乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十二月卅一日(月)朝九時から湾仔のImmigration Deptで香港身分証の再申請。九時に行つては爆満と聞けば用心して八時に赴けば果たせるかな開門前の長蛇の列は既にGloucester Rd越えつゝあり。待ちが長からうと創元推理文庫の日本探偵小説全集6巻小栗虫太郎集持参は正解。『完全犯罪』なる短編読む。で香港身分証申請は早い開門 で建物の中にこそ入れはして八階だかのフロアに辿着いたが長蛇は相変はらずで、ふと後ろ振り向くと三、四十人しか尻尾はをらず。どうやら後続は折角朝早く 来ても本日満額で追ひ払はれた由。で、本 日の整理券配付となるがアタシに渡された整理券は、なんと正月三日の午後二時。べつに当然だがこれから53時間並ぶ必要も当然なく、先日の電話予約では一 月十四日だつたのだから三日の整理券頂戴できただけでも御の字。バスで半山區。オリンピアグレコ珈琲店に珈琲豆購はむとすれば老店主は朝寝坊か近くの星巴 珈琲に小一時間寛ぎ無事、珈琲豆ゲット。ふらふらと坂を下り数年ぶりに散髪……つてルンペンに非ず、自分で剪髪するやうになり十数年だからなのだが最近ま た少し髪を伸ばし始め、で数年ぶりにかつて贔屓の上海理髪店に寄り散髪。理容師もかなり高齢で後継者一人もをらず、は相変はらず。丁寧に髪を刈つてもら ふ。手帳を無くし手帳も購入しないいけないが、ここ数週間の予定が朧げな記憶だけなのも怖いところ、もう二十年以上愛用したFilofaxか何度か浮気し た倫敦のSmythsonか悩んだ結果、買つたのは地場のわづか8ドルの手帳。一ヶ月が見開き型。意外とこれでイケさうな予感。今回の遺失のなかで唯一、 元手のかかる買物になつてしまふDunhillで財布購入。無印で小銭入れなど買ひ帰宅。明日の競馬の予想したりカメラの手入れしたり。夕方、近くの場外 馬券場まで散歩。晩にモツのキムチ鍋、を頬張りながら焼酎のお湯割り飲みながらテレビで紅白ぢや、まるで日暮里の安酒場で、大晦日も故郷に帰れぬやう。こ のモツのキムチ鍋を日暮里鍋と名付ける。敢へて大晦日の晩はAram Il'ich Khachaturian(カナ書きだとアラム=イリイチ=ハチャトゥリアンか)が1936年、33才の時に作曲のピアノ協奏曲変ニ長調を聴く。ソヴィエ ト国立交響楽団をエミン=ハチャトゥリアン(作曲者の甥)が指揮してピアノはミハーリ=ヴォストレセンスキーといふ超重量級の、とてもとてもソ連らしひ曲 と演奏。小栗『完全犯罪』読み終はりかけた頃に近所から若者らの歓声に年が明けたことを知る。読了。昭和8年に三十余歳の若き小栗の名を一躍有名にした短 編。博覧強記ぶりの片鱗見せる。がアタシは推理小説で謎解き者が薬材や化学、病理学などに詳しく犯罪の要因にそれが関はつてをり!その知識ひけらかしなが ら謎を暴くのはアタシは安易過ぎて好きぢやないし、筋としてちよつと無理ばかり。
▼香港での普選遅滞に対して民主党の元党首・李柱銘さんは週末に抗議の絶食一日。普通実現、ふと思つたが明治の日本の普選要求と今回の香港には同じ普選要 求でも大きな違ひあり。日本など選挙権が富裕層の男性に限られてゐたものを男性全般とし、さらに婦人参政権へとつながるのがかつての普選要求。香港の場 合、すでに参政権はあるが(といつても選挙権登録してをらぬ市民のはうが過半数)全面直接選挙求める運動であり、問題は立法会の職業枠と行政長官の選挙人 選抜が親中派で多く占められること。さう考へると2012年の普選実施要求も良いが、泛民主派は現実的には少なくとも立法会の職業枠での議席獲得と行政長 官選挙の選挙人の中でのリベラル派増加に知恵を絞るべきではないかしら。蘋果日報の尊子さんの一コマ漫画も香港市民の普選要求が便所で糞尿と一緒くたに流 される、ではちよつと……。ここまで書かれても「放つておく」措置とられるだけ一国両制は機能しているの鴨。
▼少林寺のある登封市の人民政府が少林寺を観光企業体として香港での株式上場計画中の由(SCMP紙)。資金調達で少林寺の寺院施設、周辺観光施設の充実 を、と。福田康夫君訪れた曲阜もこれに倣ひ上場かしら。福田君といへば曲阜にて「温故創新」と揮毫してみせたが温家宝君も(日本ではあまり報道されてゐな いやうだが)首脳朝食会で
常憶融冰旅 梅花瑞雪兆新歲 明年春更好
と俳句に似せた語呂で漢詩を詠んで披露。キャッチボールよりやはりこれ。

十二月卅日(日)昨晩はさすがに疲れて熟睡のはずが午前四時頃に目覚めてしまひ週刊文春など読んでゐるうちに朝刊配達され(朝日新聞の衛星版の配達は五時 すぎ)朝となる。外出するとロクなことがない気がし、香港IDもないし、で本日は蟄居の身。自室でいろいろ済ますがyoutubeで枝雀師匠や中島らもさ んの落語など見始めたら、あつといふ間に燈刻。毎週日曜晩は香港電台製作(翡翠台で放送)の傑出華人系列をやつてゐるが今晩は香港大学学長の徐立之教授。 遺伝子疫学の権威でトロント大学教授からの転任。1950年の上海生まれ、で香港に渡り何文田官立中学から中文大学に進み生物学専攻。その後、遺伝性疾患 の研究と治療ではカナダでかなり著名、と確かに傑出した人物。ただ李嘉誠、画家の朱徳群に続くと、ちよつと徐立之教授は……といふ感じもあり。徐立之とい へば香港大学で李嘉誠の億単位での医学部への寄付に対して医学院の院名に「李嘉誠」と冠をつけることに医学部関係者らが猛烈に反対。徐立之と対峙。韮と豚 肉の鍋。
▼全人代常委が昨日「2017年の行政長官選、それ以降の立法会選で全面的な普通選挙実施」と決定。自称政治家・文革曽(行政長官)はこれを受け2017 年の長官選挙、立法会の普選実施は2020年を目指すと表明。基本法に当初謳はれし2007年が過ぎ2012年の実施目指した民主派の反発は必至。この 「遅滞」、なぜに生じたかと言へば天安門事件を基因とする香港の反政府感も当初の青写真では香港が経済的安定持続できれば返還後10年もすれば反感も多少 解消するはずが建華九年の治世は民心が乖離し更に親中派御用政党民建聯の腑甲斐のなさで政治的不安定続く。「香港的には」普通選挙実施がいつたい何がいけ ないのか「わかんなーゐ!」のは民主派ばかりか實は親中派とて本音は一緒。ただ「北京的には」現状で香港といふ「一地方自治体」での民主派の躍進が国内で (多少なりとも)政府に対し土地徴用や役人の腐敗などに対して「物申す」市民を勢ひづけることになつては面倒。北京中央にしてみれば江澤民の云ふところの naiveな民主派、そして独り立ちできぬ民建聯ら御用政党、そのいづれもへの苛立ち。今回のこの全人代常委の普選遅延決定も「反民主的」と云へばそれま で、だがその決定の当日に北京から全人代常委副秘書長・喬暁陽(港澳特別行政区基本法委員会主任)らが香港に遣られ中央政府の決定を紹介し理解求めただけ でも「一党独裁国家の政府が」と思へば、大阪程度の規模の一地方自治体の「自治」について弁へてゐるか、の表れ鴨。それにしても、この普選遅延の措置が董 建華に非ず「所詮リリーフ」のはずの文革曽のもとで確定とは……自称政治家の小役人のはずが、まさに政治家か。

十二月廿九日(土)荷風さんが三菱銀行の通帳だの印鑑の入つた愛用の手提げ鞄を電車に置き忘れは確か昭和廿九年の春だつたかしら、当時の額面二千万円だか は今なら億の単位。その日の晩の散人はいつたいどういふ心境だつたか、それに比べればアタシの遺失物などかはいいものか、否、荷風散人の場合は無事発見さ れたのだから、などと臥床してもいろいろ考へが脳裏を巡り忸怩たる思ひでまんじりともせぬまま空も白む。遺失の手提げに大杉栄の『自叙伝・日本脱出』(岩 波文庫)あり。自叙伝の方読み終はりかけ「日本脱出」読むのが楽しみだつたのが残念。朝。……とにかく何がなくても香港で要りやうはオクトパス。深更に既 存のパスを止めてはゐるが(アタシのオクトパスは残額不足となると銀行からの自動振替だから無くすと怖い)急場凌ぎで地下鉄站でオクトパス購入。銀行の支 店に行くと本人確認でHKIDがないと銀行カードの再発行できぬと言はれ、御行のクレジットカード部門は電話一本で再発行に応じてくれたし旅券持参なのだ から、と請ふが慇懃無礼で首を縦に振らず。で湾仔のイミグレ。HKIDの申請など当日の飛び込みは朝の開門で本日満額。月曜日に出直せと言はれる。中環。 携帯電話はその場でSIMカード無料再発行。携帯電話機も新しいのをお買上げ、が先方の商売だが幸ひ当方に代機あり急場凌ぐ。駄目元で銀行の本店に行くと 警察への遺失紛失証明で難なく銀行カードも再発行可。午後にかけ更にいくつかカード再発行行脚。オクトパスカードも月曜日に再発行可と電話あり。かうして 考へるとほんとカード=人格か。それにしても香港のかうした手続きの簡便さ、有難し。警察だけは一つ粗忽あり、遺失証明の書類に印刷されたお問合せ電話番 号に通じず、所用済ませ早晩、警察署訪れると電話番号は数年前のもの。遺失証明といふ急を要する書類で誰か気づかないのかしら。已然、遺失品は見つから ず。そろそろ断念も覚悟。今年はトラホームに胃潰瘍、夏には書棚整理中に転倒し眉間が割け、年末にこれぢやほんと厄年。厄年はとうに終はつたのに。帰宅し てウォッカきゆつと引つ掛け多少気も楽、はただのアル中。力うどん。NHKで「大相撲とことん言ひます2007」を見る。とにかく総括のやくみつる、年々 真面目さばかり目立つ閣下、に比べ藤井アナ、舞の海、にアタシが子どもの頃、贔屓にした御大北の富士のトリオのはうが華がありすぎ。藤井アナは有馬記念で もマツリダゴッホーッ!と連呼。ふと、今回の遺失も「年末に有馬記念に大金投じてマツリダゴッホにしてやられた」と思へばいいか、とワケのわからぬ解釈。 で少しでも回収を、と元旦の日の競馬出走表見る自分が情けない。
▼アタシの日剰でも話題にすらすつかりない福田康夫君の訪中。温家宝君との交流がキャッチボールとは如何なものか。ブッシュ&小泉ぢやあるまいし、なぜ日 中の両国が米国の球技で交はるか、情けない。卓球でもすべし。

十二月廿八日(金)昨晩、薄田泣菫の『茶話』読まうとしたが「まだ」アタシにはダメ。谷澤永一さんが冨山房百科文庫で「完本」三巻を編んだ泣菫のこの短編 随筆集は、内容の平易さ、が逆に「本当にヒマ」ぢやないと読めない。これを若いのに読んだのが坪内祐三さんで「さすが」である(ちなみに岩波文庫版の『茶 話』のあ とがきは坪内氏)。更に年老いてからの愉しみに書棚に茶話を仕舞ふ。ところで朝日新聞社の小学生向け社会科『週刊しやかぽん』12 月30日号「世界びつくり新聞」の「1940年 チベット ダライラマ14世即位」が不肖富柏村の執筆。本日、晩にFCCのダイニングルームでフォンデュディナー。といふ趣向は、アタシがトレイルにご一緒いただく アルピニストO氏は仏蘭西のChamonixでMont Blancをぐるりと一周、毎年開催されるUltra Trail Tour du Mont Blancにも参加経験豊富で、Y嬢が同僚の青年B君が次回のそれに参加のためO氏より情報聞きたいと、その仲介。数日後に帰国のN君 夫妻も登山家カップルでChamonixのこれにも昨年出場してをり、それぢや経験者一同集り、で、どうせだから昨晩と今晩はFCCでdî ner de fondue dans la saison d'hiverも開催されてゐるので、ここでfondue食しながら大いに白葡萄酒堪能しませう、とZ嬢も一緒に6名集りMarlboroughの Hunter's Sauv Bl. 05年、Shaw & Smithのunoaked Chard、もう一度新西蘭に戻りCloudy Bayで最後は仏蘭西の名前失念の白、よく食べるのは飲むは、でfondueと白葡萄酒満喫。で帰途、一生の不覚でタクシーに貴重品入つた手提げ忘れる失 態。一瞬茫然。近隣の警察署に行き紛失届出して帰宅。深更に銀行だのクレジットカード会社だの携帯電話会社などに通報。夜中でもオクトパスカードが自動録 音なのを除けば深夜勤務の方々に深謝。一番の驚きはさすがAmexで月曜日朝にカードを直接お届けいたします、と。Standard Chartered Bankはクレジットカードはこの電話で新しいカード数日で郵送いたします、だが銀行カードのはうは銀行窓口で再発行手続きしてください、と便宜格差…… クレジットカードも銀行カード兼用なのに。総じて手続きの簡便さに驚くばかり。

十二月廿七日(木)所用で出かけるのに山越えで走る。快晴。気温は摂氏十七度。走つて汗をかいてもシャツの着替へがあれば良い。水も少なめ。晩に忙しく 「食の孤島」太古城のCityplazaの所謂Food Courtでオリエンタルカレーでも食べようか、と思つたらオリエンタルカレー供すカレー屋は閉ぢられ近日中に印度カリーの店が開業、と張り紙あり。香港 では、あの「いかにも即席カレー」のコクの無さ、は人気出ず、かしら。旭屋書店でアサヒと日本のカメラ雑誌二冊購ひ帰宅。夜遅くまでジャックダニエル飲み ながら熟読。といつても、同紙ともEOS-1DsMark IIIとD3取り上げ「ニコンらしさ、キャノンらしさとは何か?」とか「究極の高画質デジイチ、その凄み」なんて記事がメインで、アタシ的にはRicoh GR Digital IIやライカズマリットMレンズの特集とかも嬉しくはあるが(アサヒカメラがこの新ズマリットとフォクトレンダー(コシナ製)を比べ価格など考慮すると後 者がいかに互角に勝負してゐるか、を指摘してしまつたのも可笑しいが)、実は何の記事に最も関心がいつてしまつたか、といへば、まづ、新宿戸山で Contax専門に扱ふ極楽堂が開業5周年記念でアサヒに8頁、日本に4頁の全面広告掲載の天晴れ(先日もDavid Chan氏にGからMマウントの変換リングを見せられた時には昨年の秋にライカ化計画の中でContaxはG1やビオゴンのレンズ処分してしまつたことを 悔やんだ)であり、そして、四谷荒木町のアローカメラの買取り名人・野田父子の写真が、08年新年に当たつてか、これまでの左右並んで坐つてゐた写真か ら、父が椅子に坐り息子が背後に立つ、といふ「いかにも写真館での記念写真的な」父子像に変はつてゐたこと。その2つなのだ。実にこれが可笑しい。それに しても、この二誌はほんと並べて読んでみると誠に興味深い。アサヒカメラが大和屋、昨年正月の中村屋に続いてこの正月號では篠山紀信先生の成田屋の坊や。 デジイチと望遠レンズ駆使して、の海老蔵の舞台写真だが、これに対して日本カメラが土田ヒロミの、田楽か何か、土俗舞の装束を白を背景にした現場つて、た だの田舎か、の仮設スタジオ!でのポートレート撮影。完ぺきに後者の勝ち、だらう。
▼長實さん(李嘉誠)が1963年に65万ドル(今ならわづか1億円)で買ひ上げ43年住んだ79 Deep Water Bay Rdの家から引越し。新居は2003年に83百万ドルで梁 智鴻一族より購入の(つて03年=疫禍のこの価格は破格の底値、さすが李嘉誠だが)壽臣山(Shouson Hill)の敷地に長男宅を含む三家屋、床面積3000平米の邸宅を完成。何が強引、つてこの土地、もともとは壽臣山24號といふ住所だが、24は「易 死」と読める、といふわけでか、登記されてをらぬ22號を用ゐて三棟を22A、22B及び22Cとしたが、これも気に入らず邸宅の後門に入る路地(私家 路)を壽臣山徑(Shouson Hill Drive)と命名、で自宅住所はNo. 1-3 Shouson Hill Driveにしてしまふ荒技。これが邸宅の門柱に堂々と(まだ嘉誠道とか長實經にしなかつただけマシか)。地政總署(Land Dept)の担当者によれば敷地内に道路を造つた場合の命名権は土地所有者にあり、申請すれば政府は道路名称を官報に載せ正式な道路名称となる(元朗の錦 綉花園の錦綉大道などもその一例)。また申請せず官報に載せぬのも不法ではないが、それでその住所用ゐれば何かと不便もございませう、と。で、固定資産税 扱ふ差餉物業估價署は、この土地はあくまで登記上は壽山村道22A、22B及び22Cであり、門牌の住所表記は不正確であり所有者に正確な住所表記するや う書面で提示の予定、と言ふ。 また条例によれば土地所有者が正確な住所を門牌に提示せぬ場合、最高罰金HK$2千及び6ヶ月の禁固刑の由。ところで蘋果日報の地図で壽山村道51號厚園 が「政務司司長官邸」とあるが、これは「律政司司長官邸」の誤り(政務司司長官邸は山頂のBarker Rdの15番地 Victoria Houseなり)。

十二月廿六日(水)耶蘇節に続きBoxing Dayの休日。例年この日は港島のBlack's Linkで8kmほどのレースあるのだが今年は参加申込み逃す。Z嬢と大老山の隧道潜り廣源邨の団地から黄牛山(604m)のはうに入るはずが本来の石芽 背に向ふ登山口をほんの50mほど手前で断念してしまひ見つけられず(初歩的な地図の読み違ひ)手前の澤で薮漕ぎ続けること一時間半。昼近くになり観念し 梅子林を回らうか、といつたん車道に出て歩き初めて石芽背に向ふ登山口見つけ予定通り歩き始める。黄牛山の標高400mあたりでMcLehose Trailの#90左右のトレイルコースに出るのだが、ここから「大腦」に下る草原、孟宗竹の林は見事。「大腦」はすでに廃屋が草木に覆はれた部落。山深 きこの地にかつて四、五軒の集落が あり。なぜ「大脳」(Tai No)といふ奇妙な名なのか。1kmほどかつてかなり整備された石の敷かれた山道を下り(これだけでも大腦の部落はかなりの財力あり)界咸(Kai Ham)の集落に出、此処からちやうど来たミニバスで西貢。その道の途中、山中の掃墓の人に「昔の礦山の陥没窩に注意」といふ看板あり。ふと、大脳など、 この山深き部落の人々は礦業を生業にしたのでは?と思ふ。西貢で麦酒を飲むつもりがDuke of York酒場開いてをらず。英国流にBoxing Dayで休みかしら。林記小食で腸粉と炒麺で空腹癒しコンビ ニで購入の麦酒を波止場で魚介賣る近隣の漁師の小舟眺めつつ、飲む。帰りのミニバスの車窓から見るとDuke of Yorkが開いてゐる。ふだんなら昼から開いてゐる酒場は、どうやら昨晩の耶蘇の騒ぎで今日は遅めの開店だつたのかも。帰宅。早晩、印度に McDowell'sなるウヰスキーあり、これをロックで飲む。先日N君にこのMcDowell'sのSignatureといふのだから同社では優良銘柄 なのだらうがアタシは個人的にこの印度のウヰスキーは嫌ひぢやない。ラベルに Rare Whisky つてそりやレアだが(笑)。印度のモルトとスコッチをブレンドするのだと云ふ。N君がどうしてこんな酒を入手したのか、ラベルを読むと製造元がネパール で、登山家のN君夫妻のことだからカトマンズででも入手したものかしら。昨晩の酒の肴で夕食。もう1年以上、基本的には夕食で「ご飯」を食べず「おかずだ け」の野菜多めの食生活。中上健次「熊野集」読了し「火まつり」も読む。映画のための原作(書き下ろし)で当時、新刊で読んだ記憶(読んだ、といふだけの 記憶)があつたが、こんな説明のくどい作品だつたか。どうしても柳町光男が監督で、北大路欣也&太地喜和子の映画こそが印象も強い。それにしてもあの映 画、撮影は田村正毅、音楽は武満徹で、キャストも脇を固めるのが宮下順子、藤岡重慶、小林稔侍、菅井きん、高瀬春奈、三木のり平など実に印象的であつた。

十二月廿五日(火)異教徒の身で聖誕祭の公休なり。昼前に山に入り10kmほど走り、その足でジムに駈け入り小一時間の有酸素運動。来記に紫菜四 寶粉食し帰宅して午睡。晩に日頃御世話になる某夫妻とS女史を陋宅に招きそれなりの美酒にZ嬢の酒の肴。酒飲みの嗜みでさつと二更にお終ゐの潔さ。客人帰 られたあとの更に一杯の心地よさ、は江藤淳先生の気分。
▼唯靈さんが飲食男女といふ雑誌で紹介してゐたのが、先日アタシも食した鏞記の「清湯爽腩」。牛腩のうち痩肉のちかくの白身の部分だけを上等な清湯で煮た もので白腩の供給が少ないから数がとれず鏞記でも「售完即止」。普段なら牛腩などちよつと……といふ方でも、この清湯爽腩ならイケるかも。

十二月廿四日(月)朝、久々に裏山に入れば樹木の満開の花の地面に花弁落ちるさまから未明にそれなりの雨があつたことを知る。小 一時間走る。夕方、ミッドレベルをRobinson RdからHollywood Rdに下る。坂の古い街並みも再開発であとどれくらゐ残るのかしら。FCCに憩ひバーボンソーダ三杯。中上健次の熊野集から「葺き籠り」読む。交情の場面 の描写などさすが中上健次と唸らされる。Stanely街の鐘沛撮影材材行(Chung Pui Photo Supplies)にてカメラ、レンズの防湿庫(40ℓサイズ)購入。アタシの部屋はけして多湿ぢやないが、さすがに最近、カメラやレンズに黴でも生えた ら、と心配も多少。父の遺品となつたニコンF2やニコマートELも防湿庫できちんと保管されたまま主を失ひ、それを高温多湿のこの香港でなら「なほさら」 と。黴の除去の費用など考へれば防湿庫など安いかも。買つてからクリスマスイヴの人ごみにどうやつて帰るか、と恐ろしくなる。絶対にタクシー拾ひさうな客 のゐないQueen Victoria街の路地でちやうどタクシー来合はせ帰宅。尖沙咀や蘭桂坊など繁華街に聖誕祭祝ふ者溢れんばかり、勘違ひの異教徒多し、畏れて在宅に徹 す。二更に年末に帰国のN君夫妻が残つた酒や食材など届けてくれ、外に出ると見事な十六夜。近くのキリスト教会信者らが路上にて賛美歌唄ひ高らかな恍惚の 歓声。これがモスクの集会所から礼拝の時刻を告げる「アザーン」が流れてきたり真言の聲明でも聞こえてきたら「薄気味悪い」と嫌がられるのかしら。健次 「熊野集」続けて読む。
▼在港のジャーナリストでもないし随筆家でもない、敢へて「物書き」と呼ばせていただくがKevin Sinclair氏逝去。享年65歳。SCMP紙の往年の編集者でフリーになつてからも同紙に週一だかで随筆掲載。読み親しむ。酒焼けの赤ら顔、新界を愛 した老香港の英国人。つい先週、氏の新刊“Tell Me a Story: Forty Years of Newspapering in Hong Kong and China”上梓のパーティがFCCで開催されたのが水曜日。自称政治家“文革曽”もシンクレア氏のファンでパーティで新刊に署名もらふ姿など新聞に出て ゐたが肥満体のシンクレア氏がすつかり痩せ細る。一見して癌の病魔。それでも見た目は精悍な二枚目に映るのがさすが。会場では坐つたまま、だつたさうで、 この本が氏の遺作となることは本人や家族、親しい方にはわかりきつたことで敢へて、の新作発表とお別れのパーティだつたのだらうか。その十日目に逝去。

十二月廿三日(日)宿酔で午前中使ひものにならず、の陛下御生日。昨晩いただいたGX100のパーフェクトガイド(ソフトバンク刊)読む。メーカー側には 失礼だらうがCaplioのロゴを隠しGXとかRicolet(なぜよ?)といつたロゴに変へてしまふシールが付録なのは笑へた。アタシはこのカメラには 興味がないので、この本はGX100をお持ちのA氏にでも年 明けに差し上げよう、と思つた。昼すぎ今晩から久々に自宅での食事続くので街市に食材購ふ。来記にて海鮮の咖喱味「叻沙」食す。午後机まわりの雑用済ます。夕方、 R-D1sに昨日入手のズマロンのレンズ装着し散歩。鰂魚涌のすでに閉鎖となつた培志男童院の跡地など撮影してみる。曇り空の夕方に、とてもそれらしい色 合ひ。1955年に独逸で製造されたこのレンズが半世紀もの間いつたいどんな風景を写してきたのか、とピンクフロイド的に気になるところ。East End酒場にエール二杯。むかひ酒で気分回復とは我ながら情 けない。2年も前に発売のGR Digitalのパーフェクトガイド(ソフトバンク刊)書店で購入。有馬記念は予想もつかずロックドゥカンブの複勝のみ地味に購入してゐたが惜しくも4 着。優勝はマツリダゴッホ……オレハマッテルゼよりも更にアタシのセンスとして「絶対に買へない名前」。I君とメールのやりとりのなかで、いつのまにかマ ツリダバッハ、と書いてゐたが双方誤記にすら気付かず。晩は先日の鏞記の鹵水鴨舌や烟燻鴨のお持ち帰りなど食す。Ch Bellenfont Belcierの葡萄酒も。テレビジョン(翡翠台)の「傑出華人系列」で巴里在住の抽象画家・朱徳群の特集見て中上健次「熊野集」続き読む。
▼GR SNAPSを眺めると、写真はスナップであるから甲乙つけもできないが、それよりも手書きのコメントのみんな字が下手なこと。そのなかで、そえじまみちお氏の字が個性的で可愛 らしい。写真は糸崎公朗氏のが断然、良い。

農歴十一月十三。冬至。朝五時過ぎに目覚め新聞に目を通し朝から机上の整理。十二月号のカメラ雑誌、通し読みで済んでゐたもの、面白い記事切り取つてゐる と今年の「デジイチ」ブームのかげでライカやリコーの小型機の記事も少なからず。文藝春秋新年号読む。昼に至り久々にふらふらと出街。尖沙咀。陳烘相機 (David Chan Co.)に寄る。まづい。Lマウントのズマロン35mm F3.5のレンズと目が合つてしまつた。ちよつと古めの柔らかいレンズが欲しかつたので、値段もお手頃……つて「ライカのレンズにしては」の話で、これで GX100が買へてしまふが、今年は競馬も多少調子が良かつたし、あつ明日は有馬記念だが、どうしようか、と迷ふのも長徳先生がアサヒカメラで「降誕祭に ライカを買ふ」なんて書いてゐたからで、やはり1955年製造のレンズを半世紀も経つて使ふことがどれだけ楽しいか、なんて、レンズを手に惚れ惚れとしつ つ考へてゐると、突然、声をかけられドキツとしたら、知己の写真少年Y君がお父さんとご一緒。 学校も冬休みに入りお父様が息子にキャノンのA-1を買つてあげる、といふ、デジタルな今どき、なんて素晴らしい親子の姿。20年前の品とは思へぬ、かな りコンディションのいひA-1がDavid Chan氏から供される。カメラつてほんといいな、と、ついアタシもズマロン35mm F3.5を購入。つひにLマウントの更に深淵に嵌つてしまつた。当然、初めてのLマウントレンズなのでML変換のバヨネットリングも入手。天后。華姐清湯 腩は長蛇の列。隣の大利清湯腩のはうがすぐに入れさうで久々に大利で腩粉。北角で按摩。中上健次の熊野集読む。晩に銅鑼湾。I氏より招飲の約あり日本料理 「」。某精密機器・カメラメーカーの方々と歓談。GR SNAMPS(ぴあ出版)頂 戴する。で 今晩の酒の肴はGR Digital IIのはずだつたがY氏持参のGX100にアダプター噛ませて装着されたレンズ、に賞賛集る。GX100といへば19mm相当(35mm判カメラ換算)の ワイドコンバージョンレンズがあるが、今晩見せられた「これ」は某メーカーの発売間近の魚眼レンズの試作品。テーブルの上にカメラ天上に向けて置けば当然 のやうに卓を囲み、このレンズに見入る面々がすべて収まる面白さ。エプソンのR-D1については、なぜエプソンなのか?は、エプソンがプリンタのメーカー として最も美しい色の出せるデジタルのカメラを考へた際に、ライカのレンズだ、だがライカレンズ装着できるデジタルのレンジファインダー機が存在せず(当 時)、ならば自社で、となつたものぢやないかしら、と聞く。尤もな話。カメラ談義尽きずバーS。三更に到りI氏に誘はれるがまま尖沙咀に渡り十年ぶり?か で日系のHなるバーでカラオケ。
▼文藝春秋新年号で櫻井よしこが「渡辺恒雄氏と自民党の最後」なる、大連立仕掛けたナヴェツネへの強烈な非難。それは真つ当だが「なぜよしこさんがナヴェ ツネを非難?」と気になりながら読むと「やつぱり、これか」は今年八月の北京週報への恒雄さんの発言で
今後誰が首相になるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続 き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖国神社に行ってはならない、と進言しなければならない。もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社 を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000万部の『讀売新聞』の力でそれを倒す。
……と、これか(笑)。これがよしこさんの逆鱗に触れたのは確か。ところで当のナヴェツネさんはテレビ番組収録で「大連立持ち替へたのは小沢氏」と発言と か(朝 日)。それにしても大連立以前に「自民党の最後」は確かなのかもしれないのは町村官房長官や石破防衛相のUFO発言。石破さんは「UFOは外国の 航空機でもなく、領空侵犯(への対応は)は厳しい。攻撃を仕掛けてこなければ防衛出動にもならない」と自衛隊法ではUFO対応難しいと指摘し、この可否に つき個人的に検討に取り組むさうな。さらに「いろいろな攻撃を仕掛けるのなら防衛出動だが、『地球の皆さん仲良くしよう』と言へば急迫不正の武力攻撃では ない」「ゴジラがやつてきたら、(破壊行為をしても)天変地異のたぐひだから災害派遣だ。モスラも大体同様だ」と独自の見解を披露。共産国家が敵だつた時 代の懐かしさ。敵はテロから宇宙人へと妄想広がる。さらに航空幕僚長がUFOへの対処につき「これから検討することになるのではないか」「大臣が言つてゐ るから。的確な文民統制の下、粛々と活動したい」と述べ、空自機の緊急発進(スクランブル)でUFOを発見したことはなく、空自の対処能力について 「UFOの能力が分からないから、答へられないが、漫画に出てくるやうな飛び方をするなら、(対処は)難しいだらう」と。安保の時代なら「円谷プロ」の話 が半世紀後は政府、軍がまじまじと発言。嗤ふべきか、あるいは宗主国米国より政府・軍幹部に「なんらかの未確認情報」が届いてゐるのか(笑)。

十二月廿一日(金)母たちと朝、湾仔の龍華酒樓にて飲茶。母 が次に来た時にはもう路上には存在せぬであらう交加街の 街市ふらふら。ホテルに戻り母たちを見送る。フライトは午後3時だが5時間前に集合で尖沙咀は北京道のDFSに寄り道組み込まれてゐる由。それ、どこ?と 尋ねられ「むかしの三越」と答へる会話ももはや老香港。扉を閉められて出てこれない怪しげな土産屋に連行されるよか、DFSに寄るくらゐは、さすがJAL のツアーで良心的、か。晩に宴会あり湾仔に向ふが今日は道路が終日、大渋滞。ところでタクシーの運転手、最近、フロントに携帯電話3、4台並べ配車だの仲 間内との雑談など続ける者少なからず。携帯電話はハンドセット持つての片手運転だけが交通違反の対象でイヤフォンさへ使へば携帯を4台並べて配車業務すら お咎めなし。運転に集中してをらず、而も大声で通話続け五月蝿いこと甚だし。終日、車を運転することの憂鬱も理解できずが携帯での通話で脳に異常来してゐ るのかしら。あんな人たちに命を預けると思ふと怖い。湾仔の某居酒屋で の忘年会に招飲受け末席を汚す。午後6〜11時までHK$188(サ別)で食べ放題、飲み放題の由。但し食べ物は残すと100gあたりHK$25の罰金制 とか。これは良案。ホテルのなかにあり湾仔でも飲食店としてはロケーションがちと悪く、年末の終末にしては鳥渡、寂寥。純粋な日本料理屋に対して日本風を 「日式」と区別するが、今晩のこの店は経営は日系企業でローカライズされてゐる点では「日系料理屋」と呼べばいいかも。ずつと「日式」だと思つてゐた2つ の飲食店が、じつはこの日系企業傘下であつたと知る。日本料理の多様化といふべきかどうか。宴会終はり深みに入らず帰宅。ここ数日、11時には寝て朝の5 時には起きてゐる生活続く。
▼日本に戻つた母の話では香港で空港に行く途中、鼠楽園に寄り一組の客をバスがピックアップの由。連休以前の平日とはいへ、その閑散ぶりに母も「華がない ところ」と。那須塩原だかで無理矢理造つてしまつた遊園地の成れの果ての如し。
▼信報の練乙錚主筆による連載。開始よりまだ二十日ほどで評価は時期尚早かも知れぬが「つまらない」。十九日には前日の全人代に関する文章の訂正あり、全 人代常委の人数の間違ひは技術的なものとして(といひつつ常委の規模拡大も専門家としては常識であるべきだが)「中国の国家機構が一党専制であることさへ 考慮しなければ基本的には三権分立である」といふ文章も不正確だつた、と。「一党専制であること」を考慮しない、とすることがそもそも疑問だが、党、国 家、軍の代表によつて構成される全人代が、よく「国会」と言はれるが国家の「憲法上での」最高機関(つまり三権分立に非ず、だから香港の大陸生まれ子女の 居住権なども人民法廷でなく最終的な判断は全人代常委が担ふ)。さらに事実上は練乙錚が訂正したやうに全人代が党が管制する国務院や人民法廷に干渉はでき ない。この程度のことで誤認があつてはとても新聞の主筆は務まらず。
▼二十日の朝日衛星版で吉田秀和さんの「音楽展望」は今年の総括。通常なら「今年出たCDやDVD」であるべきところ「このところ折りにふれ、見たり聞い たりしてきたCDやDVDの話。発売は厳密に今年のものとばかり限らない」と広さが秀和さんらしさ。バレンボイムが秀和さんお気にのランランら気鋭の若手 ピアニスト相手にベートーヴェンのピアノソナタのレッスンをするDVD筆頭に面白さう。この音楽展望を読むと、これだけは「年の瀬」を感じ入る。

十二月二十日(木)母たちがホテル近くのオリヴァースサンドヰツチ店に て朝食。母と朝九時の予約で湾仔のImmigration Deptへ出向き母の香港身分証作成。朝九時が予約の先頭のはずなのに、すでに整理番号は100番。75分で終了。母とご一緒に来港のTさん、Sさんのお 二人はZ嬢が中環の街市界隈にご案内。中環のMark & Spencer商店で落ち合ふ。ご婦人方の買物のあひだ雑用済ませ、所用ありのZ嬢と別れ母たちを連れ6番バスでリパルスベイ。The Verandaにて昼食。朝からの強い風で一昨日からの靄がか つた曇天が一気に晴れる。レストランは窓を開け放ち涼風が吹き抜け極めて心地よい、がBGMがフュージョン音楽なのがアタシには理解不可能。咖喱味のポ タージュと海鮮のパスタ。Coteau du Tricastin “La Ciboise” Chapoutier 05年をグラスに一杯。Sさんが鴨料理を少し分けてくれたのでVilla ChioprisのCav Sau DOC 05年もグラスに一杯。デザートまでかなり満喫。延 々フュージョン聴かされたのが玉に瑕だが。バスでスタンレー。香港観光の「基本のき」のやうな定番コースなのはTさん、Sさんとも香港初めて、が為。ぶら ぶらと土産物屋冷やかし午後遅くのバスで湾仔。ホテルに戻らずフェリーで尖沙咀。ペニンスラホテルの商店街でご婦人方はお買ひ物。アタシは小一時間雑用済 ませ早晩に地下鉄で坑口。ミニバスで西貢。海傍街の奥まつた鄙びた海鮮料理屋に行くつもりが海傍街の入り口の生け簀のところに仁王立ちした、西貢の海鮮料 理屋の「勝ち組の代表格」通記の生け簀担当のオバチャンに拿捕され蝦蛄だの蝦だの魚介選んだ揚げ句、海鮮街入り口の通記まで連れ戻される。通記にて紹興酒のお燗で徳利も箸を使つてかうす れば瓶と一緒にお燗できる、と妙案を学ぶ。Z嬢も遅れて西貢へ。やつぱりあたしは奥まつた鄙びた店が好き。ミニバスで坑口経由で母らホテルに送る。
▼昨日の昼餉の最中、昔は年末がいかに慌ただしくも楽しい日だつたか、といふ話になる。地元の銀行に勤めたT女史曰く、大晦日は今は休みの銀行も当時は仕 事納めなどといふと聞こえがいいが、商家は年末の売上げを正月三が日に置いておきたくもないから年末の夜の七時、八時、下手すると紅白の始まつたあとにも 現金が持ち込まれ、それを勘定してゐると除夜の鐘。正月は二日からの営業で元旦は支店長宅だ、部長の家だ、と年始参りもあれば大晦日は順番に「ほら、某さ ん美容室に先に行つておいで」「着付けの準備は大丈夫?」と窓口業務の間に、さういつた準備もあり、そりや慌ただしかつたのなんの、と。でも、それも今に して聞けば、ほんたうに活気よき時代の話。母がなぜウチが商売を止めるに到つたか、の話。祖父はじつは父母が商売を継ぐ時にも「店を継ぐのか」と心配。と いふのは「かならず自分たちが働かないといけない時代が来るのだから」と。この感覚、「えつ、何よ、それ」だが、祖父の時代は商売屋の旦那といふのは番 頭、職人など雇ひ、自分は俳諧に絵画、芝居と道楽を愉しむ酔狂者で良かつた時代。もう、それが戦後の高度経済成長からは、時代が変はるとそんなこともして おれない、と。この、当時のその「いい加減さ」が地方の商売などダメにしたのかも知れぬが、今のシャッターの閉まつた、空家や駐車場ばかりの商店街を眺め ると、祖父の予言も正しかつたのか、と納得するところもあり。
▼数日前の新聞弔報で亜細亜大の学長であらした衛藤瀋吉氏の逝去知る。衛藤先生が亜大学長当時、中文大学に参られ、そこで一度お会ひしたことあり。当時、 70歳非常に気さくな方で末席の学生にまで気軽に声をかけ談笑される。名前の「瀋」の字も旧満州生まれゆゑ、か(満鉄奉天図書館長であつた衛藤利夫が 父)。奉天中学から旧制一高経て戦後すぐに東大法学部政治学科卒、で専門は中国中心とした東アジア国際関係(アタシにはこのテの、失礼だが大風呂敷な「学 問」がよく理解できず……橘樸(たちばらしらき)のやうな中国研究、評論としては理解できるのだが)で亜大の学長、とまるで「絵に書いたやうな」大陸づく し哉。

十二月十九日(水)朝七時半にホテル。母らとタクシーで上環。海安珈琲室に て朝食。九時のフェリー=冷凍船か、でマ カオ。入境手続きは午前十時のピークで20分以上並ぶ。昼すぎまでセナド広場から大三巴の在り来りな市内観光。それにしても人出甚だし。澳門陸軍倶楽部(Club Militar de Macau)にて昼 食。ヴィーノヴェルデはMuros Antigos Alvarinho 06年。グランドリスボアで小一時間の賭博。ご一緒のT女史がいきなりルーレットで単数当て36倍で勝ちを決めたのには驚いた。アタシはブラックジャック でいまいち。少し散歩でも、と思つたが眩暈がするほどの大気汚染に閉口。路線バスで波止場に戻り午後4時すぎのフェリーで香港に戻る。一旦ホテルに戻りZ 嬢合流。渋滞のなかタクシーでハッピーヴァレイの競馬場。満貫廳に 食し競馬観戦。今晩はC+3といふ、この競馬場で最も狭いコースで「内枠断然有利」のはずが蓋を開けてみれば(昼にあつたといふ零雨の影響かしら)マイル で12枠がきたり「おひおひ」な展開。擦るが配当にならず、の馬券下手。ジョッキー倶楽部が推奨の中からCh. Plassan PremiereのCôtes de Bordeaux 03年をグラスで飲んだが、葡萄酒までハズレ。かういふ日もあらう。

十二月十八日(火)中環で旅券用の写真撮影。写真のサイズは縦45mm、横35mm、写真上部と頭頂部の余白は2mm~6mm、顔の大きさ(頭頂部からあ ごまで)は32mm~36mm……つて何よ、こ れ、JIS規格ぢやあるまいし。顔の大きさは千差万別、顔の大きさまで没個性の集団画一主義か。だいたい写真を貼るではなくスキャン読み取りなのだから 2mm程度の修正なら勝手に出来ようものを。正確、と言へば聞こえはいいが、ただだかこれだけのコトのためにどれだけの注意力などが無駄な労力が消費され るか。中環界隈にはこの「日本旅券規格」の旅券写真撮影可、のDPE屋少なからず。そのへんで多少の規格外の写真撮り領事館で拒否されると面倒だから、中 環で御用達の店で撮ることになる。アタシの寄つた店は4枚でHK$35、と通常の身分証明用写真よりHK$15高。無駄な支出。日本経済は実はかうした無 駄な支出でカネの動きが大きくなり「経済繁栄」に効果齎す。中環のマニラ、Jubilee Burgerでアロハバーガー食し空港快線で昼すぎに香港国際空港。母上来港。03年にSARS疫禍の直前に父とアタシの中学時代の恩師K 先生ご夫妻と来港以来4年半ぶり。父が亡くなり三回忌も終はりやうやく海外に出る(国内はかなり旅行してゐるが)。今回はアタシも幼きころだいぶお世話に なつた母の友人二名とご一緒。母はすでにアタシの扶養家族として香港居留査証取得済み。実際に愚息はなんら面倒も見てをらぬのだが。アタシは気分的にはリ リーフランキー。到着待つ間、閑散として空間感快適な第二ターミナルで寛ぐ。あちこちのソファも坐り心地抜群。椅子と椅子の間に広いテーブルあり荷物置い たり便利。母ら出迎へ。パッケージで母らの他二組が同じバスに乗せられ(アタシもガイドにご祝儀渡し便乗)、尖沙咀の九龍ホテル経由で湾仔のルネッサンス ハーバービューホテルに投宿。さて明日からどないしましよ?で急遽、マカオに行くことになり慌てて母の客室からネット繋ぎ明日のフェリー往復予約。明日の 昼、レストランはリスボアのRobuchon a Galeraは満席。今晩のワインを仕入れ(ホテル隣り、といつても同じビルの中にWatson's Wine Cellarあり)帰宅ラッシュの湾仔から地下鉄で中環。母たち三人はランドマークぶらぶら、と言ふのでその間にワインをレストランに先に持込み冷やして もらつたりFCCに行つてマカオのレストランの電話番号調べたり(当然、麦酒一杯飲んだが)明日の競馬の出走表まで一瞥、の雑用済ませ母らを迎へ鏞記酒家。給仕J嬢に今晩はメニューお任せ。Z嬢来る。皮蛋、 Sancerreの名前失念の白、06年で海蜇頭と鹵水鴨舌、Ch Bellenfont Belcierはまだ格上げとなる前の97年のGrand Cruと烟燻鴨などなど。我ながら料理とワインの相性抜群。母に、と長壽餅供される。トラムで湾仔。ホテルに母ら送り日本からのブツ受領。帰宅。母が持参 してくれたもの、はアンナー=ビルスマのバッハの無伴奏チェロ組曲は1979年のバロックチェロ版と1992年に録音の1701年の「セルヴェ」と呼ばれ るストラディバリのチェロ版の二組、それに同じくビルスマのヴィヴァルディのチェロソナタ集。中上健次選集9『熊野集・火祭り』小学館文庫、樫村愛子『ネ オリベラリズムの精神分析』公文社文庫。サイード『音楽のエラボレーション』みすず書房。もう一度きちんと音楽の勉強のため、と岡田暁生の『西洋音楽史』 と『オペラの運命』中公新書。それに畏友・村上湛君が母に送つてくれた村上君著『能の見どころ』東京美術も。更にツバメノートの大学ノート5冊。ちやうど 大学ノートが切れさうになつてゐたのでぎりぎり、ありがたい。唯一、母に強請るのを忘れたのは、すつかりデジタルづいた母ももう使つてゐないRicoh GRのフィルムカメラ。案の定、戸棚に仕舞つたまま、といふ。ぜひ使はせていただきたい名機。帰宅してZ嬢が教へてくれた『暮しの手帖』の今年春の号、ツ バメノートの取材記事、を読む。久々に使ふのが、万年筆で文字を書くのが楽しみなノート。
▼空港からホテルへのバスの中で添乗員の香港旅行指南の話を聞く。海外旅行に慣れてゐない、香港が初めて、といつた客には有益だらうが、ガイドも毎日毎日 同じ話をしてゐるから、話が「こなれて」くる、のは噺家と一緒、で鈴木健二の「気配りのすすめ」に妙に納得されるやうな、さういふ、実は香港の現実とは乖 離した、だが旅行者が聞くと「もつとも」のやうな話の連発。香港に長いアタシがその話のいちいち仔細を論う必要はあるまい。ただ、妙に感心。
▼香港政府が立法会の提出データによれば香港鼠楽園の開園二年目の入場者数は400万人。初年度より2割減。初年度が対予測▲11%であつたのに比べ2年 間では17%と格差拡大。海洋公園の入場者は年間492万人で収益が1.7億ドル。鼠楽園は12.6億ドルの赤字。資金融資の銀行団は2015年より返済 開始予定としてゐた23億ドルの融資の返済開始を来年9月からに早める措置の由。さもあらむ。南無阿弥。もはや早々に閉園し遊戯施設など上海に売却し借金 返済に備へるはうが、これ以上、施設拡充など「ドブにカネを捨てる」よか真つ当では。

十二月十七日(月)晩に日頃敬愛する方の誕生日パーティあり某ホテルでの祝宴に末席を汚す。終はつて二更にFCCで某大学MBAのM教授、もう一つの大学 の異文化コミュニケーションのN助教授と麦酒飲みつつカエザルサラダとクラブハウスサンドヰッチ頬張り四方山話。
▼「將軍澳車禍慘劇 孝子圓亡母心願 沉痛的婚禮」と今朝の新聞(蘋果)ヘッドライン。昨日挙行の、哀しみにつつまれた婚礼。この新郎の兄は香港から台湾に移住、でその兄が先週土曜日妻と娘連 れ本来先週土曜日挙行の弟の婚礼のため金曜晩に香港に戻る。空港で祝言を翌日に控へた母親と妹の出迎へ受けバスで帰宅の途中、バスが交通事故で大破。この 兄、母と妻はバスの二階席正面から投げ出され母と妻はバスの下敷きになり死亡。妹と娘も重傷。土曜日の婚礼取り消し、で翌日曜(昨日)亡くなつた母親を喜 ばせよう、と新郎新婦は涙ながらに婚姻登記。今回の事故は客を乗せた空港バス(城巴)にもう一台のバス(新巴)が交通違反で追突によるもの。過失責任は新 巴の運転手にあるが、それ以前の問題として「バスの性能が良すぎる」ことが問題。二階建てのあの大型バスが「なぜこんなスピードで」と驚くほどの高性能。 高性能といへば飛行機や新幹線、JR西日本の通勤電車とて高性能だが、少なくとも安全のため二重、三重の防御策があるわけで、それに比べると香港のダブル デッカーバスは、あの巨体を運転手一人が操作すると思ふと、怖い。しかも高性能にモノを言はせて「あきらかにキチガイな」運転をする者、少なからず。なぜ ここまで飛ばすかね、赤信号で道路横断する者を「おらおら〜轢き殺されたいか」と威嚇するやうな者もあり。急発進、急停車、進路変更で急なGが働いた時な ど運転席で警報が鳴るが、これが鳴りつ放しの時もあり。交差点での右左折の際のバスの転倒や高架橋からの落下といふ事故も過去にあり。キチガイに刃物、に ならぬやう、具体的にはバスの性能の劣化が必要。かつて香港島に中華バス(中巴)走つてゐたころが懐かしい。旧態依然とした老朽化した車体は(当然、冷房 もなし)中環からハリウッドロード上る坂でも重量オーバーで動かなくなり客を降ろす始末。だが速度も出ぬし環境にも優しかつたのも事実。バスの専業営業権 解放で競争原理働きバス本数増えたのは便利だらうがバス増発での渋滞、排気ガス汚染など問題多し。

十二月十六日(日)朝の九時過ぎに新界のKadoorie農場。第13回 嘉道理兄弟記念レースにZ嬢と参加。Z嬢が参加する年に一度のレースがこれ。昨年ご一緒したOさんは三ヶ月後に香港島の80kmの耐久レースで倒れ心臓発 作で亡くなり、昨年のこのレースでの健脚ぶりとゴールしてからの笑顔が蘇る。今年のアタシは5.3kmといつても標高160mから602mまでを51分だ かでのぼる。高低差はキロあたり83.4mなのだ。冗談ぢやない。頂上での和やかな表彰式。今年は高齢のカドーリー夫人のお姿見えず。農場の売店でミント の鉢植えと鶏卵半打購ふ。バスで元朗。紐育カフェ&グリルに 参れば日曜日の営業は午後1時から。ほんの15分ほど待つてお昼。ハウスワインが智利のCab Sauのワイン産地で有名なマイポーのVina Maipoといふテーブルワインなのが可笑しい。なにせ元朗といへばラムサール条約で認定された米埔(マイポー)が地元なのだから。この洒落た気分が気に いつて昼から二人で一本。ア タシはテンダーロインのステーキ(6oz)でZ嬢は煮た羊肉。スープにメインディッシュ、アイスクリームに珈琲がついて「もう少し儲けてよ」な格安ぶり。 ご主人に(鄧達智君の随筆でご主人の素性までこちらは存じてゐるが)そりや昼からワイン一本空ければ他に酒など飲む客もゐないので酔狂と思はれたか話しか けられ、住まひが香港島と知つて遠路遥々と感心される。恒香餅家で 老婆餅を買ひ食ひ、大橋街市近くの肉饅屋でも立ち食ひ。天后行きのバスに乗り、当然のやうに満腹感と酔ひで心地よく昼寝。目覚めれば香港島。ジムに寄りサ ウナに一浴し帰宅。今日の収穫のミントでハバナクラブを飲みながら靴磨き。晩は軽めに揖保白糸を食す。が先週、長野のTさんにいただいた八幡屋礒五郎のBird Eyeといふ一味を、たかだか一味でアタシらはタイの辛さにだつて慣れてゐる、と思つて蕎麦汁にちよつと入れたら、まぁ辛いの、なんの、つて。でも風味格 別。今日の鶏卵の、出汁もたつぷりの厚焼き卵もとても美味。テレビで香港電台製作の「傑出華人系列」で「李嘉誠」を観る。鄧達智君の随筆で紹介され、この 香港電台でも歴史に残るシリーズがもう10年も前だつた、と驚く(今回のはその焼き直し)。1938年に故郷の潮州で日本軍の空襲に遭ひ、香港に逃げ13 歳から実業に身を置いた李嘉誠の、十代、二十代のその写真のまぁ聡明さうな御姿よ。NHKスペシャルで Working Poor の特集番組。ちらりと観る。「ワーキングプアーをどうやつたら扶けられるのか?」つて、答へは簡単。革命。でも貧困者を扶けようと思つてゐる人も革命なん て懲り懲りだし、貧困層も革命を起す気力もないのが21世紀。結局はお題目で終はるのかしら。ところで今日の蘋果日報の陶傑氏の「黄金冒険號」の随筆には 恐れ入つた。「老 實話=結局のところは、ね」と題して、地球温暖化における中国の影響から話を始め、英国のThe Observer紙が“China's development cannot mean an uninhabitable planet”と宣ひ“Democracy and western capitalism have a better chance of saving us than the Chinese Communist party”などと指摘したのを英国人の理性ぢや解決できない問題、と嗤ひ、共産党の一党独裁の終焉、で民主主義と西洋型の民主主義になつても中国の経済 発展と消費は続き北極の氷の溶けるのが早まるだけ、と。地球温暖化と中国の経済発展の問題は中国の民主化の問題でもなければ、まさか中国の存在すら否定で きず中国人を火星に送るわけにもいかず、結局は独裁だらうが民主主義だらうが環境汚染は続くわけで、「もう遅過ぎた」で世界は終末を待つばかり、と。

十二月十五日(土)朝から机に凭り雑事片づけ昼までピアノ練習。午後外出し所用済ませ早晩に閑散としたFCCのバーでドライマティーニとDalmoreの 12年をダブルで一杯。蘭桂坊通り抜けるとなんだか子どもも多くディズニーランドの如し。Z嬢と待ち合はせ数年ぶりに明珠越南餐庁で軽く越南料理。最近香港にもお目見えのSegafredoでエスプレッソ珈琲。そ りや星巴や太珈よかずつと美味い。市大会堂。香港ショパン協会主催の音楽会、本晩が千穐楽。Gary Graffmanのピアノ とLCOのカルテット。まづはグラフマン先生のソロでスクリャービンのエチュード嬰ハ短調(作品2の1)Jay Reiseによる左手のための編曲。昨晩の入谷君も良かつたが同じピアノでもさすが師匠、音の響きが段違ひ。続いてCarl Reineckeの左手のためのピアノソナタハ短調(作品179)。なぜ左手だけでこんなに見事な沢山の音が聞こえてくるのかしら。ここで一週間大活躍で すつかりお馴染のカルテット、といふと浅草演藝ホール今月中席で玉川カルテットのようだがLCOの四重奏団が現れグラフマンのピアノでAlfred Schnittke(1934〜1998)のおそらくConcerto Grosso第6番?もアタシの苦手な前衛楽曲だがきれいなフレーズが見え隠れして良質のSF小説の如し。グラフマン氏が不自由といふ右手でかなり巧みな 演奏。中入後はLCOが弦楽四重奏でシューベルトの「死と乙女」。この曲を聞くとなぜか木下恵介の映画思ひ出すアタシは第二楽章が好み。でも普通の作曲家 なら幕の内弁当のやうに15分の曲にまとめてしまふところをこれでもか、と4楽章にしちまふところがシューベルト。この香港ショパン協会主催の滋味な音楽 会が定着すること祈る。
▼蘋果日報、八掛新聞、反体制ゴシップ紙とはただ侮れず。今日の副刊では「クリスマスの休暇に」と何を紹介か、といへば書斎の書籍整理。陶傑氏と畏友歐陽 應霽君の見事なまでに快適に整理された書斎紹介し、さらに「古くは曬書の習慣あり」と紹介。曬書は晒書、荷風散人は日剰に「曝書」とあるが今では図書館で まだ図書整理に「曝書」と示すこともあらうか。
香 港旅游発展局香港政府観 光局)の高官医療保険醜聞。この元・総幹事は当時の主席・周梁淑怡の承認 を口頭で得た、といふが周梁淑怡曰く、政府高官の人事は同局理事会と政府財務官の承認得たもので雇用契約内容を主席の立場で変更能はず、口頭で保険加入の 承認得た、といふのは奇妙、と。当局の女性高官らの仲違ひ。いづれにせよこの醜聞で最も被害あるのは明らかに自由党。さきの区議会選で山頂区で議席失ひ立 法会補選では葉劉淑儀候補の応援足りず、で今回の醜聞でまた支持率下降は必至。ところで葉劉淑儀といへば、来年の立法会選挙への立候補早々と表明したが頼 みは立法会議長・范徐麗泰の不出馬=全人代常委昇格で保守票確保。それが全人代ではやはり「保守親中度」からして梁愛詩がネクタイ大王・曾クロコダイル憲梓の後を襲ふべきといふ見 方強く范徐麗泰は立法会引退すでに公式に発表したものの慰留といふ噂もあり。

十二月十四日(金)早晩にFCCに参りラウンジでドライマティーニ一杯ひつかけDomaine du Grangeonなる仏蘭西ワインをグラスに一杯。新聞読。Z嬢来。BLTサンドヰツチ折半。パイプ燻らせ漫歩。市大会堂。香港ショパン協会主催の音楽 会。今晩はIlya Rashkovskiy(イリヤ=ラシュ コフスキー)君がピアノリサイタル。舞台向つて左通道2列目の角席、とピアノリサイタルでは最良の席ゲット。入谷君はアシュケナージ先生審査委員 長の第1回香港国際ピアノコンクール優勝(05年)。今晩はワルツばかり揃へ、まづはショパンのワルツ7曲は3つのワルツ(作品34)、変ニ長調(作品 64-1=俗に云う小犬のワルツ)、など。続いてスクリャービンのワルツ・変イ長調(作品38)、ラヴェルのLa Valseで前半終了。中入後はラヴェルの高雅で感傷的なワルツ(Valses nobles et sentimentales)で最高潮に達したはリストの(というかシューベルト原曲の)維納の夜会第6番とメフィストワルツ1番。アンコールはショパン の前奏曲、ラフマニノフの何某、ショパンのワルツ12番。05年のコンクールの時はまだ青かつた彼がこの1年半で見違へるほど、すつかり音楽渡世人。やは り舞台にあがる経験がかうして演奏家育ててゆくのだ、と納得。リストの維納の夜会6番が良かつたのは当然としてショパンとかもかなり上出来だつたのだが (贔屓目だが)客が相変わらず「エリーゼのためにで十分な」親子連れ多く小猿が落ち着かぬのは当然として親が更に顰蹙かふほど躾けなつておらず。中入りで Freris主席筆頭にかなりの客が顰蹙客に「帰れビーム」浴びせてはみたもののデリカシーなき子連れは何らそれに動じず後半も居座られたが小猿どもは睡 魔に襲われ多少動き静まる。それにしてもあんな幼児をよくも連れてピアノリサイタルに来るもの。アタシも子どもの頃に中村紘子がピアノリサイタルで切れた 現場に居合わせたことがあるが(アタシは芸能鑑賞では行儀良い子だったが)小猿が賑やかなのは致し方ないことで猿回し=親が猿回しの役目も果たせぬのが当 世の災ひの元凶なり。而もかつてのスターフェリー埠頭の許し難き再開発工事のアスファルト地面砕く工事の騒音まで聞こゆ。哀しき限り。ふと、もう10年以 上前からしら、このホールでMJQの演奏聴きしこと彷彿。静かな曲の最中に館内の!BGMの音楽放送聞こえミルト=ジャクソンも困つた顔で、だがこの程度 のことには動じぬ演奏聞かせてくれアタシらは有難さにまるで拝むほど。
▼新聞の社会面眺めれおれば大成駒の建礼門院の如き白頭巾の「尼僧の検挙」に、すわ何事か、と思へば「打 擊黑幫財源 掃黃賭毒4天拉247人 西九大反黑拘14歲雛妓」とあり暴力団の財源となる九龍の買春業一網打尽で百五十名余の「北妹」即ち大陸よ りの淫売婦検挙され、なかには14歳の少女もゐる。写真は尼僧に非ず検挙の際に怪しげな按摩のバスタオルで顔を隠す、の図なり。黒衣は客用のガウンか。そ れにしても黒装束に白の頭巾は尼僧が装束。然るに淫売婦=聖女なることも首肯ける話。
▼「普通選挙、北京は結局、何を怖れてゐるのか?」(普選、北京到底怕什麼?)と信報の社説(本日)。行政長官・文革曽が全人代常委に提出の緑皮書にて述 べた普選実施案は、「過 半数の市民が2012年の普選実施支持」だが「2017年の普選実施については「更に多くの市民の支持がある」といふのが事実」。社説は、2012年の普 選実施を求める者が現実にそれが不可能となつた場合に2017年の実施を求めるのは当たり前だろうに……と語り始め、この普選延期に到る経緯についての経 緯を振り返る。香港の民主制度は80年代初、英国が北京と香港返還交渉始めた際に「英国の植民地よりの撤退時の慣例として」政制の民主的緩和をしたもの で、中国にとつては「香港を独立させるやうなもの」でそれに難色示すなか80年代中には民主選挙制導入したものの、北京にとつては英国が返還前に遊んでい るやうなものに映り、北京は民主選挙は97年以降あらためて「仕切り直し」、10年あれば環境整うだらう、と2007年普選実施としたが、これに大きな楔 を打つたのが2003年の71デモ。50万人といわれる反政府デモに対して北京は「愛国論」を用ひ出し香港を治める者は愛国者でなければならぬ、とし、こ の段階で2007年の普選実施は実質上不可。泛民主派が対抗政策をとるなかで北京は警戒心を強めるのだから、2017年の普選実施とてこのままでは危ぶま れる、と。見方によつては讀賣新聞的な保守だが、信報らしい、本当に普選実施しないなら中国との「落とし所」を見出しsoft landingしなさいよ、といふ冷静さ。香港の民主化によつて中国の「一党独裁の安定」崩されることへの警戒心、か。
▼南京での世界平和法会に日本から僧侶が多数参加。これがお東さんか西か、本願寺の坊さんであることは間違ひない、と思ふ。真宗は香港でも明治には本願寺 があつたやうに日本の「南進」では重要な役割果たし昭和に入り日本の中国侵略で真宗の果たした役割は今もつて「戦争責任」が議論されるほど真宗にとつては 深刻な問題。だがかうして大陸での鎮魂、和平活動に積極的にかかはらうとする姿勢はさすが明治の、天皇制が威光放つまでの真宗の底力、か。
▼政府に「潰してしまへばいい」ワケのわからぬナントカ発展局いくつもあり。そのうち巨額の資金で動く一つが香港旅游発展局(香港政府観光局)で、主席は 自由党党首の定石なのが茶番(前任者が周梁淑怡で現認が田北俊)、何も真つ当な仕事せぬ偉いさんの厚遇はいぜんから揶揄されるが、今回の政府会計検査で指 摘されたのが同局の実質的代表である総幹事(専務理事)だつた臧明華が雇用期間中にかけた自らの医療保険。掛け金はなんと2年で18万ドル(250万円) と破格で、而も家族も保険の対象、この支出は政府財政官の批准得ておらず問題となり立法会に参考人として呼ばれる。このオバサン曰く同局主席・周梁淑怡の 承認得たもので、自分は身体が弱く任職中も二度入院し三度の海外出張中も身体の不調あり、SARSの疫禍中には隔離患者のいる病棟を見舞ふなどリスクの高 い仕事もあり、周梁淑怡には口頭で承認を得たもので問題なし、と。厚顔無恥とはまさにこれ。この香港旅游発展局、従来の香港旅游協会が2000年に改組さ れ董建華のご指名で周梁淑怡が主席に就任(このへんから、もう「なぁなぁ」の体質)、で周梁淑怡が「お気に」のオバサンら招聘し幹部に並べたもの。臧明華 もStandard Chartered Bankのクレジットカード部門で負債者の取り立てかなんか主管してゐたが観光局に招かれ01年の初年度の年俸194万ドルが3年後には330万ドル(賞 与除く)と、思はず「責任者出てこいっ!」と人生幸路。で責任者出てくると、結局は董建華、でお話にならず。

十二月十三日(木)多忙で晩二更に到る。
▼北角で狗猫など110匹余の小動物、マンションの40平米の部屋で飼育。飼ひ主は捨てられた動物保護 だが悪臭に耐へ切れぬ付近の住民が投訴し政府が数カ月前に檻に入つた、皮膚病や運動不足で衰弱しきつた小動物を保護。で昨日裁判があり飼ひ主は12ヶ月の 観察処分で、その期間の動物購買と飼育禁止(蘋 果日報)。この被告の女性、飼育場所は北角だがお住まひはミッドレベルのSeymour Rdで、とアタシが知るのは十年近く前にご近所住まひだつたゆゑ。アタシは勝手に「兵藤ゆき」と渾名してゐたがパステルカラーの奇抜なファッションで、い つも年老いた母を連れ、癇癪起すと母に何かと怒鳴りながら、23番バスでお出かけ。いつも銅鑼湾の「そごふ」で大量のお買上げして帰宅。今にして思へば 23番バスの行き先は北角で、Z嬢も北角でよく「兵藤ゆき」見かけたが、最近全然見かけない、と話題にしたのが偶然にも先週。老婆の上品さといひ購買力と いひ財力ある、と思つてはゐたが、この母が何東家(マカオの賭博王、Stanley Ho氏の祖父が何東の弟)に縁りのあり(何東氏の長女の「契女」)戦前の某富豪の内縁の妻。ロビンソンロード周辺や「そごふ」、北角ではかなり「ああ、あ の女性か」と合点いく者もアタシのやうに多からう。
▼本日、1937年12月13日の南京「陥落」「大虐殺始まり」から70周年。虐殺された市民の数が何万なのか、はたまた何十万なのか、は別にして日本軍 の為した事実はあるはず。だがそれに到つた経緯、環境にどうも不明なところあり。とくに国民党の開城について。本日は香港でも日本の総領事館や三菱東京 UFJ銀行(東京銀行が旧横浜正銀ゆゑ)などにも抗議デモあり。日本から来港し抗議デモに加はる日本人もあり。
▼麿赤児の記者会見?と思へば、葛飾区のマンションでの政党ビラ配り。東京高裁が地裁判決覆し有罪判決(罰金5万円、11日)。朝日が「犯罪現場となつた マンションの住民からも刑事罰を科すことに「厳し過ぎるのではないか」との声」紹介し、讀賣、はたまた産経新聞なら「妥当な判決」なのは言はずもがな、か しら。マンションへの不法侵入など住民の平穏を「脅かす」のが、なぜ訪問販売や宗教団体ではなく、反戦ビラ(立川)や共産党だけなのか、も不思議。それに してもこの被告、まるで殿山泰司をさらにいい男にしたやうな風貌。今村昌平の映画とか、出したいねぇ。亀有で党員の左翼住職のちよつとコミカルな日常モ ノ。助演は当然のやうにブラック師匠にお願ひして、春川ますみとかでワキを固めて。共産党の党員で住職が出来るつてことにさすが真宗か、と妙なところに感 心す。
▼新聞の写真で「なんでサルジコがベース弾いてるの?」と、一瞬、ブッシュがリーダーでトニー=ブレアとサルジコでトリオでも結成か、と思つたが、よく見 たら、ジョン=ポール=スミス。で、レッドツェッペインの復活ライブ。19年ぶり、とあり前回の「復活」からもう20年近いのか、とそれにすら驚く。 ツェッペインの現役時代知るアタシらはただの老人。永六輔が長髪にしたらジミー=ペイジとも似てゐることに気づく。

十二月十二日(水)毎日の習慣として、朝、まづ茶をたてる。タイムシステムのデイリープランで一日にやるべきこと、連絡すべきこと(電話の場合は相手の電 話番号まで)、細かい日程まで書き出す。メールの整理と必要な返事。打 つべきメールも大方、打つてしまふ。そこからご公務。うまくいくはずが何か入りバタ バタと多忙のうちに燈刻。今晩はハッピーヴァレイで競馬開催ながらバンコクよりY氏来港で招飲の約あり湾仔に向ふタクシーの中で慌てて競馬新聞眺め、当た れば数千万円のTriple Trioの馬券のみ携帯でHK$10の1点買ひ。湾仔鵝頸橋に近い「わひわひ」(正確にどう綴るのかわからず)なる居酒屋。かつての卯佐木 を居抜きで同業始めたのは、なんと日本語担当な西洋人で、この方がご主人。けつこう評判の由。焼酎各種あり。芋焼酎の天孫降臨を飲む。Y氏は数日前迄ミャ ンマーのヤンゴンを観光旅行。日本の感覚では「えつ、マジ?」だがSARSの時の香港の如くヤンゴンは外国人観光客などガラ空きでバンコクからのパッケー ジは廉価。ヤンゴン市街も見た目は平穏さう。観光客の目にもヤンゴンのお坊さんらの振舞ひからいろいろ見えるところあり、と興味深き話を聞く。「わひは ひ」は八時頃には満席の繁盛。もう一杯だけ、とバーS。珍しくパイプ煙草燻らすお客あり、その甘い薫りが丁度一週間前の競馬の晩、バーBで嗅いだのと同じ 芳香でご同一の方、と察す。マスターに紹介されパイプ談義から始まり靴だ帽子だ、とダンディズムといへば聞こえはいいが、たんに中年オヤヂの放蕩に歓談つ きず三更に到る。Triple Trioの馬券は対象の初關(第4競走)は1、2、4着、中關(第5競走)は2着に1頭入つただけだが、末關(第6競走)は1〜3着的中。「たられば」の 話だが初關で3、4着さへ入れ替はつてゐれば対象3レース中2レース的中の安慰賞で6千ドル強の10万円馬券を150円でゲットできてゐたとは甚だ残念。
▼日本でも米国見倣ひの外国人指紋押捺は呆れるが米国では更に華盛頓Dulles Int'l Airportでは両手10本の指全ての指紋押捺の由。呆れて言葉もなし。

十二月十一日(火)早晩外国人記者倶楽部。晩の音楽会まで時間あり白葡萄酒飲し寛ぐこと暫し。ラウンジよりの硝子窓越しに四半世紀前仙台に住まひし頃知遇 得、今は華南にて手広く商ひされるU氏と邂逅。U氏とご一緒のS氏(某経済紙の著名なる編集委員)紹介されご挨拶。熟読要す新聞の切り抜き多数読み日記帳 (スクラップブック)に忘備録的に様々書き込む。白葡萄酒三杯飲みカエザルサラダ(茹で鶏胸肉盛り)食す。白葡萄酒は順に豪州はYellow TailのPinot Grigio 06年。仏蘭西はMichel LynchのGraves Reserve 04年とDomaine Michel JuillotのMercurey Blanc 03年。サラダはポーションも大きいが三分の一で腹一杯、残りはお持ち帰り。明日の昼にパンにでも挟んで食さうか、と。市大会堂。今晩はチケット持参のZ 嬢と香港ショパン協会主催の音楽会。今晩はギターのAlvaro Pierriさんが看板で前半はPascal Rogeさ んのピアノとの二重奏、そしてLCOの楽団員によるカルテットとの共演。ロ ジェさんのピアノと合はせたはバッハのトリオソナタ5番(BMW529はアトで調べれば原曲はオルガン曲)とGuido Santorsola(1904-1994)のギターとピアノのためのソナタ3番、そしてカルテットが加はり、これが素晴らしい曲だつたが今晩急遽曲目変 更あり曲名聞き取れず。で中入後はロジェさん退きギターとCharles Sewart氏のバイオリンでAstor Piazzolla(1921-1992)のHistoire du Tango「タンゴの歴史」で最後はMauro Giulianiの弦楽五重奏曲30番。アタシもそれなりに音楽聞いてきたが今晩の演目、バッハとジュリアーニは作曲家として知つてはゐるが全ての曲が初 めて聴くもの。それにしても悔やまれるは中入り前の曲名知らず。主催者のAndrew Frerisさんがいつもの開演前の「演説」で曲目変更説明してゐたのだが早口な上に饒舌で聞き取れず。ところでなぜ香港でこの銀行家夫妻がショパン協会 か、と言へば、当然、音楽こよなく愛好する夫妻だが、この夫妻とショパン、或いは香港とショパンにどういふ謂れありや。で十日ほど前の信報の記事から引用 すれば斯の如し。1848年音楽家ショパンは病弱で巴里にて貴族の子弟など相手にピアノ教授で糊口を凌ぐ日々も時は仏蘭西革命の最中、優雅にピアノ習ふ子 弟も減り肺病病んだショパン、Jane Stirling君なる学生から故郷英国倫敦への渡航ショパンに勧めらるる。倫敦での日々ショパンは体力も衰弱せばオーケストラとの合奏も能はず不憫に思 ひしHenry Broadwood氏がピアノと室内楽のアンサンブル企す。その場所が倫敦のEaton Placeなり。時は20世紀、奇しくもその百年前にショパンのアンサンブル開かれし屋敷に住んだのがAndrew Freris氏夫妻。偶然のショパンとの縁に、香港に移り住みたる夫妻は香港での音楽活動始めるにあたり香港ショパン協会設立の由。帰宅して白州正子『両 性具有の美』読了。いやはや、あたしのやうな古典知らず、でも読んでゐてこちらが恥づかしくなるほどの筆致といふか、向かう見ずな筆の具合にただただ茫 然。また別の機会に少し述べたいが。
▼敬語の誤用ばかりか乱用も気になるところ。例へば「痛み入る」。あなたからの私信を読みました、と伝へると、そのお礼に「痛み入ります」は、ねぇ。だつ て読んでもらふこと前提に送つてゐるんでせう、と。「痛み入る」は「あなたのご厚意の過分なことに恐れ入る」のはず。例へば「私の就職に関して先方にお言 葉添へをいただいたと知りました。そのご厚情に痛み入ります」とか。知人の某さんのアドレス忘れてしまつたので教へてください、に教へてあげたら「ご厚情 に痛み入ります」と言はれてもねぇ。
▼鳥インフルエンザがヒト&ヒトで感染か?(中国江蘇省)のニュースについて。江蘇省で24歳の男性が11月24日に発症、今月2日に司法したが、その父 親(52)も感染した由。今朝のNHKで流れたさうで、日本の新聞は朝刊紙面には見当たらぬがネット版では昨晩遅くから、の報道あり(朝 日の昨晩22:15の記事)。怖い話だが、香港では先週末に報道済み、で経過報道は今のところ、なし。ヒト&ヒトの鳥因(鳥インフルエンザ、の略 で「鳥因」はどうかしら?)への警戒は必要だが、SARSの時と同じで実際の感染などから一定の時間を経てしまつてからの後追ひ報道は実際に感染防止の効 果もなく恐怖心煽るだけ。今回のこの報道も時系列で見てみると、中国政府衛生部からの通達で香 港政府衛生署の発表(7日21:01)、翌8日(土)の香港での報道、週明け9日(月)にWHO が発表したのを受け、日本政府は厚生労働省が10日に発表で……と今日になつてマスコミが報道したら香港での発表から5日目。感染で拡散してゐた ら、もう完全にアウト、の5日目。お役所情報受けて報道するのは(記者クラブ的に)勝手だが、少なくとも「中国政府衛生部の発表が7日には出てゐたこと」 と、その後、情報が出てゐない、或いは、拡散の「報告」はない、ことは明確にすべき。日本のマスコミのおざなりな「報道さへしておけば」の姿勢が緩すぎ。
▼信報で練乙錚主筆の連載論評、意識してぢつくりと読む。が、ここ数日の感想は「メリハリも華もない」。林行止氏と比べはせぬが「証券会社による企業の格 付け」とか綿密に分析しても「それぢや、どうなのよ?」といふ話の極みに欠けるのが残念。林行止がウンコの話も経済学で面白可笑しく書くのだから後を襲ふ は難しいところか。ちなみに本日の信報林行止専欄はハーヴァード大学法学院のMark Ramseyer先生の“Talent and Expertise under Universal Health Insurance: The Case of Cosmetic Surgery in Japan”を引き、日本の医療制度での医療費の問題、医師の収入、とくに美容整形医の高収入などの話を紹介。林氏は Mark Ramseyerの論文要旨を訳しただけなのだが面白ければそれで良い、といふもの。

農歴十一月初一。晩に中環。札幌らーめんの「札幌」で恵比寿 麦酒(小瓶)で焼餃子、つてオヤヂだねぇ、でZ嬢を待ち札幌ラーメン食 して市大会堂。昨日より香港ショパン協会 主催の音楽会が一週間。今晩は中国出身で今は巴里在住の弱冠22歳のピアニスト、Wu Mu Ye(吳牧野)君のリサイタル。Z嬢、チケット持参忘れる粗忽ぶり発揮。で優しい私は自分のチケットをZ嬢に授ける。ちよつと体調不良で按摩でも行かう か、と(こつちが本音)。ちなみに今晩の演目は緊張してのシューベルトのソナタ・イ長調(作品120)、若さ発揮でストラヴィンスキーのペトルーシュカか らの3楽章、中入り後のブラームスのソナタ第3番・ヘ短調はかなり上出来、とZ嬢の話。按摩の途中、師傳とのの四方山話が「食左飯未呀?」と「ご飯食べ た?」からだいたい始まるが按摩師曰く「今日係食齋、因為初一」と。陰暦の朔日と十五日は食肉戒の風習など、まだかうして市井に残つてゐるのだなぁ、とつ く づく感心。芸人、仁侠、花街に按摩……市井とは多少離れるが、かういふ世界こそ信心厚きもの。帰宅してジャックダニエルを二杯飲み白州正子『両性具有の 美』少し読む。
▼香港の街で何か食べよう、と思つて、食肆の看板を見上げる。そこに「京川滬」とあつたら、まづ避けるべき。北京、四川、上海(滬)と、香港で地場の広東 料理を除く、何でも=何も美味さのなひどうでもいい食ひ物供す肆、といふこと、とアタシは思つてゐたが劉健威兄もさういふことを書かれてゐて「やつぱり」 と合点してゐたが、なんとアタシは大きな誤解。先週末の信報で唯靈氏の随筆を読んでゐたら「京川滬」について言及あり。「京川滬」といふ名称が飲食業界で 使はれるやうになつた四十年代、「京」は南京で、当時は北京はまだ北平で略すなら「平」。で抗日戦争勝利の後、重慶にまで引つ込んでゐた国民党政府が南京 に戻り、更に揚子江を下り上海まで重慶の四川料理が齎され、その過程で辛さが押へられ所謂「川揚」となる。これが「京川滬」だ、と。なるほど。
▼昨晩の葡萄酒(復習、斎藤さんのデータ転載)。新西蘭はパリサーエステートのPENCARROW(Chard 05年)。AOC サンセールのフルニエ・サンセール・ランシェンヌ・ヴィーニュ(Sauv Bl 05年)。Napa ValleyのBeringer Pinot Noir(06年)。西班牙がLa Rioja(リオハ州)はTelmo RodriguezのLANZAGA 03年(テンプラニーヨ100%)。南アはステレンボッシュのTHELEMA、シラーズの03年。Peter LehmannのMentor Barossa(02年、Cab S 63%、メルロ21%、シラーズ16%)。そして有馬記念頑張つてください、で入江さん持参のシャトー・ロックドゥカンブ(04年)。
▼「爆冷」跑輸賭王好冇癮。マカオのカジノ王・スタンレー何鴻燊氏。愛馬「爆冷(Viva Pataca)」で今年四月のQE II Cupとの連覇狙つ たが念願叶はず。Stanley Ho氏、四人の夫人(うち第一夫人は逝去)のうち競馬場にいつも同伴は四 太(第四夫人)。この四太の、愛馬応援の髪振り乱し喜怒哀楽賑やかな興奮ぶりはす つかり今では競馬場名物。今回はわりと地味に「憮然」の表情。それでも可笑しいが。で昨日の香港国際カップでなにがマカオのカジノ王に失礼か、といへば愛 馬のゼッケンに書かれた名前は VIVI PATACA と誤記。これぢや運も逃げる、か。ところで昨日の香港カップはデットーリ騎乗のRamontiが最後の直線でViva Patacaの走行妨害として抗議あり。審議十数分。結局抗議不成立。馬の走行具合の審議にあらず、じつはゴドルフィンのナントカ殿下を勝たせるべきか、 マカオのカジノ王を勝たせるべきか、の審議ではなかつたのか、と噂して時間を潰す。結果、いくらマカオがラスベガス凌ぐ世界一のカジノ規模になつても石油 資本に比べれば可愛いいもの。で結局、石油の勝ち、ぢやないか、と。ところでヴァースで期待外れたDylan Thomasだが、入江さんも「パドックで見たディラントーマスには、正直がつかりした。勝ちに来た最強馬が、腹まわりに余裕があるといふよりも、デブデ ブなのである」と書いてゐるが(こ ちら)、これについて調教師のAidan O'Brienのコメントが印象的(今日のSCMP)。O'Brien氏曰く“the time Dylan Thomas spent in the Shirai quarantine station in Japan, unable to work on a proper race track, had proved to be his downfall. He's such a gross horse that while we were trying to sort out the issues with Japan's quarantine people, the horse was just putting on weight.” さもありなむ。
▼上海での鼠楽園計画浮上(との噂)で更に苦境は香港鼠楽園。香港政府は鼠楽園が齎す四十年間の経済収益を1,480億ドルと宣ひ薔薇色の未来を約束。厳 しい査定でも800億ドルは期待できるとし、その後、さらに300億ドルと下方修正。予定では2006年に547万人、2044年には1,057万人が鼠 楽園訪れる、といふアホ試算。ジリ貧だが政府はまだ公的資金による投資を止めぬ、と発表。信報は社説(六日)でこの問題取り上げる。上海鼠楽園建設が香港 へのプレッシャーとなつてゐるが、寧ろ当初の鼠本社と香港政府の合意事項に従へば、予定通り香港での楽園開園1周年で香港政府の持ち株(全体の57%)放 出も可なら、これを上海市に譲渡するなどして香港と上海が協調してディズニー計画を進め内地の観光客誘致をしては如何か、と。理想的な案だが上海がまさか こんなことで香港に協力するとは思へぬし、だいいち香港鼠楽園にそれだけの魅力もなし。

十二月九日(日)十時間くらゐ寝て起きて少し体力復活。でも気だるい。一昨晩は銅鑼湾の太湖海鮮城、昨晩が湾仔六國ホテルの粤軒と二日宴会続きで、この年になると胃腸も弱り、調子は 芳しからず。本日、沙田競馬場で年に一度の香港国際レース日(国際G1)。それでも今日はテレビ観戦か、と一瞬思つたが旧知の方々も来てゐるし年に一度の ことで気持ち持ち直し出かけることにする。直接、沙田の競馬場に行けばいいのだがレープロ売り切れが気になる。最近は重賞レース開催日のレープロ売り切れ もまづないだらう、と思ふのだが(2001年のステイゴールド、エイシンプレストン、アグネスデジタルの日本馬三勝の時のレープロ売り切れがどうもトラウ マになつてゐてゐる)、やはり競馬場で売り切れだとどうしやうもないので(馬主席などでゲットの裏技もあるにはあるが)確実なところは場外(指定数ヶ所) で予め購入(しかも前日)。昨日はその時間もなかつたので今朝、場外に寄ることにする。で中環へ。どうせなら中環の場外でレープロを購ひ、ついでにFCC に寄り午前中からジントニックかBloody Maryでも飲んで、クラブハウスサンドヰッチを折り詰にでも誂へ、それをもつて競馬場なんてのも快適か、と思つた次第。それが中環の場外にレープロ売つ てをらず。売り切れなのか届いてゐないのか、も釈然とせぬが、場外の職員にとつては「公式レープロなんて買ふ奇特な人もゐるのね」程度の感覚なので埒開か ず。ジントニック飲みつつサンドヰッチの折り詰を待つ予定が急な展開で慌てて沙田競馬場へ。快晴。心地よい、と言ひたいが朦霧で第三コーナーあたりは靄の 向かう。で本日のあたしの成績は
第1競走(芝1200、クラス3)2番人気のDouble Luck(Prebble騎手)に賭けるが無印のSoumillon騎手のFever Pitch(13倍、5番人気)が1着。
第2競走(芝1400、クラス1)補欠から出場となつたSlow Waltz(Coetzee騎手、Size厩舎)が5.5倍の2番人気で辛うじて3着に入りワイドと複勝を得る。
第3競走(芝1200、クラス2)7番人気のKindacross(徐君 禮騎手)が115磅の斤量で更に見習ひで7磅減に期待したがレース引張り「このまま!」と叫んだが最後の直線で落第しどん尻。Whyte騎手が1番人気の High Pointで香港通算947勝の最多記録達成。
第4競走(香港スプリント、国際G1)国際スプリントはもう香港馬の独壇 場。1.4倍でダントツの1番人気、Sacred Kingdom(Mosse騎手)が手堅く2-1/4馬身差で優勝。3番人気でも10倍のAbsolute Championに賭け2着に入り、3着のRoyal Delightも押へてゐたが知己の馬主W氏のSunny Sing軸にして、これがブービーで馬券にならず。
第5競走(香港ヴァース、国際G1)何といつても凱旋門賞馬Dylan Thomas(Murtagh騎手)が1.7倍で、当然のやうにこれから流すが7着。仏馬のDoctor Dino(Peslier騎手)が優勝。
第6競走(芝1800、クラス3)擦りもせず。どうしよう。
第7競走(香港マイル、国際G1)日本のコンゴーリキシオーも参戦。香港 馬のGood Ba Baはアタシは個人的には国際G1クラスではない、と思ふがマトモな敵もをらず3.8倍の1番人気できちんと勝ち、それは頭でいひのだがDettori騎 手のCreachadoirなるUAE馬が7番人気で2着に入つては馬券にならぬ。
手持ち資金も半減どころかかなり負債となり始め「やつぱり来なければよかつた」気分。だが、
第8競走(香港カップ、国際G1)1.3倍で1番人気のViva Pataca(Kinane騎手)がそのまま勝つては面白くない、と7頭だてのこの競争で、単勝は4.8倍で2番人気のURE馬のRamonti (Dettori騎手)として、この2頭を1、2着の軸に99倍で最低人気の仏蘭西の牝馬Mucical Way(Thomas騎手)と田中勝春騎手のシャドウゲイトを脚に。絵に描いたやうな展開で、1着がRamontiで2着にViva Pataca、3着がMusical Wayで単勝、三連複、しかも三連単はわづか4点買ひで配当はHK$1,067と1000ドル馬券的中。神様、仏様、デットーリ様。
調子に乗ると怖いもので
第9競走(芝1600、クラス1)は先ほどは参敗した馬主W氏の Sunny King(Beadman騎手)が2.0倍でダントツの1番人気。これを軸に堅く55倍の三連単を当て馬主W氏夫妻の喜びをライカに収め、口取りにも誘は れる光栄。馬券だけ買つて帰つた第10競走(芝1400、クラス3)も単勝こそ外したが2〜4番人気の3頭ボックス買ひで三連単を当ててしまひ、1番人気 馬が外れたことで三連単の配当は161倍とまた1000ドル馬券。
……と香港国際レースでの勝ちも恥づかしながら今回も初めてなら配当は堅いとはいへ三連単を三連続的中とは我ながらツキすぎに驚き。結果論だがもし、この3レースの三連単を一括りにして買つてゐたら95.5万倍で配当は955 万ドル(1.43億円!)だつたとは……。まぁ絶対に買へないが。いづれにせよ、この大当たりは怖い。アタシは配当金を転がすほど勇気もな いので、さつそくモノに換へてしまはう、とまづ考へたのはライカのレンズ。だがノクチを買ふには足りず、「多少暗めのレンズがほしい」なんて逆の意味での 贅沢で最近発売の新型ズマリットの35mmもよからう。ZeissのMマウントでビオゴンも欲しい……が香港はZeissのレンズは 日本よりかなり高値で損。ライカM8も日本ではユーロ高なんて理由に89万円だが香港では3万ドル台でかなりお得だが、さすがにそこまで配当は得てをら ず。いづれにせよ、あまりカメラも使つてゐないのにレンズ揃へてどうする、だいたい大当たりの運を独り占めしようとしたら、何か事故が起きさう、誰かに施 すべき、とBrooks BrothersでZ嬢にカーディガン一枚……とは我ながらセコゐ。湾仔のWatson's Wine Cellorで今晩お食事ご一緒する長野のT氏、斎藤さん入江さん、三年ぶりのTさんと待ち 合はせ。彼らのお泊まりがこのワイン屋から歩いて1分なので昨日のうちに今晩飲む葡萄酒を選んでおいていただく。最終3レースの三連単的中ならKrugくらひご馳走してもらはうか?と言はれるが、 まぁ、そこは6本!のワイン代で勘弁してください、の世界。湾仔のMTR站でZ嬢、最近競馬にご一緒の機会多い O君含む計11名と合流。杭州酒家。その6本のワイン、銘柄 書いたメモ何処かに紛失で詳細は斎藤さんのブログを待つ、として入江さん持参のRoc de Cambesの04年まで7本飲み切り。Roc de Cambesは美味いし競馬好きで飲むためのやうな葡萄酒。料理もワインに合ふやうに揃へていただきありがたいかぎり。歓談尽きず。また来春のQE II Cupかこの国際レースでの再会を祈る。
▼本日の香港国際レースはキャセイパシフィック航空が提供。会員席に新しい客室の展示あり。機内で提供のワインやシャンパンのお振舞ひもあり。Yクラスは まぁまぁこんなもの。Cクラスはフラットシートだ、オットマンもあり誰かと向かひ合はせでも歓談可、といふが、アタシは精神的に狭いと思ふ。実際に坐つて みるとけつこう幅もあるのだが、なんか窮屈。これまでの(アジア近距離用を除く)Cクラスシートのはうが好き。Fクラスはキャセイの今回のFがシンガポー ル航空ならせいぜいCクラス並み。ちよつと格差が広がつた感じ。

十二月八日(土)疲勞感と體力消耗甚だし。どうにか午後の所用濟ませ晚に灣仔。六國ホテル。同ホテルの「粤軒」の個室にて所屬の某會の打合せの後、七年も メンバーのN夫妻歸國にあたり送別會。店の黑服孃に「一年ぶりですよ」と指摘受ける。ゴメンナサイ。昨晚の睡眠不足で午後十時には臥牀。

農歴十月廿八。暦では「大雪」だが汗ばむほどの陽気。多忙深更に到る。今日、知人の子どもに仮面ライダーの玩具をあげる。デパートの玩具売り場で見て驚い たが仮面ライダーのベルトもカード差し込んだりなんだかヘンに進化してゐるが、かつては バイクだけであつた乗り物がなんだか必要以上に多種多彩すぎ。敵(いまでもショッカー?)の参謀本部のやうな鉄道車輌に「食堂車」があり、ショッカーの幹 部がラウンジで寛いでゐるのには笑へた。
▼昨日、香港中文大学の第64回卒業式典。大学は前行政長官・董建華君に栄誉博士号授与(法学博士)。学生の一部が「中大之恥」や「禍港有功」と抗議し式 典混乱。董建華博士もスピーチの邪魔されさすがにむつとして壇上より抗議。ちなみに中文大学の栄誉博士号はこれまでも2000年にはシンガポールの李光耀 国王陛下や03年には同大の元医学院院長で学長も務めた当時の教育統籌局長・アーサー王(李國章)にも授与してをり栄誉ある号。それにしても董建華に博士 号授与するとしたら会場がどれだけの騒ぎになるか、考へれば授与決めた学校経営陣の感覚疑ふばかり。

十二月六日(木)遅晩まで多忙。
▼信報にてかつての総編輯・練乙錚氏が主筆として復帰は三日日剰に綴つた通り。この突然の復帰、今日ふと思つたのだが、これは近い将来引退かと囁かれる社 主・林行止氏の「専欄」の後任への配慮ぢやないか、と。信報の創始者・林行止氏(本名・林山木)は潮州澄海の人。60年代に明報にリサーチャーとして加は り60年代後半に渡英し経済学学び帰港後、同紙に戻り老闆查良鏞氏の信頼得て副編集長、明報夕刊の編集 長となる。明報の経済面削減あり退社して信報財經新聞創刊。経済紙ながら正確な政治報道で明報の位置を奪ひ林行止氏の社説、論説は評判を得、「香江第一健 筆」とまで称されるに到る。が林行止氏あつての信報。1940年生まれの林氏の引退、信報の売却(李嘉誠財閥が食し動し、現在は有力株主)など取沙汰され るなか、誰が林行止氏の健筆を襲ふか、と考へれば練乙錚氏の採用なら合点はいくところ。但しご本人以外、誰が「香江第一健筆」たらうか。
▼陳方安生議員、昨日立法会に議員として初登壇。陳議員の香港政府の民生政策についての質疑に対して答弁にたつた民生事務局局長・曾德成が「佢仲話競選期 間知道乜叫民間疾苦,原來除忽然民主之外,仲會有忽然民生」つまり「彼女(陳議員)は、突然「民主」と叫んだかと思へば、選挙期間中に巷の厳しさ知つたら 今度は「突然、民生」か」と陳議員を揶揄。議会での政府の局長の発言に泛民主派は唖然。曾德成は1967年の反英暴動で懲役二年実刑の左派英雄、で行政長 官の自称政治家・文革曾(かつてSir Donaldと呼んでゐたが最近は「文革曾」と徒名される)に抜擢され民生事務局局長。土共左派はその革命家の議会での勇気ある発言に陳当選での溜飲下が る思ひか。心情的には反英・曾が植民地政府の旧高官たる陳方安生に一言ぶつけたい気持ちもわからぬでもないが、政府の民生事務局局長たる立場で議会での発 言と思ふと議会制の場では許容されぬ暴言。故青島幸男君の首相佐藤栄作君に対する「財界の男芸者」発言と同じ(あの程度の発言で威勢を張つて見せるだけで 終はつたが)。ちなみに曾德成君は親中派御用政党民建聯の曾鈺成君の実弟。左派兄弟。

十二月五日(水)晩にハッピーヴァレイ競馬場。O君も来場と知り西班牙の発泡酒一瓶ぶらさげ競馬場の会員席に入ると(今季からメンバーエリアでもビジター 入れる場所がかなり減つてをり)座席がないばかりか立錐の余地もなし。と ても酒など飲んでおれず遅れてきたO君と一般席七階へ。さすがにここは静かで酒を酌み交はす。ここのはうがよつぽど風雅。本晩は国際ジョッキーチャンピョ ンシップ開催。日本から岩田康誠騎手参戦。指定3レースの総合得点競ふ。初戦(第3競争)で45倍だかのスーパーファイター馬で三着に入り複勝でHK $129の配当とは恐れ入つた。このレースはチャンピョンラッド馬(ホワイト騎手)の単勝得て、岩田さんにご祝儀で連複買つてをり惜しいところ。岩田騎手は 残り2レースは敗退で残念。優勝はホワイト騎手。アタシは個人的に単勝2つと47倍の連複で今晩はじふぶんな配当あり満足。O君と競馬場にも近いバーBに 寄りニッカウヰスキーの竹鶴21年をダブルで一杯飲み競馬や鉄道の話。深夜零時で帰宅。
▼マカオ訪れた湖北省からのツアー客、指定の土産店での半ば強制の買物に反発したところマカオ側の旅行代理店がツアー客をバスでコロアネ島の黒沙海岸まで 連れてゆき海岸でバスから降ろして「吹北風」、つまり冷たい風でも浴びて反省しろ、と仕打ち。ツアー客が怒り警察が出る騒動。アタシも四半世紀も前に(地 元商店街の歳末福引きの香港旅行当選者の直前参加取り消し分を宛てがはれ)香港に初めて来た折、ツアー中ずつと観光や買物に参加せずふらふら徘徊。最終 日、啓徳空港へ向ふ途中、最後の買物がありアタシがバスから降りずにゐるとガイドが「頼むから、店に入るだけでいひから入つてくれ」と懇願されたこと、ふ と彷彿。

十二月四日(火)朝五時前に目覚めてしまひ原田治『ぼくの美術帖』読了。新聞も朝のうちに四紙読了。ただの老人。終日多忙。晩に帰宅して山崎をぐいつと一 杯、ドライマティーニ二杯。菊正宗で白菜と豚肉の鍋。NHKのNW9で日本の野球隊が北京五輪出場決めアナウンサーが帰国直後の選手の番組出演に「お疲れ でせう。ゆつくりお休まれてください」なんてへんな敬語聞きながら眠りにおちる。
▼立法会港島区補選で当選のアンソン陳議員は当選御礼で公民党梁家傑議員運転のオープンカーに同党「黨魁」余若薇議員と民主党のマーチン李銘柱議員が同乗し香港島繁華街を「お練り」。やんやの喝 采。破れたレジーナ葉候補は敢へて民建聯や自由党、さらに土共暴民ら従へず独り応援御礼行脚。但し出発地点が湾仔沿岸の金紫荊広場といふのがあまりになん とも……親北京。
▼関東学院大ラグビー部の大麻「蔓延」。監督が「世間をお騒がせした」と辞任表明。「世間をお騒がせした」のではなく「世間が騒いだ」。
▼陶傑氏が蘋果日報の黄金冒険号に日曜日の選挙について書いてゐたのは「1番人気の勝利となつたが、もう一人の勝算の可能性なかつたでもない候補」にとつ て何がまづかつたか、といへば「野蛮な暴民」を支持者に集めてしまひ、本来この候補の潜在的な支持層を逃してしまつた、と。御意。陶傑氏、飲食店でいへば 料理が美味い、値段、内装、サービスのほか大切なのは“Clientele”である、と指摘。この言葉は中譯が難しいと陶傑氏。顧客、常客は中日同意、日 本語ならさしづめ贔屓、さらに日本語には上客といふいい言葉がある。どんな人たちが客についてゐるか、は大切。香港なら蔡瀾や唯靈、アンソン陳方安生、日 本なら昔なら池波正太郎や山本嘉次郎、今なら林真理子か(えつ?)。それが「えつ、こんな人が」と思はれたらお終ゐ。アタシにとつては葉劉淑儀を料理研究 家?の蘇施黄が応援してる段階でゾツとしたが。
▼信報は昨日に続き社説でこの補選につき葉候補側の「鐵票=票固め」取り上げる。保守派の票集約といひつつ民建聯と自由党、范徐麗泰(立法会議長)の前回 選挙での得票数の計は14万票で、葉候補の得票13.7万票は僅かながらもこれに及ばず。信報は敢へて「北京が」と言つてゐるが(民意自由の選挙におい て)票の集約がさう簡単ではないことを勉強すべき、と。また同紙は林行止専欄で昨日社説に引き続きアンソン陳候補当選の負の面についてちくちくと批評。リ ベラルで公正に信頼高きこの新聞がなぜここまでこれにこだはるか、は読者も深慮要すところ。
▼香港で方蘇といふ名がベテランのジャーナリストとしてまだ記憶にあつたら、読者ももう五十代以上かもしれない。私が氏にお会ひしたのは90年に方氏が雑 誌『九十年代』の副編集長時代。李怡氏が編集長のこの雑誌の返還後、方蘇氏がジャーナリストであるだけでなく個性的な画家であることを知る。何冊かみづか ら絵筆をとつた随筆集も上梓。今日の信報に筆名・黒楊といふ人の随筆あり、それに方蘇氏の香港の風景画添へられる。アタシ好み。

十二月三日(月)朝起きて立法会港島区補選の結果を見る。陳方安生女史が17.6万票得て葉劉淑儀候補に3.8万票差をつけ当選。これで葉さんが当選して ゐたら、ア タシは今朝、<近代の超克>な気分だつたらう。アンソン陳さんのはうは丑三つ時に当選祝賀で、抜栓のシャンペンはドンペリであつた。振つて泡をたてるには 勿体ない。諸事に忙殺されたが献血(香港で38度目)。毎三ヶ月にきちんと献血のアタシが四月以来実に七ヶ月ぶり。七月に献血に参れば五月の胃潰瘍で服薬 が終はつたばかりで四ヶ月のインターバル要るとわかり今回待ちに待つて。終はつてすつきり。シャブなんかよりずつといいだらう。帰宅して晩のケーブルテレ ビのニュースチャンネル見るとトップニュースが「ベネズエラの憲法改正の国民投票」。立法会補選ネタは昨晩からひつきりなしだつたので今更なのか、といふ 気もするがベネズエラ内政問題は香港であまりトップニュースらしからず。新聞も蘋果日報やSCMP紙を除き補選についての記事は報道低調だつたが(選挙結 果発表が本日未明で印刷間に合はぬ旧態依然の新聞社も多からうが)テレビもアンソン陳当選を余り大々的に流し続けないやう配慮かしら。晩は葡萄牙のQuinta do Valladoは白のはうが断然いいみ たいだが、その赤の04年を飲みながらクリームソースで煮た骨つき鶏腿肉のソテー食す。FMラジオでモーツァルトのピアノとバイオリンのための小曲(曲名 知らず)が流れてゐて聴く。モーツァルトも嫌ひ、嫌ひといつてゐるがちやんと聴かないと。井上直幸先生の言ふ通り愉しいだらう。井上直幸的には「終わった あとのケーキが楽しみ」みたいな感じの曲。「ケーキはイチゴかな、シュークリームかな、って想像しながら……うふっ」とか。
▼葉候補は自ら善戦讃へ来年の本選挙には再び立候補を宣言。間違ひなく当選、と思ふが葉候補支援した親中御用政党民建聯の代表が憔悴し切つた表情で「全力 を尽くした」と取材に答へてゐた姿が印象的。善戦といふが3.8万票差は両候補の得票数の12.3%にあたる。2大候補の接戦で投票数の1割越える差は僅 差とは言はない。寧ろ完璧に敗北。香港島にある「六四黄金定率」が今回もきちんと反映して革新6:保守4の得票比となる。葉候補本人は来年の本選の前哨戦 として善戦気分だらうが支援と集票強ひられる民建聯や各商工団体にとつては六四定率を超える得票を次回選挙では求められるわけで、たしかに「たまつたもん ぢやない」だらう。それにしても今回の親中派御用団体の動員はかなりのもので朝イチで勵徳邨では老人ホームから投票所へのバスが仕立てられたり、某商工団 体関係者の中には陳方安生の番号が7から4に変更になつたといふデマ(4番は葉候補の番号)をSMSで流した者までゐた由。それでも午後になり出口調査で 陳候補優勢が伝へられ夕方から土共らによる積極的な葉候補票の獲得の命が下されたらしい。土共左派は昨日午後に蘋果日報が「陳太勢危」といふ号外出し陳候 補への投票呼びかけたこと非難。その数5万部、選挙当日の号外は香港でも初めての由。指摘はご尤もだが親中系左派紙に対して一紙くらゐ過激リベラル紙があ つてもよからう。土共左派にとつて憎いにはこの蘋果日報と、そして香港大学の世論調査センター。同センターの出口調査の途中経過発表でアンソン陳候補の優 勢が伝へられ、しかも東区で票伸び悩みと判明し投票日終盤でアンソン候補側は民建聯の票田である東区に乗り込み票掘り起こし。同センターの鍾庭耀主任とい へば董建華の時代に「行政長官支持率調査を止めるやう行政長官側から圧力がかかつた」こと暴露し当時の行政長官秘書と香港大学の正副学長辞任にまで追ひ込 まれ、鍾庭耀といへば土共左派にとつては千古罪人。
▼台湾出身の知己のY女史が香港の選挙がだんだん台湾化してきた、と指摘は言ひ得て妙。台湾で選挙になると夫婦が国民党支持と民進党支持で対立し家庭内別 居とか面白可笑しく報道されるが香港でもY女史の知り合ひは旦那は仕事絡みで葉候補の投票請はれ妻はアンソン陳支持と割れたさうな。
▼立法会の来年の改選は葉劉淑儀が立候補の場合、当選は間違ひないだらう、とアタシは書いたが、土共保守派には土共の事情があり、港島区の保守派の議席数 が最大で3の場合、前回選挙では范徐麗泰(立法会議長)と民建聯2議席(逝去の馬力氏議席含む)に対して今回の補選では民建聯が独自候補立てず葉候補支援 に回つたが2議席確保は党としての沽券にかかはること。范議長が引退でそれを葉劉淑儀が襲ふなら、それでうまくいきさうだが、問題は保守派財界政党の自由 党も地盤の港島区で1議席ゲットは当然望むところ。となると3議席の取り合ひも必至。葉劉淑儀が民建聯入りするのがいちばん簡単な解決法だらうが民建聯に 入れば入つたで浮遊票である中間層の反発で右派の集票しか能はず……がジレンマ。泛民主派とて事情は似たり寄つたり。港島区で4議席。公民党の好調と民主 党の金属疲労。2+2で分け合へばよかつたが前回選挙では民主党のチョンボで最後のSOSが災ひし民主党2議席得たが比例代表制で票が民主党に集中した結 果、公民党が2議席確実だつたのに1議席となり(何少蘭の落選)、それが民建聯に流れ福建女王・蔡素玉を当選させる結果に。今回、昨日の補選で陳方安生の 当選でその1議席奪回はしたが、来年の改選では民主党が指定席であつた2議席を1つ失ふ可能性も大、最悪のシナリオは民主党、公民党と無所属の陳方安生に 票がばらつき、保守派はそのてん票の調整は確実だから、泛民主派が3議席となる可能性も少なからず。
▼今回の補選にアンソン陳女史が立候補表明するかしないか、の時に信報が「立候補辞退すべき」の論陣張つたのは記憶に新しいところ。その信報が今朝の社説 で「選挙結果が政局に与へる影響は小さい」と述べる。敢へていへば「影響は小さくあるべき」といふ主張に読めてならず。信報としては妥当なところだらう が、その論旨よりむしろ驚いたのは社説の最後に「本紙主筆練乙錚が本日より専欄で連載開始」とあり。練乙錚といへば信報の元編集長で、その後、董建華の時 代に政府の中央政策組に加はつたが董建華に呆れたのか中央政策組主任の劉教授と仲違ひしたか04年に政府を離れ米国だかに大学院留学。05年に信報で中央 政策組時代を反思し「浮桴記」を執筆。期待ほど暴露もなく刹那感、無常感強し。その練乙錚が信報にまた主筆で復帰とは……。その今日からの連載は「香島論 叢」と言ふ。社会の和解について、と漠然とした内容は想像に易し。独特のスタンスで政経社会を見てはゐるが、どうも世捨て人感覚で時事評論としては違和感 あり。その人がなぜまた組織に属して、といふのも不思議。
▼関東学院大ラグビー部の大麻「蔓延」。大麻のはうが煙草よりはスポーツマンには健康面でいい鴨。でも大麻などキメてたらゲームで闘争心も起きないかし ら。
▼強肴(しいざかな)。懐石などで、酒がちよいとすすむやうに、ちよつと塩辛い雲丹や酒盗などをほんの少し、小振りの鉢などで供す、これもオツだが、料理 屋でカウンターで酒を一杯、の時に頼んでもゐないのに「ちよつと、これ食べて」と酒の肴が一品、さつと供される、あの感覚がまた佳し。香港では寿司加藤と かHappy Valleyの寿司澄など。それが料理屋によつては(名前は挙げぬが)馴染みの客に「これ食べてみて」はいいが、きちんとお会計に反映させる肆もあり、而 も小皿に少しが百ドル超えてゐたり、更に「これも」「これも」とまぁ山海の珍味を次から次へと、強ひる、強ひる。これぢや珍味も食傷気味で美味くもない下 品。馴染みになるとむしろ「この客からは高くとれる」となる香港の日本料理屋の悪い習慣。

十二月二日(日)寺で毎年恒例の年に一度の大法會あり檀家の一人として朝夜明け前に起きて社務所で昼過ぎまで当番。午後ジムでかなり久々に筋力運動と湯酸 素運動各一時間。夕方に紅磡の波止場の売店で北角行きのフェリー待ちながら魚蛋と焼売を肴に缶ビール二缶。地下鉄站の出口で「左派鐵票排山倒海 陳太勢危」と題した蘋果日報号外が配られてゐる。有権者に投票と陳方安生候補支持求めるもの。朝から親中派土共らの葉劉候補への組織票はかなりのも のの由。立法会港島区補欠選挙で投票。家に帰る途中、先日の区議会選挙でまさかの落選の保守系前職が街頭で葉劉淑儀候補のビラ配り。選挙では無党派を売り にしてゐたが隠れ民建聯か……所詮こんなもの。敢へてビラ受け取り拒否。陋宅に至るまで三度、葉劉候補のビラ配りの遭遇。なんて組織力。先日まで葉劉候 補、投票日直前や当日の非常事態宣言はせぬ、と宣つてゐたが最終的にコピー用紙に印刷のビラには「急求」の二文字。どうやら陳方安生候補が有利なのかし ら。晩十時半に投票終了。その直後、香港大学の世論調査センター(鍾庭耀主任)がアタシも出口調査され応じたが「陳方安生勝算較高」と発表。葉劉候補は選 挙投票日当日の最後を「勿論、民主制と民生の改善を推進してゆく。何よりもまづ大切なのは社会の和睦であり選挙民の支持を願ふ」と締めくつてゐたが、昼間 はまだ“Democracy is not monopolized.”などと叫んでをり、「ヒトラーも民主的な選挙で選出された」とまで言つた人に民主主義うんぬんは言つていただきたくないと思 ふ。陳方安生候補は開票前に早くも香港大学の選挙結果予測受けて「市民の支持に感謝。民主主義は私一人が推進するものでなく各人の支持が要る」と彼女らし いコメント。今朝の蘋果日報で陶傑氏が本日の選挙について述べた「立 法會補選以獨立思考投下公民一票就夠了」の文章が出色。世界に完璧な候補者などをらず、選挙民はGoodか或いはBadでなくBadかWorse で「多少マシ」な候補を選べばいひ、と。ヒッチコックの映画『サイコ』に“Money cannot buy happiness, but money can buy off unhappiness”といふ名文句があるが選挙も最良の候補者は選べずとも、ひどい方の候補者を避けることはできるわけで、1982年の中英合意から 四半世紀、いろいろあつたし香港の政客のレベルは低いが、香港の公民意識は高まり成熟してゐるのだから今日の選挙は自分の判断力で投票しませう、と。御 意。アタシは葉劉淑儀といふ人がけして悪人だとまでは思へず、逆に最後の最後まで陳方安生といふ人がどこまで善人かかなり疑つたが、結局、葉劉淑儀が当選 することは本人より民建聯だの土共のおバカな連中が驕ると思ふと、その手助けは出来ず。ルペンと争つた時のシラクぢやないが陳方安生のはうがマシ、と結 論。まぁいづれにせよ葉劉淑儀は次回の立法会の本選挙に再び立候補し、その時は保守系の立法会議長の引退で、その後釜で楽勝か。むしろ泛民主派のはうが香 港島のリベラルな票田を勢ひづく公民党に加へ陳方安生の参画で喰ひ合ひ、民主党議席減がかなり濃厚。結果的に香港の政局にそれほど大きな影響もない、とい ふのがアタシの見方。ただ葉劉淑儀が将来の行政長官候補と噂されてゐたこと考へれば、今回の初戦敗退はかなりの痛手。あれだけの組織的応援と票の集約で、 いくら相手もヘビー級であつたとはいへ「負けた」のは事実。北京中央もそのへんを厳しく評す、かどうか。ただ美濃部には負けたが、の石原慎太郎のやうな例 もあり。それにしても民建聯の故・馬力の逝去がこんなスーパーヘビー級戦を実現させたのだから政治は面白いし、葉劉淑儀の立候補でそんぢよそこらの候補ぢ や勝てぬ、と泛民主派協調で陳方安生担ぎ出しに成功したあたり、日本でも野党は見習ふべき。

十二月朔日(土)朝九時に太古城のTom Lee楽器店。一月下旬の香港フィルで李雲迪がラフマニノフの3番とプロコフィエフのピアノ協奏曲の2番をやるのでユンディ=リは未だ生で聴 いたことなので、ちやうど後者は彼が小澤征爾&伯林で演じたCDも聴いてゐたし、合はせるのが小澤&伯林と江戸出&香港だとどう違ふものなのかも興味あり チケット買はうとTom Leeの開店前に並ぶ。開店一時間前で七、八人の客の行列あり。本日が来春の香港藝術節の切符、カウンター売り出し開始にぶつかる。一時間並ぶのは新聞や 本を読んでゐればいいので難儀せぬが十時の開店で切符発売始まつても芸術祭の切符買ふ方は一人であれもこれもでなかなか列が進まず三十分後にアタシも無事 切符入手。早晩に尖沙咀。Z嬢との待ち合はせまで燈刻、多少時間あり独逸麦酒のWeinstubeに憩ひワルシュタイナー二杯飲む。さすが独逸人、冷 房などつけず窓全開で涼風心地よし。アタシがつい癖で扇子使ふと、バーテンダーが “Ist es heiß?” と冷房つけようとするが扇子は “Es ist nicht heiß. Dieses ist meine Gewohnheit” なり。独逸の佳さは便所の乾浄さは当然として麦酒もグラスに300mlときちんと目盛りあるのはご愛嬌として価格がそれ。お勘定請へば二杯でHK$60 也。一杯HK$30で而も300mlであるから10mlがHK$10と正確な、これもご愛嬌だが、更にHK$60の勘定に100ドル札出せば香港の地場の 酒場ならチマチマと小銭揃へて祝儀乞うところ20ドル札二枚きちんと返し祝儀など期待せぬ心意気。見事。この独逸酒場、ふと気づいたがWeinstube なら葡萄酒が主か。麦酒飲む客ばかり。向ひのGaylord印度料理店。 Mc Dowell'sといふ印度産ウイスキー飲み原田治『ぼくの美術帖』の続き読む。Z嬢来て晩餐。この印度料理店、香港では香港島のアショカと並び印度料理 では香港の老舗。店は大幅に内装替へしたやうだが、某飲食資本に買収されたやう。香港文化中心。李嘉齢(Colleen Lee)のピアノリサイタル。ユンディ=リが 2000年のショパンコンクール第1位金賞なら李嘉齢はお香港生まれで香港の演藝學院でEleanor Wong女史に師事し05年の同コンクールで第6位入賞。個人的にはあまり好きな洋琴家でないがショパンの夜想曲作品27、ブラームスがクララ=シューマ ンに贈つたといはれるピアノ独奏曲作品118の6曲、スクリャービンの幻想曲ロ短調作品28にシューマンの幻想曲作品17、と選挙区にやる気感じ今晩の観 賞に相成る。が会場に至れば保育園の如く幼児多し。エリーゼのためにだのトルコ行進曲だの乙女の祈りだの演目並ぶリサイタルならまだしも前述の「とてもガ キにはつらからう」曲が並ぶのだ。何かの間違ひか、と思つたが、よくよく見るとチケットに「満3歳以下は入場お断り」とあり。通常のコンサートは6歳以 下。敢へて3歳にしたのは、どうやら今晩のリサイタルが柏斯琴行(Parsons Music)がスポンサーで舞台上のピアノも柏斯琴行が代理店のFazioliなのだが、柏斯琴行が直営のピアノ教室で生徒を今晩のリサイタルに招待して ゐるのかしら(動員で)。いづれにせよ四、五歳が今晩に演目に飽きないはずもなく場内はガサガサと落ち着かず、お子様たちはまだしも子どもと勝るとも劣ら ず落ち着きのない馬鹿な親たちに閉口。李嘉齢もブラームスの何曲か、またスクリャービンなど強く奏でる曲は彼女の持ち味もあらうが、全体的にまだまだ二つ 目の域。

日記インデックスに<戻る>