乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

七月卅一日(木)昨晩はちやうど「金澤」読み終はりサイゴンウォッカで酩酊し早寝決め込むつもりがさすがに列車の軋音で何度も目覚めつつ車窓から南支那海 を眺めれば夜明け。続けて健一さんの「酒宴」を読み終はつたところで朝六時前にダナン到着。ホテルか ら迎への自動車に拾はれる。ダナン 市外から海岸線に出れば海岸続き市民相手の海水浴場、中国資本からハイアットまで大型のリゾートホテルの建築現場が並ぶ。がダナンといへばベトナム戦争時 の米軍の巨きな基地の町。海岸近くに米軍の軍営跡もあり。華僑が佛様祀つた五行山を眺めホイアンのヴィクトリアホイアンリゾートに投宿。朝の六時半過 ぎで定刻の午後2時チェックインにはだいぶ早すぎるが朝食済ませスパで一浴し夜行列車での汗を流すと八時過ぎには朝早く退去の客の部屋が片づけられて宛て がはれる。海岸に近き一戸建てのコテージ。プールサイドでうつら/\と微睡みつつ読書。ホテルの食堂で昼を済ませ午後も読書。片山杜秀「近代日本の右翼思 想」。午後遅く部屋のバルコニーに暫し寛げば葉巻が美味い。ビルスマさんでバッハのチェロ組曲を聴く。昏刻にホテルのシャトルバスでホイアン 旧市街に出る。四百年の昔に日本人町、そして華僑の貿易都市。古い南洋街の旧市街はよくぞ街並みが20世紀に残つたもの。ベトナム戦争でもダナンから数キ ロと思へば奇跡か。1999年に世界文化遺産に指定され今では旧市街の建物の9割は土産物屋など観光業に利用されるばかりで鳥渡興醒め。Hai Scout Cafeなる食肆で夕食。自然食材系で料理教室も開いていたりホイアン川の浄化プロジェクトへの賛同などコンセプト的にチェンマイのThe Wokと似た感じ。これも所謂、ロハスか。牛肉のミンチとレモングラスなどをバナナの皮に包んで炭火焼きした料理が秀逸。それとチキンライス。と地場の魚 肉のパンケーキ。ベトナムのワイン産地であるダラットの葡萄酒を始めて飲む。Vang Dalatなる品種不明の赤。確かに赤葡萄酒なのだが醸造の過程で最後、鳥渡手前で終つてしまつた感じ。晩に樋口陽一先生の『憲法入門』勁草書房を再読。 今晩新月で暗闇の如し。
▼吉田健一「金澤」より一節。
また金澤のやうな町ならば雨が降つてゐる時のどこか寂しげな感じも 取り戻せて例へば知つてゐるものに送る菓子を頼みに菓子屋に入つてゐれば雨のせゐで客が少ないのが外も静かなのを裏付けして菓子を並べたガラス箱が雨の日 の博物館を思はせる。
一瞬、とても酔つてしまふ。でもう一度読み返すと何だかよくわからない。で三度び読むと健一さんらしい感性と思ひつつ、やつぱりこれを書いてゐる時も酔つ てるよね、と。この「金澤」と言へば昨日久が原のT君よりメールあり。T君も数日前に丁度吉田健坊の『金澤』読み終はつたところでございます、と。友とは かういふものか。先日、築地のH君談で歌舞伎座の海老蔵君の芝居について書き留めたが客が入つてナンボ、の興行としての演劇にとつて海老蔵が格好良ければ いひ、といふ点を強調したが古典芸能評をする久が原のT君にとつては歌舞伎芝居に古典やら規範やらが関はる以上その筋を通す評論としての言説があつてしか るべき、と。(詳細はここに綴らぬが)御意。そのメールでのやりとりで澤瀉屋の芝居についてのT君の言及のみ忘備録的に綴つておけば、
やはり千本櫻は時代物で、踏むべき規格といふものがあり澤瀉屋は好 き嫌ひは別としてその規格を「踏み外しながら」彼自身の規格を作つてしまつたところに意義があり戦後の「時分の花」と単に言つては済ませぬもの。殊に澤瀉 屋の疾走感。自分で自分を鞭打ち続け、急速なテンポで終末に追ひ込んでゆくうちに「ある種の真実」の前に猿之助が自己を低め理想に向かつて邁進して已まな いストイシズムの輝き。「求道者としての猿之助がドラマの下位にゐるからこそ、ドラマ自体の世界観が競り上がる逆説」。
高野聖についても興味深き話を聞く。
▼片山杜秀「近代日本の右翼思想」について。気鋭の社会思想史の研究者だが最初に読んだのは音楽評論であつた人。で近代日本の右翼思想を結局、何がダメで ダメになつてしまつたのか、をまとめたのがこの本。郷里は橘孝三郎や井上日召がゐた右翼的風土で育つたあたしは橘僕や北一輝の著作集まで読んでみたが幸 ひ?右翼になれず今日に至り、右翼思想がダメになつたのは近代の明治からの天皇制そのものにあるのではないか(天皇そのものでなく天皇「制」に)、と密か に思ふ。天皇「制」に頼つてしまつたことで思想として立脚せず。著者が書いてゐる中で最も興味深かつたのは権藤成卿を引いた「社稷」について。社稷(しや しよく)とは原始的な自治村落共同体の理想型。ふと黒澤明の晩年の思想はこの社稷に辿り着いてゐなかつた、と思つたが、社稷さへ成立してゐれば人間には近 代的な国家も法律も軍隊も工場も要らない、小共同体を基本に農業や漁業をやつて衣食住が満たされる社会。社稷は「アジア的専制権力の保管物であつて、下級 構造たる村落共同体の内部原理に干渉せずそれを「自治」にまかすやうな関係こそ、専制的国家の権力の源泉」(渡辺京二)のニュアンスから脱却されない概念 だらうが、民衆は無政府状態で放つておけば「暴民」となつて「争闘」するものであり、それを抑へ「王者」の前に跪かせておくための最低限の仕掛けが「社 稷」で、社稷の約束する無変化で非政治的なユートピアの時間は何よりもまづ静態的服従の持続といふ統治のエネルギーと重畳する……といふ記述を読むと、ま さにアジア的な政治統治機構がこれぢやないのかしら、と思へてならず。

七月卅日(水)出発までホテルで寛ぐつもりが中庭のプールもフィトネスセンターのジャグジーも朝から準備できてをらず。旧大統領官邸(統一会堂)まで散歩 するが内部見学するほど時間もなく官邸裏手の文化公園の労働宮?(Workers' Club)のレク施設内を徊す。国営百貨店。ホテルに戻り荷造り。昼にチェックアウト。タクシーでホー チミン鉄道站。旅情もなにもない殺風景でこぢんまりした驛舎。ハノイ行きのSE6列車は出発まで1時間あるが、すでに乗車可なのもいかに出入りの列車が少 ないから。昼食にバスケットパンのサンドヰツチ購ひ乗車。四人用の個室寝台だがZ嬢と二人で四人分の寝台券購ひコンパートメントを占領。ホームにベトナム では珍しくコンビニタイプの売店あり。鉄道での長旅に酒を所望するがウヰスキーは銘柄がWall StreetとTitanicで前者は悪酔ひしさうだし後者では沈没しちまひさうなのでサイゴンウォッカの二合瓶購ふ。寝台のコンパートメントは寝台や寝 具など毛布がちよつと汗臭くシーツも毛髪がついてゐたりお世辞にも清潔とは言へぬが、まぁ許容範囲。出来る範囲で掃除してダナンまでの17時間に耐へ得る 居住空間を作つてしまへば良い。ベトナムの鉄道は時間は正確の由。定刻で発車。構内を出るともう単線。十数分走ればもう更地や草地もあり。鉄道の引込線や 市外の站の跡地散見されるのはベトナムに限らず貨物含め鉄道の衰退と相対しての自動車網の整備。車窓から景色眺めるほど愉しきことはなし。個室寝台で、こ れが飛行機なら最新鋭のA380だらう。鉄道ならかうして17時間でD580,000が飛行機ならファーストクラスでUS$5,800なら差し詰め166 倍なり。よく手入れされた農作地帯が続くなかライチーが実る季節。ドラゴンフルーツが肉厚のサボテンのやうな葉に、ちやうど月下美人のやうに葉から実がな ることを初めて知る。寝台列車は予想以上に快適。洗面所が格別清潔。同じ一等寝台の車輌には旧宗主国たるフランス人御一行多し。サイゴンウォッカは 29.5度だが味もなくあまり酔へもせず。車窓から眺めれば日暮れ惜しむかのやうに農村の休耕地で蹴球に興じる子どもら。牛飼ひ。車窓からの食堂車はない が弁当や飲み物の車内販売あり、夕食はそれで済ます。車中、吉田健一の「金澤」を読む。健一さんなら上野から金澤に向ふ車中ですでに酩酊。「金澤」は鳥渡 泉鏡花のやうな数奇な物語。健一さんの著作はかなり読んでゐるつもりが氏の小説はこれが初めて、と今更ながら。四方田犬彦氏が解説で書いてゐるが昔は地方 の都市で旦那衆らが東都から、とくに戦後、作家や画家の文人も窮した折は地元に招き酒肴と宿を宛てがひ連日遊んだもの。我が祖父ら最後の旦那衆も版画家の 川瀬巴水を招くなど、さういふ時代あり。この「金澤」の世界、個人的には好きだが健一さんはやはり小説より随筆。
▼エミレーツ航空がA380のフライトでファーストクラスで世界初のシャワー設備の由。水の供給量には限界がありお一人様一回5分。だが運行にあたり水の 搭載量はこのシャワーのために0.5頓で従来の25%増し。折からの原油高に燃料浪費で馬鹿/\しい話なり。 

七月廿九日(火)旅で朝寝貪りたいが年寄りの性で朝六時起床。サイゴン河沿ひ走る自動車の騒音は深更にさすがに少し収まつたが朝の五時過ぎには再び活気。 ホテルの旧館屋上にあるオープンエアーのカフェで朝食。ク ロワッサンと珈琲が美味くて朝から嬉しい。新聞はViet Nam NewsとSaigon某だつたか何れも数頁の薄さ。政府統制の紙面は面白くもなし。ホテルを出て東北に向けて漫歩。在サイゴン日本人の生活拠点のやうな Le Thanh Tom街を抜け動植物公園。勝手に多少殺伐とした動物園想像してゐたがいや/\どうしてきちんと手の加へられた林の公園のなかに古い獣舎は獅子や豹など猛 獣までも手の届きさうな距離で当然、朝だから餌を貰つた動物たちも元気に動き回る。動物の種類や数は限りがあるが園内を散歩が目的なら各地の動物園のなか でも富柏村的にはお勧め。大蛇の餌が、すでに絞めてはあつたが可愛いウサギが丸ごと一匹で蛇がそのウサギを丸のまゝぢんまり呑込んでいく様をガラス窓越し 至近距離で見るのはゐたゝまれず。直射日光は暑いが涼風が林を抜けて結局動物園好きのあたしら二人は午前十時すぎ迄二時間近く遊ぶ。動物園は朝に限る。か つての南ベトナム政府の官庁街であつたレユガン街に出る。米国の総領事館(かつての在南ベトナムの米国大使館)は渡米査証申請(或いは藁をも掴む希望での 申請願ひ)の者が路上に鳩る。が米国の在外公館の徹底した不親切で申請者を総領事館査証部入り口にも寄せ付けず人々はレユガン街の反対側からぼんやりと米 国総領事館を、或いはその館内の、更にそのずつと空の彼方の米国をぼんやりと眺めてゐる。米国など、少なくともブッシュが総統の間は絶対に足を踏み込ま ぬ、などと軽口を叩いてゐるあたしやさういふ者のいかにお気楽なことか。近くのキムタインといふ農場直営の軽食屋で馳名のプリンとヨーグルト頬張り炎天 下、市中心部を抜け散歩続け泊まるマジェスティックホテルと(えつ……と驚く古い雑居ビルのやうな)日本総領事館近くのニューランといふ評判の食堂でフラ ンスパンに豚肉など挟んだサンドヰツチの昼食済ませホテルに戻る。ホテルの中庭のプールサイドで独り寛ぎ読書と午睡。ヘルスクラブで入浴、按摩。昏刻、散 歩がてら夕食を済ませませう、とホテル出ると不安な暗雲が迫つてくる。日本総領事館を越えたあたりで市街はたちまち真つ暗になり街路の砂塵やゴミが一気に 空に舞ふ強い突風が旋う。それでなくとも五月蝿いバイクや自転車たちが「すわ、大雨か」と勢ひづいて駆ける。夕立、俄雨、驟雨やスコールといふ言葉ぢやと ても太刀打ち出来ぬ、まるで悪魔が手を掲げ魔術をかけたやうな暗天。停電。もはやこれまで、で幸ひ雨だけはまだ大粒だがパラ/\と落ちるうちに慌ててホテ ルに駆け戻る。と玄関を入るなり大雨。読書して雨の弱まるのを待ち再び出街。が出鼻挫かれホテルに近くのフォー24で済ましちまはうよ、とフォー24に入 ると日本人捕虜収容所の如し。ホテルに戻り読書。二更にホテル新館屋上のバーで一飲。雨が降らねば欄干からサイゴン河を見下ろし酒に酔ふのだらうがベラン ダの軒先で。部屋に戻り吉田健一「金澤」読み始める。ホテルの客室でのwi-fiでのネット環境快適だがwww.fookpaktsuen.comには繋 がらず。中国と同じで反体制系サイトなど気軽のサイト構築するtripodなどレンタル系サーバーには繋がらぬ由。更新は出来るが内容確認しておらず、の 盲更新なり。
▼ホーチミン市に点在するロッテリアの多さに驚いたが小売業での韓国資本参入に勢ひあり。新聞にもロッテ系の大型ショッピングセンターの新店舗開業と今後 の店舗網拡張の記事あり。小売業は過剰なインフレのなか俄然好調で超級市場チェーンが軒並み昨年比3割増の売上げ。だが電化製品などハイエンドの消費財は さすがに頭打ちの由。インフレで市内の市立幼稚園の給食とをやつ代が1日あたりVND10K(US$0.61)でもすでに家計には負担感あるものが VND12〜15Kに値上げで今後も更なる高騰は必至といふ。
▼上野千鶴子と辻井喬の対談集「ポスト消費社会のゆくへ」読了。千鶴子教授の突つ込みと辻井先生のボケぶりは絶妙のコンビだが対談を編集せずに収録も意味 あるが今回のこれは中央公論か朝日の論座ででも(文藝春秋とは言はぬが)廿頁くらゐにまとめて良い内容。堤清二の西武とセゾンの「反思」なのだが面白みと いふか読み応へに欠けるのは結局のところ堤清二の実業家としての才覚も辻井喬の作家、詩人としての才覚も、二足の草鞋でそのいづれも中途半端であることだ らう。

七月廿八日(月)歇暑。Z嬢と午前七時前に香港国際空港。チェックインカウンターのすぐ後ろに手荷物検査場が拡張され北京五輪警戒実施中か(と書くと北京 五輪を警戒しているようで可笑しいが)と思えば従来の手荷物検査エリアの改築工事の由。ラウンジで軽く朝食をとり新聞読み。CX767便で一路、越南の ホーチミンへ。現地時間で午前十時過ぎ到着。ホテルの送迎車でホーチミン市街へと向う。道路にあふれるバイクの群れ。ふと思えばバイクに跨がる四十代以下 の世代というのはもはや越南戦争を知らぬ世代か、と思うと感慨深いものあり。実は私は今回が初の越南入り。だがサイゴン陥落の朝、母にNHKのスタジオ 102のニュースで(確か井川という笑わない印象の強いキャスターだった記憶があるが)この日は世界にとってともて大切な日になるのだからしっかり覚えて おきなさいよ、と言われたもの(昨日、母と電話で 話していてこの話をしたが母は覚えていなかったが)。市内のサイゴン河に面したホテルマジェスティックに投宿。最近のサイゴンはパークハイアットやソフィ テルなど新参の高級ホテルも少なくないがホテルマジェスティックといえば言わずもがな私らの世代には開高健。週刊朝日の特派員でサイゴンから記事を送った 彼の常宿が此処の103号室。旧館のベランダから河を見下ろす4階の部屋はフロントでもポータにもお世辞もあろうが「格別いい部屋ですよ」と言われる。眼 下の川沿いの道路が高速道路や郊外のバイパス整備の遅れたこの大都市で市内を貫通する幹線道路のため自動車の騒音はひっきりなしでかなりのものだが、部屋 はしっかりとしたクラシック&コロニアル調の内装で居心地佳し。クラシックな内装だが文机の傍らの壁には一応、ネット回線のジャックあり。で接続はどうす るのよ?と普通、部屋には何ならかのネット接続の案内があるのに何もないから「見かけ倒し?」と疑ったらノートブック立ち上げたら即、wi-fi接続され て万事休す、お見逸れしました。旅荷を解き片づけチェックインの際にいただいたバウチャーでホテルのカフェで越南料理のビュフェで昼食。部屋で午睡。 ちょっと外の暑さが気になるが(冷房は緩いのが冷え性のあたしには快適な越南だが)午後早速市内見学で出街。観光客の多い市の中心の市街地を抜けベンタイ ン市場まで歩き1系統の路線バスで市の西北の華人街にあるビンタイ市場へ向う。ホーチミンの市内観光では順当な初級コース。ビンタイ市場には帽子屋も多し と旅行案内にあり期待したがさすがに今回かぶってきたパナマ帽も銀座のトラヤ帽子店のだから安誂えのものはいただけぬ。夕方の早めの帰宅ラッシュでバイク が日昼より更に増える。なんてこった……って数数多。しかも目抜き通りは道路工事がずっと続き断続的に車線削減。ついに地下鉄工事?と感動したが下水道か しら巨きな土管を地下に埋める作業とは。急激な経済成長に比べインフラ整備の遅れは深刻。Nguyen ThiepのAugustinなるビストロで早めの夕食。名前知らぬ白ワインで喉を潤しトマトとチーズの冷菜、グラタン風の蟹肉、鴨肉の柑橘ソース添え。 赤ワインはCote du Rhoneをカラフェでもらう。食後に観光ズレした繁華街を少し散歩してホテルに戻る。気温は感覚的には摂氏廿六度くらい?でかなり涼しい。ところで越南 ではミーチン(味精=化学調味料)がかなり普及しているが昼のホテルのビュフェも晩のビストロも美味いのだが化学調味料っぽい独特の甘さが舌につき、あれ を「うまみ」だと云うのがあたしには苦手な甘みにすぎず食後、強烈に喉が渇くのだ。寝るまでずっと茶を飲み続ける。上野千鶴子と辻井喬の対談集「ポスト消 費社会のゆくえ」文春新書を読む。
▼中学生の時にパルコ出版の「ビックリハウス」の薫陶を受け投稿に励み高校時代は「それまで山手線で降りたこともなかった」池袋の西武百貨店でリブロポー トだとか西武美術館だとか、で赤坂のTBS会館の地下にあったトップス&サクソンが池袋の西武にもあったので高校生にはけっこうな贅沢で此処でお昼をする のが楽しく、渋谷も公園通りが晴れ晴れしくなるのが愉快で仕方なく十代を過ごしたアタシの世代。糸井重里の有名なキャッチコピー「おいしい生活」が実は実 体のない虚無の消費世界の産物なのだ、と指摘されても実際にもう何十年も、無印に象徴されるちょっと節操のありそうなプチブル的な満足が豊かさなのだ、と いうところに生活している(それじゃ「ロハス」をなぜ厭うのか、と言われると微妙なところだが)。

七月廿七日(日)気温は朝で摂氏廿九度。昼は卅四度まで上昇といふが昨日よか日差し微か。山越えで海岸。木陰に涼み思ふところあり小林秀雄「モオツァル ト」再読。 アタシはどうしたつて道頓堀を歩いてゐて突然、モオツァルトのト短調のシンフォニーのテーマが頭の中で鳴つたりしないが小林秀雄が昭和廿一年の暮、終戦か ら一年が過ぎてやうやく少しづつ日常生活が始まらうとする頃に、そして戦後がいよいよ動き出さうといふ時にモオツァルトが希望どころか死が決づけられてゐ る運命を持つてゐるとするモオツァルト論を世に供したことが今になつて意味深げに思へる。結局のところ、死に象徴される終焉、悲しみは逃げられぬのだから 何が出来るかといへば「展開」。このモオツァルト論の中に1777年にパリ滞在中のモオツァルトに連れ添つてゐた母が亡くなり、それを友人(ブルリンガア 君)に伝へる手紙が紹介されてゐるが「自分と一緒に泣いて貰ひたい」と始まる悲しみの手紙は、この不幸を父には今すぐに伝へられぬから、とその按排を頼 み、普通ならそこで終はる手紙は「さて、他の事をお話しする事にしよう」としてパリでの成功や面白可笑しい話が続く、と云ふ(余は「モーツァルトの手紙」 ももう三十年以上も前に読んだきりで内容もほとんど覚えてゐないが)。秀雄は「そこにモオツァルトの音楽に独特な、あの唐突に見えていかにも自然な転調を 聞く想ひがするであらう」と書いてゐるが、まさにこの無情なやうな態度が意外とヒトの本性であつたりする。残酷なのではなく、さうでもしなければ生きてお れぬのかしら。モーツァルトで短いフレーズや一つの楽章くらゐなら良いのだが本当にあの、なんでこーなるの?の転調や展開は「さうでもしなければやつてら れない」といふことなのか、と今更ながら感じる。午後になり薄曇りとなり夕方小雨。新橋のウツキカメラの店主である宇津木發生氏の半生記「カメラは時の氏 神」(柳沢保正著)を読む。宇津木氏は戦前に国民新聞の写真部に入社、戦時中にこの国民新聞が都新聞と強制的に併合で東京新聞となり戦後、新橋駅前にカメ ラ店を開く。

七月廿六日(土)昨晩の深更に到る痛飲で多少宿酔あり。朝寝貪り起きてジムのサウナ。山越えで走り島南の海岸に至り酷暑も木陰は涼しく薄田泣菫「茶話」を 岩波文庫で読む。HSBCのクレジットカードで携帯電話(W270)無料でいただけるといふのでZ嬢用に、と銅鑼湾のMotorola社に寄り帰宅。晩に尖沙咀。香港文化中心にて進念二十面體の「華嚴經」之心如工畫師を独り観る。進念二十面體の舞台は数ヶ 月前に観た「萬曆十五年」は傑作。今回の「華嚴經」は昨年好評につき再演で昨日から八月三日まで、と様々な仏教団体の後援あり信心深い観衆動員できるとは いへ大興行。御仏の教へを語りや映像で見せ、後半の聲明は見事。それにしても進念の役者の舞台での凛々しさはいつも感心させられるが今回の三人もすつかり 端正な僧姿、教典の教へ語りの口跡も佳し。泣菫「茶話」読了。

七月廿五日(金)晩に中環。なお膳。K氏の招き受け末席を汚す。FCCのジャズクラブに諸氏お連れして一飲。独り銅鑼湾に寄りバーSで夏らしくモヒートを一 杯。そのBacardiはNo.151といふ75.5度の烈酒。それに酔つたか帰るはずがバーYに寄りM氏と邂逅。飲酒深更に到る。
▼中国で北京など五輪開催都市で二ヶ月間は商務査証も発行中止。モスクワ五輪でもこんなことなき前代未聞。尊子の一コマ漫画は虫を追ふ=テロ対策が五輪種 目と嗤ふ。

七月廿四日(木)晴。六月からの長雨が歇んだと思へば今度は熱中症で死者まで出る酷暑の日が続く。晩に中環。市大会堂。安徽省の徽京劇院の公演あり。演目 は白蛇伝より「断橋」、文丑劇の「借靴」、武劇の「淤泥河」と「遊龍戲鳳」の4つ。いづれも京劇ではポピュラーな筋で敢へて舞台上下袖の字幕(中、英)も 見えぬ一列目で舞台の役者ばかりを眺める。「遊龍戲鳳」は明の時代に市井微行愉しむ正徳帝(在位1505〜21)の話。その正徳帝を演じる李龍斌なる役者 は徽劇の第一人者と聞いたがさすがに華があり帝役に見事にニンあり。独りで京劇見物する老人多し。我も亦た寂寥とした心境なり。
▼今月の歌舞伎座、築地のH君より続報のメールあり。肝心の「海老蔵の」忠信について。単純な話、やはり格好いいかどうか」。特に狐に化ける前の忠信が良 かつた由。で狐に化ければセリフが沢瀉屋の忠実な模写で(直接の指導を受けたのか)、これも結局は「海老蔵が」ここまで真似るのか、とやはり海老蔵を見て しまふ、と。さういふ意味ではこれは狐の親子の情愛云々でなく「海老様を見る」こと。まさに「時分の花」つていふやつで「若いうちは芸はまだまだで見てく れで勝負してゐたの徐々に本当の芸が滲み出る、といふよりも観る側の問題つてこと」を改めて確認、とH君。今が旬の海老様が熱演してゐれば義経千本桜なん て百年前から筋はわかつてゐる狐の親子の話なんて今更、といふのが単純に観劇の客の所望か。歌舞伎やシェークスピアなんて。勿論、例へばチャイコフスキー の歌劇「スペードの女王」でゲルマンとの愛に終焉を迎へる伯爵夫人に我が心を投影させて泣ける、つてさういふのが本当の芝居の楽しみだが(さういふ表現を 出来る修辞も含めて)、普通の観衆は役者が綺麗、歌が上手い、道具と演出が今回は斬新だつた、で「嗚呼、楽しかつた。また芝居に来たゐねぇ」で良いのだ。 芝居の主題とか云々は渡辺保先生に任せて。それにしてもこの今月の歌舞伎座のポスター、「高野聖」の艶つぽい場面は、祖父(十一代目)にます/\そつくり な海老蔵君と共演の大和屋のたつての要望か。で手許にあつた「高野聖」をぱらぱらと捲つて読み直してみると
さあ、然うやつて何時の間にやら現とも無しに、恁う、其の不思議 な、結構な薫のする暖い花の中へ、柔かに包まれて、足、腰、手、肩、頸から次第に、天窓まで一面に被つたから吃驚、石に尻持を搗いて、足を水の中に投出し たから落ちたと思ふ途端に、女の手が脊後から肩越に胸ををさへたので確りつかまつた。
の場面。だが原作では若僧は谷川で汗を流すのに女にすでにすつかり衣を脱がされてをり女もこのあと自分も汗臭ひと肌を露にする。だが「高野聖」の艶つぽ さ、つて実は、この女と若僧との話ではなくて、この若僧が上人となり、旅の途中で出会つた<私>に夜な夜な語る、それのエロティシズムなんでせう。
▼バットマンの映画“The Dark Knight”について。以下、ネタばらしあり。バットマンといへば物語は全て架空の都市ゴッサムシティで展開する印象強く今回の作品で香港の登場は国際 都市として鼠楽園開園決定〜!以来の意識的盛り上がりを見せた気がするが、この映画も鼠楽園が開園後の悲嘆ほどぢやないが上映をいざ見てみれば、香港の扱 ひはほんの導入のエピソード程度で、しかも中国系の悪徳新興財界人が海外で得た汚れた資金を集約する場所として香港が位置づけられ、金融センターのセキュ リティの間抜けぶりなど描かれては香港にとつてはあまり楽しくはない、といつたところか。この若き財界人も最後にはジョーカーによつて莫大な米ドル札で築 かれたピラミッドの上に坐らされ焚かれて拷問のやうに死んでゆくやうだが、「ようだ」と書いたのは上映作品では、ドル紙幣のピラミッドの上で束縛されたこ の男ははつきりと写らずジョーカーがピラミッドから滑り落りて灯油をまいて火をつけたあとは、この男が焼かる場面はなし。オリジナルがさうなのか、或いは 香港での上映で多少の配慮がされたのかしら?と疑ひもしたくなるところ。いづれにせよジョーカーを除けばゴッサムシティの暴力団関係者は黒人かスラブ系 で、他所者としての悪人は中国人で本拠地が香港……といふステレオタイプな黄禍論的な、更に具体的な「悪役としての中国」。当地の観衆に嬉しくないのは当 然でせう。
▼今年九月の香港立法会選挙。昨年の港島区補選での「香港の良識と云はれる」陳方安生と元保安局長葉劉淑儀との一騎打ちの盛り上がりのあと、今回の選挙に 向へば民主党の構造疲労的衰退、陳方安生八ヶ月での議員引退、区議会選挙で山頂区すら自由党から奪つた公民党の新党ブームも盛り下がり……と泛民主派の議 席激減=民建聯等親中派御用政党の議席増が確実なだけ、と思つてゐたが、そこが政治のおかしなところで、新界が俄然、熱くなり始めた。日本で地方が自民党 基盤なのと同じで親中派保守の強い新界だが土民の親方衆の集りである郷議局が土共である民建聯候補の支持から距離を置き独自候補擁立を画策。自由党は党 首・田北俊が清水湾から西貢の富裕層の多い新界東部選出だが新界では地盤が浅いことから郷議局が独自候補擁立なら接近する姿勢をみせ、また泛民主派も憎き 民建聯でも23条立法などで最も強硬派であつた葉國謙が新界地盤とするため反葉でる郷議局候補支持に回る可能性もあり。いづれにせよ97年以降、香港の安 定に寄与するはずの親中派御用政党・民建聯が今回は議席奪回の機会なのに、この態。郷議局は政府では民政事務局がその対応窓口だが自称政治家・文革曽行政 長官が民政事務局の局長に抜擢の曽徳成が実兄曽鈺成が仕切る民建聯に偏重あり、それが郷議局は不満の由。

七月廿三日(水)酷暑。Amexより「T/Cの再発行をいたします」と電話あり。昨年暮に荷風散人の如く手提げ鞄なくす失態あり貴重品のうちにUS $100の旅行者用小切手2枚あり。紛失でも安全なのがT/Cの良さだが肝心な事なのに番号を控へてをらぬ。最近は世界中何処でもPlusだの Cirrusで現地通貨で自分の銀行口座から現金引き出せるのでT/Cなど(取引のある某銀行では発行手数料無料なのに)用意もせぬが(緊急事態なら Amexに飛び込めば手数料や自分の小切手の振り出しでEmergency Cashの調達も可)何年か前に旅行の際に確かUS$100のT/Cを20枚だか作つた記憶あり。確かなのは取引先の銀行でT/Cを購入したらT/Cが Amexだつたわけで銀行に無理を言ひ中途半端な額の現金の引出しを調べてもらひ、更に特定できたその日に、その銀行で売つたT/Cの中から私の購入分を 判明して貰ふ。出てきた番号の20枚のT/Cのうち最後の2枚であることは確実。その番号で10日ほど前に紛失届を米国のAmexに送つたら、の今日の応 答。「香港のAmexは、えーと……」と言ふ先方に尋ねるとシドニーからの電話。香港の支店でいつでも再発行できますので、と。銀行といひAmexといひ 簡便至極。唯一の失策は連絡先の番号でZ嬢が電話に出てしまひ、数年前の旅行で使ひ切つたことになつてゐた、このUS$200の存在が発覚(笑)。早速、尖沙咀のAmexに行き再発行すると Amexのカードで支払へばT/Cの発行手数料は無料ださうで序でに購入。銀行でもAmexでも発行手数料無料特典はありがたいがマイレージが貯まるぶん 後者のはうがお得。晩に鰻の蒲焼き。ためしてガッテンのレシピでスーパーの鰻を焼くと確かに関西風でホクホク。昨日、郷里より届いた小包から井上直幸の 1999年のCDでバッハ、ベルグ、武満を聴く。井上直幸さんのバッハのパルティータ(6番ホ短調)聴く。主題のフレーズが途中で一瞬止まつてしまひさう に思へるのは井上直幸「ピアノ奏法」のDVDを観たヒトにはわかるところ。ピアノといへば今日の朝日(衛星版)で吉田秀和さんが音楽展望で「ブレンデルの 引退」について記述あり。数年ぶりに維納探訪の秀和さん、学友協会に近いホテルでピアニストのブレンデルとほんの僅かの差で遭遇を逸す。今年、引退公演で 各地を巡業中の由。だが秀和さんが聴いたのは絢爛なポリーニ。「ブレンデルは、私はこのところ敬遠してきた。何だか退屈で、しかし世の中には色々な種類の 退屈があり、二度と会へないやうなものもあるのだ」と秀和翁。寝際に田中長徳さんの『トウキョウ今昔』を眺める。まだ二十歳そこそこのチヨートク先生(そ の当時のまるで15歳の少年に見えるやうな童顔!)が撮つた1960年代後半の東京を40年後に同じレンズでEpsonのR-D1sで撮つて風景を見比べ ながら偽ライカ同盟の友たちとの雑談集。失礼ながらベタな写真で、肩の凝らない本であるから1600円で済ませるところがチヨートク先生と岩波書店。一つ ハタと膝を打つたのはチヨートク先生曰く、餃子(ギョーザ)といふ言葉は昭和30年代になつてから普及したもので、戦後、吉田健一も何かの本で餃子といふ 言葉を使はず、その形態で説明してゐる、と。さう/\、健一さんが『三文紳士』だつたかで確か銀座の維新號で食べた「それ」を書いてゐるのだが、いつたい 何なのだらう、とあたしも想像するばつかりで、まさか餃子だつたとは。いづれにせよさういふ合点を聞かせてくれるのがチヨートクさんの文士たるところ(写 真家なのだが)。
▼先週末のFT紙のアート欄で“Power Games”といふ近代オリ厶ピックの競技場建築の政治性に関する興味深い記事あり(Edwin Heathcote記者)。日本ならさしづめ松葉一清氏あたりが書きさうなところ。多少長い引用になるが
The meaning of Beijing’s efforts are as clear as were those of London a century ago: city as symbol of superpower status. What London’s architecture will tell us is less clear. If, ultimately, 2012 reveals a city that has moved beyond the childish urge to impress with architectural grandeur and instead its legacy is a site on which the Olympics becomes just another memory subtly expressed in a revivified landscape, that will be an impressively mature result. Beijing’s Bird’s Nest, perhaps, signals an operatic finale. London could hope that, rather than the tacky, throwaway, fast-food games the proposals might indicate, it creates the template for a new type of intelligent Olympic architecture. There is still time.
と、建物の奇抜さで見せるオリムピックは「北京が最後になるであらう」とし、否、寧ろさうあるべきで2012年の倫敦に21世紀らしい再考を促すもの。か りに東京がその次のオリムピックとなる場合(それへの賛否は別として)1964年の国立競技場を再利用でもできれば称賛しよう(間違つてもベイエリア開発 などこれ以上進めないでほしいが)。
▼「相次ぐ理不尽な通り魔事件」「なぜこんな事件が続くのか」とニュース番組やバラエティ番組は始まりノンフィクション作家や心理学者がコメントして「不 安でせうがない」「こんな犯罪をおこす人は絶対に許せません」と市民の声。被害者の小学校や中学校の卒業アルバムから将来の夢。殺害現場に花を手向け合流 する親友ら。犯人の父や母のコメント……と続き「この相次ぐ無差別殺人を社会全体の問題として真剣に取り組むべきですよねつ!」とキャスターのコメン ト。……こんな報道?が続くことぢたひ、それを見て潜在的な犯行予備軍を助長しないかしら。少なくても犯罪に対してこんな報道?が昼夜を問はず続くのは日 本だけ。「まつたく怖いわねぇ」と茶の間でテレビでかふした事件報道を眺め茶を飲みながら、お上や警察がしつかりしてゐない、と詰るばかり。

農歴六月廿日。大暑。早晩にFCCに行くと隣のFringe ClubでEddie Lawなるアマチュア写真家の写真 展開催あり参観。日本でも個展開くアマチュアの画家や写真家といふと医者など多いが、この方は投資銀行家。香港の撮影師では大御所の陳紹 文氏の弟子筋の由。FCC で赤葡萄酒(Zonin Chianti 06年)二杯飲みBLTサンドヰチを折にしてもらひ、それを提げてクレジットカード会社で映画招待券2枚いただいたのでZ嬢とIFCの映画館でバットマン “The Dark Knight”参観。映画の導入部で通しで10分ほどだが香港の中環が舞台となり(昨年末だかに撮影あり大騒ぎ)その映画に登場するIFC、その建物の下 の映画館で同作を観てゐるのは、小学校1年の時に郷里で親友のY君の家が映画興行主で招聘のザ・ドリフターズの映画「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」 のロケが近所で続き、それを映画館で観た時のやうな不思議な気分。ロードショー公開の商業映画はほとんど見ないのだがアクション映画はスパイ物や刑事物映 画の好きだつた父に連れられた思ひ出もあり。それにしても悪役のジョーカーを殺せる機会が何度もあるのにそれを逸するのは、まるでアルカイーダであるとか ビン=ラデン師が捕まらぬ(あるいは死が確認されぬ)のと同じこと。先週末号のThe Economist誌のアルカイーダ特集記事の中に“The self-destructive gene”といふ記事あり“Al-Qaeda was never going to be a mass movement. It takes only a small cadre of dedicated terrorists to wreak havoc, particularly if havens are available. In any case, Mr bin Laden retains a sizeable core of support in several countries, and Western mistakes could easily boost that.”といふ指摘あり、これがジョーカーにも当てはまりさう。それにバットマンの敵役はジョーカーにしろペンギンマンにせよ何処か誰でも人格の内面 にある二面性のやうな悪で、だからこそ殺すこと=消去ができない、のかしら。
▼今月上旬、広州のテレビのキャスターが全裸で中国各地で腕立て伏せをするパフォーマンスをこの日剰で紹介。あたしは「做俯卧撑」をこのキャスター本人の コメントから蜀の大地震での苦難に打ち勝つ……と「做俯卧撑」を故事成語の如く紹介したが、これについて実は伏線あり、と教示あり(蛙鳴さんより)。六月 下旬に貴州省で暴動あり。少女が顔見知りに呼び出されて暴行を受けたうへ河に投げ込まれて死亡した事件。すぐに釈放された容疑者が警察関係者(公安の息子 かなにか)であつたことから抗議が大規模な暴動に発展し、抗議に参加してゐた被害者の叔父が公安に殴り殺されるに至つた事件。暴動の拡大に対応し当局は目 撃者の証言に基づいて再捜査した結果として「少女が川に「飛び降りる」直前、橋に一緒にゐた男性は強姦ではなく「腕立て伏せ(做俯卧撑)をしていただけ。 腕立て伏せをしてゐたところ、少女が川に飛び降りた」と発表。あまりに衝撃的で呆れて嗤つてしまふばかりだが件んの広東電視台のキャスターの写真はこれを 受けたもの。なるほど。ご教示深謝。
▼北京のDazhao氏の三度前の来港の際だつたか一緒にTaikoo Placeで参観した香港情緒あふれる市街の建物のミニチュア模型の展示。鉄道模型などもよくするDazhao氏より「かなりショック」と知らせてもらつ たのは、その模型の破壊具合。一人の模型製作者の作品が香港貿易発展局の仲介で杭州に展覧。その旅から帰つてきた模型の有り様がこちら。扱 ひもひどいが香港貿易発展局の担当者の対応の悪さ、冷たさが更に不愉快。今後の対応を見守らう。ところで本日、この惨状を見て驚いてゐたところに丁度、郷 里の母から重たい小包が届く。実家にたまつたアタシがネットで注文の書籍など帰省も久しからず母が航空便で送つてくれたもの。日本の各地の古書店の丁寧な 梱包といひ母のパズルのやうに見事な小包の詰め方といひ素晴らしい。模型の破壊を見たあとだけに痛く嬉しいかぎり。

七月廿一日(月)暑くなると寝苦しいぶん熟睡できてをらぬからだらう朝さすがに早く起きられず。朝の一時間半ほどの新聞読む時間が夜にまはり、朝は美味い 龍井や鉄観音など点て頭もすつきりだが晩は酒の所為で半酔半醒、なかなか新聞すら読み終はらず、で 読書はひとつつも進まず。今晩はちよつと気張つて吉田秀和全集1でモーツァルト論を百数十頁読む。秀和さんにしては論が奔つてゐるなぁ、と思つたら実際に 昭和22年、三十代半ば、でそりや当然。戦後すぐに三十代の秀和さんが今も健筆……嬉しいかぎり。
▼歌舞伎座で「四の切」幕見の築地のH君ら興味深い話あり。海老蔵君が忠実な沢瀉屋の型で早代はりも宙乗りもやる。朝日の劇評では(海老蔵は)義太夫のハ ラが薄く狐の親子の情愛を見せるには至らず云々「体はよく動くが、さうした主題にまでは手が届かない」と評された由。それはH君の指摘通り沢瀉屋(猿之 助)がもう何百回も言はれてたこと。「ケレンに頼つて芝居の情趣が薄い」などと言はれ続けながら猿之助が「四の切り」をもう30年以上何千回とやり続け更 なる改良の余地なきところまで完成させたもの。その沢瀉屋の型を市川宗家たる海老蔵が演じ、それが「主題に手が届いてゐない」と言はれるやうな時代になつ た、とは……。更に今月は国立の鑑賞教室でも同じ演目で沢瀉屋型演出の競演の由(忠信は歌昇が初役)。沢瀉屋の型の四の切がすつかり「古典」の地位を得た か、すでに舞台を離れて久しい三代目がこれをどう感じてゐるかしら。だが猿之助の狐忠信をだからといつて歴史的に名演と片づけてしまはぬところがH君。三 代目の沢瀉屋の型は「ケレンだから情趣がなかつた」のか、「猿之助の芝居」がそこまで熟成されてゐなかつたのか、或いは寧ろ観る側がケレンに気を取られて 芝居の主題を見損なつてゐた、のか、と。「猿之助の四の切りを見た」……も再演がもはやあり得ないと思ふと、もうこれが自慢できる時代となりぬ。
▼先週末の信報。いつもその享楽ぶりに脱帽の張健雄教授、の連載。上海に遊んだ健雄先生、毎晩摂氏卅五度の上海で關愚謙教授より来電あり張五常教授が上海 は九渓十八島の屋敷にて仲夏夜のBBQ晩宴と誘はれる。この暑さに何を御冗談を、が実はピアノの神童・張勝量(牛牛)を招き少年の十一歳の誕生祝賀を七十 七歳の愚謙先生と七十三歳の五常先生が催さうといふ嗜好。昨年の蟹の美味い季節にはハンブルクに住まふ愚謙先生はその上海別邸に牛牛少年を招きモーツァル トなど演奏堪能したさうで、この晩も82年のマルゴー、をLafite、Moutonと開栓して少年のピアノに酔ひ、すつかりパトロンの気分の由。五常教 授、米国の官憲の網を逃れ中国に潜伏、深圳の豪華マンション住まひと聞いてゐたが上海郊外の高級住宅地の九渓十八島にお住まひとは。確か今ごろ訪米中。中 国に屈指の経済学者で中国政府にとつては重要な開放経済の立役者、で中国から米国に政治的判断ゆゑの特赦でも願ひが通つたのかしら。
▼三市十三傷。香港の芸人、梁朝偉と劉嘉玲がブータンで婚礼挙式、中国圏より百数十名の芸人がブータンに鳩る。秘境で静かな幸せのはずが意外と観光宣伝上 手。

七月廿日(日)昼前に裏山を10kmほど走る。夜半にも驟雨あつたやうで山の湧水は六月からの長雨でかなりの嵩。午後、猛暑のなか尖沙咀。某カメラ屋でラ イカなど眺めるとM8の値崩れは予想以上。発 売当初の半額以下で日本の最安値より13万円くらゐ安い。無理すれば射程距離内だが今これを入手せばEpsonのR-D1sが無駄になる。デジタルカメラ は蒐集価値がないので2台も要らぬ。M8の画質は大変面白いと思ふが気に入らない点も少なからず、おそらく後継機は出ぬであらうR-D1sを使へるまで使 ひ今後のライカのデジタルM路線を見守ろう。買物してゐたZ嬢と待ち合はせハノイ街の独逸麦酒屋で一飲。涼を得る。Kimberley街で韓国食材買ひ出 し帰宅。骨付きカルビや野菜など焼いて食す。四合瓶の眞露は韓国料理屋で最近供される小瓶の「軽め」よかほんの少し昔の強さ。珍しく大河ドラマ「篤姫」見 てゐると壽臣山にお住まひの某氏より庭の月下美人が咲いたので見に来ませんか、とお誘ひあり新装開店のジャスコは芭蕉堂でわらび餅購ひZ嬢とお出かけ。大 雨でいくつか蕾が落ちてしまひ二株よりそれぞれ一花ずつ。それでも見事な花冠。月下美人をかうして直かに見るのも芳香をかぐのも初めて。花だけは画で見て 知つてはゐたつもりがサボテンの如き葉から莖が伸び花の垂れる様は予想以上の隠微さなり。
▼週末のFT紙に“Security crackdown threatens to turn Olympics into 'no-fun' games”といふ記事あり北京五輪の厳重警備やビザ発給制限など受け2004年までIOCで20年にわたりマーケティング担当の責任者が北京五輪組織委 への助言はただ一言「笑顔」と提言。中国政府による警備強化は五輪の印象低下につながり五輪にとつて最も重要な放映権やロゴ使用などの収入減に間接的影響 あり、と。御意。

七月十九日(土)久々に山を走らうかと思へば雲行き怪しく驟雨あり。ジムで8kmほど走る。昼に中環。FCCでS君と昼食。三十すぎで父の会社の財務と投 資を担当の堅実で利発なS君は米国加州の大学を出て香港に戻りすぐ父の資金でマンション投資に成功。父上の会社は日本が主な取引先で品川シーサイドにレイン ボーブリッジ眺めるマンションには語学留学中の弟が独り住まひの由。HMWでモーツァルトのCD漁る。モーツァルトは、ことにシンフォニーはずつと面白い と思へなかつた。音楽が、なのかモーツァルトをよく聴きもせぬ内に小林秀雄の『モオツァルト』を読んでしまつたからか、だが一番の原因はコンサートでモー ツァルトのシンフォニーを聴くと、どんなオケでもそつなく出来るから、なんか騙されたやうな気がして、「もつと真剣にやれつ!」と大久保の怪しげな旅館の 一室で見世物を眺めつつ叱る水上勉のやうに(?)思つてしまふからかしら。だが最近、あたくしも年をとり、モーツァルトがラジオや網上で流れるとほつとし ながら聴いてゐる自分がゐる。嫌なことやちよつとつらい事などあると余計に。で聴かう、と思つたが陋宅にはモーツァルトがない。モーツァルトはピアノソナ タが何枚かとレクイエムくらゐしかない。でHMWに仕入れに赴いた次第。モーツァルトのCDなんて数数多並んでゐるからクラウディオ=アバドさんに的を絞 りアバドさんが編成の若手集めたOrchestra Mozartによる交響曲29番、33番、ハフナー、プラハとジュピターの2枚組、それにアバド指揮の倫敦交響楽団でピアノはルドルフ=ゼルキン師匠(こ の人はピアノ界の黒門町=八代目文楽だよ)で、このゼルキン師匠晩年の名盤から18番&24番、21番&23番。Citysuperで食材購ひ帰宅。モー ツァルトを聴く。鮪の中落で丼ぶり。

七月十八日(金)薄扶林に行く機会あり。今では香港演藝学院第二校舎となつたThe Bethanieと香港大学の学生宿舎の一つである大學堂、この二つの古い建築を見る。数 年前にRoyal Asiatic Societyで見学した際はThe Bethanieは改築の途中。今回再訪すると建物の原型は残すがかなりリフォームされ外壁の塗装もちよつと塗りすぎ。大學堂も煉瓦色の壁が古風であつた が真つ白に、これも塗りすぎ。なんであんなに厚化粧してしまふのかしら。晩に尖東。バンコクよりY氏来港で五味鳥に食しペニンスラホテルのバーに飲む。
▼昨日ふと気になつた代官山「町」について。昭和16年の東京市澁谷區の地図を眺めると当時から代官山町。松濤であるとか馬込であるとか、当時は松濤町、 馬込町と「町」がついてゐたものが現在の地所表記では「町」がとれて代官山はずつと「町」なのは何故か。どうやら戦後の町名変更で細かい町名が廃され或る 町名が拡大した場合、松濤町が「松濤」などとなる例が散見され、それに対して代官山町は当時の区画がそのまま現在まで代官山町である稀有な例で代官山町の まま。

七月十七日(木)酷暑。昼にFCCで立法議会から引退のMartin Lee=李柱銘議員(民主党元党首)の講演を聴く。昨日で立法会の今季閉会。馬丁さんは梁「長毛」國雄議員がいかに聡明か、から語り始め、再出馬せぬアン ソン陳方安生議員の八ヶ月の議員活動の成果を讃へ、昨年だつたか馬丁氏に関するWSJの記事がどう意図的に「反中」として香港や中国で報道され舌禍事件と されたか、について。この「香港の良心」としての馬丁氏にしてみれば非常に理知的に確かなことは、一国二制度と香港基本法といふ智慧があるのだから、それ に基づく法治がなされること、つまり一国二制度下での香港自治が遂行されることが香港ばかりか中国にとつて国益であり、その実現に向けた自らの信念と活動 であること。それの何に不都合があるのか、と。そりやその通り。 だが現実には難しい。早晩、某氏に誘はれ口開けでHappy Valleyの寿司・澄に一酌。ほんの少しの酒肴のつもりが生牡蛎、馬刺までいただく。その場を辞し昏刻に銅鑼湾。Z嬢とLeighton RdのAgnes b.の営む食肆で晩餐。Z嬢に食前の一酌は幸ひにもバレず。かつては一週間くらゐ予約で満席だつた肆も今では確かに満席にはなるが本日昼での予約も可。全 体的にぼさーつとした調理。ちよつと洒落たブラッセリか。Agnes b.なら?もう少しあつさりとした素材感の味付けにすべき。葡萄酒はAgnes b.ではLe Pays d'Ocが売りらしくDomaine MontroseのCab. Syrahの06年。食後、肆を出づればジャーディン山に見事な十五夜の月(満月は明晩)。月を愛でつつCaroline Hill Rdを掃捍埔に向けて漫歩。
▼信報で週に二回掲載される張五常教授の中国の経済制度に関する文章、今日は中国の貨幣制度と人民幣の価値について。興味深く読む。張教授は1993年に 中国人民銀行を掌握した朱鎔基の功績を称賛。1995年に人民銀行は正式に中央銀行となつたが課題は、80年代からすでにインフレと人民幣の価値下落が続 くなかで、中央銀行が通貨量調整で人民幣にどう役割を付与するか。興味深く読む。
▼朝日新聞の首相動静が昨日午後「6時10分、東京・代官山町の洋食店「小川軒」。家族と食事」と報ず。確かに小川軒は代官山町にあるが、気になつたのは なぜ代官山「町」と書いたのか、である。町名表記といふ点では正確だが「代官山のレストラン小川軒」と言ふのと「代官山町の洋食店小川軒」ではだいぶ古風 な感じもしたり。確かに首相動静で「東京・紀尾井町のホテルニューオータニ」と書くのを「東京・紀尾井の」と書いたら不正確だが代官山は地域一帯の通称 名。歴代の首相らが贔屓にする「西麻布の中国飯店」の場合は「西麻布」は中国飯店のある実際の町名でもあり地域名でもあり違和感がないのだが。気になつて 調べると永田町、神保町、牛込柳町……町名がそのまま地域通称の場合、違和感がない。反対に広尾、白金、神泉……と町名に「町」がつかぬ場合も同じ。代官 山のやうに通称や鉄道駅名は「代官山」なのに町名は「町」がつく例が他にあるのか、鳥渡考へたが他にピンとくる例がない。

七月十六日(水)薄曇り。午後、中環を歩いてゐるとビルに反響したシュプレヒコール。今日で会期を終へ暑暇となる立法会では行政長官の演説あり様々な抗議 活動の市民集る。漁船燃料高騰に憤る漁民も少なからず。
▼蜀の大地震で罹災者を労る温家宝首相の姿。それ以上にこれが「写真に納まつてゐること」の意味。現実のこの<場>が写真化されること▶写真が伝播される ことで、実際のその場の行為が拡大し意味が深くなる。それにしても写真として完璧。ところで全体に感情的ななかで一人だけ首相の背後でファインダーを凝視 する人あり。で、ふと思ひ出すのは89年の天安門に現はれ「ここに来るのが遅すぎた」と語つた趙紫陽と、そしてその背後でぢつとカメラのファインダー見据 ゑる中央弁公庁主任としての温家宝。いづれの写真もその一人の存在が写真を更に能弁にしてゐる。

七月十五日(火)久々に雨降らない一日でした。私は朝日新聞で大江健三郎さんの定義集を読みました。先月の大江さんはトルコの作家、オルハン・プムクの小 説『雪』を取り上げ「多用される仮定法が小説の進行を中断すること」についていって「日本語が翻訳調として作ってき た直訳の文体を用いれば、この小説も物 語られる時の流れにそって自然に読みとりうるはず」と述べました。もう少し丁寧に説明すれば、それは「小説の現在時より後の時点の後悔を、過去形で叙述す る書き方が読みを停滞させてしまうこと」であり「仮定法の訳し方を工夫することで、主人公によりそって作者が語ってゆく、時の動きに小説をそわせられない か」という注文でした。しかし今月はこれを受け、大江さんは実はそのピンクのスタイルは作家自身がこの小説のために意識して作ったもので、訳者の和久井路 子さんはトルコ語からそれを忠実に訳していたのです。勇敢で慎重な政治小説として「現在を過去として示す必要」があったのです。これは私たちにとっても実 に大切な「現代の表現手段」で、とても示唆に富んだものです。しかし今月のこの大江さんの発言を、そして大江さんに失礼を承知でいえば、新聞の読者でいっ たいどれほどの人がこの発言の真意を読みとれているか。それが私には疑問です。この大江さんの定義集の隣は、国語学者の大野晋さんを悼む、井上ひさしさん の言葉がありました。井上さんらしい、わかりやすく、豊富な意味合いの言葉で大野さんの偉業を語っています。大野さんの、これは井上さんに通じることです が普通の大和言葉に対する生き生きとした解釈。言葉を大切にしないことが戦争にまで結びつくことまで見きわめた、優れた文筆家としての大野さん。そして日 本語がタミル語に起源をもつという、そのアジアの言葉としての日本語研究。井上さんは大野さんの偉業を、大野さんを知らない若い読者にまで知らせます。井 上さんの追悼文を一読しただけで、読者は大野晋を知ってしまうのです。このような文章こそ新聞にとって意義あるものなのではないでしょうか。大江さんの文 章は、本当に大江健三郎の発言を知らなければならない人たちが読みとることができない……それば私は残念でなりません。
▼Youtubeで1982年のタモリの「今夜は最高」ゲスト:藤村有弘を観る。この番組の中でも傑作と記憶に残る藤村有弘の話芸だがブランデーのグラス 手放さぬ藤村はこの番組出演の一ヶ月後だつたか持病の糖尿病悪化で急逝。当時はとても精緻に思へたタモリの操る北京語と広東語がどう違ふか、の会話芸。今 になつてあらためて聞くと広東語などぜんぜん広東語に聞こえないのだがタモリが短波放送や映画などで雰囲気だけでツボを掴んだのだから見事。だがさすがの タモリも「北方の中国人とフランス人は、その言葉の抑揚の美しさで共鳴する」と指摘は冴えてゐるが真似してみせたのは所謂、普通話(標準中国語)でさすが のタモリも北京官話のR化音の独特の優美な世界までは掴んでをらず(それが出来たら凄すぎか)。
▼唐招提寺金堂の平成の大修理。数年前に未公開の修理現場の中まで特別に参観する機会を得たが、この修復過程で明らかになつた当時の派手やかな塗装。当時 の色彩は花札の色遣ひ。入れ墨の紋様の艶やかさ、そのもの。あの色彩が千数百年の、まさに日本の美そのものなのかしら。
▼米国のサブプライム融資問題。米国で住宅金融公庫的役割を果たしたFannie MaeとFreddie Macの二社、香港では漢字で「房利美」と「房貸美」と当て字してみせる。ブログの「部落」などに続く最近のヒット訳であらう。今日、同じく見つけてイマ イチに思へたのは「紐育客」。雑誌 The New Yorker のことだが音は同じでも「紐育人」であるべきところ「客」ぢや意味が反対。

七月十四日(月)朝は久々に傘を持たずに家を出でたる晴れ間なり。が昏時より雲行き怪しく黒雲忍び寄り晩には本降り。で夜中は雷鳴止まぬこと数時間の大 雨。気温は二十数度で肌寒し。
▼信報月刊に香港の地産大手、新世界発展有限公司のオーナー、鄭裕彤氏のインタビュー記事あり。1982年にサッチャー首相北京訪れ香港問題談判の頃に香 港では中共による香港統治に対し警戒感ばかり。湾仔ではコンベンションセンター建設計画が浮上したが先行き不透明でどの財閥も投資に尻込みする。が、鄭裕 彤は中共指導部による経済開放の実施は確実で従来のやうに資本家を反革命勢力と見なすやうなことはないと確信し湾仔のこのコンベンションセンター建設への 参画を決定。鄭裕彤曰く「当時の香港政府は土地は無償提供、コンベンションセンターが出来たら数階分を香港貿易発展局に提供することだけが条件。あんな土 地、今ぢやHK$200億出しても手に入らないよ」と回顧。まぁ、これは良い。地産王の才覚として許さう。が、これに続く話は頂けず……は何かといへば尖 沙咀の再開発。1971年に鄭裕彤、尖沙咀突端の4万平米をHK$1.3億で買収し今の「新世界中心」の開発に挑むことになるが、何が邪魔かと言へばこの 「新世界」と尖沙咀の繁華街の間を隔てる一條の鉄道線路。この線路があるかぎり新世界の賑はひはあり得ぬ。が鄭裕彤はこの土地買収の前に香港政庁より「耳 より」な情報を入手。それは九龍站の解体(現在はスターフェリー前に鐘楼のみが残る)と紅磡への移転計画。で鉄道線路がなくなつたおかげで新世界中心の発 展が確実になつた、と。今になつてみれば尖沙咀にこの広九鉄道の九龍站がクラシックな建物が残つてゐればスターフェリーとペニンスラホテルとどれだけ観光 資源となつたことか。此処から広州のみならず北京、上海行き、将又、果ては倫敦行きのユーラシア大陸横断列車が出てゐたら。紅磡ぢやダメ。而もこの九龍站 の跡地には香港文化中心の、あの忌まはしき建築物が出来てしまひペニンスラホテルからの眺めを破壊。新世界中心とて、今はインターコンチネンタルホテルと なつたリージェントホテル建設を除けば「なくても結構」なもの。今になつて尖沙咀に地下站建設し一旦は紅磡に引つ込めた路線を延ばし……とここ十数年、尖 沙咀の地下工事続きで世界に名だたる観光名所も惨憺たる様よ。

七月十三日(日)幾度か驟雨あり。所用あり午後三時頃までご公務。出先の庫裡も今やWi-Fiの時代。Apple社からMobileMeが公開となつたこ とを知る。これは Apple社の.Macの進化でネット上のサーバーを通じMac機であるとか iPhoneやiPodでのメールやスケジュール、アドレス帖管理を一括してシンクロで行ふ、といふもの。便利さうだがデータ流出とか怖いところだが MacBookとiPodのデータシンクロは有難いところ。帰宅してさつそくダウンロード。iPodのバージョンアップが有料であることや.Macの頃か ら今度のme.comまで年間使用料が有料であること(香港で年間HK$750)などApple社も狡すいといへば狡すくて、設定も一発ではシンクロせず 何かと調整の要ること(とくに時間設定が基本設定が米国西海岸になつてをり、こんなの利用者のセッティングで世界の何処か解るのだから自動的にその地区の時間にできると思ふのだ が)など相変はらず、ちよつと工夫していかないと正常に作動せず。胡桃と豚ミンチのパイ、美味い馬鈴薯と隠元豆をバター炒め。冷蔵庫に白のつもりで冷やし てゐた葡萄酒を開栓したらロゼのやうな赤、は豪州のTreehouseのPinot Noir 04年。Pinot Noirといふが常識的なPinot Noirとは全く異質の、何とも独特の軽めの赤で冷やした方が断然美味いやうで而もパイに不思議と合つて好運。iTuneで今年2月23日に放送のビート た けしのオールナイトニッポン(特別番組)をダウンロードして聴く。この番組での全盛期彷彿させる滑舌で、高田文夫の間の手がやつぱり絶妙。なんだか話芸を 続けて無性に聴きたくなり黒門町の「愛宕山」を聴く。アタシは残念ながらこの八代目文楽は生では聴いてをらず。この黒門町の「愛宕山」や「明烏」は中学生 の時分、上野鈴本で購入のテープ音源で聴き親しんでゐるが、同じ噺をiTuneでダウンロードしてWi-Fiで飛ばして寝室のBoseで聴くといふのも隔 世の感あり。そのうち3D技術で目の前に高座の文楽師匠が浮かび上がり……なんて時代になるのかしら。
▼Tyler Brûlé氏が今週末のFT紙の連載(The Fast Lane)“What the G8 summit lacked”で洞爺湖サミット取り上げてる。今回の大役は警備のため日本各地から集められた警察官だが実は洞爺湖 サミットで一番笑ひが止まらぬのは彼ら警察 官が土産に買つたチョコレートのロイスであり、道産のずわひ蟹。で警備が最も必要だつたのは洞爺湖のサミット会場ではなくサマーセール中の札幌三越であつ た、と。で、サミットの日本、洞爺湖開催が正しかつたのか、と東京から倫敦に戻るフライトでTyler氏はKrugのシャンペンを飲みながら考へる。フラ イトの航路図を眺めながめたTyler氏、例へばフィンランドのヘルシンキ、或いは郊外のリゾートこそ最適ではないか、と。実は北極圏を介して欧州とアジ アを結ぶ位置にあり、北欧国家の政策こそ今日の世界各地の国々が学ぶべき点多きものあり、と指摘。少なくともG8首脳がサウナで裸で語り合へるだらう、 と。御意。ところでふと思つたがTyler Brûlé氏のこの筆致、今は世界の注目だが、Tyler Brûléのこれつて日本ではもう四半世紀も前から、の田中康夫ちやんの世界そのまま。

七月十二日(土)夜半に猛烈なる雨音に目覚める。ゴーッといふ水の流るゝ音は雨がマンションの壁を伝ひ落ちるが、まるで滝内にでもゐるが如し。寝室のカー テン越しに閃光映り雷鳴止まず。二時間で100mm超える雨量の由。朝イチで散髪。昼まで銅鑼湾某ホテルのロビーカフェで新聞読み。先週末版の新聞読み終 へてをらず。雨は歇む。昼に某日本食屋。それなりに名を通すべき食肆にもかかはらず注文の天麩羅定食がサラダ油で下手な揚げ方で驚くばかり。午後打合せ一 つ。一旦帰宅。夕方久々にジムで一時間の有酸素運動。早晩に太古MTR站上のT海鮮にて所属するランニングクラブの定例会に寄す。今晩は恒例のホタル狩り のはずが折からの大雨でこれぢや螢の育つまい、と取り消し、でホタル狩り前の簡単な「やつつけ飯」で選んだT海鮮だつたが一応「全餐」となり、やはり普段 来なかつたのは正解の味のレベル。昨晩の雨で熟睡に能はず、で睡魔に襲はれる。
▼八日の信報「林行止専欄」に北京五輪実現とマカオの賭場利権とにつき興味深き記述あり。2001年にラスベガスでSandsやThe Venetianなど経営のSheldon Adelson(1933〜)らが北京中南海訪れる。香港のRichard Suenを介し当時の副首相銭其琛と面談。錢副首相がまづ言及は戦時中の中国政府による上海のユダヤ人保護。(厳密には国民党政府による柔軟策だが)同行 のSuen氏によれば中共の禁賭政策は党の方針に非ず阿片禁令に関はるものの由。で会見ではラスベガスの全米でも有数の見本市やコンベンションセンターと しての役割について語られ、そのマカオ誘致に話題が及ぶ。で錢副首相が「どの程度の規模のホテル建設に興味が?」と当然、これはカジノの規模の話と結びつ き、つまりは中国国内からの賭場客引導が可能である前提のこと。でこのカジノ王と副首相の会談こそ上出来であつた。がSheldon Adelsonらの一行はこの北京滞在中に北京市長とも面会。その席で北京市長が08年の北京五輪開催につき米国で民主派が国会提出の、中国の人権問題に 絡む北京五輪開催阻止の議案につき、どうにかならぬものか、と言及。カジノ王は多額の献金をして懇意のT. DeLayなる政治家に電話すると数時間後にはこれを廃案と決定あり。錢副首相にとつては格下の北京市長とのこのやりとりが不愉快。いづれにせよ五輪の北 京誘致成功もAdelsonらラスベガス資本のマカオでの開業に大きく絡む、と。
▼Tyler Brûlé氏が先週末のFT紙の連載(The Fast Lane)でロハスに言及。Brûlé氏の一週間はミラノでの秋冬物のメンズのファッションショーをご高覧に始まり水曜晩はミ ラノに近いLake Comoで一憩のあと翌日には維納に飛び欧州の蹴球準決勝観覧。で金曜日は倫敦に戻りオフィス立ちより、すぐに週末のストックホルムでの会議へと倫敦を飛 び立つ。……まさにジェットセッターらしひ飛び回りだが週末の瑞典での会議はなんとロハスビジネスについてのもの(笑)。全然、地球に優しくねーだろうが つ。ロハスの正体がこれかしら。
▼仏蘭西の在香港総領事が山頂の公邸に新鴻基地産で主席職を弟二人に解任された郭炳湘を招き仏政府の最高栄誉騎士団勲章を授与。この長男解任を認め名誉職 的に主席となつた郭三兄弟の実母がこの勲章授与に参列。長男とのツーショットは騒動後初。この授与式には香港政治の元老・鐘士元、風見鶏・李鵬飛、故 Y.K Pao財閥のマス夫さん・呉光正、ダウジョーンズ株インサイダー取引の李“Baby”國寶、オリンピック命の霍震霆夫妻、マカオカジノ王「だつた」何鴻 燊、珠江に橋架かける胡應湘など香港財界の要人づらりと出席。仏政府も健か。それにしても新鴻基のこの三兄弟のシェークスピア的騒動、黒澤明で活劇にした ら面白からう。

七月十一日(金)連日の雨空。昨日は新界で朝だけで100mm超える大雨。各地で浸水。早朝に東京のFM局 J-WAVE の番組 Tokyo United に電話出演。話題は今日、全世界で一斉発売の iPhone G3 について。G2が発売され已に一年、今回の発売が初上陸といふ日本が異常な盛り上がりなのは当然。ところで一つ気になるのはApple社のサイトで今日の iPhoneの世界一斉発売で使はれる「日本」表すロゴ。これぢや鬼太郎の目玉親父、のしかも結膜炎。 白地の四方に日の丸赤く、が我が国の国旗。世界中の国旗がすべて丸にされてゐるのだから、とそれに従ふは良いとして、何が違和感か、といへば「日の丸」の 部分に光がはひりshiningしてゐる事。保守反動右派の諸君はアップル社に対して、この意匠につき糾弾せぬのかしら。そのApple社や音響では Bose社の好調に比べ凋落著しきはBang & Olufsen社。80〜90年代にかけてB&O社のHi-Fiやスタイリッシュな電話機など一世を風靡。製品は渋谷のLoftとかで輝いてゐた もの。それが8 日のFT紙の記事によれば経常利益も四半期で見ても今年1月期から半年で半減、株価も70%下落。液晶モニタなどハイエンド商品で売上げの伸び悩 みは米国などの不景気か。他社でも洗練デザインが当たり前となりB&Oの個性が目立たぬ時代。陋宅では93年だつたかに「清水寺から飛び降りて」 購入のB&Oの(現在の後継機でいへば)Beosound 3200にあたるものがまだ動いてゐる。購入当時はとても憧れてゐたが今では音の硬さが鳥渡、不満。で本日、私は今日も早晩に真直ぐ帰宅のつもりが帰宅途 中で遭つた某氏とTaikoo PlaceのEast End酒場でエール一飲。帰宅してカレーライス食す。iPhoneの発売、NHKのNW9見てゐたら、東京でこれを入手の客曰く「これを持つていれば、な んでもできてしまう」と、まるでドラへもんの道具。渋谷で友だちとちよつと軽く一杯、なんて時に「ほら、この通り」と地図上に渋谷駅周辺の焼鳥屋が沢山 マークされる。いとも簡単至極。嘉次郎監督が通人に美味い焼鳥屋の在り処を聞いた時代とは隔世の感あり。それにしてもNW9の低レベル、何もニュースでも 「……にどう釈明するのでしょうか」「……に応えるため、事実の真相究明が急がれます」とこのあまりにベタな台詞、どうにかならぬものかしら。大分の教委 での昇級疑惑でも北朝鮮問題でも全てが、これ。
▼ハンブルク在住の言論人・關愚謙氏、信報での一連の連載で西蔵問題がある程度収束したか、と思つたら今度は「西側マスコミはなぜ中国を嫌うのか」と欧米 の反中観を取り上げ分析して見せる。この一年の言動は清水幾太郎的な転向を予感させるが、今回(昨日)の文章の最後は「我々中国は古来から忠孝仁愛、信義 廉恥といった伝統的美徳で……」となんだか渡部昇一のやう。

七月十日(木)MacのAirport Express入手し接続試みる。Apple社のこのテの製品、一瞬、電源いれただけで繋がりさうだけど意外と手強いもの。まづAirport Utilityがこれを認識せぬ、で一度は認識して基本設定したら今度は繋がらぬ。Mac は説明書もヘルプメニューも簡素なのはApple社がメーカーとしてユーザーのセンスまでを商品価値の一部(なんといふ商業主義!)とした結果。ほんの些 細なことだが説明書があと15頁多ければ説明できさうな肝心なところが、ない。今日、一時間半もかけてしまつたののは図らずも、Airport Expressの端末を(1)例へばAirMac Extremeなりルータですでに構築されたネットワーク内で印刷機やWi-Fiへの出力の拡張機能として利用する場合と、(2)これをホテルの客室で Wi-Fiの簡易ルータとしてネットワーク拡張に利用する場合、の2つで当然、前者が信号の受け手なら後者は送り手で信号の流れは全く逆。この端末は説明 に従ふと電源を入れただけ反応しさうだが左に非ず。Ethernetを繋いでやると漸く正常に反応したやうに見えるが、実はそれは(2)としての役割で、 の話。今度それを(1)にしようとなると、知恵の輪ぢやないが結果がわかると設定上でのたつた一つの選択での話だが、(2)の立場で構築してしまつたネッ トワークから彼を一旦外して(1)のネットワークの信号を受信するやうに選んでやらねばならず。そのくらゐ説明書なりヘルプで多少詳しく説明してくれれば いいのだが。せめてもの自負は老いて惚けても若い者の扶け借りずどうにか問題解決できたこと。多少の気休めでやうやく一酌に与る。Glenfiddich の18年。鰤と蓮根の煮物、苦瓜と豚肉炒めなど少しづつ食す。奈良の梅乃宿を正一合。ふと思つたのだが前述のMacのWi-Fiだが(1)は確かに今晩も 書室のMacのiTuneから音楽を寝室のBose Waveに飛ばして悦に浸つてはみたが(2)のやうな利用も当然、考慮に入れての購入だつたのわけだが、なぜホテルの部屋でLANのケーブルをわざはざ持 参したこの小機につなぎ部屋をWi-Fi空間にしなければならないのかしら。ホテルなら最初からWi-Fiならそれを利用すればいいし、LANでも大抵の ホテルでは部屋に備へ付けのケーブルで接続しライティングデスクで作業すれば良い。どうしてもベッドの上とかで作業しなければならぬのか、或いはホテルの ヴェランダでのネット接続に固執するのか、なんだかさういふのはエグゼ雑誌の広告か、ふと想像したのはドラマ“Sex and the City”のやうな、所詮見せかけの実態のない世界。でもMacのユーザーなど気取り屋だからノートブックが今どき有線であることが「みつともない」と思 ふ人種なのだらう。

七月九日(水)今日も雨。六月からひどい雨模様続き一両日強烈に晴れたか、と思ふと復た雨空。早晩にFCCのラウンジでドライシェリー一飲。中環は Gough街の牛記茶室に食す。シベリウスのピアノ曲、5つの小品「樹の組曲」を聴く。

七月八日(火)朝から大雨。香港の雨期は三月から四月。その後は猛暑となり雨といへば南国らしき驟雨と台風。それが六月からのこの連日の大雨。ボルネオの ジャングルぢやないんだから。雨空に外出も厭はれ読書。ANAの機内誌(翼の王国)に「東京読書引力散歩」なる特集あり。乱歩先生の書庫に籠りたい気分。 中平穂積氏の(新宿のDIGとDUGのオーナー)が植草甚一翁を語る。銀座数寄屋橋の洋書イエナや神保町の古書店、そのかならず街頭の安売り書籍のワゴ ン!の前で何度かアタシもお見かけの甚一さん。考へてみればアタシも雑誌を要らない、或ひはさつと読了の頁を破りながら読むのは、いつの間にか甚一さんか ら学んでゐたの鴨。DIGにもアタシは背伸びして出かけた17歳の少しセンチメンタルな思ひ出。Z嬢とは20年くらい前の東京 時代、新宿の待ち合はせは決まつてDUGか地下道横の但馬屋珈琲か、東口の「日本晴」なのだつたことなど思ひ出す。DUGから日本晴、で台北飯店。日本晴向ひの五十 鈴はかなりの贅沢で、つな八の天麩羅すら食ふには財布が寂しかつた頃。久が原のT君とはまだチェーン展開する以前の靖国通りの喫茶シャノアール(Chat Noir)、築地のH君とは決まつて東口の交番前……昨日飲んだ葡萄酒の名前も朧げなのに何故四半世紀も前の待ち合はせがくつきりと記憶に浮かぶのかし ら。日暮れに鹿児島は日置の原口酒造の「西海の薫」なる芋焼酎飲み夕食は白菜と豚肉の鍋、糠漬に味噌汁と純和風だが豪州はBarossa ValleyのTurkey Flat VineyardsはMarsanne Viggnier 04年といふ白、は鳥渡甘すぎ。
▼区志航なる広東電視台のキャスターが「做俯卧撑」と題して五輪に沸く北京から香港まで中国各地の景勝を背景に全裸で而も何故か腕立て伏せ姿勢(蘋 果日報)。「做俯卧撑」は何とも日本語にしづらいが(臥薪嘗胆のやうだがちと意味は違ひ)四川地震で「家屋倒壊し瓦礫の中でも希望を失はず……」 のまさに、それ。で何故にこのパフォーマンスが「做俯卧撑」なのか、と言へば、御本人曰く「国家的景観に対峙して皆に自己と国家社会の関係を相対的に理解 してほしい」と。わかりにくいやうなわかりやすいやうな。いづれにせよ「目立ちたがりすぎ」と冷たい反響少なからず。
▼洞爺湖サミットで昨日は七夕で笹の短冊に願ひを各国首脳が認める。「圧政からの自由な世界を望む。飢餓、病気による圧政、あらゆる圧政からの自由」(朝 日新聞より引用)つて「アンタにだけはそれを言はれたない」と思ひます、のブッシュ大統領。産経新聞によればこれは「圧政から自由な世界を望みます。飢 餓、病気による圧政、あらゆる圧政からの自由。自由への普遍的な望みが実現される世界を願ひます。また、人間の暮らしを良くし、私たちの環境を守る新技術 の進展を望みます。 すべての人に神のご加護を」ととても新自由主義らしい願ひ。ジャパンタイムズは
U.S. President George W. Bush, who launched the Iraq war and is suffering historically low public support, is holding true to his political faith: His wish was for a world free from tyranny, according to a press release based on a tentative translation by the Foreign Ministry.
と冷ややか。やはりマスコミはこれくらゐ冷徹な見方であつてほしい。ところでNHKのNW9の洞爺湖現地からの報道。レベルの低さではNHKの報道番組始 まつて以来、のキャスターは、いつもコメントもベタで台本棒読みなら台詞を噛むのは毎度お馴染。昨日だかも胡錦涛国家主席と言ふのを国華酒造だつたか間違 つてゐたが今晩も「こつからは華盛頓支局の大越さんと……」と。アタシが報道局の番組プロデューサーだつたら舞台裏でボディブローくらゐかましてゐる鴨。
▼霞が関官僚の居酒屋タクシー。呆れるばかりだが、それがThe Economist誌で紹介されるとやはり日本人として恥づかしい。記事は7月5日号の“A movable feast”がそれ。このタクシーでの一酌も異様だが国土交通省だけで昨年US$20mといふ膨大なタクシー経費。勿論、世界中 各国とも国の政策立案に携はる高級官僚が深夜勤務もあらうがUS$20mといふのは、このうち6割を夜間利用として1年300日で割つたら1日あたり 7,667千円で、都心から離れた住居までタクシー代15,000円とすると日に282人の利用。The Economist誌にある通り官僚ばかりか下級公務員まで深夜残業のその多くが大臣らの翌日の国会答弁の回答作り。それが薬害訴訟くらひの大事なら作業 の価値もあらうが大臣答弁の多くは所詮、野党が与党攻撃のネタ程度で省庁側も本来の政策とは乖離した単に弁明づくり。全くもつて無駄。国土交通省なら道路 財源か。で深夜、同省から吐き出された282人がタクシーで帰途の人となる。世界から嗤はれて当然か。

農歴六月初五。小暑。雨空。鬱陶しい天気に外を歩く気にもなれず新装ジャスコで食材購ひ早晩早々に帰宅してドライマティーニ一飲。「活鶏」の販売再開で北 角で嘉美鶏を購へたので水炊きを食す。朝日と日本、カメラ雑誌七月号読む。日本カメラで「写真家を目指す人に送る12のメッセージ」連載中の写真家金村修 氏の筆致が見事。七月号は「ファインダーは没入するやうに覗け!」と吠えるが具体的な写真上達のテクニックなど何も書かれてをらず。晩年の淀川長治氏が病 院でDVDを間近で食ひ入るやうに眺めてゐた話など面白い。要するに写真撮影の上手な人などいくらでもゐるわけで、写真以上にその人の個性の有無、が一流 の写真家になれるかどうか、なのだらう。ライカ遣ひでは飯田鉄、神立尚紀、両氏など失礼だが写真の上手い下手を通り越して写真家としての存在だけで素敵で ある。ところで何が驚いた、つて日本カメラと朝日カメラ両誌に連載をもつ人気書き手のチヨートク先生。七月号はいづれもニコンについて書いてをり「伊丹空 港で出会つた、偶然話しかけてきた伊藤忠の若手」のことなど同じネタ使つてのオキテ破り。チヨートク先生くらゐになると、それも許されるか。ところで、 ジャスコで買物の際におちあつたZ嬢に「ねぇ、Boseのイヤフォン、見せてよ」と笑はれる。えつ、買つたの言つてないのに?と思つたがMTRのホームで Boseのこの広告を見た由。で、これをアタシに教へてやらう、と思つたさうな。だが、その瞬間「買つてないわけがない」と察したさうで、教へてあげよ う、なんて思つた自分が情けない、と。御意。
▼国家副主席習近平の訪港。この人の父は中共の幹部であつた習仲勲が右派として下放され近平も16歳より6年をそれに従ひ大学卒業後に地方幹部からの叩き 上げ。昨年末の十七大で中央委員飛び越しての政局委員への大抜擢。党内順位は胡錦涛、呉邦國、温家宝らに続く第6位、上級者は全て四年後の十八大で引退な ら58歳の習近平が胡錦涛を襲ふのはまづ間違ひなし。多少叩けば埃の出るところは福建省幹部時代に福州長楽空港建設で破格規模で経費 浪費、福州市再開発で李嘉誠財閥への過大協力、部下の汚職と海外逃亡など。800億元脱税でカナダに亡命中の頼昌星主犯の遠華密輸事件では直接の関与はな いとされるが立場的に遠からず近からずの位置にあり。まぁこの程度のことは政治家にとつては些細なこと。(以上、信報より) で習副主席の香港探訪。紅磡 の団地に住まふ若い家族を訪れ「坊や、いくつ?」と習副主席に尋ねられた子どもが思はず「爺爺您好!」と緊張か、お手本通りに答へてしまふのはご愛嬌。蘋 果日報で尊子の4コマ漫画はこれを受け習副主席が「ハハハ、偉い/\、将来有望だな」と子どもを誉め、裏で控へる文革曽に副主席曰く「尋ねられた質問と違 ふ答へ!とは立派。林瑞麟が退職したら、あの子を後任にしろよ」と。林瑞麟(林D8)は香港政府の法制事務局長、香港特区政府の北京中央への順応ぶりで立 法会やマスコミが非難し特区政府で矢面に立たされるのがこの林D8なり。次に訪問した何文田のいかにも土共系老人の家庭では副主席より贅沢な茶器を贈呈さ れたが、この老人、訪問後に記者らに茶器を見せる最中に興奮したのか茶碗を一つ落として割つてしまひ衝動甚だし。何かと話題多し。ところでこれも信報の記 事だが「香港政府高官の誰が習近平伝を読んだか?」と。先日、香港立法会議員の四川地震被害地訪問で遂に中国入境が期待された立法会議員「長毛」梁國雄 君、出発直前で四川省当局から入境許可おりず渡航断念。空港で記者団に対して付帯の旅行鞄を開け「どこに政治活動の品々がある?」と身の潔白?見せてゐた が、信報の記事曰く「長毛の旅行鞄の中に最近出版された「習近平伝」あり」。長毛君がいかに政治的センスに優れるか、政府高官の誰がどれだけこの傳記を読 んでゐる?、と。御意。
▼洞爺湖サミット開幕。本来はこぢんまりした首脳会議だつたがG7+ロシアに加へ中国、韓国元首やアフリカ諸国首脳が招かれる程の大規模なる催事。四国や 九州からの警察の動員2万人余。……で地球温暖化が主要議題、ならこのサミット開催こそ「地球に優しくない」のが事実。もう国連活動に収斂されていいので は? テロ襲撃が危険視されるなら各国首脳が一同に介せずSkypeで会議すれば良し。会場からほど遠き農牧地帯で120名のサミット反対デモにデモ参加 者上回る数の警官が防備。異常。
▼信報が社説で「結果早知、何解一錯再錯?」と陳方安生議員の立法会再出馬辞退を詰る。昨年の彼女の立候補の際に立候補辞退を提案の信報であつたが当選か ら八ヶ月、一定の役目は果たした、と議員引退し今後も政治政策提言の活動は続ける、と、彼女の姿勢にいつたいどれだけの有効性があるのか、と疑問呈す。 SCMP紙は彼女の役割に一定の評価で好意的と好対照。

七月六日(日)朝は晴れてゐたが天気予報は雨。予報当りかなりの落雨。昼から気温下がる。午後遅く日曜日の銅鑼湾。そごふの旭屋でカメラ雑誌二冊受領。 Citysuperにて食材購ふ。Citysuperでは催事エリアで“Lohas Travel”なる特売開催中。ロハストラベル?(笑) エコトラベルの意味なら例へば旅行先で自然の中を歩いたり、のことなのだらうが、催事はただ Samsoniteとか旅行鞄や旅行用品売るだけ、で何がいつたいロハスなのか意味不明。そもそも「海外旅行しない」ことが地球に優しい。ロハスなんてほ んと胡散臭いばかり。ましてや何でもロハスといふ冠つければ、といふ発想も安易。そのうちロハス丼とかロハス系キャバクラとか登場しさう。帰宅すると大 雨。Citysuperで本日購入のComte de Lafitteのアルマニャクを舐め野菜多き夕食で越乃寒梅を冷でいただいたら睡魔に襲はれ沈没。
▼晩七時からの香港電台「頭條新聞」をテレビ(TVB)で観る。前行政長官の董建華が不愉快示した政治風刺劇番組。朔日の市民デモや中国台湾直行便開通な どが話題。中国人と台湾人の掛け合ひコントで簡体字と繁体字の何れが良いか?といふ小話。中国人が繁体字の方が良い、と答へる。何故か。例へば「党」だが 「黨」といふ字には「黒」が含まれるから意味が正しい、と。それが広東省等にも流れてゐるから香港電台への締め付けも厳し。この番組が公共放送局の製作な のだから。NHKではとてもできぬ政治風刺。
▼北京より習近平・副主席来港。深圳よりの到着を香港特区政府幹部らが落馬州で雨のなか傘さして副主席待ち受け。雨が止んでの陽光下、副主席到着したが驟 雨。副主席はリムジンから降りて傘もささず雨に打たれながら微笑んで出迎へを受ける。文革曽、紅酒唐、司法黄、財髭曽らも傘をさすわけにいかず。米国大統 領も真つ青の厳重警戒で中共常宿の紅磡の李嘉誠系ホテルに投宿。五輪で香港開催の乗馬競技施設など見学。党中央と香港の和諧が訪問の目的の由。

七月五日(土)快晴。炎熱的夏日終於来臨。北京は長雨で地下鉄站の水没もありの由。午後、香港で日本語を三年弱学んだ人たち数名と話す機会あり。珈琲の話 題となり星巴珈琲と香港の地場のパシフィック珈琲のいづれが好きか?といふ話題になつたら、一人の女性が「スターバックスはコーヒーショップぢやなくてミ ルクショップですよ」と(日本語で)言はれる。御意。確かに一軒の星巴で日に何本の牛乳パツクを消費するか。少子化の話題となると一人の男性が「香港も日 本と同じ少子化ですが香港には中国から若い人がたくさん来て住みます。だからまだ大丈夫。日本はどうするんですか?、若い人がゐないし外国人は入れませ ん」と言はれ言葉もなし。午後、外を歩けば猛烈な日照に辟易。夕方、湾仔のフェリー乗り場など当たる筈のない角度からの猛烈な日差しに何かと思へば鏡張り の超高層ビルからの反射。尖沙咀に渡り久々にペニンスラホテルのバーにドライマティーニ一飲。Z嬢とスヰンドン書店に待ち合はせ漢口Rdのインディアパ レスなる印度料理店で夕食。Quarry BayにあつたMother India(已閉業)の姉妹店と聞いて訪れるとかなりの繁盛。殊に気軽な服装から見るからに米国人客多し。香港文化中心。香港フィルの今季最後の音楽会。 今季はこれまでになくHKPOを聴く機会あり。来季の先行予約も始まつてはゐるが昨年のこの先行予約で知つた五嶋みどりとて六月の公演の数日 前でまだ入手可、で結局、客演がユンディリ、ランラン、ヨーヨーマ(つて、なんだか中華街の芸人の如き名前ばかり)でもない限り前売り即刻完売にはなら ぬ、といふこと。今晩は、エド=デ=ワルトさんはすでにお休みで先週末の五嶋みどりの時に続き指揮はDavid Atherton氏、でショスタコーヴィッチの交響曲第7番「レニングラード」の演奏あり。この大曲、大編成であることと曲の長さが障り来港の海外オケで はまづ演奏されず。で地場のオケのこんな機会でもなければ、まづナマで聴く機会なし。香港フィルとて、それでも金管など当然足りぬから助つ人が要るわけで 他の楽団がそろそろ避暑に入るこの季節でやうやく実演可といふところ。実際に香港シンフォニエッタやマカオオーケストラ、他に無所属の演奏家など20名近 し。前半はフンメルのトランペット協奏曲ホ長調。トランペットは英国からのAlison Balsomなる別嬪なソリスト(こちらは彼女の吹奏するパガニーニの Capriceの24番)。で中入り後が「レニングラード」。学校が暑假となり子ども連れ多し。だがショスタコーヴィッチのこの曲はよつぽどのクラシック 好きなら別だが聴かされる子どもには酷。親も「クラシック音楽=教養」程度の認識で本人もよくわからず連れて来るのだらう。香港フィルもどうせなら「夏休 みの子どものためのモーツァルトコンサート」でも開催すべき。さて「レニングラード」だが、大曲なのか壮大なる愚作なのか、とよく言はれるが、アタシは大 曲と思ふ。だが1941年とい ふ戦時下で、ナチによるレニングラード包囲戦ばかりか、ショスタコーヴィッチにはソ連のプロパガンダをどう反映させなければならぬかといふ命題もあり、さ ういつた困難が錯綜する中で「まとまりきれない」状況は、それだけでその時代を見事に表現する。演奏はこの壮大な曲を香港フィルがどこまで演じるか、がや はり気になつたが第1楽章の冒頭からの主題はちよつとぎこちなかつたものの有名な「戦争の主題」からは期待以上。第2楽章のスケルツォが殊に上出来。第4 楽章のフィナーレまで体力的にも立派な演奏を見せつけられた。五嶋みどりでも思つたが、このDavid Athertonといふ指揮者はこのクラスのオケに無理は言はないが実力を発揮する、或いは実力以上に聴こえるやうな演奏をさせてしまふ指導者的力量があ るらしい。本来はこれを現職のデ=ワルトで見たいところなのだが。印度食肆とコンサートホールの冷房強くジャケット着てゐながら外での汗が冷えて風邪気 味。
▼昨年暮れに香港立法会港島区補選に立候補し葉劉淑儀(元保安局長)破り当選の陳方安生(元政務司)が今年秋の立法会選挙には不出馬を決定、その声明を明 日発表、と信報が報ず。陳方女史の狙ひは97年のあの返還儀式で舞台中央、中英のちやうど間に深紅のスーツで立つた=中英間での Transformationの体現たる自らが今は泛民主派と北京中央との橋渡し役となつての(いま中国で流行りの言葉で言へば)和諧狙ひだつたさうだが 半年過ぎても中央が彼女にその任務を期待はさら/\ないことに気づき、或いは諦観し、での不出馬か。これで民主派の牙城であつた港島区は泛民主派は三議席 確保も険し。だが泛民主派の弱体化が「政治的安定」で香港の普選実現、民主化に繋がる、といふのが何とも逆説的だが事実か。

七月四日(金)快晴。イヤフォンは音楽を聴くために非ず地下鉄など周囲の大音響の無駄な会話や貧しきゲーム機の電子音対策で暫くソニーの密閉型EX90SLな るもの使つてゐたが音のクリアさ(硬さ)が殊に弦楽などに合はず熟慮ならぬ軽慮のすゑボー ズ研究所のものを入手。当然、驚くほど柔らかい音に戸惑ふほど。早晩にFCCでドライマティーニ二杯。快晴の新月の晩は夜空に星も美し。詩人は彼 の夜の命令に従ふ……Jean Cocteauといふ気分。晩遅く吉田秀和『音楽展望』1978年刊(講談社)やうやく読了。まだ65歳と若い秀和さん。
▼大陸と台湾に直行便開航。技術的には台湾の政権が変はれば開通する程度の問題となるが。寧ろ台中から廈門へ向ふ便だつたか機内で蘋果日報(台湾版)が配 られたことのはうが驚き。
▼信報社説が「原油高でいつたい誰が最後に得をするのか?」と。余もこれが大いなる疑問。単純に産油国でないところが興味深し。まづ、この原油高がどう世 界経済に影響するか、で例へば工業生産増=石油需要増の中国。中国が2001年に外貨備蓄はUS$2千億であつた当時、原油は1桶(gallon)US $25で、単純計算なら80億桶の購入可。今年3月、中国の外貨備蓄は世界一でUS$1.68億にも達したが原油価格はUS$140と高騰で同じく計算す れば120億桶。つまり中国の外貨備蓄が8年で7倍になつても石油購買力は1.5倍に留まる。原油価格高騰は、中学生でもわかるのは需要増で中国や印度の 経済発展が大きさうだが、単純にさうとも言へぬのは、例へば石油需要はこの3年で年平均1.5%の伸びで02〜06年で石油消費量は7.7%増に対して原 油価格は実に4.2倍。これが通常の「需要と供給」に拠らないことは明らか。また昨年の原油の先物取引では56%増であつたが、これが石油関連商品の増加 率の26倍。この高騰でペルシア湾岸六カ国だけで昨年US$3811億の収益を上げたが、産油国のインフレも深刻で中東で1磅US¢22であつ た馬鈴薯が76¢、1箱30個の鶏卵はUS$2から$4.25と価格上昇。米ドルがベースの中近東ではドル安もこれに追ひ討ちをかける。アラブ 首長国連邦では公務員のベースアップが70%、オマーンも75%と拍車がかかる。過去3回の石油危機は最長で2年弱(1973〜74年)で今回はまだ1年 にも満たず、これがいつまで続くのか……と社説も「答へになつてねーだらう」だが、それぢやアラビアの王様たちだけが儲けてゐるのかしら、違ふでせう。世 の中そんな簡単ぢやない。アタシの仮説では原油価格の上昇は数年、十年なんてスパンに非ず、実はアラブの石油が枯渇する頃、ソ連やベネズエラなども産油量 は減少、実はそのなかで唯一、埋蔵量が豊富なのが米国。アラブの産油国も都市化で石油消費伸び米国から石油を買ふ日の到来。で最後はUS$280なんて貴 重で高価格の原油を売る米国が最後のオイルマネーを得て……で、それに立ち向かへる他方の原油埋蔵国家が中国、なんてのを想像するのだが。
▼世間に従はぬ(とされる)東宮は東宮大夫が皇太子殿下に対する石原都知事からの2016年五輪誘致での協力要請に対して「招致運動というのは政治的要素 が強く皇太子殿下がかかわることは難しい」と否定的見解示し「政府内でしっかりと詰めるのが先決」と述べる。都知事は「政府が正式に申し込んだら別な話だ と思うね。宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるもんぢやじゃない」と発言。 東宮御所の憂慮は「都知事の抱くような政治的な魂胆」に対しての冷静な判断。戦後日本を体現する陛下や東宮様がこれに易々と乗るはずもなし。そもそも陛下 や宮様方に仕へる宮内庁に対し「宮内庁ごとき」だの東宮大夫を木つ端役人と罵ることぢたい不敬。都知事は自らを恥ずるべき。五輪が国家の問題なら木つ端都 知事がこんな大事な問題を都知事の見解で決めるもんぢやない。
▼03年のSARS疫禍後に疲憊せし香港に活気を、と政府資金10億円以上弊浪費し海外より芸人招きHarbourFestなるくだらぬ興行開催し大失敗 の政府役人Mike Rowse(投資推拡署署長)に対する業務上過失を問ふ裁判で上告審の香港高裁は被告無罪と判決渡す。政府は責任の所在有耶無耶にするが、この催事、この 投資推拡署としての決定といふより香港米国商工会議所の胡散臭い当時の頭取の提案にRowseが個人的に興味示し実施決定は明らか。公金を、それも疫禍復 興の資金を怪しげな芸能プロダクションに流してお終ゐ、では明らかに千古罪人だらうが。

農歴六月初一。信報の発刊35周年。この新聞が香港にあることで日々どれだけ気持ちが落ち着くことかしら。余にとつて「なくてはならぬ」滋養源。香港紙と いふと何だか左右なんだか怪しい媒体の代名詞のやうだつたが信報は日本にも存在せぬ知識層相手の高級紙。ところで、この記念紙で 陳雲氏が書かれてゐるのは「漢字」について。「正體直排、行文素潔、是舊日香港正道報紙的最低要求」であり「正道報紙要直排、接通漢朝制定楷書以来的文 脈、這是文化國格、連日本人都廑得的」と。元来の漢字は今では「繁体字」と呼ばれるが、実はこれは中共が簡体を用ゐた際に、それに対して「繁体字」と呼ん だもので、ただしくは正字。今どき「正字」なんて言ふのはアタシのまわりでは久が原のT君くらい。だが本来は活字は正字を用ゐて書き文字の簡便性で簡略字 が用ゐられるべき。で遂に「信報、おまへもかつ……」で信報に電子版が登 場。年間HK$389で全記事の閲読可とは便利至極。
▼最初にこの記者の名前を見たのは「スリの始末記」だつた。新聞の社会面になら失礼ながら「ありがち」な社会観察の連載だ。だが一読して惹きつけられた。 老いて廃業寸前のスリ、あるいはスリをもう止めようと決意してもまた「やつちまふ」スリを、温かい視線で見つめるこの記者。朝日新聞には疋田桂一郎や深代 惇郎といつた歴代の名文家は揃ふ。この、社会面で初めて連載記事を担当したのだらう若い記者には、すでにこの記者自身の文体があつた。記者の名前は市川速 水。その市川記者が特派員で香港に駐在し、お会ひする機会もあつた。その後、ソウル支局長など経て、現在は外交・国際エディターとして健筆を振るふ。今日 の朝日にロシアの新大統領が西側主要メディアと会見の記事。市川さんのコラム(「憲法の保障人」掲げ)は、独特の市川文体の語り口で、この新大統領の個 性、プーチン前大統領との関係やロシアの現状などを、平易に、で的確に伝へる。読んでゐて、思はずトトントン、と乗せらてしまふ、どこか志の輔師匠の落語 にも似た世界だ。……と市川速水風に紹介するとこんな感じかしら。
▼東京の国分寺市で共産党市議が市内のマンションの「オートロックドアの外に設置されてゐる」集合ポストに同党市議団の市議会報告を投函したところ住居侵 入容疑で逮捕される。被害届出すマンションの管理組合も管理組合だが被害届受けた警察が書類送検。立川の自衛隊官舎での反戦ビラ配布(最高裁で有罪)以上 の最悪。ファッショ国家といふのは本来、政府権力がファシズムを指向し国民にそれを強要するものなのだが、今の日本を見てゐると「前近代的な」といふと江 戸時代が未開みたいなので失礼な話で、「近代市民化されてゐない方々」が社会不安に徒に脅え自らファッショ化する、といふ怖さ。

七月二日(火)早晩にFCCでドライマティーニ二杯。北京より畏友O氏夫妻来港で鏞記にO氏と同様に競馬と鉄道の好きな九龍在住のO君、Z嬢と晩餐。鏞記 はつひに酒持込みの開栓費を徴収、と旧知の給仕J嬢に事前に知らされてはゐたが1本あたりHK$100は自家 の葡萄酒の値づけ同様に強気すぎ。斎藤さん、入江さん、これからどうしませうか?、の一大事。肆にしてみれば異常なほどの諸物価高騰で店の収益を当然上げ たいところ、これ迄にも増して葡萄酒関税撤廃で鏞記の客など酒客多く葡萄酒を大量に持込み呷るやうに飲まれてゐるのをむざ/\傍観は出来ぬ、の判断なのだ らうが。肆のワインリストは鳥渡眺めただけだがそれなりに充実。今晩はこれまで通り持込みで豪州はCape Mentelleのシャルドネ07年とコートデュローヌのGuigal Crozes-Hermitageがちよつと安めだつたのは04年産ゆゑ。いろいろ料理楽しんだが例湯が絶品、たんに玉蜀黍と人参、牛の肋肉のコンソメな のだが、これが溜め息がでるやうな美味さ。中華でありながら肆は千客満来で忙しいのに料理は白と赤に合はせタイミングよく供され食後のお茶まで完璧な接待 に感服。今晩は両O氏の殊に鉄道と鉄道模型の細かい部品やモーターの話などかなり緻密な話。なぜ競馬と鉄道好きが被るのか、と明確な理由はわからぬのだ が、どちらも競馬新聞や時刻表など「データ好き」といふところか。
▼朝日新聞で連載の「奔流21 中国」下「変はるメディア」が香港のメディアを語る。香港メディアが次々と大陸資本に買収されるなかで、香港染める「赤いメディア」と。気になつた点はい くつか……香港の二大テレビ局のうちTVBを「娯楽番組に強い」と紹介するのは妥当だらうが対するATVを「ニュースに力を入れる」とするのは正しいか些 細な疑問だが、例へば大陸資本を「赤い」と表現することの妥当性。かつての王光英氏の光英実業公司であるとか「赤い資本」の代表格だつたが中信集団 (CITIC)が赤い資本なのか、大陸資本の香港メディア買収は香港の赤化が目的なのか、香港の東方日報や星島日報の大陸での新聞発行開始は「香港メディ アが赤く染まつた」結果なのか。香港の報道の自由は低下したか。いづれもアタシの答へは“No”である。もはや大陸の企業は「利潤目的で」政府系であるこ とが有利だからその立場にあり、香港の新聞業も香港内での新聞発行では市場に限界があるから(更に世界的な新聞購読量低下もあり)市場拡大のため大陸進出 が必要で当然その政府の報道管理に従順する。大陸資本の香港メディア買収とて赤化が目的ではなくテレビでいへば広東省で広く視聴される巨大メディアである から企業価値があるから買収する。すべてが利潤ゆゑ。赤く染まるどころか、すべて利潤、利潤、利潤だらうに。

七月朔日(火)やうやく晴れる。香港特別行政区成立11周年。昼まで九龍で薮用済ませ昼過ぎに九龍仔公園の水泳場で一時間半ほど遊泳。本日は反政府デモに 市民を参加させぬため(笑)公共施設は入場料無料の由。11年前の昨日まで、このプールから啓徳空 港に着陸する飛行機が目前に直角に曲がるのが(笑)よく眺められたもの(猛烈な騒音だつたが)。九龍城區で食材屋などふら/\と冷やかし つゝ食のお勉強。ずつと雨続きで晴れたと思へば今度は肌を灼く強烈な日差しは日傘なくては歩けず。帰宅して昏時にyoutubeで80年前後のツービート の漫才など見て大笑ひしつゝGuigal Tavelの珍しくロゼの04年。ロゼなんて何年も飲んでをらず、が最近、葡萄酒関係の記述でロゼ多く無難なところで、これ。まぁ半年に一度ならご祝儀で 良いかも。それにしても80年頃つて今になつて思へば、なんて表現の自由。「思ひやり」なんて放送コードになし。今のテレビ放送がいかに「人を傷つけず」 でつまらないか。でも半世紀前は人を傷つけるどころか傷つけられさうな人たちも笑つて見ていたられただけ幸せだつた鴨。本日の71恒例の市民デモ、主催者 側発表で4.7万人、警察側発表で1.55万人が参加。泛民主派の参加は珍しくもないが「香港政界の風見鶏」李鵬飛氏が市民デモに初参加、行政長官・文革 曽の行政の横暴は由々しき事態と。新華社が破天荒にも選挙改革と民生改善求め市民デモと報道の由(翌日、新華社のサイトでは該当記事確認できず)。
▼週末のFT紙で人気連載を もつMonocle誌編集長のTyler Brûlé氏。雑誌編集長といふのは、ロハスのソトコトの小黒氏のやうに何でもやはり何らかの事象に付加価値をつけ、それを提 示することで読者と広告主を惹き付けるわけで、さういふ意味ではこのTB氏がWallpaper誌時代からカリスマ編集長と呼ばれるのは当然。だが試しに Monocle誌を買つて(雑誌の分際でHK$105である!)読んでの素朴な疑問はTB氏を始め世界各地を飛行機で飛び回り仕事する(或いは遊ぶ)所 謂、ジェットセッター諸君、地球温暖化など環境への関心も人一倍だが彼らが世界を必要以上に飛び回ることじだい最も避けることでは? これだけ情報化の進 んだ社会、本当に何処まで彼らが世界を飛び回らないと仕事にならぬのかしら?

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