教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。

参議院選挙は「みどりの会議」を応援します。公式サイトはこちら。あっしにはかかわりのねぇことでござんす、なんて言えないねぇ。中村敦夫議員の公式サイトはこちら
      

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。
 
既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。 
   
六月三十日(水)比律賓辺りの台風の影響にてフェイン現象あり大気劣質。早晩に旺角に買物に向えば道路封鎖あり何かと思えば投身の自殺志願の若い女あり。投身の場合に巨大なクッション用意され(写真)警察消防の手際良し。年中恒例か。東京スポオツにてジョギングパンツ購い西洋菜街の百寶堂にて亀苓膏、隣の義順牛乳公司にてプリン食す。日刊ベリタのデスクS氏来港。FCCにてS氏と食し情報交換。さすがにここ三日四時間睡眠が続き頭も朦朧。
▼朝日の論壇時評に橋本治ちゃんの小泉評が紹介されている。治ちゃん曰く「『自分の言葉で話す総理大臣』だった小泉純一郎は、今や『自分勝手な言葉で話す総理大臣』で、『原稿を読む総理大臣』で、『自分の言葉だけ存在させて、相手の言うことを聞かない総理大臣』になっている……しかも、どこかで胸を張ってさえいる。どうして胸なんか張っていられるのかというと、これも存外簡単なことで、(略)自分が『個性的であるがゆえに成功した人間』だということも知っているからだ」と。言い得て妙。その個性的といわれる個性が何かといえば実際には「他人の言葉が理解できず自分勝手といふ変人さ」以外の何物でもないこと。それが首相であることが怖いが「他人の言葉が理解できず自分勝手」といふのは「よくいる」類いであり小泉三世がそれの代表であると思えば理解も易し。

六月廿九日(火)酷暑。早晩に、晩といふのも烏滸がましき丁度「吉田健一が銀座の蕎麦よし田に来るころ」に北角の寿司加藤。或る仕事片づき独り自らを慰労。店の開くか開かぬかの仕込みもまだ終わらぬ頃にお邪魔して恵比須麦酒小瓶一本で喉を潤し酒は峰の白梅をコップ酒、つまみは赤貝、これだけで他の客が現れ店も忙しくなり始めるころにさよりと小鰭でも2かんつまんだくらいで「それじゃ」と退く……とこれなら格好もいいが現れた客二人連れ、みちのくのお国言葉も余に懐かしく、そのうち一人は二、三年前にトレイルでご一緒したこともある御仁でつい歓談あり、それじゃ帰ろうかと思ったところに隣に来たお客が余と同年代でハルビンに仕事といふ香港には珍しき方で八十年代初めの同じ頃に北京から旧満州三省に旅したも一緒、ついハルビンの街の様子など話初め「日の暮れぬうちに」のはずが一更が二更、二更が三更と結局店仕舞ひでご亭主の閉めた後の一杯まで相伴に与る。本晩FCCにて天安門事件のフィルム上映あり不見。
▼この季節、香港の食の味覚は何といっても黄油蟹。蟹といへば上海の淡水蟹とこの香港の黄油蟹。ではこの黄油蟹といへば具体的に何を指すのか余も今ひとつわからぬままでいたが、ある雑誌見れば、この蟹、珠江河口より流浮山の一帯、丁度、珠江の河水と海水の混わる辺りに生息する蟹にて、農歴五月から八月が食べ頃。ふつう膏蟹(雌蟹)が産卵期にこの珠江河口の浅灘に現れ、いわゆる味噌の部分が夏の暑さにて蟹の成育中にクリーム状に変質し珍味たる黄油蟹となる。これが青蟹公(雄蟹)と交配すると蟹膏(蟹味噌)もち膏油蟹と云われる。高価な珍味にて高級店これ供すがとくに有名なのは東海海鮮酒家系列の高級店海都海鮮酒家。この雑誌によれば或る客よりの投書でこの海都に6名HK$2,680の黄油蟹コース食したところ蟹の甲羅割れば黄油少なく殆どが蟹膏に落胆したが隣の卓の常連客に給仕が「今月は黄油蟹はまだ熟れておらず来月が食べ頃」などと話すを聞き店のこの対応に不満あり。黄油蟹の場合、供されて客の前にて甲羅を開きじゅうぶんな黄油あること確認が肝腎、もし不満あり店も認めた場合は交換も可だそうだがこの客はそれを知らず。店側の説明では給仕が言及したは黄油蟹についてに非ずこのコースに含まれる鮑魚について、と。この客には店から再び黄油蟹コースの食事供されることとなる。いずれにせよ気になるは海都酒家の客の待ひで、この店、常連客への諛いに比べそれ以外の客への横柄ぶり気になり余は足を向けず。

六月廿八日(月)溽暑甚し。晩に地下鉄にて目にした光景。頭髪桃金色に染めタンクトップにブーツは金属の尖がりいくつも勃つ所謂「田舎パンク」風の若者あり。友とでれでれと語らふが一見ヤクでもキメてるのだろうか必要以上にでれでれっとして呂律にも多少怪しさあり。手に持ったウォークマンの耳筒は地下鉄車輌の床に落ちたも気づかず。電車尖沙咀の站に入り彼ら下車にと席を立つ。向かいに坐す余を含む乗客の誰もがその耳筒忘れらるるを見てもつい「関わりたくない」的な若者の姿だが一人のオバサン「ちょっと、それ!」と注意せば若者「あっ」と気づきイヤフォン手にして下車せむと。だがまた若者戻る挙動不審。何も忘れ物もない筈がよく見れば座席に彼がポケットから落としたのであろう煙草のセロファン包装の丸めたやつ。若者「ゴミ、ゴミ」とそれを手にして降車す。ずっと状況見ていた乗客は余も含め「ヒトは見た目で判断しちゃいけないね」とゴミ片づける若者の道徳心に感心したのは確か。だがふと思ふはあのゴミへの執着は彼の道徳心ならよいが、もしかすると(かなりの確実で、あの行動の感じからして)ドラッグによる「何かへの執着」かも。その場合余り賞められたことにあらず、と思いつつ、この車輌にはもう一人かなり気になる、といふかこちらは迷惑な女性あり、乗車する時から延々と携帯にて大声で会話続ける。午後の九時半までずっと仕事していたであろうことは確か。その残業に忙殺されたままのテンションで帰宅途中。隣に坐られその声の五月蠅さに閉口し思わず余は席を移ると彼女もそれに気づいたのか、といっても声を抑えるほどのデリカシーある筈もなく余を睨み会話続け漸く会話終わったかと思えば即座に次の相手に電話が二、三度と続く。携帯での電話といっても携帯は手にもちイヤフォンマイク使っての会話、手や腕のゼスチャーも大きく迷惑甚だし。客観的に見ておれば携帯での会話といふより一人で漫談か、だがその女性の余りの「入りっぷり」にまるで霊の乗り移った恐山のイタコの如し。携帯電話中毒のトランス状態。電磁波にてかなり脳に異常きたしつ。今さらイヤフォンマイク使っても病状回復なし。前述のおそらくドラッグでキテしまっているのだろうが他人に迷惑かけずゴミ拾ふ若者と後者のイタコのどちらが極端な話、社会的迷惑かといへば後者とつくづく感じ入る。二更にFCCにて遅い晩食。医師R君と遭い談話三更に至る。
▼昨日のSCMP紙にシドニー・ビエンナーレの紹介記事あり。何といってもロシアのAES + F(ビエンナーレでの紹介、オリジナルのサイトが注目のマト。AES + Fといへば自由の女神にモスリムの女性のベール被せコーラン持たせたコラージュ(写真左)にて一躍有名に。これはIslamic Projectといふ世界のイスラム化イメージの一連の作品。だが今回の出展はAction Half Lifeで少年少女のイメージ起用しての戦争が主題(写真)。どこか印象にある情景で遠き記憶を辿ればなかなか名前も思い出せず、このAES + Fの少年少女は実写だが人形で辻村ジュサブローだの四谷シモンの名前は出ても仏蘭西の八十年代に当時のパルコ的な取り上げで……とかなり永く記憶辿り漸くベルナール・フォコンの名前思い出す(写真右)。このAES + Fの世界、ピンクフロイドにも通ずる印象あり。印象深し。今になってピンクフロイドが当時いかに前衛であったか、今になって現実的にピンクフロイドの歌った不安が理解できる感あり。

六月廿七日(日)朝七時起床。早朝に驟雨。ジムの入会でエステお試し特典あり朝九時より小一時間按摩。日曜の朝から按摩で極楽至極。天気予報は晴れ時々雨乍ら雲多くも沖風に流れ行きジムよりその足にてトレイル。山道に入れば轍わだち多く未暁にかなりの降雨ありと知る。マウントパーカー道を急ぎ足で登り大譚下れば(写真)大譚水塘の引水路いつもなら遭っても一、二人が今日は「青年環保行」(青年環境保護ハイク)なる行事あり青年といふ名の老人多きパーティ数多くこの引水路歩くのはいいがオバサンら狭い引水路に余が反対方向から走ってきても日傘除ける気配りすらなき横柄ぶりに閉口す。島南の海岸に至りご褒美麦酒。ふと食指動き魚蛋食せば最近の温飩粉多き偽りの魚蛋と異なり魚のツミレばかりの見事な魚蛋につい麦酒もう一缶。これで一時間半の山走りもご破算に帰す。午後海岸の木陰にてハインライン著『月は無慈悲な』読みつ微睡む。こうして居られることの自由、つくづく有難きことと感じ入る。夕方帰途につきスタンレイ経緯で西湾河。なぜ西湾河かと言へば、今朝山道走りつつふと気づいたは鳥インフルエンザにて数ヶ月だか半年だか香港より消えていた鵞鳥、鴨など鳥禽がすでに市場に復帰し中環の庸記も先週からだか名物の焼鵝の供給再開と新聞にあり、つまり久しく店を閉じし西湾河の潮州滷味の順興なども再開のはず。期待通り再開でまた行列あり。順番待った客が「久々にここの店の滷味が食べれるよ」といふ笑顔に親方、店員の表情にも活気あり。滷水鵝と滷味蛋二個購ふ。ジャスコにて食パン購ひ滷味の袋持ってジム。順興にて滷水豆腐求めるを忘れたと気づき超級市場にて豆腐購い帰宅して豆腐の水切って順興にてくれた滷水かけて冷蔵庫に寝かす。雑事済ませつつウォッカレモン。レモン1個搾り大きめの氷一塊にレモン汁とカンペキに同量のウォッカ注げば出来上り。美味。日が長く午後七時半に九龍の街の灯、夕暮をば楽しむ。真露焼酎で滷水の鵝と豆腐食す。美味。最後に納豆でご飯。NHKのニュースで群馬県の太田市だかで外国人市民集め彼らの声を聞き市政に活かすとかのニュースでアナウンサーが「外国人の人たち」と。なぜ「外国人」じゃダメで「の人たち」なのか。これで差別、偏見を回避してるつもりだろうが、それじゃ「自民党の人たち」とか「東京都民の人たち」と言うかといふと言わぬわけで、そもそも根底に「朝鮮人」とか「被拉致者」とか「外国人」に偏見あるからの「〜の人たち」扱い。続き、参議院選挙特集の番組あり各党の参院幹事長集る。自民党の青木幹雄君「こんばんわ」と挨拶せば続く与党公明党から野党の民主、共産、社民まで幹事長皆「こんばんわ」で司会のアナウンサーまで「こんばんわ」と。一人くらい「ハーイ!」とか「参院選では打倒自民党!民主党です」くらい言わないのか。自衛隊のイラク派遣から多国籍軍参加まで話題となるが自民党青木君の発想が余りに「和平維持活動に出たのだからそうやすやすとは撤退できない」だの(まさに満州)サミットでの小泉発言も「サミットという場で「外国の人と」首相がああして約束したんだから」「野党も協力をお願いしますよ」とこの貧困なる発想。川向うの人ともう約束してきたんだから何かしないとダメでしょーよ、と村の寄合いの如し。所詮、島根の竹下登の子飼で、その発想で自民党の参院幹事長務まるのが今の政治のレベルの低さ。全く論点もはっきりせぬままだったが突然、比叡山延暦寺の僧の「散華」といふ声明しょうみょう流れNHK見事な演出!と思ったら実は次の番組。アジアハートフルコンサートなる番組で醜悪なる外語羅列、ハートフルとは何ぞや。心温まるならheartyとかheartwarmingであろうか。ハートフルなどといふ言葉用いるだけでもはや英語通じぬheartlessな状態。出てくるだろうなぁと恐れていたら当然やはり「昴」で谷村新司先生ご登場。何度聞いても歌詞の言わんとするところ理解できず。ビデオニュースドットコムで神保宮台両氏の対談のゲストはスポーツジャーナリストの二宮清純氏。大変面白し。ナベツネが実は(というか当然だが)スポーツを理解しておらず野球から芝生を略ったこと、プロ野球の企業主義。行政がすべきスポーツ施設の拡充が足りず民間スポーツ施設がビジネスとなる日本。
▼三月廿八日の朝日新聞にて「君が代に民主的なる二番の歌詞加えていたら」と書き唖然とさせられた論説主幹!の若宮啓文君、態を潜めていたかと思えば朝日も大したもので再び「君が代と皇室」なるコラム掲載。実は明治十四年に二番に「きみがよは千尋の底のさざれいしの鵜のゐる磯とあらはるるまで……」とある君が代が小学唱歌集にあるとの指摘を多くの読者から受け……とコラムは始り(怖い予感あり……)、だがこの君が代は曲も違い今の君が代とは別もの。で戦後は讀賣新聞も四八年に新生日本にふさわしい国家を、と書いていると(だから何なんだ、と言いたいが)。で実は朝日の先達である伊波新之助も九九年に「国民われら」で始る二番、「集えるわれら」で始る三番を提唱しており、この発想が実っていれば「いまどき国旗国歌をめぐって強制だの処分だのという騒ぎはなかっただろう」となんとまぁ呆れるほどの論説主幹の楽天ぶり。で、ここから論点がよくわからぬのだが、「ともあれ君が代を国家に定めたことは、将来にわたって天皇制を続けるという宣言であった」と、君が代の話題は突然終り、ここから現代の天皇制の、とくに皇族の精神的負担など挙げて、もっと皇室を開くことなどを説く。で最後は「君が代は千代に八千代に……と続くには、一体どうすればいいのか。国歌の歌わせ方などよりも、その方が大事な国の課題だろう」と結ぶ。おいおい……産経だよ、これじゃ(笑)。朝日の昏迷ぶり。
▼このサイトの読手(蒼茫一号様)より香港にて星巴よりパシフィックコーヒーの方が美味いが「スタバ進出以前はほんとうにひどい味」と。確かに思い出せばその通り。ほどほどの競走は大切、と。御意。星巴の珈琲で頭痛する友人もいるそうで余も同じ。星巴が美心集団マキシムであることはスタバが美心の隣りにある時はトイレは美心に行ってくれ、となるそうな。
▼話題にするのも意味がないが蔡瀾氏の今日の蘋果日報の随筆。蔡瀾氏の日本旅行ツアー企画。今回はゴルフです。往路のフライトで参加者より「天気は大丈夫?」と尋ねられ、これまでのツアー企画にはない心配。心配しても仕方ない。ゆうべ徹夜で原稿書いたから飛行機では寝る。北海道に着いたら天気よし。ツアーは八十人で本来ならバスは二台だけどゴルフ道具があるのでバスを1台追加しました……と。この内容で何が面白いか、何が蘋果日報の看板連載か。実は編集部は「切りたい」であろう香港一原稿料の高い随筆家。

六月廿六日(土)朝七時すぎに空港。空港のパシフィック珈琲にて朝刊読みつ朝食。星巴珈琲より此方の方が断然珈琲美味いよねとZ嬢と同感。香港のスタバ「所詮、美心集団マキシム」って感じ、とZ嬢。Z嬢を見送り。大嶼山の山に雨雲立ちこめ天気異しくも飛行場より青衣経由にて九龍に戻り昼まで美孚の公共プールにて『月は無慈悲な』ほんの少し読み昼寝貪る。水泳客少なく快適。プール場の傍らを九龍横断する4号幹線道路呈祥道が走るのだけはいただけず。昼よりジム。午後薮用済ませ久々に深水歩。高登電脳中心に入ればかつてはコピーソフトの牙城が今ではゲームソフト屋と純粋に電脳のパーツ屋多し。ビルの内部這へば増殖感あり。石Kip尾の公共団地の傍まで歩き耀東街の路上の長發麺家にて牛南麺食す。美味。旺角。西洋菜街の東京スポーツにて二百ドル分現金券使いランニングシューズ、ランニング用の靴下など購ふ。灣仔まで戻り灣仔電脳中心。新装開店のアウトドア屋Protrekにてトレイル用の水パックHydrapakとそれ用のTrackerといふザックなど購ふ。マレーシア料理サバの前を通るが午後八時でも混雑あり評判のLuard Rdのケバブ屋は羊肉売切れでジムに寄り帰宅。雑事多し。
▼米国元副大統領のゴア君今ごろになり「ブッシュは故意に米国国民を誤導」と指摘。ブッシュは自らの政権維持のためフセインとアルカイダの関連のデマ流したとゴア君非難するが、このブッシュ二世の策略など当時から当然明白であったこと。何を今更。勝谷誠彦氏が今日の日記でマイケル・ムーア監督の『華氏911』公開されると全米でかなりの動員あること取り上げ「日本人が考えている以上に実はこの効果は大統領選に現れる」もので、原因として、勝谷氏の嫌うハリウッド映画は「文盲に対して作られるもの」で米国は識字率は一応90%以上あることになっていがこの文盲とは「文字通りのそれではなく文化的」な意味で、教養がないと文章は書けず新聞も理解できず「つまりブッシュのアメリカが何をしてきたかということをかなりの数のアメリカ人が今回の映画で初めて知った」と勝谷氏の指摘。御意。都知事選で鈴木、青島、石原と何の疑問もなく投票してきたような人たちの米国版か。

六月廿五日(金)朝早く目覚めるのは老ひの証左。目覚時計啼らずとも五時半だの六時には自然と目覚め無理に二度寝せば疲労感甚だしく結局起きて、さすがにランニングといふ気力なくも、朝刊の配達待ち読出すは暇老爺の如し。朝日新聞の読者謝恩抽選の結果チラシにて配られ、たかだか香港のわずか数千であろう地域の購読者対象で実名掲載に何人も知人の名あり。良識派とまでは言わぬがいかにも「読売は読むまひ」といふ御仁ばかり。香港にて産経など論外だが。赤旗とか聖教新聞なら政党支持の傾向までわかるといふものだが朝日読むだけで偏向者か(笑)。ところで香港で赤旗の購読は可能なのだろうか。驚いたのはこのチラシ、OCSによる配達ばかりか(OCSは朝日と日経が出資)読売の読者もこの抽選結果知る方あり。当然、他の新聞の購読者に見せて「ほら、朝日はいいでしょう」が狙いなのか。だがインパクトとして香港柔道館岩見館長起用し「私も読んでます」広告の読売に負けているのは確か。富柏村は朝日が嫌いなみたいなのに朝日を読むのかと知人に言われたがこの日剰でもかなり朝日の記事だの記述内容罵るが朝日の論法の幼稚ぶりに呆れることあっても憲法、教育基本法の改正反対など主張同じくする点も少なからず。読売新聞は渡辺恒夫君逝去まで読まぬともう二十年ほど前に決めており(だがナベツネはどんどん元気になってゆく)産経など論外、毎日は衛星版の発行すらなし。で結局、朝日。早晩に自宅近くのジム。これまで何度か訪れるも銭湯感覚で蒸風呂使うばかりで此処にて初めて鍛錬。自宅にてカレーライス食す。
▼昨日のFinancial Timesに韓国人青年のイラクでの殺害の報道でShim Jae-hoonといふ韓国の政治評論家曰く「韓国は資源の70%を中東に委ねており、それゆえ中東の安定に寄与しなければならない」と、それが何故、米国のイラク占領への加担なのか余には理解できず。記事の写真見れば祭壇の慰霊写真の左の弔花には慰霊写真大の名札にハングルで「デトリョ(大統領) ノムヒョン」とあり。この青年の死の元凶の如き国家元首の弔花が慰霊に添えられるのが現実。
▼米国ではようやく今ごろになって米軍のイラク派遣が間違いであるとする市民が世論調査で半数越える。これだけの代償をば得ねばそれが理解できぬほどの知力の低さ。日本も今になって小泉三世の支持率が四割まで下落。不支持もほぼ同率。小泉三世就任当時に支持率が八割越え不支持は一割。つまり現在も小泉支持のコアな頑固な保守層は別として小泉三世就任の際にすでにあの「胡散臭さ」明らかであったのに「小泉さんなら」と信じて今は不支持にまわった三割から四割の気分層。昭和の初めに軍国のお国のためと奉公し戦後がらりと平和な日本謳歌するマジョリティがこの層。怖し。
▼同日のFinancial Timesに特集記事出ている米国の民主党イリノイ州選出の上院議員バラック・オバマ君(43歳)、今回の大統領選挙の結果如何だが上手くすればかなり早い時期にこの黒人議員が民主党の大統領候補となり米国初の黒人大統領になる確率はかなり高いのではなかろうか。注目しておくべき。親米国家たる日本でありながら日本語のサイトでこの議員紹介するはわずかに一つだけ(こちら)。何が親米か。米国のことなど何も知らず。呆れてただ嗤ふばかり。
▼昨日の中国政府系紙に中国共産党の夏の恒例・北戴河会議が胡錦涛君の提唱によりこの夏は開催中止と報道あり。清朝の時代より王族の避暑の海浜にて「解放」後は警備厳重なる共産党幹部専用の海岸に別荘あり毛澤東により五十年代よりこの地にて夏に重要なる会議開催される。登β小平も此処に海水浴に遊びすっかり日焼けした登β氏のトランプゲームに遊ぶ写真は一時は夏の風物詩の如し。本来正式な政治機関でなきこの幹部会議をば胡錦涛君は国家主席就任早々昨年も見直し図るが江澤民系の旧守派は昨夏この地に集い威勢を示す。二年目で胡君の地盤固まり会議中止徹底。但し共産党幹部用の別荘地での避暑はこれまで通り。政府幹部用の、ましてや自民党幹部用の避暑地もなく、首相などせめて品川だかのプリンスホテルの客室で静養とは日本はこの一党独裁国家に比べればまだマシか……

六月廿四日(木)外務省の中国専門家として屈指の碩学S氏の発言聞く機会あり。或る会合での挨拶でほんの十分に満たぬ話ながら内容実に豊富で含蓄あり。日本と中国の間の経済関係がすでに峠越えたのか限界に来ているのか今後の発展今後も期待できるのかにつき一つの指標として紹介するはS氏信頼おく北京の某経済研究所の研究員氏の分析紹介で日中間の貿易量を現在と一九四〇年当時で比較した場合、日本の中国侵略という状況下ではあってもこの貿易量が(台湾と満州を除く)経済規模だの貨幣価値など換算した場合に当時は現状の約3倍規模であることを紹介し日中間の経済協力が緊密化した場合にまだ発展の余裕あり、と。但し問題はリスクであり日中間でのリスクが常に反日感情だの中国差別といった感情的なものに起因すること。つまりこういった国民感情的なリスクを回避することができれば日中間の経済協力などまだ積極的に推進が可能、と政府官僚らしいといへばそれまでであるが、この感情リスクをば真摯に越えようとする冷静さがS氏より感じられ拝聴に値す。
▼朝日新聞の「深い潮目(下)」に一昨日の小林信彦氏に続き文藝春秋誌の元編集長・半藤一利氏が一文与す。文藝春秋が三月号にて特集せし自衛隊派遣に関するアンケート読んだ半藤氏「これは満州事変だよ」と呟いた、と。賛成と反対が十六と十五でほぼ同数で「ちちらとも言えぬ」が六名。既成事実となったゆえ今更引き返しもできずの賛成だのどちらとも言えぬ、で不拡大方針など吹っ飛ぶでは昭和初期の当時と同じ。現実に照らし原則論だの理想論は通じずと世論の妥協。PKO協力法での自衛隊柬埔寨派遣から十二年にて半藤氏曰く「自衛隊は正真正銘の占領軍の一角を占め」多国籍軍の一員となるまでの変貌は「違憲に目をつむっている」ことも含め話の平仄が合いすぎる。有事関連法案もロクな議論なきまま国会通過して現状に合わせるため具体的な国防、有事の緊急事態に対処すべき憲法への「改憲論が一層喧(かまびす)しくなろう」こと。当時の日本人が大きな昭和の転換期にあったことを自ら理解しておらぬのと同様のことが今の我々にあり……と文藝春秋の元編集長が警笛鳴らすほどの深刻さ。だが日々の平和にボケて国民の多くはそれを理解せず。南無阿弥。

六月廿三日(水)曇。朝に午後にと驟雨あり。もう今月末に閉店かと名残り惜しくQ麥に担々麺食すが昼時とはいへかつての賑わいなし。歯科治療。治療終れば歯科医に「領収証は要るか?」と尋ねられ一応で「要る」と答えるとHK$700と言われ言値の世界にてまさか「高い」と治療終って交渉もできず(できるのかも知れぬが)ふと思ったはもしかすると領収証の要不要はある意味、符丁の如きもの、領収書が要る=歯科保険なりに請求可、領収証不要=自腹で、もしかすると領収証不要と申せば歯科医も不憫に思いHK$500で済むとか、そういうこともなきにしもあらずと感ず。早晩にジムに寄るつもりが急な仕事入り自宅にて夕餉の際にふと何を思ったか余は飲酒避け晩の二更に小一時間Quarry Bay公園走り帰りにジムに寄る。健康バカの如し。だが間違っても運動→自民党支持といふ無節操にはなるまひ。べつに自民党支持が悪いのではない。問題はスポーツすること→陸連だのナントカスポーツ連盟の子飼、言いなり→政党の集党装置→著名スポーツ選手の政界入り、といふこの思考性の欠如が問題。たまには日本共産党を支持します、とかってオピムピック選手とかいると面白いのだが。……などと綴っていてふと八十年代後半に原宿など路上で反天皇制題材にした<秋の嵐>の美津毅君のこと思い出す。何故思い出したかわからぬ。走ったあとに麦酒は美味かろうがこれを飲んだらお終い、ってんで我慢したが結局ウヰスキーのソーダ割。自慢ぢゃないが(って自慢してるが)ソーダ割にするような安酒なく(勿論いい酒でソーダ割はそりゃ美味いが)結局サントリーの山崎でソーダ割二杯飲んだ酔いの所為か(ソーダ割はFCCのスコッチもブレンド酒Famous Gooseは立派)。武蔵野のD君に誘われ(といっても彼は当時武蔵野在住でなかったが)美津君の早稲田の下宿にお邪魔したこと一度あり。遠い記憶。大学中退し社会新報の記者となった美津君が95年にバイク事故にて二十代後半で逝去。D君より知らされかなり驚く。三十代後半の彼などいたら社会民主党から立候補でもしていたのか……いまの社民党ぢゃ意味もないか。
▼人民解放軍の演芸団の香港公演あり。もともとは土民に鬼か邪かと恐れられし共産軍が兵隊が占拠せし山村にて歌や踊り見せ土民の好感得たるが始り。この使命半世紀余を過ぎても未だ何ら変らず。だが軍服着た吹奏隊だのならまだしも戦前の浅草のVaudevilleの如き演出に此方が恥ずかしさ感ずる程(写真)
▼参議院選挙での朝日の社説「比例区 参院はプロレスの府か」の題に笑ふ。言い得て妙なり。だが現実がスポオツ選手だの芸人だのにて票稼ぎといふ政党にとって最も阿漕な手段横行でまさにプロレスの府。民意の本意も良識も繁栄されぬのならどうせなら「祝儀院」とでも改名しては如何か。勿論、芸人出身でも中村敦夫君の如き立派な参議院議員もおり中村君の如き大規模政党に属さぬ良識が繁栄されるのが参議院のはず。

六月廿二日(火)端午節。休日だといふのに昨晩二時過ぎに寐ても朝六時に目覚める老境の性。無理に二度寝してしまい今度は九時まで目覚めず疲れあり。昼前に裏山を駈走。薄曇りながらさすがに三十度越えれば裏山のジョギングトレイルまで上るのに難儀せど先週の駈走から体重2kg落しておりさすがに身体は軽く膝の負担もなし。ここ数日の驟雨に石清水も豊に流れ何度か火照った身体を清水にて冷せば何ともいへぬ涼感。寶馬山近くよりQuarry Bayに下りジムに寄り帰宅。午後、母に請われし漢方の生薬購ひに佐敦の裕華百貨店。かつて文革だの大陸が閉ざされし時代ならまだしも今では深センだの内地にていくらでも廉価で揃ふ国内品、内地からの客も国貨商店など見向きもせず香港各地の中国国貨も旗艦店たる中環、銅鑼灣の二軒廃業し今ではこの裕華を残すのみ。一つ残った裕華の一人贏ちの様子。佐敦の裏通り、久々に麦文記に雲呑麺でも食すかと思えば珍しく連休で隣家の澳門牛乳プリンも休み。端午節で職人、奉公人に暇やる風習も今ではこのような小さな老舗ばかりなり。九龍公園抜ければ水泳場に長蛇の列。とても待って入場する気にもなれず。尖沙咀の某會所に逃げる。會所にて弁護士で馬主でもある旧知のM氏と、今日は端午節ゆえに香港各地ではドラゴンボートの競走あり海岸の車の渋滞も甚だしかろう、とても出かける気になれず、と話せば、この端午節の日に水に入れば幸運齎すとそれ故にプールとていつもの休日以上の混み様と気がつき、九龍公園のプールであの長蛇の列見て瞬間に気づかぬとは余も鈍感。FCCのバーにてハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』少し読みZ嬢来てアイリッシュスチューとクラブサンドイッチで軽く夕食済ませ19時半より同所にて上映の英国チャンネル4にて97年に放映されし香港返還の記録映画番組見る。先週火曜日から日に二本、計三回の上映。本日は九六年下期と九七年上期の二本。それぞれ五十分ほどの作品。僅か七年前のことながら変換前の董建華の精悍ぶり、北京中央の返還への自信、何より興味深きは北京中央により組織されし御用政党民建聯の程介南、曾玉成の当時の態度の勇ましさ。程介南は自らの醜聞にて議員辞職し曾玉成は親中派中学培僑中学の校長職を辞め政治に専念する過程をカメラ克明に写すが所詮、曾玉成の自らの力量でも何でもなく北京のご所望により祭り上げられただけの共狗、で昨年の区議選大敗で責任とっての党首辞任。北京中央の意のままにわんわんと吠えてはみせたが中央の07年行政長官、08年立法会での普通選挙実施否決で民建聯など香港に存在しても御用政党であるばかり何ら得もなきこと市民に見透かされたこの七年。まさかあの「黙っていても安泰」なはずの御用政党がここまで地に墜ち民主派が直接選挙区で圧勝する現実を思えば香港の政治空間など日本などに比べまだまだ真っ当と感じ入る。
▼久が原の朗然亭T君もやはり昨日余の読みし平出鏗二郎『東京風俗志』での歌舞伎舞台での「左右」は鳥渡解せず、と。その儘読めば舞台から客席に向い左右とする以外になく著者の勘違い、誤植やも知れぬが初版から再版が続き今更筑摩学芸文庫にまでなって誰か気がつきそうなものだが。T君に教示いただくは「囃子部屋を舞台の上手より下手へ移したるは事實、それに從ひ幕澑まりも上手へ移り、幕引きの左右が逆轉せしが現今の制」だが「天保四年初演「道行旅路花聟」幕切に勘平にあしらはれ鷺坂伴内が幕を引く滑稽の振事あり」「これは花道にゐるお輕勘平に對して伴内の下手より上手へ移動せざるべからず、據つて今の世にもこの一幕に限りては古法に任せ幕澑まりを下手へ取り候」とお軽勘平の道行での逸話知る。またT君曰く囃子部屋舞台上手より下手への移設は確かに「上手棧敷客に喧騒迷惑云々も確かにある」だろうが「花道にて役者の所作しどころに關聯」もあり上手を上席とするのも「神を祀りたる舞臺を南面とせば上手は東、下手は西とて、古來の席次にも相應」とT君。ところでZ嬢に聞いて笑ったがZ嬢が十年近く前に某公共団体主催のエアロビクスといふと聞えもいいがオバチャンらの体操クラスで指導者が動き教えるのに「しょんしょんわんわんしょんわんわん、さいわんほーほーさいわんほー、しょんさいしょんさいしょんしょんさい」と指導者が稽古つけるのに生徒と対峙せば左右逆になるを右左を用いず、この「しょんさい、しょんさい」用い誰も疑問なくこれに応じており何かと思えば「上環上環上環環、西湾河河西湾河、上西上西上上西」で要するに九龍から見ると右手が上環、左手が西湾河で右左だと指導者と生徒で左右逆になり説明も面倒なため、このどの向きであろうがこの上環vs西湾河の普遍制をば用いていた、と(笑)。なかなか興味深き事例なり。
▼歌舞伎の話に戻れば久が原のT君より今月の歌舞伎座の「吃又」での雀右衛門の好演ぶり。この芝居、T君曰く彼自身が「GHQ高級將校ならば媾和條約締結後も99ヵ年に亙つて上演禁止にしたであらう」(笑)といふほど嫌いだが(余も同感)、今月の京屋・雀右衞門の女房お徳は畢生の名演とT君。成駒屋の大旦那が実は生涯一度も勤めざりしこの役とT君に教えられ「さもありなむ」と合点に易しところ「雀右衞門が懸け得る熱意、思ひ半ばに過ぐべし」とT君。又平の「親もない、子もない」との述懷に、思はず俯き我が腹を押さふる石女の孤獨、一心凝つて筆が指から離れずなりし夫の手を「えらいこつちや」とつぶやきつゝ泣きながらさすつてやる母のやうなる情愛、只々不具者の夫が可愛ゆきばかり愚鈍なる女の眞情の美しさを寫すに雀右衞門ほど身に叶ひたる役者はなし。とT君の描写に京屋の舞台の様ありありと脳裏に映る。又平は吉右衛門。芝居上手も今では播磨屋に辣しく接すられもする歌右衛門、勘三郎らも他界では。ところで海老蔵の助六。T君、助六の黄足袋は踝の出づる淺く伊逹もの「これが宛然、當今青少年の日常用ゐるスニーカーソックスに見ゆるが如し」と。足袋も「ソックス」に見える、これが当世の海老蔵といふものか。
▼週刊読書人に角川春樹氏のインタビューあり。余はかつてこの人に畏怖の念あり。然れど氏の「向日葵や信長の首斬り落す」だの「黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る」といふ俳句の余りに戯れ句ぶりに「普通の人か」と安堵。だがやはり覚醒剤でムショの臭い飯喰って出所してきたかと思うとやはり怖い(笑)
▼朝日の世論調査にて小泉二世の支持率40%で不支持が42%と逆転。本来「小泉支持」とは戦後の自民党政治の悪しき点の改革支持であり本来は外の政党に委ねるべき作業ながら野党にそれが能わず自民党内部から「自民党をぶっ壊す」と号びし小泉二世に国民が乗った故の高い支持。だが結局は漫画「侍ジャイアンツ」の番場蛮投手が巨人軍をぶっ壊すといいつつ結局は反則擬ひの魔球まで使い巨人の栄光に尽力した如く小泉二世も自民党壊すどころか対北朝鮮外交、靖国神社参拝、公明党との連携、個人情報保護に軍事関連法の成立と自民党の課題をばあっけらかんと突破し寧ろ自民党の立直しに尽力。だがさすがに「もうじゅうぶん」の感ありか。最初から危険視されるべきところそれに国民の支持。南無阿弥。北朝鮮の拉致被害者の関係者とて同じこと。本来、拉致被害者救出が純粋なる目的のはずが支援者団体の幹部が自民党より参議院選立候補とか拉致家族が東京で立候補とか家族の中には自民党の集票装置の如く選挙応援にまで出て、小泉二世の二度目の訪朝での小泉罵倒に素直に小泉訪朝支持する国民との間にも感情にかなり乖離あること明らかに。当然の結果か。
▼朝日の文化欄に小林信彦が参議院選挙前に文章あり。本人曰く「もともとが無思想な商人の息子であり、あらゆる意味で非政治的で孤立していた」と自嘲する小林信彦が政治を語らねばならぬ時代が当世。この人らしい優しき文章ゆへに危機感滲む。いま右傾化といわれれるが思い起せば昭和二十九年の就職試験で憲法改正をどう思うかと当時ですら憲法改正反対と誦えれば就職試験で落される如き空気はありけして自由にものが言える時代ではなかった、と。ただし特高が現れたり非国民といふ罵りはなし。明らかに時代が変ったのは東京オリンピックで日の丸の旗が配られ玄関に立てること強いられもしたが、氏が明らかに時代が変ったと感じたのは八十年代以降。地下鉄サリン事件での一般市民を狙った無差別攻撃と阪神大震災での村山首相の対応の遅れのボケ具合。戦後の日本はここまで来ていたのかといふ再認識。それで小泉二世現れ一瞬、小林信彦という人ですら小泉二世により「薄暗い閉鎖的なトンネルを抜けた、と思った」といふが、これが甘いのだが(結局、何もせずの他力本願)、「まさか、そこから<戦前>のリプライの恐怖が始まるとは思ってもいなかった」と。ただリプライが「戦争を体験していない政治家・官僚が大半なので(略)歪みと滑稽さがあった」が。氏は昭和廿年代後半に当時の大人に「政治など誰がやっても同じ」と言われたが吉田内閣が倒れたことを引合いに出し、今度の参議院選挙に半ばあきらめも含む期待をかける。一読せば良識的な小林信彦の手記である。が、これが日本の非常にリベラルな良識かと思うと、頼りなきもの。
▼昨晩、香港代表する鮑料理の店・阿一鮑魚の富臨飯店にて香港代表する「組」の和勝和と和合圖が合同で会合開き香港警察のO記(有組織罪案及三合會調査科つまり暴力団対策)乗込み両組の幹部計十六名を拘束。聞けば組の合併問題協議、この世界もリストラだの再編成の要あり銀行、企業と何ら変りなし。

農歴五月初四。夏至。筑摩学芸文庫にて平出鏗二郎著『東京風俗志』下巻読む。著者は明治二年名古屋に生れ医学校卒業後東京帝国大学に国文学を修め文部省図書課の官吏となり教科書検定に係り小学校の修身教科書の起草委員を務め文部省編修官となる傍ら大学の国文史料編纂に携るが脳神経病み明治四十四年僅か四十二歳にて没す。地方出の官吏でありながら東都の社会風俗の知識に長ける。文部省の当世の役人にこれだけの才覚ある人士あろうかなかろうか。明治の東都の風俗愉しく読むが湯屋を語るに「湯屋は古への柘榴口附の制廢れて一斑温泉風呂の制に傚ひ屋上に湯氣ぬきを裝置するが故に湯氣に蒸せぶの憂なし 」と書かれてもその「柘榴口附の制」なるものが何か余には解らず辞書引けば「湯のさめるを防ぐため湯船の正面板戸で深く蔽い身体屈めて湯場の中に入る、銭湯の湯船の入口」のことでならば成る程と合点するがつまり江戸の風呂は「湯気に蒸せぶ」今でいえば蒸風呂の効果もありと識る。この下巻の骨頂は何といっても飲食にて「飯」は春の筍飯、夏の蓮葉飯、秋の栗飯・松茸飯、目黒は筍飯に栗飯、蓮葉飯は上野の不忍と読むだけで垂涎、魚は何といっても松魚(かつを)なのだが、それでも明治のこの頃にはもう「衣典しても啖ふ」つまり着物質入してでも喰らふ、漢詩の柏木如亭曰ク「欲解新衣当新味」の程松魚が美味いといふ喩えもこの時代にはその気勢漸くに衰へる、と。著者は鮪まぐろについて言及せぬはマグロが今日の如く好まれなかったからであり当然。だがこの松魚にかわって人気とりがマグロであることも明白。余はマグロが今日の如く食されるは遠洋漁業だの冷凍マグロの輸入などによるものと信じるが意外と明治のこの頃からのことかも。もともとマグロなど今日の如く刺身に食すほど高級な魚にあらず「漬け」を飯にのせて「かっ喰らふ」程度。今日の高級なる天婦羅や牛鍋が明治の頃には魚を揚げたり肉を煮たりの高尚ならざる料理店、而して鮓屋など平出曰ク「多く道傍に屋台構へて商ふものの外ほとんど料理屋の体をなすもの少なからず」と貶まれたもので、しかも小鰭、細魚、海老に穴子といった魚うおを握るのならまだしもマグロのヅケなど鮓屋でも供さぬ店多し(……とまるで明治を生きた如く語るが余に鮓のことならある程度語らせ給へ)。戦後とて新宿に昭和三十年代までヅケ丼の汚れた屋台あり。まるで鮪の赤身こそ東都の生っ粋の食材の如く思ふ者も多く鮨屋にて鮪の赤身に舌鼓など打つも、実は青森の大間崎沖ででも獲れたマグロが冷蔵され築地に届きでもすれば確かに美味いが、冷蔵もなき時代だの、今日のアフリカだインド洋だの冷凍マグロではヅケでじゅうぶん。マグロをば美味い美味いと刺身にて食すのか余には到底理解できず。東都生れのA氏と先日、北角の寿司・加藤にて寿司談義となればA氏も子供の頃などマグロなど父親も喰わなかった、と。加藤はご主人が青森の人ゆへ美味いマグロご存じだが、そうでもなければズケでいいはず。築地など今でも寿司屋の外にマグロ丼の屋台店あるのは昔の名残り。閑話休題この飲食の外余の浅学痛感せしは葬儀について。明治に青山、谷中に共葬墓地出来た訳はそもそも都下の寺院に墓地あり檀家の葬埋をば扱ったが明治六年に東京市内の墓地での埋葬(つまり土葬)禁じたが但し当時まだ火葬普及せず青山、谷中、浅草橋場町などの官立の共葬墓地及び「旧朱引の外」で千坪以上の面積有し隣地との境界より五間以上を距る墓地で警察の許可を受けた場合のみ土葬認める。この措置は当然、人口増加により土葬による死体腐蝕での伝染病など考慮したもので青山、谷中の墓地に埋葬の際も墓窩の深さ六尺以上と制す徹底ぶり。今でこそ著名人の葬儀多き青山斎場だの谷中といへば明治からの文士の印象ながら実は明治の土葬風習維持のための墓場だったとは「成る程ねぇ」と感じ入る。ところで歌舞伎についての平出氏の記載に一つ解せぬ点あり。久が原の朗然亭T君に尋ねれば直に解ることだろうが、著者曰く歌舞伎座の「土間及び棧敷は東の方を上等とす。もと囃子部屋は左側にありしを右側に移しゝも特に東の方の觀客に對して俳優の口跡の紘歌の音に制されて聞き難きことありしを避けたるなり 」と記載あり。客席にて東が上席はわかるがその東側の客がお囃子の鐘や太鼓の音で役者の口跡聞き難きを避けるために(とこれもわかるが)左にあった囃子部屋を右に移し……とここが解せず。「舞台正面に向へば」右の東が上手で左の西が下手。鐘や太鼓の所謂「下座音楽」の囃子小屋は下手にあるはずで上手の客の邪魔にはならず。左から右に移しては明らかに上手の客の迷惑。著者の記述で客席は東、西と綴りつつ舞台は右、左で上手下手を使わず、しかも「舞台正面に向って」といった註もなければ、著者にとっては舞台は舞台に立って客席を見て右、左といふのか、と思えば左(つまり舞台上手)から右(下手)に写したといふこの表現も納得。ちなみに京劇は現在まで鐘に太鼓の音曲は上手(つまり舞台向って右)に位置す。

六月廿日(日)天気予報は雨の印もあり雲行きも怪しく朝寝貪るが窓から眺むれば寶馬山の緑も陽光に映えバスにて大譚のダムを眺めスタンレイ経由しリパルスベイの海岸に参り南岸多少走ればトライアスロンの大会あり猛者ばかりか女子の部に小児の部まであり。海岸にて本日今季最終の競馬予想。毎年閉幕日は沙田競馬場に参るが今年はパドックの有蓋工事のため難儀し沙田には結局、国際レースとダービーなど算えるほどしか訪れず。携帯にて馬券求め海岸にて時々厚き雲が走り去ればじりじりと肌を刺す太陽に炎天下ジュネの『泥棒日記』読む。N兄と海岸で邂逅しカルスバアグ麦酒二罐飲み歓談。午後遅くバスにて中環。日曜の午後閑散とせしFCCのバーで競馬中継見る。ドライマティーニ二杯。本日のメインレース香港馬主協会錦標は季末にサイズ調教師のリベラルチョイスに期待するが香港マカオカップにて二位のパーフェクトパートナーの調教も仕上りよき状態を見抜けず今季の余の成績象徴するかの如き結果。自宅近くのジムの蒸風呂に寄り帰宅して枝豆にカルスバアグ麦酒。明後日が端午節にて先日購った「嘉湖」の粽を食す。美味。真露焼酎飲む。父の日とかで隣家の喧しきこと甚だし。ビデオにて「グッドラック」なるドラマの初回見る。木村拓哉君の顔に表情といふものなし。余の最近の「おきに」はブランデーの豆乳割り。雑誌『サライ』の銀座特集号読む。『サライ』など爺ムサくていけないし銀座特集など「今更」ながら東都から遠く離れて暮す郷愁もあり。ふと曾祖母の本葬だったか法事だったか祖母が一人これを仕切り新宿の常圓寺での法事のあとにわざわざハイヤー仕立て銀座八丁目の天ぷら・天国にてお清めの筵席設けたを思い出す。新宿でじゅうぶんに一席設けるも能ふをわざわざ車やとって新宿と子供ながらに祖母の見栄に恐縮したが天国の三階だかの座敷の欄干より銀座の裏通り眺むれば午後の遅くに新橋の芸者衆迎えに往く人力車が走りすぎ「ああ、なんか戦争前の昔のようだねぇ」とつぶやく祖母の声耳に残る。清月館の和菓子、くのやの和装小物、よし田の蕎麦と祖母を思い出し、ウエストでのお茶、資生堂パーラー、ザ・ギンザで母に連れられた頃を懐かしむ。三更に雨。本降り。雷鳴。『泥棒日記』読了。少年院出の若衆が男娼気取り男色家の客招き恐喝して……と今なら北京だの上海、越南の旧サイゴンにこの手の若者少なからずといふ話。ジュネが挙げる舞台や物語の小道具、見世物小屋、監獄、花々、不埒な獲物、停車場、国境、麻薬、船員、港、小便所、葬式、曖昧宿の部屋……なんと意味深な響きあり。それをただ美しいから愛すると言切るジュネ。中学生の頃にこれを読み当時いったい何を感じたのかも今では記憶の遠き彼方にて思い出せもせず。
久が原の朗然亭T君より。博多での中村魁春襲名博多座観劇に遊んだT君、博多は來月朔よりの祇園山笠近し、筥崎宮に參詣。以下T君の綴るを写す。廣からぬ神域みな海砂にて敷き詰められ、既に朝清め濟みたるとおぼしく、林間樹陰の白砂に箒目の至らぬ所とてなく、社人の心入れのほど忍ばれて候。御潮井と稱する神砂あり。社務所の小籠を求めてこれを盛り、玄關門口に置きて外出の折に身に振り掛け邪氣を拂ふが博多近在の古風と申し候。御潮井の砂には清き貝殼の缺片煌き混じり、龜山院宸筆「敵國降伏」の勅額(現在は模品)打たれたる樓門より續く髮の如き參道の果ては玄海の海、神功皇后三韓攻め所縁のこゝは海の宮居なりと、つくづく實感いたし候。尤も今や海岸は護岸工事にて潮の差し引きにも餘韻なく、とうてい淺蜊蛤の住み得る環境にてはなし、美しき松原など何處を見てもあるべからず候。海洋國家日本とはいへ内外に誇るべき美しき海濱を破壞し顧みぬ惡風、今に始めぬことなれども、二度まで神風を吹かせ給ひ國を護らせ給ひけむ筥崎の宮居の濱までもかくの如し。げに情けなき亡國の景に獨り嘆じ居り候……と。T君の感慨に何も説明は要るまひ。
▼国歌斉唱の強制について。強制と聞いて反発して坐ると決意した生徒、教師が処分されると聞いて立った生徒、生徒に自分は立つと説明した教師、事情があり卒業式当日に他の学校から転校してきて卒業式に参加し「名前を呼ばれたら立つ」様指導する時間しかなく国歌斉唱では「一同起立」で自分の名前は呼ばれなかったからとの判断で坐ったままだった生徒、「一同、ご起立願います」の一同に卒業する側の自分たちは含まれないと単純に理解した学校……こんなことだから全員きちんと起立して国歌斉唱することが当然といふきちんと徹底が必要、といふのが東京ファシス都あたりの感覚だろうが、広島では全小中高の校長に不起立の人数を報告させ、新潟では高校で「全員起立」から「ほとんど不起立」まで5段階で評価させ、福岡、大阪も不起立の有無を尋ねる。沖縄では斉唱時の児童生徒の様子を「ほとんど歌えた」「半数」「一部」の3段階で回答させ、さすが植民地教育、現地人がどれだけ日本に帰属できているかの戦前の台湾での調査の如し。福岡県の久留米では市民団体?や式に参加市議より国歌斉唱が「声が小さくて聞えない」と意見があり、校長に、式に参加の市教委職員の意見まで参考にしての斉唱時の声量の大中小まで調査し「小さい」の学校には注意伝達。(以上、昨日の朝日)国歌斉唱ができるかどうかが教育か。この程度のことに労力を要し、而もそこから様々な分断化が進み、寧ろ教育現場の崩壊に至るこの愚劣なる作業。全員が声を堂々と国歌斉唱すればよいのか。それが何なのか。それで何がどう良くなるのか、何ら答えもなし。だがこの国歌斉唱も自衛隊の多国籍軍への参加だの有事立法だの個人情報保護法だの教育基本法、憲法の改正だのと同じで全く思考力停止せし愚かな国民が何も申さずに、成す者に成し放題を許すが故。「小泉さんに任せておけば、石原さんなら」といふ、民度の低さ。近い将来、竹箆返しが自らに来ることも自業自得か。

六月十九日(土)快晴。昼前水泳。昼に尖沙咀のジムで一時間余の鍛錬。午後九龍某所に用事あり殺伐とせし郊外住宅地に毎週ウンザリであつたが此処に先週入会のジムありジム施設偵察。薮用済ませ尖沙咀に戻り再びジム。Z嬢と錦城韓国料理にて石焼ビビムバと冷麺。昨日に続き香港文化中心に参り音楽庁にてイヴァン=フィッシャー率いるブダペスト祝祭管弦楽団の演奏会。日本ではすつかり馴染みの楽団ながら香港は余の知るところでは初。匈牙利といへば小林研一郎の匈牙利国立交響楽団であろうが一九八三年にフィッシャー氏の熱意にブタペスト市が乗じ楽団設けて僅か二十年で世界でも評判の楽団に成長し見事なもの。残念は客の入りは七分程、なにせ香港ではブ祝管は知名度低くS席で六百ドル超えては苛しいものあり中途半端な二階正面のA席など全く売れておらず寧ろステージ裏や三階のC席満員にて本当に聴きたい客がこの席に押込まれていると思ふと料金下げて本当に聴きたい客で満席にすることが行政のなすべきことのはず。ラヴェルの円舞曲に始り弦楽器の最初の四小節で「ああ、これは聞きに来てよかった」と安心。何といつても今晩はこの円舞曲に続きシューマンのチェロ協奏曲イ短調でチェロがミッシャ=マイスキーなのであるから拝むほど。余にこの楽団でマイスキーのチェロを語る言葉はなし。ただ音律聴き心地よく過すばかり。マイスキーに万雷の拍手。アンコールで三曲。内二曲は当然の如くバッハの無伴奏チェロ組曲より一番のPreludeを早弾き見せ思わず時計見たら一分十五秒。カザルスが二分半くらいで弾いた筈。ただ早いだけでなくマイスキーのきちんと解釈に基づくのだから見事に曲が活きる。バッハ本人に聞かせたい、とZ嬢。拍手鳴りやまずAllemandeも弾いてマイスキーが舞台降りる。月並な表現だが休憩の間の余韻と興奮。マイスキーは明日から韓国ツアーで明晩にはもう韓国の統營でリサイタル。驚異的なる強靱な精神力なければマイスキーやつてられぬであろう。マイスキー聴けただけで今この時に生きていてよかつた、と感じ入る。休憩にて何人か知己の方にお会いして皆ただ口にするは感嘆のみ。某銀行のK氏などこの値段でこの演奏がこうして聴けるなど東京では考えられぬと、確かにそうであろう。で休憩のあとがベートーベンの交響曲四番。四番である。余もZ嬢も曲のフレーズすら浮ばず知己のA氏も同様と苦笑していたが何故に四番なのか。聴いて納得はまずフィッシャーがかなりこの曲が好きであること、楽団がフィッシャーの手塩に掛けた楽団であるからこそ、弦楽器、とくにバイオリンが奏者全員のチームワークとしてかなり弾き熟せねばならず、しかも木管はそれぞれの楽器がきちんとソロをとれるだけの実力が求められ、そういう意味では楽団の底力がないと演奏できぬ曲であり、たんにマイナーだからで演奏されぬのではなく、実は田園や運命に比べそんじょそこらの楽団ではとても演奏会には出せぬ曲なのだ、と納得……だが勿論けして面白い曲でないのは確か。だがフィッシャーにとってはこの曲が演奏できるといふのはこの楽団を率いる楽しみの筈……だがそんなこと殆ど誰も理解しておらぬが。いやいや実に満足の演奏会。二十年でこれだけの楽団が育つたなどと聴くと香港でも浅はかなる行政が「香港もブタペスト見習い音楽文化の振興を」などと意気込みそうだがブタペストに土壌がありフィッシャーの言を借りれば石油が埋蔵されているのに誰も気がつかぬからフィッシャーがこの資源を穿つてみせたのがこの楽団。尖沙咀の繁華街、夜十一時の地下鉄に十代の若者らの姿多し。

農歴五月初一。夕方驟雨。ジム。Z嬢と尖沙咀に待ち合せ寿司亭なる回転寿司に食を済ませ香港文化中心にてDaniel楊春江君の舞踏「形亡極樂」観る。二年前に哥仔戯なる舞台演じた折の楊君はまだ現世にて踊っていたが今回二年を経て(宣伝用の写真(右→)はまるで今様の青年ながら)今晩開場となり客席に入れば舞台には全裸に半透明のビニール質の衣装といふのだろうか(ちなみに衣装設計は余の旧知のSilvio Chan君)被って立っている姿は剃髪にすっかり身体の贅肉削ぎ落され禅宗の仏像の如し。顔の形相まるで別人。踊り始めれば瘠せても見事な筋肉に躍動感あり思考ならも一切の余計なるもの落ちて楊君が舞踏の中ですでに解脱の域にと達せしこと感じ入る。見事。最後宙乗りにて昇天する姿はもはや極楽浄土。偶然にも今日の朝日衛星版に舞踏で横浜で大野一雄先生のフェスティバル開催の記事あり。五十年代にモダンダンスしていた頃の大野先生の珍しき非常に可愛らしき写真あり。余の書斎には大野先生来港の折に頂いた「ラ・アルヘンチーナ頌」の写真あり(写真)見上げる。楊春江君の舞踏見終り香港島に渡るスターフェリーで客席の片隅にひっそりと隠れた一人用の席を発見(写真)誰がこんな隅に坐ろうか。なにか「ちょっと事情ありそうな」味わいのある席。帰宅してキース=ジャレットのケルンコンサート聞きGlenmorangieの1975年のモルト飲む。この年、先々代の三津五郎が河豚にあたり亡くなり北の湖全盛のなか貴ノ花悲願の優勝、広島赤ヘル、沖縄海洋博からもう三十年。朝日に夕陽妄語で加藤周一先生「また9条」と現行憲法とこの9条の大切さ、いかにこれが歴史的使命果してきて今後も指標となるかを説く。この昭和代表する碩学の言葉を若き誰もが聞かず。
▼昨年の七月一日のデモに「何十万人がデモで反対しようと二十三条立法はできる」と豪語せし親中派にて香港政府御用政党の民建連の前・主席曾玉成君、あれから一年、民建連の区議選での惨敗で党主席辞任、昨日のシンポジウムにて北京中央による07年の行政長官、08年の立法会選挙での普通選挙実施の否決が9月の立法会選挙では民建連が取込むべき中間票民主派に流れコアな支持層の票は急進的親中政党に流れ結局民建連が追い遣られる結果になる、と心情をば吐露。昨年の七月朔日以来来港の中央政府関係者に香港での普通選挙実施の必要性説いたが聞入られず、と。曾君に一年前の不貞不貞しさの影もなく悲壮感。諸行無常。
▼低視聴率が懸念されるNHK来年の大河ドラマ「義経」。今年の「新撰組!」の惨澹たる状況でのテコ入れにて渡哲也先生と松坂慶子先生の大物起用でアトはヒロイン役だけが暗礁に乗り上げていると「言われている」がヒロインはすでに石原さとみ嬢に決定してる、と東都の事情通某君より。石原嬢といへば熱心な創価学会の信者だそうで主演の滝沢君も創価学会といふ噂もあり。興味深きことは原作者宮尾登美子先生の「強い要望」によって俳優・小泉孝太郎君、まだ芸能界にいたのか……といふのが素直な感想だが、が平某役でレギュラー獲得。父上が宮尾先生の携帯に自ら電話を入れてお礼を申し述べたという往年の『噂の真相』の如き風説もあり。これがもし本当なら来年の大河は強力な自公体制。これこそ政界のまさに大河ドラマ。ある程度の視聴率も期待。自公となると脚本のノリは「国を愛する」がゆへに国を変えるために若い命を捧げ大志叶うことなく死んでゆく「海ゆかば」の如き義経。興味深し。義経の海ゆかば、なら日本海をば大陸に渡ったといふ義経神話にもつながるか。
▼一昨日の晩に奇妙な事件あり。香港島の市街西に皇后大道を向かえばKennedy Townにて道は名を皇后よりヴィクトリア道と変え島西端の海と山に挾まれし辺りを小高いデイヴィス山を仰ぎ行けば道の左右には豪邸だの閑静なる高級マンションが緑に点在す。そのマンションの住人窓より眺むれば道路に一台の車が止まり男が四、五人あり不審に思い警察に通報。警察駆けつけ七人の男の身元調べれば中国の公安(笑)。何を偵察に来たのか警察がひとまず同行願ふも高度な政治的判断かで釈放。それにしても住民に通報されちまふくらい目立つのぢゃいけない。ところでこのマウント・デイヴィス道界隈政治的に奇しき場所にて豪邸の廃屋多く、その一つに「白屋」と呼ばれる白壁の屋敷あり。かつての英国軍倶楽部ハウスにて六十年代には警察の政治部が総部として徴用し反英暴動の折は政治犯留置させ取り調べ。再び廃屋となるが今また警察の反テロ対策及び内部保安組が徴用し総部とする計画もあるとか。

六月十七日(木)晴。数日の忙殺も一段落。昨日の経済紙信報に興味深き記述幾つか読む。社説は中国国内の経済過熱について。93年の過熱が投資に偏り国際消費の伸びを伴わぬ部分的だったものに対して今年は投資・消費がもはや統制効かぬほど過熱しており市場が調整不能に陥る。しかも投資は政府が完全に制禦する=市場力の支配を受けない=暴利貪ることの可能な金融、公共事業、鉄鋼や資源など国家指定の基幹産業に向いており、これらの投資が全国に広まっている悪循環。また中国の経済成長がこれだけ続いていることに楽観論もあるが、登β小平が政局掌握した七八年十二月の歴史的な三中全会から始まったと思えば今年で二十六年。新興経済国家の長期経済成長の例としてはブラジルやメキシコがあげられるが両国とも三十年で成長から急激な経済混乱に陥っており、中国の経済成長の現状が今後もこのまま推移すると予測は難しい、と。社説はこの状況では政府による経済制禦がもっとも重要であると結ぶが、それを思えば現状では政治的安定が前提であり一党独裁も必要悪か。同日同紙で主筆・林行止氏が専欄にてあちこちで頻繁に用いられる“There Ain't No Such Thing as a Free Lunch ”について述べるは林氏はこの格言がシカゴ派経済学の大家Friedmanによるものと信じていたが実際には違っており(……以下、省略)余が何に興味もったかといふと、この“There Ain't No Such Thing as a Free Lunch”がハインラインのSF小説『月は無慈悲な夜の女王』にこの格言の頭文字をとたった“TANSTAAFL”といふ章があり主人公がこの「タダの昼飯なんてない」といふ言葉を語っていたといふこと。ハインラインのこの『月は無慈悲な』余は中学の頃に読んだがこの言葉など今では記憶に微塵もなし。ただいつか再読とこの文庫本数十年持ち続けており今一度読む意欲沸く。本日の蘋果日報の陶傑氏の随筆「香港殯儀館」傑作。レーガンの国葬看た陶傑氏、そのレ氏の葬儀の荘厳さは何ゆへかといえば中国式の「治喪葬儀委員会」が場を仕切り混乱させぬのと香港殯儀館が米国になきこと、と。香港殯儀館は北角にある、香港煙草有限公司と向かいあふのが一興だが、レスリー張國榮だのアニタ梅艶芳だの各界の著名人の葬儀行われる場所にて格式高き葬儀場であるべきところ昇降機の極端な狭さ(尖沙咀重慶大廈に匹敵する狭さなり)、参列者の座る椅子も「新界の士多ストアにて麻雀する時に使うのと同じ、バーゲンで一脚僅かHK$19.9で買える黒色のビニール張りの簡易椅子」で、葬儀館の職員といへば何故か永きにわたり三十代の痩弱蒼白の男ばかり、今で言えば芸人「李燦森」似で、せめて葬儀くらいVersaceのモデルかキャセイ航空のスチュワートかジャッキー成龍似の男でも雇うべき、と陶傑氏。また、地理的にも北角にこの葬儀場があり火葬場は香港島東端のCape Collinsonにあり故人をば荼毘に付した後にまた市街に戻り一流ホテルでの「解穢酒」お清めの一席あり、各界著名人が葬儀に参列するが時間の浪費も著しく、香港殯儀館が火葬場をば買収し場所も殯儀館に近いQuarry Bayの埋立地にでも移設した上で火葬場の隣に解穢酒用のレストラン併設せば「葬儀最短一時間お徳用パッケージ」ができるのだから経営改革に勤しむべき、なにせ董建華辞任或は失脚の折に多くの人が董建華偲び悲しみの極み(これが葬儀場とどう絡む話なのか陶傑氏の文章から読みきれず……おそらく多くの人が董建華偲び葬儀に訪れるといふ暗喩)、レスリーやアニア梅など香港島の居民はこの葬儀場以外に選択もないのだから、と。

六月十六日(水)雨のち曇。Happy Valleyでの今季最後の競馬ながら昨日より忙殺にて競馬場訪れる氣力體力もなく自宅にてテレビ觀戰。明太子のパスタに白葡萄酒。自宅にて食事しつゝゆつくりテレビ觀戰もまた一興。この競馬場での賭け方といふのは沙田とは違ひ冒險がゝなり必要であること解つてゐるが次季の課題なり。今晩、灣仔の展覽中心にては映畫「登β小平」プレミア上映あり各界名士集ふ。銅鑼灣にては全日空と朝日新聞が落語會開催あり日本人多く集ふ。林家こん平來港。餘は一四、五の頃にかなり落語に熱が入り鈴本だ末廣亭だ淺草の演藝ホールだと通ふ。當時テレビ番組「笑点」にてこん平の出演あり餘は三平の一番弟子のこん平が噺家でありながら新潟出身の田舎者を賣りにすることに嫌氣あり。餘は三平もなぜ面白いのかわからぬふちに三平師匠も鬼籍に入る。

六月十五日(火)朝に驟雨あり。昼に中環卑利街の京味居に食す。唯霊氏、劉健威氏らの紹介で繁盛の四川風味なり。炸醤麺、水餃に京焼羊肉。秀逸。店の主人劉健威の信報連載の随筆を店に貼っており眺むれば「奇菜」と題した昨日の文章にて劉氏店の名を語らず知人と食した「附近的京菜小館」として此処で食した「黒々と焼かれた濃厚なる風味の羊肉」供され知人それを「爆糊」と呼びこの羊肉爆炒をば初めに作った料理人も大したものと劉氏賞め香港にて食すを喜ぶが、昨日それを読んではいたがこの京味居とは知らず偶然にも注文した京焼羊肉がそれ。卑利街の少し上がった処には陳成記あり伊湯麺も食したくもさすがに我慢。炸醤麺といへば初めて食したのが盛岡。盛岡の友だち尋ね県庁近くの白龍といふ店に食した味未だ忘れ難し。大蒜のきいた肉味噌の濃厚さに驚いたが麺食し終わったところに白湯を注ぎ飲むスープの美味さ。冷麺も盛岡は本場にて市街の有名店もよいが連れて行かれたバイパス近くの普通のバイパス沿いにありがちな食堂の冷麺の美味なること。何故に盛岡に炸醤麺、冷麺かと想像するに戦前に半島より強制連行された朝鮮人士より広まったのか、同じ北緯38度線にて厳寒の気候ゆへかなどと語りつつ舌鼓み打ったも早二十年の昔のことなり。香港のこの店の炸醤麺は麺が「手拉」の手作りにて歯ごたえ格別。晩にFCCにて天安門事件のドキュメンタリ映画の上映今晩より連続三週火曜日にあるが急ぎの仕事あり見られず。Z嬢とQuarry Bayのインド料理Mother Indiaに食し遅晩まで急件済ます。荷風先生の日剰昭和16年の春までを読む。日に日にます軍事の臭いに荷風先生、自由に生きること覚悟する日々続く。
▼香港通信の元編集長吉田一郎君さいたま市長らの給与是正に反対しハンスト中(こちら)。香港の頃に比べ写真見るとまことに精悍なり。ハンストでも食煙(喫煙)は続けるだろうか、きっと。吉田君をよく知る香港のマスコミ関係S嬢(かつての余の香港通信連載時の編集者なり)は氏の緑のシャツに香港の頃(もう5年以上前?)に見覚えあり、と(笑)
▼蔡瀾氏蘋果日報連載の随筆にて自ら主宰の旅行団宣伝ばかりか本日は遂に自らの秘書の募集。本人「既然我有一個專欄、就能公開假公濟私、不然寫來幹甚麼? 」(連載欄で「公ヲ借テ私ヲ済ス」書くのに何を躇おうか)とは呆れるばかり。求人広告の掲載料ももったいない、と言うがちなみにこの随筆(笑)の題は「女秘書」で香港の条例にて当初より女性に限った求人広告は掲載できず。
▼岡山県選出の自民党代議士平沼赳夫君教育基本法改正の必要性強調する中で「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている」と述べる(朝日)。暴論甚だし。養父は戦時中の首相・男爵平沼騏一郎君にて妻の父は貴族院議員で公爵の徳川慶光君(慶喜嫡孫)といふ平沼二世。養父は敗戦での東京軍事裁判にてA級戦犯とされ終身禁固の服役中に病死(昭27)とあっては戦後の「民主改革」で生れた教育基本法だの日教組だの「家訓として」憎むも理解に易いが個人の尊厳まで罵倒とは。これでは所詮ファシズム。その昭和の初めに「国家の尊厳が行き過ぎて国家破壊が起こり軍人同士が殺し合いをする荒廃した状況」であったのが事実。この平沼二世だと三菱ふそうの自動車問題も個人の尊厳の行き過ぎか(嗤)
▼昨日有事関連七法案の成立。これほど重大なことが讀賣では三菱ふそうの自動車問題より扱い小。プロ野球パリーグの球団合併の方が国民の関心高し。亡国の様極まれり。朝日は社説にてパリーグ維持のために巨人(=讀賣)二分割してパにも巨人軍を、と。朝日が衆議院で圧勝の自民に参議院でも奮起期待するが如し。巨人などセリーグにあるだけで十分なり。

六月十四日(月)快晴続く。早晩に石Kip尾に赴く。地下鉄で旺角と九龍塘の間に位置する站ながら降り立つは余も初。五十年代には大陸からの被災民押し寄せこの一帯にバラック小屋建て住まい五三年に大火あり五万人焼け出され民生など放任政策であった当時の政庁も所謂「難民住宅」建造しその後公団住宅の整備された一帯。站の上蓋の一帯は老朽化せし公団住宅の立替工事の真っ最中。南山邨といふ団地(写真最左)の南豐楼にある嘉湖といふ店(写真)で予約した粽を受取り。もともと早茶の店ながら粽が評判で今年も廿二日の端午節に向け繁盛。予約せねば買えぬほど。初めてのこの土地に散歩。南山邨に隣接の小高い丘の上に石Kip尾警察署あり。市街より不便な場所にて恐らくは今でこそ整備されし石Kip尾公園の一角ながら当時の難民バラックの群れを思えば警察署がそのバラック群見渡すこの丘陵に位置せしことも想像に易し。石?尾站に盲人多しと思えば香港盲人中心といふ大規模な施設あり。閉館の映画館あり南昌戯院といふ(写真)。石Kip尾の最も古い公団住宅(石Kip尾上邨)はすでに取り壊し大規模な建造工事すでに始まる。下邨の古いタイプの公団住宅も取り壊し待つのみ(写真、31号棟、25・26号棟の写真は着色)。南昌街より北に獅子山望む。この方角だと正に獅子の頭がこちらを向き眉間を射すほど(写真最右)。近くに食したきもの多かれど九龍某所に薮用あり時間なし。帰宅して四方田犬彦編『男たちの絆、アジア映画』平凡社読む。米国の文学者セジウィック女史の『男同士の絆-英文学とホモソーシャルな欲望』名古屋大学出版会01に触発されたアジア映画論。地下鉄の中で読み始めたが周囲の視線が気になりふと気づけばこの本の表紙はレスリー張國榮先生の追悼写真……「レスリー本読んでる」と勘違いされたであろう、慌てて表紙裏返したが、レスリー様の遺影にて本の売れ行き期待だろうか。Homo-socialityとはHomo-sexualityとは異なり(寧ろ同性愛性はそこでは禁忌)これは「(男女を問わず)同性同士の(異性)排除的な絆を専らとし異性をその絆の強化確認のために利用するシステム」のこと。四方田先生はこのホモソーシャルが八十年代のオリエンタリズムや九十年代のジェンダーの如くこれから流布され用いられる概念といふ(今さら、で多少疑問あり)。四方田先生は赤木圭一郎と宍戸錠の『拳銃無頼帖』を題材に日本映画のこのホモソーシャル性を取上げるのだが、続く斎藤綾子の「高倉健の曖昧な肉体」といふ文章にも言えることだが「今さら」でなくともかなり認識されてきたこの「組」だの男社会でのホモソーシャル性であり、高倉健といふ俳優については究極は結局「男の理想像としての健さんが姐サンであった」といふ不条理の一言に尽きるのではなかろうが(当然、この本では其処までの言及はないが)。四方田の文章ではこの赤木&錠の関係よりも藤村有弘といふ今でも余り評価されぬ俳優がこの拳銃無頼帖にて演じた謎の中国人の役柄についての指摘であり「日本人の男性同士がホモソーシャリティをより強固なものとして構築するために他者として必要とされた人物」と藤村の役割を指摘し「ホモソーシャリティが見えないところで民族差別を前提とし藤村有弘を犠牲とすることで成立している」と述べていることが最も興味深し。四方田も其処まで言及せぬがこのホモソーシャリティを強固なものにするための藤村有弘(といふかなり個性豊かな俳優)の排除が、よく知られていることだが藤村が同性愛者であることを思えば、四方田が最初に述べた「ホモセクシュアリティを排除することで成立するホモソーシャリティ」といふ概念に合致するもの。ところで四方田は藤村の系譜は「現在のタモリにまで続いて」おり日本映画における非日本人の役柄を演じる俳優として藤村を小沢昭一と並び最も重要な俳優としている。今でも記憶に残るは日テレで土曜日夜に放映されていたタモリの「今夜は最高」なる番組に藤村有弘が亡くなる数年前だろうか、に出演し、タモリもいつにもなく高揚を見せ、二人で似せ外国語で会話する巧妙ぶりなど今でも耳に残るもの。タモリの四カ国語麻雀などタモリも認める通り藤村の系譜であり、藤村がBCL(短波放送聴取)のかなり専門的な趣味を有し其処で得た外語のニュアンスであることなど披露。この本では他に漱石から鈴木清順に至るホモフォビアの近代、レスリー張國榮の『覇王別姫』取上げた論、また香港映画のヤクザ警察モノ論(『男たちの挽歌』から『無間道』まで)などアジア映画のホモソーシャル性を丁寧に分析。だがすでに映画のなかで観衆は感じている、恐らくは伝統的な社会にホモソーシャル性があったからだろうが、そういう観念のためこの本を読んで「今さら」なるほど、といふ程の感想もなし。
▼すでに綴っていた日剰用の文章をば削除してしまふ失態あり。以下、翌日に思い出すも能わぬ老化ゆへの健忘。確か綴ったは築地のH君より土曜日にNHKの衛星だかで海老蔵襲名の特番あり山川静夫と加藤武が海老蔵を語るのだが話はすぐに六代目だの先代の中村吉右衛門だの、十五代目羽左衛門にまで遡り、当然、海老蔵で祖父十一代目團十郎に話は至り、あの助六のくわんべら門兵衛は誰だった、仙平は誰だった、いやぁ彼はよかった、実によかった……といふ昔話となり、思い出したように海老蔵の話に戻り更に思い出したように海老蔵の此処は、彼処は父(團十郎)に似ている、と。團十郎といふ人、この十一代目とそれに瓜二つと称される期待された息子に挟まれるが、それを悪くとらず、穏やかに見据えること出来るのがこの團十郎といふ人の柄。新之助君の隠し子騒動の時の團十郎の歴然とした様など実にこの人の柄の大きさ。……以下、いくつか綴りおきし話あれど一切思い出せもせず。

六月十三日(日)海南島のほうに台風上陸とか、風が雲散らしたか雲一つなき快晴。朝早く起きて久々に裏山より大譚の自然公園まで上り(写真)貯水池、引水路道を走り抜け南岸の海岸まで一路9キロほど九十分にて至る。海岸にてジュネ『泥棒日記』の頁開くが快晴も神の悪戯か微睡みも易く数頁も読めず。昼に麦酒飲み午後も微睡み続き。午後遅く灣仔。ジム。Z嬢と落合い別なジムの入会手続。今のジムは五年ほど前に三年分会費毎払いすれば二年無料だか二年で三年無料だったかで入会し後一年ほど会籍ある筈でここ数年無料感覚続き自宅に近い別のジムが特恵料金提示したので入会といふ訳。帰宅して枝豆で恵比寿麦酒。鮪の中落丼。久が原の朗然亭君よりメールあり昨日の余が永平寺にて貫首のお出ましに伴僧が「お出ましになられますから合掌でもつてお迎へください」との敬語表現がおかしいと綴った件につき臨済に近縁のT君曰く余の存念尤もいえど「實は伴僧は「身内」に非ず信者と同樣貫首の弟子」であり「この場合やはり敬語を使はざるべからず候」と。「禪家の室内は徹頭徹尾師僧に絶對服從、共産・ヤクザとさして變はらざるは寧ろ當然」で「而して禪は宗教」「室内の修煉を情慾海中の衆生濟度に用ゐるこそ目的なれ室内の門弟以外に室内の作法は強要せず」と教示あり。十一歳での入門が永平寺かジャニーズ事務所か、については「只違ふは何十年修行なすとても自己以外の他者の役に立つ捨石たるべきか否か、この一事」であり「禪者窮極の目的は他者の爲の捨石たることに極まり」と。昨日の放映内容見ても感じたが余も多少なりとも若き頃にこの宗派の僧に知古を得、内情につき仄聞も知りし者として仏門にしては体育会的、人脈(といへば聞えいいがコネ)だの資金力だの自民党代議士の地盤、鞄、看板ぢゃないが厳格は筈の禅宗にしては些か気になるところもあり。T君の指摘通りテレビ局が宗派の「淺き處を撫づるのみ」で「作家を介せずばドキュメント取材なすこと能はず情けなき限りに候」との指摘。御意。雑誌『世界』七月号での慶応義塾教授・金子勝教授の発言(「無責任」と「不安」のスパイラル)溜飲下がる思いで読む。日本のリスクに関する鈍感さ、「いつ暴漢に襲われるかわからない」といふ不安からセキュリティ意識高めても実は交通事故に遭う危険性の方が高く、石原慎太郎に象徴される外国人増=犯罪増も、そもそも徹底した入国管制にて犯罪歴のある外国籍人士だの入国できぬわけで前科なき者がなぜ日本で犯罪を犯すのか、移民政策に公正なルールが欠けているのではないか、北朝鮮にしても「ミサイルが飛んでくる」といふ不安が真しやかに語られ、不安が煽られ「夜道で暴漢に襲われるかもしれないから」の不安感から憲法を変え国防を強化しなければならない、といふ幼稚でだが低き民度にはわかり易い言説が行交ふ、この無責任なる体制で、結局は漠然とした不安が政治的資源として利用され、至るところに監視カメラ設置の監視社会、警察国家化するのだが、警察がいれば安全といふ発想は、金子教授曰く、百円ライター買うと「対人賠償責任保険付」とシールが張ってあるが、もし本当にライターが爆発したら誰もそのライターの製造会社だの保険番号など覚えていないのと同じ(保険に入っていること=警察がいることが何となく不安感の解消になるだけ)と(笑)。お見事。この号の『世界』の特集「犯罪不安社会ニッポン」は必読に値する充実した内容。社会不安で監視カメラ設置に九割の国民が賛成する現実だが、実際には犯罪社会がいかに演出されたものであるか、都市の犯罪が都市内部でなく(監視カメラの設置された都市の繁華街でなく)「郊外」に発生することがいかにこの廿年の都市化に問題があったかといふこと、など興味深き指摘多し。

六月十二日(土)曇。競馬の予想済ませ昼まで裏山久々に走る。雨期ながら雨降らず日本に早々と台風上陸、気温は摂氏三十度といふが風も肌に涼しく北京は三十九度。昼に尖沙咀のレインクロフォード百貨店にてTUMIの行李の直し受領。ジム。午後に九龍にて毎週の薮用済ませ早晩に帰宅途中に恵比寿麦酒購はむとジャスコに寄れば父親節にいつも以上の混みやふ。消費ばかりの世の中。午後よりよく晴れる。帰宅して黄昏に枝豆で恵比寿麦酒二本飲む。競馬の結果見れば惨澹たる結果。NHK特集にて曹洞宗永平寺の七十八世貫首宮崎奕保禅師の番組あり。齢百四。テレビカメラに向い「見悪いところ撮るなよ」と永平寺の禅師ともなるとコメントだけとれば住吉の組長と変りなし。それが道を極めるといふこと。この番組で聞き手として立花和平の起用は果して必要かどうか。禅師十一歳より九十三年間毎朝晩と座禅。立派な方であることはわかるが禅師のお出ましに際し永平寺の坊主が禅師が「お出ましになられますから合掌でもってお迎えください」と書院にて信者に告げるを聞き余は皇族に対してに始り松竹の永山君に至るまで身内が身内の長に敬語使ふことの不快感感じ入る。この敬語が使われるようになると中国共産党的な覇権の世界に陥り本来の極道の真理より乖離。寺に修行する雲水らの姿見て、恰度余が苫屋の居間には「行雲遊水」といふ掛軸があり余も気持入替え座禅として番組眺めたが、雲水らの奇妙なる僧堂での動きの為草に本木君の映画「ファンシィダンス」思い出し笑ってしまひ、この寺の世界と宝塚だのジャニーズ事務所と何が違ふのか、と思ったら、NHKも節操なくこの番組に続けてジャニーズジュニアの少年倶楽部とかいふ番組流れ、座禅どころの気分に非ず。十一で永平寺に修行に入るのと十一で越後獅子の如く「やぁやぁやあ」とかいふ四人組で音曲に勤しむと何がどう違ふのか余にはわからず。週刊読書人読む。角川書店刊行のダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』なる新刊書の提灯評論ありと思えばその頁の下に五段抜きで同社のこの本の広告。大西巨人氏の鎌田哲哉相手の対談は三十九回目に及び一切編集せぬ一字一句漏さぬ内容はさすがにうんざり。連載五十八回目迎えた「執筆と編集のためのパソコン技法」も「こんなの読まないと文章も打てぬのなら電脳を使わぬでよし、これを読んで理解できるのなら読む必要もなし」。呆れるほど。一年以上購読したが購読中止近し。平凡パンチからHanakoまで編集長務めた椎根和氏の「平凡パンチの三島由紀夫」なる新連載は一瞬これは面白いかと思ったが初回から三島について「洗練されたコロニアル式の白亜の家を建て、有名画家の娘と結婚し、二児の父であり、日本人で最初にサイケ・クラブで踊り、ボディビル、ボクシング、剣道の有段者、そして見事な胸毛と筋肉で、男性ヌード第一号の誉れを得て、ジェット戦闘機で超音速飛行体験をし、マッハGバッチをさずけられ、パーティの招待状にはティファニーの便せん封筒を使い、大金を投じて私設軍隊をつくり、本業の小説のほうではベストセラーから純文学まで書きあげ、日本人作家初のノーベル賞候補といわれ」「さらにやくざ映画に主演して話題をよび、映画の製作もし、せっせと世界中を旅行し」「このような破天荒な行動をした日本人は、歴史上、三島由紀夫ひとりである」といふステレオタイプな記載にうんざり。あの馬込の家のどこが洗練されているのか。二児の父といふのは「男色家でありながら」といふことか、「日本人で最初にサイケ・クラブで踊り」など門外漢には何のことかさっぱりわからぬが多少の好事家は三島といへば丸山明宏(美輪先生)と出遇った銀座のカフェバーだの四谷にあったといふ某酒場だので、サイケといわれると昔の「サザエ」だの今の若い人は知らぬ店を髣髴。三島先生の胸毛も筋肉も見事なのかどうかは見る人の思い入れ、三島先生が男性ヌード第一号とするが三島先生も寄稿したといふ昭和廿年代の『アドニス』誌に掲載されたヌードが先駆のはず(別冊『太陽』発禁本2参照のこと)。マッハGのバッチなど当時の東海道特急こだまの乗車記念バッチと感覚は同じ、パーティの招待状にティファニーの招待状など欧米の有名な銘柄の書状用いるなど朝香宮、有栖川宮だの白州次郎だのには珍しきことに非ず白州正子が聞いたら「ふん」と一笑に付して終り程度のこと。楯の会が軍隊なのか、「ベストセラーから純文学まで」って純文学のベストセラーもあるわけで言葉の範疇は不正確、「純文学から匿名で男色小説まで」とでもするべきで……といちいち言うのもなんだが、こうしてこの僅か数行ででも三島といふ人物の必要以上の物語が構築されそれが現実と思われるのが歴史。読者ばかりか編集者まですでにポスト三島の世代であるからこうした記述に惑わされ易し。どんな連載になるのか、と興味もありつつ週刊読書人ももう購読止めようか、といふ気分。岩波の『世界』にも同じような感慨あり。数日前に大江先生、加藤周一先生に小田実先生といふ岩波的なお三方が護憲の立場で憲法九条守る運動起す云々の記事が朝日だかに(って他のどの新聞にこれが載ろうか)あったが、問題は大江先生も加藤先生も小田先生もテレビの主婦相手のバラエティ番組だの、笑っていいともだの、NHKの毒にも薬にもならぬクイズ番組に出ぬから日本の大部分の人に全然影響力もないのが事実。どうせならこの三人に和田アキ子君と明石家さんま師匠でも入れば話題になろうが。
▼北京にて昨年SARS惨禍をば外国マスコミに語り天安門事件での医師として見た実情も吐露し事変の歴史的評価の見直しを公言せし蒋彦永医師六月四日を控えた二日より十日余行方不明。中共政府による身柄拘束の模様。

六月十一日(金)快晴。晩にジム。帰宅してニュース見れば三菱自動車の問題にて国土交通大臣石原伸晃君三菱製自動車を「走る凶器」と喩え。話す凶器、歩く狂気は誰かと言わぬがファシス都知事突然(笑)画面に現れ「道路で隣りに三菱の自動車が来ると怖い」と述べる。余は都知事が隣りにいるほうが三菱の自動車よりよっぽど恐怖。芸人レイ=チャールズ氏の逝去。まだ七十六歳という年齢に驚いたが事実。もう二三十年前より十分に七旬の「老人」だと思っていたのは笠智衆なみ。晩遅く電話にて母と話す。海老蔵の助六見た母曰く切符入手の電話予約にて予約開始から三日目に漸くつながり空いていたのが一等席の僅か三日程度だったそうで、それも二階のかなり奥まった一等席でも端の端。母の見た海老蔵は助六の花道の出ではさすがに成田屋と思ったがやはり禅りで口跡に難あり、芝居始ると新兵衛(これは適役)の中村屋や門兵衛役の播磨屋、意休が当り役の高島屋だの芝居上手の先輩役者の演技にやはり喰われてしまひ成田屋とはいへまだまだ若い、若いと母。やはり助六で当代は松島屋の右にでる役者はなし、と母と評が落着く。ここ数日日剰の日付け五月と記載に自ら気がつかず、単に間違いでなく五月と勘違いとは老いの痴呆。三更明日の競馬予想に遊ぶ。ちなみに蹴球の欧州2004だが余は前回の世界盃での伯剌西爾優勝に気を良くして次回は伊太利亜と宣言した手前、今回の欧04も伊太利亜優勝に祝儀。ちなみにA班は西班牙、B英蘭、Cは当然伊太利亜、D独逸といふのが余のあまりにつまらぬ予想。これで本日賭けを済ます。
▼小泉三世がブッシュ二世に公言の「自衛隊の多国籍軍参加」は内閣法制局のお墨付き東京新聞。内閣法制局、本来なら時の権力に与せず徹底した法治観念にて国家の最高法規たる憲法に合致する行政、法政をば護る役所ながら、実際には「内閣」の一局にて法律審査に当たる参事官も所詮、他省庁からの出向者とあらば結局は各省庁に強き与党の有力代議士に謂わば「キンタマを握られた」幹部公務員に過ぎず。湾岸戦争にて多国籍軍支援の自衛隊海外派兵を盛り込む国連平和協力法案に抵抗示したような過去もあるが、警察予備隊発足から今日の多国籍軍参加に至るまで内閣法制局が「現実的に」対応の業績あり。
▼香港警察のトップを昨年十二月に引退せし警務処処長・曾蔭培君(政務司長曾蔭権君実弟)新創建有限公司に天下り就職。月給約五百万円の取締役。警察トップは前任の許淇安君が嘉華集団、その前任の李君夏君(初代の華人処長)が李嘉誠君の長江集団と三代続けての民間デベロッパーへの天下りに、その公職経験者の強欲ぶりと面の皮の厚さに呆れるばかり。本来、警察トップといふ立場ならば中立に徹し余生をば南海の別荘ででも過ごすべきところ財界に取り入り男芸者ぶり発揮とは。現職の処長は江沢民君来港の折にデモ隊の江沢民への罵声に対してベートーベンの「運命」をば流し罵声封じ込めたほどの「何でもできる男」でこれもまた数年後の天下りは必至か。警察は財閥の守衛である、と思えば理解に易い構図だが。
▼市川海老蔵君の助六チラシ、今月の歌舞伎座は金券ショップにて3階わ列でさえ六千円と築地のH君より報せあり。このようなことがかつてあったかどうか。澤瀉屋のスーパー歌舞伎、いや、おそらく孝夫・玉三郎のブームの頃が最も切符の入手困難か。父團十郎の病気休演は寂しきところ九代目海老蔵以来の沸騰。今月は週末でも東都に向かえぬ残念。ちなみに三階の東二扉入ったあたりが余が東都にありし頃の定席。Z嬢と見に行った歌右衛門と芝翫の二人道成寺だの東側の此処に久が原のT君が坐し西にT君の弟弟子君対坐し東西からそれぞれ成駒屋に掛け声かかりそれはそれは華やかなりし光景。確か梅幸がまだ元気に藤娘を踊っていた頃で十六七年前か。京都の南座の改修工事の前、最後の顔見世が確か先帝崩御の年の暮、南座の桟敷に久が原のT君やZ嬢と映る写真あり、その頃のこと。それにしても松竹のHPにて「平成3年松竹株式会社会長永山武臣により、京都の街の景観にとけこんだ外観はそのままに内部を全面改修し、最新設備の近代劇場として改築され、11月新装開場記念吉例顔見世興行によって新時代の幕を開いた」と南座の紹介ありこちら。平壌の万寿台議事堂で「金日成主席の……」ぢゃありまいに、自らのHPでの会長の功徳を賞めるこの扱いは異常。しかも「永山武臣により」は恐らく「改築され」に掛かるのだろうが、途中に「改修し」とあり、後半は「南座は」といふ主語もないため、日本語として非常に悪文。せめて「劇場は、平成3年松竹株式会社会長永山武臣の命により、京都の街の景観にとけこんだ外観はそのままに内部は最新設備の近代劇場として改築され、11月新装開場記念吉例顔見世興行によって新時代の幕を開いた」とでもすれば「まだ」マシか。
▼昨日の朝日に教育基本法に関する自民・公明両党での改正検討会の中間報告案に関する記事あり。「愛国心」に関して自民は「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養」とし公明は自民の「郷土と国を愛し」を「郷土と国を大切にし」とすることで譲歩とか。開玩笑。自然に愛おしまれてこそ愛、教育基本法の改正などで社会改革誤魔化すより自然と愛される郷土、国家つくることこそ自民党の代議士諸君の本来の為すべき事。郷土を離れ家庭省みられず少子化続く、この根本原因が何処にあるのか。不信感なり。このような愛の強要など不信感を余計募られるばかり。公明党も公明党。女性が「アタシのことを大切にして」といふことはその男女の間が上手くいってない証拠。本来愛されていれば「大切に」などといふ必要なし。法改正にて世の中改善されるほど簡単に非ず。日蓮聖人の教えなら日々の生活に於いて一滴の水が集まって海となり一歩一歩の積み重ねが千里の道を行くように日々の積み重ねが大切。自民党の社会改革の玩びに寄与するは不要のはず。

六月十日(木)晴。昨晩より腹痛あり今朝ひどくなり昼に養和病院にてL医師の診断請ふ。待合室のフィッシャーの瞞し絵とダリの絵画の間に挟まれたテレビの画面に米国元総統レーガン君国葬の模様映る。ブッシュ二世の不在は米国内で開催のG8の為。どうせなら先進国首脳をばレーガン国葬に参加させ垂頭させるべき。その国葬の映像眺めつつ手許には昨日、新宿のL君より送られし米国の劇作家Larry Kramer氏の「アドルフ=レーガン」といふ文章のコピーあり診察待つ間に一読。題名の通りアドルフはヒトラーの名でありレーガンをヒトラーに詰ったもの。“Our murderer is dead. The man who murdered more gay people than anyone in the entire history of the world, is dead. More people than Hitler even.”といふ書き出し。レーガンが“The American People”といふ時に同性愛者だのの社会的マイノリティは含まれておらずレーガンの時代こそHIVまだ「同性愛の病気」とされ偏見から早急な対策がとられず多くの感染者が命を落としたことでKramer氏はレーガン君に対して「どうせなら大統領就任以前に死んで欲しかった」と言い切る怒り。レ君に象徴される米国の、殊に加州のあの風土こそホモフォビア的な風土。晩まで胃腸炎続き其れ口実に灣仔の李景粥品専家にて粥食す。魚片痩肉粥。当然美味なるはこの店の主人かつて上環の生記に働き後に旺角に共同経営にて「景記粥王」開き数年経てこの店の開店に至る。生記よりの熟客多く旺角に移りし折は地下鉄にて旺角まで往復して粥を啜る客まであり。余も生記より景記粥王にこの粥職人・景叔を尋ね訪れた一人。近くに「Q麥」川麺あり。店の前を通り過ぎるが今月末にて閉店と知り後ろ髪引かれる思ひにて辛味なければよいか、と粥食しておきながらQ麥にて四川雨線を一椀食す。麻辣抜キにて些か物足りぬが致し方なし。記念に店の注文票(画像)ペン立てのボールペン、インキがアクリル製のペン立ての底に溜りインキがボテつくボールペンにてこの注文票に客自らが注文記入する仕組み。かつて流行った頃はこの注文票が、調理場の湯気に煙る硝子にずらりと貼られし光景彷彿。九龍に薮用あり。某ミッション系私学の教室の黒板横の壁に聖書より御言葉あり。When the wine had given out, Jesus's mother said to him“They have no wine left”(John 2:3) と、これはヨハネ傳福音書の「葡萄酒注ぎたれば母ヰエスに言ふ『彼らに葡萄酒なし』」で周知の如く、このあとにイエス様が水を葡萄酒に換え、信仰の心あらば……といふ筋ながら、この掲示された部分のみ読むと「酒がなくなったよ。母は息子に「ちょっと、もうあのお客さんたちに出す酒はないよ」と言った」と読めてしまい、酒屋手伝う健気な息子恐る恐る「お客さん、あいすいません、手前どもの酒はもうこれっきりってことで」とか吉野家の「お酒はお一人様三本までとなっております」想像してしまい酒に見せて水でも出そうものなら泥酔の客当然のことながら「なんだと!、馬鹿野郎、酒がねぇだと、この野郎、水で誤魔化そうって気が、テメーっ」っといった光景想像も易し。どうも信仰には至らず。
▼蹴球選手中田英壽君女優宮沢りえ嬢との接吻写真掲載されたとして雑誌社を告訴(朝日)。東京地裁(井上哲男裁判長)「中田さんが不快をおぼえたのは明らかで掲載には公益性もない」とし被告側に百十万円の支払いを命ず。貸切の飲食店での写真撮影に「プライバシー保護が高度に期待されていた」とし「異性とのキスシーンは公表されたくない気持ちが強い事柄」で「承諾なく掲載され肖像権も侵された」と認定。 このテのネタある時に噂の真相誌なきことの残念。噂真あれば「中田、××疑惑払拭に法廷まで利用し女好きアピール」とか書かれるのだろうか(笑)。いずれにせよかなり出自の怪しき意図的と思われる写真提供は「公益性がない」のは確か。私益ばかり。貸切の飲食店とは写真撮影のための貸切か。「異性とのキスシーンは公表されたくない」って「裁判長!」「どうぞ発言を認めます」「同性とのキスシーンは公表されてもいい、という解釈で宜敷いのでしょうか?」の世界。芸能といふ異次元をばこの世の権現の如き司法が裁く滑稽さあり。

六月九日(水)晴。晩にハッピーバレーにて競馬。知人らと一席設けるが一晩飲食続けての競馬に倦怠感ありレース前に軽く食しビール一罐口にしただけで断食モードにて過ごす。今季九十九勝と香港競馬史上初の季間百勝に大手掛かった騎手ホワイト君、1Rのマイル競争に12枠よりハ競馬場でのマイル5戦未入賞の「過江龍」に騎乗しまさかの勝利であっさり百勝目。このまさかでカンペキに調子狂ふ。今晩は最初からホワイト君に祝儀で賭けるべきだった、と後悔も遅し。2Rもこれは「高明王」堅いと信じたら今季未勝の「原班人」(名馬原居民と同馬主なり)が千米競争で亦た十二枠よりの出走で四十数倍で一着。もうワケわからず。R4の千八百米にて廿数倍の「多橋」を調教の時計から判断して的中させたのが唯一の成果、溜飲下げるがR6ではホワイト君がマカオのカジノ王スタンレイ・ホゥ君の「走石」に騎乗し一着となったのを外し「走石」のハ競馬場の千米での安定ぶりを理解しておらぬ我に呆れR7の「流梳王」勝たぬわけなき二千二百米にてこの馬より流しきれぬ我。最終Rのマイルには丁度一週間前に一番人気でこの馬より総流しで百五十倍近い配当得たDanrivaが出走。今晩は十数倍と香港の競馬好きは冷静なのか冷たいのか余は先週の祝儀もありこのDanriva馬に託し連複の総流しせば惜しくも三着でふとオッズ見れば先週ほどの波乱期待できぬわけで何故QPワイドでの総流しにせぬかと地団駄も時は遅し。配当見れば同じDanrivaでQPで流しておれば結果論だが一二着馬の連複より高配当。帰宅して三更に荷風先生日剰昭和十五年を読了。
▼七日に綴った灣仔の四川麺家「Q麥」が閉店という話。営業続ける四川菜の私家菜がLockhart Rdの四姐川菜ではないか?と思ったが教えてくれた蒼茫一号さんより、その通り、と。競馬は当たらぬがこういうのは当たる(笑)。あの担々麺だの雨線が今後も食せることは有難いこと。
▼北京大学と清華大学が香港での特待生選考で学生への誓約書に「香港基本法と一国二制度の遵守」の項目あり。明らかに基本法と「一国」二制度での政治的意図あり。これが一党独裁国家ゆへの二大学府の姿。
▼米国にて開催の(……それぢたいイラクへの侵略国家で開催することぢたい馬鹿げた話だが)先進国首脳会議(ロシア含めてG8)に昨年は招聘されし胡錦涛君が今年呼ばれず中国国内にて不愉快感あり、だそうな。中国は大国ゆへ呼ばれて当然、さすがにまだ先進国といふにはいかぬがいつの日にかは経済大国となりG9での加入が最終目標か。一党独裁国家ぢゃいくら経済力がついても先進国ぢゃあるまひに。
▼親中派の全人代香港代表らのキチガイの如き暴言ぶり。例えば譚惠珠オバサンの「新聞を見ても今のところ普通選挙実施しなかったことで焼炭(一酸化炭素中毒での自殺)した人はいないけど経済不況に絶望して自殺する人はいる」と普通選挙実施など政治的改革よりも景気回復優先とコメント。あまりの暴論。同じ全人代代表の曽憲梓(ネクタイ大王)の言論の自由すら制限されても致し方ないといった発言に対して保守派の財界人・胡應湘ですら曽憲梓は香港政府を代表してるわけではない、香港の言論の自由は保障されている、とコメントするほど。明らかに譚オバサンやネクタイ曽の発言は文革での左派の如し。香港の良心・陳方安生女史が米タイムス誌の今週号にて香港は独立など想定してもおらず単に基本法で保障された自治が行われることが香港の発展と述べるが、そこで香港の言論弾圧はかつての文革を想像させるもの、と述べてこれが中国政府の逆鱗に触れる。

六月八日(火)晴。頸右にリンパ腺の痛みあり養和病院にて診断請ふ。今年初の台風警報1発令。早晩に香港大学博物館にて明日より開催の開闢早期の中環の風景写真展あり其の開幕式あり参観。Y総館長にご挨拶。旧知の館長H君おらず早々に退散。晩に銅鑼灣に薮用済ませヰンザーハウスのケーブレククス電脳店にてiPod用の新しいイヤフォン購ふ。Z嬢とかなり久々に天后の利休に食す。蛸の煮物、蓮根揚、鱸スズキの刺身、白魚の天婦羅。酒は金陵をさらさらっと二人で四合。バッテラときつねうどん。いずれも秀逸。バッテラはやはり関西料理のこの店が香港で一番。うどんも当然だが出汁加減がお見事。さっと胡瓜の漬け物出され余りの美味さに女将さんの話を聞けばさすがに漬け物の香物だけは地場のもの使えず日本からの胡瓜を漬けるが一昔前の景気なら好評な漬け物ゆへ沢山漬けておけば浅漬けが好きな客、糠くさい古漬け好む客といくらでも応じられたが今ではせっかく漬けても日によって客の入りも多い少ないの差が激しくせっかく漬けた胡瓜も無駄にするような日もあり難しい、との話。ふと手の空いたご主人女将と思い起こせば初めてお会いしてもう十三年ほど。この店が開店して十五年。香港ゆへ星霜を経るといふより幾雲雨か。Z嬢と久々に交酌に物語す。香港の日本料理屋の話となり最近は奇を衒った店多く、日本料理屋もまるでギガーがデザインしたのかといった店もあり、そういえば白金にそんな店があったねぇ懐かしいねぇ、香港は八十年代の日本の如く空間プロヂューサでも活躍か、そういった田中康夫的に言えば「実体のないプレゼン」で商売の彼らは何処に消えたか、六本木のほら、あの照明が墜ちた、確か亡くなったのは栃木から遊びに来ていた娘だったか、といふ話となり、余はついディスコの名を「クーリエ」と言ってしまひ、それはOCSやで、クーリエぢゃなくてトゥリアとZ嬢に正されZ嬢が当時このトゥリアにも参ったことがあると初めて知り、当時は関脇だったか小結だった小錦がこの店に現れ、お立ち台で踊る娘らを尻相撲で台より落として最後に小錦が残り「イェーイッ!」とやっていたのが可愛かったとあったようななかったような話も今では都市伝説か、相撲取りといへば豊島園で入門したてのまだ十七くらいの貴花田が弟弟子連れてジェットコースターに乗っていたねぇ、などと回顧談。橋田氏の『イラクの中心で』の話となり、そういえば橋田氏が吸い物を「おつゆ」と書いていたこと思い出し、最近「おつゆ」と言わなくなった。教育の話となり、最近は自分は何もしないのに頼るだけは人に頼り何かあると文句を言ふ失敬な輩多しと年寄りぢみた愚痴。だから不愉快な思ひせぬ為にはひと付き合ひを避けること。ゴルフの話となり余は丘陵をば整地し大量の薬剤で以て芝育ててのゴルフ場建設を、ことに飛行機から見下ろした時の成田界隈のゴルフ場の様がまるで地肌のケロイドの如く見え、それゆへゴルフ場建設に異議ありゴルフなどせぬが、ゴルフといへば仕事絡み、接待、商談……といふ印象もあるが、ありゃ本当にゴルフして商談なんかしてるかね、ゴルフに夢中でそんな暇はなかろう、それぢゃ終わってからの商談かといへば酒飲んで美味いもの食ってで、結局、なんでゴルフがビジネスとなるのかとZ嬢と考えた結果、ありゃやはり脅迫概念ぢゃないか、と。平日の本来は仕事せねばならぬ時にゴルフなんぞしてしまうことへの罪悪感。それゆへその「罪悪」をば共有した者はそこで普段なら出さぬ情報も交換して多少なりとのゴルフの成果をば会社に持ち帰り、またその相手と商売でもせねば商談したことにならず……といふ共犯関係がゴルフと実業をば結びつけるのではないか、と想像。我らの後方の卓に日本人の初老の紳士と香港の地場の中小企業の社長然とした男、それにその妻と茶髪の今どきのラフな息子あり。英語でさかんに会話していたが本来、この初老の二人が会話の主であるはずがその一見そのへんを徘徊していそうな浮いた息子が途中からこの日本人の初老氏と断然、金属だか製造の専門的な会話まで話弾み、その息子の真摯な話ぶりに感服。ああ見えて父の商売をきちんと襲いでいくのか。帰宅して三更にiPodでイヤフォンの実測。試聴に用いたはAbdullah Ibrahimの“African Piano”でかなり硬質のピアノの音。本日購入のiPodの新作(内耳型)、旧来のiPodの外耳型、それにBang&Olufsen耳掛型とSONY社の内耳型の4種。劣悪は本日購入のiPodの内耳型(笑)。高音ばかりがカリカリと不愉快、音の厚みも深みもなし。四十年前のトランジスタラジオか廉価の工作用スピーカーの如し。買って失敗。B&Oは音質こそ前述のiPodには勝るがB&O社特有の音の硬さあり。SONYはiPod新作と同じ内耳型ながら音の広がりは勝る。で結局、最も音質よきはiPodの旧来型。低音までしっかりと再生し音の深みの見事さ。低音を聴くのにふと大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」を流してみれば(余談だがこの曲聴くと八十年代前葉の新宿の酒場思い出す)この曲はベースラインが秀逸なわけで、それがどれだけ聞こえるか、で結果は明白。イヤフォンの場合、音量大きくして実際に耳に当てずスピーカーの如く聴いてみても、ダメなイヤフォンほど舎利舎利と聞こえ、良質なるものは当然、きちんと低音までの深みが耳に達す事実。iPodの新作は山歩き、走りの折にでも用いるかと誤買を言い聞かす。
▼恩師K先生、校長を定年退職し現在嘱託にて「教育センター」なる場所に勤務。精神的負担過でいわゆる登校拒否状態の教員の指導コースにて講師の任に当たられる。企業なら勤務できぬ社員など即刻解雇のところ教員へのこの指導に呆れる向きあるが、K先生よりの便りによれば、一昔前なら何も問題にはならなかったようなことが保護者の意識の変化で問題となり、教育委員会などへの通告、教委も過剰反応し校長に指導あり問題教師扱い。家庭での問題など棚上げ。この環境で心身に異常来す教員も少なからず、と。教育に限らず政治といいイラク人質の自己責任といい本来問題とされるべきことから乖離した個人批判ばかりの時代に至れり。
▼昨日の日剰に綴った橋田氏について追記。余の日剰五月廿九日で紹介せし産経新聞の「産経抄」の自衛隊撤退論などは「橋田氏流にいえば、戦場と戦争を混同した議論といわねばなるまい」といふ余りに身勝手な橋田氏の文章の解釈。これは『イラクの中心で』読んで思ったが明らかに産経の改竄。いくら御用新聞とはいへ産経の余りの知力の低さ。産経にもっとピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いしたいもの。そして廿八日に綴った、小泉三世の「以前からイラクには入らないでくださいと勧告してたんですけどねぇ」のその「ねぇ」。小泉三世はイラクに橋田氏らが入ること=真実が伝えられることがどれだけ困るか、だろうが、こんなのを首相に据え支持、容認しているのは国民。南無阿弥。

六月七日(月)昨晩はひどい低気圧のせいか疲れているのに眠れず朝の三時すぎに漸く眠り三時間も寝ずに起きる。小雨。余が二日前に「テキシの車中にて思ふは……ただ独り自らを律し我が心地よく如何に過すかに専念すべきことが最良と覚悟」と綴ったことに久が原の畏友T君より余らしからぬ慨歎に御胸中しみじみ忖度申し候とメールあり。人付合ひ疲れると荷風散人がごく少数の友を除き殊に宴会だの集会だのといった人が集ふ場所を避け人恋しさは専らカフェの女給だの浅草のダンサーとの交際に限ったことも成程と納得。紀伊国屋より故・橋田信介氏の『イラクの中心で、バカとさけぶ』と『煽情特派員』……いや打ち間違い、『戦場特派員』が正しいが、この二冊届く。橋田氏と小川功太郎氏が亡くなったかも、といふニュース聞いて不肖富柏村の最初にしたことは「あ、売り切れる!」と慌てて紀伊国屋への橋田氏のこの二冊の注文。この二冊恐らく不幸なるベストセラーだろうし「ここで」飛びつく己に嫌悪感すら感じるが読まぬ理由はなく寧ろ勝谷氏の言う通り読むべき書。晩に九龍に薮用あり時間までFCCにて『世界の中心で』読み始め九龍への往復の地下鉄にて読了。不肖宮嶋氏と勝谷氏相手の鼎談で橋田氏曰く自衛隊派遣で戦闘地か非戦闘地かと侃々諤々に意味なく自衛隊は軍隊であり軍人は国のために死ぬのが当然、国益のために派兵され、問題は本当にこれに国益があるかどうか。また日本の加担についてサダム政権に七千億円の負債がある上で今後四年間に五十億ドル拠出、つまり一兆円を越えるのに国民の反応がない、マスコミはそれを指摘しない、この不可思議が日本。以下橋田氏の記述のうち印象に残るを誌せば、取材に不慮の事故もあるが雪の降る日にバイクで新聞配達せばスリップなど危ないが配達はするのに新聞社の発想はスリップが怖いから書くのをやめるようなもの。バクダッドの市街戦にて米軍の新鋭武器(赤外線透視鏡つきのM16、人間の体温をば赤外線で感知し自動的に標準合わせる銃器、相手に身体を曝さず銃撃が可)を見た橋田氏は、もう四五年経てば最前線の米兵はロボットになるのでは、と(ここで日本のロボット技術は米国に寄与できるかも)命なんてものは、使うべきときに、使わないと意味がない。バクダッドにて市街戦のなか食事もできず困り果てたところで偶然に出遇った市民に家に招かれ食事の歓待受ける橋田氏。その男はジャパニーズだからウェルカムと。イラクにて培われてきたはずの親日の感情。それが今回の米軍加担の派兵。この本が橋田氏の死後あちこちで紹介される中で橋田氏の「戦場記者は戦争を語ってはならない」「戦場記者は「場」(戦場)から戦況は語れるが戦争=政治の世界を語ってはいけない」というところばかり引き合いに出されるが橋田氏の指摘の大切は実はこの記述のあとで、政府の戦争追悼など実は戦場の惨状を語るばかりで戦争を語らず戦争に反対しておらず、と。戦争を語り戦争に反対することの大切さ。これが橋田氏の言わんとするところ。「日本人が戦争を始めたのも、また、自分の力で戦争をやめさせられなかったのも、政治が語られなかったから」「戦後約六十年、自民党の一党独裁政治が続くのも、日本人の政治的未熟さが続いているから」「戦争を容認し、日の丸の小旗を振って出征兵士を送った時代と同じ。今度のイラク戦争に即していえば「大量破壊兵器」というキーワードを信じた政治家、メディア、そして、それを容認した国民こそが、かつて「日の丸」を振った人々」「もうそろそろ、「戦争」と「戦場」をごっちゃにすることから卒業しなくてはならない。戦場の悲惨さを語るのは、単にそれは泣き言であることを悟らなければならない」と。御意。「本当をいえば、戦場という土俵で、正規の軍隊が対峙し、ちゃんと戦闘しているときは、比較的安全なのだ。一方の軍隊が崩壊する直前、あるいは、崩壊直後がもっとも危険」という記述にその後の橋田氏の運命語られる。フセイン政権崩壊し大手マスコミの記者が来たバクダッドから橋田氏らは「もう仕事は終わった」と出国するとき、イラクとヨルダンの国境を警備する米軍兵に橋田氏は「パスポートを持ってきたのか?、ビザは取ったのか?」と尋ねる。「持ってない」と答える米兵。これは進出でなく侵略だ、と橋田氏。それに加担した日本。自衛隊は死を覚悟で駐軍し、もしものことあれば国民がこれが何なのか?を知るべきこと。一気に読了し自律神経がおかしくなるほど様々なこと考えさせられる。怖いほど。橋田氏だから見えた戦争の悲惨さ、平和とは何か。橋田氏が戦場に向かったのは「カネのため」と言いつつ戦争がいかに惨いことかを伝えるにはその現場である戦場の事実を伝えるため。橋田氏の記述は勝谷氏が「ユルユルとした」と評したがまさにそれ。戦場を語るのにユルユルしているのが佳い。本多勝一の文章とは好対照。事実の部分だけ登場人物を「橋田さん」と語り、あとは「ハシやん」で通す。興味深いのは軽い部分とそして上述した実は「戦争」を語る深い部分を「……とハシやんは思う」などとハシやんを使う、そのユルユルさが何ともまた軽妙なる筆致。感服。読んでアタマのなかがぐわんぐわんと何かが環る。帰宅して昨晩の睡眠不足にもかかわらず眠れず『芸術新潮』読む。磯崎新君の「日本建築史を読みかえる6章」はかなり期待したが無難な内容。例えば出雲大社の古代のお社が東大寺大仏殿の十五丈を超える十六丈(48米)といふことについても(詳細)、かつて読んだ藤森照信氏は、それを当時の出雲の樹木の鬱葱と茂る森のなかにこのお社はまるで空中に浮かぶように見えたのではないか、霧の中に浮かぶ空中神殿に藤森氏の空想は走るのだが、このイメージこそ読んでゾクゾクする記述であり、これこそ「日本建築史を読みかえる」に値するもの。
▼このサイトのご贔屓筋より灣仔の四川麺家「Q麥」が閉店と報せあり。今月いっぱいだとか。開店以降頻繁に訪れたが一度担々麺の味がかなり落ちた気がして以来は足を向けておらず。ご贔屓の蒼茫子は麻辣雨線ひとすじだったので担々麺の味の低下は知らずとのこと。確かに麻辣雨線は美味であった。ちなみにこのQ麦は閉業しても同じ経営の四川私家菜は営業続けるそうで、それを聞いてふとLockhart Rdの四姐川菜なる店がこれか?と察しもする。

六月六日(日)多雲。八時過ぎには起きたものの虚ろに午前中過し(といっても慌てて競馬予想も事実)昼よりジム。連日の辱暑に慣れた身には涼すら感ず天気に旺角の繁華街より休日に閑かな大角咀界隈の問屋街散策(写真)九龍某所にて競馬のテレビ中継。安田記念はツルマルボーイとは、雨だしね……と言訳。香港も午後遅く小雨。中環に戻りFCCの酒場も日曜午後の閑散。ドライマティーニとフェイマスグースでウヰスキーソーダ。ジュネの泥棒日記読む。FCCではノートブック持参の前々回にはワイヤレスLANのIPアドレス貰ったが繋がらず前回二度目でシステム担当の職員に尋ね毎月変更のパスワードあることを知り(そんなこと書かれてもおらず)今回は勿論快適に繋がり月本さんのサイトで安田記念に氏は三着となったバランスオブゲームに賭けており今頃残念会と知る。蘭桂坊で閉店の憂き目に遭う可能性高きクラブ64をば写真に残さむ(写真)とさすがに日曜の夕方で閑散とせし蘭桂坊の路地を入れば近頃尖沙咀のスターフェリーの波止場にまで新規開店といふXTC Iceの店が蘭桂坊にまでありそういへば昨晩Z嬢に明日ジェラート買ふからと口から出任せで言っていたこと思い出しジェラート購入し熔けぬようにと帰宅急ぎテキシに乗れば運転手に日本人か?と訪ねられ日頃の癖で今日は「え?……台湾人」と答えたら運転手が台湾語のマネして陳水扁は自作自演で撃たれて大統領に当選とか口にする。帰宅して本降りの雨に煙る市街を眺めつつピンクフロイドのThe Wall聞きながら亦たドライマティーニ飲む。晩に印度料理。印度料理はウヰスキーかとサントリーの山崎。NHKの大河ドラマ『新撰組!』三十分ほど見るがやはり見ておられず。音楽はサンダーバード、筋は京で相撲だの新撰組の資金源が云々だのと新撰組がかつての「一世風靡セピア」の如し。少し転寝して起きて月刊『東京人』七月号読む。創刊より読んできた東京人だが二百号境に何かつまらなくなった気がして定期購読中止決定すればこの号は「東京 笑いの系譜」といかにも東京人らしい特集に、今どきエノケン取り上げ「最後の伝令」など脚本の菊谷榮のこと語られるのなどこの雑誌くらいかと思い、かつてのバンド・有頂天のケラ氏が井上ひさし氏と喜劇語るに時代の変遷を感じるばかり。もう十五年以上前になろうか確か小林信彦の書いたエノケンにまつわる小説だったかに菊谷榮についての記述がありNHKの当時の音芸のプロデューサーM氏にこの菊谷の「最後の伝令」の脚本の複写を貰い読んだが喜劇といふのは脚本読んでもひとつも面白くないわけで、それがこの東京人の特集でジャズの柳澤愼一氏が昭和三十年に日劇でこの「最後の伝令」で義経役(当然、赤毛物のこの芝居に全く関係ないのだが)で柳澤氏が出た時の逸話あり。浅草は常磐座の森川信、渥美清の「瀕死の蚊」、大阪に移る前の新宿の石井均、雲の上団五郎一座の玄治店で三木のり平の相棒で活躍の八波むと志など今さら見たいと思っても見れる筈もなし。三更に雨激し。
▼米国元大統領レーガン君逝去。在任時はこの人在っては対ソ戦かと危惧もされたタカ派ながら離任せばソ連崩壊し冷戦緩和に貢献と賞賛される。現職と比べればいかにこのレ氏が「まとも」か感嘆もしつつ現職のブ氏をば副大統領にしただけでもレ氏に責任あり、か。レ氏がなぜブ氏を副大統領に「しなければならなかったのか」といふ背景だのレ氏在任中の暗殺未遂事件など複雑な事情も察す。いずれにせよ在任中も晩期はレ氏すでに痴呆進行していたそうで米国の最高権力者の職はそれでも職務遂行可能かと思えば現職の知力でも問題なしといふこと。
▼第二次世界大戦のDデイ六十周年記念式典あり。当時軍人だった老人らノルマンディにて軍服着飾り武器をもち勇ましく行進するを見て、自由のための彼ら英雄にて靖国をば毎年夏に同じく当時の軍装で参拝する老人らとの扱いの対照。

六月五日(土)天気予報は快晴が朝には小雨もあり。昼に晴れて今時「危険」なる日光浴。午後九龍にて薮用済ませ帰宅して麦酒と枝豆。Z嬢贔屓の尖沙咀の韓国食材屋にて求めた骨付カルビなど焼いて食す。芸術新潮六月号読む。「日本建築史を読みかえる6章」なる特集。
▼明日の安田記念。香港より自家飛(セルフフリット)も参戦しているが一番人気は恐らくローエングリンだろうか、先行するローエングリンをウインラディウスが破るといふ展開に期待。
▼昨日の六四天安門事件追悼集会に主催者側発表で八万二千人参加(警察は四万八千人と発表)。九一年の第二回に続くもので本日の中文大学が発表の調査結果では参加者の実に29%が初めての追悼集会参加とは最近の施政ぶりがいかに市民の反発食らったかの証左。中国からの香港旅行の解禁にて昨晩の追悼に参加の大陸旅行客も少なからず。北京にてはSARS疫禍暴露、天安門事件の再評価訴えた蒋彦永医師や天安門事件で亡くなった学生らの遺族が組織する「天安門母親」発起人の丁子霖女史らが政府による何処での軟禁状態にあり。林行止が昨日の『信報』社説にて述べるは中国のお題目政治と強圧にては香港の問題は解決せぬこと。「香港は経済を繁栄させ民政を改善する」といったスローガンは計画経済下ゆへ通用するのであり香港の現実の状況から「以実事求是」すること(具体的には〇七年よりの普通選挙実施など)が大切、と。
▼陜西西安法門寺の佛指舎利。香港での十日間の展覧終えて法門寺に戻る。この期間の参観者実に百万人。天安門事件の六四追悼と同じ時期は偶然か。先月には香港の高僧たる覺光法師が民主奪回といった過激な主張よりも香港の調和が大切といった説法をし、この人が今回の佛指舎利来港でも法要主事すること思うと誠に今回の中国の国宝級の佛指舎利の来港は政治的、キナ臭きもの。
▼香港政府が公務員手当で初年度年間三千五百萬港幣(約五億円)削減。そのうち最も額多きは官舎に住い乍ら家具提供なき者への家具手当二千四百十萬、首長及び海外招聘の公務員に対する帰省旅費手当六百九十萬。空気調節手当なる上級職が冷房機購入の場合の手当二十萬まであり。呆れるばかり。

六月初四(金)快晴。早晩にジム。旧知のO氏新嘉坡より来港にてO氏と知古のM君誘ひ二更にFCCにて食し鼎談。M君誘ひFCCのジャズ酒場に参る。M君早々に退く。モルト酒Laphroaigをダブル。S君の姿見かけるとS君酒場の隅の此方に歩み寄り「ここに荷物置いていいか?」と。当然の如く余と酒の一杯でも酌むのかと思えば荷物置いて友人らの陣に戻りこちらには参りもせず。余はクローク、下足番に非ず。ただ呆れるばかり。帰宅の途につけば乗ったタクシーの走行の目前にバスが、二階建ての大型バスがバス停発してとんでもない暴走運転にて車線変更しタクシーと危うく事故となるほどの運転ぶり。たかだか路線バスに時速八十公里は無用、キチガイに刃物とはまさにこれ。世の中理解できぬことばかり。テキシの車中にて思ふは少なくとも余が他人に招飲だの親交深めるなどの気遣い不要。何も得るものなし。ただ独り自らを律し我が心地よく如何に過すかに専念すべきことが最良と覚悟し荷風先生の昭和に入ってからの隠遁の意味しみじみと汲むばかり。
▼立法会議員にて中国民主運動の支聯會副主席なる李卓人氏外国人記者倶楽部での講演にて曰く、香港は何も過激なる主張しているわけでなし一国両制での規定の範囲にて民主主義、基本法にて明文化された行政長官選挙での普通選挙実施等を期しているだけで、それに対して中国政府の過敏反応こそ香港に不信感擁かせるもの。今晩の六四追悼集会については中国のなかで香港が唯一六四の民主運動の追悼できる地域としてこの維持すべき。中国政府が何故にこの香港の主張に対し過敏になるのか、勿論一党独裁の政権ゆへ乍ら異常なる過敏さにもっと余裕もつことも大切。ちなみに89年の天安門事件での逸話として李氏述べるは当時北京での民主化運動の学生支援のために香港にて集めた援助金持参した李氏は六月五日に北京空港にて公安の身柄拘束に遭い三日後に北京政府への始末書と引替えに身柄拘束解かれたが援助金実に150万香港ドル約二千三百万円を北京政府に押収され、その預り書もつゆへにいつの日か北京政府より還付あるか、と。
▼チベットについて。第14世ダライ・ラマ法王に次ぐ地位にある第11世パンチェン・ラマは先代が中国との関係のなかで波乱の人生送ったが第14世ダライ・ラマが指名した当代は今もって中国政府により軟禁状態にあり中国政府は別の、謂わば傀儡のパンチェン・ラマ擁立しチベット側に対抗。この中国政府の選んだ第11世(写真)が中国国内にて積極的に政府寄りの立場で宗教活動。
▼UP系列の『亜州週刊』誌の報道だそうだが、中共が江沢民君の指示により党幹部用に89天安門事件に関する三時間モノの記録片VCD制作。内容は天安門事件の経過、党政府文書や関係者証言で、意図は党の責任の明確化。学生鎮圧については実際の責任を楊白冰(鎮圧には否定的であったとされる楊尚昆将軍の弟で当時の解放軍総政治部主任、のちに中央政治局委員)に負わせ登βの指示はなく、天安門といへば敵視される李鵬は戒厳令の決定をしたものの鎮圧での直接責任を排除し、結局は江沢民ら現在の主流派に至る連中は政治責任なきことの党公式見解としての明確化。歴史に名をどう残すかのこと。こういった動きが、何時までも六四鎮圧につきあれを学生の国家転覆暴動であり中共の鎮圧の罪を否定することできる筈もなく、党の信頼回復に向け党としての政治的決着を見込んでの作業の一環か。江沢民君にしれみれば完全な引退のための最後の作業が六四での自らの立場の明確化により後世に汚名残さぬこと。それだけ。
▼自民党の憲法改正部会での憲法改正案に前文の中で「行きすぎた利己主義的風潮を戒める内容を盛り込む」と朝日の報道にあり(こちら)。自民党代議士の知力の低さに呆れるばかり。憲法とは国家経営に対しての国家法であり国民の権利を国家が保障することあっても国民の権利の制限や儒家の如き道徳を説くものに非ず。それが解らぬとはバカ以外の何ものでもなし。中共の一党独裁専制の中国ですら憲法にて「中華人民共和國公民有言論、出版、集會、結社、游行、示威的自由。(第35条)と謳っているのが事実。実際に其の自由など一切ないのだが憲法ゆへ国民の権利を謳ふ。憲法にて国民の徳の修養を求めるバカな国家が何処にあろうか。だがその粗忽なる代議士選ぶのは国民。国民の民度の低さなり。憲法にて利己主義的風潮戒めて利己主義的風潮なくなるわけなかろうが。寧ろ国家公民が為に無私の精神にて公に尽くすべき代議士諸君が利権だの権益だのと利己主義的風潮あり。其れを戒めることそこ国民の利己主義的風潮の憂慮より優先されるべきではなかろうか。

六月初三(木)晴。諸事に忙殺されさしたる事もなし。Z嬢が日本の旧国鉄のジャパンレールパス購入す。訪日の外国人の為の便宜ながら海外在住の日本国籍者も条件満たせば購入可。かつては海外に十年以上といふ条件が今年四月からだか居住地の永住権ある者と変更あり。香港の場合、七年居住で永住権得られるとせば十年といふ旧条件より寧ろ改善かと一瞬思ふが近頃は七年居住の場合にUnconditional Viza(無制限滞在)発給されても永住権の発給には香港政府も余り積極的でないが事実。無制限で居住出来るのだから永住と実質一緒でしょうが、といふのがお上の言い分。だが実際には永住権与えることは選挙権だの余計な権利の付与にて積極的にならぬのが事実か。芸術新潮誌六月号に磯崎新君の「日本建築史を読みかえる6章」なる特集あり一読。「読みかえる」の「かえる」の意図不明。此処に日本の象徴的建築として古来の出雲大社などから語り始め現代の二例として代々木の国立代々木競技場水戸芸術館の塔を挙げる。周知の通り水戸芸術館は磯崎君自らの設計にて其の塔を「無限としての柱」と本人称す。この施設ぢたいに何の責任もないが一頁大の鳥瞰写真見れば周囲の無味乾燥なる水戸市街の中にこの施設と象徴としての塔が異質。塔の側らには石山といふ仏具屋のトタンで葺いた屋根と壁の倉庫があり芸術館正面は京成といふ百貨店の搬入口にトラックが並び、市街は此の三十年の間に(芸術館と幾つかのマンション建築を除けば)殆ど変化がなく閑静といふより空き地多く駐車場ばかりの地方都市にありがちな幽都ぶり。本来、劇場だの公共施設は市街の一部であり、其の核たるもの。此の芸術施設の中ではいくら積極的な動きがあろうとも周囲の市街に其れへの「呼応」なければ此の施設が此の市街に存在する意味はなし。本来、此の芸術館に聚まる人々がいて其の衆が此の街に遊び市街が此の芸術館と連動してこそ価値あり。ただ此の館での企画に人が来るのは其の衆は同じ企画あれば東京まで足を運ぶ積極的な愛好家であり亦た遠方より此処に来る客も亦た水戸に来るのではなく芸術館に来るのみ。此の施設の建設に邁進せし当時の若き市長、故・佐川一信君の期待は此の地にあつた伝統ある小学校移転させてまで(画家中村彝の母校なり)此の施設をば市街の中心に据えることで泰西の市街のドームだの教会前の広場だの巴里のオペラ座の如く其の施設を核に人が遊び市街活性化すること。それが普段閑散とした施設から仏具屋の倉庫だの百貨店の搬入口眺めては寂寥の感ばかりなり。
▼香港競馬界にてCruzにたった一人続く不世出の天才と讃えられながら見習騎手時に素行不良にて騎手資格剥奪され調教手となった余健雄君、勤務態度良ければ香港競馬界の地場騎手の不当りもあり騎手復帰かと噂されマカオ競馬での再出発も一時話題となったが数ヶ月前に彼の自家用車車内より攻撃性武器(といっても一本の鉄棒ながら「その筋」の方誤用の専門道具なり)が警察の取締りにて発見され(一斉取締りの場所手前で徐行運転せし車の存在に警官気づき検査せば余君の自家用車で「武器」の発見)昨日の裁判で懲役四ヶ月の実刑判決にて即刻入監。才能あり美しき騎乗ぶり感嘆に値しながら絶望的に破壊的でもありまるで尾崎豊君の如し。

六月初二(火)晴。昏時に銅鑼灣南華体育会露座酒巴にて麦酒一飲涼を癒しハッピーヴァレイ競馬場に往く。ハ競馬場での競馬開催も今季残すところ今晩含め三回にて今季より競馬に嵌つたI君、O君、Z嬢と食事しつつといふより正確には葡萄酒4、5本開けて競馬観戦。只管負け続け最終レースにサイズ厩のDanrivaに運を托すが単勝5倍で今ひとつ覇気もなく本晩の季末らしき駄馬の入賞も相次ぐを思えば余には珍しくI君の如くこのDanriva軸に連複の総流しせば67倍の未勝の穴馬ハナをとりDanrivaは追い上げ射しきれずの二着、だが二着に入れば佳し、連複にHK$1450ばかりの高配当となり配当金少なからず本日の負け取り戻すどころの話ではなし。幸甚。
▼数日前の(27日だったか)の讀賣新聞に国民の7割が刑事裁判での市民参加の裁判員制度で「やりたくない」。同感。地元の刑事裁判で判決に寄与しようものなら「××さんの所為でうちの甥っ子が有罪になった」だの「△△さんの知り合いだから無罪にした」だのあの判決の所為でと裁判員が罪人扱いされることも十分にあり得る話。刑事裁判より政府行為の違憲裁判に国民を参加させることのほうが有効だろうに。

六月朔日(火)快晴。炎暑猛々。気温至摂氏三十二度。新嘉坡にて李光耀の息子が首相就任と新聞に記事あり。世襲に非ず能力ある者が指導者に就くといふ原則に理があろうことは英国の剣橋大学の数学かだか成績優秀で栄誉学士号だか授り卒業しこれまでの経験、殊に新嘉坡銀行の総裁だの財務大臣としての仕事ぶりからも賢明な人選なのかも知れぬ。だが一国の首相なのだからせめて国会で首班指名するとか。いくら一党独裁のアジアでは北朝鮮につぐ専政国家とはいへ人民行動党の党内で首相指名がされるといふのは下手したら北朝鮮以上に法治よりの逸脱ではなかろうか。……自民党の総裁指名=首相の日本と変りないか。それでも国民が経済的に裕福で福利をば授けられれば文句言うに値せず、とそれが全てとは。スーパーマーケット国家。スーパーの商品と同じくそれ以上の価値はそこから生れず。逸脱して生れた、例えば先日の映画『18』など制作者も出演の少年たちもそのスーパーの食材棚から腐って床におちた果実の如し。それにしても新嘉坡、首相は世襲でその二代目の奥さんが政府系投資会社の代表で弟が新嘉坡テレコムの行政総裁って北朝鮮以上の専政。早晩にジム。いつも空いたお師匠さんの稽古に今日は満員御礼で何がおきたのかそれでなくとも指導下手なお師匠さん興奮していつも以上に拙き指導ぶり。帰宅して白菜と豚バラ肉の水煮、葱玉焼など食す。NHKの報道番組見れば佐世保にて小学生の女の子同級生に刺され被害者の父親が偶然にも新聞社支局長という職業ゆへか娘を亡くした父でありながらも「娘と同じ年の子供の気持ちは大人とも違う」だの加害者の少女に対して「おちついたらきちんと話してもらいたい」と職業柄とはいへ取乱さぬこの物言いとても印象に残る。これに続きダスキンの経営するミスタードーナッツで販売する粥に蛾の幼虫がしており……というニュース。途中飛ばして清潔業者のダスキンが蛾の幼虫というと「近い」気がするのだが。なぜダスキンがミスタードーナッツを経営するのか、なぜドーナツ屋が粥を売るのか、なぜその粥が粥でありながら「涼風」なのか、なぜ粥にいれる菠薐草が越南から輸入されるのか、蛾の幼虫がたとえ実際には健康に害を与えるものではないと判断されたにしても「健康に害を与えるものではないと判断」とミスタードーナツ社は言切ってしまえるのか、その大胆不敵さは「改善が確認できるまで販売を中止」つまり「また売る」と強気。実際には清潔に詳しいダスキンだから蛾は嫌われてはいるが例えば病原菌を撒散らすような害虫ではない、とわかっているのか。全てよくわからないがやはり一番の謎はなぜダスキンがドーナツ屋をするのか、だろうか。ニュースのあとはいつも慌ててチャンネル変える原因となる「歌謡ショウ」で岩手県水沢市からみちのく歌謡ナントカで当然登場は千昌夫が「北国の春」歌うのだがこの曲聴くと八二年だったか初めて中国訪れし折に北京より長春に向う夜行列車の硬座車にて鉄道案内だの公共衛生だの政府のプロパガンダ流すだけのはずの車内放送でこの曲がかかり当時大流行の上に乗客には日本人=我ありといふことで大合唱となり当時まだ人民服に人民帽多き乗客が人民公社での夜の集いの如く晴やかにこの曲歌われ「歌え、歌え、中村歌江は歌右衛門の後見」とさんざん囃し立てられた記憶ありそれ以来この曲聴くとトラウマの如く中国の夜行列車硬座車髣髴。ところでZ嬢と雑談の折にふと気になったのは青島幸男。あれだけ民意を汲んで政治家になって期待外れの御仁も珍しく、あれと石原慎太郎とどっちのほうがマシなのか、といふ話となり、ふと気づくは民意の怖さで東京都民のうち前回は青島に投票し次は石原といふ、本来の政治的にはリベラルと極右といふ全く極端な投票パターンをした都民が、おそらく百万人くらいいるのではないか。東京都民の十人に一人くらい。で次回参議院選挙で青島にまた投票する石原支持者も実は30万人くらいいたるする。非常に不可解そうで実は社会民主主義的な独逸がナチスになった歴史もあり。だが国政選挙となると前回、二院クラブに投票した有権者が次回自民党に投票する確率は低いはずで、それがなぜ起きるかといふと立候補者がタレントであり、しかも青島……に限らず例えば大橋巨泉もあれだけの支持率ですぐ辞任してみせる無責任の大御所、石原君はその無責任のアンチテーゼとして責任=男の如きホモフォビア宣伝しての存在といふ意味では同質。永六輔先生などあの世代で良識的ではあるが一切の<装置>から逸脱乖離しているところが(もともと実家がお寺さん)或面では無責任の一人。『バカの壁』読んで「バカがどうしてバカなのかを理解したつもりでいるバカ」くらいにこの感覚理解できず……って書いて「この感覚」の「この」の指したのが(1)青島に続いて石原に投票した都民、(2)青島や巨泉、石原に棲まふ無責任、(3)養老先生、の何れなのか実は余もはっきりとせず。荷風先生日剰昭和十五年秋を読む。
▼本港政界の青蛙李鵬飛君恐喝したとされる姓「陳」なる中央政府に近き人物が港澳弁公室副主任の成凱三なる人物と昨日マスコミに情報ながれた途端に本人香港電台の番組の電話取材に応じ夕方には政府御用の全国記者協会の段取りでマスコミ取材に応じる手際の良さ。本人は旧交の李君に電話しただけで威圧など意図もなしと否定。これと一昨日の愛国民主大遊行の記事日刊ベリタに送稿。
▼余のサイトの熱心な観者の一人蛙鳴女史よりメールで指摘いただき先日の「忽然一周」にまつわる記述で余がカリーナ・ラウ(劉嘉玲)を「趁嘉玲」と「趁」の字をば手書き入力までして打ったことの間違い指摘受け、これは確かに「趁」はこの場合「〜の機に乗じて」の意。女史の指摘通り「カリーナのお色直しの隙にトニー梁朝偉がマギー張曼玉に会いに行った」ということ。そして劉嘉玲と梁朝偉は内縁の関係で実際に夫妻ではない、というのはわかっていて「まぁいいか」とした余のいい加減さ。ところで蛙鳴女史よりの指摘で「はぁ確かに」と膝を打つほどに合点したのは、「忽然一周」での鞏俐と章子怡の客室探訪の荒れた室内の写真より女史が思い出したは「覇王別姫」の映画。鞏俐扮する妓女・菊仙が芝居小屋の最前席で瓜子皮を床に散らかすのを舞台の上から横目で見て冷笑する女形・程蝶衣(レスリー・チャン)というシーン……確かに。カンヌのホテルの散乱った女優の部屋の絨毯に散乱った瓜子皮の殻からこの映画のこのシーン、しかも鞏俐でそれ髣髴されるとは蛙鳴女史に敬服。

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