十二月三十日(日)快晴。この季節香港の天気はHazeyにてこの言葉は気にも止めずにいたが独逸人H氏がHazeなどという英単語は香港に来て初めて知った、と。靄や霞みのかかった状態がhazeなれど春霞みのような心地よきものにあらず乾燥した冬に塵や埃が街を覆いビクトリアハーバーの向こう岸しら朦朧とする、それがhazeyな天気なり。Z嬢とKCRで大埔、休日だけ運行の郊外バスで大尾督を越え名も美しき新娘潭(Bride's Pool)へ。船湾淡水湖の源流となる沢にて照鏡潭の瀑布、その滝音とは一転して滝の上の潭は見事な静寂。烏蚊騰より九担租の村を抜け吊燈籠(Tiu Tang Lung)416mの急な斜面を上る。香港東海の島々と入り組んだ岬を一望する絶景。頂上から先人がつけた目印の布切れを頼りに急な薮を下りて蛤塘の村、かつては十戸ほど家屋あり廃村かと思いきや一戸だけ住人あり、この山中でどう暮らすのか、廃村となった梅子林から分水凹の山道はかなり昔に丁寧に石が敷かれ見事なまでの自然を活かした敷道ぶり。山を下り谷埔より目前の入江の向こうは沙頭角の街、この辺境に突然二、三十階建ての超高層ビルが点在する隠れた中英国境の街はまか不思議な光景。厳密には海岸線の歩道から先は「禁区」にて立ち入り禁止のはずが引き潮の泥地には浅蜊、蛤をとる人が点々と緊張感もなく、注意していると薮の中に水泳しただけでもHK$5,000か三年以下の禁固刑という古い朽ちた看板あり。鶴頸に出てミニバスにて粉嶺。新娘潭より吊燈籠が4km、吊燈籠より鶴頸が8kmほどの行程。帰路鶴頸かミニバス車中に行山杖忘れ灣仔のProtrekにて代品を購う。一旦帰宅して晩にZ嬢と中環は閣麟街の蛇王芬、厳寒はやはり蛇羹、草羊月+南保/火が格別。蛇は当然として羊月+南もこれだけ美味いとは敬服。紀伊国屋書店のサイトで中上健次の本を注文しようと検索していたら『俳句の時代』なる中上健次と角川春樹が遠野・熊野・吉野という聖地を巡礼しつつ対談する角川文庫あり、これは凄い本だと注文しようとしたが絶版……そりゃそうだ追放された書店が春樹の本を出すはずもなく。SCMPの報道、ソニーミュージック台湾が明日の大晦日に台北の総督府前で開催される大規模な年末イベントのスポンサーを急遽降板、と。この年末のカウントダウンに阿扁総統が出演することが発覚し、中国の顔色を窺ったかソニー。ソニーほどの企業ともなれば中国がこんな些細なことでソニー外しできるはずもなく、むしろ中国がこれを非難でもすればそれの宣伝効果を考えるくらいでよいのでは?。
十二月二十九日(土)快晴。昨晩の痛飲を反省。Mezzで麦酒二杯、利休でいいちこを三人で一本、Y氏宅でバランタイン21年を四人で一本(といってもいいちことバランタインはストレートで私の飲んだ量が最も多いのは確か)、そして独逸麦酒三杯……飲みすぎ。蔡瀾が蘋果日報で二日にわたり「不再回来的人」と日本のこの一年の物故者を取上げており、勅使河原宏や志ん朝、江戸家猫八、団伊玖磨といった人たちを取上げて紹介するのはいいが相米慎二について「傳説他為同性愛者、那麼年軽就死去、是愛滋病?」(同性愛者であるという噂もありこんな若く死んだのはエイズではないか?)と。蔡瀾が文人教養人であるというのは間違いで野暮の骨頂であることは今更言うまでもないが、物故者の名を並べて故人を偲び語る時に「エイズで死んだのか?」とは、それもかつては閑職であれ一応は映画プロデューサーだった者が香港が大好きだった映画監督の死を語る時に、である。唖然。蔡瀾、盆栽猫は日本人の仕業だとかハヤシライスの焦げ茶色は醤油を入れるからだとか、いい加減なことばかり書いて香港を代表する人気エッセイストとは嗤わせてくれる。最近はHung Homに蔡瀾美食坊なんてが出来て、本人は顧問という立場、立ち退き問題で一旦は廃業しようとした四川料理の詠藜園や台北の鼎泰豊などあちこちの名菜を集めかなり賑わっているらしいが。
十二月二十八日(金)快晴。昼にZ嬢と快活谷の日本料理慕情。にぎり寿司。親方のT氏昨晩店を閉めてより朝の六時までかけ鏡餅を作られそれを受取り頼まれた某数箇所にお届け。某団体から一月に展示の解説を頼まれ予習もかねて夕方尖沙咀東の香港歴史博物館。香港故事なる通史の展示はわかるが四億年前から語られても……。香港は宋の頃に大きな氏族(登β、候、文、彭)が新界とかに定住して殊に江西吉水に原籍ありという錦田の登βさんが最も有力。この人たちが「本地」といわれ香港居民のマジョリティ、それに続いた客家は偏遠にて農業を営み、恵州からの福イ老(鶴イ老)が漁業を生業とし、水上で生活する蛋家がいる。このへんの民俗関係になると沙田に香港文化博物館を作ってしまい重複はかなりの損失。旧市政局の大きな政策誤謬。英国による香港経営が始まるところからがこの故事の主部だが展示内容がかなり薄くマカオ歴史博物館と比べてかなり遜色あり。雑。「これでもかっ!」というくらい濃く強烈な展示がほしいと思う。最後香港返還で終わるのだがそこから見下ろすと四億年前の原生林、というそういう仕掛け。中環はPrince BldgのBar、Mezz。ダインバーとして心地よい広さと静かさだが、聖誕節の七面鳥注文がHSBCとの提携なんて、普通のバーがすることじゃなし、なにか香港の一大レストランチェーンのマキシム(美心)かフード業界に進出中のWatsonsの臭い、あり。ただそれはかなり徹底的に隠されているのだがZ嬢が目敏くバーの戸棚の隅のほうにマキシムのロゴの入った伝票みつけ合点。天后の利休にてY氏、I氏と鍋でうどんすき。美味い。この不景気で日本人など帰省してそうだが店はかなりの繁盛。ご主人と女将の人徳か。雲景道のY氏宅、バランタインの21年モノを開栓され楽飲。さらにI君と午前三時の閉店まで蘭桂坊の独逸麦酒屋にて痛飲。『千與千尋』の話となりアニメだから傑作となり、あれを実写したらかなりキワモノ映画だという話になり、私がキャスティングとして白は10代の頃の市川新之助、玲はやはり10代のピーター、釜爺は大泉晃に湯婆・銭婆は塩沢トキかと軽口をたたいき、しかしながら千尋は誰かわからない、と言ったらI君から大竹しのぶというご名答をいただく。『青春の門』や『水色の時』に出るよりもっとまえの大竹しのぶだね、絶対にあの役は。
十二月二十七日(木)快晴。イチローが愛知県の県民栄誉賞も辞退。愛知県の気持ちも解るが国民栄誉賞すら辞退しているのに敢えて打診するか、県民栄誉賞。「地元」ならイチローも愛着あり受け入れる、などと思ったか、甘い。昨年度の小中高の教員処分3,966人、児童生徒への猥褻行為が3.6%、体罰が10.8%は言及に値せぬが日の君が代での処分が6.9%の265人で前年度の2.7倍だそうな。国旗に敬意を表さず国歌を唄わねば処分とは怖い国である。アメリカもそういう国であるのは当然。国家はそうじゃなけりゃ成立しないか。ちなみに文部科学省の新学習指導要項は「自ら学び考える力」だが、それを教えるべき教員自身が自ら学び考えた結果を実行した場合、場合によっては処分されることになる、とは。大きな矛盾。「愛国心は『自ら学び考える』といった範疇にあるものではなく国民として抱いて当然の崇高な理念」とか「公教育に携わる者の『一員として』法で定められたことには随わなければいけない」ってか?。その通りだ(笑)、国家による公立の初等教育なるものは国家が存続するための国民の養成が目的なのだから(藤田弘夫『都市の論理』を参照せよ)、そうでなけりゃやってる意味がないだろう。そうなると、やはり寺子屋の復活が必要。読み書き算盤以外は教えない。教練的な学校行事も一切なし。運動は外で近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんを中心に遊べ。徳育教育など親がすべき(できないか……)。運動でも外語でも大工仕事でも芸能でも何か秀でる才能があるか興味でもあれば即座に修業に出る。それが一番。唯霊氏が二週間ほど前だかに『信報』で「一碗牛筋南伊麺、僅十六元、以質以量而論都物有価値」と讃めていた中環は卑利街の陳成記なる麺家、平日の昼間になかなかその界隈に行く機会なく逸していたことをふと思いだして昼前に卑利街を下る。昼前にて客は数人、卓につくと向いの卓に唯霊氏が屡々随筆に登場する愛娘とそこに居るではないか。なんたる偶然。娘も父親譲りでかなりの食通と書かれているが親馬鹿かと思っていたが麺を美味そうに掻込む唯霊氏に延々と食い物の話を続ける娘(まだ12、3である)には恐れ入る。店を出ようと唯霊氏こちらに来たので手帳に唯霊氏のその記事切り抜きがあり思わず唯霊氏にその記事に署名願う。かつてはかういった著名人に署名を貰うなど卑下していたが老いて余生も短くなればかういった行為も恥ずかしくもなし……先日、Dettoriの署名をもらひし時、その行動に自ら驚きたり。署名も見事な達筆で文人とはかういふものかとおもふ。英語で一言二言話し始めたが「日本人か?」などと<些細なこと>を聞かぬは流石の御大、「いやー、この店をガイジン連中(expats)にも絶対に美味いからって教えてんだけど場所がわからないのか来ないんだよな」などとボヤき。「それじゃね」と、さっと余の「肘に手を触れる」仕種はありゃイキだねぇ(唯霊に興味ある方は飛山百合子『香港の食いしん坊』白水社を参照のこと)。牛南伊麺。伊麺はこれまで炒めるばかりで湯麺は初めて食す。確かに秀逸。余が署名をねだったことで店の賄いのオバサンたちが「あれ、誰よ?」と。別な客が「唯霊だよ」と応じると、「えっ、あれがこの記事の?」と店中に張られた唯霊の記事を指さす。亭主は勿論知ってるがオバチャンたちはただの常連と思っていた模様。ジム。藤森照信『天下無双の建築学入門』ちくま新書、読み始める。歩いている最中すら読み続けたいくらい読んで楽しい本。藤森氏、赤瀬川原平、南伸坊といったこの仲間連中の書くものはどんな内容でもとにかく面白くなければ、という前提なのがいいのだ。著名な建築学者(建築家ではなかった)としての藤森氏が自分の理想的な建築を追及するうちに古代にまでその視点が届き書いた本なのだが、古代において縄で縛ることがいかに魔法のような万能の技術であったか、だからその縄の文様が土器の表面に写されて(縄文土器)、聖なる場所を画すための注連縄(しめなわ)となり、出雲大社のあの空前絶後の高さ(48m?17階建ての高さ!)は特別にしても神社とは神社があってご神木があるのではなく、むしろご神木があってそれの傘のように社や祠が建てられ、そういった木は当然、神様が天から降りてくる木だから他の木より高いわけで、だから縄文時代は日本全土が屋久島みたいに鬱蒼とした森だったわけだから「その樹々の梢が波打つ樹海の上に点々と島のように浮ぶ神社たち。メキシコの密林の中に、ピラミッドが忽然と現れるマヤ文明の遺跡の、あの石のピラミッドを木の建築に代えたような光景。思い描くだけで涙がにじむ。」と藤森氏、まさに御意。これが神道の本来の醍醐味だったはず。神道が国家に統制されてしまう以前のこの姿は本当に想像しただけでゾクゾくしてしまう。そういえばこういう醍醐味を体感していた一人が角川春樹氏、なんか覚醒剤裁判のたんなる被告と化しているが、詩人、俳人、思想家としてあのまま野暮な社会的倫理なる制裁で抹殺してしまうのは本当に惜しい方。優れた句を詠むことを条件に恩赦とか……ダメか。でも辻井喬は岩波新書で『伝統の創造力』なんて本を上梓して「日本文化が衰弱していると感じられるのはなぜか」という問いに辻井先生は「伝統とは「大胆な自己革新を行う運動体」「新しい文化芸術を形成する源」であることを論じ」「混迷する現代社会、そして現代文化の再生のための、問題提起」をされているそうだが、辻井先生は堤清二としてセゾングループを潰しかけても部下たちに「文学のみご精進を」と引導を渡されて経営者としての会社再生はせずとも(まぁ私財も多少は負債補填で出されてはいるが)日本文化の再生をしてしまうのである。会社潰してもいいけど覚醒剤はダメなのである。社長が「ねぇ、○○ちゃん、今度ハワイ行かせてあげるから大麻とかブツ調達してきてよ」と頼んでるよりか、大きな会社を自らの判断での事業失敗で潰して多くの社員が苦しむ方がよっぽど社会的に人に迷惑をかけている気もするのだが……。たとえば、である、会社を潰さぬためシャブ打ってでも日夜懸命に努力する社長がいて会社がそれで存続の危機を乗り越えていたら、もし裁判が陪審員制度で余が陪審員だったら絶対に社長には恩情で無罪とするが。世の中は覚醒剤を悪むらしい。閑話休題。藤森氏だって確かに伝統を大切にしてその伝統の技術でもって建築を蘇生させようとしているのである、そういう意味では辻井先生の「伝統の創造力」と通じもする、が、決定的に違うことだけは確か(それ以上はいふまひ)。藤森氏の言及は留まるところを知らない。例えば、柱。ギリシア宮殿の柱がエンタシスにて法隆寺の門柱を見た時に遠きギリシアの宮殿を想った、なんて言うけれど、実はギリシアの宮殿の柱がじつはもともとは木でそれが石になったこと、だから時代がギリシアが古いから、ってその技巧が東に伝わったんじゃないこと。私たちは掘立小屋なんてボロい建物を罵るが実は土地を掘って木を立てる建造方法は縄文の極意にて、私らが無意識に「掘っ建て」を悪きシニフィエとしていることじたい<弥生思想>に洗脳されていること。だからホームレス諸兄の小屋をひと括りに掘っ建て小屋と呼んではいけない、段ボールなど土台のない仮設なら掘っ建てに非ず、公園だろうが河川敷だろうがきちんと地面を掘って柱を立て、もしくはご神木を見つけそれを軸に屋根と壁をつくれば、これぞ掘っ建て、ということか。目からウロコのような話が無尽蔵に続くのが藤森ワールド……同じ藤森でも名前を出すのもオコガマシきアレとは月とスッポンである(あっ……)。この本を読みつつHappy Valleyの祥興珈琲室。そういえばかつて芸人で賑わったこの店が筋向かいに別な店できて芸人がそちらに流れたという記事思い出し評判は如何なものかと訪れしはSなる茶餐廰。特色炸醤麺を食すが評価するに値せぬ単なる辛みで誤魔化した炸醤麺に過ぎず。夕方だというのに満席にて誰も彼もいわゆる業界人ばかりで芸人も少なからず。埋單すませた芸人風情の客が店を出ようとすると何処からともなく間違いなく蘋果日報だろうが報道写真家たる蝿が飛来してフラッシュ焚いて激写。これが明日の新聞に「明星の×××が娘連れて……」と記事になるのだろうが(なぜこれがニュースになる?)、この、そんな美味いわけでもない上に報道写真家の諸君がスクープ写真欲しさに狙っている店に(美味さでいったら同じ快活谷の茶餐廰でも和興のほうが格段に上)これほど芸人が来るのか不思議だが、考えてみれば答えは簡単、新聞に掲載されるから、か。芸人なら露出が宿命、こうしてこの店にくれば明日の新聞の芸能欄に載れば幸い。広尾の明治通り沿いのラーメン丸富でしぶがき隊のフックンがラーメン食べててもニュースにならない日本のほうがまだマトモ?。養和医院の牙科にて先週の親不知抜歯での裁縫の抜糸。悪太医師他患者治療中にて若造抜糸す。抜糸した歯の一つ手前の奥歯が痛み、おそらく親知らずと接触しこれまで外気冷水に触れずにいた部分で虫歯だったと察す、それを若造に告げると治療して銀を被せるとHK$4,000也と、冗談じゃない。藪用済ませ二更にさすがに小食ばかりで小腹空き中環はGough St.の九記。夜な夜な九記に赴くにはQueen's Rd CentralとWellington Stが交わる処、丁度香港に唯一現存する地下式公衆便所がある、からWellington Stにちょっと入り香港珠寶の横丁、これがお先真っ暗にて怪人二十面相が隠れていそうな路地にて暗きなかに階段あり、遠くに裸電球の街灯あり階段の石畳を照らし、その石畳がかなり古いものにて人の往来でかなりはんなりとし、それが街灯の光でわかるのだが、ここは何度潜っても本当にソソラレる横丁。週刊香港のK氏が九記のある九如坊がかつて富豪が妾を囲った邸があり、そこに上るためにこの路地から入ったと書いていた記憶あり。帰宅して『天下無双の』読み続ける。
十二月二十六日(水)快晴。Boxing Day。聖誕節翌日のこの日は使用人や郵便や新聞の配達人に対して日頃の感謝の気持ちをこめ贈品を小さな小箱boxにいれて渡したことが由来だそうな。もともとイングランドとウェールズの祝日。今でこそ聖誕節がほとんど休暇となっているがかつては邸の使用人や電話以前の郵便に通信を頼っていた時代には配達人など聖誕節も碌々休めなかったのではないか。それでせめてもの賠いに聖誕節翌日に贈答、と。このBoxing Day恒例のWanchai Boxing Day Race がピークの灣仔峡公園を起終点にMount Cameronをぐるりと回るMiddle Gap Road からBlack's Link(2.5mile)にて開催され奥歯を気にしつつ参加す。今年最後のレース。終わってZ嬢と湾仔峡道、寶雲道を歩く。犬に毒入りの餌を仕掛ける事件アトを絶たず今月で七、八匹の犬が命をおとし警察はHK$50,000の懸賞金を掛け愛犬家は自警団を組織するまでに。散歩する犬も道におちている餌を喰わぬよう口に貞操帯をはめられ窮屈さう。ちなみにこの毒餌犯はかなり長く最初の被害犬の一匹が香港末代総督パッテン君の愛犬ウィスキー。寶雲道は総督の犬も散歩すれば北京の××である董建華君も散歩する場所なり。沙田にて今年最後のレース。5Rまで冴えていたがWhite不調で一番人気のレースを3つ入賞もせず余の期待する鹿鳴(R6 1600dart Class-3 White)、掌権之威(R7 1400turf Class-3 Dye)と心之霊(R8 1400turf Class-2 Dye)が全部コケる。帰宅して湯豆腐。玉木明『ゴシップと醜聞』洋泉社新書、読む。やはりカギは19世紀にあって、中世までそのへんに普通にあった死が恐怖の対象となり墓地の私有化と屍体への嫌悪感が生じ、殺し殺されが関心を引きつける話題となり、この感情構造の変化が大きく作用し、処刑は非公開となるが処刑への関心が高まるからそれを知るには報道を要し、その時点で事件や殺人といったものは警察の発表を新聞が流すものであった、と。近代市民社会の成立は国民が「われわれ」を意識する際に「われわれ」を映す鏡が必要なのであり、市民はそれをするために他者である「彼ら」が要り、自らが起しえないと思っている(実はそれが大きな間違いであることは筒井康隆がいつも言っている)が犯罪や精神異状をもつ「狂気の彼ら」が最も適した他者。ふと思ったが、いまだに公開処刑が行われている中国って……(昨日も麻薬密輸で香港居民が7名深センにて公開処刑)。そういう環境にあって人はゴシップと醜聞を必要とする、か。
十二月二十五日(火)快晴。ランニングクラブの面々と三月の香港トレイルに向けて山頂から陽明山荘までトレの予定が走るとやはり奥歯が疼き不参加。Z嬢とKCRで粉嶺、ミニバスで鶴薮圍まで入り鶴薮水塘から屏風山を登り黄峰639mまで580mを登る。八仙嶺の尾根。北に遠く深セン、南に香港の吐露港を眺める景観。昨年の冬は東側から八仙嶺を歩いたが屏風山から平頂凹に下りてしまい鶴薮への正規ルートを歩くが所望。北東に沙頭角の街、10年以上前に朝日の特派員だったT氏に初めてこの街の存在を教えられ、実は80年代の開放経済になる以前、それどころか中共成立から文化大革命の最中とてこの「国境」線の東端にある小さな街は壁も柵もなき中英街をはさんで国境をまたぐ街として存在してきたのだが、残念なことに外国人どころか居住者以外の香港居民とて入るには親戚の訪問など警察の許可証が要る場所で、T氏も入れず終い、私の知る限りでは月刊『香港通信』の編集長だったY氏が深セン側から中国人相手の偽の沙頭角入境許可で入っただけ、ちなみに南Y島出身の映画俳優周潤發は香港の公立中学のボトムエンドと名高い沙頭角中学に通っていたはず(だから悪いとは一言も言ってないよ、アタシは。ジャッキー成龍氏だって学校なんてロクに行ってない。俳優は芸が命、芸が素晴らしければ学歴などどうでもいい、沢瀉屋の慶應志向も亀治郎の踊り修業の邪魔してないか?)、というわけで沙頭角が気になっていたのだが、八仙嶺の上から眺めてふと思えば、べつに沙頭角「だけ」が外国人及び居住者以外の香港居民をオフリミットしているのではなく、たんに境界に近い一帯はClosed Area Boundary(禁區界線)となっており部外者立ち入り禁止、そこに沙頭角が位置しているだけにすぎないことに気づく。例外的にこの禁区にありながらKCRの羅湖と落馬洲の越境道路だけが通れるにすぎない。八仙嶺を下り大尾督。昨日からの『競馬の血統学』を車中、読了。サラブレッドの血統、血統と知らぬ者までそれに言及するが、実は良血統と良血統を配合して名馬が生まれるのではなく近親の血が濃いなかで軌跡的に、否、畸形として何百頭に一頭生まれるのが名馬であり、そのかげには数多くの駄馬があり、血統閉鎖により急速に名馬のチェーンは衰え、実はそれを救うのは北米からの「駄馬」の血であったり伊太利に離したことによっての成功であったりと、つねに良血統に香辛料のように何か異形が雑じることで奇跡的にサラブレッドが向上する、と(じつに勉強になる)。そこで筆者は次のそのサラブレッドの奇跡を生むのが実は日本の内国産馬じゃないのか、と。この本は97年に出版され、つまり日本馬の活躍は95年の香港G2でのフジヤマケンザンまでなのだが、昨年のNHKの文庫化で終章が書き足され、当然、この推論は確証になるべく裏付け、つまり97年以降の日本馬の活躍、エルコンドルパサー(98年の凱旋門賞でのMonjuとの互角の勝負)、2000年のアグネスワールドの英G1、そして2001年のドバイG2でのステイゴールド、G1でのトウザビクトリーの二着など、今後これらの馬が種牡馬になり欧州に血統凱旋する可能性が述べられている。この文庫が出た二カ月後に香港国際であの活躍、となる面白さ。英国のサラブレッドがじつは外国からの本来「評価外」の血によって蘇生を続け、実は日本とて「来年はクロフネ、マンハッタンカフェ、ジャングルポケット、アグネスデジタルなどといった馬が世界を席巻」(月本裕氏)という外圧あって初めて「JRAも、日本の競馬マスコミも、それに対応して革命的な変貌を遂げ」(同氏)となるはず。それにしてもクロフネの故障は痛い。それにしてもイチローやナカタとか超一流が海外に流失してしまって母体が空洞化していく流れのなかで、競馬は海外の賞金が日本より低いということだけで流出を食い止めていたがドバイにせよ今後の香港にせよ日本馬が向上すると当然日本馬誘致のため賞金も高くなるわけで、そうすると競馬業界(っていっても一団体だけだが……)もウカウカしておれんだろう。相撲はよかったね、海外に相撲がなくて(さすが国技……)、でもモンゴルとかが経済成長してモンゴル相撲が日本力士誘致とか始まる可能性が……ないか。帰宅。広州駐在のI君よりのメールにて「年々中国にも『聖誕節』文化がビジネスに 乗って押し寄せつつある」とあり、そう、昨日の考察の延長になるが、クリスマスの普及はクリスマスを祝えば儲かる、という商法以外に何物でもなし、と思う。夜景見ながら夕食前にPink FloydのShine On Your Crazy Diamond聴きながらRosso di Montalcino飲む、格別。夜『千與千尋』観ようと午後九時すぎからの回にて、ただ聖誕節ではどこのレストランも満席かと思いJimmy's Kitchenに電話してみると席がある、と。これはラッキーと予約したら予約受け付けてから一人HK$480のセットメニューです、と、二人でHK$1,000か、そんな価値ないよ、それじゃ空いているはず。映画が金鐘のUAだからと思ってDan Ryan'sに電話すると席がある。けっこうどこも空いてるのはやはり不況か。Dan Ryan's のハンバーガーは香港一美味い、が、いつもハンバーガーであることに反省して魚介フライ盛合せ、ナチョス。『千與千尋』、アニメーションとしての水準の高さは理解できる、油屋に火が灯るあたりから銭婆が出てくるあたりまでの演出、白の飛びだしてくる橋の上、花園……。それに人間の強さとか弱さとか優しさとか、少女が強くなっていく課程とか、妖怪・顔無しが何を象徴しているのか、とかそんなことはここで語る必要もあるまい。ただ、宮崎駿は苦手だ、どうも宮崎先生にしても手塚治虫先生にしてもアニメの巨匠は作品のうんぬんじゃなくて、子ども向けアニメに匿されたエロティシズムがスゴすぎ。アニメだから容されるんだろうなぁ、これは。実写だったら大変だ。作者にとって愛しき少女の理想型としての千尋、そして美しい少年の理想型としての白、そして実は最も注目すべきキャラクラーは両性具有にてこの物語のなかで唯一呪術をかえられていないように立ち振る舞うリン、リンは両性具有であるばかりか人間のようで人間でなく妖怪らしくもないかなり浮いた存在にて、これは作者自身の物語の中での「立ちたい位置」なのか、と思えた。愛しき少女のけしてその恋心の相手の少年にはなれない、ただし二人をつなぐ線上にて二人を助けることができる役ならなれる、という。そして作者にとって大切な少女、少年たち愛しき三者を除いた残りの全キャラクターが愛嬌こそあれ「醜く」描かれている、というその意味もわかるか。それだけを語れば充分であろう。そういう世界なのだ。
十二月二十四日(月)快晴。天気よく自転車に乗ろうと外に出ると自転車タイヤの空気がすっかり抜けておりお間抜けにタクシーで灣仔道の自転車屋まで運び空気入れる。無愛想な店で空気を入れるだけでHK$40も請求する。客の弱みにつけこみ、呪うべし。二度と行くまいとフランス製のZefalなるブランドの空気入れを購う。黄泥涌道上り南風道より深水湾道を下り島南。さすがに海岸も閑散。海岸で新聞読み。淺水湾道は予想より傾斜小さいが距離長し。午後二時でも陽は西に大きく傾き日陰続きの寶雲道は寒く、途中公園にて太陽が山頂に隠れるまで日なたで吉沢譲治『競馬の血統学』NHK読む。街に出れば巷は聖誕祭前夜にて賑わう。中環の陸佑行ビルの地下にありながら行かぬままだったBon Bon Bon(有食縁)なる高級食材店訪れるが、やはり行かなくてよかった、どこだかの金持ちの娘の道楽で始めた「自分の好きな食材を揃えて」のコンセプト、所詮、魚翅に燕巣、フォアグラといった「高価な」食材を並べたトーシローの商売にすぎず、この不況にこの品ぞろえではと同情するほど客もおらず閉店は時間の問題。HMWにてPink Floydの"Echoes"と台湾の周杰倫のCD購う。Pink Floydはもう何枚目かわからぬベスト盤にて、基本的に"Delicate Sound of Thunder"がピンフロの集大成だと思う余ながら、でもリリースされると買ってしまう。それにしても70年代、プログレ狂のT君に影響されT君の部屋でPink FloydだのELPだのツェペリンと聴いて、中学生だった余は何を感じていたのか。中学生でありながら「YesはちょっとShow Biz(そんな言葉当時はなかったけど……笑)に走りすぎてる」わけでパープルなんて論外というマセた中学生。世は聖誕祭を嫌うのでは非ず、基督者が非基督にまで聖誕の言葉をかけ基督者でもなき者が聖誕節を祝いるその節操のなさに納得がいかぬ。一神教の基督教に対して非基督者が祝福を演じることは神への冒涜でないのか。というわけでここ数年の年中行事として(笑)聖誕祭といえば七面鳥の丸焼に対して中環はYung Keeの焼鵝と絶品のピータン生姜添えを購い自宅にて食す。伊太利はCaparzo酒造のRosso di Montalcino 1998 にて焼鵝。今年は残念ながら鵝は「外れ」、脂身多し、Montalcinoも寝かせ足りず(明日に残り飲めば美味いはず)。焼鵝はやはり清明節から端午節までが好し。ちなみに広東料理としての焼鵝ならYung Keeより深井の裕記などのほうが格別に美味い。しかしフランス料理のl'oie sur le grille(って言うのかなぁ焼鵝はフランス語で、知らぬが)を食すなら絶対にYung Keeの焼鵝を上等な赤葡萄酒で賞味したほうが美味い、と、そういうわけ。来年の活躍が期待されたジャパンCダート圧勝のクロフネが右前浅屈腱炎9カ月以上の休養必要、三月のG1ドバイワールドカップ出場は絶対に無理、残念。
十二月二十三日(日)快晴。新界はKadoorie農場にて恒例のKadoorie Runあり陽明山荘住人I氏と参加の予定が昨日の抜歯でさすがに参加諦めそれでもKadoorie農場を訪れる機会などそうそうあるでもなくせめてI氏の応援にとKadoorie農場にI氏、Z嬢と向かう。Kadoorie家は香港に古くからの財閥にて元々英領インド系の一族、ペニンスラホテルを有する香港大酒店や中華電力などの大株主であるが株式会社が相互互助の慈善事業体、コンフレーリー的な組織であるという、そういう色彩を今なお色濃く残す一族にて、この牧場も中共成立後の難民急増にて難民に就業機会をということでKadoorie家が新界の農地農業開発のための農業振興基金を創設し、この農場がその組織のいわば中心、農技術の普及、実験農場となったもの。その後農業振興という役目を終え有機野菜や無農薬農法、自然教育といった目的をもち今日に至る。南に大帽山をいただく農場の広大な敷地には標高540mの観音山という頂を有し、本日のレースは農場入口からこの観音山頂上まで400mの標高差を5kmに渡る農場内の道を駆け登るもの。レース始まった後Z嬢と農場を葛折に登っていくレースに対して綾をなしながら頂上に向いI氏の到着を待つ。頂上にはKadoorie家の先代の未亡人、当主も完走者を祝福。レースに出ておらぬ身ながらふてぶてしくもレース登録したのをいいことに完走記念のTシャツを受領す。バスにて元朗。錦田の町をほぼ10年ぶりに抜ければカトマンズのようにネパール人多し。バス停に『地球の歩き方』を手にした日本人女性二人おりリピーターともなると「ネパール料理のおいしい店知ってるしぃ」とここまで来るものかと驚く。元朗よりタクシーにてやはり10年ぶりに流浮山。タクシーのなかより快活谷の競馬の馬券モバイル購入。ここには10年前に元S新聞特派員のI教授に同行して訪れて以来。I教授の話で70年代に社会党の訪中団が竹のカーテンの向こうから帰ってくる列車を駅前に小さな食料品屋が一軒あっただけの上水で日なが待っていた事など聞いたのを思いだす。劉勝記なる魚屋にて魚介類を調達して劉勝記の勧めるまま海湾酒家。平目、美味。昨日よりの鎮痛剤と抗生物質服用中にてビールすら飲まず。快活谷の第2レースの時間となり馬主C氏のWin It AllがR2(芝・マイル)に出場、I氏は私も含めC氏の観戦お誘いをKadoorieのレースありとお断りしていて、この今季未勝の八歳馬が前夜オッズ27倍ながらこんな日に限って入賞するのではないか、16日のR4(芝・1,400m)のDashing Winnerとて28倍にて一着、C氏はツキがあるから……と内心恐る恐るレース結果を確かめればこういう予想は的中して三着に入り複勝でHK$52.5の高配当。またC氏になんで来なかったんだと惜しまれるか。元朗に戻り高速を高速にて暴走するバスにて一気に香港島に戻る。快活谷の競馬は堅めの単勝1つと複勝2つで少々の負け、R4は3Tの中レースにてHK$858の配当となったTrio3頭を見事的中していて 単Tにて馬券買わず残念。有馬記念も終わっていることを思いだしJRAのサイトで見れば「あらら……」テイエムオペラオーが不安的中して五着に没み世代交代の予感が当たりマンハッタンカフェが一着、大穴でアメリカンボスが二着に入り、複勝で馬券購入していたトゥザビクトリーがきちんと三着に入り530円の配当、Win It Allの買い損ねた複勝と同額の複勝に安堵(笑)。それにしてもなぜアメリカンボスが二着に来るのかねぇ、マンハッタン⇒アメリカンボス⇒To the Victoryとは館長、S氏の言う通りデキすぎの暗号馬券。メイショウドトウは四着にてオペラオーは有終の美飾れず。NHKのドキュメンタリーにて三宅島を離れ一年ぶりに島を訪れた島民たちの姿、ドキュメンタリーを見るに耐えられず。Kadoorie農場の蜜柑、I氏が購い譲られ賞味すると身が硬く昔懐かしい酸っぱさの中にしっかりとした甘みがあり何より蜜柑の香りが部屋中にひろがる。薬服用にてほぼ48時間にわたり酒を飲んでおらず、このような経験今までになくかなりテンションがハイ、このまま禁酒続けるか。海上保安庁による奄美大島沖での48年ぶり!の射撃により不審船沈没、「海上保安庁の巡視船『みずき』は、マイクを使い英語、中国語、韓国語で通告した」(朝日新聞)そうだが、北朝鮮の船だったので「韓国」語が通じなかった、なんて、ね。
十二月二十二日(土)快晴。余は基督者でなきものの世は聖誕節の連休始まる。昨晩冬至前夜ともなれば午後六時はすでに空暗く気温下がり遠くまで夜景が映えこれ幸いにとドライマティーニを飲んで乾果をつまめば右下の第三大臼歯(西欧はwisdom tooth、秦那では智歯と云うが親不知という語の響きが好し)因に親不知『大言海』『広辞苑』すら簡単な解説だけのところロングマン辞典は"~ don't usually appear until the rest of the body has stopped growing" と親不知が出るはまるで人生のひとつの通牒(笑)、ロングマン辞典は簡潔ながら時たま『新明解』以上にドキリとする説明あり……であるが乾果を噛めば親不知の更にむこうで異物感あり鏡で見れば大きく血泡あり、九月だかに歯医者で親不知の抜歯を勧められその時はトレイル前にて聖ヨハン医務隊にも加わるこの医者もトレイルが終わったら、と。昨晩はこの血泡のみ自ら処置して今朝、前述の歯科医は私家にて急な治療はできまいとハッピーバレーは養和病院の牙科に電話し十時よりの診断。牙科に入れば広き書斎の如き待合室は天井から足下までの大きな窓から第四コーナーをちょうど見下ろす絶好の位置にて第二コーナーから向こう正面の直前、岩、Amigo前の登り坂からぐるりと絶景。出てきた歯科医師は一見して勝新太郎、昨晩の深酒に宿酔甚だしく朝は幸いに予約なきところいったい誰だ急な患者は……と言いたげな表情にて、あの待合室から水曜晩は競馬しているよなと確信されうる御仁、近寄れば煙草臭く、終戦直後の軍あがりの無免許医の如し。すぐにX線撮影となるが立ったまま撮影機に顎を載せ一枚の撮影にて上下前奥と歯の全景を撮る最新鋭にて、痲酔して抜歯に取りかかるがこのL医師、外見は荒いが手仕事は柔らかく靭やかに抜歯。終わって名刺を見ればL医師、養和病院の歯科医局長にてしかも病院の理事会理事でもあった、英語名はWalter、悪太と呼ぼう。しめてHK$2,500は香港の相場並、日本で保険を使えばかなり安く済むのだろうが飛込みで一時間で最先端の器材とカンペキなる衛生環境で外見はかなり怪しいが一流の歯科医、お勘定の際に「証拠品」として抜かれた第三大臼歯をくれたが丹念に眺めれば微かに現れていた表面だったが切開したあと抜歯の鉤具が容易に引っ掛かるように見事に歯を削り、その仕事ぶりに敬服、それで相場並のお勘定なら割安か(とでも思わねば)。一日養生をと鎮痛剤と抗生物質をもらい、これでは夜のランニングクラブの忘年会も出れぬとその用意のみ済ませブツを日本人倶楽部に預け、一時間は喰うなといわれた一時間も過ぎ、熱いもの辛いものは喰うなといわれ、百年ぶりにぶらりと皇后飯店、ビーフストロガノフを食す。ゆっくり冷まして左歯で咀嚼する。痲酔が効いていると口腔内の歯や舌、口唇の内側の「間取り」感覚が鈍り、舌や口腔を噛んだり四苦八苦。食べ終わると黒服の給仕に「久しぶりだな」と言われふと目をあげれば「かつての」薄汚い店だった時に汚れた白衣の給仕、暇な午後の店内で余の卓に勝手に坐り余の煙草を吸い余の新聞のうち競馬欄(当時は興味もなくテーブルに放ってあったか)を眺めていた給仕である。この新しい店になってかれこれ八年か。新装開店で全面禁煙となり当時は愛煙家だった余は敬遠してそれ以来。その給仕もこの店で黒服など粧し込み禁煙に従い余も禁煙の店は寧ろ有難き。こうして邂逅するとあの「レスリー張國榮の『阿飛正傳』の舞台だったそのまま」の皇后飯店を懐かしく懐ふ。帰宅して遺品の如き第三大臼歯を眺めればこんな大きな歯齦が歯肉の中に埋められていたとは。ロングマン辞典によればこれが自らの身体の成長の最後の証し(笑)。終日休養。『優駿』読む。『東京人』巻頭の松葉一清の「東京発言」は最近最も的確な時評だが先月号の「テロ戦争」にてメディアの一大結束ぶりを嘆き「集団自衛権やガイドラインを巡る議論を『神学論争』などと揶揄する論者の出現は、是非はともかく、(日本の)論壇にもグローバリゼーションという名のアメリカ化が押し寄せてきている証と受け止めたい」とし「特殊法人の民営化も本当にコイズミや石原ジュニアの説法通りなのか、少なくてもG7各国の公的住宅融資制度くらいは子細に検討してからでも遅くはあるまい」と。1月号も気勢よし。巻頭随筆に南條竹則氏の「川魚の街」なる文章あり、ふとこの人の「酒仙」を読んでいないことに気づき紀伊国屋サイトで検索したがすでに絶版、この人の多くの作品は絶版だの入手不可で惜しいが『満漢全席』や『ドリトル先生の英国』など注文する。資生堂の福原義春氏も随筆の優れた書き手だが、福原氏が生まれ育った品川区上大崎長者丸つまり旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)界隈のことにて現在は文部科学省の国立自然教育園となって自然が残っているようではあるが、実は太田道灌以前のこの地の豪族が遺した邸砦の土塁、平賀源内が遺したといわれる武蔵野にないはずの温暖地の植物相、そういったものが福原氏の家邸や庭ともども東京オリンピックの首都高建設にてなくなってしまっている。本当に今になって思えば実は60年安保「などより」実はもっとコダワルべきだったことはあの東京オリンピックにむけての首都改造であり、それが後藤新平の震災後の帝都建設などとも異り、全く思想なきままこの長者丸の自然を壊し日本橋の上に首都高を走らせ数寄屋橋を填め銀座を遮断しお茶の水の神田川河岸を壊し……と賠いきれない破壊をもたらしている。反米闘争があっても40年後のこのグローバリズムをみれば若者の闘争ではとても敵わぬ敵だったことは必然、むしろ東京のこういった開発こそ阻止すべきことだったが当時それをすることは無理。江戸からの住人がただそれに溜息をついていた。東京に生まれ育った樺美智子さんには60安保の最中この東京の「開発」はどう映っていたのか。明日の有馬記念、テイエムオペラオー(和田竜二)が優秀の美を飾るのだろう、でもちょっと最近……、そうなると期待はマンハッタンカフェ(蝦名正義)かと思いつつ6.4倍の二番人気、オペラオーがきたらマンカフェでは複勝もおいしくないし……と思い24.7倍のトゥザヴィクトリーで武豊の騎乗に期待して三着にだけ入ってくれと複勝を買う。奔騰(Orieanal Express)が昨日正式に引退。97年のダービー馬にて98年のQE II盃をとり98年の安田記念で二着、98-99年は原居民と告魯夫とともに活躍、99年には原居民も衰え蝦(FKP)が出てきて世代交代かと思われたが99年のCharter Cupでついに原居民を破ったレースは今でも忘れられず。その後二年に渡って三着ならどうにかの未勝できたが今年五月のCharter Cupが引退レースとなり13倍でまさかの勝利。ここで引退させれば優秀の美を飾れたものをAllan調教師と馬主榮智健に欲が出て今季も走らせ先日のステイゴールド(武豊)が六馬身差にあったEkraar(Dettori)を破ったあの香港ヴァースでの13着/14頭が最終レースとなる。中国外交部で銭其深の秘蔵っ子、期待の星Shen Guogfangが中国の国連代表部副代表(代表は名誉職にて実質上の中国代表)の要職について一年くらいだったか急遽、中国外交部副部長(副大臣)に昇格する帰国人事が近々ある模様。Shen Guogfangは香港返還当時の外交部報道官でかなり「笑わん殿下」の顔が知られ返還式典も江沢民の側近として立ち振る舞っており、国連で箔を付けて帰国、将来の外相就任は確実だが今回の急な帰国は実は外交部にて最近の報道部の為体くがありそれの建て直しが任務とか。Shenも笑わん殿下だったが外国メディアからShenの仕事ぶりでかなり外交部が開かれたと定評にて、ここ数年報道官談話は英語から北京語になり報道官の女性はShenすら温厚に見えるくらいの冷徹さ、強情さでもってテレビ映りも悪し、台湾がそれを見てやはり統一は怖いと思われたか(笑)。
十二月二十一日(金)晴。気温14度にて12度まで下がる厳寒と予報あり。新聞を開けば「巨額の政府債務のために経済危機が続き、住民による暴動が国内各地で……」とあり日本かと思えばアルゼンチン。ビン=ラディン師はパキスタンはカシミール目指し逃亡中か、と。すわカシミアの値段が高騰するぞ、カシミアの買い占めだ! 今ごろになって朝日新聞に言語学者チョムスキー氏「アフガンを語る」。遅すぎる。チョムスキー氏の論理は真っ当。左派知識人の旗色が悪いという質問に対して「左派右派ではなく人間の品位の問題」と……日本でここまで云えるのは康夫チャンか、「人間性の」問題などと野暮なことを言わぬがさすがチョムスキー、そう、品位なのである、問題は。ブッシュは野暮、品位がない。カーターは野暮だったか大統領という経験をして引退後に品位が現れた。品位と康夫ちゃんのいう皮膚感覚があれば間違った判断はできまい。それにしてもチョムスキー氏の紹介で「生成文法理論を提唱した言語学の大家『ながら』反戦平和運動家としても知られる」って、この「ながら」の使い方はいったい何だ?、若い記者が書くともはや学問と政治信条は両立せぬのか。元立法会議員程介南有罪判決にて収監される。立法議員でありながら経営コンサルタント会社を設立し議員としての秘匿義務事項を企業に流し収入を得たが罪状、日本にてはごく当たり前の議員活動(笑)、日本ではそれがあることで企業は議員を利用する価値あり、それのできぬ議員など用無し、この行為が法で裁かれるだけ香港は健全か。程介南、一介の教育者でありながら政治的野心強く親中系の培僑中学の教員から教育界で30代にて台頭し立法議会に躍進、90年の立法会一部直接選挙にて初めてその尊顔に拝したが銅鑼灣はそごう前の交差点に程介南の大きなポスター掲げられ、どう見ても教育界だけの資金ではないと察したが、そのご尊顔に「共狗」(共産党のイヌ)と落書きされ可笑し。あの当時はまだ香港に自由な空気。いま親中派議員の顔に「共狗」と書くはかなり勇気要る行動なり。それにしても程介南捕まるとて程介南より情報を買い上げし財閥系企業はお咎めなし。さすが財狗が行政長官をする香港なり。といえど程介南が提供できる程度の情報を財閥系企業が把握できておらぬ筈もなく程介南の会社との取引きは親中派議員への政治資金援助にすぎず。それにしても親中派である民建聯の主導者である程介南による財界(=親中)癒着を蘋果日報(=反北京)がスクープし、それにより程介南が議員辞職し実に英国的なICAC(香港政府から独立した権限のある廉政公署=汚職摘発局)(それにしても日本の公的機関もこれくらいのサイト作れないものか)が調査に乗りだし、これまた中立を標榜する上で北京にしてみれば面白くない香港司法が有罪判決を下しており、北京にしてみればかなり不愉快な事件なり。夜、気温は13度と厳寒続き自宅にて味噌仕立てにて牡蠣鍋。酒は日本酒きらしてサントリーの山崎。NHKのニュースにて日本が中国産の葱や椎茸など農産物の輸入に制限をかけ中国側がそれに対して自動車などの品目の関税率を上げて実質的な輸入停止に陥っていた事態が政府間事務レベル交渉にて解決の見込み、と。この葱問題にて香港に数ヶ月間かなり廉価にて中国産日本向け葱が出回りかなり賞味させてもらったが、牡蠣鍋にて煮えるこの葱も今日が最後か、と思ふ。
加藤周一『夕陽妄語』(朝日新聞より)神はどこにいるのか。科学的知識の増大と宗教的信仰の力とは、どこで矛盾し、どこで降りあうか。諸家の議論を見わたしたところ、少なくてもその大部分は、今もガリレイの「われわれの中に」=不可知論を大きく超えてはいないようである。世界を知るためには科学、世界を変えるためには信仰なのかもしれない……。
(加藤周一風に)南洋の香港もこの季節となればそれなりに寒くなり、聖誕節の連休をひかえた金曜日の夕方はいつもの週末以上に市街は賑わい、乗ったタクシーの運転手は機転をきかせ街中におりずビクトリアピークを越えて車を走らせ、私を自宅へと運んだ。ビクトリアハーバーは雲のむこうの夕陽で黄金色に輝き、私はネオンが灯り始める街を見下ろしながら、香港の広告市場について"In Your Face"なる興味深き記事を読む(Far Eastern Economic Review, 13 Dec 2001)……、って感じか、加藤周一。記事は情報と広告産業について、いくら先端情報経済が盛んでもやはり人気は旧態依然としたビルボード、と。季嘉誠のtom.comすら昨年の創業板(香港版Nasdaq)上場(8001番なる番号が優先的に供された)にて株価は3.4倍まで急騰したのだが、そのあとのNasdaq系の先端技術市場への不信感からtom.comもやはり低迷し、実はtom.com、実業伴わず(この記事には書かれてもいないが季嘉誠系のマンション、団地などで無料配布される雑誌の印刷などまで請負っているのが事実なのだが)ついに9,700万USドルを費やし中国本土の旧態依然とした広告会社七社を買収し、それにより収入は2000年第三期に1,300万香港ドルが今年同期には15,900万香港ドルにまで上昇。今年一年で中国でのビルボード収益が35,000万香港ドルに及ぶ、と。インターネットだ携帯だと情報化社会と謳う時代にあって実益はビルボードとは可笑し。そんな時代にあってこの記事でも注目されているのが新媒体として脚光浴びるバスにて無線を使いテレビ番組を流すRoadshowなる媒体にて、余はこれがうるさくてたまらずバスに乗るのが憂鬱、まだ地下鉄の音声なき電光掲示板のほうがマシなのだが、この媒体を視る市民は実に300万人/日と会社側は豪語(香港人口の半数!)、それゆえにビルボードにせよバスでの無線テレビ中継にせよ、こういった屋外型広告媒体は効果高コスト安なそうである(ちなみに新聞の一面広告がHK$10万/日なのに対してバスの側面の塗装広告は月HK$3,000!)。このバスの無線テレビは実に憂鬱、野暮な番組が続いたかと思うと英会話一日一句の如き趣味乏しき番組が続く。但し昨晩乗りあわせたバスにてサム・ホイの古いフィルムによるプロモーションビデオ流れ、さすがにサミエル・ホイともなると聞かせるものあり。続きアニタ梅艷芳の最近のライブにてこれも梅姐はお見事。ゲストはアンディ劉徳華にて実は書家として素晴らしい才能ありこの人の書を入手したいと思う。珍しく視る価値ありのRoadshow。
十二月二十日(木)曇。行政長官董君(連日このネタばかりだが)年末恒例の北京へ上奏に赴く。江澤民君が昨年は香港記者の「董連任を支持するのか」と質したのに対し江君激怒し香港記者は"too simple, sometimes too naive"と酷評せしが今年は陽気を気取り「なんでも質問せよ」と述べ、董君の手腕についてはすでに董君が連任所信表明にて足りぬ点は自己批判しており「人無完人、金無足赤」と庇護、江君は子どもの頃の背誦reciteとdictation默冩が役にたったと語り始め、董君を支持するかとしれば支持すると答え董君の再選を信じるかと問わらば信じると答える、私がもう一度背誦してみせようか、recite、意味がわかるかね?、と。天安門事件のあと上海のトップから総書記に抜擢された時と比べ大上段に構え若い記者に講じる態度はチャーチル的。ただしrecite & dictationなる語は昨年の"too simple, sometimes too naive"に対していかにも用意しました、でイマイチ。董君連任にてこれから五年にわたり年末になると北京上奏とこの江首席の英単語教室が続くのか(嗤)。油麻地の廟街にて路上に店を拡げた興記にて排骨保/火仔飯。廟街といっても佐敦が観光客相手に対して天后廟を挟んだこちら側はかなり如何わしく一枚HK$5のエロCD(殆ど一晩で使い捨てか……笑)や闇煙草を売る屋台が目の前に並び、闇煙草が取締りを警戒して頻繁に店畳みする僅か数秒のその機敏さに目惚れる。やはり目前に生搾りたてジュース売る店あり驚いたことに西瓜ジュースがイチ押しなのだが客がいぬ間に西瓜100%のはずがジューサーにかき氷のシロップのような西瓜味液体を注ぐ(笑)。やはり廟街は廟街。路上に出した卓につくが串焼肉や内蔵煮物、魚旦といった強烈な臭いと煙が路上にこもり、ブルックスブラザースのスーツはマズい(笑)。西環坤記の保/火仔飯は注文して20分は待たされるが興記は吉野家牛丼のような早さで供される。すでに生焚きした米と重油を使った強い火力の所為だが早いのはいいが米は重油臭く折角のお焦げも真っ黒の炭、排骨も保/火にて焚く前に「炸」したのか猪油ばかりかどうも精製油臭し。まぁ廟街の路上にてHK$20で数分で供される保/火仔飯で文句はいうまい。油麻地側の廟街といえば源記にて咋渣。咋の字は「ロ」扁に「搾」の旁を書くが漢和辞典にもなき字。搾り渣とは不味そうだがいわばマレーシア風お汁粉、美味。この店の木瓜西米露がお勧めと翌日D嬢に教えられる。
十二月十九日(水)晴。埃かぶり気味のMacのPower Book G3このままでは惜しいとTCP/IPのバグなどあり不調なところシステムを一掃し改めてInfrared用のモバイル機として再利用に仕上げる。持ち歩きするには重きもののちょいとしたワープロ、メールには重宝か、と。マカオタワー開業。338mの高さは秦那人にとっては縁起よき数字にて東京タワーを5m上回る高さ。新聞にマカオタワーは世界で十番目の高さとあり�東京タワーが世界一の高さにて父に連れられ遊覧せし昔を懐ふ。世界一なるはトロントのCNタワーにて553m、以下、美しさは世界一のソ連モスクワのオスタンチノタワー(540m)、手塚治虫の未来漫画のタワーをそのまま造ってしまった(笑)現実には醜悪なる上海の東方明珠塔(468m)、マハティールの権威主義的高層建築好きが興じて出来たクアラルンプールにありながら何故かマニラKLタワー(421m)、天津(415m)、北京中央電視タワー(405m)、タシケント、ベルリンと続く。共産圏はタワー好き。これは権威主義として当然。でもなぜ超高層ビルじゃないかといえば技術力の問題、それにモスクワじゃテナント企業が集まらなかったし(汗)。でもなんでカナダがモスクワを抜く高さのタワーをトロント造ったのか、はわからぬ。モントリオールから見えるようにしてカナダからのケベック独立に圧力かけるとか(そんなわけないか)。ケーブルテレビで『フードファイト』のスペシャル・香港編を見たらストーリー云々は論外として香港での対決になぜか上海料理の小籠包の大食い、その具に中国の誇る金華火腿(ハム)の解説で広東省西部の産とあり金華といえば浙江省の美味、誤謬にしても広東省西部とはいかにも不味そう(笑)。せっかく日本人の役者に広東語のセリフまで話させておきながら名前だけリャンさん(広東語ならリョン)、ワンさん(同じくウォン)は不自然、スペシャル版なら香港対決より大物ゲストとして香取慎吾君のオギャリンでも登場させたほうが面白いだろうに。ようやく時間ができてここ数日『優駿』『東京人』『ソトコト』など読む。国際レース前に『優駿』読んでいればもっと日本馬の理解あり賭けていたか。ふと思ったが香港の戦後の成功は大陸からの資本と人材と知力の流入があったわけで、それが香港の発展に寄与したと思えば、董君が昨晩宣いし新エリート主義にとって一番必要なのは若い優秀なる人材であり、大陸からの移民にて居留権なき子女に就学の機会すら与えぬことはそれに反しないか。
十二月十八日(火)雨。晩に香港大学創立90周年記念校慶之夜"Grand Reunion"開催され大学美術博物館員でトレイルと競馬の畏友AH君より誘われ灣仔Convention Centreに趨く。250卓3,000名余のGalaにて大学関係者、卒業生に加え政府財界の方々多く余は香港美術博物館の卓の末席につく。此処にて爆弾炸裂すれば政府は行政長官以下司長局長部長級高級官僚、司法立法之長、財界は賭王スタンレーホー君筆頭にお歴々集うが故に香港木端微塵、唯一胃痛(笑)にて不参加の政務司司長ドナルド“蝶ネクタイ”曾君の天下か。AH君より大学博物美術館館長Y氏、香港歴史博物館の総監T博士など紹介される。HK$600/人のコストと聞いて食事も充実かという噂もあったが記念品の香港大学本館ミニチュアはかなり精巧な出来のアイテムにてこれが実はコスト高か、だいたい3,000余名も相手の料理で美味かろうはずもなく、葡萄酒も卓に白と赤1本ずつで追加は有料。英国の仕来に則り港大は実際の学長はVice ChancellorにてChancellorは名誉職にてかつては香港総督が務め1997年以降は行政長官たる董建華君がCHancellorを務めしが董君と港大といえば記憶にまだ新しきは昨夏の董君による港大が実施した世論調査への圧力介入であり自らの支持率低下を憂い董君が側近を使い港大の学長(VC)に世論調査中止を求めその意向が学長からの指示で副学長より世論調査を実施する研究所講師に伝えられたもの。この講師が政治介入を新聞に投書し昨夏港大は独自の調査機関を設け真相解明にあたり結果的に学長(VC)と副学長が辞職に追い込まれたが董君の介入じたいは有耶無耶なまま事実は葬り去られたり。これが政務司司長・陳方安生女史(港大出身、女性で初の上級公務員試験合格者)が董君と袂を別ち亦それが北京政府にも反北京と睨まれ辞職に至った一因でもあり。その董君は当然のことながらChancellorとしてこの晩の大宴会の主賓。この90周年が一年前あれば夏の世論調査疑獄の悪臭抜けずさぞやキナ臭く面白きものを。董君はまさに厚顔無恥、昨年の悪態もまるで何も無きが如く檀上にて祝辞述べたり。祝辞は新エリート主義なるテーマにて、かつては上流階級の子弟だけのためであった高級学府=港大も戦後の香港の経済政庁にて中産階級、また貧しき家庭からも学意さえあらば学ばさんと門戸を広げ今日に至り、かつてのエリート主義が上流階級による市井の民への施政ならこれから大切なのは低層の貧しき家庭からも秀でた英才がエリートとなり政経に加担していくべき、なる馬鹿馬鹿しきスピーチ。董君が所詮家父長主義に基づき、出自はどうであれエリート(と自らを誤解する凡才ども)が統治すれば社会は発展する、という野暮な発想に呆れる。翌19日の蘋果日報にて嶺南大学政治與社会系副教授季彭廣が言う通り董君が知識型経済を標榜するなら「全民提升人力素質」が必要であり社会的人的インフラの向上なければならず新エリート主義とは全く異るもの、と正にその通り。董君の祝辞終わり拍手はせず。卓にて向かいに坐る某講師も拍手せず視線あいお互い苦笑す。港大の華・陳方安生(次期学長という噂すらあり)と董君は卓も離れ遭遇せぬよう配慮あり。昨年の学長辞任にて暫定学長に推挙されしIan Davies教授はそのスピーチに知性人徳満ち溢れる御仁。宴は学部毎、学生寮毎の檀上にての盛り上がりとなり大宴会を辞す。
十二月十七日(月)曇。昨日の香港国際レースまでの祝祭的な日々も過ぎまた静かさを欲す。晩に薮用あり黄昏に銅鑼灣の南亜餐廰に赴き羊肉カレーを初めて食すが賞味すれば合点することながら羊肉は中東から西域をぬけ北京までがその味覚の産地にて南方はイスラムの影響こそあれ羊肉は似合わず南亜餐廰とて羊の旨味もカレーの味に活かせず。
十二月十六日(日)香港インターナショナルカップ開催。予想外れのおそろしいばかりの展開になった今日一日。発端を夜になって思い起こせば沙田に向うKCRの中であった日系保険ブローカーのK君が、である、私は競馬場に行く時は験担ぎで一等車と決めているのだが、そこで広東省に出張するK君に遭遇。K君も実は競馬好きで今日は無念にも仕事となり今さっき馬券を購入してきた、と。ただレースも見れないので今日は安易に全部、日本馬ですよ、と。それで本当にキタら笑えるよねと私は宣いK君も二頭でも当たったらかなり回収できるんでメシでも奢りますよ、と馬場の站で私がKCRを降りて別れたのである。そして……第三レースまではべつに普通だったのだ。第三レース(香港スプリントG2)では二番人気の豪州馬Falvelonがしっかりと勝ち米国馬のMorlucは複勝を勝って二着。第四レースにいつも馬主招待をしてくれるC氏のDashing Winner が苦手な沙田の昼芝にて29倍の十番か十一番人気、C氏の息子たちに尋ねられSize調教師になって初レースのRun And Winが十一倍と複勝にはいいのでは?なんて私も答え、まさかDashing Winnerも外せないからDWとこのR&Wで、などと軽口を叩いていたら、である、最後直線で一番人気Ferruleで決まりかと思えば外枠からとんでもない速度でDWが刺して勝利。あれだけ一番人気、二番人気で待ってここにきて予想外の勝利。陽明山荘I氏は今日にかぎって香港トレイルで練習中、残念。R&W三着に入り予想通りでC氏親子に感心され安堵。ついに口取りの記念撮影に参加を果たす。そして次レースの香港Vase2,400m、Godolphinデーの始まりを予感させるDettori騎乗のEkraarが二番人気で第三コーナーすぎて抜け出しあれよあれよという間に集団と五馬身は離れていたか、もうこれで決まりかと思いきや一番人気のステイゴールド(武豊)が、である、これが引退レースでジャパンカップで私も賭けて四着だったSGが、である、とんでもないスパートを見せてEkraarを刺したのだった。武豊が天才なのだ。しかしこの一、二着の激戦で陰に隠れたが実は原原民が三着と善戦。八歳馬でG1でこれはすごいことなのである。ステイゴールドのファンが数多く感涙。そりゃそうだろう香港が引退でそれを応援しに来てこの勇姿。ついにG1馬となっての引退である、お見事。第六レースは金龍華に武豊が騎乗したが埋没。第七レースが香港マイルG1にて一番人気はやはり日本馬のゼンノエルシド、ひょっとしたらまた日本馬か、と思いつつ今度こそとDettoriの China Visitが四番人気で10倍前後と複勝にいい具合。これはまず間違いないと安心してみていたら大外から香港期待のElectoronic Unicorn(Fradd)も来て予想通り。すると五番人気くらいだったか二十一倍もついていたエイシンプレストン(福永祐一)が、である、集団から抜け出したと思えばあれよあれよという間に三馬身も後続離して一着……。また日本馬がきてしかも本命じゃないエイシンプレストン『福永祐一』である。福永君、インタビューで英語が苦手なのはいいが画面に映っているのだから帽子とって髪の毛の乱ればかり気にするな(笑)、あれを見ただけでこれは「まぐれ」と誰もが思うではないか。Electronic UnicornとChina Visitが入り三重彩は960倍だかの高配当。いくら人気薄とはいえ日本馬であるから、日本からの観客の多くが馬券購入しており(それでなけりゃ40倍くらいになっているはず)押さえにGodolphinの新鋭と香港の最優秀馬じゃ960倍だって「日本人には」とれなくない15万円馬券なのだった。どうにかまた反日のような私はアラブの味方か(笑)China Visitの複勝。実はこの日はこのChina Visitでただこれは一着にはならぬと思い次レース(第八レース)香港カップ2,000m(G1)は一番人気でやはりDettoriのTobouggと決めて、これの複勝とChina Visitの複勝を掛けて大きく賭けていたので、Tobouggは一番人気の2.5倍、複勝ではもう頂き、と安心していたのである。実際にそうなった。ただTobouggが二着なのである。Dettoriは武豊に刺されたのが致命傷になったのか福永君に続き、このレース、アグネスデジタル騎乗の四位洋文君にまでまさかの連敗で三レースとも二着に甘んじる結果に。まさかの展開で香港カップまで日本馬、日本馬が調子いいとは予想通りだがまさか独占するとは。君が代、否、国歌と云うのだろうか、三度も沙田で聞くことになるとは……。唖然とした口が塞がらぬまま。日本馬はそこまで強くなっていたのか。これが80年代のバブルの時代ならまだしも絶対的危機のこの時代というのはいったいどういうことなのか、わからず。エミレーツ航空のワールドチャンピョンシップもこれにて閉幕。結果的に十二レースでアイリッシュチャンピョンシップとブリーダーズカップを制したFantastic Lightが断トツ一位、騎手はDettori、これにガリレオ、サキ、シルバノと世界の名馬が続き十二頭中に日本馬はジャパンカップのジャングルポケットとアグネスデジタルはいずれも単戦。次はクロフネが出てきて巡業すればひょっとして……?。結果的に日本馬に一度も賭けず、それでもGodolphinのおかげなのだが9レース中7レースにて地味に複勝だのQPだので取り黒字となる。
十二月十五日(土)繁忙続いたなか束の間の休日。西安でマクドナルド=アメリカ餌食が爆破されウイグル独立派の仕業なる臆測もあり。夜ランニングクラブの幹事会銅鑼湾宇津木にて。先日の董建華立候補表明祝賀会に政財界が挙って参列は自らの権益の僕としての董君とあっては当然として香港の五大学の学長も揃うは(リベラルである張信剛・城市大学学長も含め)これもまだ当然のこと、70年代の左派暴動首領にて先日董君より勲章まで授かった工聯會前会長も参列してないわけもなく、ここまでは順当として興味ある顔ぶれを列挙すればまず泥酔で政治的立場がもはやわからない黄宏發、先日杜學魁氏に先立たれまだ喪も明けぬ杜葉錫恩(Elsie Leung)女史、金庸の名で武術時代小説に長け香港の池波正太郎たる査良庸、グルメコラムの麥耀堂(唯靈)、阿一鮑の楊貫一、芸人アラン譚詠麟、ホイ三兄弟の長男許冠文、ジョッキークラブ行政総裁黄剛といった面々。できればこういった胡散臭い政治ショーになど関らず独自の世界を保っていただきたいと思うが、悪口を敢えていえばアル中(黄)、親中後家(杜)、三文文士(査)、権威グルメ(麥)、たかだか鮑屋(楊)、中年アイドル(譚)、枯れた芸人(許)、賭場の番頭(黄)といえば今天下の董君に頼らずは生きていけぬ者ばかり、か。それにしてもマイケル・ホイ(許冠文)のようにかなり「かつての」筒井康隆的世界にて反権力的な笑いの鬼才が芸も枯れるとこうして権力にすり寄るのは無様。弟の歌手サム・ホイは引退して大埔界隈で日常生活に埋没しておりこれこそ見事。芸の枯れたお笑い芸人はどうして権力を目指すのか。
十二月十四日(金)曇。未明に起きだし太子より貸切バスに乗り沙田。日曜日の参戦馬の追い切り。朝食会開催されフジヌマ館長、活力夫妻と寒空に追い切り眺める。活力夫人より余が日記に綴り名前失念の桃井かおり『エロスは甘き香り』を見た堀切菖蒲園の戯院が堀切文芸ということを知らされる。活力夫人は堀切の人なり。堀切文芸はやはりすでに閉館。合掌。午後ハッピーバレーの日本人墓地に関り現場訪れる用事ありそれを済ませ競馬場側に渡りタクシーを漁ろうとすると、あれ見た顔と思えばDettoriが徒歩。思わずサインを頂戴す。黄昏にマンダリンのチナリーバーにて月本夫妻と月刊『ハロン』の編集長S氏。お三方と銅鑼湾に移り益新飯店にてフジヌマ館長、活力夫妻を交え益新の広東料理に舌鼓打ちつつ広東料理。遅くにI君に誘われ三更蘭桂坊の某クラブ、連日の酒と睡眠不足に疲れペリエとトマトジュース。
十二月十三日(木)曇。昼に旧知のG女史と銅鑼湾の雪園。実に七年ぶりの再会にて情報交換す。実は晩の北角雪園は既決なれど敢えてG女史の辨公室近く。名和寿司がホリデーインにて「なかせ」なる日本料理屋となっていると木曜日昼にG夫人より伝え聞く。月本裕氏来港にて夕方既に来港と宿泊先に電話するが月本氏の名前にて香港賽馬會での予約なく月本氏の裕にて受付にて問いあわせれば武豊氏にてそれは違う(笑)。それにしても武豊の宿泊を気軽に第三者に教えてしまうとはホテルも何を考えているのか。某全日空に月本氏の名前にてフライトの照会する間に月本氏より電話あり実は余が宿泊先の覚え間違っていたこと発覚。街に向うタクシーで流れるラジオにて香港電台が、行政長官董君来春の行政長官選挙に出馬表明し、それを生中継。董君支持率は最低にて信望乏しきが事実なれど97年より5年の任期にて面子も捨てた泥かぶりは見事に北京政府及び財界の忠犬としての役目果たし意気揚々5年の再任を目論み香港基本法に則る親中保守派で固めた選挙人代理選挙は完全な出来レース、シンガポールの選挙がまだ民主的に見えるほど。これが民意など反映せぬことは明白にて、否、民意を反映せさぬために構築された合法的選挙にて反論してもどうにもならずMrtin Lee氏が言うようにこの政治環境下にあっては董君以外の誰も適任者はおらず。それにしても董君、乗せられているのにまるで自分の功績といわんがばかりに乗っているのが可笑し。董君の自信ある声に車酔い甚だし。月本夫妻と宿泊先にて待合せ歌舞伎座のカレンダー頂く。Mandarin Oriental Hotelに向いChinnery Barに誘うがバーは貸切にて嫌いな最上階の某バーに行くがすでに陽も没み下品この上なくRitz Carlton Hotelのバー。夫妻と北園の雪園飯店に向いZ嬢と落合い晩餐。同じ日に雪園を梯子するは余も初めて也。晩餐はQ姐に頼み個室は嬉しいが雪園とて客足乏しく空席目立ち嘆。魚翅相変わらず美味、給仕の紹興酒から茶に替えるその絶妙なるタイミングまで全て見事。酢豚はやはり馬鹿にしてはいけなくこの店は香港一。快活谷のAlfred系のワインバー。樓上の席に案内されずこれはまた芸人でもご来店中かと思えば案の定、舒淇ご一行。月本夫妻と競馬、歌舞伎、世界情勢など多いに盛り上がる。月本氏は最近お会いしたなかで最も歓談楽しき人。月本氏と話せば勝新太郎という二十世紀でも有数の役者、そして中村屋などの素晴らしさ改めて理解す。京屋(笑)。月本氏が歌舞伎といえば大成駒の旦那の贔屓としてT君と旧知なる事を知る。世の中狭きもの也。月本氏と会えば話題尽きず深夜までワイン飲む。
十二月十二日(水)晴。数日前の信報に唯霊氏が米国の旅行雑誌の企画モノにて香港にて独り旅していたら一日24時間にて何を食すか、なる課題への答案興味深し。朝七時飲茶点心は蝦餃一籠と春巻一皿、十時のおやつは茶餐廰にて鴛鴦茶(紅茶珈琲)に厚めのバタートースト、昼は肴肉燻魚油燗笋など江南風味の小皿に潮州の花彫蒸乳龍蝦と広東の生炒糯米飯、午後のおやつは焼鵝瀬粉、皮蛋の生姜(がり)添え、晩餐は兩菜一羹で蟹肉芙蓉羹に金華ハム入りの青菜の油菜、油泡石班魚球を加飯紹興酒かワインならChardonnyで。これで終わらず夜食には小ぶりの雲呑麺では如何か、と。至極。今晩はハッピーバレーの競馬場にて週末の香港国際レースの前哨戦にて国際騎手錦標賽開催。日本からは武豊が参加。Dettori、Peslierなど豪華な顔触れがハッピーバレーに集結す。結果は対象となる3レースのうち頭關にて一番人気の魅惑小子で一着となりお得意の跳躍を披露し次關、尾關で5着に入ったDettoriが尾關レースで28倍のLomond's Fayで1着となったOliverを1ポイント上回り見事栄冠。私自身は直感の馬券をみんな購入で忘却し他選び酸敗、猛省。田代まさし君覚醒剤所持。芸能人に覚醒剤解放を。いい芝居、仕事をすることを条件に。芝居の下手、ネタのつまらない芸人はそれを罪状に禁固刑に処す芸能振興法は如何か。ついでに連日連夜徹夜繁忙続く霞が関の国家公務員にも公費で覚醒剤支給を(笑)。
十二月十一日(火)曇。芸人田代まさし君今度は北千束の自宅近隣のアパートにて1階のふろ場の窓から入浴中の男性会社員(32)をのぞき見た疑いにて現行犯逮捕される。田代君は否認するが風呂場の窓が屋外から開けられたのを不審に思った男性が外に出たところ窓の近くに田代君が立っており300米逃げて追いかけて取り押さえられては言い逃れも難しいか。シャネルズ時代の埼玉でのワンフやっちゃった事件は若気の至りとして昨年9月に駅構内にて女性のスカートの中を盗撮し寺山修司亡き後ノゾキの精神世界にこの人ありかと思いきや今度は男とは(笑)実に愉快。芸人はこうでなければ。それにしてもこれにて性関係「犯罪」前科三犯では良識社会にて復帰は絶望か。田代君かつて目黒警察署界隈に住まわれし折に売れっ子の芸人でありながら昼に夜にと目黒から恵比寿界隈をよく散歩しており恵比寿に居た余などとも幾度となく遭遇し目があえば田代君笑顔も愛想よく、今になって目的を思えばこれもまた愉快、余も田代君と趨き同じくする衆と思われたか、いずれにしてもこういった芸人の遊び心を笑って済ませられぬ世相は悲し。芸人といえば芸人の真骨頂マドンナ嬢、英ターナー賞授賞発表式にて「賞というのはくだらない」と発言し鄙猥な文句を連発、これを放映してしまったチャンネル4が謝罪。マドンナ嬢は見事。海南島に住むA夫人日本より海南島に戻る途中で香港立寄りZ嬢、A夫人知古にてZ嬢も面識あるT嬢、それにT嬢とも面識ある週刊香港K氏、K氏の誘いにて某通信社のK支局長という面子にて銅鑼灣は蘭桂道の杭州飯店。香港では珍しく麦酒の注ぎ方、コップの扱いにまで神経を使い青島麦酒の大瓶格別美味。小さな店に亭主なのか若旦那らしき青年と給仕頭の女性のみ、客も一晩で私らを含めたった4組。給仕頭の機転きき料理の出るタイミングまで絶妙。醉蟹、湯葉、笋、雲呑鷄、東坡肉それに三鮮炒麺までどれもこれも杭州らしく田舎風に多少塩辛いがしっかりとした味付け。いい店である。
十二月十日(月)晴。マカオの賭博これまで四十年に渡り賭王Stanley Ho君独占なりしものが開放され二十一の財団が三つの経営権に食指伸ばし本日が入札。結果は生誕節前後。これに係わる新聞報道読めば四十年前に賭博独占経営権をHo君が得たりし日の物語りあり。澳門の賭博事業初代賭王傳老榕と高可寧の配下にあり1961年Stanley Ho君(Sir何東の孫)が何家の財力と政治力をもってこの独占権をマカオ政庁より取得し1962年元旦をもって賭博場が移行することとなりStanley Ho君は賭博場職員に移籍を促すが61年大晦日になっても経営権移行に反対する旧勢力は継続して賭博場営業を堅持させようと両勢力の闘争が白熱化し爆弾による威嚇まで発生。大晦日午後九時旧賭王の総部であった中央酒店のカジノの職員は無所適從、賭客も恐れなして賭場につけず旧賭場職員は深夜零時の営業停止を命じられる。元旦未明に漸くそれらの職員は新しい賭場となる愛都酒店並びに新花園賭場に移動し新賭場開業、このあいだ賭場が閉まること三時間、人々は恐怖と戦慄に怯えつつ新しい年と新しい賭王を迎えたり。マカオ旧市街に老朽化せしもののいまだ存在感漂わせ立ち誇るセントラルホテルがこういう由来とは露とも知らず。24時間連日連夜の賭場が唯一閉まったのがこの1961年元旦早朝の三時間か。リウマチなどに効く非ステロイド系の薬がアルツハイマー抑える働きありと報道あり。そういわれてみれば「リウマチがひどくてねぇ」などと宣いながら病院通いを怠らなぬ老婆にかぎっていつまでもボケもせず口も達者で長生きか(笑)。週末にランニングクラブの幹事会あり場所を押さえようと体育系だからと験を担ぎ南華會の地下にある漢華だかの系列の料理屋にするかと予約に趨けば案の定客など二組、これなら週末の予約も易しいかと思えば手頃な個室あれど最低消費がHK$2,000と言われ唖然、魚翅だ鮑だならまだしも安さが取り柄の料理屋で、これはいただけず丘を下り禮頓道の台湾料理欣葉があり台湾料理なら値段も張るまいと思いきや此処は個室はなんとHK$5,000といわれ一体何を食せば台湾小菜にてこんな値段になるのか、台湾小姐つきか(笑)。個室のある店、個室のある店と悩み彷徨い蘭桂道に割烹宇津木ありダメもとで宇津木に飛び込めばご亭主居り土曜日に座敷あり最低消費などと野暮なこといわずとご厚意に甘えることとなる。普段は全く飲まぬのに一年に数回ふとコーラなど所望したくなる時あり、他のどの飲料でも叶わずコーラ、しかもダイエットコークでは妥協できずあの甘いコーラなのであるが、今晩はそれに当たる。そういえば普段は全く喰わぬ餌、マクドナルドであるが、ふと土曜日の朝、梅窩にてマクドに入りパンケーキの朝食セットなるもの喰うが百年ぶりに喰ったらやはり受け入られず。佐敦にて二更に亜龍にて鶏カレー。廟街にほど近きこの界隈にてはこの時間、亜龍の客といえば舎弟身分の若造が「かつては同い年の遊び仲間ながら自分の兄貴分のレコになっちまったナオン」連れて兄貴から「これで飯でも喰ってこい」と渡された黄色い札など見せびらかしながら、ナオンとその若い衆と二人でカレーを三皿ほど頼み煙草ふかしながらカレーをグチャグチャと箸をつけつつ平らげるでもなし、なる風景。味は格別ながら下町の薄汚れたカレー屋にてHK$40以上で商売ができるのもこうした町柄か、と思う。
十二月九日(日)雨。プラモデルの箱絵の巨匠小松崎茂氏死去。サンダーバードの箱が印象深い小松崎氏の絵は商品宣伝が目的なるプラモの箱においてやたら背景の図柄うるさく(笑)商品が箱絵の勇壮なる一大絵巻の一部と化してしまう点でかなり特異なもの。あれを許したバンダイ?かメーカーは偉い。今になりあの絵にワーグナーがよく似合うと思う。午後よりZ嬢と深セン。深センに向かう途中KCR車内にて原則として国内持ち込み禁止の香港紙に急ぎ目を通せばSouth Chinaについ数週間前までFar Eastern Economic Review誌で長く政治コラムを執筆しFrank Ching氏のコラムあり台湾の政治について述べるがおそらくこのChing氏は秦那人の中で最も冷静に台湾を眺め語ることのできる識者。香港政庁は中国から短期居留ビザで香港を訪れビザ失効しても居座る居留権なき子女に初等教育を受けさせず、その数170名に及ぶ。その多くは父親が香港人にて大陸に住まう母に生まれた子たち。香港政府の言い分は子女の教育を受ける権利も重要ながら居留権がない子女に教育を施すことは居留に関する条例の定めるところを蔑ろにすることになる、と。これに対して香港のカソリック教会が司長名にて香港内のカソリック学校にこれら子女を受入れるよう要請という美談。香港政府の主張はそれの良心的良否は別として従法上は当然の判断にてかりに特例措置とすれば居留に関しての規定など悉く廃されるもの。そもそも学校における初等教育なるものは(江戸時代の塾や寺子屋に非ず学校なるモノ)近代の国民国家建設にあたり国家が<民族>を演出するために創造した国語、国歌、国旗、戦没者記念碑などと同じ象徴にて近代国家の経営による学校は国語教育と歴史教育を用いて臣民や信徒に変わる国民産出する装置(藤田弘夫『都市の論理』やフーコーの一連の著作に述べられた通り)。学校に行かせることの深き意味はここにあり。そしてそこから弾かれた者を受入れたのが近代国家成立以前からこの世に在る教会なる装置であることも意味深し。深センに入り商業城内の某按摩。この業界四十五分を一時間と云うが習わしにて九十分の按摩の意味で二個鐘と伝え老師傳に昨日の事伝え筋肉硬直を解しつつ按摩されればどうも時間が長く感ず。ふと気づけばZ嬢と待ちあわせした時間などトウに過ぎたり。尋ねれば一時間は正味一時間のサービスと。嬉し悲しやZ嬢と待ちあわせのシャングリラホテルに雨中走る。タクシーで鳳凰路まで飛ばし老成都酒樓。深センに石を投げればサウナと四川料理屋に当たる中でもはや老舗の老成都。味は童子鷄湯が秀逸で給仕の服務態度は絶賛するべき礼儀正しさと温かさ。こういう店が真っ当なのだと感心する。脱帽。向田邦子『思い出トランプ』読む。向田邦子の小説を読むのは初めて。短編の構成の巧さはさすが向田、行間の冴えも言葉なし。ただストーリーじたいのできすぎはやはりテレビドラマ出身、テレビだとあのくらいじゃないとダメなんだろうが小説だとエログロすぎないか、と思えばZ嬢曰くほとんど兄弟姉妹に親友に絡む実話を題材に、と。合点。
十二月八日(土)雨。昨日午前に宮中にて皇太子御夫妻に御産まれあそばされた御女宮様命名の儀取り催され皇太子宮御名と御称号を御帝より賜りたり。御名は愛子、御称号は敬宮。命名の儀は宮中表御座所にて帝より宮内庁長官に名前贈り給う旨をお告げあり御名と御称号をそれぞれ大高檀紙に書かれた名記を長官が侍従長に渡す手順(朝日新聞)。その名記が宮内庁総務課長より報道関係者に披露されしがその書の拙い書きぶり、かつては書法に秀でし当世一代の書家と称される文章博士にでも書かせたるものを、今日日は宮内庁の何れが書いたものか文字の釣り合い悪く殊に「愛」と「宮」の字はいただけず。ランタオ島にて嶼行者(Phoenix Walkathon)あり早朝のフェリーにて梅窩に向う。船中にて無料にて『明報』配り、かつては「香港の朝日」(笑)と称され地下鉄などでも身嗜みのよき御仁が必ず読んでいたものが創版者金庸氏が経営を譲ってからは災難続きにてすっかり評価を下げ風前の灯、船中に積まれた朝刊を無料とて手にする客はほんの僅かにて哀れ。梅窩にてランニングクラブ友と合流。Lantau Trail全程70kmと大澳までの27.5kmあり27.5kmに参加す。開催者側の手配悪く三十分遅れ十時半に出発。出発から行程に変更あり全行の終段にあたる12区から始まり嶼南道より1区に合流す。出発より走り混雑を抜け出し先頭集団に入り二東山(747m)まで登る頃に小雨が本降りとなりSun Set Peak(869m)では北風強く最大標高934mのLantau Peakは視界不良にて悪天候に悩まされる。山頂まで登ったH夫人の応援に接す。Lantau Peak下りクラブのサポート受け4区に入り左大腿を吊り真っ青になるが足を誤魔化し誤魔化し走り姜山からは快適に飛ばすが27.5kmの終点の先7区の二澳村にて住民による他所者通行阻止が続いており行程大きく変更あり。それは知っていたもののまさか27.5kmにまで影響ある変更とは予想だにせず出発前に行程確認すら怠りそのツケが大澳手前の25km地点にて本来の行程を外れてから誤算となり行程確認に10分ほど時間をロス。大澳のゴールに午後四時半すぎに到着し悪いコンディションの中予想を一時間上回る好タイムとなる。大澳にてクラブの出迎えをうけ持参のMartell Cordon Blue舐め舐め後続待ち夜になり終点の集落南涌村にある海韻素食菜館にて宴会。素食でありながら何故か肉料理も供し羊の臓物の鍋は美味。12名にて浴びるほどビール飲み食事を楽しみ一人HK$70ほどとは驚き。昨日はタンクローリーが道路から崖に滑り落ち横転し全日通行止めの東涌道も復旧し大澳より東涌までバス、東涌より地下鉄にて帰宅す。
十二月七日(金)晴。蘋果日報にてますます誤謬冴える蔡瀾氏、今日はハヤシライスについて述べあの琥珀色は「那個褐色是從何而來?研究了半天、大概是加了醤油才呈褐色」と醤油にて色をつけたと宣われる。ハヤシライスが日本料理にて知日家の蔡瀾氏が取り上げるのは自由だがハヤシライスのソースが蔡瀾氏も知るように英国のHashed Beefの流れにある料理にて英国といえばブラウンソース(もしくはブラウンルー)、デミグラスソースにて、蔡瀾氏はそれを知らぬはずもなかろうが……このソースに日本は醤油を加えるというのか。丸善とハヤシライスのかかわりまで言及する蔡瀾氏ともあろうものが。数ヶ月前の盆栽猫の失態あり今回もメールにて教えて差し上げようかと思いきや蔡瀾氏の随筆コラムだけは筆者メールアドレス紹介されておらず、あまりの誤謬指摘ありアドレスを隠したのか(笑)。食通といわれるのにこの誤謬は誠に恥ずかしきもの。青木建設倒産。かつて香港に建設ブームあった折はあちこちに青木の看板大きく掲げられ確か香港を18年ほど前に訪れた折は尖沙咀の香港文化中心が青木建設の施工だったような記憶。MTRの空港快線香港站は青木の単独受注だったはず。中堅書籍取次の鈴木書店倒産。岩波、有斐閣、東大出版、筑摩書房に東洋経済新報などを取り次ぐ左派リベラル系にて売り上げでいえば到底扱われることの難しい社会科学系書籍を今後どうやって配給していくのか。『週刊香港』ふと眺めれば香港日本キリスト者会の広告にて「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」なるキリストの御言葉あり、ふと頁捲ればクラブあじさいのリニューアルと12周年記念の大きな広告あり、まるでキリストの御言葉がクラブあじさいのママM姉の御言葉のように聞こゆ。
十二月六日(木)曇。季嘉誠が成功の秘訣として理性(IQ)智商、情緒(EQ)智商、心霊(SQ)智商を挙げている。競馬にては大切と拝聴しておくかと思う。世田谷のT君よりメールあり成駒屋の岡本町の邸宅は大成駒の逝去後売却決定と。この御時世に梅玉、松江の兄弟では相続税考えれば相続できぬか。大成駒の道成寺や籠釣瓶で「岡本町」と掛け声がかかったのも懐かしき。今の役者では芝翫の神谷町くらいか。辰之助に紀尾井町と声をかける気にはなれず。それにしても歌舞伎の役者が邸を構えることは九代目団十郎、二代目左団次、七代目幸四郎、六代目ときて大成駒がもう最後か。かりに新之助が成田屋の十三代目として成功して何億円の豪邸といっても(ここでは松竹がそこまで払えるかという問題は別とする……汗)もはや古風な邸など無理な話。それにしても勿体なき岡本町の邸。ナショナルトラストとまではいわぬがせめて朝倉彫塑館、いわさきちひろ美術館、長谷川町子美術館のように私邸を保存し一般に公開できないものか。中村歌右衛門ぬいぐるみ博物館(笑)。大成駒の棺には「ココアちゃん」なる名前の海外公演時に必ず連れていったコアラのぬいぐるみが納められたとは今日まで知らず。もしこの邸が解体されるのならせめて跡地はカジノにでもするのが故人への贐か。再び佐敦の和味粥店にて及第粥。至極。粥をふーふーと食しながらふと思い出すは20年近く前に初めて独り香港を訪れ佐敦の今はなき富士ホテルに投宿、佐敦は廟街のあたりに「潜入」し偶然入った店が今思えば潮州系の牛南など煮る店にて出された牛の内蔵に生まれて初めての強い香草に閉口し殆ど口にできずに終わる。当時はまるで深夜の大冒険のように興奮していたのが丁度この周辺か、と。まさかこのあたりが生活圏になるとは当時思いもせず。
十二月五日(水)晴。杜學魁先生(11月29日の日記参照のこと)葬儀Hung Hom世界殯儀館にて執行われ昼すぎ赴く。広く公益活動に尽力され私立学校長も長く参列者は老若男女数多し。杜先生より七歳年上と聞くElsie Tu夫人八旬を越える御年ながら気丈夫にて十数名ほどずつ祭壇に向かい拝礼をする度に夫人は立上がりしっかりと参列者を見据えその姿に胸を打たれる思ひ。夫人とはお会いしたこともなかったが長く香港で民生運動に携わり老いてもはやアングロサクソンだの黄色だのといった範疇をこえた一人格としての風貌に杜先生も同じく人間こう老いたひものと願う。出棺まで留まる時間なく拝礼のみにて葬儀を失礼す。C氏と晩に銅鑼灣の某居酒屋。えっこれでこの値段?というくらいにcostlyながらかつては午後七時半ともなれば爆満にてこれでもかというくらいに客を詰め込み芸人並びに業界関係者多く焼物の煙モウモウにて賑わっていたものが空席目立ち不況を感じざるを得ず。C氏がHollywood RdのディスコティークPにて映画藍宇の胡軍並びに劉○来臨し盛会ありそれに赴くと言い同行、百年ぶりにP訪れチャリティにてHK$100払い胡軍並びに劉○と記念写真を撮影して収益は慈善団体に寄付という催し眺め一、二杯飲んで慣れぬディスコティークを辞す。芸人は当然のことながら人寄せパンダかシドニー動物園にて人に抱かれ写真を撮られるコアラと一緒ながら胡軍並びに劉○には芝居人らしき華あり別格と感ず。
十二月四日(火)晴。日の本の皇太子妃殿下のご出産に隠れたが週末台湾にて立法院(国会)選挙あり国民党が歴史的敗北を記し亜扁総統が与党民進党が躍進、国民党から弾き出されし前台湾省長宋楚瑜の親民党が善戦、季登輝の台聯が13議席とさすがに力を見せウルトラ保守の新党は一議席と存続も難しき状況。さっそく季登輝が動き出し群策會なる政策集団を発足させる。昨晩の発足会には亜扁総統のほか国民党から季登輝子飼いの立法院(国会)議長の王金平、元行政院長(首相)の粛萬長まで参加し、国民党は再度分裂も確実。亜扁総統は民進党、台聯にこの国民党左派を加え超党派国家安定連盟を結成か。こういった台湾の動きに香港のマスコミ言論が元『九十年代』編集長の季怡、極東経済評論のなど少数を除けば蔡瀾などの無知は論外として『信報』の林行止のような碩学すら季登輝を国民党分裂の元凶と苦言を呈する有様にて全くもって冷静に台湾を「眺め」られず。国民党分裂の原因が季登輝にあるのは当然として元凶というのは国民党の存在を前提としてそれが解体されることを不都合とする主観的な誤謬にて、そもそも国民党なるものが蒋介石の力にて台湾に存在したことじたいがすでに不自然にて蒋経国が何故に季登輝しか選べなかったのか、を冷静に考えれば季登輝を責めることはそもそも季登輝を登用せし蒋経国を責めることになり経国が蒋介石の世継ぎとあってはお話にならず。それにしても季登輝、総統を引退した日には余生を長老教会の牧師として伝導の日々を送る、など嘘八百、台湾民主之父どころか政界大物フィクサーか。季登輝に比べれば中曽根大勲位など好々爺。シャワーを浴びるばかりの生活が足腰の筋肉疲労甚だしく最近ふと風呂に凝り半身浴など始め毎日雑誌など目を通しながら小一時間入浴す。Citysuperにて津村の入浴剤など購う。入浴剤の匂いを嗅ぐと何故か思いだすのは子どもの頃に祖母の家に泊まり祖母が風呂に入れてくれた時の記憶なり。実家にては母が肌が過敏にて入浴剤など使わず道楽者だった祖母にとって日本橋生まれとあっては津村順天堂の中将湯は若い頃からのお気に入りだったはず。PageOne書店にて書斎用にロバート=メイプルソープの花をカラーでとった写真ばかりのカレンダと仕事場用に北斎の風景画のを購う。聘珍樓の甘栗。街はジングルベル、ジングルベルとクリスマスに湧き毎年のことながら何故にキリスト者でもなき者が基督の聖誕を祝うのか不思議に思いつつ、実は祝ってなどおらずただそれに便乗してハレの気分になり消費レジャーが盛んになることが不快。また余に向い笑顔でメリークリスマス!となんら疑問なく叫ぶ、あの無邪気な暴力が頂けず。ビンラディン師が潜伏している可能性があるからと空爆できてしまう、あの発想と同根か。
十二月三日(月)晴。飲食店の倒産相次ぎ今度はGold GymにTLCと大型健身ジムの倒産が続き両軒とも半年ほど前にジムを移籍する折に入会を最後まで検討したジムにて会費前払いの未還が問題となり他人事とは思えず。新同楽魚翅海鮮酒家の倒産に対して阿一鮑の富臨飯店の老板・楊貫一氏は新聞の取材に「千元の鮑は千元の価値のある鮑だから千元なのであって飲食店が不況で打撃を被っていても千元の鮑は千元から安くはせぬ」と。御意。千元の鮑が不況だからと六百元になってしまっては実はそれでも儲けのでるものを単に利益を水増しして客に喰わせていただけじゃねーかよ、バカヤロー、となるわけで、本当に高級素材を手間暇かけて調理し誠意をもって客に供しておれば景気がいい時にバブルで酔わず堅実に経営していればこの程度の不況で売り上げ落ち込みこそあれ倒産には至らぬはず。富臨飯店にあっては香港の名だたる名店ながら店構えにせよ内装にせよけして高級でもなく楊貫一氏の黄緑色のスーツなど浅草で演芸ホールに出る新人の芸人が4,800円で買ったようなもの。千元の鮑は千元なのである。そんな地道な経営に対して北京では中共の直轄の如き北京飯店が一泊US$9,000の套房(続き部屋=suiteルームにてスイートルームなる日本語は廃すべし)を総統套房Presidential Suiteならぬ皇帝套房と名づけ、いくら紫禁城に近い高級ホテル、中国の特色ある共産主義とはいえ国際歌(インターナショナル)の秦那語の歌詞には「救世主などおらず神も皇帝も糞喰らえ」と唄われると思えば共産主義を標榜する限りはこの套房は紅旗套房とするべし。さもなくば共産主義の標を捨て王政復古の上で皇帝套房を設けるべき。佐敦にて藪用済ませ二更に再び呉松街の和味粥店にて魚片粥食す、秀逸。レース後の疲労回復必要と自分に言い訳し南京街の明記にて西米紅豆沙食す、このテの甜味三晩連続なり。
十二月二日(日)晴。昨年に続き澳門国際マラソンにてハーフに出場す。気温25度にて体力消耗しつつ今季初めて2時間を切り1時間54分台。フルマラソンに参加の友人たちを待たず同じくハーフに参加のT君とホテルに戻りプールサイドでビールにて祝杯。部屋に戻りNHK衛星見れば内親王誕生のご祝賀報道続く。アナウンサーにせよ祝賀を述べる国民にせよ皇室ということにて用いるのであろう敬語の使い方に難あり。殊にアナウンサーに至ってはちょいとでも敬語に配慮足らぬ点あればすわ非難殺到を怖れる自己規制が無意識に働いたのか敬語過剰にて寧ろ言葉美しからず。それにしても住井すゑが生前語ったように対皇室敬語は文法的にも日本語の美しき用法からしても逸脱しており外国の元首からの祝電に対して「雅子様のお子様誕生を祝って英女王エリザベス二世はお祝いのメッセージを送った」など誠にもって失礼な物言い。せめてウチの朝廷を奉りつつも外にこそ礼を尽くし「お祝いのメッセージをお送りになられた」とするべきでは。皇居前にて右翼でもないのに日の丸を振り万歳する無邪気な若者たちに幸あらんことを願う。彼の豊葦原瑞穂国はこうした帝の代替わりだの皇子誕生、そして正月の節句だ春の桜だのといった何か自らには全く関係ないはずの「変わり目」にてまるで全てが変わったように錯覚し過去を清め何ら自助努力ないままに心機一転清々しき気分に陥ることと言っては言過ぎか。再びスパして午後ランニングクラブの面々とホテル内のフラミンゴにて打上げ。ホテルのマカオ風ポルトガル料理ではここが澳門の最美か。I君といえばシャンペンにてMoet二本空ける。午後遅くZ嬢と再び今度はT君も連れて杏香園。蓮子白果入り杏仁茶。大粒の蓮子白果にこれほど味があろうとは。黄昏にフェリーにて香港に戻る。
十二月一日(土)曇。昨晩の皇太子妃殿下ご出産目近ご入院報道を思えば気になることはその報道沸騰ぶりにて皇太子殿下がご誕生あそばされた1960年に当時のテレビ報道には今日の如き速報性を期待するのは無理にしても同じような熱狂ぶりがあったものか。なにか事実以上に盛り上げ国民もまたそれに応じる不可解な世相を感じ入りぬ。沖繩「北方担当相」の尾身幸次が「日本は単一民族である。日本人といえばヤマト民族である。人種と国が大体において多少の例外もありますけれど合っているという意味において日本の実情というものが実は世界の基準から見れば全くその特殊な国である。」と宣いそれを撤回し「アイヌ民族の誇りを傷つける意図は全くなかったが「単一民族」という不適切な言葉を使ったことを反省しお詫びします」と深謝。単一民族発言は中曽根大勲位筆頭に自民党には珍しくもない常識の範疇だが「日本の実情というものが実は世界の基準から見れば全くその特殊な国」と、日本は特殊でヘンであることはまさに正論。こんな奴が大臣しているだけでも特殊、何も間違っておるまいに。朝オッズを朝刊で確かめ慌てて馬券用意、マカオフェリーの波止場向い西港城隣りの場外に馬券購入に赴けば機械に馬券弾かれ続けメインレースでの一番人気潮州勇士の退出を知りフェリー出航20分前に馬券書き直し投票。Z嬢は秋田系カナダ人T君と先に待ちあわせ慌てフェリー乗船。昼前にマカオ到着し高速艇にてわずか一時間なれど澳門は晴天にて毎度のことながら波止場向いのグランプリ施設内にある伊太利料理Pizzeria Toscana。Vino VerdeはAveleda、白はQuinta de Camarate'98。ハイアットリージェンシー投宿。マカオを初めて訪れたT君は市内観光、余はZ嬢とプールサイド、好天にて泳ぐも可、藤田弘夫『都市の論理』(中公新書)読む。この『都市の論理』はふと25年ぶりに羽仁五郎『都市の論理』(勁草書房)を読みたくなりインターネットで検索して見つけた同名の書にて都市が自然発生的に生まれたものにあらず権力の産物であることを判りやすく述べる。都市型リゾートではベストであろうスパ。部屋に戻りNHKの衛星放送にて皇太子妃が内親王を出産と知る。女子にて皇室の女子誕生は清子内親王から9人目にて単純計算しても9人連続で女子誕生の確率は512分の1か。いずれにせよお世継ぎを産まねばならぬ皇太子並びに皇太子妃ご夫妻のご辛労を察す。夕方ホテルより澳門運動場まで散歩し明日のハーフマラソンの出場登録済ます。夜はZ嬢と街に出てMargaret's Cafe e Nataにて香港への持ち帰り用にエッグタルト購いヨーグルト飲む。ふと競馬の結果気になり携帯にてマカオにては無理は承知でジョッキークラブにアクセスすればちゃんと作動し、あれだけ香港でのマカオ競馬にクレームせし香港JCもちゃっかりマカオにて携帯でも馬券購入可かと知る。結果は複勝ながら6レース当てしかも6.4倍と複勝にしては高配当もあり、ほぼ何もせず濡れ手に粟で儲けた気分。旧市街まで歩き福隆新街は祥記にて雲呑麺と蝦子撈麺。蔡瀾、唯靈、劉健威といった食通が絶賛せし手製の麺は確かに硬くも柔らかくもなく而も麺に上湯がよく馴染み秀逸。これだけの店でありながら麺を茹でる亭主が気取りも気張りもなく手つきは慣れぬようにすら見え可笑しき光景。清平街の杏香園にて椰汁西米紅豆粒(ココナツミルクとタピオカ入りお汁粉、か日本語は)、Z嬢は自家製アイスクリーム入りお汁粉。この店も食材の味を活かした微妙な甘さでお見事。ホテルに戻り再度スパ。