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文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
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2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
 
既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。 
   
七月三十一日(土)久しぶりに晴れてMount Parkerへと登り一時間半ほど大潭の水塘走って下る頃に曇るが島南の海岸に涼みブラッドベリ『華氏451度』半分ほど読む。若い頃に読みしSFの名作。老いて再読すれば遠き未来の話が近い現実に覚えてならず。午後になり雲一つなき快晴の空。日暮れまで海に遊びたくも赤柱経由にてジムに一浴し帰宅。すぐに身支度して再び外出。金鐘太古広場の運動具店にてOakleyのサングラス購ふ。2年ほど愛用の3つ目のOakleyはガラス面のコーティング剥げた箇所ちょうど視界遮り致し方なし。灣仔で100kmトレイルに同伴のI君、O君と待ち合せProtrekに買物。余はGoliteのGore-texのジャケット購入。トレイルに3年ぶりに出場と名目でかなり散財……。買物終り三人でDelaney'sにてギネスビール飲む。地下鉄でQuarry Bayに参りランニングクラブの蛍の宵。Mount Parker Rdのぼり康柏カントリートレイルに入り七時半になると周囲暗くなりこの山道をば3キロほど入りいくつもある澤にて蛍を愛でる。風も心地よくすでに盛夏の峠越えたかといふ気配あり。眼下にはQuarry Bayの市街から遠く九龍市街の夜景見下ろすこの澤に蛍が何匹も光を放つ、香港とはまことに自然と都市の見事な傑作。蛍を愛でてMount Parker Rdに戻り集団の後続待つとPaker山の頂上の天文台レーダーの背後に明るみあり。眺めているとそこから実に見事な満月が上り始める。暗闇に満月の放つ光明るく我らの青い影が山肌に大きく投影される。明月。中秋の月に比べれば小さいが雲一つなき夜空に輪郭もくっきりと白金の月。蛍に続き月を愛でながら山を下る。Quarry Bayの太古坊は彩雲軒といふ料理屋に二更に食す。帰路車窓から眺める月は天高くまさに白金の明月。

七月三十日(金)曇。実家より成島湖北『柳橋新誌』漢文の原版復刻和綴本(昭和五十二年日本近代文学館の特選名著復刻全集ほるぷ出版)と同書読下しの岩波文庫版届く。岩波は昭和六十二年の第二版。この初版は昭和十五年で実に四十七年ぶりの復刻は岩波文庫創刊六十周年記念。それと一緒に司馬遼太郎全講演その1朝日新聞社文庫届く。頼んでもおらぬ文庫に偶然昨日築地H君と司馬先生談義あり偶然に驚くばかり。更に一緒に本に挟まれた小冊子は水戸室内管弦楽団定期演奏会の今年六、七月のパンフレット。先日に母と電話で話した折に吉田秀和氏の話題となりこのパンフレットで吉田氏の卒寿賀っており母の付箋は吉田氏のそれへの答辞の頁に。卒寿の祝ひの答辞とはいへ実は九旬になったは昨年の九月、それに二月に応える。その間に吉田氏の妻の逝去あり。この答辞にも亡妻のこと述べる。昨日の朝日新聞にはこれも偶然に「音楽展望」の連載休む吉田秀和の談話が載る。からだの半分がなくなったようでとても音楽評論の文章が書けぬと吐露する吉田秀和。写真はかつての紳士然とした風采が絣の半纏の如き上っ張り姿。夫人のバルバラ女史が生前に骨盤内の癌に冒されつつ荷風の墨東綺譚を独逸語訳し次いで断腸亭日剰のうち全編といふわけにもいかずせめて、と昭和十二年の独訳目指していたなどといふ話初めて識る。読むにも切なし。この水戸室内管弦楽団の演奏会はちなみに指揮が小澤征爾でバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とモーツァルトの協奏交響曲変ホ短調でホルン独奏はラデク=バボラークで(!)更にフルートが工藤重典にオーボエ宮本文昭。何たる贅沢。だがその演奏が行われる水戸芸術館は中身はどれだけ贅沢でも周囲の街はすでに死に体。柳橋新誌の郵送の礼のため父に電話せば来週末の夏祭りもかつては数万人の人出も今では商店街も老舗百貨店や大店の書店だの閉店続き商店街の大通りに店半分も営業しておらず道行く人も多からず。商店会にて夏祭りへの協賛すら危なきほど。商売も数ヶ月先が見えぬようで夏祭りどころではなし。演奏に満足して晴れの気持ちで会場出れば嘗ては夜も歓楽街だ花街だのと東京から客が遊ぶほどの賑わひありし市街は人も歩かぬ暗き街角。そんな商店街のなかにこの芸術館位置すると思ふとまことに悲しいかぎり。早晩にジム。筋力運動一時間。今月マメに運動。運動くらいせぬと極端な不健康に陥り憂鬱か中島らも氏的なアルコール依存になるも余は容易。これほどジムで鍛錬し週末は走り山を歩き、これで高脂質で要注意とはいったい如何。ジムに行く途中、灣仔の歩道橋は普段でも湾岸やImmigrationに往復する人で混雑する場所、この時期は灣仔展覧中心にて「書展」の開催で殊に今年は五十万人だか動員の記録更新だそうで、その人出があるといふのに灣仔の地下鉄站から会場に向うこの歩道橋が改修工事中。この改修は偶然か七月朔日のデモの一週間前だかに開始。昨年、この歩道橋から主催者側の拡声器でのシュプレヒコールが轟き、デモ参加者はいったい何万人が参加しているのかわからぬ状況の中、その拡声器から「香港電台が二十万人参加と報道!」と聞かされ更にデモの興奮高まったのがこの場所。この改修で今年はデモ当日も歩道橋に竹の足場組まれ偶然かどうか……などと懐疑もしたが書展のこの時期に歩道の幅三分の一ほどに狭まり政府の行政職員の思慮の浅はかさに呆れるばかり。この歩道橋上では書展の参観者をば意識して法輪功の信者諸君が江沢民の弾圧非難してビラ配り続ける。「中国国内で」こうして法輪功が活動し中央政府非難できるのだから香港は言論の自由保障されているかも。帰宅して晩のニュース番組眺めればICACの廉政専員が新聞業界代表と会談後の緊急記者会見。今後は新聞社の取材内容捜査の必要あってもその手順など慎重に検討、と。権力や司法官憲からも距離置き自由自在な捜査権限有する高度な独立機構のICACながらその廉政専員の間抜け面をば見ていると「これじゃダメだ」と相にあり。続いてNHKの「毒にも薬にもならない」今井環ニュース10見てしまふ。冒頭より十五分!台風情報。台風の進路など報道大切なのはわかるが「対策として」と社会部記者が「河川から離れる」「土砂災害に注意」だの挙げ今井君が「なるほど」と頷く。東京大学出だの早大政経の優秀なる頭脳がテロ侵入からも厳重に警戒されたNHKニュースセンターの内部にて(NHKの放送センター内でもニュースセンターは警備など別格)小学生でもわかること神妙に語るの図。煙草チェリーのヤニでまだ歯がお歯黒の橋本龍太郎君橋本派の会長辞任表明し次回選挙では選挙区から立候補辞退と述べるが「まだ頑張れ」といふ声あり比例代表制に推挙されれば、と。結局反省などしておらぬ(当然か)。橋本君本人曰く「国際的にもやり残したことがある」と(国内では本人への批判高まりへの牽制だが)「国際的に」橋本君のやっていることなど誰も知らぬ(笑)。今年でいえばアジア太平洋環境開発フォーラムだのカザフスタン共和国訪問や日本国際貿易促進協会第31回訪中団団長として訪中だの国際反テロ情勢および反テロ協力シンポジュウム参加で本人には失礼だが首相経験のある自民党のドンの一人といふ格の役柄ばかり。強いて「やり残した」国際的なことといえば橋本君主宰の国際寄生虫対策ワークショップだろうか……。日本歯科医師協会が自民党の寄生虫なのか自民党が医師会の寄生虫なのか余には判断できず。夏の臨時国会開催。参議院議長に上方の成駒屋の三代目の内儀。鴈治郎は来年四代目坂田藤十郎襲名でこれにも箔がつくか。参議院議長の夫の襲名披露なら各企業だの献金……いやご祝儀か、も期待できるはず。永山会長もさぞやお喜びのはず。それにしても二百三十一年ぶりだかの大名跡の復活だそうだがどうも上方で「坂田」といふと坂田利夫ばかり想像。鴈治郎も京の芸妓相手に悪巫山戯すぎる点では坂田利夫も一緒にされては怒るかも知れぬが参院議長の夫では何かとお座敷遊びも自重なのだろうか(まさか……)。それにしても扇千景衆議院議長国会に登院は退紅の色も艶やかな着物姿はそれでいいが国会議員バッチをば着物の胸に挿すは如何なものか。洋装のブローチならいざ知らず着物にそういった針刺さず。せめて和服なら「ねつけ」のようなものに、それも絹糸でも巧妙に編み、それに議員バッチつけるくらいの装飾が許されるものか。許されぬといへば国会敷地内にて琉球衣装で弦楽器奏で歌ってみせた喜納昌吉議員、いきなり警備員に叱られる(笑)。どうせなら予算委員会とかでも質問で歌ってみせるか。自民党の荻原健司先生はインタビューに「スポーツマンシップ」連呼し、この先生の辞書にはスポーツマンシップ以外言葉ないこと国会初日に暴露。自民党の両院議員総会には青木、阿倍といった「反省を知らぬ」面並ぶ。かたや民主党といえば同じ両院総会で幹事長某氏(名前すら失念)が「今回自民党は会期を八日間と短くする姑息な手段をとったが……とにかく頑張ろう!」と、この「とにかく」としか言えぬのが民主党らしいが、これについて自民党の河野太郎君は国会日記にて民主党は一ヶ月の会期など求めているのは「ふり」だけで実は「議院運営委員会の海外視察が八月半ばから予定されていて」「民主党の議運委員も参加」する予定で「本当に民主党が会期を一ヶ月にしたいのであれば、まず、この海外視察がキャンセルされなければならないが、この視察の日程がどんどんと決まっているらしい」と揶揄もあり。「他の民主党議員もお盆明けからぞくぞくと海外に出る」のが実情で「結局のところ、一ヶ月を主張して、与党に否決させて、与党を悪者にして、海外に出るというのが本音」で「強行採決にしろ、会期にしろ外には建前を見せて、内には別な本音があるという国会運営がずっと続いている」のは「五十五年体制そのまま」と河野三世。国会議事堂どの動物園よりも珍獣多しと思ふばかり。ここ数日はずっとPierre Fournierのチェロばかり聴く。バッハの無伴奏組曲有名だがこのフリニエのバッハの無伴奏組曲の良さといふのはウヰスキーでいえばスコッチのモルト好きにとってのマッカランの味といって良いだろうか。とても豊饒なる贅沢な味、でもクセやピートの強み好む者にはアンナー=ビルスマが好み、といふ感じか。フルニエのドボルザークの協奏曲を聴けば(ジョージ=シェル指揮のベルリンフィル1962年)フルニエのこの曲を久が原のT君が生演奏で聴いていると語っていたがそれは凄いものだろふと想像するばかり。
▼数日前の蘋果日報に「差館」と云われた昔の警察署の写真あり。香島区に九つの警察署。九つのうち2つは現役。2つは建物既存。残り5つは形跡もなし。
1号差館 銅鑼灣Leighton道 現:PCCW東区機構ビル
2号差館 既存。現:灣仔警署
3号差館 既存。旧灣仔郵便局 郵便局移転後建物解体免れ環境署の環保軒。
4号差館 金鐘兵房(現在の香港公園内?)
5号差館 中環Wellington街
6号差館 (この記事に記載なし)
7号差館 既存。現:西区警署(中国政府中聯弁前)
8号差館 既存。西環高街。現在:香港警察刑事総部
9号差館 中環Caine道。
▼本日香港の市街電車(トラム)開業百周年。単層の二十六両の車輌にて営業開始。うち十両は一等専用車で料金10セント。残り十六両が三等で5セント。開業より八年の一九一二年に現在のトラムの原型となる雙層の車輌登場。上層と下層三分の一が一等ながら上層は無蓋にて暑さと悪天候に人気なく一八年に上層に幌がつき二五年に現在の二階建てトラムの原型となる(といふかそれ以降殆ど変化なし)有蓋となる。現在163両運行中。

七月廿九日(木)昨晩一時すぎに臥床もなかなか寝付けず二時頃に漸く寝入ったら未明に雷鳴轟き目覚める。雨。京の祇園會(宵々々山)に遊びし久が原のT君より伯牙山の粽をば郵送にて受領。真に忝きかぎり。この場かりて深謝致シ候。伯牙は唐土・周の御代の琴の名手。莫逆の友・鍾子期の没後に普天の下すでに己が琴の音を能く聞き分くる者なしと手馴れし琴を断ち割った云々所謂「断琴の交はり」の故事あり、とT君。琴に因みてこの山(こちら)にて出だす飾粽には藝道守護の威徳あるそうな。それを譲られる。昼にHappy Valleyの食肆益新に食す。Lockhart道に肆構えし十数年の昔から益新を知るA氏、Y姐らと少なくともLockhart道から移った利舞台の頃に比べ今の益新のほうが料理秀逸ではないかと同感。伯牙断琴の同じ卓囲んだ地元者誰も知らず日本人のA氏のみご存知。早晩にジムに寄りFCCにてドライマティーニ一飲。香港公園内に位置するL16なる名のタイ料理屋にて宴会あり。香港公園のなか風光明媚にて日比谷公園の松本楼の如く本来もっと注目されてよき食事場所ながら十数年前の公園開園以来いくつもの食肆に営業変わりいずれも不振。このタイ料理屋も宴会の他の客多からず。風水か。睡眠不足ながら眠気催さず深更まで溜った新聞読む。

七月廿八日(水)なかじまらも氏逝去。享年五十四歳。元首相橋本龍太郎君日本歯科医師連盟より1億円貰ったと新聞に見出し踊っても「えっ……まさか、そんな」などと思うわけもなく「あって当然か」と思うばかりで「橋本君も歯医者から1億円貰うまえに橋本君愛煙の「チェリー」のヤニで真っ黒のあの歯、漂白すればよかったのに」などと嫌みの一つも言いたくなるが今朝の朝刊社会面「中島らもさん死去」とあって「えっ、まさか、そんな」と思ひ「飲酒後、階段から顛落」の見出し読み「あって当然か」と妙な納得。まだ膨よかな顔のらも氏の写真見て思わず涙。カネテツデリカフーズ啓蒙かまぼこ新聞は八十年代確か月刊『宝島』で連載だったか朝日の「明るい悩み相談室」は面白くもメジャー化する中島らもにどこか戸惑い最近は『牢屋でやせるダイエット』読み拘置所での入手希望図書にフーコーのコレージュ・ド・フランスでの講義集『Les Anormaux(異常者たち)』であるのが、「さすが、中島らも」と納得。刑務所に社会規範から逸脱した者=異常者らは収容され精神鑑定される、その政治装置=権力の異常がフーコーによって暴露される本を、まさにその現場で読む自慰する者(=らも)。この突然の「らもの死」をいちばん悲しんでいるのは「らもの拘置所」の看守のはずで、看守は「お前はどうせここのことを書くんやろうけど、言うとくぞ、わしのことは面白おかしく書くなよ」とらも氏に言ったことで『牢屋でやせるダイエット』でその一言があまりに事実のみ語られたために頗る可笑しい情景をば描写され結果的にらも氏により「いちばん面白おかしく書かれて」しまった看守。きっと泣いていることだろう。早晩にジム。拳闘系の鍛錬1時間。帰宅して自家製コロッケ食す。『牢屋で』の頁ぱらぱと捲る。
大麻取締法違反という罪状は、愛と平和と希望を希求したものに与えられる勲章である。
ただし、勲章というのは国家から与えられるものだ。そんなもの謹んでご辞退申し上げたい。(中島らも)
思わずThe TimersのCD“Timers”を聴く。深更迄眠れず。
▼財団法人アジア女性基金の調査によると「性的関係強要された経験」「高校女子生徒5.3%「ある」と回答」といふ新聞の見出し。実にいやらしい。フーコーが嗤ふこのいやらしさ。高校生の性暴力被害者調査の結果。この基金の委託受け調査したのが大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンター
東京都内9校と九州3校で女子生徒1463人、男子生徒883人が調査対象 ( )内は「ある」の回答率
相手の裸や性器をわざと見せられたことがあるか (女35.1%、男12.7%)
無理やり体を触られたりしたことがあるか (女37.2%、男13.6%)
無理やりセックスされそうになったことがあるか (女13.2%、男2.7%)
無理やりセックスされたことがあるか (女5.3%、男1.5%)
この研究班では「夫婦や恋人間でも同意のないセックスはレイプ(強姦)としており、この「性被害」の「加害者」は恋人35.9% 知合い34.6%、友達29.5% で相手が教師や家族という回答もあり。調査した大学教員は「高校生の間でも、親密な関係の中での性暴力が多いという実態をまず知ってほしい。夜道は危ない、痴漢に注意などのメッセージでは被害防止にほとんど役に立たない」と宣ふ。勿論、実際に被害にあった若者がいることは事実であろう。が、裸や性器は「わざと見せらる」以外に見るのは偶然か能動的に「見た」かしかなく、この年齢では自然に見ることが稀であり、高校生は一応、能動的に「見る」ことは「好ましくない」のなら、それ以外の唯一の普通の性体験としての「わざと見せられた」は異常だろうか。孔雀が羽を広げる例を挙げるまでもなく<性>性をばアッピールすることが本能なら裸や性器は「わざと見せる」ための性的シンボルであり「わざと見せられる」ことが犯罪なら源氏物語もありゃ犯罪レポートか。「無理やり」の言葉ばかり並ぶが、だいたい大人が経験として知っていることは「いいだろ?」に対して「やめて」のはず。今回の調査は「夫婦や恋人間でも同意のないセックスはレイプ」とする調査班が最初から「性的関係の強要」=犯罪の調査をしており、調査された高校生が「ある」と答えた数字をそのまま「被害」とすべきなのかどうか。実際にその高校生らに「で、そのセックスとか相手が加害者で自分は被害者だと思ってますか?」といふ質問の回答を見たいところ。このテの調査、平安時代と江戸時代でも質問がこの形式であれば「被害」多いはず。何を被害と思い何に心理的影響を受けそれがどう将来にまで影響するのか、でそれがメンタルサポートの意義なのかも知れぬが「性犯罪が多い」「実は夜道での変質者や痴漢でなく身近なところで性犯罪が!」と指摘されたところで、それじゃどうすればいいのか。それこそ「被害防止にほとんど役立たない」と思うのだが。世の中、何かへんな方向に神経過敏。(追記)翌廿九日の蘋果日報にこの調査結果「日本女生20個有1個被強姦」とセンセーショナルな見出し踊る。結局こういった波紋となるのが事実。
▼全人代香港代表も兼任の立法会議員某氏(無所属)が9月の立法会選挙での立候補取り消し。苦戦確かな親中派・民建聯の候補者当選狙いの調整か。すると今度は同じく親中派で四名の議員有する港進聯は党解消。港進聯は九四年に親中派商界の新香港聯盟と自由民主聯會が新華社香港分社(現:中聯弁)の肝煎りにて合併し成立。九七年返還時の臨時立法会には八名の議員送るが返還後初の立法会選挙では五名となり現四名も親中派団体や企業などの後押しなければ得票難しき者ばかりにて民建聯はじめ親中派にて少ない票の取り合い避けるがための一手か。惨状極まりなし(笑)。
▼昨日綴った、久が原のT君よりの折口信夫の「ふけやくになるまでいきし佐野川のごとくあらむとわれはおもはず」という歌。佐野川、佐野川とどこか江戸の相撲取りの如きこの名、佐野川、佐野川……「そうだそうだ」と三島の新潮文庫(花盛りの森・憂国)。小説「女方」で増山が憧れたがこの女形・万菊で姓が佐野川。市松模様で有名は佐野川市松でこれは別と戸板康二の本で知る。で、その佐野川万菊は「はじめ美しい役者だったのに、後年役柄を変え、老年期には、むざんにも、老け役をつとめ」といふ話あり(戸板康二による)、折口信夫はそれを「ふけやくに……」と詠む。で、その万菊であるが、今では戸板康二の本にこの折口の歌があるばかりで、それもT君ほどの人がこの物語などしるばかりだろうが、調べてみればこの万菊は近松門左衛門と時代同じくする上方の女形。近松の眠る尼崎の広済寺は生前の近松らの寄進で本堂など建立するがその寄進者にこの佐野川万菊の名もあり。ところでこの広済寺なる寺、もともと禅寺で南北朝に頃には荒廃し、それを日蓮宗の寺として復興した日昌上人とこの近松の関係も興味深し。この寺が尼崎なら同じ日蓮宗の寺で宝塚には鉄斎の清澄寺もあり機会あらば是非両寺とも訪れたきところ。

七月廿七日(火)遠くどころか近辺にまで黄渾色の靄だか霧がかかり無風に粉塵少なからず晴れ間に小雨と不快極まりなき天気なり。歯茎痛止まず灣仔の歯科医C医師の治療請ふ。痛処かなり奥深く而も古い差し歯の軸針もあれば差し歯(しかも橋架)抜いて軸針除去して更に奥の治療は即断できず或は口唇内からの切開も検討要すべきところ須臾経過観察をと歯科治療用の鎮痛剤と抗生物質供される。歯痛ゆへか腰痛もひどく歯科医に近きY君に教えられし泰式按摩。技巧見事。ジム。Z嬢のトレイル靴の購入及びリュック下見で二晩続けて灣仔のPtotrek訪る。Lockhart道のマレー料理Sabahに食す。海鮮のラクサ秀逸。ミンゴレン、鶏肉煮、温野菜など食すが塩辛さあり。早寝。
▼先日片岡我童のこと日剰に綴れば久が原のT君より老女形について便りあり。迢空折口信夫が「ふけやくになるまでいきし佐野川のごとくあらむとわれはおもはず」と詠んだ矜持のそのままに我童、(老け役化粧に缺かせざる茶色顏料の)砥粉を塗らざりし天晴の生涯、とT君。我童丈の最期について余も老女形の死が死後しばらく判明せずといふこと記憶にあるもののT君より日比谷だかの花屋で昏倒しそのまゝ息絶え遺體は警察に預けられ身元不明者として數日過てその老人が十三代目片岡我童と判明のその経緯をば聞き故人の譽れがためT君より聞きたる仔細これ以上綴らぬがT君の語るも我童に対する畏敬の愛しみいつもにもまして筆致極まり一読し余も感涙に噎ぶ。「封印切のおゑん、河庄のお庄、野崎村のお染母、對面の大磯虎、西郷と豚姫の藝妓など、虎を除けば片々たるものなれども我童ほどの演技絶えて久しくその後なき役々にも勝る」我童にT君は南座顏見世にてT君楽屋口に「黒い薄外套を纒ひたる我童丈ひつそりと獨りで退出せらる」を見て思わずT君が写真の合撮請へば「流石は古風なる女形の辞儀、「これがないとあかんのや」とおつむり(=鬘)を指され」手を握る。T君ほどの芝居達者ここまでされたは六代目歌右衛門、十三代目仁左衞門にこの我童の三人のみと。T君余の日記に突然我童についての記載あり思い出されるは、我童最期の舞台となった當代鴈治郎襲名講演での河庄のお庄の役。ここで遊女・小春の役が我童とは戦前からの朋友・歌右衛門。我童のお庄が歌右衞門の小春の手を引きて上手屋臺に消えたる光景はT君が「雙方ともに絶後の名演」「これまさに藝道の極北、正真の女形の落日の景なりき」といふ程で、舞台のさま想像しただけで余もからだ震える。
▼我童のその話に確か日比谷だかの花屋、とT君。日比谷で花屋といわれると容易に想像するは日比谷花壇。なにげに気になり調べるとこれもまた興味深し。明治五年に菖蒲園に有名な葛飾区堀切に庭園業を営むが最初。帝国ホテルの庭仕事担当せし縁で帝国ホテルに出店が昭和十九年。戦禍ひどきこの時代に生花販売といふのも何かあり。で昭和廿五年に日比谷公園に出店が戦後の日比谷花壇の発展の契機。社史には「当時の都知事より市民の憩いの場である公園に海外の例を習ってフラワーショップをと要請されたのが始まり」とあり。社長宮島浩彰氏が別で語るは「終戦して間もない頃、マッカーサー元帥の「平和の象徴たる花屋を入れたい」との発案で日比谷公園の一角に花屋を開いた」と。今では日本でも最大大手の花屋にて香港にも「日比谷花壇」との提携の看板掲げる花屋ある程の認知度。堀切の菖蒲園界隈の造園師が帝国ホテルに出入りするようになり、日比谷公園といふ東都の都市社会史では検討重要な公園、今でこそ「整備」されたが何か妖しき雰囲気もある空間に占領下の何らかの意図にて花屋出店とはかなり興味深いところ。
▼築地のH君と十二代目團十郎丈について。続く。十二代目とは「なんか、いろいろわかってる人だ」とH君。御意。その「なんか、」が大切。具体的に「なにか」「なにを」は誰も指摘できず。だが「なにか、」なのだ。NHKで海老蔵のドキュメンタリー見ても十二代目の存在の大きさ。「役者としての技量では俺は爺ちゃんの直系だ」という矜持すらある海老蔵も父・十二代目に対して、(関女史の本をH君からの引用によると)自らが生れる十二年前に他界している祖父十一代目は自分と似ていて考えていたことまでよくわかるのに父十二代目については「あの人はいまだによくわからないところがある」としつつ、だが「爺ちゃんにも俺にもない何かをもってる」というようなことを言ったそうな。又聞きで恐縮だが紀尾井町のかなりひどい「いびり」受けた團十郎が紀尾井町の死に際に看護婦に髭を剃らせる剃らせないとかで困らせていたのを見かねた成田屋「私がやりましょう」と丁寧に髭を剃り松緑は黙っておとなしく剃らせポツリと「ありがとうよ」と言ったのが「和解」とは。だがその成田屋が松緑の孫の嵐(現・辰之助)の親代わり、何のわだかまりもなく芝居教えるといふのは、まさに團十郎の人格。これも涙。まだまだこれからの期待に疾病で舞台にも立てずとは無念極まりなし。
▼昨日の首相動静見ておれば半蔵門のグランドアーク半蔵門なるホテルに衆参両院議長に最高裁判所長官と三権の長集まりホテル内の「御休所」で天皇皇后両陛下に拝謁し、何の行事かと思えばこのホテルにて現行警察法施行五十周年記念式典。戦後の「民主」改革にて戦前の公安組織解体し自治警察制度など取り入れたが、国家権力側からすればこれに大きな問題点あり(こちら)「警察を含む自治が民衆の手から再び国家権力に奪われたのがこの1954年の警察法の改悪である!」……と余が高校の頃に社会科教師はそう生徒に語ったのだが今ではこれも「偏向教育」の烙印であろう。で、これほどの「国家」行事がなぜこの名も知れぬ小さなホテルで?と思えばこのホテルは帝国ホテル系。場所もFM東京と国立劇場の間にあり半蔵門出てすぐの場所。桜田門からも近し。こういった小さいホテルでなら式場ばかりか宿泊も地方の警察からの代表者などで全館貸切で関係者以外立入り禁止でテロ対策など容易といふわけで納得。

七月廿六日(月)天后の拉麺屋・小樽に食す。中環の札幌が主で系列でこの小樽と太古城に函館あり。北角の札幌は別の店。早晩にFCC。この時間はバーの止まり木にRTHKやらSCMPの顔の如き記者や書き手多し。昨日トレイル一緒したO君を招飲。灣仔のProtrekにO君のトレイル用品購入に同行す。O君と酒処Z(笑)。Z嬢慌ててといふわりには金平牛蒡、山芋に韮玉と肴もあり手作りの牛丼。酒は雲海酒造の蕎麦焼酎花押雲海。美味いねぇ。O君と音響の話となり実は今どきLPも聴けるのですぞとかなり久々にLP聴く。コルトレーンが四十歳で他界していること。Z嬢の所有するLPでクララ=ハスキルのシューマン「子どもの情景」。
▼ある事件の捜査に絡み廿四日にICAC(廉政公署)が新聞社六社だかを強制調査し新聞テレビその報道賑わふ。この事件ぢたいは電子部品メーカーだかの汚職だが、警察が関係者逮捕し事件に関わる証人として拘束中のところメーカー側の弁護士がこの逮捕を「警察による不法拘束」と主張し、それを新聞各紙が伝えたことに対して「証人保護条例」をタテに新聞社の一斉捜査行ったもの。この条例によるとICACが証人とした者の個人情報が秘匿されるものでこれを公開した場合には刑事罰。この条例、政府絡みの汚職贈賄取締りのためにICACに密告したり証人となった場合に身の安全すら保障されぬケース想定し、その協力者の安全のために情報秘匿され場合によっては香港IDの番号や氏名の変更、海外への移住すら取り計らうもの。今回の場合は調査対象となった会社側の弁護士からの不法拘束の訴えであり、それの報道での強制捜査。新聞社が何処からこの証人に関する情報を得たかが調査目的とされるがこのメーカーも弁護士も特定されている(笑)。といふわけでICACのこの手法に対して新聞報道の自由が犯されたと新聞社側一斉に反発。ICACが政府絡みなど巨きな汚職犯罪摘発のための組織のために、而も警察が汚職贈賄の温床であった七十年代に当時のMaclehose総督の肝煎りにて警察すら調査対象とするべく香港政庁にあってIndependent Commission Against Corruption=汚職取締独立委員会とされたわけで、広大な調査権力が与えられる代わりに一切の政治的圧力など受けぬよに総督(現在は行政長官)直属の独立組織。廿六日の信報社説がこの一斉捜査を痛快に論破。ICAC側は「この調査にあたり律政司の批准を受けた」ことを強調し証人保護条例の十七条に基づく正当な調査とするが、問題はICACの職務権限定める廉政公署条例五条においてでICACの独立性を鑑みこの組織が行政長官に直属し行政長官以外の一切の干渉を受けぬことが定められており、今回の調査で律政司の批准だの検察の事件捜査のためにICACが動くことの大きな矛盾あり。ICACがここ数年にて完全に警察検察の補完組織と成り果てたが事実。Maclehose総督も草葉の陰で歎いておられよう。
▼築地のH君より関容子著『海老蔵 そして團十郎』文藝春秋社がなかなか面白い、と報せあり。勝手に新之助君の海老蔵襲名のタイミング本とタカをくくっていたがという本、十一代目と我童との物語などもあり、これについて我童邸訪れたことある十二代目本人の回顧もありとか。H君からの又聞きだが、我童の父・十一代目仁左右衛門食い物の恨みで弟子に惨殺されたその家は柱に刀傷だとか血痕だとかがそのまま残っている古屋にて、其処に老女形の一人暮らし。そこを訪れた十二代目に「よく来てくれたわねえ」と微笑む我童。それを「オヤジとはいろいろあった方ですから(笑)」とかさりげなく語る十二代目の人柄もまた好し。新之助君の隠し子「騒動」の時の立派な振る舞いといい十二代目現在病気療養中のところこの人は人柄からして芸以上に俳優協会の長であるとか望まれるところ。ところで十一代目と我童について。余は幼き頃に祖母からこの話など聞いたこと思い出す。七、八歳の子ども相手に祖母も十一代目がいかに端正であったとか、よくぞ話して聞かせたもの。その本の話に戻れば、十一代目の結前に赤坂だかの家で十一代目は我童と一時同居、それも階下には「女中」である千代さんと十一代目、二階に我童といふ暮らしぶり。詳しくはいずれ本書を。
▼都立高の卒業式にて「国歌」斉唱時の保護者の起立状況についてまで卒業式「監視」の職員より都教育委員会に報告あり(こちら)。都教委は担当職員の判断で集めた情報だろうが保護者の動向を知る必要はなく、その方針もなし、と説明。かりに教委の説明が正しいとすると国旗国歌徹底といふ都下の教育の風潮の中で自らの判断でここまでしてしまふ職員のこの発想の怖さ。「ついでに調べておいたほうが何かの時にいいだろう」といふ発想にはこの「調査」ぢたい憲法の保障する思想信条の自由にまで牴触する行為かどうかなどといふ発想など微塵もなし。一木一草にまで宿る無節操。国歌といへば昨日の朝日新聞に創造的君が代論で注目される(笑)若林啓文論説主幹の「風考計」の連載あり。イラク問題を例に社説の論調を決める決定がいかに苦渋に満ちたものか、を述べる。社説ならその厳しい判断の結果であることなど読者承知のはずで、いちいちその手の内を見せられても楽屋オチの如く、結局はイラクならイラクについて朝日の社説が何故に中途半端になったか、の弁明のように読めるばかり。

七月廿五日(日)快晴。今年十一月開催のOxfam Trailwalkerの参加抽選にI君当りI君に誘われO君とともに参加を予定(あと一名の同行者未定)。西貢北潭涌より屯門まで九龍の山々を100km歩き続ける毅行者企画。〇一年に続き三年ぶり三度目の参加。で本日その一回目の練習。Z嬢はこれに合わせ萬宜水庫のダムより海に下りた破邊洲の奇岩訪れる企画し、それの参加者H氏、I氏の両夫妻らも朝八時に鑽石山の地下鉄站に集合。北潭涌行きの行楽バスに搭らむとすれば長蛇の列。一台見送るがかつて三十分に一本の運行が十二分毎となっており助かるがそれだけ郊外に行く者増えた証左。彩虹より香港の有数の倶楽部DRCにてこのTrailwalkerに参加のK氏に邂逅。K氏は七旬に近き齢ながらこれに十数回参加されマラソンも現役。山での怪我だの事故での話聞くが特に重要なのは怪我人を前に周囲の者が口々に「危ない」だの「急いで救急隊呼ばないと」だの応急措置はこうすればいい、ああすればいいと皆興奮しているからだが勝手な発言することが怪我人本人をどれだけ混乱させ精神状態含め体調を悪化させるか、と。チームリーダーなりが適切な判断をしそれ以外の者はその判断に従い必要に応じて機能的に動く、動く必要のない者は敢てこの怪我だの事故に係らぬことなどの大切さ、と。御意。北潭涌にてZ嬢らタクシーにてダムまで先行。快晴、気温摂氏三十数度の下I君らとMaclehose TrailのStage-1歩き始め九十分ほどでZ嬢らとダムで合流写真は破邊洲の眺め)。実に昨年五月以来の西貢のこの眺め。浪加湾(写真)を抜け西湾山より大浪湾を眺む(写真)。遠くにSharp Peakの尖頂。海と山が織りなすこの絶景、これが市街地からのこの距離にあり、こうして山歩きで訪れると思うとこれが香港ならではの醍醐味かと毎年のことながら感じ入るばかり。これだけは東京、上海、新嘉坡、バンコクの何処にもなし西湾の海岸の茶屋まで歩くが午後二時になりかけ暑さ酷くStage-2を続けぬこと決定。五年も前から何度も訪れ旧知の茶屋も息子は店を手伝うまで大きくなり三つくらいだった娘もウェットスーツ着て海より戻るほど。吹筒峠に戻ろうとすると茶屋の亭主に「あれ、方向が逆だぞ」と笑われる。続きはまた来週といふことで。西湾亭まで歩きタクシーで西貢。Duke of Yorkにて麦酒にて暑さ癒し早晩に通記海鮮酒家にて海鮮食す。ちょうど西貢にて自由党が九月立法会選挙に向け選挙運動の最中で通記の店の前にて麺包購ってから参るZ嬢待っておれば自由党党首田北俊君颯爽と通りかかり思わず田君に握手求められ応じる。新界東よりの立候補では香港島住人の余に田君への投票などないが。ちなみに億万長者の田君自身居住は香島山頂にて民主派中心に強力候補多き香港島を避け新界東は単なる選挙区。かつては単に財界党と思われていたが昨年の七月に基本法廿三条立法にて立法化賛成から反対にまわり董建華行政長官主宰の行政会議議員の職を辞し田君「男を挙げ」る。実際に目の前にするとやはり風貌は仁左衛門の如き端正さあり風格も十分にあり。日暮れの西貢、各地に向ふバスは長蛇の列。地下鉄坑口站行きのミニバス選び六台目のバスで坑口。地下鉄にて帰宅。

七月廿四日(土)約一年ぶりに何も薮用なき土曜日なれど昨晩から歯茎の奥疼き止まず気になるのは神経から来たのか歯科マターなのか歯科治療要せば当然これは香港では日本円で十万に手が届くであろう惧れあり先ず抗生物質で経過観察すべきと判断し近隣の掛り付けのC医師を訪れ病状説明し「鎮痛剤で痛み抑えて抗生物質にて対処したいところ」と余が言うとC医師苦笑して「何の薬を出すかは医者が決めることで患者が指示するな」と。確かに。結局、炎症と神経系の鎮痛剤2種と抗生物質処方され飲めば即に効用あり一先ず傷みと疼き歇む。休日とはいへさすがに地面蹴っての「走り」は患部に悪かろうと西湾河より大潭のダムを抜ける絶景を走る十四系統のバスで赤柱。島南の海岸の浜。木陰にて服薬中のためビールも我慢して読書。溜った新聞と雑誌読み終ればもう午後となりハインライン『月は無慈悲な』ほんの少し読む。香港の時事評論週刊誌“SPIKE”を何度かFCCにて目を通したもののこの発行会社は経営危機だそうで今朝購入して改めて熟読するが内容確かに面白みあり。ただ英字誌で香港の政治に絞りレイアウトなど素っ気ない僅か三十数頁でHK$25では多数の購読者得るには難あり。夕方ジムにて有酸素運動。晩にZ嬢のお手製にて五穀米、大根のみそ汁、豚肉と比律賓野菜の炒め物、空豆、金平牛蒡、冷奴、など馳走になるが鎮痛剤と抗生物質のせいでまだ酒を飲めず残念無念。
▼NHKにて音楽芸能のチーフプロヂューサ四千八百万円不正着服し三年前に着服の事実わかっても局内にて放置とか。「NHKのナベツネ」会長海老沢勝二君記者会見にて謝罪し自らも三ヶ月減給三割は海老沢君にとってもいいお灸か。で当時この事実わかって放置したのが歌謡芸能番組部長のA氏。A氏といえば腐っても鯛のNHK紅白にこの人ありで余が十五年程前にNHKの嘱託のような仕事して局の入館証もって当時の音芸部に出入りしていた折に隣りの島がこの芸能チームでA氏当時まだ若手ながら「もう根っから芸能界」。でこの六月に芸能番組センター長にまで昇進した矢先のこれで解職の上の停職半年。で余が今朝のこの報道で何に驚いたかといへばA氏の昇進で後任の歌謡芸能番組部長も連座させられ解職及び出勤停止七日の処分。それが旧知のY氏ゆへ。Y氏はNHKが鈴木健二の「クイズ面白ゼミナール」の頃からのNHKらしい娯楽教養クイズ畑一筋の人で余が面識得たのは「クイズ百点満点」の頃。当時何人かいたディレクターのうち何故Y氏の記憶あるかといへばこの番組の香港特集に余も係ったがそれの担当ディレクターがY氏。業界のなかで実に誠実な人柄でいつも胸にさした万年筆で取材ノートに丁寧にデータ記入する印象強し。その後この日曜夜のクイズ枠が「日本人の質問」だかになりY氏の名がプロヂューサーにあり出世されたと知ってはいたがクイズ部門は低予算で制作費といっても直接の取材費=交通費の他はフリーの放送作家の先生数名への支払程度。せいぜい番組終ったあとに渋谷の公園通り裏の高級焼肉屋で出演者と制作者での「反省会」の領収証まわすだけ。キックバックできる相手先の製作会社もなし。歌謡芸能の部長にまで昇進して「とばっちり」か。
▼ネベツネといへばプロ野球はセリーグで巨人除く5球団が阪神中心となり来季は現行の2リーグ制維持で意見一致。巨人「軍」社長は「反巨人同盟のようなものを作ってものごとを進めるやり方について球団として大変強い不快感を持っている」と宣い、自ら巨人軍がカネと権威に物言わせ各球団の育てた一流選手集め寡占状態で強い巨人の「育成」といふやり方など何ら反省もなく言いたい放題。その上「渡辺オーナーも強い憤りを持っている」などと、まるで満州事変にて「天皇陛下も今回の事変については……」と告げれば皆畏れ多しと姿勢を正すかと言わんばかりの物言い。巨人のこの独善には呆れるばかり。
▼海老沢君だのナベツネだのと唯我独尊の権威は甚だ困ったものと思いきや長野にては温泉に入浴剤混ぜ白濁との問題にて県知事田中康夫君御自ら抜打ちの立入り検査に臨まれたり。県の観光に大きな打撃とすわ一大事かも知れぬが県知事の出動で報道の扱い更に大きくなるだけで一大事とはいへ別に知事本人が出向かねば首相森君のゴルフの如く非難されるわけでもなし寧ろ調査など県職員に任せ事実把握し今後の対策に知事の知恵使えばよし。この知事の抜打ちなど「出たがり」と更に不支持の県民増やしゃせぬか。都知事石原君の防災の日の陣頭指揮も怖いが一見両極にある田中君のこの「知事ぶり」も「出たがり見せたがりの指導好き」といふ点では石原君と同質でもあり。

七月廿三日(金)晴。肩から首、廿年も前に差歯にした歯茎奥の疼きあり養和病院。久々にジャッキー=チェン好きで診察室乱雑の某医師の診断請う。診断が胃痛などに医師の関心向いてしまひ失敗。薬局にて正露丸購ひ口唇と歯茎の間に挟む粗治療施し痛み誤魔化す。夕暮れに昨日に続き銅鑼灣のジムにて九龍の景色眺めつつ有酸素運動。今でこそ九龍にかなりの超高層ビル建がかつて啓徳に空港ありし頃の高層建築の高さ規制あり、こうして眺めるとその規制が九龍の飛鵝山だの獅子山、大帽山などの山並をば驚かさぬ実に調和とれたものであっったことを今になって納得。晩に中文大学のM先生ら主宰の香港研究会にて歴史家の畏友T君による発表あり日本人倶楽部。T君十九世紀末よりの九龍の貴重なる写真五十枚ほど見せ九龍の発展の様子を語る。「魔窟」九龍城砦をとれば、なぜあそこに宋の時代に砦築かれたかといへば当時の九龍湾(埋立てて啓徳空港)が良好で、戦後そこにビルが群築されるまでは小高い圓方古墳かピラミッドの如き山があり、そこより周囲一望できるゆへに岩砦築かれ周囲を壁で囲み住宅などが集った由。いわゆる「魔窟」と呼ばれ九十年代に取壊された「入ったら二度と出てこれぬ」高層ビルとなったのは戦後のこと。今の九龍城市街の道路名になっている衙前圍も馬頭圍もかつてこの地域にあった村の名。尖沙咀の今のペニンスラホテルのあたりに浜辺があり、林といふ姓の一族が尖沙咀村の僅か数戸の住人であった昔、九龍は今の油麻地と英国への新界租借前の「国境の向こう」の深水土歩より都市化。九龍にあったポルトガル人社会とカソリック教会施設の多さなどなど二時間あっといふ間に過ぎるT氏の解説。香港島の歴史写真や物語など腐るほどあるが九龍のここまで貴重な写真と物語は興味深し。T氏の探求の姿勢にただただ敬服。M先生らのお誘い辞し「そのへんの」茶餐庁にて麻婆豆腐で白飯かっ込み太古城の映画館にて韓国映画「太極旗」見る。韓国にてなぜこの映画それほど観客動員したのかかなり気になるところ。題名からして、また時勢でかなりナショナリズム映画かと思えば、兄はたんに徴兵された弟をば戦場から済うが為に従軍し功績挙げてゆき弟が死んだと勘違いして気が牴れたように今度は敵であった北軍に加わり栄誉勲章授けられた南軍と戦い、と、戦争による兄の気の牴れ具合と弟の「成長」が「これでもか」といふほどのキョービの韓国映画の勢いか虐すぎる戦場での残酷な戦いの中で描かれる。戦場の銃撃や爆発、飛行機など特撮が技術力のわりに「やりすぎ」で目障りのところあるが僅か半世紀前の自国の悲惨な事実ゆへここまで描ききった韓国らしさ。海外にて戦さを進め攻撃されれば空襲だの原爆で一転して被害者と化してしまった日本では到底撮れぬ世界。題名は「太極旗」であるが自らの命や家族を脅かす敵だから闘ふという以外に何のための戦争(しかも内戦)なのか誰もわかっておらず、ただ昨日は友人であった者との殺し合い続くといふ、その戦さの不条理。

七月廿二日(木)昼にKirti Narainといふ印度の歴史家が中文大学にて研究した香港の印度人社会についての講演会あり。商務印書館より“Co-prosperity in Cross-culturalism: Indians in Hong Kong”といふ書籍上梓し其の記念講演。隣席に香港で有数の印度家族でこの本にもかなり登場のMohan氏夫妻あり。右隣にはRoyal Asiatic Society香港支部の前会長いらっしゃり興味深い話もあり。ミイシャ=マイスキーの珠玉たるバッハの無伴奏チェロ組曲のCDゲットして昏時ジムにてビクトリアハーバーの向こうに夕暮れ迫る九龍の景色みつつの有酸素運動にてこれを聴く。感慨至極。帰宅しチゲ鍋。雑用済ます。一年にわたりかなり時間と労力費やしたこの取り組みからもこれで解放される。殊に土曜日の午後毎週時間拘束されかなり厳しところ明後日よりはこれもなし。マイスキーのチェロ組曲続きを聴けばやはり至極は5番のハ長調、なかでもSarabandeの一曲。殊に和音の完璧なまでの調和。和音に酔ふなど未知。頸に神経痛あり歯茎の奥のほうも痛み珍しく飲酒なく服薬し臥床。
▼香港バプティスト大学の社会学の教授が北京での社会学学会参加の際に行方不明となり「すわ中国政府による拘束か」「台湾だの米国のスパイ容疑か」と話題になりしが実は北京にて買春の廉で公安に連行された事実明らかになり本人は帰港での記者会見にて容疑否定するものの北京にて公安の取り調べに対して買春認める供述書に署名した事実まで当局より公表される。本人曰く学会終わり投宿の北京飯店に戻る途中「マッサージに寄った」が終わってタクシーに乗ると見知らぬ女が教授の乗ったタクシーに飛び乗り追いかけてきた公安に教授も女と一緒に拘束され慣れぬ普通話(国語)でのやりとりで事実関係の釈明できぬまま解放されたき一心にて公安の用意した供述書に署名。その供述書のなかに買春の事実認める文書もあり、と釈明。かなり苛しい釈明ながらこの教授、ソーシャルワークの専門家だそうで、それなら北京にて風俗業の社会工作の実地調査だったと言い張るべき。
▼駐在香港の人民解放軍この軍隊の設立七十七周年記念で八月一日に石崗の軍営にて大規模な水陸空軍の閲兵式典開催。九七年以降四度目。これまで軍施設開放日あったが閲兵に初めて市民招きその数一萬五千人。立法会議員の参加は今回注目は民主党の議員招かれ中央政府との対立姿勢から関係改善で民主党も党主席ら参閲。駐港軍曰くこの閲兵式典九月の立法会選挙意識するものに非ず。だが民主党この閲兵に参加することで民主党が台湾独立など含む国家(つまり中共政府だが)顛覆企図する団体でないことと証し、これに参加せぬ、例えば「前線」の劉慧卿女史など「中央政府との対話は然るべき場所でされるべきでそれが閲兵とは思わぬ」とするが劉女史の「台湾の将来は台湾住民自身が決めるべき」などといふ発言中国側にしてみれば台湾独立支持=国家分裂活動。結局今回の閲兵が謂わば踏み絵となり民主派をば過激派と穏健派に分別すること明白なり。
▼新聞を一日に例えば五紙、余の場合「目を通す」順番で言えば朝日、Herald Tribune、蘋果日報、South China Morning Post、信報となり、これに讀賣とか星島とか「身銭きっては読まぬが」程度の新聞がいくつかあり、結局読み終わらず、新聞紙溜りとくに熟読要すはHTと信報の論説記事。で結局読めぬ新聞溜るのが自宅だの仕事中のふと休憩の時間ならまだしも、乗り物の中だの加えてもそれだけではとても時間が足りず、となると本来ここで新聞読んではいけぬ状況でも読まざるを得ず。何か仕事中はみずからの仕事済ませばならぬが、ただその場にいればよいような場に於いてなら、新聞を読みたい場合どうすればよいか。まさか新聞広げるわけにもいかず。その際の方法は、まず溜った新聞にざっと目を通して気になる記事はとにかく切り取る。それをA4版のクリアファイルにでも入れておく。でその「とにかくそこにいればよい」程度の場なら何か資料見ているふりしてクリアファイル越しに新聞読み。読んだら一枚後方を、と続ければよし。これが他人から見ると意外と「関連資料を見ている」と映るようで先日も本来なら何もせずにじっと立っていなければいけない場で(マネキンかパントマイムだ、これぢゃ……笑)そうして新聞読んでいたらその場の責任者が突然来てしまい一瞬困ったが責任者氏は「あ、すみません、ちょっといいですかお話ししても」と恐縮されるほどに効果発揮。

七月廿一日(水)朝九時すぎより豪雨となり警報発令。昼飯後にぼんやりとしていたら畏友O君よりメールありO君とはレンジファインダーカメラについてメールのやりとりあり(O君はライカMの使い手であり余はだいぶ格が下がるがContaxのG1)O君曰く「一眼は写す瞬間に視界から像が消失」し「その時に蠢く空気を逃してしまう」がレンジファインダーは「フィルムに光が届くその瞬間の風景を人間の眼は見続けることができる」とO君本人は自嘲するが誠にいい表現。で、何が書きたいかといふとO君にエプソン社のR-D1といふデジカメ教えられ「なんぢゃこれは……」と驚愕。このカメラのコンセプトここまで意志貫徹したのならいっそのことデジカメの余りにデジカメ的なる液晶ディスプレイなくしてデジカメでありながらその場で画像見られず自宅に戻りPCに接続して漸く画像見られるといふ、少しでも現像に近い不便さも寧ろ興味あり。どうしてもその場で画像見たい場合はファインダー覗いてまるで万華鏡の如く一人悦に入り「うわーっ」といふのも亦佳し。32万円也。中古のライカに手が届く値段。ライカなら数十年たっても価値あり何十万でも納得できるがデジカメの問題は所詮デジカメであると思ふとどんな名機といへど果して十年後に使えるかどうか、と思えばやはり高すぎ。とても欲しいがとても手が届かずContaxのTvsデジタルで我慢しようか……ってこれでも尋常ぢゃない値段。先月だかに受けた健康診断の結果届く。コレステロールと中性脂肪のいわゆる脂質が「要経過観察」で前者は参考基準値130〜220mg/dlに対して231と多少高め、だが中性脂肪は基準値35〜150mg/dlに対して220とかなり高い。どれくらい高いかといふと参考のグラフから飛び出す(図)ほど(笑)総評にて「動物性脂肪、糖質(アルコール類を含め)、総カロリーを控えるよう生活習慣を改善して運動を強化し、経過を観察してください」とあるが動物性脂肪の摂取はかなり少なく食べるのは好きだが量からするとカロリーもけして多くないはず。運動も人一倍しており「強化」したらもはや実業団である。問題は明らかに飲酒。これで運動していなければカンペキに成人病患い。……といいつつ晩は一昨晩に続き北角に薮用ありFortress Hillの閔江春菜館に食す(閔の字は正しくは「門」構えに「虫」を置く)。無愛想に見える経営者は怪しげな日本語話し、偏見に当たるがどうも福建人で怪しげな日本語といふと新宿などで幅きかすその筋の人だの米国などに不法入境者送る組織の親方「蛇頭」など想像してしまふが、ふと卓上の割り箸立てに目をやれば北見市とん田西町の「大洋部品」なる会社の名入り湯飲み茶碗であったり、よくわからず。この店でいぜんから気になるは店頭に並んだ十数種のおかずから二品選ぶ経済客飯にて美味そうなおかずに白飯と例湯(本日のスープ)がついてHK$20とお得。いつもZ嬢と一緒に酒盛りで本晩一人で初めてこれを食す。美味。薮用済ませ遅晩に日刊ベリタに早晩に送っておいた北京での蒋彦永医師解放の記事の掲載確認。台湾での映画監督・侯孝賢氏「校長」にした台湾民主学校の開校について記事送稿。夜中にふと思ったのだが、かねがね「厄年」なるものに何の根拠があるのかと、これは暦上であるとか何か言われこそあれ所謂「ユニバーサル」な、ヨーロッパ人でもアフリカ人でも「なるほど」と納得できる根拠でもあれば、と思ったが、ふと思ったは、男の数え年で41から43といふのは今でこそ中年の始まりの如くも嘗て平均寿命が五十年といふ時代においてはもはや老人。精力なども衰え男の更年期障害の如き年代だと思えば「不惑」も何にも惑わされるどころか単なる性的不能の不感症の如く厄年といふのは外部からの何か惨事到来といふより男性の肉体的、精神的な巨きな障害の到来ではないのか、と。女性も25才といふのは甚だ中途半端な年齢だが、これも初潮から十二年あたりと思えば、妊娠と出産といふ女性の「役割」が今でこそ四十代での高齢出産も可能だが機能開始から十二年の一周もせば機能に衰えあって当然にて更年期のまえにひとまず「お役目」終了といふ年齢でないかと察す。……などと夜中に想像しつつまたジャックダニエルをばしっかりと飲んでしまい、これぢゃ脂質も改善されぬかと感じ入る。
▼本日より毎夏恒例の香港図書フェア開催。この祭事で話題は毎年の政治風刺漫画にて三年前の保安局長・葉劉ゲシュタボ淑儀女史主人公にした『掃把頭』(箒頭)大流行。今年は董建華行政長官を主人公に『動物農場』香港版。(図)
▼本日の蘋果日報に康泰旅行社の「才子陶傑與爾「大話西遊」〜欧州編」といふ広告あり。倫敦巴里9日間の旅にて仏蘭西の古城にて貴族式晩餐(笑)、シェイクスピアの故郷やディケンズの旧居など見学し牛津大学や剣橋大学の参観などまぁ多少は通常の団体旅行よか知的?で当然、蔡瀾の如く陶傑氏が「全程親任栄誉領隊」つまり単なる同行だが(笑)しいろいろ英仏の蘊蓄語ってくれる、といふ次第。お値段HK$22,999也。通常のツアーよか1万ドルほどお高くホテルや食事なども一つ上等だと思えば一人あたり五千ドルは陶傑氏への祝儀。二十人のツアーなら十万ドルか、と思ふと文化系芸能人?、芸能人系文化人?にとっては美味しい仕事。
▼昨日北京にて拘禁されていた蒋彦永医師が実に五十日ぶりに解放される。思想教育での再教育課程を済ませ「思想上の進歩」あったため!釈放。蒋医師の罪状は「明文規定のない軍事法規」!に違反した廉にて軍部側はこの件は「まだ終わっていない」と宣い釈放されたからといって完全に自由の身になったわけでなし、自分一人が正義感、英雄気取りで今後は調子に乗らず口を慎めといふこと。恐ろしき一党独裁国家なり。
▼SCMP紙の投書欄に衛生福利及食物局局長楊永強について“Yeoh was hired to stop a crisis, not learn from it”といふ投書あり。楊局長がSARSの疫禍にて「多くのことを学んだ」などと恥ずかし気もなく宣ふのに対して「そういふ疫禍を防ぐたに厚遇で雇われたのであり疫禍から学ぶ為ではなし」と。御意。その上、政府では劉兆佳が問責制の局長制度の保管のため副局長職を設けることなど提案。問責制どころか無責任制。無責任といへば日本も参議院選挙での敗北は責任とると言明の首相、自民党幹事長(この人は九月には辞任といふ意向のようだが)それに参院幹事長も一向に責任とる姿勢もなし。

七月廿日(火)午後驟雨あり。昼に北角の寿司加藤に食す。ご主人に先日約束の上原浩『純米酒を極める』お貸しする。東京では観測史上初の39.5度記録とか。終日雑事に追わる。自宅にてレトルト物の蒲焼。菊正宗。明日が土用の丑ながら明晩薮用あり。雑な仕事に追われつつNHKニュース10見ると「悪い人ぢゃないが」の今井環君番組開始で「いやー、今日は暑かったですねぇ」と、もはやこの一言にてNHKのニュースルームのこの異常気象に対する取組み姿勢明らかだが、当然のように「暑い」「暑い」の様子ばかり。気象解説員はこの史上最高気温について原因を晴天、「高気圧」の上に別の高気圧が乗っかり、さらにフェーン現象があって、と解説。「なるほど、そういうワケだったんですね〜」と今井環。それぢたい間違いではないが、それくらいのことなら今までも何度も夏にあったことで、問題はなぜ夏にはけして珍しくもなき自然現象で過去になく今、この高温となったのか、当然これは異常気象なわけで、それがどう深刻かをニュース番組ならきちんと考えるべき。それを海に遊ぶ子供だのタクシーの売上げ増加だの、だがタクシー運転手は売上げ伸びても自らは冷房症に悩む、と冷房があればあったで大変、といふ余りにノーテンキな内容の報道続き呆れるばかり。それにしても39.5度の暑さに背広の上着羽織った会社員、きちんとジャケット着たタクシー運転手と見るからに珍妙。大平首相や今では羽田孜君ただ一人着用の省エネスーツは要らぬがせめて気候にあった服装を考えるべき。逃水すら蒸発しそうな灼けたアスファルト道路の上をシャツにネクタイで自転車で走る男の姿が画面に映る。香港で「あれが日本の銀行員だよ」と言ったらどれだけ人が驚くことか。大平首相といへば鈴木善幸元首相逝去。大平首相急逝を受け首相に就任したものの米誌に「善幸って誰だ?」と書かれ、同じ「江沢民って誰だ?」の江沢民が権力に居座ったのに対して善幸君は周囲も驚くほどさっさと首相の座を降りて今この弔報を新聞で読み「まだご存命だったのか」と思った国民多い筈。
▼朝日新聞にて梅原猛の連載『反時代的密語』よめば「東アジア文明の語るもの」といふ題で東西を語り東の多神教に対して西のキリスト教の一神教は「森が破壊されて荒野となった大地に生れた種族のエゴイズムを神の意志に仮託する甚だ好戦的な宗教」であり「この一神教の批判あるいは抑制なしには人類の永久の平和は不可能である」って梅原先生、本来なら朝日の知的随筆でポスト加藤周一&吉田秀和の筈がもう加藤、吉田の両巨頭よりずっと向こうに、もう河を渡ってしまっている。これはマズい。この東アジアの稲作文化は自然と共生するものに対して西は狩猟民族で農業も小麦栽培は植物支配であり自然を牛耳る人間の人間主義となり基督教では人間に他の被造物に対する無条件の支配権を与え、その奢りが今日の様様な問題を生み、その結果が前述した一神教と人間中心主義への批判と繋がるのだが暴論(笑)。西洋にも否、西洋にこそ自然に対する畏怖もあり、また聖書読めば人間に対する精神的には刑法の如し。その制約のなかでいかに悦びを見いだすかにこそ西洋の哲学、人生観があり、梅原先生はそれに対してアジアの価値観を評価するが東アジアの経済活動での今日の自然や環境破壊見ていれば何処に自然に対する畏怖だの共生感があろうか。短絡的な東西の比較文明論など何を今さらと感じ入る。
▼荷風といへば、と昨日の話の続きで築地のH君が永島慎二の漫画「若者たち」を読むと主人公の漫画家・村岡栄のアパートに下宿する自称現代詩人の名前が「井上アー」。これはやはり荷風先生の友・井上唖々に由来か、と。なるほどねぇ、さすがH君。ところで荷風サイトでは随一の余丁町散人氏のサイト(こちら)見てみれば七月四日の項に日経に川本三郎氏の書いた文章引用あり晩年の荷風先生の面倒を見る小林修といふ青年についての記載あり。生家は押上の理髪店、美男でダンディー、同姓の小林庄一という男性と暮らし日本舞踊西川流の名取りで生涯独身通し昭和59年に六十余歳で逝去とあり。荷風の周辺にはこの小林青年と昭和の初め荷風を怪しげな性風俗に案内するW生といふ青年あり。私娼渡辺某の夫なるW生とは銀座だの芝口でばったりと出遇うこと屡々だがどう考えても落ち合っての何処かへの遊興としか思えず。流石の荷風散人も椿事ありしことのみ朧げにしか綴らず。
▼横綱朝青龍の四連覇。関脇に二連敗で挽回この蒙古横綱の天性の強さか、それにしても気になるは朝青龍より寧ろ高砂親方(朝潮)で「昔ほどギラギラしたものを感じない。朝青龍らしさをもっと出してほしい」とアンタは解説者である以前に師匠だろうが。某芸能プロダクションの社長が「あの子はもっと可愛らしかったのに」と言うのと同じ。思っても口に出していけない筈が解説者慣れしすぎた親方のコメントなり。

七月十九日(月)晩に北角に薮用あり早晩に十五分しか時間なく北角英皇道の新華園なる安飯屋にて実に十数年ぶりに叉焼飯かっ喰らふ。咥え煙草の店員に客も床が灰皿といふ粗野なる店乍らなかなか美味なる焼臘供す。叉焼飯に凍檸檬茶ついて25ドル。ちなみに昨日のマンダリンオリエンタルホテルの海南鶏飯単品で150ドル。叉焼飯で彷彿するは旺角のArgyle街にあつた新旺記なる焼臘店。ここの叉焼は絶品にて七、八年前に廃業が悲しいかぎり。深更に荷風先生日剰昭和十七年三、四月を読む。早くも本土に米軍来襲あり。荷風散人前年より出版なく税務署に対して無収入ゆへ免税を申請。皇国の文学振興に協力する文士少なからぬなか戦争中の政府にさりげなく一切協力せぬ姿勢。食糧難となりしこの頃に散人よく通ふは芝口(芝口御門あり今の新橋)の金兵衛なる食肆にて散人も食糧得難き時世に食に関する記載多くなるが三月廿六日に金兵衛にて「仙台よりの到来物彼岸の萩の餅を馳走す」とあり。これが仙台名物「萩の月」ぢゃないのは当然として(笑)仙台の萩の餅=お萩が馳名だったのか。そんな話もなし。戦時中にご馳走のお萩に巡り逢い、萩といへば仙台、ゆへに「仙台より到来」と洒落たか、と築地H君と談義。
▼十七日(土)附記。午前中は晩の行事の実施につき天気模様眺めで外出もできず机の抽斗整理などしてみれば各航空会社の使っておらぬマイレージカードなど出てきて恰度いい機会と各社のサイトなどで内容確認やアップデートする。すると各社らしい対応ありここに誌す。まずシンガポール航空。七年ほど前に香港?シンガポール往復で一度きりの利用。爾来この提携会社では全日空のマイレージ使うばかり。サイト上で確認すると番号認識せず電話で確認するとポイントが失効しているのは当然として数年利用ないためアカウントぢたい取り消し済み、と。シンガポールらしいプラグマティズム(笑)。有用な者だけがすべてにおいて重用され、それ以外は消去される世界。全日空はサイト上で住所変更だの便利。立派なもの。それに対して「いかにも」が日本航空。サイト上で内容確認しようとするとサイトでは「日本の」日本航空管轄のアカウントのみ利用可。それ以外の地域の方は現地のマイレージサイト等をご利用ください、と。香港のそれが何処か見あたらず香港の支店に電話で確認してサイト照会され内容見てみれば見た目は日本サイトとまったく同じ。但し香港は香港といふいかにもお役所的な発想。これで日本だの欧米だの転居の場合どうなるのか。技術上なぜ日本航空だけがマイレージの管理を地域別にするのか理解できず。昨年何度か日本のホテル宿泊で溜っているはずのポイントの記録されておらず。
月本さんの日記で六本木の青山ブックセンター倒産を知る(こちら)。言葉もなし。余は小泉三世靖国神社電撃参拝の〇一年八月十三日の晩に恵比寿駅前戸山書店にて矢田挿雲の『江戸から東京へ』全9巻購い新宿のホテルに一旦戻り南北線にてZ嬢と麻布十番まで往き六本木まで散歩し青山ブックセンターに立ち寄ったが最後。他の書店では代替できぬこの本屋でなけりゃダメな空間であり誠に残念。かつて東京の恵比須に住まいし折に自転車にて神宮外苑から新宿が自転車で流すテリトリーにて深夜この本屋に何度も立ち寄る。この書店の問題は芸術関係などかなり独自の品揃えで而も客に優しく芸術本など他なら中が見れぬのに見本本も多く客こそ多いがみんな眺めるばかりで購買客が集客の割に少なかったことかも。

七月十八日(日)昨夕の晴れ空に雲一つなき快晴期待して目覚めるとどんよりと曇り。天気予報も曇り時々雨に鬱ぎ込みそうになるが雨降る気配もなく裏山を登り大潭を走り島南岸。山に入れば晴間多し。大潭のダムもここ数日の雨で水嵩も十分に水を湛ふ。大潭の引水路に疎水の如く水流れるを何度もここを走り乍ら初めて見る。海岸にて吉田健一『三文紳士』読む。吉田健一であるから読んでいてついつい麦酒を二罐。二時半頃に驟雨あり雨上がれば爽かな快晴となる。赤柱経由で途中ジムにより一浴し帰宅。先日机の抽斗片付けており十年も前に購い数年前より使っておらぬかなり傷んだHunting World社の財布あり多少修繕して使えぬものかと香港のこのHW社の出店がDFS(正式名称はDuty Free Shop=免税店とややこしいが免税でない商品売る百貨店のため免税の名を使わず(使えず?)今では略したDFS店名とする)にあり尖沙咀のDFSに出向き財布見せると店員に「領収書は?」と尋ねられ世界に名だたる高級ブランドなるものはDFSで買ったかどうかでなく(実際に其処で買ったのだが)HW社の製品の修繕など世界何処でも受付けるが当然。それをこの対応に呆れたがその店員は鞄財布など革製品売場の主任らしき者に「ちょっと、この財布直せるの?」と尋ね主任らしき者も「さあ」と答え「そんなヨレヨレの直すなら新しいの買えばいいのに」とお話にならぬ、さすがDFSと呆れて店員に一言も話しかけず店員の手から財布取返しその場を去る。Z嬢に今度日本のHWの店に持込んでみれば、と指摘される。結局はHWだのダンヒルだのと扱っていても高級ブランドといふこと以外何も知らずブランド名維持には何をすべきか理解しておらず。ハーバーシティに入り余りの人出に日曜など繁華街に出るべきでなしと荷風先生の流儀に納得。スターフェリーで中環。ここ五、六年使っていたルイ=ヴィトンの財布もかなり傷みこれの修繕も済まそうかと思ったが中環のヴィトンの店すでに閉る。マンダリンオリエンタルホテルのカフェにて夕餉。アメックスより誕生月だかの特典にてこのホテルの中華料理・文華かこのカフェにて食事の際に二人なら一人分、つまりカード所有者の食事のみ無料といふ割引券あり。Z嬢と二人で文華で中華もなんなのでカフェでこのカフェで評判の海南鶏飯でも食そうかといふ次第。実は今朝方電話で予約の際に呆事あり。食事の予約など電話にて面倒なので余は適当に略名用いるのだが苗字に対してファーストネームは?と尋ねられこれも面倒なので「Fでよろし。F for fatherのF」と伝えたら電話応対の女給はなんと“M for mother?”と答え吉本新喜劇か、アンタ?と卒倒しそうになったが「F」ともう一度念を押すとフルネームでと強要され高々料理屋の予約に何を面倒なと思いつつフルネーム一字一句ずつ伝えるとどうも書取る気配なく「電話は?、何時?、何人?」と進むので「ちょい待ちぃ、ワテの名前、もう一度復唱してみい?」と確かめると無言。書取っておらず。「ほれ、みてみぃ、アンタがフルネーム言うさかいワテが名前言ったら長くて面倒だと思って今度は書きもせーへん、それなら客の言った名前だけ書いておけばいいんとちゃうか?」と感じだ次第。香港代表するホテルでこの様なり。で海南鶏飯食したのだが銅鑼灣の南亜餐庁にも増して香港でHK$150とかなり高くとも美味と賞されたこのカフェの海南鶏飯は一見して唖然。鶏はボディビルで鍛えたのかといふほどに肉厚で3cmはあろうかといふほど。海南鶏のもっとも味覚となる滑皮であるはずが鳥肌は薄く乾燥。スープもなんだか創作野菜スープ。食せばやはり期待通り無味乾燥の蒸した胸肉にて本来なら生薑や辛味などタレつけずとも食せるはずの海南鶏飯がタレつけても厚さ3cmの胸肉は美味くない、のではなく甚だ不味い。余は無理して食すがふだん食事残さぬZ嬢もさすがにゴメンナサイで恰度、皿を下げに来たのが黒服の給仕頭のため「この蒸肉はとても海南鶏とはよべるシロモノにあらず。申訳けないが残すですよ、これじゃ」と伝えると給仕頭も「この鶏肉が偶然太っており」と苦肉の言訳け。どう見てもドーピングされた如きブロイラーにて海南鶏にする鶏にあらず。Z嬢「おそらく海南鶏用に仕入れてなくてマンダリングリルの西洋料理でチキンロースト出したり文華で鶏の唐揚げ作るのにも同じ肉厚の鶏を仕入れて済ませているのぢゃないかしら」と。御意。オマケに勘定の際、店に入って予めアメックスのこの割引きですよ、と割引券見せていたのに正価にて請求されるミスまであり。かつての名ホテルも酒場チナリーにて食事は出すはカジュアル服の客を入れるわ、携帯電話は許すわ、フランス料理の名店ピエロをば潰し創作料理の料理屋にするわ、の迷走始ったのが五、六年前のこと。このカフェも半ズボンにサンダル履きの客まで受入れるが今日の有様。Z嬢懐かしがるは給仕もかつては戦前の資生堂パーラーの如き紅顔の美少年ずらりと並んだ昔。確かに言われてみれば顔の良し悪しは別にしても髪すら整髪しておらぬ若い給仕目立ち女給も愛想こと好いが余の背後に坐った客に料理搬びつつ“Are you hungry?”と米国のハイウェイ沿いのダインぢゃないのだから。ちなみに朝の電話での予約だがアメックスの割引券に「必ず予約を」と書かれておりそれに従ったが実際に来店せば客少ないからか予約表も見ずに席に案内され結局、朝の電話に出た者がなぜフルネームに執ったのかの意図も理解できず。海南鶏飯2つと麦酒小瓶2本、それにサラダ1つで定価ならHK$588.50、割引でもHK$381でこの様では呆れてお話にならず。アメックスのこの優待もホテル側の客の取込みの一環だろうが、これではお粗末すぎ。久々に香港の「絶対に行ってはいけない店」候補。FCCのバーにてエスプレッソ珈琲喫し一服。帰宅して吉田健一『三文紳士』読了。祖父牧野伸顕を「牧野さんは……」と語る「蓬莱山荘」や大岡昇平を語る「仲間」だのさすが吉田健一と唸る。横光利一を語る文章のなかで吉田健一が語るのは銀座の「はせ川」といふ彼の愛した小料理屋跡地のことで「はせ川」の場所を紹介するに新橋から始り「当時の文藝春秋社があった大阪ビルからどこまでも真直ぐに銀座のほうに歩いていくと」出雲橋に出て、とあり。気になるのは先日読んだ成島柳北『柳橋新誌』の難波橋でありそれでこの大阪ビル。なぜ新橋から浜にかけてのこの界隈にこの名か。堀割多く景色上方の如しか。新橋より鉄道にて向うは上方か。それにしても終戦直後の吉田健一の文章を読むと時の内閣総理大臣吉田茂の長男が(すでに三十余歳)この頃に闇で担ぎ屋をやりモク拾いをして最後は路上で乞食にまで。しかも知人が多く出入りする出版社の近くでそれをする大胆さ。吉田健一の人柄を思えばこういった貧乏暮しも、丸善石油を書店・丸善がついに石油輸入に参入かといふ誤解も、どこまで本気でどこが冗談かと考えるだけでも楽し。何よりこの人の人格は、例えば随筆「初めと終り」で日本で戦後クリスマスが普及することについて「これは日本では意味がない。キリスト教徒が形式的にでも、國民の大部分を占めてゐて、教會が我々のお寺に相當する國々ならば、クリスマスはキリストが生れた日であり、太古に犧牲にされた無數の若い男の代りに、神の子が地の糧となつたことを祝する祭日なのであるから、古い年が新しい年になるどころではなくて、それまでの人間の歴史がそれ以降に變つたことを意味し、大晦日や正月を遙かに陵ぐ行事であることは、少し考へてみればすぐに解ることである。だから、ヨオロッパやアメリカのクリスマスは靜かであつて、古代の神々の疲れもそこにはあるだらうが、それから又、キリストが生れて以來の二千年間、人間が努力して來たことに對する訴へがあつても、兎に角、希望に滿ちてゐる。それ故に陽氣になる向きもあつても、これは別に不思議な感じがしない 」とクリスマスをたんに聖誕祭としか理解しておらぬ余などはこれを読んだだけで欧州の聖誕のこの節句の奥義をなるほどと理解し、それを知るさすが吉田健一とただただ敬服するばかり。だが吉田健一が更に凄いのは「だから日本人がクリスマス賀うのは意味がない」で終りにするかといふとそうぢゃないところ。この引用の最初は「これは日本では意味がない」で始りつつ引用の終りで「陽氣になる向きもあつても、これは別に不思議な感じがしない」としているが、これに続けて、日本の場合、年の瀬の賑やかさにクリスマスが加わったことで更に賑賑しくなることで年が明けると正月が静かで恰度いい、と述べこの異教徒のクリスマスが我々の暮れから正月を迎える習慣に完全に溶け込んでいる、と結ぶ。キリスト教の祝賀を異教徒がするのはおかしい、とここまでなら誰でも書けるが、聖誕祭の深み語った上ですっかり日本に根付いたクリスマスをここまで肯定的に解釈できる、この吉田健一の凄さ。政治家の倅らが二世、三世政治家になるしか能がなく、しかも政治家として能がないご時世、戦後日本建設の首相の嫡男がこの文士であったと思うと吉田健一本人も大したものだが、これを許した臣茂もさすが大吉田と感じ入るばかり。吉田健一読みながら聞いていたCDはバーンスタイン指揮の紐育フィルでシベリウスの5番。なぜかこれが妙に吉田健一に合う。酒は真露。この韓国焼酎かつては烈酒の如しもの最近妙に甘く(酒の旨みの甘く、の意味ではなく糖分の甘さ)それが真露が数年前に会社更生法適用だかブランド名の争いだったかとにかく心機一転ラベルも新しくなってから殊にそう感じる。もともと冷やして生で飲むべきところ最近は檸檬絞って酒2に檸檬汁1くらいに割って飲むとかなりイケる。

七月十七日(土)熱帯性低気圧「圓規」コンパスの警報こそ昨晩解除されしものの今朝大雨。晩にランニングクラブにてトラム借切り香港島繁華街の夜景愛で遊覧といふ企画あり延期すべきか天気予報は暴雨数時間続くが曇りとそれ信じるか難しきところ小雨となり幹事T君と午前十一時前に雨上がり空も明るければ今晩の実施決定。昼にジムにて小一時間筋力鍛錬。九龍に薮用済ませば朝の雨が嘘のように晴間みえ安堵。腰痛あり按摩。早晩にT君夫妻とT君の来港中の両親がZ嬢と先にFCCで食事しておりそれに合流。トラム遊覧用に注文のFCCのケータリングの軽食料理受取り石塘咀にあるWhitty街のトラム車庫に集合。トラム車庫に入る古い線路の一部は土瀝青アスファルトの下に眠る(写真)。総勢廿名にて遊覧用トラムに乗車し西環から上環、中環、金鐘、灣仔を抜け銅鑼灣(写真)、折返してHappy Valleyに入り予定より早く走ってしまったようで再び銅鑼灣に往き復路Whitty街のトラム車庫まで二時間の遊覧。香港に十五年近く住い初めての経験。台風一過にて大気の煤塵も失せ景色鮮明にて気温も雨で地表の熱がおさまったか摂氏廿五度と夏にしては快適。予想以上に楽しい企画。何より二階の高さからじっくり市街を眺めると今まで気がつかぬ店やビルの窓から覗く光景あり。中環のジムのロッカーに荷物置いたままのためZ嬢と中環に戻り三更にFCCにてウヰスキーソーダ飲み帰宅。

七月十六日(金)熱帯性低気圧香港に向かい朝から三号警報。RTHKのニュース速報見ていて知ったのは政府による麻薬中毒者へのMethadoneなる合法麻薬提供の業務は八号警報発令されても診療所は平常通りに開いています、と。そりゃ確かに麻薬中毒者にとって禁断症状は天候に左右されぬ断末魔なわけで診療所閉っていること原因でまた覚醒剤などに染まっては元も子もなし、といふことか。午前十一時四十五分に八号警報となり世の中戸締まる。八号警報発令前に八号警報の予告(今日であれば十一時四十五分かそれ以前に八号発令といふ報せ)あったことで八号警報発令での恒例の帰宅ラッシュなどの混乱もなし。見事に香港直撃(図)かつては台風でも映画館など寧ろ暇な客の入り期待したもの。ジムも閉館。いくつかパブなどやってはいるが自宅で酒を飲めば好し。午後は読書と決め込むがどうせ飲んで転た寝か。……と思われたが強風に驚き目も覚めて午後は溜った新聞など熟読。晩に明太子のパスタと赤葡萄酒。晩に深更まで8月の旅行の日程呻吟。
▼三菱東京ファイナンシャルグループ(MTFG)とUFJ銀行の合併につき今朝の朝日の一面解説記事にてMTFGをFGと略す。MTFGのうちMTが固有名詞でFGは普通名詞と思うと略す場合MTのほうが正しくなかろうか。FGとすると、まるでThe Financial Groupといふ寡占の巨大金融機関の如し。最近の金融機関の略称の正式名称化、香港上海豐匯銀行が香港だの上海といふ地域名匿すHSBCを正式名称とすることで国際銀行化への先鞭となりしものの銀行は銀行、銀行といふことすら想像もできぬほど抽象化された略称化は理解し難し。
▼十四日日剰附記。加藤の帰りに翠苑といふ北角道にある、この界隈ではなかなかしっかりした甘味供す店あり凍紅豆湯丸(トンホンタウトンユン)つまり湯丸=胡麻餡入り白玉団子のはいったお汁粉注文して待っていると何故か「茹玉子と湯葉入り糖水(甘露)」といふ世にも奇っ怪なる甘味?搬ばれ、どうすればこれが注文できるのか頼んだ本人一向に理解できず。広東語の発音ここまでひどいかと痛感。今さら「こんなの頼んでない」といふ勇気もなく滋養強壮で茹で玉子をば落した甘味香港に多いが余は苦手、だが頼んでしまった(実は頼んでないが)以上残すわけにもいかず茹玉子と湯葉入り糖水をば食し複雑な腹具体にて帰宅す。
▼紐育に続きJames Joyceの描く、ギネス麦酒のダブリンまでが酒場も含め飲食店の全面禁煙をば実施し紐育、ダブリンと「煙の似合う」都市のこの趨勢に驚くばかりだが、この全面禁煙の実施噂される香港にて中環は閣麟街のアイリッシュパブ、その名もDublin Jackが先陣切って店の決定にて全面禁煙を来月一日より実施。香港にてことさら煙の立ちこめる店の決定ゆへ驚くばかり。店の経営者曰く禁煙実施で客が一割から一割半減ること予想されるが将来的には全面禁煙実施になるわけで喫煙環境の維持も時間の問題。客の多くが無煙化支持しており寧ろ無煙環境好み客足増える事も期待。酒場といへば紫煙といふのも昔話か。
▼本日のHerald Tribune紙への米国カーター元大統領の“Surprise: Muslim majority, fiar election”といふ寄稿。人口二億余のイスラム国家であり米国に一時はテロリスト輸出国家の烙印押されしインドネシアでの平和裡なる大統領選挙に注目せよ、と。この選挙の実施可能なる民主主義制がイスラム国家にてきちんと根付く事実を真摯に受止めるべきでインドネシアは人口でいえばヒンズー教の印度、基督教の米国に続く世界第三の民主主義国家なり、とカーター氏。御意。そのインドネシアにて曽我&ジェンキンス夫妻の件。ジェンキンス氏が北朝鮮よりの政府同行者から隔離されている上に場所提供のインドネシア政府すら蚊帳の外におく日本政府のジャカルタでの独断の振舞ひ。
▼横綱朝青龍の昨日までの二連敗。若の里に負けた横綱「勝ったと思ったけどね。あの野郎、今度はつり落してやる」と日本語堪能はいいが横綱の品位もなき下品な台詞。横綱も横綱なら親方(朝潮)曰く「あまり稽古をしていない」と記者に語るは指導不足の恥ずかしさの片鱗もなし。若の里戦の負けは朝青龍に「いいバロメーターになるだろう」と、序の口から破竹の勢いにて怖いものなしにて新入幕の力士が幕内の力の壁にぶち当たったのならマダしも神仏に近き立場の横綱が関脇力士からの負けで勉強しろ、など横綱も横綱ならやはり親方も親方。現役時代のあの朝潮が名門の高砂親方になることぢたいが(月本さんが言っていたが)五輪野球の中畑監督と同じくその器に非ず。
▼芥川賞、前回のギャル騒動に続き今度はモブ・ノリオ氏の受賞に朝日新聞は「受賞作は、寝たきりの祖母を大麻を吸いながら介護する日常を「Yo、朋輩(ニガー)」といったヒップホップのリズムに乗せて冗舌に語る」とわかったフリして(笑)紹介。ふだんあれだけ大麻汚染の報道しておいて……。

七月十五日(金)曇。早朝より晩遅くまで諸事あくせくと片づけるうちに綴るに値する何事もなきまま日が終わる。二更に佐敦で「なりゆき」で関係者数名と夕食伴にする状況となり「なりゆき」で九州市場なる日式料理屋に入り早く食事済ませて帰ろうと「激辛い拉麺」食す。激辛ぢゃなく「激辛い」なのが日式の日式たるご愛敬。拉麺の麺とは全く異なる鹹水も使わぬソフト麺。九州カレー牛南なる珍妙なる料理もあり。熱帯性低気圧香港に近づき乾燥せし好天のあとの低気圧接近に敏感なる余は身体の節々痛み偏頭痛。
▼深セン市政府が市内の、とくに駅周辺の用途不法の賃貸住宅だのあやしいサウナ一斉取締りとSCMP紙に報道あり。住宅用途の賃貸住宅での売春宿経営だの賭場だのと黒社会も絡み、また林立するサウナも按摩は少なからず密室での「手交」だののサーヴィス奉仕が実態。そういった性風俗街的な印象をば一掃を、二百万戸の一斉検査のため千四百名の調査員を雇用の市政府。人海戦術とはまさにこれ。
▼これまで日剰にて何度か蘋果日報の蔡瀾氏の随筆で氏が企画随行する日本旅行ツアーのこと取り上げしが、このサイトの掲示板に記載ある通り同じ稟議日報の連載にて陶傑先生まで「才子陶傑と行く欧州、倫敦巴里二都物語」をば康泰旅行社にて実施とか。「西城秀樹と行くグアム」とか「アグネス・ラムと行くハワイ」ならわかるが香港の最近は有名文化人が商売にする傾向あり。日本ならさながら「石原慎太郎と行く尖閣列島と台湾の旅<太陽の季節>」とか如何だろうか。「雅子様と行く紐育とジュネーブ 国際理解の旅」とか企画せば雅子様も気持ちも紛れご病気も少しは快方に向かいはしまひか。

七月十四日(水)昨晩も何日になく霞まず九龍の遠き先まで街の灯もきらりきらりと冴え渡れば今朝方も大帽山より馬鞍山まで遠方の山々くつきりと見渡せり。快晴。知人に請われまだ日差しも厳しき遅き午後に中環より上環にかけての文物径を歴史散歩と称し案内す。ただその経路辿るのは飽きるゆへ擺花街界隈の明治晩期の日本人街だのPrince Terraceにあった明治初期の日本領事館の跡地なども紹介。最後東華三院、今では陳腐なるハリウッド公園と化した英軍占領地で散歩終わり。参加された方A氏ら数名とFCCにて麦酒飲み涼をとる。A氏らと別れ晩に寿司加藤。散歩に参加のH氏らと会食。醤油などつけず山葵で甘さ引き立つ生蛸の刺身美味。先日長居の切掛けとなりし常連のK氏いらっしゃり親方にも帰りがけに「カウンターのすみでゆっくり」などと言われたがこれで残るとまた閉店までとなるのは承知で暇ま請ふ。
▼UFJ銀行がMTFGと合併とか。東都の金融筋の知人よりは銀行単体の話ならこの経営統合の必然性もなく、三菱自工の再建をトヨタに委ねる代わりにトヨタのメインバンクたるUFJをMTFGが救済といふバーター取引きといふ説明。三菱、東京、日本信託に三和、東海といふチャンコ鍋の出来上り、と。翌日のHerald Tribune紙一面トップでこの経営統合伝えるものの世界最大級の銀行の誕生ながら“This deal isn't going to change the international banking landscape much”と記事を結ぶ。

七月十三日(火)小雨模様。午後より雲一つなき快晴。陽差し強し。右耳昨晩より水が入ったような、或は冷房機の雑音の如き音微かにあり養和病院に電話すると空き時間が耳鼻科の診断時間と合わず百年ぶりに「韓国カラオケより高い」港安病院訪れ耳鼻科W医師の診断請ふ。水も入っておらず音叉試されると高音は問題ないが低音の音叉にて左耳で間違いなくCの音が音叉右耳に近づけるとE音に聞える妙。精密な聴力検査施されるが聴力検査では異常なし。数年前の強烈な眩暈から右耳の時々の不調あるが今回も原因わからず。疲労であるとか精神的なことも影響ありか。左右の平衡感覚に難ありとは(笑)。早晩にジムで小一時間の筋力鍛錬。全勝同士で朝青龍が雅山破った一番、確かに強いが(ってジムで相撲中継しているのでなく帰宅して、の話だが)押倒しでも相手の首に手をかけて思いっきり相手斃す様に大鵬や北の富士の美しさなど過去のこととしても同じ力でも北の湖や千代の富士、二代目貴乃花の全盛時の力相撲とも全く異なる、これは格闘技かとそれが良いのか悪いのかわからぬが格闘技と思わされる、が美しさは余は其処に見い出せず。カレーライス食す。カレーとバーボンソーダが何故か合ふ。小熊英二氏『市民と武装』少し読む。米国に於ける武装論試論としての「市民と武装」、そして米国の文化多元主義と国家統合についての「普遍という名のナショナリズム」といふ二本の論文。気鋭の小熊氏が米国を語るわけで読むには十分に値する。だが実は内容は9-11以降に書かれたものではなく九十二、三年に書かれた論文。千七百円は高すぎるぞ慶應義塾大学出版会。論文集の抜刷りとはいわぬがせめてブックレット形式でもっと廉価に抑え読むべき若い読者に供するべき。米国といへば今日のHerald Tribune紙の二面にElena Lappinといふ記者が“Keeping America safe from foreign writers”といふ記事で書いていたがこの記者が英国Guardian紙の契約で米国入りの際に英国旅券は米国査証免除であるにもかかわらず記者の場合I(Information)ビザと呼ばれる査証必要だそうな。自由の国が海外の報道者に神経質。そういえば米国ではインターネットもプロバイダーが(つまり官憲の要請に応じれば官憲も)利用者のメール内容の閲覧が法律で認められているそうな。現実にインターネットなどプライバシーがあるとは思えぬがそれでも法律で検閲をば合法化しているのとは話が別。米国らしさか。
▼先日、Y氏らと尖沙咀の雲陽閣にて台湾だの日本の鉄道の話となり、秋田や山形の新幹線の話から新幹線と在来線といふ区分があるが地方新幹線のように地方と東京結ぶ効果あっても秋田だの山形県内には便利さより在来線の廃止や本数削減など不便もあり、こういった在来線の鉄道路利用して新幹線走らすのは「在外線」とでも呼ぶべき、と軽口叩いたこと突然思い出す。
▼親中派御用政党「民建連」にて唯一選挙民の支持高き陳婉嫻女史が民建連を離党。民建連に対して97年返還前までは市民の支持集めたが返還後は世論からも乖離し理想と異なってしまった、と陳女史の弁。現実にこのままでは九月の立法会選挙にて反民建連の流れで自らも落選の可能性高く労働団体基盤として選挙に向かふ選択。本来97年以降董建華率いる特区政府において立法会で最大勢力の与党となるべき政党のこの為体。結局、董建華と同じく欽定で本人らに実力も感性も臭覚もなきことゆへの結果。
▼SCMP紙にロイター電で「小泉安泰、自民党は問題に直面」といふ記事あり。選挙の結果、公明党との連立で過半数維持した小泉政権はイラク派兵や年金など国民の不満もあっても他に小泉政権打倒するだけの力が政権内、国会内にないことで06年9月の自民党総裁選挙までの長期政権になる可能性も高まる、と。それに対して自民党は小泉に対する党内対抗勢力を持ち得もせず従来自民党支えてきた党内での派閥力学だの新勢力の台頭といった自浄作用力を失ってしまった、と。これを読むとある面では小泉三世の「自民党をぶっ壊す!」と約った言葉に嘘はないか、とすら思わざるを得ず。(以下、14日補記)上述の記事を確証するが、14日朝刊掲載の朝日新聞の調査では参院選挙後の政党支持率は自民27%に対し民主29%と逆転し「55年の保守合同以来初めて自民が他党を下回った」といふ事実。小泉内閣の支持率は39%で、不支持率過半数超える……とここまでは「なるほど」だが、続投の意思表明せし小泉三世には56%が「首相を続けてもよい」と容認といふ。「首相の政治姿勢に不満が強まる一方で代わるべき人材を見いだせない政界の事情を反映」し続投許容は自民支持層で9割を超え民主支持層で3割、内閣不支持層でも25%。衆院解散も 「急ぐ必要はない」49%が「できるだけ早く」42%を上回わる。この数字見ればまさに自民党結党以来の危機的状況にあって小泉三世の長期政権化の図式。支持はできぬが「他にいないから」でご指名してしまふこの政治風土。村落の寄合いから会社の役員人事、で果ては首相までがこれ。それで上手く行くのは経済成長といふ前提あって故のこと。歴代首相でいえば小淵君が最後。この時代にこれで乗り切れるほど楽なことないが。内閣支持(39%)が小泉続投容認は当然として、容認の56%との差である17%が微妙なキャスティングボード。

七月十二日(月)曇。銅鑼灣のジムにて小一時間有酸素運動。灣仔の永華麺家にて蠣油薑葱撈麺食す。灣仔の屋外運動用品店Protrekにて先日「自宅からのトレイルランのための背嚢」購ったが貯水量1Lでは100kmトレイルの練習にはとても水足りず3L近い貯水量の別の背嚢購ふ。これまで使ってきた背嚢は4年ほど前の物でこの数年での背嚢の進化驚くばかり。FCCにて珈琲一服し新聞読み。再び尖沙咀のジムにて今度は筋力運動。九龍に薮用済す往復で『世界』読めば驚くことは、憲法改正反対の「九条の会」にて賛同人のうち井上ひさし、小田実、大江健三郎が若手で梅原猛どころか加藤周一や三木武夫の睦子夫人らが加わり犬養道子が連載を書き「小泉政治の三年を問う」のが都留重人、とこの人たち八十代である。三十年前も『世界』では現役だった人が今でも先鋒に立つのは尋常に非ず。三十年前に学生で『世界』の読者が三十年後、大学の研究者などになりまだ当時の八十代の現役の先輩の書いたもの読む事実。この雑誌にて八十年代にT・K生といふ匿名にて「韓国からの通信」綴った池明観(チミョンクワン)氏の自伝連載始る。興味深いが池氏も七十八歳。書き手が七十代後半から八十代、読者は五、六十代では雑誌の名も『世界』から『老人世界』に変えるべきかも。この末期的症状惧れ儲っている時に廃刊した『噂の真相』の岡留氏はやはり卓見か。
法務省入国管理局のサイトにある不法滞在等の外国人通報制度。それにしても「我が国に入国し在留しておられる外国人の大多数がルールを守っておられることは言うまでもないことですが、一方、残念ながら、我が国には推定約25万人の外国人が不法滞在しており、法務省入国管理局が不法滞在者に対して厳格に対応することもまた、国民社会の要請であると考えています」といふこの拙文ぶり。「おられる」の繰返しは必要以上の尊敬表現、どうせなら「推定約25万人の外国人が不法滞在しており」も法の下の平等で「不法滞在しておられ」にするとか、ところでこの「国民社会の要請」とは何だろうか、国民と社会それぞれの要請か、深読みすれば国民社会の要請であり「外国人の意見はまた別」か(笑)。説明書きには「出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」と略します。)第62条第1項には「何人も、第24条各号の一に該当すると思料する外国人を知ったときは、その旨を通報することができる。」と規定されています。入管法第24条とは、退去強制(いわゆる強制送還)についての規定であり、つまり第62条は「我が国にいる不法入国者や不法残留者などを知っていたら、入国管理局などに教えていただいて結構です」という趣旨の規定となっています」とあり、だからこの通報制度が有効である、と。但しこれは「不法滞在者と思われる外国人に関する情報を受け付けるものであり、適法に滞在している外国人に対する誹謗中傷は固くお断りします」とはしているが不審者通報は排外主義と密告制度の臭いあり。インターネット活用が五年は遅れていても入管での外国人管理だけは早い(笑)。いずれにせよ入管法第24条の定める不法滞在にあたる外国籍人士を知った時は通報することが「できる」だけの話で「するかどうか」は個人の判断なのだが、それにわざわざ「(略)教えていただいて結構です」といふ趣旨」と注釈するのも珍妙。例えばペルーのフジモリ元大統領とかこれで通報したいところだが日本政府はフジモリ君は不法滞在とはしておらぬか。この通報制度香港で当てはめれば居留ビザ切れているのに「ついうっかり」とか、就労ビザがまだ有効として(本当はビザ取得時の雇用関係にある職種にのみ有効なのに)勝手に転職している日本国籍人士だの、厳密には不法滞在。その場合、この通報制度などで香港の入境事務処に通報されても不思議ではなし。一度就労ビザ取得しておれば勝手な転職もすでに居留有資格者といふことで大目に見てくれる現状思えば、日本のこの制度の冷徹さをば感じ入るばかり。

七月十一日(日)朝晴る。午後遅くまで薮用あり。溜った新聞論説、切抜きの類い読む。先週の報道はイラクでも米国大統領選挙でもましてや日本の参議選挙でもなく世界の注目はバンコクで開催の国際エイズ会議。ソマリアなどアフリカでの深刻なエイズ感染は従業員雇う場合に専門職なら一人雇用の際に二、三人分を見ておかねばならず軍隊の人件費は50%増となる現実。アジアは九十年代初頭のHIV疫禍治ったもののタイでは依然69万人(成人人口の1.8%)が感染者にてタイの男性の死因のトップがHIVという現実。なぜ今回これほどにHIVが報道されているかといえば国際企業協賛のため。世界の名だたる企業協賛に見事に日系企業の名前もなし。天晴。週刊読書人の特集でこの夏が中上健次の十三回忌と知る。早晩に銅鑼灣に下れば強烈な驟雨。バス折りて地下鉄口に逃げて灣仔。ジム。マシンにて運動しつつ岩波『世界』八月号読む。隣りのマシンの御仁が「憲法改正」とか「多国籍軍参加」とか「皇室皇太子妃殿下」といった文字に「落着かぬ」様子(笑)。いちいち内容綴らぬが日本の現状がいかに緊迫しているか。一つだけ綴れば「言論の自由」が「自由であるはずの」日本は世界で四十四位。国境なき記者団によるランキング。東チモールやエルサルバドル、パラグアイ、エクアドルより下位でイスラエルと同位。次がマダガスカル、カボベルデ、ガーナと続く。言論の自由があるといふ認識の中での言論の不自由を国民は理解しておらぬから故の不自由。原因は国民の意識も低き個人情報保護法の立法化、赤報隊による朝日新聞襲撃の時効、記者クラブ制度、『歌舞伎町アンダーグランド』の著者染谷悟の殺害や『フォーラム21』での乙骨正生氏の弾劾などが日本が四十四位に位置する要因と『世界』述べる。いずれにせよ国民がこの言論の不自由を理解しておらねば問題にも値せず。日本の問題は言論の自由は「言うのは自由」「但し言った上で何か弾圧だの喰らった場合」に「それを更に糾弾するほどの言論の自由の貫徹に対する社会意識なき」こと。イラクの復興支援などする前に自分の国の人権だの自由の蹂躪に本来抗するべき。それもわらかぬ知力の不足。小一時間鍛錬のうちに晴れる。帰宅して晩にNHKにて参議院選挙開業速報見つつZ嬢の酒肴にて二本松の「大七」の純米酒。美味。酒の肴も唐墨、きねかつぎ、冷蕃茄、豆腐に茄子など。参院選挙は自民不信民主躍進とはしゃぐが現実には民主の議席増など共産の失席数そのままだと思えば単に二大政党制といふ寡占に走っただけで現実には自民に対する国民の審判など下っておらず。小泉三世は与党過半数維持を理由に続投。前回小泉支持が今回は民主党の「日本はこのままぢゃいけないから政権交替」訴える松下政経塾的な若手保守に支持移ったもまた事実。つまり国民は自民党に対して拒否権発動などしておらず。おそらく最も真当である筈の中村敦夫氏は落選か。残念。ところで青島幸男君落選はあの「無責任」に都民もさすがに呆れたから故だろうが、青島君の無責任の拒絶→石原支持と思うと怖い怖い。大方の選挙状況見えてテレビをZ嬢入手のビデオからテレ朝開局45周年だかのドリフ特集見る。あちこちに当世では放送禁止のブーが入り廿余年前のアグネスチャンにいかりや「お名前は?」「陳美齢」「なんだか覚えにくいからアンタは陳来々」と。東村山音頭など今聞くと何が面白かったのか全く分らぬがZ嬢が子供の頃に東村山まで友達と自転車にて志村けんの実家探検に行った話など知り笑ふ。
▼今頃になり6月29日のHerald Tribune紙の“Ground Zero's past of blood and hope”なる二面の論説読み紐育の9-11にて壊滅したWorld Trade Centreが単に現代の米国資本主義の象徴に非ず十七世紀の和蘭陀人の植民からウォール街に接した此処の地がいかに紐育の、米国の象徴たる場所だったかを読み、これまでもアメリカ原住民の焼討ちくらふなど怨念の対象だったことを知る。

七月十日(土)晴間あれど雲行き奇し。昼前にHappy Valleyに用足し済ませ昼よりジム。午後九龍の薮用済ませ早晩に中環に地下鉄站より出れば驟雨のあと。FCCにてドライマティーニ飲み雑誌に目を落しているとZ嬢が友人のW嬢と現れ三人で軽く晩餐。Z嬢と閣麟街まで歩きXTConIceにてジェラート。アニス味のジェラートお目見え格別。バスに揺られ帰宅。バッハのチェロ組曲につき久が原のT君は故ピエル・フルニエ博士愛聴と報せあり。余は一度エフエム放送にて聴いたきりのフルニエの演奏。「名人上手の尺八本曲を聽くが如き、まさに枯淡蒼古の境涯」と語るT君フルニエによるドボルジャックの協奏曲も生で聽きているそうで「老博士幽艷無碍の演奏ぶり、今にありあり耳目に殘れり。 げにも藝とは佳きもの尊きもの」と感嘆。

七月九日(金)香港のとくに市街地史について地名の由来など話す機会あり。夕方知人の航空券入手する必要あり驚いたは全日空にて空港での発券業務しておらず支店窓口での発券要し(つまり午前便の場合前日夕刻までに発券済まさねばならず)香港/成田/千歳の往復に現金での購入求められクレジットカード不可(国内線部分との精算が云々とか)で小切手はお取引状況に応じて、といふところ。Z嬢も先日、日本航空にてジャパンレイルパス求めたところクレジットカードでの決済不可と云われ小切手の場合入金確認のため三日後にレイルパス渡すと云われる。不便この上なし。晩に尖沙咀の雲陽閣川菜館にてI夫妻、O君、それにZ嬢と来港中のバンコックY氏で晩餐。I君が十一月開催のトレイルウォーカーに「当選してしまい」O君とともに余も誘われ三年ぶり三度目の出場することに。その初会合=飲み会。雲陽閣の四川料理本格的ながら塩辛さきつし。尖沙咀の日系のSince 99といるクラブにH君のワイルドターキーの酒瓶キープされておりH君独逸東欧に居り本人不在で「それぢゃ飲んぢゃおう」といふことでその酒場。トレイル本番までの打ち合せ等。其処でジャズ演奏あり旧知のM君とY嬢がベースとピアノ弾く。成島柳北『柳橋新誌』読む。
橋、柳を以て名と爲して一株の柳を植ゑず。舊地誌に云ふ、其の柳原の末に在るを以て命く焉と。而して橋の東南に一橋有り、傍に老柳一樹有り。人呼んで故柳橋と爲す。或ひと云く、其の橋柳有れば即ち往昔の柳橋にして、今の柳橋は即ち後に架して其の名を奪ふ者と。其の説地誌と齬す焉。按ずるに故柳橋の正稱は難波橋と曰ふ。而して知る者なし矣。彼此錯考するに即ち地誌の説當れるに似たり。夫れ柳橋の地は乃ち神田川の咽喉也。而して兩國橋と相ひ距る僅かに數十弓のみ。故に江都舟楫の利、其の地を以て第一と爲して、遊舫飛舸最も多しと爲す矣。其の南日本橋八町渠芝浦品川に赴く者、北淺草千住墨陀橋場に向ふ者、東は即ち本所深川柳島龜井戸の來往、西は即ち下谷本郷牛籠番街の出入、皆此を過ぎざるは無く、五街の娼肆に遊び、三塲の演劇を觀、及び探花泛月納涼賞雲の客も亦水路を此に取る。
とこの文章。「女郎の赤心(まこと)と鳥卵(たまご)の方形(しかく)と必ず無し焉」などといふ物言いといい柳北若干廿三歳とは畏入るばかり。何ゆえ今さら柳橋かといへば柳北の言葉藉れば「江都歌妓の多くして佳なる者この地(柳橋)を以て冠と為す。芳原品川も固より皆歌妓を貯ふ。然れども娼を以て主と為す」わけで「柳橋の妓、其の粧飾淡にして趣あり其の意気爽にして媚ず。世俗所謂神田上水を飲む江戸児の気象なる者にして、深川の余風を存する也」と。あらためて新誌読みふと気になるは「柳橋の正稱は難波橋」といふ記述にて難波橋は露伴『水の東京』にもその名あるを知るが柳北も露伴も何故に東都の橋に「難波」と名付くかの由縁は語らず。大阪の難波にも新町の花街あり柳橋を上方の花街に見立てでもしたか余も知らず。「妓の家十の九は即ち日蓮宗也。祖師の力を借りて死後地獄に陥らんことを欲する而巳」といふは当世も未だ水商売にて日蓮信ずる者多し。柳北「お茶引き」の謂れなども語る。ふと思い出すは廿年も昔に余が仙台に在りし折に親しき女装酒場の女将が店に客参らず「お茶っ引き」の際に「檀家参り」と称し国分町の馴染みのバーなどに飲みに行くを見て、余は坊主の「檀家参り」は即ち檀家=客の家々を巡ることで何故に同業のバーに参って檀家参りかと疑問感じたがゲイバーの客の多くはバーが閉まって客連れて遊びに来るホステスにて、それならそのホステスらの勤めるバーに飲みに行くは確かに檀家参り。当時もう一つわからぬ符丁に「しとしとぴっちゃん」あり。「あのルミ子って娘、シトシトピッチャンなのよ」などとゲイボーイら語るを耳にして何かと思えば、中村敦夫氏の支持者に非ず、しとしとぴっちゃんと天井から水滴落ちる=ソープのソープ嬢と知りなるほどと納得。
▼先日、リュックで夏の思い出と綴ったが夏の思い出もう一つ。清原なつの女史の漫画「花岡ちゃんの夏休み」也。金沢大学だかの大学生の夏休みの風景。七十年代。
▼武蔵野のD君よりナヴェツネとプロ野球の問題につき余は元来野球に興味なく深刻な問題ともとらずのところD君曰く巨きな問題にて「ナベツネ問題の本質とは、ナベツネがプロ野球という社会の一員であるにもかかわらず巨人軍を勝たせるという目的のためだけに己の属する社会の法や規範を枉げ、支配者として君臨し」「それを多くの人が黙認しているということ」と。「これは如何に日本人が法の支配という観念を理解せず公正や社会的正義といった価値に鈍感であるかを最も明確に物語る」もので「FA制度の導入、ドラフト廃止など度重なる「改革」はすべてただ巨人軍を勝たせるための制度的保証をルール化したものにすぎ」ず「日本プロ野球界は独占禁止法すら存在しない、つまりGHQ改革以前の半封建的後進資本主義の段階にとどまって」おり更に「日本のプロ野球にもいちおうコミッショナーという存在があり、これは本来文字通り全権を執行しうる唯一最高の権力者なのですが「権限がない」といってナベツネの作り出す現実をただ追認するのみなのは最高裁の「統治行為論」の滑稽なポンチ絵」に他ならず「球団のオーナーや社長がナベツネに追随し利権のおこぼれに預かろうと狂奔する様はブルジョアジーの独立なく国家に服従するカタチでのみ成長してきた日本の近代資本の醜態をなぞって」おり「なによりこうしたナベツネの文字通りファッショ権力を黙認し未だに「巨人ファン」であることをやめないというのが日本における「プロ野球ファン」の大半を占めているわけで」「こうした大衆こそがナベツネの権力を支え」それは「なぜならナベツネのプロ野球界における権力のすべての源泉は巨人軍の放映権料から得られる莫大な収入に支えられているのであり、それはすなわちこうした大衆が巨人軍のナイター中継を好んで視聴している故に発生する利権」で「今回の合併にあたってはナベツネは「適者生存」というおなじみの聞き慣れた新自由主義のスローガンを口にして」いるが「強い球団が残り弱い球団は淘汰される」「それがナベツネの考えるプロ野球のあるべき姿」。しかし「マイクロソフトは他OSメーカーが潰れても困らないが巨人軍は戦う相手チームがいなくなったらどうやって商売するつもりか?」「そうしたらどうやらナベツネは日本のプロ野球を潰して生き残った巨人軍が他チームの有力選手をすべて吸収しアメリカのメジャーリーグへの参加を考えている」らしく「竹中平蔵が金融政策において行っていることとほとんど同一の構想」と。「ナベツネは日本の民主主義とともにプロ野球をも滅ぼしアメリカに売り渡そうとして」おり「これはきわめて今日的にビビッドな問題ではないでしょうか」とD君。御意。成程。こうした視野で見ればヤンキースタジアムに掲げた「讀賣新聞」の広告看板も意味を理解能ふか。

七月八日(木)曇。Happy Valleyの正斗に食す。曾て大椀粥といふ高級粥屋として開業し正斗に經營變はりたる頃迄觀光バスで日本人乘りつける程の人氣。其れも今では物語と化す。粥の値段もバブルの頃に比べ多少安くなりぬ。豬潤魚片粥。此の店の豬潤(豚レバー)質の良さは格別。松山の未だ不見の畏友S君バッハのチェロ無伴奏組曲をAnner Bylsmaにて愛聽と知り餘曾て帝都に在りし頃に何度か聽き改めてCD取り寄せて聽く。此の組曲まづは定石にてカザルスより入り今では六、七人のチェリストのCD有する余も多少は此の組曲語るも能ふやも知れぬがビルスマのチェロは打樂器の如し。彼れの生と死の境に在つて魂入る演奏はマイスキーの流るゝ如き技巧に對しチェロが打樂器=魂の鼓動をば神に傳へる道具の音の如く聞こへる。荷風先生日剩讀む。昭和十六年十二月日米開戰。
▼久が原のT君より亂歩先生の書庫一般公開せらるゝと報せあり(此方)。T君に曾て聞きしは此の土藏での祕話、然る高名なる方幼少の頃に縁在り亂歩先生に招かれ屋敷訪れたる時の乱歩先生による椿事の囘顧談で、其の祕めた場所たる此の書庫が解放せらるゝはT君の言ふ「畸人偉人地を拂ひて變人小人計りの今の世」では書庫の有す魅惑の「氣」が氣拔け。本來なら封印でもすべき處。加之此の一般公開此の夏池袋東武百貨店にて「江戸川亂歩と大衆の20世紀展」といふ展示會あり其の特別會場たる公開ださうでデパートでの買ひ物ついでの客此の書庫に足踏み入るゝかと思ふとぞつとなす計りなり。
▼昨日の政府衞生局長楊君の辭任に續き醫院管理局首席梁智鴻君もSARS引責にて辭任。

七月七日(水)雷雨。夏の旅用に独逸のdeuter社のリュック購入。十歳の頃か長野の黒姫山に野営に訪れる機会あり、実家ご近所の登山家芳野満彦氏の登山用品屋にて母にリュックや水筒買って貰った日をふと思い出す。星座盤も用意してくれたが実際の夜空には満天の星輝き星の数多さに星座盤も役立たず。若い頃に雑誌「アルプ」を読み書棚に古いアルプや尾崎喜八、串田孫一の本並ぶ母。それゆへ靴もキャラバン靴まで購ったくれたはいいが所詮子どものキャンプにて川遊びだの多く閉口したのも思い出。次は大学の頃に中国に夏、数ヶ月に渡り一人遊ぶ頃に当時のバックパッカーに流行りのフレームザック購入。当時、招聘元もなければ中国の個人旅行の査証取得難しく香港経由にて中国入りが常套手段。H.I.S.の格安パックにてパンナム001便にて深更に香港に到着し佐敦の富士屋ホテルなどに押し込まれ旅券預けると「あら不思議」翌朝には中国査証押されホンハム駅より羅湖の国境に向かふ、そのH.I.S.で当時、香港駐在でその旅行取り扱いしていたのがH.I.S.で今では常務取締役海外事業管掌兼情報システム本部長の要職にあるG氏会社概要。なぜ氏の名前いまだ記憶にあるかといへば当時、会社設立したばかりで「かなり怪しい」H.I.S.の国内営業所の一つ仙台支店で「香港でホテルについたら現地のゴ・チョーというスタッフがホテルに来て旅券預かりますから」と説明され、実際にホテルに現れた呉銚と書くのか呉晁だか、その人に名刺出され「五町」と解った次第。鮮明な印象あり。閑話休題それゆへにリュックといふと夏の到来、何か楽しきこと始まる気分あり。リュック抱えて早晩にジム。小一時間鍛錬。帰宅してテレビ見れば香港政府衛生局長楊永強君SARSでの責任とり辞任と行政長官董建華君が晩に緊急記者会見し発表。夕餉のあと急ぎ日刊ベリタに送稿(こちら)。NHKニュース10見ればプロ野球チーム再編のニュースは曽我ひとみさんより扱い先で10分以上を要し讀賣巨人「軍」渡邉恒夫大元帥閣下へのインタビューも5分に及ぶ。野球に興味なき者にはなぜこの報道がこれほど重要なのか、なぜナヴェツネをばNHKがかうも丁寧に扱いナヴェツネの尊大なる言動をば聞かされなければならぬのかと呆れるばかり。
▼盧溝橋事件いわゆる支那事変から六十七年。当時、遠い支那の北京郊外での中国軍への発砲「騒ぎ」がまさか日本に原爆落ちて焦土と化すあの結末になるとは誰も予想せず。本日の蘋果日報の論壇に曹長青といふ在米の作家の文章あり、この七七事変につき毎年この時期になると中国にて歴史回顧のフィルムなどテレビに流れ曹氏最も気になるはこの抗日運動での中国共産党の扱い歴史の史実越えて評価大きくなること。まずこの抗日の期間確かに中共の勢力増強あり西安事件など起きて国共合作もあるがあくまで国家の主導権は国民党にあり共産党の主導にて抗日運動が行われたのでないこと。次に抗日戦では国民党が主要なる戦場にあり中共軍は遊撃や敵の後方よりの攪乱などに当り八年の抗戦で国軍の死傷者三四一万人に対して中共軍は六一万人といふ数字あり。三つ目として抗日戦の映画など見ると日本軍、敵の共産軍を八路軍と呼ぶが国共合作にて国軍に編入されし共産軍が八路軍であり(活躍には目覚ましき点もあるが)僅か二万人規模の軍隊で国軍全体の規模からして八路軍が当時の抗日軍の象徴の如く扱われることへの懐疑。4つ目に日本が降伏しミズーリー号艦上にて降伏文書に署名するその場に中国代表し出席したのは国民党の徐永昌上将であり中共はこの降伏に直接携っておらぬこと。そして最後に近年の史料によれば毛沢東は当時「三割抗日七割発展」掲げ抗日戦に消極的であったこと、日本軍壊滅に功績あった彭徳懐将軍を軍規処分にしていること、王震率いる共産軍が南方にて阿片製造行い資金源としていたこと。こういった点を含め考えると今日の七七事変での中共賛美が偏っていると曹氏指摘。この説そのまま鵜呑にはせぬが歴史などこうして現世の権力組織の都合よく書き換えられていくことの証左か。
▼いわゆる校内暴力の廉にて検挙されし中学三年若干十七歳の少年、裁判の場に大麻艸大きくプリントされたTシャツ着て出廷し裁判官より司法に対する反発かと出廷の際の服装に留意するよう指摘あり。大麻艸程度での反応超過敏。
▼参議院選挙自民党結党以来の危機にて頼みの綱は創価学会とか。かつてあれ程の反創価であった自民党党存続のためなら節操なく共産党との連立すら可か。何れの靴とて嘗めるも厭わぬ節操のなさ。小泉三世もこのままいけば選挙敗北の責任とって辞任。自民党にとっては本来は小泉首班以前に既に党の危機にあり嘗ての賢人・三木武夫の如く変人・小泉三世といふ自民党にとっては異質担ぐことにて延命措置。この人選小泉三世ご本人「自民党をぶっ壊す!」と宣ひ国民の支持得て自民党安泰で寧ろ「日本をぶっ壊した!」が事実。小泉三世の変人ぶり解っていたことで三世本人には何ら責任もなし。変人ゆえ支持高しとわかれば俄然変人ぶりに拍車かかるは必須。その三世に八割以上の国民が期待したこと結局自らの国をばこれまでの自民党政権何れもが踏み込めず躊躇した国家の大事の案件をば悉く「クリア」。その変人をば今日迄首相に据える民意。今になって漸く小泉離れまで実に巨きな代償。救われず。
▼朝日1面記事「小6、包丁切りつけ」と見出しあり。包丁「で」切りつけ、の「で」省略よいかどうか。「ナベサダ兄殺害」ほどインパクトないが主語「小6」と動詞「切りつけ」の間に名詞入らば自然には「を」省かれた目的語と思うわけで、あ、包丁「で」か、と納得の作業要す。

七月六日(火)昼に灣仔道の印度料理屋Shaffi's Malik Restaurantに食す。駐軍地・石崗のサフィと姉妹店なのか関係ないのか知らぬ。昏時ジムにて小一時間筋力鍛錬。帰宅途中に風呂充実の別なジムに寄り一浴。四月末に歌舞伎座で開催の俳優祭のビデオ見る。この時はまだ元気な團十郎の姿。仁左衛門がここまで健康回復し澤瀉屋や團十郎が舞台に出られぬなど十年以上前に誰が想像したか。歌江の大旦那の声色もっと上手かった筈がいま一つ。弥十郎が目立っていたが弥十郎ふだんの舞台ではあまり注目もしておらず調べてみれば父が銀幕のスター坂東好太郎は「河豚に当った」八代目三津五郎と従兄弟。松緑が中入の模擬店で酒場のマスターしており実際に酔っているのが笑えず(笑)。俳優協会会長として京屋が最後に舞台に現れ締めの挨拶したが雀右衛門の姿思ったより身体も小さくなり挨拶も多少覚束ずかつてレイバンのサングラスに革ジャンでハーレイに跨がった女形の雄姿も遠ひ昔なり。歌舞伎座の舞台に幹部俳優総出演で、だが実際にいちばん芝居上手で見事に思えたのは特別出演の藤山直美、本当に唖然とするほどに舞台に映える。
▼厳重急性呼吸系統綜合症(SARS)に関する政府の独立調査委の報告昨日発表される。政府高官らの疫禍対処にいくつも錯誤指摘しつつ具体的な責任への言及なし。彼らの判断何如で百人単位の志望者の増減あるわけで言ってみれば業務上過失致死罪。結果論で何でも言える、昨年の春のあの時期に判断容易ならず、と言うも可ながら、それほど責任ある地位の職であるからわざわざ高給厚遇にて彼らに任せているのであり「すわ鎌倉」の場にて真っ当なる判断もできぬのなら彼らの職位に招き猫でも据えておけばよし。いざ防疫の時に賢明なる措置もできず、で疫死の市民出れば業務上過失致死罪に問わぬまでも引責退任の上で褒酬金返上くらいあって当然の筈。
▼北京にてはSARS疫禍をば外国媒体に公言し、亦た党中央に対して六四天安門事件の歴史的再評価求めた蒋彦永医師が先月一日より一ヶ月以上に渡り政府により軟禁状態。一党独裁国家の醜態。その国をば十数億の巨大なる成長市場として諸手を挙げて商売相手としこの国の恥部には一切目を瞑るのが日本。本来の国際貢献のできる責任ある地位の国家を志望するのなら、多国籍軍参加よか中国にも人権問題などで積極的に言及すべきの筈。そのような勇気もなく何が大国か、呆れるばかり。
▼香港政府の政策決定のシンクタンクたる中央政策組の専任顧問の一人練乙錚博士「被炒」=実質上の更迭処分。政府の中枢にありながら練博士が昨年の七月の民主派集会に参加したり普通選挙実施に積極的主張するなどの態度問題となり今年九月まで休暇与えた上で契約更新せず事実上の解雇。政府高官といへ政治的信条や思想言論の自由はあるはずだが「立場上」「政治的敏感」であり政治的活動は政府中枢として「政治的微妙」といふ判断か。いずれにせよ練博士もともと科学技術大学経済系講師から同大学院MBAの主任務め経済紙信報の編集長を歴任しての政府入り。碩学にあの白痴政府の仕事全うできることのほうが不思議かも。ちなみにこの中央政策組、董建華長官の肝煎にて組織され責任者は余が九十年頃に「中文大学の竹村健一」と呼んでいた、大学教員でありながら実際の学問研究などせずテレビ相手に時評コメントで売っていた劉兆佳教授。

七月五日(月)多雲に屡ば驟雨あり。築地のH君モンゴルのウランバートルからメールあり。同市のサイバーカフェより、と日本語でメール。ウランバートルにサイバーカフェの存在は驚きもせぬが日本語可とは。昨今の相撲人気で郷里の誇りドルゴルスレン・ダグワドルジにメールする時に高砂部屋にメールしてやはり「恐れ入りますがこのメールを朝青龍関にお渡しください」と書くためだろうか。参議院選挙在外投票済ます。投票所に詰める方に挨拶し投票に来た有権者も知人で挨拶と辺鄙の村の投票所の如し。投票用紙などの記入がなぜ鉛筆なのかと気になる。文藝春秋七月号読む。読んでいて何度かデジャヴの如き感覚あり三分の一ほど読んで已に素読していたこと漸く思い出す。老いのボケとは恐ろしきもの。早晩にジムで半時間の有酸素運動済ませ九龍で薮用のあと二更に自宅近所のジム閉店間際に半時間筋力運動。
▼カジノ経営独占崩れたマカオにSandsに続き新たなるカジノGalaxy開店。二ヶ月余前のSands開業の折は開業日には祝儀ありと噂ながれ大陸から多くの田舎博徒と無知なる民衆殺到し大混乱の教訓から開業前に「一切ご祝儀なし」と告知し開業に並んだは僅か二百余名の客。SCMP紙には客のコメントとして「狭すぎるし客を選り好みする」と不満の声。開玩笑。カジノはパチンコ屋だの常磐ハワイアンセンターに非ず。賭事といふハレにて本来なら身を浄め正装し神のお告げ聴こえむ程の心地にて臨むべき俗にして神聖なる場。選ばれた客が狭くも静かに落着いた賭場で博打の何が悪いのか。ゲーセンの如き感覚にて野暮な軽装にてわいわいがやがやと物見游山の如く集団で押しかける、それが経済成長でありレジャーの振興か。聴いて呆れるばかり。
▼中国の政治の面白さ。国家副主席であり香港マカオ政策担当である曾慶紅氏、穏和さで香港でのウケも佳いが、六月末にアフリカ諸国歴訪。身はアフリカにあっても連日マスコミ連れての対香港問題のコメント発表。アフリカ諸国にしてみれば「何しに来たの?」の世界。で実はこの歴訪終った曾慶紅副主席、北京に戻らず極秘で深センに降立ち、深センにて香港のテレビなど見ながら七月朔日のデモ観察といふ噂あり。駐港の中国政府の官僚呼出し今後の対香港政策について指示とか。

七月四日(日)雨模様。昼にかけて銅鑼灣のジム。ジムを昼の12:45に出て地下鉄で中環にて空港快線に乗継ぎ空港着が13時半と全く以て便利至極。Z嬢を出迎え。いったん帰宅。Z嬢からのお土産少なからずジャックダニエルとバランタイン17年を各一瓶。香炉の灰。銀座の伊東屋ペリカン社のペリカーノといふ若輩用の普及型万年筆を見てもらひ、このペリカーノジュニアfutureといふやはり廉価な万年筆。鞄に放り込んで持歩くにはこの程度で佳し。いずれも軸は深紅。以上は頼んだものでその他、京都で宮脇賣扇庵の扇子二本と日本橋で丸善のワイシャツを三枚も買ってきてくれ深謝。扇子といへば旧白木屋向いの永頼堂が平日で閉っていたそうな。いつも伊波扇や人形町の京扇堂にまで足を向けることもなく日本橋のこの店で扇子購ってきたが閉店だろうか。夕刻再びジム。この週末天気悪く室内運動ばかり。Z嬢とFortress Hill站に待ち合せ久々に福建菜の閔江春菜館に食す(閔の字は正しくは「門」構えに「虫」を置く)。蜆仔煎、鶏巻、椒鹽醋肉、鹵大腸に福建鹵麺。満腹至極。
▼今回Z嬢がジャパンレイルパス初めて利用。北斎の富嶽三十六景から神奈川沖浪裏の絵柄も「あんまり」だがパス券の現物見せられ驚いたが顔写真も貼らず駅でも自動改札通れぬため駅員の居る改札抜けるが見せようとしても「オーケーゴーゴー」で殆ど見ようともせず、と。つまり期限切れても特急券でも引替える場合を除き国電などなら殆ど通行手形で見せれば乗車も可。巴里の乗り放題パスとて顔写真あり切符は磁気読取りで期限切れれば利用できず。「外国人は信用できず悪いことばかりする」のだから磁気カードにする程度の技術が何故ハイテク国家でせぬのか不思議。どうせならパス券の交付は成田、東京駅、大阪など国際空港や港のある主要駅に限られるのだから磁気カード式で顔写真くらいデジカメで撮影して焼込む技術は容易でなかろうか。また利用してみるとZ嬢がパス券使って「オーケーゴーゴー」=改札(笑)で駅員にちょっと何か尋ねようとすると駅員「来るなよ、来るなよ」と顔に書いてあり更に近づくと「あ、ちょっ用事が」といふフリで出札口から駅務室の中に隠れたと(笑)。明らかに外国人の質問が面倒といふ態度。こんなお粗末さ。多国籍軍に参加するまえにすることは多し。
▼Z嬢成田のイミグレで出国の際に聞いた(間違いなく)茨城の田舎者らの会話。一人の旅券の顔写真で服装がカジュアルであったのを見つけた同行者が「パスポートの写真は背広のほうがいいんだってよぉ、そのほーが入国審査で早くすむんだってよぉ」と。椿説。だがもう一人が「背広着てるのがいるから、そんなことになんだっぺよ」と、つまり旅券の写真でみんなが背広着ていなければ一律平等になる、といふ意見。
▼週刊読書人に角川春樹「復活の日」祝賀会の記事あり。「歩く戦中戦後」瀬島龍三、畏友北方謙三、角川といへば森村誠一、映画関係では崔洋一、千葉真一に津川雅彦やユーミンといふ多彩なゲストというところまでは別に面白くもないが司会がジョー山中(笑)。角川社長は出所したが「えっ、ジョー山中ってシャバにいたんだ」と思った祝賀会参加者も少なくないのでは。映画「人間の証明」でジョー山中の演じた黒人兵役は、兵役に「惧れ」現れ好演。例えば福生のライブハウスでジョー中山のライブを聴いて、その足で福生のお好み焼「さざえ」でしんちゃんのお好み焼を頬張る……など想像すると愉快。
▼朝日新聞に龍谷大学法科大学院の全面広告あり。このご時世に「龍谷大学は「国民のための司法」を目指す司法制度改革の精神を尊重し「共生ともいき」の理念と「日本国憲法の精神を護り発展させる」という本学の法学教育の目的を達成するため「市民のために働く法律家」を養成する法科大学院を開設します」と宣ふ。法曹充実のための法科大学院の設置で憲法に則り護憲主張する大学院が他にあろうかどうか、それが珍しいことがこの国の異常なのだが、少なくとも国立大学がもはや骨抜きにされつつあり、こういった崇高な理念すら唱えることの無理。

七月三日(土)雷鳴に眠り邪魔されたは午前二時すぎ。降雨となり明け方に強まる。終日小雨あり。朝起きてテレビつけるとイラクでの軍事法廷にフセイン氏登場。態度傲慢粗言穢語と新聞には書かれているが瘠せてイスラムの学者然とした風貌でもあり「本当の犯罪者はブッシュだ」といふ主張にフセイン氏ぢたいの功罪は別として、その主張に間違いはなし。少なくとも東京裁判よりも被告の言分は真っ当かも。昼よりジム。午後九龍に薮用済ませ早晩に再びジム。FCCに参る。独りアイリッススチューで夕餉。ハイボール三杯。ここ数日のとくにデモ関係の新聞溜っていたを読む。土曜の晩に遊ぶ友人も思いつかず独り夜な夜な歴史探究の旅と称し蘭桂坊のかつてブリブリと遊んだ酒場などいくつか訪れる。以下、ここ数日の新聞より覚書き。
▼今後の政局について。九月十二日の立法会選挙については民主派圧勝といふ予測高まるが民主派自身は依然最高で二十九議席の分析を変えず。下手な楽観で票離れ防ぐ算段か実際には中間派議員の民主派への鞍替も期待か。財界基盤の自由党は選挙後の行政会(内閣)に民主党党首なども加えるべきと主張。実際に無理でも民主党から推薦の第三者を行政会議員とすることは可能であり、このぶんでゆくと政界の青蛙・李鵬飛氏あたりが適任かも。李鵬飛氏は返還前のこの行政会の首席議員の過去もあり。李鵬飛氏といへばデモ当日には基督教団体の主催するビクトリア公園での弥撤に参加。この弥撤に参加はカソリック香港教区主教・陳日君、支聯会主席・司徒華、民主党・マーチン李柱銘、壱媒体(蘋果日報)社主・ジミー黎智英に李鵬飛のそろい踏み。この面子が一堂に会し「誠意をもって普通選挙実施すべし」の横断幕掲げる光景など数年前まで想像も難し。
▼デモ当日の主催者の募金活動88万ドルと昨年の五割増。昨年に比べ景気好転ゆへか。
▼「還政於民」(政治を市民に戻せ!)といふスローガンについて信報に指摘あり、この語の感受に些かの差異あり、香港にとっては、この言葉に托すは民選制の確立、普通選挙実施であるとか世論重視といった具体的な民主主義の標榜であるのに対して中国ではこの語が反共産党的なる意味と解釈され国家転覆といふ危惧にまで至ること。政治を市民に=反共産党といふ感覚こそ、つまりは共産党が人民より乖離していること共産党自身の自覚か(笑)。
▼その「還政於民」はデモでは「言わぬ」ことになってはいたが実際にはやはり出ぬはずなきスローガン。五四運動の「長毛」梁國雄君の人気高く長毛君「董建華!」と叫ぶと周囲のデモ参加者が「下台!」と昨年と同じ光景あり。気温34.9度の高温で長毛君もデモしつつ西瓜頬張り水分補給。「董建華!」と叫ぶと他が「下台!」という間に西瓜ムシャムシャとか。昨年に比べるとデモにこれだけの余裕あり。昨年の槍玉が董建華、保安局長・葉劉淑儀と民建聯の曾玉成であったのに対して、今年は全人代常委の曾憲梓(ネクタイ会社社長で中国国内での贈賄で有罪判決の過去あり、だが熱烈なる中共支持で全人代常委にまで就任)と全人代香港代表の烏β維庸、そして何といっても行政会議員の梁振英。この三人への非難のプラカードや人形などかなり多し。測量士出身の梁振英、かつては香港の若き政治エリートの象徴にて次期行政長官の期待高かったが相次ぐ董建華及び中共擁護の発言と政治姿勢にすっかり支持下がり行政長官就任は董建華以上の不信任は確実。
▼デモのプラカードに傑作少なからず。「愛中国?熱烈! 愛香港?当然! 愛共党?看政績 愛専制?免了?我不願為奴」と。中国は熱烈に愛し香港を愛するは当然、共産党が好きかどうかは政治業績看ての話、専制が好いかって?ご免だね、奴隷にはなりたくない」
▼デモで警察発表二十万人に対して主催者側五十三万人と集計の内訳の説明が主催者側よりあり。警察はビクトリア公園から中環に向けてのデモを当初十七万人と発表。主催者側はこの十七万人は二時半に公園出発し四時に中環の政府総部に到着の隊でありそれから最後の隊が総部到着の八時までに大きな隊3つあり故に五十一万人に途中参加で終点に至らぬ者二万人と推定しそれを加えての五十三万人と。実際に灣仔にて集計試みた団体によると何度かの四分間での通行量から全体を推測した結果三十万人は実際に参加とか。
▼デモ当日、中国国内に住む香港市民が「白いシャツ」着て深センより香港に入境しようとしたところ中国側のボーダーにて香港に戻る目的だのの尋問あり、とラジオ番組に聴視者が語る。
▼中国でインターネットサイトの検閲及び管制のみならず携帯電話でのメッセージ通信も敏感に。昨年のSARS期には3億台の携帯に政府の防疫情報流すなどの活用もあったが今年の六四にて反政府言動の流布があり中国政府は今後の携帯の普及見越し何らかの規制に乗出す、と。
▼俳優マーロン=ブランド氏逝去。驚くは笠智衆の如き老けぶり。映画「ゴッドファーザー」が四十九歳だったとは。
▼この一年間でのゴミや煙草吸殻のポイ捨て、嘔唾や狗糞の不始末などにて検挙された者二万人。一人あたりHK$1600の罰金だと思うと実に三千二百万ドル(5億円強)の政府収入。それをそのまま衛生環境の改善にまわせばいいが高官の厚遇に消えているかと思うと忸怩たる思い。
▼SCMP紙にLinda Andersonといふ人の印度ダラムサラからのチベット難民についての文章あり。中国政府は印度に亡命中のチベット人に対して帰国促し禁固といった措置とらぬとしているが何故彼が亡命しているか。勿論チベットでのチベット仏教への中国政府介入によりダライラマぢたいが住ふダラムサラにチベット人多く政治亡命するのは事実だが、政治的理由の次に多いのが「教育」である、と。チベットにいてはロクな教育が受けられずダラムサラならチベット独自の教育の他に英語圏からの僧がおり英語学習から実際の印度人社会での生活や観光客相手の仕事で英語も上達が可。チベットにてロクな教育受けられぬといふのは中国政府にしてみれば心外であり、チベット「解放」このかたチベットでの教育環境整備こそ重点政策、しかもチベット民族の尊厳活かす教育を、と反論しようが、中国政府の持込む教育にて英才いれば最終的には北京の最高学府に進む、つまりは「漢化」以外の何ものでもなし。それを嫌えば勉学の途閉ざされると思えばダラムサラからなら英米の最高学府にチベット関連の奨学金使って留学も可なら、どちらがチベット人にとっての選択かは明白。国家が教育をば施すことの意味ここに露見される。
▼中国のダイオキシン排出量はが昨年は2160万トンとついに2000万トンの大台記録。05年に1800万トンに抑える予定など所詮不可能。中国の経済発展=日本だの世界経済に寄与だが、一面、中国の経済発展といふのは地球環境にも影響多大。日本など小国の経済成長ならせいぜい国内の公害病だが、このダイオキシン、国内の電力消費増加での石炭による発電だの、中国の経済成長が地球自然環境の問題に至る。

七月初二(金)薄曇。朝起きてまず朝日新聞眺める。昨年の七月二日に香港の前日のデモの写真掲げ「50万人デモ 香港大荒れ」と書いた過去あり。今年はわりと無難な記事(こちら)だがデモの写真が市民のデモ行進でなく「女長毛」と名高い活動家・雷玉蓮女史であったことはご愛敬か。晩にジム。一時間鍛錬。今日こそは、と灣仔のマレー料理Sabah訪れれば席ありガドガドアッサムラクサ食す。美味。疲労感甚だしく帰宅しても何も手につかず。霞かかる満月を愛でる。深夜に驟雨あり風強し。
新華社通信が昨日のデモについて記事あり(こちら)。「1日下午、香港部分市民在港島游行。游行期間、有89条巴士線路和23条専線小巴被迫改道」(1日午後香港の一部の市民が香港島で行進。行進の間、89路線のバスと23路線のミニバスが路線変更を余儀なくされた)と。この部分が今日のSCMP紙に大きく取上げられ、確かにここだけ読めば事実の過小報道であるし、バスの路線変更を(事実にしても)記事の冒頭の段落に書くのが「何でもいいからネガティブな部分を!」と涙含まし記述(笑)。だがこの記事をよく読めば新華社が、本来なら市民が返還7周年を祝賀(こちら)とか「一国二制度は確実に定着し外国勢力による香港の政治的不安定の強調は遺憾」(こちら)といった報道ばかりで当然なのが、どうであれデモに言及したこと(董建華の談話を用いてだが)、これだけでも中国政府にしては立派。
鹿児島の川辺町が熱い。河辺町役場の掲示板が、である。仏壇が特産といふ田舎の閑かな町で掲示板も「河辺町でバトミントンが習えますか?」といふ質問に役場の生涯教育課が答えるようなのんびりとした掲示板が6月30日より教育勅語論争の舞台と化す。川辺町教育委員会が小中学生のいる家庭などに配布した名文集の冊子に「教育勅語」が全文掲載。町教委が冊子回収し失敬にも教育勅語削除して再配布。朝日によると(こちら)「 冊子は子どもたちの間で日本語の使い方が乱れていることから、美しさに触れてもらおうと初めて作った」と聞くからに斎藤孝様の『声に出して読みたい日本語』の薩摩版だか出典は「和歌、漢詩文、現代文、英文など」にわたるといふのだから発想ぢたいは興味深し。 だが問題は「明治以降の漢詩がなく」教育勅語を用いたこと。それを採用の編集委員は「今の時代にも感じられる道徳的な部分があると思った」のはさすが薩摩は明治の日本を作ったんでごわす、町長も教育勅語について「配布前に掲載に気づいたが、そのまま配布を認め」たんも立派。問題は県教委で「5月初めまでに入手したが、掲載には気づかなかった」といふのは冊子読んでないから(笑)。さまざまな問題孕むが教育勅語が戦前の皇国主義の象徴であるとか、立派な道徳的価値観が書かれているのだから今こそ復活すべき、といった議論以前に、この教育勅語が果して「美しい日本語」に値するかどうか。実はこの明治期になぜ教育勅語が出されたかといへば(明治神宮の説明によれば)当時「我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される情勢にあり」「このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため」教育勅語を渙発されたのであり「戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発」しており「今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません」なのだから、まさに時代は明治帝の憂慮されたのと今日同じ状況にあるといふわけか。……とこれは人それぞれどう考えるかは別として、問題は明治神宮も教育勅語を「勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていました」としているが、その美しい日本の心がこの教育勅語にあるのかどうか。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」で始る勅語は「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ」あたりまで儒家の如き漢意で「世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」あたりが儒教から近代への橋渡しとなり(つまり近代国家にとって国民の教育が最も大切であること)ここからが「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ」とまた儒家っぽいフレーズのあと、ここからが本当にきれいな日本語なのか?余は疑問だが「博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ」と福澤諭吉先生か西周先生かいきなり明治の日本語のオンパレード、で、それじゃ近代主義的な人権に及ぶかといへばさに非ず「常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教育が実は国家の軍の礎になることが暴露され最後は「是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」とここが左翼が最も厭がる天皇主義で結ばれる、のが教育勅語。つまり教育勅語とは明治の時代にふさわしく実は八百万瑞穂の国の昔からに儒家思想から近代の西洋思想、国防から天皇崇拝までとにかくごちゃまぜ、確かに文体は漢文、文語体だがこれを明治の漢文として紹介するならば「美しい日本語」であるよか「これくらい明治になって漢文も伝統から乖離しているのです」と紹介すべきほど。成島柳北や荷風散人では役場の作る読本には向かぬか。政治家なら副島種臣の漢文でも明治でよかろう筈。「君が代」にしてもそうなのだが「君が代」だの教育勅語を賛美する派と否定する派が実際の歌や勅語の言葉の問題にあらず主義主張で大切だの大切じゃないと争ふが、実は「きぃいみぃいがぁああよぉおおわぁああ」と日本語の音の美しさも無視して西洋の音符に意味もわからず乗せてしまった醜悪さと同じで教育勅語も思想のデパートの如く和洋中華ごちゃまぜで、これが君が代といい教育勅語といい実に明治的といへば明治らしいが、それらが日本の伝統でもなんでもない、といふことを改めて考えるべき。話を川辺町に戻せば、日本語の言葉の乱れが著しいから、美しさをわかってもらうために、という意図では、実は教育勅語も明治の日本語の乱れの産物であることを知っておらぬゆへの誤謬と言えようか。

七月朔日(木)かなり久々に十時間も寝て朝九時に起床。陽差しあるもののチカチカと光り九龍の市街は乳濁色の霧の向こうに見えず一見して台風の影響か大気の良からぬ様子。本日のデモ参加呼掛ける蘋果日報だの読む。昼前に少し走りジム。テレビに今朝の返還記念日恒例の香港政府「不」要人集っての湾仔金紫荊広場での国旗掲揚式の模様映り眺める。人民よ立上がれ!と、まるで革命者とは意を異にする人々が中国国歌歌う可笑しさ。続く朝から三鞭酒乾杯の返還記念式典の模様流れ董建華が昨年のデモに言及し香港政府も民意組入れ改革に努力……と言葉泳ぐが昨年のデモに言及したことだけでも驚き。ジムの帰りに驟雨あり。これでデモ参加者減るのか摂氏三五度近き気温下がり参加者に恵みの雨か。午後一時半すぎに地下鉄でビクトリア公園近くの天后。昨年の黒色のシャツ来た者らで地下鉄満員、地下鉄站から出られぬ混乱もなし。天后の大利にて牛南河食す。美味。この店もデモ参加者がデモ前の腹拵えで繁盛。デモは三時開始予定が参加者多く、参加者ビクトリア公園に濫れる場合はデモ開始時間早めるといふ予定通り二時半前にはデモ出発。先頭の一団に混じり写真など撮りつつ銅鑼灣(写真)。デモに先回りして地下鉄にて(他の交通機関全面停止)灣仔。金鐘に至ればデモ未だ見えぬうちにクィーンズウェイの通りも全面通行止。警察の手際の良さに感心し日本の警察の機動隊がデモ隊威圧する様との違い痛感。香港公園の池に蓮の花多く咲く(写真)。香港政府本庁前はまだデモ隊も参らず静寂(写真)FCCに参りバーに暑さ癒しドライマティーニを二杯。日刊ベリタに記事書き始める。午後四時前にデモ参加者数二十万人と主催者側発表あり。記事送稿(こちら)。日刊ベリタのS氏FCCに来られ余のノートブック借りて香港大学の民意調査センター鐘庭耀教授のインタビュー記事送稿。ブラッディメアリー飲む。デモ参加者は35万人まで数字上がる。早晩に唯一動く地下鉄にてQuarry Bayに向い酒場East EndにてI君と落合いエール二杯。太古坊の彩雲軒に食すO君家族、I夫妻らの卓にI君と合流し晩餐。和仁廉夫氏より電話頂き和仁氏ら食事中の灣仔の幸福楼海鮮酒家に参り和仁氏と初めてお会いする。渋谷の映像番組製作会社のS氏、地元製作会社のT君、それに実に十三年ぶりかで再開の日本語達者なR君あり。和仁氏とは初めてお会いしたが話せばまるで十数年の知己の如し。築地のH君や古典劇評論の村上湛君、月本氏と初めて会った時の如き一期一会感じ入る。話題尽きず八月の再開を約しお別れ。ジムに一浴し怒濤の如き日の労れ癒し帰宅。デモ参加者は最終的に主催者側の発表は53万人とか。日刊ベリタに掲載の記事訂正入れ一日が終る。
▼香港末代総督クリス=パッテン君が「香港は従来、政治問題はなく、現在の政治的問題は外部からの要因」と発言。中国にしてみれば「貴様が持込んだんだろーが!」と反論であろう。ヘラルトトリビューン紙には、今週に入り中国からのツアー激減。実質的に中国からのデモ参加者抑制との報道あり。六月四日に天安門事件追悼で中国から香港渡航自由化で少なからず参加の轍を踏まぬ算段か。

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