乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

八月卅一日(木)いぜんからきちんと記録に残そうと思っていた戦前の日本人学校の跡地について。まず1907年に始まったといわれる本願寺学校は湾仔道 170號、現在は英皇集団中心ビルの裏側でJohnston Rd側の番地に飲み込まれてしまい、湾仔道170號の番 地ぢたい存在せず。この本願寺の数十メートル先にかつて葬儀場(現在は北角にある香港葬儀館)があったのも興味深き事実。1916年から1919年にかけ て日本人学校は銅鑼湾の 1 Sharp St East(利舞台の向かい、現在、Leighton Centreのビルの一角、家具屋G.O.D.のあるあたり、続いて旧総督府(現在は行政長官「自称政治家」Sir Donald住う)行政長官官邸隣という一等地の 1 Upper Albert Rdに現存の瀟洒なる洋館(現在は聖ポール教会のゲストハウス)、続いて 28 Ice House St.は現在の順豪ビルで香港初のガス灯がともり現在も風情ある一角と毎年移り、1919年に 7 Kennedy Rdの現在、聖ジョセフ中学のある場所に落ち着き1930年にKennedy Rd向かいの土地に自前の校舎建設を待つことになる。それにしても当時は場末の銅鑼湾の 1 Sharp St Eastを除けば市街の一等地ばかり。当時の日本の財力、英国との蜜月関係が思い浮かぶもの。ちなみに銅鑼湾の 1 Sharp St Eastだけは場所断定できず。これは史料にカナ書きで「シマープスリフード東1号」とあるが該当の場所がなく余が「シャープストリート東1号」の書き間 違えであろう、と考えたこと(おそらく間違いあるまいが)。晩にミントの葉をいれてドライマティーニ。金目鯛の粕漬け、冷奴。菊正宗。晩遅く中井英夫『虚 無への供物』読む。推理小説読み慣れておらず而も登場人物など多く読み進まず。
▼小泉三世メールマガジンで
今日で8月も終わり。学校では明日から新学期のところが多いのでは ないでしょうか。「よく学び、よく遊べ。」元気に勉学に励んでほしいと思います。小泉内閣もあと1月。任期いっぱい、最後まで、内閣総理大臣の職責を果た すべく全力を尽くします。
と気分ルンルン。「外交から何も学ばず、外遊はよく遊んだ」のが小泉三世。それに国民の支持がまだ五割というのだから亀井静香的に悲観するばかり。東京都 知事石原慎太郎は、昨日のオリンピック国内立候補都市選出の場で「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか?」と東京開 催否定し福岡推挙の応援スピーチせし東京大学の姜尚中教授に対して「さっき、どこかの外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだ かわかりませんが」と発言し東京開催決定後の祝賀会でも「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」と発言(朝日)。こんなのが 東京都知事であると思うと情けなく涙出るほど。在日韓国人に対してのこの暴言。石原慎太郎自身のバカさ加減はいいとして、都知事選で石原に投票した三百万 人ばかりか都知事に据える全ての東京都民の良識が問われるところ。紐育、倫敦、巴里……どこであれあの発言の一言で市長更迭が常識じゃなかろうか。その発 言もひどいが朝日ですら社会面のベタ記事扱い。NHKのNW9も相変わらず長崎の女子学生殺害事件の犯人は?など時間費やし都知事暴言など扱いもせず屑番 組としての面目躍如。石原慎太郎であるとか小泉三世など個々人の資質の有無よか、深刻なのは我々日本国民自身の思考力のなさ、民度の低さかと涕泣するばか り。
▼中国では香港市民でシンガポール海峡時報紙北京特派員の程翔氏が中国国内での取材活動について諜報罪で逮捕され懲役5年の有罪判決。
▼陶傑氏蘋果日報の随筆にて「香煙的巴黎」とフランスでの公共場所での禁煙について述べる。巴里にとって紫煙は都市の風景、文化の一部でありカリフォルニ アでSmokerが迷惑がられるのとパリジャンのFumeurは違う文化的世界であろう、と。御意。不思議と巴里で煙草の煙が気にならず。ジタンやゴロ ワーズといった黒煙草の癖のある匂いなのに。フランスのあのレストランの特有の狭さで隣席の客が莨蒸すのがなぜ気にならぬのか不思議。

八月卅日(水)好天続く。暑さこそ厳しくも光は、はや秋の気配。光もまた面白く輝く。早晩に編集者S嬢、映像家H氏とFCCに涼み地麦酒飲む。 Aldrich Aleなるエール供す会社のHong Kong Beerという。こ の地麦酒会社、英国人青年が十年程前に企業しAberdeenだかで麦酒製造始める。香港で地麦酒?と最初は皆に首傾げられていたが直営店をば Quarry Bayに出して、これが余も屡々訪れるEast Endで、当時まさに東の果てのバーなりき。それが今ではTaikoo Placeなど一大ビジネス街と化す。これに目をつけたのが伊太利料理屋Grappa'sなど地場で手広く飲食店経営する会社El Grandeで、この麦酒製造会社とEast Endなど傘下に収め今日に至る。銅鑼湾のかつてのKing's Armはこの傘下でEast Endとなり、銅鑼湾ではEast Endぢゃあるまひ、と思いもするが北角がNorth Pointなら、東角(East Point)は実は昔は今の「そごう」百貨店のところがEast Pointで(事実、そごうのあるビルはEast Point Centreと言う)、そういう意味ではEast Endが銅鑼湾にあるも歴史的には不思議でもなし。ところで地麦酒ばかりか地エールまで供したのが、その英国青年の大したところ。麦酒の製造過程でエール 出来るにせよ香港で殆ど地場で馴染もないエール供したのだから。でその名前が、なぜAldrich Bayなのか。East Endの店を出したQuarry Bayの東の向こう、Shau Kei 湾にAldrich Bayという地名あり。 英国風の古い地名のようだが実は最近の埋立地。この地名がエールの由来か。ところでAldrich Bayの漢字名は愛秩序湾と言う。嗚呼、なんて下品なのかしら。帰宅してハバナクラブの3年物、オリーブきらしミントの葉だけでロックで飲む。これはドラ イで美味。夕食にパスタ。サントリー白角のハイボール。食後にちょっと苦手なテキーラにContereau垂らして飲む。美味しさ発見。我ながらこうして 綴ると、よく飲む。本当に酒好きとあらためて思う。酒が美味いなぁと感心して飲んでいるから泥酔などなく延々と新聞など読みながら飲む。今晩のNW9、ま だ8月で政治などあまり動かぬ所為もあろうがニュースは延々と殺人事件続報にC型肝炎だけで終わる。政治も外交も一切なし、のテレビ三面記事。そろそろ再 現フィルムとか始まるか、と期待。
▼2016年のOlympicつまり国家対抗運動会に日本では東京都と福岡市が名乗り上げ東京と決定し都知事石原君嬉しそう。対抗馬もなき都知事選に立候 補も表明し当選で三期目。これで2016年オリンピックの東京開催は絶望的か。「都知事が石原」では韓国、台湾、中国、シンガポールなど反石原包囲網で東 京開催阻止せよ!である。初の南米開催でリオデジャネイロ、あるいは時代の趨勢は印度でニューデリー開催あたりに落ち着く予感。
▼香港のヴィクトリアハーバーで中環〜尖沙咀結ぶスターフェリーで中環側の新しい埠頭建造終わり11月から使用開始の由。その建物の陳腐さディズニーラン ドの開拓時代の街並み復元の如し。現在の埠頭から歩いて10分。Cable TVのニュースでは「歩いて5分の便利さ」と虚報流すはCable TVがWharf財閥系にてスターフェリーと同資本ゆゑ。この新埠頭完成でフェリーの運行距離は1,260mだかから1,000mに短くなり中環側の不便 さは増し専門家の予測では利用者3割減。
▼朝日新聞論壇時評に「丸山眞男の現実主義」と題し孫歌氏らの丸山眞男論紹介。今年は丸山眞男没後10年で特集多し。それにしても不思議なのは丸山眞男な ど今さら論じるのではなく戦後の日本の一つの(小文字の)constitutionとして体現されているべきはずのもの。本来であれば好き嫌いは別として 現実的な政治では吉田茂、思想では丸山眞男、そして何よりも現行憲法があって、それゆゑ今日の日本がある、と前提の前提のような気もするが。だが実際には 民主党の代議士が勉強会で丸山眞男の言説教えられ「こんな面白いものがあるんだ」と知るというのだから、況んや自民党の小泉チルドレンなど丸山眞男など読 む知力すらあるまひ。

八月廿九日(火)晩に帰宅してドライマティーニ二杯。鯖魚焼いて食す。NHKのNW9眺めれば番組冒頭で山口県で二十歳の女学生殺害。事件は新たな展開。 19歳の少年逮捕。被疑者につき警察の発表がなく事件は依然真相つかめず、としつつまぁ10数分にわたり「そーなんです、川崎さん」と主婦相手のバラエ ティ番組の如き「報道」。学校でこんな事件が起きたことが「やるせない」のかも知れぬが「激増する少年犯罪」というのま丸っきりの嘘、未成年の殺傷事件、 少年犯罪がけして増えていない、むしろ減少していることはかつて日剰で述べた通り。被害者の知人らが「こんなことになるなんて信じられません」「とても優 しい人だった」と、なんでこんな痛ましい悲劇が、と、そりゃ被害者の家族や知人にとって不幸は事実。だが、その悲しみだのセンセーショナルに報道する低俗 さ。人が人を殺すことなど映画『2001年宇宙の旅』で獲物めぐる争いで猿人が動物の骨を握り仲間を殺すところで象徴的に描かれ、その殺人の道具が放り投 げられ宇宙船になる、あの印象的な場面の通り、殺人こそ人類の歴史そのもの。それをまぁまるで昨日、今日、人類史上初の悲劇の如し。続いて稚内で16歳の 少年が友だちに30万円払って母殺害。子どもが親を殺す「悲しい」出来事で「世の中が荒んでいる」そうで、キャスターの会津出身の柳澤秀夫君、国際紛争取 材の猛者のはずが、かつてのNews10の今井環君ですら口にするのが恥ずかしいであろう「少年の心の変化を丁寧に解き明かす必要がある」と宣う。金八先 生か。親殺し。しかも息子が友人に金子を握らせての親殺しなど黙阿弥の世界。江戸の頃の話なら、それを今だって歌舞伎座で芝居として楽しんでいるだろう に。福岡で幼児三名の命奪った21歳の青年の両親も弁護し通じて謝罪。成人した息子の過ちを親が謝るのは被害者に対してあるならあっていいがマスコミにが 報道すること。その加害者の父が消防団に所属し、この事故の救援活動に従事していた、とは事実は小説より奇なり、だが、これも「ドラマ」である点に着目す べきか。落ち着いて考えるべきことは歌舞伎の芝居など、こういった話の積み重ねで話が出来て、それを芝居として楽しんでいる我々が現実の「事件」となると 「信じられない」と驚いてみせること。テレビを見ていると本当にバカになりそう。新聞も(翌日の話だが)卅日の朝日新聞社説がこの飲酒運転のひき逃げ事件 取り上げ「罪の意識が低すぎる」とこの事件論じるが「「逃げ得」を画策するほど運転者のモラルが崩壊しているのなら」などと言うけれど「ひき逃げ」など今 に始まったことぢゃないし「モラルの崩壊」なんて「ない」のだ。言葉だけが浮いて拡張してゆく怖さ。こんな「報道」が廿数分も続き時間の浪費とテレビを消 してRTHKの第4台をつけると倫敦の夏恒例のBBC Promsから演奏の中継が流れる。ネット上(こちら)でもこの夏の一大古典音楽会の全てが聴ける幸せ。
▼二人組の女性歌手の一人、マレーシアでの舞台にて着替え盗撮され雑誌壱本便利に盗撮写真掲載される。涙流し健気にその侮辱訴える姿共感を得、ジャッキー =チェンら芸人及び婦人団体も盗撮などマスコミの人権無視に抗議、行政長官「自称政治家」Sir Donaldも報道の自由とプライバシーにつき懸念述べるに到る。盗撮もひどい話だが「見られてなんぼ」の芸人。歌舞音曲の芸道選びし事でもはや通常の 「人権」超越すべき、とは言い過ぎか。芸人であればコカイン、大麻程度吸おうが色に溺れようが裸体曝そうが曝すまいが芸が秀でてば好し、の世界であっても らいたいもの。それの体現が勝新。今回のこの女芸人、盗撮の侮辱に強く耐える女性、とすでに印象の昇華。これも「見られてなんぼ」の世界。涙の記者会見に て「わたしのことを応援してくれる子どもたちに今回のこのひどい出来事がどんなに悪い印象を与えるかと思うと……」と自らの屈辱より「子どもたち」「子ど もたちに」と多く言及も興味深いところ。この芸人、今回は見事に災い転じて、だが数年前には中国だかどさ回りのなか宿泊先のホテルにてチェックアウト後に 散らかした部屋に出歯亀雑誌の記者に侵入され煙草の吸殻だの麦酒の空き缶写され清純派アイドルの化けの皮剥がれる、と報道されたのも今や昔のことか。歌舞 音曲の世界、そう簡単に人権だの考えて何になろうか。

八月廿八日(月)久が原のT君より祇園祭のみやげに伯牙山の厄除粽送られる。中井英夫に絡み彷書月刊のコピーも拝受。築地のH君より週刊朝日百科『人間国 宝』のうち歌舞伎で先代(三世)左団次、紀尾井町(先々代松緑)、大橘(故・羽左衛門)に音羽屋(当代菊五郎)の巻と長唄三味線の巻送られる。諸事忙殺さ れ晩に至り茶餐廳のぶっかけ飯で夕食済ませメールだけで数十本は片づけねばと三更に到る。メールで、というかノートブック上で全て片づくだけ世の中便利に なったもの。メールはある、スカイプはあり電話がわり、リモートでサーバー開いておけば関係者でデータ共有出来、と。ところでそういう日進月歩の便利な世 の中ではすでに、あの独占企業体マイクロソフト社ですら中年クライシス期に突入、と信報の記事にあり。マイクロソフト社がヰンドウズ94から2000を売 り捌いた頃だろうか、電脳業界は「ハードを売るメーカーの時代は終わった」とソフト売るマ社が脚光浴びたのも束の間、すでに市場価値2600億米ドルの巨 象・マイクロソフト社はGoogleなど情報メディア媒体をば市場とする先端企業に比べ「ハード化したソフト」売る企業として旧守派に位置するのだそう な。マ社に追いつけ追い越せの身軽な他企業との競合で年間66億ドル費やした研究開発部門も縮小し経費削減と利潤確保に懸命の由。世界的跨際企業といえば 星巴珈琲とて今年第二・四半期の売上げ減で星巴側はこの夏の猛暑で夏の主力商品たるFrappuccinoの 売上げ増見込んだが、このフラッペ、作るのに他の珈琲商品に比べ多少時間要するそうで、酷暑ゆゑ顧客がその「待ち時間」に耐えかねFrappuccino (あ、フラッペとカプチーノの合成語か、いつもエスプレッソしか飲まぬので気づかず)から客足遠のき売上げ減、と。確かにそういう理由も一利あろう、が、 天気次第で今年の夏のキャベツの作柄が……という農作物ぢゃないのだから星巴ほどの巨大化した企業が夏の暑さ云々で売上げが左右されていては今後の事業展 開に難題を課すだろうに。グローバリズム社会、企業も成功の果てに利潤謳歌もほんの束の間の歳月にすぎず甚だ商売難しい時代となる。晩に諸事片づけながら 聞いていたRTHKの第4台のMonday Concertにラフマニノフの交響曲2番が流れる。曲の紹介がアシュエナージの指揮でロイヤルコンセルトへボウ管弦楽団演奏、とあり、それはいいが 1955年とは。さすがに17、8歳のアシュケナージはまだコンセルトヘボウの指揮はしていない? 録音の音質がかなり悪しく古い演奏だと思うが何か、が 間違いなのか、本当にそんな指揮があったのか、余にそれほどの知識もなく不明。まだ17、8歳のアシュケナージ君がピアノで、メンゲルベルクかハイティン クの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲の2番というのなら(それが実存するかどうかは別として)まだわかるのだが。続いてバーンスタインが1942年に維 納フィルを指揮して?のシューマンの交響曲2番が流れる。バーンスタインがブルーノ=ワルターの代役で紐育フィル指揮してワーグナーのマイスタージンガー がセンセーショナルに好評博し全米に名前が知れ渡ったのが1943年、その前年、弱冠24歳でウィーンフィルを指揮した?、本当だろか。ここまで細かいク ラシック音楽の知識もないのでわからぬが不思議な演奏を2つも聴く。
▼福岡で福岡市職員の飲酒運転で幼児三人が命落とした事故……というより「これは犯罪です!」とニュースだのバラエティのコメンテーターの憤り。この酒酔 運転者の責任は個人として当然だとしても、何故に福岡市に対して九百件だかの抗議が電話で殺到し市長が詫びる必要があるのか。犯罪者で「寿司職人」と職業 出すと寿司職人に不快感煽る嫌だが、市長がおわびをして、福岡市の職員が幼児の冥福祈り市役所で正午に黙祷するのも不思議。この全体主義の怖さ。
▼New York Times北京支局の助手・趙岩氏の裁判。これについて事件の当事者たる紐育時報紙が27日の社説でOf Shame and Faceと題した社説載せる。
Mr. Zhao was arrested after this newspaper correctly reported that former President Jiang Zemin was ready to give up his final post as military chief. The article infuriated China’s political leadership, and Mr. Zhao was arrested, despite The Times’s insistence that he never provided any state secrets to the paper.
と強調。趙氏拘束で人権問題とか報道の自由といった点が指摘されるが、具体的に「江沢民がすでに党中央軍事委員会主席辞任を決定」という事実報道がどう考 えても国家機密とはいえない、という指摘。確かに。
▼重慶、四川省での記録的な猛暑と旱魃。一帯の殆どの河川、湖水干上がる。それに追い討ちかける大問題が乾燥により全体の三分の一だかのダムに入った多く の亀裂。いったん大雨ありダムの水嵩高まればダム決壊の危機との由。

八月廿七日(日)拙宅の建付けの修理だの食料品の買い出しなどしているうちに昼となる。中井英夫『薔薇の供物』読了。そういえば、幸い、夢に「足の指の間 の垢」出て来ず。午前、驟雨通り抜けたが雨も降らぬ様子に昼すぎから裏山より大潭を一時間半ほど走る。空の雲も高く秋の気配あり。海 岸に出て浜辺の木陰で海野弘『アールデコの時代』中公文庫読む。博覧強記の著者であるから1920年代のアールデコの時代を、女優、芸術家さらに自動車や 腕時計といった生活のアイテムに注目までして徹底的にアールデコを語る。実際に知ったからといってタメにならぬ点では「トレヴィアの泉」どころぢゃない。 そこがいい。この時代でグレタ=ガルボ、アンナ=パブロアについては知ったつもりでいたが著者が多くの頁をモダンダンスの「裸足のイサドラ」イサドラ=ダ ンカンに費やしたのが印象的。彼女が革命後のロシアに渡った時の手記
私はロシアへ行く。私の人生の夢を実現するために。それは、私の劇 場、私のオーケストラ、そして座席を売買しなくてもいい観客と、授業料を払わなくてもいい生徒たちを持つことである。(略)ロシア人はずっと誤って伝えら れてきた。彼らは十分な食料が足りないかもしれない。しかし彼らは、芸術や教育や音楽を、すべての人が自由に近づけるものであるべきだと決定したのだ。私 は、子どもたちの精神的、身体的教育をコマーシャリズムより高く評価する、世界で唯一の国が存在するかどうかをぜひ見とどけたい。きっと私はポルシェヴィ キになるだろう。しかし私は生涯、子どもたちを教え、自由な学校と自由な劇場を待ちたいと望んできたのだ。アメリカはこれを拒否した。あそこではまだ未成 年労働者がいる。そして金持だけがオペラを見ることができる。美は劇場の支配人と映画界のボスによって商業化されている。彼らの望むのは、金、金、金なの だ。
嗚呼、革命万歳!(と谷譲次的に『踊る地平線』っぽく感動してしまうのだけど)このイサドラのソ連共産主義革命に対する理想、期待。そして見事に裏切られ る。そのイサドラは1927年8月、巴里のモガドール劇場でシューベルトのアヴェマリアを踊る。その一ヶ月後、彼女はニースの海岸通りで乗っていたスポー ツカーの車輪に赤いショールを巻き込まれ、それに首を絞められて劇的な最期を遂げる。アールデコとは著者に言わせれば、世界の国際化の中でフォーヴィズ ム、キュビズム、未来派といった芸術がエジプトでのツタンカーメン王墓の発掘で注目されたエジプト芸術や、中南米のマヤやインカといった古代文明の発見、 さらに黒人彫刻やジャズ、それにジャポニズム(日本趣味)といった世界各地の美から大きな影響を受け、その結集がアールデコとして花開いた、という。ジム に寄り帰宅して、〆鯖と秋刀魚。秋刀魚はもう秋口だからいいか、と今朝、ジャスコで半冷凍が3本でHK$13とお買い得のもの。美味。魚といえば昨日、永 利漁村という海鮮料理屋で清蒸石班が供され、それの骨を外していたら、店の亭主に「骨を外すのが上手い!」と讃められた。魚の食べ方が上手いと讃められて 嬉しくないわけがない。『アールデコの時代』読了。この本に巴里で『日はまた昇る』で成功しリッツホテルに出入りできるようになったヘミングウェイのお気 に入りはスコッチウイスキーにライム半個搾る、とレシピあり、想像しただけで不味そう。それでも酒飲みゆゑ性懲りも無く、ただ無難なところでスコッチも無 難にFamous Gooseでライム半個のジュースで割って飲む。酸味強い胃液の如き味。中井英夫『戦中日記』続き詠む。
▼香港の四川坦々麺の老舗、詠藜園が東京銀座に支店開業の由。それほど格別に美味かしら。香港で食す、から、まだ美味い。それも小汚い店が再開発の立ち退 きで一旦潰れかかったのが蔡瀾美食坊で復活して好評の店でなく、その小汚い店であったから美味だったのだろう。この店の坦々麺、もともと上海風で、麻辣の パンチは効いておらず。そういう意味では湾仔にあった「Q麥」のほうがずっとマシだった。

八月廿六日(土)日の出に雨音で目覚める。朝食後にぼんやりと新聞読んでいるとApple社でノートブックでソニー製造の電池交換という記事あり余の用い るPowerBook G4の12インチ型その対象で電池番号確認せば「当たり〜!」で指示に従いApple社に電話。すると土曜日の朝の九時というのに電話に出た職員が流暢な 英語で「もういい加減疲れたよ」と言いたげにぶっきらぼうに香港のサービスセンターの場所教えてくれたが「土曜日も開いてるのかしら?」と尋ねると「サー ビスセンターに電話して聞け」と言う。なんでそんなことも知らない!と思ったが、ふと、この電話番号は香港の、だが電話すると米国のApple社に転送さ れていたのだ、と思う。世界中から問い合わせの電話受け、自動的に画面か何かにHong Kongと出て、手順説明した上で現地のセンターの場所を教える、という仕事で。北朝鮮とか南極の観測隊員だったりしたらどうするのかしら。いずれにせよ 電池の交換対象であれ実際には昨年五月から利用していて何ら電池に不具合もなく寧ろこの時期に電池交換はちょうど電池も疲労ある頃だろうし幸い。早速午前 10時に銅鑼湾はTimes Squareにあるサービスセンターに参る。現物確認され番号控え数週間後に電池届き次第お取り換えします、と。天気回復に向い昼過ぎにかねての約束通り 余の主宰でZ嬢除くと八名の知人と将軍澳は坑口の地下鉄駅に待ち合せ午後ハイキング&海鮮。ミニバスで西貢。バスで北潭涌。上窰にある、客家の住居跡が保 存され文物館となっているのをちょいと見学し上窰郊遊徑(Sheung Yiu Country Trail)を歩く。この新界の今では人も住まぬ鬱蒼とした緑のなかの辺鄙な集落である、客家の在郷の襲封なる家とはいえ、子弟をせいぜい市街の学校に通 わせる、くらいが教育と思えるのだが事実、勉強よくする子らは英国の寄宿学校からオックスブリッジにまで留学している。当時の彼ら客家家庭の世界観の面白 さ。今朝の雨であちこちに渓流あり風も心地よし。暑 いは暑いが初秋の予感。萬宜水庫(High Island Reservoir)の西ダムの下、今は公共の水上活動センターとしてすっかり整備された処、かつて越南からのボートピープルの収容所あり。その収容施設 もすっかり解体され緑の芝地広がるが此処にいた難民ら今は何処に。MacLehoseトレイルを歩き糧船湾より沙橋頭の小さな漁村へ。此処まで途中何度も 休憩してゆっくりで約三時間。歩きの途中、N氏よりとらやの羊羹いただく。沙橋頭には何軒か海鮮料理屋あり週末だけ営業。予め予約の永利漁村という店で海鮮料理堪能。日没の頃に予め手配の船でゆっくりと 一時間かかり島々を眺めつ西貢に戻る。今日はバスの中などで少しずつ中井英夫『薔薇への供物』の短編をいくつか読む。「薔薇の獄」という物語で副題に「も しくは鳥の匂いのする少年」とあり物語中に「まだあまりにも稚い少年の躯は、小鳥の胸毛に鼻をおし当てたときのような、かすかに焦げくさい匂いがした」と いう表現を読んで、ふと確か数年前に読んだ誰だったかの随筆にこの一文が引用されていたこと思い出したのだが「小鳥の胸毛」なんて言われても感性乏しき余 には、何より鳥がちょいと怖いので小鳥とはいえ胸毛に鼻をおし当てる、なんてことは余には想像もできず。この「薔薇の獄」に続く短編「薔薇の縛め」には (この文庫本には中井の薔薇に紆る短編ばかり収める)主人公の男が「足の指の間の垢」、それも奴隷扱いすべき相手のそれをいい匂いとして嗅ぐ場面あり。こ の「足の指の間の垢」も、それがいい匂いかどうかという好事家的な判断以前の問題として足の指の間にたまった垢というものぢたい想像もできぬのだが、これ は先日、東京で映画『ゲルマニウムの夜』を見た時に映画の終わりのころに、やはり「足の指の間の垢」がいい匂いとして大切に用いられていたこと。何十年も 生きてきてまったく偶然に一月の間に「足の指の間の垢」というモチーフに映画と小説で遭遇するとは……。これまで「いい匂い」どころか存在すら意識したこ ともあき「足の指の間の垢」ゆゑに逆に意識にこってりと貼りついて離れず。そういえば、こういう偶然といえば昨晩見た映画『嫌われ松子の一生』で足立区の 荒川河川敷が松子が故郷の筑後川思い出す重要な場所。今月は北千住を偶然訪れていたし、松子の旅行鞄につけられたキーホルダーが大阪万博の太陽の塔のミニ チュアで、これも今月偶然に水戸芸術館のショップで岡本太郎の「太陽の塔」のオーナメントをば購入してきたばかりであったので(事実、机の上にこれがあ る)偶然とはたんなる偶然なのだが、そういう偶然のことが映画や音楽によけいに引き込まれる一因となることだけは確か。なんか、寝たら夢に「足の指の間の 垢」が出てきそう。
▼来月廿二日に廿日の自民党総裁選受け臨時国会召集され安倍三世(これまで安倍二世(岸三世)と綴っていたが安倍家の祖父も衆議院議員のため安倍三世の間 違いであった)首相就任。民主党の小沢一郎君が対立候補だろうが野党がかりに共産党まで首班指名で小沢君に投票しても先の郵政選挙で自民党に国民が全てを 委ねてしまった結果、安倍三世の優位は動くはずもなし。たとえば総裁選出馬辞退の福田君や党内で壊滅的打撃受けているハト派の加藤紘一君ら自民党非主流派 が反安倍で小沢君に投票し公明党が日和れば「あっと驚く」だが有り得まい。加藤君、近々上梓の著書『小沢主義』で教育は「最終責任を国家に持たせる」とし つつ「親が子どもに何よりも教えなければいけないのは『自立せよ』というメッセージ」で「愛国心は、幼いころから適切な教育やしつけをしていれば、自然と 生まれてくる」として愛国心教育に否定的な考え示す。安倍三世の「教育の再興は国家の任」という考えへの対抗。だが、安倍で決まり。保坂正康氏が今日の朝 日新聞(私の視点)で述べているが今年の終戦記念日の靖国で、七八年前だったかに八月十五日、靖国で戦場体験者らの名前を呼び合い語りかけるような光景と は全く異なる、若者の目立つ無機質な風景と、その晩のNHKの番組で小泉靖国参拝賛成が7割超えたこと、若者の支持多きことへの保坂氏の驚きと警戒心。安 倍三世は教育改革など訴えるが、実は安倍三世らの嫌う戦後教育こそ小泉・安倍を支持する無機質な思考力乏しき国民を養成してくれた事実に恩義忘れるべから ず。ダグラス=スミス『憲法は、政府に対する命令である』平凡社より刊行、日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員その他の公務員は、こ の憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」のに総理大臣自ら憲法違反が許されるこの国に対して。だが戦後、その憲法すら咀嚼し自らのものに出来ずにいるのなら、 いっそのこと改憲して、実際に改憲されれば自らに竹篦返しのくることすらわからぬ邪拙なヒトビトが不幸になるのは致し方ないことか。だがあたくしは被害被 りたくない……などと語ると築地のH君に言われたのは「それじゃ荷風先生でしょう」と。そうかもしれない。

八月廿五日(金)銅鑼湾の日本料理、湖舟。芋焼酎薩摩宝山を ロックで熊本の馬刺、鰹のたたきに盛岡風冷麺。幸せ。Z嬢と旺角UA映画館にて中島哲也監督、中谷美紀主演の映画『嫌われ松子の一生』見る。昭 和なら昭和という時代の世相や風俗に絡ませた演出で、主人公の女が風俗業にという設定は香港だと呉君如の主演した映画『金鶏』思い出す。この演出だと観客 が同時代的に共感する部分も多く無理なストーリー展開も受入れが自然となる効果あり。で松子は一度、不幸という窩に陥ればどんどん不幸になる、と、それは 黙阿弥なら三人吉三の夜鷹「おとせ」だが、芝居にはよくある話で、松子の場合、不幸という窩に嵌る切っ掛けにちょいと無理あるが中島哲也の演出の巧みなと ころで濃いストーリーを濃いままに、だがいいノリの演出。役者もこの監督の映画に出演すること大変楽しんでいる。楽しくなければ映画ぢゃない、誰かと映画 を見て帰るまでずっと「あの場面……だったねぇ」とその映画の話で盛り上がれることがいい映画だの芝居の証左。但し映画上映前に監督と中谷嬢の舞台挨拶あ り、監督が一言「とても悲しいエンディングですが……」と。敢えて筋書きも見ずに映画見ようとしているのに少しでも映画の筋の話聞きたくなし。更に映画終 わりがけエンディングロールで画面こそ切られはしなかったが場内明るくなり音楽が止まり司会現われ挨拶し始め監督と中谷嬢とのトークセッションの案内。か なり手の込んだ映画ゆゑ制作者布陣を眺めていたのに。理解できぬ。監督自身は場外におり状況わからず終いかも知れぬが、いくらエンディングロールとはいえ 切ってはいけない。この映画、音楽がかなり重要でもある。監督や俳優のトークセッションが嫌いなので音楽も切れてしまったし、さっさと会場出ようとすると 扉の外に監督と中谷嬢。雨。帰宅して中井英夫『虚無の供物』読み始める。
▼廿4日づけNew York Timesに“Losing Afghanistan”という社説あり。
Nearly five years after American military forces help topple a Taliban government that provided sanctuary and training camps to Osama bin Laden, there is no victory in the war for Afghanistan, due in significant measure to the Bush administration’s reckless haste to move on to Iraq and shortsighted stinting on economic reconstruction.
だそうで
Americans are coming to see the war in Iraq as something apart from the war against 9/11-style terrorism — and a distraction from it. The war in Afghanistan has always been an essential part of that larger struggle. That makes it a war that America simply cannot afford to lose.
と。このようなことがあの軍事行為、さらにいったい何万人の生命を奪って得ることのできた、教訓なのか。これだけの他者への迷惑と5年の歳月かけねばなら ぬほどバカで世界の覇権国家であるとは怖いかぎり。

閏七月初一。来週水曜日が今年二度目の七夕となるが七月の閏年は次は2044年だそうで余にとっては年に二度の七夕は今年が最後か。書 斎が冷房ではとても寒く扇風機購ふ。中環で外装お披露目のマンダリンオリエンタルホテル眺めば、「もう終わったな」のチープさ。プレハブが如き外装、もう 少し配慮できなかったものか。チープといえばスターフェリーの新しい埠頭も、現在の埠頭のシンプルな美しさを劉健威兄は簡潔雅淡と形容したが、それに比べ 新埠頭は中環市街より遠く不便な上にディズニーランドの「開拓時代の米国」の如きチープな光景。あの場所ではもう香港国際映画祭の開催期間中の市大会堂と 尖沙咀の文化中心との15分での往来はもはや無理。香港の最も大切な資源であるヴィクトリアハーバーの埋立の醜悪さよ。早晩にZ嬢と香港大学美術館訪れ る。香江冷月:香港的日治時代という 歴史写真展見る。鄭寶鴻氏の写真コレクション。日本軍による占領関係の写真は大半が「一億人の昭和史」でお馴染、毎日新聞の提供。その他では陳照明なる人 の蒐集の写真興味深いものあり。ところで日治期に香港の主だった地名が日本語にされし経緯あり彌敦道は香取道と呼ばれしが展覧の記述には香取通が Koshuとあり音読みでは確かに「こうしゅ」だが「かとり」だろう。ネッ ト上で捜せば朝鮮語のサイト(こ ちら)にNathan路는 돗토리 도오리「とっとりどおり」?とあり。「かとり」が正解(のはず)。1945年1月に今は日本人多く住む太古城にありし造船所爆撃の空中写真あり。米軍によ る攻撃。日本軍占領の香港をば米軍が攻撃の写真初めて見る。写真展終わり帰ろうとすると樓上よりY総館長の声が聞こえ階段昇ればやはりY総館長の姿あり。 Y総館長の自室に通され暫し物語す。この写真展のカタログなど頂く。美術館出ようとすれば雨。台風の警報も発令あり。暫し雨弱まるを待ちタクシー雇い中環 は粗呆(Soho)に到る。数年ぶりに仏蘭西料理屋、Le Tire Bouchonに食す。開業20周年。香港大学より散歩のはずが雨空に自動車での移動で早く着きすぎてしまひ料理屋未だ晩餐の店開かずバー ルにて酒の一杯でもと勧められシェリー酒の盃傾ける。前菜にズッキーニと山羊乳酪、それに鵝鳥肝臓のソテー。この店の鵝鳥の肝臓はペニンスラホテルの Gaddi'sよか更に美味。ソース美味なれば予め仏蘭西麺麭をばソース浸し肝臓食し終わった頃にじゅうぶんにソース吸ったパン食せば美味至極。江戸前に て鮪のズケの如く仏語にて「ズケ」とか通じそう。まさか。四谷荒木町あたりの裏通りでシラク大統領引退後に小さな料理屋でもやれば最高とZ嬢と笑う。白葡 萄酒(Les Jamelles04年の Sauvigon)と赤葡萄酒(Mas Carlot)をハウスワインにてぐびぐびと飲む。このLe Tire Bouchonなる仏蘭西料理屋、香港にて最も巴里の街角にありさうな料理屋にて葡萄酒も50clのカラフあらば二人で白も赤も飲める分量。主餐は羊の腿 肉、それに鵝鳥の内臓のソテ。美味。珈琲も香港では格別のエスプレッソ。たまには食後にバーでも寄ろうか、と話したが雨空に何処にも寄らず帰宅す。モヒー ト飲む。晩遅く雷鳴轟く。
▼Z嬢と晩餐の最中去る十九日土曜日のNHK番組につき余はうとうとと半ば寝ていたがZ嬢の話では美輪明宏氏が(要旨)百人いれば百人の意見がある、それ ぞれの背景は異なり一概にまとめられず、ただ大切なことは言いたい事を言えない世の中はいけない、暴力で言論を抑えてはいけない、自分の言いたい事を言え る世の中が大切、とおっしゃった、と教えられる。但し百マス計算校長も司会者も「番組に出演の若い人たち」も誰もその美輪明宏の言葉の真意に応えられず、 と。
▼昨日の映画『ナイスの森』について。Z嬢と「グロすら美しく見せる」その演出の見事さ、と語る。
▼浅草のコメディアン関敬六氏逝去。享年78歳。エノケン劇団からフランス座、渥美清、谷幹一とのお笑いトリオは伝説。

八月廿三日(水)朝、裏山を走れば快晴の空に陽射し厳しくも心地よい風に日陰はひんやりと「もう秋か」と思い帰宅して暦をみれば陰暦七月卅日。処 暑。早晩にZ嬢と待ち合せ油麻地の美都餐庁に食す。味つけ あっさり。旺角のUA映画館。映画館のあるLangham Placeは若者中心にかなりの賑わいだが、この高層ビル、火事になったら逃げ場なし。日本映画『ナイスの森』見る。オムニバスのように「くだらない」短 編がいくつも重なり続く。くだらなさに150分も辛いかしら?と思うのだが徐々に面白くなってくるから不思議。くだらなさもここまで徹されるとシュール。 他の観客も最初戸惑い感じられたが後半はリラックスして笑いが起きるようになったのは制作者の思い通りか。大麻でもキメて見たら最高に楽しかろう。それに してもくだらない(笑)。 Z嬢帰り独りタイ映画“Dorm” 見る。いわゆるホラー映画。ホラー映画は殆ど見ないがタイのホラー映画は一つの世界を創り出している、と何かの映画評で読んでおり(暑いタイだから映画館 で涼しくなれるホラーは人気なのかしら)、筋 書き読み興味もった作品だが一見の価値あり。舞台はタイの寄宿制のお坊ちゃま学校。いわゆる「学校の怪談」なのだが、薄ら寒そうな映像表現が見事で、鴎外 の「ヰタ・セクスアリス」的に少年の思春期という微妙な時期を上手く用いた秀作。どこか南方熊楠的。鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』的に観衆をその世界 に連れ込むのだ。帰宅途中に驟雨。晩遅く中井英夫『戦中日記』少し読む。昭和19年の戦況緊迫とはいへさすが陸軍参謀、演芸会(戦地なら慰問団か)に出演 が川田義雄、笠置シズ子に貞丈(五代目)、柳家三亀松。三亀松師匠が人真似声色付きで泉鏡花の「婦系図」を、「はやせ」を吉右衛門(初代)、お蔦を小勝 (三升亭、五代目?)でやった、というのだから可笑しそう。この中井英夫の昭和十九年十月三日の日記より。
新しい小學校の三階。校庭では體操の時間で二百名くらゐの女の子男 の子が騷ぎ立てゝゐる。水色、赤、黄、華やかな彩どりのいきものが、この二三日、平氣ばかりいぢくつてゐた眼にいとほしい。
集まつて、あしぶみして、歌を唄ひ出す、「豫科練」を「七つ釦は櫻 に碇」を。ふいに先生の鋭い聲がする。じつと指されてゐる、一人の子が。
……あの子はうたつてない。
その子よ、わづかにめぐみ出した嫌惡の心を、ひとりしづかにつちか ふがよひ。やがて咲く不幸の花にいくだび涙させられることはあつても、そこにこそ詩の故郷はあるのだから。そこにこそおまへが、詩人の名を得られるのだか ら。
このさはやかに晴れわたつた秋のひとひ、空には飛行機雲がいくすぢ か絲をひゐてゐる。賑かに、邪氣もなく(?)群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたはなかつた子供、萬歳。
あの子はうたつてゐない、その聲にたぢろいではならぬ。
ヘイ、をかしくつてうたへません、ト。
わたしはひとりでゐたいのです、ト。
必要ならばいつでも列を離れてしまへ
▼蔡瀾は蔡瀾美食坊を香港とマカオで展開しグルメビジネスに進出、日本など各地を周遊のグルメツアーも好評で、Bobo Travelだったか、このツアー専門の旅行会社まで設立。梅宮辰夫が漬物屋チェーン展開するのと同じかもしれぬ、が一応、風流でならす人が、と思うと興 醒め。山口瞳が自分で居酒屋始めたら格好悪い。蔡瀾氏だけにおさまらず、実は香港一のグルメと称される唯霊氏(Willy Mak)も珠海で「唯霊東方食府」というレストラン街を展開と知り、驚く。
▼「小泉二手煙、多吸無益」は蘋果日報に寄稿された学者の文章の見出し。この漢文の見事な簡潔な表現は「小泉の煙草の煙、受動喫煙で多く吸っても無益」と 日本語にするととたんに締まりがないが、これは麻生太郎君の靖国問題について「中国の反対の声が高まれば高まるほど日本人は靖国に参拝しなければならな い、と思うだろう。これは「煙草は吸ってはいけない」と言われると反対に吸いたくなるようなもの」という発言を捩って、次期首相が小泉三世の負の影響を受 けては日本にとって無益、という意味。
▼シュレッダーで幼児が指を切断。メーカーが謝罪。大人には安全でも、子どもの体格などを考慮した安全設計がメーカーに求められています、だって。メー カーも不憫。
▼「佐賀県の海岸に注射器や薬瓶など大量に流れ着く不思議な現象……その原因は?」とNHKのニュースで「最初からわかってんだから「中国から」って言え よ」を三分くらい現場の状況や関係者の話など組んで、ようやく最後に「この注射器などよく見てみると……中国語が」と。バカか。NHKの晩の報道解説番組 迄もが主婦相手の三流バラエティ並み。テレビはほとんど見ないが報道番組の最近は見ると頭が悪くなる。中国の廃棄物の垂れ流しは深刻で福建省沖合の台湾が 領土占有する(近年、大陸からの渡航も可)馬祖も古く大洋航海時代の遺跡などある島だが風光明媚なる海岸に福州方面からの廃棄資材など流れ着き海岸の破壊 深刻。十数億が経済成長することの地球への影響。

八月廿二日(火)地下鉄駅などで「日本沈没」「日本沈没」とSMAPの草彅君主演の映画宣伝なのだが「日本沈没」あまり心地宜しからず。保守反動右翼の諸 君が日本の歴史教育をば自虐史観と非難するが祖国の崩壊をば、それも革命による政府、国家の転覆に非ず母なる土地ぢたいがこの世から消えるといふ、まさに 一切の崩壊について娯楽作品とはいへ楽しめる自虐さは、宇宙人襲来に人類の英知で勝つこと好む米国でなど想像もできぬであろうし、中国で三峡ダムの崩壊に より長江下流が大水害で上海崩壊といったネタで映画制作などしようものなら国家転覆動乱罪かしら。夕方、北角で用事済ませ次の用事に太古城まで行こうと地 下鉄で駅二つだからバスに乗るとバスは北角出ると思いっきりEastern Corridorに入ってしまひ唖然とする間に僅か5分で地下鉄でいえば駅5つ先の更に先の柴湾道まで行ってしまふ。道路交通至便通り越し怖いほど。一昨 日の朝もEastern Corridorでついにタクシーで時速120km経験。いつか死ぬと覚悟。バス降りて太古城に戻るつもりが打合せ相手より中環か金鐘でと求められ地下鉄 で中環。香港図書公司で07年版のFilofaxのリフィールが出ており購ふ。Z嬢先日銀座伊東屋にて07年のリフィール求めれば毎年10月になります、 と言われたもの。電子手帳の普及で今はすっかりファイロファクスなどリフィール手帖使う者減りリフィール購入も難儀。最近は筆で字を書くことも極端に減 り、せめてもの習ひとして、手帖は手書き、だけは続けよう、と。それと携帯だのモバイルギアなどでメールせぬ心がけ。せめて外にいる間くらいはネットから 身を離れようと。結局、待ち合せが金鐘となり日も暮れる時間なのでDan Ryan'sで一飲。といってもFour Rosesのソーダ割氷無しを二杯。帰宅して揖保の糸の素麺食す。NHKのNW9のニュース番組見ていれば関西から名古屋にかけ気温上昇での積乱雲の影響 で記録的大雨、と報じる。大阪でびしょ濡れの若い男にNHKの女性レポーター「びしょびしょですね」と声をかけ、男性に「どこが一番濡れていますか?」と 質問。「えっ……」とキチガイな質問に一瞬怯んだ男性、内心では上方的に「下半身やな〜」と答えるべきか?と思ったか、良心の呵責に耐えかね「上半身です ね」と無難に済ます。レポーターがヘンなのだが、それを放送するNHK報道局の見識のなさ、というか杜撰さ。ここまでおバカが報道に携わっているか、と思 うと呆れるばかり。だが米国の大統領から我が国の首相まで奇人変人が治める世の中と思えば「どこが一番、ぬれていますか?」程度の奇問に驚いてはおれぬ か。首相といえば自民党の総裁選立候補の三者、主張するは谷村新司の如き「美しい国」だの「絆を大切にした社会」だの「日本の底力」だのと。チープ、言葉 ばかり泳ぐ。この下らさに対して「しりあがり壽」氏の漫画「地球防衛家のヒトビト」が秀逸。「話せばわかる」と犬養毅に「問答無用」と詰め寄る青年将校 ら、のコマから「まさかこんな昔のテロの時代に戻らないだろうね」「ところで問答無用ってむずかしい言葉だね」「そうだな、今だったらひらたく言うと」と して「話せばわかる」に対して青年将校が「これは私の心の問題なので話してもムダです」と。
▼昨日訪れし聖ポール小学校講堂にエストニアなる会社のグラン ドピアノあり。旧ソ連に属したバルト海の小国エストニアは音楽盛ん。このピアノかなり古めかしく「エストニア」のラベルには1893年創業とあり「もし や」戦前の日本人学校購入のピアノがまだここに? 製造番号控えエストニア社にメールで製造番号から製造年をば尋ねると1990年代半ば、とさっそく返事 あり。まだ十年物とは。それにしても一晩でご丁寧に返事頂く。
▼歴史家のT君より「珍しいでしょう」と20世紀初頭のミッドレベルの写真に、点在する西洋館の一つに「日の丸」の旗あり。当時の日本の総領事館か、他に 現存する写真になし。明治の頃に初期の総領事館はPrince's Terraceにあったという。ここがそうか、と思ったがT君の話では写真はKennedy Rdと思われ下界が湾仔との由。そうすると旧日本人学校にも近し。興味深き写真だがT君がネット上で購入した歴史的写真ゆゑ残念ながら此処に勝手に公開せ ず。
▼立法会の何俊仁議員への暴力行為につき行政長官Sir Donaldは「追到天涯海角也會逮捕」と決意示す。天涯海角は空と海の果て。中国も越南に近き海南島の西の海岸の大きな岩に「天涯」「海角」の刻字あ り。
▼旧聞に属すが十九日の朝日新聞に田中秀征氏の長野県田中康夫知事落選に関しての寄稿あり。長野県民の田中県政に対する厭世感につき、さすが田中秀征それ は寧ろ「長野県民の改革熱は冷めず」と指摘。長野県は高速道路、新幹線に長野冬季五輪の旧体制的バブル崩壊で、その反発から田中康夫擁立という革命を起こ したはずが、田中知事自身が「県民から寄せられた過剰なまでの改革への期待に十分に応えることができなかった」もので、過度の中央・行政・公共事業への依 存から脱却しようとした田中県政の方向性は正しかったが、それにかわる民間の力を養うことに成功せず、県議会との憎悪に満ちた対立関係も県議は知事とは別 のかたちで民意を代表しているのだから県議に丁寧に説明し協力求めるべきで、県職員の間でも離反が多くなり、結果的に県民の支持離れにつながった、と分 析。見事。
▼『ソフィーの世界』で知られる諾威の作家Jostein Gaarderがイスラエルのレバノン交戦についてイスラエル政府非難の意見発表のところ反ユダヤ主義の烙印押され作家に対しての非難寄せられ る。こ れを信報で紹介の書き手は中国の五十年代の反右派闘争、つまり毛沢東が百花斉放百家争鳴と自由な党批判を求めた結果としての右派討伐が、かりに地元の党員 にひどいのがいて、その党員一人を批判した場合、それが党員批判→党支部批判→党批判と解釈され党を批判することは毛首席批判であり、毛沢東が中国の人民 革命を勝利に導いたのだから批判は反人民、反革命である、という拡大解釈、を思い出す、と。Jostein Gaarderの指摘する点はイスラエル国家が存在することの合法性で
There is no turning back. It is time to learn a new lesson. We do no longer recognize the state of Israel. We could not recognize the South Africa apartheid regime, nor did we recognize the Afghan Taliban regime...... We must now get used to the idea: The state of Israel in its current form is history.
と語る。このthe state of Israel in its current formが示すものは、勿論イスラエルが1948年建国後に1967年のパレスチナ占領による領土拡大で作り上げた<国家>について。Jostein Gaarderは、このイスラエルの存在の根本にあるユダヤ民族を特別扱いする思想に対して
We do not believe in the nation of God's chosen people. We laugh at this people's fncies and weep over its misdeeds. To act as God's chosen people is not only stupid and arrogant, but a crime against humanity. We call it racism.
と公然と指摘。御意。このJostein Gaarderの文章は8月5日に諾威のAftenposten紙に掲載された由。

八月廿一日(月)昼すぎから映像家のH氏、編集者のS嬢、それに香港の風物写真よく撮るM君誘いKennedy Rdの聖Paul小学校訪れ建物の見学と撮影。こ の白亜の洋館の学校は1930年代に当時の香港日本人会が在港の日系企業と個人、日本政府からの援助と台湾銀行の融資を受け、建てた日本人学校。尋常小学 校から国民学校となり日本軍による香港占領により戦局に絡み児童数0名となり一旦廃校。軍営の国民学校として復活し占領下、軍人や占領地での商人の子女が 通う。日本敗戦によりこの学校建物は英国軍に接収され、戦後、建物は建設当時の姿を保ったまま社会福祉施設や学校として利用され続け現在は聖ポール学校が 借用。建物は内装までかなり当時のまま。日本人学校であったことを示す定礎の石であるとか碑文、刻文など一切残っておらぬが校庭に面した建物側面に旭日旗 を模した大きな図柄の校章?があり、校内に昭和15年に建立された「香港神社」の名残もあり。この香港神社の存在が非常に興味深いのは、建物じたいがかな り洗練された当時のコロニアル調の洋館であるのに対して、国策的に校内に神社設けるにあたり狭い敷地内に神社建立にじゅうぶんな土地がなく、苦 肉の策で校庭から地階の中庭に突出た形で混凝土で固めた神社敷地を設け、コロニアル調の建物のなかでその部分だけが祠の周囲の石垣まで思いっきり神社の雰 囲気であること。1930年代まで日本がそれなりのモダンな世界であったところに無理矢理にこの神社を突っ込む、その国策的な神道による国家主義をばまざ まざと見せつけられた感あり。現在は祠や鳥居は取り壊され辛うじて祠の土台だけが残る。がS嬢が目敏く、祠横にもう一つ、中庭に突出た部分あることに気づ き、そこの側面に古めかしい水道栓のようなもの見つける。そこが、当時の国民学校児童であったN氏の当時の写生画で見比べてみると、ちょうど小さな手水舎 あり、その手洗いの水道水の元栓らしい。歴史的にも貴重な建物で基本建築ぢたいには老朽化は殆ど見られず。但し最近の学校用途での内装にかなり無理があ り。この聖ポール校も08年にはAberdeenであったか新校舎竣工で移転。その後この建物がどうなることか、本来であれば香港日本人倶楽部なり港日友 好会館なりで利用されるのが最善と思えるのだが。撮影終わりFCCで涼をとる。いくつか雑事済ませ一旦帰宅。早 晩にZ嬢とQuarry Bayの印度料理Mother Indiaに 食す。ウイスキーソーダ注文したら「赤?、黒?」とジョニーウォーカーで尋ねるのも、グラスにウイスキーだけ注いでソーダと更に氷まで別々に供すところが 印度っぽくていいぢゃないか(印度は知らないが、そういう感じ)。氷入れるなら、自分でね、と。太古城のUA映画館で昨日に続き本晩はオダギリジョー君主 演の“BIG RIVER”(監督:船橋淳)見る。<自 分>を探すためにアリゾナの広大な荒地の中を孤独に旅する日本人青年(オダギリ)はふとしたことでパキスタン人の中年男と出会い、二人は米国娘に拾われ る。この男にのしかかる圧力にポスト911の米国社会を絡ませたくらいで、よくある<自分探し>の物語に何が伝えたいのか、脚本にちょっと無理あり。米国 留学経験のあるオダギリジョーがそこそこの英語で科白まわしが出来ているなぁ、と。「筒井康隆出演」より更に個人的に苦手なのが「制作:オフィス北野、プ ロデューサー:森雅行」作品かもしれない。
▼民主党の立法会議員何俊仁氏が昨日、消費税導入反対デモ参加の帰り、夕方に中環のマクドナルドで食事中に二人組の暴漢に襲われ重傷。暴漢はまさか消費税 導入図る勢力が遣った刺客に非ず。何氏は本業が弁護士。その扱う争議絡みの襲撃の由。何氏はマカオのカジノ王Stanley Hoの義妹何婉琪女史(通称、十姑娘)が義兄相手に争う会社権利に関する件でも十姑娘側の顧問弁護士。昨晩のうちには行政長官Sir Donald君ら政府高官、与野党の党首や有力議員が病院に駆けつけ何議員を見舞い、行政長官、司法官、保安局長、警察署長らが、香港は法治社会であり、 言論に対する暴力は一切許さない、犯人探しと事件解明に全力尽くす、と力強く発表。加藤紘一君の自宅が放火されても首相と内閣官房長官が夏休み決め込むど こかの国とのこの違い。
▼中国が来年打ち上げの月探査機から中国の歌を地球に発信。すでに1970年に中国が初めて成功した人工衛星打ち上げで衛星から毛沢東賛歌「東天紅」流し て以来の試みで月探査機からの中国音楽をば地上の大型アンテナで受信して配給。宇宙というのは本来、国家なんてちっぽけなものと相いれないはずなのに。宇 宙開発にせよ、こんな愛国心高揚にせよ、足穂先生も真っ青な話。

八月廿日(日)昨夜は山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』を読んだ。夜行寝台での小用に困る話とか高橋義孝先生の話とか、いくつか「これは知ってる」 筋がある。きっと週刊文春の「男性自身」の連載で読んだのだろう、と思ったが、元来、記憶力なんてほとんどない。その「これは知ってる」の話が幾つにも及 ぶに従い、どうやら、この『江分利満氏の』を一度か、あるいは二度くらい読んだんじゃないか?と疑わしくなってきた。拝借したのは新刊書だったが、文庫で 読んでいたのだ。吉行淳之介ら山口瞳の親友作家らが次々と亡くなり、著者自身の病気の進行が随筆の話題になるのは、寂しい。この随筆の絶筆となるのが高橋 義孝先生の逝去だ、ってのも悲しい話。山口瞳が尊敬する高橋義孝の後を追うように他界してしまうんだから。それにしても、酒が好きで、競馬、映画、落語に 歌舞伎……とは、まるっきし自分が山口瞳の真似をしているようだ。ちなみに氏の行きつけの店で銀座の「はち巻岡田」と国立は谷保の「文蔵」は、事実、真似 している。ただし京都の「山ふく」と「さんぼあ」は違う。これは自分の好きな店が偶然に、山口瞳行きつけだったのだ(……と山口瞳っぽく)。朝五時半起 床。昨日の日剰を綴り急ぎの頼まれ事だのメールで返信を済ませ、新聞を三紙読む。朝食をとっても天気が今ひとつはっきりしないので旺角のジムまで遠征。油 麻地から旺角に抜ける裏道にスプレー使った落書きが凄い。なかには見事な絵柄も少なからず。ジ ムで筋力運動と有酸素運動各一時間済ませ昼過ぎに外に出ると毛毛細雨。楽園 牛丸大王に食す。午後、擦背、按摩。風呂屋で寛ぎつつ『江分利満氏の』読了。続けて中井英夫(http: //ja.wikipedia.org/wiki/中井英夫)の戦中日記『彼方より』完全版(河出書房新社)読み始める。中井英夫が学徒動員で市ケ谷の陸 軍参謀本部に勤務中の日記。職務柄大本営発表以上に日本軍の負け戦を知りつつ反戦の思想、そして英夫らしい美的な世界。この軍役中に母の死に対峙しての異 常なまでの悲しみ。その母の死まで読む。Z嬢と湾仔で落ち合い北京水餃皇に 食す。餃 子は宇都宮で食して以来だがタレなどつけずに、この、日本でいうところの水餃子の飴と肉汁の美味さ。油ぎっとりの 日本の餃子よかやはりこちらのほうがイケる。この夏、香港国際映画祭がSummer Popsと題して夏の夜の夢の如き映画何本も上映企画あり。太古城のUA映画館にてSabu監督の『アンラッキー=モンキー』観る。1998年 の映画で堤真一の若さ。Sabuらしい、偶然のことから銀行強盗、殺人、ヤクザの抗争に巻き込まれ、の主人公。だが、まだV6で撮るレンタルビデオ映画よ かシビアな世界。面白いが最後、盗んだ八千万円とヤクザの死体が筋的に合わさるところ、でお終いにしてもよかったのでは? Z嬢帰宅し続けて独り青山真治 の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』観る。浅野 忠信主演。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とはイエスが十字架に張りつけられ唱えた最期の言葉「神よ、何故に我を見捨てたもうや」の由。浅野忠信という ことで「おそらくわからないだろう」と思っていたが出演者に筒井康隆の名前を見た瞬間、この作家を役者として理解できない我は(ご本人がかつて「噂の真 相」での連載で自ら出演の芝居の話読むだけで食傷の感あり)ちょっと「こりゃダメだ」の予感。話の筋は2015年だかの世に地球には自殺願望ウイルス蔓延 し日本でも300万人だかが自殺する事態に浅野忠信の創る音楽(若い人たちの間のノイズという類だろうか)を聴いた人たちだけが自殺願望から遠ざかれるそ うで筒井康隆演じる財閥の当主が孫娘救うために浅野の許を訪れ……という話で40分ほど我慢して見ていたがあまりの話の拙さ、筒井康隆の下手な役者の真似 事に、もう限界、と残り30分くらい前に退場。
▼舞踏家大野一雄先生百一歳の御誕辰の由。N兄より久が原のT君通して聞く。
▼書評家で青山学院の広報室長であった山村修氏逝去。享年56歳。この方に『禁煙の愉しみ』という著作あり。青山学院の図書館で司書だかされていた愛煙家 の氏がどう気持ちよく禁煙を愉しんでいるか、の随筆の基本のような文章で、確か禁煙をする事で幼い頃のバニラの如き甘い心地のなかにいる自分、といった事 書かれてきたと記憶。その随筆の美しさに感動し思わず青山学院の図書館宛にお手紙を差し上げたら丁寧にご返事をいただく。この本は当時、間質性肺炎という 病に罹りヘビースモーカーであった父がきっぱりと煙草を止めた時で父に贈ると喜んで読んでくれたもの。その人が56歳の若さで而も肺癌とは。弔報で、この 方が「狐」という署名で日刊ゲンダイに81〜03年までながく書評を書き「狐の書評」など単行本を出されていた、と知る。今年の七月に著書で本名を明らか にされた、というのは生前の最後の証しであったのかしら。著作には『花のほかには松ばかり—謡曲を読む愉しみ』という能の謡曲についてまで書かれていたと は。

八月十九日(土)走らずにバスで島南岸の海岸へ。西湾河から赤柱(Stanley)に向う14番のバスに乗車して今更ながら右手には大潭の湖水に豊かな 水、遠くに見事な石橋とパーカー山、左手には断崖の下に海岸、で一面に緑、と見事な景観。海岸で読書。岩波『世界』八月号の残り半分。特集は「イラク占領 は何をもたらしたか」。共同通信でイラク派遣取材した石坂仁氏のサマワ取材での自衛隊報道の統制ぶりに関する文章一見の価値あり。メディア発達で戦争現場 の報道など全て茶の間で見えているようでいて実際にどれだけ報道が統制されているか、の事実。臼杵陽(うすきあきら、日本女子大文学部教授、中東研究)の 語る、米国によるアラブの民主化について「アラブ世界で民主化論がそれほど活発にならなかったのは、政治的アジェンダとしてプライオリティが低かったと考 える方がわかりやすいだろう。重要だったのは、かつては帝国主義に対抗するアラブ・ナショナリズムであり、一九六七年の第三次中東戦争後はナショナリズム の代替としてのイスラーム主義であった」として、イスラム諸国にとって、欧米の帝国主義に寄生した「人種主義」としてイスラエルのシオニズムがあり、「そ の眼前の敵の存在が、アラブ諸国の政治的アジェンダとして、イスラエルとの抵抗を上位に置く姿勢を決めてきた」とする。わかりやすい。吉次公介「知られざ る日米安保体制の守護者、昭和天皇と冷戦」も面白い。戦後、憲法で象徴という立場となり国政に関与せぬはずの天皇が、実は日米安保体制について積極的な発 言、間接的ではあるが介入をしていた事実。姜尚中の『オリエンタリズムの彼方へ』岩波現代文庫残り半分読了。姜尚中は在日で東京大学教授という、まさに 「日本のサイード」。この本、第五章「世界システムのなかの民族とエスニシティ」が白眉。階級、エスノ、民族集団や国家といったものが資本主義世界経済の なかからシステムの制度として創出されたものであること、「過去の記憶」の所産。フランスの政治学者Ernest Renanの“Qu'est-ce qu'une nation?”(国民とは何か)からの引用「国民の本質とは、すべての個人が多くの事柄を共有し、全員が多くのことを忘れていることです」。午後、バス で湾仔。毎夏恒例の「書展」(ブックフェア)終わっているのにコンベンションセンターに向う恐ろしい人出に何事かと思えば同会場にて「美食展」開催中の 由。グルメ食品のタダ食いか。ジムで久々に筋力運動と有酸素運動を各一時間。Delaney'sに 寄りギネス1パイント飲み帰宅。モヒート。パスタ食す。NHKの@ヒューマンなる番組で終戦記念日の靖国支持、反対の若者に密着取材、とか映画「蟻と兵 隊」を取り上げたり、スタジオには美輪明宏先生招き「戦争と愛」とか、企画はいいのだが如何せん司会と出てくる若者、それに百マス計算校長が拙く、アイデ ア活かせておらず。岩波『世界』9月号読了。自民党の良心・山崎拓さんが靖国問題について語る。北朝鮮のミサイル発射は(官房長官の発言とは異なる見方 で)、あれは「北朝鮮の閉塞感を示している」ものと理解。これは山拓さんの、北朝鮮の核問題の解決は「日本の一部にある核武装論を抑えるために大切」とい う持論に結びつくもの。靖国問題は「小泉政権が終われば消滅する問題」と見方示すが、次期首相が靖国公式参拝をせぬと、今度はマスコミが「中国の圧力に屈 するのか」とナショナリズムを掻き立てる、マスコミの責任に論及。テレビのレベルの低さ、勇ましくやろう、というまるで戦前回帰、敗戦から学んだことを忘 れ昔の軍国主義に戻りつつある、と山拓さんの警笛。ところで加藤紘一さんの自宅放火「テロ」について小泉三世と安倍二世(岸三世)は終戦記念日午後から夏 休み中で一切のコメントなし。『世界』9月号では保坂正康「靖国神社とA級戦犯」、John Breen「靖国……歴史記憶の形成と喪失」の2本が秀逸。保坂氏の指摘は、昭和天皇の発言で脚光浴びたA級戦犯合祀の松平宮司の思想について。松平宮司 の著作によれば「私は就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」で、じつは 就任前から靖国神社の総代会などからA級戦犯合祀は既定だが宮司預かりとなっていた事実。松平宮司の考えは、昭和廿年の八月十五日は天皇の命により「一切 の交戦行為をやめた」日だが「むこうが撃ち込んできたときは、応戦せよ」との但書きがあり。で対米戦争の戦闘が終わったのは国際法上は昭和廿七年四月廿八 日(サンフランシスコ平和条約締結)で、それまでの時期(戦闘状態にあった!)に行われた東京裁判は軍事裁判で、そこで処刑された人々(A級戦犯など) は、戦闘状態の最中に敵に殺された「つまり戦場で亡くなった方と、処刑された方は同じなんです」と。わかりやすい。で、そういう人を宮司とした総代会は東 条英機内閣の時の蔵相や大東亜相といった自らもA級戦犯だった人がメンバー。合祀にかかわった厚生省の引揚援護局というのも元陸軍参謀など厚生省内では別 格的職場。そういうところで、東京裁判の否定、A級戦犯の免罪、太平洋戦争の敗戦の否定、が物語れる。であるから、保坂氏は、とても靖国を首相が「心の問 題」だの「他者からあれこれいわれる筋合いではない」と片づけられない、とする。御意。昭和天皇はこの作為をば見抜いて、それで率直に不快感示したのであ ろう、と保坂氏。本来、親皇派であるはずが、天皇の意志、聖慮にまで叛いての作為。英国倫敦大学SOASの碩学、John Breen氏は達者な日本語で、靖国という「記憶の場」、その記憶により語られる歴史の歪み、を指摘。靖国では慰霊祭の宮司の祝詞を聞けば「天皇陛下のし ろしめすこの国と天皇陛下の大御代が、永遠に、そして威厳をもって続きますよう」と「英霊」は戦没後も軍人として戦っていた時と同じく天皇を護ることに大 義あり。戦没は悲劇でなく賞讃すべき名誉。戦争は敗北に終わったが、やはり有意義で名誉ある戦いであった、という記憶の神話化。靖国にある遊就館での「敵 の姿の、不思議な不在」。「今日の日本の平和と繁栄が、戦没者の尊い犠牲の上に成り立っている」とする小泉三世らの「礎」論の史的根拠の無さ。確かにそう である、小泉三世のいう戦没者は特攻隊隊員であり、三木清を祀っているのぢゃないのだから。靖国神社にしてみれば天皇、首相が参拝することにより企図する のは日本の国家としての国民のモラルの昂揚、それは神社が戦没者を政治的に利用しているのであり、純粋な慰霊、悲しみ、反省をもとにした追悼はできず、と Breen氏。卓見。ところで裕仁天皇を描いた映画『太陽』について四方田犬彦氏の映画評読みたい、と思っていたが『世界』のこの号にあり。「映像による 人間宣言」という題。このアレクサンドル=ソクーロフ監督の作品につき四方田氏は大方好意的だが、一つだけ天皇とマッカーサーの会見につき「完結に纏めら れすぎていて、成功していない」として「戦争犯罪をめぐる討論が回避されている」と指摘。はたしてそうだろうか疑問。四方田氏の言う通り「時間の推移はき わめて朦朧とした調子」で「文章の喩えでいうならば厳密な句読点が施されていない」「結果、出来ごとは曖昧に準備され曖昧に生起することになる」なかで 「すべてが終わり残響だけが遺されているなかで、観客は何か決定的なことが生じてしまったのだ、と遅れて気づくことになる」という、四方田氏の的確なこの 映画への指摘に従うならば、そのようななかで、天皇とマッカーサーにどう具体的に戦争責任について語らせよう、というのかしら。疑問。ところで映画『太 陽』は日本でも好評、と先日、築地のH君と村上湛君に聞く。右翼の暴漢に狙われるのではないか?とすら言われていたイッセー尾形氏は決断でこの映画に出演 し、好演、が結果的に成功。桃井かおり女史も今にして思えば、NHKのトーク番組「夢・音楽館」の司会を一昨年だったか「米国での映画出演のため」と放送 途中に中村雅俊にだったかバトンタッチしたが、この『太陽』での皇后役も退役の理由に絡んでいなかったのかしら。ふと気になる。
▼日本から超党派の日華議員懇談会の議員らが訪台。黄 昏の亜扁総統と会見。で今回はこの議員団訪台に合わせ大相撲の台湾巡業あり。これは1936年以来70年ぶり「戦後初」というのが台湾ならでは。で力士ら も亜扁総統に謁見したが傑作なのが横綱朝青龍の着物姿で、着物の絵柄は万里の長城。台湾独立路線の民進党政権にとって総統謁見に「万里の長城」も御法度な ら、朝青龍も中国出身なら「万里の長城」もわかるがモンゴル出身の彼はいわば長城によって防がれた辺境の異民族の末裔だろうに。ところで李登輝先生も今回 の台北場所はご覧になったのだろうか。向う正面一列六、控えの行司の隣、あたりに李登輝先生がいたら往年の高橋義孝先生とでも間違えた鴨。横綱審議委員に シラク閣下、デーモン小暮閣下に続き李登輝閣下も推挙したいところ。
▼2chに小泉三世の靖国参拝インタビュー(亀田版)あり。傑作。
Q. まず最初に一言
A. どんなもんじゃーい!
Q. 参拝なさった心境は?
A. まだ実感ないな
Q. なぜ、8月15日を選んだのか?
A. オレ流のサプライズや
Q. 中国・韓国が反発していますが?
A. 言いたいことがあったら言ったらええ、人それぞれ、いろんな見方があるからな。
Q .国内からも、参拝に批判的な声が上がっていますが?
A. それぞれ判断基準があるからな。 でも、オレは公約を守るだけやから。
と「答え」はすべて拳闘の亀田君の実際の発言だとか。確かにそのまま首相 発言としてもよろしかろう。

八月十八日(金)朝、久々に10kmほど走る。晩にA氏より招飲あり。A氏宅。山口瞳『江分利満氏の優雅なサヨナラ』拝借。安藤更生『銀座細見』読む。安 藤更生は(1900〜1970)は美術評論家で『銀座細見』は昭和6年に発行されたものの中公文庫版(昭和52年)。銀座について、とくにカフェの記述な ど詳細に渡る。
銀座は元来小売の町である。そしてその各々の店は永い間の信用のも とに築かれていて、少数の客に対して特種な堅実な、エラボレエトされた商品を売っているのである。いわば銀座全体が一つの非常に高級なデパートだったの だ。それは高雅な趣味と、完美な精神とを持つ者でなければ見分けられないようなものばかりである。従来の顧客はそういう人々ばかりだった。デパートの客は 気取っていても、佐野屋の足袋と福助足袋の区別はつかない。食堂の寿司も新富寿司も同じなのだ。彼らには誰にも知られていて定評のあるものならなんでもい いのだ。 とか
これまでの日本文化は、銀座文化は、これら西欧諸国の半強制的な模 倣だったのである。すでに原型がその文化的能力を失いはじめている時に、その模写が追随しないわけはない。日本におけるフランス好み、銀座におけるフラン ス趣味は、今やそれが一片の過去への追懐の情に止り、やがてはかの江戸趣味に対するように低徊的なものになってしまうであろう。これに代るものは大資本 と、スピードと映画のアメリカニズムだ。日本人の多くは、今やアメリカを通じてのみ世界を理解しようとしているのだ。
と昭和初期の卓見。今では日本一の商店街の銀座だが、昭和初期の当時もまだ銀座は若者の多い、ハイカラだがクセの強い一角で、当時は何といっても日本橋の 大店街、そして商業地区としては神楽坂や本郷!のほうがずっと賑わっていた、というのも面白い。今の銀座は有楽町からの動線が主だが、新橋から八丁目に入 るのが主で博品館(現在はオモチャ屋だが当時は勧工場)が銀座の入り口。銀ブラは銀座通りの西側を漫ろ歩くのが粋であった、とあり。文藝春秋で芥川賞の伊 藤たかみ『八月の路上に捨てる』読む。現代の若者の……というが読んでも共感も反発もなし。

八月十七日(木)快晴猛暑。母から電話あり五日の日剰に陶芸家松井康陽を「松井康陽の実子」と書いており康成の間違い、と指摘受ける(敢えて訂正せずにお こう)。よくぞ細かいところまで読んでくれたもの。遅い午後、編集者のS嬢と一緒に(上環か西環か微妙な)映像家のH氏のオフィスで打ち合せ。ここは羽仁 未央さんの主宰の事務所で羽仁さん戻りZ嬢も来て「鍋」する。いろいろ興味深い話あり。映画「ゲルマニウムの夜」についても制作にかかわった羽仁さんから 直接、話を聞く。
▼数日前のメモ書き見れば小泉三世靖国参拝につき中国外相の発言に「人類の良識を踏み躙る行為」とあり。小泉三世に対する非難の中で最も彼のout of senseぶり指摘の表現か。官房長官安倍二世(岸三世)は小泉靖国参拝について「個人個人の思いのあることで、評価は避ける」と宣っており。内閣総理大 臣は個人であると同時に国政の代表者であるから「個人個人の思い」で物事を判断されても困るし、全ての行為が評価の対象になること。アイドル系芸能人が ノーパンしゃぶしゃぶに行く、のとは大いに異なる話。蘋果日報の社説(本日)は小泉靖国参拝について中日間で外交含む大きな問題となり論争の争点となるの は必至としても我々は冷静にこの小泉靖国参拝に至る日本の状況を鑑みるべき、と。
戦後の日本は終身雇用制、教育の拡充、高学歴の労働力などに恵まれ るなか安定した保守的な体制のなかで高度経済成長を遂げた。その安定した戦後が九十年代に入るとさまざまな亀裂が生じ、それが「強い政治家」を求める背景 となった。六十年代に生まれた世代など、生まれた時から経済成長で、現代の急激な社会変化に対応しきれない。さまざまな社会的問題について、それを国の内 部の問題として消化しきれず、対外的にも弱い日本という国、明治など過去の強かった日本への憧憬を生み、国際的に強い日本という国家の存在に何かを託す。 それが石原慎太郎などへの支持となる。小泉でみれば強硬外交も北朝鮮から拉致被害者を連れ帰るなど成果を見せたが、その後の対中韓外交などを見れば失敗は 明らかで、首相後継者には外交建て直しが求められる。タカ派として、国内の問題の解消(実際の解決ではない)のために強い日本という演出が用いられるが何 も解決していないのが事実。中国人としては、日本が歴史を正しく見据えることを望むばかりで、過去の歴史的責任を今、日本に深謝することを求めているもの ではない。
と(要旨)。かんぜんに見透かされている。お恥ずかしいかぎり。

八月十六日(水)今朝のSCMP紙の社説“Yasukuni visits create needless tensions”で
Japan is eager to play an increasingly prominent international role, but it cannot be given such stature while its prime minister ignores the diplomacy such a position requires.
という書き出しの一文。まさにこれ。自虐史観からの脱却だの中国に対して諂わぬ強い態度、といった桜井よし子や中西輝政みたいなレベルでの小泉三世のやり 方よか、本来であれば中国や韓国の立場を理解した上で上手に振舞い共感を得てこそ、の日本の国際的評価のはず。暑い日が続くなか午後ずっと金鐘から中環ま で外回り。途中、中環の公共図書館で数年使っていなかった図書館カードの更新。HKIDのカードも図書館カード兼用できるそうな。IDカードに図書の閲覧 履歴が残るのは不快。CDが数百枚、貸出にあるのを今まで気にせず。試しに王健のバッハの無伴奏チェロ組曲とカラヤンと伯林フィルのシベリウスの交響曲2 番など4枚ほど借りる。二週間。正直なところiTuneに保存してiPodで聴いて、の時代。図書館でPowerBook出していきなりやったりしたら露 骨。晩に帰宅してからほんの短い距離をジョギングしてジム。帰宅して韮と豚肉を鍋する。
▼昨晩の続き。NHKで昨晩「日本の、これから「アジアの中の日本」」という番組あり。麻生外相、内藤克人や姜尚中など出て議論。そこでスタジオにいる人 や視聴者に対して「中国は日本にとってパートナーかライバルか」という二者選択。7割がライバルと認識。英国にとってフランスは、とか、韓国にとって日本 は、とか答えは本来「パートナーでありライバル」で不思議でもなんでもないわけで、こういった二者選択で不毛な問題を提起することぢたい幼稚。番組で識者 の誰一人としてそれを指摘せず。NW9で中曽根大勲位曰く「靖国参拝を公約にしちゃいけない。公約にしたら私的参拝はなくなる。首相本人が参拝するかどう か、ということではなく、天皇陛下がどうしたら参拝できるか、を考えるべき」と。21年前の終戦記念日に首相として参拝した大勲位本人の道理。だが大勲位 自身、永年比例代表一位という自民党にとっての最大栄誉をば奪ったのが小泉三世。で小泉賛成が大勲位の言葉をば拝聴する筈もなし。公明党は小泉三世の靖国 参拝を「まことに遺憾」とする、がその内閣を連立で支えるとは嗤える。今朝の朝日新聞に昨日の小泉三世の靖国参拝後の報道陣に語ったコメントをもとに「首 相の弁、五つの疑問」という詳細に渡る発言の分析と疑問点提示あり。非常に理知的。小泉三世という人の発想の狂いを的確に分析。だが、これだけ長期に渡り 首相にして支持率も高く維持してしまったかぎり、小泉思考の狂しさ指摘することは亀井静香的に「国民がバカ」と言っているようなもので国民の五割はそれな のだから、この小泉非難が注目されるはずもなし。ところで昨日の戦没者追悼式、靖国参拝した小泉三世の「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓い」ばかり報道され ているが縄文人・河野洋平衆議院議長の追悼の辞は特筆されるべきもの。
私は、新生日本の「目覚め」を信じ、そのさきがけとなることを願っ て犠牲を受入れた若い有為な人材たちに思いをはせるとき、戦争を主導した当時の指導者たちの責任を曖昧にしてはならないと思います。現在も世界には戦火が 絶えません。私は北朝鮮政府に対し、対話の枠組みに復帰し国際協調の道を歩むことを望みます。イスラエル政府に対し、またヒズボラ、ハマスに対し、国連安 保理の決議に従って。暴力を停止して、和平実現に取り組むことを望みます。世界の国々の指導者たちに、平和を取り戻すための対話に積極的に取り組み、和平 実現の条件を作り出すべく一層の外交努力を求めます。
とA級戦犯には触れずとも戦争責任論に言及したことも異例なら、世界の和平実現に向けて、国家の名前まで挙げて言及も異例。ここに暗に米国、それに追従す る日本も範疇に含まれている、と察していいのでは。追悼式に臨席の陛下がどう感じたか。「河野、よく言った」だろうか。
▼加藤紘一氏の山形鶴岡の自宅が放火され右翼らしき男が割腹自殺図る。せいぜい「首相は靖国に参拝するべきではない」といった程度での発言で狙われる怖 さ。本来であるなら、この政治家狙った攻撃に対して、内閣官房長官あたりが緊急で記者会見行い内閣としての声明を発表くらいするべきでは? しかも内閣官 房長官が次期首相就任確定なのだから。対北朝鮮だの中国だと発言に威勢いいのに。これのほうがよっぽど怖い。
▼今日の蘋果日報に重慶と四川省の半世紀で最悪の摂氏40度超える猛暑と旱魃の原因の一つが三峡ダム、と報道あり。三峡ダムの完成で四川盆地の大気の流れ に影響あり盆地に空気が溜まる現象。三峡ダムの自然に与える影響は計り知れず。その四川省といえば松茸の産地でもあるのだが、同日の信報に四川省からチ ベットにかけての松茸の話あり。偏狭の高地の人々にとって七月から九月にかけて松茸採集は重要な副業。もともと松茸を食す習慣なく、その松茸がキロあたり 30元というカネになる。松茸は中間業者から都市の売買業者の手に渡るとキロあたり80〜150元になり香港や日本の業者に渡った松茸はダイアモンドに化 ける。90年代のバブル期にはキロ800元になったこともあったが通貨危機で10元台にまで暴落。この地で松茸とならび金の卵は蟲草(ちゅうそう)。漢方 の高価な薬材キロあたり3万元。豊かになることを誰も否定できぬ、が住居家屋の建築でかつては木材は彼の地では貴重でかなりの財力のある家だけが屋根や梁 に木材用いていたものが乱獲となる。

八月十五日(火)終戦記念日。小泉三世お約束で靖国参拝。毎日新聞は山西省残留兵士問題を問いかけたドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」の監督・池谷薫氏は
『蟻の兵隊』に出てくる元兵士たちは、国に捨てられた人たちだ。小 泉さんが心の問題と言うのなら、彼らの気持ちも忖度して欲しい。中国残留を命じた上官が祭られている靖国に「一緒に祭られるのはまっぴら」と言う元兵士の 気持ちはよく分かる。
と語る。小泉三世本人にしてみれば公約守り有終の美を飾ったつもりだろうが、朝日新聞が今朝の社説で
小泉政治の特色の一つは「分かりやすさ」にある。敵味方を峻別し、 二者択一を迫る。国内問題では確かに成果を上げたけど、外国を相手にして思慮ある手法だとはいえない。外に敵を見つけ、国民の感情をあおるのは危険であ る。
と指摘していたが、小泉三世の今朝の参拝後の発言も首相である自らの靖国参拝を「問題にして混乱させる勢力」がある、とその<敵対勢力>を非難。郵政民営 化の時と同じで反対意見を安易に「敵」と詰る、この安易さ。幼稚さ。小泉三世自らが靖国参拝を個人の思想信条の自由とするなら、その参拝に反対する意見が あることも認めるベきだろう。これが首相だと思うと情けない限り。而も今年は靖国神社で本殿に上がったのも「警備の方も大変だから」だそうな(笑)。何が 尊いのか、何が大切なのか、結局わかっておらず。国のために尊い命を亡くした人々……というが今朝の朝日に半藤一利氏(文藝春秋・元編集長)が、
多くの人は戦闘による死をイメージするだろうが帝国陸海空軍の 240万人の死者のうち7割が飢餓、食糧の補給もされず見捨てられた無残にして無念の死。遺骨の回収も124.5万人に留まっており、それが戦争犠牲者の 実態。戦後も含め彼らを見捨てたまま名前だけを「英霊」として靖国に祀っている
と指摘。千鳥ケ淵の戦没者墓苑にせよ(戦没者追悼を正す全連協会長)秋山格之助という人の指摘によれば(同日の朝日、視点)
この国に戦没者葬る国立墓地がない、のが実態。墓誌埋葬法は一定の 条件で自治体に申請し墓地と認定された場所以外に人骨の埋葬を禁じているが秋山氏の調査によれば千鳥ケ淵墓苑は東京都に申請、認可された墓地に該当してお らず。ただし厚生省は「法律上の墓地ではなく、遺骨の保管(納骨)場なので葬る許可は無用」として納骨続ける。六角堂という納骨室の地下は広さ12畳ほど の空間。骨どころか高熱ガスで処理され微塵とかした灰が「三十数万体の遺骨」として収められる。
小泉首相は靖国参拝の後、千鳥ケ淵にも詣でたと胸を張るが、秋山氏は「千鳥ケ淵墓苑とは何と恐ろしい場であろうか。地上の飾りと式典は虚飾で、地下の実態 は「戦没遺骨の最終一括処理場」だ」として、ゴルフ場だの立派な橋や道路はできても戦没者を納骨するそこそこの広さの墓地すらない実態を嘆く。この多くの 矛盾の上に戦没者本人らの意志などとは関係もなく、戦争責任問われる昭和天皇ですらA級戦犯合祀に反感抱いたのに、その先帝の気持ちすら省みられることも なく、「お国のために」「英霊」と奉られ、勝手な物語が書き綴られてゆく狂気よ。本日、快晴。中央図書館に先週の新聞閲覧。八日晩に信報で李嘉誠次男(李 澤楷)による信報の50%買収が発表され九日の信報にベタ記事あり。週末まで信報ではこの買収劇について既成事実か「今さら」論評もなし。九日の蘋果日報 に詳しい記事あり。編集方針に変更なし、だそうだが数ヶ月の間に李嘉誠次男(李澤楷)の持ち株率は7割に達するそうで事実上の売却。Anson陳方安生女 史の信報加入なども噂あり。蘋果日報の詳細に渡る記事によれば、林山木(社主、筆名は林行止)は潮州人(つまり熱血漢)。若くして査良鏞(作家の金庸)主 宰の明報にリサーチャーとして傭われ56年に英国に留学し経済学修める。明報に戻り明報晩報(懐かしい)の経済版副編集長となるが73年に明報の娯楽路線 化により査良鏞と袂を分かち妻の駱友梅、明報編集部で親しい曹志明(筆名は曹仁超)と三人で経済専門紙・信報を創刊(この三名が会社所有)。当時、香港は 不況と石油ショックで経済専門紙の部数伸びず三人は取材、記事執筆から編集まで全てこなす。八十年代に入り信報の発行部数伸び黄金時代迎えるが九十年代に 入るとバブリーな「経済日報」の創刊などや総合紙の経済面充実などあり信報は部数落とし01〜03年までは赤字続き(共同通信電の都新聞記事は正しかっ た)。それでも03年の基本法23条立法では立法化の暁には信報廃刊とまで主張し気骨あるところみせ、北京中央のお偉方も購読という、東洋の金融時報 (ファイナンシャルタイムス)とまで評される高級紙として存続。……が今回の李嘉誠次男による買収。今週の紙面にようやく信報の伝統としての評論姿勢が崩 れぬよう、といった識者の文章がいくつか掲載される。どうであれ香港で信報が今のまま存続せぬと大変困る。某通信社の特派員S氏も毎日、まず網上で多維新聞網をチェックし、蘋果日報、東方日報から読み始め、 面白いのだがどうも事実背景が読めず信報読むと「なるほど」と理解、と。全く同感。今日は、ふとモヒートが飲みたくなって(なんて書き出しは植草甚一みた いだが)というのは先日トラヤ帽子店でもらった「銀座百点」誌で太田和彦氏の随筆が銀座のMori Barを紹介。七丁目の外堀通のこのバーは訪れたことないのだが店主・毛利氏といえばドライマティーニ、だが太田和彦氏の文章によれば毛利氏が昨年、 キューバ訪れハバナで「世界が変わった」ほどでモヒートに出会う。……という記事を香港に戻る機内で読んでから、数日、ずっと「モヒート」がアタマから離 れず。ヘミングウェイがハバナのBar Bodeguitaでダイキリと同じく愛飲の酒であることは酒好きには常識。蘭桂坊の何処だったかの中南米風のバーでしばらく前に飲んだ記憶があるが甘っ たるくて閉口。で自分で作ればいいわけで中環のOliversでラムはハバナクラブの3年物、ライム、ミントを購う(瓶詰めのライムシロップは絶対にダ メ)。あたまの中で出来上がりの味を想像しながらレシピ考える。こういう時がとても楽しい。かなり久々にFCCのバーに寄り珍しくジントニック二杯。帰 宅。モヒート富柏村風は、ま ずグラス(Collinsサイズ)のグラスにまずライム半個を絞り実もそのままグラスに落としミント(枝つき)たっぷり、シロップも小さじ半分ほど加え、 ここで木棒で押す。氷槐を入れてソーダ七分目まで注ぎ最後にハバナクラブの3年物を溢れるギリギリまで注いで出来上がり。夏の猛暑の飲み物であるからソー ダを出来るだけぬるくしない事。そのために最初からソーダ入れてライムやミントと攪拌せぬのがミソ。ソーダの炭酸が抜けるのも最小限に抑えている、って講 釈の出来過ぎか。見事な夕陽。モヒートが美味い。晩に近所に住うO君来宅。Z嬢の手作りの肴で麦酒かなり飲む。昨日の二記の四季豆の残り(挽肉とタレ)、 土鍋でご飯焚いて炊き上がりにそれをかけて蒸らしオコゲ作って食してみたら、予想以上に美味。O君には福島のレパコの甘味いただく。ブランデー飲みながら 甘味。
▼蔡瀾氏より、六月に氏が蘋果日報の随筆で日本酒の等級に言及、日本酒等級は税制がためで廿年も前に廃止とメールでお伝えしていたが、ご指摘に感謝、と返 信あり。多忙のなか遅ればせならが一読者の指摘に謙虚な姿勢見せていただく。秘書嬢のまとめ返信かも知れぬが。
▼台湾の反亜扁総統の動き。民進党の大御所・施明徳氏が十三日の反亜扁集会に登場。昨日の信報社説に面白い話あり。台湾の政治家中の政治家・李登輝先生、 亜扁辞職後は副総統・呂秀蓮が亜扁の特赦と次なる総統選挙に立候補せぬこと2つを条件に総統に就任、立法院長(議長)の王永平(国民党籍)をば行政院長 (首相)に任命し、民進党・国民党に囚われれず「本土政権伸続」をば確保。国民党で外省籍の馬英九と人気二分する王永平の取込みにより国民党分裂させる李 登輝の老獪なる戦術、と。興味深し。ところで去就注目される亜扁総統、九月に帕勞(パラオ)訪問。この外遊中に施明徳らによる大規模な反亜扁抗議集会開催 予定あり。亜扁総統そのまま海外亡命とか……。
▼中央図書館で新聞の閲覧すると閲覧票に必要事項記載して提出。で閲覧終わり新聞返却すると閲覧票のうち個人情報の部分切り取って返される。新聞も最近の ものは数部あるため誰かとかち合わず。初めてこの図書館の新聞閲覧利用したが便利だし安全。

八月十四日(月)終日諸事に忙殺され晩に至る。昼に銅鑼湾で恭和堂の 亀苓膏頬張る。昔に比べると砂糖なしでも甘み感じるほどあっさり。早晩にZ嬢と西湾河で落ち合う。雲ひとつなき空に夕陽が映える。二記海鮮飯店に食す。大 蒜で蒸した蝦、四季豆に椒鹽豆腐。四季豆は豚挽肉ふんだんに用いてかなり余してしまい汁も豚の油が出て美味いため持ち帰り。土鍋で飯を炊いて、この挽肉汁 をかけ蒸らして食したらかなり美味いだろう。
▼文藝春秋九月号に「この国のために命を捨てる」という安倍二世(岸三世)のインタビュー掲載あり一読。お願いだから、この国のために命捨てずに。もし北 朝鮮がなかったらこの人がこんなに信望を集め首相になれず。北の将軍様、そしてテポドン爆弾に感謝感激雨霰。強硬派であるが、日ソ国交回復がタカ派の鳩山 一郎であったように、意外と、この安倍首相で日朝国交回復であるとか、靖国参拝も小泉三世の轍を踏まず微妙に躱し対中外交も恢復迎え、といった予感。小泉 三世がしくじった外交を持ち直して国民の間に「安倍さんは立派な首相」の好感度高まり……とか。じゅうにぶんに有り得る話。今回のこの文藝春秋の取材と て、いかに今回の北朝鮮のミサイル発射を安倍二世(岸三世)が中心となって政府が迅速に見事に対応したか、の提灯記事。安倍二世(岸三世)は小泉靖国参拝 についてA級戦犯合祀後も大平、鈴木、中曽根、橋本と参拝し何故に小泉だけがこうも避難されるのか?と疑うが、問題は小泉三世が終戦記念日の参拝など通し て「中国に諂わぬ」という下手なパフォーマンスに興じることで中国の逆鱗に触れたもの。主義主張を通す、安倍二世(岸三世)の、何が「戦う政治家」か。
長い歴史を紡いできた日本という「美しい国」を守るためには、一命 も投げ出すという確固たる決意が求められるのです。
と、まるで拳闘の亀田某の如き安っぽい話。糸を紡ごうが切ろうが悠久に時間は流れる。文化だの自然だの確かに日本に美しいものは司馬遼太郎的にあろう。 が、「日本という美しい国」は出来て、わずかに明治廿年代から百十数年かの話。共同幻想。一命を投げ出す、などと言葉の上滑り、まことに甚だしきかぎり。 これにまた勇気づけられたりする民度低き国民多ければ悲しい話。

八月十三日(日)晴。早朝に目覚め今日の予定をぼんやりと思い起こすと香港に戻るのはいつも最終便のCX505便であるが今日は台北経由。台北経由は18 時30分発なんてある筈もなし。起きて時刻表で確かめれば16時丁度発。完ぺきな勘違い。いつもCX505便に合わせ東京駅発15時の成田エクスプレスに 乗車のところ英米テロ対策警備強化で昨晩のうちに30分早い列車に昨日乗変。16時発ぢゃこれでも無理。慌てて朝食も取らず新橋駅までジョギング。みどり の窓口で乗変はもう一度したので一旦払い戻しで正午の列車を取ろうとするがG車1席のみ、で11時発か14時発しか2枚お取りできません。機転の利く女性 職員が(どうも「みどりの窓口」というと旧国鉄時代に導入された「マルス」のシステム扱うのが昭和四十年代当時、非常に訓練された専門職員であったため今 でも彼らの険しい表情が印象にあり。で女性職員や客に「うん」と答える(それは「いいえ」だろうがっ!)若い男性が端末の画面にピッピッと触れながら業務 する姿にどうも「大丈夫?」と思ってしまふ)すでに購入&乗変の切符の払い戻ししている最中に「あ、12時の列車の普通席が1枚出ました。G車と普通車で 1枚ずつ、で宜しいですか?」「はい、それで結構です」でどうにか英米によるテロで厳重警戒で混乱と新聞の朝刊にも出ている成田への列車の切符を確保す る。ホテルに戻り部屋でコンビニおにぎりの朝食。Z嬢は銀ブラに出かけるが余は部屋に戻り雑事済ます。本当は昼に新宿に墓参りして「いしかわ」で鮨のはず が。正 午の成田エクスプレス。Z嬢に「鉄ちゃんだから」といわれ鉄道好きはG車譲られる。車内に防弾チョッキに拳銃携え た、見た目にはほとんど武装の鉄道警察官二名。やめてよ。成田への車中、中島京子『ツアー1989』なる小説(新刊書)読む。朝日新聞でも「すばる」でも 好意的な書評あり、の香港へのツアー舞台にした小説。榎戸ケイスケという登場人物が榎 本大輔氏に思えて、同 じ吉田超人という怪しい人物が吉 田一郎氏に思えてしまって可笑しい、が、それは作品ぢたいとは全く関係ないこと、で小説ぢたいはあたくしにはあまり面白くもない。成田空港着。米 国便は預け荷物の検査に長蛇の列。不憫。というか米国に行かなければ面倒な検査、審査もなければ、ワケのわからない新型旅券も要らず。というか米国が存在 しなければ世界はもっと平和。二人で70kgの荷物預け(今回も本屋の買い出しの如し)登場手続き済ませ手荷物と身体検査に向うが予想に反して順調。米国 行きの搭乗客だけが修験道の山伏の如く心頭滅却と唱えながら裸足で火の上を歩く火渡大護摩供養あり。これもいい加減で「どちらまでですか?」と尋ねられ 「香港」と答えると搭乗券もろくろく見ないまま裸足の火渡りは不要。米国行きでも適当に「バンコク」とか答えれば裸足での火渡り不要か。いい加減といえば 搭乗手続き前の預け荷物の検査とて長蛇の列だがファースト&ビジネス客は優先、で職員は航空券も見ないのでエコ客でもファースト&ビジネスで通り抜けられ る杜撰さ。で出国審査もこれまでの成田空港で経験したことなき3、4人待ち。どうも周囲の搭乗者の会話聞いていると午後3時の便なのに9時に成田に到着し てた、とかアルカイダ名乗る米英の自作自演テロ対策強化とマスコミの「成田は混乱」報道により搭乗客があたくしも含めかなり早め、早めの移動となった所為 で成田はむしろ混雑せず。やはり「テロの脅威」の社会的効用計り知れず。誰かが「テロの脅威」を利用している証左なり。出国審査のところに法務省の「北朝 鮮への渡航自粛のお願い」の掲示あり。(こ ちら
北朝鮮による今回の弾道ミサイル又は飛翔体の発射は、我が国の安全 保障や国際社会の平和と安定、さらには大量破壊兵器の不拡散という観点から重大な問題であり、船舶・航空機の航行の安全に関する国際法上の問題であること 等極めて憂慮すべき事態です。つきましては、北朝鮮への渡航・滞在を予定されている方は、目的の如何を問わず、渡航を自粛してください。
と。北朝鮮が本気で日本攻撃する意図なきことなど常識。「北朝鮮の脅威」を北朝鮮自身も日米も上手に利用しているだけの話。なぜ日本の安全保障や国際社会 の平和と安定、さらには大量破壊兵器の不拡散という観点から個人が渡航自粛せねばならぬのか、全く理論的な根拠なし。寧ろ「米国への渡航自粛」のほうが 「国際社会の平和と安定」のためには重要かねぇ、とZ嬢と話していると、あたしらの後ろに並んでいたオジサンが「この人たち過激派か」という心配そうな目 線(笑)。第1ターミナルの南翼に出来た「成田仲見世」なる商店街の免税店で従兄弟のK君が勤務しておりちょっと顔見せ。普通の小売店なら「ちょっと、こ れお土産に」「いや、そんな気をつかわないで」と酒の一瓶でもいただけるところだが免税店なのでそういうわけにもいかぬ。全日空とStar Allianceの占有する南翼をK君に案内され見学して(ANAのラウンジはかなり快適そう)競 馬関係の友人らのブログでかなり噂になっていた第5サテライトから第4同への地下通路を歩く。本当に人っ子一人おらず。350mだか地下通路延々と歩かせ るよか、その「成田仲見世」歩くほうがまだ精神衛生上も空港としての収益上もいいのではなかろうか。キャセイパシフィック航空のラウンジで(ここを使うの も今回が最後?)昼飯がわりにカップラーメン。CX451便に搭乗。2階席の一番前の81Aと81Cで快適。台北への機中、小熊英二著『日本という国』読 む。理想社の中学生でも読める社会科副読本的な小熊氏の国家論。慶応大学の先生であるから小熊氏は福沢諭吉の『学問のすすめ』から話をば始めるのだが「天 は天の上に人を造らず人の下に人を造らず」という書き出しばかりが実際に同書をば読んでおらぬ人ほど「平等主義」などと誤解しているが実際には者会はそう 甘くないわけで、というところから小熊氏は語り始め、西洋文明を吸収することが「勝ち組」への道と
「日本という国」の近代化は、こうして始まった。西洋の文明を吸収 し、国内では「学問」をして競走に勝ちぬき、国際的には「侵略される側」から「侵略する側」にまわる。そのために、国民全員を義務(強制)教育によって、 勉強させなければならない。だから明治政府はおおくの学校を建て、福沢も慶応義塾をつくった。そうやってできあがった学校制度の流れのはてのなかに、現在 のわれわれはいるわけだ。
と、これじゃ「学校図書館には置いてくれないかしら」か。その義務教育も実際に徹底されたのは、噂の「明治二十年代」であることを小熊氏も指摘。日清戦争 で得た賠償金が教育基金となり、明治政府も財政が豊かになり教育への国庫補助も増大し明治33年(1900年)に義務教育の無償化など国民教育の徹底がな されるのだが、これも「国民に教育を広めることがどんなに戦争に役立つかが、じっさいに戦争をやってみてよくわかった」からで、近代が戦争でも産業でも読 み書きのできる国民をば必要としたこと(歴史的に、の話だが)。このような強制なのであるから、小熊氏は「不登校やいじめなんて、あってあたりまえ。全国 の子どもほぼ全員が受験戦争にまきこまれて、子どもたちに何らかのストレスや問題が生じなかったら、そのほうがかえって不思議なくらい」と言い放つ。しか も、その国民教育には「貧にして知ある者」という国家にとってはマイナスとなる貧しさに不満や疑問をもつ国民も生まれてしまうから、国に対する忠誠心、愛 国心、そして誇りある歴史の教育などが始まる。今年の3月に上梓された本だが、靖国問題にも当然触れており、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感、という話が すでに盛り込まれており、そういう意味ではタイミングよかった鴨。7月で第五版であるからかなり売れている由。ただ、一つ思うことは、<近代国家のしく み>という意味では小熊氏のいう通り、だが、そういった事実は自分なりにみなさん思考的に右往左往して自分なりに勉強もして切磋琢磨してわかった事の筈、 で、それを中学生に簡単に「こういうものですよ」と教示してしまうことが果たしていいのかどうか、多少疑問。台北到着。夕陽がきれい。キャ セイのラウンジでお決まりの南京牛肉麺と肉饅に台湾麦酒。ラウンジの麺コーナーのおばちゃんも愛想よく台湾らしさ。小一時間で香港に向け出発。機中、樋口 陽一先生の『「日本国憲法」まっとうに議論するために』(みすず書房)読む。内容は樋口先生の持論で、それをみすず書房の「理想の教室」と いう入門書シリーズ(という意味では理想社の前述書が「よりみちパン!セ」というシリーズで中学生以上向け、なのに対して、こちらは勉強好きな高校生以上 から大学生向け、といった感じで、そういう意味では内容は樋口先生の持論をわかり易く書いたものだが、樋口先生であるから独特の理論展開は、いくらご本人 が簡単に書いた、といっても平易に書き下した分、難しいところがあり
性(sex)による差別の解消を主張する立場から、男女の別をジェ ンダー(gender)と呼ぶならわしが、英語圏からはじまって、他の言語圏にもひろがっています。genderは、もともとジャンル(genre)を意 味します。この言葉の内包する論理からすると、男女というジャンルを論ずる場を越えて、およそジャンルによる不均等取扱を否定して「本質的平等」を推進す る起爆剤となる可能性と危険性が含まれているのではないでしょうか。あえて「危険性」と言うのは、その論理をおしつめると、個人の結合ではなくジャンルの 連結からなる社会が構成されるからです。
と言われても、その「ジャンルの連結からなる社会」が具体的に何か100字以内で述べよ、と言われると難しい。例えば「マイノリティにとって差別に対抗す るような形で、同じジャンルに属するものが集団となることで、平等を推進するはずの思想が、例えば「同性愛者が異性愛者をむしろ異常者と見る、排除するよ うな発想」を育み、genderによる対立が生じること」が解答例なのかしら。樋口先生はこの本の最後で、『近代の超克』で一人だけラリっておらず冷静に 近代についての疑問を呈す中村光夫と、西欧の中心にあって西欧中心主義の脱構築を訴え続けたジャック=デリタの敢えてのヨーロッパ主義の主張を紹介する。 そういう意味では樋口先生もいい意味で非常に近代や憲法について保守主義なのであり、伝統にこだわる原理主義者である、と思う。香港に到着し飛行機がゲー トに接岸してから一時間で入国審査、荷物受け取り、エアポートエクスプレスとタクシーで自宅に到着。深夜まで荷物片づけ。

八月十二日(土)朝九時半に根津。国立博物館の西側敷地内の一角座にて『ゲル マニウムの夜』(監督:大森立嗣、2005年)見る。八ヶ月のこの劇場での公開も八月十五日が最後の由。面白い作品ではある。が、意表をつく衝撃 的シーンも、そればかりが続くと食傷気味。修道女の淫乱も精神性というより寧ろ「修道女、激寒の情事」に見えてしまったり、劇中三人の同性に奉仕するお フェラ係のような若者も不憫だし、修道院とその学園という空間を舞台に荒木経惟的に「可笑しかった」というしかない鴨。香港で国際映画祭なり掛るであろう と期待していたがカソリックの冒瀆という点では海外上映はかなり制限されるであろう。それにしても、このマイナー作品が上野国博の敷地内に特設の上映場所 をば設けて八ヶ月のロングランとは思いきった話。一昨日の如く入谷を流し日比谷線で午後に築地。天気怪しく門跡通りでさっさと昼飯を済ませようと鮪丼の瀬 川に向うがすでに閉店。「かんの」に鮪丼食す。朝食を食べて ないので(と言い訳にならぬが)珈琲スタンド「シープ」にて カレーライス。朝日新聞の社員など毎日こんなもの食べられるのだから幸せ。食中に俄然黒雲が流れ寄り「ドカーン」と雷の一撃のあと風呂桶引繰り返したが如 き大雨。真っ暗。そのうち小雨になろうが時間がないので「カレーにまで食指のばすから」と自分に呆れつつ地下鉄の築地駅まで東本願寺の前を抜けるだけでズ ボンびっしょり。東銀座。歌舞伎座。八月納涼歌舞伎(第二部)で福助が芸者おきち役の「吉原狐」、踊りで団子売(扇雀、孝太郎)、玉屋(染五郎)に籠屋 (三津五郎)を見る。「吉原狐」は村上元三が先代勘三郎のための書き下ろしで四十五年ぶりの上演の由。吉原一での慌て者で評判の芸者、おきちの役は福助の ニンには非ず。「今月は旅に出ているようで」と三津五郎にからかわれていたが先代のために書かれた喜劇を勘三郎(当代)がふざけて演じたほうがもっと面白 かろう。三津五郎の籠屋の芝居、さすが踊り上手。これを見に来た感あり。Z嬢と銀座で待ち合せ。はち巻岡田に寄るがお盆休みか閉店。とりあえず七丁目のBrickに行きジントニックとハイボール。明 日の成田エクスプレスの乗変し(ブッシュの所為で成田の警備復た厳重となり混雑の由)カメラのドイにニコンのD一眼のパーツ購う。目が眩むほどに欲しい写 真機など多く、いけない。ライカのM7とか店頭で御自由に触ってください、としてあるのだから驚くばかり。丸ノ内線で新宿。Z嬢贔屓の三丁目の「」に食す。鰯のなめろう、烏賊刺に酒は島根の李白の純米酒。最後の〆 に熊本桂花ラーメンで太肉麺。かつては長い行列の「行列ので きるラーメン屋」の先駆けも話題になって四半世紀で静か。だが新宿というと、やはり此処。丸の内線で銀座。ホテルに戻る。

八月十一日(金)朝、商店街の喫茶「ユニバース」に珈琲飲む。ご亭主に「昔、来られてましたねぇ?」と言われ、聞けば開業三十五年。水戸芸術館でLife 展を参観。日野之彦や岡崎京子といった五人のアーティスト(精神障害がない?)と五人の精神患ったアーティストの作品展。作 品からいろいろなことを考えられる。Life展と聞いて、最初は雑誌の“Life”が想像され、人生という意味でLifeとわかったらちょっと白けたが、 実際に参観者がいろいろ人生を考えてしまう内容。商店街の裏の水雷神社。かつてはかなり賑わった時期もあったが今ではすっかり寂れ、朽ち果てるのを待つ様 子。Z嬢薮用あり参り駅に母と迎える。昼に喜久水という古い洋食屋に食す。祖母に連れて来られたころから数十年、何も変わっておらぬ空間。母に言わせても 母が子どもの頃から変っておらぬ、と。右手小指の深爪の所為か皮膚化膿し緑色に変色し始め激痛あり。東華堂という江戸時代の薬舗からの老舗のクリニックに 診察受ける。昼休みというのに無理を聞いてくれ膿を出し抗生物質処方受ける。Z嬢の薮用終わり駅で母と別れZ嬢と上野へ。大きなトランクなど荷物多く上野 駅よりタクシーで有楽町。帝国ホテルご投宿。東京はグランドハイアット以降の外資系高級ホテルの数数多の誕生でオークラ、帝国やニューオータニなど東京オ リンピックな地場高級ホテルが価格的にはかなりお得な状況。荷物片づけZ嬢と有楽町から上野経由で北千住。千住の老舗の居酒屋「大はし」。店 の戸を開けると「なんでこんなに飲んでる?」というくらい陽気な客がすでに赤ら顔でいい気分。創業明治十年の大衆酒場。肉どうふと新子の刺身、戻り鰹。従 兄弟のS兄と待ち合せ「大はし」の筋向かいの、こちらも北千住にこの店あり、のバードコート。奥久 慈の軍鶏を使っておりS兄と私らは食す権利があるな、と。レアな軍鶏の焼き鳥、美味。鶏卵がこれも秀逸。軍鶏の親子丼食して大満足。S兄のつれあいK嬢の 来千(というのだろうか、千住に来る、ことは)待ち、日光街道寄りに一本筋違いのBrassというショットバーに飲む。おしゃれ。北千住がねぇ、というく らい。北千住は四半世紀ぶりだろうか。千代田線で日比谷に戻る。昨晩、自宅で雑事終わらず二時間くらいしか寝ておらず部屋に戻るなり眠りに落ちる。

八月十日(木)午前九時半に上野。今日は早晩まで独り。猛暑猛々しきなか国立博物館。プライスコレクション「若 冲と江戸絵画」展示あり参観。若 冲というと鶏とか「これでもか」の色彩で「くどい」画風の印象強いが同じ「くどさ」でも鳥獣花木図屏風だの洗練されていて花鳥人物図屏風も素敵。この江戸 絵画展、久が原のT君に教えてもらったのだが江戸琳派では鈴木其一。十枚ほど出展されていて紅楓図、群鶴図屏風が美しい。この展覧会の圧巻は最後の第四室 でガラスを介さず絵画をば直接、しかも光の加減で、まるで障子越しに淡い光が差し込み時間とともに絵の表情が変わるような見せ方。これで源氏物語図屏風だ の酒呑童子、紅白梅図、森狙仙の猿猴狙蜂図など堪能。博物館に近い一角座で映画「ゲルマニウムの夜」上映中、と知る。が今日は残念。寛永寺。両 大師の御車返しの桜も夏のこの時期では鬱蒼と力強さ。凌雲橋の鉄橋渡り鴬谷駅の前を抜け入谷の鬼子母神。入谷で用事一つ済ませ地下鉄で浅草。ちょうど昼で天麩羅「まさる」に天丼食す。仲見世の路地の奥にあり店の外でじわじわ と汗かきながら待つこと二十分。狭い店内に通され天丼。美味。だがあたしにはタレが多すぎて。浅草らしく天麩羅に濃いタレはいいんだけどご飯にまで丼底に タレがたまるほどで。食後に恒例で梅園で好物の豆かん。浅草 寺参拝。あまりの暑さに汗ぐっしょりで蛇骨湯に一浴。狭いが外風呂あり涼風抜ける。風呂を出てすっきりすると今度は喉が渇いて神谷バーで生ビールとデンキブラン。昔は神谷バーなんて来ると「若造 が」だったのが、すっかり常連客のお仲間の齢。浅草は帽子かぶって扇子パタパタしながら歩いていても、そんな壮年から老人ばかりだから、あたしも楽。六区 の浅草演芸場の昼の部を途中から入場。今日が八月上節千秋楽。三味線漫談玉川スミ師匠は大正9年生まれで芸 能生活八十三年目。お達者。圓雀、昇太と落語が続き、昇太の落語は初めて聞いたが大人気。そのへんの信用金庫に入ったばかりの集金係の若造みたいな風情で ちょっと狂気っぽいところが不思議な噺家。いずれにせよ、それが今様か。トリは小遊三。仲入りのあと噺家バンド「にゆうおいらんず」の演奏だかあったが、 それは見ずに地下鉄で新橋。銀座サンボアでハイボール1杯。 午後4時前だというのに開店してるってのがいいねぇ、で口開けの客。立ちのみで朝日の夕刊読み終わって出る。銀座八丁目の宮脇賣扇庵の東京店で扇子二本購 う。歩いているとまた熱中症になりそう。それを理由に並木通りのサントリーのバー Bricksでハイボール。二 丁目までぶらりぶらり。トラヤ帽子店でパナマ帽購う。「あれ、パナマ、お持ちじゃありませんでしたか?」と店員君に言われるが、そう、昔、高田馬場の帽子 屋で買った一つがあるが、トラヤでは初めて。いつも丸められるような帽子ばかりで、四五年通って初めて帽子入れる立派な丸箱をいただく。早晩に二丁目の (といっても昭和通りより向こうで歌舞伎座の横筋入ってくると近い)割烹・ うち山。久が原のT君と築地のH君と三人で食す。上品なお料理の数々。趣向凝らすがけして奇を衒わず。パリのオペラ座での成田屋親子の公演 の話となり、凱旋門賞にディープインパクトも参戦で昨日だか渡仏したし、あとはシラク大統領にとっては大相撲巴里場所の開催で、ここまでやれば大統領引退 してもいいか、と鼎談。大統領引退後はぜひ横綱審議委員に。デーモン小暮閣下も。これで横綱審議委員に二人の閣下。いい案。カウンターで目の前でさっと作 られた葛切りまで。T君と二人で喫茶ウエストまで歩き珈琲と シュークリーム。本日、ちょこちょこと足穂のちくま文庫版読む。
▼先の対中戦争には軍参謀として南京に駐在した三笠宮様が、その戦争に否定的見解なのは知っていたが江沢民君来日の折に(98年)宮中晩餐会で「今に至る までなお深く気が咎めている。中国の人々に謝罪したい」と伝えたという(東京新聞)。日本軍の暴行見た、と宮様。
▼東京新聞の国際欄に共同通信の香港電で、ついに「いつか正夢となるであろう悪夢」と覚悟していた「財閥総帥の二男、経済紙を買収へ、香港の信報」という 記事あり。「鋭い評論などから地元知識人らに読者が多い経済紙、信報の総株式のうち50%を買収することで信報側と合意」だそうで今後は持ち株率を上げ経 営権掌握の見通し。「中国の政治批判にも定評があり、客観的とされる同紙の編集方針の独立が維持されるかが注目されている」と。共同通信のS特派員の憂い 感じる記事。但し「最近は部数が低迷」は昔から(笑)。それにしても香港代表するクオリティペーパーが、こともあろうに香港の財閥二世のなかでは群を抜い て「3行以上話すと全く意味不明」なリチャード李次男に買収されるとは……。あと何ヶ月か何年、購読できるだろうか。この新聞がなくなれば、もう新聞を読 む必要はない。残念。林山木(林行止)社主はみずから創業の新聞を李嘉誠財閥に売るのなら、廃刊の道を選ぶべきであったとも思えるのだが。

八月九日(水)雨。といっても台風の暴風雨に非ず高原の緑の青さますしっとりとした雨。その雨のなか露天風呂に浴す。ホテルのダイニングルームで母と妹と 朝食。復た露天風呂に浴す。濃い霧の中禅寺湖をあとに「いろは坂」下り日光市街。鬼平(きびら)の水羊羮購う。宇都宮。昼に餃子のみんみん本店に焼餃子と水餃 子食す。日本の人はせっかくの餃子にタレだの辛みだのびちゃびちゃに浸けて食べているのが勿体ない。あれぢゃ飴の味もわかるまいに。東北道上り埼玉の川 口。緑 の向こうにさいたま新都心眺める高級高齢者マンションに住う大叔父のもと訪れる。大正2年生まれ93歳の大叔父 は長く築地の料亭に板前として勤め料理長となり江戸料理の或る流儀の調理師協会の会長も務めた人。数年前に九旬にして「もう何十年も写真機は使ってなかっ たけどデジカメってのが出来て手が震えてても写真がブレないんだよ、驚いたねぇ」とデジカメで撮影の写真をメールで送ってこられて驚いたが、このマンショ ンの部屋に初めて参れば、ノートブックはワイヤレス。邪魔なのがこれでさ、とファクス機を指す。もうメールしか送らないしね、写真も貼付しちゃうしさ、と 大叔父。ノートブック指して「これがあるとほんと独りでいても飽きないよ。この機械は若い人のためじゃなくて年寄のためにあるねぇ」とパソコン大好き。 ちょうどよかった、ちょっと教えてよ、と見せられたのはDVD-RWで、これってこれ(DVD-R)と違うのは何度でも使えるってことだよねぇ?と。実際 に自分が使ったことないのだが知ったかぶりで答えると「こりゃ便利だわ、あとで使ってみよう」と大叔父。これがさぁ、と見せられたDVDの録画番組が「た めしてガッテン」の「塩の活用術」 (今年4月19日放送)。振り塩、切り身を洗う、といった料理人としての技に出演以来受けたそうで「もう、ちょっと杖ついてテレビには出たくないぢゃな い」と大叔父は若い料理人(おそらく還暦は超えていよう)を紹介し、スタジオで実技指導と監修には出向いた、と聞く。大叔父に、読了の高谷朝子著『宮中賢 所物語』を差し上げる。大叔父の話を聞く。宮中で天皇誕生日の祝賀、園遊会などとなるとさすがに宮中の大膳寮だけでは料理人が足りず大叔父もよく招かれて 大膳寮へ。若い調理師を連れてゆくが「つい、つい手が出てしまって」自分でも包丁握って仕事。何が緊張するか、って何十人分の料理を作ると、陛下用、妃殿 下用、と特別にするのではなく、どれが陛下、どれが美智子さんに行くかわからない。だから魚の小骨とか、大膳寮の上のヒトはかなり気を使ってねぇ。下手に 骨なんか喉に閊えたらお叱りですよ。大膳で料理してるうちはいいんだけど新宮殿のほうに出向いて料理する時はちゃんとマスクして前掛けも新しいのに取り換 えてね。それと(と大叔父は話し出すといくつも話を思いだし)料理も招かれた客ってのは緊張しているし、鯛のお頭つきとか赤飯とか、食べないものでね、み んな持って帰って家族とかに「これが宮中で」と食べさせたいでしょう、それがちょっと料亭の帰り、じゃなくて北海道だの九州まで持って帰っちゃうんだか ら、皇居でいただいた料理でお腹こわした、じゃ困るから、そりゃ素材から料理法までずいぶんと気をつかってねぇ……。大叔父に送られ別れる。台風は何処へ か、空は晴れ間も見える。早晩に自宅近くで高速のインターを出て「尾張屋」 という蕎麦屋。いわゆる蕎麦屋の天麩羅、と母と妹の話。尾張屋ってことは浅草、か、で修業した方が暖簾分け受けた由。確かに浅草の尾張屋のように威勢のい い海老天が二本、蕎麦にのって、蕎麦屋のらしい美味い天麩羅。……とは言うものの、浅草の尾張屋なんて実は十歳にもなる前に祖母に連れられて行って以来 ずっと食べておらず。台風一過か見事に西の空が晴れ劇的に美しい、それこそ日光連山などの山並み遠くに拝み、市街の建物も強い西日浴びて一斉に橙色に輝く 不思議な景色。母がかき氷が食べたい、と所望して市街のデパートにある、香港住民には何も珍しくもない麻布茶房(もう此処くらいしか市内で甘味やもなし。昔は花街にいくつか 甘味やなどあったもの)。帰宅して諸事片づけなど済ます。

八月八日(火)昨晩スーパー銭湯の露天風呂でかなりの客がテレビで21歳未満の蹴球対中戦観戦。通りすがりに「なんだよ、あれ」と苦笑聞こえる。中国チー ムの失態か、と見ずに察するが画面の再生は負傷した選手運ぶ担架が転覆して負傷した選手がグランドに横転の様。失態以外の何ものでもなし。「だから中国 は」「これでオリンピックは大丈夫なのか」と何千万人の日本人が一瞬思い、何百万人が実際にそれを口にしたか。負傷した上にグランドに落ちた選手が日本側 でなかったのが不幸中の幸い。当たり所が悪くて選手にもしものことなどあり靖国に合祀されたら更に問題は複雑。風呂から戻り、深更にふと高谷朝子著『宮中 賢所物語』読み始め三時くらいに読了。久が原のT君に勧められた書籍。著者は宮中の賢所に五十七年勤め引退した内掌典。宮中とはいっても表向きの行事とは 一切関係なく皇室の私的行事としての祭事をば一年通して行うのが仕事。終戦までは宮中祭祀は祭政一致の国家行事で内掌典も官吏。現在は公務員に準ずる内廷 職。どれくらい祭祀をば毎日続けているか、といえば終戦の八月十五日も昭和帝がお隠れあそばしました日も日々の御用続く。皇居の天皇皇后両陛下お住まいの 宮殿は近代的な建築だが内掌典らの勤める宮中三殿始めとする御殿は明治二十二年に建てられたまま、だという。一瞬、ただ「古い」と思うが、我にとっては キーワードである、これも「明治廿年代」なり。どうも明治廿年代にすべての国家の骨格ができている、これも一例。明治廿年代に日本は近代国家としての国家 構造を創建しているのだが、神道の国家神道化もそうであるし、宮城への神道御殿建設など、実は近代化とは全く反対の「伝統」「のようなもの」が創建された 時期。実は、伝統であるとか歴史であるとか、もともと存在しているのではなく、明治の御維新から余裕もないままに日本という「国家」誕生から始まり廿年を 経て余裕ができたところで、日本でいえばまさに日本が近代化を始めた明治廿年代に伝統や歴史も「物語」が造られていること。賢所では肉食は禁忌。肉類を料 理することは御火の穢れ。神代に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が生き馬の皮をば剥いでみせ天照大神困り果て天岩戸にお隠れあそばされたことに因む由。二本 足の鶏、鴨などは例外。洋菓子もバター、生クリーム用いるが外で買い求めたものは御火が穢れぬので例外。肉も皇居のお堀外であれが食しても良し。これくら までは「まだ」驚かぬが
賢所にクリスマスはござませんが、毎年十二月廿四日には、シャンペ ンとケーキ、大きな鶏肉の唐揚げなどをこしらえて、楽しませてもらいました。
と。Oh my Amaterasu! 大驚。日々の内掌典らの祭祀のなかで十二月廿三日は今上陛下の天長節、廿五日は大正帝の例祭(御命日)。その中日に。かなり驚き眠気も醒めて一気に読了。 夜明けとともに目覚めてしまふ。母と一泊二日の小旅行。上野まで「すばる」七月号読む。石原慎太郎、島田雅彦、川上弘美、金石範、池澤夏樹、高橋源一郎、 江國香織、辻仁成、小田実、津島佑子……と名だたる作家が書いているのだが「ひとっつも面白くない!」のは何故かしら。花村萬月の連載「沖縄紀行」が ちょっと読めて詩人で唯一好きな高橋睦郎の歌舞伎論を読んだ程度。中沢新一と爆笑問題の太田光が「宮沢賢治と日本国憲法」と、実際には憲法論には至らずに 賢治論で終わってしまうのだが、太田光から「石原莞爾とか田中智学の」と莞爾ならまだしも智学が出てくると、やはり、驚く。でも「お笑い」がマジに語るの はつまらない。マジなら誰でも語れる。お笑いに昇華して笑って掃いて捨ててこそ、の思考のはずなのだが。午前九時半には母とともに帝都営団地下鉄浅草駅。 地下街の立ち食いでかけ蕎麦。東武鉄道の、スペーシアなんて洒落た列車になってはいるが、気分的には1960年に登場の1720系「特 急けごん」「特急きぬ」がいい。イカした豪華ロマンスカーの時代。今もスペーシア100系は全席ともJRのG車並み。10時丁度発の鬼怒川行き「きぬ」に 乗車。母は亡き父との新婚旅行以来の東武特急(日光、鬼怒川に行く機会いくらあっても新婚旅行のあとは自動車旅行が主流)。東京新聞とヘラトリ朝日を上野 で購入し(地元駅では両紙とも入手能わず)読む。東京新聞、活字は大きすぎるがけっこう読ませる記事あり。記者の表情がよく見える。ヘラトリ紙、ふだんは 読んでいても、久しぶりに日本で読むと生活のなかに英語感覚が数日抜けているだけで読みづらいから不思議。下今市駅で連絡列車に乗り換え正午前に東武日光 に到着。街道筋の食堂すづきに湯葉入りパスタ食す。駅前の珈 琲店で珈琲飲み午後、金谷ホテルの送迎バスに乗車。神橋のたもとで日光金谷ホテルに寄る。十七、十八年くらい前かZ嬢と宿泊の記憶過る。東 照宮の脇を抜けいろは坂をバスは登る。途中、日光駅前でも見かけた、どこかの高校の陸上部の選手らがランニングシャツ姿で水すらもたずに爽快に走っていた が、いろは坂上り口手前でまた見かける。道のり12kmで標高差650mの中禅寺湖まで上るのか、其処が終点だったのか。中禅寺湖金谷ホテルに到着し投宿。台風が紀伊半島あたりに上陸の見込 み、今日は関東も天気が荒れる、と予報あり。実際に、朝にはそれなりの雨に降られたが曇り空続きで中禅寺湖の標高1350mほどに上がると快晴。太陽がギ ラギラ。それでも冷房なくても平気は摂氏廿四度。中禅寺湖で携帯は「圏外」なのに部屋の電話ソケットにxDSLと表示ありフロントに問い合わせれば ADSLモデム貸してくれて無料で繋ぎっ放し。バルコニーに出ていたら日射病になりそうで夕方まで部屋のなかで寛ぎメールで諸事済ます。読書。日光駅前で 購った清開という純米酒(今市の渡辺佐平商店)をぐびぐびと飲む。夕方、露天風呂に浴す。金谷ホテルでも露天風呂あり。但しロビーに浴衣、スリッパは厳 禁。客室から建物端の階段を降り別棟の露天風呂に向う。
亡骸の蜻蛉流れて硫黄泉 なきがらのとんぼ、流れて、いおうせん   富
昏時、母と中禅寺湖畔まで出る。さすが中禅寺湖金谷ホテルは旧・日光観光ホテルだけあって湖畔のボートハウスからの眺めには遊覧船だのボート乗り場の雑景 が入らず「これぞ中禅寺湖」という景観に向こう岸は群馬足尾の社山、黒檜山といった尾根を見渡ず。夕暮れ見惑うばかり。わずか十分に満たぬ、東海沖に接近 の台風の所為か異常なほど見事な夕焼け、部屋のバルコニーより眺める。ホテルのダインにて母と二人の洋食。コンソメ、虹鱒のソテー、仔牛のフィレ肉のス テーキ。虹鱒も牛肉も一人前を二人でシェアして、で充分。お酒は久々に母と二人で晩餐なら嗜好を変えて伊太利のFerrari Rose Metodo Classicoでロゼの発泡酒。アップルパイと金谷ホテルのいい意味で普通の珈琲に近いコクのあるエスプレッソ。再び露天風呂。独り占め。晩遅く妹も投 宿。車もほとんど通らぬ「いろは坂」で鹿二匹が道路にまで現われ、他の小動物いくつか見た、と。夜半の寂しい山道に地元の獣らのお出迎え忝なし。
▼久が原のT君より。京都での七十がらみの、四条の大丸辺が生家といふ、生え抜きの中京町衆タクシーの運転手翁の話。秀逸。
戦後、昭和二十五、六年のことどすが、その頃は北山辺に堰があらし まへんでしたので、賀茂川の水も豊かで、四条大橋の辺で水深1.5メートルもありましたやろか。鯉やらゴリやら、ぎょうさん獲れましてん。朝早く行くと、 石垣から鰻が顔出しとりますさかい、針で巧いこと釣りよって、三匹も揚がれば蒲焼でごちそうどした。子供ら皆、夏は白い褌で四条通り歩いてました。川で遊 びますやろ。その頃は友禅流しとりましたさかい、川水に染料が流れてます。一週間も泳ぐと、白い褌が紫に染まりました。そんなことでも水は汚いことのう て、魚はぎょうさんおりました。そんなこんなで、夏は良い遊び場でしたけど、流されて死んだいう話は一つも聞いてません。最近は子供が川に出んようなりま したけど、かえって死ぬ人がありますな。
祇園祭も、その頃は松原や寺町の細い通りを山鉾が通りまして、上か ら粽を投げますやろ。見物が傘を逆さに開いて取りますのや。今は中身は空の粽どすけど、その頃はちゃんとしんこ餅が入ってまして、三本も食べると結構おな か一杯になっともんどす。
▼朝日新聞に、といえば朝日新聞、自宅で母が購読しているのだが(祖父が亡くなるなり母が祖父愛読の読売より朝日にして四旬か)知己の人が来宅のおり朝日 見て「こんな思想的に傾いた新聞読んでるんですか?」と驚かれた、と。傾いているかもしれないが思想的に、ぢゃあるまひ。その朝日に大阪の私立幼稚園で園 児に教育勅語読ませる、の記事あり。教育勅語に書かれた、孝行だの友愛、博愛だの道徳のことは、それぢたい真っ当としても、問題は、そんな程度のことをい ちいち国が文言にすることの近代の怖さ。文藝春秋出身の半藤一利氏ですら、この幼稚園の勅語指導について、教育勅語は「軍人勅諭の延長線上にある」もので 「いわば軍隊を永続するために、国民児童にも軍人勅諭の精神を植え込もうとした。目的はよき臣民、兵士の卵をつくる点にあり、主権在民の世に通用するとは 言えない」と。そういう<近代国家の意図>がわからぬまま、精神修養に、などと考える思考力ゼロが教育に従事していると思うと怖い。

八月七日(月)一昨夕、散髪の時にいくつもの店が閉めた商店街(跡地)に「ロックコンサート」と立て看板あり、サウナには「ロックコンサート開催中は女性 のお客様の宿泊可」とあり、田舎のコンサートで何をまた騒いで……と思っておれば本日、テレビのバラエティ番組で「日本の夏といえばこれ!」と紹介されたこちら。十数万人だとか。本日。朝のうちに、と思ったがすでに肌を熬る暑さ のなか真言宗豊山派神崎寺に掃墓。先考の墓参。朝九時すぎ映画館が開くまで商店街で珈琲でも飲もうか、と思ったが、余が十代の頃には朝、学校をサボり図書 館や本屋が開くのを待った、石を投げればの程に数あまたの珈琲店も全く消え失せる。辛うじて一軒「営業中」の珈琲店「ユニバース」見つけ入る。客もいない 店内で帳簿つけていた店主が「熱いの、冷たいの?」と。「熱いの」と頼む。芳香ゆたかな、昔風に濃厚なネルドリップの珈琲。月刊『すばる』七月号の、吉田 秀和氏の新連載、大江健三郎君のサイードについての文章を読む。珈琲飲み終わり、店 を出よう、とすると「あれ、もういいの?」と、まるで常連の扱い。この店は数十年前のままなのか、果たしてこの主人が此処にいた人かどうかの記憶もなし。 商店街の映画館にて『さらば愛しき大地』 (1982年、柳町光男監督)を見る。この映画館で柳町光男特集あり、一ヶ月の特集の最後が新作『カミュなんて知らない』なのは柳町監督が地元出身ゆゑ。 柳町監督「いばらき大使」に就任だって(ださっ……笑)。ふと思い出せば郷里で高校生の時に『十九歳の地図』を見た映画館も今は閉館。で『さらば愛しき大 地』は鹿島の臨海工業地帯舞台に地元の百姓家の長男(根津甚八)とそのレコが秋吉久美子。ワキを固める役者が見事。スジは知っている作品だが改めて見る と、やはり根津甚八の最高傑作。柳町光男も『十九歳の地図』から、これ、そして『火祭り』の三作が一番。鹿島灘の浜にざっくりと食い込んだ人工港をば建造 し石油化学や製鉄などの工場誘致するという「開発」計画は、私自身が生まれた年に起工し小学生のころ稼働し始めた住友だったかの製鉄所見学に遠足。根津甚 八と秋吉久美子の籍も入れられぬ二人が子連れでゆく遊園地もレイクサイドという廃業して二十五年くらいになろうか、我が子どもの頃の遊び場の懐かしい映 像。根津甚八演じる主人公がグレたことと、鹿島の開発に直接の関係は「ない」。だが農家だけでは食っていけなくなった社会構造には工業化は要因であり鹿島 コンビナートはその象徴なのだろう。映画館を出ると真っ青な空にギラギラと太陽。異常な暑さ。帰宅して午後遅くまで暑さからの避難モード。午後遅く母の届 け物などにつき合い地元で最近、移転新装オープンの老舗百貨店訪れる。丸善やLoftが入り丸善は確かに丸善の便箋だのペリカン万年筆のカートリッジ買っ たりするには便利。ついエッシェンバッハの単眼鏡 を衝動買い。ペリカンの万年筆は普及版のペリカーノ万年筆のジュニア(子供用)が恐ろ しく書き味よく適当にそのへんに放っておいたり、ちょっとした外出で無くしても平気。但し香港ではこのペリカーノどころかペリカン万年筆のインクカート リッジすら入手不可。そういう時代。エッシェンバッハの単眼鏡は偶然に今日、その丸善の本屋で立ち読みで赤瀬川原平の老人とカメラみたいな随筆があり、そ のなかで赤瀬川先生の持ち物のカメラ、アーミーナイフ、スクラップブックといったアイテムの中で紹介されていて、かつ私自身が普段持って歩いていないアイ テムがこの単眼鏡で、そういえば双眼鏡はライカのお気に入りの小型があるが単眼鏡はないわなぁ、と思っていて二十歩歩いたら、このエッシェンバッハが展示 してあった次第。こういう運命的出会いは衝動買いも赦されよう。男性洋品のフロアに下りてくると、Henry Cotton'sの出店あり。銀座松屋のHenry Cotton'sでいつもシャツの一枚くらい購い香港に戻るのだが、まさか地元にあろうとは……。Henry Cotton'sは店員がどこでもイタリア製、イタリア製と強調するが(株)レナウンなのに……。銀座で、と思っていたが地元で麻のジャケットとシャツ一 枚購う。母と近くの珈琲店で待ち合せ。思えば余の珈琲好きは小学生の頃に母にいつも珈琲屋に連れて行かれ維納風珈琲から始まる。小学生のうちに珈琲を 「齋」で(砂糖、ミルク抜き)で飲んでいたのだから、かなりカフェイン中毒。帰宅途中に母が、ハンドバックの皮が傷んだ、というので郊外のショッピングセ ンターでミンクオイル購入してから帰宅。商店街は壊滅状態で、郊外は数キロおきに巨大な何でもあり、のショッピングセンター点在。不思議な光景。晩に、四 半世紀も住んでおらぬ実家で諸事片づけ。夕食に日本酒飲む。笠間稲荷の門前の笹目宗兵衛商店という造り酒屋で購った「松緑」という日本酒。四代目(当代) 尾上松緑の襲名披露で記念品とされたそうで、それを売り出し文句にしているが、実際にはもともとあった「松緑(まつみどり)」という酒で、それが「しょう ろく」と読めるので四代目に使われた由。先代の辰之助が生きていれば、今ごろ三代目松緑としてどんな舞台を見せてくれていたことか、と思う。晩遅くスー パー銭湯に浴す。
▼長野県の田中康夫知事落選につき勝谷誠彦氏がブログに
別に悲嘆も失望もしない。どうぞ中世の闇に戻って下さいという感じ だ。財政再建や職員の意識改革などせっかく田中さんが手がけた改革の成果が出てきたのに県民は投げ出してしまった。田中さんの手法や言動に批判はあるが改 革とマイナスイメージとどちらが大事か分かっていないのではないか。過去2回の知事選で信州人は自ら前へ進もうと行動したが今回は座ったまま動かなかっ た。そのことが低投票率になって表れている。
と書いているが、自分がもし長野県民であったなら、田中康夫の発想には共鳴するが手腕には疑問符あり、かといって対立候補の「元の木阿弥」など応援もでき ず、結局、棄権しているかも。田中康夫という人は東京ペリグリ日記のノリでフリーの立場で言いたいことを言っていればいいキャラ。あの人が組織のトップと なると「なんでこんなことができなないで、そんなことに時間かけるの?」で本来、味方にできる人まで敵にしてしまう。下手するとドクトル=ジバコ的な権威 になってしまう恐れあり。政治嗜好があるなら、どちらかといえば、参議院議員ならいいかしら。

八月六日(日)快晴。福島の親戚にて法事あり。大叔父の参回忌とその長男氏の早くも十七回忌。母を自動車に乗せ常磐、磐越、東北と高速で二時間ちょいで福 島。福島市内の康善寺という浄土真宗の寺。この西裡通りには藩主板倉氏の菩提寺常光寺など寺社多し。終わってJR福島駅西のホテルにて法事終わりの会食。 島貫果樹園(福島市下飯坂字宮崎)の桃をいただく。土 湯に向う途中の高橋果樹園(福島市荒井字地蔵原)に寄り昨年に続き今年出たばかりの「あかつき」求める。天候不良により桃の育ちも遅い由。久が原のT君ら に桃を送る。高速で戻りコジマデンキで母にデジカメ(ニコンのCoolpix S5)購う。iMacに続き母のデジタルライフ。帰宅。台所の流しで、さっと水洗いした桃に皮のままかぶりつく。幸せ。書籍だの掛け軸など片づけで晩に至 る。普段、自動車運転などせぬゆゑ、日に400kmも運転するとさすがに疲労感あり。

八月五日(土)晴。昨晩は窓を開けて扇風機かけて寝ていたが祭の晩とはいへ改造エンジンの自動車やバイクで大騒ぎの若者。警察は(不審者などどうでもいい から)迷惑な彼らの取締りとか真剣にしているのかしら。ただ権力的には彼らは「テロリスト」でなく寧ろ有事の際には「兵隊」であるから。朝食に老舗の洋食 屋「喜久水」のカツサンド。朝から池波正太郎みたい。Amazonや紀伊国屋、日本各地の古本屋から、この春以来届いていた書籍を香港に持ち帰るのに片づ け。なかにはマルタン=ヂュ=ガール著『アンドレ・ジイド』福永武彦訳(文藝春秋、昭和28年初版本)など貴重な古本や中井英夫著作集などあり、ついつい 片づけも中断がち。市街の大通りの昔に比べるとさびしい七夕飾りやいくつかの山車を眺めながら恩師K氏宅に届もの済ませ、母と笠間に向う。笠間稲荷神社に参拝。本殿のなかで一組がお祓い受けているが冷房つき。神社 向かいの「二ツ木」という昔からある稲荷寿司を購う。こ の「二ツ木」なる鮨屋、稲荷神社の向かいで稲荷寿司売っているが、お持ち帰りのみで、狭い店内のテーブルには神社や店の宣伝よか「憲法九条は(略)過去数 千年の歴史で最も進んだ考え方」と憲法九条と平和、護憲といったパンフレット並ぶ異色の護憲寿司であった。皇紀二千六百六十何年だかという神社本庁の看板 の掛かった笠間稲荷の前で、神社の参拝客相手に護憲とは。なにせ笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、この神様は須佐之男神(す さのおのかみ)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)との間に生まれた神さまなのだそうだ。このお稲荷さんが結んだ神社と護憲寿司の関係が可笑しい。笠間日動美術館。クレパス画名画展。著名な画家 の作品のうちクレパス画に限り百点を超えよくぞ集めた、と思ったが、これはサクラ クレパスのサクラアートミュージアムのコレクション。小磯良平画伯(http://ja.wikipedia.org/wiki/小磯良平)の裸 婦像が素晴らし。が伊藤梯三という画家(1907〜98)の裸婦と老人の人物画に見入る。佐白山のとうふ屋という豆腐屋で木綿豆腐と厚揚 げ、豆乳を購う。話し好きな店主と母が懇意で店内で先ほど購った稲荷寿司を食わせてもらう。豆乳のソフトクリームも美味。茨城県陶芸美術館こ こで「現在陶芸の粋」という特別展あり。圧巻は伊藤赤水(五代)、島岡達三、徳田八十吉(三代)、原清、三浦小平二、吉田美統という東日本にある六人の人 間国宝の陶器。この十数点眺めるのに数時間かけてもよい。それに続き若手の作品が続くが、中でも松井康陽という作家の作品がひときわ気に入り見入っている と母に松井康陽の実子だと言われ納得。康成は数年前に他界の笠間焼の大家(人間国宝)。独特のくどさあり。個人的にはまだ四十代の息子氏の洗練された作風 がいい。常設展の最後で板谷波山(http://ja.wikipedia.org/wiki/板谷波山)の展示を観賞。波山を語り出すと「陶芸の近代」 そのものなのだ。一旦帰宅。散髪。晩に鰹の刺身など食す。TBSテレビでかなりの熱の入れようのHero'sなる格闘技番組眺める。番組冒頭から 「Hero'sに初めて参戦の桜庭選手が新たな伝説を作ります!」と断定。せめて「作れるか!」くらいにしてほしい(笑)。が最終取り組みの桜庭君は確か に一瞬記憶朦朧から復活の勝利で「有明の夜に桜吹雪が舞っています」という紙吹雪の演出も無駄にならなかったようで。晩遅くにスーパー銭湯に浴す。

八月四日(金)朝五時半に目覚め荷造り済ませ六時に開くスパで一浴しクラブフロアのラウンジで簡単に朝食。新聞によれば、プミポン国王の入院先の病院から 王宮へのお戻りにあたっては、近日中のこの移送に対して、警察やバンコク市当局の万全策は当然として、病院側は敷地内の道路の全ての speed bomb(日本語で何というのか知らないが、自動車の速度落とすために路上につくられた隆起)を撤去し柔らかいアスファルト敷きに改良。骨の関節の損傷で 御輛車が「ガックン」となる衝撃を避けるため、の措置。Z嬢曰く「それなら王室専用の気球船とか飛ばせばいいのに」と。御意。黄色い気球船がバンコクの市 街上空をふんわりと飛ぶ。手術結果も良好、王室に戻られるプミポン国王。その黄色い気球船を眺めようと空を見上げる市民。道路の車もみな一斉に止まり運転 手も空を見上げる。バンコク中が動きを止めて。国王陛下万歳、タイの栄光、と感激に包まれ。黄色い気球船、いいなぁ。七時半にホテル出てタクシーで三十分 で空港。タクシーの料金表を見たら50kmで200バーツだったか、つまり600円。都心から成田空港までタクシーで1000円だったらいいのに。空港に 着くとキャセイの香港便が全てキャンセル。一瞬「げげっ」と思うがキャセイから携帯のSMSなど使った連絡も入っておらぬしチェックインカウンターもあま り混乱しておらずタイ航空などは予定通り。香港経由の東京へのフライトであったためタイ航空の直行便への変更となる。香港でトランジットするよかありがた い鴨。実際、成田到着は早まる。昨日、香港が台風の影響ひどくフライトもほぼ全面的に取り消されたようで、その影響で「香港から来るフライトがなかった」 ための香港便欠航の由。次にバンコクに来る時には新しい空港になるわけで、いつもキャセイで第2ターミナルであったが今日はタイ航空となり古典的な第1 ターミナル利用。これも最後か。いくつかの航空会社が契約するCIPのファーストクラスラウンジが使えたので(全日空もファーストでこのラウンジ)フライ トまで2時間近くあったが快適。フライトもキャセイからの闖入の身でありながらB744機で31列窓際というY席では最上席確保される。今回はバンコク〜 香港〜東京はY席予約のためせめてもの配慮、と最後尾の2人席を予約していたが、成田まで直行となり最前列と幸運。バランタインのソーダ割り二杯。機内食 のタイ風の蝦カレー美味。読みかけの後藤繁雄『独特老人』読了。芹沢光治良(作家)、植田正治(写真家)、堀田善衞(作家)、多田侑史(裏千家執事)、宮 川一夫(映画キャメラマン)、中村真一郎(作家)、家畜人ヤプーの沼正三(作家)、吉本隆明(評論家)と鶴見俊輔(哲学者)。数日前に堀田善衞はこの本に 登場せぬ、と書いたが誤解。そして特記すべきは多田侑史で、実はこの表千家の執事の氏につき久が原のT君との語らいの中で話が及び興味もち調べたら、この 『独特老人』面白そうなので入手した次第。堀田善衞氏の語りのなかで江戸時代に日本は識字率などかなり知的水準が高かったのに昭和になり軍人の無教養まで 陥った、という話あり。この知的水準の下降というのは私見だが恐らく明治二十年代からの国民教育目標とした近代教育の始まり(でいて教育勅語とか生まれる から可笑しいのだが)に原因があろう。そして戦後は残念ながら民主主義教育が(民主主義教育ぢたいが保守反動右翼の諸君の言うように欠陥があるのではな く)本来、基本的人権も個人の尊厳も民主主義も革命的に会得していない人たちにより、それが育まれたから問題が生じた。堀田氏にすれば欧州連合の成立など
十三世紀から十六世紀の、国境というものがほとんどなかった時代に 戻るとまでは言わないにしても、「ああ、あれか」という感じですよ。あの人たちにとっては、国境があった時代の方が短いから。せいぜい、ネーションステー トになって二百年くらいでしょう。それがまた後退していくということは、別に不思議じゃない
と。言い得て妙。この本、編者の後書き読んでいたら登場する老人たちの写真のうち一枚だけ荒木経惟の写真があり、「あっ、もしや」と思って見ればやはり漫 画家・杉浦茂氏の写真がそれ。言葉で表現するのは難しいが、杉浦氏の顔よりも顎の下にそっと添えられた手、何しろこの手が漫画を数十年描いてきたのだか ら、荒木経惟という写真家をこれまであまり評価していなかったが、その手に天才アラーキーのレンズは向いており、そして次に顔に部屋に差し込む柔らかな陽 射しを背にして撮影されたのだろうか、微妙なコントラストと露出の中で顔の両側から明るい光で顔の額から顎にかけて陰がさし、それでいてきちんと顔のきれ いな皺までが写っており、而も!その顔よりほんの少し後ろに退いた上半身(つまり杉浦氏の顔がちょっと前に出ている構図なのだが)上半身は深度が浅い撮影 でぼんやりと背景のよう。なんと見事なポートレートなのかしら。バンコクの空港の書店で購入したChris Patten著“Not Quite the Diplomat”(ペンギン)少し読む。先日はこの本の出版の宣伝で来港のところアンソン陳方安生の民主運動発言でPatten氏までかなり脚光浴びた もの。興味深い記述に、数年前、EUの外交コミッショナーとして来日の際に小泉三世との会見で小泉三世に“When, is Britain going to enter the Eurozone?”と尋ねられたそうで、この質問は在日中、外相から経団連代表まで数限りなく尋ねられたという。パッテン氏の持論は英国の欧州での孤立 はアジアの対英投資を消極化させるなど影響が深刻、というもの。六時間ほどのフライトで成田着。荷物受け取りのベルトコンベアーのところに幼児うろうろと 多く危険。「ちょっとこっちにいなさいよ」と注意は口だけの親。「ちょっと危ないから退いてね」と言っても返事すらせぬガキに「殴ったろか」と思う。ひっ きりなしにアナウンスが「拳銃や刀などをお持ちの方は……」と流れるのだが誰も笑わない。「あの、拳銃もってるんですけど」とかと税関に出頭するだけでコ ントとして面白いのだが。「えきねっと」で予め予約していた国鉄の指定券ずらりと受領。本当は機械で出来るはずがJR側のエラー続き窓口で。今晩はJRで 上野経由で郷里に戻ろう、と思っていたが荷物もあるし、ちょうどいい時間に空港バスあり。Z嬢とは空港で別れる。バスは設備はいい上に乗客は十人くらい。 暫くは高速道路を走ったが、NHKの海老ジョンイルの郷里、鉾田なんて経由するから、対向車線に車もないような真っ暗な田舎道をひたすら走るバス。郷里で は明日からが夏祭りで今夜は千波湖という湖の近くで恒例の花火あった由。珍しく駅前にも夜半に人出あり。かつては賑やかだった夏祭りも、所詮、神社寺社の 祭礼でなく商工会議所と観光協会だかが戦後に人工的に盛り上げた祭。主体は商店街の商店主であるから、商店街が完璧に廃墟と化している状況で、かつては一 軒あたり十万、二十万と持ち出して七夕の装飾などして、各商店街が競って催事していた頃に比べれば、祭も盛り下がるのは必然か。子どもの頃の夏祭りの賑や かさ思い返す。帰宅して仕出しの鰻重を母がとっておいてくれ食す。読売巨人軍最下位。
▼昨日の小泉メールマガジン。「戦没者の慰霊」と題して自説繰り返す。小泉三世ご本人の平和への強い決意、戦没者慰霊の念、それはよい。それが個人であれ ば思想信条の自由もあろう。だが今さら小泉三世に指摘したところで「小泉の耳に念仏」だが首相がこの靖国参拝で憲法第十九条の思想信条の自由を持ち出すべ きでない。
マスコミや有識者といわれる人々の中に、私の靖国参拝を批判してい る人がいることは知っております。また、一部の国が私の靖国参拝を批判していることも知っています。私を批判するマスコミや識者の人々の意見を突き詰めて いくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになるように思えてなりません。
って、国民の賛否が二分されるほどの問題という認識に欠ける。「一部の国が」って具体的には韓国、中国だが、直接の戦争での被害受けたから中韓の反発が強 いわけで、国連ででも「小泉靖国参拝は是か非か」と問うてみればよい。けして一部の国の批判では済まされぬ。こんな認識でいて、またいつものように「私は、日中友好論者です」だの「私が総理大臣に就任した平成13年以来、日本と中国の貿易額は、2倍以上に 増加し」「日本と中国の間の人の行き来も、約1.5倍に増えています」などと宣う。これは、絶対に小泉賛成の功績に非ず。民主党や共産党が 政権をとろうが、極端な話、石原慎太郎が首相になっていたとしても、近年、日中間の貿易や人の往来は激増したはず。それをまぁしゃーしゃーと宣うもの。さ らに詭弁は続き
私は、こういう考え方(中韓が首脳会談など避ける姿勢)は理解でき ません。もし、私が、ある国と私の考えが違う、あるいは日本の考えと違うからといって首脳会談を行わないと言ったら、相手を批判しますか、それとも私を批 判しますか。おそらく多くの国民は私を批判するでしょう
というような発言も説得力があるようで、論点のすり替えというか(そんな意図的なレトリックではなく)アタマが悪い。一般論ではいかにも「考えが違うから といって首脳会談を拒否する首相」に国民が批判しそう。しかし中国を例にすれば靖国A級戦犯合祀があるから中国が「首脳会談は行わない」という姿勢に中国 で国民は反発より同意が強いのだし「小泉とは」首脳会談は行わない点については合意がぐんと増えるはず。北朝鮮相手でいえば拉致問題で全く対応の悪い北朝 鮮であれば日本の首相が「考え方が違うから現状では首脳会談は拒否する」といえば国民は批判するかどうか。その問題が何なのか、相手が誰なのか、でまった く賛否は異なること。それを国家の大事を子どもに「みんな考え方は違うのだから、誰とでも仲良くしなさい」の一般論で済ませてしまうところがこの人の凄い ところ。

八月初三。木曜日。薄曇。ホテルのクラブフロアのラウンジで朝食。パンケーキ。新聞各紙読む。いくつかメールで急ぎのご公務済ませ屋上のプールで少し寛ぎ スパで一浴。部 屋でご公務済ませ昼に午前中買い物に出かけていたZ嬢とプルンチット站で待ち合せそのへんの屋台で麺とぶっかけ飯の昼食。Z嬢とまた別れてルンピニのサ ウナで按摩、ぼんやりと寛ぐ。夕方シーロムをぶらぶらしてホテルに戻りクラブフロアのラウンジでハッピーアワー。豪州のCharles Steinerだったかいうスパークリングワインを飲む。晩にオリエンタルホテルに土産の菓子購うこととなりBTSでタクシン站(この站名はタクシン首相 と同じタクシンだと思っていたらトンブリー王朝の「タークシン」なのだと今日知った)から歩いてマンダリンホテルに向うが「半ズボン」ということで午後六 時以降はご宿泊以外の方は、と入館断られる。確かに半ズボンは粗忽だったがリバーサイドテラスで食事も済ませようという算段でちゃんとしたラルフローレン の折り目正しきハーフパンツで靴下に革靴という、いわばコロニアルな正装(のつもり)。ズボンが長ければジーンズにスニーカーで裸足でも可、が寧ろ奇妙。 タクシーでホテルに戻る。屋 台などひやかしながら(国王の病気治癒願う黄色い服が町中にあふれ屋台も黄色い服専門店あり)、伊勢丹の前を通り運河渡り食堂街。かなり賑わう鶏飯の店あり。鶏飯と煮た豚肉の飯。簡単な料理だが美味秀 逸。水門老字號と看板に書かれているので、この運河の橋の袂の老舗らしい。常宿のホテル近くで気軽ないい店を発見。ちょっと食べたりずコンビニで日清カッ プヌードルのトムヤンクン味を購いホテルに戻り、それを食す。これもタイオリジナルで美味。
▼バンコクで英字新聞でタクシン君はCaretaker Prime Ministerという肩書き。4月に退陣表明し時期首相決定まで休養を宣言(首相代行は副首相)、但し状況見ながらぬけぬけと復活。首相としての振るま い。日本の新聞はタクシンをこれまで通り「首相」としているが(例えばこちら)一応は「休養」だが必要に応じて首相職務を遂行している、という建前が Caretaker(世話人?)首相という不思議な肩書きなのか。
▼入院中のプミポン国王につき首都警察の警視総監が国王入院先の病院で関係機関の代表と国王の退院時の王宮までの移動につき安全面など協議。治安、道路の 交通渋滞の回避、移動中の万一の事態に備えての救急医療隊の随行、に加えバンコク市に対しては道路の凸凹などの整備を求める。

八月初二。水曜日。曇。朝六時すぎ起床。朝食とりながら読んだBangkok Postに昨日に引き続き創刊60周年の記念記事あり水曜日はテクノロジー頁のようでタイのコンピューター普及について。これも記事は1960年にプミポ ン国王が訪米の際にカリフォルニアのSan JoseにあるIBM訪れたことをタイのコンピューター化の黎明期として紹介し、そこから記事が始まる。歴史、物語とはこういうもの。端から見ると一瞬、 首を傾げたくなりもするが、この王様がいて国がまとまっているのなら、それにこしたことない。朝日新聞など、タイが国王に頼っていては民主主義が育たな い、などと言っていたが、昭和天皇のA級戦犯合祀についての発言など公表されれば「昭和天皇も合祀には不快感示し」としているのだから、困ったもの。タイ はこれでいいのだろう。
これでいいのだ〜、これでいいのだ〜、国王プミポン、プミポン、ポ ン
である。朝早い朝食。ホットケーキにベーコンを食す。この組み合わせはちょっと意外なようだが美味。ベーコンに少しシロップがかかったくらいで。午前中、 中庭の木陰で読書。『池波正太郎の食卓』読了。そのホットケーキにベーコンが池波正太郎の好んだ朝食である、と知る。池波正太郎という人、食通なのは認め るが、せっかく松茸で湯豆腐を楽しんだあと、〆に、とビーフカツレツ食してしまう、この食欲がとても理解できぬ。そのまま落語のマクラにでも使いたい話も 多し。小鰭についての言及など、小鰭といいますと吉原で、唐桟の袷 せに吉原かぶりの鯔背なお兄いさんが、盤台に小鰭の握りを並べ「小鰭寿司〜ぃ」なんて廓を流して歩きまして、その格好が実に粋で
坊主だまして還俗させて小鰭の鮨でも売らせたい
などと俗謡にもございますが、坊主といえば……
とか志ん朝師匠の語りでね。ホワヒンの鉄道駅舎まで散歩。バンコクまでのんびりと鉄道で戻ろう、という案もあったが、タイ国有鉄道の斜陽、ホ ワヒンからバンコクに向う列車の多くはタイ南部からバンコクに早朝に着く夜行列車でホワヒンの通過は深夜から未明にかけて。昼の列車は午後二時すぎにホワ ヒン発の鈍行一本あるが四時間半かけてバンコクに夜の七時過ぎの到着で、ちょっとこれぢゃバンコクで晩が忙しくなり鉄道は断念。せめて駅舎だけでも、と見 に行く。鉄道駅に向う途中、幸四郎、若い頃の染五郎に似た銅像あり。お若い方はご存知なかろうが1962年、ファイティング原田弱冠19歳世界フライ級王 座に初挑戦し破った相手の王者こそ「シャムの貴公子」ポーン=キングピッチその人なり。 タイの伝説的なボクサー、タイ史上初の世界チャンピョン(戦 歴)。蔵前国技館での試合など我が先考などにとっては伝説となった11Rでの原田の連打にチャンピョンが倒れボクシング の試合だが蔵前なので客席から多くの座布団が飛び……。三ヶ月後のリターンマッチでポーンが王座奪回果たし原田はバンタム級に転向(そして再び世界チャン ピョンとなる)。そのポーン=キングピッチがホワヒンの出身。1982年3月31日にわずか47歳で逝去。ホテルに戻り読書のあと昼前に荷造りしてホテル の食堂で昼飯済ます。チェックアウトしてトゥクトゥクに乗りバス車站。午後二時半すぎの急行冷房バスで一路、バンコクへ。車中、後藤繁雄編『独特老人』読 む。560頁に30人ほどの個性豊かな各界の老爺が現われ、語る。森敦(作家)、埴谷雄高(作家)、伊福部昭(作曲家)、升田幸三(棋士)、永田耕衣(俳 人)、流政之(彫刻家)、山田風太郎(作家)、梯明秀(経済哲学者)、淀川長治(映画評論)、大野一雄(舞踏家)、杉浦明平(作家)、下村寅太郎(哲学 者)、杉浦茂(漫画家)、須田剋太(画家)、安東次男(詩人)、亀倉雄策(アートディレクター)、細川護貞(殿様)、水木しげる(漫画家)、久野収(哲学 者)まで三時間読んでバンコク市街にバスは到着。日本で何度も舞台を見て1993年には当時87歳で香港にまでいらっしゃり「ラ・アルヘンチーナ頌」など 舞われた大野一雄氏。打ち上げの末席を汚す光栄。それにしても凄い老人たちの思想力。森敦の「一即一切の一は1/nの1で一切一即の1はn/1のほうの 1、で1/nとn/1は逆数だから掛け合わせると1になる、だから一即一切、一切一即、一合一となる。これが相即相入で華厳経の言うところ、因明であり、 この原因を明らかにするしそうがアリストテレスから来たもので、アレキサンダーの大征服でアリストテレスの論理学が東洋にもたらされ因明となり……」と、 この思考の大きさ。この本には堀田善衞氏自身は登場せぬが、杉浦明平の語りのなかに堀田氏が登場し、ふと、二十年以上前に堀田氏の『上海』なる小説を読み 堀田氏に葉書を差し上げたら丁寧に返信いただき恐縮したことなど思い出す。バンコクのバス北ターミナル(サーイタイ)に五時半すぎに夕方のラッシュのなか 四十分ほど走り(って終日、渋滞だろうが)チッロムのインターコンチネンタルホテルに投宿。遊興で年に数度通ってでさすがにクラブフロアのスタッフも顔な じみ、でチェックインも簡単。急ぎ荷物解きスパで一浴。Y夫妻と待ち合せKlongtoeyにある紅葉亭なる居酒屋。バンコクの日本料理屋の相場は例えば刺身が500 バーツといわれると香港ドルでHK$500の内容なのだが(勿論、日本から高級魚が空輸され、その晩に供される香港であるから質的にはバンコクと比べられ ないが)500バーツは香港ドルでHK$100だと思うと安すぎ。Iyara(あいやら)なるタイ産の米焼酎を飲む。ホテルでは読売新聞が部屋に届き朝日 は?と尋ねると有料です、と申し訳なさそう。
▼新聞といえば読売が1面で将棋の名人戦が棋士総会で毎日新聞主催打ち切り朝日に乗り換え、と報道。億の単位の金の応酬で朝日が「毎日に比べ発行部数の多 さ」を「売り」に名人戦奪取。読売は1面ばかりか2面、社会面まで報道の熱の入れよう。億のカネまで使ってのほどの将棋の名人戦か、とも思うが、3億数千 万円も計算すれば1日あたり900部弱の購読料で、将棋人口考えれば全国でこれくらい将棋関係で毎日から朝日に読者が動くか。それにして読売の執拗な報道 が可笑しい。
▼鶴見和子刀自逝去。享年八十八歳。鶴見祐輔氏の娘で後藤新平の孫。弟が鶴見俊輔氏。津田ッ塾からバッサー、コロンビア大学に学び1942年に捕虜交換船 で帰国。コロンビア大学助教授から上智大学教授(社会学)。これに目がとまり、それでふだん殆ど目を通さぬベタ記事扱いの訃報欄を見れば「エイチ・アイ・ エス」という社名が目にとまり、見ればHIS常務の五町孝弘氏の名前。脳内出血で現役のまま52歳の急逝(訃報)。 いぜんにも日剰に綴った記憶あり。五町氏はまだ安売り航空券の「怪しい会社」と思われていた頃の80年代後半の香港支社に勤務。余も初めての中国入りは行 き先が黒竜江省なのに香港経由でパンナム001便で夜中に香港入りしHIS指定の尖沙咀の「富士ホテル」に投宿。Mr Gochoが現地で連絡をとるから、との説明受けていたが、Mr Gocho(ゴチョ)なるいかにも東南アジア系の怪しい名前、が日本人が深夜、ホテルのロビーに現われ「五町」なる名前だと知り少し安心し珍しい名前は記 憶から消えず。深夜に旅券渡し窓もない富士ホテルの部屋でジャックダニエル飲んで寝て翌朝に五町氏現われ、あら不思議、中国の入境ビザが押された旅券を渡 される。マイクロバスでいくつかのホテルまわり中国に入るバックパッカーの若者拾いホンハム駅から「最近、電化されて便利になった」というKCRで羅湖 へ。車中、五町氏から中国の旅行事情などいろいろお聞きして、まだ三十代前半の溌剌とした、いかにも東南アジアの日本人然とした氏の印象強し。羅湖で「そ れじゃ、いい旅を」と五町氏に背中押されて深圳に入り二ヶ月に渡り中国の一人旅始めた記憶がまるで数年前のように記憶に蘇る。HISはその後、海外旅行 ブームで急成長し、五町氏はまさにその原動力。数年前に何かの新聞記事だかで五町氏が常務と知り、驚きながらも「さもありなむ」と納得。ご冥福祈るばか り。

八月朔日(火)。朝から小雨続き。涼しさ。部屋のベランダからの眺めも緑映えて風情あり。雨中にプールサイドに傘立ててデッキチェアにタオルかけ、しっか り場所確保の御仁あり。リゾートに対する精進ぶり。雨のなかスプリンクラーで芝生の水撒きも可笑し。タイ国内で鳥インフルエンザのヒトへの感染あったそう で家禽三千羽だか処分される。NHKの海外安全情報で鳥インフルエンザの確認された地域に渡航、居住する人は鳥との接触を避けて、と言われても庭に朝早く 賑やかな鳥を追い払うことはできまい。昨日読了の田中直毅本で一つ思い出せし事。田中君のいう55年体制の崩壊と2005年体制の誕生に位置づけられしは 昨年八月八日の参院郵政法案否決での衆院解散。あの日ふと思い出せば余はバンコクにあり。恭しくも滑稽なる衆議院解散を生中継で眺め、万歳三唱で笑顔で握 手しながら退場する国会議員諸君の姿。あれが田中直毅の言う2005年体制の始まりか、と思えばただただ呆れるばかりなり。毎朝部屋に届くBangkok Postがタイ語読めぬ我には唯一の新聞だが(丁抹語や瑞典、諾威といった北欧の新聞ならタブロイド版で届く)今朝の八月一日がこの新聞の創刊(1946 年)の60周年の特版。戦時中の在盤邦字紙印刷所施設を使い1946年8月1日に創刊。長年資金調達の困難続くがタイの経済成長にともない英字紙の需要高 まり70年代にタイの財閥Central Groupに買収され1999年には香港でSCMP紙の大株主となっていた郭鶴年がこのBangkok Postも資本参加し経営に参画。確かかなり政府よりの保守紙であるが近年はタクシンの横暴ぶりには不快感も顕わ。タクシンといえば一時は失脚に向いてい たが情勢挽回。今日の新聞でも10月15日の国政選挙につき王室より王宣を賜った(院宣という言葉はあるが王宣はないのだろうか)として野党に対して参選 棄権などの策に出ぬよう牽制。国王陛下にとっては道化師の如き首相に何をばお感じになるか。ところでプミポン国王陛下におわせられては在位60周年の際に 足腰痛められ入院治療中。79歳と高齢のこともあり国民の間には国王の快方に向うを願い黄色の服纏う者かなり多し。かりに国王に万が一のことあり崩御とも なればタイという国がどれほどの喪に服すか、昭和帝どころではあるまい。この王室敬愛の念、それにともなう愛国心、タイはよく「王室はタイ仏教の象徴でも あり、伝統的に国民の敬愛を受け」などと言われるが実際にはラーマ5世(チュラロンコン大王)こそ日本でいえば明治帝の如き近代国家建設で位置こそ占める が現国王の兄君暗殺された頃などは王室の地位はかなり不安定であり、まさに現国王になりタイの近代化のなかで王の果たした役割に対して国民が敬愛の念を育 み、そればかりか「物語」と「伝統」をば生んだところが、キッシンジャーだったかの言葉「現実が歴史を作る」のまさに適例であろう。ところでプミポン国王 の兄君(ラーマ8世)の突然の死去、王宮で眉間に銃弾当って、で拳銃の暴発とされているが他殺説濃厚という話、日本陸軍の参謀将校であった辻政信 (http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信)が絡んでいる、 という話、六月に天皇陛下が新嘉坡でお言葉述べた日本軍による新嘉坡占領での華人虐殺もこの人が主犯格だと言われており、今回の天皇陛下の南アジア訪問、 すべて辻政信が絡む、と余も六月に日剰に綴ったが、戦時中の傀儡ぶりが民族派などから戦後糾弾されるならまだしも、その傀儡として操った側(日本)はむし ろ国王をば庇護すべき立場のはずで、それが参謀将校が殺害に絡んだのだとしたら、よっぽど暴露されては困るような事実でもあったのか、かりにそうだとして も第三国、某機関による元首暗殺など考えられぬ話で、それが「赦された」としたらよっぽどの事情が、それもタイ側にも、あったのだろうか。憶測の域から出 はせぬのだが。村上陽一郎『科学史からキリスト教をみる』読了。いつも何冊も本をかかえリゾートに参り一冊とて読めぬこと幾度もあり。今回は比較的読みや すい本、そのままホテルに置き去ってもいい本にかぎり五冊持参。そのうち四冊も読んでしまい、このままでは盤谷に戻る車中に読む本もなくなるは必至で読了 の本をホテルの図書室に寄贈し佐藤隆介著『池波正太郎の食卓』と山本周五郎『生きている元源』の二冊借りる。山本周五郎は実は『さぶ』とて読んだことない が村上陽一郎氏が漱石とならび絶賛。香港に書類に署名して送るなどいくつか用事済ませ池波本少し読めば昼。プールサイドのダインにてナシゴレンなど食す。 プールに米国人数組あり。プールサイドよりフリスビー投げ海豚か海驢の如くゲットする水芸は見事ながらプールの周囲に寛ぐ北欧からの客らの迷惑顧みず。睨 まれていることも気づかず他人に迷惑かけ楽しみまくり、はまさに米国らしさ。規矩というものが欠ける。午後、この数日ずっと中庭の木陰での読書続きでさす がにからだも鈍りデブ気味、せめてもの運動とカオタキアップと呼ばれる海岸の岩山に向かいホワヒン海岸の砂浜を一時間半、7km ほど南に散歩。海岸に面して瀟洒なホテルと高級別荘が点在しまるで大磯、吉田茂閣下でも散歩していそう。浜辺に遊ぶ犬二匹が盛りか交尾にじゃれつく。二匹 かわるがわる相手に乗りかかり腰を振り、よくみれば確かにいずれもオス犬なり。「さすが、タイ」とZ嬢。御意。カオタキアップの岩山に至り金色の仏像も見 事ながら通りすぎ漁村歩けば潮くさい泥川の向こうの林に突然、象が数頭現われ何かと思えば観光象園。このあたり観光開発の無惨なる残骸多し。ゴーカート 場、シーフードBBQなどの施設が草木に覆われる。アジアの観光地に多い話で、キャパが50とした時に規矩というものなく必要以上に突然のリゾート契機に 乗じて分譲マンション建設から観光地開発。それがコケるも必至。キャパが50なら50で身分相応弁えたところで50のキャパに心地よさ感じ毎年の如く再来 する上客をもてなしてこそ、なのだが。ダットサンのタクシー?で市街に戻る。ホテル近くのマッサージ屋で一時間の按摩。見事な腕前。ホテルに戻り晩までい くつかお仕事片づけ。晩に市街のLa Villaなる伊太利 料理屋に食す。同じ伊太利飯なら一昨晩のCurusoのほうが「ウチは何を食べさせたいのか」が明確でグッド。北欧人多きこの il sole e mare の観光地で「美味いもの」といえば、やはり伊太利料理なのかしら。とにかく客筋は彼らであるから物売りでもオカマバーのホステスさんの客寄せもまったく私 らなど無視されたまま。四晩続けて、でジェラート食す。山本周五郎『生きている元源』少し読む。早寝。

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