乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。
* 富柏村日剰は丙戌十二月初三より「富柏村日剰 香港日記」と題を改めました。

一月卅一日(水)晴。昨日までの悪寒と鼻水から今日は喉にきてほとんど声が出ず。熱が出ずに眩暈だの咳だの、といった症状 の人少なからず。ウイルスの脅威、と言うが実際には医薬が「発達」しウイルスもそれも負けじとより進化して、の鼬ごっこ。その舞台となる人間の身体だけが どんどん壊れてゆく感じ。
▼厚相柳澤君の失言による野党からの罷免要求。民主党や社民党など修正予算案の審議拒否など強行な姿勢で勢いづいてみせるが「人間として許されない」とい う表現など如何なものか。人間以外に女性をこう蔑視した発言などもともとせぬ。日本共産党は国会の予算案審議と柳澤失言は別として審議拒否には同調せず (民主党らの予算委欠席で「審議にならず」と退席してみせる)、柳澤失言についても「人間として許されない」といった感情的な表現はせず(科学的社会主義 思想の立場か?)たんに「最低最悪」(志和氏)と。いつの間にか最も現実的な政党が共産党になっているの鴨。
▼中国が胡錦濤国家主席のアフリカ歴訪を前にアフリカ33カ国の対中債務免除を決定。円借款受けている国が有人宇宙ロケット飛ばしたりアフリカ諸国に経済 援助ばかりか、その債務免除とは!とこれもまた日本の嫌中派が怒るのも当然か。まぁ寛容の精神で「間接的であり日本からアフリカにも善意」と思えば良いし (アフリカ諸国とて日中の台所事情は弁えておろう)、それよりも気になるのは国内にさまざまな貧困問題など鬱積であるのに対アフリカ援助とは……<国家の 意思>まざまざと見せつけられる思い。
▼廿九日の朝日(衛星版)に掲載の、本田由紀さん(東京大学助教授・教育社会学)の教育再生会議批判が興味深い。安倍三世肝煎りの教育再生、一言でいえば 「インパクト重視」。ゆとり教育見直し、学力向上のための授業時間増、イジメ加害児童生徒の出席停止措置、奉仕活動必修化。批判の骨子は「授業時間数増加 は学力向上に直接結びつかない」こと。そもそも学力低下は「現実に生じているのか」と疑う。日本の子どもの学力は国際的に見ても「非常に高い水準を維持し ている」。ただしOECDの読解力調査結果(04年12月)の云わば「日本の為体」で日本の学力低下が印象づけられたが、あれは「日本の成績上位層には低 下は見られないが、成績下位層の比率と点数低下傾向が増大しており、全体ではなく下方に「底が抜ける」形での低下が危惧されている」と事実を見破る。つま り「落ちこぼれ」が極端に落ちこぼれてしまっているのが実態。また日本の教育では、勉強が「好きだ」とか「楽しい」と答える子や将来の仕事と結びつけて勉 強しているという意識がもてない現状に問題がある、と。具体的には「学ぶことの意義」を中身に則して実感できるような教育内容の改善、下方の「底抜け」が 生じることを防ぐ制度的な仕組みの導入、の必要。「今回の報告のように手前勝手に「愛」や「規律」「奉仕活動」を押しつけても、子どもたちはいっそう内面 的な離反を強めるだけ、と本田先生。御意。

一月卅日(火)晴。風邪で気分すぐれず。終日マスクして過す。N氏が数碼写真機でさんざん悩んだ揚げ句に佳能のPower Shot G7購入。家電というのは不思議なものでパナソニックの製品ばかりに囲まれている人もいればパナソニックが不思議と何一つない人もいる。余にとっ てはキャノンがそれ。とにかく何か家電であるとか数碼機器購入する時に最初からキャノンならキャノンという選択肢が一切ない。デジカメでもEOSとか IXYとかEFレンズが全然いいと思えない、のだ。G7もけして「いい」とは思わなかったが実際にN氏の実物を手にしてみると「カメラらしいカメラ」と納 得。フィルムカメラの頃の味わい、シャッタースピードダイヤルや多彩なマニュアルモードなど。首からきちんと下げてお腹の上に「これはカメラです」と「中 年が喜びそうな」代物。お若い方、とくに女性を全く無視したようなフィルムで育ったオトーサンたちを納得させよう、というコンセプトは正解。ただ、ファイ ンダーを敢えて組み込んだのは評価できるが非常に視野が狭く暗くて、液晶の大きさと明るさと雲泥の差。リコーGRデジタルの場合、ファインダーはオプショ ンで異様な外付けだが明るくて視野は広い。だがG7が5万円台というコンパクト数碼では高価なのに(ニコンのD40なんて一眼で4万円だ、ボディだけだ が)人気で品薄というのも納得。帰宅して白菜の鍋と鰤の塩焼き、熱燗を正一合。早々に臥床。
▼朝日新聞の「鶴見俊輔さんと語る」の時々連載が面白いのだが今回は詩人のアーサー=ビナード氏。鶴見氏曰く「国家社会のために頑張って」などと(国家と 社会は全くことなる事象なのに)平気で口にできるのは日本で「言葉を使う前提となる理解を欠いたまま言葉を使っていること」によるもので、それが日本の政 治に影響し「国家の形成より先に社会はすでにあり、国家の中にいくつもの社会はあるのに、社会をつぶして何でも国家本位になると思っている」と(中国でも 言えることだが)。ビナード氏は安倍三世の「美しい国」を「美しい属国」と揶揄してみせる。
▼NHKテレビのETV2001で2001年1月に放映された「問われる戦時性暴力」という番組はNHKが安倍三世、中川二世の圧力で放送直前に内容が改 変されたと朝日新聞が報道し「圧力かけた」とされる安倍三世らが怒り話題となったが、この番組で取り上げられた市民団体がこの内容改変について総額4千万 円の賠償求め訴訟。東京地裁は制作会社に100万円の賠償支払いを命じ、今回の東京高裁の判決は「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必 要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないよう番組を改編し」「憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱した」としてNHKに200 万円の支払い命ずる(NHK側は即日上告)。判決では安倍三世が局側を呼びつけたのではなく局側のアプローチであり安倍三世が「公正・中立の立場で報道す べきではないか」と発言したことを「その意図を忖度して……」はNHK側の落ち度であり「政治家が一般論として述べた以上に本件番組に関して具体的な話や 示唆をしたことまでは、認めるに足りる証拠はない」とする。安倍三世は首相官邸で記者団に「この判決ではっきりしたんじゃないですか。政治家が介入してい ないことが、極めて明確になったと思います」と語る。お笑い草。政治家に媚びたにせよ本来は、この番組改編についてはNHKは被害者。かりにお伺いを立て て安倍三世が「公正・中立の立場で報道すべきではないか」と宣った言葉を、ただ一般論で「その通りですね」と聞いて、言葉の暗喩、シニフィエを理解できず 何もせずにいたら「アホか」の世界。中学生でも
1.安倍晋三さんは、憲法の原則に従い報道は「公正・中立の立場で あるべき」と言いたかった。
2.安倍晋三さんは、番組が左傾しているから、ちょっと気をつけて ほしい、と言いたかった。
3.安倍晋三さんは、NHKの受信料問題で国民のNHKの関心が高 まっているから、NHKに番組制作も慎重に、と言いたかった。
の中で「正解は?」と正したら「2」が正解と大多数が思うだろうに。それを「1」と答えたのが東京高裁の裁判官だと思うと情けない。裁判では安倍三世らの 言動を一般論、強要示唆は認められず、と逃げてNHKの責任論に転化とは……。まさに前述の鶴見先生の言葉ぢゃないが、政治というのは一般の言葉とは違 う、その原理を裁判官が知らぬはずまるまい。例えば「正義のために」という言葉は普遍的な言葉だが、ブッシュが使えば色がつく、それくらい簡単な認識。こ の裁判、どうせなら原告の市民団体と被告のNHKが結託して「悪いのは政治家の報道への介入」として安倍三世と中川二世を訴えたら、原告&被告が原告に転 じて、而も市民団体とNHKが首相らを控訴、という前代未聞の司法劇となるのだが……。
▼東京オリンピック開催前の東京が日本橋の上に高速道路を架けてしまうほど異常(ある意味では面白い)であったように2008年に向けての北京が今、可笑 しい。英エコノミスト誌の北京briefingにある「ネタ」だけ写してみても
・星巴珈琲の故宮内にある支店の閉鎖(これについては我が日剰で記載済み)
・ネット使った買春組織摘発。ネットで600万人!に買春斡旋した組織が摘発受け63名のネット技術者、38名の売春婦、45名の客と5名の暴力団幹部に 加え、この買春組織の医療スタッフ(避妊、コンドーム使用奨励、性病防止などを職務とする由)まで検挙される。最年少の淫売婦は15歳。
・北京市政府人事部の発表によると大学新卒の採用職員(中級公務員レベル)のうち半数を教師や医療スタッフとして北京郊外の農村部に派遣。実習積ます、 と。地域の実情理解と中央政府が提唱する “new socialist countryside”建設のためだとか。政府の期待では今年の500万人!の大卒者のうち30%が農村部に遣られることに。北京では20万人の大卒卒 業者に対して求人が8.7万人しかなく、その対策としての「下放」政策という面もあり。
・北京オリンピック開催に向けて北京市内の「悪名高き」汚い公衆便所の改善。すでに5,580か所(細かい……笑)が衛生的な水準に達しているが、市内で 歩いて5分以内に1ヶ所あるという公衆便所全ての改善はかなりの難題。また市内の商業ビルだけで3,000の公用トイレがある由。北京の公衆便所というと 80年代当初、地面にただ穴が開いただけの囲いすらなき悪臭漂う便所で、私ら外国人がもつ外貨兌換可のFECと人民元の闇取引の「警察が来たら捕まる」の 懐かしい思い出あり。

一月廿九日。来客あり晩に尖沙咀星光行の金 島燕窩潮州酒樓に食す。凍花蟹(茹で渡り蟹)、魚翅、鮑片、石班といったこの金島の「接待メニュー」は二十年来?不変だが贅沢な話だが客も 食傷気味ではないかしら。食 事のまえに装いも新たなThe GatewayからOcean Centreのショッピングセンターを歩く。昔の鄙びた、ちょっと怪しげな頃が懐かしい。市街や公園がどんどん健全になってゆく今日この頃。食後、客を連 れてハーバー沿いの星光大道を少し散歩。香港の夜景背景に記念写真撮影します、のデジカメと高速印刷機活用の記念写真屋が並ぶ。どの店もA4サイズの 100万ドルの夜景を背景にした写真がサンプルで何枚も飾られ、HK$10と大書きで「お、安いねぇ」「これで商売になるの?」と思うが「この値段なら旅の記念に」と思って 近づくと「実は旦那、この小さい写真のサンプル、えー、手前どもでは、このサイズ、2RがHK$10でございまして、A4のこちらのサイズでございますと HK$80とあいなっておりますんでぇ」という次第。確かによく見るとA4サイズのHK$10の大書きの済みに2Rの写真があり(2Rというのは証明写真 の一回り大きいくらいのサイズ)、さらに小さく2R HK$10と価格が(笑)。「なんだよ、そりゃ」と客が笑うと「旦那、ちょいと手前どもも勉強させていただきますんで、ここはお一つ、是非記念に一枚」と なってHK$50くらいで折り合いをつける、って感じか。

一月廿八日(日)晴。せっかくの快晴の日曜日、風邪で臥床。といっても朦朧としつつ「モンテクリスト伯」の第6巻読了。そ の勢いで最終巻(7巻目)も読み終える。いやいや、出来過ぎ、の話だが19世紀半ばのフランスの新聞に連載された大衆小説と思えば、これなら大好評間違い なし、の筋。日本では明治の頃に黒岩涙香が翻訳し『萬朝報』に『史外史伝巌窟王』として連載された由。これをぜひ読んでみたいところ。今にして思えば小学 生の頃に、岩波少年文庫版だったのだろう、学校図書館にこの『巌窟王』あり。表紙絵は、確か島の刑務所から出て来たところだったか。小学生なりに余は感動 したようで、何かの作文(創作)で、ずっと洞窟に閉じこめられていた男が九死に一生を得て脱出する話を書き「まるで岩窟王のようだ」だとか何とか表現して 一人、悦には入っていた記憶あり。昭和の巌窟王といえば昭和38年に半世紀ぶりに無罪判決を得た吉田石松翁だが、お 若い方はご存知なかろう哉。夕方、香港大学の図書館に沈従文の本二冊返却。散歩がてら石塘咀のあたりに下りてトラムで中環。Queen Victoria街の牛棚書店、今月末で閉業の由。早晩にFCCでZ嬢と待ち合せ。ハイボール一杯。風邪でウイスキーの味すらせぬ。軽く夕食済ませIFC の映画館で台湾の映画『盛夏光年』監督:陳 正道を看る。昨年の東京国際映画祭でそれなりに評判で期待していたが(こちら)、台湾の花蓮 の郊外を舞台に、幼なじみの少年二人が高校生の時に現われた転校生の少女が絡んだ三角関係という筋と演出は、映像学科の学生の卒業作品といった水準で、 「やおい」の少し秀作、という域を残念ながら出ておらず。淡い恋の悩み、なんて予備校生になってしまうと、もはや醜悪ですら、ある。
▼来月、東京で開催される「東京マラソン」について。今年は香港か らも、関西からも知人が何名も参加。例年に比べなんで今年はこんなに盛り上がっているのかしら……と思ったが、例年の「東京国際マラソン」とこの「東京マ ラソン」は別モノなんだそうで(それすら今日まで知らず=一応、アタシもフルマラソンのランナーなのだが……笑)1981年から開催の東京国際はマラソン で参加資格は2時間30分以内なのに対して(これぢゃ知り合いから参加がないのは当然か)、第1回目の東京マラソンは制限時間7時間。香港マラソンで昨年 まで5時間、いちおうあたくしでも制限時間内に余裕で完走、今年は5時間30分の由。7時間なら誰でも参加できる。ここが大切。意図は何か……。で都庁か ら皇居、東京タワー、品川で引き返し、銀座から日本橋、浅草で折れて最後は晴海の東京ビッグサイト、とコースとしては「おいしい」が銀座など6時間に及ぶ 交通規制。ここまでできるのも東京都=石原慎太郎の東京オリンピックへ向けての肝煎りゆゑ(朝日新聞記事こ ちら)。
主催:財団法人日本陸上競技連盟、東京都        
共催:フジテレビジョン(全国中継)、産経新聞社、読売新聞社、日 本テレビ放送網、東京新聞
後援:文部科学省、国土交通省、特別区長会、財団法人日本体育協 会、 財団法人日本オリンピック委員会、日経連、日本財団、他
主管:社団法人東京陸上競技協会
特別支援:笹川スポーツ財団
と、とても「カラーのはっきりした」組織(協力で「はとバス」というのは、まさにこの42.195kmがはとばすコースだが脱落者ははとバスでピックアッ プしてくれるのかしら)。ところで、佐藤卓己先生(京大助教授、メディア史、大衆文化論)が『考える人』06年で1964年の東京オリンピックでの新聞輿 論とテレビ世論について興味深い事を書かれている。戦後の国民的祭典と印象づえられる東京五輪ではあるが、実は2年前(62年2月)に都政調査会が実施し た世論調査で東京五輪の具体的な開催「年」を正しく回答できたのは68%に止まり(つまり三人に一人は二年後と知らず)、東京開催を「大いに賛成」は 38%、反対は10%で、「決まったことだから、賛成」34%、「反対だが決まったことだから仕方がない」11%の追従派が45%と多数を占めている。 8ヶ月後の62年10月の総理府調査でも東京五輪開催をちょうど2年後の64年秋と特定できた人は全国で42%と半数に達せず東京五輪が「立派にやれる」 23%に対して「心配」が47%と悲観論。池田内閣は「オリンピック精神の涵養」「国旗・国歌の尊重と日本人の品位の保持」など積極的なオリンピック盛り 上げの国民運動を展開したるするのだが実際の開催まで世論は東京五輪にあまり盛り上がらないまま、であった、と言う。それが、あの、1964年10月10 日の見事な秋晴れの開会式、そして女子バレーやマラソンの円谷選手らの活躍、である。これが全国津々浦々までテレビ中継されることで「生まれて初めてス ポーツを見て涙を流した」(三島由紀夫)や「戦後になってはじめて、全くなんらの抵抗感なしに、全くのいい気持ちで日の丸があがるのを見た。ツブラヤ君、 ありがとう」(山口瞳)といった感動、これが国民のもの、となる。東京五輪は「国民的ドラマ」となり、あの開会式を家族でテレビの前で見た、という「記 憶」が国民の集団的回憶となるのである。実際、佐藤卓己氏も当時、自分の家には白黒テレビはあったものの4歳当時のその開会式の記憶はなぜかカラーであ る、と。つまりその後、何度もこの「国民的ドラマ」がテレビなどで放映され、その美しい青空のカラー画像が記憶に刷込まれている事実。2016年の東京オ リンピック開催を目ざす石原慎太郎。06年2月に発表の東京オ リンピック基本構想懇談会報告書
振り返れば、昭和39年10月10日、東京・神宮の社の上空には、 抜けるような青空が広がっていた。あのとき、多くの日本人が体の芯がしびれるような感動を覚えたのは紛れもない事実である。しかし、40年後の現在、東京 のみならず日本全体を覆っているのは、残念ながら閉塞感という名の曇天である。経済が多少上向いてきたとはいえ、日本は、目標を見失ったまま漂流を続ける 不甲斐なさを、未だに拭い切れないでいる。
と嘆いてみせる。どうであろうか。昭和39年10月10日のあの開会式の、有無を言わさぬ感動的な<国民的記憶>として絶対視、そして現在、オリンピック が何にどう利用されようとしているのか。

一月廿七日(土)安倍内閣メールマガジン号外「教育再生特集」届く。安倍三世曰く
「美しい国、日本」の実現のためには、その基本は次代を担う子供や 若者の育成にあります。教育再生は、安倍内閣の最重要課題です。昨年末、60年ぶりに教育基本法が改正され、教育再生の理念と原則が確立しました。
と。わかりやすいといえばわかりやすいが、国家戦略として「美しい国」実現のため理想的な国民の養成が必要、なのは近代国家らしさ。教育再生、再生と何か の一つ覚えの如く連呼するが、それほど教育が死に体であったのか。米国にとってのアルカイダの如く、美しい国日本においては教育くらいしか「諸悪の根源」 に値するものもなくスケープゴートの如き「教育」の有り様。勝手に教育基本法を好き放題で改正しておいて「教育再生の理念と原則が確立しました」とはお笑 い草。本来であれば最も重要課題は「政治再生」なのだろうが……。やはり昨晩しっかりと風邪をひいたようで鼻水と喉痰、喉痛に悩まされ早朝に養和病院。服 薬するととたんに喉痛と鼻水が収まったが薬が効きすぎ喉は空々、朦朧とするほど。本日は午前も午後も諸用あり。日本人学校(Happy Valleyの小学校)のオープンデーで古書バザーもあったが面白い本がほとんど見つからぬので覗かず。だいたい皆さん面白い本は手許に置いておくわけで 「どうでもいい本」に当たるハウツー本や金融経済の仕組み本、推理・武侠小説の類ばかり放出するから延々とその本がバザーに出てくる。昏時早々に帰宅。豚 と韮の鍋。「モンテクリスト伯」少し読み早寝。
▼South China Morning Post紙で編集高層部に人事異動あり。HK Standard紙の老練編集者Mark Clifford氏が昨年4月にSCMP紙の総編集長となり近々編集長のFanny Fung女史が離職、現在Executive EditorのCK Lau氏が編集長に就任の由。CK Lau氏といえば十年ほど前迄は教育問題などに詳しい記者で風貌からして生涯一介の記者然とした人だがSCMP紙でここまで出世しようとは。物言えば唇寒 し南華かな。
▼蘋果日報に左丁山の説くところによれば、今年三月の香港行政長官選挙は投票所が空港の先のAsia World Expoの由。本来であれば湾仔の展覧 中心ででも挙行すべきところ、自動車で片道40分かけて各界のお偉方が投票に向うとは(投票率がけして下降せぬであろうことは提灯選挙ゆゑ明らか)。05 年に行政長官前任の董建華君が「脚痛を理由に」行政長官辞任し後任を「自称政治家」Sir Donaldが襲ったがSir Donaldの任期が就任から規定通りの5年なのか、董建華の任期残存期間なのか、で最終的に北京中央の全人代常委で後者と決まり07年の選挙が確定した が「見本市で糊口を凌ぐ」香港で湾仔のコンベンションセンターの予約は数年先まで一杯。で、行政長官選挙だというのに場所の確保ができず最果ての地 Asia World Expoになった由。

一月廿六日(金)早晩に中環。皮膚科専門のA医師の診断を請い帯状疱疹の経過観察。疱疹ぢたいは快方に向うが疲労感などまだあり。おまけに風邪気味。 FCCでハイボール二杯飲み帰宅。鮭のアラ汁。NHKのNW9で奇妙な表現あり。六年前にJR新大久保駅で人命救助に挑み亡くなった韓国人青年について 「当時、韓国人留学生だった李秀賢(イ・スヒョン)さん」だの欧州で盗難された高級車が日本へという特集で「ヨーロッパで盗まれた外車が」だの、と。観点 の軸が狂ってないかしら。「モ ンテクリスト伯」の続き読む。
▼一昨日の信報の文化欄に今月六日観劇の、梅蘭芳京劇團の若手女形、胡文閣のインタビュー記事あり。梅派こそ女形が演じることで京劇の最高水準であると自 讃する胡文閣はもともと男性ソプラノ(ソプラニスタ)の歌い手。坂東玉三郎の知遇を得、大和屋の紹介で(!)梅葆玖の門を敲き2001年より梅葆玖に師 事。目下、梅葆玖のたった一人の女形の継承者。歌唱家の時に比べ収入も一晩の舞台で数百元と激減したが京劇の梅派にて女形の藝を継承するために毎日の鍛練 の日々も悔いはなし、と胡文閣。その胡文閣が女形の面子で許せぬのが中国で若手女方役者として人気の李玉剛の存在。李玉剛は中央電視台の演芸番組「星光大道」で女形として登 場、「霸王別姫」の男、女の旋律を一人二声で歌い上げ現代風な「新京劇」と称し当代一の女形としてテレビなどで活躍。陳凱歌監督が李玉剛主演に「梅蘭芳」 の映画制作だとか。この李玉剛に対して胡文閣は「要破舊立新必須在舊基礎上有很深的造詣、一天京劇都没學過的人、憑什麼要改造呢?胡説八道!」と基礎も足 りず伝統芸能の修業もせず新京劇などと称す李玉剛の仕業、と梅派継承をと勉める女形の意地で容赦なき批判。李玉剛は梅派で胡文閣の弟子では?という質問を きっぱりと否定。内地のテレビ局が胡文閣と李玉剛の美しさ競う女形PK合戦(笑)企画のことなども胡の逆鱗に触れた由。そもそも梅派女形の正統なる継承者 自認する胡文適にとって李玉剛以前にレスリー張國榮が映画『霸王別姫』で虞姫演じたが、あれこそ梅蘭芳の侮辱、と。「あたしこそ梅蘭芳の正統なる継承者」 との自負か。
▼昨日今日の信報に前新華社香港分社副秘書長の何銘思氏による「達徳學院與共和國的誕生」という連載あり。終戦後のわずか数年、香港に達徳學院という学舎 あり。日本の敗戦で中国から日本軍が去り北京は束の間の平和、で国民党の白色テロ横行。北京のリベラル派知識人ら北京を離れ来港。郭沫若、茅盾、譚平山と いった人ら。香港で中国民主化運動画策し、その拠点となったのが屯門の達徳學院。現在は中華基督教何福堂書院で、敷地内に達徳學院の馬禮遜 (Morrison)樓が現存。国民党の暴挙に反対し蒋介石の国民党主席からの失脚では香港の華字紙に祝賀広告載せるほどの勢いあり。中国共産党は革命成 功に改革派知識人の協力を重視、毛沢東自らが達徳派知識人に革命への協力求め(当然、周恩来が活躍し)政治協商会議の主だったメンバーとして彼らを招き入 れる。人民共和国建国当時は共産党独裁よりも協商会議など改革派資本家、知識人、少数民族など全体が一致した民主国家建設が主題。革命の夢多き美しき時 代。その後、この達徳派文化人が反右派闘争や文革でどのような境遇に陥るか、は語るまでもなし。

一月廿五日(木)毎週木曜日朝に届く「安倍内閣メールマガジン」だが安倍三世の支持率低下にも繋がる、この人の足りない部分について。首相官邸の広報担当 官に尋ねたいが、まずメールマガジンの送り主の、首相官邸 <kantei@mmz.kantei.go.jp>、の記載を改めるべき。例えば米国で大統領候補のバラック小浜君などメールは嘘でも送り主は From: Senator Barack Obama <info@barackobama.com>であり、メールの内容も
Dear Friend,
If nothing else, the last election proved that politics-by-slogan and poll-tested sound bites aren't going to cut it with the American people anymore, and that's why the real test of leadership is not what the President said to Congress last night, but how he works with Congress in the months to come to find real solutions to America's problems.
と語り始める。送り主が「首相官邸」ではソ連のクレムリンか北京の中南海か、まるで一党独裁国家の党政府中央から国民への指示伝達の如し。内容といえば相 変わらず不祥事にはダンマリを決め込むくせに
昨日、教育再生会議は、7つの提言と4つの緊急対応策を盛り込んだ 第1次報告書をまとめました。
と速報である。通信の最後では
国会が本日召集されました。私は、いよいよ明日、施政方針演説に立 ちます。予算と重要法案の早期成立を期し、美しい国づくりに全力を尽くします。
と。美しい国、ねぇ……。夕方、中文大学に所用あり沙田へ。中文大学の校内もビルが続々と建ちかなり様変わり。一瞬、崇基学院の学食に試食、と思ったが 「不味いことには変わりない」はずで「わざわざ不味いものを不味いとわかっていて食すこと」も不愉快なので諦め大埔へ。KCR の大埔墟站より舊墟(市街)に抜ける小高い丘に国民教育中心と いう公教育施設あり。薄気味悪し。大明里の群記清湯腩。評判 の店で牛腩河を食す。美味い上に牛南の絶妙な滑らかさと牛のエキスたっぷりのスープ格別。数年ぶりに大埔屈指のパブ、The Bobby London Innに寄りギネス一飲。このパブ もすっかりスタッフ入れ替わり前世紀に余が馴染みはおらず、当時まだ幼稚園に入るか入らぬかであったろう若者がてきぱきと酒の給仕に勤しむ。晩に大埔で所 用済ませM氏に車で送られ天后。独り寿司加藤に寄りマグロ赤 身で冷酒二合。鉄火巻き。帰宅して久々に『モンテクリスト伯』の続き(第6巻読み始める)。本日、Z嬢が今どき「携帯用テープレコーダー」購う。MP3だ のiPodの時代にまだ携帯用テープレコーダーが、それもWalkmanよりも前時代的なるモノーラルな録音機能付き、がこの世に存在するとは……。 Sony製でわずかHK$280の代物なり。
▼朝日新聞の世論調査「愛国心」について。
Q:日本に生まれてよかったと思いますか?……「よかった」94%
Q:自分に愛国心がどの程度あると思いますか?……大いにある(20%)とある程度ある(58%)で計78%
Q:日本人は愛国心をもっと強くもつべきか?……「強く持つべきだ」63%
Q:外国の軍隊が攻めてきたら戦いますか?……戦う(33%)、逃げる(32%)
Q:愛国心は学校で教えるべきか?……教えるべき(50%)、そう思わない(41%)
Q:アジアの侵略について……大いに反省すべき(32%)、ある程度反省する必要がある(53%)で計85%
この数字を見て何がわかろうか。いわゆる「郷土愛」的なものと「国が求める」愛国心の違いがこの調査では一緒くた。郷土愛という意味では私だって「日本に 生まれてよかった」し「愛国心が大いにある」が「愛国心が大いにある」から時の政府権力のバカさ加減には黙っておれず、政府や都知事が推し進めるような意 味での愛国心なら「もっと強くもつべきとは全く思わない」し「学校で教えるべきではない」と思う。外国の軍隊が攻めてきたら愛国心どうのこうのではなく自 らの命を守るために戦うであろう。そういう例えばこの私自身の考えが、この調査の数字で反映されるか、というと全く反映されず。大新聞の世論調査がここま で稚拙とは。
▼自称「政治家」Sir Doland行政長官が本年の香港特別行政区行政長官選挙に際し数日前、突然、選挙事務所を公務時間中に行政長官の専用車にて訪問。正式な立候補表明は未 だ。前任の董建華君ですら立候補後初めて自らの選挙事務所訪れ、マカオ行政長官の何厚鏵氏にあっては現職での再選立候補にあたっては立候補表明後も法定選 挙期間までは一切選挙に関わる行動はとらず法定選挙期間になって政府に対して休暇をとり公職を暫定的に退いた形での選挙運動という潔さ。Sir Donaldは「24時間いつでも行政長官で公私の区別は難しい」と公務時間中の選挙事務所訪問も開き直り、のさすが「自称政治家」と呆れるばかり。

一月廿四日(水)早晩に中環。カメラを持っているとHollywood Rdの画廊もPottinger Stの古い石畳もいちいち足を止めたくなる。Colorsixで写真現像受取。三 聯書店。Page One書店。FCCでジャックダニエルのソーダ割り二杯。晩遅く沈從文の『邊城』読む。
一個天真無邪的女孩,一對手足情深的兄弟,交織成含蓄而浪漫的鄉情 故事。翠翠與爺爺相依為命,以撐渡船為生。十多歲的翠翠認識了碼頭總管的兩名兒子 — 俊秀挺拔的儺送二老與豪放豁達的天保大老。兄弟同時愛上翠翠,議決輪流唱山歌競取芳心。唱歌首晚,大老自知技不如人,毅然引退,下河去了,不料,在茨灘淹 死。二老把事件歸咎於爺爺拿不定主意,一氣之下出走。爺爺不久病逝,剩下翠翠日夜盼望心中的二老回來。
という物語。1930年代に敢えて革命文学に揉まれず湘西鳳凰県の少女と二人の兄弟の恋愛悲劇。少女・翠翠が主人公。これを天保と儺送の兄弟二人が主人公 なら中上健次の物語にもなろう、というもの。ところで物語のなかに「美孚油」という言葉あり。石 油のことで、はたと膝を打ち半世紀ほど前の香港市街図を見れば確かに今の美孚に石油庫があり、ここが美孚=モービル石油。その跡地が今の美孚の団地。シェ ル石油が北角殻街で、モービル石油が美孚。しかも美孚に九龍バス会社の本社、車庫があることも、偶然よかガソリン供給と関係あったのではないか……などと 夜な夜な想像ばかり。
▼昨日の朝日新聞に加藤周一「夕陽妄語」で「超楽天主義のすすめ」という、もう加藤先生も平成の喜劇的悲劇な政治状況で楽天主義の勧め。まず「たくさんの 希望(のぞみ)を持つこと」。そして「行く先のはっきりしない大事については、初めから最悪の結果を予想する」こと。もし幸いにして自分の予測が外れるな ら=最悪の事態が避けられたこと。不幸にして最悪なる予測が当たったら、せめて自分自身は「トロイの滅亡を警告したカッサンドラの知的自負をもって自らを 慰めることができる」と。だが何よりも「何とか細々と、時には冗談なども交えながら、根本的な思考の軸は変えない。それが大事だ」との言葉は大切。肝に銘 じる。

一月廿三日(火)東區走廊(Island Eastern Corridor)を車で走る時にいつも気になるのが銅鑼湾避風塘(Typhoon Shelter)と天后沿海の銅鑼湾消防署の間にある荒れ果てた船工場の跡地。ヴィクトリアハーバーに面した個人経営の船工場など筲箕灣の譚公廟のあた りまで行かぬと他になかろうし、小さいながら砂浜があることも珍しい。砂浜に船を陸に引き上げるレールが敷かれている。その砂浜もずいぶんとゴミが打ち上 げられているのだが。ヴィクトリア公園の海側、この銅鑼湾消防署からの海沿いの一角、いままで一度も歩いたこともなし。で本日、早晩に二月旧正月晦日で閉 業する日本料理店・利休に某寿司屋親方のK氏、某バーの店主 M氏と食す約束あり、夕方、偶然一緒になったK嬢誘い利休に向う。夕陽がきれいだと思いながら、待ち合せまでちょいと時間あり、K 嬢といったん別れ、その船工場のあたりを歩く。なかなか香港らしい光景。中環と尖沙咀の高層ビルが夕陽でシルエットに。避風塘の小舟もまた風情あり。しば し佇む。船工場は敬記船廠とあり廃業(あるいは移転)して久しい荒れ具合。利休の、うどんは勿論だが糠漬けの胡瓜と茄子、自家製の蒲鉾や薩摩揚げなど、こ れから食せぬと思うと寂しくなろう。酒壺入りの吉四六、神の河。Z嬢来て、うどんすき。金柑の甘露煮。皆で銅鑼湾のバーSに移り一杯だけ呑んで散会。
▼昨日の蘋果日報で陶傑氏が当世、映画館に集まる若者男女の品のなさ、野暮さを非難しているのだが(なぜ、ここに陶傑氏の不愉快がいったのか、は不明)、 映画を見ている間に携帯で電話するとか五月蝿いとかそういう問題でなく「私生活を公共の場所に持ち込む」ところが困ったもの、と。御意。公共の礼儀 (Public Courtesy)の欠如。自制と矜恃。まさにその通り。ケータイでくだらぬ事を延々と話す、ピコピコとゲームをする、化粧、自分の世界に嵌っているつも りで釈迦釈迦釈迦釈迦と耳元から音楽が漏れ、とまさに私生活の露出。不愉快。

一月廿二日(月)右の写真は蘇州の金鶏湖。蘇州に住まうI君が早朝ジョギングで撮影。Le Lac du Coq d'Or とはさすが蘇州な表現。「フ ジテレビ」の報道2001の世論調査で安倍内閣不支持(48.0%)が支持(41.2%)上回る。早すぎはしないか。こんなことでは我々日本国民の悲願で ある憲法改正なされる前に安倍退陣となってしまう。鹿児島の知人が送ってきてくれた菓子箱の中に意図的なのか偶然なのか不二家のミルクキャンディーあり。 「これが一生で最後かも」と子どもの頃に慣れ親しんだ味のキャンディー舐める。帯状疱疹で右腕に痛みあり憂鬱。夕方、総領事館で「印鑑証明」を申請。手数 料1通につきHK$121は郷里の市政府が350円なのに対して1,800円とは……別に日本で登録してあり電信扱いで証明を取り寄せるわけでもなし。面 白いのが印鑑証明の申請書の住所の記載。「日本式に」と<見本>で
香港 タイクーシン ハーバーガーデン シルバーオークマンション 35階8室
のような書き方であり、香港の住所(英文か中文が正式)を勝手にカナ書きして何の法的根拠があろうか?、「億の単位の遺産相続」など考えると怖いものもあ り。でいずれにせよ「そういうふうに書く」のだろうから、とそれに從うと、職員に「登録の住所と違いますよ」と指摘され、確か昨年に登録して転居しておら ぬはず、と訝しいが、登録住所見たらカナ書きなどせず「住所」とあったので英語より中文のほうが「馴染むか」程度の判断で、この例に則して綴れば
香港太古城海景花園銀柏閣35階8室
のように記載していたわけ。この中文の住所表記が
Room 8, 25/F, Silver Court Mansion, Harbour View Gardens, Taikoo Shing, Hong Kong
と同一であることは法的に証明できるのだが、カナ書きで、しかも太古城が「タイクーシン」なのか「タイクウシン」なのか、Silverは「シルヴァー」で もいいのか、となると、全く個人の判断という恣意的なもの。それで「億の単位の遺産相続」の場合でも在留証明や印鑑証明がなされていると思うと……。住所 表記は「香港の地所登録で有効な英文又は中文での表記」に「便宜上、カナ書き等を添えることも可」としておくくらいが無難だと思うのだが。ちょっと飲んで 帰るのもジムも憚られさっさと帰宅。NHKの7時のニュース(香港時間午後6時)なんて見る。晩飯はカレーライス。一昨日、石崗咖喱を食してはいるが印度 カリーと日本のカレーライスは「リゾットとお茶漬け」くらい違うもの。
▼宮崎県知事にそのまんま東氏当選。そのまんま氏の当選への驚きより具体的に(朝日の調査では)共産党支持の4割、公明党支持の3割が今回の選挙では党を 裏切りそのまんま氏に投票。共産、公明という「党中央の指導」強きはずの政党でこれでは政党離れはより具体的。そのまんま氏の宮崎県知事当選に安倍三世曰 く「地方選挙ですから地方の判断でしょう」「参議院は国政選挙ですからわれわれが示す日本のあり方にむけて判断がされるわけで」だったか、と宣う。この 「突き放したような感じ」や「われわれが示すもの」の空虚さに期待(期待、って安倍政権崩壊を、だが)。それにしてもニュース報道もいい加減で7時の ニュースではそのまんま氏当選に宮崎県民の声は期待と不安が半々、であったのがNW9では四、五人の宮崎県民が全員「期待」であった。ニュースなど見て物 事を信じてなどおられぬ。
▼北京の紫禁城内に星巴珈琲の出店あり。けして風景を壊すでもなく城内のいっかくの土産物屋などの並びにひっそり、でそれはそれでいいと余は思うが「中国 文化の侮辱」として国内の観光客らに不評で近々城内より退散の由。わからぬでもない話。だが興味深きは満州族出自とする清朝の、この本来は黄河、揚子江的 な意味での中国からは異質な、異文化としての清朝のコテコテな北方趣味のこの宮殿を「中国の伝統」と当世、認識していること。太平天国から民国建国の「近 代」革命が実は「滅満興漢」であったように、北京の故宮は伝統的な中国にあって<異質なる空間>であったはず。それがいつの間にか(おそらく人民共和国の 建国以降のナショナリズムの刷り込みにより)中共の首都としての北京、その中心としての天安門広場と象徴的な故宮(実は故宮が全く空虚であり実際の政治空 間は中南海なのだろうが)として、故宮も「中国の伝統文化」の一つと相成ったものか。そういう異文化としての故宮、満州王朝としての清朝の異質さは、ベル ナルド=ベルトルッチ監督が「これでもか」と描いて見せたのは記憶に新しいところ。であるから故宮にスターバックス珈琲店があることは別に「中国文化の侮 辱」ではなかろう。
▼英エコノミスト誌が米国大統領選の民主党候補としてヒラリー=クリントン女史の脆さ指摘しバラック小浜氏が本命と打つ。二年前の上院議員選挙立候補から 応援してきた余としては嬉しいところだが(余が所有する当時の選挙キャンペーンのTシャツだの帽子は彼が大統領当選したらかなりオークション価格上がろ う)オバマ氏の弱点もエコノミスト誌は指摘し、まず政治経験の浅さ(安倍三世と同じか)。年齢でいえばオバマ氏の45歳はJFKの43歳より年上。だが JFKは大統領就任までに兵役、6年の下院と8年の上院議員の経験があり米ソ冷戦期にあって米国代表するヒーローといった期待があったこと。また外交経験 の乏しさ(これはブッシュも同じであったが)。また実は「喫煙家」という、現在の世界で貼られるともっとも始末におえぬレッテルもあり。政治家などさっさ と禁煙しちまうことが票につながる気がするが大統領選挙の候補となるのに禁煙せぬ、というのはかなりの愛煙家、か。もちろん岩倉使節団の謁見受けたグラン ト大統領の葉巻やFDR大統領の紙巻き煙草、先日逝去したフォード氏のパイプ、実はブッシュ大統領のローラ夫人も煙草嗜むようで
Laura Bush reportedly sneaks a cigarette now and then between rounds with "The Brothers Karamazov".
とこの記事にあり……だが、この言い回しの意味不明。物知りのカナダ人M氏に尋ねると「大統領夫人はようするに煙草呑み」と言うだけのことなのだが、そこ をエコノミスト誌であるからliteraryに書くわけで(ローラ=ブッシュ夫人は2000年7月に紐育時報のインタビューで愛読書はドストエフスキーの 同書と答えている)、而も図書館司書の経歴ありの由。で『カラマーゾフの兄弟』を読みながら一服の図、が絵になるか。

一月廿一日(日)朝十時にZ嬢と尖沙咀。Royal Asiatic Society(王立アジア協会)主宰のOne Day Tripで新界沙頭角に程近き南涌まで貸切の小型バスで走る。南涌から南の山道に入るとWilson Trailの終点(香港島のStanleyより69km)となり更に山道を分け入る。縮尺二万五千分之一の郊外地図には石板潭という地名あるが「私有地」 の看板。「蘊貞古廟」と書かれた朽ちかけた門を潜り小徑を進むと谷底に渓流あり石造りの橋を渡り更に「私有地」と遮断された門を開けて入り少し進むと立派 な墳墓。そ の向こうに築七、八十年かと思われる嶺南建築の二階建て家屋。人里離れた此処に住まわれるのが今回、我々RASの訪問受けれてくれた英国人ご夫妻。話をき けばご主人が香港皇家警察に三十年勤続で新界警察での勤務長くかつては大尾督に居住の由。十数年前に鹿頸より南涌を歩き、この山中に分け入り廃れ草むした この家屋を「発見」。大陸からの不法移民が仮住まいの形跡もあるが、元々のこの屋敷の持ち主らしき家族の生活用品や旅行鞄、家族写真など数多く残る。いず れにせよ荒れ果て草木に覆われた廃屋。墳墓もあれば大きな家屋には氏族の宗祠もあり先祖祀る。常人なら覗き見で「へぇ……」で終わるところ、この英国人夫 婦は「ここに住めぬか」と思案。なにせ人里離れ渓流にかかる橋を渡っての文字通りの桃源郷。で人伝てに探せば、こ の屋敷、或る客家の氏族所有。新界の西貢から北に点在する他の客家の氏族の集落同様に、家族が皆この家々を離れ都会や、将又、この石板潭の家族もマンチェ スターや米国、豪州に居住と、さすが客家。で、この英国人ご夫妻はその客家の李家という氏族より、この屋敷及び周囲の敷地一帯を借り受けることとなり草木 に覆われた敷地も手入れに手入れを重ね見事な庭園、山羊の遊ぶ小さな牧地とし、家屋はできるかぎり原型を留め、の住まいとする。お見事。昼は大埔の石崗咖喱屋の印度料理が仕出し。至れり尽くせり、のRASの仕切り。午 後までこの石板潭の客家集落に遊び夕方、尖沙咀に戻る。天気はいつ雨が降るか、の曇天ではあったが、珍しくニコンのF2とニコマートELをかつぎ、デジタ ルも持っていなぬわけにいかずR-D1sも、でかなりの重さの撮影器材。疲労困憊。F2ではカラー、ELで白黒の写真撮影。最近は皆さんデジタルカメラに 慣れているからか、昔ながらの(デジタルカメラのフィルムカメラ模した偽音でなく)シャッターがガシャッと音を立てると近くにいる方々が慣れぬ音に「何 事?」と振り向く。スターフェリーで香港島に渡り中環エスカレーターで擺花街。馴染の興利カメラ店でニッ コールED180mmという、今日持ち歩いたレンズ径72mmの望遠レンズのレンズフィルター購入。帰宅。湯豆腐。焼酎「博多の華初垂れ」ほんの 少し飲む。テレビのNHKスペシャルで「Google革命の衝撃」という番組ありぼんやりと眺めていて「企業がいかにGoogleの検索で上位に食い込む かに必死」という内容で、ふと思ったのは我が「富柏村のゑぶサイト」のこと。毎日、百人単位の方に「日剰」をご覧いただいているのは幸甚。だが例えば面白 いのは「日剰」と検索すると富柏村ゑぶはgoogleで筆頭なのだが何故かと言えば簡単な話で「日剰」としたのは元々は荷風散人の「斷腸亭日乘」から。但 し余の記憶では荷風散人も「日乗」でなく日記表紙の手書きだったか何かで「日剰」と書かれたこともあり、それを真似たつもりだが、ただgoogleで「荷 風 日剰」と検索しても余の記述の他はこちらだけ、で記憶確かで ないのだが、「日乗」が日々の記録(「乗」の字には「史書、記録」の意あり)なのに対して「日剰」だと「日々の余すところ」の意となり余には似合いか、 と。ただいずれにせよ「日剰」という言葉は世界ぢゅうで私一人が使っているようなもので、つまり検索などで不特定未知数の方が「日剰」と検索してこのサイ トご覧になることは皆無と断言して間違いなし。で「日乗」に戻すのも一案だが「日剰」という言い回しへの愛着もあり、一般的に「日乗」すら使われる言葉で ない=検索されない、と思えば、基本的なところで「香港日記」なのであろう、と。で「富柏村日乗 香港日記」とこのゑぶに綴る日剰の記録の題を変えてみる こととする。それともう一つ、このゑぶのフロントページの右肩に「google」へのリンクのロゴあること数年ぶりに気づく。今になってみれば検索大手だ が何年前だったのだろうか、まだgoogleがかなりマイナーであった頃に「これは便利」とリンクさせたもの。今更これも要るまい、で削除。

陰暦十二月初二。大寒。昨晩は酒を断った所為か眠気ないまま深更まで読書。昨年九月ことから溜まり始めた月刊誌、週刊誌、雑誌の切り抜きの類いが漸く読み 終わり片 付く。朝、あまり眠れぬままで目覚めると右肩から腕に神経痛、怠さあり気分優れず。昼にピアノ練習終わった(いつもならロードレースご一緒する)K氏、Z 嬢と三人で天后のPoppy'sに食す。香港で野菜豊富な洋 食なら此処。ついついデザートもアップルクランベルのアイスクリーム添えまで。午後、九龍に薮用済ませ早晩に某クラブハウスで或る団体の創立記念パーティ ありお招き受け末席汚す。その団体の創立者I氏は尊敬に値する誠実なお人柄。日本より来賓としてI氏ご昵懇なる大勲位N先生ご来港。御尊顔を拝す。会場に 人多くN先生の祝辞、あまりよく聞こえなかったが「理想を掲げ誠実に尽くすこと云々で平和な世の中が実現する」といった話を拝聴。話もロクにきかず携帯で 写真を撮ることに熱心な方少なからず。話し手に失礼ぢゃないかしら。昨晩より禁酒二日目。それで右手に痺れがあるの鴨。帰りがけに酒を飲まぬ腹癒せ?に星 巴珈琲でespresso triplo飲む。先日、銀座のレモン社よ り仕入れたレモン社オリジナルのコードバン製ストラップとヌメ革製ストラップがどうも「見た目新しすぎる」ので手入れも兼ねミンク油脂で鞣したりして過 す。

陰暦十二月朔日。先週、肩の痛みで神経痛かと思えば肌着に血の混じる膿のような痕跡あり何かと思い鏡で見れば右肩の肩甲骨のあたりに腫瘍のようなものあり 怪我や虫に喰われた記憶もなく常備薬オイラックス塗ったが経過芳しからず本日Hong Kong Doctorsで 検索した皮膚科の専門医訪れ診断請うと関節の痛み細かく尋ねられ、結果、Herpes Zosterと診断され余は意味解せず漢字で書いてもらえば「帯状疱疹」だがまだ帯状にはなっておらず一ヶ所だけの水痘なので比較的軽いとA医師。広 東語では俗語で帯状疱疹を「生蛇」と言う由。「疲労や極度のストレス」と言われ一瞬、たじろぐ。ニコンのF2のシャッターで用いるケーブルレリーズAR- 2探して中環擺花街の興利カメラ店訪れると懇意の主人が「確かあった」と探してくれるが見つからず、ただしシャッターレリーズのAR-1と骨董品のような アクセサリーの沢山入った箱の中からダブルシャッターレリーズのAR-4が出てきて、それにF3以降のシャッターで使える可愛らしいNikonの文字の シャッター鈕まで「全部あげるから持って行って」とご主人。「今でも使ってくれる人がいるだけで嬉しい」と。但しAR-4は正直言って生涯使わずに終わる おそれあり。何誰か欲しい方は居るまいか。その足でStanley街の鐘沛撮影器材行に寄る。香港でニコン関係のパーツで「ないものはない」ほどの品揃 え。とくにデッドストック関係は好事家には垂涎か。AR-2はある?と尋ねると「あるよ」と当然の如くぴかぴかの新古品。香港大学の図書館。沈從文の『邊 城』と『從文自傳』の二冊借出。FCCにて一人軽く晩飯。帯状疱疹といわれ服薬の折に酒のアルコール漬けもまずかろうと酒を注文せぬと懇意のバーテンダー が訝しげな表情。九龍に渡り葵芳。葵青戯院で北京人民芸術劇院の 舞台劇で老舎の「茶館」観劇。北京の裕泰大茶館。一幕目は清末の光緒廿四年 戊戌(1898年)の初秋早半天。幕が開くと見事な内装の茶館、従業員が忙しく働くなか多くの客が茶を喫し好き勝手に友と語らい、と当時の首都北京の賑わ う茶館の光景が見事に再現された舞台に思わずため息。社会はすでに清末の情勢不安で維新運動の失敗など混乱。だが次から次へと茶館に入れ替わり立ち替わり 出入りする客の息もつかせぬ北京方言の滑舌の見事さに当時の「まだ」好日を彷彿。二幕目は二十年後ということは民国7年。袁世凱逝去し帝国列強による中国 割譲の頃。そして三幕目(終幕)は1946年くらいだろうか、抗日勝利の後、国民党の特務が北京にのさばる頃。茶館はすっかり寂れ店の主人らもすっかり老 いて茶館も国民党系の悪徳商人に買収され……という有名な脚本。茶館の主人・王利發を演じる梁冠華らが好演。終幕で茶館に半世紀過した老客の一人・常四爺 が語る。「わしらは国を愛した。だが国はわしらに夢を与えてくれたか」と。ちょうど今日の信報の文化欄にこの芝居の詳しい記事あり。老舎が1956年にこ の「茶館」の脚本を起こし58年に焦菊穏の演出で初演。その後いくつかの改本があり上演繰り返されたが2005年に焦菊穏の聖誕百年記念して58年の焦菊 穏による脚本を再び興した由。ネット上で「老舎」「茶館」と引くと北京前門西大街のすっかり観光ズレした老舎茶館。歌舞音曲の舞台眺めながら茶を啜ると、ほとんどキャ バレーの如し。ネット予約まで受付とは。ちょうど今日読んだ『世界』の1月号に柄谷行人と佐藤優の「国家・ナショナリズム・帝国主義」と題した対談あり。 「貨幣や国家というのはロクでもない、大変な暴力性を秘めたもの。予見しうる未来を完全に解消することはできないから、いかにして貨幣や国家の暴力性を抑 えることができるのか」という佐藤優の冒頭の言葉を受け柄谷行人が「国家が存在するというのは、人間の関係が根本的に暴力を孕んでいるということです」 と。この二人の言説が老舎の芝居見ながらいろいろ考えさせられる。晩遅く(酒を飲んでおらぬためかやたら目が冴えて)読んだFar Eastern Economic Review誌06年12月号でLeslie Hook "Christianity comes to China's Cities"という論文あり「中国では知識層を中心に89年の天安門事件以降の政治的状況厳しくなる中でChristianityが精神的な拠り所にな る状況」について分析。キリスト教の説く人間の尊厳だの自由が将来の民主化実現のファクターになって、と。閉塞感なのか希望なのか。同誌07年1、2月合 併号と『世界』2月号まで読了。酒を飲まぬのはいい事かも(だがつまらないが)。『世界』2月号は教育特集。この特集に先立つ浅野史郎(前宮城県知事)の 連続対談で元文部省高官の寺脇研氏がゲスト。文部省への採用決まってから勉強のために反文部省的な岩波や朝日の書籍を片っ端から読んだという寺脇氏は入省 二年目に教科書検定課に配属され(笑)検定訴訟で法廷に行くと向こう側に家永三郎や証人で遠山啓先生。その錚々たる学者の言葉に「一理あるな」と内心感じ た、と。その寺脇氏曰く、学校は教育目標で「明るい子、楽しい子、たくましい子」とか書いてあっても、それが具体的に何なのかわからない。日本の教育現場 の「文学」性、リアリズムの不在を指摘。御意。そこに政治権力が介入するから始末におえぬ。着々と進む教育の政治化。東京都の優秀な教員を育てるそうな 「東京教員養成塾」だの首都大学に優先入学できる高校生対象の「東京未来塾」だの、都ばかりか区も杉並ではリトル石原の如き区長が「つくる会」の教科書強 行採用したばかりか教員養成のため区独自の「師範塾」まで開設。松下政経塾だけでも「アホか」と思ったが教員養成から若者までヒトラーユーゲントだ、これ ぢゃ。まさに東京ファシス都。この師範塾の開設趣旨に
日本は今、新たな国家存亡の危機に直面しているといっても過言であ りません。政治・経済・社会nあらゆる分野における行き詰まり感、人々の自信喪失、規範意識や公徳心の希薄化、犯罪の増加・低年齢化。我々は、過去におい て経験したことのない、未来への夢を描けない時代のただなかにあるのではないでしょうか。わが国は長い歴史を有し、この間、連綿と独自の光輝ある伝統精神 文化を保有して、発展的は歩みを続けて来ました。しかし、今日のわが国は、世界有数の経済大国と称されながら、国力は全般的に衰微し、人心の荒廃は著しい ものがあります。戦後の急速な経済復興で、我々は経済的豊かさを手にした反面、かつては貧しさの中にも備えていた精神的豊かさを失ってしまいました。
……と。恐怖。戦後も半世紀でわれわれの立派な伝統だと私は思うが、あたしゃ保守派か。こういった石原慎太郎や杉並区長の如き革新、維新、伝統破壊の革命 家の方々の存在が本当に怖い。

一月十八日(木)諸事忙殺され遅晩に至る。
▼ 自民党で谷垣禎一君が麻生外相の「おまえの派閥にも優秀な人材がたくさんいる。安倍に刃向かって、できると思っているのか。おれはいま安倍と組んでやって いる。だからおれと手を組もう」「おれに先に(総理を)やらせろ」といった「生の声」紹介し麻生側にかなりの不快感。森さんもこういった暴露発言があると 今後、谷垣君にはあまり本当の話ができなくなる、と指摘。なんともヤクザな話。こういったレベルでの話で国政が担われていると思うとぞっとするばかり。
▼英エコノミスト誌がPocket World in Figuresという非常に簡易至便な世界の国々の統計集を毎年出しているが、この香港の項目に首都が「ヴィクトリア市」と あったり、都市居住部の人口が100%とあったり、ちょっと首を傾げるところあり。ただ権威ある統計集で毎年更新されているのだから誰かしら疑問呈しても おかしくないのだが。
▼香港政府による大陸妊婦の香港出産目的入境の制限につき信報社説(十七日)はこの措置は世論の批判への見せかけにすぎず根本的な問題解決にはならぬ、と きっぱり。問題は何処にあるか。大陸妊婦の香港での出産は九七回帰以後の現象で、2001年7月の香港で生まれた大陸子女の香港居留権をありと認めた香港 最高裁判決であるとか、大陸からの香港旅行自由化、香港の医療水準の高さなどさまざまな要因で香港での大陸妊婦の出産が増加。また広東省の各地には香港で の出産斡旋する業者も多く(出産する産婦人科病院や渡航ビザ、宿泊先の斡旋等)その多くが香港人の経営の由。実際にはその新生児の半数は両親のいずれかが 香港籍であり、香港は世界でも屈指の少子化で政府が「多産」奨励するのだから寧ろこの新生児らは歓迎されるべきであるし、実際に昨年二万人の大陸妊婦が香 港で出産したが七百万人の人口でみればわずか0.36%で、これが実際にどれほど香港の人口政策に影響与えるか疑問、と。

一月十七日(水)古書バザーに出す本を整理していると金子光晴の『マレー蘭印紀行』あり。また読んでもいいな、とバザーに出す本から抜き出す。早晩に湾仔 のGrand Hyatt HotelのChampagne Barに 五年ぶり?かで一飲。カウンターの椅子が坐りやすく新聞読んだりには落ち着く空間。ジャ ズも心地よし。ドライマティーニ。「ジンはGordon、Straight Upでオリーブ不要、レモンピールだけ」などと注文するのも、昔、若いころだと「この小僧が面倒な」と思われたが今ではすっかり余も老けてバーテンダーが だいたい年下で「かしこまりました」となるのも年の功。Jamesonで氷抜きのハイボール一杯。ただし快適ぶっ壊す「バブリーなビジネスウーマン」気取 りが現われ携帯で大声で取引などして吸えもせぬ煙草蒸かされ迷惑千万。となりの男に気軽の声をかけ大声で雑談始め、但しその男には待ち合せの美女現われ 「それじゃ」と立ち去られ、あまりの下品さに私らオヤジ客に睨まれていたことにようやく気づき少し静かになる。でパイプ吸いながら憩いでいるとカウンター の向こう側の客がしきりにあたくしのほうを指差してバーテンダーに何か言っている。煙草の合法的に吸えるバーであるが「パイプは煙くて迷惑」とかクレーム しているのかしら。バーテンダーがその客の意向合点してこちらに来る。ああ、いやだ、と思ったら「あちらのお客様がそのパイプタバコのフレイヴァの銘柄は 何かとお尋ねになっております」と。ちょっとこそばゆいが「自分でブレンドしている、と伝えて」と。その御仁、それを聞いて大いに満足の笑顔。バーを出よ うとすると御仁こちらに参り「素晴らしいアロマのブレンドですなぁ。だいたい銘柄はわかるがどうもどこのタバコかわからずにいたがご自身のブレンドとは」 と誉められ、差し出された名刺を見ると丁抹の老舗のタバコ商Mac Barenの副社長氏。「存じております。いぜん倫敦で御社のパイプタバコを購ったことがございまして」と答えると副社長氏慇懃に「これは当社の 最高級のパイプタバコでございまして。もし宜しければ差し上げますでのお吸いになっ てください」といただいたのがシリアタバコの銘柄(こちら)。幸甚。湾仔展覧会議 中心のホールで香港ファッション節だか開催されており畏友William 鄧達智君より招かれ、彼の「九龍皇帝十年回顧」なるファッションショウ参 観。昨日の信報に彼自身の今回のショウの発案について書かれた文章あり。九龍皇帝・曽翁のいわば「落書き」を劉健威兄が「芸術」と示し、William鄧 君がその落書きをプリントして衣裳としてからもう十年とは……。ただあたしゃ個人的にファッションショウで「うわぁ……素敵」などと感動できる才は無し。 なにが感動なのかさっぱりわからぬ野暮。William 鄧君の女性のロングドレスはとても美しいと思うが彼について敢えて厳しく言えば「山本耀司、川久保玲の亜流」と思われても致し方ない鴨。ファッションデザ イナーとしてよりも彼の健筆ぶりこそ素晴らしい、と個人的には思う。いずれにせよ盛況。旧友幾名かに再会。Mac Barenのパイプタバコが吸いたくて一人でバーS。日本で いえば昔の「富士」のような煙草らしい古くさい煙草の香りが絶妙。気分よくバーSでお会いしたF嬢お誘いしてバーY
▼昨日「孰了聖誕、冷了春節」についての記述の補記。香港で「爆竹」は禁止されているが、てっきり爆竹による怪我などの危険性と思っていたが、これは 1967年の反英暴動で簡易の爆弾製造に爆竹の火薬が用いられたことで爆竹禁止の由。
▼丸谷才一という人は「文章読本」は若い頃かなり「ためになった」が『裏声で歌へ君が代』であるとか『女ざかり』を読んでも「ふーん」という感じで「頑な に舊假名を使ふ作家」という印象ばかりが強かったし朝日新聞で連載の「袖のボタン」という連載も「朝日新聞だと旧かなを使はないのかしら」と思う程度で あったが昨日の「歴史の勉強」という一文は立派。西班牙のフランコ政権が弾圧と腐敗で名を売ったにもかかわらず、またフランコがカリスマ的魅力もない人物 だったのに、なぜ1938年から75年まで40年近くも独裁政権が維持できたのか?という疑問に答えはいろいろあろうが丸谷先生が印象に残るのは「フラン コに先立つ歴代政権(プリモ=デ=リベラ軍事独裁、第二共和制、人民戦線政府)に比べればフランコ独裁のほうがまだマシ」と国民が感じたから、というもの で、この話から丸谷先生は戦後日本の自民党の長期支配に目を転じる。「さほど有能でもなく、まして清廉では決してない」自民党がなぜ長期政権を担うのか。 少なくても戦前の軍国主義に比べればかなりマシ、で、戦後「自民党のもたらした平和と繁栄、基本的人権と言論の自由、民主主義と男女同権が十数年間(ある いはそれ以上)にわたる貧困と耐乏と恐怖の思い出のせいでぐっと有難いものになる」と指摘。しかし問題は「自民党のかなりの部分がこのことに気づいていな い」ことで「自分たちの成功を分析する能力に欠けて」おり「逆に、何かというとかつての国のありようを懐かしむ傾向」で
たとえば愚かしい侵略戦争だったものを言い繕おうと苦心するし、詫 びるしかなくなると意味不明の言葉づかいをする。戦争の犠牲者に哀悼の意を表する集団としては靖国神社しか思いつかず、若者たちや娘たちの倫理と風俗を憂 えるとき、拠るべきテクストとして持ち出すのは教育勅語である。言論の自由を歪む野蛮な行為(これは加藤紘一さんの自宅放火など指すのだろうか)を咎めよ うとしないのも、心の底ではあの種のことをよしとしているせいか。とにかく歴史の勉強がまったくできていない。
とかなり辛辣。企業の代表者が不祥事などで低頭しているののも内部告発やリークなど封建的=家父長的な義理より公共の利害を尊ぶ倫理観の現われ(国民のモ ラルの向上)、文学でみれば女性作家の活躍、などを挙げ、明治以降の日本の近代化から見れば
一九四五年八月にはじまる変革は、日本の近代という世界に誇って差 し支えない仕事の仕上げに当たるもので、それがかなりうまい具合に行っている(略)。日本人は六十年がかりで成果をあげている。「美しい国へ」などと言っ て昔にあこがれ、もしできることならタイムマシーンに乗って旧憲法のころの日本に帰りたい人たちには、見えないに決まっている。
と結ぶ。積極的な戦後日本の肯定。見事。

一月十六日(火)岩波講座『現 代社会学』全21巻(2巻欠)と斎藤忠著『中国天台山諸寺 院の研究』第一書房を(もう拙宅の本棚には収まりきれず)「意識のはっきりしたうちに私有物はきちんと処分しておこう」活動の一環として香港大学 のN女史のところに無理矢理、寄贈。晩のラジオニュースで香港政府が大陸からの妊 婦の来港と出産につき「香港の病院の入院許可なき大陸妊婦の入境を制限」と報道あり。あくまで香港の妊婦の出産環境を維持のため、と。帰宅して久々にパス タ。鶏肉のクリームソースのパスタ。南アフリカのPorcupine RidgeなるSauvignon Blancの06年の若すぎる葡萄酒で喉が渇いた時にガブ飲みしたら美味かろうが、ちょっと食事には合わず、ふと食前に飲んでいたウイスキーをちょっと混 ぜると格段に美味くなる。白葡萄酒にブランデー入れても美味しいかな?と思いつつ、今、これを綴りながら試してみると、ただの林檎酒になってしまった。失 敗。Economist誌今週号と月刊『世界』の1月号読む。
▼香港の男童院(日本でいう少年院)で12〜13歳の5人の少年が2、3歳年上の少年3名に肛交強要され拒み殴られたとして職員に訴え男童院側も事態を重 く見て警察に通報。加害の少年2名は警察に連行され取り調べ。この施設では一昨年も16歳の少年が14歳の少年に手淫並びに口交強要し懲役9ヶ月の有罪判 決受ける。この「事件」興味深きところは、まさにフーコー的なこと。少年院にJungenを「収容」することにより然る可くして発生する欲情絡みの Belästigungなり。大人により少年院に収容されたことが原因でおきた性的行為に対して加害責任問われ更に少年刑務所に遣られるという のだから……。また、こういった少年「更生」施設において職員による(あるいは学校での教員による)少年少女への性的harassmentけして珍しくな いことも大人が健全なる青少年の育成といいつつ大人の「まなざし」と「期待」の本性がなにか顕わに語るというもの。
▼昨日、焼いた時に、ついでにCDにも焼いてもらったフィルムでの一連の写真、の内から印象派っぽく「東来順香港店に降りる階段」2枚と、残りは風景写真 で「天后」。思わず写してしまったが、江沢民がお忍びで香港観光という噂もあり。
▼タイのホワヒンでの鉄道事故、昨夏、バンコクからホワヒンに向うのに列車かバスか、と悩み、結局、余とZ嬢は往復バスであったが片道、鉄道選んだバンコ ク在住のY氏曰く、鉄道事故も怖いが「毎日の様に、遺体バラバラ事件が起きる」国も怖い、と。ただバンコクも市街で警察による荷物検査あったりとタイ南部 のイスラム系住民の過激派による(のだろう)対タイ政府テロ活動も高揚。いずれにせよタクシン率いるタイ政府勧めた南部のイスラム地域の強制的なタイ化に 根本的な問題あり。
▼一昨日だったかの朝日の一面の図書広告でダイヤモンド社の新刊で「誇り高き国 日本」という胡散臭い書籍あり「私たちが生まれた日本という国には素晴ら しい精神文化、伝統がある。この国に生まれて本当に良かった」と宣伝文句。だいたいにおいて本当に「生まれて良かった」と思う国ならこんな胡散臭い本は要 らぬのだが、更に櫻井よしこが「日本を愛することの意味を、一人一人、問うてほしい」と絶賛。くだらない。この広告だけで「胸糞悪くなった」が同じ日の紙 面で「私の視点」に日経の連載が最高に美味しそうな東京農大の小泉武夫先生が「脂嗜好「食の堕落」は民族の危機」と一文寄せられ、一読しダイヤモンド社の 胡散臭い本による不愉快の、溜飲下がる思い。焼酎ブームは……と書き起こし、日本人の食文化の変化で醸造酒の日本酒より蒸留酒で辛い焼酎のほうが脂っこい 肉料理などに合う、と。海藻、根菜、魚、豆、米飯で低蛋白、低脂肪、低カロリーの日本の食が肉偏重となり、人間は長い間の食生活で培われた民族としての遺 伝子があるのに、短期間での食生活の激変で心と体に驚くような変化があったのではないか、と小泉教授。ただ小泉先生は日本人が「キレやすくなった」のはミ ネラルの不足というが、江戸っ子の喧嘩好きであるとか、大海人皇子の壬申の乱であるとか考えると、日本人の精神状態が食文化の変化で何か異変があったにせ よ「キレやすくなった」ことを安易にこの例に出すのは如何なものか。それは置いておいて、小泉先生の提言はかなり重要。「食の墜落」は「民族の存亡」にか かわる極めて重要な問題、として「和食が優れた民族色であることを自覚し、食生活の見直しに早急に手をつけるべき」と。御意。わけのわからぬ教育再生会議 など設けたり教育基本法や憲法改正より、その通り、まず日本の食文化の見直し! マグロの価値上昇は米国人や中国人が「トロの味を好む」ようになったか ら、で銀鱈の争奪戦のように脂っこい魚を求めるのが世界的嗜好。ふむふむ。ならば、だ、日本はトロは諸外国に差し上げて美味い赤身だけ買い取って「ズケ」 で食せばいいぢゃない?、とふとアタシは思う。で小泉先生は(井上ひさし氏もかねて提唱していることだが)自分たちの食べる物を作らない民族ほど弱い者は いない、と食物自衛安保に触れ「この国にそうした危機感がないことは国家として危機的な状況」と言われる。然り。で具体的には若者を農場や牧場に遣って田 植えや野菜作り、酪農など義務づけるなど提唱。全くその通り。文化大革命ならぬ「下放」である。学校教育をいったん中断し子どもたちを教師とともに野に山 に放ってみるのも教育基本法改正なかよかずっとマシな結果が生まれそう。
▼あと一ヶ月弱で旧正月。中国にとっては一年で最も賑わう春節だが、最近は「孰了聖誕、冷了春節」である、と鄭建生氏が語る(昨日の信報)。春節が地元で 年越す人で民族大移動であることはまだ変わりあるまいが、聖誕祭が異教徒らに「ロマンチックな冬の節句」として必要以上に盛り上がられている実態。あたく し自身はカソリックの幼稚園でミサに参加させられての荘厳なる聖誕と(修道院の院長先生が山田耕筰氏の娘さんであった)、街中に忘年会で酔っぱらかったサ ラリーマンが髭のついた大鼻のオモチャの眼鏡をかえ「ジングルベル〜、ジングルベル〜」の、そのギャップに「日本社会としてはクリスマスはどこか胡散臭 い」と思って以来、ずっとクリスマスには馴染めずにいるが(倫敦でクリスマス迎えた時はとても静かで心が洗われた思いもしたし、オーストラリアでのクリス マスも夏のサザンっぽさで良かったが)、中国も「さもありなむ」で、結局、その異教徒らの聖誕の祝祭が「消費」に収斂することが不愉快。

一月十五日(月)数年ぶりに中環のColorsixにて焼いた写真受領。やはりフィルムカメラはやめられぬ。月刊信報に広告と割引券のあっ たRaw Materialという服屋が中環にあり支那服調の綿や混合の麻のジャケットがなかなか風情あり一着購入。生地の染料は自然のもの、鈕はニッケル入りを使 いません、と当世風にいえばロハスっぽい。早晩であるから中環のカメラ屋数件冷やかしてFCCでハイボール二杯、のつもりがどうも胃腸の具合悪しくすごす ごと自宅近所に戻りC医師の診断請う。胃腸風邪。帰宅して新聞雑誌じっくりと読む。キャセイパシフィック航空から電話あり。1月21日よりCXは成田空港 は第二ターミナルに移ります、と2月にフライト予約していたものだから丁重に電話連絡あり。必然的に成田では香港からの往路で第二ターミナルに到着するの だから旅客はターミナルの変更を知るのにご丁寧に電話で確認とはCXのホスピタリティに敬服。ラウンジがどの程度のものかにも期待。せめて香港国際空港の テイストのまま小型化した、台北「蒋介石」空港のラウンジの雰囲気になるといいのだが。白菜と豚肉の鍋。福徳長酒類の「博多の華初垂れ」という焼酎、数ヶ月前に門司のK 氏にいただいたもの。「なかなか手に入らない」というだけあって44度の焼酎は五糧液のような芳香あり。Far Eastern Economic Review誌の11月号、『GR Digital Perfect Guide vol.2』読む。
▼内閣支持率奮わぬ安倍三世はセブ島での東アジアサミットでも
拉致 拉致と 拉致がなければ 埒あかず
で中韓の反対押し切り宣言に北朝鮮による拉致問題を盛り込む。北朝鮮拉致問題以外に「点取り」のない安倍内閣。しかも「北朝鮮の脅威」は政府与党にとって 金日成将軍様々。Far Eastern Economic Review誌11月号でも北朝鮮問題の特集“Fallout From Kim's Bomb”のなかで“Kim Jong Il's nuclear test might be the catalyst for Japan to amend or reinterpret its constitution”と指摘あり。御意。ところで、不祥事の不二家に対しては「企業の倫理責任」だの消費者が「裏切られた思い」だのと怒り顕わ。一 般市民がテレビカメラに向い「深刻にお詫びとか公言しても、実は裏で、不二家だから、舌を出しているんじゃないですかね」なんてテレビのコメンテーター顔 負けの、いかにも制作サイドが喜びそうなコメントを提供。この民間企業への厳しさが、なぜ政府与党相手になると、TM問題にせよ、大臣の不祥事でも、突 然、怒りが和らぐのか。お上に対する非常に阿Q的な低姿勢。昔、酔った大人が「だいたい岸だの佐藤なんてのは」と口にするのをあたしは聞いて育ったが、最 近、首相への「さんづけ」は当たり前のようで、話の俎上に首相が上がると誰彼ともなく「小泉さん」「安倍さん」で、わざと「だいたい安倍が、さぁ」なんて 言って誰彼の顔色伺うと皆さん自然と同調せぬ御時世よ。で、春闘ではトヨタ自動車が昨年の満額回答にさらに今年は好景気反映して1,500円のベースアッ プ勝ち取るぞ!と。トヨタ自動車が中国にあったら年で100人民元のベースアップなら即刻、従業員離散であろう。1,500円は深夜のアルバイトの時給。 これじゃニートなど増えるはず。ブッシュはブッシュでさらに「イラクで兵力増強」。反対する民主党に対して「反対するなら具体的な代替案を出せ」と宣う。 自分が相手のシマに雪崩れ込み暴れておいて収拾つかなくなり「やめたほうがいいんぢゃない?」と言った者に「それぢゃどうすればいいのか、何かいい策略で もあんのか?」と。ただの愚連隊。
▼FEER誌の11月号ではシンガポールの読者から偉大なる領袖、李光耀将軍様支配の実態を「よくぞ言ってくれた」と前2号でのシンガポール特集に好意的 な投書いくつか掲載あり。読者の一人曰く、シンガポールのまさにエリート社会は、李光耀将軍様自身がエリートなばかりか夫人が英国でQueen's Scholarを授けられ、三人の子もシンガポールの大統領表彰の奨学生、この李王朝の「王室」に嫁ぐには嫁も大統領表彰の奨学生レベルでなければならぬ のは、まさに優性主義。政府高官になるにも政府奨学生であることが云わば実質的な条件で、エリート支配、非エリートは卓越なる支配下に甘んじよ、とその社 会構造。その不健全さ。

一月十四日(日)昨晩はそれなりに赤葡萄酒美味しくいただいたが今朝は六時起き、で早朝のバスは高速ぶっ飛ばしで大老山の隧道抜けた小歴源まで香港島出て からノンストップ。Hong Kong Marathon Pro 10Kというロードレースに参加。最近全然走っておらず無謀といえば無謀。小歴源から城門河に出て運河沿いを下り沙田競馬場側に渡っての往復。沙田の競馬 場の向正面走るわけで、ふだん見ることない調教場から直接入れる試走用トラックなど眺め「競走馬は1000mの直線をSilent Witnessが55秒台と1分以下で走るところを自分の場合6分?」などと考えたり当然、走りに集中できず。カメラ持って走ればよかった、と後悔。さく さく、っと走って10kmで久々に1時間切る。普 通の人には「遅くない?」の時計だが6分/kmというのはあたくし個人には「自分を誉めてあげたい」。レース終わってK氏の愛車Toyota Crown Saloonで西湾河までO氏ともども送っていただく。猛烈に空腹で太安樓の三益でHK$10とお値打ちの雲呑麺食す。ジムに一浴し帰宅。 昼すぎ上環。午後、頼まれ事の仕事済ませ中環をふらふら散歩。最近、古いビルの消火栓が安部公房的に気になる。香港の規格にも合わぬ、おそらく老朽化した ビルも建てた後から消防条例とかで消火装置が敷設されたから、なのだろうが、赤色の管が植物のようにビルの壁を這う姿が魅力的。FCCでハイボール二杯。 『世界』12月号、昨日購った内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』読了。ライカの凄いところは、そして何が人を魅了するか、といえば「素人でも素晴らし い「っぽい」写真が撮れてしまう」ことなのだろう。だから何十万円もかけて、たかがレンジファインダーのカメラを手に入れる。Oliver'sでTio Pepeのシェリー酒購い帰宅。日本との時差1時間で幸いに大相撲でデーモン小暮閣下の年に1度の相撲解説拝聴。涌き出ずる泉の如き解説、お見事。おで ん。
▼昨日の朝日新聞「私の視点」にリナックスカフェ社長の平川克美氏が憲法改正について「9条、 「理想論」で悪いのか」と一文を寄す。明快。
現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離しているといった議論 がある。私は、この前提には全く異論がない。その通りだ。確かに日本国憲法には国柄としての理想的な姿が明記されている。理想を掲げたのである。そこで、 問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理論の根拠は何か。もし現実の世界情勢に憲法を合わせるのな ら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中 で、政治家が憶断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って非難するのはそ もそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障りがあると言うに等しい。現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠で あり、その限りでは、「法」に敬意を払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。
御意。余はこれまでこれほど明快な護憲論を見たことなし。同じ「私の視点」に桂歌丸師匠も気骨あるご意見あり。
▼やはり凄い人だ、と思ったのは今日の朝日の読書欄で、ぼんやりと宇野弘蔵『経済原論』の紹介があり、本文で
岩波全書版の宇野弘蔵著『経済原論』には人生の二度の重要な局面で助けられた。一回目は、同志社大学新学部二回生のときである。
という書き出しを読んだだけで、「あ、佐藤優だ」と思って、やはり間違いはなかった。それくらい佐藤優が強烈。書評で、これまでの数行で「あ、この書き手 は」とわかったのは柄谷行人と山崎浩一くらいしか記憶にない。

一月十三日(土)枻出版というカメラ趣味関係多い出版社から出ている枻文庫というのが何点かあり『魅惑のコンタックスTシリーズ』と『M型ライカヒスト リーブック』という二冊を持っていたが稲垣徳文『旅、ときどきライカ』と内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』の2冊、それにソフトバンクの『デジタル フォト』別冊『GR Digital Perfect Guide vol.2』を旭屋書店で購入。昼頃に九龍の観塘(官塘)。か つては観塘といえば香港の軽工業支えた工場ビル街とガサツな下町であったがMTR站前の老朽化した工業ビル取り壊しMillennium Cityなる再開発進みampなるショッピングセンターには香港初のモスバーガーなど入り話題に。観塘道を高架で走るMTRから海側のその開発の煽りで山 側のガサツなる下町も再開発近し。土曜の午後でいつもにもまして芋を洗うが如き輔仁街あたり写真撮りながら散策。輔仁街の突き当たりにある雲南風味という雲南料理屋に久々に米線と紅油雲呑食す。美味。この下町 を見下ろすかのように月華街には古い高級マンション街もあり。九龍ぢゅうからバスがこの官塘の、とくに紅色ミニバスが輔仁街のあたりに輻輳する態は壮観。 早晩まで九龍で薮用済ませ旺角経由で中環。FCCの宴会間借りて所属のランニングクラブの新年会&総会。稲垣徳文『旅、ときどきライカ』は今日のうちにパ ラパラと読み終えてしまい会であったY氏に差し上げる。Y氏からはブルーガイド『てくてく歩き 四国八十八ヶ所ゆとりの旅』をいただく。
▼岩波書店『世界』十二月号で、寺島実郎氏が「バーチャル国家シンガポール 21世紀型先進国家として」という題で連載を書く。シンガポールの虚構を剥ぐ かと当然のように思ったが、さに非ず、
その国家像は、21世紀の国家観を考察する上で極めて興味深い輝き を放っている。人口の75%を中国系が占めるため華僑国家といわれるが、驚くほどの多民族国家でもある。マレー系が15%、印度系が8%、人種の坩堝とも いえる多様性が活力の源泉である。
と誉めシンガポールに「笑顔の北朝鮮」などと批判的な人もいるが、
複雑な多民族社会情勢を背景に、ユーラシア大陸南端の小島を建国 40年で今日の繁栄した国に変身させるために、リー・クアン・ユーが高い規範性を持ち込もうとしたことも十分に理解できる。外国からの訪問者にとって、タ クシーの運転手から公務員までがモラルを維持し、不正や不安が少ないということは大きな価値なのである。(略)過去から未来へ、国のあり方を考えるとき、 シンガポールは示唆的である。
と絶賛。寺島氏ほどの碩学が……。寺島氏はFar Eastern Economic Review誌10月号など読まれたかどうか。多民族国家、人種の坩堝は事実でも実際に華人の寡占が進み人種による経済格差が広がる現状。高い規範性(= 徹底的な管理)で経済成長や社会的安定を維持する国家像が21世紀に示唆的か……唖然。本来であれば民族共存や平等、自由であって経済成長や社会的安定が 維持されるのが理想ぢゃないかしら。

一月十二日(金)人民元。中国人民銀行の基準値がUS$1=7.7元となり香港ドルのHK$7.8超え価値逆転。早晩に天后。天后廟に拝す。中環。久 々にフィルムカメラで(どうも「銀塩」と言うのが苦手。鮨屋で「銀塩、握りで」とか言いそう)写真何枚も撮る。ライカを持って、さすがにムッシュ木村のよ うに「粋なもんです」と迄はとても言えぬが気持ちは飄々と街を歩く。写真家の田村武能氏が語っているのは木村伊兵衛という写真家は「気に入った被写体を見 つける。それでも特別な行動はしない。だが、その人物がどの辺に来た時に、背景がどうなるか、瞬間に頭の中で計算して、これぞという時にシャッターを切 る。それもせいぜい、二、三枚であり、追いかけて行ってもう一枚などということは論外である」ことであり、76年に第1回木村伊兵衛賞を「村へ」で受賞の 北井一夫氏は木村伊兵衛の撮影を「遠くに人がいると、大体狙いをつけて、何となく知らん顔してその人のそばへ行く。そこでカメラを持ち上げて、パッと撮っ たら、すっと通り過ぎる。ほとんど1カットで決めていました」と本当にムッシュ木村の動きが目に浮かびそう。数年ぶりにColorsix Laboでフィルムを現像に出す。値段表見ると、驚く勿れ、ネガから印画紙への手焼きプリントは4Rでカラーが1枚あたりHK$15、白黒がHK$16 と、もはや手焼きは素人には気軽ぢゃないどころか手の届かぬ領域。反面、フィルム写真もデジタルプリントは恐ろしく廉価で、また、フィルムからのスキャン は1ロールあたりHK$30でCDに焼かれる。フィルムカメラまでどんどんデジタルの世界に取り込まれている、と実感。蘭桂坊通り抜けると歓楽街の一等地 にPeninsula Pharmacyという薬屋あり。英語名はPeninsula Pharmacyだが日本語で小さく「ペニンスラホテル薬局」と。ペニンスラホテルの名を借用して観光客騙し土産物売るのは商法としてわからぬでないが薬 局とは。ペニンスラホテルといえばチョコだの紅茶で、薬局じゃどうしたものか。勝手に「ペニンスラホテルの萬金油」だの「ペニンスラホテルスパのオリジナ ル白花油」なんて売っているのかしら。いずれにせよ蘭桂坊のど真ん中じゃペニンスラに騙される観光客も多からず。家賃の高さ考えると水商売以外でこの歓楽 街で商売は厳しすぎないか。FCC のバーでステラアルトワ麦酒小一杯、ハイボール二杯。地下鉄で西湾河。電影資料館で「香港の丹波哲郎」と言えばいいか、俳優、石堅の映画特集ありZ嬢と参 観。まずは石堅が往年の名優・喬宏らと共演の喉飴RicolaのテレビCMが三、四本流れる。どうも石堅と喬宏では喉がすっきりせぬどころか痰が搦みさ う。放映の最初はRTHKの社会派テレビドラマ「獅子山下」から 「漁家」という石堅が香港仔(アバディーン)で水上生活する蛋民家族の親父演じる物語。1970年代とはいえ香港仔で水上生活の船の間を 縫って泳ぐ子どもらをカメラが写す。今よか海水はきれいだったのか、だが生活船からの生活排水やエンジンの重油などかなりであったはず。漁業をしながら家 族養う健気な父、家族の誇りの勉学に長けた息子、だが息子は家族ためと大学進学をあきらめ就労すると言って聞かず、の物語。続いてブルース=リーの龍爭虎鬥(邦題、燃えよドラゴン)見る。少林寺破門され武術の 島を根城に阿片など密造する悪の親分「韓」が石堅の役。「燃えよドラゴン」が73年だったか日本でブームとなった時に当時まったくカンフー映画に興味なく 見もせず、ただしテレビでは何度も観てDVDも見ていたが、やはり映画は劇場での上映にかぎる。ブルース=リーの動きがスクリーンだからこそ、尚更、端正 に映る。武闘シーンもすごいが、この類い稀な俳優のふだんのシーンの視線、指や四肢の動きに見惚れ、極端な演技の造形に「逝っちゃった」神懸かりすら感じ る。映画跳ねて西湾河の太安樓、泰式小食館に鳳爪、トムヤン クンスープの牛腩河粉を食す。
▼防衛庁の防衛省への「省」格、軍国主義復活と左翼が非難する以前の問題として、省舎玄関の「防衛省」という看板、あの字の下手さはどうにかならぬもの か。時の初代大臣が揮毫しなければならぬものなのか、防衛庁時代の看板に比べ遜色かなりあり。「防」の字は三つの文字のなかでは「まだ」マシ、「衛」は画 数の多さと形からして素人でも書きやすい=それなりに上手く見える字のはずが「行人扁」が楷書なのに縦が内側に撥ねていたり、「省」の字も「少」の画数が 一つ少ないと読める。こんな拙い字の看板で我が国の防衛は果たして大丈夫なのか不安。字が下手なのは仕方ない。下手なら誰か上手い人に書いてもらえばいい だけのことなのに。
▼唯靈氏が信報に書いているが、尖沙咀、油麻地、旺角の九龍一帯を指す言い方に「油尖旺」というのがあり、南の半島の先端から遡れば「尖油旺」であろうし 逆なら「旺油尖」なのに、敢えて「油尖旺」なのか。はっきりした答えはないが、考えてみれば、一つ認識しておくべきこことは、今でこそ尖旺角と旺油が賑わ うが、数十年前は油麻地が九龍きっての繁華街であったこと。佐敦道波止場で香港島と結ばれ、渡船街(Ferry St)一帯が船への貨物の集積区、船から荷があがると油麻地で取引され、と当時の活気。尖旺角は軍港や警察など植民地的であり旺油は緑多かった由。
▼劉健威氏が信報で、数日前の蘋果日報が一面トップで「一級古蹟變淫窟」と旺角上海街624号の八十年の歴史ある「唐樓」の樓上が買春宿になっていること 報道に「バカな記事」と反論。香港でも稀に残る古い形式の唐樓でこの上海街の他の九棟と一緒に香港政府古物古蹟辧事處から「一級歴史建築」に指定の建物。 記事では歴史建築が淫売宿となっていることに識者が惜しみ、政府民政事務局は個人所有の不動産ゆゑ介入できぬ、と発言。劉兄曰く「歴史建築だと淫売はでき ぬのか?」と。香港で最近、スターフェリー波止場の解体などで語られるが、何が「歴史」で何が「集体記憶」なのか。ノスタルジーが大切なら、香港が民国時 代(戦前)で最も大切なノスタルジーは「塘西風月」ぢゃないか、と劉兄は語る。塘西とは西環石塘咀の妓寨(玉ノ井の如き私娼区)であり淫売は香港の歴史の 文化の一部のはず。時代とともに淫売や風俗業の形態や場所こそ変われ、それが今では旺角砵蘭街から上海街の一角に集積される。歴史的建築から淫売業追い出 して建物保存すれば歴史であり文化なのか、と。御意。
▼まだまだ続く中村歌右衛門主演の新派「江青女史」の芝居。久が原のT君が忘れちゃ不可ないのは「杉村春子の宋慶齢に山田五十鈴の宋美齢」と。確かに。こ れほど宋姉妹の似合う大女優はいない。紅衛兵の女幹部役なら森光っちゃんも使える鴨。中村伸郎の孫中山、東野栄治郎の蒋介石、森雅之の張作霖……と並べる と、ほんと既にどこかで芝居になってそう。昔の歌舞伎座ではこんな時事ネタ新作は日常茶飯の由。乃木神社鎮座記念だかに、松居松葉作「乃木大将」。
自害の場まで克明に付いた芝居で大入り満員。二代目左團次の乃木大将に五代目歌右衛門の静子夫人。想像するだに凄絶。

一月十一日(木)安倍三世のメールマガジン「ヨーロッパから初メール」一読。小泉三世のメールのようなさまざまな意味で楽しみもない、この人のその「個 性」顕わ。
明けましておめでとうございます。安倍晋三です。
みなさんはどのようなお正月を過ごされたでしょうか?そろそろお正 月気分も抜けて、仕事や勉強に励んでおられることと思います。
私にとっては元旦に東京から見えた富士山が印象的で、すがすがしさ を感じる新年のスタートとなりました。
さて私は今、欧州歴訪の真っ最中で、新年第一号となるこのメルマガ の原稿をロンドンからベルリンへと移動する政府専用機の中で執筆しています。専用機には結構大きな執務机やパソコンがあり、地上とも連絡が取れるように なっていて、仕事ができる環境が整っています。北朝鮮による核実験が私の北京からソウルへの移動中に行われた前例もあり、飛行機の中だからといって気を緩 めることはできません。
安倍家の正月は、例年地元下関の神社にお参りするのが慣例ですが、 今年の年末年始は地元に帰りたい気持ちをぐっと抑えて、家族とともに都内のホテルにこもりました。その間も海外の動きをはじめとする諸情報が刻一刻と入っ てきて、総理大臣として対応を指示しなくてはならない案件も多くありました。
また欧州歴訪や東アジアサミットなどへ向けての勉強や、通常国会で の施政方針演説の構想を練るなどの仕事もあり、息抜きはホテルを抜け出して観た映画2本のみ。総理大臣には心安らぐお正月は縁遠そうです。逆に一国の舵取 りを任されているということの責任の重さを改めて痛感した年末年始でした。今年も総理大臣として国民の生命、財産を守るため、一瞬たりとも気を抜くことな く、全力投球で仕事に取り組みます。
と、なにか一つくらい面白いネタはないものか? 日本人は「年が明けると全てご破算」という美徳があるようで、昨年末のTMやらせ問題や内閣不祥事なども ちろん何事もなかったかのやう。晴れ晴れしくご立派。教育問題打開のため、責任ある大人に育てるため、と教育基本法改正などしても、政府、首相自らが問題 の責任もとらず逃げておしまい、では示しもつくまいに。開玩笑。メールで「やらせ」の謝罪も言えぬ上に、面白いネタすらないのなら、むしろ政府専用機の執 務室の画像なんて一般公開してくれると好事家にとっては垂涎ものなのだが。晩に薮用終えると十時。大阪からT君出張中。銅鑼湾の郷村という韓国料理屋で (大阪なら鶴橋があるのに)知己らと会食中の由。彼ら食事済んでいる座敷にお邪魔して暫し歓談。W君とバーSで待ち合せしていたのでT君と御大K氏も一緒 にバーS。W君は先日、余のR-D1sのカメラとライカレン ズ気に入りさっそくご購入。「デジタルもいいけどやっぱり銀塩でライカMの世界に入らないと」とライカ談義。ハンチング帽子忘れて帰宅。

一月十日(水)ANAの機内誌「翼の王国」1月号で椎根和氏(マガジンハウス元編集者)が三島由紀夫という文章寄せており一読。できすぎ、くらいの話だ が、いまなら「ご冗談を」みたいな話が昭和三十年代後半から四十年代にかけて東京ではアンダーグラウンドで常識のよう。早晩に寿司加藤にご主人に先日、カ ウンターで撮影の写真届けようとバスに乗ったらZ嬢に遭遇。写真届ける=店開くか開かぬかの頃にカウンターで赤貝でもつまんでヱビスの小瓶と熱燗一合、の 算段がZ嬢の思わぬ登場で水泡と化し写真だけ届けて北角の市場で食材買い出し。晩ゆっくりと過しライカ関係の雑誌などずいぶん目を通す。奈良の當麻寺で御 仏に仕えし中将姫の生涯を高木隆真なるお坊さんが昭和39年にまとめた小冊子物の『中将姫物語』読む。
▼昨日、江青女史に触れたが久が原のT君が歌右衛門に黒眼鏡かけさせ詰襟の服着せて、で江青役、「革命無罪!造反有理!」って大見得切らせる新作物は如 何?、と。なるほど最高に面白い。毛沢東は誰かしら……白鴎?、周恩来が十一代目團十郎で鄧小平は勘三郎(先代)か。三越劇場あたりで。俳優祭なら勘三郎 が毛沢東だろうけど。でも実は「江青女史」って新作物なら前進座のほうがずっといい鴨。前進座に松竹その他客演。江青は歌右衛門で、毛沢東に翫右衛門、鄧 小平に若手で加東大介とか。と言うとT君が先代國太郎が宋美齢(ちょっと役が良すぎる?)、河豚三津の老舎(これはニンあり)、で鄧小平が加東大介なら、 白鸚の華国鋒。加東ついでに、沢村貞子の宋慶齢、で決まりか。誰か脚本書いて。前進座、中村歌右衛門主演、無産派新劇「江青女史」。

一月九日(火)四年近く前まで香港に住まわれたK氏来港にて再会。K氏は奈良の由緒ある古刹で岳父がその寺の院の一つのご住職。K氏もいずれそれを襲うが 国宝のお堂に国宝の仏像、重要文化財など寺内にいくつあるか、というほどの寺で法会や供養会など多く大変な由。暫し昔話。午 後、湾仔のCECで見本市あり文具展を見にいくが期待のわりに何も興味涌く品もなく(日本の馬印という黒板&白板メーカーの白墨などはとても感動的ですら あったが)隣接して開催のToy Show覗くと童心にかえり楽し。ダイキャスト関係が充実。昏時、尖沙咀。開いたばかりのバーWでフォスター麦酒一杯。香檳大廈。David Chan氏のカメラ店に寄る。ライカのM6を見せてもら う。向いの店の方に、と普段は閉めて展示だけの向いの店でM6をTTLも含め三台、眺める。垂涎の的は製造番号からすると1998年がM6の製造中止であ るから前年の97年くらいのであろうM6である(すっかりライカ通気取り、実際この数ヶ月かなり勉強)。まるで新品だがDavid Chan氏の話では、どこかの店のデッドストック物の由。尖東の東来順にバンコクから来港の(といいつつ昨日まで大阪で美々卯でうどんすき食していたそうな)Y氏とZ 嬢と「寒いから」と涮羊肉、格別。東来順は涮羊肉ばかりか鹵水鴨など冷菜も美味。葡萄酒は当然、Grace Vineyardで、Cabernet Sauvignonの02年を2本。胃腸風邪でかなり体調悪かったが予想通り復活。
▼唯靈氏が信報に「即席麺考」の一文寄す。安藤百福翁逝去で翁が「インスタントラーメンを発明」と紹介されるが、余もいぜんから気になっていたのは香港で 食す伊麺の食感がとてもインスタントラーメンに近く、またお湯でさっと湯がいて食すのなら蝦子麺もあり。で唯靈氏となれば1940年代に食べた百吉鶏茸麺 がお湯をいれて即食、と。廿年ほど前に唯靈氏が食事の席で紹介された客の一人が、その百吉鶏茸麺の創業者であったそうで、昔に食べたこの即席麺のこと思い 出した唯靈氏。安藤百福も華人であり、どこかで蝦子麺やこの鶏茸麺を食したのではないか、と憶測。ふだんは即席麺など食さぬ唯靈氏だが、欧州で寒い独逸で など硬いパンにハムだののせて食す寂しさを思えば温かいカップヌードルは美味かろうし、唯靈氏じたい初めてヴァージン航空の飛行機に搭乗の際に機内食嫌い の氏、思わずカップラーメンを食した、と言う。
▼久が原のT君も五年ほど前にさすが東京で梅葆玖の「貴妃酔酒」をご覧になった由。芸達者で上品とはいえ健康的で耽美の感というより「痩せた梅幸風」とは 言い得て妙。梅葆玖に新劇女優として芽が出ぬ恨みで古典劇を弾圧した江青のことなど語らせたらさぞや面白いか。歌劇というものの凄さについてT君がマリア =カラス1949年ナポリ実況でヴェルディの「ナブッコ」歌う時のこと教えられる。終幕近くの合唱「行けわが思いよ金色の翼に乗って」は(当今はサッカー 贔屓の日本の若者も知ってるナンバーだそうだが)みんな最初はおとなしく聴いていたのが途中で天井桟敷の誰かが感極まり「Viva! Italia!」と叫ぶや否や満場の歓呼と絶叫で収拾が付かなくなりとうとう暫く曲を中断の上、また初めからアンコールとなった由。歌劇はほんとうに知ら ずにいたが先週末の梅葆玖の「宇宙鋒」での観客の気の高揚に遭い、いろいろ考えさせられる。

一月八日(月)早晩かなり久々にジムで有酸素運動。実に十月朔日以来。帰宅してドライマティーニ二杯。NHKのNW9で連休の終わり、正 月の海外旅行からの帰国ラッシュ報じ海外旅行について会津の男、柳澤君が「海外旅行は昔は海外に行くことが目的だったが今はその中身なんですね」と語る。 何気ないコメントだが、昔から海外旅行の中身にこだわる人もいれば今だって「海外に行く」ことが目的の重要な一つであることに変わりなし。空っぽにコメン トばかりが横行。財政破綻の夕張市で成人式の予算が前年からの繰越金1万円だけ、で夕張の若者らが自力で成人式開催。柳澤君も感無量で言葉もない様子。 「自衛隊をイラクに遣る予算はあっても夕張で成人式すら出来ないのでしょうか?」くらい言ってコメンテーターだろうに。『世界』十月号ようやく読了。『世 界』に「パリ通信」ながく連載の藤村信氏が昨年八月に巴里で逝去されていた由。享年八十二歳。松山幸雄氏による追悼の一文で知る。「パリではミッテラン率 いる社会党が……」といった毎月の巴里通信に「巴里、巴里と、巴里だからいったい何なんだ」と多少の不快感もあれ、韓国からの「TK生の手紙」と並び当時 の『世界』では欠かすことなく読み続けたもの。藤村氏が中日新聞で1967年に巴里特派員となり70年より同紙嘱託で90年には同紙と東京都新聞の欧州駐 在客員という立場で巴里にジャーナリストとして住まい続けられたことは日本の新聞社では「通常はありえない話」と松山氏の言う通り。松山氏とあった藤村信 が、仏蘭西は米国嫌いの印象あるが巴里の地下鉄にフランクリン=ルーズベルト站があるように先の大戦での米国への恩義を表わす気持ちがある。日本に周恩来 站がありますか?、と。御意。
▼昨日の蘋果日報で陶傑氏が香港のバブルの如き好景気と中国市場拡大について書く。外貨保有がUS$1兆と世界一の貯蓄大国の中国はクレジットカード所有 者はまだ二千万人だと思うと十三億人の市場にまだどれだけ潜在的内需があるか、はおって知るべし、だが、今でこそその中国の市場開放で恩恵得る香港が、今 後どのようにその存在価値を維持できるか。陶傑氏は法治、秩序、理性と公正を挙げる。疫病があれば情報が秘匿されず自動車の轢き逃げは当たり前でなく公共 医療が整備され医者が手術前に巨額の費用を請求せず動物園では虎が子牛を捕らえて喰う表演を見せず……そういった「価値が」(本来なら当たり前のことだろ うが)中国にとって「香港はマシ」と思わせるだけの価値がある、と陶傑氏。
▼シカゴ派経済学の奇才でノーベル経済学賞の候補と称され香港大学経済学院でながく教鞭をとり「米国シアトルでの贋骨董品販売や巨額の脱税で追徴受け刑事 裁判でも有罪となりインターポールの指名手配受け中国国内に逃亡中」の張五常教授が珍しく週末に香港電台(RTHK)の取材受けたそうで新聞がそれを取上 げる。今日の信報にかなり詳細にわたりインタビュー内容の掲載あり。いくつか書き写せば
・香港での消費税導入は反対。「北上」して深圳での消費増やすだけで香港の小売市場にとっては自殺行為。
・香港経済にとっての政府による積極的不干渉主義はSir Dolandに言わせるまでもなく数十年前に公共住宅提供と居住費抑制、公教育推進などの大規模な推進の時にすでに不干渉など終わっていた。
・フリードマンが見たのは戦後二十年の香港の高度経済成長期で、人口が十倍になりながら高度経済成長遂げたこと市場主義として絶賛したが(シンガポールは 同時期に同じような経済成長あったが人口は二倍に増えたのみ)、深圳は二十年で人口が30万人から1450万人に激増しており深圳の経済の奇跡は香港以 上。
・深圳の経済規模や貿易量は香港を凌ぐ勢いにある。但し香港が例えば英語の高い水準などで内地を引き離してはいる。それでも香港政府の政策に今後、柔軟性 がもたられるかどうか疑問。
・60、70年代に香港の軽工業中心として産業発展は中国に大きく貢献しており、香港がなかったら今日の中国はない。
・ノーベル経済学賞は確かに80、90年代初頭にかけ自分がかなり近い位置にはいた。しかし経済学賞の対象が数理経済学に向い、理論経済学である自らは遠 のいた。
・(香港に戻りたいか?という質問に対して)そりゃ戻りたい、が、そういうことは尋ねないでほしい、と。

一月七日(日)快晴。気温摂氏十度と極寒。蘋果日報朝刊が一面で日清食品の安藤百福翁逝去伝える。勿論、華僑ということもあろうが「即食麺之父逝世」という大見出しでわかる通 り香港人にとって「出前一丁」は数数多ある即席麺の中でもまさに格別(実際に茶餐庁でも車仔麺屋でも生の製麺より「出前一丁」が高級)。カップラーメンの 普及もありスーパーのレジに並ぶと「なんでこんなに出前一丁買うのよ?」といつも思うが香港人にとっては出前一丁はまさに国民食。本日、毎年正月恒例のミ ズノハーフマラソンあり。レースぢたいは参加してもかなりの遅れで走るが申し込みだけは遅れたことのないアタシが昨年晩秋はかなり諸事忙殺され、このミズ ノの申し込み数週間遅れ「満額爆満」で参加できず。昼前に香港大学の図書館。入館証の更新と少し調べもの。港大から西營盤にぶらぶらと下る。坂道だし古い 建物は多いし、天気のいい冬の日には写真を撮るのが面白い一帯。ト ラムで上環。ちょっと裏通りに入るとHillier街で三軒、それなりにちゃんとしたマレーシア料理屋が、まさに「対峙」していて凄い光景。加東叻沙(Katong Laksa)という肆に蝦のラクサ食す。 ちょっと濃い口。それにしても何故、香港でラクサは他の麺に比べ平均的に高値なのかしら。ここもHK$48もする。午後、上環で薮用済ます。三聯書店にて 沈從文(1902〜 1988)の從文自傳など購入。先日、リコーのGR-1デジタル購入のカメラ屋に寄ると「売り切れ」だそうな。先日、余が入手以来入荷なし、と。そういえ ば昨日、旺角の「ニコンで大儲け」の萬成カメラ店覗いたら、ずっと何年も展示されていたContaxのG2の本体も、好事家には垂涎もののホロゴン、ビオ ゴンから90mmのゾナーまでGレンズ各種全て揃ったHK$10数千と超破格値のG2セットもすべて店頭から消えていた。どなたか製造中止のGシリーズを 確保されたのかしら。燈刻、皇后大道中の羅富記で及第粥と皮 蛋痩肉粥を外買。晩にZ嬢と食す。
▼アサヒカメラ1月号。表紙が思いっきり篠山紀信撮影の中村屋の身替座禅。まぁ貫録もついていい悪いは別として先代の勘三郎に似てきたねぇ、と。ただ個人 的にヘンに写真映りのいい役者は苦手。中村屋もそうだし高麗屋とか。写真見ると芝居が見えてしまうような。写真じゃ伝わらない芝居の芝居たるところ、でい えば大成駒であれ仁左衛門であれ写真で見ても本人の芝居の凄さは伝わらないでしょう。それが写真で伝わってしまう、というのは、そういうビジュアル的な芝 居をしているから、じゃないか、とちょっと思う。

一月六日(土)さすがに宿酔少々。午後、九龍に薮用済ませ昏時、九龍湾牛頭角下邨漫ろ歩く。すでに上邨(第1〜7座)取り壊され、下邨(第9〜14座)が 今では珍しくなった旧式の公共団地。第 9座のあたり雑多ながら美味いもの供す食堂多し。夕暮れにまだ晩の店開ける支度ばかりのなか賑わう金園麺家なる肆に雲呑麺食す。寒気香港を襲う。ミニバスで旺角。花園街 の浩記甜品に芝麻湯丸食す。甘い生薑湯に暖をとる。地下鉄で 葵芳。葵青戯院。北 京京劇院三劇団の一、梅 蘭芳京劇團の芝居見る。梅蘭芳の子、梅葆玖が座長務める「梅派」の伝統守る一座。昨日からの三日連続公演で昨晩の梅葆玖による貴妃 酔酒見逃したのは残念だが今晩は「白猿獻壽」と梅葆玖が趙艶容を演 じる「宇宙鋒」。前者は白猿が病身の母に長寿の桃を授けようと伝説の桃園に向うが途中行く手を火神に阻まれ、の剣術、軽業もの。後者の「宇 宙鋒」は(筋書きによれば)秦の始皇帝襲った世継ぎの王は酒と女にばかりに現を抜かし治世は首相の趙高らが好き放題。趙高には趙艶容という寡婦となった美 貌の娘あり。王は艶容に一目惚れ、ぜひ妃に、と願ったが、王に輿入れなど願わぬ艶容は気が触れた振りで父と王の前で苦言呈す振るまいで鬱憤晴らす、と。初 めての芝居で筋書き読み、それだけでどうやって二時間以上の芝居になるのか、と疑ったが、幕が開いてどうも話の辻褄が合わぬ、と思ったら、筋書きの粗筋は ほんと芝居の後半部分。実は趙高の娘、趙艶容は父と同じ秦王の側近の一人・匡洪の子息の許に嫁ぎ、相思相愛の夫と仲良く暮す日々。宮廷では匡洪は同じ側近 の趙高らの傍若無人ぶりに憂国の念から趙高らと袂を分かち王に苦言を呈す。趙高らはそれを疎み、趙高は或る策略思い立ち、匡家の宝刀・宇宙鋒を家臣に匡家 より盗ませる。夜中に家宝が盗まれたのを見つけた夫と趙艶容の二人。宮廷には何も知らぬ匡洪が詰めるが王が何者かに命狙われ謀反の輩の刀は匡家の宝刀・宇 宙鋒。匡洪は家宝の刀が目の前に差し出されては「何も弁明にできぬ」と牢に入れられ、匡家には王の軍隊が詮索に。家臣となりかわった夫はお家の存続のため に、と裏門から逃げ、家臣が殿の身代わりで命を落とす。趙艶容は夫が命おとすのに泣き崩れてみせ、まんまと夫を逃がす。で寡婦となり父・趙高の邸に戻った 趙艶容、生き別れの夫を偲ぶ日々、父をも憎み……と、ここで筋書きのあらすじに話が戻る。芝居の物語もなかなかいいが、何よりも趙艶容の美貌と歌劇として の歌の上手さがこの芝居の華。梅派ならでは、の歌劇。夫の仲睦ましい日々、夫と別れた悲しみ、父と王への悪態、と、その喜怒哀楽を歌いこなす妙。この趙艶 容を演じるのが(夫との幸せな日々の場面演じる)のが梅葆玖、それ以外の全ての場面を梅葆玖の弟子、胡文閣が演じる。さすがに字七旬と三の梅葆玖が通しで 演じるには大変な芝居であるし、愛弟子の、梅派でも唯一の(というか北京であとどれだけいるのか)女形である文閣に舞台を経験させたい、という座長の肝入 れもあろう。実際、器量では今ひとつだが歌唱は絶品の胡文閣に、客も梅葆玖への讃美に勝るとも劣らぬ「好!、好!」と掛け声、拍手喝采。芝居跳ね役者らと すでに平服に着替えた梅葆玖がカーテンコールに現われる。客のほとんどが立ちあがり梅派一座に大拍手。芝居はこうでないと。梅 葆玖は昨日の信報の文化欄で大きく取り上げられる。梅葆玖が広東語に流暢なのは戦時中、日本による対華侵略の際に父親に従い香港に二年疎開したためで当 時、十歳余の葆玖、広東語を今でも覚えている、という。京劇で女形が大切なのは、まず体力であり自らも七十過ぎてもまだ演じるに能うが女優の場合、五、六 十になると老けて美貌にも翳りあり体力も限界で美貌の役柄演じるには能わず、と。元来が男であるから女を演じるのに目つき、手の指先から歩き方まで仔細全 て師匠に教えられるままに学び、本人も女を演じるために女を意識するから、女優が演じるより女形は更に美しくなる、と梅葆玖。1961年に結婚したが文革 で14年間、舞台に立てず歌うこともできず、父・梅蘭芳であるとか程硯秋らが文革の前に病故したことは、もし生きていれば梅葆玖以上に厳しい自己批判など させられたであろうから、早逝は幸い、と語る。四台名目の一人・梅蘭芳の息子として梅葆玖は昨年末、四大須生の一人と称された譚富英の聖誕百年記念で譚富 英の子、譚元壽(78歳)と「打漁殺家」の一段を歌い喝采を浴びた由。譚家が元壽が五代目なら御曹司、孫の譚正岩まで七代になったのに比べ、梅派は梅葆玖 の孫の梅瑋が北京大学中文系で学んだあと中央戯曲学院で演劇理論を学び幾段かは京劇も出来はするものの梅葆玖曰く「もう太っちまって、楊貴妃ぐらいです ね、演じられるのは」と。で梅派の今後は梅葆玖の二十数名の門弟ら、にかかるが女形は胡文閣その人、一人で、この人が今晩の趙艶容を師匠と二人一役で演じ た女形(……と話がここまで長いが、そういう経緯)。梅葆玖が亡き父との思い出を語るところによると、梅蘭芳は戦前、中国にあって西洋など海外の芸術の吸 収に余念なく当時、オスカー受賞の映画、ソプラノの合唱公演も女形として女声を学ぶためずいぶんと連れて行かれた、と回顧。梅葆玖の芸談は面白さ尽きず、 昨年末も北京中南海の懐仁堂で政府要人らの新年京劇晩會の催しあり、梅葆玖は胡錦濤、江沢民、呉邦国、温家宝、賈慶林らを前に「貴妃酔酒」を踊った由。共 産党幹部もまさに北京の宮廷人ぶり、梅葆玖語るに「毛沢東は劇本手にして見るほどの熱心で、胡錦濤も泰州(江蘇省)の中学んだ頃はテノールだった」そう な。一流の役者の芸談さすが面白い。

一月五日(金)朝、白む空に見事な月。いつの間にか十五夜も過ぎて旧暦十一月十七日の朝。昼にHappy Valleyの寿司澄。晩にS氏、U氏との会合が流れZ嬢と二人で北角の寿司加藤昼、 夜と寿司で幸甚。おまけにU氏より急な出張のお詫び、と北海道のロイスの生チョコまでいただいてしまった。これも美味。加藤では見事な鰭で鰭酒も。Z嬢と 勢いづき銅鑼湾のバーS。B氏と久々に邂逅。自宅近いS氏現 われ帰りがけにバーYに寄る。
▼禁煙条例発令で蘋果日報に蘭桂坊の路上の煙草商の談話あり。今では日に30〜40箱の煙草しか売れず利益はHK$200程度。これは二十年ほど昔なら一 週間の利益に均しい由。煙草の売上げ下降は世の中、禁煙よりも深圳などの往来で免税の煙草の影響という。

一月四日(木)ネットの接続状況だいぶ改善される。最近、気になるのは週刊文春なら文春をパラパラと捲ろうとすると「捲りづらい」こと。パ ラパラ捲ることでだいたいどういう内容の記事があるか、と合点いくのだが捲ろうとすると広告の頁ばかりが「ひっかかる」。ふとよく見ると偶然か広告の頁の 断裁だけが本誌記事の頁よりちょっと出ている。次週も一緒。広告を見せるためにこういう策略があったのかしら。諸事忙殺され晩に湾仔のときどき参るどうでもいい茶餐庁に食す。晩には賑やかな食肆が偶 然か珍しい閑散ぶり。禁煙条例の影響で煙草一服に憩う客が集まらなくなった所為かしら。茶餐庁の多い雑居ビルで何気に観察すると路上に卓を出す=屋外喫煙 可のところには数組の客あり。銅鑼湾などの一等地に店構える大店の茶餐庁は路上に卓を出すも能わず、寧ろ鄙びた路地裏の店こそ路上での商売も勝手でラッ キーか。
▼写真撮影。先日、深圳に遊んだ際に痛感したがライカくらいのレンズになると撮影対象でなく、まずその日の天気、陽射しの具合でレンズ選ばねばならぬ、と いうこと。それとGRデジタルがマニュアルモード選ぶとモニタ付き露出計?として使えるのも面白い発見。
▼朝日新聞の「私の視点」に作家の澤地久枝さんが「憲法60年 明るい年にしてゆくために」と一文を寄せる。無駄な言葉、表現が一つとしてない、贅肉を削 りに削った名文中の名文。何度繰り返して読むにも値す。だが、これが「この着物姿のお婆さん、何をそんなに怒ってるの」とか「澤地久枝って女流作家だとは 知ってたけど共産党かしら」で「市民運動、だなんて危険ねぇ」と思われるかも。
フィリピン戦線でたたかった大岡昇平氏は、30代なかば、妻子ある 身を戦闘に投じられ、死は目前だった。「いま日本が手をあげたら、いちばん困るのはルーズベルト大統領だな」と思う。ソ連国境の戦闘で命をひろった五味川 純平氏は「戦争は経済行為が」と見ぬいていた。
二人のすぐれた文学者の指摘を、この年頭にしっかり思い返したい。 戦争体験世代が命をかけてつかみとった「真理」の意味を。
06年の秋以降、生活が苦しくなったという人たちが増えた。保険料 があがり、医療費の自己負担は増え、年金の手どりは減って、この国が「富国強兵」ラインを行く結果が、生活をむしばみはじめている。
昭和初期の、戦争前夜の世相と似ていますか、という質問は多い。人 々が口をつぐみ、世のなりゆきをうかがって腰を引く、その点では、まったくよく似た世の中がまたしても姿をあらわした。
この国には今も「お上」に対する脅えが生きているのか。ことなかれ でゆくことこそ、安全コースという守りの姿勢はなぜなのか。
このままでは、歴史はくりかえされる。境域基本法をゆがめ、自衛隊 法を変えて公然たる軍隊にし、戦争できる方向が選択された。そこに主権者である国民の意思はどれだけ反映されているのか? 主権在民をマンガにする政治が まかり通ったのだ。
戦死者ゼロ、福祉国家を目ざした現憲法下の実績の否認がはじまろう としている。さらにこの反動的選択は、同盟国アメリカの要望への答えであること。つまりは主人持ちの政治であること。命をさしだすだけでなく、アメリカの 膨大な軍事費への助っ人の一面をもつことをかくさない。
大国の誇りにこだわりながら、この国の政治家たちは、従属の現実を 無視する。そのアメリカは、イラク侵略の泥沼にあえぎ、まさにもてあましている。小泉前首相はイラク出兵を速断しながら、責任をとらずに退陣、安倍内閣は その政治路線の具体化に忙しい。
国内の民情悪化とその疲弊は避けがたくなった選挙で議席を失えば、 政治家はタダの人。確実に政治は変わる。政治のあまりの悪さ、露骨さに、危機感をもつ市民が全国に生まれた。もうこれ以上の逆コースは認めない。悪法は押 し返し、憲法本来の国にもどろうという市民の意志。悪政はおとなしい市民たちを揺さぶり、無視できない運動を拡大しつつある。希望のタネ、希望の灯は、市 民運動によって守られる。
市民は自衛する。武器なきたたかいだ。考えて思慮を深め、おのれ一 人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、あやうい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決 意にこそかかっている。「憲法を泣かせるな」を、施行60年目にあたる今年の合言葉にしよう。
歴史の犠牲となった死者たちを活かす道は、私たちの掌中にある。い かに状況が錯綜し、本質をかくしても、二人の文学者の言葉は、本質を見抜く鍵、真理として私たちを支えている。
▼最近、信報で香港大学法学部助教授の戴耀廷という人の連載「法治人」冴える。昨日の紙面に「從「七一」到天星對管治的啓示」という一文あり。先月末の中 環のスターフェリー埠頭の移設に伴う旧埠頭建物の撤去で時計台解体。市民の関心高まったが、数年前から立法会などで審議事項となっており既存の事実として この移転計画進行しており実際の工事が始まったからといって反対運動起きても対応できぬと政府は解体工事進めたが、戴氏指摘するように、もともと解体に大 きな反対世論は起きておらず、実際に抗議活動する人々の数は少なかったものがが突然、解体の時の声となったのは昔ながらの時計台の解体が香港市民にとって 「集団的記憶の喪失」といった感情を覚えさせること、そして最も重要なことはマスコミがその「集団的記憶の喪失」的論調でこの時計台解体を大々的に取り上 げたこと。戴氏はこれについて、だから「やらせ」だといった指摘するのではなく、03年の71デモ(基本法23条立法反対など謳う50万人遊行)を境に香 港の政治的環境が変わったこと、と指摘。スターフェリーでの抗議活動といえば1967年のスターフェリー運賃値上げ反対が記憶に鮮烈。当時はまだ香港市民 の重要な生活の足であったスターフェリーの値上げ決定に市民が抗議活動始め中国の文革の影響あり大規模な反英暴動となる。この時は具体的な生活への影響が 懸念されたのだが71デモは生活とは直接影響のない政治的関心であり、97年の返還以降の政治問題の鬱積が、その爆発が71デモであり、政府と市民との間 の分層化顕著となり、今回のように大規模な反対世論など起きておらぬ事象も「集団的記憶」といったファクターで政府への懐疑心が高まる結果を生むように なった、と。御意。

一月三日(水)雨音で目覚める。一昨日元旦の窗掃除後悔。近日中に雨があるとわかっていればマンションで高所恐怖症が命懸けの窓拭きなどせぬものを。ロン ソンのライターがすっかり鳩居堂の線香に火をつける役割になっているのが寂しい。煙草は吸わなくてもいいがライターに愛着あり。重みのあるライターがスー ツのポケットに入っている安定感。昨日、ネットの繋がりがまた悪くなったが今朝のSCMP紙によればPCCWなど復旧の回線を法人に優先的にまわし家庭用 の復旧は一月中旬になる、と見通し。昼にZ嬢と中環粗呆地区の仏蘭西料理 Le Tire Bouchon に食す。鳥肉のクリームソース煮、牛肉ソテーのリンゴと赤ぶどう酒のソース煮と書くと肉のソース料理続きだが 全く違う食感と味つけで美味い。デザートもいい。Château Listranの赤葡萄酒。Caine Roadの甘棠弟(Kom Tong Hall)は何東(Robert Ho Tung)の弟でJardine商会の買辧であった何甘棠の屋敷として1914年に落成。英国のエドワード様式。戦後は長く耶蘇基督後期聖徒教会(the Church of Jesus Christ of Latter-Day Saints)が 所有したが同協会が湾仔に高層ビル建築し、その後は取り壊しという声もあったが歴史建築保存の機運高まり政府が買収し此処が孫中山記念館となり先月だったかに開館。参観。孫文の中山なる 名前が千葉の中山に因むことは有名だが孫文記念館は当然、生まれ故郷の広東省中山市(孫中山の名に因む)、マカオにもあり、香港は孫文が中央書院、現香港 大学医学部になる医学校で学び革命運動で客住したことで孫文に絡む史跡もあり、記念館設ける運びとなる。が何よりも大切なことは「1997年以降の歴史観 にとって」中国の近代革命に香港が歴史的に絡んだことの重要性だろう。Olympia Graeco Egyptian Coffeeで珈琲豆購う。 中環の攝影科學(Photo Scientific)で英国のカメラバッグメーカーBillinghamのHadley ProをZ嬢に 買っていただく。十数年前に同じBillinghamの型番555という一眼レフが2機入るくらいのバッグも誕生日だかにZ嬢にいただいて当然丈夫である からまだ現役だが一眼レフを持ち歩くこともないと日常のheavy duty用のバッグとなっておりカメラを入れるのは旅行のときくらい。実はライカのM用にライカがBillinghamと共同開発でライカ社がオリジナル アクセサリーとして発売しているバッグ(こ ちら)もあり。但しこれは本当にライカM1台と交換レンズ2本という究極のバッグで、Hadleyシリーズは一眼レフはレンズを外さないと入らな い微妙な大きさだがライカM(EpsonのR-D1sもここに含んで貰うが)ならすっぽりと入り交換レンズ、雑誌入れても十分で而もインナーケースを外す と日常のビジネスバッグにもなるし小型のノートブックも入るという利点もあり、でHadley選んだ次第。正月気分最後に擦背と按摩。帰宅しておせち料理 の残りつまみ菊正宗一合。
▼晩のNHKのニュースでKDDの海底ケーブル架設専用船「KDDケーブルリンク」が台湾に向い二週間程度でケーブル復旧させたい、と報道あり。ケーブル 不通からすでに一週間。

一月二日(火)年末よりどうにか応急復旧していたネットの接続はまた悪くなる。サイトなど更新はできるが閲覧に困難。聖誕説から年末年始の休暇明けで企業 など本格的に動きだしたことで臨時架設のケーブルの負荷でもかかったか。Z嬢と深圳に行こうか、という話となる。深圳東莞に最近も何度か足を運んでいるが 深圳市街となると確かSARSのあとは一切行っておらず2003年の今ぐらいが最後だと思うと4年ぶりか。地下鉄も知らない。昼すぎ深圳に入る。深圳駅前 も地下コンコースなどすっかり整備され而も設計がポストモダン。香港のオクトパスと同じ「深圳通」なる儲値票(100元、内保証金40元)購い地下鉄で科 学館(Kexueguan)站。站から深南中路の大通りに出ると「荷風餐庁」という食肆あり。南園路歩き老北方餃子館に食す。羊肉の餃子は格別。華強路の地下鉄站でZ嬢と別れ 独り歩き。地下鉄の二号線?は香港との境界の皇崗までが開通しておらずまだ4站だけの部分開通で単線運行(15分に1本)。会議中心でこれに乗り換え少年 宮。蓮花山への上り口にある關山月美術館に嶺南派の書家、關山月(関 山月、关山月)の書画を観る。關山月(1921〜2000)の多くの作品が深圳あるのは關山月が広東省陽江県の人で、若い頃にはマカオや香港でも個展開 き、關山月自らが生前、深圳市政府に所蔵の作品の多くを寄贈。この美術館も山水画などの観賞をきちんと考えた設計で見事。關山月は文革で1964年に彼の 作品で梅の枝が下を向いていることが「社会主義が倒楣(倒梅)するよう攻撃を加えた」として思想改造のための幹部学校に下放され描画許されず。1971年 に広州で日中文化交流協会の一員として訪中していた宮川寅雄と会った頃から文革後初めて描画活動を始めた由。偶然、同博物館でHolger Matthiesのポスター展も開催されており観賞。第 5回深圳国際水墨画ビエンナーレも現代的な水墨画数多し。同美術館を出て深圳書城に向う。深圳の市政府と市人大のある、70年の大阪万博パビリオンのよう な深圳市民中心の北側に深圳市少年宮、深圳書城、深圳音楽庁や市図書館な ど点在する文化地帯。そ の北には蓮花山公園があり標高100mほどの小高い丘の上に鄧小平の銅像があり、ちょうど深圳市政府の真北にあり鄧小平の肝煎りで出来た深圳市を鄧小平が 守護神のように見守る。本来であれば、そこに市政府と並び市党委や市政協があることで権力の威厳強調されたものが(市党委はあえて茘枝公園傍に控え)この 広大な敷地の市中心区は、市民広場を中心に配置。南は巨大な深圳国際会展中心までの区画に超高層のオフィスビルが建ち並び、市民広場の北に、前述の、パビ リオン的に祝祭の意匠である市政府、その北に文化ゾーンとなり、鄧小平が鎮守する「仕掛け」。このまるで陽明学のような都市構造のなかで深圳書城の位置が 最も興味深い。市政府と鄧小平像のちょうど間に「巨大とはいえたかだか本屋」。図書館がアレクサンドリアの都市にとって重要な位置を占めたように、思想と 知識が党政府により統制される国おいては「知の宝庫」の位置付けは重要。深圳書城は 巨大な見本市会場のような低層の建物が整備された緑地帯の中にあり星巴珈琲だの仏蘭西からの職人がパンを焼くケーキ屋だのが「洗練された」空間を演出。「柔 らかい管理」。中に入ると、本、本、本。中国の書籍というと政府の出版検閲をパスした内容の、硬くて面白みのないものが粗い紙に印刷され安っぽい装丁 で……というのは昔の話。驚くほど装丁は美しくなり印刷技術も当然かなり高度で、但し価格も(香港や台湾に比べればまだまだ安いが)中国の物価で考えると それなりに高い。実際に広くて何処から手をつけていいのか迷う。偶然に深圳に向うKCRの車中で読んだ信報でWilliam鄧達智君が『郷居閒情』という 書籍を紹介。魯迅、茅盾、巴金など作家が故郷について書いた随筆などを集めたもの。これを読みたいと思ったが何処から探せばいいか。店内には書籍検索用の 電脳がずいぶんとあり書名のうち「郷居」と入力するとちゃんとこの本が3冊在庫あり、と表示され(正確には「郷居閑情」という書名であった)、だだっ広い 店内だが「位置」を観ると店内地図が表示され「ここ」と判るから凄い。但し、その中国現代文学のエリアも広すぎて、結局、そこにいたスタッフに尋ねたのだ が。その娘に「郷居閑情」と書いたメモを見せると「郷」の字は「幺」か?と確認され、ここまで繁体字はもはや読めぬのか、と驚く。すぐに書のある場所教え られ京華出版社の楊耀文という人の選で『郷居閑情』の他に『那晩在酒中』『我的書斋生活』『五味』『一日仏門』『独語』と五冊の、故郷、酒、書籍、食、哲 学、独り言というジャンルで一流の作家の名文を集めた随筆集のシリーズであった。日本では作品社が「日本の名随筆」という確か百冊に及ぶいいシリーズ刊行 しているが、それと同じ。一冊22元。どうせならまとめて、と。賈平凹の著作は置かれていないかしら、と思ったが随筆集『説舎得 中国人的文化與生活』、 それに賈平凹の語録と書画を集めた『賈平凹語画』山東友誼出版社、それにインタビュー集の『我的人生観』雲南人民出版社などあり、この三冊も。中国で当局 から「どこまで睨まれているのか」不明。郭沫若散文選集(百花文藝出版社)も。計十冊で229元は日本でなら下手すると厚手の新刊書一冊の価格。環境保護 で包装は書籍をまとめて紙の帯で巻くのみ。紙袋は有料。書籍の大漁は嬉しいが、これで余り歩けなくなり、Z嬢と待ち合せの時間もあり音楽CD(書城なので 当然、悪名高き海賊版に非ず)など見られぬまま華強路の地下鉄站でZ嬢と合流。地下鉄で羅湖へ。Z嬢とまた別れて何もすることなくシャングリラホテルのバーで一飲。バーで玉突きに興じる仏蘭西人、もう 一人欧州人、中国人の三人組。そこにHappy New Year!と70年代風ダンディな英国人が登場。カウンターに坐ると黙って白ワインのソーダ割りが供されカウンターに置いたこの人の鞄と上着をバーテン ダーがカウンターの中にさっとしまう。で煙草を二服。「香港じゃどこもかしこも禁煙で地獄だ」と氏。中国人の遊び人が「二手煙(間接喫煙)があるのだから 仕方がない」と答えると、英国人は「ぼくも二手煙はいやだ。新鮮な煙に限る」と美味そうに煙草を吸う。で、すっと玉突きに加わる。バーのお手本のような世 界。英エコノミスト(12月23日号)とFar Eastern Economic Reviewの10月号!読む。Z嬢来て小雨のなか食肆多い向西村(村と言うが繁華街)まで歩く。ほんとうに街中がきれいになった、と驚く。綺麗なだけで なく確実に洗練されている。向西路の珍しく四川料理で巴蜀人家に 食す。坦々麺というのは本当に店によって全く違う、麺、味つけ、料理法で出てくるから興味深い。この店の辣油のなかに麺の浮かぶ(翌朝の下痢必至)坦々麺 も秀逸。路線バス(これもとてもきれい)で深圳站。羅湖の境界越え香港に戻る。帰途、月刊信報1月号読む。香港電台の高職にある張圭陽という人の香港電台 (RTHK)公営化問題に関する記述かなり面白い。97年の香港返還前に英国政府が返還後の中国政府の公共放送への介入警戒し香港電台の民営化企図し中国 政府の介入で民営化断念。現状では香港電台の「反政府的な言論」が親中派土共らに攻撃され「不偏不党のために」公営化など検討される。
▼Far Eastern Economic Reviewの10月号、特集は「シンガポールの挑戦」。同誌は前号でシンガポールの非民主的政治状況を取り上げたことでFEER社はシンガポール政府よ り告訴され罰金刑(笑)。同誌は更に10月号で意欲的にシンガポールを取上げた次第。シンガポールの読者が読者欄に、前号でFEER誌ともあろうものがシ ンガポールを意図的に偏見でもって非難した、と抗議。「過去40年にわたり自由で公平な選挙が実施されてきた」としてシンガポールが自由で、汚職など社会 悪を排除した理想的な社会建設に向けて努力しており、シンガポールの反体制政治家Chee Soon Juanに対して何ら建設的な政策もなく海外でシンガポールを非民主的と吹聴してまわるばかり、と非難。これに対して同誌編集部はChee Soon Juanの反応を掲載。Chee氏曰く、これまで上梓した5冊の著作のうち2冊は明らかに自らの党のマニフェストであるのだがシンガポールのマスコミが正 面からそれを取上げぬので投書主はたぶん知らないのだろう、として、「海外での吹聴」も05年9月が最後の海外でのシンポジウム出席で、それまで海外でそ ういった会議出席も毎回数日で年の9割はシンガポールに居たし、06年4月には政府から旅券剥奪され海外渡航も制限された状態、と述べる。Garry Rodanによる“Singapore's Founding - Myths vs. Freedom”では、06年9月のIMFと世界銀行の会議をシンガポールで開催するにあたりシンガポール政府はUS$85m拠出し国際金融都市としての イメージアップに努める反面、この会議に集まったNGOなどの渡航制限(彼らはシンガポールに隣接するインドネシアのBatam島で集会)。IMFですら シ政府のこの過剰対応に苦言呈すほど。国内全域でのネットのWi-hiでの無料接続についても同国のSenior Minister of Stateの“In a fee-for-all Internet environment, where there are no rules, political debate,could easily degenerate into an unhealthy, unreliable and dangerous discourse, flush with rumors and distortions to mislead and confuse the public”という言葉引用し同国政府のネット通した思想管理の実態を指摘。Michael D. Barrは“The Charade of Meritocracy”でシンガポールのエリート養成と政府奨学金、そのエリートの登用と政府系企業の構図、さらに民族平等といいつつ華人によるシンガ ポール統治の現実について論及。人口比では23%が非-華人であるが、政府奨学金は1966年の建国から80年までは奨学生の8%が非-華人であったもの が80年以降は3.8%まで減る。この1980年頃に政府は儒教教育の重要性や中国語教育の充実を提唱。華人が大多数を占める奨学生は1994年に政府閣 僚の14名のうち8名だったものが2005年の組閣では19名のうち12名。この華人エリートによる社会運営が建国の父・李光耀頂点とするものは誰もが想 像に易いが、この歪つな「神話」がどこまで維持されるのだろうか、と。Hugo Restallは“Financial Center Pipedreams”で国際金融都市というシンガポール金融について。Morgan Stanley Asiaのエコノミスト某氏が突然の辞任。辞任の理由は明らかにされていないが、この人が電子メールで「シンガポール金融の成功の要因の一つにインドネシ アの政府高官や実業家の贈収賄による闇金の「洗浄」がシンガポールの金融界でなされていたことがあるが、インドネシア経済の破綻でこの仕事がなくなり、次 にシンガポールにとっての金の卵が中国で、中国の闇金吸収のために(あれだけモラル社会であるはずが)カジノ実現が必要」と述べていたことが発覚。この否 定的発言が彼の辞任に影響及ぼした由。中国の汚れた金もかつては香港、マカオで洗浄されたが香港とマカオが中国「国内」となったことで中国政府の力の及ば ぬ金融市場としてシンガポールが着目されているようだが、筆者は金融市場にとって最も大切なのは自由な言論と情報の自由な往来であり、それの制限されたシ ンガポールの不透明さに疑問呈す。……とまぁこれだけシンガポールの「悪口」書けば同誌が告訴されシンガポール国内での同誌販売に制限加えられるのも必至 か。
▼同誌10月号に前述のHugo Restall氏(同誌記者)が山西省の葡萄酒製造Grace Vineyardについて長文の紹介。中国の葡萄酒といえば長城(Great Wall)や王朝(Dynasty)でお世辞にも飲める代物でなかったが、山西省という葡萄成育に見事に条件の整った土地でGrace Vineyardの葡萄酒が1997年に農場を開き01年に初出荷。周囲に葡萄農園がないことでワイナリーにとって最も怖い、葡萄間の疫禍が防げる、と。 御意。とくに02年のMerlotとChbernet Francが絶品、と。年間4百万瓶出荷できる農園で現在まだ50万本の生産。まだまだ今後が期待できる由。

一月朔日(月)。昨晩の年明け早々に安倍三世の年頭所感など見てしまい新年早々不愉快。施行60年迎える日本国憲法に関し
新 しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書き上げていくべきだ。その前提となる憲法の改正手続きに関する(国民投票)法案について、本年の通常国 会で成立を期す。憲法改正について国民的な議論が高まることを期待している。
と宣はれる。思わず深夜独り深酒。首相が新年早々、憲法改正など宣う一方、国民は<家族の絆>なんてテーマの紅白を見て家族揃って深夜、元朝参りだろう か……。この昭和十九年の年明けの頃の首相と国民の「どちらも滑稽」な感覚の乖離。これぢゃ徹底的に救われぬ。朝起きて、正月祝いという習慣もなく実家の 母に電話一本入れ餅が好きなので雑煮だけは食す。お屠蘇もなし。昼にZ嬢と湾仔のCaffè HABITŪに食す。こ こ数年で伊太利人のこ のHABITŪなる食肆が香港に何軒か開かれる。伊太利料理だがあっさり、で雰囲気はかなりストイック。期待以上に美味いBaked Sandwichと珈琲好きにはたまらなぬエスプレッソ。ほんとうにきれいな快晴の空。香港公園から香港動植物公園を散歩。FCCに鳥渡やすみませう、と 気分がとてもいいので三鞭酒を二杯。バーに燦々と陽の木漏れぶ午後、いつもオヤジたちが屯するバーカウンターには不思議と客なし。会員に愛煙家多いFCC も今日からの館内全面禁煙でみんな失せてしまったのかしら。香港は本日より18歳未満入場せずとして禁煙条例適用免除受けたバーや雀荘、サウナなど除き一 斉禁煙。中 環のWatson's Wine Cellarに白葡萄酒購いに参ると丁度、酒の品出し中でGlenmorangieのきれいな半打の箱空いたので、それを頂戴する。帰宅。晩にK氏来宅。 ドライマティーニ。Z嬢の自家製伊達巻きなど少しの御節料理。琴平の金陵、二本松の黒の松純米。バランタイン17年飲みながらマイルス=デイヴィスの 'Round about midnightなど聴く。

日記インデックスに<戻る>