教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

閏年二月廿九日(日)薄曇。昼まで睡眠貪る。インフルエンザの後遺症か咳止まず咽痛。昼に額縁掲げる作業。拙宅の食堂は旧来倫敦地下鉄のポスター張った場所に北京市街図、居間のKeith Herringのポスターをその倫敦地下鉄と交換しHerring氏のは廊下の酒瓶置く一角に、新しく書斎に歌舞伎役者番付、廊下に大東京市街図はなかなかの壮観。この役者番付は大正二年の東京毎夕新聞付録の「全国俳優理想大番付」が正式名称、横綱は居らず(横綱といふのは本来おらぬのが常識で大関にしておけぬほどの神憑り現れヽば横綱の位に据えるもの)東の正大関(最高位)に初代雁次郎、西の正大関が松助、東張出大関中村梅玉、関脇は東が十一代目仁左衛門、西が河合武雄(新派)、西の張出関脇に八百蔵、小結は東が十五代目羽左衛門、西が實川延二郎、東の前頭は三枚目に福助、続いて初代吉右衛門、六代目菊五郎、七代目幸四郎、二代目左団次、西は前頭筆頭が五代目歌右衛門、六枚目に喜多村緑郎といふ布陣。ところで。台湾文学の白先勇の小説熟読すべきかどうか、邦訳もなく挑むべきかどうか。昼過ぎにZ嬢とQuarry Bayまで散歩して祐民街の來記にて米粉のラクサ食す。たかだか車仔麺の即席麺家ながら名を馳せ繁盛。相席の祖母と母、二十歳近き息子の三名狭い麺家にて和みゆっくりと食事楽しみ(それはいいが)混雑する店で母の息子の溺愛著し。Z嬢と別れジムにて二時間鍛錬。夕方灣仔の愛蘭土酒場Delaney'sにてギネス麦酒。香港にてはマンダリンオリエンタルホテルか曾ての同系エクセルシオールホテル或は外国人記者倶楽部に優るとも劣らぬギネス供す流石本場のアイリッシュパブと名を馳せたこの店にあってギネスのコクに遜色りあり。萬千別飲(これでは二度と飲むまひ)。帰宅してドライマティーニ飲みながらボブ・マーリイなど聴きつつ靴磨き。気温廿三度。窓開けて夕方の涼風楽しみレゲエ聴くも佳し。ふと冬の間こってりとしていた靴墨みの練りもかなりどろんと緩み夏を識る。
靴墨みの練りもゆるめばボブ・マーリイ
まだ残っていた航空自衛隊の焼酎「献捧」呑みチゲ鍋。
▼日本のYahooで顧客情報が漏洩したといふ問題。いくつか、その容疑者が創価学会の会員であるとかないとかで、だから創価学会は……といった風評も耳にする。創価学会に何も問題ないとはいえぬが創価学会を叩くなら何故に同じように反対勢力から見れば自民党に投票した輩であるとか石原を東京都知事に推挙した都民をも非難の対象とせぬのか、疑問、とふと思ふ。
▼尖沙咀に近い、海底西隧道の出口傍(昨日のタイ料理食したゴルフ練習場も近し)に新築の超高級マンション、名前は英語はThe Harboursideと上品だが漢字では「君臨天下」と「これでもかっ!」といふ名前。先日、信報の随筆で左丁山曰くタクシーに乗って行き先告げるのに「名庭軒」だの「寶馬山花園」ならいいが「豪園」でもちょっと気恥ずかしいのに「君臨天下」などとは常識的には恥ずかしくてタクシーで名乗れず、と。御意。その「君臨天下」、当然最近の好景気も反映して物件発売は好調、昨日の抽選で当たったら即刻、抽選会場の「そのへんに大量に湧いている」不動産屋に言い値で叩き売りする当選者も少なからず、例えば1466sqf(約四五坪)を不動産屋にHK$1410萬で転売し濡れ手に粟でHK$150萬をばゲットした市民などあり。資本主義の浅ましさの極み。
▼この日剰でも何度も文章紹介せし香港大学の経済学の碩学・張五常教授、学術は立派だがシアトルにて経営に骨董品屋、贋物販売だの脱税だのの廉で米国にて訴訟起され米国に一旦足踏み入れれば容疑者として収監の身。蘋果日報などには依然文章載せるが公衆の面前に現れずどうしたものかと思えば今日の蘋果日報によると上海に逃亡……失礼、移住されているそうで、米国と中国の間に犯罪人引渡し協定ないため米国の官憲の手が及ばず。卑怯なる様。どんな立派な学術の成功もこれでは……。呆れたといへば上海市が直接資本投資する上海実業公司も傘下の南洋煙草有限公司がコトもあろうに香港で製造の煙草を中国本土に闇輸出し利益上げていたこと香港のICACに見つかり上海実業の常務兼行政副総裁の南洋煙草董事長ら幹部二十名だかが逮捕される。日本でいへば地方自治体の第三セクターでの商社での犯罪。さすが一党独裁の弊害。
▼昨日は台湾の二二八事件の追悼の日。三月の総統選挙控え民進党vs国民党の選挙合戦に熱入り、民進党は昨日、百数十万人動員して台湾南北に縦断して手をつなぐ「二二八手護台湾」の運動起こせば国民党は民進党強い高雄市で(主催者側発表)六万人動員して皆で抱擁しあふ集会。民進党の集会には国民党の元・主席たる李登輝君も出席。もう俄然、台湾。よくわからず。
▼話旧聞に属すが今月十四日にマカオのカジノ王Stanley Ho氏の第一夫人・黎婉華夫人が逝去。享年八十歳。ちなみに氏にはこの正妻の他三人の妻あり。厳粛なる葬儀廿五日に澳門大廟頂大教会にて挙行され氏の一族の華麗なる面々参列するがその中に一人見知らぬ人亡き黎婉華夫人の慰霊写真捧げ矮小なるこの初老の男誰かと思えば氏と夫人の女児、名は超雄とあり。この氏と夫人の間には些か不幸少なからず何(Ho)家の嫡男たるべき長男は52年だかにポルトガルにて妻と供に自動車事故で亡くなり、この黎婉華夫人もその精神的衝撃だの本人の自動車事故で疾病続き手術だの後遺症で身体も不自由の上に記憶喪失だの精神性疾患だのあり余り公衆の面前には現れず。娘三人あるとのことだが余もこの超雄なる男子の如き名の三女の存在はこの葬儀まで知らず。この葬儀伝える新聞も写真の脚注には超雄女史の名は載せるが記事にて一切を語らず。新聞の写真手許に残すが著名人とはいへ家族の内輪、弔事の事ゆへ写真の転載など控え奉候。
▼マカオといへば塔石芸文館にて福田繁雄展開催とか(劉健威氏の連載にて知る)。香港で何故これが出来ぬのか。マカオのその芸術への造詣深き由。
▼香港中文大学にてリストラ故の学科統廃合にて日本研究学科の抹消は先日綴ったが先日陶傑氏「香港の現実に即した大学、学部学科の創設ならば」と曰く「名づけて香港特区理想大学(Hong Kong Ideal University)」構想。香港の大学を一つに統合する大胆な発想で、香港の本土(中国)経済は(街娼として名高い)廟街を中心と為し当然大学は[石本]蘭街に[石本]蘭書院(Portland College)をば開設せよ、と(まぁ歌舞伎町大学といふところか)。その上でそれに加え、香港大学を(街路名よりBonham)般咸書院とし、これに中文大の崇新書院(現行の4書院のうち歴史由緒ある崇基と新亜のみ合併)を加えた[石本]蘭、般咸に崇新の三つのカレッジにて特区理想大学とする。[石本]蘭書院は特区経済にとっての下剤のようなもので学部学科の開設は、まず「社会衛生学科」(Department of Social Hygiene)に梅毒、エイズ、白濁(淋病)、疱疹(ヘルペス)の四大重要課程設置し経験十分な性工作者(セックスワーカー)が教授に当たる。北姑(大陸娘)の教員応募があれば優先雇用。次に「江湖文学学科」(Dept of River-and-Lake Literature)は香港の黒社会(任侠世界)文化を、とくに(香港の広域暴力団)十四Kの掟詩「龍飛鳳舞振家聲、招牌一出動天庭、K金十四為標記、為保中華開泰平」の解釈から始め華南任侠世界二百年の詩詞切口術語語彙文学を網羅。当然その筋の方が教授。卒業すれば各大酒家の代客泊車(valet parking……邦訳わからず)の職位保証され(この代客泊車は暴力団の収入源)失業の憂いなし、と。三つ目は「麻雀娯楽学科」(Dept of Mah-jong Entertainment)で、これは雀荘のマネージメント、麻雀の牌術から雀荘の消防建築法令など。四つ目は「馬イ夫専業管理学科」(Dept of Mar-fu Business Administration、略してMBA)は「娼婦に依存して生きる」所謂「ヒモ」、これは香港法令では明確なる刑法規定なき売春の灰色地帯、課程としては買春客心理学、娼妓情緒研究、お水経済理論など。[石本]蘭街にて馬イ夫生活四十年の昌叔が客員教授として懇切丁寧に指導。そして最後が「愛国学科」(Dept of Ai Guo)は登β小平の「暴力団員も愛国的だ」といふ明言の精神に則り英国植民地時代の[石本]蘭街と廟街の江湖社団の芸妓が英国植民地政府の百年に及ぶ売春一掃政策に民衆がどのように対抗したかを学ぶ愛国史でこれは前述の4課程の必修課程、と。なおこの特区理想大学開設の折は福建大学と「姉妹」校関係結び学術交流を、当然テープカットは董建華行政長官に、と陶傑氏冴える。
▼オリムピックにて国境越えて渡り歩く強化選手問題への対策としてIOCの規定変更によりその国家を代表する選手の条件としてその国家の旅券有することが条件となり、その煽りでオリムピックに宗主国中国とは別に参加する香港はその参加選手が香港特別行政区旅券有することが必須、その煽りで少なからぬ国際級の運動選手、水泳のHannah Wilson(英国籍)だのバドミントンの世界ランキング一位のWang Chen(恐らく中国籍)だの卓球のTie YanaとかLin Lingといった連中が香港代表としてこの夏の雅典でのオリムピックに参加できず。これまでは香港居住権=香港ID有せば香港代表。香港のオリムピック委員会は香港の特性考慮せば多国籍の運動手が香港として一団となることが香港、だがIOCの決定に香港が特定となるは難しきこと。そもそも国家対抗といふことぢたいがオリムピックの嫌み。

二月廿八日(土)薄曇。さすがに昨晩の九時間の痛飲に疲れ昼まで朝寝貪る。午後九龍に藪用あり終って地下鉄九龍站隣地のゴルフ練習場訪れ打ち放し終えたH君とZ嬢と会いこのゴルフ倶楽部経営のThai Maryなるタイ料理屋。屋外のテーブルに寛ぎ黄昏から宵となり半月が天顛に浮かぶ。

二月廿七日(金)快晴。未明に数年ぶりのかなしばり。何か重いものに押されたが如く身体の自由きかず部屋には魑魅魍魎の如きものが宙をまわる。気温摂氏廿二度で湿度61%と爽快ながら九〇年までの天候記録によれば過去最高は当時は18.3度で平均湿度湿度79%、快適ながら温暖化の由。早い晩に某氏と中環旧中国銀行の高層階に位置する中國會。長征と名付けられたバーにてドライマティーニ。中國會はDavid Tung(登β永鏘)氏経営のメンバー制倶楽部にてもともと中国銀行の幹部用フロアを改造したのはいいが同氏経営の上海灘のキッチュといふか蛍光色の色遣いで共産主義革命モチーフにしたポスターだのオーナメントが至る処にあり共産主義革命をここまで色物的にネタに使ふ趣味西洋人にはウケるだろう余には理解できず。而も中国銀行のビルでこれをされて中国共産党もよくも怒らぬもの。それにしてもバーのバーテン、どれもこれも茶餐庁の給仕の如き野暮な見てくれも悪さ。一流のバーといふのは給仕も品があるべき。中国の田舎者の様でそれも中国的なのか。店の電話のベルの音量が気にならぬバーといふのはそれだけで失格。ダインに移り十人ほどで個室にて晩餐。いわゆるパンチのきかぬクラブ料理。奇を衒った銀製の箸(写真)が大リーグボール養成箸といふべき重さで普通の箸に代えてもらふ。室内の壁には登β永鏘氏の名前を一文字ずつ冠した句が並び(写真)(お世辞にも中央の鷹の絵も対聯の書と同様、上手いとはいへぬが)、この対面の壁には登β永鏘氏とともにこの中國會の開業に参加した徐展堂氏の名前での対聯が。中国の人民解放軍などを背景にした商社北海集団有限公司の曾ての香港代表であり美術品蒐集でも著名で香港大学美術館もこの人の収集品と寄付金で立派な美術館建てたがバブル崩壊の頃にいろいろ埃が出てこの人も失脚し莫大な負債かかえ今はどうしていることか。食事終り最上階の図書室(写真)ソファで酒が飲める空間で蔵書は登β永鏘氏倫敦留学時代に蒐集した一大英文学コレクション。ベランダに出れば中環の超高層ビルに囲まれて壮大なる眺望。中國會出て夜遅い中環歩いて外国人記者倶楽部。ジャズバーが冷却機改装中で階上のダインにてジャズ演奏あり。深酒三更に至る。諸氏と別れ深夜の蘭桂坊に踊り場二軒ほど覗き一飲すれば旧知のB君に遭い深夜三時近くまで密談。
▼新宿のL君。シェイダさんの判決について。「黙ってれば迫害されないでしょう」とは恐れ入りました。「内心の自由」は保障しますから、黙って内心にとどめておけばどんな意見をもっても自由ですよ、といふのが日本政府の理解する人権であり自由。権利など毛頭なし。これが限界。日本社会の観念そのもの。やはり日本は亡命先にはならず。つまり信じるに足りぬ国家といふこと。申し訳ないがシェイダさんはこの国では人間として生きられません……とL君。以下、長くなるがL君より転送されたシェイダさんのサポート団体の通信。
第60号 2004年2月26日発行(不定期刊)
<今号の目次>
(1)シェイダさん在留権裁判1審 不当判決に終わる
(2)1審判決にあたってのシェイダさんおよびチームS記者会見声明
バックナンバーが必要な方は電子オフィスまでお知らせ下さい。
講読申込・講読中止などの手続は電子オフィスまでお知らせ下さい。
シェイダさん裁判の経過を知りたい方は、
すこたん企画シェイダさんページ
果てしなき移民たちのためのホームページ
をご覧下さい。
(1)シェイダさん在留権裁判1審 不当判決に終わる
2月25日(水)午後1時15分から、東京地方裁判所第606号法廷において、シェイダさん在留権裁判の判決が言い渡されました。「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」わずか2〜30秒で終わった法廷。4年近くにわたったシェイダさん在留権裁判第1審は、原告シェイダさん側の敗訴に終わりました。判決の内容は、実に低劣なものです。判決は、根拠なく、イランにおいて同性愛者が迫害の危険にあう可能性は少ない、と述べ、シェイダさんがイランに帰国しても、安全な生活が出来る、と断じます。また、シェイダさんが同性愛者としてカミングアウトしており、さらにイラン・イスラーム刑法におけるソドミー(同性愛者の処刑)規定を廃止するべきとの主張を公然と行っている、という点に関しては、これらの事実自体は認定した上で、これを原告の「性表現」とまとめ、「性表現」に関しては各国がその状況に照らして規制の基準を作って良いのであって、原告がカミングアウトしたり、イスラーム刑法におけるソドミー規定に反対することに対する抑圧は「迫害」には値しない、という判断となっています。同性愛者の人権の確立に向けた主張を矮小化し、普遍的に認められるべき政治的自由の範疇から排除するという、社会通念上もありうべからざる愚劣な、恥ずべき判決であると言えます。同性愛者が難民条約上の「特定の社会的集団」であるかどうか、また石打ち刑が「拷問等禁止条約」上の残虐な刑罰にあたるのか、という点については、そもそもイランは同性愛者にとって危険な国ではないから、という理由で、判断する必要なしとして退けられました。判決に対する詳細な分析・批判は別途作成いたしますが、この4年間、私たちが積み上げてきた様々な主張・証拠が、上記のようなあまりに低劣な議論によって覆され、シェイダさんから在留資格を剥奪する「判決」として宣告されてしまったことに、徒労感と絶望感を覚えずにはいられません。とりあえず、上記を速報としてお伝えいたします。詳細については追ってお知らせいたします。
(2)1審判決にあたってのシェイダさんおよびチームS記者会見声明
判決に引き続き、裁判所内の司法記者クラブにおいて、原告シェイダさんおよび支援団体であるチームS・シェイダさん救援グループは、以下のような声明を発表しました。
原告シェイダさん声明
人権が認められていないこの国で、私が裁判で勝訴判決を得ることが出来るとは、そもそも考えていませんでした。ですから、敗訴判決を受けたからといって、私は何ら失望していません。今後は日本ではなく、難民の人権を守る国を探したいと思います。
チームS・シェイダさん救援グループ声明
シェイダさんの支援団体であるチームS・シェイダさん救援グループとして、敗訴判決に対して深い悲しみと強い怒りを表明する。イラン・イスラーム共和国では、イスラーム法の施行を絶対視するヴェラーヤテ・ファギーフ体制(「イスラーム法学者による統治」体制)の下、同性愛者は差別され、迫害され、虐殺されてきた。同性愛者は、石打ち刑を始め、火炙りや断崖からの投擲といったあたう限り残虐な方法で殺されてきた。いまイランでは、国会議員選挙を巡って、改革派に対して、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制の護持を主張する保守派の巻き返しが強まっている。保守派とは、たんなる聖職者の集まりではない。革命防衛隊、民衆動員軍、アンサーレ・ヒズボッラーといった準軍事組織が、イスラーム体制を国民に力で押しつけている。同性愛者への迫害は今後、強化されることは明白である。このようなイランの状況に照らして、同性愛者の活動家として、自己の性的指向を明らかにし、刑法の同性愛者処刑条項の撤廃を公然と主張しているシェイダさんが帰国すれば、極刑に処せられることは明らかである。シェイダさんは欧米に拠点を置くイラン人同性愛者難民の人権団体「ホーマン・イラン同性愛者人権擁護グループ」の公然たるメンバーなのである。ところが、わが法務省は、イランでは同性愛者は処刑されていないという異端的な説を繰り返し主張し、さらには、同性愛者は難民条約に言うところの「特定の社会的集団ではない」と主張し、石打ち刑は拷問等禁止条約にいうところの拷問や残虐な刑罰にあたらないとまで主張した。このような主張は、すべて真実に基づかない愚劣なものである。注目すべきは、「性的指向を隠してさえいれば弾圧されない」という主張である。性的指向を表明し、同性愛者の権利確立のために取り組むことは、同性愛者にとって必須の政治的権利である。法務省は、人間には誰しも備わっているこの権利を追求することを、同性愛者に対しては認めないと主張するのである。欧米では、同性愛者であること、また同性愛者の権利を主張することによって迫害を受ける十分に理由のある恐怖を有する難民を数多く受け入れている。日本でも、宗教や政治的な迫害を理由に、数名のイラン人難民が受け入れられている。性的指向による迫害については難民の理由として認めないという法務省の主張は、同性愛者に対する差別以外の何ものでもない。法務省が、公然と同性愛者差別を行い、嘘とペテンで塗り固めてまで擁護しなければならない入管体制とは、難民を強制送還してまで守り抜かなければならない「難民鎖国」とはいったい何なのか。法務省は、こうした難民鎖国政策が、グローバル化と人口減少時代において、長期的には日本国家それ自体を衰退に追い込むことにつながっていることに、未だ気づいていない。我々は、難民鎖国の閉ざされた門をこじ開け、シェイダさんを難民として受け入れさせるために、最後まで闘い抜く。最後に、悲しむべき本日の判決を弾劾して、以下のイラクの現代詩人バドル・シャキール・アッ・サイヤーブの詩を捧げる。
  ああ 無言の 無言の墓地よ 汝等の悲しき小道で
  おれは吼える 叫ぶ 叫び 悲嘆の声をあげる
  沈黙のうちで おれは聞く
  闇の中に散らばる厳しい雪
  孤独の足音が鳴り響く
  あたかも鉄と石でできた獣が
  生命を啖らうように 命のかけらすらない 夜も
  昼も事
▼五月の十一代目市川海老蔵襲名披露公演。なんだろうか、これは……。「暫」が新之助改め海老蔵で桂の前が雀右衛門、これは当然なのだろうが、伊勢音頭で團十郎が福岡貢、新之助改め海老蔵が料理人喜助……築地H君も襲名披露なのだから福岡貢を海老蔵で親父が料理人で添え役でいいのでは、と。同感。新之助(海老蔵)の貢は本役のはず。で夜の部は口上が「幹部俳優出演」で雀右衛門、芝翫、富十郎、菊五郎、梅玉、團十郎といふのは寂しいかぎり。これじゃ梅玉の襲名口上並み。海老蔵なのに。で「勧進帳」は團十郎の弁慶、菊五郎の義経で海老蔵が富樫。今更誰が成田屋(父)の弁慶を見たいだろうか。海老蔵が富樫熱演して「これからも父と音羽屋のおじさんを盛り立てていきます」といふ、それが今回の勧進帳なのかも知れぬが。最後の魚屋宗五郎も三津五郎の宗五郎に海老蔵の主計之助、松緑、菊之助、に芝雀、彦三郎とはちょっと若手の会の如し。
▼築地のH君よれば愛読の産経新聞に
「戦争は悪だと決めつけられたまま忘れ去られた死者の魂」県立鳴尾高三年/三浦泰隆(一七)。この歌にはっと胸を突かれた。頭の中から戦争をはじきとばせば平和がくるとしてきた日本の戦後教育よ。
といふ一節あり。ちなみに小林よしのり先生も激怒する産経新聞の「大義いらず」は二十日の産経抄にも
「でも人間てやつはなんでも大義名分をほしがります。夫婦げんかにも口実がいる。錦の御旗がほしいン」「そのようだな、十八日の朝日新聞も社説で『「大義」をすりかえるな』とシャカリキだった。笑ったねこれには。大義や正義にこだわるのは空想的平和論と同根だ」。「おかしいですかい」「おかしいよ、熊さん考えてもみな。かりにイラク戦争に大義がないとするとしよう。これは不正な戦争だった、侵略の戦争だったという白黒二元論でいうとだな」「ご隠居さん、難しいこというなよ」。「ごめん、戦争を白か黒かで切るとだよ」「なんだオセロゲームか」「そうだ、オセロ式にいこう。アメリカの方に大義がないとするとイラクに大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい」。「いやイラク戦争に反対の左翼の連中もそうはいっていないよ」「そうだろ。つまり大義があるかないか、どっちに大義があるかなどという議論は意味がない。戦争はどっちもどっちなのさ。だれもが自分の方に大義があるという。だから中国の古人も“春秋に義戦なし”とのたもうたのだ。大東亜戦争だって日米双方に理屈があった」。「するてえと国家は何のために戦争するんですかい」「ずばり国益だ。政治家はそこをきちんと見抜いて国益に沿った判断をせにゃならん。あたしの頭のような大義論はやめてもらいたい」「ご隠居さんの頭って?」「つまり不毛だな」
……ともはや自分が自分が何を言ってるのかわからぬのだろうが。

二月廿六日(木)晴。昼に太古坊の「袖山」丼物美味いと評判聞き立寄り鮪漬け丼にも惹かれつつ鯵の丼飯食す。美味だが胡麻油絡めすぎ多少鹹ひのが難。嘗て「耕」といふ日本料理屋あった場所で太古坊にて最も海沿い、東海隧道の入り口、Quarry Bay公園に近き場所にて昼は太古坊の社員食堂と化すが如何せん夜は閑かなる場所。それゆへ隠れ家的。夕方尖沙咀のKimberley街の新錦記なる硝子表具屋にて装丁の額三張受け取る。昭和四年の東京番地入地図、二十年代の北京色彩市街図に昭和初期の東西歌舞伎役者番付の三点。祖父によりきちんと保管されし物乍ら表具師に言わせれば何十年も折って為舞ってあった紙類といふのは広げると平らに見えるが額に入れると折り目の皺が目立ちそれをどう伸すかがかなり難しく他の仕事終わった晩に冷房扇風機など消して無風にての作業を要したことなど聞く。この表具屋の近くで薮用あり終わって畏友M君の車で自宅まで搬送。三張で一千港幣は安いと話しつつ、我らも若ければ手許に千ドルあれば飲む打つ買うであっさりと散財のところ、とても額の表具になど千ドルもかけやふといふ気など起きず、表具に高い安いなどと談義ぢたい我らも枯れたもの、と笑ふ。Z嬢と二更、廊下に据えた東京市街図を細かく見れば、広尾もガーデンヒルズはかつて渋谷第一御料地にて久邇宮家あり、有栖川公園は高松宮邸、溜池の清国大使館など「なるほどねぇ」と見入る。気になるのは地図の凡例に表示なき地図上の市街をあちこち断続的に走る赤い太線にて、幹線道路のようでいて芝の増上寺境内をば通り抜け、とくに八重洲周辺は碁盤の目のようながら突然断線してみたり、と、この奇妙な線でふと気になるのは帝都の何らかの地下道か、などと。ただし先日読んだ秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』にある、例えば都営新宿線と大江戸線のラインにこの太線は全く走っておらず。深夜三更に廿年常用の手提皮鞄修理。同仁斎の医師N兄がミラノ遊学にて見つけた医者用?カバンにてN兄が余がさぞや好むであらふと贈られ、受取り一握、手にした瞬間「これは生涯の伴侶」と達観。翌年複びミラノに遊ぶN兄にいずれ将来のためにと自費で二つ目の購入を依頼し今日に至るまで廿年の酷使に耐えた皮鞄もさすがに疲れて縫い目綻び底皮の薄くなり修理要す。本来はきちんとした鞄屋に修理依頼すべきところ応急措置。そのためついに十九年目にして二つ目の登場相成る(写真)。荷風先生の日剰読む。昭和十二年の夏、吉原大門の東娼家の屋根にある廿七夜の月を愛でる荷風先生、最近の娼妓陰暦の暦すら知らずと歎く。

二月廿五日(水)薄曇。インフルエンザ昨晩より快方に向ふ。香港の愛国論問題をからめ七月の民主派デモについて日刊ベリタに久々に記事書く。当然のようにすでにビクトリア公園の会場は他団体が予約済み、とか。本日はさすがに倦怠感あり痰がひどい以外は熱も退くがインフルエンザにこうも対応する薬剤といふものも有難い以上にその効能恐ろしきもの。かなり強まったウイルスとそれ退治せむとする薬剤が身体のなかで抗していると思うと恐ろしいかぎり。日曜の夜のJan Garbarekの演奏会、会場でもお見かけした劉健威氏が信報の連載でこの演奏会取り上げ打楽器奏者のMarilyn Mazur賞め、彼女は実は香港初めてでなく八十年代のマイルス・デイビスの香港公演!の際にも打楽器で参加、と劉氏友人に教えられた、と綴る。八十年代のマイルス、といへばThe Man with the Hornで奇跡の復活遂げStar Peopleの頃で日本での確か読売ランドイースト?だったか余も聞きに馳せ参じ当然、香港公演あれば日本とツアーなわけでこのMarilyn Mazurなる打楽器奏者いたかどうか全く記憶になし。
▼築地のH君より。小林よしのり先生『SAPIO』で「産経抄」を名指しで徹底批判とか。産経の「戦争に大義はいらぬ」に「なんという不見識、不道徳か」と怒り全開。御意。産経は左翼革命勢力の批判なら無視しても宜敷かろうが相手がよしりんといふこの批判には産経抄は真摯に対応する義務と責任あり、とH君。なにせよしりんは「わしが大東亜戦争に誇りを感じるのは、そこに大義を見出したからだ」といふ主張。これについて産経が答えられねば今後、産経は歴史について語る資格を放棄すべき。そもそも単にマスコミの左傾化憂ふ資本により作られた保守派新聞であり(当時は読売がナベツネの今ほど右傾化しておらず)よしりんの大義に応えられるほどの理などある筈もないが。
▼政府の国民保護法制整備本部……嗚呼なんて怖い名前、による有事法制関連七法案など誰も概要などきちんと読まぬわけで、それが政府の暴挙より更に怖いのだが、例えば「国際人道法違反処罰法案」なんて「まだ」人道的なようだが「目的」読めば
この法律は、国際的な武力紛争において適用される国際人道法に規定する重大な違反行為を処罰することにより、刑法等による処罰と相まって、これらの国際人道法の的確な実施の確保に資することを目的とする。
って日本語か? 憲法が米国のお仕着せ憲法で日本語として拙いと指摘されるがこの法案も「この法律は」といふ主語と述語「……を目的とする」の間の「処罰することにより」「相まって」「実施の確保に資する」の係り結びが余には理解できず。内容も嗤へるのは「3」の「重要な文化財を破壊する罪」であり、確かにテヘランでの国立博物館破壊など赦されるべきではないが条文が
次に掲げる事態または武力紛争において、正当な理由がないのに、その戦闘行為として、歴史的記念物、芸術品または礼拝所のうち、重要な文化財として政令で定めるものを破壊した者は、7年以下の懲役に処する。
ってこんなのが何の効力があろうか。戦争なのである。国家が勝手に正当な理由づけして戦っており殺人すら合法となるのが戦争。その究極状態で、而も勝てば官軍、負ければ賊軍の世界で、重要なる文化財が破壊されるのは当然負けた方でその負けた方が攻めてきた方に負け戦の後「はい、あなたは文化財破壊したから懲役七年」とか裁判でもするのだろうか、或は勝った方が自軍の兵士を「あなたは敵国の文化財破壊したから」と処罰するか。或は日本政府が自衛隊の隊員がかりにイラクで文化財破壊した場合に自ら自衛隊員を懲役刑にするだろうか……しない。「6」の「文民の出国等を妨げる罪」の(1)
出国の管理に関する権限を有する者が、正当な理由がないのに、文民の出国を妨げたときは、3年以下の懲役に処する。
もをかし。「正当な理由」など時の政府権力がいかようにも作れるもの。その権限を有する者って誰であろうか。たんに審査官か法務省の役人か法務大臣か総理大臣か……人権に差し障るこれほどの権限有する者がこの程度の判断で而も「3年以下」の懲役刑という法律つくっていったいどれだけの有効性があるか。寧ろペルー政府が「正当な理由」にて送還を求めているフジモリの出国を日本政府は妨げているわけで、この出国の如何の権限有する総理大臣が懲役3年の有罪判決にでもなれば面白いのだが。それにしても、法の条文にまで米国軍隊への服従誓ふという独立国家とは思えぬ破廉恥な法案(米軍行動円滑化法案や自衛隊法改正案)や国民保護法案=平成の治安維持法がこうも国民的議論など起きもせぬまま成立してゆくのだから、なんといふ政府及び国民の判断力、思考力の無さ。
▼ジャニー喜多川さんが週刊文春のホモセクハラ記事を名誉毀損と訴えていた訴訟は最高裁(藤田宙靖裁判長)上告棄却し記事の内容を事実と認めた上で高裁判決の文春側が支払う賠償額を一審の880万円から120万円に減額した判決に確定。戦後の一つの巨大な闇が明るみに(笑)。鹿砦社であるとか『噂の真相』も溜飲が下る思いだろう。それにしても「セクハラの記事の重要部分は真実だが、『飲酒、喫煙をさせている』などの記述は真実でなく名誉棄損」とは。飲酒、喫煙をさせていなかったにせよ性行為「させていた」のに、その部分の刑事は一向に進展もせず、かなりヤヴァいジャニーさんの「たかだか酒、煙草での」名誉毀損を認め、セクハラの重要部分は真実、でさらりと終ってしまふとは……かなり司法ぢたい常軌を逸してはおらぬだろうか。常軌を逸した司法の判決はもう一つ。新宿のL君熱心なイラン人のゲイ・シェイダさんの難民申請。イランで同性愛は死刑になる、とシェイダ氏は日本政府の強制退去処分取消しを求め提訴したのだが東京地裁(市村陽典裁判長)は「公然と同性間の性行為をしない限り刑事訴追される危険性は相当低く迫害を受ける恐れがあるとは言えない」と宣い本国への送還を適法と判断し原告側の請求を棄却。しかも「男性が来日前は同性愛者であることを隠して普通の生活を送っていたことを踏まえ『訴追の危険を避けつつ暮らすことはできる』と指摘」し「自分が望む性表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」と判断(以上、朝日)。性行為しなければ安全、自らのセクシュアリティを隠して生活することも自然(じぜん)と、この判断が基本的人権を侵害していることを市村陽典君は気づかぬか。欧米では……といふのを理由にしたくないが。マイノリティの人権といふのは逆で見れば分かることで、例えばこれが「高検検事長が愛人をつれて名古屋に出張」することが許されぬ国があり、その高検検事長が「国に帰ると辞任に追い込まれる」から難民申請しているのを「何を言っておるかっ!」と国に返す、これは基本的人権の侵害には当たらぬのは、当然のことながら「高検検事長が愛人を連れて出張すること」は愛人の存在の有無ではなく「公的な出張に愛人同伴」が許されぬから……この例え、面白いかと思ったが今ひとつまとまらぬ(笑)。いずれにせよシェイダさんの難民申請が理解できぬといふことは基本的人権だのを憲法で謳っても(普遍といふのだから日本国民以外にもそれを適用せねばならず)結局、その意味がわかっておらぬこと。裁判官がそれぢゃ憲法改正も当然か。
▼朝日の文芸時評(関川夏央氏)からの引用になるが橋本治先生の「そういう『批評の不在』」(一冊の本二月号)から紹介するのは「よい商品(作品)=高価」という常識が通らないのは出版界だけだ。コンビニのおにぎりでさえ「質が高いから値段も高い、でも売る」というのに」「『この本は内容に見合って高価です。だから買いなさい』が言えないのだとしたら、本は『ハンドバッグやおにぎり以下』なんだな」という治ちゃんのご意見。そこで治ちゃんによれば「『いい本だから値段を高くして売ろう』という態度の最後の本は、小林秀雄『本居宣長』(七七年、四千円)だった」と。御意。見事。そう、あの頃、余が毎日立ち寄ったK書店の文芸書の棚のいちばん上に、その『本居宣長』小林秀雄著が据り、当時(今もだが)浅学の余は小林秀雄がどういう人かも知らず「なぜ本居宣長が岩波新書で読めるのに、たかだかそれの評論がこんな立派なのか」とこの本を手にして当時四千円といふ値段に手が震え箱から出そうといふ気も消え失せセロファン破らぬように書架に戻した記憶あり。なぜこの小林秀雄といふ人の本がそんなに「高い」のか、と驚き、傍らに江藤淳といふ人の『小林秀雄』といふこれも装丁のしっかりした本があり、江藤淳といふ評論家に論評されるくらい立派な評論というのが(そういうジャンルが)あるのか、と初めて認識。それ以来、中学や高校の歴史の授業とかで本居宣長と見るとトラウマの如く本居宣長よりも小林秀雄といふ存在があの本の装丁とともにガーンッと脳裏に現れる状態が今もって続く。この書籍の価格のことを言えば、最近の本では例えば岩波書店の『定本柄谷行人集』全5巻は既刊『比喩としての建築』2,600円、『トランスクリティーク』3,400円は単に再版でなく増補、英語版からの大幅改訂など綿密な作業経た実質的な新刊であることを思えば千円高くてもいいはずだが岩波書店としてみたら「いい本なのだから高くても当然」でなく「少しでも手の届く値段に抑えて多くの読者に」といふ発想だろう、おそらく。これが橋本治のいふ出版業界のネガティブな発想、が、現実はもっとシビアで恐らく千円高くても安くても買う人は買うし買わない人は買わないのが柄谷行人の世界であって、販売部数は大して変わらぬはず。

二月廿四日(火)曇。インフルエンザで終日臥床。『ナンシー関大全』読了。
▼築地のH君、依然「牛丼」の販売続ける吉野家築地店へ行けば二十人ほどの行列。並んで食ふものに非ず、程度の牛丼だが国産牛肉使用のため一杯500円。早い安いどころか並んで遅い高い牛丼に。香港の吉野家では依然牛丼の販売続き日本からの観光客や出張者に「せっかく香港来たから日本では食べれない牛丼でも」という牛丼人気があるとかないとか。

二月廿三日(月)薄曇。昨晩に咳がひどく今朝起きれば身体の怠さといいまさに風邪の症状。服薬し昼まで誤魔化してみるが検温せば38.8度もあり養和病院。N医師に典型的なインフルエンザ、今年のは福建風邪だそう、と診断される。急ぎの仕事の資料のみ金鐘で他人に托し帰宅。シロップ状の薬に朦朧としつつ文藝春秋刊『ナンシー関大全』読む。やはりナンシー関の最も絶好調の文章は『噂の真相』誌の「顔面至上主義」。あらためて二〇〇二年六月十三日の余の記述を読み返し最後の「顔面至上主義」読み返す。この『大全』に纏められた文章にも
先日、テレビで全盲の少女が普通の中学に入学したという話題を伝えていた。その子は「中学に入ったら、どんなことをしたいですか」という問いに、「ひと目ボレとかしたい」と答えたのである。誤解しないでほしいが、私が曲解したのではなく、彼女が「ギャグ」として言ったのである。すごい。感服しました。
とか文藝春秋『日本の論点'95』にも
テレビの中に出てくる人気者には、必ず「アンチ・ファン」がいる。しかし、それを前提にしなくてもいいのが皇族方なのだ。ご成婚を「全国民で喜び」とした以上、皇族方を「全国民が好意を持って肯定」しているという大前提は、奉祝のピークが過ぎても壊れるものではない。ワイドショーは、はじめて全方位的に絶対的な人気者を得たのである。天皇制だ、戦争責任だ、宮内庁がどうだなんてことは、とうの昔にすべてとっぱらってふっ飛ばしてしまったものである。ふっ飛ばしたことすらも覚えていない、ことになっている。(略)快楽のツボの他に、テレビが見つけたもうひとつのことがある。それは「このやり方なら大丈夫じゃん」である。さわらぬ神に祟りな、は今でもテレビの基本姿勢であることに間違いはない。かつてはどんなさわり方をしても祟られるのではないかと(あるいは必要以上に)自主規制していたと見える「皇室ネタ」の、祟られないさわり方を会得した。右翼やいまだ「不敬罪」が生きていると思っている善意の市民に対してこそ、「おめでたい無礼講」「祝う気持ちが高じての暴走」は有効だったのかもしれない。
という極めて秀逸なる皇室報道の分析もあり。ところで「飛び込み先で自分の生いたちを語り同情を引いて契約をもらうという、昔から商売の世界に伝わるいわゆる豊川商法」についてナンシー関が創始者をジャニー喜多川としているのだが、ジャニー喜多川社長は例えばフォーリーブス売出しの頃とか自らがハーフであることを使ってこの豊川商法をしていたのだろうか。わからぬ。夜半に熱が再び三十九度。
▼「歩く産学協同」の異名とる西澤潤一先生、朝日岩手県版のインタビューに答え「県立大に来てもう七年。わたしが退くことも必要だ」と宣われたとか。仙台出身のN君より。この先生、首都大学東京の総長になられるわけだが「わたしが退くことも必要だ」って公職そのものから退くということ考えられぬのだろうか? 人間は誰でも自分だけは死ぬまで長生きすると認識か、帝京大の安部某のように在職中にボケたらどうしよう、とか不安はないのだろうか、とN君。

二月廿二日(日)晴。朝より終日藪用あり。藪用の合間合間に原武史『大正天皇』(朝日選書)読む。丁度ミニバスで天后に着き残り数章ありヴィクトリア公園のベンチにて太陽の陽光に汗ばむほどのなか読了。原武史は明治維新から敗戦までの「近代天皇制を天皇個人とは無関係な一つの完結したシステムとして見るのではなく明治、大正、昭和という三人の天皇の違いから考察すること」に着目して特に最も語られることの少ない、そして語られる時といへば必ずのように「帝国議会の開院式で壇上で詔勅を読み上げた天皇が持っていた詔書をくるくると巻いて遠眼鏡のようにして議員席を見回した」といふ逸話と病弱で若くして崩御し大正は短い時代で終る、といふ話ばかり。これに対して原武史は確かに幼少の頃は病弱で昭憲皇太后(明治帝后)が出雲大社よりオホクニヌシの分霊とお守り取り寄せ明宮(大正帝)の健康祈願するほどであったし(アマテラスの子孫たるべき皇位継承者がオホクニヌシによって守られているというのは当時の政府の方針と明らかに矛盾していた……と著者は指摘するが、当時の明宮は側室柳原愛子の子で「親王」であり而も病弱とあっては皇室にあって「幽」の存在にあるといふ推測も可ではなかろうか)学習院での学業も進級すら厳しいものがあったほどだが明治33年に九条節子と結婚してから皇太子(大正帝)の健康はみるみる回復し沖縄を除く北海道から九州まで全ての道府県を巡った事実を著者は丹念に紹介する。その過程で重要なことは皇太子の写真姿が新聞などで庶民が気軽に見るものになったこと(いわゆる御真影として奉じられる写真に非ず)、そして皇太子が気軽に側近、訪問先の相手や臣民にすら声を掛け大正帝らしい突発的な質問をば下し問われたものが焦燥る逸話ばかり。この一連の動きが、戦後の昭和帝の全国行幸や国民に声かける姿の先駆なるものであるのは想像も容易、著者は「なぜ戦後も象徴天皇制として残ったのかという重要な問題が見えてくる」と示唆。確かに。……とここまで皇太子(大正帝)に纏る話はなんとも活発で和気すら感じられるエピソードなのだが、これが急変するのは日露戦争を境に。皇太子が戦勝報告のため伊勢神宮を参拝する時に(やはり伊勢が絡むのだが)初めて文部省がこの皇太子送迎する学生の敬礼の仕方に関する規定を設けたこと。軍と教育がナショナリズムにとっていかに重要かがここで明確になるのだが、それまで皇太子の社会教育、健康的な厚生活動の一環として行われてきた個人的な全国巡行がこの頃から朝鮮訪問など「「皇恩」を日本の隅々に行き渡せるための政治的なもの」に変質するのであり、皇太子の巡啓をもって鉄道が整備され電気が燈るなど文明化とセットになったことも興味深い事実。そして明治大帝の崩御があり大正帝として即位するのだが、原武史が指摘したことで最も興味深いのは、美濃部博士の天皇機関説について、病弱で思考にも障害もった天皇を有する「大正という時代そのものが機関説的な解釈を必要とした」と分析していること。天皇が個人的に何らかの問題があっても天皇という機関であり国家組織の一部であれば解釈として天皇制を国が統制できるわけで、寧ろこの天皇機関説が近代の天皇制を補完し充足すること。大正帝は即位後また幼少の頃からの病が復活し早くも皇太子(昭和帝)の存在が政府や世間に大きく取上げられるようになるのだが、ここで重要なことは皇太子(昭和帝)の欧州外遊で初めて活動写真がその光景を録画し各地でそれが公開されたこと。而も東京でいへばその上映場所が日比谷公園や上野、芝の公園だど普通選挙運動や無産団体の運動の拠点だった場所であること。そういった国家、政府にとっての危険思想の場所を払拭するかの如くナショナリズム煽る方法手段としての皇太子の画像が上映され人々がそれを信奉すること。そしてこの外遊から皇太子が帰国すると日比谷公園で奉祝会が開催され数万の東京市民を前に皇太子が肉声で令旨
余が前日歸朝の際は東京市民の熱誠なる歡迎の中に帝都に入り欣喜に堪へざりしが今特にこゝの場を設けて盛大なる祝賀を受くるは余の滿足する所なり。東京市は今方に都市施設の改善を講究すると聞く。余は切に好成績を得て市民の幸福と帝都の慇盛とを増進せんことを望む。
と述べると、これに応じた市民らが天皇皇后皇太子の万歳三唱。これが庶民の前どころか側近にすら言葉少なで威厳維持した明治大帝、気さくとはいへプライベートな会話ばかりでとてもパブリックオーディエンス相手には言葉を発すには何かと事情あった大正帝に対して、裕仁皇太子のこの「予め設定され多くの市民が注目する政治空間で用意してきた言葉を述べることを通して自らの政治的意思を公式に表明」する新しい天皇主体としたナショナリズムがここに誕生する。このナショナリズムの特徴は、庶民が天皇に対して直接の尊皇の意を擁くことにあり、それまで庶民にとって帝などただ遠くに位置するものであったのが、パブリックオーディエンスの効用で直に天皇を崇め、天皇の周囲の「夾雑物」例えば財閥であったり元勲であったり内閣といったもの、を取り除くことで己の思想を体現すること(これは、その後のクーデターなどに見られる天皇中心主義に行き着くことになるわけで、何か革命的改革が必要な場合に天皇を神輿に乗せることの危険性が此処にあり)。いずれにせよ裕仁皇太子の時代に、日の丸を振り最敬礼して君が代を斉唱し万歳を叫ぶ、その行為の象徴として己が天皇と一体化する、といふ空間が生れたこと。なぜこの本の内容をここまで詳細にこうして記載しているかといふと、今日の平成のナショナリズムで国旗国歌など崇めるのが当たり前とさも当然で歴史だの伝統だのといふ言葉でそれを全て括ってしまふ安易な思考が日本を蔽っているからであって、こうしてきちんと歴史を見てみれば、このナショナリスティックな行為が僅か八十余年の歴史しかない、而も日本が近代国家となるなかで意図的に作り出されたナショナリズムであるといふこと。日の丸を愛で君が代を歌うことで何か心が晴々とするその感覚が一世紀にも満たぬ感情でしかないことは改めてよく理解すべき。話は本に戻るがこうして裕仁皇太子といふ象徴を時代は得て、大正帝は病気の進行もひどく大正十四年に完成した原宿宮廷駅よりそっと葉山御用邸へと療養に向い翌年崩御。時代は「あの」昭和の時代へと突入し大正といふエポックメーキング的な時代は忘却されてゆくことになる。ところで「桜」についてこの本にも興味深き記述あり、大正帝の結婚祝賀で青森県では県内各地でソメイヨシノの記念植樹があり桜の名所として今日知られる弘前城の公園の桜もこれ。その後皇太子(大正帝)が全国を回るとその途中で桜や松が植えられるようになり「ナショナルシンボルとしての桜のイメージは、実は近代になって作り出されたものであり、近代天皇制、とりわけ大正天皇と関係が深いことに注目しておきたい」と原武史は指摘。この桜の象徴性は先日紹介したように村上湛君よりの指摘にあったように江戸時代からなのだが近代国家としての桜の象徴化は確かにこの明治末期からが急速なこと。ところで。上述の大正天皇の遠眼鏡事件が実際にいつあったのか当時の記録にて探すのが困難と原武史は述べるのだが荷風先生の断腸亭日剰にも書き留められていないことに触れたのはいいが断腸亭日剰を「巷の風説を数多く拾っていることで知られる」と紹介しているが果してそれほど風説拾っているか疑問。花柳界だの私娼の噂話な少なくないが。夕方尖沙咀。ジムで一時間ほど筋力運動。Z嬢もジムに参り落ち合って尖沙咀の寿司亭。回転寿司で所詮回転寿司の機械握りの舎利でもこれだけの質なら立派。香港文化中心にてJan Garbarek Groupヤン・ガルバレクのコンサート鑑賞。ジャズの香港公演は当然、日本公演の帰りに日本でのギャラで香港でお買い物が定番だがこのヤン・ガルバレクは25日がたった一日の東京公演。香港のギャラも高くなり東京のほうが物価安で東京でお買い物だろうか。誰がどう聴いても「ECMだよね、こりゃ」といふほんとECMレコードらしい(ECMは今思えば元祖癒し系)ヤン・ガルバレク。このサウンドがいかにも電通好み、いかにもサントリーがCMに採用しそうな音色。このバンドのRainer Bruninghaus(piano/Keyb)、Marilyn Mazur(perc)にEberhard Weber (b)の誰もが卓越した演奏家であり(個人的には同じフレーズの繰り返しとどの曲も展開パターンに差異なきことに多少の飽きを感じる二時間ではあったが)、その技巧ゆへ、殊にパーカッションのMarilyn Mazurの巧さこそこのバンドが単にフュージョン、単にケニーGにならぬ理由かも。とにかく演奏の巧さ。Rainer Bruninghausもキース・ジャレット的にピアノの即興演奏聴いてみたいところ。このところの演奏会はすべて香港芸術祭の一連の公演、チケットについてきたフリードリンク券余して缶ビールその場で飲まず頂いて帰りに濃霧のなかのスターフェリーで一飲。すっかり春模様。

二月廿一日(土)薄曇。South China Morning Post紙の土曜日名物のClassified Post(求人広告欄)かつては土曜日のみこの求人広告がため売上げ伸びると言われており(ある程度以上の求人は英字紙にしか載らず) 九七年のアジア通貨危機以前は一六〇頁だかあった記憶あるが不景気にて頁数もかなり減っていたが今日は八十頁とかなり挽回。それだけ景気いい証拠か。朝、日記整理。今日は香港トレイル50kmのレースにて、四年連続で参加したが今年は本日午後藪用あり参加断念。せめても、とランニングクラブの精鋭四名参加あり、そもそもいつも四人組で参加していた彼らに「ビューティペアやてジャッキー佐藤とマキ上田が最後は闘ったんやし猪木藤波やてそうやろ」とたまには四人バラけて出てみれなはれ、と勧めた一人としてやはり応援すべき、と朝七時半にピークをば出発した彼らは丁度半ばの25kmを九時半から十時前に通過の予定(なんで山道をば二時間で25kmも走れるねん?)で余はパーカー山道上りバトラー山(標高417m)の頂上で彼ら迎えるつもりでビートルズなど聴きながら山へ。ビートルズの初期作品は右からボーカル、左から演奏が聞こえることは有名だが、それを両耳から聴くことはつまり頭の中で通常のステレオに組み直す必要があるわけで、これが意外とボケ防止になるのでは?と思う。すでに二位で爆走するA君とはバトラー山頂に登る階段で遭遇。バトラー山の頂上で“A Day in the Life”など聴くとかなりシュールな気分。A君に遅れわずか二十分の間に十位代で三名とも通過。見事な脚力。四人見届け任務終了。バトラー山をJardine山側へと下り小馬山より無線電站潜りウィルソントレイル走る。さすがに人が山を走っているのに遭遇すると自分も身体動かさずにはおれぬ気分。昼すぎ銅鑼灣。午後九龍。写真は近く解体される長沙湾の工業団地。六十年代から香港の軽工業支えた小型工場の密集団地。すでに全ての工場の退出完了し壊されるのを待つばかり。夕方帰宅するまでに一気に原武史『<出雲>という思想』読む。タイトルの通り、伊勢神社を「顕」とする「幽」の出雲神道の見直しであるが、余は歴史の授業で平田篤胤=国家神道と余りに短絡的に覚えたことを反省、確かに篤胤が国学を復古神道として宗教化したわけだが、じつはそこには明治の国家神道とは異なる出雲のオホクニヌシを中心とした独自の神道があり、また国造(くにのみやつこ)が出雲だけ近代までこの国造が世襲で残り!、その明治の国造・千家尊福が篤胤以来の神学を受け入れたことで一気に出雲が思想的中心になるのだが、それが伊勢勢力の国体としての神道の巻き返しに遭ふ物語。国家統治の象徴となるアマテラスに対してオホクニヌシの宗教性、あの世にいかず近所のそのへんにいる神々。国家神道とは祭祀と宗教をば分離し公の国家神道を祭祀に限定して超宗教化し非宗教化して国家理念とする作業。ここで國體に合致せぬ宗教としての出雲神道、明治十四年の勅命による神道大会議にて太政大臣三条実美によるアマテラスを國の神とする勅裁が出て伊勢による出雲の抹殺に成功。千家尊福の「転向」。伊藤博文の推挙で元老院議官から貴族院議員、埼玉県知事から静岡を経て東京府知事となり西園寺内閣での司法大臣へ。神道は台湾神社や樺太神社に出雲のオホクニヌシが祀られ招魂社(のちの靖国神社=他の神社が祭祀化するなかで唯一宗教色をもつ)での護国神へと変容してゆく。ハーン=小泉八雲が最後の出雲派。大正期には國軆イデオロギーが完成し異端であったはずの平田神道、出雲がこの國軆の一部に。で、出雲は終ったかといふと其処に現れたのが大本教。大本の世界の大洗濯大掃除=世直し=大正維新(これは丸山眞男⇒宮台先生の天皇制の活用にまで結びつくはず……富柏村)が実は出雲神道からの流れあること。それゆえ國軆に乖くこの思想が不敬罪に問われ大本教の神殿が政府によりダイナマイトでまで!木っ端微塵に破壊されたといふこと。それほど出雲の活用は時の日本政府にとって禁忌。国家宗教のインチキぶりに気づいていたのが折口信夫。ところで氷川神社。氷川神社といふと赤坂だが何といっても氷川神社で由緒あるは埼玉県大宮の氷川神社。じつはこの氷川神社、大川=荒川に沿った関東のこの域にだけかなり在るのだが(鹿島社の香取神社は利根川流域)これがどうも出雲国氷ノ川の杵築大社の流れ。氷川神社とはつまり出雲。(「氷川きよし」も気になるところ、赤坂の日本の政治の中枢近くに氷川神社あるも意味深……富柏村)。で大宮は字の如くそういふ由緒ある強烈な神社がある場所であり埼玉は古来、関東の出雲。埼玉見直す(笑)。それが八世紀に坂東の中心は国府のある府中へと遷り宗教地=大宮は地位下落。だが実は、明治になり一瞬、この地の重要性が顧みられ、明治帝は一八六八(明治元)年陰暦十月十三日に東京に入り遷都したのだが僅か四日後の十七日には大宮氷川神社を武蔵国総鎮守とする勅旨出され二十八日には天皇自ら大宮訪れ親祭をば実施。アマテラスでなくスサノヲ(オホクニヌシの親神)の前に天皇が垂頭し帝都守護する神として公式と認めたもの。大宮は県となりこの氷川神社の門前町が県庁所在地となるのだが、なぜか明治二年にはなぜか県庁が中山道の小さな宿場町浦和に移され大宮は衰退の一途。この時期が伊勢勢力による出雲派の一掃にかかるのだが埼玉県の県庁所在地に関する「おもわく」は原武史氏をしても不明。何かあったのは疑いないが。この本の本文では原氏は「明治維新により帝都を守護する神々が祀られる「聖地」となったはずの埼玉は、その歴史を顧みられることもなく、出雲の神々のたそがれの里へと変容していたのである」と結び、埼玉にはあまりにニベもないが(笑)文庫本後書きでは、原氏は神道が結局、近代天皇制を支えるだけのイデオロギーとしては十分に機能せず、天皇は「見られる」媒体としての身体を媒介とする支配となってゆくことを挙げつつ、大宮が浦和、与野と「さいたま」市となった際に市名公募で原市が「氷川市」を推進した事実(結果的に二十位)、そして「さいたま市」などといふ何の意味ももたない記号が市名になったことを残念と述べている。読んでふと思い出すは畏友よしいち君の大宮市復興運動。これは重要なこと、と改めて認識。Z嬢お手製のコロッケ揚げてかなり食す。
▼文藝春秋は「史上最年少の19歳と20歳!」の芥川賞受賞2作掲載の3月号「大好評緊急増刷出来」だそうで御目出度いこと。次は17歳、あと数年のうちに中学生の芥川賞作家も登場か。そのうち全日本小中学生作文コンクールと大差なし。昨日芥川賞直木賞贈呈式。芥川賞の少女作家二人に「正賞の懐中時計」といふのが余りに似合わないから可笑。防衛庁長官石破二世は今月1日の北海道旭川で開催されたイラク派兵の陸上自衛隊隊旗授与式出席のため前日鳥取県での講演会行事出席後に鳥取県の自衛隊美保基地より自衛隊輸送機で千歳空港入り。昨日の国会予算委員会で公私混同と指摘されたが石破僕チャンにとっては自衛隊機に乗れることが嬉しいのは当然で何のために防衛庁長官してるのか、乗らないはずなし。どうせならその輸送機でそのままイラクまで連れていってしまい現場作業させればよかったものを。

二月廿日(金)曇。何も予定なき日。本当に何もないといふのは何ヶ月ぶりか何年ぶりか。何もない。高所恐怖症でなかなか「よし!」といふ気にならず汚れ気になる窓拭き。窓に安全防止のフレームなどかつてあったが風景をば邪魔する為に取り払ってしまひ眺めはいいが窓拭きにどうしても身体乗り出すと地上二十数階からの眺めはやなり岡田由希子。窓もきれいになると心も晴々。ところで岡田由希子といへば四谷四丁目のサンンミュージックなわけで四谷といへば文化放送だがJOQR設立したのがキリスト教の布教団体(現在の女子パウロ会)で、あの独特の建物も聖堂(教会)として祝別されたものとわかれば納得、当初の免許申請時はセントポール放送協会、が財団法人日本文化放送協会としてラジオ放送始め経営危機によりマスコミの左傾化に危機感擁いていた財界(すでに産経新聞の立て直し(昭25)とニッポン放送設立(昭29)の実績あり)により資本投入され昭和31年に株式会社文化放送となり翌年放送開始のフジテレビとともにニッポン放送、文化放送で昭和42年にフジサンケイグループとなる(といふことをこちらより知る)。午前、Quarry Bay公園走る。本来、西湾河より北角に至る全長4kmほどの海浜公園のはずが太古城での道路工事の影響で公園遮断されなんと二年、漸く歩道橋がかかりユニーあるCity Plaza迂廻せずで通り抜け可。歩道橋はまだ仕上げ工事中ながら雇用確保もあるのか非熟練工による唖然とするほど拙く見方によっては前衛的なる塗装工事の最中。北角まで往復。途中の運動場にてインター校(たぶんDelia School of Canada)の体育の授業風景あり。今様の金髪に染めた少年と印度頭巾かぶった少年ら。ふと思い出すはフランスにてイスラム少女らの頭巾が公教育での宗教色排除のため被ること禁止といふ決定とあったが印度少年のターバンはどうなのであろうか。これも宗教色か。香港はその禁止「今は」ないがイスラムだのの頭巾などは目の敵にされ日本人少年の金髪頭はありゃ宗教性がない単なるファッションだから赦されることになるのだろうか……などと考える。昼にパスタ。午後転た寝を貪り夕方銅鑼灣の香港紅十字會輸血服務中心にて献血。献血しつつ『東京トンガリキッズ』読む。そう、八十九年の六本木のディスコ・トゥーリヤの事故。ニュースステーションで「六本木のディスコ・トゥーリヤでシャンデリヤが落下し」と臨時ニュース。中森氏によるとそれが次報では「照明装置」となり翌日の新聞では「バリーライト」さらに「贋物のバリーライト」になった、と。中森氏
ボディコンの悲鳴引き裂くバリライト 血染めのワンレン雪のトゥーリヤ
と読む。新宿駅西口の路上に何日もあってクスリと結核だかでボロボロになった一人を病院に入れるため相方が路上に企ち売春までして……といふ「新宿駅最終出口」の短編は鮮烈な記憶あり、八十年代の「火垂るの墓」か。やはり当時『宝島』の連載で強烈に印象に残っている短編「たった一人の東京戦争」も秀逸。女性週刊誌を
ホラ、あるじゃん、感動ヒューマン・ドキュメント・中国奥地で全身毛むくじゃらの赤ん坊が生れたとか、亭主もナミダな夜十倍増の体位図とか、目の不自由な姑にミミズウドン食べさせた鬼嫁とかさ、そいでそのクセ五百円以内で安く作れる実用的便利料理帳なんちゃってさ、毛むくじゃらの赤ん坊と快感体位とミミズウドンと安い料理がゴッタ煮になってんだもん。生ゴミとか分別ゴミとか分けてないまるっきり節操のないゴミ箱だよね。主婦の頭ん中ってああなってますって見本なわけでしょ。アレじゃ清掃車も持ってってくれないよ、ホント。でさ、表紙なんて生ゴミのスキ間から苦しそうにもがきながらやっとフローレス聖子がアップアップ顔出してるって感じじゃん。あれだよね、結局。そう、グチャグチャのゴミ箱同然の女性週刊誌の表紙みたいな街……それが、東京。
と、当時、ここまでの東京の形容は他になし。短編「カステラ、食べたい」は文明堂の五三のカステラなのだが当時「カステラ」といふと新宿ロフトなどで人気あったバンド「カステラ」彷彿。このバンドの大木君がいまだに活動中。短編「人さし指のパンク」では
見れば、御茶ノ水駅から駿河台に降りる下り坂。右手に予備校、左手に石橋楽器。ああ、行く手を受験とロックに引き裂かれた悲しきお茶の水キッズ! オマケに駅前には選挙演説の宣伝カー、右手に自民党、左手に共産党がニラミ合ってる。正面じゃ、“中国天安門広場大虐殺に抗議を!”の署名運動だ。“怒リッ、天安門虐殺、略して、怒天!”だって。ひぇー。(略)ホントは誰も怒っちゃない。リクルート・スキャンダル。自分にカネが廻ってこなかったのがクヤシイだけ。ホントは何もわかっちゃいない。消費税。おつりの一円玉がメンドクサイだけ。みんなサル芝居。もちろん野党もつるんでる。総理はゲイシャとスキャンダル。新聞、サンゴに傷つけてる。パパママ財テク、姉ちゃんハイレグ、兄ちゃんワンレグパクパク……ボク、パンク。トウ・ショウヘイが見えない。
……となんといふイカした表現。献血でちょっとフラフラしたままジムで筋力運動。デリフランセで珈琲。ダブルエスプレッソが何を意味するかわからぬ新入りの店員が先輩に教えられて煎れたのが星巴より美味いのは何故?、豆の種類か焙煎か。Z嬢、香港演芸学院といふと若手お笑い芸人の養成学校の如し、だが倫敦のかの有名な王立真似た HK Academy for Performing Arts にて学生のピアノ発表会ありそれ聴いた帰りで待ち合せ。Gloucester RdにあるLouis Steakhouse、もう十年以上も灣仔の芸術中心で映画見た帰りにいつも気になっていた老舗の西洋料理屋、店内は窓から伺えず客の出入りも見受けぬがこれだけ長くやっているのは流行っている証左、唯霊先生もかつて書かれていた店で、ついに賞味。経営者然とした支配人氏の温情溢れる出迎え、先週のJimmy's Kitchenの酷さに比べこれが客商売の極意、とにかくよく働く給仕ら、エスカルゴと「板橋の駅前っぽい味」の鴨肝、で米国産牛肉のビフテキ食す。美味。Z嬢の話では吉野家がなぜ米国産牛肉に拘るかといへば吉野家が欲する部分が米国では消費せぬ箇所だそうで商売成立。それに対して豪州産の牛はいわゆる「霜降り」的にならず脂身と赤身がはっきり別れている上に牛肉は分けて売らず一頭そのままの買い付けが必要とか。葡萄酒は支配人氏の勧める新西蘭 Kumeu のHarrier Rise 97は確かにステーキによく合う。ギター弾き語りの楽士、上手いが支配人の気配りか谷村新司の「昴」だの「上を向いて歩こう」だの日本語で歌われ、こういうことが苦手な余は閉口。思えば91年だかにZ嬢とかつてのリージェントホテルの今イチ個性はっきりせずで流行らぬ料理屋Plumにてフィリピンバンドに「さくらさくら」を演奏されて以来のことか。
▼自民党の憲法改正、改正草案の叩き台にて憲法前文に日本の歴史・伝統・文化・国柄、健全な愛国心を盛り込む、と(朝日)。前文には現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則を掲げた一方、「誤った平和主義、人権意識への戒め」をば記載とか。普遍的であることが憲法を崇高なる最高法規とする。それが驕りの歴史を謳い、伝統や文化など法律には野暮、国柄など文章にすることぢたい国柄(小文字のconstitution)なき証左、愛国心どころか「健全な」と形容する不健全さ。そのうえ現体制から見て対峙するから「誤った」と見えるだけの平和主義だの人権意識を「戒める」とは自民党の驕り昂りも此処まで来ると立派。それに暗澹たる思い。この
日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、こゝに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものてあつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かゝる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しやうと決意した。われらは、平和を維持し、專制と隸從、壓迫と偏狹を地上から永遠に除去しやうと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する權利を有することを確認する。
われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に從ふことは、自國の主權を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。
日本國民は、國家の名譽にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を逹成することを誓ふ。
といふ現行憲法前文の何処が悪いのか。この人権、平和主義、国民主権をば人類普遍の原理と述べ「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とまで宣言する崇高さに比べ、たかだか一国の歴史だの伝統、文化、国柄に健全な愛国心など謳う憲法前文などケツの穴小さいといふか矮小化された発想以外の何ものでもなし。そもそも憲法は、例えば聖徳太子の十七条憲法見れば仏教への帰依を除けばそこに歴史だの伝統、文化だの愛国心など謳いもせず。たんに真っ当な政事行へば自然と国は治る理を述べる。真っ当なる政治もできずたんに憲法変えて国が真っ当になるといふ安易さこそ聖徳太子が聞けば一笑に付すはず。大憲章とてフランス人権宣言とて同じこと。ハムラビ法典の内容までは知らぬが普遍法目指すことにより法は人がそれに従うだけの崇高さを得るのであり(樋口陽一先生)この自民党の憲法改正案は聖徳太子の作った十七条憲法よりも退化すること。つまりこの改正ぢたい国の伝統に従わず文化に寄与せぬ行為。本来の愛国心などここにないことも明らか。
▼週刊読書人の書評で東方書店の衛藤瀋吉著作集の書評あり。衛藤先生といへば十数年前に中文大学にお見えになり(アジア大学学長として)講演聴いてイマイチ何がこの人の学論であるのかわからず戦前の大陸浪人学者に憧れるのだろうなぁと思った記憶。それにアジア大の学長といふ身分で当時の中曽根君の学者文化人取り込み(浅利慶太、堤清二、梅原猛とか)もあり。その大アジア主義的な衛藤瀋吉氏もイラク戦争もイラク支援法案も反対、と意見は明確。箕輪登先生が小泉三世を提訴だの、築地のH君に教えられたが野中広務先生も(共著だが)岩波ブックレットで派兵反対、亀井静香チャンは毎日紙上で「米国の誤りには直言せよ」と。旧守派といわれてしまうのだろうが保守派から意外な抵抗勢力の登場。結局、怖いのは新保守だの民主党の右派のあたり。このへんの若手が何をしでかすかが怖いところ。それに比べ保守の本流のほうがやはり正当か。

農歴一月廿九晦日(雨水)。晴。冷房なしには蒸すほど。余はかなりの珈琲愛飲者にて珈琲は日常茶飯事のためいちいち日記にも綴らぬが二時間を越える会合だので珈琲など期待できぬ場合はタイガー魔法瓶のMMA-200といふ小型高性能保温水筒に珈琲持参するほど。で何が言いたいかといえば「スターバクスの珈琲は不味い」といふこと。こういうこと言っただけで名誉毀損で訴えられ三億円みたいな時代だから怖いのだが最近また禁煙に成功して味覚敏感な所為もあろうが出先で星巴珈琲に入りブレンドコーヒー注文しその水筒に入れてくれといふと店員が多少動じるため最近は自分で水筒に入れ替えるのだが、スターバクスといふのはあの雰囲気で而も牛乳珈琲の類い飲むから雰囲気なのであって珈琲としては芳香に欠けるところあり。香港がそうで珈琲にうるさい日本など異なるのかと思っていたが日本で銀座の松屋の裏に位置する日本の星巴一号店など行ってもやはり「不味い」と感じ入る。それでも香港の場合、星巴かまだマシなパシフィック珈琲しか選択なく毎日のように星巴に。エスプレッソはまだ良いがさすがにエスプレッソをば2ショットだけ水筒に入れるのもヘンであるし200ccも注文できず。その金鐘パシフィックプレイスの星巴で『週刊読書人』など読んでいたら、リッツアなる著者の『マクドナルド化と日本』なる本の書評あり、この本が「超合理性という視座を用いつつ日本はある意味でアメリカ以上にマクドナルド化が進行しているのではないか」と問いかけているそうだが、売り方だけ見ても米国のマクドで日本のあそこまで徹底したマニュアル化は徹底しておらず「ついでにお飲み物」だの行列の客に先回りしての注文聞きだの日本の異常なほどの商法。ファーストフードなど名ばかりなものもあり、今でも覚えているのは豪州のパース界隈に多いChicken Treatなる不味さ極上のチェーン店。食品は全て工場で出来上りを冷凍にしており各店舗ではこれを客の注文に応じて電子レンジでチン!するだけなのだがバイトの子たちのけったるい仕事ぶりのおかげで客など閑散としていても5分から下手すると10分ほど待たされるハメに。何処がファーストフードなのかと疑うがそれもありと痛感。この『読書人』では巻頭で中森明夫先生が斎藤環氏相手の語りが秀逸。中森先生(ここまで肥満しているとは……)篠山紀信との共著『東京アリス』について、四十代の中森氏は三島由紀夫や中上健次、寺山修司が四十代で立派な作品を遺して亡くなっていることを取り上げ「島田雅彦は三島由紀夫の遺作を意識して『無限カノン』を書いたと言っていましたが『東京アリス』は僕にとっての『豊饒の海』かもしれません」と言い放つ。えっ……そこまで言う?と一瞬読んだほうが恥ずかしくなるがここが中森明夫の真骨頂で、すぐに続けて『東京カノン』を「バーコードの聖痕を持つ選ばれし転生少女たちの物語ですしね」と躱して「冗談はさておき(笑)」と話は展開。このほんの数行の会話の妙。中森氏本人がどこまでマジなのか、豊饒の海の聖なる三角のホクロ(それは三島の原作では例えば『奔馬』の飯沼少年のなら
瀧を浴びてゐるパンツ一枚の三人の若者は、身を椅せ合ひ、その肩や頭上で水がわかれて四散してゐる。瀧音のうちに若い彈力のある肌を叩く水の鞭の音が入りまじり、近寄ると、打たれて紅らんだ肩の肉が滑らかに水しぶきの下に透いて見える。(略)飯沼は快濶に笑つて戻つて來た。本多を傍らに置いて、瀧に打たれる打たれ方を教へやふとするのであらう、高く兩手をあげて瀧の直下へ飛び込み、しばらく亂れた水の重たい花籠を捧げ持つたやふに、ひらゐた手の指で水を支へて、本多のはうへ向いて笑つた。これに見習つて瀧へ近づゐた本多は、ふと少年の左の脇腹のところへ目をやつた。そして左の乳首より外側の、ふだんは上膊に隱されてゐる部分に、集まつてゐる三つの小さな黒子をはつきりと見た。本多は戰慄して、笑つてゐる水の中の少年の凛々しい顏を眺めた。水にしかめた眉の下に、頻繁にしばたく目がこちらを見てゐた。
といふ場面描写があるが)
に対して「バーコードの聖痕を持つ選ばれし転生少女たち」といかにも中森明夫らしいこの表現、で「冗談はさておき」といふ逸らかしまでもはや名人芸のこの語りっぷり。話題は宮台先生に及べば中森明夫曰く「たとえば三島由紀夫が天皇を持ってきた時には、ノーベル賞を獲るかもしれないという世界的な名声がありながら、最後命をかけて行動をとったわけですよね。アイロニーとしての天皇に命をかけている。でも、その後で、宮台真司が天皇を持ってきても、いったい何をかけるんでしょう」と指摘しポストモダンを「もっと俗っぽく今に則した言葉で言うと、小ネタ時代だと思うんですよ」「たとえば島田雅彦が『無限カノン』三部作を書き終えて、今切腹しても、小ネタにしかならない」と表現。ここが中森先生が単なる肥満体ぢゃない所以か。ところで、同じ号に日記についてこのような記述もあり(白川正芳)日記は文学の源泉である。またやろうと思えば誰にでも書ける文学である。読まれるためには永井荷風の日記「断腸亭日乗」のようにいい断片が求められる」と。だから余の日剰など饒舌すぎて「読みたいのだけど読みづらい」と屡々言われ、先日六、七年ぶり?だかに会った若い従弟にも「何が書いてあるのかさっぱりわからないけどヘンなことだけは確か」と言われる始末。だが巴里で月本夫妻を前に日々の記述を減らそうかと呟いたところ「あの饒舌こそあの日記。ちゃんと読んでますから」と励まされ?もする。複雑な心境。ところで。早晩に佐敦の或る、古ぼけた商業ビルのトイレにて。急に駆け込んできた若者、個室に飛び込むように。極度の下痢か、と思ったが入るなり個室の扉が少し開いているのにも気づかず震える手で何やら紙包より白い粉、銀紙の上でライターで炙り吸引に熱心。それを「最近は」などと決めつけるのは愚の骨頂、戦後の闇市時代でも七十年代でもそういふ若者はいくらでもあり。仲間らしき若者も現れその同じ個室に入る。あまり見ていて老いた余が困難に巻込まれるのも馬鹿馬鹿しい話で早々に退散す。おクスリをシャツの胸ポケットにそのまま入れていたのも大胆。先日は目立つにも程がある光岡自動車の車に乗っていたその筋の実業家が警察の取り調べ受けトランクより拳銃だの火薬類発見され即刻逮捕されていたが。おクスリなど隠すといふ気にもならないくらいおクスリが今じゃ当たり前なのか、ただのジャンキーか。例えば上述のタイガーの魔法瓶、蓋部に実に見事に密閉式のコップ部分あり普通に見ると蓋が外れるとは思えぬフォルム。密封であるしそういったジャンキーな方にはそこにおクスリ関係しまって、熱湯を保温水筒に入れておく、というのも便利かも。
▼日本獣医師会が禽鶏インフルエンザにつき全国の学校や教育委員会に対して冷静な対応呼びかける。これは各地の獣医師会に「学校で飼っているチャボを処分したがどうしたらいいか」といふ問い合せ相次いだためだそうな。恐怖。感染に関する客観的な把握もなきまま単にもし自分の学校のチャボから感染したら……といふ疑心からチャボ殺してしまうこの発想。感染よりもその責任だの進退だのへの警戒。卒業式で国歌斉唱に応じない教員が出ることを怖れ校長が反抗的な教員を殺害、とか廿年前なら筒井康隆の小説で笑っていられようが今では笑えぬ現実。……と綴りつつこういう話の展開こそ陶傑的か(笑)
▼『世界』三月号で寺島実郎氏が為替について書かれており、円高が輸出産業を打撃と認識され円高が歓迎されぬ風潮だが、円安誘導のために昨年一年で二〇兆円のドル買いが行われ、その資金は国内の機関投資家から借入れドルを買い「そのドルは概ね米国債の保有という形で使われ」「つまり、製造業の競争維持のための円安誘導のために米国にカネを貸しだし、そのカネに依存して米国は減税と過剰消費、さらには過剰軍事力を実現するという皮肉な構造を成立させ」「不健全な日米連結経済を実現している」と分析。不思議な気持ちになるのは「外国為替によって昨年だけで為替評価損が1.85兆円も増え、累計では実に7.79兆円もの為替差損が生じている」ことは「それだけの国富が失われたこと」であり、寧ろ「国家として国民経済を考えた有効で戦略的なカネの使い方があってよい」はず。それで寺島氏が具体的に挙げたのが「円高」であり、円高へのシフトは「日本の通貨の購買力が高まっている」ことであり、今の日本人は円高を心配しているが本当に怖いのは円の価値が崩れ落ちること、で「円高の戦略的活用」が重要。特にエネルギー戦略面。具体的には1日に500萬バーレルの石油がぶ飲みする日本は日に1.5億ドルの石油代金払っており、年間約550億ドル。つまり1円円高になれば550億円の支払い減。〇三年でいえば前年比10円以上の円高あり年間5,500億円の石油代金支払いが軽減。「円高だからこそ長期的な観点から日本のエネルギー需要の安定に役立つような戦略的布陣をすることなど」が有効な先行投資。また寺島氏は「アジアの資金をアジアに環流させる仕組みの構築」も挙げ日本、中国、台湾、韓国、香港の北東アジアだけで昨年末で総額1.5兆ドルの外貨準備を保有しており、アジアのその資金がアジアに向わず米国一国に入流が続いたことが世界経済歪めた、と。それを改めアジアに資金がまわることを提唱。小泉政権のすることが円安誘導で結果的に米国に資金流し、その軍事的覇権に自衛隊まで派遣して応援(あくまで米国一国がイラクに駐留しているのではない、といふ根拠づくりのための派兵だが)、日本が世界の中で崇高なる位置にあるため、などといいつつ結局、米国のためだけの政策ばかり。この我が国の国益すら失う国賊的行為に何故右翼保守反動の諸君が刃向かわぬのか不思議といへば不思議。ところで、珍しく経済のことなど綴ったのでツイデだが、今日の信報の曹先生の投資者日記に日本の外貨準備について記述あり。昨年日本は2,010億ドル拠出して1ドル=105円の死守を企んだが、日本人の貯蓄率がGDPの26%にも及んでいては日銀による市場へのカネ放出もインフレを刺激せず、と。これは中国にも同じ現象が見られ、本来、高度経済成長にある中国ならカネが市場に出回り消費が刺激されるべきであるのに中国人民の貯蓄率は対GDP比35%!にまで達し市場に放出される人民元の大部分が貯蓄にまわってしまう現実。人々は経済成長の中国であっても先行き不透明感から資金が動かぬ現実。人は皆、政治的には黙ってはいるが、経済を見るとその将来に対する不安感が蓄えといふ形で露見されるといふもの。
▼おれおれ詐欺、俄然流行だが詐欺集団が新入りに電話での話し方や話の展開を訓練まであり、と。どうせならスキルアップに老人相手の詐欺ばかりぢゃツマラヌから、首相官邸であるとか中曽根大勲位事務所、経団連、宮内庁から某宗教団体の名誉会長まで、どこまで「あ、おれだよ、おれ」で電話が通じるか、やってみたらさぞや面白いのではなかろうか。政界財界など意外に「あ、わたしだが」に対して「どちら様ですか?」と聞けぬ社会のはず。
▼映画『タイタニック』が十四日、聖ヴァランタインの日にテレビで放映され、この映画に興味もなき余は知らぬが女性の裸体をモデルに絵画描くシーンあり? そのモデルの胸がテレビで放映されたことに放送管理局に計18件の抗議あったそうな。子どもが見る時間の映画として相応しくない、と。陶傑氏も蘋果日報の連載随筆でこれを取り上げ、これを卑猥とするその発想こそ猥褻なる歪みであることを指摘、それは正しいのだが、陶傑氏にかかるとこの投書した「徐某」なる者の小市民性は愚民、暴民とまで罵られる始末(笑)

二月十八日(水)。朝の気温十八度、昼は廿三度とか。濃霧がどんよりと山を隠し何時の間にか香港らしき春より夏の気候。そごうの大分フェアで吉野鶏の豊後とりめし、あり。美味そうだが大分で鶏インフルエンザの報道あった翌日に、とは売るほうも不運。夕方タクシーの中で僅か五分競馬新聞見て馬券購入。ジムにて一時間徹底して有酸素運動。帰宅して競馬中継眺めつつ茸と海苔のパスタ。7レース中単勝で4つ当てて多少の収益あり。『世界』三月号の鉄鎖森巣鈴木女史の連載「自由を耐え忍ぶ」この題名がまた何ともいいのだが、これの第三章「自由とパノプティコン」は必読。ベンサムの社会理論持ち出し「自由」に焦点当て自由社会維持するための治安こそ今最も注目すべき点。現代社会はオーウェル的な中央集権管理型社会にはならず、寧ろ見えないところからの優しい管理の徹底があり、人を強制的に管理するのではなく、「ならずもの」やゴロツキといった「自由がもつ規範」から逸脱した人々を排除し、それから自由社会を守る仕組み。ホームレスであるとかフリーターといわれる半失業の若者たちもこの範疇と鈴木女史。現代の社会は競争の最大的効率が最も重要であり、その価値観にとってこういった資本価値を下げる存在こそ最大の敵。曾ての社会は中世からずっとこういったアウトローに存在場所があったのだが、今では中上健次の路地のような非日常の空間もどんどん「開発」された結果、こういった人々は路上に追い出された結果。社会は正常性を需要した者とそれを拒否した者との二分化が進み、異常者排除のため安全保障だの警備といったビジネスは興隆とそういった事業会社(保険会社もその一つであろう)による個人の管理。自由の代償としての終りなき監視。而も自由社会に於いて市場の個人の内面までの浸蝕(心理治療だの肉体改造だのまで!)により民主主義社会にとって最も大切なはずの人々の発言権までをも喪失し、それへの無力感ばかり。自由と安全保障の完ぺきなる関係。先日ようやく整理したものの読みたい記事だけ残したままになっていた新聞記事読む。
▼Kevin Sinclair氏、沙田のBranbury Hospice政府医療管理局の予算削減により存続の危機にあること紹介(SCMP)。医療管理局、その高官らに日本円でいへば1億円の年俸は払えても末期癌患者のホスピスは運営できず。医療管理局、SARSでの対応の拙さ世界中に報せ、此処が政府雇いの医療関係者厚遇雇用機関である実態をば世間に公開。このホスピス、風光明媚なる馬鞍山の丘陵に位置し、床数は廿六。遅かれ早かれ死を迎えることだけが決定づけられた癌者にせめて安静なる環境を、とが配慮。但しこの場所は「かなりフーコー的」でこの丘陵の麓は政府の大規模な沙田病院よりホスピスに上る亜公角路にはホスピスに続き香港のキリスト教系?雑誌『突破』の運営する青少年団体の突破青年村あり(ドイツの戦前の青少年教育活動的な世界)、更にこの道を上り詰めると非行少年など集めて収容する沙田男童院あり。病院、ホスピス、青年村、少年院の4つの厚生施設だけがこの風光明媚なる丘陵に点在。意味深。
▼BBCが悲鳴あげている。国家が投資はするが口を出さずが美徳であった筈の公共放送が保守党のサッチャーでなく、まさか労働党のブレアによって解体されようとは……。信報の十七日の社説に拠れば、BBCは1922年に英国の6つのラジオ局と電器会社統合し成立。米国の自由放任とソ連の管制型の中間で政治干渉も受けず商業的でもない公共放送として社会的責任と公共利益尊重を掲げ、政治圧力を受けず独立報道の立場を堅持すること。82年のフォークランド戦の折もBBCは中立を守り英軍をけして「我が軍」とは呼ばずサッチャーの激怒。欧州では全体で200億Euroが公共放送維持のために費やされており政府の財政危機で公共放送の存続にも大きな翳りあり。香港のRTHKも英国のBBCの経営形態と番組制作及び報道姿勢を標榜した公共放送であり、政治的中立が親中保守より見れば「極左」に映ろうといふもの。当然、独立した報道姿勢が保てるかどうかでは存続の危機にあり。
▼3月に香港にて開催予定のDavid Bowieの公演。Bowie先生のバンド、ドラムの奏者が熱心な法輪功の信者だそうでコンサート会場に法輪功やアムネスティのブース設け宣伝活動まで。会場には「中国-法輪功の迫害を中止しろ!」だの「江沢民や中国独裁への制裁を!」といった横断幕までお目見えとか。Bowie先生も敢えてそれに口出しせず。で、香港公演がどうなることか、注目。

二月十七日(火)晴。夕方に百年ぶりに灣仔道の麦Qにて担々麺。依然、香港では珍しく麻辣(山椒)たっぷりだが店で曾て聞こえた四川訛りがふと気がつけば広東語、店員の顔眺めるに誰も嘗ての四川の田舎女に非ず。開店からかなり儲かり店を他者に転売か、きちんと香港に就労許可ないままの営業で四川に帰ったか、理由知らねどいずれにせよ他者の経営。麺は明らかに異なる小麦に機械打ち。百年ぶりに僅か5往復ながらそこそこ水泳。帰宅して鮭汁、オクラ納豆で夕餉。中森明夫『東京トンガリキッズ』読む。懐かしき当時。そう、銀座線の電車がホームに入る直前で電灯が一瞬消える、それを中森明夫は銀座線のウインクと呼んだけど、あの一瞬を、八十年代のいちばんカッコいい高校生のキスシーンにしてしまったのだった。東急文化会館のプラネタリウム。世田谷線。疲労著しく半分程しか読めず。
▼掲示板復活で蛙鳴氏曰く「「まさか」と思う書き手がたかだかあの映画で何かを語ろうとするところに無意識のナショナリズムの怖さ感じざるを得ず」と。一理あり。松本健一センセの北一輝本も完結だが築地のH君よりの報せで月刊『情況』の特集は「アジア主義と北一輝」。で宮台先生が「亜細亜主義」だとか。どうやら本気で天皇制社会主義か。新宿では市ヶ谷柳町近くの瑞光寺より市谷本村町の防衛庁に向け爆発音と火弾らしきものあり。この一帯意外に土地の起伏あり火弾砲放ずるには現実的かも。一見、上智大など外堀で自衛隊と対峙する方向からが有効そうだが余りにも「表」過ぎて何もできず。市ヶ谷のこの乱歩的なる裏町こそ格好か。火弾砲が越える道は都営大江戸線市ヶ谷柳町より同新宿線曙橋にかけては多少狭くなる谷道ながら市ヶ谷自衛隊過ぎ四谷三丁目より創価学会、慶大医を越えて外苑、赤坂御所へと下る外苑東通り。大江戸線と新宿線とも帝都の地下開発の遺物かと思えば外苑東通りとて単なる地表の道とは思えず。焦臭き世の中。安保闘争も三菱重工ビル爆破も浅間山荘も曾て在りしが少なくとも国が破綻来すような不安感はなし。高度経済成長といふ絶対安全多数に抗してのごく一部の負の側面にすぎず。それに対して今日日にその絶対安全多数なし。イラクの自衛隊に死者があり今でこそイラク派兵をば上手く政府支持に結びつける政府も自衛隊に死者出た場合にテロに対する対応、報復措置生緩いなどとの非難世論にて生じた場合に右翼テロ及び結果的にそれに同調せし左翼過激派により首相暗殺など仮に起きればもはや本当に後戻りなどできぬ世の中になろう。
▼蛙鳴氏より「見当違いの政府系サイト」として教育改革国民会議の資料の紹介あり。(蛙鳴氏がなぜここから、なのかがもっと可笑しいのだが)。
・子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
・「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
などと、初めこの映画紹介サイトの冗談かと思ったが本当に内閣総理大臣官邸のサイト内にこんな資料があると知り愕然。しかも座長が江崎玲於奈博士。当時の首相は鮫の脳味噌と異名あったが脳味噌の重さでは江崎博士など充分な筈が研究者が筑波大学学長などと権力に弄ばされた段階でもうダメなのだろう、きっと。東北大工学部の西澤君も同じこと
▼福岡で小学校の校長先生されるK先生が国際理解教育について講演された、とメールあり。国際理解教育などと聞くとまたタテマエばかり、と思いがちであるがK先生曰く、日本はあと二十年もすれば完全な老人社会、若い労働力不足しどう考えても海外からの労働者受け入れなければならず。そういう社会が確実に到来するのだから国際理解、外国人受け入れが必須であり、教育がそれに真摯に取り組むべき、と。御意。そういえば十数年前のドイツでもトルコからの労働者受け入れる社会見たこと思い出し、それを返事すると、K先生曰く、ドイツでは東西が統合されるまでは西ドイツで労働力が不足し、外国人の低所得者が3Kについていたのですが、統合されると東ドイツからの労働力が流入して旧西ドイツではそれまでの外国人を追い出す為のデモがあったりそれで職を追い出されて、デモが起こったりと大変だった様です。随分国際的には進んでいるドイツですらそんな状態ですから、鎖国に近い単一民族の日本では早く国際理解教育をしておかないと大変な状況になるかもしれません。

二月十六日(月)薄曇。Z嬢とフランシス=コッポラの娘が監督の“Lost in Translation”観る。崇高なほどロマンチックで繊細な映画(紐育時報)などと宣伝するが、日本へサントリーウヰスキーのCM撮影にやって来た中年のハリウッド・スター(ビル・マーレー)が、写真家の妻で旦那にくっついて東京に滞在中の若い女(スカーレット・ヨハンソン)と偶然に新宿のパークハイアットホテルで出遇い、最後まで「やらず」の恋に陥る、といふ陳腐な物語。その陳腐さをどうにか作品とさせているのが背景にある東京及び東京都民(日本人か)といふ奇妙な都市と人々。理性的なこの二人はこの英語も満足に話せず奇妙な文化?有する社会「だから」恋に落ちたのであって同じパークハイアットでもロスのパークハイアットだったらこの二人はお互いを意識することもなし。つまりコッポラの娘のどうでもいい映画制作に東京=日本が利用されただけのこと。コッポラの娘であるから父コッポラの薫陶かアジアといふ渾沌(chaos)利用することでどうでもいい内容がそれらしく見えること会得しているのだろうが少なくとも父コッポラの『現代の黙示録』(あれを「地獄の……」と訳したのはさすが日本洋画界の呆題)ではマーロン=ブランド演じる米軍将校はベトナムで何かを達観し森林に消えたのだが、ここではビル=マーレーは日本から感じるのは奇妙さばかりでとにかく逃げたいの一心。エマニエル夫人ですらタイボクシングの勝者となる若者に「やられ」たりしながらタイの渾沌とした社会から何か感じていたのだが……。丹波哲郎がジェームス=ボンド助ける六十年代の東京や都民は一人として出てこずとも首都高でロケするだけでもインパクトあった『惑星ソラリス』などに比べてもこの“Lost in Translation”にはただ渾沌とする=理解できない社会としての東京とコミュニケーションすらとれぬ日本人がいるばかり。この主人公二人と映画の中で会話するのは仕事で彼らと関るヘンな英語話すCM関係者か酒に酔って二人と仲良くなっただけの遊び人たち、とホテル従業員、それにもう一人は病院で偶然に話しかけられたボケ老人だけ。それ以外の東京都民は全て無口で画面にただ存在するだけ。つまりこの映画にまともに日本人など存在しておらず。だいたい“Lost in Translation”などといふタイトルぢたい“translation”言葉通じぬための翻訳のなかで失ったものの意味は二つあり、一つはこの中年俳優と写真家の妻がそれぞれの妻と夫とのしっくりいかぬ関係、ともう一つは東京での言葉通じぬうえでのコミュニケーション。そんなタイトルつけられたことが我が国の馬鹿さ加減。よくぞ呆題を『東京ロスト・ラブ・ストーリー』などとつけなかったが、この『ロスト・イン・トランスレーション』という「英語の意味のわからない」呆題のおかげで日本での配給・公開でも日本人がこの作品に悪い印象ももたず。ただ見れば日本が余りに馬鹿にされているため不快感もたれる可能性あり作品の宣伝では前述した「崇高なほどロマンチックで繊細な映画」とかサウンドトラックの良さばかり賞めるしかなし。サントリーは映画でサントリーウヰスキーの宣伝になると思ったのだろうか?……明らかに所詮ウヰスキーの味などわからぬ国で作られている酒、と思われるのがオチ。東北新社やフジテレビも資金拠出してしまったため日本での映画ヒット祷るばかりだろうが、産経グループのフジテレビはこんな国辱映画に制作で加わっていいのだろうか。日本政府は日米同盟などと浮かれているがその親米派の小泉三世や外務省、財界が信奉する相手国にとって所詮は日本などこの程度の印象。この国辱映画を理由にイラクでの米国の占領活動への協力拒否し自衛隊引上げ検討くらいの遺憾の意でも表明してはどうか。東京とて、警察が映画の街頭ロケでの規制をかなり緩和した結果、この映画が外国映画でその規制緩和の最初の恩恵得て渋谷駅前などで撮影できたとか。その結果がこれ(笑)なら憲法改正して台本の検閲でもしたらどうであろうか。通常の「普通の国家」ならその国を舞台にここまで侮辱されたら正式に抗議するはず。それができぬのは、結局、自衛隊イラクに派遣などしてみたところで精神的に大人の「普通の国」になどとてもとても未だ成れておらぬ証左。小泉三世と舞台となった東京の石原都知事は真に我が国を愛するのならこの映画について正式に米国に意見表明すべき。映画見たのが国際金融中心(IFC)で其処にある築地・礼鮨なる寿司屋。味は初老の日本人の親方の仕事厳しくなかなか。礼鮨は「れいずし」と読むが余はこの「れいずし」なる音を聞いただけで築地にホントにこの名前の寿司屋あるの?と疑問。ちなみにGoogleでの検索でも104での電話番号紹介でも築地に、といふか世界中に?礼鮨なる寿司屋、この中環のIFC以外に存在せぬ模様。「菊鮨」の「キク」もこの「レイ」も音読みが普通名詞化した点では同じだが「熟れ(なれ)寿司」なら普通名詞だが「れいずし」なる音は天后の「紅(あか)寿司」と同じでかなり不自然。「紅寿司」が「べにずし」ならまだマシでこの寿司屋も余は当初「らいずし」と読んだほど。それにしても寿司屋で味噌汁が出るのは余は下品だと思ふが(寿司は摘まむもの)この店は寿司屋でありながらちらし寿司のセットに「かけそば」が付き、にぎり寿司にもサラダが。値段は北角の寿司・加藤の二倍なのは場所代として仕方無く、それは良しとして折角美味い寿司供すのだから、場所柄、きちんと寿司の味を理解した客も多かろうし、余計なそばだのサラダだのやめて、それと「築地」という暖簾の文句も「香港中環」にすべきでは。バスで灣仔。香港芸術中心のドイツ文化センター(Goethe Institute)で開催の“Home & Homeless”なる香港の「家」テーマにした四人の写真家による写真展参観。殊に鐘卓明氏のランタオ島の麻薬非行少年らの更正施設=家での写真良し。Z嬢と別れジム。尖沙咀のKimberley街の額縁屋にて正月に実家より持ってきた昭和十二年の丸善の大東京地図(142cm×106cmとかなりの大きさ)と昭和初期のかなり鮮明な多色刷りの北京城内地図(傷みなし)と昭和十年の歌舞伎役者番付を装丁に出す。九龍にて藪用済ませ帰宅のバスのなかで『世界』三月号読む。
▼十四日の日剰にて桜について言及しつつこの桜への記号性をいきなり明治とするは強引といへば強引、篤胤なら具体的な桜の象徴化がすでにあるかもしれず当然のように宣長までは遡ればならぬのだろう、と思いつつ、また山桜の、例えば吉野の山、また山の深きところにそびえ立つ老桜の威厳は歌舞伎でいへば関戸の小町桜、その山桜と江戸末期に駒込の染井村で改良され生れたといふソメイヨシノを一緒にしてはならぬ……などと漠然と考えておれば古典劇評論の村上君より重要なる示唆あり。
尊王(と言ふても幕末のいはゆる「志士」の尊王とは大分異質の半ば机上の理想主義)の志ありし松平樂翁の、恐らく「花月草紙」に、唐土には櫻なく本邦に限るなる考究あり、本居宣長の歌に「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山櫻花」の、戰前煙草の等級付の名稱原據(敷島→大和→朝日→櫻)となりたる著名なる一首あり。「花」といへば「櫻」なりと定位したるは古く「古今和歌集」の美意識にして、これを定式化なせしは中世連歌から近世俳諧のゲーム的言語感覺なり。維新以後突如として櫻花の一元的記號性が生じたるわけではなし。とはいへ貴兄の感ずる深甚なる原因は、愚考するに幕末「ソメイヨシノ」の人造培養なりたるが最大の要素なるべし。天然原種の山櫻は開花に遲速あり、到底「新學期=新年度」すなはち明治國家による政治的時間原點に一致しては花開かず。「ソメイヨシノ」は東京にては不思議と3月下旬の卒業式頃に蕾ほころび始め。4月1日を境に開花、入學式の頃には落花狼藉となる。人造種なれば個體差なく、かほど画一的なる花はなし。と申すもソメイヨシノは三倍體なれば種子にて種を殘す能はず、總て插木により蕃殖せざるを得ず、すなはち現今わが國土のみならず貴兄のゐます南海の果てまで咲き廣ごるソメイヨシノ悉く、幕末は江戸駒込染井村(と言はるゝも詳細一切不明なり)にて創出されたる一木一枝のクローンなるを思へば、ソメイヨシノこそ貴兄のおほせらるゝ象徴性を擔ふ「櫻」にて、西洋薔薇(今や菊・桐に次ぐ皇室の象徴なるべし)や西洋蘭と同樣、こは完全に明治の新植物。ソメイヨシノによりて驅逐されたる山櫻こそ江戸以前の古典の櫻、兩者は完全に別物と知らざるべからず。加うるに、(六代目)歌右衞門御最期の病褥に流れゐたる常磐津「關扉」は(六代目)畢生の當たり狂言、この小町櫻は三百年に餘る大木。山櫻は概して人間の及ばぬ長命を保つ花にして、古來占卜の龜甲鹿骨を炙るに使用せし薪もこれなり。落花を代掻きに鋤き入れ豐穰を願ふ櫻田の風習も是有、いづれにせよ山櫻は靈樹なり。これに比するにソメイヨシノは壽命短く百年もつことは殆どなく、七八十年にして衰老の古木となるは不思議と人間の壽命に似てそゞろ嫌惡の念すら湧くものなり。

二月十五日(日)晴。昼まで未整理の資料など片付け。本日は港澳競馬史上画期的なる日。マカオ競馬の馬が香港に参戦。これまで利益衝突と犬猿の仲の港澳両馬會も互いの売上げ減少の原因が相手の競馬開催でないこと(当然!)漸く理解し寧ろ競馬開催日さえ重複せねば互に馬券販売など協力すること利益に繋がると計算見合っての歩み寄り。港澳盃6R五歳以上芝1600m、マカオから参戦はマカオ競馬の冠馬・森林精英(Analyst)はDeputy governor産駒12戦6冠1亜4李で騎乗するはこの為に澳門馬會がフランスより招聘のSoumillion君。香港馬は香港馬會主席Ronald Arculli君の今イチ勝てぬ持ち馬・River Dancer(Size厩)を筆頭に余の一押しは蔡厩のWintrow(Dye)でWintrow軸に祝儀で森林精英。澳門馬ではCrown's Giftなる馬も直近の5戦3冠2亜と好調で騎乗するは香港で今は引退せし簡調教師との仲違いにて簡師のロールスロイスのボンネットに傷つけたり素行悪く香港より破門のドイル君、この馬も直近の「澳門での」試競走では1着と面白そうだが外枠12枠で流石に香港馬との競走では歯が立つまい。澳門馬は香港にて見下されて森林精英とてオッズ11倍と揮わず。レースはそのCrown's Giftが先頭とってあっさりとそのままゴール。番狂わせの28倍で誰も予想せぬ澳門馬の勝利。天晴れ。8R香港クラシックマイル四歳馬芝1600mは一番人気は昨季デビューより11戦7勝3亜1負の幸運馬主(Lucky Owner、Cruz厩)は四連勝狙い、これに抗せるはWhyte騎乗のTiberかHayes厩のBeethovenくらいか。だが馬券的にこれでは1〜3番人気で余はSize厩の大文豪(Mighty Hugo)を軸に上述三頭での三連単、三連複狙い。が大文豪コケてTiber、幸運馬主に続き三着入賞はPerfect Partnerという結果。調教の時計からすれば確かにPerfect Partnerをば選ぶべき。街でばったり劉健威氏と邂逅。先日劉氏信報の連載に羽仁未央女史五年のシンガポール暮しより近々香港に戻ると書かれていたを思い出し未央女史にご連絡頂きたき旨伝言お願いする。帰宅してすき焼き。米国産霜降り牛。なぜたった一頭の狂牛病感染の牛と行方つかめぬ数十頭の牛の感染未確認で日本が米国産牛肉の輸入中止までの措置とるのか、Z嬢は牛肉といふ畜産物に纏る攻防に政治性感じざるを得ず、と。全く。

二月十四日(土)快晴。気温廿数度まで上がり日向にて半袖シャツ一枚でも汗ばむ程。夏到来。急な気温上昇にこの時期特有のHazeがかり北角から見て中環の超高層建築も霞がかるほど。Hazeに適す日本語なし。熱帯靄か。歌舞伎の橘屋さん二年前に来港のおり香港の日本人墓地の話聞き日本人墓地になら桜の花でもあればと思ったのが契機にて香港に桜植える話持ち上がり橘屋の奥様K女史の奮闘にて東京の霞会館より提供受け本日、黄泥涌の日本人墓地、日本人学校3校と山頂の総領事公邸に桜の植樹。請われ日本人墓地の植樹の手伝いに参る。橘屋の奥様と数年ぶりに邂逅。話聞けば昨日まで歌舞伎公演にて台湾だったそうで今日も朝からTシャツ姿にて植樹の土スコップにて移すはやはり梨園において橘屋にしかできぬこと。眉顰める関係者も少なくなかろうが橘屋にはやはり敬服。この日本人墓地、実はもともと掃桿埔(現・香港スタジアム)に明治以来あった日本人墓地を昭和の初めに異人墓地内に移設したものにて邦人墓多い高台に萬霊塔あり、そこで植樹の式典。植樹にあたり土砂拯ふに使うスコップ、テープカットの金色の鋏こそ見たことあるが、金色のスコップとはお見事(写真)新丹那トンネルの起工式でも金色のスコップはなかっただろう。これで土掘ると吉事といふことで李嘉誠にプレゼントとか、いや土建はやはりHopewell集団のGordon Wuに、だろうか。日本より橘屋と一緒に来た関係者に若い神主いらっしゃり祝詞。だが厳密にはこの萬霊塔(写真)は大正八年に大谷光瑞師来港の折に日本人墓地の存在知り寄進され自ら碑傍に香港日本人慈善会と揮毫されたる由緒ある塔にて光瑞師の碑の前にて神道で祝詞も奇妙といへば奇妙なり。桜といふと日本の象徴。今朝も大和心と表現されていた出席者もいらしたが、実はこの桜の象徴性といふのはわずか明治以来のこと。勿論、桜は万葉集に赤人の
あしひきの山桜花日(け)並べてかく咲きたらば いと恋ひめやも
だの古今集で小野小町の有名な
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
もこの花は桜だそうな。だが美しくも、あくまで美しい花なだけであり、歌舞伎でも例えば助六で新吉原には桜が咲いて遊郭の賑わい、道成寺も桜満開だがそれだけのこと。そこに桜といふsignifiantに対して未だ極端なsignifieは有しておらず。まさに上野の山の桜が満開なら綺麗だから見に行こうといふ落語の長屋の花見の世界。それが桜が象徴となるのは明治のことで、何といっても学制敷かれ財務など「年度」導入され桜の咲く四月が年度の始まりとなり、更にそのさっと満開となり散り際の良さに潔さだの、「同期の桜」といった、恐らく江戸の民衆が聞いたら何のことか皆目見当もつかぬ概念=幻想が生れたこと。本来、暦の上で年の初めは日本では梅。多少暖かい地方では桃。こうして桜の花の国家主義的なる象徴化や太陽暦にて正月だの端午の節句だの祝ふ「蛮習」など、たかだか明治からの新機軸がほんの半世紀もあれば心にしっくりと、と定着するのが我が国民の柔軟性か。桜が美しいのは事実。香港にて桜の花咲かせるに多少無理もあるが育てば桜を愛でること大いに好し。ただこの桜の象徴化が気になるばかり。ところで香港日本人学校の小学部大埔校にては九十七年の開校より未だに咲かぬ白蘭花ありこのたびの桜の植樹でその白蘭花が除かれるを知人知り
根もつかぬ櫻の花に手折らるゝ開校より侍ふ白蘭の花
と詠む。なかなかの秀歌。十数本の植樹終え昼に北角の寿司加藤。ご主人に小ぶりの身のよく絞まった鰰(ハタハタ)薄酢で〆て麹和えで供される。秀逸。午後、銅鑼灣にて某事。北角に戻り高座に上がる。多少仕事済ませて尖沙咀。聖ヴァランタイン節にて市街に若き異教徒たちのカップル氾濫。どう見ても「今日といふ日を独りで迎えるのはイヤ」が故にお互い筆頭候補ではないが妥協でくっついたと思われるカップル多し。盆踊りの晩の性的なる無礼講などこの若者らの恋狂い今日に始まったことに非ず目くじら立てなどせぬが、盆踊りなら盆踊りといふ地方の風習に則った風土的狂乱であるのに対して、何故に異教徒が聖ヴァランタインの名を用いて興奮するかが不謹慎。Z嬢と待ち合せ海防道街市の徳發にて牛南麺。さすがに徳發はヴァランタインメニューなし。文化中心にて平田オリザの「東京ノート」観劇。平田オリザの代表作で評価高く海外でも繰り返し上演される。舞台は美術館のロビーという設定、この香港文化中心の小劇場で周囲の回廊を美術館に見立てるなど工夫もあり。2014年に欧州で大きな戦争が勃発しており戦火逃れるため多くの絵画作品が日本に集まる……といふ時代設定、九十四年の初演当時すでに伯林の壁すら崩壊しており欧州大戦といふ設定がどこまで設定としてピンときたのか定かでないが、而もそれが〇四年といふ今日この日にあっては2014年にはむしろ日本が戦争に巻込まれている可能性のほうがよっぽど高し。ならば寧ろ「巴里ノオト」といふ題で、2014年にすでに政界から引退のシラク元大統領が戦乱の日本より日本の貴重な財産である関取衆を巴里に集め欧州で相撲興行続け相撲文化の維持存続、その巴里にある相撲部屋舞台にした舞台劇などのほうがよっぽど面白いのでは?などと思ふ。勿論、「東京ノート」の会話の中には戦争を他人事して見ていることへの強い抗議であるとか、日本でも徴兵制が始まるらしいといふような不安感もあり。平田オリザは本人のノートで曰く「国家間の大きな衝突と、家族という最も小さな集団の葛藤と、を、見つめていただければ幸いです」。だが残念ながら余には「その二つの混沌のなかで、静かに揺れ動く何ものか」の存在こそ察することはできてもさすがにそれを「見つめる」ことはかなり難しい作品。エゴなのだろうか?、人間の無知なのだろうか、悪くとらず人間の集団に対する愛なのだろうか……わからぬ。それにしてもこの平田先生(と書くとどうも平田篤胤……笑)のノートは最後は「近未来の美術館を舞台にした『東京ノート』は、家族や人間関係の緩やかな崩壊を描いた作品として、90年代演劇を代表する作品として、国内外で高い評価を得ています」と結ぶ。通常、作家本人が自らの作品を「国内外で高い評価を得ています」と書くだろうか(笑)。平田オリザの作品を一度見ただけで酷評は避けるべきだが(実際には避けてないが)、素直にとても正直であるしいい人なのであろう。実ハ、ノートを読めば、その「その二つの混沌のなかで、静かに揺れ動く何ものか」が「あ、家族や人間関係の緩やかな崩壊」に向う「あれ」なのね」と読めてしまふから作者の余りに明解すぎる書きぶりにこれを読んでしまったら芝居がつまらないだろうがっ!、と思うのは余ばかりぢゃあるまひ。ポスト9-11の時代にはもうこれを近未来のフィクションとしては芝居で見ていられず。現実は「それ」すでに崩壊してしまっているのかも。香港島に戻るフェリーの中でもZ嬢といろいろ芝居について話すが巴里ノオトの筋ばかりが頭駆けめぐる。ところで。ダメ元でも希望は捨てぬべきではなし。タクシーで太古坊。East End訪れヽばサッカー試合の中継あり満席。ようやく一卓見つけ坐ると柱の裡でサッカー中継見えずなぜ空席だったか合点。寧ろそれで好し。かなり久しぶり。数名の店員に「香港にいたのか?」と声かけられ背中叩かれ歓迎される。地麦酒2パイント飲み帰宅。
▼昨日ふと思ったはインターネットにて言葉と画像についてはgoogleの如き傑れた検索あるが「音楽」こそ曲は覚えていても「あ、あの曲、何といったか」と悩むことかなり多し。1小節、短いフレーズしか頭に浮かばぬこともあり。そういった場合にgoogleの如き検索で短いフレーズ歌うなり鍵盤で弾くなり楽譜に落とすなりすればたちどころにその楽曲が何か探しあてるようなソフトあればかなり便利。盗作防止にも役立つはず。

二月十三日(金)晴。早朝に養和病院。Viral Gastroenteritisより回復せず昨日よりdiarrhea特有のevacuationを伴わぬgasのみ腸内目まぐるしく動き回る症状続き医師の診断請えばdiarrheaの症状としては回復期にあり暫し服薬にて治癒の見込みとのこと。富柏村絡みの世界復活。夕方独り記者倶楽部にて早酒。Jamsonを氷で一杯。ここ数日抱えていた新聞読む時間なく読みそうな記事のみ切り取り。晩の開店したばかりのJimmy's Kitchenのバー。ドライマティーニ飲む。Z嬢現る。いつも客も少なく香港でかなり上品なバー。銀座の、山本夏彦氏などが通ったJollyなどに通じる雰囲気あり(写真)ただ一つ今晩の欠陥は、明日が聖ヴァランタイン節で今晩は金曜夜でどの料理屋もこの節句の特別メニューなど用意して商売熱心、この店も例外でなく、支配人(あきらかに×国人であるが×国であることを偏見で用いぬため敢えて伏せ字とす)花屋よりこの特別メニューの客に配る花が届かぬのか花屋に苦情の電話は罵声。かなり苛立ち五月蠅いこと甚だし。Z嬢と夕餉のためバーよりダインに移るが今度はこの×国人の支配人、薄桃色の生地にて店中に飾り付け始め自分のイメージ通りにいかぬのか給仕らを大声で叱るばかり。聞いていて明らかに支配人本人の管理能力の不足と発想の貧困さが原因、それを給仕らに当たるから始末に負えず、副給仕長級の黒服などその彼が明日の予約の確認だかに来た客と話しているのに、この×国人の支配人はこの黒服を何度も大声で呼び黒服氏も堪り兼ね“I'm busy now!”と言い返すほど。余りの始末の悪さに余も我慢の限度を超えこの支配人を見れば支配人も生地もったままこちらを向いたので「静かにすべし」と注意勧告。ひとまず支配人、声は静め須臾して余の卓に参り「申し訳ない」と謝るが「ついお客さんがいるのを忘れていた」などと吐かし余の呆れ百倍。先程からバーで飲みアナタと何度も眼が合いダインに移っており何が「客がいるのを忘れた、だ」、客商売として非常にunprofessionalであるし店の中であヽも呶鳴り散らして非常に下品粗野、猛省すべし、と申し立てる。食事終り珈琲の美味さはいつも感心。退出時に何度か顔合わせ先方も当方をば認知せし黒服氏出勤し居合わせ、給仕の青年らは仲間内で「さっきアイツ(支配人のこと)あのお客さんに注意されてたんだよ、まったく」などと話していたからこの黒服氏にも何があったか通じていたのであろう、黒服氏いつにも増して余を客送りなどするから、店を出てから、あらためてあの支配人がどれだけ下品粗野であったかをこの黒服氏にきちんと説明。黒服氏も「いい人なんだけど感情的で」と庇護っているのか支配人の欠点を認めているのか。いずれにせよ香港の格式ある老舗であれはあるまひ。中環の街には聖ヴァランタインの節句祝う花束抱えた異教徒の恋人たち多し。スターフェリーで尖沙咀。文化中心にてヱイン・ショオタア(Wayne Shorter)のカルテットの演奏会。当然の如く日本ツアー後の来港。余にとってWayne Shorterは初めて名を知った頃はすでにアート・ブレイキイ楽団やマイルスとの共演時代も終りヱザアリポオトすらもう実質的に活動中止していた時代。つまり過去の演奏だけで今日に至る。Wayne Shorterもすでに七旬。今回のカルテットはDanilo Perez(P)、John Patitucci(b)、Brian Blade(ds)といふ三十も年若き奏者将いる。その奏でるフリージャズが新しいのか七十年代の同ジャズと異なるのかどうかすら余にはわからず、ただ耳慣れてくるとマイルスのBitches BrewであるとかLive Evilの頃の音色も彷彿、即興というのがあれは確かKind Of BlueのLPジャケットのライナーノーツだったか即興は東洋の禅僧の書に通じるものがあるといふようなことを確かギル・エバンスだったか記憶定かでないが綴っており当時それを英語でimprovisationなる単語すら解らぬまま辞書引きつつ訳して読んだもの。Wayne Shorterの演奏は本来の即興なのかイワユル「老人力」なのか少し分からぬ点もあるがいずれにせよ侘び寂びの域。今思えば一流のサクス奏者でありながら常にアート・ブレイキイ、黄金期のマイルスと巨人と供にあり、ジョー・ザビヌルと組んだオリジナルバンドのヱザアリポオトもジャコ・パストリアスといふ天才彗星の如く現れジャコの印象強まり……とつねに一流の奏者でありながら最大級に強烈な印象なし。寧ろヱザアリポオト以降のオリジナルのカルテットこそ達観の域に達したWayne Shorterの真骨頂のはず。それを初めて耳にして、和声を崩し微妙なズレを企図しつつ再構築試みる一連の演奏は確かに今になって思えばポストモダンそのもの。二十年前なら前衛と思われていたが今聞くと何処か不安定なる時代にフィットする感もあり。同じ演奏でもマイルスであればマイルス現れトランペット一吹きするだけで神々の管楽の調べの如く聞き手からウォーッと歓声上がるのに対してWayne Shorterは老成し枯れて確かに禅僧の如し。スターフェリーにて中環に渡り帰宅。本日、余のふとした電脳上の誤解にて月本氏に余計な誤情報供してしまひあらぬ驚き与え猛省。冷静に的確なる手段で事実確認せば判明すべきところ電脳のキャッシュなどに頼り冷静さ失い余も電脳上でのハイパーモードに冷静さ失っているのでは?と唯唯反省するばかり。この場を借りて(月本氏もよく酔った上でのことをネット上で謝られていたが)あらためてお詫び。神経衰弱か頭痛ひどく酒は断ち薬服す。せめてもの心憇めと荷風先生の日剰少し読む。

二月十二日(木)晴。臥床。薬の所為か夢も濃厚。何処か地方の、けして遠くはなき守谷といふ地名は知っていながら訪れたことなき土地訪れる。叔母の家近し。昨今どの都市も商店街など人気もなく閑散とするのに比べ此の守谷の市街は終戦直後のドヤから開発始まったような雰囲気で雑多だが人多く盛況にて何処かほっとした思いに駆られる。叔母の家はこの守谷から一つ山に入った処で其処訪れるが山中にて道に迷い宵の大きな闇に包み込まれ恐怖のなか山を跨ぎ走りまわり何故か母の運転するセダンに拾われ守谷の町に戻る……といふような夢、何度か覚醒め断片的ではあるが守谷という街を中心とした物語が夢の中で続く。中上健次の「路地」の如き活気其処にあり。晩に尖沙咀。地下鉄站にて老人らが慈善米を売り賛助金得る街頭募金活動するを見て余を含め賛助請はれても拒み立ち去る者殆ど。請ふ方も請はれる方も愉快ならぬ気分。老人であるとか若い学生であるとか社会的弱者をかの如き募金活動に従事させお情けにて募金つのる厭らしさ。本来は税金で賄われるべき多くの諸事業に資金まわらずこうして各福利団体が独自に募金つのり我々の税金はくだらぬ土建工事と「畜う」価値など全くない官僚の給与に宛がわれていると思ふと不愉快極まりなし。その矛盾あり余は一切の街頭募金などに心鬼にして応じず。吉野家にて牛丼食す。香港は何事もなく牛丼供さるる。香港は米国産ではないのか日本が神経質なだけか。いずれにせよ日本で食えぬと思うと更に美味に感ず。向いに坐った少女(香港の吉野家は日本の出臍型横一列レイアウトでなく普通のテーブル席)、徐ろにお箸パックの中の楊枝取り出し(香港の吉野家はお箸パックに箸、紙ナプキン、多くのメニューに飲み物付く為のストローと吉野家の紙包装された楊枝がセットになっている)その楊枝を使うのかと思ったらバッグの中から出したのは「三、四十本を輪ゴムで束にした吉野家の楊枝」で、そこに満足そうな表情で「今日の楊枝一本」をさして満足そうな表情で何事もなかったかのように牛丼食し始めるかなり気になり余は牛丼の美味さも忘れ、なぜ楊枝集めるのか、わざわざ持ち歩く意味は……と考えれば考えるほど不可解。都市にはこのような都市伝説的なビョーニン多し。で余はこれは確かめるべき、と丁度まだ使わずに紙ナプキンと一緒にお箸パックに入ったままだった楊枝を、ナプキンを出すふりして何気なくテーブル上に落として使わず。そのまま店を出たふりして、この少女が余の遺した楊枝をゲットするか無視するか観察。その結果、彼女はその楊枝には見向きもせず。つまり彼女にとって楊枝は吉野家の牛丼何度食したかの勲章であり他人の楊枝ゲットするまでの楊枝マニアでないこと確か。……と観察していてこのようなこと地階にある吉野家の階段で身体屈めて店の中偵う余の方がよつぽど都市伝説的なビョーニンであると自覚。自省。
▼臥床に手当たり次第たまっていた資料読む。レバノン大使の天木氏も外務省にまだこんな真っ当な神経の外交官いたのか、と溜飲下がる思い。だが罷免されたが。日刊ベリタにあった中村敦夫氏の講演記録も一読どころか二読三読に値。木枯らし紋次郎が「あっしにはかかわりのねぇことでごさんす」と言わずにこうして孤軍奮闘、世事にかかわっていることへの信頼。米国がまだソ連存在した冷戦といわれた二十年ほど前にもうすでに砂漠戦(=中東)想定し軍事訓練行っていた事実、つまりアルカイダもフセインもおらずとも石油権益のため米国は中東武力侵攻が必然となること。イラク戦争で寿府条約にて禁止されぬ劣化ウラン弾が使用されたこと。米軍の攻撃で9,852名もの市民がイラクで殺されていること。民主的で自由平等なルールを強調する新自由主義が競走に出れない者もいる前提や競走で負ければ救われぬなど前提からして平等でなくインチキであること。グロテスクなどほどの南北、貧困の格差。犯罪が増えるのは当然。それを抑えようと警察国家化……これは佐々淳行などの治安よき社会が前提となる論理の矛盾、なぜ犯罪がおきるかに対する無思考(富柏村註)。中村敦夫が標榜するは農林水産業の見直し。ローテク、スローな社会の実現。
▼原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』読了。梅田の阪急線が跨線橋……といっても今の若い方は御存知なかろうが昔は国鉄線跨ぐ跨線橋あり十三から梅田に入る阪急電車が国鉄線跨いで梅田の驛に渡る様は近代的で、それがここが原氏の指摘する歴史の分岐点だが国鉄の力に圧して国鉄が高架線とする為に阪急は涙をのんで高架の権利を国鉄に譲り渡し地上線となりその上を国鉄が走るようになり……という歴史あり、だが今の若い方にとっては「阪急も高架やな、梅田の駅は」だろうが、これは七十三年だかに阪急線が乗客数の増加で旧来の駅構造では輸送追いつかず国鉄の北側に高架の新駅設けて梅田阪急の建物からプロムナード抜けて(つまり国鉄の高架の下を歩き……これは原氏は指摘されておらぬが梅田阪急の建物より阪急駅に向う途中の古典的な豪華絢爛なプロムナードこそ実は国鉄線の下を潜るという阪急にとっては屈辱的な構造を客に感じさせぬ仕組みとなっている点も興味深し)としたもの。つまり現在の阪急の梅田駅は高架の初代、国鉄に屈辱の二代目に続く三代目駅舎ということ。で、それだけ、といへばそれだけのことからここが原武史氏の凄いところで関西の反権力的なる私鉄ネットワークが昭和の時代に天皇の行幸といふ儀式とともに国鉄が関西にのさばるようになり関西私鉄の象徴の如き阪急梅田のこの高架線もついに国鉄の圧力下に取り払われた、という物語。また実は天皇制なるものが明治の時代から近代の天皇制として泰西の王権の如く臣民はこの帝に対して対峙し礼を尽くしたものが皇紀二千六百年を境に天皇も伊勢の先祖神に向い頭下げる形に変わったことも興味深し。ちなみにこの阪急での物語、NHKが「プロジェクトX」にて取上げると一九三一年のその一夜にて国鉄も阪急も一本の列車も止めることなく高架線と地上線の線路をば掛け替えた世紀の大工事を当時の工事関係者の努力、でまとめるのであろう。そこに天皇制にまつわる権力の葛藤といふものなどタブーとなるはず。
▼かなり年下の知人の受けた私立中学の入学試験の国語の問題が目取間俊の「軍鶏」とスーザン・ソンタグの「他者の苦痛へのまなざし」って小学生の読む文章か……。殊にソンタグは「20世紀にはいり大量虐殺の時代が始まると写真はいかなる文章をも陵いで戦争の実相を伝えるメディアとなった」というような本文を読ませて最後の記述問題が「本文の内容をふまえて、A)9.11事件とその後のアメリカの対応、B)広島長崎への原爆投下のどちらかについて、あなたの考えをまとめなさい」ときた!、と。知人はAを選び米帝批判展開したそうだが、版元はみすず書房=難解本の代名詞。明らかに、総合的学習だのゆとりの教育だのとお題目だけ創造的な公教育とお題目捨ててプラグマティックに思考力想像力卓越した子だけ育てようといふ私教育への分化。ちなみに社会科には「広島に原爆を落としたのはどこの国か?」といふ、ソンタグ読めた子には余りに簡単な設問あり。「そりゃアメリカだよ誰でも知ってるでしょうが……」って思うのは素人。考え方によっては十万人単位で非戦闘員虐殺した国と戦後は何事もなかったかのように「友好的」主従関係を結ぶのがわが国の主流文化だと思えば小学生にあらためて「そうだよな、アメリカが原爆落としたんだよな」と再確認させる作業はやはり極めて重要か。戦争の悲惨さ、日本のアジア侵略を語ることが東京裁判史観だの自虐史観だのと非難されるが、考えてみれば、戦争終って一方で天皇を免責し他方で東京空襲や原爆投下を不問に付す歴史観こそ「東京裁判史観」そのもの。

二月十一日(水)昨晩より身体怠く風邪の初期症状かと思ったが今日になり昨秋のウイルス性胃腸炎だかで入院した時と同じ症状であの時ほどひどくはなし。養和病院に参り医師の診断請ふが眩暈防止にと珍しく注射施されこの直後に眩暈ひどく一瞬歩けぬほど。医師に再度診断請へば医師は「注射の所為ではなし」と強調するのが可笑し。帰宅して養生。噂の真相次号が休刊届き読む。普段なら床臥せば読書続けるところ熱も38.6度にもなり粥食し薬の所為もあり寝続ける。

二月十日(火)晴。気温十五度位迄上るが風強く寒さ昨日などより更に厳し。ジムに寄る時間もなく遅く帰宅し夕餉に鍋。十年以上前に香港を離れ米国に戻る某氏夫妻に譲られたる頑丈なる電気式鍋先日終に変調来たし象印の直火に掛るも可の鍋購ひ初めて用いる。ここ数日の新聞読む。香港にては政務司長Donald曾蔭権君に司法長官梁愛詩及び政制事務局長某君の一向上京し基本法及び〇七年直選導入などにつき政府関係者及び御用学者らとの協議に向ふが政府からは冷遇され御用学者らには単にお灸据えられる様、哀れ。深センにてウイルス感染の疑いあり隔離入院させられし香港市民が退院後に隔離施設での治療、設備内容は国家機密にあたり他言せぬ旨の宣約書書かされたのに続き香港を含むマスコミがウイルス感染について政府当局の発表待たず伝聞などで報道するは国家機密の無責任なる漏洩に当たるとして厳重注意。さすが一党独裁国家。たとえば上海の経済発展とて所詮この意識レベルの国家によってなされていると思ふと本当の意味での社会基盤がどこまで構築されたのか、されているのか疑問に思わざるを得ず。
吉野家、本日にて牛丼の販売中止。但し他のメニューにせし場合に周辺の店との競合厳しい競馬場競輪場などにある店と築地店だけは牛丼だけでの販売継続、と昨日だかの報道にあり。では築地店とは何か。明治三十二年に当時日本橋の魚市場にて牛丼屋始めたが最初にて震災の後に心機一転の築地店は当時からの伝統を再現し店の内装などにも執り吉野家にとっては記念館的存在の旗艦店とか。それゆへ築地は牛丼の火を消さず、と意気込み理解可。だが余が疑問は確か従兄弟S兄の中学の同級生だかに当時の吉野家創業家の子息だかおり文京区千駄木の付近。吉野家といへばどうも余の記憶では秋葉原だったかあのへんにあって突然テレビにて「味の吉野家、牛丼一筋八十年〜」と流れた記憶あり。幼き頃に交通博物館への行き帰りにまさか肉の万世と吉野家は誤解せず釈然とせぬものあり。
▼吉野家より歴史が短いのが日露戦争の百周年。戦勝百年記念の麦酒まで発売とか。日本が勝った戦争であり平成の時代に政治的なる利用されること必至だが、今あらためて理解すべきことは当時の戦争と現代戦争は全くことなるもの。確かに負ければ国家にとって致命的であり露西亜も日清戦争の清も亡国避けられぬ運命となったは事実ながら、戦争ぢたいでその国家が壊滅的打撃受けず。戦争とは当時、軍隊なり艦船が決められた戦地に向い当然一般市民の巻き添えなどなくゲームの如く戦ふもので、確か、当時は夜間や日曜の戦役中止だの軍幹部による敵軍施設の視察だの戦争終り勝敗決まったあとの敵軍とのいわばノーサイドだのかなり紳士的な面もあり。一般人が巻き添えくらい命落とし徹底的に敵国の壊滅目指す近代戦とは異なるもの。その戦役の勝利が今とは全く異なることをよく理解すべき。
▼自衛隊のイラク駐在部隊の濱田なる広報官。どこの方だろうか。栃木か福島か。広報官にしては「いかにも」木訥とした北関東から阿武隈にかけてのイントネーション。どこか緊張感緩む感あり。それが自衛隊の狙いか……。
▼東京の或る関係筋の話によればやはり後藤田先生、党員として自民党籍あるゆへ党議に反してイラク派兵反対とはいへぬがご意見は人が聞けば誰でも反対とわかるように発言とか。西澤潤一首都大学とうきょう総長もは齢七十七歳にて「晩節を汚さねば」と思ったがもともと「このテ」の御仁であり今更に晩節もあるまひか。仙台にて西澤君の東北大時代のお住まいが米ヶ袋、同じ米ヶ袋に住まう知人より氏は「米が袋の恥」「町内からこのような人物を出したとあっては対岸に佇む政宗公の霊廟にも顔向けが立たない」と。七十七歳で任期何年務められるつもりか知らぬが「後進に道を譲る」ということを知らぬのはわが国古来の淳風美俗たる謙譲の心を知らぬふるまい、「心の東京革命」は先ず己の心から。それに対して梅原猛先生。みやこ新聞以来の東京新聞愛読する築地のH君によれば昨日の同紙夕刊に梅原翁曰く(要旨は)70過ぎたら人生はお釣と心得て本当に書きたいことを書く、自分は七十のときに二度目の癌患い幸い命とりとめてそういう心境、しかし世間をみれば、七十超えても色恋に狂って家族に迷惑をかけたり、権力や地位に執着する人が大勢、梅原先生そういう姿を醜いと思ふ…というような文章。この権力や地位に執着する人として誰が挙がるかは明白。西澤と梅原のいずれも老人家、何れが「子孫に道を説く」に相応しいか答えは明らか。ところで梅原猛も後藤田も八十年代には首相中曽根の懐刀。有事法制を批判した栗原祐幸氏も中曽根内閣の防衛長官。こうしてみると中曽根大勲位も逸材を得。二十年後で小泉内閣からはどう見ても傑出せぬ逸材なり。
▼ちなみに今朝の産経新聞は一面トップが「学校や塾の送迎 わが子に警護 治安悪化で利用急増」と典型的なな「ヒマダネ」ってやつ、と築地のH君。左肩が来月からの紙面改革のお知らせ。右下にやっと「イラク支援 陸自本体始動」と来るが昨日の国会の派兵承認についての報道なし。最下段に3段も使ふ「きょうの紙面」にも派兵承認なしといふ念の入れ様。「産経的には」国会の承認などニュース性なしといふ判断か。二面の政治面左上に四段の細い見出しで「参院 自衛隊イラク派遣を承認 国会の手続き完了」と漸く記事となるが「手続き完了」とは(笑)。「単に手続きなんだから、どうっていう意味はなし」という主張か、とH君。読売ですらトップではないが一面にはこの報道あり。産経ほど徹底せぬのは読売の情けない限り。

二月九日(月)寒さ続くが久方ぶりに晴れ渡る。昨日の長距離走で体力虚弱。走行よりも殊にレース終了後の寒さの由。文藝春秋三月号読む。塩野七生がイラク派兵について語り十年ほど前に一度だけ防衛大の卒業式に来賓として出た塩野が興味もったはこの式に首相や幾人かの国会議員が並ぶ中に小泉三世の姿あり。他の議員が「各党の防衛問題関係者であったのに」小泉三世は「この地が選挙区だからという、笑っちゃいそうな理由で来ていた」こと。小泉三世をば塩野は茶化しているようだが「しかし、そのような理由ならばなおのこと、三十回は見てきたはず」と(だがこれは小泉三世の衆院初当選が72年のため議員生活三十余年ゆへ選挙区である防衛大学の卒業式も当然同じ年数出ている「はず」ということなのだが確かに昭和32年に第1回の卒業生送り出した同大学校ゆへ父純也(小泉二世)の当時より卒業式参列あるやも知れずいずれにせよ全て憶測の域)で塩野が凄いのはここから一気に「一度しか(防衛大の卒業式を)経験していない私でも、イラク派兵が決まるやあの光景は思い出した」のだから「これを氏(小泉三世)は、三十年間も見つづけてきた」のだから「その彼らを荒海に送り出す決断も、苦渋の末であったに違いないと想像している」と結ぶ。最後を「……に違いないと想像」と断定を避けただけでもさすが文筆家だが、いずれにせよ「三十回は見てきたはず」が「三十年間も見つづけてきた」になり「だから決断も苦渋の末」ともってゆくのはあまりに極論。かりに三十回見てきたであるにせよ、ならばこそ大嶽教授の指摘の通り小泉三世にとっては美化された自衛官への思い込みが高揚するのであり勇敢なる逞しき姿への感動!こそ小泉美学。「苦渋の末」と三世の感情を美化はできまひに。「緊急発言」という記事は何かと思えば「小泉演説に「日本は立ち上がったのだ」(と)涙した」(笑)米国国務副長官リチャード・アーミテージ君の「憲法九条は日米同盟の邪魔物だ」なる発言の記事。アーミテージ君といってもピンと来ずとも昨年三月に拉致被害者の人たちの家族の人たちの訪米で華盛頓にてこの人たちの人たちに会見した国務省高官といへば「ああ、あの巨漢」と思い当たる節あり。この記事でも毎日380磅のベンチプレス欠かさぬと豪語するこのア君の姿、誰かに印象ありと思い出せばLarry Clark監督の“Ken Park”に登場せし軟弱な義息に男らしさ強要する典型的なホモフォビアの父親。そういう意味ではこのア君が非常に米国的であるのだが、どうであれア君程度に戦後の日米安保がどのように培われてきたのか(それは岸的な意味での安保推進・擁護も含め)=九条のあらゆる意味において、を考えればア君程度にそれをそう簡単に「邪魔者」とまで罵られては。ア君の無知ゆへの発言が許されてもそれをわざわざカネや太鼓鳴らして掲載する文藝春秋の不見識。保守を含めた「戦後」に対してあまりにも失礼な物言い。自衛隊派遣について著名人37人アンケートといふ特集もあり(……なぜ毎月ここまで執拗に文藝春秋誌の記事取上げるのか我ながら不思議だがどうせ意外と余り、特にオヤジ除けば、読まれておらぬ雑誌ゆへ読んでない方にはこのダイジェストも多少の意味ありかと信じて)、この派遣の是非を問ふのだが、(余の知る名前だけで挙げれば)
賛成……阿川尚之(駐米公使)、キャノン御手洗、オリックス宮内、上坂冬子、西尾幹二、橋爪大三郎、三浦朱門
反対……橋本大二郎、鶴見俊輔、松本憲一、阿部謹也、岸田秀、上野千鶴子、阿刀田高、梅原猛、柳田邦男
と非常に「この人なら」と判りやすい顔触れ。傑作は「反対」の料理評論家・小林カツ代で
小泉氏はじめ、派兵賛成派がことあるごとに言う言葉「お金しか出さない日本、これでは真に平和貢献とは言えない」。石破防衛庁長官もテレビでしたり顔で「よその国の人が出しているのに日本はお金だけ出せばいいと思っていいものか」のっぺりと無表情でいう姿に吐き気がするほど腹が立つ。お金しか? お金さえ? なんですかそれ! 冗談じゃあない。国民の中の派兵賛成派も正義感に燃えて錯覚している。なぜ錯覚かというと、金だけじゃねえという、そのお金は、誰が稼いでいると思っているのか。私たち国民が、毎日、働いて働いて、くたびれ果てて得るお金がまさに血税。イラクまで行って何かするわけでもなくとも、この日本で、体をこき使ってよその国に、それも多額のお金をあげるのです。平和のために何もしない、なんて二度と行って下さるな。
……と凄すぎ。真っ当。意外なような、いや意外ぢゃない?、よくわからぬ「賛成」が久世光彦。
アメリカ人にもイギリス人にも、フランス人にもイラク人にも、グルシア人にもあって、日本人だけないのが≪祖国≫である。今回の自衛隊のイラク派遣は、≪祖国≫の誇りを賭けた義挙であり、彼らは栄光の戦士たちだ。これによって私たちは、連帯と、身の引き締まる緊張を回復しなければならない。その根本にあるのは≪死生観≫だ。肚を括ってかからないと、≪誇り≫は容易に砂漠の≪埃≫になってしまう。だから、家族と相談したい人は、行かない方がいい。時に家族は諸悪の源である。
……ってもう支離滅裂。西尾先生以上。昔から支離滅裂が売りでもある久世先生だが連帯とか緊張感とか祖国という観念は自衛隊員が生死かける場所に遣られてまでせねば得られぬものなのか、つまりそれだけ幻想、自衛隊員の命はそんな幻想得るための手段か。誇りと埃など下らぬ洒落を言っている場合に非ず。興味深きは「どちらとも言えない」選んだ数名。カミソリ後藤田先生は内容は反対なのだが「どちらとも言えない」はやはりお立場ゆへか。蓮實重彦、呉智英あたりはこの可否といふ二元対立の無意味さを歎くもわかるところ。そして永六輔先生が「どちらとも言えない」で文章に「農業を大切にする農耕民族に徹しましょう」と、実はいちばん畑を耕すことなどしていないのが永先生といふ揶揄もあるが、答えを読めば「反対」だが文春での議論に参加することぢたい「利用されている」ことになることからの乖離のよう。芥川賞受賞の「話題の」二作品読む。金原ひとみの『蛇にピアス』。文藝春秋の読者=オヤジの誰がこの「舌にピアスして舌を切って蛇みたいにしたパンク君、パンクちゃんたち」のH話を読めるのだろうか、と不思議。だが読んでいて感じたは、確かに舌にピアスはピンとこなくても基本的に陰茎に真珠填めるのと何ら違いはないこと、舌にピアスという事項除けば、凡庸(村上龍)な作品で主人公たちが生きる力を失っていく(同)ことなどいい悪い別にして普通。物語の最後も「えっ?」と思うほど平凡といふかアットホーム的予感すらする安らぎの世界で、最初の「舌にピアス」でゾッとしたところからだんだんと「なんだこの若者たちもみんないい奴じゃないか」のような予定調和あり、これだからこそ「文藝春秋で」載せてオヤジたちが読んで(作家の年齢の三倍すると読者だ)なんか今の世の中理解してしまった、のような世界。綿矢ゆり『蹴りたい背中』も女性誌のモデルの女の子をおたく的にファンする「にな川」君というイワユル「ひきこもり」を(事実上の)主人公にするところが斬新かも知れぬがよく読むとこの「にな川」君も実はけっこういい奴であり、これって日本まんが昔話に登場していたよな、といふ感あり。とくに二十歳の新鋭作家登場といふほど斬新とかでなく寧ろ両作品とも非常にノーマルなところに落ち着いてゆく話。ところで「にな川」君というとどうしても蜷川幸雄先生を想像してしまふが文藝春秋の読者だと京都府知事にまで遡る可能性も大。講談社選書メチエで原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』思想としての関西私鉄、読み始める。原武史のぐいぐいと読者引っ張り込む面白さ。明治帝の大阪での勧業博覧会への行幸や大正天皇大嘗祭の「たかだかお召し列車の運行」でここまで哲学できようとは。原武史も凄いが柳田國男が鉄道の発達を近代国家における臣民統合の装置として捉えていたといふこと知り更に驚く。私鉄の反権力的なる文化であった関西が昭和の初めに着実に昭和の秩序の介入受ける歴史。父より実家に神保町と京都の古書店より届いた河上肇『貧乏物語』と『自叙伝』郵便で送られる。『自叙伝』は築地H君のと恐らく同じ昭和26年の、岩波新書と同じ体裁だが新書とならぬ当時の初版本。
▼最近のこぶ平がいいらしい。とくに志ん朝師匠逝去のあとこぶ平が落語界背負ってゆく覚悟できたか俄然古典落語で「えいっ」といふ話聴かせるとか。十年ほど前に猫を拾い、その猫がいつも手を額に当てている姿が三平師匠の「どーもすみません」にそっくりで三平と名付けたが、当時の心配はこの猫がまだ去勢前でもし子どもできたり、また次の猫を飼ったら名前がこぶ平だろうか、と察し、こぶ平ぢゃねぇ、と十年前の当時はまだそういう時代。テレビでコメディアンや素人芸人にやりこめられている情けなき姿ゆえ。それがねぇ、噺家として育てられたもの。
▼米国大統領ブッシュ二世テレビの政治討論番組に出演しイラクの大量破壊兵器見つからぬ問題で「サダム・フセインは危険な男だった。少なくとも兵器をつくる能力はあった」と述べ製造能力を根拠にしてイラク戦争を改めて正当化。この詭弁などもはやお笑いの域。しかも世界で最も危険な男がそれを宣ふというオマケつき。「能力があること」で危険とされ征伐されることが許される、これが米国の自由主義の怖さ。
▼東京都の進める大学構想で新大学の校名が首都大学東京で学長が東北大学元学長の西沢潤一君に決定。この大学構想は都立大といふ日本の大学でもとくに「思想がかった」研究者多く自由闊達という問題抱えた大学をいかに正常化するか、という意図でのこと。その大学の学長に産学協同の代名詞たる「ミスター半導体」西沢君選ぶは当然の理。都立大の事実上の廃止に疑問あり反対の声高いも当然だが(こちら)抜本的に石原慎太郎を都知事に選んだのだからこの都立大解消は当然。都立大改悪に反対=反石原であろう都民が少なくなかろうが石原選んだ都民が絶対多数なのだからどうしようもなし。それにしても首都大学東京といふ野暮な校名。首都大学=Capital Universityなどいかにもありそうな名前だが実は首都などと言わずもがな東京、倫敦、巴里といえば首都なわけで東京も東京大学あるため東京都の大学が都立大学(Tokyo Metropolitan University)としたが、これは米国でいえば州立大学なわけで名前、格としてけして遜色なし。寧ろ首都などとわざわざ銘打つのはオハイオの田舎にある大学。北京の首都経済貿易大学は首都=北京は明白ゆへ当然、北京首都経済貿易大学などと言わず。而も東京首都大学とせず首都大学東京という語順も珍妙。これは普通、例えば慶応藤沢とか日大三高とか明大中野とかA(大学)あってのB(キャンパス、付属高校)といふ場合の名付けの語順であり首都大学というものに東京校あるのならこれでよいが首都=東京であり他に首都大学は存在せぬのだから明らかにひどい名称。もしくは「天婦羅 日本橋 みかわ」というような料理屋の名前で、この場合はAにくるのが普通名詞でBが固有名詞であるべき。「大学 首都東京」であればこれでよし(笑)。発想が都立大潰しと貧困ゆへ学長の人選から学校名称まで貧困さ露見される。

二月八日(日)雨。気温摂氏八度。近所のO君と待ち合わせ尖沙咀。香港マラソン。97年から?か初回が10kmで翌年よりのハーフ連続出場。今年は例年にも増して斤量あり確実に七年前より7kg増量の上に走り込みなど全くしておらず体脂肪率22%と我ながら唖然。而も本格的な雨で気温も香港マラソン史上最低の厳寒。憂鬱なままスタートするがこの寒さはランニングにとっては余計な体力消耗せぬ理想的な気温のようでキロ5分ちょっとと余にしては記録的な時計で走り続け折り返しでもまだまだ体力温存、さすがに海底西隧道のなかで気温上がり酸欠のようになり香港島に入ってからは速度落ちるがそれでも余の時計で1時間52分程度で完走。さすがに腰痛に途中難儀したが膝など不調にもならず。但し心拍数は一時的に189まで上がり心臓麻痺でも起こすのでは?と。問題はゴール後の灣仔運動場での荷物受取りで、ハーフマラソンの出場者が受取りに参るとまだ10kmレース参加者の長蛇の列。運動場のフィールドの芝は雨で田圃の如し、そこで結局1時間も並びすっかり身体も冷えて荷物受取りタクシーに乗ろうとして荷物開けると他人の荷。荷物札にも間違いなく何事かと思って運動場に戻ると事もあろうに同じ番号札で荷物入れる袋の色違いが3色もありそれでの混乱。また十五分費やしてようやく荷物受領。荷物札をば出場者のゼッケン番号とすればいいものをわずか3桁の番号にしたため当然番号足りずの由。ちなみに出場者は合計で二万四千人とか。97年の大会がわずか三千人くらいだと思うとかなりの人気沸騰。而も10kmが一万三千人だかおり昨年の倍で荷物受取りの収集つかず。すっかり身体も冷えて大腿の関節が痛み痙る寸前。タクシーに飛び乗り帰宅してブランデー一飲。入浴。即席のさぬきうどん。即席きつねうどんなど食す際はまずお約束として肥満のもと「揚げ」を入れずスープも液体は全部入れても粉末スープは半分で十分。それだけで大分塩分控えること可。午後、九龍で按摩。夕方、弁護士のT君とばったり。中環。外国人記者倶楽部の酒場にT君誘い麦酒飲み歓談愉快。晩にランニングクラブのメンバーで銅鑼灣の韓国料理「郷村」にて今日のマラソンの打上げ。さんざん肉をば食し焼酎かなり飲む。
▼首相小泉君昨日お気に入りの品川プリンスシネマにて映画「シービスケット」鑑賞。「感動した!」であろう。いかにも小泉君好みそうな物語。あの当時の古き良きアメリカ。だがその国家が当時日本に無理難題押しつけ日本はアジア解放がため戦争をせざるを得ぬ状況になってゆくわけ。だが「感動した!」だろう。小泉三世、大嶽教授の分析通りけして従来の保守タカ派に非ず。靖国にせよ英霊を崇える自らの感情にて動いたこと。「シービスケット」見れば感動し特攻隊の手記よめば涙しテロに立ち向かう正義の米国見れば感動し……というところ。
▼深センの病院に高熱で収容された香港の男性が隔離病院の環境劣悪と実態を述べる。狭い病室に10人が詰め込まれ隣のベッドとの間が30cmほどでトイレは60人に1カ所。地元住民が隔離された病室では一部の入院者が床に直接寝ていた、と。陰性と判断されたが当局に「病院での検査や施設は国家機密に属し、見聞を口外しない」という誓約書に署名させられる始末。この隔離病院での感染が怖く香港に戻り再検査。以上、成報の報道を朝日が伝える。どうしようもなきこの実態。深センでこれなのだから。

二月七日(土)曇。気温摂氏十度。午後九龍に藪用ありそれまで何するでもなく過ごす。地下鉄乗れば早いところ九龍バスの新型バス(先日ミニカー購入)に乗るべく土曜午後早くは雨で道も渋滞し一時間余。乗心地は確かに快適。復路の地下鉄でまでで大嶽秀夫『日本型ポピュリズム』読了。八十年代末からの政治改革と政党政治の改変のなかで細川護煕から田中真紀子、小泉に至るポピュリズムの変遷を「かなり」詳細にわたり綴る大嶽先生。執拗。読み続けて確かに綿密なのだがルポライターの記述ならそれで満足だがなぜ大嶽先生ほどの政治学者が?と感じざるを得ず。確かに湾岸戦争の際に「あの」イラク派兵の小泉三世が当時は自衛隊の海外派兵に批判的な立場とり柬埔寨PKOにて日本人文民警察官殺傷された際は「PKO活動では汗は流すが血を流してもいいというはずではなかった」と撤退論を主張したなど、9-11テロでの米国への全面協力への変節を来す以前の小泉三世であるとか、小泉三世が「自民党をぶっ壊す」「ぶっ潰す」と気勢上げたのも実は「自民党内の抵抗勢力が自分(小泉)の足を引っ張るなら、といふ前提であることとか(今となってみると小泉三世「自民党をぶっ壊す」どころか結果的に日本をぶっ壊した感あり……富柏村註)、小泉三世の思考回路が「複雑な社会現象を抽象的なレベルで体系的に思考する能力が弱い」ため「政治問題などを、極めて具体的、かつ感情的なレベルで捉える」ため靖国問題での韓国や中国の非難など外交問題になることも特攻隊の隊員の遺書を読んだ感動が外交すら横に置いての靖国参拝になること等々、さすが大嶽教授といふ的確な分析も各所にあり。だが田中真紀子の感情的なる逸話などなぜ?といふほど頁を割いて逸話紹介する必要があるかどうか。結局、最後の二行「日本社会には、ポピュリズムの登場に抵抗する力が決定的に不足しており、(飽きらせる)「時間」という解毒剤に頼らざるを得ないのが現状である」と、この二行が全て。寧ろ大嶽教授らしい「分析」は「あとがき」が秀逸。要約すれば
今日の日本政治にとって最大の不幸は「改革派」が常にマクロ経済には誤った政策を掲げ政権をとった途端にその過ちの実行で景気回復に冷や水浴びせ続けバブル崩壊後の景気低迷が続き、むしろ所謂「抵抗勢力」がマクロ経済的には的確な政策を提唱し抵抗どころか改革政権の失策の被害が致命的になるのを阻止してきた、と。こうして政治的課題の解決の期待を担い登場した改革派政権はいずれもマクロ経済運営で失敗し僅か一年程度で失速し敗退していく。⇒細川、羽田など。そして抵抗勢力により経済政策が経済危機の回避には成功するのだがその勢力特有の政治スキャンダルや目に余る財政の無駄が世論の顰蹙をかい⇒橋本、小渕、また改革派への期待が高まる⇒真紀子、小泉……とこれがこの十年の日本政治の「期待と幻想の幻滅のサイクル」を生んだ構造的要因。
……と、あとがきの内容こそ本来、政治学者の政治分析として本文になるべき内容。このへんが大嶽先生の面白さといへば面白さか。競馬全く当たらず。晩に銅鑼灣怡東酒店エクセルシオールホテルのイタリア料理Camminoにて明日の香港マラソン参加に台北からのY氏、フルに出場のため禁酒のI君、ハーフに出るのに昨晩も深酒のO君、すっかりアスリート辞めたH君とZ嬢で晩餐。歓談。余も新弟子検査の如く今季は明日の香港マラソンまでに着実に斤量増える節制不良。今さら反省してもどうしようもなし。明朝の寒さも厳しそうでI君の提案でスタートまでの寒させめてもの陵ぎにとセブンイレブンで使い捨てポンチョ購い帰宅。
▼禽鳥インフルエンザ。新聞にはインドネシアの農村にて流感に感染せし鶏鳥生きたまま穿穴に放り火放ち焼き殺せば羽焼けるに驚き白煙あげ逃げ惑ふ一羽の鶏と笑って眺める村民の写真あり。惨し。
▼朝日のオピニオン欄に米国の政治学者により「犯罪報道で外国人への偏見なくせ」といふ文章あり。意見は至極真っ当。外国人を加害者とする時のセンセーショナルさに対して筆者は報道で加害者が日本人の場合に「今回の日本人による犯行は日本の犯罪社会ぶりを如実に示す例である」といった書かれ方はせず、具体的に日本人に比べ外国人の犯罪傾向が高いと結論づけることはできず、偏見と言わざるを得ぬ……と。この犯罪報道の例に歌舞伎町フリーライター殺人事件挙げ「当初、歌舞伎町の闇社会にかかわる外国人の犯罪かと報道されたが、逮捕された被疑者は日本人であった」といふ「事実」を用いている点が気になったところ、すぐ築地H君よりも「微妙」とメールあり。H君によれば容疑者逮捕ののち東京新聞のみこの容疑者の「出自」と微妙な表現ありとのこと。

二月六日(金)已然厳寒。晩にバス路線勘違いして天后。上海弄堂にて昆飩麺食す。老女将生粋の上海人にて買物より戻り同郷の客見つけ上海語での正月話に花咲くを眺めるも愉快。晶晶甜店にて元宵より一日遅れにて湯圓食さむと湯圓芝麻糊。慌てて尖沙咀の文化中心。Z嬢と伯林喜歌劇院(ベルリン・コーミッシェ・オーパー)観劇。演目は御存知 Merry Widow は日本では何故「愉快な未亡人」とせず「メリーウィドウ」か、野暮。「愉快な未亡人」であれば戦前の浅草オペラからのオペレッタの風情あるものを。漢語の題は「風流寡婦」とセンスの良さもさることながら劇中の中文による字幕がこれが秀逸極まりなし。品のある文語調で韻は踏むは曲に合わせ歌える語呂の並びの良さ。感激一入。舞台の喜歌劇見るのも忘れ漢文の訳に見惚れる。中文字幕は当然京劇の台詞に精しき方だろうが黄奇智なる人。中近東の空想上のPontevedro国の巴里にある大使館での物語。宴に集ふ貴婦人たち演じる役者が皆泰西の人ゆへエミレーツ航空のスッチーの如し。架空の物語とはいへアラビアの民を主人公にカネに欲深く(しかも石油成金などおらぬ十九世紀末のこと)酒に溺れ酒池肉林と描くは偏見といへば偏見。オペラの素養も全くなき余はオペレッタ観たは余は初めてのこと。
▼タイに白龍王といふ易断八卦の師あり。潮州系華僑。この人の易は評判にて殊に香港の歌舞音曲電視舞台の芸人にこの八掛信ずる者多し。殊に俳優トニー梁朝偉熱心なる信者にてタイに参拝欠かさず。同じくタイの四面佛信奉する芸人も多し。劉徳華君も道教系の結社の師あり。芸人さすが歌舞音曲に傑れ凡人に非ず芸の精進あらば異人の域に達しようもの宗教に近づくも当然といへば当然か。興味深きこと。

陰暦一月十五日。元宵。古来灯籠愛で湯圓食す日也。雨。気温摂氏7.8度の極寒。この気温は尖沙咀!の天文台での測温にて当然何処も彼処も尖沙咀より気温低し。『週刊香港』に連載の「老舗の風格」ファイル上網。晩にケーブルテレビ『我的香江歳月』(私の香港の日々)なる番組にて香港政庁前広播処処長にて香港政府在東京経済貿易主席代表を最後に引退した張敏儀女史の特集番組あり。72年に香港の公共放送局・香港電台に加わり当時『獅子山下』シリーズにて社会問題鋭く描く社会派ドラマ世に送り(当然、政府非難も色濃いが当時の政庁は一切それに圧力もかけず、と張女史回顧)39歳の若さで政府の広播処処長に抜擢され十三年要職にあったが台湾の両国論を取り上げるなど表現の自由、政府にも手厳しい報道内容などが政府与党親中派より非難され返還より二年後の九十九年に在東京経済貿易主席代表といふ実質的閑職に左遷される。昨年政府より引退しようやく心中をば吐露。政府による番組制作への干渉などについて語るを見る。政治学者・大嶽秀夫君の『日本型ポピュリズム』中公新書読み始め。大嶽先生ここ数年深刻なる鬱病だった、と告白。もう廿年も前だか先生独逸での研究生活終え帰国され仙台の戦災復興記念館だか市民会館の会議室だかで帰朝講演会あり(なんと教養主義的!、当時まだ留学に権威ありか……あ、古賀先生見れば今でも留学には功名あり)その当時ですらかなり鬱的とお見受けしたが。予想以上に平易なる書きぶり。
▼親中派の御用政党にて国家安全条例だの七一デモでの罵詈雑言ですっかり民心にも見放されし民建聯、選挙での大敗の責任とり党首辞任の曾?成君、いっときはすっかり憔悴しきっていたもののさすが節操なき親中ぶりで養生したか〇七年の行政長官普通選挙実施について複び発言。彼は、選挙人について香港にて選挙権有する香港永久居民であっても行政長官の選挙権は中国公民に限定すべき、という彼の提案について市民の間(とくに外国籍市民)より反発あることに対して「(外国籍でも選挙権有するのはわかるが)これは実際の状況からして「忠誠」の問題」とした上で「もし行政長官が中国を代表しないとしたら、それは外国を代表することで、つまり中国と香港にとっての利益損失、香港が外国政府による活動がないとは私は信じない」と米国が香港の政治状況に対して「内政干渉」することを挙げ中国の自治権を支持。それにしても「地方自治体の首長が民意にて選ばれること」の意義を国家問題と混同するこの頭の悪さ。唖然。行政長官はたんに香港を代表するにすぎず。
▼宮崎の一高校生がイラクより自衛隊撤退求める「首相として勇気ある行動を」と訴える請願書、それは豪州、米国からも含む5,358名の署名付き、を内閣府に提出。それに対して首相小泉三世、いつもの「……なんですよ。……とね。……ですよ」の一本調子、「自衛隊は平和的に貢献するんですよ。学校の先生もよく生徒さんに話さないとね。いい勉強になると思いますよ」と宣ふ。三世この請願書は「読んでいない」として「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ警察官が必要か、なぜ軍隊が必要か。イラクの事情を説明して、国際政治、複雑だなぁという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」と。(以上、朝日こちら小泉三世自身は善意の人の範疇かその逆か(嗤)。教育にかかわる発言に文相河村君「自衛隊は武力行使に行くわけではないということを丁寧に教えなければならない」と首相発言を補完(のつもり)。 河村君、高校の公民の学習指導要領で日本の安全保障の問題を理解させるよう明記されていることなどを挙げ「自衛隊が何の目的で行くのかを高校生なりに理解してもらう必要がある。(派遣の)法的な根拠もあり、事実に基づいてきちっと教えてもらいたい」と朝日。この宮崎の高校生もきっと、この首相、文相の発言知れば当然わかることは、公然の目的は勿論、武力行使に行く、戦さに行くわけではなし、但し戦争に近い危険な地帯に派遣されることで武力抗争に巻き込まれる危険性が高いのであり、また、自衛隊ぢたいが武力行使に非ずとも米国の実質的なイラク征伐の一翼荷う活動であるから何処まで公平感ある活動なのか、日本がイラク情勢安定のため平和活動で他にももっとやるべきことあるのでは?……といった観点ゆへの自衛隊退去といふ示唆。それを一方的に自衛隊は平和的に貢献、学校の教育がまずいといふような発言では、とてもこの高校生説得することも能わず。高校生に一笑に付されよう。一国の首相たる者、本心にその国の社会憂へば、寧ろ当世にあってこのように明確なる意識もって首相に直言する若者の気合いを、自らの拙論とは意は異なるとはいへ、その気合いを褒めるべき。よく学びよく考え立派な大人になれ、と贐けの言葉でも贈るべき。この首相発言に対して日教組が「政府の考えを押しつけるな」と首相発言に抗議。「国会の場でも意見が分かれている問題について」「(請願を)読むこともせずに学校で自衛隊派遣の意義を教えるべきだとする発言は、若者の純粋な思いからの行動に対して非常に失礼な対応」と声明を発表朝日。正論ではあるが、これが今度は「だから学校の「組合の」先生は政府に反対する「反戦教育」なんてしてるのよ」などと、かつて平和意味せし「反戦」なる言葉が今ではネガティブに聞こえなくもなし、民度低き理解容易にされるのが日本の現状。
▼朝日に経済学者岩井克人君の文章あり。碩学の大衆相手に易しく噛み砕いた分かり易き文章の筈が岩井君のですます調は『ベニスの商人の資本主義』に見られる如く意外と難解。憲法学者樋口陽一君の新書物にも通じるところあり。この岩井君の文章、英国の法体系に於いてコモン・ロー(普通法)とエクイティ(衡平法)といふ異なった法概念が共存すること、その英国の法体系についてなぜこの二つが共存するのかについて岩井教授「最近その疑問が解けつつある」とディケンズの『荒涼館』だのアダム・スミスの『国富論』など引用しつつ論は進むのだが、余の如き門外漢でもさすがに普通法は解るが岩井君の挙げたそのエクイティについてがさっぱり解らず、解らぬまま延々と話が続きもう記事の八割分に至ろうとする一四〇〇字ほど費やしたところで漸く「それでは、もう一方のエクイティとは何なのでしょうか?」といふ話題になり遅まきながら安堵するのだが椅子から落ちそうになるのは「それは、EQUITYをカタカナにしたものです」と(笑)。そんな。続いて漸く「法律の教科書ではよく衡平(法)という訳語が用いられますが、本来は正義や公正といった意味を持つ言葉」であり「どうして道徳心や倫理観を喚起させる名前をもつ法体系が登場する必要があったのでしょうか」と話が進む。余の如き凡人にはEQUITYのカタカナ書きといふ説明を含め?このEquityの概念をばもっと早く説明していただかぬと理解に能わず。やはり碩学の平易なる文章ほど難解なものなし、と痛感するばかり。

二月初四日(水)小雨。暦の上では立春ながら気温摂氏十度の極寒。朔日に綴りし台湾大新書局の新詳解日華辭典。大新書局の出版物多く扱ふ三聯書店(中環はビクトリア皇后街の本店は最近品薄にて老朽化も著しく中環 D'aguilar街の新店充実)にもなければ尖沙咀の一見古本屋(笑)智源書局にもなく半ば諦めたものの大新書局のH氏に請へば一冊お譲りしませふとのこと。入手。
しらかわよふね【白河(川)夜船】(名)熟睡、酣睡、睡得很沈(發生什麼事也不知道)。☆白河夜船のうちに汽車は台中を過ぎた/在酣睡中火車開過了臺中。
はまさに時代感じさせる台湾に夜汽車の時代。この他
まがなすきがな【間がな隙がな】(副)…有時間、…有機會、經常。☆間がな隙がなスケートに行きたがる/…有時間就想去滑氷。
など「スケートに行きたがる」といふのも昔の話ながら、この「間がな隙がな」にせよ「禍禍しい」「待ち女郎」「だんだら」「短兵急に」「お膝送り」などキョービの日本語では死語に近き言葉も少なからず。「ご無理御尤も」も「ご無理御尤もと人の話を聞く」の「唯唯諾諾、聽人家的話」など見事な訳。「小間物」の意味に「嘔吐」あるも笑ふ。即席で予想済ませ少額で馬券購入。早晩にジム。帰宅して競馬中継見る。岡本太郎論『黒い太陽と赤いカニ』読了。以下覚え書き五十年代から六十年代の岡本太郎の立場。厳しく前衛を唱道しようとも本質的には啓蒙的なもの。従来の知識人の役割を出ず。勿論そこには矛盾あり。啓蒙的立場を打破すべき前衛主義者が前衛を啓蒙すること。大坂万博への参画。誰よりも深く万博に関ることによって逆説的に主催者の唱える人類の進歩と調和にも反対派がよりどころにする反近代としての前衛にもこれらすべてを呑み込んでしまう消費の儀式を前にしてはもはや希望がないこと。従ってその双方を引き裂かれたまま対立させることにもすでに意思とドラマの生成変化がありえないことを絶望とともに痛感。対極主義。生産と消費との対極に進んで己をさらし引き裂かれること。巴里でのバタイユとの交際。バタイユ経由でのヘーゲルの弁証法⇒侵犯の弁証法。芸術は爆発だ。岡本太郎曰く、爆発というと、みんなドカーンと音がして、物が飛び散ったり、壊れたり、また血が流れたりする、暴力的なテロを考える。僕の爆発はそういうんじゃないんだ。音もなく、宇宙に向って精神が、いのちがぱあっとひらく。無条件に、それが爆発だ。それを椹木野依は、歴史に依存して生きることをやめることの不吉さを勇気を持って受け入れたとき、進歩や発展といった近代の幻想から解き放たれたわれわれの生命が、一気に解放され変容する、その醒めた歓喜の瞬間を捉えた言葉、と言う。縄文と日本列島。立石紘一。赤塚不二夫。太陽の塔。丹下健三が仕切り磯崎新が裏工作した空間での岡本太郎による調和の破壊。太陽の塔の内部の芸術性。磯崎新曰く、日本の昔の、本当は見たくないものがふたを開けたら現れた……それが太陽の塔。旧東京都庁の岡本太郎による銅板壁画。新都庁(丹下健三)移転のために壁画取り壊し。月刊『東京人』三月号読む。東京からなくなったもの特集。神保町のロシア料理バラライカや日比谷のジャーマンベーカリーなど昔からのものばかりか八十年代象徴する六本木のWAVEであるとか秋葉原のT-Zoneまですでに存在せぬことを知る。六本木のWAVEといへば『桃尻娘』にて磯村、木川田両君。当時はここが東京の尖がった空間。場所の不便さゆへけして混雑せぬ、限られた客相手。今の六本木ヒルズとは其処が大違い。T-Zoneとて秋葉原の家電ノリの中で斬新なるコンセプトであったものの所詮、電脳とて家電といふのが現実か。
▼昨日の蘋果日報に泰家○といふ人の論評あり。最近、〇七年の香港立法会普通選挙実施に中央政府「待った」かけることにつき九四年二月廿八日『人民日報』に中国政府外交部による〇七年後の普通選挙認める発言あり、と指摘。これは中英交渉のなかで英国側が香港特区がこの〇七年の普通選挙実施に意欲見せた場合、中国政府の指示は何如」と質したのに対し「これは特区政府自身が決める問題であり中央政府がそれを批准云々の話ではない」と断言。当時そう言ったからと今言っても「当時そう言っただけ」で済まされそうで説得力もないが少なくとも理解できることは当時の中央の感覚にすれば親中派による選挙人制度で九七年に行政長官が選ばれ親中派が政府与党として機能し安定することは必至にて民選枠拡大されようと反政府派の議席数は一定数より伸びず〇七年に普通選挙実施したところで親中派の安定多数が期待できる、といふのが当時の期待感。それゆえ余裕で〇七年の普通選挙も公言。それが現実は董建華の無策無能ぶりと親中派御用政党・民建聯の失態、民信流失により、とても董建華と親中派与党で安定望めず、それゆへに〇七年民選に否定的なのが現在の党中央。非常に分かり易き現実。

二月初三日(火)寒さぶり返し気温摂氏十三度まで下がるとか。昼前に寒冷警報発令され明朝は摂氏十度と極寒とか。香港は幸い未だ直接の感染なし。野鳥に詳しきH氏に「米埔の野鳥保護区が暫定閉鎖」と聞き世界でも有数の水質汚染なる珠江河口に位置する世界でも屈指の渡り鳥の宝庫もついに環境破壊に閉鎖か、と思えばさにあらずアジア席捲す鳥禽の流感により参観者への感染防御のための閉鎖とか。渡り鳥も今では人類にとってテロリスト扱い。九官鳥ならぬ「流感鳥」なる新種とか。日経galleryの編集者H嬢が「鳥かぜ」と呼び、神楽坂とかにありそうな「鳥料理 加勢」で通称が鳥かぜ。ここ数日腰痛あり養和病院に赴き呉医師の診断請ふ。院内は昨年のSARSの疫禍以来初めてマスク。物理治療 Physiotherapy 勧められ整体(Chiropractic)と何が異なるのかと思えば精緻な問診の上での通電治療施される。Happy Valleyの北村珈琲にて珈琲豆購ふ。午後の雨もあがり日暮れに帰宅途中車を降りてBraemar HillよりQuarry Bay Jogging Trail歩く。重く雲立ちこめる寒き早晩に山徑など独り歩みてPink Floyd聴く。其処はまるでPink Floydの映像の世界。徐々に足下もおぼつかぬほど暗き山徑のその途中には先の戦争にて日本軍の侵攻受け香島に籠る英軍の野営地もあり石爐並ぶなかを歩くは背筋寒きものもあり。幼き頃に夕方遊びやめず日暮れとなり家路を急ぐ頃、裏山などにあって感じたるは静寂のなかの怖さ、寂しさ。木枯らしの風に乗って物の怪が遊ぶか昼とは表情一変。住宅地とて薄暗く家に着き灯りへの安堵、夕餉の支度に忙しい祖母の後ろ姿見た時の安堵。キョービの生活にては忙しきうちに日など暮れて、その幼き頃の、まさに字の如く Evening time の風すら踊る不安定感を感じることもなし。かなり久々にその感覚を皮膚にて実感した思ひ。帰宅してチゲ鍋。椹木野依の岡本太郎論『黒い太陽と赤いカニ』中央公論新社読む。椹木氏の一言を挙げれば……おそらく、岡本太郎に「希望」を見出すことができるほど、わたしたちはまだ、十分には「絶望」していない。かに。まだ絶対的最悪にまでは落ちておらず。だが岡本太郎に希望見出す日も遠からず、か。多摩霊園にある岡本太郎の墓。この顔を微笑ましく見えようはずもなし。この顔には表情といふものがない。空虚。ゾクゾクッと寒さすら感じるこの墓に佇むマスク一つ。
▼戦前は上海にあり戦後香港に遷った永安百貨店は英国系Lane Crowfordと並び香港代表する百貨店ながら不況のうえに百貨店の凋落もあり店舗徐々に減らし、損益HK$118m記録した01年には尖沙咀東と美孚を閉店し今年に入り九龍湾の徳福花園の店閉じたばかりだが新たにホンハムと九龍湾の店も閉じる決定。これで残るは上環の本店、油麻地、太古城とDiscovery Bayの小規模店の4軒のみ。経常損益は02年がHK$52m、昨年上期もHK$21mともはや死に体。死に体といへば香港政府も財政赤字はHK$540億と市民一人あたりHK$1億をば無能無策なる政府のために負債あり。
▼米国紐育州立大学水牛城分校医学院とは何かと思えばバッファロー大学、其処の調査研究によると大麻喫煙する男性の精子は受精卵に行き着かず死滅し易く結果的に生育率低きことになり、大麻吸飲男子は正常よりまた精液量も少ない、と。これは大麻に含まれるTHCなる物質が精子の正常なる活動規則を壊すためだそうな。大麻吸飲が健康に及ぼす影響は稀といふキョービの常識に対して「やはり大麻は悪しき」といふ好材料。いずれにせよ大麻は「まぁ競争なんてよそーよぉ」という感覚なわけで精子も受精といふ生産活動に積極的にならぬのも道理あり。大麻は興奮剤にあらず。この非生産性が時の国家権力にとっては、煙草といふ一服させれば暫くは集中力劇しき麻薬に比べ、やはり国民に喫ませたくなき所以か。

二月初二日(月)暦といふのは確かなもので初春に陽気目出度くまた明日から涼しくなると予報こそ言へ今朝は気温摂氏十八度に至り昼には廿度とか正月に市街はひっそりと静まつていたものが今朝は漸く学校始業し早朝よりの学生どもの通学賑わい市街漸く日常の麻煩ぶりに戻る。晩にふと野坂昭如の『火垂る墓』読むが野坂昭如は余にとって作家であるいぜんに声色の芸人に声帯模写されるワケのわからぬこと宣ひながらの歌い手であり作家だといふが作品読んだこともなく読む文章といへば男性週刊誌への連載随筆ばかりだがかの川端康成がかつて野坂を評したといふような話も聞きいつたいどういう作家なのかと思ふまま野坂氏その酒量嵩み単なるアル中へと進化するうち映画で小沢昭一主演する『エロ事師たち』看て漸くその原作つまり野坂氏の処女作読みその昭和饒舌体と呼ばれる文体に確かに江戸の戯作者からの流れを感じ入り立派な作家で「あった」と遅れ遅れて知り野坂昭如サイトより氏の「旅の果て日記」読みこれは田中康夫ペログリ日記と並び荷風先生の日剰に値する平成の日記であると確信し丁寧に時々メールで送られる氏の「覚へ帖」読んではいたがそれも届かぬようになりどうしたかと思えば氏は「リハビリ中」と初め冗談かと思えば真の事で戦後焼跡派などと称される氏の代表作は紀伊国屋から届けば表紙絵のアニメ絵に驚きこの作品が宮崎駿のもとでアニメ映画となつたこと思い出すがあまりに「宮崎的に」可愛い少女の絵面に物語は空襲に焼き出された兄妹の栄養失調に身体も汚れ蟻が顔上を這い蛆すらわこうというのにこの絵の可愛らしさかと途惑いつつZ嬢曰く「映画の本編には確かそういう蛆もわく筋あり」との話に表紙は外し読み進めば戯作の如きその文体にも否だからこそ戦時下にあつてはまだ裕福であつた家庭が空襲で焼き出されたわずか一年に満たぬ月日に兄妹が飢えて死ぬといふその様の惨たらしさに言葉もなく妹の愛しさは野坂氏の実の妹が飢えて死んだは事実にて哀悼もあろうが兄の描きぶりには野坂氏のそこに当時十五の少年の理想型あり限りなく美しくもあり其れが三宮の驛にて衰弱して死を迎えるその情景の氏の筆致の極まりあり「後書き」で尾崎秀実氏が紹介する海音寺潮五郎氏の評はそれに明治の大時代的なる小説のきらいありと見つつ現実にその終戦の混乱におかれた作者(野坂)だからこその感極まりありと理解するは確かなことで地獄絵図の如きなかゆへ妹と少年がより美しく写る物語に感涙も禁じ得ず。宮崎アニメ作品での宣伝コピー「4歳と14歳で生きようと思った。」なる駄文にいちいちクレジットされるコピーライター即ち糸井重里……。
▼かねてよりMBAなるもの企業経営において有用なる高尚な学問として持て囃されるが米国流のこのケーススタディいったいどの程度有用なのか余はかなり疑問あり。学費もかなり高く2年間の修士課程にて香港でもHK$25万(約四百万円)だがこの課程修了せば高給な専門職約束されると取得する者多し。学ぶも雇うも勝手だがまさに徹沙森巣鈴木女史指摘するヒトの商品化。最も疑問に思うはまだ社会経験もビジネス経験も浅き青二才が大学卒業後の数年の就労経験にてこの修士学位とった瞬間にMBA修了せし専門家の如く扱われること。で、ふと香港大学のこのMBAの学生募集の広告みて呆れて口も塞がらず。“MBA programme tracks global business trends”といふ見出しで香港大でも異彩の、このMBA課程の責任者たるのMaurice Tse教授の写真と並び、下のほうにある写真である。キャプションには“Tomorrow's corporate leaders demonstrate their problem-solving skills”(問題解決の技術をば表演する明日の企業リーダーたち)と勇ましく、それぢゃ何かと写真みれば、大学側が宣伝したかったことはといへば「彼らMBA戦士らは机上の学問の他、質実剛健文武両道で肉体の鍛錬も惰らず」なのだろうが、写真見れば、単に浅きプールに棒きれ渡しそれを1.5mほどの対岸まで渡るだけの訓練(笑)。しかも傍らにかかる橋の欄干につかまってでは何らリスクもなし。肢体不自由の老人のリハビリの如し。まさかこの訓練が全てではあるまひが「実践的」が売り物のMBAにて実際にどの程度のことをば実践的と評しているかの一つの評価材料として、この「子供でも飽きる」程度の「訓練」なのではあるまひか。而もこの橋渡る青年の不格好甚だしきこと。対岸の学生の心配そうな表情。少なくともこのような連中がMBA修了などと大手振る企業には所属したくないと切実に思うばかり。

二月朔日(日)曇。禽類の流感騒ぎにて中環の金庸記の焼鵝今日明日にて断貨=供給途切れての品切れ、と蘋果日報一面トップ。数年前の禽類流感にても数ヶ月に渡り金庸記の焼鵝供されず。今日は「最後の」焼鵝に客の殺到見込まれるが予約ですでに菜単(メニュー)に焼鵝配されし客に優先権あり。ちなみに日本からの百名余のグルメツアーも近々来港の予約あり金庸記は焼鵝の欠貨をば旅行代理店に通告、ツアーの取消しの可能性もあり、とか。昨日に引き続き研究会に参加。昨日の午後の珈琲に続き本日も一飲して同じ店とわかる美味さ、研究会主催のT氏に尋ねればわざわざHappy Valleyの珈琲香房といふ北村さんなる方の自家焙煎の珈琲とのこと。秀逸。Shop-A2, G/F, 5 Wong Nai Chung Rd, Happy Valley, Open: 3-10pm 昼過ぎにZ嬢と待ち合せ尖沙咀。ペニンスラホテルのヴェランダに参らば日曜昼はアラカルトなし、貧しき食習慣ビュッフェのみ。アラカルトしか供さぬ料理屋にてビュッフェ所望するのではなくビュッフェ食さぬ、食せぬ客相手にアラカルト供すことが何故出来ぬのか理解できぬが、当然、客単価上げることとビュッフェに客纏めることで効率上げるわけか、給仕長らしき男に「申し訳ございません」ならまだしも憮然と「昼はビュッフェだけ。階下、ロビーに行けば宜敷い」と宣われる。New World CentreのKowloon Clubに参れば此処もビュッフェながらアラカルトといふと「どうぞ、どうぞ」と招かれる。これが当然のサービスといふもの。ペニンスラにはそれが理解できず。遅めの昼餉済まし香港文化中心の広場。来週末開催の香港マラソンのゼッケン等受取り。数万人の参加のわりには整然とゼッケン配布など進むが余(ハーフに参加)のゼッケン見当たらず諮問処に行けと言われれば其処は長蛇の列。暫し並び用件伝えれば結局、余の如く時間計測用のChampion Chip所持者に対し参加費よりChip利用分のHK$100差引きあり、その返金ためとの由。それならそれと事前に説明できず多少の混乱。但しこの諮問処にてゼッケン受取りHK$100返金受け参加記念品のTシャツなど受領するがゼッケンに受領の確認印押されず余は改めて記念品受領の列に並びTシャツもう一枚受領す。Fなるフィットネスクラブ今回の香港マラソンのスポンサーに名を連ねエアロビクスなどの模範実演あり。余とZ嬢の通ふジムに曾てZ嬢好むWayneなる豪州出身のエアロビのお師匠さんあり。数年前に姿消し、丁度シドニー五輪開催の頃で「きっと豪州に戻り豪州のチアリーダーになったのでは?」などと軽口叩いていたが先日Z嬢がこのFなるジムの近くでこのWayneに似た中年の男見かけ「ひょっとして」と思ったら今日のこの模範演技にWayneの姿あり。華麗に指先まで天性の踊り子として舞ふ姿にZ嬢拝まむばかり。本日の競馬、精英大師 Silent Witness (Cruz厩、Coetzee騎乗)本日のThe Bauhinia Sprintにて一着。昨年十二月の香港スプリント(G1)に続き緒戦からの九連勝負け知らず。トライアルでハロン22.2秒の時計と絶好調にて望み単勝HK$10.50の低配当は往年の原居民以来か。二着にFirebolt、三着にCape of Good Hope(喜望峰)と香港競馬話題に好材料なき中で短距離だけは世界最高レベルにあり。余の馬券はSize厩のCentury Star含め(最後尾七着!)Silent WitnessとCape of Good Hopeとの三連単で×。銅鑼灣。買物。ひまわり書店にて香港大学の陳湛頤先生編む『香港日本関係年表』香港教育図書公司あり購入。天保十三(1842)年十月、漂流しフィリピンに流れつきし漁船「観音丸」の船員の来港より始まり1999年12月の「宮沢理恵、ジャッキーチェンの招きで来港しレストラン開業のテープカット」!まで450余頁に及ぶ香港日本交流の細目に渡る記録。船舶の運航から1959年10月の服部良一来港まで満載。いくつかの書店にて台湾・大新書局(台湾代表する日本語関係の出版社)の『新詳解日華辭典』探すが見つからず。「白河夜船」など今では日本人も知らぬ、使わぬ言葉に「白河夜舟にて列車が台中を過ぎたのも知らず」などと例文ある、台湾らしき古きよき日本語満載の辞書。最近の他の大新書局の辞書にも未だ「白河夜船」掲載されるが例文は「名古屋を過ぎたのも」とあり残念。帰宅して腹も空かず浪花屋の柿の種でエビスビール二本。『世界』二月号に大江健三郎と中国の作家(米国に亡命中)鄭義の対談あり(進行役は藤井省三)。鄭義は『古井戸』などにて中国の体制批判。まずこの対談で編集部に足りぬは対談が「どこでいつ」行われたかを特集の冒頭に置くこと。大江の「今、この国には言論の自由があると思います」なる発言を例すれば、それが「どの国」なのかかなり先まで読まぬと判らず。いずれにせよ大江が例の如く告白しているのだが鄭義が小説の中で惨状描く六十年の人災=政治的大飢饉(餓死者二千万人といわれる)の頃に日米安保反対の文学代表団として訪中し毛沢東・周恩来に謁見していること。当時、中国での民衆の惨状全く知らぬまま日米安保反対といふ立場だけで知識人らが北京に在ったことが現在に至る日本の問題象徴するが、自由について、大江は日本が言論の自由はあるが若者が言論の自由の行使に興味なくし「考える言葉」の交通が日本の社会で次第に衰弱していることを憂ふ。中国はネット上に「中国にも自由な投票による民主的社会が必要だ」と述べた大学生が国家転覆罪にて逮捕される厳しい現実。言論の自由の有無は極端であるが、追い込まれているといふ点では日本と中国は同じ、か。日経香港衛星版の日経Galleryの原稿書く。
▼落語家の桂文治師匠逝去の報。文治といはれ久しく落語聞かぬ余は誰かわからず。弔報にて「伸治」と前名あり「あヽ、桂伸治か」と合点。79年に十代目文治襲名とありその頃にはすっかり落語聞かぬようになっていたこと。
▼前国家主席江沢民君も令夫人も「なかなか」であつたが現主席Coquinteau君も国家主席といふよりどう見ても湖北省は武漢の中学校校長、令夫人にあっては旧正月に香港どころか「せめて」珠海よりマカオ一日周遊に参加のオバサン(左図)黒いシャツの上に桃色プリントの内衣着てベージュの外套に裾の長い洋袴に服装と全く合わぬ運動靴……国家のファーストレディとしてはやはり専属のスタイリストつけて髪型から徹底的に洗練するべきか、否、この自然体こそ人民中国の領袖ゆへけして背伸びせず人民の真の姿の体現か。いずれにせよ……。
▼共産主義がファッションセンスにおいて「ヘン」なのは思想的に赦されるがこちら(右図)は香港の或る高級マンションの広告にあった「上流階級」意図した絵柄(笑)。香港にあって不動産扱う開発会社の広告はやはり所詮デベロッパー、その野暮さに定評あり。国際都市・香港といふより上海どころか北朝鮮風。父親のBurberryづくしも「スタイリストがBurberryのプレスから借りてきたアイテムだから皺ひとつつけないで下さい」なのか殊にカーディガンの裾と洋袴の太さがキモひ。妻こそまぁチャールズ皇太子と結婚前のダイアナ嬢、皇太子殿下とご結婚される前の雅子様路線の良家の令嬢風であるがスカーフからシャツ、スカートから靴まですべて青にしてしまふのは×。娘も顔がやたら老成、バレエでありながらバレエシューズの紐を運動靴の如く結ぶ基本的間違いあり一見してこの娘のバレエ「インチキ」であること明白。兄のセロもせめて脚を出して高さ合わせる程度のコーディネート希望。「Burberry」夫に「青の世界」妻が息子のセロに合わせバレエ踊る娘をば愛でる、の図。不気味。

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