教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

一月三十一日(土)曇。或る研究会あり終日、金鐘の某施設に缶詰め。昼に主催者側の按排で金鐘の某酒楼。有名店にて客も多く賑わうが余の好まぬ点心に使ふ調理油はサラダ油だろうか美味い不味い以前にどの料理も味付けすら全く感じられず。『世界』二月号にて碩学・徹沙森巣鈴木女史の連載「自由を堪え忍ぶ」の第二回「暴走する市場」読む。秘露の経済学者エルナルド・デ・ソトの、欧米資本主義の成功の理由を所有に関する法体系の整備に帰結させる理論だのポランニーの市場経済論を取り上げつつ、十七世紀より十九世紀の西欧での資本主義の成功は、1)自由な労働力の出現(マルクス)と2)資産を可動性のある資本に転化するための財産法の整備(前述のソトもこれ)に加え3)法人といふフィクション的企業形態の出現、4)不特定多数の出資可能にする株式会社といふ仕組みの発明の4つを挙げ、それによって出現した資本主義という仕組みの「売り」は何かといえば、東印度会社の昔から今まで基本は変わらず、まだ実現せぬ利潤のために資本募り資本投資される運動であり、即ち「未来を売り買いする」こと。未来にあるであろう(なくてもそう信じる)利益の約束が現時点における資本(価値)をば創造するのだが、この原理機能するのは明らかに「未来の収益に対する信頼するに足りる根拠がある時だけ」であり「成長」が推進力。この市場の飽くなき拡大によりヒトの自由までが浸蝕され健康や幸福にまで悪影響与えヒトの生活の内部までが商品化される現実。目を外に転じれば世界の貧困格差著しく飲み水や最低限の医療、通信すら満足ならぬ土地に衛星放送だの高度情報システムなどが整備される矛盾。……以上の提言を以て鈴木女史次回は「この現象、及びそれが自由に与えた帰結を検討」と。銅鑼灣のウィンザーハウスにてiPod関連用品購い帰宅。書斎と寝室のBoseにiPod繋ぐ為。鮭汁に山芋とろヽ、麦飯で夕餉。菊正宗。暮れに帰省の折もって来た徳利とぐい飲み、いかにも江藤淳先生好みさふな逸品ながら徳利は口小さすぎ酒入れるにも注ぐにも酒が踊ってしまひ、注げば徳利の口の酒が滴りと使い勝手悪し。実家より暮れに郷里の百貨店にて仕立てのワイシャツ届き正月の歌舞伎初芝居のビデオもあり鑑賞せむとするが音ばかりで画像なし。残念。網上の日本の古本屋にて河上肇先生の『自叙伝』と『貧乏物語』注文。驚いたは自叙伝こそ今も岩波文庫にあるが貧乏物語の如き歴史的著作も今は絶版。自叙伝も現代仮名に新字では読む気もせず古書該れば貧乏物語は昭和二十四年の岩波書店刊600円と自叙傅五巻揃昭和二十七年の新書版あり1500円注文。
▼衆議院「井落」復興支援特別委にての採血。質疑終了し採決求め審議打ち切り動議出されゝば与党「その筋」の議員議長席取り囲み殺到する野党議員より議長防禦し与党議員の万歳と拍手、野党議員の「反対!」の怒号の中の採決。野猿の如し。議員をば猿と一緒にせば猿に失礼か。これに比べ英国議会見れば首相ブレア君の詭弁演説の間も罵声すら飛ばず呆れた議員らの間から「チェッ」という舌鳴らしに冷やかなる嘲笑続き、これこそブレアにとっては己いかに莫迦かと痛感する儀式にて、これぞ「まだ」大人の世界か。
▼香港中文大学の日本研究学科、大学のリストラにより休科決定するを知る(こちら)。余が九十年に中文大学の門潜りし折に日文組あり、此れ発展解消し翌々年だかに学科に昇格。当時既に日本の泡沫経済終焉迎えしものの已然「日本」なるものへの関心もあり学ぶこと少なからずといふ期待もあり。余は地域研究なるもの組織としてどの程度成り立つものか疑問あり。語学なら語学で良し。そこに文学歴史に人類学、政経と一人二人と地域研究の専門家集めたところでひとつの体系だった「日本研究」なるもの成立し得るかどうかは疑問。客観的に見て学科としての研究成果、学生の集客力など学科存続の検討材料とされた場合、中文大は零細学科廃止して経営学、生物科学、ハイテクといった「カネの成る樹」をば育てるは明白。この十年で記憶に残るは九十二年の池田大作SGI会長への「傑出訪問教授」の称号授与(英語はDistinguished Visiting Professor、創価学会では最高訪問教授といふ呼び方)及び二〇〇〇年の名誉博士号授与(厳密にはいずれも大学本部のお仕事。)と〇二年に碩学・加藤周一氏の客員教授としての滞在と講義か。

一月三十日(金)曇。気温は十六度と多少上がり湿度は80%と旧暦正月過ぎれば春に至るも確か不快ながらもこれも香港らしき重き曇天に湿り気多き朝迎える。かねてより気になるは地下鉄・上環站のホームにて利用せぬままの幽霊ホームがコンコースより現在の港島線ホームに下りる中間階にあり。ホーム端の隧道入り口煉瓦にて封印され帝都東京の地下鉄の謎の如し。旧知のU氏よりこの件につき富柏村は理由ご存じか?と尋ねられ上環站に電話にて確認すると港島線開通の当初から港島線の「何らかのかたちでの」延長計画(架空)あり、そのために将来見越してホームのみ建造との由。早晩にジムにて小一時間の有酸素運動。記者倶楽部。バーにて一週に溜りし新聞雑誌粗読。ドライマティーニを「ジンにてロックとしオリーブを」と注文。供されしは大粒のオリーブは良いが檸檬皮の捩れ(lemon peel twist)もグラスに浮かび唖然。ドライマティーニは olive OR twist? が常識であり、まぁ Olive & Twist といふ奇特のある客がいてもよいが、余はオリーブと敢えて注文の上でのこれ。ジムで運動しつつドライマティーニ一飲やたらに欲し久々にJimmy's Kitchenにてマティーニかと思いつつ便宜思えばと記者倶楽部にしての不運。二杯目より給仕にtwist入れぬよう念押。Z嬢に続き招飲のK氏、K嬢現れ、気がつけばドライマティーニもダブルで注文続き勘定で六杯分。飲みすぎ。樓上のダインに移り晩餐。歓談続き階下のジャズ酒場に三更までジャズの演奏堪能しつつ歓談呑酒続く。
▼昨晩観塘の公園に「たかだか」街鳩の一羽の死骸あるを住民「発見」し「警察に通報」。駆けつけた警官この鳩「禽流感に感染しての致死かと惧れ」「周囲四米封鎖し」「食物衛生署の係官を呼び死骸処理」と。キチガイ。この警官ばかりか社会が「愚か」といふ感染症に罹る。
▼イラク保有するといふ大量破壊兵器について英国政府による情報操作ありといふBBC報道に対し英国の独立司法調査委員会(ハットン卿)によりBBCの報道ミス指摘された件。BBCの首脳二名の辞任により政府全面勝利。首相ブレア君「BBCの独立性には敬意を払う。もうこの問題は終わらせよう」と余裕すらあり。このハットン報告どこまで中立客観かも怪しく当初より政府寄りなるは香港政府のSARS調査と同じ。蘋果日報に「蘋論」にて盧峯氏曰く「BBC有錯、英政府錯的更?害」とBBCにも問題あるが英政府の問題は更にひどい、と指摘。御意。皇太子妃の交通事故が皇太子によって仕組まれた、と、それが醜聞に非ず操作対象にされるほどのお国柄、耽る秘匿に美学もあり、政府の情報操作など自家薬籠中之物。
▼河上肇の「自叙伝」滅法面白い、と築地のH君。ブルジョア経済学者として出発し廿代には怪しげな新興宗教に入信したりもするが動機は常に糞真面目に一本槍。京都帝国大学経済学部教授となり三十過ぎて社会主義に接近し「貧乏物語」で一発ベストセラー、印税生活で紀州の海辺の高級旅館で一ヶ月も「転地療養」したりもする。やがてカウツキーの翻訳などを経て「資本論」の研究に没頭、五十歳過ぎてついにマルクス主義者としての自覚を獲得するに至り無産政党の支援やマルクス主義宣伝の筆禍事件などを通じてついに京大を辞職。いとも簡単に職を辞して一共産主義者としての活動に入り、やがて共産党員として一斉検挙され入獄5年。非転向のまま出獄して、先日引用せしが如き内容の日記。H君見るにどうも河上肇は「学者バカ」といった風情のある人で当時の右派や主流派ジャーナリズムからもなんとなく稚気愛すべき人物として処遇。本人が紹介もする、逮捕後に出た河上評は、天下の国賊たる共産主義者の首魁に対するにしてはいやに生あったかいのも「河上博士は真面目な人だから融通がきかなくてしょうがない」といったような鷹揚な視線とH君。で、出獄後の河上肇。印税なんかもはやあるわけもなく定職もなし。どうやって糊口しのいでいたかというと、どうも支援者多きもやはりお人柄ゆえ。河上肇、なんとなく現代では評価低き感もあり。「人柄がいいだけの単なる人道主義的マルクス主義学者」の如き位置付け。共産党もあんまりとりあげず。H君曰く今にして思えば「戦前戦中の身の処し方は見事、見習うべき」と。世界の現状ではどうも関心が「どうやってこういう時代をやり過ごすか」になるを得ず、その世では河上肇的革命的処世術も有効か。そこで敢えてこれを「主義」とはせず河上肇をば家元する「河上流」といふのは如何か?とH君に進言。
▼ところで。「黒タートル知識人」界に加藤周一の衣鉢を継ぐ大型新人が登場、と築地のH君より。東大法学部の藤原帰一教授(政治学)。学者のファッションといへば小熊英二先生、マイケルジャクソン似(こちら)であるが先日の大佛次郎論壇賞の受賞記念の写真には一驚。平山郁夫「画伯」や丸谷才一先生らと並び「紅白歌合戦での中村雅俊『ふれあい』歌う」の如き「場所に似合わぬ」だからこそ燦然と目立つ、茶色のタートルネックに同系濃色のパンツ、でマイケル似のお顔立ちにトレードマークの長髪。もやや人徳の域。

一月廿九日(木)曇。香港の学校など今日、明日も未だ連休とし学生おらぬ分、早朝の通学ラッシュは未だ見られぬものの昼の市街には人出戻る。依然として大陸から田舎漢の旅行者多く地下鉄驛にて乗り方わからず右往左往の様。香港は旧来三が日休むが常にて法定の連休も三が日、今年は初四日が日曜にて十九日月曜より平日のところ中国は初一より一週間の大型連休にて昨日まで。香港の企業も製造業など大陸に倣い大型連休とする社も少なからず。ところで。余の好む芸人にTerence Trent D'arby君あり。八十年代後半に彗星の如く音楽界に現れし歌舞音曲に傑れ容姿端麗なること比論を絶す。処女盤“Introducing the Hardline According to Terence Trent D'Arby”評価高く活躍期待されしところ才能傑出の反面驕慢なる態度不貞不貞しき面もあり続作評価低し。四作目“Vibrator”に起死回生図るが振るわぬままTerence君のCD欄もHMWなどにて見あたらぬ様も憐れ。iPodにて彼の往年の名盤聴きふと気になり網上にて検索せば彼のサイト見つかり(こちら)眺むればSananda Maitreyaなる名に改め今も地道に活動する姿あり。嬉しくも嘗ての美貌も何処にか失せ「ロイクのオヤジ」と化す様見らば二旬近き年月経たることの証か。顔に刻まれし皺の筋のぶん音楽もより人に感銘与ふを期待し彼の新作といつても二年前のCDをば通販・亜馬生にて購ふ。遅晩に『世界』二月号にて「監視される教師たち」なる亡都・東京にての都「政府」に依る徹底した国旗国歌強要の様を読む。都教委の姿勢たるものもはや学習指導要綱、国旗国歌法、時の首相小淵君「国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えていない」だの内閣官房長官野中君「起立する自由もあれば、また起立しない自由もあろうかと思うわけでございますし、また、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません」などの答弁をば(この答弁が本人のかりに良心から発せられたものとしても「党として」は改竄さるゝことは明確に予見されたが、いずれにせよそれらを東京都は軽く)超越し憲法すら脅かすほど。唯一の足枷せが憲法十九条の内心の自由であり、強制が都教委の通達に謳えず忸怩たる思いにて口頭での校長への命令となる。石原ファッショ知事将いる東京都もはや亡都の体、教育長が「そもそも国旗国歌については強制しないという政府答弁から始っている混乱」と述べ教育委員が日本経済調査協議会なる団体の提言引き合いに出し地方自治体の教育委員会制度の存在自体を非常に否定的と見解示し、教育基本法の改訂も財界の支援などあり「通る」と自信。都が政府に従わぬのは地方自治の一つの良識でもあろうが、法律だの政府見解を否定し憲法にまで抵触する状況見れば、果して日本は法治国家なのか、と公憤あり。法が足枷となり勝手に法をば踏み躙り憲法とてイラク派兵の如く憲法が間違っている、だから改憲要すと首相が宣ふ。本来、法治国家ならば問題的あらばまず法を改正する必要あり、立法議員選出が国民により成されることにて国民の世論立法に反映されるもの。それを法の蹂躪など当然にて而も最も深刻なる問題は立法議員による法の蹂躪をば見逃す国民の愚かさ。『世界』のこの記事憂ふは国旗国歌の強制にて何も考えずただ従ふだけの姿勢をば人々に強要することが教育現場にてなされるといふ問題。自らの考えあっても行動に表さず秩序に忠実に従うこと。狙いは其処にあれど実は全く社会秩序になど従属せぬ者濫れ、社会はただ混乱の一途にあり。韓国ソウルにて日本人幼児襲撃事件あり。キチガイ増えるも当然の世ながらこの事件にて更に安全確保謳われ社会の安全脅かす「敵」への備え徹底など強調されるのであろう。が、役所のできることは「児童生徒の安全確保」といふ表題にこの幼稚園での惨禍踏まえ「幼児児童生徒の……」とすること程度か。真実は、その徹底をばどれだけしても被害減らず寧ろ治安徹底など社会に装置持てば持つほど病ひ蔓延り更に深刻なる「敵」多く輩出すること。行く末暗澹たる社会が其処にあり。
▼中国政府外交部、禽流感染症(鳥ウイルス)の発生源が中国であるといふ報道につき事実無根である、と発表。「誰が病原菌か」と流布するほうもするほうであるし問題は誰が病原菌かに非ず病原にどう対応するか、の問題のみ。この点において病原対応の事実公表に疑いがあるから中国疑われるのであり、中国も中国バッシングととらず、何故に疑われるのかを理解すべきだがそれもかなり難しきところ。中国といへば今月上旬の香港基本法めぐる「護法」の法学権威の来港のことでふと思ったのだが「護法」が本来は法が「人を護る」べきものが中国は法=つまり法策定の国家を護る「護法」になっているのが中国政府の根元的問題なり。
▼産経新聞愛す(笑)築地H君、産経の多少の論調にはもはや驚かぬが、と……但し今日の「産経抄」一読し考えさせられることあり。
国会は相も変わらぬ不毛の論議をやっている。その一つが、野党側の「イラク戦争に大義はあったのか」という愚論である。大量破壊兵器が見つからない問題のむし返しだが、一体、戦争や革命に大義や正義というレッテルを張る必要があるのだろうか。
中国の孟子は古くから「春秋に義戦なし」と喝破した。「彼れ、此より善きは則ち之あり」として。春秋は魯の国の史書だが、この天下に大義のある戦争なんぞあったためしはなかった。せいぜいこの戦争よりあの戦争の方がちょいとよかったくらいだという(諸橋轍次氏の解説)。
在イタリアの作家・塩野七生さんも文藝春秋二月号の巻頭コラムに書いている。「歴史を振り返るならば戦争にはやたらと出会するが、そのうちの一つとして、客観的な大義に立って行われた戦争はない」「もとからして大義なるものが存在しないからだ」と。
早い話が、宗教的原理主義のイデオロギーにかかれば、すべての戦争に自己正当化の大義がつけられていく。イスラム教ならなんでも「聖戦(ジハード)」になり、キリスト教ならなんでも「正義の戦争」になるごとく。
かつて大東亜戦争は日本にとって“皇戦”だった。それが東京裁判では“侵略戦争”に一変し、しかしいままた東京裁判への疑問が起きて戦争の意義が問い直されている。イラク戦争に大義がないというのなら、ではサダム・フセインの独裁の側に正義があるとでもいうのか。
不毛で無用なレッテル張りは後世のひまな史家にまかせ、日本の国会は国益を踏まえたイラク復興の現実的論議をすべきなのである。
と。H君曰くH君自身「愛国心のないことでは人後に落ちない自負はあった」(笑)がこういうのを読まされると「日本人はここまで品性のない民族ではない!」とか柄にもなく公憤を感じる、とH君。南太平洋に散華して護国の鬼となった英霊に顔向けできようか?、どの面下げて靖国神社に参拝するか、と。品性。世界最大の植民帝国たる大英帝国は今に至るまで「大義」の是非をめぐり国家的論争を繰り広げるが大帝国には大帝国としての矜持もあれば正義もあり。やってることは実は極めて卑劣なことなれど、だからこそ手続き的な正義や合理性、法的正当性には完全に気をつかうのが道理。言葉かえれば、外形的な正当性も英国にとっては支配統治の武器、「われわれは正義です」と。いかに宗主国の弁護を買って出るにしてもこれ(産経)では贔屓の引き倒し。米国は完全に「正しい戦争しかしない」というのが国家的命題。米国は常に正義の戦争を戦ってるのに子分の分際でそれを否定するような言説……(笑)。米国の正義を追求すれば「民主化」「人権」「自由」とかいう産経の大嫌いな題目認めざるを得ず、それゆへにそこを見て見ぬふり、語らぬふりをしたのか。そこにあるのは無意識に「米国の正義」に同調したくはない、という気分だけ。何より驚くは、イラク戦争と占領の正当化と「東京裁判史観」の否定は、論理的には絶対に整合せず。熱心な産経の読み手たるH君から見れば、いつもこのネタにふれると産経は「ふだんにもましてメロメロの混乱ぶり」の致命的弱点。そしてこうした売国的言辞になぜ「右翼」「民族派」怒らぬのか、が最大の問題。
▼蘋果日報が米国聖路易士快報(セントルイスエクスプレス)の報道とて伝へる処では一時間程のランニングや自転車騎乗にて体内に分泌せしむるAnadamideなる物質が大麻の成分と類似し其れにより運動後の麻醉的なるゝ快感あり、と。研究に依れば身体から分泌せらるゝ此の化学物質は運動せる事による圧力或いは疲労感をば軽減させ但し有害性は認められぬ、と(当然……笑)。今後は慢性疾患等の治療で此のAnadamide等の物質の研究成果に期待。……畢竟大麻等麻薬扱ひするは取るに足りぬ事。或は大麻禁止せるなら真剣に同等の麻薬物質分泌につながる長距離走や自転車搭りをば禁止しては如何か(嗤)大麻取締法改正し「大麻及び大麻類似物質分泌につながる長距離走等持久運動取締法」とか。で何が問題になるかといへば此の法律の管轄省庁が大麻だつたら厚生労働省だつたものが運動が入る事で文部科学省より横槍入り省間でのくだらぬ交渉……筒井的か。

一月廿八日(水)Happy Valleyにて夜競馬あり。招待あり会員ボックス席にて而もD棟1階といふまさに競走馬パドックから出で馬場に返し馬するも手が届かなんばかりの上席にて食事しつつバルコニーよりゴール斜に競馬観戦楽しむ。途中いくつか面白き複勝当てた程度で惨敗。馬主C氏のDashing Championも満を持しクラス2にて得意の一哩競争、調教の試走も上出来、二番人気とかなり期待のところ五着と振るわず。C氏への賀正挨拶も控え帰宅。山崎俊夫作品集のうち補巻一、戦後の山崎の随筆などいくつか読む。圧巻はやはりすでに一読の「荷風挽歌」にて、先生に若き頃に絶賛されながら期待に背き著者、荷風先生の逝去をば知り(……これの逸話すでに余の日剰に紹介ゆへ省略す)何といっても告別式の日の京成八幡驛にての堀口大学との邂逅と自動車に坐す佐藤春夫への目礼の光景、余りに印象的。
▼週刊読書人(一月三十日号)にて四方田犬彦氏『新潮』に連載の『ハイスクール1968』の刊行に当たり四方田氏と平井玄氏の対談あり。要は大学の全共闘東大安田講堂に見らるゝ閉塞的なる立てこもり(今で見れば引きこもりか……)戦術に陥つたのに対して新宿高校や東教大駒場等の高校生にヨリ開放的なる息吹あり……と是れも他の世代から見れば単なる自画自贊。此の対談で当時の新宿のアンダーグランド性につき語る中で四方田氏がロラン=バルトも当時、新宿を徘徊していた、と語り、バルト自身による新宿二丁目の手書き地図『表層の帝国』に掲ること挙ぐるが、興味深き四方田氏の話は氏がクロノスといふ近頃閉ぢたる酒場の主人と話したるをり此の主人曾て勤めし酒場にてバルトとフーコーがばつたり鉢合はせしたる事もあり、と。仏蘭西の当時の二大思想家が新宿の怪しげなる酒場で邂逅とはいと興味深き話。
▼久しぶりに多摩で住民運動するD君より便りあり。イラク派兵で抗議運動など忙しき。朝日夕刊コラムに河上肇が1945年8月に詠んだ短歌あり、と。
あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ
D君曰くどういう世の中になっても正気を保つことは大切、と。河上肇にあらためて興味惹かれ古本屋で買ったままの河上肇「自叙伝」読めば日本共産党員として逮捕され獄中4年。下獄後に書かれた自叙伝昭和18年6月15日に
戰爭の眞最中に自國の敗戰を希望したからといつて、それは愛國主義者でないとは限らない。一概に人がさう思ふのは、階級國家の本質を科學的に把握してゐないからのことである。資本主義國を支配してゐる主人公は、資本家階級である。ところが戰爭が始まつて事態が常態を失つて來ると、この支配階級は、餘程しつかりしてゐない限り、まるで政治能力を失つてしまつて、行き當たりばつたり、思ひつきのでたらめをやり出し、自分自身で大衆の信頼を失ふやうな羽目に陷ることがある。殊に戰爭に負けた場合には、その支配機構がすつかり弛み、民心も離叛する。かくしてそこには支配階級の自壞作用が行はれ始める。平生はとても刄向ひの出來ぬ堅固この上なきものに見えてゐた支配機構が、一撃のもとに忽ちに倒される脆いものに變質してくる。そしてそれは即ち革命の成功のため最上の時機が到來したことを意味するのである 。
革命的祖国敗北主義。今の世には、イラク侵略に参戦したいまこそ戦争を内乱に転化して革命の好機!といふ輩もおらぬか。ちなみにD君の所有するこの河上肇日記は新橋の古本市で、昭和27年発行の岩波版、保存状態良シ、岩波新書青版と同じ装丁同じ造本だが「新書」の一環で非ず、でこれが「自叙伝」4冊と「獄中記」2冊がセットでたしか1000円とは……まさに「買い」なり。今もこの日記岩波新書にあるがやはり原書で本漢字本仮名こそ。それの後書きによればこの版はすでに復刻版で原著は戦後すぐ1946年の発売。河上肇本人この年の2月に亡くなり刊行を見ず。当時大ベストセラーとなり「源氏物語を読んでいた田舎の母が、その手を休めて2日がかりで一気に読みきった」とか「共産党嫌いの老人が一読感涙にむせんで座右の書とした」とかのエピソードあり。昔の日本人は立派だったんですね、とD君。
▼『鉄道ひとつばなし』よりもう一つ逸話。駅蕎麦について。原氏がかつての駅蕎麦で70年に初めて食べたのが立川駅ホームで中村亭経営の「奥多摩そば」であることから話始まり八王子駅玉川亭の陣馬そば、我孫子駅弥生軒、そして小淵沢駅の丸政の観音そばに至る。が、その駅蕎麦が破壊されたのがJR発足であり、JR傘下のNRE(日本レストランエンタプライズ)や日食中央による寡占化始まり地方の駅蕎麦淘汰続き八王子玉川亭、神内そばも存在せず、「あじさい」「小竹林」「道中そば」「ラガール○○」と名前こそ違え系列会社による経営のグローバリゼイション。確かに逆の意味で原氏が「外れ」としていた津田沼や千葉駅の駅そばがNRE経営で以前より美味くなった事例もあるが、我孫子や小淵沢が辛うじて命脈を保つ程度。ちなみに原氏が忘れ難いと綴った駅に水戸駅あり。余は小学4年の頃だかホーム毎のそば食べ比べした経験あり同じ水戸駅でも常磐線上りの6番線ホームのそばが最も美味。蕎麦食す客も常磐線下り、水郡線、水戸線に比べ格段に多き常磐線上りのホームにて「意気込みが違うのでは?」などと親友と分析したもの。「天婦羅蕎麦はさすがに駅前の老舗の蕎麦屋「おかめ」には及ばぬが蕎麦だけなら「おかめ」の蕎麦とも遜色なし」などと今でいへばオヤジ小学生。ちなみに当時の常磐線、当時L特急と呼ばれた「ひたち」号の開業の頃で今はなき急行「ときわ」、水郡線に入る急行「奥久慈」、特急では東北本線の電車特急「はつかり」の浜通り版である「みちのく」、夜行では青森行き寝台客車特急「ゆうづる」に急行「十和田」と今は懐かしき列車たち。急行ときわは祖母が歌舞伎で「せっかくのお芝居に普通車なんか乗れないよ」といつもグリーン車、みちのくの食堂車、東京で深酒した父が朝帰りもできず一時間半の乗車のために寝台料金払って乗ってきたゆうづるなど様々な物語彷彿。

一月二十七日(火)曇。寒さ続く。昨年末よりの大きな仕事一つ一先ず片づく。晩に上海にて復旦大学に通ふO君旧正月の休みで香港に戻り旧知のS女史とFCCにて晩餐。インド料理食しスコッチ「真っ赤爛」。一人FCC地下のジャズクラブにてジャズ演奏聴きジャックダニエル一飲。講談社現代新書で原武史著『鉄道ひとつばなし』読む。傑作。世田谷久が原のT君に勧められし秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』にも続く内容。原氏は明治学院大の助教授。単なる鉄道話に終わらず日本の鉄道を天皇制と結びつけ語る。明治における天皇制なるものの創設と鉄道網整備は密接に結びつき、殊に天皇の行幸が鉄道によって做され天皇行幸の緻密な時間設定が「地方が新しい時間を体験する大掛かりな機会」となったこと。明治帝初めて鉄道にお乗りになるはなんと新橋横浜の鉄道開業に先立つ明治五年陰暦七月のこと。また「鉄道とジェンダー」にも話は及び、鉄道は専ら国家的価値の体現であり、軍事的色彩を帯び、まさに明治的なる男性世界。なぜに鉄道ファンは男ばかりなのか、といふ素朴な疑問もここに至る。更に国有鉄道に対して私鉄の雄は小林一三の阪急だが阪急の独自性は国家的・軍事的なる鉄道に対して、臣民の生活に立脚した点であり女性といふ乗客に対する見直し、それが宝塚少女歌劇に至る。更に天皇制で見つめてゆけば、東京駅の建物こそ大正帝といふ病弱な天皇に明治帝と同じ威厳をば保つ装置であることは、東京駅開業が大正帝の京都で挙行される即位の大礼に合わせられたこと(実際には昭憲皇太后死去で大礼一年延期され東京駅は先に開業)。またその「ハレ」の東京駅に対して天皇専用の原宿宮廷駅は葉山御用邸に休養に向かふ大正帝が1926年に初めて利用するが、ご病弱なる帝ゆへ出入り口とホームの間の階段なくすなど配慮されたもの。この原宿宮廷駅はつまり大正帝の身体人々の視線から遮断するための「ケ」の空間として設けられる。大正帝は葉山ご滞在のまま崩御され二度とこの駅にはお戻りにならず。更に帝は多摩陵に埋葬され、原宿駅は昭和天皇がこの多摩陵をば参拝するための駅へと変質してゆく。つまり中央線は(従来は萬世橋駅が始発……富柏村注)東京駅の建設により起点(東京駅)=天皇の「生」=顕明界と終点(多摩陵)=同じく「死」=幽冥界といふように天皇に深く関わり、原氏は「なぜ中央線で他のJRや私鉄に比べて飛び込み自殺が異様なほど多いのか」といふ原因すら大胆にもこの中央線の顕明・幽冥に結びつける。この中央線の界隈には物語多く、更に原氏は西武新宿線の東村山よりの支線、狭山公園駅には1941年に国民精神総動員運動に尽力せし修養団が「皇民道場」開設し、これが戦後に西部に買収され西武園ゆうえんちとなった経緯もあり。また京王線も、府中にて大国魂神社の参道横切るといふ常識外があるのも、京王の新宿追分〜府中線と、京王の子会社玉南鉄道の府中〜東八王子線の二線が、それぞれの府中駅の間にこの神社あり聖域として二線をつなぐ駅舎、敷設出来ずにいた事実。だがなぜそれが許されたかといへば京王が北野から多摩御陵前までの御陵線の敷設免許をば1927年に取得し「帝都」化進む東京において先帝の御陵参拝の臣民運輸といふ名目をば獲得し、これが大国魂神社の参道すら横切る敷設を許すことになり、つまり京王は「「天皇」といふ究極の切り札使い参道横断の正当性」を得たといふこと。独逸に目を転じればヒトラーが高速道路網の整備ばかりか鉄道整備も熱心にて「総統特別専用列車」の「アメリカ号」!にてベルリンから前線へと向かい巴里にもこの列車で入城。そのかげでユダヤ人をば搭せた貨物列車が欧州各地より強制収容所へと向かふ。逸話尽きぬがこの他、朝鮮、満州の鉄道話、またなぜ茨城が橘孝三郎の農本主義や井上日召に見られる極右テロの輩多く出したかも、原氏の視点から見れば、茨城のみ東京を結ぶ私鉄がなく、常磐線といふ国有鉄道にのみ依存し、しかも水戸までの電化は昭和36年と遅れ、「電化という、東京を中心とする文明の恩恵が及ばない」!ことに茨城の後進性をば見出す。また、鉄道といへば宮脇俊三氏だが、宮脇氏の著作から、宮脇氏が終戦の日、天皇の玉音放送を米坂線の今泉の駅前で拝聴した時、この日でも列車が着実に運行されていたことを取上げる。余が先日の日剰に旧制学校校歌のことで述べたことに関るが、旧制高校の校歌と同様に1945年の8月に何もかわることなく戦前と戦後を通して鉄道走っていたといふこと。何も変わっておらず、遮断もされておらぬ、これも事実。更に更に横須賀線は、葉山御用邸に近い逗子、軍港にて鎮守府の横須賀と帝都結ぶ路線であり、古都鎌倉もあり、天皇や皇族、高級軍人、文化人や財閥らの利用多く、それゆへ東海道線より整備著しく、二等ばかりか三等車両さへ2ドア車が用意され車内に便所設けたほど。一等車も当然利用客多くそれゆへ戦後もこの線のみ普通列車にグリーン車それも二両も連結される。だが横須賀線の威厳も原氏にしてみれば東京駅地下への乗り入れにて、横須賀線とは究極の田舎路線である総武線や成田線と直通運転となり、更には横須賀線が東京駅起点に非らぬ湘南新宿ライン開通により(これはT君には将来、便利?)東北の小金井や宇都宮とすら結ばれてはもはや横須賀線のアイデンティティ崩壊。面白き話は尽きず。
▼三月の歌舞伎座演目につき古典劇評論の村上湛君より余の期待些か「甘い」とご指摘あり。先代萩政岡に音羽屋といふ真女形にあらぬ加役がそれに当たり而も芝翫栄御前にまわるはこれこそ松島屋なりが加役にて勤むべき役と村上君。八汐の段四郎初役については猿之助の政岡相手に勤めた人で故人延若の八汐の型(懐かしい限り)即ち「千松殺しの件にて突つ込んだる懷劍をば筥迫にてトントン打ち徐に延べ鏡取り出だして政岡の顏色窺ふアクドき上方の型」をば見せぬものかとこそ期待もすれ逆に勘三郎張りにドッシリ勤めては」の危惧もあり。村上君曰く今次先代萩のうち見るべきは「竹の間にて大役の沖ノ井にて時藏初役の取り捌きの腕前」と「床下」での富十郎の男之助の形の二つ。芝翫の藤娘について余が「見ておくべき」と書いたことに指摘も受けるがこれは神谷町も老齢ゆへ「故人梅幸のドスコイぶり」(笑)同様に「見ておくべき」かと察した次第。三月は「結局」……この「結局」がつらいところなれど(つまり他はなし)京屋の梅川、それも「冷氣深々雪の香さへ漂ひし歌右衞門には一籌を輸すれども」当世にてはこれこそ「見ておくべき」と村上君。

一月廿六日(月)薄曇。中公新書で竹内洋著『教養主義の没落』読む。当然、教養主義の没落歎く追憶の書に非ず「大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試み」と紹介にあるように、どちらかといふと教養主義に否定的であることは読む前より推測可、岩波であるとか『世界』が槍玉に挙がることも明白。余談だが著者は大学時代に『世界』の理想論に飽き足りず読み始めたのが『中央公論』とのこと(笑……この著作は中央公論新社刊)。で、著者が何に目くじらたてているかといへば、和辻哲郎の「世界には百度読み返しても読み足りないほどの傑作がある。そういう物の前にひざまづくことを覚えたまえ。ばかばかしい公衆を相手にして少しぐらい手ごたえがあったからといってそれが何だ。君もいっしょにばかになるばかりじゃないか」という文章を引用し、著者は、教養主義を「万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度」と定義し「教養主義を内面化し、継承戦略をとればとるほど、より学識をつんだ者から行使される教養は、劣等感や未達成感、つまり跪拝をもたらす象徴」と否定する。一瞬、マルクス主義とか岩波文化といった進歩的なるもの著者は嫌ふ、単なる保守主義かと思えばそうでもなく、何せ著者は引用するのがフランスのまさに教養的なる社会学者のBourdieu教授の社会理論だし、著者自身が1942年生れで新潟の田舎出、まさに戦後民主主義の活気ある時代に教育受け、京大教育学部から同大大学院で博士号授けられ関西大学社会学部教授、京大教育学部教授歴任し同大大学院で教育学の教授と著者ぢたいが「絵に描いたような」教養の真っ直中にある方、で何を著者が否定するか、といえば、ようするに自らの思考が実はないまま、教条主義的に党やアカデミズムで上からの受け売りそのまま「あてがいぶち」に教養的なるものをまるで自らの血や肉の如く偽る態度が憎いらしい。であるからして近親憎悪なのかこの著作での「岩波書店という文化装置」なる章での創業から戦後の高揚期にかけての岩波書店のマーケティング分析はかなり熱が入る。で、戦後は結局、大学がエリート養成機関から単なるサラリーマン予備軍の収容所と化し、その中で教養主義も没落するのだが、それぢゃ著者は教養主義を否定する代わりに何を提唱するのか?が最後まで疑問。で最後にそれが提示されるのは例に昭和の衆議院議長の故・前尾繁三郎君をば例として、教養とは「現実の政治や官吏としての仕事を相対化し、反省するまなざし」であり、教養とはひけらかすものでも得をするものでもなく「自分と戦い、ときには周囲に煙たがれ、自分の存在を危うくする、「じゃまをする」もの」と。教養など絵に描いた餅を後生大事に高いところに掲げるのではなく現実で厳しく切磋琢磨されてこそ……と、結論は正論であるが実に真っ当すぎて、文藝春秋や『諸君』の稚拙ながら暴論に慣れた余=読者には、この著者の余りに教養至上主義的な結論に一瞬「ん?」と感じるのだが、奥付け眺めて「なるほど」と思うは、この地味な本が昨年の初版から僅か二ヶ月で5版までの好売上げ、昨年の新書ブームあるとはいえ一般の読者には「ケータイを持った猿」だの養老「バカ」本だのに比べて「とっつきにくい」教養主義で誰が読んでいるかといへば実は著者と同じ環境にある今の四十代以上の大学の「教養家」たちなのだろう、きっと。そう確信したのは、この本の最後で「教養教育を含めて新しい時代の教養を考えることは、人間における矜持と高貴さ、文化における自省と超越機能の回復の道の探索である」なんて、今どきこんな高尚な?大時代的なる教養の提言あり、そう思った次第。この書籍でいくつか難をいへば、詳細に亘る戦前と戦後の大学生の読書傾向だのの社会学的分析は多少うんざり。それに著者のステレオタイプな分類には多少疑問もあり、例えばダンスや異性遊びが得意な「軟派」に対して「硬派」=運動部としてしまっては旧制学校での教養主義とプラトニックラブ、「友情」についての「絡み」の思慮に欠けるし、近代日本のサブカルチャーをハイカラ、教養主義、江戸趣味、修養主義と4つに分類し、教養主義が田舎者の戦略であるのに対して、荷風先生を「着流しに前掛けで雪駄をはき、下町を愛した」?!として教養主義やハイカラに対して単に江戸趣味としてしまふのは余りにも短絡的。だいいち荷風先生をば単に……そのちぐはぐな着合せのどこが粋な江戸趣味か、かなり滑稽なだけ。
▼この一週間ほどでいくつか論説読み「???」でかなり気になるのだが、映画『ラストサムライ』香港でも上映されているが、これを観た論客が陶傑氏までをも含め、この映画から日本の近代主義だの日本人の対西洋のアイデンティティなるものにかなり言及していること。たかだか米国の娯楽作品であり、フィクションであり、余には「どうでもいい」ハリウッド映画の一本。例えば『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』を観て中国人の霊魂感覚も問わぬし『新撰組!』観て幕末の若者の心理を理解せぬのと同様のはず。だが何故『ラストサムライ』かといへば、赦せぬのであろう。同じ西洋映画でも『ラストエンペラー』では崇高さが全く描かれず単に前近代として処理され、それに対してサムライをば崇高な理念的に描く姿勢も含め。余は個人的に全く興味もないが、「まさか」と思う書き手がたかだかあの映画で何かを語ろうとするところに無意識のナショナリズムの怖さ感じざるを得ず。
▼仙台の畏友N君より報せあり仙台一高の校歌も二番に「赤き真心ささげもち御国の為に尽くすべし」といふ歌詞あり「甘きあんころ桜餅、御国のために食う柚餅子(ゆべし)」と嗤って歌った、と。もう今となるとその個所以外校歌の歌詞覚えておらぬ、とN君。余も実は「ともに励まむ国のため」以外全く覚えておらず。
▼築地H君より『桃尻娘』の榊原レナちゃん、フランス革命の「自由・平等・連帯」の尺度で見ればレナちゃん「自由」は最大限追求し「平等」に関しては「結果の平等」ではないが「機会の平等」はそれなりに尊重=公正。公正でないオトナ社会に憤りぶつけるのがレナちゃん。だが、やっぱり、最後の「連帯」決定的に欠け、つまり「連帯」抜きの「自由・平等」とはフランス革命ではなくまさにアメリカの精神か。当時はマドンナブームとか若い女が市議に、というと社会党か生活者ネットか、という時代。だが今考えれば間違いなく保守系。都市の新自由主義が田舎の草の根保守に担がれるは最近の最悪の構図、とH君。ひょっとするとピンクのスーツ着て「私たち女性の力で土屋さんを国政に!」とか。レナちゃんが「ダメにならざるをえない80年代」の象徴。橋本治先生は八十年代的な「自由の謳歌」の末路を予言? 
▼築地H君も三月の歌舞伎座昼の部はかなり期待。今後の段四郎がポスト高島屋(左団次)でいい役つくことに期待。昼の部で。仁木弾正が高麗屋でなく松島屋であればベストだがH君曰く高麗屋でも「床下」なら台詞も少なく少なくとも「山本周五郎先生の『樅の木』を改めて精読し、仁木弾正という男の人間像を自分なりに造形してみた」などといふこともあり得ぬのでは?と。だが台詞がないぶん表情とかで肉薄される可能性もあり(笑)。いっそ三階なら花道の仁木見なくて済む、か。

一月二十五日(日)快晴。已然寒さあり。Z嬢と九時半のフェリーでランタオ島の梅窩。梅窩の集落より銀鉱湾の瀑布、更に山奥に点在する集落は静寂ばかり。海抜二百米ほど上り黄公田に至ればランタオ島北岸走る空港への高速道路と鉄道線路遠くに眺める。田寮よりNgau Kwu Longの集落。すでに廃墟となった建物に「高挙毛沢東思想偉大紅旅備勇前進!」と文革時代の標語あり(写真)。山間に既に廃校となった小学校の建物鬱蒼とした林の中に残る(写真)白芒の邨を過ぎて空港への北大嶼山高速道に出交し高速道眺め下ろす山間の道を小一時間歩き東涌市街。空港移転にて開発された新市街より歩いて空港以前から此処にひっそりと佇む東涌の旧市街。海に掛った歩道橋渡り馬湾涌の集落。曾てはランタオ島の鄙びた集落が今では背後に巨大な逸東邨の公共住宅あり(写真)逸東邨の団地抜けて川渡り上嶺皮の集落に位置する東涌砲台。かつての海の要所であったランタオ島北部の海峡向けて大砲が六台、不審船に大砲撃つべく鎮座。かつては内海見渡す砲台(写真左)も今では目の前に逸東邨の団地の建物に塞がれる(写真右)東涌よりMTRで香港島。ジムに寄り帰宅。寿司加藤今日はまだ旧正月休みらしく自宅にて夕餉となりジャスコの中島水産にて刺身各種購いカラスミやもつ煮など、姫路の八重垣酒造の純米酒。大河ドラマ「新撰組!」ちらりと観る。一昨年の太閤記モノもかなりマズいと思ったが昨年の「武蔵」始まり太閤記はまだ大河ドラマであったかと納得し「武蔵」は新之助君の演技期待したものの脚本悪しく今年はつういに幕末の大河ドラマも三谷幸喜脚本にてついに近藤勇家のホームドラマと化す。昼の船、車の中より岩波文庫『日暮硯』読み返す。
▼朝日の書評にZ嬢見つけ十数年前に文化人類学専攻にて筑波大より香港中文大に留学されていた志賀市子女史、今は茨城の大学で助教授されており大修館書店より『中国のこっくりさん』なる書籍上梓されたこと知る。曾ての中文大院宿での懐かしい日々彷彿。
▼小津映画の突貫小僧・青木富夫氏逝去享年八十歳。小津映画もだが晩年の『東京人』での数々の登場貴重。

甲申年正月初三日。早朝に正月恒例のFat Choy(發財)Run山頂にて開催され参加。昨年レース序盤にて突発性の気管支炎のようになり呼吸苦しく途中で断念、今年は斤量に厳しさあるがどうにか8キロ完走。気象台は摂氏9度だが山頂寒風吹き荒び体感気温は零度近し。終ってI氏とZ嬢と旧山頂道下りI氏宿泊のアイランドシャングリラホテル。カフェにて珈琲。帰宅。午後テレビにて競馬中継観戦。地場G1の百周年記念銀瓶にてSize厩舎のLiberal's Choiceに期待したが惜しくも二着、まさかの赤辣椒が昨年のSARSの最中にエイシンプレストン一着となったQE II Cupでの四着以来の快挙にて一着。波蘭のウォッカのStarka、ドライマティーニにGlenfiddich……と一人新聞雑誌読みつつ飲み続け晩にZ嬢とお好み焼き食す。山崎俊夫作品集(下)『玉虫秘伝』読む。
▼『週刊読書人』の「……に聞く」は延々「誰か」のインタビューが続く名物企画にて蓮實重彦なら蓮實重彦という人のインタビューが一言一句漏らさず(つまり編集せず)延々と一年くらい続き、蓮實ファンには有難いが興味のなき者には何の意味もなし。多少興味あっても一人のインタビュー読むこと強いられる点では苦痛以外の何ものでもなし。現在は大西巨人氏(聞き手は若手の評論家鎌田哲哉氏)。すでに二十五回と半年。一月二十三日号では珍しく話題砕けて大西氏の『神聖喜劇』「もし」映画化されたら?といふ話題となり大前田軍曹はビートたけし、主人公の東堂は市川雷蔵だの役所広司など名前挙がり、いずれにせよ登場人物の誰もが老成しており大前田にせよ四十過ぎの壮年をば読者想像か。『人間の条件』の小林正樹監督が『人生喜劇』映画化に意欲あり『全身小説家』の原一男監督とのエピソード、大西巨人が原監督の『ゆきゆきて、神軍』など評価せぬことなど興味深し。それにしても大西氏でで可笑しいのは「息子の赤人がパソコンをやっているんだが……」といふ物言い。「カストリを」とか「左翼運動を」とか例えば「茶の湯を」ならまだいいが、今どき「パソコンを」ってのがいかにも大西氏。も一つ可笑しいのはこれも48回も続く「執筆と編集のためのパソコン技法」なる連載。単にWin機でいへば「秀丸」、Mac機でいへば「Jedit」の「使い方」の文章による説明続く。パソコンのたかだかエディターソフトの使い方を文章で説明する方もする方だが地道な出版会社の地道な編集者の中にはこの連載を「有難い」と思っている方も少なくない筈。もう一年も続き終るかと期待したら「ここまでひと通りのエディタの初期設定の準備は完了しました。次回からはより具体的な話に進もう。」といふ一文に抱腹絶倒欣喜雀躍阿鼻叫喚。今までが初期設定だったとは! たかだかエディタソフトでこれ以上何を語ろうといふのか……ちなみに執筆者は未来車の西谷能英氏、敬服。
山梨県立日川高校校歌に教育勅語の歌い込みあり憲法と教育基本法に反するとして同校卒業生らがの県知事相手取り損害賠償求め訴訟起こす(朝日)。校歌には「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち…」といふ文句ありこれ教育勅語指すことは明白。教育勅語は憲法にて失効が確認されており、このような校歌誇りとする教育では憲法の掲げる普遍的価値や平和の大切さを学ぶ機会が制限される、と原告側。だが余は思ふに明治34年に山梨県第二中学校として創立された学校は将に明治23年発布されし教育勅語に則った舊制中学であり、学校が1945年の「革命」を経ても存続していることぢたい「何も変わっておらぬ」事由。本来ならこの校歌の歌詞変えるなり校歌廃止どころか戦前の旧制中学といふ存在ぢたい廃校にでもせぬ限り「精神」払拭されず。県下有数の進学校として学校の伝統は伝統として慮り一方にて校歌のみ戦前の国家主義と否定することに矛盾あり。だが最も嗤はれるべきは現職校長T君にて新聞の取材に対して「教育勅語を歌いこんだという根拠はなく、歌詞は象徴天皇と解釈している。八十年以上歌い継がれてきた思いも大事にしなければいけない」と発言。唖然。望ましき発言は「教育勅語を意味すると指摘の点もわかるが、八十年以上歌い継がれてきた思いも大事にしなければいけない」だろうか。教育勅語を意味することは誰の目にも明らか。それを優柔不断にも「象徴天皇と解釈」とは(笑)。戦後の日本では憲法では天皇が「勅」下々に給すことあり得ぬのだが……。これぢゃ右翼からは神尊なる我が国の伝統、教育を戦後的に歪曲、と非難され、左翼からは保守反動の詭弁と非難され、結局窮地に追い込まれるは校長ご本人。これが戦後教育の弊害なのかも(笑)。ちなみに余の在籍したる明治六年創立の公立小学校も県下二番目に古き小学校とかで校歌も実に国家主義的に荘厳勇ましく校歌二番に「ともに励まむ国のため」といふ歌詞あり。余が小学の頃には「校歌」は一番と三番のみ歌わており子ども乍らに勝手に「三番全て歌うと長いからの省略か」と理解していたし校歌とは別に子どもに歌い易き歌詞と曲の「健児の歌」なる歌あり。こちらが校歌に替わりよく歌われていたもの。今にして思えば校歌の二番省略はこの「ともに励まむ国のため」が事由であり校歌に替わる健児の歌も校歌の国家的なる歌に「児童教育上好ましくない」といふ戦後的な配慮の末のことのはず。ちなみに隣りの小学校、敷地は藩校弘道館に隣接するゆへ国学的なのも当然かも知れぬが校歌は「我らはここに学ぶ身ぞ 林の梅に鑑みて 嵐を凌ぎ雪に堪え 芳しき名を世に立てむ」と、当世小学生の親でも意味理解できず。
▼築地のH君よりサイモン&ガーファンクルのうちガ君スピード違反から「たかだか」大麻所持見つかり逮捕。ガ君ほどの人が今更大麻で逮捕もあるまひ。せめてものお笑いはガ君「自分は有名人だ」といって身分証明書を警察官に提示。H君「アメリカも住みにくくなりましたな……」と。全く。
■三月の歌舞伎座。昼の部は先代萩は花水橋(魁春の頼兼と松緑の谷蔵)……これは興味ないが、竹の間御殿で音羽屋の政岡に菊之助の松島、すっかり菊五郎劇団入りかと段四郎の八汐、それに栄御前が芝翫といふのは興味深き配役。「床下」は高麗屋の仁木弾正に富十郎の男之助は特に興味ないが神谷町の藤娘は「観ておくべき」、恋飛脚大和往来は御存知新口村、松島屋の亀屋忠兵衛に京屋の傾城梅川、これは観ておきたいところ。夜の部は忠臣蔵で高麗屋が内蔵助なだけで余はウンザリだが而も演目がが「大石最後の一日」とは偉大なる近代心理劇展開か。「達陀」は音羽屋の親子に松緑、菊五郎も松緑をどう育てるか大変なところ。義経千本桜は小金吾討死から鮓屋、体力十分でか松島屋のいがみの権太、小せんに秀太郎、娘お里が孝太郎と松島屋のお芝居、左團次の景時は適役か。

甲申年正月初二日。ランニングクラブの面々と朝に黄大仙。老朽化せし公共団地撤収しすっかり「美観」となった黄大仙廟に参拝(写真)ミニバスでやはり老朽化し取り壊されし公共団地・沙田峠邨まで行き沙田峠の坂道上り獅子山(Lion Rock)に登る。曇り空に霞む九龍の市街一望し(写真)獅子の背(写真)より獅子の頭(写真)を歩き沙田の吐露湾見下ろす望夫岩。子を背負い帰らぬ夫待つ妻のように見える奇岩、落書きも呈わ(写真)。落書きは今見れば醜悪かも知れぬが二千年経ってみれば古代人の落書きにて史跡指定かも。大圍に下り芸能博奕金儲け何でも御座ひの車公廟参拝(写真)縁起物の風車売る屋台も色鮮やか(写真)沙田まで歩き夕方に龍華酒店にて鴿の丸焼きなど定番食す。ホンハムの駅舎の星巴珈琲に寛げばZ嬢の大学後輩のH嬢に遭遇。帰宅して薬湯につかり『世界』読む。ジン(Plymouth)にポートワイン(Taylorの95年)を4:1で氷からませ一飲。これは色彩も美しく極めて好味。晩に正月の花火あり。寒さ厳しく折からの雨では花火も映えず、か。秋庭俊『帝都東京・隠された〜2』読む。記述に気になるところあり「四谷という地名は(略)四方に谷があったことに由来している」と此処まではいいが「しかし、首都圏在住の方はご存知のように、いま、そのような谷はどこにも見当たらない」とは。この「首都圏在住の方はご存知のように」も要らぬ一節だが、四谷に谷がないなど、と……四谷の新宿通より一歩入ればお岩稲荷から「若葉」も、荒木町、三栄町と緩やかな坂が続きその向こうが「坂町」と神楽坂より四谷にかけては地名町名とともにかなり隆起矯しき地形今でも残る界隈なり。
▼雑誌『世界』一月号にて教育基本法について碩学姜尚中教授「戦後のねじれがもたらす危機」なる一文にて曰く(カッコは富柏村による参照)「いままでの五五年体制に合致した地方社会や、社会への所得の再分配や教育資本を初めとする様々な再分配装置が、もう機能不全に陥っている」のが現在で「これは明らかに自民党政治の限界」であり「農村型でない都市型の、しかもポピュリズムが生じやすい、そういう人口構成や社会構造が、いまの日本で非常に顕著に顕在化しつつある」のであり、経済的にみれば(その再分配を強引に行うためのバブル期の)膨大な住宅投資がバブル崩壊で「資産デフレに陥り、茫然自失している」なかで「そういう都市型住民のいろいろなルサンチマンの捌け口として、ある種のポピュリスト的な人々(⇒石原慎太郎)やメディア(⇒文藝春秋や読売)が機能している」「そのような都市型の住民を中心とする、ある種の愛国主義的志向が、受け皿になりつつある」のであり「本来、日本のウルトラナショナリズムは、農本主義と言われている通り、疲弊した地方社会から出てくるはず」のものが「ナショナリズムは、都市の中心(東京)から起きて」おり「これは、明らかに、持たざる者のイズムではなく、一度は資産デフレを経験したことのある中間層の、ある種のルサンチマンがその根幹にある」こと。そしていま日本は「二つの問題で国家はその正当性を問われて」おりそれは「治安と、安全保障」(⇒佐々淳行)で「国家が福祉国家としての正当性を担保できるような機能と役割を果たし得なくなった時に、国家の存在意義はどこにあるか、と考えると、端的に言えば、治安と軍事ということ」になり(⇒小泉、石破)、「この問題が突出してあらわれたのが北朝鮮の問題」である(⇒安倍晋三)、と姜教授。本来、こういう喪失の時代にあって「よりどころ」は憲法や教育基本法にあるべき(姜教授)だがその本来のConstitutionたるべきものが民度の低さゆへに何の価値も見出されずただ「改正」などとまるで伊勢神宮の遷宮で建物新造し装束神宝新調し神儀ばを新宮へ遷さば世が泰平となるが如き発想。

甲申年正月初一。新年快楽恭喜發財。行政長官董建華君正月には恒例にて網上にも祝賀の画像あり昨年(二月朔日)にはこの日剰にも掲載いたしところ今年は動画となり転載できず。正月から董建華の尊顔拝したき方はこちら寒さまだ続くが一昨日までの雨空も嘘のように好天に恵まれし元旦。大根餅朝餉とし新聞も届かず時間持て余し正月だといふのに掃除。数えれば五十本ほど並ぶ酒瓶の埃掃い酒棚を拭き、曝書、散乱った書籍の整理、靴磨けば寒さに靴墨も固まり、机まわり整理などすれば昼に至る。余に新暦暮れ正月に唯一賀状いただくは郷里の畏友J君と英国のDevonに住うT君のわずかお二方にて農歴正月ゆへ賀状認める。午後に資料いくつか目を通し午後遅く尖沙咀。かなりの人出。大陸からの観光客多し。Duty Freeと看板掲げた実は暴利貪る店に「いかにも」小金持ち風の客「これぞ」とばかりに上客顔、これから暴利貪られると思ふと哀れ。ジムにて二時間鍛錬。晩に銅鑼灣の朝鮮料理・郷村にてシンガポールより来港のI氏交え両T君夫妻とA君、Z嬢と正月祝い。桃の花もかなり花開く(写真)。マイケル・ジャクソンさんの“Off The Wall”聴く。本人の肌の色もだが音楽の色の黒さ、歌唱力含め当時のその楽曲の水準の高さにあらためて納得。CDをば今日購い驚いたが表紙の写真、原版はマイケルさんが写っていたがCDの最新版は足から下のみで「当時の」マイケルさんの容姿は表紙からは伺い知れぬ装丁(さすがにインナーには当時の「ろいく」のマイケルさんの写真三葉あり)

農歴大徐夕三十大寒。晴。朝起きれば気温摂氏八度。新界流浮山にては摂氏五度記録。天文台の有史以来三番目に低温の大除夕(大晦日)となりぬ。早朝に北角の埠にて歩道に書かれた「工字中線」といふ字あり(写真)埠前の曾ての公共団地・北角邨、今では更地となり果てそれに接する歩道の文字、恐らく此処に近々始まる「再開発」に係る指示書き、それぢゃ「工事中線」か、いずれにせよ地面にスプレー書きしたにしては柔らかみある字体に立ち止まり暫し見入る。昨日までの市街の喧噪とは打って変わって花市周辺などを除けばかなりの閑かさ。恒生指数は折からの上昇気分に年末の祝儀的投機で値上がり続け結局羊年の一年で株価48%の上昇。株もいくらか有しファンドに財テクする身には嬉しくもかつて株で火傷した傷は未だ消えておらず。夕方に晦の歳事にと九龍にて風呂に浴す。今年もまた湯船に枸杞の枝が二、三條。按摩。帰宅して昨晩のモツ煮にてエビスビール一飲し「おでん」に菊正宗。佐々敦行の『香港領事動乱日記』読む。一瞬「香港領事=著者が起こした動乱か」と錯覚する書名だが、この人の場合、香港暴動にせよ記録的豪雨にせよ、大事態発生といいつつ何処か「待ってました」とばかりに楽しむといっては語弊もあろうがポジティブな躍起には違いあるまい。幸せなる御仁。ましてやまさか平成の世に廿一世紀に自らがマスコミから弔辞……(元へ)寵児の如く扱われるとは。数日分の新聞読む。深夜のニュースにてビクトリア公園の花市の盛況、午前零時でもって(実際には多少早いが)開門となった黄大仙廟の初詣での人混みなど映る。それにしても黄大仙廟の初詣、日本の賽銭投じてならまだいいが、線香の奉納目的にてしかも中には野球のバットほどの巨大な線香も少なからず、それを数本束ねて参拝するから始末に負えず。本殿の小さな線香立てにその線香立てむとする参拝客押しかけ煙に咽せ火傷負ふ騒ぎ。当然、線香立てはいくつもすぐに線香で一杯となり係員が押し寄せる参拝者の為にと数秒前に奉納された線香をば抱えて捨て線香が山のように浪費されてゆく光景。これで何のご利益あろうか。
▼一月十五日に紹介せしMonitor RecordなるかなりクセあるCD屋、音楽通のD嬢に三四日前に尋ねたところ曾て油麻地のEaton Hotel商城にあった店で其処が全面閉鎖され閉業したか何処に移転したか知らずにいた、とD嬢。言われてみれば確かにEaton Hotel階下にCD屋あり。この商城、十年以上前に台湾映画の紹介に熱心だった映画館普慶劇院だのもありよく足を運んだものの如何せん場所が悪く人出イマイチにて現在も閉鎖されたまま。
▼「井落」に駐在する日本軍、今日の蘋果日報に軍の写真あり一瞥して驚くは軍服から軍用ジープの車体まで左右上下どの角度から見ても「日本軍」と判るように「日の丸」の旗印あり。心情としては「日本だから狙うこと勿れ」なのか、だがあれぢゃ寧ろ目立ち狙われるばかり。夜のNHK「News10」にて「井落駐留二日目の今日も積極的な行動」と報道ありすわ丼八でも始まったのかと思いきや何のことはない駐留地の暫定行政当局までジープ四台で出向き暫定行政機構側との打合せ。駐留地を一歩出るだけでも「積極的」と称されるようでいったい何が出来るのか。その会合も目的は地元の長老名士と親しい関係になることで危険分子の介在など情報が比較的早く入ることで安全が確保できることを期待って、つまりは駐留部隊の安全確保のため。その長老らからは日本軍に何を期待するか?といふ質問に対して「失業問題を解決してほしい」と、つまりは日本に期待されているのは投資であり産業復興への参画といふこと。
▼Z嬢観た昼のNHKの生活情報番組にて鳥インフルエンザの話題となりZ嬢唖然としたは番組で専門家気取り(どうせ素人)曰く「日本では鳥やタマゴは加工されて食料品店や肉屋で売られているから安全」なのに対して「香港は鶏が家のまわりに生きたままいるんです」と「それが危険」と宣ったそうで抗議でもあったのか番組の終りのほうで「香港では家のまわり、というのは近くのマーケットで生きたままの鶏が売られていることです」と訂正あり(笑)。家のまわりに生きた鶏がいることすら害悪の如し。加工されたブロイラーが安全なら世の中平和。あの香港の生きた鶏をば潰したて購い自宅に持ち帰り料理した美味さは食した者のみしかわからず。平和ボケ国家。

一月廿日(火)気温摂氏十一度。極寒。朝に乗ったバス運転手キチガイにも程あり冷房暴風の如く車内に吹き荒れ車内は冷凍庫の如し。過年の晦の慌ただしさ終日諸般の事に忙殺され二更に至る。帰りしなタクシーの窓より折からの寒き夜空に香港の夜景見れば靄がかりにビルディングの灯り映えて大萩康司君のギター演奏耳許に流れる。赤魚の粕漬、もつ煮込、青物に蕪漬け。あまりの寒さに菊正宗お燗。『帝都東京・隠された地下網の秘密2』読みつつ半身浴。Smirnoffの火酒にGrand Marnier少し注ぎ氷で一飲。美味。橋本治の桃尻から『無花果少年と桃尻娘』読む。今にして思うと、「こんな青春」送っていちゃ大人になれるはずないのよっ!、もうっ……だから私はホントみんなこれで大丈夫なのぉって叫びたくなっちゃったんだ、マジで……って桃尻の語りはこのやふな感じだったか。寝しなに『隠された地下網』読む。
▼首相小泉三世昨日の所信表明演説にて墨子引用し
義を為すは毀(そしり)を避け譽に就くに非ず 為義非避毀就譽
と語る。この人相変わらず何もわかっておらず。小泉三世の推進するイラク派兵はその最も肝心な「義」がないといふこと。大義がないのだから「毀を避け譽に就くに非ず」などと軽率に口にするべからず。
義を偽るは毀を受け譽れ汚すに至る
が小泉政権為すことの事実なり。

一月十九日(月)深夜二時までふと百年ぶりに橋本治先生の桃尻娘のうち『無花果少年と瓜売小僧』一冊読了。新刊当時この物語に登場せし榊原レナ嬢、磯村クン、木川田クンと余はまさに同年代で同じ空気吸ったか今この物語読むと「ただ若い」だけに思えるのは余の感性の乏しさゆへか。連日の深夜の読書にさすがにぐったりと起きれば気温摂氏十二度。極寒。雨降り止まず。市街は暮れの盛況と慌ただしさ、何処も彼処も地下鉄もいつも以上に人混み甚だし。ヴィクトリア公園だの太子の花墟まで行かずとも集落毎に規模小さくも鮮やかに花市たつ(写真)築地H君と今年初めて交信。絶交に非ず(笑)。『桃尻』について榊原さんなど埼玉の市議会議員から今ではちゃっかり民主党から埼玉県議か、と余が語ればH君『桃尻』について曰く、レナちゃんは横の連帯意識とかなさそう民主党の議員になりバリバリの新自由主義者として「自助努力」「意識改革」とか叫んでそう、と。それにしても「最後の近代主義者」橋本先生、最近、影薄くなかろうか。お出ましは「美」についてのみ。こんな時代だからこそ橋本先生的な近代啓蒙のあり方ぢたいが問われ発言せねばならないはずなのだが、とH君。橋本先生にはレナちゃんの21世紀を書き継ぐ義務と責任もあろうが、レナちゃんが新保守主義の民主党議員なら、そこそこデザイナーとして成功の木川田君、磯村君はあのまま高幡不動に住まひ聖蹟桜ヶ丘のボーダフォンの店長だろうか、と憶測。三晩続きで今晩は世田谷久が原のT君に勧められし秋庭俊の『帝都東京・隠された地下網の秘密』読了。語られる「事実」かなり面白く帝都の、殊に桜田門から永田町、赤坂見附、四谷にかけての地下の物語、膝叩いて合点すること多く、首都高環状線のあの三宅坂の、余のかなり確かな方向感覚とて磁気狂わされずにはおれぬ、あの三宅坂ランプ附近での強烈なる「気」もなーるほど、と。但しこの書籍の勿体無きことは筆者の「書き方」のまどろっこしさにて、文章がいっこうに読み手を誘わず、編集者にも問題あろうが、けして「カッパブックス」的に売り線……(元へ)売れ線狙いになってはいけぬが読み手を十分に引き込むだけの内容と事実あるのだから筆致さへ満足なる域に至ればもっと大いに売れて読まれるべきはず。巻末に至り一向に話をまとめられず最後は正直申して「えっ、これで終わり?」と残念。すでに手許にある続巻に期待。

一月十八日(日)昨晩は、といふか朝の三時まで山田吉彦『道徳を歪む者』一気に読了。かなりアヴァンギャルド期待したが「ほんの少し所謂「道徳的」でない」程度の一九二〇年代的的耽美。だいたい「教育的」道徳なる観念ぢたいの胡散臭さ、それに外れたところで「道徳が歪む」といふことはなし。今朝は天気予報ほど気温下がらぬがどんよりと曇り空。期日迫った終らぬ仕事あり競馬予想もできず。午後より雨。この冬初めての本格的な降雨となる。夕方Z嬢と銅鑼灣にて待ち合せヴィクトリア公園の花市。「元朗の千葉さん」の胡蝶蘭など売る出店は目にしただけで三軒もあり。十二月に不審火で蘭の栽培場に被害ありと報道あったが回復か。桃の花、小さいものでHK$160といはれ店の亭主枝振りよき桃の一枝選び「こっちのほうがいいよ」と。「ただこっちはちょっと高いよ」と言うので「いいからそれHK$160で頂戴よ」とZ嬢値切り上手。向こうも正月の縁起の商売、此方も祝儀もあり。香港の民主勢力・支聯會のこの花市恒例の出店あり支聯會会長にて民主党選出立法会議員の司徒華先生の揮毫あり。司徒氏の元気なお姿、その真摯なる姿勢に敬服するばかり(写真)帰宅して桃の花飾る(写真)正月初一にどれだけ綻ぶかどうか。競馬は香港三冠長途馬王の緒戦「董事盃」(地場G1)あるが時間なく賭けられず。だが予想通りCruz厩舎の丹山飛駒とSize厩の風雲小子の二頭で風雲、丹山の順。最終レースの芝1600mに馬主C氏のDashing Winner参戦。今季は未勝だが五、六着には入りratingは落ちずクラス1に留まり今日は折からの雨に荒馬場好調の馬ゆへ74倍ながらせめて三着入賞に淡い期待するがどん尻より上がって五着どまり。パスタと赤葡萄酒。偶然に三谷「新撰組!」見るがやはり香取慎吾君の台詞棒読みは奈何とも成難く筋も「新撰組!」に始まったことぢゃないが秀吉だろうが武蔵だろうがもはや「大河」と呼ぶは烏滸がましき田圃の畦の「世間話」、同じ出演者で三谷脚本なら「深セン組!」とかいふ広東省に進出した三流企業の駐在員のドタバタコメディドラマでも作ったほうがマシでは? 溜った新聞雑誌の類読み資料整理。
▼中国に四人の高名なる法律専門家あり。香港基本法の制定に深く関わり、その解釈でもこの四人の法学者の意見尊重され、それは結構だがこの四名「四大護法」とまるで高僧の如く称さるる。そのうち二人が十五日来港。北京大学法学部教授の蕭蔚雲と中国社会科学院法学研究所の所長だかの夏勇の両名。二人が何を語りに来港かといへば「中央政府は香港の政治制度発展の主導権をもっており中央が管轄すべきである」といふこと。香港は国防と外交除く高度の自治権有し五十年不変にて一国両制を実施する……といふのは理想論で現実は中央政府の思いのままかも知れぬが少なくともCoquinteau主席にせよ温首相にせよ香港人民の自主権をば一応は揚げ、香港市民も七月の五十万人デモに象徴されるが如く自らの政治参加の意思低からず……に対してそのタテマエすら台無しにする、それも「護法」と称される法学者の発言と思うと余りのバカさ加減に呆れるばかり。香港の自治権否定するこの「護法」の態度に『信報』は「香港市民は〇七年に行政長官直選の権利あり、と蕭蔚雲が発言」と見出し。えっ?と思ったが記事読めば敢えて皮肉か民主党党首楊森氏の「〇七年に香港市民は行政長官を選出する権利があるのか?」といふ質疑に蕭蔚雲が「それはある。だが同様に直接選挙せぬ権利もある」と発言したうち故意に一部だけ見出しに利用か(笑)。今日の日曜版・蘋果日報の社説に当る「星期天休息」欄にて陶傑氏曰く、過去廿年中国の経済発展著しきものあれど中国の権力当局の文明社会精神への認識は毛沢東時代の家長式老人時代から何も変わっておらず、この口許に唾が白い泡になってまで中央主導をば釈く蕭蔚雲の学識水準の低さからして中国が法治国家化することは非楽観的にならざるを得ず、と陶傑氏。同じく陶傑氏が連載のほうで指摘していることは香港での普通選挙での行政長官の民選実施が香港基本法(付件1)にて
二○○七年以後各任行政長官的産生辧法如需修改,須經立法會全體議員三分之二多數通過,行政長官同意,並報全國人民代表大會常務委員會批准。
If there is a need to amend the method for selecting the Chief Executives for the terms subsequent to the year 2007, such amendments must be made with the endorsement of a two-thirds majority of all the members of the Legislative Council and the consent of the Chief Executive, and they shall be reported to the Standing Committee of the National People's Congress for approval.
の部分を蕭蔚雲はコトもあろうに、この条文は「〇七年に何も急いで直選実施する必要なく2037年でも47年でもいい」と宣い、陶傑氏指摘するようにこれは「〇七年になれば選挙方式変えることも可能」といふ条文、例えれば映画の封切りが「下星期四以降」とあればこの下星期四(来週木曜日)も含むわけで、香港にてその選挙方式の変更が世論となり需要あれば〇七年に出来ることを謳う条文をどう解釈すれば蕭蔚雲の如き詭弁となるのかといふこと。これまで基本法の謳う高度の自治をばタテマエとして中央主導は露骨さを避けてきたが今回のこの蕭蔚雲に象徴される「介入」は香港にて中央のレベルの低さ認識に十分に値するもの(十六日の『信報』社説「政制中央主導如来高度自治」参照されたし)。何れにせよ最もバカなのは毎度の如く行政長官・董建華にて、香港大学民意研究計画主任の鐘庭耀教授が毎度の如くネチネチと(笑)指摘するは(さすが余もここまで董建華の施政方針演説の文章読みもせず、鐘教授に敬服)董建華がこの年頭演説の中で(第77段落)
我在不久前到北京述職時,胡錦濤主席向我表明了中央政府對香港政治體制發展的高度關注和原則立場。其後,内地的法律專家和香港的一些人士也都對有關問題發表了看法。政府確實需要對這些重大問題理解清楚,才可以對政制檢討作出妥善的安排。
When I was on my duty visit in Beijing recently, President Hu pointed out to me the serious concern and principled stance of the CPG towards the development of Hong Kong's political structure. Thereafter, some Mainland legal experts and certain individuals in Hong Kong have also expressed their views on the matter. We definitely need to understand the full implications of these important issues, before making appropriate arrangements for the review of constitutional development.
と、97年以来行政長官の施政方針演説に初めて国家主席の名が揚げられ「内地法律専家」の法解釈に言及したこと。鐘教授によれば方針演説後の記者会見では「内地法律専家」が「四大護法」と呼び変え。厳密には董建華によるこれまでの七度の方針演説のうち97年の初回に江沢民の名が出ているのだが、これは
以江沢民主席為核心的中央指導層、在剛剛結束的中共十五大上、提出了要在二十一世紀中葉、将中国建設成為一個世界強国。国家発展前景壮闊、香港的発展同様前景壮闊
と単にお題目の中国の耀かしき未来、香港も同様に、と董建華らしい無節操なる幇間ぶりに過ぎず、深い意味皆無。それに対して今回の国家主席と四大護法の揚名は、鐘教授の指摘通り、董建華自らに中央政府のお墨付きある、といふ威厳誇示に合わせ香港治政の主導権及び責任が中央政府にあること証明したようなもの。つまり董建華なる者が無用であり存在するがもやは非-存在であることをば自ら証言。鐘教授の憂慮は中央政府もついに学者(といっても当然御用学者)の口をば借りて香港治政に具体的介入始めた事実。余に言わせれば、この介入が今後露骨になれば憂慮されるは現在はまだ反中央にならぬ香港世論が反中央に転相すること。
▼董建華といへばこの人をば余りバカだの屑だのと罵倒するのも可哀想。基本的には単なる財閥船会社の二代目御曹司。会社の倒産をば中国政府系企業の介入で倒産乗り切った恩義もあり中共政府に刃向かふことなどできるはずもない幇間にすぎぬが、余も余りにこの人不憫に思ったは施政方針の翌日だったかの立法会の質疑中に野党系議員より董建華に去就の考慮を求められた際に「辞めるのは簡単だが職に留まるのは簡単なことじゃない」と発言。思わぬ本音?発言に野党ばかりか民建聯よりも大爆笑。だがその「嗤い」声のなか董建華また続けて「職に留まるのは簡単なことじゃないんだ」と宣ひたり。これがこの人の本音、性根そのものであらふ。

一月十七日(土)疲労困憊にて朝餉済ましても尚昼前迄臥床。昼過銅鑼灣某書店にて日本語指導書探し。午後九龍某所。美孚の九龍モータア巴士九巴精品店にて海底隧道走る102路線用に投入されし新型バスVolvo型の模型購ふ(写真)九龍バスの模型精緻極上にて(写真)蒐集家垂涎の一品也。MTR東涌線経由にて中環。Z嬢と三聯書店にて待合せHollywood道の骨董家具家にて小さな駕籠手付済す。バスにて帰宅。胡麻タレで豚肉と野菜の鍋。湯に浸かり休刊迄あと二号の『噂の真相』読む。自衛隊イラク派遣のA級戦犯文化人の記事にて首相補佐官岡本行夫、元条約局長並びに駐米大使の中央大学教授・柳井俊二、同志社大学助教授にて親米一本やり明治期の文化人気取りの髭と口調の村田晃嗣、石原ヨイショの京大教授・中西輝政ら「当然」の顔触れ、記事の「キナ臭い時に政治的な発言をし始める京都学派は曾てのその政治的な発言が軍隊を増長させた太平洋戦争の教訓から何も学んでないんじゃないか」といふ指摘は確か、それどころか『近代の超克』読み「半世紀以上前にこのような立派な思想があったのか」と感心しそうな輩ばかり。だがイラク派兵の最も罪深きA級戦犯は一見リベラル気取りの田原総一朗以外の誰でもあるまひ。自衛隊派兵に反対のようでいてイラクこのまま放置しては大混乱に陥るといふ「誤解」でそのおせっかいなる使命感が諸悪の根源、『噂真』グラビアにも「山タフ」山崎拓まで現るる田原のパーティの写真あり。中森明夫が八十年代に『宝島』に連載の「東京トンガリキッズ」が文庫本化とお知らせあり。八十七年だからにJICC出版より新刊で出版され持ってはいたが確かバンド「阿Q」の大坂鉄雄君にでも貸したままか。小田嶋隆氏曰く小田嶋氏自衛隊でイラク派遣される隊員を憐れむ、と。それ彼らの任務に大儀なき故。大儀どころか法的根拠も曖昧にて自衛官にとって災難以外の何ものでも非ず。正式な軍隊としても振る舞えず文民としての保護も受けられず。丸腰の哀れ。「自衛隊といふ名称が行動範囲制限」といふ認識もあろうが小田嶋氏曰く「自分たちで自衛の範囲を逸脱してるだけ」で、結局、丸腰で最前線に行き見事に戦士して国際社会の同情集められれば大成功、小泉の狙いもそこにあり、と。『週刊読書人』読めば新書特集で富山房百科文庫の売行好調10点に『近代の超克』は当然としても薄田泣菫の『茶話』や「きだみのる」の『気違い部落周游紀行』があり茶話も余が一昨年入手の折已に在庫少々であった筈で再版された気配もなく果してこの富山房百科文庫の売行好調10点なるもの十年前のものそのままか?と。『気違い部落周游紀行』も実は未読であり紀伊国屋書店のサイトで調べると一連の「きだみのる」作品押し並べて廃刊、未読忸怩たる思い。だが「きだみのる」は山田吉彦であり『ファーブル昆虫記』の訳者として有名だがこの山田吉彦の『道徳を否む者』なる1955年の新潮文庫以前神保町にてもかなり探すが見つからずふと気になり国会図書館サイトで見れば蔵書あり次回国会図書館まで参り閲覧かと思えば此れ迄全く気づかずにいたが電子文庫パブリに二年も前に上掲されていたこと知り早速ダウンロード購入済ます。僅か三百円。ちなみにこの『道徳を歪む者』かの吉田健一先生曰く「きだ・みのる氏の一連の作品に見られる風刺や、教養の深さや、視野の広さがどこから来るかはこの『道徳を否む者』を読めば解るだろう。これは一人の現代の知識人が辿った遍歴の跡を語る、類例がない位美しい魂の告白である」。昨晩秋田系カナダ人のT君に頂いたSchenley OFCなるケベック州Valleyfieldのウヰスキー飲む。

一月十六日(金)余が香港の同潤會アパートと呼ぶ北角の共同住宅既に一年余前に住民の移転済み取り壊し待つ日々今朝終に取り壊し始まるを見る(写真)モダニズムそのものの重厚さ見事なる建築、壊せばもはやこの香港にこの時代の記憶もなし。無残。大坑道に毎年恒例の旧正月の花市現るる(写真)ちなみにこの背後の高級マンションに芸人アーロン郭富城君お住まいとか。諸般ノ事終日多忙。晩に外国人記者倶楽部の部屋借りてランニングクラブの新年会開催す。四時間に及ぶ。食事まずまず(献立)終って三更に記者倶楽部地下のジャズ倶楽部にM嬢、I氏、I君とZ嬢。
▼蔡瀾氏の蘋果日報での連載の文章いちいち誤記誤解些細なことばかりゆへ最近この日剰でもいちいち指摘せぬが今日は珍説あり「つまようじ」で日本の「黒文字」紹介するあたりさすが蔡瀾氏の見識だが「妻楊枝」は夫が楊枝欲しいといふ用事あれば「妻」に「おい!」と呼べば「つまようじ」出されるのが日本、と。誤謬甚だしいが否定できぬ雰囲気もあり。確かに「妻楊枝」なる表記るが「先の尖った」で「爪」楊枝であること蔡瀾氏にメールにてお伝え啓す。
▼昨日、今上陛下の御製並びに皇后陛下の御歌について綴ったが、講談社のPR本『本』に連載され好評であった原武史氏の『鉄道ひとつばなし』講談社現代新書にある天皇の地方行幸が鉄道によって做されたこと=鉄道が生み出す時間の観念こそ平安朝の行幸とは異なる近代国家の天皇制の本質がそこにあるといふ見解、これは興味深し。

一月十五日(木)薄曇。夕方に掃桿埔の香港大球場傍らの體育大樓に在る香港アマチュア陸連の事務所にて週末の美津濃ハーフマラソンのゼッケン受領。掃桿埔からCaroline Hillの南華運動場をばぐるりと周り銅鑼灣に至る道は銅鑼灣からわずか十分ほどの距離にありながら市街の喧噪もなく街路樹茂る道に歩く人も僅かに一人、二人。ビートルズのホワイトアルバムよりWhile My Guitar Gently WeepsだのBlackbirdなど聴きつつ独り散歩に好し。Leighton道まで出でHaven街の甜味屋・一品斎にて「紅豆沙」食す。美味。狭い店の路地に面した食台に背中丸め熱い汁粉食すうちに耳許ではビートルズは“Rocky Racoon”流れ余りにこの一品斎の店先にこの“Rocky Racoon”が合適ってしまひ涙禁じ得ず。この一帯、南華體育會の所為か何処からかレスリー張國榮とマギー張曼玉が映画『阿飛正傳』より六十年代そのままに現れそうな気配今でもあり。藪用あり油麻地。以前から気になっていた徳成街のMonitor RecordなるCD屋に入れば確かに予想通り香港でこれまで見たことなきかなり凝った音楽ばかり余は殆ど知らぬ演じ手、楽曲ばかり。前衛だのハウス系だののジャンルすら余にはさっぱりわからず。藪用終って畏友M君と遭いM君の遅い晩飯に付き合い尖沙咀のAustin Avenue(Austin Rdに非ず)15番地に位置する、以前からかなり気になっていた「北京餃子」なる名前はどこにでもある「北方風味」ながら予感あたり北京のそのままの餃子や麺をば供される。主人は何処から誰が見ても北京人以外の何者でもなき華北顔に立派な背格好。この主人の話すかなりR化した純な北京官話も心地よし。M君の車で送られ帰宅。
▼昨日宮中にて歌会始あり。畏れ多き陛下の御製は
人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ
と。この陛下の御製は歌の技としての巧みさでは習作の如し、だが十五年のご在位を謳うにも「人々の幸願うこと=天皇の在位意義」と詠み陛下らしさ。皇后陛下の御歌は
幸くませ真幸くませと人びとの声わたりゆく御幸の町に
と皇后陛下からしても夫である天皇陛下は、記者団をば前にした皇后両陛下でのお言葉でも「今ほど陛下がおっしゃられましたように」と言われるように、最上人なる陛下には皇后=妻であっても敬語といふ不思議な世界。この歌も「訪れた先々で人々が天皇陛下の健康と幸せを願っている様」を、この皇后といふ一歩も二歩も退いてしまった独特の距離感で詠むところに、この「妻から見た夫への祝福」といふ面白みあり。

一月十四日(水)朝晩多少冷えるが昼はシャツ一枚で寒くないほどの暖かさ。外国人記者倶楽部にて急遽、アニタ梅艶芳の弔いに来港の、89年天安門事件の「首謀者」の一人で海外亡命し今は台湾に居を構えるウアルカイシ君の講演あり。その言論を突っ込めばそれぢゃ具体的に中国の民主化をばどう進めるのか?といふ問いに十分なる答えなどウ君の口から出ては来ぬのだが政治家の例え出すまでもなく漠然とした総論を多くの者の前で語るだけの技量あり(而も15年前の北京の一学生が見事な流暢なる英語でこうして記者を前に十分に政治について語るのだからそれだけでも大したもの)集客力があるだけでウ君の存在意義もありかも。早い晩にジムにて一時間ほど鍛錬。身体動かしつつも頭の中には終っておらぬ資料整理の件、ウ君の講演をばどう日刊ベリタに記事まとめるか、今晩の競馬の予想と三つの異なる案件が交錯し禁煙の禁断症状もありヘロヘロの頭脳。帰宅してチゲ鍋で韓国焼酎。競馬中継も斜めに見るが一つも当らず。日刊ベリタにウアルカイシ講演の記事書く。ふと網上にてこちら「香港在住の埋もれた逸材として、富柏村氏(日本人)がいる。この人の才能は、本人のウェブサイトでご確認ください。」とあるのを見つける。才能といはれるほどのもの微塵もないが逸材といわれ普通なら悪い気もせぬだろうが「隠れた逸材」ならまだしも「埋もれた」といふ表現に本人かなり笑ふ。
▼昨晩読んだ荷風先生の日剰に、荷風先生夜な夜なふと曲輪行きをば思い立ち円タク拾い「仲までいくらで行くか?」と問えば運転手に「仲とは何処ですか?」と言われ「仲」なる言葉すら通じぬ世になったと感慨深げ。今でも余は東京に戻れば畏友と晩に会えば「それじゃ仲ででもちょっと」となるが……。平成でも通じるほうがヘンか。
▼朝日が記事はイマイチでも連載漫画がいかにも朝日らしさ。夕刊しりあがり寿の『地球防衛家のヒトビト』ボケたふりして日本の可笑しき様をば逆に嗤ふ姿勢鮮明にていしいひさいちの朝刊『ののちゃん』をば陵駕するほどなのだが『ののちゃん』本日の第2402話は冴えののちゃんの藤原先生の学級にて生徒が「自衛隊がイラクへ攻めていくって本当ですか?」と質問し、この質問ぢたい政府文部省にしてみれば「自衛隊がイラクへ参るのは国際貢献とイラクの平和維持活動のためであり、このような一部の「偏向」した意見が生徒の口を通したようにして出されることが遺憾」であろうが、藤原先生は公立学校の、それもおそらく東京都下であろうが、黒板に「イラクと戦争をする」と書いて×をつけ、これなら「日本は戦争に行くんじゃありません」と子どもの、おそらく偏向した共産党員か過激派を親にもつ子どもだろうが、の偏向した考え方を是正し諭す「理想的な教師像」に合致しそうだが、藤原先生がそんなはずもなく「いいですか、ここが肝心なところです」と、「×イラクと戦争をする」の横に「イラクの戦争をする」と書いて○をつける。藤原先生が「わかりましたか」と言うと生徒たちが「ハーイ」と。このような理想的な教育が東京の何処で行われているだろうか。現実には藤原先生など即刻退職処分である。

一月十三日(火)晴。朝に目覚しならず気がつけば停電。照明など異常なく拙宅の全室のコンセントのみブレーカー落ちる。冷蔵庫が原因。よくよく調べると冷蔵庫に当てたコンセントに問題あり他から電気引けば冷蔵庫ぢたいには異常なし。外国人記者倶楽部にて在香港日本国総領事Y氏の講演あり。無難にまとめた感あり。朝日新聞M特派員だの台湾の中央通信社など執拗にイラク派兵だの小泉首相靖国神社参拝だので質すがY氏東南アジアの某国大使に栄転といふ噂もあり香港にて余計な火種で火事起こすはずもなし。晩に某所にて「電気ブラン」一飲、宅にてきらした菊正宗と「いいちこ」ジャスコに購い帰宅。「かんぱち」のかしら煮などで夕餉。かなり久々に日刊ベリタに昨日から本日にかけて開催された立法議会SARS問題小委員会での陳馮富珍・衛生署元署長の昨年の疫禍蔓延時に「中国における疫病の伝染は国家機密扱いだった」なる発言など送稿。藪用多し。頭痛ありウヰスキーなど一飲すると頭痛治るのは困ったもの。荷風先生日剰昭和十二年読む。

一月十二日(月)薄曇。昨晩寝しなに月刊『東京人』二月号読む。毎号楽しみは巻頭の建築評論家松葉一清氏による「東京発言」にて此の連載毎回「これぞ」といふ各界の人の発言をば取り上げ松葉氏が氏の卓見をもってその発言なり世相をば語り『東京人』創刊以来、余がその創刊号をば仙台の今はなき八重洲書房にて手にした十七年程前から続く好評連載。二月号もまず取上げたは料理評論家の小林カツ代の週刊朝日十二月十九日号での発言にて
学生時代、ボーイフレンドが共産党員と知り、母に「アカやて。怖いやん」と話したら、母に「アカのどこが怖いの」と普通に聞かれ、説明できませんでした。以来、私は「説明できないことに付和雷同しない」と決めました。
と。いつも以上に今のご時世の風潮に「これぞ」といふ発言をさすが松葉氏取上げたと感心。そしてこの発言受けて松葉氏の世評始まるのだが余の日剰でも少なからず引用した松葉氏の世評ながら今回はこれまでのどれ以上に文章に実にリキ入り読み進めれば引用に削る余地なく全文引用する他なし、といふ内容。
あの九月十一日から始まり、自衛隊のイラク派遣が現実のものとなりつつある二〇〇三年暮れまでの二年半足らずは、本当に日本が地に落ちた八百余日だった。政権与党ははぐらかしを続け、メディアの第一線はそれを追及しきれない。年の瀬を前に起きた足利銀行の一時国有化、宇宙開発事業団の懲りないロケット打上げ失敗、そしてイラクでの二人の外交官の悲劇的な死と続けば、ただでさえ暗い世相が一段と暗くなる。
米国がなんたるかも、わたしたちは国際的なニュース映像で見続けてきた。あの大統領選の不明瞭な結末もそうだし、戦時体制における言論の不自由さも見た。米国の社会に大きな可能性が存在することは認めても、個人の意見を言うことがあんなに不自由な国だとは思いもしなかった。プロレスラーや映画俳優が次々と政治家になり、ポピュリズムが極まっていくのは、無批判なメディアが社会の大勢をつくった結果だ。
目の下に隈をつくって、自衛隊派遣について牽強付会な屁理屈を語る指導者に対して、日本国民はついにこの間信任を与えてしまった。内閣支持の理由の相当な割合が「首相の人格」となっている。わたしは首相の人格を知らない。だから、その理由で支持もしないし、不支持になるわけでもない。それなのに相当な人が「人格」にころりといくのは、メディアが振りまく幻影が、多くのひとに影響を与えてしまう恐怖を思わせる。
支持も不支持も個人個人がきちんと理由をつけて自らに説明し、納得の上で一票を行使してほしかった。久米宏氏も消えて、筑紫哲也氏もいつまでもキャスターを続けていくわけでもない。ワンフレーズ・ポリティクスとは「ニュスステーション」が構築して、コイズミの取り巻きに伝染させたものかも知れない。今や昨日までのすべてにサヨナラを言うべき時だと考えながら、このコラムも筆をおく。愛読ありがとうございました。
……。そのリキの入った文章がまさか連載中止のリキであったとは。暫し唖然。この時代であるからこそ松葉氏の巻頭の世評こそ必要であるのに。松葉氏も呆れるのは日本の愚世。寝しなの数頁の読書のつもりがこの松葉氏の所為で目が覚めてしまい結局、中央線特集など『東京人』一冊読んでも猶も眠れず。ここ数日ずっとピンクフロイド聞く。名盤“The Wall”聞けば中学二年生であったかLP二枚組のこのアルバム購い聴き惚れる毎日。当時、中学の洋楽好きの多くはビートルズでありちょっとバンド系になるとパープルであるのだが余はプログレ好きの親友T君の影響にてエマーソン・レイク&パーマーなど聴かされ前衛に慣れた耳のT君や余にとってははピンクフロイドすらポップス風に聞こえたもの。中学のお昼の放送にて毎日代わり映えしない音楽の教科書準拠の名曲に厭きてこの“The Wall”をば放送し「ロックはいけない」といふ教員いても教員の誰一人としてこの“The Wall”に込められた管理教育をば非難否定する歌詞の意など聞き取りもせず理解もせず「そんなものか」と嗤っていたのも遠き昔のこと。

一月十一日(日)早朝に久方ぶりのまともな降雨あり。ランタオ島に山歩きでもと思っていたが中止し朝寝決め込む。山歩きの握り飯にと炊いた米飯で朝餉。天気徐々に回復しこのまま在宅しては気持ちも晴れずZ嬢とバスでホンハム站、KCRで粉嶺。旧市街の聯和墟、ちょうど旧聯和街市を間に「ジャズラーメン」今日も行列ありと線対称に位置する客家料理供す茶餐庁・新漢記飯店にてランチセット。なかなかのランチに例湯と飲み物までついてHK$21〜23と廉価。しかもカレーなどちゃんとロリエの葉など入る。歩いて龍躍頭文物徑(地図)この龍躍頭一帯には18世紀頃に建造された登β氏らの城壁村数多く残り崇謙堂なる教会や石盧(写真)といふ立派な石造の廃屋など眺めつつ老圍、登β公祠、旧正月近づき橙や桃など栽培する農園もこの暖冬にすでに橙は豊作すぎ果して旧正月まで保つだろうか心配(写真)沙頭角公路越えて基督教のキャンプ施設宣道園、観龍村の新圍の立派な門構え(写真)すっかり河川敷整備され無残なる梧桐河を越え小坑村までおよそ九十分ほどの郊外散歩。ミニバスで粉嶺に戻る。Z嬢バスに詳しく粉嶺より九龍は藍田(平田邨)行きの長距離バスあり、とこの277Xバスにて観塘。バス乗換え終点の金鐘。郊外歩きの格好でパシフィックプレイス。星巴珈琲。Mont Blanc「Boutique」にて万年筆のインク購おうとすれば従前はただの万年筆屋の分際で革製品だの紳士用小物など扱い品目増え筆記具など隅に追いやられ店員に万年筆のインク求めればインクの在庫どこにあるかも不明朗。情けなし。万年筆は売れてもせいぜいただの蒐集家相手の高級品ばかり、万年筆をば日用する者など少なくインクなど売れる筈もなしか。かなり待たされ漸くブルーブラックのインク三壺購ふ。Mont Blanc、腕時計から貴金属まで取り扱い品目増やし売上高倍増狙ふがLouis Vuitton、Chanel、Gucciといった高級ブランドならまだしも紳士相手でMont BlancではDunhillにも及ぼう筈もなく単に在庫品目多く抱えるだけで純利など従前の筆記具のみの頃と然程変わりないか下手したらキャッシュフロー上は今の方が経営難ではなかろうか、と憶測。灣仔のアウトドア屋にてトレイル用のMontrail製の靴購入、同型の靴二年弱で履き潰し三足目か。更に灣仔歩いてジェラートの「木田」にて余は豆腐とヨーグルトのジェラート。バスに乗り帰宅する途中、北角の香港葬儀館の建物に沿い多くの献花あり(写真)アニタ梅艶芳女史へのお弔い。今晩が一般市民の弔問も招くお通夜、告別式にあたり多くの市民の姿、近くのサッカー場に数千人。香港の歌舞音曲の女王の未だ若き逝去に昨日は日本よりかつて色恋沙汰も噂されし近藤真彦君も来港し故人に惜別、マッチさんの憔悴しきった姿が今日の新聞にあり。そして天安門事件で名を馳せたウアルカイシ君もこの弔意に査証発給され93年の来港に続き香港返還後に初めての来港叶ふ。アニタ=ムイ女史は89年の天安門事件にて反政府の狼煙あげた学生市民に積極的なる支持、民権運動家の海外亡命にも参与しそれ以来のウアルカイシ君らとの通交とか。帰宅して早晩にランニング。一旦、Quarry Bay公園の海沿いに出て未だ工事終らぬ歩道橋不通で太古城抜ける途中ウォーキング中のH氏に遭遇。再びQuarry Bay公園に入り北角の香港葬儀館まで。午後七時の告別時間終了前にまだ数百人の弔問客の姿あり。香港にて最も愛された歌姫の逝去。葬儀館正面は跡切れぬ弔問客の列と弔問客の撮影に忙しいマスコミ群がる(写真)再びQuarry Bay公園抜けて帰宅。およそ一時間四十分のランニング。蕎麦茹で食す。クウェートより航空自衛隊の先遣隊が初めてイラク入り、ついに日本が晴々堂々と国際社会において真の国際貢献果す日が来たことを祝しZ嬢がかつて知人より頂いていた航空自衛隊の焼酎「献捧」を飲む。日本国万歳! この栄えなる自衛隊派遣した小泉首相、石破防衛庁長官に乾杯! この「献捧」なる焼酎、その名もいかにも戦さ人(びと)好みの大袈裟な厳めしさ、ラベルにはレーダー基地と中央に仰ぐ国旗日の丸。不味い、と言いたいがけっこうイケる黒糖の焼酎にて航空自衛隊第55警戒群といふレーダーサイトが沖永良部島にあり(航空自衛隊の「南西航空混成団」司令部は那覇がありこの管轄下の南西航空警戒管制隊のレーダーサイトが宮古島(第53警戒群)、久米島(同54)、沖永良部島(同55)と与座岳(同56)の各離島にあり)この沖永良部島のレーダー施設、まさかここがいくらお土産、記念品目的とはいへ焼酎は製造販売できぬから、便宜上、防衛庁共済組合沖永良部島支部が発売元になっている黒糖焼酎で製造元は地元沖永良部島の原田酒造。鹿児島の芋だの強烈なる芳香に比べ黒糖の焼酎は確かに洗練された美味。南洋群島に長老者多く確か故・泉重千代翁も黒糖の焼酎の晩酌欠かさなかったはず。「献捧」とは白川静『字通』にもなき語、調べれば与論島に与論献捧とよばれる酒の作法があり、まず最初の者が盃になみなみと注いだ焼酎を持って口上を述べた後に飲み干し集ふ一人一人に注いで飲み干してもらい最後にもう一度自分に注いで飲み干し、これが次々と口上を述べる人が代わる代わる延々と続くそうな。目的は来客に話す機会を与えてすぐに打ち解けおうとい持て成しだそうだが、軍隊が「献捧」とすると「献身捧日」捧日は忠誠の意味で余りに「いかにも」すぎ、葉隠ぢゃあるまいし。三谷脚本『新撰組!』大河ドラマにて始まる。どうせ今年も初回のみで二度と見まいが佐久間象山(石坂浩二)曰く、十歳までは己のことを考え、十代は家族のことを考え、二十代は国(江戸時代における諸国)そして三十代は日本のこと、四十代には世界のことを考えよ、と。さらに日本にとって大切なることは西洋の強国の知識や技術を今は学び立派な国へと成長し列強と台頭に渡り合える日を待ってその時に正々堂々と戦う、と。何処かこのいちいち「小泉三世が聞いたら喜びそうな」いかにもネオコン的な台詞が耳に残る。同じ幕末モノでも『花神』はもっと個人主義的であったし『獅子燃える』も今から見ればどちらかといへば反権威的、同じNHKでも『明治の群像』など当時は反動的、明治賛美と揶揄されたが今にして思えば国家と個人に距離置くことのできた人たちの物語のやふ。三谷氏の脚本でも結局、この大上段に天下国家論じる陳腐な台詞並ぶ、まぁこれが大河ドラマか……。
▼本日バス乗車長く玉村豊男の『新型田舎生活者の発想』さらさらっと読了。この本、89年にZ嬢が読了し頂戴した文庫本で読まぬまま故郷の実家の書庫に眠っていたもの。当時は「それなり」だが今読むと「ありきたり」的なところもあり。とくに「どう」といふほど見識が書かれているのではないがとくにどういふ内容がなくても人に読ます文章、本にできるかどうかが青木雨彦の例を出すまでもなく一流の随筆家の真骨頂にて、その意味では玉村豊男は随筆家として一流といふことか。

一月十日(土)微雨あり。早朝に従兄弟のS兄より病気療養中の叔母逝去の報せあり。幼き頃に可愛がってくれた叔母の葬にもかかわらず弔ひもできぬこと心中詫びるばかり。午前、或る方の紹介にて香港に息子連れて参られる方の教育のことなどで相談あり拙識ながらお話。午後沙田に競馬あるが昨日より頭痛ひどく競馬新聞すら見る気もなし。叔母の逝去の喪に服すこともあり。午後少し書類整理など。iPodにピンクフロイド録音。九龍に高座あり地下鉄の車中ピンクフロイド聴くがこれほど殺伐とした風景に似合う音曲も他になし。夕方ひとけも寂しき茘枝角公園に坐し麦酒一飲。美孚のマンションに曇り空のなか僅かに夕陽さしピンクフロイド聴けば感涙も禁じ得ず。帰宅して母と叔母逝去のこと電話で話す。赤茄子のスパゲッティ。一口だけ飲もうと抜栓した赤葡萄酒の木栓の腹に拙い漢字で「飲杯(乾杯)」と記述の焼き印あり悪戯としか思えず蔵出しの後に誰か第三者によって開栓され「飲杯」したら毒入り、ぢゃ洒落にならず試飲すら一瞬躊躇せしが同じ木栓の腹にD. Whyteと読める署名の焼き印、騎手Whyte君の署名にて、南アフリカ産のDemonvaleなるこの葡萄酒、ラベルには駿馬の絵、ふと思い出せば弁護士にて某休暇空間営む馬主M氏より頂いた瓶にて愛馬家のM氏ゆえ競馬絡みのこの葡萄酒か、Whyte騎手南アフリカ出身にて恐らくはWhyte騎手の副業か洒落か南アフリカにて知合いの営む葡萄酒蔵の葡萄酒をば香港にて競馬関係にて頒布かと察す。従兄弟のT君とA嬢にご母堂逝去に哀悼の手紙認める。母より叔母への
臘梅の香をはなつなか旅立ちぬ
といふ追悼の句。故郷はいまだ朝晩は氷点下の寒さながら梅の季節も間近。
▼朝日に島田修三といふ歌人による古歌の文章あり。「袖振る」といふ言葉取り上げ万葉集の額田王詠んだとされる秀歌
あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る
をば例にして「袖振る」が、単なる親愛感の表出ではなく恋する相手の魂を自分の方へと呼び寄せる「魂招き」という呪術的行為である、といふとらえ方など紹介、さもこの歌人氏の真説の如き書き様ながら「袖振る」のこの解釈、余も高校の古典の授業で教師言及せしこと、今さら、といふ感あり。それより可笑しかったのは、この歌人氏、この歌の解説を「天智天皇主宰の薬狩りが琵琶湖畔の蒲生野で薬狩が行われ、薬草を刈る王にしきりに袖を振る男あり、それを恥じらいながらたしなめる相聞的な趣きをもった歌」と。「天智天皇主宰の」と始まる文で「王に袖振る男」と続くので、つい「天智天皇に袖振るオカマ」と一瞬、男色説か?(笑)と勘違い。この「王」は額田王で女性、だが額田王をただ「王」と呼ぶことに慣れておらぬし文章が「天智天皇主宰の」では要らぬ誤解。額田王が大海人皇子と離縁しその兄である中大兄皇子と結ばれ、この歌はその大海人皇子が兄嫁となった額田王に求愛の情あり、この薬刈りの場で白地に額田王に「袖振り」をし、それで額田王が「そんなことしたら野守が見るじゃないですか」と詠んだ歌、いずれいせよ大胆なる兄弟での嫁争いの上に今でいふ不倫のお誘いで而も竹内まりやの「喧嘩をやめて〜、二人を止めて、私のために喧嘩をするの、もうこれ以上〜」的な立場の額田王がそれを歌にしてしまふ、と古代は古代で実に大胆なる時代。ところでこの「喧嘩をやめて〜」と歌う女性は可愛らしいがそれが竹内まりやだと思うと興醒め、と当時話題に(笑)。而もその喧嘩するその一方が山下達郎であると思うと畏怖の念すらあり。

一月九日(金)曇。少し寒さぶり返す。或る仕事にて普段かなり温情厚しと感じていた数名が些細な業務につき信じられぬほど利己的、薄情なる実性をば見せつけられ何故にかふまで勝手になれるものかと裏切られた感あり呆れ怒り通り越し悲しく暗澹たる思ひ。iPodへの録音作業にてかなり古い、最近聴いておらぬ曲いくつもあり。例えばBoz Scaggsの「Middle Man」で、もう四半世紀も昔のアルバム、TOTO(便器に非ず)の演奏にて見事なる楽曲、当時、SonyのテレビCMにこのアルバムより「Breakdown Dead Ahead」なる曲用いて「紐育の朝はロックで始まる」といふコピーに当時は余も「そうか」と感じたもの。Boz氏の歌唱、歌手の歌なるもの音程は人により多少の♯、♭ありそれが気になるのだが、Boz氏の場合、彼の多少♯気味の音程がこれがまた心地よし。前述の不快の気分転換にと早晩にジムに馳せるが多少の運動にては気も紛れず帰りしなコンビニにて麦酒立ち飲み。夕餉に菊正宗コップに二杯飲み文藝春秋二月号一読し更に暗澹たる気分のまま早寝。
▼文藝春秋なるもの、菊池寛の廿世紀での日本の文芸、思想界に於ける害悪甚だしきこと真なり。荷風先生早く見出した如し。文藝春秋といふ総合誌も見開きより一見上品なる写真、広告記事続き本文となり著名なる方々の随筆より始れば、二月号でいへば、阿川弘之君のイラクにて「亡くなった二人の外交官……、「テロに屈してはいけない」と言つてゐた人たちの素志を、言葉でなく行動で継承し、事実日本が、テロリストどもの脅迫に屈伏せぬ一人前の近代国家であることを、世界に示す絶好の機会」と近代国家なるものへの誤解甚だしき論評。漢学の碩学白川静先生すら文藝春秋では「文字を奪われた日本人」と戦後の日本が米国主導により日本の、東洋の文化と歴史の基を損ったと陳腐なる御節。今求められるべきは狭い文化伝統主義に非ず、泰西だらふが支那、日本だらふが博い視野から全てを体現できる輩であり、戦後なるものを単直に米国支配で日本の伝統が損われたなどと理解するべきでない。米国があろうとなかろうと岸田秀的に言えば幕末にアイデンティティの崩壊あり<個人>なる思想の流入にてどうにか知識人的には明治、大正は自己統一できたものが戦争に向かふ過程で国家規模で崩れたのであり米国の所為になどするは余りに利己的なる免罪。それに続き公明党依存脱却し憲法改正し真の国家になるには「自民は民主と大連立」せよだの、昨年好評博した?「父が子に教える日本史」といふ幻想的行為で過去をば語ったら二月号では視線を将来に据え「次の十年」はこうなる、と、水木楊なる作家の文章一瞥すれば、イラク派兵にて自衛隊に死者が出て公明党離反 自民党内で反小泉勢力が加藤紘一担ぎ反乱、民主・共産・社民による内閣不信任で衆議院解散、小泉失脚し民主党公明党連立で菅首班、折から日本が国連常任理事国入り打診あり憲法改正めぐり解散、民主党割れて小沢「新憲政党」旗上げ、最後のチャンスに打って出た石原慎太郎「日本独立党」が新憲政党と連立し終に憲法改正国民投票となる……と。これを読んで余の耳にはピンクフロイドの曲が流れるばかり。頁めくり読者の投稿には神奈川県の坪井和也君なる19才浪人生の投稿あり高校教育は「日教組教育と左翼偏向報道の影響」がひどく、修学旅行のアルバムには広島の原爆ドーム前でのVサイン、無邪気な「ピース」連呼があり、この青年はこれを「連合国側の勝利のVサイン、その彼我の差にこそ注意を凝らすべき」で「権力が轢死を壟断したような戦後教育のおぞましささえ感じる」と。十九の何も知らぬ小僧にこれだけの言説あり。一九のガキにここまで言われ、世の大人ども、自らが懸命に生きた戦後半世紀はそこまでひどいものなのか、と何故、怒らぬか。寧ろこれを読み「最近の若者はよくわかっている」などと安堵するのなら(と、それが文藝春秋の読者だが)それこそ彼我の己の生涯に何ら栄誉もなき自虐主義なり。

一月初八日(木)昨日購入のiPodの売上げ世界にて二百万台に達したとか。40GBという容量、約1万曲の貯蔵可能にてCDなら約一千枚、少なくとも余のCDなど全て貯蔵してもまだかなりの余裕。ふと昨夏購入の中国の若手歌手「張敬軒」君のCD聴く。広州で活躍の、十代の頃には市内のホテルのステージで歌い、まだ二十歳そこそこだがR&B系のポップスをば中国、香港にてはかなり珍しく自ら作詞作曲、編曲から歌唱、楽器まで熟す実力派。久保田利伸的でもあり。香港にて今ひとつ人気沸き立たず残念なところ。中環に晩集ふ市民は昨日の董建華施政方針演説うけて董建華への不支持表明、立法会議事堂周辺にて抗議のキャンドルサービス行ふ。民意尊重など口先だけ、結局全て北京中央にご意見伺いの姿勢で開き直りの董建華、あそこまでの忠犬ぶりで自らよくも恥ずかしさもないのは立派。今日になり一昨日の新聞など読めば畏友William登β達智君が経済紙「信報」の毎火曜日連載「智百厭」に綴ったアニタ・ムイ追悼の「假如似水流年有天意(もし水流るる如く年月流れ天意もあらば)」あり。普段なら登β君には「さすが巧い」と読む者唸らせる筆致ながら弔文ゆへ賞めるは失礼、だがさすが登β君らしい、他の者にはとても書けぬ、アニタ姐の大きな人柄をば形容するに値する言葉の世界が其処にあり。
▼政府統計によれば昨年一年に香港と中国の境界線越えて往来した者の数、実に一億二千八百万人。つまり日本の人口とほぼ同じ。かつて「竹のカーテン」の向こうと云われた中国に香港から羅湖の木橋を渡っていた時代も遠い過去。一億越えれば香港政府が通行税検討する算盤勘定も理解できなくもなし。
▼埼玉県北足立郡にて投資会社経営の十九歳の青年国内では販売不許可の合成薬物「2CT-2」インターネットで販売したとして薬事法違反(無許可販売)の疑いで逮捕される(朝日)。2CT-2なる薬物、たかだか性的高揚感が得られ幻覚や幻聴ある程度のお遊びクスリにて服用はまだ合法だが販売となると薬事法で処罰対象。青年は単にネット上にてこのクスリの存在知り米国の業者より個人輸入で仕入れネット上にて国内で販売、約五千人の客相手にこの青年の2CT-2売り上げ1億円を超え純益でも五、六千万円。青年は高校を1年で中退、大学入学資格検定にも合格し大学受験の準備だがこの薬品販売好調ゆへ昨年八月に有限会社設立し同薬の売上げの一部を先物取引等へ投資。なんと自立心旺盛なる機智的な若者。暴力団の覚醒剤商売ぢゃあるまいし、渋谷などで浮遊している若者らに比べれば向学心もあり若いのに先物投資まで積極的とは非の打ち所なし。これほどの才ある若者のこの程度のおクスリの販売で、しかも直接米国から購入できぬ国内の好事家に便宜図った程度のこと、1億円といふと暴利のようだが五千人の客なら1万円のクスリをば倍額で国内で流した程度、その若い才能をば摘み取るとは警察も野暮、と思ふがZ嬢曰く、まぁ未成年で、成人でもこれ初犯ならまず執行猶予であろうし、これ程の機智ある青年であれば薬事法に牴触することなど当然理解した上でのことでは?と。御意。このくらい人生の投資行為か。
▼長野県知事による県名の「信州」への変更検討発言に対して総務省事務次官が「県の名称というのは長野県知事に承認権があるのではない」と述べ(「承認権がない」のはお役所行政上正しいが)「全国の他の自治体だって長野県という呼称によって情報を管理し、手続きなども進めている。知事の思いつきで『地方分権だ』『これはやるべきだ』という話になるものではない」と批判(朝日)。小学生でもわかることだがこの総務事務次官の発言によれば総務省推進する平成の市町村大合併とて難しく、こういった地域名称の変更などを従来の住民票の帳簿管理でなく電算化して容易にするためにこそ総務省推進する住基ネットがあるはず。結局のところ総務事務次官の意図するところは市町村合併など「総務省主導の」地域活性化は問題ないが康夫チャンによる「信州」が総務省的なる地方行政から一歩出たところでの真の住民自治を狙ふところ、それが総務省としては困るといふ、単なる役人の狭い了見。そもそも「長野」なる県名、信濃国にあって善光寺領の字名程度の地域であった「長野」という地に明治になって県庁舎建設され地名を採って「長野」と名付けた程度。これほど広い饒かなる地域性ある自治体でありながら松本、諏訪、伊奈などの人にとっては何ら関わりもなき「長野」なる名は改名検討される意義あり。だが「信濃」とせず「信州」ゆえ政府にしれみれば「州」制度に利権的反発あって当然だが。

一月初七日(水)晴。昼に日本らーめん横丁訪れ山頭火にて塩らーめん食すがいっときは十一時半の開店と同時に満席になったこの店も正午過ぎても空席あり。最も流行るこの店でそうだから他の店など非常に客少なし。突然iPod購ふ。フルトベングラーのウィーンフィルでの1938年録音のチャイコフスキー「悲愴」早速iPodに入れて聴きながら灣仔歩いておれば政府の麻薬中毒者相手の合法合成麻薬配給所横に行列あり「ついに麻薬中毒者これほど増大か」と思えば街頭にて冊子配っており何かと思えば董建華の施設方針演説の早刷り。一読。序言は
Over the past year, the people of Hong Kong have experienced a severe trial. My colleagues and I in the Special Administrative Region Government have learnt a painful lesson. After much soul searching, we have adopted various measures to get closer to the community and respond more vigorously to the aspirations of the people. In the coming year we are determined to continue improving our governance to gain the trust and support of the community, and we will take concrete action to promote people-based governance.
With the community's concerted efforts, we overcame the outbreak of Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS) last year. However, the disease infected more than 1 700 people and claimed 299 lives. Drawing on the lessons we learnt, the Government has improved the alert and response system to help prevent, identify and control future outbreaks. In particular, we have ensured that frontline medical staff have all the necessary personal protection equipment they need. We all know that the risk of a possible resurgence of SARS still exists. The important tasks ahead of us are to maintain a high level of vigilance, to ensure good personal and environmental hygiene and to stem the disease at source.
After the difficulties of the past few years, our economy is clearly beginning to recover. The hard work of the people and the economic development strategy plus various measures adopted by the Government are gradually producing results. In these circumstances, what is most needed is to push ahead with work already planned in a pragmatic manner, to ensure that the good momentum built up in the recovery is sustained. Thus, the theme of my address today is to work with everybody in the broad direction accepted by the community to continue with economic restructuring and revival, and while allowing the community to take a respite and build up its strength, to promote comprehensive community development, to get close to the people, to improve governance and to properly plan political arrangements for the future.

過去一年,香港社會經受了嚴峻考驗,我和特區政府的同事汲取了●痛的教訓,經過深刻反省,我們採取各種辧法縮短與市民的距離,積極回應市民的訴求。我們決心在新的一年裏繼續改進施政作風,在實際行動中貫徹「以民為本」的理念,爭取市民大衆的信任和支持。
經過全港市民齊心協力,我們去年克服了「非典型肺炎」的侵襲;但是疫症已奪去二百九十九名市民的生命,一千七百多人受到感染。我們總結經驗,汲取教訓,切實改進了預警和應變機制,加強防治措施,特別是確保前線醫護工作者的必要裝備。大家知道,疫症可能再爆發的風險並未消除,我們必須保持高度警覺, 注意個人和環境衛生,及時堵截疫症源頭,這是今後一段時間裏的重要任務。
經歴了過去幾年困難後,香港經濟已明顯開始復蘇;市民的刻苦努力,以及政府訂立的經濟發展策略和採取的一系列政策措施,正陸續見到成果。在這情況下,最需要的是扎扎實實地推進各項已經安排的工作,務求經濟復蘇的良好勢頭持續下去。因此,我今日報告的主題是着重與大家一起,朝着社會認同的大方向,繼續推動經濟轉型和振興;在致力讓市民可以休養生息的前提下,促進社會全面發展;以及貼近民衆,改善施政,妥善策劃政治未來。
と語るが何が市民との距離縮め施政作風改善し市民のための具体的な行動貫徹し人々の新任と支持を得る、だろうか。一期目の二年目の施政方針に非ず再任までされた六年目の政権が支持率4割まで下げ何が今さら市民の支持だろうか。SARSとてその侵襲をば克服した等といふ表現にただ呆れるばかり。克服したのは市民であって元来、香港政府の判断の誤謬、遅れ遅れの対策が三百名近い死者だした元凶。北京中央なる背景あるだけで実はその中央からも厭きらつつよくもここまで反省も思慮深さもなく厚顔無恥でいられるもの。早い晩に百年ぶりにジムで拳闘系の運動小一時間。競馬新聞もロクに見ずに選んだ馬が1レースが6.5倍、2レースが7.2倍で一着、そのあと6レースまで3倍、4倍のかなり堅いレース続くが一着当て続け6レース連続単勝。7レースのクラス1芝1800mはSize厩舎より「獅子花」「自由武士」に「精彩繽紛」と3頭参戦し一番人気は自由武士ながら9倍の精彩繽紛が先行してハナを走る続けるに期待、Size厩舎三頭での三連複まで購入すれば予想通り精彩繽紛がレース引っ張り速度も落ちず「まさか」と期待したがスランプ克服のWhyte騎手の「企業家」に刺され精彩繽紛二着、自由武士三着に食い込む。余の連勝も六連勝で終る。だが素晴らしいレース見せていただき感動。12月までのHappy Valley Champion challengeにてDashing Champion優勝した馬主C氏今晩表彰式あり賞金HK$65万(1千万円)授けられるをテレビにて見る。自由武士三着に食い込む。最終8レースも堅すぎてCruz厩の「利利高」にSize厩「歩飛揚」にWhyte騎「煙花燦爛」では三連複なら6倍程、これでは面白みもなくSize厩の伏兵「贏多寶」を軸にして三連複。12月の有馬記念でのツルマルボーイ四着の無念晴らさむ。贏多寶の先行逃切り期待するが中位にあり煙花燦爛、歩飛揚の一、二着は堅いがここで贏多寶最後内埒から伸びを見せ三着、で配当もHK$123と三連単にしては堅すぎるが勝ちは勝ち。結局7レースで単勝外し連複二、三着で惜戦であった以外は見事的中も的中。どれほど安定した晩かといふと勝ち馬は4レースがSize厩、5レースがWhyteで二着がSize厩、6レースはSize厩、7レースが一着Whyte、二、三着がSize厩、最終8レースも同じく一着Whyte、二、三着がSize厩とリーディング騎手と厩舎で勝ちまくり。

一月初六日(火)晴。晩に北角の寿司・加藤。加藤のご主人に山形の辛口の純米酒・住吉出され一飲。宮城の「沢の泉」。海運会社のO氏、某銀行のK氏と款語三更に至る。
▼香港政府の公務員退職金及び退職後本人死去まで供される年金の総額初めて明らかにされ現時点でその額驚くなかれHK$三〇七八億(約四兆円)。この他公務員の有給休暇分賦課金HK$二〇三億もあり民間企業であれば当然財政的にすでに瀕死。香港の世界に冠たる公務員給与の高水準ゆえの惨禍にて香港市民一人あたりHK$42,800の負債背負ふもの。政府の財政赤字、昨今の不景気だの民間企業の惨状考慮せばこの公務員年金制度の見直しも当然ながら愚策にもこの年金額九七年の香港返還での公務員離職防ぐ目的から年金基礎額をば九七年返還以前の水準で維持することをば条例にて定めており現行での年金受給額をば変更できず(嗤)。更に尋常ならぬ問題はこの額今後も増大は必至にて八十年代に大量に採用された公務員が定年向かえ長生きする今後半世紀はこの「福利」制度規模膨張あり。何が民生かと嗤ふばかり。

一月初五日(月)晴。昨年ふと煙草を亦た吸い習慣的になってしまひ別に健康など気にはせぬが吸いたくてイライラする中毒症状が厭で元旦よりあらためて禁煙。休日気分なら煙草など気にならぬが日々の諸般雑事始まるとつい煙草吸いたく不愉快なる気分。煙草吸わぬと珈琲、甘味、酒の量が増え結局健康など程遠し。いまも「山崎」をば心地よく飲み続け日剰綴る。大西巨人「神聖喜劇」第四巻第七部「連環の章」三百頁ほど読む。昨晩第三巻の解説(保坂和志)で知ったことは「神聖喜劇」なる書名実はダンテの「神曲」の原題“Divina Commedia”の正確な訳であること。成程。僅か三ヶ月の軍隊生活を原稿用紙四千七百枚にて物語綴り延々と、その軍隊における必要以上の教養と論理性、と逆なる幼稚ぶりと非論理性、この矛盾こそ軍隊そのものか。この小説ほど妙題も稀。
▼先月アメリカンエクスプレスよりカードにて所得税支払いは如何?といふ案内届く。税金支払いの為の融資ではなく単にクレジットカードで税金一括払い、ゆえ利息分カード会社に徴収されるワケでもなし、支払ふ側にしてみればこのカード払いだと納税の1月と3月の分割が1月迄の一括払いでキャッシュフロー上の負担も多少大きくはなるが、楽しくも嬉しくもなき税金の支払いにカード会社の指摘する通りせめてマイレージのポイントがつくだけでもまだ見返りあり。所得税ともなれば加算されるマイレージもバカにならず早速カードでの税金支払い実施。だが見当つかぬことはAmexなりカード会社はどこで儲かるのか、といふこと。まさか対政府にカード手数料で5%の請求もできぬであろうし政府とて手数料払ってまで民間依存する徴税業務に非ず。取引銀行の担当A嬢にこの点尋ねれば昨年すでにHSBCがカードの顧客相手に始めたものだそうでAmexはそれに今年参入とのこと。確かにこの仕組み通りではカード会社に利潤うまれぬのだがカード会社への支払い延滞の場合に金利発生するわけで、マイレージ加算などの旨みでついカード一括払いしたもののカード会社への支払いに困難生じれば延滞金利が発生、かりにカードでの納税者の5%でもそうしてくれれば十分に利ザヤあり、とA嬢。なるほど。
▼兵庫県警が相次ぐ警官の不祥事の防止のため家族や恋人など大切な人の写真をば携帯して勤務に当らせる、と(嗤)。「大切な人を思えばこそ、仕事もきちんとこなす」のが狙いだそうで、この写真携帯は義務、所持しているかどうかの抜き打ち検査までする徹底ぶり。写真は夫や妻、子どもや両親、婚約者や恋人でも構わぬそうだが、大切な人がビン・ラディン師であったり麻原師であったり、恋人が同性の同僚警官であったり、そういった場合どう対処するのだろうか。また妻の写真なぞ携帯させたばかりに妻の顔を写真で見るたびに「ああ、家になど帰りたくもない」と風俗遊びに走ったり、とか。こういった浅薄な発想する県警幹部も幹部だが「命をかえりみず凶悪犯に立ち向かわねばならない時に怯んでしまふ」とか「暴力団の組事務所で写真を落しでもしたら家族に危害が及ぶかもしれない」などと不安がる警官も警官。凶悪犯に立ち向かう瞬時にポケットの家族の写真が気になるってたらその時点で命などおとしているであろうし、「暴力団の組事務所で」といふのも暴力団で警察手帳から家族の写真を落すなどという状況ぢたい暴力団事務所のガサ入れどころか事務所のソファで茶飲み話だろうか、とても家族に危害が及ぶとも思えず。
▼週刊読書人(十二月廿六日号)の〇三年思想界総括する鼎談。ネオリベラリズムの風潮に乗っている人たち自身が「自分たちが何をしているのかをあまり理解していない」といふ指摘あり。これは小泉三世もその象徴で姜尚中教授の指摘するように小泉といふ人は自分のしていることの戦後政治での重大性を全く理解しておらぬこと。鼎談で指摘されているのは、この人たちのナショナリズムが戦中派までの体感とは異なる「習い覚えた古い愛国教育のボキャボラリーで動いていたりステレオタイプ的な戦後批判のジャーゴンで自己理解」しているような点。例えば、曾て戦後教育批判する際に「受験教育で競走ばかりさせられている」と言われていたのが今では戦後批判する輩は「戦後は平等社会で競走がないからいけない」と宣い、戦後教育=日教組に牛耳られた教育は共産主義的平等主義で全員手を取って一緒にゴールさせる点が非難されるがルーズ・ベネディクトが『菊と刀』で指摘していることは戦前の日本の教育が競走を極力排除し生徒が他人と自己とを比較せぬよう極力画一的なる教育が施されそれが日本軍の軍人に性格に顕著である、と。つまり画一的なる教育は戦後の日教組の産物ではないはずなのだが、批判することが目的ゆえその批判材料など如何様にでも利用できること。これは小熊英二君が戦後思想での徹底的な分析がすでにあり。

一月初四日(日)晴。朝九時より空港付近にて恒例のAdidasによるadidas King of Road 2004の10kmレース開催され参加。レースは出場者多く一人の男がレースをデモに見立て「董建華下台!」と呶鳴ったら周囲の数名が呼応し笑い広まる。董建華の不支持は香港ではもはや当然の世論。さすがに年末年始の日本での飲食と運動不足にて身体重し。56分ほどで10kmを走る。終って東涌より中環に戻るMTRの車内にて隣客の眺める競馬新聞覗きこみ出走馬確認して沙田の競馬の第一、二場のみ携帯より馬券購入。IFCのCitysuperで食材購い帰宅。韓国の激辛カップ麺、木綿豆腐の冷や奴とキムチで昼食。午後競馬中継見れば他人の競馬新聞での第一場は快勝(笑)。転た寝して夕方Z嬢と散歩がてら山道に入りふとさふいへばMount Parkerの周辺はかなり歩ったり走ったりしているがMount Parker(海抜532m)ぢたい登ったことなくこの機会に頂上へ。途中旧知で01年に100kmトレイルご一緒したH氏と遭遇。Mount Parker Rd下ってQuarry Bay、East EndにてStella Artois小瓶で二本飲み米国のハイウェイ沿いのダインにて供されるが如き脂っけも味も素っ気もない嚼むだけのビフテキ食す。帰宅して書斎の片付け。明日よりの雑多事の準備。ジャズ音楽など聴きつつGlenmorangieの75年物を飲みながら大西巨人「神聖喜劇」第三巻漸く読了。
▼余の寄宿のあと年末よりバンコクに遊んだ中野のY君より便りあり米国の狂牛病BSEの影響にて吉野家の牛肉供給に難あり暫定措置としてまず牛丼「特盛」の販売中止、余が中野駅前の吉野家にて朝特別定食頼もうとして間違い朝から牛丼特盛食したことも結果的にラッキーだったか、と(笑)。確かに。それにしても吉野家の牛丼がどうしてそれ程までに米国産牛肉に執るのか素人にはわからぬが米国のこの牛肉騒動での日本での過剰反応に香港の新聞に米国牛肉でのBSEよりSARS感染率のほうがよっぽど高い、と指摘。

一月初三日(土)晴。昨晩遅く16歳の頃に読んだ「チボー家の人々」の序章「灰色のノート」読み返し懐かしさ一入。今日は朝から昼まで不在中の新聞読む。昼すぎジムにて有酸素のcardio運動にてトレッドミルにて6.5km/h、15度の傾斜で三十分。午後遅く九龍某所にて高座。帰宅。鯵の干物、モツ煮、白菜の漬け物に味噌汁。昨日のキャセイで供されたものの飲まずに持ち帰った「白鹿」一合。大西巨人「神聖喜劇」第六部少し読む。
▼元旦に元朗の台湾産蘭花の温室で放火か火災あり。この蘭花園の経営者が千葉寿史さんといふ八旬過ぎた方で八十余歳といふ高齢ながらこの日剰お読みの方はご記憶あるだろうか十一月廿三日に綴った、KCR西鉄の天水圍站前の「千葉跳蛋市場」といふ名の「千葉のフリーマーケット」、てっきり千葉県と何か関わりが、と思ったがこの千葉寿史さんの経営と識る。台湾産の蘭の花は香港にて愛鑑され殊に旧正月には蘭の花飾る風習ありこの時期に蘭の温室での火災といふのは偶然とは言へまひ。
▼首相小泉三世の靖国神社「初詣」あらためて新聞の小泉発言読めば「なぜ元旦に(靖国)参拝したのですか?」といふ問いに「初詣でという言葉があるように日本の伝統じゃないですかね。多くの各地の神社にお詣りしています。いいことだと思います」と日本といふ国家の首相としての立場での靖国参拝と風習としての近所の神社仏閣への初詣での区別など出来ておらず。しかし小泉三世の「平和のありがたさ、これからも日本が平和のうちに繁栄するように様々な思いを込めて参拝しました」といふ言葉には「本人にしてみれば」嘘はないのであらふ、本人はそう信じているところがこの首相の単純なところ。翌二日には歌舞伎座で昼の部「義経千本桜」鑑賞の首相、靖国の初詣も新春歌舞伎の芝居見物も同じ感覚かも知れず。
▼話は昨年末のことだが居酒屋「和民」が同業「魚民」を赤字に白抜きの看板や紛らわしい店名の使用につき渓谷し「魚民」が反発し「和民」側に損害賠償求め提訴。「和民」については「民に和む」にはどうも店名の音に和みがなく献血中に「和民」の看板眺めていてふと気づきしことは「わ」といふ音読みに「たみ」といふ訓読み据えた造語故にて何故このやうな音の坐り悪き名にしたかといへば経営者が渡海氏と合点いつたことは数ヶ月前この日剰に綴つたが(だが本来「和民」などといふいかにも造語見たら「和平党」だかと「民主党」の連立か、としか思えず)、「和民」も和民なら「魚民」も魚民で、「魚民」はまだ「うお」に「たみ」と訓訓で法則上は坐り良いが通常これは「ぎょみん」で漁民のはず、「和民」がまだ無理に「民が和む」と読み下せるのに対して(だが本来は「民和」だが)「魚民」はそれも能わず(民が魚す?)、「魚民」では民助(たみすけ)なる男の営む魚屋「うおたみ」としか思えず、これでは「和民」の魚貝版狙ったかと思われても否定できず。まあ「魚民」が「ぎょたみ」と音+訓読みであれば間違いなく「紛らわしい店名」だが。いずれにせよ「和民」が渡海氏といふ経営者の名と「民が和む」といふ意味づけに対して「魚民」側にそういった由来、意味づけ乏しきことは「魚民」側明らかに不利。どうであれ「和民」だの「魚民」といった、漢語の意味も和語の美しき響きもなき名をば冠る店に何ら不自然も感じぬ者相手の商売ゆへ。

一月初二日(金)晴。病院に叔母見舞い妹の車に送られ鹿島灘を下り昼に成田空港。第一ターミナルのえびす亭なる拉麺屋に入れば店内の壁に「外部よりの持込み飲食お断り」と書かれており其処に何故か大きく「親展」と(笑)。成田では親展はおそらく「とても重要なお知らせ」といふ意味か。契太(Cathay Pacific)航空451便にて台北経由にて香港。本日の香港直行便全便満席で台北経由としたが空港で尋ねれば直行521便に空席あり、と。変更も可で直行便も聞けば機体はA330-300と内装は新しいはずだが97年だかに故・羽左衛門丈の歌舞伎見に高雄訪れて以来の台湾にて台北も96年に訪れて以来のはず、空港だけでも台北に寄りたければCXのB747-400の二階席なら長い時間乗るのもまた可といふ飛行機好きゆえの心境もあり台北経由。成田のラウンジにて昨日の香港の新聞でアニタムイ逝去の続報読んでいたら香港ジョッキー倶楽部の前・主席アラン李福深氏も三十日に逝去と知る。台北への機中で今日の香港の新聞三紙に目を通し蘭医桂川甫周の娘・今泉みね著「名ごりの夢」読了。明治の当時の浅草に歌舞伎芝居見に行く日の前の晩からの心浮き浮きとした様、当日の芝居茶屋から芝居小屋に向う気持ちの高揚など確かに医師N兄の云う「ハレ」がそこにあり。著者は自分が見た歌舞伎役者のなかで沢村田之助を絶賛しているがこの脱疽となった女形の脚切断したのがヘボン博士だったとは。アジア風精進料理を肴に「白鷹」一合。台北中正機場=蒋介石国際空港に到着し一時間半ほど機内にいても空港に降りても何れでもと客室服務員に云われ但し確認したところ空港のラウンジの使用は出来ず、とのこと。機内に残っても清掃などされて埃っぽいのも厭、空港に降りれば空港の器は旧態依然だが内部は改装されかなり明るくなり免税店の充実はかなり。ウヰスキーやブランデーの充実は成田にかなり勝り成田でサントリーの「山崎」買ってはいたが愛飲する「Macallan」の12年物と「Bowmore」15年をば購ふ。時間持て余しダメ元にてキャセイのラウンジ訪れれば受付のいかにも柔和そうな職員が「どうぞご利用ください」と。香港空港のラウンジを同じコンセプトで小さくした感あり使い勝手よき空間。香港と同じヌードルバーあるが牛肉麺食せば香港よかヌードルバーの格はかなり上。飛行機に戻り先程の客室乗務員「お帰りなさいませ」って新橋のバーじゃないんだから(笑)、ラウンジ使用できたこと伝えると「そもそもなんでダメだって云うのでしょうかねぇ」と乗務員。余が「きっとトランジットじゃないからでしょうし、ラウンジが混雑してる場合のこともあるのでしょうね」といったいどちらがキャセイの職員がわからず。江藤淳先生の「妻と私」文春文庫読む。表題作の江藤先生が愛妻をなくし自らの死を覚悟してなのか余りに精緻なる筆致に落涙禁じ得ず。江藤淳自殺の報受けかなりの作家や文芸家がそれについて文章を残しているが殊に田中康夫の江藤淳追悼の文章は一読に値するもの。絶筆となった「幼年時代」は今読む所為もあろうがその「妻と私」に比べかなり文章が熟れておらぬのは死を覚悟しての動揺なのか江藤淳氏自身の病状悪化の所為なのか計り知れず。江藤淳がその落ち着きぶりから大正生まれの高齢のように思っていたが石原慎太郎の文藝春秋に掲載された追悼文「さらば、友よ!江藤よ!」のニュアンスの通り実は昭和七年生まれで石原慎太郎の一つ下。月刊「太陽」などで鎌倉の自宅で上質のセーター着こなし妻の拵えた肴で酒を飲む姿があまりにもしっくりとしていた為に老けた印象だったのか。月刊「世界」読んでいる間に香港着。先程の乗務員に別れしな「直行便はお選びにならなかったのですか?」と尋ねられ飛行機に乗る時間は楽しく読書にも最適にてちょっと長く乗りたかったものですから、と答えるが実は単なる旅客機好きが真実。Z嬢の出迎え受ける。香港は大気澱み靄が鬱蒼。帰宅して荷物片付け実家の書庫より運んだ岩波文庫の昭和46年の南総里見八犬伝十巻、羽仁五郎の「都市の論理」だの矢野健太郎の高校数学「解法の手引き」だの講談社ブルーバックスの都築卓司「四次元の世界」だの岩波新書で蒲生礼一「イスラーム」、それに「チボー家の人々」など、二十年以上前に読んだ(或は買っただけで読まぬまま)の書籍三十冊ほどトランクほぼ一つ分の古書をば整理、深夜に至る。

一月朔日(木)晴。「朝生」見て途中九十分ほど寝てしまったが論争は何ら進展もなし(笑)。何といっても姜尚中教授の知性。小林よりのり君も口下手のため論争には加われぬが純粋にお国のために亡くなった英霊への鎮魂といふ点においてはネオコンだの国政右翼にはなき純粋さ見た思ひ。寝不足のまま朝九時からいきなり「サンダーバード」6号登場の巻、続いて実業団駅伝、新春桧舞台にて三津五郎の踊り「まかしょ」見ていたらもう午後の二時半。父と書画の整理。父と八幡宮に参るが自動車渋滞にて諦め神崎寺に祖父母の掃墓。余は国家神道嫌ふが八幡宮は神社本庁的なるものに多少距離もあり。夕方、護国神社にかなりの人出あるを車で通りすがりに見る。余が幼き頃はどこに護国神社があるの?といふほど地味な存在であった護国神社も偕楽園の低地に公園整備され護国神社まで公園化進み護国の平和と繁栄をば願う国民の参拝多し。首相小泉三世も靖国神社に本日参拝。小泉君本人は元朝参りであって日本によくある風景、と。だが靖国神社の性格考えれば首相といふ立場の者にとって靖国参拝は赤坂の日枝神社ぢゃないのだから単に正月の「元朝参り」では済まさせぬこと。石原なら「何が悪い!、東京都知事石原慎太郎が靖国神社を参拝した」と開き直るが首相が「元朝参り」と宣ってしまふのが、これが小泉三世が自らのやっていることの政治的意味、歴史的意義の重大性が全く解っておらぬ証左、と姜教授も指摘。この、飄々と「えっ?、元朝参拝」といふ無節操さが東京都知事より始末に負えず。結局ご本人は自らの袴羽織姿がどれだけ颯爽と国民に映っているかのほうが中国、韓国からの非難よかよっぽど気になるところところかも。小泉支持する国民も同じく東アジアでの日本の立場よか「お正月はやっぱり袴羽織よねぇ」などと感想か。スーパー銭湯に一浴。晩もつい「筋肉バトル」など見て四時間半余。深夜「内村プロデュースSP」など続けて見てしまって一日が終ると元旦の一日とは何だったのかと深省するばかり。

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