教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

二月廿八日(火)二時間ほど寝て朝五時半すぎ起床。香港站までタクシー走らせチェックイン済ませ荷物預けAirport Expressにて空港。キャセイパシフィック航空のラウンジにて朝食。新聞数紙攫うが信報並んでおらず。9時10分発のCX504便に搭乗。744機で 誰にも邪魔されぬ二階席80Hと80K席押えていたが新聞読もうと照明つけようとしたが点灯せず。座席の肘掛けに内蔵のハンドセットの不調。照明ばかりか (どうせ見ないが)映画などのスクリーンも制御できなければ服務員呼ぶことも能わず隣席のZ嬢のハンドセットも同様に不調。技術員参りハンドセット制御す る主電源リセットされたが今度は照明だけは点灯したものの消灯しなくなり依然としてハンドセット動かず。機体はエプロンをば離れ離陸に向かう。服務員にこ れぢゃ成田までずっと照明眩しく不自由も続くと伝えると離陸後に「後ろのお客様に移動いただいてお二人分の席を確保しますので」と。その搭乗客には申し訳 ないが自分もそういう事情で二人掛けの席に一人でいれば気軽に譲るであろうし。でシートベルトの表示消えて「お席を移動してください」と言われ立ち上がる と移動してくれるのはすぐ一列後ろの女性。すると服務員が我に向かい「シートを倒したりは問題なくて、動かないのはスクリーンだけですよね」と言う。どう やら後ろの客には「もしスクリーンが動かなくても差し支えないなら」と移動をば仄めかしたようで、それぢゃ私らが、たかだか「映画が観れないなんて!」と 駄々捏ねた客の如し。「いや、そうじゃなくてハンドセットが全く作動しないし照明がずっと頭上からあたったままなのです」と説明すると、服務員がその客に 「それじゃあちらの席のほうがいいですね」と別な席勧め、それで事無きを得る。ちょっとした不具合なら妥協するが、機内サービスに大きく影響するハンド セットの不調では妥協し難し。それでも我らなど服務員にも「お手間とらせて」とつい下手に出てしまうから、まだいいほうかも。Z嬢と思い出して笑ったのだ が東京に住まう頃、知人の音楽関係会社の重役にM氏という「飛行機に乗ると文句を言わないと気が済まない」病的な御仁あり。とにかく飛行機は高いカネ出し て乗る特別な乗り物であるから必然的に要求高い。一フライト搭乗毎に何らかのお詫びの品だの次回搭乗の際の特典など得ることに固執。エールフランスの巴里 行きに搭乗しYクラスでも「最前列」にこだわるのだが搭乗して「風邪をひいた」そうで、その理由が搭乗口の扉周辺から漏れてくる寒気によるもの、とM氏。 扉の隙間から大気が侵入などしてきたら理論上、飛行機は飛んでいられるはずもないのだが到着後の数日に渡る執拗なる苦情にエールフランスとて東京支店の営 業担当課長だかが菓子折りだか持参でお詫びに現れたほど。余も実は「別のお席を用意しますので」と言われた時に一瞬、Fクラスへのアップグレードか、と期 待したが世の中そう甘くはない。新聞読みブランチ食しワインを少し飲みLelf Ove Andsnesで機内の音楽でピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲1&2番を聞く。Z嬢がY氏から数日前に借りた中村紘子の随筆でラフマニノフについての 記載もあったが1番が発表当時は不評で、という話があり。今これを聞くとポップス、で2番は浪花節だろう。朗郎のピアノでメンデルスゾーンの1番聞いてい たら、もう日本。成田から京成スカイライナーで日暮里。車内の酸欠のような暖房に閉口。おもわずTシャツ1枚になるが寒からず。上野より実家に戻る。特急 は1時間5分にまで時間短縮。時速100km越えているが狭軌鉄道で揺れがひどすぎる。ここもTシャツで寒くない。郷里の駅ではJリーグの地元サッカー チームの宣伝らしく選手らも駅のコンコースでファンサービス。実家に戻る。父をなくして時間もある母も歌舞伎の切符までネットの時代となりネットとメール 始めるというのでiMacをば贈り、モノも届きブロードバンドの工事も終わっていたのでさっそく立ち上げる。晩遅くスーパー銭湯。
▼朝日新聞衛星版(香港)のアジア面に香港支局の記事で「日本のイベント定着」という香港での早食い大食いコンテスト(競食)の話題あり。これのきっかけ となったのが昨年8月14日に開催された蔡瀾の美食坊での早食いコンテストで小林尊という人が叉焼飽の早食いで圧倒的強さ見せつけたこと。それが話題にな り翌日マスコミで大きく取り上げられた、と、それはいいのだが「翌日」は当然、8月15日。これを企画した広告代理業の旧知S氏が「あえて終戦記念日にぶ つけてみた。戦争の問題が厳然とある一方で、日本と香港の若者が楽しくやっているという現実も伝えたいと思って」と語っている。これは敬服。だが気になる のは、この朝日の記事で「翌15日、終戦記念日の各紙には、日本の戦争責任を厳しく問う記事と一緒に、小林さんの大食ぶりを紹介する記事が写真入りで載っ た」とする。一瞬、これを読むと日本の戦争責任特集の記事の横にこの大食漢ぶりのイベント記事が出ているようにすら思えるが、事実そうだったのだろうか。 どうもイメージが先行している気がするのだが。
▼機内で読んだ『アエラ』に「堀江マネー操るスイスの金庫番」という記事あり。これは拍子抜けで大笑い。沖縄で謎の死を遂げた野口英昭氏もかかわる日本 M&Aがらみでクレディ=スイス香港のKなる人物がライブドアの海外資金に深く関わる、というわけで記事の舞台は香港。で野口氏もかかわった香港の Pacific Smart Investmentなる投資会社の取材となるのだが、アエラの記事はこの会社が中環の中心地のビル(東亜銀行本行ビルのこと)の28階にあるが訪れてみ ると、ここが東亜銀行系のセクレタリーカンパニー。数千社のペーパーカンパニーの会社登記が此処でされている、と。で、まさかクレディ=スイスのライブド アの口座の全貌が明らかにされるはずもなく、当然、話はここから進むはずもない。で記事は香港がいかに簡単に会社設立登記ができるか、という誰でも知って いる話が延々と続き、最後は「鄙びたビルの小さなオフィスで簡単に手に入れられるペーパーカンパニー。だが、それは、当局の網をかいくぐって国際的な資金 移動を可能にさせるパスポートともなる」と。えっ……タイトルは「堀江マネー操るスイスの金庫番」だったのに記事は「香港はいかに簡単にペーパーカンパ ニーが設立できるか」で終わってしまった(笑)。これぢゃ週刊文春や週刊ポストなら編集長どころかデスクに「バカヤロー、なんだよ、これで堀江のマネー記 事かよ!」と一喝され「記者、さっさとやめろ!」だろう。朝日のアエラであるから、これが活字になるアエラらしい毒にも薬にもならぬ典型「報道」なり。
▼中国の広東省前省長・梁霊光氏が逝去。享年90歳。文革の混乱も収まった1977年に福建省から北京中央に引き上げられ軽工業部長(大臣)。翌78年に 北京で民族工藝展を開催。これが文革後10年で北京初の工業展覧会。三度目の復活果たしたばかりの鄧小平が会場に突然現れ、この展示会開催した梁霊光をば 評価。80年に中国経済成長の花形であった広東省に遣られ広州市党委第一書記、市長、広東省党委書記、広東省長を歴任。80年に広州の五星ホテル・花園酒 店が建設されたが香港からの資金をば当て込んだ開発であったのに香港側の資本は香港の中国返還問題が当時未確定で先行き見えぬ不安から中国投資が冷えてお り資金調達ままならず。その時に広州市長であった梁霊光が一筆認め「この投資事業については何が起きようとも広州市政府が全て責任を負う」と信任状をば香 港側に送る。これでリスクかなり回避され香港側の信用が取り戻され花園酒店も開業に漕ぎ着ける。
▼朝日新聞でNHK番組への自民党有力議員の介入報じた本田雅和記者が人事異動で「アスパラクラブ」なるネット上の顧客サービス担当に異動。朝日社内での 社員のメール管理も厳しくなるようで中国なみか。

二月廿七日(月)午後遅く小雨から本降りとなり風雨甚だし。朝八時から晩十時までかなりの諸事に追われ最後、お針仕事の頼まれ物をお客様へと届けに急ぐが すでに戸も閉まり叶わず。尖沙咀天文台道の*洞Expressな る韓国料理の快餐店に寄り炸醤麺注文せば快餐の店なのに10分以上待たされ厭な予感すれば供された炸醤麺はタレも一見して「好きになれそうもない」もので 麺は一掬いで麺が玉になり持ち上がるほど茹ですぎの団子状態。一口食べて「げげっ」と思い二口目で降参。尖沙咀の韓国街Kimberley街から目と鼻の 先で、これは驚き。仕切り直しでChatham Rdに最近開店の九州らーめん店*竜に入る。店の案内のちょっとあやしい日本語に「日式?」と思ったが 東京に五、六店舗ある九州らーめん店の海外第一号店だそうで愛想のいいカウンターのスタッフは好感度大。「自分仕立て」と麺の湯で加減からスープの濃さま でお好み次第というので固茹でスープあっさりの高菜らーめんにしたつもりが、それでも豚肉などかなり濃厚で個人的には苦手。地元の雲呑麺屋が10ドル単位 でかなり高水準の麺を供している香港であるから、その値段の三、四倍からそれ以上をとる麺については辛辣に評価していいと思える。帰宅して夜中に旅支度。 雑用済ませ何かと午前三時に至る。

二月廿六日(日)知人のお教室のお稽古事お浚い会あり昼すぎまでお手伝い。昼遅くZ嬢とFCCにて昼食。昼からハイボール二杯。帰宅。お浚い会の写真整理 して現像に出す準備済ませ午後遅く脚按摩。ジムに一浴。昏時帰宅してハイボール一杯。書斎の机まわりの雑事済ます。大河ドラマ「功名が辻」ほんの少し見 る。次回のタイトルが「初めての浮気」とは。日活ロマンポルノか昼のソープドラマぢゃあるまいし大河ドラマで「初めての浮気」とは。晩におでん。今年はこ れが最後か、と思いつつ来週もまた摂氏11度くらまで下がると天気予報。二日分の新聞、計七紙など読む。
▼マカオで上水道の塩分濃度異常値続きマカオ政府は上水道の飲用を不可として上水道料金も三割だか市民に還元の非常措置。上水道で塩分?というのはマカオ は珠江支流の濠江河口近くで河水組み上げ浄水。それがここ数年、珠江の河川水量の減少が原因が河口から海水の逆流が深刻で塩分濃度上がり浄水では塩分濃度 の低下には限界あり徐々にマカオ市街の上水道の塩分濃度上がる。米国ラスベガス系のカジノ乱立させ中国大陸からの観光客相手の博打場稼業という甘い水にと んだ災難。

二月廿五日(土)曇。環境保護団体Greenpower主催 の慈善山歩き開催され早朝に一緒に参加のN君夫妻に車で迎えに来てもらいヴィクトリアピーク。ここから石澳の大浪湾まで山あり谷ありの50kmの行程。も う今年で6回目くらいの参加だろうか。今年は天気予報は雨のところ曇空で気温も16〜18度でしんどくはなさそう。午前7時半に先発の部としてスタート。 精鋭のランナーらが走り去ってゆくなか、午後三時のゴール目指しかなりゆっくり走り、ひとまずマジョリティなる団子からは抜け出す。あとはひたすら走り (といっても時速8km、キロ7.5分くらいのゆっくり)登りは当然歩いて、の修業。足に痙攣がなんどか走ったが予定では午後3時に石澳大浪湾に到着と言 い放っていたが予定通りの2時59分。7時間29分で50kmを踏破。数年前までなら上位1割に入っていたが今は出場者のレベルも上がり、おそらく上位5 分の1くらいだろうか。今回は大会新記録出て1位は3時間47分ということは山道を登りを含め平均で13kmで走ったとはただ驚くばかり。友人のT君が陽 明山荘〜大浪湾までのハーフの部で2時間6分で優勝。N君の車で送ってもらい夕方に自宅近所のジムでサウナに入り帰宅。晩に今日のトレイルの打ち上げと帰 国するN氏、T氏の送別会で北角の寿司加藤。晩九時には帰宅。さすがに疲れ甚だし。

二月廿四日(金)曇。読売新聞号外がメールで届く。いつも開けてみる迄いったい何の特報か、がわからず。開けてみると「巨人監督に原氏」とどうでもいい話 題であったり。で今日は一瞬「民主党永田議員辞職」か、と思ったが永田辞職ではさすがに号外までにはなるまいと思い、もしかすると「民主党前原代表辞任」 か、と胸踊ったが、開けてみれば荒川「金」、てっきり荒川の放水路にて砂金でも摂れたか?、と。早晩にFCCにてハイボール一杯。Z嬢来てそのままFCC のダインにて晩飯済ませスターフェリーで尖沙咀。香港芸術祭も後半に入り余はこれが最後の「禅武不二」鑑賞。河南省嵩山少林寺武 道館と台北優人神鼓と の共演で、演出と脚本が練られておらぬが、謂わば海峡挟んでの舞台交流で、鐘太鼓の見事な演奏に少林寺の武術に禅の世界の芝居を交え、まぁ「よくできまし た」。少林寺の若い修験僧らも舞台で芝居までする世になり、あと数年すればJohnny's Jr.の如きのアイドルグループも出現だろうか。
▼中国で89年の天安門事件の際に天安門の毛沢東の肖像画に黒の漆喰をかけ「反革命破壊活動と暴動煽動罪」で懲役20年だかの刑に服していた男性が胡錦涛 国家主席訪米を前に釈放される。天安門事件での重要「犯罪人」で刑に服していた最後の一人だが、まだ七十余名の服役者がいるという。この男性、釈放された のはいいが服役中に精神に異常来たし家族の顔も認知できず言葉も喋れないほどに。毛沢東の顔にまさに泥を塗った、中共にしてみれば最大の侮辱なのだろう が、服役中に何があったのか、どれだけ精神的に追い込まれたのか。
▼湾仔の太原街と交加街界隈の露天屋台市場。路上の屋台に対して政府は営業許可をこれまでの1年から月毎に変更は太原街に政府の室内市場来春完成予定ゆ ゑ。これまで路上では営業許可は年HK$4,500にて家賃はただ。それが室内市場は月HK$3,000では路上の店々が営業続けるも難し。市街が清潔に 整備されるなかで猥雑さも風情もなにもなし。

二月廿三日(木)曇。ライブドア問題が自民党苦しめるどころか民主党が武部メールの「偽装」に嵌り議員永田某憔悴しきって入院、代表前原某の去就まで焦点 になるとはライブドアでの自民党との攻守逆転。かつての社会党よか民主党よっぽど自民党の補完に尽力はご立派。晩に金鐘の*都海鮮酒家にて送別の宴会あり末席を汚す。東海集団の高級店にて場所 柄、隣の個室には「金融管理局」だのCOSCOだの「それらしい」お客様多いのも、エレベータであがれば、この料理屋、フロアの客席をば通り抜けずに直 接、個室に入れるゆゑ。そこでVIP客も少なからず首相の要職にあった頃の森さんも南アフリカ訪問だったかの時に「政府専用機の給油のため」香港にお立ち よりになり在香港総領事の案内にてこの海鮮料理屋で森さん自身が給油。で宴会始まったが厳選したはずの菜譜なのに、どうもどれもこれも味付けが順徳風味と いえばそうかも知れぬが田舎風の甘辛さで単調。フカヒレのスープは化学調味料がかなり効いておらぬか。どれもこれも大蒜の使いすぎで揚げた海老も塩辛いし 油っぽすぎ。甘い中華ハムは同席の客の半数が残す。蟹肉ふんだんに使ったはずの伊麺もクリームに和えているが「ちょっとごめんなさい」。香港での有数と評 判のマンゴープリンすらマンゴーの果肉が黒ずんでいるではないか。大丈夫だろうか。数年ぶりに来たが主厨は変わったことは確か。それにしても香港の広東料 理の粋であるはずの店がこの田舎仕立てに驚くばかり。部屋についた給仕の機転利かず。いちいち指図せぬと要領を得ぬ。そして高級店とはいえ必要以上に静 か。店の喧騒感じられず、ふと気になりフロア偵察に向かえば「ガガーン!」のお茶っ挽き。フロントの客の予約簿覗けばフロアは晩の予約が三組のみ。場所 柄、昼の営業が主であろうがバブルな店で晩は晩で濃い客多きはず。それが晩の八時に客なしとはいったい何事か。晩十時に食事終われば隣の宴会室もすでに空 でフロアもしんと静まり果てつ。この料理屋は湾仔の新鴻基中心にも店あり。そちらの賑わいがどの程度か気になるところ。

二月廿二日(水)早晩に二日続けてバーY。パイプを一服とハ イボール一杯。銅鑼湾の寿司翔太にてかつての仕事関係S氏主 宰にて余の廿年の旧知U氏、S氏の友人お二人と某経済誌特派員氏で食す。S氏らお三方とかなり久々にバーS。畏友B氏おり真夜中にもう一軒。二度目だが名前知らずの某ビル14階。カウンターのなかのホステス嬢数名がかなり聡明。四川省 出身だそうな。四川人があの内陸にありながら何故に外語に堪能となるのか、尋ねるが勿論それに名答ないが広東語、日本語、英語にあゝも堪能に而もかなり知 的に物語りされてしまうとただ驚くばかり。
▼作家の福島次郎氏逝去。享年76歳。『三島由紀夫—剣と寒紅』の書き手。澁澤去り六代目歌右衛門、春日井健去る。先日読んだ三島本の作者は堂本正樹氏。 最後に残るは美輪明宏先生か。

二月廿一日(火)曇。早晩にA氏とかなり久々にバーYにて快 楽時光(Happy Hour)過す。麦酒一杯に氷抜きのハイボール。おでん少々。晩に朝日新聞と全日空の共催にて桂文珍の落語会あり。前座は月亭八天と林家うさぎ。寄席三味 線の内海英華の艶やかさと話芸に、英華師匠の都々逸と語りなど聞きながらお座敷で一酌などコトのほか楽しかろう。で桂文珍は、てっきり前座が飽きるくらい 話したあとで一席、かと思えば、八天のつぎにネット関連の現代落語、でうさぎが出たら再び文珍師匠現れ「お神酒徳利」。お神酒徳利というとあたしの場合は 圓生が印象深いが圓生の「お神酒徳利」と比べれば上方の、しかも文珍がかなりこってりと練ったお神酒徳利はもはや別の話にすら聞こえる。あたしが落語を寄 席で本格的に聞いたのは小学5年生だかの上野鈴本。日曜日にひとり神田の鉄道博物館に行き、その帰り、ふと鈴本。中学くらいのころは病みつき。志ん生は高 座を観ておらぬが春風亭柳橋の老境を拝めたギリギリの世代。圓生、正蔵、小さんもまだまだ元気。桂文楽の寝床などテープを入手し「いいねぇ文楽は」と畏友 J君らと楽しむ13歳。しばらく落語への関心失せていたが80年代の東京は志ん朝の全盛期。だがVHSよりβ、WindowsよりMacのあたしゃ「志ん 朝もそりゃ素晴らしいが通はやっぱり馬生でしょう」と池袋演芸場などで馬生の話や踊りを堪能したのも懐かしいかぎり。閑話休題。で文珍師匠、お神酒徳利の あと中入りとなり10分休憩。さすがに客が驚くほど長丁場覚悟で少なからずお帰りになる客(そりゃそうだ、のここまで2時間)。で内海英華の寄席三味線で 最後は文珍師匠が得意の「星野屋」。小朝で聴いたような記憶のある、これは確か江戸の咄か。星野屋は文珍師匠であるから身投げして死んだはずの檀那が妾家 に現れてからの騒動はもっとたっぷりできるはずだが三時間になる長丁場の香港寄席となり最後はだいぶ端折った感あり。だが充分に堪能。会場は主催者側発表 で七百人と盛況。全日空はJALの低迷に「ここぞ」とばかりの躍起。香港もANAプラチナカードだか大新銀行と提携で発行の大宣伝。名前だけは「プラチナ カード」も日本人相手に所得額など事前審査なしの向こう見ず。実際にはクレジット発行会社合弁の審査会社あり香港IDの番号だけで個人の過去の信用実績な どたちどころにわかる仕組み。一方の朝日新聞。全日空に比べ幾許の宣伝効果あろうか。朝日の購読者対象と限定せず、読売、日経、聖教新聞などの読者にも門 戸広げる気前の良さ。それぢゃ「ウチもこれから朝日にしましょう」となるはずもなし。当日の朝日衛星版会場に積んであれば開演前に不躾にも関係者の前で一 部とって「あら、暇つぶしにいいわね」と宣った客など摘んで場外に放り出してもよかろうに。せめて朝日の購読者は上席にするとか(読売など他紙読者は立ち 見)、衛星版発刊10周年記念なら発刊以来の定期購読者は文珍師匠との茶飲み会に参加特典とかすべき。だが朝日読者のみ上席になどすれば立ち見の客の間で 「坐ってる人たちってみんな朝日新聞読んでるんだって〜」と(笑)白眼視か。香港でいったいどの程度の発行部数あるのか知らぬ読売なども含めた新聞など月 に1万円もかけて定期購読する「知識階級」が在港邦人の何割なのか、そのうち朝日の読者は幾許か。駐在員的には日経、家庭では読売が圧倒的に多し、で聖教 新聞も人口的には1割だろうが、新聞読まぬ非創価学会世帯に比べ創価学会信者が聖教新聞購読は相対的に高いだろうから1.5とすると、日経5、読売3で朝 日と聖教新聞が1.5ずつ、と見てはどうであろうか。寄席も終わり「銅鑼湾に主催者側発表の700人の邦人が溢れる」と料理屋、飲み屋の混雑も想像に易く 早々に帰宅しカップうどん「ごんぶと」食す。すっかり年寄りの薄味で粉も液体もスープなど半分で充分。おまけに「揚げ」まで一度湯がく。これでようやく あっさり。
▼この日剰にても地味に取り上げてきた仙台市の梅原某がついに全国区に登場。朝日新聞の投書欄に「「こども」表記、漢字はやめて」という産経的には活動家 であろう仙台市民の投書あり。戦後、左翼に汚染され続けた市政の改革進める市長は「こども企画課」や「こども家庭係」などの名称を「子供企画課」「子供家 庭係」に統一し新年度には「子供未来局」設け、今後、市の文書や政策では「子供」と漢字に統一だとか。市長は「漢字があるのだから漢字を使うのは当然」と 新都市構想での中華街建設には反対した市長にこの漢字好きの漢意(からごころ)とは矛盾甚だし。それならまず「仙台」を「仙臺」にすべき。よーするに思想 も思考も浅はかで、単純に「こども」「子ども」の響きに市民運動、左翼の臭いあり、これを毛嫌いしての「子供」への無理強い。だが文部科学省でもHPなど 「子ども」「こども」が混在で「子供」見当たらず。http://www.ocs.co.jp/
▼「香港の良心」(と言われる)元政務長官・陳方安生女史のご母堂Fang Zhaoling(方召●)女史逝去。享年92歳。浙江省無錫の富裕家に生まれ1930年代にマンチェスター大学に学ぶ。同 学の方心誥と結婚。方心誥の父親は国民党の抗日戦での名将・方振武。戦禍逃れ来港。長女の安生女史が香港政府で女性初の地元採用上級公務員職として出世。 方心誥氏は若くして急逝するが未亡人となったZhaoling女史は嶺南派の国画の画家、書家として才能発揮。97年の香港返還を前に英国側の香港政庁で パッテン総督により布政司に抜擢された安生女史が返還後の政務長官候補となることで中国側に反発あったがZhaoling女史の国画を中国側に贈り安生女 史の祖父が抗日戦の英雄ということで中国側も妥協とか(陶傑氏が突っ込む話題であるが)。高齢でも旺盛なる制作意欲衰えず。でこの家族、長女の安生女史筆 頭に弁護士(退職)、医者、国連職員、旅行会社社長と子どもらも錚々たるもの。だが問題は長男の弁護士氏。1999年に九龍は油麻地の雑居ビル内の小さな マンションで若い女性の白骨死体発見される。この部屋の所有主がその安生女史の長兄である弁護士。当時は証拠不十分で刑事事件化されず。高度な政治的判断 という風聞もあり。が董建華から「自称政治家」Sir Donaldの御世となり司法長官が悪名高き梁愛詩女史から現職の若造に代ると、この事件、再調査なる。今度は、これが世論の支持高き安生女史の政治的蘇 生警戒する北京筋からの仕業という風聞も。でZhaoling女史の弔報伝える今日の新聞にはこの白骨死体事件の裁判で昨日、白骨と化した若い女性の母親 が「娘はこの安生女史の長兄の実質的な愛人で、長兄氏の弁護士から「方家は当局ばかりか裏の世界にも強いパイプがある」と刑事事件化せぬよう圧力示唆あっ た」と証言とか。Zhaoling女史の葬儀となればこの長兄氏もさすがに喪主として葬儀に出ざるを得ず。安生女史がどこまで「香港の良心」なのか。董建 華夫妻と家族ぐるみのつき合いする畏友のA君からは安生女史のかなりの傲慢さも聞いたが、果たして。
▼久が原のT君といろいろ物語りするなかで歌舞伎の話となり(いつものこと)突端は神谷町の話から芝翫の婿にあたる中村屋の話となり先代の勘三郎の話に至 る。勘三郎の強烈な印象は梅幸がダブるわけで余も幼き頃にみた勘三郎と梅幸の、道行だったのかお軽勘平だったのか子どもながらに眼に焼き付いて今もって離 れぬが先代の勘三郎で、とT君に言われた昭和62年11月の歌舞伎座。梅幸との「廓文章」は「粉だらけの大福餅が引っ付いたような一幕」で名品。そうそ う。最終三日間は松緑復帰記念の「山門」の出幕。「巡礼に御報謝」の競演で一日目が中村屋(17代目勘三郎)の久吉、二日目が大檀那(六代目歌右衛門)の 久吉女房長浜御前、千秋楽は梅幸の久吉。大松嶋(13代目仁左衛門)の美事な仁木の引っ込み。T君をしてT君の見た歌舞伎座で最も名優が揃って輝いたる昭 和も終わりに近き62年11月。懐かしいかぎり。

二月廿日(月)曇。諸事に忙殺される。晩に尖沙咀の吉野家で 牛丼。香港の吉野家は定かでないが豪州産牛肉だとか。数年前に東京は中野の友人宅に泊まり歌舞伎を母と見る朝、国鉄中野駅北口の吉野家にて朝定食を注文の はずが店員に早口でホニャララと言われ聞き取れぬも知った顔で「ええ」と答えれば朝から特大盛の牛丼出され閉口したが、その一カ月後だったかに吉野家が米 国産牛肉の使用断念から牛丼の営業停止。中野の朝の特大盛は今にして思えば貴重。
▼阿倍某の戦後教育批判は築地のH君の指摘の通り「戦後の教育」がもし悪かったのなら、当然、教育行政の責任者である文部科学省と政府与党が責任をとるべ きもの。それを何でも他人のせいにする、というのは人間としての徳のなさ。中国が悪い、韓国が悪い、教育基本法が悪い、憲法が悪い、とすべて他人の所為。 そういうのをひっくるめて責任をとるのが政府与党というもの、と。御意。それほど無責任なる政府与党に下駄を預けてきたのだから最終的には国民に竹篦返し がくるのは当然か。
▼朝日新聞に「団塊」の世代論あり。上野千鶴子お姉さまと「三井の良心」寺島実郎氏。千鶴子姐は大学紛争が大きな出来事としつつ、さすが社会学者、当時、 大学進学率は13%(女性に限れば5%)、人口の9割が大学に行っておらず、全共闘は周辺のシンパ入れても学生の2割、反全共闘が2割、残り6割はノンポ リで「大学闘争は世代のマジョリティーを巻き込んではいない」こと指摘。御意。香港のバーとかでこの世代の人と話すと、当然のように全共闘世代と熨斗がつ くのだが余のかねがねの疑問が「ほんとうにそんな世代間の大きな動きだったのか?」ということ。千鶴子姐の歯に衣を着せぬ指摘は(って上野先生の歯に衣を きせるのは優秀な歯科医でも難儀だろうが)溜飲下がる思い。寺島氏のコメントは「自分はこうしたい」という主張で世代論の体はなしておらず残念。

農暦正月廿二日。雨水。週末にゆっくり寝ていればさぞや快適であろうと思いつつ早起きし8時にMTR坑口站に6名で集まり一昨年 Trailwalker100km一緒に歩いたI君が帰国のため送別のトレイルで西貢は北潭凹に。我が勘違いでMcLehose Trailの3の鶏公山の登山をば間違って2を歩きませうと告知しておき「えっ……」であったがI君の英断で3を登ることにするが雨は本降り。息も白くな るほど。それでも標高300mほどに登れば雨もやみ雲の絶え間に馬鞍山などの稜線も見事でため息。Cheung Sheung の山中の茶屋に名物の豆腐花を食す。何度 も訪れし茶屋で豆腐花もいつもは「凍」ばかりで「熱」食したのは初めて。もちろん「凍」よか格段に美味。昼すぎ西沙路の峠に下る。タクシーで西貢に戻りい つものThe Duke of Yorkにて麦酒一飲。他2 名合流し西貢で海鮮料理堪能だが午後に観劇の予定ある我は一行と別れ独り龍 記桂林米粉にて美味なる金銭展米粉を食す(展の字は正しくは「月」扁に)。西貢のミニバス乗り場に「ダリ に」車輪の歪んだ放置自転車あり。午後3時より尖沙咀の香港文化中心にて台湾の雲門舞集「行草」三部曲の二「行草弐」の舞台開演まで90分。ミニバ スで坑口に戻りMTRで香港島に戻りタクシーで帰宅し慌ててシャワー浴び着替えて金鐘までタクシー急がせ尖沙咀の会場にZ嬢と滑り込み。「行草弐」は水曜 日に感嘆の「行草」に比べ照明や音楽を抑え純粋に舞踏に徹す。余計なものをここまで削ぎ落とすか、の究極なる舞踏。この舞踏団の呼吸の大切さが三階席にま で伝わる。Z嬢とフェリーで中環。彼女はお買い物で余はFCCにてハイボール飲みながら新聞読みと日剰綴るなどしZ嬢来てFCCでそのまま晩飯。復た尖沙 咀に戻り午後8時15分より雲門舞集の「行草」三部曲の終章「狂草」の舞台を観る。「行草」から「狂草」であるから文字から期待はかなり破天荒。だが昨年 11月に台北の国立劇場にて初演のこの「狂草」は予想に反し、ここが林懷民の見事さで、「行草弐」では舞手が「個々に」舞踏が洗練されていたものが「狂 草」は十数名の舞手がまるで一つの生命体、有機体の如く舞う見事さ。ここに至ったか、と感嘆。
▼昨日記述に漏れたが香港から中国への長距離列車出ずるHung Hom站の免税店にかつては見たこともなきパイプ煙草各種充実に驚く。紙巻き煙草も紐育の高級紙巻き煙草 Nat Sherman などあり、一服すれば「なにが高級なのか」と納得する銘柄ではあるが中国のバブル、取引先への珍しいご贈答品としてばかり売れるのかも。いずれにしても美 味なる煙草好きには一興。
▼官房長官阿倍二世ライブドア堀江社長について「(事件は)決して規制緩和の結果ではない。やっぱり私は教育の結果なんだろうと思う」と宣う。もちろん言 わんとするところは教育基本法の改正。「国を愛する心を書き込んでいただきたい」と。国を愛せばホリエモンも現れず、とはただただ唖然。これが首相になっ ては小泉三世どころのお話では済まず。それにしても阿倍二世によれば戦後教育が間違っていたからホリエモンの如き輩が現れた、と言うが、なぜ戦後教育が阿 倍の嫌うものとなったかと言えば米国による戦後占領政策ゆゑ。なぜ米国が戦後占領政策に当ったかと言えば太平洋戦争での敗戦。太平洋戦争で勝っていればホ リエモンも現れず……となれば究極は戦時内閣に大きく関わった阿倍二世の御祖父・キッシーら当時の官僚にも責任あり。つまり岸信介ももっとちゃんとしてい ればホリエモンも現れず、となるのだから、ホリエモン問題を教育基本法などに短絡的に結びつけるべからず。
▼シンガポール政府が06年政府予算案に財政黒字を国民にボーナスとして還元と発表。全ての成人に所得に応じSin$200〜800(14〜56千円)支 給。国民の45%が最高額のS$800受け取り月収S$1,500で公団住宅に居住の4人家族の場合、低所得者へのボーナス加算や学生補助などで臨時収入 はS$3,780という大盤振る舞い。昨年夏に世襲で李Jr.首相選出されてから初の総選挙がこの春予定されていることから(李光耀からの世襲による禅譲 でなく「最良なる人材を公正に選出した結果」とシ政府宣うが北朝鮮も同様に世襲制を解釈)選挙対策のばらまき予算は明らか。と以上は朝日新聞の報道(19 日)だが、この金銭での票の買収の不正選挙、買収につき18日の信報にはこのシ政府の06年政府予算案の数字も出ており(ここまで報道しないと実態見え ぬ)、それによれば財政黒字どころか06年の政府予算はS$28.6億の赤字で、そこにこの国民ボーナス(14億)を含む26億円の国民給付金が含まれ、 単年で見れば今年がこの大盤振る舞い分が赤字だが、それじゃ05年に同額かそれ以上の財政黒字あったのかと言えば05年単年の黒字は4.3億にすぎず。明 らかに政府による政府与党のための公的資金による不正選挙運動。恐ろしや。但しシ政府の予算案で遺産相続税撤廃は少子化対策や国民資産の海外流出を抑える 上で最良の案。

二月十八日(土)ご公務あり朝八時廿五分に鉄道にてHung Hom出で一路、広州。「九広通」の二階建て列車で一等車はHK$40高いだけでと思えばお値打ちの快適さ。昨 晩三時間ほどしか寝ておらず、だが香港の新聞は広州到着前に読み捨て。広州東站に着けばホームで息が白き、気温は摂氏十度。香港より八度低し。広州東站か らタクシーで本田自動車広州工場に近い某所ご訪問。夕方ご公務終わり市街に戻り雨空のなか海珠路のあたり路地を散策。廿数年前に広州に列車で香港から入 り、この都市の広さわからずタカをくくり駅前からこの解放路をば大きなリュック背負って歩き始めその遠さに途方に暮れた炎天下のこと思い出す。晩に復た鉄 道にて香港に戻る。青島麦酒(といっても深圳にある朝日麦酒との合弁工場の産品)一缶飲み香港まで熟睡。

二月十七日(金)諸事に忙殺され晩に至り晩の観劇に急ぎタクシー走らせ金鐘からMTRにて尖沙咀。英国国立劇団の“History Boys”は昨 年のLawrence Olivier賞にて最優秀作品賞受賞し主演の教師役Richard Griffiths氏が主演男優賞受賞の話題作で香港でも五日連続公演だが尖沙咀站にて、ふと「それにしても香港文化中心の劇場で5日連続?」と一瞬不安 過り切符あらためて見れば会場は金鐘の香港演芸学院のテアトルで「がちょーん」の開演15分前。慌ててMTRにて金鐘に戻り演芸学院に滑り込む。さすが英 国の話劇(英国Guardian紙の劇評はこ ちら)。といっても実はOx-bridge的な世界だの英国特有の風刺だのあたしには正直言ってわからない箇所も少なからず中文の字幕も要を得て おらぬから(井上ひさしの芝居を外語にしたらやはり難しい)周囲の客が大笑いしているのに聾桟敷になったり。脚本はアラン=ベネット(Alan Bennett)。劇の幕開きは車椅子に坐った歴史家が登場。一瞬、状況がわからぬのは観客の誰もが舞台は英国の何処にでもありそうなグラマースクール (公立学校)であることを“History Boys”なる劇名と事前宣伝で知っているから。で舞台は一瞬にして、この学校となり(この舞台の大道具の簡素ながら見事な舞台設計だけでも一見の価値あ り)学校の格を上げたい校長は学生8名を選抜しOx-bridgeに入学させたいが悩みの種は定年間際の風来漢なHector教師(Richard Griffiths)。 英文学が専門ながら、この8名の精鋭クラスで授業といえばフランス語の授業をしてみたり(このフランス語での寸劇が抱腹絶倒)哲学や人生を語り生徒には人 気。だが、すぐに生徒をノートで叩くし、校長の方針だのカリキュラムは一切無視で、而も男子校で下校時にお気に入りの学生をば自ら運転するバイクに乗せお 触りするが如きどうも英国の伝統か?生徒にチョッカイ出す悪癖あり。この状況を打開しようと若い歴史家(Stephen Cambell Moore)を非常勤講師に招くが、これも一癖ありの人物。この公司が幕開けの歴史家と同一人物だとわかると健歩にて授業する講師がどうも著名な歴史家に はなるが車椅子に坐る不自由な身となっていることが気にかかる。で物語はたっぷりとこの学校でのHector教師と学生との語り合い、それに講師や校長ら との騒動、と続き、最後に講師がなぜ車椅子になったか、と話が進む。途中20分の休憩はさみたっぷり3時間。英国のとてもとても英語話劇。だがAlan Bennettの脚本はそれほど英国では珍しくない学園モノのはず(耽美的に描けば“Another Country”になってしまうし社会的に描けばケン=ローチ監督であろうし、誰にでも愛されるほのぼのとした学園モノのようで見る人によっては社会派の 『小さな恋のメロディ』であるような)。それが演劇の賞を総嘗めなのは、個人的にはRichard Griffiths演じるところの教師には魅力が多少感じられぬが寧ろ肥満体のこの懲戒免職もありの定年退職間際の男を魅力的にした配役と演出によるもの なのだろう。

二月十六日(木)諸事に忙殺され遅晩に至る。帰宅してNHKの放送は通常であれば香港時間8時にニュース9で9時にニュース10となるが日本での冬季オリ ンピック中継の関係で衛星放送の番組編成も影響受け香港時間8時台にはNHK映像アーカイブで「シルクロード」が連日放送される。スポーツ中継やオリン ピックの類いには殆ど興味もなく「シルクロード」で結構だがニュース番組もオリンピックなど「放送権の都合で画面をご覧いただけません」多し。日本の報道 番組の不思議はスポーツ中継に割く時間の長さ。そりゃBBCでもCNNでも中国中央電視台でも報道番組にオリンピック取り上げられるが催事としての報道で ありニュース番組の後半で活躍する選手の姿など映るだけで、日本ほど他のニュース削ってまで各種競技が「報道」されることは稀。
▼民主党が堀右衛門による自民党幹事長武部某の次男への3,000万円送金追求に小泉三世「根拠のないことを公の場で民主党の議員が言うのはおかしい。ガ セネタをもとに委員会で取り上げるのはおかしいと思う」と宣う。笑止千萬。「根拠のないことを公の場で言う」のが上手はだれか。イラクの大量破壊兵器保有 など根拠のないガセネタをを根拠に自衛隊の派兵を決定し、公の場で「自衛隊が駐屯する地域は非戦闘地域」だのと公の場で平気で宣うのが誰か。小泉三世とい う人のバカさ加減に呆れながらも、根拠のないことを公の場で「民主党の議員が言うのは」おかしいのであり、自民党でしかも総裁なら根拠のないことを公の場 で言うことも小泉的には赦されるのか、と妙に諦めに似た納得。ところでその小泉三世の木曜朝名物のメールマガジンでは「先日、「世界によい影響を与えてい る国の第一位は日本」という世論調査がありました」と馬鹿馬鹿しくて引用も恥じるほどの書き出しで延々と首相官邸での懇談会に来た、日本の文化や自然を愛 おしむ親日家の紹介が続く。「私たちが気づかない日本のよさをたくさん教えられました」と、この人は人に讃められるのが大好き。で懇談会の司会した木村尚 三郎の「街づくりで大切なのは、女性にやさしく、高齢者に安全で、そして外国人にわかりやすいこと」という言葉を紹介。「国づくりで大切なのは、弱者にや さしく国民すべてに安全で、そして外国人にわかりやすいこと」ということこそ小泉三世に理解してほしいが無理であろう。
▼韓国外相(外交通商部長官)潘基文氏国連事務総長出馬。国連常任理事国入り叶わずの日本がこれに嫌韓的に難色示すのは驚きもせぬがフランスの志らく大統 領が事務総長は英語とフランス語を駆使できることをば条件に挙げたことも嗤える(朝 鮮日報)。それにしても潘氏の学歴、経歴の見事さ(http://ja.wikipedia.org/wiki/潘基文)。我が国もぜひ韓国に対 抗し(学習院から)スタンフォード大学院、倫敦大学大学院と学歴も立派な麻生太郎君(http://ja.wikipedia.org/wiki/麻生太 郎)をば国連事務総長に出馬させるべき。日韓外相がスタンフォード対ハーヴァードで英語でディベートでもしてアジア代表権を争うのも一興か。ちなみに麻生 君はスタンフォード的な米語をば倫敦で矯正されたそうだが、その際、やはり「べらんめぇ調」が売りの麻生君であるから英語もコックニーだったのだろうか。

二月十五日(水)朝の濃霧から雲一つなき快晴となり群青の空に気温は摂氏廿三度で汗ばむほど。晩に香港文化中心にて台湾の「雲門舞集」(Cloud Gate Dance Theatre of Taiwan)の公演あり。今 年の香港芸術節の目玉演目の一つで雲門舞集は「行草」の三部曲(行草、行草弐、狂草)を四回公演。今晩は「行草」。雲門舞集 の主宰人である林懷民(Lin Hwai-min)氏が台北の故宮博物館に通い書道の行書と草書から得たinspirationをば舞踏にする。余の知る限り最も洗練され最も美しき舞 踏。照明の見事さにため息。音楽も見事。例えば一つの舞踏は、真っ暗な舞台の床、壁の一面に見事に白抜きの行書が幾行も、数百字が映し出される。ぎっちり と書かれたそれは九龍皇帝の乱文か耳なし芳一を想像すればいい。その照明の技巧だけでも立派な作品だが、舞台では文字の一部が動き始める。暗闇のなかに舞 手がいたことがわかる。舞手が身体を動かすことによって端正な身体に映った文字の一部が端正な身体に流れてゆく。舞手の動きが大きくなるにつれ舞手は全裸 らしく文字が身体じゅうを這う。舞手は六名だかに増え行書の海のなかで舞い続ける。……どうにもこの舞台を語る言葉など余にはない。ただ「ご覧あれ」と。 ちなみに東京公演は9月21〜24日に新宿文化センターにて。必見。林懷民は台湾の至宝。
カタログハウスの雑誌『通販生活』が05年秋号に岩波書 店のブックレット『憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言』を別冊付録としたことの反響が同誌06年春号に掲載される(朝日新 聞)。日本の趨勢では岩波、朝日に「カタログハウスよ、おまえもか」だろうか、同誌が「『通販生活』は憲法九条を変えないほうがいいと考えます」と主張す ることは日本ではかなり珍しいが読者の反響は約3対1で護憲に賛成だそうで『正論』や『世界』ならまだしも通販雑誌で編集者と読者(というより買い手か) の感性が一致していることは『暮らしの手帖』よか凄いことかも。勿論、この姿勢に「不快極まりない。良質な商品を紹介する雑誌に徹するべきで思想信条まで も通信販売するべきでない」という声もあり。それにしてもその国の現行憲法を護ろうというだけで「思想的と烙印を押される」ことの不思議。

二月十四日(火)午後から小雨。聖ヴァレンタイン日。今更この日の異教徒らの祝祭に何を語ろう哉。物言えば唇寒し。ヴァレンタインの日に相手にもされぬ老 人の僻みととられるばかり。早晩に雨は本降り。何カ月ぶりだろう。バンコクのY氏来港で3月に帰国する岡山出身で香港ではMadame de Jordanと呼ばれていた(って佐敦在住の奥様の意)E嬢も誘い、それにO君とZ嬢でハッピーバレーの益新美食館(この美食館という名前は嫌い。昔の益新飯店がよかった)に 食す。昨年八月初旬に久が原のT君とお連れのK君と一緒して実に半年ぶりの益新。聖ヴァレンタインでZ嬢の話では銅鑼湾など花束もった女性と男性のカップ ルがうじゃうじゃしており三越裏の高級回転寿司店など長蛇の列だそうな。異教徒の若者らが聖ヴァレンタイン祝し花束をもって高級開店寿司に並び寿司を食す とは奇習なり。で益新も昼に予約してもう晩は満席か?と思ったが幸いに卓あり。この店は「檸檬鶏」が有名であるがこれは絶対に「砂糖ひかえめ」で注文する とよい。あっさりと美味い料理に紹興酒さらっと2本。笑話尽きず。岡山では(とE嬢の岡山在住のお母上がこの日剰読まれているそうであまり余計なことは書 けぬが)岡山ではPomacea Canaliculata(lamarck) が大流行で、と聞くと一瞬、なんか凄いオシャレが大流行みたい。でE嬢がこれは日本中で流行しているのだろうか?という話を提示し、こののポマチェーア・ カナリキュラータ、はスクミリンゴガイで「ジャンボタニシ」と言ってしまえばそれまでだが、田圃の用水路などに生息し稲作に大きな害与えるそうで問題は深 刻。その明太子みたいなピンク色の卵が 気持ち悪い〜そうでこちら。その確かにちょっとグロな、でも見方によっては草間彌生っぽい卵を潰すと赤い液体が出て水が赤く濁るそうで……でその田圃で収 穫された米稲はみんなお赤飯になる、とか。嘘。
▼朝日新聞の国際面に中国の杭州にて天使姿の若い女性が街頭でカップルにバレンタインデーのカード配る写真あり(AP配給)。ちょっとしたことなのだが朝 日新聞はキャプションで「西洋の伝統、味わって」と題して「中国東部の杭州で12日、バレンタインデーを前にして、カップルにカードを配る天使姿の女性た ち。ライフスタイルが多様化し、西洋の伝統も受け入れられるようになっている」と。「ライフスタイルが多様化し、西洋の伝統も受け入れられるようになって いる」とはずいぶん仰々しい。実際には、文革の頃ならまだしも、クリスマスだの太陽暦の大晦日のカウントダウンなどずいぶん前から「ライフスタイルが多様 化し、西洋の伝統も受け入れられるようになっている」のであって、今更バレンタインデーだから、ということでもない気がしたが。同じ写真を蘋果日報は「西 の風が東を漸す。近年、内地の若者の間では西洋の「節日」が大流行。中国伝統の元宵節(旧暦の1月15日)のこの日(2月12日)も天使姿の女性たちが街 頭に出てカップルにバレンタインデーのカードを配った」とキャプションで紹介。こちらのほうが自然な文章に読める。ところで聖ヴァレンタインといえば香港 の陳日君司教について日剰で先日「枢機卿」と間違って綴り訂正したがヴァチカンにて枢機卿に任命される見込みと昨日、報道あり。数年前にまだ前任の人徳厚 き胡振中枢機卿存命のおり 確か当時は助理主教であった陳日君氏はキリスト教の教区幹部とは思えぬ飄々とした風情で旺角の街中で信者と立ち話などして地下鉄に乗っていく様に好感もも てたがここ5年ほどの歯に衣着せぬ言動は凄まじきものあり。最初の目立つ反中央政府な言論は5年前だったか中央政府の香港出先機関である中弁聯がカソリッ ク香港教区に対して中国での殉教者の聖人化に「低調に扱うべき」と口を挟んだのが発端で(共産主義下での殉教少なからず)それに抗議、01年には香港市民 を親に持つ大陸生まれの、香港の永住権なき児童について政府が香港での滞在で小中学校への通学認めぬ裁定に抗議しカソリック系小中学校で受入れ、このへん 迄はキリスト者の人道感だけに思われたが03年の基本法23条立法ではカソリック信者に71デモへの参加強く求めその後は普通選挙実施推進だの香港の民主 化運動の象徴の一人の如く映る。但し昨年末のWTO閣僚会議では会議最終日のデモ騒動の終結後に現場にさっと現れ数分間だけ韓国人抗議家らを見舞い抗議活 動に対峙した香港警察、機動隊の抗議者鎮圧を「香港の恥」と罵倒。これに対してはカソリック信者の警官や市民から陳主教に対して「言い過ぎ」と抗議の声も あがり劉健威さんも信報の随筆で陳主教を批判。同感。その陳主教がヴァチカンで枢機卿に任命されるわけで中国政府がこれをどうとるか。ちなみに中国には枢 機卿はこれまで民国期に田耕莘、台湾に渡った民国に于斌、中共成立後に1955年から獄中にあり60年に終身刑となったまま79年にヴァチカンから枢機卿 に任命された龔品梅(88年に釈 放され病気治療ということで渡米し客死)、前述した香港の胡振中、現職には台湾に單國璽がおり、陳日君は六人目。
▼朝日新聞に久々にはっきりと骨のある論説記事あり。根元清樹編集委員による「靖国問題の迷路「心の自由」ですむのなら」。リリー=フランキーの文章を引 用して子どもでもわかる、しっくりいかない「そんな間柄でもどうにかやっていかなければいけないのよ、というオトナの優しさと愛情」から話を始め辻元清美 が小泉三世に質した「心の問題」に話を引き、小泉三世は心の問題を大切、と言うが、内面の問題に深入りしないという政治の作法は「人類の多年にわたる努力 の成果」(憲法97条)であり、日本の政治が尚もその流儀に疎いこと指摘。憲法や教育基本法の改正論議で国民の「心」の中に国家が踏み込もうという主張が 根強いこと。菅直人の言葉だそうだが、病気や貧困といった不幸の原因は政治の力で相当程度取り除けるが「幸福は精神的なものに支えられていることが多く 「権力が関与すべきではない」こと。従って政治の目標は「最小不幸社会」の実現に留まるべきで心にかかわる「価値の実現」からは手を引くべきであること。 小泉劇場が心の問題の迷路を舞台に残したまま幕を閉じようとしているなかで、この菅直人の言った言葉の意義が増している、と。

二月十三日(月)薄曇。晩に尖沙咀に薮用あり独り一平安に長 崎ちゃんぽん食す。一平安のあるミラマアーケード、一等地のショッピングセンターで無印良品やユニクロなども入る。が角地のビルの構造がイマイチで内部を 歩きづらい。2階のユニクロと3階の無印のある場所で吹き抜けも災いしビルのフロアが断絶され人の流れが滞る。奥のKnutsford Terraceに続く星巴珈琲などある一帯も活かされず。場所がらもっと集客が期待されるところ残念な設計。
▼Int'l Herald Tribune紙に“Cartoons and the flag - Denmark's problem with Muslims”というデンマークの Information なる新聞の米国特派員 Martin Burcharth氏(こ ちらの記事など面白そう、だが読めぬ……笑)の文章あり。溜飲が下がる思いで読む。ナチスドイツからのユダヤ人の救出を1943年に行ったデン マークは他者との融合を長い伝統にしてきた高度の人道主義の国家であり、540万人の人口のうち20万人がイスラム教徒、而もイスラム教徒は数十年前はか なり希少な存在であった事実。但し過去20年に渡りコペンハーゲンでのモスク建築が赦されないのはデンマークの寛容性とともに民族色の強調を好まないゆ え。西欧国家でキリスト教の印象が強いが日曜礼拝に行くのが国民の3%に満たぬほどデンマーク人の宗教への淡泊さ。そのデンマークの価値観が今回のイスラ ムによる一コママンガへの非難に遭い、これまで国家を宗教からできるかぎり乖離させてきたデンマークの国旗の白色の十字をばキリスト教の十字架に見立てる ようなナショナリズムがデンマークでも意識されたという。今ではまるでデンマークの国旗が世界中で宗教蔑視のシンボルの如く見られること筆者は嘆く。
▼イスラム教徒はデンマークの右翼紙の預言者ムハマンドに対する侮辱に怒ったわけだが例えば、それが日本で皇室の場合はどうか。SCMP紙の2月11日に 掲載された“Household gods pray for survival”という記事(Julian Ryall記者)。ほ ぼ紙面の横幅大で天皇陛下妃殿下はじめ皇太子殿下妃殿下、秋篠宮など皇室の宮様方の余りに醜悪なお姿がイラストで描かれる(Terry Pontikos画)。これだけで「恐れ多くもわが皇室を」となるのかどうか。この醜悪画も英国ならBBCのチャンネル4にてエリザベス女王やチャールズ 皇太子が人形劇で登場し馬から堕ちたりに視聴者笑うが。記事は秀明大学教授のマークス寿子男爵夫人が“The biggest contributing factor to the problems that they now find themselves in is Prime Minister Junichiro Koizumi's desire to go down in history”とか“Questions have been raised in the past about the future of the monarchy... but it has really come to the fore since Mr Koizumi declared thta he wanted to change the law”と ズバリ指摘、その上さすがマークス男爵夫人、皇太子殿下も秋篠宮も20年以上お知り合いだし殊に皇太子殿下には殿下のオックスフォード大学ご留学中に頻繁 にお会いしているそうで“The two princes don't like each other at all. They are very different characters; Akishino loves to meet people, is always joking, but is not particularly clever. And, of course, there are the reports that he had a girlfriend in Thailand, where he has spent a lot of time studying marine biology. Although those rumours seem to have died down in the last four or five years.”と「そこまで言うか?」の言いたい放題。ナマズ殿下と言われた当時のタイでの「ご研 究」はクラビのDusit系リゾートホテルにまでHis Imperial Highness Prince Akishinoがお泊まりの際のお写真ありお見かけしたが、それにしても“but is not particularly clever”とは不敬の極み。言っていいことと悪いことがあろう。で弟宮への直言に対して皇太子殿下にはどうかといえばマークス男爵夫人は“His old brother(秋篠宮の兄、つまり皇太子 殿下)was always a 'nice boy' who spoke very properly and had everything that he did praised. But he has this image of a 'goody-goody' who can do no wrong, and that seems to be the cause of the friction between the two men”と事実だが手厳しい。また秋篠宮家での11年ぶりの妃殿下ご懐妊につ いても“I was joking last week when I said the agency(宮内庁)might steal a baby, but this news will be a huge relief for them”と宣い皇室については“They have very little money of their own and are dependant on the state, they have no jobs and nothing to do with themselves all day long, they have absolutely no freedom and the younger generations of Japanese people simply don't understand who they are or what hey are meant to be doing”とこれは男爵夫人の言い過ぎ。この男爵夫人は著書も言いたい放題の説教で有名だが。皇室の財産なり、陛下ともなれば話は別だが 皇族方であれば「お寛ぎ」にいろいろ策もあり全く不自由ともいえず(某皇族の殿下が某国大使公邸へ伺われ、その裏口から赤坂方面へお忍びでお出かけな ど)。日本の若い世代でも皇族に誰がおり皇族がどういった社会的活動しているかなど知らぬとは言い切れぬ。そもそも皇族が“no jobs”とは失礼千萬にも程があろうが。
▼信報の文化欄に勁翔なる人の「北海道的両種雪」という随筆あり。秀逸、と思ったのはここ数日、また蘋果日報にて蔡瀾氏の随筆で自ら主宰するグルメツアー の宣伝が続き北海道の雪祭りの話などに「うんざり」だったため。よくも随筆でここまで自らの商売の宣伝ができるものだとただただ呆れるが行列のできるレス トランとて「主人と懇意だからすぐにテーブルが用意されるのだ〜」などと平気で書く厚顔ぶりの蔡瀾氏は何を言われたところで「もう年寄りの耄碌だから何を 言われても平気なのだ〜」でほとんどバカボンパパ。
▼母に頼まれ歌舞伎の切符をネットで取れば驚いたのは今月の下旬の歌舞伎座もまだ空席あり。昼の部は高麗屋の直実、播磨屋の幡随長兵衛、夜もお玉さんと菊 之助の道成寺に音羽屋まで出ても。今でも一等席の「とちり」の真ん中などが容易に入手可。勘三郎の襲名でのあの大入りが嘘のよう。松竹的にはつまり勘三郎 ほどの襲名を維持すること。となると将来の海老蔵の團十郎襲名しかないわけで闘病中の当代が白鴎の如く名跡を譲り海老蔵君が襲うことも松竹的には想定内、 か。母の話では勘三郎襲名で元・勘九郎君は彼の芸道も含んでの意味で義父にあたる「神谷町シフト」著しいそうで、神谷町にしてみれば息子・福助の歌右衛門 襲名を成し遂げ神谷町興隆実現が狙い目か。
▼昨日のStandard Chartered 香港マラソン。フルマラソンの部での制限時間5時間での完走率は67%と聞く。高温と大気汚染甚だしく10kmとハーフ合わせ参加者の4,800名余が走 行中に足を吊ったり気分悪くしたりで医療隊の世話になり病院に22名が運ばれ内2名が危篤。1名は危篤から回復したがもう1名は、偶然にもこの人が青馬大 橋から汀九橋に曲がるところで卒倒した直後に居合わせ出場者の中で医者だろうか心臓マッサージなど応急措置続けるが救急隊の到着の早さや、その後の警察の 白バイが先行しての緊急輸送の物々しさ、気管支疾患が持病の50代男性で心臓停止から蘇生したものの脳死だと聞く。スタートに応援に現れた自称政治家 Sir Donaldも事態重く受け止め大気汚染と来年の香港マラソンの規模拡大と実施環境の調査を緊急に求める。何人か参加して制限時間にゴールできず、の知人 の話を聞けば新聞にも報道あったが35kmすぎの西海底トンネル入口付近で、此処の通過制限時間で閉められてしまいかなりの数のランナーがここで強制リタ イア。警察による封鎖は確かに所定の時間通りだが5千人の参加でスタートから後方のランナーはスタートに数分要するわけで制限時間5時間といっても実際に は5時間10分くらいまでは猶予あり。でこの35kmも7、8分の猶予あって良し。実際に5時間の制限時間ぎりぎりでゴールを目指す熟練のランナーにとっ ては数分の差が重要。この封鎖にかなり強烈に抗議もあったが警察の封鎖は解けずの無念。その結果が67%の完走にかなり影響あり。ところで折り返しで走り ながら暇なので数えていたがマラソンは先頭から25位までがケニアなどロイク選手が続いていた。ケニアにとってマラソンは外貨獲得の一大産業だろうか。
▼河北新報より。仙台の市長梅原某の伝統賛美めずらしく真っ当な方向に発揮されるは旧町名の復活。伊達の藩制時代から伝わる元鍛冶町、表小路などの旧町名 へ住所表記を戻す案。だがその一方で理解できぬのはJR長町駅東側(約44万平方米)につき長町、郡山、諏訪町といった町名統合を予定しており、而もその 新町名が「あすと長町」なる下品ぶり。「あすと」は長町開発の地名募集にあった「明日都」なる知力低き命名に英語の「私たち」の“us”の掛け合わせだと か。バカである。名古屋の田舎空港か水戸の「シャンデロード水戸」に勝るとも劣らず。仙台市当局はこの「あすと」については住民との協議で決定の経緯あり 旧町名復活の動きとは別にこれは白紙には戻せぬ、と。こんなところだけは市民の声を聞いてとは嗤わせられる。

二月十二日(日)本日第10回 Standard Chartered 香港マラソン。第3回大会に10kmで初参加、翌年から5回連続でハーフ、昨年初めてフルマラソンに参加し4時間54分18秒という亀の如きタイムで一応 は完走。昨年のこの日(2月27日)は、帰宅して若い頃は運動家であった父に愚息も今頃になってようやく人並みに運動を、 と伝えようと電話すると実家に叔父がおり一瞬、不安が過るが案の定、数年闘病生活続けてきた父が体調崩し病院に入院、と知らされる。父はそのまま意識な し。翌々日一泊だけで筑波の病院に駆けつけたが、結局、愚息のフルマラソン完走は伝えられぬまま。その一週間後に父は逝去。今年もフルマラソンの前には月 に計200kmくらいは走り込まないと、と言われ自分でもわかってはいたが怠惰な生活続き。何せ昨年より「斤量」が2kgほど増加しており、それだけでも 完走も危ぶまれる。途中リタイアしてもいいように(ランナーをばピックアップのバスもあるが)タクシー代の現金とOctopusカードもちゃんと用意。朝 七時すぎに金鐘までタクシーに乗れば已に6時に尖沙咀スタートした10kmのランナーのなかには走り終え荷物ピックアップして帰途の者すらあり。金鐘で数 千人のランナーのゴールへの走りに遭遇。尖沙咀ではハーフスタート前の混雑。結局、10kmが23,838人、ハーフが10,203人、フルに5,927 人の参加とか。8時にフルマラソン出発。スタート地点では自称政治家Sir Donald君らが応援。気温は摂氏18度が20度まで上がるそうで当然、屋外では直射日光の下ではもっと暑くなるだろうが、薄曇りなのか、それより大気 汚染ひどく、不幸中の幸いは直射日光に灼かれず。けっこうそれなりに快調に走るが空港に向かう青馬大橋で折り返すと強烈な向かい風に、今までは追い風ゆゑ の好調であった!とわかると突然、疲労感。シューズの紐も結びもレース直前に変えたことが災い足首に痛みあり。ハーフ折り返しからは昨年など精神的には楽 になり前半の悪天候での遅れ取り戻したが今年は足首の痛みと向かい風に途中何度か歩く。ハーフ折り返しが2時間15分であったので後半のスピードの遅れ加 算しても4時間40分くらい期待したが5時間の制限に間に合うかどうか?など憂慮。それでも30kmくらいから足首はどうにか痛みを脱し走り続け35km くらいで「これなら歩いても5時間でいける」などと相変わらず向上心のない考えが頭を巡り香港島に入ると実際に体力消耗ひどく上りなどかなり歩き結果4時 間50分くらいでゴール。同じランニングチームで最後のゴールとなった我を何人もの方にお待ちいただく。終わって湾仔の北京餃子皇に軽く食す皆さんとは別 れ(さすがに食欲もなし)その足で九龍に渡り按摩。腰から足の筋肉痛がいくらかでも失せれば。夕方帰宅して晩に銅鑼湾の韓国料理・郷村で恒例の香港マラソ ン打ち上げ。日本や台湾、中国国内も含め20数名のメンバーが集まる。帰宅して早々に臥床。

二月十一日(土)晴。明日の香港マラソンに参加のため蘇州よりI君来港。明日のマラソンを前にみなさんの緊張を解す必要あり、ということでフルに参加のO 君、それに三月に帰国するフリージャーナリストの畏友K氏誘い昼から沙田で競馬観戦。キャセイパシフィック航空のボックス席でお昼から「豪州のシャンペン」 HardysのNottage Hill シャルドネなどぐいぐいと飲みながら競馬観戦。ボックス席がなんと他に途中一組の客あっただけで貸し切り状態。酒好き四人で夕方までに何本ボトルを空けた ことか。明日のマラソンは大丈夫なのだろうか、というくらいデザートまでかなり食す。競馬は昨年12月の国際レースの際に運を使い果たしたようで、その後 絶不調。本日は途中、単勝一つ当ててどうにか大怪我せず。HSBCのPremier Cupありマイル競走でMoore厩舎のJoyful Winner(Dye騎手)の貫録勝ち。一番人気で実力が確実な馬に賭けられぬ我が性格の歪み痛感。I君は「今日は11番が来る」という祈りにも似た判断 で7レースでホントに45倍の単勝ゲット。こういう日はもう運を彼にあげてしまったようなもの。だがI君もちゃんと配当を使い果たし結果、誰が大勝ちした でもないのに沙田競馬場から湾仔までタクシーで戻る。
▼IHT紙の一面に紐育タイムスの“A Shadow shogun now seeks the spotlight”という東京電の記事あり闇将軍とは誰のことか?と思えばナベツネさん(こ ちら)。日本の保守政治の黒幕ですら小泉三世的な政治を危惧。最近はナベツネさんの言葉にすら耳を傾けぬ小泉三世を“This person Koizumi doesn't know history or philosophy, doesn't study, doesn't have any culture. That's why he says stupid things, like, 'What's wrong about worshiping at Yasukuni?' Or, 'China and Korea are the only countries that criticize Yasukuni.' This stems from his ignorance.”と厳しく批判。だが八旬のナベツネさんの憂いも今 の日本には通じず。後藤田正晴が逝き中曽根大勲位すら疎んじられる今の自民党。ナベツネさんも同じ。まさか、この人を「さんづけ」で呼ぶことになろうと は。この人が宿敵の朝日新聞と組んでまで日本の行き先の間違いを指摘しなければならぬほど日本は「イカレテいる」のだが「イカレテいる」本人たちにはいっ こうにそれがわからず。読売新聞もその「戦後日本の形成」の一翼、どころか大いに加担したのだが、読売新聞の読者でもナベツネさんの警句には耳を傾ける 知力もない人が多いわけで、ワイドショーでだけ政治を理解したつもりで小泉三世に「小泉さーん!」と声をかけアレを都知事にしてしまう庶民の力。
▼先日、古書バザーで入手の鈴木博之『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)』という本(文藝春秋)読了。こうした東都の地政学的な本は好きであるが、この本は 地霊本というには内容は荒俣宏であるとか営団地下鉄の謎本ほどではない。東大の建築学科の先生の真面目な歴史随筆。護国寺の話で水戸出身の高橋義雄(菷 庵)のこと綴られる。菷庵は慶応に学び新聞界を経て三井合弁会社に入り三越常務や王子製紙などに勤めるが財界人としてより明治から昭和の財界の茶人であり 護国寺檀家総代として活躍。護国寺に大倉喜八郎、団琢磨、安田善次郎などの墓が並ぶのはこの菷庵の誘い。この他の話は、先日の日剰で、東久邇宮邸の逸話紹 介しながらも麻布市兵衛町で荷風に触れておらぬこと書いたが、紀尾井町の大久保利通暗殺の話だの、江戸にとっての艮にある上野寛永寺の話や芝の増上寺、五 反田の桜の名所である御殿山の話、虎ノ門の工部大学校の跡地が霞が関ビルなど逸話としては面白いが「地霊」というほどの話ではない。明治の頃に福羽逸人と いう人あり。逸人は平田国学の福羽美静という人(旧津和野藩士から明治初期には宮中にて歌道御用掛となる、子爵、貴族院議員)の養子で、本人は宮内庁の御 料局技師、つまり皇室の御苑や離宮などで庭園、園芸の管理。逸人は新宿御苑と代々木の御料地を結び広大な敷地に西洋風の、ヴェルサイユの如き宮殿と庭園を ば建造する計画を立てるが、これが、この計画が頓挫したのは明治帝崩御での代々木御料地での明治神宮建造ゆゑ。ところでふと思えば、この御苑と代々木御料 地の間の民間地に(逸人の計画では政府買収されるところ)ちょうど日本共産党の本部などあり。楔か。

二月十日(金)晴。蘋果日報の尊子の、いつも秀逸なる一コマ政治マンガ。教室の黒板に「春眠不覺曉 處處聞H5N1」とあり。早晩に養和病院で物理治療。 「明後日のために」湾仔の電脳中心にてiPod Nano用のアームバンド購入。「尖沙咀の」Jimmy's Kitchenのバー。晩の営業が開いたばかりの料理 屋の、香港ではお気に入りのバーに独り今日の信報など読みながら、この店の評判のドライマティーニを飲む。幸せ。街頭のバーは満席の賑わいが、この料理屋 の鄙びたバーなど知る人も少なくひっそり。料理屋の入口にメニューのちらしあり、何かと思えば聖ヴァレンタインの日の特別メニュー。聖ヴァレンタインとい えば数年前に「中環の」Jimmy's Kitchenにて営業始まっているというのに愚劣な給仕長が、この日のデコレーションの不届きに店内で大騒ぎ続け「いい加減にしなさい」と叱った、嫌な 記憶あり。Z嬢来る。ダイニングルームに移り生牡蛎半打とチキンストロガノフを二人で半分ずつ食す。ハウスワインで白はLes Jardins D'Andreaの04年。今年の香港芸術節昨日開幕し今晩はHK Culture Centreにて桑港交響楽団の演奏会(こちら)。指揮者は当然、 Michael Tilson Thomasである。演目はアイヴズ(Charles Ives)のDecoration Day(戦没将兵記念日?)、シューマンのチェロ協奏曲イ短調とブラームスの2番。酒の心地よい酔いも手伝いDecoration Dayはほとんど夢心地。シューマンのチェロ協奏曲のソロはLynn Harrell(リン=ハレル)。昨日はストラヴィンスキのPetruschkaにチャイコフスキの4番、明日はマーラーの10番からAdagioとドボ ルザークの8番という演奏曲の中で中日の今日を選んだのはひとえに、この人のチェロを聴くため。いい意味でとても地味なチェロ。ソロが「自分が、自分が」 とは目立たぬのだがオケとしての演奏の中で主旋律として際立つ。この人がまだ若い楽団員であった頃、チェロのなかからひときわ音が目立って聞こえてきたと いう逸話に納得。噂には聞いていたがMTTの指揮する桑港楽団の演奏はとてもきれいにまとまっている。が、悪口を敢えて言えばまとまりすぎてクセがない。 今晩の演奏がこのシューマンにブラームスの2番だから尚更。この楽団がマーラーの演奏では今は世界で有数、という評判をどこかで聞いたが寧ろハイドンであ るとかお手本的に演奏するであろうしシベリウスなどかなり上手いだろう。だがブラームスの2番は個人的にはあまり好きではない。アンコールでブラームスの 何といったか曲名失念のマジョルカじゃないしナントカラプソディだったか小曲の演奏で「ほら、こんなに音が出るのですよ」を見せられた感あり。晩遅く文藝 春秋三月号読む。皇室問題の特集読み日本人に「巣くう」皇室への言いたい放題に途中で気持ち悪くなる。芥川賞受賞作『沖で待つ』はちょと読んだが読み進め ず。タイトルが何処かで聞いたことある……と思えば沖雅也の「涅槃で待つ」であった。
▼新学習指導要領が「生きる力」改め「言葉の力」を育てるにせよ、なにしろあの首相のもとで、よりにもよって「言葉の力」とは。皇室典範改正ではさすが政 権末期症状に秋篠宮妃懐妊で時期尚早ムード濃厚だが小泉三世の「今回の慶事にかかわりなく天皇制を安定的に維持していくためには女性、女系天皇を認めるこ とが望ましい」云々は小泉にしては首相在任中どころか生まれて初めてくらいに論理的に明晰であり正確な認識か。今回、かりに秋篠宮妃に男子誕生でも側室な しで未来永劫男系を維持することは不可能。今回、秋篠宮に男子でも問題の先送りにしかならぬこと明々白々。男子誕生でも半世紀もたたぬうちに、だが、それ より前に戦後の天皇制ぢたいどう変わるか、皇太子妃がらみで皇太子のお立場の苦悩、秋篠宮絡みでかなり事態も変わろう。

二月九日(木)晴。養和病院で物理治療済まし帰宅して晩にカレーライス食す。カレーの時はジャックダニエルのロックがいい。酒で突然思い出したが、唯 霊氏が旧正月には、と紹介するのが陳年紹興酒の八年物のシャンペン割り。当然、高級品でなく気軽なシャンペンか発泡葡萄酒でもよい、とするが、これがなか なかの面白い味わいだそうな。
▼朝日新聞の文芸欄にサイデンステッカー、ドナルド=キーンの両氏の回想録相次ぎ刊行され「川端、三島の秘話明かす」とあり。ドナルド貴院氏より、ノガミ では好事家の間では知れた顔の「池ノ端のガイジン」斎田ステッカー氏の三島秘話に何か?と期待。だが斎田氏は川端康成が谷崎の口語訳の源氏に納得できず自 ら口語訳に挑まむとせし事など挙げ、また、川端のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」の翻訳の際に“Japan, the Beautiful and Myself”と訳したが何故「の」だったのかが今もってわららぬ、と語るそうな。谷村新司にでも尋ては如何だろうか。で斎田氏よりも貴院氏の川端のノー ベル賞は「何かの行き違いだったのかも知れない」のほうが面白い。当時の国連事務総長ハマーショルド氏が三島の『金閣寺』絶賛したことなどにより(確かに 今になって思えば『金閣寺』など北野武の映画“Dolls” などと同じでかなり外国での賞狙い)スウェーデンアカデミーは三島にかなり傾いていたのが最後に逆転して川端が受賞。貴院氏はその二年後に「私が川端を勝 たせた」と自信たっぷりに述懐するデンマークの作家に遭遇。この人、日本文学の権威と北欧での世評とは裏腹に貴院氏には日本文学など実際にはほとんど読ん でいない人で、この人がアカデミーに対して「三島=若い=左翼」!と否定的な見方から川端を推挙(真相は不明)。貴院氏は三島が受賞逃したことは失望が当 時、相当なもの、としつつ、そのアカデミーの選択を「現在では、理由はともあれ賢明だったと信じている」と。かりにノーベル文学賞をば三島が受賞していれ ば市ケ谷蜂起も起きず、したがってまだ存命。多くの文学作品を残すことになるのか老いて醜悪さを披露し続けることになったのか。ところでこの記事、最後に 貴院さんが朝日新聞客員編集員であった当時、司馬遼太郎に「朝日の写真食堂で食事をしたら朝日の社員に好影響を与えるだろう」とアドバイスされドナルド貴 院氏たる人が二、三度試した、という逸話を紹介。それを朝日のこの記事は「ほほえましいエピソード」と。唖然。司馬先生の朝日の体質見抜いた半ば嘲笑のア ドバイス。朝日にしてみれば何処が「ほほえましい」のか理解できず。
▼今週号の週刊文春に小泉三世の皇室改革・不敬言行録という記事あり。皇室典範改正を「郵政よりも簡単な問題」と言い、皇居での新嘗祭は陛下による祭祀の 最中に「暗いから見えないじゃないか。電気をつければいいじゃないか」と言い、他の宮中祭祀でも陛下による神事の最中に「陛下は、中で何をしているん だ?」と宮内庁幹部に尋ね、その幹部は「畏れ多くも、私は申し上げることができません」と畏まったが、祭祀の後の直会(なおらい、お供えを食す)でも同じ ことを口にし同席者も憤慨とか。これに対して「敬い」とは何か?の話に挙げられるのが島村宜伸(元農相)の感慨。それは先帝の大喪の礼の時のことで島村大 臣の目の前におられた浩宮殿下が「垂直に立った烏帽子が儀式の間中まったく動かない。中曽根先生に指さしたら(大勲位も)やはり気づいていて『いや驚い た』と言う。あの寒さの中、全然動かないでいる人など、この世界にはいない。私たちは絶対に真似ができない、これこそ伝統の儀式です」と語る。その大喪の 礼は粛々とした儀式に外国の大使など感慨に涙した方もいたそうな。平沼赳夫もこの小泉三世の不敬には呆れる。01年の参議院選挙の応援演説では恐れ多くも 「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」と玉音放送での先帝の言葉をたかだか選挙応援に用いる。典範改正では「有識者会議で皇室の意向を聞いているはず」と発言 し自らの首相任期中の改正のためには天皇の政治利用も可。京大の中西輝政ですら「首相の発言を聞いていると、女性天皇が男児を出産すれば、また男系に戻る と勘違いしている節がある」と指摘し、皇室をまったく理解しておらぬ小泉三世に改革を語る資格はなし、信長でも天皇家には平伏し忠義を尽くした、小泉参世 は明らかに驕る平家、と手厳しい。
▼河野三世・太郎君のメール「ごまめの歯ぎしり」に小話一つあり。予算委員会の真っ最中に紀子様ご懐妊のニュースを聞いた某大臣秘書官、あわてて「秋篠宮 殿下ご懐妊」と書いたメモ、大臣に差し出す。大臣それを見て「ん、そりゃ男系だな」。
▼聖バレンタイン日など宗教行事の商業化は北京も同じ。万里の長城に999元で永久保存の愛のメッセージ刻めます、という商売現れ顰蹙。何千キロに及ぶ万 里の長城のうち居庸關という北京郊外の女性の発案。商魂逞しといえども世界遺産の長城の破壊行為はさすがに気が退けたか風化著しい壁面に大理石板埋め込 み、そこに刻字。この工程も糾弾されようが何故にこの女性が其処まで勝手に出来ると考えたかといえば数千キロの長城をさすがに国家政府が修復保存する予算 もなし。長城のある近くの集落は長城を観光開発することで観光収益を上げ収益で長城の補修。北京郊外の八達嶺など最も有名なる観光スポット。で居庸關のこ の女性も自称「居庸關長城管理処」の「共築愛情城工程弁公室」の職員だそうで、放置していれば長城の石壁、土壁に観光記念と刻名の客あとを絶たず寧ろ刻銘 板設けることは原跡の保存にもなる、と主張。
▼小泉メールマガジンで外相の麻生君(この方、考えれみれば妹が三笠宮寛仁親王殿下妃であった)曰く「外交で使う「武器」は、一にも二にも「言葉」です。 日本の外交も、この言葉というものを更に磨いて、内外でしっかり日本外交を理解してもらおうと、思っています。外国の方たちに日本の意思を分かってもらう のはもちろん、国民の皆さんにもよく理解してもらわなくてはなりません。それを土台にして初めて、ぶれの少ない外交というものを進めていけるからです」と は笑止千萬。言葉の磨きすぎによる外交のブレは如何に。そのうえ「日本は、どういう強さがあるのか知らないのでは、話になりません。就任以来、スピーチな どを通じて、そこをなるべくハッキリ言おうとしています」と自信ありで余計に困ったもの。外交毀す外務大臣を据える首相の奇行は今更驚かぬがそれを許容す る国民にも責任あり。

二月八日(水)雲一つなき快晴。気温廿度。摂氏45%。快適。晩に沈文裕君のピアノリサイタルあり(市大会堂)。日本ではほとんど知られておらぬ弱冠廿歳 のピアニスト。03年にエリザベート王妃国際コンクールで第二位、05年のラフマニノフ国際ピアノコンテストにて冠軍。昨年は香港国際ピアノコンテストで 第二位。香港は旧正月前に李雲迪(Yundi Li)が香港フィルと、郎朗がリサイタルと中国の若手ピアニストの演奏続く。李雲迪と郎朗のいずれの演奏も聴いた人の話では実力では李雲迪(この人が芸能 人になるのが時間の問題と思われていたが)、郎朗はアンコールで7曲だか演奏して自ら曲の紹介が郎朗らしさか。Z嬢のお勧めもあり、この二人に続くのであ ろう沈文裕のリサイタルで楽しみにしたが一昨日のL医師の診断受けての精密検査があり養和病院にて済ませL医師の診断を病院で待つこととなり演奏会は叶わ ず。首から肩にかけての神経に炎症が診られるそうで物理治療もいくつか済まし右手首、胸と背の痛みかなり解消される。偶然にも水曜日でHappy Valleyにて競馬あり。この養和病院は競馬場真ん前で第四コーナー見下ろす絶景。Z嬢の話では沈君のリサイタルは期待以上の出来。アンコールで六曲も 弾き最期は体力の限界と自らピアノの蓋を閉めて笑顔で退場、と。批評社の歴史民俗学資料叢書で好事家相手の民俗学の本読む。伊勢、雨月は旧制中学の国語教 科書に掲載削除されたという青頭巾、大鑑、芝居では初代左団次で当たったという大川友右衛門の話、江戸の頃の舞臺子の話(初代松緑が舞臺子あがりだそう な)、芳町に湯島の賑わい、など。
▼SCMP紙の一面トップに世界的ジャーナリストClara Hollingworth女史の写真あり。94歳であるから逝去?と一瞬思うがまだ矍鑠としている筈で何か?と思えばCH女史が日ごろ懇意にする在港のベ テランジャーナリストTed Thomas氏(74歳)を高裁に訴えたもの。CH女史はこの日剰で何度か綴ったがナチスドイツのポーランド侵攻をスクープし第二次世界大戦勃発を世界に 伝え戦後は越南戦争など戦争記者として活躍。Ted Thomas氏はCH女史を公私にわたり面倒見ていることはFCCでは周知のこと。それが何が拗れて恩を仇で、かと思えばCH女史は懇意にするTed氏に 資産運用まで任せていたがTed氏がHK$200万もCH女史の口座から振り出しており横領であると。Ted氏は資産運用だけでなく日ごろのCH女史の公 私にわたる面倒を見ておりCH女史が了解している上でのこと、と憤慨。FCCにはCH女史専用のテーブルがあるほど扱いは別格だが月にHK$17,000 にも及ぶFCCでの浪費があり、住宅(FCC隣りのコンドミニアム)や高額な医療費がかかり誰かが管理しないと破産する、と(本当に言いたいのは「老人呆 けで、もうどーしようもない」ということか)。老いて壮絶なる争い。
▼香港内にてゾクゾクと鳥の死骸からH5ウイルス検出される(大陸はもっと惨憺たる現状なのだろうが報道は当然のように少ない)。街市での活鶏の販売はま だ継続されるが必ず「絞めて」お持ち帰りだそうで、田舎での家禽類の飼育も許可制となり養鶏場以外は実質禁止。許可取得にはワクチン投与だの数万ドル要す そうな。民間伝習にある婚礼のさいの活きた鶏も葬儀での死んだ鶏の供用も禁止。それをするには養鶏の許可とらねばならぬそうな。かつて深圳から香港に戻る 客が深圳で新鮮な活鶏を土産に買い求めカゴにいれられた鶏がKCRの車内にてコココッコと鳴いていたのが懐かしい。中国国内では車内で鶏を放し車中をニワ トリが歩いていたもの。
▼自称政治家Sir Donald、90年頃にSCMP紙にて政治面編集記者として活躍のAndy Ho(何安達、SCMP紙離職後は広報会社経営)を行政長官弁公室の新聞統籌専員(報道官)に任命。もう一人はコトもあろうに御用政党民建聯の弱冠三十 歳、松下政経塾出身の如き陳克勤をば行政長官特別秘書に抜擢。さすが自称政治家らしい政治化。アンソン陳方安生の民主派寄りの姿勢への対峙か。政府といえ ば昨年「不倫」がバレて行政長官府弁公室主任(いわば官房長官)辞任の林煥光君も公職追放一年でホトボリ冷めたという情状酌量か08年の北京五輪で香港で 開催される馬術競技主催する第三セクターの「奥運馬術比賽項目有限公司」の総裁に抜擢される。誰が総裁になろうが全く関係のない看板職で年収HK$220 萬の厚遇。香港政府の「ままごと」の妙。

二月七日(火)晴。
▼信報林行止専欄がデンマークの新聞がムハンマドの風刺戯画を掲載しイスラム世界からの反発かふ問題に言及。その新聞はJyllands-Postenと言い1930年代には公然とナチスドイツ擁護の過去もあ る右派紙だ、と知る。確かに今日付けの紙面も一面トップは見出しが“EU støtter Danmark i boykot-sag”で記事には“EU-støtte til Danmark. Irans boykot af varer fra Danmark er en boykot mod hele EU, fastslår EU-Kommissionen, også selv om Iran ikke er medlem af WTO”と、つまり「イラクなどのデンマークやEU産品ボイコットはWTOの協定に違反するものとEU評議会もデンマークの立場に同調し」なんて、たぶん そういうことが書いてあるのだろうか、知る由もないが。で林行止氏がこの緊張をどこに話をもって行ったかと言えば、この一発触発のイスラムと欧州の対立は 中国に有利に働く、と指摘。まず中国には基本的には宗教問題がない「ことになっている」こと。実際にはウイグルのイスラム系の火花や愛国教会傘下とならぬ 地下教会への弾圧、法輪功問題などあるのだが、表面上は宗教問題はなく安定した社会が経済発展に有利なように見えている。中東のイスラム圏の不安定さを 嫌った資金は行き先が何処か?といえば米国に向かうはずもなく、かつてオイルダラーが落とされた欧州も今回の対イスラムの一方の当事者であるから、中国や 東南アジアの石油産出国にオイルダラーが向かう有利さが生まれている、と指摘。この動きは昨年末には全く予想できなかったもの。で政治経済の面白さに林行 止氏の推論が続くのであった。
▼信報に劉健威さんの随筆「白南準」にてナムジュン=パイク氏が1948年に朝鮮半島での動乱を逃れ香港に至り中学編入の過去あり、と知る。パイク氏弱冠 15歳。英語があまり上出来でなく日本に渡った、と。
▼秋篠宮妃ご懐妊。これで御児が男子であれば秋篠宮様が所謂「勝ち組」か。その場合、陛下より皇太子殿下に至る「戦後の日本」の Constitutionalな流れについて秋篠宮朝の系に移ることに些か懸念感じなくもなし。かりに御児が女子であるときは昭和40年の秋篠宮ご誕生以 降、女子誕生が9度続くことになり単純計算でも512分の1の確率。
あきしのびはるののにさくさくらかも 深読みせぬこと
余は個人的には近代の借り物の如き天皇制というもに賛同する者に非ず。但し陛下が戦後日本の立憲制度に対し改悪勢力に対して最大の歯止めとなっている事 実、またそれを皇太子殿下が受け継がれるであろう期待において、陛下と皇太子殿下のもとでの天皇制については容認とするもの。
▼「勝ち組」といえば勝ち組、負け組の時代風潮について何の雑誌であったか橋本治ちゃんが「わたしはブラジルの日系人が第二次世界大戦での日本の戦敗につ き「勝ち組」と「負け組」に分かれて争った意味でしか、この言葉を理解していない」といった旨の発言あり。御意。つまり「勝ち組」も「負け組」も本意では いずれも「誤解」での分別。今日の格差社会でも「勝ち組」と「負け組」はまさに誤解に基づく分別以外の何物にも非ず。

二月六日(月)快晴。左手首から指と胸部および背筋の痛み失せず。早晩、昨日C医師に紹介されし中環は美国銀行中心に在る骨科専門医訪れる。専門医六、七 名の大所帯にて看護婦だの職員も多く機敏にて診察受ける者も多し。航空会社のラウンジの如き待合室。中環界隈の専門医にありがちな高級感と見るからにカネ には不自由しておりません風の客。医師に名前呼ばれても、これ見よがしにお年玉の利是袋にHK$100のピン札詰め込みが終わらぬ金満な婦人、見るほうが 恥ずかしき様なり。L医師の診察は「専門医=高級医にありがちないい加減さ」見受けられず懇切丁寧。それにしても多くの客が余も含めプライベートの医療保 険加入で「安くなない掛け金分は使わねば」と高額なる医療費厭わず医者も医者で「どうせ客の懐は痛まぬ」と診察費をば高騰させる悪循環。保険会社こそ泡を 吹きそうながら何処でどう儲かるのか高級私立病院ほど「キャッシュレスサービス」など提携あり。不思議。晩に尖沙咀のミラマアーケードにてついに一平安らーめん店ミラマ店訪れる。店ぢまんという豚角煮ラーメン。豚の 角煮と生キャベツ。新宿の桂花ラーメンの太肉麺彷彿させる麺とコクに驚く。桂花ほどのコシこそないが個人的に好きな麺。税込みならHK$72と日本円なら 1,000円。海外とはいえラーメン一杯に1,000円であるから美味くなければ困るが、最近、困る店少なからず。一平安の女将さん店に在り。「年季が 入ったねぇ」といい意味で思う。余が尖沙咀東の一平安に初めて食したが15年前であるから当時の「若い日本人女性経営者」も当然、女将さんらしさ。こうし て店に出ているから立派。ここと油麻地のらーめん店・横綱の ご主人は立派。香港の日本人経営の店にありがちなのは開店当初は店にあった経営者が経営順調になると店に出ぬ不思議。経営者が板前の場合、当初はカウン ターや厨房で忙しくしていたのが、いつの間にか客席をふらふら、そのうち客席で客と酌する方も少なからず。こうなるとダメ。晩遅く、地下鉄の駅で「気にな る」広告あり。一 連の作品は佐敦站の場合三枚作品なのだが最初に目に入ったのは「長沙湾師父」の坤ゴー(「ゴー」は「可」を縦に積んで、兄貴の意味、長沙湾の神父か?)は 野菜を携え、何の広告かと 思えば「3低1高」で「脂分、塩分、糖分は控えめに繊維質を多く」の公共広告。言いたいことはわかるがなぜ「長沙湾師父」の土ゴーを抜擢なのかがわからな い。ホームを少し歩くこと今度は「九龍湾報館採主」であるから九龍湾の新聞社といえば東方日報でそこの記者の全ゴーがチェロを片手に減圧鬆一鬆「ストレス 解消して気持ちよく働こう」と訴える。こ こまでくれば「もう一枚」を期待して油麻地側にホームを進めば「思いっきりやってくれたね」で「北角車神」の大舊 さん(車の神様とは何?)が「毎日要飲8杯水、仕事に行く時もペットボトル持って」と。黒のタイトなノースリーズのシャツに首のタオルが「兄貴」っぽい (笑)。健康な食生活、ストレス軽減、水をいっぱい飲んで……はとても普通のメッセージなのだけど、へんに素人登用してるところが可笑しい。
▼行政長官「自称政治家」Sir Donald、悪い人ぢゃないのだろうし高校出て医薬品のセールスマンから公務員になり一生懸命働き、働 きぶりが評価され行政長官まで昇進したのだから尊敬に値するのであろう。がどこか生理的に苦手。話してもあまり面白そうぢゃないから友だちになりたい、と も思わず。どこか横柄、尊大そうなところも気になるところ。APECの会議で江沢民に会食の際に食事用のナプキンにサイン強請ったとか。その、この人に息 子あり。確か英国の大学に留学あり。Sir Donaldが財務長官時代にこの息子の大学宛にと財務長官の便箋使い保護者としてレター出したことで公私混同と非難されており、息子にと親ばか購入した 英国でのジャグアーだったかBMWだったかを香港に移送して車購入での税金逃れかと揶揄されたりもしたが、すっかり忘れていたが、その息子氏が旧正月の競 馬場に光臨され蘋果日報の李八方の専欄で紹介せらる。嗚呼、やはり親子して苦手。
▼築地のH君から都新聞(どうもあたしらの世代には東京新聞というよか「都新聞」のほうが馴染あり)の2月5日の社説を見せられる(こ ちら)。戦艦大和の臼淵大尉のエピソードから話始まるが吉田満『戦艦大和丿最期』の感動的なこの場面も映画「男らちの大和」では「元プロ野球選 手」の臼淵大尉役の大根役者ぶりで真意も伝わらずと指摘。社説はそこから小泉三世、自民党の改憲、先の総選挙での自民党のホリエモン支援などなど辛辣に批 判。「臼淵大尉のメッセージが「今度こそ敗れる前に目覚めよ」と聞こえます。改憲、改悪の連呼による集団催眠からさめ、改や革の字に潜む真実を見極めばな りません」と赤旗も驚くほどの格調高さ。これに比べ朝日など一昨年だったか「千と千尋の精神で」とか恥ずかしいほどの元旦社説にまだ懲りず今年は「武士道 をどう生かす」だかで「武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ」だのと説いていたのとは大違いの都新聞。

二月五日(日)午前、近所の掛り付けのC医師訪れ右手の神経痛の診療。C医師は週末も半日の診療で年中休みなし。ずっと坐りっ放しで次から次へと患者と面 と向かい、患 者がこない時の「だんまり」もつらいものだと言う。個人医も楽ぢゃなかろう。天気予報は雨の曇り空に外出も控えておれば昼前から晴れ。中国の旧正月は香港 に晴天をもたらす。Z嬢とミニバスでRobinson Roadまで行き四年近く前まで住んでいたConduit Roadを歩き香港大学学長住宅の裏からHatton Roadを山頂にのぼる。かつてよく山頂のジョギングにのぼった坂道だが、かつてのヴィクトリア市の境界線に立てたCity Boundaryの石柱もいつの間にか日本語まで含む案内板まであり。龍虎山の英軍の抗日戦砲台跡。野戦指令部。山頂をHarlech Roadからぐるりと歩く。天気もいいが空気も澄んで本当にいい眺め。Old Peak RoadをミッドレベルにおりてFCCで夕方の一酌。バスで帰宅。晩に挽肉とおからのグラタン。赤葡萄酒一杯。NHKスペシャルで中国市場での大企業によ る中国の中央電視台の熾烈な広告枠獲得合戦を眺める。共産主義の国営放送は実は91年からすでに独立採算制で広告収入が機軸。晩のゴールデンタイムのドラ マ番組に付随する広告枠で中国の化粧品メーカーが13億円だかで半年の広告枠を入手。そのオークションの光景。一党専制でテレビも全国放送は国営放送の独 占では必然的に広告費は値上がりするのだから、問題はこの放送体制にあり。その過剰な宣伝経費が最終的には消費者にしわ寄せとなる。そういったことには番 組では触れもせず。
▼女系・女帝の天皇について。畏友T君の憂いは小役人か小金持ちの息子が愛子皇太子の「皇配殿下」となって、そののち「陛下」と呼ばれること。愛子天皇崩 御の後は夫君健在なら「皇配陛下」が実質的上皇。皇嗣が未成年の場合は院政すら可能。皇室祭祀もこの人が司るか。地下人(ぢげびと)がここまでなれる可能 性もあるのが女帝の場合。現今の騒動は弓削道鏡以来の椿事、とT君。産経系の雑誌見出しに「平成の和気清麻呂出でよ」とあったそうな。笑えるようで笑え ず。
▼デンマークの新聞がイスラム教預言者ムハンマドの風刺戯画を掲載。それに対するイスラム圏からの強い抗議。この風刺画転載の欧州各国も非難の対象に。ヨ ルダンでは転載した地元週刊紙の編集局長が即刻解任され宗教冒涜容疑で逮捕される。この風刺がイスラム教信者の逆鱗に触れるにせよイスラム教徒にとって真 の敵ではない、否、寧ろ本来であればイスラム社会との共存に寛容であるデンマークなどが敵になってしまったこと。本来の敵は何処か。

農暦正月初七日。立春。来週日曜日のStandard Chartered香港マラソンのゼッケンや出演記念品受け取りの用あり午前中に今年は銅鑼湾のヴィクトリア公園の会場に赴く。Standard Chartered銀行は余の取引銀行だが何もマラソンに出場するのに恩恵もなし。せめてお得意様は5km先からスタートできるとか欲しいところ。ドバ イ、ムンバイ、シンガポールと香港の4ヶ所でこのマラソン主催だそうな。で、このマラソンも今年で10回目。これまでの大会の紹介など掲示あり眺めれば第 1回は1997年で香港の中国返還の前で盛り上がっていた頃。出発が新界は上水の北区運動場で、なんと深圳との境界を皇崗で越えてゴールが深圳体育館だっ たそうな。当時の一千人余の参加者だからできた話だろう。で98年の第2回は新空港開港前でランタオ島への青馬大橋の渡り初め、で空港の滑走路など走る面 白さ。この大会の開催は新聞だかで読んだが当時の我は「へぇ……」という関心程度。で99年が余の初めての参加で(10km)西環の運動場からいきなり西 隧の海底トンネル潜りゴールはSham Shui Poの運動場。フルと10kmだけで参加者は6,954人だったという。2000年はハーフが設けられ尖沙咀からSham Shui Po、で01年から尖沙咀から青馬大橋に至り西隧を抜け湾仔というコースが固定される。参加者数は鰻登りで昨年が10km、ハーフとフルの合計で 31,330名参加。今年はフルだけで5千名で計39,817名と言う。これだけの人数で10kmの先発のスタートは早朝となるが昨年など地下鉄の始発で も間に合わぬ6時だったか。今年は先発のスタートが5時45分に早まり、だがMTRもKCRもMarathon Expressなる列車を朝4時半頃から特別運行。こういう手配は香港はじつに上手い。銅鑼湾に出てTimes Squareの東京スポーツにて美津濃のランニングシューズは「韋 駄天」という名前で買ったようなものだが。それにもう一足はMarathon SportsでReebokのスニーカー。いずれもランニングの大会の参加者割引特典あり。地下鉄で中環。ジムに荷物置いて着替えランニングのため Bowen Roadに向かう。通り抜けようとした香港動植物公園は野鳥園の敷地が広い。鳥小屋付近は時節柄立ち入り禁止。ピークトラムに沿ってBowen Rdに上がり走り始め。実に4年ぶりか。かつてミッドレベルに住まいし頃、98年に肥満と成人病予防と突然走り始め此処がメインコース。走り慣れた懐かし さもあり自分なりに快調に往復8kmを走るが、やはりここは片道4kmというのは怪しい。もっと短く感じる。このBowen Rdは平坦であり歩行者専用の区間が長くランニングや散歩の人多いが、大潭ダムの説明書で昔は大潭のダムの水をセントラルに送る引水路がこのBowen Rdだと知り納得。そう言われてみると今の金鐘はPacific Placeの裏手となるがKennedy Rdの一番奥深いところに香港電力の大きな変電所があるが、いぜん何故こんな場所に?と思っていたが、これもBowen Rdから水を落とせば水力発電もいくらかは可能だったのでは?と思う。当時は発電所で、それが後に香港仔の鴨利州の発電所(現在は南Y島)からの送電の変 電所になった、とか。走り終えBowen RdからKennedy Rdまで石畳の階段道を下る。聖ポール小学校の白亜の見事な洋館は1920年代に建造された旧香港日本人尋常小学校。内装も含め当時の建物がほぼ原型を留 める。ジムに戻りシャワー浴びてFCCのバー。新聞や雑誌少し読みながらハイボール二杯、Bowmoreも一杯。三聯書店にて余均灼先生の『現代日語語法 詳解』、旧知の井一二三さんの『東京上流』、陳國成・編『粉嶺』の三冊を購入。『現代日語語法詳解』は香港のみならず漢字圏で出ている日本語文法書の中で は「わかりやすさ」では定評あり。日本人でも説明の中文が読めれば日ごろの用法に「なるほど」と納得する処も多い。陳國成の『粉嶺』は新界の粉嶺の歴史書 で「なぜ上水でも沙田でもなく粉嶺?」が素直な疑問だが香港史を語る上で香港開闢以前から粉嶺こそ重要。此処に江西省吉水県を出自とする鄧氏が住み着いた のは明朝の朝嘉年間(16世紀初)のことだそうで鄧氏はその後、屏山に鄧氏宋祠があるように元朗のほうに移ってゆき(畏友William鄧達智君はここの 直系の嫡男)、粉嶺は潮州から移住の彭氏により開かれる(現在も粉嶺圍など城壁村が残る)。帰宅の途中、新井一二三さんの『東京上流』を読む。中文で書か れた東京物の随筆で、一瞬、てっきり六本木ヒルズに象徴される東京の今どきの「上流」社会の紹介?と思ったが、新井さんがそんなところに関心あるとも思え ず、話は樋口一葉に始まり芥川、大宰と進むように新井さんの故郷である東京の時間の流れの「上流」を探る、という内容。新井さんは中文での得意な随筆など の発表は今は台湾を主にしていることを著者紹介で知る。台湾など中華圏の読者に向けた東京の文学散歩。読み進めば「大宰治の三鷹」という文章のその章末に ある「三鷹散歩」という文章が小気味よい。新井さん自身が確か中野だかの生まれ育ち。帰宅してお好み焼き。サントリーホワイトをロックで飲む。
▼そういえば昨晩、晩飯をとりながらNHKで「釣瓶の家族に乾杯」ぼんやりと眺めれば富山県氷見市で87歳の老人がまだ元気な証拠、と気になった新聞など は切り抜いているんです、と見せた新聞記事に「出来高37億株」とあり老いても欲深い、と思われたが「いや、そっちじゃない」と記事を裏返すと昨年夏の後 藤田正晴氏逝去の記事。この老人も若い頃に南洋戦に多くの兵が命おとすなかで九死に一生を得て生き長らえてきたそうで同じ世代の後藤田氏はこの老人にとっ ても謂わば戦友の戦後の活躍、その後藤田氏が先に亡くなったことはこの人にとってどれだけの悲しみであったのか。
▼靖国問題などで論議がどうも「パシッ」とせぬと思いきや「都知事の不在」あり。それが本日の朝日に昨日の都知事記者会見で都知事曰く「靖国に天皇がお参 りになればこれは政治の問題ではない、文 化の問題だと内外に示され、ぐちゃぐちゃ言ってるやつも口を閉じるだろう」と。靖国神社参拝が何処か文化の問題か。靖国は御霊信仰の一形態であろうが祖先 崇拝やアニミズムと異なる。国家としての日本の戦争のなかで官軍として戦い亡くなったものだけを祀る政治装置。其処への参拝は政治的。政治的文化とならま だ言えるかも。それにしても「ぐちゃぐちゃ言ってるやつも口を閉じるだろう」と、まぁ品のない、これが都知事だと思うと呆れるが「江戸のべらんめぇ口調」 の文化なのだろうか(笑)。で麻生発言については「おれの方がやや理路整然としている」と威張ってみせるが「やや」が良い。麻生発言が全然理路騒然として いないぐちゃぐちゃ、なのだから、それより「やや」と言うのは自分の理屈もあまり理路整然としておらぬことの自負か。実際に「日本人の精神性とのかかわり から天皇の存在の意味合いを考える必要がある。その限りでも女でも男でも結構だが、災害の時に災害服を着て出回っていらっしゃるより、宮中の拝殿で国のた めに祈っていただきたい」と述べ靖国参拝も「その一つの普遍の行動」だそうな。読めばやっぱりぐちゃぐちゃ(笑)。まず、これは石原に限ったことぢゃない が「日本人の精神性とのかかわりから」と天皇制を述べるが天皇が「日本人の精神性」に関わるように据え直されて僅か百数十年の話。もともと天皇と「日本人 の精神性」など全く関係なし。明治の始めころなど天皇行幸より本願寺の法主様の来臨のほうが西国では霊験灼かと拝まれていたのだから。「女でも男でも結構 だが」で相変わらずの口調に続き「災害の時に災害服を着て出回って」ときたから「女にはそんなことができない」と一蹴かと思えば「そういう時に女が出でく るんじゃない」ということで(もんぺ姿の皇后の姿が終戦直後にどれだけ国民を皇室への親しみに向けたか、をお忘れか)、だがこの石原発言の最も稚拙なる点 は災害時に出回るよりむしろ「宮中の拝殿で国のために祈っていただきたい」と述べたこと(災害の時には石原都知事が出回るより天皇皇后両陛下が災害地をお 見舞いになったほうがずっと効用があるのだが……)。宮中祭祀で女性の拝殿のこと考えれば、そう簡単に「宮中の拝殿で国のために祈っていただきたい」で済 む話ではない。天皇の靖国参拝も、その「宮中の拝殿で国のために祈って」と同じことらしいが宮中祭祀なら立派な文化で中国も韓国も反発などないが靖国への 参拝だから問題になるわけで、この違いの大きさがわからぬのだろうか。それにしても「女でも男でも」だの災害時には出回らず「宮中の拝殿で国のために祈っ て」だの不敬な発言。これになぜ真の右翼が反発せぬのだろうか。都庁前で「不敬石原は都知事を辞任せよ!」とやる右翼はいないのだろうか。いるのかな。
▼朝日の一面に「中国での臓器移植、日本人急増」で「提供、死刑囚も多く」の記事。技術や衛生はかなり向上しているが移植臓器の95%は死体からで、その 殆どが死刑囚。而も本人や遺族の同意ない場合も多いそうな。死刑囚といっても悪人ばかりなく政治活動や宗教心で亡くなる良心の死刑囚もいるはずで一概に、 死刑囚の臓器は悪いイメージでとらえる必要もない、か。本人や遺族の同意がない臓器摘出も共産主義国家の場合、臓器も私有財産じゃない、とか。

二月三日(金)気温は摂氏廿四度。Tシャツ一枚にて外を歩ける陽気。▶(以下、カメラの話が延々続くので興味ない方はお読みにならぬほうがよろし い)先日、畏友O君のブロ グで昨年12月に発売後生産追いつかぬ人気(ヨドバシドットコムで注文から2カ月待ち)のニコンのデジカメ一眼用ズームレンズ、AF-S DX VR ED18-200mm F3.5-5.6Gが香港にも入荷、と知る。旺角の永成撮影器材公司で「有貨」だそうな。価格も香港で消費税な いことなど考慮すると日本の価格と比べても「買い」であること確か。でふらりと、永成とは姉妹店で、馴染みの店員もいる萬成撮影器材訪れれば店頭にてまさ にこのレンズ購入中の客あり。陳列なく店員に「在庫ある?」と聞くと「陳列はしない」と勿体ぶり。買う客以外にはお見せもしません、で「買いますよ」と告 げる。値段はO君に聞いた通り。すると何があったのか(おそらく余の背後にいた店長からの指示)店員は「店長、こちらのお客さん……」と振った。その店長 が提示の価格はHK$200高い。先ほどの価格指摘すると「在庫がない」でHK$200高ければ「最後の一つ」と宣う。HK$200高ければ在庫が出てく るのか、と客を小馬鹿にせし不遜な態度に呆れ悪態ついて店を出る。萬成撮影器材といえば香港でも有数のプロ級の店で尖沙咀の観光客相手の「免税」店ぢゃあ るまいし、萬成と永成の経営者は京セラと合弁で事業するほどの企業の経営者、でContaxの代理店でもある。それほどの店の店長の態度に呆れを通り越し て悲しい思い。で永成をば訪れると、この店のほうがずっと真摯に接客するが在庫切れ、いつ入荷か約束できず、と。あちこちニコン特約店の看板掲げるカメラ 店覗くが一軒のみ1つ在庫あり、で価格は萬成のふっかけ額より更にHK$500高。さて困った。このレンズを捜し歩きたいが、荷物が重い。レンズ5本とニ コマートELのボディを持ち歩いているのだ。というのは、実はいくつか使っておらぬレンズをば処分して、このニッコール ED18-200mm VR購入に当てる算段で、あれこれ考えた結果、放出は、まずニコンのデジカメD70sのレンズキットであるAF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5Gで、18-200mm VRがあれば我のような「その場でなりゆき撮影者」には18-70mmはなくて も良い。でAI AF ED 18-35mm F3.5-4.5Dも使えば面白い広角ズームだがやはり18-70mmがあると、わざわざ持ってあるきもせず。でこ れも処分対象。そして「とり合えず望遠」と思って入手のAF 70-300mm F4-5.6Gも軽さは重宝だがやっぱり「廉価レンズらしさ」で満足できず。望遠にはマニュアルフォーカスの往年の名レンズ 70-210mm F4.5-5.6もあるが、これもデジタルカメラに装着すると今のレンズでは想像できない明るさをば発揮するが、ひらすら重い。プロの写真家ぢゃ ないので、そう何本もレンズは持ち歩けない。あくまで散歩中に、ぱちり、のアマチュアである。となると上記の4本は処分して、それほどに評判なら(こちら)18- 200mm VR一本でいい、と思う。O君の言葉を借りれば「建築写真を撮ったり、美しいボケを生かした女性(と限定してみる)ポートレートを撮るなら、立派で 明るい単焦点レンズを使うべきなのでしょうが、都市の今をつかみ撮るなら、機動力に溢れたこの一本で必要十分ではないでしょうか」。いつもながら上手いこ とを言われる。その通りだ。でレンズを整理していたらContax のGシリーズの標準レンズであるプ ラナーT*45mm F2も「この際、放出しようか」という気になる。なにせ広角のビ オゴンT*28mm F2.8を使い出してから、これは全く使っていない。ContaxのGというカメラは外で頻繁にレンズ交換して撮影するよう な性格じゃないので(と信じている)「街に出る」時にはやはり好きなビオゴンT*28mmを装着して出かけることになる。Contax Gシリーズのカール・ツァイスのレンズなのだから、歴史的にもコレクションとしては当然「とっておく」べきレンズではある。だが「使わないものをとってお く」趣味はない。愛着があれば当然、壊れた万年筆までとってあるが、このプラナーT*45mmは好きになれないまま、レンズにいつも「申し訳ない」と思っ ても本棚にポツンと置かれているのなら、放出して誰か使いたい人に使ってもらってこそレンズ。……で以上5本を今回、放出することに。であるからED18 -200mmの購入と、その5本を満足いく価格で下取りしてくれる店も尖沙咀の香檳大廈あたりで探さねばならぬ。それとニコマートELのボディもファイン ダ内の汚れ除去が必要で修理屋に出そう、と持ち歩いている。話が長居が以上のような状況で旺角で途方に暮れた。とにかく中環へ戻ろう、と決意。だがそれか ら中古レンズの下取りはかなり時間もかかる。で中環で、ふと興利相機公司(25 Lyndhurst Terrace)の存在を思い出す。ContaxのT2も中古のG1の購入も此処であったし、新品も中古もライカからニコンまで小さい店だがデリカシーの ある品揃えの店。「ひょっとして全てが此処で済むのでは?」という期待で興利相機に参れば幸運にも18-200mm VRの在庫あり。値段はO君から聞いた価格。 ご主人に事情話してレンズ見せると笑顔で気軽に査定始め当方の気弱な予想を上回る買取り額提示される。これで18-70mm VRとの差額は、まぁ余の競馬の余 剰金で、と言いたいところだが、競馬で大負けした時くらいの金額。で話うまくまとまる。ニコマートELのクリーニングも此処に預け淡い期待通りに万事済 む。萬成での不愉快とこの興利相機での客への懇親ぶりの温度差。店を出て、思わず余計なお世話だが、同じようにいくつか放出して、このレンズの入手検討中 のO君に電話して興利をばご紹介。で 実際に撮影してみると、この写真は中環の地下鉄站のホーム。望遠200mmいっぱいいっぱいなので、この画像はホームの中央から列車5輛分の先にあるホー ム尖端を狙ったもの(1/30秒 F5.6、露出補正もデジタルでの色光補正もなし)。手持ちで、このブレのなさはさすがVRレンズの技術だが、行き先掲示板のネオンサインから時計の時 間、最遠のエスカレータの表示まで、これだけ写れば素人には大満足。帰宅途中に近隣のC医師の診療所に寄り診察受ける。ここ数日、右手の指(中指から小 指)、手の甲に神経痛の痛みあり。膏薬も効かず。頸の神経の麻痺が恐らく原因だろうが、とひとまず鎮痛剤処方され週明けにも直らなければ精密検査できる専 門医紹介する、とC医師。老いた証拠か。C医師につい「恭喜發財!」と年賀の挨拶するとC医師の性格もあろうが小声で「Happy new year!」と言い返される。確かに医者が「恭喜發財」は患者が多いことで真面目なC医師は口にすまい、と勝手に納得。帰宅して昨日昼までのマカオでの食 事の影響あり(今日は朝、パン一つ食べただけで、昼も空腹感なく食べておらず)今晩はうどんを煮てざるうどん。ニコンが銀塩のフィルムカメラから撤退、京 セラもContaxのカメラ製造中止……とそういう時代に、カメラバックに、デジカメはニコンのD70sに本日入手の18-200mm VR一本、それに「白黒 の写真」撮影にContaxのG1にビオゴンT*28mm、「カラーのスナップ写真」にContaxのT2、重いのだがちょっと無理して「カラーの写真」 にニコンのF2にNippon Kogakuの往年の50mm F1.4とニッコールの28mm F2.8の2本を、入れてみる。この<満足>がカメラバックに納まる幸せ。デジカメ的には、ここに「デジカメでのスナップ写真」にリコーのGRがあり、「白黒のデジカメ画像」用 にEpsonのR- D1があったりしたら至福なのだがR-D1のためにはMマウントやLマウントのレンズが欲しくなるし、それならなぜライカのMシリーズに辿着かな いのだ?と自問の時間が始まる。こんなことを考え出すと夜も眠れなくなるので止めたほうがいい。
▼女帝、女系認めるかどうか、で皇室典範改正が自民党で思わぬ作用。郵政民営化と衆院選挙大勝で、あれだけ節操もなく小泉翼賛体制となった自民党が、さす がに「天皇制の呪縛」が作用したのか、小泉内閣の閣僚の間でも皇室典範改正を今期の国会で通すことに疑問の声あがる。だが小泉三世のチープな英雄観である から戦後日本の自民党のあるべき姿を変えた政治改革の次は、皇室のあり方まで自分の総理在任中に見通しをつけることへの自負なのであろう。小泉三世といえ ば総理在任中にイラク派兵や郵政選挙など疑問をば挙げたらキリがないが何よりも問題は真紀子大臣解任で陛下に「嘘を上申」の大罪。天皇をも畏れぬ小泉三世 であるから皇室典範改正も「へのかっぱ」だろうか。
▼旧正月の連休中にエジプトで香港人ツアー客乗せたナイル河観光のツアーバスが時速120kmの高速でカーブ曲がりきれず横転し14名が死亡、他に重軽傷 者多数。たかだかナイル河の観光に、なぜ時速120kmも出せる冷房完備の大型高級バスが必要なのか。オンボロバスで砂ぼこりの中、暑さにめげず、でよろ しかろう。妻をこの事故で亡くし自分も怪我を負った男性が泣きながら語るは、事故のあと何輛も香港からのツアー客乗せた観光バスが通りかかり助け求めたが 応じられず、死傷者が増えた、と非情を訴える。
▼タイ王国では首相タクシンの一族による株式売買で不正取引疑惑(NNA)。タクシン一族の持ち株会社、Shin Corp.の全株式のシンガポール政府系投資会社への売却で時価総額US$19億の取引。首相就任以前のタクシン氏が自分の有するShin社株をば一旦は 自分の設立した英領バージン諸島にある投資会社に移し株式分割、この投資会社を息子に譲渡、この投資会社からタクシン父子はShin社株を1株1バーツで 購入し3日後にシンガポール系投資会社に49.25バーツで売却。株売却益は158億バーツでしかも非課税というライブドアも真っ青の手口。やりたい放 題。日本に小泉あり。タイに王室と国王も畏れぬタクシンあり。
▼タイといえば「微笑みの国」のはずがタイ南部のイスラム教地区の仏教化政策は義務教育に地元者ではない仏教徒の教員をば派遣しタイ仏教に基づいた「国民 教育」の普及から始まっておりイスラム系住民の反発が暴力化。教育のもつ政治性の顕著な例。教師というのは、純粋に子どもの教育を担いたい、と思う人多 く、その<教育>が近代国家にとって国策事業でどういう効用が期待されているかなど想像もしない、できない人もあり。立派な教師というのは、そういった 「狙い」を漉かして義務教育というシステムを上手に使って自分の理想の教育をしてしまうことだろう。

二月初二日(木)晴。なんでもテレビ朝日のスクープだったようだが沖縄で「自殺」のN氏の動かす香港での投資ファンド云々だとか日本M&Aマネジメント株 式会社のT社長の香港にある関連会社だとかホリエモンの香港の隠し口座だとか「きっこの日記」ではライブドア広報担当のO嬢が今週初めに香港経由でマニラ にほちゃらら関係で飛んだとか……久々に「怪しい香港」が注目される。やはり香港は怪しくないと。マカオはライブドア関連では出てこないのだろうか。まぁ マカオの場合、北朝鮮の偽米ドルのように「怪しい」どころか単にご法度すぎるが(笑)。昨晩の爆竹と花火はさすが政府民政局の仕切りで午前二時にはぴたり と終わりか、すでに臥床に微睡み定かでなし。ただ夜中に吠える野犬の遠吠えこそ幾度も耳障り。Hyatt Gold Passportの特典だそうで朝の珈琲の提供が客室にあり。午前七時と指定せば目覚ましがわりにぴたりと珈琲届く。珈琲に新聞添えられて届かば嬉しいが マカオのホテルは何処も新聞の到着遅し。新聞といえばいつの間にかMacau Postなる英字日刊紙あり(かなりマカオ政府系ヨイショ新聞)。クラブフロアのラウンジにて朝食。曇り空。タイパ島をジョギング。ホテル出で菩 提園から小高い高級住宅地抜け競馬場、澳門運動場。昨晩の喧騒も嘘の如く静まりかえるタイパ市街も朝に走れば石畳の道に樹木多く南欧風の洒落た建物は朝日 を浴びて実に小ぎれい。ジョギングも心地よくタイパ住宅博物館。此処はかつての葡萄牙人の避暑地にて海岸に美しい住宅並び今では博物館として公開。かつて の海岸沿いも埋立で此処もさぞや内陸になっているかと思いきやさすが世界文化遺産にご指定の都市だけに辛うじて埋立地の中にここだけ沼に造成して景観のみ 保つ。周囲のいくつもの大型カジノ建設などおぞましいかぎりながらタイパの市街にせよ此処にせよ残すものは残す姿勢だけはまだ立派。結局一時間、10km ほど走りホテル戻り。スパに行けば太陽が昇るにつれ雲も失せ見事な晴天。スパのバルコニーにて日光浴(日光浴というのはキョービ、身体に害悪)。この三日 でまた土人の如し。スパの風呂につかり昼すぎにホテルをばチェックアウト。荷物預け満員の小型路線バスにてコロアネ島。とにかく静かな処、と竹湾のPousada de Coloane(竹湾酒店)に参ればバス通りか ら階段を下りていきなりプールサイドに出ると予想通り人影もなし。この小さなホテルに一週間もの長居がほんの数年前の如く思えるが已に13年ほど昔のこ と。当 時から営業大丈夫かと懸念される閑静さであったがプール施設拡充に驚く。一応「四つ星」なのであった。竹湾の海岸一望するバルコニーつきの客室と、この プールとレストラン以外は何もなし。レストランも客は誰もおらず。さっそうとレストランに現れ簡単な昼食を済ませ出かけて行った13年前にこのホテルに泊 りし時、まだ三、四歳だったかプールで遊んでいたこのホテルの経営者の息子、十代後半の青年に成長。ヴィーノヴェルデに葡萄牙の生ハムのメロン添え、海老 の大蒜炒め、スープ、子豚のローストと食す。青い空、その空を映すプール、遠くに海を眺め……喧騒増すマカオで此処は別世界の静けさ、此処ならまた泊りた い、と話しておればザワザワと人の声聞こえ嫌な予感すれば「出た〜っ!」で中国からのツアー客ご一行様のご到着。バンコクのInter Continental Hotelのプールに香港人家族数組現れし騒々しさに勝るとも劣らぬ環境破壊ぶり凄まじ。広東語なので広東省の何処かからのツアーらしいが、この南欧の田 舎に佇むが如きホテルも彼らにとっては「ったく、こんな不便な地味な宿屋に連れてこられて……」と不満げ。客は部屋に押し込まれツアーガイドと宿の女将が テラスで何やら口論。どうも他のホテルが満杯で流れてきた、かなり値段も叩いての素泊まり一行の様子。レストランから窓越しに聞き耳立てれば客がエアコン がつかぬと苦情らしいが宿にしてみれば多少暑いほどの陽気ながら海からの心地よき南風、こんな日になぜ冷却機をば稼働させねばならぬか、と。ツアー客も何 処かで昼飯終えて辺鄙な宿に連れてこられ一向に観光だかカジノだかに連れ出されもせず部屋で待機。さすがに子どもらは飽きてわいわいと走り出て来てプール サイドで大騒ぎ。葡萄牙人の宿の主人の「危ない!」と剣幕に触れる。親も子どもらだけ遊ばせ、此処が広東省各地の温泉レジャー施設と異なることなど理解で きておらぬのだろう。いずれにせよこのホテルがどうして潰れておらぬのか、に納得。ホテル側は「できればこんな客は泊めたくない」様ありありで客もこの鄙 びたホテルの良さもわからず。悲劇。のんびりと食事済ませば一時間半ほどすぐに経ち、バスの通る道路にあがるとすぐ来たバスは往路と同じ運転手。話好きで 運転しながら知り合いの客相手にここのマンションは相場がいくら、だのここは買い手があまりつかぬのは云々とタイパ島の新興住宅地の説明に余念がない。ハ イアットに戻りプールサイドのアーケードに並ぶソファでしばし休憩。レストランのバルコニーでもこのプールサイドでもパイプ煙草が実に美味く感じるのがマ カオ。香港ではあまり吸いたいとも思わぬのだが。ホテルのシャトルバスでマカオフェリーの波止場。結局、二日のあいだ一度もマカオ市街に出ずじまい。ジン をタンカレーとゴードンの2本、ウオツカ1本免税で購い(持ち込み制限越えてるか)午後四時半のフェリーで香港に戻る。晩はさすがに二日の葡萄牙料理三昧 で胃が疲れ日本蕎麦茹でて食す。マンションで近所の賑やかな声など聞こえてくると、普段から香港はかなり大声だが正月だと余計に大声。SARSの頃の静け さ懐かしくもあり。
▼朝日新聞読めば広告に今度は産経新聞社の『諸君』に三笠宮の殿下の発言あり。皇室というもののお立場が……と思えば朝日の社説が「寛仁さま 発言はもう 控えては」と異例の皇族への注文論調。よーは「発言が政治的に利用される」と。もう充分に利用されている。皇族を政治的に利用することの不敬。その利用す るのが保守反動右翼と自認する人たちなのだから(本当の意味で保守反動右翼ぢゃないのだが)困ったもの。だが幕末から皇室利用は手慣れたもの。ところで皇 室といえば靖国について新右翼「一水会」代表・木村三浩氏は「A級戦犯合祀の問題などをクリアする必要があるが本来なら陛下が参拝されることは問題ないと 思う。ご親拝され亡くなった方を慰霊することで平和の尊さを訴える必要がある」とした上で麻生発言に対しては「麻生氏の発言にはねじれがあって、小泉首相 が中途半端なパフォーマンスで英霊を政治利用するのは、『いかがなものか』という趣旨での発言だと思う。だが、それを言うために(麻生氏が)陛下の名を利 用するのは、いかがなものか」と苦言呈しているそうな。麻生発言はよーするに「天皇をダシにした小泉批判」と。だが麻生家的には天皇を「玉(ぎょく)」と して利用するは維新以来の伝統、かも。それにしても憶測の域を出ぬ麻生発言の真意。どこに力点があるのかも不明。言ってる本人もよくわかってないのかもし れない、という噂もあり。
▼香港鼠楽園が昨日と本日、入場制限一杯の三万人の入場者あり「満員御礼」で昼には入場制限で一旦閉門。本当はあと数千人入れたところで問題ないのだろう が満員札止めの宣伝効果期待か。昨日は入場できぬ旅行者の子どもが正門前で泣く姿、今日は怒った訪問客が「今日しか来れぬのに」「明日来いというのならホ テル宿泊を手配しろ」と苦情申し立て正門を乗り越え入場しようとする者もあり混乱。この映像がまた日本で流れると「園内で子どもにそのへんでおしっこさせ る」「何処でも平気で煙草を吸う」などに続き「野蛮な中国人」のイメージ増大。実は欧米でのサッカー観戦の混乱のほうがずっと野蛮なのだが。だが期待値と して「欧米の野蛮さ」は無意識のうちに忘却され「野蛮な中国人」だけが日本人の脳裏には焼き付けられる。
▼一昨日、深圳との境界、沙頭角で死んだ鳥、更に昨日、黄大仙で見つかった鳥の死骸から鳥インフルエンザH5N1型の陽性反応。政府の漁農自然保護署は沙 頭角のこの「死鳥」から半径5kmの住人の飼育する家禽類をば処分。この「死鳥」は飼い主が大陸の親戚から譲り受けた鳥だそうで飼い主家族は病院に隔離さ れたが鳥インフルエンザ感染見られず釈放。本日より香港公園、九龍公園、海洋公園の観鳥園、米埔の野鳥保護地域などのは暫定閉鎖。
▼中国で中国共産主義青年団(日共にとっての民青の如き組織なり)の機関誌『中国青年報』の付属週刊誌『氷点週刊』が中国の歴史教科書の内容批判して定刊 処分となった件、その詳細は抗日戦争での国民党軍の働き評価した点だったそうな。共産党の八路軍の歴史にのこる大勝利も実は国民党軍の功績大きいこと揚げ 「もっと全面的、理性的な観点から歴史に向き合わなければならない」と実に真っ当な正論。それに対して党政府の宣伝部は「党史の記述と違う」だの「国民党 を美化し、共産党を貶めている」と。さすが。
▼熊本市で朝鮮総連の建物に対する固定資産税を熊本市が一部減免したのは違法として拉致被害者の支援団体が熊本市長に減免措置取消しなど求めた裁判。請求 棄却の一審判決を控訴審判決で福岡高裁は朝鮮総連について「北朝鮮の指導のもとに北朝鮮と一体の関係で在日朝鮮人の私的利益を擁護するために活動してお り、わが国社会一般の利益のために活動していない」「総連の会館使用は公益のためとは言えず税減免には理由がない。熊本市の措置は違法」と指摘。わからぬ でもないが、お寺や神社、怪しい宗教団体ですら公共性認められ固定資産税が課税されていないこと考えると微妙。これについて熊本市長が市の判断としては総 連の公益性を考慮して税の減免をしていたとして高裁の判決に驚きを隠さず。こういう市長もいるのか、とキョービではむしろ驚かされる。それもこれも仙台市 長梅原某君のおかげ。それにしても日本の政治関連の裁判、だいたいが一審がリベラル、高等裁判所で反動判決、で最高裁は数年かけて玉虫色か訴え棄却で逃げ る、というパターンが多くないか。裁判官も「判官としては優秀だし立派だが「お国の裁判というもの」がわかっていない」だと地裁止まりで「お国の裁判とい うものがわかってはいるが裁定があまりに反発喰らうタカ派」だと高裁レベル、で結局「それ以外」の優秀な司法官が出世して最高裁に殿上。

二月朔日(水)曇。Z嬢と朝九時半に上環のマカオフェリー埠頭。これまで遭遇したことなき混雑ぶり。多くが大陸に帰る田舎ツアー客。大陸行きの発着はそれ 程多くなき此処がこの混雑では尖沙咀の中港城埠頭など想像しただけでぞっとする。マカオ行きのフェリーも一週間程前にZ嬢が前売り切符求めれば普通席は朝 の六時か午後の三時以降しかないと言われ驚愕。今日はすでに香港は正月三が日の連休も終わり何故?と思えば中国はまだ大型連休にて来港客がマカオ経由で大 陸に帰るためのマカオフェリーの混雑と合点。運良く10:15の一等席の切符を得たが一等で正解。たとえ一時間とはいえ、とても田舎ツアー客の中に埋没は できず。一時間で朝日、フェリーの一等待合室にあった読売、IHT紙、蘋果、SCMP紙に信報を読む。マカオの波止場も物凄い混雑。タイパ島行きの路線バ スでハイアットリージェンシー澳門に投宿。このホテルも老朽化と付近の都市開発で数ヶ月後には廃業と聞く。ハイアットはグランドハイアットなのかパークハ イアットなのかタイパ島とコロアネ島の間の埋立でできた、数年後には大型カジノ立ち並ぶエンターテイメント地区に将来的には開業とか。というわけでこの十 数年に何度泊ったか覚えていないが個人的は好きであったこのホテルに最後の思い出の宿泊。リージェンシークラブのフロアは部屋ぢたいは大したことないが朝 食、ラウンジでの黄昏のお飲み物にスパのフリーアクセスなど合わせるとずっとお得。ただ本日の不幸はホテル斜め前の沿岸が正月の「爆竹煙花熱放区」つまり この場所のみ爆竹や花火が許可されており警察や消防まで待機しての花火遊び。夜の爆音が思いやられる。チェックイン済ませタクシーでコロアネ島(といって もタイパ島とすっかり陸続き)の路環まで行きRestaurante Espaco Lisboa(里斯本地帯餐庁)にて昼食。小さなベランダでのお昼心地よし。葡萄酒はヴィーノヴェルデでMuros Antigos 02年。浅蜊の炒め物、烏賊のコロッケが前菜、スープはアスパラガスとカルドベルデ、主菜は秀逸なる鴨飯(ダックライス)と温野菜。二人でシェアなのでけ して分量多くない筈だが満腹。気がつけば二時すぎ。ホテルに戻りスパ。スパの広いバルコニーで日光浴。水着でも寒からず少し汗ばむほど。広 いプール眺めれば泳ぐ人もあり。このリゾート施設は市街にあって(というかホテル出来た当時は周囲閑散としていた筈)奇跡的に高層ビルに囲まれずスパのバ ルコニーやプールから高層マンションを眺めず。ひがな午後、雑誌『世界』1月号など読みながら夕方、太陽がだいぶ傾くまでバルコニーのデッキチェアにごろ ごろと読書と昼寝。市街地に買い物と散歩から戻ってきたZ嬢とクラブフロアのラウンジで一酌。白葡萄酒二杯。マカオ市街地は中国からの観光客の混雑かなり のもので歩くに歩けず、とZ嬢。大陸からの観光客といえば今朝、香港のフェリー波止場であれだけの旅行客いてZ嬢が見た限り香港鼠楽園のお土産なり持った 客はわずか二人であった、と。成田空港ならどれだけ浦安鼠楽園の土産袋を見ることか。ありゃ本当に採算あわず閉園になるのではなかろうか。ホテルを出て爆 竹煙花熱放区を参観。政府民政局が管理運営し、警察が警備につき、消防、救急隊が待機。とても素人が扱うとは思えぬ巨大な花火など取り揃えた(日本では絶 対に発売禁止であろう)出店多し。此処で花火や爆竹を購い、その先の沿岸で遊ぶ。それにしても爆音とともに数十メートル飛んで夜空に開く花火。それを全く の素人が遊ぶのだから凄い、というか怖い。タ イパ市街のほうに向かって歩く。この一帯、市街地開発された直後にバブル崩壊で一時は本当に夜歩くのも物騒なほど沈滞していたが今では未だ未売のマンショ ン建築こそあれ、それなりに「復興」目覚ましいものあり。Gourmet Fine Foodなる何処にでもありそうな名前だがポルトガル産品中心に小さいながら気の利いた品揃えの食材屋あり(濠景花園25座G 階)。いつもマカオ市街のPavilionなるスーパーに寄るがポルトガルの食材などだけならこの店で充分。タイパ市街に辿りつけば官也街は「あら ら……」というほどの人出。Dom Galo(公鶏餐庁)も 炭坑の飯場の如き騒々しさ。観光客多ければ八時越えれば潮が退くか?と願い、ふらふらと散策しておれば案の定、いい意味で「タイパで商売拡充に乗り遅れ た」老舗の“O Santos” Comida Portuguesa(山度士葡式餐庁)も先ほどまで行列であったのに運良く二人掛けのテーブル空きあり。葡萄牙人の主人が今もって注文を 聞き厨房に入り、その渾身の商売ぶりだからであろう、八時すぎると地元の葡萄牙人の客がかなり集まってくる。官也街という場所柄、観光客が多いが中国人の 客は香港人も含め葡萄酒の杯を傾けゆっくり、という客は殆どおらずさっさと食べて回転早いので遅くなると葡萄牙人の常連がゆっくりと集まってくる様子。赤 葡萄酒グラスに一杯ずつ。タコの和え物と羊肉のシチューのみ。それでも予想通りの充分な量で二人で満腹。ホテルに戻りスパ。予想通り花火と爆竹の爆音がか なりのもの。この「熱放区」はなんと午前二時まで。やりすぎ。それは正月だから百歩譲って赦しても現場の民政局の「くれぐれも安全に。火傷に注意。指定の 場所の中でのみ爆竹と花火は許可されています。規定に反した場合の罰金は……」と繰り返すアナウンスがうるさい。「熱放区」とは良く言ったもので、さらに 夜が更ければ更けるほど家族連れなどが失せ現れるのはまさに「花火遊びに爆竹くらいしか憂さ晴らしがない」ようなそのへんのニーチャンネーチャンらである から打ち上げる花火も爆竹の量も過激な放熱ぶり。まぁこれくらいしか楽しみもなかろう哉。
▼外相麻生靖国神社めぐり「天皇陛下の参拝が一番」との発言につき「英霊の方々の立場に立てばこういうことではないかと申し上げた。今の状況で天皇陛下に 参拝していただきたいと申し上げたことはない」と釈明し「隣国からの変なわだかまりの話もなく、政府代表はもちろんのこと、陛下も亡くなった方を自然に追 悼し、国のために尊い命を投げ出した方々に感謝、敬意を表することが自然に出来るようにするにはどうすればいいのかという問題提起をしたつもりだ」と語 る。天皇参拝の終了について「公人、私人の話からだ」と発言した点を問われれば「75年8月に三木首相が行かれ、11月に(天皇が)行かれたのが最後だ。 その頃からワーッと(公私の区別の)話が出て、行かれなくなって30年の月日がたった。急に行かれなくなった理由はその話が直接のきっかけだと私自身は思 う。違うという説があるのかもしれないが」と先日の傲慢な発言に比べるとかなりのトーンダウン。さすがの不敬に注意喚起あったであろう。それにしても「隣 国からの変なわだかまりの話」とは相変わらず口が曲がるほどの失言。何が「変なわだかまり」だろうか。寧ろ「変なわだかまり」作っているのが自分であり小 泉三世なのに。
▼仙台市長の梅原某。完全に石原や小泉三世が生んだ勘違い君。石原や小泉は「あれでも長年の積み重ね」(笑)で「あの人は、あれでしょうがない」といわれ るまでの実績?を作ってきたつくってきただけ大したものだが小物が大政治家気取りとは、片腹痛し、と仙台出身の畏友H君。市長は河北新報によれば31日の 記者会見で「(県教委への)越権行為との批判は当たらない」と述べ県関係者や仙台市議らの批判に反論。「市長であると同時に政治家として自分の信念、政治 哲学、教育論を率直に語っている。これと市長の法的な権限の有無は全く次元が違う」と強調。まるで小泉三世の憲法の、個人の思想信条持ち出しての靖国参拝 の自由や民主党代表前原某の「党首としてでなく、一政治家としての信念」に近い勘違い。仙台一高OBで「男子校こそ伝統」との持論の市長は「伝統校」のと らえ方を問われれば「伝統校とは伝統のある学校」と開き直るのも小泉三世の「自衛隊が駐屯するところが非戦闘地」と全く同じ愚答はただただ嗤われるばか り。

日記インデックスに<戻る>