i教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

丙戌年正月初三日。久々に宅配のSCMP紙の一面トップに“Tokyo plays down call for Akihito shrine visit”とあり何事かと思えば外相麻生某の陛下の靖国参拝云々の放言。三日分朝日新聞も届く。新聞読み午後からの新春賀歳競馬の予想と馬券購入済ませ (成果惨憺たるもの)昼前に裏山に登り10km程走る。大潭のダムが干上がり驚くが雨水不足に非ず大潭のダムのうち「上」ダムで数年来のダム工事完成し一 気に放水してみたゆゑの干上がりと察す。もし干上がったなら「中」と「下」のダムにまだ随分な水量ある筈もなし。南湾の海岸にて広津柳浪の『河内屋』を岩 波文庫の91年の復刊で読む。バスで中環に戻る途中『黒蜴蜓』を読む。明治の社会小説は兄殺し未遂の兄嫁との無理心中だの嫁の義父殺しだの、実は平成の世 も変わりなし。『黒蜴蜓』は落語で人情話に仕上げて今ならかなり熱演になろうが談志だろうか、で聴きたいところ。だが望むところでは圓生が淡々と、が良か ろうか。FCCのバーでまだ陽も高き夕刻に一酌。柳浪の『骨ぬすみ』を読みながら帰宅。岩波の1952年のこの文庫本は『河内屋・黒蜴蜓』でもう一編の 『骨ぬすみ』は「他一篇」と片づけられてしまう。わずか三本の合本なのだから『河内屋・黒蜴蜓・骨ぬすみ』としてあげればいいのに。『骨ぬすみ』もまた柳浪 らしい悲劇
▼外相麻生某の放言。朝日によれば麻生某が軽々しくも
私自身があそこで一番問題だと思うのは、祭られている英霊の方から すると天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳といった人は零ですよ。ぼくはそう思うね。だったら天皇陛下の参拝なんだと思うね、それが一 番。名にでできなくなったのかと言えば公人、私人の、あの話からだから。それをどう解決するかという話にすれば答えはいくつか出てくるんですよ。ぼくはそ ういって形にすべきだと思っているんで、答えがいくつかないわけではありませんが、そういう問題にしてやっていかないと。
不届き千萬。戦前であれば天誅。陛下のお気持ちを思えば「麻生は何もわ かっていないね」の一言で外相更迭どころか内閣総辞職。さすがの強硬派官房長官安倍某も「参拝は私人としての行為に位置づけられるが、天皇陛下という立場 に鑑み、社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討し宮内庁で対処してきている」と焦り隠せず。だが問題は、この官房長官談話の「日本語の美しさ」 など海外には伝わらぬわけでAFPや共同電引用のSCMP紙によれば安倍某の談話は“The Japanese Government yesterday played down demands for Emperor Akihito to visit the controversial Yasukuni war shrine, saying he was unlikely to do so  but not ruling out a visit. Chief Cabinet Secretary Shinzo Abe siad the Imperial Household Agency continued to “carefully” consider whether the emperor should visit the shrine, “taking into account the social climate of the time and other situations concerned”だの“If the emperor were to visit the shrine, it would be considered a private visit in nature”となり政 府は宮内庁をして天皇の靖国参拝に積極的とは言わぬが可能性模索と受け取られる。言語道断。外相麻生某の放言は大臣という立場の者がここまで陛下のお立 場、お考えも理解できぬかと唯々呆れるばかりだが実は明治の元勲から昭和始めの麻生を含む財閥コンツェルンに至る人たちこそ天皇をば近代国家の統治装置と しか考えていないフシもあり。そういう意味では外相麻生某の不遜な発言も麻生の御曹司として本音といえば本音か。それにしても麻生某の根本的な理解の乏し さ。靖国神社はアニミズムでも先祖崇拝とも何の関係もなく「この世に幼いこを残し、年老いた親を残し、これからの人生を戦場で失って無残な死を遂げた魂が 死ぬに死ねずにこの世に迷い続けるのを鎮めるためのもの」であり「怨念を犠牲者への怒りに転ずるのを防ぎ顕彰装置を国家神道をかりて作り眠らせる装置」 (岩波『世界』05年11月号経済社会戯評)であり天皇の靖国参拝がなぜA級戦犯合祀以降に行われないかと言えば日本がA級戦犯に戦争責任を全て押し付け ることで天皇も国民も戦争責任から免責となった事実。それがA級戦犯が靖国に合祀されると戦争責任も実は天皇にある、と言っているようなもの。それゆえ昭 和の先帝もA級戦犯合祀以降に靖国は参拝できず。寧ろA級戦犯にしてみたところで何よりも大事は陛下の御世と國軆。ならば敢えて自らが戦争責任被ることで お邦が安泰ならば満足できようものを自らが靖国に合祀されたことゆゑに陛下の参拝も適わず下々のお邦のために死んだ兵隊に申し訳もたたず而も半世紀以上も 経て小泉だの麻生だだの何等國軆の大事も理解できぬ若造の言動に呆れて言葉もあるまい。小泉、安倍、麻生だの保守に非ず、たんなる新自由主義。小泉内閣支 持率が45%に下落、と朝日新聞。小泉支持率支えた大都市と女性の支持が下落とか。つまり石原をば知事に選ぶ都民だの「女性」が諸悪の根源か。都民にも、 女性にも良識ある人はいるわけで「小泉支持率支えた『バカ』が今になって小泉支持から離れる」と書くべき。バカと書いていけぬから、と大都市住民や女性を スケープゴートにする勿れ。
▼昨日の朝日に「君が代に2番を加えたら」(こちら) で一躍名を馳せし朝日の論説主幹若宮君のまたも安易な、今度はナベツネ贔屓の文章あり(30日「風考計」のコラム)。ナベツネと宿敵読売新聞を靖国問題で こうも仲間贔屓の如く讃めるが、やはり小泉三世や現行の自民党執行部の野蛮に至るまで保守をダメにした一翼をば読売新聞が担ったことも明白で、その責任の 追及もなく若宮君のノーテンキな節操もなき読売評価に言葉もなし。
▼ジャズピアニスト本田竹広氏の12日の逝去を今になって知る。享年60 歳。最初に聴いたのはFM東京の深夜放送でネイティブサンの演奏。ライブで一度聴いたのみだが90年代後半に二度の脳内出血。半身不随。リハビリでピアノ 弾き片手で「赤とんぼ」。昨年7月に紀尾井ホールで学生時代に好きだったベートーベンとショパンもう一度弾きたいとリサイタルするが体調不良で「月光」だ け弾いて後半は自作のジャズ曲。山下洋輔氏が「クラシックでもすごいピアニストになっていただろう。だが結局、ジャズに向いていた。荒ぶる神だ」と。最 近、ドラムの森山威男氏に電話で「ヘイジュードをやろう」と共演の話を進めていたが自宅でピアノの練習の合間に指の手入れをしていたのかピアノ近くで倒れ ていたという。
▼ビデオアートのナムジュン=パイク(白南準)氏がマイアミで逝去。73 歳。中森明夫の『東京トンガリキッズ』よりちょっと前の1980年くらい、光州事件の頃、YMOなんてクラフトワークの真似じゃない?なんて喫茶店で語り ながら当時はまだマイナーだった『ぴあ』でロードショーなんて目もくれず地味なATG映画だの寺山修司の回顧展なんかに目を凝らしていた少年たちのとって 「在日」の白竜はライブを友達が企画するほど 近いところに存在してナムジュン=パイクは遠い紐育で脚光浴びていたが憧れだった記憶。

丙戌年
正月 初二日。めずらしく朝七時になるまでの熟睡。日本の新聞、配達は元 旦と今日と無し。午前、馬鞍山行きの海隧バスで馬鞍山の恒安という処まで行きKCRの馬鞍山線で大圍のほうに引き返し車 公廟に参拝。暦 にては明日が縁起よき日にて多くの参拝客で賑わうが今日も正月初二は車公の生誕日とされており人出多し。朝は 曇っていたが雲一つとなく快晴にて暖か。参拝のあと九龍城波止場行きのバスが来たので「これ幸い」と乗車してうとうと九龍城(馬頭角)の波止場。ちょうど 三十分に一本の北角行きのフェリーに間に合い北角。昼に旧正月でどの食肆も閉まっており通りがかりの茶餐庁にて軽食。帰宅。倦怠感あり昼寝。腹痛。晩に旧 正月の花火あり。天后でビクトリア湾見渡すマンションに住まう知人に花火見物お招き受けていたが腹痛で飲み食いつらくご辞退。休養しつつ数カ月たまった雑 誌を何誌も貪り読む。

夏暦丙戌年正月初一日。
朝五時には起床。過年ゆゑ金毘羅宮と 岡寺のお札を壁から下げる。正月初一はさすがに新聞の配達もなし。但し蘋果日報と東方日報は正月も休刊せぬようになり新聞買いに行きたいがマンションの管 理人など今日ほど愛想よき日もなく利是(お年玉)あげたり余はこういうことが頗る苦手。北京では13年ぶりに正月の爆竹鳴らしたり花火が解禁。これもガス 抜きか。テレビや香港政府のサイトで「自称政治家」Sir Donald夫妻が新年祝賀。Sir Donaldがどうも生理的に苦手。正月用の画像ですらやっぱり厭やでも董建華夫妻のほうがまだ絵になる。そういえば昨晩、Z嬢と話していて、ユンディ= リと朗朗という二人の中国を代表する若手ピアニストの話になり絵になるにせよZ嬢的には朗朗は年間150回も演奏会こなしており、まぁ今が絶好調。ピアニ ストとしては本人も望んではおらぬだろうが長続きはしないので稼げる時に稼いで、であとは指揮に進むのか音楽会の政治家になるのか。ユンディ=リは個人的 には好きぢゃないがZ嬢は中国では彼は老いてはRubinstein的な立場と存在になるのではないか?と。本日、昼頃からすっかり晴天。香港のバスだの トラックだの交通量も旧正月なら少なく大陸の工業地帯も正月休みだからかしら、本当にいい天気。午後に外出。中環のジムで一時間の筋力運動と一時間の有酸 素運動。終わって早晩にFCCのバーでハイボール二杯とGlenfaclasを一杯。雑誌『世界』昨年11月号の続きと月刊『信報』の昨年九月号の遅読。 中環も元旦に休まぬ店多し。HMWが開いていたのでふらりと入りクラシック音楽のコーナーにてCD眺めれば売り場のレイアウトがかわりクラシックのCDが 事もあろうに従前の背表紙見せる並べ方からジャケットと対峙する並べ方に変更あり。ポップスだのロックぢゃないのだからクラシックの場合は通常、作曲家名 から入りバイオリンならバイオリン、チェロならチェロ、歌劇なら歌劇とジャンルに分かれ、其処から更に演奏者名などで求めるCD捜すわけでジャケットと向 き合うと背表紙と違い一目で「バッハのナントカ」でどれだけのCDが並んでいるのか皆目見当もつかず非常に難儀。フィラデルフィアで指揮が Stocowskiとオーマンディでラフマニノフの自ら演奏するラフマニノフのピアノ協奏曲2、3番(こ ちら)がなんとHK$49で、LPでは所有するケンプ演奏のベートーヴェンの著名なるピアノソナタ集(こ ちら)、この二枚購入。ケンプ演奏のこのベートーヴェンのピアノソナタ集はLP購入は確か12歳の頃。で会計の際にクラシックコーナーのレジで、 さっきから友人だかと携帯で電話する声がうるさい店員(オバサン)に、ふと「昨年、クラシックコーナーのレイアウト変えたみたいですけど、クラシックの場 合、CDは背表紙が並んでいたほうがずっとCDを捜しやすいですよ」と言うと聞き耳もたず。というか聞かないふり。その態度の横柄さが不愉快でもう一度言 うと嫌々そうに「HNWは世界中こうCDを並べるのが当たり前よ!」と宣う。唖然。確かにポップスだのロックはそれでもいいがクラシックの場合は一概にそ うは言えず。それよりも客のちょっとした買い手としての意見に、嘘でも「ご指摘ありがとう」とか「責任者に伝えます」で済むことを、この無愛想な態度と、 まるで客を非難するような口答えに唖然。HMWはかつてはクラシックについてはかなり充実していたし店員もそれなりの専門家であったがクラシックとジャズ のコーナーが統合され部屋もかつてはポップスやロックの音が邪魔せぬよう重い扉で隔離されていたのがジャズと統合はされるわ、扉もなくなり半ばオープンス ペースになるわ、でオマケに店員がこの野蛮ぶりでは言語道断。帰宅。ウオツカのポート酒割り。夕餉。菊正宗一合。ラフマニノフの演奏するラフマニノフを聴 けば、そりゃ見事だが1929年!のピアノ協奏曲2番のラフマニノフの演奏に、殊に二楽章は目からウロコ。ケンプの演奏のベートーヴェンのソナタ、数年ぶ りに聴きながら『世界』十一月号で佐藤優「民族の罠」など続き読む。
▼本日、久が原のT君とのメールでのやりとりで余が苦手と言ったモーツァルトや漱石の話から始まり(郷里の畏友J君もやはりモーツァルトが苦手だ、とメー ルにあり)、漱石でも草枕や虞美人草であるとかはいいけど、という話から鴎外、露伴……と話が進み、でも結局、わたくしの一番贔屓は一葉と言えばT君も大 いに賛同され「座右とすべき文学とは、まさにこの人の著作のこと」と。一葉女史の文体はよく「擬古文」と言われるが、ありゃT君の言う通り完全に自家薬籠 中の和文体の確かさ。いつもなら手厳しいT君が一葉が「長生きしてたら、フローベールとモーパッサン二人分の仕事が女史独力で成し遂げられたでしょうに」 と讃める。世界標準となりつつある Int'l Baccalauréat(こ ちら)でも「日本語」では古文の代用の如く明治の「擬古文」が採択されていて一葉は「たけくらべ」があるので「擬古文」ではポピュラー。紅葉は擬 古文かも知れぬが。
▼旧聞に属すが「Google、おまえもか……!」でマイクロソフトMSNやYahoo!に倣いGoogle中国版(こちら)が中国国内での検索機能について政府が政治的に敏感な台湾、チベットの独 立や天安門事件、法輪功などの言葉での検索機能を自粛。そういった政治的敏感なサイトには検索結果から連結できない、と言うが実際には「法輪功」などで検 索してみるとわかるが法輪功で23.2万項目もヒット。で何が見事かといえばずらりと「法輪功がいかに邪道か」の報道だの並ぶ。つまり「法輪功」で検索が ヒットしないのではなく法輪功関連情報のうち「好ましくないもの」だけが除外。これなら寧ろ「法輪功」という言葉含むサイトがすべて透視できぬほうが公 平。思想統制とはこういうものか。久々に日刊ベリタに送稿(こちら)。

農暦十二月廿九日。午前二時半頃に週刊文春のエイチエス証券副社長沖縄で怪死の記事読んでいて眠りに落ち午前六時起床。大晦日。山歩きのつもりが朝方の雨 で断念。机まわりの雑用済ませ雑誌や新聞の切り抜きなど読む。昼すぎに一つご公務済ます。晦日ゆゑ九龍の風呂屋に参り垢擦り、按摩。端午の菖蒲湯、冬至の 柚子湯ならぬ晦日に風呂に浮かぶ草木の一枝は何か余は合点もいかず。FCCのバーに早晩の一酌と思ったが晦日で営業は確か午後四時まで。氷雨のなか帰宅。 韮と豚肉の鍋。
▼岩波『世界』十月、十一月号など今ごろ読む。「総理専制政治とどう対決するのか」など読むと先の「郵政」総選挙の茶番ぶりを学者はきちんとわかってい る。小泉三世の何処がペテンなのかも明らか。だが一般的には支持される小泉三世。社会もまた分層化は深刻。
▼長唄の吾妻八景、について。久が原のT君から、この曲を先帝付侍従長入江相政老が随筆で絶賛したこと、但しただし入江さん、最後の弁財天の件から曲が ぐっと落ちる、とのご意見。また荷風散人の母堂もこの曲を好み六本の高調子で楽に歌ったと、教えられる。
▼朝日新聞(衛星版)廿六日の論壇に松原隆一郎・東京大教授(社会経済学)の「犠牲容認する利益社会」という文章あり。ライブドアが行ったのは「資本主 義」という経済制度の下では誰もが形を変えてやっていること。資本主義経済では企業が技術革新=未知の分野に挑むこと、で利潤を生む。ルールの事前規定は ない。資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけする。堀江氏の「想定内」という言葉は資本主義の本質に関わる。他の人々が「想定 外」に置く事柄をいち早く「想定内」にしてしまった人が儲かるシステム。ルールが改定されれるまでの期間に何をして良いのかは当事者の倫理(狂牛病の問題 が明らかになる以前から牛の肥料に肉骨粉を混ぜることが不気味と感じるセンスとか)に任せるしかない。そして株価は企業の将来価値を反映するが将来価値が 何であるかは誰にもわからぬもの。このような資本主義で誰が将来の想定できぬリスク管理が出来ようか。小泉政権が目指す「純粋な資本主義」(残念ながら、 この文章だけでは松原教授の言う小泉政権の「純粋な資本主義」の定義は見当たらないが、そのくらいのtermは朝日の読者なら常識、なのだろうか、新自由 主義と置き換えたほうがわかりやすい)は「犠牲者の被害よりも犠牲を逃れた人が利益を上げることを重視する」「ライブドア事件は、そうした覚悟を我々に 迫っている」と松原氏。小泉三世は「誰にもチャンスがある」と言うがチャンスはあるのは事実だがチャンスを活かし成功した者だけが利益を生める資本主義社 会への突入なのだ。実はまんまと騙されそうな人たちが小泉改革が自分の人生を変えるチャンスになる、と小泉三世を指示するペテン社会。
▼同じ論壇に米国の思想家ジュディ ス=バトラー女史の(この人を「女史」なんて呼んではいけないのだろうが)ジェンダーについての記事あり(由里幸子編集委員による)。ジェンダー (社会的性差)どころか自然の摂理であると思われていたセックス(=生物学的な性別)にすら「自然な男女」という観念が<権力>が形成した幻想=セックス に対する限定ではないか?とする。石原や梅原が聞いたらゾッとする理論(笑)。ところでこのバトラー女史自身がレズだそうだが同性の「結婚」に対しては同 性のパートナーと暮す彼女は自身は「結婚」という形はとりなくたい、と。結婚の制度に加担せぬことで「国家の規制に反対し、権利を拡大するとともに、国家 からの自由もまた追求すべきだ」と。先月だかエルトン=ジョンの「結婚式」が話題となったが同性愛者がなぜ結婚に拘るのか、は余も理解できず。異性愛者と 平等な権利、とするが結婚という制度(愛情とは別)の背景を考えれば同性愛者までが制度に加わることが国民年金ぢゃあるまいし不思議な話。いずれにせよ石 原的には「レズの左翼学者が何が国家の規制だ、権利だ、とほざいて社会を荒廃させている」だろう。

一月廿七日(金)薄曇。早朝から某事対応に追われる。気分転換に朝から長唄「吾妻八景」をCDで聴く。具体的な詳細はここに綴らぬが高度な専門職である方 と某事でのやりとりで、その専門職とは思えぬ責任感の欠如と粗忽ぶりに呆れて言葉もなし。こちらが出るところ出ればその専門職のうち直接の交渉相手は事業 にかなり支障が出ること必至で、その者に粗忽なる情報提供の同業者もその所属する組織内で訓告処分もあり、というほどの事態に、世でも尊敬される地位にあ る専門職とは思えぬ対応見せつけられる。「どうか今回のことは穏便に」と願うならマダしも、小泉三世の如く相手をバカにした答弁続けオマケに笑って話され 「あなたは自分が職務上の落ち度で叱責されていることが理解できているのか?」とこちらが質すほど。ひとつひとつ子ども相手の如く指摘して差し上げ、ひと つひとつそれが誤りであることを確認し非を認めるかどうか確認し、弁証法的に理詰めで最終的にどれだけの間違いがあったのかを理解させないと、謝罪の言葉 一つ出ず。こんな程度の低い者が(略)と思うと背筋がぞっとする。Z嬢と湾仔のLouisステーキ屋に晩飯の予定がこの粗忽者対応で無理となり旧正月 の晦日近い金曜晩で渋滞を気にしながらタクシーの機転のきいた運転手氏のおかげで香港演芸学院に滑り込み。Queenの香港公演に間に合う。といっても Paul RodgersをフューチャリングしたQueenで はなくこちら。偽物。では本物と違うかといっ ても本物は本物でも再結成した時のDeep Purpleの如く当時のDeep Purpleを「息切れする」とか笑いもとりながら「再現」する本物もあるわけで偽物だからダメというわけではない。偽物でもZeppelinのコピーバ ンドで本当に完ぺきに本物と同じ演奏するバンドもあるわけで、それはそれで立派。また色物に徹して、とても本物には実力では叶わぬが面白さでウケればそれ はそれでいい。むかし桜井長一郎師匠だったか、いや、それは声帯模写だ、物真似で誰だったか失念したが物真似の極意は真似された本人が見て不快に思ったり 怒るくらいぢゃないといけない、とコロッケだったか鶴太郎だったか、が語っていたが、本人をデフォルメして特徴を露骨にすることで面白さが映える。例えば中村 歌江が六代目歌右衛門をやったり市村萬次郎丈に見せていただいた「素顔の玉三郎」の声色など実に見事。宝塚をパロディにしたSMAPの竹の塚歌劇 団でもいい。そういったことから考えると今晩のQueenはフレディ=マーキュリー役のCraig Pescoもそりゃ似ていないわけじゃないが観衆の中にフレディ=マーキュリーの仮装をしてきた客がやんやの喝采を受けている。素人のお遊びならいいが3 階席一列目でHK$395も払うのだから、バンドも演奏がそこそこ上手くあってほしいい、ボーカルもフレディ=マーキュリーの歌唱力は期待しないが音程が フラットしているのがとても気になる。それなら面白いか、というと、そりゃフレディ先生本人よりエグくすることなど到底無理にせよ、本人たちは真面目に やっている分、コミカルにはなれない。どっちつかずの中途半端感は否定できず。完ぺきにQueenを再現してみせるのか、笑えるパロディなのか、はっきり して欲しかった。同 じ「キワモノ」なら今晩、香港フィルで「江戸で割ると」 指揮でピアノがユン ディ=リのコンサートもあり。こちらのほうがキワモノさでは上だった鴨。この“Queen”を聴きながら本物についていろいろ自分の若い頃を思い 出す。余が12歳でQueenの洗礼受けた頃はフレディ=マーキュリーはまだ長髪でつなぎのタイツ姿であった。12歳の少年にとってアレはまだ象徴される ものは「前衛」であった。数年すれば江口寿史のマンガでフレディ=マーキュリーはすっかり笑える「ホモ」に転身していたが、それを、かつての「長髪でつな ぎのタイツ姿」の時に察していなかったことが12歳の感性の乏しさ。91年に亡くなっても、こうしてお祭り(お奉り?)してもらえるだけフレディ=マー キュリーの魅力なのだろう。演芸学院の前から(香港「演芸」学院はけしてお笑いの殿堂に非ず)18番の北角行きバスが来たので天后まで乗車。利休に寄り熱燗一合、茄子漬け、かけうどん一つ。晩飯逸してのお夜食だ からその程度。帰宅。桃の花がだいぶ開く。いくつか旧正月の晦日前に終わらすお仕事続ける。
▼莫札特=Walfgang Amadeus Mozartの生誕250年だそうな。モーツァルトの良さが余にはさっぱりわからぬ。数百枚のCDの中でモーツァルトは皆無に近し。モーツァルト、漱石、 カラヤン……とかユンディ=リも、ほんと「性に合わない」としか言い様がない。

一月廿六日(木)薄曇。未だ旧暦では年の瀬師走廿七日だというのに香港ではすでに某所に植えらし日本の桜は開花。入院中の知人の見舞いと治療費などのこと で某私立綜合病院訪れる。行きがけに花屋に寄れば旧正月前のかき入れ時で草花も価格暴騰。 病人の見舞いと言ってあっても正月祝賀の飾りつけられるもご愛嬌。見舞い終えて帰途、急患あり引き返して応急処置済まし八時半頃に帰宅。この三日、交通費 を除くと支出は毎日の新聞購入だけ、という慎ましさ。自宅でその日の新聞を読み雑誌に目を通し枕元の本の続き読む。
▼先日、立花隆と橘孝三郎のことを少し綴ったが畏友J君より期待通り「貴重な余談」を聞く。立花隆の田中角栄の研究の発端と取材ルートに深くかかわる話。 そのメールでJ君より黄瀛の中国での評価などについて尋ねられる。黄瀛については王敏女史が昨年7月の朝日新聞に随筆で 紹介し偶然にも黄瀛氏自身がその直後の8月に98歳だったか天寿全う。母が日本人で宮沢賢治に直接会ったことのある詩人で草野心平の親友でありながら、日 本の陸士出身、国民党軍の将校、解放軍に転じ文革で十年以上投獄など数奇な運命。80年代から四川外語学院の日本語学科の教授となり日本語教育に尽 力(こちら)。この「開放」 後の第一期生に王敏女史。「日本的には」関心高まる人物だろうが「中国的には」あまり関心を擽られる対象ではないのかも。余の知るかぎり四川外語日語系で の共学以外の部分であまり中国国内での評価など聞かず。
▼県立高校の男女共学化に「汚点」とまで頑なに反対を唱える仙台市の市長梅原某。今度は市民施設統廃合でも個性発揮。この施設は「エルパーク仙台」と云 う。仙台市役所に近い定禅寺通り一番町角の商業ビル141に同居の市民生活や社会活動での男女共同参画推進を目的とした施設。で確か80年代に余がまだ仙 台に住まいし頃に開館。仙台市側はこれと仙台駅前にある男女共同参画の姉妹施設「エルソーラ仙台」との一本化に向け検討。年間の維持管理費はエルパーク約 2.5億円、エルソーラ約3.1億円。これだけ見れば「統合は当然」だがエルパークは一般開放された市民活動スペースや小型の設備充実のホールあり演劇公 演など盛ん。確か大野一雄先生の舞踏公演も此処であったか。香港の芸術活動の貴重な一拠点。河北新報によると04年の利用者はパークが約19万人、ソーラ が約20万人でほぼ同数だがホール施設など有料部分に限ればパークは16万人でソーラの3倍強。つまり同じ市民施設でも性格が全く異なるもの。ソーラに一 本化されると当然、このホール施設がなくなる。市長梅原某は「全事業を点検しており今のままの運営が必要か吟味する。文化も大切だが財源は有限。優先順位 をつけて判断しなければならない」とニベもなし。リトル石原の梅原某にしてみれば「エル(Lady)パーク」に象徴されるジェンダーフリーなど男子校とい う伝統文化の破壊と同じく「中国」「人権」「市民運動」などお嫌いであろう。それにしても「首長が嫌いなものはやめる」という単純な手法が通るようになっ たのが石原以後。民主主義も官僚や有能な公務員主導の行政も退いての首相や首長専制独裁。それに甘んじる大衆。さすが革命を経ておらぬ非近代の、といった ら江戸時代に失礼、野蛮なる社会か。ところで仙台には仙 台市戦災復興記念館という施設もあり。「仙台市の戦災と復興の全容を伝え二度とこのような悲劇を繰り返すことのないよう平和を祈念する場として位 置づけられた資料展示室」と此処もまた音楽会開催できる小型の音響もそれなりのホールあり。もう20年以上前に森田童子のコンサートを此処で聞く。ここも 梅原的には不愉快で将来的には発展的解消だろうか。
▼小泉三世のメールマガジン。いきなり「小泉純一郎です。」で始まるのが、どこか「ひろしです。」みたいで薄ら寒し。国会での姿勢方針演説について語る。 相変わらず「改革なくして成長なし」だか「成長なくして改革なし」だかの禅問答。ご本人は「改革なくして成長なし」でこの論争は決着がついた、とするが、 単に景気回復が小泉改革期に合わさっただけのように思えるが如何に。当然、先の総選挙にて小泉自民党が推した堀江貴文候補には触れず。それどころか突然、 チャップリンを引き合いに出して映画『ライムライト』での名言 “All it needs is courage, imagination, and a little dough” を引き合いに出し、小泉三世はこれを「人生において大事なことは、夢と勇気とサム・マネー」と紹介し「いい言葉だと思います。みんな、夢と希望を持って、 あとはビッグ・マネーでなくてもよい、生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい。そういうことが大切だという気持ちで(所信表明)演 説の想を練りました」と小泉首相。ライブドアに象徴されるマネー錬金術が非難浴び小泉改革が実はこの俄成金の成長をば扶けたのでは?と思われる中で、意図 的なのか小泉改革の求めるのは「生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい」という慎ましやかさ、だなどと、よくもまぁしゃーしゃーと 宣えるもの。ただただ呆れるばかり。そもそも多少、映画を識るものならわかることだがチャップリンの政治思想的な背景、映画『ライムライト』が撮影された 時代(1952年)とその時代背景(マッカーシズム)、そしてチャップリンの後世など思えば、この“All it needs is courage, imagination, and a little dough”はとても小泉がホリエモン育てた投資市場改革の言い逃れに用いられるような言葉でないことは明らか。追いつめられ、夢も希望も風前の灯のなか で僅かな望みをこの言葉にかける。……そういう意味では小泉賛成はこの心境か?、否、大きな誤解による自信に満ちあふれていよう。“a little dough” も小泉賛成は「サムマネー」と言ったが、確かに dough は米俗語で「お金」のことだが原意が「練り粉、生パン」であるように、日本語でいえば生きていくための僅かの最低限のおカネ、まさに「糊口を凌ぐ」さま。 どうすれば「ビッグ・マネーでなくてもよい」意味でのサムマネーと理解できようか。この程度の感性が我が国の首相だと思うと悲しみに咽ぶばかり。
▼チャップリンで突然、おそらく三十年以上前のことをふと思い出したが、この小泉三世の安易なチャップリンの引用と対照的なのが萩本欽一であった。余は萩 本欽一君についてはコント55号の過激さに比べ「欽どこ」の素人多用が今ひとつ好きになれずにいたが、何だったか萩本欽一がコメディアンとして尊敬する チャップリンの人生を辿る、というテレビ特番あり。確か米国に渡りチャップリンの映画一本、一本、当時のチャップリンの住家だのスタジオだのまわって歩く のだが、チャップリンの面白さでなく萩本氏がしきりにチャップリンの孤独、追いつめられた生涯など紹介していたのがとても印象的。その悲しみを乗り越える ためにチャップリンは映画で笑いや希望を求め続けた、と。

一月廿五日(水)曇。晩にZ嬢にタクシーで拾われ銅鑼湾に向かう。タクシーが大坑道から銅鑼湾に高架橋を下れば水曜日の競馬開催日の交通規制でエクセルシ オールホテルに左折する方向は通行止め(地図の赤実線、赤破線は関係ない)。これは尋常。だがパークレーンホテル前(地図の赤○印)で規制にあたる警官が 粗忽者でKingston 街への左折(地図の青線)まで規制し直進せよ、との指示。Kingston 街が渋滞していたのは事実で粗忽警官はそれを解消する意図らしいが交通警官でありながら現場の道路事情が把握できておらず直進はつまり Gloucester Rdへ跨がる高架道しか選択がなく全ての車両は湾仔へ向かうこと強制される(多車線の道路で車線変更規制多く銅鑼湾内へ左折一切不可)。キチガイ警官!と 運転手憤慨するが車の流れで「あれよ、あれよ」という間に湾仔(黄線が実際の走行路)。運転手は済まなそうに「銅鑼湾に戻るか?」と聞くが六国ホテル前で 下車。警察999番に電話で粗忽警官による窮状を質す。あの規制では銅鑼湾に向かう車両がすべて湾仔に向かわされ結局は銅鑼湾に戻ろうとすればハッピー ヴァレイでの競馬開催の交通規制に寧ろ悪影響、と指摘。数分後に電話あり現場に連絡をとり是正求めた、と。半ば冗談でタクシーにHK$16も余計に払わさ れた責任は?と質す。銅鑼湾で何処で食事する?と悲観的に迷っていたので湾仔は食事の意味では不幸中の幸い。上海三六九飯店に食す。地下鉄で銅鑼湾に戻る。Ikeaにて自宅居間の 照明のランプシェードのみお買い上げ。新の暮れ正月には何もせず旧正月だと何処か自宅の汚れ払わねば、と思ってしまう。先ほどの粗忽警官による交通規制は やはり左折不可は解除。ヴィクトリア公園は年末恒例の年宵市場。正月ようの草花やお年玉がわりのおもちゃや雑貨の屋台が並ぶ。賑わい。日本の、郷里の年の 瀬も昔はこうだった、と懐かむばかり。一抱えの桃の花をHK$150で購入。縁起物なので野暮ったく値切りもせず。桃の花抱えて天后からタクシーに乗れば 携帯での通話に熱中の運転手ながら桃の花見ると「ゆっくり、ゆっくり乗れ!」と気遣い。香港らしさ。帰宅して居間に桃の花飾る。正月気分。
▼朝日新聞に宮崎学氏がライブドア問題を「光クラブ事件を思いだした」として光クラブ事件との類似と相違について記述あり。類似については「カネで全てが 解決する」という姿勢と「日本のエスタブリッシュメントの自信喪失期に経済界に登場し短期間に一世を風靡するという「東大生」の企業家」を挙げているが、 見出しに「相違」とあるが相違点については残念ながら明確な記述がない(上下、で下に続く、というわけでもない)。余も偶然に光クラブ事件を思い出してい たが宮崎氏は山崎晃嗣の拘置所での発言「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し主役を演じる」を引用しているのが印象深い。余はホリエモンのブログ に山崎手記のような深みがない、と書いたが、宮崎氏の引用した山崎語録でいえば、ホリエモンも同じような時代感覚のようでいて「踊らされていた」部分が山 崎晃嗣よりずっと多いということ。
▼ところで余が山崎晃嗣の光クラブ事件のことを知ったのは、同時代では、ない。中学生の頃に週刊プレイボーイより具体的に少しエロいヌード雑誌が発刊され た。昭和という時代はエロ雑誌でも硬派な記事あり。光クラブの高利金融と山崎晃嗣のことも、その名前失念のエロ雑誌の創刊号にあり。もちろんエロ雑誌であ るから山崎日記にある手淫の異常な回数など強調されていたのは事実。それでもエロ雑誌で「終戦直後の荒廃した世相」が学べただけ立派。だが今になってみる と荒廃していたどころか小林信彦的には日本がいちばん輝いていた時代だった鴨。
▼とつぜん、みずほ銀行より
2006年1月22日(日)より、セキュリティ強化のため、みずほ ダイレクト[インターネットバンキング]のログインパスワードのご登録可能桁数を、従来の6桁から32桁に拡大させていただきました。これにともない、従 来より6桁を超えるパスワードをご使用されていたお客さまから、「従来のパスワードでログインできない」というお問い合わせを多数いただき、ヘルプデスク へのお電話がたいへん繋がりにくくなっております。ご不便をおかけし大変申し訳ございません。2006年1月22日(日)以降にログインいただけないお客 さまは、ご入力いただいているログインパスワードの桁数をご確認いただき、7桁以上のパスワードをご使用の場合は前半6桁のみをご入力ください。(ログイ ン後、「その他サービス」→「ログインパスワードの変更」で7桁以上のパスワードにご変更いただくことが可能です。)
というメールが届く(こちら)。 何のことかさっぱり理解できぬ。そもそも「2006年1月22日(日)より」のログインパスワードの桁数拡大も知らされておらず、従来6桁だったのになぜ 「従来より6桁を超えるパスワードをご使用されていたお客さま」が存在したのかも不可解、しかも「従来のパスワード」つまり6桁以上でログインできない場 合は「前半6桁のみをご入力ください」と。なぜ桁数が拡大したのに従来6桁以上でログオンできた人が今度は6桁にしないといけない?……と全く理解でき ず。で注意書きを読むと、今後は
※従来のパスワード入力欄は6桁までしかご入力いただけませんでし たので、6桁を超えるログインパスワードをキーボードでご入力いただいた場合、前半6桁までを登録させていただき(画面上は「******」と表示)、ロ グイン時にも前半6桁(画面上は「******」と表示)のみで照合させていただいておりました。1月22日(日)以降は7桁目以降も画面上の入力を可能 とし、照合させていただいていることによりログインパスワードが不一致となるものです(ご登録は前半6桁のため、7桁以上のパスワードでは不一致となりま す)。
という。日本の銀行らしいセキュリティの万全のようで実にいい加減さが如実。パスワードは6桁を越えていてもよかったが画面上は6桁だったため顧客が長い パスワードを安全上用いていても実は前半6桁だけで照合していた事実。堀江貴文君がみずほ銀行に口座を保持しパスワードを「horiemon」とした場合 に 銀座の文壇バー「月」のママ・堀江さんが「horiemoon」をパスワードにした場合、ホリエモンとバー「月」のママ堀江さんが実はポーランド人の苗字 「horiem」で同じパスワードだったのだ。而も桁数拡大されたら今度は実は前6桁でしか登録されていなかったから6桁以上の従来の正式なパスワードで はログインもできない、とは。送金する場合など「お客様番号」と「パスワード」でログインしていても送金確定には予め授けられている「第2パスワード」が ないと送金すら出来ないのに。
▼勝谷的には「安倍さんを朝日読売NHKが大連立で包囲網」なのだろうがナベツネさんの朝日『論座』での小泉靖国参拝非難があったわけで、このままゆくと 朝日の論調が右に寄り読売がナベツネさんの健全保守路線でいくと、両者の区別はほとんどなくなるわけで、ディズニーのピクサー買収では済まない話。それに してもナベツネをナベツネさんと呼ぶことになろうとは……。中曽根さん、森さん、山拓さん、亀井さん、でナベツネまで「さん付け」しなければならぬほど政 治的には追いつめられた状況。昨晩の筑紫哲哉のニュースでも筑紫哲也とナベツネさんが靖国問題や堀江問題では意気投合してたようで筑紫哲哉の総括は、「自 分は長年、朝日の政治記者をやっていて、渡辺さんとは対極にあると思っていた。しかしいま話してみると、そう開きはないような気がした。去年は中曽根さん にロングインタビューして同じような感想をもった」とかだそうな。未だにNHKの海老だけは「さん付け」にも値せぬが読売のナベツネ傘下に加わり反安倍朝 日読売NHK大提携でNHK政治部に動きでも見せれば「海老沢さん」どころか「平成の海老様」か。
▼産経新聞には産経とは袂を分かった筈の西部邁先生が登場。キョービの私欲の解放がもたらした混沌を嘆いているらしいが。イラク戦争で「親米保守」路線を 確立したかにおもえた産経グループ内でも揺り戻し? 小泉改革は自民党をぶっ壊すどころか保守、右翼内部でもかなり再編成がある気配。ところで地検特捜部 には「強制捜査の所為で大損した」という抗議が殺到、とかいう話も。我が国の道徳的頽廃も極み。

一月廿四日(火)曇。朝、PowerBookのスイッチオンしようとしてノートブックが起動せずかなり焦る。リセットしてもダメ。今日は衆院登院で大切な 新年度予算審議あり。その資料もこの中で……と考えてゾッとして10時になれば懇意のMac屋も開くので……と思案。「あれ……」とふと気づいたのは、 さっきからスイッチオンしようとして何度も押していたのは畳んであるノートブックを開ける際のロックぢゃないか。On/Offスイッチは全く別のところに ある。それを押せば当然、起動。痴呆かなり厳重。予算審議も無事終わり雑務済ませ晩に真直ぐ帰宅。トマト味のパスタ。トマトで思い出したが昨日の香檳大廈 地下の星座冰室はトマト味の茄牛麵など 好評?。猪頸肉芝士撈公仔麺だの茄牛麵だの他では食せぬ奇妙なレシピがこのビルに潜む、って不思議。
▼民主党の前原某が衆院代表質問で「堀江氏を広告塔として利用して膨れ上がった自民党の議席そのものが粉飾決算ではないか?」と発言。前原某の発言で初め て痛快。これに自民党幹事長の武部某は「民意を侮辱するもの」と強く抗議。だが先の衆院選挙で民意を単なる集票マシンと考え侮辱したのは小泉・武部の自民 執行部に他ならず。小泉三世は白々しくも「不明と言われればそれまでだが選挙で落選したのだから有権者はメディアよりも冷静」などと相変わらず呆れるばか りの軽口だが広島でホリエモンが落選したのは広島の静香チャンの地元の支持者の民意。小泉の遣った刺客だのに投票した民意など侮辱されても致し方ないも の。
▼昨日堀江貴文君逮捕。若い方はご存知なかろうが終戦まもない頃の山崎晃嗣君の光クラブ事件(こちら)を一 瞬、思い出すがホリエモンのブログを読んでも山崎手記のような深みはない。
▼加藤周一の朝日の連載「夕日妄語」でフーコーの権力の支配と被支配関係について引用している。権力の支配と被支配関係は大きな集団間の、例えば支配階級 と被支配階級の間の関係にのみ還元することはできず、それは権力関係が社会のあらゆる水準に細分化して働くもの。
▼日曜日の名護市長選。普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題。産経新聞の産経抄が「県と市はいったんは受け入れ、政府はすでに名護市を含む県北部の十二市 町村に毎年百億円の振興費を支払っている。それにもかかわらず、施設の建設反対を叫んだ候補者二人は落選した」と書いたそうだが築地のH君が句点の位置が ヘン、と。「それにもかかわらず、施設の建設反対を叫んだ候補者二人は落選した。」では「国はお金を出してる→にもかかわらず落選」(笑)。本来なら「そ れにもかかわらず施設の建設反対を叫んだ候補者二人は、落選した。」で産経らしい「国はお金を出してる→にもかかわず反対した不届き者」となる。「国がお 金をはらってる【からこそ】、反対候補は落選した」のが事実。産経ともあろうものが、美しい日本語を破壊するとは嘆かわしい、とH君。この産経抄、沖縄の 「居酒屋独立論」を批判したもの。沖縄人が沖縄の誇りをすててヤマト政府に阿ることは「自虐的」とは非難しないのかしら。

一月廿三日(月)曇。諸事忙殺され晩に至り往診のため尖沙咀。往診でホワイトボードマーカーが要ること思い出すが新宿東口の駅前と同じで「さて何処で文具 屋が?」と思うと尖沙咀も難儀。唯一知るのはLock Rdの春記だが尖沙咀でも行き先が全く逆。でふらふらと繁華街歩き「この賃貸高で文房具屋なんて」と思いながら「やはり薄汚いビルの中」とふらりと入った ビルは階段を上がると突然、ジャズが聞こえてきて数軒の中古カメラ屋が並ぶ。「えっ?」と狸に騙されたような空間が広がり中古カメラ屋の何軒も並ぶ中に骨 董の時計屋や翡翠扱う店など。おまけに一軒の文房具屋、それも旺角にある中南図書と同じ名前の文具屋(同じ系列かどうかは知らぬ)。買い物済ませカメラ屋 を見てまわる。こ れでもか、というニコンやキャノン、ライカなど往年の銘記が並び圧倒される。いくつも本格的な店、頑固そうなオヤジと友人なのか客なのかわからぬ店に集う 男たち、ニコンがフィルムカメラから撤退という決定があったばかりで余計にいろいろ感じ入る。店の名前が「相機維修中心」というのもあり。修理現場では職 員二人がカメラやレンズの修理、調整に余念がない。此処ならニコンのサービスセンターで拒否されたNikomat ELのファインダーのクリーニングもしてくれそう。尖沙咀の周囲の喧騒から隔絶された空間。地下に降りる小汚い暗い階段には小さく「星座冰室こちら」と看板あり。知る人ぞ知る、知らなくてもいい店かも (笑)。また今度の機会に、とフロアに戻ると「猪頸肉芝士撈公仔麺」が美味くて評判!と看板に書いた店あり。豚の頸肉にチーズの撈麺(和え麺)でしかも公 仔麺だからインスタントの麺を使っている。茹でただけのインスタントラーメンの麺の上に(スープなし)豚の脂っこい頸肉が並び、そこに溶けたチーズがか かっている……と想像しただけで胸焼け。いったんは通り過ぎるが(なにせ尖沙咀では一平安の新店のラーメンを今晩こそ食そう、と思っていた)怖いもの見た さで戻るとその新記餐庁という店には午後六時半だというのに 客も少なからず「ねばねばした白いのを」食べている客が見たところで三人もいる。あれが芝士撈麺らしく、店頭にはこの店訪れた芸能人の写真も数葉あり。店 に引き込まれ恐る恐る猪頸肉芝士撈公仔麺を注文。予想通りの料理。高カロリー。身体に悪そう。なら美味いのだろうか?と食してみると意外と不味くはない。 何度か口に運ぶと意外とクセになりそう?と思わなくもない。値段は麺はインスタントなのに強気のHK$33だ。そこまで出して食すか?と云われるとちょっ と悩む。世の中にもっと美味いものはあるだろう、と思いつつ。不思議な味。店を出てカメラ屋をまた何軒かひやかす。凄い品揃え。二階に上がる階段は売春婦 用の連れ込み宿。階段の下で、まだ15、6の若い「馬扶」の少年が娼婦の仕事終わりを暇そうに街頭で待っている。ちょうど娼婦が階上から降りて来た。娼婦 もまだ17、8の娘。二人はまるで恋人が待ち合せたように世間話しながら消えてゆく。当然のように北京語。往診の時間なのを思い出して慌ててビルを出る。 いきなりKimberley Roadでミラマホテルの隣。向かいに麻布茶房。ユニクロのはいっているミラマショッピングセンター。こんなところにこんなビルあったか? このビルをあ らためて見上げる。あ、香檳大廈、シャンペンビルディング。楼上は安宿などある雑居ビル。地下は大華という夜総会。なぜ今日まで一度たりと足を踏み入れな かったのかしら。それが不思議。往診終えて帰宅。夜中に、ふと、香檳大廈の二階は、今はその連れ込み宿だが、昔、何という名前だったか古い北京料理屋が あったことを思い出す。店の内装まで覚えているが不思議と店の名が出てこない。
▼昨日、教員ら数千名による香港政府の無理矢理な教育改革に反対するデモあり。教員の相次ぐ投身自殺に「教育改革が原因なら何故自殺者が二人だけなの か?」と言い放った香港政府教育統籌局常任秘書長Fanny羅范椒芬に対して辞職求めるアッピールも少なからず。元々は教育署署長でリストラにより教育統 籌局と教育署の統合あり教育統籌局長に就任。董建華による部局長問責制発足で本人は同職固辞。香港中文大学の医学部長から学長(正確にはVice- ChancellorなのはChancellorが名誉職である英国の伝統で今のChancellorは自称政治家Sir Donaldであるが故)になった李國章が教統局局長に就任しFanny羅は常任秘書長(局長が大臣なら事務方トップの事務次官的)への降格願叶い願い成 就。そのFanny羅は実は前司法長官梁愛詩と同じく北京中央の親任厚く中信泰富(CITIC Pacific、国務院直属の中国国際信託投資公司(CITIC)の香港上場会社)のMD務める范鴻齢が実兄。「教育改革が原因なら何故自殺者が二人だけ なのか?」程度の軽口を理由にとても落とせる相手に非ず。
▼新聞数紙に「特首:請拿出勇気和承坦為香港的未来譜出雙普選的時間表。」というスローガンの、それは日本語なら「行政長官、どうか勇 気を出して責任をとって香港の未来のため二つの普通選挙の実施スケジュールを出してください!」の意味だがこれぢゃ歯切れも悪くて、だから日本では政治運 動が育たぬの鴨しれぬが、その連名広告に民主派各党の立法議会議員や香港カソリックの陳日君司教、蘋果日報社主の黎智英に並び「香港の良心」と未だ支持衰 えぬ元政務長官アンソン陳方安生女史も名を連ねる。昨年の12月4日デモにも参加しすっかり民主派の顔になった感あり。今ひとつアンソン女史の動きの真意 わからず。
▼アニメ制作会社Pixarのディズニー会社による買収話。それぢたいは余はどうでもいいのだがPixarはApple社のSteve Jobs君の個人会社だと思えばSteve Jobs君がディズニーの筆頭個人株主になるわけでApple社のMac利用者としてはMacintoshにディズニーの色がつくのは、中央公論の愛読者 が読売傘下になって気分が悪いようなもの。
▼中国でのお仕事忙しい畏友William鄧達智君が(といっても随分会っていないが)香港時装節で香港に暫し居るようで蘋果日報に「三不賣」という随筆 を書いている。香港ファッションウィーク(巴里コレならぬ香コレとか云わないのだろうか)の会場が湾仔のコンヴェンションセンターで湾仔を久々に歩いた William 君は湾仔といえば、と紹介するのが鵝頸橋街市の焼鵝と羊肉料理の美味い店(恵記のこと)、青文書店、と三不賣。好みが同じで思わず笑ってしまう。三不賣は 先日、余もかなり久しぶりに飲んだが「野葛菜水」というのは日本語で何というのか。Googleで調べたら先月13日の余の日剰しか引っかからず。まぁ滋 養によい。
▼Googleといえば、Googleがなぜ急成長する会社なのか、収益が何処から来るのか全然知らずにいたが、ふとあらためてGoogleを使っていて 検索語によってはそれなりに広告が掲載されていることを今日初めて知る。「三不賣」とか「乱歩 義眼 青年」なんて引いてばかりいれば広告に当たらず、 か。

一月廿二日(日)曇。本来ならばReebokの15kmのレースが先週のChina Coast Marathonと同じ西貢は北潭涌にて開催のところ胃腸炎こそ治まったが喉痛あり週明けには学会で発表もあると思えば無理できず万全期し「勇気ある不参 加」って単なる朝寝だが。それでも七時過ぎには起きて朦朧としたまま突然、書斎にて机の抽斗の整理整頓。結局小一時間かけて机まわりの片づけ済ます。ふと 気づけば旧正月の暮れで大掃除すべき休日。結局、昼まで身辺整理。いちばん片づけが難しいのは帽子。気がつくとけっこう数もあり、春夏秋冬、アウトドア用 にソフト、ハンチングにパナマ帽と重ねても随分で、どうすればいいのか思案。午後、北角からフェリーでホンハム。ジム。百年ぶりに筋力運動一時間と数カ月 ぶりに有酸素運動一時間。フェリーで北角に戻り街市で豆乳とパン、果物購い帰宅。書斎の片づけも済みドライマティーニ一杯。おでん。大河ドラマ「功名が 辻」を3回目にして初めて見る。柄本明の演技と津川雅彦の口跡の良さ。織田信長役の舘ひろしはニンじゃない。松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読』 を読む。
▼昨晩遅く少し読んだ『東京の地霊』で緒話は港区六本木一丁目……と言われてもピンとこないが挿入の地図を見て「あれ?」と思い麻布市兵衛町一丁目と云わ れて「やっぱり」と、察する。1990年刊行のこの本では「東京都港区六本木一丁目の林野庁宿舎の敷地12,000平方強が民間活力の導入政策のひとつと して森ビルグループなどに払い下げられた」と話は始まるが今はすでに此処に森ビルの六本木ファーストビルが 建つ。此処が80年代の後半くらいまではホテルオークラからの坂を上ると本当に驚くほどの原っぱ。六本木アークヒルズも崖の下から頭を出しているように見 える。で話は国木田独歩の『武蔵野』や荷風の『日和下駄』が当然のように挙げられるのだが、この六本木ファーストビルの建つ土地は江戸晩期には南部遠江守 の屋敷。明治維新で此処が皇族賜邸地に指定され静寛院宮邸となる。静寛院宮は皇女和宮。若くして亡くなり明治後期には梨本宮邸となり昭和の始めに東久邇宮 邸となる、と云われると麻布市兵衛町、荷風、東久邇宮邸、と三題話で、なんだ荷風の偏奇館のすぐ向かいじゃないか、とピンとくる人も少なからず。その宮邸 が昭和廿年四月の空襲で焼けて(荷風散人もこの火事で罹災)戦後は皇室の多くの御用地、山林が林野庁の管轄となり、この麻生の土地までが林野庁扶ちとなっ たのもおかしな話だが。でこの土地は今では森ビルの開発に遭遇したのだが80年代の末までは本当にこの本にある通り
ホテルオークラ新館の方からやってくる道が突き当たりかと思われる ところまでゆく手前の右側に建つ麻布グリーン会館という建物のわきをすり抜けるようにして回り込んでゆくと、敷地の突き当たりかと思われた辺りが、やはり 忽然と開けて、細い細い路が神谷町の地下鉄駅の方に通じているを見出す。敷地と敷地のあいだのすきまのような抜け道だが、両側には江戸の昔からと思われる 木々がしげり、舗装も完全にはなされていない路面は、雨の日には足元がおぼつかなくなるほどである。(略)この森かげは江戸と東京をつなぐ細道のようにも 見えてくる。
という風景。今は森ビルの開発の所為で、どうなったか知らない。ここまで江戸から東京を結ぶ、と話が進むのだが、この著者・鈴木博之は不思議と荷風を語ら ない。荷風の日和下駄まで挙げておいて。
▼ライブドア。香港では「活力門」と呼ばれる。の取締役で事情聴取中の取締役宮内君は「若手が育ってきた」として事件で経営から一歩退く意向だそうな。一 歩退く前に逮捕懸念だが相撲やプロ野球ぢゃないのだから38歳で「若手が育ってきた」とされちまうと「40代が働き盛り」なんて思っているオジサンたちは 立場というものがないだろう。
▼昨晩の土曜ワイド劇場「混浴露天風呂連続殺人事25話・角館〜乳頭温泉〜男鹿・愛欲殺人旅行!混浴外国人留学生秘湯めぐり」は古谷一行、木の実ナナ、火 野正平、川島なお美に常田富士男とここまで役者揃えたならもっといいドラマが撮れそうだが、それはいいとしてNHKは特番で三時間にわたり「本当に増税し かないのか」という番組をちょっと見たが谷垣財務大臣を交えて、で勝谷的には「安倍さん包囲網の朝日読売NHKが総裁選でちょっと影の薄い谷垣を持ち上げ るための宣伝番組」だろう。谷垣氏が非常に好感がもてる作り、であったのは確か。
▼12月のWTO官僚会議でのWTO反対運動。最終日の「戦い」終わったあとにさっと十分程だが抗議現場に現れ、警察の反対運動に対する対応をば「可恥」 と吐き捨てるように言い切った、カソリック教会の香港司教・陳日君君について香港警察が有志でバチカンに対して陳日君司教の言動をば質す公開状を送 る。警察にしてみれば辛子スプレーの乱射など確かに糾弾されるところもあろうが反対運動に対して忍び難きを忍び耐え難きを耐え非暴力の我慢試合をして可能 なかぎりWTO会議をば混乱招かず終えたつもりが司教の警察の対応が「香港の恥」の一言は許せるものに非ず。警察にもカソリック信者多し。これまでの香 港民主化運動などでの陳司教の歯に衣を着せぬ言動は支持も多かったが今回の警察への罵声には司教にあまりに独善と疑問の声も少なからず。

一月廿一日(土)大寒の翌朝に気温摂氏13度まで下がり冷雨。日本や中国では大雪続き。ロシアでは氷点下66度で150年ぶりの、ってそれ以前の記録があ るのか、のソ連が経験しなかった寒さ。日本人学校の小学校(ハッピーバレー)のオープンデーあり。古書バザーに本を数十冊提供したこともあり古書漁りに出 かけるが例年のことながら「誰も本当に好きな本は読み終わっても古書には出さない」わけで「自分が提供した本がかなり売れ残っている」なかで「面白そう、 と思って手にとると、自分の思い当たる書き込みがあり、自分の本だったのか?と驚き、内容どころか本の題名見ても読んだ記憶すらなく」いろいろ複雑な思 い。岡留編集長の『噂真戦闘記』とか堂本先生の三島回想本、岩田準一の孫娘の書いた準一と乱歩先生の話とか、落語や競馬関係のエッセイなどけっこう古本屋 好みの本を提供したのだが見ていると売れ筋は何といっても推理小説の文庫本と児童書の類。狭い香港なので数年前に余の提供した本をS氏にずばり3、4冊買 いましたよ、と指摘されたこともあり。手許に置いておいてもいいのに書斎が塞がれそうなので仕方なく放出した本が、せめて誰かに読まれるならいいが、売れ ずに残っているのは実に寂しい話。だが子どもの頃に梅本克己先生だの詩人の桜井薫、共産党市議の弓削徳介といった先達が蔵書に埋もれてしまう怖い話を見た り聞いたりしたことがトラウマになり「本は倒れない程度」の蔵書量にしよう、と誓う。ビラ一枚捨てられぬ築地のH君も自宅の屋根裏の蔵書庫がすでに重さで 天井が撓んでいる、という。結局、佐々淳行の『わが上司後藤田正晴』(文春文庫)と鈴木博之『東京の地霊』(文藝春秋社)オープンデーには韓国インター校 の児童が来校してサムルノリの演奏するのなど見れば市民レベルでのこの交流に誰が水を差しているのか、と恨むばかりだが小泉三世本人ならきっと「ですから 私が申し上げております通り、中国と韓国との交流は経済、そして市民レベルで、文化など交流は盛んになっているんです。だからこそお互いの考え方の違いを 越えて……」となってしまうのだから話にならず。昼すぎ北角通りかかり久々に寿 司加藤に寄る。昼前に小学校で寿司澄の「助 六」を少しいただき頬張り食欲も少し出てきて突然、小ぶりで赤身の鉄火丼が食望した次第。助六といえば揚げと巻きで稲荷とのり巻きなのは衆人知る処だが 「のり巻き」といへば干瓢巻きなのに西へ行くと「のり巻き」は「太巻き」のことで東の「のり巻き」は「干瓢巻き」と云わないと通じない、ということを先日 知る。豊橋あたりまでは「のり巻き」は干瓢巻きのようだ。「寿司っていえばアナタ、そりゃ江戸前でで……」と云いたいところだが寿司も実は熟れ鮨の昔から いえば西の食で東の者があまり大きなことはいえない。それに京都の人に「だって干瓢巻きなんてあまり食べないでしょ。干瓢なんてのり巻き(つまり太巻き) やちらし寿司にちょっとはいってるくらいやな」と云われたひには反論できよう筈もない。で寿司加藤に寄り寒さについ熱燗一合。二日も休肝日の後の胃に酒が しみ渡る。小ぶりの赤身四切れの鉄火丼食す。カウンターにあった日経新聞を読めば文芸欄に柳町光男監督が10年ぶりに『カミュなんて知らない』という映画 制作という記事あり。79年の『十九歳の地図』は何度見たことだろう。最後見たのは巣鴨かどこかにあった映画館。映画が撮影されのは北区、王子のあたり。 荒川の堤防。この『十九歳の地図』から82年の『さらば愛しき大地』そして85年の『火まつり』まで余が一番映画を沢山観ていた時期で鮮明に柳町映画が印 象に残る。日経名物の「私の履歴書」が北杜夫センセイで三十年(否、四十年?)一日の如く自らの躁鬱病での旅行での顛末でエッセイを書いていることに言葉 なくして驚く。巨匠だ。加藤を出れば北角の街市は正月前の年末の何ともいえぬ活気あり。帰宅して午後ずっと『わが上司 決断するペシミスト 後藤田正晴』 を読む。佐々淳行であるから能弁饒舌、後藤田先生の回顧録(正確には新刊での上梓は00年であるからまだ後藤田先生ご生前)だが「行動するオプチミスト」 佐々センセイだから「私が、私が」は覚悟の上。予想通り。警察庁のエリートで警備幕僚長の時に沖縄国体で当時の皇太子夫妻のひめゆりの塔での爆破未遂あり 三重県警察本部長となり、その後は防衛庁に移り「末は防衛庁事務次官」と云われたが(本人がそう「云われた」と云っているが……が正しいか)防衛施設庁長 官で勇退。本人はこの本で当時の防衛庁長官が加藤紘一で、この責任感もない政治家のせいで自らが防衛次官の職をフイにした、と述べている。まぁ加藤紘一に 気に入られないのは佐々センセイのキャラでは当然だろうだが、この政治漫談が似合う佐々淳行というキャラを防衛庁の役人側のトップにすることは政府も、そ して何より防衛庁と自衛隊ぢたいが「それだけは……」と躊躇するのは確か。で一旦は「上がり」のようにみえた佐々センセイは後藤田先生の「引き」で中曽根 内閣で新設の内閣安全保障室長に抜擢され後藤田官房長官の下で……となるのだが、この本ではここまでの話でもう半分くらい頁を費やしている。あちこちの著 作や対談で繰り返される「歴史」のエピソードなので佐々センセイの読者なら暗誦できるくらい彼の半生に明るい。で、佐々センセイは自分でも認めているが後 藤田先生の弁として彼は熱血漢で何か任すと糸の切れたタコみたいに舞い上がってしまうので彼をきちんとコントロールできる上司がいると能力発揮するわけで 後藤田長官の下に奉公。大喪の礼も佐々センセイが後藤田先生に投げかけて内閣が秘密裏に動き出した一大プロジェクトだそうな。まぁ昭和史の読み物として面 白い。が「話が大きい」のと思い込みはお約束。それにしても、1970年の岡本公三ら日本赤軍のテルアヴィブ空港での無差別テロについて証拠隠滅のため自 爆死した奥平剛士と安田安之について「上部」からの指令通り顔の下で手榴弾を爆発させ顔と指紋を消しての自爆死は「マインドコントロールされている」もの で「ハッシッシなどの麻薬による」ものだのだそうな。「ハッシッシじゃ無差別殺人テロも自爆死もできない」ことなど渋谷の街頭に湧く若衆らでも承知。また 饒舌な人だから文章もまどろっこしいところも散見される。例えば
大平内閣の久保田円次防衛長官が、折柄陸上自衛隊の宮永幸久元陸将 補が在日ソ連大使館の駐在武官コズロフ大佐の手先としてスパイ活動をしていたことが露見したことから、予算委員会で辞任要求をつきつけられているのだ。
とか、読み直せば確かに係り結びは解るが、素読では一瞬、ん?と読み止まる。こういう表現が少なくない。「あー、楽しかった」と読了して「うどん」を軽く 一杯食べて晩に西湾河の香港電影資料館にてジャン=コクトーの映画 “Le Testament d'Orphee” (オルフェの遺言)を観る。1959年、コクトー70歳の時の作品。全然関係ないのだけど佐々淳行が後藤田本の上梓がちょうど70歳で、佐々淳行のような 「わかりやすいヘンな若いオジイサン」とジャン=コクトーのような「わかりにくい変な若いオジイサン」のどちらが興味深いか?と質されれば個人的には断然 「コクトーのほうが素敵」なのだが「見られる」という点で過去から現在、生と死を勝手に夢想の旅してゆく点ではコクトーと佐々淳行は同じなんじゃないか? とわけのわからないことを考える。佐々淳行ならコクトーと聞いて「へえぇ、それもいいな」とオプチミズムだがコクトーは絶句して手許の花を床に落として卒 倒しなければならない。いずれにせよコクトーは70歳にもなって、こんな生と死の間を若い愛人に誘われるまま彷徨っているわけで、この映画の主題が何か? とかコクトーの哲学とかいちいち真剣に考える必要もないのだろう。佐々淳行もまた安保闘争、浅間山荘の頃を未曾有の危機、国家壊滅の予断許さない状況、と 述べるがこれも今になって思えば権力役と敵役がはっきりした、お互い敵と味方がきちんと対峙して戦ってみる、という「わかりやすい」日露戦争みたいな、数 十年後にはお互い酒を飲みながら青春を語り合えるようなお祭りなわけで(菅直人氏も70年代安保を「お祭り」と発言しているのが、今、これを打ちながら聞 いているヴィデオニュースドットコムで流れている)、結果的に左も右もうまく「丸まった」結果を見れば、結果的に佐々淳行の政治漫談を遺した、とそれ以外 に言葉がない。ジャックダニエルちびちび飲みながら『東京の地霊』を少し読む。
▼早晩に従兄の携帯からメールあり。我が亡父の兄にあたる叔父と二人、父子で伊勢を旅、と。伊勢神宮に参拝すれば叔父の名前にある「守」という字は父親 (つまり我らが祖父)が1929年の伊勢神宮の式年遷宮の時に産まれたゆゑに息子つけた「守」の字、と叔父の口から初めて聞く。叔父は弟(我が父)の遺し た革のハンチング帽をかぶっての旅。日本は風雪厳しいはず。だがその中を伊勢を旅する老いた父と中年の息子というのも自分がそれが叶わぬと思うと羨ましい 話。このお伊勢さんが「心」の話。国政と外交を預る小泉某にはわからぬだろう。
▼仙台市長の「男女共学化は県の教育史に残る汚点」という発言に県議会委員会で委員から「市長に発言撤回を求めるべきだ」と県教委に迫る意見出るが県教育 長は「教育問題にはさまざまな意見がある。抗議するつもりはない」と述べつつ「慎重に議論して共学化を決めた。汚点と言われる筋合いはない」と不快感示 す。自民党のベテラン県議までが「仙台市長には県教育行政に関する権限はないが、発言には社会的影響もある。教育長の答弁でいいと思う」と教育長を支持 し、どうにか場を納めるが仙台市長の梅原某は自らの発言が市のHPで削除されていることに「出張先の台湾から」その「汚点発言」を削除せず復活するよう市 の広報課に指示。掲載。市議会の委員会では市議から「発言は県教委への著しい越権行為で県教育界の歴史を侮辱している。これは県民に対する侮辱と受け取れ る」との指摘があり市が掲載を見送った判断を「適正」と支持する意見が出され副市長も「記者会見に同席していたが(汚点部分を載せなくても)市長発言の趣 旨、ニュアンスは伝わると受け止めている」と答弁し掲載見送りの判断は適切との認識を示す。それでも市長は「汚点」の一文がなければ真意が伝わらぬ、とし て「汚点」発言復活を指示(以上、河北新報)。首長がヘンでも議会や部下が真っ当なのは首都よかまだ仙台の良識。それにしても「地位が上にあるほど好き勝 手なことをいえる」ことは、もはや日本社会の病弊。深刻。

農暦十二月廿一日。大寒。ウイルス性の胃腸炎。熱はさがるが胃腸の調子悪く終日養生。先週末の新聞や溜まっていた雑誌を『芸術新潮』やBusiness Traveler誌など数冊ずつ読む。晩のニュースで小泉三世の施政方針演説を拝聴。いちばんの不思議は5年ほど前まで小泉三世をば奇人変人と色眼鏡で見 ていた自民党がその人に拍手喝采。節操のなさ。国政の大事よりも自らが国会議員であることに重きを置く所以か。
▼Business Traveler誌の読者投稿にバンコクからシンガポール航空便でシドニーに向かった搭乗客のクレジットカードでのフライト予約に関わるクレームあり。 ネットでフライト予約。空港でチェックインの際にクレジットカードの提示求められ、そのフライト予約に用いたクレジットカードを持参するのを忘れたことに 気づきパスポート、IDカードに他2枚のクレジットカード、その上、SIAのクリスフライヤーのゴールドメンバーであることまでして本人なのだからチェッ クインできぬものかと請うたが、予約に用いたクレジットカードがないことだけが理由で登場拒否される話。航空会社の説明では保安上どうしても融通がきかぬ そうな。自爆覚悟のテロリストでも自分のクレジットカードで搭乗予約してクレジットカード持参すれば搭乗できる、ということ鴨。
▼芸術新潮。普段はピンとこないが身体の具合が悪いと(12月号の特集)パウル=クレイの絵が生命観溢れるように見えてしまう不思議。クレイといえば年譜 で独逸をユダヤ人「容疑」からスイスに亡命したクレイだったが1933年のスイスはクレイの作品が「左翼的」ということでスイス国籍の申請の「手続き」す ら許さなかった、と云う(39年にようやく帰化申請を受理したが40年の逝去まで市民権取得は成らず)。スイスという国の非常に厳しい現実の一部。ところ で『芸術新潮』のInvitationという評論の数頁は津野海太郎(和光大学図書館長)による書籍、松山晋也による音楽、松岡和子による演劇と木下直之 (文化学・東京大学教授)による気軽な随筆のような評論がよくて『東京人』を読まなくなってから、これが日本の文化シーン眺めるいい情報と楽しんでいたの だが、宇田川幸洋の映画評を除き、その津野先生始め4人の連載はちょうどいずれも22回で最終回。好きな書き手であるだけに名残惜しいが殊に木下直之は 『東京人』のかつての松葉一清ほどじゃないが建築で政治を語れる人で今月も柔らかい文章ながら九州の国立博物館が「定礎」の文字を地元の中学生に書かせた ことが話題になったことと小泉三世の靖国参拝でポケットから小銭を取り出し投じたことを、その二つを合せ「本格的なものが失われ、かたちがくずれつつある 感じがする」と論じ、九博も「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」としつつ開館記念展の「美の国日本」が大航海時代(ってことは安土桃山?)で終 わってしまい常設の文化交流室も「丸くなった地球、近づく西洋」で終わってしまい木下先生は「そのあとの近代には、アジア諸国を相手にした戦争というもっ とも濃密な「交流」の時代が待っているのに」と容赦ない。そしてその筆で続けて東京都現代美術館で開催中の「東京府美術館の時代1926−1970」を語 る。九博の開館に「水を差す」ようだが、木下先生は、美術館がコンセプトと建物で耐久年数はどちらが長いのか?、と問い掛ける。このような評論が読めない ことは寂しい。
▼三笠宮寛仁殿下。皇室典範改正につき最初は自らが代表務める福祉団体の機関誌で、次に文藝春秋で、と積極的な発言続けるが今度は「父の三笠宮も改正には 疑問」と憲法改正など目指す「日本会議」の機関誌で発言。皇族か ら闊達なる発言もいいが陛下から皇太子殿下に至る嫡流の心中お察しすれば三笠宮の傍流らしい配慮の欠如あり。戦後の皇室の存在で最も核心は「ニュートラル である」こと。それが今日の共産党までが現状として皇室の存在の容認。一定の政治勢力だのに加担せず広くニュートラルであることが戦後の天皇の象徴性のは ず。

一月十九日(木)曇。朝、発熱はないが胃の調子も悪く、ウイルス性胃腸炎に罹ったな、と朝八時前に養和病院に寄り診断を請う。諸事続けてはいたが発熱が摂 氏38.5度に至り昼すぎに自宅近隣のC医師のクリニックで(朝は養和病院で軽い胃炎の薬しか供されなかったため)止熱の注射受けウイルス性胃腸炎の薬を もらい帰宅。臥床。具合悪くなるとお粥の存在がありがたい。日本の粥よか、ずっと糊状の明火白粥ってただの白粥だが塩を少しかけて、なんて美味しいのだろ う、と感激。
▼月曜日晩にお会いしたI氏が深夜タクシーを降りてWellcomeスーパーマーケットの営業に気づき、ちゃんとGrace Vineyardの葡萄酒を入手されていた、とメールあり。さすが。
▼芸術新潮昨年の11月号で同誌で13年も続き愛読の橋本治の連載「ひらがな日本美術史」が最終回。亀倉雄策の「東京オリンピック」ポスターを取り上げた のは成程。亀倉雄策のポスターが「官製なのにカッコいい」ところに治ちゃんは目をつけるが「官製なのにカッコいい」時代というのは国家と国民にとって最も いい時代。万国博開催の19世紀の巴里や倫敦、革命後のソ連や中国、1920年代の紐育、そして東京オリンピックに向けた東京。日本橋の上に高速道路の高 架道を敷いてしまってもいい、というくらい、東京オリンピックに象徴される東京の現代化が優位であったのだから。だいたいが毀しといてアトになって「もっ と大切なものがあった」と気づく。
▼自民党の山崎拓さんの『アエラ』での発言を築地のH君がメールで送ってくれる。山崎さんをかつて山拓ならぬ「山タフ」などと嘲笑していたがH君曰くまさ か「山拓の言行を一生懸命タイプするようになるとは……」と。まさに。
——今の時代に首相として求められる資質はなんでしょう?
「将来を見通した大局観に立つ判断だと思う。たとえば、非常に近い 将来、東アジアが欧州や北米の経済力を追い抜き、断トツになる時代が来る。日本が少子高齢化で経済大国の地位を失わないように、ピンチをチャンスとして国 力を衰退させず、アジア共同体の中で日本の位置を保ち、かつ高めるリーダーシップがないといけない。強力な構造改革は必要だが、中韓とのつきあいを突き放 す外交では一国のリードを任せられない、という危機感をもっている」
「内政では構造改革路線は基調だが、改革によるひずみの調整を測ら ないといけない。財政再建は必要だが、バランス感覚が必要だ。次の政権は『消費税を上げない』と断言してはならない。今は国民の間に格差感が広がりつつあ る。日本は社会福祉国家。単なる自由競争ではない。その点はあんまりアメリカを学ぶべきじゃない」
と山崎さん。それに比べ、一昨年、六本木ヒルズの完成で「不況、不況と言うが、東京ディズニーランド、新丸ビル、そしてこの六本木ヒルズ、みんな大盛況 だ。経済は、言われているほど悪くない」と宣った小泉三世は東証全取引停止の18日もまだ「だんだん、経済状況は良くなっている。富裕層とそでない層と格 差が広がっているというのは誤解であると、みんあが分かってくれると思いますね」と語る。景気回復だの株価上昇などいうが、労働環境は派遣など非正社員の 割合が労働者の三分の一に至り(女性では半数)勝ち組と「そうでない層」(負け組だの貧困層と言わぬらしい)との格差。それなのに恐らく小泉三世支持の多 くが「そうでない層」である不思議。その小泉三世は木曜日の恒例のメールマガジンで都内の中小企業の工場訪れ「ものづくりの技術や美しいデザインの力で、 日本の経済や社会の活力を支えてくれていること、そして世界を舞台に活躍していることを目の当たりにし、心強く、そして誇りに思いました」と語るのだが、 中小の製造業とて中国に進出しないとやっていけない状況で、それに冷や水を浴びせているのが自分だと、そして日本の技術力支えるはずの工場も正社員雇えぬ 現実の深刻さを首相自らが理解できぬ。それでいて円覚寺の坊さんから「欲窮千里目 更上一層楼」の額をいただき感激、と。千里の目を窮めんと欲せば更に一 層楼に上がれ、の意味を「大局的な観点が必要で『地上の些末にとらわれず』全体を見ることが大事だ。」と思えるのが小泉らしさ。大局を見ることの大切さは 地元の些細なことを見ぬことに非ず、寧ろ大局に立つことで些末のことも含め全てが見渡せないといけぬのだが、この人にはそれがわかろう筈もない。墨田区の 従業員6人の金属加工の町工場を見学したそうである。独自の技術で先端の直径0.2ミリという極細の注射針を開発生産しているそうな。「私も試しにその注 射針を腕に刺してみましたが、全然痛くない。これなら、痛みに耐えることなく、安心して注射を打ってもらえると思います」と。小泉自民党の改革も、そう あってもらいたいもの。
▼宮城県で県教委が全県立高の男女共学化推進を最終決定したことに対し「男子校こそ伝統だ。県教委は伝統的価値観がどれだけ重要かとの認識に欠けている」 とする仙台市の梅原克彦市長が定例記者会見で「県の教育史に残る汚点だ」と批判。それを仙台市は「行政機関のHPに掲載するには誤解を招きかねない発言」 としてホームページに掲載せず。市内の「中華街」ビルの誘致に反対し男女共学に反対する仙台市市長。何に固執にして何を求めるのか、リトル石原であること は確かだが、仙台の不思議もこの人を市長に選んだこと。

一月十八日(水)小雨。東京証券取引所がライブドア発端にした売り注文集中。それでなくても不安ありの売買システムの能力超える売買懸念、で午後2時40 分、全銘柄の売買停止。日本は政治も経済、いろんな意味で破綻。早晩に二夜連続でバーYの開店で一飲。晩にHappy Valleyの競馬開催あり競馬場でY君と競馬観戦&飲食、の予定がY君来れずB君らに「今晩、一席あるけどどう?」と尋ねるが予定あり、で二人席に一人 で座り競馬するのも悲しい、と思っていて、ふとZ嬢の存在思いだし電話すると近くにいて15分後には来場。Z嬢と二人で競馬&飲食というのは初めてぢゃな かろうか。途中、香港大学博物館の館長A君が総館長とC嬢、日本からの客人連れ余のテーブルに来てくれて暫し談義。レースは緒戦から当たっては次レースで 落とし、の繰り返し。終盤2レースで3着の「好楽意」に複勝が34倍ついて最終レースでホワイト騎乗の「大贏家」が勝ちそれを更に7倍にしてくれる筈が 「大贏家」二着で複勝でぎりぎり投資分回収。香港の馬券は更に複雑になりレースAの例えば単勝をレースBの単勝と複勝に跨がせるなどいろいろあり。ハッ ピーバレートロフィーは「影之武士」が沙田で三連勝と破竹の勢いの「黄鑽石」を抑え優勝。帰宅して深夜のRTHKのニュース解説曰く、日本での株禍はライ ブドアという一企業の株価操作への震撼ではなく「みずほ証券の誤売買」「システム障害」に続く今回の「売り殺到でのシステム限界」といった日本の株式売買 のシステムに対する不安、と述べる。いくら日本企業が頑張ったところで投資や会社登記での障碍や言葉の壁、その上にこういったシステム障害が続いては海外 からの投資など日本を回避されても致し方なし。
▼それにしても昨日のヒューザー社長の証人喚問、宮崎君にホリエモン、それに震災とぜんぶ一面級のニュース。ライブドア強制捜索が「これだけの日」にぶつ かったのは偶然とは思えず。ミエミエ。で、そうまでして守るのは誰?と思えば小嶋社長の口から安倍晋三先生の名前が。官房長官の記者会見で、いつも以上の 早口で狼狽が印象的。キッパリと「一切面識はないし、国交省への働きかけもしていない」と全否定。今後の流れによっては致命傷か。だが安倍センセイのこと だから国交省への「圧力」がバレでも「公正にやってくださいということを申し上げただけ」とか言いそうだが。
▼自民党の党大会。9月の総裁選を「国民が参加意識を実感できるよう、開かれた形」にする、って一政党の総裁選で「国民が」とは一党独裁国家か、日本は。 運動方針は憲法改正のための国民投票法の制定、教育基本法改正、防衛庁の「省」格……と戦後ずっと培われてきた我が国の良識ことごとく破壊。「子や孫に誇 れる夢と希望のある『道義国家日本』を築く」らしいが子や孫がいない。道義も「人してお行うべき正しい道筋。道徳上の条理」(新潮国語辞典)は守れぬ議員 も少なからず。道義は国家以前の理念。伝統だの道義だのとファッショ国家へ向かい着実に進む。戦後の民主主義は何だったのか。宗主国米国に倣い民主主義と いう看板こそ掲げるが(宗主国ぢたい民主主義国家ぢゃないことも明らかになったが)、戦後の日本が「それでもそれでやってここまで来た」はずのデモクラ シーとか人権思想や立憲主義に、まるで憎悪。戦前の方がもっとデモクラシー思想の受容度は(実際にデモクラシーが存在するかどうかは別にして、精神的受容 度としては)高かったようにすら思えてならず。この政治的不安は行方知らずの深刻化。加藤紘一先生のところにまで「銃弾入りの脅迫状」が来ているとか。大 方「中国のイヌ」とか書かれているのかしら。加藤紘一先生は「十二回も国会議員の任務をもらい、かなり重要なポジションも歩んできました。その経験をして きた人間の責務」として発言はやめぬ、と。戦前の支配階級には「勘違い野郎も含めても」支配階級としての責任感あり。首相が「人生いろいろ」だの「私に聞 かれてもわかるわけない」だのとここまで知性も良心も責任感もカケラもないような答弁を、それも国会の場で行う。これが戦前なら青年将校か血盟団が来そう だが、それが反対に、その無責任を追求する加藤紘一に向かう怖さ。
▼その自民党に対しての民主党の為体。本来は「野党第一党」であるだけで存在意義はあるはず。民主党をクライアントにする広告代理店は何をやっているの か。かつて万年野党であると揶揄された日本社会党ですらちゃんと「なんでも反対」という野党の使命を全う。民主党は野党としての機能もじゅうぶん果たして おらず、小選挙区制であるがゆゑに「野党第一党」であるにすぎず。「共産党や社民党に入れてもいいけど、死に票なるのはやだからなあ」だの「自民党じゃな い方にいれたいから、とりあえず民主党」という消極的支持だけ。社会党はなんでも反対だからダメ、日本にも健全な野党が必要だ、という言説がかつて盛ん だったが政権をとれるはずの健全化した野党民主党があの様で、議席占有率は当時の社会党以下。笑止千万。

▼周恩来の逝世30周年。『周恩来の晩年の歳月』なる本も上梓され信報に丁望なる書き手が周恩来の文革期について綴る。この『晩年と歳月』では文革中の周 恩来の役割について「最悪の状況をば回避に尽力」と評価するが、それとは反対に、周恩来は自らの政治生命をば保つため文革に加担し劉少奇失脚についても負 責という見方もあり。丁望氏の見方は、極左政策での実害を外交危機も含め可能な限り回避し、香港の暴動も冷し、文革後を見据え党内でも幹部を保護、文革後 に葉剣英をして四人組逮捕に至る、それが周恩来の文革中の仕事であり、丁望氏は周恩来を「文革の最後の勝利者」と絶賛。周恩来については文革期にかぎらず 「わからない」こと多し。建国後どころか戦前から党内で権力闘争と粛清が続くなかで、かつては毛沢東より党内順位の高かった周恩来がどうして生き延びられ たのか。「実は周恩来は毛沢東の愛人の一人だったのではないか?」という暴論もあるが、最も確かなことは毛沢東と周恩来の、長嶋茂雄と王貞治の如き愛憎関 係。周恩来の品格、知性、教養に容貌、そのどれもが毛沢東には欠けるが、毛沢東の天真爛漫な天性、リーダー性など周恩来がいくら望んでも得られぬもの。周 恩来が党領袖であれば大躍進や文革で数千万人の命が奪われる悲劇はなかったかも知れぬ。が逆に共産党で中国の大統一ができたか、の疑問。
▼早稲田大学などで中国語教える馬挺という人が信報に「マスコミ「マイナス報道」について」と文章あり。中国外務省の報道官が「日本のマスコミは中国のマ イナス面ばかり強調して報道する」として日本政府に指導強化を求めた発言について。日本にいる中国人の立場で馬さんは、勿論、X経○聞(笑)など意図的と すら思える反中国報道もないことはないが、全般的には概ね中国についての好意的な報道は多見され中国の経済開放や歴史、文化などの報道は公正で積極的なも のであることを紹介。御意。寧ろ問題は、この中国外務省の報道がさらに日本でマイナス的に報道されることで、相乗効果で日中間の嫌悪感が増長されること。

一月十七日(火)小雨。三月からの雨期になったが如き多湿。ずっと多忙続きも一段落し肩凝りもひどく早晩に銅鑼湾の香港紅十字の捐血站にて献血。この捐血 站、移転しており移転先はバーYのあるビルの隣り。バーYも今月より営業が午後六時からと早まっており香港で32回目の献血終えて肩凝りも失せ按摩やサウ ナでは得られぬ「すっきり」気分でバーYに寄りドライマ ティーニ二杯。帰宅。牡蠣鍋。NHKのニュース10を見ていればライブドアの強制捜査で自民党はホリエモンの選挙応援までした幹事長は「たじたじ」だが小 泉三世は「会社でも採用した人が不祥事を起こしたら採用が間違っているといえるのか」「その時点では郵政民営化に賛成する人は応援するということ」「新し い時代に適応できる人材だと思って応援していた。それはそれで良いと思う。今回の問題とは別だ」と、よくもしゃーしゃーと呆れんかりの発言。連日の睡眠不 足で十時すぎには 臥床。
▼法政大学でマスコミ論の中野収氏逝去。享年72歳。八十年代に若者とメディアといった分野でかなり活躍。当時、朝日ジャーナルで筑紫哲也が「新人類の旗 手」などと若者持ち上げていたが、その頃に注目された若者のうちどれだけが本当に旗手だったのか。
▼SCMP紙が一面トップで2010年に北京にディズニーランド開園計画、と報道。香港はもはや採算は合わず、失敗、か。
▼先日、官房長官安倍坊が靖国参拝について対中韓の軋轢があるため「そういうことにならないように、争点化しないという方がよい、ということではないか」 と述べたことは綴っておいたが、首相や官房長官への記者会見がもはや「拝聴」モードなのが気になるところ。首相官邸での恒例の首相コメントも何かの質問に きまっていつも言葉少なに「政府、としても、最善をつくすこと、これが大切だ」みたいなどーでもいいことを神妙な顔で頷きながら聞く記者たち。心中は「小 泉チルドレンなんかよりオレたちのほうがずっと優秀なのに」とかくらしか考えてないのだろうか。安倍坊の記者会見も「そういうことにならないように、争点 化しないという方がよい、ということではないか」と言われたら「長官、そうしますと、総理の参拝が日中関係日韓関係に影響を及ぼしている、という認識がお ありということでよろしいですか?」くらいは突っ込んでもたいたいところ。コイズミ的には「まったく影響ない」ということだったはずなのに……。ところで マスコミはナベツネの朝日での靖国参拝非難で、これは勝谷氏的には海老ジョンイルもナベツネ氏の引きで読売入りで朝日読売NHKによる安倍包囲網が出来て いるという。週刊ポストには、自民党の良心・山崎拓さんが古賀君と急接近、更に加藤紘一君に高村正彦君を加えて「新YKK」を結成、で狙いは勿論、倒閣= 福田康夫政権樹立とか。このような政局で安倍二世、今度は明確に「アジア外交は争点だ」とか言及したそうな。築地のH君はこの人は総裁選が人気投票になっ たら、逆に「対中強硬派」がウリになる、という読みかしら、と。安倍二世(岸三世)にしてみれば小泉三世から後継指名さえ受ければ、小泉路線とは距離をお く動きあり。具体的には、小泉・新自由主義路線に対して、安倍・観念右翼=保守反動路線。郵政で切られた平沼君や熊代君のような復古右派が安倍二世のまわ りに蝟集。この動きに平成の元老とならむとする小泉三世がどう図るか。すんなり安倍二世に譲った途端、軽んじられるのは我慢ならぬ話で、そこで竹中平蔵な のかしら、とH君。というわけで我が国の政権政党たる自由民主党は派閥解消された結果、小泉・革命的新自由主義派、安倍・民族愛国戦線と旧来の保守本流、 の三派鼎立のせめぎ合い。気づいてみると、もうこれだけで十分。共産主義政党ならまだ出番はあるかもしれないが、民主党(とくに前原)の存在する余地な し。民主党といえば前原は9月の党代表選に向け党内の政策一本化に挑み、それがまとめられねば不出馬、と宣言。党代表に対して党内で小澤、菅といった包囲 網形成しているようじゃ、とても政権には遠すぎ。旧社会党の横路お坊ちゃまに至っては前原某を「戦前の軍部の青年将校みたいな発言をする」と批判。前原某 と一緒にされては戦前の軍部の青年将校の皆さんに失礼、と言うもの。

一月十六日(月)諸事に忙殺された後、早晩に旺角。東京から公事にて来港中のIさんお連れして先達広場ビルの携帯電話修理屋訪れる。Iさんの海外で使用す る携帯電話にちょっとした小細工が為。Iさんと一旦別れマクドで ハンバーガー貪り晩の往診で尖沙咀。晩十時にIさんと尖沙咀で待ち合せ中環。FCC のバーで一飲。I氏はかつてニッポン放送のディレクター。中島みゆきのオールナイトニッポンなど全盛期の制作。今も放送関係の仕事されるが 子どもの頃のアマチュア無線から海外短波放送のBCLの話題。今ではすっか りネットだがラジオのチューニングダイヤルを回しながらの世界探訪の当時の、あの醍醐味。余が香港で山歩き始め九龍の獅子山から尾根歩きでBeacon Hillの頂上にある電波アンテナ群を見上げ「あ、ここがBBCの極東向け放送をば中継していた、あのBeacon Hillか……」と小学校高学年の当時思いだし感動した話などIさんくらいしか共感してくれぬかも。当時、BBCのタッタラタータタタタタータという音楽 流れ“BBC World Service, Bush House, London”というアナウンスが今も耳に残る。97年の冬であったかZ嬢と倫敦訪れ当時、BBCの極東向け英語放送の制作をしていたD君に、憧れの Bush Houseの放送局内を案内してもらう。Iさんとの話題は尽きず、80年代末のバンド「阿Q」だの、学研の出資したレコード会社「プラッツ」の話など迄。 葡萄酒から葉巻、パイプと話題が続き、あっという間に深夜零時。Iさんをホテルにタクシーで送るが銅鑼湾のRosedale Hotel「珀麗酒店」と言ったつもりが「柏寧酒店」Park Lane Holtelに向かわれてしまい(余の広東語の発音のいい加減さ!)Park Laneの前でIさんタクシー降りてお別れ。Rosedaleなら道なりにそのまま帰宅できたのにPark Laneに行ってしまったがため邪念が生じてタクシー降りてしまいバーSに 寄る羽目に。「ウオツカにアマレットを垂らす」はマスターM氏が「確か、あったレシピ」とカクテル事典で探してくれると“Godmother”と云う。だ がレシピはウオツカ3にアマレット1で「とても甘すぎる」わけでウオツカのロックの氷頂にアマレットをほんの少し垂らす、のほうがずっと美味。まったりと 二杯飲んでいたら午前一時半になってしまい、空腹感あり翠華餐庁に 魚蛋米線を食しタクシーで帰宅の途につくと銅鑼湾に24時間営業の超級市場Wellcomeの前を通り「あっ、失敗」と。何が失敗かといえばIさんと葡萄 酒の話で昨日、K君に差し上げた山西省のGrace Vineyardの話となり「明日の朝イチのUA便じゃWellcomeでGrace Vineyardの葡萄酒も買えない。また次の機会に」と話していたわけで、先ほどIさんがタクシー降りたPark Laneから30mにこの通宵営業のスーパーがあったのだった。失敗。深夜のタクシーのフロントガラスが濡れる。ワイパーが動く。雨。何カ月ぶりの雨かし ら。タクシー降りてマンションの門前に暫し小雨に打たれる。酔いざましにもならぬが心地よし。
▼90年代後半からの上海のバブルで「上海地産」なるデベロッパーとして巨万の財をなし脱税などの罪で収監中の周正毅君の内縁の妻、毛玉萍女史が自有会社 の株価操作の罪で有罪判決。懲役三年半。毛女史は上海の赤貧の家に生まれ86年に24歳で生まれたばかりの息子を連れ来港。厳しい生活続くが93年に中国 内地に飲食店をば開業。そこで周正毅と運命の出会い。上海人で赤貧の家庭、低学歴と境遇も似た通った二人は半年後に雲呑麺屋を開業したのを契機に中国の経 済成長の波に乗り、殊に94年に開業の「阿毛燉品」は年利1,000万元と潤い95年に二人は内地と香港での株の売買始めバブルで数億の利益を上げ上海で の不動産開発に乗り出し02年には香港で上場会社二社を買収。毛女史は美貌の富豪夫人としてセレブな日々。だが事業拡大のために周氏の経営する Global Townが中国銀行からHK$17億の融資を受け、この会社を礎に「上海地産控股有限公司」を上場したのだが、その際、Global Townが有する「上海地産」の株の6割については株価総額が指定期間内、銀行融資の17億ドルを下回らないことがの銀行と確約条件。いわばこれが担保。 その株価維持がために二人は知人など10名の名義で株の売買口座を開設し、そこで株の売買繰り返すことでの株価操作。で、お縄。このニュースも中国バブル の負らしいと思っておれば日本では破竹の勢いのライブドアが証取法違反で強制捜査受ける。「これも想定内?」と日本では四千万人くらいが冗談で言っている はず。
▼中国の経済膨張といえば信報の社説が15日の発表された中国の外貨備蓄がUS$8,189億で前年比34%の伸び。日本に次ぐ世界二位の備蓄高だが台湾 と香港を合わせれば大中華圏の外貨備蓄高は日本を上回る。だが負の側面もあり。まずは米ドル依存の高さ。また中国の保有する米国国債は90年のUS $664億が05年にはUS$2,522億。ニクソンによる米中国交回復の時に誰が中国が米国経済支えることになろうか、と思ったことか。いずれにせよ已 に破綻している米国財政を隷僕の日本と米国にとって最大の仮想敵国が支えるという現実。
▼香港の労働基準法の未整備で航空会社は客室乗務員の定年が不当に若く抑えられている、とSCMP紙の報道。ちなみに筆頭に挙げられたのが日本航空で日本 と英国では客室乗務員の定年が65歳なのに対して(といっても実際には肩たたきでかなり早期退社か配置替えされるのだろうが)香港では社内規定は35歳か 37歳。キャセイパシフィック航空は55歳だが93年以降の雇用者については45歳。英国航空は本国が55歳で香港は45歳。
▼李嘉誠財閥による買収が噂される信報に崔少明氏など信報経営問題に言及する記事が少なからず。社主で総編集の林行止(本名:林山木)氏が連日長文の社説 と専欄をば書き続け33年に渡り手塩にかけ育てたクオリティペーパーの市場価値は今やHK$2億。97年以降、香港の新聞の殆どが「赤化」する中で蘋果日 報と信報だけが資本的にも独立。蘋果日報は社主、黎智英氏が蘋果の台湾版の発行始め台湾という「避難先」を置いた中で信報はいわば香港に孤高の「ラストサ ムライ」と崔氏。どうなることか。いずれにせよ同紙面で同紙の経営問題が自由闊達に語られることぢたい村山家の社主制のことなど全く記事にならぬ朝日新聞 社などよかどれだけ健全なことか。


一月十五日(日)朝五時半に起きれば居間に青き月の光差し込み窓から眺めれば見事な満月。居間を明るく照らす程。暫し見蕩れる。AVOHK主催の China Coast Marathonあり六時半に北角から参加者バスにて西貢は北潭涌。ハーフマラソンの部に参加。これまで機会なく申し込みすら初めて。噂には聞いていたが Mclehose TrailのSection-1を歩くのは慣れているが走ればアップダウンに閉口。2時間20分で完走。もちろん走りもゆっくりだが通常のハーフよか20 分近く時間要す。フルに参加の友人らのゴール待たずお先に失礼。帰途一緒になったK君と西貢の徳興麺家にて早めのお昼に炸魚皮河粉。ミニバスで旺角。ジムでシャワー 浴びサウナに一浴。日本から某超人気ユニットDA(ってイニシャルだけでわかるか)のプロダクションの若手社長のK君来港中。いつもなら食事してのんびり と酒を飲むが突然のことで昨晩から明日まで全く時間とれずK君宿泊のロビーで寸暇惜しんでの再会。日本から土産に、と紀伊国屋の包装で福岡の「あまおう」という苺をいただく。 お返しにK君も奥さんも葡萄酒好きなので山西省の余のお気に入りの葡萄酒Grace Vineyardを差し上げる。九龍の知る風呂屋にて按摩。松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読』を少し読む。どうも松本健一という人の著作は「慣 れない」。だが数冊買ったので読んではいるが生理的に「合わない」書き手の一人かも。晩に上環に往診あり。往診のまえに軽く晩飯を、と思ったが日曜日の上 環はどの食肆も休み。築地か人形町の如し。Bonham Strandに某 Y記なる小奇麗な食肆あり「香港一美味い海南鶏飯」と名乗り、外に見えるように幾つか新聞雑誌で紹介の切り抜きもあり。海南鶏飯好きには試 さぬわけにもいかず海南鶏飯套餐をば注文。最初に「あれ?」と思ったのは海南鶏飯といえば例湯(スープ)がついてくるのが当たり前なのに、この肆では海南 鶏飯はスープなしで強気のHK$43で套餐(セット)にするとHK$53で例湯付き、となる。最初に供された例湯が化学調味料「たっぷり」で閉口。化学調 味料は拒否反応こそけしてないが化学調味料たっぷりの時は食後の喉の異常な渇きに悩まされる。で海南鶏飯は見た目それなり、だが一口食すと鶏肉の「水っぽ さ」で「こりゃダメだ」。冷凍の鶏肉でもいいが調理以前に冷凍肉の処理に問題あり。旨味の欠如。海南鶏飯には大切な油含みの米飯も粟の如きボサボサ。「香 港一美味い」とは聞いて呆れる。往診。帰宅。長い一日が終わる。

一月十四日(土)せめてもの朝寝。と言っても七時に目覚め八時すぎまでの朝寝に過ぎず。快晴。新年度予算策定がため土曜だというのに議員会館にてご公務。 バレンボイムのバッハの平均率を聴きながら心地よく。小包届くと「開けたら爆発かしら」と思う今日この頃、日本からのEMSのA4大の小包で内容明細に Notebookとあり「えっ?」と喜んだが開梱してみれば確かにノートブックが12冊。元来ノートブックとは帳面であった、と思い出す。晩にランニング クラブの新年会兼Annual PartyをばFCCの宴会場にて開催。

一月十三日(金)快晴。朝刊に「ニコンおまえもか!」のフィルムカメラからの撤退。父の遺品となった何台ものニコンの一眼レフカメラのうち、ま だ現役で使 えるF2とELは今、手許にあり。そのうちF2とContaxのG1とT2はまだ愛用したい、と思いつつ実際にはデジカメばかりな今日この頃。かなり久々 に日の暮れる前に出街。中環の陳生記でカレー牛南伊麺食す。 晩の往診まで僅か三十分くらいだが余裕あり上環をふらふら。目的のない散歩などかなりひさびさ。上環に小さな小粋な食肆ふえたことを知る。往診九時半すぎ に終わり、ふらりとバーRに寄り一酌。夜な夜な人影すくない 中環の裏町を歩く。帰宅。
▼Z嬢からNHKのニュース10が三月の番組再編で打ち切り、と聞く。ニュース10がテレ朝のニュースステーションの対抗番組であったことなど今更「そう だった」と思い返す。今井環君のあの当り障りのない、毒にも薬にもならぬコメントが今後は聞けなくなる、と思うが寂しさなど当然、ない。
▼手書きの字というのは上手い下手の個性もあるが国民性のようなものもあるのだろうか。具体的には言えぬがアメリカ人っぽい数字の書き方とか英国人の筆記 体とか。フランス人の、コクトーは更に独特だが。そして明らかに中国人の手書きの漢字には日本の書き手とは大きな違いあ り。それについては誰だったか日本 の高名なる書家が「日本人は仮名に逃げることができる」のに対して漢字と対峙する中国人には漢字だけの文字に抑揚があるようなことを述べていた記憶あり。 で、紹介するのがタイのチェンマイのThe Wokの給仕の若衆が書いた伝票。英語なのだが、雰囲気は完ぺきにタイ文字。見事なほどにアルファベットがタイ文字化している。ロラン=バルトなら、この 伝票から記述を起こしてしまうだろう。とても真似できぬタイ的な美しさ。
▼麺好きと自認しているが蘋果日報の麺の美味い店特集で紹介された5軒が黄大仙の(つまりホンハムの蔡瀾美食坊の、ではない)詠藜園四川菜館の四川酸辣麪、Tsuen湾の蘭州拉麺皇の酸辣雲呑拉麪、Quarry Bay濱海街の江南村の無錫排骨湯麪、中環の京味居の大鹵麪、東来順の雑菜炒番茄麪。東来順は三色素麺だかをシャブシャブのあとに食 し、この雑菜炒番茄麪こそ食したことないが、他の4軒はすべて食して確かに美味なる麺。この5軒ではTsuen湾の蘭州拉麺皇がいちばん美味いと思う。
▼今朝の朝日で「ミスター円」こと榊原英資がかなり明確な前原批判、と築地のH君に言われ新聞開く。あ、ほんとだ。「三者三論」の「前原民主党、どうす る」という特集。山口二郎が『世界』的に良識的な模範解答の持論展開は当然として、田中秀征が前原に甘いのは小泉にも甘い秀征らしさ。で榊原君が冒頭から 「ずっと民主党を応援してきたが、今の前原体制には違和感を感じる」と。具体的には「前原路線なら民主党の「影の内閣」の財務、金融担当大臣など一切お受 けしません」の三行半。民主党という「野党」があっても、問題は小泉を支持する人は前原も支持、小泉を支持しない人は前原も支持しない、ということ。つま り小泉三世がいるかぎり(後継指名でも受けない限り……笑)前原の政権奪取はありえない、ということ。安倍晋三は安倍晋三で「靖国参拝の総裁選での争点」 について「靖国はもともと小泉賛成が総裁選で公約に掲げ参拝して政治問題化したもの」なのだから「争点にはしない」のは如何か?と記者に問われ「そうした 経験からいっても、争点化しない方がいいということではないか」と。つまり「糠味噌が臭い、とわかっているなら蓋を開けるな」ということ。何も解決してい ない回答だが「官房長官としては」模範解答。と。即座にこういう切り返しができるくらいの知力はある。本来の政治家・安倍晋三としては
あったのだ。官房長官としては模範解答である。もっとも政治家・安倍晋三としてなら「国内の問題で中国韓国にはガタガタいわせません」となるべきで記者諸 君がツッコミを入れるところだが官房長官だし。

一月十二日(木)快晴。朝、乗り合わせたバスで工事現場の労工はマクドナルド食べ始め中学生のガキは携帯のゲームに興じ電子音が耳障り。バスの車内は飲食 禁止で、電子音はマナーの問題。自由とは何なのだろうか。ただバカが勝手にふるまうことの許容になっている。新年度の予算案準備に忙殺され晩に至る。日暮 れにタクシーの車窓から雲ひとつなき空に十三夜の月を愛でる。バンコクからY氏が大阪経由で来港。晩に銅鑼湾の食処いろりに食す。芋焼酎というにはマイルドな「薩摩」なる焼酎を二人で四 合瓶を半分、肴は青菜のサラダ、豚キムチに小ぶりの烏賊の味噌煮のみ。地味。そのまま昇降機で21階のバーY。ウオツカにアマレットを少しいれて飲む。Y氏と、「自由」だの 「平等」といっても本当は平等などないし、平等がないから憂さ晴らしに勝手に自由が横行する、と話す。帰ろうかと思ったがまだ11時前だったのでふらり、 と独りバーS。帰りがけのO君にばったり遭遇。示し合わせた ように畏友B氏現れるが話に興じること恐れられ12時にバーを辞す。
▼小泉賛成が今年最初のメルマガは9日から訪問中の「ここトルコからお送りします」と、アンタはニュースキャスターか、の活気だが明治23年のオスマン帝 国の訪日使節団の和歌山沖での船沈没で付近の住民が救助し69名の生存者は「日本海軍艦でトルコまで」丁重に送り届けられたという話から始まりイランイラ ク戦争ではテヘランからの邦人脱出でトルコ政府が特別機をば遣ってイラクの攻撃開始宣言のぎりぎりに特別機は国境を越え機長の「トルコへようこそ」という アナウンスが機内に流れ大きな歓声、と。そのトルコ訪問。それだけの話、といえばそれだけだが「こういう友好関係が築けるのですよ」と、まるで韓国と中国 への当て擦りに読めなくもなし。
▼高卒で薬品セールスマンから香港政庁入りし頭角現わし難関の上級公務員試験に合格し公費留学でオックスフォードだったか留学、財 務長官で「上がり」か、と思われ本人も英国政府からSirの称号戴いたが、陳方安生が放逐され董建華の失脚で「棚から牡丹餅」で行政長官にまで成り上がっ た、運の強さは人一倍の自称政治家Sir Donaldが、97年から董さんも「植民地主義臭い」と入居せずに通した旧総督府に行政長官の任期あと1年半でも入居。念願叶った行政長官夫妻の、この 新官邸に寛ぐ姿見ればやはり「似合わない」。APEC会議で隣席の江沢民にナプキンにサイン強請っただけのことはある小市民ぶり。悪い人ではなさそうだ が、どうにも惹かれぬキャラである。
▼歌舞伎の演出・評論の戸部銀作氏逝去。享年85歳。余の若い頃、芝居の筋書などに「戸部銀作・演出」とあるのを、てっきり故人だと思っていたが氏の劇評 を読み存命であると驚いた記憶。朝日の弔報に「市川猿之助の宙乗りを発案」とあるが沢瀉屋もまた舞台に復帰も難し。歌舞伎といえば昨日の朝日に百年ぶりに 渡辺保君の劇評あり。歌舞伎座の坂田藤十郎襲名披露。襲名披露であるからか、辛口のコメントもなく無難。朝日とは何の確執があったのか、何が和解したの か、は知らず。ところで渡辺保という人について。堂本氏の三島回想本を先日読んだ時に三島センセイの影響がずっとあとの世代まで間接的に大きい、と痛感し たのだが、その三島由紀夫の影響を生涯に亙って回避し続けて今の大をなしたのが渡辺保氏ではないか、と事情通の知人に教示うける。実際の渡辺保のブレイク はバブル期。それまでわかる人にしかわからないはずだった「白州正子的な絶対の価値基準」がマスコミによって安直に規定されてくる中で(まさにバブル期に それが始まった)その<価値>そのものを仮名書きにして大衆に与える役。あの渡辺先生の「分析」は対象分析でなく自己分析であるとすれば追体験した読者も 「そうそう、そうなのよね」と当然、分かった気になるのかしら。

一月十一日(水)晴。ついにインテル搭載のMacbook Proが発売。思わず「今すぐ購入」ボタン押しそうになる。iPodの宣伝(こちら)とかもセンスい いなぁ。一歩間違ったらApple社のイメージぼろぼろにしそうなのに。諸事忙殺され遅晩に至り帰宅。ドライマティーニ一杯。葡萄酒一杯だけで鶏肉のシ チュー。芸術新潮の光琳特集を続けて読む。紅梅は中村内蔵助、白梅は光琳、流水は光琳のレコの「さん女」と見る小林太市郎の説などの更なる新解釈など面白 く読む(参照)。紅梅が内蔵助だと言わ れてしまうと、本当にそれから海老反った内蔵助にしか見えなくなるから不思議。ふとJ.T. Leroy(詳細は後述)のペーパーバック本を書棚で捜していたらRem Koolhaasの『錯乱の紐育』(筑摩書房)見つける。奥付みたら95年の初版。いつになったら読めるのだろうか。
▼香港政府教育統籌局の常任秘書長(政府の事務次官級)のFanny羅范椒芬(元・教育署長)が数日前、先週二人相次いだ教員の投身自殺について教育制度 改 革でのストレスとする見方に対して「もし原因がそうなら、なんで二人だけなのかしら?」と暴言吐く。この羅太、SARSの時には政府の学校休校措置やマス ク着用に従わぬインターナショナルスクールがあることについて「インター校に通う家庭は衛生観念の水準が高く」等と例外認める発言など政府高官の中でもか なり「?」な人物。でこの発言。一昨日のラジオ番組でも発言の撤回や謝罪はせず、電話で現役の女性教員が嗚咽ながらに教育制度改革はかなりプレッシャーで あり、もし自分が遺書にそれを認めて自殺したら……と訴えたら、ようやく謝罪を言及。このFunny羅(このFunnyという英語名は嘘ではない)も Funnyなら教育統籌局長の李國章教授(東亜銀行頭取の李Baby國寶の実弟)もFunny羅の発言を弁解するどころか「制度改革に不満なら早期退職の 制度もある」と追い討ち。政府高官のこの為体。こんな連中の高給のために納税している誇り感じ入るばかり。
▼信報を李嘉誠(の長男)が買収に意欲、という噂流れていたが蘋果日報で李八方がこれを事実と断定。悪夢。李嘉誠財閥の粗野なる市場独占で新聞マスコミも 欲しいのは当然であろうし、億万長者でも黎智英氏が蘋果日報であれだけ個性だせば李嘉誠なら下手な新聞出せず信報なら、なのだろうが、信報の良さは資本的 に独立していることでの報道の自由と不偏不党。中共要人も愛読し、発行部数は少ないが中国政府の経済政策にも影響を与えるというほどの、所謂クォリティ ペーパー。であるからこそ、李嘉誠など財閥傘下では台無し。中央公論が読売傘下になるが如き惨状。李嘉誠の財閥もかつては香港の経済成長の象徴であった が、今ではもはや何でも食い尽くす暴獣である。
▼昨日のSCMP紙に米国の若手作家 J.T. Leroy に関する紐育タイムズの転載記事あり。Leroyは彼の処女作“Sarah”と“the heart is deceitful above all things”を余も(信報の読書欄の批評が面白く)03年の秋に読んだが、こ の“Sarah”のブックレビューをそのまま写せば「アメリカ南部の田舎町でトラック運転手相手の娼婦や男娼たちが住むこの町に母の愛情に飢えた12歳の 少年あり、少年は娼婦である母の真似をして女装、その美しさ忽ち噂となり、母の名である“Sarah”と名乗りナンバー1の売春宿で働き始め、故郷の町を 離れ……」と。これがほとんど自伝。幼い頃に受けた虐待の話などを続編“the heart is...”で生々しく綴る。日本では角川書店から『サラ、神に背いた少年』で邦訳あり、こ ちら。で、その少年はサンフランシスコで出会ったLaura AlbertとGeoffrey Knoopという男女に地獄から救出され、ぼろぼろになった少年の手記に類い稀な文才を見た二人が少年を文芸界に送り出し、その著作はたちまちベストセ ラー。ただ少年は精神を切り裂かれた過去から少しずつ回復中とのことでマスコミにも登場せず写真も大きな帽子にサングラス姿。世間はこの傷ついた少年に優 しい愛情の眼差し……ということであった。……のだが、何が「ありゃま!」かと云えばネット上に掲げられた一人の少女の画像が、そのLeroy少年に瓜二 つ。そればかりか、その少女はLeroyを世に送り出したKnoopという男の義理の妹。Leroy少年の著作の出版社の編集者、Leroy少年のエー ジェントの担当者、この著作を原作に映画化したプロデューサーなどの誰もが、その少女の写真を見て「Leroyに間違いない」と。Laura AlbertがLeroyという架空の人物に成りすまし物語を綴った、という昨年10月の『紐育』誌の記事がこの疑惑の先鞭となり、The Times がLeroyが紐育タイムズに寄稿した巴里のディズニーランド探訪の記事をもとに取材したところ、巴里でLeroyに遭遇しているディズニーランドやホテ ルの職員は口を揃えて、Laura Albertと思われる女性がLeroyと名乗っていた、と報道。ホテルの職員にLeroyは「3年前に性転換の手術をした」と語った、そうな。いやはや なんとも、な作り話。日本でも「逸材」「天才」と称賛され、Leroy関連サイトでは「1980年、ウエスト・ヴァージニア生まれ。 サンフランシスコ在住。5.5フィ-ト・130ポンド」 とまで取り上げていたが当然、サイトは消滅(こちら)。それにしても、 あれだけ注目されたのにウエスト・ヴァージニアで「こんな娘、いたけ?」と話題にならなかったのだろうか。
▼自民党では山崎拓さんが自民党内の中国脅威論や小泉三世提唱の国民参加型の党総裁選、安倍晋三の「靖国は総裁選の争点にならない」という主張などに苦言 呈す。さすが山崎さん、の良識。森さんと並んで余はかつて山崎さんを「自民党の非常識」の最たるもののように思っていたが、それは撤回。同志社大学の華 (笑)、村田晃嗣センセイも週刊朝日で「中国・韓国が現に『外交問題』にしているのですから、小泉さんの論理はまったくナンセンスです。主張を認めるかど うかは別にして、相手側にも『心の問題』があるのですから」と。

一月十日(金)晴。寒さ幾分弱まる。諸事忙殺され晩に至る。帰宅してキムチ鍋。文藝春秋二月号読む。和仁廉夫氏がわざわざ贈ってくれた同氏著の『東アジ ア、交錯するナショナリズム』(社会評論社)読む。李登輝センセイがフジモリ状態で日本に隠遁、という推論は可能性はかなり低いかもしれないが強ち「な い」とも言えぬ鴨。
▼信報に謝剣センセイが寄稿しており(謝先生の元・学生としては、いつも読む前に深呼吸が必要だが)チベット問題取り上げ、ダライラマの亡命政府は米国の 傀儡でダライラマはいつも重要政策には米国政府に指示を請う、と。あくまで文化人類学者で、落合信彦ぢゃないんだから。謝先生といえば15年程まえに中文 大学で米国人のチベット研究家が講演の際にチベット自治に言及したところ謝先生が「中国にはチベット族、ウイグル族、モンゴル族、チワン族、朝鮮族……と 少数民族の名前を列挙し、それだけ沢山の少数民族がいるのにチベットに自治、実質的な独立を認めたらどうなるか、大変なことだ、中国は大混乱する。だから 中国政府が少数民族を統合した国家経営をすることが最良」と述べ、その修辞に参加者の誰もが「この大中華思想オヤジがっ!」と思ったもの。
▼文藝春秋二月号は「鮮やかな「昭和人」50人」という特集。先日、昭和の名前にはどうもピンとくる名前が少ない、と述べたが、この50人でも姓か名いず れかだけでピン!と来る、という名前少なし。筆頭は白州次郎だが「白州」か「次郎」だけでは「吉田」も「茂」も同じくピンとこず。少ないなかで小津、吹 雪、雷蔵、歌右衛門(長過ぎるが)、圓生、寛美、嗣治、夢声、柏戸(当たり前か)、八大、折口、武満、春子くらい。サトウサンペイの語る長谷川町子、玉緒 の語る雷蔵、京屋の語る歌右衛門、倍賞千恵子の語る渥美清、小澤征爾の語る齋藤秀雄、澤田隆治の語る寛美、永六輔の語る中村八大、山崎勉の語る三船敏郎な どなど「これぞ」というカップリングであるが読んでいて、その昭和の故人の姿を最も偲ばせる回想は八木方敏氏の語る山口瞳であった。八木といっても誰だか わからないが居酒屋「文蔵」のご亭主、と。成程(居酒屋兆治のモデル)。同号の「本屋探訪」は偶然にも「山口瞳が愛した」と国立駅前の増田書店を紹介。 1990年頃、余は医師N兄の谷保の邸に居候した時期あり居酒屋文蔵も増田書店も懐かしい処。ところで宮澤喜一の語る吉田茂が内容の三分の一くらいは池田 勇人を語っていたのもご愛嬌か。
▼その増田書店の紹介が傑作、文春よ、よくぞここまで、と抱腹絶倒。
一橋の教職員や学生を長年相手にしてきただけあって、人文書が強 い。岩波書店とみすず書房、特にみすずの本は、古書価が高く万引きされがちなことから、専用棚をなくす書店が増えていると聞くが、ここではいまも、岩波・ みすずの棚が中央にそびえたって気概を示す。向かいが個人全集の棚。丸山真男、白川静から田辺聖子まで。横には、「世界の名著」「中公クラシックス」の棚 が通路に張り出している。
と。文春で岩波、みすずの教養主義を見上げ、「世界の名著」も中公。全集も丸山真男は岩波、白川静は当然、平凡社、で田辺聖子は調べてみたら集英社。文藝 春秋社は全く無し(笑)。ちょっと恥ずかしくないか、文春。
▼その同号で立花隆の昔の写真があり、紹介で立花隆が水戸で少年時代を過したことは知っていたが、農本主義の橘孝三郎が彼の父の従兄弟という関係だと初め て知る。わざと水戸弁で「知らなかったのけ?」と橘孝三郎に詳しい畏友J君に笑われそうだが。
▼九日の信報社説に「美国再逼昇値、人民幣走日圓之路」と、米国が中国元高を再び逼り(それにしても「人民」元という名称、どうにかならないか?)日本円 と同じ羽目になるか」という主旨なのだが興味深い記述は中国の経済学者の中には中国の労働賃金の安さも5年後には他の経済発展後進国との競合に晒され中国 は輸出から国内需要型の経済に移行するという見方。この内需拡大が経済成長にどれだけ繋がるか。下手するとかなり早い時期に停滞期に入る可能性も少なから ず。(以上、社説)とすると日本の中国への製造業の過剰投資、製造拠点移設のリスクも高い、ということ。
▼小泉三世の肝いりで日本橋の醜悪なる高速道路撤去し日本橋の美観再現のプロジェクトが始動。目標は2016年で、東京でのオリンピック開催。それなら日 本橋も大切だが韓国や中国の親日感を回復しないと08年?だかのオリンピック候補地選定で先の国連の常任理事国入りでの二の舞いになるまひか。国連常任理 事国だのオリンピックなど視野におけば当然、中国と対立などしていられないのに。
▼信報(九日)に「ポップコーン王国の経済学」という映画館経営の記述あり。秀逸。映画館にとって入場料収入は主収入のようだが実はポップコーンこそ大切 な収入。入場料収入は映画配給会社と映画館で折半なのに対して(限定ロードショーなどの場合さらに歩合は映画館が低くなる)ポップコーンやコーラの場合、 売上げの9割が映画館の収入。コーラは通常はもっと歩合は悪いがコカコーラとペプシの競合で映画館での独占販売促すため映画館側の歩合がよい。ポップコー ンが塩辛いことでコーラの売上げも伸びる仕組み。つまりHK$50で入場し売店でHK$30使った場合に売店収入のほうが映画館にとって利潤大。また館内 の照明暗いほうが映画の途中に喉が渇きコーラを買いに売店に向かう客が多く、120分を越える映画の上映は午夜場の上映回数が1回減り、大作なら入場者数 が多ければ良さそうだが、1回の上映減で1日の入場者数の三分の一が減るのだから、実は映画館とっては売店の売上げと映画上映前の広告の上映本数が1本分 減ることで収入減。上映作品はロマンチックな作品よりもジュラシックパークのような娯楽作品ほうが断然、ポップコーンの売上げも多いので歓迎だそうな。
▼SCMPに米国の「作家」J.T. LeroyについてのNew York Timesかの転載記事あり。……これについて書こうかと思ったが時間切れ、で明日。

一月九日(月)曇。ふと気になったのだが香港が合理的なようで実は悠長なところもあり。それがコピー機の入れ替え。まず営業担当が来てリースのコピー機の 交換など提案し合意すると配達係がコピー機本体を配達。それを別な職員がセッティングに来る。一応動くようになるが例えばトレイにB4の用紙をセットした いとかの設定はまた別な職員が来る。そして数日後に今度は利用方法の説明に別な担当者が来る。……と1台のコピー機の交換のために客の立場で目にするだけ で営業、配達2、設置、調整、説明と6名の存在。日本だと末端の販売会社なら1人で全てこなすことになりゃしないだろうか。晩飯も尖沙咀のさんぱちのラーメンで(今晩もフラマ商場の一平安の新店に食してみよ う、と思って忘れた)晩十時に疲労困憊で帰宅。帰宅して香を焚きウオツカに今晩はCointreauなど少し注いで飲む。Cointreauといえば仙台 の東一番丁の、今ではサンモールなどといふ下品な通り名になっているが名画座の(これも今はない)向かいの文化横丁に 入る角の古いビルの二階に確か酒井屋だったか、自然食のカレー供す食肆あり老獪なるヒッピー風の主人の趣味か、こういう店だと健康志向で禁煙とかになりそ うだが、お煙草お吸いの方は是非お試しください、とカレー屋のカウンターにCointreauいれた小瓶あり、これを紙巻き煙草のフィルターにちょっと浸 すと何ともいい風味で、且つ見事にニコチンとタールがこの湿ったフィルターで濾過される。でもう二十年以上の前だが余は本当はプロムナードなる煙草(専売 公社がパイプ煙草の芳香を紙煙草にした逸品)を好んだが実際にはハイライト吸いでハイライトにこのCointreauを湿らすと、これがまた見事な甘い香 り。お勧め。煙草で突然思い出したが東京なら銀座の菊水だが大阪には堂山に「さくらんぼ」なる煙草専門店あり此 処も立派(タバコ屋で「さくらんぼ」はナシだと思うがチェリーだと思うと納得)。文化横丁だの古い話といえば斎藤さんのブログでの紹介で「Always 3丁目の夕日」という映画を知る。その人情話以前にあの昭和の風 景や社会が「過去のものになってしまった」ということに涙しそう。高度経済成長、日本列島改造、バブル……といくつかの大波で全て失せる。荷風先生は
今の世のわかき人々 われにな問ひそ今の世と また來る時代の藝術 を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時 わが青春の夢もまた消えにけり。
團菊はしをれて樓癡は散りにき。
一葉は落ちて紅葉は枯れ 緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。     註)新内語り富士松「紫朝」の誤植と云ふ
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき 火は都を燒きぬ。
柳村先生既になく 鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名殘煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々 我にな語りそ今の世と また來む時代の藝術 を。
くもりし眼鏡をふくとても われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の世の兒ならずや。
と謳い、これに倣って昭和を捩ろうか、とも思ったが、暫く考えて何が難しいか、といえばこの明治の人名のオンパレードがこの荷風の『震災』の白眉だが昭和 となると、これの語呂に合うような人名が甚だ少ない。例えば植物だの雨風で明治なら一葉、紅葉、緑雨、人名でも柳村、鴎外と語感が良いが、これが昭和では ふと思いついたのも「ひばり飛び去り」「吹雪も止み」くらいで、「巨泉は渇き」「(吉本)ばななは傷み」ではどうも一葉、紅葉とは格も違い、足穂ならいい が中上健次が好きでも健次先生だの由紀夫先生 じゃドラマ金八先生の雑貨屋の下宿人。作家の別名も狐狸庵、ドクトルマンボウはすでに若い人には知られもせず、寧ろ「陽水」だの高節(南こうせつ)だの (森田)童子のほうがよっぽど文語体の詩に乗る音かも。それにしても考えてしまうことは、我々は何を失ったのか?、に尽きる。あんな賑やかだった商店街が なぜ寂れるのか。裏口から「ちょっと味醂かしてもらえる?」と近所のオバサンが顔を出し、風呂はいくつかの家で「もらい湯」か銭湯。銭湯の帰りにかき氷だ のお汁粉だの。縁台将棋。夏祭りの花火。水雷神社の縁日。祖父の馴染の芸者上がりの女将が営む小料理屋のおでん、おにぎりの美味さ。思い出は尽きず、全て 失ったことに、ただ涙。
▼香港を代表する?映画監督の王家衛先生が米国のthe National Society of Film Criticsの審査(オスカー賞の前哨戦と云われる)でメジャータイトルこと逃したものの迷作『2046』は外国映画部門で3位、王家衛は最優秀監督の 候補にもなり、『2046』は最優秀Cinematography(映写技術)賞だそうな。
▼正月の歌舞伎座で「対面」がない、と言っていたら久が原のT君に知らされたのは三月に先代仁左衛門の十三回忌記念興行で曽我対面(我當、進之助に愛之助 ら)。なぜ?かしら。で吉野山が高麗屋と福助。そして道明寺が仁左衛門旦那、正月は休演の芝翫に秀太郎、孝太郎、段四郎に富十郎。夜の部こそ寂しく、地味 に河原の達引(我當、秀太郎)、二人椀久(富十郎、菊之助)に水天宮利生深川(幸四郎・秀太郎)って興行として客の入りすらちょっと心配。「吉野山」など 大旦那と幸四郎ので観たのがあたくしは最後だったか?と一瞬思ったが久が原のT君に間髪置かず「それは吉野山じゃなくて、關扉の下の巻」と正される。記憶 もかなり朧げ。そう、先帝陛下諒闇の春、歌右衛門に幸四郎の關兵衛、上の巻の小町は京屋。吉野山でしたらその翌月、先代勘三郎一周忌で大檀那に勘九郎。そ りゃ歌右衛門の、あの当時は「一世一代」が続いたが吉野山の凄かったこと。T君に、とにかく舞台で忠信もほったらかしで大きな大檀那が、静の入りには長唄 「吉野天人」の相方まであつらえて、七三で銀杖をトンと突いて決まるや、場内を広く見回し「花の〜雲路を〜しる〜べ〜に〜て〜」ト下座に乗って悠々と引っ 込み……と云われ、平成元年の、それを鮮やかに彷彿。ところで、その関扉はT君の話に唸ったが「御愛樹のこの桜、崩御を悼むあまりにや、薄墨色に咲いたる を、そなたの歌の徳によって、盛りの色を増したれば、小町桜と言い伝ふ」とあり。それが演目こそ先帝陛下の御在世中に決まっていたとはいえ御大喪を終えた 翌三月にあたかも先帝追善狂言の格好となったことに、これも大成駒ゆゑ、と。ところで、その関の扉の、桜で、の話だが、その歌舞伎座の大成駒の楽屋には季 節にはまだ早い桜の大枝の盛り込みが大成駒贔屓の若い方から届けられ(当然、室で咲かした手塩の桜)さすがの大檀那も大喜び。出勤俳優が大成駒の楽屋に挨 拶に来てはその都度みなに「花見」をさせた程。散り果て枝ばかりになってもとうとう千穐楽まで部屋に桜の枝を置いたのは、なにせ踊るのは桜の精の役。花が 散っても己れを捨てるようなことは嫌だったのかしら、と。今日は(といっても最近いつも)昔し話ばかり……。

一月八日(日)摂氏九度。極寒。朝六時に天后から選手バスで大埔は大尾督。朝八時よりMizunoのハーフマラソン開催され参加。途中、ふとキロ6分以内 という余にとってはかなり早い時計であることに気づき、このままなら百年ぶりにハーフで2時間切るのではないか?と余計な期待をして頑張ってのみたが最後 の堤防から先の往復でバテて2時間数分でゴール。それでも最近の低速走行に比べれば随分マシなのだが。終わって応援に来たZ嬢と一緒にいつものようにK氏 の車で送ってもらう。ジムでサウナに入り帰宅。昼に餠入りのお汁粉。昨晩よく眠れず午後転た寝。夕方、香港電影資料館。コクトーの映画 “Les Parents terribles” (恐るべき親たち)を観る。コクトーの奇想天外な映画演出の技量を期待したら空間的にも心理的にも窮屈な室内劇。Yvonne de Brayの精神病んだ母の演技が凄かった。Jean Maraisの演じるミシェルはコクトーの投影なのだろうが母親に対する表面的な溺愛と嫌悪感が興味深い。帰宅して明太子のパスタ。NHKで録画しておい たサラリーマンNeoの第2、3作を観る。初回が抜群に面白かったので少しテンション下がる。雑誌の数カ月前の号をパラパラと読む。
▼唯霊氏が六日の信報連載で粥について「墜火」という興味深い記述あり。早粥を食しに出かけた唯霊氏が肆の女将の「一墜火、一炸両」という厨房に注文伝え る謂わば符丁から話を始める。「墜火」は皮蛋痩肉粥で炸両は豚肉の腸粉。いずれも粥肆では馴染のメニューだがキョービの粥肆は皮蛋痩肉粥といっても白粥に 煮立てて皮蛋と痩肉を入れるだけで、とても広州の昔の皮蛋や痩肉、猪肚など煮込んだ粥、これが墜火粥で、それに匹敵などしないのだが、昔時の広州の粥肆は 早・午・晩と供する粥に違いあり。早市は明火白粥、及第粥や猪紅粥、そして墜火粥。午後はおもに甘い糖豆粥。夜市は種類も多くなり艇仔粥、蝦球粥、滑鶏 粥、滑牛粥、となり晩に及第粥や猪紅粥は供さぬそうな。というのは及第粥の猪雑(豚の臓物)や猪紅は新鮮が大切で冷蔵設備の普及しておらぬ当時はレバーな ど用いるのは新鮮な朝のうちだけ。夜になると手間のかかった煮込んだ粥が供される次第。粥にも当時は風情というものあり。
▼信報(六日)の文化欄に林驄という人が映画『男はつらいよ』について02年の中国での一挙上映での流行から話し始め『男はつらいよ』について書いてい る。この林氏が羽仁未央さんから聞いた話として97年にこの映画の香港編の話もあり寅さんが香港に来る話もあったらしい。渥美清の96年の急逝で実現は夢 となったそうな。当時の香港ブームから考えれば十分にあった話であろう。ふと『男はつらいよ』について寅さんというのは中国の政治状況下ではどういう位置 にあるか、を考えてみた。初期の寅さんには反体制色が色濃いが政治性がなくなってゆく過程で中国では望ましいキャラ。ぶつぶつと不平を言い政治家など屁の ように嗤いそうだが「そこで終わる」ことの肝心。選挙にはまず行かないか、行ってもせいぜい日本新党ブームの時なら一票いれたかもしれないが反体制的なと ころがあっても革新には非ず、そもそも選挙に行きそうもない。人の情のところで終わるのがとても望ましいキャラといえよう。

一月七日(土)朝の気温摂氏8度。極寒。体感気温では日本での氷点下。晴。元旦から家庭内停電し目覚まし鳴らず、であったが配電盤のブレーカーが落ちるこ と頻繁で冷蔵庫が原因であること突き止め一先ず冷蔵庫への配電をば居間から延長コードで行えばブレークダウンせず。その修理に某電気会社の旧知のC氏に依 頼し(本来、MTRのホームの安全扉開閉の電気工事請け負うような専門業者の人で家庭内のこんな異常頼んでは失礼なのだが)土曜日に見てあげましょう、と 来宅。やはり冷蔵庫での漏電だが老朽化のマンションで配電盤の周辺も修理必要で丹念にいろいろ応急措置施される。昼に正月の餅入りでお汁粉。或る企業の引 越あり懇意の方からいくつかオフィス家具いただける話あり。午後に運搬業者のL氏のトラック乗りつけ家具運搬。基地に家具運べばすでに昏時。FCCに寄り 新聞読みながらハイボール一杯とマッカランの18年を一杯。競馬中継あり最終10レースで返し馬で美しい馬ありネットで調べればVery Fitという名でオッズは20倍。Soumillon君が騎乗。これもいいが一番人気のRice Fieldも捨てきれず連複で購入せばRFが五着に沈んだがVFが余裕で一着で23倍。複勝でも10倍近い人気。幸運が手許まで来ていて逃してしまった。 帰宅して豚肉と韮のみぞれ鍋。NHKで録画してあった再放送の「サラリーマン Neo」を見る。続いて井上陽水の『空想ハイウェイ』のAct-4を 見る。押尾コータローのギターも凄いがジェイク=シマブクロのウクレレは高木ブーの正統派とはまた 違う意味で凄い。山下洋輔が「少年時代」を伴奏する演奏の途中でビデオ録画が切れる(録画時にブレーカーが落ちた)。
▼紐育タイムズの北京支局のアシスタントリサーチャーの趙京という人が個人で開設するブログ(こちら)が先月29日にブログにて、政府により 管制下におかれた『新京報』紙について激しく抗議し新京報の定期購読の読者と広告主に対して購読と広告提供中止を呼びかけたところ翌30日にこの、マイク ロソフト社系列のMSNに置かれたブログが突然削除され閲覧不可の事態に陥る。趙氏は http://anti.blog-city.com/ にて続く文 章発表し続けるが、此処も中国国内からは閲覧不可。今日のIHT紙がNYTの記事で一面トップ。マイクロソフトも中国市場の維持が為に政治敏感で中国政府 の嫌うものは載せません、の姿勢。
▼中国で河北省のキリスト教の地下教会の神父が中国政府の管轄下にある天主教愛国教会傘下になるよう求められ、それを拒否したところ逮捕される。キリスト 教系の自由アジア放送の伝えるところでは拘留後、愛国教会に加わるよう強要と洗脳が行われたが王文芝神父はそれを拒み中国の宗教の自由のために祈祷を続け ている、と。
▼深圳ではナイトクラブやカラオケでの「誕生日ケーキ」にご注意。ナイトライフ満喫の(っていうかそれ以外楽しみない?)深圳で誕生日の客に誕生日ケーキ を供するのがナイトクラブやカラオケのサービスで好評だそうだがケーキの多くは衛生署の許可もなきモグリのケーキ業者で製造されており衛生環境劣悪で便所 の悪臭ひどきケーキ工場の実態など深圳の『晶報』が報道。そういう工場からくわえ煙草のあんちゃんがナイトクラブの裏口に箱にも入れぬケーキ運び込む。こ ういった報道なら規制もされない、か。
▼マカオの上水道にて塩分過多が問題に。マカオの上水道の水源は、マカオの西、珠江下流デルタの一大支流である西江の磨刀門水道(11月に開平を訪れた時 に江門に向かってフェリーで遡った)で、その海域から水を組み浄化し上水道として供給続けてきたが、近年、西江の水量が異常気象など様々な要因で減り続け 毎年秋から冬は潮流の影響で磨刀門水道を潮が上り塩分濃度高まり、ついに珠海にある浄水場では十分に塩分を除去し淡水化する限界を越え、塩分濃度の高い水 が供給される。塩分指数は通常の100以下が昨日は630を越え来週には800に至る、と警告あり、市民には上水道からの水を飲む場合は市販の蒸留水など で薄めるよう注意呼びかけ当然のように市内では蒸留水の価格上昇。マカオであるから美味くて安い葡萄酒があるではないか、とは言ってもおれぬ深刻さ。

一月六日(金)薄曇。気温摂氏12度と寒し。薮用あり九龍に参り燈刻Sham Shui Poの雑多なる通り歩く。日暮れに帰宅急ぐ人の北河街の街市あたりに食材購ふなど暮らしの賑はい。電 化製品や携帯など売る店多き鴨寮街と北河街の角に日旺果汁小食と いう粗野なる店あり。此処の牛什(牛の臓物の串刺)美味と評判で行列あり。帰宅途中に小腹空けば魚蛋や焼売、この牛什などの一串は小腹満たすには気軽。帰 宅して白菜の鍋など。
▼NHKのニュース10にて北朝鮮の米ドル偽札問題で米国が圧力かけ云々の「報道」でマカオでの取材流し記者が「私たちの取材によってマカオでの北朝鮮の 活動の実態が明らかになったわけですが」との発言に思わず椅子から転げ落ちる驚き。これをNHKがスクープしたなら世界的な反響だろう(嗤)。マカオでの 北朝鮮の活動など衆人知るところ。マカオ空港開港で高麗航空の定期便が飛び始めたころも「貨物は米ドルの偽札か」などと揶揄あり。マカオの北朝鮮系の貿易 会社が突然の閉鎖、という「ニュース」も、米国政府がマカオの地場銀行に北朝鮮のマネーローディングに関与していたとして告発した昨秋に、その貿易会社の トンズラなど報道されていたもので、今さら何が「私たちの取材によって」だろうか。呆れるばかり。こういった低レベルな取材をきちんと整理できるデスクと いうものが存在しないのだろうか。大雪の情報でも「急な斜面には近づかない」とか「つねに降雪に中止する」といったことが大切です、と「ホームでは進入す る列車に気をつける」といった類いの幼稚園生でもわかる常識を神妙な顔で「報道」するバカさ加減。「今、津波が押し寄せていますから海岸からはできるだけ 離れてください」なら意味があるが。
▼産経新聞のトップに「反日」出口見えず。要旨は、韓国の対日強硬外交は今年も緩和される見通しはない。日韓間で半年毎の首脳会談も韓国側の「不機嫌」で 開催出来ず。「反日外交」を主導の盧武鉉大統領が「日本および小泉純一郎首相に腹を立てている状態」(韓国政府筋)とあっては取りつく島もない、と。なん でも他人の所為にするのは(本来、産経新聞が標榜の)「心の教育が足りず」と築地のH君。今日の日本の、この唯我独尊ぶり。80年代など当時は中曽根さん の登場で「保守化」憂えたりしものも今となれば外相が「日米同盟という言葉を使うな」と抗議辞職し法相の「憲法改正すべき」という発言で(憲法改正は自民 党の党是でこそあれ)現憲法下の内閣成員としての法相発言としては不適切と辞任の事実など思えば今日の、首相が何等疑問もなく日米同盟だの現状に見合わぬ 憲法と発言することの恐ろしさ。1920年代の「大正デモクラシー」から30年代への変化にも匹敵するが、それをそうとは理解せぬ国民の総意。南無阿弥。
▼毎日、新聞読んでおれば連載随筆で何人かの書き手に話題の「共鳴」の日あり。昨日の蘋果日報にて左丁山氏が「酒店情懐」と題してMandarin Oriental Hotelの改築から話し始める。余も晦日にバンコクから戻りすでに改築工事始まりしマンダリン眺め、あれこれ昔のことなど思いだし、何より印象は女人禁 制の名残りありの「かつての」チナリーバーの風格。そしてクリッパーラウンジでもう十数年前に余もまだ少し若くぶりぶりと時たまディスコティークなどに遊 ぶ折にはディスコティーク賑わう深夜を待つに悪友らとクリッパーラウンジでお茶などしておればロビーに玉置浩二先生と交際噂されし当時の(91年に結婚) 薬師丸ひろ子女史の姿など見かけたも懐かしい話。左丁山氏によれば立法会議員で弁護士のMargaret Ng女史が2日の明報に連載の随筆でマンダリンの思い出話語り。Ng女史が香港大学の学生であった頃(60年代後半?)にお気に入りはマンダリンのカフェ と当時のヒルトンホテルの摩羅街(Mosque St)。では中文大学の当時の学生が中文大学に近い雍雅山房(Yucca de Lac=湖辺の蘭花、05年09月21日日剰に閉業の記述あり)に食したか?と左氏が幾人もの卒業生に質してみたが雍雅山房で下午茶の学生は張敏儀女史 (元香港経済貿易代表部駐日代表)か数人程度、と港大出身の左氏にしてみれば中文大学の学生の野暮さ、か。90年頃に我もフェリス女子大から留学していた A嬢などと「あの奇っ怪なる食肆は何だろうか?」と気になり雍雅山房に食してはみたが学生にとってはお値段も厳しいもの。で左氏はマンダリンも全室のバル コニーが恋人どうしロマンティックにヴィクトリアハーバー眺めたのも昔の話で高層ビルに囲まれた今となっては致し方なかろうがバルコニーをば改造し全館ガ ラス張りへの大工事で曾ての面影もなきホテルへの変身。中環にはFour Seasons Hotelも開業したが左氏の指摘通り遠さを厭う、と(新宿でいえば西口からセンチュリーハイアットや東京ヒルトンどころか京王プラザに行くよか近いのだ が「心理的な」遠さ)。で同じ日の随筆でWilliam鄧達智君がDestinationという北京のディスコをお気に入り、と紹介。いまだディスコ ティークで消夜とはWilliam Tan君の若さに敬服。この北京のディスコの勢いから往年の香港の(80年代後半から10年)の香港のディスコティークな夜をWilliam君が彷彿。当 時はまだガキや家族連れは近づけず、の蘭桂坊に唯一一軒のディスコはDisco Discoで、それがYYや「銅鑼湾の12階」に引き継がれ現在のWords(Worksの誤植であろう)やPPに至るが(いずれもゲイの客多きディスコ なり)往時の賑わいとは格段の差、とWilliam君。で北京のディスコDestinationは曾ての香港のDDの如く「尤其那類来自 世界各地的雑色少年」集結の国際感覚でディスコで、ランデブーあらばディスコ抜け出して語らう場所は近くの「鹿港小鎮」なるレストランで、これは香港なら 曾てのヒルトンの深夜も営業のカフェCat Street(猫街)や今日の「翠華」に当たる、と書いている。香港ヒルトンのCat Streetは記憶にあるが摩羅街は記憶確かでない。当時のヒルトンホテルといえば「ぶりぶり」な客多きCat Street、洋食のヒルトングリル、中華はEagle's Nestで日本料理の源氏。それに花園街に面したサイドウォークにパスタなど美味なダインあり。これがもしや摩羅街という名前だったかどうか。老いて記憶 も不確か。ホテルの話といえばマンダリンと同じ昨年末に尖沙咀のHyatt Regency Hotelが閉業。こちらはホテルの建物も解体し商業ビルに変身。HyattはGrand HyattからPark Hyattへのホテルの恒久化路線でRegency系列は規模縮小。そういう意味では日本のハイアットが東京(小田急センチュリーハイアット)や大阪、福 岡に続き京都までリージェンシーの名前で今春開業なのはどういうことなのか興味深くもあるが。ハイアットといえばこの日の信報で劉健威氏がマカオのハイ アットも夏前には閉業と伝えている。建物ぢたいの老朽化は否定できぬがプールサイドでの黄昏がなくなると思うと残念、と劉氏。同感。マカオマラソン終わっ ての恒例の料理屋フラミンゴでの会食も昨年12月が最後となること。

一月五日(木)曇。朝日新聞社説が冒頭から「これほど理解力が足りない人が、内閣総理大臣を続けていたのだろうか」と反小泉論調(こちら)。続けていい も悪いも、 「これほど理解力のない人」を先の総選挙で勝たせたのが国民の総意。伊勢神宮参拝する小泉三世に「小泉さーん!」と歓声をあげる人たち。実はそのあと民主 党の前原坊やにも「前原さーん!」と。結局、誰でいい、何も考えていない(考える知力のなさ)。晩に客人ありHappy Valleyの「」寿司に食す。景気よき地元客多し。食後にバーS。畏友B氏居り誘われてなるスナックのような酒場で酒をご馳走になる。B氏とまたバーSに戻り深更に至る。
▼三菱東京UFJ銀行の発足で今になって知ったがUFJ銀行は香港での漢名が日本聯合銀行だった。カッコよかったのだ。日聯銀。三菱東京UFJ銀行は英語 はBank of Tokyo-Mitsubishi UFJで、親会社は三菱UFJフィナンシャルグループでMUFGだそうな。一生かかっても覚えられなさそう。
▼中国の電力事業独占する中電国際(総経理の李小琳は李鵬の娘)が香港の子会社「中港電力」で早ければ今年上半期にも香港で非住宅用戸で電力供給開始と発 表。ただし電力供給となれば香港政府の批准と実際の設備投資必要なわけで、政府当局も香港の中華電力と香港電燈の両電力会社も中国電力との接触を否定。不 思議な話。中国の電力事業は李鵬一族の寡占下にあり。

一月四日(水)晴。百年ぶりに早晩にジム。90分の有酸素運動。帰宅してドライマティーニ。赤葡萄酒二杯でトマトのパスタ。NHKニュース10で小泉三世 の年頭記者会見を拝見する。言語道断な外交姿勢と意味不明の「改革なくして成長なし」だか「成長なくして改革なし」論議。風呂にはいりビジネストラベラー (BT)誌読みながらウオツカのロックにポートワインを少し混ぜて一杯。芸術新潮の光琳特集を読みながら寝酒にバランタインの17年を少し。これだけ飲め ば「へべれけ」のようだが5時間で好きなことしながらのちびちびほど心地よきものはない。
▼BT誌はタカピーな読者の投稿欄が一番面白いのだが、読んだ10月号(これも遅読)の投稿の「特選」(商品が貰える)はキャセイのファースト(東京〜香 港)に搭乗の客で服務員にアンケートに回答するよう求められ記入してコンフィデンシャルで封筒にして返したところ暫くして服務員が無愛想な態度で「サービ ス内容のどこに不満があるのか?」と質してきた、と(笑)。総支配人宛のアンケートが機内で開封されていた上に客にそれを質す、とは(笑)。もう一つの投 書はブリティッシュ航空で倫敦からエジンバラに搭乗の客が機内1列目の席で前部座席がないために自分の椅子の下にアタッシュケースを置いたところ離陸後に その鞄がないことに気づく。後部座席の客が搭乗後にその鞄を見つけて前便の客の忘れ物、或いは不審物だと思い機内服務員に知らせ出発前に空港に鞄が預けら れたそうな。アタッシュケースにはパスポートからクレジットカードなど貴重品ばかり。で偶然に隣席の客がブリティッシュ航空の非番の職員で機内から倫敦の 空港に連絡して鞄の在り処を確認し一時間後の後発便で鞄が届くよう手配、エジンバラ空港に着くと空港職員に事情説明し鞄を受領し次第の手筈整え空港からの 予約済みのレンタカー会社にも手配促し空港での飲食券まで提供された、と。
▼朝日に読売新聞のナベツネと朝日新聞論説主幹若宮啓文君(「君が代に民主的なる二番の歌詞加えていたら」でお馴染……笑)が初めて対談、と記事あり(朝 日)。何事か、と思えば朝日の月刊誌『論座』の対談。ナベツネさん(と呼ぼうか、これから)は小泉三世の靖国神社参拝について「軍国主義をあお り、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」と発言し若宮君ともに厳しく 批判したそうな。ポスト小泉は「アジア外交への姿勢が大きなカギだ」と若宮君がいえばナベツネさんは「靖国公式参拝論者を次の首相 にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないか」と指摘。あのナベツネが……いやナベツネさんも憂うほど危機的な小泉状況。だが小泉賛成 は我が世の春満喫。おめでたい。で、首相の年頭 記者会見
就任以来、経済活性化のために何が必要か。また、景気回復のため に、どういう施策が必要か、いろいろ国会でも議論をいただきました。当初は、このような不況のときに、「改革なくして成長なし」という路線は間違っている んではないか。改革を進めていくと、不良債権処理を進め過ぎると、むしろ倒産が増え、失業者が増えて、目指している景気回復どころではなくて、ますますデ フレスパイラルに陥るのではないかという批判をたくさんいただきました。言わば、小泉内閣が目指す、「改革なくして成長なし」という路線と、「成長なくし て改革なし」という問題に、大分議論が集中いたしました。まず、景気回復させてから、不良債権処理等改革を進めるべきだと。いや、この不良債権が経済の足 かせになっているんだと。ある程度痛みを耐えて、この不良債権処理を進めていかないと回復はない。こういう議論が盛んに行われましたけれども、今、4年間 を振り返ってみますと、やはり「成長なくして改革なし」ではなかったと。改革を進めてこそ成長をもたらすんだと、いわゆるこの論争。「改革なくして成長な し」という決着をみた4年間だったと思います。
……と私にはここが全く意味不明。文章で読めばまだわかるが、記者会見で聞いていると、頭が混乱するどころか気持ち悪くなるほど。ブッシュ以上。これを 「改革なくして成長なし」と「成長なくして改革なし」の小泉的キャッチフレーズ除いて読むと
就任以来、経済活性化のために何が必要か。また、景気回復のため に、どういう施策が必要か、いろいろ国会でも議論をいただきました。当初は、このような不況のときに改革を進めていくと、不良債権処理を進め過ぎると、む しろ倒産が増え、失業者が増えて、目指している景気回復どころではなくて、ますますデフレスパイラルに陥るのではないかという批判をたくさんいただきまし た。まず、景気回復させてから、不良債権処理等改革を進めるべきだと。いや、この不良債権が経済の足かせになっているんだと。ある程度痛みを耐えて、この 不良債権処理を進めていかないと回復はない。こういう議論が盛んに行われましたけれども、今、4年間を振り返ってみますと、やはり、改革を進めてこそ成長 をもたらすんだ、という決着をみた4年間だったと思います。
ならわかり易い。それにしても「私はこの靖国の参拝の問題は外交問題にはしない方がいいと思っています」っていったい……。「アンタやがな、外交問題の元 凶は」だろうが。小泉三世の「哀悼の念を持って靖国神社に参拝する。二度と戦争を起こしてはいけないということ」は本人の意思はそれで良い。だが一国の首 相であるからこそ個人の思想信条では済まされず。「私は一つの問題が自分たちと意見が違うから外交交渉はしないとか、首脳会談を開かないということについ ては、私はいまだに理解できません」と宣いもするが「相手がいちばん嫌がることをしておいて」「それだけにこだわらずに仲良くしましょう」で誰が仲良くで きるものだろうか。神奈川の郵便局が選挙で小泉賛成の票マシンとして動かずにいて選挙後に「今後とも宜しく」と言われたら小泉三世は郵便局と中よくできる だろうか(それが出来たりする奇人変人の怖さもあるが……笑)。このような対中韓の関係寒冷期にあって民間がどれだけ努力しているか、それを「現に、私が 総理大臣に就任して、中国とも、韓国とも、いまだかつてないような経済交流、人的交流が盛んになっております。相互依存関係はますます深まっております」 とはよくもこうしゃーしゃーと宣うもの。呆れるばかり。

一月三日(火)薄曇。日本はまだ三が日、香港は普通の平日の火曜日で、そのアンバランスなところがドビッシーのプレリュード8番な朝。朝日新聞一面トップ に「就学援助4年で4割増」と公立小中学校で教材費や給食費など公的援助受ける児童生徒数が全国平均で12.8%、東京大阪は4人に1人、受給率4割越え る自治体もあり、と(ビートたけしが「まったく冗談じゃないよ」とぼやきが聞こえてきそう)。生活保護水準の1.1倍以内の家庭が対象。だが日本は世界で 二番目の経済大国。いったい何のために働いているのか。国旗国歌強制の愛国教育している場合ぢゃないのだが。別の記事ではこのまま少子化が進めば西暦 3300年には日本人は絶滅だそうな。むかし小松左京の『日本沈没』にかなりショック受けて夜も眠れずにいたが本当の日本沈没が経済大国内の貧困と豊かさ ゆゑの?、豊かさのための?少子化によるものになろうとは……。今ごろになって岩波書店『世界』9月号で馮昭奎教授(愛知大学)の「中日関係−歴史から未 来へ」を読むと先の総選挙前の分析ながら「実際、小泉首相や自民党 にとっての真の「脅威」は、中国や周辺諸国からのものではなく、民主党によるものであり、その強硬な外交姿勢は民主党への対処を意図するもの」 と指摘していた。
小泉政権が魚釣島(尖閣列島)などの問題に関して「主権カード」を 切るのは、右翼勢力を自身の支持者に取り込むための「愛国主義ショー」である。また「矛先を外へ向ける」べく、国内失政から国民の注意を逸らすことを意図 したものである。そもそもこうした動向は、穏健派と強硬派が混在し党内政見が身統一の民主党を分裂・解体に追い込むことが目的であり、いったん亀裂が生じ れば、党内強硬派は造反もしくは自民党へ鞍替えし、自民の圧倒的優勢となるよう期待するものである。
と選挙後の前原某の自民党より自民党らしい外交感の暴露や小泉賛成による大連合の観測気球など見れば馮教授の分析の見事さ。最後に、と馮教授は「中国での 一部の誤った過激な反応は中国の民意ではなく、小泉政権の強硬政策に対する「反日」であった」と指摘している。御意。あの反日運動のあと日本の人と話すと 今もって「反日はどうなんですか?、大丈夫でしたか?、これからも大丈夫なんですか?」と尋ねられるのだが(こちらがすっかり忘れているのに日本ではあれ がかなりトラウマ化しているようだ)寧ろ「それより日本は大丈夫なんですか?」と尋ねたいところ。「あの人を首相にしていて大丈夫なんですか?」と。とて も紅白の視聴率が気になったら42.9%記録し1年前の40%割れから挽回、と各紙それなりに評価。NHKの歌謡演芸番組部長は「多くの視聴者の皆さまか ら支持されたと考えます。『紅白歌合戦』は私たち日本人の大みそかに欠かせない存在であると改めて実感し、多くの皆さんに番組を楽しんでいただいた……」 とコメントしているが。目標の50%なんて所詮、無理。紅白が50%越えていたら日本は人口を維持、65%になったら人口増加しているだろう。晩に遅読続 きで『芸術新潮』の10月号「光琳の七不思議」読む。

一月二日(月)晴。SCMP紙は一面トップで、他の新聞もかなり大きく陛下の新年にあたってのお言葉(こちら)と外務省 の中国大使の交替を報じる。好意的。陛下のお言葉は新年の祝賀どころか寧ろ戦争での犠牲者、とくに外国人犠牲者に触れたことが小泉靖国参拝で対中韓関係が 冷え込み日本の戦争反省が疑われるなかで天皇が日本の最大の抑止力、均衡装置となっている事実。気温は摂氏20度くらいだが日なたは汗ばむほどの陽気。昼 すぎに島南の海岸。司馬遼太郎の『街道をゆく』のオランダ編を読む。亡父の書棚に何冊かあった『街道をゆく』の一冊。けして多読ではなかったし欧州への感 心など口にもしたことなき父がなぜ『街道をゆく』のオランダ編なのか。ところどころ頁が端折ってあるが「日本で最初に「おらんだ」という呼び名 (Netherlandsの一部の州名であったHollandをポルトガル人がHを抜いた発音で「おらんだ」と読んだのが日本で通用)を聞いたのは徳川家 康だった」といったような話。栞がわりに安比高原でペンション営むS氏から父への葉書一葉。故郷でS氏はかつて自家焙煎の珈琲店を営み、余も中学の頃から 文庫本一冊たずさえよく通ったもの。岩場でぼんやりとしていると疾風が走り手許に置いた文庫本のカバーが風に飛ばされ遠くの青い海に沈んでゆく。晩にひと つ薮用済ませ晩十時すぎに銅鑼湾でバーYに寄りハイボールさっと二杯飲み帰宅。
▼中国大使阿南惟茂君の後任に阿南君と同じチャイナスクールから宮本雄二君(沖縄担当大使)起用される。この後任人事では飯村豊君(インドネシア大使)有 力視され新聞も12月初旬に「後任決定」報じたが状況一転。飯村君は霞が関の教駒出身の一人。典型的なODA対象国のインドネシアでも教駒出身者を身近に 固めたという(こちら)。 それが宮本君となり外務省は中国に対して誠意を尽くします、の意思表示か。首相は中国の反発恐れず(楽しみ?)靖国参拝で外務省レベルではこれぢゃ、それ はそれで情けないが。いずれにせよ飯村君はフレンチスクール出身でいきなりフランス大使であるから本人には好人事。阿南君もチャイナスクール出身だが父が 本土決戦主張しポツダム宣言受諾反対し自殺した阿南惟幾・陸軍大臣、義姉が講談社の野間佐和子、兄は靖国神社宮司という、かなり「千代田区の濃い」ファミ リーであった(講談社は文京区音羽だが)。
▼日本では正月二日で初芝居。歌舞伎座は正月から藤十郎の襲名披露興行(こちら)。 「夕霧名残の正月」は年の瀬の吉田屋、廓文章の続きと思えば確かに正月芝居だし伊左衛門は元禄の藤十郎のもの(京屋の夕霧は見てみたいが)。それに続いて 「奥州足達原」、そして藤十郎が翫雀と食傷ものの「曾根崎心中」。夜の部も「先代萩」でちょっと寒々しくはなかろうか。正月芝居で曽我物があると「また か……」と思うが、なければないで正月らしくなし。築地のH君も役者の顔ぶれからして正月らしいメンツ揃っておらず、と。歌舞伎座のほかに半蔵門、浅草、 演舞場に上方と主役級はともかく脇の役者の数の不足。「助六」など上演が難しくなるとか。脇の役者といえば年の瀬に尾上松助丈の訃報もあり。享年59歳。 六段目の女衒源六とか、蝙蝠安とか、当今の脇役のなかでは世話物の上手さ、とH君。小泉三世は演舞場で海老蔵の『信長』鑑賞。自らを信長に投影して、さぞ やご満悦であっただろう。

平成十八年一月朔日(日)快晴。目覚ましならず「あれ?」と思えば家中停電でブレーカー落ちている。元旦から不運。朝9時のフェリーで長州島。元旦恒例の 10kmレースあり12月初旬のマカオでのハーフ以来の突然の走り。我 ながら、日ごろの走りをしておらず突然の本番でよく走る、と感心。長州島は小さな離島の印象強いが、なかなかどうして一周するとちゃんと 10kmあり。摂氏20度の快晴で日なたは暑いほど。今年も八旬の葉翁の勇姿 あり。周囲から歓声。一時間余でレース終わり長州島の街中を少し歩き日本人のY氏夫妻経営の小食店にて「おやき」購い東湾の浜辺で「おやき」食してビール 飲む。海には泳ぐ人もあり。昼すぎのフェリーで香港島に戻る。豪華位の船尾のデッキで日向ぼっこ&昼寝。中環に戻りCitysuperで日本製のかまぼこ 購い中環エスカレータでハリウッドロードまで上がり散歩してFCCで午後遅い昼食。ジムで一浴し帰宅して転た寝。早晩に起きて朦朧としたままSCMP紙の Sudokuで初めて難度5をきちんと済ます。ビデオニュースドットコムで 橋本晃和氏(政策研究大学院大学教授)が「危うい時代の危うい民意を見事に捕まえた」小泉内閣について語る。この番組のゲストの中でも話の上手さでは秀 逸。郵政民営化は小泉三世にとって郵便局が自民党の有力支持基盤であるのに彼自身が神奈川の選挙区でかつて新自由クラブ代表であった田川誠一にごっそり郵 便局票をばもっていかれた私怨あり靖国はあまり何も考えていなかったが参拝してみると韓国、中国から予想以上の非難と反発を受けて「これは凄い」と愉快犯 と指摘。あまりにも単純な気がするが政治など意外とそんなもの。毛沢東とて然り。晩に煮豆、かまぼこ、雑煮など食す。未明にNHK衛星で放送されていた井 上陽水の特番「空想ハイウェイ III」という番組を録画で見る。忌野清志郎の出番を待つ。やはりトリ。そりゃそうだ。丹下左膳の仮装の清志郎。驚くほど、の井上陽水のしゃべりの上手 さ。オバサンっぽくしているのが上手いところ。この番組、昨年にact-1act-2に続く番 組だったようで、全く知らずにいたが国際衛星放送は突然こんな番組が夜中に流れる。今年四月に高田渡が亡くなったと思うとact-2は実に貴重。
▼年末に北京に上奏に赴いた行政長官「自称政治家」Sir Donaldに対して首相温家宝君が「香港には深層矛盾の問題がある」と語ったことについて。温首相は具体的な言及さけ(この人らしいが)憶測、波紋をよ ぶがSir Donaldはすぐさま経済問題と誤魔化したようだが、これは明らかに政治問題。温首相の言いたいところは「中国政府への見せかけの信頼と深層の不信感」 ぢゃなかろうか。なぜ中共政府を信頼できないのか、と。

日記インデックスに<戻る>