乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


一月卅一日(土)快晴。昼にピアノ稽古終はつたK氏とZ嬢と炮台山城市花園の「自然や」にちらし寿司食す。春を通り越し汗ばむ陽気のなか散歩してヴィ クトリア公園。来週日曜に開催の香港マラソンのゼッケン等受け取り。今年で13回目の大会に第2回の10kmから12回連続参加でここ4回はフルマラソン一 応完走のアタシは今回は明らかに辞退。昨年末のぎつくり腰から腰痛が癒えず歩くのが精一杯でとても走れる体調に非ず。長距離を走るとわかるが何よりも腰が 大切。これで腰を更に悪くしたら目も当てられず。参加申込みしてたのでTシヤツだの記念品だけでもせめて頂戴しよう。それにしても走れないと思ふと 残念無念。もう何十回フル完走かしら、のK氏と別れZ嬢と天后から隧道バスで九龍に渡る。隧道潜り紅磡で下車のはずが車中睡魔に襲はれ眠気優先。油麻地。 上海街から九龍水果批發市場を漫歩しつゝ今日は写真何枚か撮影。佐敦は呉松街の名前失念の老舗のカメラ店にてコダックの白黒フィルムTmaxの400、初 めて改良版を半打購ふ。バスで尖沙咀。香港太空館。波蘭の戦後映画特集でアンジェイ=ワイダ監督の映画『灰とダイヤモンド』見る。二十数年ぶり。表面上は 反政府運動が徒らであると主張してゐるやうで、実際には観衆は反体制的な暗殺業の青年マーチェクに同情を感じざるを得ない、といふこの映画の微妙な作風。 それにしても画面の構図、光線と影、殊に夕方から翌朝までの一つのホテルでの狂乱と人間模様の映し出し……あらためてその見事さに言葉もなし。ところで パーティの明け方の余韻の部分でまだ踊り足りず「イ長調を!」と楽団に命ずる場面あり、楽団員はそれで踊りの曲が何かの見当がつき、「イ長調を!、ポロ ネーズ」で有名なシーンだがショパンの軍隊ポロネーズが流れる、あの場面、波蘭人にとつてのショパン。日本ぢや終戦を描いたら大河モノで「日本のいちばん 長い日」になつちまふか、良心的に描くと山田洋次で「母べえ」ノリ=結局世の中何も変らない、か、反骨精神とかで「喧嘩えれぢい」みたいに鈴木清順的にな んだかわからない、になつてしまふだらう。映画終はつて香港島に戻りミッドレベルはCaine Rdの京香餃なる餃子屋で香港大学のN女史と夕食の予定が京香餃の正月明けの営業は明日から。でHollywood Rdのチーズ&葡萄酒の食肆、Classifiedに食す。チーズ盛り合はせとオリーブ、グリーンサ ラダ。ローヌ地方はラストーのPerrinの赤葡萄酒一瓶。鼎談笑語尽きず。中環の裏町の野良猫を愛で帰宅。
▼角界で力士の大麻趣味。音楽事務所家宅捜索で其処に力士が居合はせた、とまるでお芝居。「日本人の力士も」とマスコミと巷民騒いで見せるが是非は別に大 麻の普及で力士でも「外国人だけ」が寧ろ不自然。音楽関係者と角界。相撲をスポーツとするから近代スポーツの政治性でをかしくなるわけで「興業」ととれば 音楽事務所で鳥渡一服、も「なるほどね」の世界かしら。

一月卅日(金)久々の快晴。ライカM6に富士フィルムのVelvia 50が入れつ放しでなか/\撮影機会に恵まれず本日この晴れ間なら、とを出掛けの際にM6携へ光に期待したが香港は殊に冬空は高層ビルで日陰ばかり。 マカ オから戻つた眼には殊に公共建築のあまりにチープな塗装が醜悪に映る。マカオの美しい淡黄色に比べ香港の青色と水色の単調さと景観の破壊。早晩に湾仔の陋 巷に遊び晩に天后のPoppy's RestaurantにM夫妻とカナダから来港中の御母堂、Y嬢とZ嬢と夕食。相変はらず良い意味、素人つぽい食肆ながら美味。値段も良心 的。葡萄酒は Vin de Pays d'OcのLes Jamellesが ハウスワインで廉価。二瓶のSau BlとCab Sauを一瓶飲む。
▼黒門町のTBSテレビ落語研究会での高座十七席を主に十九演目廿五席をDVD全集で三月に発売の由(朝 日)。
デジタルも噺のうちぞと落語家の文楽に言ひしはいつの春にや
久が原のT君がほかに「見たい」てえ噺家とならば柏木と先代の馬生にとどめを刺すでげしよう、と。御意。柏木さん(故・圓生)とにかくネタが多いのとデジ タル化して残したところでは落語界のカラヤン。とすると黒門町はフルトヴェングラーかしら。馬生師匠もと/\老けてみえたが享年五十五歳で逝去。馬生みた いに酒をこぢらしてさつさと亡くなつちまふのも理想的とつくづく思ふ今日この頃。

一月廿九日(木)曇。Z嬢とマカオに遊ぶ。香港のマカオフェリー埠頭は香港からマカ オに遊ぶ内地客で「これでもか」の出境の込み具合。フェリー艇内の乗客の大声での会話の洪水にアタシらは溺死寸前。なぜこゝまで会話しないと気が済まない のかしら。言葉の蕩尽そのもの。マカオに着きCentroでバス乗り換へフェリー波止場とは東望洋山はさんだ向かう側の二龍喉公園(Jardim da Flora)に行く。小動物と熊がゐる程度の何でもない小公園だが訪れること屢々。旧正月でまだ殆どの店が閉めたまゝの荷蘭園を抜け新葡京酒店 (Grand Lisboa)。伊太利料理のDon Alfonsoに昼を食す。料理はまづ/\だが、エ ントランスは茅場町のお洒落なビジネスホテルのやうな新建材と偽大理石を上手く使つたシンプルなバールで餐庁に入ると内装はさすが良し悪しは別にして成金 趣味の新葡京だけあつて悪趣味。昼から女郎二人連れの親父がフルコース頼み葡萄酒もグラスで白、赤、デザートワインと注がせ前菜からデザートまで酒も殆ど 鳥渡食べては残して小一時間で去つたり、もう一組はこの食肆の常客らしいメタボな中年男が相手の女を前に格好づけで葡萄酒の講釈垂れる、がグラスで注文の 赤葡萄酒を「少しおいた方が美味くなる」とそりや良いが突然、フォークをグラスに入れて検温ぢやないんだから、で暫くしてフォーク取り出してフォークを舐 め「うん、だいぶ良い感じ」とテイスティング。給仕長呼んで総支配人宛に評価、は当然好評だが、を書いてやるから、と便箋を持つて来させ一筆認ためるから 給仕長も慇懃に振舞ふのは当然。食後の珈琲を一口啜ると「カップが温めてないから珈琲の風味が落ちる」とダメ出し。十七、八の未だ青き若者ならまだしも中 年男の全てが連れの女に見せる格好づけ。たゞ嗤ふばかり。客筋はマカオらしさで同じだとしても相対的に本家(従来のリスボアホテル)の仏蘭西料理 Robuchon a Galeraの方に優あり。午後の散歩に昼から淫売婦多く企ち客引きのリスボアホテル内を潜りマカオの歌舞伎町たる北京街と殺伐とせしNAPE(外海新填 海区)を抜けマカオ芸術博物館。O Palco do Dragão「鈞樂天聽」と題するArtefactos de Ópera Chinesa do Museu do Palácio de Pequim(故宮珍藏戲曲文物特展)の 参観。清朝の康煕帝の時代に崑山腔など研鑽された京劇の清末の見事な刺繍の衣装や脚本、扇子など文物の特別展。もう一つOlhares Interiores「以身觀身」と題して中国や、日本などアジアの前衛ハプニング芸術家のパフォーマンスを主にビデオ映像で見せる展覧もあり。 前世紀の後半、草間彌生、オノヨーコ、秋山祐徳太子!など見て今更21世紀の前衛は寧ろ「おとなしさ」か。此処まで来たついでにマカオ漁人碼頭 (Fisherman's Wharf)の埋立地突端に位置するRocks Hotel参観。一時は鳥渡評判になつてゐたが少し閑静な場所かと思へば思ひつきりこの娯楽施設の中にある、米国早期風のテーマホテル。客室のバルコニー に立てば眼下に内地
の田 舎漢の騒ぎ声と安煙草の臭ひ、目の前の更なる埋立地は開発暫定中止で荒涼とした風景なり。マカオ漁人碼頭さすがに旧正月の観光客で賑はふが飲食店と安つぽ い土産物屋の他、建物の半数は店子なしの空家。カジノと並びまさに「建造過剰」のテーマ乏しきテーマパークは経営も苦しからう。路線バスで再び Centroに出ずれば路地裏まで芋を洗ふが如き人出。Biblioteca Sir Robert Ho Tung(何東図書館)に暫し憩む。繁華街から5分の距離にこの閑静さ。19世紀末に建てられし葡萄牙風の洋館は 1918年に香港の大商人Sir Robert Ho Tung(何東)に買ひ取られ何東卿は日本軍が香港占領の 1941〜45年に此処に居住。戦後、マカオ政府に供され1958年に図書館として開館。2005年からの大改修済ませたが見事なるは崗頂の広場に面した 洋館はそのまま後背の新館部分が一切、広場から目に入らぬ見事な設計、で裏庭も活かしたままの新館は機能性と意匠が充分。なぜ此処まで出来るのかしら、と 感嘆するばかり。閲覧室で暫し雑誌など読む。昏刻となり政府総部の裏手の静かな路道を漫ろ歩き和平斜巷の「猫空間」。猫と戯る。日暮れに西望洋聖堂を望む。葡萄牙総 領事官邸はかつてのホテルベラヴィスタ。十数年前に何度も訪れ食事愉しみ宿泊も一度。民国大馬路に下り西湾湖岸を散歩。終日よく歩く。澳門文員網球會の利 安餐廳に夕餉を食す。美味、廉価でお気軽。但し噂の通り料理の量も格別。唯靈先生が客の立場でありながら「値段に見合ふ量に減らすか価格を 上げるべき」と 提唱も納得。路線バス乗り継ぎフェリー埠頭。香港に戻る客でかなりの混雑。帰宅すると夜半風強し。
▼ダヴォス会議で中国の温家寶首相が基調講演。どうも共産中国といへば国 際会議の印象は昭和30年のバンドン会議の周恩来首相。それが世界経済フォーラムで各国の指導者や大企業の経営者を前に中国の首相が基調講演の時代になら うとは。それにしても温首相「昨年12月末から中国経済の回復の兆しが見えてゐる」つて、そんな大胆な。
▼旧正月の拝神で賑はふ黄大仙祠。この廟を営む嗇色園がなんと参拝できぬ 方に網上祈福を開始の由。

農暦正月初三。曇天続く。昨秋より想定外の多忙続き心身ともに疲れ果て胃 を病み腰を痛め痍身の侭に 新暦の年暮から正月もおち/\憩めず、で旧正月に呆けて数日なり。暇に任せて戯れ歌つくり。原曲は「飛んでいつたバナナ」なり。
1 ヒラリー夫人がおりました ニューヨークシティの公園で お空 を見上げたそのときに オバマがツルンと飛び出した
  経験も無いのにふんわりこ オバマ〜、オバマ〜、オ〜バ〜マ!
2 君は一体誰なのさ ヒラリーがオバマをつつきます これは大変一大事 オバマがツルンと抜け出した
  アタシが絶対、大統領! ヒラリ〜、ヒラリ〜、クリントン!
3 共和党が踊ります マケインペイリンマケマケリン ブッシュが調子に乗りすぎて 民主党ツルンと勝ち出した
  ブッシュを何処へ隠そうか マケイン、ペイリン、マ〜ケ〜リン!
4 ブッシュが一人でおりました 白いお宮の執務室 野球を眺めておりますと オバマがツルンと飛んできた
  僕より頭は良いみたい オバマ〜、オバマ〜、オ〜バ〜マ!
5 オバマが大統領になりました 初の黒人大統領 日本ぢやそれ聞いて大騒ぎ 小浜のオバサン ハワイアン
  オバマ〜はど〜この大統領 オバマ〜、オバマ〜、オ〜バ〜マ!
6 アメリカひとりで浮かれてた 赤字も債務も他人事 グーグーお昼寝いい気持ち お口をポカンと開けてたら
  オバマがスポンと飛び込んだ モグモグモグモグ食べちゃった 食べちゃった食べちゃった

晩に銅鑼湾。K夫妻と百樂潮州酒樓に食す。正月で普段にも益しての盛況。給仕の接客の誠実さ に惚々れ。入り口近くの席にをればY夫妻やN君等々知己の面々に次々とお会いして新年のご挨拶。御不浄に向ふと通道の電話台にメモ帳代りに店の領収書が束 で添へてあり。空領収書用の洒落かしら。CItysuperで食材購ひ帰宅。栄太楼の飴缶まであり。
▼農暦新年、おめでたう存じます。本年も相変りませず、よろしくご贔屓の ほどを、お願ひ申し上げます……と黒門町に(笑)久が原のT君からメールあり。さすがT君、黒門町の「お刺身をそひつとくれ」は「添へてくれ」ぢやなく て、「そ(う)言つとくれ」といふ一種の挿入句で「先方によろしく伝達しておくれ」の意、一種の、江戸弁特有の言ひ癖なんでせう、と教へられる。成程 ねぇ。やつぱりT君に聞くのが一番ですよ、他の方とは言葉に覚悟が違ひます(と黒門町風に)。ところで小満んさんが黒門町の贔屓の魚屋を広小路の「丸市」 と書いてたのでアタシも「丸市なる店」と書いたが、ありゃやつぱし噺家や役者の贔屓といへば干物といへば、の丸赤さんかしら。T君に成駒屋の大檀那が生 前、丸赤の干物、而も本店のが好物で「おまへね、本店のはね、味が違ふんだからね」ッて、どうしても聞かずにわざ/\廣小路の店の品を買ひに行かせてたと いふ話を聞く。それにしても黒門町の師匠のことで朝餉の刺身がどうの、朝の灌腸がどうの、とT君と話が通ずる、ッてぇのも、どうもこの、あばらかべつ そんのべけんやでげす。

農暦正月初二。曇天。田中秀臣『不謹慎な経済学』読む。午後に上環。祭 祀。Z嬢と百姓廟、文武廟に 賽す。FCCに一飲。Marks & Spencer商店に葡萄酒等購ひ帰宅。トマトと豚挽肉煮 てパスタ茹で食す。Marks & Spencer買付のCôte de Nuits-Villages、Pinot noirの06年、この店の値づけでは高い割に今二つ。偶然つけたテレビで1997年の米国娯楽映画、ハリソン=フォード君主演の“Air Force One”見る。架空敵拵へ正義と自由の為に立ち向かひ勝利する我ら……米国民が好む趣向な り。柳家小満ん『べけんや』読む。
▼本日拝神日。新界沙田大圍の車公廟に新界鄉議局主席で行政長官・文革曽 に請はれ最近行政会議入りの劉皇發君が参拝。例年政府要人が御籤引き今年の香港が運勢占ふが仕来り。地元のドンゆゑ廟内でも厚遇のなか上香祈福。連れの沙 田郷事委員(蔡根培君)が先づ下籤(凶)引当て不吉な予感。で主役の劉皇發が籖引けばこれも下籤の27番で「內有家鬼 求財不遂」の文言。下籤は民政事務局の前局長何志平が2003年に引いて以来六年ぶりの不吉。03年は言ふ迄もなくSARS禍と50万人デモに揺れし年。 場の空気も寒空が更に凍りたれば劉主席取巻きの鄉紳らに誘はれるまゝ縁起物の風車轉し早々に退散。「内鬼はいつたい誰か?」と正月早々の不穏。因みに車公 廟の御籤96支のうち上籤35支、中籤44支で下籤はわづかに17支。つまり凶は五分の一の確率。郷事委員に続き鄉議局主席と凶が二つも続くとは。下籤と いへば行政長官・文革曽も沙田政務専員時代の1984年に下籤引きたる悪運あり(左写真)。その年、中英合意など香港の将 来決定さるる。ところで今晩の春節花火のお披露目中に花火打上げの船二隻で引火して炎上の火事。この時の演目が「歌唱祖国」の由。
田中秀臣『不謹慎な経済学』講談社刊。著者は「不謹慎」 といふが「避妊具の値段高騰でオーラルセックスが増える」といつた謂わば都市伝説の類の話に経済学者の立場から言及した以外は「不謹慎」どころか真つ当な 経済学入門。
・勝ち組と負け組の格差社会での勝ち組の限界費用。
・社会問題化される人間関係の希薄化も実は皆が望んだ結果で効用もあり。
・官僚天下りの経済的効用。
・ニートの総数誇張による政府・関係機関の予算拡大意図。
・日銀の消費者物価指数上ブレへの無関心。
等々、面白いテーマが並ぶ。石橋湛山の小国主義だらう、やはり。内藤克 人、宇沢弘文といつた高名な経済学者がフリードマンを黒人差別論者扱ひしたことに対する反論も痛快。フリードマン教授といへば生前(亡くなる直前)香港経 済について悲観的な発言あり。この田中秀臣氏がブログでこれを取り上げた際に氏がこのフリードマン発言に纏る経緯ご存知なく察せられ不肖富柏村失礼承知で お知らせ差し上げた事もあり(こちら)。この『不謹 慎な』の上梓は昨年2月。最終章が「世界最大の債務国アメリカの経済はいつ崩壊するのか」なのが印象的。田中氏は「場合によっては不況に転落するかもしれ ないが、それは悲観派が予想するようなハードランディングにはなりにくい」と予測。経済学者は預言者ぢやないので予測が違つても不思議ぢやないが結果論で 現状をハードランディングと見るかどうか。それはそれで良い、が気鋭の経済学者は日本経済への処方箋として「答へは簡単」と「日銀が名目成長率重視路線を 採用し、緩やかなインフレ(2%前後)を目標とするリフレ政策にコミットすることである」と言ひ切る。湛山先生好きの田中氏だからリフレ政策が有効と言 ふ。失礼な物言ひになるが、鍼灸の先生に整体はダメ、と鍼を勧められるが如し。それにしても有効需要が創出されねばリフレ政策に方策ない、としたら日本に とつての有効需要つて何かしら。
柳家小満ん著『べけんや』河出文庫。著者は黒門 町の晩年の内弟子で桂小勇を名乗り、師匠逝去の後、小さん門下となり真打となり小満ん。アタシの寄席通ひの頃には真打だが高座を見た記憶なし。小満ん師匠 の筆の巧さもあらうが黒門町がまるで目の前にゐるやうに思へる柔らかな文章。「お刺身をそひつとくれ」は朝餉で刺身を「添へてくれ」なのかしら、上野広小 路の丸市なる店から鯛や平目を急ぎ「おい、手をお出し」と弟子に「味はつてお食べよ」と黒門町。「美味いかい。美味いと思つたら、それが芸ですよ」と。こ のやりとりだけで心に滲みる桂文楽。アタシにはどうも黒門町と久が原のT君が(もちろんずつと若いのだが)オーバーラップしてならずT君に言ふと「鳥渡、 やめとくれよ」と彼は照れるが。黒門町と言ふと噺を聴いたことない人まで昭和46年夏の国立小劇場での「船徳」で噺に詰まり「勉強をし直して参ります」で 高座下りた出来事ばかり繰り返し語られる。小満んによれば高齢の黒門町はいつかかうした事態に遭遇した時を案じ詫び口上まで考へて、それがこの「勉強をし 直して参ります」だつた由。それにしても義太夫に凝つた黒門町が自分の義太夫を聞かせたい、と神田の鰻「神田川」に芸人仲間をお膳付きで招いた面子が今と なつては懐かしい。小勝、小さん、圓蔵、三平、円鏡あたりは誰もが知るところだが奇術のアダチ龍光、漫才の英二・喜美江、曲芸の東富士夫、浮世節の亀松 (名人三亀松門下で二代目三亀松襲名の亀松だらう)に粋曲の紫朝……。黒門町や志ん生は逝つても龍光、富士夫の色物見て談志、志ん朝らがまだ若手、で圓 生、小さんがトリに控へたのがアタシのかなり若い頃の寄席。それにしてもこの黒門町の義太夫聞かせられる噺の「寝床」のパロディが可笑しい。二度目の黒門 町の義太夫の会は招いても欠席者続出。
「小さんはどうしたい」
「剣道の試合があるさうで……」
「撃剣か。……圓蔵は?」
「風月堂のゴーフルを持つてまゐりまして、ゴーフル、ゴーフル(ど うする、どうする)と洒落を云つて帰りました」(事実)
「小勝は」
「病気です」(半身不随)
「三木助は!」
「死にました」(昭和三十六年没)
「三平は?」
「どうも、すみません……」(笑)
と「寝床」より可笑しい黒門町。
長生きも芸のうちぞと落語家の文楽に言ひしはいつの春にや 吉井勇
▼「90年代より市場開放・構造改革の急先鋒として経済政策に大きな影響 を与へてきた」中谷嚴先生が「資本主義はなぜ自壊したのか?」(集英社)上梓。「グローバル資本主義は(世界的金融危機や貧困化、社会保険システムの弱体 化、環境汚染、人間性荒廃など)かうした深い傷をつくり出す「モンスター」になつたと断じ、それを支へる新自由主義の考へ方に決別、「転向」宣言を行つ た」(以上、朝日新聞の社説)由。新自由主義からの転向考へるだけフランシス=フクヤマさんにしろ中谷先生にしろ理性と常識あつて、のことだらう。が「転 向」といつても戦前の細胞学生の転向や戦後の清水幾太郎的な左翼の転向なら「あの人もやうやく左傾が癒つて」で(笑)済むだらうが新自由主義の、殊に小泉 政権の御世の影響力を考へれば「転向」では済まない社会的責任があつてもをかしくないはず。
▼正月早々、派遣切りだの日雇ひ、失業、ホームレスなど暗い話題の続く日 本。先進国にあつて貧困率は米国に次ぐ二位の由。不安定な社会情勢ではかつて一揆、米騒動の打ち壊し、「ええぢやないか」の祝祭、等あり。バンコクで見ら れた市民の政府建物占拠や、その極論が革命。世界の常識的には国の政権交代が尋常手段。その全て何もがなされず、暗い現実を痛みを分かち合ひ日々じつと耐 へて暮すことなんて出来るはずないはず。……と思ふとどこまでが本当に深刻な就労問題であり不況なのかとやはりマスコミの煽りを疑ふか、或いは日本が本当 に「痛みを分かち合ひじつと耐へて暮すこと」しか出来ないほど、もうどうしやうもない絶望的社会なのか、の何れか。だがよく/\考へるとその二つの相乗効 果かしら。

富柏村日剰巻之十 己丑年正月初一。
居間に飾つた桃の枝、昨 晩より確かに花多く開き蕾も熟す。雲多く寒し。今日と明日初二は新聞届かぬことを幸ひに溜まりたる新聞雑誌拾ひ読み。机に凭り諸事済ます。ふと Johnny Lewis & Charの名曲“Smoky”を聴けば1979年のライヴ版。早 三十年昔と驚きつゝ色褪せぬ、否、寧ろ今どきのロックがお遊びに聴かゆセンスの良さに言葉もなし。昼過ぎZ嬢と散歩に出ずる。西湾河の裡道漫ろ歩き筲箕灣 に至る。暦で拝神は初二の明日なれど城隍廟、天后廟と譚公廟の三廟に賽す。ハーヴァーに添ひ西湾河に戻る。旧正月ゆゑか湾に停泊の船舶殊更多し。風情あ り。この湾を愛秩序湾(Aldrich Bay)と云ふ。アルドリッチは人名か、余はしらず、但し1950年代の地図には此処は水牛 湾(Buffalo Bay)とありアルドリッチの名に非ず。そのアルドリッチの音訳かしら「愛秩序」と云ふ漢名に不快感覚ゆ。かつての水牛湾の埋立地には愛信街、愛徳街、愛 勤街、愛賢街、愛禮街……と書き写すだけで気持ち悪き愛づくしなり。西湾河の波止場に至れば対岸の九龍は三家村に渡るフェリーの丁度出港時間。半時間に一 本。暇に任せ三家村より鯉魚門を歩く。正月客目当てに開けた魚介売る店、海鮮料理屋も少なからず。夕方ゆゑ客引きもなし。寒さに耐へかねブランデーの小瓶 購ひちび/\。普段は行きもせぬ鯉魚門の奥まつた村の集落から更に天后廟に賽す。海沿ひの苫屋の門柱に台風等で海荒れての災害を名目に立ち退き求む政府の 通告読む。ふとかうした集落の居住権等どうしたものか、と思へば政府地政署の看板あり。立ち止まり一読せば土地不動産登記の不完全なる臨時家屋に関して 1980年頃に法整備あり、その際に登記されし家屋以外の増改築は居住上の家屋修理(雨漏り、屋根、壁の老朽化の補修等か)除き一切の禁止。政府は臨時家 屋区の整備(つまり取り壊し)進める方針。住民については1985年の調査にて登記された者(及びその後の婚姻や出生により法的に確認能ふ配偶者や子女等 の家族も含め、だらう当然)については公共住宅提供。1985年以降勝手に住み着いた者には一切の住宅提供等なし、と謳ふ。薄暮多雲。三家村より西湾河に 渡り漫ろ歩き続け太古城。ちやうどApita(旧ユニー)初売りの開店四時半で客多し。押されるまゝ店内に入り地下の食料品売り場も1割引きの由。 Chimay麦酒の赤瓶2本と恵比寿麦酒2缶購ふ。H氏夫妻に邂逅。旧正月で広州より香港に戻られた由。帰宅して晩に豚汁、豚と白菜の蒸し鍋など食す。テ レビで香港電台(RTHK)の鏗鏘集を 見る。「迎新不忘舊」と 題しデジタル化の時代にLPレコード、真空管アンプや銀塩フィルムでの写真撮影など好事家取材しての地味な番組。香港電台らしい、さう易々と時代と同衾せ ぬセンスあり。
▼定額給付金。東都足立区で支給総額百億円。区役所は住民台帳を本にした支給対象者の確認作業、具体的は支給対応がとても作業間に合はぬとデータ集計等の 依頼で業者選定中。公共事業で住民データが民間に託されるとは。国が、否、国の政府与党が、否、自民党が政権維持のためにやりたい定額給付金支給で実際に は地方自治体が大はらは。香港なら納税者への還付なら小切手郵送でさつさと済んでしまふし、市民一人あたり定額給付なら(住所登記はないので)例へば永久 居民が対象と決めれば役場か(図書館など活用されさう)或いはネットで自らのHKIDで登記しなさい、で済んでしまひさう。台湾もつい先日、国民に定額給 付金を総統の鶴の一声で給付済み。日本の行政システムがいかに形ばかりで実用的ぢやないか。NW9のキャスター田口某曰く「こうした混乱は避けるべきです ねッ!」。小学生でもわかることコメントするな。
▼話は最早旧聞に属すがオバマ総統就任でオバマ夫人の纏つたドレスの設計で一躍世界に名を馳せた台湾出身の若手デザイナー・吳季剛(Jason Wu)について。21日の蘋果日報「吳 季剛設計芭比服飾展才華」によれば台湾の裕福な家庭に生まれ幼い頃にBarbie人形の着せ替へに目覚め服飾に興趣示し11歳だかで東京でアート 系に勉強始め巴里に留学し1998年に16歳でBarbie人形の服飾デザインコンテストに優勝。その後、米国で衣装デザインの研鑽を積み数年前から女性 のドレスデザインでは知られ今回のこの注目。ふと、この人は外省人、それも蒋介石と台湾に渡つた国民党の将軍の一人か軍閥系商人の末裔ではないかしら、と 思ふ。事実がベタな内省人であれば話は「はい、それま〜で〜よ」で終はつてしまふが、勘である。作家の白先勇の父が国民党の高級軍人であり、蒋介石の曾 孫・蒋友柏(父は蒋経国三男の蒋孝勇)が弟の蒋友常とデザイン会社立ち上げるやうに、どうも台湾で国民党系の外省人の末裔が文芸やアート、ファッションな ど「男らしさ」は対極の謂わば「軟弱」系に進むこと。勿論、荷風先生や由紀夫さんのやうに厳格な(といふ印象こそ正確さに欠けるが)官僚の家庭から酔狂な 文人やビジュアル系作家が出るなど珍しいことではないのだが、台湾の「国民党系外省人の末裔の軟弱」はテーマとして興趣深いところ。

陰暦十二月卅。除夕。午前中、Z嬢と天后。まだお昼前でお腹が空かないといふZ嬢。独り華姐清湯腩に腩河食す。でヴィクトリアパークで歳末の出店冷やかし正月 用の桃の花を購ふ。支聯會のブースにまだ朝が早いからか春聯に揮毫される司徒華先生のお姿なし。帰宅していざ桃 の花を飾らうとすると岐枝広げてみれば例年以上に大ぶりで、花 瓶代りに使つてゐたワインクーラーではとても間に合はず。午後、北角の華豐國貨に高さ一尺二 寸ほどの地味な色合ひながらモダンな陶花瓶購ふ。夕方、按摩。陋巷に遊ぶ。帰宅して桃の花を飾り晩に中国産餃子茹でて食す。津和野の竹風軒本店の源氏巻を お茶受けに頬張る。
▼一昨日の信報で願良なる方が「只圖個樂」といふ題で映画「梅蘭芳」を荒謬無稽と評す。映画では梅蘭芳も「平易近人」にされてゐるが、それ以上に周辺の登 場人物の(けして醜化はしてをらぬが)矮化が問題、と。例へば梅蘭芳の兄弟子の十三燕は伶界大王と言はれた京劇老生の譚鑫培は中国で制作された初の映画 「定軍山」で主人公演じた名優だが映画では梅蘭芳の人気に負けて失意に終はる一役者として描かれ、章子怡が演じた孟小冬も男形の希代の役者だが映画では梅 蘭芳との愛に翻弄され表舞台から去つてゆくに過ぎぬ扱ひ。梅蘭芳の舞台演出に尽力の齊如山(映画で邱如白)は映画では梅蘭芳の紐育公演で米国の客たちが芝 居の最中にやんやの喝采せぬことに「紐育での京劇は失敗か!」と勘違ひして舞台跳ねての拍手喝采に欣喜雀躍するが、齊如山は若くして欧州に留学し西洋演劇 学び中国の演劇近代化に尽くした逸材であつて、西欧の客のマナーを知らぬはずもなし。また梅蘭芳の少年時代を演じた役者が評判で、これは確かにさうだが、 映画では梅蘭芳が従来の京劇に対して新派の芝居を舞台に掛け、その美しさに皆が感嘆する場面が印象的。だがこれも梅蘭芳自身が後に新派物は失敗と考へ最後 はやはり「穆桂英掛帅」等の古典に尽きたのだから新派の芝居を少年時代の最後の場面にしたのは如何なものか。……以上抜粋。いくら梅蘭芳の子息・梅葆玖氏 が監修についたとはいへ、やはり梅蘭芳没後半世紀以上経つての「偉人映画」。この願良なる人は最後に
《梅》片對京劇的定位,大抵就是這一句話──少年梅蘭芳在台上演 《牡丹亭》,台下十三燕助手跟邱如白邪氣地笑道:「對吧?比女人更女人吧!」
と、結局、この映画で言えたことは(舞台での)梅蘭芳は女性より女らしい、とその一言に尽きる(それしかない)だらう、と述べる。

一月廿四日(土)曇。今週続いた暖かさが昨夕より寒空。今朝は摂氏十三度で春節に向け下がる由。内地は寒波。北京は摂氏零下十三度と聞く。毎週のやうに土 曜もお仕事で本日は新界ご視察で出先でお仕事。昨日の銀行信用卡の自動引落し事件に続報がっ!とNHKのNW9な ら「いつでも引落しできます!、クレジットカード解約してもカード利用者の銀行口座からの利用代金の引落しはそのまま。その数、数万件。香港の某銀行の杜 撰さが明るみに出ましたッ!」とでも伝へるかしら。この件につき昨日の銀行職員から電話あり。今回の件は、余のこの銀行の信用卡は2007年の7月に解 約、本来であればカード特典のPriority Passもそこで利用取消しとなるべき……理由はおそらく空港ラウンジ利用の度にその料金、といつても提携で格安だらうが、がPriority Passよりカード発行の銀行なりに請求が行き支払ひが発生の為。それが今回のケースではPriority Passが昨年8月迄有効で、7月末に利用あり。……とまで説明受け、当方も合点は余はAmexより提供の別のPriority Passあり、それを利用。但しAmexは付属カードにはこの特典提供なし、でZ嬢はPriority Pass有してをらず。で、この某銀行の特典で得てゐたZ嬢のPriority Passが8月まで有効だつたので、それを使つたもの。で利用後にPriority Passよりカード発行元の銀行に請求がいき、銀行側はすでにカード解約せし客のラウンジ利用ゆゑ、その代金はいただきます、と。以上が経緯。だが銀行は 今回については銀行側もPriority Passの利用取消しとなること客にはつきり伝へもせず、ミスもありましたので今回のHK$200のご請求は取消し、これでなかつたことにさせていただき ます、と。これについては納得。まぁこういふ間違ひはある。だが「なぜ自動引落しができるのよ?」に真つ当な回答なし。あらためて回答せよ、と電話を切 る。数時間後に上司より電話あり。アタシが伝へたことは、そりやクレジットカードだから解約=即取消し中止とはできまい。いくつかは遅れた決済もあらう。 解約寸前で大量の買物して姿くらますやうな輩も少なくなからう。ゆゑに数ヶ月、カード解約から確認が必要なのはわかる。が、なぜ一年半も自動引落しが活き てゐるの? 相手は「クレジットカードの解約はいただきましたが自動引落しの解約は(あなたが)されてゐなかつたので」と客側に責任転嫁。これがアタシを 怒らせる。アナタの銀行は自動引落しは取消しせぬ限り自動引落しのデータのうちアタシらカード取消しのにも0の数字を毎月入れたまま提出してゐる、つてこ とでせう。その数、数千なのか果たして万の単位か。気がつかねば半永久にそのまゝ。「あなたの自動引落しはもう取り消されました。勝手に引落ししてゐるの ではなく事前にステートメントをお送りして」だの「他のカード発行銀行や電話会社なども同じやうなことがあるのでは?」と電話の相手マネージャーは宣ふ。 そちらの銀行にとつて最も大切なことは社内で、クレジットカード解約の客の自動引落し手続き等は三ヶ月なり半年で取り消す、といつた社内規則を作ることで はないか?、さうでないと半永久的に過去の顧客からいつでも勝手にカネを引落しできる、そんな状態が続くのだから、と諭す。「貴重なご意見ありがたうござ います」で済まさうとするので一ヶ月の猶予与へ、具体的にどう改善するのか文書での回答を求む。対応できなければ香港政府の個人資料私隱專員公署に報告するばかり。夕方、自動車で沙田小瀝源は石門の殺 風景なる処まで送られ682系統のバスに乗車。ピンクフロイド聴きながら九龍の工業区傍の高速高架を過ぐ。遊びに寄る気力もなく日暮れ前に帰宅。ドライマ ティーニ二杯。新西蘭はJackson Estateの今晩はSauv Bl 07年飲んで順番に絶品なる大蒜のポタージュ、白アスパラガス、ブロッコリーとカリフラワーのサラダ、Sauv Bl飲みながら箸休めに頬張る茹で栗との絶妙、里芋と長葱のグラタン。Z嬢より彼女が作詞の面白い替へ歌を聴く。原曲は懐かしい「バナナが一本ありまし た」の「飛んでったバ ナナ」で
オバマが大統領になりました
初の黒人大統領
日本ぢやそれ聞いて大騒ぎ
小浜のオバサン ハワイアン
オバマ〜はど〜この大統領
オバマ〜、オバマ〜、オ〜バ〜マ!
と歌ふ。三節目は「小浜のオバサン フラダンス」の方が良ささうだが韻を考へると「小浜のオバサン ハワイアン」ださうで、納得。だがこれも元歌が「南の 島の小猿」といふことで小浜氏への偏見と言はれるかしら。
▼深水埗より大埔道を鳥渡上つた処に位置する元・北九龍裁判法院の建物を粤劇文化センターにする発案ありと聞く。
▼朝日新聞で吉田秀和さんの音楽展望「舞台と世界」と題してブレヒトを語る。秀和さんはわざと「私が初めてベルリンに行つたのは前世紀の中頃、まだドイツ が東と西に分かれてゐた頃である」とまるでブレヒトの芝居のやうな言ひ回しで語り始める。前世紀は九年前はもう前世紀で、二十年前まではドイツはまだ東西 に分断されてゐたのだけど「前世紀の中頃、まだドイツが東と西に分かれてゐた頃」と言ふだけで物語が始まる。秀和さんは「コーカサスの白墨の輪」といふ芝 居のブレヒト自身による演出と稽古でのダメ出しを見てゐるのだ。秀和さんが妻バルバラさんを亡くしての休筆で周一さんの夕陽妄語との月イチで二日続く名連 載が読めなくなつて久しいが周一さんの逝去で隔月くらゐの音楽展望だけが残つてゐる。

一月廿三日(金)郵便の中に某銀行の信用卡の請求書あり。数年前にAmexと鳥渡した確執ありAmex脱退。その際にPriority Pass特典など条件良きこの銀行のプラチナカード申請で一年余使ふ。がAmexと縒りを戻しこれは一昨年の初夏に解約。それが何 を請求か、と見れば12 月31日にPriority PassでHK$200の請求。 しかも2月13日に銀行からの自動引落しださうな。鳥渡お待ちなさいよ!でお電話。12月31日に空港でPriority Passを使つたでせう?、に「使つてをりません」し「そも/\一昨年解約の信用卡でどうして今更請求なのよ」と苦情申し立て。「明後日来やがれ!」であ る。電話の相手は内容が確認できるまで自動引落しはしませんし、このPriority Passの部分は調べてご返事いたします、と。一昨年に取消しのカードで自動引落しのチャンネルがまだ活きてゐたことも驚き、と申し上げる。二時間後に返 答あり。これは昨年7月28日に 香港国際空港でのラウンジご使用分です、と。思はず日剰紐解けば確かにこの日、越南に向け外遊あり。エコノミー席ならPriority PassでPlaza Premium Lounge利用は確か。だが有効期限内のPassで利用してをり今更HK$200払へ、とは。而も利用から半年後の請求で、更になぜ解約から1年半以上 で勝手に自動引落しが出来るのか、の状況の説明を求む。と相手は丁寧さうだがアタシの質問遮り“Please answer you used or not? If yes, you have to pay it."と英語の拙さもあらうが、失敬な物言い。今ごろになつて請求で自動引落しとは杜撰、と再び説明し「あなたが客だつたら、だう思ひます?」と尋ねて も“Please answer you used or not?”である。思はず Are you kidding me? と口にしたら“Yes, I'm kidding.”と言ひ返され(笑)思はず椅子から転び落ちさうになり腰が痛む。アナタぢゃお話にならないから上司に報告の上、上司に電話させなさい、 とお願ひする。 晩に六國酒店の粤軒。某氏夫人来港歓迎と懇親の方々での歳末の忘年会も兼ねた夕食会。総勢14名。
▼澳門の賭場ギャ ラクシーがサンズ、クラウンに続き賭場職員に無給休暇奨励で人件費削減の由。2.4千人の従業員のうち1.6千人に月2〜4日の休業求む。マカオ の賭場開設過剰は明らか、コタイのカジノ街などいずれ廃虚にならう、とは思つてゐたがまさか一年程度の繁栄とは……。マカオで賭場の就労人口は01年に 20万人余が今では33万人ほどに増加。慢性的に高かつた失業率は6%台から3%台に半減したが、これも反発しての上昇。もう四、五年前だつたかコロアネ 島の海岸線歩めばリゾート風の一戸建て並び廃虚の如し。銀行の職員が現れ「一戸建てがHK$2Mで銀行融資は全額で低金利!」と誘はれたが一昨年はそれが 5倍近くまで急騰。「たられば」で数千万円の利益逸したが(笑)今はいつたいいくらまで下落かしら。

一月廿二日(木)晩に豚肉の韮鍋食す。実に美味い豚肉で我に豚肉食ひを禁す戒律なきことありがたく感じる。
▼ほとんどタメにならぬ内容のNHKのNW9だが小浜就任で米国総統は「就任から百日の間の成果で手腕が問はれる」と指摘。ふと思へば2001年に総得票 数ではゴアに負けたがフロリダで当選のブッシュさんは就任後パッとせず6月に1.4兆ドル減税発表するなど必死、で9月11日の同時多発テロで、その後の 「安定」は知つての通り。小泉三世も「聖域なき構造改革」で口火切つたのがアトになつて思へば長期政権化への礎。となると小浜氏に百日とはいはぬが半年で 何が出来るのかしら。
▼シンガポール在住のM嬢とのやりとりの中でシンガポールの義務教育が小学校6年のみ、と知る。それも法制化されまだ6年。勿論、中学への進学は少なくな いのだらうがRoyston Tan監督の 15 なんて痛々しい青春を見てしまつてゐると、かういふ子たちには教育施しても無駄、みたいな判断に星政府ならなるかしら、と思ふ。で更生すれば職能 学校なり用意はございますよ、と。それにしてもこの映画、googleのビデオで見直してみると、やはり上出来。
▼陶傑氏が蘋果日報の随筆で小浜氏の総統就任演説を語るは「沒 貓紙的奧巴馬」。
My fellow citizens: I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors.
といふ冒頭の言葉だけでも、先づは Ladies and Gentlemen, で始まらず citizen と呼びかけるが My fellow と総統としての導主ぶりを強調し、 stand here today humbled by the task before us,で続く科白もいかにも米語らしい響きで「祖先」といふ一言が新大陸に第一歩を踏んだ開拓時代からの、更に小浜氏が言ふことで奴隷であつた黒人にまで 訴へかけるかけること。ところで小浜就任演説、新華社が網上で中文訳を「全文」掲載としたが、実は
Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions.
と米国の「先達がファシズムと共産主義に抵抗し」の部分は
回 想先辈们在抵抗法西斯主义之时,他们不仅依靠手中的导弹或坦克,他们还依靠稳固的联盟和坚定的信仰。
として「共産主義」の一言を消していた由。これぢや全文掲載ぢやないだらう、と下手な注目され現在は「第44任美国总统贝拉克•奥巴马就职演说 (要 点)」掲載。
▼台湾の前総統阿扁容疑者の総統府機密費横領や収賄疑惑。父母より託されし資金を米国等で「洗銭」の容疑あり阿扁息子夫婦、初公判で検察側の述べた罪状あ つさりと認め台湾国民、否、台湾の人々に謝罪(二十日)。家族で不正に海外に貯め込んだ台幣18億元をお返しします、と。検察の特捜組の検察官曰く
扁家正在上演家族司法切割大戲:夫妻間切割,由陳水扁將責任推給夫 人吳淑珍;親子間的切割,由陳致中推給母親,底線則是讓無法服刑的吳淑珍集萬惡於一身,無論贓款能否保住,先確保不再有扁家人入監。
家族ぐるみで司法欺く大芝居。夫婦の間を割き阿扁は妻に責任押し付け、子は母に責任擦り付けるも、一身に罪状かぶる吳淑珍(前総統夫人)が脆弱極まりな し、でとても服役に耐へぬ体調ゆゑ、で結果、家族の誰も刑務所入りせずに済まさう、の策略、と。台南の貧農の息子が苦労して台大の法学部出て弁護士となり 命をかけて民主運動、で台北市長から国民党破つての総統就任、で疑惑の銃弾での再任、で家族郎党での公費横領の上、家族でどろ/\の司法劇……このままこ りや人形浄瑠璃で観たいところ。いや、台湾だから指人形の布袋戯(ぽてひ〜)か。

一月廿一日(水)晴。NHKのNW9のキャスター田口某らのやうに小浜君総統就任演説で「世界が変はる瞬間」に立ち合つてしまつた方たちにとつては今朝は まるで「近代の超克」的な清々しき冬の晴れ空だらう。アタシもその就 任演説を聞いてはみたが Sorry, I have no idea なのである。早晩に尖沙咀に渡る某事あり。往路ふと、David Chan氏のカメラ店なども 暫く覗いてをらぬな、でもレンズ購入は絶対に避けるべき、と思つてゐたら携帯に電話あり取引先の銀行より個人融資の勧誘あり。春節前の何かと物入りの季節 ゆゑ。思はず融資申込みさうになり自戒。で結局、怖いもの見たさ、でDavid Chan氏の店へ。ライカM用のメーターがMCとMRともう一つあり。セコニックの露出計あるのだからライカの純正メーターなんて要らないのだよな、と思 ひつゝDC氏の勧めるまま、つい弄つてしまつたから、いけない。たちまちウイルスに感染。このメーターがなくても良いのに、つい蒐集家癖。ただMCメー ターは美しくはあるが値段も廉価はメーター反応がイマイチで実用性に欠ける。でMRメーターは店内でも屋外の明るさでもちやんと機能するから。でDC氏が 円高だから香港ドルぢや台所事情も厳しいね、と1割余値引きしてくれての大人買ひ。子どもがガンダムに新型武器をば装着するのと同じレベル。本当なら時間 的にはこのメーター眺めるを肴にPのバーだらう、が無駄遣ひしたのでせめてもの自省で帰宅。帰宅してビビンバ丼。
▼日本での小浜人気。小浜演説のCD本40万部の売れ行きの由。NHKのNW9で街の声で「オバマさんの就任?ビデオに撮りました」だのヨン様の如く俄か 小浜ファンのオバチャンたち。遍歴を辿ればきつと土井社会党支持し青島都知事、細川、小泉、石原、 安倍……と支持して今はオバマ、で平気で自民党に三行半で民主党支持するのかしら。オバマ大統領に勇気をもらひます、と毎晩オバマの演説をCDで聴く派遣 社員の若者。当然のやうにNW9のキャスターも「勇気をもつて元気にやつていかうといふメッセージですね」とオバマ贔屓。もう勝手にして、といふ感じ。
▼米国のグリーンスパン氏や日銀総裁とは桁違ひの厚遇たる香港金融管理局総裁の任志剛が「海嘯第二波逼近、 新興市場體質轉弱、傳染性更厲害」と近々復た金融混乱の第二波が襲来、しかも今度はアジアなど弱体の新興市場への影響大きい」と警告(蘋 果)。警告も有り難いが、かりに昨秋の第一波を未然に予知せば、さすが億の収入の大金融家と称賛してやるが第二波の襲来の警告など、陶傑氏的には 「土瓜湾の工事現場の不法就労の非熟練工でも旺角上海街の淫売婦でも」言ふのは簡単。寧ろ金融管理者の警告が社会にどういふ影響与へるか、を考へれば発言 は慎重になるべき。皮肉にとれば「警告しておきましたからね、次の惨事でも私の責任ぢやない」と保身の如し。しかも数億の年収を自ら減俸とするやうな気は 毛頭なし、で新聞漫画でも揶揄される。

農暦十二月暮廿五。大寒。気温摂氏廿度超。鏞記酒家にてJ嬢より歳暮にと年糕贈られるを受け取り昼に会食でアイランドシャングリラホテルの「なだ萬」。供 される料理悪くないが給仕が慌ただしく落ち着かず。早晩に散髪済ませ帰宅。PCCWの職員来宅。ネット接続のアップデート。接続速度が30MBになりまし た、とピンとこぬが古えのモデム時代から「裸体画像眺める作業」こそ頭上から画像開き始め全貌が開帳するまでの時間で早さ実感か。重曹鳥渡入れて、の温泉 風湯豆腐。有機の新鮮な春菊まで「しなッ」と不思議な食感。
▼雑誌Monocleを定期購読にしたらキオスクには最新号並ぶのに郵送 で届かず「どうしたものか」と思つてをれば本日、郵送で小包届き開封すると雑誌と一緒に特典でオリジナルのトートバッグ届く。Z嬢が珍しく他人の物を欲し がり謹呈す。
▼世界挙げて小浜祭り。何か期待があるが具体的にそれが何か不明。今日のFT紙の社説“A new start for America - World needs Obama to succeed”など具体的に小浜君に米国の財政 建直しと、そのために国民に向けたイニシアティブ獲得の賢明を望むが、それぢや共和党の負因氏が当選してたら何か期待するものは別なのかしら。FT紙で読 むに値する書き手Gideon Rachman氏が“Obama - the man is the message”で見事に指摘するは小浜氏は「実は何も言つてゐなくても見事に言つたやうに見せる」才能ある こと。民主党の候補者決定の際も、その興奮の会場で演説を聞いてゐる時はわかつたつもりでも演説終はつてみると何を言つたのか、が思ひ出せず、と Rachman氏。ただ“We can change!”だけが耳に残り“Change we can believe in”と続く。誰も主張の内容は覚えてをらずとも小浜君は米国の偉大なる演説家なのだ、と。何を言つたか、に非ず彼が主張することの意義。総統に就任すれ ば何を言ふか、でなく「何を実行するか」で真の評価がされよう、と結ぶ。そも/\米国にとつてこの小浜君の総統就任は一見、勝ち得た勝利のやうだが革命や 御維新に非ず。前政権が民意で倒されもせず前政権の首謀者が退くのを待ち対局に有る者を選んだに過ぎぬのに、まるでこれで世の中好転するが如き感覚よ。 Googleで「バラク オバマ」と引いた際にわづか1件の記事しか見つけられぬ頃から彼に注目しイリノイ州選出での上院議員選挙にカンパまでしたアタシ は今となつて寧ろさう易々とこの人の米国総統就任を喜べず。だが日本とて「小泉さんなら変へてくれる」「安倍さんの若さ」「福田さんで建て直し」「かうな つたら麻生さんの指導力」と安易に時の首相に期待し、恥づかしくも国会の予算委員会で!首相が「窶す」を読めるかどうか、を試して喜ぶ与野党対決。日米双 白痴。小浜市でオバチャンたちがフラダンス踊つて祝ふくらゐならマダしもNHKのNW9も数時間後に迫つた大統領就任式を前に「どんな言葉で世界の変はる 瞬間を言ひ表すのでせうか!」だかと期待と興奮。陶傑氏、蘋果日報の連載で氏らしい冷ややかさで敢へて昨日は「布 殊不壞」、本日は「牆 倒罵布殊」と逆説的にブッシュ再評価。
▼地方自治体の不審者掲示板とは何なのかしら。不審 者も怖いが不審者掲示板はもつと怖い。

一月十九日(月)胃痛。腰痛の上に胃痛、晩には臍が内側に抓まれるやうな神経痛あり。胴まはりがボロ/\。早晩に胃を労り湾仔の泉記。紫菜魚蛋粉注文せば供されし碗には野菜たつぷり。「えッ」と思へ ばどうやらアタシの発音で「紫菜」が「時菜」に聞こえたらしい。だから広東語は苦手。晩の高座終へ遅く帰宅。
▼ブッシュ退任で新聞各紙は今更のブッシュ評。FT紙は社説“Bush damage can be undone”で小浜氏にブッシュ時代からの脱出に期待。評論ではterrorを捩り“A tragedy of errors”と。その中でフランシス=フクヤマさんもブッシュに冷ややか。そりやこの人を新自由主義から離脱させた、と 思へばブッシュ八年は功績もあり。
▼個人的には小浜氏演説を聞いてもピンと来ず。FT紙の先週末版のSam Leith氏による“Man of his words”が見事に分析。
Obama’s winning slogan, “Yes we can,” draws much of its strength from its three stressed syllables. It is a metrical object called a molossus – thump, thump, thump; as in Tennyson’s “Break, break, break” or Seamus Heaney’s “squat pen rests”. You could, arguably, scan it as an anapaest (diddy dum) but our boy certainly doesn’t. The official transcript of his speech at the New Hampshire primary punctuates it thus: “Yes. We. Can.”
Repetition, particularly in the form of anaphora – where a phrase is repeated at the beginning of successive lines – is another of the prime tools of political oratory and one that Obama revels in. His speech at the Iowa caucus on January 3 2008 opened: “You know, they said this time would never come. They said our sights were set too high. They said this country was too divided, too disillusioned to ever come together around a common purpose.”
He went on to declare: “I’ll be a president who finally makes healthcare affordable ... I’ll be a president who ends the tax breaks ... I’ll be a president who harnesses the ingenuity ... I’ll be a president who ends this war in Iraq ... ” Then: “This was the moment when ... this was the moment when ... this was the moment when ... ” And, as his speech built to its climax, “Hope is what I saw ... Hope is what I heard ... Hope is what led a band of colonists to rise up against an empire.”
To an American literate in his own country’s history, Obama’s rolling repetitions will bring consciously or unconsciously to mind the Declaration of Independence. The run of charges against King George in that document rolls out in an unstoppable anaphoric fugue. “He has refused ... He has forbidden ... He has refused ... He has called together ... He has dissolved ... He has refused ... ”
と確かに米国人には解り易いか。

一月十八日(日)晴。本日はChina Coast Marathon開催日。昨年の秋にはハーフマラソンに申し込んでゐたが腰はとても走れる具合にあらず。机回り片づけ朝から i Podでブラック師匠の年末の毒演会の漫談、30分余を聞く。家 元(談志師匠)より破門された黒師匠が銀座のバーで師匠に再会の話、大阪新世界で映画見る話、釜ケ崎の映画館の三本立で高倉健「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」と「父ちやんのポーが聞こえる」とオークラ映画「セーラー服官能の悶え」に客が全て感情移入し楽しむ話等愉快。我が身走るには能はずも天 気良く昼にかけて鰂魚涌から北角を散歩。ライカのM3を首に掛け、ハンチング帽かぶれば、ただの年寄り。小腹空き北角のコンビニで缶ビール飲み十三座牛雑で串を一本頬張る。十三座は新光戯院のビルの外側。この劇場は 香港唯一の中国劇の定席だが何度も賃貸契約切れるところで延命。今朝の新聞にもまた三年の賃貸契約延長の報せあり。当然専ら地場の粤劇公演多く粤劇苦手な アタシは数回来ただけだが劇場としては舞台の充分な間口と空間性は見事。中環の有機野菜市帰りのZ嬢と待ち合はせ。昼餉を簡単に食さうと北角道で目の前の 最近開業の餃子屋は行列が出来る賑はひ。近所の濰京坊なる店 に入れば坦々麺はピーナッツ仕立て、紅油抄手すら甘いのは所謂「京川滬」で客も場所柄上海系多し。市場は歳末の賑はひあり。帰宅。ドライシェリー飲み在家 中躱懶。溜まつた新聞、雑誌を読み暇にまかせ新聞に掲載あり、のセンター試験問題を腕試し。理数系は論外。英語、社会科系は出来てもやはり一番難しいのは 国語の読解問題。だいたい用ゐられる小説や随筆、評論文が「面白くない」と思へば読めもせず、その上、作者の主張や登場人物の感情など第三者にわかるはず もなし。i Tune +i Pod の podcast で遊ぶ。田中康夫氏出演のTBSラジオ「アクセス」が聴けるのも嬉しいところ。久米宏や大竹まことのラジオも聴いたが何より貴重なるはSteve Jobs氏のMacworldでの基調講演は2007年の i Phone と翌09年の MacBook Air発表時のもの。まるで昭和が終はる頃に昭和帝の御世反思する如く誰にも真似できぬSteve Jobsの創造の世界垣間見る。蕪仕立てのスープ、馬鈴薯と葱のパイなど食し豪州はMcLaren Valleyのd'ArenbergのShiraz 04年飲む。戴き物の鎌倉の欧林洞(おふりんどふ)なる菓子舗の焼き菓子食す。新聞雑誌の読み残しがFT紙の週末版のLife & ArtsとThe Economist誌の最新号だけ、といふのは理想的。毎週かうありたいもの。
▼西安の全人代代表(53)が香港空港の売店で売り子にセクハラ(蘋 果日報)。現場での警察の尋問に自ら全人代代表と名乗るが逮捕。內地の法例に拠れば県レベル以上の全人代代表は全人代会議首席団或いは同常委の批 准ない限り逮捕、刑事裁判の審査受けぬ由。 香港は一国両制で全人代代表も逮捕されたのか、これが政治的判断で釈放でもされたりとか。

一月十七日(土)快晴。土曜日だが夕方まで官邸にてご執務。週日では出来ぬまとまつた仕事片づける。Z嬢と久々にBowen Rd歩く。ここ数日復た腰痛あり。かつてランニングに精出したBowen Rdも片道歩くだけでも腰に負担あり。ミッドレベルの十年ほど前に住まひたる界隈漫歩。住めばGalleryやカフェなど店多く楽しからうがサービスア パートなど細い高層ビル並び昼も暗く更に工事現場の地盤工事のボーリング耳に痛し。東区の現居は転居より早八年目。中環的な賑はひに縁遠くも周囲一切ビル の建築など出来ぬ環境は幸甚。オリンピアグレコ珈琲店に珈琲豆購ふ。老いの目立つご主人、余には梱包済みの豆売りたるがZ嬢は目の前で挽きたてを配す贔屓 も愛嬌。FCCに伊太利の白葡萄酒を飲む。腰痛に昼間の機織りの肩痛、昏時の視力低下など酒を飲めば改善されるから、つい酒が進む。帰宅。葱と納豆入りの 卵を焼き豚汁を食す。腰痛を所為にして早寝。

一月十六日(金)晩に炮台山の「自然や」。某機関の三氏と把酒言歓三更に至る。ネタいくつか仕込み出向いたがお互ひネタも尽きる抱腹の内輪話。茲に綴るも 能はず。薩摩酒造の芋焼酎四合瓶三本半空く。半夜三更独り銅鑼湾のバーSに寄るが満席。マスターM氏によればF君らも満席に踵返さざるを得ず近くのカラオ ケ箱に収容された由。卡拉OK屋の名刺貰ひ肆を出るが鳥渡そこまでの元気もなく帰宅。
▼昨日のIHT紙の1面トップに“Chinese are playing, and losing, state's money in Macao”といふ記事。マカオで遊ぶ内地客がどれだけ 公費の持ち出しか、と。上海の某国営企業の経営代表(44歳)はカジノリスボアでUS$3.25百万の負債かかへ会社倒産(終身刑)。2008年の調査で はマカオでの内地からの賭客トップ99人のうち59人が何らか国家関係者。33人が国家公務員、19人が国営企業幹部。で当然のやうに掛金は公費でUS$ 百万単位で損あり。1949年の人民共和国建国で党政府は阿片、淫売と賭博を3禁としたが、この態なり。

一月十五日(木)Apple社で年始のMacWorld展で舞台にも上がらず、のSteve Jobs氏が正式に長期病気休暇に入り第一線退いた由。今にして思へば1992年だかにNotebook 100入手してからMacなしは考へられぬ生活となりぬ。SJ氏を i God と譬へる人あり、と。御意。それとは関係ないがエプソンの複合モデル購入。先日、日本のカメラ雑誌にマ ルチフォトカラリオEP-901Fといふ製品の広告があり「これだよ、欲しいのは」と食指動き、香港での同機種Stylus Photo TX800FWを購入。実は10年以上、陋宅にはプリンタなし。意外となければないで、どうにかなるもの。今回の複合機で、ファクス機能は今更必要か?と いふ気もしたが老人対応。いぜん同社の方が自社製品を「どこかデザインが垢抜けてゐないでせう」と自嘲していらつしやつたが、この製品は居間に置いても、 寧ろNakamichiやSansuiやマッキ ントッシュといつたオーディオ機器と並べても遜色ない、落ち着いた感じが素敵。よく、見た目はゐ良いが、液晶ディスプレイをオンにしてみると、「草原の風 景」とか、とんでもないデザイン(色彩)のがあるが、この製品はディスプレイも実に落ち着いたデザインと色合ひ(オレンジ)。プリンタのワイヤレス環境の 設定に多少戸惑ふ。自分のネットワークのパスワード失念といふ老人らしさもあり。作業始めると機内で必要な箇所だけが中で動くだけで、外見的には何も動い てゐるやうに見えぬのもセンスの良さ。
▼小浜馬樂師匠の米国総統就任の式典の費用US$1.5億也。「米国を変へよう!」と謳ふは優し。倒産寸前の会社が社長交代で盛大な祝賀会開催の如し。
▼蘋果日報より陶傑氏。「母 語」的悲惨。母語である中国語での教育になぜ負性が伴ふのか。
答案是中國語文,已經是一個「悲慘社會」的象徵。
中文沒有罪,是使用中文的中國人有罪,他們把中文從一個白雪公主, 蹂躪成妓女。
政府高官的子女,也接受英語學,雖然他們在金紫荊廣場看見中國旗, 也會表演流眼淚,但他們也知道「中文學」就是說不出來的一種悲慘。進了中文班,慘不慘?慘。學好英文,半途出家,就像歸化加拿大,領一張西方護照。他們都 相信,英文代表救贖:復活在我,生命也在我,信我的人,雖然死了,也必復活。像哈金一樣學好英文吧,那就是永生。
これにつき同日の陶傑さんの隣の随筆、左丁山氏の「英 書不可中文教」も一読に値す。明報から香港を代表する教育学者の程介明教授の言葉引用し「学校は須べからず中文書を用ゐて中文を教へ、英文書を用 ゐて英文を教へるべき」と。日本では小学校への英語指導導入で日本語の力が疎かになる、なんてレベルの議論か。

一月十四日(水)何かする度に静電気がピツ!と走り終日恐る/\の生活。連日極寒が続き建物ぢたひが冷えて冷蔵庫の如し。小さな温風器を置くが寒さに耐へ かね羊毛のセーター着込みアリタリア航空のブラン ケットを膝に掛け、やもすれば鍼灸院でのエレキ治療で身体が帯電?も静電気の原因か、などと考えつゝ過ごす。本日、昼に香港日本人倶楽部で日系諸団体の正 月恒例の賀詞交換会あり末席を汚す、といふか立食での芋を洗ふが如し。鹿児島の黒豚の鍋などそれなりに上手いもの少なからず。すき焼は日本産の生卵つき! で賑はふのは時節柄。樽酒など振舞われるが午後もシリアスなご執務続き酒を飲まず。
▼中国の役所の豪華絢爛な(で成金趣味で全く品がない)庁舎建築は呆れるばかりだが四川省の綿陽市では市の中級人民法院が六千万元費やし「奢華譲人難以想 像」の白宮(ホワイトハウス)風の裁判所建築中で全国的に嗤はれる。確固たる三権分立の上で国の最高裁ならまだしも、と言つても19世紀末の伯林ぢやない んだから共産革命国家がこりやないでせう、のノリだが、たかだか地方都市の裁判所でこれを建造しちまふところが地方役人(党員)のおぞましさ。

一月十三日(月)朝一つ外で打合せ済ませ湾仔で鍼とエレキ治療。まだ腰は完治せず。銅鑼湾でお仕立のYシャツと開襟シャツ受領。綿の開襟シャツの出来も良 く「麻はあるの?」 と尋ねれば多くの生地並ぶ中で「今どきリネンはもう白はこれ一つだけ」と見せられる。時代はひどく変りたり。跑馬地のWatson'sで葡萄酒数本購入。 この店のR君なる店員が酒の勧め上手。何か選んでゐると「こつちの方が」と勧める酒は多少、値が張るが「飲んでみたい」と思はせ、しかも棚にない酒を店の 隅の方から取り出して「これはもう在庫稀で今後も入荷予定なしの某銘柄の何年物」とやられる。今日もつい「RPで98ポイント、これは飲んでおきたい。も うすぐ春節だし」につい/\乗つてしまふ。晩に先日の宴会料理で貰つてきた鶏を使つて菌類沢山のスープ料理。名前失念の葡萄牙の赤葡萄酒飲む。
▼陶傑氏が蘋果日報の随筆で「梅毒語文」と題して語る。香 港特区成立後十年の中英文の水準低下は最近また問題になつてゐる学校での教学言語(中国語か英語 か)の問題と直接関係はないはずなのだが、としつゝも、例へば教育局のこの教学言語に関する新聞発表も「教育局建議,微調中學學語言框架」といふ一文あ り。この「微調中學學語言框架」といふ言葉を、市街で屑拾ひの老婆、牛池灣から西湾に走るミニバスの運転手や建築現場の工事人に聞かせて、彼らがわかるか しら、と。僅か十個の漢文に2つも英語からの「強制翻訳」の言葉あり。一つ目はfine-tuningの訳であらう「微調」。二つ目がframework 意味する「框架」。前者の 「微調」といふ言葉は中文になく、これは「推翻 。鄧小平が1977年に復活し毛沢東時代の人民公社での「吃大鍋飯」の制度改め個体戸による商売を認め1949年以前の資本主義市場経済を回復した際、中 国政府は「微調」とそれを呼ばす「改革」と呼ぶ。「微調」は大衆を馬鹿にした言葉で、教学言語については「彈性」だの「僵化」だのと白黒はつきりとせぬ政 策の反復。「學語言框架」の框架はframeworkの直訳。中国人にとつては古代に犯罪人の枷(かせ)にした木製の刑罰具すら想像させよう、と。かうし た言葉の汚染は中国にとつて五四運動以来の近代化の中での梅毒のやうなもの。国宝の女優・章子怡がカリブ海の浜辺で西洋人の男友から「咬股推油的按摩」さ れようと致し方あるまい、と。
▼NHKのNW9、これしか見られないのでヤジもこの番組に限るが、キャスターの口舌の悪さも目を覆ふほど。男性キャスターが国会での補正予算案のニュー スで「賛成多数」を二度も!「算数多数」と言ひ違へれば女性キャスターが呼応するかのやうに「第二次ホツセイ予算」と間違へる。もはや芸風。殺人事件の報 道では「警察が事件の全容を明らかにしました」と事件を語り、裁判の冒頭陳述で検察は被告が「女性とつきあつたことが全くなく、(女性とつきあふ)そのた めの努力はしてこなかつたこと」「被害者を労る気持ちは全くなかつた」もので「被害者の家族はみんな(加害者の)死刑を望んでゐる」と紹介する。容疑者が 殺害を認める供述をしてゐるとはいへ警察発表に則り事件を語つてしまふことも怖ければ、検察の事件に至る経緯を語るには限度を超えた「被告は女性とつきあ つたことがなく、その努力もせず、さういつた欲求が……」といふ物語もあまりに言葉が踊り、怖い。

一月十二日(月)晴。早朝に東空に傾く見事な白月を眺む。いくつか急ぎの仕事のみ済ませ昼前に羅湖より深圳に入る。野暮用一つ済まして夕方香港に戻りご公 務続け二更に至る。
▼鳥渡好ゐ話を耳にす。香港に或る男ありけり。春節前の年の瀬、何かと物入りの季節、知る肆の馴染の娘に祝儀くらゐ渡さう、と或る日の晝餉に誘へば食後に 「鳥渡、買物が」と娘。其処が高級商場ゆゑ正月に合はせ晴れ着の一枚もねだらるゝか、と男、覺悟。晩に肆で會つた方が安くついたか、と苦笑。が、娘が向ふ は「優の良品」。量り賣りの菓子屋なり。大陸生まれの娘、春節に年に一度の樂しみは郷里への里歸り、せめてもの土産、とつまらない菓子、袋に詰める。男、 晴れ着でも求めらるゝと娘の「したるかさ」勘ぐつた己を恥ぢるばかり。「おい、これは?」と男、手近かの干しマンゴーの袋差し出せば娘は驚き「旦那さん、 こんな高いもの……」と。ゐゝから、と男、量り賣りの菓子と干しマンゴーの代金拂ひ濟ませば照れて店の外に。「すみませんね」と濟まなさうに禮をいふ娘。 故郷離れ香港の色街に身は置かうとも毎月、實家への仕送りはかゝさず、春節には父母に元氣な顏を見せやう、といふ其の健氣さに男、たゞ/\言葉もなし、と 聞く。
▼台湾にて李登輝先生、今度は「倒扁運動」の施明徳の家を訪れ七時間の会談。国民党と民主党に対しての「第三勢力」の籌組画策は否定しつつ「台湾新力量」 の結集の可能性など語った、と。登輝先生の総統就任で美麗島事件での判決無効の決定で終身刑解かれた施氏。今では李先生も施明徳もお互い「目立つこと」に は目敏いが大老人と民主化OBの組み合わせで果たして何をしようか。
▼朝日新聞の「資本主義はどこへ」。昨日だつたか労務者や派遣被解雇者、かつて自民党の支持基盤であつた農村の老人らの日本共産党入りを紹介し「これつて 赤旗?」と思ふやうな朝日新聞(それはそれで良いが)。今日は辻井喬へのインタビュー。資本論を読み返してゐる、といふ辻井が資本論の
本質的には人間の欲望を満たす行為であつた消費が、資本主義社会に なつてからは労働力の再生産のための消費一辺倒になつてしまつた。
といつたやうな話を取り上げ、消費社会を語る。それは「作家」として自由だが、この人が辻井喬であるばかりか堤清二であることを思へば「デパートが時代遅 れになつた」とか「デパートが主役だつたのは、長く見ても80年代まで。西武百貨店の全盛期は75年から82、83年です」なんて言葉を聞くと、納得いか ず。自らがその企業の(それも株式非公開のown companyで)経営者=最高責任者であつたご本人。この人の経営の舵取りの間違ひでいつたいどれだけの社員が路頭に迷つたか、を考へれば、だ、(確か に会社更生である程度の私財投入したかもしれぬが)こんな悠長なコトを辻井喬として言つてゐられないはず、と思ふのだ。

一月十一日(日)快晴。午前中は自宅で机上整理。新聞雑誌読む。午後は官邸にてご執務。中環のCSL商店にて携帯電話購入。NokiaのGSM機6300 型からN79なる3G機に交換。日本での使用に、かつて先考具合悪しく頻繁に帰国の頃にヴォーダフォンの携帯日本で購入し使用せぬ月は550円だかの基本 料金だから、でそのまゝにしてはゐたが、年間で考へるとかなりの額で帰国も年に一、二度では負担感あり。で、この際、G3にしちまへば、でAmexのご優 待価格での購入。晩にランニングクラブの新年会あり。FCCにて。
▼本日、大相撲初場所開幕。数日前のNHKのNW9で横綱朝青龍の復帰についてキャスターは「横綱朝青龍が……」と呼びつけ。本人の稽古を取材しコメント までとつた内容なら「横綱朝青龍関が……」と言ふべき。犯罪の容疑者ぢやないのだから。北朝鮮拉致被害者の方々、派遣労働者の人々、在日朝鮮人の人たちと 必要以上に丁寧に言ふのが風潮なのに。昨日綴つた文春の皇室への言葉といひ、なんだか世の中、言葉の遣ひ方があまりに気配りなし。
▼同じ番組で今年、そしてこれからの世界はどうなるのか、と大江健三郎氏を取材。大江先生はサイードの言葉として「人間のやつてゐることなんだから解決し ないはずがない」を挙げ語つてゐたが、人間は本能が毀れた動物、といふ岸田秀の言葉が染み付いてゐるアタシには「人間のやつてゐることだから解決しない」 と思へてならず。

農暦十二月十五。晩の月も楽しみな快晴。土曜日でもご執務。早晩に映画の前に腹拵へ、とZ嬢と太古のジャスコに参ればラーメンの山頭火も大戸屋なる食堂も 行列、で致し方なく麥奴労奴に食す。太古城の映画館で映画「梅蘭 芳」見る(今年3月日本で公開の邦題は「花の生涯」と相変はらず醜悪)。陳凱歌監督の京劇物は 「霸王別 姫」以来。鳴り物入りの宣伝、主演が黎明で相手役は冬休みに地中海の浜辺で男友相手に大胆な日光浴姿が話題(或いは醜聞)になつた章子怡。香港は評判にな らず上映8日で175万ドルと惨憺たる興業成績の由。来週中にはもうお終いかしら、と慌てて見る。今晩も土曜の夜七時で五分の入り。梅蘭芳の清末の少年時 代から大好評の青年時代、名声、戦争期の抗日としての休演期間を描けば、そりや二時間半は要す。がこの大役者の半生を描ききるのは難しい。「ラストエンペ ラー」や「霸王別姫」と同じく主人公の少年時代演じる若手が好演。この梅蘭芳の「堂子」時代から「畹華」と呼ばれた当時を演じるのが浙江省の越劇團出身の 余少群。映画では畹華は「臺上看戲,臺下看人」のご贔屓筋相手に勤める「逛堂子叫打茶圍」を頑なに拒む。銀行家の馮耿光(=馮六爺を英達が好演)らの知遇 と支援を得て同じ梅派の前輩・十三燕(王学圻)との確執など経て不世出の女形として名声を得るまで、余少群が演じる清末の北平の戯院での場面は美しい。 が、物語が少し進み梅蘭芳役が黎明になると、これはラストエンペラーで溥儀がジョン=ローンになつた時のやうに、霸王別記でレスリーが出てきた時と同じや うに、スクリーンから一歩、背が退く感じ。で物語は絢爛豪華に、また梨園の怨念交へ、紐育公演など経て日本の侵華の時代へと進むのだが、歴史大作にした 分、可もなく不可もなく、の出来。鶴鳴といはれた歌声は当然、吹き替へだが口パクで合はせるのも上手くない黎明に梅蘭芳演じるだけの華がない。素顔は似て ゐるのだが。冬でも冷房ガン/\の映画館を出れば、外も本日は最低気温摂氏十度と香港では厳寒。雲一つなき空に寒月が見事なるを愛でる。十二年で最も地球 に近き月の由。久が原のT君からも
見送れる人さまざまに寒の月
月が見事とメールあり。二千里外故人心、は白楽天の昔と変はらず、と。半夜に至れば天空頭頂に十五夜の月、まわりに星が群がり「朝拝」は月が「一統天下」 の如き神奇天象。
▼カメラ雑誌読む。「デジタル一眼レフに動画機能は必要か」なんて特集やニコンのD3XだのD700だのといつた紹介にうんざり。大半の頁を読み棄てる。 ふと思へば畏友O氏が清水の舞台から飛び降り、それでもニコンD200購入され「おーつ!」と叫んでゐたのが僅か数年前。それがもう薹が立つとは。アサヒ カメラで長徳先生が「カンレキからの写真楽宣言」で新春の特別対談のお相手は三保ヶ関親方(元大関増位山)。長徳先生をすら唸らせるライカMなどレンジ ファインダー機とレンズの蒐集。さすが各界一の趣味人。
▼文藝春秋二月号で「秋篠宮が天皇になる日」読む。皇室のご苦労など我々下々の者が伺ひ知れる処にあらず。それをまぁしやあ/\と親子、兄弟関係の琴線に 触れる部分に踏み入るとは不敬千萬。それも本来は保守派として侵犯を謹むべき文春が、であること。荷風先生が見抜いたこの出版社の姿勢の菊池寛以来の生半 可ぶり。余が察するは、もしいづれ秋篠宮が帝になる日が来れば、それが続けば、かなり世の中に変化あり。息上がる者少なからぬこと。悠仁親王の御世など老 いてこの世になき余には図り知らぬことなれど更に先の大戦の「戦後」の現世とは全く異なる「国のかたち」かしら。この文春は「秋篠宮が」ばかりか「ドキュ メント 昭和天皇の最期」(佐野眞一)にも朝日新聞で先帝の超疾患と手術をスクープ(昭和62年)の清水健宇記者のコメントとして、九月中旬の金曜日に東宮ご一家 (今上天皇)の定例参内が突然中止となつたことを知つた清水が、それを上司の岸田英夫に伝へると岸田に「それは大変な異変だ」といふわけで岸田の陛下重病 の裏取り取材が始まるのだが清水はこの文春の中で「ご参内とは、毎週金曜日に皇太子ご一家が両陛下を訪ね、御所で一緒に夕ご飯を食べることです。それが中 止になつた。いまの皇太子ご夫妻ならともかくですが(笑)、それは大変な異変だといふわけです」などと皇室記者でもこの軽口。世も末。
▼同じ文春に筑紫哲也氏の癌残日録読む。福田前首相に出したといふ手紙の一節。「怒つてはいけません」。いぜん日剰にも書いたが1997年の香港返還の際 にNews23の現場中継で香港にいらしてゐた氏が同行スタッフに横柄な態度で怒つてゐたのを垣間見た印象強し。だがその方からの「怒り」についての諭し が、これが一読の価値あり。
怒気を外に出したら大人には見えないのですが、歴代の総理を拝見し ていますと、この人がと思う人でも、鬱積がたまっていくものです。それをあまり我慢するのも、身体によくありません。
秘訣は、本当に怒らないことです。
口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考 の水準に見合ったものでしかない。そんなものに自分がとらわれてたまるか、と思えばそう腹も立たないでしょう。
アタシもここ一、二ヶ月、つい必要以上に周囲の者への問責、他人の非難など少なからず。反省するばかり。

一月九日(金)ほんの二時間くらゐ寝て、といつても転た寝で朝六時過ぎに起きてJ-Waveのジョン=カビラ氏の番組で数分の電話出演。米国のかなりぎり /\までネタの呻吟続け昼過ぎより長丁場の高座あり。付け焼き刃で途中、一瞬、話に詰ること多少。どうにか終はりかけたところで鳥渡しくぢりあり。いくつ か労ひの言葉頂く。まぁこの高座に至るまで数ヶ月の苦労もあり。早晩に某両氏と慰労で港島東のB倶楽部。バーは金曜夕はそれなりに賑やかかと思へばさに非 ず。寛ぐ。美味なるカルスバーグの麦酒に舌鼓み打つてをれば十二、三の息子連れの夫婦がバーに。ガキがバーに入れる、つて真っ当な私人倶楽部かよ、と呆れ たが、更に父と息子がアタシらのソファに近き台で玉突き始め「こりや、たまらん」と覚悟。ドライマティーニを一杯。だが父子の玉突きは真剣で、父の友人が 現れると少年はその御仁と玉突き続け更に父の友人が二人増え酒盃を傾け始めると暫し少年は玉突きを黙々と続け、父母らのテーブルに戻つたが会話を邪魔する でもなく、つまみのナッツなど頬張り炭酸水を飲みながら何気に大人の会話を黙つて聞いてゐる。その姿のまたサマになること見惚れるほど。これでゲーム機な ど取り出してピコ/\始めたら台無しだが。親の教育、躾、本人の才気とはかういふものか、と感心。かうして少年は紳士となつてゆくのだらう。帰宅して鳥の 水炊き。さすがに疲労困憊と眠気でバタン。
本日、月本裕氏一回忌。合掌。

一月八日(木)松岡正剛著「白川静」を日本のAmazonで注文しようと思ひサイト開いたら、すぐにこの本があつたので注文してから「なんでトップページ にあるのよつ?」と愕きサイト遡つてみればトップページの「あなたにはこちらがお勧め」の筆頭にこの本あり。おい/\何故よ、と呆れればアタシが前回「和 漢朗詠集」注文してゐたので(といふのは久が原のT君からの示唆なのだけど)、それや過去の注文からこの客は「漢字や漢詩が好き」と判断された由。便利と いふより怖いくらゐ。これが漢学だから良かつたやうなもので「恥づかしい分野の本」なんて注文してゐると、偶然に誰かと一緒に画面を開いたら「あなたには こちらがお勧め」で「白ポスト行き」みたいな本が出てくるのでせう。大変。さういや白いポスト、つて今でもあるのかしら。今日もご執務が忙しいのに忙しい 時に限つてどうでも良いやうな雑事(新年の手帳への書き換へとか、先の旅行の手配とか)ばかりして急ぎの大切なお仕事が一向に進捗せず。我ながら呆れる。 で今晩はほぼ徹夜必至。
▼今年の香港街 道地方指南。アタシが世界で最高作品と信じる都市地図帳。2009年版購入してみると毎年の地図の精緻化、新しい開発区の追加は当然として毎年の 楽しみは付録の地図。この街道地方指南の精緻さのまゝで深圳の主要部地図とかついてくるのだからありがたい。で今年の付録はマカオ。マカオの市販の都市地 図の不便はバス路線の不明。それがこの付録地図はマカオのバス路線網羅。嬉しいかぎり。表紙の「ノアの箱船」の動物たちが都市地図としてシュール。
▼今晩のNHKのNW9より。米国が観光目的の短期(90日以内)の滞在は査証免除としてものが来週からだか電子渡航認証システム(ESTA)導入、と。 米国大使館のサイトから画面は「日本語で」だがキャスターが自分の机上のノートパソコン使ひ登録を始めてみれるが「情報は英語でいれなければなりません」 つて、そりや名前を「ローマ字で」であつて英語ぢやない(嗤)。相変はらずのNHKの報道センターに呆れるが米国大使館のそのESTAのサイトみると「す べての回答を英語(ローマ字)で入力してください」とあり。さすがNHKより米国大使館、勝るとも劣らず、と思つたが確かに「滞在先の住所」は厳密には確 かに英語か。キャスターの田口某が「これから英語がわからないお年寄りの方はいつたいどうすればいいのでせう!」と嘯いてみせる。が問題は寧ろ認証の電子 化で「非電子化」の人はいつたいどうすれば良いのか、が米国大使館サイトで見てもさつぱりよくわからぬこと。またこれでアタシは米国への渡航がまた遠のい た。ところで電子渡航認証システムつて日本語が不自然。正確には「渡航認証電子システム」だらう、と思つて見たらESTAはElectronic System for Travel Authorizationだしテロリストに本人が来なくてもネットで「電子渡航」されちまつたら米国は危険に晒されるよ(笑)。
▼もう数日前の蘋果日報に「信報」の社長に袁天凡が就任、と記事あり。「李嘉誠の次男」の李澤楷君が信報の買収始めたのが06年8月で全面的な買収もほぼ 終はり今月から澤楷君の懐刀の袁が社長に就任し駱友梅(林行止氏夫人)は社長と取締役会主席を辞任、但し創弁人弁公室は社内にもつたまゝで今後取締役会に 専門的立場から意見監督はする、と言ふ。香港唯一の、いや華文圏で最優の良識高級紙として願わくばこのまゝでありますやうに。
▼米国総統がオバマに決まつたあたりから紐育時報のPaul Krugman氏の連載がぐつと面白くなくなつた感じ。宿敵ブッシュも去るし。或いはノーベル経済学賞の受賞も関係あるのかしら。ブッシュといへば昨日だ つたか、のIHT紙だから紐育時報だがFrank Richさんの“A president forgotten but not gone”といふ文章は面白い。世論調査でブッシュさんが大統領辞任を惜しまない国民が79%ださうで、
The joke was on us. Iraq burned, New Orleans flooded, and Bush remained oblivious to each and every pratfall on his watch. Americans essentially stopped listening to him after Hurricane Katrina hit in 2005, but he still doesn't grasp the finality of their defection. が Bush is equally blind to the collapse of his propaganda machinery. で Once again he is shifting the blame. This presidency was not about Him. Bush failed because in the end it was all about him.
と視点こそ面白いもののブッシュ末期の今になつては何を言ふのも簡単。ブッシュさんを相当に推挙し続投までさせた国民としての責任を前述の79%の人も含 め真剣に考へるべきよ。

一月七日(水)薄曇。昨日の日剰にメールの送信時間が深夜と早朝では歌舞伎町と永平寺のやうな違ひ、と書いたが改めて思ふに「泥々ぐあゐ」では意外と前者 は文字通り水商売であつさりで宗門こそ泥々、鴨。本日も早朝から忙しく一仕事終へ官邸に戻ると首席秘書官が衛生署からとアタシに電話があり内容を尋ねたが 「個人的な内容」のため本人以外には秘匿の由。アタシの身に何か?、と電話してみると「先日申請いただいた臓器などの捐贈の件で」本人の申請に間違ひがな いか、だけの確認、と。先日、香港紅十字で恒例の献血の折、この臓器提供の申込書あり、世の中に何ら貢献なき我が身、せめて臓器提供だけでも、と、どうせ なら残骸も焼却して灰は海にでも流してくれれば、と思ひ申込書開くと申請内容も余りにも簡単で「18歳以上の成人」であるから当然、親族等の承認も要らず 本人の意思のみ。そりやさうだ。で申込書郵送したら、の本人確認にみ、もご本人ですか?で香港IDのナンバー確認で5秒で終はり。晩に帰宅して陽暦で今日 は正月七日、で七草粥ならぬ厳密には三草粥ださうな。昨晩三時間くらしか寝てをらずさすがに睡魔に冒されいつも以上に早寝。
▼「破 小學 VS 豪官衙」と今日の蘋果日報が伝へるのは広東省の紫金縣中壩鎮にある富坑舊塘小學の貧窮ぶりと同県の地方党政府の豪奢ぶり。
▼今日のNHKのNW9。お馬鹿加減は相変はらず。キャスターの田口某「アメリカの経済問題に端を発した……」といふ話題に「金融経済はやはりアメリカ頼 みだつたといふことが明らかになつたんですねつ!」つて、そんなこと中学生でもわかつてゐる。コメント不要。太宰治、埴谷雄高、松本清張……全然関係ない 三人の作家だが、この三人がなんと1909年生まれで同い年の由。驚き。NW9で珍しく「タメになつた」話題だが松本清張の記念館だかの紹介で。で衰へな い清張ブーム、でコメントで出てきたのが阿刀田高氏。「ナポレオン狂」で直木賞の時にはそれを読んだが。内容より新刊での和田誠の装丁が記憶に強い。最 近、といふか「それ以来」何を書かれてゐるか、中村紘子のご主人の庄司薫よりミステリーかも。太宰、雄高に松本清張の同い年も驚いたが朝日新聞の「東京タ ワー」についての記事で怪獣モスラの幼虫が繭を作るために東京タワーに取りつく、当時(1961年)あまりに印象的な発想のこのシーン、その東宝映画「モ スラ」の原作(発光妖精とモスラ)の作者が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の三先生だといふのには驚いた。どう見ても岩波文化人で雑誌『世界』に「モス ラ」小説が載るやうなもの。
▼朝日新聞の「私の視点」に朝倉喬司氏が犯罪について。朝倉喬司氏と別役実氏が80年代後半だつたか朝日ジャーナルで「犯罪季評」あり。バブルの明るい時 代に、まぁ冷静といふか地味で控へめな、今もまだ印象に残る名談義。朝倉さんの感情を殺した文章の筆致。
ある人間が自分の境遇に不満を抱いているとして、そんな状態がなぜ 自分にもたらされているのか、その明確な理由(ひいては克服の方途)を自分のなかにも社会にも見つけ出しにくいのが今の時代だと思う。見つけ出せないまま 不満を燻らせ続け、自分の生きる現実総体に対する、時に妄想交じりの被害感情をつのらせた末に犯行に走る。これが多くの“通り魔”の動機形成のパターンで ある。
……とどうだらうか、こんな一字一句無駄のない的確な定義がキョービの犯罪について他にあるかしら。
日本は現在、殺人の総発生件数の約半数が家族、親族間で起きている という「異常」を内に抱えている。私たちが、自分のリアルな生活圏の他に、あるかなきかの夢を過大にふくらますという、ここ何十年にわたって馴染んできた 習癖を少しはセーブしないかぎり、この「異常」が解消する保証はないだろう。

一月六日(火)快晴。まことに慌ただしく官邸にてご執務続く。晩に某氏歓迎会あり中環の鏞記酒家で末席を汚す。到れり尽くせりの給仕ぶりに恐縮するばかり。帰 宅途中にパイプ一服と思ひ地下鉄站より歩き始めると路地裏で可愛らしい黒い小猫と遭遇。しばし遊ぶ。帰宅して何気にメール受信せば急ぎフォローせねばなら ぬ件で明日の日程など考へると「さて夜業か」でひと風呂浴び濃茶啜りつつ深更まで机に凭る。が夜中のメールは禁物なので呻吟した上で保管。送信は明日の早 朝とす。同じメールでも「夜中の2時かよ」と「朝の6時とは」では受け手も歌舞伎町からと永平寺から来信の如き感覚差もありや、なしや。

農歴十二月初十。小寒。多忙続く。腰痛が芳しからず。ふと気づけば久々にスーツで腰のベルトが締め付けで患部に障るゆゑ。さういへばぎつくり腰の襲来直後 の激痛期もジーンズ穿いたのも今にして思へば患部には優しからず。お出かけついでに金鐘の西武百貨店の男装部で吊りベルト購ふ。晩遅く湾仔で空腹覚え路上 に佇む。向ひには再興焼臘、背後には泉記。最近太りぎみで二 更の焼臘は禁物、と泉記で紫菜魚蛋粉を食す。本当に美味。一昨日に帽子忘れたY氏のMに寄ればY氏と来港中のH嬢いらつしやり一酌だけカウンターに凭り二 更のうちに帰宅。
▼釈迢空の未発表短歌見つかる1 月4日の朝日新聞
むつきたつ春ここのかとなりにけりをとめうまれてこのやどはなやく
手すきの和紙に書かれ、台紙裏には加藤守雄(1913〜89)の印と「釋迢空筆・大井出石の宅に唐紙に粘(貼の誤字?)つ てあつた」と由緒書きがあり。守雄は戦時中、折口家の書生であつたが「師と同居の内弟子関係の濃密さに耐へかねて出奔」。で終戦後に折口家に入り師の湯潅 までしたのが岡野弘彦で、守雄はその後、国文学者として折口全集の編集委員となり、弘彦は歌人。守雄が生前に友人である故井口樹生(慶大教授)に寄託し額 装、箱入りのまゝ井口家に置かれてゐたものを昨秋、井口の妻和子さんが開封、発見の由。井口家からこの色紙を預かつた藤原茂樹慶応大教授はこれが信夫の直 筆であると認ため「加藤さんが使つた六畳間に僕も入つたのだが、この部屋のふすまに先生筆の歌があつた」として挙げたのが、白楽天の
背燭共憐深夜月 踏花同惜少年春 燭を背けては共に 憐れむ深夜の月花を踏んでは同じく惜しむ少年の春
と、
わが暮し楽しくなりぬ隣り部屋に守雄帰りて衣ぬぐ音す
であり、だが「しかしこの歌(今回発見された「むつきたつ……」)の記憶はない」と。この記事、朝日の国際衛星版には記事 なく、久が原のT君が教へてくれたもの。桂冠詩人が鶏姦とはまさに折口と守雄の関係かしら。それにしても先生もこんな文句を襖にお書きとは「惚れた弱味で 何とも健気」か。
▼中国の経済格差の問題。 ITH紙のDavid Barboza記者による“Exemplars of success - and of a China mystery” 3-4 Jan 2009が面白い。具体的な話は、フォーブス誌で昨年の中国長者番付トップとなつた「肥料大王」東方希望集団の劉永行先生(推定資産は約2900億円、日経) にかかはるもの。その記事の中でMITのビジネススクールの研究者 Huang Yashengが指摘するのは“The pussle is not why the Liu brothers succeeded but why there are not more like them in China”と点は確かに私らの素直な疑問であり“Rural China represents a vast pool of entrepreneurial capabilities and substantial business opportunities”と、共産主義中国が改革開放で資本主義化する中でなぜ、かうした億万長者と週給US$50にも満たぬがかうも容易に格差社会 化したのか。本来もつと全般的な底上げが期待されたわけだが上海のXu Xiaonianなる研究者は「もう昔のゲームは終はつた」と手厳しく、さまざまなマクロの経済社会問題が生じてゐるなかで(えうするに「豊かになる者か ら豊かになる」「黒猫でも白猫でも鼠を捕る猫は……」的な鄧小平の初めた最初のゲームから)抜本的な改革が必要であることを説く。アタシは中国の社会矛盾 の肥大化が中共にとつては天安門事件のやうな政治運動よりもつと深刻になるわけで中共が一党独裁で何処までこれに対応できるか、が最大の関心事。

一月四日(日)昨晩深更までの酒飲みで帰宅する頃に貧血気味で帰宅すると一瞬、横隔膜あたりが攣つて呼吸困難。何年かに一度あり。一番最初は学生の時に中 国へ初のバックパッカー旅行の時。香港から深圳経由で広州に一日がかりで入り広州の広さもわからず広州火車站より珠江に向け南下して歩き始め、当時は粗雑 な市街地図しかなく軍事的理由からか縮尺なし!で市街の広さわからず思ひリュック背負つて歩き初めて一時間半。地図上でまだ数センチしか歩いてをらぬこと に気づき路線バスに乗るのも緊張からか厭はれ(今では笑つてしまふが)旅行中は絶対に乗らぬ!と決めてゐたタクシーに初日から乗つてしまつて珠江岸までど うにか辿り着き、さて宿探しに歩き始めた瞬間にこの発作のやうな痙攣のやうな、に襲はれる。それ以来、数年に一度これがある。で、本日は快晴。今日は Mizunoのハーフマラソンだが多少の宿酔のまゝオフィスでのご執務の日々続く。師走から正月でアメ横の売り子よりアタシのはうが忙しい。頭痛ひどいが 帰宅して残り物の白葡萄酒を飲むと気分爽快。アル中かしら。お節の残りで夕餉。鰹出汁の雑煮。寒さに湯湯婆抱き臥せる。
▼26年前に広州で中国初の外資系(香港系)最高級ホテルとして開業の白鵝天酒店(White Swan Hotel)が今年1年閉業し5.3億元投入しての大改修の由(蘋 果日報)。そりや開業から数年の高級感といへば大したもので、前述のアタシの処女旅行で、どうにか辿り着いた「沙面」の、ホワイトスワンホテル見 上げる安宿に糊口凌ぐ薄汚いアタシなどホワイトスワンに入らうとすれば「お客様、申し訳ございませんが」とドアマンに慇懃に入店お断りされたほど。だが老 朽化著しく、また広州には外資系超高級ホテル目白押しで進出し今ではホワイトスワン、花園、中国大酒店の御三家も埃かぶり今イチ。で今回の大改修となつた が、ごちやごちやした旧市街の旧租界の中洲・沙面にあるはずのホワイトスワンホテルがご覧のやうな緑地の中にあり「地球温暖化」対策でつひに広州では市街 地ぶつ潰しての緑地化かしら(笑)。
▼ヴィクトリア公園で開催の「工展」。若い人はピンと来ぬだろうが所謂「勧工場」。戦後、香港の工業生産、主に軽工業の食品や繊維、日用品など屋外の展示 会として始まつたが会場で製造元が製品廉価で販売することで市民に歓迎され殊に行楽も少なき昔は冬の恒例催事で規模大きくなり今日に至る。今日で閉幕。今 年はとくにインフレや不況で廉価商品の購入熱高く23日間で216万人参観の由。
▼銀行のクレジットカード。他カードとの差別化も必要なのだらうが大新銀行が今回発行は「どらえもんカード」。どらえもんカードも普通カード、ゴールド、 プレミアの差別化するなら、せめて普通カードが「のび太」から始めるべきでは?
▼昨日の信報に鄧永鏘氏が「西九不要過山車」と題して
香港最悶的事可能有兩件,一是盛智文(Allan Zeman)講他對香港的無限貢獻,二是令人打「喊路」的西九龍文娛藝術區(西九文化區)項目。兩件事表面上無關,但我發現兩者好像又有些少關連。
と語る。Allan Zeman(AZ)は1983年に中環の蘭桂坊にてCaliforniaなるレストラン開業皮切りに蘭桂坊の歓楽街化に尽力(さういふ意味では麻布六本木 と同じ運命を辿るのだが)。その娯楽業開発の才覚買はれ香港鼠楽園開業で瀕死か、と期された香港海洋公園の救援に、と董建華に請はれ海洋公園のテコ入れに 着手。鼠楽園の為体も幸ひしたが海洋公園は見事に動員伸ばし今日に至る(この董建華のAZ採用は建華七年の唯一の功績か……笑)。で今では香港政府の行政 会議メンバーで近く全人代入りすら噂されるAZだが香港で計画の停滞する西九龍(埋立地)の文化エリア開発計画でAZ氏起用があるのでは?といふことで、 鄧永鏘氏は「それがあつたら憂鬱」と。西九龍はハードの問題よりソフト欠如が問題なのであり、ただ豪華な劇場など箱物と巨大な観覧車建造で片づく問題では ない、と。御意。

一月三日(土) 摂氏12度だかと厳寒の朝。今日もご執務続く。はッと思つてBBCのChannel-3を開けばこちらで「さう/\、バレンボイムの維納フィルの新年音楽会が聴けるぢやない!」で賞味期限 はあと二日。ぎり/\セーフ。新 年の、こんな時ぢやないとアタシはストラウスなんて聴かないし聴いてみればこの新年のストラウス三昧の音楽会はアタシには征爾さんが指揮しようとバレンボ イムはんが指揮しようと、そりや正月の寄席で「今年の染太郎染之助の皿の回し具合は」と評するのと同じ愚の骨頂でお目出度ければ良いもの。聴いて「明けま して御目出度う御座居桝」なのだ、当たり前だが。それにしてもBBCはなぜこの維納新年演奏会の中継が生中継の上に正月五日だけとはいへ提供出来るかとい へば有力な墺太利の地元企業の提供があるから、でHabsburg Riviera Expressなる列車で優雅にOpatijaまで旅しませう、餐車でお食事、個室寝台の客車は……と宣伝が入る。Opatjiaは今はクロアチアだがか つてのオーストリア帝国領である。バレンボイムもちやんとこの列車での楽しい旅の感想まで述べ、BBCは倫敦だから当然、倫敦から維納までも列車の旅 は……と気分は城達也のジェットストリーーーーーームなのだ。で、さうした地元の観光宣伝をするから海外中継が赦される。夕方、湾仔に出て早晩に李景記粥店に及第粥を啜る。李景記も一時のブームも退潮。「粥王」と呼 ばれた主人は不在。まぁ確かに美味いのだが、たかだか粥といへば粥。でもさういへば新潮社の「旅」といふ雑誌が2月号で香港特集。母が郵送してくれたが、 まぁ粥だの麺だの地味な店を総力紹介。それはそれで結構だが横丁の鳥渡した店といへばそれまで。確かに美味いが、そんな店がそのへんに何軒もあるのが香港 の素晴らしさ。こんな店が紹介されてる!と近所の方は驚くだらう。ところでこの香港特集の巻頭エッセイは蔡瀾先生。先生曰くSohoで「旧英国植民地時代 の雰囲気を味はふのもよし」だとか書いてゐるが粗呆区つて出来たのは1997年以降(笑)。九龍に渡り尖沙咀。久々にペニンスラホテルのバー。いつもの席でバーテンダーP君が黙つてゐても いつものタンカレーのマティーニ、檸檬皮添へ、を供してくれる。つい二杯。おつまみが出されていつも断るのだけど、ありゃもしかすると十回に一回くらい 「食べたい!」と思ふ時もあるはずで、そんな時に頼むのは恥づかしいから、いつも断るのは承知で、だから「遠慮がち」に出さうとしてすぐ引つ込めるのだら う。新聞を読み始めると冷たいおしぼりが出るタイミングも素敵。ただ数組の客がにぎやか。困つたものだがバーテンダーもやはり雑談してゐるから、店も客も お互ひ香港的には赦せるレベルなのだらう。日本の禅寺のやうな静かなバーがアタシは好きだが。今晩も梅蘭芳劇團の京劇を観る。今晩は「穆桂英掛帥」。京劇ではよく掛かり 「楊家女将」とか一幕物で観てはゐるが、かうして通しできちんと観るのは初めて。穆桂英役は尚偉、李玉芙、董圓圓と三人の女優が順に勤めるが、そりや確か 梅蘭芳の最後の愛弟子に当たる李玉芙が(それなりに老けたが)美しく、且つ上手い。国宝級の李鳴岩が地味に力量たつぷりに演じる余太君との掛け合ひはもう 観てゐて震へるほど。先代の八重子が山田五十鈴相手のやうな感じ。李宏圖は今日は穆桂英の夫(楊宗保)役で出てゐたが高音は冴えるが見た目がこの人は若す ぎて損をする。今晩はよく知つた筋なので台詞をきちんと押さへたいと思つたが京劇で歴史物の大芝居といふのは、口語とは全く異なる複雑な言葉の言ひ回しが 続く。これが難しいといへば難しいが面白みでもあり。大それた表現の数々。例へば「免駕回宮!」。宋の王が宮城の中で「寝殿に帰る」と言ふ、それだけの言 葉が「ワシは奥に戻るぞ」で済むのが(それで済ませてしまつてゐるのがNHKの大河ドラマだが)王みづからが「免駕回宮!」と言ふ。それを家来らが「免駕 回宮!」と大声で繰り返す。殿は御自らお歩きで戻られる、と大層な言ひ回しで、それで王の威厳を表すのだが英語の字幕では“I'll go back to the palace!”だ。これぢやつまらない。日本語でも「免駕回宮!」を体よく訳せない。漢語の、だから京劇の面白さ。これが散見される。京劇など見始めて やうやくそんな面白さに気づくやうになり。また感情表現が、歌舞伎ならたつぷり見せるであらう心の葛藤のやうなものが京劇では悪く言へば「雑」で通り一辺 倒の歌劇に見える。装飾や派手な化粧で表情も見えぬ。で「つまらない」と思つたりもしたが、これも慣れてくると客は馴染んだ筋で「そんな心の葛藤があるの は百も承知」で、突きつめたところ役者の歌の上手さ、台詞回しの妙に聞き惚れて耽る。何百年かけて舞台と客の間で完璧に出来上がつた関係なのだらう。二時 間四十分たつぷりの通し狂言。跳ねたら時間がないので尖沙咀からタクシーで銅鑼湾に渡る。10分で着いちまつた。Y氏の営む音楽演奏のあるバーMは開業当初に一度お邪魔してから二度 目。日本から知己のH嬢が今日来港とY氏に招かれ懐かしい面々で深更まで飲む。H嬢にバレンボイムの維納フィルの新年音楽会の話をせば「ほら、日本では ケータイのワンセグで見れるのよ」と動画見せられ驚くばかり。

一月二日(金)晴。厳寒。新界の何処だかでは気温摂氏3度まで下がつた由。元旦はどうにか一日休んではみたが今日からご執務。尤も香港は普通の金曜日に過 ぎないが。なにかと話題事欠かぬ李Baby國寶氏の東亜銀行が創業90周年。香港の地場の銀行では最も長い歴史(香港ではHSBCやStandard Chartered Bankの英国系が已に百年以上の歴史あり)。夕方より湾仔の會展新翼にて夕方より誌慶酒會開催。金曜早晩は普段でも渋滞なのだから文革曽行政長官ら香港 「政府」 「要人」や財界巨人ら鳩まつてはリムジン車で大渋滞必至ゆゑ「この周辺には近づくべからず」と蘋果日報で左丁山氏。その頃にアタシは同じ湾仔でも繁華街で 淺井先生の鍼とエレキ治療授かる。FCCで名前知らずのシャルドネを獨酌。ビーフストロガノフ食す。九龍に渡り尖沙咀。文化中心にて京劇観劇。北京京劇院 梅蘭芳京劇團の香港公演連続三晩。この劇團の團長は梅蘭芳の子息・梅葆玖氏(今回は来港せず)。今日は正月二日、東京の歌舞伎座では初芝居。NHKが国際 放送で中継せぬのが残念。日本といへば歌舞伎でせうに。実は地味に今日から三日連続で新春能狂言はあり。で歌舞伎座での手打ち式の実況もするさうな。大幹 部総出演のそれに澤瀉屋=猿之助さんが舞台に出たと東都よりの速報で聞き驚く。食傷気味の勧進帳もやはり七代目幸四郎に十五代目(羽左衛門)、六代目(菊 五郎)で画像が流れる由。だが何が驚くつて演舞場の正月公演。初春花形歌舞伎とは銘打つが兎に角、海老、海老、角海老ぢやなくて海老様の海老蔵尽くし。昼 の部の二人三番叟こそ右近と猿弥だが口上は海老蔵の睨み「いがみの権太」とお祭りの鳶頭は海老蔵。夜の部は「七つ面」が海老蔵。封印切は獅童の忠兵衛と笑 三郎の梅川だが白浪五人男も弁天小僧で海老蔵……と。下手したら歌舞伎座より海老蔵&獅童で演舞場の方が客の入り旺盛かしら。……と東都の正月芝居が気に なるが香港のこの京劇もさすが北京の一流どころがづらり。中国はまだ旧正月前の年暮だから幹部聯も首都を空けられる、といふところか、の香港での顔見世。 本晩の演目は良い処どりの精選で「漢津口」「趙氏孤児・打嬰」「飛虎山」「宇宙鋒・修本」と「失印救火」。「打嬰」の李長春(中共の中央政治局常務委員と 同名か)が見事。「飛虎山」で噂には聞いてゐたが李広圖の小生ぶりが格別。まぁ高音の声の通るのなんの。葉少蘭を師として葉派の後継者筆頭だがこの梅蘭芳 京劇團も彼が常務團長で実質的に今後の北京の京劇界の重鎮となること間違ひなし。晋王・李克用役の陳俊杰との歌の掛け合ひのまぁ見事なこと。中入りで「宇 宙鋒」に続くがアタシは今日は此処まで。晩九時廿分。こんな遅くなる筈なかつたのに、で慌てて空港に向へば尖沙咀からタクシーで九龍站、でエアポートエク スプレスで十時には空港に着いちまつた。なんて簡便至極。誰だかが香港はエアポートエクスプレスの列車内ですらWi-Fi完備なのに倫敦ではヒースロー空 港と倫敦市内を結ぶ列車の中で携帯電話すら数回中断された!と憤慨してゐたが香港はほんと凄い都市なの鴨。空港でK氏お迎へ。米国の某西北航空のフライト の話を聞きゾツとする。厳しい荷物重量制限から機内サービスまで修羅場の如し。香港のこの便はかつてのパンナム001便でH.I.S.の香港格安航空券の 定番フライトでかなりお世話院なつたが米国系航空などもう15年くらゐ乗つてをらぬので今更もう想像もつかず。K氏ご自宅までお送りしノートブックの設定 までお手伝ひして深更帰宅。小腹空き寒さもあり思はずチャルメラを煮て食す。
▼信報財経月刊が大幅な模様替へでA4からB5に。「金融海嘯下中国救全球?」(羅約徳)の中で「内地只是「世界工廠」、而非「世界消費者」」といふ一言 に首肯く。消費が冷え込めば製造高が落ち込み、その製造業で稼ぐ中国がどうやつて消費者側に回り消費を刺激しようか、と。

一月朔日(木)新暦元旦。郷里の母と妹に電話一本。毎年香港にゐれば今日は長州島の10kmレースで風光明媚で風景の多く変はる島の走りは楽しく今年も申 し込んではゐたが腰痛では走るわけにもいかず、せめて応援だけでも(でレース後の長州島での田舎料理)と思つたがZ嬢もイマイチで島に渡らず。陋宅での年 籠もり続く。頂いた凸版印刷の堅山南風のカレンダー(株主優待のものの由)が元旦まで捲るも我慢してゐたが捲つてみれば実に見事。独り切り餅を焼き食す。 屠蘇酒を汲む。午後、近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』読了。こ の文庫本が文春から出た廿数年前のおそらく初版で読んだ当時に対して自分が観光旅行でもサイゴンを歩いた後では「あゝ、此処が彼処」と思ふと三十年前と一 つも変はりがない。近藤さんらが籠城の当時の南ベトナムの日本大使館(現ホーチミン総領事館)もそのまゝ。強ひて言へば市街の鉄道站が移転したくらいで、 で場面が実に現実的で、ただ香港からサイゴンを見る目は明らかに仙台でこれを読んだ当時から比べれば異質でも異境でもなく、隣町の如し。出掛けもせず続け て開高健『ベトナム戦記』読む。近藤紘一の遭遇したサイゴン陥落からおよそ10年前のサイゴンの話。さすがに アタシもこの1964年(昭和39)の週刊朝日に連載されたルポは当時読んでをらず。もう「昨年」だが昨夏にホーチミン市でマジェスティックホテルに泊ま り、ここが近藤紘一だの開高健が当時、と思ひおこしてゐたもの。で開高健の語るベトナムである。北との境界のベン
ハイ河に近き古都フエで開高に知人の大学教授夫人が語る……
ここでは小さな泥棒が遊んでいる。あそこでは人が死んでいる。私た ちはボンヤリと見物している。
この言葉こそ我々の立場そのもの。この戦記を読んで知つたのは、開高健の共和国軍といふ名の米軍に従軍しての対ベトコンとの戦ひの中でジャングルの中で茫 然自失の開高健をカメラマンの秋元キャパが撮つた有名な一枚がある。それを見た時にアタシは従軍してもこんなにメタボ?と思つたのだが、かうして従軍記読 んでみればベトコンの襲撃受けた一団の中で開高健は
二〇〇人の第一大隊はあちらこちらの木の根もとに放心している兵士 を数えてみると、たった十七人になってしまった。私はしゃがんだまま小便を一回やり、バグを整理した。にぎりめし半個。『征露丸』。クロロマイセチン。防 虫薬。ライター油。航空券。ドルなどポケットというポケットにつめこみ、さいごに日の丸の旗をねぢこんだ。
といふ、さういふ状況で秋元キャパと開高健は「私たちはたがいの写真をとりあった」のがそれ。そりや体格の良い開高が余計に太つて見えるはず。ベトナム共 和国軍(南ベトナム)の少尉が開高健の問ひにベトコンの指導者の名前(グェン=フウ=トゥ議長)すら知らず民族解放戦線(NLF)といふベトコンの正式名 称すら知らず、さういふ敵のことすら知らぬ状況に開高健は「この戦争は政府側の負けだ。ハツキリさうきまつた。寝たはうがよささうだ」と戦地の究極の状況 で開高健をさう達観させるこの場面が圧巻。その三日後に開高健はマジェスティックホテルの103号室に戻る。思はず読み耽けり夕方に至る。それにしても開 高健のこだはり……ライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子……といつた小物、つてほんと何処かの誰かがまるでこれを追従だね。晩に御節菜食し 雑煮。NHKも海外に維納フィルの新年コンサートの番組は流さずバレンボイムを逸す。澤田教一ベトナム写真集『泥まみれの死』(講談社文庫)読む。澤田教 一はベトナム写真で世界的に有名になつたが1970年に亡くなつたのはカンボジア。当時は香港にサタ夫人と住まひ香港からのインドシナへの出張撮影報道続 けてゐたもの。香港のFCCのラウンジにもキャパらと並び澤田教一追悼の写真コーナーがあり、いつもそれを眺めながらアタシは酒を獨酌すことになる。
▼畏れ多くも陛下の年頭のお言葉に「昨年は、台風の上陸もなく、自然災害による犠牲者の数は,例年に比べれば少なかつたのですが」とこの「犠牲者の数」と いふ実に客観的な数値を、自然災害での国民の犠牲で用ゐられるのがさすが陛下ゆゑ赦される話。金融危機に敢へて「国民の英知を結集し、人々の絆を大切に」 困難を乗り越えよう、と。で最後に金婚を迎へるご夫妻が「皇后と共に、これからも、国と国民のために尽くしていきたいと思ひます」と有り難いお言葉よ。下 々の政治家も私欲なく国民のために尽くせれば良からうものを。で皇后様の新年の御歌。
たはやすく勝利の言葉いでずして「なんもいへぬ」と言ふを肯(う べな)
三ノ輪の肉屋の倅おもはず発せし俗語をそれこそ肯はせ給ひ、雅に言ひ換へ遊ばし、御歌とて永く刻印せられ給ひしかと思へば、あやにくに忝し……と久が原の T君の弁。思はず「あや、肉に忝し」と読んでしまつたアタシ。

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