家に託された役割としての性質、つまり政治家は国民につま らぬ道徳論や文化論の説教垂れたりするのが政治家の役割ではない、といふ意味である。……とでも指摘しておかぬと小熊クンの言わむとするところ読みきれぬ レベルの政治家多し(ってこのサイトを政治家が見ているわけぢゃないが)。で小熊クンに対して桜井よしこの発言が期待通りにすごい。朝日新聞政治部が期待 した通りのコメントをしてくれるところが桜井よしこのタレントたらむとする真骨頂だが。憲法改正はどの世論調査でも過半数を超えている「事実」を冒頭に述 べ「日本をより良くするための憲法、アジアや国際社会に貢献できる憲法が日本人につくれないはずがない」といきなり凄い。論拠もなにもなし。だから憲法は 国家の最高法規で普遍法であるべきなのだから「日本人に」とか関係なく誰が作つてもどの国家に合わせても最高法規たるべき内容であるべきことが理解できて おらず。で現行憲法が戦後、占領軍が作り翻訳されたものと非難するのだが、桜井はそれに続き自民党案が「天皇制の記述も及び腰ではないか。天皇制が日本の 文化・文明の核になってきたのは確かであり、その伝統をどう引き継ぐのか。そのことを論じないといけないが、連合国軍総司令部による無味乾燥な天皇制の位 置づけが、そのまま残っている」と強烈に指摘。占領軍が作つた憲法であるからこそ天皇の戦争責任問題が回避され天皇制は象徴という形で戦後も安泰したのが 事実。であるから自民党も戦後の國軆そのものである現行憲法での天皇制の扱いは敢えて触れておらぬのに天皇「制」は日本の文化とは関係なし。歴代の天皇や 宮中人が文化に汲んだのは事実だが天皇制が広い意味での文化の一部になつたのは(田舎の家で今も天皇皇后両陛下の御真影が戦士した、祖父の弟の遺影となら び居間に掲げてあるような)は明治二十年くらいから移行のわずか百十数年の話。ましてや「文明」とは……桜井の発想はもはやカルト。で日本の伝統や文明の 価値をどう盛り込むか、その「薫り」は今回示されなかつた前文に期待する桜井。「美しい日本語で薫り豊かな憲法」と桜井。憲法は何語で書かれても美しい 「内容」が勝負なのだが。桜井は「国民の権利と自由だけでなく、責任と義務を強調したこと」は評価するが自民党案に「正直物足りない」と不満である。憲法 で文化だの文明だの、日本だの国民の責任と義務だの……憲法は国家権力に制限を加える国の最高法規であり普遍法である、といふ大前提が理解できておらず。 宮崎哲弥、小熊エージ、桜井よしこと並べると「普通」「お利口」「……」の見比べ。宮崎、小熊両氏が慎重に寄稿なのに対して桜井女史が「べっしゃり」とい ふのもタレントらしさか。

八月朔日(月)快晴。先月の星島日報が社運かけた頭條日報発刊に続 き今朝から不動産大手の中原集団がam730発刊し無料タブロイド紙は 都市日報にこの二紙加え三紙競合。地 下鉄駅では構内は都市日報がMTRと組んでいるため独占で他二紙は 参入できず地下鉄駅入り口で新参二紙が街頭合戦。731には言論自由擁護のデモがあつたが香港は「新聞発行の自由」とSCMP紙が皮肉る。早晩にジムで一 時間の有酸素運動。かなり久々にバーYに寄りドライマティー ニ二杯。かなり久々に銅鑼湾に飲みに出ることとなつたのはバンコク在住のY氏が来港の折に焼酎をキープしたが明日でキープ期限切れるがまだかなり残つてい ると連絡ありトレイル仲間のO君と酒処いろりに食す。Y君も 仕事片付け駆けつけ結局もう一本焼酎をキープ。バーYに鼎 談。モノの話となりユーザーが少なくとも電脳ならMac、ビデオならソニーのβと自動車はスバルが素晴らしいといふ話となりスバルといへばアルシオー ネだつたね、Giugiaroの デザインでいすゞ自動車にはピ アッツァ、遡れば117 クーペもあつた、美しかつた、と昔話。
▼信報が一面トップで香港と深セン境界の町・沙頭角について現在の立ち入り制限を緩めるよう政府保安局が検討中、と報道。沙頭角については畏友よしいち氏 (こちら)は深セン側からかつて沙 頭角観光しており詳しい紹介もあり(こ ちら)。97年の香港祖国回帰から寧ろ「禁区」管理厳しくなり香港と大陸との自由往来が当たり前となり沙頭角は八十年代のような闊達な交易商売も なくなり人口も当時の三万人から八千人にまで激減。このままでは沙頭角がスラム化すること懸念され禁区制限緩めることで観光客誘致とか。なぜこれが信報の トップニュースなのか今ひとつ不明。

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