乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

■ 富柏村日剰サイト内の検索はこち ら
■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
■この富柏村サイトは中国国内では閲覧出来ませぬ。日剰ご 覧の際は「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

七月卅一日(月)曇。夜明け前に目覚め日の出の頃に海岸を散歩。ホテルから海岸に出たところに草木で見事なゲートあり昨日はなかったもの、と思っておれば 海岸を朝まで飲み明かしたらしき泥酔の若者歩いて参り「昨 晩遅くここでウェディングパーティがあってね、花火がきれいだった」と呂律もまわらぬが愛嬌よく説明してくれて「二人の写真を撮ってもいいかい?」と写真 一枚とり去りゆく。朝七時すぎのまだ静かなレストランで朝食済ませ広い中庭の木陰に昼まで憩い読書。昨晩少し読み残しの鳥居民『周恩来と毛沢東』につい て。鳥居氏自身、本来この本は『周恩来』とすべきところ『と毛沢東』としなければならなかった、と言っていることぢたい中共での政治そのもの。実際にこの 本を読んでも周恩来本人の姿はけして浮き彫りにされることもなく、俗な言い方であるが神秘のベールに包まれたまま。1975年、文革もようやく終息に向い 急進派が抑えられ国防部長に葉剣英、総参謀長に鄧小平が就任し数十名の閣僚や政治委員が全て周恩来の配下で占められたことで、鳥井民は「毛は敗北したの だった」と言い切って、この本は終わる。1974年より翌年にかけ文藝春秋に連載の内容、と奥付で読後に知る。続いて村上陽一郎『やりなおし教養講座』読 む。お気軽な内容に一気に読了。教養など嗤って掃いて捨てられそうな今の時代に敢えて村上陽一郎が「教養」語ること。「規矩」などという忘れ去られた言葉 だが、人間が本来けして理性的でも崇高でもないのだから、むしろどこかで自分の規矩を作らないと危険、と村上先生。その危険をなんとか乗り越えるための一 つの手だてが教養、であり、「理性と教養が邪魔をして」というが、まさに理性と教養がなければいつでも簡単に野蛮になれるのが人間なのだから、その欲望の 限りない追求を邪魔してくれるのが教養、と。ただ、その言いたいところ、を除くと全編にわたりトリビアの泉的な「へぇ」の話で、巻末の一文など読むと、あ たかもスープを音をたてずに飲む、のが教養のようにすら思える。教養とは、スープの音、でいえば、パーティの席で日本人、韓国人、中国人がどう違った音を たてるか、などを科学的、文化人類学的に分析してみせ「くすっ」という笑いを提供する、といったものだと思うのだが。村上先生は二十数年前にある一件あり 直接お手紙でやりとりし叱咤受けたこともあり、今となっては氏の癇癪に触れた意味もわかるだけ余も老いた。昼にホテルから歩いて十分ほどの処にあるコット ンの布地屋に行くZ嬢につき合い近くの麺屋で20バーツの河 粉湯麺食す。ちょっと足りずホテルに帰る途中のバーガーキングに てハンバーガー食すが98バーツ。ファーストフードはどこでも高値。ホテルに戻り午後も中庭の木陰で読書。田中直毅『二〇〇五年体制の誕生、新しい日本が 始まる』は先月だったか日経新聞の香港衛星版創刊10周年で田中直毅講演会あり、そこで配られたもの。2005年の郵政選挙で自民党が大勝し小泉三世の 「政治」が認められたことにより55年体制が毀れたことは認めよう。ただそれに次ぐ、この2005年体制が田中直毅が「どうやらわれわれは有権者満足の政 治の開始に立ち会いつつある。人口減少社会という歴史的な転換期にあたって、どうやら日本社会は蘇りのきっかけを手にしたのだ。これを単なる僥倖に終わら せてはならない」というほど明るい未来の入り口に立っているかどうか。次が安倍である。ところで、ファイルの中にあったNew York Timesの6月28日の社説“Patriotism and the Press”より。
The United States will soon be marking the 5th anniversary of the war on terror. The country is in this for the long haul, and the fight has to be coupled with a commitment to individual liberties that define America's side in the battle. A half-century ago, the country endured a long period of amorphous, global vigilance against an enemy who was suspected of boring from within, and history suggests that under those conditions, it is easy to err on the side of security and secrecy. The free press has central place in the Constitution because it can provide information the public needs to make things right again. Even if it runs the risk of being labeled unpatriotic in the process.
この“The free press has central place in the Constitution because it can provide information the public needs to make things right again. Even if it runs the risk of being labeled unpatriotic in the process.”というフレーズがいいねぇ。報道の自由は、世論が再び正常に判断するに必要な情報を提供する上で、たとえその過程において非愛国的とい う烙印を押されようと、憲法の核心なり。つまり時の政府が偏向の可能性あり、その権力や時の盲従的な世論に「非愛国的」とされようと、という信念が “the risk of being labeled unpatriotic in the process”という言葉に活きている。それにしても、この「再び」が、米国らしさ。9-11で紐育攻撃されパニックに陥り報道も含めての祖国一致翼賛 体制での対テロ対策。その「嘘」の部分が数年かけて認識され、そしてそれを反省材料として「再び」という言葉となる。勉強して育ってゆくのもいいが代償が 大きすぎはしないか。夕方、雨降る。タイに来てまともに降る初めての雨。雨期であろうというのに。部屋に戻り村上陽一郎『科学史からキリスト教をみる』 (創文社、長崎純心レクチャーシリーズ)三分の一ほど読む。コペルニクスの地動説であるとかガリレオ裁判であるとか「宗教と科学の対立」の印象強くキリス ト教が科学的真理の弊害といった誤解をば解きほぐす。当時の「近代」科学と現代科学の相違など興味深く読む。連日涼しい日が続き摂氏26、27度くらいだ ろうか、晩になれば部屋に流れ込む涼風も心地よく冷房などずっとつけず。幸いなことにホテルの客の大半が北欧からの客で「規矩」しっかりとしており騒がし さなど無縁。レジャー好きの米国人などと違い終日、ビーチサイドで延々と読書する態。但し炎天下、太陽光線の強さなど恐れもせずに真っ赤に肌を灼くに努め るは、さすが北欧の太陽の陽光に餓えたDNAのなせる業か、と感じ入る。晩に市街散歩してOrchidなるタイで外国人相手でありがちな名前のタイ料理屋(経営 者はフランス人で西洋料理も供す)に食し三晩連続でジェラート食しホテルに戻る。『科学史からキリスト教をみる』を読み続ける。

七月三十日(日)昨日書き忘れ幾つか。その一。キャセイパシフィック航空は機内食にて國泰中華美食篇至尊食府空中巡禮なるもの展開中にて香港の中華料理か らシェラトンホテルの天寶閣、美心から翠園と北京樓の二軒、利苑、Grand HyattのOne Harbour Road、Langham Hotelの(ホ テル経営はこの十五年でかなりの変遷経たがずっと変わらぬ)唐閣と鏞記の七軒ずらりと並ぶ。このバンコク便のCクラスでは翠園の點心。まぁ個人的には数年 に一度しか行かぬ飲茶で美心集団なら十年に一度食すかどうか。いちいち評価せぬ。その二。鳥居民の『毛沢東、五つの戦争』は昭和四十五年に草思社より出 版。長年絶版であったがオンディマンド出版なる近年の至便にて復刻されたもの。今でこそ中国情報など入手に易いが鳥居氏がこの毛沢東本書き上げたのは 1970年。文化大革命が実際に何が起きているのか誰もわらかず朝日新聞など文革礼讃の最中に市井の研究者であった鳥居氏が中国、香港、台湾やヘラトリ、 紐育時報などの報道をば丹念に読み「砕き」(咀嚼ではない)真実を追った事の凄さ。その三。今回ご投宿のこのホテル、映画『キリングフィールド』にて確か プノンペンのフランス大使館だったかの設定でロケの行われた場所。中庭からの建物の風景して22年前のあの映画の記憶。本日夜明け前に目覚め静寂のなか読 書。昨日の事綴りゆっくりと朝食。タイの麺など食す。広い中庭のプール遠くに眺める木陰で読書。鳥居民の『周恩来と毛沢東』はこれもPOD版 (Printing on Demand)。1975年、つまり周恩来が亡くなり七月廿八日(昨日が三十年目)に唐山大地震が起き秋に毛沢東の亡くなった年の1年前に鳥居民がこれを 上梓。昼にハイアットに投宿のY氏夫妻と待ち合せ市街のAll in Hua Hinなるドイツハムと肉詰の店にて昼食。美 味。バンコクに戻るY氏夫妻と別れメコンウイスキー贖いホテルに戻り、またホテルの中庭で寛ぐ。読書と微睡。日暮れて市街のCurusoなる伊太利料理屋に食す。浅蜊とトマト、大蒜のパスタ、本 当に他に塩少々で素材の味が引き立ち麺の茹で加減も含め秀逸。アンチョビのサラダ、チーズ揚げ、そのパスタにティラミスで満腹。本来これで一人前なのだろ うが。土産物屋の市街散歩して昨晩と同じ店でジェラート食しホテルに戻る。

七月廿九日(土)深更にようやく旅の荷造り。奈良の岡寺や金毘羅宮、京の祇園祭で伯牙山の厄除などお役務めの御札だの長唄の今藤長十郎さんの舞い扇子(京 都の宮脇賣扇庵のもの)だの持ち帰りの品も少なからず。ほんのニ時間ほど寝て早朝に起きれば大雨。Z嬢とタクシーで香港站に向えばスクリーンドアの不調だ かでAirport Expressの運行乱れ自宅出てから一時間以上かかり空港。搭乗一時間前だが香港ではとくに慌てる必要もなし。チェックインの際に「本日のフライトは満 席でもしかするとファーストクラスにアップグレードさせていただきますが最終確定は搭乗ゲートで」とのお言葉。キャセイのラウンジで軽く朝食とり新聞各紙 読む。CX713便の搭乗となるが生憎アップグレードはなくなり予約のままの744型機で二階のC席。重い朝食とりうたた寝でバンコク空港着。タクシーで サーイターイ(南バスターミナル)。VIP、1等、エアコン、普通とバスに種別あり、通常のエアコンバス会社の客引きにつかまりトランク運んでくれるだけ でもありがたいか、と150バーツ(450円)のボロなエアコンバスに乗り半時間ほどして発車となりバンコク市街を出て三時間半ほどでホワヒンに到着。小 さい避暑町で場所の見当に易く歩いてSofitel Central Hua Hin Resortに投宿。古くはHua HinのRailway Hotelで、満鉄が一流のホテル建造したのと同じく鉄道とコロニアルホテルの組み合わせ。香港尖沙咀のペニンスラホテルも船で到着しホテル前の鉄道駅よ り広東に向う鉄道に乗り換えるためのホテルであった由。欧 州人の客が大半。One Room Suiteなる不思議な名前の部屋タイプ予約していたが客室に通されればきちんと居間と寝室、広い洗面所から風呂、化粧室にウォークインクローゼット、居 間と客室の外に長いバルコニー、と90平米はあろうか、という快適なる広さ。バンコク在住で今日、このホワヒンに早めに到着のY氏よりのシャンペンが部屋 に届く。快適に過すための荷物片づけ。早晩にY氏夫妻いらっしゃり部屋でシャンペン飲む。ホワヒンの名物という生ハム持参いただく。美味。日暮れにホテル を出て「ほとんど熱海だね、こりゃ」の観光客相手の土産物屋ならぶ一角を抜けシーフードマーケットにある浜辺に張り出した海鮮料理屋Chao Layに食す。 500バーツもするカレー味の蟹(プーパッポン?)秀逸。Y氏夫妻と別れジェラート頬張りホテルに戻る。
▼フライトからバスでずっと鳥居民の『毛沢東、五つの戦争』読む。鳥居氏らしい緻密な中国現代政治闘争史。だが鳥居氏をしても、なぜ林彪がああも毛沢東に 取り上げられたのか、また周恩来が文革の最中に何を考えていたのか、は明確に答えも出ず。

七月廿八日(金)諸事に忙殺され晩に至る。明日より暫くの外出に合わせ軸のネジに少し不具合ありのモンブランの万年筆をモンブラン直営店に修理依頼。晩に 香港公園内のLなるレストランにて宴会あり末席を汚す。帰宅。
▼アレクサンドル=ソクーロフ監督の映画『太陽』8月に東京で公開決定。 イッセー尾形演じる昭和天皇。ソクーロフ監督より「太陽」の制作相談受け賛成したという一水会元代表の鈴木邦男氏の「天皇の密教的側面が愛情をもって描かれているし、天皇制の打倒、擁護という立場に縛られていない。昭和天皇の歴史について外国人の評 価を受けるべきではないか」という言葉に意義は集中されていよう。
▼27日の朝日で加藤紘一君が自民党総裁選について安倍某の日中関係の「政経分離」案について「政権分離は国交がない時に使われた言葉で、国交が樹立され れば、どんな国とでも政経は不可分」と指摘。御意。また「安倍さんが指摘する「再チャレンジ」の哲学は、小泉首相の市場原理政策を追認する政策」と指摘。
▼A級戦犯とされ処刑された唯一の文人・広田弘毅元首相の孫が広田家は靖国合祀に合意しておらず、と発言(27日朝日)。靖国神社側は「広田弘毅命に限ら ず当神社では御祭神合祀の際には戦前戦後を通じてご遺族に対して御連絡は致しますが事前の合意はいただいておりません」と説明。一瞬、何と傲慢な靖国神 社、と思うが、同じ日の朝日の論壇時評でも紹介されているが福田和也君の指摘する通り(文藝春秋八月号)靖国神社の思想は昭和10年に神社側の言う「靖国 神社に祀られた祭神を、肉親として、身近な存在と受け取ってもらっては困る」ものであり「彼等は、合祀された以上は、崇高かつ神聖な神なのであり、旧来の 情愛を離れた崇敬の念をもって、拝んでもらいたい」という言葉が実に興味深い。(以下、橋本治的に言えば)神になるということ。神になるのに、いちいち地 べたにいる人に「おたくのご主人は神様になります」とは言えない、という思想。そんなことをすると神化なんて実は、お宅は遺族年金がもらえますよ、みたい な俗的なレベルであることを靖国神社が公言しまうようなもの。だいたい厚生省から届いた名簿をもとに神様を作る、ってことぢたいが、とてもお役所仕事の事 務屋さんぽくって、そんなことも本当なら宮司とかが文藝春秋なんかで説明したくない。だけど靖国がどれだけ国家の崇高な部分か、ということを説明するの に、つい厚生省から名簿が、なんてあまりに俗的なことまで口にしてしまって。いずれにせよ、そーいう理由で、神様にする、ってことは俗的なことを言うな、 の世界なのだろう。すごく薄っぺらい気がするけど、そうしないと神様になれない、正確には「神様をつくれない」から、そういうシキタリになっている。
▼昨日だったかの蘋果日報で陶傑氏がChris Patten氏の英語表現をば絶賛。例えば24日のFCCでの夕食講演会にて97年まで香港統治の英国植民地政府をば The previous colonial power と表現する。Previous が「前の」を意味する場合、当然「今の」the present colonial power があり、この表現は暗喩として「現在も香港は新たな北京中央という権力の統治下に置かれている植民地状態であることに変わらない」を意味する、と。また英 国政治に目を転じればサッチャー首相辞職(resignation)をば、党内での the removal of Margaret Thatcher と言い、まるで「肝臓摘出」のようなニュアンスの removal を用いることで客観、中性を装い、実は本音でのサッチャー政権打倒(overthrow)より更に冷徹さを現わし、サッチャーの後任となったメージャー首 相は保守党党首として総選挙での保守党勝利に貢献しつつ自らの選挙区では落選したパッテンをば香港の最後の総督に選定したパッテンにとっての盟友なのだ が、回顧録の中ではメージャーを nice と形容が続き、英語での nice は「まあまあ」で悪くないが秀でるほどの良さもないぎりぎり肯定の表現、この形容詞一つでパッテンのメージャー君の評価が明確、と。なるほどねぇ。

七月廿七日(木)今朝発行の小泉内閣メールマガジン。案の定、昭和天皇のA級戦犯合祀について何も言及なし。一週間も前のことは天皇の発言とて屁の河童 か。夕方諸用あり茘枝角。「香 港工業中心」というまるで軽工業で香港の高度経済成長支えたような名前の大きなビルあり。青山道に面したビル の一角覗くとビルのなかは問屋多く入ってみるとアメ横状態で実際には問屋が半端物処分といった風の小売り店軒を並べる。大陸からの旅行客も多し。尖沙咀。 風呂屋で擦背。Z嬢とLangham Hotel地下のMain St. Deliで成人病の元凶Reuben Sandwichと蟹肉のコロッケ(これは美味)二人でシェア。香港文化中心にてシャルル=デュトワが音楽監督し指揮の中国広東国際音楽夏令営(Canton Int'l Summer Music Academy China)の 演奏会ありアルゲリッチのピアノ!でベートーベンのピアノ協奏曲1番、そしてオケだけに戻ってのショスタコーヴィッチの5番を聴く。昨年より広東省佛山市 にて「アジアのタングルウッド」目指し夏に中国中心にアジア各地より16歳からの英才集めての音楽活動。かなり期待したが予想通り。アルゲリッチが「砂か けばばあ」ならさしずめデュトワが「子泣きじじい」の元夫婦。舞台に出てくるなりアルゲリッチの所望で二人でスタインウェイのピアノの譜面台外して、の ベートーベンの1番、ちょっと緊張のオケの演奏に思いっきり「こんなのあり?」でアルゲリッチがピアノで乱入。聴いたことないようなベートーベンの1番な のはオケが若いからデュトワの解釈教えれば素直にそれを音にするゆゑ。その若いオケをアルゲリッチが上手に使って、ただただ見事な1番。満場の拍手にアル ゲリッチはアンコールでバッハのイギリス組曲、シューマンの「子どもの情景」から続けて(おそらく)スカルラッティのソナタ。幕間に「こんなコンサートあ りますよ」と教えたらシンガポールからわざわざ来港のG氏と「予想以上に面白い晩になりそう」と語る。かなり聴くキャリア研鑽のG氏もこのジュニアオケが 「名古屋フィルハーモニーとかね、あのレベルはじゅうぶんにある」と。ショスタコービッチの5番。木管が秀逸。金管も充分。惜しまれるのは弦楽器、とくに バイオリンが、技術力あるがやはり木管などに比べ「いい楽器」持たせてあげないとせっかくの技量も音にならず。殊にコンサートマスターのバイオリンなどス ポンサーが一流の楽器を宛がってあげたいところ。ソ連の厳しい時代生き抜いたショスタコービッチが共産党政府に求められた「社会主義リアリズム」の音楽も 中国の共産主義下の経済成長での明るさだと、こうなる(よくわからないが)、のショスタコービッチの5番はこんな明るい5番聴いたことなし。デュトワの指 揮も数年前に聴いたN響の時に比べ踊るよう。さすがに2楽章でも他人の音を聴いて合わせるまでの余裕もなく、3楽章ともなるとこの若いオケには難しいのは 事実。だが夏だけ集まって、これだけの音の出せる若い弾き手には喝采。盛んに聴衆はアンコール求めるがアンコール曲の準備なくデュトワが何度も現われ楽団 を称賛す。終わって歐陽應霽君に邂逅。期待通りの音楽会と歩き話。
▼昨日、盂蘭盆について何か知ってることを教えてください、とM君に尋ねられる。実は何も知らず。香港のことに詳しいと思われているが年中行事とか節句と か、とくに沢山の人が集まる催事、ドラゴンボートも饅頭祭も正月のライオンダンスも何も見たことがないのだ。
▼ミャンマー(ビルマ)で少数民族カレン族の武装組織「神の軍隊」を率い軍事政権と戦う12歳の双子の少年二人はジョニーが機関銃、アーサーがくわえ煙草 で、その写真はいまだに印象鮮烈。あの当時のそれを吉田秋生が漫画で描いたらさ ぞや素晴らしい作品となっていたかしら。それから早六年。少年二人は部下とともに翌01年タイ軍に投降し難民キャンプ暮らし。今回報道されたのは「軍事政 権と戦った「伝説の少年」ジョニーが政府に投降した。今は18歳前後とみられるジョニーは投降後、「家族や親類と平和に暮らしたい」と話したという。 (略)ジョニーら約10人が今月中旬にミャンマー側に入り、政府に投降した。ルーサーの消息は伝えられていない。政府側がジョニーらを拘束しないことを条 件に投降を働きかけたとみられ、「他の武装組織へのメッセージ」(外交筋)との見方も出ている」と、以上は朝日新聞(こちら) の報道。だが築地のH君曰く、この「投降」というのも額面通りに受け取っていいかどうか。シャン族の「麻薬王」クンサーもカタチの上では投降したことに なっているが実際には政府は「投降」発表で面子をとり、クンサーは相変わらずシャン国を実行支配。つまり「休戦協定」みたいなもの。ジョニー青年が「どう いう条件で」「投降」したかは定かでなし、と。御意。この報道、朝日に比べ毎日新聞(こちら) など「カレン族の象徴的少年兵が投降 国営紙報道」として(バンコク藤田悟特派員)「ミャンマー国営各紙は26日、少年兵集団を率いて国軍に対する抵抗を 続けた少数民族カレン族の象徴的存在であるジョニー・トゥー氏が軍事政権に投降したと一斉に報じた。国営紙によると、トゥー氏は先週、少年兵9人とともに 投降したという。」とこの「報道」がミャンマーの軍事政権下での国営紙だけであることを強調し「投降の理由は明らかにされていない」もので「軍事政権はこ こ数カ月、抵抗を続ける反政府勢力「カレン民族同盟」(KNU)拠点への攻撃を強めており、「投降報道」はKNUの戦意低下を狙う意図があるとみられる」 と記事を〆ている。これが報道というもの。
▼元最高裁長官矢口洪一氏の弔報で東京新聞が「元裁判官の江田5月参院議員は司法修習当時、矢口氏が教官。「司法に国民が参加する方向を示された。惜しい 人を亡くした」と話した」と算用数字氾濫(教えてあげたのですでに訂正されているだろうが、こちら)。加 藤6月氏も数ヶ月前に逝去。小泉純1郎とか中村勘3郎とか。

七月廿六日(水)晩。帰宅してドライマティーニ二杯。NHKのニュースで「昨日までの梅雨の雨空が嘘のような雲一つない晴天。夏到来です。気温は摂氏35 度、平日とはいえ各地には夏の陽射しを求めた人たちが……」と明るく気象ニュースだが、これって異常気象という意味では深刻な気がするのだが。「モノは言 いよう」とはまさにコレ。浅蜊のパスタ。斉藤さんにもらった山梨県韮崎市穂坂地区収穫地ワイン飲む。あっさりしていて美味。
▼政府が閑古鳥なく街市4箇所の閉鎖決定。住宅や商業ビルとして開発なら金の卵。筆頭は何といっても中環の必列者士街(Bridge St)街市。余が散歩途中にデジカメで街中の画像撮影を初めてネットにアップしたのがこの街市(こちら)。2000 年のことと思うが当時からもういつ閉鎖されるかと懸念され、寧ろよくぞ今日までもったもの。そして銅鑼湾の燈籠洲街市。ここもJardine's Bazaarの一等地で殆ど無視された存在。公衆便所が4階にある使いづらさも見事。3つ目は以外なところでFortress Hillの電気道街市。ほかの3箇所が店子の賃貸率3割台と低いのに比べ電気道は7割と高く閉鎖は一瞬疑問に思えるが閉鎖の理由は隣接の香港電力の発電所 跡地と一緒に再開発見込みであろう。この街市から電気道を北角方面に進むと在港日本人の間では「街市でゴハン食べたことあるぅ?」で大人気の東寶小館が入 る渣華道街市あり。この2の街市、同じストリート上にあり建物の造りといい規模といい酷似。それゆゑ東寶小館で食すのに「電気道の、ほら、街市あるじゃな い?」と説明され電気道街市に行ってしまいウロウロと東寶小館をば捜す日本人少なからず電気道街市の野菜や肉の小売店の者にはすっかり「ここぢゃない よっ!」東寶小館=日本人という印象が定着とか。そして4つ目が旺角街市。旺角の街市というと旺角道の花園街と通菜街の間に位置する賑やかな街市ばかり 想像するが、あれぢゃなくて広東道の街市。13.4千sqfで低層が商業施設、上層をマンション開発すれば10億ドルの資産価値だそうな。
▼競馬も夏休みで蹴球W盃も終わりすっかり暇な香港ジョッキークラブが「あの栄光よ、もう一度!」と80〜90年代の歴史に残る名レースを「経典大賽」と 称し画像公開(こ ちら)。あたくしも同徳だのTop Gainだのと名前だけは知っている名馬のレースを初めて見る。Top Gainの1980年のThe Hong Kong Champions & Chater Cup(沙田、芝1800m)だの歴史に名高い83年の香港ダービーの同徳の晴れ姿。このチャンネルで来週はあたくしらが熱中の栄光の90年代の特集は楽 しみ。

農暦七月初一日。晩に帰宅してドライマティーニ。地味な和食の夕食で金比羅さんの西野金陵酒造の「金陵の郷」なる大吟醸。大吟醸は好きではない。香港のこ の室温に長く放置してしまいずいぶん糖が出て焼酎の如き風味。日本のテレビは必然的にNHKになってしまうので時間的に夕食ではいつもNW9を見ることに なる。どの事件の報道見ても「本来あってはならないこと」「あの人がこんな事件起こすなんて」のくり返し。世の中に「本来あってはならないこと」なんて存 在せぬし「あの人がこんな事件起こすなんて」と言われても筒井康隆氏だったかの言葉だが自分が明日、殺人を起こすか起こさないかの確立は半々に過ぎぬ。事 件が起きればキャスターが神妙な顔で語る「日本人が計画し、そして中国人が犯行に及びました」という言説の怖さ。サイードの指摘したところ。ライス国務長 官はレバノン訪問しブッシュ大統領の「暴力をやめよう」というメッセージを伝えました、って暴力団の組長から「暴力はやめよう」と言われても(……あ、こ れが脅しか)。香港鼠楽園の衰勢を執拗に追う者として日刊ベリタにリトルリーグ大会開催の記事送稿(こちら)。
▼小泉三世の靖国参拝。先帝のA級戦犯合祀不快のお言葉につき「それぞれ の人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人があの方が言われたからとか、いいとか悪いとかという問題でもない」と宣った小泉 三世。これを世は不敬と余は言ったが、築地のH君は天皇を正しくも「人」と称したとは小泉三世こそ戦後最大の民主主義宰相ではないか、と。確かに。自民党 もぶっ壊し、戦後日本の民主主義も完成か……。瓦礫の山、という噂もあり。
▼蘋果日報で李八方の頁でシンガポール国王・李光耀の自宅周辺の防備についてコラムあり。リー・クワンU国王は実施的に国王だが建前では市民であるし大統 領でも首相でもないので「官邸」に住んでおらず、私邸。シンガポールの中心街オーチャードロードからちょっと入った歐禮思路(おそらくOxley Roadだとしたらこ のあたりか)に国王の私邸あり。私邸だが国王級だから守衛がおり八方氏が通りがかりに記念にと私邸の入り口をば写真撮影せむとせば守衛に止めら れ、すぐに私邸内から「私服」の連中が現われ八方氏の身元確認した、というのだから私服は官憲か。八方氏の語るところによれば国王は建国前から(つまり弁 護士として人民行動党立党の頃より)ここにお住まいで警備は厳重だが国王にしては(といっても人口的には横浜よか小さい)簡素なお住まいだそうな(簡素さ こそシンガポールの国是。簡素と強権か)。但し香港の自称政治家Sir Donaldの如く節句のたびに記者をば官邸に招き入れ愛想うるでもなく内部については公開されず。いずれにせよわずか一年半の任期に旧総督府を巨額の内 装工事せしSir Donaldはシンガポールの政治制度よか、このリー国王の住宅に対する廉しさこそ学ぶべき、と李八方。
▼朝日新聞に小泉内閣推進せし「市場原理主義」について岩井克人氏の「資本主義と会社」なる主張掲載あり。現代の「カネが支配する社会」について岩井氏は 産業資本主義の時代にはおカネを実業に投資すれば確実に利益が得られしものが「利益の源泉が、おカネでは買えない人間の頭脳に移ったことによって、おカネ は確実な投資先を失ってしまった」わけで「だからこそ、少しでも良い利鞘を求めて、おカネが世界中を動き始め」「それが世に言う「金融革命」であり「グ ローバリゼーション」なのである」と見据える。資本主義は様々な欠陥や矛盾を抱えてはいるが当面、これを超えるものが生まれてこないのは「人間が自由を追 求すれば必然的に資本主義的な活動(利益追求)が生まれてくるから」であり「その(資本主義の)欠陥ゆえに資本主義をを抑圧することは、そのまま自由を抑 圧することになる」もので「好むと好まざるとにかかわらず我々はこれからも長く資本主義の中で生きていかざるをえない運命にある」とする。フランシス=フ クヤマとはちと違う、この宿命感。そして、その資本主義の矛盾を保管するものが「倫理性」であり、その倫理性に支えられたものが「市民社会」と呼ばれるも ので倫理の基本は「他の人間を自分の利益の手段としてのみ扱ってはいけない」もので「その大原則の上で初めて、対等な人間がそれぞれ利益を求めて、お互い を手段として利用することを認める契約関係が結ばれてゆく」とする。この倫理観、相互互助的な、余は日本でもっとConfrerieの意義が理解されてい いと思うのだが、その大切さ。文科省が唱えるが如き実態のない「思いやりの心」だとか愛国心とか漠然としたことの教育よか具体的に社会秩序維持のための、 資本主義社会維持のためのモラルとしてのこの倫理観をば教えることの大切さ、なのだが小泉三世にせよ大臣の竹中某、通産省出身の経済評論家などネオコン的 市場原理主義の品のなさ、でこの資本主義の倫理がわかっておらず。彼らの拙いところは資本主義社会の矛盾や問題を解決するのが市場原理主義や自由市場化と 勘違いしていること。憲法学で樋口陽一先生が言っていることだが近代の社会(民主主義社会や岩井先生の視野にある資本主義社会)は矛盾や問題多きもので不 完全とわかった上で、その社会を維持するためにどうしなければならないか、のルールを確立しそれを遵守することの大切。
▼同じ朝日新聞で編集委員星浩君の語る「米国の陰」も面白い。日本という「独立国」は1950〜60年代に左翼対策として自民党と野党の一部に米国CIA から活動資金が濯がれ、04年に米国に対して「Show the flagなどと日本に圧力をかけるのはやめて欲しい」と田中均外務審議官(当時)がアミテージ君に告げると「日本政府は、業界の反対で市場開放などの政策 が進まないと、いつも米国に『圧力をかけてくれ』と頼んできたではないか」と暴露され、現首相はエルビス=プレスリーの猿真似。この情けない態。星君は、 この「屈辱感から卒業するには、日本が主体的に変わるしかない」と漠然と筆を置くが、結局それが自主憲法改正とか愛国心に収斂されてしまうチープさ。憲法 改正しても愛国心が培われても米国へのこの諂いから脱却などできぬ。むしろ屈辱感からの解放が「近代の超克」的に誤解される怖さ。本居信長くらいまで 遡っったほうがいい鴨。

七月廿四日(月)晩に香港日本人倶楽部。歌舞伎俳優市村萬次郎丈来港に合わせ橘屋の語りを聞く会F氏の主宰で内輪で催され末席を汚す。橘屋さんと直接お話 しするのは記憶では確か平成十年の松島屋さんの15代目仁左衛門襲名披露で歌舞伎座にて同公演に出演の橘屋さんの楽屋にご挨拶にお伺いして以来。萬次郎丈 が播磨屋(吉右衛門)と共演で「鳴神」演じた香港公演はもう十年以上前。余が生まれて初めて大向こう気取りで「橘屋〜っ」「播磨屋〜っ」とやったのもお恥 ずかしい。その晩、ホテルの部屋までお招きうけ二日間三部公演も終えた橘屋さんが酔った勢いで機嫌よく成駒屋の大檀那の舞台、大和屋の楽屋での語りの真似 などしてくれたのも懐かしいかぎり。で本晩。萬次郎丈、話上手。殊に父、十七代目羽左衛門の語った芸談など興味深く拝聴。芝居というと発声だの複式呼吸だ の「息を吐く」ことばかり気にしがちだが十七代目曰く「鼻からの呼吸」「息を殺す」の間合いの大切さ。忠臣蔵の四段目、判官切腹の場面での判官と由良之助 のやりとりなど。また科白で、下手な心理描写などよか、たとえば情景を思い浮かべれば科白で「須磨、明石」というただの地名も須磨なら須磨、明石なら明 石、とそれを思い浮かべて言えば自然な感情がこもる。萬次郎丈の両子息、長 男の竹松君は十年前に自動車でもとりわけタクシー好きの小生意気な子(笑)だったのがもう清楚で落ち着いた十六歳に成長。終わってから楼上での会食で竹松 君と十七代目の思い出話だの香港での01年の連獅子の時のことなどお話する。十七代目からは余は直接お電話をいただき、1997年に台湾の高雄で十七代 目、実に半世紀ぶりの台湾公演を見たことも懐かしい思い出。次男の光君が見た目から仕草、後ろ姿まで十七代目そっくりで驚くほどの隔世遺伝。画像は竹松君 の襲名披露記念の扇子で図柄は十七代目によるもの。
▼“A Warning About AIDS in Prison”と紐育タイムスの本日の社説(こ ちら)。140万人の受刑者を収容する米国の刑務所で受刑者のムショ内でのHIV感染率がシャバに比べ5倍と高い現実。性交渉による感染と麻薬投 与の際の注射器の使い回し。いくつかの国や国際衛生機関は刑務所内でのAIDS感染防止のためにコンドームの配給をば呼びかけているが米国では本来、有り 得ないはずなのが受刑者間での性交渉で(しかも同性間)、麻薬蔓延も言語道断なところだろうが、コンドーム配給は建前上そう易々とは実施できぬそうな。本 来、生活から人格までの管理徹底されるべき<施設>内部での、この実態もフーコー的に興味深き話。
▼週末より香港で棒球の2006年リトルリーグアジア太平洋大会開幕。昨日は日本7−0中華台北、香港9−2タイ王国といった試合結果。本日は日本対香港 の試合あり。アジアの強豪チーム揃う、といいたいところだが日本、韓国、台湾という米国安全保障前線を除けば野球はあまり、というかほとんど普及しておら ず実は香港チームもタイチームも日本人選手少なからず。香港対タイで日本人同士が野球をする、これはこれで少年らが「ナショナリティとは何か?」学ぶ意味 で姜尚中的には興味深いところ。ところでこの香港大会、今年の1月の準備委員会開催時には試合会場は青衣運動場、宿舎は馬鞍山は鳥渓沙のYMCA施設のは ず(こちら) が突然、六月に会場は香港ディズニーランドと決定。宿泊もディズニーランドのホテルという厚待遇(出場選手には朗報か)。当然、察せられるは香港鼠楽園が 入場者数の低迷でとにかく何でもかんでもイベント開催で関心集め人寄せになれば、の名乗り。(鼠楽園プレスリリースはこちら
This year, Hong Kong Little League is organizing the Tournament, which will be held at the Hong Kong Disneyland Resort on two new, specially designed tournament-grade baseball fields that are being prepared for the event by Leighton Asia. The baseball fields are located on the spacious grounds between the two Disney themed hotels, the Hong Kong Disneyland Hotel and Disney's Hollywood Hotel.
というわけで当初、香港鼠楽園の建設計画にはなかった野球場をば2つのホテルの間の空き地に急拵えしての対応。昨日の試合ご覧になった方の話ではMTR鼠 線の鼠リゾート站からシャトルバスまで運行あり。球場は観客席屋根付きでなかなか本格的な設備。ただ鼠楽園の広大な駐車場は小型、中型のバスが5台駐車し ていただけで酷暑のなか鼠楽園内の入場者数が惨憺たるものであろうことは予想に易し、との話。下手するとリトルリーグの試合観戦者のほうが多い鴨。でもさ すがにリトルリーグ観戦者に鼠楽園の無料入場券こそ支給されず。但しこのリトルリーグ観戦者も間違いなく鼠楽園の入園者数に「香港ディズニーランドリゾー ト来訪者には変わりない」として、きっとカウントされているであろう。(以下、翌日談)……とまで綴り晩遅くに信報読んでおれば、実は前述のthe spacious grounds between the two Disney themed hotelsは三番目のホテル建設用地。それが需要見込めず野球場建設。で今回のリトルリーグアジア太平洋大会については会場を無償提供(やはり……)。 ESPNによる試合の衛星中継で香港鼠楽園の宣伝になり、この大会の参加者や観戦者の鼠楽園入場(これは有料……笑)が期待される他、リトルリーグ大会大 会の記念品販売も鼠楽園にとって収入期待される、と。無惨。鼠楽園ぢたいの収益に期待できず全く関係のないリトルリーグ大会誘致でその土産物の販売にすら 期待するとは……。哀れ極まりなし。

農暦六月廿八日。大暑。快晴。流感か熱中症かいずれにせよ昨日C医師の診察請い注射と投薬のおかげで体調快復。さすがに山を走るとかジムに行くという元気 なく猛暑のなか傘さして陽射し避けながら太平街市。水電工程の店(と以外言いようがない香港の電気水道冷房関係などの部品屋兼修理屋)で昨晩閃光放ち大破 の居間冷房の安全装置の代替品贖う。朝の街市の活気。肉屋で巨大なまな板の上にブタの頭首がゴロンと放られる。帰宅して冷房の電源の修理。珍しい休日の日 がな在宅で掃除や机まわりの整理など。冷蔵庫の中にBaileys' のアイリッシュミルク発見。もう何年の貯蔵か。開栓してみると濃厚な芳香。アイリッシュミルクがチーズ状態。恐る恐る舐めてみると絶品。腐乳か沖縄の 「とーふよう」の如し。整理したスクラップの中より10月のマカオ国際音楽祭の予告記事見つけ ネットで調べると偶然にも本日夕方からのチケット発売。発売時間にネットで見るとすでに朗郎&マカオ交響楽団や1860年建立のTeatro D. Pedro Vでの演奏会は軒並み売り切れ。辛うじて中秋の晩のケルン放送交響楽団のチケット入手せむと予約手続き進めれば予約の最後でクレジッ トカードの有効期限入力が事もあろうに「年」の選択が「2016年」より始まり明らかにサイト設計ミス。ここで「だからマカオは……」と言ってはいけない か。手持ちのクレジットカードで有効期限最遠は2008年。試しに2007年のカードを2017年で入力してみるが「有効期限の設定が間違っています」 と。当然か。慌ててマカオのチケット販売部署に電話すると電話つながりチケットは確保。Marian Andersonの歌うブラームスのImmer leiser wird mein Schlummer(Immer leiser wird mein Schlummer)など聴きながらのんびりとした午後。下手な書道の練習。手本は虞 世南の孔子廟堂碑を元にした楷書の練習本。デンキブラン一杯。ドライマティーニ二杯。大暑、日本では土用の丑の日。鰻丼食す。日本で土用の丑の日 はよく太陽暦にしなかったもの。ちなみに香港では大暑に食すのは西瓜。水分接収し涼を摂る。日本では滋養強壮の鰻だが西瓜とは食べ合わせ悪いと言われ、日 中関係はやはり一衣帯水とは言えず、か。NHKスペシャルで「ワーキングプアー」なる、働いても生活苦の特集。ワーキングプアーと呼ばれる若者がここ五年 で1.5倍の1600万人。米の値段もこの五年の下落著しく秋田県では六千戸の農家が廃業。介護保険料すら値上げ。このような状況では通常であれば常識的 に考えて独裁国家では(経済成長の続く中国を含む、北朝鮮を除く)革命か政府転覆が生じ法治国家なら選挙で与野党の政権交代なり最低でも内閣総辞職なり生 じるはずだが日本では小泉内閣の長期政権の安定。不思議なようでいてこのワーキングプアーの人たちのどれだけが今の政治を支えているのか。NHKとて同 様。番組の最後でナレーターが「なぜ普通に生きていけないのか?、私は疑問に感じてなりません」と宣い経済評論家の内藤克人らを登場させ「最も深刻な構造 問題」「非常に根の深い重大な問題」と言うにとどまり、バランスとるためか通産省辞めた経済コンサルタントだかに「貧しければすぐ救済されるのではなく」 「活力で稼いだ人のおカネを還元していかないといけない」ことをわかってもらわないといけない、と言わせ、最後はそういったワーキングプアーが多くなると その子どもの教育も荒廃し……と悲しい話を持ち出し「個人の問題でなく、私たちは、これを社会の問題として考えなければならないのではないでしょうか」と 結ぶ、真っ当そうで責任明らかにせぬ番組づくり。NHKの基本。これを「国民の圧倒的な支持を得て誕生し五年の長期政権となった小泉内閣。その小泉さんは 日本のためにいったい何をしてくれたのでしょうか?、コマーシャルです」なら久米宏。だが本当は「その政権を支持してきたのが私たちなのです。他人の所為 にはできません」と結ぶべきだろう。姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』後半読了。アジアにサイードは生まれるか?と姜教授は問うのだが「在日」として生 まれ東京大学の教授として教鞭をとる姜尚中こそアジアのサイードかも。第5章「世界システムのなかの民族とエスニシティ」が面白い。フランシス=フクヤマ の「歴史の終焉」の楽観的な気分も色あせて(フクヤマの理論が楽観的かどうかは疑問だが)ポスト冷戦期の典型としてサミュエル=ハンチントンの「文明の衝 突」が生まれ、この東西対立が持て囃される21世紀ではあるが姜教授は「エスニー(ethnie)から民族への動きとその政治化が顕在化するのは、近代化 システムの形成とともにであって、それ以前にさかのぼるわけではない」と、まるで今日の世界の紛争対立が数千年前からの「文明」に係わるとする「文明の衝 突」見方を否定。「文明の衝突」は第一次的には「それを生み出した原因である世界システムの構造的なプロセスとその変容から説明されなければならない」も ので「結果と原因を混同してはいけない」。
民族という身分をつくり出す運動が民族主義的であるとすれば、この 運動はそうした「意識を創出し、言語を生き返らせ(ときとして、発明し)、名称をつくりだし、運動集団を他の集団と区別する習慣的実践」と強調すること で、その文化的パターンの違いを増幅させてきたと言える。この意味で民族主義が階級の権益に役立たないような多様な状況のものでは、身分集団的結合は、そ の代替的極である宗教などに具現されることになる。
フーコーとサイードを読むとこのように民族主義だの愛国心のイカサマさがわかるようになる。
▼頭上にはゴミから故障したエアコンまで何でも天から降ってくる、と言われる香港。だが少なくても「街路を歩く人を意図的に傷つけるためではない」ことだ けはモラルであったはず。それが昨日は九龍でハサミが降ってきて街路歩く老婆の頭に見事に刺さる。毛糸帽被っておりハサミは頭皮破りわずか数ミリの軽傷で 済む奇跡。その数時間後だかに別の場所から同じくハサミが落とされ同じ輩の仕業と察せられる。

七月廿二日(土)「私が出馬すれば、靖国問題やアジア外交が最大の争点になり、国論を二分する事態となる」と福田康夫君。国論は二分されて何ら問題ならぬ し二分され喧々諤々と議論されてこそ国論鍛練されるはずが結局のところ福田君も所詮自民党の人で正確には「私が出馬すれば、靖国問題やアジア外交が最大の 争点になり、自民党を二分する事態となる」。で国論よか自民党が政権を維持すること=国家の大事となり「自民党を一つにまとめる」という点に全ての国論が 収斂される。すべてがこれ。小泉三世が変人と嘲笑されていようが一旦首相となれば自民党のセンセイらは小泉を擁て、郵政反対であろうが自民党が二分される 事態となれば(一部の信念ある代議士が離党したことを除き)小泉郵政改革に最後は賛同。この思想も信念もなきメダカ社会こそ自民党であり日本の社会そのも の。本日、久々に何もご公務も私用の予定もなき週末。裏山を上り大潭を走る。パーカー山よりQuarry Bayに流れ落ちる石清水の引水路に老人が勝手に幕を張り貯水しての水遊び。鉄砲水も恐れるところ。通りがかりの人何人か「危ないよ」と声かけるが老人は いっこうに耳を傾けず。頑固通り越し、こういうのは「癪」と云うもの、死んでも本望かも。老 人らの威勢はそりゃ自然公園管理局も歯が立たず。立ち入り禁止と指示する引水路は水の流れ涼しく老人らの憩いの場と化し洗濯場としても有効利用され、未明 から明け方の散歩に暗がりに目印と蛍光塗料や白いペンキで凸凹の岩や窪みが目印に塗られ、高じてペンキで鳥の絵などお絵書きまで始まり、自然公園の山中に は老人らのいくつもの秘密基地、アジトある始末。15kmの歩きと走りを終え海岸の木陰に憩う。姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』(岩波現代文庫、04 年)半分ほど読む。フーコーとサイードの丁寧な解説で終わるの?と一瞬思ったが日本の植民地学(新渡戸稲造が担った役割は知らぬ人には驚くもの)からエス ニシティ、オリエンタリズムからの脱却といった、ここがこの姜先生独自の主題に至るようである(まだその部分読んでおらず)。湾仔。今朝は少し雲も多く、 これなら走れるか、と思って家を出たが大潭でかなりの晴天となり、それでも慣れたものだが今日は足にかなり怠さあり途中走れず。脱水症のような感じもし て、海岸で休んでも猛暑に悪寒あり。だいぶ納まったが微熱残り帰りがけにC医師の診断請う。A型の流感がこの夏流行っており、たぶんそれだろう、と。帰 宅。韮鍋。晩のNHKの番組にデーモン小暮閣下出演。大相撲で朝青龍優勝決めた今晩、相撲解説で「白鵬について語る」に期待して出番待っていたら、突然、 ボンッ!という音とともに電気が消え居間のクーラーに繋がる電源部分が発光し煙が出て壁も周囲が黒ずむ。一瞬、何事か、と唖然。結果的には、築廿年近いマ ンションで冷房の電源部分の安全装置がかなり老朽化し夏の連日の冷房使用で負荷がかかりボンッ!と臨終迎えたもので、それで部屋全体のブレーカーが落ちた 由。安全装置部分取り外し、テスターで確かめれば電気供給部分は異常なく、冷房機じたいも幸いに異常なし。応急措置で冷房の配線をば別の電源につなぎ事無 きを得る。テレビつけるとすでにデーモン小暮閣下の相撲解説終わっており残念。閣下が人間界以外から初の横綱審議会委員になる日の近いのだろうか。
▼シンガポールの「黄亜細」について。蘋果日報には黄亜細の経営者夫婦取材の記事あり、香港からの来賓である曽蔭権(自称政治家Sir Donald)に骨肉茶を供せなかったのは甚だ残念だが午前四時には仕込み始める連日の仕事で、とても晩に営業など出来ないことをわかって欲しい、と。道 理。陶傑氏はシンガポール政府であるから黄亜細への営業時間延長の打診の仕方は二通りあるわけで、一つは慇懃に「政府は貴殿の厚意に大変満足しており愛国 的なるその仕業は……」。もう一つは「政府の指示に従わぬのなら衛星当局と税務署がおたくの店の検査、監査に行かしてもらうよ」であろう、と。骨肉茶はも ともと労務者の朝飯であり晩に地元料理ならマンダリンオリエンタルホテルの海南鶏飯でも食せば問題なかろう、と。午前三時まで営業。但し陶傑氏によれば、 このマンダリンオリエンタルホテルのダインは近ごろ改修したそうで一面、紅色……とは無惨。午後になど訪れると姑に虐められた嫁が吊首の自殺に纏う紅色の 衣装の如し。陶傑氏はシンガポールなら百勝城にあるJackyなる海南料理家を訪れてみるべき、と紹介。ところで骨肉茶とは、船の荷揚げに従事の荷方、苦 力(クーリー)らが香辛料の運搬で包みからこぼれた香辛料をば集め、それを売れ残りの肋肉と煮込んだもの、との云われあり。強烈な芳香に肉汁、これを飯と ともにかっ込んで苦役に出かけた、もの。
▼香港大学の十三の学生宿舎に寄宿の学生らが内地学生の寄宿増加に反対しデモ抗議。中国内地からの学生の寄宿が千名を超え、各宿舎ともに三分の一ほどが内 地学生。地元学生の寄宿の機会が減り、内地学生とも生活習慣との違いで摩擦も少なからず。何より、英国の伝統としての寄宿学校制の名残であるから、たん に、自宅から通えぬ=寄宿とは異なるもの。ひとつの宿舎が教養、伝統と化しており、そこに暮すことでそれを会得する様々な機会と経験。旧制中学、高校の寮 生文化と同じ。そこが突然、内地かららの学生のシェルター化することに異議というところ。

七月廿一日(金)早晩に尖沙咀に渡り火曜晩に飲み損ねのパブWに 寄りフォスター麦酒1パイント。鄙びた古風のバーに客は昏刻にニ、三人。ぼんやりと薄暗きバーの隅で新聞にゆっくりと目を通しながらの麦酒に暑さもたちど ころに退き涼を感ず。バーに入りし客の顔を見れば旧知のG氏。半年ぶりかの邂逅。「本、ありがとね」と言われ何のことかと思えば、数ヶ月前に或る人介し勝 手に「G氏に差し上げて」と海岸で読了の司馬遼太郎の薩摩、種子島紀行をば託したこと思い出す。ちょうど一週間ほど前に受領し読み始めた、と、その司馬本 をあらためて見せられるが、今になって思えば海岸で読んで汗でごわごわ、人に差し上げるには甚だ失礼な話。Z嬢と尖沙咀の地下鉄站出口で待ち合せ厚福街の雲南桂林過端米線。肥牛米線食す。五、六年前にTsuen Wanの路徳圍に開業の雲南麺屋。この小店を筆頭にTsuen Wanの路徳圍に新移民系の本格的な各地の麺屋開業しTsuen Wanの公共団地隣の一角、路徳圍が突然脚光浴び、おそらく地下鉄終点のTsuen Wanにわざわざ他から客が食事に訪れるようになりたるは画期的なこと。その雲南桂林過端米線(店の名が長い)あれよあれよという間に港九新界に九店舗。 Z嬢に言わせれば同じ店の名前でも店によってかなり味が違う。科学館のレクチャーホールにてベルトルッチ監督の『ルナ』を観る。著名なオペラ歌手である母 と、その甘やかされて育ったヘロイン中毒の十代半ばの息子の物語。父の死を契機に伊太利を渡った母と子。近親相姦的なる溺愛。実父の存在を知り三人で再生 を誓う。甘やかされて育ったガキのヘロイン中毒、母の溺愛、と筋立てぢたいはどーでもいいが、全編に流れるウェルディのオペラ、終幕の野外の古代劇場跡地 でのオペラ劇のリハーサル風景の見事さ、映像の美しさでさすがベルトルッチ、と150分けして飽きずに見蕩れたのも事実。これだけ陳腐なる筋でこの、ビス コンティなら耽美で終わってしまうであろうものを。帰宅して福田康夫君の自民党総裁選不出馬と知る。年齢もあろうが名官房長官はけして首相の器にあらざる こと。これで安倍か……。堕ちるとろこまで堕ちるほうがマシ。所詮、その程度の首相を選ぶのが民度に見合っているの鴨。かつてネス湖のネッシー、永田町の キッシーと呼ばれたが、その昭和の妖怪の孫が首相に。今にして思えば安倍晋太郎が急逝せねば首相になり、また自民党の後継も変わっていたかしら。
▼「男子高校生の49%、わいせつ画像閲覧」と指摘する警察白書(こ ちら)の猥褻さ。ビニ本、エロ写真、さかのぼれば春画本まで若い人がエロに執着することなど珍しくもなく、何が今更70%の親が「心配」だろう か。「だまされてお金や物が取られる」、って有料エロサイトはクレジットカードないと見られない安全さ、であるし、むしろエロで「だまされておカネやモノ を取られる」のは、その子どもたちのオトーサンたちであったりする。むしろこういうことを今日の社会問題化として健全なる青少年育成への邁進こそ心配。各 中学校にこういった心や性の問題に対処する心理カウンセラーを配置、とか教育行政までが便乗したり。カウンセラーをまえに性の欲望を言葉で語る……フー コーならかなり興奮しそう。
▼「なんでこうなるの!」と21日の産経新聞の産経抄の書き出し。やはりA級戦犯合祀での先帝のご発言は産経新聞にとっては「なんでこうなるの!」か、と 思えば産経抄はこの国の御大事のさなか欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」解散について語る(こちら) (笑)。動顛で気持ちもわらかぬでもない。昨日の午後三時前にRTHKのニュース速報で「裕仁不満甲級戦犯合祭靖國神社」と流れる。先帝、昭和崩御の前年 昭和63年に靖国神社A級戦犯合祀に強い不快感を示し、この合祀を直接の理由として合祀後の参拝をせぬ旨、当時の宮内庁長官富田朝彦君に語られた由。日本 経済新聞が入手の富田君のメモで明らかになる。「なぜ朝日じゃないのか」の日経のスクープのようでいて、実は朝日内部には「日経がスッパ抜いてくれてよ かった」の安堵感だろうし、今回の靖国問題については所謂左翼よりも財界中心に対中韓刺激する小泉内閣への不信感あり、と思えば日経の報道も不思議でもな し。それにしても何故にこのスクープが今日、木曜日なのか。残念。これが水曜日であれば今朝の小泉三世のメールマガジンでの小泉発言に期待できたものを。 いつも小泉三世に好材料のニュースばかり火曜、水曜に重なるのに。その報道見れば、さすが宮内庁長官、メモも万年筆で達筆であった。すぐに「捏造説」など ネット書き込みに現われる。当の小泉三世は晩に記者団に対して昭和天皇の発言が自らの参拝に影響するかどうかについて質され「これはありません。それぞれ の人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人があの方が言われたからとか、いいとか悪いとかという問題でもない」と宣う。畏れ 多くも先帝のお言葉に「それぞれの人の思い」「あの人があの方が言われたとか」と不敬なる言い回し。さすが真紀子大臣更迭で天皇に偽証できるだけの大人 (だいじん)ぶり。戦後民主主義の象徴たる今上天皇ばかりか「死んだはず」の昭和天皇が今もって国政に大きく覆はれる事実。実のところ靖国神社であれ小泉 三世であれ、もはや自らが権威であり中枢であり、天皇とて自らの信念通す上では「まったく面倒な」的なる存在かしら。で、今朝の朝日新聞は予想通り昨日の 日経のスクープ丁寧に後追い報道。読売新聞もこの問題についてはナベツネさんが保守の良心でA級戦犯合祀と国立追悼施設の建立をば提唱する立場であるか ら、椿説は期待もできず。というわけで今朝の期待は何といっても産経新聞(笑)。社説である「主張」では(こちら
富田氏のメモは後者の説(A級戦犯合祀により天皇が靖国参拝を控え たとするもの)を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖 国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致 で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した 戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀さ れた。この事実は重い。小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。
とする。天皇の御心よりも国家として政府が国会審議を経た決議の優先を、と、天皇発言に依存する朝日や日経などに比べ産経新聞のいかに近代的なる態よ!と 讃めたいところ。だが常識的なことだが「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択されたのは必要以上の戦犯を極刑に処し、また遺族が精 神的に加え経済的にも苦境に置かれることを避けるのが目的。この国会決議はA級戦犯の戦争責任を否定したものに非ず。また厚生省が昭和41年にA級戦犯を 「祭神名票」として送ったが、この厚生省の作業が憲法に抵触する可能性高いものなのに、臆病な役人がこの作業をした、ということは明らかに何らかの力が加 わっての昭和41年のことであろう。産経の社説は、まるで国会決議⇨厚生省の配慮⇨合祀を一連の流れのように書いているが、これはあまりに拙い詭弁。昭和 28年の国会決議と(昭和41年という、その国会決議から13年後であることは言及しておらぬが)A級戦犯の「祭神名票」への書き込み、さらに社説では触 れておらぬが更に12年後の合祀、と、この3つの事実が寧ろいかに相反しているか、が大切。であるから、無理に首相参拝に合意する社説など書かず産経抄の ように「なんでこうなるの!」にしておけばいいのに(⇦なんど書いても可笑しい)。で産経はそれでは気持ちが納まらぬから、怯む保守論壇の中で威勢の良さ では人後に落ちぬ上坂冬子刀自に登場いただき「正論」欄で「慎みたい「富田メモ」の過大評価」と威勢堂々正論述べていただく(こちら)。 拝読。
今回のメモと、昨今話題になっているA級戦犯の合祀論や分祀論とは 直接的な関係はない。このメモひとつを根拠にして、短絡的に、処刑されたA級戦犯を靖国神社から外せということになると、東京裁判であれほど天皇を戦犯リ ストに入れないために努力した東条英機元首相の主張とのつじつまが合わなくなる。東条元首相が天皇を無罪とするために、いかに努力したかはドキュメント フィルム「東京裁判」として残っているから一目瞭然だ。あの東条証言がなければ、天皇も戦犯として指定されかねない状況であった。
と上坂先生仰有るが、天皇が戦犯に指定されなかったのはマッカーサーと米国のおかげ。
もし、このメモを過大評価して靖国神社からA級戦犯を分祀せよとい うことになれば、新たな論争が起きるだろう。すなわち天皇は東条元首相の天皇擁護論を知っていたのか、知らなかったのか、ということになり、そのことに端 を発して天皇の戦争責任論が蒸し返されることも考えられる。
東条ら臣僕が天皇擁護することなど天皇が知らぬはずもないから「新たな論 争」など起きぬし、天皇の戦争責任論が蒸し返される、って「天皇には本当は戦争責任があったがなかったことにする」は日本も米国も保守もみんなの常識。先 日の徳富蘇峰の言説の通り。
確かに上坂先生の仰有る通り、天皇の靖国参拝の中断はA級戦犯合祀だけで なく
昭和44年から49年まで靖国神社の国家護持論が国会で紛糾した。 この論議の過程を見て、国民のコンセンサスが得られていないところへの参拝を思いとどまられたことも考えられる。
のかも知れぬ。これはむしろ天皇がさまざまな状況を総合的に判断した、という証左ともなること。朝日新聞でも使えるフレーズ。で上坂先生は
富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た 昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。考えられるのは、天皇には正確な情報を網羅して直ちに伝えられていたわけではないらしいということだ。少 ない判断材料に基づいてのご発言だとしたら、必要以上の拡大解釈は慎みたい。天皇のご発言が身近な人の日記から公にされたのは十分に歴史的な意味がある が、時期的に首相の靖国参拝、総裁選を控えて、ともすれば過大評価しそうな雰囲気でのスクープだけに気にかかる。合祀、分祀問題とは直接的な関係はないこ とを、ここで強調しておきたい。
と宣われる。昭和63年である。上坂先生は時期のズレを指摘するが、病態悪しき先帝が宮内庁長官を相手に脳裏に浮かぶ様々な事柄につき語る、に何の不思議 があろうか。天皇にとって判断材料が少ない?などどうしてかしら。戦時中ですら海外の短波ラジオ放送聴いて戦況をば把握していたという説、今上天皇が宮中 にて、日本国民が見ることのできぬ映画“The Sun”をば興味深くご覧になったという説、などなど考慮すべき。確かに、今回のこの報道が「時期的に首相の靖国参拝、総裁選を控えて、ともすれば過大評 価しそうな雰囲気でのスクープだけに気にかかる」のは事実。明らかに何らかの力が動いたのだろう。そして本来、この天皇発言が靖国神社の合祀分祀問題と も、首相の信念?としての参拝にも関係ないことは、近代国家として立憲国家として、関係のないはず。が実際には、今回もまた、この天皇発言に保守からリベ ラル、社会共産両党までが「それみたことか」と反応することに、ああ日本はやはり天皇をば戴く国家なり、と痛感するばかり。そういう意味で敢えて昭和天皇 のお言葉から距離を置き冷静に判断しようとする小泉三世や上坂先生が個人主義、近代思想、革新の極みなのか、とすら思えるのが可笑しい。いずれにせよ誰も が皆、安倍某まで含め「なんでこうなるの!」だろう。

七月廿日(木)晴。早晩に銅鑼湾の紅十字にて献血。三ヶ月毎の献血で鬱血の如き肩痛失せる爽快感。献血センターの冷凍庫の如き寒さ。「冷房は23〜24 度」と掲示あり、香港政府の指導する25度よか低いが、実際の設定は16度。献 血中あまりの寒さにブランケット借用。モニタから流れるテレビニュースの大音響、職員の大声での会話、とても心やすめて献血に能わず。思い出すは広尾の日赤医療センターの献血施設の快適さ。広尾の高台にある施設の窓から献血 しながらぼんやりと眺める麻布方面の景色。左は渋谷から新宿にかけての遠景。閑静さに抜血されながらうすらうすらと気も朧げに。終わって東京女学館と日本 ユダヤ教団の間の坂道を自転車で下り羽澤ガーデンの蚊の多いお庭で麦酒をぐいっと一飲の快楽。Z嬢とも思い出深きその羽澤ガーデンも昨年末に閉園。喧騒の中での献血終え更に喧騒甚 だしき銅鑼湾の繁華街から夕闇のなかヰ"クトリア公園に抜ける。かつて夜な夜なに妖しき公園もすっかり整備され健全。公園というのは暗き場所より夜鷹ふら ふら現われ客を引き男色家が同趣の衆を漁り、乱歩先生徘徊し寺山修司が逢引のアベックをば覗き見る、そういう隠微さがないといけない。小猫多し(じつは同 刻、この公園の何処かでZ嬢仔猫と遊んでいたそうな)。公園を抜けて天后の関西料理「利休」に、福井で大雨に遭い香港経由でバンコクに戻るY氏、それと先日 リパルスベイの絵葉書写真くれたO君と食す。うどんすき。美味。芋焼酎。車傭い銅鑼湾。バーY。ジントニック二杯。午後11時には帰宅の真面目。Y氏に黄色い 腕輪いただく。プミポン国王の在位60周年祝い100バーツで購入の腕輪。売上げは国王の如意で福利事業に用いられるとか。
▼飛行機に詳しいY氏の話では成田空港で年内にキャセイパシフィック航空(CX)やAA、BAなどOne World系のキャリアが第2ターミナルに移り日本航空と連結。現在の第1ターミナルの老朽化したCXのラウンジなど移転で設備向上に期待だし第2ターミ ナルの書店は改造社なのが有難い。バンコクも新空港が年内には稼働。チェックインカウンター数は世界最大規模。運用可能な年間旅客数は細かい数字忘れたが 成田空港の旅客数をずいぶんと上回る。タイ目指す観光客に加え、飛行機乗り継ぎでも空港施設快適であればバンコクを選ぶか成田を選ぶか。トランジットラウ ンジにパッポン街とタニヤ街新設!は冗談にせよ、ストップオーバーするなら確実にバンコクが選ばれるは確実。ところで、やはりバンコク空港には仏像が安置 されているそうな。
▼保守政界の良心、山崎拓さん筑紫哲哉のニュース23に出演での発言。大意下記の如し。築地のH君(久しぶりに登場)より報らされる。
「私はタカ派とよばれてきたが、国防に力を入れるというのは、国民 の平和と安全を守るため。自民党の若い連中が勇ましい言論をもてあそぶような風潮があるのは、かつて日本がおかした過ちをくりかえすのではないかという危 うさを禁じえない」「国民はどうしても勇ましい方へと引っ張られる。これはやむをえない。だからこそ、政治家がしっかりしなくてはいけない」「極論すれ ば、国民はそのレベルに応じた指導者しか持つことはできない。みてくれがいいとか勇ましいことを言うとか、そういう理由でリーダーを選ぶ国民が多数である とすれば、残念ながらその程度の指導者をもつことになるだろう」
と論末の有権者批判の凄さ。亀井静香君の国民がバカ発言に勝るとも劣らず。この発言を15次以内で要約せよ、ならよーするに「安倍晋三を選んだら国民がア ホ」ということ。アホで悪かったな、俺たちは阿倍さんと国力ある立派な日本を作ってみせる、と開き直られるともっと怖い。

七月十九日(水)昼にAnson陳方安生女史FCCにて昼食講演。事前に「今後の動きについてはFCCの」と述べたためマスコミの取材多し。24日には前 総督Chris Patten氏の夕食講演も予定されているが主催者の話ではマダム陳は14分で満員御礼でパッテン氏は40分で、それほどマダム陳への関心高い、と一言述 べる。陳 太の話す内容は、と言えば、香港が法治社会であり民主主義社会の建設は基本法に則ったもので自らは個人の信念に基づき香港の民主主義社会の実現のために邁 進する意志があるもので、それが中国政府や香港現体制に逆らうものではない、と強調。当然のように行政長官選挙への立候補の所信表明などなく、具体的には 立法会選挙での直接選挙枠増(区議会選出枠の取消し)など提言し、自らは政策研究組織の主宰など表明。まぁ無難。マスコミの期待に対して、特段、ニュース にならず。香港が英国の植民地大都市から共産主義大国中国の特別行政区への移行ということで話題となったが、あらためて考えれば、香港が中国の一地方都市 とすれば大阪市よか規模小さく行政長官が大阪市長なら陳太の職歴も政務長官というのは大阪市助役レベルか。早晩に湾仔で恐ろしい人ごみ。すわ何事かと思え ば毎夏恒例の「書展」、湾仔コンベンションセンターでのブックフェアの開催。夏休みに入った時期に学生に本を読みましょう、また秋の新刊書の見本市で、出 版社が割引価格で新刊書販売に連日数万の人出。帰宅してNHKのNW9見れば日本で豪雨。災害報道も大切だろうがニュースの冒頭から延々と「これほどの被 害がありました」ばかり。湾岸危機の頃から変わらぬ「報道」姿勢。「なぜこれほどの被害が?」って、大雨の所為に決まっているのに「災害担当の橋爪デスク です」とか現われキャスターと三分ほど延々と語って「実は長雨が原因なんです」「そうですか」とお馬鹿な会話。思わず、ザ・ぼんちの「そーなんですか、川 崎さん」彷彿。続くニュースが陸自のイラク派遣で銃後の家族が日本でいかに派遣隊員を気遣ったか、自衛隊が残された隊員家族の心のケア云々、と。これもラ ジオ日本で現地のホテルに軟禁状態の日本人に「お父さんへ。昨日は娘、はるかの運動会でした。お父さんが出る競技にはおじいちゃんが代りに出てくれ て……」の湾岸戦争の頃から何も変わらず。
▼香港の行政長官「自称政治家」Sir Donald君のシンガポール訪問。シ政府が手配の「黄亜細」(Ng Ah Sio)での肉骨茶賞味、泣く子も黙るシ政府のVIP来店での度重なる打診に黄亜細は営業時間外の営業はせぬと突っぱねた見事(十七日に記述あり)。劉健 威兄は肉骨茶などもともと庶民が力仕事へ向うのに朝飯の食す料理で、早朝だけの営業は道理、それを夕食がわりにという発想が貧困、と指摘。だがシンガポー ルの新聞には黄亜細がこの件につき詫びた旨の報道あり。経営者が店には店の主義あれど今回の営業時間考慮拒否でシンガポールの印象悪くしたことは遺憾、と 伝える。さすが。

七月十八日(火)晩にZ嬢と尖沙咀で待ち合せ。少し時間がありパブWに寄りビールの一杯で涼をとろうかと思った矢先にZ嬢から電話あり。あと少しで着くと 言うのでビールも夢と消える。それでも飲もうと思ったビールが飲めぬと無性に飲みたくなりコンビニでハイネケン一缶立ち飲み。Z嬢と会い尖沙咀東の一平安。麦酒一杯、焼き餃子、鬼ごろしをコップ酒一杯、タンメン。タン メンって湯麺だがなぜ「野菜だけ」ぢゃないといけぬのか。湯麺ならば汁そばの総称のはず。しかも塩味に限るのが日本のタンメン。白湯麺で、醤油味などから の区別か、それが略されて湯麺なのかも。香港科学館でベルトルッチ監督の“Last Tango in Paris”上映あり初見。餃 子とタンメン避けるべきだったかも。せめて尖沙咀ならHoliday InnのブラッセリかLangham Hotelの紐育デリ。この上映、字幕なしでフランス語と英語だけはつらいところ。英語と簡単なフランス語だけの理解ではとても濃いエロチックな会話に嵌 れず。1972年当時物議かもしたエロティシズム。当時、映画のポスター、小学校の校門横にずらりと並び壮観。ポルノ映画のポスターも堂々とヌードがポス ターになっていた開放的な七十年代。それを学校の行き帰りに東映マンガ祭りや「カッコーの巣の上で」などのポスター見ているふりをして横目で日活ロマンポ ルノや「エマニュエル夫人」のポスターの虜になった時代。当時、鮮烈な印象ある「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のポスターは、むしろ大人しめのところが 「これはむしろかなりエロなのではないか?」と当時の小学生まで察したかどうか。だが今となっては大人しい上品さ。弱冠31歳のベルトルッチ。パリの全て の場面が、どれもこれも、ガラス一枚まで印象的。取り直しのきかぬ演技。吐く息までこちらにかかってきそう。130分の作品を通しての徹底は日常の排除。 マーロン=ブランドと二十歳のリア=シュナイダー演じる男女の愛欲の世界、といっても、例えば大島渚の『愛のコリーダ』が性愛のほかに飲み食いや寝て起き ての生活ベースであるのに対して、この映画では飲み食いすらほとんど排除され、最後のダンスホールの有名なタンゴ踊るシーンでようやく二人が泥酔し、見て いてどこかこれに安堵。そこまでの徹底。ホンハム站まで歩き香港島への海底バスに乗車。どのバスも心なしか二階先頭部に客少なし。昨 日、葵涌で路線バスの大事故あり。運転の粗っぽさと不注意が直接の事故の原因ながら必要以上に高性能で馬力あるバスの誕生にこそ問題あり。バスに乗車して あらためて二階先頭部眺めると「非常時はこの器具でガラスを割って脱出できます」とハンマー備え付けられているが昨日の事故ほど先頭部抉られるとガラス割 る必要もない、と洒落にならず。
▼信報に香港政府教育統籌局常任秘書長(Arthur王と異名の李國章局長に次ぐナンバー2)の羅范椒芬(物議かもす奇妙な発言多し)が一文寄せる。書き 出しから「香港回帰祖国以来、教育統籌局一直致力推動国民教育、加深香港年軽一代対国家的認識、培養対国民身分的認同」と宣う。教育の目的が健全なる国民 育成にあることは近代国家にとって明らか事実であるものの、それを敢えて露見させずにカモフラージュすることが教育当局の上手さ。そういう意味では、愛国 心だの国民としての義務だのと、人によってはアレルギー反応起こすようなことを明言し徹底しようとする日本の教育行政も下手だが、この香港の対中央意識し た愛国、国民育成教育の徹底も逆の意味で香港の伝統的な植民地根性丸出しで哀れなるべし。

七月十七日(月)O君より古い香港の絵葉書写真数葉送られる。もはやどれも使い古され珍しくもないか、と高を括っていたが、海水浴場の写真には驚いた。そ の幾万幾千の海水浴客の数。し かも海水浴場だが波止場もあり海岸に船が幾艘も浮かぶ中での海水浴。船からの人糞汚水垂れ流しもありやなしや。周囲のマンションの豪華さ、そして海岸の大 きな建物の裏手、高台から海岸に下る歩道は今も全く変わらぬまま、でリパルスベイ。ただただ驚くばかり。この写真でも明らかなことは、海岸の、写真で向っ て右の海岸の端に、観光客多く参拝の「リパルスベイのお寺」不在。あそこが仏教でも道教でもお寺でなくライオンズクラブの建立の慈善水難救助団体の建物で あること。諸事忙殺され晩に至る。晩のNHKのNW9見ておれば国連での対北朝鮮決議につき北朝鮮大使が45分で内容拒否しての退場に対し「安保理メン バーは」とテロップつけて米国大使の「45分で拒否とは新記録だ」という皮肉のコメント画面に流すが安保理メンバーが対北朝鮮決議では最終的に合意は見た ものの思慮様々で一概に同意とは言い切れず米国の発言だけとらえて「安保理メンバーは」とするのは如何なものか。キャスターが旧レニングラードでのサミッ ト現場に飛んでおり(夏休み旅行?)スタジオが寂しいからか「大学生の就職戦線」のどーでもいい特集、ぱっとしないので作家の石田衣良先生出演し饒舌にコ メンテーター役。少年問題なら重松清先生かしら。作家がテレビで「喋り」を始めると小説はもうつまらない。映画監督がみずからの映画について語るのも最悪 だが。それを思うと村上春樹先生のスタンスは素敵かも。ところで村上春樹といえば先日、SCMP紙の特集記事をてっきり英語での新刊発売にあわせた紐育か どこかの出版エージェントによる提灯記事で世界中に配給されたのかと勝手に合点していたが、どうもそれがSCMP紙独自の取材でこれが注目浴びていた由。 日本では毎日新聞のMainichi Daily NewsがAP電で“Haruki Murakami says he's worried about Japanese nationalism”を伝えるがほとんど反響なし、 の模様。出版界にとっては村上春樹のこういった政治的発言は「期待される村上春樹像」から逸脱している、とか。
▼蘋果日報報道によればダライラマ14世突然の中国訪問となり已に北京に到着、仏教聖地の一つ五台山など参拝の後に青海省西寧市に近きダ師出生の故郷にあ る搭爾寺訪れるという噂流れ昨日はダライラマ一目拝まんと千万の蔵人この地に集まった由。チベット亡命政府の「チベットの声」は急きょ声明発表しダ師は今 も印度のダラムサラに居り中国訪問はデマと否定。この噂、ダ師がかりに西蔵に戻ればいったいどれほどの蔵人らの反響となるか調べるがための中共による意図 的なる仕業という憶測もまことしやかにあり。(以下、18日追記)朝日新聞に香港発で、この「蘋果日報の報道によれば」記事あり(こちら)。
「ダライ・ラマ14世が訪中する」とのうわさを聞いた信者ら1万人 以上が14世の生誕地に近い中国青海省のチベット仏教寺院に続々と集まっている。
とするが蘋果日報の記事では17日の報道で現場の寺院付近の者の話として「昨日はかなりの数の」であり、取材が16日だとすると15日の話。「集まってい る」のではなく「集まっていた」が正しいのでは。また「1万人以上」も記事では「萬千の数」で「多数の」程度の意味。1万人以上と転載記事で断定してはい けぬ。しかも、この親記事は「このデマは中国当局がもしダライラマが帰国した場合にチベット人の間でどの程度の反響があるかを計るため意図的に流した可能 性も否定できない」ことが記事の「おいしい」ところ。そこを朝日が記事にできなかったのは信憑性に薄い、からなのだろうが「1万人以上が続々と集まってい る」にしてしまってることぢたい信憑性に薄いのに。これについてはきちんと朝日新聞広報部にご意見お伝えする。
▼シンガポール訪問中の自称政治家Sir Donald君、庶民派が売りとシ政府も承知のこと、気さくなところで当地の名物料理、肉骨茶賞味してもらおうかと地元の肉骨茶の名店「黄亜細」(Ng Ah Sio)の食事をばシ政府が計画するが、店の営業時間は午前六時から午後二時まで、賑わう店に廿名だかのご一行での食事だからと閉店後の按配をシ政府が店 に打診のところ、この小店、営業時間は営業時間とシ政府の要人来客の申し出きっぱりと断った由。天晴れ。蘋果日報では「この『Noと言える根性』を見習 え」とSir Donaldの対北京の軟弱さに苦言。
▼信報の林行止専欄が「以金価為順縄、日圓等同廃紙」と金価格基準にしたら日本円は紙屑同然、と何かと思えば、細かい話は省くが、日本円は1871年(明 治4年)に1円が金1.5gと決められ金本位制始まるが、当時、20.7円で金1オンスで、興味深いのは米ドルも$20.7で1オンス換算。ということは 1円=US$1で等価。それが戦後にはUS$1=360円まで円安となり、1980年に金貨暴騰の折は1オンスが12万円、今こそ6万円くらいで落ち着い てはいるが1871年と比較すると日本円の価値下落は99.999%と林行止手厳しい。終戦直後の新円切り替えなど考慮すれば一概に言い切れぬ価値窮乏だ が、林行止が言わんとするところは中国元について、で、日本が戦後の360円の円安をば享受のあと1973年に変動相場制に移行したとはいえ85年のプラ ザ合意まで円安を続け、その後も続く安定も言わば米国の「照顧」のおかげ。25年も円安維持での輸出志向で世界第二位の経済大国と成ったが、この米国の対 日優遇政策を中国が享受できるか、と。専欄はここで筆を置くが、言わんとするところは日本が米国に隷属することで土下座して得た経済的繁栄、中国が覇権争 う姿勢では米国は過去の対日優遇は絶対にしませんよ、と。そこでどうするのか、が中国の国家政策の大詰め。少なくともこれが見える迄は中国共産党の一党独 裁に甘んじるべき鴨。

七月十六日(日)未明に嵐となり紅色警報発令。間も無く黒色警報となり一時間の雨量は115.1ミリと香港観測史上最大の雨量を記録。雷鳴轟き大雨続く。 日の出ののち雨歇む。午前中ジム。昼にZ嬢と佐敦で待ち合せ数年ぶりにParkes Stの麥文記に雲呑麺食す。余 の知る限り香港で最も(ということは中華世界で 最も)味の極めて淡泊なスープとコシは大したものだが塩分もかなり控えた麺で、これだけならあまりに無味乾燥、それがなぜそこまで抑えられているかといえ ば一口齧れば見事な蝦の剥身が微妙な塩辛さと美味い胡麻油で茹で上がり、これを噛みながら淡泊なスープと麺を頬張る醍醐味。至福。今にも雨がザーッと降り そうな空の下、九龍公園散歩してZ嬢とわかれ香港島に戻り午後、ご公務。半ば趣味の如きお仕事に休日も飽きもせぬが極めて貴重なる史料をばずっと大雨にな れば窓の隙間から雨水も入ろうかという場所に起きっ放しが気になり今朝の雨も怖かったがどうにか無事。ようやくある程度整理して棚に収める。ネットで音楽 聴きながら作業続けておれば、古典の歌劇曲のチャンネルで突然、意味不明のニュースアナウンサーのナレーションに何かと思えばジョン=ケージの Indeterminacy IIIという「楽曲」。戦前に香港にありし貿易商M商店の史料など眺めておれば香港弗軍票払い戻し、しかも昭和29年に横浜正金銀行とあり何ぢゃこりゃ? と驚く。戦後、占領地に於いては地元民に対して日本軍発行の軍票の払い戻しは「ない」こと、しかも戦後すぐに東京銀行の創立で横浜正金は存在せぬ。経緯 は、M商店店主が戦前に横浜正銀に預金した42万円相当の軍票(通貨が「軍票」なのも興味深い)、また横浜正銀広東支店で1943年に当座預金にした儲備 券(昭和18年に中南支に於いて軍票新規発行廃止し儲備券とした由)963,287円95銭につき昭和29年に閉鎖機関横浜正金特殊清算事務所(日本橋の 住友銀行内にあり)に対して返還請求したもので、軍票そのまま持っておれば紙屑だが、預金としていたことで横浜正銀に対して債権となり、嘘でも当時の大蔵 省告示の換算率10分の1で新円で還付あり。もう一つは台湾銀行の香港支店に昭和18年に預けた香港弗軍票127,455円60銭で、これは三和銀行(東 京日本橋呉服橋)内の台湾銀行精算事務所が請負う。香港で地元民の蓄えた軍票が戦後、補償されなかったことが問題になっているが、かりに彼らが日本の銀行 に預金していた場合、戦後このM商店の店主の得たような還付があったのかどうか気になるところ。晩に湾仔で一つ薮用あり、早晩に鷹君中心の韓日料理屋「純子屋」に食さむと訪れれば日曜で休み。湾景中心に「三里屯」なる飲食 街あるが三里屯は北京の洒落た飲食街の名をば借りたもので、粗呆地区(Soho)の如く見た目ばかり。このビルのG階には小汚い商店街あり、安い飲食店何 軒かあるが、此処も日曜日で壊滅状態。新鴻基中心のSuper SandwichでBLTサンド食すが数年ぶりで、なんだか麺麭は薄くなり、ボリュームはない、レタスまで微塵切りするなよ、の出来で、な んか食べた気がせず湾仔の繁華街に戻りStewart Rdの泉記で 魚蛋河と思えば此処も日曜休み。同じ通りの喜喜焼臘で叉焼飯 食す。独特の柔らかい叉焼が美味。食べ過ぎ。諸用の最中に中岡望氏の「政治家フランシス・フクヤマとネオコン:フクヤマのネオコン批判の論理」を読む。中 央公論誌六月号に掲載された氏の論文の原本で氏のブログにて閲覧可(こちら)。フクヤマ氏の 「歴史の終焉」はフクヤマ君本人にすれば「近代化のプロセスで体制が変化していくことが理論のポイント」なのに対して(あたくしはそうは読めないが)、多 くの人が「国益に沿って世界の秩序を形成するために実際にパワーを行使してアメリカが他の国に対してヘゲモニーを確立することを意味すると受け取った」そ うで(あたくしもそう受け取った)、これが間違いの由。でネオコンの論客と思われていたフクヤマ君だが911以降のブッシュ政権の米国の有り様にかなり違 和感覚えてらしく、イスラム社会をば「建て直す」こ とへの積極性への懐疑など募り、米国の立場をば外交に道徳的目的もつべきだが政策実施にあたっては現実主義的であるべき、の現実的ウィルソン主義の立場を とる(ここに至る、孤立主義、現実主義、リベラル国際主義についての歴史的経緯、定義などは中岡氏の論文を参照のこと)。米国独自でなく国際機関を尊重し イスラム過激派への安易な敵対心を捨て協調にあたれ、とネオコンの体制変革への盲信をいわばレーニン主義に陥ったと非難するそうな。フクヤマ氏はブッシュ 政権と一体化してしまったネオコンからネオコンの本来の思想を切り離すことでネオコン思想の救済を図っている、と中岡氏は結ぶ。フランシス=フクヤマとい う人が今ひとつわからないのは変わりない。がチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官といったネオコンの人たちのなかでは、まだ理性的なのか。この ウィルソン的現実主義(Realistic Wilsonianism)とか、リベラル国際主義(Liberal Internationalists)とか、ブッシュと袂を分かつとか何処かで同じようにフクヤマ君の今日の姿を論じる記事読んだ記憶あり、思い出したの はFinancial Timesの4月1日の書評でJohn O'Sullivanという人がフクヤマ君の新著“America at the Crossroads”について長文を寄せていたもの。ところでフランシス=フクヤマ氏のお顔、どこかで見たことある、とかねがね思っていたが、米 国の雑誌MADに出てくるキャラクターなのであった。フクヤマ氏がmadである、と言っているのではない。念のため。
▼朝日の書評欄に徳富蘇峰の終戦直後からの日記(口述筆記)出版近き話あり(講談社より21日刊行)。「今上陛下は、戦争の上に超然として在ました事が (中略)この戦争の中心点を欠いた主なる原因」と語り先帝が周囲の重臣任せで本気がなく宣戦の詔勅も申し訳的とし、畏れ多くも先帝に戦争に対する一貫した 統帥力なく明治帝なら満州事変など絶対に起きもせず、とする。蘇峰は東条元首相に全ての責任負わすことに疑問呈し、陛下に「宣戦詔勅の御発表になった前後 に於いては、まさか一切御承知ないということでもなく、また必ずしも御反対であらせられたとは、拝察出来ない」とする。山本武利氏(早大教授、情報学)は 「皇室中心主義という信念を蘇峰は戦後も変えていないが、彼の考えていた天皇像からすると修業不足に映ったのだろう」と。この蘇峰の痛烈に批判される先帝 の像が、まさにこの春に観た映画 “The Sun” にてイッセー尾形演じる先帝に御姿にだぶり奇妙を感じる。
▼シンガポール訪問中の「自称政治家」Sir Donald、陳太、葉保安官に負けずと2012年の普通選挙実施は可、と表明。陳太が香港に no democracy と発言して一時間後のこと。彼なりの努力しての治世に非難、揶揄絶えずシンガポール見て“This has been very successful in the Singapore bureaucracy, taking people not just from the civil service, from the military, but also from the private sector, into public service...there is a lot that I can learn there,”と述べる。文句ばかり言っておらずに減私奉公せよ、と。
▼歌劇にも詳しい久が原のT君からパルマの小屋は古来極端な「見巧者」群れり有名、と教えられる。鳥渡でも音外そうものなら大罵声が飛び若手など泣きなが ら降板もある由。ただ、大向こうの定連に鼻薬嗅がせば手の平返したが如く賞賛の嵐も吹くとか。いずれにせよ、スカラの絶対的優位やボローニャ、ヴェネツィ アの歴史には敵わず屈折がパルマの「劇通」、といふことでせう、と。

七月十五日(土)雨降らぬ嵐の如し。今週忙しくご公務続く。ただ、ふとアイデアに煮詰まり蔡明亮の映画『不散』DVDで観る。昨年の香港映画祭 で観たが(不確か)あらためて名作と思う。映画というものへのオマージュ、会話など要らぬ実験性、映画館の現代的なる存在意味(ノガミの傑作劇場的とでも 言おうか)、蔡明亮の映画でどれが傑作か、と言われば間違いなくこれを挙げたい。ところで、ふとこの日剰綴ろうと検索したら日本で蔡明亮の映画サイトに『楽日、迷子、西瓜』とあり、蔡明亮にこんな映画あった か?と思えば、これが実は『不散』『不見』と『天邊一朶雲』であると知る。確かに『不散』は台北の昔は流行った映画館の最終上映日の話で「楽日」である し、『不見』も迷子の話、『天邊』は確かに西瓜がモチーフ、で邦題としては秀逸の部類。今月も地味に蔡監督と李康生が渋谷でイベントしたことなど知る。夕方、 湾仔。帰宅して疲れて転た寝して夕食。鱈子のパスタと赤葡萄酒二杯。晩遅く尖沙咀。21時から科学館の講演廳にてベルトルッチ監督の『革命前夜』 上映あり。い ぜんから観たいと思ったベルトルッチ監督若干23歳の作品。ブルジョワで所詮、革命の前までにしか生きられぬマ ルキストの青年が主人公。二十年も前にN兄が自ら革命家名乗っても(裕福な医者の家の出では)いざ革命おきればギロチンにかけられる運命だからね、と自嘲 しことふと思い出す。この若き理想と愛情の物語ぢたいに感動するほど豊かな感性など余にはないがAdriana Astiの美貌。Adriana Astiといえばなにせあたくしが最初に観たのは未成年の頃に『カリギュラ』で、次が再上映でのヴィスコンティの『ルードウィヒ/神々の黄昏』でございま しょう、そりゃ『革命前夜』のAdriana Astiが清純に映るってなものでげすよ。そしてヌーベルバーグの時代らしさの斬新的なキャメラの動き。まだ若いベルトルッチなのに「マクベス」をば上映 する歌劇場の場面が見事。この映画ぢたいは伊太利のパルマが舞台であるがミラノのシーンも多いので、一瞬、行ったことはないがこの歌劇場はスカラ座か、と 思ったがAdriana Asti演じる夫人が「マクベスは去年、スカラ座で見たから、もういいの」という場面あり、すると映画のシーンはパルマのテアトロレージョかしら。マクベ スの上映中に主人公の二人が歌劇場の廊下で逢引するシーンがいい。昼間DVDで観た『不散』も映画館の建物の構造が重要な要素だが、この二本が偶然にも 「小屋」を巧みにモチーフに。それにしてもこの映画、日本での公開は驚くなかれ『ラストエンペラー』でベルトルッチが話題となり、その後とは……。それ ぢゃあたくしが見ていないはず。ところでパルマといえばサッカーなどあまり知らぬあたくしでも「ナカタ」が所属の蹴球チームがここであったことは存じ上げ る。その「ナカタ」は(どうもカタカナで「ナカタ」と書くと村上春樹のカフカのナカタさん思い出すが、奇妙なところでは両ナカタさんに近いところもあり、 か)今晩、テレ朝が引退記念特別番組二時間放映とか。読売巨人軍の悪口は赦されるが蹴球の「ナカタ」はナカタに感動した人かなり多いため、あたくしはコメ ント自粛。と言いつつW杯での試合終了後に「燃え尽きて」世界中が注目する蹴球場でかなりの時間、仰向けに臥しただけでも大したものだが、翌日の朝日新聞 が一面トップでナカタ引退報じたことも(いったい何頁を費やしたのか)朝日新聞が地に落ちた記念すべきことで、あの朝日新聞のナカタ騒ぎも今日のテレ朝の 独占「報道」見れば「さもありなむ」な話。週刊文春の「報道」によれば引退発表の翌日、実は日本じゅうが「ナカタ引退」に畏怖の念すら感じていたあの日、 ナカタ選手ご本人はすでに欧州のどこだったか歴史都市で史跡めぐりしながらテレ朝の番組収録してた、ってんだから、さすが大家姐、立派なもの。夜中の弐時 に空爆の如き落雷。
▼映画の行き帰りに読んでいた岩波書店『世界』七月号に(すでに八月号発売中)広 田照幸氏(東大大学院教育学研究科教授)の「「安全対策」は私たちに安心をもたらすのか」という題で子どもの登下校時の安全対策をめぐる文章あ り。秀逸。最近、子どもたちが誘拐や殺人など未曾有の危機に曝されていることが連日の如く頻繁に報道されるのだが、これは「増加する凶悪な少年」像が実は 統計的にはまったくの錯覚であるように(1950〜60年代と比較すると現在の少年による殺人犯罪件数は当時の四分の一で推移)、「増加する子どもの被 害」も虚構に近い、と広田先生。実は「他殺によって死亡する子どもの数は減少傾向にある」そうで「幼児や小学生が殺人事件の被害者になる数は1970年代 に比べて三分の一乃至四分の一」なのが事実。しかしマスコミによる犯罪報道が現実の事件とは関係なく1990年代に入って増加傾向にあること(報道が、で ある)、しかも「凶悪」というキーワードが付加される記事が多くなっていることが、人々が「治安が悪化した」と感じることに影響与える。報道の量や質の方 向により人々の「思い描く現実」!を形づくっており、大人は子どもらのテレビゲームなど批判して「バーチャルリアリティに生きている」などと言うが、実は 大人が犯罪などについて思い描くイメージもまた同じ仮想世界。子どもが被害者となる犯罪で、昔と今と何が違うか、といえば、広田教授によれば、昔は「自ら の手ではどうにもならないものとしての厄災(=危険)」であったものがキョービ「自らの行為で制御しうる、すべきものとしての厄災(=リスク)」になって おり、「現代は、「いつでも、どこでも、どの子でも、登下校時に犯罪被害に遭いかねない」という「仮想現実」が、おびただしいメディア報道によって作ら れ」、そこでは「事件の局地性や例外性は無視されて、日本の社会全体が均質な「リスク空間」として感知されることになった」と。その不安が「全面的で恒常 化した、リスク対応のシステム化の動き」となり「いつ、どこで起きるかわからない犯罪被害を警戒して」特定できないどこかで、ごく稀な犯罪行為を行おうと する不特定の他者をば対象になされる警戒。しかも逃げようのない危険が「リスク」に変化したことで「リスク回避」、犯罪被害の防止が可能となり、学校や行 政に対して<責任>を求める。学校や行政は事件が起きた時の責任回避で臆病なまでに手厚い対応。そして、現在つくられてゆくシステムは「<安全・安心>を 保証するどころか、逆に、<不安>を永続化する昨日を果たす」こと。うーん、フーコー的。一度動き出したシステムをば持続させるには「<不安>を増幅し、 注入し続けること」の必要性。不安を歓迎する社会。本当の犯罪者は犯罪がおきるまで確定できぬから「不審者情報」がシステムを作動させる潤滑剤となる。警 察もボランティアの防犯パトロールも具体的な犯罪者は見きわめられぬか「不審者」の情報受理件数や処理件数が活動実績となる。「不審者」発見が、近所と交 流のない住民の洗い出しとなり、異 分子は「日常生活を脅しかねない潜在的脅威」となり、監視カメラや個人情報管理など、過剰な<不安>固定する監視社会となる。お先真っ暗。とにかく、大切 なことは「子どもが被害に遭う凶悪な犯罪は増えていない」こと。「子どもをめぐる環境はますます危険の度合いを強めています」なんてオバカなマスコミの報 道に乗らぬこと。マスコミが何か言ったら「嘘だろう」と疑ってかかること。「危険な世の中」なんて大騒ぎしている人たちがいちばん実はキチガイで、<不 安>に踊らされていたりする。
▼スナップ弐枚。一枚目は、かつて中国の田舎者、そして香港でも貧しさの象徴であったナイロン袋がオシャレ化して、仏蘭西風デザインなどあり。お洒落。続 いてリチャード李澤楷君の「英語を勉強しましょう」のポスター(尖沙咀のMTR站にて)。ほんと「アンタにだけは言われたくない」。ところで“Let's Leran and Live”もスネークマンショー的に可笑しな英語。

七月十四日(金)晩にぼんやりとNHKのNW9眺めておれば読売巨人軍八回に逆転し今日こそ勝つかと球場も心優しき熱烈なる巨人軍ファン大いに盛り上がる なか救援の豊田裏切りまさかの逆転サヨナラ負け。痛快。巨人軍これだけ弱くもニュースで大いに取り上げアナウンサーも「守護神豊田が登場」って23試合で 11セーブの1勝4敗、防御率4.84の数字の意味が理解できているのかしら。恐ろしく忙しい、といっても机で黙々とご公務の一日で疲労困憊。睡魔に襲わ れる。
▼信報で王岸然という人がスタンフォードで修士課程にいた葉劉淑儀が香港政治改革の修士論文ひっさげ突然の帰港に2012年どころか来年の行政長官選挙す ら狙う意図あるのでは?と一文を寄す。大学院の修了式典が一ヶ月後で米国の学校に通う娘を残しての帰港は明らかにこの時期に帰られねばならぬ理由あり。確 かに。この三週間ほどの政治の動きは確かに不思議。陳方安生が参加で話題となった七一デモでは葉劉も参加か?と突然の噂が横溝正史モノの薄ら寒さの如く香 港を席捲、二日後にはお世辞にも修士論文というには内容の浅い一般論の香港政治簡介が新聞に掲載され、一週間後には政策シンクタンクをば立ち上げる着実な る勢い。明らかに背後に巨大な力の作用あり、と疑わざるを得ず。反面、この葉劉の突然の動きも然ること乍ら陳方安生の動きとてリベラル派とはいえ特区政府 の政務長官まで務めた彼女が公然と民主派の一翼担い政府に批判的なる普通選挙要求デモに出てきたことも本人の良識と正義感とだけで済ませはしまい。唯一つ 確かなことは、この個性派の両極に対峙する女性の間で殆ど思考停止に陥ってしまうのが自称政治家のSir Donaldということ。
http://zh.wikipedia.org/wiki/葉劉淑儀

七月十三日(木)昨晩、寝台に伏せてから読んだ村上春樹を紹介する長文の記事“WHILE HE WAS DREAMING”(SCMP紙、七月二日)。氏の“Blind Willow, Sleeping Woman”が今日発売でその宣伝兼ねたインタビュー嫌いの村上春樹も背に腹は代えられぬ特集記事の由。"I was so uncomfortable with being famous, because being famous didn't give me anything precious or important. I felt betrayed"なんて語る、人の群れから離れて、静かに暮す村上春樹という作家の描き方は何も驚きもせぬが記事の冒頭で
HARUKI MURAKAMI is the very picture of the Japanese writer-prophet. He gazes out over the rooftops of Tokyo's chichi suburb of Aoyama, speking in low, urgent tones about Japan's rightward lurch. "I'm worrying about my country," says the 57-year-old writer, widely considered Japan's Nobel laureate-in-writing. "I feel I have a responsibility as a novelist to do something." He's particularly concerned about Tokyo's popular govoenor, the novelist Shintaro Ishihara. "Ishihara is a very dangerous man. He's an agitator. He hates China." As Murakami discusses plans to make a public statement opposing Ishihara, and weave an anti-nationalist subtext into his next novel, it's hard to recognise the writer often derided by the Tokyo literati as an apathetic pop-artist-a thereat to the political engagement of Japanese fiction. Yet Murakami always distanced himself from the Japanese tradition of the writer as social admonisher. "I thought of myself as just a fiction writer."
と村上春樹、沈黙を破り、って「日本語でも」春樹氏がこういった石原慎太郎批判をしてナショナリズムの高揚に危機感を抱き、それを次の小説のモチーフに、 なんてことが述べられているのか全く知らぬが、とにかくこういう春樹氏の言論が英語ではおそらく世界中で著作発売にあわせ紹介されている。本日、台湾に 向った台風の影響か猛暑猛々しく気温摂氏34度と今年最高を記録。午後遅く旺角の某役所に用事あり。旺角の繁華街は歩いていると眩暈おこすほどの暑さ。傘 さして扇子パタパタ。某役所の事務官の部屋に通されたところ四畳半ほどの広さの個室、資料だの私物だの散乱し物置通り越してゴミ箱の如し。上司や同僚から 何も言われないのだろうか。不思議。早晩に中環でT嬢と待ち合せFCCの バー。最近のW盃蹴球テレビ中継でW盃の公式エアラインであったエミレーツ航空のテレビCMで街市の魚屋のオヤジ役でサッカーボール蹴って いたM氏も招飲。Kilkennyを1パイント。ハイボール2杯。お二人と別れZ嬢を待ちFCCのメインダインで夕食。ドライシェリー1杯。白葡萄酒は新西蘭の Marlborough Sauvignon Blanc 2005年。それを飲み始めたところでcomplimentaryです、とシャンペンがグラスに1杯運ばれてくる。おいおい、ちょっと順番違わない? 席 に坐るなりお誕生月のComplimentary Couponお渡ししたのだから「食前酒は何を?」と尋ねないでシャンペンをグラスで運んできてほしいところ。豪州のなかなか美味な生牡蛎。旬のグリーン アスパラ、までは良かったがメインで注文のムール貝、そして印度風チーズ料理、で強烈なチーズが先に供されてしまい、あっさりとしたムール貝があとから出 てきてはちょっと興醒め。而もチーズ料理の付け合わせの印度麺包(ナン)がその後に出てきて最後になぜか馬鈴薯のフレンチフライが供されシッチャカメッ チャカ。給仕長呼び苦情きちんと申し伝える。せめて印度のチーズ料理の時にナンを供すべきであるし、フレンチフライがムール貝の付け合わせとはどうやって ムール貝のバターソースで油っこいフレンチフライを食せ、と言うのかしら。タクシーで銅鑼湾。Z嬢とは珍しくバーSに一飲。氷なしの濃厚なドライマティーニ。
▼小泉三世の訪米に続く修学旅行、今回はイスラエル訪問。イスラエルで「日本とイスラエルの二国間の協力関係だけでなく、北朝鮮のミサイルの問題、イラン の核の問題を含む、中東、そして世界の平和と安定について率直に話し合いました」と小泉三世宣うが中東和平への貢献、イラク復興支援よか安定した対中韓関 係をば望みたいところ。
▼ランタオ島の東涌より香港国際空港島の一角を経由して寶蓮寺の大仏へと向う展望ケーブルカー昴坪360、先月開通 予定がシステムエラーで開業延期されていたが開業予定立たず無期限の延期と経営会社が発表。ランタオ島の静寂をば破壊する事業への祟りか。

七月十二日(水)昏時Z嬢と北角の街市。豆腐屋「隆興徳」で豆腐と肉饅贖う。看板は「隆興徳」だがこれは右から読んで「徳興隆」のほうが自然なのだろう。ミ ニバス待つ間にビール一缶立ち飲み。清涼感あり。帰宅してドライマティーニ一杯。麻婆茄子、豚肉の冷菜など食す。最近のパターンは疲労感たまり夕食後にソ ファで仮寝ばかり。起きてNHKのNW9見れば米国の国務次官補が北朝鮮のミサイル問題につき「北朝鮮はこのような状況のままでいるのか、われわれの側の 一員になるのか、歴史的な決断を迫られている」と宣う。暴力団の抗争の如し。北朝鮮の制裁は国連レベルでは進展せぬが日本国内では北朝鮮船の荷受けを業者 が「自粛」することで新潟など各地で実施的な制裁中。自粛という名の国家的措置の貫徹ぶり。舞鶴港だけが水産品など荷受け拒否は出来ぬ、と人道的、いや魚 道的?配慮から受入れの由。
▼朝日新聞が「歴史と向き合う」と戦争責任の特集連載始める。東京裁判でA級戦犯の無罪主張した印度のパル判事について。靖国神社に昨年六月パル博士の顕 彰碑が、それも遊就館の前に建てられていたとは驚き。パル判事は法学者として、この戦争裁判に異議唱えたのであり、日本の歴史観見直し、ナショナリズム高 揚のために、あの判断をしたのぢゃなかろうに。お茶の水女子大名誉教授の波平恵美子女史(文化人類学)の「抽象化する死者」(この見出しは朝日新聞の誤認 で「抽象化される死者」の方がずっと正しかろうが)興味深く読む。死に対する見方に「人は亡くなっても無になるのではなく、死者に姿を変えて存在し、生き ている人間を見ている」という死者観を取り上げ(これを「日本の死の文化の特徴の一つは」としてしまうことぢたいが、文化人類学的には、それが間違いなの だが、波平教授が、か朝日新聞が、その轍を踏んでしまっている。こんな死観など世界中何処にでもある)「死者には身体と霊魂が必要」と思うから、非業の死 を遂げた人(とくに遺体の在り処すらわからぬ者など)は特別な祀り方をせねばならぬ、と考える文化が、死に特別な政治性を帯びさせる背景にある、と波平教 授の指摘は興味深い。靖国も戦後60年余で性格が大きく変り、戦後すぐには英霊が「私の兄」「私の息子」で「東京だヨおっ母さん」でお千代さんに二重橋、 九段坂と唄われた頃のリアリティがない、と。そこで兵隊たちについて「国のために死んだ人」という抽象化が進む。「死者観が曖昧になるのにあわせ、靖国は 次第に、慰霊の場、非業の死を祀る場、そして国民国家の統合の象徴という要素をミックスした矛盾した存在」となり「仏教の習慣ならば、とうに法要の年限を 終えているのに、靖国の「死者の軍隊」はいつまでも兵士であり、永久に退役しない」(つまり安からに永遠の眠りにつくことが許されぬ不幸!)。自存自衛の ための戦い、だの、避けることのできなかった戦争、といった具合に「抽象化した死者たちに自分の好きな衣を着させ、歴史が語られている」。本来、この死者 への冒瀆の如き態がおかしい。が靖国問題が憲法の政教分離に反するとか近隣諸国との外交でばかり語られるから立脚する視点の違いで議論が深まる筈もなし。 寧ろ靖国の性格を曖昧なままにすることが政治家には都合がよく、靖国を利用して注目を浴びる。小泉首相の参拝も「明確な政治的意図もメッセージも伝わって こないが、靖国へ行くことで注目を集めるぢたいが狙いなのだろう」と波平教授は論破。波平先生は戦争を支えた社会構造を分析しようと町や村の地域社会を調 べた結果、当時、兵隊を出征させるにあたり留守宅の田植えや稲刈りをどうする、戦死した場合の葬儀は町や村で行って、遺族は云々といった扶助組織が全国津 々浦々に張り巡らされていた事実。その共同体の象徴が靖国神社。それが地場の共同体がすっかり壊滅したのに靖国神社だけが宙に浮いて、細かい実際の記憶が 風化するなかで、戦死者を祀る、というイメージだけが残る。そこに束縛された英霊たち。波平先生は「矛盾に満ちた英霊を出さざるをえなかった明治維新以来 の日本社会の、国民一人一人がもっていた間違った判断の集積をはっきりさせる存在として、靖国には意味がある」と結ぶ。かなり説得力あり。だがこういう主 張をすると上坂冬子女史あたりに「なんか難しい講義で私にはさっぱりわからない。死者を祀るってもっと自然な感性でしょう」とか言われてしまう鴨。その上 坂女史は文藝春秋で加藤紘一君に続き日本遺族会会長の古賀誠君と対談。古 賀氏自身が四歳の時に赤紙召集の父をレイテ島でなくした遺児。父の命日とされる毎月三十日前後には靖国に参拝。だがなぜA級戦犯の分祀をば提言したか、と 言えば、古賀氏曰く、A級戦犯という東京裁判での判決云々で言っているのではなく、古賀氏自身、A級戦犯という言葉は一切使っておらぬ、として、靖国に英 霊として祀られているが、赤紙召集で戦場に連れていかれ弾薬や食糧もないところで非業の死を遂げた一兵卒と、後方で安全なところで命令を下し戦場で死んだ のではない者、つまり「戦没者でない一部の英霊」が一緒に祀られていることに納得できぬので、それを分祀せよ、というのが古賀先生の主張。その上で純粋 に、国の戦さで命を落とした人を祀る靖国神社を何としても守りたい、だから国家護持せよ、と(確かにこれなら中国など反発するはずもない)。そのために政 教分離が問題なら、鳥居なんて外してもいい!。神道に拘る必要もない。その形態として国営の追悼施設建設が企図されるのだが古賀先生的には、そんなものが できると靖国にこれまで祀られた英霊がまさに非業となるから、靖国を見捨てての別施設建設には断固反対、となる。上坂先生は加藤紘一君の時と同じで此処で も古賀誠君の強い主張にタジタジ。国家護持では中韓がまたファシズムの復活だ、とさらに反日・批判を強めるでしょうね、なんて最後に宣っているのだから、 古賀君の主張などまったく咀嚼できておらぬ。「戦争をしかけた人たち」が分祀された施設であれば中韓が反発などしようはずもない。でもう一つの上坂冬子連 続対談、相手は靖国神社の前宮司・湯澤貞君とのものを読む。痛快に可笑し。上坂センセイはいきなり、吉田茂君もまだ占領下にあった、桑港講和条約締結の 一ヶ月後に衆参両院議長と閣僚引き連れ靖国を公式参拝していているが、中華人民共和国はもちろんどこからも抗議は受けておらぬ、だから「現在の中国のク レームが横槍だというゆえんです」と、やっぱり思いっきりの無知(だから中国が問題にしているのはA級戦犯の合祀だ、っつーの、の話)。で上坂センセイは 中曽根大勲位の違憲にならぬ周到なる準備しての公式参拝に話を移すのだが、湯澤氏が大勲位のお祓いは受けぬ、二礼二拍手はせぬ、玉串は捧げぬ、神社側が窮 余の策で幕の向こうから「陰祓い」するなか、天皇陛下ですらお一人で上がられた本殿の奥にまでボディガード4名つけた態に、未だに怒り納まらず。上坂セン セイが火をつけたため元宮司は合祀について語る、語る興味深き話。戦前は陸海軍省から、戦後は厚生省から!戦没者の身上が記された「祭神名票」すなわち 「戦没者身分等調査票」が送られ、今でも多い時には年間五十人ほどが新たな戦没者が判明する由(厚生省から、ってこれって政教分離、個人情報の扱いで明ら かに違憲ぢゃないの?)。で靖国神社は保有データと照合の上、「霊璽簿」を作成、霊璽奉安祭を行うと御霊が霊璽簿に憑依し(カルト的……)霊璽簿をば本殿 に遷し合祀祭執り行えば御神体の御太刀に御霊が移り神霊となり、魂が神となり全ての祭神と一体となるそうな(ここで戦犯だの云々がなくなるのだろう)。し かも霊璽簿の一冊は合祀の前に宮中に上奏!して天皇にお取次ぎをば願い申し上げる。皇室からは年に二度の例大祭に勅使遣わされる。さすがの上坂センセイ も、「やはり天皇の御親拝を希望されますか。私は、戦後は「神」から「象徴」へ国民との関係が変わったのだし、あまりこだわる必要はないと思うのですが」 と退いてしまう(笑)。この対談、てっきり元宮司と上坂センセイで「首相の公式参拝のどこが悪い!」で盛り上がるのか、と思えば、話題は「合祀の基準」と なり、戦災で亡くなった庶民は祀られぬのに学童疎開の途中で亡くなった対馬丸の児童が合祀されるのはどういう理由?という上坂センセイの質問に、元宮司曰 く、死亡時に軍務に関連する仕事や軍に協力された方(お国のために銃後の守りはダメ!)は合祀され、原爆で同時に亡くなっても警防団など仕事をされていた 方だけが靖国の御祭神になられる、と実にわかりやすい説明。これに上坂センセイは「何度聞いても基準がよくわからない」と不快感露わ。湾岸戦争やユーゴの コソボ自治州の紛争での犠牲者(現地人)も靖国境内の鎮霊社に会津白虎隊や西郷隆盛と一緒に祀られることも上坂センセイは「賊軍」!(とセンセイがまだ信 じているとは、さすが体制派)や外国の戦没者まで、とはあまりに無秩序、と指摘せば、元宮司は「鎮霊社に祀られるのは「靖国神社に祀られている御霊以外の 戦没者」と説明し「何が何だかわからなくなってきました」とセンセイは呆れ「カンボジアのPKOで亡くなった警察官の方は祀られていませんね」と指摘して 「今後、自衛隊員が海外の戦闘地域で亡くなった場合、靖国神社に祀られるのですか」と質せば元宮司は「靖国神社の合祀は「戦争」が基準ですが、自衛隊は 「戦争に行くのではない」という建前がありますら」「現状では難しい」と吐露。上坂センセイ「戦争による死者は分け隔てなくお祀りしたほうが、国民の理解 が得られるのではないですか」と指摘すると元宮司も「日本には八百万の神という考え方がありますからね」と。つまりA級戦犯の合祀では擁護派は「死ねば霊 はみな同じ」という日本の生死観がある、と宣うが、その象徴たる靖国神社は「死んでも同じには扱えない」、つまり「日本の伝統的な生死観」には立脚してい ない、とみずから認めているようなもの。何という、対談だろうか(笑)。話はもうハチャメチャで、宮司を実は自衛隊OBにお願いするという案もあっただ の、遺族が減る一方のなかで靖国神社の存続策が若者の取込みに元宮司は「若い方にご覧いただいて、日本人としての誇りを取り戻してもえれれば」と願うが上 坂センセイは「エスカレーターつきであまりに煌びやかになりすぎて」異民族のような若者(上坂センセイだから「異民族」は悪い意味)が「遊就館でどんな印 象を受けるのか想像もつきません」と苦言。上坂センセイは、寧ろ現状維持では別な追悼施設が建ってしまうから、神道の看板は外さないまでも他の宗教を許容 できないか、せめて鳥居は外せないか、鳥居はそのままで敷地内に十字架や仏像は建てられたないか、ともう爆笑問題の太田光君より面白い。神道は絶対に外せ ない、という(当たり前だろう)元宮司はそんな邪論を受入れられず。どうしようもなく散乱した対談は「せめて国に何を望むか?」とのまとめに入ったのだ が、政府に中国に対して毅然とした態度をとってほしい、という元宮司に上坂センセイは「靖国神社から、中国に向けて声明文を出してはどうかしら?」「宮司 さんから胡錦涛さんへの手紙なら差障りないんじゃないかしら」と。この文藝春秋八月号は永久保存版の面白さ。何が伝統だろうか、どこか正論だろうか。
▼香港政府が所得税導入検討中。増税かと半ば諦めておれば政府の提案読み余は欣喜雀躍の心地す。5%の所得税導入で政府税収入増につき所得税減税。標準税 率が16%から11%に5%減、で例えば月収40千ドルの単身エグゼの場合、所得税が年45千ドルがざっと20千ドルとなり25千ドルの所得税減に対し て、月30千ドルをば消費していた際の所得税は年18千ドルで結果7千ドルの負担減。香港の低税率と厚き基礎控除の恩恵にて香港のプロレタリアートの実に 三分の二が税負担なしという驚くべき現状で、当然のことながら、この無税享受層にとっては今回の消費税導入は負担増。社会的格差増大という指摘もあり。た だしTANSTAAFL(There ain't no such thing as a free lunch)と叫びたいのが余の本音。それでも香港政府が日本のそれよかずっとマシなのは一網打尽に納税強いる消費税ながら低所得世帯に対しては「消費税 は負担してください、但し」と下水処理費や地租税など35千ドルの負担免除、それに加え自己申請で世帯あたり20千ドルの現金支給もあり。この合計が年間 55千ドルで、これが5%の消費税に見合うとすれば年間の消費額は110千ドル、日本円で月に13万円消費する世帯であり、これが低所得者で、この13万 円以下は実施的に所得税は負担しないで結構です、ということ。なんとも厚遇。これに比べると日本の税制のなんと理不尽なことか。
▼Pink Floydの早期のギター奏者Syd Barrett氏逝去。

七月十一日(火)毎度の如く早朝に大雨。昼前から快晴。朝日新聞社説は「寝不足のかいはあった」とW盃を論ず(こちら)。社説として 語るほどの内容だろうか。(翌十二日の話になるが)朝日のネット版の見出しには「第135回直木賞候補作が発表!」とあり。変な略文。文藝春秋社自身なら 「第135回直木賞候補作発表!」と出来るが朝日の立場では「第135回直木賞候補作発表される」だろう。本日、午前中にセキュリティがそれなりに厳重な 某所で打ち合せ。入口で身元確認されるくらいならまだしも携帯電話持ち込み厳禁で預けさせられる。携帯電話での通話禁止でなく、携帯一台あれば機密書類な ど写真撮影ばかりか、動画も撮影可では館内の部署配置まで盗撮され、携帯の発信信号で居場所まで追跡可と思えば、こうなるの鴨。夕方に某所で打ち合せ終え て参加のT氏、A氏とQuarry BayのEast Endで ハッピーアワー。エールを飲む。最近此処に来る機会多し。その打ち合せに関係のある編集者のS嬢と電話で話しているとS嬢から「いまどちらです?」と尋ね られ、ふと気づけばS嬢のオフィスは此処のほんと近くでS嬢も来飲。そのまま晩飯にS嬢を拙宅に招きZ嬢の小料理各種食し焼酎飲む。ニッカの「鶴」を食後 に。ブレンドウイスキーもこれくらい高級になると美味。業界のいろいろ四方山話続く。
▼昨日の信報に北朝鮮のテポドン試射について日本過剰反応とする報道あり。韓国が今回の北朝鮮のミサイル発射について予告されていた軍事実験として事態静 観なのに対して日本の経済制裁など求める動きは北朝鮮の脅威を理由に軍事力増強などタカ派が勢いづくもの、と指摘。確かに先週末、海外から見ているとかな り日本の過剰反応。

七月十日(月)W盃蹴球祝伊太利優勝。余のW盃優勝チーム予想は前回の伯西に続き2回連続的中も見事。W盃開催前の伊太利蹴球界のゴタゴタで半 ば諦めていたがW盃はW盃と勢いに乗れる伊太利人気質。天晴れ。余は英国のブックメーカーで四年前に伯西優勝での配当をば全額四年後(今回)の伊太利優勝 に賭け(当時8倍、四年前はまだ香港でジョッキークラブの蹴球賭博始まっておらず英国ブックメーカーでの賭けは合法とは言わぬが非合法化されておらず)、 ジョッキークラブでの蹴球賭博でもW盃開催前に伯西優勝と騒がれ伊太利は10倍のオッズに「誰も伊太利優勝に気づいておらぬ」と気をよくして伊太利優勝に 賭け(他にエゲレスと葡萄牙)、これも10倍で英葡への掛け金差し引いても結果7倍に見合う配当あり。惜しくも決勝戦をば伊太利に賭け、延長戦までのド ローでここは賭け的には惜しくも外す。で早くも2010年のW盃であるが余の3回連続狙う優勝候補はズバリ、葡萄牙なり。ちなみに英国のブックメーカーの 2010年の優勝オッズは伯西(5.0)、亜爾然丁(6.0)、伊太利(8.0)、独逸(9.0)、イングランド(10)、西班牙(13)、仏蘭西 (15)、和蘭(17)、葡萄牙(26)、チェコ(41)と続き日本はちなみに401倍、で韓国も日本と同率なのは多少釈然とせず。というわけで葡萄牙の 26倍、保険で亜爾然丁は如何だろうか(現在は「香港では」英国のブックメーカーに賭けることは非合法とは言わぬが合法ではないので余は自ら賭けるとは 言っておらぬ)。今から4年後の葡萄牙優勝に期待をもって、これで4年生き延びられる、と大宰的に。で今朝の新聞は驚くなかれ蘋果日報は一面トップでW盃 の伊太利優勝を掲げる。えっ、ちょっと待った!の香港時間本日未明は午前4時の優勝決定で午前7時に購入の朝刊である。大したもの。ちなみに某読売新聞は 午後になりメールで号外受信。誰ももう知ってる、って。夕方、湾仔を通りかかれば、ふと目にした道路工事のブルドーザー。香港では日本の中古の建築工作機 器が現役で活躍するのは珍しくもなく「仙台 三塚工務店」であるとか「京都祇園 松井建設」なんて会社名が書かれたままのショベルカーや発電機など目にす る機会多し。だ が今日のは中古のブルドーザーの送り先が「ホンコン」と書かれ出荷日まで書かれたまま、は珍しい。晩に遅く尖沙咀の唯一麺家に雪菜肉絲麺を食す。尖沙咀には日本の本格的ラーメン屋いくつ かあるが地場の麺家にいい食肆少なし。老いて、とても晩の二更にラーメンなど食せず。むかし広尾は明治通りの丸富なるラーメン屋で頻繁に夜食でラーメン食 した若き頃懐かしいかぎり。店の前にポルシェ泊まれば元しぶがき隊の布川君常連と記憶。で唯一麺家などそれなりの北方らしい麺供するが、此処も経営変わっ たようで、昔は店こそ古びてはいても店頭で葱油餅や鍋貼など焼く香ばしい香り愛着感あり、が今では店こそ内装変えたが雑多、麺こそ北方の麺であるから麺の コシだの出汁だのと極端に変わりもせぬが、どこか味気ないものあり。店の名も看板こそ唯一麺家のままだがメニューなど京滬亭と名乗り三店舗ほど経営。京滬 と聞いただけで食欲も多少失せるは劉健威兄ばかりに非ず。晩遅く文藝春秋の特集「上坂冬子連続対談」で加藤紘一君相手の「中国と靖国どっちがおかしい」読 む。この特集、相手は加藤君の他、遺族会会長の身でありながらA級戦犯分祀主張する古賀誠君との対談もあり。通常の文春のノリであれば首相の靖国参拝は 「中国がおかしい」で済ませそうな気もするが敢えて加藤紘一君登場させ噛みつき吠えようとする上坂オバサンを論破。文春的には、今回の靖国問題については 多少の軌道修正は、結局のところ財界など首相靖国参拝に否定的なように、この問題だと普段なら「国旗国歌の定着、日本人としての誇り」などなら「良識的 に」合意できる文春読者のオトーサン層が、この首相靖国参拝やA級戦犯合祀については意見分かれるところで、加藤君や古賀君登場させ文春的なる多少の軌道 是正か。という意味では上坂冬子は文春に弄ばれたようで可愛そう。上坂女史が東京裁判の何を受入れたのか、について桑港平和条約の条文で英文の judgementsを「裁判」と訳すのが語訳で、これは「判決」と訳すのが最近は通説、と宣えば、加藤君はその青山学院大の佐藤和男教授の節は「あまり にも馬鹿げていて国際的にも相手にされていません」ときっぱり。そのjudgementsは東京での極東軍事裁判のほかにフィリピンやシンガポールなどで 各地で行われた軍事裁判を合わせて複数形にしたもの。中国にこだわる上坂女史が、中国は東京裁判にかかわってもおらぬし桑港平和条約に署名も批准もしてお らぬ(つまり、であるからA級戦犯ぬんぬんに口出しする資格があるか)と噛みつけば加藤君は余裕で「はい、その通りで東京裁判当時、中華人民共和国という 国はありませんでした。中華民国がわずかに関わっているだけです。その中華民国とは、講和発効の前に桑港条約を下敷きにした日華条約を結び、1972年の 日中共同声明もその流れで書かれています」また「国内問題としても、あの戦争で310万人に及ぶ日本人が犠牲になった責任は誰にあるのか、ということをき ちんと決めたのは東京裁判しかない」と指摘し、それによって天皇の責任を回避したことを指摘。昭和天皇自身もA級戦犯合祀後は靖国参拝しておらず合祀を先 帝が納得していたのか、そういった意味で考えると靖国問題は一歩間違えれば対中韓ばかりか対米関係になること懸念。この加藤君の主張にさすがのタカ派作家 も返す言葉にたじろぎもあり。

七月九日(日)ご公務。曇り空一転して地を殴るが如き大雨。昼には雨歇む。午後雲の絶え間に少し晴れ、最近このような天気続く。午後遅く帰宅。Z嬢と珍し く街市まで買い物の散歩。Quarry Bayの太平街市の水族館、つまり金魚や熱帯魚、水槽など飼魚関係ばかりの店を集めたビルの地下街は大盛況。その中に一軒「鯉の話」という看板あり。一 瞬、右から読んで「鯉の話」なれど字の並びや同じ看板の片隅の住所など左から書かれており「話の鯉」かしら、きっと。「鯉の話」なら「恋の話」か、いや、 広東語で恋(lyun)と鯉(lei)は関係なさそうだし「話の鯉」とは何か?、話題の鯉だろか。街市で、香港の野菜はなぜこうも堆く積まれるのだろう か、とあらためて感心する。店の面積の狭さとも関係あるのかしら。珍しくZ嬢とEast Endで夕方ぼんやりとエール二杯。四方山話。太古城の Cityplazaの日系雑貨商LogonでKiwiの茶色の靴皮クリーム捜す。同じKiwiでも油性の靴クリーム(shoe polish)は何処の超級市場にもあるが本来の靴クリームが何軒の超級市場にも見つからずLogonにもなくて結局、ユニーで見つける。皮製品のお手入 れ、なんぞ今どき誰もせぬのだろうか。今回、茶色を探したのは銀座タニザワのお散歩ショルダーバッグの手入れの為。帰宅して、ついでに革靴も何足か念入り に靴磨き。靴の手入れはとにかくブラシかけと専用の布で丁寧に表面に残ったクリームを擦り取りながら磨くこと。クリームなどたくさんつけると昔は靴磨きで も師匠に「馬鹿野郎、クリームを無駄にするなっ」と叱られたもの。クリームの塗りすぎは逆に皮が傷む。ブラシで皮の表面の汚れや埃を落としクリームをほん の少しつけてブラシかけて布で磨く。ひとしきりクリームで輝きが出たくらいでようやく油性のポリッシュをほんとうに少しだけつけて更に磨く。艶出しと水を 弾くためだけのため。ここでペッと唾をすこしつけてから磨くといちだんと輝きが増す、なんて言われもする。好きな音楽を聴きながら好きな酒を飲みながらの 靴磨きも楽し。今ではきちんと正装でぴかぴかに磨いた革靴など履く機会も減ったが丁寧に磨いて手入れをした靴というのは半年や一年履かずに置いていても昨 日磨いたように見事。靴磨きといえば先日亡くなった橋本龍太郎君が代議士になっても靴磨きは自分で玄関で精を出したそうで彼なりのダンディズムに今どき若 い人にもこういう凝り性がいるのか、と感心したが昔から皮を磨くことなど男の暇つぶしなのだろう。
▼溜まった新聞の切り抜きを読んでいたら三月廿三日のSCMP紙にHappy Valleyの香港(紅毛)墳場(Hong Kong Cemetery、香港外国人墓地)の研究続ける蘇格蘭人のKenneth Nicolsonなる学究者の紹介記事あり。Landscape Architectとは日本語で何と言うのかしら、たとえばこ ちら、でNicolson氏もこのLandscape Architectとして博士論文のための墓地調査。Cultural Landscapeという言葉は耳慣れぬが興味深い。で記事で紹介されるNicolson氏の研究によれば、もともと湾仔に香港占領直後の英国人の墓地が 設けられた、言う。恐らく湾仔道の南側、先日この日剰にも綴った旧火葬場、現バスケットコートの近く。本願寺がその近くに建立されたのも偶然ではあるま い。そこが手狭になりHappy Valleyに設けられたColonial Cemeteryが今日の墓地なのだが、丹念に墓石や墓誌など調査すると20世紀初頭に突然、香港島の島南、Aberdeenに中国人の墓地が建設され (華人永遠墳場、Chinese Permanent Cemetery)、中国人は伝統的に異郷の地にあっても死ねば亡骸は故郷の墓に埋める風習あるのに、この墓地の誕生は故郷離れ香港に「移住」した人々が 香港を故郷と考えた、或いは故郷にしようと覚悟した最初のCultural Landscapeであり、Nicolson氏は香港で商売なり成功した人々が寧ろ故郷には帰りたくない、と考えた証ではないか、とまで推論する。興味深 い。記事読んでいて思ったが、その時期がちょうど中華民国成立の頃。本来、中国の共和制革命が起きて新しい国家建設となる時期に故郷を離れる感覚が生まれ ていること。香港で資本主義の萌芽の時期で財を成したこともあろうが、近代革命の頃に個人が故郷から縁が切れるような感覚もあろうか。
▼どうでもよいことだが、暮らしの知恵を一つ。つまらない会議、義理で参加の講演会だの、その場にいなければならぬが退屈な時。さすがに新聞、雑誌、本な ど読めぬ場合。簡単なことであるがコピーで読み物を用意すること。ネットで長文の記事などダウンロードするも良し。その上、A4版のコピー用紙で十数枚と かホチキス止めしておくと、一見して資料に見える。内容は会議などに一切関係ないのだが。それに線など引きながら読んでいると周囲の人は「あの人はずいぶ ん熱心だ」と感心すること間違いない。新聞の場合は、読む時間がない場合、とにかく切り抜いておいて、A4版クリアファイルに。クリアファイル越しに読ん でいると、これも資料っぽい。会議など多いが実際に発言するよか会議に参加していることが大切、といった人たち、例えば政治家とか、やたら会議の時間が多 く自分の自由な時間のとれない、例えば教員とか、にお勧め。
▼新聞の切り抜き乱読していて感じたこと。社説の面白さ。IHT紙の社説や常連執筆陣のコラム、信報の社評と林行止専欄、蘋果日報とて日曜日の陶傑氏によ る「星期天休息」という日曜版社説もかなり水準高き論説。例えば七月二日のこの陶傑氏の「君主立憲花開兩朵寬正祥和各豔一枝」など英国女王エリザベス二世 の八十大壽とタイのプミポン国王の在位六十年の二つの王政の祝賀取り上げ共和制的民主に対して実に陶傑氏的な皮肉も込めて立憲君主制の意義を語る。おそら く蘋果日報なら蘋果日報で読者の半数以上は読まぬだろうし読んでも「なんのこと?」の読者も少なくないはず。だが蘋果日報が蘋果日報なりに新聞としての質 を落とさぬために敢えて「読んで意味のわかる読者」をば対象にしていることは明らか。IHT紙や信報などの場合、記事など今更読まぬが(翌朝にはもう新聞 価値のない記事多し)社説とコラムのために購読する読者が殆ど。そういった意味で蘋果でもIHTでも信報でも社説なり論説記事の意義あり。それに対して日 本の新聞の場合「社説は盲腸のようなもので」とずいぶん昔から言われるが、社説も論説も出来るだけ平易に誰でもわかるように、としてしまうことで、社説を 読もうという知的関心の高い人にはレベルが低すぎ、結果、誰が読んでも意味のない、つまり誰も読まない論説となってしまう悪循環(産経など盲腸どころか時 たま腸捻転起こしそうな傑作?な社説もあるが)。また、新聞の文字など日本以外ではほんとみんな活字が小さい。日本では弱視でも老人でも誰でも読めるよう に、と活字を大きくして、難しい漢字をば平仮名に、内容も平易に、平易に、と誰でも読めるようにした結果、誰も新聞を読まなくなり、記者も平易に書くこと がいつの間にかただのお粗末に。どうせ購読者数などジリ貧なのであるから、もうこの悪循環から脱却すべきだろうが、組織が巨大化して数百万部という異常な 部数を発行する日本の新聞社には今更そんな改革など出来はせぬ。

七月八日(土)大雨の音に目覚め朝起きて朝食とるがまた朝寝貪り昼に至る。昼すぎ旺角。軽い二日酔いで花園街の楽園牛丸大王にて牛肉丸粉河食す。ジムで徹底的にサウナに入り筋力運動 と有酸素運動を各一時間。すっかり爽快。銅鑼湾そごうの旭屋書店でアサヒカメラ八月号受領。帰宅。ドライマティーニ一杯。廉価版CDのクアドロマニアのシ リーズでホロヴィッツのピアノを聴く。自宅では珍しくほんの少しだが羊肉のTボーンのステーキなど食し葡萄牙はワイン名産地Douro地方のTinta Barroca種の葡萄酒グラスに一杯だけ。Z嬢が贖った中環の老舗の菓子舗、陳意齋の燕窩糕を頬張る。美味いものではないが燕窩であるから美容滋養 によく陳意齋では出来上がりがすぐ売り切れ、冷蔵庫に入れてはダメで室温のまま三日が賞味期限、陳意齋の菓子その全て保存料など無添加の由。

七月七日(金)昨日のこの日剰の閲覧者数が突然四百名強。通常の倍以上の数にすわ何事か。恐らくは安倍晋三君への香港からの刃物入り脅迫でGoogleで 「香港 安倍」だの「香港 安倍晋三」で検索せば46.7万件中で14番に富柏村日剰が位置せばそりゃ閲覧の方も多かろう。晩に北角で用事済ませ寿司加藤。O君と「あちこちに中途半端に残ってるボトル」整理、が今晩 の主旨。加藤では北海道の紫蘇焼酎鍛高譚。それにしてもなんであんなにお煙草吸う方多いのかしら。銅鑼湾に移り高級クラブラウンジBにてジャックダニエル。バーYでニッカの竹鶴。最後にバーSでO君の会社関係のシーバス12年。飲みすぎ。
▼数日前の蘋果日報に香港のソファ職人の紹介記事あり。香港のかつての総督、ヨード、ウィルソン、パッテンの三代に渡り総督府にソファ納め修繕にあたり パッテンは97年の離任にあたり仏蘭西の別荘に設えのソファもこの職人に注文の由。他愛ない記事だが何枚もの写真の中にパッテン総督が97年5月に注文 の、その仏蘭西に運んだソファの支払いで、総 督自らが振り出した小切手、その職人の老人は一生の記念に、とさすがに現金化しないわけにもいかずパ総督自身の署名のある小切手を写真に撮影し記念に、と 飾る。それを蘋果日報の記者が撮影し新聞に画像をば掲載しているのだが、記事の画像で縦1.8cm、横3.8cmの小さな小切手の画像、驚くなかれ肉眼で も朧げに署名ばかりかパ総督の自筆による小切手の宛先、HK$37,850という金額から小切手の、つまり当座預金の口座番号まで読み取れる。ルーペ使え ば小切手に記載された銀行の名前(HSBC香港総行)から住所まで一目瞭然。パ総督の総督辞任後の別荘のソファが香港政庁の公費から支払われていたら ニュースだが、ちゃんとパ総督夫妻の個人口座。興味深いのは口座番号が偶然とは思えぬ、象徴的な数字で、個人口座番号をここに公表はせぬが004-600 -888333-001の如し(ちなみに004はHSBC、600は香港総行の店番号、888333はここでのダミー、001は当座預金共通の下三桁)。 総督ともなると銀行もラッキーナンバーの如くこういった便宜をば図るのかしら。それにしても通常なら新聞に掲載する段階で口座番号などモザイクかけるのだ ろうが記者も編集者もこんな小さな画像で新聞に印刷され、まさか読み取られるとは思ってもいまい。原本をフィルムで写真撮影、デジカメで撮影を編集して新 聞紙に極小サイズでカラー印刷なのだ。恐ろしき技術革新。

七月六日(木)昨日の北朝鮮がミサイル発射も「待ってました」と今朝の小泉内閣メールマガジンの話題作りに貢献。小泉三世の力強い北朝鮮への抗議の言葉、 そして北朝鮮のような邪悪な国家が存在するからこそ、の世界の中の日米同盟へと話が進む。先日の小泉三世訪米での華府は白宮でのブッシュ主催の晩餐会で小 泉三世宣う。
私は、ちょうど5年前の2001年6月30日に、初めて大統領にお 会いしました。会談後、キャンプ・デービッドの森の中で大統領とキャッチボールをして以来、大統領とは心と心が通いあう友人として、日米友好関係を育み、 様々な課題に同盟国として協力して取り組んでまいりました。大統領とのキャッチボールを続けることで、その後、外交や安全保障の上で日米が歩調を合わせ世 界の平和のために貢献することができました。
……と、これなら、キャッチボールをキーワードとして、それなりのスピーチだが、これは余の創作。で小泉三世の本当のコメントは
私は、ちょうど5年前の2001年6月30日に、初めて大統領にお 会いしました。会談後、キャンプ・デービッドの森の中で大統領とキャッチボールをして以来、大統領とは心と心が通いあう友人として、日米友好関係を育み、 様々な課題に同盟国として協力して取り組んでまいりました。大統領とのキャッチボールのおかげで、2年前の9月のヤンキー・スタジアムにおける始球式に自 信を持って臨むことができました。アメリカの新聞USAトゥディ紙は「ほぼ完璧なストライク」と報じています。
なのである(唖然)。それでも、このレベルならブッシュには「とてもわかりやすい」スピーチの内容であるし、もしかすると聡明な小泉さんはブッシュさんに 合わせてスピーチの水準を下げたのかも知れない(まさか)。い ずれにせよ大統領専用機内エアフォースワンのなかで歓談する二人のだらしない姿が今日の日米関係の全てなのであろう。晩に帰宅途中にピンクフロイド的な夕 焼けに遭遇。心洗われる思い。
▼安倍長官に香港から刃入り脅迫状届き「靖国参拝するな!」(朝 日)。香港の住所と中国人とみられる氏名が書かれていた、そうで、富柏村、とか(笑)。私ぢゃない。安倍さんは会見で「脅迫は一切、私の行動や考 えに対して影響を与えるものではない」と言ったそうだが「脅迫は私の人気上昇に多少の影響を与えるものではある」なのは事実。なんか安倍さんに世の中有利 なように見えるが、滋賀県知事選(実は嘉田候補の勝因も朝日新聞の分析には「新幹線の新駅反対」というシングルイシュー化に成功したこと、とあったそうで (築地のH君に教えられる)、それが「郵政民営化を争点にして衆院選に大勝した小泉首相の手法に学んだもの」なら、つまり選挙民の判断力がいかに単純化し ているかの証左でもあるのだが)で従来の自民党の集票システムがぶっこわれたことはマチガイないのか、その滋賀県知事選でも郵政民営化反対で自民党離党の 小西理という前議員の地盤で前職が大差をつけられたそうで、滋賀県知事選と同日にあった調布市長選、東大阪市長選でも自民党候補が負け、而も東大阪は現職 が共産党の元市長の復活戦に敗れるという事態。春の選挙では自民党は千葉、岩国の補選と沖縄市長選で三連敗。岩国といえば安倍さんの地元。すでに「安倍は 選挙の顔」という虚像は総理になる前からメッキがはげてきた感もあり、とH君。そう願いたいところ。

七月五日(水)北朝鮮によるミサイル発射。先日の横田めぐみさんの夫と思われる男性の発言内容といい、この北朝鮮の脅威といい、自民党総裁選を前に安倍さ ん支援の如し。昨晩は小泉三世、新聞各社幹部との会食で五年越える長期政権の秘訣を「やっぱり常識が勝つ」と自ら分析。言葉もなし。非常識が勝ったのだろ うに。早朝の中継を見ておらぬが伊太利が独逸破りぬ。両者無得点のまま延長の最後数分で伊太利が得点し更に怒濤の如く追加点。W盃開催前に伊太利のセリエ Aでの八百長だのゴタゴタに、四年前に伯西のW盃優勝で得た配当金をば「四年後は伊太利」とつぎ込んだ自分に呆れたが、その伊太利が決勝進出とは。四年前 の英国の某ブックメーカーでの伊太利の倍率は8倍(ちなみに六日早朝に仏蘭西が決勝進出決めた結果、伊太利の優勝は1.77倍、仏蘭西が2.05倍)。午 後遅く銅鑼湾を歩く。湾 仔の新華書城の前でTimes Squareがまだトラムの操車場であった頃のトラムの線路跡が路上に残っていることに初めて気づく。天后の電気道に「銅鑼湾街市」があることの不思議さ にどれくらいの人が気づいているかしら。早晩にケーブルテレビでW盃独逸対伊太利戦再放送ありQuarry BayのEast Endで街歩きの疲れと喉の渇きを癒そう、エール飲みながら 蹴球見物と中継録画眺めれば前半17分で、延長の見せ場まで休憩時間は編集で端折ろうがあと一時間半以上あり、後半終わるまでにエール4パイントも飲み すっかりいい気分で帰宅。ビール腹でもカレーライスは美味い、と食しながら延長での伊太利の劇的勝利天晴れ。独逸もあそこまで戦って敗れると日本の豪州戦 での消化不良は無い。
▼新聞に小さな記事で「前見習騎師酒後打人賠二千」と記事あり。この見出しで余健雄と余が最も期待した前・見習騎手の名前浮かび記事を読めば悲しいかな余 健雄君。天性の才あれど気性激しく幾度となく問題起こし見習騎手失格。調教騎手に転じ再起促す関係者も少なからず。だが尖東で明け方に警察の検問に引っか かれば自動車のトランクから凶器と疑われて仕方なき鉄棒など見つかり、油麻地界隈でその筋の方々との豪遊も少なからず、でジョッキークラブもさすがに「手 に負えず」と放逐。記事によればこの一年は無職。で今回の酒を飲んでの喧嘩騒ぎで罰金刑。救われず。救われぬ、と言えば香港競馬も二日(日)で今季終焉。 全季の売上高は六百億ドルと前季に比べ26億ドル少なく14年前の92年の水準まで下落。ジョッキークラブは不法賭博の横行を敵視しW盃蹴球は競馬から人 の足遠のかせるか、と言われていたが、実際にW盃には関係なく慢性的な競馬の不人気。実際には不人気なのではなく今までが異常。競馬だけがオジサンたちの 楽しみの時代、それがさまざまな娯楽に興趣が分散しているだけの話。ただジョッキークラブにしてみれば縮小は願わず。600億ドルといえば単純計算で子ど も迄いれて香港市民1人あたり年間1万ドル競馬に賭けているわけで、それだけでも大したもの。ちなみに日本の中央競馬会は平成17年は約2兆9千億円、日 本の総人口で割れば1人あたり2万円強。香港のほうが6倍くらい競馬に熱中。我自身、競馬はよっぽどの重賞レースか毎回の3Tに一獲千金狙いで賭けている 程度。今季ハッピーバレー競馬場にはついに一度か二度、お食事で競馬参観した程度。かつて毎週ハッピーバレーに通っていた時代も懐かし。

七月四日(火)晩に帰宅してドライマティーニ二杯。自家製牛丼。NHKでW盃蹴球の番組編成でニュース番組の放送遅れており(W盃関連ニュース多いため放 送権の関係で海外に流せず番組にならぬゆゑ時間をずらしW盃関連「報道」抜いて編集し直して放送中)つなぎの番組ぼんやり眺めておれば「世界文化遺産」で スリランカのゴール旧市街映す。オランダ植民地時代の17世紀の堤防城壁が04年暮れの津波で奇跡的に街の人々を救った、という紹介の中でオランダ時代の 洋館を映すと「当時は十部屋もある豪邸でしたが、現在は地元の商人が住んでいます」とナレーション。この日本語、意味全くわからず。敢えて言えば、当時は オランダの豊かな商人の住いであったのが今では地元民の住いと化しています、ということなのだろうか。カメラが当時の細工のこんだ家具を映すと、今度は 「城壁がなかったらこの家具も津波に流されていたことでしょう」と。この市街だけでもしかずれば何百人かの生命が失われていたかも知れぬのが津波の恐怖。 家具などどうでもいいはず。視線も完全にズレてしまっている証左。新聞でもテレビでも制作や取材現場がボケていても、それを軌道修正できるデスクなりチー フディレクターがいたはず。何処にいってしまったのだろうか。iTuneのMusic Storeでサディスティックミカバンドの「タイムマシンにおねがい」木村カエラ嬢歌う2006年ヴァージョン購入。スマイリーカズヤ氏のコメントにアン =ルイスのボーカルでも聴いてみたい、とあり、思わずアン=ルイスの「六本木心中」まで購入。そのノリでシュガーベイブの「ダウンタウン」やフォークルの CDなども続けて聴く。
サッカーの中田が引退だよね。みんな知ってる? ぼくには、野球 選手がその成績が具体的に評価されて「調子がいい」とか「もう限界か」なんて言われるの に対して、サッカーは今一つ、よくわからないんだ。中田ってサッカー選手については、ぼくもこの日記で何度か前に書いてるけど、みんな読んで、覚えてくれ ているかな? 覚えてくれてたら感激! Wカップのアジア地区予選で、北朝鮮戦の時だったかな。日本が勝ってさ、NHKの夜のニュースにバンコクから日本 サッカー協会の川口会長がインタビューに出てたんだよね。女性アナウンサーが「中田選手は何かおっしゃってましたか?」と質問しててさ、すごいよね。サッ カー協会会長よか中田選手のほうが偉いのかな? ところで中田選手って言えば彼のサイトのHide's Mailが、みんな読んでるかな?、とても有名だけど「みんな甘いものって好きだよね〜。僕もそうだけど、とくにチョコ。たまらないよね、もうビックリマ ンチョコには目がないんだ〜(笑)」って、あのノリ、普通のさ、寡黙なスポーツの一流選手って感じじゃないよね、全然。ぼくはあれを中田軽薄調って呼んで るんだ。秋になるとミラノでたくさん服を買って、冬が楽しみなのはいろいろな服が楽しめるから、とか、お風呂の入浴剤の話とか、それがみんあ「……だよ ね〜」(笑)(苦笑)最高!! って表現だよね〜。写真の趣味も、部屋に飾るお気に入りの写真が、ミラノの、ファッション関係の友だちに教えてもらった“Corso como 10”で買ってるんだけど、Mary Ellen MarkBruce Weber。Mary Ellen Markなんてさ、普通はちょっとリビングルームに飾れる写真じゃないと思わない? ウェーバーなんて20年以上前に、ぼくがまだ山梨でサッカー好きのガ キだったころの話だけど、あの頃の東京だと、青山のギャラリーワタリとか オンサンデーズ、渋谷のパルコの書店とか、懐かしいよね、に写真集が並んでたよね……みんな、知ってるかなぁ?。釜本さんがまだ現役だったころのことだ よ。今日はけっこう長いメールになったな、最近はドリアンももう終わりの季節になってきたから(笑)、食べおさめでドリアンでも食べてそろそろ寝ようか な。でもドリアン食べた時はちゃんと歯を磨いて、胃薬飲んで寝たほうがいいよね。おやすみ〜。って、中田軽薄調とはかくの如し。これは荷風 文語、田中康夫 擬古文に続く日記文学上の革命かも知れぬ。
▼香港政府の元保安局長で世論の反発喰らい基本法23条に基づく治安立法の法制化に失敗し失脚の葉劉叔儀女史米国スタンフォード大学修士課程修了し帰港。 SCMP紙、信報に彼女の修士論文の要旨掲載される。立法会にもっと政府内での大きな役割を持たせよ、2012年には普通選挙実施も可といった、保安局長 時代の悪辣ぶりからはかなりの豹変。修論というよか明らかにマニフェストで香港政治への復帰企図したもので親中御用政党民建聯あたり受け皿となろうか。
▼いぜんにも綴ったかも知れぬが新聞の切り抜き出てきたのであらためて忘備録的に綴れば、香港の所得税について。基礎控除が大きい香港の税制では全労働人 口のうち66.7%は納税不要。三人のうち納税者は一人。しかも納税額が年HK$1,000以下の者が325千人と動労人口の9.5%占める。もうこれで 全労働人口の76.2%に至る。
▼滋賀県での無党派環境候補の知事当選。京都の言わずもがな精華大学の教授が社民党推薦で自民公明民社の大政翼賛会的なる統一候補破り当選。共産党推薦候 補も7万票と「滋賀で」善戦。滋賀といえば中世的なる印象。良く言えば網野史学的には琵琶湖の豊かさで山から海から往来自由な民衆の社会。悪い言えば、そ の様々な可能性秘めた中世民衆社会はが封建体制の再編により圧殺され殊に明治以降は産業化のために米と兵隊を供給する保守政権の金城湯池となり郵便局長だ の農協だのが一声かければ自動的に自民党の集票マシンがフル回転するシステム構築されたムラ社会。そこで大政翼賛候補の落選はに小泉改革により「自民党が ぶっこわれた」証左か。朝日新聞では寺島実郎氏が「小泉劇場の終幕の前に」と一文を寄す。小泉三世と渥美清演じる車寅次郎の共通点、周りの人間模様はとも かく少なくとも本人には私利私欲がなく組織社会の柵みを拒否する精神的自由人であり独自の価値観を抱き断片的ながら真理を突いた一言を発する、愛すべき庶 民性と洒脱さを有し、取立てて嫌うべき理由はない、と見事な指摘から文章始まるが、いくらこの指摘が見事でも、寺島氏の指摘通り、絶えず「スカッと爽や か」を演じられたことで国民は清涼飲料水ばかり飲まされ続き最後まで主食は出てこなかった、にもかかわらず、すでに小泉政治の完走を許したかと思うと忸怩 たるものあり。

七月三日(月)朝も七時すぎに驟雨。夕方も五時過ぎに驟雨。晩も小一時間の大雨。晴れ間に幾度もこのテの降雨あり。南洋のスコールの如し。香港などこう いったスコールなど多いと思われているかも知れぬが、実は香港は亜熱帯で長雨はあってもスコール的な雨は珍しい。それが今年はかなり目立つ。これから夏に なる度にスコール多くなれば地球温暖化の現象の一つ。熱帯特有のHaze(日本語に語彙なし)覆う地域が徐々に高緯度に広がる如し。あと十年もすれば東京 で夏にスコールが襲う鴨。スコールというと「スコールが通り過ぎると、昼の暑さが、地温がすこし冷めたおかげで、心地よい涼風が書斎のなかに流れ込んでき た。」なんてサマセット=モームの印象。高校の頃に英語の成績など最低なのに旺文社だかの私立文系難関校英語読解対策英文対訳シリーズ、(わざと例文の主 述関係をおかしくしてみたが)和訳の係り結びが少しおかしい「関係代名詞に支配された」受験英語の世界、そこで恰好つけてモームなど読んだふりして(実は 和訳ばかり読んでいる)そうか、シンガポールにはラッフルズなるホテルがあり、そこのバーにはモームがいつも坐るカウンターの席があり……なんてことを 知って独り悦に浸っていたものだが、そういう印象で「スコールのあとは涼しくなる」と信じている。確かにモームの時代はそうだったの鴨。しかしキョービ、 スコールはむしろ不愉快に暑く蒸す。モームの昔なら陽が傾いて西の空に沈む頃には、発熱するものは地熱だけ。スコールで地熱が冷めれば涼しくなる。それが 今では陽が沈んでも自動車や冷房機の放つ熱風がひどい。而も地面はコンクリート。雨水がコンクリートの地面を濡らし、熱気で蒸され、自動車や冷房機の熱気 と相俟って、嗚呼、不快。自然環境の破壊はもはや救われぬ域に達してしまっている。
▼昨日、民政事務局局長「肥平」何志平君のこと少し讃めたが昨日、肥平、昼間の活動は「情繋家國、国民教育活動」なる背筋寒くなる行事に参加。親中土共の 香港工商専業協進会と九龍社団連会の主宰で「愛国」の意識高揚が為に香港各地で若者二百名の「国民教育大使」なる者を選び、その任命式。普通の、そのへん の人のさも良さそうな青年男女選ばれているが、この発想はナチの親衛隊か文革の紅衛兵と何ら変らず。身勝手な民主だの自由などと叫ばずに、国家あっての社 会、国家あっての安定と平和、と理解しませう、と七一デモ翌日のこの陳腐なる国民教育運動。これに政府代表として肥平が参加。香港大学のOBでも英俊の誉 れ高き肥平が、どれほどまでにこの国民教育運動に感銘しているか甚だ信じられぬが、さぞやお疲れ、で晩のツィメルマンであったのだろうか。1981年に ポーランドでヤルゼルスキ将軍による戒厳令発令でポーランド離れたツィメルマンが、同じく十九世紀の王政革命で祖国離れたショパンの曲を演奏から肥平が何 を感じたか。

七月二日(日)まったく晴れてんだか雨降ってんだか、はっきりしろってんだよね、と志ん朝師匠の声色で言いたくなるような空。O君の主宰で山歩きあり7名 が坑口のMTR駅に集合。釣魚翁郊遊徑(High Junk Peak Country Trail)6.6km歩く予定、つまり釣魚翁郊遊徑の入口まで「タクる」はずがN氏から坑口から歩きませう、と禾墟崗、澳貝村、坑尾頂村への古道をのぼ り釣魚翁郊遊徑に合流。海 抜ほとんど0mの坑口から標高344mの釣魚翁(High Junk Peak)の尖端へ。頂上の東面は断崖絶壁で、怖い。午後から雲一つなき快晴。一行は田下山越えて布袋澳に出て海鮮食して麦酒だが余一人田下山手前の蝦山 篤で別れClear Water Bayの海水浴場まで歩いて戻り海岸で麦酒&焼蕎麦で昼飯済ませミニバスで九龍に戻る。九龍の知る風呂屋に一浴し按摩。帰宅して着替えて早晩にZ嬢と「尖沙咀の」Jimmy's Kitchenに食す。Dry Martini注文せば五年ぶりにベルモット(Martini社の)だけの酒を供される。新しい女給の一人が酒の知識なくDry Martiniの注文を酒場のバーテンダーにMartiniのロックと伝えた由。他の給仕らにさんざんマティーニについての基礎知識をば教えられていた が、その女給、我々が帰るまで終始不機嫌。誰でも最初は知らぬ事で(酒飲みの畏友B君すら若い頃にバーでさんざんベルモットのロックをDry Martiniと誤解して飲んでいた、と言う)寧ろ「香港一のMartiniならJimmy'sのもの」と賞される食肆なのだから新入りには「うちの酒は ね」と黒服が教えるべき。見るからに新入りのアルバイト風情の女給も有り。慣れぬ手つきで麺麭を供すも愛らしくアルバイト店員多くなれば夏休みも始まった か、と季節の風物詩。その娘、突然「あのぉ、宜しいでしょうか?」と日本語で語るに某大学の応用日本語勉強する学生で夏の課題のためアンケートにご協力い ただけませんか?と。言葉ぎこちないが日本語勉強して2年と思えば敬語の使い方など日本のそのへんの若者よか余程丁寧。それにしても在港邦人対象の他愛な いアンケートで、調査項目一見せば実際に集計しても何らデータも得られぬもの。指導教官のsuperviseなり、まず社会調査のイロハくらい大学生なら 学んでから、にしてほしいが、何よりも、香港で十年も前なら大学生が夏休みとはいえレストランでアルバイト、など考えもつかぬ話。好物のアボガドと蟹肉の 前菜、山羊のチーズサラダ、オニオンビーフライス、を3皿とも二人で半分け、で老人は満腹。香港文化中心。待ちに待ったKrystian Zimermanのピアノ独奏会。二 週間前まで日本巡業。その評判を久が原のT君であるとか信報の音楽評などで見聞きして今日はかなりの期待。まずは会場でCD購入。HMWや香港レコードな どでツィメルマンの香港公演決まってからもCDの在庫なし。いぜんはコンサート会場でのCD販売をどこかバカにしていたのだがZ嬢が「即売は安い」事実に 気づく。今晩もグラモフォンのオリジナル盤が一律HK$100で開演前に売り切れ必至。小澤征爾&波士頓との名演と称されるラフマニノフのピアノ協奏曲第 1&2番(こ ちら)、ポーランド国立オケをばツィメルマン自らの指揮でピアノ演奏のショパンのピアノ協奏曲第1&2番(こ ちら)、それにラベルを指揮はBoulezで、オケがClevelandでのピアノ協奏曲ト長調と「優雅で感傷的なワルツ」、倫敦交響楽団で「左 手のための」(こ ちら)の、の3枚購入。颯爽とステージに現われた、すっかり寡黙で素敵な叔父様風情のツィメルマンは(なにせ18歳でショパンコンクール優勝で彗 星の如く現われた彼の印象強し)ピアノのお復習い会の如きモーツァルトのソナタ、ハ長調K330でさらりと始まり技巧的に見せ場たっぷりにラヴェルの優雅 で感傷的なワルツ1〜8番と続き前半の〆がガーシュウィンの3つの前奏曲。すべて「こんなことができます」的に完璧で粛々と後半のショパンを待つ気分。二 十分の休憩にこちらが緊張して席から立てず。今日のお席は二階のバルコニー最前列最中央、という「皇太子殿下ご夫妻がサントリーホールでツィメルマンのピ アノリサイタルをお楽しみになりました」的な、所謂「宮様席」。Z嬢の努力の賜物で得た席で、お隣りが民政事務局局長の何志平君。後半のショパン は4つのマズルカOp.24でマズルカの第14〜17番。そしてソナタ3番。余の拙い言葉で今宵のツィメルマンの奏でるショパンを語れず。先月二日にはサ ントリーホールでは演奏会途中に「日本語で」日本の海外派兵に反対の意を表明の反戦スピーチを述べ「良心を守る日本の友のために」と前置きしてのショ パンの葬送ソナタを演奏、それも超弩級の名演との由(都新聞)。香港では舞台から広東語で「我要普選!」と述べるか、もしかすると昨日は七一民主遊行に参 加していたのではないか?とZ嬢と噂していたが香港では政治的主張はなし。観客の拍手喝采に答礼ではショパンのバラード第4番。そしておそらくバツェ ヴィッチ(1909~69年、ポーランドの女流作曲家)のピアノ・ソナタ第2番。ガーシュウィンの3つの前奏曲もツィメルマンの印象の幅を広げる演奏で あったが、圧巻は何といってもショパンのソナタ第3番とバラード第4番。おもわず感涙に咽ぶ。当代の、もしかしたら歴史上でも不世出のショパン弾き、而も その人のピアニストとして最も技巧と体力が備わった時期の一期一会的な演奏に遭遇できたのかも知れぬ。演奏が2日に渡れば、T君が東京で聴いた演目のモー ツァルトのソナタ第10番、ベートーヴェン悲愴ソナタ、東京での答礼のバッハのパルティータ第1番とバルトーク3つの前奏曲第1番あたりも聴けたのだろう か。感動のまま帰宅し幸せにヴァランタインの21年物飲み臥床。
▼民政事務局局長の何志平君。演奏会終了後に巨体を縮こまらせてコンサートホールは出たものの、市下の文化施設運営の役所の総責任者としての立場弁えてか 観客がロビーを去るまでスタッフと並び客を見送るとは大したもの。中学生の時分よりかなりの音楽好きで香港大学では学生オケにも積極的に参加。香港政府高 官のなかでは音楽好きではこの人。ところで昨日は、この人が香港政府の特区成立祝賀式典と街頭パレード開催の総責任者。雨に何度も襲われの開催で、その午 後は陳太参加の民主デモでかなり心労もあろう、で翌晩ツィメルマンはかなりホッとしたことだろう。

七月朔日(土)朝、雑事済ませ山を走ろうと家を出るがかなり派手に驟雨。雨の通り過ぎるの待ち山を登り大潭を走れば雲の絶え間に陽光あり。Wilson Trailの入口近くでコンクリートの路上に「老當益壮青春常駐」と達筆な揮毫?見つける。10km走り海岸で麦酒飲みながらFrances Wong教授の自伝“ChinaBound”の続き読む。日本軍による香港占領の頃の話も生々しい。まだ香港大の学生であったWong女史と同じマンショ ンに住う近隣の女性が日本軍の兵隊による住宅取り調べ受け、犯される恐怖から投身自殺した話、日本軍の兵隊の命令無視して道路を走って逃げようとして銃殺 された少年の話などなど。中国での話も苛酷だがいくつか笑える話もあり。ひとつは1956年の国家規模での蝿の撲滅運動。三日間、仕事も中断して中国の国 土で一斉に蝿を退治して衛生的国家建設図ろうとしたのだが、北京では当時、中国から「修正主義」と非難されていたユーゴスラビア大使館はこの命令に従わ ず、蝿も治外法権の事情知ってか知らずかユーゴスラビア大使館の敷地内に逃げ込んだ話。文革では民衆が動員されいかに盲目的であったか、という逸話で、紅 衛兵が「打倒劉少奇!」と叫ぶとデモ行進に従う民衆は後ろから「殺せ!殺せ!」と言うのだが、先頭の紅衛兵がスローガンを変え「毛沢東主席万歳!」と叫ん でも民衆はまだ「殺せ!殺せ!」と叫んでいた、という話など。読了。陽射し厳しく都合麦酒三缶。午後に帰宅しようとバスに乗れば驟雨。午後三時よりヴィク トリア公園より七一民主遊行あり。道路封鎖ありKing's Roadから早々と規制避ける自動車がEastern Highwayに迂回し渋滞。一旦帰宅も能わず。走ったままの恰好で汗臭いしカメラも携帯用のContaxしかないが、まぁ、いいか。遊行もすでにヴィク トリア公園を出たか、と弥次馬的に湾仔に向うが道路西行きが全面封鎖されているものの遊行が一向に来る気配もなく銅鑼湾に向って歩けば結局、銅鑼湾に辿着 き暫く待って遊行に出会う。湾 仔の大公報のビルの前には香港回帰祝賀の新聞特集張り出され董建華が香港政府の勲章の最高位である大紫荊勳章受賞と知る。鵝頸橋では李國雄君、「前線」の Emily Lau女史は銅鑼湾で遊行支援。蘋果日報社主・黎智英氏、民主党の李銘柱氏らは個人でデモに参加をお見かけ。とにかく若者の参加が目立つ。政治的なことに 関心が持てるだけ、自分で考える環境があるだけ、香港の若者は幸せか。今年の蘋果日報が配布のステッカーが「我要普選」の他に「民主未解決」と「普選有圧 力」で巴士阿叔の名言のコピーだが、もう巴士阿叔などすっかり過去の人の印象あり。銅鑼湾でずっとデモを眺めるがAnson陳方安生女史の来る気配もまだ まだで地下鉄で端折って金鐘。金鐘でデモ眺める中国からのツアー旅行者の会話傍聴。「我要普選」のスローガンに「香港は昔は普通選挙で選んでいたのが(総 督をだろうか?)回帰した後は普通選挙で選べなくなったから」と。全然違う(笑)のだけど中国になって自由でなくなった、という印象はあるらしい。金鐘か ら遊行の流れで中環の政府総部。FCCで麦酒一杯飲み涼む。ケーブルテレビのニュースで今日のデモや祝賀式典、パ レードの報道眺めながら思うに、陳太であれデモに参加する市民であれ、別に政府転覆のような主張が あるのではなく、単純に香港基本法に謳われている通りにしましょう、とそれだけのはず。法律にある条文に沿って政治をしましょう、それが法治でしょう。何 も危険なことではない、と。だが土共であるとか親中派、そして北京中央には、それが反国家的な、国家転覆の動きに映るから面白い。FCCを出てトラムに乗 り東行せば遊行は開始から三時間過ぎてもまだ行列続く。湾仔の警察本部近くでかなりの人ごみあり何かと思えば陳太が此処で遊行終わるらしく即席で取材に応 じている模様。湾仔より地下鉄で帰宅。枝豆に麦酒でテレビニュース見れば、本日の民主遊行は主催者側発表で五万八千人が参加、警察発表は二万人。香港大学 の鐘先生の民意調査センターの集計は三万六千人から四万三千人。ちなみに昼頃の親中派団体主催の慶回歸大巡遊は主催者側発表が五万人で警察発表で四万人が 参加とか。祝賀パレードは開始から一時間で終了。かたや民主要求デモは開始から三時間半。実際にはその差は歴然。デモでの逸話いくつか綴れば、この慶回歸 大巡遊には米国より帰港中の葉劉淑儀女史(元保安局長)が参加という噂もあったが主催者は巡遊開始前にきっぱり と否定。葉女史の嫌われようは四年過ぎても未だ拭われず。新華社がこの民主化要求デモを報道も少し驚き。主題は「普通選挙実施」で直接的に中国政府、共産 党批判でないことに安堵の現われか。今日のデモでも警察の真摯な警備態度は例年の通り。ふと気づけば警察官の腰には拳銃なし。一人の偶然に非ず市街でデモ 警備にあたる警官は指揮官除き誰も拳銃を付帯せず。さすがに政府総部周辺警備の警官は「辛子スプレー」は携帯していたが。デモ参加者に一切威圧をせず、立 派なもの。夕食は韮と豚肉の鍋。DVDで映画『パッチギ』観る。世代的に『イムジン河』などフォークルの曲懐かしいところだが、オジサンたちの回顧趣味と 云われればそれまで、の映画かも知れぬ。若い人が観てどう感じるのか。
▼小泉三世訪米で布殊Jr.と日米関係は「歴史上最も成熟した二国間関係」と謳うとか。成熟とうかれるのもいいが成熟のあとは腐蝕以外の何ものもなし。松井今朝子女史はこの状況を「今や「卒業旅行」でプレスリーの生地を訪ねるのが何より嬉しいというバカ丸だしの国家元首を抱えてしまった国民の ひとりとしては、天皇の戦争責任もさることながら、楽天的な世代がこの国に及ぼした責任を追及したい気分である」と苦言(首相が元首かどうかは意見の分か れるところ。だが小泉三世ほど陛下の御意も無視し真紀子大臣罷免では陛下に嘘をつくという前代未聞のやりたい放題、それを思えば実態は元首か)。御意。香 港の晩のニュース(Pearl局)でも七時五十分、つまりスポーツニュースになる一つ前、つまりニュースの構成によっては「飛ばせる」どうでもいい下らな いニュースのところで、このプレスリーに興じるご機嫌な小泉三世の映像流れアナウンサーも苦笑で言葉もなし。ところで不愉快な世の中で溜飲下がるのは読売 巨人軍の記録的な10連敗。史上二度目で長嶋で最下位の1975年以来。朝日のスポーツ面で「こんな凡試合でも、巨人ファンはメガホンも投げないし、ヤジ も飛び交わない。この状態で怒られないのは、悲しいことだ」と書かれていたが巨人が怒られないことよか巨人に怒らないファンがどうかしているわけで、バカ 丸出しの首相を抱え何ら疑問に思わぬ楽天的な世相と、この怒らない巨人ファンは共通項であろう。巨人、石原、自民党……で巨人を強くするには石原慎太郎を 監督に起用すべきかも(スポンサーは読売であるから敢えて自民党を加える必要もない)。
▼チベット鉄道開通。鉄道ファンとしてはチベット高原走る鉄道に興味沸くが鉄道の政治性を考えると「北京とラサが鉄道で結ばれること」の中共によるチベッ ト「解放」以来の宿願達成なわけでただ喜んでもおられず。これがチョモランマ潜りネパール、印度とも結ばれるとなればまた話は異なるのだが。開通と営業開 始記念式典には胡錦涛国家主席も出席。三峡ダムの完成式には出なかったのは何故?

日記インデックスに<戻る>