八月三十一日(土)曇。海で日光浴、つまり身体に悪いことをしている。新聞読んだのみ。午後ジム。一旦帰宅して宵のくちZ嬢とQuarry
BayのEast Endにて一飲。帰宅して豚汁食し先日いただいた京都七味屋の七味あり振ってみるが七味屋とてあれだけ大店となると通人には七味屋などホンモノの七味でないといわれそうだがそれでも某大手食品会社のいくら量を多く振っても色が赤くなるだけでちっとも香ばしくも辣くもない七味に呆れていた身にはかなり香ばしく見事な七味。防腐剤など添加物なきため開封から二カ月が賞味期限とあり、大手食品会社の七味をみれば一年半の賞味期限。さういへば子どもの頃、市中の百貨店のまえに七味を売る老人夫婦の屋台があり、いつも祖母に頼まれて買ってくる量は小さな紙袋にほんの少し。かなりマメにお使いに行かされ面倒であったが今思えば少しずつ新鮮な七味を購っていたわけかと納得。その老人夫婦の屋台の七味屋、客毎のつまりその家ごとの調合をちゃんと判っており、客がくると七味の具のはいった朱塗りの木箱を開けると百貨店のまえの歩道に七味の香ばしさが漂い、小さな袋に耳かきのような匙で七味を調合する。七味が湿気ったり濡れたりすることを嫌ってか雨空の日は屋台は出ず。かなり人通りの多い目抜き通りでその百貨店の正面玄関に、銀座の三越の翌年かマクドナルドができた頃にその老人夫婦の七味屋は店を閉じていた。今ではその百貨店じたいが店終い。屋上の遊園地から市街が一望でき、このデパートの正面玄関に備えつけのテレビで吉田茂の国葬の場面を見た記憶があり。これが記憶に最も古い社会的事象の記憶。手足を切断したり目を抉られた傷痍軍人がよくこのデパートの前で軍歌をハモニカで吹きながらカネを乞ふており何故に戦争の犠牲者でありながら援助もなくこんなことまでして生活せねばならぬのかと子どもながらに不思議に思ひ、あとになりその街頭で募金を乞う傷痍軍人の多くが在日朝鮮人の軍属であったことを知る。
▼いつも見ていて抱腹絶倒はNHKの海外安全情報にて合州国で流行る西ナイル云々という流感のウイルスはかからないためには「蚊にさされないこと」と神妙な表情でアナウンサー宣うが正気か。珍しく香港も注目され「最近」九龍の尖沙咀、旺角、また香港島の中環地区などで万引きが多いそうで対策としては人前で財布を出さぬこと、また屋台などでは法外な値段をふっかけられること多く対策としては領収書をもらうこと、と(笑)。最高の娯楽番組。
▼合州国の某通販よりの文章にYour
order should head out Tuesday morning.とあり。head outが陣頭に立ち出発するといふのはまだ理解できるが発荷にhead
outとはこれまた大袈裟。いかにも米語的表現。
▼首相小泉君訪朝にて日朝国交正常化へ向けてと新聞に文字踊る。朝日の報道によると昨日平壌の各職場のスピーカーから大音響で(だいたいこういう国家スピーカーがあることじたいオチャラケだが)小泉君が來朝し金正日君に「接見」と伝えた、と。この日訳の接見が朝鮮語でじっさいにはどう言われたのか計り知れぬが広辞苑では接見とは「身近に会うこと」が原意だが「高位の人が公的に人に会うこと」として用いられさういふ意味では金正日君も小泉君も高位であり対等ではあるが例文に「教皇が信徒を接見する」とあり顕かに高位の者が僕に会う事。では主語が小泉君であるから小泉君が高位かといへば当然のことながらかたや独裁で実質上の元首でありかたや議院内閣制の首相に過ぎずは「金正日氏が小泉首相を接見する」が正しい解釈であろう。日朝国交回復はいいことではあるが北朝鮮の狙いは当然の如く米国でありブッシュ政権にてしかも「悪の枢軸」呼ばわりされ硬直した米朝間の関係改善にはまず日本。米国の露払い。北朝鮮も北朝鮮で中国政府が必ず外交はまず相手国が北京に朝貢し返礼として相手国訪問もするのが定義にて(ニクソンが米中国交回復のため訪中したことは北京政府にとっての最大の外交収穫であった)北朝鮮もこれに倣ったのか小泉君の訪朝は当然。ただし朝貢外交も国家威信の発揚のようでいて登校拒否生徒は学校に来ないのであるから担任が自宅を訪れるように、また不良少年には保護司がこまめに少年のもとを訪れるように、訪れてもらうといふことはけして威光ばかりでなし。
▼勝谷誠彦日記を読んでいて康夫チャンの選挙開票待ちの会場が朝日村となったことを知る。通常は選挙事務所のある、つまりは県庁所在地であるが朝日村にするなんて、もうその感覚だけでも勝ってしまっている。電通とか代理店のいらない選挙。長谷川とかいう弁護士もあれで自分で出ていればもっと得票も伸びたろうが結局は議会や市長やってるオジサンたちに担ぎ出されそのお人形であることが暴露されてしまって無惨。だいたいにおいて「女性候補を」という発想じたいが男性社会(笑)。選んだ結果が男でも女でも適材であればいいだけの話。
八月三十日(金)快晴のち午後小雨となり曇。地下鉄のなかで新聞を開けば競馬欄、バスで鞄から本を出せば馬簿、けっきょく競馬が始まると極端に読書量減り思慮浅き日々とならざるを得ず。一年のうち九カ月半もこれなのだから困ったもの、呆れる。石川淳『夷斎筆談』読了。崇高なる日本語の散文は全く読みきれず。還暦くらいに再読が必要か。
八月二十九日〔木)快晴。1969年に文藝春秋から出版された『香港いい店うまい店』なる書籍あり、タイトルからして文藝春秋の定番でありグルメ本の草分けである『東京いい店うまい店』の姉妹本だったのだろうが(それとグルメ本といえばやっぱり山本嘉次郎監督のだろうか)32年も前の香港のレストラン紹介本とは当時としては画期的なもの。この本の存在を国会図書館のアーカイヴで知り香港でさがすが見つからず週刊香港K氏によって国会図書館から複写を入手。かなり多くの店がすでになし。ふと気になりインターネットの検索にてこの本をさがすと僅かに一件のみ!それも北海道の稚内の大学の先生のサイトにこの本がリストアップされている。メールでお問い合わせすると早速返信あり大学図書館の廃棄本のなかから先生が偶然釣った、と。貴重な本がそうしてこの世から消えていくわけか。たまに偶然にもこうして山口昌男的表現だが知の釣り人のような人に救われる。そのI助教授はどうも富柏村のサイトをご覧になったことがあるようで恐悦至極。黄昏てジム。ふらりと銅鑼灣の池記に入るとけして広いとはいえぬ店に日本語轟き数えてれば八名の日本人観光客。さすが渋谷パルコと国分寺だかにまで支店もつ店で日本人旅行者にはお馴染か。池記、美味ひといふ評価もあるが個人的には麺といい湯といいイマイチ好きになれず。七月から読書に思索にと充実した日々を送ったものの週末に競馬今季開幕。本日出走馬確定と馬枠決定にて馬簿(レープロ)『大勝』購ひ、本日より週二日の競馬を中心に生活の全てがまわる日々となる。今季は競馬新聞としても充実している蘋果日報が鳴り物入りで馬簿発刊。しかも蘋果日報購入しそれについているクーポンにて僅かHK$2にて販売とあっては『大勝』など既存の馬簿にとっては危機か。しかし実際に『排位王』を見てみれば蘋果の充実した競馬データに基づくとしては余りにお粗末な出来にて確かにHK$2といふ値段に見合ふもの。HK$2でもけして使いたひとは思へず。競馬といへば『香港ポスト』今週発売号に競馬開幕に合わせ競馬馬紹介の記事搭載す。
▼築地のH君によると先日語った河竹登志夫氏の本でソ連でのでの猿翁(当時猿之助)の「俊寛」評は――「日本の歌舞伎座の偉大な俳優市川猿之助の演ずる瞬間の沈黙場面は、観客を熱狂させた。この俳優の洞察力、その人間像の生命力の深さが感動させたのである」(モスクワ文学新聞)と「彼はその主人公の苦しみと悩み、その真実な高潔さ、とめどなき怒りを、きわめて確実に表現している。…これらの手法は約束事の上に成り立っているが、それらの助けを借りて真実の人間の感情が表現される。だから自分の友達の幸福の名において、自己の自由を犠牲にする、高潔な雄々しい瞬間が体験するドラマが、われわれの心を打つのである」(レニングラードスカヤ・プラウダ)と。H君曰く当時の(というか今もだが……笑)ロシアは俊寛の芝居の前提である「平氏にあらずば人にあらず」も「鹿ケ谷の陰謀」も知らないわけで、ただ普遍的な「人間ドラマ」としてみており、しかも俊寛が「宗教はアヘン」の僧都であること!もどこまでわかっていたか疑問、ひょっとすると俊寛は「専制権力をふるう独裁者・清盛への反逆を企てて流刑された革命英雄」と、スターリン専制の悪夢の時代を終えてフルシチョフがスターリン批判をしたこの「雪解け」の年!は解釈されていたかもしれず。舞台の猿之助は、俊寛は本来宗教人としてその場面で献身とか自己犠牲を来たいされているはずなのに、逆にソ連のこの現状と観客の賛美が実はソ連的背景にあることに気づき、遠ざかる船を見ながらソ連での俊寛といふとりかえしのつかないことをしてしまったとハッとして(笑)あの取り乱しよう……とこの錯乱こそ「オリジナルの」俊寛(笑)、とH君。いつもながら深い考察である。こういうソ連的な、とか、「俊寛という人間の苦しみと悩み、そして真実な高潔さを表現したい」近代西欧主義の解釈もあっていいのかもしれない、が。……ただ問題なのはひょっとすると歌舞伎でもこういう近代的解釈でこの役をやっている人が(憶測なので誰とはいわないがこの日剩をずっと読まれている方ならそれが誰か察しもつくだろうが)そういう役者がいそうなのが怖い(笑)。
▼この日剩でも何度か取り上げたハート&ネグリの『帝国』は以文社から7月刊行といわれていたが未刊。昨年の9/11前に出ていればかなり良かったし少なくともグローバリズムの問題が関心をよんだ昨年から今年上半期まで、かなりこの『帝国』がマスコミ論評でも取り上げられ、あの時期には遅くとも刊行されているべき。韓国についで中文版もすでに発行されており翻訳出版王国であるはずの日本が……。原書で読まれるわけがなく、つまりそれだけ世界の論潮から日本が遅れてしまっている、ということ。
▼H君はサイトをもってないので自己発表してないから書いてしまうが、なんだか新聞で(私も読んだ記憶あるから朝日か)政治学の教授某が「民主党の若手議員と話すことが多いが、丸山真男の「忠誠と反逆」について話すとみな、大いに興味をもってきますね。反逆のないところに真の忠誠もないという」とかなんとか。民主党の若手といえば、みんなほとんど東大法学部くらい出てるでしょうが、東大出て政治家になってそれでいまさら「丸山真男」の話聞いて面白がってどうするよ?。読んでなくても「いや、丸山の限界というのはですね」と無理矢理展開してみせるくらいの見栄が欲しい。でなきゃ「僕も学生のころ読んで、それで政治家になってそのような日本社会のありようを少しでも変えていきたいと志したんです」で平均的な合格、のお答えだろう。それが「へえー、そうなんですか。それは面白い話ですね、先生」ではかなりマズい。こういう若手が自民党ならまだ10年は雑巾かけであるのに民主党では党首選の候補になりかねない。東大出て丸山真男は読んでないが松下整形……いや政経塾出身でPHPの本だけは読んでる、みたいな。岩波新書は読んでないけど『沈黙の艦隊』は熟読して国際法を理解してます、みたいな。それでリベラルです、ってネオリベラル、これはいちばん怖い。自民党の若手ならかつては極右の青嵐会とかあったが、あれは暴れているだけ(笑)、だから国政を左右するような実害がなかったのだが、かたや民主党はそんな若手が党首候補だ。昨日写した石川淳の言葉、読んで理解していただきたいもの。しかし読んでも理解できまひ。やっぱりキョービの政治家や官僚には「わかりやすい絵」にして見せてあげたほうがいいのか。
八月二十八日(水)快晴。日剩度々登場せし築地のH君知りあって彼此二旬近し。H君は大学での余の指導教官の子息にてふとしたことでH君当時浪人中にH君係る自主出版の雑誌の担当者として知りあいH君大学進学し上京にて暫く付合いも途絶えるが余の上京で趣味芸道の類嗜好を具にする処多く永き付合いとなる。H君と同じ頃知りあいたる医者の同仁斎師、歌舞伎好きのT君は畏友中の畏友。H君昨晩歌舞伎座にて中村屋の「怪談乳房榎」のケレン愉しむ、とメールあり。ケレンといへば沢瀉屋なれどふと思い返せば中村屋との共演はなし。沢瀉屋といへばケレン、ケレンといへば沢瀉屋ながらH君中村屋を評し実事多少厳しいが権太勘平等世話物、八十助との踊り、ケレン、忠臣蔵でいえば中村屋は道行の勘平が本役、判官、寺坂平右衛門、桃井若狭介も佳し、女形でもお軽はきついが顔世御前はじゅうぶんいける、高師直をやらせれば巧いはず、と。且つアドリブの機転の好さ(アドリブでないのにアドリブのように見せてしまうといふ、これは口跡の悪さ補ふ芸風かと余は察するが、すらのも含めて)、さういふ意味では当代随一の芸域。さすが勘三郎、「兼ねる役者」六代目=祖父の芸を継いだだけのものはあり。親が早く死に沢瀉屋といふ特異なる家を継ぎ保守本流に対しケレンを売り物にせし沢瀉屋と恵まれた環境と厳しい父の下で自由奔放に育った中村屋の好対照か。この中村屋の広き芸風に匹敵するのは当代では音羽屋か、とH君。音羽屋との違いは「品」にて、法界坊とか音羽屋がやれば「あの音羽屋が」てなもんだが、中村屋のはもう本当に大衆演劇とかわらん。いい意味でもわるい意味でも法界坊そのもの、か。逆に音羽屋は「品がありすぎ」でどうしても柄を破らぬところあり。思ふに助六が実ハ曽我五郎「そして実ハ」団十郎、とつまり江戸の観客は一人の役から三つの像を見ている愉快さがあるわけで、音羽屋はあまりにも音羽屋すぎて役になりきる以前に品のある音羽屋であることばかりが目立つってことか。……と何処までがH君にて何処からが我かわからぬがH君に多く教えられるまま芝居談義。夕方ジム。石川淳『夷斎筆談』続けて読む。夷斎先生の文意博く余の浅学では読みとるに難し。昭和26年当時これが月刊『新潮』に連載されし当時読者これを読むとは当時の教養見事。恐らくは読者に漢学及び支那哲学の素養あること、当世の読書と違い書籍雑誌貴重な時代この文章も理解されるまで何度もじっくりと熟読されたであろうこと、読者が若き夷斎先生と同じ世代にて今でこそ古典的名著も当時はオンタイムであったこと。時代が違ふ。数年毎に何度か読んで年とともに理解できれば好し。同書「権力について」より一節を写す。
一般に、権力は精神の運動の場としての明日といふ時間を知らない。その謂ふところの萬世の利とはすなはち今日の利にあたへられた名にほかならず、権力のはたらきはそこに限られる。したがつて、権力の仕事である政治といふものは、いかなる恣意の形而上学的世界観をもつて擬装されてゐるにもせよ、厳密には世界観の発展に関係しないといふにひとしい。
政治家は政治、権力がこの程度の空しき現実であることを肝に据えその上で選挙にて選ばれた公僕として精進すべき。長野の康夫チャンや改革派首長らはこの政治、権力の空しき現実を理解した上で公僕たらむとしているのではないか。
▼ここに一枚の絵がある。一瞬、怪しげな宗教団体の宗教画のやうだがさにあらず。香港政府が月給HK$50,000以上の高級職公務員1,500名だかをを対象に開催した香港のおかれた現状と問題点を認識し今後に活かすためのセミナーを合州国のさういった能力開発セミナー専門会社にHK$300萬だかを払って一昨日から数日開催し、この絵はそのセミナーにて香港の置かれた現状を具体的に絵にして参加した官僚たちに易しく理解させるものである。言葉で話しても文章を読ませても理解できないから、絵か。幼稚園生なみ。しかもその絵がかぎりなくダサい。どうせなら小松崎茂の描くサンダーバードみたいな絵面にできればいいが、この絵はかぎりなく下手だし、こんな絵で創造する香港社会に未来なし。その上この能力開発セミナーに参加した官僚らは有益だった、と。彼の国にて開発されたMBAであるとかLaw
Schoolのプログラムとて似たり寄ったりなのだろうが、結局、内容の乏しさに反比例するように「参加して良かった」と明日への活力だけは生む源泉となることは怪しげな宗教団体などの自己開発セミナーと一緒。企業研修などでもかういったセミナーが利用されるがさういふセミナーに社員を送らねばならぬやうな会社は三流。つまり香港政府も優秀なる公務員はすでに離解し三流といふことか。
▼昨晩よりNHKワールドプレミアム中継の虜となるが昨晩は日本のオジサンたちが涙して感動しているといふ「プロジェクトX」なる番組は過去の活力ある時代、日本が世界に向けて羽ばたいていつた(と思われた)時代を大袈裟に演出し不気味。作るほうも作るほうだがあれを見て涙しているオトウサンもオトウサン。どっちもどっちでそれでいいのか。あの放送があるからとさっさと飲み屋から帰宅を急ぐだけ肝臓にもいいか。受信料払ってるぶん民放のわけのわからぬ番組と違い涙できるだけ対費用効果あり?。今晩は「その時歴史が動いた」という番組。いきなり生理的に苦手な松平アナが画面に現われ「その時」ってタクシー運転手蹴った時か?と錯覚。かつてNHKにはやはり生理的に苦手な鈴木健二「歴史への招待」なる番組があったが鈴木健二の講談師か活弁の如きベッシャリに比べ松平公はせいぜい政治討論会の司会程度のしゃべりにてとても歴史を語るに値せず。やはり先輩名物アナを見ていると教養的な番組もきちんと自家薬籠中としており松平公もそれを望んだか。無理。語り下手。
八月二十七日(火)薄曇。築地のH君よりいつものやうに重要なる示唆あり。NHKで改めて「俊寛」を観たがこの芝居とは何なのか、と。中学の教科書にすら載り「ヤレ乗せてゆけ具してゆけ僧都おめきさけべども漕ぎゆく船のならいにてあとは白波ばかりなり」とH君さらりと暗誦せしセリフ有名だが改めて考えてみると「俊寛はどうしてそんなに都に帰りたいのか」と。都は平氏の天下、妻子は平氏の手で処刑され、鹿ケ谷では「国を誤る逆賊」として平氏追討を謀った俊寛は「僧都」で俗人ではなし。妻子の菩提を弔いながら島民に仏の道を説く余生に何の不満があろうかい、とH君。それが幕切れで見せる俊寛のあの取り乱し。確かに。この俊寛、確か先代の高麗屋(白鴎)で見た記憶があるが当代では勘九郎、播磨屋、ミュージカル仕立てで高麗屋!といったところか、いずれにしても誰がやってもあまり面白い芝居でなし。それがH君の指摘の通り海外に歌舞伎もってくと、だいたい「身替座禅」か「俊寛」で「身替座禅」は真に普遍的なコメディだとしても「俊寛」は解釈が立ち過ぎて歌舞伎らしさがない、とH君。猿翁のソビエト公演で受けて以来のことだろうがこの「俊寛」に悲劇とか苦悩とか英雄性を見出して、それをその近代的解釈で高麗屋(当代)がするのだからこれは凄いことになってしまう。ふと思えば猿翁がソ連でやったことを思えばわが国ではピンとこない芝居も思想犯で刑務所や思想改造所に送られたソ連であればこの「俊寛」はどんなひどい都であれ「帰りたい!」と思う点でソ連人民の心をとらえたのかもしれず、と言うと、H君より河竹登志夫先生の本に当時のソビエト批評家こぞって絶賛と紹介されていたそうで、猿翁の訪ソはフルシチョフ時代の「雪解け」だったからこそ「俊寛」がスターリン時代の悪夢を描いたように思われたのか、いずれにせよ俊寛を誉めた批評家はブレジネフ時代は全員シベリア流刑で俊寛の心情を噛み締めたことでしょうか、とH君。さもありなむ。NHKといへば今晩よりCable-TVが新しく始めたNHKワールドプレミアムなる放映を看れるサービスに加入す。引越し前のマンションもNHKワールドの衛星放送はみれたがこれは無料のワールドサービスにてドラマだの娯楽番組、海外中継のスポーツなどは全くなし。これに対して有料のプレミアムは月HK$128の追加料金を払うが相撲、プロ野球、朝の連ドラから大河ドラマまでまぁNHKの総合テレビが一通り映る。インターネットが自由自在になった数年前も驚いたが朝日など衛星版の新聞が朝配達になる数年前の神戸の地震は大型のパラボラアンテナを備えた一部の高級マンションがNHKのBSを映して以外に夕方の新聞配達までなんの情報もなく、それより数年前の湾岸戦争の当時は短波ラジオにてラジオジャパンの放送を聞いていたのがわずか十年前と思うとこの十年の情報通信の変化は余りに大きいもの。ふたたびH君と語りかのM先生が所属するレコード会社に民族差別ありと訴えた云々といふ話題となりM先生には同時多発テロに対して世界平和を歌う企画が「絡んでいる制作者」に問題ありとかで頓挫したりもして、その制作者が彼の国のShowBizを仕切る×××のオカマなんだそうで、と言えばH君曰く彼の国に於て古典的に××差別する時はその性的能力を野獣のように喩へ××差別する時は同性愛に耽る変態などと喩へることを思えば「児童愛とかかなり際どいご趣味で肌の白い黒人」である而も整形失敗といふM先生は近代が生んだ最後のトリックスター?といふ考察も適ふか、と。これもさもありなむ。
八月二十六日(月)快晴。東京に戻っていたM君に頼んだ『ユリシーズ』の2、3巻受領。96年に出たこの丸谷才一他訳本、やはり(といふべきか)再版はなされぬまま。さもあらむ。台湾総督府『明治初年の香港日本人』、香港日報社『香港案内』、三井物産『香港概要』など大正から戦前に出版された香港関係の史料一読。書籍が貴重である時代の史料。黄昏てジム。帰宅してCDが900枚ほど収容できる棚届き設置しCD整理。思いきって音曲師別に揃えてみると発売されたCD全部あるのははRenny Kravitz、Led Zeppelin、Jaco Pastrious、Terence Trent D'arby、陳慶祥(阿牛)、阿Jay(周杰倫)で、かなり多いのはPink Floyd、John Coltrane、Bob Marleyに矢野顕子といつたところ。Jaco Pastriousはかなりレア物まで各種取り揃えWeather ReportでJaco識りJacoのビックバンドのライブを武道館の一列目で堪能し仙台プラザホテル前のラーメン屋で泥酔するジャコの御姿に邂逅してから崇め奉り今日に至る。Terence Trent D'arbyは最近あまりパッとせぬが初めて購ったCDがこのTTD。古典では圧倒的にバッハ多くショパン、リスト、バルトーク、ベートーヴェンあたり多いがモーツアルトないのは我ながら納得。昨晩『夷斎筆談』読みつつホロヴィッツの奏でるリストを聴いてやはり石川淳に集中できず今夜はフジ子=ヘミングのリストとショパン聴きもっと強烈。
八月二十五日(日)快晴。ランニングクラブの夏恒例のボートトリップ。中文大のあるKCR大学站より馬料水の波止場、出航までLansonのシャンペンとビールで酒盛り始まり此処より西貢北岸の深涌湾、大白角をまわり一時間余の船にて搭門洲の島。新漢記にて遅めの昼食。畳石の奇岩を眺め小石浜にて海水浴。夕方の船で馬料水。食べたりぬとI夫妻、T夫妻とI君、Z嬢にて九龍城、昼が海鮮だし創發の潮州料理でもないよね、とタイ飯で金蘭花訪れるが店舗拡張した上で街頭に待ち客多く金寶に移るが此処も爆満にて金麥泰。なかなか。石川淳『夷斎筆談』少し読む。
八月二十四日(土)快晴。海にて服部幸雄『歌舞伎ことば帖』岩波新書読む。本丸物(ほんまるもの)名題(なだい)立役(たてやく)など意味するところは判ってはいても下手すると読み方が危なく(みようだい、たちやく)先日の橘屋の連獅子でも舞台にきちんと敷かれしを所作板と云ふ事など意外と知らぬことばかり。著者はかなり言葉に慎重ながら実悪(じつあく)を述べる下りにて立役に対して敵役が存在しその敵役も時代とともに「悪」の魅力(仁木弾正など)を生じさせ、そこから「実をやりこめる悪」や「実と見せて悪、悪と見せて実」なる悪の英雄(実悪)が生まれたと述べるのだが、悪から「この流れに棹さして」実悪が誕生したという表現は間違ってはいないか。悪が徹底した悪のままでなく実悪となってしまうことは芝居が成れていく過程の必然であり、けして「流れに棹さして」に非ず。突然ピアノの練習を始める。四半世紀ぶりではチェルニー40番で指動かず譜面を読めず。還暦までにショパン、を目指すか(笑)。Lansonのシャンペンとマンダリンオリエンタルの苺のケーキ(お勧め)にてZ嬢誕生日を祝ふ。台湾の歌手阿Jay周杰倫のCD聴く。「最後的戦役」なる曲あり映像かなり彼方此方にて宣伝に流れておりこのVCDがCDについているのだがタイにて(ロケは明らかにコッポラ『地獄の黙示録』の幼稚園版)ベトナム戦争よろしき戦場にてベトコンと思われる敵相手に戦い、つまりは米軍にて、その兵である阿Jayが同じ部隊の親友(ともに兵役につき苦労も重ね自らの命も助けてくれた兵隊)をこの戦争にて亡くし挫けたまま戦場を後にする、という余りに陳腐な物語にて、ベトナム戦争も30年も経てばベトナム戦争も知らずに生まれた若造にかういふ利用をされてしまふのかと思うと忸怩たるものあり。そもそも台湾の阿Jayがかうして歌手などしていられることじたい台湾がそしてアジアが平和であるからであり、かりに徴兵制のある台湾であるし兵役と友情を歌うにしても戦場をベトナム戦争にして自らが米軍に属し「北」相手に戦ふ設定は幼稚甚だし。またこの映像が若者に「恰好いい」と映ることがダサく且つ恐ろし。
八月二十三日(金)快晴。Z嬢の誕生日にてMandarin
Oriental Hotelのベーカリーにてケーキ注文。ジム。藪用済ませ中環、C君らと九記にて牛南伊麺、久しぶりにバーR、クラブW。
▼公文、通信学習申し込みの振替用紙に口座暗証番号の記載させる。公文も数を数えるための数字が個人認識の番号に利用されその暗証性がいかに大事であるかの理解もできぬまま子どもに算数数学を教えるとは愚の骨頂。指示されるままに暗証番号を記す客も客。金融評論家で関西大学名誉教授の上田昭三氏は朝日に「こういう形で第三者にも分かるような欄を設ける書式にしたのは明らかにおかしい。記入してしまう方がいたとしても仕方がない」と語っているが記入した者がいたことは「仕方ない」のではなく本人の思考不足に大きな欠陥ありそれを育ててきた国家にも大きな責任(笑)。先日東京に行ったM君曰く某家電店にてクレジットカードを利用しようとしたら署名欄に「署名は楷書でお書きください」と指示あり、と(笑)。電話番号欄もあり記載を要求され何に必要なのかと質せば「もし何かあった場合の連絡」などと店員は答えるがもしクレジットカード使用にて問題あれば当然のことながらクレジット会社に利用者データはあるわけで末端の店にて電話番号を書かせる必要なし。「何かあった場合」といふが署名を楷書にすることや電話番号を記載することがカードの不正利用など「何か」=有事につながるといふことが理解できておらず。このボケ振りは有事のための有事立法といいつつ本当の有事に対応できぬばかりか有事での混乱に繋がる種をみずから撒き散らしている小泉有事立法と同じ。
八月二十二日(木)快晴。引越の最中にこれまで行方知れずであった94年当時『香港ポスト』にて連載せし「香港在住日本人監察日記」並びに「香港在住ガイジン監察日記」と95年のキャセイパシフィック航空機内誌『Discovery』に連載の「香港交際術指南」のバックナンバーが見つかっておりそれをサイトにアップする。『Discovery』のうち95年8/9月号は私自身持っておらず、誰かバックナンバーあればコピー可であるので提供いただきたし。「香港在住日本人監察日記」と「香港在住ガイジン監察日記」一読すれば当時がいかに香港がバブルで且つ在港邦人も活気と勢いがあったかと納得。このような観察を今どき行えば非難轟々、ましてやこんな内容のものでいくら「写真と本文は関係ありません」と言っても誰も写真撮影など協力してくれまひ。ひとまずこれで一年と九ヶ月かかり富柏村の全著作がアップできたことになり肩の荷がおりた心境。黄昏てジム。銅鑼湾の何洪記にて筆頭メニューである牛南カレー飯を食す。牛南といっても筋肉を用いる店(尖沙咀の徳發や上環の九記など)とゼラチン質の牛肋を用いる店があり何洪記は後者にてきれいにこのゼラチン質を除けて食す客(つまり我)を店員は「牛南を頼んでおいて勿体ない」という表情で眺める。あのゼラチン質が口腔にねっとりと粘ついた、あの感じがいいという癪輩もいるが理解できず。ゼラチン質を除けたもののどうも食後感悪く恭和堂にて亀苓膏。かつて亀顔の老人が給仕していた頃に比べ内装かえ店員も若い女給となっていからどうも膏薬口に苦からず。
▼田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』を読む。元朝日新聞記者が岩波書店から出したといへば言わずもがな想像に難くなし。国旗国歌法制化は突然におきたものではなく戦後綿々と続く生理痛の如し。この『戦後史』の中で70年に群馬県前橋市の桂萱中で小作貞隆教諭によって君が代斉唱にて「三年一組はまわれ右!」が起きたことはそれまでの背景がきちんと説明され勉強になる。まず小作教諭が終戦間際兵役についており米軍の空襲をうけ兵舎で二人の同僚兵が死んだのだが、その瀕死の状態の兵に上官が君が代を歌えと命令し、その日が終戦の日八月十五日だったこと。この強制は上官=天皇の名代であるから逆らうことはできず。そして卒業式の予行演習にて校長が「三年一組の生徒の中に君が代を歌わなかった生徒がいる。君が代を歌わなければ全過程を修了したことにならないから、そういう生徒には卒業証書はやれない」と生徒に向って語っている。このような強制の中で生徒に君が代を歌わせたくない、というのが小作教諭の信条であった、と。いずれにせよ我おもふは、<君が代>は政治的、国家主義的にその賛否を問ふ以前の問題として日本語の美しき音韻を全く無視し歌を旋律に乗せてしまつており、あの「きいみいがあああよおおおわー」では古来の日本語の美しさが蔑ろにされてしまひ、それをなぜ右翼保守反動の諸君が問題とせぬのか不思議。本来、歌を詠む場合「きみがよわーちよにやちよにー、さざれいしのーいわをとなりてーこけのむすまでー」が正しい音律であり、「きいみいがあああよおおおわーちいよおおおにやあちいよおにいさあざあれえええいいしいのおおおいいわあおおとおなあありてえええこおけえのおおおむうすうううまあああでえ」は日本語として醜悪なる歌詠みであることを心得るべき。あの君が代の音韻を美しと思ふ輩は野暮なる田舎漢にすぎず。<日の丸>についてはこの『戦後史』にて注目に値するは1949年の元旦のマッカーサーによる年頭メッセージにて占領期のなかで日の丸無制限掲揚が認められるのだが、そのメッセージでマッカーサー曰く「余は茲に諸君に対し諸君の国旗を再び国内に於て無制限に使用し掲揚することを許可する。余が今回この挙に出た理由は一にこの国旗が人類の等しく探し求めてきた正義と自由の不易の観念に立脚した平和の象徴として常しえに世界の前に翻らんことを。(略)さらにまた(この国旗が)日本の政治的自由を確保し保全するに足る日本経済建設の義務に向って日本国民の一人一人を奮い立たせる輝く導きの光りとして翻らんことを心から念願するからに他ならない」。つまり(勿論背景には中国での国共内戦や朝鮮戦争、対ソ戦略などによる日本の西側への取込みがあるのだが)このメッセージはまさに人類普遍の真理としての正義と自由と平和(これが日本国憲法の礎となるわけだが)を掲げる国家の象徴として日の丸が翻らんことを願うものであり、またその国家には政治的自由と「保全に足る」日本経済建設がある、と述べる。我おもふに<日の丸>の意匠はおそらくこれ以上の意匠の創造はほぼ無理であるほど優れている(かぎりなく簡素であり洗練されている点に於て)。しかしその<日の丸>の肯否を論議する以前の問題として、マッカーサーのメッセージを真摯に読めば、近隣諸国の歴史的反日感情をいまだ理解できず真の反省もないまま陳腐なるナショナリズムばかり高揚し自由は身勝手な私利私欲にばかり用いられ政府国会に正義など欠片もなき恥ずかしき様であっては、その国旗など<日の丸>に限らずとても恥ずかしく掲揚などできず、か。かりに日本なる国家が真にこの正義、自由、平和に邁進する国家であれば国民の総和としてであれ近隣諸国であれ日の丸をその象徴と認めるだろうに。似非なる保守反動右翼の諸君はこの日の丸の掲揚にばかり躍起になっているが、問題はその国旗に象徴される国家としてのConstitutionなるものが(それも普遍の理としての)その国家に備わっているのかどうか、といふこと。
八月二十一日(水)快晴。この夏ずっと香港から出ずにおりZ嬢と昼まえのフェリー乗船し終日マカオに遊ぶ。マカオに着けば思いっきりの快晴にて的士で一路路環の竹湾海岸へ。侘しさ漂ふ竹湾酒店(Pousada de Coloane)に一週間逗留したのが十年近く前にてそれ以来初めて竹湾を訪れるが竹湾酒店は更に朽ちて詫び寂(さび)といふより錆(さび)著し。海岸に面したLa Gondolaなるイタリア料理屋にて午餐。海岸には公営ながらリゾートホテルの如きプールあり。珠江の運ぶ黄泥ひろがる(言葉では言い表すことも絶す光景なり)マカオらしき海を眺め静か。路環の町まで海岸沿いを巡る道を炎天下数キロ歩く。この一帯はバブルの頃に別荘型住宅開発進み今ではほとんど空家にて朽ちた地中海型の住宅が並ぶ。HK$5,000ほどにて賃貸もあり静かな環境は理想的だがなにぶんにも朽ち果てたバブルの遺跡にて不気味。フランシスコザビエル教会の前だの周囲の民家だのがすっかり整備された路環の町。Lord Stow's Bakeryにて自家製ヨーグルト食しEgg Tartだの麺麭購いバスでマカオ市街に戻る。余りに陽射し厳しき午後にて旧市庁舎前の広場にてビール一飲して憩ひ裏通りに入り祥記にて水餃麺。港澳にて余が最も秀逸なる麺と推せるはこの祥記なり。骨董品の家具屋などひやかし散歩。晩餐にとAfonso �に赴くが日ごろ無愛想な店主ながら門前に店主と息子旅姿並びに南洋か地中海か美しき島と海の写真あり店主避暑のため九月中旬まで一ヶ月ちかく閉店!とは誠に敬服致候。Bela Vistaは閉まりこのAfonso �が休みでは晩餐にて路頭に迷いバスにてタイパ島へと渡る。明晩が満月にて路環の島の上空に浮かぶ月を海浜の公園より眺め、タイパの集落にあるGalo(公鶏つまり雄鶏)なる名前のポルトガル料理屋(それにしても何故にタイパの料理屋はピノキオだのダンボだのパンダだのの名前ばかりなのか)。識りもせず飛び込んだ料理屋ながらリゾットなどなかなか。ふとその店の二階の造りからこの店は10年ほど前は澳門にふと一件のみ存在していたモザンビーク料理屋だった建物じゃないか?と回想。竹湾酒店にZ嬢と逗留した折ここで生まれて初めて(そしてそれ以来皆無の)モ料理!を賞味した記憶あり。何故に澳門にモ料理かといへば言わずもがなポルトガルの植民地にてモ料理がではどういふ素材と味つけかといえば「海鮮を除いた」澳門のポ料理そのまま(笑)。澳門で馳名のアフリカンチキンなどそもそもモザンビーク由来かと思ふ。午餐、ヨーグルト、ビール、水餃麺に晩餐と我ながらよく食すものと唖然。二更に香港に戻る。フェリーにて矢野いろいろ事件もあり暢教授の『「南進」の系譜』(中公新書)読了。75年初版の「古典」ながら結びにて「東洋や西洋と台頭に並ぶ地域概念として「南洋」という概念はまだ対等の尊厳を与えられていない」「日本の南方関与の歴史はほとんど大した積極的財産を残してくれてはいない」「つまり底の浅い関わりしかしてこなかった」「だから日本と東南アジアとが自然に親密な関係をもてるはずだといえる根拠は全くない」「日本人は東南アジアあるいは日本と東南アジアとの過去の関わりについての知識を国民的常識としてはほとんど共有していない」「東南アジアを知るということがどういうことを意味するかさえ判っていないのではないか」という指摘は四半世紀を経た今も状況はほとんど変わっておらず。その上で矢野教授はその百年余に及ぶ南方関与のあと「いままた全く新しい出発点に立たされているわけで」この百年は「たいへん無駄な百年であったようである」と結語する。歴史を今日活かすことのできぬことはまさに日本の民族的特性か……。深夜月刊『東京人』読了。中学の時の同窓であるH君がよく取材記事を書いている。
八月二十日(火)小雨。今週末にランニングクラブにて八月恒例の船遊びを企画しており某離島を目的地として七月に仮予約し昨日船代を全額旅行代理店(Ocean
Leader Enterprises Ltd.傘下のPana Oceansなる組織)に払いこんだが七月に行き先は伝え船程の時間は?と尋ねると当日船頭に尋ねれば良しと言われ本日それでも何だから昨晩の入金の確認ともども代理店に電話するとその離島までは遠いので船は出せないと言われそれでは困るので出発地を新界の港としては?と打診するが船の停泊地が香港島のため新界まで船を動かせずと言われそれでは別な船脚を検討する故に予約を取消しを所望と打診したら先方は応じたが午後になり半額しか返金せぬと申し出ありそもそも七月の仮予約で目的地がその某島であることは伝えてあり其処に往けぬといふなら代理店側に非があり全額返金を要求するが応じず妥協できずTravel
Industry Council of Hong Kongに対してこの理不尽なる代理店の対応を訴える。このTICHKはかういつた理不尽な代理店の収益活動について投訴できる機関ではあるがそもそも業界の権益保護団体のための成員である代理店に対してどこまで厳しい措置が取れるかは少なからずの疑問もあり。このTICが代理店の権益を庇護して消費者の訴えを蔑ろにした場合は何処に更に訴えればよいか。香港公務員ではその優秀なる専務ぶりではかなり評価高きAlice
Tai女史がオンブズマン(ちなみに日本のオンブズマンについてはこちらが詳しいがだいたい日本政府じたいに公正なるオンブズマンが必要)を務める香港申訴専員公署はここは公共機構の監査取締りのためであり民間業界団体は範疇から外れるか。香港観光協会ならば公共機構であるからこの申訴専員公署に訴えられるのか、微妙なところ。晩黄にジム。帰宅して雑用多し。『大正博物館秘話』読了。書名のわりには明治のエピソード多し。明治の洋油画の祖・高橋由一が佛寺の栄螺堂にヒントを得て螺旋式で参観者が館内の展示を見て歩くうちに頂上の展望台に出る展示館を構想したり(これは澳門博物館などもとる形)、東京科学博物館で私も幼き折に父親に連れられて参観した時に身震いしたミイラが大正時代にメキシコ政府から寄贈されたもので震災で行方不明になり興行師の手で見世物としてあちこち巡回していたものが戦後になって東京科学博物館に治まった話、同じく科学博物館に展示されているキリンがこれが明治40年に独逸!のハンブルクにあるハーゲンベック動物園から購入した日本に初お目見えの麒麟の剥製であり、広島の原爆ドームは広島県物産陳列館であり、森鴎外が陸軍省医務局長を退任し予備役となり帝室博物館総長となるのだが鴎外により歴史史料の時代別陳列がなされ(それまでは種目別)、青い目の人形や忠犬ハチ公の剥製などエピソードも興味深し。博物館のこういった物語の面白さは過去の話でありながらミイラにせよ麒麟にせよハチ公にせよそれを何十年も後にこの私らが子どもの頃にそれと遭遇し当時こそそれに纏る歴史などわかりもせぬが何か子ども心に鮮烈な印象を受けていること。
▼長野県知事選、朝日は早野透による「ポリティカにっぽん」のコラムにて8月15日の公示に田中康夫チャンは「日本の国民が知らされるべきを知らされないまま戦争を開始し遂には深い悲しみを味わった歴史の過ちを心に刻み込んだ終戦の記念日」に「県民に語りかけるのは歴史の偶然を超えたものがあると思うのです」と声明を出しこれに早野氏が「心惹かれた」と。そして対抗馬たる長谷川女史の街頭演説で14日に出馬を取りやめた花岡某が応援演説で「パフォーマンスと独善の田中康夫さんに退場してもらう大義の前に私は断腸の思いで引いた」というと聴衆から「しらじらしいぞ」とヤジが飛び早野氏はベテラン記者の花岡某なら「長谷川氏を巻き込まずに自分だけの責任で降りればよかった」のであり長谷川女史にしろ花岡某にしろ康夫チャンをポピュリズムと批判するがその車座集会の康夫チャンと県民との真摯な討論を早野氏は民主主義と感じ、選挙カーで自分でマイクを握る康夫チャンは人家が途絶えると「山の中の猪やカモシカの皆さーん、私が田中康夫です」と呼びかけた、と結ぶ。これって明かな康夫チャン支持でこういうのって公職選挙法にひっかからないの?(笑)
▼松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」が昨日の帝劇で69年の初演から通算千回の上映となる。同一俳優によるミュージカルの主演最多記録であり昨日は高麗屋の還暦の誕生日。高麗屋はミュージカル俳優でありながら歌舞伎までするのだから大したもの。
▼サンデーサイレンス(16)逝去。先月の競りにても新馬3億5000万円筆頭に高額七頭までがサンデーサイレンスの産駒にて日本の競馬馬はサンデーサイレンス系に淘汰されてしまうほどの勢いであったが衰弱性心不全のため死亡。89年にケンタッキーダービーなど米クラシック二冠、ブリーダーズカップクラシックも制し同年の米年度代表馬は翌年引退し91年社台グループによる25億円のシンジケートにより日本にて種牡馬となり九年間に産駒は海外と地方を含むG1を30勝、中央競馬では実に1,357勝、収得賞金の366億円余……。この春に右前脚が感染性腱鞘炎に罹り治療の甲斐なく血行障害により蹄が腐る蹄葉炎が左前脚に出た、と。蘋果日報の競馬新聞は人道毀滅と報じ、確かにこのサラブレッドにとっては不治の病である蹄葉炎と死因とされる衰弱性心不全に併発性はない気もするし、こういう書き方になるのは蹄葉炎の発病により人道的薬殺が決定されその結果を病名とすると衰弱性心不全といふことか、と察したりもできるが、この大種牡馬の最期を伝える新聞は「両前脚に痛みを伴いながらも先週までは自力で起立していたが、この日朝、馬房で体を横たえたまま起き上がる体力も気力も失っていた。午前11時ごろ、関係者が見守る中、眠るように息を引き取った」(日刊スポーツ)と。いずれにしても最低あと四、五年は種牡馬として現役であったろうし香港にもその産駒が購入されることも充分に考えられることだった。
八月十九日(火)雨。夕方香港ポスト編集部にて来週発売号の特集記事(読んでお楽しみ~!の富柏村新機軸……ってここ数年何に関心があるかといえば一つしかないが)のゲラ校正。ジム。深センにMadame de JordanことI嬢と出掛けていたZ嬢戻りI夫妻とともに銅鑼灣の朝鮮料理・新羅寶にて晩餐。月刊『東京人』読む。小菅の東京拘置所建替えにて昭和四年完成の現存の建物は保存、移転のメド立たぬことを知りどうせなら同じく老朽化につき改築も検討されている衆議院議員宿舎に利用するとか(笑)。湾岸の道路整備も着々と進んでいるのだから交通渋滞緩和のため開かぬままになっている勝鬨橋を今一度開くようにすることも精神的に景気回復の一環になるのではないか、とか考える。
八月十八日(月)雨。熱帯性低気圧更に近づき不穏に屡々盆雨となる。晝にかけてジム。Z嬢と銅鑼湾の文輝墨魚丸にて紫菜四寶粉。銅鑼湾の文輝からVictoria
Parkにかけてジャカルタの繁華街にも優るとも劣らぬほどのインドネシア系の女中たちが集う。中環の比較的場所にゆとりのあるマニラぶりに比べ銅鑼湾のジャカルタぶりは狭い歩道だの歩道橋の下だのに娘ら集いかなりの密集感。買い物。夕方寓居の日曜大工。QueenのライヴのVCD観賞。中学生の時Queenの何を聴いて愉しんでいたのか今になって佳さをしみじみと感じる。モハメド=アリがヘビー級の世界王者となった対Luston戦(64年)、ベトナム戦争反対での徴兵拒否により王座剥奪され刑務所に入り復帰して再び王者として奇蹟のカムバックを果たした対Foreman戦(74年)、宿敵FrazierをR14でTKOしての防衛戦(75年)この三戦がVCDとなっておりかなり前から購入して観戦と思いつつようやく今日購い観戦。75年のFrazierはテレビ中継で見た記憶があるがこのForeman戦はじつは"PLAYBOY"誌の日本版が創刊され当時の中学生にはかなり刺激的な成人誌だったのだが中学生にもこの雑誌がヌードばかりでなく洗練された「大人の」記事が並ぶことが判り創刊号から「ザ・ファイト」だったと思うがNorman
MailerがこのAli vs Foremanを追ったドキュメントが連載されていて当時それを読んでいつかこのForeman戦を映像で見てみたいと思って二旬を経て遂に拝む。それでなくても我にスポーツの感動を表す言葉なく、ましてやアリのボクシングを言葉で綴るような手腕はとてもなし。
▼地下鉄MTRの将軍澳線開通。藍田よりかつては九龍の外れであった海鮮で有名な鯉魚門に近い油塘、国民党部落であった調景嶺を抜け将軍澳の新興団地へと向う線。鯉魚門といえばかつてはここまで海鮮を食しに来れば場末も場末、海底トンネルがまだ一本だった時代にはかなりのドライブであったもの。調景嶺など香港返還で国民党部落は消える運命と思われ12年ほど前に当時の朝日新聞の香港特派員だったTさんが双十節の取材に行くのに西湾河より三家村までフェリーで渡り小舟を雇って調景嶺に行くかと算段していたほどの陸の孤島。そこに地下鉄が通ろうとは。
八月十七日(土)薄曇。熱帯性低気圧近づき多雲ながら海に赴く。往路のバスに新聞三紙を忘れる。石川淳『夷齊筆談』数頁読むが午後より気持ち良く晴れとても石川淳の日本語が頭に入らず麦酒飲み夕方まで微睡む。晩に某大学関係者と北角渣華道街市の東寶小館。在港邦人は他の街市の熱食中心など絶対に赴かぬが日本から客が来るとこの東寶も街市にあることで「街市で食事」を見せびらかすことができるためかなりご用達。確かに個性的な粤菜であり値段も恐ろしく廉価にて当然のように七時前には爆満となりそれでも半時間も一時間待ちでも客が溢れるのは驚くばかり。そこまでしてこの店で食したいか。終わってこの席にて邂逅せしI嬢、M嬢、T嬢ともう少し飲もうとZ嬢呼びQuarry
BayにてEast Endにて歓談。三嬢と別れZ嬢と深夜更にもう一軒にて痛飲。
▼愛媛県の扶桑社版歴史教科書採択、本日の朝日によると、実はこの教科書は県内中学校長や市町村教委委員長らによる事前の審議会において乙に評価された四社の一つ(甲は東京書籍)であり、県教委は審議会の評価を「あくまで参考資料だ」と説明するが、その扶桑社版を敢えて事務局案として提案しそれを田舎漢の委員六名が全会一致で採用する茶番劇。井関某は「我が国の文化への理解、国民としての自覚を深める」などといっているが昨日も述べたように史観の問題でなく程度の低さ著しき教科書にてそれを敢えて採用するは「我が国の文化への理解、国民としての自覚を深める」などというセリフは大義名分にすぎず。愛媛といふ自民党一党独裁においてただ政治的にこの教科書が採択されていく課程を鑑みる心境なり。憂国。
八月十六日(金)晴。某紙の特集記事(叩き台)を呻吟。黄昏てジム。晩に藪用あり一人なれば麺か餃子の類ばかりにてふと麥當勞が供す米飯モノ二種のうちこの米飯販売が始まった直後に加厘吉列鶏八飯(つまりチキンカツレツカレーソース飯)は試しに食したがもう一つを食してなきことを思いだし通りがかりの麥當勞に入り磨姑醤考鶏八飯(グリルドチキンのマッシュルームソースかけ飯)を食す。どっちもどっちというモノ足りぬ味つけ。この米飯販売始めし折はマクドが米飯アイテムを始めたと話題となりかなり注文していた客がいたものが今晩はこの米飯モノ食すは見回しても我一人。すでに飽きられた観あり。それにしてもマクド新製品開発にあたっては合州国の本部にてかなりの試食と厳しきマーケティングを経てようやく発売といふテレビのルポを見た記憶あるが香港にてこんな安易に米飯モノを発売し一、二カ月で下火となるは許されるものか。晩も二更場末の麥當勞、客は意外に若者少なく家に居場所なかりしか初老の殿方多く新聞など読み時間潰す様悲しきものあり。バスに小一時間揺られ帰宅車中『噂の真相』読み続けさすがに康夫チャンのペログリ日記読み活字の細かさにさすがに軽い目眩。不信任決議された五日後七月十日の綴にて『日経流通』永野編集長の(日記に)「PGもONも出て来ないと寂しいよ」という感想に同感。
▼フジサンケイの扶桑社版「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史教科書が愛媛県に来春開校する県立中高一貫教育校三校で採択される。愛媛県といへば昨年すでに県立の養護・聾学校の一部でこの教科書を採用した実績あり、つまりは「どうせ実際には教科書なんて使用できないのだから」ということで既成事実つくりの為に養護・聾学校での採択をまず布石にした余りに醜悪なる手口を披露した段階でこの教科書が公立校では全国で最初に愛媛県にて採用されることはほぼ間違いないと確信されてはいたがやはり愚鈍な愛媛県。教育委員会の事務局案として扶桑社版が提案され田舎漢委員の全会一致にて承認し井関某なる県教育委員会委員長(大洲の商工会議所会頭なる里人)曰く「我が国の文化への理解、国民としての自覚を深める点が配慮されていて、学習指導要領に最も沿っている」。文化なるものを国家の範疇にて捉える視野の狭さと無教養、破滅へと邁進する国家の国民としての自覚のみ深まる事実、これはこの井関某に限ったことではないが、これで再来年には愛媛県にて広くこの教科書が採用され、一つ糸口さへ現われれば雪崩式に他でもこの教科書の採用ふえるか。南無阿弥。歴史史観は様々ありけしてこの教科書のような史観を全面否定するわけではない。が、一読してみたが学説が陳腐この上なし。史観でなく教養の質が低いことが問題なのだ。どうせなら保守反動右翼の諸君この教科書など採用するより寧ろ『大鏡』、頼山陽の『日本外史』でも若者に通読させては如何か。それをどう読むかは生徒の自由。史観を越えて歴史を語るといふことの大きさを学ぶことが大切。
八月十五日(木)快晴。とびきり天気よいが少し風あり暑さ厳しからずPerthの夏の如し。月本さんの日記読み銀座のトリフジが一昨晩をもって閉店と知る。我が日記読み返せば昨年八月十一日に月本夫妻と「山の上」で天麩羅食したあと連れられいってもらったトリフジにて翌晩Z嬢と二人で再び訪れたもののお盆休みに入りまた帰京の折に是非と思っていた店にて閉店は誠に残念。実家の母に電話して岩波書店から出揃った荷風の断腸亭日剩全七巻の注文を頼む。現在読んでいる東都書房版荷風日記は本人の検印ある貴重な本ではあるが生前の出版にて市川での最後の段なし。日本はお盆、終戦記念日。夕方ジム。佐敦呉松街の和味粥店にて及第粥。椎名仙草『大正博物館秘話』(論創社)読み始める。読み始めて途中になっている本がいったい何冊あるのかは我もよくわからず。この『大正』は大正の博物館の話が主題のはずが、博物館の成立ちの部分もかなり勉強になる記述多し。博物館が本来無料であってもいいものが有料になっている(博物館法なる法律)この由来はといへば江戸には木戸銭をとる見世物があるがこれと博物館は異なるもの、但し明治の博物館は博覧会がもととなっており幕末からの万国博覧会の見聞でそれが有料であり、博覧会から展開した博物館も有料となり(このへんが図書館=無料と同じ意味で研究場所としての大英博物館=無料とは異なる)、「見る」という行為に対しては一定の料金を課す方向となったこと。富柏村註……このへんをフーコー的に考えると博物館は実にエロチックな場所でありストリップ小屋との違いといえばそれが権力側から提供されるか自由なる肉体から発せられるかといふこと。また上野に博物館、美術館、動物園集まるは私は寛永寺が徳川家の菩提寺にて高尚なる場所でその周辺といった程度の認識であったが明治の初から貴重な資料を火災から守るために高燥した上野の山が選ばれたこと(寛永寺は維新の動乱で燃え跡地を利用)。収集品を展示するのにガラス棚が必要となったがガラス細工じたいは彌生時代からあり江戸時代には精巧な切子鉢など作られてはいたが板ガラスなるものは全く異なる製法にて明治の末まで日本では製作できず高価な輸入品で博物館経費の八分の一を板ガラス代が占めていたこと。板ガラスの製造成功は明治末の旭硝子により達成。(余がこの板硝子の重要性を納得したのは数年前の香港芸術館でのエジプト文明展(これは東京の国立博物館と同じ展示内容)でせっかくの至宝でありながら展示の板硝子の質が悪いために硝子で像が歪み照明がいたずらに反射しかなり不快な思いをしたことあり。)……などなど、せいぜい幕末のパリ万博、明治の勧工場の話が紹介されるだけかとタカをくくったらさにあらず、かなりタメニナル記述が続く本。まだ三分の一しか読んでないのだが。
▼香港の某掲示板に『香港通信』創刊号から最終号までをHK$30,000にて譲るといふ掲示あることをO君より知らされる。全92冊保管してありHK$30,000の資産ができたような気分(笑)。
八月十四日(水)快晴。炒られるような陽射し。かつては凍えるほど冷房が効いていたMTRやオフィスビルのロビーやショッピングセンターがちょっと温くはないか? とくにどんな汗もさっと引いた地下鉄MTRが最近は蒸している。冷房費制えて省エネならぬ省支出か。夕方ジム。荷風日剩(昭和九年)の続き読む。
▼香港の芸人・蘇永康君先月台北にて揺頭丸(Ecstasy)服薬にて捕まり二週間麻薬解毒のため収監されたものの服役中に所内の服役者を対象にした反毒キャンペーンのカラオケ大会で台湾副総統・呂秀蓮女史と歌い(呂秀蓮が若者に人気の蘇永康と一緒に歌うことで人気取りという非難あり)最低14日の収容が必須のところ10日余で、しかも所内にベンツ乗り入れしシャバに出るという特例続き。芸人を特別扱いするこれを見るにつけ法治が進んでいるはずの台湾もかなり問題あり。
▼13日の朝日に憲法学の樋口陽一教授「日本の「近代」としての戦後」なる一文を寄せる。平易な日本語でありながら樋口教授の独特の言い回しもあり実は深く難解。「近代」を中世と対比させ「『魔術』からの解放が技術文明の領分だけでなく、人びとの暮らしの行方にまで、少なくとも建前として届くようになった時期、といっておこう」という、この近代は中世=魔術からの解放という観念、これは余りに近代主義者らしいステレオタイプな中世の見方で私は賛同できない。が、さすが「近代」を体言したような御仁ゆえその説は拝聴に値する。以下要旨。「近代」の国家とは「一人ひとりの個人が契約をとり結んで作ったものというフィクション(社会契約論)で説明されてきた「はず」であり、いま押し出されている「国家」はそういう近代「国民」国家ではなく「民族という血筋で結びついた自然集団が、いわば国家を人質にとろうとしている」ものである、と言う。そして憲法論はこれまで「近代国民国家を前提として、その上で成り立つ国民の自己決定(国民主権)と、一人ひとりの自己決定(人権)とを骨組みとして議論を組み立ててきた」もので「『近代』は、国家を、もともとあるものとしてではく、約束ごとによって作られたものと考え」「国家は、その存続自体に値打ちがあるのではなく、約束した目的を外れていないか、問われつづける立場にあるはず」で、宗教やおカネや民族といったものを「人びとの意志の力でそれらをコントロールする公共社会の単位がなくなってよいはずはない」からその単位を「『近代』は国家と呼んできた」と。その「近代」国家が疑われ始めているのであり「その根っこには、『普遍』の価値を標榜してきた『近代』ヒューマニズムに対抗する、文化単位の個別性の主張」がある。(日本国憲法というのはまさにこの近代国家の普遍性に則った憲法であり、だからこそ懐疑の目が今向けられているわけだが……富柏村注)樋口教授は「『近代』批判を可能にするものこそが『近代』であり、それを手放すわけにはゆかぬと考える立場は(樋口教授自身を含め)『近代』を擁護する」のであり、この近代を信じる者と疑う者の「相互の『対話』は、既成の体系を多かれ少なかれ揺るがすだろう」が「揺れゆけど沈まず」という言葉もあり樋口教授は<近代>がどんなに打たれようとけして毀れないことに期待をかけている。(引用ここまで)。私もこの近代に生を受け近代の自由を今日まで享受してきた者として近代を擁護せむ。しかし現実の世界を見てみれば、日本はさておいても少なくてもアメリカ合州国なる国は英仏のこの近代の自由主義を礎にまさに社会契約として建設された国家であるはずなのだが(中華人民共和国とて共産主義の理想でいえば然り)現実にはその近代国家が幻想のようなナショナリズムを強固なものとして世界に君臨している。日本はといへば寧ろ大日本帝国のほうが天皇制といふものを実に上手く利用して(天皇機関説の述べる体系)国家を経営し国民にも非常に自立意志が強かったかもしれぬ。戦後の日本はこの近代国家の普遍性としての理念を憲法に掲げながらも実はまったくその国家体系を会得せぬまま、具体的には、国家というものが自らが経営する機構にすぎぬはずが国家=日本が崇高なる象徴となりそれに対する漠然とした愛着やそれを翳すことでその内に自らが属すことでの癒しなどを含みつつ今日に到っていると言わざるを得ず。
▼同じく13日(長野県知事選挙公示前日!)の朝日に橋爪大三郎氏による田中康夫チャンが本来の「公共」のために民主主義の手続きをとってきたことへのかなり賛同した論説が載る。これの掲載が公示後では特定候補への支持に繋がる選挙違反(笑)。康夫チャンの手法が独善的で稚拙でファシズムだと県議会が反発してもその独善が車座集会などでの県民の声を集約したものであるとすると、どちらが正論かは明白。この長野の康夫チャンの地方「自治」こそ手腕は稚拙かもしれぬが長野県なる自治体を本来の県民が受益者として公益を享受できる体系にするといふ実験であり、前述した近代と国家の関係でいえば、この実験は県=県政=県議会のオジサンたちの力その存続自体に値打ちがあるのではないといふことを明確にして県政が本来の地方自治の約束した目的に外れていないかどうかを問うている、といふことになる。
八月十三日(火)快晴。柴湾に出て柴湾の丘陵に並ぶ華人墓地、天主教墓地、戦没者墓地、回教墓地、仏教墓地、火葬場と「これでもか」といふほどに「死」を巡り峠の頂上は刑務所といふ洒落にもならぬ一帯を抜けるミニバスにて赤柱(Stanley)。バス乗りかえて海岸で日がな一日新聞読み向田邦子『阿修羅のごとく』読了。『あうん』もそうだがあれだけテレビを見て暮らしていたのに何故か『あうん』も『阿修羅のごとく』も見ていないのは何故か。再放送もかなりあったはず。山田太一の『岸辺のアルバム』が検べたら77年でこの『阿修羅のごとく』は昭和54年から55年。『岸辺のアルバム』で家庭崩壊がすでに描かれており、それに比べるとこの『阿修羅』はいろいろ家族が問題を抱えつつ四姉妹を中心に家族の物語であるが興味深い点は何かにつけ集まる時の殆どが浮気、病気、火事……といった凶事かその善後策の話しあいであること。ゆいいつ末妹の結婚式が祝い事であるがここでも三女の夫が倒れる。こうして今になって見てみると20年前にもうここまで描かれていたのだ。それからの20年はどんどん悪くなっているのか、20年前ですでにここまで来ていてそれ以降はむしろよくぞ平穏なのか。Z嬢曰くこの『阿修羅のごとく』で使われていた土耳古の軍楽「メフテル」の演奏に当時感銘し丁度警視庁のパレードか何かで土耳古警察の軍楽隊が東京を訪れそれを日比谷まで聞きにいった、と。それをZ嬢から聞いて「ふむふむ」と思って丁度文庫本の和田勉による後書を読むと和田氏がこの音楽について綴っており、この曲は和田氏が73年に取材でイスタンブールを訪れ偶然に市街で録音したその実況録音であったことを知る。夕方ジム。ウェイトを風邪ひく前に重さまで戻す。先日偶然ばったり北角で遇った畏友G君とまじに七、八年ぶりかで灣仔上海料理・留園の樓上の素齊閣にて精進料理。銅鑼湾功徳林と同じ上海系素食だが味としては個人的にはこちらのほうが好き。お勧め。かなり古い友人たちの近況など聞きG君も大人になり年月経ちし事をしみじみと懐ふ。
八月十二日(月)快晴。風邪治りかけるが鼻孔敏感にてクシャミ止まらず節々傷み手足に悪寒ありC医師を訪れる。向田邦子『あうん』読了。ちょっとした言葉に今でもありそうで懐かしい東京の言葉。「蚊が出ている」最近は蚊が「いる」とはいうが夕方になると何処からともなく「出る」がいい。そうそう、預金通帳を「通い」と云う。風呂は湯、味噌汁はおみよつけ。日本橋で生まれ四谷で暮らしていた祖母の口調を彷彿する。早く寝なさいという命令形としての母が娘にいう「おやすみ」もいいなぁ。年譜を見て昭和45年の頃のTBSヤング720のいくつかが若き向田邦子の脚本だったと知る。はっきりドラマとして覚えているのは昭和45年の「だいこんの花」からか。「時間ですよ」は女湯の場面で裸が見えると当時の小学生の間ではかなりの評判だったが向田邦子と久世光彦という名をはっきり認識したのは「寺内勘太郎一家」から。今回年譜で初めて石立鉄雄&杉田かおるの「パパと呼ばないで」が向田邦子だと知る。ドラマでは脚本家として知っていた向田邦子を活字で初めて読んだのが、祖母や母が買い物のついでにもらってくるのを読むのが楽しみだった『銀座百点』の隔月の連載、それが昭和51年。昭和40年からの、お茶の間がとても楽しい空間であった時代、夕食が終わりお茶を煎れたりアイスクリーム食べたりしながら家族みんながテレビの前に集まりワイワイと。昭和56年、向田邦子が台湾で航空事故で亡くなった年はそういう時代の終焉でもあった。ウォークマンが出てテレビ番組は細分化され家族で見る番組はなくなりテレビは各室へと。台湾は向田邦子が書いてきた家族の、みんなが一緒に笑い泣いてのそういう空気がまだあった場所であるから、もし向田邦子がこの事故に遭わなかったら台湾を舞台に家族の物語を書いていたのかもしれない。灼けつくような陽射と濃い青空。夕方ジム。強烈なる西陽でトレーニングルーム全体が濃いオレンジ色に染まる。これが夏だろうに。それがじつに久々のこと。
八月十一日(日)久方ぶりに晴れ間。晝前ジムに行き一旦帰宅して午後プールで泳ぐ。石川淳『森鴎外』読了。鴎外の当該作を読んでおらぬのだからマヅい。晴天は心地よきものなれど空高く汗ばむどころか涼風爽やかに流れまるで九月半ばの如き気候なり。地球はすでに毀れていると思わざるを得ず。プールサイドでJaco Pastorius "Live in New York City vol.1" と Herbie Hancock "Future 2 Future" を聴く。Jacoのこのライブは録音年が書かれていないがJacoがJaco Pastorius Big Bandを組んで日本で大反響を呼ぶ直前のものだろうがJacoの一連の曲がBig Bandとなり音楽的に完成される以前の非常にPunkしたノリにて一興。Future 2 Future" はHerbie先生が老いてもこれだけの電子音楽することは事実だが80年代初頭のFuture Shockのあの衝撃的な近未来観はなくFuture 2 Futureといふわりには2002年の常識的なポップス。曲の合間にまるで『潮』ででも読みそうなメッセージが英語で朗読されハタと膝を打ちcredit見ればやはり池田先生のお言葉。それを聞きとれた我を讃めむ。長途トラムに搭り向田邦子『あうん』読むが日曜にて走る自動車少なく大気汚染もなく向かい風トラムの車内を吹き抜けすがすがし。先日Y氏とZ嬢と歓談のおり手交100、口交200で肉弾戦300といふ当今の淫売の価格破壊の話題となりY氏がそれじゃマクドナルドのソフトHK$2、ハンバーガーHK$3、アップルパイHK$4の234と同じだと言いマクドがそんな安い値段で餌を提供していることを知りふとそのHK$3のハンバーガーを食してみる。子どもの頃銀座の三越の角で初めて食べたハンバーガーはもっと美味かった気がするが気のせいか。それにしても日曜の夕方なぜにマクドに難民収容所の如くああも老若男女が空席待ちまでして募っているのか。理由がない。だからそれが当たり前、スタンダードなのだろう。I嬢から数カ月ぶりに益新飯店で美味しいものが食べたいと要望ありさういへば数カ月前にI嬢たちと晩餐以来我も益新には食しておらずI嬢と旦那、T夫妻とZ嬢にて益新にて晩餐。この不景気に七時には爆満。皮蛋、焼鴨、魚翅と卵白炒め、古魯蝦、冬瓜のスープ、苦瓜と豆腐皮炒め、揚州炒飯などなど。某嬢が北関東の某県の免許センターで視力検査なのに検査官の方言が理解できず難聴と判断されたことや交通安全協会の入会勧誘がその土地の方言でされるとどうなるかといふような話題で盛り上がる。
八月十日(土)豪雨。いぜん風邪にて芳しくなし。昨日より寓居の床修理あり今朝よりその続きを待つが晝前に職人現れ床材が燥かぬため延期、と。昨日は今日すると云いつつ今朝は今日せぬと決めて来たこと明白にて床材が燥かぬなど言い訳。呆れる。晝に読書。晩の歌舞伎の切符を某所に置いたままであることに気づきバスにて取りに向い帰路は風邪未だ治らざるが山中の小径を一時間半ほど小走りにて帰途に着く。雨上がりにて所々岩場を見事に渓流が落ちてゆきその水音に心洗われる思い。Sir
Cesil's RideはJardine's Lookoutの石鉱場先より賽馬山まで薮に近く歩きにくいがいたって平坦。それゆえQuarry
Bayを望むあたりはジョギングトレイルとして整備されており雨止んだ午後幾人か走ったり歩いたりしているのだが突然初老の全裸のランナー余の目の前に現れ全裸でもランナーと称すはきちんとジョギングシューズを履き腰には水筒いれた腰帯を巻き手に何処ぞで脱いだらしきジョギパンを握る……不可思議なる姿。故に露出狂の変態先生ではなく自然の中は自然の姿でいるのが最適という主義者なのかとも思うがいずれにしても全裸には驚かされる。一瞬その初老の全裸氏も余に出くわし恥じたような相を見せるが小径多岐にわたる一帯にて余の進む方向とは別の小径に走り去る。余の先方を一人の夫人が走っていったわけでこの夫人もこの全裸氏に出くわしている筈だが悲鳴が聞えたでなく夫人はすぐ折り返して平然と全裸氏の走り去った方向へと走りすぎ(まさか妻ではあるまひ)、さもするとこの一帯では有名なる氏なのかとも察す。いつも全裸で走っていればたまに着服であると「具合でも悪いのか」と皆が心配するとか(笑)。自然公園のあちこちに老人たちが作った自らの「チーム」の秘密基地あり。子どもの頃作った小さな空間と同じ。晩に橘屋(萬次郎)の歌舞伎公演。96年に橘屋が播磨屋と香港公演ありこの時は橘屋の藤娘に播磨屋と鳴神を演ず。翌97年には台湾にて橘屋が父・羽左衛門丈(17代目)とともに公演あり勇んで高雄まで見物。今回は(今回は舞台の下手に仮設の花道があり通常の花道はないが、もし花道あれば)一列目花道角の素晴らしい席。橘屋が二人の息子(竹松、光)を従え連獅子、それに藤娘。前半はいわゆる歌舞伎教室のノリでツケ打ちだの鳴り物の紹介。初めて歌舞伎を見る者には面白かろう。連獅子を見て最近評判だったのも勘九郎が勘太郎、七之助を従え踊ったのがもう十年ほど前かと思いだす。この萬次郎の倅、竹松君か光君のいずれかが18代目の羽左衛門を襲名することがあるのかもしれぬと思いつつ連獅子を眺める。竹松君は視線が床に落ちてしまうこと、光君はまだどうしても視線が父と兄の動きを追ってしまうことは子どもながら役者にとしては努力すべき課題。藤娘。踊りの前に解説を入れてしまい「暗転から急に灯が入り」などとせっかくの演出を解いてしまふのは如何なものか。藤娘は六代目により完成されたという現在の型であればこの継承者としては当然のことながら六代目を祖父とする勘九郎、系譜上は六代目の孫にあたる当代の菊五郎が立ち役が「かねる」で藤娘を演じる適役となるが、17代目が六代目の甥にあたるということは萬次郎は大叔父である六代目の藤娘を女形として継承できる立場であり今回は五年前のエアロビの如きデジタル時代の藤娘に比べかなり踊りもゆっとりとして色気を見せる。女形の藤娘というと故・梅幸の強烈な藤娘の印象がいまだに脳裏に鮮烈。こうして海外でまで歌舞伎普及に努める萬次郎氏の姿勢はさすが市村座の座頭としての面目。芝居ハネて歌舞伎好きのK夫妻と軽く食事という予定もあったが風邪でとてもお相手できずZ嬢とM君と尖東の五味鳥にてさっと焼き鳥をつまむ。明日が日曜で定休だからか店を閉める時間に毎晩の所作以上にあれほど焼き場などを浄めるのかと知ってまるで聖なる儀式のようで感銘。
▼中央アジア・トルクメニスタンにてニヤゾフ大統領の終身制決議という記事(朝日)を知り余の愚学ゆえ物知らず検べてみればニヤゾフは生粋の党員にてトルクメニスタン共産党中央を振出しに80年代中葉にはソ共産党中央委員会組織党務部指導員となり85年トルクメニスタン共和国閣僚会議議長にまで出世、86年ソビエト共産党中央委員、90年ソビエト共産党政治局員。ソ連崩壊にて共産党が打撃を受けるなか「何故か」同年のトルクメニスタン大統領選挙にて98.3%の驚異的得票率にて当選。91年にはトルクメニスタン民主党(!)党首に選出。92年大統領再選(得票率は99.5%!)94年国民投票により大統領の任期が2002年終まで伸び今回
終身大統領に。ニヤゾフの名を冠した施設など数余多、大統領と首相を兼任し独裁である民主党党首で軍最高司令官。トルクメニスタンに存在する新聞、テレビなどマスコミの全てがニヤゾフによって設立され、更に暦の編纂なる帝にとって最も重要な機能にも着手し1月を自らの尊称であるトルクメンバシ(国父)の月と云い4月を大統領の母の名にする!、大統領の「黄金の治世」を記念し世界最大級のモスク建造等々……かつてのスターリンソ連、チェチェ思想北朝鮮、中国も真っ青の独裁国家ここにあり、と思が「低開発か貧困なる地域に独裁あり」といふ伝統からは外れ西をカスピ海に面し南にイラン、東南にアフガニスタンありとかなり「キナ臭き」場所にて「永世中立」を宣言し天然ガスは21兆立方メートルと世界第三位の埋蔵量、石油埋蔵量もクウェートのおよそ2分の1と恵まれと当然のことながら合州国も当面はニヤゾフ支持(笑)。対中政策も安定し、つまりはかつての共産主義型独裁とシンガポール型官僚主義独裁の最も機能的な部分を統合した体制をとる世界で最も豊かで安定した一党独裁国家でありつまりニヤゾフこそ21世紀の世界で唯一の皇帝なり。
▼物理学者で横浜市立大名誉教授の都築卓司氏が逝去(74)。講談社ブルーバックスより『タイムマシンの話』『不確定性原理』や『四次元の世界』を上梓と訃報にあり幼きおりそれらを楽しく読ませていただいたが自然科学への芽はいっこうに育たず今日に至る。確か『マクスウェルの悪魔』も都築氏だったか。文系にもわかる物理と宇宙の話で見事な筆致。
八月九日(金)大雨。黄雲警報発令。風邪甚だ酷し。医者には休養を促されたが急ぎの工作あり寝てもいられず。而も寓居は引っ越し前に業者が済ませぬ修理工事残りその続き作業の最中にて臥床といふわけにもいがず。晩に一時間もバスに揺られ旧型のバスにてくだらぬRoadshowの類の宣伝放送(ちなみにどうせならくだらぬ放送は即刻中止せよとメールでも送ろうかと思ったがKMB傘下のこのRoadshow運営会社のサイトには
"Contact us" の類の連絡先なし、つまりそんなもの設けずとも苦情しかなきことを証明している、か)もなくバスはかつてこれほど静かであったのかと痛感するが冷房厳しく余の悪寒凄まじく本を広げもできずただ震えるばかりなり。石川淳『森鴎外』読むが集中もできず。
▼『信報』林行止專欄にて5月28日の同欄にて筆者すでに快餐(ファーストフード)過食中毒による肥満、心臓病などを取り上げ煙草と同じように快餐会社が被害者に訴訟起される時代の到来を述べていたが『経済學人』すなわち
"The Economist"' 誌もこれを取り上げる。煙草のようにファーストフードには中毒者治療のための公的資金が導入される由にて重税がかけられファーストフードの包装紙には「1つですら充分、2つで食べ過ぎ、3つは肥満」というような警告の印刷が強制される時代すら到来か、と。我思ふにこの世に4つ帝国あり1にマイクロソフト社、2にマクドナルド、3にコカコーラ、4にディズニー。当然、KFCだのペプシだのも亜流としてそれに含まれるが。つまりマクドのバーガー貪りつつコーラ飲みWinマシンにてディズニーのサイトを見ていることがどれだけ身体と精神に異常を来すか、ということ。
▼連日新聞にPCCWが広告掲載し住宅電話について他社の設営であってもそれに不備、苦情等があれば信頼と実績のあるPCCWにご一報を、と。PCCWはかつてのHK
Telecomであり独占企業であった上に英国のCable
& Wireless傘下となりそれを李嘉誠の財閥が買収し世界企業への躍進にはHK
Telecomといふローカル名は不要とPacific Century Cyber Works としたが折りから世界的なネットワーク業界不振にて株価暴落、かつての独占会社での巨大な組織が人員余剰などあり大幅解雇など悶絶苦闘している最中。今となってみれば香港テレコムなる足場をきちんと確保していればよかったものを世界化の過程で香港の地場での他社侵入を緩し、携帯電話ももともと李財閥所有のOrangeと合わせれば市場独占であったもののインフラを伴わぬ携帯市場には見切りつけ豪州資本のCSLに携帯部門を売り放したりもする。その結果が中途半端に独占崩れ世界企業化にも失敗し、先の今更ながら地元愛顧を強調する広告に到りぬ。無惨。
八月八日(木)曇。熱は上らぬが風邪ひどく医者に診てもらわんと近所のオフィスビルにあるClinic Floorに赴くが内科、歯科、物理治療などの診療所並び内科のうち小児科を除いても(知能的には小児科で充分という噂もあるが身体は老躯にて)いくつかあり何処にしようかと悩み(診察費が馬鹿高い高級医師も少なからず)少なくとも待合室の内装が応接室のように豪華でなく絨毯など敷かれておらぬ診療所のC博士を選ぶ。選んで正解にて風邪程度でも診断慎重にて(と見せるもプロか)診察費も世間並み。静養が大事と言われるがふと思えばこのC医師とて診療時間は月~金が08:30~12:30と15:30~20:00、土曜が08:30~12:30と16:30~18:30、日曜祭日が09:00~12:30と狂人的な診療をこなしており静養する暇もなし。ましてや個人医では自らが病に伏せば開業=営業できず営業しておらぬといふことは我の如きフリーの客を同じフロアの他の診療所に獲られるわけで何ともはや過酷な医療世界。たまに過酷ながら水曜日のみ夜の診察をせず土日の午後だけ休む医者は競馬好きといふわけ。
八月七日(水)小雨。昨朝のずぶ濡れと冷凍庫の如き冷房にてすっかり風邪ひく。晩昏にジム。東京より香港賽馬中心のF館長夫妻寄港し灣仔の上海料理・留園にて晩餐。上品な滬菜にて花膠なるもの海鮮食材にある乾物だが今まで食したことなし。花膠が磯巾着であることを知る。高級食材だそうだが余はそのまったりした食感が頂けず。
▼メル友O氏曰く住基ネット開設にあたり例えばチリ元大統領にて日本政府が庇護する日本「国民」フジモリなどちゃんと番号が供されたのか、と。確かに気になるところ。それにどうせなら000000000001とかゾロ目とか縁起のいい番号などオークションにかけ高値で売りだし政府増収でも狙えば如何か。ふと思ったが皇族はこの住基ネットにも属せず番号の給付、否、献上もないのだろうか。
八月六日(火)朝寓居出てバスに乗る瞬間に大雨となりバス乗換えにて降り荒む。気温は27度とこの雨続きはまるで春の如し。晝に某料理屋にて松茸いただく。午後になり小雨となる。ジム。最近のジムの夜半の混みよう並大抵に非ず不景気にて外に遊べば要銭月費収めるのなら頻繁にジムに通ふ輩少なからずか。B&Oにてリモコン修理出来受領。修理費HK$608。新品はHK$1008ではぎりぎりの選択。納得ゆきし事は交換した故障した(らしい)IC板をきちんと客に返却。それにしてもたかだかリモコンがHK$1,000とは高い(汗)が鋼鉄製にて強盗入りし際は防衛武器となりそのリモコンの制御範囲並びに距離といへば日本製家電の比に非ず。世田谷のT君に触発され石川淳『森鴎外』少し読み始める。石川淳の無駄のなき緻密な論理構成され尽くした日本語。それにしてもこのワープロの鴎外の「鴎」といふ字はどうにかならぬか。区は區でないとどうも間抜け。
▼昨今銅鑼湾など路上にまさに肢体ひれ伏し這って物乞する者少なからず。かつて大陸にてそれを初めて見た時にこまでせねばカネは給されぬものかと愕然としたもの。香港はといえば企って腰屈めるか椅子に坐る物乞多かりしものが路上に坐り込み路上に土下座しと段々とその姿勢が地べたに近づき遂にキョウビの肢体ひれ伏す哀れなる業態となりぬ。不景気になればなるほど通行人の財布の紐固くなり物乞いは地べたへと崩れるか。
▼日系の新聞に九月開催の香港フィルによる蝶々夫人の広告あり。嗤うはその蝶々夫人であるから在港邦人向けに日本語の広告を出す政府当局の安易さ。日本語の広告はといえばムタイ・タン(指揮者)、ロー・キンマン(制作)、レオ・チョン(照明)レイモンド・フー(合唱指揮)、ナンシー・ユン(蝶々夫人)、イオン・ポジャール(ピンカートン)、ユン・デン(鈴木)といった名前をカタカナ書きされたところで一向に知らぬ存ぜぬ名が連なるばかり。このような翻訳など全く意味なし。名前はローマ字、漢字表記であるほうがよっぽどマシ。まだそれなら「ああそういえば先日の新聞に……」と察しがつく者もあらうがこのカタカナ書きされたところでそれと繋がる媒体も露出もなきことを全く理解しておらず。浅薄。原題も名前のローマ字表記もされぬ日本の映画音楽紹介もはたはた困ったものだが……。
▼『信報』の連載随筆にて程逸なる筆者『明報』紙から「日本文部省外来語氾濫を制限」「外来語の氾濫に右翼や政府も危惧」というような記事を引用し(この記事じたいイロモノだが)日本は外来語は多いわりにその発音の日本語化、殊に母音の挿入音が著しくこれが原語の発音から甚だ異なる外来語を作る元凶、と。この言語上の転化は事実だろうが此処からがこの作者の狂っているところで
"screw" なる語を正確に発音できぬ日本人は99%に及び!、これが出来ぬことはこの程逸は「低能」と云いこの言語理解の不正確さが正確を追及せぬといふ性格的欠点でありこれは日本の民族的正確のひとつの欠点である、と言及。かういふキチガイはどこにでもいるわけでかういふ人が同じ類の「正確を追及せぬはシナ人自身」のような反論が易しき都知事とかと論争になってしまふと泥仕合。なぜに言語上の音転化といふただそれだけのことで民族的欠点にまで言及できるのか真に低能といふのは不思議なものなり(嗤)。
八月五日(月)小雨。肖箕湾の五金屋にて材料など購い寓居の細々した取り付けなど済ます。午後Ikeaにてピアノ室の収納の大型家具注文。谷譲次『踊る地平線』(岩波文庫)読了。一言「おもしろい」に尽きる欧州旅行記。研ぎ澄まされた感性と教養、語学、観察力、気品……その全てが谷に兼ね備わっている。こんな粋な日本人が昭和の始め欧州を隈なく旅していたとは。ジム。某打合わせあり某所。
八月四日(日)雨。台風来港せぬこの年久方ぶりに熱帯性低気圧来港しシグナル1発令。晝前後にジム。辛丹波購い帰宅すると日本よりY氏来港と空港より電話あり晩に来宅となり引っ越しでシャンペンもなき由購いにと街に出れば偶然通りかかったワイン蔵にて尖沙咀の某焼鳥屋に10年か長く勤める某君店にて店主らと試飲しており招かれ何杯かワインいただく。Veuve Clicuot Ponsardin購う。Y氏来宅。引っ越しして初客となったY氏とシャンペン一飲。銅鑼湾道の杭州料理華亭會所にてY氏、Z嬢と夕食。鹵鴨、秀逸。自家醸造といふ紹興酒もイケる。Y氏の泊まるRosedale Hotelが近所にて階上のバーで一飲。隠れ家的な落ち着いたバーでありながらあちこちの壁にモニタありサッカー中継だの張學友のライブなど流すは失格。勿体ない。モンテクリストNo.3の葉巻を喫すが会計に含まれぬ幸運~。
八月三日(土)雨。Broadband通じず朝よりPCCW人を遣るを待ち晝。階下にて断線!していること判り即修理。生命維持装置繋がったが如き気分なり。修理員かなりの肥満にて机下に潜るも辛きほど、不憫。晝にPasta
con Natto Japonese食す。ジム。ウェイトを1kg重くしたところで筋力への負担といふものはほとんど変わらず、寧ろ1kg軽き時にはそれをいくら繰り返しても増強されぬ筋力の日常限界といふものがあり、1kg重くなったことでその未知の筋力が目覚め活躍することがわかる……などと書くと三島先生ようだ、止めよう。尖沙咀Swindon書店にてJames
Joyce "Ulysses" 購う。当然のことながらこの英文(そして多くの言語の洪水)を読みこなす英語力などないが深刻なる問題は丸谷才一他訳の『ユリシーズ』(集英社)を読んでも言葉は理解できるが物語として理解できなかったこと。原書と邦訳の併読が必要と思った次第。
▼先週よりCable TVの報道台にて三十分毎の番組にて八一が中国人民解放軍設立の記念日か何かで特に今年は75周年に当るらしく解放軍の成果を讚える提灯報道を三十分の報道番組の中で必ず一回流すこと続く。八一が過ぎれば終わるかと思えばまだ続く。CNNは映るがBCCは映らず。偶然のことか、中国では政府当局がBCCの報道姿勢めぐり中国での放映許可せぬ状態続いている筈でその余波か、とも察す。
▼紙幣の肖像に五千円が樋口一葉、千円が野口英世。福澤、新渡戸、漱石の札が出てすでに20年とは月日流れる速さ。それにしても、である、確かに新渡戸より一葉のほうが知名度あろうが一葉日記読めば貧困にてあれだけ金銭に苦労に苦労を重ね逼迫した生活の中で名作を残し酬われぬまま夭逝した一葉がわかるわけで、その一葉紙幣の顔にするとは……たんに文化で功績のあった女性、という発想か。一葉がこの紙幣での自らの姿の登場を喜ぶとは全く思えぬ。役人の下種な決定なり。
一葉日記「みづの上」明治20年2月の有名なる一節をここに掲げる。
しばし文机に頬づえつきておもへば、誠にわれは女成りけるものを、何事のおもひありとて、そはなすべき事かは。われに風月のおもひ有やいなやをしらず。塵の世をすてゝ、深山にはしらんこゝろあるにもあらず。さるを、厭世家とゆびさす人あり。そは何のゆゑならん。はかなき草紙にすみつけて世に出せば、「当代の秀逸」などと有ふれたる言の葉にをならべて、明日はそしらん口の端に、うやうやしきほめ詞など、あな侘しからずや。かゝる界に身を置きて、あけくれに見る人の一人も友といへるもなく、我れをしるもの空しきをおもへば、あやしう一人この世に生れし心地ぞする。我れは女なり。いかにおもへることありとも、よは世に行ふべき事か、あらぬか。
……という日記の一節を、この一葉の紙幣登場を画策した輩は理解できるまで何度も読み返すべし。
野口英世も進学の余裕すらなき貧困なる農家の生まれ。何故にその紙幣を得るために血が滲むような苦労した先達ばかりを選ぶか。いっそのこと澁澤榮一であるとか適役ではないか。景気回復を期待するなら奇想天外なる織田信長とか(朝鮮侵略の秀吉はマヅい)文化人でも一流の投資家であった永井荷風ならよかろう。またまだ存命ではあるが資本主義にモノ申す経済学者宇澤弘文なども紙幣の肖像には適した様相と思う。紙幣の意匠を替えることよりもっと他にすべき事あらぬか、日本経済。今回の意匠替えにて偽札偽造防止が更に厳しくなるといふが偽造されても流通するが紙幣価値なり。
が、この登用の決定より更に驚くの朝日新聞の天声人語の語り。
新しいお札の顔に決まった2人に共通するのは「貧しかった」ということだ。東北の農村で赤貧の幼少時代を過ごした野口英世はもちろんだが、いわゆる没落士族の娘の樋口一葉も生涯を通してお金の苦労が絶えなかった。また2人に共通するのは、借金の多さである。かなりずうずうしいところも似ている。しょうゆ代も払えないような一葉は金策に走る。面識のない人にまで借金を申し込む。しかし貸してくれないと「誰もたれもいひがひなき人々かな」と日記に愚痴を記す。野口も友人や親類に無心をし、さっさとつかってしまうと、また次を頼む。返すあてのない借金を繰り返した。と、こう記すとお札の顔にどうだろうかと思わせる2人だが、お金に苦労しながらそれを超越しているようなところが2人にはあった。「文学は糊口の為になすべき物ならず」、お金に左右されないで思いのままに書くべきだ、という一葉の有名な宣言は、彼女の文学への決意を示す。(略)2人の業績についてはいうまでもないし、女性と科学者ということで採用されたのであろう。しかしお金をめぐる2人の人生を見ていくと、お金は出たり入ったりするもので、貧しくてもくよくよしない。そんな読みもできそうだ。(略)
……どうであろうか。これを書いた輩は見識に欠ける。一葉も英世も貧乏なのである。放蕩を重ね無駄金を無心しているのではない。醤油代も払えない一葉の「誰も……」は愚痴ではなく嘆きなのがわからぬか。「さっさとつかってしまう」も飲む打つ買うではなく生活のための米味噌であり研究のための学術書の購入をよくも「さっさとつかってしまう」などという表現で済ませられるもの。また「文学は……」も何が「お金に左右されないで思いのままに書くべき」であろうか。余裕があればそういうことも言えようが一葉はいくら貧乏でも日銭のための売文はせぬという崇高なる決意。実際の生活はお金のことでどれだけ苦しく右往左往せられたか、「お金に左右されない」どころじゃない。二人にとって「金は天下のまわりもの」なのではなく、金は天下そのものでそれがないが為に苦労の連続。「お金は出たり入ったりするもので、貧しくてもくよくよしない」と天声人語は言うが最も深刻なことはこの二人にとって「お金は出るばかりで入ってこない」ものだったのだ。「貧しくてもくよくよしない」どころか一葉や英世がどれだけ貧しいことに悩み苦しんだことか。「そんな読みもできそうだ」って、そんなノーテンキな読み方ができるのはアンタだけだよ!。南無阿弥。
八月二日(金)晴。Mt
Parker Rdを上り大譚に下れば春から雨季なれど雨降らず貯水量大幅に下がっていたはずのいずれのダムも先週來の雨続きで満載、碧色の水を湛える。平日で行脚する人もおらずダムに沿って小走り。大譚中水塘から浅水湾峠に抜ける小径は整備されすぎた香港島の經の中では未整備にて心地よし。海岸で網野善彦『中世再考』(講談社学術文庫)読む。網野氏の80年代始めまでの短い論文、公演録などをまとめたものにて当時アナール学派が日本で脚光を浴び網野社会史が朝日ジャーナルなどで取上げられ注目され始めた時代を思い返す。あの頃、網野論文読み中上健次読むと中世から現代がつながってしまうのだった。今ではどの時代にも社会には諸相あり中世にも権力とそれから逸した外道、漂流民、自由民がいたわけで、暗黒の中世、アジア的停滞と農奴制などとは誰も思わぬわけで、わずか20年余でここまで社会観は変わるものかと感慨深し。バスで赤柱経由して肖箕湾。肖箕湾道の桃園麺家にて墨丸河。この店の墨丸(烏賊擂り身団子)は美味。一旦帰宅してジム。美孚にて藪用済ませ餃子妹にて雪菜肉絲水餃麺。この店の餃子は美孚などに置いておくには勿体なき味。バスに長く乗り『中世再考』読了。
▼孫引きとなるが網野善彦が紹介している宮本常一の自叙伝『民俗学の旅』の一節。
私は長い間歩きつづけて来た。そして多くの人にあい、多くのものを見て来た。(略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展というのは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(略)進歩に対する迷信が退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、今われわれに課せられている、もっとも重要な課題ではないかと思う。
八月一日(木)晴。久々に晴天なれど朝よりピアノ置く部屋に昨晩Ikeyaにて購いし麻布垂す窓掛など自ら取りつけ午後には台所の棚や寝室の冷房の工事にて師傳数名来宅し外に出る暇もなし。晩に藪用あり佐敦にて彌敦粥麺家にて雲呑麺食すが明らかにこの数年にて麺の歯応えぬやうになり上湯も濁りつつあり。帰宅して微かに電灯ともせば一先ず落ち着きし拙家、コルトレーンのSoultrane聴きながらジャックダニエルにて暫し憩ふ。が、問題は昨日よりbroadband不調にて接続できず百年ぶりにモデムにて生命維持しているが如き心境なり。13、4年前に恵比寿の貸間にて富士通FMTownsにてNiftyserveだのCompuserveだのでモデム接続していた頃は今にして思えばモデムとて10分の1の速度であったものが神業の如く思われ世界と自分が繋がっているが如く感激したものの今となってはこの日剩の更新すらモデムにては甚だ時間ばかり要しイライラつのるばかりなり。
▼『飲食男女』誌に香港20菜名店點菜秘笈なる特集あり、その20店を挙げれば陸羽茶室(中環/粤式茶室)、鹿鳴春(尖沙咀/京)、鳳城酒家(北角/粤)、庸記(中環/粤)、大榮華★(元朗/粤)、生記(灣仔/粤)、海都(灣仔/粤)、小南國★(中環/滬)、新兜記(佐敦、粤)、創發(九龍城/潮)、天香樓(尖沙咀/杭州)、唐閣★(尖沙咀/粤)、嘉麟樓(尖沙咀/滬)、詠藜園(紅勘/川)、蓮香樓(中環/粤)、夏宮(金鐘/京)、富臨飯店(銅鑼湾/粤)、福臨門(灣仔/粤)、留園(灣仔/滬)、鴻星海鮮(灣仔/粤)。★は余も未だ食せしことなき料理屋にて勉強要す