教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        
2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

三月晦日(水)雨。Z嬢とバスでビクトリアピーク。濃霧(写真)Cafe Decoなる料理屋で昼食。ピークのGalleriaなる商店街の中にあり香港市街一望する展望レストランは「常識的には避ける」場所だが唯霊先生がここの羊肉料理絶賛しZ嬢のAsian Milesのマイレージの余数未だあり此処がマイレージで食事可のため。子供連れの母達多く大騒ぎとなり閉口するが場所柄観光レストランであるとともにピークに住まわれる方々にとっては近所のすかいらーく的大衆食堂か。観光客と近所の有閑主婦とガキ、それに接待関係でわざわざ此処まで来てビジネスランチの方々といふ不思議な空間。運慶作の如き頬高丸顔の坊主頭のアジア人顔含む客接待の「いかにも」香港政府そこそこの高官といふ八名卓ありその坊主何処かで見た顔と思えば確かWHOの免疫専家の日系研究者、話の節々からやはりその筋のウイルス関係者の接待昼餉。昼から血税で八人で葡萄酒二本空けてビフテキたらふく食す様子見て牛食は問題ないと理解。食前酒に注文したBloody Maryのタバスコ製のグラス可愛らし(写真)確かにグリル料理はそこそこの味。但し食事終わらぬうちに珈琲供されその珈琲が見た目ばかりで味も香りもなく飲めぬ代物、デザートのメレンゲも食すに価せず。デザート食しにピークトラムで中環まで下りようかと思えばトラム站にやたらマスコミ取材多くMadam Tussaudの蝋人形館が入場券売り場まで増設しており何事かと思えばZ嬢が撮影記者に聞けば明日が芸人張國榮君逝去から一年の命日で今日この蝋人形館にレスリー哥哥の蝋人形が展示開始だとか。でそのレスリーのファン参観に訪れるを取材するの図。ピークトラムに乗り込みZ嬢にその話聞き「またレスリーの蝋人形が夜中に歩いただの参観に訪れた愛人・唐兄が蝋人形の前に企ったら蝋人形が涙流しただの夜中に歩くだけならいいけど展望台から身を投げたりしてね」などと軽口弾いていたら一つ前の座席にレスリーファンと思わしき日本人女性二人あり。聞こえてでいただろう、失礼……。ちなみに明日の午後遅くには哥哥投身自殺現場であるMandarin Oriental Hotelにて追悼会あり明後日は日本から来港の哥哥ファンの熱望により香港観光協会通じ香港電台に働きかけ日本では公開されておらぬ『我家的女人』だの禁煙キャンペーン映像『煙飛煙滅』、それに別途未公開映画『沙之城』と『女人33』の特別上映が電影資料館でされるとか。凄まじき追悼の念。閑話休題香港公園散歩。先日羅大佑のコンサートに客演の呉俊霖=五佰& China Blueの「涙橋」のCD購ひに金鐘Pacific Place香港レコオドに立ち寄り「涙橋」の他ホロヴィッツの1928年より44年のRCAに於ける初期録音盤「若き日のホロヴィッツ」及びLPはかなり所有するがCD一枚もなきBud Powellの“The Defenitive”の計三枚。Z嬢はピングーのVCD二枚購入。帰宅途中に近くのジム倶楽部施設見学。施設ぢたいは広いが中途半端、中身は老人倶楽部の如し。帰宅。夕刻にスタルカの火酒飲む。タバスコ社通販で所望のグラス等注文。日本蕎麦茹でて食す。冷酒。ところで隣宅の話。昨日は土地審裁處の職員隣宅の鉄扉に書類貼り付けたが今晩もまた現れ今晩は書類を鉄扉横の壁に貼り付けて立ち去る。隣宅内には住人居り居留守決め込み職員去った後恐る恐る扉開け余は張り紙さっと剥がして終わりかと思えば何やら難儀し何かと思へば昨日は四隅セロテープで貼っただけだが今晩の書類は裏全面が粘着質の「シール」タイプで剥がすに難儀。こうなると次回は更にエスカレートかと住居人でない余も乱歩先生の世界の如く扉穴鏡より覘きつつ邪推するばかり。たまった新聞読み整理して『噂の真相』休刊別冊残っていた編集長日記読み了。
▼久が原のT君より長谷の鎌倉文學館訪れた歸途夕刻圓覺寺訪ねれば山内から向かひの東慶寺裏に懸けて打ち續く山々には山櫻の木多く白色やら淡紅やらとりどりの花盛り參詣人も去つた寺内閑寂豁然として響くは折々電車の遠音と鳴き頻る鶯の聲、と。確かにこの瞬間こそT君の「よくぞ日本に」と思ふたを遠き南の此の地にあってもつくづく感じ入る。美しい日本。だが世間は一向に美しからず。
▼朝日新聞に天聲人語の筆者論説委員小池民男君より同・高橋郁男君に明日交代とあり。吉報。小池君の粗忽なるは今さら言ふ迄もなし。何といつても〇二年十二月十二日の天聲人語にて和歌山毒入りカレー事件の裁判取り上げ被告の名用ひて「眞實は須らく美しい」なる文法的にも誤る迷言は今以て忘るゝに能わず。
▼昨日日剩に綴りし東京都での教員處分につき朝日社説でも取り上げるが記事は社會面にベタ記事のみ。一面トップは筋弛劑裁判と六本木ヒルズの廻轉ドア事故。この東京都の處分の方がよりconstitutionalに重大な問題だと思ふがさふ思ふことぢたいキョービは「偏向」らしいのは讀賣の社説は甲子園でもW杯でも「日の丸を振る若者が目立つた」のは「國旗や國歌に對する自然な態度が育つてゐる」からで「學校だけが社會の意識とかけ離れてゐる」のを「當たり前の姿に戻すべきである」と。讀賣相變はらず頭惡し。甲子園では國歌齊唱で規律せずとも處分されずW杯は日本チームの應援の象徴として日の丸君が代が用ゐられたゞけのこと。それを自然として逆に處分だの監視が徹底されるゲシュタボ東京都下の學校での式典を同一に扱ふことの矛盾。讀賣新聞といふのは一人一人の記者はかなり良識的であるしマトモなのだが(記者個人の資質としては朝日よか好感もてる記者少なからず)讀賣といふ組織となるとゞうしやうもないのは非常に日本的(笑)。産經新聞は産經抄の暴論期待したが今日はなく明日に期待(笑)、ベタ記事で「生徒が起立しなかつたり式場に入らなかつたりした學校が一部にあり都教委は原因を調査してゐる」と言ふがこの原因こそ個人の思想信條の自由。それに對する權力の介入。都教委の結論は最初から見え見えで「生徒起立せぬは偏向した教員の惡い影響」だらうか。

三月三十日(火)曇。銅鑼灣のElizabeth Houseに赴く。香港IDカードのICチップ埋め込まれた新型カードの受領。このカードあきらかに技術設計的に難あり。IC部分が露出しており摩耗や瑕で個人情報管理に最も重要な部分が破損容易なこと(快挙)。かつてはこういったICチップ露骨なるカードも散見されたが現在の技術ではOctopus Cardの如くIC部分は埋め込むのが常識iちなみにこのOctopusはソニー製だそうな)。なぜ露出型かといへば受取窓口で嗤ったのだが今どきカードを「ガッチャン」と読み取り機に差し込みチップ部分より情報読み出す作法(つまりアナログレコードに針乗せるようなもの)。これではますますICチップ部分の摩耗激しく疲労度著しい筈(天晴)。なぜIC埋め込みで情報読み取りもセンサーに翳すだけの作法(Octopus Cardの如し)にできなかったのか。ここが政府と民間との感性の差か。立川『競馬のない日は……』読了。立川末広氏が取上げた本の一冊にBurchard von Oettingen著『馬産の理論と実績』といふ書あり。百年前の「古典」で邦訳は大正年間と第二次大戦中に続き三度目は(全訳は初)馬事文化財団よりの出版だがすでに絶版だろうか。興味ある書物なのは立川氏の引用だけでも英国のエプソム競馬場のコースの分析など「なるほど」と唸る内容だが気になったのは立川氏が「それにしても、と小生は驚くのである。著者は名前からわかるようにドイツ人である。それが一〇〇年前に異国の文化である競馬についてこれほどの大著を著した情熱は何だったのだろう……」といふ感想。ドイツでどれだけ馬の歴史があり文化があるのか余は知らぬがドイツ人にとって(それも十九世紀なら)英国文化といふのは英国王室とて現ウィンザー系がドイツ系なほどでけっして日本人が考えるほどの異国文化でない筈。ましてや言葉の問題など殆どないのだから日本と琉球より違和感はないかも。まぁそれはいいとして久々に肩の凝らぬ随筆読んだ感あり。昏時に最近に珍しき大雨となり驟雨かと思へばさに非ず風豪く雷鳴轟く。晩に隣宅の扉敲く者あり扉鏡より覘けば役人然としたる男隣宅の鐵扉に書類貼付け記録にデジカメにて撮影して去る。何かと思ひて見れば土地審裁處なる司法機關の裁定で此の物件の所有權巡り裁判あり原告の訴へ通り被告(現住者)に四月八日迄の立ち退き命令なり。一昨年だか舊前の住人去り須臾空き家續き不動産屋が借り手だか買ひ手連れて來るが續いたが突然現住人家族引つ越して來て當初奇妙に思つたは居住後も須臾は不動産屋が客連れて參つては住み人ある事知り驚く始末。狹い家に大家族で晝に仕事に行くでもなき老夫婦らは徹夜麻雀の連續も餘に幸ひは全く靜かな麻雀でパイ雜ぜる音すら餘り氣にならず。たゞ昨年より老婆の發狂の如き錯亂續きけして老惚でもなく何か口論あつての事かと察す。亦た氣の毒は此の家の三四歳ほどの幼兒にて何かといへば親や祖母に呶鳴られ家によく置いてきぼりにされ何か歪んだ家族と餘も兢々とてゐたが此の司法機關よりの文書張り出され相手の勝訴と明記され退去命令では眞逆此の家族に上訴せる程の事由も餘裕もあると思へず何れにせよ立ち退いて呉るゝであらん事喜びに絶えず。 深夜になつても雨歇まず。『噂の真相休刊記念別冊追悼!噂の真相』読む。様々な記念企画並ぶなか「噂の真相が断念したスクープネタ“最後の公開”」なる特集あり巻頭が「小泉総理のツメ切れなかったスキャンダル」とあり、やはり小泉三世は国政導けぬどころか爪も満足に切れぬのか……きっと公設秘書である姉が純一郎君の爪も切ってあげているのか、と思ったものの最後の公開のスクープそれも首相ネタとしてはちと弱いと思ったら「詰め切れなかったスクープ」であることを須臾して理解(笑)。噂真休刊に寄せてのメッセージにリハビリ中の野坂昭如氏の「生きるも死ぬも噂とともに」といふ一文あり。ぼくは噂を気にしない。何故なら噂を立てる方だから。ぼくは噂の申し子だったといっていい。噂を大事にする『噂の真相』とは仲間であった。ジャーナリズムの一端を担う雑誌が無くなる。これは今の日本を占う上で他人事じゃない。「噂」のある世の中はいい時代に違いないのだ。生きるも死ぬも噂ととももに。(原文は文毎の改行あり)久々に野坂先生の文に接す。最も真当なコメントは田中康夫チャン。「『噂の真相』が休刊したら日本の言論は翼賛的閉塞状況に陥る。ってな傍観的見解を、したり顔で述べる「業界」の輩は笑止千万です。(略)本来、誰もが表現者たりえます。誰もが『噂の真相』たり得るのです。にもかかわらず、自身が所属する「大文字」としての新聞やTVでは報ずるのが難しいから『噂真』にでも伝えておくか、と高給を食みながら体も張らず、一情報提供者に甘んじる。それこそ常日頃、連中が批判する“お任せ民主主義”です。「噂真」が存続していれば書いて貰えたのになぁ、などと他律的願望を述べる前に、隗より始めよ、ではありますまいか」と全くもってその通り。最も不可解なるコメントは「作家の」吉本ばなな先生。「………」とあり「長い間お世話になりました。私がいったいなにをしたっていうんですか?」と(笑)。これが不可解なのは書くだけ書かれた挙句に冗談でこのメッセージならわかるのだが「おそらく」マジで「私がいったいなにをしたっていうんですか?」と噂真に問ふているのでは……と思えてしまふこと。ちなみにこの休刊記念別冊でも一番面白くも何ともないのが筒井先生の『狂犬楼の逆襲』なのだった。尾上九朗右衛門氏逝去享年八十二歳。
▼多摩のD君より。都立高校の教員二百名だかが君が代不起立で処分とか。市区町村立の小中学校でも処分が出始め。支援集会に出た人の話では「罪人」みんな意外なほど元気溌溂だが興味深き点は殆ど例外なく団塊世代。それも女性多し。あと十年もすれば定年で総退場なのだから下の世代はこのファシズムなど怖がって口出しなどせず。そして教員の「入れ替え」以上に早いのは保護者の入れ替え。反対集会に行ったD君がD君より若い保護者を見かけず「都内で反対運動最年少か?」=このまま運動の終焉を見ることになるのかと危惧するほど。この大量処分、都議会で都知事石原慎太郎君は「民主主義社会ですから、みんなで決めたルールは守らないと」として処分は当然と語る。二重の謬論とD君。まず民主社会で「みんなで決めたルール」の最高形態はいうまでもなく法。では国旗国歌についての起立敬礼斉唱は国法でなんと定められているのか。どこに忠誠義務があるというのか。国旗国歌法制定時の「強制はしない」という政府答弁をまつまでもなく法律から直ちに忠誠義務をみちびくことは不可能。そして例の都教委の「指針」。あれの何処が「みんなで決めたルール」なのか。いつどこで誰が決めた指針か。「みんなで決めたから従え」という以上「みんな」がその決定に参画していなければ話が合わず。都教委が勝手に出した役所の通達がどうして「みんなの決めたルール」になるのか。この知事は国の最高法規であるところの憲法を気に入らないから守らなくてもいい無視しようあんなものは無効だと公言、それが「みんなで決めたルールくらい守れ」とは。そもそも公務員が権力を行使する正当性の源泉は国の最高法規たる憲法以外になし。憲法を無視して勝手にやっていい、というような石原君の東京都知事としての権限もなくなるといふ法知識すら欠如の都知事。つまり「石原知事は気に入らないので、無視します。あんなものは無効です」も石原感覚なら有りといふこと。第二。民主主義といえどもすべてを多数決で決定しうるわけではないこと。過半数が決議したからといってあらゆることが許されるのではなし。民主主義をただ「多数決」という意味にしか理解していないようだが(これはある面では戦後の小学校の学級会で多数決でその決定に服うことが民主主義と指導された、実は戦後民主主義を否定する者に限って戦後民主主義の薫陶深く受けている事実……富柏村註)過半数が民主主義の廃止に賛成したら民主主義は終わるのか? 残念ながら日本は今そういう状況。個人の尊厳という価値は民主主義の理念の中核であり多数決といえどもゆえなくそれを奪うことはできないといふ普遍的理念すら何処へか忘却。改めてD君曰く都教委の通達は形式的にも理念の上でも民主主義には相容れず。石原君は民主主義を否定する立場にたつ政治家として「民主主義に反する」とかいうお為転しを直ちにやめて「やつらは民主主義者だから弾圧する!」と堂々と言うべきでは?、とD君。
▼尾上九朗右衛門氏逝去享年八十二歳。朝日新聞の訃報には「六代目尾上菊五郎長男九朗右衛門さん死去」と見出しあり。訃報の見出しにこれは失礼。確かに六代目の長男であるし生れてからずっと「六代目の長男、長男」と言われ続けたのだろうが五十台で米国に移住してHarvardや哥倫比亜大学で日本演劇の講義もち余年はハワイに移住してと梨園に生れながら個性的な生涯完うした人に「六代目長男……」とは。この訃報で「えっ」と思う人には「六代目尾上菊五郎長男」は不要。六代目といったら菊五郎といふ時代でなし。菊五郎といっても先代。六代目を知る人がいったい今の読者にどれだけいるのだろうか。だいたい九朗右衛門を知っていれば六代目の長男といふことは常識で今さら不要な説明。つまり九朗右衛門を知らぬ人なら六代目も知らず六代目を知らぬ人なら九朗右衛門も知らず。その九朗右衛門は余が歌舞伎見始めた頃にはもはや米国移住しており『演劇界』だったかにハワイ便りのような記事散見したのみだったが何時だったか歌舞伎座で珍しく帰国して舞台にたち白浪五人男だったか確か故・松禄と同じ舞台に日本駄右衛門の役で出たのを見た記憶あり。

三月廿九日(月)小雨。昼にHappy Valleyの日本料理・吉祥にて鮪中落丼食す。吉祥がこの場所にもう半年以上前だろうが移って初めて。もともと芸能人などスノッブな方相手の飲み屋だった物件で穴蔵的に潜って店内に入れば個室も多く今もって芸能界だの著名はこういう場所好みかと思ったら隣の個室に立法会主席(議長)のF女史ら議会関係者の姿あり。店舗の空間に入った瞬間何か特有の湿気といふか肌にまとわりつくものあり。奥に潜るにかなり冷房きかせ除湿器などあちこちに置くの見てやはりと合点。この店が始る前からの何か地因かもとの酒場の残り香か芸人だの政治家だの派手好きの客多き店にはなるほどの「気」と思ふ。紀伊国屋より届いた書籍で新潮日本文学アルバム『吉田健一』写真ばかりめくってA氏に先にお貸しする。幼少の頃からさすが佳き相で写真が十歳くらいからいきなり四十近くに飛ぶ、幼ない子が一頁めくるとあの背筋を文字通りくの字に曲げて諧謔娯しむ笑顔で烟草くわえ美味そうに酒を飲む姿になってしまうのが吉田健一先生らしさ。また『東京の戦前・昔恋しい散歩地図』草思社と『昭和東京散歩・戦前』人文社も揃って届く。どちらも散歩などと銘打つが実際には前者は昭和6年発行の『ポケット東京大案内』地図帳、後者が昭和17年日本統制地図株式会社発行の東京区分詳細図等をもとに描き起しの地図、両者ともそれをもとにそれと同縮尺の当世地図との見開きで発想は一緒。だが何処かの書評でも紹介の際に書かれていたが前者が見やすいものの読み物的で而も『大ポケット』の地図全てを網羅しておらぬ点は惜しく、後者は地図帳としては全域を包括する点では優れているが原版地図を無理に旧区で区切ってしまい隣区は白地にしてしまう徹底が寧ろ地図の平面性、広域感を欠いてしまっている点は残念。結局、両方を机上に開いて見比べつつ、となる。荷風先生や樋口一葉日記など読む際に重宝のはず。四谷の辺り地図で眺め塩町から箪笥町にかけて祖母の空襲で焼け出される以前の話など思い出すがこの二冊見だしたらキリがないと慌てて閉じる。立川末広『競馬のない日はこの本を読もう』読む。偶然にも今週水曜日はHappy Valleyの夜競馬開催なし(笑)。『馬』『優駿』等に連載された随筆輯。QEII杯では昨年の疫禍の最中に来港し驚き喜ばせてくれたS氏が編集長つとめる月刊『ハロン』にも英国競馬紀行綴るこの著者の書評輯には月本さんの『賭ける魂』も紹介あり。いくつか読んだことある競走馬に関する本もあるが原作を原作の内容以上に「読みたい」と思わせてしまふのがこの立川末広といふ人の筆致。馬に関する話が多いが馬以外の話題更に面白く立川談志師匠の東横落語会での三平師匠逝去のあとの三平追悼の高座話はこの本で最も泣かせる話。ちなみに末広氏は当然談志師匠の弟子筋に非ず。ところでなぜ立川末広氏が文筆家として世に出たかといふのが巻頭の石川喬司、井崎脩五郎との鼎談で井崎氏が語っているのだがこれが秀逸。
昭和五〇年のことなんですけど、僕の勤めているホースニュース社が出している週刊『馬』という雑誌に投稿してきたんですよ、立川末広という名前で。こんなのペンネームに決まってるし、万年筆で書いている原稿がすごく手慣れているんですよ。ははあ、これは業界の奴だなと、誰だって分かりますよ。それで、編集部で考えてこいつを驚かしてやろうと、いきなり本人に連絡もせず「新連載!立川末広」ですからね。週刊誌が出た途端に本人から電話がかかってきて「あの、あれはどういうことでしょうか……」。それ以来ですからもう二〇数年のつき合いですね。
とこういうのは邂うまえからの一期一会なのだろう。今にして思えば、友人に紹介され東北大医学部の付属病院で会ったN兄も、そのN兄が浅草公会堂と国立と同じ日に二度も芝居小屋での邂逅あった久が原のT君もN兄の話聞いて会う前から仲良くなれそうな予感あり、築地のH君とてH君がNといふ匿名で同人誌に書いていた頃に、月本氏でいへば初めて頂いたメールで、愛媛は松山のS君も皆同じように会う前にもはや感じるもの月並みだが何か「予感」あり。そういふもの。

三月廿八日(日)曇。古典劇評論の村上湛君より今月の歌舞伎座での松島屋の芝居について村上君の手控私記を読ませて頂く。私記ゆへ引用は控えるが、松島屋の鮨屋は「役者のニンと腕とによつて型が生き、芝居が生きる時こそ、古典の本義なるもの」と。それにしても十数年前に松島屋がまだ孝夫であった当時に病身より快方には向かっていたものの養生が大切、大きな芝居をするには身がもたぬといふ時代あり、その当時いずれ仁左衛門襲名と噂されつつ「いい役者だが身体が本当に保つのか……」と案じられていたことが嘘のような先代が亡くなってからの活躍ぶり。まことに嬉しきこと。本日昼まで家事片づけ先日壊れた十年使用のビデオ機新規購入し交換テレビビデオ周辺の整理。浴室の換気扇交換。雑用済ませ曝書。午後一浴し少し残っていた『二青年図』読了。準一が渋澤敬三に請われ昭和二十年に近衛首相の蔵書疎開のための目録づくりに上京し渋澤邸にて「二少年図」の絵に接し村山槐多といふ天逝の画家を知った翌日に準一は嘔血して没くなり、乱歩は渋澤敬三よりこの槐多の絵を禅られ(渋澤子爵は貴重な作品ながら槐多がエドガー・アラン・ポーに心酔していたことを思い出し乱歩への絵の譲渡を受け入れた、と)、鳥羽を訪れた乱歩が準一の蔵の書斎より乱歩に残した準一の小説『後岩つづじ』を得て……とここまでは、何処までが事実で何処からがフィクションか、それはいいのだが、最後の最後で準一に瓜二つの女性が乱歩の処に現れその女性は乱歩と準一が嘗て名古屋で遊んだ愛らしい少年で「男の子のように育てられていたが実は女性」でその女性が乱歩に触発され『孤島の鬼』や少年探偵団シリーズ読み女流探偵作家としてデビューした、と(唖)。これがその時代設定より二十年程後に産れる準一の孫娘でこの物語の著者岩田準子その人の登場であること。そんな……。まさか自分を強引に登場させてしまふ、それどころか乱歩と準一を掬ぶその脈絡に「あたしがいるのよ」といふ大口上。やはりこうなるのならやたら「夢」で演出してしまふ物語でなく史実としての精緻な評論こそ大事。午後書斎でぼちぼちと事済ませつつ在宅。昏時香港ポストの編集長S女史と某機関のT女史拙宅に参られ三更まで歓談款語。なにぶんにも事情通の集まりとなり現時点では関係者多く此処に綴れぬ類の下世話譚多し。S女史よりの独逸麦酒Jever、T女史よりの葡萄酒は加州産の白がCanyon Road並びに赤がErnest & Julio Galloのいずれも02年美味しく頂く。
▼昨日の東京會舘については畏友T君より「御賢察の通り」と「東京會舘は男爵澁澤榮一の肝煎りにて開設、と申すより、當時は同人發起人たる帝國劇場と廊下にて聯結、同組織なりし由」と教えられる。荷風先生の斷腸亭日記にもこれに纏る記載ありと示唆あり帝国劇場についてはかなり芝居だの稽古を見に荷風先生訪れた記述の記憶もあるが東京會舘については全く記載覚えておらず大正十二年十二月の項見れば初二日に開館してわずかに両三日の東京會舘にて帝国劇場懸賞募集脚本の審査会の記述あり會舘の各室を巡覧した荷風先生「料理屋と貸席とを兼ねたるものにて裝飾極めて俗惡なり。現代人の嗜好を代表したるものと謂ふ可し 」と酷評あり。当時の荷風先生にしてみれば俗悪なる趣味も今となっては大正の面影。改築前のコンドルの帝国ホテル、そしてこの東京會舘(も改築前)に今も残るは箱根宮ノ下の富士屋ホテルと六代目のお好みは大正のこの空間。また六代目にとっての名優がは菊吉に非ず五代目歌右衞門、十五代目羽左衞門、二代目左團次、七代目中車、十一代目仁左衞門、初代鴈治郎などみな大正期に全盛を迎へた、團菊後の諸優といふT君の話も興味深し。
▼今日の朝日に若宮啓文といふ論説主幹「国旗国歌と憲法」について「君が代に「民が代」2番加えていたら……」などと善案?をば提言。余りに浅はかな発想。戦後すぐの明るい民主主義(の誤解)から全く進歩しておらぬ進歩主義……。ジョン=ダワーの『敗北を抱きしめて』とか朝日の論説主幹なら読んでいるのだろうが咀嚼できておらぬのだろうか。
▼ところで廿五日の朝日に衆議院議長河野洋平君がハト派復権への提言か、国会は政府を監査する立場ながら与党が批判勢力とならず、首相は「野党はどうせ反対だから何度説明しても同じ」と国会軽視、イラク占領についても「日米協調を否定するつもりはないが日本は米国一辺倒であってはならない」のであり北朝鮮問題があるから米国への協調姿勢については「北朝鮮が危ないなら自衛隊が十汗をかくより外務省が百汗をかくべき」と。また憲法改正について「戦後半世紀がたち、ここで日本の進むべき塗を変えるべきだと、本当に皆さん思っているだろうか。憲法改正議論の基礎として国家の基本政策を変えるのか否か、現行憲法ではより良い国造りができないのかもう一度振り返ってほしい」として、自民党の憲法改正が当初は「米国からの押しつけ」への反発だったのが最近は改憲により米国協調を容易にすることに変節があり「大きなエネルギーを使って憲法改正に没頭できるほど今わが国には何の問題もないのか」として特に自民党の戦争を知らぬ若手議員の安易な幼稚な改革主義に苦言。河野君の気持ちもわかるがすでに衆議院議長といふ職こそ嘗ての土井たか子君と同じでもう「上がり」状態で自民党はその河野君が危惧する世代が大手を振っての改革路線。95年の総裁選に出馬できなかったことでこの人の、つまり自民党の嘗ての保守本流のハト派が(加藤紘一君失脚がフィナーレだが)撃ち殺されたようなもの。

三月廿七日(土)曇。T君より今月末日が故人歌右衞門没後三年の命日、本日繰り上げて青山墓地に墓前祭と報せあり。午後に東京會舘にて集ひあるは其処の帆立貝コキイユと甘菓マロン・シヤンテリイが六代目の御好物だったからだとか。東京會舘が大正9年開館の本格的なる西洋式社交場であり一橋大学との関わり勘えると東京會舘設立も渋澤榮一君の肝煎りなのか等とも思えるが事実を余は知らず。東京會舘といへば昭和九年に創業の日本初の西洋風の鮮魚介料理店「プルニエ」が有名だが昨秋巴里に遊んだ折に晩餐に訪れた8区のV.Hugo通りは魚料理の老舗Prunier思い出し魚介料理で同じ名のしかも東京と巴里の老舗に単なる偶然かどうか。余はこれも知らず。ところでプルニエは確かプラム樹。なぜ魚介料理屋でプラム樹かこれも亦た余は知らず。そのT君より「二青年圖御披見の由。餘も開板當初に讀みたれど」「當書勿論評傳とは言はれぬものゝ、こは矢張嚴然たる評傳のスタイルにて記さるべき内容ならん」と早速。御意。T君の説の通り変な物語仕立てが佳くない。とくに準一のまはりの乱歩はまぁいゝとして、与謝野、夢二、そればかりか小津や梶井基次郎とかの「つかひ方」まさに「つかふ」といふ感じがもぅ準一の身びいきゆゑかぜんぶ準一を盛り上げるためだけに存在してゐるやふな感じ。。實際に興味深い準一ですがこの「物語」の端役の登場人物に比べてそれほどまでに準一が主人公たるべき魅惑ありやなきや錚錚たる面々に甚だ失禮の感あり。本日午前は所謂引籠りモードにて溜った新聞読み午後九龍に薮用あり外出。晩にランニングクラブの定例会ありI氏の按配にて灣仔Lockhart Rdの「四姐川菜」なる私家房にて会食。字の如く四川料理。麻辣山椒の辛さ本格的にて食すだけで辛さどころか脳神経の覚醒甚だしいとことI氏らと四川省名産の五粮液一瓶開けようといふことになり確かに茅台酒よりこれのほうが美味。四川料理の麻辣山椒には寧ろ烈酒の杯呷るほうが辛さも中和され悪酔いもせず。I氏の計らいにて鼈(すっぽん)まで供され(写真)Z嬢ら甲羅のゼラチン質まで頬張る(写真)食事済み少し飲もうと灣仔方面に向かうがRugby Sevensの酔客酒場より街頭に濫れとても場を共有したき気もせずNovotel(旧Century HK Hotel)まで戻り歓談飲酒。三更にドバイにて競馬Dubai World Cupの開催あり急ぎ帰宅し実況中継見る。香港も地元馬参戦もあり実況中継もあり馬券発売となったがWorld Cupに先立つ3レースのみの発売で最高催事なるWorld Cupのみ馬券発売なし。何故か理解できず。Sheema Classicレース(国際G1・ダート2400m)にはScott's Viewに香港出身の騎手・銭健明君が騎乗。銭君は香港において現在は調教師として絶好調のTony Cruzに次ぎ香港競馬の将来担ふ地元騎手として将来嘱望されたが惜しいことに八百長買収にて前代未聞の刑事裁判にて収監され二年だかの実刑で服役し香港競馬界より追放されたが独逸での再起一転で欧州にて騎乗続けるが今宵このScott's View騎乗にてついに国際G1に参戦する迄に至り祝儀も兼ね賭ければ三着に入り複勝HK$45。続くGolden Shaheenレース(国際G1・ダート1200m)は武豊君騎乗のMeiner Selectに賭けるが×。続くDuty Freeレース(国際G1・ダート1777m)ではDettori君のCrimson Palaceに賭けたが最後直線で先頭から七、八馬身の八位あたりからMarwing君騎乗のRight ApproachとPedroza騎乗のPaoliniがぐんぐん伸びて先頭争い。競って競ってとはまさにこれ。鼻差どころか鼻毛差でPaoliniかと思ったが同着。あの直線の競り方見れば同着は納得。台湾総統選挙も判定不明の僅差といふことで同票で総統二人といふのはどうだろうか、とふと思ふ。香港では賭けられぬがメインレースのWorld Cupレース(国際G1・ダート2000m)は一番人気がMedaglia D'oroの2.0倍、この馬に立ち向かったのはPleasantly Perfectで騎手はSolis君。これも手に汗握る競って競ってだが最後Medaglia D'oroがついに精力果てたかPleasantly Perfectが毫かに「ぐいっ」と速まり勝利。日本馬アドマイヤドン(安藤騎手)並にサイレントディール(武豊騎手)は奮わず。さすがに見ているだけで感動するほどのいい競りぶり見せていただいた感あり。
▼歌舞伎座で仁左衛門で「いがみの権太」見た月本氏が「いがみの権太と母を見てると、ほんと日本人はオレオレ詐欺にひっかかる人種だなとおもわれておかしい」と感想。可笑。仁左右衛門丈の権太……見てみたいねぇ。さぞやいいだろう。この権太を渡辺保先生は「従来の上方型(鴈冶郎型、延若型)を基本に東京の菊五郎型も加え、なによりも自分自身の工夫を加えた「仁左衛門型」ともいうべき独創的な型をつくっている、その工夫が面白い。昼の「新口村」といい、この権太といい、今月は仁左衛門大当りである」と絶賛。東京におらず悔まれることはただ歌舞伎の芝居のみ。

三月廿六日(金)曇。昨晩突然システム瓦解せし電腦システム再構築。嘗ての余なればシステム瓦解に遭せば驚愕も甚だしからうが二十年も電腦生活の慣れか必要なファイルのみ別HDに落とせば何も損うに恐い物もなく綺麗さつぱりとシステム入れ替へて寧ろ無駄なファイルだの贅肉削ぎ落とし宿便すつきり腸洗滌の心地。このノートブック贖ひ十四ヶ月でちやうど化粧直しにはいゝ時期かも。晩にH氏と北角の壽司加藤で晩酌と約あればA氏より銅鑼灣はLeighton Rdの北京料理・松竹樓にて羊肉など北京風のしやぶしやぶ食したしと聯絡ありH氏の他知古數名誘ひ松竹樓。羊肉の旨さ當然として最後の手打麺まで秀逸。紹興酒のお燗はプラスチックの風呂桶など氣取らぬ雰圍氣もまた愉し。銅鑼灣は本晩より攪球のHK Sevens 2004開催にて日曜晩まで七人ラグビーに狂つたやうに狂喜亂舞泥醉歡喜の殊に香港の何處にこれほどのと驚く數の毛唐ら湧く。歸宅して電腦の必要なソフト等ダウンロードして電腦の昨日までの體重過多の上の便祕の如き不快感より解放された感あり。岩田準子『二青年圖』讀む。この題から亂歩魅了された村山槐多の画・二少年圖思ひ起すがこの岩田準子女史は亂歩の畏友岩田準一氏の孫娘にあたりこの本も亂歩と岩田準一の友情(愛情か)描いたもの。村山槐多でふと思つたが『蛇にピアス』だか『臍にピアス』だか知らぬが(文藝春秋誌で讀み囓り『舌にピアス』といふ題と思ひ違ひしてゐるお父さんたちも多いとか)槐多の『惡魔の舌』も斷然面白し。

三月廿五日(木)雨。朝寝貪り昼前にホテル引き払いシャトルバスで外港埠頭に参れば雨ひどく荷物もあり埠頭前のトスカーナ伊太利亜料理屋で昼食。またも呆れるほど食し赤葡萄酒。午後の水中翼船にて香港に戻る。香港も小雨模様。一旦帰宅して夕方から尖沙咀に私事、薮用あり。酔ってないつもりがやはり思考回路は酩酊気味。帰宅してさすがに空腹感もなし。日剰綴っておれば愛用のノートブック突然クラッシュして再起動するが立ち上がらず。このままリカバリ始めたら徹夜になると観念しTanqueray一飲し臥床。
▼台湾総統選挙についてSCMP紙本日の社説で曰く連戦候補の国民党並親民党による総統選再開票の要求について亜扁総統側が再開票受入れたことに対して戦線君が再開票の手続きに不満の意を表しそればかりか再選挙をば要求していることにつき選挙に疑惑わしき点あるにしても現時点では亜扁総統側の再開票=公利に応じるべきでましてや再選挙の要求は再選挙すれば連戦側の当選ほぼ間違いなきわけでこれを求めるは「私利」と見られるわけで連戦側の得にならず、と。御意。`ところで中国政府外交部は米国政府の台湾総統選挙への言論的介入について「言うまでもないが台湾での選挙は中国の一地方選挙であり結果の何如を問わず台湾が中国の一部分である事実は変わらない」と見解。中国側の立場面子もわかるが世界の何処に共和制をとり元首と憲法を有する政治体がその司法立法行政と三軍を統帥する元首の選挙を行っている事実を地方選挙と言えようか。石原慎太郎君とてそれほどの権限はなし。中国がどう認識しようとも台湾がこの国家政治体であるのは事実。一地方といい張るよりも昨日のFrank Ching氏の言う通り具体的にこの国家体をどうすれば統一できるのか、そのためには中国ぢたい何が必要なのかを探るべきでなかろうか。

三月廿四日(水)曇。ホテルのビュッフェ式の朝食は大の苦手。昨晩市街のCafe e Nataにて購ったパンケーキ部屋で食す。Z嬢ホテルのヨガ教室に参加。余は少し泳ぎジムで運動。Z嬢は珠海の海に向ってのゴルフ打ちっ放しに海岸に参るが海風強く本日は閉鎖。余は普段読まぬAWSJやChina Dailyなど読む。China Dailyは人民日報の英文版なわけで台湾の総裁選挙を‘Presidential' electionと‘'つきで表現して北京政府が台湾の国家元首たる総統を認めておらぬことが‘'なのだろうしPresidentとは絶対に呼ばぬわけだが結局記事のなかでは何度もPresidentialが登場し立法議会なる表現など改竄しようもなく結局は台湾の国家を体系として認知してしまふような表現が興味深し。今日のSCMP紙では満を持したようにFrank Ching氏が週一度の連載論評で台湾総統選挙に触れ、今回の選挙の正当性であるとか欺瞞には触れず(触れても憶測で終る現状では陰謀説だの問いても無駄といふこと)民進党支持が前回にも増して増えていることを北京政府は真摯に考察すべきであり台湾侵攻だの武力での威嚇など全く効果がなく具体的に台湾にとって中国が何ができるのか、中国と統一されることで台湾にどのようなメリットがあるのかを提示できぬかぎり中台統一は不可能、とChing氏。御意。79年に中国が文革後の平和戦略として初めて台湾に統一呼びかけた時は「同じ黄帝の子孫として」と一衣帯水もう一度おなじ民族としての統合を謳っており、その時に比べて現在の対台政策は台湾人の共感呼ぶものでなし、と。昼に澳門のカジノ王Stanley Ho君経営のホテルリスボアに参り(カジノに行かぬので来る機会も少ないホテルだがかの有名なるホテル地階歩けば商店街に昼から徘徊する娼婦多し。何故かホテル地階のモール街に果物屋も多し)フランス料理のRobuchon a Galeraに食す。澳門屈指の西洋料理屋にて格は極上。値段も香港並み。トリュフ使った料理で最近香港の食通の間でも有名になり今日は澳門の食といへばこの人・鐘偉民氏の姿もあり。フォアグラとアボガドの前菜、主菜はトリュフと生ハム。秀逸。昼はそれが288パタカであるからお得。ワインもこの店はワインリストが六十頁にも及ぶ数千本の貯蔵で有名だが値段も澳門では考えられぬ強気の設定。Chateau Guard Laroseのグラス売りで170パタカ。香港でGadi'sでもHK$120くらいだろうか。給仕の仕事の真面目さも客がいろいろな意味で「その筋」の方多く失礼が赦されぬからかと案じつつ女給の一人が終始チューイン愚ガム噛む愚行あり愕然としたが通るたびに睨んでいたら祈り通じたかガム噛み止める。香水もきつく本人のデリカシーのなさは当然だが周囲の同僚がよくも何も言わぬものと呆れるが彼女がStanley Ho氏の遠戚の縁戚関係者であったりして周囲も何も言えずとか、とZ嬢と揶揄。食事終って再びホテルに戻り午後は部屋で寛ぎ微睡みつつ大西巨人『神聖喜劇』読む。中国の六名の愛国人士が尖閣列島に上陸し沖縄県警に逮捕されるとニュースで知る。NHKワールドのニュースも前置きなしで「わが国の領土である尖閣列島に本日……」とは。かりに五島列島に中国人が無理矢理上陸した場合に「わが国の領土である五島列島に本日……」とは言わぬわけで「わが国の領土」と言わねばならぬところに「この位置ぢゃ中国や台湾が領土権主張しても仕方ねーよなぁ」といふ無理があり。日本領土としての不法入国での逮捕に小泉三世は「法令に……従って対処…すること……が…法治国家として…………当然、ですからね」といつもの役者の下手台詞でコメントしていたが、中国側も日本側の逮捕行為について火に油注ぐような対応見せず「釣魚台の領土権問題については日本政府と外交交渉を続ける」としつつ「中国は領有権を公式に主張しておりそこへの上陸をしようとする中国国民について行くなといふ法的規制はできぬ」って確かにそうだろうが国内でどれだけ人権侵害しているかを思えば「よく言うよな」の感あり。国家主義のとくに領土問題は犬も喰わず。絶対に両者満足する(尖閣列島の場合は台湾もいれて三者か)結果などないのであるから寧ろここを日中台で海洋自然公園にでもして三つの地域からの子どもら受入れるキャンプ施設でもつくって友好親善にでも活用すべき。晩に再び市街に出て内港の沙梨頭(二十九号埠頭傍)にある「六記」(写真)にて名物の米通魚球、蜆炒め、竹升印麺の雲呑麺と格別なる及第粥食す。麦酒は海珠麦酒。及第粥の美味さは文字に表すも難き微妙な旨味。六記より街路に出たところで澳門版汚宅拝見!といった雰囲気醸す古物商?発見(写真)捨ててある物など拾い売り捌く筈が売り捌けぬ儘に収集は続き店舗兼自宅?に積り積ったのか店前まで品物?溢れ店舗内に入るには天井近くに微かに開いた空間があるだけでそこに上がる梯子あり。この店?営むと思われる思われる老夫婦は路上で生活とかなり本格的。十月初五街を漫ろ歩き黄枝記(写真)も通るが流石に復た粥食すわけにもいかず。小粋な店の並ぶ草堆街を抜けてCentro=旧市街中心。杏香園にて杏仁湯丸とアイスクリーム入り紅豆沙食し車拾ってホテルに戻る。『神聖喜劇』読む。昨晩は澳門競馬あり今晩はドッグレース開催ながら亦も結局マカオで賭け事せず。

三月廿三日(火)曇。台湾の選挙後遺症など気になり近所の新聞屋に数日分の新聞三紙の前払いし溜めるやふ依頼。数日分の旅支度するも電脳、携帯、iPodなどケーブルだのACアダプターの類の多さ。荷造りついでに要らなくなったモデムカードだのかつてのdocomoの携帯のアダプターなど処分。名前忘却のP社のモデムカードなど当時まだethernetなど普及しておらぬ時代にethernet兼用のモデムで二千数百ドルした代物も今では利用価値もなし。昼前の水中翼船でマカオ。いつも澳門に昼につくとそのまま埠頭前のイタリア料理屋に参るのが常ながらホテルのシャトルバスで一路コロアネ島のWestin Resortに向い投宿。荷物預け車でコロアネ島の路環の集落に向いRestaurante Espaco Lisboa=里斯本地帯餐庁(写真)にて遅めの昼食。狭いながらも快適なる樓上のバルコニーで葡萄酒Quinta Aveleda抜栓し西洋蜆のバター炒め、蛸のサラダ、スープはカルドベルデ、海老の蕃茄ソース蒸しに温野菜、チョコレートボーロに珈琲。珠海の暖かい風を浴びつつのんびりと二時間。バスで黒砂海岸。誰もおらぬ海岸を散歩してホテルに戻り部屋に入る。宿泊客少なく今回は一泊はZ嬢のマイレージの中途半端に余ったポイントの利用ながらアップグレードされ建物角部屋の黒砂湾より珠海の海一望するスーペリアの部屋供される。余もZ嬢もホテルの部屋に入るとまず荷物を徹底的に片付ける主義にて三十分ほど無言のまま部屋の整理整頓。ホテルの飾った按摩朝食有料ビデオの案内などの札なども一切片付けてしまうのが大切。今回初めてiPod携帯したが余の数百枚のCDがこうして旅にありホテルの部屋の音響で聴けるとは感慨無量。部屋にbroadbandの設備あるのは嬉しいが接続せば24時間HK$150の有料と知り驚愕。ゆへにモデム接続。早晩にホテルのシャトルバスで市街に出で新馬路の金庸図書館なる場所訪れるが観光客相手の土産物屋に客寄せのため取って付けたような六坪ほどの空間に金庸先生の書籍並び直筆原稿とゲラが展示されるのみ。金庸先生の略歴すらなし。金庸先生ともなれば直筆の字にもさすが味わいあり、と感じた程度。正真正銘の煙草屋で(今どきかふいふ喫煙具からタバコ草まで売る専門店も稀になり)パイプ煙草のMc Lintockの野苺薫るアロマ物購えば50g包が僅か20パタカ。酒煙草の廉価は澳門こそこの世の天国と感じ入るばかり。旧市街抜けて(写真)Clube Militar de Macau=澳門陸軍倶楽部のバーで地麦酒飲み一憩。名前こそ陸軍と勇ましいがかつての澳門駐留ポルトガル陸軍の将校用倶楽部の名残り。この倶楽部、食堂は一般に開放され随分前に一度昼食に訪れたがバーと地下のパブは倶楽部会員専用にて今日が初めての利用。客も少なくバーは広く落ち着いた空間で心地よし。新馬路の旧市庁舎=民政総署画廊が夜の七時半だといふのにまだ開いており上海書画院の作品展「翰墨神韻」開催中。参観。午後三時までの昼食でさすがに腹も減らず、ただこのままホテルに戻っては夜中に空腹感じる予感あり、さてどうしようとふと北京水餃思い出し数年ぶりに「北京水餃」訪れる。この店の名前が北京水餃といふ。これじゃ東京蕎麦とか大阪うどんの如し。だが店の主人は「全港澳唯一北京人開的水餃」と名告て憚らぬほどの自信あり実際に香港澳門で最も秀逸なる餃子供す店が此処。場所は新馬路の大豐銀行の向いの路地・新填巷五號。お世辞にもきれいとはいへぬ雑多な店だが餃子の美味さは格別至極。狗不理飽といふ饅頭(犬肉?……笑)が主人のお薦め。まだ若い主人は北京は海淀区前辛荘の生れと生っ粋の北京人で店には「餃子と京劇は北京名物、国粋」「京腔京味多句地道(Jingkong Jingmei Goudidao)北京の味は地元に限る」と誇るほどの北京餃子への入れ込みあり。韮肉猪肉水餃とこの犬不理に麦酒大瓶一本と豆乳で29パタカ。450円程度。車を雇いホテルに戻り室内プールには人影もなくジャグジー興しサウナ、蒸風呂の施設も一人占めで快適至極。部屋に戻りバルコニーから暗闇の黒砂海岸から珠海の海見渡せば幾艘かの漁船が浮かび密輸船の摘発か海上遠くに中国のヘリコプター舞ふ。iPodでコルトレーン、ピンクフロイドなど聴いて雲一面の夜空見上げる。
▼終末はデモ参加に多忙な武蔵野のD君より。土曜は気温摂氏2.7度とかで降雪のなか立川から横田まで5時間くらい歩いた、と。周囲の目は「よくやるよな」程度なのだろうか。ちなみに立川で「たかだか」郵便ポストにビラ入れて逮捕された人の保釈金が一人二百万円とか。一ヶ月拘留されたことぢたい無法とD君。確かにこの程度のことでこの強圧的な官憲の手段は日本の民主化レベルは明らかに近いうちに韓国台湾香港に及ばず中国にも近いうちに抜かれるかも。
▼ホテルでAsian Wall Street Journalの台湾総統選挙の分析読めば先週金曜の銃撃で非常事態警備に当たり翌日の選挙で投票できなかった軍警察関係の数は十九万人とか。国防省は一万三千人のみ投票日の土曜日警戒にあたり投票できず二万五千人には二時間の猶予与えられそれぞれの投票所での投票促されたといふが任地より二時間で投票に往復できる兵隊だの警察官がどれだけいたものか。ただし政府側は四年前の総統選挙でも(当時は李登輝先生引退での選挙で亜扁当選にあたり国民党支持者の間で李登輝先生に対する国民党主席辞任要求のデモあり)同じ程度の数の国軍兵士警備についた、と説明。今回の選挙では無効投票が約34万票(2.5%)と前回の1%に比べ倍以上あり、しかもこの無効数が当落差の11倍にもあたることが疑問視されているわけだが、不正があったといふ点については、今回の選挙での投票形式が前回に比べかなり有効票の審査が厳しくなったこと、また両党の馬鹿げた選挙戦に呆れ民進党・国民党の両党いずれも支持できぬといふ市民がかなり無効票投じた事実もこの記事で紹介あり。確かに今回の選挙では数ヶ月前に中央研究院院長李遠哲ら学界財界芸術界の重鎮三名が両党に対して買収や罵倒合戦の余りに貧困な闘いぶりに苦言呈し民衆の間にもこの両党の姿勢に倦厭感あったのは事実。

三月廿二日。昨日の競馬について。Tony Cruz調教師とCoetzee騎手は今季6度目のG1勝利。緒戦より10連勝中のSilent Witnessで三度、昨日のLuckey Ownersが国際マイルと昨日のダービー、そしてBullish Luckが香港金盃。このCruz師ぢたい騎手として現役の頃に4度のダービー制覇したがその最後96年のダービー馬Makarpuraが昨日勝利を争ったTiberのMoore厩といふ因縁。ところで昨日の余の三單(Triple Trio三連複)馬券は余は6+11+12/4+8+12/2+4+8と9頭中6頭的中しており香港中で何人ものオヤジがそう言っているのだろうが「あと三頭、しかも各レースで1頭ずつ」当たっていたら億万長者!と。だが余が6頭も当たるくらいだから平凡だったようで9頭的中させたのが29人もあり配当は1人あたりわずか2775万円程度といつもの数十分の一……だがそれでいいから当てたいが。本日。昼に銅鑼灣City Superの元八らーめん食す。すーぷが濃いと思ふのは余が減塩に馴れすぎの所為だろうが香港では格別に美味い拉麺が此処。昼には混雑すると思い私事済ませ昼遅く参ったが普段なら昼の繁忙終って一息つくところ店員は一人でも店のメニュー覗く客がいれば近づいて品書き説明し積極的に招客の態度も立派、経営者らしき青年も店に戻るとフロアを一人の店員が切り盛りしている姿見ると早速カウンターに入り客待いも実に懇切、フィリピン人の家事女中二人が参っても“Yes madame, may I help you?”と誰彼なく客をきちんと待す態度に敬服。午後尖沙咀の知る家に憩しゆっくりと新聞テレビを見れば、台北では国民党の選挙無効訴える集会続く。香港の新聞は亜扁当選よりもこの国民党の反対集会大きく大きく取上げるが信報は冷静に選挙に疑惑だの金曜日の銃撃の真相だの不明な点はあるが中央選管が亜扁の当選宣言し民進党が勝って全権掌握しており国民党が負けたことは負けたことの事実。金曜日の銃撃あって政府が軍警察及び民安部隊に対して非常事態での警備体制維持を指示していることで本来国民党支持基盤であるそうした「制服組」が出動態勢で選挙投票に行けずその数が十数万人と思えば確かに銃撃とその対応で多くの票の流れが変わったことは事実といふ指摘はかなり興味深いが、それ以上に、国民党が負けた事実を深刻に自ら理解すべき、と。前回の00年の選挙では亜扁の39.3%の得票に対して宋36.8%と連23.1%であり、今回その連宋が組めばこの59.9%という実に6割の票が集まるべき。更に具体的に示せばつまりその6割と亜扁の00年の得票との差が250万票もあり、それは今回の数万、かりに数十万としても不正であるとか銃撃の同情票で靡いた数とは比べものにならぬといふこと。亜扁がこの4年で景気対策の不徹底や大陸との関係悪化など好材料ない中で連宋ペアといふ強敵と対戦した結果、それが亜扁の指示が5割に達したことは、これだけ好条件に恵まれているはずの国民党(及び親民党)がいかに市民の支持を得られなかったかの事実露見。ましてや連戦の二度の総統選敗北で国民党は最後のホープが台北市長・馬英九の如く評価期待されるが馬君は今回の連宋選対総部執行総幹事だったそうで敗北の責任逃れられず而も国民党の大票田あるはずの台北の市長ながら今回は約90万票と民進党票との差が21万票(13%)と台北での票激減が敗北の要因とも言えるわけで責任逃れは出来ず。このような厳しい現実の中でただ「選挙無効」と叫んでいても、選挙前日に「投票延期」を訴えたのならまだいいが、敗戦してしまってから結果逆転願っても国民党の敗北の事実は事実、といふ。御意。晩に藪用あり九龍某所。往復に久々に大西巨人先生『神聖喜劇』続き読む。余も読み進まぬがこの本の筋も一向に進まず。連載当時に安部公房先生が大西先生に「これを毎回読んでいるのはきっと僕だけだよ」といったといふ逸話あるがマジかも。
▼武蔵野のD君より。「台湾の混乱は民主主義の未成熟ぶりを露呈」とか偉そうなことを書く新聞もあるが「民主主義の成熟」とはなんだろうか、と。国政選挙の投票率が20%台だったりすることが成熟なのか。少なくとも日本よりは台湾のほうが民主主義は「生きて動いている」こと。日本であれだけ真剣に民主主義が行動されたことはもう40年以上なし。丸山真男の定義をまつまでもなく民主主義とは「状態」ではなく「永久運動」であり日本の民主主義は成熟といふより熟れる前に枯れて干からびてそのまま枝にくっついて落ちもしないというようなものか。東アジアの民主主義の発展度をいうならわが国は中国や北朝鮮よりは上かもしれないが台湾韓国香港よりは間違いなく下でしょう、とD君。韓国でいえば大統領ノムヒョン君弾劾決議で与党議員が泣きながら土下座するのも凄すぎだが院外に大統領支持派のデモが押し寄せていたり。それに比べわが国じゃ政治家の愚考を冷笑しておくのが知的で高級なふるまいであるかのような倒錯が蔓延。デモをやっても怒ったり怒鳴ったりするのは偏向した人たちと烙印。
▼ 大阪教育大付属池田小学校の新校舎落成。児童8人が犠牲になった殺傷事件踏まえて、なのだそうだが「体育館の壁など校舎全体にガラスを多く採り入れ」「見通しのいい構造」だそうだが、何らかの事件起きる時はこの構造が加害者側からも見通しよきこと。遠くから銃で狙われる危険性とか考えないのだろうか。非常ボタンが約330カ所設置された小学校などかつての荒れた紐育の公立学校でもなかった話。池田小を襲ったキチガイも異常だがその惨事を受けてこの330カ所の非常鈕も尋常ではなし。池田小だけがこの警備充実しても社会的病理は一切解消されず。寧ろ異常なる警備社会への邁進ではなかろうか。
▼築地のH君より。「リパブリック賛歌」はジョーンバエズも吹き込んでいるが中学生のときにH君聴いたピート・シーガーの「ジョンブラウンズボディ」を彷彿、と。ごんべさんの赤ちゃんになると「グローリグローリハーレルーヤー」というサビがなく感動どころではないただのコミックソング。このサビは省略されること多し。一瞬、リパブリック讃歌という「軍歌」の反歌としてこの「ジョン」が存在すると勘違いしたがH君の指摘待つまでもなく「ジョンブラウンズボディ」が奴隷解放の歌でその反対に「リパブリック」があり。H君彷彿するに当時、神保町の富士レコードで日米の反戦歌のLP買っていた、と。懐かしい話。

農暦閏二月朔日。曇。今年は閏年で閏二月あり。これで翌年の暦はぐつと遅くなり正月が二月後半となる次第。閏年には何か起こるか。昨晩は亜扁総統の当選演説聞いて早寝。今朝のテレビで報道見れば怒り収らぬ国民党支持者ら各地で抗議活動あり。連&宋の二人も坐り込みに参加。連戦氏二度の総統選敗北で而も前回は20数%の得票で亜扁、宋に次ぎ与党国民党候補ながら実質上の最下位で今回は亜扁と迫った宋を副総統候補として宋の親民党支持票含んでの敗北にもはや己の政治生命断たれたと痛恨ゆへか昨晩よりかなり感情的になり今日も台北の総督府前の集会では激情呈に支持者前に民進党の選挙捜査など罵る姿あり。最も大きな矛盾は前回総統選での三位候補が二位候補を副総統に指名して一位当選者=現役総統に挑むといふこと。結果論だが(政治バランス上無理だろうが)宋君をば総統、自らが副総統であれば確実に勝っていた選挙。本日。朝、もう第28回にもなろうといふHK Distance Runners Club主催FILA後援のMount Butler Raceあり余は5回連続……エントリーして今回が初出場。バトラー山の周囲を黄泥涌の水塘より陽明山荘に駆け上がり下って大潭の水塘、パーカー山の峠まで登りパーカー山道下りSir Cecil Ride、寶馬山の裏手を回りJardine's Looloutの住宅地の裏手より黄泥涌に戻る15kmのCross-Country Run(地図)これまで出場した知人は皆口揃えて下手なハーフより過酷と、その言葉に怯えるが二千人も参加者おれば気軽なランナーも少なからず余が末尾を走ることにもならぬ様、さすがに出発の上りはつらいが大潭は比較的傾斜の浅い上りで負担にはならず。一時間四十分台でゴール。急いで帰宅して競馬予想。昼にZ嬢とQuarry Bayの來記で車仔麺。午後沙田競馬場。香港ダービー開催あり。全天候型パドックの建設で設備狭い上に中国からのかなりの観戦客がメンバー席にあり混雑甚だし。緒戦3レース外すが4Rで今日の賭け分くらいは十分な儲けありひとまず安堵して重賞レースに臨むが7R芝1600mのThe Chairman's Trophy(G2)は倍率悪いがAllan厩でDoleuze君騎乗の好彩が調教の時計よくこれを今年絶好調のCruz厩でCoetzee騎乗の一番人気Bullish Luckと賭けるが勝者は昨年のダービー馬で香港国際カップ(G1)でも三着入賞の香港の最強牝馬Elegant Fashionが一着。人気は三番と揮わずながら馬番は最下位の14番は126磅の平磅賽でありながら牝馬ゆえの4磅減でratingは実は好彩と並ぶ123で事実上の最強馬。それがつい14番にあり余の見る目もなし。香港ダービー(芝2000m平磅賽)はCruz厩のLucky Owners、Moore厩で騎手Whyte君初ダービー制覇の期待かかるTiber、これにDanehill産駒のRoosevelt、数ヶ月前に急逝されたジョッキークラブ前主席Allan李福深氏の持ち馬Saturnあたりが人気馬。今季はCruz厩が重賞レース殆ど押さえているが3戦2冠1亜0負のTiberはWhyte君騎乗の上に1枠でLucky Ownersが4歳馬で早くも14戦7勝、而も12月の香港国際マイルで優勝といふ耀かしい成績ながら気になるのはこの12戦といふ走りすぎ具合。伝統的にダービーは7、8戦くらい経験、つまりレース走行距離の計で2万米未満くらいがベストなわけでLucky Ownersは走りすぎとレース前の返し馬での大暴れに遭遇して余は消してTiberで押さえにShaneといふ17倍だかの馬を入れたのはこのShaneこそ今回の余の注目の穴馬。で、結果はTiberが来たがLucky Ownersが実力差かがっちりと刺して堂々のダービー馬の栄光。Tiberは二着、余の期待のShaneは最後直線で後尾より予想通り上がってきたが惜しくも首差で四着。9Rでちょっと儲けて帰宅。Z嬢と昏晩にNicholas Feuillatteといふ三鞭酒飲む。ダービーの終った日曜日の晩に最高の雰囲気だが見てしまったテレビが地元ケーブルテレビの娯楽台でテレ朝の「黄金伝説」でしかも汚宅拝見(笑)。よゐこの濱口優君が謎の汚宅の女家主と三四十年前のジュースなど飲むの見て三鞭酒ではこっちまで同じ味に思えてならず。自家製の牛丼食し(汚宅でなく拙宅の話……笑)さすがに朝のレースと午後のダービーに疲れて早寝。

農暦二月晦日。春分。薄曇。午前資料整理。突然思い出したが昨日のRoyal Asiatic Societyに参加の老いた英紳士が携えていた書籍が『中国哲学史話』って勿論中文である。つまり老荘思想とかの専門書を読む英国人……。昼にかけて裏山に入りCountry Trailを一時間ほど走る。途中いつも気になる余のマンションの横に落ちてくる渓流ありそれに続くのであろう澤を下りようと試みたが難儀して午後に九龍に上客に招かれてのお座敷ありとても澤下りしては間に合わぬと断念。トレイルコースの入口に政府の公示あり鳥インフルエンザに抗して鳥に触らぬやふ、鳥の巣、羽や糞尿に触ってしまった場合は流水で洗浄し消毒するよう、また傷ついた鳥だの死骸見つけた場合は営林署に連絡を、と。役人の浅知恵。人害甚だし。帰宅して九龍。車で中環まで参り始発から搭って坐せば眠りに落ち再び下車站逃しそうに。ここ数日陽気のせいか睡魔に狙われ易し。帰宅するにバスに乗れば土曜午後の人出=バスの混雑かPrince Edwardより始まり旺角で全く車動かずバス下車して地下鉄に乗換える。帰宅してテレビつけると台湾からの実況中継で午後七時の段階で民進党リードし各局の予想得票数も五万票の小差で民進党の勝利。数発の銃弾が土断場で選挙の流れ変える。八時には大勢判明と言われていたが七時五十分に民進党が勝利宣言。これで何が確定したかといえば亜扁総統の続投で国民党の連戦はもはや政治生命断たれ国民党のホープ台北市長・馬英九君が次期総統選挙で国民党候補となり当確といふこと。下手に今回連戦が勝てば副総統候補に甘んじた宗楚瑜との間で国民党への候補統一の条件として将来の禅譲といふ約束があった可能性があり、そうなると馬英九の出番が狂う懸念あり。今回の国民党の敗北でもう国民党には馬英九以外の候補なし。八時十三分国民党党本部前の特設会場では「連宋加油!(頑張れ)」の連呼のなか連戦と宗楚瑜がステージに。無言のまま一例して笑わぬ殿下の連戦がまず民衆に冷静にと求め淡淡と語り始めるが昨日の亜扁への銃撃が不公平な選択の結果を齎したと叫ぶと応援した市民の間から初めて大きな反響の声があがる。八時二十四頃観衆の間から「馬英九!」とかけ声が聞こえた気がしたが馬君が会場に現れたのか画面からは確認できず。連戦はここまで冷静を保ったが「この選挙結果は無効だ!」と宣言。これこそ連戦君が人生において初めて感情呈にした瞬間か。遅かった。負け犬の遠吠えに聞こえてならず。台湾の名家に生まれ台湾大学から米国の大学で政治学博士号取得して台湾に戻り国民党のエリート中のエリート。九十年代の行政委員長当時、毎日昼に自宅での昼食のために往復する路上は信号が全て青になる中を警護車つけて走る抜けるといふまるでモスクワか北京の如き官僚主義の様を当時知った時に将来の総統候補にこれぢゃ民心得られずと思ったが結果的にその通り。選挙は無効であり中央選管に投票用紙の再集計求める、と。僅か数万票差であるが米国の選挙見ればあの不正選挙でもの僅差でも選挙覆されず。続いて宗楚瑜が演説。この謂わば敗戦宣言、屈辱的であろうがせめて亜扁の当選演説より先にすることで「負け犬の遠吠え」に聞こえさせぬための手段だろうか。中共は中央電視台は実況中継せず。但し衛星放送の人民解放軍資本と噂される鳳凰台が解説込みで中継するが中継は微妙に数分遅れ。当然「余計は発言」あった場合への対処であろう。鳳凰台の政治学者の分析は昨日の銃撃が選挙を思わぬ方向に運んだと不満呈わ。当然であろう。それにしても中共が国民党候補を間接的に応援するとは……これこそ六十年ぶりの真の国共合作か(笑)。ところで台湾の選挙では何故みんなジャンパーを着ているのか(笑)。ジャンパーに野球帽。ちなみにジャンパーは台湾語でもジャンパーなのは戦前から。野球帽は台湾の、日本と同じ戦後の米国野球文化なので理解できるのだが、ジャンパーは敢えて言えば蒋介石が戦後台湾に乗り込んだ時に着ていたのが中山服からの流れの詰め襟の軍服。それに対する抵抗がジャンパーなのだろうか(全く根拠なし)。ところで連戦&宗楚瑜の会場への登場の際も退場の際も流れていたのは舞台上の生バンドが演奏する曲で台湾人の老人たちはみんなつい「ごんべさんのあかちゃんが風邪ひいた〜、ごんべさんのあかちゃんが風邪ひいた〜」と日本語できっと口遊んでいただろうが(これは間違いない)、もちろんこの曲は「連戦さんの国民党が亜扁に負けた〜」の替え歌であろうはずもなく原曲は「リパブリック讃歌」。これは非常に重要なことなのだが(おそらく誰も気づいていないだろうが)リパブリック讃歌は米国の南北戦争での北軍の行進曲。台北など台湾北部を基盤とする国民党がこの曲を用いたことは意図的なのかどうであれ必然的。二十一時十五分中央選管が選挙結果発表。僅か二万九千五百十八票の僅差で民心党の亜扁当選。86%だかの高い投票率でこの票差はわずか0.25%ほど。まさに昨日の銃撃の結果。新聞のネット上での速報も記者がテレビの実況中継見ながら記事を書いているので(笑)速報なのはいいが、例えば朝日の記事(こちら)を読むと連戦の敗戦挨拶について「前日の銃撃事件などについて疑わしい状況があったとして「この選挙は無効だ」と宣言し「訴訟を起こす」と表明した」とあるのだがこれなど明らかにミスリード。連戦は「今回の選挙には疑惑わしき点が多い」と言って次に「昨日の銃撃もまだ真相が明白になっていない」と述べ、続いて「今回の選挙については無効である訴えをする」として中央選管に対して投票用紙の再集計を求める、と言ったもの。それが銃撃に疑惑わしき点があり訴訟起す、となってしまうのだから新聞の報道など何処まで信じられるか……。きっとすぐ書き直しあろうが。(……以上ここまで実況中継で綴る)

三月十九日(金)曇。夕方藪用あり金鐘のAdmiralty Centreに参ればケーブルテレビの大型スクリーンに人混みあり何かと覗けば台湾にて亜扁総統並びに呂秀蓮副総統狙撃されると報道。弾丸時代は実弾でなくプラスチック弾のようなもので狙ったのは殺害が目的でなく明らかに選挙前日に傷害伴う脅迫。総裁選は前々回の中国が台湾海峡にミサイル射ち放し祝砲としたことで中国の威嚇が李登輝先生大勝齎し前回は亜扁、国民党連戦、国民党追れた宗楚瑜の三つ巴の選挙戦のなか投票数日前に中共の朱鎔基首相が「台湾独立は絶対に許さない!」と烈火の如く激怒した様が大きく報じられ「やっぱり中共は怖い」といふ念が亜扁に靡き亜扁を当選させ、二度も続けて中共が台独派を結果的に支援した経緯あり流石に今回はこの轍を踏まじと静観気取ったが、そのためか今ひとつ「これ」といった選挙材料もなし。昨日ノーベル化学賞の「台湾の知性」李遠哲中央研究院院長が前回の亜扁支持に対して今回は距離を置いた姿勢保持したが昨日になり最終的に苦渋の選択で亜扁支持を表明、その程度が選挙終盤の盛上がりかと思っていたが、最後の最後でこれ。連戦君が多少有利といわれていたなかこの狙撃事件で浮動票が亜扁に流れて仮に亜扁再選となってもさっぱりとせぬ結果齎すばかり。晩にRoyal Asiatic Society(王立亜州学会)香港支部の年次総会並びに晩餐会あり中環のHong Kong Clubに参る。食前酒は別料金でGlenfiddichの飲券購いバーで提示するがHK Clubともあろうものがウヰスキーの用意がない、と言われジンでSapphireの瓶ありドライマティーニ注文すると「それならできる」と言うので眺めていたら氷入れたグラスにSapphireをたっぷりと注ぎ檸檬ピイルをばグラスの飲み口の周囲に酸味擦ってピイルをグラスに落として出来上り。ベルモット一切注がぬ究極のマティーニかベルモット使うこと知らぬ結果か、は問ふまひ。英国の非常に英国的なる史学倶楽部で香港支部も当然英国人士の当地歴史文化に英国的に関心もつ方々の組織で余の如き者が会員になることを受入れるだけご時世か郷土史家K君もこのRASの審議会会員であることもあり余は会籍あっても今晩が初めて参加。長年の蓄積か余りの濃い話の内容に全く着いてゆけず。K君に香港歴史博物館のW女史、香港政府古物古蹟辧事處のW博士など紹介される。同じ卓にあった英国人の老紳士がElsie Tu女史の話からTu女史の亡くなったご主人の杜学魁先生の話となり故人彷彿。K君に杜先生長く学長務めた慕光中学校の倉庫に眠っていた数百冊の戦前の日本書籍の行方がどうなったか気になると話す。このHong Kong Clubさすが香港代表する倶楽部にてビュッフェ形式ながらいわゆる倶楽部料理としては食事もかなり秀逸。デザートの甜味まで納得。このHong Kong Clubで思い出すのは八十年代後半より九十年代前半まで日本の地方銀行の香港進出烈しくこの賃貸料高いことで有名なHong Kong Clubの建物にも茨城の常陽銀行など入居し銀行とはいっても外為するわけでも資金調達だの投資するわけでもない地方銀行の出張所の身分でこのHong Kong Clubだのバンカーズクラブの会員となり中環をば我が物顔で闊歩していた地銀の面々の顔を思い出すばかり。このHong Kong Clubの地階正面とて当時香港で廣く店舗展開していた大和銀行の香港総行が此処にあったことも彷彿。今では彼らの影もなし。終って独り外国人記者倶楽部に少憩しようかと蘭桂坊抜ければ路上にまで酔客溢れる様に通り抜けるも難儀。何処から湧いてきたのかと疑うほどの、とくに紅毛の数甚だし。記者倶楽部のにてジャズ聴きつつウヰスキーはDalmoreCohibaの葉巻薫す。カウンターで隣席した英人二人の談義耳に入ればシングルとブレンドであるとかモルトとグレンの違いも分からぬ人も酒場にあるようで片方が棚に並んだモルトの説明するが多少内容に怪しさもあり。バーで溜めた新聞読めばSCMPに現代中国研究の碩学Orville Schellの文章あり。台湾の総統選挙に対して「中国の民主化が台湾海峡に平和を齎す」と確かにその通りだがではどうすれば?といふ答え出ぬ話で内容は平凡ながらSchell氏の“To get rich is glorious”なる中国の登β小平の開放経済を確実に把握した氏の84年の書籍紹介されていたのが当時の平凡社のブルータス誌であったわけで、当時の東京はそういう文化?があり、だが実はSchell先生の紹介も中国研究のことより氏が若くして研究成果を見せて四十だかの若さで半ば引退し加州の田舎で隠居暮し、それがたまらなくいいなぁ、とそういふ記事であったことは八十年代のブルータスを知る者には言われてもわかる話か。いずれにせよ余はその記事読みこの“To get rich is glorious”に興味持ち紀伊国屋だかでこのペーパーバック見つけて、それや注文して“Discos & Democracy”など読む。廿年も昔のことなり。その後の氏の著作では“Virtual Tibet”が出色。現在は加州大学バアクレイ校の大学院でジャーナリズムの院長されていることを知る。昨日のSCMPと信報に須臾公的発言なかった呉光正氏の言論あり。昨今の政談烈しい中で殊に李柱銘氏の港人治港の理論を柔らかく批判しそれでは北京との良好なる関係で隠定した繁栄を維持することが難しいとして現実に則した路線維持を主張。ポスト董建華の行政長官候補としては最近は財務司・唐英年氏が浮上し李嘉誠までが唐氏を好評価、また若手のホープである梁振英君が最近は余りに親中派的発言続けタカ派的色彩強め親中派除くと敬遠の感あり、そのなかで董建華とも形式的にであるが行政長官選挙を争った呉光正氏はあまり脚光を浴びずにいたが、おそらく梁振英への倦厭感に応じての再浮上だろうか。車を雇い帰宅。荷風先生の日剰昭和十三年になると先生が新開地新宿にムーランルージュなど見に参るようになり浅草オペラ館に頻繁に通ふ。浅草喜劇の俳優「シミキン」清水金一だの大辻司郎といった余でも名前聞けばプロマイド写真の顔浮かぶ名も昭和十三年ともなると少なからず。
▼週刊文春の出版禁止の仮処分について。個人情報の秘匿。今回は田中真紀子先生の娘が私人の秘匿権侵害を訴えたがこの個人情報保護は今後拡大されるのは必須でそれ故にマスコミが個人情報保護法について異議申し立てているおり文藝春秋もこれについては反政府反自民的でもあるが(田中娘の件は別にしても)個人情報保護法が明らかに権力側、政府与党に有利に働くものだと思えばそれの立法化推進しているのは文藝春秋社が一貫して支持してきた自民党政府によること。文春、諸君といった媒体であれだけ保守派支援しておいて(勿論、なかには田中角栄研究といった事象もあったが)その保守による作業で被害に遭っているのだから、文春もそのへんを省みるべきでなかろうか。戦後、この保守は余りにも大きくなりすぎ権力を持ちすぎたこと。小泉内閣の歴史的暴挙みれば本来、党内基盤も有力なる財界の支援もなくとも朧げなる国民の支持のようなもの(といってもイラク侵攻などかなりの不支持があるのだが)を基に何でもできる環境。それの付与に寄与した最も大きなメディアがフジ産経と並び文藝春秋社であること。
▼余の畏友、セキリ君による岩波書店のC.S.ルイス著(瀬田貞二訳)ナルニア国年代記シリーズ「ライオンと魔女」「銀のいす」の書評(こちら)。

三月十八日(木)朝日新聞で久々に吉田秀和氏の文章読む。連載が止まっていることは氏の「音楽展望」がいつも加藤周一「夕陽妄語」の翌日だかに掲載されるのにそれがないことで吉田先生も高齢でさすがに……などと勝手に思っていたが連載復す。その文章読めば何の前置きもなく
身内に不幸があった。診断が下って三年八ヶ月。入院して半年と四日。その間も気の休まる間はほとんどなかったが、終末を迎えた時は精神と肉体の両面で強烈無残なボディー・ブローを喰らった状態。筆を執る興味は全く失った。このコラムも当面休みとした。昨今ようやく人心地を取り戻した気持ちになりかけたところで、軽い病気をした。すると、それまでは亡き人の許に早く行きたいと願っていたのに、急にこのまま屈するのが口惜しくなった。仕事ができていたころは何とよかったろう! いずれにせよ、私に与えられた時間は長くはない。いつまで続くか、保証の限りではない。だが、もう一度やってみよう。
……と。江藤淳先生以来の愛する家人失った人の赤裸々なる文章を読んだ思い。但しこの吉田先生の凄さは何といふ(いい意味での)この自己中心ぶり。亡き人のことなど一切書かず自らの疲憊疲弊をここまで述べる文章。これほどの文章があろうか。このエゴの吐露。自らの愛する人のことなど書くことはその人への愛惜にもならず。自らのこの生への欲望。これこそ亡き人への愛おしみであり、この復活宣言こそ亡き人が最も喜ぶもの。さすが吉田先生ともなると違ふ。そして吉田先生は何事もなかったかのように庄司沙矢香が奏でるプロコフィエフのヴァイオリンソナタ第一、第二番を評す。グラモフォンのこのCDを吉田先生は「日本のヴァイオリン演奏の限界の一角を突破した記念碑的意義をもつ」と吉田先生には珍しいこの絶賛。それが若いこの少女に授けられていることへの老ひに老ひた吉田先生の未来への希望。それにしても加藤周一と吉田秀和といふ、築地の朝日でも社内でもはや誰も何も進言できぬ両巨頭に対して、加藤先生は米国のイラク征伐とキョービの世界の危うさにさらに健筆、吉田先生もこうして復活しての再生宣言。もはや誰もこのお二人を止めることはできず。ここまできたら百歳になっても、か。ところで。佐敦の地下鉄站を出て雑多なる恒豐中心(Prudential Hotel)の裏に出ると徳成街の路地に「好味」といふ何の変哲もなき小食店あり。売る物といへば焼売だのの串刺しに腸粉(蒸米粉)程度。その何の変哲もなき店が何故気になるかといへば夕方に何時通っても客が並ぶほどの繁盛(写真)その客の殆どが腸粉を求める。それで余も前回試食してみると確かに「ただの」腸粉なのだが病みつきになりそうな予感あり。今日もまた腸粉求めさすがに狭い店先だの歩き食いは下品と裏手の Cox's Roadの公園のベンチに坐して食す。見ての通り(写真)単なる腸粉。だが美味い。甘辛の味噌と醤油を「かなり」大量にかけられるので余のように上品な者は店の女に「あまりかけないでね」と念押ししたが、それでもかなりの味噌タレの量。ご幼少の頃に近所の駄菓子屋で食した、皿も満足に洗わず割り箸とてバケツの水に晒しただけでの使い回しで食わされたところ天だのもんじゃ焼が美味かったといふ郷愁に近いもので、何が美味いのかわからぬがこの腸粉。ところで二十年ほど前に香港を当時HISの格安チケットとかで「中国個人ビザ取得つき香港〜広州で入る中国個人旅行」にて香港を訪れた貧乏旅行者の多くがパンナム001便で深夜香港に到着して当時まだ「怪しい新宿の旅行社」であったHISの当時のご指定のホテルが富士ホテルといふ佐敦にあったホテル。現在はないのだが「富士ホテル」の話すると「そうそう、泊まったよ、あの窓のない部屋」とか話盛り上がること少なからず。「場所が佐敦だった」ことまで覚えているがAustin Rdであることまで覚えている者は少なく、ではその富士ホテルはどれかといふと、かなり外観が変わったがこのビル(写真)。それだけの話。余も二十年ほど前にこの富士ホテルに投宿。深夜到着に、どこかで飲んでいたようなHISの駐在員が現れ中国ビザ取得のためパスポート渡す。窓のない部屋に荷を置いて成田の免税で購入のジャックダニエル飲み(当時この酒は日本で九千八百円ほどして高級で手が出ず)屋台街の廟街(Temple St)も近い筈、と当時にしれみれば深夜の九龍の大冒険などして(笑)ホテルに戻り翌朝になると「あら、不思議」もうパスポートには中国ビザのスタンプあり。それでKCRで深センに入り広州に夕方到着といふ段取り。これで何万人の若者が中国入りしたことか。深夜に着いて翌朝早く迎えのバスで発つたった一晩のことで富士ホテルの場所も朧げなのは当然だろう。
▼経済紙『信報』の随筆連載者に米松といふ人あり。「飽食集」なる題の連載は読んでいて飽食と感じることあり。本日。申訴専員(Ombudsman)に戴婉瑩女史再任されたこと取り上げ戴女史が再任された理由を記者に問われ「そりゃアタシが綺麗だからでしょう」と答えたことに不愉快と米松氏。それなら機会平等委員会の主席紅女史の離職は紅女史が美人じゃないからか、後任の王見秋の更迭は王が美男子ぢゃないからか……と咬みついて、戴女史が申訴専員公署が信徳中心内に自前のオフィス構えたことについて「このオフィスは今までこのオフィスビルで最も安く売買された物件で、この最低価格は誰にも破れないだろう」と自慢したことにも、そこまでできるなら政府の金融関係の局長職や金融管理局総裁になったら如何か、と。米松なる書き手、何もわかっておらぬのは、まず、戴女史お世辞にもいわゆる美人顔ではなし写真。その戴女史が「私が綺麗だから」と言ったのは明らかに政府高官の去就について世論から大きな疑問があり、その人選の信頼性が揺らいでいる現実だからこそ、の物言い。自分を卑下しての皮肉。勿論、ここ数年の政府高官の去就ぶり見ていれば戴女史が再任されないであろうといふ予測が殆どで、それを覆しての再任に周囲もそして本人も驚き喜んだのであろうし、その多少高揚した気分がこの皮肉や廉価不動産の取得などの物言いになっただけのこと。それを真剣に批判する米松といふ人の単直ぶり。
▼朝日の「夕陽妄語」で加藤周一先生が「それでもお前は日本人か」といふのを「かつての日本の」と書いているが、これはよく戦前の国体主義のなかでの印象的な台詞として使われてきたが今日これが怖いのはこの言葉が国旗国歌などの強制とともに復た現実味を帯びてきたこと。国旗国歌への尊厳もなくそれでも日本人か、と。これを言われた人はどう対処すべきか。答えはこれを言われた時に悩んだり反発したりせず「はい、そうです」が最良(笑)。「そうです」に対して相手はそれを躱すだけの言葉なきはず。先日なくなった網野善彦先生とかだと「それでもお前は日本人か」と質されたら日本人という範疇の定義についてで即答などできぬし質した相手にこの日本人というタームの曖昧さ、面白さをじっくりと語りそうで可笑しそう。

三月十七日(水)曇。朝日新聞連載の「毎朝読むには重かった」柳美里『8月の果て』未完のまま終了。すでに告知されていたことだが朝鮮を舞台にもはや新聞小説といふ範疇では表現に限界あり、か。当然、革命から天皇制までキョービの如きファッショの世では連載も能わず。総合版のため辻井喬の『終わりからの旅』なる連載もあるが元来辻井喬といふ人をさっぱり理解できぬ(この人の「書く」といふ行為を理解しようともせぬ)余には「香港にて」といふ章も香港でも台北でも上海でも結局は何処でもいいのであり、これは柳美里がどうしても書かなければならず舞台が朝鮮であることの必然性との対照。東京とり久々にY氏来港でI君誘いZ嬢とハッピーバレーで競馬観戦しつつ晩餐。日暮れ前の競馬場にて葡萄酒飲み葉巻燻していればI君とY氏引き続き参られ競馬前に歓談款語。葡萄酒三本も空けて競馬始っても競馬どころでなし。結果も当然惨澹たるもの。ムール貝食すが大ぶりで何よりも味付けが鹹すぎて昨秋の巴里彷彿するばかり。馬主C氏のDashing Championは6R(クラス2)芝1650mで12倍、けして一着は狙えぬが先行して入賞期待するがハナで走って最後直線で五六着まで落ちる。
▼香港離れるフライトのまえに尖沙咀で空港行きの直前に入った吉野家で牛丼食した日本人男性が450万円入ったルイヴィトンの鞄を置き引きされる被害あり。日本では食せぬ牛丼を香港の思い出に、といふ算段か、1杯の牛丼が450万円とは世界で一番高価。
▼台湾の総統選挙。民進党の亜扁総統ではちょっともう無理、民進党が4年政権にあった事実だけで成果あり、というわけで健全なる民主政治としては下野しいろいろ勉強もしたであろう国民党にここは政権交代、といくのが筋なのだが、問題は国民党の候補・連戦氏に個人的魅力が全くないこと。元国民党の宋・元台湾省長を副大統領候補とすることで反・亜扁票も獲得に有利だが、今回国民党支持する多くの者が「連戦はねぇ……」といふ気持ちか。本来であれば国民党のホープ・馬英九台北市長こそ、なのだろうが最後の候補「まだ」担ぎ出しには時期尚早。煮えきれず。
▼都立板橋高校で定年退職していた元教員が来賓として卒業式に招かれ、その場で「都教委の方針を批判的に報じた雑誌(『世界』か……笑)の記事のコピーを出席者に配布」し保護者らに自分の考えを訴えたため学校側が退去を命じ開式が約5分の遅れ。都教委は「保護者から苦情がきており、学校側は許容の範囲を超えていると判断」しこの教諭を威力業務妨害容疑などで刑事告訴を検討中と朝日。都教委は「保護者から苦情がきており、学校側は許容の範囲を超えていると判断した」としている。東京都のことであるからこの「偏向」元教員を招いた段階で「何かしてくれること期待」だったのかどうか、いずれにせよ「保護者から苦情」がポイント。都知事の極右性には鈍感だがこういった「赤色教員」の偏向といったことには過剰に敏感する都民。東京都もこの「保護者から苦情」には反応しても当然この刑事告訴は過剰といった「保護者からの苦情」はけして利用せぬのであろう。更に都教委は今回の卒業式での生徒への「日の丸・君が代」不徹底校を特別調査朝日。「担任らの日常の指導内容を確認し生徒の行動に影響を与えたと判断すれば処分する」そうで調査結果によっては学校名の公表も検討。さすがに生徒の処分は検討しておらぬようだが生徒の大半が国旗国歌で起立もせぬ学校もあることに「国旗国歌を尊重する気持ちが育っていない。教員の偏った指導や言動が影響を与えている」とし、更に区市町村立の小中学校についても「不起立」が目立てば各教委に同様の調査を求めることもあり得る、と。基督教信者や親が「偏向的」な家庭(笑)など子が国旗国歌に応じない場合その指導の徹底怠った教員を処分対象に、と。先生の責任になることを理由に不服従の生徒も靡くか、が狙いか。もはやここまで来たら徹底的にやりたいだけやるほうがよいのかも知れず。どれくらいひどくなるか結果が楽しみ。完璧に崩壊してみればやっと気づくのだろうか。その前に亡国も十分にあり得るが。
▼六月歌舞伎座十一代目市川海老蔵襲名披露。昼の部は新之助(海老蔵)出ずとも菅原伝授手習鑑のうち「寺子屋」は松王丸に仁左衛門、源蔵が勘九郎、それに福助の戸浪で千代が玉三郎。かつての孝夫玉三郎のコンビも玉三郎がもはや「きれい」だけに非ずこの寺子屋は地味でいい芝居かも。吉右衛門が源蔵だったりすると想像も絶するが(笑)中村屋であるし。そして「口上」も雀右衛門、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、玉三郎、勘九郎、團十郎と並べばさすが成田屋の襲名披露口上といふもの。夜の部では海老蔵の「助六」に揚巻は玉三郎(この揚巻はてっきり京屋雀右衛門かと思っていたが京屋はやはり新之助君の団十郎襲名まで「待ち」なのだろうか……)、白玉が福助、福山のかつぎに松緑(本来なら海老蔵に高1の時に生ませた隠し子とかいるとこの役につけるのだが)で、髭の意休と曽我満江の役は当代この人しかおらぬであろう左團次と田之助。でくわんぺら門兵衛の吉右衛門も想像するだけで好演のはず。真剣に東京に戻って見てみたい助六である。

三月十六日(火)薄曇。香港IDカードのICチップ埋め込まれた新型カードへの交換のため銅鑼灣のElizabeth Houseにある申請所訪れる。インターネット等で十五分単位で予約完備し申請者の数に十分な施設と職員配置し受付受理、書類確認及び顔写真指紋撮影、審議官による内容確認まで廿分ほどで終了。ついに官憲に指紋まで管理されこのICカード化のおかげで一二年後までにはコンサートチケット購入から図書館での書籍借出しの記録まで個人生活に関る全ての情報がこのICカードに収る事実。もはや個人の秘匿権など対権力には微塵もなし。だが待ち時間にふと思ったことはこの余の日剰の場合、コンサートだの映画鑑賞から書籍の購読までICカードに収る以上の事実がすでに公開されていること(笑)。ざまぁみろ、権力による個人の管理以上に個人の思想はその度量が大きいのだ、だはははははははははははは……ってこれじゃ筒井康隆的開き直りか。ちなみに漢字名も香港IDに当然記載可なのだが必須ではなくローマ字のみで曾て申請した余はこの際記念にと「富柏村」なる名の記載を試みる。そんなの本名ぢゃないでしょう、と思うのは素人、漢字名は日本なら戸籍なり住民票に和字で記載されるが海外に出た場合の身分証明文件は旅券しかないわけで香港が漢字圏であろうと旅券に漢字名がないといふことは漢字名は自分で名告ったが勝ち。香港で香港ID申請の際に「聖徳太子」と書けば理論上は聖徳太子の名がローマ字の本名と並んで記載されることも可なのであり「富柏村」も問題ないのだが余の手書きはよく「富柏村」が「富柏林」と読まれることあり、つい念のため「林ぢゃなくて村ですよ、この字」と言ってしまったら「あ……」と職員が何か気づいたようで「あなた、もともとのIDカードで漢字名の記載がないですね。今回のここでの作業はあくまで既存の従来のカードをICカード化するだけの作業となっているわけで、もし漢字の名前を登記するのなら、別途、灣仔のImmigration局に出向いて申請して、ここでのICカード化は無料だけど、記載内容の変更の場合はHK$385(Ur覚え)かかって……」と説明あり。「どうせIC化するついでに漢字名もいれてくれてもいいじゃない」とダメ許で強請ったが「その権限がない」と公務員的お答え。今回は富柏村IDは失敗に終る。それにしてもこの申請所に集うどう見ても老若男女だがID紛失しての申請だの昨今の新参者除けばその殆どが余と同じが一つ違いの同年代と思ふと余も老年に入り久しいが「街中で会ったら絶対に同い年とは思えぬ」者多く顔の皺だの禿頭、白髪やすっかり日々の生業だの子育てに苦労続けた風体の者多し。その多くがやはり余と同じく様々な感慨で周囲の者を「あら、この人とアタシが同い年?」と思って見ている表情もまた可笑し。昏晩に上環の香港国際映画祭事務局訪れ今年の映画祭の通し券受取り。対応にあたった職員にこういふわけで申請して売り切れと言われその晩にインターネットでまだ購入できた事実告げるとまだまだ切符販売に改善点多しとの返事。昨年の余のトラブル故かカタログだのにかなり「通し券で見られるのは……」と注意書きあり。それだけ書けば十分だと思ふが今年は通し券購入の際に同意書を見せられ、そこにも「通し券で見られるのは……」から始まり満席の場合の措置だの上映映画変更の際の細目だのとかなり記載多くその同意書に署名させて同意書の複写までくれる徹底ぶり。通し券(パス)のラミネート加工終るまで時間あり上環の小巷久々に散歩して、帰宅して夕食だといふのについ畢街の生記にて及第粥食す。上着羽織って粥食すとさすがに汗ばむ陽気。通し券受取りに戻り上環より始発の地下鉄に乗りさすがにここ数日の疲れか迂闊にも寝入り駅を二つ乗り過ごしタクシーで帰宅。かなり久々に自宅にて晩飯。雑誌『世界』の特集「日の丸君が代戒厳令」読む。これを読んでいるだけでも「偏向」か(笑)。曾ては管理教育は千葉と愛知、国史教育は福岡がひどかったが今は何よりも東京都の戒厳ぶりは秀逸。岩波書店より『空疎な小皇帝「石原慎太郎」という問題』を出したジャーナリスト斎藤貴雄氏の文章によれば、2003年10月23日の都教委通達「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国家斉唱の実施について」での不服従の教員に対する行政処分は都立高校教員八名、都立養護学校教員二名が二月中旬の午後都庁第二庁舎27階を「校長に連れられて」処分受ける(まるで親が万引きだの不良少年連れたが如き光景ながら重要なことはいくら言ったところで反省もせぬ不良少年の更正を願うのではなく親=校長への圧力以外の何物でもなし)。卒業式には都教委の職員が「来賓」として出席し教員の国歌斉唱ぶりなど監視、反抗的とされた教員は式の後に校長室で指導主事らの事情聴取受け、式の途中で舞台の袖へと連行されたり、都教委職員同席した卒業式予行演習で国歌斉唱の「声が小さい!、もっと大きな声で」と呶鳴りつけた校長もおり(この指導ぶりが好評価に繋がるのだろうが)、君が代伴奏拒否した音楽教師を「だったら出て行け!」と叱り、大田区の某高校では卒業式のあとの講演会で星条旗掲揚され米国国歌演奏され生徒起立!とされたのは講演に「戦災孤児から身を起し渡米して全米州教育長長官連合協議会国際局日本担当代表と外務省認可の財団法人国際文化フォーラムで米国駐在代表連絡員」務める伊藤幸男なる方が礼儀だの国への誇りだのを解いたからだそうで、この学校の校長は卒業式の式辞でも「一剣報国」と書いた手ぬぐいを生徒に見せて「一人ひとりのたゆまぬ努力が社会貢献につながる」と生徒に訓辞垂れ、要注意教員のいる学校には卒業式数日前より都教委職員が駐在してその教員の監視に当り、養護学校では重度の障害の生徒がいるのに「国歌斉唱の際は子どもを抱えて起立せよ」と指示し「落としたらどうすのだ」といふ抵抗にあい「抱えたまま正坐」で妥協、国歌斉唱中に尿意催した子をトイレに連れて行った教員に事情聴取した校長まであり、壇上から教師監視用ビデオ撮影や、壇上に生徒上がれぬ養護学校では百万単位の特別予算がついて演台の高さ低くするなりスロープまでつけてでも従来のフロア対面式から国旗掲揚された壇上形式の式の実施にこだわる学校もあり、ある養護学校では教師の「子どもを守りましょう」という意見に校長曰く「そのために通達通りにやるんです」といふ返答は「都教委に背けば引っかき回されて犠牲になるのは子どもたちですよ」と。……どうだろうか、これが日本の首都で行われている二十一世紀の教育。この「教育」からいったい何が生れるのか。多くの都民はそれが不毛であることはわかっているのだが、それを敢えて反対も拒否もせぬことの問題。だいたいあの知事を三百万都民が選んだのだから、自らが選んだ都知事のこの方向性に批判ももてようはずなかろうが……。「出口の見えない暗闇で子どもたちが悲痛な叫びをあげている現実の中で教育現場に「日の丸・君が代」を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると思っている」「教師たちの分裂の材料を押しつけている国(東京都と置き換えられるが)に対して、将来の希望さえ示してくれない国に対して、どうやって信頼や誇りを持てというのか」といふ義家弘介先生の言葉をあらためて読み入る。それにしてもなんでこんな社会になったのだろうか……。ちなみに教育基本法改正目論む「日本の教育改革」有識者懇談会のメンバーは目立つところで抜き出せば(敬称略)顧問に聖路加病院の長寿がどうのこうのの日野原重明、瀬島龍三、会長は西澤潤一首都大学東京総長、代表委員に慶応の石川忠雄と帰還兵小野田寛郎、第四部会に水戸黄門(里見浩太郎)、学習院の篠沢秀夫、故・春風亭本職の落語はイマイチ柳昇、俳優津川雅彦に「作る会」西尾幹二、第三部会に広中ノーベル平祐、仮面ライダー1号(藤岡弘)、第二部会に上智大の渡部昇一、協力委員に写真屋浅井慎平、水野晴郎先生にエジプトの吉村作治……と色物多くこれのどこが有識者なのだろうか。M先生がなぜ教育基本法改正なのか理解できぬが「教育はやっぱり男女別学で警察学校や軍隊のような寄宿制で制服着せて……」といふご趣味ゆへだろうか。こんな「終っちゃった」人と「本職じゃ喰えない」人ばかり集めた有識者懇談会で教育基本法の改正など議論してしまふとは……この人たちになんの罪もなくそれを放置する側に重大な責任と過失あり。

三月十五日(月)薄曇。面倒な仕事いくつかあり……と日剰に綴るほどのこともなし。晩に送別会あり銅鑼灣のRegal HK Hotelに参る。今年も送る側の末席を汚す。ホテルの宿泊客の大半は大陸からのツアー客。帰宅して数日前に義家弘介氏の文章読んだだけになっていた雑誌『世界』四月号読む。

三月十四日(日)曇。昨晩の羅大佑の演奏会の追記。五佰(呉俊霖)がゲスト出演したこと喜ぶ。五佰は台湾代表するロック歌手でありギタリストとしても秀逸。舞台でのベッシャリが全くもって下手なのも共感。五佰&China Blueで新作「涙橋」も秀作だそうだが未聴。五佰と羅大佑の共演といふのは見事。本日。何かとたまった新聞だの手許の資料など読む。昼すぎに近所の市場に生鮮買出し。週刊読書人(三月十二日号)の姜信子とテッサ森巣鈴木の対談秀逸。姜女史のサハリンに住む日本をアイデンティティの故郷とする韓人の話も興味深いがテッサ女史の語る日本で「赤とんぼ」の歌聴いた時に蘇格蘭民謡のように聞こえ明治の頃の「歌と鉄道」の関係にについてテッサ女史は鉄道技師や宣教師として日本訪れた蘇格蘭人多いのは十九世紀に入り蘇格蘭の産業化進み教育程度も高くなったものの当時の英国にはある程度の差別がまだあり蘇格蘭人の特に科学技術関係学んだ者が多く海外にて技術職として従事、日本にも蘇格蘭文化の介入はそうした歴史あり、と。山田耕筰とか『噂の真相』的に突っ込むと興味深いはずなのだが。ふと幼稚園の園長先生であったシスターが山田耕筰のお嬢さんだったこと彷彿。午後遅くZ嬢と裏山にのぼり歩こうと参ればいつもの決まったコースより更に上手に入る徑ありZ嬢が探検所望し介れば獣道といふには烏滸がましきかなり手入れされた小径あり進めば花果山と名付けられた谷あひの休憩地あり。附近の好き者の老人たちの為業よる謂わば秘密基地であるが泉流れおちた処に清水が湛ひ木陰に憩ふ場所あり。風情あること言葉に表すも難し。小さな看板に何れの者もこの場に憩うを許すが決してこの場を汚さぬことと警文あり。いつも同じ小径ばかり走りこのような山里があるとは今日まで知らず。更にMount Parkerの方へと介り静寂なる裕かな自然の中を歩けば奇岩・将軍岩を望み耀東邨の公団住宅地へと背筋寒くなるほどの急な崖の階段を下りる。耀東邨は香港の住宅公団の記念碑的な大型プロジェクトにて曾て大陸よりの罹災者のバラック繁る丘陵にバラック撤去し大型の集合団地をば建設。だが公共団地といふにはかなり余裕ある非密集の建て具合に緑多く雀だの小鳥囀り公共空間の演出は民間のデベロッパーも見習うべきほどの秀作。市場だの日常生活用品扱う店の並ぶ商場を抜けてエスカレータで下れば西湾側、Shaukeiwanの地下鉄站にも繋がり便利至極。ShaukeiwanのWet Marketにて生花だの晩食に帆立貝だの購ひ帰宅。ミニバスに乗り帰宅の車中、西湾河の市街にて潮州風味の鹵水鴨でかなり評判となった「順興」が最近の家禽ウイルスにてどうしているかと眺むれば本店も近所に開いた二号店も昨今の事情に由り、と暫時休業の張り紙あり。Z嬢の話では先々週だかには開店休業の状態でも店は開いていた、と。さすがに鴨だの鵝の仕入れに窮し休業か。生業といふものの難しさ。帰宅して風呂に半身浴しつつドライマティーニ飲み好きなジャズ聴いてBusiness Traveler誌など読むは至極。午後六時過ぎテレビつけると中央電視台全人代と形骸化せし全国政治協商会議の両大会終えて温家宝首相の記者会見実況中継。NHKの記者が「自分の中国語での温首相への質問が生中継で世界中に流れている」とかなり緊張して日中関係について問うたところから中継見たが良好なる日中関係のなかで唯一の問題は政府首脳の一部に(って首相小泉三世本人なのだが)靖国神社「頻繁に」参拝するなど中日関係を害う動きありと指摘あり。日本側にも言い分あろうが中国政府の度量を思えば「頻繁に」の一言の重要性をどれだけ日本側が理解できるか、が大切。日本の「国情」は理解できているのであり例えば首相就任後に一度だけ靖国に参拝する程度なら許容なのである。だが「小泉的に」八月十五日の数日前だの正月だのに抜き打ち的に参拝するその「卑怯さ」が中国政府にすれば納得いかぬといふこと。だがこの「頻繁に」の一言をこの記者会見に臨んだ日本の新聞の北京特派員がどこまで把握できるか、明日の新聞の報道内容が興味深いが恐らくそこまで理解できてはおらぬであろう。それにしてもこの首相記者会見に集まる世界各地からの記者の数=世界の注目度。永田町にて福田二世の記者会見に集まる記者の数との明らかなる違い。つまり世界のどれだけがどこに視線を向けているか、といふこと。この国力の違いを日本は真摯に理解すべき。それにしても温首相のこの記者会見の仕切りぶりの見事さ。明らかに取材者を「操る」力量。これが日本の首相にあるかといえば「ない」といふこと。知力的には宮澤喜一君が最後、政治力的には田中角栄君が最後、総論的には中曽根大勲位が最後であろう。実は非常に大切なことは、この温首相の記者会見終ったあとの政治・外交専門家による座談会が中央電視台第4台で引き続いたのだが予想以上に専門家の議論が中日関係であること。これは重要。中国にとって日本とは何か、といふことが残念ながら日本側が理解できておらず。橘樸(たちばなしらき)であるとか財界でいへば岡崎嘉平太君あたり迄はこの「中国にとっての日本とは何か」が理解できていたのだが今の小泉だの石原だの福田、安倍、石破といった小僧どもにはこの中華帝国に精神的に対峙するだけの度量といふものがないことが今日の日本の最も悲しき現実。人参のサラダ、韮のKirsch、帆立貝ソテー、羊肉chopで葡萄酒飲み晩餐。NHKスペシャルで「米兵たちのイラク」なる番組見る。NHKらしいスタンスで米軍のイラク征伐に対して否定的なのか肯定的なのか非常に微妙な要するに視聴者がどちらの側でも何らかの感銘得られる作りは見事(嗤)。ユタ州の田舎の州兵が突然イラク派兵の大統領令を受けてデューク定家の如き嘘っぽい司令官の下で実はイラクが何処にあるかも分からぬ儘に「我々はイラクの人々を自由のもとに解放するのだ!」などと叫びつつ即席の訓練でイラクに派兵される。そのユタの田舎者の純情そうな州兵は「自分の身が襲われないかぎり人を襲ってはならない」などと気取って宣ふがイラクはその自分の身が自分では理解不可能の米軍に対する敵対心で襲われるといふ現実を全く理解できておらず、結局は「自分の身が襲われた」といふことだけを理由にイラク人を襲う側に変身する事実。無知ゆへの暴力。その若い兵隊を送り出す両親は「世界には果すべき役割を果さない者がいる」などと宣ふが実際には「世の中には果さなくてもいい役割を果たす者がいる」ことが迷惑なのであって、正義感だの自由だのと言いつつ結局は父親が第二次世界大戦に従軍し叔父が朝鮮戦争、自らはベトナム戦争で息子がアフガニスタンだのイラクだのと征伐に加わり結局は軍人の恵まれた恩給だので裕福に暮らす彼ら。その無知に怒りより憫れみを感じるばかり。週刊読書人(三月十九日号)で立川広末氏といふ評論家を知る。競馬の著作多いが落語も『談志の迷宮、志ん朝の闇』といふ本の書評読んで「これは面白い」と、談志の「富久」すら聞いておらぬのに落語論読んでいいのか、と思いつつ。
▼朝日の広告に、天后の紅寿司(あかずし)だの中環の築地礼寿司(れいずし)に続く奇妙な名の日本料理店としてホンハムの李嘉誠の、江沢民も来港の折に泊る「だけ」で名を馳せるハーバープラザホテルに「千鶴」なる日本料理屋明日開店と広告あり。「千鶴」は「ちづる」にあらず「せんづる」と、googleも千鶴を「せんづる」と読むは僅かに七件、「せんづる」では自慰意味する「千摺り」の名詞形かとすら思ふが「千摺り」の名詞形は「せんずり」の筈で、どうであれ「せんづる」はどう考えても下手に日本語解す者が「千鶴」を無理な訓読みで「せん」と「つる」にしただけだろうか。このホテルの日本料理屋といへば96年だかのホテル開業の折に名も忘れたが李嘉誠の愚息の好みで炉端焼きの店あり。見た目本的なる炉端だったが、炉端の中にいる焼き方の者がその炉端に入るのに炉端の海鮮だの野菜の並ぶ棚を土足で上がるの見て愕然とした記憶あり。それ以来一度も再来せず。その店閉じてのこの「せんづる」の開業か……。アジア代表する香港の億万長者の李嘉誠所有のホテルでこの様。所詮、成金の足掻きの如し。
▼昨日読んだ『噂の真相』で永江朗による辺見庸のインタビューで辺見庸曰く「最も唾棄すべき存在は一見体制批判派のようなポーズをとりながらメディア漬けになっている連中」として典型として筑紫哲也と田原総一朗を挙げ「彼らみたいのが実は権力」「メディアを自己対象化できていない知的にも弱い連中」で「絵に描いたような右派論客よりももっとひどい」と酷評。田原総一朗については何度か余も日剰で呆れぶりに言及したが筑紫先生で思い出すは九七年の香港返還の六月末、香港からの返還中継に来港せし筑紫先生らTBSのクルーを二十九日だか三十日の夕方にBank of America Towerの横でお見受け。取材の車が来ないのか何か段取り悪く(業界ではよくあることだが)明らかに筑紫先生ご機嫌斜めで周囲のスタッフに走る緊張は並大抵に非ず。その緊張が香港返還の緊張より更に大なることスタッフの表情より余の如き通りがかりの部外者にも理解できるほど。結局この先生は先生自身が権威であり地球の出来事もこの人中心に回っているのだな、と。
▼昨年のSARS疫禍にて香港政府の責任者である衛生福利及食物局局長楊永強君昨日(昨年の今日二十九名の市民の感染あり)の立法会SARS調査委にて昨年の三月「香港で肺炎は爆発i大量感染)していない」と公言したのは毎月千五百から二千名の感染者ある一般の肺炎のことでARSについてに非ずと釈明。戯け。よくもまぁ……。通常の神経であれば失職せずとも辞職して罪を賠ふとか考えもしようものが局長自らの権限下に据えた調査委員会での報告受けただけで今日まで局長の椅子に留まる。余なら自殺すら企図するかも。
▼網野善彦氏の逝去にあたり備忘。(1)日本民族は単一でもなければ同質の文化を保持してきたわけでもなく特に東国と西国ではかなり文化的に異質であること。(2)田稲作と農耕の民族を中心とする文化が日本文化の歴史的に一貫した特徴であったわけではなく手工業者や商人、漁業・海上輸送に従事する漁民、狩猟・木工などで生計を営む山民、それに後世に非人・穢多などと差別された人々の文化への寄与も無視できない(この表現にはかなり疑問あり。文化=高等なる偏見的背景あり?)、(3)国内は勿論国外まで人間の交通・移動はかなり活発に行われており閉鎖的な社会ではなかったこと。(4)下人・所従という隷属民以外の平民・職人たちは従来考えられていたより自由度が高く隷属民の人身支配に対して抵抗する社会的な観念も強かった、と(以上週刊読書人に於る山本幸司よりの引用)

三月十三日(土)曇。一旦起きて朝食に麺包食しまた転た寝『噂の真相』休刊号読む。読了。やはり休刊ご祝儀号の感あり。但し連載陣は総括的にいい文章多いが(筒井康隆除く)大槻義彦教授が「反オカルト論」などインチキなオカルトだの超自然現象など相手になぜ対抗したかといへばオカルトぢたいでなくオカルト的なるものに瞞されてファッショになる社会への警戒、と総括で述べる。戦前の軍国主義とて国家神道といふ宗教カルトが基盤、ブッシュの神の国観念、ブッシュ支援する福音派など。教祖様一人の意思により信仰だけならいいが政治が決断されることへの警戒。そのオカルト政治への危惧、と大槻先生。御意。休刊で中森明夫や田中康夫『東京ペログリ日記』など読めなくなるのは残念であるがペログリ日記は『週刊SPA』にて継続とのことだが読んだことない週刊SPAをネット上で見出しみたがどう見ても興味なき記事多く扶桑社の利益に供与することも願わずペログリ日記ぢたい長野県知事就任までは昭和平成の日記文学としてその自由闊達ぶりに荷風先生に匹敵しようかとも感じ入っていたが県知事就任以降は当然、PGやTS、ONといった記載もなくなり県知事としての権威目立つ。これを機に読めずともよろしかろう、と判断。記事では。イラク戦争加担が世界での責任ある地位だとかでなく単にイラク「復興」後の利権に預かろうといふ、しかも自衛隊はその際の日本企業「自衛」のためにあり、とくに湾岸戦争で撤退余儀なくされた三菱グループの場合、軍需関連産業といふ背景あるも当然だが対イラク未回収債権がUS$4000億にも及びその回収のため小泉三世秘書飯島君や石破坊や、額賀二世といった防衛族をば三菱幹部が品川の開東閣で接待して、といふのも肯定ける話。「松下政経塾出身タカ派議員に気をつけろ」といふ記事も確かに自民党ぢゃなく民主党の松下政経塾出身議員(塾出身の衆議院議員のうち自民7に対して民主党19名)こそ要注意という点で大切。何が問題かといへば「歴史認識や社会認識が浅く肝心な人間理解も浅井青侍のような」彼らは築地のH君も指摘した今さら丸山眞男先生の政治学をば新鮮だと思ってしまふ浅学に象徴されるが、たかだか茅ヶ崎の研修施設から三浦半島を100km行軍(って平坦なる道を歩くだけ)完歩して感動に咽びその程度の達成感で「やればできる」と国政までそれで勘違い、ってところか。お願いだから塾で勉強した程度で国政など担わないでくれと願ふばかり。午後に九龍に渡る地下鉄で急ぎ競馬予想。何といっても芝1000mの公開賽にて精英大師(Silent Witness)の緒戦から不負の十連勝に期待かかり而も平磅126磅のハンディキャップなしでは精英大師に敵なし。かりに日本のクロフネ現役であれば強敵だったかも。当然のように今日も勝ち馬番通り好望角が二着、Fireboltが三着。余はまず2Rで22倍の香港製造を選び一番人気とQしてから3R以降を携帯より馬券購入せば今日の残高では途中で当然資金尽きるはずが最終レースまで馬券購入できて不思議に思い残高確認せば馬券購入以前より倍に増えており何かと思えば2Rで香港製造がまさかの一着。こういうこともあるが当然の如く3R以降は全く取れず。だが十分に儲けあり佳しとすべき。昼すぎ茘枝角の熱食中心にある成昌飯店にて西芹鶏柳飯食す。この熱食中心は長沙湾道と茘枝角道の交わるところで交通量も多く施設もお世辞にも清潔とはいへぬ環境ながらこの成昌飯店は付近の工事人夫など昼遅くも繁盛し僅かHK$20で(飲み物つき)美味なるぶっかけ飯供す。某事済ませ早晩にジムに立ち寄り尖沙咀の知る店に一飲。尖沙咀東の焼き鳥・五味鳥を数年ぶり参るが未だ開店前で近くの便利店にてハイネケン麦酒購い公園の猫と遊ぶ。五味鳥に参ればすでにZ嬢あり。菊正宗熱燗で四合。ホンハムの香港体育館にて羅大佑のコンサート。今回の昨日と今日の二日間のコンサートがまさか香港での初の本格的リサイタルとは露にも思わず。十五分遅れて会場に到着せば丁度八十年代末のヒット曲「愛人同志」で始まり二曲目が「恋曲1990」とヒット曲続けて長丁場大丈夫かと気を揉む必要もなくアニタ=ムイの追悼あり香港の躍動力を賞めサム=ホイの往年の名曲を観衆と歌い聞いていて涙出る大人の良心の世界。台湾で生れ中国医薬学院出て医者になるべきところ音楽への念捨てきれず研修医の頃に自主盤制作始めプロのシンガーソングライターになった羅大佑も今年五十歳。客層も当然四五十代多く八十年代には「香港の朝日新聞」明報読んでいたであろう、現在は信報の読者っぽい観衆多し。素晴らしい一夜。朝日といへば朝日新聞の香港衛星版が月料金HK$620からHK$520に一挙にHK$100値下げ。香港衛星版八周年記念といふが1ヶ月1万円といふ購読料を8千円にすることで購読拡大狙ふか。だが柄谷行人の著作集と同じで二千円安くても読まぬ者は読まず。余も朝僅か五分か十分目を通すかどうかと思えば値高感ないはずもなし。唯一の購読理由といへばインターネットでは評論記事ないことくらいかも。それにしても日本の新聞の不思議はなぜあの廿数頁の新聞をば毎日発行するだけのためにあれほどの巨大な組織と人員が要るのかといふこと。海外の特派員網とてそのコストと特ダネの量考えれば完ぺきにロス多し。香港だの欧米も含め新聞社の組織としての小ぶり具合とその内容の高さを真摯に学ぶべきではなかろうか。

三月十二日(金)晴。黄暮にジムで一時間の筋力運動。晩にテレビつけるとNHKで五木ひろし先生の尊顔に拝し一瞬火曜日の演歌さんの火曜ショーかと思ったが今日は金曜日。五木先生の横でギター弾く「いかにも修善寺の喫茶店のマスター」然とした容貌と服装のお父さんがギターとても上手く誰かと思えば驚くなかれ渡辺香津美。確かに言われてみれば渡辺香津美先生だがどう見ても修善寺の喫茶店のマスターである。隣りには押尾コータロー先生。五木ひろしもギター弾いて(これが上手い)渡辺香津美と押尾コータローで古賀政男先生の「影を慕いて」を五木ひろしが歌っている。「金曜ショータイム」なる「いかにもNHKの音芸らしい」ダサいタイトルの番組だが今日が最終回だそうで余もZ嬢も敬愛するChar先生も数週間前にご出演とか。愛猫三平偲び紅鮭焼いて食す。美味そうな鮭に怨んで出てきそう。紅鮭に冷奴、おからのハンバーグと海草とトマトのサラダ……江藤淳的な献立で菊正宗。三平は猫なのに生クリームと粉砂糖こよなく愛し今晩は食後にZ嬢が購うシュークリームも食す。何故かシュークリームだのクロワッサンだの牛酪関連を好んだ猫。それゆへの糖尿病か。I君より電話あり編集者のK氏と蘭桂坊で飲んでいると誘われ二更に外国人記者倶楽部に参りI君とK氏いらっしゃり三更まで歓談佳酒。余はIsle of Jura飲む。Z嬢の飲んでいたマルガリータからダイキリの話になりヘミングウェイの好んだといふガムシロップ抜きのダイキリがいかに酸っぱいかと余が言えばI君曰くキーウエストで飲めばその甘味抜きのダイキリも燥いたあの暑さでは爽快だったと言われ何となく納得。ところでI君は先日中国の廈門(アモイ)にて海鮮だかで食あたりし38度の熱で香港に戻ったが廈門も香港も空港での厳重な体温監視カメラの前を通ったが38度の熱がいっさい感知されなかった、と。いかに体温監視など形式だけかといふこと。納得。深更に帰宅。

三月十一日(木)快晴。愛猫三平の一回忌。昨年非典型肺炎の流行りだしたこの頃のこと。『噂の真相』最終号少し読む。
▼昨日財務司司長による本年度政府予算案発表あり。消費税は時期尚早としつつ所得税増が噂されていたが今回はHK$200億の国債……ぢゃない地方債か、を発行で場繋ぎ的対処。ちなみに所得税は香港人口680万人のうち納税者はわずか140万人。つまり五人に一人。月収HK$8750(約13万円)以下は所得税非課税。この月収でも基本控除などで扶養家族なき単身者で新年度でも僅かHK$8.3(約120円)のみ。高額所得者は勿論納税負担大きくなるがそれでも課税率は16%が上限。天国といへば天国か。
▼神戸の97年児童殺傷の彼が娑婆に戻ることが意味するものは何か。彼が実際に娑婆に出たらとんでもない試練ばかり。月本さん曰く「7年の教育の成果など、日々の生活という魔物の前にはほとんど無力だ。恐ろしいのは日常という名の現実なのである」と。御意。マスコミは21歳になった彼を追い回し写真掲載に躍起になり周囲の、って実際の周囲にはまだ理解者いるかも知らぬが網上の掲示板にも書かれっぱなしで、世の好奇心に晒され……そこでどうなるのか、と思えば「壁の中」こそ護られた世界。……であるのに何故、彼は娑婆に「出なければならないのか」といふことこそ重要。それは朝日の今日の社会面に「これから(上)」といふ特集記事に書かれた状況で十分にわかることだが、重要なことは「あの」残忍なる「人を殺すのもナメクジを殺すのも一緒」と語ったといふ殺人鬼の如き少年、而も事件直後に「死刑にしてほしい」だの殺害した男児の「顔が見える」と幻覚まで口にしていた少年だが、彼に対して「少年院では、女性を含む複数の医師のほか教官、寮の主任ら十数人の特別処遇チームが組まれ、教育にあたった」ことで一年後くらいから「心に変化が生れ」「温かい人間の社会で生きたい、と話し」「羞恥心が生まれ」「日ごとに表情が豊かに」なり「同世代の少年と同じように異性に興味を示し」たようになり、関係者は「性的サディズムが克服された」と見て、それが今回の解放への緒となる。(性的サディズムぢたい克服される範疇にあるものか克服されたらどうなのか、といふ疑問もあるが)何よりも重要なことは「公の装置=施設においてどんな残虐なる人格も更正できるということ」と「施設を出て「この」社会で生きていこうという意思がもてること」の二つ。少年は「英語ができないから海外には住めない」のでとしているが「静かにこの国で生きさせてほしい」といふ一言。この一言こそこの更正治療の最も偉大なる成果といへるのではないだろうか。この慈悲への願いを「だめだ」といふことはできず。なぜなら異教徒異民族の追放は無論問題ないが「この国の包容」に期待せし同胞をば追放すること=その国家社会ぢたいのアイデンティティの崩壊につながる由。……と考えるとこの施設関係者といふ第三者通じてマスコミが伝える少年のこの究極的なる言葉ぢたいその出自疑ふ。「生きさせてほしい」なる表現もいささか不自然。意味は「生きることを許してほしい」だろうが。googleで「生きさせる」検索すると僅か740件のみ。ふと思い浮かぶは「いかす」で確かに「佐けて生命保たせる」「殺さずに長らえさせる」意味あり。「生きさせる」が不自然なのは「生きる」といふ自動詞から派生させて使役の「生きさせる」としているが稀少な用法。だがどういうところでこれが使われているかといへば「生きさせる」といふ語はフーコーの「生きさせる権力」とか。これでもはやこの言い回しの背景は明らかであろう。公権力による個の精神域での調教。それがこの少年において結実したことの大いなる意義、といったところか。いみじくもこの少年「英語ができないから海外には住めない」と宣ったとしているが本来この少年にされるべき訓練は施設での収容期間に英語なり外語習得させ彼が巨圧のまなざし受けねばならぬ日本といふ社会から外れたところで(場合によってはマイケルジャクソン君の如く容姿から肌の色まで変えることも可)生きる可能性をば彼に供すことも一利あり。だがそれができぬのは公権力がする調教の目的は「その国家にて生きさせる個」の生産が目的ゆへ。この少年は公権力のこの更正の究極なる成果として社会に放たれるといふこと。青年となったこの少年に大きな試練があること、など百も承知の話。
▼この少年の口から出たといふ「この国で生きる」といふ感覚、何処かで、と思えばこれは<近代の超克>のこの日本といふ国に生まれ育ち日本の全てを愛しむ、その喜び、あれに近いものあり。清水幾太郎の転向とて然り。この君で生きさせてもらふ為に捧げるべき何かが必要でありそれが愛国心といふもの。

三月十日(水)昨晩遅く山崎俊夫作品集補巻二読了。大正十年の文芸倶楽部誌に竹原文糸の名で発表の『お三輪の人形』なる短編佳し。妹背の道行を材に人形遣いの玉七なる若者主人公に亡父ともどもお三輪の文楽人形に祟られる話。これで山崎俊夫作品集五巻読了。〆て三五二九一円也。この山崎俊夫を現代に甦らせたこの作品集の編者生田かをる(耕作)の偉業。殆ど文芸史からも消えていた山崎を生田が知ったのは荷風先生の大正三年「三月山崎俊夫その著『童貞』の上製を上梓す」のたった一行。荷風先生をば敬愛した生田がこの一行で荷風先生が評価した山崎俊夫なる若い作家の存在知りそれがこの作品集と結実。本日。快晴。香港でPrince of Wales病院舞台にSARSが初めて大量感染した日より丁度1年。余の昨年三月の日剰読めばこの時期SARSのサの字も記載なく月末になりマスクする人多きこと綴る程度。それが四月に入り実際の感染者の増加よりWHOによる香港渡航せぬべきといふお触れ出てからの、殊に事態は収拾に向かっている中で全くそれを理解せぬ「日本を原因とする混乱」で忙殺されることになる。ところで。香港政府の申訴専員(Ombudsman)に戴婉瑩女史再任される。吉報。戴女史の五年前のオンブズマン就任は旦那が運輸署署長であることから利益衝突があり公正な職務遂行難しいのでは?と立法会でも指摘されたがこの五年の戴女史の職務賞賛に値すること誰もが認め寧ろ董建華による政務司司長・陳方安生、香港電台の張敏儀女史、機会平等委員会の胡紅玉など有能なる公務員が(奇しくも偶然女性ばかり……)リベラル的立場であるだけで更迭され続ける中で次は戴女史と噂されたがさすがにここでオンブズマンの交替では董建華も印象悪しきと「英断」か。いずれにせよ目出度いこと。旧知の戴女史ゆへ鉄棒運動選手の絵に「堅持」と書かれた絵はがきでお祝い状を差し上げる。医療サービスに従事のH氏と話す機会あり家禽ウイルスだの狂牛病だと騒いでいるが年間数十万人が世界で死亡し日本でも数千人の死者を出す通常のインフルエンザのほうが怖い伝染病でありその予防の怠りと鶏禽への異常な対応の矛盾を語られる。納得。晩に近々帰国されるO氏夫妻らとハッピーバレー競馬場のStable Bend Terraceにて食事しながら競馬観戦。N氏が難しい4Rで43倍の大穴一着を含む200倍近い三連複当て馬番と枠の勘違いすらしていたことが後で判明したO氏まで95倍の三連複当ててしまい余は途中からかなり負けが込み鬱としたが最終7Rは馬主T氏のVictory Warriorがクラス2に降格し久々に一番人気で予想紙も一押し。余はこの馬昨季一勝した際の口取りにもN調教師に招かれ加わらせて頂き本来祝儀でこれを単勝とすべきところ(而も騎手は今晩既に二勝のWhyte君)最後の最後で見習・魯柏軒君騎乗のWyndam Easyに惹かれこれの単勝とVictory Warriorとの連複としたところハナとったWyndam EasyがVictory Warriorの追い上げ躱して逃切り単勝でHK$77、連複もHK$112.5に注ぎ込んだ分回収も少なからず本晩の負をば解消した上にそこそこの儲けあり。Z嬢は余のWyndam Easyの推薦信じず。
▼ビクトリアハーバーの埋立に反対する市民の声高く政府相手の訴訟は裁判所が政府の埋立計画支持の判決あり中環中心に17haの埋立工事再開される。紐育ですらマンハッタン島を埋立てで拡張せぬのはマンハッタン島といふ高価地の資産を薄めぬ為。それが理解できずたんに土地増やしビル建てて儲けようといふ浅ましき金欲。
▼「護苗基金」なる子供の性的虐待防止団体が10〜18歳の学生五千名弱対象にセクハラ調査の結果小学生で23.1%、中学高校生で43.4%が何らかの形で被ハラ経験ありと回答あり数字の高さに一瞬驚くが護苗基金の分析によると「校内でのとくに男子トイレが盲点」だそうで何かと思えば「被害」の多くは男子中学生で級友にエロ話聞くを強要されたり巫山戯て性器触られたりといった他愛ない行為。中には同級生に口交肛交など強要されたといふのも僅かながら17名あるが思春期で何らかの性的他虐あるは今に始ったことでなく、たかだかこのテのことを今さら「性的虐待」などと大騒ぎする、健全ぶったその大人たちの思考であるとかまなざしこそフーコー的、ピンクフロイド的に卑猥であること。昨今こういった健全ぶった組織がファッショ的に蔓延ること恐ろしきことなり。
▼話旧聞に属すが昨秋に香港にてAmCham(香港米国商工会議所)の音頭取りでSARS基金由りHK$100億捻出し開催され開催に意義なしと非難囂々の内に終ったHarbour FestはAmChamは香港にてローリングストーンズなど米国芸人らの演奏会開催ばかりかその公演録画をば世界中にてテレビ放映することにて世界に香港=SARSの記憶払拭し好印象与へると宣いしところ米国にてHK$600萬費やしMTVにて“Hong Kong Rocks”といふ演目にて放映されれば放映は深夜にて視聴率僅か0.2%、30萬余の視聴者しか得られず、と。ちなみにこの放映の数時間前のグラミー賞授賞式はCBSの放送にて二千七百萬人の視聴ありとか。遠き香港の彼の地で今さらローリンスストーンズだのプリンスだの懐メロ公演をば米国にて誰が見ようか。結局はAmCham通して香港の貴重なるSARS基金の資金が米国に流れたこと。殊に当時のAmCham会頭のJames Thompsonの愚劣ぶりとそのト氏の暴挙阻止するどころかそれに乗った在港財界、殊にAmChamに屈託した政府系投資会社InvestHKも資質をば疑われ当然。

三月九日(火)晴。昏時北角の知る家に小憩し帰宅。ハヤシライス食す。『文藝春秋』四月号読む。特集は「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃」と各界の著名人が芥川賞作品について語る陳腐なる特集。自らの雑誌の売れたことで次号噪ぐとは墓下の菊池寛も怒ろうといふもの。余は芥川賞授賞の両作品も理解できず、この特集でも両作品を賞める舛添要一君が賞めるのは自由だが田中康夫『なんとなく、クリスタル』を持ち出して「ブランド名が散りばめられた田中の作品は、いわば高度経済成長の申し子のような、明るい、楽天的なメロディを奏でていた」と語っていることに驚愕。あの『なんクリ』の何処にそんな楽天性があろうか。江藤淳先生も指摘する『なんクリ』の寂しさが舛添君には読めぬのだろうか。先月の芥川賞での同誌の異常な売れ行きと今月のこの陳腐なる特集にバランスをとるかのように巻末に「文士の黄金時代」といふ老編集者らが語る昭和の文壇語りあり。それに語られる船橋聖一だの吉田健一、開高健といった文士らの逸話にほっとする読者は余ばかりぢゃあるまひ。浅利慶太の文章で昭和四十七年六月の首相佐藤栄作君の退任記者会見での有名な「私はテレビと話したい。国民と直接話がしたいんだ」「新聞の人はみんな出てください」の孤独感漂う逸話、あれが浅利慶太自身がテレビの効用考えて佐藤君に進言した結果の、とんだハプニングから生じた新聞記者との誤解(テレビカメラに向って話す場合に記者会見の記者のその奥にテレビカメラが据えてあり其の位置からでも首相をカメラは狙えるのに首相はテレビカメラを目の前にして一対一で対峙して話すべきものと誤解したといふこと)であったことを浅利君真相と語る。浅利君本人の話でありこの世代の方は佐々淳行君といい「僕が、僕が」の傾向ありそのまま全て真実とも思えぬのだが。岩波書店『世界』四月号も少し読む。特集は「「日の丸・君が代」戒厳令〜脅かされる思想・良心の自由」なり。特集の巻頭に「ヤンキー母校に帰る」のモデルとなった北海道の私立北星学園余市高校の義家弘介教諭の文章あり。ヤンキー=特攻服といふ印象だが(笑)この学校ミッション系で平成帝即位祝賀で日本中の学校休校となった日も何事もないかのやふに授業行われた、と義家氏は、専門家でないので日の丸君が代の歴史的経過や功罪論ずるつもりはない、とした上で
ただ、私が学校という教育現場から問いたいのは、出口の見えない暗闇で子どもたちが悲痛な叫びをあげている現実の中で、教育現場に「日の丸・君が代」を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると、文部科学省は本気で思っているのか、ということである。自分たちの叫びが届かないばかりか、唯一の頼りである教師たちが分裂していがみ合っている学校を、彼らはどうして愛すればいいのか。そして、教師たちの分裂の材料を押しつけている国に対して、将来の希望さえ示してくれない国に対して、どうやって信頼や誇りを持てというのか。仲間同士の協調もままならない中で、国際協調の精神などといわれても、遠い話にしか聞こえない。(略)彼らはもうすぐ、この場所を巣立っていく。安心しろ。卒業式には、お前たちを邪魔するものは何もない。卒業式のシンボルはお前たち自身だ。
と……この文章に説明は要るまひ。山崎俊夫作品集補巻二読み始める。山崎俊夫の十代からの秀作集なり。

三月八日(月)昨晩遅く読んだ山崎俊夫の物語より。山崎氏が銀座に遊び街頭の花売り娘と懇意となり酒を飲み青山へ帰るといふその娘を彼女が祖父と暮らすといふ、青山墓地近くまで送った話。墓地の近くで少女にそつなく別れられたのだが、数日後の新聞に青山墓地で花泥棒捕まるといふ記事あり。早朝老人が墓地から墓石に捧げられていた花をいくつも抱えて墓地から出てゆくのを掃除人が見つけ、あとをつけると都電の墓地下の近くの掘立小屋、みすぼらしいその小屋の三畳ばかりの板敷間は花室(むろ)の如く花で一杯、それを夜になると孫娘が銀座で売ってあるいた、といふ記事。銀座の花売りの花が実は青山墓地の供花であった、と。その事実を知ってただ涙がとまらずの山崎氏。本日、晴。晩に九龍への往来で読んだ蒋彦永(昨年のSARSの際に中国での感染隠蔽をNewsweek誌に公開し中国政府がこれを機に感染状況公開始める契機作りその評価上げた解放軍病院前外科部長)が天安門事件について全人代開催直前に政府要人に宛てた「天安門事件を六四学生愛国運動として正式に評価せよ」といふ書簡が信報に掲載されそれを読み日刊ベリタにか記事書く急を要すと痛感。深夜に早速送稿。
▼今月十日日発売で『噂の真相』休刊。それにしてもこの雑誌が無くなることがどれほどの損失か、記念に見出しを挙げれば
日本最強の権力機構のトップに立つ原田明夫検事総長の犯罪的利権行使
芥川賞を20歳で受賞して話題を呼ぶ金原ひとみの知られざる“家庭の事情”
イラク派兵に踏み切った小泉内閣と三菱グループと防衛庁の“密談”
『噂の真相』からの最後のメッセージ松下政経塾出身議員に気をつけろ!
芥川賞でデビューし今や大御所作家村上龍の信じ難きズサンな借金人生
共演や合コンで知り合い乱脈に走る若手芸能人たちの相姦図“最新事情”
ジャスダック上場で株価維持に走る見城徹率いる幻冬舎の先行き不透明
『正論』や産経新聞などタカ派に走る「エロ漫画家」さかもと未明の処世の方法
松方弘樹の息子がスッ破抜かれた新宿二丁目ウリセンバーの“芸能人”
インターネット上でブーム化する「ネットオークション」の舞台裏事情
 イラクへの自衛隊派兵も何のその、ミーイズムの極致たるネットオークションの個人的空間……。
 新しい“流通革命”でもなく犯罪とヤバイ個人情報の“宝庫”、その知られざる実態を明かす!
と垂涎の特集記事並び筒井康隆「狂犬楼の逆襲」と荒木経惟「写真日記包茎亭日乗」はどうでもいいが
高橋春男 絶対安全Dランキング
田中康夫 東京ぺログリ日記
佐高 信 筆刀両断 司馬遼太郎ら
中森明夫 月刊ナカモリ効果
大槻義彦 反オカルト講座
小田嶋隆 マル無 資本主義商品論
井家上隆幸 ジャーナル読書日記
永江朗 メディア異人列伝・辺見庸
とこの壮観な連載陣。これがもう毎月読めぬと思うと二十年来の読者としては寂しい限り。

三月初七日(日)快晴。夜中に咳で目が覚め体調芳しからず。Z嬢に此儘臥ていても腐るばかりと嗾され香島東より日曜日だけ西貢の北潭涌まで走る謂ば行楽巴士に搭り小一時間で北潭涌。車中原武史著『皇居前広場』光文社新書読む。北潭涌より郊外的士に乗換へ一般車両進入禁止の西貢郊野公園に入り黄石埠頭。ここより一路海下(Hoi Ha)の海下湾海岸公園まで歩く。道中、香港に暮し四十五年といふ京都出身の女性にZ嬢声かけられ暫し談話。歩行者少なからず而も本日此の一帯にてオリエンテーション開催され参加者多きは難点ながら大灘海の碧き海眺め爽快なる徑。オリエンテーションに参加らしき猛者あり誰かと思へば知己なるT氏。南風湾(写真)より灣仔(当然香島の灣仔に非ず同名の地)の岬に入り北端の棺材角の奇岩まで休まず二時間半。岬戻り海下湾。香港屈指のマリンパークにて当然のことながら水質や自然環境徹底的に保護されるべきところ冗談にもならぬが本来、自然保護すべきWWF(国際野生基金)がこの地に海洋生物センター建設(写真)。而も自然の景観毀す貧困なる倉庫建築に非難甚し。WWFもこの己の蛮行はさすがに痴呆ながらも気づいたようで建物建設したものの依然開設に至らずサイトにもこの醜景はさすがに掲載もできず(嗤)。海下湾はさすがに香港でも有数の水の透明度誇る海灘(写真)。麦酒飲みつつミニバス待って西貢。西貢ベーカリにて麺包購いミニバスで彩虹(彩虹とは「美しが丘」的偽善的無味乾燥の地名、本来此処は牛池湾なり)、香島東への巴士に乗換へ帰宅。一浴し沙田の競馬の最終レーステレビ中継で観戦。馬主C氏のDashing Winner参戦でClass-2に降格で調教の時計もよく倍率12倍といふのも美味しいところ。複勝堅いと期待し更にWhyte君騎乗のSan Lorenzo、Size厩のBumper Bumperを脚に連複、QPで賭ければDWは後方よりじりじりと順位上げてSan Lorenzoのダッシュに合わせ前方開いたところをスタミナ見せて三着に入る健闘。ところで。午後遅く海下湾に着いたところでHKIFF(香港国際映画祭)のTiketing Office名告る職員より携帯に電話あり先週末に申請の映画祭の全上映入場可の通行証が購入者多く已に売り切れと。先週五日がインターネット及び郵便での購入開始でインターネット終日混雑で購入不可のため当日の晩に市大会堂にてカウンターで申込書提出のもの。売り切れといわれてもHK$990の通行証をば購う物好きがそう多いとは信じられもせず。その職員の余りに不躾な物言いにふと昨年の映画祭にて通行証と小津特集の入場不可の件につき納得いかず主催者団体の処理不服として香港政府の申訴専員公署に不服申し立てし受理され通行証の費用全面還付得た過去あり真逆HKIFFに余の名が千古罪人の如く記録され今後一切の便宜図らぬこと内部で確約ありか……などと佳からぬ想像もしつつ何れにせよ通行証売り切れ信じられず帰宅して今日なら最早混雑もあるまひと網上にて購入手続せばあっさりと購入完了。「やはり……」と根拠なき逆怨みは禁物、想像できるは網上予約は半官半民のCitylineに販売委託しており予約好調で販売実状の把握できず素直なるカウンター申請をば先ず却下しているのではなかろうか。いずれにせよ粗忽なることは事実。『皇居前広場』読了。碩学原武史氏が皇居前広場といふ空間を舞台に天皇制の仕組みなど明瞭なる分析。皇居といふとロラン・バルト先生の『表徴の帝国』での空虚なる中心を即思い浮かべるがこの本も俄然興味深き政治学的な分析の空間論。大切なることを三、四備忘のため綴っておけば、まず、先の大戦に於いて昭和帝は軍に利用されたまるで被害者の如き扱いも散見されるが原氏が綴る昭和3(1928)年12月の宮城前広場での親閲式(東京など一府四県中学以上の学校、在郷軍人会代表など八万人が参加)にてその日の雨空のなか昭和帝は台座に張られた天幕取り除くよう指示しそれを聞いた「集まった人々は一斉に外套を脱ぎ天皇も台座に上がるやマントを脱いだ」ことで「天皇と八万三千人の臣民が一体となる」空間が演出されたこと。これは側近の入れ知恵でなく昭和帝本人の判断でありその結果の場の高揚であること。そしてその天皇の御姿に接し感涙に咽ぶ民草たち。この演出がじつは昭和帝が摂政だった頃から僅か十年の伝統であること。これは欧州訪問で裕仁自身が学んだ帝王制の体現であり、どのように王が振る舞えば民草がそれに靡くかといふこと熟知した昭和帝の振るまひ。これをして臣民の天皇に対する親しみをば高揚させ結果的に昭和廿年迎えるのであるから天皇の戦争責任の有無は明らか。次に戦後の皇居前広場の光景。我らが後世知るのは終戦で民草平伏す皇居前広場の光景だが実はその皇居前広場にて戦後最初の集会が1945年8月26日の特殊慰安施設協会(RAA)結成式。要するに進駐軍兵隊相手の慰安婦組織。而も戦後五十年代まで皇居前広場が夜になれば愛を語らふ場所もなき若い男女の性愛の場所として流行ったこと。そういった歴史的事実が隠蔽され聖なる清き空間としてのみ皇居前広場の空間的言説が広まること。三つ目に、戦後「血のメーデー」など熱い時代のあと皇居前広場が活用されぬ時代が続いたものが1986年に昭和天皇の在位六十周年祝賀があり(首相は中曽根)藤波孝生の万歳三唱と黛敏郎指揮の君が代斉唱に昭和帝が昭和17年以来半世紀余ぶりに二重橋に立ったのを契機に昭和帝崩御のご記帳ブームがあり平成になりすでに三度の皇居前広場に陛下お姿呈しになる儀礼あり一度目は即位祝賀式で二度目が即位十周年のこれは特設ステージ設けられ安室奈美恵だのSPEED、GLAY、王貞治に星野、野茂に北島三郎といった代表ステージに立ったは記憶に新しいところ、そして三度目が長嶋茂雄、毛利衛、竹下景子らの「出演」による愛子様ご誕生祝賀であるが原氏指摘するは平成の今上帝はどうもこういった祝賀儀礼の習慣化を陛下ご自身が快しとせず寧ろ愛子様ご誕生祝賀の際の「天皇と皇后は(祝賀行事の)最後に車に乗って(二重橋)正門鉄橋に約一分間現れただけ」といった対応は陛下の「抵抗の現れ」ではないか、と。御意。晩に昨晩の酒の肴にとろろ御飯、酒はいいちこ。NHKスペシャル「フリーター417万人の衝撃」なる番組見る。日曜夜に暗澹。夜半に山崎俊夫補巻一読了。

三月初六日(土)快晴。昨晩遅く読んだ『東京人』四月号23区散歩ブックという特大号で保存版とまで銘打つがちっとも散歩の実用性もなければ内容も陳腐でつまらぬ代物。どうせなら一号ずつ徹底した各区特集に徹すれば23区で二年は保つか。爽快なる晴天に昼すぎまで在宅してベリタの記事(中国全人代と米国での下院外交委員会での香港民主化問題公聴会について)送稿して雑用身辺整理。午後九龍での藪用。九龍への日がな午後のんびりとバスに乗り車中、村上義雄『東京都の「教育改革」』岩波ブックレット読む。呆れるほどの東京都の教育「改革」だが石原の暴政を糾弾するよか三百万の良識ある都民が石原を推挙したことのコトの重大性。推挙され当選したのだから石原が何をしようが本凶は石原を選んだ都民、それの責任。何も考えておらぬ、小泉さんなら何か変えてくれるのでは?という浅慮と同じ。また石原に反対する側も所詮、石原に勝つ候補者擁立できぬのだから非力を認めるしかなし。小泉といへば大江健三郎君が外国特派員協会で講演し小泉三世の「平和憲法に反する、現在の「戦争への運動」を批判し」「小泉首相の国会答弁は質問に答えておらず、表情から「薄笑いをする首相」として記憶されるのではないかと皮肉った」と朝日。「最近の日本人は、テレビの影響で会話中心の思考が多く論理が弱くなった。その延長で小泉首相の内容をともなわない言葉が人気を得た。靖国参拝などの問題も、国内での口頭表現が、国際的にも通じると判断を誤ったのではないか。書き言葉の論理性の復活が必要だ」と指摘し「現在が戦争と平和の分岐点にあると強調し、かつて日本にあった「平和の文化」と「平和の運動」の一致を再現し、平和憲法改定につながる教育基本法改定の動きに反対する必要性」を語ったそうだが、大江君の講演が記事で「英語で……語った」と書かれることぢたい寂しい話だし、大江君がどれだけ真っ当なこと語ろうともその主張は日本の「大江作品など全く関心のない」大多数の人たちには何ら影響もなく、大江君がフランス紙に掲載した一面大の意見文も同様朝日。少なくとも海外に向けて大江君の如き良識が今の小泉ジャパンにもあることが知られるだけでも意味あろうが。晩に中国語の翻訳通訳及び最近は日本人相手に北京語広東語の教授に多忙なS君とC嬢来宅。小学校教師であるC嬢より香港の学校も一向に教育環境の整備進まずそれどころか本来の教育とは関係なき教員管理だの学校運営「正常化」だのに無駄な労力費やす現状を聞く。本来の教育に熱心な優秀なる経験ある優秀な教師がこの体制に疲労甚だしく退職してゆく現状は憂えるばかり。この昨年八月に恩師K先生より頂いた沖縄は豊見城の忠孝酒造泡盛十年古酒S君と飲む。美味。誠に美味。四十三度の泡盛は飲んでも微かに酔ふばかりで久々にいい酒に拝した気分格別。Z嬢の酒の肴もまた泡盛に合い江藤淳的酔心地。
▼築地のH君より成田屋親子が総理官邸を訪問とか。海老蔵襲名のお披露目か中村屋の赤旗登場に対するお詫びか(笑)
▼最近気になるのはメールで、での「〜ですか? 〜ですか?」といふ質問の立て続けの書きぶり。誰かに何か質問するのに質問多いのはわかるが「Aはどうなっていますか?」「BはCになるのですか?」「Dはどうすればいいのですか?」と羅列されると心配が当方への非難にすら読める書きぶり。本来丁寧な書き方はexcuseのあとに「下記の点についてお手数ですがご教示いただければ幸いです」として「Aについて」「BはCと考えてよいか」「Dへの対応について」と箇条書にでもすべきこと。「ですか?」「ですか?」「ですか?」が許されるのは不安感と絶望感、例えばさだまさしの「不良少女白書」の歌詞での用法とか。マジに大江健三郎君の憂慮ぢゃないが会話中心の思考が多く論理が弱くなり、例えば「〜かじゃないですかぁ?」の多様な多用……「私って意外と神経質じゃないですかぁ」と「テメーのそんなこと知るわけねーだろうがぁ、このアホ!」と思いたいが、そういふ会話口調だけでの思考(思考といふのも勿体ない無思考ゆへだが)書き言葉の論理性の復活が必要なのは事実。テレビを三年くらい放送禁止にするのも善策かも。
▼やはり長嶋茂雄といふ人の容態が気になるのは余も昭和戦後人ゆへか。子どもの頃に野球に興味なくとも柴田高田王長嶋末次黒江……に森堀内それに高橋一三とタチドコロニ名前並び経団連のオトーサン風の川上哲治、あのまさに破竹の勢いの日本企業の如き様。父親が仕事も手につかずテレビの画面見入ったは浅間山荘と長嶋引退。巨人軍は永遠に不滅です!という長嶋の叫びに「不滅だなんて……」と懐疑心。だが日本の大多数はあの言葉に酔っていた。巨人=日本。猪木vsアリの格闘技戦あたりから世の中の胡散臭さ露骨。監督長嶋も解任されることで日本企業も成果主義であることに気づいたが、まさか長嶋茂雄が渡辺恒夫より先に倒れるとは……。結局、若い頃から政財界の宴会に招かれ「長嶋君、キミには日本を牽引する力ってものがあるよ」とか座敷で言われ、言ったのが茨城訛りの橋本登美三郎だったからか聞いたのが長嶋だったからか長嶋は「ケンエンって確か犬と猿?」とか思いつつ「そーですねぇ、日本シリーズも頑張りますよぉ」とか受け答えていた(……って知らないけど、どうせそんな感じだ)、その場を仕切っていたのが讀賣新聞政治部の辣腕ナヴェツネだった、といふこと。憂鬱。

三月初五日(金)晴。咳ひどく昨晩も何度も覚醒めてしまひ朝、養和病院にて医師の診断受ける。黄昏にさすがに飲む気もせず外国人記者倶楽部で蕃茄果汁飲みつつかなり資料整理。SCMPなどで健筆揮うジャーナリストのFrank Ching氏いらっしゃり知人と歓談が耳に入るがいつものChing氏の疳高い口調で中国の政治状況など興味深い話も拝聴?する。Z嬢と現れ倶楽部のダインにて夕餉。市大会堂にて“2 Pianos 4 Hands”の公演鑑賞。単なる巧妙かつ珍妙なるピアノの連弾に非ず特にかなりピアノ教育の場面での皮肉たっぷりの指導ぶりなど話劇としての面白さ。ピアノ教師の醜態だの仏独伊のそれぞれの教授の描写やナイトクラブのピアニストの悲劇など愉快。東京でも今日から別の二人組による公演が松竹により銀座のル・テアトル銀座にて。日本であのいかにも英国的な英語の話劇をどう演出するのか気になるところ。字幕か、まさか吹替えはしまいが。山崎俊夫作品集読む。
▼元職業野球選手で昭和36年には「社会党が政権を取ると野球が出来なくなる」と発言したもののカストロ政権のキューバとの野球交流にも尽力した長嶋茂雄が脳梗塞で入院。「意識はあり、問いかけには応じることができる。言語障害は起きていない。」と医師が発表。みんなが思うことは長嶋といふ人、昔から無意識の達人のような人で問いかけには珍妙に応じ多少の……といふことだが本人が疾病の時には不謹慎か。
▼朝日の「ひと」欄に西澤潤一登場。首都大学東京の総長就任に高齢といふ指摘には「おやじは103まで生きた」と宣い、都立大などの大学「改革」反対派を単なる旧守派扱いとニベもなし。自らは老いぬ自信。総長勤め上げ石原首相のもとで文部科学大臣だろうか(嗤)

三月初四日(木)晴。香港国際映画祭の内容発表あり。台湾の蔡明亮監督の『不散』、蔡映画に多く出演の李康生君の初監督作品『不見』もあり。これは一対の作品と思うべきか。Gus Van Sant監督“Elephant”も注目作品。昨年が小津特集除いて三十本鑑賞。特集だが今年は清水宏監督。十三作品。貴重な上映なのだろうが実は私も清水作品は未看。正直言って香港では芸術中心で特集のあった今村昌平や鈴木清順以上に“Who is Shimizu?”であるのは確か。どの程度の動員があるか。昼に尖沙咀ミラマホテル地下の食堂にてカツカレー食す。数年前に旧友S氏より勧められた尖沙咀の隠れた食堂。まさに社員食堂的。HK$22で確かなカツカレー(美味い不味いでなし)。夕方香港大学でF氏らを日本文学のC先生及び郷土史家K氏に紹介。打合せ。F氏らを大学図書館に案内し香港史料参観。晩に尖沙咀で薮用。先週のインフルエンザの余波か咳ひどし。山崎俊夫集読む。女優岡田嘉子についての記載あり。戦前ソ連亡命前の岡田嘉子のアパートの壁に書かれていた詩は
花アザミ乱れさく野の小径
われ知らじ、知らじとのみぞ
拗れてわかれぬ
花アザミ乱れさく
と詩など味わえぬ余もさすがに印象深し。また山崎とまだ十代初に親好あった京都先斗町の三味線の「かずぼん」との逸話も興味深し。このかずぼんが後の人形浄瑠璃の三味線で人間国宝の竹澤彌七。
▼築地のH君より。赤旗日曜版創刊何十周年だかおめでとう!各界著名人からお祝いの声、という企画に著名人が20人ばかりコメントあり其処に中村勘九郎の名あり。中村屋「赤旗とはもう20年来のつきあい」だかで不破議長と二度ほど対談とか。当然のようにイラク反戦演劇人として渡辺えり子もあり。今日日の日本がどういふ状況かといへば赤旗号外を配った社会保険庁の職員が国家公務員法違反で逮捕、自衛隊官舎で反戦ビラをポストに投函した者が建造物侵入で逮捕……国民が自由に馴れきった中で治安維持法下の如き様。だが国民はそれに危惧もなし平和呆け。「自由」に溺死も近し。戦前の国会とて無産政党選出の議員数十名おり言論の不自由のなか奮迅、それを支えた有権者あり。社会主義の凋落あれど社民・共産など対抗勢力の無力=有権者の支持の低さ見れば国民の鈍感さ露見されるばかり。

三月初三日(水)晴。晩にZ嬢と尖沙咀のインド料理屋Gayloadにて刺身……の筈もなく当然インド料理。中環のアショカと並ぶインド料理の老舗。ドライマティーニ注文せばもうけして驚かぬが余の風邪で鈍感な味覚にもベルモットのみの味。女給にドライマティーニであると告げるが、だからバーテンはマティーニ注いだ、と。インド料理屋とはいへ酒場の担当がメニューにもジン&ベルモットとまで懇切丁寧に書かれているドライマティーニを知らぬのは問題。だがそもそもの問題はベルモットの瓶にマティーニと書かれておりベルモット=マティーニと洽く誤解されていること。かなりあっさりとしたインド料理。多少物足りなくも菜食者にはふんだんの品数。文化中心にて倫敦交響楽団の演奏会。指揮は若手のDaniel HardingでシベリウスのThe Oceanidesで始まりバイオリンに若干二十歳の庄司紗矢香嬢聘きシベリウスのバイオリン協奏曲ニ短調。庄司嬢の技量は格別、いい音色でも「ここぞ」といふところで体躯的な限界ぎりぎりの音量。終わって満場の拍手のなか若い頃の美空ひばり的な雰囲気で大物ぶり……だが当然のことながら此処は香港であって最も目立っていたのは舞台最前列中央にご臨席の香港在住バイオリニスト西崎崇子様で深紅のドレスで起立しての庄司嬢への拍手に舞台上の庄司嬢より西崎夫人が目立っていたのは当然の事実。続いてショスタコヴィッチの交響曲5番。倫敦交響楽団なのだからそんな煽らなくてもショスタコ似合った音となるのにHarding君楽団をば煽りすぎ。楽団側がもっと落ち着いて、と抑えているような感あり。終わって誰よりも興奮のHarding君。歴史民俗学資料叢書の一冊及び山崎俊夫集遺稿1を少し読む。

三月初二日(火)小雨。黄昏にジムで鍛錬。十月に巴里に遊びその後二ヶ月ほど鍛錬欠かし筋力落ちて重量落としていたがようやく十月以前の重量まで復す。帰宅して小料理屋の如き料理つまみ焼酎。二月の中旬に三日にわたり信報に掲載された張五常教授の「未だ改憲の時期に非ず」といふ中国の私有財産保護に関する張教授の憲法改正時期尚早といふ意見論文読む。予定では来たる五日に人代大で私有財産認める憲法改正の決議される見込み。中国の共産主義にあって画期的なことだが!、張教授は現実的にはすでに私有財産が存在しているわけでCoquinteau国家主席の就任一年にも満たぬこの時期に慌てて改憲するより数年待って満を持してでよいのでは?と。改革を急ぐことでの不安、とくに張教授は民主主義であるとか国民の自由といったものを最大価値として優先することによる経済発展の停滞などについて言及し英知なる政府の統制下での計画的な経済改革の必要性を説くのだが、それだけ読むと中立右派的な、日本でいえば大嶽秀夫的なる現実論。だが裏読みすれば張教授が米国での脱税だの詐欺商法での訴訟免れ中国国内に「潜伏」中といふ背景を知ればこの論文が中国政府への身柄保護の懇願状に読めぬでもなし。批評社の歴史民俗学資料叢書の一冊読む。
▼SCMPに早くもダービー予想あり。文句なしでLucky Owner(Cruz厩)に続きSuper Kids(Size厩)、Tiber(Moore厩)と続き期待の星で今いちのRoosevelt(Oughton厩)など。馬主C氏のDashing Championはratingを90まで落とし目下ダービー出場難しく明日のクラス2での1800mに賭けるばかり。
▼中文大学の日本研究系の学科廃止が取消決定。吉事と喜ぶべきか日本研究とは何かあらためて考えてみるべきか。
▼集英社より井上ひさし&小森陽一編で出た『座談会昭和文学史』全六巻は座談会と銘打つだけに確かに、という人選。大正から昭和へが加藤周一、谷崎潤一郎と芥川龍之介が中村真一郎、志賀直哉は阿川弘之、プロ文が小田切秀雄、柳田国男と折口信夫は岡野弘彦と山口昌男、宮沢賢治を「巨大な三日坊主のセクシュアリティ」としてロジャー・パルバース招き「プラハの賢治」とは大胆、永井荷風と坂口安吾は川本三郎と荻野アンナ、大衆文学で『大菩薩峠』を安岡章太郎、戦後編で松本清張、司馬遼太郎、藤沢周平を佐高信と関川夏央も面白いし、太宰治は長部日出雄、石川淳が丸谷才一、昭和の詩が大岡信と谷川俊太郎……と昭和文学史だけでなく話を今聞いておくべき見事な人選、となぜここまで細かく書き写したかといふとこの集大成で最大の疑問は戦後日本文学で確かに欠かすことのできぬ存在に大江健三郎があるが、この第六巻で「大江健三郎の文学」を語る相手が大江健三郎であるといふこと(笑)。これ以上何も言う必要はあるまひ。
▼最近の香港での愛国論争について「没有共産党就没有新中国」(共産党がなかったら新中国もあり得ない)といふ革命歌まで持ち出され共産党主導の国家建設の正当性が今になって宣われるが、これは建国後の土改・三反・五反・四清・反右・人民公社・大躍進・文革・四五天安門事件といった一連の共産党政府による災難を揶揄し「没有共産党就有新中国……的苦難」と替え歌もあり(共産党がなかったら新中国の苦難もなし)、これについて劉健威氏曰く、新中国に成果出たのは、資本主義が発展し市場経済に向い中国の生産力が世界市場に解き放たれ制度改革だの法整備が進み……といった八十年代の改革開放始まって漸くのこと、その最も重要なる基盤はまず資本主義というシステムであり次に重要なのは八十年代から香港の資本と技術力が大陸での投資にまわったこと。東欧が政治的には改革されても十分な資本と技術力が西側から投入されないことで経済成長が停滞しているのに比べ中国は香港あってこその経済的飛躍。その意味では「没有香港就没有新中国」、と劉氏。最近は国家在っての二制度などと香港の地位の小ささばかり強調されるが確かにここ三十年近き歴史を見れば香港なしには中国の発展なし。
▼ところで中国といえば上海の発展。上海が大都市であることも認めるし近年の都市としての充実もあるのだろうし、香港より洗練された都市としての歴史もあり。そういった意味で上海に魅力あるのは当然だが、余は何が気になるかといへば、どんなに都市として発展しようとも言論の自由もなくマスコミは統制された、一党独裁の政治下で、新聞すら読む楽しみもなく、どうして生活できようか、と。かりに上海に住めば確かに人との密談は多くなろうが(口コミによる情報が重要なこと)日記に書くこともさぞや減るであろう。都市化進みインフラ整備されても山も海もなく走るのは都市のなかのランニングコースか……興味ももてず。

三月朔日(月)曇。先月廿三日に拙述せし「飛び込み先で自分の生いたちを語り同情を引いて契約をもらうという、昔から商売の世界に伝わるいわゆる豊川商法」についてナンシー関が創始者をジャニー喜多川としているのだが、ジャニー喜多川社長は例えばフォーリーブス売出しの頃とか自らがハーフであることを使ってこの豊川商法をしていたのだろうか。わからぬ。」なる件。ナンシー関女史の文章に余はてっきりこの世には豊川商法なる、きっと名古屋に纏る商法でもあるのかと信じ切っていたが……。芸能事及びナンシーに詳しい松山の畏友S君より教示あり。
ナンシー関の当該発言の出典がにわかに分からなかったので直ぐには反応できなかったのですが、ここにいう「豊川商法」が豊川誕に因んだ冗談であるのは明白であろうと思った次第です。豊川誕は「豊川稲荷に捨てられていた孤児」だとか云った不幸な生い立ちで売り出していたのです。無論それはジャニー喜多川ヒロム氏による嘘の話で、豊川誕(とよかわじょう)という名も芸名です。誕生の生ではなく誕で「じょう」と読ませてしまう強引さ加減にジャニー特有の言葉遊びのセンスがあらわれています。で、今『ナンシー関大全』を見たところ、小説の中の文言だったのですね。九十頁。これは完全にフィクションの中の冗談でしょう。所謂ネタです。豊川商法に近いのは演歌歌手の不幸自慢でしょうが、それはジャニー創始になるのではなく、逆に、ジャニー氏が演歌を真似したといえるのではないでしょうか。
そう、S君の指摘にある通り、この文章はナンシー関の随筆でなく『ビックリハウス』廃刊で中絶した小説のなかの一文であり余もパロディ文学を真剣に読んでいたとは恥じ入るばかり。それにしても芸道とは真に奥深き世界。
▼ところで芸能といへば歴史家・網野善彦氏逝去。七十六歳。元都立高校教員。このような碩学を教員にしておくだけの度量は今の東京都にはあるまひが。ステレオタイプの稲作社会と単一民族観念に対して日本がいかにワンダーランドであったか、と商業民や職能民、被差別民などを通じて天皇までをも実はそういった無縁にある民にとっての王であることなど解き明かす。若かりし頃に網野先生の著作読み歴史が俄然面白く思えたもの。
▼住基ネットへの対応や平成の市町村大合併にも異議唱え真っ当な地方自治体として面目躍如の福島県矢祭町が修学旅行で計画していた国会見学を巡り「見学には衆院議員の紹介が必要」という決まりあるは疑問として町教委(近藤作多子教育長)が衆院事務局に見解を求めたところ衆院は米同時多発テロを受け全ての国会見学者に衆院議員の紹介義務づけたが自治体の選挙管理委員会や報道機関など中立な立場の団体には紹介なしの見学を許可しており学校も見学を了承という回答を得る(朝日)。なぜに矢祭山町がこうも真っ当なのか。福島の茨城との県境、八溝山望む山間の小さな町で東北の耶馬渓と称される奥久慈の桜にツツジの名所。もともと福島には自由民権運動以来の人権感覚あり寧ろ東北には厳しい自然の風土か京都を中心とする「日本」とは嘗て異なる文明栄えた由来か克己、自律の観逞しきことは事実。少なくとも石原慎太郎をば都知事に選ぶデリカシー欠如の都に比べて真っ当なるは明らか。

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