乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

三月卅一日(月)小雨続く。早晩に中環。カラーシックス現像店にプリント注文。先日或るパーティで知人ご夫妻のスナップ写真撮つたら(手前味噌だが)その 方より近年稀ないい表情の写真と言はれ英国のご母堂に写真送りたい、と。でデータでくれといはれたが折角なので「手焼き」誂へる。ふらりと擺花街の興利カ メラ商店。バルナックライカIIIのC型(1946〜51年製造)の 出物あるを先日見つけて今日もまだ店頭に。恐る恐る見せて貰ふ。かなり良品のエルマー50mmのレンズ付きでHK$7.5千、一瞬食指動くが流石に自己破 産怖れ衝動買ひ躊躇す。FCCのバーでハイボール二杯。黄枝記で 牛腩雲呑麺食す。旺角。朗豪坊の映画館にて話題のドキュメンタリ映画『靖国』看る。自民党国会議員がこの映画製作に文化庁より公的助 成金拠出に不満で議員向けに異例の試写会開催(今月12日)。上映予定の映画館で上映中止決定相次ぐ(朝 日)。そんな反感買ふほど左傾な作品なのか、と思つてゐたがアタシの目には8月15日の靖国神社の境内で遺族や市民、右翼団体等が英霊の御霊に参 拝する態や靖国合祀に異議唱へる仏教者や台湾タイヤル族の抗議運動などを冷静にドキュメンタリーとして映像化した作品。勿論、厳正中立か、といへば視線の 奥には「靖国」への憂ひ、「靖国なるもの」に警戒感があるのは事実。だが英霊を崇める人々の感情を否定するやうな反靖国的な思想映画とまではいえず。文化 庁の助成が問題視されるがアタシは寧ろ、中国人の監督のこのドキュメンタリーに資金援助したのなら、これは海外から見れば日本政府の了見深さ、矜恃と思へ るもの。それを自民党議員の反対、右翼の抗議怖れ上映自粛……となると「嗚呼、やつぱり日本は靖国的なるものの自縛にあるか」と印象悪くなるばかり。今日 の上映では銀幕に靖国神社での終戦60周年式典に参加して演説する石原都知事が映ると満席の観衆の間でさすがにざはざはと隣席の連れとひそひそ何か語る者 少なからず。この人への反感の強さ。旺角から湾仔に向ひ芸術中心で映画『金 碧輝煌』Fujian Blue 看る。福建省の不法移民のゴールデントライアングルといはれる沿岸都市が舞台。不法出国を商売にする「蛇頭」、旦那が海外に出稼ぎし生活費の仕送り受けな がら若い彼氏と遊蕩する妻たち、その妻らの淫行を写真やビデオに撮り恐喝し金品強請る若者ら。なんと浮気する自分の母までが強請りの標的、息子に強請られ てゐると知らず示談に応じる母。その若者たちの自堕落な日々がこの映画の前半。で後半は台湾に最も近い平潭島が舞台。その若者の一人が英国に不法移民する ことになり悪友ら連れ郷里の平潭島で過ごす日々。翁首鳴なる監督、なかなか見事な作風。

三月卅日(日)早朝に大埔の吐露湾で10kmのロードレースあり申し込んではゐたが参加せず。昼にジムで一時間の有酸素運動。夕方、日参の銅鑼湾。世界貿 易中心で李惠珍による少女漫画『13点』の小さな展示あり参観。李惠珍の『13点』 は香港で1966年に発表され始めた少女漫画黎明期の古典的傑作。日本でも萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸凉子ら所謂「24年組」が出てくるのは70 年代を待つわけで、まだちばてつやが少女漫画書いてゐた時代でせう。その時に香港で、この『13点』が描かれてゐたことはかなり斬新(なにせ、その後、少 女漫画は奮はず日本の作品の翻訳物が今もつて主流なのだから)。日用品買物して翠華餐庁で早めの夕食。中環の市大会堂。映画『人のセックスを笑うな』看る。地味な映画のはずなのに爆満で何事かと思へば Z嬢の話では松山ケンイチなる主演の青年が映画『デスノート』香港で大好評。その余波の由。ところどころ笑へるシーンは誰も傷つけないセンスの良さ。物語 はアタシにはよくわからない地方の美大の学生主人公にした感性?の世界。山崎ナオコーラの原作は、こりや平成の「限りなく透明に近いブルー」かも。おやつ と思はせる配役だが正月の場面で新春演藝中継で上野鈴本から、でニューマリオネットの 伊原寛・千寿子師匠夫妻が出てゐたのには驚き……まだ現役とは。アタシが中学生の頃に上野鈴本といへば色物は常連でこのお二人。懐かしい。Z嬢は帰宅しア タシ一人で映画『それでもボクはやってない』看る。 周防監督の映画に出た役者の演技はアタシ好み。刑事裁判の冤罪は怖いが、何よりも被告人(容疑者)を除き裁判官も警察も検察も無実の人を有罪に陥れたとこ ろで(人道的な良心の問題は除き)何ら責任も問はれないのだから不条理な世界。日本語で看てゐても司法関係の専門用語など多くアタシのやうな門外漢は難し いのに、法廷での攻防など英語の難しい字幕を読みながら二時間半近く……食ひ入るやうに見続ける爆満の香港の観衆も大したもの。
▼蘋果日報の随筆で左丁山氏、復活祭連休で日本旅行。九州の温泉で同行の知日家Kと風呂に浸かり「いい湯だ」と話じめると、湯船にゐた日本人客数名がすつ と出て行き外の露天風呂へ。今度、露天風呂に行くと日本人は蒸し風呂へ。まだまだ日本人は外国人との接触を忌むか、と左氏驚くが同行のK氏曰く、風呂が広 々と爽快でいいぢやないか、と。御意。

三月廿九日(土)散髪。御仏に仕へる如く十年来剃髪してゐたが昨年末にふと髪を伸ばし始め遂に収拾つかず、この数ヶ月の間に北角の上海理髪もマンダリンオ リエンタルホテルの理髪室も試してはみたがイマイチでM氏の紹介で銅鑼湾でI氏営む理髪店へ。どんなふうに調髪したいか、には具体的な写真とか芸人の名前 でも出せばいいのだらうがアタシの場合「髪のクセが強くて、このまま伸ばすと前髪 が野口英世みたいになつちまふんで20年代の上海で流行つたみたいな、例 へば古川ロッパとか折口信夫とか、ああいふ今から見れば時代がかつた古風な短髪で、歌右衛門くらひ刈上げてもらつてもいいんです」なんて説明になつちまふ が、イメージを納得され一安心。一時間半も徹底的に刈つてもらふ。これでまた帽子被るのも思ふ存分。諸用済ませ早晩にFCCのバー。A夫妻とZ嬢を待つ間 にドライシェリー一杯。A夫妻は92年だかに当時、北京駐在が終はるご夫妻に旅先のバリ島に遊びグランドハイアットホテル同宿で出会ひ、海南島にもその後 5年ほどお住まひで現在は広州在住。2003年以来の再会祝しピペ=エドシックのブリュット。旅先で遭遇した方でかうして長くお付き合ひは後にも先にもこ のA夫妻だけ。樓上のダインで晩餐。葡萄酒は新西蘭はCape Campbell Rieslingの04年。A夫妻と別れZ嬢と午後9時から市大会堂で映画『ジャ ンゴ』看る。三池崇史監督もここまでやるか、のマカロニ=ウェスタンならぬ源平ウェスタン。個性的な役者づらりと並べ全編英語の台詞も皆さん見 事。帰宅してドバイからの競馬中継。昨年はシーマクラシックで香港のVengeance of Rain、免税店盃で武豊のアドマイヤムーン、でワールドカップはデットーリ師のInvasorとアタシは三連勝しちまつたので今年はダメか、と(笑)。 免税店盃はデットーリ騎手のLiteratoから流し、シーマクラシックは香港のViva Patacaにご祝儀、ワールドカップはデットーリ騎手のJalilと愛国心から武豊のヴァーミリアン。免税店盃はLiteratoも昨年の日本ダービー 馬ウオッカもダメで優勝の南アフリカのJay Pegに香港は万馬券のHK$1,528がつき、シーマクラシックは豪州馬Sun Classique(フジキセキ産駒)が強さ見せてヴィヴァパタカは2着。ワールドカップはダートでは最強か米国のCurlinが優勝。せめてシーマクラ シックで連複買つてゐればヴィヴァパタカとサンクラシックの一点買ひだつたのだが、の「たられば」感。
▼大江健三郎氏の『沖縄ノート』での日本軍指揮官による集団自決命令についての訴訟。大阪地裁で原告の請求棄却。軍の関与は当然とアタシは信じるが著者が 『沖縄ノート』で果たして二人の指揮官を名指しで断罪できるのかしら。
教科書検定は最終的には「軍の関与」を認めた。そこへ今回の判決で ある。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。(朝日社説)
ただ、集団自決の背景に多かれ少なかれ軍の「関与」があったという こと自体を否定する議論は、これまでもない。この裁判でも原告が争っている核心は「命令」の有無である。原告は控訴する構えだ。上級審での審理を見守りた い。(読 売社説)
教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない 残念な判決である。この訴訟で争われた最大の論点は、沖縄県の渡嘉敷・座間味両島に駐屯した日本軍の隊長が住民に集団自決を命じたか否かだった。だが、判 決はその点をあいまいにしたまま、「集団自決に日本軍が深くかかわったと認められる」「隊長が関与したことは十分に推認できる」などとした。そのうえで、 「自決命令がただちに事実とは断定できない」としながら、「その(自決命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と結論づけた。日本軍の関与の有無 は、訴訟の大きな争点ではない。軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえる。(産 経社説)
やつぱり産経が期待通り一番面白い。

三月廿八日(金)雨。湿度100%に至る。本日と明日、中環の(今では粗呆区の西端に位置する)前荷李活道既婚警察宿舎(Former Police Married Quarters at Hollywood Rd)の施設開放日(こちら)。19 世紀此処に中央書院あり。孫中山など輩出する、後 に皇仁書院として現在に 至る。1950年代に学校跡地にこの警察宿舎建立され80年代に閉鎖(資 料)。文革曽・行政長官は父親が警察官で幼い頃ここに育つた由。宿舎跡地は奇跡的に「再開発」免れ現在に至るが集合住宅として再利用も出来ず解体 待ち。午後6時までの開放に滑り込みで15分ほど見学。先に参観中のZ嬢と合流。どうもこの界隈から太平山にかけては「気の強さ」感じる。久々に蓮香樓にて夕食。卵焼き、牛腩と大根の煮物など。美味。Z嬢と別れバス で旺角。星巴珈琲で一時間半ほど読書。朗豪坊の映画館にて『無 野之城』なる香港映画看る。香港ではあまり=ほとんど関心もたれぬ野球だが、その香港代表チームを舞台にした話。劉國昌なる若い監督がその野球選 手から聞き書きした実話のエピソード脚色した筋。100分の長さで選手らの人間模様盛り込み過ぎて散漫。だが演技はズブの素人のはずがほんと表情豊かに赤 裸々の演技は大したもの。三更半夜バーSに寄り一飲。深夜空腹覚え利苑に て雲呑麺食し帰宅。
▼日本カメラと朝日カメラが4月号で同じく桑原甲子雄追悼。アサヒカメラに荒木経惟撮影の個人の横顔あり。こんな素敵な桑原甲子雄は見たことがないほど素 敵な写真。日本カメラの追悼(谷口雅による)は語る……1970年代に写真雑誌の名編集者であつた桑原氏の戦前の東京のスナップ写真が「発掘され」 1975年に銀座のニコンサロンで写真展開催されたが、その時のプリントは荒木経惟さんによるものだつたはず、と。
手荒なプリントなのだが、桑原甲子雄さんの写真を雰囲気を決めたも のだった。真夏に40度以上に液温が上がる簡易暗室での職人技(曲芸?)のプリントは、誰にも真似はできない。しかも、桑原甲子雄さんのプリントの中で もっともすばらしい出来であることは間違いがない。この一連のプリントは、荒木さんの気持ちが、桑原甲子雄さんのネガに同調した、奇跡といっても良い出来 事だったと思っている。
これについて荒木経惟氏本人はアサヒカメラの方で言及。
(桑原さんが)なんかのときに、「撮ったの、まだあるんだよ」と、 ポンとネガを出したんだね。(桑原甲子雄の実家は)質屋だから保存がいいんだよ。ぱっと見たら、あたしも勘がいいから、これはいけると。「編集長(してい るより自分で撮った写真のほうが)よりずっといいよ」と、その頃はもうタメ口きけたからさ。コントクトとって、あたしが全部チョイスしたんですよ。(略) あたしが選び、神楽坂のあたしの一間の暗室で焼いたんですよ。あの人、ときおり来て「酢酸臭いね」とか言って、さっと帰っちゃう。(笑)あたしのプリント はうまかったねぇ。実はさ、そのままのように見せかけて、ホンのちょっと、いけないことかもしれないけど、プリントに温かみをね、チョンチョンと。
▼The Economist誌(3月19日号)のチベット問題報じる記事“Trashing the Bejing Road”ぢつくりと読む。記事の冒頭“Our Beijing correspondent happened to be in Lhasa as the riots broke out”と書いてゐるが、これが思はせぶりな通り、偶然とは思へず。關愚謙氏が信報で指摘してゐたが明らかに特定の外国メディアには何らかの事前情報が何 処かの筋からか提供されてゐたか。
▼チベットで中国政府手配=管制の外国記者団取材中、ラサのジョカン寺(大昭寺)で感極まつた若い僧らが「チベットは自由ぢやない」「当局者による詭弁」 などと涙ながらに直訴。僧の指摘によれば当局が取材対象とした参拝者は「本当の信者でなく中国共産党員」で、暴動後に寺を封鎖してゐた軍隊も取材に合はせ 前日夜に撤退の由。この抗議発言で「逮捕されるだらうが、構はない」などと語る僧から当局者があわてて取材団を引き離す。「暴動」後初めて海外メディアに ラサ公開で官製の目的は「暴動はダライ・ラマ14世を黒幕とした陰謀で、現在は平穏」を見せるつもりが、とんだ逆効果。中国政府は僧侶らによる海外メディ アへの直訴はチベット独立など「別の狙ひがあり、根拠もなく、無責任で(主張は)事実でない」と批判。ところで朝日新聞の所謂易しいニュース解説で「チ ベット問題」取り上げるが「なぜチベットで騒乱が起きたの?」といふ質問に答へは
この問題には歴史がある。もともとチベットは清朝の支配下にあった が、後に英国の影響が大きくなった。新中国の建国後の1951年……
「もともとチベットは清朝の支配下」とは……唖然。これぢや「もともと朝鮮は日本の支配下にあつたが」と言ふのと同じ。
▼今日付の官報で告示される小中学校の改訂学習指導要領。改訂案より更に踏み込み総則に「我が国と郷土を愛し」といふ文言を入れ、君が代を「指導」から 「歌えるよう指導」に。自民党内に「改訂案は教育基本法の改正を反映していない」と不満があり、文科省がそれを受け「改正教育基本法の趣旨をより明確にす るため」異例の修正。道徳とは本来、他人に親切に、とか公共心、人権など普遍的なmoral educationであるべきものが「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図る」と低俗さ甚し。かつては (旧)教育基本法が教育のナショナリズム排す役割果たしたものが自民党念願の法改正で寧ろ指導要領を更に右傾化させるのに用ゐられるとは世も末。

三月廿七日(木)吉田健一『英國に就て』少し読む。昭和49年の筑摩書房の箱入り装丁。頁を開き、ふと「しつかりした活字」に目を奪はれ、奥付見れば、や はり印刷は精興社。同書はちくま文庫の『英 国に就て』で何年か前に読んでゐるが、それが新字新仮名なのに対して、こちらは舊 字舊仮名の原著だから言葉の重さが違ふ。昭和49年刊行でも、まだ当時は舊字舊仮名があつたか。健一さん曰く、英国人の現実的な生活での生きる喜び、は (楽観ではなく)人生への絶望、厭世観によるもので、人間はいつかは死ぬが死ぬ迄は生きなければならず、生を堪へなければならぬ、で不愉快な人生であるか らせめて生きてゐる間は楽しく快適にしませう、と。それが結果的に文化を生む。教養もその程度のものだらう。妙に納得。
▼「香港の民主の父」と賞される民主党元主席の李柱銘(Martin Lee)氏が来る九月の立法議会選挙に不出馬表明。議員引退の由。香港司法の穎才で1983年に李鵬飛に請はれ香港の「年青才俊団」の一員として上京、鄧 小平に面談。85年に香港基本法起草委員会委員命じられ97年返還後の香港法治の期待の星であつたが89年の天安門事件で支援運動に加担、香港自治の民主 化促さうと民主党結成し廿数年に渡り立法会議員。この人の政治的生涯はまさに「良心の呵責に耐へかねた憂い」。70歳になるのを期に民主党の後進に席を譲 る、大義名分もあるが、世論の反北京感で反対党としての民主党に支持集つたのも過去の話、かつての日本社会党のやうに「それぢや、どうする?」の不明。九 月の立法会選挙では注目の港島区は民主党はすでに楊森議員が不出馬宣言してをり、マーチン氏もこれぢや、後任候補立てたところで俄然、公民党やアンソン= チャン(陳方安生)など中道リベラルが強気で民主党は議席0の可能性もあり。

三月廿六日(水)雨のなかZ嬢とマカオへ遊ばうと朝8時半すぎのジェットフォイルで一路、マカオ。マカオも雨。路線バスが生命線のマカオでマカオパス(澳門通)便利だが昨年購入したカード 紛失し購入したいのだが香港のオクトパスは購入も簡単(全MTR站で可)だがマカオパスは発売当初は波止場のバス乗り場でも発売してゐたのが打ち切り。波 止場の観光案内所で市内の澳門通客戸服務中心の場所教へられ雨の朝に他にすることもなく其処を訪れマカオパス購入。此処の他、新福利バスの営業所3ヶ所と 提携のスーパー(来来超級市場)など十ヶ所だけでしかパス購入と増値が出来ぬのだから少々不便。実際に、バスが主要交通機関のマカオなのに、このパスの普 及率は 香港のに比べると段違ひに低い。このテのパス、八方達(香港)、澳門通(澳門)、深圳通に羊城通(広州)と原理は同じなのだから近い将来「華南通」とかに 統一されるかしら。珈琲でも飲まうか、と板樟堂巷(Travessa de S. Domingos)のCafe Ou Mun(澳門珈琲) に赴けば閉業。近隣のBoa Mesaといふ軽食屋で美味な珈琲を喫す。路線バスでカジノ建築ラッシュまだまだ続くタイパ島抜けてコロアネ島へ。それにしてもこんな大型カジノ並び中国 の田舎者のカネ(といつてもどこまで私費か不明だが)巻き上げ阿漕な賭場業よ。コロアネ島のホテル Pousada de Coloane で昼食。いつも客の少ない鄙びた宿。91年だつたか1週間もここに投宿した時には泊まり客と食事客の余りの少なさはまるで廃虚。それが今日は平日だといふ のに宿泊も食事もそれなり(といつても数組づつだが)にゐて驚く。蜆のバター炒め、焼き鰯と蛸の雑炊。ヴィーノ・ベルデ1本。雨は歇み陽光さす。食後のん びりと路環の集落ま で散歩。日本からのツアー客も来るLord Stow's Cafeで珈琲。もう三時。路環から25系統バスで中国(珠海市)境界の關閘(Portas do Cerco)へ向ふ。關閘に近い台山には老朽化した工業ビルや公共住宅など多し。内地との担ぎ屋の結集地でもあり。珠海市から日用品の買物でマカオに入り 買物だけ済ませ戻る人も目立つが、とくに紙オムツや粉ミルク、食用油など。納得。關閘から18系統バスで澳門通訊 博物館へ向ひ参観。澳門の郵便や電話など通信の歴史ばかりか通信技術の仕組みなど大人にも難しいくらゐ 科学的要素たつぷり。自分でオリジナル切手をデザインして印刷するなど、けつこう遊べる。今度はZ嬢のマカオパスにエラーが出て、再び澳門通客戸服務中心 へ。もう午後6時。Z嬢と小一時間別れ骨董品屋などふらふら。クラシックカメラ扱ふのは(アタシの知る限り)新馬路の骨董時計屋に数点カメラを置く程度な のでアタシには散歩も安全。十数年前に大久保の医師N系が殆ど未使用の古ゐハツセルブラッド(箱入り、説明書つき)発掘したのも新馬路の骨董品屋だつたの だが今はもう廃業かしら。Z嬢と待ち合はせ祥記麺家で雲呑麺 と蝦子撈麺。食後、暗くなつた市街をアタシがマカオで最も好きな十月初五日街(Rua de Cinco de Outobro)から白鴿巣に向ひ散歩。日本でも昔は、アタシが幼い頃は横丁の路地にかうして夜になつて賑はひあり。白鴿巣には半世紀そのまま?のやうな 屋内娯楽場ありアイススケート、ボーリングにゲームセンター。タイムスリップしたやうな光景の連続。懐かしい。マカオ旧市街でもかうした路地の散歩は白鴿 巣から先は8系統のバス路線がいい。永樂戯院のモダニズムのファサード。安記麺家の牛腩麺(今晩は食べず)。「なぜ潰れない?」とかへつて不思議な地元の 小さな百貨店やスーパーなどが狭い通りに並ぶ。カジノの建築ラッシュもまるで余所事の、古くからのマカオの旧市街を漫ろ歩く。中上健次の世界なのだ、此処 は。夜10時発のジェットフォイルで香港に戻る。
▼週刊文春(3月27日号)で小林信彦さんの連載「本音を申せば」で東京大空襲の話を読む。3月10日といへばこの大空襲だが、その日が陸軍記念日(日露 戦争の奉天会戦祝賀)なのださうで、戦時下疎開中の子どもらも(信彦少年もその一人)この記念日は東京に戻るのが恒例。もし空襲が翌日であつたら、信彦少 年も生きてゐなかつただらう、と。TBSでこの大空襲のあつた3月10日に『シリーズ激動の昭和 3月10日~東京大空襲』といふドラマ放映された由。空襲の惨禍をライカで撮影した警視庁特命の写真家、石川光陽氏(http: //ja.wikipedia.org/wiki/石川光陽)が主人公(中村トオル)。米軍が日本空襲で非戦闘員殺戮も決め、東京空襲では大震災の火のま わりまで調べ上げたこと。余の父はB29機が飛ぶのを手を振つてみてゐたほどのんびりした田舎で育つたが、母は東都は四谷で生まれ育ち焼け出され疎開組。 子どもの頃から祖母に震災で皇居のお堀に飛び込んだ話や空襲のことなど聞いた話を彷彿。幼い頃は自分の知らない聞いた話も、やけにまるで目に焼き付いたや うに記憶するもの。
▼香港国際映画祭の主催団体が山田洋次監督に『母べえ』での開幕上映でのエンドロール時の粗忽ぶり謝罪の由(SCMP紙)。廿四日の一般上映で『母べえ』 看たN氏の話では完ぺきに最後まで暗天だつたさうな。

三月廿五日(火)早晩に帰宅しドライマティーニ飲む。何年も何年もドライマティーニ飲み続けて今日ふと気づいたのが「いかに容易にオ リーブを瓶から取るか」について。オシャレなバーでは瓶のオリーブ粒をトングで挟み、それを楊枝に刺すなどするが、自宅では面倒。で瓶に楊枝など入れてオ リーブを突かう、とするが、これが瓶を開けた頃はいいが、だんだんオリーブが少なくなるにつれオリーブが瓶内の汁に浮いて泳ぎ逃げるので、なかなか刺せな い。これも修業か、と思ひコツをつかむべく、いつも稽古してゐたが、ふと気づけば瓶の汁を捨てれば(サラダなどに使へるので捨てるのが勿体ないから別の瓶 に出せば)いい。なんでこんな簡単なことに気づかなかつたのか。晩は湯豆腐。そろそろもう湯豆腐も終はりの季節。食後、ゴミ捨てようとすると昨晩の葡萄酒 の瓶、マティーニで空いたタンカレーのジンの瓶、それに湯豆腐に合はせた菊正宗の一升瓶も空。偶然、三本が空いたのが一緒になつただけなのだが、ごみ 捨てに出せば見るからにアル中だらう。十数年前に住んでゐたマンションで、ゴミ掃除の婆さんに「アンタ、酒が好きだらう」と、おそらく拾ひ物のウイスキー と葡萄酒を数本もらつたことあり。非常口横のダストシュートにゴミを出すとタンカレーの瓶にほんの少しジンが残つてゐたので勿体ないから飲む。と、そこに 隣家の家政婦がゴミ出しに。見られてしまひ照れ笑ひ。かなり久々にNHKのNW9看れば、冒頭「新潟で信じられない事故が」と大型重機搭載のトレーラーが 交差点で転送しバスに重機が突つ込み、と。いつたい何人の被害者が?と驚いたのは「更に被害が広がつた」……といふナレーションだつたが、実は「更に被害 が広がつた……かもしれない事故」で被害者は軽傷一人が病院で手当て。キャスターもキャスターで「重機を運ぶ人は運転に注意してもらひたいですねつ!」 と。「ベタなコメントするなよ」とプロデューサーは舌打ち、かしら。ここ数日読んでゐた、きだみのる著『氣違ひ部落周遊紀行』読了。若い頃から一度、ぜひ 読んでみたい、と思ふにアタシの読書遍歴では、少なからず、この著者に縁あり(後述参照)。この本はネット検索で吾妻書房の昭和23年の初版本入手。「気 違ひ部落」といふと、それだけでダブル放送禁止で一瞬、退いてしまひさうだが戦中から戦後の疎開先での集落での生活の社会観察記。敢へて「気違ひ」として しまふところがこの著者らしいが、内容はいたつて素晴らしいフォークロア。珠玉の名言の数々。終戦は当時、社会が変はる大きな出来事だ、といふ読者の期待 に背き?、戦中はあつさりと「終戦になると共に」で過ぎてしまつたり。人間のエゴや協調性、を見抜き戦後の胡散臭さを早々と安吾とはまた違ふ斜めから見透 かす。批評の原点を読んだ感あり。
▼幼い頃から読んだ本の中でいくつか印象的な書物をあげると、例へばファーブルの『昆虫記』。で学生の頃に仙台の古書店で入手した「大陸を駈ける夢」だか いふ戦前の大陸紀行文学の名作選に『モロッコ紀行』なる短編あり。いたく美的。そして、ふと全く関係のない読書の最中、その『モロッコ紀行』の作者に『道 徳を歪む者』なる耽美的な若い頃回憶の手記があることを知り、神田の古書店などもかなり探したが見当たらず。今のやうにネットで容易に検索できる時代でも なし。で、文化人類学など多少齧つた頃にレヴィ=ブルュル『未開社会の思惟』、マルセル=モース『交換に関する試論』などもテキストとして読んでゐる。数 年前に「きだみのる」の『氣違ひ部落周遊紀行』を読みたいとネットの古書店で検索してゐて、実は気にも止めてゐなかつたファーブル『昆虫記』やレヴィ=ブ ルュル、モースの譯者が、そして山田吉彦といふ『モロッコ紀行』や『道徳を歪む者』の著者が、この『気違ひ』の著者・きだみのる、と知つた時の驚き!
▼石原銀行破綻寸前での都の追加出資を都議会が可決する動き。朝日新聞は社説で「与党は知事の言ひなりか」と都議会の与党・自公に「熟慮を」と求めるが、 結局、300万票で東京都知事石原(新銀行東京だの首都大学東京だの、といつたトンマな言ひ回しに従へば石原都知事は東京都知事石原だらう)を支持し自公 に安定多数与へた都民に最終的な自己責任あるはず。竹篦返しが新銀行への公金支援程度で収まつただけファッショよか、まだマシか。

三月廿四日(月)耶蘇復活祭。香港に97年まで3年居住で現在、横浜在住S夫妻の夫人Aさん会社の社員旅行で来港。Z嬢と早朝に金鐘の アイランドシャングリラホテルでAさんに再会。中環の陸羽茶室で 早茶。久々の陸羽茶室。アタシももうすっかり老いたので陸羽の給仕(ギャル叔)にも慇懃丁重に扱われ老ふも格別、と感じ入る。天気の良い休日で午後、Z嬢 とふと「大角咀に行きましょう」とお出かけ。九龍の昔は沿岸、東京で言えば昔の大井か鮫洲の風情。鍛冶屋、工事関係の鉄資材商など並ぶメタルタウン、が地 下鉄東涌線の開通で奥運(オリムピック)站出来て站周辺に近代的なビル立ち並びHSBCの事務センターなど工場街のすぐ傍に出来たおかげで昔ながらの鉄工 街に突然ホワイトカラーが侵略。で工場の職工相手の安い飯屋が突然、B級グルメ、なんて雑誌に紹介されたり。そういうアタシもそんな記事眺め「そういや大 角咀なんて行ったこともない」と気づいた次第。で太子からお散歩。ところで「太子」の英語名(地名)はPrince Edwardなんだが、もしウェセックス伯爵エドワード王子(エリザベス女王の三男)が、旺角に続く、この場末の下町を見たら、どう想うのかしら。で、ま ずは炭火焼肉で馳名の永合隆で叉焼飯。美味至極。Z嬢を街路 の名前にも上品さ感じるSycamore街(詩歌舞街)界隈に案内。50〜60年代の都市開発。Willow St(柳樹街)を背にMaple St(楓樹街)に企つと、この街路を中心とした線対称で少しずつ意匠の異なるモダニズムの六、七階建ての建物がファサードを形成するのが美しい。都市開発 で新界の天水圍の社会問題など注目される昨今、ふと半世紀前のこの九龍のモダニズムの都市計画に回想が馳せる。大角咀道の高架道潜り大角咀に入ると釣具屋 あり。沿岸は1km以上先の貨物ターミナル、悠長に釣りも出来ず。復活祭の日がな鉄工街は競馬中継に浸る人々とあちこちから麻雀の喧騒。予想通り春三月の 陽光が古いビル街に面白い影を映す。ビルの谷間、光と影と隠れん坊するように路地を歩く。東涌線の奥運站。毎年、香港マラソンのときに通るWest Kowloon HighwayでZ嬢がこの奥運站の架線橋の上で応援。その架線橋に初めて立つ。応援も大変だ。東涌線の一つ上って九龍站。昨年ここにElements(圓方)なる「高級」商業施設出来。全く興味 もないが早晩に映画看るので来た次第。時間潰しでぶらぶら。早晩に尖沙咀で別な映画看るZ嬢去る。商業施設としてつまらないが此処からの尖沙咀と港島の眺 めは格別。晴天の夕方で殊にMetro Bookなる書店からの眺望映える。Taschen出版社の写真集“20th Century Photography”購う。この施設内の映画館でタイ映画“The love of Siam”看る。「シャムの愛」って「ビルマの竪琴」じゃないんだから。バンコク舞台に小学校での同級生の少年二人が十代になり お互いに恋心抱き、といった耽美派、所謂「やおい」で、家庭崩壊だの絡ませ多少、当世バンコク事情。興味深いのは「豊かさ」。裕次郎や若大将の映画を看て60年代当時 の日本が豊かだったとは誰も思わぬわけで、この映画の情景も理想化された世界とは思いつつ、豊か。この映画と表裏一体で貧困に身を窶し廓に身を売らざるを 得ぬ少年少女でも一葉かゾラ的に描く作品を、このChookiat Sakveerakulという監督なら撮れる、と思う。ところでこの監督、舞台挨拶で上映前に監督から一言、と求められ「この映画は(153分と)とても 長い映画ですから、上映前に今のうちにおトイレに行ってください」と宣った。白眉。帰宅して昨晩の残りの葡萄酒飲む。
▼MTRの香港站に「不幸の柱」あり。アタシがさう勝手に呼んでゐるだけだが。香港新空港開港に合はせエアポートエクスプレスと東涌線の開業。でこのコン コースの柱の最初の宣伝は当然、エアポートエクスプレス。列車には各座席に液晶画面が設けられ車内ではAirport Express Ambassador(機場快線大使……ダサい名前)がサービス、と宣伝したが一年経つたか経たぬか、で機場快線大使は(無用だから)お払ひ箱となり各座 席の液晶画面も数年前に取り外し。で香港ディズニーランド開園もこの柱周辺でたいさうな宣伝されたが事後ご周知の通り閑古鳥。で昴平360のランタオ島の ケーブルカーも実物大のケーブルカー模型まで展示して宣伝してゐたが「不幸の柱」の祟りか、事故あり半年だか運航停止。で今回は北京五輪のカウントダウン 電光掲示板。「不幸の柱」の祟りのありませんように。北京五輪といへば最近の香港のマイナーなロードレース、とにかく全てが北京五輪開催記念の冠。良心の 呵責で地味なロードレースにすらアタシは出場できず。

三月廿三日(日)HK Distance Runners Club主催の春恒例のMount Butlerの15kmレースあり。参加。前半のUp & Downが厳しく下手なハーフよかハード。アタシは最近また耳の三半規管が不調のか眩暈といふか平衡感覚がをかしく船で揺れてゐる感じ、こ の10年で2度ほどひどい時に入院したが春はとくにダメで、専門医の診察受けようが服薬しようが感知もせず、この症状と上手く付き合つていかうと思つてゐ るが、ここ数日またひどい。今日の走りはとにかくゆつくり、と決め込んだが、ほんと後半のフラットなコースでもスピードが出せず、抜かれる、抜かれる。1 時間50分ほどでゴール。午後は映画。科学館で中国の王晶監督の『街 口』看る。山西省の町でちよつと不良がかつた十代の少年らの生活をドキュメンタリー風に淡々と描く。ただデジタル作品でこれが140分続くと(デ ジタルへの偏見かも知れないが)アタシはどうも辛い。デジタルであることで映画製作の費用もだいぶ軽減されるだらうし、レンズの向かうの登場人物たちも演 技が硬くならない利点はあるのだらうが。続けてマレーシアのLiew Seng-tat(劉城達)監督の“Flower in the Pocket”(口袋裏的花)看る。こちらもデジタル作品。マレーシアの小巷で6、7歳の幼い兄弟が主人公。男寡の父はマネキン製 造業が忙しく子どもをかまへず、二人の少年の健気さ、がこの映画のテーマ。……と書くと「よくある話」だが、同じ筋を他の監督ではかうも優しくは撮れま い、と思はせるのがこの劉城達なる若い監督の力量。父親がふと子どもに目を向ける優しさを見事に描いてみせた。デジタルなのだが画質が優しい。科学館で2 本見終はり、次が『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』なのに気づ く。今年の映画祭は四月の第二部で故・楊徳昌監督とともに若松孝二監督の特集あり。そこで、この『あさま山荘』の上映あり入場券購入したが上映取消し。取 消し理由不明だが映画祭の第一部の上映は予定通り。それが今晩。ならば今晩看ればいい のだが、かなり迷つて看ようと決めた上映が取消しになつた時に、これで「ご縁がなかつた」と看るのを諦めたので、今晩だとは確認してもをらず。かなり悩ん だが、やはり看ないことに。逃げた、か……。夕飯をとつてをらず空腹で安い卓上葡萄酒とチーズ購ひ帰宅。葡萄酒がほんと安くなつた。日本でいふ1000円 ワインでそれなりの品柄が並び、卓上なら20ドル台(500円未満)も夜遅くチーズとクラッカー頬張るには十分。
▼加藤周一さんの夕陽妄語(朝日新聞)で「漢字文化讃」。東アジアでの情報交換での漢文の効用。それだけなら誰でも書けるが周一さんは一海知義編註『漢詩 一日一首』(平凡社ライブラリー)をぢつくりと読んだ時に発見したこと……この本で取り上げられてゐる漢詩で「神」に触れた詩が一篇もなく宗教に係はる語 さへも殆どないこと。
「神」とは、ここで道教の大衆的な神、仏教の神、キリスト教やイス ラム教の超越的人格神などを含む。そのどういう神もここにはいない。そういうことは、おそらく、編者の趣味の問題ではない。また超越的な人格神の不在は、 必ずしも社会史的にみて、東アジア社会の弱点ではないだろう。中国古代のいきあんり世俗的な世界観は、次第にキリスト教を離れようとしている人間社会に、 何らかの根源的な寄与をなし得るのかもしれない。その可能性はバラ色ではない。しかし灰色ではない。東北アジアには神のいない社会秩序の一つの典型があ り、それこそが「希望」であるかもしれない。
なんて示唆的なこの達観。神のゐない社会秩序……極論のやうだが「希望」は確かにこんなところに見出していけるのかしら。
▼俳優の小澤重雄氏逝去。享年八十一歳。「夕鶴」で故・山本安英さんと共演の舞台看たのは何十年も前の中学生の時。

三月廿二日。今日は映画四本。映画祭で朝から三更まで六本看た頃に比べれば今回の映画祭中たつた一日の日に四本は苦にもならず。曇空が昼に尖沙咀の地下鉄 站出ると本降りの雨。Z嬢と台湾の李康生の『幫 幫我愛神』看る。蔡明亮がプロ デュースの李康生の監督第二作。蔡明亮と李康生の映画は至今全作看過。台北で個人投資家の青年(李康生)は破綻し怠惰な生活のなか大麻栽培。青年の住むマ ンション(すでに裁判所が押へてゐるが)から路上に出れば檳榔売りの少女たち。破綻した青年と檳榔売りの少女、自殺防止熱線の職員の女と、その女職員の豪 華マンションに同居するゲイのカップル……。相変はらず絶望的な都会の人間模様。李康生が舞台挨拶で「誰か知り合ひの興行主がゐたら、この映画上映するや うに推してくれ」とコメントして笑つてゐたが李康生の映画を看たい香港の観衆は全てが今日のこの上映を看てしまつた感あり、の文化中心大劇院。大麻の烟の 中のエロス、はLove & Peaceなのだが絶望的なのが21世紀かしら。会場の外は大雨。続けて映画『ガチボーイ』看る。北海道の私大のプロレス研究会舞台に記憶障害 のある学生主人公に勇気・希望・友情をお笑ひのオブラートに包んで、と日本映画。スターフェリーで港島に渡り三本目は早晩から『めがね』看る。『か もめ食堂』の荻上直子監督で小林聡美終演。日本人の求める「癒し」「憩ひ」「黄昏」に香港の観衆も同感か、で満席。荻上さんの流暢な英語での舞台挨拶あ り。Z嬢と別れ独り尖沙咀に戻り『圍 城』看る。香港で十数年前に開発された新界の天水圍は最近ではすつかり社会問題で注目浴びるのは高島平や千里の団地で自殺者相次いだのと一緒か。 今回の映画祭にはこの劉國昌の作品のほか許鞍華も同じ天水圍舞台にした作品あり。十代の少年少女の非行、暴力、麻薬……と盛り沢山。香港映画で感心するの は映画製作にあたり「旺角あたりでふらふらしてゐる」少年少女がカメラの前でかなり迫真の演技見せる事。この映画に出演の7名の少年と一人の少女が監督と 一緒に舞台挨拶に立つたが「そのへんの」ガキを見事に演技させるのは劉國昌の上手。これで芸能事務所に飼はれヘンな勘違ひスター芸人にされませんように。 台湾と香港の映画が未来なき真つ暗な現実で、日本映画が「癒し」系なのが印象的な一日。むしろ日本の方が絶望的なのかしら。やはり今日もどの上映もエンド ロールは最後の最後まで場内の照明が灯らず。開幕上映の猛省か。
▼台湾総統選。国民党馬英九君当選的確にせよ民進党が台南、高雄両市落とし大票田の台南県でも辛勝で110万票差と読まれてゐた敗北は200万票の大差。 台湾の蘋果日報社 説(23日)曰く、今回の総統選挙では浅緑(黄緑=青(国民党)にも緑(民進党)にもなる中間層)が国民党支持した結果だが、この浅緑は国民党が 一旦かつてのやうな一党独裁、金権体質の腐敗となれば直ぐに反発するわけで政権交代も容易、と。台湾独特の国民党対かつての「党外」の経緯あるとはいへ投 票率が8割の立派な二大政党制はアジアでは特筆すべきもの。

三月廿一日(金)曇。耶蘇受難節。新聞(信報とSCMP紙で18日の映画祭開幕での『母べえ』終映時の粗忽ぶり記事あり。昼にZ嬢と中環。ハチソンハウス のcaffè HABITŪにてパスタとカプチーノ。市大会堂で映画『全然大丈夫』(藤田容介監督) 看る。大入り。市井の人を淡々と撮るのは日本映画の手法の一つ。この『全然』の冒頭の河原のシーンは一瞬、つげ義春の「石を売る」世界を彷彿させ、この映 画は『無能の人』のやうな世界か、と思ふ。全く梲の上がらぬ、人生、何をしてゐるのかわからぬ登場人物たち、時間が止まつたやうな古書店。だがこの映画は 「ナンセンスの笑ひ」がこれでもか、これでもか、と詰め込まれてゐるからウケる。本当に平成20年的な世界。観客の反応を見てゐると彼らが日本に求めてゐ るセンスも「ここか」と納得。エンドロール は主人公(荒川良々)が親友(岡田義徳)と奈良を旅するスナップが映るのだが、その間、会場の照明がずつと消え たままなのは香港では意外。『母べえ』での粗忽ぶりへの多少なりとの反省か。少し陽がさしたのでZ嬢と散歩のあと独りFCCの酒場。連休で閑散。ケネス= ルオフの『国民の天皇』読了。天皇制が戦後、象徴といふ形で戦後憲法社会で危ふくも確固たる位置に確立されてゐること。吉田健一『三文紳士』読む。もう吉 田健一も誰も知らぬ過去の人かしら。『三文』はいぜん講談社かの文庫本で読んだが手許のは昭和31年に宝文館が出した初版本。時の首相・臣茂の息子がこん な貧乏な文士のはずが無からう、と思ふが洒脱の一言。この流れが田中長徳さんに来てゐる。読んでゐるアタシも麦酒、ドライマティーニと一杯の葡萄酒 (Villa Maria Private Bin Merlot/Cab Sau 2006)でけつこういい気分。鶏腿肉の煮込み食す。九龍に渡り尖沙咀。ジムのサウナで少し酒を抜き文化中心。映画『九 降風』台湾編を看る。香港の芸人・曾志偉が監修で同じ『九降風』といふ題名で台湾、香港、内地の三ヶ所で若者を主人公の映画製作の面白い試み、で 看てみようと思つたが今晩はこの台湾編に続き内地編も上映のはずが取消し(当局との折衝未了か製作未完か)。でぎつしりの客に何事か、と思へばこの映画に 棒棒堂?なる台湾のアイドルグループの一人出演してをり、それに鳩るワンフの少女ら。台湾の新竹の高校が舞台。単なる青春映画にならぬやう、野球選手に憧 れる、ちよつと不良の高校生たちが崩れてゆく中で、97年の台湾プロ野球の黒い霧事件を背景に用ゐる。当時の台湾球界のスター・廖敏雄はこの暴力団絡みの 八百長で球界追はれたが、その廖敏雄が映画にも特別出演。『九降風』内地編の取消しで仏のEmmanuel Mouret監督“Un baiser s'il Vous plait”(Shall We Kiss?)といふ映画の上映となつたが看ずに帰宅(チケットは後日払ひ戻し)。
▼チベット問題について。<1> 信報(18日)で主筆・練乙錚が論ずるが「著名人類学者、中国少数民族問題専家」謝剣教授の理論(に値するとはアタシは思へぬが)参考に「まづ、チベット が中国領土であることは歴史の通り明らかで」と論を進めるを読み、ただただ呆れるばかり。練乙錚曰く、近代の西洋人の国家は一般的に「民族国家」で、それ に対して中国は近代になり「中華民族」と総称するが元来「五服」(中華思想で周辺の北狄東夷南蛮西戎は荒服、つてあれ)の概念があり……と。呆れる。中世 からの欧州の国家成立は確かに民族的だが、米国や今日のEUなどどう理解するのか、中国こそ五 服の上に中華民族が立つ民族国家ぢやないかしら。<2> それに対して同日の信報で王岸然氏がチベット問題で五つの誤謬を指摘。その一、中国は平和を愛し他者を侵略などせぬ、といふ建前。その二、チベットは古来 から中国領土であつた……チベットは確かに中国王朝に「藩属」ことしてゐたが中国が直接その管治下に置いたのは1951年になつてから。その三、チベット 社会が奴隷制の非近代的なものであるから中国が解放した……この理屈が通るなら清朝末期の西欧列強の中国侵略も肯定される。その四、中国がチベットを開発 することで経済的にも豊かになりチベットは中国の管治を歓迎する……実態を見ての通り。その五、中国は元来、多民族国家で五族協和は孫文も提唱……チベッ ト社会の要求はダライ=ラマ14世の発言の通り中国からの独立など既に廃案とし中国での一国両制の実現、と思へば寧ろ多民族国家で強固な地方自治を実現で きるはず、と指摘。<3> 信報(21日)で關愚謙氏がチベット問題を語る、「狼来了、虎来了、和尚背着鼓来了」と題名だけでも秀逸だが、その中でチベットで若者たちが掲げてみせた 所謂「独立旗」が、実は20世紀初頭に大陸侵攻図る日本が「大中華」を撹乱させるためチベット独立運動に加担、それゆゑ独立旗=雪山獅子旗は中心に太陽を 抱き「日の丸」と相似、と關愚謙氏言及。この逸話はアタシは知らず。確かにチベット独立旗は日章旗と似てゐなくもなし。1912年(明治45年)にガンデ ンポタン(時のチベット政府)が独立宣言の際にダライ=ラマ13世によつて国旗として制定された旗で、現在の中共統治下では掲揚厳禁。<4> チベット弾圧につき米英仏政府が中国を徒らに非難するが、その内容は正論として、イラク征伐など自らはやるだけやつてゐて、と思ふと身勝手ぶり明白。

農暦二月十三。春分。昼にハッピーヴァレイの寿司澄に食す。ここの平目の縁側の握り、絶品。多忙二更に至る。ジャスコにて菊正宗購ひ帰宅。
▼アーサーCクラーク氏逝去。享年90歳。半世紀住み続けたスリランカ。「ダイビングを愛し、スリランカの海に魅せられて」(朝日新聞)とあるが、ヘミン グウェイが「老人と海」ならクラークは差し詰め「少年と海」か、醜聞聞き及ぶ。
▼台湾総統選挙。フィクサー・李登輝先生と台湾の知性・李遠哲教授が相次いで国民党の謝候補支持表明。国民党も馬候補なら支持も視野にあるところだろうが 馬英九が当選するなら推しても推さなくても当選で、推したぶん元総統やノーベル賞学者を重んじてくれるか、といえばさにあらず。なら推す必要もないだろ う、といふ算段か。今回の選挙では台中など中部票がキャッチングボード握るが、どうみても馬英九支持。
▼イタリアの政治哲学者で『帝国』の著者、アントニオ=ネグリ氏来日延期(朝 日)。(財)国際文化会館の招きで20日の予定、東大など3大学でグローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定。7月の洞爺湖サミット を控へて入国管理が厳しくなり、79年にイタリアで反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与容疑で逮捕され83年にフランスへ亡命、殺害事件 は無罪となつたが国家転覆罪で禁固刑確定し97年に帰伊後03年まで服役の経歴あり。日本に入管法で懲役、禁固刑の前科者の入国禁じる法令もあるが、政治 思想犯は本来なら考慮の余地あり。日本政府のファッショ的テロ対策に呆れるばかり。

三月十九日(水)昼にアイランドシャングリ ラホテルの灘萬に懐石を食す。早晩にハッピーヴァレイ。F夫妻より招飲の約ありZ嬢とHK Football Clubに赴く。競 馬場周辺の賑はひで今晩競馬開催と気づくほど本日多忙で新聞の競馬欄にも気づかず。競馬場に隣接の同倶楽部のSportsman's Barの屋外で飲食。豪州のAlkoomiの04年Shiraz大ゐに飲む。このバー、HK Football Clubの施設だが本館より地下道潜り出たところは競馬場の第2コーナーの内馬場で、バーの建物の屋根がちやうど第2コーナーといふ面白い建造。バーのす ぐ横を馬が競走するのが、どこか浅草の花屋敷の風情。競馬ぢたひはよく見えぬから競馬目当ての客はをらず酒場が禪かなのも一興。F夫妻のご主人は諾威人。 彼に言はせると北欧三国の人は見た目ではわからぬが話すと感じは日本人に喩へれば諾威人は関西人で、瑞典が東京、フィンランドは東北人つぽいのださうな。 その彼が毎年くれる暮正月のカードは三人の子供を写した、とても愛らしいセンスのいい氏によるデザインで、写真の見事さにいつも感心するが、聞いて驚いた のはそのへんの普及型のコンパクトデジカメ。とにかく光と構図が見事だと弘法筆を選ばず、か。氏は四半世紀近いMacユーザー、で蘋果電脳の話でも盛り上 がる。
▼チベット騒動。今週の英エコノミスト誌が一言、チベットの現状をRicher, but not happierと。言ひ得て妙なり。

三月十八日(火)香港国際映画祭開幕。早晩より湾仔のコンヴェンションセンターにて開幕記念で山田洋次監督『母べえ』上映。山田監督と浅野忠信氏来港で舞台挨拶。日本語での挨拶を英語に通訳 してゐるのが旧知のSさん。英語も達者だが通訳に非ず映画評論などされるSさんだから通訳の表現が見事。それにしてもこの映画祭、恒例の開幕記念=山田監 督つて、それはそれで、他に本当に選択がないのかしら。で『母べえ』は、今の日本で日本映画代表する監督が左派リベラルである、とそれだけでも驚 きだし松竹が岩波映画ぢやあるまいし國軆に反し(笑)このやうな左派リベラルの作品の製作・供給するだけでも時節柄、稀。八十助(ぢやない、今は三津五 郎)が好演の、治安維持法抵触の左翼学者が転向せず獄中死はさながら三木清か、その妻(吉永小百合)と娘、先生の妻に恋心もつ青年(浅野)の、戦前の日本 の良心。この監督の、この反戦リベラルの思想が『男はつらいよ』の、あの大衆性と、どう繋がるのか、と思ひつつ『母べえ』を観る。『男は』の、あの柴又の 大衆は世が世なら大日本帝国万歳!と翼賛体制に加担。山田洋次が愛しく映す、この左翼知識人と反動的大衆は対峙してゐないか、と。監督自身ではヘーゲル的 にこの二者が等しくできるのかも知れぬ。が『母べえ』は左翼リベラリズム的なところが「見ても嬉しくない」右派も「寅さんは日本の心の故郷」と思へるとこ ろに大きな矛盾がないか。で、アタシなりにこの疑問の答へとなつたことは、『男は』のあの柴又の人々は、山田洋次の理想的な人間像であり社会であり、非現 実である、といふこと。世の中の現実があまりに辛辣で悲しみも多くあるから、せめて映画の世界だけでも柴又の、あの世界を共有して楽しい時間を過ごしてく ださい、と、さういふことか、と今ごろになつて勝手にさう理解。この監督の本来の理想は、この『母べえ』の左翼学者が自由に思索し意見の発表が出来る社会 なのだらう。……で、そこまではいい。がアタシは、この映画は「1941年の12月8日の太平洋戦争勃発のところで止めてゐれば名作だつた」と痛切に感じ る。時計でいへば110分の長さ。夫が思想犯として囚はれ妻は夫の信念に共鳴して懸命に娘を育て、だが12月8日になり、さてどうなるか……でフィルムを 終へてしまふ。あとは皆さんご自身で考へてみてください、歴史を。どうかしら。これなら名作。だが山田洋次はここからが(アタシはそれを厭ふが)本領発 揮。真田広之主演の侍物でも梲の上 がらぬ下級侍が憎い相手を殺つて、で、そこで終はれ木枯紋次郎や座頭市のやうに傑作なのだが、アトが続く、のと一緒。『母べえ』は戦時中の場面になると、 戦前の時代を描く左翼リベラリズムが、どんどん人情物に。それを眺めつつ「どうぞ、戦後から突然、現代=年老いた母べえの死に際にはいかないで」と願つた が、案の定、舞台となつた江東区住吉なのか、中学校の場面が映り教師となつてゐる次女が母危篤で病院に駆けつけ母の死を看とる。それはそれで一つの物語の 完結だが、戦後のこの物語で戦前の左翼リベラリズム的な要素がすべて帳消しとなり「誰が見ても涙する」大政翼賛的な一億総感動。かう出来ることで単なる左 翼リベラリズムに陥らないところが謂はば「国民映画」の山田洋次の真骨頂といへばその通りだが、結果、果たして「感動」以外の何が残るの?、と『男は』の 看後感と同じ疑問にアタシは陥る。結局、世の中なんて何も良くならないぢやない、と。それなら前述のやうに12月8日でピタリと止めて、観衆に「その後、 どんな歴史になるか」深刻に考へさせるのが監督の使命ぢやないか、と思ふ。……で『母べえ』の終演、エンディングロールが流れるなか回想の場面が映り「お そらく」山ちやんの母べえへの思ひが語られる場面、「おそらく」と書いたのは、今晩、このエンディングロールで場内の照明が明るくなるのは香港では悲しい かな常識だが、なんと語りの音が消され、そこで「本終映後、ロビーにて本映画祭の開幕式が開催されます。VIPチケットをお持ちの方は舞台左手の扉から開 幕式会場へ、それ以外の方は客席後方の出口から出てください」と大音量で広東語、英語(とそれに確か普通話も?)で1度ならずも2度、3度と繰り返され、 さすがに客席からブーイング。語りの最後の方でやつとアナウンス途切れ映画の語りが流れるが、最後の最後。このアナウンスで映画上映台無し。香港が「映画 の都」のやうなこと言つても、所詮、かつて娯楽映画が大量生産されただけで映画俳優がスターとちやほやされギャラがあがるだけでロクな映画製作もできぬ、 マトモな観客も育つてをらぬ現状、今晩とて真摯に映画、それも戦争映画を開幕上映に選んだのだ、を看てゐたところで、今晩の華はスターたちが深紅の絨毯の 上を歩き現れて開幕式典で脚光浴びる、それだけ。この映画祭、開幕式典の関係者や芸人のいつたい何人が『母べえ』の上映の看たか(皆無)、開幕上映前の舞 台挨拶に続き開幕式典でも舞台上で挨拶する山田洋次監督が自分の映画がどんな無惨な扱ひをされたかを知る術もなし。同じ映画看てゐたZ嬢と「まつたく、何 だい、あのエンディングは」と呆れつつ湾仔の北京餃子皇で夕食。Z嬢帰宅しアタシ独り次の開幕記念上映『蝴 蝶』( 監督:張作驥、07年、台湾)看る。台湾の鄙びた港町と蘭嶼の島を舞台に、蘭嶼に住まふ少数民族の女と日本人の渡世人の間に生まれた青年を主人公に、なん か微妙にアイデンティティのやうなものを扱ふもので台湾のマイナー映画らしさ格別なのだが……アタシにはこれはさつぱり理解できず。途中で席を立つ観客少 なからず。

三月十七日(月)曇天、気温摂氏24度、湿度95%、と香港らしい春。二更まで多忙。
▼朝日新聞(国際衛星版)の香港編集頁が終わり、地場広告の掲載も打ち切りの由(今月末)。香港国際衛星版の発行開始が1996年4月。その時に記念号に 単発で文章書かせていただき(こちら、)、その後、日曜の 香港版紙面で98年11月まで月一で連載書かせていただく。かつては我も彼も半日遅れの空輸の新聞を貪るように読んだが今では新聞読まぬ情報化社会、ネッ トでちょちょいのちょい。日本円で月8千円かけて新聞読む、って人はアタシも含めもはや奇特の部類か。
▼日本のカード会社が収益悪化受けマイレージ交換率見直し。三井住友VISAカードで、ANAとのマイレージ交換1000円=10哩がわずか3哩に。ざっ と計算すると香港でアタシのカードだと、この日本での見直し後は日本で1万哩貯める間に4.85万哩になる計算。

三月十六日(日)香港ダービー。麗かな絶好の競馬日和。だが夕方の丁度、ダービーの開催時刻頃の一つ高座が入つてしまひ競馬場から駆けつけるわけにもいか ずダービー断念。初めてダービー観戦逸す。ちよつと走り昼にかけジムで一時間の有酸素運動。場外で地場G1のQueen's Silver Jubilee Cup(1400m)とダービーの馬券購入。一旦帰宅してから出街。中環の場外で、何処に仕舞つたか出てこない馬券購入カードの再発行。即時再発行で手数 料もタダ、は香港。FCCのバーでYellow Tailの白葡萄酒飲みながら競馬観戦。QSJ CupはGood Ba Baが強い。11枠でも他を寄せつけまい。で馬券的にはホワイト騎手でAmada(15倍)からGood Ba Ba、Sacred Kingdom、Slow Waltz(細脳)に流す。がGood Ba Baが半馬身差でSacred Kingdomを躱しガチガチ。作戦失敗。でダービー。アタシは愛国心ゆゑ98年高松宮杯優勝馬シンコウフォレストとカジュアルウェイの産駒 Dao Dao(漢字名:大脳、ホワイト騎手、サイズ厩舎)に賭ける。4番手で第4コーナー回り直線で先頭に立ち「来た〜つ!」と思つたが、昨年9月のデビューか ら6戦3冠2亜1退出のこの「大脳」君、マイルから限界は1800mか、初の2000mは未知の世界で直線でしつかり残り200mで力尽きて減速(結果7 着)、大脳と競つた一番人気、デビュー3戦目のHelene Mascotが優勝。このダービー、八年ほど前だつたか八百長で香港競馬界から追放 され(実刑で服役)、出所後に独逸の競馬界など武者修行し数年前にマカオに戻り今季やうやく香港での復帰認められた、地場騎手では不世出のTony Cruz以来の天才騎手と云はれた(説明が長いが)錢健明君がつひに晴れ舞台。でご祝儀で錢君騎乗のDANESISなる馬を「大脳」から流した脚に入れ る。それがゲートインで暴れ退出処分となり掛金返還で火傷も大事に至らず。情けない話。予定の高座の時間が遅れ(ダービー観戦して戻れた時間)、夕方、高 座まで中環を散歩。興利相機公司でバルナック型ライカIIIC型にエルマー50mm f3.5のレンズ付きでHK$7.5千、を見かける。せめて触れてみたい、と思つたが触れたら感染するのは間違ひなし。見なかつた、ことにしてその場を去 る。一仕事済ませZ嬢とFCCで夕食済ます。尖沙咀に渡り香港文化中心。倫敦フィル ハーモニー管弦楽団 (LPO)の音楽会。アタシにとつてのLPOはショルティからテンシュテットの時代。そのLPOを昨年から率ゐるのは 1972年生まれのウラディーミル=ユロフスキ君。楽団付き作曲家 Mark-Anthony Turnage(1960〜)のEvening Songなる曲は現代曲苦手のアタシには全く理解不能。でJean-Yves Thibaudet(JYT)なる若い弾き手でラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。こんな緩いラヴェルのこの曲は今まで聴いたことがないほど緩いところは緩く (悪い意味に非ず)テンポも柔軟で緩急が「ジャズのやう」(Z嬢談)。中入後にプロコフィエフの交響曲5番。LPOといふ老舗の楽団がユロフスキといふ若 い指揮者を迎へ、プロコフィエフの5番といふ、政治的には「ソ連が迎へるべき戦後=期待」の讃歌でありながら混乱の第三楽章(アダージョ)の変則拍子の面 白さ、そして4楽章の「なるやうになれ、戦後よ」とアタシには聴こえる不思議な曲を、20世紀にとつては前衛であつた曲を21世紀の楽団はかうしてみまし た、と我々に見せるやうな、そんな演奏が今晩のプロコフィエフの5番。昨晩は重厚にチャイコフスキーの「悲愴」を演じたさうなLPOが、今晩は20世紀の 音楽を21世紀の楽団としての、これ。アンコールもアタシの全然知らない「20世紀らしい」小曲。……となると中入りでJYTがピアノのアンコールでショ パンの夜想曲2番を演じたのは、Z嬢の話ではJYTご本人が好きな曲ださうだが、今晩の演目には完ぺきにマッチせず。サティまでいくと違ふが、やはりラ ヴェルかドビッシーにすべきところ。今晩の演奏会が今年の香港芸術祭の閉幕ださうでロビーやバルコニーで観客全員に!Champagne(といふことだが 発泡酒)がちやんとグラスで!振舞ひあり。大したもの。本日のVIPは政務司の唐英 年君、Dow Jones株のインサイダー取引の廉で米国当局に巨額の罰金払ひ示談で済ませた李Baby國寶君夫妻(Babyが頭取の東亜銀行が今回のオフィシャルスポ ンサー)、曽財務司等、閉幕記念式典にロビーに設へた壇上に。維園阿伯ならぬ尖旺阿伯が市民に平等であるべき文化行事で式典に関係者だけがエリア内に入れ て市民は取り巻きなのが解せぬらしく大声で罵声浴びせ、アタシら観衆は式典だけならつまらぬが、そのさまを眺めChampagne飲むのも愉快。今年の芸 術祭は香港に居ながらにして紐育フィル、パルマの歌劇に倫敦フィルと満喫。文化中心を出ると政府庸人や罪界などVIPの自動車がづらり。かつてBMWの7 シリーズづらりと並べ「たかが地方公務員が……」と嗤はれてゐた政府、ここ数ヶ月で政務司始め司長級の公用車をフォルクスワーゲンのPhaeton (フェートン)で一括入れ替へ。確かにVW社の最高級車(日本未発売)だが、どうもアタシには豊田自動車のLexusのLS系と同じで、ベンツSクラスや BMW7系と比べると「最」高級サルーンには見えず……つて、ところで、このPhaetonとLexusのLS600つて似過ぎてないかしら。
▼中国政府がチベット騒動につき「今回の乱闘や破壊、略奪、放火の憂慮すべき出来事は、国内外の反動的な分離派勢力が慎重に計画したもので、最終目的はチ ベットの独立」であり「分離主義に反対し安定を守るため、人民戦争を戦ふ。かうした勢力の悪意ある行為を暴き出し、ダライ派の醜い面を明るみにさらけ出 す」と非難(Reuters)。この暴動で罪のない市民が巻き添へとなり家族を亡くしたり商店打ち壊しなど被害に遭ふ悲惨さをさかんに公開。パンチェン= ラマ君も中国政府支持する声明。ダライ=ラマ14世は「オリンピックは中国にとつての誇りとして開催されるべき」として「今回の暴動がチベット亡命政府側 により策略されたもの、だとするならマスコミや専門家がそれを証すべき」と。信報は社説でチベットの経済成長、チベット系住民の就労安定などで北京中央は チベットに安定もたらしたつもりだらうが「人はパンのみに生きるものにあらず」で宗教や文化など侵犯されることでのチベット人の不満の大きさを指摘。

三月十五日(土)昼過ぎ中環のカラーシックス現像店にて現像済みフィルム受領。これまでCDへ焼付も頼んでゐたがフィルムスキャナ(EsponのGT-X770) 購入し週明けに届く予定で焼付のみ。かねてから今どき露出計探してゐたが中環の撮影科學店の店頭に出物あり。セコニック社のメーター型の旧式で値 段が安いので中古だと思つたが見せてもらはうとすると店の奥から箱入りの新品が現れる。新品ったつてレトロな皮ケース、金具の内側に緑青などあり。後で調 べるとL-428型は1985年に製造完了ですでに修理対応も修了。露出計ずつと香港では値段高かつたが、さすがに露出計など使ふ者も減り撮影科學店では この露出計の在庫の処分かしら。所用済ませ早晩に湾仔のDelaney'sでギネス麦酒一飲。湾仔のKhana Khazanaなる印度精進料理屋。Z嬢来る。帰国間近のK嬢、fiancéのT君よりの招飲。T君はこ数年疎遠になつてゐたが七年前に来 港の頃から余に世話になつたから、と義理堅いカナダ人なり。送別にKaesler のOld Bastardの、K嬢とO君の出会つた2005年物を贈る。WA誌で98点の葡萄酒。Kaeslerなど豪州の葡萄酒は香港の酒税撤 廃でもう香港の方が楽天最安値よかお手頃になつちまつた。ジムのサウナに一浴し帰宅。長徳先生『銘機礼讃』3、続き読む。
▼チベットで20年来の市民蜂起あり。

三月十四日(金)快楽亭ブラック師匠のブログ日記読むと来年の秋!に口演の予定の「鰍沢」の構想を練る為に、と身延山詣での由(こちら)。藝 字是一門專業。晩に大きな宴会あり末席を汚す。終はつて二次会に誘はれ銅鑼湾登龍街の泡盛供す酒場。深更になりまだ続く宴会辞して独りバーSに酌す。香港 で飲食業長くされるO氏と邂逅。昔の銀座の話などする。

三月十三日(木)疫禍再来、つまり2003年のSARSのマスコミによる報道禍の再来。今回のこの流感報道での最も大きな特徴は台湾の総統選挙との重な り。香港駐在の朝日や読売の特派員が台北に在り、そこから香港の流感について報道=こりや大変。読売(電子版)は昼頃に「インフルエンザで子ども4人死 亡、全小学校を閉鎖…香港」と台北から(こ ちら、吉田健一記者)。見出しは「猛威」だが記事じたいは「衛生当 局幹部は「新型インフルエンザではない」として、市民に冷静な対応を呼びかけている」と締めて比較的冷静。翌14日の紙面(国際衛星版)では記事載せず。 読売の良識・見識?を見せる。で朝日、03年の疫禍では大袈裟報道は群を抜いたが、読売と同じ見出しは「猛威」で台北から(こ ちら、林望記者)、従来型ウイルスであり政府は「全面的な休校は「市民の懸念を考慮した上での予防的な措置だ」と強調している、としつつ「03年 の新型肺炎SARSで300人近い死者が出た記憶があるだけに市民は心配を募らせている。隣接する中国広東省の深センや広州などでも感染が広がり、症状の 重い患者が出ている模様だ」としてAPの「香港の小学校で12日、マスクをつけ並んで歩く子どもたち」の写真の掲載(右)。翌14日の国際面(衛星版)で は4段組みで同じ内容と写真が記事に。これを読むと「日本では03年のSARSでの恐ろしい記憶」があるだけに、まるで香港全域でマスクをした子どもが溢 れ流感禍に恐々としてゐる様の想像に易いだらう。03年の疫禍では最も冷静な報道と思つた共同通信だが、今回は「広東省など中国南部を中心に、鳥インフル エンザ感染による死者が相次いでいることもあり、香港当局が警戒を強めている」と今回の流感が鳥フルと直接関係ないことには言及しておらず(こちら)。 それに「鳥インフルエンザ感染による死者が相次いでいる」つて、昨年が3人で今年は今までに3人(3 月11日現在、WHO)。「相次ぐ」の表現の基準は如何に。が現実は異なる。特定の流感感 染の深刻な学校(日本でも学校閉鎖の部類)はともかく、それ以外の学校は平 常通り。現在、政府衛生局の把握してゐる流感の兆候のある児童は香港全体で486人=香港の全小学生の約0.12%、この一週間ほどで流感に罹つた子供 (中学生以下)は802人で全体の0.077%=1万人に7.7人。「香港全体の小学校が休校」と聞くと大阪市の全部の小学校が学校閉鎖、で日本の印象で はパニックだが政府高官の突然の発表で翌朝一斉休校できるドラスティックな香港(SARSでの対応経験あり)と、これほどの決定には内閣安全保障・危機管 理室が作動してしまいさうな日本とは感覚が全く違うことに留意すべき。WHOも「香港政府が一部の学校を休校措置としたことは評価すべきことで、これは過 剰反応ではない」としつつ「香港のインフルエンザの状況ぢや季節性の通常のものでWHOに通報を要するものではない」と。香港で死亡した子供も、7歳の男 子は喘息の持病がありステロイド系薬物投与治療で免疫力が低下してゐたところでインフルエンザのウイルスに感染しての併発症としての急性脳炎が死因。もう 一人の3才女子は先天性の酵素欠乏(赤血球か)で、インフルエンザのウイルスでの心臓や肝臓なの細胞の脂肪化が死因。可哀想だがSARSのやうな誰も彼も 感染が死に至る疫病に非ず。日本の皆さん、どうぞご安心を。テロだ疫禍だ、と一切合切「不安」の言葉だけが踊る世界よ。……朝からこの疫禍の渦中?にあつ たが、母に四月の歌舞伎座の切符の先行発売で予約頼まれてゐたこと思ひ出して慌ててネットで予約。仁左衛門丈に大和屋、勘三郎で(食傷気味だが)勧進 帳……ほかに演目はなのかしら。どうせなら武藤敏郎・日銀副総裁を義経に、弁慶は福田二世、富樫は小澤一郎君で「通せ、通せぬ」でもすれば如何?
▼信報の阿五さんの「琲話」とか蘋果日報の古徳明さんの「征服英語」とか、香港の中文紙には「ウィッキーさんのワンポイント英会話」のやうな連載あり。内 容は高度で、例へば香港政府の08/09年の予算案で
Eliminating the effects of the rates concession and public housing rental waiver, the underlying inflation rate was 2.8 per cent.
といふ一節の誤り、と言はれてもアタシなどさつぱり解らぬが、厳密には主文の主語がthe underlying inflationなのだからEliminatingの主語も同じくthe underlying inflationとなつてしまひ、これでは意味が通らぬから、本来は
If we eliminate the effects of the rates concession and public housing rental waiver, the underlying inflation was 2.8 per cent.
とすべき。ただこのテの表現は文豪Alexander Popeにも見られるものでinformal standard usageとして許容範囲か、といつた話が、香港の大衆紙である蘋果日報にあり。また例へば大使館はEmbassyで領事館はConsulateは領事館 だが「ロシア政府は駐米大使を召喚した」が“Russia has recalled its ambassador to the US”なのに対して「日本領事館は抗議状の受取りを拒否した」は“The Japanese Consul-General in Hong Kong refused to accept the letter of protest”となり、大使の場合は to で総領事の場合は at/in となる。この違ひが何故か、と言へば(アタシもこれで間違つたことがあるが)大使は特命全権で国家を代表し(日本でいへば元首=天皇の特命を受け=総理大 臣の、ぢやない)相手国政府と遣り取りをするので、通常 to +国家名称 を用ゐ、領事は一定の地域・都市を管轄するので at/in なのだ、と。納得。

三月十二日(水)晩に中環のカラーシックス現像店に寄り写真現像受領し焼きまはし誂へFCCに憩ひジントニックとバーボンソーダ各1杯。俥を雇ひ帰宅。ラ イスカレー食す。三更近くに政府衛生局局長がインフルエンザ対策として明日から二週間、小学校・幼 稚園等の休校措置発表。流感で香港では数週間の間に幼児と児童3名が感染症含め命を落としたが今日の昼には同局長は「必要以上の警戒は現時点では必要な し。流感が広まつた特定の学校で休校措置などとることが大切で香港全域で学校休校などは考へてゐない」と発言したが本日、新たに重篤の感染児が病院に担ぎ 込まれたことで二更に政府の関係者協議の結果、がこれ。朝令暮改。インフルエンザ(鳥に非ず)で全港小学が二週間休校……と聞くと大それた話だが香港の学 校は今週末から二週間の復活祭連休で、それを二日前倒し。もしこの二週間休みがなかつたとしたら当局はどう判断したのかしら。
▼春闘。香港から眺めてゐて過去最高益の「世界のトヨタ」が1,000円のベースアップ。香港が月収5千ドルでも4%アップなら200ドル=3,000円 に比べ日本のなんと厳しいことか。なぜ労働者や市民の革命蜂起が起きぬのか、と映る。香港ならデモや抗議集会だらう。
▼政府高官の支持率調査(香港大学民意研究計画)で財務官・曽俊華はんの支持率が前回調査より10%上昇で68%となり高官中トップ。先日の政府予算案で の減税大盤振る舞ひの結果。わかり易過ぎ。
▼蘋果日報で李怡さんが連載で紹介の笑ひ話三篇。
その一。崩壊前のソ連の或る工場で。一人の工員がいつも遅刻。KGBに職務怠慢で連行される。もう一人の工員はいつも出勤が早い。西側のスパイか、と KGBに連行される。で、いつも定刻出勤の工員は、ある日、日本の腕時計を持つてゐるんだらう、と捕まりましたとさ。
その二。アメリカの大手自動車メーカーがロシアと日本の自動車部品メーカーに発注。条件として「不良品は千個につき1個とすること」と。数日後、ロシアの メーカーは不良品を0.1%として期日までに納品は無理、と返答。日本のメーカー曰く「納期は守れます。ただ不良品を千個中1個とするなら、その不良品の 設計図も見せてもらへませんか」と。
その三。ある億万長者が「青い色のキリンを探してきたら大金の報酬を与へる」と宣言。世界中で青い色のキリン探しが始まつた。英国人はまづ「地球上に青い キリンはゐるか?」と仔細討論。ドイツ人はすぐに図書館に行き、青いキリンに関するデータがあるかどうか調べ、アメリカ人は世界中に軍隊を派遣し青いキリ ン発見に挑む。で日本人は昼夜努力して青いキリンを製造するか新種を配合するか研究し、中国人はさつそく青色の塗料を買ひに走つた、と。

三月十一日(火)畏友A君の招きで昼に香港ジョッキークラブのHappy Valley Club Houseの幸運閣に食す。某センターで映画放映に采配ふるふE女史と鼎談。香港ジョッキークラブのクラブハウスといふと「凄さう」だが建物は「凄 くない」どころか「いつたい何処の誰が?」と猜うほど陳腐な設計なのは何故かしら。諸事に忙殺され晩に至り帰宅して「水炊き」食す。食前にドライマティー ニ二杯、水炊きで菊正宗一合で、すつかり出来上がりつつ、RTHKのRadio-4で昨日の紐育フィルの平壌公演の実況を聴き(それにしても「巴里のアメ リカ人」将軍様のお膝元でやる方もやる方だが許容した平壌も老獪)臥床。
▼朝日新聞の今日の社説。「希望社会への提言」といふシリーズで今日は「『単一民族神話』を乗り越える」と題し「外国人の子どもに、日本語などの教育支援 を」とか「多民族が「隣人」として共生する社会を築く」といつた提言じたいはそれでいいのだが、ふと気になつて一節は
第二次世界大戦後、日本は「単一民族神話」のもとで戦後秩序を築き上げた。かつての渡来人や北海道のアイヌ民族などを考えれば、単なる神話にすぎなかった のだが、これからはそれどころではない「多民族社会」となっていく。
なんとなくさらつと読み過ごしさうだが「日本は「単一民族神話」のもとで戦後秩序を築き上げた」つて、具体的に何が?どうなの?……全く意味不明。書き手 にこれが具体的に何のことが示してもらひたいところだが論が踊つてしまつてゐる。単一民族と信じてゐる(誤解してゐる?)国民がどれだけゐたにしても、そ れが戦後秩序?(これじたい漠然としすぎ)の構築にどう効力を発したのかしら。アタシがデスクなら、この原稿のこの部分に赤鉛筆で線を引いて「?」と差し 返したいが、今は画面で原稿打つて、の時代でこんなフレーズも素通りで紙面、なのかしら。論壇では早稲田大学の田中孝彦さん(国際政治史)が「世界秩序」 といふ題でお書きになつてゐて「21世紀の世界秩序を形成するために必要なのは、世界の多様性を深く理解し、抵抗の背景にある貧富の差や不公正そして抑圧 などの原因を、直視すること」で「その原因を解消できるプログラムを組み込んだ世界秩序を作る努力をすること」と。ご指摘は正論だが「21世紀の世界秩 序……」から読み始め「……世界秩序を作る努力を……」と読み続けると「世界秩序」といふ言葉で堂々巡り。その田中先生の隣には文化庁長官・青木保さんが 「文化の多様性とグローバリズム」と、なんだかもう、かういふ言葉ばかりが踊つてゐてアタシには何だかさつぱりわからない。
▼木村伊兵衛写真賞、今年の受賞者お二人は朝日の記事で「痛々しいほどに「生と死」を見つめる目を感じさせる」と紹介されてゐたが、受賞者お二人の姿を写 した写真じたいが、あまりにもさういふ雰囲気なのが(作品のインパクト以前に)やけに気になるところ。
▼スペインは総選挙で与党・中道左派の社会労働党が下院で勝利。サパテロ首相の再任確定。旧態依然の左派から脱却し社民路線で労働者から中道左派、学生、 エコロジスト、シングルマザーと確実に支持を広げ同性愛婚まで認め保守派・旧守派カソリック勢力に厭はれ社民政党にありがちな経済無策と批判されたが、そ れでも勝利。日本の社会党からの左派の不甲斐なさを思ふと羨ましいかぎり。

三月十日(月)諸事忙殺されたが強制終了で燈刻にFCCでZ嬢と待ち合はせクラブサンドヰチとステラアルトワの麦酒で夕食軽く済ませ九龍に渡り尖沙咀の香 港文化中心。伊太利のTeatro Regio di Parmaの歌劇でヴェルディ の『リゴレット』観る。権力による 淫行、無知による惨憺、で悲劇的結末を知り眼をぐりぐりとさせて舞台眺める我々=観衆。『リゴレット』の筋、あらためて思ふに歌舞伎なら南北かしら。演目 にもなるリゴレットの傴僂男は今の役者なら(好き嫌ひは別として)ニンとしては勘三郎。リゴレットの愛娘・ジルダは若手なら亀治郎あたりが(必要以上に) 「こつてり」なんだらうが何といつても京屋だらう、こりや。で殺し屋・スパラフチーレは(好き嫌ひは別として)高麗屋(父子どちらでも勝手だが)の好 演?、でその妹の淫売婦・マッダレーナは(観たくないが)扇雀、チェプラーノ伯爵に髙島屋……と配役は決まつてゆくが、それぢや誰がアントヴァ公爵か。Z 嬢が「興行的には」海老蔵、と。御意。だがアタシは今晩のこの『リゴレット』を観てゐて、この役のFrancesco Demuroなるテノールの体格が似てゐたからかもしれないが先代の辰之助(1946〜87)がニンだつたのぢやないか、と思ふ。公爵に弄ばれるジルダ役 のDaniela Bruera(ソプラノ)が歌ふ『慕はしき御名』Caro nomeが秀逸。とくにこの場面の舞台の展換も見事。ところでカンツォーネ『女心の歌』La donna è mobile も、イタリア語のこの劇中曲が堀内敬三訳の「風の中の 羽のやうに いつも変はる女心」でZ嬢のやうに田谷力三に聞こえるならまだマシで、アタシにはエノケンで、つい『ボッカチオ』の「ベアトリねえちやん、まだねんねか ひ」が続いて聞こえてきてしまひ二村定一などに気持ちがいつちまふから困つたもの。あの第3幕で公爵がこの曲を明るく唄つてみせるから悲愴さがさらに増す のがベルディの企図したところなんだらうが日本で当時の浅草で、この曲が流行つた時にいつたいどんなふうに聞かれてゐたのか、が気になり、そして実はオペ ラを知る人を除けば今も大して変はらないの鴨しれぬ。香港は香港で、死んだはずの公爵(リゴレットの目の前に殺害された公爵の死体が入つてゐる布袋あり) が歌ふ、この歌が旅荘の中から聞こえてきてリゴレットは狼狽へるのだが(じつは布袋の中には愛娘が虫の息でゐるのだから)、このリゴレットの狼狽の場面で 観衆の間から笑ひ声が漏れたのはが香港らしさ。アタシでも今でも香港で慣れぬが「ここで笑ふかよ」の悲惨な場面での笑ひ声。中国語で言ふ「意外」が起きた 時には、まづ笑つてみるらしい。帰宅して長徳先生『銘機礼讃』3読み出す。
▼マレーシア総選挙でマハティール王に厭はれ更迭され鶏姦罪等で服役までしたアンワル元副首相率ゐる野党が躍進、統一マレー国民組織(UMNO)ら与党は 過半数維持したものの議席急減。マハティール王が自ら後継に指名のアブドラ首相の引責辞任求めたが与党はひとまづアブドラ首相続投を全面支持。それにして もマハティール王、子飼ひのアブドラ氏非難のなかで「明らかに間違つた選択」つて、そりやアンタが選んだんで、自分が引責すべき。東京都も石原銀行の破綻 で雇はれ経営者に罪の擦りつけ。無惨。

三月九日(日)冗談高じて人様の目の前で洋琴演奏。Z嬢とドビッシーの「小舟にて」といふ連弾曲。多少練習したつもりが緊張して展開な どかなり外し赤面の至り。いつたん帰宅して早晩に金鐘。中環に向ふのに香港公園の中を抜けると、半袖Tシヤツ1枚でも気持ち良い陽気に人出多し。それにし てもデジイチの普及の凄さ。なんで素人にD300が必要なの?と思ふが、なぜニコンの方は80〜150mmくらひの大口径のレンズが好きで、キャノンの EOSの方は300mmの望遠なのかしら。アタシには公園に咲いてゐる花なんか撮つてゐて何が楽しいのかさつぱりわからない。FCCに寄りステラアルトワ の麦酒1杯。Z嬢と待ち合はせ、待ち合はせ場所が香港動植物公園でなぜか「オランウータンの獣舎の前」。寝てばつかりゐるオランウータンに比べリスザルに 愛嬌あり。夕暮れのなか粗呆区を抜け散歩。Gough街の銀杏館 (Gingko House)なる食肆にて夕食。香港の食肆で働き続け一度は引退した老年の給仕らが「まだ働けるよ」と数名で開業の洋食 屋。さすが客あしらひは見事。鵝肝、茸パイ、鵝肉のリゾット、牛の肋肉ソテー、どれもあつさりで風味佳し。予想以上に美味。で値段は良心的。葡萄酒は智利 のUrmeneta, Rio de CobreといふSau Bla の06年も値段に見合ふ。この食肆、雰囲気は巴里のビストロ。だとすると老給仕はギャルソンか、と言へばZ嬢がgarçonぢやなくて gar叔(広東語では「叔」はsukといふ発音)と見事な呼び名考へる。帰宅して長徳先生『銘機礼讃』2読了。中古のクラシックカメラで、しかもかなり通 人だけ知る東欧の写真機の話など門外漢には珍紛漢紛なはずのなのだが読ませてしまふのが長徳先生の饒舌な筆致。

三月八日(土)先考命日。香港は麗かな陽気。故郷は梅の季節か。昼前に裏山を走る。香港マラソン以来一ヶ月ぶりで走ると身体が重い、重い。午後、所用済ませ早晩に南区は Deep Water Bayの某氏宅。ガーデンパーティあり末席を汚す。GlenmorangieのLasantaなるシェリー樽熟成を食後、飲む。Lasantaはイスパニ アの語のようだがゲール語でWarmth and Passionの意の由。二更に至りI氏の運転手つきの車で自宅まで送られる。
▼朝日新聞で池谷裕二といふ東大の脳研究の先生が言語と脳について書いてゐる。
幼少時から二つの言語にさらされて育ったバイリンガル脳は二つの言 語で同じ言語領域を使っているが、10歳以降に外国語を学んだ脳は別々の領域で活動している。幼い頃に英語を「獲得」した脳と、大人になって「学習」した 脳は、決定的に違うわけだ。
と、やはり「小学校までは日本語の徹底」なんて言つてゐる愛国心ぢや救はれない現実だが、池谷先生は、それぢやカタカナ英語がいけないか?といふことに は、カタカナ英語でも通じる。英語に割り当てるカタカナ読みを変へればいひ、と紹介する。例へば
animal アニマル▶エネモウ
hospital ホスピタル▶ハスペロウ
Can I have... ケナヤブ
Do you mind if I... ジュマインデファイ
Can you take our picture? ケニュテイカワペクチョ
……「これぢや絶対に通じない」(笑)。もともと英語の音感に慣れてゐない脳がこのカナの呪文を覚えたら最悪。ケナヤブやルーマニア語か、ジュマインデ= ファイさんはアルゼンチン華僑四世の名前。ケニュテイカワペクチョはハナモゲラ語(懐かしいが)。このカナ英語にはイントネーションといふ、言語にとつて 大きな要素が欠落。ところで、このカナ英語、そもそも米語を意識過ぎないか?

三月七日(金)諸事に忙殺され晩に至る。帰宅して先日の残りのAntu Ninquenの葡萄酒飲む。熟成。ちらし寿司。長徳先生『銘機礼散』2の続き読む。
▼著名蹴球員ベッカム某がギャラクシー隊で来港。五年前にリアルマドリード隊で来港の際の旋風に比べ今回は空港で待つファンは10数名(記事の写真で見る かぎり、そのうち2組は日本人の親子連れ)。香港のサウスチャイナ隊との友好試合の入場券は七千枚だか売れ残りの閑散ぶり。人気商売にいつか陰りはあらう がファンも余りに飽きつぽい。だが蹴球に長ける程度でスターになりすぎ、しかも一芸の球技に精進そつちのけで楽しいセレブライフでは愛想尽かされるのも当 然か。同じく蹴球員で引退の中田某などかつては来港で新聞の一面飾つた人が今ではシャネルだグッチだのパーティ業で来港しても新聞に記事すらなし。
▼北京五輪に向け鳴り物入りで完成の北京にある国家大劇院。香港中楽団のこの大劇院での公演に同行の音楽評論家・周凡天氏が「官僚兼死板、自危欠専業 - 国家大劇院管理問題多」と酷評(四日・信報)。凡天先生呆れた態を列挙すれば
・楽団が舞台に揃ひ指揮者現はれても静まらぬ観衆。指揮者は会場安静になるまで数分間ぢつと耐へて、やうやく演奏開始。
・演奏中も(急場の便意ならともなく)意味もなく場内徘徊する観客まであり。
・中央電視台の実況録画では舞台上のカメラのスタッフは(楽団員が全て黒の中国服であるのに)赤と黒の横縞の毛糸のセーターとラフな姿。
・主催者側作成のパンフレットには北京初演の曲もあるのに曲目紹介すら不十分で慌てて楽団側が簡体字の曲目紹介を準備。
……と。また党政府幹部の来場ともなれば警察犬数十頭連れた公安が数日前から徹底した現場の安全確認で「芸術宮殿変軍事重地」の有り様。ひどいものだが聞 いても「さもありなむ」で落ち着いてしまふのも悲しいかぎり。

三月六日(木)早朝にぼんやりと新聞(朝日)読んでゐて「新聞と戦争」なるシリーズ、新聞の戦争責任を問ふ=これは右派的には左翼自虐史観なのだらうが、で緒方竹虎の巻が始ま り、何気に読み進むと書き手はN記者。知己の氏は小泉王朝の対北朝鮮外交の進展の頃には近々「朝日の初代平壌支局長か」と噂されたが、王朝の変遷でどうな ることか。四半世紀前に仙台の名掛丁、八重洲書房の並びに「駅前酒蔵」あたりで何度か酒肴にご一緒いただいたのが懐かしいかぎり。「駅前酒蔵」は安つぽい なりに味のある焼き鳥が懐かしい。先考の命日も近いが今年は掃墓も能はず、せめても供花だけでも、と墓所近くの生花店に電話一報す。我が小学同級のN君の 家業。電話に出られたご母堂も佐藤栄作君が首相だつた頃にお宅に遊びにお伺ひした余をまだ覚えてくれてをり驚くばかり。ここ数日忙しいが香港で「≒(ニアイコール)」シリーズのドキュメンタリー映画 『草間彌生あたし大好き』上映してよ、と某組織の 代表・畏友A君に求めたら逆に日本のプロダクションとの連絡を手伝つてくれと請はれ、これは実現すると嬉しいが、どうせなら「≒(ニアイコール)」の5作 品、草間彌生、天明屋尚舟越桂会田誠森山大道の全部上映となれば素晴らしい。二更に閉店間際の ジャスコで寿司の折詰購ひ帰宅して恵比寿の缶麦酒。小振りな10貫の握り(香港らしくサーモンが3貫もあるのが最悪だが)HK$40が閉店間際でHK $28はお買ひ得。

農暦一月廿八。啓蟄。目が覚めたら午前一時半。さすがに昨晩十時半に寝たにせよ三時間で起きちまふ。永平寺の坊主でもまだ寝てる時間。二度寝して四時半起 床。読書。新聞読み朝が白む。終日諸事に忙殺され晩に至り帰宅しピアノ稽古。トマトのパスタ。智利のMontGras Antu NinquenといふCab SauとCarmenere混合の05年。好きな渋味。バルナックライカとレンズの冊子を読んでゐるとバルナックもいつかは欲しい、いや、それいぜんにま づM3だよな、と物欲ばかり広がりつつ早寝。

三月四日(火)朝四時半に起きちまひ読書、空が白む頃に新聞配達あり待ち焦がれたやうに新聞読み。老いた朝。快晴。ぼんやりと自動車に乗つてゐて(運転し てをらず幸ひだが)突然、車が突然かなりカーブした、と思つたら反対にもカーブして、ハッピーヴァレイの競馬場横でこんな曲がり道はない、で眩暈。数年前、三半規管がをかしくなつた時も春だ つたが、どうも暖かくなる頃が危なつかしい。どうにか歩けるので歩いてはゐたがちよつとふらふら。他人が見たら昼間つから出来上がつて、かなりいい気分の オヤヂの如し。大気汚染甚だしき中環ではThe LandmarkとExchange SquareでArt Moderneなる現代彫塑美術が繰り広げられ、旧スターフェリー波止場前の駐車場の屋上にはシャネルが世界各地巡回のZaha Hadidによる現代美術展もあり未来主義の仮設美術館がぽわーんと。どうしちやつたの?つてくらゐデ ベロッパーがアート指向。小包が届き何かと思へば人形町のS嬢より嬉しい品々。まづ田中長徳先生の『銘機礼讃』の2と3の二冊。1は所有してゐたのでこれ で三冊揃ひ。而も3は長徳先生サイン入り。それと松屋銀座の春恒例の中古カメラ市で限定発売の「高級加賀錦織り特性ストラップ」。所謂「真田紐」で真田昌 幸、幸村が刀の柄を巻くのに使つたといふ云われのある加賀錦織のカメラのベルト……と書くとライカにミスマッチのやうだがデザインがとてもモダン。それと 流失品なので余計なことは書かないはうがいいデータ本一冊。ありがたいかぎり。人形町、と思つたら突然、清壽軒のどら焼きが食べたくなる。
▼朝日新聞で最近、早野透の連載「ポリティカにつぽん」が俄然、元気あり。この早野透といふ記者さん、編集委員なのか正式な肩書きは知らぬが連載にはいつ も「本社コラムニスト」といふタイトルで、名刺にも肩書きで「本社コラムニスト」だつたりすると面白いが、朝日新聞も疋田桂一郎に代表される朝日的な格調 高い?文体であるとか、頭の中のOSがどうなつてゐるのかかなり疑問だが理論的な日本語作文としては名人芸の域の本多勝一とか、さういつたものに比べる と、この本社コラムニストさんの文章は、なんだかボーツとした時代にあへてロック系とでも申しませうか、饒舌な句読点無しの短文での畳み込み。挑戦的、だ が読み手によつては白々しさを感じる鴨。例へば昨日の文章から……
いったい日米安保条約で守られる「平和」とは何なのか。先週の国会 で、少女を守れずしてこの国は主権国家かと民主党の前原誠司氏が問えば、では自分で自分の国を守る体制をつくれということかと福田康夫首相は怒って答え る。その夜、少女は「そっとしておいてほしい」と告訴を取り下げ、海兵隊員が釈放されるというやるせなさ。
石破茂防衛相が「ハイテクの極致」とたたえるイーズス艦、ハワイの ミサイル防衛の訓練に疲れ、館長が居眠りしている間に千分の一の「親子船」を撃沈してしまうとは!
と、煽る、煽る。しかも坂口安吾の「堕落論」で話が進む。NHKのNW9ほどチープなセンセーショナリズムには陥つてをらぬ。が、なんだか鳥渡、読んでゐ る方が恥づかしい。
▼ながく中環に居住の(いちじ澳門暮らしもされてゐたが)香港の趣味人・劉健威兄が中環を離れ最近、Quarry Bay(鰂魚涌)界隈にお住まひ。まだ遭遇してはおらぬが信報の連載随筆で「金峰」と「鯉景灣」と二日続けて、その界隈を取り上げる。「金峰」は云はずと 知れた香港では最近、一、二位で評判の粥肆。それを健威兄が今更紹介、と思つたが、さに非ず。健威兄曰く、かつて中環ではスタンレー街の福満源の粥を好ん だが、この食肆も店を閉ぢ、と思つたら、今度、この金峰に食してみたら、帳場に座してゐるのが、かつての福満源の女将だよ、と。合点。で健威兄も「鰂魚涌 は奇つ怪な地区」と指摘するに、付近には太古城やコーンヒルに消費力ある中産階級が多く住まふのに、なぜこの界隈は飲食店が涸渇してゐるのか、と。その通 り。所詮、出来合ひの市街だから、なのだが。出来合ひといへば「鯉景灣」も然り。健威兄が湾岸に狗を連れての散歩での飲食にも便利で、と讃めてゐるのにア タシは寧ろ驚く。鯉景灣、実は地主=経営者は同一。多種多様の飲食店が軒を並べるが、実はマーケティングの賜物で、一つの遊園地の中で違ふアトラクション に遊ぶやうなもの。

三月三日(月)快晴。春の陽気はけつこうだが気温上昇と気流の影響で大気汚染甚だし。東日本にまで黄砂の由。「だから中国は迷惑千萬」と餃子も黄砂も一緒 くたで嫌中感、か。だが餃子も日本のメーカーが中国で製造させ買ひ付けしてゐるやうに、黄砂とて昔からの自然現象だが中国の砂漠化に三峡ダム建設などどこ まで必要なのか不明な「開発」も間接的に絡んでゐると思ふと三峡ダムがmade for Japanなんだし黄砂の被害の間接的責任は日本にもあり。早晩に北角の渣華道街市で野菜や果物など購ひ帰宅。この街市には安記といふ、有機野菜扱ひ日本 人にも評判の八百屋あり。帰宅して洋琴稽古少々。韮と豚肉の鍋。二更に入れば睡魔に襲はれ早々と就寝。
▼住基カード発行開始から4年半で普及率は1.5%(朝日新聞)。6日には各地で起された住基ネット訴訟に最高裁が合憲の判断示す見通しださうだが都立石 原銀行にも勝るとも劣らぬ失敗作。制度導入だけで391億円かけ現状での発行枚数187万枚ぢや1枚あたりの単価が20,900円と、まさにプラチナカー ド(笑)。企業なら社員が数百億円の損失だせば「お祭り」だが、お役所の無責任の体系は責任の所在もなし。
▼日本の調査捕鯨船・日新丸の妨害する米環境保護団体シーシェパード。捕鯨船にとつてかういつた「暴力団体」の抗議は想定内なのでせう、捕鯨船には英語で の警告アナウンスの機能もあり。ただ「ウォーニング、ウォーニング、ディス・シップ・イズ……」とあまりにも完ぺきな美しいジャパニーズイングリッシュ。 捕鯨船が右往左往しながら“Worming, worming”にしか聞こえず(笑)。Warning くらひきちんと発音できないと国際社会に捕鯨理解なんかしてもらへぬぞよ。NHKのNW9もいつもの低俗さ丸出しで「なぜ、このやうな行為が繰り返される のでしょうかっ?」と。世界中が反対する捕鯨を日本が続けてゐるから、なのは小学生でもわかること(賛否は別にして)。
▼海上自衛隊イージス艦の衝突事故をうけ有識者による防衛省改革会議発足とか。各界でいくつもいくつも鼬ごつこのやうに不祥事続きでこの「有識者による」 も数数多。それにどこまで改革提案が機能するのかも疑問。どうせなら「財団法人有識者団体」なる非営利法人でも作つて防衛庁でも相撲協会でもNHKでも、 とにかく問題のある組織の改革はぜんぶ、そこに放つてしまつては如何。
▼ロス疑惑のM容疑者のグアム島での逮捕。なぜこの容疑者だけテレビ報道での呼び方が「元社長」なのか、とふと疑問に思つたが、日本では裁判は終審してゐ るため容疑者ぢやなく、かつ「さん」づけするには怪しすぎて、肩書きで逃げたいが無職なので「素社長」なのかしら、おそらく。ロス疑惑、と聞くと咄嗟にテ レ朝の「トゥナイト」で司会の利根川裕の顔が浮かぶ。
▼一瞬、Mr Beanがふざけてゐるのか、と思へばロシアの新大統領。メタルロック好きださうで、皮ジャンパー姿でアクティブさ演出しようと懸命だが、どうみても雰囲 気はアングラ系。プーチン大統領の後継者欽定と院政の始まりに「ロシアに再び一党独裁を許してはいけない!」と声高だかに訴へるのがロシア共産党とは…… 時代の変遷。結局、民主主義つてものは西欧の伝統的特産品でありロシアにせよ、中国、日本と政党政治であるとか民主主義なんて育たぬのか、と感じるばか り。それにしてもロシア共産党、素敵。

三月二日(日)昨日に続く快晴で春の陽気。昨晩、暗い部屋の中でズミクロン35mmの試し撮りするとアタシが入手の8枚玉は近距離で今一 つピンボケ。ピントを意図的に少し手前に合はせると冴える。困つたものだが、日光の下で遠くの風景に満足できるのなら、だいたいこのレンズは暗い室内で内 装や人物など撮るんぢやないからコツをつかんでピントが合へば良い程度。いづれにせよエプソンのRD1sといふ「強い見方」が居てくれるからライカのMマ ウントのレンズの特性をかうして「撮つてはチェック」の繰り返しで垣間見ることが出来るわけで、これが銀塩だけだつたら何度フィルムで撮影して現像して、 の繰り返しになることか、と思へば諏訪大社のご利益に感謝、感謝。今朝は熟睡でゆつくり起きて、とにかく「ああ、我に光を!」で中環へ。有機野菜の市が立 ちZ嬢が野菜買つたり中環のエスカレータ上りLife Cafeなる、文字通り有機系の当世の流行でいへばロハスな食肆で昼餉。西班牙はラマンチャ地方の名前も知らぬ有機ワインが美味く、この食肆と同じ経営の 食材屋が粗呆区にあるとZ嬢の話で食後、散歩してゆくと食材屋は畳まれ先程の食肆で食材も売つてをります、と張り紙。今更戻るのもなんなので坂を下る。今 日の晴天での撮影は、8枚玉、白黒での「多彩さ」は云ふに及ばず陽光に日陰が黒い煙幕のやうに迫りくるやうなところはミヒャエル=エンデの世界か、そこに 物怪でも潜んでゐさう。面白つ! 中環の街並みが70年代の東欧のやうな色彩に写つてしまふのは何故かしら。それにしても、かうなると生きてゐるうちに=惚ける前に、あとはスーパーアン ギュノンとノクティルックス、あの世へ逝くのはこの2つのレンズを通して世間を眺めてからにしたい、と切に思ふ。帰宅して雑事済ませ日暮れまでピアノの稽 古。ドライマティーニ二杯。揖保乃糸茹でて食す。ウオフ『国民の天皇』続き読む。
▼本日、紅磡の香港体育館にて芸人・肥肥(沈殿霞)の追悼会あり。肥肥の娘の、裏返せば晴れの舞台の姿に、まさに天皇崩御の時のやうな葬儀のもつ「代替り の要素」を見る。肥肥さん、確かに香港の70年代からのテレビ文化をまさに体現する芸人ながら、冷静にアニタ=ムイであるとか羅文であるとかにも勝るとも 劣らぬ肥肥へのこの追悼の念の高まり、これは娘といふ後継者がゐることゆゑ、と思ふ。

三月朔日(土)春めいた快晴の空、こんな日は陽光が写るレンズがほしくなる。昼すぎに尖沙咀。いつもの道のりで香檳大廈の陳烘相機へ。狙ひはズミクロンの 35mmの8枚玉。当然それなりに値が張るので人質に昨年の4月にこの店で入手の(QE II Cupの前日、とよく覚えてゐるのは、David Chan氏に翌日のQE II Cupのベンツ社の入場証見せられたから)同じズミクロン35mmの三代目やあまり使はないレンズをいくつか持参。DC氏に独逸製とカナダ製の8枚玉2つ 見せられるが予想以上に高値。諦める。所得税減税が来年の納税で反映されたら、といふ感じ。で、ふと、普段はあまり寄らぬ大家好相機(All Best Camera)へ。いつも常連の好事家が歓談してゐて入り難いのだが土曜の昼過ぎ客は居らず。で、やり手の女将に8枚玉尋ねるとDC氏と同じく独逸、カナ ダの2つ見せられ、多少見劣りするが値段的には想定内。着き合ひのない店で……と少し躊躇しつつ現有の三代目など見せると女将、三代目をアタシが正直に示 した昨春の買値よりかなり高く値づけ。ライカの再人気に非ず景気上昇でか、と察す。で交渉成立。1968年独逸製の8枚玉入手。静かな店で女将と暫し雑 談。所用済ませ早晩にFCCへ。出かける途中にジャスコ太古店旭屋書店の店終ゐ在庫一掃割引で入手の長徳先生の『GRデジタルワークショップ2』読んでZ 嬢を待つ。この本、前著の『GRデジタルワークショップ』はこの続刊に比べるとまだ技術論だつた、と思はせるほど『2』は観念的。前書きからして
好きなデジカメはGRDである。
好きな作家は永井荷風、内田百閒、稲垣足穂である。
荷風は、濹東の撮影にローライフレックスを愛用した。そのスナップ は今に残っていて、なかなか写真がうまい。稲垣は赤貧洗うがごとき環境であったはずだが、戦後になって自分の持っていたスーパーイコンタを若い足穂研究家 に贈っているから、そういう写真機を持っていた背景から、彼の機械学が読み取れる。
百閒は……
とこんな感じ。これを読みながら長徳先生の気分で伊のProsecco Cuvee Brutの発泡酒一杯、豪のYellow TailのCab Sau 06年を数杯。ラムチョップ食す。市大会堂。ハンガリーよりシフ=アンドラーシュ(Schiff András)のピアノ独奏会。アタシは皆目見当つかず、だつたがピアノに明るいZ嬢にとつては今回の芸術祭で紐育フィルや倫敦 フィルよりもこのシフさんのピアノがお目当てで、一昨晩もシフさんと伴侶の塩川悠子(バイオリン)、Miklós Perényiのチェロの三重奏(こちら)堪能。演目はシューマンの蝶 々12曲、ベートーヴェンのソナタ17番・テンペスト、シューマンの幻想曲ハ長調、中入後にベートーヴェンのソナタ21番・ヴァルトシュタイン。シューマ ンの蝶々は申し訳ないが心地よくて寝てしまひベートーヴェンのテンペストでシフといふこのピアニストの知性に目覚める。シューマンの幻想曲、ヴァルトシュ タインと通じて、リキむでもなく必要以上の情熱も噯びにも出さず、達観したやうな崇高さ。この人のゴルトベルグが聞きたい、と思つてゐたらアンコールは バッハのイタリア協奏曲を3楽章たつぷり聴かせ、続いてパルティータの1曲、でシューベルトのハンガリー風のメロディ(たぶん)まで。拝みたいほどの演奏 聴かせていただく。ところでバルコニーのVIP席にハンガリー国総領事(或いは在中国の大使もゐたかも)と並んで昭和帝にそつくりの御仁あり。ありや何 方? 前から三列目の私らの座席の背後でかなり咳き込む、中学生くらいの少年が一人。風邪か厚手のマスクにセーター姿で見るからに苦しさう。ひどい咳が演奏の邪 魔にならぬといへば嘘になるが、こんな地味な演奏会に一人で具合がかなり悪いのに来るのだから余程、ピアノが好きなのか。中入りでも熱心にパンフレット読 み耽り、この少年にとつてシフとの一期一会が人生にどれだけの影響を与へるか、と思へばせめて余生楽しみたいと願ふアタシとは違ひ、この少年はどんなに謦 咳ひどくともシフを聴くべきだ、と思ふ。
▼英国ヘンリー王子英国軍の一員としてのアフガニスタン駐留の任務より帰還。英国王室の一員としてのnoblesse obligeといへば聞こえもいひが朝日新聞で連載してゐる島田雅彦の連載小説『徒然王子』ぢやないが自分探しの旅で侵略行為に加担とは如何なものか。あ の世代だと軍での実戦もバーチャルな戦闘ゲームでも同じやうな感覚で、軍での実戦はただゲームよりリアルで面白いやうに映つてならず。

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