教育基本法の改「正」に反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

農暦十二月初一。晴。せめて年末の掃除。ふだんから整理整頓好きゆゑ、いつもより念入りに掃除機かけて風呂場洗面所のお清めくらい。すでにブラウン管が不 調の初代 iMac歴史的価値ありかとずっと寝室に保管してきたが(書斎にはまだMacintosh Plusもあり、使おうと思えば現役)放出も考えたが今更オークションや中古屋でも引受け手なく粗大ゴミ扱い。ハードディスクは一応きれいにしてはあった が本体から外し別途廃棄。この iMac購入した98年だったかM君に来宅してもらい本体開けてメモリ増設などした時のことなど思い出す。今ではメモリ増設どころかメモリの容量などすら 考えもせぬ時代。この iMacがDVD仕様であればブラウン管さえどうにか直ればOS-Xでまだ遊べるのだが、わずか7年前のハードがお払い箱。母から餠が届く。昨年の暮れは 日本に戻り病院から一時帰宅した父を母と迎え父の好きな蕎麦屋に年越し蕎麦食し晩は父と酒を少し飲む。正月二日には香港に戻ったが帰り間際に父が「今度 戻ってくるときには元気になっているから」と言ったのが父と交わした最後の言葉となった。喪中でも餠くらいは、と歌舞伎座のカレンダーとともに送られる。 午後、按摩。文春新書で堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』読む。帰宅するとNHKで紅白歌合戦の放映あり。他の選択もなく(できれば放送作家で馬友の Mさん制作にかかわるPrideを見たいところだが)年越し蕎麦食しながら番組構成も進行もかなり拙い紅白を見る。みのもんた起用で話題となった司会陣も ちぐはぐ。かつての紅白なら綜合司会のアナウンサーがいて綜合司会の苦手な部分をフォローする紅白のそれぞれキャプテンがいて色物の応援という安定があっ たのに、綜合司会の「みの」が逆にキャプテンやスポットで入る応援タレントのフォローに入らないとシャベリが続かない。本来であれば独演会したい「みの」 の焦りがかなり目立つ。視聴率が欲しいのなら話題づくりはゴリエと和田アキ子のコンバートばかりか浜崎あゆみのfairylandをゴリエに唄わせてゴリ エのペコリナイトを浜崎あゆみでやるとか、ユーミンではなく、島谷ひとみ、としておいて本番で南沙織が登場する、くらいの「ハプニング」が欲しいところ。 WaTだかいう二人組のマイクが倒れるくらいの用意周到なハプニングでは話題にもならぬ。吉永さゆり、の詩の朗読。世のサユリストのおとーさんたちはこの 吉永さゆりの反戦詩朗読にどう応えられるのだろうか。
▼堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』は5年前に『文学界』に初出。のちに劇作家となる、慶應普通部4年生(15歳)の堂本少年は銀座を徘徊する不良少 年。歌舞伎好きで銀座の喫茶店(昼はフランス語の教科書を広げる少年がお茶しているような店で夜になると美少年のボーイ目当ての好事家が集う)で大蔵省を 退職したばかりの新鋭作家の三島由紀夫に遭遇するのだが、話はそこから始まるのか、と思っていたが、実際にはそのブランズウィックという松坂屋裏の喫茶店 で堂本少年は三島とは別の中年の客に見せられた『劇場』という雑誌に三島の『中村芝翫論』(芝翫は後の六代目歌右衛門)を読み、それが堂本少年が三島を意 識した最初であり、その後にこの店で三島を紹介される。ブランズウィックという名前は(三島の『禁色』では銀座のルドンとして登場する店)一風変ってはい るが(以下、富柏村の推測)Brunswickは当時まで米国で著名なる蓄音機、レコオドプレーヤーのブランド名(この会社はまたスポーツ娯楽のボウリン グ関係のメーカーでもあり)。堂本氏の話は昭和24(1949)年の話であり音楽を聴かせる喫茶店の名前としてブランズウィックとしたのだろうか。ちなみ に1961年に米国のこの会社と三井物産が合弁で日本ブランズウィックというボウリング関係の会社設立し今日に至る(こちら)。丸山明宏(のちの美輪明宏)ら10代の少年が鳩い、客は三 島など芸術関係者や政治家、大手会社の重役など上客ばかり。今で考えれば少年売買春の巣窟だが、社会から「悪所」が消えてゆくのが戦後の日本ばかりか世界 の趨勢で健全化は評価されるべきか人間をただバカにしているか。今でも危険な場所は少なからず風俗業の繁盛など「悪所」はあるように見えるが麻薬の売買が あり少女相手の援交があれば悪所に非ず。悪所はそこから芸術だの文化だのが生まれてくる土壌あり。ところで鎌倉の澁澤龍彦邸では正月には土方巽、松山俊太 郎、種村季弘、高橋睦郎、加納光於、白石かずこ、池田満寿夫、金子國義、四谷シモンら身震いするくらい錚々たるメンツが集いドンチャン騒ぎ。そこに川端康 成と林房雄のところに年始に訪れた三島が寄るのだそうな。なんて世界だろう。それともう一つ。堂本氏のように三島の「お気に」となった春日井健という当時 19歳の名古屋在住の詩人の短歌がこの回想本にいくつか紹介されているのだが
われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見たり
という詩がとても印象に残る。この春日井健の歌集『未青年』(作品社)は三島が「序」を書いていることもあり初版本(昭和35年)は古書で8万円近い。昭 和13年生まれと若いがすでに他界。春日井健についてネットで捜していたら紺宿頁という処(こちら)で平井弘という確かに「真っ 青」な詩人の短歌について春日井健のメッセージを含み紹介している。こういう世界があったのか……と。ただ、耽美。堂本氏の本の話に戻れば、三島由紀夫に 関する回顧本としては福島次郎の近ごろ珍しい発禁本『剣と寒紅』が記憶に新しいところ。だが『剣と寒紅』があまりに暴露本であることに比べれば堂本本は当 時の三島演劇のことなどについて詳しく「なるほど」。ほとんどの登場人物が実名。郡司正勝先生も三島夫人も他界したにせよ、かなり具体的に書かれている。 そのなかで唯一、堂本氏と親しい、三島とも知己の「中世文化に詳しい茶人」だけは濁したまま。ところで、一つ気になることは堂本氏の文章がちょっとどこか 文脈がおかしかったり、てにをは、が読み返さないとよくわからないところあり。一気に書き下ろしの5年前ならわかるが今回の新書で書き改めしておらず、だ ろうか。
▼偶然のことで、いぜん何かの書評で興味もち切り抜いたが、それを見失い書名すら失念の書籍が後藤繁雄『独特老人』(筑摩書房)であった。それを久が原の T君とのメールが発端で、見つける。森敦(作家)、埴谷雄高(作家)、淀川長治(映画評論家)、大野一雄(舞踏家)、細川護貞(文人)、水木しげる(漫画 家)、久野収(哲学者)、堀田善衛(作家)、多田侑史(裏千家執事)、宮川一夫(映画キャメラマン)、中村真一郎(作家)、鶴見俊輔(哲学者)といった凄 いメンツがずらり。必読。この世代までの方々は、まさに中国語の「大人(Daren)」ばかり。興味深い話をT君に聞く。
▼週刊文春で小林信彦が戦後の日本の<良かった時>というのは、とても短い、と挙げているのが
ぼくの場合は昭和20年8月15日から昭和25年6月25日まで だ。あとはずっと、はらはらしたり、いらいらしたりで、平成になっても、それは続いている。いや、今年はもはや<戦前>の空気になった。
と。前述の銀座のブランズウィックでの堂本先生の三島由紀夫との邂逅が昭和24年。まさにこの終戦直後の時代。昭和25年6月25日が何の日か、小林信彦 は敢えて書いていない。この日が何の日かわかる人はわかる、わからない人はわかりたければ調べればいいし、気にもならない人は調べなさんな、という小林信 彦の強い意思が感じられる。朝鮮戦争勃発。

十二月三十日(金)晴。昨晩はホテルの部屋を移ってからボトル四分の一ほど残っていたジャックダニエルを香港にもって帰るのも面倒と飲み干してしまい熟 睡。ラウンジで朝食。外に出るのも厭う暑さ。ホテルの屋上のプールサイドで昨日の日剰綴るなどする。その狭いプールに香港人ツアー大挙して現れる悲劇。デ カイ声、大袈裟なおふざけの準備体操、ばちゃばちゃと夢中になって泳ぐマネの子ども、静かにしなさいというはずもない親、写真撮影……は枚挙に暇まも無 し。静寂がいっきに毀される。自分たちがどれだけ他人の迷惑になっているか一向に気づかず。あまりの騒々しさに退散しようとするガイジン夫婦あれば、その デッキチェアーの横で「旺角で飲茶の席とりぢゃないんだからっ!」のスタンバイ。最悪。団体ツアーさえなければ、とエコエコアザラク、である。昼前に荷造 り済ませ退宿。荷物預けSkytrainでAsokに行きシェラトンホテルの日本人御用達のタイ料理屋Basilで昼食。二人で1,200バーツもチェンマイから戻って来た 身には割高感。インターコンチに戻り荷物受取りタクシーでバンコク空港。驚くなかれ全く渋滞なければ、で僅か20分で空港着。奇跡。キャセイパシフィック のラウンジで、11年ほどまえに暫く一緒に仕事したD君と邂逅。八年前からタイの主要空港の免税店経営する会社でバイヤーをしておりバンコク在住だそう な。当時、歴史的寒波が北米と欧州襲い極寒の紐育で一緒に仕事した時のことなど懐かしいかぎり。キャセイパシフィック712便。行きの744型機に比べる と2クラス制の772型機はかなり見劣り。香港の新聞貪り読む。キャセイのワインはアジア便しか知らぬがワインの教養なき我でも銘柄覚えてしまうくらい恐 らくここ2年は銘柄に変化がないのだが(いったいどれくらいの量を買い付けしたのか)今回はイタリアValoilicellaのMasi Costasera Amarone Classicoというかなりフルーティな赤葡萄酒が加わっており早速いただく。食事に合わせるにはちょっと難しいがチーズならいけるかも。だがバンコ ク〜香港のフライトではチーズのお時間もない。2時間余のフライトであっという間に香港着。小雨。エアポートエクスプレスで香港站。タクシーで帰宅。坐る 暇もなく一時間余かけて徹底して旅荷の片づけ。その間、原爆から60周年の広島で開催された小沢征爾指揮でのフォーレのレクイエムの演奏(こ ちら)をNHKのドキュメンタリーで見る。晩遅くゴードンのジンにアマレットを入れて飲む。自分の好きな、これもカクテル?で帰宅したな、という 気分。
▼旅行中ひとつ書きわすれていた、と今になって思い出したが松本健一の『竹内好論』と『北一輝論』の二冊の文庫本をチェンマイの古本屋に「あげるから売れ るなら売って」と置いてきた。チェンマイはぼんやりと過すガイジン旅行者多く彼らが読んでは売って、の繰り返しで古本屋が主にロイクローの通りにかなりあ る。日本語の書籍扱う店もあるのだろうが捜していられないのでロイクローの洋書屋にふらりと立ち寄り「あげるから」と言うとかなり驚かれての押し売り。二 冊がチェンマイからビルマ、ミャンマーの国境を経て雲南省に入ってゆくと中国革命を問うことになるのかしら。
▼朝日新聞の国際面にベタ記事で28日付の香港SCMP紙の報道として中国政府外交部の沈国放・次官補が外交部傘下の出版社に異動となり更迭か?という記 事あり。90年代の中国外務省の若きスポークスマン。天安門事件でイメージが地に落ちた中国政府が国際的に地位復活に躍起となった時期に記者の執拗な質問 にかなり堪能な英語で答えていた(彼以降、記者会見は中国語に変更となる)。銭元外相の秘蔵っ子で銭氏の秘書官も務め確か米国の中国大使館で公使だかにな り確か外交部の副部長まで出世していた筈。外交部の有力幹部で外務次官は確実、外交部長の有望株であったはずだが。何が災いしたのか知る由もないが気にな るところ。97年の香港返還の際に江沢民君の来港に随行し金鐘のGarden Roadが一瞬、全面通行止めになったところを江沢民君の乗ったリムジンに続きマイクロバスから香港の市街を興味深そうに眺めていた姿が印象に残る。社会 が社会ならエリート外交官更迭で外交裏話なり外務省起訴休職元主任分析官佐藤優氏さながら外交論書けばかなり面白いと思うが中国では亡命でもしない限り、 そうはいくまい。残念。
▼03年のSARS疫禍で中国国内の報道率先し北京中央の逆鱗に触れ責任者更迭された広州の南方都市報と姉妹紙である北京の新京報(南方と光明日報が共同 出資)が地方政府の役人による贈収賄や土地問題など積極的に報道続けたところ、これも中央の反感かい編集長らトップ3名が更迭。新京報の記者らそれを不服 としてストライキ、と報道あり。政府にとって不利益な報道あれば圧力かける、という中国かシンガポールの圧政ぶり。だが少なくともシンガポールは贈収賄な ど皆無で政府はまともに作用しているという自負あってのマスコミ統制だが中国の場合は全く逆。

十二月廿九日(木)耳栓はしたが予想以上の熟睡からまだ暗いうちに目覚める。午前六時にしては目覚めの遅いバンコク(香港に比べれば、鴨)。市場や近くの 朝食堂だけは活気あり。06:15にバンコク到着予定が途中少しずつ遅れ7時過ぎにバンコク站着。早朝に各地からの長距離列車多く到着しホーム混雑かバン コクから数キロ手前のjunctionで順番待ち。いくつかの列車眺めながら鴬谷から上野に入るような光景だ、とぼんやり眺めていれば「B寝台」「回送」 とあり「あれ?」と思えば日本国有鉄道の往年のブルトレのB寝台客車が現役で活躍。往年の鉄道少年にとっては垂涎の的。タクシーでインターコンチネンタル ホテル。朝七時すぎのチェックインでせめてジムのサウナだけでも使えれば、と思ったがクラブラウンジのスタッフに「できれば」とお願いしておいたが部屋が 空いており幸運にも更に広めの角部屋に通される。天 気もよくホテル屋上のプールサイドに寛ぎ読書。昼前にサウナ。昼に「そういえばバンコクにこれだけ来ていて王宮もプラケオ寺院の翡翠仏も参観したことがな い」「一度くらい行ってもいいか」という話となりSkytrainでチャオプラヤ川岸まで行き水上バスで王宮近くまで北上。波止場近くの市場で昼飯を済ま せプラケオ寺院。翡翠仏参拝。王宮。かなり外装の修復中。国王が誕生日にタクシン首相を叱った誕生日演説で国王がお坐りあそばした玉座が「あ、ここだ」と 拝見。この国の王室崇拝は勿論、先帝や現国王への国民の信望でありタイ仏教での王室の役割などあろうが、何よりも現王朝(チャクリー王朝)の歴史が220 余年と浅く北部タイのラーンナー王国を併合したのは1894年であり、その日の浅さが徹底した王室崇拝=国家の威信を求めるのだろう。王宮から官庁街を抜 けスタット寺院に向かい散歩。途 中のバムルンムアン街には仏具屋並び一瞬、タイ仏教のあのオレンジ色や麻黄色の布の法衣を買おうか、と思ったのだが「いつ羽織る?」という単純な問題もあ り諦めたが(ただの布、と思っていたが一式揃えると質の高い布だと450バーツもする)僧が使う腰巻きと腰紐、それに小さい和尚袋を購入。僧が用いる毛糸 編みの帽子や手袋などの防寒具セットもあり。この暑さでいつ何処で使うのかしら。スタット寺院参拝。夕方のラッシュ始まる。バンコクの都市交通で唯一乗っ たことない運河の乗合水上バスに乗って帰ろうということになりスタット寺から古い街並を散歩してパンファー橋。ホテルの近くまで4kmほどの乗船。確かに ラッシュもないし「高速」だが高速であるぶん運河の水のはね返り、とくに水上バスのすれ違いの時はひどいもので、それを除けるビニールシートで風景も眺め られず。運賃を徴収の乗員は歩く隙間もなく船の縁を猿のように上手に渡り歩く。運河に幾條もかかる橋はかなり低く、そこを潜るたびに水上バスの屋根も下が る不思議なつくり。運河とはいえ悪臭はふしぎとないが運河沿いの家々(しかも川沿いにはバラック多し)からの汚水が流れ込むわけで、その運河を少なからず 観光客が喜んで水上バスで水しぶきを浴びながら遊ぶのだから不思議。バ ンコクだからの観光?か。ホテルに戻りサウナに寛ぐ。晩飯に、劉健威氏が讃めていた「地場のタイ料理屋」に行こう、とシーロム。シーロムの繁華街を西に歩 くと印度系の商店多し。タイ仏教の寺院に慣れた目に異彩放つのはヒンズー教のマハーウマデヴィ寺院。この寺院の角を曲がったパン通りにTaling Plingというタイ料理屋あり。劉氏の書いたものによ れば劉氏が懇意にした香港のマンダリンオリエンタルの飲食部門のマネージャー氏がバンコクのオリエンタルホテル勤務となり前回、劉氏がオリエンタルホテル 訪れこのマネージャー氏にバンコクの地場のレストランでは何処がお勧めか、と尋ねたら教えられたのがこのTaling Plingで劉氏も絶賛。確かに美味。オクラのカレーは強烈に辛いが美味。劉氏によれば客の9割は地元客だというが今回は半数くらい外国人。しかも「地 場」というには青山か麻布にでもありそうな今風のセンスの店。美味いし繁盛はいいが欠点は「黒服の不在」。どうにもトーシロー然とした若い給仕が「ちょっ とそうじゃなくて」と指導いれたくなるような慣れぬ接待。それを誰もsuperviseできぬ。慌ただしくビールも一人にだけ注いでもう一人に忘れるよう な様。不思議なのは一軒家の食肆だが厨房が二階にあり。それを一階に運ぶだけでも面倒なのに繁盛しているから尚更。タイの民家は水害恐れ厨房は二階に、と いうが、ここは「まさか」だろう。帳場も二階にあるから仕切りの悪さは並大抵でない。料理が美味いだけに残念。タイでは珍しく「ありがとうございました」 と笑顔で送られることもなし(なにせ客が席を立つのすら気づかぬほど慌ただしい)。シーロムをぶらぶらと散歩してホテルに戻る。伊勢丹のあるワールドスク エア?だったか巨大ショッピングセンターの広場に年末のカウントダウン目当てのビアフェスタ開催。朝日、シンハー、ハイネケン、チャンとタイでお馴染の ビール会社がそれぞれ数百席規模のビアガーデン設える。それはいいがホテルの部屋に戻るとちょうどビアフェスタに面しており32階でありながらビアフェス タ会場のロックバンドの演奏が大音響。NHKの「今年の出来事」のような番組見ていたが(来年はみんなが幸せになれるといいですね、とそりゃそうだが昭和 5年も昭和12年もそう願って、の不幸せ。幸せに、と願うだけでは世の中は幸せにはならないのだろう)ビアフェスタのロック演奏は終わる気配なし。ホテル のフロントに問い合わせると午前1時まで、と。ということは2時くらいまでは覚悟すべきか。これぢゃ眠れない、と思ったら「別なお部屋がご用意できます が」で午前12時に35階のビアフェスタと反対側の部屋に避難。午前7時すぎのチェックインでナイスな角部屋を宛てがわれた、と喜んだがこういうことだっ た、ちょっと残念。
▼Stiglitz教授の“Globalization and its discontents”にも関わる話だが先日のWTO会議の際にふと感じたことを英国のT君に「世界には人に十分な果物があるのかしら?」とメールすれ ば
I agree with your comments on the WTO but, as we all know, the world is capable of producing fruits for all. It's just that the will and desire for an equitable system is not strong enough. I still recall your prediction as we stood one day on Tiananmen Square underneath Mao's portrait - that one day China would be the great global power and you are clearly going to be proved correct. America will decline as it misuses power and rules selfishly. It is the new Rome.
と返事あり。1980年代初め、広州からの夜行列車で偶然に遭遇したT君と北京に一週間ほど遊んだ日々。T君がシベリア鉄道でモスクワに向かうのに当時の ソ連大使館に査証申請に行った帰り、一人の日本人の青年と一緒に戻ってきた。その青年はウォークマンの音楽に合わせブルース=スプリングスティーンの当時 流行った“Born in the USA”を査証部で唄っていたそうで、本人は耳栓していたので自分がソ連大使館の中でこの曲を大声で唄っていたとは自分で知らなかったそうな。毎日のよう に天安門広場をバスで通りながら、いつか米国を凌ぎ中国の覇権の時代がやってくるのだろうか、などと経済開放始まったばかりの中国でT君と語った日々。

十二月廿八日(水)雲一つなき快晴。朝寝貪る、といっても七時すぎには起床。昨晩は睡魔に襲われ日剰も綴らずに寝てしまひ記憶のままに綴る。旧市街を全く 歩いておらずにチェンマイを去る日となり午前中、旧市街をふらふらと歩く。銀 のピアスや麻のハンチング帽など購ふ。日曜なら歩行者天国になるラーチャダムヌーン通りを歩いていると閑静とした屋敷あり何処かと思えばTamarind Hotelで次回はぜひ泊りたし。Wat Phra Singの寺院参拝。寺内に男子中学あり普通の学生と僧衣の学生が一緒に学ぶが修業中でも昼休みにアイスクリームなど頬張りも可とは。三人の王の像。散歩 しながらホテルまで戻り荷造りしてチェックアウト。荷物預けトゥクトゥクで市東北のファーハーム通り。チェンマイ名物のカオソーイ食そうと老舗のカオソーイラムドゥアン。チャルーンラート通りまで南に下り骨董品屋な ど何軒か冷やかし山岳少数民族とのフェアトレード看板にするドイチャーン珈琲でエスプレッソ。ピン川を渡りウローロット市場。チェンマイの胃袋。ホ テルまでさらに散歩して夕方、ホテルから荷物もって「乗れるの?」という感じだがトゥクトゥクでチェンマイ站。往路が三両編成の列車がトラウマになってお り恐る恐る16時45分発のバンコク行き特急14号は11両編成にひとまず安堵。食堂車もあり。車中1泊14時間の夜行は奮発して1,253バーツ (3,700円)出して一等寝台はコンパートメントで1996年の韓国「現代」製の二人用個室で想像よかずっと快適。乗車券、特急料金に個室寝台料金まで 含んで、で1,253バーツはお値打ち。ソファで夜になるとソファ背凭れを上げると二段ベッドとなる仕組み。二等寝台は一瞬、昔の国鉄の「はやぶさ」や 「はくつる」など電車寝台特急に似た客席配置だが両側二人対面掛けで夜は二段寝台であるから、これもけっこう快適だろう。通 路左右の梯子が目立つのは荷物置き場もある優れ物。食堂車は六卓。写真はちなみに左から機関車後部にある乗員用寝台、一等車個室3葉、二等寝台、食堂車、 食堂車厨房、夕食、寝台の順。一等車には給仕が夕食の注文を聞きに来て個室まで料理運ぶサービスあり。当然、タイ料理でトムヤンガイ、カレーと肉料理にご 飯と果物がつ いて150バーツは列車値段。一等車は先頭車一両のみで二等からの乗客は一等車の車掌(列車長)が厳しくチェックして一等車両に入れず。夕陽浴びる刈り田 に牛や山羊が遊ぶ光景が続く。個室で夕食済ませ日剰綴りバンコクから持参の半分ほど残ったジャックダニエルに酔いJoseph Stiglitz教授の“Globalization and its discontents”(ペリカン刊)を少し読み寝台に臥せる。何年ぶりかの夜汽車。三年前に北京から香港まで乗って以来だろうか。

十二月廿七日(火)昨日の雨空が嘘のように晴れ渡る。朝イチNHKのニュースで「JETROによると海外投資は反日問題が影響して対中投資は減」とあり 「えっ?」と思ったら印度、越南へが伸び対中国投資は7%減、で理由として対中投資はある程度出揃った上、賃金上昇やリスク分散で投資が他にまわったもの で反日感情などの環境のなかで……と反日問題は直接要因でなし。それがなぜ報道の見出しに来るのか常軌を逸している。こういった環境が反日感情を「我が国 民の意識内に」現実化する怖さ。報道の中立などと言いながら結局、煽っている。朝8時に(日本時間10時)母に頼まれていた芝居の切符を今日が発売日なの でインターネットで購入しようとホテルのロビーでワイヤレスLANでつないでいたらZ嬢がエコツアーのスタッフから呼び出しの電話が入っている、と。8時 半ピックアップと昨日聞いていたがお迎えのスタッフは8時が正しかったらしい。まだ用意できていない、と20分後にしてもらい慌てて出発の用意。バン自動 車でいくつかのホテルまわり静岡のOさんという若いお坊さんも参加(あとで聞いたら余を「同業者?」と思ったそうな)市内の集合場所で他のバンと待ち合せ 一台にまとめられた総勢10名(タイ4、日本3、シンガポール2、米国アラスカ1)で一路、タイの最高峰Doi Inthanon(インサノン山、標高2,595m)を目指し国道108号線をチェンマイから西南に下り一時間ほど走りインサノン国立公園に向かう 1009号線に入る。自然公園の検問所を越えてMae Klangの滝を見学。少 しは歩くのか、と思っていたがどうも観光名所まで自動車で行って見学して亦た自動車で移動、らしい。エコツアーというのは「足跡以外何も遺さない、写真以 外何もとらない、時間以外何も潰さない」で自然とそこに住む人々の生活を壊さない、最低限度の妥協での旅行、だそうで主旨には同意するが1泊、2泊といっ たツアーなら実際に歩いて山岳の少数民族の集落に泊って、だが日帰りツアーとなると一般の周遊コースとあまり違わないらしい。せいぜい土産物屋に寄ったり 少数民族のショー見物がないだけ助かるが。で国立公園内の道路をずっと登っていくと標高2,000mを越えたあたりから高い山肌に巨大なパゴタ(仏舎利塔 のようなもの)が見え何かと思えば連れてゆかれ2基のパゴタは1つが国王のため、もう片方が国王妃をイメージして建てられたもの、だそうな。それぞれ 1980、90年代に国王と国王妃の還暦の祝いにタイ軍が兵力を捧げ建立したそうだ。当時、クーデターが頻繁のタイ国軍と不安定な政治状況のなかで軍にし てみれば王室に忠誠誓う意味で、それに越南や柬埔寨の政局安定でタイの軍事予算も削減されるであろうから予算削減回避の意味もあり、人力と資金提供でこの パゴタ建設した、と見て間違いなかろう。タイ最高峰の山に国王、国王妃両陛下のパゴタであるから当然、参観者多し。気温は摂氏15度とタイ人にとっては寒 さの極み。毛糸の帽子、マフラー、防寒具に手袋と重装備。その横をタンクトップやTシャツ1枚のガイジンが歩いている奇妙な光景。ここからインサノン山の 頂上へ向かう。結局、ずっと自動車で到着してしまった。リュックまで買って飲み水まで用意してきたのに頂上には売店や公衆電話まであり。携帯も通じる。気温は摂氏11度。快晴で寒波 もないと思えばタイでは寒い。タイ最高峰だけれども山頂のマイルストーンの周囲も熱帯樹林に覆われ、とても海抜2,500m級の山頂とは思えず。整備され た国道下り道ッ端の簡素な小屋のドライブインで昼食。タイ東北部の産業振興を願われた国王の発意で作られた国立の農業試験研究所に寄りバラ園など見学。滝 をもう一つ見物。最後はこの地域に住むカレン族の集落に立ち寄り。タイ国内には20数万人のカレン族が暮すそうで、この集落は60数名。集落の中央にキリ スト教の教会あり。カレン族の多くが19世紀からキリスト教に改宗しているのは中国でも雲南省などいわゆる「辺境の少数民族」の間でキリスト教が盛んなの と一緒。当時の欧米のキリスト教派は進んで山岳の少数民族の改宗に成功している。雲一つないきれいな空、西に傾いた太陽がチェンマイに戻る国道沿いの建物 に鮮やかに映えるなかチェンマイ市内に戻る。順番にホテルに送られる。晩に草木染めのマフラーなど、それに著名な陶芸家の陶器皿も購入。「もう一度食べて もいい」と昨晩と同じThe Wokに食す。秀 逸。飲み物はなぜか最初に「ジントニック」があり次に麦酒各種、でソフトドリンクが並ぶ。なぜジントニックだけが別扱いの唯一のスピリッツ系なのか、不思 議。で注文してみる。ライムも香ばしく実に美味いジントニック。路上のかなり繁盛するバナナロティ頬張りホテルに戻る。
▼NHKのテレビで海外渡航情報。今日は、いきなりバンコク。12月にはいり内務省などバンコクの政府省庁の近くで爆発事件があり(日本の)外務省は注意 を呼びかけています、と。すわ大事、と驚くが(笑)バンコクの警察発表では怪我人もなく「テロの可能性はない」そう(まぁタクシン強硬政権に対する嫌がら せ、か)だが海外渡航安全情報は旅行者に対して「ディスコやパブなど人が多く集まる場所には近寄らないように」で「タクシーやバス、スカイトレインの利用 時間も短く」と。危ない、というのなら人が多く集まる空港の利用、飛行機の利用時間も短く(笑)と提案でもしてみればいい。どうしても安全情報を流したい なら「タクシンの首相官邸や内務省などタクシン系が横暴振るう政府機関には近づかないようにしましょう」とでもすればいいのに。で判で押したように最後に は「現地の最新の関連情報に注意してください」だ。「欧州では日本人を狙った置き引きが多発しています」もジャルパックが始まり北杜夫の旅行記やサトウサ ンペイの紀行マンガが人気あった昔から何も変わっておらぬ。無駄な情報。「海外ではちょっとした心の隙が取り返しのつかないことを招きかねません」と番組 を〆るのだから、これは実は海外の危険情報を流しつつ「日本が安全」というプロパガンダ放送なのではないか?と思う。寧ろ海外の視聴者向けなら「日本安全 情報」を流して「最近、都心の渋谷や六本木ではゲームパブと称した違法カジノ店が増えています」とか「茨城県では養鶏場で鳥インフルエンザの感染が……」 と海外から日本に帰る旅行者に日本の情報を教えてくれるほうがよっぽど有益のはず。
▼歌舞伎座からのメルマガを受け取ったが、正月の番付どうよ?、と。同感。奥州安達原が正月の演目。やはり正月は助六とか暫、曽我物など絢爛豪華でおめで たい演目が見たいところ。「伝統芸能チャンネル」のほうが1月は吉右衛門の「勧進帳」、勘三郎襲名狂言の「京鹿子娘道成寺」、玉三郎の幻想美に溢れた「鷺 娘」、仁左衛門が舞い狂う「保名」など(大和屋の「幻想美」はまだしも松島屋の保名の「舞い狂う」はもう少し表現の仕方もあろうが……笑)と新春らしい。

十二月廿六日(月)小雨。雨が降るに遭遇は何カ月ぶりだろう。ホテルで朝食の最中にZ嬢とどうせ此処まで来たのだからタイの象の保護センターと先月だか新 聞で読んだFriends of The Asian Elephantが経営する象の病院を見学しようか、という話となる。旅先でほとんど観光せぬのに動物園だけはいつも必ず行く場所でチェンマイもパンダの いる動物園があるがチェンマイの場合、Mae Saという処にある民営のエレファントキャンプなのだろうが、そこはあまりに観光化しているだろうから、どうせなら、その国立の方の象の施設を見学しよ う、となったのだが調べてみれば場所はチェンマイから南に7、80km離れたLampungという処で昨晩、列車で通ったが二 時間近くかかった記憶あり。チェンマイ市街から、しかもホテルから歩いて10分くらいのバスターミナルから30分に1本でLampungまで2時間かけて のバスが出ているようで慌ててバスターミナル(といっても切符売りと売店のテントがあるだけだが)に向かい9時半のバスでLampungに向かう。幸いな ことに、この象施設はバンコク〜チェンマイを結ぶ高速道路に接しておりLampungの市街より30分ほどの距離手前となる。チェンマイの南20kmくら いにある古都Lamphun(ややこしいが此処はランパーンプーンで、バスの目的地はランパーン)を経由したオンボロバスは90分余でタイ国立象保護セン ターに到着。高速道路に面した駐車場から園内の巡回バスで施設に向かい11時から始まった象のショーを見物。驚くほど芸達者。愛嬌あり。象使いの中には海 外からの訓練生もあり。ショーにも加わっているのは日本人の女性3人。15年前は香港フリークでアラン=タムのファンだった、という感じの世代、鴨。せっ かくだから、と 園内のジャングルを散歩するElephant Ride、乗象?を30分の体験。園内は欧米人を中心に4、50人くらい参観者がいるだろうか。だが広大な敷地なのでとても静か。お昼に園内のビュッフェ で象肉のカレー(嘘、本当は鶏肉)。昼 すぎに象の水浴びを見てからNGOによる経営の園内にある象の病院へ。ミャンマーとの国境で地雷を踏んで片足を無くした象の介護募金で世界に有名になった 施設。かなり衰弱した象二匹と後ろ足に膿が垂れるのも生々しい巨大な腫瘍できた象や爪の化膿した象など収容され治療を受けている。高速道路まで戻り高速道 路を渡って(高速道路だが人が歩いていたり自転車が走っていたりする)チェンマイ行きのバスの通過を待つと丁度、バンコクからチェンマイに向かう長距離バ スが通りかかり(バンコクやチェンマイくらいの行き先ならタイ語も読めた)乗車。Babylon by Busというくらいファンキーな内装のオンボロ二階建バス。バンコクからは11時間くらいでチェンマイに向かうのだから列車よりは多少、早い。チェンマイ まで一人50バーツ(150円)で70km走るのだからご機嫌。このバスはLamphunに立ち寄りなしなので1時間余でチェンマイ市街の東北、 Arcadeと呼ばれる長距離バスターミナルに到着。小 雨のなかトゥクトゥク(三輪バイク)で市街に戻りバックパッカー相手の安宿など多いRatchaphakhinai RdにあるPoohなるエコツアーの代理店にて明日の1日トレッキングの参加手配。自画自賛になるが初めて訪れた町でも方向感覚の良さと土地勘だけはかな り抜群、地図をしばらく眺めておれば大方は頭に入り実際に歩いても迷わなければ自動車に乗っていても頭の中の地図上を車が走ってゆくような感覚で「あとホ テルまでどれくらい?」と言われると1.5kmくらいで二つ目の交差点を左にまがってすぐ、とか答えられる。Loi Kroh Rdを歩いてホテルに戻るが、噂には聞いていたが、途中、観光客相手の土産物屋やパブなどの多さに驚くばかり。どうしてチェンマイがこれほどの観光都市に なったのか。古都ではあるが年間数百万人を招くほどの史跡があるでもなく気候もいいがタイの山岳地帯はけしてリゾートいうほど易しくもない。ラスタ系の店 も少なからずゴールデントライアングルにももう近いのだなぁ、とあらためて思う。なぜかボブ=マーレイ関係のラスタ系のアウトドア屋(よくわからないコン セプトだが)で明日のトレッキングに行くのに小さめのリュック購入。ホテルに戻り日暮れまで一休み。観光客相手の夜市など小一時間冷やかしながら散歩。セ ンスのおそろしくいい雑貨屋や飾り物屋多し。それにしてもどの店の店主も売り子も英語の堪能なこと。観光業であるから当然といえば当然だがアジアでこれく らい英語が通じれば旅行者も気軽だろう。店先で風船で遊んでいた小学生の男の子二人が客が入るなり風船をさっと隠して「この帽子の素材はシルクで150 バーツですよ」と本当にシルク?のラスタ帽を見せる。ぐるりと回ってから旧市街にちょっと入ったところにあるRachamanka RdにあるThe Wokというタイ料理屋で晩飯。『地球の歩き方』にも紹介され ているが旅行者相手のタイ料理教室開いたオーナーが開いたタイ料理屋。お世辞抜きに今まで食したタイ料理のなかで豪華なのはいくらでもあるが素材がここま で吟味され素材の味が活かされたタイ料理は始めて。明晩もう一度来てもいいくらい美味。客はほとんど欧州人。チェンマイで不思議なのは米国人をあまり見か けない。隣の卓ではチェンマイか何処か旅先で知りあいになった欧州人同士が英語を媒介語に「ちゃんちきおけさ」っぽく旅談義で食事している。散歩しながら ホテルに戻る。テレビではどのチャンネルも繰り返して昨年のこの日のインド洋大津波の追悼。惨禍の映像を何度も何度も繰り返しの見せられるのはとても嫌 い。

十二月廿五日(日)晴。昨晩は深夜12時に市街から歓声あがり花火のような音。仏教徒がクリスマス祝うのも自由だがクリスマスにカウントダウンなどもある のだ ろうか。花火はイエス=キリストの生誕の祝賀か。とにかくただただ商業主義。朝五時半にモーニングコール頼めば五時にまず予告あり五時半にコールあり五分 後に珈琲届く周到さ。荷造りして六時半からラウンジで朝食。日曜朝で渋滞にも遭わずタクシーでHualamphong站。コンコース正面に鉄道警官が並び 何事かと思えば午前八時の国歌演奏で乗降客も直立不動。午前八時半発のチェンマイ行き特急9号に乗車。首都バンコクからタイ第二の都市、東北のチェンマイ まで700kmを11時間余で結ぶ列車であるから十数両編成の食堂車つきの列車をば想像したらホームには三両編成のディーゼル車。あれ?って感じ。こ れに11時間も乗っているの?である。世界の趨勢か長距離移動は飛行機と高速バスにおされ鉄道は斜陽の極み。700kmを11時間余でつまり時速60km くらいで進む。食堂車もないので食事は站で停車時間に買うのか?と思ったら、さっそくパンケーキの軽食が朝食で供される。バンコクを出てアユタヤ、ロップ リーの古都をすぎると単線。列車の運行は少ないので停車場でのすれ違いは少ない。むしろ優等列車であるから先発の列車を何本か抜かす。昼前に平坦な土地に 小高い丘がいくつも現れ始める。簡素だがタイ料理らしい昼飯も供される。列車はかなりの勾配を上り始める。列車の両側は山、山、山。ここをよく機関車に連 結されたわけでもない車体の下にディーゼルエンジンをつけた列車が走るもの、と感心。車 体は韓国の大宇製。製造年はわからず。山歩きしていて、この鉄道線路に出くわしたら間違いなく廃線の線路跡、と思うだろう。ここを列車が来たら宮沢賢治か 宮崎駿の世界のよう。それくらい「粗末な」単線の線路がバンコクとチェンマイを結んでいるとは……。新聞の切り抜き、文藝春秋12月号、ずっと半分程読み 残していた松本健一の『竹内好論』(岩波現代文庫)と講談社学術文庫の『北一輝論』読了。それにけっこうの昼寝。飛行機なら一時間余のフライトじゃ新聞も 読み終わらぬ。だから列車の旅はいい。夕食も供されるのかしら、と思っていたら日暮れ前にパンケーキと珈琲。これで最後らしい。19:45分着が一時間ち かく遅れ午後八時半すぎにチェンマイ着。タクシーがほとんど存在しないチェンマイゆゑフィリピンのジープニーに似たソンテウで市の繁華街にある Duangtawan Hotelに投宿。急いで荷物片づけ観光客の多い繁華街に出るとばったり、97年頃に香港に住んでいたO氏家族に遭遇。8 月にはバンコクでやはり同じ頃に香港にいた現在は八王子在住の独逸人H氏夫妻に遭遇している。偶然とはいえ驚くばかり。アヌサン市場のフードコートで簡単 に遅い夕食。こんな内陸なのに「海鮮」を売り物にする料理屋が多いのって何だろう。ホテルの部屋は一部の階だけワイヤレスLANの架設済んだそうだがロ ビーはワイヤレスLANあります、でそこでネット接続。
▼23日の信報、林行止専欄で林氏が11月に福岡で大相撲九州場所見物の話あり。林氏の相撲好きは五月にこの専欄で勝敗の星数について経済学者らしい統計 学で見事な分析を見せていたが(確かこの日剰でも紹介)今回の文章で驚いたのは林氏ともあろう人が相撲の起源は「我国古已有之!」と我が国=中国にあり、 と誇らしげ。長安の客雀荘の戦国時代の古墳墓からの出土品や敦煌290窟の壁画にも相撲の絵図があるそうな。そりゃそうであろう。相撲はモンゴルだの大陸 の大草原が発祥のはず。それが日本に伝わっているのだから中国の古来の絵にモンゴル相撲が描かれておらぬほうが不思議。それがなぜ「我が国」と林氏ともあ ろう人が偏狭なナショナリズムに陥るのか。悲しいかぎり。
▼『問題な日本語』の著者で辞書『明鏡国語辞典』の編者である北原保雄氏が文藝春秋12月号に日本語の言葉の乱れについて書いている。一つ気になったのは 「〜させていただきます」は相手の許容のもとに自分が何らかの行為をする場合の表現で結婚式の招待状が届いた時に「出席させていただきます」と返事するの はいいが伝統芸能の世界にいる人が名跡の継承を発表する記者会見で「襲名させていただきます」と話すのはおかしい、と指摘している。なにも先代やファンが 命令して襲名したわけぢゃないのだから「させる」を使うのは間違っている、と。確かにそう思えなくもないが歌舞伎でいえば「襲名させていただきます」は松 竹の永山武臣会長のお力添えとご許可を得て、であるから意味に間違いはない。役者の襲名披露でもっとも醜いと思うのは口上で役者が「永山会長はじめ皆々様 の……」と礼を述べることだと思う。役者が舞台上から客席に向かって芝居の胴元に向かって礼を述べるという破廉恥ぶり。
▼同じ文藝春秋に湯澤貞という靖国神社宮司だった人が「総理、靖国参拝は正々堂々と」という一文を寄せている。書いていることなど読まずにわかろう気もす るがいくつか印象深い記述あり。まずは非礼なる参拝で済ませた中曽根大勲位への苦言。そして靖国参拝というと815の終戦記念日ばかり話題になるが、この 日は神道(つまり国家神道)も祭礼に何もない日であり靖国神社も戦没者の慰霊は春と秋の例大祭が主。であるから首相も本来であれば終戦記念日ではなく例大 祭に参拝すべき、と。そこまでは「そういうものか」だがこの前宮司は8月15日について「八月十五日は「終戦記念日」とされてますが、正しくは天皇陛下が 「交戦停止を命じられた日」であります。そんな悲しい日にお参りしていただきたいとは神社は考えておりません」ときっぱり。この一言に靖国の体質が明確に 表れていよう。日本は戦争に負けたのではなく(相手が侵略してきて宮城を選挙し米国旗でも立てれば敗戦だったのかもしれない)あくまで天皇が「戦争を止め ますよ」と述べただけで、つまり戦争に負けていないこと。そしてそれが悲しい日であること。それは戦争で命を失った多くの兵隊が「勝つため」に戦ったのだ から、悲しい、と。ここに矛盾あり。悲しいのは勝てなかった=負けたから、なのに。
▼もう一つ同じ文藝春秋に中曽根大勲位と森さんが自民党結党五十年で座談会で語っているのだが、中曽根大勲位が最後に改憲に触れ「立党50周年式典でいよ いよ自民党の憲法改正最終草案が示される。将来日本に静かな革命を起こし、いずれ明治憲法、昭和憲法、平成憲法と受け継がれて……」と大勲位が憲法改正を 威勢よく述べるのは当然だが(それにしても小泉三世により無礼にも引退させられたことをどう考えているのだろうか)、それに続き「五年後くらいに第三維新 を引き起こす原動力になります」と締めくくる。第三維新っていったい何だろう。考えただけでぞっとする。第三維新が起きたとしたら国籍離脱くらいしか逃げ ようはないのだろうか。南無阿弥。もしこの時代に北一輝がいたら、この事態をどう語るだろうか。で松本健一の『北一輝論』だが北一輝の生まれた佐渡で明治 三十年代に佐渡新聞と佐渡毎日新聞という二大地方紙が革新と保守で論戦を張っていたり佐渡中学で当時の欧州の最先端の政治論が語られていたり、そういう環 境から北一輝も育つのだが、今日など情報など進歩して……といっても人間の思考力や判断力という意味では百年前から進歩しているのかどうか。それにしても 松本健一の著作はどうも読むのが苦手だ。北一輝のことより松本健一という人の思考が私にはよくわからない。戦後民主主義は幻、と言い切っておいて最後に 「わたしたちは<大日本帝国>の解体をめざさねばならないであろう。それが八・一五に革命があったと錯覚した日本人の末裔に科せられた枷である。枷からい つ解き放たれるかはわかならい。囚われたまま彷徨はつづく」と述べる。大日本帝国は解体しなさい、でも戦後民主主義は幻だ、で、それぢゃ日本では真の市民 革命は具体的にどうするのか?など松本先生は語っていない、と思う。そこで竹内好などとても大切になるはずだが『竹内好論』で「戦後民主主義が民族主義と の対決を回避するのは、その進歩史観によってばかりでなく、戦後民主主義に「戦争責任の自覚」が不足しているからでもある。それが自覚されていれば、民族 主義の否定を通じて、それとの矛盾的自己同一をはたさねばならぬのに、事実はそうなっていない」としている、これあたりがその回答に近い部分なのかもしれ ないが、あくまでこれも竹内好の思考。その竹内好の文章の孫引きになるが(竹内好「中国の近代と日本の近代」より)
ヨオロッパと東洋とは、対立概念である。近代的なものと封建的なも のが対立概念であるように(中略)東洋には、本来にはヨオロッパを理解する能力がないばかりでなく、東洋を理解する能力もない。東洋を理解し、東洋を実現 したのは、ヨオロッパにおいてあるヨオロッパ的なものであった。
これは(以下、松本健一からの引用)アジアという概念がヨーロッパ=近代との対抗によって生み出されたために、それじたいとしてはアプリオリに自立しえな い事態を指摘したもので、アジアはヨーロッパに対抗する抵抗において、はじめてアジアたりうる、と、その抵抗を戦ったのが魯迅であり、その抵抗が日本には ない、と。これは竹内好に言わせれば、日本があれほど急速に近代化をなしえたのは、ヨーロッパ近代に対する抵抗がなかったこと、であり、「抵抗を放棄した 優秀さ、進歩性のゆえに、抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国が、後進的に見える」(竹内)のである、と。松本健一は「この日本から鴎外は生まれるが、魯迅 のような人間は生まれぬ。生まれぬだけでなく、かれを理解することさえできぬだろう」と言い放つ。こう言い放ってしまい救済してくれないのが松本健一らし いが。……ちなみに今日の読売新聞に内閣府の調査結果で「中国に親しみを感じる」人が調査開始以来、最低の20数%、とか記事があった。読売はそれを中国 での反日運動などが影響、としているが当然「対中感情においての小泉の効用」など読売だから言及はしない。北一輝や竹内好、さらに中江兆民でも橘撲でも岡 崎嘉平太でも、そういう先達がいた日本が今では、この無思想な短絡的な「っていうか、中国に親しみって感じないじゃないですかぁ」だ。

十二月廿四日(土)曇。昨晩、風邪の頭痛で鎮痛剤飲んだせいか熟睡。目覚ましもかけず、でゆっくりと朝七時半起床。気温は摂氏23度。「バンコクでは」薄 ら寒し。ホテルの37階のクラブラウンジで朝食。静かなラウンジで新聞ゆっくりと読みながら質の高い朝食。タイ式オムレツとご飯。珈琲もかなり美味。ゆっ くりとして朝10時にY氏におつき合いいただきZ嬢と三人でSkytrainでMo Chit站に向かえば海外からの旅行者でSkytrainも満員は週末のWeekend Market開催日のため。巨 大なアメ横。ペットショップ街から始めて結果二時間余いろいろ冷やかして歩くがもともと具体的な購入目的なきショッピングでは購入意欲起きぬ体質ゆゑほと んど食指も動かぬがサンダルウッド(白檀)のアロマエキスが300mlほどのボトルが500バーツ。香港なら勿論、一応英国の会社の一流品という触れ込み だが30ml入りの小瓶でHK$240くらいであるから300mlなら12000バーツで24分の1の値段、ということになる(品質は保障ないが)。これ だけ購入。マーケットの中にそれなりの酒場あり。一憩と立ち寄れば昼前から一人で青色のマルガリータをピッチャーで注文し!美味そうに飲む御仁あり。この 粋な酒飲みに通りがかりの西洋人が「朝食かい?」と冷やかす。「まあね」とマルガリータ氏が笑って答えれば「それじゃ俺も朝食をいただこうか」と冷やかし た御仁も酒場に座る。二人の世間話聞けばマルガリータはベルギー人で冷やかした方は豪州から。バンコクは人を大らかにするか。それに釣られ普通のフローズ ンマルガリータ一杯。熱いところでシュガーシロップなしでフローズンマルガリータ飲むのはヘミングウェイへの敬意。煙台産の張裕というシャンペンの、しか も一升瓶入りのボトルまでこの酒場にあり。SkytrainでSiamまで戻り繁華街の恐ろしい混雑に三人でNoodiesという麺のチェーン店で麺で昼飯済ませる。午後は一人で Skytrainで市街をぐるりとSaphan Taksin站まで向かい水上バスでThonburi站の波止場まで北上し渡し舟で対岸のThanor Phra Chanに渡りThammasat大学の構内を抜けて国立博物館。Siamから国立博物館までこのルートは田端から渋谷に行くのに品川経由するようなもの だがバスで渋滞の憂鬱回避。広大な博物館だがアユタヤとスコタイの仏像のみ参観。タイ式スパで按摩。極楽。早晩にAsok站でZ嬢、Y夫妻と待ち合せ歩い てO氏の営む咲乃家に食す。タイにくれば鮪のズケだがタイで 漁れるそうな烏賊も刺身で美味。O氏の手打ちの蕎麦。Y氏の唐芥子の、蕎麦やうどんにかける量は尋常でない。そこまでしなくても、というくらい真っ赤。き つねうどんが真っ赤で「赤いきつね」とはまさにこのこと。食 後SkytrainのAsok站に戻ればガード下に佇む物乞いの夫婦は毛布に寒そうにくるまる。こちらはTシャツ一枚でも寒くない。Y氏の話では「汗をか かない=寒い」なのだそうな。ホテルに戻る途中、繁華街に晩も遅く人ごみいくつかあり何かと思えばショッピングセンターやホテルの正面に巨大なクリスマス ツリー飾られ、それを楽しそうに眺め携帯で記念撮影に興じている。マクドナルドですら合掌するバンコクで日本以上に敬虔な仏教徒の祝うクリスマス。ホテル に戻り38階のスパでバンコクの夜景眺めながら風呂に入る。
▼Y氏との飛行機談義でY氏の旅客機のミニチュア収集の話題から、どちらかといえば書斎に好きな飛行機会社のファーストクラスやビジネスクラスのシート再 現するほうがまだ理解できる、という話をしたら日本では好事家になると奥さんにスチュワーデス着用のエプロンまで着せる方がいるそうで、もしかするとス チュワーデスのユニフォーム着せて飲み物や食事の提供などさせるとかなりのコスプレになるのでは?と嗤う。実際にいそうだが。
▼昨日、日本では陛下もお誕生日のお言葉は「国民とともにこの日を祝い……」と形式ばった挨拶しかできぬのでは、と書いたが、お誕生日をまえにした記者会 見での陛下のご発言は多くがサイパン慰霊訪問から軍人とともに民間人の犠牲について多く語られ「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦まで、ほとんど平和 な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めること」の大切さを説かれる。ご発言の最後は「千代田と赤坂」の確 執が噂されるなか女性皇族の役割の重要性から雅子妃の健康の回復を望まれる。

十二月廿三日(金)朝五時半起き。香港站からAirport Expressで七時半に空港。CXのラウンジにて饅頭と豆乳で朝食済ませ09:05発のCX712便にて一路、バンコク。熱はないが風邪の症状ひどく朦 朧としたまま。それでも旅にまで辿着いた、とZ嬢とシャンペンで乾杯。頼んだ記憶ないがオリエンタルベジタリアンの朝食供され豆乳と豆腐花。朝、冷蔵庫に 残っていた豆乳を少し飲んで残り捨ててから三度目の豆乳となる。わずか二時間余のフライトで新聞も読み終わらずにバンコク到着。気温は摂氏25度。クリス マスの休暇前でさすがに空港は混雑。タクシーでバンコク市内のインターコンチネンタルホテル投宿。正午。クラブのラウンジが37階の最上階になり、ずいぶ ん驚きの広さ。部屋のインターネットのブロードバンドも8月には1日480バーツだったか、が無料になっていた。荷物片づけてZ嬢と別行動で外出。 SkytrainでSala Daengまで行き香港のジムの系列店があり施設見学でサウナ一浴(東南アジア各地のジムが無料で利用可だそうな)。パッポン抜けてSurawongにあ る某旅行代理店にて航空券発券。今日伺うと伝えておけば訪れればきちんと用意されており待ち時間なしの対応はありがたい。昼を食べておらずこの旅行代理店 のあるビルの地下にあった「五右衛門」という定食屋でラーメン。40バーツ。香港ドルなら8ドルは今では雲呑麺すら食せぬ。Silomをうろうろしてホテ ル戻り。早晩にバンコク在住のY夫妻来室。免税で買ってきたMoët & Chandonを飲みながら、の歓談。「ふざけた食事」もたまにいいか、と日暮れてSkytrainでThong Loに行きColiseumというショーレストラン。タイ料理のビアガーデンで午後8時すぎからショーがあります、という食肆。アイドル風歌手の歌、コミ カルな女装でのショーが順番に続くが、どれも素人芸の粋から出ておらぬのは前座だから。午後10時すぎからは妖艶なるニューハーフとかも登場だそうだが長 い一日に疲労感あり風邪気味で前座のショータイム終わったところで退散。観光パブか、と思っていたら地元の若い客数百人?の賑わい。
▼五右衛門という店でらーめん食しながら眺めていた『バンコク週報』なる日本語紙にプミポン国王の12月8日のお誕生日の演説のうち前半が全文掲載あり。 国王がタクシン首相に対して首相批判に対峙して争わぬようお叱りをしたことで今年の説教は海外でも報道が大きかったが(タクシン首相はこの国王のお叱り受 け即刻、反タクシン派の新聞など訴えていた訴訟をすべて取り消す)全文掲載されたお言葉を読めば読むほどなんと立派な国王か、とつくづく敬服するばかり。 今日は日本は今上陛下のお誕生日だが日本なら「国民とともにこの日を祝い……」と形式ばった挨拶しかできぬのに同じ立憲君主国でもタイでは国王のお言葉は 正直言って凄い。とくに感心したのは「批判を受入れること」から立憲君主制に言及している点。プミポン国王によれば立憲君主制とは「国王は間違ったことが できない」ということと述べる。これは国民が「国王は間違ったことをしない」と言い、それに対して国王がそれに同意すること。この信託関係が立憲君主制で ある、と。なんと見事なこの言葉。国王が間違ったことをすることは、それは国王にとって死を意味する、とまで述べる。言葉もなし。英国の立憲君主制が成立 した過程も清教徒革命とチャールズ1世の処刑、そして王制に対する国民との信託関係そのもの。立派な国王を抱くことのタイの幸福。やりたい放題と議会やマ スコミに追求された時の軽口や言い逃れの勝手さはタクシンか小泉三世か、だが、小泉三世は田中外相の更迭の際に陛下に嘘までついても不問のまま、かたや国 王からお叱りを頂戴するこの差。

農暦十一月廿二日。冬至。早朝は気温摂氏10度。寒さの極み。アミノギアを天井に載せたタクシーに遭遇。味の素の製品だが日本で販売しておらず。肉 体疲労時にはかなり効果あり香港では山や走り関係ではかなり重宝。小泉首相はメールマガジンで
「改革なくして成長なし」という方針を堅持して改革を進めてきたこ とが、成果となって表れてきました。日本の社会全体に出てきた「やればできる」という気持ちをさらに力強いものにしていくように来年も努力していきたいと 思います。
と今年の総括。「やればできる」か、なるほどね。やろうと思えば批難は適当にはぐらかし軽口叩いて、で何でも出来る。早晩に冬至で帰宅急ぐ人多く早めの帰 宅ラッシュ。湾仔の上海料理、三六九飯店に芝麻湯圓を購ふ。 湾仔で少し遊び七時すぎに地下鉄に乗ればいつもなら混雑の時間に空席あるほど。こうして冬至の人に家族で団欒、食卓をば囲む、忙しい香港のこのゆとりに ほっとする。帰宅。冬至で南瓜をいただく。湯圓。疲れか熱もないのに悪寒ひどし。
▼昨日の立法会にて政府提出の政治改革案、民主派多数の反対で否決される。07年の行政長官、08年の立法議会のいずれの選挙も香港基本法では普通選挙実 施が最速可能であったが全人代常委の解釈により時期尚早として延期。これをうけ自称政治家Sir Donaldが世渡り上手の政務長官と組み選挙人枠の拡大など盛り込み選挙制度の改革をば提唱。この改革案可決には立法会にて三分の二の賛成要り民主派で も劉千石など最近「転向」と噂される中道派がこの改革案の賛成に回るのではないかと噂され事実、民主派から六名が賛成に回れば可決とSir Donaldも決議前日まで中間派の誘い込みに躍起となる。しかし「無いに等しい」内容と具体的な直接選挙実施日程の提示ないことに「中途半端な改革で 「改革が進んでいる」と見せることの目くらまし」とこの改革案を嗤う民主派は12月4日の普通選挙実施要求の10万人デモの民意も受け中間派と思われた立 法議員も反対にまわり劉千石は一人、棄権。結果、否決。Sir Donaldも行政長官就任で最初の大きな政治日程であったが政治家と自称しながらいきなり政治力の弱さ見せつける。いつもニコニコだけが取り柄の世渡り 上手の政務長官も昨日だけは否決後の記者会見では憮然たる表情。

十二月廿一日(水)快晴。Nという在港の写真家に偶然お会いする機会あり。香港では特に香港の超高層建築物の写真撮影で著名で(こちら)Norman Foster卿の設計によるHSBC総行の写真や中国銀行ビル設計のI.M. Peiの写真集など(こちら)でN氏の写真を拝見できる。名 前は知らなくても建築に多少興味ある人なら「あ、あの写真」というものばかり。そのN氏がある建物の写真撮影の依頼受けその建物撮影中に遭遇したのだが、 てっきりその建物を所有する某団体からの依頼で撮影しているものと思い込み「その、まるで政府の建築署の公務員建築士が設計したようなつまらない建物よ り、同じ某団体が所有する建物ならむこうの建物のほうがデザイン的にいいですよね」と話すとN氏はその向こうに見える建造物をご存知なかったようで「あ、 あっちのほうがずっといい」と。N氏の写真はいくつも本で見せてもらった、というとN氏恐縮して「クライアントの依頼だから仕方ないがこんな建物は写真家 としても撮りようがない」とぽろっと本音。あとでわかったのだが依頼主はてっきりそのビルの所有団体だと思っていたら、その設計した建築事務所だったそう で余計なことを言ってしまった(笑)。晩にハッピーバレー競馬場でキャセイパシフィック航空のボックス席をおさえ競馬に行きたがっていた若いN君とA嬢を 招き競馬仲間の旧友B氏を誘い四人で競馬観戦とお食事。終わってB氏とバー Y。ハイボール二杯。話上手のB氏との談義は楽しいが午前零時前にはバーを辞し帰宅。
▼建築家のフォスター卿とI.M. Peiのことを書いたので丁度いい機会なので香港の建築家の話をいぜんから書こう、書こうと思っていてと途中まで書いていた話題を一つ。そのまえに『香港 風格』という「香港でもこんな本が出版されるようになったか……」と感慨を覚えてしまふほど建築や設計など好きな文人にはたまらない本があり畏友O氏がブ ログ(こちら)でこの本のことを取 り上げ而もO氏だらかちゃんと厳迅奇といふ、香港の中環ではフォスター卿とI.M. Peiに隠れてしまふが注目していないといけない建築家のことを書いている。貴重。新しい萬宜大廈が厳迅奇の建築だと知って驚いた。萬宜大廈(旧館)は香 港の建築史に残るべき近代の高層建築であったが惜しまれるなか老朽化で取り壊され(その時にわざわざ畏友のカメラマンM氏に館内の撮影をお願いした)そう いう由緒ある建物の取り壊しのあとに建った建物など普通は味も素っ気もないか奇を衒っただけで面白みなどないのだが厳迅奇の萬宜大廈はその商業大廈として は恐ろしく効率の悪い贅沢な間取りや異様なほど没個性としたことが逆に個性的な外観側面など建築的には非常に面白い。而もビルの所有会社のセンスが光り商 業ビルにありがちなチープなテナントを一切いれず個性溢れるテナントが多いのも特徴。音響店や飛行機のミニチュア模型の専門店など。旧館には紅鑽石?だっ たか有名なレストランがあったが新しいビルには上海から小南国飯店を招き繁盛している。というわけで香港で特に中環で厳迅奇の建築は注目されるべきなのだ が、もう一人、忘れてならないのがEric Cumine(1905〜2002)なのだ。殆ど名前の知られていない英国人建築士だが彼の遺した建物が中環で先日取り壊されたフラマホテル、マカオのリ スボアホテル、Clear Water Bayの邵氏(ショウブラザース)映画撮影所行政楼……と並べたら、どうでげす、O氏なら垂涎どころか鼻血だ。Eric Cumineは上海生まれ。父親が蘇格蘭人で母親人の母との混血。父はShanghai Mercuryという当時上海で発行されていた英字紙の発行人(この新聞のことだけで本が一冊書けるだろうが)。Eric少年は15歳で英国倫敦に渡り建 築学を専攻。19歳で返滬。その若輩で不動産デベロッパーと建築会社を設立。また上海の英字紙三紙に競馬表を書き歌舞音曲にも長け……と実に見事。 1920年の上海だもの、そりゃ素敵。今日知って驚いたが「独身OL2人組☆中国不動産徒然日記」なるブログ(こちら)の記載になんと上海にはEric Cumineが設計の(おそらく建築施工まで)アールデコの高層アパートが現存……。Denis Apartmentと云い歴史的保護建築物に指定されており南京西路の一等地で気になるお値段は115万人民元(日本円で約¥ 15,600,000)とは。こりゃ「買い!」だ。1928年の竣工でEric Cumineが23歳。日本軍による上海陥落で失意の時を過すEric Cumineだが捕虜収容所に収監されていたEric Cumineは友人と一緒に一人の、両親と生き別れの少年と遭遇。その少年を保護するのだが、この少年が大人になり自伝的小説“The Empire of Sun”(スピルバーグ監督が映 画化)のJ.G. Ballardなのだ。1949年の中共による建国でEric Cumineも香港に逃げ延びる。友人・利孝和の幇助でEric Cumineは利家が所有する銅鑼湾のLee Theatre(利舞台!だ)の建物の一角に事務所を構え(もう話が出来過ぎ……)利家の銅鑼湾一帯の開発の中で建てられる新寧大廈など(ここに昭和41 年に創立の香港日本人学校が入居)や利園酒店(Lee Garden Hotel、現存せず、現在のThe Lee Garden)次々にEric Cumineが設計する。多才であるからこの時期にEric Cumineは“Hong Kong Ways and By-ways”なる歴史百科全書まで手書きの図版も含め執筆。彼の建築は多彩で銅鑼湾のモダンな新都市建築もあれば奇抜な邵氏映画撮影所行政楼もあり、 そして、あの北角の公共団地の誉れ・北角邨も彼の設計だったとは……。この才能にStanley Hoが 眼をつけ彼の一大プロジェクトであるマカオのホテルリスボアを Eric Cumineに設計託す。出来たのが「あの」カジノ城。好き嫌い、上品下品は問わず(いや、普通なげ嫌いな下品さだ)で当時、人々の間では本館が雀籠のよ うで客人は鳥籠に閉じこめられたようで風水が悪い、と悪評であったそうな。そりゃ賭場で籠の中の鳥ぢゃほんとうの鴨である。成功ばかりでもない。東洋のオ ナシスと云われた船王・包玉剛にも見込まれ九倉(Wharf)の尖沙咀でのOcean Centre一帯の開発ではEric Cumineの設計のせいで建蔽率でミスがあり百万sqfの面積の損失があった、とHK$3億の損害賠償求める訴訟を受けてたち孤軍奮闘。相手は財閥で弁 護士費用だけでも数千万ドルを費やし応戦の結果、九倉も一度は和解を提案したがEric Cumineは建築家としてのプライドで和解退け、結果、九倉側は敗訴。だが英国枢密院にまで提訴され(当時、香港の最高裁判所は枢密院)78歳の Eric Cumineは自分の建築会社の合弁人4人のうち2人が他界しもう1人も戦線離脱、往時は二百名のスタッフを有した建築事務所も裁判続く中でわずか数名の 所帯になるまで規模縮小。中風も患ったEric Cumineは81歳でついに勝訴。枢密院の上訴審は九倉側の司法秩序濫用を退けたがEric Cumine側にも一部の賠償額の支払い命じ彼が一大で創り上げた設計会社は煙消雲散となった次第。実に壮大なる一人の建築家の物語なり。
▼仙台市の中華街構想が新任市長の意向で構想取り消しになりそうな話から魯迅の仙台時代の医学ノートの話となり「魯迅の碑」について昨日綴ったが折角の機 会であるから綴っておこう。なぜ香港で我がこんなこと書くのか「きっこの日記」くらい変だが。別に民主党の代議士から情報得たわけぢゃないがGoogle で捜してもこんな話は出てないので記録のため。大正14年に寒 川恒貞の事業として仙台に設立された東洋刃物会社(沿革)の鍵となる人物は本多 光太郎(東北帝国大学附属金属材料研究所所長)。東洋刃物は東北帝大・金属研究所(金研)の当時最先端の研究成果を実用化することで「世界有数の刃物メー カー」の地位を築く。今でいう産学協同。東北大学の非鉄金属研究は東京帝大の長岡半太郎博士が明治43年に東 北帝国大学開設の際に東北の理学部転じようとしたが東大の無理な引き留めで果たせず弟子の本多光太郎が送り込まれ金研の初代所長となる。此処は設立当初か ら世界の非金属研究をリードする地位にあり。このとき金研の事務長となったのが東北大学経済学部で宇野弘蔵に学んでいた高橋剛彦。剛彦は東北大学社会科学 研究会で活動し治安維持法違反の逮捕歴もあり。研究者として身を立てるべきか悩んでいたところに塩梅よく金研の就職口を世話された模様。金研では本多の秘 書役。見込んだ本多が東洋刃物の経営に剛彦を送り込む。世が世なら仕事にもありつけぬ左翼学生だが当時の我が国には学問を基盤としたこういう自由なネット ワークあり(山口昌男氏がよく解くところだが)。その非鉄金属の東北大工学部の歴史の果てが西澤潤一大先生。でその西澤先生が左傾排除の「へんな名前でお 馴染」首都大学東京。悲しいかぎり。

十二月廿日(火)晴。寒さ続く。早晩にFCCにてバーに入るなり「抜き」のハ イボールが供される。東京の蕎麦屋で「抜き」といえば天麩羅蕎麦の蕎麦抜きで、高橋義孝先生などもそれを好んだというが、あたしゃどうもそれに食 指進まず。どうも「浅ましい」。でハイボールの「抜き」というのはウイスキーを抜いたらただのソーダ、でハイボールにならず、「氷をいれないハイボール」 を勝手に「抜き」と呼んでいるがFCCのバーテンダーに“A glass of Nuki Highball, please!”と言っても通じる筈もなくhighball with no iceだが週に何度も注文していれば自然と「いつもの」となる。でその「抜き」を一口飲んだところに院長から電話入り急患あり、と。まさか放っておくわけ に いかずハイボールを「ぐぐぐっ」と飲み干してタクシーで診療所に戻る。小一時間で応急措置済ませ予定が狂ったので、予定といってもたんにFCCでハイボー ルを飲み新聞をじっくり読み地下鉄で数独をしながら帰宅する、というだけの話だが北角に出る車あり便乗して北角の和富道は勝利小厨で馳名の海南鶏飯をば購い帰宅。鶏肉の美味い海南鶏飯はいくら でもあるがチキンストックで焚いた飯の美味さでは此処が格別。
▼昨日、アンソン陳方安生が突然の記者会見開き2012年の普通選挙実施について自称政治家Sir Donald行政長官に対して「曽司長は香港市民の世論の高まりも考慮して2012年の普選実施実現に向け中央政府に対してもっと働きかけるべきだ」と提 言。Sir Donaldを「曽司長」という呼び方が元・上司とはいえ不遜なのがいい。「内地護法」と称される、つまりは単なる御用学者の許崇徳(人民大学法学部教 授)は「満園春色關不住、一枝紅杏出牆来」と宋詩を引き合いに。春の気配は庭園に満ちあふれ、そこに押し込めておくことはできず、一枝の紅杏が壁から外に 伸びてきたよ」と。もともとは春の季節に若い人の求愛を謳っているが「一枝紅杏出牆来」は女性が貞操を守れなかったことを揶揄。すでに第一線から退いた筈 の陳女史がまた小癪にも市民の民選世論に乗じてしゃしゃり出てきて。いずれにせよ御用学者とはいへ宋詩をさっと引き合いに出すだけはさすがに文人としての 素養。
▼新華社が11世パンチェンラマのチベットはXigazeでの信者数千名集めての法要開会について報道(こ ちら続 報)。歴史的にも有名な1葉の写真か ら語るべきだが毛沢東を真ん中に左に若きダライラマ(当世)と右にパンチェンラマ(10世)。ダライラマは承知の如く印度に亡命しパンチェンラマが国内に 残り中共の親任得るが10世は89年に逝去。ダライラマがパンチェンラマ10世の後継に選んだGedhun Choekyi Nyima少年は母とともに中共に幽閉され(今日までそれが続き消息不明)中共が選んだGyancain Norbu少年 が中共公認の11世パンチェンラマとなる。この少年も今では16歳。そろそろ大々的にチベット仏教の領袖になるべく満を持して、か(御 真影)。ビートたけしの映画はあまり好きではないが『教祖誕生』だったか、あの映画を思い出す。
▼李嘉誠の息子(Richard Leeだったか、だが一生「李嘉誠の次男坊」だろう)が経営するPCCWか或いは他の傘下会社が信報をば買収画策という噂もあり。信報は林行止社主の独立 紙であり、だからこそ香港の高級紙として称賛に値するのだが、李嘉誠財閥の市場寡占で新聞マスコミは確かに不足。で信報。林行止社主は売却話などないと一 笑に付すが社主も老いれば経営の第一線から退く。かりに信報が残ったにしても林氏なきあと信報の質が維持できるかはかなり疑問。査良鏞氏が始めた明報が査氏の引退による于品海氏へ の売却移行かつて「香港の朝日」と呼ばれていた(近代以前の「社主制」という意味ではない……笑)新聞が「地に落ちた」ように林氏なきあとの信報など想像 するにも悲しい。でその信報の林行止専欄(12月19日)で反WTOの総括が見事。要旨をば綴っておけば以下の通り。小規模農家は遅かれ早かれ「時代の巨 輪」に淘汰される悲しき宿命。(その農民らの抗議活動もかなりの巧妙さ発揮したが)香港警察も暴動鎮圧のためにどれだけの人力、組織力と技術的、資材的な 規模を誇るか、を実質的お披露目。韓国人のデモに比べ香港市民のデモなど甘いという指摘もあるが(陶傑氏ら)香港は香港らしい平和デモを堅持すべき。今回 のWTO会議開催で香港に会議出席者とマスコミだけで2万人が訪れHK$1億を落としたが会議開催の経費はHK$3億。会計的には大損。こういった国際会 議の開催できるノウハウの宣伝くらいがメリット。WTO閣僚会議は99年のシアトルから何れの国も主催など逃げたが香港は03年に董建華が成績上げるため 立候補して他候補地も出ないままの開催権獲得。次回の開催地は全く白紙。韓国の農業に眼を向ければ米国の農民の割合が全人口比で2%以下、日本が5%なの に対して韓国は7%と高い。農産品輸入に高い関税かけることで日韓の農業補填は60%に至る(つまり農民が100ドルの収入得る時そのHK$60が政府補 助金であること)。素直な経済の理論なら関税など撤廃され安い商品が市場に回ることが理想的はあはずだが日韓の場合なぜ政府が貿易障壁の解体に動かない か。政権与党が農業保護することでの得票への期待。だが先進国が貿易障壁と輸出支援を撤廃すれば貧窮国の農業収益はUS$300億で、しかし仮に後進国が 門戸開放し輸入関税など撤廃した場合の収益はUS$1100億円に達するという。韓国は途上国でないのだから農業保護政策を取り消せばかなりの収益得るの が事実。経済がこの利益に無頓着ははずもなく、これでは農民の末路は無条件で絶望的。
▼週刊文春で「海老蔵・米倉涼子破局」の陰に父團十郎の巨額負債、という記事あり。役者のおかみさん業がいかに大変かという流れで「タレントから嫁いでよ くやってるのは中村橋之助と結婚した三田寛子くらい」と。参議院議長扇千景閣下に失礼な話。
▼先日、仙台市長町地区再開発にて中華街構想に市長が慎重な姿勢と紹介したが魯迅先生の仙台医学専門学校(現東北大医学部)留学時のノート(複写DVD) を、このたび北京魯迅博物館が東北大に寄贈。小説「藤野先生」に登場する恩師・藤野厳九郎による朱筆の添削もあり。市長がこういった仙台と中国の歴史をど う考えるか。あまり期待もできぬ、か。ところで仙台市立博物館の前庭に「魯迅の碑」がある。1960年建立のきっかけは50年代に日中友好協会宮城県連会 長を務めた故・高橋剛彦氏(東洋刃物株式会社社 長)が55年の実業団第1回訪中の後に建立を主張。高橋氏のことを今では知る人も仙台でも少ないが当時、業界シェアで日本有数の刃物メーカーで「左派社会 党支持で知られる異色の青年社長に労組もタジタジ」、春闘のときは組合側に「もっと毅然と要求出せ」と注文というのが想像しただけでも可笑しいが。で、こ の記念碑建造は土地を取得するアテもなく計画は頓挫か、と思ったところに「革新市長」に初当選の故・島野武市が仙台市博物館建設用地の一部を提供。こうし た時代の理性を現市長がどこまで理解しているか。「ただの革新、親中」と嗤う勿れ。「魯迅の碑」という題辞は当時の中国行政院長の郭沫若の筆。中国婦人代 表団団長の許広平女史(魯迅の教え子でで晩年の愛人)を招き61年に除幕。

十二月十九日(月)晴。諸事忙殺され晩に至り晩飯食す暇まもなく源吉兆庵に豆大福2つ購い空腹満たす。でエスプレッソ二杯で睡魔にお引き取り願う。WTO 会議の期間中はバナナとビスケットで糊口を凌ぎ珈琲がぶ飲みと禿 頭亭WTO日剰に綴るPascal Lamy君の如し。晩遅く来週はもう会わぬであろう知人に別れ際「メリークリスマス!」と言われ一瞬、こう言われたら何と答えていいのか戸惑い返す言葉に 窮す。暫くして単に「メリークリスマス!」と返せばいいと合点。「あたくしはキリスト者でありゃしませんゆゑ」と聖誕節をば何十年も祝わずにいると市中ど れだけ聖誕節祝賀の雰囲気になろうと聖誕節などすっかり忘れている。新年も我が国では伝統的で風土に見合った陰暦をばさっさと捨て百数十年前にたんに太陽 暦をば用いるだけならまだしも陰暦の節句をば端午の節句など新暦に置き換える愚弄が我は今もって赦せず、亦た新年で昨年までの過去をきれいさっぱり清算し てしまい何等反省も改善もなく新年迎える我が国の、これは悪しき文化と感じ入り新暦での伝統的なる正月行事は「近代の陰謀」ぞよ、なんて言っていると出口 王仁三郎。誰にも相手にされなくなるかも知れぬが今日は何がショックだったか、といえばトランプのダイヤ、クローバー、ハートまで出てきて「ほら、もう一 つ、あれ、あれ!」とスペードが出てこない自分の悲しさ。相手にスペードのマークまで描かれても、それをすぐに「spade」と言えぬ我。どうしよう。晩 に疲労困憊で帰宅しシャワー浴びてバランタインの17年を少しの水で割ってぐいぐい、と飲めば深夜12時。
▼WTO香港会議の<香港宣言>で一つ疑問であったのは「後発国からの輸入品の最低97%は08年までに関税と輸入数量枠を撤廃する」というところ。 97%まで出来て何故100%に出来ないのか?は素朴な疑問。19日信報社説に「この残り3%が実は先進国が最も敏感な保護産業で米国の紡績業や日本の稲 作がこれに含まれる」と。御意。またこの後発国は国民の平均年収がUS$750以下で世界上の35カ国がこれに該当するが、その後発国のGDP総計が世界 全体の1%に満たず実際にこの国々の輸出品目の関税や数量枠が撤廃されたところで先進国に及ぼす影響など微々たるもの。それで後発国がUS$80億の収益 がもたらせるのだから、の合意。綿花については米国が綿花の輸出補填(年間US$30億)を取り消すことで南アフリカ諸国の綿花輸出用は75%増。中国も 綿花生産者は恩恵受けるが同時に中国は綿花輸入国でもあり米国の輸出補填なくなることで綿花価格は2〜12%値上がりし中国の紡績業は大きな痛手を被る、 と云ふ。
▼17日の抗議活動が「暴動」だったのかどうか。警察は促涙弾を用いたし湾仔につながる道路は封鎖され交通麻痺。MTRの湾仔站が封鎖。警察の措置が厳戒 体制であったが。フランスのリベラシオン紙は警察の抗議活動への大袈裟な厳戒体制とマスコミの取り上げ方のセンセーショナルさを驚きと表現していたそう な。実際に、この警察の道路封鎖を再検討してみると、湾仔でGloucester RdもLockhart Rdも自動車通行止めでも歩行者は自由に往来可。Gloucester Rdは現場なので近づけない雰囲気があったが17日深夜の「暴動」の一瞬を除けば一般人が韓国人団体に差し入れに行っても問題なし、だった。だ が道路占拠されているGloucester RdとLockhart Rdの間にあるJaffe RdだけがFleming Rd(この高架線下が座り込み現場)を中心線にStewart RdとO'brien Rdの間の2ブロックに限り封鎖で立ち入り禁止。それが「暴動」であるからのようだが、実際には「なぜ此処が封鎖されたか?」は地図を見れば一目瞭然だが Steward RdとFleming Rdの間はちょうど湾仔警察署の裏門。警察も韓国団体の座り込み地点が警察署から100mという便利さ。で警察署裏は関係車両など駐車場がわり。で封鎖。 もう1つのブロックは大新金融中心(大新銀行本店)の前が座り込み現場で機動隊はこのビルのG階ロビーに前線本部設け機動隊の現場での出入りもこのビルか ら。銀行側が会議室だの洗面所など施設便宜提供。とつまりは2ヶ所とも警察の警備上の理由での道路封鎖。「危ないから」ならGloucester Rdを歩かせぬはず。それが「危ないから」の共同幻想となっていた証左はマスコミや市民ばかりか、まさにこの大新金融中心の裏、Jaffe Rdに住む知人が17日晩(午後9時すぎ)に帰宅しようとすると「危ないから」とJaffe Rdへの進入を警察に止められ暫く状況観察続き「自宅がもうすぐ其処なのだから」と言ったら警官の護衛つきで自宅まで戻ったそうな。警察もいつの間にか Jaffe Rdの封鎖は「危ないから」になっていたのが興味深い。深読みすると実は警察の精鋭部隊・飛虎隊(Flying Tiger Team)あたりが秘密裏に大新金融中心でいつでも突撃できる体制でスタンバイしており、それを市民に見せたくなかった、とか……まさか。
▼蒋介石将軍の曾孫(つまり蒋経国の孫)といへば当然、台湾で今こそ蒋家の偉力は昔に比べ脆弱であろうが蒋家であるから二人の息子がいれば一人は将来を託 された政治家で一人は中華民国軍の若き将校、く らいであってほしいもの。それが蒋家の嫡流は兄弟ともファッション関係で台湾でDEMなるヒップホップ系のファッションブランドを経営。何をするも自由だ が既成概念的に「へぇ」と驚く。築地のH君はそれを「台湾民主化の証し」と。確かに。我が国など(こちら)だ に吉田茂や岸信介の孫が政治家として脚光浴びる。石橋湛山、片山哲、芦田均など立派な政治家ほど政治家は一代かぎり。自民党では石橋湛山ただ一人。池田勇 人の娘婿は池田幸彦。宮沢は息子には継がせなかったが弟は議員。竹 下登の孫や小泉三世の息子は芸能界。やはり傑出は吉田健一く らいなもの。いずれにせよ政治家の世襲ほど呆れる話はない。
▼また民主党について。もともと日本新党以来「若手グループ」として前原某と行動ともにしてきた民主党若手議員のなかに前原某と距離をおく動きあり。かつ ては「前原総理で自分は官房長官でいい」とすら述べた某若手議員も前原と行動ともにすることの危うさを懸念か。いずれにせよ次の総選挙まで前原がもつかど うか。参議院の結果次第で大連立、で分裂で総選挙は新党結成にでもなればよし。
▼ブータンのJigme Singye Wangchuk国王が08年に王政から立憲君主制、議会制民主主義に移行し二院制の国会を設け国政選挙実施を宣われる。ありがたや大君の叡知。JSW国 王を初めて意識したのは多くの日本人がそうであるように先帝の大喪の礼の90年。今年の冬の如く厳寒のなか東都での大喪の礼に民俗服「ゴ」を召して参列さ れ「ありゃ誰だ?」がオックスフォード大学卒業され英知溢れると評判の、ヒマラヤの密国ブータンの国王殿下。国王殿下もすでに50代後半だそうな。王位は 皇太子に譲りみずからは王位退かれるお考え。
▼ところで香港鼠楽園だが毎年買っている香港街道地方指南の06年版に香 港ディズニーランド地域の詳細な地図あり。さすが通用図書出版。一見しての通り鼠 楽園の小さいこと。直径500m以下。周囲の空き地が将来の竣工予定地だが当然、無理。この無駄な土地の埋立造成でどれだけの血税が浪費されたか……。誰 も責任などとらず。

十二月十八日(日)午前三時すぎから湾仔でGloucester Rdに座り込みの韓国人団体の一部が警察に身柄拘束されるが警察は全体の排除には挑まず対峙のまま朝を迎える。朝日新聞の香港電にWTO会議の抗議運動で 香港は「香港の代名詞のネオンも大半が光を落とした」そうな(朝日)。 「香港」でネオンに話題を持っていってしまっては容易すぎ。実際に昨晩(デモの沿線の店先のネオンは休業なら確かに暗かろうが)車窓から眺めた限りは香港 名物の香港サイドの高層ビルのネオンは大半が灯っていた。週末は多少、全体的に暗くなるし深更には当然ネオンは半減するもの。快晴。睡眠不足。日刊ベリタ の続報送り新聞読み家事済ませ昼前にヴィクトリア公園。湾仔での前線は韓国の友人に任せ此処では東南アジア各地からの女性が中心に和気あいあいと公園で日 向ぼっこ集会。隣の敷地には早くも午後のデモに参加する韓国や日本からの抗議団体が集まり始めている。ど う見ても維園阿伯のような老人が(維園阿伯は毎週日曜日のヴィクトリア公園での民主論壇で民主派に罵声浴びせる老人ら)韓国の農民らに親指を立てて祝福。 銅鑼湾から湾仔を歩くとデモ行進に面した通りと警察が封鎖している会場周辺を除けば13日(火)に比べ営業する店多し。抗議活動の被害が商店に及ばないこ とへの確信。13日は休業決め込んでいた泉記も今日は営業。 但し昼飯時だというのに開店休業状態。そりゃ誰も道路封鎖に近いこのあたりに近づきもせず。湾 仔ではGloucester Rdで韓国人団体が道路に座り込み。だが警察は周囲を取り囲むだけで平穏といえば平穏。警察は抗議団体にビスケットや飲み物などまで補給。現場の機動隊員 らかなりの疲労に車道の分離帯に寄りかかり仮り寝。今回の抗議活動が平穏なのはひとえに韓国隊の熟練の抗議術とそして香港警察の忍耐ぶり。立派。会場周辺 から湾仔のMTR站までのJaffee RdとLockhart Rdは警察の封鎖でゴーストタウンの如し。そ のなかでマクドナルドが営業しているのが印象的。13日には地球に優しいはずのBodyshopの休業措置が印象的であったがマクドナルドは星巴珈琲など と並びグローバリズムでは敵視されて当然の跨国企業。それが韓国隊のオヤジたちがマクドで朝食とってから抗議活動に行ったり(笑)このマクドも周辺の飲食 店が完ぺきに休業の中でWTOの会場関係者や警察官にまで「開いてて良かった」状態。Gloucester Rdの道路座り込みは午後2時すぎに排除される。が警察の求めに応じて韓国のオトーサンたちが自主的に立ち上がりスローガン叫んだり機動隊に肩を組んで! 笑顔で語りかけながら警察の収監バスに乗車してゆく。6日も対峙していると昨日の敵も今日の友か、いずれにせよ平穏ないい光景。早晩にFCCにてハイボー ル二杯。帰宅。Z嬢がKardoorie Farmから自然栽培の野菜仕入れてきて(本日Kardoorie Memorial Runあり。余は応募したが定員満額で出場できずZ嬢のみT君らの応援)大根と韮があるので大根おろしで「みぞれ鍋」にして韮と豚肉。美味。うどん茹でて 韮と豚肉の出汁の出た汁でうどん煮て食す。WTO閣僚会議は2013年の国内農産品補填撤廃、06年の綿花国内補填撤廃、LDC(最貧窮国)の輸出品目に ついての関税撤廃など謳った<香港宣言>締結。当初から「出来て此処まで」といわれた処に定点着陸。実際には具体的なさまざまな問題を各国が抱えるが此処 でこの程度の合意ができぬと2年前のカンクン会議の失敗で今回がそれに続けば2年連続の成果なしでWTO組織みずからが撤廃された鴨。午後10時45分、 会議閉幕。儲けるところが儲かるように2013年に向けての歩みが始まる、か。経済学の 碩学Stiglitz教授の“No agreement would be better than a bad agreement”という言葉を思い出す。それにしても董建華がこの会議誘致成功させたおかげで……まったく。
▼香港の市川房枝(と勝手に呼んでいるが)92歳でも矍鑠とした杜葉錫恩(Elsie Tu)女史が香港の普通選挙実施につき選挙民登録の低さや市民が十分な政治的主張や判断をする機が熟しておらぬとして普選実施急ぐことに対して疑問呈す (17日信報)。英国から宣教師として中国に渡り50年代から香港で社会福利事業に従事、汚職贈賄の香港政庁相手に民政福利の拡充訴え70年代に市政局議 員となったのを振り出しに立法会議員や総督の顧問まで務めたが年をとるにつけ親中派の色彩強くなり03年の基本法23条での公安立法では立法化指示を宣い 「老害」だの「保守老人」などと揶揄されもする。

十二月十七日(土)半生で未だ経験したことなき激しい金縛りに遭ふ。呼吸も困難な程。だが不思議は金縛りより解かれた瞬間に深き眠りに陥り金縛りも夢か現 か。快晴。昨晩遅くまで「抗議世貿!」のデモの様子をば実況中継見て睡眠不足。だが六時半には起きてしまふ。雑事片づけZ嬢と地下鉄で坑口。ミニバスで西 貢。新界タクシー雇い北潭涌より萬宜水庫を眺めなたらMacLehoseはSection-1の終点。萬宜ダム。「観光放水はないのかしら?」とZ嬢。昨 晩のNHK「釣瓶の家族に乾杯」を見た人にしかわからぬ話。ダム手前の小高い石崗を越え岬の先のTwin Cavesを目指す。岬のむこうの破邊州(Po Pin Chau)との間が断崖絶壁の奇景。こ の絶壁の下に二つの洞窟がありTwin Cavesと云われる。で岬先に向け稜線を進むが左右に急崖で眼下に海。海抜50mくらいか。足が竦む。折からの強い風。生きた心地せず。此処でお昼で も、というZ嬢を説得しすぐに撤収。花山(209m)をまいて多少の薮漕ぎが続き白腊仔という石のゴロゴロした狭い海岸。今日は我々の他に四人のパーティ が遠くを歩いていた以外、誰にも遭遇せず。少し山あいを抜けて白腊という小さな集落。桃源郷の如く長閑。白腊湾の海岸は白い砂に青い海。客など誰もおらぬ のに小さな売店に主人が四匹の犬と暮す。犬が海岸で遊ぶのみ。峠を越えて糧船湾の東Y(Tung A)の漁村。魚の養殖が盛ん。海鮮料理屋もあり「食事していきな」と誘われるが昼に小さなおにぎり食しただけの午後二時。此処でのんびりも快適だが晩の予 定まで考えるとゆっくりしておれず。糧船湾の公立小学校は窓から覗くと教室の掲示板などまだ昨日まで使っていたように掲示もきれい。だが教室に机と椅子は ない。掲示には2003年の政府ポスター。去年か今年の9月から廃校になったばかりの様子。この小学校、教員が西貢から船に乗せられ付近の漁村をまわり生 徒を拾い学校に向かう光景を数年前にテレビで見た記憶あり。郊外で廃校になった小学校を見ることほど忍びなきものはない。こうして郊外の学校がどんどん廃 校となり人口が市街地に集中。人はみなそれで幸せになっているのかどうか。この糧船湾は英語名はHigh Islandと云う。かつての漢名も高洲と。島。今では面影もないが萬宜ダムが60年代に建造されるまで此のあたりは島が連なる。それを埋立て繋げてのダ ム完成。萬宜ダムに向けて谷間を歩くが、そこが数十年前までは海であったとは思えぬほど樹木密生。萬宜ダムに沿った道に出るが此処から北潭涌まで6km歩 くのはいいが時間がかなり切迫すると思っていると運良くタクシーが通り一路、西貢。The Duke of Yorkで麦酒一杯。晩に常客らによるライブ があるようで準備始まる。いつも店に寛ぐ青年に目礼される。一見の客からは少し出世か。さすがに小腹空いて文仔記で雲呑麺。ミニバスで爆睡のうちに坑口。地下鉄で香港島。ジムに 一浴し帰宅。湾仔でのデモと抗議活動は高揚し機動隊との小競り合いも多少だが過激化。デモ隊は指定の路線から突出してHennessy Rdに押し寄せGloucester Rdも高架道を通らぬデモ隊が横断し始め自動車が渋滞し始める。一発触発。晩に北角の寿司加藤にてランニングクラブの幹事会の予定で北角なら渋滞も大丈夫 か?と心配しながらタクシーに乗るとEastern Highwayにて白バイが背後から急接近して参り余の乗ったタクシーに減速を指示。速度違反?と運転手も一瞬焦ったが他の車線の車にも減速を求め何かと 思えば北角以西は通行止めの措置。全ての車両が北角での一般道への迂回。迂回したところでKing's Roadも銅鑼湾ではHennessy Rdにつながり通行不能では渋滞も北角に至るも易しく香港島を西に向かう車が北角からBraemer Hillへと渋滞。ハッピーバレーの山あいからピークを経由して中環に下りる以外、銅鑼湾から湾仔を抜けず西に向かう方策はない。難儀だろう。ホンハムか らの海底トンネルも通行止め、とラジオが伝える。北角の市街でタクシーを乗り捨て歩いて寿司加藤。一時間ほど打ち合せして納め会。それなりに食すがラーメンの 話題となりN嬢とも「あの日系ラーメン屋は不味くなった」と或る店の評価は合意。ラーメンの話をしておれば自然とラーメンが食したくなり6名でその足で北角の札幌に向かい二人で一つずつくらいで軽くラーメン。帰宅。湾仔の デモ現場では警察は胡椒スプレーに加え催涙弾も用いて事態沈静化。抗議団体はGloucester Rdの道路に座り込み機動隊と対峙しての膠着状態が夜中まで続く。地下鉄は湾仔駅が閉鎖され地下鉄電車は湾仔駅は不停で通過措置。夜中まで現場中継をテレ ビニュースで見る。日刊ベリタに記事送稿(こちら)。
▼米国で今更驚かぬが9-11からテロ対策を理由に国家安全保障局が大統領令により令状なしで国際電話やメールなどの通信傍受。ブッシュが「きわめて重要 な手段だ」と述べ事実関係を認める。米国の自由を守るために国民の自由を妨害。この国が世界の自由と民主主義を守るために、と何かと物騒な災い齎す。恐ろ しき限り。その暴力団で若頭的な立場と浮れ手を貸す小国にもまた呆れるばかり。
▼南座の顔見世に参ったのは久が原のT君。「山城屋」という屋号ですか、坂田藤十郎の襲名興行。新作同然の「夕霧名残の正月」で京屋夕霧亡霊が絶品、とT 君。彼は正月の女暫から今月の夕霧まで(博多座は休演)今年の雀右衛門を全部見たが先月の相模を筆頭に京屋の心と形の見事さを嘆く(「嘆く」は悪しき意味 に非ず)。ところで藤十郎の興行で扇千景参議院議長閣下が御自ら番頭机にお立ち、だとか。上院議長が芝居小屋のロビーに立ちご贔屓に接待する国家は他にあ るまひ。
▼そのT君から吉田秀和先生に関する嬉しい知らせ。毎日曜日朝のNHK-FMで放送の「名曲の楽しみ」。最近ないので吉田秀和翁いよいよ引退と思えば何の ことはない、土曜日夜9時に出世移転して放送中。翁の口調、変わらずの好調。最近御当人に会った人の言では「足腰以外は全然衰えておらず、お元気至極」で 毎週の如く水戸にも芸術館に通ふそうな。耳も口も頭も壮者をしのぐ回転に脱帽。……とすると気になるのは何故に朝日新聞の名物連載「音楽展望」が停ったま まなのか。翁は愛妻を失い心労ひどく、とおっしゃっているが他での活躍を考えると朝日新聞との間に何かあったのか?とすら猜ってもいいのかどうか。朝日で は吉田先生と加藤周一先生はもはや編集者の誰もご進講できぬほどの格の大上段。朝日の方針がどう右に舵をとろうと両先生の往年のリベラリズムの真骨頂。 「そろそろご引退を」と誘えぬところが大勲位からヨーダ宮澤までをも追い出した小泉自民党との違い。のはずであったが吉田先生は連載暫停からすでに二年。

十二月十六日(金)晴。新聞を開くとつい民主党の記事に目が……。党代表の前原某、記者会見で訪米、訪中の成果が上がらなかったことを指摘されると「日本 の国会議員として日本の国益に照らした発言をし続けることは、与野党にかかわらず重要なことだ。小泉さんは議論すらできない。(首相と)同列視されるのは 筋違いだ」と不快感を示した、とあり。言葉もなし。小泉三世が議論すらできず、と指摘したところで中共党政府幹部に会えぬのは前原某とて一緒。首相と同列 視、って小泉三世は腐っても首相、同列視されよう筈もなかろうが、たかだか青二才の野党党首の分際で。早晩にFCCに四日連続。ニュース中継では韓国の友 人たちが金鐘の韓国総領事館の入居するビルの前と花園道の米帝総領事館前で抗議活動続ける。い つもなら米帝総領事館の前を通りFCCに来るのだが今日にかぎって或る人とタクシーに同乗した結果、中環に向かいタクシー降りた為この抗議活動には遭遇せ ず。米帝総領事館前では抗議者が剃頭していたうちは良かったが建物に投卵のうえスプレーで総領事館の壁に“No WTO”などと抗議メッセージを描く。これで明らかに器物破損。切掛けを作ってしまった感あり。警察は抗議者の現行犯逮捕も可だが抗議者の誘導だの交通規 制だの現場の整頓のみに徹する姿勢は大したもの。抗議団体は鐘や太鼓打ち鳴らして現場から去る。去り際が見事といえば見事。ハイボールは一杯だけ、新聞読 むのも止めて米帝総領事館まで歩いて実地検分。金鐘に坂を下り、韓国総領事館入るビルの前で抗議の座り込みの韓国女性団体の現場。テレビの画面で見るとそ こまでわからぬが現場で見ると皆で歌を歌い笑顔絶えぬ和やかな光景。だがその笑顔もけして心底喜びに非ず、ただ悲痛な現実をどうにか明るくといふ願ひ。 「沉傷傷逝的情懐」と林行止は綴る。帰宅。ドライマティーニ一杯。鰰(はたはた)、白菜鍋、煮込みに金平牛蒡など。大河ドラマ『義経』の出演者回顧談特番 など見ながらFCCで読みきれずの新聞読む。
▼WTO会議は残すところ後二日。EU代表らから会議での課題克服に早くも消極的なコメント出る。農業問題だけ見ても大きな障碍の一つは米国の発展途上国 向けの食料援助。食料援助の何処が悪いのか?と思うのが普通だがWTO会議のネタのおかげでいろいろ勉強してみると米国が実は先進国に各国の国内農産業で の農家支援、援助撤廃を提唱しつつ実は米国の場合、国内の余剰農産品を買い上げることで実質的に国内の生産者農家を保護する事実。そして、その途上国援助 も実は実入りが援助国側にあるのが事実で援助よりも途上国からの輸出品の輸入なのほうがずっと途上国側に実利あり。WTO香港会議のせめてもの成果と期待 されるのは50に及ぶLDC(Least Development Countries=最貧困国家)の経済支援のため綿花と製衣業の先進国での国内生産保護と関税の撤廃だが米国が国内の綿花生産と製衣業保護のため、それ に応じるはずもなし。更に、もし途上国に実入りがあれば今度はその現金を消費させるために海外から輸出品が入り……で貧困など解消されるはずもなし。ドー ハでの合意は英国のブレアなど口にするのは「100万人規模で人々を貧困から救う」目的だそうだが世界銀行の統計によれば貧困人口は95〜97年に 8.26億人であったのが00〜02年には8.52億人に増加。貧困から人々を救うはずの貿易自由化が逆に貧困人口増加させるのだから、これが窮国を反グ ローバリゼーションに向かわせる原因となる。結局の儲けの多くは多国籍企業。中国はその企業活動の最受益国家だが現実は中国の94〜03年の輸出増長のう ち65%は多国籍企業の中国での製造事業による輸出。海外企業の収益は増産のための投資に向くばかりで国内の賃金上昇に反映せず。
▼孔少林という人が信報で、今回のWTO会議は抗議団体が混乱もなく焼身自殺もなく終われば、この会議を成功と呼ぶべき、と。大幅な交通規制、学校の休校 措置、湾仔の小売業は売上げ半減、抗議団体の来港者の消費は極端に限られ経済的には香港はこの会議開催から何も享受せず。だがこの筆者曰く湾仔の商店主が 「商売の売上げは半減して数万ドルの損益だが、不公平な貿易で貧困なる農民が被る損失に比べたら、自分の商店の損など小さいもの。自分は彼らを支持する」 とマスコミの取材に答えた言葉の意味の大きさ。この言葉を聞いただけで筆者は香港でこの会議開催された意義あり、と。
▼民主党では菅直人先生も
前原代表の下の民主党について、心配のメールをたくさんいただいて います。私自身、代表選では自民党との対立軸を民主党として明確にすることを主張しました。新代表に就任した前原代表にもフレッシュな感覚で自民党に対抗 する民主党の姿を示してくれることを期待していました。この点で前原代表の昨今の言動が、自民党との差がなく、二大政党としての存在理由が無くなっている という多くの人の指摘に、前原代表自身、真摯に耳を傾けてもらいたいと考えています。
と前原党首に苦言。だが前原某の政治家としての目標はべつに「民主党の党首」とかぢゃないのだから苦言を呈しても無駄。これは菅君の公然たる「反主流派宣 言」。しかも民主党右派のはずの鳩山君さえ菅君に一枚噛んで、の話。羅馬の会議への派遣も鳩山君から要請だった、というし面白い。小泉三世は民主党との連 立まで口にするし民主党内の動きも活発になり、ここまで政治を活性化させた前原某の功績は大。築地のH君は新党結成の暁にはシャドーキャビネットで「杉村 タイゾー官房長官のもとで官房副長官くらいは務まるのではないか?、それともお得意の分野で省に昇格の防衛副大臣か?」と。石破防衛大臣に前原副大臣なら 日本の防衛は完ぺき。だがシーレーン防備とかで自説を曲げず口論になる可能性も大。
▼ブッシュ今更でイラク征伐の根拠としたイラク大量破壊兵器保有の軍事情報に誤謬ありと認める。だがイラクにてフセイン独裁政権倒したことには意義あり、 と。イラクでの民政への移行への選挙直前にこの公言は専ら年明けにも米軍のイラクからの引き上げが為。マスコミの扱いの小ささもイラク大量破壊兵器保有な どデマであったことは公然、といふことからだろうがブッシュ批難の姿勢が殆ど見られず。本来であればフセイン以上の悪党でブッシュこそ国際法廷ででも断罪 されるべきであるし日本なら、そのデマをば根拠に自衛隊派兵の小泉三世の責任も追及されるべきだが一向にその気配もなし。

十二月十五日(木)晴。朝は気温摂氏12度。凍てつく寒さ。早晩に三晩続けてFCCの酒場。ハイボール二杯。WTO関係の報道多く経済など門外漢で新聞読 むにも楽しいがかなり時間要す。韓国の友人らの抗議活動続く。湾仔のLockhart Rdを五体投地に似た三歩一跪(三歩歩く毎に一度ずつ地に跪き垂頭する)し馬師道の陸橋越え抗議活動の最前線まで進む苦行。到達して涙ぐむ姿。13日には 多少憤りを姿勢に示し昨日はトラムや地下鉄での移動で愛嬌を見せ、そして今日の宗教者の如き様。事前宣伝でかなり怖がられた「怒れる韓国人」は日に日に香 港の我々の間に深い印象を与えている。抗議活動での<礼節>である。蘋果日報に陶傑氏の「血肉盛世」という随筆読みあまりの筆致にただ言葉もなし。日 本語に訳したいが、この文章の勢いを日本語にする力量は我になし。陶傑氏については十数年ぶりに香港に戻った倪匡氏が(倪匡については本日の日剰の最も最 後に紹介あり)香港のエッセイで今、最も冴えている、と讃めた上で自分の文章が陶傑の次にもってこられることも致し方ない、と絶賛。晩飯におでん。子ども の頃から冬のおでんは大好物であったが、おでんの皿にべとりとした辛子。美味いが辛子の強烈さがおでんの具や出汁の旨味を壊してしまう嫌いもあり。先日ふ と大分の柚子胡椒を薬味にしてみると辛子よりずっとおでんに合う。これがお気に入り。大分の物産展で入手の柚子胡椒ゆえ大切に使う。大河ドラマ『義経』の 最終回を見る。「弁慶の立ち往生」はおそらく人形であるということと義経自害の持仏堂の屋根から白く輝く光の演出については噂で聞いていたので覚悟はでき ていたが、確かに……チャチ。大河ドラマを一年きちんと見たことなど四半世紀ぶりだが、この『義経』は当初から希望の「新しき国」がかつての社会党の国家 像の如く具体性がないこと、そして松山のS君が指摘していたが、それぢゃ頼朝の描く国家像と義経の「新しき国」がどう違うのか、この二人の葛藤の不明瞭な ど、問題点少なからず。余にとって最も不思議は、このドラマでの頼朝に(中井貴一は上手く演じてはいたが)武士(もののふ)をあそこまで引き寄せる魅力が どうも見出せず。ドラマのなかでどんどん表情から喜怒哀楽が乏しくなってゆく頼朝が最後、仏壇を前に九郎義経に自分を恨むがよい、と涙する場面の中井貴一 の渾身の演技。日刊ベリタに韓国のデモ隊の礼節について送稿(こちら)。
▼朝日新聞一面に「1本取られ温首相苦笑い」とあり小泉三世と温君の笑顔の写真に何事かと思えば東アジアサミットの首脳宣言署名式にて小泉三世、目の前の ペンを取らずに隣の温首相の筆ペンを取って署名。それに温首相が苦笑い、と。小 泉三世の彼なりの彼らしさ。中国の用いた毛筆を借りて、のパフォーマンスに緊張する日中関係で「小泉さんもなかなかやるな」と、民主党前原某に比べれば小 泉三世の外交上手さ、にすら映るか……。写真というのは報道で、ほんとうに印象づけには格好。朝日では温&小泉だけの写真だが蘋果日報では向かって左にマ レーシアのアブドゥラ首相の姿あり。事実は突然の小泉三世の毛筆借用の求めに温君がその意を酌めず議長国のアブドゥラ君が二人の間に入り温君に小泉三世の 意を伝え温君がそれに応じて小泉三世が毛筆借用、に至った様子。朝日は「温首相苦笑い」だが蘋果日報は「小泉借筆、温総微笑」と小泉と呼び捨てにせよ温首 相は「微笑み」と。それがSCMP紙では“Mr Wen also broke into a big smile”である。事実がかなり異なるのは信報の報道。信報によれば「緊張が解れたのは小泉のもったペンが書けない時だった。その時、温家宝がマレーシ アのアブドゥラ首相から回されてきていたペンを小泉に渡したのだ。結果、その場に居合わせた記者の笑い声と喝采が起きた」と。報道のちょとしたアングルや ニュアンスの違いで事実はいかにでも報じられる。その映像は見ておらぬが、小泉三世の机上にはペンはあったが温家宝君が毛筆を用いるのを見て小泉三世なり に日本も毛筆を使うことの演出を意識したのか敢えて温君からそれを借用して日中友好の姿勢を彼なりに見せようとした、が一瞬、意思が通じず、傍らで見てい たマレーシア首相が助け船を出して、議長国の首相の取りなしで温君の緊張も解れて一瞬、和やかなムードに、なのだろうか。
▼毎週木曜日発行の小泉内閣メールマガジンは小泉三世がKL滞在中でもきちんと本人の言葉にて「第一回東アジアサミットに出席しました」で始まる周到さ。 見事。
日本とアセアン10カ国との会談の際に、何人かの首脳から日本と中 国との関係を心配する声がありました。私は、「日本の国と日本国民は、戦後60年の間、二度と戦争を起こしてはならないという強い思いを胸に、平和のうち に発展をとげ、世界の平和と発展のために力を尽くしてきた。『靖国』という一つの問題について考えが異なるからといって、首脳会談を行わないという考えは 理解できない。私は日中友好論者であり、いつでも中国の首脳と会う用意がある。」ということをていねいに説明しました。
と小泉三世。この気持ちは素直であろう。だが素直は政治、外交でけして大切ではない。小泉三世の最も大きな誤解は「靖国」を日中関係の中での「一つの問 題」と片づけること。日中貿易で紹興酒の関税だのアルコール税について、なら「一つの問題」と割り切って包括的に日中友好も出来よう。しかし日本の中国侵 略の元凶(とされている)A級戦犯が神として祀られる軍国主義施設に日本の首相が参拝することは、けして「一つの問題」と割り切れず。百の問題をも凌ぐ一 大問題なり。それほど簡単なことが理解できず。間違っても「中国相手に堂々とした姿勢を見せる小泉さん」などと思ってはいけない。この中国相手に堂々した 姿勢、と思うことぢたい実は中国=大国という阿Q根性の裏返しにすぎず。
▼朝日新聞の、すでに旧聞に属すかも知れぬがNHKの番組改編報道について。知己の内部関係者からのいくつかの情報を整理すると、内部では管理職級では 「あの報道じたい第一報を取り消すべきでは」という意見もあり。さすがにこれは見送られたが今後はこういった「メディアと政治」はほぼタブー。最も憂慮さ れるのは番組改編の問題で叩いてしまった安倍晋三君が首相となった場合。その機嫌を損ねては(すでに損ねているが)社としては社運かかる大問題。今後は自 制の姿勢見せて安倍君らに「朝日もだいぶ……」と再評価してもらうのが得策。敗北主義だが。とても「危険な安倍首相」実現阻止などとは報道できるはずもな し。具体的には社会部は人権、平和、核軍縮、民族、差別などの問題から手を引き、警察検察・官公庁、都庁という純粋の事件事故報道と行政取材に特化とか。 もはや「朝日新聞=リベラル」というイメージは所詮商標か。番組改編報道を契機として今回の「解体的出直し」を奇貨として、少しはましな方向に揺り戻しが あるかとささやかに期待も内部にはあったが、寧ろ逆の方向に角度がついた模様。所詮はブルジョワ新聞、とは言え朝日が確信犯的に改憲・集団的自衛権を是認 し右に舵を切れば戦前の翼賛体制の図式の再現以外の何ものでもなし。
▼ここ数日、俄然注目の前原民主党。鳩山幹事長は前原代表庇い「いろいろと評価が分かれる部分はあると思うが、代表の存在感が高まったの事実だ」と (笑)。誉め殺しか、単なる皮肉か揶揄か。偉い人と会うために中国に行って偉い人に会えなかったのに会えなかったことが話題になったので「存在感」とは築 地のH君曰く「便所の電球が切れたので初めて便所の電灯の存在感を意識したようなもの」と。党幹事長が党代表について「評価は分かれる」と言っちゃぁおし めーよ、だ。中国共産党なら即刻、粛清。だが一方では鳩山君は「前原体制はまだまだ若い」と批判(産経新聞)。これは前原君が同党の五島正規衆院議員の政 策秘書による買収事件につき早々と議員辞職を要求する考えを示したことを念頭に鳩山君が「あまりにも正直すぎて、まだ言うべきでないことを、もうしゃべっ てしまったのかということがあるようだ」と苦言を呈したもの。また先の代表選挙では「私が『菅直人』と書いたことを知っていながら、前原代表は私を幹事長 にした」とのエピソードまで紹介。「信頼できる」と持ち上げてもみせたが「偉大なイエスマン」こと武部勤自民党幹事長とは対照的な「物言う幹事長」をア ピールしたかった?と産経新聞。鳩山君が実は政敵の菅君に投票してまで前原阻止で、その鳩山君を前原某が取込みとは。で最近あまり姿を見ぬ菅君は、と言え ば今月初旬には羅馬で 「アジアと欧州民主党間対話会議」で世界の中道左派政党を集めた「デモクラッツ・インターナショナル」結成を提案(読売新聞)。現在の民主党はとても「中 道左派政党」とはいえず。だが議会に「中道左派政党」が存在せぬのは非文明国。築地のH君はこれは「鹿鳴館がありダンスが踊れるかどうか、くらい国の面子 にかかわる」こと、と。御意。第1次の民主党結党の頃は菅君はっきりと「センターレフトをめざす」と主張。それが民社党だの松下政経塾だの流入して今日の 有り様。初心に返るべき。
▼今日のFT紙の一面トップは“BoJ urged to agree GDP tie-up”と日銀がこれまで日銀独自に決定していた金融対策が、今後は政府・自民党の意向を受けたものになることを指摘(ネット上では見出しは違うが 記事は一緒のこ ちら)。(日経を含め日本の新聞でこの記事に見あう報道がないのだが)小泉自民党政府(もはやこの三位一体!)は外務省などかつては大臣すら寧ろ 指導する立場にすらあった強力官庁をば指導下に納めた上に、それなりに自主性を有していた日銀の金融政策まで操縦可。残るは司法くらい。
▼最近あまり話題にもせずにいたが蔡瀾先生の蘋果日報の随筆。中共を嫌い米国は桑港に旅居続けた香港の往年のSF作家・倪匡が香港に一カ月戻り滞在したこ とで倪匡氏とは親仲の蔡瀾氏がその歓待をば続け倪匡といえば蔡瀾氏の随筆では倪匡との電話での雑談で随筆を何本も書いてしまうわけで、その倪匡が来港とあ らば蔡瀾の随筆が連日そのネタになることは明らか。事実、その通り(笑)。毎日、倪匡ネタを読まされると飽きるのは事実。だが時々やはり蔡瀾氏の類い稀 な、あの大らかな性格ゆえの面白さもあり。今日のネタは健忘症。記憶力の確かさは何といっても金庸先生。そして倪匡。三番目に馴染のお粥屋の女将、と紹介 して、寄る年波に蔡瀾氏も健忘がひどいが、健忘に良さもあり、と。蔡瀾氏のマンション、屋上があるが雨漏りひどく何度も修理でも直らず。絶対に直せるとい う業者にHK$10万以上かけて修理依頼したが再び雨漏りの上に蔡瀾所有の幾幅もの字画の掛け軸まで台無しに。この修理業者をば殺したいほどだが数日して この業者に遭遇した時に相手が誰だったか思い出せず名前を尋ねて思い出したほど、と。くすっと面白い。が随筆家が「老い」をネタに書き始めた随筆はあまり 好きになれぬ。

十二月十四日(水)曇。摂氏14度。極寒。早晩にFCCにてハイボール二杯。韓国からの友人らの反WTO抗議活動が今日も続く。日本のメディアではあまり 取り上げられず、せいぜいデモ報道のベタ記事(日 経)。かと思えば「抗議活動が激化」といささか勇み足の網上新聞「WTO抗議で大衝突、けが9人心臓発作2人」もあり(こちら)。 かと思えばWTO会議開催は「香港経済に恩恵」という政府広報のような報道もあり(こちら)。 よくわからんで日刊ベリタに今回のWTO会議の焦点と、その抗議活動の状況についての 2本の記事送稿。晩の映画鑑賞まで少し時間あり中環IFC地区に開業のFour Seasons Hotel訪れる。ChicといえばChicだが暗いといえば暗く華がない。G階にバーがあったが六本木ヒルズの如くバブルっぽくて敬遠。IFCのショッ ピングアーケードを回遊するが元来ふらふらとウィンドーショッピングというのが嫌いなので時間持て余し星巴珈琲で時間潰す。Z嬢と待ち合せIFCの映画館 でFrancois Ozon監督の“Le Temps Qui Reste”(いつになるかわからぬが日本公開ではナイスな邦題期待!)観る。今月初めの香港でのフランス映画祭で先行の看板上映。先週から3館 で放映始まったが早くも明日からはかなり上映縮小が決り慌てる。来年5月にシネシャンテ系での日本公開の前なのであらすじの紹介は(こちら
パリに住むカメラマンのロマン。自分は不治の病で余命数ヶ月と知っ た。彼は残された時間を家族との関係の修復や、自分の子作りにあて、誰にも知られずに後悔のない時間を過ごそうとする。この秘密を唯一知るのは祖母だけ だった……。
に留めるが、不時の病で余命幾許か……は映画ではよくある筋だし個人的にもあまり好まぬ。それをどう描くか、何をどうテーマにするか、がフランソワ=オゾ ンであるし、じっくり時間をかけて不治の病になったカメラマンをMelvil Poupaudが見事に演じきって祖母役のJeanne Moreauも素敵だ。これがちょっとした肛交シーンゆへに成人映画指定。日本では修正必至。全体の美しいフィロソフィーとして一切の修正も偏見も要らぬ のだが。オゾン監督であるから、の筋立てとモチーフの見事さは除けば、全体の演出の雰囲気や音楽など、かつてのATG映画の雰囲気あり。商業映画だが芸術 志向でパッとせず途中で客が何人か席をたつのも往年のATGっぽい鴨。シネシャンテなら耽美的に、それなりに評判になろう。ついつい書いてしまうのでこの 程度に留めよう。香港はこうして海外作品の上映が早く(日本より半年は早い)而も無修正なのは嬉しい限り。シンガポールや上海がいくら国際都市化しても香 港のこの魅力には欠ける。映画終わり遅い晩飯だがIFCで何か食すほど陽気さは持ち合わせず寒風のなかFCCに参りダインで赤葡萄酒と愛蘭風シチュー。帰 宅。WTO閣僚会議について日本の報道はさっぱりだがIHT紙に掲載される紐育時報の豊富な記事を読み報道の分析度の違い痛感。倫敦の金融時報もFCCで ただコピーをもらって帰ったが要領よくまとめている。ホンダが製作のロボットが「走った」ことも将来の世界に大きな影響与えるだろうが……。普段読まない が意外と捨てておけないのは香港のThe Standard紙。FCCで面識を得てWTOのデモ現場でも立ち話する記者氏を中心にしたWTOの現場報道はSCMP紙より格段充実。またWTO会議に 合わせ来港中の経済学者Joseph Stinglitz氏のインタビューもタブロイド版2面割いての力量。大したもの。寝際に熟読。
▼香港鼠楽園が13日に「まさか」の満員御礼。突然の吉事に入場者数などけして公開せずにきた鼠楽園側も大喜びでプレスリリース(笑)。13日は香港で千 校が休校、湾仔や銅鑼湾中心に臨時休業の商売も多く市街の混乱も予想され、の鼠楽園への物見遊山決め込む市民少なからず。また中国内地から観光の田舎漢も お目当ての湾仔は金紫荊広場はWTO会議会場の傍らでは厳重立ち入り禁止。これら田舎漢もしぶしぶ鼠楽園遊蕩の日となり鼠楽園は棚牡丹で思わぬ集客得る。 がこれも悲しいかな僅か一日のこと。明日からはまた凍土の冬が続く。これまで入場日指定であった入場券は平日に限り新年から半年有効に利用幅拡大とか。鼠 が水面に溺れ踠くさま眺めるも忍びなし。
ウォー ラーステインの本から、と築地のH君より。9-11を契機に米国の覇権は崩壊局面に入り「自由と民主主義の擁護者」という政治的な信用をほぼ失い 軍事的な支配力に頼ることになったことで経済的には他の二極(西欧と日本)に遅れをとるしかない、と。殊に日本が中国とパートナーシップを結べば日中同盟 は米国にかわる世界の覇権国家となることも可能だそうで、米国が最も恐れるのはその事態。小泉三世や安倍君は日中の離反という米国の国益に最も忠実だ、と いうこと。だがそこに突然登場の威勢のいい若衆が「こともあろうに野党党首の」前原某。読売は社説で絶賛(こちら) 「ヨシ、俺はもっと米国にとって有益だぞ」と気負いこんだ結果の勇み足。日中が軍事的に対峙するような事態になっては米国にとってもコストがかかりすぎ る。そこまでは望まず。シーレーンなど語る時の前原君のうるうるした視線。石破君ほどぢゃないが近いものあり。もっとマクロな政治経済の力学を考えるのが 政治家。小泉三世の場合、少なくとも軍事オタクでもない分、余計なことは考えないところが良い?のか。奇人変人と嗤われた小泉三世よりさらに不思議な新人 類現れ相対的に小泉三世が真っ当に見えるとは。世も不思議。
▼魯迅も留学の歴史ある仙台市で長町地区の再開発で計画された「中華街」構想に市長が慎重な姿勢(河北新報)。中国の投資グループ「中瑞財団」の投資によ る商業ビル内の中華街構想に藤井黎前市長時代は推進に協力的な姿勢だったが新任の梅原克彦市長は一転、慎重な考え。複数の市議は「市長の思想、信条も少な からず影響している」と指摘。消極的な梅原市長の見解を聞いた市議もあり。中華街構想に消極的な「市長の思想、信条」とは何か。つまり中国、中国人が嫌 い、か。中国からのギャングや愚連隊が鳩る不法地帯でも想像したか。そりゃ中華街ぢゃなくて歌舞伎町。仙台市役所の目の前が国分町。仙台といえば日中友好 の象徴といっても過言でなき都市。なのに市長に自覚がぜんぜんない。市長がみずからの主義主張で傲慢になったのはやはり石原以後か。小泉三世も靖国参拝は 「精神の自由」の範疇だろうが行政の責任者が個人の好みで政策判断するのは憲法上の自由の問題とは明らかに異なる。小学校の教員でさえ国旗国歌に起立斉唱 せぬのは思想信条の自由ではなく公務員の服務規程に反するとかいわれてるのに。つまり地位があがり責任が増すほどに好き嫌いが言える、と築地のH君が。御 意。自分勝手にできる、これが本当の「地方自治」だ(笑)。それにしても根本的な責任は石原君ではなく「石原でも都知事ができる」と思わせてしまった青島 という前任者にあり。国政では細川という殿様にあり。

十二月十三日(火)曇。WTO 閣僚会議開幕日。天后の地下鉄站は各所の消火器がケースにマスキングされ使用不可と表示あり。「過激派」団体が抗議活動に消火器用いることを防ぐ ためだろうか。消火設備である、偶然にも地下鉄で火事があった場合にどうしろ、と言うのだ。過剰警備の異常さ。午前十一時より銅鑼湾ヴィクトリア公園にて 反WTOの民間団体の抗議集会あり。韓 国からの参加者威勢よく日本からも農業団体だの組合、市民運動などいくつかの団体が参加。ヴィクトリア公園を出で銅鑼湾の繁華街を歩く。百貨店「そごう」 がシャッター半ば降ろすはデモ開催日に見慣れた光景だがBody Shopが臨時休業は奇妙。Body Shopといえば自然環境保護だの人種差別だのに関心高い企業のはずで寧ろ反WTOの立場のようだが。根本の思想はどうであれあそこまで世界企業となると 反WTOでは攻撃される立場と恐れるのだろうか。マクドナルドならわかるがシアトル会議での星巴珈琲といい、このBody Shopにしても、世界経済やグローバリズムの問題で加害者と被害者の立場が不安定な証左かも。Lockhart Rdを湾仔に進めば徐々に臨時休業の商店の数多し。この一帯は事の他、内装関係やインテリアの店多し。臨時休業はたんに過激デモ恐れて、に非ず、商売柄資 材の運送ができなければ商売にならぬ業種でありほぼ全日自動車通行止めでは臨時休業も止むを得ぬこと。朝から賑わうのは麻雀荘なのも納得。昼になり Stewart Rdの泉記に魚蛋粉河でも食そうかと思えば 此処も臨時休業。Wanchai Rdの李景粥品専家は営業 しており及第粥。それにしても昼時だというのに客は数名。Johnston Rdの三不賈で野葛菜水を飲む。健康に佳し。警察の厳重な警備のなか Gloucester Rd渡り「禁区」であるWTO閣僚会議開催される香港会議展覧中心に入る。建物の入口で一度、入場証を確認。会場のプレスセンター入口で入場証のナンバー から開催事務局側がもつデータ上の写真と本人の顔を照合。最後に警察の荷物チェックと金属探知器潜りようやく入場。プ レスの資料いくつか入手して、それ以上いても用事ないので退場しようとすると記者会見終えたWTOの親玉Pascal Lamy君に遭遇。反WTOの人々から見れば胡散臭き手品師。この人たちがスイスのジュネーブのレマン湖岸の屋敷で世界貿易について画策するのだから遠い アジアや南米の農民はたまったものぢゃなかろう。午後2時にデモ隊がヴィクトリア公園出発して会議開催地に近い湾仔運動場までデモ行進あり。デモ隊は Lockhart Rdをお練り、Marsh Rdから陸橋渡り沿岸に出るため陸橋の手前の交差点でデモを眺める。香港の地場の団体に続き東南アジアや南米などの団体、日本、で最後が韓国からの農民ら の団体。過激なことで有名な韓国のデモ隊ゆへ扱いは先頭にせず、と主催者の配慮らしい。デモの終点は湾仔運動場で、そこで抗議集会の続きがあるのだと思っ ていたら実際の終点は運動場の敷地と鴻興道をはさんで海側のヘリポートの敷地内。かなり細長い場所で数千人のデモ隊がはいっても集会は前方ばかりで後方に は内容が伝わりもせず。何のトラブルも衝突もないまま各地からの参加者の主張表明や歌などが続く。性風俗従業の女性たちも参加。性 風俗とWTO?だが、海外からの風俗嬢の流入自由化に反対の地場の風俗嬢という話ではなかろう。海外で不法に買春出稼ぎするのも故郷の農産業が不況で貧困 によるもの、ということ。ヴィクトリア湾には警察や水上警備隊、消防の潜水隊などがボート十数艘も出して警備に当たる。過剰だろう、と思っていたが午後4 時頃、韓国からの参加者の男たちが数十名、救命胴衣をつけて海に飛び込む。韓国の国旗を掲げ目指すは湾仔の波止場の向こうの会議開催会場。水上の警備側は 阻止せずに抗議者らを泳がせ体力消耗したと思われる者は救助。警備側はマラソンの時にゴールで配布している保暖用のシートまで用意しておりボートで抗議地 点まで運んでは陸揚げさせる。完ぺきに用意周到というか予定通り、というほどの対応。そもそも不思議なのは市街に異常なほどの障害物置いて警戒に当たるの にデモの到達地点が沿岸で高さ60cmほどの防波堤?越えれば海。「どうぞ飛び込んでください」と言っているようなもの。結 局、十名ほどが湾仔フェリーの先、会議会場近くの岸まで泳ぎきり警察に保護される。その間に今度はこの終点から湾仔運動場側に出るゲートから「これでは納 まらない」抗議集団が動き出す。抗議活動主催者側は「ここが終点」としており、その先は機動隊がお待ちかね。韓国の団体が機動隊と衝突。デモで担いできた 御輿に火をつけ機動隊のほうに倒す。機動隊とかなり小競り合いとなり機動隊側は香港警察お得意の「胡椒スプレー」を抗議者に散布。この小競り合いは一時間 ほど続き抗議者はその場に座り込むこと晩に至る。此処でも不思議なのは市街にあれほど障害物置いてデモ隊阻止しているのにもかかわらず、この鴻興道から会 場に向かう道路には障害物置かずにいてデモ参加者の一部が終点から出ようとすると即座に機動隊が出てこれ以上先への侵入を阻止する。最初からわかっている のだから此処こそ巨大な障害物を置くかすればいいものを。まるで機動隊とデモ隊が衝突することを企図したようにしか思えず。終点を最初から湾仔運動場内に すれば海に飛び込むことも道路封鎖で機動隊と対峙することもない。な にか全てが衝突まで含め予定されていたかのような錯覚を覚える。予定調和の如し。不思議。早晩にデモの終点を離れ湾仔市街に戻る。今更WTO閣僚会議の会 場に戻って晩の日本政府の派遣大使の記者会見聞くのも、でタクシーで中環。香港政府総部も物々しい警備。誰も今日は此処にデモには来ないのに。FCCにて ステラアルトワの麦酒大一杯。五時間ぶりくらいに腰掛ける。テレビで抗議デモの実況中継。午後三時からのWTO閣僚会議での本会場でも会場に入った公認 NGOの団体がPascal Lamy君の開会の挨拶の時に立ち上がって横断幕掲げ抗議。Lamy君はにやにやと笑いながら「世界で最も嫌われている世界組織がWTOなのだろうが」と 軽口。新聞読みながらハイボール一杯。信報の林行止専欄(13日)が2001年のノーベル賞受賞の経済学者J. E. Stiglitz教授の近著“Fair Trade for all-How Trade can Promote Development”を紹介。前著でベストセラーの“Globalizatin and its discontents”についても言及。“Fair Trade”はいぜん信報の書評で紹介されていたのだが切り抜き紛失。Stiglitz教授は米国でクリントン政権での経済顧問。……と聞くとこの一連の 著作も「ありがち」な政府御用学者の経済本、と思ってしまうとさに非ず。Stiglitz教授の凄いところは米国政府の経済顧問までしながら自由貿易が経 済発展の最も有効な手段という点は譲らないにしても反グローバリゼーションについてはシンパシーを抱き、どうすれば後進国の経済回復が出来るか、の理論的 取り組み。関税撤廃による自由貿易を世界規模で実施することが先進国に有利なだけで後進国はさらに貧困に陥る懸念から発展途上国以下の経済体については保 護貿易を暫定的に活用し云々という「地球に優しい」経済開発理論。また経済成長に必要なのは貿易自由化よりも実は国内の政治の透明さや汚職贈賄の解消など 国内問題のほうが(経済成長の)ずっと重要な要因であることなど分析している(……とここまで読んでないが)。米国政府の経済顧問までして、退職すればこ の学究。大したもの。私大の三流経済学者が首相に抜擢され経済担当大臣になり調子に乗って与党から国会議員で大臣続任……とは「矜恃」に明らかに違いあ り。でこの本を捜しに中環の香港書局に寄れば近著は数冊あるが前著は確か一冊あったが、で売り切れ。親切丁寧な店員が二人で他の客の取り置き一冊あるのを 見つけ「今日はもう閉店で明朝イチで来ることないから」とその取り置きを「どうぞ」と。香港の取次ぎには間違いなくあるから明日仕入れればその客にも支障 はない、と。嬉しいかぎり。帰宅。近所のスーパーに葡萄酒など買い出し。コロッケと玄米米。NHKのニュース10でWTO閣僚会議のこと「報道」していた が、あれでゃ紹介。
▼Kuala LumpurでASEAN会議出席の小泉三世。香港の新聞やIHT紙などでは対中韓で小泉冷遇被ること取り上げられているが朝日新聞は一面にポスト小泉と 政界再編成について語る小泉三世、で政治面に辛うじて市川速水さんのベタ記事で中韓が日本に対して正しい歴史認識求めることで一致という記事があるのみ。 この致命的な温度差。そのポスト小泉と政界再編成だが森さんの安倍温存に対してチャンスを逃してはいけないと安倍二世(岸三世)への期待語り、民主党との 大連立については「民主党も前原さんをおろしたい動きがあるようだ。そういう動きになると前原さんもどう出るかわかならい」と語り来年9月が自民党総裁選 と民主党代表選が同時期に重なることから「政界再編は何かのきっかけでどうなっても不思議じゃない」と示唆。訪中しても中共首脳に会うこともできぬ民主党 代表。前原某には対抗野党党首よりも自民党の派閥の若頭か切込み隊長が適役か。北京での記者会見でも「自分たちに都合の悪いことを言う国会議員には会わな いという姿勢なら、仮に靖国の問題が解決したとしても、日中間の問題は永遠に解決されない」と前原某。「靖国神社参拝の問題とは別に、中国の軍事力の脅威 については……」と中国で堂々と物申すことが政治家としての務め、と。誰もが、おそらく中国首脳も含め「これよか小泉さんのほうがまだマシ」と思う鴨。

十二月十二日(月)昨日の暖かき快晴から一転して気温摂氏15度の曇天。湾仔のGloucester Rdを車で走れば銀行や商店など防御壁に覆われ警戒物々し。市街を走る自動車も少なく見える。香港政府が期待せしは96年のIMF国際蔵相会議の華やかさ と賑わい。ちょうど開催前日であったか湾仔のグランドハイアットホテルにて玄関からロビーに入ろうと思えば思いっきりドアが開けられ当時の日本の蔵相で あった羽田孜君が現れリムジンに乗り込んだが羽田君までの距離わずか数メートル。のどかな時代であった。当時は香港バブル最盛期にて何かといえば知人など との待ち合せだのもグランドハイアットのロビーであるとかマンダリンでお茶、とか。懐かしき時代。早晩に「うどん」食したく尖沙咀の某フードコートのうどん屋できつねうどん注文。かつてかなり本 格的と評判の店。実際に美味かった。だが今日はほんとうに「ぬるすぎる」汁にコシがあるのではなく、ただ固いうどんに愕然。「なんぢゃこりゃ?」で食べら れたものぢゃない。口直しにCook Deliのさんぱちラーメン。 十時すぎに薮用済ませるとコンサート帰りのZ嬢とちょうど時間が合い二人で珍しく銅鑼湾のバーSで待ち合せ。ハイボール。City Hallで香港ショパンソサエティの主催でVladimir Krainev先生のピアノとAlexander RudinというチェリストのコンサートでZ嬢はDebussyのチェロとピアノのソナタニ短調とショスタコーヴィッチのチェロとピアノのソナタニ短調作 品40をいたく楽しめた、とZ嬢。ハイボール一杯で三更になる頃にバーSを辞し帰宅。
▼十日の日剰で書きわすれ。香港映画資料館では展示室にてコクトー展開催中。入口からしてコクトー風でコクトーの用いた鏡や影、光といったモチーフを香港 の地場の若い芸術家十名だかがそれぞれのオブジェを制作し展示。入口からしてコクトー風なのだが一昨年、巴里のポンピドゥセンターにてコクトー展を観てし まった時の印象がいまだ強く(03年10月06日の日剰に記述あり)それに比べるとこの展示会場の入口の仕掛けも遊園地のお化け屋敷の如く見えてならず。 唯一この展示でポンピドゥに負けなかったのはかなり露骨な性描写あるオブジェ展示について香港も18歳未満禁止にせず子連れに「性描写ある展示がありま す」と注意喚起で済ましたこと。
▼昨日紹介せし柄谷先生による書評につき築地のH君から「国家主義とグローバル資本主義の戦いならどっちを支援しますか?」と質される。具体的に言えば 「安倍晋三と竹中平蔵のどっちがマシか?」(笑)であると。可笑しい。が笑えない究極の選択。個人的には「まだ」安倍晋三の国家主義のほうが「マシ」と思 う。このほうが叩こうと思えば叩くに能う。竹中グローバル資本主義はぬるぬるしていて叩きよう無し。だが竹中グローバル資本主義は理屈によって論破できる かもしれないが安倍ナショナリズムは小泉思考と同じで超理論、は論理の力では倒せぬ鴨。いずれにせよいずれも「悪気がない」というところが最悪。
▼京都で塾講師の学生が小学生を刺し殺しの事件。H君はテレビで精神科医だか犯罪心理学者だかが「自分の学生を見ていてもそう思うが、最近の若い人は他人 に対する共感能力が低く、自己中心的」であると述べたのを聞き、思わず小泉三世は「最近の若い人だった」とわかった、と(笑)。確かに旧自民党を 「ぶっこわす」様子は世代間抗争の如く見えなくもなし。爆笑問題の太田光氏は「ホワイトバンドとかはめて社会に貢献したつもりになってる奴が、選挙では小 泉に入れてるんだから、俺は社会よりもオマエを救ってやりたいよ」とけっこう本気で怒ってたといふ。小泉三世が「若い人」の場合、都知事は「若い人」 (……という裕次郎主演の映画もあったが)どころかもっと幼い鴨しれない。
▼民主党党首前原某の米国での親米国防論や中国脅威論が民主党党首としての発言としてはと物議かもす。毎日新聞夕刊のいつもなら地味なコラム「近時片々」 が今日はいつになく激しい調子だった、と聞く。
民主党の前原代表が訪米して自民党より自民風味の安保防衛論をぶ ち、党内にざわめき。でもワシントンは、日本の与党が野党と同じになったら驚くだろうが、 野党が与党と同じ歌を歌ったところで無関心だろう。小泉首相は靖国神社を参拝しても「中国脅威論」は言わぬ。地雷を踏まない外交の芸。前原氏は靖国に行か ないが、「中国は脅威」と米国で講演してから北京に飛んだ。唐家璇国務委員は「軍事専門家とお話しなさい」。勉強して出直せ、ということ。首相はいまマ レーシア。ASEAN10カ国を中にはさんで、中国に「開かれた東アジア共同体」を説く。もちろん米国に開かれた、ということ。
小泉三世ですら「外交の芸」があるといわれるくらい前原外交は外交の体を成しておらず。民主党の悲劇。わざわざ訪中前に当の相手を「脅威だ」というのは靖 国参拝以上に無神経。やはりこれは大連立→新党結成が急務、と築地のH君と話す。それをやってこそ前原代表こその存在意義。いったん一緒になり前原ら民主 党右派は小泉、安倍の路線で保守新党。加藤紘一、福田康夫ら自民党左派に民主党から菅直人、小沢一郎らに加え横路ら旧社会党、それに自民党追い出された良 識派の亀井静香ら国民新党などで民主新党。これにヤマタクが入るのが意外だが(笑)。そう考えると民主党でなぜ前原某が党首となったか、政界再編成のため の「担ぎ上げ」説も可。民主党を内側からぶっ壊すには、で小沢君の戦略とか……まさか。

十二月十一日(日)快晴。ヴィクトリア公園にはすでに週明けのWTO閣僚会議での抗議活動する民間団体が集結。今日午後もデモあり。ちょっと様子を見るつ もりが昨日の日剰綴り競馬の予想などしているうちに昼近くなり慌てて九龍塘経由で沙田競馬場に向かう。KCRの一等車の車内で競馬場に向かうであろう一見 して豪州人の二人組に、この列車は競馬場経由か?と尋ねられ「勿論」と答えるが競馬場経由せぬ列車に誤乗。二人に深謝。火炭站から一緒に歩く。こちらから 入るゲートが沙田競馬場の正門であること、競馬場站経由はKCRが特別料金なので火炭站だと安いこと、その差額でTriple Trioの馬券を買い当たれば億万長者になることなど教える。が列車間違えての弁明にすぎず。二人はやはり豪州人でメルボルンから来港。メルボルンの競馬 場のクラブメンバーだそうな。普通の競馬好き。のんびり、がいい。余の帽子を讃められる。豪州人だからつば広の帽子が気に入ったようで「どこで売って る?」と尋ねられ自信をもって「東京銀座のトラヤ」と教える。競馬場にて昨日再会の方々の他、コロンボ発券の航空券にて来港のK氏など再会。斎藤さん須田さんが早くもこの昨日の日剰を読まれ九龍の太子 は「田端でなく鴬谷」だ、とコメントされていた、と聞く。確かに旺角を上野とした場合に太子は鴬谷。……いずれにしても田端の住民には失礼な喩え鴨。で 競馬であるが珍しいほどにHazeの靄が失せ快晴の空、かなりの競馬日和。それにしても来場者は多からずメンバー席は余裕で一行で着席可。香港ヴァース (2400m)は英国馬のOuija Boardが実力見せつける快走。日本のシックスセンスが二着に入り「これぢゃマイルもサンデーサイレンス系でハットトリックか」と半ば冗談。仏馬で来る のではないか、とWesternerからShamdalaに流してしまう。香港スプリントは三年連続と期待されたサイレンウィットネスの不参加で期待は Cape of Good Hope(好望角=喜望峰)で日本からはアドマイアマックス。11月のトライアルではPlanet Ruler(紅旗飛揚)、Able Prince(歩歩勇)、Natural Blitz(電光火力)の着順で中でもNatural Blitzの仕上げ具合がいい予感。そのうえ東京から成沢さんが現 場のいなご社長に携帯でこの三頭の連複の注文が入ったのも幸運の前兆か、と期待。結果、28倍のNatural Blitzが一着でPlanet RulerにAble Princeと続き見事な的中。三連単で498.5倍の高配当。55倍の連複も当たり。香港の国際レースで当てたのは実はこれだけ競馬していて初めてのこ と。調子にのりR6の地場レースも穴狙いで狙った馬が棄権、次に狙った馬はゲートインで騎手振り落として暴走し退場すればいいのに(それなら返金である) 出走決定し当然スタミナも残らず。やはりあまり幸運は続かない。で香港マイルは一番人気は地場のBullish Luck(牛精福星)で二番人気が安田記念のアサクサデンエン。この馬の浅草田園という名前から浅草田圃、で荷風散人の話にまでこの日剰で言及したが、ま さか来港しようとは。で結果はアサクサデンエン6着に沈みハットトリックが優勝。それに「いつも時々、力量見せる」地場のThe Duke(星運爵士)が続いては誰も選べぬ。誰も笑顔ないなかで「君が代」が流れる。競馬場には「自称政治家」行政長官Sir Donald夫妻あり。不 遜なる尊顔に拝す。で本日の国際レースの有終の美は香港カップ。香港の期待は何といっても昨季のダービー馬でQE II CupからCharter Cup制したるVengeance of Rain(爪皇凌雨)。これを軸に我の馬券はアイルランドからのAlexander Goldrunに仏蘭西のPride、それに地場はCruz厩舎のRussian Pearlでかなり完璧であると内心、自画自賛。VoRさえくれば「あとは勝ったも同然」で強気でVoRを一着固定の軸馬に。やはり強さ見せつけたVoR であったが最後、放送作家村上さんが当然 応援する(年末の特番、観てね)のPrideがかなり追い込み、それでもVoRはやはり強かった。青い勝負服(Russian Pearl)が三着で、これで「またも三連単!」と一瞬悦んだが「あれれ……」でRPは四着で三着には同じ青い勝負服だが英国馬Maraahelが(さす が国際レーティングで121の実力か、ちなみにVoRは119)入る。VoRは今年これでQE IIと香港カップの2勝で勝ち点24となり今年のWorld Racing Championshipを制す(祝報)。 香港馬が世界の馬王になろうとは……。感慨無量。ご 一行と尖沙咀に戻り一旦みなさんホテルに戻りそれぞれ小憩。晩に復た集合してQuarry BayはTaikoo Placeの富豪 食堂と呼ばれる同楽軒にZ嬢も参って十名で食す。この食肆は春のQE II Cupの時に入江さんが所望され偶然訪れたら黒 服の給仕S君が安田記念や菊花賞まで熟知の競馬好きで話題盛り上がりワインのコレクションも含め納得。で今回も此処。かなりの盛況ぶり。葡萄酒は四本。ど の料理も当然美味いが何より富豪炒飯が美味。この同楽軒のあるOxford Houseのロビー中央に我々が「脱糞」と呼ぶ青年の裸体像あり。ダヴィデ像のような勇姿にあらず何処か「恥ずかしそう」。尖沙咀泊まり組は北海道関係者 もいるので札幌ラーメンの「さんぱち」に行くという話もあり解散。帰宅。Gordon BleuのブランデーでStingerでしたか、珍しくカクテルなどつくり心地よく飲む。
▼書評は評論家がいいと断然面白い、とあらためて痛感したのが朝日新聞書評でのアントニオ=ネグリ&マイケル=ハート共著『マルチチュード』で表すは柄谷 行人。どうでげす旦那、おもしろさうでせう。この二人の話題となった『帝国』であったが実際には世界は911での米国の愚行から改めて帝国主義の時代と なったわけで(ネグリ&ハートの提示した<帝国>は国家を超えた世界国家としての帝国であった、羅馬帝国のような)、而もその世界帝国を形成するはずで あったマルチチュード(多衆、と柄谷先生は呼んでいる、一般的には群衆)だが現実にはイスラム世界で見られるようにそのマルチチュードがイスラム原理主義 などの民族主義に動いた……ということでネグリ&ハートが現状に合わせ理論を修正し新たな展望を見出そうとしたのが、この『マルチチュード』である、と柄 谷先生は完結に「流れ」を紹介する、まず。でネグリ&ハートがマルチチュードが自由奔放に発現されれば世界の状況が変る、としていることから、この本をば 『共産党宣言』を現代の文脈に取り戻そうとする試みで、それは帝国(資本)対マルチチュード(プロレタリアート)の世界的対決とする。しかし……とここか らが柄谷行人の白眉だが、
しかし、このような二元性は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想 定される。こうした観点は神話的な喚起力をもち、実際、それは60年代には人々を動かしたのである。とはいえ、私は、このような疎外論的=神話的な思考を とるかぎり、一時的に情念をかき立てられたとしても、不毛な結果しかもらたさないと考える。グローバル資本主義(帝国)がどれほど深化しても、国家やネー ションは消滅しない。それらは、資本とは別の原理によって存在するのだから。
と書評を結ぶ。なんてこった。評論の面白さ。そうだよね、柄谷先生の言う通り、このネグリ=ハートの発想、ちょうど「ゲイ解放運動で世界が変革される」み たいな発想、は甘いよね。……と書評を読んで思ってしまう感じ。やっぱり柄谷行人がいいな、でその「資本とは別の原理、って何なのよ」と柄谷行人の著作を 読みたい、と思ってしまう。なんてこった。すごくいい。

十二月十日(土)読売新聞の号外。いつも見る前に「何が起きたのか」と緊張するが前回の巨人軍監督に原某が就任だったので今回は何かと思えば06年独W杯 組み合わせ決定(読売号外)。昼 すぎZ嬢とShau Kei 湾(Shauは「竹」冠に「肖」、Keiは同じく「竹」冠に「其」と綴る)東大街の安利魚蛋粉麺に食す。美味い食肆並ぶ東大街にあつて最も評判の潮州系に て魚蛋の他、牛肋肉も美味。この市街の市場の果物屋台で飼われていた子豚は不在。可愛かった、と過去形で言えばZ嬢に未だ死んだわけではないと窘められ る。Royal Asiatic Society香 港支部の歴史探訪。今 回は香港の道教寺院をくまなく調査するK氏のTemples in Hong Kongなる本上梓されK氏自身がShau Kei Wanでガイド役。まずはトラム終点に位置する皇城廟。東大街を北上し天后廟、譚公廟から玉皇廟と回る。東大街の雑貨屋はかつてこの当たりが漁村であつた こと彷彿させる漁獲用具も店頭に並ぶ。阿公岩(A Kung Ngam)のあたりにはいくつかバラックの集落が残るが構造的には香港のこのテの簡易住宅は重層構造。リゾーム的に住宅が繁殖したが如くつながる。玉皇廟 で散会。Z嬢と阿公岩に向かうとかつて細々と採石の続いた巨大な阿公岩は巨大な工事現場と化し採石の上急崖をコンクリートで埋め造地が続く。Z 嬢と別れ独り愛秩序湾(不快なる地名!、英語はAldrich Bay)の沿岸の散歩道を小西湾に向かう。湾岸の嘉亨湾(Ground Promenade)なる高級マンションもほぼ完成。政府高官が民間の土地デベロッパーに対してこの売却にて便宜計りバスターミナル用地まで提供してしま い隠蔽率から高さ制限まで緩和の便宜と「話題」のマンション。香港電影資料館にてジャン=コクトーの映画上映 あり。早晩にまず「詩人の血」鑑賞。ただただ1930年のこの創造に75年後の我々がため息。若い頃に仙台で同作を見た頃はビジュアル的にこの映画にかな り影響受けたつもりが老いて(コクトーがこの映画制作の齢も過ぎれば)今これを観れば殊更そのコクトーの「心地」とでも言えばいいか、それの洗礼受ける。 電影資料館出てパイプに火をつけ燻らす。ハンチングの帽子にパイプではただの巴里気取りと笑われる鴨。映画終わりすでに日暮れた小西湾の茶餐庁に晩飯済ま す。公園は暗く独り居場所もなく電影資料館に戻り狭い休憩所にて難民の如く「オルフェ」の上映待つ。「オルフェ」は死ぬまでにあと何度でも観たい、余の最 も好む映画作品の一つ。その一場面、一場面に何度もはっとして瞬きも厭ふほど。解釈はいくらでもあるシュルリアリズム映画であろうがジャン=マレーとマリ ア=カザレスをどう撮れば最も美しく見せられるか、に焦点を絞った映画と理解するのが順当かしら。明日の競馬に来港中の旧知の斎藤さんに電話。他人のことをあまり書い てはいけないが須田鷹雄さんやいなご社長らと「太子で海鮮を食してい る」らしい。旺角ならまだわかるが太子(Prince Edward)でMTRを降りて食すというのは山手線で「田端で降りて食事にしよう」と言うようなもの。面白い人たち。晩遅く尖沙咀のハイアットリージェ ンシーで斎藤さんらと再会。今月末で取り壊しとなる、このホテルのChin Chin Barにて一飲。サンミゲル二杯。放送作家の村上さん来港。他人の旅程を勝手に書いてはい けないが「ご苦労様です」と敬服のルーティングでチケッティングして来港。さすが。最高の面子でもっと話したいが地下鉄の時間もありジョッキークラブのプ レス指定の湾仔のお宿が今年はWTO閣僚会議の会場の最も近い場所で警戒も厳しく斎藤さんの帰宿懸念しお開き。斎藤さんと地下鉄で戻る。斎藤さんから石川喬司先生がこの 日剰を読まれてと聞く。有難し。湾仔で斎藤さん下車し独りになり銅鑼湾で終電なのに「つい」途中下車。バーS。Mortlachの16年物を少しの水で割り一杯。「余市」の ハイボール一杯。客の途絶えた時間で亭主M氏と久々にバー談義。深酒にはならずきちんと二杯だけで深更帰宅。
▼文藝春秋一月号の巻頭随筆に猪口孝教授(中央大学)の「大臣を妻にもって」という文章あり。「どうしてあのドレスを選んだ」についに答えるか、ドレスに アイロンかける心境を期待したが、007の映画の話から大臣を妻にもっての話に至る。何を書きたいのかよくわからず。

十二月九日(金)晴。来週のWTO閣僚会議開催に向け湾仔中心に市街は厳戒体制。会場周辺は銀行など営業停止、自動車ディーラーなど投石等でのガラス破壊 恐れ、コンビニからはコカコーラなど瓶入り飲料撤去され、ゴ ミ箱撤去からあちこちにバリケード壁設置される。ここまでしないと貿易自由化は出来ぬか。香港中央図書館G階はは参加公認のNGOやプレスの Accreditation Centreとなるが其処も厳重な警戒ぶり。養和病院骨科にて左手突き指につきW医師の診断受ける。まだ完治せぬが診断は終わり。早晩FCCにて今週溜め た新聞読む。日本の新聞は字が大きくなればなるほど内容が薄くなったが総合紙という立場で誰が読んでもわかる平易な内容に陥ったことが欠点。中学卒業の読 解力で読めねばならぬらしいが誰が読んでもわかる内容、しかも知ってる内容ならわざわざ時間割いて新聞など読む必要もない。わからぬことをきちんと分析し て教えてくれこその新聞のはず。で香港で新聞を読めば少なくともIHTやSCMP、信報を読むには時間を要す。ハイボール三杯飲みさすがにちょっといい気 分で帰宅。有機野菜づくしの夕食。菊正宗。マッカランをちびちびと遊び部屋の片づけ。
▼東京ファシス都からのお知らせ。都議会で都知事が「教育公務員として職責を果たさない教員の責任を問うことは当然」などと述べ入学式や卒業式で国歌斉唱 などに反発する教員などを厳しく処分する都教委の方針を「妥当」と支持した(都 新聞)のは、子飼いの都教委の方針だから寧ろ支持しないほうが可笑しい話で 当然だが、それにしても恐いのは都知事本人より「その意で爆走」する都教委。教育長は国歌斉唱時などに多くの生徒が起立しなかった場合「他の学校が同様の 事態にならないよう、今後は通達で生徒への適正指導を求めていく」として、校長の権限で出す職務命令についても、教員個人に命令を出さないなど出し方に課 題があると判断すれば個別に校長の指導を徹底。都立学校の校長支援のため都内6カ所に学校経営支援センター設置し学校の運営状況や人事管理、予算など指 導、把握。教員の管理ばかりか生徒へのこの思想統制。若者よ、石原某を都知事に選んだ大人を信じるな。それに間違っても靖国で「石原ーっ!」などと声援お くらぬように。君たちの未来は、もはや君たち自身が叛乱、革命を起こさないかぎり救われぬ。立川反戦ビラ配布では一審無罪の市民運動家(テロリストか、今 の時代なら)3人に東京高裁(中川武隆裁判長)が逆転有罪判決(都 新聞)。一審判決は「被告らの行為は住居侵入罪に当たる」としながらも「憲法が保障した 政治的表現活動で、放置状態の商業的宣伝ビラ配布より優先される」と判断。「態様も社会的相当性の範囲内。被害の程度も極めて軽く、刑事罰に値する違法性 (可罰的違法性)はない」として無罪。ビラの配布先は自衛隊宿舎だったにせよ、たかだかビラ配布。エロの風俗ビラだのには甘く「政治的」ならこのご法度。 恐ろしき警察国家なり。米国では精神病の男が飛行機内で発狂し「爆弾をもっている」と喚いただけで妻が「この人は病気なの」と叫んでも米国人はスペイン語 など解せぬから機内の保安官に夫は射殺される悲劇。東京都の国旗国歌での強制も市民運動弾圧も、そしてこの精神病患者の誤殺も根本的には同じ病理。南無阿 弥。
▼信報八日の林行止専欄は秀逸。言われてみれば誰もが疑問のWTO閣僚会議について。まずなぜ香港か。経済低迷にあって安易な期待は国際会議開催での旅行 関連での収益増。96年だったか世界蔵相会議開催し大成功。当時の日本の蔵相は羽田孜君。香港には愛着あるらしく先日も香港で開催の日本の祭に来賓として 参加していたが会場で「あ、あれ、誰だっけ、ほら省エネルックの人」と言われていたのを耳にする。首相であったことすら覚えておられぬ不幸。だが大平首相 時代の省エネルックはかなり鮮烈なる印象か。あの失敗に比べ小泉クールビズの成功。閑話休題。その国際会議開催で収益があがり国際経済都市としての香港の イメージアップ狙い。安易。96年の蔵相会議と今回の大きな違いは当時も各国蔵相の集合に警備こそ強化されたがWTOの如く反対示威者が世界中から集結し て「狼藉」働く危険はなし。平和な20世紀。それが今回は英国首相ブレア君が「世界中をまわるサーカス」と形容したほど半ばプロの反貿易自由化の大群が香 港に集結。「過剰な」警備にかかるコスト、地域の商業や金融から旅行業にまで与える損益、一般の旅行者の香港回避、公共交通機関の営業中止にまで至る市民 生活への不便、抗議暴動での危険性……小学生でもこの国際会議開催が収益より損失多きことは明らか。そして疑問はその半プロ化した抗議者らはどうして世界 から集まれるのか?の疑問。本当に彼らがグローバリゼーション、南北問題の犠牲者であれば香港まで抗議に来るのも難儀ではないか、と。だが現実は「反グ ローバリゼーション」ぢたいが大きなビジネスになっていること。例えば「グリーンピース」であれば世界各地の都市に支部を置き船舶や飛行機まで有する組織 は専門の財務担当官まで働く。もはやグローバルな巨大企業と同じような形態。その反対団体が組織化されるとInternational Forum on Globalizationのようにマーケティングすらされており、これと商業企業との違いといえば、企業が製品やサービスを売るのに対して、反対団体は 「グローバルなビジネスは制約を受けるべきである」という理念を広めること、と林行止氏の指摘は手厳しい。そして林行止は「蛇無頭不行、人無銭不行」と見 事に喩えるで誰が抗議活動に資金を供すのか、に言及する。例えばFoundation for Deep Ecologyという団体。元々はNorth Faceというアウトドアウェアの会社であったが68年に母会社売却した資金で自然保護の財団を創立し80年代には運用額が10億米ドルに達す。02年に は5,200万米ドルの運用資金有しチリに所有の1,042平方マイルの原始森林(ちなみに香港の面積は412平方マイル)をチリ政府の自然保護区に寄贈 とか。この財団が世界各地の自然保護団体に資金提供。TANSTAAFL(There Ain't No Such Thing As A Free Lunch)で反グローバリズムの運動家も給与所得を得て、の活動となる。だがそういった基金とて提供できる資金には限界があり、それを補うのが例えば International Solidarity Fundsなるもの。例えばオランダの労組連合の国際連携部はオランダ政府から97年に675万米ドルの資金提供を受けドイツ政府の労働運動への資金提供 は97年に5,000万米ドルに達しスウェーデンとノルウェイ政府は労組連合の八割の資金提供を約束させられカナダでは労組が反グローバリズム運動に1ド ル寄付する場合、政府が3ドル寄付の確約が実行されている。政府とグローバル企業の連携によるグローバリゼーションへの反対活動に政府資金が投入される面 白さ。
▼朝日新聞に「東アジア共同体は可能か」というテーマの論壇あり青木保・法政大学「特任」教授が東アジアの文化交流を語る。
中国の映画監督チャン・イーモウに高倉健が傘下し、中国の女優チャ ン・ツィイーが鈴木清順監督の映画に出る。これほどまで相互乗り入れ的な文化交流が見ら れるのは、地域の歴史上、初めてではないか。
初めてではない(嗤)。政治背景はどうれあれ李香蘭もあれば宝田明の映画はどうなるのか。当時、香港や台湾の映画制作に携わった映画屋は少なくない。それ に加え特任教授は、この交流の積極化について
この変化を担うのは、80年代以降に各国に登場してきた都市中間層 である。彼らは国際性を備え、高学歴で、宗教や文化の垣根を超えて思考でき、趣味や関心 を共有する。
アジアの「交流」の変化を担うのは特段、都市中間層だけではない。むしろ都市中間層などたんに海外旅行するだけで、一概にそれを国際性とは言えず。高学歴 なら文化交流するわけではなく、宗教や文化が垣根とは。宗教や文化は異なるからこそ異文化間の<交換>が発生する。都市には国境を越えた出稼ぎ者も多い。 むしろ「意識した」国際性もなければ学歴も低く否応なく宗教や文化のギャップに対峙する、この国際労働力もアジアの交流の重要なファクターのはず。
▼広東省汕尾市で発電所の建設計画に抗議の地元住民に武装警察が催涙弾を発砲し住民8人前後が死亡(朝日)。 発電所建設計画は地元住民の了解なし、予定地近くで漁業営む住民らにほとんど補償費が支払われず。しかも政府関係者が補償費を着服の疑いあり。最悪。
▼ジョン=レノンは中国語では(香港では)約翰連儂。ジョンの約翰は聖約翰(聖ヨハン)につながる美しい語だが連儂はいただけぬ。儂はあまり馴染ない字だ が小林よしのりの「ワシは……」のワシ(儂)で、連儂では「ワシが、ワシが」と下品に五月蝿そう。約翰禮能くらいが美しいかしら。
▼シンガポールで絞殺刑に処された豪州籍青年。遺体はメルボルンにて荼毘に付され豪州首相は追悼に涙する。かつて中学生の頃に地理の授業で豪州は白豪主義 をとり人種差別国家と覚えたがベトナム系の青年の命の尊厳に挑む国家の現姿。気がつけば日本のほうが在日韓国人だの中国籍に差別的かも。

十二月八日(木)曇。少し暖かく摂氏18度。北新宿にて医処同仁斎営むN兄よりメールあり。余の郷里をば訪れ佛性寺、弘道館に八卦堂な ど見て参られたと知る。今にして思えば中学からの帰り道に弘道館裏手の公園にて八卦堂のあたり、よく親友らと遊びに興じたもの。N兄が雇ひし車の運転手 に、余の生家、かつて営みたる肆は何処にとありや?と問ふも虚し、と。さもありなむ。当時は賑やかなりし市街も今ではN氏ゴーストタウンの如しと喩へも然 り。
あるぢ無き 世を はかなめと 庭の梅
とN氏の詠む句に咽ぶばかり。早晩にジムに小一時間走る。帰宅してドライマティーニ二杯。赤葡萄酒一杯とパスタ。湾仔鵝頸橋街市近くの有機野菜屋に調達と いふ野菜をサラダで食す。野菜の美味さ。
▼歌舞伎座のメマガに先日この日剰にて綴りし松島屋三兄弟の十三代目のお父っあんを語る内容あり(こちら)。鉄道好きといふ話も 正確には「新幹線ができてから非常に嘆いておりました。『みんな一緒になってしまったから見に行っても面白くない』と」との事。昭和三十年代には上方歌 舞伎の凋落著し。新幹線開通(昭和39年)といへば上方歌舞伎の復興目指し十三代目「仁左衛門歌舞伎」自主上演の始まりが昭和37年。まだ大成まえの十三 代目が独り駅のプラットホームに列車を眺める姿か。当代の十五代目は「新幹線ができて料金あがりまして「なんで乗ってる時間が短いのに、料金が高うなるね ん」と、なんだかご機嫌がわるかったですね」と父の愛嬌を語る。その孝夫は昭和39年に二十歳で父のこの仁左衛門歌舞伎で「女殺油地獄」の与兵衛を初役で 演じ大好評。十三代目彷彿させる話は秀太郎の語る「父が倒れて(舞台を離れて)から、夢を見た言うんです。どんな夢かというと(忠臣蔵)四段目で、由良之 助と判官と二役を引き受けたと。それで判官さんでお腹を切ったとたんに、「あぁ由良之助で出なならん……」と思うと、びっくりしたら目が覚めた』と言う。 やっぱり倒れてからでも(舞台が)よう好きな父親でした。やりたかったんですね」と。ちなみに久が原のT君によれば来年三月の十三代目追善興行。孝夫が道 明寺で菅丞相務めるは三度目で、これまでは通しの菅原(あらすじ)。この幕(二段目切)だけと いうのは初。それにしてもT君もそして我も克明に覚えておるのは先代、十三代目の菅丞相。T君に聞いて知ったが十一代目は菅丞相と松王の二役勤めて道明 寺・車引・寺子屋と通し。この役の神格化は信仰心厚き十三代目からなのか。東では五代目歌右衛門、弁慶役者の幸四郎、六代目、初代播磨屋、先代團十郎に白 鸚幸四郎、先代勘三郎などが菅丞相を演じる(先代の幸四郎の菅丞相は余も幼き頃に見ている、と母に聞いたが当然、記憶になし)。菅丞相の芝居の逸話で「な るほど」は三宅坂(国立劇場)開館の昭和41年の菅丞相は先代の勘三郎。お人柄か「あまりに下品」と悪評散々だった由。ちなみにこの時は時平が鴈治郎(二 代目、「襲名のしすぎ」で評判の当代・坂田藤十郎の父)で判官代輝国の役が「まだブレイクするまえの」の十三代目。 桜丸と源蔵女房戸浪の二役が梅幸。松王丸と宿禰太郎 の二役が八代目三津五郎。役者が揃っていた時代。でそれに孝夫が斎世宮で、秀太郎が苅屋姫で出演(と今日知ったが)。その15年後の昭和56年11月が世 にも名高き十三代目の菅丞相でのブレイク。鉄道好きの地味な役者に過ぎぬ仁左衛門が「菅丞相といえば仁左衛門」この昭和56年の三宅坂の菅原は十三代目の 菅丞相、桜丸と戸浪に梅幸、源蔵が余が晩年かなり好きであった三代目延若、時平と宿禰太郎が富十郎、桜丸女房八重が菊五郎、斎世宮が宗十郎、に苅屋姫が玉 三郎という布陣で、これに十三代目の息子の我當(判官代輝国)と秀太郎(立田の前)が出ているが孝夫は不在。それからがT君の回顧の通り、ちょうど私らが 歌舞伎漬けとなる昭和50年代後半の大松嶋晩年の「凡優ならざる名優としての歩み」。T君の彷彿するには1994年の春彼岸、十三代目が亡くなり仁左衛門 が春彼岸、京都・東山で本葬の前晩、T君が京都にて茶家を出れば初花もちらほらというような春宵、東山からまことに大きな満月が出ずる。「ああ、大松嶋は 仏にならはったなあ」としみじみ。合掌。三月の仁左衛門の菅丞相がほんとうに楽しみ。ところで正月恒例の若手による浅草の正月歌舞伎は 獅童と亀治郎で「鳴神」だそうである。亀治郎の悶え顔想像すれば、まぁ「本来の意味で」歌舞伎だから、と赦すべき鴨。
▼その十三代目仁左衛門がブレイクの昭和56年の一年前の冬がジョン=レノンの逝去。早や四半世紀とは。一晩泊まった山から降り地方都市の駅のキオスクに 並ぶスポーツ新聞の見出しでジョン=レノン逝去を知る。山に一緒だった、夢みがちのH君もいまは天国にあり。渋谷にタワーレコードが出来たのが昭和56年 で、すでにあの世にあったジョン=レノンのレコードが多く並べられていた記憶。

農暦十一月初七。大雪。朝は摂氏13度ながら昼から気温上る。ハッピーヴァレイ競馬場に て年に一度のInternational Jockeys Championship開催。日本から武豊君参戦。昨年3レース綜合一位ながら今年は全く奮わず8着とブービー2回と惨憺たる結果。バーYに寄り純米酒小一合。バーMで競馬知己のB氏と待ち合わせたが如く邂逅。ハイボール一杯で午 後11時半には帰宅。
▼外相麻生某、中国に対して
個別の問題で全体を損なわず、和解と協調の精神で過去を克服し、過 ぎ去った事実を未来への障害としないことが重要。
と宣ふ(朝日)。 親分・小泉三世あっての強言ながら麻生某は外務省にとって小渕君以来の首相候補だそうで、外務省ももはや外相の狂言を抑える力もなし。まさかドイツがイス ラエルにむかって、こうは言えぬ。日本は普通の国としての国際貢献など宣うがドイツはこんな狂言をば口にせずとも立派に普通の国として国際貢献も可。つま り日本のこの小泉政権の主張こそ戯言の極み。築地のH君はこれに「やはり「心の教育」が必要」と。御意。道徳教育が必要なのは子どもではない。いい大人が 公共の場でこういうこと言えることの心の貧困。この歴史認識の寛容さ、それなら「日本人はアメリカに原爆落とされても許しまし
たんですから」とまで言及すべき。
▼タイではBhumibol Adulyadej国王陛下が生誕祝日のご発言で「私は批判されることを恐れない」「(批判者に)罰を与えるのはよくない」などとお述べになりマスコミと 対立姿勢見せるタクシン首相を窘める(朝日)。 タクシン君はこれを受け政府に批判的な有力メディアに対して起こした計6件の名誉棄損訴訟・告訴をすべて取り下げ。日本も今上陛下や皇太子殿下のお人柄で あればいっそのこと現首相を呼び陛下の憂いをお伝えになるがよろし。
▼中共政府の香港に対する2017年の普選実施提案もヘンなもの。北京中央の譲歩、香港の民主化への確実な一歩前進、という見方もできるが吉原の花魁の年 季明けぢゃあるまいし郭の旦那に「それじゃ太夫、17年ってのはどうだい、まだ先も長かろうがこっちだって事情ってものがあるがな」と言われ断るにも断れ ず渋々その文状に、の如し。

十二月六日(火)曇。厳寒。摂氏12度。この「寒さ」は服飾の楽しさ。帽子を被れるのも嬉しい。早晩にFCCに向かおうと車で通ると政府総 部に向かう路にてAM68だかのナンバーのBMW7系列の車両。政府がBMW7系列を上級職用に何台所有するのか知らぬが(他は全てMazda車であるの も興味深い)部局長レベルでこの厚遇。香港は人口700万人で職員厚遇では馳名の大阪市と同じ規模だが大阪市役所とて部長レベルにBMW7系列は供すま い。呆れるばかり。FCCにてハイボール二杯。バーテンダーにハイボールといえば氷なし、と覚えられた様子。あの注文があたった時のバーテンダーのにんや りとした顔がいい。新聞じっくりと読む。FCCを出たところで民主党のMartin 李柱銘氏 に遭遇。尊顔を拝す。陶傑氏はマーチン李氏を見るたびに憔悴しきって骸骨の如し、と称していたが、やはり香港の「民主の父」は一見して華がある。すらりと した姿に一流のスーツ。FCCの入口で待ち合せの相手に携帯で電話。ドアマンが扉を開けるが携帯で電話中であるから倶楽部内での携帯使用は不躾とドアマン に手で入場を固辞して電話する、その仕草ひとつとっても絵になる御仁。尖沙咀に地下鉄で渡り尖沙咀東のRoyal Garden Hotel地下「東来順」にてバンコクから来港中のY氏とO君といつもの羊肉鍋。この寒 さに店は盛況。この店に来るといつもの山西省Grace Vineyardの赤葡萄酒を三人で三本。飲み過ぎか。でも心地よく帰宅し11時には就寝。
▼香港の政局に面白い動きあり。124の市民デモでの普選要求に対して北京中央は民主派に対して中間人通して、香港の民主派が2017年の普通選挙実施を 受入れるならば中央のかなり高位の指導者が公式にこの「時間表」を提示することを承認、と条件交渉開始とか(信報)。07年の行政長官と08年の立法会議 員の選挙で普通選挙実施は基本法で認められているが全人代常委が時期尚早として、自称政治家Sir Donaldも北京中央の意図と世論の折衷案的な政治改革案を提示しているが、最大の問題はその改革案に具体的な「時間表」がないこと。これに対して北京 中央は遅くとも2017年と譲歩することで民主派と世論の取込みを意図。そのような動きのなかで124のデモに参加のアンソン陳方安生女史(陳太)の舞台 への復活。陶傑氏はこの陳太の「跳出来」は普選実施が2017年にずれ込むことと相まって07年の次回選挙でSir Donaldと陳太が争えば現行の間接選挙でも結果はこれまでの御用選挙とは異なりかなり選挙らしい選挙となるのは必至。普選は実施されないまでも海外に 対して香港の民主的選挙とアッピール出来るのは確か。かりに陳太が勝てばSir Donaldは再び政務長官に甘んじるが少なくとも董建華退任から2年のリリーフ役満了で面子は保てる。Sir Donaldが勝てば陳太がこちらも再び政務長官に就任することで香港政府公務員の士気をば改めて高め組織再編成も可。陳太が長官就任してうまく二期満了 すればSir Donaldも公務員の鑑として任務遂行し2017年をば迎えるわけで、これなら中港陳曽の誰もが勝ったも同然。……と陶傑氏は陳太再臨にかなり楽観的観 測。
▼一言でいえば「絵になる」のがサダム=フセイン。米国に「逮捕」され憔悴した感じが気品となる。こ の法廷での場面は、どうでがす、旦那、まるで一流の歌劇。巴里のオペラ座、いや、これはバスティーユの方が似合う歌劇の舞台の如し。フセインを取っ捉まえ た方の役者Bではスタインベックの小説に出てくる、田舎の無知で性格の悪い男という端役しか出来ぬ。
▼香港の誇るスプリント馬サイレントウィットネスが香港国際レースでのスプリントレース辞退。11月の予選辞退は本番に万全を期すとされたが不調回復せ ず。この春にはMr. Vitality、Grand Delightに続き地場のスプリントレースで三年連続の覇者となり、この国際スプリントで三年連続優勝に期待かかったがTony Cruz調教師もコッチ騎手もサイレントウィットネスは他の馬に比べればまだまだ快調であるがこの馬の本来の優秀さには欠ける、と断念。マイルでは英国馬 のMajors Castの辞退で香港からTown of Fionn(芙蓉鎮)が参戦。楽しみ。
▼1988年より旅米の中国作家・劉賓雁氏が米国にて客死。享年80歳。1925年黒竜江省ハルビンに生まれ若い頃に中共に入党。地方紙記者から人民日報 記者、編集者となるが56年に官僚主義や腐敗をば主題とした『在橋樑工地上』『本報内部消息』発表し大きな反響あるが57年に反右派闘争にて右派として党 除名。文革を経て78年に名誉回復され80年代にルポルタージュ文学の傑作とされる『人妖之間』『第二種忠誠』など社会暗部描く作品を発表。「北京の春」 ののち87年の反動で再び党を除名され88年に訪米。89年の天安門事件で中国政府から帰国禁止されハーヴァード大学にて研究と指導続け退職の後も米国に 留まる。
▼その中国が人権問題であるとか劉賓雁の故郷であるハルビンでの松花江の汚染であるとか国際的に批難されても、たとえば巴里にシラク大統領と会見する温家 宝総理の上品さを見れば、この中国という国が、その指導者レベルの極端な品格の高さと「その他大勢」の格差、に尽きる鴨。それに比べ日本は「押し並べて」 平凡。悪しくはないが温家宝の柄が日本の政治家にあるか、というと巴里に似あうのは温家宝。その中国がエアバスを150機!、97億米ドルの発注。フラン スにしてみれば対中の蜜月も当然。
▼政府統計署によれば10月期の小売業の営業額の伸びは4.8%に留まり中国国慶節と鼠効果で政府予期の5.6%に及ばず今年10月までの7.0%増に比 べても遜色あり。マカオのリスボアのサウナでウェイターと雑談で「マカオもこれだけ賑わえば儲かって仕方ないだろう」と言えば実は意外と商売は低迷と打ち 明けられたが大陸からの田舎漢の旅行者が実際にどれだけ経済波及効果があるか、は疑問。

十二月五日(月)晴。寒波襲来。たかだか気温は摂氏15度くらいなのだが香港は極端。つい最近までタンクトップだの肌をさらけ出したブラ トップが突然にセーターにコート、マフラーと防寒具一式装って、さも寒そうにする様。この香港の極端。晩に尖沙咀でDomonでねぎラーメン食す。たかだかラーメンで語るのもなんだが税 込みでHK$75と1,000円超越えるのだから敢えて言いたいことを言えば折角の上等な葱を使っても大量の海草と水煮のモヤシが邪魔。晩遅く薮用済ませ 九龍公園を通り抜ける。都会の闇。バグパイプ隊がプール近くで練習。ホームレス?の男らが暗がりで宴会。パイプ煙草を燻らすにはいい季節。
▼昨日の普選実施要求デモはアンソン陳方安生女史の参加がいきなり話題の的。かつての香港政府ナンバー2のこの参加がご本人は一市民として普通選挙実施へ の希望と語るが周囲は本意は何処に?、誰が仕掛けた、民主党かリベラル弁護士らの45関注組か、汎民主派連合への動きか、07年の行政長官選挙への立候補 か、08年に立法会議員選挙では民主派代表か?と憶測かなり。実はアンソン陳方安生女史も自分の政治的影響力からこれまで心中はリベラルでも民主化要求な ど公然活動は一切避けてきたが、その女史を今回のデモに参加させたのは民主派の大物弁護士など第三者の働きかけではなく、先週水曜日の自称政治家Sir Donaldの晩のテレビでの対市民スピーチであった、とか。政府は将来の普通選挙実施に向け着実に努力していることを強調する、そのSir Donaldの主張に市民の世論との乖離の大きさを女史は痛感し「Sir Donaldよ、おまえもか」と老董と同じ轍を踏む曽蔭権のその横柄な表情に「もはやこれまで」と自らの出番をば決意、とか。民望高きアンソン女史に対し て北京中央は露骨に「英国統治の置き土産」的な香港政府高官をば毛嫌いしたが97年からの董治、建華八年の失敗で(アンソン女史こそ引退してくれたが)ま さかの出番でコテコテの植民地高官Sir Donald登用となり「董去曽来」で市民の政府支持をば高めようとしたがSir Donaldの不遜ぶりはどうも気がかり、そこに満を持してのアンソン女史の復活劇は北京中央にとっても気掛かり。結局は誰もが記憶に鮮やかな、あの香港 返還記念式典にて会場の舞台の中央に、向かって右に英国、左に中国のちょうどその真ん中に一人深紅のスーツにて立ったアンソン女史が一旦は老董の嫌いで政 府から引退したものの、この返り咲きで、この人が鍵を握る。ご本人は昨日のデモ参加で風雲巻き起こし今日には倫敦に十日の旅程と旅立つ上手さ。本晩には金 鐘のホテルにて総領事主催で天皇陛下の誕生日記念式典挙行され香港の政財界の有力者なども揃うが話題はもっぱら昨日のデモとアンソン女史の動きなどであろ う。
▼来年の三月に先代の仁左衛門の十三回忌追善興行は松島屋の道明寺で菅丞相がかかると久が原のT君から知らせあり。あら本当だ。必見。当代の十五代目は襲 名披露(平成十年)以来見ておらぬのだから。先代、十五代目……などと記述続けると先代のあの表情もさることながら思いは「十四代目」に至る。十四代目を 追贈された片岡我童。今さらこの役者について多く語る必要もなかろう。知る人が知っていればいいだけの話。で来年の三月は松島屋の菅丞相が楽しみ。ところ でこの追善興行の記事をネットで読んでいれば記者会見で父である先代について仁左衛門が「本当に芝居好きな人」、我當は教わった言葉は「いい時ほど努力を すること」で秀太郎は「鉄道好きで、新幹線ができて鉄道に個性がなくなり、がっかりしていた」と思い出を語る。芝居好きであることは誰もが納得、いい時ほ ど努力すること、という言葉も先代の大松島らしいが「鉄道好きで……」がいかにも大松島らしさ。役者も野球選手も新幹線が出来た頃から個性がなくなった鴨 しれない。それにしても十三回忌とは早いもの。四月は歌右衛門五年祭興行。
▼T君とは落語の話にもなり先日、桂文楽の咄のことを書いたので新潮社から出たCD全集はお持ち?と尋ねられるが当然、持っていない。これとは別にスタジ オ録音(ヴィクター版)もあり。黒門町(文楽師匠)についてCBSプロデューサーの京須某氏が「文楽の藝は調子と艶で運んでゆくもので、老熟はあり得な かった」と語っていたそうで確かに慧眼。……というスタジオ録音の話から圓生百席の話題となり完璧なスタジオ録音という意味では圓生は落語界のカラヤン か、と言ったらT君にお目高と言われこそばゆいが、金儲けという意味では自家用ジェットももっておらぬ圓生師匠のほうが純粋に藝。
▼週刊文春にイラク人質「自己責任」で注目された今井青年の手記あり。札幌の革新家庭の……と当時批難されていたが「実は高校生の頃から『諸君』や『正 論』といった保守系論壇誌を愛読しています」と文春ではサービス旺盛。なかなかの器かも。武蔵野のD君は先週土曜日、日比谷野音での教育基本法改定反対集 会でゲストスピーカーとして発言の今井青年を見たそうな。

十二月四日(日)ホテルの朝食は午前三時半から始まったわけで階上にはケニア選手団でもいたのか三時すぎから何かと物音。朝五時起床。六時 前から朝食済ませマカオ競技場に六時半過ぎに到着。ランニングクラブの面々と合流。気温は摂氏15度になるはずが18度くらいだろうか、但し風が強く沿岸 からPonte de Amizade(友誼大橋)の往復路が思いやられる。午前七時出発。競技場出たところでいきなり5kmのミニマラソンは左、フルとハーフは右に別れるのだ が係員による注意喚起もなく前方に小さな看板だけでかなりの5kmのランナーがフルとハーフの人に紛れコース間違える。中にはこの距離のかなり精鋭選手も 少なからず不憫。四年前だったか今年とはコースも多少違うが我が1時間52分というベスト記録出したマカオも出だしからキロ7分と最近のかなりゆっくり ペース。やはり強風のなか沿岸から大橋渡る。それにしても自動車の交通量多く而も精製の悪いガソリンとエンジンの調整不良か一車線分のランニングコースの 横を自動車が、それもマラソンの実施で渋滞して並んでいるから排気ガス蔓延。しかもあちこちの埋立や工事現場からは砂埃だの煤塵が強風に煽られ舞ってお り、これもかなりひどい。日曜日とはいえタイパ島の埋立工事など休みなく続いているわけで、ちょっと来年もこの調子なら参加見合わせようか、と真剣に考え たくなるほどランニングの環境としては劣悪。大橋からマカオ本土?に渡ると朝の八時すぎからカジノに大陸からの旅行者が吸い込まれてゆくのを眺める。彼ら は彼らで「朝からよく走るわ」という目でランナー群を眺めている。マカオ空港近くは砂塵の中で目がまわるほど。自分の時計では2時間8分台でゴール。ぎり ぎりフルマラソンの優勝者に抜かれたかった、という次第。競技場近くでZ嬢が最後の応援をしておりフルの35kmくらいにあたるのだろうかO君が2時間半 ほどで通り過ぎるのを応援してホテルに戻る。9時40分で20分後に出るシャトルバスに乗るのに慌ててシャワー済ませ荷造りしてエクスプレスチェックアウ トでシャトルバスに飛び乗りフェリー波止場。荷物をコインロッカーに預け、とにかく足の按摩、と市街に出るが波止場近くの大班サウナが「まだ」普通で、そ れ以外は24時間営業で朝の十時すぎから開いているのは何処も「足が痛いので揉んでほしい」とでも言おうものなら「はぁ?」みたいな、看板も潤んだ目で口 をだらしなく開けている艶っぽい按摩女郎の写真や絵が看板のサウナばかり。歩いていてマカオの1999年の祖国復帰記念する記念モニュメントの広場に出く わす。ここも香港の湾仔と同じく金色の記念塔が建立され大陸からの観光客が楽しそうに記念写真撮影に余念がない。祖 国復帰の象徴であり大陸からのツアーは香港でもマカオでもここに連れて来られるのだろうが、連れてこられた方もまんざらではなく嬉しそう。だが香港もマカ オもこの記念碑の場所に地元民が誰も行こうとすら思わぬのが好対照で可笑しい。純粋な足のツボ按摩など午後からしか開かないようで結局、リスボアホテルま で歩いて来てしまう。ホテルの周辺の路地もホテルの地階のアーケードも朝からかなりの娼婦が客引き。リスボアにもそりゃサウナはあるがリスボアの迷路のよ うな建物でカジノ目指して迷路を進み間違ってカジノの中に入ってしまう。実はカジノに入ったのは初めてかも知れない。モンテカルロじゃないのだから殺伐と した場末の賭場の雰囲気はこういうものかと実感。サウナはリスボアらしい黒の大理石に金だの銀だのの文様で確かに豪華。徹夜で遊んで朦朧としたような賭場 常連のオジサンたちが休憩、といった感。ちょっとゴリエ似の四川省出身という按摩女郎に一時間余徹底的に足を指圧される。四年前に四川省から出てきた、と いうがぜったいにけして上手ではない広東語で通そうとする。広東語は彼女にとって故郷とマカオの自分の分別のコードなのかしら。普段なら「推油」でねちね ちと按摩しながら「先生、小費給我多少銭?」などとやっていればいいのに足の筋肉の硬直を解すのにかなり疲れる様子。走るとこんなに足の筋肉が硬直するも のか、と驚かれるがそりゃ日ごろから走っていればそうはならない。昼過ぎHyatt Regency Hotelに向かう。ランニングクラブの面々と合流してホテルの「フラミン ゴ」レストランにて昼食会。サングリアをかなり飲み、いい気分。香港を今晩のフライトで上海に出張するT君や、上海経由で蘇州に帰るI君、 東莞へ帰るのに寶安行きのフェリーに乗るO氏(今日はずっとO氏と同じペースで走る)と三々五々レストランを後にする。プールサイドの屋外の廊下に面した ソファで暫し寛ぐ。マカオだとパイプ煙草の香りがじつに心地よい。ホテルのシャトルバスで市街。Z嬢がいつもの超級市場Pavilionでオリーブ油など 食材調達に付き合い余はパイプ煙草を二包購う。タクシーでフェリー波止場。午後4時45分のフェリーで一路香港。香港は本日午後三時より普選要求の市民デ モあり。沿岸の道路も多少の混雑見られる。帰宅してすぐにテレビニュース見ると主催者発表は25万人で警察側は午後3時すぎで4万人とする。「香港の良 心」と賞される01年に政務長官退任のアンソン陳方安生女史のデモ参加。大河ドラマ「義経」の奥州平泉での話を見る。奥州平泉は小学三年の時に従兄弟のS 兄の家族旅行に連れて行ってもらって以来だがドラマのナレーションや話の筋で「京にも勝るとも劣らぬ」としているが史実本当にそれほどの規模だっただろう か。形容としての「北の京」程度ならわかるのだが。ざるうどん少し食す。新聞数紙読む。さすがに眠い。

十二月三日(土)晴。朝六時半に起きて諸事済ませZ嬢と九時前に中環のマカオフェリー埠頭。09:15のフェリーの乗船券ながら9時のフェ リーに乗船し一路マカオ。マカオの埠頭に続く沿岸はかつてはマンダリンオリエンタルホテルだけが大きく見えたものが今ではSand'sのカジノ娯楽城が大 きくそびえマンダリンはその影に隠れ一帯は「世界の窓」かテーマパークの如し。桑港のFisherman's Wharfだか真似た飲食店街も出来るそうな。埠頭からタクシーですっかり埋め立てられた、かつての南湾の湾岸線を走り西湾大橋を渡りタイパ島に渡り今回 のマカオマラソンのご指定ホテルである皇庭海景酒店(Pousada Marina Infante)に投宿。これまでマカオマラソンの際はHyatt Regency Macauに宿泊していたが今回も予約の際にふと朝食のことが気になり確認すると「朝7時から」と。朝7時にマラソン開始だが「今回はその催事のオフィ シャルホテルではありませんので」と素っ気ない返答。クラブフロアに宿泊するのだからせめてパンと珈琲だけでもクラブラウンジで食せぬものか、と求めれば 「ルームサービスでどうぞ」は勿論、有料。朝食が提供されぬことより宿泊予約のマネージャーのあまりの無礼に予約取り消し。でこのPousada Marina Infanteに部屋をとったが実はあまり期待もせず。しかし到着するとフロントの係員の対応がお見事で部屋は十時半だというのに高層階の角部屋を宛てが われ宿泊の案内も全て怠りなく朝食は3時30分から可、と驚くばかり。部屋で荷物片づけ、すぐに歩いて10分のマカオ運動場に向かう。自分のゼッケン受領 のためだが出場登録依頼されたO氏とI君の代理もあり。かなり要領のよろしくない受付で混雑もしておらぬのに30分かかり登録完了。ゼッケンやレース資料 など置きに一旦ホテルに戻り昼にタクシーでリスボアホテル。フランス料理のRobuchonに て昼食。食前酒にドライシェリー。明日がハーフとはいえランニングあるのでお酒は控えめに白のグラスワイン。この季節ですから、とトリュフをのせたフォア グラ(これで明日、走るつもりか)、スコティッシュサーモン、ゴートチーズをZ嬢とシェアして前菜。主菜は牛肉とキノコ各種のソテー。赤葡萄酒もグラス一 杯のみ。デザートは秀逸なるナポレオンケーキにジンジャー味のバニラアイスにラズベリーを沢山添える。香港ではどの料理屋にもない美味いエスプレッソまで 満喫。但し隣卓に今回は隣卓に「土地乞食」と綽名したほど浅ましき不動産投資の守銭奴が居合わせ品がない上に大声で投資話。香港のこの土地乞食が中国の、 どう見ても田舎のオバサンだが、どういう素性か知れぬがかなり資産家らしいオバサンと、食事中も耳に携帯の藍牙(Bluetooth)の子機つけたまま! のオバサンの息子かツバメを接待。尖沙咀の東英大廈の建替えで3億ドルが云々、中環のIFC向かいの土地の投資話は30億ドルで云々とまぁ食事中に延々と 土地投資の話題ばかり。話に教養も知性も感じられぬバカ丸出し。店に現れた時から大声で携帯電話も店の黒服に「店内は携帯はご遠慮を」と注意されたが食事 中の携帯も黙認されたのは昼から1,500パタカの10品だか延々続く「一口御膳」をご注文ゆえホテル側も背に腹は代えられず(嗤)。話は否応にも耳に入 るが話ではかなりみずからの投資額の大きさを語るが新聞などで見たこともない顔。表には出てこぬ隠れた有資産者かも知れぬがバカ丸出しで見ているほうが恥 ずかしい。汗ばむ暑さのなか歩いて荷蘭園の大通り。リ トル=バンコクの如きニ馬路。鐘民偉君の営む石頭店を覗く。塔石藝文館では「当代都市影像的可能性研究」(Pele  da Cidade, Imagens da Metropole Contemporanea)なるマカオ市内のいくつかの芸術施設をリンクしたビジュアルアートの展示イベント開会セレモニーの最中。大気汚染かなりひど いなか散歩続けてGuia Hill(東望洋山)の麓のニ龍喉花園。小さな動物園あり猿や熊を眺める。何処に行っても動物園は必ず散歩するがマカオはこれだけ何度も訪れていて初め て。オモチャのようなロープウェイで東望洋山の山頂、といっても標高90mでマカオ本土?では最も標高がある(ちなみにマカオ最高峰は夏に「登攀」のコロ アネ島の170m余の山頂)。でマカオの市街一望。大砲がサンズなどカジノ密集地帯を向いている。ポルトガル軍が19世紀から1930年代まで断続的に建 造の地下壕も見学。夕方。崗を下り復たニ馬路から望徳堂坊、ポルトガル総領事館裏、医院後街を抜け観光客でごった返す大三巴の麓から果欄街。この狭い通り には骨董品屋や古本屋などが集まり何軒か覘く。ロンソンのかなりおしゃれなライター見つけるが化粧箱まで美装なのにライター自身の機能が壊れており飾り物 にしかならず。日暮れ。いつものパン屋でパンを購い午後六時すぎに新填巷の北 京水餃店。美味い。美味いからこうして何度も訪れる。店内の店の紹介の看板の書き出しは
提起餃子自然想起了北京、因為餃子與京劇都是北京的特産、都是国 粋、其中包含了濃厚的中華韻味……
とあり。店主の何とも言えぬ努力と自信、研鑽がこの文章の意欲に漲る。
餃子といえば自然と思い起こされるは北京。餃子と京劇はいずれも北 京名物、これが国粋というもの、それには濃厚な中華の韻味(何と訳す?)が含まれ……
と。この文中の「国粋」がいい。日本ではこの言葉、国粋主義などという偏狭な意味にしか用いられるが、もともとは水前寺清子的に「ボロは着てて心は 錦っ〜」が粋というもので助六の出立ちが江戸の粋であり四季の美しさを言葉に編むのが日本の粋。北京の餃子と京劇が、これが国の最も粋なもの、と言い放っ てしまうところに国粋という言葉も生きる。言葉が生きている。で餃子満喫。この店、スープに麺、それに餃子五個のセットディナーが8パタカ(110円)。 安くて美味い北京の餃子。餃子20個に坦々麺、野菜に麦酒1本とかなりそれなりに食したが計算してみると一月=30晩、毎晩これだけ食べても今日のお昼の 一回のおフランス料理のほうがまだ値が張る。価値とは何なのだろうか。それにしても観光客あふれむばかりのマカオ市街。議事堂前広場は立錐の余地もないほ どの人出。晩になるとタクシーつかまらぬと劉健威氏や蔡瀾氏がこぼしていたが本当の話。新馬路からバスでタイパ島に渡り運動場で降りて歩いてホテルに戻 る。タイパ島もハイアットの周辺もかつては閑散としていたのが賑やかで驚く。ホテルに戻ってもまだ七時半。
▼シンガポールのチャンギ空港でヘロイン密輸の現行犯で三年前に捕まったベトナム系豪州人の25歳の青年が昨日、絞首刑。豪州政府や人権団体が懸命にシン ガポール政府に死刑取り消しを嘆願するがシ政府は厳罰の原則崩さず死刑執行。15グラムのヘロイン所持で極刑のこのお咎め国家にカンボジアから396グラ ム(末端価格で100万豪ドル)のヘロイン持ち込んでは「殺してください」と自殺志願、シンガポールにしてみれば「カモネギ」の如し。青年は負債かかえた 弟を助けるために麻薬密輸志願と供述。ヘロインのような「人生の化学調味料」には個人的には反対したいが、それにしても、なぜ麻薬密輸にシンガポールなど 飛行機のトランジットに選んだのか。せめてプノンペンからバンコクか、ジャカルタでも経由すればよかったものを。青年の故郷であるブリスベンでは教会が追 悼に鐘を25回鳴らし市民が集まり追悼会。シンガポールではこの14年間に420人が死刑執行。豪州政府は非人道的と強烈に非難。だが昨日、1976年に 最高裁判所が死刑再開に有効を示してからちょうど1,000人目の死刑執行された「シンガポールよりさらに極悪非道」なのが米国。南無阿弥。

十二月二日(金)晴。朦霧。中環は粗呆地区の外れも牛記に近いArt Statements Galleryな る画廊に立ち寄ればJerome Maigretという人の“I don't want Andy Warhol to be dead”なる作品が目に入る。すでに他界したAndy Warholの紐育の住所宛に手紙を出す。それが宛先人不明で戻ってくる。香港や中国など各地からそれを続け戻ってきた封筒をいくつも並べて展示してい る、とそれだけだが。早晩にFCCでモルト酒のGlenmorangieの 試飲会あり訪れる。Glenmorangieの10年、18年、ポート樽熟成、同じくシェリー、マディラ。昨年の今頃だったかSCMP紙がこの酒の輸入商 と共催した時の30年ものまで出てきた試飲会には驚かされたが。飲み比べというのは贅沢。至福。Glenmorangieの18年物は香港だとHK $1,000だそうな。日本では9,000円くらいのはず。試飲でちょっといい気持ちで帰宅。惚け防止に、と始めたSudokuであったがついに帰宅途中 にSCMP紙と蘋果日報のSudokuが終わるほどに上達してしまった。帰宅してテレビつけると今度は栃木県の7歳の女の子が茨城の山中で殺され遺体と なって発見される。子どもを狙った殺人も恐いが、それ以上に昔なら「ほんと外国は危ないわねぇ」とそれに比べ日本の安全に安堵していたのが日本なら今度は こういう社会になると世相が恐い。こういった病理的犯罪を防ぐには本当なら個人の精神的な自立、判断力や理性とか、つまり個人の確立と大人の社会の存在が 大切なのだが、個の確立がないとこういった社会病理が出てきた時に「大人の社会」どころか寧ろ規則や監視で縛った、個の確立と共存からは全く逆の社会にな りそうで恐い。いずれにせよ社会は病んでいる。親子丼。菊正宗一合。居間に積んであった雑誌何冊も目を通しとりあえず必要な記事だけ破いて整理。スプリン グバンク10年物を飲む。春に父が亡くなった時、父の霊前に置く純米酒を買いに行った酒屋が実は北関東では知る人ぞ知るモルト酒の豊富な店で、そこで買っ てきた春に託つけてのスプリングバンクの最後を飲み干す。

十二月朔日(木)快晴。旧暦も十一月朔日で暦上では寒さ厳しき季節のはずが冷房が欲しいほどの陽気。陽気といふより狂気の異常気象。「文 明」の快適なる生活の享受でもはや引き返すこと出来ぬほどの自然環境破壊に至っているのか。12月に入りふと思えば8月だかに注文予約したタイムシステムの新年版のリフィールが届いておらぬ。 香港でタイムシステム扱う会社は何かとトラブル多く昨年も配達のはずが12月24日にだかその会社の事務所まで受領に行けば年末のクリスマス前の慌ただし いなか土曜日だったかの事務所で大量のデリバリー手配に女性職員が小学生の息子まで手伝う様に何と難儀かと感じ入ったが今日も恐る恐る電話すると「今年は 扱わないことになりました」と。何を今更、である。注文までとっておいて、百歩譲って今年何かの事情で商品扱わぬ決定があったにせよ、せめて客に連絡する のが道義ではないか?と質すと「注文数が多いので順次やっている」との話。あまり信じられず。もう12月である。PDAだの電子手帳の流行の煽りで従来 の、紙の手帖、とくにファイロファクスなどシステム手帖は80年代の全盛の頃に比べると苦戦を強いられているのだろうか。こういう時代だからこそ紙の、シ ステム系の手帖にこだわり続けているが、こういう取扱いの中止など困ったもの。仕方なく英国のネット販売を利用しようと思えば£50余の商品 に送料が£60余と驚くばかり。ダメもとで日本の取扱会社に電 話すると香港から他にも何人か引き合いがあったそうで事情はお困りでしょうからEMSでお送りします、とありがたい。「ビジネスで忙しいあなたに!」とい うタイムシステムは我にそぐわないかも知れぬが、確か仙台の丸善書店で店頭プロモーションしていた1986年くらいからか愛用。仙台の丸善といえば84年 だかに富士通の当時22万円もしたOasis Liteを 衝動買いしてしまったのも此処であった(A4サイズでわずか2頁のメモリとは……)。で日本の取扱会社では英語版のリフィールも数部残っている、とのこと で愛用の英語版を得ることになる。早晩に、といってもすでに日暮れてはいるがジムに寄り帰宅。最近の帰路はSudokuをばやり始めるとあっという間に自 宅に辿着く。自宅に着いてもドライマティーニを飲みながらSudokuをばまず終わらす事。有機野菜多き晩飯。菊正宗を小一合。ふと思うとほとんど毎日の この地味な生活。時々は人に会うこともあるが積極的に自分から誰かに「飲みに行こう」などと言う例しもなければ誘われることもかなり少ない。せいぜいZ嬢 と日常の延長での「なにが食べたい」かランニングクラブ同志との会食か、最近ではバンコクからY氏が来た時の「定例会」くらい。人づきあいが増えることが ないばかりか減る傾向強し。テレビで偶然に北京の中央電視台(1台)を見ると晩のゴールデンタイムに世界エイズデーの特別番組を放映中。他のチャンネルも 見るが今日が世界エイズデーでも盛大な特別番組流しているのは中共のみ。エイズ感染の女性がカーテンの向こうで語る姿。国家あげての積極的な取り組みかも 知れぬがハルビンでの松花江の汚染問題では事実公表の遅れやマスコミ統制などが問題になり、炭鉱事故の悲劇も絶えず。社会問題は他にも多いのだがエイズは 党や国家中央の責任はない。他だと責められるのは党と国家中央。NHKのニュースで紅白の出場歌手発表の「明るい」ニュース。松任谷由実に赤組のゴリエに 白組の和田アキ子で「楽しみですねぇ」ばかりの市民の声。一人くらい「受信料払ってないのに見てもいいのかな?」とか「今年もワースト視聴率更新ですか ね?」くらいの市民の声があってこそマスコミとして「報道」の気がするが。今井環の「本当に楽しみですね」の紅白が本当に楽しみなそうな笑顔。紅白で一年 を締めくくり「ゆく年くる年」で心を洗い元朝参りで、また新しい一年。去年は去年としてきれいさっぱり禊ぎ落としてしまうことが、我が国の最大の悲劇。 キース=ジャレットのピアノでヘンデルのクラヴィーア組曲を静かに、静かに聴く。
▼昨日の日剰で書き漏らしたが午後七時半に香港の地上波テレビ2局とケーブルテレビ局に自称政治家Sir Donald行政長官が録画で現れ香港の政府主導の政治改革について市民に理解と同意求める録画映像が5分流れる。ラジオ3局でも流れたそうで香港のほぼ 全視聴マスコミでの同時放送。ジョージ=オーウェルの世界。Sir DonaldはBig Brotherか。一昨日録画されたものだそうで昨日の昼すぎに各局に映像が届けられ晩七時半前の放映の厳禁で七時半から番組編成変えての特別放送。ゴー ルデンタイムでテレビだけでも各局への放映費用は計HK$260万にのぼる。12月4日に普通選挙実施求めるかなり大型の市民デモが予定されており、この 行政長官の特別番組は政府の具体的な民選日程出さぬ漸次的改革だが着実安定で世論の支持求めるもの。Sir Donaldの尊大な態度に反感かい易し。こ のSir Donaldの(視線はどうして似合わない蝶ネクタイに向いてしまうが)スーツの胸章にあるのが「躍動する香港」をイメージした龍の意匠。非常にダサい意 匠で政府の専用車と高官の胸章くらいにしかぜんぜん普及しておらず。ちょうど今日の信報に何慶基という人がこの政府のシンボルマークと合わせ12月4日の 市民デモのシンボルマークを比べデザインを論じているのが面白い。香港政府のデザインは「飛龍」で漢字で「香港」をモチーフにしているのだが、かなり無理 して読まないと「香港」と読めない。しかも飛龍とは程遠い。それに比べ今回の市民デモは「普選」という二文字を用いた鳳凰なのだそう。この二つを比べれば 小学生でも「普選」のほうがデザイン的に格調高いことは明らか。「普選」の場合、鳥の頭から首、そして羽と尾まで視覚的にすんなり「普選」と読めるのに対 して「香港」は左下に「香」の字があり、それに被さるように右上に「港」で「香」の字も「港」のさんずいも認識できぬ無理やり。この「香港」の字は97年 からの「建華八年」の悪夢の象徴か。そのバッチ外せぬSir Donaldか。
▼シンガポールのLee2世(と書くとシンガポールは本当に世襲制の王政国家)が渡仏し巴里で志らく大統領と会見。Lee2 世、シンガポールの首相はいつも白いシャツに青い地味なネクタイ、紳士服の青山で買ったようなスーツと廉装が父君の代から当たり前だが、やはり巴里を意識 したような服装の色合い。Lee2世の巴里のセンスはネクタイで失敗。渋いワインレッドのシャツと黒の厚めのジャケットまではいいがネクタイがぜんぜん 合っておらず。敢えて濃紺とか。白いネクタイにしてルパン三世とか。いずれにせよ日本では過去に細川の殿様くらいしか出来ぬ芸当。これだけでシンガポール の外交の成果になる。
▼Lee2世で思い出したが今週末に香港在住のバイオリン奏者西崎崇子様と日本から来港の三味線の今藤長十郎(女史)の合奏公演あり。英字紙の紹介で Imafuji Chojuro IV とあり、確かに四世長十郎はChojuro IV で間違いではないのだが、とすると中村勘九郎の場合はKankuro XVIII と書くのだろうか。
▼どうでもいいようなことばかり記述が続くが誰もが知ってるパバロッティ氏が明晩だかのコンサートのために来日。入 場料は約5万円。貧乏人の僻みと思われるだろうが湾仔のコンベンションセンターで拡声器でガンガンのコンサートに大枚叩く客の気が知れず。で画像は引退も 近くMadam Tussaudの蝋人形館に展示されたパバロッティの蝋人形ではない。ご本人である。しかも舞台化粧ではない。
▼畏友よりメールで成田屋さんとの直談内容を聞く。團 十郎のサイトでの入院日記を時々拝見しているが「自分も病に臥せっても、あゝありたいもの」と思わされる、成田屋の人柄のにじみ出た記述。役者で ありながら疾病のかなり専門的な記述多く(余にはさっぱり理解できないほど)読書など分野も多岐にわたり政治から憲法問題にまで言及。必見。ところで「ご 贔屓」の書き込み掲示板に海老蔵の舞台見た女性が「海老蔵様のやさしい目、力強い目素晴らしかったです。今、お腹の中に赤ちゃんがいるので、昨日、声や音 を聴けて喜んでいると思います」と綴ると、通常なら「丈夫な赤ちゃんが産まれることを祈っています」くらいに答えるのだろうが、海老蔵君であるから、ここ で「とてもいい胎教になるのではないでしょうか」と言い放ってしまう(笑)。この自意識。成田屋以外では許されない思い込み。隠し子発覚の際も相手の女性 が「産みたい」というので「どうぞ」と答えました、と言い放っただけのことはある。
▼今年のベストドレッサー賞に小池百合子環境大臣というニュースに日本国民のうち2,500万人くらいは「ベストドレッサーは小池百合子じゃなくて……」 と思ったであろう。主催者も本当は本命がいたのだが敢えて小池大臣への授賞に甘んじたの鴨。

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