乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

六月卅日(金)今日是六月三十日,我是陳方安生。と 今日が最後の(明日の七一デモ控え)ビッグシスターの主張が香港電台より流れる。香港電台は幅広く様々な主張を伝える、と言うが政府や親中派からしてみれ ば明らかに明日のデモ参加を市民に煽っている、と映るもの。捨て身か、開き直りか、いずれにせよ阿倍某などの顔色伺うNHKよか公共放送として志は立派。
過去三日,我對七一遊行、民主政制、經濟發展、言論資訊自由發表了 意見,好高興見到各bloggers的積極回應。你們大家明顯是重視這些課題,你們是關心社會的動向和發展。這正正是體現公民社會中,百花齊放的精神。
我很同意,民主普選並非甚麼靈丹妙藥,也不能排除萬難,但是先進國 家以及發展中國家的經濟證實,民主政制是最能夠保證市民利益和自由。
民主可以促進經濟發展以及社會和諧,讓市民有機會參與公共事務、釐 定公共政策,以及最重要的,有機會選出他們最喜歡的領袖。
社會上有些人認為,政府方案被否決,是因為某些政客為反對而反對, 我想就此稍作分析。基本法講明,行政長官以及立法會,最終是由普選產生。而普選是根據國際人權公約所定明的,普及而平等的選舉。特區政府是有責任,向這個 目標邁進,否則就無法達到,最終普選的目標。
特區政府不需要一步到位,但必須不斷加強民主化。政府的方案明顯違 反民主普選的原則,因為方案增加了功能組別的議席,同時保留了委任議員的議席,增加議席並不等同民主化。方案缺乏了原則性的方針,特區政府又不願意定下路 線圖以及普選時間表,在這個情況下,方案被立法會否決,大家都可以理解。
明天就是七一遊行,我希望每一位支持民主普選的市民,都出來參加遊 行。你們參加遊行,並非為了我陳太,而是為了你們自己的理念,為了香港的將來,挺身而出。
湾仔を歩いていて湾仔道170號通りかかる(変哲もない左の画像)。現 在はJohnston Rdの英皇集団大廈の一角であるが、此処に明治四〇年に浄土真宗の香港本願寺建立され日本人子弟に読み書き算盤の寺子屋的学校開設され、それが戦前の香港 日本人学校の母体となる。ちょうど百年前の話。此処のほんの少し東寄り(銅鑼湾方向)、Hennessy Roadと湾仔道に挟まれた一角(C.C.Wu Bldg.と東亜銀行大廈の間)に狭いバスケットコートあり。宛ら紐育の如き都会らしい光景だが土地を遊ばせるなど以ての外の香港で、なぜここにバスケッ ト場などあるかといえば二十世紀の始め頃はそこが火葬場兼の葬儀場。葬儀場は北角に移るが土地が忌み嫌われたのか建物建設されず今日に至る。今ではその故 事知る者も少なし。湾 仔のこの辺りの古い建物ももう取り壊し寸前か。Johnston Rdの三 不賣に野葛菜水を飲む。晩に市大会堂の講演廳にてRoyal Asiatic Societyの講演会あり参加。現在は広州の曁南大学でシェイクスピアなど英文学教えるFrances Wong教授が中国の反右派闘争や文革に翻弄された半生を語る。Wong刀自は1923年生まれ。八旬も半ばで矍鑠としたもの、現役の大学教授。香 港に生まれ戦前の香港大学に学んだ英才は日本軍の香港占領で広東省に疎開し戦火のなか孫逸仙大学に学ぶ。日本の降伏後、喜びも束の間、国民党の腐敗甚だし く香港に戻った刀自は夫とともに中国の未来をば共産党に託し香港の新華社にて中共の宣伝報道の英訳などに従事。親中派知識分子として中共の求めに応じ 1949年の中共による建国に際して、中国から香港に逃げる数万の群衆とは逆に歩いて七日かけて広州入り。英語に長け広州の外事弁公室、その後、北京の外 交部に勤務。そこまでは理想に燃えた日々が続くが反右派闘争。外交部を去り外交学院で英語教授となる。そして文化大革命。農村に下放され強制労働に従事す ること八年。命落とさずに済んだのは幸いだが娘は文革の影響で精神を病む。文革の終焉と開放化で1986年に37年ぶりに中国離れ夫とともに学術交流で米 国へ。米国滞在続けるが数年前に中国に戻り広州の曁南大学で教鞭をとる。まさに理想に燃えた新中国建設と政治闘争の泥沼のなかの人生。革命、そして毛沢東 とは何か、つくづく考えさせられる。会場でWong刀自の自伝“ChinaBound”(貴州人民出版社発行、英語)即売あり一冊贖う。帰宅の途、バスが 渋滞でかなり時間要し140頁くらいの自伝、半分ほど読む。

六月廿九日(木)毎朝のように驟雨あり。今日是六月廿九日。我是陳 方安生。と陳太の民主化メッセージも三日目。北京中央にとってはまる で政協の賈慶林首席来港に合わせたが如き陳太のこの発言は法輪功の如く苦々しきもの。今日のこの発言など賈慶林の経済成長と社会安定こそ香港の発展の鍵と いう昨日の発言に呼応。
今日我想討論的問題,有兩點。首先,是經濟與政制的關係。其次,如 何根據基本法,邁向民主普選的目標。
經濟復甦,是否代表市民不需爭取民主呢?市民關注的民生經濟發展, 是否與民主政制對立呢?賈慶林主席話,經濟發展是解決社會深層矛盾的方向,意味中央仍舊是堅持港人應該著重發展經濟,而不是追求發展民主政制。有些人更加 認為,香港經濟發展是有賴中央照顧,爭取民主是向中央表示不信任,破壞特區和中央的關係。因此損害香港的長遠利益。
事實上港人對民主普選的訴求一直是維持不變,並無因為經濟的起伏而 有所改變。在港人心目中,經濟利益是不能代替民主政制。
民主政制有利和諧社會,因為只有公平公正的社會,以及良好的政府體 制,社會才能真正和諧。民主政制是有助訂立更公平合理的公共政策,鼓勵發展和創意,提高香港整體的競爭力。
基本法規定,行政長官和立法會最終是由普選產生,而這個普選是國際 人權公約所訂明的,普及而平等的選舉。我認為中央並不反對香港有民主,但因為市民的心聲,無法直接向中央表達,結果中央只是聽到「民主不利經濟」,又或者 「爭取民主是政客為自己利益」的片面之詞。
廿零零四年,人大釋法只是排除零七零八雙普選。規定立法會的直選及 功能議席的比例,維持不變,及表決的規則維持不變。但即使如此,基本法仍然給予特區空間去引進民主的政改。例如取消公司票,擴大功能議席的選民基礎、取消 區議會委任制。特區政府實在是有責任,採取積極的行動邁向普選的目標。
昨日我乘坐的士,一位中年的司機問我,在他孩子有生之年,能否見到 普選。我答,只要我們大家團結,透過共同的努力,我相信民主普選,一定能夠實現,讓港人真真正正,當家作主。
晩に香港歴史博物館にて香港人類学会の発表あり香港中文大学の文化人類学(修士課程)のLiu Huwy-min(劉慧敏)なる人が“Being a Real Man in Taiwan: Masculinity and the Chewing of Betel Nut”なる演目で発表。台湾の檳榔(http://ja.wikipedia.org/wiki/ビンロウジュ)にからむ文化と社会、の興味深き発表で はあるが「台湾で「男になる」ということ。男らしさと檳榔噛み噛み」という演目で発表の内容は一目瞭然、でそれ以上の内容には至らず。男気、のようなも の。それじゃ煙草と何が違うのか、とか突っ込むと「事象」としては面白いが研究分析対象とまでなるかどうかは難しいところ(例えば明治学院紀要からカール =ハインツ=クロップフなる人の論文「台湾 の檳榔文化にみる都市の戦略」)。発表終わりふらりと歴史博物館に近い五味鳥。麦酒に焼き鳥の数串でさっとのつもりで川本三郎的に、のはずが 五味鳥に入ると知己のT君が待ってました、とばかりで遭遇。九時すぎに五味鳥出て自動車を雇い銅鑼湾。バーSに流れる。オールドパーのハイボール。T君去るが入れ替わりに知 己の御両人が現われThe Glenlivetの21年物(Archive)ご馳走になる。三更夜半に帰宅。

六月廿八日(水)一昨日までの快晴が一転してひどい雷雨。中国語の造語力には、網(ネット)、上網(アップロード)など関心するばかりだが目からウロコは いま流行りのブログ、がなんと「部落」。たしかにログ的に部分、部分を網上に落としていくのだから確かに「部落」。ブログと部落、発音がほぼ同じになる点 では古くは可口可楽(Coca-cola)、そして愛滋病(AIDS)に勝るとも劣らず。漢字の表意機能の凄いところだが、ちなみに東京での美容整形外科 医の娘誘拐事件も香港の新聞に見出しだと「日豐胸大師女兒被虜13小時」とあり。漢語の情報伝達力の見事さ。この見出し一見しただけで事件の経緯何も知ら ぬ読者も「ああ、日本でオッパイ大きくする美容整形の医者の娘が誘拐されて13時間後に救出されたのか」と理解に能う。漢字の魅惑。
今天是六月廿八日、我是陳方安生。今天的話題是香港言論自由與及傳 媒的角色。
と午後、香港電台から陳太の「講話」流れる始める。大家姐(ビッグシスター)の市民への教書は、或る面では共産党のプロパガンダかジョージ=オーウェルの ビッグブラザーの如し。
言論自由和資訊自由是社會與時並進,穩健發展的先決條件。基本法保 障港人回歸後能夠繼續享有這些自由。今時今日香港仍然有日報高達五十種,期刊七百五十種。另外,約一百家國際傳媒機構在香港設有總部或辦事處。由此可見, 回歸九年後,香社會保持開放,兼容並蓄,港人對形形色色的消息,需求殷切。社會資訊發達,港人事事關心,意見紛紛,情況令人感到欣喜。
言論自由與資訊自由是基本知情權的核心。在廿一世紀,知識將會主宰 我們的未年。有了知識,我們就能得到最全面的保障。香港早已是全球資訊社會的一份子。若沒開放無阻的通訊,或者不能全面掌握國際上流通的資訊,香港將難望 保持今日在全球經濟的地位。
傳媒有分析、評論,報導等權利,還須擔當一個非常重要的監察角色, 不論是各監察各政府部門還是私人機構。
談到香港傳媒的近期運作,首先今時今日,辦報已經成為一門大生意, 自然要顧及商業利益。但是傳媒不要忘記,他們的首要任務始終是如實傳播消息,不單要公正持平,而且要開放透明。自我審查、報導偏頗、蓄意歪曲事實、甘為宣 傳工具等,實在不是負責任的辦報方式。
本地報刊、電子媒體近期的表現,引起市民的關注和不安。我舉兩個例 子,巴士阿叔受到傳媒過份誇張的報導,甚至有製造新聞之嫌,與及某電子媒體要求聽眾顯示他們最想非禮的女藝人就是好例子。這些表現實在違傳媒應有的專業和 操守標準。業內人士實有需要自我檢討。
在日益劇烈的競爭下,特別來自網絡世界和網上出版的競爭,只有講求 操守、翔實可靠、向公眾負責的媒體,才能夠經得起考驗,不致遭受淘汰。
在基本法規定下,我們不單有權享有言論和資訊自由,而且有義務維護 這些自由不受侵害,才能確保我們的生活方式維持不變。
発言の内容は至極尤も。但しこの立場の人のこの発言がどれだけ北京をば刺激するか。毎日午後四時くらいに紐育時報の「今日のニュース」メールで届く。折し も“Patriotism and the Press”という社説は基本的には陳太の発言と趣きは同じ。ただし新聞の社説であるから正論であるが香港で渦中の人の発言であ るから波風が立つ。この重苦しさ。「陳四萬」と称される陳太の笑みが素直に香港の明るい未来に繋がらぬ鬱とした雰囲気。早晩にジムに鍛練のはずが意志が弱 くQuarry BayはTaikoo PlaceのEast Endに エール二杯。帰宅して夕食前にサントリー山崎をロックで一杯。烏賊と大根の煮物など魚に菊正宗一合。黒豆のご飯。新聞何紙か読む。蘋果日報には社主・ Jimmy黎智英氏が「七一請出来」という文章を掲載。苦渋の選択で「七一デモには参加すべき」の結論に至る思考を綴れば
曽蔭権(Sir Donald)が董建華に比べ行政手腕に長じることは明らか。英国統治時代からの香港の公務員の優良なる伝統に培養された精英。だが重要なことはこの人が 幸運であること。董建華の劣政に蹂躙された七年の後に登場すればよっぽどの無能者でなければ董建華に比べ相対的に評価されて当然。経済の回復もあり市民の 曽蔭権に対するそれ相応の支持があるのは当然。だが彼に期待されたのは改革創新。医療や教育問題でどれだけの進展があったか。また民主派との疎通も図れる ことで北京中央と香港民主派の融通も彼に期待されたが、結局は就任直後に立法會議員引き連れ珠江デルタ参観しただけで一向に進展せず。気さくな特首(特別 行政区首長=行政長官)標榜してみせるが市民が彼に期待したことはさに非ず。北京中央に対しては途端に幇間の如き態見せるのが彼の弱いところで中央の信任 あるのなら、それと行政手腕活かし香港市民の求める基本法に謳われる香港の高度な自治のために努力すべき。中国とて国際社会の中においていつまでも強権的 な非民主社会ではおれず内政でも幾許かの改革進めており曽蔭権は恐れるばかりでなく果敢に挑むことも必要。そう考えいえば、七月朔日には市民の意志として 民主化実現のために街頭に出るべき
……と黎智英は述べる。ところで七月朔日はこの七一民主化要求デモに抗して政府系の祝賀パレードもあり中国銀行では行員に対してこの祝賀に参加の場合HK $100の支給ありの由。陶傑氏は今日の蘋果の同頁に「看這身三更夜半的大紅袍」なる一文を寄せる。陶傑氏らしい怨念話。北京中央にしてみれば香港の最大 の利益考慮し最大限の譲歩にて香港の民生に寄与するものが元政府高官の恩に仇で報うが如き民主派との連係。香港基本法には引退した女高官が特首参選に加 わったら刑事罰という項目こそないが、陳太がかりに参選せば「千祈別好得罪女人」、女の執念深さ、で北京中央の高官ばかりか香港の八百人の選挙人の枕元に も夜な夜な鬼か妖怪の如く「還我普選命来」(普通選挙を実施しておくれよぉ〜)と呪いの言葉の如く叫び続け選挙人は正気逸すか、と。中国の農村には鬼婆の 如き姑が嫁をいびり続け苦難に耐えかねた嫁が自らの命をば断つ時に紅色の袍(衣服)身につけ首吊れば死後に鬼になって復讐に現われるという言い伝えあり。 一九九七年の六月末日の深夜から七月朔日の未明にかけ(これが三更夜半の刻)香港主権の移交式典、向って右に英国、左に中国のステージ中央に深紅のスーツ 着た陳太が座していたことを奇怪に思う、思わない?と陶傑氏。猛暑の夜にうっすらと背筋寒くなる話。テレビのニュースでは今晩の政協・賈慶林主席歓迎宴の 中継流れる。それでなくてもスピーチ下手のSir Donaldの、而も普通話はいけない。下手な上に感情の抑揚に欠け聴くに絶えず。賈慶林が講談師の如く滑らかにスピーチするから遜色かなり目立つ。新潮 社『考える人』2003年秋号「京都特集」読む。小谷野敦の「大衆社会を裏返す」などかなり読むに値する文章盛り沢山。
▼カナダ訪問中、ナイアガラ瀑布では「ビューティフル!」連発して「きれいだね。壁がグリーンだと思ったら、流れがグリーンだね」と(長嶋茂雄さんに比べ たらまだまだだが)感激の小泉三世、靖国神社参拝について「何回行こうが問題にはならない。個人の自由ではないか」と述べ9月までの首相在任中の参拝示唆 し、靖国問題が9月の自民党総裁選の「争点になるとは思わない。争点にしたい人たちもいるが、争点にしてどうなるのか。突き詰めれば『中国の言い分に従い なさい』というのが(首相の)靖国参拝はいけないと言う人たちだ」と強調(読売)。 今さらこの男に何を言っても無駄か。

六月廿七日(火)朝六時頃にギラギラとした朝焼けのなか突然の驟雨あり。晩に帰宅しBowmoreのアロマ恋しく一杯。続けてドライマティーニ飲もうとし て大発見。オリーブが瓶のなかで数少なくなってくると瓶の汁中泳いでしまいなかなか楊枝に刺せぬ事かねがね悩みのたね。当然、バーなどで指でオリーブをつ まみ楊枝指す場合もあるが、下品。さっと片手でオリーブだけ二つほど楊枝に刺してこそスマート。で大発見は簡単なことなのだが瓶中の汁をばオリーブが泳が ぬ程度に捨てれば良し。捨てるのが勿体なければ別の瓶にでも空けて何か料理に使えばよろし。こんな簡単なことも気づかずに自宅で何年もドライマティーニを 年に百杯の単位で飲んでいてとは……。明太子のパスタ。いぜん斎藤さんにいただいたメルシャンの日本の地ワインシリーズのうち福島県大沼郡新鶴のシャルド ネ飲む。いただいておいてなんですが、これで950円?はHK$63で香港ではロクなテーブルワインも買えぬ値段。一口トマト頬張ってワインをご くり、と 幸せな気分。ぼんやりとケーブルテレビで肥ママ(ママは「女」扁に旁が「馬」)が自宅台所収録の私家菜の料理番組眺めていたら(肥ママは先日、九龍城の清 真牛肉館にて尊顔拝す)タカさんなる広東語堪能な日本人のオジサン出演して「好き」なものを「焼く」から「好き焼き」と大阪風すき焼の実演。呆気にとられ るようなレシピのすき焼でお世辞にもとても美味そうには見えぬが肉などずいぶん硬くなったであろう、という程に焼き込んだ、だが野菜は生焼けの、そこにな んと半茹でのうどんまで入れて……これぢゃ牛肉入り野菜炒めの焼うどん。うどんなどすき焼の最後に残った旨味の汁で少し食すものだが。海外でこうした奇妙 キテレツなる日本料理が、とにかく日本人を番組に出して料理させればそれなりに出来るだろうという制作サイドのいい加減さで、日本なら絶対に通用せぬいい 加減さ、で供される。このレシピで作ったら激不味っ、は覚悟。最近、この肥ママもそうだが、見ていて唖然とする素人が創作料理だのフュージョン料理だのと いって自宅で勝手に作っているなら害もないがテレビの料理番組で披露してみせるから怖い。制作者も視聴者もその胡散臭さすらわからぬほど味覚音痴ばかりな らいいのかも知れぬが。
▼午後三時すぎ香港電台のラジオ番組「公民社会」中の「天地博客」コーナーに陳方安生女史(陳太)出演し七一デモ参加表明に関して語る(こ ちら)。同時に 同番組のブログに発言全面掲載あり。
今日係六月廿七日,我係陳方安生。
近日既熱門話題,係七一遊行。 我本人已經宣布我會參加,希望聯同抱有同感的市民,清晰表達我們對民主、普選的訴求。自從人大常委就住二零零七年,行政長官的選舉,以及二零零八立法會的 產生釋法之後,繼而,特區政府的政改方案,因為缺乏原則性的建議、缺乏普選的時間表與及路線圖而遭否決後,行政長官已經表明,在他任內不會重提政改方案。
市民對民主的進展,感到非常無奈。
過去兩日,傳媒似乎將焦點,放在我個人的政治取向身上。我想強調, 這不是我個人的show,民主是屬於大家。我們應該著眼的,就是如何團結社會各階層的人 士,透過和平理性的方式,表達我們對民主對普選的心聲,從而說服特區政府和中央政府就政制改革,作出更積极的回應。
基本法賦予香港高度自治、港人治港,這是根據鄧小平先生,勇敢、偉 大、高瞻的一國兩制構思。回歸初期,中央政府的確有履行基本法的承諾,但近年似乎障礙重 重,令市民對中央失去信心。要挽回市民的信心,是需要特區政府和中央政府,採取更積極的行動。我們不要忘記,要有一個真正和諧、融洽的社會,有效管治香 港,是需要建基於民主的。一個人,或者是少數人的心聲,並不能代表大眾的期望,所以我好希望,所有熱愛民主普選的市民,能夠七一齊齊上街,用行動表達我們 對民主對普選的訴求。團結就是力量,請各位為香港的將來出一份力,七月一日,維園見。
陳太の発言の積極性も然ること乍ら香港のBBC標榜し公正正大なる中立的立場での報道には政府批判も当然という姿勢に中国政府だの親中派土共の間から横槍 入る四面楚歌の香港電台も明らかに言論の自由という建前に陳太をば積極的に取り上げては更なる政府からの圧力も覚悟の上の自主自立の精神の表れか。これに 呼応したかの如く北京より全国政治協商会議の賈慶林主席来港。民主派諸派や財界人など1949年の建国に協力した当時は理想主義的に親共的な知識人の集ま り。中共は政協があることにより中国は共産党の一党独裁に非ずと宣う。で賈慶林主席の来港で本日はSir Donaldと三権の長(政務長官の肥許、財務の唐英年、司法の黄仁龍)雁首揃えわざわざ深圳境界の落馬州までお出迎え。で湾仔のGrand Hyattまで大名行列して午後は天水圍の湿地公園見学……嗚呼、小学生の遠足並み。賈主席は陳太の民主派シフト意識してかどうか香港の安定と繁栄を語 る。本来ものごと上手くゆけば陳太など政協の香港代表くらいに取りこめたはず。
▼昨夏より広東省佛山市にて「アジアのタングルウッド」目指し夏に各地の古典音楽の 秀才集め中国広東国際音楽夏令営(Canton Int'l Summer Music Academy China)開催あり。Charles Dutoit(シャルル=デュトワ)が音楽監督。広東省はかなり真剣に取り組む。このジュニアオーケストラが七月末に香港でコンサート公演。デュトワの指 揮でショスタコーヴィッチの5番。小僧たちがどれくらいこなせるか、が楽しみ。そしてMartha Argerichがピアノでベートーベンの協奏曲1番。「江戸で割ると」の勢いに憔悴しきった香港フィルよか凄い鴨。で本日チケット発売。猛暑に勇んでチ ケット購入に走ったZ嬢はTom LeeもUrbtixもコンサートチケット購入の長蛇の列に何事かと思えば人気DJコンビ軟硬天師の10年ぶりのコンサート七月末にあり本日チケット発 売。二時間待ちで、その中国広東国際音楽夏令営楽団のチケット入手。

六月廿六日(月)ギラギラと夜明け。昨晩のW杯蹴球は久々に賭けたが英国のエクアドルの勝ちはまず間違いないとしてポルトガルの好調の勢いにオランダ戦で の勝ちと賭ければ1:0までぴたりと的中。日本の参敗で愛国心からかなり賭け的に応援した分の借金を回収。忙殺されたまま遅晩に至る。晩飯を金鐘は太古広 場のフードコートに食す。韓国料理の石焼き丼みたいのでHK$45とは、さすが金鐘値段と驚く。晩遅く帰宅してW杯蹴球の伊太利対豪州戦眺めながらニッカ 「鶴」をロックで二杯。前半終わり睡魔に襲われ臥床。
▼新界天水圍の新興団地にて路上にて漢方の薬草売る小販の男性が政府の食物環境衛生署の路上販売取締りに遭遇し逃げようとして水路に飛び込み溺死。たかだ か軽犯罪で逃げて命落としたが衛生署の取締り係らが水路にて溺れる男性を眺めるだけで救命もせず、で地も涙もない、と非難の的。衛生署の係官にしてみれば 路上の小販の取締りとはいえ凶暴な相手もいればヤクザ絡みもあり危険といえば危険な職務遂行。そのうえに勝手に逃げた小販が路上に跳び出して自動車に轢か れ水路に飛び込み溺死で、いちいち責任取らされ、そういった事故への配慮などしようものなら迂闊に取締りもできず。いずれにせよ「獅子山之下」でみんな貧 しくも楽しく暮した日々は遠い昔のこと。
▼「香港の良識」と称される元政務司司長(Chief Secretary)Anson陳方安生女史一昨日の七一遊行(香港特区成立記念日の毎年恒例の民主化要求デモ)参加表明に続き昨日には民主党など立法会 民主派諸派の議員らと並 び記者会見し香港政府に対して民意酌取、普通選挙実施など求める声明発す。蘋果日報は「参選特首陳太快有決定」と陳夫人行政長官選挙に參選の決定も近しと 急ぐ。SCMP紙は社説で今回の陳女史の行動は彼女の良心と信念に基づく個人的な政治姿勢の表明であり行政長官選挙が現行の間接型選挙制度である限り北京 中央欽定の自称政治家Sir Donald相手に勝ち目なき選挙に打て出る可能性低い、と述べる。信報も社説にてSir Donaldの行政長官就任以来行政運営は軌道上にあり評価高く(実際には董建華治下政府施政章法大乱をば反正しているにすぎぬのだが、と手厳しい)経済 回復や失業率下降などSir Donaldには好条件揃っており寧ろ民主派が具体的なる政府攻撃の論点見失い諸派乱立で勢力萎縮にあり陳女史の民主派への肩入れは民主派にとって精神的 領袖の誕生になろうが実際には政治理念的には陳女史と(もともと部下である)Sir Donaldのそれに何ら大きな違いもなく現時点では行政長官目指すことも無理あり、と分析。まぁ妥当なところ。唯一のウルトラCは北京中央が香港の民主 化要求世論と普通選挙実施の要求に対して陳女史の取り込みで逃げ切るか、だろうが建華之乱も終わりSir Donaldで無難な日々続くなかでは、そこまでの政治的アクロバットは求められず。まぁ勝手にどうぞ、程度の認識か。それにしても北京中央にしてみれば 香港政府の公務員のトップという要職にあった者が民主派、つまり中共的には反政府的国家転覆思想集団(笑)に組み入る、など理解できぬこと。だから英国統 治時代の官僚は信用できぬ、となるとSir Donaldも今は徴用しているがカソリックのカルト的信者ぶりなども北京中央にすれば怪しく映るところ。やはりどうも香港の英国植民地政庁残留孤児らの 発想と行動はわからぬ。そもそも西欧の政治的信念がわからぬ。やはり民主化などするべきに非ず、で中央の指導こそ香港にとって有益、と判断されるばかり。
▼香港で潮州系の飯屋に「打冷」と銘されており、それが何かよくわからずに過していたが唯霊氏が先週書いていた随筆によれば、もともとは「ちょっとした飯 屋で食事を済ます」「食いに行く」で「打店」という口語あり、「冷」が潮州人を指すので「打店」転じて「打冷」が潮州打冷になった、と言う。但し「打冷」 がもともと「打人」という説もあり(http://zh.wikipedia.org/wiki/潮州菜)。

六月廿五日(日)朝六時に目覚め濃いめの珈琲煎れ珈琲飲みながら今週溜まったメールいくつか返信済ませネット支払いの決済など。美空ひばりの「真っ赤な太 陽」思わず口遊むほどギラギラとした陽射し。朝 のうちに雑誌の整理。アサヒカメラならアサヒカメラのうち残す必要ないと思う200頁くらいバッサバッサと頁を剥がす。勝手に植草甚一流と思っている。ア サヒカメラ六月号で残ったのは銀塩フィルム特集、ベッサのレンジファインダー機、ニコンMFレンズ、銀塩スキャナー特集、ニコンD200で撮る風景写真、 といった具合で土門拳や木村伊兵衛のグラビアなどはきれいに剥がして保存。土門は路上でベーゴマで遊ぶ子どもら(1953年)で木村伊兵衛は明らかに神谷 バーでデンキブラン三杯に酔って心地よくウトウトとする帽子に背広姿の老紳士の姿。表紙と背表紙はそのままで開くと必要な頁だけが残っている感じ。保存す るならそこまでしなくても一冊とっておきたいが引越になると雑誌の重さが三分の一なのはかなり大切。昨日に比べればまだ陽射しも(弱いとは言わぬが)少し 柔らかそうで午前十時くらいに勇んで家を出てみればやはり陽射し辛辣。裏山から登りMount Parker Rdも涼しい季節なら小走りするがさすがにヘトヘト。大潭を下り満水の大潭ダム眺め灼熱の太陽の下かなりやゔぁい暑さだがどうにか走り続け島南の海岸の木 陰に辿着く。木陰でフランシス=フクヤマ『歴史の終わり』下巻通して読む。読了。「歴史の終わり」が言及される迄、哲学史としての部分ではヘーゲルである とかニーチェの解釈など教科書としていい部分もあり。但し米国が民主主義の完成形の如く節操なく前提とされ語られることが遺憾。そして何の脈絡もなく「歴 史を脱した地域」(脱歴史世界)と未 だに歴史にしがみついている地域(歴史世界)という見方が表れるのも余りに唐突。世界はフクヤマ氏が考えるほど簡 単に脱イデオロギー化もせぬし伝統や宗教の束縛も寧ろ近年強まっている事実。反共主義として共産主義の終焉まではフクヤマ氏も見据えられたが冷戦後に非常 にプリミティブに原理主義だの民族主義が沸く世界。そう簡単に歴史は終わらぬし民主主義と自由主義の恒久なる脱歴史世界に世界をせぬよう歴史世界に固執す るのが米国なのかも知れない。夕方までに麦酒二缶。Stanleyからミニバスで柴湾経由でジムでひとっ風呂浴びて帰宅。枝豆と麦酒。お好み焼きしながら 踊る大捜査線「秋の犯罪撲滅スペシャル」DVDで観る。
▼朝日新聞の教育面で「教育基本法、着地点見えず」と今国会で五十時間審議の教育基本法改正が次国会に先送りされた経緯まとめ「文科省シナリオ狂う」と。 早稲田大学で憲法学の西原博史教授が改正案は(愛国心などが注目されているが)二条で「教育の目標」を掲げ十六条以降の「教育行政」規定を使って文科省が 「教育とは何か?」を定義し学校や社会に貫徹していくという戦略に基づいた文章、と教育基本法の改正案を分析し、その文科省の意図を野党どころか与党の委 員も理解しておらず。子どもの心をどう育てるか、それを官僚組織が定義して教育現場に「下ろす」怖さが浮かび上がっておらず、と。その上、この怖さと逆に 何より面白いのは小泉三世の発言。福岡市の小学校が社会科の評価項目に愛国心を入れたことに対して「あえてこういう項目をもたなくても良いのではないかと いうのが率直な感想であります」「小学生に対してね、愛国心があるかどうか、私はそんな評価なんか必要ないと思いますね」と発言に、西原教授はすでに学習 指導要領に入っている愛国心なのに小泉三世が必要ない、と答えてことで文科省のシナリオに狂いが生じた、と。この小泉発言を今国会で唯一の建設的なやりと り、と西原氏。小泉三世を「何を言われても靖国参拝を続けた「内心の自由の大家」、小泉さんならではの発言」と(笑)。

六月廿四日(土)昨晩多忙につき英国Royal Asiatic Society香港支部の催すTony Banhamなる地場の歴史研究家によるThe Sinking of the Lisbon Maruなる研究発表惜しくも聴けず。場所はGarden Roadの洋館The Helena May(梅夫人婦人會)でこ れも訪れる機会逸す。り すぼん丸は1920年代から日本郵船にて紐育航路に就航の貨物船。戦時中の昭和十七年に香港から英国人捕虜ら千八百余名乗せ日本に向け出向。捕虜を日本で 労役に就かす由。米軍潜水艦の雷撃により沈没し数百名が犠牲となる。事情折り合い複雑(日本語解説こ ちら、犠牲者追悼(英文)、人民日報)。 本日、早朝に何羽と遊ぶ小鳥の囀りに起こされる。夏至のこの頃には五時半には空もすっかり白む。今年一番の晴天。流石に外出厭ひたき気温摂氏卅三度。思わ ず傘差して陽射し避ける程。午後遅くまでご公務。どうにか今週の大仕事片づき九龍に渡り按摩。きれいな夕陽のなか帰宅。枝豆に麦酒。香港は麦酒も安いが枝 豆は市場にて一斤(約550g)HK$7(約百円)。自家製ミートクロケット揚げて食す。焼酎少し。今週の疲れに早寝。

六月廿三日(金)前回のW杯蹴球であったか、日本の敗退に「いい夢、見させてもらった」とあっさりと「終わってしまう」ファンの言葉にいろいろ感じるもの あれど今回のW杯など「いい夢」も対豪州戦での80分間の「まぼろし」と巴西相手に先制点入れた一瞬の清涼感、強さへの唯一の安堵感は門将川口君だろうが 巴西相手には門将一人が守護神でも我々が救われぬのことも明らかにされ、結果的にいい夢どころぢゃなく終わる。前回の日韓開催から 四 年、小泉政治も国民の8割の支持で「何か」をば期待され政権につき任せきり(放任という言葉もあり)で今日に至り小泉三世ご本人の自己満足だけで終焉迎え る政局が何だったのか、せめて、このW杯蹴球での日本の「いい夢見ることもなく終わった」感が小泉之世の幕引きに花を添える、と思うしかなし。晩遅くまで 忙殺の一日にZ嬢とHappy Valleyの寿司・に食 す。赤貝だの鯛など白身魚の刺身を少しと握り5つほど。諏訪泉の純米酒一合。
▼東都ではNHKホールでのメトロポリタンオペラ歌劇公演の舞台にてNHKポップジャムの収録ありモー娘。がそのセットで歌った、そうな。一瞬驚きつつ先 日この「ワルキューレ」参観の久が原のT君のメトロポリタン歌劇団に対する、そりゃ手馴れている、だが、手馴れているというだけで「おつり」がない、とい う言葉が脳裏にあり、モー娘。も、さもありなむ、な話か。T君の話す言葉借りれば、独逸圏の如き一寸ばかり下手でも根の張った思弁的な響きであるとか、伊 太利の如き普段チャランポランでも壺に嵌ると総毛立つ程美しき響きであるとか、それがメトロポリタンには欠けて、装置も照明も綺麗で演出も分かりやすさは まったくもって聖林式。ワーグナーとディズニーランド的なるものの近親関係とか。どちらもキーワードは、「愛」と「世界」と「帝国主義」、とT君。御意。 ところで「ワルキューレ」でジークムント演じるPlacido Domingoの、T君は81年秋のスカラ座初来日「オテッロ」を同じNHKホールでご覧になっているそうな。指揮はカルロス・クライバー。クライバーで スカラ座のオセロ……オペラ知らずでも垂涎物。
▼形振り構わず9月までに580万人達成に躍起の香港鼠楽園。今度は七、八月の暑期にフリーパスHK$400にて発行。鼠側の言い分はこれまで入場者数奮 わぬのは屋外遊園地の人出は季節、気候に左右されるもの、だからだそうで屋外遊園地の繁忙は夏、と強気の姿勢見せていたが、実際には香港の夏など誰が好き 好んで炎天下に遊園地など行こうものか。それもオーシャンパークの如く海一望の清涼感ならまだしも……。
▼来年元旦実施予定の香港禁煙徹底政策、オフィスや飲食店だのは当然として政府画策するはバス停も公共空間として禁煙。ここまではわかるが海岸や公園も対 象と画策中。老いて公園のベンチに佇みパイプの煙をば燻らせるなども夢と帰す。

六月廿二日(木)今になって昨日夏至と知る。言われて見れば昨晩の午後七時前にまだ明るき空に見事な夕焼け空。小泉三世メールマガジンにて誇らしげにサマ ワ地区の陸自部隊撤収を語る。このメールマガジンこそ「しゃべり」に無芸なる小泉三世にとって最ものびのびと語れる場。この自衛隊撤収の政府決定が廿日、 翌朝の新聞トップ記事、でその翌日の朝九時(日本時間)にメールで小泉三世の「肉声」とは実にいいタイミング。
自衛隊の諸君一人ひとりが、日本国民の善意を実行する部隊なんだ、 という強い自覚の下に、それぞれが汗を流して厳しい環境の下で活躍してくれたおかげであり、私は、自衛隊諸君に対して、心からの敬意と感謝を表明したいと 思います。
と小泉三世宣うが自衛隊派遣は国論二分せしもので勝手に「日本国民の善意」などと総意にしていただきたくはない。また
自衛隊の活動が円滑になされるように、様々な配慮をしていただいた イラク政府、住民、そしてアメリカ、多国籍軍、イギリス軍、オーストラリア軍、そしてオランダ軍、それぞれの政府、国民に対し、厚く御礼を申し上げます
って自衛隊員一人の生命でも失えば強引に自衛隊派遣の政府にとって内閣存続も危ければ自衛隊を守ってもらってのお礼か。火事場に「俺さまもここはひと つ……」と乗り込んで火事で住み家ばかりか生命すら危険なる目に遭 う人々にまで助けられての本人なりの手伝いに火事の火はいっこうに消火の気配すらないまま自分なりに達成感あれば「それじゃ俺はこのへんで」と火事場あと にする身勝手さの如きもの。自衛隊の隊員諸君の努力には敬意表す。ただ、その自衛隊隊員の命すら追米趣味がために用いたる政府与党が許せまじ。本日諸用あ り晴れ間に幾度か驟雨のなか中環プリンスビルディング内の某社訪れる。立法会議事堂眺むるオフィス窓の結露あり。それ通して外景撮影せば興味深き画像とな る。諸事忙殺され晩に至り帰宅してハヤシライス食す。Bloody Mary一杯。ここ数日時間もなくW杯蹴球の賭けもしておらず。

六月廿一日(水)忙殺されたまま晩に至り知人と食事など済ませ独り銅鑼湾にてかなり久々にバーYに一飲。大学で教鞭とられるPh.Dなので「先生」とつい呼んで しまったが飲み屋でそりゃあるまい、と訂正のN女史(Y嬢でもいいか)と邂逅し幾つか物語す。午後十一時すぎには無事帰宅。
▼中国外交部の報道官といえば露出度ではかなり。世界の目が中国に集まる中で「中国政府の」正論をば世界に発信せし要職。89年天安門事件にてすっかり信 望墜落の中国政府の外交は、その後香港返還の頃まで建て直し時期に報道官務めしは外交部期待の若手・沈国放氏で、その後は国連大使、外交部副部長まで出世 せど何かワケありで外交部系列の出版社に左遷。その職で最近目立つはJiang Yu女 史。此処に掲載の画像ではあまり悪くないが中国政府外交部は報道官の髪形は要検討。沈国放氏も「盛り上がった髪形」であった……。

六月廿日(火)晴。昨晩は忙しさにW杯蹴球に賭ける機会すら逸す。朝日新聞(社会面)に「神の手包む最新技術、グローブ、守護神演出」と日本チームの門 将・川口君のはめるアシックス製の専用グローブの紹介あり。紹介は紹介でいいのだが記事の結びに「ブラジル戦。川口が目立たない試合ができれば、「奇跡」 を引き寄せることができるかもしれない。」とあり。ゴールキーパーにとっていかに理想的なグローブが出来たか、という話を延々語っておいて、の、この日本 に対ブラジル戦で奇跡を願う、しかもキーパーが目立たなければ、という。その願いは勝手だが、この記事の結びだと思うと脈絡もなく書き手の見識のなさ感じ ざるを得ず。また整理部のいい加減さ。本日は路線バスの運転手による賃金めぐる労使交渉でのゼネスト予告されていたが回避される。ゼネスト実施されれば九 龍巴士、新巴、城巴で六千人の運転手が参加し五千五百輛のバスに影響あり。香港はきょーびの好景気にッ久方ぶりのベースアップに涌くなか路線バス会社は組 合側の2〜4%のベースアップに応じる気配なく、の労使交渉。不合理もわかるが、何より驚くは650万人の人口に5,500輛というバスの数。よっぽど通 学時間の学校密集路線にでも乗り合わせぬかぎり立席にもならず路線バスの数の多さは渋滞、大気汚染の元凶。ちなみに都バスの保有車両数が1,481輛であ るから、どれだけ香港のバスが多すぎかは明らか。バス運転手の待遇改善の要望はよくわかるが会社も会社で、常識的に考えて今の運行数は収益バランスがかな り悪いのでは?と思う。諸事忙殺され帰宅してドライマティーニ二杯。菊正宗一合。筍の炊込みご飯食しつつ、フジテレビのドラマ番組『踊る大捜査線』の97 年「歳末特別警戒スペ シャル」の中国製(当然海賊版)DVD、Z嬢誰だかから借りたものを観る。冒頭のキャメラの長回し見事。よく出来たドラマ番組だと思うが、中国版 では唯一の欠点が稲垣吾郎君演じる殺人犯、覚醒剤かがきれた発作で余計に発狂するのだが、中文の字幕スーパーでは何度も「大麻」「大麻」と(笑)。マリ ファナがきれたくらいではイライラして殺人も犯すまいに。青島刑事、もし番組制作がポスト青島であったら「石原です。都知事と同じ名前で……」になってい たのだろうか。たぶんそうだろう、フジテレビで。晩遅くに昨日の新聞読んでいたら信報の社説が「減少巴士数目、加薪方有曙光」とやはりバス車両の削減によ り収益改善を説く。バス路線の拡大と運行本数の増加は、かつての九龍巴士と「遅かろう悪かろう」の中華巴士の市場独占時代に比べれば乗客数の増加につな がったが、近年はMTRと KCRによる鉄道路線の拡大と、それに対抗する運賃値下げもあり、バス会社は減益に転ず。三大バス会社で01年の乗客数が15億21百万人であったものが 05年には13億91百万人へと8.5%の乗客減。さすがに運行本数の増加はこのところ見られぬが世のため人のため削減こそ必須。
▼晩の八時に台北より阿扁総統の所信表明テレビで流れる。反阿扁の世論にどう応えるか、と思えば「夫人のそごう商品券絡みの贈賄が明かされれば退陣」と言 い放っただけで具体的な疑惑の解明には言及せず寧ろこれまでの阿扁政府の成果の羅列に徹底。それにしても、で阿扁総統は終始、台湾語。香港ではCable TVなど当然、国語での演説期待したのかニュースの冒頭で生中継したが福建人除けば珍紛漢紛で中継打ち切り。ところで「そごう」も日本では新生そごうで名 前こそ残ったが、台湾ではすでに名義だけ「そごう」の地元資本ながら「そごう」の商品券が台湾の将来すら左右する存在にて、中共中央も台湾の「そごうの商 品券」に注目とは可笑し。
▼李嘉誠の次男(李澤楷、Richard Liという名もあり)所有のPCCWの香港全域に架る電話網、携帯電話、ケーブルテレビ権益をば豪州の投資銀行(Macquarie Bank)に売却の話あり。この次男氏に紆る可笑しき話、先日、羽仁さんに聞く。数年前には衛星テレビ網のStar TVをばマードックに売却の際に中国の軍事にもかかわる衛星放送網の売却につき中国で人民解放軍の各地の謂わば軍閥の親方たちのかなり逆鱗に触れたという 話もあり。今回も中国の「パートナー」の反発は必至。
▼朝日新聞に大江健三郎君の「定義集」という月イチだかの連載あり。かつて梅原猛氏の連載「反時代的密語」に代るもの。中野重治の戦後すぐの『おどる男』 なる短編引用し「心に内在する残酷さ」なる話。滑稽さを見つめる目がしばしば残酷さを同居させることを語る。それほど読んで唸るほどの随筆には非ず。だが 一つ印象的なる事は、冒頭で「滑稽」という言葉を大江君が持ち出したところで、すぐ余には「伊丹十三」の名前が浮かぶ。十数行読み進めば、高校の図書館で 『史記』の和訳の「滑稽列伝」なる書籍読むような高校生の大江君に「きみは本をよく読むが、コッケイなやつだ、といってくれる同級生に会い……」と後に義 兄となる伊丹十三との出会い。伊丹十三は余にとってはテレビドラマ『コメットさん』の(当然、大場久美子に非ず九重佑三子のコメットさん)での父親(石原 三郎)役の伊丹十三の、とても子ども相手のゴールデンタイムのドラマとは思えぬ怪演の印象が、そして大河ドラマ『峠の群像』の吉良上野介役が、伊丹十三の 『お葬式』からの映画監督としてよりも、ずっと印象的。今にして思えば演じすぎて滑稽なほど。映画では意外なほど地味な印象あり。

六月十九日(月)晴れても雷鳴轟き遠くの空には落雷見える。驟雨。気温三十度。昨日は華北猛暑となり西安は摂氏42度。昨晩のW杯蹴球。日本は「よくて引 き分けか」と思いつつ愛国心にて日本の勝ちとし、伯西の対豪州の勝ちは明らか、仏韓戦は韓国の勢いからして引き分けに持ち込むと期待せばその通り。日本だ け配当に結びつかず。前半終了で香港では中継のアナウンサーが前半のシュート数など数字見せて制球率は日本が上回っても、それに対してあれだけ溜めていれ ば、とコメント。柳澤君に至っては中央電視台の実況アナウンサーに「何故あそこでまた折り返すのか?」とシュートが折り返しに見られてしまっていた、とい う。しかも玉田選手の名前はそのまま普通話で発音すると「あなたのご母堂を……」的な「son of the bitch」になったりもする。朝日(衛星版13版▲)一面トップの「引き分け」記事には「攻撃を奏でる」という表現あり。奇妙ながらgoogleで検索 しても蹴球関係でわずか5件のみの使用例あり。それほど稀なる蹴球表現が新聞の一面トップに登場とは……。最終14版では消えており、さすがに整理部で気 づいた模様。それにしても記者の(というか書き手の、が正確か)お気軽な書き振り。ところで日本のW杯での厳しい展開に残念なる思いこそあれ、せめてもの 救いは日本の奮闘などあらば、それまで小泉三世の有終の美に花を添えるかも知れず、それが避けられし事だけでも幸いと考えるべき鴨。諸事忙殺され晩に至 る。母より突然の電話あり明後日のNHKホールでのメトロポリタンオペラの歌劇公演『ワルキューレ』のチケット1枚あり「どなたか行けないかしら?」と久 が原のT君ご指名あり。午後5時開演5時間に及ぶ歌劇を羨ましいかぎり。T君より本日の都新聞夕刊に今月二日のサントリーホールのツィメルマン師匠のピア ノ独演会にて、師匠、演奏途中に「日本語で」日本の海外派兵に反対の意を表明の反戦スピーチをした由。「良心を守る日本の友のために」と前置きしてのショ パンの葬送ソナタは超弩級の名演だったといふ。都新聞によればツィメルマン師匠、貧しいなか自らピアノ部品を調整しての稽古の人。戦後の東欧に生まれ育ち 乱世を知るこの人の、こうしたメッセージの籠もる演奏を聴いて真に拍手喝采する資格ある日本人がどれほどいるか、とT君。

六月十八日(日)どうにか晴れ間見える程度の空にZ嬢とちょっと歩こうかという話となり遠出避けて、それなら、とずっと気になるは香港島南石澳の岬の高台 に位置する石碑。地図 ではObeliskとあるがまさか本当に花崗岩切り出しのオベリスク(http: //ja.wikipedia.org/wiki/オベリスク)がこの地にある筈がなく、何かの記事だかで戦争関係の石碑という朧げな記憶のみ。昨日も夕 方にバスで大潭のダムよりこの石碑見上げては、ずっと機会逃して、と思ったところ。タクシーで自宅出ずれば運転手の背後になぜか東京無線タクシーの表示。 それも都内の市内局番がまだ3桁って二十年くらい前だろうか。Shau Kei Wanからバスで石澳の岬の付け根。石澳での中秋の月見などいつもバスを降りるのが此処。石澳道の正直言ってキチガイなドライバーが暴走する狭い道を歩道 もないところを1kmも歩くのは怖い。石澳道より石碑山(Obelisk Hill)の山道に入る。暫くすると標高164mに衛星放送関係の送信アンテナあり。大 潭湾の向こうにRed Hillの高級住宅地。此処からの大潭の大潭篤ダムの眺めは絶景。ここまでは踏み固められた道らしきものあったが此処からは薮漕ぎ。こんな薮を想像してお らず枯れた羊歯で脛にかなり切り傷負う。かなり難儀して300mほど先の山中に位置するObelisk(石碑)に辿りつく。最近、ほとんど人の来た形跡も なし。当然、花崗岩どころぢゃない、レンガにコンクリート固めた粗削りな搭。搭の側面などかなり注意深く見てみるが一切、何の碑が記述もなし。日本軍が最 後に石澳に英国軍(正しくは英国市民だが)を攻めた時に建てた石搭のような記憶もあったが和仁廉夫さんの本にもネット上にも、このオベリスクについて何ら 記述も見つけられず。不思議なる搭。ここから引き返すもつまらぬので眼下の石澳の引水路(香港トレイルの第7段)までまた薮漕ぎで下る。今日は所属のラン ニングクラブで大帽山に滝めぐりの企画あり。それが難儀と避けた結果が更にこの強行とは……。引 水路より地図上は点線があるが此処も最近は人の歩いた形跡もなき林の中を下り海に面した爛泥湾村に出る。村とはいっても二世帯?がかろうじて住む他は廃 虚。湾に打ち寄せられたプラスチックのゴミ溜る。魚の養殖場あり番犬にかなり吠えられるなか蓮鶴仙観という道教の廟に向う。ちょうど法要あり導師と信者二 十人ほど姿あり。此処に来るも難儀な場所ながら彼らは寺の小型ボートで訪れる由。海岸線に沿い東Y村、銀坑村を抜け土地湾まで歩こうかと思ったが岩場多く 途中、完璧に海に入らねば渡れぬ箇所あり一眼デジカメ持参では危なくて断念。実はとんだ地図の見間違えで海沿いではなく少し高台に古道あり、それを見落と す。撤収ということになり、この村から古道をば引水路に上がり更に石澳道まで標高差120mほどだが猛暑猛々しく炎天下に眩暈ぎみ。石澳に海水浴客送るミ ニバスの復路の空車に乗りShau Kei Wan経由で帰宅。午睡。早晩に北角からフェリーで九龍城(というが正確には馬頭角)の埠頭に渡る。バスで九龍城市街。金蘭花泰国菜館に食す。こ の店も隣家に拡張し行列の出来る店と相成る。九龍城の飲食店の賑わい、父の日ということもあろうが、かなりの集客力あり。ホンハムに(マカオもだが)漁人 波止場(Fisherman's Wharf)など設営しての閑古鳥啼く失敗に比べ、啓徳空港閉鎖で空港関係者だけの飲食だけでも失うことで死活問題と言われていた九龍城という喧騒甚だし き、交通も不便な下町の繁華街が、こうして繁盛する態。美味いものがあれば人は集まる、という劉健威氏が指摘する通り、でなんら胡散臭い装飾も広告代理店 の企画した宣伝も要らず。金蘭花はそれなりに、で済ませ龍崗道筋向かいのイスラム料理屋・清真牛肉館に名物の牛肉包と牛南麺を食す。こここそかなりの行列。牛肉 包や麺飯の類だけなら客の回転も早かろうが豚肉除けば普通の中華料理屋の如くメニューかなりあり、家族連れなどフルコースで至れり尽くせりのお皿並び(画 像)混雑極まる。ハシゴの三件目は地茂館にて甘味。紅豆凉 粉。食い過ぎかも。だが何処も此処も美味至極。何気に往来の路線バスで九龍塘か何処かに出ようと思ったが九龍はWaterloo Roadにて香港島へのバスが高架走りバス停見つからず小雨となり「それじゃ旺角か何処かに出て」と南昌行きの路線バスに乗り換えるが、これが太子 (Prince Edward)をば高架で渡ってしまうバスで折から夕立ひどく大雨。結局そのままバスで東涌線の南昌まで行き地下鉄で中環経由で帰宅。九龍城より一時間半 要す。W杯蹴球の日本&クロアチア戦をテレビ観戦。
▼MTRの路線図を眺めて思ったが、香港鼠楽園の失敗に続き空港の更に先に建設のAsia World-Expoの不人気(市 街から遠すぎ)で更に来週だか正式開業のランタオ島は寶蓮寺(大仏)に向け吊るしたケーブルカー(昴平360)昨日の招待客相手の試乗でシステム障害か三 時間だか宙吊りとなり予定された開業危ぶまれる。空港のドル箱となるはずのエアポートエクスプレスもけして成績芳しからずMTRにしてみればランタオ島は 悉く風水悪しき場所なり。
▼先週金曜晩に羽仁さんらと深更に至り飲んだ名前知らずのバー。クレジットカードの控えで名前知ればBRSI/Lycaeusと云い経営者は故アニタ梅艷 芳のマネージャーであったMarianne王敏慧と知る。

六月十七日(土)何週間ぶりかで週末の快晴。午前三時すぎに寝ても六時には目覚めてしまう。裏山から大潭に走れば大潭のダムも昨年の初秋以来かしら満水に 湛うも嬉しく10kmほど走り島南の海岸に昼前に辿く。フランシス=フクヤマ『歴史の終わり』中巻読むがかなり木陰にて昼寝。中巻を敢えて評せばわかりや すい社会哲学の解説書、という感じ。午後からはすっかり晴れて雲ひとつなし。六、七年使った腰巻型のpackだいぶ痛み新品(画像)購入。こういったアウトドア製品の改良というのは 凄い。ジムにより夕方帰宅。枝豆に麦酒。糸撚魚焼いて食す。『歴史の終わり』中巻読了。
▼今月じゅうにイラクの陸上自衛隊撤退決定。多国籍軍からイラク政府への治安権限委譲受けての由。小泉政権の従米主義がため自衛隊員の命すら供せられ小泉 三世勇退にて自衛隊派遣も終了。

六月十六日(金)晩にHappy Valleyの益新飯店に 食す。編集者S嬢(日経 Galleryとか)とのふとした会話から十年ぶりに羽 仁未央さんと羽仁さんのAsia Channelに て映像の制作するH氏と会食という話になりZ嬢も羽仁さんらに十年ぶりで再会して五人で晩餐。「益新の昔の店は行ったことがある」で、そりゃ利舞台 (Lee Theatre)どころかLockhart Rdの鵝頸橋のところの店、という話になるくらい古い面子。羽仁さんのことは十年ぶりであるが劉健威や蔡瀾といった人の随筆にしばしば登場で何処で何をさ れているのか、誰と何を食べたか、まで知っている、と笑う。かなり興味深き話様々。新嘉坡のRoyston Tan監督の2003年の映画“15”のことは羽仁さんに尋ねれば深く状況知れると思っていたが案の定でRoyston Tan監督の新作“4:30”が“15”のどういう延長戦上にあるのか、今晩話していて自分なりに理解。また“15”に登場する少年たちの荒ぶれの凄さは 中上健次の物語に通じることとか。Col D'orciaと Viti ColtoriのRipassoなる伊太利の赤葡萄酒二本。確かに粤菜に合う銘柄。物語尽きずHappy Valleyの芸人など鳩まるスノッブなワインバーの路地の奥にある隠れ家 的バー(いまだに名前知らず、で 前回数年前にDragon Ashの事務所社長のK氏夫妻と行ったっきり)に移り智利のSanta Andreaなる葡萄酒の杯を傾け物語ること深夜二時近くに至る。羽仁さんには、高校生の頃に羽仁さんのお爺さんの著作で目覚めた余でるし、この「ゑぶ」 の最初に掲げた「真理がわれらを自由にする」の銘とて国立国会図書館法のこれは羽仁五郎氏の言葉。ぶっちゃけた話でアジアでどう生きるのか、何を若い人た ちに遺せるのか、といろいろ考える晩となる。この時間にHappy Valleyの街市や図書館、室内運動場のあるcomplexに煌々と明り灯り窓は冷房で曇る。夜中に清掃だの内装工事する筈もなくたんにバカな電力の浪 費はあきらか。
▼本日まで五日に渡り信報の林行止専欄に「河豚計画與当方以色列」という連載あり。戦前に日本がナチスのユダヤ人迫害に目をつけユダヤ人を満州に集め「ユ ダヤ人特別自治州」建設という、所謂「河豚計画」について。この計画は日本の対米戦争の開始の頃には頓挫し実際にユダヤ人の多くがアジアでは上海の租界に 集まりし事は周知の事実。と同時に香港のユダヤ人のことにつき林行止氏の言及あり。香港島西の薄扶林の香港大学医学部あるSasoon Rd(沙宣道)に名を遺すはDavid Sasoonなるユダヤ人で1833年にバグダッド離れインドのムンバイにてSasoon Ltd.興し1844年に香港にも出店。薄扶林の土地所有す。阿片貿易にて在を成し上海の華懋飯店(現在の和平飯店北楼)や華懋公寓(現在の錦江飯店北 楼)などこの家族の経営。同じくSilaz Aaron Hardoonもバグダッド出身のユダヤ人。香港で著名なるKadoorie家もイラク系のユダヤ人にて先先代(現在のSir Michael Kadoorieの祖父)1880年ムンバイ経て香港に参り15歳でSasoonの会社に働き始め頭角現わしSasoonの主人より香港ドル100元借り て自ら会社興し香港と上海にて手広く商う。

六月十五日(木)昨晩は西班牙の対ウクライナ快勝に続きチュニジア対サウジの引き分け見事に的中しドイツのポーランド戦も続き三串四このW杯で初めて的 中。ここまでW杯17試合で外したのはわずか3試合(それも日本の惨敗、Trinidad対瑞典と仏蘭西対瑞西の引き分け2試合)で勝率82.4%とは全 くの蹴球知らずにしては上出来。試合毎の賭けは2次リーグまで、でけっこうイケる鴨。バンコクからY氏来港あり晩に知人らで銅鑼湾の韓国料理・郷村に食す。胃の具合芳しからず生欠伸と油汗あり。帰宅せばW杯エクア ドル対コスタリカ戦の後半でエクアドル快勝。躍るようにボールが次から次へと蹴飛ばされる中南米の蹴球の面白さ。ボールをためてじっと考え込むが如き先日 の日本の蹴球とは大違い。
▼昨日、青木保教授のこと綴りしは青木氏の非難に非ず。実は青木氏が記事にて紹介の韓国の「文化憲章」をば紹介のつもりがつい青木氏に関する言及に終わる (笑)。であらためて韓国の文化勲章について。青木氏の紹介の順を辿れば昨年十月にユネスコで「文化表現の多様性と擁護と推進」条約は賛成多数で採択され たが実際の批准はカナダとモーリシャスのみ。伝統文化や先住民・少数民族の文化消滅の危機に対する危機感と、もう一つは仏蘭西など強い意志は現代の消費・ 大衆文化の世界的広がり、具体的には米国の大衆文化侵入への歯止め。前者には賛成多いが後者には日本なども実はアニメやゲームソフトでは米国と同じ穴の狢 の大衆文化輸出国。その状況の中で注目すべきが韓国の文化政策の基本となる「文化憲章」今年五月二十一日(この日はユネスコの「文化多様性の日」当日)発 表。青木教授によると「文化は人間が人間らしく生きてゆくための基礎である」という前文に続き十三条の条文が続き第一条に基本権利として「文化的権利は市民の基本的権利である。すべての市民は不当な検閲、監視、脅 威に苦しめられない権利、思想と表現の自由を積極的に実現する権利、この土の上のいかなる場所でも品位ある生を営む権利を有する」と謳わ れ、これは日本を除く東アジア初の(って、他に北朝鮮と中国しかないが、あ、それに台湾、は国家ぢゃない?)「文化の自由」宣言だそうな。この憲章、民間 の制定委員会が作り政府は内容に一切干渉せずに支援、そしてこの憲章を承認。これがホントだとしたら教育基本法改正や個人情報保護法など改「正」に向け邁 進する日本に比べどれだけ健全なことか。この第一条の立派なこと。但しちょっと気になるのは、この韓国の「文化憲章」が(当然、朝鮮語での表現は多少異な るのだろうが)googleで検索しても一つもヒットしないこと。青木先生が書いているくらいであるから何処かで紹介されていそうなものだが……ちょっと 不思議。
▼史上最強の与党議席数ながら実際には郵政民営化以外に何もせず(結局、小泉三世という人が昔から「郵政民営化」以外に何もない人なのだが)空白国会も終 焉迎え、小泉メールマガジンも「小泉之乱」のまとめに入る。今日(第238号)は「5周年記念号」で5年の治世を振り返る小泉三世インタビューは読みたい 暇人だけ読めば良いので紹介もせぬが、それに続き安倍某が初代編集長として登場し結局言いたいところは「編集長であると同時に政治家・安倍晋三としての意 見も随分言わせていただき」とポスト小泉の嫡流が自分である、ということの強調。でここまでは驚きもせぬが特別寄稿に「脱「二項対立」ということ」と村上 龍。
二項対立を煽るのはおもに大手既成メディアで、その最たるものは 「内閣を巡る世論調査項目」だ。「あなたは小泉内閣を支持しますか」という問いは、「郵政民営化は支持するが対アジア外交は支持できない」というような人 を最初から無視している。この内閣メールマガジンが、日本社会に刷り込まれた「二項対立」という罠から脱却するための推進剤となることを期待している。
と小泉三世に対して村上龍は「限りなく共鳴に近い部類」で御用作家ぶり丸出し。
▼香港鼠楽園の経営責任者がついに“We are slightly behind our attendance figures. But our product is very seasonal. A lot is riding on this time period”と目標入場者数に達しておらぬこと認める発言。「入場者数は季節の変動があるので」と嘯くが、この雨多き時期から猛暑にかけどうして入場者 数が増えようか。来月三つ遊技施設啓用もあり九月開園一周年迄に年間入場者数五百六十万人に少しでも届こうかと起死回生、最期の足掻き。入場者数が目標に 達せぬ場合、銀行団も融資の早期返済の協議に入る見込みもあり。
▼SCMP紙の報道で香港の銀行がコスト削減の支店数減少、年寄りや障害者に不便、と記事あり。2001年末に1,405行あったものが2006年3月末 で1,202行に減少。それでも「やっぱり香港は銀行が多い」と一瞬、思う。香港に旅行に来ての最初の印象の一つが「銀行が多い」わけで、この数字に 「やっぱり」と思う。だがこういう認識がだいたい誤解、というか根拠のない誤信のことは多々あり。香港の人口が700万人とするとこの1,202行は銀行 1支店あたり5,824人の人口。これを日本と比較すると(全国銀行協会に電話で問い合わせたら)05年9月で日本全国の銀行の本支店数は12,166行 (さすが全国銀行協会なので「日本長期信用銀行も新生銀行として、それにあおぞら銀行も含んでの数字です」と細かい)で日本は銀行本支店1行あたり 10,439人。これを見ると香港は倍近い。が、東京都で見ると4年前の数字で現在は統廃合で少なくなってはいるが2,875行で人口換算すると1行あた り4,390人で香港より東京のほうがずっと銀行が多い。だが香港は「銀行が多い」。そうでないと観光ガイドがバスの車窓から「ほら、香港は日本よりずっ と銀行が多いでしょう。世界で一番、銀行が多い」とネタにならぬ。
▼SCMP紙の報道で、いかにも田舎娘数名が検挙され自動小銃突きつけられるの図。記事の見出しには“100 police held for shielding drug trafficker”とあり、こんな田舎娘らが、而もよく見れば赤児抱いた母までが麻薬密輸か、そりゃこの罪状じゃ死刑の国であるから検挙でも自動小銃 で狙われても不思議でなし、と驚くが、写真のキャプションよく見れば“Pirates under the gun”で雲南省の昆明で海賊版CDを路上で売っていた女性らが検挙されたもの。海賊版CD売買の普及は中国の悪しさの最たるものだが、まさに “Pirates under the gun”は驚き。田舎娘らにしてみれば貧困で食うにも食えぬインフレ。せめてもの収入確保と海賊版CDの路上での売買。それで自動小銃で威嚇されるのもま た怖い話。

六月十四日(水)今朝多少宿酔あり。連日蹴球W杯のことばかり綴るが昨晩は韓国隊の試合の前に利休にて生麦酒(大)に日本酒二合で韓国戦の間に麦酒三缶、 帰宅してウィスキーを少し飲んぢゃいけない。仏蘭西対瑞西はホームの勝ちに賭け結果、引き分け。この引き分け、と想定することの難儀。1:0の伯西のクロ アチア戦も朝三時の試合開始ではいくら早起きでも見られぬ。再放送を見る暇もなし。スポーツ観戦に興味なし、と、言いつつ賭けている所為もあるがやはり。 だが午後九時からの試合もテレビで流してはいるが画面に貼り付け……否、釘付けにはならず新聞雑誌など読みながら、の観戦なのだが。W杯蹴球といへば(し つこいが)畏友William鄧達智君がファッションデザイナーの立場から蹴球ほどセクシーさのないユニフォームはない、と指摘(昨日の信報の連載随 筆)。確かに。考えてみれば蹴球という球技は服装もそうだが道具などハード面で球一つあれば何処でも出来る点での気軽さ。そういった意味で最も手軽か…… いや、足軽か。貧乏でもできる点が、野球がよく昔の漫画で「お父ちゃん、俺にも野球のグローブ買ってくれよ」と子がせがみ「うるせーっ」と父は怒りつつ父 はお手製のグローブ縫って翌朝には「ほら、これ使え!」に子は「こんなの恥ずかしくて使えねーよ」「なにをっ!、このガキがっ」とステレオタイプな筋だ が、野球がクリケットだの英国のお坊ちゃまスポーツの流れで、それに比べると貧乏でも出来るところが蹴球の世界的普及の要因なのであろう。ところで今日の 朝日(社会面)に「独メディア、日本に厳しい目」というW杯関連記事あり。ドイツ各紙は豪州代表の粘り強さと歴史的初勝利をたたえ、敗れた日本代表につい ては「先取点はファウル」などと辛口の批評が目立った。としてこの先制点への疑問や「日本はもっと早い段階でゴールを決められるチャンスがあったのに、最 後まで粘り通せなかった」「豪州は先制されて必死になったが、日本は勝てると油断してしまった」という記事を紹介。ここで指摘されていることは全う。寧 ろ、こんな当たり前に指摘されるべきことを自らの紙面で自らの筆では評せず、明治の洋行帰りぢゃありまいしドイツの新聞「では」と、この紹介が狡すい。こ の「何処何処では」は出羽守と呼ばれ学者やジャーナリストが最も避けるべき言い回し。燈刻にジム。有酸素運動と筋力運動 各一時間。徹底的に鍛練して帰宅して鮪の中落ち丼食しながらW杯西班牙対ウクライナ戦観戦しつつFar Eastern Economic Review誌06年6月号に掲載された東郷和彦君の論文“A Moratorium on Yasukuni Visit”を読む。東郷和彦君といえばFEER誌の紹介は元オランダ大使でプリンストン大学の 客員研究員だが言わずと知れた外務省元欧亜局長で鈴木宗男君絡みでオランダ大使更迭命令受けたが前代未聞の帰国拒否。佐藤優氏の著作にも詳しい。その東郷 氏が更迭後に「海外で療養」のまま行方不明は衆議院でも岩國哲人君より質疑がなされ(こ ちら)それに対して小泉三世が「東郷前大使は、既に外務省を退職し、公務員ではなくなっており、政府はその所在等を把握する立場にない」「公務員 ではなくなった者について、政府はその所在等を把握する立場にない」と答弁(こ ちら)。その東郷氏のプリンストンでの学究生活での靖国問題に関する一考察。東郷氏といえば祖父が東郷茂徳元外相で父の文彦が駐米大使歴任。鹿児 島の田舎者がここまで出世し一国の外交担うに至るが明治維新の凄さ、は余談だが、東郷和彦氏の靖国論は内容はかなり興味深いもの。ただし靖国に関して、殊 にA級戦犯について今日の日本人がどこまで国家的ディベートができるか疑問。
▼朝日(衛星版)に青木保君(文化人類学・阪大が長く東大を経て現在は早大)の「文化が競い合う東アジア、普遍性・個別性が課題に」を読む。青木教授の文 章は異文化理解、東アジア共存みたいなところが落とし所で、その政治性のなさが何処にでもウケる原因で、東大への栄転もそのへんに理由もありやなしや、い ずれにせよ、この朝日でも
自文化中心主義に陥らず、異文化を尊重し自文化を高めるという困難 な課題に、開かれた文化の国として日本がどんな東アジアモデルを提唱できるか。これこそ国と社会と個人の「品格」が問われることである。
ってまとめ方が、いかにも小泉三世が好きそうな言い回し。実際に小泉三世の「文 化外交の推進に関する懇談会」座長も青木君。それじゃ具体的に何をどうすればいいの?がわからないのがこの先生の特徴。異文化理解といっても実は 朝日新聞に「東アジア共同体は可能か」というテーマの論文で(05年12月)
中国の映画監督チャン・イーモウに高倉健が参加し、中国の女優チャ ン・ツィイーが鈴木清順監督の映画に出る。これほどまで相互乗り入れ的な文化交流が見られるのは、地域の歴史上、初めてではないか。
なんて発言は大それているが、実は李香蘭や宝田明、六十年代に香港や台湾の映画制作に携わった映画人もいることなど、アジア専門の文化人類学の先生なら当 然押えておいてほしいのだが、ちょっと昔なら中曽根大勲位のまわりに群がった文化人のように構想は大きいのだが実際には具体策がない、そのノリを継承する 無形文化財的な存在が青木先生かも知れない。
▼ジェルジ=リゲティ氏逝去。匈牙利人。1956年の匈牙利動乱に際し墺太利に亡命。『2001年宇宙の旅』モノリスのシーンで流れる曲がこの人。オース トリア前衛音楽の系譜の作曲家がまた一人逝き、前衛という言葉が風化してきました、とG氏よりリゲティの死を知らされる。

六月十三日(火)深夜のW杯はCzechが宿敵米国に勝ち伊太利も順調にて少し回収。朝日の朝刊は日本の負け一面トップで伝えるが「中村の先制点」「失意 4年、不動の10番」「俊輔、欧州で成長」と演歌的に見出し並びスポーツ面にも「俊輔みせた幻惑クロス」、専門家の「中村の先制点、良い展開」だのトル シェ氏の「80分まではいい試合運び」だのコメント並び、社会面には「夢信じ続けつかんだ舞台、逆境越え気迫の高原」と賛辞賛辞。だがSCMP紙の伝える ジーコ監督のコメントは辛辣の極み。We did not do anything after taking the lead. We had two clear goal scoring chances on the counterattack but if you do not put the ball in at one end you sometimes concede it at the other. とジーコ監督。日本での報道ではネットで見たかぎり毎日新聞のこれく らい。ニュアンスが違う。小泉三世は「気持ち、切り替えてね、次の試合頑張ればいいと思います。切り替えが大事です。期待できます」と述べるは郵政民営化 での復活での経験論か。諸事忙殺され晩に至り天后の関西料理「利休」 にT夫妻とZ嬢と食す。食 後お口直しにと供されしお新香の如きパパイヤの黒醋漬けも美味。連日のW杯蹴球に毎四年の事ながらW杯中継せぬどの飲食店も閑古鳥と。午後九時よりヴィク トリア公園にて韓国団体主催にて韓国対トーゴの蹴球試合応援観戦あり。利休のご主人曰く「韓国応援宜しく頼みますわ。韓国のお客さんもたくさん贔屓にして くれますさかい」と。W杯の観戦に麦酒購入と立ち寄りたる天后電気道&永興街角の酒屋、その酒煙草缶瓶の品揃え並びにディスプレイの見事さ惚れ惚れ。ヴィ クトリア公園の芝生ピッチの広場には韓国三星電子(Samsung)とLGの提供にて7m x 10mの巨大テレビ屏幕と特設ステージあり I love Hong Kong, Korea と書かれし紅色のTシャツ姿の応援者幾千人も集ふ壮観ぶり(翌日の報道によれば六千人の観衆あり)。スナック菓子や麦酒(韓国Cass麦酒)などの屋台も あり。ア ジアから日本と韓国このW杯に参戦乍ら昨日の日本など在港の邦人こそこそと観戦に比べ韓国の、この人々と企業の熱意、而も韓国人のみの盛り上がりに非ず香 港の友人らも一緒に応援してください、の姿勢にただただ敬服。一点先取され同点に追いつき勝ち越しと見事なる韓国の勝利。応援もかなり沸き立つ。が勝利せ ばいつまでも勝利の余韻に大騒ぎなどせず主催者の「みなさん応援ありがとう」の一言と屏幕に「勝利、大韓民国」とハングルで(この程度なら余も読める)の 大写しで場はあっさりと散会。途端に主催者側のボランティアと観衆が自主的に現場のゴミだの雨に泥土の芝に段ボール紙の敷物など回収され数分後には残骸微 塵もなし。甚だ見事。
▼語るも無残なるは香港鼠楽園の惨状なり。九月までに年間入場者目標五百六十万人に幾らかでも近づこうと苦策続け五千名の職工に対し一人あたり六枚の無料 入場券配り毎月三名の知人友人ら同伴も可。開園以前には地元客だろうと鐚一文負けぬと豪語し入場券販売させる代理店すら厳選の鼠楽園が今ぢゃ無料券配って の入場者獲得とは惨状に語る言葉もなし。

六月十二日(月)まだ雨。昨晩はメキシコがイラン破りセルビアでの負けを回収。と思ったら粗忽にもセルビア対和蘭でHomeとAwayを間違えて賭けてお り和蘭に賭け結果的に配当あり。これも勝ちは勝ちということで(固 い試合が続いているが)外したのはTrinidadと瑞典の引き分けだけで八分の七の勝率。蘋果日報朝刊一面トップはステーキ連鎖店「扒王之王」経営者の 妻が自殺未遂。この妻は元台湾の女優、夫が扒王之王など経営するが妻も会社の人事など担当しており夫が店の宣伝のためと巴士阿叔雇用を決めたことに反対し 夫婦間の確執あり睡眠薬飲んで、の自殺未遂。巴士阿叔自身は扒王之王店内で暴漢に殴る蹴るの暴行受けて三日で勤務中止。扒王之王の経営者も妻の自殺未遂受 けて巴士阿叔の解雇決めた、と。ワイドショー的に話題は尽きず。早晩にタクシーで湾仔皇后大道東より金鐘に抜ければHennessy Roadに消防、警察の自動車並び警官交通整理に大わらわ。何かと思えば香港警察前の歩道橋の屋根に壮年の男数名が上がり何やら抗議叫びHennessy Roadは地面に飛び降り救命用の空気マットなど敷き西行きの車線全面封鎖。昏時の交通量多き時間帯にて湾仔界隈かなりの渋滞混雑。聞けば大陸生まれの子 女の香港居留権不准に抗議のデモで街頭デモのなか興奮した数名が歩道橋屋根に登りたる由。その居留権なき子女のその数七千人に及ぶといふ。今 晩在港邦人の殆どがW杯の豪州対日本戦参観か。晩に尖沙咀歩くとNathan Roadはやはり心なしか人出が少なく思われ重慶マンションの前にいつもなら数多く屯するバングラディシュ以西アフリカまでの人々も人影なし。SARS以 来のその人の消えた街並み、自動車の窓から眺めるばかりでシャッターチャンス逃す。観塘にあるapmなる商場など連夜のW杯中継客寄せに用いて九日からの 三日間で120万人の人出とか(多少眉唾)。自動車も渋滞殆どなく順調に車は走る。ホンハムの海底トンネルもガラガラ(画像は極端な至近距離運転であらた めて、怖いが)。香港島がさらに自動車の流れ少なきは前述の、湾仔での抗議での道路封鎖で渋滞警戒か皆が通行避けた由。帰宅せば後半開始15分後で日本が 1対0で先攻。こりゃ先日あたくしがサムライブルーをば「ブルーな侍、で山田洋次『隠し剣鬼の爪』の永瀬正敏演じる陰鬱な侍のイメージ。そりゃこの片桐宗 蔵は最後の最後で秘伝隠し剣鬼の爪で敵を討つのだが、つまり無得点で最後の最後で1点入れて、がこの筋で、先取点など挙げてしまってはいけない」と評した 先攻だね、大丈夫?と思ったが後半も残り10分ほどで少し安心せど豪州のフリーキックをば2度、ゴールキーパー川口君が止めた際に(余はサッカーをしたこ とはほとんど皆無だが)選手があれほど喜ぶを見て「あら、こりゃナントカの悲劇の再来になりゃせぬか」と一瞬、不安に思ったら、あの結果。余も愛国心ゆゑ 日本勝利にかなり賭けており火傷。「まだ次がある」なんて言っておれず宿敵米国倒すべくCzechと伊 太利に希望託し少しでも回収を願う。朝日週刊百科『人間国宝』集の「歌舞伎女形」の特集、朝日新聞の知人より送られ受領し一読。成駒屋の大檀那、梅幸二人 の故人に京屋と神谷町の女形四人特集す。巻頭からの大檀那の壮麗なる写真に数々の舞台思いだし涙腺も緩む。が頁捲れば梅幸の道成寺で一頁大の大写しに言葉 もなし。撮影の吉田千秋氏のコメントに道成寺の支度中の楽屋での撮影に「支度が出来た梅幸にカメラを向けたら「こんなポーズでどうだい」と扇子を口元に 持っていった。『道成寺』にこんな振付はなかったと気づいたのは最近のこと」と(笑)。梅幸らしさを吉田氏が見事に綴る。確かに道成寺にしてはひどいポー ズ、も梅幸らしさか。
▼香港では連日の雨空が台湾では記録的豪雨で阿里山の日の降雨量が400mm超え観測史上最高を記録。かたや中国華北では記録的な黄砂が舞い北京の街中も 敦煌の寺院も砂の中。砂といえば安部公房、雨といえば台湾の蔡明亮の世界。
▼蘋果日報に日本酒特集の記事あり。蔡瀾先生曰く「香港人は日本酒の銘柄も知らなければ飲み方も知らない」と指摘するが、蔡瀾先生も「日本酒には特級、一 級、二級という格付けがあって……」と、1992年には撤廃されているのに……。

六月十一日(日)昨晩遅くのW杯Trinidad対瑞典戦は0対0の引き分けでかなりの攻防戦でいい試合。Trinidadがここまで健闘するとは思わず 安易に瑞典と信じていたのが甘かった。今朝は薄曇りで久々に陽がさす。だが天気予報は雨で昼すぎまでジムで筋力運動と有酸素運動を各一時間。週末ずっとジ ムばかり。旺角。Nelson街の榮園麺家で 雲呑麺食す。かつてはいくらでもあった路地使った麺屋だが営業許可の延長認められておらず。冷房もない店で食麺は汗だくだが客が切れない繁盛はこの店の麺 の美味さ。香港ではスープは上湯が当たり前で塩味がかなり抑えられているが榮園のスープは珍しく塩味がきつい。だが塩辛くもなく塩の風味。滋養強壮で野葛菜水も一杯。路地裏といえば床屋も。旺角に来ればいつも寄るアウト ドア屋、本屋、カメラ屋など巡る。旺角の人出の多さ、喧騒はかなりだが先日読んだ何処かの調査で香港人は目的なく商店街ぶらぶらとする外出(山口文憲氏が 書いている「出街」がこれ)がアジアでもとくに時間が長い、と。熱帯や亜熱帯では暑いからなるべく外出を避けるものなのだが。一旦帰宅。帰宅途中に大雨。 天気予報が正解。早 晩にZ嬢と中環。天主教のカテドラルで夕方のミサ。信者も名士多いと聞くが、ここまで自動車で無理して来るかね、の教会前は自動車展示場状態。FCCで晩飯。ハイボール二杯。W 杯が晩遅くだから空いているだろう、と思ったら大間違いで英国対豪州のラグビー試合の中継ありかなりの盛り上がり。李嘉玲のピアノコンサートに行くZ嬢と 別れて銅鑼湾のバーYに薮用あり寄り一杯だけ飲む。 National Geographic誌6月号で“Why the world loves SOCCER”という特集あり。バーのカウンターで読んでみたが、なぜ人々がサッカーに夢中になるのか?の結論なんて解明されている筈もなし。ボールを蹴 る、というそれだけは簡単だが(陶傑氏がサッカーも三千年前に中国で「発明」され水滸伝にも蹴毬の記述あり、と中国が誇ることを嗤っていたが)ゲームとし ての得点の難しさ、はらはらドキドキが他の球技よか面白いのだろうか。銅鑼湾は午後の8時半だと言うのに「出街」の人出少ない。映画館の前も閑散。茶餐庁 の前だけは店内でのW杯中継覗き見の輩が溢れる。帰宅してW杯のセルビア対和蘭戦見る。西欧勢が強いのは当たり前なのでセルビア応援したが負け。ドイツの 初戦からの配当がこの一戦で消えてしまった……。やはり賭事は難儀なり。
▼五月も廿日だかの話で旧聞に属すが中国の長江(揚子江)に完成の三峡ダム。国家的大事業のはずが完成式典に胡錦涛主席、温家宝首相ら国家首脳が出席せず 式典も僅か八分で終わり「なにか拙いことでもあるのか?」と訝られる。ダムの鉄鋼やコンクリートの質、耐久年数など。また水質汚染もひどく周囲の住民はこ のダムの水は飲めず。ダムが崩壊した場合(核戦争でダムが破壊された場合も含む)武漢から下流の上海まで深刻な水害の災いもあり。
▼新聞の切り抜きの中から四月廿一日の信報社説「中国人口老化、高増長非壊事」が現われる。中国の今年第1四半期のGDP増長率が10.2%で国家予測の 7.5%を大きく上回ったことで過度の経済成長は深刻な後遺症齎すという懸念もあるが現在の経済成長の速度落とせぬのは「高齢化」の問題、と。中国の高齢 化は深刻で(七十年代の一人っ子政策の影響も大)2050年には65歳以上の人口が70%に達し労働人口100人で70人の老人を養う。中国の外貨準備高 が8751億米ドルで過度という指摘もあるが、中国政府が外貨獲得に躍起になっているのではなく、中国の生産資本が小さいため輸出体質の貿易で外貨が不断 に流入し結果、外貨が貯まる構造にある。15〜20年後にようやく中国の貯蓄率が下落し始め消費志向となるが、その頃の中国経済の競争力が今ほど高水準に なく、必然的に外貨準備高も下がるわけで、そのような状況が予想されるのだから中国政府が外貨も含め十分に備蓄に励み早急に老齢化社会での年金制度の整備 など必要。
▼今回の天皇皇后両陛下の新嘉坡、マレイ、泰国訪問。泰国のプミポン国王の在位六十年記念。プミポン国王といえば兄君(ラーマ8世)の突然の死去(王宮で 眉間に銃弾当って、で拳銃の暴発とされている)で米国マサチューセッツ州生まれでスイスに遊学しローザンヌ大学に入学したばかりの弟君(プミポン国王)が 19歳で即位。このラーマ8世の死去に陸軍の参謀将校である辻政信(http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信)が絡んでいる、 という話。T君に教えられ、辻政信でふと思ったのだが、陛下が新嘉坡でお言葉述べた、日本軍による新嘉坡占領での華人虐殺もこの人が主犯格だと言われてお り、今回の天皇陛下の南アジア訪問、すべて辻政信が絡むが如し。

六月十日(土)まだ雨歇まず。昨晩はW杯のドイツ対コスタリカの試合前半だけ見て二時半すぎに臥床。だが今朝は七時には起きてしまう。ドイツの勝ちは安心 していたがエクアドルもポーランド破り「二串一」で的中でそれなりの配当あり。幸先よし。日本では小学校の通知表に「愛国心」評価が公立190校(朝 日)。通知表に愛国心評価は福岡県が有名だが実は非難轟々ですでに愛国心評価中止。そういった学校が122校。三年前の調査では172校で若干の増加。目 立つのは茨城31校、埼玉48校、愛知63校。愛知県が「愛知教育大学で健全な教員養成し全県で健全な教育実施し、そして自動車を生産する」のは今更説明 も要らぬ話で愛国心評価などに疑問もなきことも驚くに値せず。埼玉と茨城も首都圏の思考力空白地帯であるが埼玉でもさいたま市や茨城でも水戸や日立、筑波 といった都市部(ということにしておこう)ではなく鴻巣、行田、深谷、熊谷、騎西、居寄(以上、埼玉)や龍ケ崎、常陸大宮、牛久、阿見といった「何処、そ れ」みたいな、もっとわかり易く言えば岩井俊二の『リリイ・シュシュ のすべて』や中島哲也『下妻物語』 といった映画の舞台になりそうな、ほんと何もないところで「我が国の歴史や政治、国際社会における役割に関心をもち、意欲的に調べることを通して、国を愛 する心情や世界の人々と生きていくことが大切であるということの自覚を持とうとする。」なんてことで小学校5、6年生相手に評価されている。滑稽。昼前に ジムで一時間の有酸素運動。この新しいジムの入る建物は階上がかなり濃い雑居ビル。フロア案内見ているだけで目がくらくら。昼 すぎからも一時間の筋力運動。FCCのバーでハイボール飲みながら新聞、雑誌を読む。信報月刊七月号読む。信報で曾て編集長務めた沈鑒治氏が「日本懐舊之 旅」という随筆載せており一読せば沈氏が二十年前に東京の祐天寺に居住とあり。信報が東京に特派員遣るとは思えず。いずれにせよ沈氏が日本に戻りまず訪れ るのは銀座は並木通りの鳥銀。此処で焼き鳥。そして天ぷらは新宿のつな八本店だと言う。つな八は何処にでもあるが三越裏の本店で、天ぷらは当然としてつな 八は刺身、それも鰤の刺身が美味かった、と。鰤かどうかは別にしてつな八の刺身は納得。我が先考も今にして思えばつな八で天ぷらにはあまり目もくれず旬な ら鰹のたたきで日本酒を冷酒できゅっと飲み「どんな寿司屋より生魚が美味い」と感心していたが祖母に言わせれば一言「昔は魚屋だったんだから当たり前じゃ ないのよ」。四谷からね、歩いてくるとちょうどお腹が空いてさ、と。新宿の常圓寺で墓参り済ませ昼につな八でそんな話ももう昔のこと。沈鑒治氏の今回の旅 は京都でのMiho Museum参観が主。私は一昨年行き損ね残念。話は飛ぶが帰宅して沈鑒治氏の経歴調べると(http: //zh.wikipedia.org/wiki/沈鑒治)「ああ、またしても!」と感嘆するばかりだがこの人も上海の聖約翰大學(http: //zh.wikipedia.org/wiki/上海聖約翰大學)の出。誰か気になった人の経歴見るとこの大学であることばかり。この大学について山口 昌男氏あたりならすごい著作が書ける筈。卒業生がもう高齢に達しているのでもう時間の問題で取材しておくべきなのだろう。で沈氏は信報の編集長という肩書 きしか知らず、てっきり記者あがりと思っていたが、実は香港の長城電影公司總經理袁仰安の女婿で長城で映画業界に入り、後に新新影業や鳳凰で映画監督。だ が最も有名なのは映画化された『紅樓夢』で歌詞を英文に翻訳した字幕で、その水準は絶賛された、と言う。その後、多才活かしてアジア生産性機構(APO) の東京にある本部にて要職につき18年では確かに東京は熟知であろう。話は戻るがこの信報月刊に陳婉瑩女史(香港大学新聞&媒体研究センター教授)がスタ ンフォード大学新聞学部の故・呉惠連(William F. Woo)という教授の追悼を書いているのだが、この呉教授の父親、呉嘉棠氏が上海聖約翰大學の新聞学部長、でここもまた聖約翰大學へと話は辿りつく。文藝 春秋七月号で「愛国心大論争」なるもの読む。朝日で樋口先生&山室教授が「対談」にならなかったように櫻井よし子、平沼赳夫、鳩山由紀夫、保坂正康、池内 恵(若造ながら文春文化人仲間入り)、寺脇研(文化庁文化部長で映画評論もする)という「所詮、文春文化人&政治家」の鳩まりであるから「大論争」になる 術もなく櫻井よし子の勇み足を保坂正康が諌めるのは目に見えていたが予想通り。櫻井よし子は勇み足どころか暴走。男性の保守反動右翼というのは単に「乳離 れできぬ赤ちゃん」的だが女性の場合、曾野綾子、上坂冬子を例に出すまでもなくカルト的な方少なからず。櫻井女史の発言をいくつか引用すれば
日本は本来、世界に稀なる「全き国」でした。しかし、高い道徳心や 自分を律する心、さまざまな美徳を備えていた日本国のあり方は、戦後の占領体制によって根底から変えられました。占領は七年弱ですが、その後も六十年ずっ と占領政策を基本にしてきた結果、物質的には豊かなのに、精神文明は荒廃しきった。悲しいことですが、だからこそ、教育基本法には「愛国心」が必要なので す。
櫻井様は広島で民間から登用の学校長の自殺が続いたことも
せっかく校長先生が意欲をもっていても、日教組の先生たちがまった く言うことをきかない。法律では、校長に人事権が与えられてないからです。寺脇さんはリーガルマインドとおっしゃるけど、文部官僚がつくったつまらない法 律のおかげで、問題教師がいても校長が辞めさせることもできません。
とかなり憤る。あの自殺が校長という立場の制度的な問題に起因したことなど(意図的にか)考慮せず、たんに非協力的な日教組の教員が悪い、となる(もうそ んな組合教員なんて強くないのに、扱いはアルカイダ的)。このなかで寺脇氏についての言及があるが、それは寺脇研氏の
私が二十年前に福岡県の教育委員会に出向していたときも、日教組と激しく対立していました。たとえば教員は研修が義務づけられていますが、教育委員会のおこなう研修には一切参加しない。これ は法律違反なので、処分せざるを得ません。ところが校長はそちらをうやむやにする一方で、新人教員に組合不加入を勧告する。これは不当労働行為です。組合 も校長も、リーガルマインドが欠如しています。
とごくごく全うな発言なのだが櫻井様には通じない。櫻井様の独演会が続く。
今年、皇室典範改正について武道館で決起集会をひらいたときに『拒 否できない日本』を書かれた関岡英之さんが、こんな話をされた。(略)小学五年生に歴代天皇の系図を見せたら、神武天皇以来、百二十五代も続いていると 知った男の子たちが「すげえ、すげえ」と大興奮した。「その紙をください」と職員室までついてきたというんですね。本来、歴史のロマンを感じれば、子ども は貪欲に吸収するんです。
子どもはポケモンでも昆虫でもなんでも関心をもつ。それだけのことも櫻井様にかかると壮大な民族のロマンに映ってしまうからカルトは怖い。イチロー選手も 取り上げて
日本ではクールな印象だったイチロー選手が、WBCの日本代表チー ムでは、あからさまに熱いところを見せました。あの変化は、アメリカに行って初めて、自分が日本人だということを意識せざるをえなかったからではないで しょうか。
と民族意識の高揚を指摘する。イチローが日本人であることを意識して熱くなったのは大リーグ入りの時なのかWBCで日本代表として戦った時なのか。対談 は、途中から平沼、鳩山、寺脇研がほとんど加わらなくなり(もうお手上げだったのであろう)櫻井様の発言を保坂正康がどうにか「諸君!じゃなくて文藝春秋 本誌なんだから」で軌道修正しようと試みる展開が続く。これはこれで面白いのだが何より引っ繰返るほど抱腹絶倒だったのは若造・池内恵君の(恵は「めぐ み」じゃなくて「さとし」で男子である)高名なる先生方を前に最後に池内君がまとめに入り、
つまり、教育にできることは、「これが愛国心だ」というものを教え るのではなく、「愛国心というものが存在する」ということを教えることではないでしょうか。
と結んだ。よく言った(笑)、天晴れ! 池内君本人は文春的に纏めたつもりだろうが、この発言は近代国家による教育の根本的な幻想に言及。そう、愛国心な どというものはそもそもこの世に存在しておらぬ。近代国家が成立し国家経営する上で、そこで誕生した「国民」なるものに国家存続を命題とさせるために近代 国家において「愛国心」なるものが生まれ、近代の教育はまさに「国民の養成」で、愛国心なんてもともとないのだから「ほら、こういうものがあるのですよ」 と教えることが近代の教育に義務づけられたわけ。池内君はそこまでわかっていないのだろうが、ちゃんとその真理をこの場で発言して「大論争」を締めくくっ てしまったのだから殊勲賞モノ。あまりに抱腹絶倒で思わず珍しく赤ワインを注文して飲んでしまった。それにしても文藝春秋の編集部も大論争なら人選を考え るべきであるし、かりにこういう展開で論争?が続いたにせよ、もう少し工夫して原稿におこす器量が求められる。この大論争に続き石原慎太郎「若者がこの国 を愛するために」や上坂冬子「北城さん、靖国は商売の邪魔ですか」も目を通すが櫻井暴走、保坂火消し、池内殊勲賞の大論争に比べるとぜんぜん面白みに欠け る。中環の三聯書店に寄る。信報月刊で紹介されいたチベット族の唯色という作家がまとめた文革期のチベットのルポルタージュ『殺刧』(写真は澤仁多吉)と この人の文集『西蔵記憶』の二冊にかなり興味抱き、その書籍があるやなしやと訪れれば入口すぐに平積み。台湾の大槐文化出版刊。文化大革命がチベットにど う波及したのか、この1966年生まれの唯色というペンネームの著者(四川省成都の西南民族学院漢語文系卒業しラサで文芸誌『西蔵文学』の編集にあたる傍 ら詩作や小説を発表するが政府に目をつけられ『西蔵文学』の編集の職を失い現在は北京で著作に専念)が『西蔵記憶』の序文に綴っている通り、なぜチベット 族の人々が毛沢東の写真を掲げチベットの伝統文化や社会の破壊に暴走したのか、その理由が知りたい、と。金鐘のPacific Placeに寄りスポーツ用品店で買い物。大陸からのすごい買い物客発見。Hermes とLouis Vuittonの大荷物。それがすごく似合わない若手実業家(ってちょっと当てた中小企業の社長だが)。よく見ると社長のシャツもBurberryかし ら。すべてが似合わないから。売れればいい、か。帰宅途中に豆乳を買いに寄ったスーパーでレモンが多少傷みありで7個4ドルとお買い得で帰宅してレモン全 部搾り、平たくパックして冷凍庫に仕舞い(こうするとレモン汁必要な時に割って溶かして使える)、レモンでウオツカ割って飲む。晩にキムチ鍋とうどん。W 杯はイングランドがパラグアイ破る。今夜はこれでスウェーデンとC組でアルゼンチンが勝てば「三串一」でマカオの賭場の「大小」よかずっと確実な賭けとな るのだが。サッカーといえば信報がスポーツのうちなぜかサッカーだけは半年くらい前からだろうか、一頁割いての報道、解説あり。そこに昨日からトロツキス トの立法会議員・梁國雄君(長毛)のサッカー日記連載始まる。チェ=ゲバ ラに心髄する彼ゆゑキューバ革命の情熱がサッカーに結びついたのか(それなら野球でもいいか)いずれにせよかなりのサッカー好きで、二日分の日記読んだ限 りでは七十年代からのワールドカップの名試合など、この人の筆致はなかなかのもので、読んでいて面白い。それにしても日本のサムライブルーはやはり、どう も芳しからず。ブルーな侍、で山田洋次『隠し剣鬼の爪』の永瀬正敏演じる陰鬱な侍のイメージ。そりゃこの片桐宗蔵は最後の最後で秘伝隠し剣鬼の爪で敵を討 つのだが、つまり無得点で最後の最後で1点入れて、がこの筋で、先取点など挙げてしまってはいけない。
▼リベラル派弁護士ら45絛關注組の立法議員により組織された公民党、その中道穏健左派の姿勢が財界からの支持集め陳方安生も公民党より行政長官選挙出馬 か?などと取り沙汰される。公民党の結党は香港の政治環境活性化に良薬、と公民党に500万ドルの支援しようとした財界人が政府高官から「公民党支持は反 曽(反Sir Donald)」と同じこと、と圧力かけられ寄付取りやめた話などあり。政府の教育統籌局局長のArthur李國章(綽名:アーサー王)は一昨日の信報に 「教育與政治不能混為一談」を寄稿し公民党支持を表明した香港嶺南大学の陳 坤耀学長を非難。この新聞に突然寄稿しての圧力かけなど、まるで文化大革命。教育と政治を一緒くたにしているのはKing Arthurあなた自身でしょう、とただただ嗤うばかり。
▼母からファクスで送られた、すでに逝去した詩人M氏の百歳になるお母様よりの手紙を読む。母が奈良の明日香の寺にて亡父といっしょにM氏の供養の読経を 授かり、その寺よりの土産をもって老人ホーム訪れたことへの返礼の手紙。柔らかな優しい字で「お名前を中々思い出しませんで失礼いたしました。やっぱり百 の年には勝てません。つくづく年老いたと思いました。」と俄然ご健勝。素晴らしい。
▼シンドラー社のエレベーター。香港ではとても普及しており世界2位の規模ながら日本ではシェア1%ということに驚く。数日前の朝日の記事に「世界最大級 の商業施設、ドバイ・モールや香港の国際商業センターのエレベータを手がけた」とあり、この香港の「国際商業センター」が固有名詞なのか普通名詞なのかわ からぬが、その後のNHKテレビのNW9の報道で四年前だったか香港のマンションで子どもがやはり開扉中に動き出したエレベータに挟まれ死亡した事件、あ れがシンドラー社製。香港ではいつも閉ボタンの早押しでドアに挿まれてはいるがエレベータが昇降し始めるのは怖い。
▼そのNHKテレビのNW9のニュースで突然思い出したが、岩手県で産婦人科医の不足補うため中国から産婦人科医招聘し研修ということで実際には治療にあ たり、と紹介。厚生省の小役人の「やはり日本の医療制度を理解していない医師が治療に当ることは……」などという無意味な発言はどうでもいいが、気になっ たのは、この中国人医師が日本語も巧みなのは遼寧省瀋陽にある中国医科大学で 日本語で医学学んだため。この中国医科大学は日本の満州統治時代から90年に渡りずっと日本語でも医学の講義が行われている、と。本当だろうか? 確かに この大学の前身は満州医科大学(1911年8月に満鉄が奉天に南满医学堂設立し1924年に医科大学となる)。当時の満州の医学水準の高さから解放後も東 北に中国医科大学(この組織の前身は延安にあった医学院)が置かれたことも理解できる(沿革)が「90年に渡 りずっと」は眉唾もの。反右派闘争や文革の最中も日本語で講義が行われていたとは思えず。満州医科大学からの経緯があるにせよ、この岩手県に遣られた医師 が日本語堪能なのは、そんな過去の歴史より寧ろ、JICA(国際協力機構)による中国医科大学で基礎医学教育を主とする技術協力プロジェクト「日中医学教育セン タープロジェクト」があってこそ。その今日日の話をせずに満州の話はNHKの片手落ち。

六月九日(金)昼にむかい雨強まり黄色雲から赤雲警報、遂には黒雲警報に至る。大雨。午後天気一旦は快復に向うが昏時復た大雨となり夜半まで落雷暴雨。幼 い頃に祖父母の家で夏休みに夕立と雷。縁 側でぼんやりと雷雨眺めていると祖母曰く「これで雷が戻ってきて、あと一度またこっちに来たら、もうじき雨も上がるよ」。雷は三度来れば終わる、と言うか らね、と。本当に三度目に雷が通ったら雨が上がり夕焼け空。そんな雷に比べると香港は一分間に十数回か稲妻光り雷鳴りっぱなしで雷が近づくだの遠くなるだ の言ってはおられず。さすがにずぶ濡れになってまでジムに行く気もせず。鳴雷暴雨のなか自宅の窓から外を眺めているとこうして雨風凌げることに苫屋ながら も家があることだけでも幸せ、などと安堵してしまう。日刊ベリタに天皇が軍国主義の象徴から日本の良識の象徴へとアジアで像の変化について送稿(記事)。 晩十二時、窓から周囲のマンションをば眺めるといつも以上に灯りのついた家多し。ワールドカップ開幕中継をご覧か。香港での中継は地上波で広東語と英語、 ケーブルテレビは英語、広東語に色物解説者での広東語、それに中央電視台は総合の第1台で生中継(普通話)。少なくとも6チャンネルで中継あり。中国で億 の単位の視聴者数だろうか。
▼シンガポールにて陛下の発言。
私どもは、それに先立つ先の大戦に際し、貴国においても、尊い命を 失い、様々な苦難を受けた人々のあったことを忘れることはできません。
と華僑虐殺など起きた日本軍占領にも触れて
我が国の人々は、この歴史に思いを致し、東南アジア地域の安定と発 展、さらには世界の平和と繁栄に貢献すべく力を尽くしてまいりました。
と戦後の日本(すでに過去)への評価。下々の者が日本の歴史の見直しに躍起となるなかで陛下御自らが日本の負の歴史に言及し追悼の意を評す。陛下に向って 自虐史観と非難できるだろうか。
▼話題にするのも食傷気味だが巴士阿叔がステーキ連鎖店「扒王之王」にて職を得て謂わば人寄せパンダ的に旺角だかの店で愛想よく給仕にあたり話題となるが 一昨日だったか店内に暴漢三名押し入り巴士阿叔をば殴る蹴るの暴力沙汰で逃走。巴士阿叔は顔面腫らし病院に運ばれるが昨日マスコミの取材に興奮して「暴漢 の背後には四眼仔がいる」と口走り(四眼仔は目が4つある、つまりメガネ、で巴士阿叔にとってはバス内で激怒続けた相手の青年の意)暫くして否定するが (実際にはかつての負債だの金銭トラブルも多く、その関係の暴漢による襲撃という説もあり)青年はこの阿叔への暴行や阿叔の発言に対して「我相信香港有法 治」とまた評判あげるような対応見せる。言論による暴漢的な阿叔。若く理性的な青年。阿叔のアイドル化と愛嬌。暴漢。阿叔の動揺と興奮。若者の「自分は香 港が法治社会であると信じる」という梁愛詩(元司法長官)に聞かせたいような発言。見事なほど話が展開してゆく。
▼映画 The Da Vinci Code が中国で当局の命令により8日で上映中止。政府系メディアでも上映宣伝しており突然の上映中止は映画内容について天主教徒らの抗議があり放置すれば教徒ら が市街で抗議活動など起こすこと懸念か。巨大カルト政府にとって宗教団体は敵どころか同種ゆゑ、その怖さ重々承知。法輪功でさんざん懲りており天主教につ いては愛国教会組織して中国の特色ある天主教目指すが六千万から八千万のキリスト教徒のうち千二百万人が天主教とも言われており、愛国教会が実際に掌握で きているのはその半分か三分の二かで、強いバチカン派(というか、これが天主教なのだが)が地下教会化して存続しており、この映画上映で天主教徒に勢いつ けさせたくない、とか。反面、実は単に七月朔日が中国共産党結党85周年にあたり多くの党讃美プロパガンダ映画の上映あり。これに上映館をば集中させるた めに話題作をば排除という見方もあり。

六月八日(木)ダイキャストのB747機でサムライブルー2006の特別仕様、というのを見せられ「へぇ……」と好きな人には垂涎モノなのだろうが、サム ライブルー2006が何なのかわらず、こういう時に「それ何?」とか口にするとまた常識のないこと暴露する羽目になるので黙っていて、あとでこっそり調べ たらW杯の日本チームの応援キャッチフレーズがそれ。ブルーって、 陰気な、憂鬱な、悄気た、青ざめた、猥褻な(ブルーフィルムはこれ)とか意味があるのに、それでいいのだろうか。なんだかんだ言って連日ワールドカップの こと書いているが4年前に英国のブックメーカーに余のアカウント通じて(当時はまだ香港から海外のブックメーカーへの「賭け」はグレーで非合法になってお らず)I君が我が家でのシャンペンで酔っ払った勢いで賭けたのがセネガル(HK$50の8.1倍)、北アイルランド(HK$20の5001倍!)、スイス (HK$20の601倍)、セルビア(HK$20の101倍)、ベルギー(HK$20の126倍)、クロアチア HK$20の126倍が2つ)、ナイジェ リア(HK$50の81倍)にカメルーン(HK$50の6.7倍)。このうちセネガル、北アイルランド、ベルギー、ナイジェリア、カメルーンはW杯ドイツ 大会に参加しておらず。その段階で掛け金は水の泡。クロアチアが2つ賭けてあるのは、旧ユーゴで国家の分裂や統合の結果だろうか。実際に出場チーム決まり スイスは香港でのオッズは100倍なので601倍はかなり甘い見方だったのであろう。
▼信報やSCMP紙に一昨日の天皇皇后両陛下の外遊前の記者会見の内容かなり好意的に報道される。会見での発言を丁寧に紹介した上で
七十二歳的明仁在過去的公開講和中、一向表現非常開明、関心受戦争 侵害的人、渇望重建日本的聲誉、並曽在二〇〇四年反対強制在学校卒業儀式上唱国歌。為了修補日韓関係、明仁曽提及日本皇室流着韓国的血統;而対於日本一九 三一年在中国陰謀呑併東北三省、他曽称上世紀三十年代是黒暗時期。(信報)
とこれまでの陛下のリベラルなる発言に言及。かつて「天皇」といえば日本軍国主義の象徴、と信じられていたものが、政府が首相始め外務大臣が外交粉々に破 壊し続けるなかで、天皇が日本の良識の象徴になるとは! 今日の朝日で樋口陽一先生が対談(相手は山室信一京大教授)で憲法愛国主義について述べているが (これについては下述)、天皇がまさに日本国憲法の理念をば象徴し体言している驚くべき事実。
▼その樋口先生と山室信一氏の「国家とは何か」という対談(朝日、衛星版では八日)。樋口先生の、近代国家がフィクションであるから、いろいろちぐはぐな 処があるのは当然で、それをどう経営するか、に民主主義だの基本的人権などが重要であること、……これは今更言うまでもなく金科玉条。だが一つ朝日新聞に 苦言すべきは、相手が山室氏では樋口先生と高弟では理念、持論が一緒で「対談」にはならず。読んでいて「樋口」「山室」という話し手の名前を抜いても一人 語りのよう。むかし読売新聞で司馬遼太郎&樋口陽一対談も理念的には同じでも専門が違うから話が面白い。例えば相手を小林信彦にするとか、そのくらいの配 慮が欲しいところ。樋口先生の対談相手に朝日が『国家の品格』の藤原某を選び「国家とは何か」対談させたら樋口先生は怒って今後一切朝日に出てもらえない 鴨。
▼最近話題引摺る傾向多々有るが、司徒華氏が「自称政治家」Sir Donaldも89年の天安門事件での民主化運動支持した「民主歌聲獻中華」のイベント(ハッピーバレー競馬場で20萬人規模)にSir Donaldが息子連れて参加していた、と証言しSir Donaldは息子連れてジョッキークラブのクラブハウスで食事に行ったところ司徒華氏にばったり遭遇、と弁明し、その「真偽」が話題となっているが(劉 健威氏がこれについては当時の香港の常識的な民主運動支持の世論、Sir Donaldの現在の立場考えれば、非難や釈明に値せぬこと、と指摘は正しい)、その話題のSir Donaldはまるでこれを避けたかのように六月四日の前からかなり長い日程で広西、雲南の「珠江デルタ地域」をば視察旅行。そこで、香港でのSir Donaldの白黒論争よかもっと興味深き出来事は、Sir Donaldが雲南省の昆明でカソリック教会のミサに出たこと。熱心なる天主教信者のSir Donaldであるから旅先でも毎朝の礼拝欠かさぬことは驚きもせぬが、それが「宗教は阿片」である中国国内であり、しかも昆明のこのカソリック教会が 「バチカンが承認していない」馬英林主教の主宰する教会であること。これをば指摘されたSir Donaldは「個人の信仰をば政治化せぬべき」であり毎朝の礼拝は習慣で、旅先でその教会に入るときに神父にいちいち所属は尋ねない、と。確かに。だが バチカンにしてみれば熱心なカソリック信者であるSir Donaldのこの礼拝は「そうですか」と気にせぬわけにもいくまい。ことに香港の陳日君枢機卿にとっては。
▼日本政府が05年度分の対中円借款凍結解除(6日)。円借款が政治問題化、と言われるが元来、政府の対外国借款は政治の道具。七日の朝日で、その円借款 の記事の片隅に「地方は崩壊寸前」と政務官らが首相に苦情、というベタ記事あり。自民党の竹下亘君(環境)、石田真敏君(国土交通)の二人が「この前の選 挙で3つの自治体で票を減らした。小泉改革の影響が出たんじゃないか」「地方はもう大変で、崩壊寸前。都市と地方のバランスがなければ日本の発展はない」 と地域格差につき首相官邸での会食で小泉三世に直に苦言呈す。小泉三世相変わらず「駄目だと思ったときにチャンスがある」と青春出版のビッグトゥモロウ的 なチープな言い草で(って「古いネタ……」と書こうと思ったが、この雑誌がまだ存在していたとは……こちら)、みずからが総 裁である党の議員の声に聞く耳などもたず。
▼新聞に「猪木酒場、全国展開へ」とい う記事あり、アントニオ猪木をイメージした居酒屋、とそれぢたいはどうでもいいのだが、経営する会社が仙台市のジー・テイスト、とあり、仙台にはかなり事 情通であるはずの余が知らぬとは新興企業か、「ジー」はもしかして仙台といえばG/i/Pか? と思い慌てて調べれば「平禄寿司」も経営する会社(こちら)とわか り、会社の沿革を見れば、仙台では「ああ、あの会社」がジー・テイスト。20世紀には仙台で「元禄寿司は仙台が発祥の地で本店がある」と都市伝説化してい たもの。仙台は牛タンばかりかハヤシライスも仙台が発祥とかいろいろ話あり。で実際のところ回転寿司は大阪の元禄産業が元々で、昭和42年に仙 台の「株式会社教育用品」という会社が回転寿司経営のフランチャイズで元禄寿司の名前で仙台の中央通りに大町店開店(私は個人的にここで抜けた差し歯を飲 み込んでしまった懐かしさもあり)。この(株)教育用品が株式会社元禄となり元禄寿司の全国展開となる。この「元禄寿司」の商標、営業名称の契約について 元禄産業と揉めたとは聞いていたが、ここからはもう私自身が香港に来てからの話であるが、1996年に仙台のこの元禄寿司は平禄寿司という名称となり翌年 には元禄産業との商標契約、名称の契約満了。で順調に経営規模拡大し今日に至る。で、このジー・テイストなる会社名も「元禄」へのコダワリからGなのか、 と合点したが、実際には05年に名古屋の学習塾と外食のフランチャイズ展開する株式会社ジー・コミュニケーションへの吸収合併のためジー・テイストになっ たもの。つまり仙台でもG/i/Pとは全然関係がなかったのだが、学習塾経営の会社との吸収合併というのも、もともとこの元禄寿司の店が株式会社教育用品 だと思うと因縁めいたものもあり。ちなみに香港には元緑寿司あり。

六月七日(水)旧知の編集者のS嬢と電話で四方山話。と此処に綴るほど電話で忌憚なく雑談というのも余には珍しい。聞いて「まぁ、それはそれは……」とい う話あり。ワールドカップ、いくつか賭ける。香港ジョッキークラブで合法的に。今年はドイツ開催で開催時間が極東には夜半から朝方になるため、試合は観ら れないにせよ何が一つ安堵かといえば必要以上に飲食店が混雑せぬこと。4年前は日本&韓国開催で夕方以降、パブやバーならまだしも茶餐庁もかなりの混雑で 中継盗み視の通行人を妨げようと黒幕張り(文化祭のお化け屋敷じゃあるまいし)茶餐庁の分際で最低消費HK$40など登場。その時に比べれば視たい人だけ 睡眠不足、で世の中は平和かも。晩に 独りFCCのラウンジに食す。タンドリチキン包み。ハイボール二杯。市大会堂にてEugene Paoのquintetによる演奏会(海報)ありZ嬢と聴 く。香港代表するジャズのギタリストEugene Pao(包以正)の演奏は、これまでちょっとしたライブやリハの垣間聴き?ばかりできちんと聴くのは初めて。もっとブルースっぽいジャズ想像していたが予 想以上にフュージョンっぽいのは今晩の趣味なのかいつものことなのか僕は知らない。Eugene Paoがいくら香港を代表するジャズの演奏家とはいえ、香港というジャズにはあまり縁のない土壌でプロでやってゆくには大変かしら、と思っていたが、先 日、ある旧知の女性から、このEugene Paoは香港の海運王、故・包玉剛(Y.K. Pao)の資産家の一族であると知った。ジャズミュージシャンというと、ど こかハングリーにジャズが好き、という勝手な印象があるので、ちょっとヘンな感じがしたが、本来、音楽ってものは、ミュージシャンがべつに経済的にハング リーじゃないといけない、なんてことはない。で今晩のEugene Paoのquintetは、キーボードが地元のTed Lo、この人も、今晩のコンサート会場で偶然にあった編集者のY嬢の話では「ベンツに乗ってリハに来る」くらい裕福らしいが、あ、まだそんな話を僕はして いる、関係ない。サックスはフィリピンのTots Tolentinoにベースは米国人だが香港を拠点に活動するPeter Scherrで、ドラムは本田珠也。今さら言うまでもなく父親がピアノの本田竹広で 母親がボーカルのチコ本田。叔父さんが渡辺貞夫に渡辺文男で12歳でドラムを始め翌年だったか本田竹曠のネイティブサン斑尾ジャズフェスティバル(第1 回)に出演したときネイティブサンに飛び入り参加したのが初舞台……という今じゃもう20世紀の伝説だろうが、その本田珠也が日本人離れした、この「日本 人離れ」って言葉は嫌いだけど、本田珠也については他にいい形容がない。……とちょっと植草甚一の文体を真似たらこんな感じか。嗚呼、それにしても本田珠 也のドラムの凄さ。むしろEugene Paoが5人のなかではちょっと私には今日の演奏は苦手な部類だった鴨。市大会堂でジャズを聴くのはミルト=ジャクソンが亡くなったのが1999年で、確 かその2年前くらい、1997年だったかのMJQの来港コンサート以来のはず。演奏会の途中にはZ嬢にリッツカールトンホテルのバーででも飲んでいこう、 と言っていたのに10時半に演奏会跳ねたら、もう体内時計的には起きていられず、胃腸の調子も悪しく帰宅。
▼天皇皇后両陛下8日からの新嘉坡、マレイ、泰国訪問に先立ち記者会見(此方)。要所要所メモご 覧になってとはいえ訪問先の国々や王族などについて数十年前のことから物語る内容の緻密さ、その心遣い、まさに報恩感謝の御心の天晴れ。まだ30代の皇太 子時代に訪れた泰国でプミポン国王自ら運転する自動車でチェンマイ郊外の広野走る光景などさぞや楽しき思い出であられよう。外国訪問前の記者会見は昭和天 皇の歴史的ディズニランド、否、米国(つまりイコールでディズニーランドか)訪問前の記者会見が記憶にまだ鮮明だが、陛下の肉声(或いはそれにかなり近き もの)聴ける数少ない機会。今回も、今回のご外遊について一通り話が終わると、この時ぞとばかりに「愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められ ています。しかし、陛下が訪問されます国も含めました近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛 下もそうした見解に共感されますか」というかなり強引な質問から始まるが
教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法 上の私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。教育は国に発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育 に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。これからの日本の教育の在り方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々 が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら世界の国の人々の幸せについても心を寄せていくように育っていくことを願っています。なお、戦前のような状況 になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に委ねられるべきことで、わたくし が言うことは控えますが、事実としては、昭和5年から11年、1930年から36年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣、あるい はその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという、異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが、政 党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは、非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このよ うな時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。
と陛下。東アジアとの関係については「東南アジアの指導者の人たちが日本と東アジアの関係を懸念する中、両陛下が平和をアピールする歴史的な訪問と期待し ていますが、ご訪問の意義について付け加えることがあればお聞かせください」という質問に
やはり、これまでの歴史というものを、十分に理解し、そのうえに 立って友好関係が築かれていくということが大切なことではないかと思っています。
と。ダウンロードして見終わったビデオクリップはポイとデスクトップ上のゴミ箱にポイと捨てて果たしてよいものなのか、と憚られもしたりする。

六月六日(火)六月六日に雨ザーザー降ってきて、と幼き頃、学校へ行くのがとても憂鬱な子であったから梅雨の雨空見上げ、「あーあ」と。だが「運動場での 体育の授業がない」と、それだけは嬉しく。六 月六日と聞くとそれで毎年、なぜか気が滅入る。諸事忙殺され遅晩に至る。晩飯に湾仔馬頭餃子。
▼蘋果日報の尊子の4コマ漫画。特首(=行政長官、曽蔭権 Sir Donald)は「民主歌聲獻中華」に参加したのか、しなかったのか。答A:参加しなかった。その時はただジョッキークラブで食事していた。答B:参加し なかった。司徒華氏がその時に遭遇したのはまだ出世する前の曽蔭培(Sir Donaldの弟で警察官僚、その後、警察長官)だった。答C:参加しなかった。その時、もともと「民主歌聲獻中華」は開催されなかった。天安門事件で一 人の死者も出ていないのと同じ。
▼陶傑氏が蘋果日報のエッセイで「バスに外国人が乗っていたら」を書いている。件の「巴士阿叔」の状況では他の乗客は「触らぬ神に祟りなし」でダンマリを 決め込んでいたわけだが「もし外国人が乗っていたら」と。例に挙げたのは米国人、英国人と日本人。日本人は些か面白くない。中国人の乗客と同様に静かに傍 観続けるが、メモ帳にペンで一切合切を綴り帰国後「香港民族性格狂乱の情報調査」なる文書まとめ外務省の東亜研究室に提出、と。米国人の場合、この米国女 性なら Hey, You, Hey, Hey と中国の内政干渉で仲介に入れば、罵詈雑言続けていた巴士阿叔も金髪女の登場に静かに座席に戻り、この女性は、罵り続けられていた青年をハリウッドのバイ オレンス映画の最後の三分なら満身創痍で救急車やパトカーが終結した中で「大丈夫よ、坊や、もう大丈夫」と抱きしめて、と。英国人なら黙って見守っている が、阿叔の言説の中にある生殖器が青年の母の身体に入り込もうとした時(ここで英国人が広東語が理解できるかということは別)英国人はにわかに立ち上がり バスの階下に降りて運転手に紳士的に告げるのであった……「私がバスに乗車し所定の運賃を支払ったことはバスでの運賃と等価のサービスが引き換えられるべ きもので(I presume)、それにはバス車内での静寂も含まれると考える。現在、階上では一人の乗客が車内の静寂を破壊(Upset)しており、私は此処に消費者 の身分として運転手に要求する(I hereby put forward this request to you as a consumer)のは、運転を休止して階上に参り、そこでの相反的状況(antagonism)に対して有効的な干預を以て事態の収拾に努め、しかるべ きのち受容可能なサービス環境となった時点で運転を再会すべきであると思う」。運転手はガイジンの威儀とわけのわからない英語での提言に返す言葉もなく運 転を止めて騒々しい二階席へと上がる。他の乗客は車内で変なオヤジが騒いでいることよか一刻も早く目的地に着きたいわけで、この外国人に対して内心「この バカヤローが余計なことして」と罵る、と。
▼信報に最近、香港でも流行りのブログ、と紹介は香港中文大学日本研究学科の呉偉明氏の知日部屋方潤日記港燦筆記の三ヶ所。
▼村上ファンドの村上世彰氏の父が台湾華僑であることは日本でも週刊誌などではいくつか触れられているようだが(そして当然のように2chでは「ぎょろり とした日本人と異質な、特徴的な目。 子供の頃から大金使って株式投資させる異様な父親。 通産省での出世には何の関心も持たずにさっさとやめ、 銭よ銭よとそろばんはじく飽くなき金への執着。 これは新時代の日本人の新しい姿、発展系だからなのか? いや違う。分かる奴には分かっている。 あれは日本人の精神構造ではない。 そう、奴は華僑だったのだ!」ともはや、このノリをば2chの伝統として弄ぶように書き込みがされてゆくのだが)蘋果日報の論壇(劉黎兒)でその出自に日 本のマスコミが意外と触れておらぬ、と指摘あり。台湾系といえばYUSENの創業者もそうで、村上ファンドとライブドアとの癒着が取り沙汰されるなかライ ブドア吸収するのがYUSENと偶然なのだが。
▼安田記念で優勝のブリッシュラックの騎手Brett Prebble君が馬主から「優勝したら一年間、(馬主氏の所有する)ランボルギーニを運転していいから」と言われたそうでPrebble騎手は香港でラ ンボルギーニ運転できる!と喜んだがPrebble騎手は今季香港ジョッキークラブのクラブ専属ジョッキー。規定でジョッキークラブ通した給与、報償金以 外は調教師、馬主らから直接いかなる金銭や商品の授与を受けてはならぬ、と。このランボルギーニの場合は「運転させてあげる」で微妙なところゆゑジョッ キークラブの判断待ち、とか。
▼朝日の社説までW杯について。予選参加は207カ国・地域で国連加盟国より多いそうな。どうせなら最終16チームを国連の常任理事国にするとか。それだ と米国が抜けるか。
▼rockin'onの『SIGHT』がリニューアルで「リベラルに世界を読む」とさらに硬派に巻頭特集は「小泉靖国参拝で日本は何を失ったか」と(こちら)。フツーの出版社が 総じて「無思考なる単なる保守化」に傾くなかでロックは自由であると渋谷陽一氏らしい、この姿勢。小泉靖国参拝についても、せいぜい「小泉靖国参拝で日本 はどうなるのか?」程度がフツーの出版社の限界だろうが「何を失ったのか」という、この明確な物言い。見事。左翼学生運動に青春をかけた若者がただのオジ サン化するなかでノンポリであったはずのロック少年たちが実はノンポリでなかった証左。

六月五日(月)昨日、ランニングクラブの面々を前に余のとんだ発言ミスあり。村上ファンドがらみでの阪急の阪神合併につき「阪神と阪急が日本シリーズで対 戦したら関係者はいったいどっちを応援すればいいねん?」と。場が一瞬にして凍る。すでに阪急ブレーブスは存在せす阪急と近鉄?が一緒になり今はオリック スなのだ、と教えられる。1チーム空いたところに楽天が生まれた、と。成程。無知を嗤われ恥ずかしい思いで咄嗟に「であるからして余の言いたき事は、つま り、資金運用に村上ファンド利用する企業の社会的良識疑うような声が財界でもあがっており、これは暗にオリックスなど非難されたもの、であるから、阪神と オリックスが日本シリーズで対戦した場合は村上ファンドに因縁あり、ということで……」と釈明にもならず。本日、未明に左奥歯の更に奥のあたりに痛みあり 何度も目覚める。早晩まで鎮痛剤服しても痛みとれず。が晩いつのまにか痛み失せる。原因不明。ただ一つ気になるのは昨晩、かなり悪夢に魘され(B級ホラー の如き事件に巻き込まれる恐怖)大量の発汗で目覚めたが、しばらくの間、奥歯をかなり噛みしめていたようで神経か顎のジョイントになにか作用したの鴨。本 日、諸事忙殺され夕飯も安い菓子パンで済ませ遅晩に至る。帰宅するなり自称ホームバーでウオツカをショットで二杯立ち飲み。シャワー浴びてバランタイン (17年)ちびちびと飲みながら新潮社『考える人』のバックナンバー「京都特集」読む。
▼信報の社説「平反、改革、民主」秀逸。天安門事件もいつかは「平反」評価回復されようが、これまでの中共の政治史見れば反右派闘争、文革と76年(第一 次)天安門事件での平反が78年前後であったと思えば反右派闘争から21年目。天安門事件も果たして21年要するか。だが北京中央も趙紫陽元総書記の追悼 会開催も事実上黙認しており、地方政府も天安門事件での死亡者家族に賠償金支払い、少しずつでも動きはあり。この社説がその天安門事件の評価について嘆く は、我らが行政長官「自称政治家」Sir Donald君の弱腰。中国の民主運動支援する支聯會主席の司徒華氏がSir Donaldも89年の天安門事件での民主化運動支持した「民主歌聲中華」のイベント(ハッピーバレー競馬場で開催され20万人だか参観)にSir Donaldが息子連れて参加していた、と証言。それに対してSir Donaldは息子連れてジョッキークラブのクラブハウスで食事に行ったところ司徒華氏にばったり遭遇、と弁明。信報社説嘆くは、当時、中共の老党員から 香港大公報、文匯報といった左派新聞まで中国の民主運動支持と活動家の死亡哀悼をば表明しており、香港政庁高官のSir Donaldが当時の追悼集会に出席したことがなんの不思議があろうか、と。その事実の否定よか、寧ろ「一国二制度の下、香港市民は言論の自由があること は、当時から17年、何も変わっていない」と正々堂々と主張すべき、と。御意。ちなみにこの「民主歌聲中華」には親中タカ派の梁振英(行政会メンバー)、 全人代常委の曽憲梓も参加とか。それに、この日はハッピーバレー競馬場の施設は全てがこの「民主歌聲中華」(アニタ=ムイやジャッキー=チェンも出演し HK$1,300万のカンパ集める)貸し切りでジョッキークラブのメンバーが呑気に食事に行くような状況に非ず。ジョッキークラブなら同じハッピーバレー 山光道に豪華なクラブハウスもあるが、これは89年当時はまだ完成しておらず。
▼昨日の安田記念は須田鷹雄氏も、いただいたメールによればアサクサデンエンの二着は予想しておらず、アサクサが三着ならブリッシュラック、ジョイフル ウィナー二着で三連単も的中であった、という。須田氏の指摘通りジョイフルウィナーはオッズ的には千載一遇のチャンスであった。それにしても18頭中11 頭が昨年の参戦馬。昨年サイレントウィットネスとブリッシュラックで3、4着を押えたTony Cruz調教師にしてみれば昨年優勝のアサクサの不調踏まえれば(昨年2着はスイープトウショウで出ておらず)の今年の面子なら「勝ち狙い」であったであ ろう。今朝のSCMP紙で安田記念の競馬評記事に、ブリッシュラックがAsia Mile Challenge4戦のうち唯一3戦に出場で、その第3戦(香港Champion Mile)と第4戦(安田記念)連覇も素晴らしいがアジア各地(といっても実際にはメルボルン、ドバイ、香港、東京とオセアニアから中近東、東アジアま で)連戦することの意義、それをまず讚えるべき、と。確かに。アサクサデンエンとハットトリックはドバイでの不調で香港取消しで安田記念に標準合わせ、で あった。ところで、この記事にOreha Matteruzeという馬名ありマッテルージ?なんて馬がいたか?と一瞬悩んだが「俺は待ってるぜ」の一番人気馬オレハマッテルゼ(10着)であった。
▼台湾の阿扁総統、贈収賄で妻がらみに娘婿インサイダー取引に、と醜聞続き総統退任求める世論も高まり。国民党は次期総統確実視される馬英九主席(台北市 長)のもとで過激な反扁運動起こさず、の余裕。阿扁総統、赤貧農家の出身で苦学し台北大学の法科卒業し弁護士となり台湾民主運動に加担し妻はその白色テロ で下半身不随、その苦境続きの阿扁が台北市長となり、二期目狙った98年の市長選で馬英九に敗れたものの2年の浪人生活経て2000年に総統選挙に出馬す れば、前任の影響力大なる李登輝君の実質的支持、国民党の総統選候補・連戦君の不人気、それに当時の中共の朱鎔基君に珍しい感情的な武力威嚇論まで追い風 となり阿扁総統当選。……と、この半生で語れば実に天晴れ、であるが、なぜそれほどの人にあって身内だの側近に贈収賄だの株のインサイダー取引とは脇の甘 さ、呆れるばかり。結果論だが、台北市長選で敗れた者が一国の(と言ってはいけないが)元首選挙で復活、これが実は「3位決定戦」であったこと。で 2004年の総統選は馬英九は「まだ若い」ということで「次の次」扱い、「疑惑の銃弾」の結果、阿扁総統が再任される。……とこうして見れば次期総統には 満を持して馬英九君の当選。阿扁の弱さは本来、経済対策や民生できちんとした政策立案の上、それを具体化すべきところ、2000年の選挙が上述のような追 い風で具体的政策論争もないまま当選してしまい、台湾独立という信念以外だけ。04年以降は外交政策での無策ぶり。お話にならず。醜聞続きで阿扁君、総統 職として憲政上の権限のみ自らに残し、政策決定や民進党の党運営などの決定権は首相に委譲。これでどうにか08年の任期満了までの存命図る。

六月四日(日)珍しい陽光に朝、目覚めるがとたんに曇り連日の陰鬱なる天気。競馬の予想など済ませ午前中から昼すぎにかけて旺角のジムで筋力運動と有酸素 運動を各一時間。旺角からバスで銅鑼湾。ヴィクトリア公園では晩に天安門事件の追悼集会あり、そのまだ閑散した現場を眺める。天 后の華姐清湯南にて遅い昼飯。もともと隣には大利清湯南あり、その牛筋の煮込みでは老舗の隣に同業種で開店とは大胆 と驚かされるが唯霊氏の信報での連載で半年だか前に書かれた縁起読めば、成程と合点の、大利の華姐による別店舗での開業。それにしても清湯牛南で二軒並ん でどちらも繁盛なのだから凄い。で午後も遅いし軽く、と思い牛南河粉を頼んだのだが、運ばれてきたのは清湯牛南で、まぁ「これでもいいか」と食べ始める と、今度は青菜の泡飯(炊き込みご飯)供され「えっ」と驚いたが、これは明らかにあたくしの発音が牛南河粉(ホーフォン)ならぬ牛南&泡飯(パオファン) と聞こえていた由。今さら「注文が違う!」とは言えず「かなりの量……」と食べ始めるが、泡飯に牛の出汁が美味い清湯をかけると泡飯の美味さが引き立つ。 ほんとに美味い。慌てて帰宅して(香港時間)14:45に中継の安田記念。まじっ?で香港馬ブリッシュラック優勝(記事)。2 馬身半差で余裕。先月の香港でのチャンピョンマイルに続き2連勝の7歳馬。二着に昨年の安田記念優勝馬アサクサデンエンは秋の天皇賞、香港マイルと不調続 きDubai Duty Freeでは15着と惨憺たるもので当然、今回も外してしまったが。余の推した香港馬ジョイフルウィナーは16枠と不利な条件でどん尻から2頭目と尻尾に 位置していたが最後直線で大外から伸びてチャンピョンマイルに続き3着。ブリッシュラックは四番人気であったが(香港では一番人気)ジョイフルウィナーは 複勝でも660円の高配当。やはり日本で馬券買ってもらって正解(香港ではこの複勝はHK$23.5)。ジョイフルウィナー軸で単勝や馬連で外したが、そ れでもこの複勝だけでお釣りが来る。安田記念といえば2000年の10番人気で40倍のオッズであった香港馬Fairy King Prawnの優勝がまだ目にも鮮やか。香港馬が強くなったのか日本馬でマイルの層が薄すぎるのか。Z 嬢と路線バス三本も乗り継いでヴィクトリアピーク。山頂のピークトラム駅(展望台)改装中なのだがピークの広場に面して思いっきり、隠すもなく工事現場の 作業員用の急拵えの流し場が露骨すぎて見事。本来、こうした場所は見えないところに作るべきものだろう、が工事請け負うほう(日本のゼネコンなどもう香港 には、見る影もない)も、それどころかピークトラムの管理会社なりが本来は「イメージダウン」避けるために工事現場ですらオシャレに化粧させるべきだが、 そういった気配りも皆無。むしろ、この工事現場の露骨さがアートの如し。午後5時に所属のランニングクラブで待ち合せ山頂から西に歩き始め西高山から夕陽 眺める予定が雨が降らぬのが不思議なほどの重い雲立ち込め西高山には登らず薄扶林のほうに下り龍虎山に戻り英軍の砲台跡などまわり香港大学の裏手に下る。 皆で晩に上環の西苑酒家に食す。太古城と銅鑼湾にも店あり評 判だが「上環のこの店については」サーヴィスがまるっきしダメ。だいたいにおいて日本人客に下手な日本語で半ばふざけたように「ビール?」と尋ねること、 メニュー開けば「鮑魚(アワビ)?蝦?蟹?」とバカの一つ覚えで、茶といえばジャスミン茶を持ってくる、ビールをば盛んに飲んでいると頼みもしないのにど んどん運んできて開栓……と、この悪しき風習はけして給仕らの責任に非ず、そうさせた日本人客に元凶があるのだが、いずれにせよ、ビール?、蝦蟹攻撃、 ジャスミン茶のいずれか一つやられただけで「あ、この店、ダメ」と思ってしまうのだが、この上環の西苑はそれら全うしてくれたのだからお見事。黒服の給仕 はちょっと暇になったら帳場で楊枝で盛んにシーハーシーハーなのも見ていてうんざり。見た目一瞬豪華だが黒服らをばsuperviseする立場の者の不在 で丸っきり「なっていない」。料理は「揚げ海老のジャム合え」という不思議な一品(これがデザートならまだわかるが主菜であった)除けば爵士レン湯(レン は「青」扁に旁が「見」)も炸子鶏もどれも美味ゆゑ、よけいにサーヴィスの悪さが残念。鏞記が数も多いであろう日本人客にけして「ビール?」とやらず「お茶は 品種は何にします?」と尋ね、蝦!蟹!もせず、と給仕の心得の立派さ、それの爪の垢でも煎じて飲むべき。今晩の夕食には北京のDaZhao氏もお招きす る。彼は香港競馬については日本での香港競馬ブームの先駆け的立場。サイトの 表紙に「原居民」、次の頁にはオリエンタルエクスプレスと往年の名馬が並ぶ通り、90年代の香港競馬の最も賑やかな時代を知る第一人者。当然、今日の安田 記念でのブリッシュラックの優勝から昔話となる。上環から帰りの地下鉄で銅鑼湾でかなりの乗客あり。天安門事件の追悼集会終わっての参加者たち。

六月三日(土)相変わらず晴れぬ。昨日の大雨で野菜の値段も高騰とか。「巴士阿叔」はステーキ連鎖店「扒王之扒」が広報担当だかで雇用。宣 伝効果期待か。蘋果日報に須田鷹雄さんの有馬記念予想掲載あり。カンパニー、バランスオブゲーム、ダイワメジャー、ハットトリックに穴馬で香港馬ジョイフ ルウィナー挙げる。ジョイフルウィナー単勝、そして軸に逆にこの4頭に流す、ということで。午前、日刊ベリタに昨日日剰に綴った天安門事件の記事送稿。雑 用すませ昼前にフェリーで九龍に渡りジムで筋力運動と有酸素運動を各一時間。夕方、ホンハムからフェリーでのんびりとスナップ写真など撮りながら中環に渡 りラルフローレンの店など冷やかしアレキサンドラハウスからランドマークに空中回廊を渡ろうとしたら、ばっ たりとZ嬢に遭遇、三聯書店に寄りFCCのバーでハッピーア ワーする。ハイボール二杯。黄枝記に寄り皮蛋痩肉粥テイクア ウト。帰宅して昨晩購った鏞記の端午粽と黄枝記のお粥を食 す。
▼直島のベネッセアートサイト訪れた母が香港大学のツアーに遭遇とメールあり。一昨年、香港大学の美術館総監Y氏、館長A君らの直島行きに同行したが、あ の視察から今年はツアー企画。母はイ サムノグチ庭園美術館まで足を運ぶ。
▼一昨日の朝日新聞に小沢昭一氏による今村昌平監督追悼の一文あり。病ひ背負ってもまだ撮りたい、と新宿二丁目の赤線街を舞台にした作品を練っており、小 沢氏に「遊廓の片隅の怪しい不動産屋の役」を配役していた、と。なんと適役か。「遊廓の片隅の怪しい不動産屋」と聞いただけで小沢昭一の表情が浮かぶ、と いうもの。小沢昭一なら「昔はアナタ、このへんは赤線でしたが、今じゃゲイ専でございますよ」なんて笑いの一つでもとりそう。

六月初二(金)朝、ミニバスのなかで耳栓して聞いていたラジオから懐かしいロッド=スチュアートなんか流れていたら気がつくとバスがいっこうに動いていな い。ミ ニバスを降りて歩いていくと通学バスの運転手席の扉が大型バスに接触しての事故。陰鬱な重い重い雲。午前中大雨で昼前から大雨警報は「赤」のなか香港歴史 館にも参る。早晩に銅鑼湾の旭屋書店。昨日は未入荷のアサヒカメラ6月号受領。ついでにふと、アスキー出版のMac Powerな る雑誌の6月号も衝動買い。iPodをB&Oなどのアナログアンティーク機たちにつなげてしまうand-upという会社のセンスがいい。この号では Groovisions in HK という香港のセンスよさ特集もあるのだが。日本でも人気のストリート系のMichael Lauなど香港のトレンドアーティスト紹介。 S.K. Lauなる若手クリエーター紹介されていたが、この人がHK Art Centerの月報 Artlink (芸訊)のイメチェンの主犯とわかり不愉快。かつて香港で貴重なアート系情報誌が見た目だけアート系の雰囲気だけ、中身なしの雑誌に変身してしまったの だ。中環のHMVでパスカル=ロジェの演奏でサティのピアノ曲集のCD購入。北京より昨日来港のDaZhao氏と待ち合せFCCにてギネスビール飲む。Z嬢も来て中環の鏞記酒家に食す。鼎 談のなかで北京の人というのは北京を離れあまり旅行に行かないのではないか?という印象の話となる。日本の京都もしかり。せいぜい近郊への物見遊山で完結 しているのではないか?という仮説。鏞記酒家、印象的には誰にとっても「マジっすか?」だろう。今晩もきちんと隣席に「この店以外にチョイスがない」とい う感じの邦人客あり。だが先日、斎藤さんと訪れて思わぬ再評価での再訪。やはりいい店だと今晩も納得。予約は給仕のY嬢に直接請うていたが夕方電話あり新 鮮な鶏なので蒸し料理は如何か?と、あまり数がないので。晩8時に予約していたが10分前に電話あり来店は時間通りで大丈夫か?と尋ねられ、店につけば確 かに立錐の余地なき待ち客あり。すでに席は用意されており見事なほどさっと席に案内される。紹興酒のお燗にMoet & Chandonの シャンペンクーラー用いて。蒸鶏、海月、野菜、揚げた海鼠と豆腐、炒飯で満腹。なのに果物、エッグタルトにお汁粉までサービスで供され、かなり満腹。隣席 の若者二人、二人でまさかっ……の量の肉、肉、肉。で大量に食べ残し。思わず、巴士阿叔なら「貴様ら、外に出ろ!」だろう。FCCにさきほど忘れた雨用の ジャケット受け取り帰宅。NHKでBSの Cool Japan という番組やっており眺める。
「Cool Japan」というキーワードが世界中で飛び交っています。ファッションやアニメ、建築、料理など、私たちが当たり前と思ってきた日本の様々な文化が外国 の人たちには格好いいモノとして受け入れられ、流行しているのです。「Cool Japan〜発掘!カッコイイ日本〜」は来日間もない外国人の感性をフルに活かして、クールな日本の文化を発掘その魅力と秘密を探ろうという番組です。
って、京都在住の建築家ジェフ リー=ムーサス氏の日本家屋リフォームなど凄いのだが、結局、今回でいえば日本好きのガイジンらが日本家屋のスリッパや収納性、シャワートイレと かに感動して、日本人がそれを見て日常の生活に「日本って実はクール?」と感動し直す、という、なんか藤原センセイの『国家の品格』とある面では似てる、 そこまでして日本を評価しないと楽しくない?な番組。見ていて大江健三郎の「あいまいな日本の私」みたいな感覚に陥る。
▼NHKより先日の「閣議決定」についてメールで返事あり。
ご指摘の通り、内閣法などには、閣議決定について、「内閣が変わっ ても引き継がれる最も重い決定」などの規定はなく、慣例によるものです。
視聴者に対して、閣議決定がどういう意味を持つものか、説明する必 要があると考え、政府関係者や政党関係者の認識を取材した上で、実態に即して、「内閣が変わっても引き継がれる最も重い決定」という解説をつけました。
NHKとしては、「閣議決定」に限らず、その用語の解説や説明を 行った方が、視聴者に対して、よりわかりやすくなるのではないかと考えられる場合には、
徹底した取材をもとに、出来るだけ丁寧に解説や説明を行うことにし ています。 
また政権交代があった場合、また内閣の意志が変わった場合などにつ いてご指摘がありました。確かに、閣議決定は重要な政府の意思・判断として、その後の内閣に引き継がれます。もし、状況や判断が変わった場合でも、過去の 閣議決定は、最も重視されなくてはならず、その後の内閣も、過去の閣議決定に縛られます。
ただ、社会や政治、国際情勢が大きく変わったり、政権交代で、政府 の政策が大きく変わるような場合には、新たな内閣が新たな閣議決定を行うことは可能です。
その場合でも、新たな閣議決定の内容が、過去の閣議決定の内容と異 なるものになる場合には、法的な整合性と国民が納得できる説明を行う必要があります。国民がそれに納得出来ない場合には、次の総選挙などで、与党が敗北 し、その内閣の総退陣などにつながることになりますので、そうした意味でも、閣議決定の事実上の変更は簡単ではありません。
……となんだか、説明になっているようないないような。「閣議決定は政府にとって重い決定であるのは決定の内容如何によって政権の存続にすら影響するか ら」ということ。「内閣が変わっても引き継がれる」というのは、例えば次期・安倍内閣(それが実現しないことを望むばかりだが)が自民党の歴代内閣とし て、小泉政権での判断を踏襲することや、村山談話をまぁそれだけはよくも自民党政権が継承するものだ、と、そういう意味で、引き継がれるもの(つまり引き 継ぐことに、なにか錦の御旗的な価値がある場合)。けして「内閣が変わっても引き継がれる」と一言で簡単に説明してはいけない。
▼1989年の天安門事件で6月5日に北京東長安門を進む人民解放軍のタンクの縦列が一人の青年によって進軍遮られた光景は「六四経典」とすら言われる が、そ の青年はすでにこの世におらぬだの無期懲役だのと憶測されていたなか法輪功系の大紀元時報(記事)がこの「王維林」なる青 年は湖南省長沙の馬王堆にて考古学の発掘調査に勤しむ学徒で、王維林なる名も発掘調査隊での呼び名。89年のあの事件で政府公安当局に拘束された、のでは なく、その翌日、北京市民の協力で北京を離れ国内のあちこちを転々としながら匿われ、93年に香港を経て台湾に渡り台湾南部に住い、現在は台北の故宮博物 館 の陶瓷骨董の顧問として文物鑑定に従事、と報道あり。同じ台湾在住でも吾爾開希など「吾爾開希のウエストのサイズは中国の民主運動進展のバロメーター」な どと揶揄されるのに比べ、この故宮博物館での古物鑑定に従事とはあまりにストイックな話。
▼中国政府が国費で海外に派遣する留学生。1978年の門戸開放から95年までが留学生の帰国率は70%ほどであったものが、この10年は97%まで上 昇。96年から05年に海外に遣った22,031のうち18,098人が帰国。440人については帰国の意志もなく国費での留学ゆゑ費用賠償、違約金など も考慮される。
▼「巴士阿叔」につきM君が「未解決!未解決! 未解決!!」のあと7秒後に「♪ タダイマヨリ ゴゴ*****ヲ****ス。」の音声あり、と。携帯電 話の着信音に日本語のこういったものダウンロードしての使用なのだろうか。またM君が「老母唔diu、diu邊個呀〜!」という言い回しについて、通常は Fuck your mother! の「diu nei 老母!」が定句であるが、それを分解しての用法に目から鱗、と。確かに。O君もこのフレーズにあるリズム感が心地よいほど、と。「お前のかあちゃん〜」と いう意味では「老母唔diu、diu邊個呀〜!」は日本語なら「お前のかあちゃんがデベソでないなら、誰がデベソなんだよって!」という感じではないか? と。まさに。「やるならおまえの母ちゃんだ」というの社会通念。広東語ではFYM! はちょっと発音をかえて女の子でも平気で口にする罵り言葉であると思えば「オマエのかーちゃん出べそ」くらいの感じ、でほのぼのとしてさえいる。

六月朔日(木)大雨。今朝の話題は「巴士阿叔」(バスおじさん)ついに正体現わす!に尽きる。単なる一般市民でないことはビデオクリップでの態からも明ら かで、すでにテレビ番組がコメンテーターに起用予定とか、な んらかのアテがつくとは思っていたが、この人が香港特別行政区行政長官選挙に毎回(つまり三度連続)立候補の陳乙東さん(51歳、潮州系、無職)だったと は。96年と02年の選挙では董建華当選が事実上決まっており05年選挙も「自称政治家」Sir Donaldの当選決まっているのだから、確かに市民に行政長官選挙立候補の権利はあるが立候補するということはつまり、キ印。次回の行政長官選挙にも立 候補を早々と表明。これで立候補すればこれまでの端末候補がいきなり知名度では抜群、さすがに間接選挙制度で当選はまず無理だが、この巴士阿叔が立候補し て直接普通選挙など実施されていたら、おふざけでかなりの得票があるはずで、間接選挙制の維持の世論高まる鴨。新聞の取材受ける巴士阿叔のテンションは依 然高くキ印全開。英国のGuardian紙やUP、紐育タイムスなどすでに取材受けた、と豪語(信憑性薄い)。それにしても深夜のバスで青年が偶然に「う るさい」と注意した相手がこの人で、この人が激怒する態がビデオクリップに偶然に納められ、それが世界的に流布され、その巴士阿叔の正体判明すればチョキ チョキおじさんだったとは。事実は小説より奇なり、と言うが、あまりにも出来過ぎ。で、本日。さすがに昨晩のウオツカはじっくり飲んでいたので二日酔いに はならぬが、目にキテしまった。かなり目が痛い。さすが安酒。350mlで42ドルらしい。早晩に銅鑼湾そごうの旭屋書店に寄る。そごうのエレベーターに は今どき珍しいエレベーターガール働くのだが、一人、もう十年は現役であろう、というC嬢あり。表情はどこか和泉雅子(といっても当然、冒険家になるずっ と前の、昭和42年、日活の「花と果実」の頃のような)に似ており、かなり年季も入っているが艶っぽいさはちょうど東京物語の頃の原節子か、このベータ嬢 の当番の時に乗れたことにどこか安らぎを覚えもする。中環。晩の宴会まで少し時間もあったので、つい入ったデジカメ家電店で、リコーのGRデジタルが価格はHK$5,000と日本が 61,980円であるのに比べると14.5円換算で17%も割高だが、DBSカード使えば月々HK$209の24回払いで殆ど無利息。一瞬「買いだな」と 決断。だがこれ入手すれば間違いなくContaxの愛機U4R(これだっ て発売当初は5万円とデジカメでは高級機)も、恐らくNikonのD70sもあまり持ち出さなくなるのは必至。そりゃ余りにもいずれのデジカメにも失礼な 話で、せめてU4Rが使えるうちはDRデジタルは買ってはいけない、と自分に言い聞かす。午前中、高座に上がらせていただいた主催者の方らのお招き受け中 環は萬宜大廈にある「蔵人なる日系の創作、多国籍料理屋に食す。なか なか。創作料理とか多国籍料理というのは劉健威兄の言葉借りる迄もなく飲食店にとって「逃げ」の一手段でもあり。であるから余は自ら創作、多国籍料理名乗 る店には足を運ばず。だいたいにおいて適当に美味く中途半端で見た目はいいが実際には醍醐味にかける。これまで唯一の感動は初めて多国籍料理を食した、四 半世紀も前になろうか、新宿は初台界隈にピガピガ……は恵比寿のアフリカ料理だし、名前失念の当時はまだ東京でもかなり稀であったエスニック料理屋あり、 ここが最初で最後。料理がそれなりに美味でも今どき流行りのオープンキッチンで洒落た店にわたしのような年寄りはどうも居住まい悪し。

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