教育基本法の改「正」に反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら憲法改正も反対(九条の会こ ちら

乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。
 

■富柏村日剰サイト内の検索はこ ちら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらをご覧ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の心づもりでをります。 敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
   
七月三十一日(日)雨。午後ホンハム。二日も続けてホンハムに来たが週末のこの賑わい驚くばかり。15年前には殆ど出来上がつた市街で商業施設規模は当時 と変わらぬ筈だが当時に比べ賑わいは段違い。集客力あるのはせいぜい蔡瀾美食坊くらいで何より不思議は交通の便の悪さなのだが。この「新都市」は平地レベ ルに商業施設があり楼上に高層住宅という造りで香港では地下鉄のTsuen Wan線の開通にともなう美孚の都市開発が先鞭だと思うが美孚は見事に失敗。交通の便から言へば地下鉄と、それに美孚に本社を置く九龍バスのターミナルも あり地下鉄とバス路線のリンクで集客力があるはずだつたのだが。それに比べバスだけに依存し、尖沙咀からは渋滞もひどいホンハムがなぜここまで発展したの かかなり不思議。ホ ンハムのフェリー波止場から見上げる高層住宅(馬頭涌公立小学校の背後にそびえる)は政府が建設したものの住宅供給政策の変更で売り出さぬまま放置。それ が財閥系民間デベロッパーに売却されビクトリアハーバーに面した一等地にありながら公共住宅用の規格と設備では「販売価格に見合わない」といふ理由で一旦 は取り壊し決定。愚策。資金と資源の浪費、環境問題など世論の反発で計画見直しで既存の建物の改修のみと決定。見上げるとその改修工事がすでに始まつた模 様。ジムで一時間の有酸素運動。フェリーで中環。プリンスビルでシャネルの旗艦店オープンのための改装工事中で巨大な看板。ランドマークのLVといい Swire Houseのアルマーニといい高級ブランド店が「これでもか」の店構え。銀座も同様か。「これでもか」ぶりに品がない。紐育のPolo & Ralph Laurenであるとか倫敦のDunhillであるとか本店なのに「何処にあるの?」と一瞬わからぬくらいの奥ゆかしさが大切。そのDunhillの店 (プリンスビル)に白い綿の帽子が街頭に展示あり。Dunhillだが製造はデサントの夏用の帽子で新素材だかで流水に濡らして水切ってかぶると涼しさが 持続といふ。いぜん見たがHK$790ぢゃ買わぬと思つていたら夏のバーゲンで4割引き。購入。ランドマークの地下のトイレで濡らしていたらトイレ詰のオ ジサンに怪訝な表情される。わざわざ帽子を濡らしているのは確かにヘンである。FCCに向かいIce House街の坂の途中に香港電力の変電所あり。誰も意識にも止めぬ施設だが中環の一等地に、と思えば不思議。この変電所の向かい側、Lower Albert Rd(ヴィクトリア女王の夫君のアルバート公の名を戴く。Upper Albert RdとこのL.A.R.にはさまれた由緒ある一角が「近いうちに自称政治家 Sir Donald が住まう」予定の旧総督府)との分かれ道下の古い石積の壁に H.E.C. Cable Ductという嵌込みの看板あり。H.E.C.は香港電力でかなり昔から此処に送電線が埋め込まれていることがわかる。実は此の送電所のある場所は香 港の早期(19世紀末)の発電所。Ice House街は文字通り「氷室」で中環の埋め立てがされる前はこのあたりが海岸線。で此処に発電所あるのも火力発電で当時は石炭が船でここに陸揚げされた 由。発電所は市街拡大と電力需要増で北角に移転(現在も香港電力の「電燈中心」のビルあり。城市花園西側)。その後、島南の鴨利洲に移転して現在は南Y島 に巨大火力発電所あり。鴨利洲の発電所跡地は現在、サウスホライズンという住宅地であるが此処の中央に今でも香港電力の本社施設あり。香港電力の本社とよ く誤解されるのが金鐘の山あい、ケネディーロードに異常にひっそりと佇む不思議な設計のビル「港燈中心」だが、この施設は発電所が鴨利洲に移つてから当時 のビクトリア市(中環の市街)に電気供給する際に建てられた変電所。現在も南Y島から海底ケーブルで香港仔から送電線がピークを跨ぎ、このケネディロード の変電所を介している。香港をテロで襲おうと思えばこの送電線であるとか変電所を襲うのも策。中環の市街にひっそりと存在するこの変電所は普段は職員の常 駐しておらずテロリストがこの施設破壊すれば中環一帯は停電で大パニックなのである。FCCでホンハムからの喉の渇きも我慢してきてのStella Artoisを1パイントぐいぐいと飲み干す。韓国対中国のサッカー中継の後半最後。1対1である。日本と同じ中国の衛星国として韓国応援していたのだが 最後ロスタイムで惜しい一瞬あつたが試合は引き分け。Glenfarclasの12年物を飲む。ダブル。『世界』の七月号の読者投稿で兵庫県のYといふ高 校の先生が教育現場の「劣化」の原因は、家庭と地域の「劣化」が学校の役割を変質させた、と指摘している。家庭が果たしてきた「しつけ」や地域の「行事」 を学校が肩代わりして取り入れざるを得なくなり本来の学習活動の割合が低下し学校本来の機能を低下させ学力が低下した、と。それに対して私立学校は受験教 育に特化することで学力低下食い止めて成功。塾の補完性も実は学校の役割の変化で、いい意味での「詰め込み」型、知識教育が塾に任された結果であろう。こ の先生に続いてTといふ名古屋大学の名誉教授が佐藤優『国民の罠』の読後感を書いているがT教授の文章に日本は小泉政権成立後、内政的にはケインズ型公平 配分から新自由主義、外向的には対米一辺倒のナショナリズム強化(よく考えると対米一辺倒のナショナリズムとは矛盾しているのだが実際にはこれが存在す る!)に構造転換しているという佐藤優氏の分析を紹介しているが、ふと思つたのはY氏の投稿にあつた教育問題だが、よく戦後教育は「日教組の左傾偏向教 育」と悪口を言われるが実際には、戦後の学校教育は機会を公平分配する近代教育であつたことのほうが左傾よりも重視されるべき(左傾は、少なくとも学校教 育ぢたいの右傾化と対照にあることで平衡に作用していたのだから)。午後六時すぎFCCを出てLower Albert Rdに入ると久々に「中環の魔女」の一人と遭遇。「中 環の魔女」とは十年ほど前に我らごく一部で話題となつていた中環からミッドレベル界隈徘徊する恐らく一卵性双生児のコーカサス系の老女二人組。ホームレス ではないが失礼ながらかなり傷んだ服や靴で近づけば悪臭もあり。だが出自がいいのか、かつてはかなり裕福であつたのか、薄化粧で身だしなみはそれなりに整 え品あり。十年ほど前まではこの周辺の公園などでかなり頻繁に見かけていたが数年さつぱりと見かけなくなり最近また遭遇するが気になるのは一人であるこ と。かつていつも一緒であつた相方の不在。病身なのか亡くなつたのか知らず。通り過ぎたところで失礼して画像一枚。政府総部の前を通りかかる。731で梁 國雄君が陣頭指揮とつていた表現の自由を訴えるデモ行進は午後三時にヴィクトリア公園出発して政府総部に向かつたが政府総部前はすでに閑散。ふと足を止め 閉鎖された鉄門の張り紙を見る。政府総部内の自動車の駐車規定について。この英国統治時代は政庁の敷地は周囲に鉄柵もなく深夜も出入り自由。気軽に通り抜 けられたが香港祖国回帰後は通り抜けもできず敷地内に入るも厳しくなる。でその自動車駐車の規定だが英文と中文で書かれており中文のほうに「これは英文の 訳文であり内容に差異のある場合は英文の内容に準じる」とあり。祖国回帰された今でも英文が主。法律は(厳密には地方自治体で「条例」だが)百数十年の英 国領としての法治の完備で法律が英文で書かれ司法が英文を基本とするため香港が祖国回帰したからといつて司法と法律を易々と中文に出来ぬのだが、政府敷地 内の自動車駐車規定まで英文が主とは。で英文のほうには「これは英文の原本であり中文訳に原本との内容の差異がある場合は英文の内容に準じる」という一文 がないのが興味深い。何故かと考えれば原本は原本であり法律(条例)であるから中文はあくまで訳本であり原本に訳本の存在について規定など書く必要もな い、ということなのだろう。……などと考えながら張り紙を撮影していると政府総部の警備員がかなり警戒。アホな時代である。午後六時半で聖ジョン教会の晩 鐘が鳴り響く。日曜晩のミサの始まるところ。ふと教会を覗くと係員に今晩のミサの案内と賛美歌集渡される。我は敬虔なる真言宗徒。酒臭いかも?が多少気に なつたがまぁいいか。教堂に入ると十数名の信者。お香がもくもくと焚かれているのは寺と同じ。十数分ミサに参加してタクシーで湾仔。基本料金の距離で運転 手には悪いが慇懃な若い運転手で快く応じられ湾仔で降車の際もきちんと礼を言われHK$15にHK$20差し上げる。お互い気分よくサーヴィスとはこうい う関係であると痛感。六國ホテルの粤軒。トレイル仲間のI君 夫妻に今年春に女の子生まれ夫人マダムJは日本で出産しそのまま滞日のところ数日前に来港しマダムJ囲み1卓12名で晩餐。かなり久々に粤軒に参つたが黒 服諸氏に覚えられていて「日本に帰つていたの?」と質される。かつては一時頻繁に来たこともあつたが、この粤軒の料理はホテル中華らしく「誰にでも好まれ る」つまり悪く言えばクセのない味つけ。香港ジョッキークラブや香港カントリークラブ、中國會などのクラブ料理も同様。で12名で1卓、とかだとベストな のだが、なかなか来る機会なし。日曜晩で常連の家族連れでかなり盛況。久々の正当派広東料理のフルコース。かなり満腹。
▼注目の(って誰も注目していないが)仙台市長選挙は梅原克彦君が当選。公明党公認で自民党県連も支持し市営地下鉄東西線も推進で対立候補乱立を背景に組 織票で楽勝。落選組では衆院議員辞職でくら替えの鎌田さゆり嬢が予想以上に票を伸ばし浅野知事と民主党に近い菅間、市民運動の小野寺、共産党の伊藤と続 く。本来この市長選に出る筈のなかった鎌田を除く菅間、小野寺、伊藤の「真ん中から左」の票合計が10.9万票で鎌田票が8.2万で当選の梅原が14万 票。投票率が43.67%で単純計算すると梅原市長への支持は有権者数の17.8%にすぎず。候補者絞り込みに失敗の民主党、市民運動団体と「共産主義 者」にも責任はあるが、この程度の支持で政令指定都市の市政が行われると思うと自治とは何なのか、と考えさせられる。
▼深センの推定人口はついに一千万人を越え1035万人。深センに居住権のある公式の人口は171万人で、それ以外の大多数は居住権のない工場労働者など など。つまり更にこれプラスで「怪しい居住者」も少なからず。問題は深センの都市機能で実質の人口に対応するだけでのインフラや電気水道などの提供とコス トかかるが正規の市民からの所得税(地方税)と工場など雇用者企業から徴収する居住権のない被雇用者の代替での謂わば人頭税では収入不足。かつては政府の 経済特区建設でかなりの資金が中央から投入されたが今では経済特区の繁栄で政府資金導入がないどころか中央への所得吸い上げも懸念されるほど。いずれにせ よこの正規な居住権ある市民とそれ以外の居住者数とのアンバランスは世界でも屈指。
▼マレーシアのリゾートでの中国人侮辱につき陶傑氏が言及せぬはずもなく29日の蘋果日報で「一頭の豚について」を書く。このホテルのウェイターが中国人 宿泊客のカード上に「可愛いブタの絵を描いた」ことから辱華躁狂な事件となつたが偉大なるアジア作家・魯迅がまさに描くであろう、この「愚蠢なる民族主義 分子」の姿。イスラムのアラビア人の生活は悉く衛生的でどんなに生活に窮するところでも便所の臭さもない、と陶傑氏は指摘して(多分にこれは気候風土も影 響している気もするが)それに対して「中国人社会與糞溺同在」で鳥禽ウイルスから四川省の養豚場などなど。香港特区もご他聞に漏れず回帰祖国してみれば公 共プールに人糞が浮遊し「報道の自由」で他のプールも連鎖反応、プールには赤虫も泳ぎ政府の衛生食物Fook利局長周一鑊が責任を問われる中国的なニュー スとなる(Fxxk利は本来は「福利」で周一「鑊」wookは周一「嶽」ngokであるのを揶揄。「鑊」は古代中国の極刑の刑具の一種)。ディズニーラン ドは「中国の国情を尊重」して香港鼠楽園にトイレは農村式の蹲厠(所謂、和式)を設ける。糞漏に関するニュースが事件となりスキャンダルとなり政府役人の 責任問題となる、この奇っ怪な民族はいつたいどんな病気に罹つているのか?と陶傑氏。中国広西師範大学出版社から刊行された孫隆基博士の学術書『歴史学家 の経線』に「中国の現代革命は人に例えれば「口腔段階」から「肛門段階」に進展するもの。毛沢東は人々に「吐苦水」と言い、演説や文章では「放屁」という 言葉を用いるのを好んだが、これは「解放」そして排泄の意味合い。この種の攻撃的な解放は天下大乱を生んだ」とある。中国人民の「解放」は人々が一ヶ所に 集まつての排便か? これは三聯書店(中共系)が発売する「祖国」中国の書籍だが、この表現は辱華ではなかろうか。四川省資陽の刃物で割かれても糞溺の中 に横臥して未だ息絶えぬ「瘟猪」(疫病に罹つた豚)あり。マレーシアのリゾートホテルで給仕が描いて客に渡したブタの絵はディズニーのミッキーマウスと同 様、悲しいかな見事と誉めるべき「創意神来之筆」である、と陶傑氏。この中国人侮蔑事件あり陶傑氏ならマレーシアでのブタの絵でイスラムの忌猪にもつてい くか、と想像したが四川省のブタの連鎖球菌にもつていつた次第。翌日の文章でイスラム教が漏溺のブタへの嫌悪について少しだけ述べている。

七月三十日(土)雨。昨日も朝、全く気付かず寝ていたが新聞の配達遅れキオスクの新聞もかなり濡れており雨の強さを知る。今朝も早くに驟雨あり。「加害者 がどのような理屈で弁明したところで無駄である。それより、曖昧な言葉で逃げず、まず一言「ごめんなさい」と、素直に謝り、態度に示すことである」と渡辺 淳一君が朝日新聞で述べる。「あゝ、女性とのトラブルでの彼なりの処世術か」と思ふかも知れないが、さにあらず、小泉三世の靖国参拝についての歴史の反省 について。その謝罪を「いやと言っても仕方がない。われわれと同じ血が流れている、家族思いで優しかった父や祖父やその上の人たちが、戦争という狂気のな かで、狂人になったことがあるのだから」と。優しさと厳しさの入り交じったいい言葉。同じ特集で、朝生にも出演の、歌舞伎・演劇鑑賞と茶道が趣味の同志社 大学の村田晃嗣君 の主張するところは一般論。で、もう一人、ロバート・ドゥジャリク君なる日本国際問題研究所の招聘研究員は靖国問題は中国の国益となつている、と中国の国 内状況でのガス抜きばかりか韓国の取り込みであり、小泉三世の靖国参拝と発言はアジアでの日本の孤立が中国にとつて好ましいもの、と。でドゥジャリク君の 指摘で一つ驚いたのは「歴史問題が香港にまで波及したこと」で「香港には言論の自由があり、インターネットを無検閲で利用できる社会だ。反日感情は香港を 中国寄りにする一方、日本は中国に影響を与えるルートを失うことになる」と。多少認識不足。まず日本の歴史認識が香港で取り上げられたことは今に始まつた ことではなく七十年代の尖閣列島問題から八十年代の教科書問題の頃から存在する。そして「反日感情は香港を中国寄りにする」ことは、確かに反日感がナショ ナリズム高揚させもするが、では中国(正しくは中国政府)寄りになるか、といふとそれほど単純な問題ではない。日本が「中国に影響を与えるルートを失う」 といふ意味はわからぬ。香港について語る部分なので親日的な香港を介して日本が中国に影響を与える、といふことだろうか。これはもともと「ない」こと。中 国は鄙南なる香港から政治的影響など受けぬ。資金調達に利用する程度。朝日は社説で東京都の中高一貫校での教科書採択を批判。「つくる会」教科書が採択さ れたが東京都教委の選考が「北朝鮮の拉致」「日本の神話や伝統」「竹島や尖閣列島の扱い」の三点で歴史教科書を比較した結果、これについて「つくる会」教 科書が最も望ましいと判断したこと。国旗国歌の取扱い見ても都知事の下で都庁でも最もファッショがかつたのがこの教育委員会であることは明白。政治は教育 から、である。この中高一貫校は都立ではなく石原慎太郎といふ人を塾長とする私塾であり「つくる会」の教科書採択しなかつたら寧ろ驚き。問題はその私塾に 公費が用いられること。この学校に子供通わす親の了見の問題。都知事は昨日の定例会見で衆院解散の際に石原新党での国政復帰が取り沙汰されていることに 「ご推察を」と言葉濁す。良識ある都民の希望は都知事の国政復帰。都知事辞めれくれれば具体的は弊害解消。だが結論から言うと石原君自身に国政への欲望は あるが都知事留任のはず。石原君では国政ではとても国家の舵とる程の影響力は今更持てず首相になど政財界の圧力でなれる筈もなし。鷹派とはいへ今や阿倍 チャンの時代で青嵐会が暴れた時代は過去。で、それを思えば東都の城主であることの快楽。適当な出勤、勝手な人事、国家で出来ぬ愛国教育推進、と理想を現 実化するに地方自治体の首長ほど面白い職もなし。而も鳥取県知事ぢゃなく東都である。一国の首都、陛下の御座す東都で、なのだから。……で本日。雨空。昼 に旺角。楽 園牛丸大王で牛丸粉食す。萬成カメラ店にてニコンの画像処理ソフトNikon Capture 4購入。ContaxのG2に28mm、 45mmと90mmのレンズ三本と専用ストロボついてHK$12,600はお買い得。ContaxのNXもHK$3,900はカメラに失礼である。知る風 呂屋にて指圧と擦背。ジム。ホンハムからフェリーで北角。豆乳購い帰宅。ドライマティーニ。画像処理の手習い。夕餉は牛タン塩焼と黒豆で焚いた黒米。 NHKスペシャル「イルボンノレ“日本の歌”を歌う」はソウルでのNHKのど自慢の収録にむけての韓国の参加者たちのルポ。戦前の日本統治の頃の人や文化 に対する愛着をもつた76歳の老人は(朝鮮を侵略した国家権力や軍部とは別、と本人強調)朝鮮戦争で大きな衝撃を得て頑なに戦後の韓国受け入れずに生活。 家族とも殆ど会話もなし。老人センターで数人の日本語で話す友人との会話が楽しみ。複雑なさまざまな人間模様。古賀政男の「影を慕いて」をギターで弾き語 りの老人。都はるみを絶唱するオバサン。話は変わる。我らが子どもの頃、未来の建築はなぜ円盤型であつたのだろう。晩遅くヘラトリ新聞29日のPage Twoの記事“Finding yesteryear's house of tomorrow”といふ記事を読んでさう思ふ。手塚治虫の描く未来都市も建物は超高層建築もなぜか高層階は円盤型であつたり一戸建て住宅も、それもなぜ か森林公園の芝生地のようなところに円盤型の住宅があつた。タイトルを思い出せないが、そういう未来都市に住む未来人たちのドラマもあつた。空中都市008で はない。実写モノであつた記憶。でこのヘラトリ紙の記事で紹介されるのは、実際にこの円盤型住宅は1968年にフィンランドの建築家Matti Suuronenにより設計建築されたのが最初でFuruto Houseと呼ばれていた。結果的に普及せず(そりゃそうである、実用性はかなり低い)過去の異物のように扱われていたが、このFuruto Houseの存在に着目したRichard Pisaniなる米国のオトーサンがこのFuruto Houseの保存に意欲見せ私財投入。で昨年ウェブサイトもお目見え(こ ちら)。かなり懐かしい。森林公園の芝生のなかでこの円盤型住宅で暮らせたのは自動車はエ アカーであり人は瞬間移動装置で異なる場所にワープできたため郊外でこうした暮らしが出来たのである。
▼香港公開大学の学長の厚遇。年収400万ドル(約六千万円)。もともと香港公開進修学院といつて社会人相手の教養講座的夜学として1989年に開設され た組織が香港政府の安易な大学増設政策で97年に大学となる。原則は学生からの授業料収入だけの自弁で、公的助成金を受ける他の大学組織とは異なるが実際 には政府は98年から2年間で2億ドルの援助。今年度は950万ドルの赤字が見込まれるが公開大学内外で指摘されているのが学長ら14名の管理職の給与が 年間3,600万ドルといふ厚遇。で学長が最厚遇で年収400万ドル。ちなみに政府の批准が必要な他の大学では香港理工大学学長が同じく400万ドルだが 192万ドルから400万ドルまでかなり幅あり。公開大学の場合は校長ら学校経営者の待遇については大学の運営理事会が決定し政府批准不要のため大学(と いふ名の教養講座)で破天荒なる厚遇となつた次第。大学の研究者や医療関係者などの厚遇は香港の場合、人材流出が激しく有能な人材を徴用する場合、他地域 より厚遇にしないと人材集まらぬといふ事情もあるが実際にはこの公開大学の学長など名誉職的な存在であり年収400万ドルに値するかといえば答えは明白。 公開大学の他に8校の大学全てがそれぞれ似たり寄つたりの社会人相手の校外課程設けているのも無駄な事実。政府は社会人に学習研究の機会広く与えるといふ 名目で八大学での校外課程の拡充認めているが「似たり寄つたり」で重複する課程や運営上の無駄も多いのが事実。
▼董建華の行政長官退職後の厚遇。政府内に専用オフィス、職員の供与、守衛と自宅の防犯警備、専用車と運転手、医療歯科治療補償で〆て年間200万ドル (約3,000万円)の経費を政府が承認。これに元行政長官という公職名、特区章の名刺やレターヘッドでの利用に空港でのVIP待遇。役立たずの長官の八 年に付き合わされた揚げ句に税金がこの老人の無駄な官職に用いられると思うと腹立たしい限り。
▼中環の今では「蘇呆」地区に八十年続いた大配档の民園麺家が政府衛生担当部署の施策によ り本日で閉業(画像は本年六月十九日のもの)。雨のなか閉店惜しむ客が傘さして路上での雲呑麺食す様をテレビのニュースで見る。

▼政府行政会議のメンバーの梁振英が中文大学のビジネススクールでの講演した内容が信報に掲載あり。珠江デルタ地域について世界の歴史上これだけ大規模な 大都市、広州・香港・深セン・東莞・番禺・佛山・珠海・マカオが密集して存在したことはないこと。自動車で三時間の距離のこの都市群は人口四千万人で欧州 の中規模の国家に匹敵。またその経済圏は所得格差は香港と深センで十倍といふ不均衡であること。この経済圏のインフラ整備は着々と進んでおり香港の流浮山 から深センの蛇口に越境高架道路の建設が竣工間際だが、この道路は通行料金無料なのに対して香港内で九龍と香港島を結ぶ西海底隧道が片道HK$25の料金 であること考えれば経済の北上は止むを得ないこと、など。周知の事実だが講義のプレゼンテーションとしてわかり易い解説。
▼28日のヘラトリ新聞に911以降の世界で医療までが地殻変動と紹介する記事あり。舞台はタイ。タイのBumrungrad病院が昨年一年で35万人の 世界中からの患者受け入れた好成績。四年前は16.1万人で今年は40万人と予測。ベッド数200の地元病院がなぜ世界でも著名な総合病院となつたか。こ れに続けとDusit財閥のBangkok病 院も今年(予測)10万人の患者受入れ。医療技術と設備完備で東南アジアに駐在する外国人ビジネスマンを対象 に高級提供が切掛けだが、このタイの病院に患者が急激に集まつたのは911以降。米国がビザ発給を制限したことで、それまで高度な手術など米国での治療に 依存していた中近東の経済的にも豊かな患者らが米国への入境困難になりバンコクに十分な技術と設備、そして何よりも費用が欧米より破格に低い病院があると 注目を浴びる。そして米国でも医療保険費の高騰で医療保険に入つていない市民が費用嵩む私立病院には足を向けられず公立病院での治療はウェイティングでい つ治療となるかもわからず。でタイのこの病院に米国やカナダから患者が集まる。例えば南ダコタ州のヘルニア患者は米国で手術と治療に四万米ドルかかると病 院で言われ途方に暮れていたがCBSのニュース番組“60 Minutes”でこのBumrungrad病院のことを知りメールで病院と連絡をとり先月この患者は初めての海外渡航でバンコクへ。到着後二日後には手 術が行われ一週間後には退院。往復のフライトも含めた総費用は6,400米ドル也。この番組放映された直後に病院には3,000件の問い合せがあつたそう な。Bumrungrad病院は昨年、前年比23%増の2,200万米ドルの収益を上げ系列の病院をバングラディシュとミャンマーにも建設予定。マニラの アジア病院やドバイに建設中の総合医療センターは中近東地区の医療の中枢になるものだが、これもBumrungrad病院が経営に参画。日本はガンジガラ メの医療行政。海外での医療となると第三世界に医師の派遣や日中友好病院の建設とか頑張つてはいるが収益を上げるような活動は知らず。

七月廿九日(金)雨。昨晩の阪神の9対1での対巨人戦快勝は昨晩ニュースで見て既知ながら朝日の朝刊に監督堀内君の「マレンが誤算だね」といふ、まるで他 人事のコメントに続き会長渡邉恒雄君の「だからすべてマレンだよ。誰が連れてきて、誰が使ったのか、ということだ」と露骨な怒り心頭も聞いて痛快。部下の 責任は本人の責任なのだが。永久に不滅であるはずの巨人のこの為体のそもそもの原因はナベツネにあり。「だからすべてナベツネだよ。誰がナベツネなんか読 売で使ったのか、ということだ」で、それが誰かといへば自民党の故・橋本登美三郎君らであり彼らの政界マスコミ癒着のお座敷にナベツネに連れていかれてい たのが長嶋茂雄君。長嶋茂雄君が病に倒れてから巨人不調から脱しえず。週刊文春には巨人ファン1000人が巨人をここまでダメにしたA級戦犯選びダントツ 1位で過半数獲得のナベツネ。2位が監督堀内君で3割。以下グンと差が開いて清原君6.2%、長嶋「さん」3.2%で松井1.1%と続く。堀内監督は長嶋 欠場でのタナボタで華国峰的にトップにされたので免責、清原選手はあれが実力で免責、長嶋さんは毛沢東的な意味で過ち非難されず。松井も免責。ナベツネ以 外に誰がA級戦犯だろうか。かつて巨人軍には番場番といふ投手あり「巨人軍を腹の中からかっ割いてみせる」と意気込み巨人軍に入団し結局は巨人軍のために 力投し燃え尽きたが巨人軍も首相小泉三世の如く「巨人軍をぶっ壊す!」といふくらいの人を監督にすべき。だが適任者がいない、いても巨人軍の監督になれば 誰もが不自由になると思えば、一番お手軽なのは巨人軍を読売からホリエモンか誰かが買収すること。手っ取り早い。アメリカのハイテク会社や石油会社のよう にいきなり中国資本に買収されたりとか。面白い。ところで週刊文春のその巨人ファン1000人のアンケート調査で興味深きは巨人ファンの新聞購読で読売新 聞の購読者が意外にも31.1%にすぎず二位の朝日が27.5%もいたこと。この朝日は日刊スポーツも含む、とか。日経が17.0%で毎日6.0%、東京 新聞5.7%で計算すると残りが12.7%。自公連立で巨人ファンの聖教新聞の購読者率も知りたいところだが。産経新聞が5位に顔を出さぬのも忸怩たると ころ。巨人応援しないで産経読者が何処を応援できようか。だが最も知りたいデータは巨人軍ファンの文春 購読率かも。……で本日。早晩に尖沙咀に向かおうと金鐘で「金鐘廊」から地下鉄駅に下るエスカレータ下りていたら、此処は路上でのビラやチラシ配りの多い 場所などだが珍しくチラシ受け取る者多く何かと思つてエスカレータ下りてみたら立法会議員でトロツキストの梁「長毛」國雄君が明後日挙行される言論自由デモのチラシ配り。長毛君らはマ スコミの言論統制に反発し人民台も運営。チラシ見ればデモ連絡先に自分の携帯電 話の番号。執念の人。晩に畏友O氏とM君で数年ぶりに一席といふ話になり尖沙咀の錦城韓国餐廳。盛況。食事終わり、まだ十時前で昨年末からこれから銅鑼 湾に寄りバーSやバーYで一杯といふパターン多かつたが雨止まず荷物も多くオマケに今日は朝、バスに折畳み傘忘れ晩は晩で料理屋で客の誰かにFCCの傘を 持つて行かれる災難。さつさと帰宅。ジャックダニエルを一杯。ハーブ茶。

七月廿八日(木)朝早く目覚め小林よしのり『ゴー宣』第4巻読む。4巻まであつたのでこれが最後。もう「ガウラ〜」である。著者はもう神だそうで。テレビ のニュース見れば米国の国威発揚たるスペースシャトル無事打上成功乍ら断熱タイルだかの剥離あり前回打上ではこれが原因で宇宙船爆発し乗組員死亡事故もあ り。今もつてこれほど難儀なる宇宙事業が1969年に米国アポロ号での月面着陸が出来たとは今更乍ら驚き。35年も前の話。あの当時の科学技術で月旅行と は。あれが実は米ソ冷戦での国家威信かけた計画のため月面着陸は「嘘」といふ噂や小説、映画もあり。当時、子どもら夜になると月を見上げ宇宙船が見えたの 見えないの、と夢中。大人も交じる。大阪万博で数時間並び月の石を見た子が学校で話題の中心。ベトナム戦争など「局地的」惨劇あり過激派の軍事関連企業狙 つた爆破テロなどあつても今から思えば市井の民が今ほど迄に「何か」に怯えることもなく月を眺めていた、米ソ対立といふ「均衡と調和」の佳き時代か。…… で本日。早晩にジムに寄ろうかと思いつつ足は自然と市場へ。家庭預かる主婦の如し。畏友William登β達智君が新聞の随筆で「トワイニング紅茶といへ ば特筆すべきことないがト社のCamomileなるハーブ茶は、午後以降はこれに蜂蜜滴らして飲むのが最好」と紹介。W君の言うくらいなら、と早速お試 し。普段ならまずドライマティーニの時間にハーブ茶に蜂蜜垂らして、とは我ながら苦笑。「最近こういう閑かな生活がW君にしろ欧陽應齋君にしろマカオの鐘 偉民君にしろ、みんな好きなのだ」とZ嬢に言うと「ただオヤジになつただけでせうが」と一笑に付される。晩に水菜のサラダ、豚肉のつみれ汁、とろろ芋に麦 飯。NHKで世界文化遺産のヨルダンはペトラ遺跡を見 る。人類は進化しているのかどうか。NHKの現場訪れた若い男性のSといふアナウンサー、ヨルダンの現地の少年も流暢に英語話すのに対してロクに返事もで きず。古代都市で水道設備があつたところ見せられ水道管が「続いていたの?」でlaid onを用いるのはピンとこなくてもせいぜいcontinue用いて水道管の方向示しThis water pipe continued in a straight line for one mileはちょっと難しくてもcontinued?くらい言えるべきところ、ぶっきらほうにkeep?と宣つた。これぢゃ「保存するの?」である、相手に とつては。NHKのアナウンサーともなれば一流大学出てかなりの倍率で入社のエリート。常識として日常会話くらいの英会話はできないと困るし(コネ入社と かで)中学生レベルの英語も出来ない輩を海外取材させるばからず。国辱的。その番組見ながら愛用のシャープのノートブックMM-1から秘蔵画像ファイルな どCDに焼き保存作業。二年半前に日本で購入し今は亡き父が来港の折運んでもらつてから二年半酷使の愛機ながらキーボード表面の摩耗はいいがキーボードの タッチも不安定になり最近は突然のシャットダウンや立ち上げで一度でHDD動き出さず。ハード的にかなり草臥る。いつなんどき不能になるか怪しく取敢えず バックアップ作業。それに比べアップル社のPowerBookG4の作動ぶり。見た目の美しさばかりか機能が美しく動く。シャープの愛機はこのG4への浮 気が原因で不調来したかも。G4があと500g軽ければ理想的なのだがとても持ち歩けず。
▼香港は「夫婦共働きが殆ど」「家庭の専業主婦が少ない」ことは誰もが知る事実。住宅費が高いため夫婦で働かないと生活できない。夫婦共働きが多いから家 政婦(アマ)を傭う。だが香港に生活していると「けつこう主婦が多い」と感じる。平日の昼間に市場で買い物する中年の女性は就業者で「偶然その日が非番」 の人もそりゃいようが殆どが専業主婦に見える。実際に周囲の男性の配偶者のかなりの数が専業主婦。もしかすると「家庭の専業主婦が少ない」のは虚像でない のか、とかねがね疑つていたのだが。偶然に新聞で女性の就業率の政府統計を見る。(ここで細かい分類については述べぬが)就業者147.8万人に対して専 業主婦は64.8万人。この64.8万人は「退休」つまり老後のリタイア44.4万人は別。就業者と専業主婦の計での専業主婦の割合は30.5%となる。 これに対して日本の厚生労働省の統計(平成16年度)を見てみると就業者数と専業主婦を同じ比率で見た場合39.2%である。香港が10人中3人が専業主 婦たのに対して日本は4人と1人の違いだけ。しかも日本の数字は「退休」者はなく香港の専業主婦に「退休」者加えて再計算すると香港の率は42.5%と日 本より専業主婦多いこととなる。なるほどガッテンである(笑)。なるほどガッテンといへば制作のCPが東京にいた頃にかなりお世話になつた氏であることを 先日の「ニラ特集」の番組最後のクレジット見て気づく。いま手許にあるモンブランの万年筆の一本も「クイズ百点満点」ととても小さく刻名されているのは当 時の由縁。で話は戻るがこの「共働きが殆ど」神話に近い話が香港の自然楽しむ山間のトレイルコース。山歩き楽しむと必ずのように「いや〜、さすがイギリス の植民地だっただけあって、イギリス人っていうのはこういう自然の遊歩道とかよく整備しますね」と気分はスコッコランドでCWニコル氏など想像して英国人誉めるのだが英国の自然道 の多くが狩猟のための歩行路。で香港といへば香港島も新界も現在のトレイルやハイキングコースのかなりの路線は日本軍の侵攻路か英国軍の野戦のための山路 である事実。自然愛好に非ず。日本人ばかりでなく香港人でも、この英国人によるハイキング路整備信じる者多し。
▼昨日「女性になりたい」願望強く女装が常の中年の男が湾仔堅拿道高架道下の女性公衆便所にて思い詰めカッターナイフで「自宮」つまり去勢し激痛に耐えき れず報警求救。これだけなら三面記事だが香港で現在、性転換手術を受け付けるのが公立の律敦治医院(Ruttonjee Hospital)なのが興味深いが、この病院で性転換手術するのが単に政府医療管理局の決定で律敦治医院と何の因果もなければそれまでの話だ が、この病院の名が一風変わったルットンジーといふのは元々この病院が香港に住まふパルシー(Parsee)のうち名門一族でるルットンジー家が自らの家 族のために医師を雇い医療設備を整えたのが始まりで、確か百四十年だか前に親類縁者らに医療提供始め私設診療所となり施設拡充。徐々に外来患者受け入れる ようになりルットンジー家の邸のあつた高台の肇輝台(Shiu Fai Terrace)から湾仔モリソンヒルの現在の地に移転。その後、政府の管轄に移行し軍用病院であつたが1949年に一般の診療所となり1991年に現在 の規模に拡張し総合病院となる。で去勢でふと気になつたのがルットンジー家がパルシーで、パルシーはゾロアスター教を信奉。確かゾロアスター教にかつて神 官が去勢するような話があつたような記憶。不確か。それだけ。
▼先週末の新聞読んでおらず香港競馬の元調教師Bruce Hutchisonがマカオで廿三日逝去していたのを知らず。享年六十三歳。豪州の出身でメルボルンのCaulfield競馬場で調教学び1978年にか ら職業競馬となり日の浅いの香港競馬で調教師を01年まで23年務める。通算300勝。00-01年の馬季に年間10勝で、この馬季から香港ジョッキーク ラブが導入の調教師に課せた年間最低勝数の12をクリアできず。翌年の調教師としての契約更新できず。年間勝数の他にジョッキークラブが基準とした年間最 低賞金獲得額(600萬ドル)と調教馬数はクリアしており2着のレースが20もあるため僅か2勝の不足での免許剥奪に抗議したが許容されず。他の調教師へ の見せしめ、と当時言われる。1996年には朝の調教帰りにベンツ運転中に自爆で自動車大破し生死逍遥い左目失明だけで奇跡的に復帰。01年に引退し二年 静養ののち昨年よりマカオ競馬にて調教に復帰。息子の一人はサウスチャイナモーニングポスト紙などで競馬評するClint Hutchison君。廿三日の朝の調教のあと体調急変での死亡。香港競馬が近代化されるにしたがい引退余儀なくされた前時代の調教師といえるかも。
▼朝日で中曽根大勲位に象徴される旧・保守「取り込み」作業が続くなか「やはり」と思わせるのが金子勝(慶應大学教授)による論壇時評。「靖国論争と天皇 制」という題で<靖国>の構図に変化あり、といきなり渡邉恒雄君の、靖国参拝に「反対どころか、僕は拝みもしないし賽銭もあげない」「あの軍というそのも ののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」と渡邉発言の原文(オフレコ!こち らぢゃなくてこちらだ) 見ていないので「ここだけ引用していいのだろうか?」ちょっと不安だが大胆な発言とその引用。この発言知つたら読売新聞読むの辞めるオジーサン、オトーサ ンたち少なくないのでは。で金子教授は続いて文藝春秋八月号の「決定版日vs中韓大論争」「靖国参拝の何が悪いというのだ」対談で中国側に徹底的に論破さ れた櫻井よしこと田久保忠衛を「基本的な事実認識の誤りを窘められており、読む者を哀しい気持ちにさせる」と哀悼の意迄表し(笑)中曽根大勲位の小泉靖国 参拝は「要するに、ポピュリズムなのだ……日本の総合的主体性を持つた姿はない」といふ指摘(中央公論八月号)取り上げ靖国神社に代替する国立追悼施設の 建設についてシンボライズの不健全さについての言及をまとめてダワーの『敗北を抱きしめて』にかなり近い内容だが平凡社新書の『象徴天皇制の起源 アメリ カの心理戦「日本計画」』を取上げCIAの前身であるOSS(米国戦略情報局)の公開された機密文書から、これはダワーの著書にはない重要な指摘だが既に 1943年に!「戦争に導いた日本の軍部と「天皇・皇室を含む」国民との間に楔を打ち込み」「天皇を「平和のシンボル」として利用する計画」があつた事 実。年表見たらこの文書の日付1942年6月3日はミッドウェー海戦の二日前で日本はまだ気分的に「破竹の勢い」お祝い騒ぎ。その時すでに戦後日本の青写 真が出来ていたとは。金子教授も「その後、東京裁判は天皇の戦争責任を免罪し、軍部・指導者たちをA級戦犯として処罰した。もし東京裁判を見直し「押しつ け」憲法を改正しようとするなら天皇の戦争責任を含めて全てを見直す必要が生じてくる」と指摘。御意。で金子教授は続けて「ところが」「いまや現天皇は象 徴天皇制を規定した「押しつけ」憲法を順守し、戦争中から米国が意図したとおり「平和のシンボル」たろうと努めている。事実、現天皇は靖国神社を参拝せ ず、日の丸・君が代を強制しないようにと発言し、第二次世界大戦の激戦地サイパンを訪問した際にも、韓国人や沖縄出身の戦死者の墓参りをした。気がつけ ば、皇室が憲法改正の最後の歯止めになっている。何という歴史の皮肉であろうか」と結ぶ。「その通り!」である。であるから改憲が根本的に「おかしい」の だが、この大切なことが国民に理解されておらぬから改憲ムードとなる。事実、朝日新聞にこの論壇時評が載つても、である、金子教授のサイトは昨日も今日もヒット数がわずか六十台とは。朝日の論壇時評を 国民はぜんぜん注目しておらぬ現実。朝日新聞の政治部の巻き返しも遅すぎた感あり。自民党のなかにようやく小泉アウトが公言できるようになつての後追いに すぎず。問題は小泉三世を国民の八割が支持したこと。だが、もしかすると小泉三世自身が衆院解散で公約通り「自民党をぶっ壊す」可能性もまだあつて、どこ ろかその可能性が高まつており、その場合は小泉三世支持した八割の国民の良識の勝利。
▼「ノーベル経済学賞も取れたかも知れない経済学の奇才で米国での骨董品商内での脱税で米国当局からインターポールに指名手配通告されており米国に戻れば 収監間違いなしで中国国内に潜伏中の」張五常教授が蘋果日報の週一の連載で「感謝林行止」と蘋果日報紙面で信報の社主・林氏に讃辞。朝日の論壇時評がナベ ツネの言論評価的に紹介したり、よくわからぬ。で何を感謝かというと張・容疑者が七旬の誕生日前夜に突然、林行止より信報への寄稿依頼が届き、思えば 1978年以来の友情で在野で新聞発行するが経済学の専門家としても超一流の林行止は奇才の張・容疑者も一目置く存在。実際に二人は香港代表する名文家。 で張・容疑者が回想するのは1984年から信報で三年にわたり連載された張教授(当時はまだ骨董疑惑などない)の経済評で、中国の当時の経済開放を鋭く分 析したこの評論は三冊の本として出版され中国でもかなり読まれた事実。で張・容疑者はその当時この本を貪り読んだ若者らが今では四十代。その多くが中国で 活躍しており今でも中国国内で(ってそりゃそうである、中国から出られないのだから)あちこちでこの著作に署名を求められ晩餐に招待される、と張・容疑者 は自慢。中国の経済勃興は五千年の歴史の奇跡でありその功労は当然、中国共産党の幹部だが林行止の文章も北京でかなり読まれ参照されたものであり、我ら二 人も中国の経済勃興の功労者として中央幹部の後ろに並ぶくらいできるのではないか?と。読後暫し唖然。経済学の奇才もここまで陥没したか哀しいかぎり。確 かにこの二人が中国経済に与えた理論的影響は大きい。が自分で誉めるな。これが信報に掲載されないのは当然。林行止がこのような野暮な文章を掲載許す筈な し。で蘋果日報。中国がWTO加盟の際に刑事事件犯人の国際引き渡し条約だかへの加盟がWTO加盟の交換条件にされていたら張・容疑者は今頃シアトルで懲 役数十年で実質的な終身刑。

七月廿七日(水)朝刊が届くより早く目覚め朝刊が配達になり拙宅の扉前にパタンと落ちる音を聞く。朝日新聞にニッポン人脈記なる連載で「国家再建の 思想」なる「旧制高、朽ちぬ青春賦」とあり旧制静岡高校、静高といへば中曽根大勲位で「国家再建の思想」の主旨、成程。大勲位といふと改憲私案で読売新聞 の印象強いが、この「旧制高校の精神」追憶は、これを読めば立場的には産経の財政界のオトーサンたちも朝日の書きぶりに「若い頃の気持ち的には朝日」で満 足かも。で、読めば書き出しの一文に驚いた。「その昔、日本各地に旧制高校という学校があった」と。その昔、といふ表現は「その昔、日本各地に国分寺とい う寺があった」なら「その昔」だが旧制高校も「その昔」か。我もさすがに旧制の中学、高校に学んだ程の年配ではないが「旧制」はけして遠くない世界。その 筆者が余程若輩かと思えば早野透君の執筆で早野君は終戦の年生まれ。それでも旧制は「その昔」か。余の祖父が営む食肆は地元の旧制高校の学生で賑わい当時 の学生は早晩にちょいと食して花街に繰り出すといふ粋な時代。旧制高校といへば全国各地から学生集まり寮生活。寮祭。戦後に同窓会ありすでに政財界で活躍 する者多き同窓生が同窓会開くとなると寮祭の再開となる。で祖父(正確には義祖父)がその同窓の寮祭に招かれたがすでに老いて祖父の姪にあたる我の母方の 祖母が祖父の代わりに寮祭に行くのに幼き我を連れて出かける。祖母は当時、その食肆で謂わば看板娘。祖母に「あの当時は西園寺公とか作家になった船橋聖一 とかね、来てたんだから」といふ話など聞いたもの。で当時は未だ残つていた旧制高校の校舎校庭で我が見たものは、戦後もだいぶ経ちかなりの年配の男らが校 庭に櫓を組み学生帽、袴羽織に高下駄のバンカラで泥酔して寮歌を合唱。目を転じればファイヤーストームのまわりでドイツ語だかで合唱。「なんだぁこの世界 はっ……」と余は絶句。この戦後の寮祭に、あとになつて思えば、この旧制高校の卒業生である当時の「三井の大番頭」江戸英雄君や警察官僚であつた後藤田正 晴君も来ていたのだらうか。彼らは政財界の重鎮となるのだが学生の頃には梅本克己のマルクス経済学など学んでいるのだから小泉、安倍といつた若輩者との格 の違い。さう思ふとこの朝日の連載、旧制高校の物語通しての中曽根大勲位のヨイショも当然、保守の断層化狙つての「新」自由主義への朝日なりの政治部の 「運動」なのかも。勘ぐりすぎだが。……で本日。出かけても早晩に市場に寄り食材仕入れ真つ直ぐ帰宅の日々続く。ドライマティーニ一杯。鯵を焼いて食す。 最近、夜も九時過ぎると睡魔に襲われる。NHKのニュースで愛知万博。参加者が芝生に打ち水して打ち水の気温低下の効果測定、って万国博覧会ですよ。ため してガッテンぢゃないのに。使い捨てのランチボックスの容器もトウモロコシのパルプ使つてます、と自然に優しそうだが容器の説明が日本語だけ、で国内博。 博覧会というより明治の昔の勧工場の如し。新聞読み。かねがね気になつていたのが酒樓、酒家、飯店、茶樓、茶室の区分け。唯霊氏が信報で書いている。戦後 は区分けが緩くなつたが戦後でも昔は毎年九月一日に港九酒樓茶室総工会の例会があると香港中の「酒樓」と「茶室」はこの日は休み。酒樓は茶市を設けず、茶 樓と茶室は当然、酒菜は置かず。茶樓といへば上環と中環に名店多く高陞、蓮香、慶雲、龍泉、得雲、萬國、添男、得男、第一樓、清華閣など。同じく飲茶でも 大同、金龍、銀龍、金城は酒家(酒樓は茶を供さぬが酒家は別)。酒樓でも遅れて開業の月宮、京華藍天、建国、金寶、夏恵などは夜総会(ナイトクラブ)で前 述の九月一日は休まず。上述の蓮香樓と陸羽茶室は戦前の開業で蓮香樓は広州で開業の百年老店。元来は「姑蘇館」で小酌の酒肴供したが民国の時代となり花柳 業やめて茶樓に専念。茶樓の全盛期は朝、昼、晩と三市の繁盛で晩は晩で「附設歌壇唱女伶」と賑わつたのも半世紀も前の話。「飯店」は粥粉飯麺に小料理を供 応の小食肆。華人行の楼上に大華飯店という高級店があり名が「飯店」なのが当時は首を傾げた、と唯霊氏。「飯店」といへば「阿一鮑魚」で世界に名を馳せる 楊貫一が営む最高級の「富臨」が最も格式高いはずの「酒家」を名乗らず「富臨飯店」なのは楊貫一氏 が若かりし頃に修行したのが大華飯店であるため「有点飲水思源之意」なり、と唯霊氏。なるほど。ところで「有点飲水思源之意」は何と訳すか。「飲水思源」 は文字通り「水を飲むはその源を思う」で、この故事成語は「その実を落とす者はその樹を思い、その流れに飲む者はその源を思う」といふ北周の詩人・癒信の 「徴調曲」という詞からだそう。で「有点飲水思源之意」を訳そうとすると、楊貫一の富臨が敢えて飯店に執るのも「飲水思源」といふことか、と。これを訳す には「その飯店への執りも大華飯店で働いた昔を思つてのことか」と具体的にしか訳せず。具体的であることの野暮。文雅といふものがない。漢語の「有点飲水 思源之意」が文雅もつて訳せず。
▼蘋果日報に「大馬酒店住房證出現辱華圖案600中港旅客抗議被畫豬頭 」と一面トップ記事。これも端的なる漢文の美事さ。日本語にすると「マレーシアの ホテルの宿泊者カードに中国を侮辱する絵が描かれ六百人の中国と香港の旅行者が豚の顔が描かれたことに抗議」なのだが日本語では長すぎて見出しにならず。 事の次第はマレーシアの観光都市ゲンティン(こちら) はイスラム圏にあり博奕場まで設けた総合アミューズメント都市(こ ちら)で野暮の局地だが野暮な場所には野暮な観光客が鳩るわけで宿泊施設も一応「五つ星」のゲ ンティンホテルから(宿泊費は一応一泊二百米ドル)安ホテルまで提供。で問題のホテルは三つ星のファー ストワールドホテルで一泊三、四千円程度。ここに海外旅行がブームの中国から田舎者の団体旅行が押しかける。折角の楽しい旅行のはずが朝食の ビュッフェにて宿泊料金に朝食込みであることの確認のためだろうが宿泊者カード(チェックインの際に鍵をいれて渡される部屋番号書かれたアレである)を給 仕が客に提示求めるのだが給仕は中国からのツアー客だとそのカードに豚の顔を描く。どうやら「この連中は中国から」で「言葉通じない」とかのいずれにせよ ネガティブな意味の印らしいが怒つたのはこの団体客。民族の侮辱だとホテルのロビーに座り込みホテル側の謝罪求めること八時間。中国国歌合唱し嗚呼、愛国 の団結心。首都より中国大使館の外交官まで駆けつけホテル側と対応協議し一人あたり二千円ほどの慰謝料払うことで和解とか。ホテル側は差別や侮辱の意図は なく客が不快に思つたなら遺憾、と。さもありなむ、の話。侮辱もあろうが民族感情より野暮な団体客への不快感か。薄利であるのにビュッフェとなると大騒ぎ で食べきれぬ量を皿に盛つて喰い散乱し食べ残し、など想像に易し。陶傑氏はこれを小農と嗤ふのだろうが。同じこのテの客なら中国人なら豚の顔、日本人なら 猿なのだろうか。印度人だとターバンの絵とか。それにしても座り込んで「立ち上がれ、汝ら奴隷になりしこと願わぬ者たちよ!」と歌うとは。生まれた時から どっぷりと精神に染み込んだ愛国主義か。でも義勇軍行進曲であるから「この場に似合う」わけで我が国の「君が代」では座り込んで苔が生してしまふ。

七月廿六日(火)リンパ腺痛みあり夏風邪の気配。老身には風邪も用心と早晩に帰宅。先週末から貯つた新聞がかなりの量ありゆつくりと読もうかと思つ たがGoogleの衛星写真など眺め始めれば東都は畏れ多くも宮城の吹上 御所から半島に目をやれば平壌市街、それに中国なら北京の中共幹部棲息される中南海の壁の内まで「あらまぁ」といふほどに衛星からの眺望。ついつい呆見。 晩に韮を使った豚肉のしゃぶしゃぶ。と聞けば「あれか」と合点される方も少なくなからうNHKの「教養」番組・ためしてガッテンで紹介せし平野レミのレシ ピによる韮の栄養素を無駄にしないといふ豚肉のしゃぶしゃぶなのだが(番組評はこちら) 予想よか韮を使ったタレが美味(レシピ)。 レシピでは市販のチキンストックや蕎麦つゆ用いるが軽く出汁をとり蕎麦つゆも自家製でなお好し。韮と豚肉から出汁がでたスープでウドン煮て残ったタレで食 すとこれも秀逸。豚肉といへば四川省で豚の連鎖球菌で廿人近くが死亡。香港も四川省から豚肉多く仕入れ「疫禍」で中断らしいが今更この時代この程度の疫病 に驚きもせず。数時間かかり新聞読み。先週の中国人民元切り上げについては紐育タイムスの七月廿二日のPaul Krugman氏による論評“China Unpegs Itself”が興味深い。かなり久々に深更に至る。
▼朝日新聞の郵政民営化支持について。教育に新聞を、のNIE「ののちゃんの自由研究」で郵政民営化取上げるが「郵便局が変わる?」の内容は明らかに郵政 民営化の良さばかり強調の偏向。前回の「国連は何するところ?」に比べても、国連の場合、国連の存在は前提としての国連の役割の検討であつて勿論、国連の 存在の可否など問うてはいない。それに対して今回のは郵便事業の根本からの存続の存続の可否について。問題の置き方が明らかに違うはずなのだが。
▼蘋果日報の日曜版で陶傑氏が「中国の歴史では大きな戦乱の惨禍にて人口が減ることは平常のこと」と述べたのを副刊で連載の左丁山氏が受け驚く勿れ西漢平 帝元始二年(西暦2年!)に中国の人口は5,959万人が(この時代に人口統計あることぢたい偉大だが)千六百年経た明朝末年(熹宗天啓六年・西暦 1626年)は5,165万人と人口増加なし。三国時代には数百万人に迄減つたといはれ南宋の光宗年間(西暦1193年)に金宋だけで7,630万人の人 口があつたともいふ。歴史上、戦乱や天災にて人口激減が頻繁。それが一気に人口増加となつたのは清朝になつてから。乾隆六年(西暦1741年)に人口統計 がそれまでの「丁」つまり納税単位から「口」実際の人口に変わつたこともあるが康煕・煕雍・正隆の三代は戦乱もなく正に太平の世が続き出生率上昇し乾隆六 年に人口1億4300万人に膨れ上がり百年余経つた道光廿九年(西暦1849年)には4億1298万人に至る。太平天国の乱で死者が二千万人と云はれるが 人口の5%。それからも人口増加続き日本による侵略、国共内戦、中共統治下での大躍進運動や文革など経ても人口増える。
▼ディスコでのお気軽な麻薬売買は夏が旬。学校が終わり学年末で長い夏休みの若者=鴨が「ひと夏の出来事」求めディスコ=餌場に鳩るわけで「組織」にとつ てはおクスリ販売の強化月間。音楽が賑やかな暗いディスコの片隅で売り手は目聡く鴨を見つけ「ちょっとハイになる合法ドラッグあるけど要らねぇか?」と声 かけてエクスタシーだのアイスを一粒百ドルの現金取引で……と想像したら大間違い。旺角のディスコでは「組織」がなんとレストランで飲茶の点心を販売する ワゴンにおクスリ各種を並べてディスコ内でワゴン車推して商売(笑)。警察が三カ所のディスコで現行犯逮捕。だが警察も隠れて商売してくれてりゃ検挙も格 好いいが「蝦餃〜、焼売〜!」のノリ相手ではお笑いである。

七月廿五日(月)快晴。世界が黄色く映るといふのは聞いたことがあるが(実際に体験はない)北角の寶馬道のこの一角はなぜか赤色系の看板やビルの塗 装が多く朝日を浴びて一面赤色に染まる。早 晩に灣仔の新華書城。開業し半年以上経ち初めて訪れる。中共系である新華書店の香港の旗艦店。店内はかなり広く新宿の紀伊國屋書店本店のフロアとほぼ同じ 面積が3フロア。良く云えば近年の台湾の誠品書店に代表されるゆとりある店内、悪く云えば品薄。レイアウトと木目調の内装は誠品系そのもので、中共系とへ ば油麻地の中華書局の印象からは格段の違い。当然、毛沢東暴露モノであるとか天安門事件真相究明や中国民主化など「敏感」な書籍は扱つておらず。賈平凹の (当然か偶然か『廃都』は在庫なし)『白夜』と『高老庄』の二冊購入。Z嬢と待ち合わせ鵝頸橋街市。香港島では九龍の九龍城街市に匹敵する野菜と果物の品 揃えと安さ。青果購ひタイムススクエアのシティスーパーで食材購ふ。博多屋 で豆腐買うなら「ざる豆腐買わなあかん」と奈良出身のA嬢に一昨晩に云われ試しにHK$19もする「ざる豆腐」購入。帰宅。夕陽がきれい。ドライマティー ニ一杯。晩のNHKのニュース見れば東都の地震に続き今度は台風が関東直撃か。地震といへば東京都の地震対策での不備が指摘されていたが都知事石原某の防 災とは震災の日に合わせ銀座で防災「軍事」訓練など挙行し見かけの勇ましさばかり。石 原都政は張り子の虎。倫敦は倫敦でスコットランドヤード(Metropolitan Police Service=首都圏警察)の警視総監(日本のマスコミはMPSをロンドン警視庁と云い、その長は警視総監)がブラジル系市民をテロ容疑者と間違え殺害 したことについて「もし地下鉄で爆破テロが起きていたら、と考えると被疑者の殺害も止むを得ない」と発言。これこそ無差別テロ。倫敦の警察の良識は何処 に。少なくとも「シティ」は今もつてロンドン市警の管轄でロンドン警視庁はシティを除くグレートロンドンが管轄なのでシティに逃げ込むのは安全なのか更に テロ対策が徹底しているのかどちらだろうか。ところでNHKのニュースでも The War against Terrorism をなぜ「テロとの戦い」と呼ぶのだろうか。直訳で「反テロ戦争」でいいのだが。「テロとの戦い」と呼ぶほうが「反テロ戦争」より正義が正当化されているよ うに聞こえてならず。あれは「反テロ」を口実にした覇権のための侵略なのに。晩飯は牛丼など。博多屋の「ざる豆腐」はデザートのような食感の上質の絹ごし 豆腐。我には厚手の大豆臭い木綿豆腐が合ふのだが「法王様、やはり所詮、東国の田舎者は田舎者。豆腐ひとつとっても田舎者の口には京の上品なものは合いま せんようでごじゃりますなぁ」で昨日放映のNHK大河ドラマ「義経」録画ビデオで見る。それにしても毎回のタイトルの幼稚さはどうにかならぬのだろうか。 今回が「母の遺言」で次回は「忍び寄る魔の手」である(嗤)。小学生が少年推理ホラー小説大賞に応募した小説の章立てぢゃないのだから、もう少しマトモに 出来ないのだろうか。NHKの水準もかなり低下。「常磐最期」とか「法王の碁盤」とか大河ドラマには大河ドラマらしいタイトルがある筈。いただきもので福 岡は八女の巨峰頬張る。美味。
▼築地のH君が司馬遼太郎読んでいたら「文化は、交流するものである。どの民族がすぐれている、という迷信は人類が最後までもちつづけたがる迷信かもしれ ないが、おずれは衰弱してユーモアになってしまうかもしれない。ついには、その国の民度を測る基準として、極端に自文化についての優越感情をもっている民 族こそ、卑陋で安っぽいといわれるようになるにちがいない(あと何世紀もかかるだろうが)」と『街道をゆく』「南蛮のみち」に記述あり。自由主義史観が卑 陋で安っぽい、のだがH君の言う通り、そう言われるには「あと何世紀もかかるだろうが」と加えるところが司馬的。ワンクッションおいて一応「自由主義史 観」の人の顔も立てている。自由主義史観の御仁が目の前にいれば「いや、まあ、いまの時代ではそんなものかもしれませんなあ」というくらいの。或いは、こ の「あと何世紀もかかるだろうが」は読み方によつては「人類はそれくらい時間がかからないと真実もわからないほどバカなのかも知れない」という風に読めた りもする。この幅が司馬的な旺盛なサービス精神。朝日だからちょっとコスモポリタン風に、産経や文春に書くときは、それらしく国士風に書けるのが司馬遼太 郎。いずれにせよ、である、いま教科書を採用しようとしている人たち、とくに田舎者の栃木県大田原市や茨城県大洗町の教育委員会のオトーサンたちはこの言 葉をよく噛みしめるべき、だが、地元のカラオケスナックにフィリピンからのホステスさんもいるし工場にはブラジルからの日系人も働いているし「文化的に交 流してっぺよ」だろうか。
▼昨日の産経新聞に「大江氏、岩波を訴える」と記事あり築地のH君は何だかわからぬが蜜月である筈の大江と朝日が「進歩派の内ゲバか?」すわ面白いことに なつたと記事読めば「大江氏と岩波書店を訴える」でフランス語より日本語難しい、とH君。記事はこちらだがネット上では「大江氏・岩波を訴える」となつて いる(こち ら)。沖縄戦での集団自決が日本軍の命令かどうかでの当時の将校らが大江先生や岩波書店相手に名誉毀損で訴えたものだが産経新聞は「この時ぞ」と ばかりに一面トップ扱い。「つくる会」の人たちもしょっちう訴えられているが……。

七月廿四日(日)今年はOxfam HK主催のTrailwalker2005の抽選に幸いなことに外れ十一月のこの百キロトレイルに出場はないのだが「せめて練習だけでも」と昨年これに伴 に出場のI隊長、O君と朝八時に坑口のMTR站に集合。写真家Y氏と東莞から八月には恒例で瑞西のアルプス登攀に行くといふO氏も本日参加で計五名。昨年恰度同じ七月廿五 日に歩き始めた通り。西貢の北潭涌よりMaclehose TrailのStage-1歩き始める。坑口からのミニバスの車窓から眺めた西貢はいい具合に曇り空であつたが北潭涌から歩き始める頃には快晴。肌を灼く 陽光に今回は持参の傘が活躍。香港の山歩きのオヤジ連中見習ひ上半身裸に短パンで傘をさす。これがじつに快適。何より涼しく体力消耗もかなり軽減され汗も かかぬから摂る水の量もかなり抑えられる。今回はデジカメ持参しておらず画像は昨年七月のものだが空と海の青さは全く同じ。本来はStage-2終点まで 25km歩く目標もあつたが昨年同様に暑さ猛々しく12km歩き標高315mの西湾山に海抜0mから登り全員一致で「勇気ある撤退」決定し西湾の海岸の茶 屋にも向かわず吹筒凹より西貢西湾路の車道終点まで引き返しタクシーで西貢に戻る。午後二時。お決まりでパブ Duke of Yorkに寄りカルスバーグ麦酒がぶがぶと飲み涼す。ミニバスで坑口に戻りジムに一浴し帰宅。早晩にZ嬢と西湾河。太安楼の商場にあ る泰式小食館は湯粉が美味と評判で牛南湯米粉など食す。確かに美味い。この肆に食す間も 「チョキ、チョキ……」と軽快に鋏音が聞こえてくるのは近隣の「牛什が美味いと評判の電気部品屋」 (画像)が 牛什を串刺しにするのに切る音。晩に香港電影資料館にて抗日戦期映画特集でニュース映画フィルム短編「香港重光」と「長相思」を観る。「香港重光」は日本 の敗戦で東京に入城する進駐軍マッカーサー最高司令官の勇姿。鬼畜米英で育つたはずの子どもらが笑顔で星条旗振る姿印象的。それに続く香港は八月十五日以 降も総司令部(ペニンスラホテル)に籠る日本軍の抵抗と降伏、降伏の調印式で軍刀を英軍に差し出す司令官の姿。で「長相 思」は監督が何兆璋。戦後の香港映画だが物語も制作者も俳優も上海。主演は周旋(「旋」の字は正しくは「王」扁に「旋」)で相手役が舒適。周旋は 歌ふアイドル女優の第一号。日本で云へば「湖畔の宿」で高峰三枝子。実際に似ている。歌唱も芝居も一本調子のところまでそつくり。高峰秀子ではない。知的 な美男子の舒適は佐野周二か佐分利信。どこか魅了される影のある点では佐分利信に似ているだろうか。で話は太平洋戦争開戦前夜の上海が舞台。開戦で国民党 の将校である夫が遊撃隊の一員として戦地に向かい、妻(周旋)は盲目の母と残される。それを援けるのが夫の親友である舒適。上海で職業訓練学校を営むが国 民党の地下諜報員でもある。戦時下の上海で夫は行方不明のまま周旋は歌唱上手活かしてナイトクラブで歌手をして老母を養い親友の妻である周旋を舒適も実は 恋いこがれ金銭的にも精神的にも援け続ける日々。日本軍に拘束された舒適を釈放に尽力した周旋。周旋は夫が戦死といふ訃報を受取り悲しみつつも舒適との間 に恋が芽生える。終戦。新しい日々が始まるかと思いきや戦地から還る夫。それを喜びながらも周旋への愛は叶わぬものと失意のまま去つて行く舒適。と戦時下 の苦しい生活の中での恋愛物語。で非常に興味深いのは、この舒適が冒頭、周旋を思い出しながら海岸でレコオド聴く場面から始まるのだが(ここから戦争中へ の回顧での本筋)舒適のいる場所が学校であることから舒適は教師であることがわかり学校の建物には「台湾省立国民学校」の看板。で物語は1941年の上海 に戻り舒適が国民党のシンパであることから映画の最後には上海を失意のうちに去つた舒適は国民党とともに台湾へと逃れたのか、と思ふに易いが実はそうぢゃ ないところが興味深い。この映画の制作は1947年。上海の映画人が国共内戦の戦禍逃れ香港に来て一連の「国語片」制作を始めるのだが、この「長相思」は その国語片のなかでも黎明期の作品。で1947年であるから蒋介石率いる国民党が台湾に逃れるのが1949年であるから、この映画はまだ内戦期に該り、つ まり非常に重要なことは舒適が失意のうちに上海を去り台湾に渡つたのは国民党とは関係なく失恋で「できるかぎり周旋のいる上海から遠く離れたい」気持ちの 表れ。この時期であれば上海の映画人のように上海から香港に逃れるのが当たり前。台湾も勿論、日本の敗戦で国民党の統治下にはなつているが蒋介石が渡る前 で台湾はこの1947年は国民党による台湾居民弾圧の二二八事件の起きた年。非常に情勢不安定な年。上海との往来の多い当時の香港でなく孤島を選んだとこ ろに舒適の心の悲しみが痛切に描かれているといふこと。

農暦六月十八日。大暑。朝六時起床。気温廿六度で窓から入る風が涼しいと思える朝。気分は乗鞍高原か。七時近くとなり本格的に朝日が差し始めるとも う要冷気。天気予報は曇りだが陽光明るくけして酷暑といふ程にあらず。ニコンのD70Sを携え裏山から大潭に入る。英軍の対日軍戦の野 営場跡はよく手入れされた花壇。ふだんは疾風の如く颯爽と走つてばかりで(といふことに)大潭ダムの歴史案内の看板など初めてじつくりと読む。このダムは 着工が千八百八十年代。香港島のヴィクトリア市の住民の飲料水と生活用水確保のために建設。ここから地下水道、灣仔の寶雲道(Bowen Road)を通り中環界隈に水を供給。云われてみれば今ではジョギングや散歩道として有名だがなぜ寶雲道が古くから石橋など渡しかなり整備されているのか 納得。第二期工事が千九百二十年代に竣工し現在のダムの規模となり豊かな水源はヴィクトリア市東部、現在の北角以東の市街地に給水可能とし市街地拡張に多 大な影響を与える、と。納得。この上水塘のダムは築百年で現在補強工事中。中水塘のダムは放水の美しさ。涼風心地よし。大潭道まで出てミニバスで赤柱。赤 柱より6番バスで午後市街に戻る。山間の木陰や車中 どこだかの古書市で入手の小林よしのり『ゴー宣』1、2巻読む。著者の怒りや主張は「発端として」ところどころ納得するところもあるのだが。灣仔。一瞬、 この週末に開催中の夏恒例の「書展」香港ブックフェア訪れようかと思つが想像絶する人出が灣仔會議展覧中心に向かつており断念。遅い昼食に餃子でも食そうかと北京餃子皇に参れば午後二時半で満 席。近くの普段は混まぬ麺屋まで盛況。全て書展の客。猛暑にセブンイレブンで冷たい物求める客まで店外まで長蛇の列。アナーキストで立法会議員の梁國雄君 の「街宣車」と遭遇。Quarry Bayまで来て太平街市で食材調達。礼記でラスカ食す。帰宅。晩に所属のランニングクラブで 夏恒例の蛍狩りあり太古のMTR站に集合し康柏カントリートレイルに入り蛍を愛でる。七月下旬だといふのに蛍は幼虫ばかり多し。すでに盛り過ぎたのか大雨 たたり未だ蛍も育たぬのか。二更に太古坊迄下り総勢でタイオーキッドなるタイ料理屋で晩餐。 かなり久々に人多く集まる会合に参加。早目に辞す。胃腸調子悪しく早寝。
▼東京で直下型の地震あり震度五。古代であれば改暦か遷都にて祓ふところ都知事を迭えるも可なり。

七月廿二日(金)朝の五時頃に雷鳴甚し。朝刊届くまで読書。朝日朝刊を開けば社会面のベタ記事に「巨人清原選手、カード盗難」とあり眠気覚めぬまま 「清原、かなりキテるとは聞いていたが、ついに夜の六本木での豪遊に金欠となり他人のカードまで盗んだか」と一瞬納得。あ、だがこれは「ナベサダさん、兄 殺害」と同じ言い回し(〇二年九月十六日の日剰こちら)。 ナベサダさんの場合は阿部貞さんに近い語感であつたが、今回はナベサダ「さん」に対して清原「選手」で呼び捨てにしておらず「盗難」は「金品を盗まれる災 難」で「盗難に遭う」だと思えば被害なのだが、どうもこの中途半端な漢字表現はいけない。「カード盗まれる」か「被盗難」「遭盗難」とでもしてくれれば被 害とわかるのだが。昨晩のあの程度の辛さの四川料理で昼迄胃腸の具合劣悪。晩も煮うどん。倫敦の爆破テロ第二弾のほうの「容疑者」が警察の尾行中に逃走し 警官に撃たれて死亡。ケネディ、ジョン=レノン、最近では台湾総統選挙で亜扁銃撃の容疑者などなど重要な容疑者に限って「口を開く」前に殺される不思議。 不思議でもなんでもないのだが。口を開かれては困るから、か。疲労感で起きておれず早寝。
▼かつて我の連載もあつた『週刊香港』誌廃刊といふ話。一瞬ガセかと思つがサイトも消えている。この邦字誌は個人的には「マクルホースの小徑より」(こちら)に思い入れあり。月刊 香港通信での長い連載と朝日新聞の「亜洲の理屈」以来、唯一個人的なコメント含みで書いていたもの。ところで昨日だか余のサイトのヒット数が突然多い一 日。Googleで「週刊香港」検索してみたら余のサイトが「Soknetの」ザ・香港より上の五番目だかにあり、これが原因か、と納得。我のサイトの表 紙に「『香港ポスト』と『週刊香港』を除くとみんなもう廃刊になりました」と書かれているのが引っ掛かつた由。この表現も変えねばならぬことに一抹の寂し さあり。
▼中国元切り上げ。朝日は社説で「中国パワーの真価問う」として経済面で中国の現状を1971年末のスミソニアン合意で日本円が360円から308円に大 幅切り替えを実施(二年後の変動相場制への移行)の時期と酷似しているとして中国が人民元改革に踏み出したことで通貨面ではドル、ユーロ、円に人民元の四 極体制への幕が開いた、とする。中国政府の商務部(通産省)の高官も中国の輸出力は2%程度の人民元切り上げの影響を受けるものではないと断言。だが最も 気になることはその輸出大国となつた中国産品のうち純粋な「国産」がどの程度の割合占めるのかといふこと。日本の七十年代始の状況は日本の輸出力は低い人 件費に依存した廉価製品でなく高品質商品が主力の筈。それが1ドル=360円で廉価感あり円切り上げ。その後プラザ合意経て円高進むが日本産品は高価格感 を陵駕する高品質で生き延びてきたもの。それに対して現在の中国の輸出力のうち香港企業(これはまだ「国内」投資だとして)や日本や欧米各国の投資による 中国工場での産品輸出量は国産に対してどの程度の割合なのか。今後、人民元が基軸通貨化するなかで変動相場制となり当然のように人民元切り上げが求められ るなかで本当に中国の経済支える輸出力が人民元切り上げに耐えていけるのか、耐えたところでそれが海外資本による在中の生産現場での産出に依存しているも のならば無理の多い話、と経済は門外漢の我は思うのだが。翌23日のSCMP紙の経済面がトップ記事の見出しに“Long wait follows China's small step”と掲げ“Financial liberalisation depends on how fast banks and companies learn to handle the exchange risk”と指摘。巨大な田舎が世界経済に乗り出す事実。勿論、内需で見れば中国経済は輸出に頼る比率は日本など比べようもなく輸出依存にはならぬわけで 人民元切り上げは内需にとつては寧ろ歓迎かもしれぬ。ちなみに日本企業の中国現地法人売上高は04年度に6兆9千億円(前年度比約25%増)で内3兆円が 中国国内向け販売、日本への輸出が2兆円1千億円、米国など第三国への輸出が1兆8千億円だそうな。

七月廿一日(木)朝五時起床。朝刊もまだ配達ならず『敗北を抱きしめて』続き読む。昼にハッピーバレーで画像は馬道。かつてハッピーバレー坂上の ジョッキークラブに厩舎あつた当時は水曜の夕刻ともなると厩舎からこの馬 道通り競馬場まで厩舎員に引かれて馬が通ふ。我がハッピーバレーに住んだ十数年前にはまだ見られた光景。早晩に驟雨。知人のお通夜ありホンハムの萬國葬儀 館。拝霊。雨あがりタクシーで尖沙咀。バーWに寄りウォッカレモン一杯。通りがかりで尖沙咀の東英大廈の画像。築四十年以上の尖沙咀の有名な オフィスビルだが老朽化で取り壊し決定。余計な意匠を用いぬ洗練されたモダニズム建築。ネイザンロードに面した入り口の照明からして美しい。四十年の間、 ほぼ原型を留めた階下の商店街。階上の医療クリニック階も含め、この廊下の幅など今の営利主義では考えられぬ贅沢。バブルになる前の建築の美しさ。今でこ そ古いビルディングの代表格のようだがYKKであるとか大阪の商社モリトなど数多くの日系企業がかつてこのビルにオフィス構えたもの。数軒となりのミラマ ホテルが出張者の宿泊に便利で当時はこのミラマホテルにあつた日本料理・金田中であるとか懐かしいはず。バンコクよりY氏夫妻来港中で夫妻と雲陽閣川菜館に食す。かつては辛いもの好き自認していたが最近は年の所為か食もあまり進まず。午後十時 には早々に帰宅。帰宅の道すがら雲の合間に満月。
▼週刊文春トップ記事特集は「安倍総理でないと自民崩壊」ポスト小泉で(安倍)4割の支持、と(嗤)。一瞬「安倍総理にすれば日本崩壊」の間違いじゃなか ろうかと思つたが、小泉首相の「自民党をぶっ壊す」に共鳴した国民の八割である、政治がよくなるなら自民党が崩壊して政界ガラガラポンがあつてもいいと思 うではなかろうか。自民党が崩壊してしまふと困るのはとうの文藝春秋であり安倍晋三支持も文春世論。文春がこれを載せるのは実際に自民党のなかで流れが 「次は安倍」どころか「経験不足で次の次」とする安倍期待論も実際には下手すると、この流れでは「次の次もなし」となることへの警戒感だろうか。
▼人民元切り上げ。わずか2%だが今後の動きへの序曲の如し。ロンドンでの爆破テロ第二弾の報道排け人民元切り上げがニュースのトップ。人民元。若い頃に 大陸放浪した頃にはまだ中国人民銀行の人民元と中国銀行発券の外匯(FEC、兌換券)あり。外貨との両替で入手できるのは外匯で人民元と外匯はタテマエで は等価だが実際には1.7倍だかの闇レートあり。外国製品なども売る友誼商店は外匯しか使えず当時も北京や上海、広州などの都会では外匯の需要高い。逆に 外国人は外匯が日常生活で使えぬか使えても1:1の公式レート。そこで外国人から外匯を得る闇市場あり。北京の王府井など歩いているとチンピラのような若 者が「外匯、外匯」と声を掛けてきて路地に入り、警察の目を怖れる場合は小汚い公衆便所(当時の地面に穴掘っただけの強烈な悪臭と汚水)での両替。なかに は外匯だけ取られ逃げられる場合もあり。地方都市では外匯の需要もないどころか外匯の存在すら知らぬ者もあり人民元が財布で底をついて仕方なく外匯を出す と「こんな札は知らぬ」と都会でなら喉から手が出るほど欲しい外匯も偽札扱い。吉林省の長春に滞在していた時にバックパッカー仲間の英国人のT君が北京か らソ連のモスクワまでシベリア鉄道で旅すると葉書で報せあり。長春の站で、この列車は中国国内での途中駅での乗客の乗降はないが長春にも乗務員の交替か燃 料、食糧などの積み込みかで停まるらしく、どうにかT君に別れ告げたいがまさかホームに入ることなど密出国と思われるがオチで叶わぬか、と思つたが当時の 大らかさで勝手にホームに入り、いつ来るのかわからぬ列車をひとりホームで待つていても駅員の咎めもなし。廿両編成近いのだろか列車がホームに入ると車輌 の窓からT君が手を振る。列車を追ってT君と窓越しに再会。T君は「富柏村(って当時は名はないが……笑)、米ドルを二百ドル持っているか?」と。おいお い、まさかここで金の無心か。このあといつ会うかもわからぬ、こちらとて貧乏旅行者なのに」と一瞬落胆したのだがT君は「早く、米ドルを出せ」とT君の手 には何か赤色の札が……って人民元じゃなかろうか。T君は余が東北の放浪で人民元に欠いていること察し北京で人民元を調達してきてくれたのだ。感謝感激。 懐から米ドル出して窓越しに闇取引。「それじゃ、元気でね」とT君。列車は満州里の国境に向けて走り出す。もう二十数年も前の話なり。それにしてもT君の 温情。余が長春の站でT君とランデブーできるかも確かでなく、ましてや余が米ドル携えていなければT君は等価の米ドルを受け取れず。長春駅前の安宿に泊ま り(本当はその旅館に外国人の宿泊は不可。だがシャープのカラーテレビを入手したが故障で部品調達できぬといふ職員がおり彼女が余が日本に帰つたらシャー プのテレビ部品を調節できぬかと相談あり応じる代償に安旅館への違法滞在可となる)流石に貴重品を手放せず站に友を送るにも腹巻きに現ナマ据えていたのが 幸い。それにしてもT君は余に站で再開できねば人民元持つたまま旅を続けることになり外貨と両替できぬのだから紙屑同然。なんというリスクを背負つての余 への人民元提供であつたことか。紙屑といへば今でこそ人民元切り上げがこれほど世界経済で話題になり香港でも堂々と人民元通用するが十数年前など人民元は ボロボロに使い回された小汚い紙幣にすぎず。広東省への小旅行に日本政府の某国立銀行(って日銀か……笑)の方と同行した際に余の財布に人民元があるのを 見て「あ、ずいぶん紙屑が入ってますね」と笑われたことあり。それが今では、の話。

七月廿日(水)朦霧甚し。蘋果日報巻頭に「警遭割頸」と大きな見出し。漢語の見事な表現。大きな写真。警官が喉を割かれ血がどくどくと溢れ制服を血 で染めるは三島由紀夫が見たらさぞや興奮するであらう姿。この惨事に至る経緯はこの警官独り長沙湾の市街警邏中に不審に思えたのか一人の青年に職務質問し 香港身分証提示求め身分証の記載事項をば本部に無線で確認中のところ青年刃渡り五吋程の刃物で警官の喉割いて逃走。警官一命取り留め青年は五時間後に自 首。聞け ば神経衰弱か「恐怖症」で殊に警察への怖れひどく護身用にとまさに守り刀いつも携帯。その青年が偶然にも警官の目に留まり職務質問され気が動転し護身用の 刃物にて警官斬りつけ逃走するが警察の更なる仕打ち怖れたのか自首。偶然に偶然重なつての出来事。警察はこの事故でさらに警邏など警戒強めるのだろうか。 フーコー的な権力装置と精神の病の係り。早晩に久々にFCCに 独りドライマティーニ二杯。Contaxのデジカメ故障中にあつてニコンのD70S試写。晩にZ嬢と銅鑼湾で食事となり十年ぶりかで某インドネシア料理屋。老舗だが隣の北京料理屋松竹楼とともに(って書 いたら匿名性もないが)「市街開発のなかでいつ潰れてもおかしくない」状況にあつたが松竹楼はその羊肉のしゃぶしゃぶが惜しまれつつ閉業したのに対して、 この印尼料理屋は経営者の若い息子三人が心機一転で経営学を修めた長男、次男が建築で内装担当し三男が店の営業だか店も今様に改装して人気復活。かなりの 人気だが料理は全くいただけず。お勧めといふ牛タンは臭くて残したほどの失望。七 時半すぎには帰宅。相変わらずの閑かな日々。ダワー著『敗北を抱きしめて』読む。なかなか読み進まぬがかなり面白く熟読ゆへ。戦後の憲法制定について キョービ我が国は一言で「押しつけ憲法」としているがダワーの詳細にわたる分析によるとマッカーサーの司令部は当初、旧憲法改正を日本側に促し近衛公爵だ の松本烝治に憲法草案の作成を託すのだが司令部側にしてみれば(これを「米国側」とはできず)日本側の対応を見る限り日本側が正式に受諾したにもかかわら ずポツダム宣言の 意味を理解しておらぬこと確かで不安は司令部が引き上げたあと戦前の日本に戻らぬ体制づくりの困難。例えば松本の憲法草案に加わつた美濃部辰吉博士ですら 明治憲法の改正急ぐことは不要、占領下での改憲は不適切、日本の失敗は憲法の真意の曲解であり天皇を神聖不可侵とするのは欧州の憲法にもある文言であると する (ところで美濃部博士は天皇機関説でまるで反体制のように思われもするが寧ろ天皇制を天皇機関説により近代国家体制に合致させることの大切)。進駐軍は本 来であれば国民レベルで憲法修正の気運盛り上がり選挙で憲法起草委員会の選出などが理想的だが現状はポツダム宣言の要求満たした憲法草案の日本側による作 成は無理と判断し憲法草案作成「指導」することを決定。なぜ草案作成急ぐかといへば戦勝国による多国籍の極東委員会の対日理事会の結成が迫るゆへ。司令部 が最も懸念するのは天皇の地位。対日理事会には豪州や中国など天皇の戦争責任を求めるであろう空気があり国内にも共和制実施(つまり天皇制廃止)の世論、 共産主義の人気も少なからず。その状況で司令部は早急に憲法草案を作成。天皇制の護持のため、それ以外については「かなり左に舵をとった」内容を日本政府 側に受容するよう打診。日本側はこの草案を受け入れ具体的な憲法作成を始める……とこの経緯を見れば、自主憲法の制定ができなかつた原因には日本側が当初 の機会失つたことがあり次に「押しつけ」憲法は天皇制の維持といふ最大の意図があつたこと。もしこの憲法草案受け入れねば対日理事会や国連の采配で「國 軆」の維持も難しかつたこと。つまり「押しつけ」を受け入れたことで皇室も國軆も維持できたのだから保守反動右翼の諸君は、現行憲法を本来は崇め奉るべ き。
▼昨日の蘋果日報の陶傑氏の「ダウニング街故事」なる一文面白い。倫敦がテロに怯えつつも冷静な様はいかにも倫敦的、と陶傑氏が紹介するのは1991年の にダウニング街十番地(首相官邸)が愛蘭共和国軍の爆撃にあつた時の話。この日メイジャー首相は官邸の戦時内閣室にて閣議の最中。外務次官が首相にペルシ ア湾歴訪の報告の最中にロケット弾打ち込まれ二発は不発で三発目が首相官邸の裏庭に飛んで窓ガラス割れる。内閣成員みな卓下へと身を隠す。その卓下にて首 相メイジャー君曰く“I think we'd better start again somewhere else”と。この「どこか他の部屋で話を続けようか」に内閣同意し十分後に隣室の内閣事務所にて会議継続。このテロ行為はこの日の閣議の記録には“A brief interruption to the war committee of the Cabinet took place”の一行加えられたのみ。いかにも英国らしい話。アイルランド共和国軍のテロになど動じぬといふ空威張りも佳し。で話はブレア君。メイジャー君 のあとを襲い首相になつて一年後の労働党大会でのスピーチで打ち明け話は「首相になり最初に教えられたことは核弾頭発射のためのコンピュータ操作につい て、で次にパスポートを返却した。それ以降はパスポートなしで世界中を旅行している」と。陶傑氏曰く、ブレア君若い頃の労働党といへばその首相になつて扱 いにウキウキの核弾頭の整備に反対したのが社会主義信奉する当時の労働党。立場的には親ソで英米政府に対して核廃絶訴えたのが今では労働党のブレア君がこ の核弾頭発射の暗号装置のはいつた革鞄を携える。ロマン的な空想家がこのダウニング街十番地の主人となつた瞬間に一人のPoliticianとなること。 ブレア君首相に当選し初めてダウニング街十番地訪れた日、すでに前の主人メイジャー君は搬走のあと。がらんとした部屋の書卓の上にリボンが結ばれた一本の シャンペン。ブレア夫妻にメイジャー君からの贈り物。カードには“It's great job - enjoy it”と。大人やなぁ。(英国首相が責任担う)民主、自由、そして首相であることの快楽とは何か?……それが時としてお好みのシャンペン一瓶にすぎないの かも、と陶傑氏。
▼朝日新聞に核問題について中曽根大勲位へのインタビューあり。拝読。日本は非核を貫くべきで核保有国に対して軍縮を迫れ、と。御意。本来であればこの平 和主義こそ日本が世界に誇るべきで、それでこそ我が国が国連常任理事国にになることを世界各国が推すべき事由となる。廿年前にまだ六十代と青年将校・中曽 根君が総理就任の頃に「戦後日本の総決算」などと雄叫びあげすわ改憲かと岸君以来の保守反動かと当時思えたが今になつて思えば「自民党をぶっ壊す」どころ か「戦後の日本をぶっ壊す」小泉三世に比べて大勲位の知性、良識、そのリベラルぶり。

七月十九日(火)午前二時頃に雷鳴轟き大雨。二時間の間に数千回の落雷とか。台湾から福建に抜けた大型台風の影響もあり酷暑。香港天文台は最高気温 摂氏 35.4度と告げる百二十年来の観測史上七位の高温だそうだが尖沙咀の丘上の涼しげな百葉箱での気温がそれで実際には空港や沙田など三十九度記録。実際に 銅鑼湾の繁華街を午後二時頃歩いたが暖炉にあたるが如き熱風の最中。炎天下の画像残したいが最近デジカメ写真の日剰への掲載ないのはContaxのデジカ メ故障で修理依頼中ゆへのこと。ふと「画家になる決意」して(笑)湾仔の画材屋・藝林にて携帯用の水彩画セット購入。いつものことだが先ず物から入る。本 当はホルベイン社の旅行用水彩画材セット(これ) 欲しいのだがDaler-Rowney社のAquafineの を購入。いつ絵など描くことがあらうか。早晩にジムで一時間の筋力鍛錬。黄昏も気温下がらず熱風の中、酒場オー ルドチャイナハンドに避暑。カルスバーグ麦酒1パイント飲み帰宅。焼鯖など食す。晩も気温は摂氏33度。古へならば連日のこの天気に人は祟 り怖れ神仏に祈り加持祈祷、戦への派兵も止すなど畏怖の念なり理性ありしものの現代の我々の如き野蛮人は冷房強くするばかりで戦も止す知性もないか。知人 が図書館から借りた本を興味あるでせふと見せられる。著者は魯金の『香江旧舊語』なる本。香港の古い言葉の謂われなど紹介。余も好んで食す粥のなかの「及 第粥」は余は勝手に味が及第であるから及第粥と思つていたが、これは科挙に纏る話で科挙に合格してほしいと父母が息子に精をつけよと食べさせた粥が謂われ で、この粥を食すと科挙にも合格する、で及第粥。香港に多い「大良」の冠の甜品屋の「大良」は「鳳城」と並び広東は順徳のことだが「大良」といふ地名はな く本来はこれは「太艮」といふ地名がいつの間にか「ヽ」がズレたとは。美味いものなので「大良」で良し、といふこと。揚州炒飯も数年前に揚州が地名を登録 商業とするのしないのと話題となつたが揚州にもともと揚州炒飯はなく、これは広東料理。実際に香港では順徳の出である鳳城酒家の揚州炒飯が馳名。この「揚 州」は炒飯の具である蝦と叉焼のこと。また「京都排骨」も京都は地名にあらず肉の焼汁のこと。だが残念ながら魯金氏はではなぜ「蝦と叉焼」が「揚州」で、 京都が肉汁なのか、には言及しておらず。例えば嘘でも蝦仁叉焼のうち「仁」と「焼」が転じて揚州でそれが符丁に、とか納得なのだが。←これは咄嗟に思いつ いたがちょっと信憑性もありかも。で広東語の「打冷」もなぜ潮州の小料理屋が「打冷」なのかずつと疑問だつたが「冷」は潮州語で潮州人が「人」のことを 「冷」と発音するので広東語では「冷」は潮州陣を意味して「打冷」が「潮州料理を食う」だそうな(「打」は「打つ」でなく「する」の意、日本語の「耳打 ち」とか)。
▼水戸を離れて東へ三里、波の花散る大洗……と有名な「磯節」に歌われます、この大洗海岸は南は鹿島灘から続く海岸線に……とバスガイドは遠足の小学生相 手に通り一遍の観光案内を続け小学生の心はガイドの歌う「磯 節」なんてどうでもよくて心は一刻も早く大きな水族館ア クアワールドへ。といふわけで大洗。「やはり」と余の危惧が的中。「つくる会」の歴史教科書が大田原なる栃木の田舎で採択され栃木茨城の「未開ぶ り」を先日論つたが「つくる会の教科書を採択しておらぬ茨城」には失礼と思つていたが「やはり」栃木の次は茨城。的中。さすが未開。茨城県大洗町が地域近 隣での教科書選定に反して大洗町の教育委員会が「つくる会」教科書採択を議決。さすが。大洗なる「単なる」常陸の海岸町、だがそれにとどまらず。まず、い きなりだが五・一五事件。血盟団である。怪僧・井上日召が当時、加持祈祷していた立正護国堂が大洗にあり。今も常陽明治記念館なんて幕末から明治のまさに大日本帝国の雄英 を物語る愛国的な歴史博物館まであるのが大洗。愛国的な風土は動燃の核施設が大洗にあることからも明らか。しかも大洗は「栃木県民の海辺」なのだ(こ ちら)。大洗町の南隣りの旭村には(ほとんど広域には大洗だが)数億円かけた広大な「とちぎ海浜自然の家」まである。今でこ そ東関東自動車道が整備され「海水浴渋滞」は解消されたが、かつては栃木県から海水浴の自動車が渋滞は大洗から西へ三里、水戸まで及んだほど。栃木ナン バーの自動車が続く様は茨城の夏の風物詩。ところでこの東関東自動車道は常磐高速から大洗を経て「ひたちなか」で東海村に至る。言わずもがなの原発自動車 道。核燃料など運ぶためとか、不要な高速道だが原発受け入れの地元への利益還元とか言われるが栃木県民が大洗に海水浴に行くことにかなり便利。といふわけ で栃木の大田原に続いての茨城県大洗町の快挙。見事。
▼磯節の関連サイトを見ていて現在よく聴かれる節回しは那珂湊の尺八家・谷井法童によるもので、水戸の金太の妹・秋子から習ったものといふ記述あり。ここ にも水戸二上りの金太姐さんにまつわる話。……と回顧しても戦前の水戸のとびっきりの芸者であつた金太姐さんのことなどgoogleで見てもこの磯節のサ イトと余の昨年四月六日だかの記述しかヒットせず。
▼仙台市長選挙について中道から左派の候補共倒れと書いたら仙台出身のH君よりオンブズマン小野寺君、元民主党鎌田嬢と共産党伊藤君ばかりか県議から立候補の菅間進君は県知事浅野君が背景にあり。この四候補が、小野寺と伊藤で支持基盤食い合 い、小野寺と菅間は主張が極めて類似、菅間と鎌田とも民主党支持層が票田、その票田に期待かける小野寺、と恐ろしいほどの「共食い」は間違いなく自公で梅原君の当選だろうが得票は三分の一程度か。その程度の支持で首長。とんだ 選挙違反疑獄で仙台市に落下傘の鎌田嬢はともかく市民運動派で小野寺君と共産党、或いは浅野県知事と中道左派の手打ちで小野寺君か菅間といふ一本化の余地 あつたはず。まさに自公が漁夫の利。それにしても不甲斐ないのは民主党。政令指定都市の市長選挙で態度保留。党内には鎌田、菅間、小野寺の支持者が混在し 当然のように保守派は梅原支持で意志の一致できぬ、まさに民主党「らしさ」がこの仙台市長選挙に顕著。これじゃ政権獲得などできるはずもなし。
▼数日前に中国国内でのインフルエンザ研究に圧力ありと香港大学の研究者が公開と書いたが本日の蘋果日報一面トップの続報によれば具体的にこの香港大学微 生物学系の菅軼助教授が汕頭大学(李嘉誠君が全面的に資金提供し設立)の流感研究センター(香港大学との協同運営)の研究主任をしており中国国内での流感 研究をしていたが政府の農業部の官員が同センター訪れ病原サンプルの廃棄あるいは提出を求め同センターは活動停止処分(18日のウォールストリートジャー ナルの報道)。一学者による研究及び研究成果の発表について政府当局はかなり敏感。国立大学の公的な研究機関の研究であれば公開に何も問題ないと思うが中 国の場合これも国家機密。恐ろし哉。
▼湾仔のグランドハイアットホテル横の公園地下に駐車場あり。それが一昨年だか突然、中古自動車販売展示場と化す。駐車場不足の香港で呆れた話。だが、こ この地権者は財閥・新世界発展。政府は新世界発展に対して土地用途が駐車場となつており商業活動認められぬとしたが(03年初)新世界が土地計画委員会に 対して土地用途変更を申請し運輸署はそれに反対(03年6月)。だが当時政務官であつた自称政治家サー・ドナルドがある「社交活動中に某市民から意見があ つた」として所轄部署に対してこの土地の使途の検討命じる(同年9月)。その結果1ヶ月後に運輸署もこの土地を商業地とする変更に同意。で「偶然に」翌 04年5月に自称政治家サー・ドナルドの実弟である元警察署署長の曽蔭培君が新世界発展の傘下にあるデベロッパー新創建集団に天下り。見事によく出来た 話。サー・ドナルドの如き小役人が権力握ると思考回路がどうなるか、の明白地なる事例。

七月十八日(月)猛暑。摂氏34.4度は香港天文台観測史上十位の高温とか。この気温、山形や京都、甲府など日本の盛夏に比べれば南洋の香港がこん なものか、でジャンジャン、だが朝晩の気温低下で日格差大きい日本に比べ晩も三十度で蒸した体感気温は香港凄まじきものあり。呼吸も能わず。湾仔のMTR 駅のA3、A5出口付近に政府の合成麻薬の配給所あり。麻薬中毒「患者」が麻薬に深く手を染めぬやう、かといつて「更生」難しき者どもに政府が麻薬合成し て支給する場所なり。ちなみにこの合成麻薬の原料は覚醒剤など政府押収の非合法麻薬類にてここ数年香港での押収量減り減量不足とか。でこの配給所の門前に は中毒者が徘徊。その日に決められた所定の次の配給時間までこのへんに屯する。一見して「廃人」モード、小汚い犬など連れて座り込む者少なからず。此処は 湾仔のハーバー沿いの政府庁舎や會議展覧中心に向かう歩道橋の入り口でもあるが「あそこを通るのは怖い」とジョンストンロード側からは敢えてA3から湾仔 MTR站に下りて地下構内のエスカレーターで歩道橋にあがる(またはその逆)市民も少なからず。話は長くなつたが、この暑さと淀む大気のなか、その麻薬中 毒者の屯するところを通るのはかなり不快。それだけ。それにしても福祉といふのは立派なもの。麻薬中毒で廃人化した者にまで公的資金で合成麻薬給してまで の業。人間性。愛情。人権の尊重……だが裏を返せば合成麻薬与えることで「これ以上、暴れるな」かも知れぬ。最終的には社会の保全。早晩にジムで久々に一 時間の有酸素運動。いつも冷凍庫のように冷房きついジムも強烈な西日で蒸すほど。上海三六九飯店で 青椒肉絲飯と蝦仁豆腐飯をテイクアウト。そのへんの茶餐庁に比べても高くない(どころか安い)HK$29で立派な「ぶっかけ飯」に美味なる例湯がつく。注 文して、待てば数分なのだが、その待ち時間を理由に近所の愛蘭土バーDelany'sでギネ ス麦酒一杯飲む。本来であれば「ちょっと、すぐ戻ってくるから」で三六九飯店にジム用のカバンくらい置かしてもらふのだがブッシュ、ブレア、小泉の三馬鹿 トリオのおかげで「ちょっとカバン、置かしておいて」も警戒される時代。上海料理屋はまだテロの標的になつておらぬが、あと数年すればウイグル独立武装戦 線など各地の北京、上海料理屋なども標的にするかも。すべてその元凶がテロリズム利用する<体制>にあるのだが。ギネス麦酒でほどよい酔心地でテイクアウ ト受取り、ついでにこの店の秀逸なる芝麻地湯圓も一箱。帰宅。青椒肉絲飯はイマイチ。おそらく最後の味付けと片栗粉流すの忘れた感あり。最近の晩の閑かな 生活。自宅で晩飯を済ませ季節の果物、それに甘味を一口。美酒。読みたい本。江藤淳的に他に何も要らぬ。これでこのまま死んでしまふと伊丹十三の「お葬 式」の奥村公廷演ずる老人のぽっくり死でさぞや幸せなことであらう。だが元気なので資料整理したり書棚からいくつか本を出して調べ物などしていると、本の 隙間から昨年七月廿九日の吉田秀和氏の語り書きの切り抜きが出てくる。(昨年七月下旬の日剰参照されたし)再読。愛妻を亡くし「心の空白」填められぬまま 執筆を中断した氏の悲しみ。朝日新聞での「音楽展望」の再開も「せめて正月にならなければ、この先いつやれるかわからない」とこの切り抜きは終わるが、今 年になつても再開されぬまま連載は梅原猛氏にかわる。ダワーの『敗北を抱きしめて』続き読む。
▼米国のおそらく黒人で初の大統領に近い将来なるであろうBarak Obama君のイリノイ州Knox Collegeでの Commercement(こちら)が 話題になつている。一読したかぎりApple社のSteve Jobs君のCommercementよりかなり深い内容。この小濱馬楽君の政治家としての特性は見事なものでシカゴで開催された米国図書館協会の総会にも招かれての演説(こちら)読むとFBIなど国家当局がテロ防止のため図 書館が憂慮する個人情報蒐集について(なんと醜悪なるPatriot Act「愛国者法」といふ法律の名前)ワシントン(政府)はいつも“either-or”で「テロから市民を守るか、或は、我々の最も大切な基本 的精神(つまり自由)を守るか」の選択を強いるが、小濱君に言わせると問題はそういうことぢゃない、で“We can harness new technologies and a new toughness to find terrorists before they strike while still ptotecting the very freedom we're fighting for in the firtst place”で市民的自由という基本を守りながらも図書閲覧や電子メールの解読といつた技術捜査もテロを未然に防ぐには必要であり図書館員は図書館利用者 の閲覧記録の当局への提供や電子メール解読に不安を抱くであろうが議会がこの愛国者法の制定にあたつては政府捜査当局のこういつた情報捜査に対して議会の 監視と司法の厳正な判断が規制力となるものであることへの理解を求める。個人的には我は賛同できぬが小濱君は「テロの驚異」も利用しつつ米国の建国理念で あるとか議会の、つまり議員の尊厳と権限であるとか巧みに用いて自らへの信頼を求める演説内容。見事ではある。これだけの演説ができる代議士が日本にどれ だけいようか。せいぜい北朝鮮の悪口言つて陳腐な愛国心煽るだけ。それにしても日本のマスコミ、通信社の小濱馬楽君への感心が低すぎる。ワシントン総局と か日米間の尻ぬぐい報道ばかり。
▼仙台市市長選挙。現職藤井黎君引退で31日投票。公明党の藤井君支持を思えば実質的な禅譲で(河北新報) 公明党に自民党が便乗で元経済産業省通商交渉官の梅原克彦君の当選は確 実。せいぜい話題といへば選挙違反疑獄で民主党離党した鎌田さゆり女史の立候補だが今回の選挙には香港市民オンブズマンの元代表・小野寺信一君が市民団体の推挙で立候補しており本来であれば自主投票 決め込む民主党票や相変わらず単独候補擁立の共産党が小野寺君支持にまわるべき。小野寺、鎌田での票の喰い合いで共倒れ。この二人の票に共産党票加えると 当選の梅原君の得票を上回る、ということか。結局、チャンスはあつてもそれを活かせず。なぜか。利権がないから。利権があれば保守であれ「思想信条を越え た」自公の協調もできるといふこと。仙台市長選挙もかつては26年間市長勤めた革新市長島野武君の逝去で84年の市長選では保守の推す(って実質的に三塚 博君の子飼いだが)石井亨に対して伝説的な社共共闘で弁護士の勅使河原安夫君が対決。結果、石井亨の当選となつたが石井亨は全国市長会会長にまで就任した 三期目の93年にゼネコンからの1億円収賄で逮捕され有罪。で藤井君の登場だが今にして思えば藤井君擁立での自公協調はその後の小泉政権での自公蜜月の前 兆だつたのかも。
▼李嘉誠財閥の土地開発会社・長江実業のいくつもの新築マンションの中でも高級さでは群を抜く72階建のホンハムの海 名軒の広告で「以睿智創造経典」(睿智ヲ以テ経典ヲ創造ス)と金庸の言葉らしいが大きく引用し顔こそ写らぬが金庸らしき老文人の手許の写真。これ でこのマンションの気高さの宣伝か。宣伝はいいが金庸先生はケムブリッジ大学の栄誉学位授かった中国の現代文学代表する小説家(武侠大衆小説とは言わぬ が)、日本でいへば池波正太郎か司馬遼太郎である。それほどの文人が財閥の一マンションの宣伝に荷担するとは。

七月十七日(日)快晴。家事諸事あり。天文台の天気予報で摂氏三十四度。炎暑さ猛々しきなか裏山から大潭を下り島南岸の浜辺に至る。熱中症で倒れて も不思議でない結果10kmのランニング。大潭もダムこそ満水の水湛へるが引水路はさすがに渓流の流れ失せる。天下の実際は四十度近いか。さすがに途中歩 く。ふと二十年ぶりかでマルクス&エンゲルス『共産党宣言』読む。昭和41年第27刷の岩波文庫で★1つ。大内兵衛と向坂逸郎の簡潔なる訳。この四十年も 前の岩波文庫版を何処から入手したのかも記憶になし。共産主義の優位と党の指導についての理論的根拠と肯定については具体的な共産主義の「実現」と現実を 見てしまつた我々には当時のこの書物に書かれたことをそのまま信ずるには能わぬが例えば今日われわれがグローバリゼーションと呼ぶ社会についての文章。
ブルジョア階級は、世界市場の搾取を通して、あらゆる國々の生産と消費とを世界主義的なものに作りあげた。 反動家にとつてはなはだお氣の毒であるが、かれらは、産業の足もとから、その民族的な土臺を切り崩した。長年の歴史をもつた民族的な産業は崩潰されてしま ひ、またなほも毎日破壞されてゐる。これを押しのけるものはあたらしい産業であり、その採用はすべての文明國民の死活問題となる。しかもそれはもはや國内 の原料ではなく、もつとも遠く離れた地帶に産出される原料を加工する産業であり、そしてまたその産業の製品は、國内自身において消費されるばかりでなく、 同時にあらゆる大陸においても消費されるのである。國内の生産物でみたされてゐた昔の慾望の代りに、あたらしい慾望があらはれる。このあたらしい慾望をみ たすためには、もつとも遠く離れた國や氣候の産物が必要である。地方的であり民族的であつた昔の自足と隔絶の代りに、あらゆる方面との交易、民族相互のあ らゆる面にわたる依存關係があらはれる。物質的生産におけると同じことが、精神的な生産にも起る。個々の國々の精神的な生産物は共有財産となる。民族的一 面性や偏狹は、ますます不可能となり、多數の民族的および地方的文學から、一つの世界文學が形成される。
を読むと百六十年も前にこのグローバリゼーションを見通していた二人の思想家の偉大さ痛感。この共産党宣言の第一章はその社会構造の分析の見事さからして 永遠に読まれ続けるべき。マルクス&エンゲルスの予想外となるは、資産階級と無産階級との社会の分化の中で無産階級が団結どころか若い人口が労働力になる ことすら回避したこと。そして工業化はかつての労働力を必要とせず。彼らが「放っておかれる」こと。工業化社会での労働力になる荷担もなく投資者として余 剰資本の再生産に加担することもなし。熟練の技術であるとか専門知識もない点では農業など経験を要する生産にも就業できず。資産階級と無産階級に対して彼 らは「非産階級」とでも名づけられようか。この非産階級の誕生と増加が社会をどう変えるか。革命かも。資本主義社会が彼らにより崩壊される革命。……これ で新書が一冊書けるかしら。レモン搾ってウオツカレモン。日が長く明るいうちに大河ドラマ「義経」観る。番組冒頭の配役に大江広元は松尾貴史とあり。演じ るを見て全くニンがない。当代一の文官である、のちの幕府公文所別当となる大江広元の役は「やはり岸田森」。岸田森の天逝が四十三歳で79年の大河ドラマ 「草燃える」で見事に広元役を好演が四十歳であつたとは今さらながら驚くばかり。ちなみに問注所執事となる三善康信も「草燃える」の石浜朗が今でも彷彿さ れるのは言う迄もない。木曽義仲の息子・義高を斬首にした頼朝が斬首に異を唱えたであろう義経を斬首済んだあとに呼んで武家の世について理想を語るシー ン。わずか数分の場面であるが眉間に皺をよせた表情のタッキーに対して中井貴一の一見厳しい表情だけだが実に豊かな表情の変化。これぞ役者。思慮深い頼朝 を好演。だが頼朝もいつ義高が父を殺した恨みで自ら(頼朝)を殺そうとするかわからぬ、身内だからと温情はかけられぬ、と冷静ではあるが「源氏でも平家で もいいのだ、望むは武士(もののふ)の世」と言ってはみせるが結局は嫁家の北条に天下とられると思うと義高に対する斬首が冷静さといふより自らの半生での トラウマにしか思えず。冷静なようで実は頼朝の思考には幼少期からの怯えが根強いこと。脚本と演出がそれをよく映す。当然、中井貴一の好演あつてのことだ が。先週からのこの源平合戦見て興味深いのは法皇もさることながら武家である源平も天皇といふ存在より何よりも三種の神器への執着。これをもつことの正統 性。ダワーの『敗北を抱きしめて』でも昭和天皇の人間宣言、あれは「人間宣言」と言われているが正確には「新日本建設ニ関スル詔書」と言うのだそうな。そ れだけでもそれがけして天皇の神格否定が主旨でなく新日本建設のために必要な詔書であつたことは容易に想像できる。が問題は「人間宣言」などという「愛 称」ばかりが通用していることからくる誤謬。進駐軍による原案には「国民性に優越する人間性」といふ当時の実に明朗な精神が書き込まれていたが、その詔書 は完成してみれば、通常言われる「神格の否定」人間宣言など二の次で、最も強調されたことは「叡旨公明正 大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス」「国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾 フ」と明治帝の五箇条御 誓文の精神に立ち返り国づくりに努めるご決意。結局、自らが神であることは否定しても天照大神の子孫であることは否定せず=できず。なぜなら天皇 制といふものが神話理論の系譜の上に成立しているからであり、その抽象的な神話理論と天照大神の子孫であるといふ証左が具体的には三種の神器であること。 話は「義経」に戻るが後白河法皇がどれだけ権力を握り政略に優れ源平をも愚弄するほどであつても三種の神器が手許にないことだけで法皇とてそれでは策士で 終わつてしまふほど。今上天皇陛下におわせられても護憲派のリベラルな陛下だが神事には先帝にもましてご熱心とお聞きするが、それも民主主義やリベラルと いつた理念とは全く違う次元でやはり天照大神からの神話の系譜の流れに御自らがおわせられることへの通念なのであろうか。『共産党宣言』読了して伏床。
▼若い頃からずつと平凡社だったか宝島だったのか雑誌に「リリー・フラン キー」といふ書き手あり。この人の登場から暫くは「リリー」といふ名から艶っぽい姐サンがオヤジ気取りの文体で、と信じていたが実は本当にオヤジ 臭い若者だとわかつた時の驚愕。今日の朝日の書評にこのリリー・フランキーの『東京タワー』といふリリー氏の母の物語について池上冬樹が書いておりリ リー・フランキー版「死にたまう母」という言葉が目に留まり母へのオマージュの文学として茂吉の『赤光』、井上靖の『わが母の記』や安岡章太郎の『海辺の 光景』を挙げ、死にゆく母をみつめる息子の物語……という文章に「やはりリリー氏はこの域に達したか……」とかなり感慨。だがよく読むと「死にたまう母」 だが「深刻な話も笑い話にしてしまう作者だから何度も笑える」「死にいく母をみつめる息子の物語はあるけれど、それに比べると冗漫で、ネジのゆるい語りで あるが、でも逆にそのゆるさが風通しをよくし、豊かな猥雑さをとりこんで、ユーモアを光らせ」「情感豊かに、しかも“バカタレな日々”を通して描いた」と いふ紹介を読んでリリー氏はやはりリリー氏であるとどこか安堵。それにしても「母の死を恬淡と語りながらも静かに胸にしみいるものにしている」「まぎれも ない才能による、まぎれもない傑作だ」とはやはり凄いこと。
▼先週の話になるが香港の汚職贈賄摘発のための廉政公署(ICAC)のナンバー3、政府関係調査部主任のGilbert Chan Yak-Shing氏が十四日に一身上の都合により廉政公署から辞職を表明。十五日で退職。弁護士になるとか。今日の香港社会に最も貢献したマクルホース 総督が創設した廉政公署が香港をまさに廉政化してきたのは事実だが、政府汚職等摘発のための独立機関で政府の権限が及ばぬ事が目立ち、例えば財務官であつ た梁錦松の自動車税増税公布直前の自家用車購入(これで辞任)、香港警察マル暴幹部警視正が暴力団からの売春接待享受で警察側に一切の事前通告ないうちに プレス発表、贈賄摘発のための盗聴など、この組織の存在が煙たい組織が多いのも事実。昨日のSouth China Morning Post紙は今回のGilbert Chan氏の辞任は事実上の更迭で、廉政公署の現在の権力と規模の縮小が北京中央から「自称政治家」行政長官サー・ドナルドに与えられたThree dirty jobsの一つであると指摘。信望のかなり厚いChan氏を辞任に追い込むことでICACの勢いを削ぐこと。3つのやっかいな仕事とは何か、ひとつがこれ なら、もう一つは明らかに香港電台(もう一つは何かしら)。だが北京中央がICACを嫌うのはなぜか。指導下にある香港政府の庇護なのか、或いは駐港の中 央政府の関連組織が香港での親中派の勢力維持拡大での「作業」上でICACの捜査対象になどなつたら困る、といふ配慮なのか。

七月十六日(土)朝一旦帰宅して急ぎ雑事済ませまた某宿泊先へ戻る。天気は絶好調だが午後遅くまで室内に籠りまずはじつくりと新聞数紙読みダワーの 『敗北を抱きしめて』下巻読むが微睡みばかり。東京裁判を勝者による厳正さ欠ける法廷とする論調がキョービでは当たり前のようになり直近の週刊文春でも小 野田寛郎が阿川佐和子相手の対談で東京裁判について「あれはラグビーの試合やって、終わってからこれはサッカーだったんだ、お前はボール持って走ったから ルール違反だと言われるのと一緒。自分だってボール持って走ったじゃないかと本当は言いたいですね」とここまでは多少「確かに」と思うところもあるが「裁 判になっちゃいないですよ。マッカーサーも東京裁判結審の二年半後に上院で「あれは日本の侵略戦争じゃない」と証言してるんです。自衛のためだったと」と 指摘。阿川佐和子が「もっと大きな声で言ってください(笑)。」とバカなかけ声。ダワーの著作を読むと東京裁判は確かに勝者が敗者を裁く裁判であるが日本 は被告の立場でなく國體の維持と天皇制の存続、裕仁天皇の続位のために進駐軍とかなりの共同作業があり東条英機らA級戦犯は連合国側からではなく我が国か ら「天皇を守るために戦場ではなく正義の法廷において文字通り死ぬことを求められた」といふ。生贄之羊。それを思えばA級戦犯が靖国神社に合祀されること には一理あり。単に戦争で命を落とした、とすると戦争に兵隊を駆り立てた東條らは加害者であるがお国のため、天皇のために命落としたといふ点では東條らの A級戦犯は誰よりも祀られるべき対象なのかも。ある面では小野田寛郎の言ふ通り東京裁判は裁判になつていない。が後藤田先生も指摘している通り東京裁判は 日本を独立国家として再建し国際舞台に出すために必要な通過儀礼なり。小野田寛郎が取り上げたマッカーサーの自衛戦争「史観」はダワーの著作を読みながら 考えると、あの無表情なマッカーサーがかなり彼なりの理念上の<日本>といふものが存在していることがわかり、それを考慮すればマッカーサーの日本の見方 はけして客観的ではなく寧ろ(上手く表現できないが)ジョセフ=コンラッドの“Heart of Darkness”的なものかも知れぬ。午後遅く帰宅。最近やたら楽しい市場での食材調達。夕餉。アボガドとトマト、緑アスパラのサラダ。トマトと挽肉の パスタ。新西蘭のNobiloなる白葡萄酒のSauvignonの04 年。自宅にいる時間が多く必然的に片付け整理整頓。Gary張智強の“Hotel as Home”なる本を見たことで意識的に“Home as Hotel”しているところもあり。晩遅くなつても気温は摂氏三十度下回らぬ超熱帯夜。黄角ソーダぐいぐいと飲む。
▼昨日のヘラルドトリビューン紙にシンガポールの映画監督Royston Tanの新作“4:30”紹介する記事あり。昨年の香港映画祭で彼の“15”がいまだ印象に強く残る。今回の作品はNHKが拘つておりシンガポー ルの文化基金だかの援助もあるようで“15”に比べれば普通に収まるのだろうが。

七月十五日(金)快晴。雲一つなき青空。某組織に請われ某所にて講演一つ。講演といふより漫談か。早晩にハッピーバレーの澄寿司でにぎり寿司を持ち帰り。 祥興珈琲室でエッグタルトも購ふ。今晩は某所(ゲストハウスのような場所)に隠る。日曜日に薮用あつたがそれも無理を言つて断り週末は隠る 打算。いくつか 本を持参し心ゆくまでのんびりするつもりなのだが。
▼昨日からの今日の楽しみは勿論、船橋の市立図書館での司書による「つくる会」関係書籍焚書についての産経新聞の論評。築地のH君より産経社説(こちら) が期待通りの出来、と知らせあり(笑)。誰もがこの司書の印象は左翼、市民運動に熱心、購読するのは間違いなく朝日新聞、なわけで朝日は社の主張としては 「つくる会」の歴史観に反対するが表現、出版の自由は擁護されるべきで図書館で司書が個人的判断で書籍処分したことに対しては反対を主張(こちら)。それに対し て産経は、この判決がもちうる意義として公民館や図書館での(産経的には絶対に許容できない)「自虐的」「反日的」主張をも保護しなければならない、とい うようなことは当然、意識の片隅にものぼっておらず。むしろ「新しい歴史教科書をつくる会は日本の未来を担う子どもたちにバランスのとれた歴史を伝えよう という人たちの集まり」であり「マスコミの一部に扶桑社教科書のみを排除しようとする論調もあるが、やはり自由な言論を封殺するものといえるだろう」とこ の時ぞとばかりに扶桑社ばかりを排除しようとするマスコミ=つまり朝日を「自由な言論を封殺する」と攻撃。それじゃ産経が扶桑社の教科書のみを推薦するこ とは言論機関として「バランスのとれた」ことだろうか?となるが産経に指摘するだけ野暮。また多様な言論を保証することが大切だとするならNHKも公共放 送として図書館同様に多様な言論が保証されるべきで、NHKのドキュメンタリーなど偏向と批判していいのだろうか。この図書館司書が図書館の規定にそぐわ ず自分の判断で勝手に蔵書を処分したことが最高裁で違憲とされるのならNHKも自民党からの圧力はなかったとしても総局長が勝手に番組内容に示唆を与える ことも図書館司書の行為が違憲と同じレベルで問題があると思えるのだが。それにしても産経が「蔵書の取捨選択は地域住民の立場から、公正に行われるべきで ある」と強調するのは気になるところ。下手すると関係者動員して組織票を集め身内、味方の著作を購入させる。いったん購入すれば「市民が要望した本」とな り、一方で、従軍慰安婦などを扱った図書に対しては「公共図書館にふさわしくない」という「地域住民の声」を集中させれば「公正に」排除も可。
▼多摩のD君から図書館の話ひとつ。沖縄の西原町なる自治体の図書館前広場に大砲を飾る動きあり。2004年12月に西原町幸地の建設現場で旧日本軍の 155ミリ榴弾砲見つかり町は「平和教育に活用する」としていたことから始まり今年3月に町議会がこの大砲を図書館前広場に設置すること可決。60年前の 沖縄戦で住民の二人に一人が犠牲者となったこの町。地元の反対住民の主張を紹介すると、町長は「平和教育のため」と謳ふが説明文が加えられるとしても単独 で置かれ人目にさらされる「大砲」が与える衝撃の大きさ。図書館は「一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的と する施設」で「大砲」の設置場所としてふさわしくない場所。
▼北関東の民度の低さについて仙台出身の友人に指摘される。選挙の結果をみれば一目瞭然。いまどき「保守独占」など北関東のほかは北陸と九州くらい。東北 は案外自民党が弱い。知事も6県のうち半分以上は自民が負け。小沢一郎の影響も多少はあろうが、やはり農政への批判が強くて(これが理性)、もう百姓が 黙って自民党入れる時代でもない、と。つまり北関東は東北の百姓(と栃木茨城は東北を嗤うが)その東北の百姓より田舎者であること。

七月十四日(木)快晴。早晩に献血。あつといふ間に三ヶ月の一度の献血。献血の針刺す前に刺部への麻睡の要不要尋ねられ最近の好みは不要。普通の注 射針よ かいくぶん太めの採血針が静脈に刺される。450ccの血液が採れる間の気だるさ。ここまでは森田童子的だが採血終わり血液検査のため真空の試験管四本に 次々と血が勢いよく吹き出す様眺めていると気分は朔太郎。五分ほど安静にしていろと言われ針を抜いたところに脱脂綿当て反対の手の指でそこを押さえ献血用 の簡易だが坐り心地良き仏蘭西製のリクライニングチェア(これは香港赤十字ご指定のようで何処の献血センターも同じ椅子)に横になつたままでいる、その時 の微睡みほど快感は他にし。香港で実に三十度目の献血で顔なじみの職員に礼を言われるが献血(実際には抜血)したあとの首や肩凝りの痛み失せる気分を思え ば寧ろ一回毎にHK$100払つても抜血したきほど。時代広場のページワン書店にてヰリアム登β達智が信報に随筆でずいぶん前だが紹介していたGary張 智強の写真と随筆“Hotel as Home”購ふ。この書店は新嘉坡で創業。十数年前になるが創業者のT氏が香港での事業展開図りまずは自店のまえに問屋として本配給考えていた頃にお会い したことあり。すぐに銅鑼湾の柏寧酒店の商場に店構え発展は今日に至るが香港の旗艦店であるこの店は時代広場といふ「上下階に動きづらい」商場の而も九階 は残念。慣れていれば十階以上の食堂街に上がる昇降機で十階へ行き一階下るか、実はオフィスタワーの昇降機も便利だのだが。昔はかなりアート系写真集の揃 えが良かつたが今はデザイン系はあるが写真集は非常に乏しい。単価が高く売れないと全く売れぬ写真集は敬遠なのだろうか。地下のCitysuperにて食 材購ふ。博多屋の豆腐。日系のパン屋でそりゃ美味いのだろうが食パン一斤と菓子パン数個購いHK$62と言われ千円だ、普段買わぬのでとても驚く。ジンの うちタンカレーが切れていたので補充。芋焼酎の白波もついでに。帰宅して冷奴にネギ焼。とろろ芋に麦飯。焼酎。散乱つたままだつた机上をいつきに片付け る。何年も使つておらずの初代iMac、当然だがボンダイブ ルーが美しい。ずつとMac IIと一緒に窓辺に飾つておいたのだがさすが書斎で場所をとり断念。余丁町散人氏もお使いだつた(こ ちら)。iMacの前にさりげなく置かれたジタンが絵になつている。いつ放出してもいいように中身再インストールしてきれいにする。どう処分する か。従兄のS兄から晩の早い時間に浅草の神谷バーで叔父(従兄の父)と従弟のT君と飲んでいる画像がメールで届く。神谷バーはやはりハンチング帽が似合ふ ようにならないとサマにならない、と叔父の姿を見て思ふ。叔父が被つているのは我が亡父の、つまり叔父にとつては弟の遺品のハンチングかも。ダワー『敗北 を抱きしめて』下巻少し読む。
▼大河ドラマ「義経」で物語はもうすぐ屋島の戦。(以下、ナレーションは白石加代子風に)屋島といへばぁ那須与一でございます。九郎義経さまが与一に「あ の扇を弓で射落としてみよ」と申されましてからぁ……時代は八百年ほどすぎたのでございますぅ。与一の故郷はぁ那須塩原、現在のぉ栃木県大田原市。奥州への街道筋とは申しましても所詮は 下野の鄙地、那須と八溝の山にはさまれたこの地は海もなく、玄海の彼方には高麗、唐国には宋が栄えるも知らず、無知ゆへの度胸か、来年度から市立中学校で 「新しい歴史教科書をつくる会」扶桑社の歴史、公民教科書の採択を決定したのでございますぅ……とここでタイトルの「義経」の文字、アシュケナージ先生の指揮する N響の奏でるテーマソング流れ、本編へ。。(朝日)さすが栃木、 大田原の快挙。教育委員会で全会一致で採択。もはやカルト。日本政府も海外マスコミもこの極右教科書が検定通り出版はされたとはいへ採用は国家神道系の極 右反動私立校か石原の鮴押しで都立中高一貫校だの養護学校だけで一般の公立学校は採用しておらず全体のシェアの1%にも満たない、といふことを「安心して ください」の説明としていたが栃木の田舎者の反乱でご破算。突然「男を上げた」市教委の小沼隆教育長は「自国の伝統、歴史を正しく学習して日本という国に 愛着をもった子どもが育つと思う」と宣ふ。那須のご用邸も近いこの地で「日本を愛する心を育むことで天皇陛下にも晴れて那須塩原駅をご利用いただける」と か勝手に感動しているかも(笑)。しかし今上陛下なら寧ろこの大田原の愚挙に呆れ那須ご用邸に参られる際は那須塩原駅お使いにならぬのではなかろうか。教 委での採択決定に先立つ教科書採択協議会では会場が「ホールの窓はカーテンを閉め完全非公開」で「採択委員がトイレに出るさいも職員がつきそい、ものもの しい雰囲気」(赤 旗)と圧力かかつた栃木の未開の地の寄合いの怖さ。茨城栃木の民度の低さ(群馬は除く)は今更指摘するに及ばぬが(東北地方への偏見も実は最も強 いのがこの北関東=自分たちが精神的に田舎者であることを理解しておらず)東北新幹線や高速自動車道で那須塩原を通り過ぎる際は知的判断力が鈍らぬよう、 また未開が染らぬよう注意すべき。栃木は前回採択の際に小山市のある地区で扶桑社教科書の選定を決めたが各市町教委が良識でこれを不採択とし決定が覆され た過去あり。今回は扶桑社側の復活戦で保守王国の名に恥じぬ快挙。このカルト的な大田原の教育委員会であるがカルトといへばオウム真理教の信者の子どもの 公立学校入学拒否したのもこの教育委員会のこの小沼隆教育長で、つまり「男を上げた」のは二度目。立派。
▼栃木県大田原市の快挙も怖いが逆に千葉県船橋市の市立図 書館の司書が「新しい歴史教科書をつくる会」や関係者の著作などを勝手に処分(朝 日)。これもカルト的な怖さ。同館の「除籍基準に該当しないにもかかわらず」つくる会や同会関係者の著書30冊、西部邁君の著書43冊と渡部昇一 君の著書25冊を含む百冊余を廃棄。最高裁も書籍処分は違法判決。この司書らは偶然の結果だと主張し破棄した本の中には岩波書店の『世界』や週間金曜日も あつたといふ。逆の意味でちょつと気になるのはこの程度の規模(こちら)の図書館で(蔵書数は電話で聞いたら25万冊)廃棄されただけでも西部君43冊と 渡部君25冊あつたといふのは意図的に多すぎ。

七月十三日(水)快晴。猛暑続くが日陰に入れば香港にしては涼しくもあり。木陰でバスを待ちながら余も愛用のMacintosh製造するアップル社 社長のスティーヴ=ジョブス氏によるスタンフォード大学の卒業式典(学位授与式こ ちら)での来賓祝辞が話題になつており読んでみる(こち ら)。有名大学でこの晴れの場で(毎年一人のこの祝辞述べるは栄誉も栄誉)大学を出ずとも大成したジョブスが、で内容は“Stay hungry, stay foolish”とテキストを読めば「それほど話題になるほど?」と思うがスピーチというのはその場でその空気のなかで、而もプレゼンテーション上手の ジョブスであるから彼が式典で話すのを聞けば殊更感動するのかも。北角で食材など買い出し。豆乳を売る店が北角はことさら多い事実。注意して歩くと北角道 あたりは数軒に一軒が豆乳を売る。買い物終わり陽もまだ高く開店早々の寿司加藤にかなり久々 に寄る。当然まだ客はおらず口開け。エビスビール小瓶。板前N君の用意してくれた胡瓜とぬた、焼蛸で冷酒で澤の泉コップに一杯。半時間でさつと辞す←美 学。近くの勝利小厨で海南鶏飯をテイクアウトし帰宅。雑事済ませかなりたまつた未読の新聞切 り抜き数時間かけて読む。
▼今月初旬の信報の記事だが香港大学の民意調査の雄、鐘庭耀氏が専門的立場から自称政治家ドナルド曽の立法会での所信表明演説について分析。ところでふと 思えばドナルド曽などと呼びつけしていたが彼は英国女王から大英勲章(The Most Excellent Order of the British Empire)授けられており大英勲章でも序列ではGBE(Knight Grand Cross of the Order of the British Empire)に次ぐKBE(Knight Commander of the Order of the British Empire)で「ナイト」なのである。男爵だ。サーの称号でサー・ドナルドと呼ばなければならない(サーの称号は臣茂と同じで姓でなく名前の前につけ る)ので今後は自称政治家サー=ドナルドか自称政治家ド ナルド曽卿と呼ぶこととする。KBEがどれくらい偉いかといふとビル=ゲイツと同位。でちなみにGBE、KBEに続きコマンダーでCBE、オフィ サーでOBEと続き第五位のメンバーでMBEまで。エリック=クラプトンがCBEでベッカムはOBE、ビートルズがなぜか真田広之と同じでMBE。閑話休 題。で鐘教授はサー・ドナルドが所信表明演説中にかなりの時間割いて中央政策組による民意調査のデータ用いていること。市民の関心は経済問題(5割弱)、 民生(3割弱)、政治と環境(それぞれ1割)で調査に提示した二十五の問題テーマのうち市民の関心高いトップ10を挙げると雇用拡大と失業対策、政府行政 改善、環境、公営医療、貧困、行政府と立法会の関係改善、義務教育での少人数クラス実現、年金、旧市街開発、などと続きサー・ドナルドが強調したのは基本 法二十三條での公安立法は18位で普通選挙実施は13位と市民の関心低きこと。鐘教授は世論調査の具体的な数字が政治行政に反映することはいいこと、とし ながらも、このサー・ドナルドの用いた調査は「いつ、どこで、誰が、誰を対象にどのように」調査したか、といふ世論調査で公表すべき前提の基礎データが正 確に公開されておらぬ点を指摘。「誰が」は中央政策組」のようだが演説中に「この調査は香港の大学の専門機関に委託」と述べてもいること。どうも怪しい。 が怪しい以上にサー・ドナルドが意図的なのは(以下、富柏村私見)この市民の関心あるテーマは現実の生活に関係あるものと政治的関心の2つの異なるファク ターが混在している点。雇用拡大と失業対策、環境、公営医療、貧困、義務教育での少人数クラス実現、年金、旧市街開発などは直接の生活にかかわり、政治的 関心は政府行政改善、行政府と立法会の関係改善に続きで普通選挙実施があり当面は立法化のないであろう基本法二十三條での公安立法が下位にある。しかも政 府行政の改善と行政府と立法会の関係改善は現実の政治上での関心であり、普通選挙実施はこの関心テーマのなかでは政治的関心で而も将来的関心ではわずかに これ一つのテーマであること。つまり「ごちゃまぜ」のなかで政治的将来的関心である普通選挙が13位にあることはどれだけ関心が高いか、と認識すべき。こ のような調査項目の整理は社会調査ではとても基本的なこと。それが理解できないのか、だが多くの場合、理解していてデータをば意図的に利用改竄する場合、 このテの誤用が意図的にされるのが事実。
▼十日の蘋果日報日曜版で陶傑氏の政治評論連載「星期天休息」が面白い。香港の政治がサー・ドナルドと世渡り・許の公務員コンビの「行政主導」となつたこ とで、これからの香港で子どもにならせてはいけない職業は「政治家」である、と(笑)。而も政治家を選ぶのは選挙で、選挙こそチャーチルが“No part of the education of a politician is more indispensable than the fighting of election”と述べたほど選挙が政治家を育てる。地域議会から市政局、立法会へと政治家が育つ。香港でいへば廿年前に英国植民地政庁が市政局議会の 普通選挙実施から始めた政治民主化の動き。この頃に政治活動志望した若い世代が今、立法会で立場こそ左右に分かれても李柱銘や曽[金玉]成、周梁淑恰、李 卓人など活躍しているのはその証左。だが市政局議会が廃止され、区議会もほとんど地元の中小企業社長のお座敷化。選挙制度は肝心の行政長官は間接選挙、立 法会も業界枠あり政府に有利、選挙でも親中派や財界、御用労組が後押しして愛国陣営が自らの政治力量以上の得票を得るのが現状。廿年前に始まった選挙制度 改革が無駄になる。上述の李柱銘以降の世代は育たず。
▼香港フィルの今季最終の演奏会、マーラーの五番はかなり上出来と李欧梵氏が信報の文化欄で絶賛。地元贔屓もあろうだろうが現在の世界のオケでマーラー奏 でて秀なるはオランダ放送フィルと維納フィルで、ベルリンは抑揚ありすぎシカゴは響かせすぎ、サンフランシスコは上手だが意気込みがなく紐育、フィラデル フィア、ボストンもマーラーでは理想的とは言い難い。勿論、香港フィルは世界の水準からは「有待百呎竿頭」だが一歩の進歩あり、と李欧梵氏。そう、言われ てみれば昨年の九月だつたか鳴り物入りでWaart氏が音楽監督就任して最初の本格的な口開けがマーラーの一番であつた。マーラーで始まりマーラーで〆 る。
▼築地のH君が自民党の靖国「慎重派」の勉強会、誰がメンバーなのか詳しく知りたいと欲すればさすが産経新聞(笑)で発起人の名前一挙掲載、は右翼の人た ちに「このメンバーを恐喝せよ」の教唆か。産経の記事は実に党紙じゃあるまいに「相次ぎ発足した両議連の動きに、「ただでさえ郵政民営化で党内が混乱して いるのに、党内の亀裂がさらに拡大するのでは」(党中堅)と危惧する声も出ている」と(笑)。読売新聞は勉強会への参加者リストまで掲載。さすが。勉強会 の講師は剃刀後藤田先生。朝日新聞は隙かさず後藤田先生の「A級戦犯には結果責任がある」「東京裁判受け入れで国際的約束」「首相の靖国参拝は説明つか ず」といふ後藤田先生の筋の通ったインタビュー記事を掲載。で派閥別にまとめると下記の通り。発起人は★で勉強会欠席の場合は☆
(森派)衛藤征士郎★、谷畑孝、塩谷立、中山泰秀、柴山昌彦
(橋本派)小坂憲次★、後藤田正純★、萩野浩基☆、竹下亘☆、小泉龍司、小淵優子
(高村派)高村正彦★、大島理森★、北川知克☆、伊藤信太郎
(小里派)加藤紘一★、園田博之★、原田令嗣
(亀井派)渡辺喜美☆、青山丘、宇野治、三浦一水
(山崎派)野田毅☆、稲葉大和
(堀内派)真鍋賢二☆(参)、林芳正☆(参)、西野陽
(河野派)中馬弘毅★
(無派閥)舛添要一☆(参)、荻原健司
という布陣。政治家の先生であるから勉強会参加の思惑もお寺さん背景であつたりいろいろであろう。が荻原健司君の参加が目立つ。ふつうスポーツ業界出身の自民党代議士 は失礼だが人寄せパンダ的であるし荻原君も「この国に、スポーツマンシップを!」とか主張はよくわからない。ブログを読んでも一般論。全日本スキー連盟が 靖国に否定的といふ話も知らない。勉強会と聞いて「なんでも勉強しよう」といふ好奇心だろうか。群馬県出身で早稲田が同窓で福田康夫次期首相の関係とか。
▼SARSの疫禍にてこの疫病が果子狸からのウイルス感染であること突き止めた香港大医学部の研究員夫婦が学会誌に中国での流感蔓延での調査しようとして も中国政府農業部の規定により流感のサンプルだの実体把握困難であること言及。中国にとつて国家的規模の伝染病感染は国家機密といふこと(本日の蘋果日報 二面記事)。

七月十二日(火)快晴猛暑。地下鉄でもう何年だろうか無料配布定着の新聞メトロ紙に続き、じり貧の星島日報社が起死回生かけて頭條新聞なる無料タブ ロイド紙を本日創刊。不動産大手の中原地産も近々「am730」なる同じタイプの新聞発行とか。新聞スタンドには『多維月刊』なる月刊誌見かける。多維新聞網の活字版。政治論評に多少スクープ、醜聞をかませ「李嘉 誠夫人自殺」説の検証だのグラビアも北京の中南海の盗撮写真だの面白い。創刊号かと思えばすでに第4号で、だが新聞スタンドで大々的に売り出されたのはこ の号が初めてと思うが記事豊富だが今後どれだけ内容が続くか、が見極め。昼過ぎ車で東區走廊を行けば突然の渋滞に何かと思えば交通事故。貨物トラック車線 変更で急停車し後続のタクシーが追突。高速運転に数メートルの車間距離。後続のトラックも衝突してタクシーはサンドイッチ。倫敦で爆破テロに遭うより香港 で交通事故の確率はかなり高い。中環のプリンスビルディングのラフルローレンで買い物。晩に上環に工作任務あり久しぶりに九如坊の路地抜けて九記でカレー牛南麺。隣席の客は入るなり名前を呼ばれかなりの常連。注文も「伊南加湯」と符丁で伝え何 かと思えば「牛南伊麺と別に上湯ひとつ」で、やはりカレー麺食すのは邪道かとそういう客の隣で思つたのだが、その初老の常連は牛南伊麺が運ばれ一口頬張る と卓上のチリソースを鷲攫みにして思いつきり伊麺の上にたつぷりとかける……そんな、と唖然とするほどの量に驚く。食後、九記とGough街向かいにある大排档の茶屋(名前知らぬ)で美味なるミルクティー。暑いが敢えて熱い のを注文。美味。上環のK氏のオフィスで香港でなら四両(約120g余)三百ドルという鉄観音をご馳走になる。晩十時に任務終了しバーで飲まずに帰宅。夜 空は青い空に白雲が見事に映える。晩遅くに新聞読んでいたら、信報の連載で劉健威氏が「なんのための死か?」と倫敦での爆破テロ取り上げ、近々倫敦訪れる 劉氏に友人が「大丈夫か?」と心配するが劉氏は「香港で市街歩いていて空から窓枠が降ってきて死傷する確率のほうが倫敦で爆発テロよかずっと高い」と。余 の交通事故遭遇への懸念も同じ。さすが劉氏は米国のイラク侵略がこのテロの主因であり、この終わりなき戦いの犠牲者が無辜の市民である悲劇、戦争で犠牲に なるにしてもナチスのファシズムに抗して死ぬような大義もなく何のための死なのか誰も知らず、と慨く。御意。蘋果日報では陶傑氏がやはり「爆発テロより香 港で窓枠降ってくる危険性のほうが確率高く、旺角を歩いていて洗衣街で空から窓枠降ってきて路上での物売りなどが見守るなかで命落とすことの死の尊厳のな さを慨く。無差別テロも老朽化したビルの窓枠が降ってくるのも、同じ乱世。
▼本晩、民建聯の結党十三周年記念。全国政治協商会議副主席(笑)の董建華君現れる。自称政治家ドナルド曽も初めて参加。北京政府の香港代表部である中聯 弁の主任、外交部駐港特派専員、香港政府からは財務官(馬ヅラ)唐英年、法治破壊の司務官エルシー梁愛詩に加え七名の問責制局長も出席。さすが親中派御用 政党だけのことある馴れ合いぶり。
▼朝日新聞で「政態拝見」といふコーナーで曽我豪(曽・我豪という中国人じゃなくて曽我・豪である、我豪であればかなり傲慢な名前だ)といふ政治部記者の 「非常識好む首相にドキドキ」という文章あり。傑作。実に傑作。朝日の政治部が箱島経済部主導から多少自由になつたといふ噂あるが本当かも。小泉三世が非 常識であること前提として郵政民営化が実は小泉三世は自民党不利の情勢でも衆院を解散したかたつたのではないか?を関係者の証言などからこれまでのハンセ ン病訴訟などの話も含め面白可笑しく裏付ける。結局、小泉三世は非常識なことをしてドキドキすることが需要で(それを国政でやられてしまふのだからたまつ たものぢゃないが)実は一番ドキドキしているのは首相周辺で、ここで解散されたら政権党を本当に小泉三世の言葉通り「ぶっ壊す」ことになりかねず。トップ が党を破壊すると宣言して始まつた政権の矛盾がこの土断場であらわになつた、と曽我記者。確かに。もしかすると小泉三世は本当に公約通り自民党ぶっ壊すた めに今日まで四年以上かけて任務遂行してきたのかも。靖国神社参拝もその一環か……。としたら今日まで小泉政権を支持した国民が実に目聡く小泉三世批判な どした余は国賊である。
▼ここ数日、築地のH君とリベラル政権の話が続く。ことの発端は『世界』での後藤田先生の立派な発言。『論座』での衆院議長河野洋平君の発言も立派である し先日の朝日での野田君の発言も「胡散臭い」と思われていた野田君がかなり好印象となつたらしい。こうして考えると自民党がいいように利用する村山富市君 の「村山談話」こそ立派。だが問題はリベラル派は現役の時に不振であること。H君の言う通り確かに村山内閣(こちら)など村山首 相、河野外相、武村蔵相と、これが十年前に存在していたことが今では嘘のようなリベラル内閣。河野洋平君を総裁指名は後藤田先生。あらためて眺めると「自 社さ」内閣は歴史的に再評価されるべきかも。当時も今も村山内閣を評価する論調は確かに左右どちらの側もないが。H君の言う通り「社民もリベラルも一方的 にやられてたわけではない」のであり「ちゃんとチャンスは与えられていて、それでダメだった」のが事実。それゆへ安倍晋三も小泉三世も石原都知事も「自社 さ」が批判され、それが失敗したからこそ登場。社会民主政党への不信と非難がファシストの政権獲得に加担したとか、ワイマール共和国批判がナチス台頭を招 いた過去の歴史。日本の九十年代前半も同じような歴史的誤りかも。だがH君の反思は、当時、社民リベラルも当時の「今」がだれだけ重要な局面か見えておら ず。まだブッシュ二世も安倍二世もおらず小泉三世はただの自民党の変な議員にすぎず「ここで失策つたたら彼らが台頭する」といふ危機感はなし。その象徴が 細川殿様内閣。なんとなく「バブルは終わつたけど、なーに、不景気といつてもこのくらいが恰度いいんぢゃない?」の不況といつても平均株価は一万八千が底 値といふ甘い期待感、の温い空気。そのなかで「このへんでちょっと政界再編成でも」と懐石のお口直しの如く細川内閣だの青島都政だの。共産党もあの当時は 勢いあり選挙毎に議席伸ばし共産党も社共共闘どころか旧社会党叩き左翼票の獲得に熱心、というH君の回顧は確かにその通り。その結果、なんだ細川も青島も 何もできないよ、で景気低迷と社会の窒息感のなかで変人が首相となり安倍某や石原某への期待感。それぢゃ安倍と石原が何をしてか。安倍先生は北朝鮮拉致問 題以外で何か具体的な成果ありやなしや、石原都政もホテル税は敗訴、都知事就任で最初のスマッシュヒットがディーゼル車規制。積極的なのは都知事の仕事の 範疇には入らぬ日本領土の保全。話題となるのは国旗国歌の都内の学校での強制。ではどうなる?、どうできる?は空白。空白。
▼香港フィルで音楽監督Waart氏との確執あつたコンサートマスター解雇処分。Waartの楽団指導ぶりに反発しコンサート直前に指を怪我したと「病 欠」したコンサートマスター氏、その病欠期間中に米国で他の楽団のオーディション受けていた(笑)ことが発覚し今回の処分。Waart氏も強引さに楽団つ いて来ぬといふ話だがこのコンサートマスター氏ら反発組も楽団のなかで浮いていたようで今回の処分は喧嘩両成敗にあらずWaart氏には契約のあと一年頑 張ってください、の判定。
▼香港政府の政治的介入が話題の香港電台は立法会での公聴会に出席の電台長 Chu Pui-hing氏が「我々は大きな問題と対峙しているが、この状況で、私は孤独なセールスマンでなく(香港電台の)職員をサポートする立場であることが 光栄だ」と発言。見事。この「孤独なセールスマン」は自称政治家ドナルド曽が行政長官「選挙」の中での遊説でドナルドが政府公務員になる前、高校卒業して からの数年、薬品会社のセールスをしていた過去を回顧し「四十年前に私は孤独なセールスマンだった。しかしずっと孤独は続かなかった。なぜなら、私は香港 で生まれ育った「香港の子」の一人だからだ。みんなの信頼を得られれば私も多くの香港市民と同じ道を歩むことができた」と述べた、その言葉。自称政治家ド ナルド曽の介入に対する不偏不党を理念とする公共放送のトップとしてのこの姿勢。実に見事。
▼信報で劉迺強氏が先日まで連載された練乙錚氏の文章について四万字、半月に及ぶ連載はかなり期待したが、結果「平淡」の一言が感想とずばり指摘。読者と して「どんな内幕の暴露があるのか」と練氏が「どんな見方、考え方をしたのか」に期待したのだが、結局は練氏個人の感受と怨念のほかは、公共住宅の八萬五 千戸提供の政策の取消し発表中止の作為が董建華本人でなく林D8の入れ知恵であつた、といふほんの小さな内幕の暴露あつた程度で、連載の当初、香港での問 題の多くが北京中央に因あり、と諷しておきながら具体的な事実の指摘もなく、連載後半では曽徳成など親中派についてがそれぞれみんないい人である、と、本 来は叱責すべきことを叱責せず連氏の偏見ではあるまいか、と劉氏指摘。寧ろ、と劉氏が指摘することは興味深く、英国統治時代に「最後の総督」パッテン君就 任までの中英の蜜月時代には「副総督」を設けるという中英間の黙契があり、これは返還後の香港首長養成のための職位。その後、中英関係が拗れ、英国側は行 政長官は名誉職的なもので行政の全般は政務官が執行することを主張、中国側はそれに同意せず。実際に97年からはその政務官に就任の陳方安生女史が十八万 人公務員のトップとして精力的な姿勢見せることで、これは実に英国が期待したことだが、これは元首(行政長官)に対しての首相(政務官)制度に非ず「虚君 制」(事実上の行政長官無用論)であり相対的に董建華の立場が脆くなり中国側はこれを良しとせず。今回の自称政治家ドナルド曽が政務官に元同僚の許仕仁を 招いたことはドナルドが行政長官として執行権、決定権を保持したまま実務を許に任せるわけで、政務官はアンソン陳方安生が董建華の立場襲ふような競合制の あるものでなく、許君がどうしてもドナルド曽襲わぬように、これは従来の行政長官と政務官の制度の構造的矛盾を解消するためには有効、と劉氏。確かに上手 く機能すればその通りなのだが……。
▼信報に在香港日本国総領事北村隆則君の「国連改革と日本の考え方」なる文章掲載あり。戦後の日本は先の大戦の悲惨な教訓を汲み反省して新たな出発をして 世界の平和実現のために尽力し戦後六十年新憲法の下で民主体制と経済復興の維持と発展に努め平和国家として戦争行為を行わず大量殺傷兵器も有さずに今日に 至つた。小泉首相も戦争でアジア諸国を侵略統治したこと事での多くの損害と苦しみについて深刻な反省と謝罪をしている。国連常任理事国である中国が日本の 常任理事国を支持することで日本と中国が協力して国際平和のために尽力していきませふ、と。正論。だが本当にアジア諸国からの日本への信頼を得て国連常任 理事国になること成就したいなら、この総領事の文章でもこれだけ強調されているように戦後日本を成功に導いた、世界に誇る平和憲法を今後とも尊重して平和 国家としてやつて行きます、と言えてこと周辺諸国の安心と信頼を得られるといふもの。周恩来に象徴される戦後の日本への信頼はまさに此処にあり。それが、 これまでこの憲法できちんとやつて来ました、ですが現実に合せて改憲いたします、はやはり信用されず。

七月十一日(月)快晴猛暑。中国湖南省に帰省した香港在住の女性が中国の一人っ子政策「堕胎」強要され危うく難を逃れる、と蘋果日報一面。この女 性、1997年に湖南省の田舎から深センに出稼ぎ。そこで香港籍の男性と知り合い香港に来て女児出産し一旦大陸に戻るが三年前に来港し居住権得て昨年男児 出産。今年また孕る。先月末に湖南省に住まふ齢七旬の父の古希の祝ひにと二児連れて帰省。昨日十日香港に戻る予定であつたが九日の朝七時に家の扉がノック され開けてみれば地域の計画出産指導する事務所の職員と名乗る男現れ二児ある上での妊娠が国家の一人っ子政策に反しているとしてこの女性に堕胎勧める。こ の女性は自分が香港の居住民でありこの政策は香港には及ばないことを説明。だが職員は「香港は中国の一部で中国の政策が及ばないはずがない」と主張。この 女性はその場で香港の入境事務処に電話し事情説明し援け求める。入境処はすぐに対応し湖南省の公安当局などと折衝。この女性も地元の警察に通報し公安当局 の職員も現れたが、公安当局は計画出産当局からこの女性の旅券や身分証など渡され確認し亦たそれを計画出産当局に渡してしまい一行八名は立ち去る。昨日の 朝、この地方の幹部ら一行十名がこの女性の実家訪れ旅券など返して鄭重に今回の件を謝罪。地元の計画出産当局の職員が香港の法律に明るくないため誤解し た」と説明。一件落着。だが「さもありなむ」の出来事。この国が21世紀の大国で日本はこの国の巨大市場での商売でどうにか利益得ようと懸命。勝谷氏的に 批難するのは易しいがこれほどの現実。早晩に久々にFCC。いつもならジムに寄る時間だがK 嬢にある添削依頼されK嬢がFCCのメールボックスにブツを置きそれをドライマティーニ飲みながらの作業。ドライマティーニをロックで、撹拌するな、は通 じてもステア(かき混ぜる=stir)するな、は注文の時にいってもバーテンダーはかなりの確実でステアしてしまふ。今晩も二杯のうち一杯目は老練のバー テンダー氏にしっかりステアされ、二杯目は若輩に「本当にステアしないのか?」と念を押される。ステアしないということは「温い」わけで信じられぬことか も。ベストは勿論、バーSやYでのようにまずグラスに大きめの氷だけ入れてステアしてグラスとグラス内の温度を下げたところに酒を注げば酒も薄まらず適度 に酒温が下がるのだが、そこまで注文していたら「ドライマティーニをロックで、オリーブは不用、レモンピールだけ。酒はシェイクもステアも不要。ロックグ ラスに大きめの氷一塊入れて酒をいれる前にステアしてグラス冷やしそこにベルモットを先にほんの少し滴らしてからジンを注いで、絶対にステアせずそのまま 供してくれ」と面倒な説明となる。晩飯にチキンアラキングをテイクアウト。ついでに揚州炒飯とクラブハウスサンドヰチも。ふと思へば先月下旬から、月末に 東京からY君来港しバンコクからのY氏と一晩飲んだくらいで、ふらりと一人でどこかに飲むことあつても行きつけの店にも行かず晩に殆ど人に会わず。帰宅。 下弦の月が西空に浮かびやがて山かげに沈むを愛でる。ドライマティーニ一杯(って三杯目か)。二更に“Why Michael Jackson won?”といふテレビ番組。見ておらぬがマイケル=ジャクソンさんが何故、無罪となつたのか、なぜ陪審員が無罪としたのか、は有罪とする具体的証拠に欠 けるなどといふことより、やはり「醜悪なるものを見たい」といふ人々の願望でなかろうか。刑務所に十数年だか廿年だか服役されては「見えない」のである。 見えない場合はイラクのフセイン元大統領のように刑務所で選択する惨めな姿が隠し撮りされ公表されるが「見えない」より見世物的に醜悪なる姿を晒してほし いといふ願望。まさかここから再度の整形手術で黒人エンターテイナーとして復活……なんてあり得たらもつと凄いことになるが、刑務所に入れてしまふより見 世物のほうがさらに極刑かも。ニュース10に外相町村君が登場。サミット、対中政策、国連常任理事国など国際問題について当たり障りのないコメント。司会 が今井環君であるから突っ込めるはずもなく只、外相のお話拝聴。結局この出演が町村君のイメージのソフィスティケート狙つたものであること確実。こんな良 識的や優しいオジサンなんですよ、といふ外相像。朝五時に起きていたのでさすがに疲れて寝る。
▼香港電台の競馬中継とヒット曲紹介番組の放送中止の決定が実は自称政治家ドナルド曽がまだ行政長官代理であつた時に個人的意向をすでに担当局長から電台 側に通告しており但し行政長官「選挙」の頃はまだ個人的発案程度で発表していたが実はすでに五月には決定の傲慢ぶり。やはり「何もしない、できない」董建 華以上に怖い、さすが「政治家」である。ところで香港電台だが英国BBC的な公共放送の理念でも一党独裁の国家において政府批判辞さぬ姿勢が攻撃されるの も当然。圧力かかつて当然かも知れぬが年間予算4億三千香港ドルは日本の巨大なNHKの平成17年度事業支出(予算)6,690億円に比べれば1%ほどだ が激減が予想されるにしてもNHKは受信料収入が収入の96%を占めるのに対して香港電台は収入の殆どが政府公費でありNHKの交付金と特別収入の合計約 115億円に対して一地方政府である香港政府が円換算で62億円捻出していることの負担感の大きさ=「言うこと聞けよ」感覚は強くて当然かも知れぬ。香港 電台は受信料を取るにも独立したチャンネルもたず放送条例で民放局に一定の公共放送放送枠を設けそこを借りて放送しており受信料徴収もできず。香港市民が 払うとも思えず。
▼蘋果日報の随筆で査良[金庸]先生のケムブリッジ大学での名誉学位授与式に参列の蔡瀾氏が当日の晴れの日の様子を数日に渡り書いている。これについては 徐志摩のこと含みで数日前に日剰で述べたが、今になつてふと思つたのはなぜ武侠小説の金庸先生が中国文学を代表する形で名誉学位なのか。確かも中国の現代 文学で最もよく読まれているのが金庸の武侠小説で内容はけして武侠ばかりか人間の心理や社会関係まで実に内容が厚い、といふ。評論や学術研究もされている ほどで金庸文学についての専門家のシンポジウムが開催されるほど。それほどなら、と余も読んだが、やはり池波正太郎と同じでどうしても武侠小説は読めず。 個人的には現代中国文学は賈平凹の『廃都』が最も記憶に残る。 
▼余が九日に綴つた「自民党から18人が反対に回れば、郵政民営化法案が否決されるという衆院以上に厳しい状況だが、一方で各派閥のコントロールがききに くい参院の特殊性もある」につき朝日新聞内部の知人より朝日新聞の読み方指南あり。これは「自民党から18人が反対に回れば、否決される。亀井派だけでも 18人いるから、否決か?といえばそうでもなく、参院では衆院と違って派閥の親分がやれといってもまとまらない。むしろ青木参院幹事長の意向が重要なの で、青木さんが賛成にまわって工作している以上、反対は18人を下回る可能性もある」と。こう説明されれば確かにそうだがここまで読み取れず。読み取れな いくらいのレベルなら朝日は読めぬ、といふことか(笑)。
▼文藝春秋八月号拾い読み。この雑誌は各記事の題が踊るのは今に始まつたことではないが「決定版 日vs中韓大論争」で「靖国参拝の何が悪いというのだ」といふ対談で櫻井よしこと田久保忠衛の対談相手が精華大学の劉江永と歩平なる中国社会科学院の研究 者。劉と、それにどういう人か知らぬがる中国社会科学院の研究員が「靖国参拝の何が悪いというのだ」と言った?筈もなく雑誌読んでみれば、なんだ「そのは ず」でたんに櫻井と田久保が「靖国参拝の何が悪いというのだ」で、それに劉と歩が中国側の立場で論陣を張る、といふいたつて真っ当な構成。「靖国参拝の何 が悪いというのだ」のタイトルは単に櫻井・田久保の、つまりは文春側の主張にすぎず(笑)。赤坂太郎の「安倍、福田を陵ぐポスト小泉の切札」も「それが誰 か?」と期待して読むと切り札は誰もおらず(笑)。安福で見れば福田二世に利があり記事は終わりで「小沢一郎は次の選挙にすべての勝負をかける」といふ一 文を読めば余と築地H君の組閣がさらに現実味帯びるのだが。

七月十日(日)朝の驟雨ののち雲多くも流れ早く強い陽射しながら某事あり朝から建物に籠る。いろいろ読みたい新聞記事や資料多く持参したが全く読む 時間もなし。午後三時に終わる。それにしても陽射しが十年前もこんな強かつただろうか。傘がなければ直射日光の下は歩く気にならず。帰宅。陽が西に傾けど 強烈な陽光のなか裏山にのぼり一時間走る。この暑さでかなり体力消耗するが久々に心拍時計してみれば山の上りも走りも心拍数が140から上がらず真夏の走 りもまだ保つか。体調2mほどの蛇に出交す。先々週からの驟雨続きに山はあちこちに渓流の流れあり。水音もあちこちに響き渓流の涼水を灼えた身体にじゃぶ じゃぶとかけて火照り癒す。マウントパーカーロード下るが暑さに朦朧としてつい太古坊まで行つてしまひイー ストエンドにエール2パイント。ジョギングした恰好でパブになだれ込む。最初の1パイントは殆ど一気飲みでバーテンダーに呆れられる。パブ のカウンターで香港に数ヶ月滞在といふドイツ人が隣席の若者に話しかけ香港生まれの印度人のその青年とバーテンダーの比律賓人が三人で談議。みんな英語が かなりクセがあるし奇妙な言い回しもないではないがきちんと意思通じるわけで英語覇権も気になるが多少の誤謬など無視してかうして通じる英語は本当に世界 語化している。飲み終わり早々に店を出ようとすればバーテンダーに「ジョギングの続き?」と笑われる。それなら持参の水筒に麦酒入れてくれ。太古坊に曲が る角に近い英皇道の聖羅蘭(サンローラン)なる店で肉饅購ふ。4個でHK$10と廉価ながら 例えば神楽坂の五十番に近い美味い肉饅。店番する明るいオバチャンに「ねぇ、そのMannnings、クーポン券貰った?、要らないなら頂戴よ」と言われ る。Manningsは家庭雑貨品のチェーン店でオバチャンは目敏く余が先ほどそのManninngで歯磨き粉など購ひ袋もつていたのを見つけ「クーポン 券貰った?」に行き着いた次第。常連の客でもない我に実に図々しいがその図々しさもまた愛嬌で「あぁ、いいよ」とクーポン券渡すと「ありがとうね」とHK $20渡したのにHK$5のおつり。HK$10のはずなのに。ちょっと、クーポン券あげた上にHK$5も高いよ。あら、やだ、ごめんなさい、とオバチャ ン。まつたく冗談じゃないよ、と笑うばかり。店を出ると何処かで見た顔と思えば一度きりだがQEIIカップの晩に競馬関係の入江たのしさんや齋藤さんと食 した太古坊の同楽軒の競馬好きの黒服君とばつたり。「[足包]歩 (パオポ)=ジョギングか?」と言われ「そう、この季節[足包]馬 (パオマ)=競馬がないから[足包]歩してる」と笑ふ。 太古城に参り「殺気だった日曜夕方の」ジャスコで刺身盛り合わせ購ふ。刺身寿司の売り場はさながらサーモン屋。鮭のあの紅色が脳裏に焼き付くほどサーモン がずらりと並ぶ。刺身も半分はサーモン。盛り合わせもサーモン抜き、はない。お好みで盛り合わせお作りします、と看板があるのでサーモン抜きで盛り合わせ を注文したが「もうすべて店頭に出してしまつた」そうな。でサーモンを避けるためお好みで赤身、はまち、粒貝など単品買い。帰宅して雑事済ませドライマ ティーニ飲む。大相撲、朝青龍強いのは確か。今回も場所前はモンゴルに帰省で稽古不足でもあれだけ強ければ誰も文句も言えず。だが北の湖ですらあの強さに 「横綱は強いだけじゃいけない」と協会理事や高橋義孝先生より厳しい指摘受けていた時代に比べ(アイスクリーム舐めていただけで怒られた横綱は誰だつた か)キョービは何如ともし難し。確かに強いがプロレスぢゃないのだから勝つたあとのあの「どーだ、まいったか」の態度。町の悪ガキの大将ぢゃないのだか ら。横綱は強くて当たり前。その上で大鵬、北の富士のように美しくなければならぬ。NHKのドラマ「義経」見る。この物語の山場、一ノ谷合戦の巻。鵯越の 奇襲。確か正月の初回はこの一ノ谷の崖を下るシーンが冒頭に流れ、そこから過去に飛んだ記憶。この一ノ谷合戦での義経の勝利が義経にとつて人生の最高の時 であり、このあとは法王に上手く弄ばれ頼朝の逆鱗に遭ひ悲劇の英雄となるわけで、ドラマはここから悲劇と化してゆくのだが表情の出る演技では拙かつた義経 役の滝沢君が合戦の場面での鎧甲冑での立ち回りは見事。松山の畏友S君が「滝沢秀明一世一代の名演」と指摘はご尤も。S君が指摘しているが合戦の直前に従 一位前内大臣平宗盛が陰陽道等を根拠に四日は××で戦は行わず五日は東北に××の星あり……と源氏方の戦さの動き予測していたが「東国の武者連中には無縁 の話」だ、確かに(笑)。それにしても従三位右近衛権中将平資盛が義経の策にまんまと瞞されての屋島への逃亡は演じるのが内閣総理大臣閣下のご子息。天下 分け目の一ノ谷の勝利は源氏方にとつて大きなものだが安徳帝とともに三種の神器を海に逃したことで梶原平三景時が「奪い損ねましたな」と冷徹な一言。本来 であれば義経がもつと賞賛されるべき場が凍る。景時を冷酷無情と見ることも出来るが景時であれば義経の未来に一抹の不安感じているとまで察するも可。歴史 に「もし」はいけないがもし一ノ谷の奇襲が更に功を奏し平家一門を逃さず安徳帝と三種の神器をば得ていたら義経の評価と今後の影響力は更に強まつたはずで 景時の「奪い損ねましたな」の一言は義経が損ねたもの=運であるとか将来、とまでつい憶測してしまひもする。ところで三草山に潜む小泉平家の軍を偵察の南 原&うじきの二人が山で迷い土地の猟師兄妹の案内で義経の陣に戻るのだが、この猟師・鷲尾三郎(のちの鷲尾経春)が地図を見て「ここが三草山、ここが一ノ 谷」と地図と文字を読むのも不思議。山中の猟師が、である。もちろん鷲尾といふ苗字あり後に義経の家臣となるほどの人材であるから文字と地図くらい読めて 不思議でもないが。義経のあとに「とっさのひとこと」といふ短編の英会話番組あり。今日の一言は“That's so sweet of you”で、この言葉を「咄嗟の一言」で覚える必要などない、と余は断定したいが、シチュエーションは日本人青年がサンフランシスコで懇意となつた女性に 桑港の市街の夜景一望する丘の上に案内され、別れも近いがお互い好意を口にできぬもどかしさのなか「今度、日本に来たら僕が案内するよ」と伝え、それに対 して桑娘が“That's so sweet of you”と言ふのである。これはとても「それっぽい」で何も問題ないのだが、問題はそのスキャットのあとの解説。“That's so sweet of you”は「相手の親切にお礼の言葉」なのだそうだ。「ご親切、どうもありがとう」である。このスキャットでは確かにさう言えなくもないが、下手にこのま ま「ご親切、どうもありがとう」と覚えてしまふと、オジサンが、慣れない英語での商談で、トッサに相手の好意に“That's so sweet of you”と言ったら大変なことである、而も相手がやはり男であつたりするとサンフランシスコだ(笑)、親切では済まされない展開か。
▼香港政府工商及科技局局長の曽俊華君が公共放送・香港電台での来季からの競馬中継中止につき二ヶ月前にはすでに政府内でこの決定あり香港電台局長と協議 あつたこと暴露。自称政治家の行政長官曽蔭権君が生真面目で競馬など博奕事に否定的。行政長官杯や重賞レースで政府高官が祝賀の台に上がること珍しくない が行政長官杯は董建華君が現れれば競馬場の観衆に罵声浴びて野次られること必至でもう何年も前から次席の高官が代行してきたが財務官の唐英年らに比べ自称 政治家の競馬嫌いは明らか。で香港電台が公共放送でありながら「博奕」の中継することに否定的。だがBBCやNHKと同じ公共放送で放送番組の内容決定は 本来(といつても理想論で、だが)局内に決定権あり政府がそれに干渉はできぬこと。実際にそれがあつたにしてもこの競馬中継の存続の可否が現在、検討され ているわけで、その二ヶ月以前にすでに政府内で決定されていたとは。そして何より不思議なのはなぜ自称政治家の子飼いである曽俊華君がこれを暴露したの か。政府は北京中央の意向もあり「政府批難を辞さぬ公共放送」(これは一党独裁では理解できぬ組織であろう)の存在は董建華君の頃から忌ま忌ましく、どう にか方向転換を願うのか。自称政治家本人は香港電台が今のまま独立した公共放送であることは重要とは述べているものの。

七月九日(土)幾度となく驟雨あり。本日は昨年Trailwalkerの100kmトレイルに一緒に参加の隊長I君とO君の三人で今年はこのTWの 抽選には漏れたのだがせめて練習だけはしやうといふ話になり西貢に行き北譚涌より西湾の方へ廿数キロをトレイルの予定であつたが内輪の事情で参加せず。週 末でありながら珍しく在宅。キーシンの演奏するショパンのプレリュードなど聴きながら家事したり近所のスーパーで食材の買い物ついでに葡萄酒を少し奮発し たり。倫敦の爆発テロには英国首相ブレア君が「罪のない市民を冷血に殺した人たちだけの責任だ」と自己非難かと思えばテロ組織を非難。羅馬だの紐育で “We are also Londoner”と犠牲者追悼。911惨禍の際に世界中が「我々もアメリカ人」と悲しみ共感し結果「憎しみ」まで共感しお門違いでイラク征伐せし事。イ ラクだのアフガニスタンで数百人規模での犠牲者が出た度々にかうして世界中で犠牲者追悼があつたかしら。世界は不公平。知人が養和病院へ行くのに歩くのに 難儀し救急車呼ぶ程でもないといふので養和病院に余が電話し通院のため車椅子借用できぬかと問い合わせればご親切にも車椅子の賃貸料が日に150ドルでデ ポジットが4000ドルと職員宣ふ。外部での使用でなくお宅の病院に通院だけが目的で一時間の借用でこの対応。「ご親切に」と電話切る。午後にようやく雨 もあがりジムに一時間の有酸素運動。北角で食材など購ひ帰宅。珍しく名前失念の(笑)カクテル一杯。珍しく自宅で料理。たまにしかせぬが肉野菜炒め一つで も一応はまず大蒜を炒め葱を炒め葱取り出して葱の味の出た油で下味つけた肉だけさつと炒め取り出し野菜をじつくりと炒めたところに葱と肉を雑ぜ胡麻油で仕 上げるくらいの芸当はあり。ぐちゃぐちゃと炒めてしまふのに比べ肉は硬くならず野菜には火が通り肉は下味が効き野菜は甘みあり。ニッカの角をロックで一 杯。雑誌『世界』の八月号届き信州長野の知事田中康夫君の地域再生についての談話と加藤周一&後藤田正晴の憲法めぐる対談のみ抜き読み。田中知事の主張は 正論。だが車座集会などで会うだけならいいが直接の周囲の者は反発するか脅えるか。ある面では東京都知事と似ているところ。作家だし。加藤周一と対談する 剃刀後藤田先生が凄い。中国との戦争を日本の侵略だと断定して「一国の総理が今になって、国会の答弁の中で 孔子様の言葉だと言って、「『罪を憎んで人を憎まず』ということを言っているじゃないですか」なんて言うようではどうしようもないね。それは、被害者の立 場の人が言うことなんです。加害者が言う言葉ではない。過去の歴史というものに正対することすらしない。そういう意見が国会の場で横行するようになって は、日本という国の道義性、倫理性、品格というか、それすら私は疑いますよ。なんでああいう言葉が出るのか。こんなこと言うと、「ああ、また年寄りが自虐 のたわごと言ってるわ」ぐらいに思うかもしらんが、しかし、そうじゃありませんよ。本当に国の将来、未来を切り開こうと考えるのなら、歴史に正対をしてい くぐらいの覚悟がなくてどうなりまか。(加藤周一の「その通りだ」の声を受け)加害者意識を(小 泉首相らは、当然「安倍晋太郎君の息子」も指していようが……富柏村註)もっておらんのじゃないの? これ また言い過ぎかもしらんけど、そんあこと(言い過ぎじゃ)ありませんよ。十五年戦争を考えた らわかるじゃないですか。私らは現実に、いくさに行っているんだから」と後藤田先生、これが 本当の保守派、続けて「やはり日本はアジアの中で生きていかなければならないでしょう。その ため、歴史をどのように理解し、反省すべきところは反省するし、伸ばすところは伸ばしていくというのは、結局これは教育だ、と思うのです。時間がかかるけ れども、案外近道は教育ではないだろうか。殊にいまの若い国会議員の意見なんか聞いていると、ぼくは間近におるわけですから、これはもう、とてもじゃない が、問題にならんですよ(笑)。」と後藤田先生はもはや小泉、安倍、麻生、中川ら、それに続く若い世代の自民党議員を見捨てている。もうダ メだ、と。最後に後藤田先生曰く「繰り返しになるけれど、私は、歴史に正対せよ、それだけの国として、また 国民としての勇気を持て、道義性を持て、これがいちばん大事だよ、ということを言いたいです。歴史から逃れたらあかんということです」と。 御意。
▼今晩は香港交響楽団の夏期休業前の今季最終公演あり。昨年の夏に三顧の礼尽くし招聘のEdo de Waartで、この音楽監督の下、一年が過ぎ今日はマーラーの五番とモーツァルトのフィガロの結婚。Waart氏の契約は二年だがWaartと団員、とく にコンサートマスターとの確執が昨年のうちから噂となりWaart氏はこの夏での去就も真しやかに語られる。香港の環境、政府の文化事業への肝煎り、楽団 側にも一流になれぬ問題はあろうし、Waartのクセの強さも合わぬであろう。様々な問題鬱積して結果的に香港フィルはブレイクせず。このままでは「宿 敵」の上海フィルに明らかに負ける。予算でとても無理な話だが本当に実力をつけるのならデュトワを音楽監督に。すぐに話題性で、ならクセが強くてもエッ シェンバッハとか(とても来る筈ないが)なら楽団はがらりと変わる。が何よりも中国国内の優秀な演奏家をどれだけ招聘できるか、がこの楽団の鍵。そしてメ インホールが香港カルチャーセンターのコンサートホールである悲劇。此処は併設の「劇場」の音響より音響は悪いんじゃないのか?、と時々思わされるほど音 響が悪い。
▼串田孫一氏逝去。享年八十九歳。幼き頃に母の書棚に雑誌『アルプ』あり串田孫一といふ人の文章をいくつも読む。『アルプ』の同人である尾崎喜八の詩集も あり一読し喜八の優しい紳士然とした風貌に「もう時代も違う。いい時代に生きた人だ」と子供ながらに思つたもの。「いい時代に生きた人だ」と過去形である のは当然、幼い子供は古い本で見た老人はすでに他界していると信じるもの。で何年もたち中学校の時だつたか(高校ではないと思ふ。光村の教科書なら久が原 のT君なら記憶確かだろうが)国語の教科書に串田孫一の随筆があり著者の紹介でまだ存命なのであつた。授業中に「えっ!」と声出しそうになる。井伏鱒二以 来の驚き。串田孫一に何年も失礼なことをしたような気分。実は尾崎喜八も余が古い『アルプ』で読んだ頃はまだ存命であつたと後で知る。堀田善衛のケースは 余は大学生の頃に存命と知つていたが(なにぜ当時、平和運動などかなり積極的に活動されていた)この人の『上海にて』といふ古い小説を読みお手紙を差し上 げたら丁寧に返事をいただき、それを当時の文学上の友人に見せたら「えっ!」と驚かれ彼は堀田善衛はてつきり亡くなっていると信じていたので、かなり驚い たことを思い出す。夏の暑い日に余のアパートの一室で友との語らい。
▼郵政民営化。やはり朝日新聞が変。参院での採決につき記事のリードで「自民党から18人が反対に回れば、郵政民営化法案が否決されるという衆院以上に厳 しい状況だが、一方で各派閥のコントロールがききにくい参院の特殊性もある」といふ文章は迷文。これが「参院では自民党から18人が反対に回れば郵政民営 化法案が否決されるという、衆院以上に厳しい状況で、その上、各派閥のコントロールがききにくい参院の特殊性もある」ならわかりやすい。単に書き手の文章 力が乏しいのか、読み方によつては郵政民営化支持の立場での記事。いずれにせよ「一方で」を接続詞的に用いるならばAという動き、状況に「対して」「異な る」Bがあるはずで、この文章では厳しい状況にある(A)上に派閥でまとまらない事情(B)が加わるのだから「一方で」は不自然。中学生の頃とか国語の教 師に「新聞記者の文章を見習え」と言われたが……遠い昔の話か。大学の頃に新聞記事の文章を見習うという話を今は朝日の北京特派員で実質的な北朝鮮特派員 的であるU氏としたところU氏に「新聞記者の文章より夕刊の「ひととき」とか読者投稿で文章上手のおばあちゃんや中年の女性が書いて投稿しているだろ、あ れを読んでごらん、短い簡潔な文章で長い人生の様々なことを語り切るんだから、あの要約された文章こそ見習うにも見習えないけど、あれが短い文章のお手本 だ」と言われたこと思い出す。ところでこの記事の隣にあつたのだが笑えたのが最近俄然評価上がる、余と築地のH君の間では衆議院議長に抜擢予定の元首相森 喜朗君が「小泉さんに一番足りないのは、私のような優しさだ。みなさんに『小泉さんを心から応援しなければいけない』という気持ちにさせることが大事」と 実に掉舌。実にいい味を出している。首相在任中にこれくらいのコメントできていれば。
▼九龍東の観塘に鳴り物入りで開業の大型商業施設APM(財閥「新鴻基」資本)で万引きかなりの多発とか。信報の随筆で黄珍尼女史が書いているのは、旧態 依然とした環境悪しき工業地帯でAPMの周囲もとてもAPMの中で昼食などとても食せぬ労苦大衆多く廃品集めの老婆だの指の爪は真っ黒の工具箱携えたオッ チャンだの、そこに突然のAPMの開業。ここのCitysuperでの昼のテイクアウトがHK$50はこの周囲の労働者の半日分の収入。万引きするのはお 巫山戯の若者でなければ結局は政府から援助金月額二千八百ドルが唯一の収入、旦那は飲んだくれて仕事もせぬ、大陸の農村から嫁いできた嫁が二人の子供を育 て、酷暑にせめて冷房に当たりたいと入ってきたのがAPMで、きらびやかに商品が並び、つい一つを手にして子供の背負ったカバンに放り込み店を出ようとし たら警報が鳴り……と黄女史の想像はあまりに「観塘に住んでもいないくせに勝手に作るな、話を」である。この「開発」を余はけして評価もせぬがマーケティ ングから言えばこの一帯は勿論、観塘工業中心に象徴される旧態依然とした香港の発展支えた軽工業地帯だが実際にはオフィス街化しておりAMPの狙いはスタ ンダードチャータード銀行のオフィスタワーだのこのへんで働くホワイトカラー層であり、そして何より黄女史にはこの観塘には高台の月華街の九龍東では格別 の古い高級マンション街がありAPMから歩いて五分で高所得層もかなり住んでいることなど御存知ないのだろうか。

農暦六月初二。小暑。早晩に灣仔を散策。交加街の灣仔街市が此処も再開発でビル建設で古い建物が何棟も壊されすでにビル出来上る寸前。灣仔馬頭餃子 の作りたての餃子売る本店も確かこのビルになつたあたりの筈。まえから気になつていた花園街の滷八鵝店に て滷鵝片飯をテイクアウトして自宅で食す。あっさりとなかなか美味。灣仔の街市の果物屋でバナナ買ひ今年は豊作なのだそうな茘枝を見ていたら「もうこれが 今日の最後だから安くするから持って行ってよ」と請われ、つい「あぁいいよ」と答えたら三磅もあり。三磅つまり1.5kgでHK$20。大学生の時だか西 武百貨店の系列ビルにあつたおしゃれな中華料理屋で食後に注文したのが茘枝の初体験だと記憶するが確か小さな5粒の茘枝が七百円であつた。1粒百四十円、 つまりHK$10か。今晩は三磅のうち半分を頬張つたが何十粒あつたのだろうか。
▼G8サミット。アフリカの救済が主題のはずが、とんだ「テロに団結して立ち向かう決意」で閉幕。一般市民の尊い命が犠牲となる暴力的で野蛮なテロリズム に我々は断乎として立ち向かう、ってイラクで何千人、何万人がそのテロリスト国家の攻撃で犠牲になつたかを思えば紐育の911や今回の倫敦の交通機関爆破 テロで犠牲となつた市民は気の毒だが数の上では復讐としてはまだまだ終わらない。倫敦で亡くなつた五十名の市民への哀悼の念でイラクやアフガニスタンで戦 争に巻き込まれ亡くなった市民を見ているかどうか。国家は国家の威信に賭けてテロリズムと戦つているのではない。国家は国家の威信にかけてテロリズムと戦 う国家の威信を捏造している。それにしても911が大統領就任から支持率じり貧であつたブッシュ二世を再生させ今回の倫敦での爆破テロもサミットに鳩つた 先進国に対テロ団結の強要。あまりのタイミングのいいテロの「効用」である。
▼自民党の改憲案。起草委の桝添某が「単なる理念遊びでなく改憲実現のため妥協」といふが保守色薄め現実路線(朝日の見出し)といふが何が保守色薄め現実 路線かといへば国防軍の規定と天皇元首化の見送りで正確には極右色薄め保守路線。五十年も自主憲法制定を党是に掲げた成果がこの程度かといふ憲法理念。や はり改憲せずに来てよかつたと思わされるが小泉三世が靖国参拝の念願果たせれば首相の座を退くように自民党ももしかすると憲法改正すれば終焉迎えるのだろ うか。だが小泉靖国参拝は後任の首相と政府でどうか外交関係是正できても改憲だけはさうはいかず。それにしても具体的にその自民党の改憲案を一読すれば知 力の低さに唖然とするばかり。憲法前文は自民党の主義主張を堂々と述べながら広く国民の共感を得る内容とする、といふ前文作成の指針の最初からいけない。 憲法は普遍法であり理想型はいずれに政党もその最高法規に従えるだけの普遍性が必要で一党の主義主張の場にあらぬ筈。中国や北朝鮮を自由なき一党独裁国家 と揶揄しながらこの様。で現行憲法の基本理念は継承としていたのが国民主権、基本的人権、平和主義を「より簡潔に記述し直す」とともに「現代及び将来にお ける日本の国家目標を高く掲げる」とする。基本的人権が守られた国民主権の国家で将来に渡り平和主義を高く掲げる以外に何があろうか。で「現行憲法に欠け ている日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加える」とは。国土など誇るのはやはり憲法の理想型が普遍法であることが理解でき ておらず。「アジアの東の美しい島々からなるわが国は豊かな自然に恵まれ、国民は自然と共に生きる心を抱いてきた」と自然や風土を憲法で語るのも論外。ア ジアの東の美しい島々におりながら朝鮮から大陸に侵略しわが国に併合しようとしたではないか。またこの島に暮らした人々は国民といふ近代国家の狭い範疇で 束ねられる人にあらず。歴史や文化は国家といふ狭い事象に禁められぬことが理解できておらず。而も保守反動右翼でありながら「日本史上初めて国民自ら主体 的に憲法を定めることを宣言する」って大日本帝国憲法を蔑ろにするこの発想。帝国憲法当時はまだ国民主体ではない、とでも仰るのかも知れぬが今の改憲とて 国民が主体的ではない。たんに一党独裁政権が党是実現のため踊るだけのこと。そしてこの改憲案の白眉は「日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を 形成し」「多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできたこと」といふ一悪文であろう。小学生で もこの文章に述べられたことの矛盾はわかる。何度でも言うが文化を形成したのは「国民」でなくたんに人であり多元的な価値観を認めるなら一政党の憲法理念 を無理強いせぬ筈であり何より大きな誤解は天皇が「国民」統合の象徴になつたのは明治から僅か百数十年の話で天皇と共に歴史を刻んできたとは間違いで天皇 が歴史動かす時代が何度か単発的にあつたが明治になる迄、天皇はこの島に暮らす人々にとつて殆ど忘れられた存在であつたこと。保守反動右翼の諸君が恥ずか しいことに明治廿年以降の百年余の間に作られた近代の「でっちあげ」の伝統や文化、歴史に洗脳されている。本来の保守反動右翼であればこの捏造された国家 主義以前に「まほろば」の豊葦原瑞穂国からの風土、郷土、文化になぜ回帰できぬのだろうか。さういふ過去の伝統に囚われぬ実は革新の人たちが保守だの反動 と呼ばれ自らが日本の美しい伝統なり徳を育んでいると誤解しているから怖い。憲法は国民の人権や自由、平等が実現維持できるよう国家の権力を制限するため の普遍法であること……その基本が理解できておらず、怖いことにその逆で、国家が国民の義務だの国を愛せだのと強制する政治の道具としているのだから。そ れにしてもわずか百数十年の近代国家になつて創建された国家観、歴史観がまるで豊葦原瑞穂国以来のわが国の、と思えてしまふといふのだから、何と瞞されや すいというか何も考えてないというか、ただただ呆れるばかり。で自民党は是非とも、この改憲案を今上天皇陛下に上奏すべき。で陛下が何と仰るか。このよう な浅薄な内容の改憲案には陛下であれば反対されるであろう。まず間違いない。
▼日本の政治というのは歴史的に見れば、例えば今回の改憲を例にすれば、天皇陛下が反対されたらどうしたか。困ったことに皇太子殿下も父帝と同じく改憲に 反対。で「それでは致し方ない」と皇太子殿下の弟君を天皇に立て……とその天皇の政治利用が日本では何度もあり。天皇を中心に、ではなく如何に天皇を利用 してきたか。何が天皇を中心に、であろうか。

七月七日(木)。農暦六月朔日。驟雨と晴れ間幾度となく繰り返す。夏のバーゲンセール始まるがサマーセールは通常の商品が安価になるものに非ず例え ばポロ=ラルフローレンで見ても普段は店頭でみかけぬ「こんなの売れるはずないだろうが」の奇っ怪な意匠の服と極端に大きなサイズばかり並ぶ。ポロシャツ 一枚購ふ。この暑さではさすがに食欲失せる。海南鶏飯はこの季節やはり食すに適すが「ふと」佐敦道の馬華餐 庁はまだあるのだらうか?と気になる。十数年訪れておらず。上環の新嘉坡餐庁、銅鑼湾の南亜餐庁などと並び昔ながらのマレイ風の南洋餐庁の 雰囲気あり。何も変わっておらず。海南鶏飯食す。この店のタレは秀逸。晩に薮用済ませ予定より早めに終わり一瞬どこかバーで一杯と思ふが、さういへば家の 酒が数本切れていたと思い出しスーパーでスミノフのウォッカとゴードンのジン購ひ帰宅。アル中の恐ろしいところで自宅にて酒が切れているわけでも、ジンと ウォッカが切れているわけでもなし。厳密にはジン数本のうちゴードンとウォッカのうちスミノフが切れているのだけで他の酒があるならいいぢゃないか、と思 へもするがさうはいかぬのが酒飲みの執着心。最近ふたたびあまり外で飲まぬのは先月二人の人に続けて「最近けっこう飲み歩いているらしいですね」と言われ 亦た「見かけた」「出没している」と知らぬところで話されている由。別に後ろめたい事に非ずも旧知のY嬢に「あなたらしくもない」と言われ少し考えるとこ ろもあり。自宅の書斎で好きな音楽をかけ好きな音楽流れ而もバーと違いある程度の明るさで好きな本が読めるのだから悪いことぢゃない。ところで本日、晩に 会つたK嬢と、もうかれこれ二年にわたり毎週のように顔合せている女性なのだが今日会うのがおそらく最後かといふ席で雑談でK嬢が実は余が最近この日剰で も何度も言及せし香港政府の某組織に主要成員として所属していることを知る。余もかなりこの組織について連日の新聞連載記事を読んでいたものだから、その 話をするとK嬢もかなり驚かれ問題ない程度にいくつか内情と彼女なりの感想を聞かされる。帰宅してテレビつけると倫敦で早朝の通勤時間に地下鉄で爆破あ り。イスラム教テロ組織の残虐な犯行と。一般市民が巻き添え。ブレア首相も「野蛮な犯行」と声明発表。だがイスラム教がテロの下地あるのではなく誰がイス ラム社会を其処まで追いつめたのか。野蛮なのは誰か。その声明発表するG7の、そのブレア首相の背後に相変わらず間抜けた表情で立つているではないか。そ の野蛮人に追従したのが誰か。ブレア君含めやはり同じ画面に言葉も通じぬが立つているぢゃないか。一般市民の巻き添えも間接的ではあるがその野蛮人に政権 任せ好き放題させているのが我々だと思えば被害に遭ふ責任とまでは言わずともリスクがあるのは当然か。だがイラクでは被害者は本当の意味で何の責任もない 一般市民が巻き添えだと思えばイラクの被害者より侵略国家の市民ほうが責任あり。話は前後するが本日、金鐘の本屋でJung Chang(張戎)女史の八百頁の大著“Mao: The Untold Story”購ふ。Jung Changは(この人の名前などについて日本語でどうすればいいか、矢吹晋氏が詳しく紹介している……こちら)『ワイルドス ワン』で文革期の体験を綴り世界中で読まれた作家であり英国での中国研究の権威の一人。この本は当然、中共にとつては語られなくない部分多く香港で売られ ているだけでも御の字か。この本については昨日のヘラトリ紙にJonathan Mirskyといふタイムス紙の元編集委員(極東担当)の文章あり。Mirsky氏がFar Eastern Economic Review誌(これはかつての週刊経済誌に非ず月刊で学術誌として再出発したもの)六月号にこの本の書評書いたが中国ではこれが発禁(当然、本書も発禁 だが)。毛沢東の死後三十年経ち中共政府も1981年に毛沢東の文革など政策でいくつか大きな誤りがあつたことまで認めているのに何故ここに来てまで禁忌 なのか。文革については本書でも毛沢東が文革の始動に繋がる思想改革を提言しただけで大規模な民衆の政治運動が起きたのではなく実は政治闘争がためにかな り細部にわたるまで毛沢東が文革での具体的な政治行動画策したことなど言及されているが、これは中国政治の研究者の間ではすでによく知られていることで、 1949年の国家成立以前の毛沢東の率いる共産党の動きも実はエドガー=スノーが『中国の赤い星』で世界に紹介した神話=事実が実はかなり創作である点も 知られていること。Jung Changの本書でのスクープといえば長征の物語の最大の山場である長江上流での渓谷渡りの段。吊り橋の向かふ側には国民党軍が待ちかまえる中を相手を打 ちのめしながら渓谷渡り切るのだが、それが実際にはなかつたこと、といふ。事実は蒋介石の国民党軍は紅軍を逃した、そうな。では何故、毛沢東は未だに守ら れるのか。ソ連がフルシチョフによるスターリン批判ができたのに、である。それは紛れもなく毛沢東が建国の父であり、思想的支柱であり(ソ連の共産党執行 部が非難されてもマルクスは別なのとはわけが違う)、長征であるとか国民党との内戦での勝利などが毛沢東とともに否定されると中国共産党指導の根拠、現在 の党執行部の正当性まで疑われてしまうがため。譲つても「中国共産党が過去に犯した誤りを正せるのは中国共産党だけ」というところ。このテーゼに対して中 国の国民が何処まで政府に信頼を寄せるかが鍵、とMirsky氏。御意。いまの中国の問題は天安門事件のころのたんに政治的な抑圧に対する反発に非ず。共 産主義国家にありながらの所得格差や貧困の問題、政府の汚職、そして政府による土地の強制接収に対する不満など爆発恐ろしきことばかり。

七月六日(水)快晴。酷暑。早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅。冷凍庫に冷した赤唐辛子入りのウォッカお猪口に二杯。トマトの冷スープ、茄子の 冷菜、カレーライス。カレーの時はなぜかいつもバーボンソーダでワイルドターキー。NHKの局内改革に向け各界人士からの提言が数分のプログラムになって おり瀬戸内寂聴女史が物申していたが、そのプログラムの題は「まっすぐ真剣」と云うものでNHKが実直なのはいいが「まっすぐ真剣」の絵柄の矢印がしっか り→と右を向いているのは偶然か。自民党のオトーサンたちに媚びて右を向かぬよう祈るばかり。数日睡眠不足続きかなり眠い。書棚にジョン=ダワー『敗北を 抱きしめて』の上下巻が目にとまり、読了しているのに内容の記憶浅く健忘甚だし、と落ち込むが下巻をふと手にすれば「まだ読んでない」ことが発覚。上巻読 んで終わつていた、で下巻まで読了していたと信じていることがさらに痴呆。慌てて下巻を少し読むが睡魔甚だし。
▼2012年のオリムピック大会の開催地が倫敦に決定。「開催地は倫敦に決定です」という発表で、やはり気になるのは97年のこの選定の際になぜあの時だ け2004年の開催地は「北京……ではなくシドニーです」といふ言い回しだったのか。偶然か。北京は、あの最初の「北京」といふ言葉で狂喜し「ではなくシ ドニー」の発表に唖然。結果的にバカにされたのは明らか。それのお詫びで08年開催が北京になつたといふ噂もあり。で倫敦だが今以上に物価上がるのだろう か。倫敦招聘のためのイメージビデオはなぜか黒人の子どもたちばかり映る。意図的。巴里への誘致のためのビデオでは志楽大統領が語つていたが、どうせなら 「巴里が開催地になったら相撲も競技種目にします」と語りかけ四股を踏むでみせたり、とか。倫敦開催までエリザベス二世女王がご健勝であられることを。と ころで倫敦はこのオリムピック開催場所として倫敦市東部を「開発」とか。英国の最貧困といわれるニューハム地区がこの場所に含まれる。倫敦は昔の下水の劣 悪環境などもありテムズ川の下流が疫病蔓延し易いと嫌われた結果そこが貧困地帯となつたもの。
▼サミットに小泉首相5回目の参加。ころころと執政者が変わる印象強い日本で小泉長期政権は「これだけ見れば」好印象でもあるがブッシュ三世とは仲良しで も言葉通じぬのだからどうしようもないのだが。NHKのニュースで「参加が5回目となる小泉首相は今年、サミットで何を訴えるのか」といふ語りに思わずZ 嬢と二人で「靖国参拝と郵政民営化!」と答えてしまふ。
▼連日猛暑続く上海で電力消費が限界に達す。すでに先週の消費電力量が1640万キロワット(昨年の最高1500万キロワット)。今夏の電力消費に応ずる べく二機の発電機増設したが132万キロワットの増量では摂氏39度の猛暑に耐えきれず。現在は483万キロワットを市外から上海に送電し対応しているが 限界。インフラ整備を越えた上海の「成長」ぶり。
▼法輪功がまたも中国で電波ジャック。3日日曜日版に15分にわたり国営放送の中央電視台と12の地方局について上海から華南にかけて電波ジャックがあり 法輪功弾圧非難のビデオクリップが流れる。香港のAPTなる サテライト放送会社が明らかにしたが中共にとつての国家的侮辱と思えば、この会社もどういう背景の会社か知らぬがお気楽にこういう国恥をば公表し てしまひ良いものかどうか。法輪功がいかに危険団体か、の宣伝と思えなくもないが。いずれにせよ法輪功も中共相手にここまでやるとは怖れを知らず。かつて BBC特派員の某君が「中共という巨大カルトに挑む新興カルト」と評していたが。
▼朝日の社説(こちら) は卒倒起こすばかり。郵政民営化について朝日の立場よくわからぬずにいたが「ポスト小泉をにらんだ動きも強まるだろう。その中でどう指導力を取り戻し、民 営化にこぎつけるか。背水の陣で臨んでもらいたい」と小泉三世への民営化絡みのこの強烈なエール……。それに比べ読売の(こちら) 「多くの有権者にとって、郵政民営化法案をめぐる攻防ばかりが目につくのでは、「政治」が、遠く見えるのではないか。読売新聞の世論調査では、有権者が小 泉内閣に優先的に取り組んでほしいと考える課題は、何よりも景気対策60%、年金など社会保障制度改革56%だ。雇用対策、北朝鮮問題、治安・犯罪対策な どが30%台で続く。郵政民営化は、調査の17項目中、16番目で、7%に過ぎない。日本の将来の基盤を築く上で、重要課題が山積している。終盤国会の課 題は、郵政民営化法案に限るものではない」となんと真っ当なことか。ちなみに産経は今日の社説に「明治生命」と「NHK」である(笑)。国論を二分?か少 なくとも国会を二分する事態に社として何も申し述べることなければ言論機関としての責任放棄、と築地のH君(だがもともと言論機関というよりは広報機関 か)。威勢よく白黒はっきりさせることだけが自慢の「正論」路線は何処に。産経にしてみれば「自民党政府支持」はいかなることあつても動かせぬが郵政反対 派には森岡、平沼両君の如き謂わば身内の「正論派」多く政府支持も反対もできず、か。と思えば朝日の今日のこの社説での迷走ぶりも、郵政民営化反対を主張 すると森岡、平沼両君らと手を組むこととなり、それへの反発か。これぢゃいまだに田原総一朗が小泉改革支持すると言つているのと同じ、つまり常人には理解 できぬ思考回路。で社説はひどい朝日さが朝日で可笑しいのは過去に民営化反対の立場で今回はそれを翻し賛成にまわつた議員の一覧あり。主張一貫せぬ、こう いう人たちが常に政局を左右したり戦争へと向かう道に進む力となる事実。

七月五日(火)酷暑猛々。郵政法案可決。5票差で小泉の築地のH君と我の組閣人事案では亀井静香君(財務)、平沼赳夫君(国土交通)、衛藤晟一君 (官房長官)が反対、野田毅(外務)、高村正彦君(防衛)が棄権と、主要閣僚が挙って小泉三世に抗すはこの内閣らしさ。自民党幹事長役の古賀誠君も当然棄 権。学校でも奇人変人であまり相手にされてなかった小泉君が生徒会選挙に立候補してみたら、それまでの生徒 会執行部があまり非道かったので「あいつら落とすには小泉に投票しようぜぇ」とそれだけが目的で小泉君に投票集まり結果、小泉君当選。前執行部への反発か ら小泉君が人気者に。でも小泉君が生徒会長になってみると実際に何ができるのか誰もよくわからない。県庁裏の護国神社だが参拝して地域の人には「偉い」な んて言われてるが、そんな評価得るために小泉君選んだんじゃなかったのに。実体のない小泉君人気が続く筈もなく「もうそろそろ普通の人でいいよ」と生徒た ちは思ったのでしたが、小泉君そういえば選挙の時に「購買部の民間委託」とか言ってたな。小泉君に投票しちゃったのは自分たちだし生徒会長辞めてもらうに は購買部の民間委託くらい認めてあげてもいいか、みたいな。その程度の認識で国家の財産たる郵便事業が蔑ろに。自民党の西川京子先生など師と仰ぐ亀井静香先生の意も汲めずに「郵政民 営化には反対だがこの大切な時に解散は避けたい」とまぁご立派。郵政民営化と衆議院解散とどちらが大切かも理解できておらず。解散すれば自民党は師・亀井 先生などを中心に小泉の弱点であった外交と対財界関係に強い内閣誕生なのに。自民党ですらこれだけの造反があつたのに都議選で全員当選の公明党はこの郵政 法案に与党として賛成。自民党より小泉内閣を支持する公明党の責任重大。いずれにせよ最大の矛盾は自民党が郵政民営化は公約としているのだから党の公約に 賛成できぬのに自民党に籍を置く代議士らのいやらしさ。憲法改正も党是なのだから護憲派は離党すべき。この党の最大の矛盾であり最大の強さ。近代以前の政 治。本日。晩に上環に工作任務あり早晩飯で中環Jubilee街の金華で馳名の叉焼飯を食ら ふ。実は「乾坤容我静、名利任人忙」はこの店に掲げられた名句。唯霊氏が昼前に小腹空き魚片粥をば食そうとこの金華訪れれば早市の営業止め昼から開店とあ り驚き懇意の店主(蘇慶氏)に尋ねれば「乾坤容我静、名利任人忙」との仰せ。ちなみに英語では“Nature allows us tranquility and profit makes people busy”と店の紙製のテーブル敷きに書かれてあり。で金華だがかつてはそのへんの現場のオヤジなどに湧く焼?店で早粥も好評。だが数年前に店の規模半分 として素っ気ない店が「まるで欧米のチャイナタウン」の如き中華趣味となり店員も腰に競馬新聞の啣え煙草のオヤジが失せ観光客が好きそうな「きれいな」店 となる。久しぶりにこの店の例湯と叉焼「皇」飯食す。美味。これだけの叉焼飯をこの場所でHK$30で供すは立派だが出来すぎの「蝋ぶり」。常連らしい客 が叉焼飯と注文して「痩肉〜!」と指定したのも納得。晩十時に任務完了。バーRに寄りウォッ カトニック一杯飲む。旧知のA君が日本から来港の友人ら連れて来る。その日本からの客人に「若い頃から香港なんですね」と言われ、つまり「年寄り」と烙印 押されたか、と事実なのだが具体的にこう言われると骨身に浸みる。バーは三十分を合い言葉に「それじゃお先に」と帰宅。バランタインの17年一杯。柳治男 (熊本大学教授)の『<学級>の歴史学』最後の数十頁残っておりようやく読了。世間の懐疑的な余でも読んで気が重くなるほど常識覆す歴史。もうSF小説や ピンクフロイドがザ・ウォールのなかで歌ってること、といえばそれまでだが、学校にとって学級は「あって当 然」と思うが中世の時代まで学校に学級は存在せず。学校は(日本の寺子屋や幕末の塾など見るまでもなく)一つの教場(Class Room)であり、そこに集う子どもの年齢はまちまちで教授のカリキュラムなど存在せず。<学級>は近代の学校「だけに」特有の組織。同じ年齢の子が学級 の担任教師の指導を独立した教室という場で一年間変わることなく「生活」する場。その学級が今では自明視され「児童生徒は学級に馴染むはず」とか「学級は 子どもにふさわしい場」という予定調和が常識となる。学級に馴染めない子は(学級というシステムに問題があるとは誰も思わず)その子の社会性欠如に原因が あった、と思われる。学校について「子どもの自由を奪う」「ゆとりがない」「偏差値教育反対」といふリベラルな側からの非難や逆に右翼からの「自由放任す ぎる」「道徳教育の重視」「心の教育」といった要請。その左右どちらかの注文も近代国家の教育のシステムに乗ったもので学校の教室という単位の存在は疑い もない前提。学級は団体旅行のようなもの。なぜこの<学級>が生まれたのか。一つは経済的合理性。最低の費用でもっとも多くの者に知識を伝達する方法がこ れ。また近代になり労働力の育成のため初等教育が公共の手によって管理される国民教育制度として発生し<学級>がそれに果す役割。そして学級への共同幻 想。学級が共同体となり「仲間づくり」「集団づくり」「支え合い」「仲良し」「励まし」そして何よりも奇妙な「思い出づくり」など<暖かいイメージ>が生 まれ児童生徒の集団への帰属感を高める。柳氏はビクトリア朝の英国でどのように義務教育が生まれたかの歴史を綿密に紹介する。国家の教育への介入の始ま り。軍隊や医療機関と同じ権力装置としての近代の学校。当然ここはフーコーの視点が重要になる。学級は近代化を目指す全ての国でグローバルスタンダードを 整備した組織として義務教育制度の過程で整備されるのだが、それが近代以前の社会の自然に成り立つ集団から異質な組織であることは明白。疏外された場。近 代以前の社会では「小さな大人」として扱われていた子どもは学校の学級において同年齢集団に分類され外界から隔離され学習に集中する生徒に変容する。試 験。競走。中世までに教会が「発明」した被虐愛が学校に齎される。「私には怠け心がある」「努力が足りない」という反省とそれい打ち勝つ精神の養成。司教 に変わる教師の存在。日本においては如何か。寺子屋はあつたが欧州のような教会(宗教団体)による学校組織化の伝統がないところに突然、国家(明治政府) が近代の義務教育を導入。農村秩序の真っ只中での学校の開設と学級制の定着。正確には当初は能力別の等級制で始まり明治二十四年に学級制が導入されるのだ が興味深い事実はその前年の二十三年に教育勅語発布。これは個々人の知育中心の教育から訓青、日本国民としての一体性を涵養する道徳教育中心とする教育へ の変異。国家の構成員たる国民の要請と近代化社会にふさわしい規律化された人間の育成。そして道徳教育と並ぶ大切な体育。クリスチャンである森有礼らによ る身体行動の改良。運動会。地域社会を学校に招いての運動会は当然、生徒が整然と隊列組んで行進し寸分乱れぬ行為が大切。そのための訓練。学級活動の充 実。学級新聞、学級通信、学級の歌……本来、学習活動の場にすぎぬ学級がここまで多くの活動を有する例は他の国家にも見られず。なぜここまで日本では学級 が重視されるのか。前述の通り前近代の農村社会に近代の学校と学級のシステムを無理に導入する際に伝統ある学校の地場ないため、より強力な装置が必要であ ること。師範学校出の教師。教育指導上の手段であるはずの学級が共同幻想で「よりよい学級」という目的と化す。教育だけが使命であるが学級担任教師の子ど もの心中から家庭にまでへの介入。全霊を傾けた指導。それと親の子への教育の放棄。学級に存在するなかでの自己制御による集団の中での満足感。むすび。人 は教育についてソフトウェアのことには関心をもつが学校という組織の学級というハードウェアについては疑いがない。教師もかつては商人として授業料を集め る自由業であり、買い手(授業を受ける人)を求めて各地をめぐる放浪人であつた!事実。それが欧州では十三世紀頃に定住し俸給貰うようにあり組織の一員と なる。そのような歴史を有する教師が学校という組織で義務教育に指導者として据えられることの不自由。教師が労働組合を成立させる要因も明白。その生徒ば かりか教師も自由が剥奪された学級において「いじめ」や学級崩壊、殺人まで問題がおきる。なぜ問題が起きるのか。学級という仕組みぢたいが無理に人をその 事前制御の中に人を追い込み感情を操り各人に自己抑制を強いるもので、その中にある者の精神的、肉体的バランスを壊しているから。そのバランスの壊された 者が破壊的活動に出るのが「いじめ」や学級崩壊。学校で問題がおきれば学校の問題となり学校外で起きた子どもたちの問題も教育問題とされる。しかしこれは 学校や教育といった本来の手段の問題なのではなく、心の病でもなく、社会の組織じたいの問題。……著者の辛辣な言葉が続くが著者はけして近代の教育を否定 するものでも、学級廃止を叫ぶアナーキストではない。国立大学の教育学部の先生だ。学級は本来、基礎的な学力を身につけるために維持されればいいわけで、 学級制は多様な学習形態のなかの一つにすぎない、という認識の大切さ。それが近代国家において義務教育を効率的にするために無理にシステム化、重視された ことの弊害。国民も無頓着に学級を共同体として理解し人間関係を育む場としてとらえ、その結果、子どもに多くの負荷を与え無力化、いじめ、不登校といった 問題を生む。今後どれだけ学級制が有効なのか。日常生活のいろいろな分野で脱共同体的な生活様式が一般化するのに学級だけが依然として共同体的性格を濃厚 に有する矛盾。中学や高校など教室すべてを教科別教室に変えて生活本位の学級制を解体すること。生徒個々人の選択可能性をさぐるべき、と柳 教授。保守反動教育推進の方からは「なぜこんな者を国立大学が税金で面倒見てるんだ!」だろうか。
▼中国で毛沢東に瓜二つで『開国大典』や『大決戦』など数多くの毛沢東映画に出演の俳優・古月が心筋梗塞で逝去。享年六十六歳。毛沢東が中共領袖とならね ば、この俳優もただの人。ちなみに真物の毛沢東の六十六歳は1959年でブリブリと政治闘争続ける最中。

七月四日(月)快晴猛暑。上海は七十年ぶりかの記録的猛暑で気温は摂氏三十九度。もともと風の抜けぬ場所ゆへ酷暑だろう。砂漠にある北京も灼熱の 下。香港はそれに比べれば三十二度で海に面するだけまだ気持ちだけでも涼しいか。だが北京は夜半には廿四度まで下がるのに比べ香港の廿八度はまさに熱帯 夜。早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅して秋刀魚で晩飯。珍しく酒抜き。ケーブルテレビのナショナルジェオグラフィックで相撲協会の学校で修行する序 の口力士のドキュメンタリー(NHK制作のもの)見て二更にQuarry Bay公園を一時間ほど走る。帰宅してシャワー浴びて大きめの氷一塊でジャックダニエル飲む。
▼ドラマ「義経」について築地のH君が「時代劇の風俗はぜんぶ江戸時代のものとする、というのが我が国の伝統」と。揶揄であるが確かに。でもそれなら時代 考証って仕事要らぬ。すべて江戸風俗研究家でよろし。だが久が原のT君などにしてみれば、それも実際の江戸の風俗とは全く異なる珍妙なものであろう。で 「義経」で毎回楽しみな平幹二朗と夏木マリの芝居は明らかに浮いている、異質であろうが禁中の方々もともと異質と思えば納得。滝沢君の義経役については若 い頃の滝沢君をよく見ていたH君はダイコンぶりが義経らしいといえばよいか、と。確かに言われてみると眉間に皺よせたような一種類の表情だけ。いかにも拙 い。現代劇ならもう少しマシだろうが周りが豪華なのでいっそう目立つが、これも「一時の武名で分不相応な待遇を受けて舞い上がり百戦錬磨の知将謀将に翻弄 される」という総合的な意味での役作りにははまった、と理解できるかも。

七月三日(日)快晴。天気予報は何週間ぶりかでギンギラのお日様印。パーカー山の峠まで登り大潭のダム周辺を15kmほど快調に走り島南岸の海岸に 至る。昨日の続きでフーコーの『自己のテクノロジー』読む。炎天下は陽が肌を灼くが木陰は心地よし。フーコー先生も地中海の海岸で陽光楽しみながらニー チェを読んだとか。地中海と此処はとても異なるがまぁ佳しとして一気に読了。Epimeleia Heautou(自己への配慮)は「自分自身に関心をもつこと」で、これは「自分自身を認識すること」よりずつと大切なのだが古典の時代は「自己への配 慮」が自己認識より優先されていたのに或る時代から自己認識ばかりとなり自己への配慮に欠け自己認識ばかりか自己を一つの国家の一部として認識するほどの 「誤解」に至る。これはブッシュから自民党保守のオトーサンたちから香港の民建聯まで同じか。でフーコーが強調するのは「個人を国家のための意味ある構成 要素にするために、いかなる種類の政治技術が、どのような統治テクノロジーが国家の方針という一般的枠組のなかで活動し始め、用いられ、発展してきたの か」を明らかにすること。炎天下でちよつと日射病気分で考えたことは、フーコーは国家にとって国民の幸福はもともとは目標であつたのに、それが国民が幸福 であることが条件となつていることを指摘しているが、もつと詰めて考えれば、自己が自己への配慮を忘れると、今度は国家が国民への配慮を始めたこと。国家 装置の維持のために国民が必要なわけで(本来は逆だつたのだが)その国民を維持するために前述のフーコーの指摘にある国民の幸福が条件・手段となつたわけ で、私なりに読めば、これは「国家による国民への配慮」(これが近代国家で福祉事業になつたことは言うまでもない)で、この国民への配慮が始まつたことで 「自己はもはや自己への配慮といふ本来もつとも個々に大切であつた認識が欠けた」こと。それともう一つ。フーコーが記述の重要性についても言及しているの だが、記述の重要性としてはこうした日剰の記述というのも重要かも。時々こうして日剰綴ることに、この時間があればもつと他にいろいろできるのでは?とも 思うのだが記述は重要であるし殊に老いた身にとつて忘却ほど恐ろしいものはないわけで記述続けること。午後三時前にこの本読了し麦酒一缶かーっと飲みスタ ンレイ経由で帰途につく。雲ひとつない青空。青空。ジムに一浴し帰宅。枝豆と麦酒。大河ドラマ「義経」おそらく初めてオンタイムで観る。香港時間午後七時 で外はまだかなり明るい。筋は大河ドラマらしいが時代考証のいい加減さはここまで赦していいのだろうか。室町後期まで待たねばならぬような見事な鋳造の 刀、女武者、高嶋屋演じる吉次の家の江戸の町屋風などなど。頼朝が源氏の頭領として持ち上げられる様もフーコー読んだ晩では考えることも少なからず。北条 など板東の武士が平家方から頼朝に「寝返った」のはたんに政治的策略に非ず、義仲追討の頃にはもはや平家方であつた記憶すら不鮮明になつていても可笑しく ない筈。尖沙咀のキムバリー街の韓国街で仕入れた牛舌、骨付きカルビと牛ロースを焼肉。焼き野菜も沢山。真露。NHKそのまま観ていたら「遠くにありて にっぽん人」なる番組で伊太利亜や瑞西で著名のミラノ在住の粘土細工アニメ作家・湯崎夫沙子を取り上げる。余も香港映画祭でアニメ作品「冬の 日」を見ており湯崎女史もそれに参加。でこの人のミラノでの活動を取り上げる時に当然のようにこの人が日本人であることがどうのこうの、は全くな い。ただ一人の映像作家として見事な仕事ぶりがあるだけ。傑出した映像作家であるが彼女がミラノに留学した数十年前に知り合ったステイ先の家族の娘がずっ と同居までして彼女の制作活動を支えるプライベートなところまで映すが日本人の感情表現や手先の技巧の細かさなども一時間の番組で少しも表されず。でも番 組のタイトルは「遠くにありてにっぽん人」である。確かに文字通り「日本人がこんな遠くでこんなことしてます」だけに徹しているとしたらシュールですらあ る。

七月初二。土。青空。二晩続けて何かと机上のことに夜更かし続くが五時間も寝ぬまま起きてしまひ今朝も七時半には起きる。朝日社会面に作家萩原葉子 の訃報あり。朔太郎長女、つまり朔美の母。朔美氏は余にとつては雑誌『ビックリハウス』初代編集長。喪主が朔美氏で多摩美大の教授であることを知る。朔美 氏がBHの編集長であること以上に衝撃的に記憶に焼き付いたのは澁澤龍彦責任編集の雑誌『血と薔薇』 の創刊号(といつても1968年創刊で短命に終つた雑誌で余がみたのは古本屋で、であるが)にある深瀬昌久撮影の「情死」という写真で白馬に跨つた土方巽 が情死の道連れとした少年を連れて去る瞬間だが、その少年役が萩原朔美。この雑誌のこの創刊号は篠山紀信の撮影で三島由紀夫が「聖セバスチャンの殉教」の 他に「オルフェの死」(中山仁・撮影細江英公)や「 サルダナパルスの死」(澁澤龍彦・撮影奈良原一高)、「横死」(唐十郎・撮影深瀬昌久)や 「ピエタ/キリストの昇天」(土方巽・早崎治」で執筆陣には渋澤の他に三島、足穂、埴谷雄高、武智鉄二が並ぶ。垂涎の本であるが当時は学生には高値でとて も入手できず。国際面にベタ記事で「香港返還8周年 民主派デモ、激滅」と記事あり。確かに董建華辞任と景気回復で今年数十万人が繰り出すには至らず、だがこれは正常。だが「カトリック、教員組合などが動員 を見合わせたこともあって参加者は約2万人にとどまった」と記事が結ばれているが教会と組合の動員は参加者減には直接大きな影響もない気がするのだが。朝 日の外報部はデスクがかなり思い込みで記事を直すといふ噂も……。九時半にはあまりの天気の良さに勇んで山へ。パーカー山から漑ぐ水も見事な勢いで水際は 涼風。マウントパーカーロードの峠まで登れば大潭への下り道が通行止めで何かと思えばこのところの大雨で土砂崩れ。島南岸の海岸まで一時間走る。麦 酒ごくごくと飲む。誰からか貰つて家にあつたビートたけし『日本人改造論』なる角川の文庫本読む。下らない話は下らないがポール牧が飲み屋でやくざ者と口 論となりポール牧師匠が「外に出ろ!」と。ビートたけしが扉の隙間から覗くと師匠土下座で謝っている。何も見ておらぬふりして飲んでいると師匠が手をぱん ぱんと叩きながら戻つて来て「口ほどでもない奴らだった」と。先月だつたかポール牧師匠が投身自殺の訃報あり。印象に残るビートたけしの語りは、本来、電 車で老人に席を譲るなんてことは優しさじゃなくて常識。常識でできることが優しさなんて思われている誤解。優しさというのは本来は教養。優しさがあること は教養があることだ、とビートたけし。これはもう村上陽一郎の認識のレベル。ビートたけしの凄いところ。赤柱から大潭のダムをまわればダムの見事なほど碧 き水湛える。これほどの青空は五月のいつ以来だろうか。フーコー『自己のテクノロジー』(岩波現代文庫)を少し読む。ジムに一浴し帰宅。早晩に西湾河の香 港電影資料館。Z嬢と「歴史と記憶」なる抗日戦争の頃の映画特集あり1951年の『花 姑娘』監督は朱石麟。「羊脂球」(これはおそらくモーパッサンの『脂肪の塊』であろう)の話を抗日戦争期に据えたもの。日本の憲兵隊に囚れた一台 のトラックに便乗し戦地から逃れようとしていた人たちの物語。一人の娘が犠牲となり憲兵隊隊長の好色の餌食になると見せかけ人々を逃すのが筋だが面白いの はその囚れた人々がけして全員が善良でなく奸商から買辧韓非、土豪に退廃的芸術家、善良な運転手から共産党の工作員と様々でそれのやりとりが面白い。当時 は抗日映画だが今はそれ以上に中共による人民共和国建国二年目の作品で大躍進や反右派闘争始まる前の自由な共産中国の時代らしさがこの映画からも感じられ るのが面白い。西湾河なので太安楼の太原街側にある牛什煮屋(電気屋の副業)で牛レバー一串 食し大安街側に抜けて海鮮の二記で晩飯。瀬尿蝦(蝦蛄)、四季豆に粟米羹。美味。一見そこら にある小汚い店だが太安商場の通路からこの店の厨房覗けばどれだけしつかりした店かと納得。帰宅してドラマ「義経」義仲の最期をビデオで見る。義経が六条 に後白河法皇のもとに参つた時の平幹二朗の演技やりすぎだが面白い。資生堂パーラーのチーズケーキ食す。Bowmoreの12年開栓し飲む。ジミ=ヘンド リクスのイン・ザ・ウエストのライブ聞きながら机上のこと片付ける。
▼昨晩このサイトの全体の容量が150MBを越えそうになり(画像が多すぎるのか)50MBの契約追加。そのついでにサイト情報覗いたら04年1月22日 のTripodでのサイト開設から1,154,283ヒットもあり驚く。これは頁更新だの日剰読んでいて写真クリックして復た日剰に戻ればカウントされる もので閲覧者数ではないが百万とは。ちなみに(思い当たる方多かろうが)閲覧が最も多いのは月曜日で週末は少なく日曜日より土曜日が最も低いのは土曜日は ネットなんか見てるより楽しい気分か、で時間的には平日は香港時間で朝の8時(日本は午前九時)からの二時間。つまり月曜日の朝が最も閲覧が多いわけで月 曜日のブルーな朝で仕事する気力も起きずぼんやりネットサーフィンの御仁多き証左かも。

七月朔日(土)曇。香港特区成立記念日。早朝に灣仔會議展覧中心での記念式典の中継テレビで眺める。立法会議員「長毛」梁國雄君例年の如く五四運動 の仲間と会場外で抗議運動。例年と唯一異なることは昨年までなら其処で排除される筈が今年は立法会議員として記念式典に参加。自称政治家ドナルド曽の祝辞 終わるとシュプレヒコール挙げ会場から摘まみ出される。昨日発表された七月朔日を記念しての受勲者に香港特区で最高位の勲章である金紫荊章に前任衛生福利 及食物局局長の楊永強君の名があり。一昨年のSARSの疫禍にて対応遅れ感染の被害拡大の最高責任者であり事実上局長職より更迭され当局の「業務上過失致 死」の元凶とされる人でこの人が最高位で受勲とは。受勲といへば特赦もありか、内地ではこの日に合わせ香港の居住権取得求める者らの間に七月一日なら居住 権与えられるといふ噂広まり昨日は深センに香港入境の者多く集まり混乱もあり。約百名が入境拒否される(通常の日の十倍)。本日午後は「民間人権陣線」が 毎年恒例の71大遊行が実施されるが、これに抗する形で親中派の工聯會などが午前十時からこの日を祝賀する慶回帰大巡遊を企画。香港スタジアムから出発す るこの回帰巡遊に参加すればスタジアムでの式典に望む自称政治家ドナルド曽の口から特赦が発表される……って教主光臨の奇跡か(笑)。まぁ実際にこの親中派集会はカルトだが。でそれとまた逆に政府の 香港居住権の扱いに対し不満抱く者も多いわけで民陣側は香港居住権要求する者のデモ参加を請う。結局この特赦はデマのようだが元はといへば中聯辧(中央人 民政府駐香港特別行政区聯絡辧公室)が六月に香港居住権求める内地の人民に出した手紙が元凶で中聯辧が香港居住権の扱いの緩和を手紙で紹介。すでに二十名 に居住権与え今後それを希望する者は七月十日までに申請せよ、とこれが偶然にも七月一日といふ敏感な日の前後のことでこの日に合わせた期待高まる。呆れた のはその中聯辧の手紙で(蘋果日報に手紙の写しあり)この居住権の扱い緩和を紹介する文面で御用政党・民建聯がこの問題について善処を中聯辧に求め中辧聯 もそれに応じて今回の……と政府が一政党の要請で善処した、と結局は民建聯の成果讃える内容。呆れてものもいえず。一党独裁の内地であれば政府がいかに共 産党絶讃しようと当然だが香港で親中派の御用政党とはいへ事もあろうに政府機関が地方の一政党のうんぬんを公文書で賞めるとは前代未聞。立派。その慶回帰 大巡遊を見に行こうか、とも思つたが親中派の参加者で数えられるのも癪なので見合わせる。昼前に自宅を出て灣仔を通ればGloucester Roadに観光バスかなり駐車中。大陸からの田舎漢の団体旅行かと思えばさに非ず。親中派の御用団体が慶回帰大巡遊に動員した九龍・新界の社工団体や老人 会の参加者を市中パレードの終点が灣仔の修頓サッカー場にお迎えのバス。昼から尖沙咀のジムで筋力運動と有酸素運動をそれぞれ一時間。地下鉄で灣仔。修頓 サッカー場はすでに親中派御用団体の催事終わったようで片付け中。ヘネシーロードは中環に向かう東行き片道三車線が自動車全面通行止めとなるが銅鑼灣のビ クトリア公園を午後三時に出発する民主派デモはまだ灣仔に来る気配もなく遅い昼飯で永華麺家に て雲呑麺食す。それと蓮子紅豆沙。これも美味。蓮子(蓮の実)が上質の上に沢山 入っており幸せな気分。驟雨あり。デモがまだ来ぬので銅鑼灣に向かい自動車通行止めのヘネシーロードを歩く。民主派のさまざまな団体、グローバリズム反対 やゲイ解放、人権運動などがそれぞれの情宣活動やデモ参加者のサポートのため街頭に宣伝材やテーブルなど拵えており警察が個々は無許可のため対応している のだが、けして取締りに非ずデモ隊が来るとテーブル一つでも危ないから歩道に上がれとか態度も慇懃で警察もこうして現場にいる末端の警官は立派なものとつ くづく感心。初老の土共の男が「こんな反政府活動になぜ道路通行止めにしてまで協力するんだ!」と警官に文句つければ警官が「デモ活動が認められていてデ モが批准されたら安全に実施させるのが警察の任務だ」と言い返していたのが印象的。どこかの国の警察とは大違い。で炎天下を傘さして歩けば結局、銅鑼灣ま で来てしまい、この七一デモではもはや恒例となつた阿牛氏の大がかりな人形仕立て、一昨年は董建華と葉劉淑儀保安局長の風船人形で確か去年は董建華であつ たが今年は当然、行政長官に就任したばかりの自称政治家ドナルド曽。北京中央の操り人形といふ仕掛け。今年の七一デモ、特徴は〇七年の行政長官選挙と〇八 年の立法会選挙での全面普通選挙実施や「官商勾結(官界と財界の癒着)反対」といつた民主化要求ばかりでなく東南アジア各地からの出稼ぎ家政婦らが最低賃 金引き上げ、ネパール出身者の政治亡命認定、ゲイ解放団体の蔑視撤廃、香港大学医学院の「李嘉誠医学院」命名反対、法輪功など異なる背景の人々が政府に物 言う機会となり民族衣装や踊りなど派手やか。無一文から立身で億万長者となり、かつて香港の人々の英雄であつた李嘉誠が今では香港の実際の最高権力者とし て非難されているのも印象的。デモの行列には加わらず地下鉄で中環。日暮れまで中環で遊ぶ。FCCに 参ればFCCの前を香港政府総部が終点でデモ終えた人々が帰途につく。ステラアルトワを1パイント。テレビのニュースでは午前の慶回 帰大巡遊が参加者は主催者側発表が3万人で警察発表が2万人。午後の民主派デモは主催者側発表が4.5万人で警察発表が1.1万人。銅鑼灣で見た感じでも 1万人といふのは少なすぎの気がするが。ドライマティーニを1杯飲んで帰宅。自宅で晩飯は先月22日以来。Caves Sao Joaoといふ葡萄牙産の赤葡萄酒。晩のニュースでは民主派デモは主催者側発表が2.1万人で警察発表は1.7万人に修正あり。午前の親中派御用団体のパ レードをテレビで見るがドラゴンダンスから長州島の子供の仮装行列、京劇粤劇に四川の変面に吹奏楽団やカンフーまで出し物多くあれでパレード参加者が三万 人?といふ感じ。見物人も合算したのだろうか。NHKのニュース10で香港「返還」8周年の報道あり。この八年の政治的環境の変化をうまく纏めてはいるが 折角今日の式典やデモの映像使つても、これが今日の式典です、一昨年の五十万人デモが恒例になり今年も市民デモがありこれは今日のデモの映像です、何万人 が参加しています、と紹介せねば八年の過去の映像編集に映つてしまい勿体無い。ところで昨年のこのデモまでは「董建華下台」がスローガンであつたがその董 建華といへばこの祝賀と屈辱の日をいかに過ごしたかといへば来週から北京で開催される政治協商会議常委会議に向け本日はすでに身は北京にあり会議準備。も うお役目終わり「居ると面倒」か。
▼練乙錚氏の連載第最終回(朔日・信報)。練氏の中央政策組での仕事の大部分が董建華君の演説の原稿書き。演説の原稿を書くのが嫌いなわけじゃないが董君 のを書くのは楽しくない。なぜなら練氏にとつて董君の演説内容と練氏の中央政策組での顧問としての仕事が衝突するため。米国の政治は徹底的な党派政治で大 統領の発表原稿の書き手と政府顧問は政治的観点や政策は自ずと一致するため政策上の衝突はない。しかし香港の中央政策組の本来の仕事は行政長官が委託した 政府の各部局から上がってくる政策立案について客観的に専門的立場から内容を吟味し意見する独立組織であるはず。だが董建華君自身もそれを理解しておらず 練氏が政策上コメントすると明白地に不快な態度見せたこともあり。学問的、専門的な立場からの批評が個人攻撃とでも理解される。英国統治時代は各部局の政 策立案は全て行政会議に諮られる。当時の行政会議は布政司、律政司と財政司の三役を除けば全てが社会的に信望ある良識的な人士が選ばれ行政会議のメンバー は総督にも物言う独立の立場にあり。それが董建華の問責制では全ての部局の局長が行政会議に加わり外部からの招聘に対して多数派となり活発な討論どころか 局長らはお互い触れられなくないところには触れぬ「今日の借りは明日返すから」の相互互助?組織となつてしまい機能せず。中央政策組は97年からの当初は 董君が香港政府の英国統治時代からの保守的な空気に満足せず中央政策組が積極的に政策立案し部局を刺激することを望んだが董君が02年に再選され問責制で 子飼いを各局長に任命してからは中央政策組を重用せず。……と十七回かなり細かく要旨を綴つてきたが最終回はちょっと期待外れ。これで終わり?という感 じ。
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