教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
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2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。

   
二月廿八日(月)朝多少足首が痛むだけで不思議と足腰に昨日のフルマラソンの後遺症なし。気温十一度で雨風ひどく体感気温はかなり低かつたが熱もでず疲労感もなし。午後に大丸百貨店の旧香港支店にて七十年代末から食品館立ち上げられたI氏に当時の話を伺ふ。尖沙咀の防海道街市の徳發にて牛南麺。早晩にCitysuperで食品部門総括される旧知のK氏に話を伺ふ。早晩に尖沙咀のパブに立ち寄れば閑な店のカウンターに旧知のN氏あり麦酒一杯分だけ歓談。帰宅。パスタ。山西省Grace Vinyardの赤葡萄酒。

二月廿七日(日)2005年スタンダードチャータド香港マラソン。97年から開催のこれに98年より参加。98年は10kmで翌99年より6回ハーフに参加し何を勘違いしたか今年はフルマラソンに応募してしまふ椿事。応募したならしたで日々トレーニングに精進すればよきところ日剰読み返せば明らかな通りの日々の運動不足と不摂生。過食のうえに大の酒好きでは救われようもなし。せめてマラソンの二週間前くらい節制すべきところ今年はとくに走り込み不足。参加断念も考えたが結局の参加。憂鬱な曇天。参加者今年はついに3万人を越え10kmの出走は午前六時で七時がハーフ、フルマラソンは八時と遅め。余の属するランニングクラブからも十数名がフルに参加。どん尻を走るのは明白。まぁこんなものかと走り始め(ルートはこちら)昨年迄のハーフで走り慣れた葵青桶のハーフ折り返しから先は未知の世界。途中リタイアするにしても青馬大橋の上だけは惨めだからと思っていたら不運にも青馬大橋の上で雨ぽつりぽるりと降り始め黒雲あらわれ本降りとなる。季節風も強く横殴りの雨風にリタイアしようかと思つたがスタートで寒さ陵ぎに来ていた使い捨てポンチョを捨てずに携帯したのが幸いしどうにか防寒出来て体調ぢたいはけして悪しからず。ちょうど半分終わって2時間15分はけして悪い時計に非ず。青衣の隧道まで最悪だった天候も九龍に入ると小康となりこれなら走れるかと思い兎に角、キロ7分より落ちなければ制限時間5時間のマラソンで2時間40分台でいける算段。黙々と走る。天候悪いなかZ嬢に用意してもらって携帯の握り飯一個とチョコバー小2個でかなり体力回復。様々な人の応援ありがたいと思いつつゴールまであと10kmとなりどうにかイケると確信せば思い起こすは中学2年14歳の秋、郷里の市の中学2年集めた持久走大会あり今にして思えば僅か3kmのコースでビリから三番目だったか。柔道剣道空手3段の父は余が幼き頃から本当に自分の子かと歎く程の余の運動苦手。それが時計は遅くもフルマラソン走るとは我自らが驚くばかりなり。ところでどうにか完走できると思つた瞬間、気になったのは『走れメロス』のメロスはなぜ「この程度の」(と突然気分は尊大)長距離走で命落としたのか、といふこと。もしかするとメロスは我よりも虚弱体質?まさか。ずっと考え続け、さう、メロスは国家の大事に重大な任務帯び走ったわけで、その重圧に比べれば余はただのジョギング気分。最後、西隧より香港島に渡りハーフでも最後厳しい4kmの高架道と地下潜る上落にうんざりと流石に此処で時計も悪くなりランニングクラブのすでにゴールした友人らの祝福のなか結局4時間45分でゴールする。意外と元気。ちょっと「こんなものか」といふ気分。だがもう一度マラソンに出るかと言われれば金輪際御免だが体重落としてこんな悪天候でなければもつと楽か、といふ気もしないでもなし。友人のT君にフル一回完走するとハーフが楽になるし時計も伸びるで、と言われちょっと食指も動く。帰宅途中に近住のO君とZ嬢と太古坊のEast Endにて麦酒一飲。帰宅して今日の炊き出しの残りの握り飯2つ頬張りとろろ昆布の汁物で暖をとる。風呂に熱いお湯はって入浴。競馬はSilent Witnessが敵なしの初戦からの15連勝は当然として(単勝倍率1.05倍とか)二着、三着馬が焦点。余は豪州での殊勲から戻った「喜望峰」にご祝儀でそれと調教の時計の良さからTriumphant Unicorn選んでいたがこれが出走取消。でCountry Music選べばSilent Witnessに続く二着がこのCountry Musicで喜望峰は五着の残念。早晩にドライマティーニとジャックダニエル。晩に映画の予定がさすがに身体怠く断念。ランニングクラブの今日のマラソンの打ち上げもあるが韓国料理でマッコリ一杯飲んだら寝てしまいそうでそれも参加せず。実際に煮うどん食し少しの麦酒と日本酒で睡魔に襲われ「義経」も観ておれず。

二月廿六日(土)Z嬢が灣仔芸術中心にて或る催しあり手伝い請われ朝から遣いつ走り。今日が今年の香港国際映画祭のパンフ配布とネットでのチケット先行発売開始日で恰度芸術中心にはパンフ並べてあり。今年の香港映画祭は一昨日の記者発表によれば政府支援が40萬ドル削られ昨年のスポンサー・キャセイパシフィック航空退き今年は最後の最後でソニーがスポンサーになったが結果的に上映作品は昨年より20本減の240本だといふ。だが主催者側は160〜200本が収支上のことだろうが理想的と述べる。パンフレットは大きさが30cm弱の正方形の80頁で非常に携帯に不便(画像……昨年のに比べ倍の大きさ)上映作品が減ったのにパンフの大型化は収入確保のため広告出稿の増加。パンフ一瞥せば例年に比べ上映作品に見栄えなし。台湾映画が皆無。唖然。それでも三月下旬から四月にかけてのこの映画祭でイースターの連休など映画見続けるのは恒例で早速通し券購入せむと(出先までノートブック持参してあり)芸術中心抜け出し向かいの香港會議展覧中心の建物に入れば無料でネット接続可。あゝなんといふ香港のこの便利さ。昨年までのネットでの先行発売でのネット渋滞ありそれを覚悟したがすんなりと繋がりHK$1200で通し券“Super Value Pass”購入。午後まで催しの手伝いしつつ映画祭の中身吟味するがやはり魅力なし。どうしても観たいといふほどのゾクゾクする作品なし。映画選定の担当者に大きな変化か、予算の問題か。ところで今年の特集回顧上映に選ばれたのは木下恵介。小津、清水宏に続きまた日本映画。個人的には木下恵介の映画あまり興味なし。催し物終わりI夫妻とZ嬢と四人でFCC。主餐庁にて遅めの昼食。帰宅。夕方映画祭のパンフで映画祭16日間の観賞日程決めてしまふ。五〇本近くいける筈。毎年のことながらこの映画祭で一年分の映画見貯め。よくもそれほど映画を観ると呆れられるが映画のほんの合間に街を歩いたり本を読んだり、ちょっと気にかかっていた小料理屋に食したりとひとりの時間楽しみもあり。ネットで通し券では見れぬ開幕&閉幕記念上映や特別企画上映も早々にチケット予約完了。ちなみに開幕記念は中国の顧長衛監督の『孔雀』と山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』。山田洋次作品は初期の『男はつらいよ』まではいいがそれ以降は個人的にはとても苦手。山田監督は一昨年の映画祭に開幕上映で『たそがれ清兵衛』選ばれたがSARSで来港せず。万雷の拍手に監督おらぬ失礼。自宅からジムまで走りジムで半時間走る。トレッドミルで走った記録で計算すると「かりに」フルマラソン完走できても五時間越える……まずい予感。帰宅しておでん。菊正宗。ブランデー飲み早寝。

二月廿五日(金)湿度98%の春空。上海に住めるか、住みたいかとふと考える。最終的に答えは否。仕事や景気では今の上海が香港に勝ること明らか。確かに都市としての「発展」著しく従来の都市の底力もあり。だが都市といふ部分除けば海も山もなく晩に集合住宅の室内プールとサウナ、週末はゴルフか。それ思えば香港は海あり山あり都会あり。毎日何かと楽しみもあり。シンガポールは山もなければ自由な言論もなし。それなら香港。晩に帰宅してからジムまで走りジムで半時間走る。帰宅してチゲ鍋。NHK「義経」ビデオで観る。平幹二朗。年老いて演技からすっかり脂肪おちる。目線だけでも演技見事。中井貴一の頼朝役、ここまで解釈していいのかとすら思ふ程だがあの役柄誰かに似ている……と前回から思っていたがふと気づけば浩宮様。
▼『世界』の二月号にリービ英雄の「9・11ノート」といふ文章あり。愛煙家のリービ氏が偶然にあの日に向けて米国に旅立った話。煙草にまつわる記述なければ面白くも可笑しくもなき話で煙草をモチーフに上手に用いる。でリービ氏の何が興味深いかといへば彼の日本語。もちろん優れた日本語の書き手ではあるがやはり奇妙な表現あるのは事実。例えば「画面には、もう一つの飛行機がスピードを上げていくつかの高層ビルの屋根すれすれの低空を飛び、今度の映像で、朝の光に白く輝いているのだと分るビルに当たった」といふ表現。一瞬読み過ぎてから「あれ?」と戻って良く読むとやはりどこか違和感あり。主語はどれか?と探せば「もう一つの飛行機」でそれが「ビルに当たった」と主述関係はきちんとしている筈だがどこかへん。まず「画面には」だからだらう。「画面には」なら「〜が映った」のほうが自然。今度の映像も「今度」は未来に向いているので「次の」のほうがいい。「画面には飛行機がもう一機スピードを上げて(略)低空を飛ぶのが映り、次の映像ではそれが(略)ビルに当たった。」とか。もう一つ「路地の白い灰をカメラがパンして、男のアナウンサーがまるでnuclear winterの景色です、と唱えた。」もどこか違ふ。だがこれを「カメラがパンして路地の白い灰を映し出し、男のアナウンサーはそれを「まるでnuclear winterの景色です」とたとえた。」としてしまふと何処かつまらない。「昼すぎにホテルから出かけて、レストランで食べた」も「レストランに出かける」といふ表現ならあるし「昼すぎにホテルを出てレストランで昼食をとった。」なら自然。だがリービ氏が日本語で書いていることがそれより重要なこと。それより関心は岩波の編集部は「敢えて」リービ氏の日本語をそのまま掲載したのか、それともまさか何も気にもせず、だったのかといふこと。

二月廿四日(木)本降りの朝。集合住宅の玄関に出ずれば床は盥の水を撒いた如き湿気。階段降りるのに「地滑小心」気を遣ふ春の到来。昏時にタクシーに乗れば偶然にも三度目か乗車の運転手。先方は余を「フィリピン人かと思った日本人」と覚えており余は民主党員として香港の政治を憂ひ陽気で話好きはいいがいつも話題は「なぜ人は自殺するのか?」をば語る運転手ゆへ忘れもせず。これだけタクシー多き香港で三度目の偶然も珍しいが運転手には運転手の漁場のポイントと時間あり余も同じ頃に同じ場所から搭ること多ければ遭遇は必然的か。携帯電話の会話とウォークマンのシャカシャカといふ音にうんざりとするほど混雑で不快な地下鉄で余の目の前の女性が手持ちの紙袋破けて細々とした中身が地下鉄の床に散乱。香港とは面白いもの。地下鉄のなかの無神経そうな乗客が一転して、その女性が惘然とするなか目の前に坐った女性と隣の男性がさっさと荷物拾い始めその隣の客が荷物のなかから余った袋出して一瞬のうちにそれを収拾するうち地下鉄は尖沙咀につき多くの乗降客あれば扉近くの男が屈んだ男女のところに乗客来ぬようにして数十秒にて何事もなかったかのようにまた携帯電話とシャカシャカのうるさい車内に戻る。晩遅くAustin Aveの北京水餃店にて搾菜肉絲水餃麺と葱餅食す。汚い店だが味よし。店員の北京語の喧噪に麺啜れば北京の何処にでもある小店にいる如き気分。
▼信報で恩師?謝剣教授の随筆読む。珍しく可笑しい内容。正月に埃及から中近東旅行の謝剣先生夫婦。泰国の曼谷(バンコク)より開羅(カイロ)まで登場の埃及航空波音777機は中国の西北各省からメッカ巡礼に向かふイスラム教徒にて爆満。機内に華語解す服務員搭乗しておらず謝先生夫妻英語への通訳せざるを得ず。でこのイスラム教徒ら機内でも祈祷するのはいいが祈祷の前に身を清める必要あり問題は洗面所の狭いシンクで少量の水ではとても浄身できず。多くの乗客が祈祷の時間までにお浄めは済ませばならぬわ、洗面所は混雑するわ、そのうえ紙コップだの生理用品でトイレは詰るわ、お浄めの身体拭った紙ナプキンはなくなるわ、で最後にはエコノミークラスの5つの洗面所全て使用不可となりビジネスクラスの洗面所を一つエコノミー用に開放する応急措置。謝先生曰く問題はお浄めと祈祷の時間。飛行機で西に飛ぶ間もずっと北京時間で祈祷の時間に沿っていたのも興味深し、と。で埃及にてはナイル川の川下り。遊覧船でのbuffetにて中国の党政府の公用か中級幹部の男女の姿ありスープやサラダから食すが普通だが行列見た二人はいきなり肉のメインディッシュに飛びつきプラスチックの袋使って鶏や鴨の肉料理を確保し、それを卓上に置いてから改めて列に並びまた料理を皿に盛る。で彼らの去った卓上には多くの料理が雑多に残される。謝先生曰くこれだけ官も民も海外に出る時代となれば旅行でのマナーも常識もないのだから「旅行ハンドブック」でも作って旅券発給時に配るべきでは?と。そういへば昔々はジャルパックなど「海外マナー集」の如き小冊子あり。
▼朝日新聞の天声人語といへばかつては短い文章で要領よく文章纏めるお手本で余も中学の頃に恩師K先生は学生に毎日「天声人語」だの「編集手帳」だの切り取り大学ノートに貼って要旨まとめ知らぬ漢字や語句まで調べる宿題を出す。毎日なんと面倒な、と思ったが今ではその三年間の作業はどれだけ意味があったか、先生が指定の角川書店『新字源』にどれだけ手慣れ今でも字引の扱いが易いことか。でその天声人語が今はとにかく内容も文章もかなり拙い事実。数年前に和歌山カレー殺人事件の被告の名前「真須美」を「真実は須らく美しい」と読み下し「須」は「すべからく〜べし」で抽象名詞の主語もヘンだが形容詞の述語には用いぬ常識すらなきこの書き手に呆れたもの。22日の内容(こちら)もチョコ「キットカット」が受験生に人気、と数日前の社会面掲載の記事の焼き直し。で受験生のお守りでは「米国ではうさぎの足、インドでは象の顔をした神、トルコでは青い目玉の魔よけが有名」とちょっと知識見せて「どれも土俗的な信仰や伝承を感じさせる」が「これらに比べると、日本で流行している受験のお守りは世俗的で」「キットカットのほかに、カールを食べて試験に受かーる。キシリトールガムできっちり通る。伊予柑食べればいい予感。本番前の食べすぎにはくれぐれもご用心を。」で終わる。何なのだろう。これで天声人語。「きっと過度」なノーテンキ、なんてね。
▼昔から朝日新聞の夕刊で(香港では衛星版だが)水曜日に加藤周一の「夕陽妄語」読めば翌日の吉田秀和氏の「音楽展望」が楽しみで、これが二日続いて読めることが朝日の朝日らしいところだったのだが吉田秀和氏が愛妻の死から今も筆をとれぬ日々続くのが寂しいところ。氏はお元気な頃に余の実家で営んでいた店に何度か訪れられ氏の熱心な読者である我が母はかなり喜んでもの。廿三日の加藤周一の「報道三題」も報道の自由に関して実に真っ当なこと述べているのだが果してどれだけの人がこの老知識人の言葉を真剣に読んでいるのかどうか。このままでは「いつか来た道」で不幸な未来、それを避けるためにも、と力説するが若い人は誰もそれを惧れておらず。で翌日(つまり今日)の紙面には吉田秀和にかわりピアニストで文筆家の青柳いずみこ女史の文章あり。ボレンボイムの弾くバッハの平均律、という文章はそりゃとても見事で、吉田氏ならバッハの思想とバレンボイムの思考で書くはずであろうところピアニストである女史は吉田先生意識してのことだろうが敢えて実に具体的にどの曲がだう、この曲がかう、と理路明確に綴る。立派。だがやはり吉田秀和「音楽展望」が読めぬ寂しさ拭えず。ずっとグールドの平均律ばかり聴いていた、と思ふ。バレンボイムのバッハ平均律を聞くべき。
▼広州の最も古い西洋料理屋「太平館」廃業。1885年開業。周恩来の祝言披露宴も此処。格式ある料理屋だったが最近は二年前に開業の「東江」(音訳)といふ店が人気で太平館は下火。太平館を「居抜き」で開業の新しい店は歴史感じさせる木壁とアールデコの照明を下品な壁紙と鉄パイプ椅子に変えたとか。太平館は香港でも四店舗ある馴染みの老舗。その広州の本家本元の閉業残念なかぎり。
▼今週初めに香港政府政務司司長・曽蔭権君がラジオ番組で香港の出生率低下と人口老化の問題に対して多産奨励し免税特典など提案。これについて本日の信報は社説で経済成長と出生率低下は当然、今日に始まったことに非ず、移民に頼るべきところだが大陸からの合法移民はすでに来港の実質的な自由化で寧ろ移民定住数半減しているのが現実、となれば唯一の方法は教育熱で香港での大陸の子女就学を大々的に認め、それに付随して保護者の居住も認めれば彼らが香港で育ち今後の香港の発展に寄与するのでは?と。少子化老化になんら抜本的対策も見出せず、ただ外国人増えるのが怖い日本社会とは感覚の大きな差。

二月廿三日(水)晩に知人送別会ありハッピーバレーの某日本料理屋。水曜日の競馬開催の晩にかなりの繁盛は大したもの。ハッピーバレー的なバブリーな客多し。会の参加者少なからず酒は「秋鹿」純米、新潟の「村松」吟醸と青森の「桃川」大吟醸。余は食事の際は吟醸でも諄く苦手。天婦羅は見た目からりと揚げた江戸前だが天婦羅油がサラダ油のようで風味なし。衣が水っぽいせいもあろうがその油が馴染んでおらず不可。ミシュラン的に言えば「繁盛結構。少ない客にはよい対応見せるが店の広さに応じた多客となると板前はよいが厨房が対応しきれぬ経験不足。要改善。」といったところか。帰宅して『裏ミシュラン』読了。ミシュランの調査員の権威とそれに媚び諂ふ料理屋の右往左往ばかり。ひとつだけ「客というのは、おいしい料理を横柄な態度で出されるよりも、味は普通であっても感じよくもてなされる方を好むものだ。」という指摘納得。
▼先日セブ島で読んだ新聞の広告に公文式が“Build the nation with us”をキャッチコピーとしていたのが興味深かったが昨日だか蘋果日報に公文の似た広告あり、こちらは「在同一天空下、孩子有著不同的夢想」と同じ空の下でも子どもたちはみんな違う夢を見る。ふと気になって日本のサイトを見たら「今こそ、子どもたちのために「自分から学習」を」だそうな。なるほど。お国柄か。これだけ目標は違っても同じメソッドで、か。

二月廿二日(火)曇。早晩にFCCにて数日分の新聞読む。ウヰスキーお湯割りとドライマティーニ。パイプの煙草切れて近隣の福和煙草に煙草求めれば午後六時ちょっとすぎに閉門。いやな予感。Z嬢と湾仔のマレーシア料理屋SABAHにて肉骨茶、ラクサなど食す。マレー式なのか二つの容器でミルクティを泡立てるのを眺める。香港演芸学院にて勅使川原三郎のKARASによる「風花」と題した舞踏観る。KARASの漢字表記は渡烏舞團。客席の奥の音響照明ブースに勅使川原氏の姿あり。この舞台は何を理解すればいいのか?が考えてしまふとわからない。他の観衆も終わってそういふ表情。『裏ミシュラン』少し読む。あのレストラン評が意外と簡単な調査で評価されていることを知る。
▼知己のS夫人逝去。享年四十。畏友W君の妻君。〇二年の暮に病に倒れW君の看護の続く。昨晩遅くW君より知らせあり。

二月廿一日(月)バンコクからY氏来港。晩に天后の利休にY氏と食す。紅色の焼酎と評判の「海童」飲む。どうして紅色がつくのかと思い冗談で「これがただ瓶のガラスが赤色だったら笑えるね」と言ったらY氏に「そうだよ」と言われかなり驚く。それなら「祝の赤」だろうが「希望の青」だろうが「黄昏」だろうが何でも出来るぢゃないか。それにしても二人でさらっと一本半は飲み過ぎ。
▼蘇州に亡命せしI君に聞いて驚いたが日本の銀行の面倒さ。東京三菱銀行のインターネットバンキングを使い海外送金するのに、まず海外口座の事前登録が必要で、百歩譲ってこれはいいとしても送金通貨の事前登録まで必要。しかもひとつの通貨のみ。時々の為替レートで通貨を替えるのがオンラインバンキングの利点と松戸の支店で詰め寄れば「契約なので……」と釈明するばかり。結局、3つの通貨で3枚の書類提出したそうな。この便利さの感覚のズレ。I君は日本を「ルールです島」と呼ぶ。確かにライブドア堀江君がちゃんはルールに乗っ取った株取得で乗っ取りするのに「メディアは公共福祉」と日本以外では当たり前のメディア買収が問題視されるのだから。

二月廿日(日)曇。気温摂氏九度。極寒。昨日の50km走破に足腰の痛み甚し。昼前に灣仔会議展覧中心の広場に赴き廿七日の香港マラソンのゼッケン、参加者資料及び記念品受領。今年は10km、ハーフとフルマラソンで六万人参加とか。九八年だったか余が初めて参加の第二回大会参加者僅か五千人。金鐘まで歩き旺角。通菜街の萬成撮影器材公司。ContaxばかりかLeicaもずらりと並び間口一軒半にずらりとお見逸れしましたとばかりに各社のカメラ並ぶ。SonyのSyber Shot-Uが二年愛用で変調来たしデジカメ買い換えの候補はContaxのU4R機。Syber Shotなどお手軽に七百萬画素の時代にこのU4Rは四百萬画素で而も値段的には各社の五百萬画素以上。デザイン的には佳能のIXYシリーズなど薄型ポケットサイズで一緒なのだがデジカメだしきっと他社生産であろうと思いつつContaxはContaxでContax好きにはG1で白黒、T2を色彩のスナップ用としていればデジカメも当然ContaxにしたいわけだがContaxは03年にTシリーズの流れ組むとして発売のデジカメTVSは14万円でさすがに手が出ず。それがSL300R T*発表。これはドラゴンアッシュの事務所社長のK君が先日来港の際にお持ちで初めて手にすればやはりチタンシルバーのボディが「Contaxだよなぁ」と実感。その後継機種がこのU4R。陳列棚にはこのU4Rの隣にTVSデジタルが鎮座ましまし「買えもせぬが」と値段尋ねれば驚くなかれSL300R T*と同値。発売当時の価格の三分の一以下とはマジだろうか。確かに手にとればデジカメは所詮デジカメで高級感もなく今になって思えば「これで14万円?」と思うのが正直なところ。それに比べて画素は百萬落ちるがU4Rのほうが俄然、美しい。で決定。萬成撮影器材、店員の知識といい店内の見事な品揃えといい客の質といい香港では屈指。午後は九龍の風呂屋にて按摩、垢抹。早晩にFCCにてドライマティーニとハイボール。デジカメの取扱確認しつつ充電完了。添付の画像はU4Rでのテスト撮影。FCCのバー。バーでの卓上。地下鉄の車内は設計が設計ゆへ目の前の至近距離にいる人も撮影されたことに気づかず。盗撮可(笑)。晩にランニングクラブの幹事会(といふ名目で)尖沙咀はKimbereley街の韓国料理屋・荘園。韓国料理屋多き尖沙咀の鶴橋とでも呼ぼうかKimbereley街でこの店と名前失念の隣家の二軒はかなりの繁盛。行列できるほど。確かに美味で廉価。終わってカラオケ組と帰宅組に別れ余はカラオケ苦手で帰宅。ところでContax関係のサイト見ていて思ったのだが、この「ホテル京セラ」とは何なのだろうか。京セラと名告るのだから京セラの関連会社なのだろうが「セラ」がどうもセラミックのセラぢゃなくて「ケセラセラ」のセラに聞こえて「ホテル京セラ」が赤坂の高級クラブ・ミカドとかと同じ妖しげな響きに感じてならず。
▼昨晩波蘭国立歌劇団公演会場にて歌劇の幕間毎に携帯のCDに耳傾ける老人あり余程の音楽好きだろうが耳筒でなくヘッドフォン用いて而も坊主社のQuiet Comfort-2といふ凝りよう。このヘッドフォンの売上げ好調といふが利用者は余のほかに初めて見る。而も余は飛行機搭乗以外には持ち歩かず。

二月十九日(土)昨晩眠れず読書して午前二時半。午前五時半起床。六時三刻N夫妻が自動車で迎えに来てくれ近隣のO君と同乗し山頂。昨年は参加逸した今年で五回目のGreen Power香港トレイルは山頂より石澳大浪湾までの50kmの走破。早朝のスタートに洗面所用足しの者多く荷物預けも長蛇の列に慌ただしく出走。天気予報は雨が幸いに曇天ながら気温十一度の極寒。上り坂は歩き平地と下りはゆっくりと走るが17kmあたりで左踝の痛み始まり寒さで体力消耗著しく走れず。陽明山荘前にてM嬢のサポートでおにぎり二つ頬張り体調回復するが折から此処起点に25kmのスタート時間と重なってしまひジャーディン山よよりパーカー山峠まで旺角の如き混雑のなか車線変更の乱暴な運転にて渋滞抜け出す。大澳の下りは余の庭の如し。石澳の岬の引水路もLSDでキロ6分半程で走るが左踝の痛みもありO君に追いついたところで土地湾より龍背から終点まで二人で歩き七時間五一分だかでゴール。最良時間より一時間余の遅れだが致し方あるまひ。先着の同輩の出迎え受けT夫妻の到着待ってO君とZ嬢と失礼して場を辞す。帰宅。早晩にZ嬢と「尖沙咀の」Jimmy's Kitchenにて晩餐。いつもながらに「尖沙咀の」この店の給仕らの働き様に敬服。甘蝦とマンゴーのサラダをZ嬢とシェアしてチキンストロガノフ食す。ジンジャーパイ。晩に香港文化中心にて波蘭国立歌劇団の「オセロ」歌劇公演参観。オペラ苦手と言ってきたが今回は歌劇堪能。シェークスピアのオセロ、ベルディの楽曲が『秋への別れ』(90年)や『悪霊』(95年)の映画監督Mariusz Trelinskiの演出で堪能、堪能。Desdemona役のIzabella Klosinskaなる女高音歌手が秀逸。大詰めのDesdemonaがオセロに殺される晩の祈祷での客席の息をのんだ静寂。堪能。
▼香港のOughton厩舎所属のCape of Good Hope(喜望峰)豪州メルボルンにてG1豪州ステークスに勝利。
▼ライブドアのニッポン放送買収について自民党はこの株大量取得での買収が「本来、日本にはなじまない」(野田毅元自治相)だの「金さえあれば何でもできるという風潮をそのままにするのはよくない」(久間章生総務会長)「報道は社会の公器。他の民間企業とは違う。自由競争、市場原理で歪められる恐れがあるなら好ましいことではない」(武部幹事長)と発言続き森前首相は「金さえあれば何でもいい、力づくでやれるという考え方は今の教育の成果なのかなぁ」と。いったい何が日本になじむのか、その「なじむもの」の弊害が今日の社会にないか。金さえあれば何でもできる風潮を作ったのは誰か。報道が社会の公器なら、それを自らに利するように利用しようとするのは誰か。自由競争と市場原理を敵視するが、それこそ保守にとって公器でありそれを共産主義から守るのが正論のはず。森首相に至っては金さえあれば何でもいい、力づくでやれる、という戦後の非常に自民党的な部分を戦後教育の所為とする妄論。呆れるばかり。

二月十八日(金)晩に灣仔の永華麺家にて水餃雲呑麺食す。美味。気温下がり麺啜る客多し。相席で目の前に恰幅のいい紳士座りふと顔を見ればモーリス・ベジャール……まさか。香港演芸学院(HK Academy of Performance & Arts)にてベジャール・バレエ・ローザンヌのバレエ公演をZ嬢と観る。今年の香港芸術祭の始まり。「7つのギリシアの踊り」に続き男の誕生から死を独舞の「旅」。休憩挟んで「火の鳥」は三日公演の中日の本日は那須野圭右なる日本人の青年が主人公の鳥の役。晴れの舞台に懸命に踊る若鶏?という感じ。踊りはまだまだ修行の身であろうが地味な労働服のような衣装からさっと火の鳥の赤いタイツ姿に早変わりの際にみせた笑みが印象的。で最後はお決まりで「ボレロ」。実際に舞台観るのは初めてだが映像では何度も観ており勝手に食傷気味と思っていたがやはり実際の舞台で観るとベジャールのこの演出はやはり一人の踊り手があの繰り返しの一曲の中で変化していく様は鏡獅子的でもあり、ただし衣装や道具といった一切の装飾もない点が躍動そのもの。Z嬢はもっと「ねっとり」かと思っていた、と言うが踊り手によりかなり感じは異なるであろう。今回の公演ベジャール先生わざわざ来港しておらず。
▼産経新聞の本日の抱腹絶倒の社説(こちら)。ライブドア堀江君のニッポン放送買収発端とするフジサンケイGへの挑戦に反論。結局は産経新聞で社説や論説書いているオジサンたちが自らの保身にすぎず。堀江君がオーナーになったらリストラされちゃうんだから。産経新聞は確かに昭和四十年代に当時のマスコミの左傾憂ふ自民党や財界のオトーサンたちが「このままぢゃ日本がダメになる」として作った新聞で「西側陣営にたって」「社会主義国のイデオロギーや軍拡路線、非人間性を批判してきた」歴史的使命?あるのだが「冷戦は西側陣営の勝利に終わり」それぢゃ産経が終わったかといふと「日本の言論の中でも「モノをいう新聞」としての産経新聞のもつ重みは増して」おり産経は「これを修正するつもりはない」とする。だが堀江君はAERA誌の取材に「あのグループにオピニオンは異色」と指摘し「芸能エンタメ系を強化した方がいいですよ」と提案。「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」と語る堀江君の発言は今の時代にあって応援したいほどだが産経新聞にしてみれば、こんな路線にでもなったら論説や三浦朱門みたいな「正論」のオジサン、曾野綾子みたいなオバサンたちは書く場=職がなくなってしまふこと必然。フジサンケイがエンタメ系が強いのも、それを強調して「楽しくなければ」にすることで「正論」的なファッショ的保守反動性を幾許か薄めることに期待してのことでエンタメを主流になどしたい筈もなし。で社説はタテマエが始まるのだが「マスメディアは国民の「知る権利」の担い手」であり「民主主義社会を支える役割があり、国のあり方にも大きな影響を及ぼす。だからこそ、報道・論評の自由を有している」わけで「その自由を守るために、そこに属する人間は、責任の自覚と自らを厳しく律する精神が求められる。経済合理性では割り切れぬ判断を迫られる場面もある」として堀江君のマスコミへの算入は責任重さに対する「ある種の畏れが感じられなかったのは残念」と述べる。産経新聞はその仕事に「一般事業とは違う責任」があると豪語。確かに「憲法改正論や、また中国報道や歴史観の歪みの是正、あるいは北朝鮮による拉致事件報道に対する挑戦」は一般事業とは違ふ(笑)。それを「オピニオンは異色」と片付けられた産経は、それを「大型コラム「正論」の百八十人におよぶ執筆陣にたいする冒涜」とまで言い切ったのは本音以外の何ものでもなし。産経の言う「電波というのは公共財であり、しかも無限ではない。この限りある資源を適切に使うため、国が限られた事業者に免許を与え、割り当てている。それが放送事業である。したがって、利益をあげることが最大の目的である一般事業会社とは当然異なり、より大きな公益性と社会的責任が伴う。」といふのは全くもって正論だが、だけどもし堀江君の買収ターゲットが朝日だったら産経は「ライブドアのマスコミ改革を支持」するのであろう、きっと。

二月十七日(木)さすがに九時間に及ぶ飲酒と三時間半の睡眠で宿酔気分。多忙にて晩に尖沙咀の吉野家にて牛丼。日本のに比べ牛肉の味付けはあっさりとして何よりも米飯がぼそぼそなのが難点だが吉野家で牛丼食せるだけありがたいことか。晩遅く帰宅。マイクロソフト社がMizilla社への対抗上IEのVer7の出荷早めたといふほどに人気のブラウザ閲覧軟件「ファイヤーコックス」並びにメールソフト「サンダーバード」ダウンロードして早速使い始める。立ち上がりが多少遅いのが気になるがIEとOutlookで多少不都合あった点が解消され使い心地良し。岡留編集長『噂真25年戦記』読了。
▼ヤンキー義家教諭が北星余市高校退職(こちら)。ここに至るも必然か。いろいろ理由もあろうが『世界』の国旗国歌強制反対に明快なメッセージ伝えたり『赤旗』にまで登場していたとか。単に非行少年「矯正」以上の活動や何より象徴性あり。そういった点も軋轢とかあるはず。いずれにせよ現場の教員やっていての人気。フリーになれば「使われる」点多くなり困難も多かろう。

二月十六日(水)東九龍に薮用あり。ついでに牛頭角の京セラの子会社訪れ絞り機能不調のContaxのG1カメラ修理依頼。職員にアナログにせよデジタルにせよContaxのカメラをば香港で購入するのに何処の店が最も品揃えよいか?と尋ねると旺角の西洋菜街にある萬成撮影機材公司だと教えられる。経営者が一緒と言われ一瞬、稲森和夫が旺角でカメラ屋?と思ったが(まさか……)京セラの子会社だと思っていたが地場の精密機器会社との合弁らしくその地場の経営者の小売店。思わずその足で訪れてみようかと思ったが何か購入してしまひそうな予感あり百ドル単位ぢゃないので敬遠。昼に九龍城。あれだけ美味いもの料理屋並ぶと何処に行こうかと迷うばかりで結局「金寶」泰国菜館で牛肉粒紅飯を食す。九龍城はじつに贅沢な話だが昼時もあれだけ料理屋並んでもオフィス街ぢゃないために週末と違い昼は何処の店も混雑なし。かつて空港が隣接の頃は昼ともなれば空港職員の数だけでもけっこうな客数であったが、と思えば懐かしき啓徳空港。早目にチェックインしてから九龍城で美味いもの食したもの。昼食済ませ「つい」地茂館にてお汁粉。早晩に中文大学。日本研究学科訪れ旧知のL学科長にご挨拶。職員のM女史らと歓談。昏時にM教授と同大学の連合書院にあるといふパブ訪れる。中文大学にもパブが……と驚いたがM教授なかなか客も少なく経営苦しいのではとの話が訪れてみれば一月下旬で廃業。やはり。吐露湾一望の職員倶楽部にてビール一飲。テラスより眺めれば十五年前は学生宿舎一棟だけの逸夫書院も施設充実し驚くばかり。名前失念の白ワイン。M教授と大学駅に向かい抗議終わったもう1人のM教授と待ち合わせ。KCRでホンハム。タクシーで北角。寿司加藤。旧正月終わりカウンターには常連の方ばかりずらりと。いろいろ談義勢みBar Seedに移り深更に至る。

二月十五日(火)ロラン=バルトぢゃないが「なんてこった!」で畏友・登β達智の蘋果日報の随筆は始まった。晩に帰宅途中に太古坊のEast Endに寄る。黙っていてもエールが1パイント注がれ、それをぐびっと飲んで新聞を開いて見ていれば、この「なんてこった!」だった。この話は月曜日に彼が「可憐林村祈福樹」といふ随筆書いたことに始まる。この祈福樹については余の日剰十三日に綴ったが新界「土産」の彼がこの樹木について語ればそりゃ素晴らしい文章になる。達智君は車で通るたびにこの老木が放られた橙などで重そうにしている姿を見て漁業だって休漁期あるのにこの木は一年三六五日ずっと痛ましい、と感想述べる。土曜日のあの「事故」見ては達智君ならこう思って当然か、と思っていた。が、今日の「なんてこった!」で始まる「後記林村倒樹事件」といふ題の文章読めば読んだ側が「なんてこった!」と思うのは実は達智君の月曜日の文章はこの倒樹事件の発生する前に旧正月のかなりの人出に感じたままを書いたもの。それが偶然にもこの「事件」と重なり「なんてこった!」である。East Endという酒場は月に一度訪れるかどうかなのに女将といいバーテンダーのW君といい実に親しみあり而もW君のビール供すタイミングは見事。ハッピーアワーにて1杯目のエール飲み終える、ほんの直前に2杯目が出され1杯目をばさっと飲み干すとグラスが変えられる。余計な会話もなく、何といい空間であろうか。いつもエール2杯を二十分かそこらで飲み干してさっと席を立つ。濃霧。帰宅して菊正宗飲みながら「おでん」食す。テレビではNHK歌謡コンサートが始まる。おでんだしこの番組もいいかと思ったがやっぱりダメ。何を歌っても一本調子の氷川きよしに谷村新司の熱唱。なんだか知らない演歌歌手の突飛なフレーズの演歌。そして渡辺真知子の怖いくらいの強烈さ。善良なる観客も退いてしまっている。「現在、過去、未来〜♪」と往年のヒット曲「迷い道」歌うが見た目の迫力と衣装、あまりの大げさな振り付けに「迷い道」歩いて「まるで喜劇じゃないの〜♪」って「アンタのことや」。岡留編集長『噂真25年戦記』続き読む。この雑誌名が『噂』が梶山孝之氏の発行した『噂』から借用といふのはなる程と思ったが『真相』が実は戦後すぐの反権力指向の暴露系カストリ雑誌であったと知る。
▼今日のNHKニュース。大阪の小学校での教師殺害で少年が「いじめに遭った」と言うのに対して警察は「いじめの事実は見あたらない」しその名ざしされた教師も「思い当たらない」そうな。少年の証言ただ信じるばかりぢゃないが「いじめ」だの本人ぢゃないとわからぬこと少なからず。余は小学二年と四年の時の担任教師の「指導」にかなり不満あり何度か絶望の崖っぷちにあったが当然その担任はそんなこと全く気がついておらぬ筈。母親はこの息子が最近は活動的になってきたと言っており、ファッション雑誌を見たり髪を金色に染めたりしていた「が」最近は週に一回くらいゲームセンターに通っていた……とニュースは伝える。この「が」で結ばれる文章の脈絡はいったい何なのだろうか。なんでこれほど言葉が乱れるのか。NHKの中継するラグビーの試合で審判のユニフォームに「朝日新聞」とある件についてNHKは「企業の名前」として宿敵・朝日新聞を個別攻撃避ける。だが画面に出ている参考のラグビー試合とてラグビー場にはいくつも企業の看板が並ぶ。それは見せておいてのこの抗議は明らかに朝日新聞だから、と思われても致し方なし。

二月十四日(月)曇。旧正月休み終わり世の中一気に動き出し諸事に忙殺され晩に至る。帰宅途中にBar Seedに寄れば今日まで旧正月休みと思い出すが遅し。帰宅。新井一二三『中国語はおもしろい』一気に読む。著者とはもう廿年も前から面識あり。当時は著者は朝日新聞の仙台支局の記者。すでに中国留学の経験の随筆『チャイナホリック』だったか著書もあり。仙台で偶然にお会いしたのは当時バンド「阿Q」の取材。『大公報』なる機関誌を余が執筆編集しており、それをご覧になった彼女から深夜電話があり「面白い」と誉められる。ちなみにこの『大公報』は阿Qがプロデビューする頃に恰度89年の天安門事件あり誌名を『MOGE』と変更したが翌年だったか阿Q解散で廃刊に至る。で著者は新聞記者辞めカナダに移住。香港の雑誌『八十年代』から『九十年代』に毎月寄稿し好評得る。カナダと何度か手紙のやりとりあり彼女が92年くらいだったか香港に住むこととなりその後香港返還の直前の離港まで親しくお付き合いいただく。この本、題名がいかにも素人相手の中国語紹介本で、ぱらっと捲り恰度真ん中の第二章「中国語の技術」あたり読むと「なんだこれくらいか」と多少中国語の知識ある人なら読むに値せぬと思うかも知れぬ。終わりの第三章も当たり障りない中国語と中国社会に関する随筆。だが白眉は第一章。「中国語とは何か」というこの章に、特に53〜76頁はこの人でなければ理解しておらぬ、この人だから書ける真骨頂あり。
(1) 香港に住んで何を感じたかといへば香港が「社会不在の都市」といふこと。当時の香港は中国返還を前に中国に返還されることで香港社会のアイデンティティがどうなるかといふようなことが(特に日本の言論やマスコミでは)かなり話題になっていたが彼女はそれに対してこの香港には「小さな社会」がいくつもあるだけで(例えば地場の広東人社会、北角の福建人社会、英国人、カナダ帰りの香港人、インド人、多国籍企業、日本人駐在員社会、フィリピンなど出稼ぎ家政婦のコミュニティなどなど)その人たちに共通の言語がない、と指摘。しかも一人の人格のなかに土着の港人とカナダ帰りの自分が同居していたり。香港は精神分裂していること(日本社会については岸田秀がいちはやく指摘しているが)。
(2) 香港の広東語について。一概に広東語というが香港人が余所者の喋る広東語がちょっとズレているだけで全く理解できない、しないのに対してマカオの広東語が香港よりずっと広く他所者の話す広東語に対する寛容度、包容力がずっと高いと言う。御意。マカオや広州に行くと香港よりずっと広東語が判りやすく通じやすい。香港が閉じていたということ。
(3) 中国の民族観について。民族の定義が日本のように閉じていないこと。ここでの例が実に面白いが「暖簾」。日本の「のれん」はただひらひらとしるが字の如く「暖簾」とはテントの入り口の風よけの重たい緞帳のようなもの。北方の冷たい風を封ぎ猶且つ出入り可能なもの。中国人にとっての民族とはこの暖簾のように押せば入れる程度、と。御意。他民族の大陸中国の人にとってアイデンティティは多層構造なのが当たり前。言葉も地元の言葉で地場の社会があり普通話にスイッチすれば普遍的な中国社会となる。
実に的確な指摘多し。ところで香港では人気のエッセイストであった著者は96年の尖閣列島の領有問題での反日運動で「日本人だという理由でとばっちりを受け」連載を全て止めたばかりか日常生活でも障害ありマカオに避難したほど、と書いている。「日本人だという理由でとばっちり」というよりも、著者がそれに続いて述べているが香港市民が翌年の中国返還をまえにこの尖閣列島の問題で愛国熱が高まった事実があり、それを著者は「日本を侵略者という立場に置くことで、中国人の民族意識が高まり、結果的に中央政府への支持が確認されるという歴史的パターン」と指摘し、「中国ではない」香港だったはずが、そのあまりにも簡単に「中国人としての」にシフトしたことに、香港の社会なりアイデンティティの脆弱さがあるか、と著者は歯に衣を着せぬ指摘。これが誰かわかっていてもとても怖くていえぬ事で、それを言った、しかも日本人にそれを言われた、ということだった、と余はあの当時の顛末を理解。そのようなことなど考えながらドライマティーニ二杯飲みながら読了。それにしてもなぜ中国語=漢文を解す日本人がこうも減ったのか、と著者も言う。刈る茶センターなどで中国語習う人は増えているが、昔なら中国語を見て白文で老荘を読むとか唐詩を解す迄いかねども「だいたいこれ、こういう意味でしょう」と察するくらいできる人が多かったが今ではまるでアラビア語を見るような全くお手上げ感覚。確かに。余も漢文の素養も全くなかったが高校の頃から神保町で内山書店だの東方書店で何日か遅れた人民日報など手にとっては「なんとなく理解」し二十歳の頃に初めて香港に来た時も一年後に大陸を数ヶ月放浪した時も読むぶんにはあまり困らなかった記憶あり。ところでこの本で著者が強調した世界中どこへ行っても「中国料理はたいていおいしい」という断定はちょっと疑問。ときどきそう聞いてはいたが倫敦も巴里も紐育もフランクフルトもその都市で最も美味いという中華料理屋から中華街の屋台麺屋まで食したがけして美味とはいへず。夕餉に雑煮食す。文藝春秋三月号読む。体質としては保守反動右翼なのだけれど「あれ、こんな人が」といふ中道左派くらいの書き手もおり、それが全体の一割五分くらいか、と思うとけっこう日本社会的なバランスでもあったりして780円でこれだけ内容満載であればちょっと知的興味もあるオジサンの一ヶ月の暇つぶしには格好の雑誌だと改めて認識。それにしても福田和也が「天皇と皇太子 父子相克の宿命」で「皇太子の世代はいかにもひ弱い。反抗を知らず、高度成長の恵みを享受してきた息子世代の闘いは、展望を見出せない」なんて言い切ってしまっては……。「にもかかわらず、相克は不可避であり、そこからしか、象徴天皇制の限界を超えるような新しい皇室に姿は見えてこない」と結ぶが、何が言いたいのかよくわからず。それにしても芥川賞の安部和重『グランド・フィナーレ』読めぬ読者多かろう。余もその一人。少女偏愛というテーマ云々ぢゃなくて説明調の文体がいただけず。原武史『視覚化された帝国』残りの頁少しあり読了。これが書かれた01年で原は天皇制は安定期に入った、と結ぶが、それが僅か三年後の今のこの皇室内部で瓦解の如き様。岡留編集長の『噂の真相25年戦記』読み始めるがさすがに数時間の読書疲れで寝入る。
▼旧正月と週末で五日休刊の経済紙『信報』は新年で模様替え。多少レイアウトすっきりとするが驚くなかれ活字が小さくなる。日本の新聞が活字が大きくなり読みやすくなります!と改訂の毎に内容浅くなり文章悪文多く読みづらくなる。それに比べ字を多少小さくする英断。いぜんより老眼鏡必要な読者多いかも知れぬが頁数少し減ってコスト削減、環境保護。
▼大阪で17歳の少年が母校の小学校で教師殺害。警備の安全が指摘されるが学校に比べれば学習塾など誰でも入れる環境。だが狙われるの場所は公教育の学校であること。取材するNHKの記者があきらかに動揺している。浅間山荘や三菱重工爆破にはなかった精神的動揺。学校の保護者も「他人事だと思っていたのにまさか」「この寝屋川でこんなことが」と。子どもを連れた親は「早く家に帰りたい」と家路急ぐ。その家も安全は保証されず。米国を「怖いわねぇ」と嗤っていた時代の懐かしさ。自衛が必要だがいい意味での自衛であり他者への蔑視や差別、短絡的に警察や軍への依存になることの怖さもあり。
▼500円硬貨偽造で「容疑者」が顔までテレビに映され名前も公表されている。法治社会?
▼ライブドアのニッポン放送買収劇ではフジテレビ会長の日枝君は動揺隠せずライブドアの社長を「近代青年らしくない」と謎言で非難。「健全な日本の資本主義の発展のため」断乎戦うと(笑)。資本主義下の株式会社であるから様々な手段での株式取得しての会社買収があるのだが。この会長の言う近代青年とか望ましい日本の資本主義とは何なのか。フジサンケイの(経営者や主力の論説の現場の)知力の限界がここにあり。

二月十三日(日)曇。大埔の林村にある古樹、これに願掛けすれば願い叶ふと伝承あり「許願樹」と呼ばれる。願掛けの作法が奇習にて誰が始めたのか橙を二つ紐で結わえ御札をばそれに添えこの大樹に放り枝にかかれば願い叶ふと言い、大埔から錦田に向かふ途中のこの山間の村には休日や節句となれば沢山の民参り村の集落のこの樹木のまわりには茶店だの橙だの売る店だの土産物屋だの商売も繁盛。樹木の枝々にこの橙が鬱葱となるまで架かった光景は悍ましきほど。それが旧正月で参拝の者甚だ多く橙が樹枝に架かる量も増え村と民政局による橙の排除も追いつかず遂に昨日その重さに樹木の大枝折れて数人が負傷の騒ぎあり。幸せ祈願にて不幸にも災難に遭ふのが元朝参り。人混みに出向くべからず。朝は三日続けてZ嬢の薮用にHappy Valleyに付き合いZ嬢と別れタクシーでビクトリアピーク。山頂には旧正月の連休最後の日娯しむ人々多し。香港トレイルを山頂よりゆっくりと走る。といふか山道ゆへゆっくりとしか走れず。25kmの陽明山荘まで行くつもりが約20kmで止めて灣仔ギャップに上がりタクシーで中環。FCCでステラアルトワ麦酒1パイント。美味なるハンバーガーに齧りつく。やけにチャイニーズばかり昼食の客多し。旧正月はそういうものか。一週間遅れで英国のThe Observer紙読めば一面トップはイスラム系英国市民がテロ組織との関連疑われM16など諜報機関や警察に拘束された事件につき3頁!に渡り詳細なる報道。スコットランド国立美術館で開催のアンディ=ウォーホールのポートレイト展の記事も単に提灯記事に非ず、この芸術家の奇才通り越して今なら犯罪となる、かなり「ヤヴァい面」まで隠さず記述。本紙は三十頁程なのだがその記事の内容の充実ぶり驚くばかり。日がな一日こうして飲んでいては終わってしまふと酒場辞す。ジムに一浴。今晩は湯豆腐でも、と北角の市場の豆腐屋「徳興隆」に寄れば(この店が徳興隆なのか隆興徳なのか看板があまりにも三文字だけで左右いずれかからか判らぬが恐らく語呂からいって隆興徳だろう)他の店が旧正月三が日でどんな遅くても昨日が啓市のところこの豆腐屋は強気でまだ休み。残念。それくらい美味い豆腐なのだが。帰宅。雑用済ませ夕餉に煮込みうどん。NHKの「義経」見る。昨年「新撰組!」殆ど見なかったのに、確かに今年の「義経」は良くも悪くも大河ドラマらしさ。いくら見ても松坂慶子の芝居の下手さ。高嶋屋(左團次)の助演役の上手さ惚れ惚れ。吉次(左團次)が常磐(稲森いずみ)の許を訪れた去り際に礼をする場面など、あの頭下げたまま微動だにせぬ姿勢の良さに吉次の立場、何を願ふかを背で見事に演技。原武史『可視化された帝国』読む。最近ずっと天皇論ばかり。ところで西貢の英国パブ“The Duke of York”は昨年Trailwalkerの練習で西貢に行くたびに何度も訪れたが、いつ行っても西貢あたりの英国人らの飲んだくれが日がな一日麦酒飲みダーツして玉突きして過ごす酒場が見慣れた光景であったのに最後の一回だかすっかり店の入り口あたり改装し、まるでテラスのオープンバーとなり何か居心地悪かった記憶あり。本日のSCMP紙にその顛末記あり。この店開業から16年で西貢では英国パブの老舗だが経営者の西洋人夫妻が経営から退き経営権は共同経営者であった地場のわずか二十歳の女の子(おそらくこの店舗の所有者の家族の者であろうが)に委ねられ、この小娘、この店を流行らすにはよーするに店にうざったく居座る常連客が癌と彼らに売り掛け精算して退散してくれと求め店内も改装。で新規の客取り込もうとしたが、結果、新しい客となる連中は酒などたらふく飲まず。かといって料理屋にあらず厨房もまともな料理など出せず茶やジュースの一杯、二杯では売上げは過去に比べがた落ち。まえの常連客もこの新しい店には一切寄りつかず酒の売上げは全く伸びず。これに経営者の小娘懲りて復た店を伝統的な英国パブに戻しダーツと玉突き台置いて嘗ての常連客に戻ってくること願ふ。客も店が態度改めればまた店に戻り始める。が経営者「売り掛けだけはもう懲り懲りでお断り」と。

二月十二日(土)曇。有志で西貢のシャープピーク登攀の予定が諸事情により中止。新聞読み読書始め、ふとこのまま一日終わること惧れ手帖見ればヴィクトリア公園にて所属のランニングクラブのH氏主宰の定期ジョギング十時よりあり時計見ればあと十五分で慌ててタクシーで参加。公園にジョギングに行くのにタクシー乗車は本末転倒だが。H氏夫妻の他にN夫妻。それに今月下旬より四国遍路に参られるY氏は同じ重さのリュック背負って歩きの練習で寄られる。遅れてシャープピークに同行の予定だったT夫妻も参加。小一時間、公園のジョギングコースを何周も走る。終わって「つい」ヰンザーハウスの馴染みの電脳商ケーブレクス訪れ「つい」iPod Shuffle購入。銅鑼灣のジム。午後帰宅。夕方Z嬢に付き合いHappy Valleyへ。夕餉にと景光街の正斗にて粥を持ち帰りで注文。どう見ても養和病院の帰りの客あり。公立だの近くのクリニックぢゃなくわざわざ養和病院で診察→医者が粥食勧める→お粥なら正斗、といふ明らかなルートあり。粥が出来るの待っていれば日本人の女客三名現れぶっきらぼうに「えーと、三名」と日本語。店主も日本語多少解して対応。客は広東語が出来ぬのもよいし日本語でも何も悪くないが愛想とか謙虚さ微塵もなく不貞不貞しく横柄な態度。帰宅して粥の入った店の袋見て「創業一九四六年」とあり「嘘だろ」と。余は九十年代初め景光街のこの店の対面に住まひ当時は「満粥」だったかバブルの時代に高級粥店として開業。それが「正斗」となり日本人がツアーバスで押し掛ける程の人気。それが1946年開業の筈もなし。だがよく見れば店の名が「何洪記」とあり銅鑼灣の粥の老舗。よくよく見れば袋の一方は正斗でもう一方が何洪記。同じ経営だったとは。晩はせっせとiPod Shuffle用にiTuneにお気に入りCDからの楽曲移入。NHKスペシャル「あなたは人を裁けますか」の裁判員制度のドラマ見る。こういう番組を作れるのが公共放送の存在意義。ところで裁判員(陪審員)制度をどう思うかといえば国民の義務として就労者もこれに当たれば仕事を割き雇用者側も被雇用者が裁判にかかわることで本人に不利には一切できない筈だが実際には「それもあり」であろう。裁判にかかわり仕事が遅れ従来の本人への不評があるから解雇。裁判員本人は不当解雇とするが会社側は本人の裁判員としての職務とは全く関係ない解雇なりリストラだと主張。裁判員の不当解雇で提訴し解雇取消と慰謝料求め民事裁判。それを裁判員が裁き当然裁判員は明日は我が身と原告の主張認め慰謝料として会社側に慰謝料一億円の支払いを命じる判決。これなら下手に会社勤め続けるより裁判員になり会社と揉めたら裁判で退職金の他に慰謝料ゲット〜!と裁判員になりたい市民続出……あり得ぬ話。A氏より借用し松本盛雄『中国色とりどり』NNA読む。著者は現役の外務省職員(在香港総領事館政策広報文化交流部長)で立場上あまり書きたいことも書けぬのでは?と思ったがなかなかどうして天安門事件や通訳にあたった中国政府要人のことも予想よか書きたいように書いている感じ。熱河の古蹟については戦前にこの保存に尽力した伊東忠太(本には伊藤忠太とあるが誤り?)の孫にあたる祐信氏の手書き原稿を自費出版した熱河古蹟の本を有したいたり、閑古鳥が郭公の別名であることを調べたりと多方面にわたり博学。一つ気になったこと。天安門事件で著者は邦人留学生の退避に携っているが北京語言学院で西洋人の学生も移送手段に空席があれば便乗認めるとしたが、その学生は移送ルートを聞いて、集合場所が市の東側にあるホテルで、そこから空港に向かうと知ったら「そこは最も危険な場所」と判断し自力で空港に向かうと決めたといふ。著者はその学生の対応に「危機管理の原点」「自分の身は自分で守る」ことの基本を見た、と書いている。確かにその通りだが、それ以前の問題として、この天安門事件での邦人保護については邦人保護したホテルが軍が北京に入る道筋にあり銃撃の真っ直中のような場所で何故そこを選んだのか当時もその危機対応の甘さが指摘されたこと。この西洋人ばかりか商社員など在北京の邦人でも「あそこはやばい」と集合しなかった人もあり。一般人ですら限られた情報で判断できる危機管理を外務省が出来なかったことが深刻。『対論昭和天皇』読了。保阪正康と原武史は保阪のほうが二十三歳年上なのだがノンフィクション作家の還暦過ぎた保阪がかかり直感で話すのに四十になったばかりの原が確実なデータをもとに「まるで見てきたように」応えるのが面白い。興味深き論点を綴っていたら限りがないが、世間一般には大正天皇は精神的に病んでおり昭和天皇は生物学者といった印象があるが原が『大正天皇』みすず書房でも明らかにしているが大正天皇は実は脳を病むまではかなり常識的で気さくな人柄だが、この対談で昭和天皇は常識や感情、語彙に欠けるといった点が指摘される。また日中戦争開始からの親閲式などでの天皇の自らの意図的な帝国の元首たるべき行為なども二人は言及しているが、それを見て判断せば明らかに昭和天皇に戦争責任あり。対談で最も興味深かった点は昭和天皇と水戸との関わりで、一九二九年の陸軍特別大演習が茨城県であり水戸を訪れた天皇が突然、背広のまま白馬に乗って郊外を散歩。それが新聞に大々的に報じられる。戦後も四六年に水戸を訪れ「たのもしくは夜はあけそめぬ水戸の町うつ鎚の音も高く聞こえて」と詠み翌年正月の歌会始で御製となっている。原は昭和天皇の国体や三種の神器へのこだわりなどから、昭和天皇の会沢正志齋の水戸学的なところを指摘し、天皇と水戸との関わりを指摘。それはさておき昭和4年のこの白馬に跨がった昭和天皇のこの水戸でのパフォーマンスを保阪は農本主義の橘孝三郎に結びつけ橘の愛郷塾や文化村を天皇は知っていて、それを見てまわったのではないか、と。橘の農本主義が天皇に結びつき始め橘と井上日召らとの関係やその後の五・一五事件、東久邇宮への関わりなどからの推論なのだが(橘孝三郎のこのへんのことについては小学からの同窓の畏友で橘孝三郎と農本主義研究してきた郷里のJ君に話聞きたいところ)この保阪の推測に対して原は昭和天皇のこの白馬での散歩が五・一五事件での二年半前であり寧ろこの白馬に乗った天皇の写真が朝日新聞では三日後に掲載され、それが大洗(つまり井上日召)や愛郷塾の「連中」に大きな影響を与えたのではないか、と原が反論。保阪は成程と納得するこのやりとりの面白さ。まだ四十そこそこでいつも冷静な原がここで大洗や水戸の愛郷塾の関係者を「連中」と言ったことも興味深し。桜田門外の変から昭和のこの時期まで水戸の田舎者の血の気、何かあれば興奮して上京し躁ぐところ。保阪によればGHQが東京に総司令部置いて最初に訪れたのも水戸だそうで、これもGHQにしてみれば井伊大老や血盟団事件の如く水戸の者ならGHQ殺〜!とやって来るかと思ったからか(笑)
▼朝日新聞に司馬遼太郎『街道をゆく』の週刊誌発行記念してのシンポジウムあり。96年に亡くなり本日が命日。生前にもより増しての死後の司馬遼太郎の人気。井上ひさしの講演の内容をパロディ化すれば「この右でも左でもない司馬遼太郎の思想が週刊朝日でテストされ、多数の日本人を納得させるうえであまりにもすばらしいものであったために、日本人は精神的に司馬遼太郎に甘え、この司馬遼太郎の思想を中心とした社会と宗教とモラルをつくろうとしている」とでも言えようか。

農暦正月初三。早朝にZ嬢に付き合いHappy Valleyに出向く。早々に帰宅。超級市場に行けば元旦より営業と知って驚く。従業員も大変なこと。昼に鮭のお粥つくり夕餉のため鳥丸一羽を解体してスープに煮込む。今でこそ鳥の頭やでろんとした肢体にも驚かぬし皮を剥ぐのも容易いが初めて鳥を丸のまま一羽購い帰宅したときは台所にて鳥一羽目の前にして包丁握ったまま手出しできず脂汗を思い出す。午後より晴れ。夕方から灣仔。帰宅して鶏スープ。晩に『対論昭和天皇』少し読む。
▼八日の朝日新聞衛星版にシリーズの「女帝」議論で原武史氏が「宮中祭祀はどうするのか」と提議。新嘗祭は女性では行えず生理中の女性は宮中三殿に上がれず。で原氏は女性天皇に合わせた新しい祭祀を創り出すこと提案。それはそれで一つの新しい伝統の構築なのだろう。が、原氏の指摘には、その宮中での祭祀が行われていることぢたい知られておらず宮内庁サイトでも宮中祭祀をば「宮中のご公務など」に含ませているにもかかわらず祭祀そのものは公開せず。皇居の地図にも宮中三殿は印されず天皇や皇族の日程にも宮中祭祀は記載されぬ現実。原氏は宮内庁に対して基本的事実の明示求める。確かにそれが近代的な立憲君主国としての大事かも。しかしミカドによる宮中祭祀など庶民に見えてはその神秘性が薄れるわけで秘事であることでの価値の高まり。三種の神器とておいそれと見られぬから価値があり。草薙の剣(クサナギノツルギ)こんな感じで八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)これですと見せられてしまふと「こんなものか」で終わってしまいやはり八咫鏡(ヤタノカガミ)は模造品こそ宮中にあるが本物は伊勢神宮内宮にあり天皇ですら見ることができぬ、とそれだからこそ(逆に言えばそれだけの)価値。宮中祭祀も「はい、こうなっています」では「こんなものか」となってしまい神妙にあらず。それなら女性天皇にも出来る、が「誰にでも出来る」となってしまっては天皇制すら存在の意義かなり薄れるといふもの。
▼プロ野球のことには明るからず。だが楽天の仙台にプロ野球が本拠地置くのは28年ぶりと言われればロッテが仙台に本拠地だったことさっと思い出し、だがL特急ひばりが最速の時代では遠征多く金田監督が「うちはジプシー球団や」と言っていたもの。それがオリオンズで一昨日だったかセブ島で見ていたNHKの番組「その時歴史が動いた」で(司会の松平君の横柄さ厭われるが)二人のプロ野球球団オーナー取り上げ正力松太郎の顔は知らぬ余も大映の永田社長は一目見れば「あ、永田のおっさんや」と今でも記憶に残るあの風貌。長嶋茂雄の才能を見抜きながらオリオンズには長嶋招聘できず南海行きかと思われた長嶋は読売巨人軍に破格の契約金で釣られ当時はセパ人気拮抗していたのが長嶋の展覧試合ホームランのあたりからプロ野球=読売巨人軍となりセリーグの時代となる。それを永田の立場でとらえたのがこの番組。永田が夢に描いた野球場建設し優勝果した翌年に奇しくも大映第一次倒産。オリオンズも手放す。「ネベツネ的には面白くない」こういう番組作れるのがNHKの強み。でこの番組見て何が感慨無量かと言えば「東京スタジアム」。ロッテがオリオンズの正式オーナーになった頃(調べてみれば)72年のシーズンまでオリオンズがその永田の作った東京スタジアム本拠地とする。当時、常磐線で(急行ときわ号の頃)三河島駅過ぎたあたりで下町の密集した住宅地の向こうに明るい照明が眩しい文字通り「殿堂」が浮かび上がり(現代の感覚では宮崎駿的な光景か)心踊ったもの。NHKの番組によれば永田が下町の庶民に下駄履きで来られる場所に観客本位の最高の施設建設の成果であり惜しくも僅か十年で取り壊される。当時、子供にも印象強いのは何といっても遊園地もある後楽園、そして東京では神宮球場。いずれも総武線が最寄で都心にあり、それに対して東京スタジアムがなぜ南千住なのかと子供ながらに疑問に思ったもの。結局プロ野球は=巨人となりパリーグは西武といふ、あまりに下品な体質の企業牛耳るなかで余も全く興味ないまま今日に至るがここへ来て経営球団の経営不振によるディコンストラクシオンにて古田会長率いる選手会の前代未聞のストや楽天の加入などでナベツネ巨人=プロ野球といふ図式が壊れる気配もあり。早くも楽天は背後に宗教団体などと週刊誌賑わせ、プロ野球算入できなかったライブドア社はニッポン放送株式大量購入でフジサンケイグループに挑戦状。興味深いが何が余の世代には可笑しいかといへばニッポン放送の社長が亀淵氏。あのオールナイトニッポンのDJの亀淵が社長。笑福亭鶴光に「亀淵のカメは〜」などと言われていたかどうか記憶も朧げだがアナウンサー、その後制作ディレクターで経営のトップに立てるというのだからラジオ業界といふのは政治部記者のNHKや経営が王道の新聞社に比べ規模が小さいから健全といへば健全か。だがライブドアの今回の報道で「ニッポン放送の亀淵社長は」とニュースで読まれるとつい笑ってしまふのは余の世代だけか。ところで選手会の古田会長も「さすが」で朝日新聞の小学生記者の質問に子供に勧めたい本は?と尋ねられ、挙げたのが何と清水義範の『国語入試問題必勝法』とは。素晴らしい。この人は本当に頭がいい。

農暦正月初二。快晴。早朝に海岸散歩。潮退いて珊瑚や蟹多し。部屋にて甘食などで朝餉済ます。ホテル規則にては外部からの飲食品持ち込みの場合はホテル内での販売相当額との差額徴収とあり。NHK見ながら荷造り。昨晩のW杯予選は日本中が興奮、頑張りましたねぇ。相手が北朝鮮とあってご覧のように「警察の方々」もかなりの数が警備にあたっています。丁寧、敬語の氾濫。ご覧ください、あちら赤の服装が、あれが北朝鮮のサポーターたちです。って別にテロリストでも天然記念物でもあらず。普段、通勤通学の満員電車に同乗する市民。たんに朝鮮系で北朝鮮チーム応援するだけ。何も考えずにこのテレビ見ているだけでいかに思考がバカになっているか。三井住友フィナンシャルグループと大和証券の統合もニュースではW杯予選の次。ところで何故「三井住友」と「三菱東京」もFinancialがファイナンシャルに非ずフィナンシャルなのだろうか……と気になったら道浦俊彦氏のこちら(ことばの話117)が面白い。今もっとも可笑しいお笑い番組「海外安全情報」では「ホンジャラスの路線バスで万引きなどが多発」と(笑)。この番組見た者の何割が海外に渡航するか、その何割がホンジャラスに行くか? ホンジャラスって何処? たとえホンジャラスに行く者がこの番組見たとしてもその何割が市街の路線バス利用するのか。かりにホンジャラスで路線バス利用する者がいても、そのような者が今さらNHKの海外安全情報など必要とするレベルかどうか、と考えると、つまりこのホンジャラスの情報は無駄以外の何ものでもない。朝番では日本映画の特集。日本映画が話題騒然だそうな。大したことない気がするが純愛物が好調で、山本晋也はそれを日本映画には日本独自の恋愛観があるじゃないですか、と。W杯も頑張っています、日本映画も頑張っています、と何から何まで「頑張っている」と言わねばならぬ、つまりは元気のなさ。日常のなかでのテレビのこのバカさ加減。お笑いバラエティ番組とドキュメンタリ以外は真剣に見てはいけない。ホテルをチェックアウト。Z嬢のも含め読了の十冊ほどの本を残して去る。セブの唯一の心残りはこの空港のあるラプラプ市街にあるといふ日本料理店「サザエさん」(笑)に行けなかったこと。世界中に源氏とか銀座、ミカド、都などの名前の日本料理屋ならいくらでもあるが「サザエさん」ほどイカした名は知らず。ホテルから空港への道すがらあらためて多くのリゾートホテルの残骸眺める。Plantation Bayとシャングリラだけが勝ち組。何より問題はリゾート観光地としてホテル施設以外に市街など何もなきこの様。何もないならないでのんびりしていればいいが中途半端な「開発」の中途半端な停滞で、ただ埃っぽい集落が自動車道路に面して点在。カネが全く動かず。ホテルのシャトルバスの時間の悪さで出発三時間も前に空港着。CX920便にて香港戻り。場内アナウンスのやけにうるさい待合室でのんびりと原武史と保阪正康の『対論昭和天皇』を読書。そのうるさいアナウンスでZ嬢の名前呼ばれ何かと思えば遠くから眺めているとZ嬢のあまりに「変に」冷静な顔に「やったね」と察したらやはりCクラスへのアップグレード。これでZ嬢だけだったら笑えるが、ちゃんと二人。旧正月の連休は週末までで本日けしてオーバーブッキングの気配もなし。すでにチェックイン済ませての搭乗前で、どうしてアップグレードなのか理由の説明もないがご厚意はご厚意。先日のAsia Milesでの不手際のお詫びか、と一瞬思うがまさか……。東莞シェラトンの件はそういえば一昨日携帯に電話ありマイレージでの宿泊確定で解決済み。搭乗せばCクラスも「2席除いて」満席。なぜ「2席」だけ空いていたかといふと香港ジョッキークラブ主席Ronald Arculli様がCクラスご搭乗で(CXでは最も設備の遜色るA330機にFクラスないからかどうか知らぬが)当然の如く12AとCの席確保かと思えばご夫人が12Aで隣り空席、ご主人は通路挟んだ12Dで同じく隣り空席座席表。隣席まで航空券買うのはヨーヨーマ先生だけだと思っていたがご夫婦でまさかCクラス4席確保もなく恐らくジョッキークラブとは蜜月のキャセイパシフィック航空の配慮かと察す。いずれにせよ我ら2時間余の近隣リゾートへの数泊の旅で身銭切ってのCクラス利用もマイレージの「浪費」もせず、が復路のこの厚遇で「やはり乗るならキャセイ」と(笑)。実際にここ数年CXしか搭乗していないのは事実。このフライト、香港よりの921便到着してわずか30分後の出発では搭乗員もさぞや激務だろうが下手に2時間とか空いての復路よりも2時間余のフライトならさっさと香港に戻ったほうが一日の疲れ的には楽かも知れぬ。葡萄酒はMercurey Domaine Louis Maxの01年。まだ若い感じ。Vieux Ch. Londonといふメドックのかなり小さい酒荘のだそうなCru Bourgeoisの01年、こちらはかなり美味。ポート酒でDow's Late bottled Vintage 97年少し飲んだらもう香港着。大型連休中のふしぎな閑散の空港。荷物受取りでArculli主席が何か気になるようで何かと思えば幼い女の子がベルトコンベアの端に手をかけており主席わざわざその子のところに来て「危ないよ」とその子の手をベルトから外して注意。日本人の親、我が子を目の前にした親、注意してくれた人にも礼も言わず。その子がターンテーブルの向こう側に歩いて行ってしまっても気にもせず主席かなりそれが信じられぬ、といふ表情。当然。香港は朦霧ひどし。飲食店は多くが元旦から営業し97年の旧正月並みの好景気とか。帰宅して日暮れまでにさっさと旅荷片付ける。晩に旧正月の花火あり。拙宅からは見えず爆音のみ。『対論昭和天皇』続き読む。

乙酉正月初一。元旦。快晴。無為な日々続く。朝食済ませ地元英字紙に目を通す。本日は旧正月が元旦ならイスラム暦でも元旦と知る。農暦とイスラム暦で暦鉢合わせは何年に一度あるのか。何か起こる年にでもなろうか。部屋のまえのプールサイドにて河口和也『クイア・スタディーズ』読む。岩波書店の「思考のフロンティア」叢書の一冊。著者がまだ筑波大の院生の頃に彼と面識といふか厳密には電識あり。七十年代には同性愛者の解放運動が最終的に目指すのは同性愛と異性愛といふ認識の差すらなくなる、つまり解放=同性愛の終焉といふもの、が現代では寧ろQueer性がアイデンティティとなりそうな気配。そしてQueer性が資本の論理下で商品として回収される時代。午後は少し泳ぎブルーバックスの古典的名著、都築卓司『四次元の世界』読む。旧版が昭和44年の発行。中学生の頃に一度読んで以来の再読。永美ハルオの挿絵も昭和四十年代懐かしいかぎり。中学生の頃はこのブルーバックスの表紙角のマーク何枚だか切り取って送るとブルーバックス特製の本カバーだか贈呈され本好きの友人らの間で一部流行。この『四次元の世界』は02年に新装版出版。新版刊行にあたって、を著者は綴った七月その月に逝去。午後じっくりと読む。早晩風呂にはいり夕暮れ。ホテル内の浜辺に面した海鮮料理屋で車海老の天ぷらと握り寿司。W杯予選で日本隊が北朝鮮の辛勝。NHKのニュース10でこれを冒頭から25分放送し更に川口と宮本のインタビューも後ほど5分の計30分。リ選手の出身校の広島朝鮮高校の校長が小泉三世と瓜二つ。試合後に選手のインタビューが映る度にスポンサー広告でNHKの宿敵「朝日新聞」のロゴが(笑)。ブルーバックスの名著復刻74年の『相対論的宇宙論』読み始める。これも三十年前に読んだ記憶「だけ」あり。松本零士の挿絵。

農暦十二月晦日。快晴。旧正月で韓国からの旅行者多く朝食のレストランは混雑予想されご容赦をと昨晩部屋にお知らせ届く。部屋で持参したオートミールとクッキーで朝食済ます。フィリピンスター紙に「マニラのシンドラー」といふ記事あり。米国シンシナティからのAP電で第二次大戦中にマニラにて米国出身の四兄弟が千二百人に及ぶユダヤ系難民に米国入境を手助けしていたといふ話。この兄弟は父の代からマニラにてフィリピン産葉巻の製造輸出業営んでいたユダヤ系のFrieder氏一族。ドイツとオーストラリアからのユダヤ系市民をマニラに受け入れ当時の在マニラ米国高等弁務官と戦後初代フィリピン大統領となるQuezon氏の協力得て米国入境査証を与えたそうな。シンシナティのユダヤ系市民団体がこの「マニラのシンドラー」の善意に記念式典開く。吉永良正『複雑系とは何か』読む。専門家対象にせず文化系の人にもわかり易くといふが「複雑系の科学の出現の必然性は、論理的にも時系列的にもカオス理論と非平衡系科学の自己組織化論の展開上にあり、さらにさかのぼれば、これら二つの理論の出現の必然性は、保守科学が内包する二極構造、すなわち古典力学の決定論と統計力学の確率論にそれぞれ代表される「単純な科学」と「ランダムな科学」との二重構造がもつ矛盾にあった」と書かれてもチンプンカンプン。複雑系の梁山泊たる米国のサンタフェ研究所と言われてもサンタフェで想像するのは宮沢りえ嬢の写真集。「創発(emergence)」がキーワードと言われても創発で想像するのは香港大学近くの創發といふ料理屋。複雑系が「無数の構成要素から成る一まとまりの集団で、各要素が他の要素とたえず相互作用を行っている結果、全体として見れば部分の動きの総和以上の何らかの独自のふるまいを示すもの」といふ記述で、あゝなる程「自民党の強さはこれか」とかと勝手に想像し「右へ行けばカオティックな無秩序の攪乱。左へ行けば周期的なシーシュポスの苦役から不毛な安定状態をへて死の秩序へ。どちらにしても、ころげ落ちる先は真っ暗闇である」といふ続き読んで「ほら、やっぱり政治だ、これは」と納得してみたり。日本人と限定したくないが人間の集団での習性とて、この本に紹介された空を飛ぶ鳥の群れの法則
(1) 近くの鳥たちが数多くいるほうへ向かって飛ぼうとすること。
(2) 近くにいる鳥たちと、飛ぶ速さと方向を合わせようとすること。
(3) 近くの鳥や物体に近づきながら、ぶつからないように離れようとすること。
で説明できるから可笑しい。それにしても科学の文章とは何と美しいことか。
生物は単体や単一の種としては存在することができず、かならず他の個体や種となんらかの関係をもち(強いか弱いか、直接的か間接的かの違いはあるにせよ)、そのような多数の相互作用によって結合されたネットワークをつくることで生存を維持している。そして、これらのネットワークはさまざまな階層で構造化されていわゆる生態系を成し、そべての生態系が最終的にはただ一つの生命圏の中に統合される。「われわれが知っているものとしての生命」の四十億年の歴史とは、おそらくは偶然によって固定された一つの初期条件としての単純な有機物質の特異なネットワーク(つまり生命の起源)から始まり、ついには地球をおおいつくし、地球を改造するまでに至った巨大な大きな生命圏の物語なのである。
……どうだろうか。何度読んでもこの文章は科学者にしか書けぬ理科系の文章の韻文的な美しさ。続けてブルーバックスで杉晴夫『筋力はふしぎ』読む。難しい筋力の仕組みも書かれてはいるが何が健康に大切なのか何を節制すべきなのか「わかっちゃいるけどやめられない」の世界。これもさらさらっと読了。椰子の木に突然何か黒い物体ひらひらと飛んできて何かと思えば蝙蝠。蝙蝠が昼に椰子の木に飛来しずっと佇む。昼はルームサービスでフィリピンの地元腸詰のサンドイッチなど。白葡萄酒はイタリアのTrebbiano D'aruzzoの03年。午後少し微睡。小泉保『縄文語の発見』読む。ちょっと内容専門過ぎて学術論文の如く素人には最終章だけでよいかも。出雲島根に東北と同じ方言の発音残ることが指摘されているが日本海側にずっと存在した縄文語がなぜ山陰でも出雲にだけ残ったのか著者はそれについて言及せぬが興味深いところ。読了。土曜日からずっとホテルに籠りきり。さすがに飽きて午後三時のホテルのシャトルバスでセブ空港に行き空港からタクシーでセブ市街。このホテルから市街に出る定期バスなし。客が外に出ることはホテルの組んだツアーだけ。ホテルタクシーは高くセブ市内まで往復せば一時間でP500だか一時間追加でP200は計千五百円といえばそれまでだが現地では高い。ホテルにタクシーも偶にしか現れず(なにせホテル客のタクシー利用がないのだから)どうせならせめてホテルの空港行き無料バス利用して空港からセブ市内ならもっと安いかと判断。自慢ぢゃないが(といってすっかり自慢だが)世界各地何処の市街でも初めてでも空港から地下鉄に乗ってもホテルのバスに送られても地図を見ずに方角と位置関係は咄嗟に理解でき、だいたい何処が何処、どの方向に歩けば、といふのは概略地図をぱっと見れば方角確かに町歩き出来るのだけは我ながら感心。セブのこの市街も昨晩ネット上でセブの概略図眺めただけでタクシーで今何処を走っている、目的地はどの方角、あとどれくらいで到着とわかるのは不思議。空港からタクシーで渋滞抜けて市街のロビンソン百貨店までP140(約三百円)。地下の食品売り場で買い物。旧市街ぶらぶらと歩く。フィリピンのマカティ除く他の都市と同様にマルコス時代で「開発」が終わってしまったな、といふ旧市街。高層ビルが建てばいいものじゃないし長屋が並ぶのもいいがドブや下水の汚濁ぶりや電気などインフラ整備の悪化は大問題。自動車の排気ガス、大気汚染甚だし。自動車多すぎ。裏道抜け抜け歩いて巨大なアヤラモールのショッピングセンター。本当に巨大。何でもあり驚く。SMセブはこれの二倍だかの規模のはず。凄い。が巨大ショッピングモール出来てしまふことで当然、ショッピングセンターに行けば用足せれば今さらこの環境悪しき市街など誰も歩かず。日暮れ。アラヤモール近くにミカドといふ日本料理屋あるのを見つけSMセブにも出店してる程。歩き疲れビールでも、と立ち寄りつまみに刺身と酢の物。高級日式といった感じで晩餐を此処で済ます気にもならず。値段はビール三本に刺身と酢の物の盛り合わせでP412で千円程。タクシー何台かホテルのあるマクタン島まで行くのを断れ(空港までなら帰りの客期待だがそれより先はご容赦を、という感じ)メーター倒さず値段交渉なら応じる車もあり。だが行き先がマクタン島のもっとも遠方の東北の岬Punta Engaroでは猶のこと行く運転手おらず。ようやくP300で行くといふ運転手あり「実は自宅が島内で、してやったりだったりして」とZ嬢と笑ふ。そのPunta Engaroはシャングリラホテルよか先で日本料理屋「海舟」といふ店あり。シャングリラ越えてセブのリゾートでも高層ビルのヒルトンホテルの更に奥。夜に来ると「こんな場所に」といふ処だが韓国人多し。刺身も無難だが別に注文の赤貝の刺身だけは×。それと海老天うどん。フィリピンはやはり歴史風土的に天婦羅美味。海老は地元で尤も美味。寿司のネタの名前でこの島のラプラプなる都市名がグルーパ(石班)の魚の名だと知る。でも石班は刺身では美味くなかろうが。酒は新潟の越の八豊って初めての酒。さて帰ろうと思ってもタクシーも来ずジープニーは来るがこれまた島南の辺鄙な余の宿のほうには行かず。しばらく歩く。ヒルトンやシャングリラのあたりなら少しは観光客相手に賑わいもあろうかと思ったがヒルトンも闇の中、リゾートにあって三十階ほどの高層ビルに隣にはバブル崩壊で売れぬリゾートマンションの空虚な建物。シャングリラの前ですら貝殻など土産物売る露店が数軒と韓国料理屋一軒のみ。しばらく歩きラプラプモニュメントの手前でようやくタクシー拾ふ。リゾートホテルが点在する海岸線上を東北から西南に走るがセブビーチクラブなど七十年代にリゾート開発された最も古いリゾートホテル地帯に街道沿いの小さな町こそあるがプーケットやバリと並び東南アジアの国際的リゾートといふわりには余りにも良くも悪しくも観光化されておらず市街整備など遜色るばかり。これでは観光客も黄昏から夜に街に出ようなどといふ気もさらさら起きず。観光マネーも町に落ちず。ホテルが市街へのシャトルバス出さぬ理由もわからぬでもなし。同じフィリピンでもパラワンなどのほうがよっぽど観光客相手しようといふ小さな町もあり。真っ暗な中ホテルに戻る。この人工リゾートがセブで5ツ星といふのも納得。昼の葡萄酒の残り半分ほど飲む。

二月七日(月)快晴。Buffet苦手。Buffetするレストランの片隅でパンケーキとフルーツの朝食。部屋の前、プールサイドで読書。読書。ハックスリー『すばらし新世界』読了。現実の廿一世紀は、と言えば、この小説の如き明らかな階級社会ではないが実質的には経済格差が目立つが、何よりこの小説が現実化している部分は市民生活でのレジャーの効用。この「リゾート」も余暇を快適に過ごさせることで労働意欲を再生産する意味でも市民の資力を観光という産業に還元させるためにも重要な装置。ハックスリーが明治でいへば廿七年生れで、この小説書かれたのが昭和七年とはあらためて驚くばかり。昼はリゾート食に食傷気味でホテルの売店で購入の韓国激辛カップラーメン。午後はまたプールサイドの木陰で立川末広氏の二冊読む。八十年代に『優駿』などに連載された随筆集めた『競馬は純愛小説である』は落語の話に感けた競馬話の妙。「芝浜」など実に見事。昨年入手した新刊が91年の二刷であるからあまり読まれていないのだろうが文庫本化するなどしてもっと読まれてよい随筆集。随筆家といては東海林さだおや日経の東京農大小泉武夫教授のような面白さ。『イギリスぱかぱか単独紀行』は『ハロン』にかつて連載された英国の地方競馬紀行。これも面白い。面白いから休まずに読み続けかなり日焼け。日暮れで恰度読了。数回の英国旅行で立川氏が英国通、旅行通になってゆく。セブ空港の免税で入手したMartiniの発泡葡萄酒を日暮れに浜辺で飲む。初めて目にしたがDolceと表示にもあり甘いことは覚悟したがやっぱり。晩は一通りどのレストランも訪れてしまひ浜辺で豚の丸焼きなどのフィリピン料理のBuffetありBuffet苦手がそこで食す。韓国人とんでもなく多し。韓国も旧正月の大型連休か、と納得。Buffet苦手な上に大の苦手の「現地民の伝統舞踊」始まる。インドネシア、タイから台湾の原住民までみんな同じバンブーダンスはいったい何処が発祥の地か。観光客を参加させたのは何処か、といふこと源流訪ねるとテレビ番組一本できるかも。舞台で踊る少年少女ら眺めフィリピンといへば中上健次が八十年代にマニラでポン引きに案内させ歌舞音曲に勤しむマニラの謂わば「路地」の少年たちを取材していた話を思い出す。何を見て何を感じていたのか。日本ですでに八十年代にはすでに中上健次の物語に登場するような若衆おわずマニラでそれを見ていたのだろうか。舞台は続くがやはりどうしてもこのテの演芸見て楽しむのが苦手で退散。部屋に戻りNHKで雀蜂の巣作りの秘密など見る。吉永良正『複雑系とは何か』(講談社新書)読み始める。

二月六日(日)朝六時半起床。毎朝この時間に覚醒るは香港もリゾートも同じ。このホテルのネット接続環境は、始めてのことだがホテル内にダイアル接続のポートあり部屋からモデムでこの館内番号に電話する仕組み。朝NHKのニュース見ていればエチオピアでレゲエ歌手の生誕賀うコンサートあり50万人が海外から訪れるためテロの危険性が指摘され外務省も麻薬には絶対に手を出さないように呼びかけ、と。エチオピアのレゲエ歌手?と一瞬、誰?と思うが、そうボブ=マーレイはエチオピア出身。
マーレイの還暦賀ふ大麻かな
マーレイ師の死去は死因にいろいろ噂もあるがCIA関与説もあり。このままこの師が存在せば反米的な大陸としての「アメリカン・ムーブメント」起きる可能性が由。50万人といへばこの旧正月に香港訪れる大陸からの観光客は45万人だか、と政府観光局が推定。かつては三が日は映画館と茶餐庁の少しだけが営業でホテルすらレストランの営業が一つ二つであった香港が今では大陸旅行者目当てに繁華街では小売店の七割が営業とか。部屋で持参のオートミールと珈琲で朝食済ませ部屋のバルコニーのプールサイドで寛ぐ。快晴。朝も九時半頃に漸く新聞配達され英字紙The Philippine Star紙読めば一面には“FM victims can't recover $683M”とありFMとは何かと思えばフェルディナンド=マルコスでマルコスのスイスの銀行に預けられた海外隠し財産をマルコスに瞞されたと負債者らが返還求めた訴訟。もう十五年以上に渡るマルコス財産の問題でマルコスはFMと略称かと納得。もう一つ一面記事はフィ政府の外交官が東京から成果なしで帰国。何のことかと思えば「芸能ヴィザ」で日本に入り歓楽業に勤める、或いは買春など強要される女性らについてフィ政府は日本政府に人道的見地から明らかに買春や風俗での従業とわかるフィ女性のケースでのエンターテイメントビザの発給見直しを日本政府に求めたもので、日本政府はビザ発給の見直しなし、と。ただ地元で2年の歌舞音曲従業の経験がヴィザ発給の資格となる旨は日本政府より回答引き出したとか。外交官は日本でのヴィザ発給制限よかフィリピン側での渡航規制などで状況改善を図るべき、と述べる。椰子の木陰でずっと読書。朝の十時すぎにラム酒をオンザロック。極楽。『信報財経月刊』の買ったままであった12月と1月号を熟読。実に充実した内容。12月号に中国山西省のワイナリーGrace Vinyardの記事あり。インドネシア華僑の陳進強氏が経営者。陳氏はインドネシアの裕福な華僑の商家の生れ。65年のインドネシアでの排華運動で陳氏家族の事業は謂わば強奪に遭ひ翌年中国に戻り北京に辿り着いたのが66年で陳氏弱冠14歳。文化大革命で蒙古で強制の牧業に従事させられ75年に香港に移民。無一文から雑貨貿易商を始め三十年の努力で「恒發世紀」なる企業を上場させる。その陳氏が97年に仏蘭西の友人と山西省で開いたのがこの怡園酒荘(Grace Vinyard)。01年からここで産出のワインはかなり評価高く北京では北京国際酒店、王府酒店、香港でもペニンスラやシャングリラ、中国會などに卸され、仏蘭西は巴里と米国華府の中国大使館でも祝宴で供されるほどの国賓ワインとなる。陳氏がなぜ葡萄酒の製造始めたかと言えば、人の一生など短く会社を興し金を儲けても数十年の後には消えてしまふ。発電所を建てても向上を開いても同様。いつか全て陥落が宿命。それに比べてワイナリーは別、と陳氏。何代にも渡り引き継がれ百年後でも葡萄酒は生れる。葡萄酒は人間の文明のなかで最も優れた発明品の一つだ、と陳氏。もう一つ別の文章。信報の元編集長・沈鑒治氏が「暦」について。農暦に対して西暦といふが埃及暦だのローマ暦、グレゴリ暦などについて説明して最後に農暦使ってきた日本が明治維新で一気に太陽暦にして、それはそれでいいが本来農暦の季節の節句まで無理矢理に西暦にしたことの奇妙さを語る。その通りだが、沈氏の、その節句の太陽暦化が「日本に出来て何故、中国に出来ぬのか。我々の文化がとても優秀であるから変える必要がないのかも知れない」といふ冗談にせよ、この言い回しに、もしかすると明治はこの支那の呪縛から逃れるために敢えて農暦の節句の太陽暦化図ったのでは?などとも思ふ。昼をプールサイドのレストランに食す。午後もプールサイドで読書。昨日、空港からホテルまでの道すがら閑な地方に道端で遊ぶ子どもらの姿見て「このへんの子はピアノの練習も公文もなくて幸せか」とZ嬢と話していたがフィリピンもやはり公文式で今朝のフィリピンスター紙に公文式の広告あり“Build the nation with us”と主張。日本でこれを言えば何を烏滸がましいと言われ中国なら国家転覆罪(笑)。だが共和制の新興国家では、とくにフィリピンはまだまだ子供人口多く教育熱の向上かなり期待出来て有望市場か。それにしてもたかだか算数、数学教えるだけかと思いきや“The Kumon Method equips them with the life skills needed to become capable and competent leaders in their community”とはこれまた大仰。夕方はスパに浴し按摩。NHKの『義経』は題字が下手。「義糸茎」(茎の字は実際には艸冠なし)に見えてならず。ホテル施設内の海鮮料理屋に車海老など食す。サンミゲル数瓶。強風。夕方より曇るが風で雲流れ星空愛でる。『すばらしき新世界』読む。昨日の香港競馬、最終レースに馬主C氏のDashing Champion参戦。倍率41倍と振るわぬが調教悪しからず三着期待で堅い二頭と連複、ワイドと三点買いせばその二頭が一、二着でDCも三着に入り三点買のおかげで連複とワイド4つ取る。

二月五日(土)朝七時十五分に家を出てタクシーで香港站。エアポートエクスプレスで空港。Z嬢と九時〇五分発のCX921便でフィリピンのセブ島行き。インターネットでの事前チェックイン済み。出発四十五分前までに空港で荷物預け航空券受領すれば佳いといふが空港はこれまで見たことないほどの混雑。香港は本来旧正月の三が日で来週木曜から日曜まで四連休だが多くの企業や学校など大陸カレンダーで今日から連休も少なからず。Cクラスとマルコポーロクラスのカウンターも行列。結局カウンターでは旅券提示して発券作業があり荷物預け通常のチェックインと何が違うのかさっぱりわからぬ。いずれにせよ出発四十五分前というのは渋滞さえなければ自宅をフライトの九十分前に出れば間に合う話。フランクフルトからのフライトの遅れで廿三名の乗客の乗り継ぎ待ちで四十分近く遅れ離陸。四時間睡眠で二時間殆ど寝て昼にセブ島着。曇天。気温摂氏廿八度。Plantation Bayに投宿。混凝土の上に乗っかっているような感じのリゾート施設。ゆっくりと荷物片付け施設一巡して午後遅く部屋のバルコニーでハックリーの『すばらしき新世界』あらためて読み出す。が微睡んでばかり。バルコニーはそのままプールに面している。日暮れ前にホテル施設から出るが周囲はまことに小さな集落で市場すらなし。間口一間の小さな雑貨屋でTanduayといふフィリピン産のラム酒購ふ。375ml瓶で50ペソ(100円)。予想よか随分と美味。ホテルのロビーの葉巻屋にフィリピン産を売るがその製造がマニラのTabaquera de Filipinasとあり、この「フィリピン煙草会社」と香港の英語名同じ「福和煙草有限公司」が同系なのかどうか。ホテルにはフィリピンの地元客も多し。此処の「リゾート格差」(と勝手に名付けるが、1泊の宿泊費が地元のそれなりの就業者月収入のどれくらいに匹敵するか)は1.5くらいか。つまり月収で1.5泊できるかどうか。地元のある会社が社員の資質向上狙った合宿もあり。つまらぬゲームしたりグループ毎にタスクを協力して達成する活動など。馬鹿馬鹿しい限り。どう見てもお遊びだが、あれが企業だので何か成果あるのか、大学のMBAでもあゝいった活動取り入れたりも、あり。晩にホテル内で唯一ビーチサンダルと水着お断りのイタリア料理屋で食す。葡萄酒はChiantiのRuffinoの03年。1,250ペソ。食後バルコニーでパイプ煙草一服。二更に睡魔に襲われ早寝。

農歴十二月廿六日。立春。昨日よりの霧雨続き気温は朝も十五度で気温上昇とあり濃霧立ちこめ、いかにも香港の立春らしき様なり。ふと思ったが立春を「暦の上では立春。まだまだ寒い日が続きますが……」と農歴=実際の季節とは異なる、といふ前提での言い回しだが、それなら何故「キリスト者の暦の上ではクリスマス」とか「保守反動右翼の暦の上では建国記念日」とか言わぬのだろうか。Z嬢のキャセイパシフィック航空のマイレージAsia Milesのうち僅かだが1,300マイルほどが1月末日で失効する旨の手紙がその前日に届き慌ててその利用図り合計でも1万マイルでは用途限られ半分冗談で広東省東莞のシャラトンホテル1泊9,500マイルあり東莞など仕事でもなければ近くともわざわざ訪れる場所でもなし。東莞は深センの北に広がる新興工業都市、人口五百万人だが深セン以上に広く十数の「鎮」がそれぞれ大都市の規模あり広域市にそれが点在。殆どが香港や外国資本(当然その多くが日系とその下請け)の工場に百万単位の人口の所謂「女工さん」が従業。殺伐とした都市だが日本人居住者も日本人の板前のいる日本料理屋も少なからず楽しみといへば夜のカラオケとゴルフ。で、その東莞のシェラトンの予約は4月15日まで有効とAsia Milesのサイトに明記され三月末にでも訪れようかとシェラトンの親会社Starwoodの宿泊予約センターに予約依頼せば三月中旬以降のマイレージ利用での予約については予約センターにまだ情報がないが、との話。職員機転きかしてひとまず正規で予約しておきマイレージ利用をリクエストでreferしておきマイレージ利用の詳細が出た時点でそれに切り替えることで如何か、と。それ厭ふ理由もなく依頼。すると本日そのStarwoodより電話ありシェラトンのマイレージでの宿泊プロモーションは4月15日でなく3月15日の間違いであった、それゆへこの日までに宿泊変更せよとの依頼。3月中旬迄にとても東莞訪れる余裕もなくシャラトンとAsia Milesでの情報提供のミスゆへどうにかならぬものかと双方に打診するがAsia Milesの電話に出た職員の対応の無礼さは表現し難き程の最悪で「今日現在ですでに失効しているマイレージは戻せる筈もなくシャラトン側の提供するプロモーションの範囲で使えぬのならマイレージは失効するしかない」と、それは余の打診の検討の可否以前の問題として顧客に対してその横柄な口のききかたを猛省すべきでは?と指摘した程。アタナのような善意なき人とは話すにも値せず上司と話させていただきたい、と求めても、まだ「当社側には責任もないことで何故妥協しなければならないのか」などと口走るその職員。呆れるばかり。余はZ嬢の代理で電話しているが余もAsia Milesどころかマルコポーロクラブの会員でありキャセイパシフィックのこのような顧客対応とは驚くばかり、余はマイレージもまだ十万マイルほど有するが、これでは今後の利用は要検討、上司にもアナタの客対応のひどさを指摘するし、このマイレージの問題はキュセイパシフィック航空が真っ当な対応せぬ場合はビジネストラベラー誌など旅行雑誌に投稿も検討する、と伝えるとさすがに多少その職員はトーンダウン。いずれにせよアナタから上司にこの件を伝え上司からこの件につき余に電話するよう依頼。二時間しても上司からの返答もなく、こちらから電話すると、さっきの無礼者とは別の職員が上司は電話中だが「シェラトンのことでしょうか?」と言われ、さて社内でも問題になって他の職員も聞き及ぶかと察す。すると暫くしてさっきの無礼者からいたって丁寧に電話あり今回の件は誤情報が提示されていた点を考慮してStarwood側にシェラトン東莞の4月15日までの宿泊許可するようすでに依頼済み、と。当然のことながら当方に誤認なく先方で調整要することでこの無礼者も上司には客対応をば叱咤されたのであろう。Starwoodの担当者に電話すれば一旦は受け入れられぬと答えたが上司と相談の上、シェラトン東莞に宿泊予約打診済みで結果出次第連絡との事。この件、誤情報が発端で先方双方が非を認めれば誰も損する話に非ず。強いていえば三月中旬以降がシェラトン東莞繁忙期でもあればマイレージで客取りたくない、といふくらいの理由あるかもしれぬが、マイレージ利用してのホテル宿泊とはホテルにとって「タダ泊め」に非ず通常の宿泊料金には及ばぬがマイレージ会社がその費用負担。なぜAsia milesの職員があそこまで強情に無礼通したか、が今もって理解できず。昨年八月に税務署にて所得税の扱いで理不尽な対応されて以来の不愉快をば味わふ。客人あり晩に尖沙咀。春節前の週末、立春で料理屋は春茗の宴会だの、日がいいのか結婚の披露宴など多く、電話で予約試みても尖沙咀では金島雪園香港老飯店も何処もたかだか四人の晩餐の席もなくハイアットリージェンシーホテルの凱悦軒に漸く空席あり。この料理屋も満席盛況。今晩の客人は東南アジア各地の出張の途中で七旬近き紳士。料理も美味しそうに食され酒の飲みっぷりも実にきれい。話も面白いが何より聞き上手で相手の話を聞いた上で自分のネタに上手く被せる絶妙さ。敬服。客人をマルコポーロホテルに送り帰宅途中に銅鑼灣で途中下車。暮れのご挨拶にとBar Seedに寄り白角のハイボール一杯とモルト少し嗜み店も盛況でカウンターの隅に立ち席で旧知のT君、A嬢と少し語り三十分で退く。旧大丸百貨店ファッション館横のタクシー乗り場は長蛇の列。タクシーがないのでなくビクトリア公園での正月前の花市場もすでに始まりかなりの人出で道路も渋滞し客載せたタクシーが進まず後続のタクシーが客を乗せられず。長蛇の列の方には悪いが道の反対側に客降ろした車もあり、それを拾って帰宅。午後から気温上昇し摂氏廿度近いのか深更には書斎の窓からは遂に九龍どころか近隣のマンションすら霧に幽れる。
▼昨日の信報に01年?のノーベル経済学賞受賞のMichael Spence教授(スタンフォード大学)が昨年11月に香港に招聘されての記念公演の内容掲載あり。日本の景気復興も要因は対中国の輸出好調が主因と断言され中国市場あっての日本経済といふこと。対中貿易では素人目には日本の輸入が目立つが確かに景気回復の要因としての対中輸出。もう一つスペンス教授の指摘は中国の農村から都市部への人口移動について。01年でこの都市部への人口遷移が人口の2割と統計があり、現在ではこの数では済まぬ筈。中国が巨大な農業国家と思えば(経済成長上で都市部への人口移動は当然ことで)2割でもけして多くはない。が13億人の2割の人口移動は空前絶後。そして都市部と農村の深刻な経済格差。経済成長もこれほどの規模の経済体が平均8%の経済成長遂げていることは、産業革命発祥の地の英国がその経済成長が百年で平均1%であり、だがその1%でも「極めて迅速」であったわけで、1%増は70年で経済規模が2倍になるが、これはつまり人ひとりの世代でひとつ経済環境ががらりと変わるか変わらぬかといふ話。それが8%の経済成長続けばひとりの人生のなかで何度か経済生活環境の大きな変化があり、それが数億人規模であることの甚大さと深刻さ。ス教授はそこで最も大切なことは教育、と力説。確かに。公的義務教育が実施されたのも産業革命による良き産業従業者育成があり、日本でも明治期の経済成長は江戸時代の寺子屋からの教育環境挙げる歴史学者も多く、戦後の経済成長とて徹底した義務教育の実施と学習、進学熱あってのもの。農村から都市部への工業化された労働人口の移動が、その人々が単なる非熟練の労働力では将来的に経済成長には結びつかぬわけで、それを改善するには労働力で送り出される前の、そして働きながら学べる教育環境の整備が大切といふこと。
▼香港政府の醜聞あとを絶たず。政府の男女機会平等目指す平等機会委員会について。委員会主席の胡紅玉女史の解任と後任の元裁判官・王見秋の利益供与に関する醜聞、それに暗躍噂される民政事務局局長・何志平につきこの何・局長が指名の独立調査委員会が報告書まとめ当然の如く当たり障りなき報告で何局長の関与なしと判断。何局長はこれでシロと笑顔。SARSの際と同じ「内部調査」での逃げ。呆れるばかり。西九龍の芸術文化地区開発も砂上の楼閣だが香港島のサイバーポート建設でも政府がこの大規模開発をば競走入札をせず李嘉誠財閥に丸投げしたことで政府と財閥の癒着指摘され、本来ならその政財協同の一角にあってもおかしくない合和実業のGordon Wuさへ「最近の政府と大財閥との共謀は常軌を逸しており我々が事業に参画する隙間もない」とSCMP紙に不満泄らすほど。李嘉誠の次男リチャードはこの疑惑に「我々は香港に利する事業開発をintendしただけ」と傲慢な開き直り。

二月三日(木)倫敦の朝の如き霧雨。早晩にFCCにて夕餉済ませ尖沙咀。夕餉はクリーミービーフクロケット(←クリーミーな牛肉は想像はちょっとリスキーながら美味)と泰風チキンカレー。尖沙咀での薮用済ませ晩遅くジム。このジムは移転のため旧正月で閉じられると告知あり。帰宅してMt Difficlutyの赤葡萄酒の残り飲む。ふと十五年も前の日記(当然、当時は大学ノートに筆記)読み始め九七年までの日記ノート保管していることあらためて思い起こし孰れこのサイトに上網したいとも思うのだが公私いずれもプライバシーにかかわる記載多いことと大学ノートゆへ様々なスクラップも貼ってある、確かに貴重といへば貴重な日記帳でサイト上ではそのスクラップのスキャンしていたら大変なこと。実は現在もタイムシステムのA5版のダイアリーに行動記録と切符だの箸袋だの貼り付けたスクラップブックもあり。昔の日記読めば些細なことも記憶鮮明に甦ること多く、このサイト上の日剰にては他人の行動や言動について、とくに誰が何を言ったの言わないの、は一切綴らぬが、それに比べ過去の日記は容赦なく様々な人の言動、それに対する余の感想など記載あり、例えは大仰だがマルケスの『百年の孤独』の物語で様々な登場人物が織りなす歴史のような部分もあり。当時の友人らとの写真など多し(それに比べ今はなんと人づきあいが乏しくなったか)。日記貪り読むに時間を忘れ午前二時に至る。
斉藤さが日記に松下電器(以下、松下)とジャストシステム(以下、ジャ社)の抗争で「一太郎とか花子とかって最近使ってる人見たことない」と書かれているがジャ社の一太郎がなぜ今もまだ生き残っているかといふと教育と役所といふ化石の如き市場が其処に在るゆへ。ジャ社のサイト見ればわかる通り「個人」と「企業」のほかに「官公庁自治体」と「教育機関」といふ顧客が別枠。90年頃は電脳といへばNECの98で日本語ワープロといへば黙っていても一太郎の時代。それがWindowsのワードに席捲されジャストシステムは役所と学校といふ「世界」に活路見いだす。これは正解。今もって文書といへば一太郎が主流。例えば新潟県教育庁のサイトを見れば添付文書が一太郎ファイルだけで用意され(エクセルファイルはその文書の計算用添付ファイル)、つまりこれを読む市町村教委と各学校の全てが一太郎を用いていることの証左。長崎県のこちらの場合はワード文書も用意されてはいるが一太郎のほうが上位にある。企業はあっという間に一太郎からワードに乗換たのになぜ役所と学校は一太郎を使うか。これまでに貯えた貴重な資料の有効活用、とまず言うが企業とてそれは同じ。学校の場合、グラフィックソフトの「花子」が学校の児童に使い易いので一太郎もついでに、とも言うが、せっかく馴染んだところで家庭でも将来の職場でも使われていない一太郎に慣れても意味もない。マーケティング的にはジャストシステムが一太郎を役所と学校にかなり格安に販売してきたからで、企業が今でこそ正常化したがかつてはWindowsのOSとソフトをば社内でかなりコピーしていた時代に、さすがに役所と学校は版権にはシビアで、かと言ってPC台数分のソフト購入も予算厳しい時代にジャストシステム社は役所や学校にお得なパッケージ出すことでシェアの維持。それも今ではエクセルがここまで普及しては、もはやWindowsのOSにマイクロソフトオフィスのカップリングは当然なわけで学校に「ワードがない」ことはない。で、でもいずれにせよ一太郎がいずれ消えてゆくことは否定しがたいわけで(個人的には日本語変換のATOKは残ってもらいたいが)、であるから興味深きことは(以下、日経BPみたいなことを綴るが……笑)松下のような業界の巨人が、なぜ「あんな程度」の版権でジャ社といふ「地方企業」をば躍起になって提訴するか、の理由。報道には松下が版権管理に積極的、と指摘あるが、実際にはジャ社の買収視野に入れてはおらぬか。PC業界ではパッとせぬ松下(こちら)がここまで成熟せし市場で今更起死回生も難儀。ソフトで公共・教育市場を握るジャ社。それなら松下のPCに一太郎が標準装備となれば、かつてOasysのワープロの載せて殆どタダ同然の入札にて教育委員会に取り入り「教育現場といえば富士通」が定着した如く、かなりのシェア期待も可。ジャ社にしてみても将来がかなり厳しいことは事実で(売上高は97年の年商312億円が04年は126億と6割減)、だが市場は「個人」と「企業」などどーでもよく「役所と学校」という市場でまだまだ商売出来るなかで縮小路線も取れず。「徳島は日本のシリコンバレー」と一時代築いたジャ社は営業額が最盛期の4割でも社員791人で126億円の稼ぎ、バカな多角経営だのバブルに溺れず無借金で経営基盤の而もオーナー企業である。ならば松下がかなりジャ社に有利な条件での買収をかけた場合、応じないとも断言できず。裁判で一太郎の販売差し押さえで松下もジャ社も強気で全面的抗争のようだが水面下ではお互いの思惑もあるようなないような。

二月初二(水)。早晩にジムで小一時間走る。「小一時間」がここ三日キーワードか。トレッドミルで最初5%傾斜つけキロ8分といふ「ほとんど歩き」で始め、ふと思へばこれでフルマラソン走ると5時間半以上要するわけで「これはまずい」とせめてキロ7分にして3%傾斜で、これでフルなら5時間ぎりぎり。ところで「マラソン」でgoogleしてみたら巻頭が「禁煙マラソン」とは。世の趨勢か。ジムを出て湾仔の英国パブOld China Handこちら)でビール一飲。まるで倫敦の何処にでもありそうなパブ。バーテン相手に客の喋る英語はとてもcockneyで。釣り銭が手の切れる如きピン札ばかりなのは偶然か旧正月も近し。Z嬢と待ち合わせ北京餃子皇にて夕餉。無愛想な店主が店前で客の呼び込みなどしており店内もいつの間にか改装などして何があったのかと驚けばこの餃子屋のJaffe Rdはさんだ目の前に「正隆」なる同じ北京風味の店が開業。それでか、と納得。北京餃子皇には一目見て北京企業のエリートと思われる若い客が入ってくるなり二鍋興酒など香港では誰も飲まぬ酒誂へくっと呷る。Z嬢と「どうせだから向かいの店で麺くらい食してみようか」といふ話となるが北京餃子皇の店主ずっと店前で向かいの店の動向見ており、とても入れず(笑)。だが店内眺めれば店員の面のだらしなさで期待薄。先週のStingに続いての今晩はk.d.langの公演。万に近き動員のStingと同じ会場とは無謀ぢゃないかと思ったが会場は同じでも収容人数三千ほどに縮小。こぢんまり。この会場でのコンサートは開会遅れるは常なれど午後八時の予定が八時半になり漸く始まったかと思えば前座二人。前座終わって休憩二十分で九時十五分近くにやっとk.d.langの登場。これだから次回はもっと客も遅く鳩る悪循環。スッピンにガウン纏ひハダシで現れたk.d.langはまるで深夜の火事で焼け出されたオバサン。この風采で……と一瞬唖然とするが誰よりも歌が上手くどの歌手より音程がカンペキでマイクの巧妙な使い方は前川清など軽く超越して五木ひろしすら陵駕。けして力みもせず、だがぐいぐいと客を魅了。余は独りポケットに忍ばせたジャックダニエルをちびちび舐める。いやぁ、これぞヴォーカル。公演は本編一時間きっかりでアンコールで2曲は「それでB席でHK$590?」の感もあるが、k.d.langのあの熱唱では90分歌い続けたら喉の負担もかなり大きかろう。アンコールで煙草にかかわる歌を歌うが(アルバム“drag”からはこの曲含めわずか二曲)円卓に煙草と灰皿も演出で煙草吸う真似だけで煙草に火はつけず。消防法の規制ではなかろう。日本ツアーの帰路かと思えば日本公演は今月下旬でどうやら豪州、新西蘭と巡演してから日本か。警備のバイトの若者が公演中に携帯で電話に唖然。帰宅してヴァランタインの17年飲み読書。ふと気づけばこの日剰の公開は9ヶ月後だが2000年の2月からの日剰網上掲載あり。当時はミッドレベルにて賃貸マンションの部屋探し。田中小実昌氏逝去。今はなきレインクロウフォウド百貨店の旧本店のカフェヴォーグ。堅道の海燕飯店もすでに廃業。週刊香港原稿。鵝頸街市の恵記の羊南カリー飯はかなり長いこと食しておらず。競馬では出場停止期間多いが余健雄君が騎手で現役。沙田のダートのマイルで「勁驃」13倍で快勝。このレースいまだに記憶あり。ハイテクバブルでtom.comが上場。オスカー・ワイルド『W・H氏の肖像』や『幸福な王子』を在君(とは後の築地H君)に勧められ読書。5年も前のことながら今と生活も嗜好も思考も何も変わらず。当然この老身でまさか今でも心身ともに「成長」など期待もせず。できず。寧ろかうして五年の月日送ってこられたこと神仏に感謝すべき。
▼経済紙の文化欄の充実は日経であれファイナンシャルタイムスであれ明白だが信報の文化欄に広東省が中国の「文化大省」たるべく広州に「広東国際音楽夏令営」なるオーケストラのための合宿施設を建設。単なるリハ場に非ず郊外の風光明媚な山間に大小のリハーサルホールや練習室あり、宿泊施設もアマチュアや学生のための合宿所からプロのオケのためにはホテル並み、超大物の指揮者やソリストのための豪華宿泊施設まで完備。この施設の音楽監督にはデュトワを任命とかなりの力の入れやう。アジアのタングルウッドとなるか。実際に運営は難しかろうが、少なくとも、香港の西九龍の埋立地に見栄えのいい小屋は箱だけ造れば(それがデベロッパー儲けさせるだけなのだが)国際的文化都市になるといふ安易で軽薄な発想に比べれば、この、オケに此処に集い憩ひながらキャンプしてください、のこの発想のほうがいかに将来的に重要な投資か。

二月朔日(火)厳寒。晩に上環に薮用あり早晩に上環は畢街の生記にて及第粥食す。夕餉には早き時間なれど折からの寒さに温かき粥食さむとする客少なからず。煮立てた粥誂へ持ち帰りの客も多し。二時間余で用事済ませ地下鉄で銅鑼湾。Bar Seedに一飲。酒場にボトル誂へ置くこと厭ひつヽ「さらり」と一杯飲んで帰るには席料のみで済む気軽さもあり高校生の頃に郷里の高校から抜け出して五分のジャズ喫茶「ロメイン」にサントリーホワイトのボトルキープして以来のキープ。小一時間にて辞して二更のうちに帰宅。昨晩の加藤といい「さらり」と飲んで立ち去る客を気取る。雨は本降り。バーでの酒談義、ハイボールは白ソーダといふ話から店に置きたい日本のウヰスキーはニッカの「余市」とご主人が言われ帰宅してニッカがとても気になり、だいぶ寝かしてあつた「」を開栓して一飲。最近はシングルモルトばかりで偶にかうしてブレンド酒は美味いもの。
▼W君が日記で書いているが銅鑼湾のそごう百貨店の旭屋書店の11階への移設について。SOGO Book Clubといふ名になって拡充に一瞬期待するが旭屋と中文の書店がフロア二分し洒落た喫茶店ありノリは台湾の誠品書店。これまでの10階からの移設は判りづらく余もZ嬢に聞いていたので11階に行き着けたがエレベータもなく地味な案内でエスカレータ上がると内装からしてシックなSOGO Clubといふフロアが11階から16階まで続く。これを店員に質したW君によればSOGO Clubに会員として加入すると11階から16階が利用できるそうで、SOGO Book Clubの会員制度は存在せず、ではSOGO Clubに加入せばどんな特典があるかといふと別になし(笑)。会員でなくとも11階〜16階の利用可。旭屋書店は相変わらず誰でも書籍購買できる。で何故メンバー制になっているのか。想像するのは百貨店としての営業許可が10階までで11階以上のこのビルは登記上はオフィスビルで、となると形式的であれ会員限定とする必要があるとか。いずれにせよ旭屋の書籍の品揃えは昔から性に合わず「つくる会」の歴史教科書平積みにする「海外在住の日本人にチンケなナショナリズム」売る商売は不愉快でほとんど足を向けず。
▼契丹太平洋(キャセイパシフィック)航空の広告で機内食で供されたアイスクリームを口のまわりにつけた笑顔の子どもの写真で“Take one cup of Vanilla...”といふ広告あり。キャプションには“Add a spoon and give to a restless child for 15 minutes of peace and quiet. Or indulge yourself for a few moments of delicious escape. Either way, life will get better. It's the little things we remember”と言ふ。アイス一つで子どもが静かになり親もほっと一息、といふ「ありがち」なことをば広告に上手く活かしたもの。
▼接客商売の話続くがアメックスがプラチナクレジットカード(こちら)の会員獲得大作戦。年会費HK$1,700で「そこまで払って」と一瞬思うがマイレージが3倍お得だの指定のレストランで割引大だの指定の旅行会社使えば空港までリムジンだのエアポートエクスプレスが無料だの格安でゴルフ場利用可だの特典多く「年会費の元が取れるのでは?」と思われ、アメックスのプラチナカードか……とステータスへの執着が狙い処。だが、これは「クレジットカード」であって普通のアメックスカードとは違うこと。クレジットカードはクレジットカード、と思いがちだがアメックスは「信用限度額=クレジット」を設けていないことを表面上は宣伝文句としており通常のカードは「クレジットカード」とは呼んでおらず「アメックスカード」とかがこれ(チャージカード)に該当。普通のプラチナカードは年会費HK$5500で毅然と存在しており別格。それに対して信用限度額の設定された他社の従来のクレジットカードに該当するものは多少異なったデザインで「アメックスクレジットカード」を売っている(こちら)。今回プロモーション展開中のプラチナはこの「クレジットカード」に該当する方でそれゆへステータスは多少低いのが事実。他のクレジットカードの負債もこちらに移し替えて低利で返済可とはちょっと下品。マイレージ3倍もお得だが、そのためには一定額の消費が必要で、とちゃんと条件もあり。ご指定のレストランも美心大酒楼だの北京楼だの洞庭楼だのと「しっかり」美心マキシムチェーン。「なるほどね」と妙な納得。

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