乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


三月卅一日(火)昼に用事あり数碼港に参る。董建華時代に香港経済発展にと建設のサイバーポートは施設的には立派だが悲しいほど閑散で昼だと言ふのに人も まばら。巨額資金の浪費。こゝまで閑静な環境は香港では貴重でIT系のクリエーターには恰好か(嗤)。地区内の某ホテルの(ッて一軒しかないが)恐ろしく 日式で値段だけは強きの食肆に昼を食す。帰りに華富団地の銀都冰室に 寄り凍奶茶。晩に尖沙咀。香港文化中心で台湾映画『陽陽』観る。鄭有傑な る監督(日本人とのハーフ)が仏ハーフの美貌の女優・林依晨をヒロインに撮つた「青春」映画で而も陸上のスポーツ物と言へば、もうそれで「つ まらなさう」で期待もしてゐなかつたが、なかなかどうして再婚した母の夫(陸上部のコーチ)とその実の娘(義妹)との破綻に始まり、モデルから女優になる 筋でそのマネージャーとの関係がなか/\面白い。プロデューサーが李崗で、この人は今や台湾代表する世界的な映画監督・李安の実弟。でこの映画もかなり李 安が製作に関はつたと思ふと、この筋の面白さも李安なら「なるほど」の展開。Last Tango in Parisとまでは云はぬが都市の大人の面白さ少しあり。今晩二つ目の上映は許鞍華監督の『天水圍的夜與霧』で、一連の「天水圍モノ」かと思ふと食指動か ず、主演の任達華の演技の前評判を耳にしたが已に満座で観る機会逸す。ペニンスラのバーにドライマティーニ二杯。最近、もはや頭ら格のバーテンダーP君が 若手に酒の誂へを任せようとするのは良い。が任せられる若手はまだ/\。マティーニへの緊張感も足りなければ、ヘンドリックのマティーニで胡瓜の扱ひ方な ど拙い。けふびのバーテンダーもある面、可哀想なのは「客がバーテンダーを育てる」と思へばバーテンダーが緊張して酒を供するやうな格の客がをらぬこと。 何かと緩いサーヴィスを許容してしまふ程度の客ではバーテンダーの資質も伸びず。愛想のある若手、尋ねればバーテンダーになり半年の由。これほどのバーで 半年で酒の調合させるとは十年早からう。グラス洗ひ三年。もうどれくらゐお越しなんですか、と尋ねられ十五年と答へれば「僕はまだ小学生です」と。

三月三十日(月)先週の信報の連載で劉健威兄が映画「おくりびと」評す。日本らしい死への観念、その様式美といつたものを評価しつゝ、何かと映画の風景に 自然を取り込むのは良いとして、物語の筋で納棺屋の事務員が子どもを捨てゝ逃げてきた、とか銭湯の常連の老人が実は火葬場の職員だつた、とか父との唯一の 思ひ出の河原の小石を父が亡くなる時に握つてゐた、とか余りに「戯劇性」を盛り込み過ぎてはいやしないか、と。小津の映画なら老人が河畔で遠くの火葬場か ら立ち上る白煙を眺め自らの死の近いことを覚悟する、とそれだけで死への畏敬となる。その違ひ、と。御意。ところでこの「納棺」が突然クローズアップされ るが、これが「日本の死への畏敬」か。奈良の岡本寺のご住職も葉書説法で、この映画の死への対峙が「在来の死者に対する観念と違ふもの」だが「これが模範 品と扱はれていくのでせうか」とおつしやつた。それに僧侶たる方でも「納棺夫といふ職業があること」をご存知なかつた、といふ。それがこの映画の「ヒッ ト」で今後は誰かが亡くなると、これまでの戒名はどのくらゐに、祭壇はどれほど豪華に、に加へ「納棺もきちんとしないと恥づかしい」が大切になるのでせ う。「死への畏敬」とは程遠き「他人様にどう思はれるか」への虚栄、と言つたら言ひ過ぎかしら。本日どうにも甘味を食したく、ふだん無性に「酒が飲みた い」はよくあるが、それも善哉や汁粉、豆寒なだまだしも「甘いケーキ」食べたく夕方、FCCのバーで珈琲とチョコレートケーキ註文し給仕に笑はれつゝ頬張 る。資生堂パーラーで「三鞭酒をグラスで、それとプリン」と註文できる久が原のT君に早く肖りたいところ。
▼Lafite酒荘中国山東省蓬萊に中信集団と合辧でワイナリー設立の由。(蘋 果
▼陶傑氏、HK Magazineでの連載で南沙群島の領土権問題に関してフィリピンは香港に10数万人が女傭(メイド)として働くのが現実であり、
As a nation of servants, you don’t flex your muscles at your master, rom whom you earn most of your bread and butter.
と従僕の身でフィリピンが南沙群島の領土権主張するのは身分不相応と揶揄し舌禍招く(テクスト)。 陶傑らしひ過剰な筆致で、この暴論が本意とは到底思へぬが、これは筆の暴走。
▼まづ引用から。
明らかなことはアルカイダと911襲撃を計画しサポートしたその一 連の組織はパキスタンと阿富汗斯担領内にゐることだ。アルカイダがパキスタン内の自分たちが安全な場所から米国を攻撃する計画を具体的に立てゝゐることは 複数の情報機関がすでに関知してゐる。阿富汗斯担政府がタリバーン撲滅に失敗したりアルカイダをそのまゝ放つておけば、同国がそのテロリストたちの本拠地 となつてしまふ。米国にとつてのゴールはアルカイダとパキスタンにある彼らの基地の撲滅なのだ。
……と勇ましいが、これが馬楽小浜総統のコメント(28日、FT紙)だと思ふとブッシュから総統が替はつたところで米国は何も変らず。レーガンがソ連を悪 の帝国としてゐた頃から何も変つてゐないのだが。
▼昨年来の金融海嘯で逆境を生き抜くには神に縋るか香港で聖書の売上げが二割半上昇(蘋 果

三月廿九日(日)昼過ぎから太古城シティプラザの映画館でシンガポールのLei Yuan Bin監督“White Days” 観る。登場人物は三人。エルサレム訪れること夢見る青年、その妹?と映画制作がしたいのか市街を8mmで撮影する無職の青年、は蔡明亮に憧れ台北に旅行し たい。その三人の生活。この監督は小津への憧憬が強いさうで慥かに一つのカットが長いのはそれつぽいが、それだけ。小津安二郎の映画は淡々と日常を描き話 が進行しないやうで、実は繰り返しの目立つ会話が重ね畳むやうに筋の展開をしてゐる点で饒舌。それに対してこの映画は饒舌なのだが筋の展開がほとんどな い。ある面では小津以上に無為。だが映画としては面白くもなんともない。ただ基督者の青年が路上で延々とする説教は実に見事。映画跳ね、無印良品でL版の 写真用ファイル購入して帰宅して先日、書室の片付け中に出てきた七、八年前のスナップ写真を整理。午後遅く今度はZ嬢と一緒に復た太古城シティプラザの映 画館で市川崑監督の『その木戸を通って』を 見る。聞いたところでは1995年にフジテレビが日本初の長篇ハイビジョンドラマとして制作。平成七年に一度、ハイビジョンの実験チャンネルで放映された だけのものが市川監督逝去の頃から映画作品として復活。山本周五郎原作。で記憶喪失の娘・ふさ(浅野ゆふ子)と彼女を見受けした侍(中井貴一)でづらりと 脇役に一流俳優が並ぶ、が筋は所詮、テレビドラマの域を出てをらぬどころか火曜サスペンスドラマ仕立てにするにはオチがないことで脚本企劃の段階で「ボ ツ」となる。フランキー堺、岸田今日子、市川監督ともう他界。だがハイビジョンとして大覚寺、彦根城など実物でのロケを映像に見事に活かした点は評価され よう。地下鉄で尖沙咀。尖沙咀のJimmy's Kitchenに 早めの晩餐。この週末は香港は七人ラ式蹴球(Rugby Sevens)開催。金曜日からかなり血の気の高まつた泥酔気味の猛者が香港スタヂアムのある銅鑼湾に集結。今晩はその決勝。終はるとご乱痴気組が市街お 練りとなるが幸ひ決勝の開催中で銅鑼湾で地下鉄に愚連隊が乗り込むもなし。Jimmy's Kitchenもこのセブンスに協賛らしく尖沙咀の店でもバーエリアで決勝戦の実況中継。だが客 は数人が眺めるのみで閑散。ドライマティーニ飲み中継を少し眺める。蟹肉とアヴォガドの前菜、菠薐草とベーコンのサラダ、オニオンスープとビーフストロガ ノフと、他に註文する品はないの?と思ふいつものメニューをZ嬢とシェア。ワインは新西蘭のSacred HillのSau Blがなぜかセブンスのオフィシャルハウスワインとなつてをり、これを一杯。尖沙咀でコンサート前はこの「香港のたいめいけん」に限る。で香港文化中心でエフゲニー=キーシンのピアノリサイタル。香港でのリサイタルはアタ シは二度目。少しお痩せになつた?の今晩は前半はプロコフィエフ。「ロメオとジュリエット」からの10の小品Op.75(1937年)より「少女ジュリ エット」「マーキュシオ」「モンターギュー家とキャピュレット家」の三曲、ピアノソナタ8番を存分に。後半はショパンで幻想ポロネーズ、マズルカは作品 30の4・嬰ハ短調、作品41の4・嬰ハ短調、作品59の1・イ短調の三曲、で練習曲は作品10から1〜4番と12番(革命)、作品25から5〜6番 で最後は11番(木枯らし)。キーシンといへばアンコール、で何度もの拍手喝采での出入りの中で(以下、曲名はアタシの勝手、で未確認)ショパンの夜想曲 16番、プロコフィエフのピアノソナタ6番の第1楽章と三つのオレンジへの恋(作品33)行進曲が今晩の大詰め。それでも客の拍手喝采鳴り止まづショパン のワルツ7番と「仔犬のワルツ」までたつぷり40分強。途中20分の休憩挿み2時間45分たつぷりとキーシン。今晩は「モンターギュー家とキャピュレット 家」、プロコフィエフ8番の後半、もちろんショパンの練習曲も良かつたがアンコールは客の喝采に応へ、どうしてもショパンでワルツ7番と「仔犬のワルツ」 に至つたがプロコフィエフ6番の第1楽章と「三つの〜」の行進曲、でドカーンと花火を打ち上げて、で終はつてほしかつた。どうであれアタシはこの見た目が 宮崎駿の映画でトゝロのやうな愛嬌のある「ピアノを弾く希少な生き物」と同じ時代に生きて、この地球上の謎の生物の弾くピアノが聴けることがつくづく嬉し い。ピアノはそりや凄いが、この人がぬぼーつと、そして喝采にちよつと含羞んでにこつと嗤ふ、その舞台上での立ち姿だけで一時間は見飽きないだらう。ふと 思つたがバレンボイムが主人で妻がアルゲリッチ、執事役がアシュケナージ、で当然、息子がキーシン、運転手にブーニンで家政婦が内田光子、別棟に監禁され る叔母がフジコ=ヘミングとかで『アダムスファミリー』みたいな映画撮つたらさぞや面白いだらう。キーシンのピアノの妙が帰宅しても冷めずウオトカにZ嬢 自製の枸杞の実のスピリッツを割つて飲む。

三月廿八日(土)昨晩、高原英里『無垢の力』の足穂に関する章(第四章、断念の力)読んでゐたのだが田中長徳日記読むとチヨートク先生もプラハから戻る露 西亜機のなか足穂の一千一秒物語を読まれてゐたことが書かれてゐる。足穂を徹底的に読みたいが全集も時間もない、か。昼すぎに尖沙咀。今晩のドバイの競馬 の馬券購入。Dubai Duty Freeに参戦のウオトカ(武豊)は結局、外す。でもどうも勉強不足で馬券的に面白からう、とDubai Golden SHaheenはMarchand D'orから、Duty FreeはBaliusとPaco Boyから流すキネラ、Dubai World CupはAsiatic Boy一発勝負。久々に海防道街市の徳 發に牛腩麺食す。よく毎日のやうに麺を、それも牛腩を飽きずに、と我ながら思ふが店により味付けも全く異なり飽きず。この店のこつてりした スープでラーメンも美味いだらう、と思ふ。太空館でフィリピン映画“Imburnal”観 る。監督はSherad Anthony Sanchez、で215分の長篇。フィリピンの田舎の集落で育つ少年たちの通過儀礼的なさまざまな事象通しての成長、その結果のやうに待ち受ける十代の 若者たちの何するでもなく怠惰な生活と大らかな玩性玩愛。ドキュメンタリーのやうな日常の撮影と最低限の芝居が交錯する。意外と飽きもせず215分、見続 けた。椿事あり。午後をすつかりこの映画に費やし午後六時のジェットフォイルでマカオへ。今晩、澳門文化中心でチュニジア出身のDhafer Youssefのコンサートあり。このDhafer YoussefはOudといふ楽器奏で歌を歌ふ。「をうど」は京言葉みたい、だがリュートの原型のやうな中東の楽器で琵琶みたいなもの。アラビア の琵琶で「アラ琵琶」なんて、ね。このDhaferさんの今回のツアーでドラムとパーカツションがSatoshi Takeishi(武石聡)さんで、この方はアタシの中学の二級上の先輩。中学の吹奏楽部でご一緒。当時から、そのへんの中学生バンドのドラムとは全く違 ふ世界で太鼓敲かれてゐたが(ギターでいへばCharのやうな少年がときどき現れる)、高校卒業後に米国に渡り紐育在住で現在に至り、お会ひするのは実に 三十数年ぶり。先日、同じく紐育在住のベーシストのST君来港の際に「兄貴がマカオで今月末にライヴがある」と教へてくれ、それが今晩。波止場から路線バ スで文化中心。聡さんに用意していたゞいたチケット受領。開演まで周辺を近くのコンビニまでビール買ひに歩いたが、数年前はそれなりにレストランやバーの 点在した一角もすつかり食肆が閉まつてしまつた。ビール二缶飲み「場内での飲酒は堅くお断りいたします」に隠れて飲むのに300mlの赤葡萄酒を一瓶購 ふ。この葡萄酒が18パタカ(300円ちよつと)。Dhafer Youssefのこのバンド、流れでいへばかつてのECMレコード系、といふ感じ。"The most beautiful sound next to silence"である。ジャズのやうな、無国籍な何とも漂ふ音。北亜弗利加の民族音楽か、と思へばコーランのやうな、で強烈なフリージャズに展開した か、と思ふとどこか亜細亜の、それも川田晴久の!ボードビリアンのやうなフレーズも聴こえてきたり。Dhafer YoussefはMCで愛嬌見せるがSatoshiさん始めピアノもベースもみんな伏し目がちで、それがバンドの雰囲気。客はさすがマカオで葡萄牙系の客 が多く反応良し。アタシもそつと飲む葡萄酒でかなり心地佳し。このSatoshiさんのドラムは自然系。自然の中で打楽器から音が流れてくる。他のどのド ラマーとも違ふ天然系の打楽器に客もかなり喝采。二時間のライブ終はりCD即売&サイン会がロビーで。その長蛇の列が終はるのを待ちSatoshiさんに ご挨拶し旧交を談る。田舎の中学の先輩と三十数年ぶりの再会がマカオとは感慨深いものあり。明日はもう紐育に戻られる由。ライブ跳ねNAPE=新填海区 (埋立地)を宋玉生公園の方に歩く。市街のカジノ街に近い、このへんに来ると少しは賑やか。それにしてもシーヴァスとジョニーウォーカーの看板の飲み屋ば かり目立つ。漫ろ歩き友誼大馬路渡り歓楽街の方へ。土曜日の晩だといふのに繁華街も閑散。通りに企つ淫売のお嬢さん方のはうが目立つ。これぢや商売あがつ たり、だらう。松花湖なる餃子など供す北方料理屋に入る。水 餃子食しビール飲む。路線バスで波止場に戻り23:30のジェットフォイル。iPodで志ん生の「らくだ」と黒門町の「寝床」を聴くうちに香港到着。帰宅 してドバイからの競馬中継はWorld Cupに間に合ふ。Golden ShaheenもDuty Freeも前者はBig City Man、後者はGladiatorusが来て、Marchand D'orも日本馬バンブーエール(武豊)も香港馬Lucky Qualityも、後者はウオトカもみんなダメ。でWorld Cupはダートがドバイの先日来の雨でかしら、なんか糠を踏んで走つてゐるやうな情況でWell Armedが五馬身さ、くらいで勝利。今年のドバイは擦りもせず。
▼中学生の頃、ビートルズは小学校高学年で利いてゐるやうな子が周りに何人かいて、中学生では渋谷陽一の音楽評を読み「パープルは歌謡曲だよ」なんて口ぶ りでピンクフロイドやクリムゾン、ELPにザッパとかプログレまでカヴァーしてゐたのは、地元のNHKのFMリクエストアワーに今では伝説だが田中勝美さ んがとんでもないロック番組を流してゐたからで、音楽がこれなら読む雑誌はJJの頃の『宝島』や『面白半分』で授業中に『ビックリハウス』の回し読み。ク ラフトワークも聴いてゐるから、その後のYMOも驚かない十代がそこにゐて、この上述のドラム&ベース兄弟がゐて、担任は高校受験のアタシに当時、ショス タコービッチなんて聴かせてくれた。嗚呼、なんて70年代なのかしら。

陰暦三月初一。日値歳破。早朝にJ-Waveのジョン=カビラ氏の番組に電話出演で数分間「香港の引越し」について喋る。いつもならBoseのSound WaveでRTHKのChannel-4の古典音楽がfade-inしてくるので心地よく目覚めるが、それが修理中でラジオ局からの電話に慌てゝ飛び起き た。昼遅く銅鑼湾の文輝墨魚丸大王に紫菜四寶粉食す。アタシ はどうしても灣仔の泉記が好きだがこの文輝は銅鑼湾では墨魚丸では老舗。今はどうだか知らぬが嘗ては銅鑼湾の卡拉OKに遊んだ日本人の客が卡拉OK小姐連 れ出し夜な夜な「最後の〆め」なのか「同衾前の仕込み」なのか知らぬが、この文輝に夜食の客多く註文もいゝ加減で、この食肆の紫菜(海苔)が日本人客には 好評で日本語で「海苔蕎麦!」と頼むと紫菜盛つた墨丸粉だかが供されたといふ話(都市伝説か)をふと想ひ出す。だがさすがに今どき昼ひなかに「海 苔蕎麦!」と註文する勇気もなし(笑)。この肆の河粉はとにかく量が大盛り。味付けは本当に控へめで客は好みで卓上の魚醤を加へたり。晩は久々に吉野家の牛丼。箸が環境保護か、割り箸でなくプラスチック製でリサイク ル。牛丼を割り箸以外で食べたことがないので、どうも勝手が違ふ。プラスチックの箸ではとにかく食べづらい。店内でなんとなく和んだ気分になり、ふと気づ くとBGMがチェッカーズの“Song for U.S.A.”であつた。アタシがおそらく吉野家の牛丼を最も食べてゐた頃(1983年はもう四半世紀前!)のヒット曲。かなりヒットしたが曲名の Song に冠詞がないのがいかにも日本的で、当時“for the U.S.A.”だらう、精確には、とか指摘され、サビの“This is the song for U.S.A”の語呂と音がどうもマッチしてゐないのが気になり、いづれにせよ当時まだ健在だつた朝日ジャーナル的には「まるで日米安保ソング」であつた。 閑話休題。昨晩に続き太古城シティプラザの映画館でZ嬢と今晩は想田和弘監督の『精神』観る。この想田監督も昨晩 の『谷中暮色』の舩橋監督と同じく赤門、想田さんは文学部宗教学科の出でやはり紐育の視覚芸術学院で映画制作を学んだ人。想田監督上映挨拶あり。前作『選 挙』がこの映画祭で上映された時に香港に好印象あり今回も是非に、と願つての香港上映の由。岡山の或る精神科診療所舞台にしたドキュメンタリー。英語の字 幕はけして患者らの語りのニュアンスを全て訳しきつてはおらぬが、そこが映像の強みでぐゐ/\と観衆を引き込み客の香港のあからさまな反応はそりや監督に とつては感慨無量のはず。精神病の患者は映画が始まつた頃はとても不気味だが、だん/\と親近感を持ち始め、観てゐる我々が自分たちとはほんの軸が数度違 ふくらゐの差異しかなく、自分たちも鳥渡した弾みで精神を病むのだらう、と覚悟し、そして精神病の患者が佳人から遂には聖人にすら思へてしまふ……は監督 の敢へていへば「演出」の凄さ。とにかく出てくる患ひ人たちがさすが紙一重で見事に役者づいてゐる。かなり見事なドキュメンタリーであるが見事なドキュメ ンタリーほど「やらせ」ではなく制作上の非現実性があるわけで、この映画でいへば、精神病といふ病に対しての偏見がこの映画で解けるか、といへば慥かに偏 見は多少解消されよう、がこの岡山の診療所はいはゞ愛すべき精神病者らのサロンであり、この診療所に通ふことすら能はぬ精神病患つた人々がその何十倍、何 百倍もゐるのが現実で、その人たちがこのやうに和気靄々とフィルムに登場できるか、といへば無理な話で、山下清や草間彌生は芸術家になれるし、この岡山の 診療所に集ふ人たちはまだその言動が愛すべき対象となる。このドキュメンタリーはまるでムーミン谷、一つの桃源郷のやう。それはそれで大いに結構だし映像 に撮つただけ偉業。だが精神病の現実とは、まだ遠い世界だらう。……とそんなことは製作者である監督自身承知のことで、だからエンディングをどこに着地さ せるか、がこの映画の醍醐味……はまだ日本公開前らしいので此処では語らず。ところでこの作品、想田監督の企劃・監督・撮影・製作の一人作品ゆゑ撮影がビ デオになるのは致し方あるまい、がキョービの高画質ビデオはもう鮮明過ぎてアタシの目には画質が硬いのが難。映画や音楽会の時にふだんの眼鏡では弱いので 強い度数のに掛けるのだが、このビデオ作品も高画質過ぎて思はず普段の眼鏡に掛け直し、少しぼんやりでどうにか135分に耐へた。ビデオ編輯作品も岩井俊 二監督の「リリィ=シュイの世界」も、あの当時はデジタルで映像が硬い、と感じたが今、DVDで見直すと今のに比べればずつと柔らか。あれくらいが限界だ らう、通常の視覚にとつては。
▼先日「身を窶し」と書いたが不幸は架空の物語を待つ迄もなく現実にいくらでもあり。二日前だかの蘋果日報に「愛滋婦體内蔵毒因152月」とベタ記事あり 何かと思へば四人の子をもつケニア人の女性は不幸にも前夫からHIV染され三歳の娘も感染、その娘の医療費捻出のため麻薬密輸に500g(末端価格でHK $63万)のヘロインを99包に分け陰道と大腸に隠し中国内地に運びUS$三千の報酬を得る仕事得たがバンコクからのフライトで香港空港に到著し税関で捕 まり12年八ヶ月の入獄の沙汰。香港での収監にケニアに残せし四人の子を想ひ悲しむばかり、と。
▼先日のダービー馬Collection(閒話一句)について昨日の蘋果日報の連載で左丁山氏が語るに、ダービー優勝の賞金HK$928万は世界二位の高 額で、まるで一攫千金だが、この駿馬は父が97年の凱旋門賞五馬身差で圧勝のPeintre Celebre、で祖父がNureyev、曽祖父がNorthern Dancerといふ超名駒だから落札の価格が90万£で、だからさすがの香港馬主らもシンジケート組んだほど、ダービーまでの二冠一亜での獲 得賞金がHK$1,116.3万で手取りが七掛けとすれば、まだ/\回収も出来ず、ダービーでの2,000mの余裕の走りを見れば一月末のチャンピョンマ イル、年末の香港国際で走つてもらつて賞金稼ぎせば、やうやく「閒話一句」と。うまゐねぇ、左丁山。
▼藤間紫刀自逝去。享年85歳。六代目の勘十郎が前夫で亡くなる時は澤瀉屋の喜慰斗の姓となつた。
▼昨日のIHT紙に“Dear A.I.G., I quit”と題しA.I.G.副社長だつたJake DeSantis君が同社C.E.のEdward M. Liddy君に送信の公開E-mailより抜粋。DeSantis君は「問題となつた」高額の賞与の全額返済申し出「一人だけ良い子ぶりやがつて」だろう が。
The only real motivation that anyone at A.I.G.-F.P. now has is fear. Mr. Cuomo has threatened to "name and shame," and his counterpart in Connecticut, Richard Blumenthal, has made similar threats — even though attorneys general are supposed to stand for due process, to conduct trials in courts and not the press.
So what am I to do? There's no easy answer. I know that because of hard work I have benefited more than most during the economic boom and have saved enough that my family is unlikely to suffer devastating losses during the current bust. Some might argue that members of my profession have been overpaid, and I wouldn't disagree.
That is why I have decided to donate 100 percent of the effective after-tax proceeds of my retention payment directly to organizations that are helping people who are suffering from the global downturn. This is not a tax-deduction gimmick; I simply believe that I at least deserve to dictate how my earnings are spent, and do not want to see them disappear back into the obscurity of A.I.G.'s or the federal government's budget. Our earnings have caused such a distraction for so many from the more pressing issues our country faces, and I would like to see my share of it benefit those truly in need.
と。このDeSantis君の半思と賞与返済の行為は評価に値ひしやう。が、問題はそも/\何故にA.I.G.救済に巨額の公的資金を米国政府が注資した か?であり、その結果がこの管理層に対する賞与、と思へば貰つた連中は寧ろ貰ひ得で返済などせぬも一興。張五常教授ら市俄古派中心となり多くの経済学者が 米国政府の金融機関救済が為の公的資金投入反対の声明出したも然り。

三月廿六日(木)もう十年以上目覚ましと寝しなの名曲に、と愛用のBose社のWave RadioがCDのデータ読みとらぬ不調あり新蒲崗のBose社客戸服務中心にようやく持参。さすがBose社やなぁ、と感心はこの服務中心の洗練された 内装と、故障修理の待ち客のソファはわずか四席で更に待ち客一人もをらず、は確かな品質の証左か。アタシが銀 座くのやの大きな風呂敷を広げるのを接客の職 員は些か驚いて眺める。風呂敷が解かれ自社製品が現れるのを少しは楽しんでもらへたかしら。検査費と恐らくモータードライヴの交換が必要、でHK $1,000はかゝらぬだらう、と真摯なる職員の弁。但しtrade-inなら新品(Wave Music System)は定価HK$4,380を算盤弾き「この値段でようがす」と悪魔の囁き。苦慮の末「もう少し、この愛機を使つてみませう」と言い切つてみせ たアタシは偉い。それにしてもWave Music Systemは中国内地なら5,900元で日本なら更にお高く74,970円、と思ふと香港はやはり買物天国。折角なか/\ふだん来る機会のない新蒲崗だ から得龍だとかどこか美味い物も食ひたいが新蒲崗まで来るのに地下鉄に乗れば良かつたものを106系統のバスに乗つちまつたもんだから紅磡から土瓜湾抜け るのに時間要して新蒲崗の昼飯は次回にお預け。帰りは新蒲崗より地下鉄に乗ろうと鑽石山に向へば、かつて鑽石山のドヤ住宅群ももう撤収され10年近いのか しら、その地はすでに林となるほど樹木育ち鬱蒼とした光景。その中に一棟だけ昔を偲ぶ住宅あり。(以下、鳥渡、露伴先生風に……)金鐘のGreatでTriple O'sのハンバーガー食しAMC映畫館でヲリバー=ス トーン監督の“W.”見れば、洋畫は日本上映での邦題のセンスの無さに 何時も呆るゝが此の“W.”は主人公の布殊(ブッシュ)に掛けて「殊不簡單」とてみせるは見事、前半は 大統領とて白宮での日々と若い頃のご亂癡氣を絡め話は展開、イラク征伐で勝利も束の間、其の後の泥沼化で白宮内部で側近の高官らと、イラクの兵器備蓄を斷 定したるの、してないの、と揉め911以來の追ひ風も翳り再選されても暗澹たる時期、といふ處で話は終はる。2004年の再選からは一切觸れず、は本來で あれば一期でブッシュは終はつてゐた、と言ひ鯛か、ヲリバー=ストーンゆゑ此の小ブッシュの扱ひ方は明らかなれど、チェイニー副大統領が單純なブッシュ以 上に如何にワルか、を描いてみせ、豫想以上に面白きは父ブッシュの此の愚息に對せる危懼と憂慮を大きく扱かつた事か。又蕁麻疹ひどく何時もなら朝で退くの が今日は夕方になつてもひどくC醫師の診療所に寄り藥の處方受ける。ジャスコ太古店の山頭火にラーメン食す。太古城シティプラザの映畫館で舩橋淳監督の『谷中暮色』見れば舩橋監督來港で上演前に挨拶も英語流 暢はさすが赤門の敎養學部表象文化論分科卒で紐育の視覺藝術學院にて映畫制作修養の由、谷中を舞臺にドキュメンタリータッチで谷中の市井の生活を描きた い、と氣持ちはわかるが如何せむ、記號論的に「意味の持たせ過ぎ」が見てゐて食傷氣味、露伴先生の「五重塔」の物語をmotifに語るも、そりや露伴知ら ずの觀衆に「五重塔」の筋書をばわからせやうと劇中劇入れたるは良いが劇中劇の芝居下手目立ち、其れを敢へて當時の登場人物たる若者に演じせしめたる事で 時代のギャップの演出と言はれゝば其れ迄なれど、更に主人公の一人たる娘が谷中フィルム協會の一員とて昭和32年に消失の五重塔の、其の炎上寫したるフィ ルムがないか、と谷中を熱心に探し歩くもそりや結構、なれど鄕土史家の老人に「で、幸田露伴の『五重塔』っていう小説はどんな話なのですか?」と尋ねたに は唖然。此の谷中天王寺の五重塔といへば露伴、露伴先生の「五重塔」なのだから露伴の小説は讀んでゐて當然だらうし讀まづして從事してゐれば似非も似非、 或いは所謂「かまとゝ」で頑固老人の口を開かせる爲に敢へて「五重塔」の筋を語らせたとすれば、此の娘に近づく「幸せになる石」をば老人に騙して賣るペテ ン師よか性惡ぢやなからうか。音樂もうるさ過ぎ、と一言申し述べたく、筋を「削いで削いで」の研鑽は赤門の大先輩山田洋次に学ぶべき、そのへんの若者に映 像上で魅力感じさせたければ北野武が上手、老人に語らせるドキュメンタリーなら故・土本典昭、原一男あたりが大切。
▼今晩の水戸芸術館は小菅優嬢が水戸室内管絃楽団のアンサンブルでモーツァルトのピアノ三重奏曲ハ長調(K.548)、ブラームスのピアノ四重奏曲三番と ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲イ長調作品88ださうで母が聴かれる。芸術館の館長たる秀和先生も大きな拍手をいつまでもしてをられたさうでお元気。母 は先生が脇を通られた時につい会釈してしまつた、と。一月にはこの楽団の定演で小澤征爾指揮で小菅嬢がメンデルスゾーン生誕200年でを紀念してメンデル スゾーンのピアノ協奏曲一番ト短調と「夏の夜の夢」の由。水戸も捨てたもんぢやなし。

三月廿五日(水)夜中の三時に電話が鳴り、かういふのは不安。對手は無言で衣擦れの音ばかり。源氏ぢやあるまいし。何事か、と思ひ、一旦切つて掛け直すと 知己の某氏。「あ、すみません」と何事かと思へば明朝、といふか六時間後だかのフライトで日本にご帰国のこの方が仕事の書類整理だのが終はらず帰国前夜に 徹夜で作業中。ズボンの腰ポケットにいれた携帯が擦れて偶然にアタシに来電の結果。こんな時になんですが、とご帰国のお別れと安寧を告げると對手は「深夜 にとんだ失礼を」と恐縮するばかり。これで睡気も失せまんじりともせぬまゝ朝。本降り終日続く。こんな日にかぎつて昼から諸事に外回り。灣仔の永華麺家に久々に薑葱撈麺食す。えッ、と思つて壁のポスター見れ ばこの食肆までミシュラン香港版でお勧めの一つに掲載の由。Dr Martinの鞜も雨水が滲みるほど蔡明亮の映画のやうなビチャ/\の 市街。お気に入りのダンヒルの傘も倫敦を想定したものなのだらう、香港の雨では傘は雨を弾くどころか、顔が濡れるのは雨粒が布地を通して霧雨となつて傘の 内を降るからで、慥かにこれが倫敦の雨のやう。映画祭で任達華主演の『文雀』見るつもりが忙しくて見逃す。久々に灣仔のThe Delaney'sにギネス麦酒一飲して帰宅。晩にNHKのNW九で世界棒球経典で優勝の日本チームが成田空港に到著した直後の記者会見実況中継を眺め る。すつかり大物然とした原監督が「覚悟と潔さをもつて、気力と粘りの」として「日本力」(ニホンヂカラ、일본힘)なるものを誇りのやうに語り「選手が選 手権に向けて金色の髪が黒くなり長い髪を切り……」と、で選手たちのやる気を感じた、といつたやうな発言あり。結局、精神論でこゝにいくのがいちばん「日 本らしさ」だらう。
▼香港政府の民政事務局の「左派」局長・曾德成君が仏教団体引き連れ来週、訪台の由。いくら民間の仏教団体の台湾訪問での名誉団長とはいへ香港政府主要高 官の訪台は初。而も学生時代に親中派として反英暴動煽動の廉で収監された正当左派の曾德成君、この十年で香港政府(といふか北京中央)の覚え宜しく行政会 議議員から民政事務局の局長にまで昇格。この共産主義者が何が仏教団体で、と嗤ふ声もあるがリベラル派より寧ろ保守反動派ゆゑ、で香港の台湾関係の改善と は皮肉といふか、政治はかういふもの。この訪台で近いうちに半官で香港特区政府の駐台湾弁事処が出来るといふ。
▼FT紙(23日)の世 界銀行ランキングが面白い。1999年と2009年の世界の金融機関の時価総額トップ50である。1999年にCitigroup筆頭に上位18 のうち米国が10社ランクインが2009年はわづか3社のみ、で取つて代はつたのが中国で中国工商銀行、中国建設銀行と中国銀行がトップ3を独占、でトッ プ50に6行がランクイン。中国の金融機関が時価総額で上位占めるのはさほど驚かぬが、少なくても不幸中の一筋の光はグローバリゼーションの結果だらう、 1999年にはトップ50にはなかつた、当然中国の他に(カナダと瑞典もなのだが)ブラジル、露西亜、印度がランクインしてゐること。このFT紙のランキ ング、ネットで見ると更にビジュアルが秀逸でグラフを動かすと面白い。

三月廿四日(火)多湿でも多少涼しげな朝。空は俄に黯澹となり雷光一鳴で降り荒む。昼前に霧雨となる。某所のモニタで一つに世界棒球経典の決勝戦、日韓の 天王山が中継されてゐるが香港では誰が目を留めやうか。立ち止まり眺めてゐたのはアタシだけ。イチローといふ選手の才覚は認め よう、だが彼よりも長嶋茂雄がずつと凄かつたのはコメント一つとつても誰も呆れも反発も覚えず、ただ/\「さすが長嶋だ」といろんな意味で人々を感心させ たこと。早晩に香港で42回目の献血。450ccの血を抜いてすッきり。Z嬢と銅鑼湾で待ち合はせヴィクトリア公園散歩して城市花園の「自然や」に晩を食す。店に入るなり「ズケで」と頼んでおいた鮪の赤身 が鉄火丼で供されまことに美味。帰宅するZ嬢と別れ独りお忍びで福元街で芝 麻湯圓。捏ねたての湯圓がこれまた美味。路線バスで九龍に渡り二更に科学館。今年の香港国際映画節は二日前に始まり開幕上映作品はジャッ キー=チェン主演の『新宿インシデント』と許鞍華監督『天水圍的夜與霧』で、 昨晩はAsian Film Award(亜州電影大奨)なる映画賞発表あり映画『おくりびと』で主演男優賞獲た本木雅弘君は来港予定のフライト(JL731)が成 田での貨物機墜落事故で運行取消しとなり後続機(CX549)になんとか乗り込み授賞式典会場に送れて滑り込みの由。アタシは漸く今晩がこの映画祭で初の 参観は鐘徳勝(Simon Chung)監督の『愛至盡』End of Loveといふ作品。二十歳くらゐの主人公Mingはせつかく恋人が出来たが母と仲違ひ、で母は自殺図り、Mingは弱いところあり誠実なその相 方の愛に応へきれず悪友に唆され身を窶し淫売を生業とし薬物に溺れ検挙され保護観察処分で基督教団体の運営する人里離れた解毒所で麻薬中毒断ち切り社会復 帰を願ふ。この解毒所で同宿となつた敬虔なクリスチャンの青年を兄と慕ひ、出処後はこの契兄の働く美容室で働き始めるのだが……身を窶せば廓から足をあら ふのもさう易しからず、また薬物の誘惑もあり頼りにした契兄もまたヘロインに……と、基督教団体の運営する人里離れた解毒所といふ「とてもフーコー的な」 装置が舞台といふことに関心あり見た映画だが、題名の通り愛が盡れば、でそこにあるのは死、と甚だ重きテーマの作品。

三月廿三日(月)昼餉を鰂魚涌裕民街の金峰靚靚粥麵の及第 粥、夕餉を晩遅く灣仔の再興焼臘飯店の叉焼飯。これだけで香 港で生きてゐて至福。ジムのトレッドミルで45分走る。ゆつくりなぶん勾配を2%だけつけて。世界棒球経典の準決勝日米戦か、ジムで走りながらモニタで眺 める。日本の唯一の希望が今、この野球チームなのだらう。米国は羅府で、それなりに盛り上がつてゐるのかしら、と思つたが外野席の客の入りは見た目、楽天 の仙台でのオープン戦並み。そんなものか。今日も星巴珈琲で観察すると、しつこいやうだが、やはり“short”といふ大きさは価格表からもカップ見本か らも一切消してあるやうで、だが“short”と註文するとカップもあるしレジもちやんと値段が打てる。ちなみにレギュラー珈琲が価格表ではHK$22の “tall”が“short”で註文するとHK$16である。客に謂はば誤魔化すことで、このHK$6で売上げを伸ばさうといふ、その発想の浅ましさ。ち なみに金峰の及第粥はHK$18、再興の叉焼飯はHK$22なのだ。だが日本のスタバはネットでもちやんと「ショー ト」サイズ明記あり。ちなみにレギュラー珈琲の場合、350mlの「トール」が340円で240mlの「ショート」が290円、量の差(1.46倍)に対 して値段は1.17倍。珈琲の量は世界共通だとしたら香港の値段の差は1.22倍で日本より“tall”を売る場合の利益はほんの少し高いことになる。い づれにせよ香港の星巴にはサイトに商品別の価格ま で出てをらず、どうやらこの「short隠し」商法は香港の星巴、つまり香港の経営元である美心集団の魂胆なのかしら。
▼本日の人民日報に第11世パンチェンラマ師がチベット農奴百万人解放五十周年紀念として「倍 加珍惜民主改革的成果」なる署名文章の掲載あり。北京が擁立のパ師は当然のやうに「唯有中国共产党才能使昔日农奴得到人的尊严和自由」だとか「只 有中国共产党的领导,西藏才有今天的繁荣发展,才会有更加美好的未来」と中国共産党政府によるチベット解放の意義を謳ふ。この記事は事前に新華社が「23 日の人民日報にこれが載りますよ」とご丁寧に配信ま であり。こゝまでして「安定したチベット」強調せねばならぬ北京政府のご苦労。
▼朝日新聞が今日の国際面で「「米紙報道は司法の侮辱」シンガポール、賠償命令判決」と報道は、政府批難しただけの野党政治家が政府に名誉棄損で訴へられ 巨額の賠償金の支払ひ命じられるやうなことから星嘉坡の司法の独立に疑問呈した記事掲載のWSJ紙に対して同国の最高検察庁が司法侮辱と訴へ高裁がこれを 認め25千シンガポールドルの損害賠償命じた、といふもの。思はず
物言へば唇寒し星港
と一句詠んだが、この記事が他紙の紙面では見当たらず朝日新聞もネット版では消えてしまひ、いつたいどうしたことかしら。

三月廿二日(日)空濛多湿。おクスリのおかげで熟睡安眠で午前七時半目覚む。本日陋宅裏山にて第33回Mount Butler Raceあり。10回=10年くらゐ連続出場(だらう)で是非とも出たゐがこの半年近い運動不足、もうだいぶ良くなつたが腰痛再発も怖く、何より最近の眩 暈や蕁麻疹など体調不十分は明らか。距離は 17kmだが下手なハーフよかずつと厳しいレース。で八時スタートのレースには向はず、ブレーマーヒルに先廻してランニングクラブのお仲間の応援。だいた いいつもレースで同じ時間帯走るランナーの顔ぶれが出てきたあたりからの勝手に途中参加。終点まで10kmほど走るが走り出して、いきなり転んで膝小僧擦 り剥く。終点では途中参加なので当然「レース参加ぢや御座居ません」と申し渡しゼッケン持参はしたので紀念のTシヤツだけいたゞく。急いで陋宅に戻りシャ ワー浴びて沙田競馬場に急ぐ。本日、香港ダービー。今季初の競馬観戦。第一レースの新馬戦に知己の馬主C氏の新馬Dashing Victoryがデビュー。調教の時計が良く三番人気で「こりや、いけるか」と競馬場に駆け出走二分前に馬券購入し汗だくで観戦席。かなり良い位置を保ち 最後直線に入るが一番人気のMalayan Brightに最後差されて二著。倍賭けの複勝で少し儲けあり。馬主C氏の長男君と旧交を談す。久々の競馬は選擇は悪くないが馬券下手で配当に結びつか ず。三T(Triple Trio)に関はる第五〜七レースで見習ひ騎手のMatthew Chadwick(蔡明紹)君が、1stと2nd Legは一番人気でまだしも四番人気だかの3rd Legも勝つて三連勝の殊勲。香港生まれで豪州育ちの騎手で昨年11月だかからの香港での騎乗で見習ひの10磅の軽量措置ありとはいへ本日の三勝で20勝 とは立派。聞けばA Cruz調教師預かり。A Cruzといへば香港の地場騎手で唯一最高の騎手、あとどれくらゐ調教師続けるか、でこの見習ひM Chadwick君に次世代を託せるか、どうか。本日のアタシの最大の不運は第八レース、The Premier Plate(地場G3)でホワイト騎手のJamesinaか、名前が好みの花好月圓か、と悩んだ揚げ句に後者をとり勝ちは前者。Happy Valleyでは好調だが沙田では未勝で人気薄ながら、考へてみればHappy Valleyの1800mで勝てるなら直線の長い沙田は楽勝だらう。で香港ダービー。断トツの一番人気は一枠のCollection(閒話一句)、は敵な しの1.4倍。二、三著狙ひで三連単でも狙はねば配当も期待できず。で結果、向ふ正面で八番手くらゐからする/\と二番手に着け第三コーナー回つて、の文 句なしのCollectionの勝利は、ゴール直後にスクリーンに知己の馬主W夫妻の欣喜雀躍が映り「えつ」と思へばこの馬の主はジョン=ムーア調教師シ ンジケートで慥かにマカオのカジノ王スタンレー=ホーや芸人アラン=タムらもムーア騎手に馬を預けるから歓びの表情見えるが、どうやらW夫妻がこのシンジ ケートの筆頭馬主の由。馬券はアタシは三著馬を外し台無し、でもう帰らうか、と思つてゐたがW夫妻がつひにダービー馬主となつては表彰式を見守る。この ダービーのスポンサーたるベンツ自動車三台に乗りW夫妻はムーア調教師、ビードマン騎手と馬場をお練り。で夫妻が戻られるのを待つてお祝ひの言葉かける。 歓喜のW夫人に「来てたなら、なんで口取りの写真に入らないよッ!」と叱られる。つひにW夫妻も念願のダービー馬主とは。おめでたう。で残り二レースの馬 券のみ購ひ帰宅の途に。競馬に来たのにレースの前後は、どうせ馬を選んだところで当たるも外れるも時の運、と抱へた新聞など読み終はつたので配当は別にし て本日のこれが成果かしら。で帰宅して最終二レースの結果みれば第10レースも余計な一頭入り三連単外したが最終レースで最後の願ひのDanzuluが勝 ち単勝と連複で本日の負債帳消し也。久々の競馬を満喫す。
▼FT紙の“Future of Capitalism”なる連載(今月9〜13日)を競馬場で競馬観戦の合間に読む。11日の特集で“Fifty who will frame a way forward”なる今後の景気恢復に影響力あらう50人選び、で世界第二位の経済体なる日本は中央銀行ジャンルで日銀総裁が選ばれるのみ。中国は温家寶 首相始め米国の華僑経済学者まで含めれば三名。

三月廿一日(土)未明に蕁麻疹の痒みに目覚めまんじりともせぬまゝ夜明け。朝刊読んでゐて、ふと残したヒドロキシヾンなる誘眠薬呑めば良かつたと後悔。春 雨空濛。右手、肩、背に酷い蕁麻疹は「医者に行かう」と思ひ、納豆と焼海苔に味噌汁の朝食が薬膳効果?で治まり始 めるが念のため朝イチで近隣のC医師の診療所訪れ診断を請ふ。ストレスと疲労、で休養が一番、とC医師。蘋果日報に、米国でレーガン元総統の執務御用撮り 続けたPete Souza氏の写真の内にレーガン君がモスクワ訪問の際の写真でこの反共総統の近くに写る環境客姿の男性が、実は若き頃のプーチン君ぢやないか?と話題に なつてゐる記事あり。この時、この若いソ連国民は亜米利加の人権問題などレーガン君に問うた由。それがプーチン氏の当時の特殊任務だつたのか、などと報道 されてゐる。それはそれで良い、として、この写真にあるプーチン氏がいかにも観光客然として首から下げてゐる、このカメラはフェド? さらにもう一台、こ れは何なのかしら。……と思つて、ふと田中長徳氏はこれをご覧になつたかしら?とメールを差し上げたらすぐにご返事が。しかもプラハから! 田中氏曰く、 拝見したところカメラは1970年代のゼニット。これは大衆的な一眼レフ。でプーチンさんの「ツーリストコスプレ」での失敗は首からぶら下げてゐる露出 計、レニングラード製のレニングラード。ちなみにレニングラードといふカメラについては同氏の『銘機礼讃3』で読ませていたゞいてをります(直筆サイン 本)。……でこゝからチヨートク先生の「なにがプーチンが自然ぢやないか?」の大変可笑しい、興味深い話をメールで知らせてゐたゞゐ\いた。がこれはチ ヨートク先生がきつと何かに書かれるでせうから、こゝでは伏せて。そればかりか夜中のプラハでアタシの拙文の日剰を「読み出したらとまらなくなりました」 とチョートクカメラ日記にリンク貼つてゐたゞく。ほんの5分走つて百年ぶりにジムでトレッドミルで一時間、それも6km/hつて歩くも同然だがこゝ数ヶ月 また耳の三半規管が失調しゐのか、人間として、なのか平衡感覚が欠け鳥渡ふら/\するからゆつくり、走る。天后の華姐清湯腩で腩河を昼に食す。銅鑼湾に按 摩。帰宅。昏刻、Tokyo FM(FM東京を今はかう呼ぶらしい)のSuntory Saturday Waiting Bar AVANTIでアタシの喋りが流れた(だらう)。がPodcastでは聴けず。陋宅書室にて机まわりの諸事片付けドライマティーニ二杯。 晩にコロッケを揚げる。コロッケを揚げても白飯で腹一杯にせぬ、コロッケとキャベツ千切りだけの所謂、大人喰ひ?なので赤葡萄酒も佳いかしら、とコロッケ ならLos Vascosで良いでせう。コロッケをソースがちやうど切れたので、塩やマスタード、将又サラダドレッシングでいくつも、いくつも食す。イングリッシュマ スタードがいちばん美味しかつたか。NHKの大河ドラマ的には織田信長もきつとコロッケを赤葡萄酒で頬張つたかしら(嗤)。テレヴィジョンつけるとNHK で「日本の、これから 放送紀念日特集「テレビの、これから」なる題目からして面白くなささうな特別番組。出演者のうち元コピーライターなどは厭ひつゝアタシは今井義典氏(日本 放送協会副会長)は尊敬する、が番組としては面白くなささうでビデオテープ漁ると正月(太陽暦)の新春能舞台の録画あり「高砂」と「船辨慶」を見る。勿 論、能にはとんと疎いアタシは畏友村上湛君の「能の見どころ」を手許に。見終はつてFMラジオつけるとRTHKのChannel-4でハイド ンのセロ協奏曲(イ長調)が流れてゐる。香港シティチェンバーの一月八日荃湾での演奏録音。昨晩の「おくりびと」もやはりハイドンやバッハ「だけ」で良か つただらうに。奈良のT君からゐたゞゐた京の若菜屋の栗菓子。ヒドロキシヾンを服し暫くして寝入る。
▼前述の今晩のTokyo FMのAvantiの番組のサイトで須田鷹雄さんの話から、マカオのフェリー波止場近くの老舗カジノ、回力娯楽場の「回力」がイスパニアのギャンブル系ス ポーツ「ハイアライ」の意だつた、と今になつて知る。須田さんの話、勉強になることばかり。
▼映画「おくりびと」について。敢へて言へば「単に」死に臨む人々を描いた映画。もちろん死と対峙するから大変なこと、で物語にし易いだらう。だが大切な ことは人の生病老死といふ運命は世界中の誰にでもあることで世界中の誰もが、そこに哀しみや怒り、故人への感謝などを感じること。だから、さうした生死感 は「日本人だけぢやねーんだよッ!」。それを中曽根大勲位の単一民族観や、あるいは紀尾井町の廃刊間近のかつての「諸君」に象徴される「日本ならでは」の 生死観にしちまふことの浅はかさ。そこで新宿矢来町の「新潮45」も「『おくりびと』と『納棺夫日記』 300万人が泣いた!世界が日本の「死」を理解した日」なんて(青木新門氏)感動記事が出来てしまふ。子どもの頃から、テレビで例へば「この木何の木気に なる木」の「すばらしき世界旅行」であるとか「兼高かほる世界の旅」とか良質の世界の民族生活のドキュメンタリーを見てゐれば、どう考へても「おくりび と」の死への対峙が「日本人ならでは」なんて感慨がdemagogueryであることは明らか。パプアニューギニアでもタンザニアでも共産圏のチェコでも 人が死にその死を尊厳として祀り……は世界中同じ。それを、かうして「たかだか」死が日本人としてのアイデンティティやナショナリズムに結びつく、といふ か、さうしようとする怖さ。映画製作の当事者にはそこまで意図はなからうが、周囲が、ね。
▼羊頭狗肉とはまさに、これ。香港の地場の「撮影雑誌」誌の三月号。昨夕、地下鉄に乗る際に表紙にLeica M8.2が写り時間潰しに読まうか、と買つてみたら、なんと表紙広告でM8.2に関する記事は、一切なし(笑)。この雑誌、だから買ふと期待外ればかり。

農暦二月廿四。春分。IFCの映画館でAri Folman監督の“Waltz with Bashir”見る。1982年の以色列によるレバノン侵攻作戦から話はパレスチナ難民キャンプ、サブラ=シャティーラの虐殺へと結び ついていく。ドキュメンタリーをアニメーションにして生々しくないぶん余計にシュー ルで淡々と事実が映像で眼にやきつくから視覚がやられちまつて90分の作品を見続けると頭がだん/\ふら/\して途中、突然、急な猛烈な睡魔に襲はれたり 眩暈がしたり。インパクト強き作品。最後にこの虐殺の生々しい実写フィルムが挿入されるのだが果たして実写部分は必要だつたかどうか、は意見のわかれると ころだらう。見終はつてIFCにあるSam The Record Manといふ「日本製ハイエンド初版CDとLP専門店」訪れる。かなりキテゐる店でアナログならまだ理解し易いがCDでも初版に比べ版を重ねることに音は 劣化するさうな。で日本のマスタリングとCD焼き回し技術は世界でも最高水準なので洋楽でも日本製の初版CDが貴重なのだ、といふ。で値段もハイエンド。 ピンクフロイドの「狂気」のCDがHK$3,980、パブロ=カザルスのバッハの無伴奏はHK$9,880と、まさに狂気(笑)。LPはアタシが中学卒業 の時に母に買つてもらつたカラヤンと伯林フィルのベートーヴェンの交響曲全集(当時、慥か19,800円だつたかしら)が飾つてあつたが怖くて触れないど ころか名物経営者に怖くて値段も聞けず退散。いくら貴重盤でもたかだかCDに数千ドル「投資」しようといふ酔狂な客がゐるかどうか。日に何枚のハイエンド CDが売れるのか、だがIFCのいくらロケーションはかなり奥まつてゐるとはいへ、こゝで店を構へてゐられるだけ経営者は俗人とは生きてゐるレベルが違ふ ことだけは慥か。本屋でミシュランの香港&マカオ版を立ち読み。ほんとだ、鮨加藤も掲載あり。一読して、香港にせよマカオにせよ、逆立ちしてしまふほど生 半可なレストラン評と評価に唯々嗤ふばかり。小腹が空き久々に麥奀に雲吞麵食 す、と開胃で更にGough街の九記で牛腩麺。麥奀の雲呑麺 は上品さでは格 別、九記の牛腩湯はどんどん進化?してゆくがスープの甘つたるさは人の好きずきでアタシは鳥渡、苦手。観塘のapmに向ふ。Amexの金曜日優待、映画の チケット1枚買へば1枚無料特典でZ嬢と映画『おくりびと』見るためだが中環のIFCの上映チケット買ふ積りがネット上で失敗り観塘へ。この映画が香港で はアカデミー賞でどうの、かふのより何より「あの搶錢家族(Yen Family)の滝田洋二郎監督の」と広告の冠になるところが何とも嬉しいのは滝田監督の『木村家の人々』が香港で記録的ロングランゆゑ。この映画上映で 賑はつた灣仔の詩藝戯院は閉館後、この場所(新鴻基中心G階)は新たな店子も入りもせず、この映画館存続してゐればこの『おくりびと』もアカデミー賞うん ぬんなければひつとりと詩藝で上映してゐたのかしら。映画は、葬儀の場の山﨑努を見ると、これで銭湯の女将が宮本信子で納棺会社の社員が桃井かをりであれ ば映画『お葬式』だらうし、食事の場面はことに伊丹十三へのオマージュのやうに映る。脇をかためる役者が笹野高史、山田辰夫、石田太郎、大谷亮介と揃つて ゐる。『狂ひ咲きサンダーロード』の山田辰男も老けたなぁ、と老けたアタシが思ふ。本木雅弘の父親役、それも故人の役で遺体演じた峰岸徹はきつと「科白が 下手だから遺体役は適役だわ」と口の悪い映画評論家に生きてゐれば言はれたのだらう。映画じたいは『お葬式』の菅井きんの独り語りのやうな醍醐味もなく最 後は家族愛みたいなところに収まるところが滝田洋二郎。好き嫌ひもあるが「蕎麦屋は蕎麦しか打てない」芸風といへば芸風。アタシは鳥渡、苦手。考へてみれ ば滝田洋二郎といへばアタシが最初に見たのは、といふか映画館で偶然かゝつてゐたのが「痴漢電車」シリーズでピンク映画「卒業して」の処女作「コミック雑誌なんかいらない」は最高だ つた。ところで本木雅弘と広末涼子が演じる若夫婦が住まふ、亡母の残した店にはクラシックのレコードが埃をかぶつて並んでゐる。女と逃げた父(峰岸徹)が 好きだつたのがセロらしく、息子(本木雅弘)もそれゆゑセロ弾きとなつてゆくのだが、そのレコードはセロでパブロ=カザルスが目立つ。どうも今日の、 Sam The Record Manの印象強烈な店主思ひ出してしまふ。それにしても、どうしてこゝまでセロとカザルスにこだはつたのに音楽は久石譲なわけ? カザルスの奏でるバッハ の無伴奏でもハイドンのセロ協奏曲でも使へばよかつたのに。
▼昨日Z嬢がマカオから香港に還るフェリー内で隣席に坐した女性に香港の入境カードの書き方尋ねられる。インドネシア籍の若い女性で英語は解さず華僑だら う、中国語(普通話)は話すが読み書きは出来ぬらしゐ。であれこれ尋ねられZ嬢が書き方を教へるが、アタシは初めてみたが名前はMeifung(仮名)だ か、でいくら探しても旅券上に記された名前はこれだけ。インドネシアでは珍しいことではないらしいが。旅券もよく出来てゐて、Family NameとOther Nameにでも別れてゐればまだ少なくても姓がないのか名がないのか、が判別できるが、Full Nameである。そこにMeifungと印字されただけ。これで済めば別にそれでゐゝし、名前に姓がなければならない、と思ふことの方が既成概念に拘束さ れてゐるわけだが、どうも心許なく思へてしまふ。

三月十九日(木)昨日の好天とはうつて変はつて春雨空濛。部屋で昨日タイパの葡萄牙ベーカリーで購つたパンケーキと珈琲で朝食。小雨歇む。ホテルからマカ オカントリー倶楽部のゴルフ場抜けコロアネの島を九澳 村まで歩く。島の東南端の集落は路線バスが朝から夕方まで70分毎に一本といふ僻地。ウェスティンからは散歩にちやうど良い距離。集落は小さいが中上健次 的に殺伐と工事資材置き場などあり。他所からみんな通ふのかしら、かなり規模の大きな男子校の中学あり。この村からさらに歩き島の最東端の七苦聖母小堂な る教会を訪れる。敷地内に老人院と精神薄弱の若い子らを預かる施設あり。此処はもと/\人里離れた閑静な地だつただらう、が近くに巨大なセメント工場があ りマカオ空港の滑走路が海に延び飛行機の離着陸の轟音が聞こえ、教会の崖下も石油精製工場のコンビナートが出来て、どうにも……。九澳村まで急ぎ足で戻り 午前09:15に出る70分に一本のバス(15系統)でウェスティンに戻る。部屋で読書。薄日がさす。退宿。黒砂海岸まで散歩。路線バスで竹湾海岸。 Pousada de Coloaneホテルの客室見学。慥かに風呂場など改善されては、ゐる。歩いて路環の集落へRetaurante Espaço Lisboaに食さうと歩いてゐるとロータリーでかつてこのEspaço Lisboaに長かつたアントニオ料理長に遭遇。自家用車に乗り込むところ。今はタイパの食肆にゐると聞いてゐたが。奴さんもアタシらが Espaço Lisboaに行くのは承知だらう。Espaço Lisboaは狭い肆で予約しといて二階に通されたが十八人様だかの団体に対峙するアタシら二人用の卓。前回は韓国からのグルメ=料理撮影ツアー御一行に 閉口したが今回も誰かしら「たまつたものぢやない」と楼下の卓にしてもらふ。本日の御一行はマカオ在住の米国人婦人会。洗面所に行かうと楼上に行けば各人 の香水の臭ひが強烈であれぢや食事も不味くなる。Planaltoの07年。浅蜊、蛸サラダ、焼きゴーダチーズの蜂蜜添へ、と海鮮御飯ならぬ海鮮パン。Z 嬢が15系統のバス時刻しつかり把握してをり九澳村から路環に買ひ出しの婆さんたちと15番バスを待ちウェスティンに戻る。修理中で閉ぢた屋外プール傍ら の廻廊の風通しの良いソファで午睡。「工事中ですからお入りにならないで」なんて誰も言はぬ。満腹感と白葡萄酒の酔ひで一時間ほど熟睡。三時半のシャトル バスでフェリー波止場。午後四時のフェリーで香港に戻る。
▼樋口陽一先生の『ふらんす 「知」の日常を歩く』(平凡社)読了。戦後初めて見た外国映画がコクトオの「美女と野獣」だつたといふ樋口先生は十代の多感な時に加藤周一氏の『抵抗の文 学』を読み仏蘭西のレジスタンスといふ面を知つたといふ。だが樋口先生も指摘してゐることだが「神話には必ず影の部分がある」わけで近年になつてあの「輝 かしい」レジスタンスの影の部分も取り上げられるやうになつたこと。レジスタンスといへば日本では「ぱつとしなかつた」わけで加藤周一の立場もアタシは執 拗に指摘したくなるが、そんな日本で獄中でも非転向を貫いた数少ない思想家として三木清が脚光を浴びるが(それは戦後の羽仁五郎などの説教にかなり影響を 受けてゐるが)三木清の立場とかも最近の研究では、たんに非転向のレジスタンスとは言ひ切れないところもあるらしい。で本書に戻るが、そんな書き出しで樋 口先生は、たゞ外国への関心も下手をすると、すぐ「亜米利加では」「仏蘭西では」と「出羽守」や「それに比べて日本は……」と「豊前守」になりやすい、と 自戒を込めおつしやるが、でもどうして、やはり本書も「仏蘭西では」の出羽守かしら。樋口先生の書物は、それが憲法論は理路騒然としかも易しい言葉遣ひで 読みやすいが、樋口先生はそれが岩波新書だとか、一般の非専門の読者、といふ對手を想定してしまふと、どうもわかりやすく書かうとしたことが裏面に出て失 礼ながらわかりづらくなることが屢々。この本では、とくにそれが感じられる。例へば瑣細なことだが先生が留学した時に偶然泊まつたのがきつかけで巴里での 常宿となるDelavigneなるホテルの話。そこに鈴木謙一(『仏蘭西 美食の世界』の著者)が当時の戦後の巴里のことを書いた随筆に「にんじんホテルのこと」といふ話がある……と話が変り、よく読み返すとどうもこの Delavigneなるホテルに、この鈴木謙一も宿してをり、このDelavigneなるホテルを「にんじんホテル」と呼んだらしい。「その Delavigneなるホテルに鈴木謙一さんも泊まつてゐて」といふ一言がないから、一瞬、話の脈絡が途切れる。で鈴木氏の書いたエピソードも「あると き、顔を洗はうと思つて水道の栓をひねつたら、そこから人参の切れつ端がたくさん出てきた」といふことから、このホテルを「にんじんホテル」と呼んでゐる のだが、ではなぜ「禁じられてゐた自炊を上の部屋でした客がゐて、その自炊の副産物」の人参が上水道(だらう)から流れ出てきたのか、ちよつとしたことだ が記述がどこか足りない。ご本人は合点してゐるからわかるが第三者の読者にはわからないことが時々出てくる。例へば、こんな記述。
ナポレオン三世の第二帝政が倒れて、第三共和制が一八七五年に出発 します。それで、いろいろな自由を保障する法律が制定されます。この時期、憲法には基本権を書かないのです。憲法に人権、基本権を書くということは、議会 もそれにさわってはいけない、ということでしょう。そのような前提をつくった上で、裁判官にそのお目付け役をさせるというのが、いまフランスを含めて多く の国で採用されている違憲審査制です。
と、読んでゐて、一瞬、戸惑ふ。アタシの思考回路に問題があるのかもしれないが、当時の憲法には基本権は書かれてゐない、それが事実ならそれで良いが、 で、その「書かれてゐない理由」になれば論の展開として自然だが、こゝでは基本権が憲法に謳はれることの今日的な意義に話が展開してしまふ。これは、
この時期、憲法には基本権を書かないのです。それに対して、その 後、憲法には人権、基本権を書かれるようになりました。これは、議会もそれにさわってはいけない、ということでしょう。
……と普遍法としての憲法について説かれれば、わかりやすいはず。著者のあとがきによれば「ひとり語りしたものが本になつた」とあるので、さもありなむ、 で口述筆記ならなほさら編輯者はとくに慎重になるべき、で、もつと「わかりやすさ」への配慮が必要だつただらう。でも、だうであれ、
実際のところ、三人以上の子供がゐる家庭というのは、しばしば、豊かな家庭です。「貧乏人の子だくさん」という言葉が日本ではありますけれども、そういう 要素が仏蘭西でも特に移民系の人たちにありますが、比較的富裕層に子供が多いということも、我々の友人たちを見ていますと分かります。
なんて記述を読むと、べつに羨む、僻むわけではないが、先生の友人には富裕層が多い、といふことを粛々と事実として釈すべきだけのことなのだらう、か。と ころで巴里のサン=ルイ島の某寿司屋が美味い、という樋口先生の判断はアタシは大いに疑問(笑)。

三月十八日(水)Z嬢と西環街市傍の海安珈琲で朝食。客を叱 るやうに註文とる女将、客は常連ばかりで入つてくるなり女将は客毎に註文もとりもせず「熱奶 琲」「熱檸茶」と厨房に怒鳴る。鳥渡手が空いた、と思つたら「台湾?」と聞くから、黙つて首肯けば良いものをアタシもつい「日本」と言つてしまつたら 「へぇ、日本人が中文紙読んでるよ」とまた感心してみせる。フェリーターミナルは大陸の田舎漢の観光客芋を洗ふが如し。出境の長蛇の列に団体客はどうも珠 海に向ふフェリーは同じ便に間に合はむ客がゐるらしく、閉まつてゐるカウンターを開けろ、と無理強ひしたと思へば、すでに出境済ませた同行の者に「この荷 物だけ先に持つていつてくれつけぇ?」と關越しに荷物渡さうなんてするからイミグレの職員と一悶着で騒ぎとなる。それを横目に八 時半のマカオ行きフェリーに乗船。何処の田舎者のツアーか、と思へば貴州からの数十名がフェリーに乗るだけで楽しさうに大騒ぎ。貴州といへば中国で地名と は別に所得低い印象あるが香港旅行で珠海に向はずマカオ観光なのだから贅沢。一時間のフェリーはかなり五月蝿いだらうと耳栓して噪音対策、が貴州からの団 体はフェリーが波止場出るなりみんな寝入つてしまつたのは旅の疲れかしら。今朝の朝刊数紙読んでゐればマカオ着。路線バスでタイパに渡る。六ツ星らしい Crown Hotelに荷物預け昼まで漫ろ歩き。快晴。気温は摂氏28度くらゐ。タイパ住宅博物館で地場の風景画の絵描きの作品展。沼地の向かうにThe VenetianやFour Seasonsのカジノホテルが要塞のやうに見える。Wynnやハイアットだの建築途中、建築中断の建物の数々。またタイパ市街を散歩してCrown Hotelの方に戻る途中、Z嬢の発案で旧Hyatt Regency=現Regency Hotel Macau見学。このホテルのプールサイドやスパがとても快適で、フラミンゴといふプールサイドのレストランもなか/\、でかつてかなり利用したが施設老 朽化でハイアットはコタイに大型カジノホテル開業に向け(あれは本当に開業するのかしら?)このHyatt Regencyを閉鎖。居抜きで現在のRegency Hotel Macauが開業したがかつての賑はひもなし。地階のカジノ(これはもと/\あまり流行つてなかつたが)もフラミンゴも閉められプールは工事中でスパもあ るやうだが、どれだけ利用者ゐるかしら。Crown Hotelに戻り「天政」に昼を食す。天麩羅。一の蔵を冷酒 で三合半ほど。タクシーでコロアネのウェスティンリゾートマカオ。投宿。中途半端なシーズンの 平日で、しかもこの不況とあつては閑散は当然。客室のバルコニーは四ツ星ホテルのツイン の客室くらゐの広さあり。途中で買ひ求めたヴィーノヴェルデのワインをアイスクーラーに冷やしバルコニーの日蔭にマット敷いて読書。近藤紘一『サイゴンか ら来た妻と娘』読む。昼の酒も醒めぬうちに飲み始めた葡萄酒でも、この近藤紘一の筆致はアタシを寝させない。サイゴン陥落の頃に日本に来た妻が東京で何が 辛いか、といへば先祖祀りの出来ぬこと。で彼女は浅草の浅草寺を「私のお寺」として参拝する。浅草の仲見世やアメ横の賑やかさにどこかサイゴンの雑駁さを 見るベトナムから来た妻。雷魚を買ひ求め食べ時まで風呂の浴槽に飼ひ、動物好きの彼女は銀座のデパートの屋上のペットコーナーで兎を買ひ求め大切に育て休 みの日には夫婦で兎が好物のアザミ獲りに精を出す。だが兎がテレビのアンテナコードを齧つたせゐで妻は大好きな美空ひばりショーが見られなかつた日の翌 日、著者が帰宅するとアパートのバルコニーはすでに頭が割かれ毛皮が剥かれたあと、で美味い兎のグリルが夕餉の食卓に供される。可哀相、といふ娘に彼女は これも兎の運命、人間に食べられるのは輪廻、と諭す。……こんなエピソードが続くのだから読んで飽きない。夕方遅くホテルを出て黒砂海岸を歩きバスでマカ オ市街へと出る。途中、コタイのThe Venetianのあたりを通り抜ける。建設中、事実上の建設中断のカジノホテルの他、Byan Treeとホテルオークラ等の名が標された牆に囲まれた敷地が続く。この「開発」をどうするのかしら。全部取り壊して昔の沼地に戻すべき、とZ嬢。旧市街 のセナド広場で星巴の隣、と劉健威氏の紹介してゐた辺度有書(Pinto Livros書店)訪れる。梁文道著『常識』購ふ。それとマカオ観光名所の写真スライド一箱。かなり久々にAfonso IIIに夕餉を食す。食肆は不景気もなんのその、寧ろ十数年前に比べればかなりの繁盛。葡人のオーナーかつては客がいる営業時間に呑気に息 子と夕食とつて いたのが皿を下げたり働く姿初めて見る。Anta da Serraといふ葡萄酒、5dlはちやうど良い。浅蜊のバター炒めとスープ、それに羊肉煮。セナド広場を抜け道ばたでジェラート食す。新馬路の老舗の煙草 店・福和の廃業を見る。路線バスを待つが黒砂行きは来てもコロアネ島の路環か黒砂海岸からホテルまでの足は難儀ね、とタクシ自動車雇ひホテルに戻る。
▼私には難民問題をダシに他人の国の政治を語る気はないし、さらにいえば、たとえこれらの話(革命での資本主義者の再教育など)が事実であったにしても、 それは当然予測された事実であり、また、ある意味では然るべき事実であるように思えるからだ。予測できなかったのは、「歴史」「民族」「独立」などという 美しい言葉の言霊に酔い、他国の「解放」を熱心に支援し、祝賀した気楽な外部の世論だけではなかったのか。
……と近藤紘一は指摘する。でベトナムから難民があふれるとその受入れすら出来ない日本。

三月十七日(火)鳥渡大きな一仕事終へ草臥れて晩ふら/\で帰宅。なんか疲れがどつと出た感あり。世の中は年度末であるし気分を換へようと思ふ。晩にかな り久々に自宅で夕餉。カレーライス。ジャックダニエルのソーダ割り。グリーンサラダ。NHKのNW九は相変はらず馬鹿/\しひが、もはやお笑ひ番組だと思 ふべき。貰ひ物のGodivaの復活祭卵のチョコと、好物のとらやの羊羹「おもかげ」頬張る。

三月十六日(月)二日も酒をたつたらラリつたやうに溌剌なる躁気分。あゝ嫌だ。これはアタシのニンぢやない。夕方通りかゝりのいつもの星巴珈琲でふと確か めるとレジ前には見た目、大中小のカップが並ぶが小さいのがtall で、ふと見上げるとお品書きにもshortがなく、だが慥かにshortのカップは珈琲麻疹の傍らに並びdouble short skim latteを頼むとちやんとshortのカップで供され値段もそこ/\。知る客にしかshort売らぬとはこれぢや詐偽。星巴の隆盛もほんの十年でもはや 末期的症状か。多忙にて夕餉すら忘れ三更に至る。
▼澳門での基本法23条に拠る国家安全維持法立法化に関する視察で香港の泛民主派の議員、活動家らが挙つて昨日マカオへ。このうち梁「長毛」國雄立法会議 員ら五四運動、社民連系の五名が目出度くマカオ到著後に入境拒否される。他の泛民主派議員らは無事入境。弾圧されてなんぼ、と言つたら長毛君に叱られよう がマカオにしてみれば他所者に内で騒がれるなら入れぬ、でこれが中国内地ならまだわかるが同じ特別行政区でそりやないだらう、な話。

三月十五日(日)昨晩はとても気持ちよく眠れ今朝六時過ぎに目覚む。起きてもけして睡眠不足や深酒の結果の眠さとは違ふ、なんともmellowな気分。昨 晩服用の薬はヒドロキシヾンといふ蕁麻疹や皮膚の痒み抑制の薬だが不安・緊張感の緩和の睡眠効果ありの由。幸ひ蕁麻疹もすつかり失せて、気分は少し爽快。 午前中一つ出かけて仕事済ませ最近は運動する暇もなく全然訪れもせぬ ジムに寄り久々に、もう他人様に肌を晒すも厭はずサウナ風呂に浴す。昼に一旦帰宅。午後はZ嬢と沙田に行幸。路線バスで沙田第一城まで走りMTRに乗り換 へ車公廟。香港文化博物館。もうあと一週間だか遅く来館せば戦後の倫敦與巴里の服飾展と昨日、中央図書館で参観の黄貴權らの別の香港風景写真展も見られた が二つとも展示準備中。本日は「戲台上下 - 香港戲院與粵劇」の特別展参観。香港開闢後の巷芝居が小屋掛けとなり上環に太平、高陞や中央戯院が出来て粤劇が隆盛の二十世紀前半から1991年だつたか に閉館の利舞臺迄の香港の粤劇を「芝居小屋」に焦点当てた展示内容。劇場の建物のレイアウト、建築から切符販売、役者や従業員の手当明細、会計簿など芝居 のまさに「システム」の紹介が面白い。この展示が可能となつたのも2006年に太平戲院のかつての劇場主・源碧福女士が千点を越えるきちんと保管された粤 劇関係の文物を史料として提供に拠るところ。敬服。文化博物館を出て沙田のショッピングセンター通り抜ければ芋を洗ふが如き人出。人工的な広場では何だか ワケのわからぬ半官半民の催しが賑やか。どうしてもかういふ新興都市の出来合ひ物が苦手。沙田大会堂。沈文裕、Z嬢は彼を第一回(2005年)の香港ピア ノコンクールに彼が登場以来、その髪形から勝手に「ぶあ/\君」と呼ぶのだが、この沈文裕君のピアノで葉惠康氏率ゐる泛亜交響楽団なるオケで演奏会あり。 これに来たのだ。沈文裕は香港で地味にピアノ演奏聞いてゐればそれなりに知られた四川省の天才ピアノ少年でもう二十歳を過ぎ独逸でピアノ演奏研鑽の身なる は言ふに及ばず。葉惠康氏は香港シンフォニエッタ率ゐる葉詠詩女史の父だと実は今になつて知つたが、香港の児童合唱のドンださうで、この泛亜交響楽団創立 して三十年。この葉さんの指揮もこの楽団もアタシは初めてで、当然、それなりの演奏だらうが、今日の演目はラフマニノフの歌曲「ヴォカリーズ」でウォーミ ングアップのあとぶあ/\君登場でベートーヴェンのピアノ協奏曲四番、中入後はラフマニノフのピアノ協奏曲二番をやつてしまふ、といふ、プロのオケでもか なりのスタミナが要るだらうけど、これが出来るのが走り込みもせずフルマラソンに出るアタシと同じ素人の怖さで素人だから怖さ知らずで時計や内容はどうで あれ完走しちまふから。たゞ沈文裕君はマラソンでいへば二時間半くらゐには軽く食ひ込むピアニストであるから青梅マラソンで市民ランナーにしてはそれなり に速い三時間半くらゐのオケでは、ぶあ/\君は前半のベートーヴェンの四番でかなり煽るが楽団と老監督はそれに乗りもせずマイペースでキロ六分半の走りを 続けるばかり。ぶあ/\君、相変はらずミスタッチのない演奏。折り返しを過ぎこの楽団が小編制のまゝ本当にラフマニノフの二番が弾けるのか、と中入りも客 席で舞台眺めてゐたが多少、管が増えた程度。さすがに楽団は譜面の音をなぞるのが精一杯で抑揚もフレーズも得難い、がアマチュアの楽団だと思へば大したも の。ぶあ/\君は彼の実力を出し切らぬまゝ、たゞこの難曲も彼のテクニクでは弾きこなす。だが彼の演奏は聴衆としてどこか拝むやうな、いやぁ聴かせてい たゞいた、といふ感無量にまではまだ/\至らず、か。葉惠康がアンコールではぶあ/\君促しショパンのポロネーズから一曲、で楽団は舞台上の客と化しぶあ /\君の奏でるピアノに聞き惚れる。さらに老指揮者は客席にまだ聴き足りないでせう、とぶあ/\君にベートーヴェンの「英雄」の第一楽章を弾かせる。ベー トーヴェンの四番にラフマニノフの二番でこれぢや、もはやピアニスト虐待のやうだが、ぶあ/\君もよくしたもので本番で出し切れなかつた力を発揮か、でこ の楽章を弾きこなす。で最後はショパンのラ=カンパネラでお終ゐ。客は恐ろしいほどに地場の十代前半の若者多くZ嬢と「本番中に携帯が何回鳴るか賭けよう か」などと嗤つたがなか/\どうしてマナー良き若者たち、で上演中に携帯が鳴つたのは三回のみ。恐ろしい人出の海を掻分け沙田火車站。路線バスで観塘。古 い市街を彷徨ひ久々に雲南風味餐廳に米線など食す。美味。も う治まつたが蕁麻疹の薬飲んでゐるので辛みの刺戟物避け今晩も休肝日。沙田にゐて何故にわざ/ \観塘に来るかね、と我ながら可笑しいが沙田なんかに比べ観塘の旧市街の猥雑さが何と心地よいことかしら。また路線バスで香港島に戻る。帰宅して何気に PodcastでTyler Brûlé氏のThe Monocle Weekly聴くと元蹴球選手中田君出演中。伊太利語もだが流暢に聞こえる、といふか慣れてゐる。が多少Tyler氏の質問から的外れな答へもするが自分 の取り組まうとするプロジェクトを、日本の工芸のクラフトワークをもう一度世界に、とか答へるのが彼の蹴球のやうに体裁よく見せるから、その芸風なのだら う。でもTyler BrûléもナカタもエミレーツのA380のファーストクラスはどうのかうの、だのどの空港のラウンジが良いか、だの聴いてゝ もうそのネタは食傷気味。
▼リーマン兄弟の亜細亜部門買収の野村インターナショナル、70名の金融専門家らが香港でリーマンが実施してきたDeep Water Bayの年に一度の浜辺清掃を引き継ぎ実施、SCMP(14日)のLai See氏曰く、このボランティア活動実施より更に重要なことは政府援助なしで活動実施したことだらう、と揶揄。
▼信報(12日)で「風水」と題して陳雲氏がHSBCの凋落と風水を語る。これはHSBCに限らず香港が、だが、そもそもヴィクトリア海峡の埋立てで水の 流れが速まり香港に水が聚らず財来財去となつたのが一つ。で二つ目は2005年に香港政府総部が現在の中環から金鐘のTamarの旧海軍総部埋立地に移る ことを決定。これでヴィクトリアピークから総督府〜香港政庁(現特区政府)総部〜香港上海匯豐銀行(HSBC)〜高等法院(現立法會)〜皇后像広場〜 Edinburgh Placeでヴィクトリア海峡まで続く気運の水脈が途絶えてしまつたこと。更に天星碼頭とQueen's Pierが埋立てで排斥されたことも追ひ討ち、と。興味深い。
▼蘋果日報(壱傳媒)黎智英社主が台湾でのテレビ局買収でそのCEOに馬英九総統の参謀で愛新覚羅家の末裔、金溥聰氏抜擢、実は何かと親中的と台湾自立派 に嫌はれる馬政権が溥聰氏を台湾マスコミに影響力強く反中派の代表格とされる黎智英の許に遣ることで緑=民進党系マスコミ牽制し2012年の再選狙ふ馬英 九の親中イメージ少しでも解消が狙ひといふ憶測あり(慥か数日前に蘋果日報で左丁山氏が書いてゐたか記憶不確か)。
▼劉健威兄が星巴珈琲に註文つける、は「レギュラー珈琲の小さいの」と頼むと決まつてカウンターの職員はレジ前の三つのカップのサイズを指して「どれにな さいますか?」と尋ねる、と。そこにはTall、GrandeとAltoの三種類があり、つい誤導されその三つの中では一番小さいのを選ぶと「Tallで すね」となる。実はShort(小)もあるのだが少しでも売上げ伸ばさうといふ詐偽ぎりぎりの行為。アタシもうつかりTall註文しちまつたことあり。星 巴に限らず香港では太平洋珈琲も同様の手口あり。

三月十四日(土)久々に晴れる。昨日の気温摂氏廿五度が本日朝は摂氏十三度まで下がる。ほんとなら裏山でも海まで走りたいところだがさうもいかず。朝イチ で近隣のC医師の診療所訪れ今朝はそれでもだいぶ治まつた蕁麻疹見せる。過労だとかストレスもあるのですよ、休養が一番、と土日も診療 で休診は旧正月二日だけのC医師に言はれ飲み薬処方される。中央図書館。九時半くらゐに着いたら開館は十時。晩九時までの開館時間はそりや晩の利用者には 良いが朝だつて図書館でとくに週末の十時は遅くないかしら、と思つて東京の都立中央図書館を見たら同じく10〜21時でアタシの好きな
の図書館も総 て十時で、そんなものなのか。図書館のカフェは幸ひ朝九時から開いてゝたすかつたが。で十時の開館すぎに入場してG階で開催中の「香 港印象 」なる黄貴權医師と俳優周潤發の写真展見る。写真撮影といへば引退した医者の道楽で、俳優も名が馳せるだけに絵描きや写真など「たゞの芸 人ぢやないの」でチヤホヤされるが、この老医師と俳優の写真は慥かに素晴らしい。実はハツセルくらゐのカメラと悠長な時間と何より趣味があれば良い写真は 撮れるのだらう、が根気がない。夜明けにカメラ抱へて中環を徘徊する、また大埔の夜明けを撮りに何度も通ふ、まさに余暇。周潤發はそりや寡作で何年に一本 の映画出演のギャラでさうしてゐられるのが羨ましいが、この写真を残すだけ立派。街市の八百物売るオバチャンも路上の新聞売りも、周潤發がふらりと現れ 「写真、撮らしてもらつても良い?」と聞かれゝば、そりや表情も安らぐだらう。さつと見て去る積もりが暫し写真を見入る。午後まで官邸でご執務。午後、外 で二つ仕事済ませ夕方に散髪。今月いくつか送別会続いたが去る人あれば来る人あり、で晩に或る歓迎会あり灣仔の杭州酒家に宴を催す。やはり美味、で肆は盛 況なり。蕁麻疹の薬物投与中につき酒を飲まず。酒を飲まずに宴会にゐるのも何だか筑波の蝦蟇になつた気分。C医師に「睡気に誘はれるから」と睡眠前に、と 言はれた薬飲んだら忽ち睡魔に襲はれ十時すぎに就寝。
▼五野井郁夫なる政治学者(日本学術振興会特別研究員)が路上生活者問題について自治体による公園からのホームレス排除に抗する芸術活動を取り上げ、かう 語る。
はっきり言おう。路上や公園をめぐる排除の動きは、可能性としてわ たしたちの生存がかかわっているという点で、わたしたち自身の問題なのだ。ひとごとではないと立ち向かう路上の芸術は「公共空間=みんなの広場」を閉じさ せまいとする政治の表現である。
で、いま路上で起きてゐることに、少しばかりの勇気を出して巻き込 まれてほしい。「たまには再び書を捨て、街に出よう。なぜって、開かれた希望はいつも路上にあるのだから」と声だかに呼びかける。
気持ちはわかなくもない。がヒトの心にはやはりどこかに、でも路上生活者やホームレスには出来るかぎり関はりたくない、といふ気持ちはあらうし、それを自 らの問題と考へることは大切だらうけど、少なくてもこの学者が「書を捨て、街に出よう」と寺山修司の言葉を何十年ぶりに興さうとも、何より捨てようにも捨 てる書物を読んでないだらう。公園が公共空間でみんなの広場だから路上生活者やホームレスも排除されてはならない、は理窟ではその通りだが「あのヒトたち さへゐなければ安心して子どもを遊ばせられるのに」と不安がるヒトたちに、或いはホームレス狩りに挑む少年たちに、それをどう理解してもらはう、と言ふの かしら。

三月十三日(金)かなり忙しいが昼に中環。マンダリンオリエンタルホテルのロビーで来港中のST君と待ち合はせ。二人で鏞記酒家に昼を食す。隣卓に唯靈氏 いらつしやりご挨拶。上環。茶葉購ふST君尭陽茶行に案内す。食材街を漫ろ歩き料理こよなく愛すST君ゆゑグラハム街の九龍醤園にお連れして黒米醋だの生 醤など買物。午後かなり急ぎのご執務を早晩ぎり/\まで片付けメールで送信して北角。或る大きな宴会あり末席を汚す。美味くもないが北角では超大型の地場 食肆、宴会場出るとフロアは金曜晩だといふのに休業中?と思ふほどひつそり。よく/\見ればKing's Rdに面した通り側こそ大通りから見上げれば客で賑はふやうだが実は二、三割の客の入りで客はすべて窓際に座らされ外からは見えぬ内側は照明すら消しての 経費削減。不況は此処にまでかう及ぶか、と驚くばかり。宴会の途中から亦た蕁麻疹かなりひどく顔には出ないだけ幸ひ。帰宅して服を脱げば肩から背中、脇 腹、脚に蚋に刺されたか、のやうな麻疹がかなりあり醜いこと甚だし。

三月十二日(木)多雲高湿。様々なこと片づかぬ壗に夕方ご執務強制終了で九龍に渡りペニンスラホテルのバー。友遠方より来る、は紐育在住のジャズミュージ シャンのST君。と実に廿数年ぶりの再会。中学の同級で親友。高校出てボストンのバークリーに学び、そのあとずつと紐育でジャズベーシストとして活躍中。 十年近く前にネットでST君の名を或るチェリストのCDで知り紐育と音信が繋がりアタシも紐育市民マラソンにぜひ出たい、と思つたら911で、なにかプツ ンと糸が切れてしまひ「ブッシュが総統の間は米国の土は絶対に踏まぬ」と言つてゐたら、もう2009年。ST君、今回はパートナーのS嬢が仕事で台湾から 香港へ、に同行。台湾では日月潭でThe Laluに宿し香港は此処、ペニンスラにほんの数時間前に投宿の由。旧交を語れば尽きず。一つ商談終へたS嬢いらつしやる。三人で灣仔に向ひZ嬢 来て益新美食館に食す。客足絶えず、の大繁盛。だいぶ機転の 利く給仕少なからず好感。尖沙咀に渡るST君とL嬢を灣仔碼頭まで見送りZ嬢と狗狗公園散歩、 犬の戯れるを眺む。

三月十一日(水)毎日どんよりと惨憺たる思い、重い雲のせいで僕は憂鬱だ。なんだか気になりだすと背中や肩、脇腹がむず痒くなって、蕁麻疹が僕の身体を 這っていくような感じがする。そういえばジンってもともと医薬だったよね、と少しでも蕁麻疹よ、治まっておくれ、とジンをぐっと飲むのだけれど、Z嬢 は「あーあ、まったく」と僕のアルコール依存症を蕁麻疹より心配してみせる。これも蕁麻疹が少しでも癒えるかしら、と僕はカラヤンの38枚組のCDから ベートーヴェンの3番「田園」をBOSEのスピーカーから少し大きな音響で聴く。そして文藝春秋の4月号で村上春樹の「僕はなぜエルサレムに行ったのか」 のインタビュー記事とエルサレムでの彼の受賞講演(英語のやつ)を読んだ。僕はこの作家のこの受賞を肯定はしない、だけど辞退すべきだった、と否定もしな い。この作家なりに考えた上での受賞だったのだろうし、彼が出来得る精一杯の行動なのなら。だけど村上春樹という作家がこのインタビューの最後で、自分た ちの世代が若い頃に左翼運動に燃えて、それが企業戦士となって働き続け、還暦を迎える今、何か出来ることは……みたいなことを言っていることに、中谷巌さ んというエコノミストが新自由主義から決別と転向を声だかに言っているのと同じような、どこか釈然としないものを感じる。若い時は安保だとか好き勝手を やって、で今度は企業で好き勝手に働いて、で還暦で少しでもまた社会を変えたい、ってムシがよすぎないですか、って。勝手すぎませんか。その人たちはそれ でよいけど、その次の次、くらいの世代の若者たちはもう何も好き勝手できないようなところに追い込まれてしまっている。僕はどうしても、オジサンたちのそ んな勝手が気になる。もっと上の世代だって、言わせてもらえばもっとひどい。同じ文藝春秋に「教科書が教えない昭和史」なんて特集がある。「あの戦争は侵 略だったのか」だなんて、なんでもう何十年もこんなことにこだわっているのだろう。侵略だったか侵略じゃなかったか、勝てば官軍負ければ賊軍、で加害者と してさんざん罪滅ぼしさせられるのは当然の報いだし、だから原爆投下の米国の責任が問われないのでしょう、それより日本のあの戦争は侵略だったか、そう じゃなかったか、なんて陳腐な議論より、作戦としても戦略としても計画の最初から失敗したものだし、もし戦争に勝ったにしたって、日本が大東亜共栄圏なん てのを経営するだけの器量がなかったこと、そんなことがどれだけ無謀だったか、そんな無謀なことをしたことじたいが失敗。そんな失敗が明らかなことに突き 進んだ浅はかさを猛省すべきで、それが侵略戦争だったか否か、なんて、僕はそんな表現は好きじゃないけど、こういうのを聞くと「臍で茶を沸かす」なんて言 葉を使いたくなってしまう。なにか精神安定剤がほしくなって、僕は本棚からちょっと前に買っておいた樋口陽一先生の『ふらんす 「知」の日常をあるく』平凡社を読も うと思った。樋口先生の比較憲法論、日本国憲法の普遍法としての意義とかとても敬服して読ませてもらってきたけど、正直なところ、この『ふらんす』は ちょっと言いたいことがある。まだ少し読んだだけなので、これについては、また別の機会に何か感想を書けるかもしれない。村上春樹を読んだら、なんか僕ま でハルキの登場人物になってしまったような気分だ。

三月十日(火)四月中旬のポリーニさんの香港でのピアノ独奏会、本日入場券発売開始。ネットで買へば良いのに朝ちやんとTom Lee楽器店に並ぶZ嬢も奇特だが並ぶ列のから「ポリーニつて有名なピアニストが来るんだけど行かない?」とポリーニが誰で演目が何かも知らず、たゞ「有 名なピアニストだから見ておいて損はない」で友だちを誘ふ、聞こえる声が日本語だつたさうな。ポリーニといへばアタシが郷里の駅前で成田に行くバスに乗ら うとした今 月朔日の昼、母が擦れ違つた老夫婦に挨拶。アタシに「ほら、Hさんのお母さん」と言はれ、あ、ポリーニ好きの、とその同級生の女の子を思ひ出す。学年一ピ アノの上手な子だつたが、アタシら悪友らでしよつちゆう茶化してゐた子で、もう何十年経つてもその御母堂は私が娘をどれだけ茶化してゐたか、など知らない のだらう、と思ふとかなり後ろめたいものあり。その子にとつて当時、まだ若かつたポリーニは憧れのピアニストだつたわけで、その同級生に聞いて初めてポ リーニを知つた。それから早幾年、そのHさんのご母堂に会つた夕方、成田空港のラウンジで読んだ新聞にポリーニ香港公演の広告があつたので、かなり驚かさ れた。アタシが生でポリーニを聴くのは初めて。香港もアタシの知るかぎりこの18年では初公演。早晩にFCCのラウンジで新聞読み。Z嬢来て軽く夕食。 IFCの映画館で『グーグーだつて猫である』の映画見 る。猫が可愛いといふより小泉今日子だらう。だが何より、吉祥寺の「いせや」が舞台となり「おーつ」とZ嬢と「焼き鳥が食べたい」と思ふ。1990年にア タシが香港に移り住む前に知人らとの送別会開催したのも「いせや」の二階の座敷。築地のH君や久が原のT君も此処に集はれる。アタシはかなり少女漫画を読 んでゐたが大島弓子はまつたく手つかず。どうもあの作風が苦手。小学校低学年で「ぼくら」から「少年マガジンの「タイガーマスク」に並行しつつ「りぼん」 で『風の中のクレオ』にうつとりとして中学生の時は清原なつの、の「花岡ちやん」シリーズの大学生生活に憧れ、白泉社の「LaLa」は創刊直後からかなり 読み続け山岸涼子の『日出処の天子』や吉田秋生の『バナナフィッシュ』あたりで少女マンガ歴が終はつてゐる。そのなかで大島弓子はどうも最初からダメ。で あるからこの映画『グーグー』でも大島弓子のマンガを読んだ者ならわかる登場人物の設定などかなりあることをZ嬢に映画のあとに教へられる。やつぱり猫が 家にまたゐたらなぁ、と鳥渡寂しさを感ず。

三月九日(月)同雲惨澹。晩遅くまで頗る多忙。昨晩に続きブルックナーの9番をカラヤン&維納で聴く。今晩は第三楽章まで二度繰り返して。なるほど「近 代」を感ずる。神ともはや対峙して語らうといふ立場。ラズベリーのリキュールをウオトカで割り二杯で眠りに陥る。
▼HSBCお前もか、で株価は20年来の大幅な下落は23.4%のHK$10.5で底値がHK$33ださうな。「HSBC株をもつてゐなくて良かつた」と 思ふしかなし。蘋果日報(翌朝)にHSBCのロゴが蟹に化けたは多少説明要するだらうが、これは蟹の横這ひに非ず、大閘蟹(上海蟹)は売られる際は団鬼六 的に縄で縛られ身動きとれず、で金融、不動産資産など所謂「塩漬け」がこれ。
▼文藝春秋の「諸君」が休刊の由。朝、暫く、ただ「諸君が休刊」と頭の中で繰り返すほど驚き。これだけ保守化した世相のやうで、ネット右翼蔓延るやうで、 でも保守系といふか「諸君」は休刊。大学生の頃に遊びに行くと郵便受けに世界日報入つてゐた友人はちやんと「諸君」を読んでゐたもの。朝日新聞が保守系総 合誌に対抗して出した「論座」は多少論点ボケで「もたないだらう」と思つたが天下の文春だから、まさか「諸君」が休刊とは。かつては文藝春秋より真つ当な 中央公論があり大学では岩波書店の『世界』が当たり前で、『潮』も今ほど露骨なスポンサーの色が出てをらず総合誌の華やかな時代。諸君も共産主義と左翼と いふ敵を失ひたりし21世紀、まさかポスト共産主義で現れたヴァーチャルなテロリストを敵にも出来ず。次はつひに岩波書店の『世界』かしら。
▼朝日新聞でカイロから平田篤央記者が「アラブのハルキ・ムラカミ論」読む。アラブ圏の新聞アルハヤトに掲載されたアブド=ワジン氏(レバノンの作家)に よる村上春樹への論評。平田記者の要約によれば、ワジン氏は、アラブ文化人として村上春樹のエルサレム賞拒絶を願つたが受賞したのは「何度もノーベル賞候 補になっているこの作家(村上)は、イスラエルが世界的文学賞への通り道だということをよく知っている」と強烈に指摘しつつ、村上春樹は実はイスラエルで の人気よりアラブでよく愛読される作家であり、寧ろアラブ連盟がなぜ世界の優れた作家に賞を贈らないのか、と提言する。
かりに今回の小さな過ちを許さないとしても、我々は村上春樹を愛し、読み続けるだろう。彼だって、誰もが知っている目的のためにちょとした間違いを犯した ことはわかっている。アラブがこの偉大な作家に「免罪符」に当たるような賞を与えることを望みたい。
と語る。一理あり。これに対して朝日新聞は社会面で文藝春秋4月号に連載される村上春樹氏のインタビューを記事で紹介。
▼先頃、基本法23条に拠る国家安全維持法立法化可決のマカオ。早速?香港からこでこの立法化に反対表明の民主派議員、運動家や大学教授らまで入澳拒否。 香港では立法化すら見送られたまゝ、でマカオではさつそく効力発揮とは一国両制の礎すら危ふし、と憂ひの声あり。もと/\この立法化にアタシは反対だが敢 へてマカオ統治者の立場で「スマートに」なら立法化こそすれど実用せず形骸化させるべき。それをかうも容易く実用とは……呆れて言葉もなし。……なんて言 つてゐるとアタシまで入澳拒否かしら。いづれにせよマカオのこの「順法」に香港では「やつぱり反23条」気分高まるばかり。

三月八日(日)先考命日。郷家の母より昨夕、菩提寺に掃墓ののち寺に近き偕楽園に夜梅愛でた由メールあり。観梅の機に合はせ花火も千波湖に美し、と。本日 Z嬢催事あり昼 過ぎまで日頃の感謝込めお手伝ひ。ご一緒のお二方とZ嬢と昼遅くFCCに昼餉。一杯の葡萄酒に酔ひ帰りのタクシ自動車で睡魔に襲はれ自宅に戻りそのまゝ午 睡。晩に銅鑼湾。近く帰国のN氏夫妻とZ嬢とで「老北京」に 晩餐。近ごろ評判の予約もとりづらき食肆で成程真つ当な北京料理。冷菜の胡瓜から美味で餃子は 成程「飴」が見事。六時半には予約客で爆満となり空き待ちの客並ぶ。食後にHMW訪れしはブルックナーの7番と9番を「もう聴ける齢かしら」と勉強のため に購はう、といふ算段。が目当ての二枚はなくカラヤンのブルックナー交響曲全集1組のみ。鳥渡、そこまで、といふ感じ。が同じカラヤンの38枚組!の伯林 フィルでの交響曲大全集はブルックナー含むベートーヴェン、ハイドン、ブラームス等々70年代のカラヤン全盛時代。ブルックナーのみの全集と等価。なんか カラヤン生誕100年&没後20周年でグラムフォンの商魂に踊らされる嫌ひあれど超お手頃値段、でこれを購入。満腹で食後のお散歩、とヴィクトリア公園Z 嬢と歩む。公園の野良猫と戯れる。帰宅してさつそくブルックナーの9番聴くが曲は面白いが疲れと酔ひもあり当然のやうに?第三楽章の途中で睡魔に襲はれ最 初から完聴能はず。
▼奈良は斑鳩の岡本寺からのメールでのはがき法話で大阪21世紀協理事長の堀井良殷氏(元NHK大阪放送局長)が市場原理主義のグローバリズムや金融工学 も極限に達し弾けてしまつた今こそ、と神佛を崇め自然共生語るを読む。

三月七日(土)同雲惨澹。また冬に戻つたかのやうな寒空。ジェケットの上に薄手のコート羽織り外出。昨夕てつきり木曜と思つて今週はアト一日、明日がある と思つてゐた大きな勘違ひ。さまざまなこと終はつてをらぬこ とにぞつとして今日も午後までご執務続く。今朝方読んだ新聞で何とかといふ写真家と道楽の写真もそれなり、の俳優・周潤發の香港の都市風景写真展の紹介あ り中央図書館に出向いたが新聞記事は「後天下午六點開幕式典」で来週の話。北角で食品や日曜雑貨購ひ十三座牛雑で一串立ち食ひし帰宅。ひさびさにゆつくり と週末を自宅に過ごす。NHKで白洲次郎君主人公とするドラマ少し眺める。昭和の初めに軍政に道を開き政治の第一線から退いた筈のお公卿さん(近衛公)の ブレーンとなる、商売家の坊ちやんの趣味も首を傾げるが、このドラマでは語られまいが臣茂さんの側近であつたとはいへ茂さんの首相退陣後に健坊を政界入り させようとした(笑)といふ話がホントなら白洲次郎の見識疑ふばかり。吉田健一が代議士になつてゐたら二世議員もさぞや可笑しいことだつたけど。ところで 昨晩のブルックナーの話続き。日剰に秀和さん風に「僕はお酒なんて飲んでゐたらあのブルックナーの7番の主題が何度も繰り返される大1楽章で、きつと 寝てしまふ、それも熟睡しちまひさう」なんて書いたんは当の秀和さんが初めてブルックナーの七番聴いた時に孰睡してしまつた、といふ話が伏線にあるから。 ただ昨晩それがよく思ひ出せず、でゐたら久が原のT君から今晩遅く便りあり、ありや秀和さんの初外遊でクナッペルツブッシュ指揮の維納フィルを聴いた時の ことでしよう、と。さすがT君。この七番は齢八旬のオイゲン=ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団で実演を聴いてゐるといふT君、今 晩は初台の歌劇場でヴァグネル「ラインゴールド」初日をお聴きになつたさう、秀和さんですら歌舞伎でいへば「六世中村歌右衛門の娘道成寺みた やうな極め付け」で聴いてゐても楽しめず、つてんだから、と。それでさう/\あの話、と思ひ出して秀和先生全集紐解けば最も親しまれてゐる「私の好きな 曲」の中にあり。ただし七番が好きなんぢやなくて(笑)九番がお気に、の秀和先生が初の外遊でクナーッパーツブッシュ指揮の維納フィルをザルツブルグ音楽 祭で七番の二楽章(アダージョ)の途中で眠りこけてしまひ、ふつと目が醒めても、まだその楽章が続き、続く楽章のスケルツォも「短々長々のリズムの無限の 繰り返し」に閉口した秀和さんはドイツの知人に「さう、お前には、まだわかるまい」といはれ、秀和先生ですらブルックナーはわからないままで何の支障も感 じずにゐたが、年をとり経験を重ねた結果「ブルックナーを聴くための忍耐」の重要性がわかる、と言ふ。それが何なのか、畏友T君は昨年の初に藤村実穂子女 史が聖木曜日の維納宮廷歌劇場での聖劇上演で日本人が主役を張り満場の喝采を浴びるのを見て「邦人がキリスト教徒の音楽を演奏することの意味」を考へ込ん ぢまつた、で、ブルックナーにもそんなところがある、と。確かに19世紀に西洋音楽が宗教から乖離するやうな、そんなところがブルックナーに認められるの かしら、なんてFMでくらひしかブルックナーを聴いたことがない僕に、これに言及するだけの理解はないし、それにやつぱりブルックナーは僕にはまだだいぶ わかりさうにない。……ぢや、また明日。

三月六日(金)気温摂氏十五度に下がり寒空に時折甚雨。やうやく今日になり今月下旬からの香港映画祭の切符ネットにて購入済ます。今年は昨年より更に少な く十七本のみ。かつて通し券購ひ四、五十本見た数年前迄が懐かしいかぎり。時間も惜しいが何せ「見たい」といふ作品並んで掛からぬのが事実。薄暮雨霰。早 晩FCCに参りラウンジでジンジャエール飲みつゝ二つ折で15cm程溜つた新聞読み、といふより熟読したき記事ある頁破るに過ぎず。 カエザルサラダ食す。珈琲飲みアルコールなし、で尖沙咀に渡る、は香港文化中心で独り、香港芸術節のもう最後は伯林独逸交響楽団(Symphonie-Orchester Berlin)の演奏会、指揮はIngo Metzmacher(インゴ・メッツマッハー)聴くため。ケント=ナガノが最近まで首席指揮者で日本でも名が知れた、がそれまで。市俄古交響楽団来たり し今年の芸術節でこれが香港芸術節の(明日は千秋楽でバレエあるが音楽では)最後のトリ、と思ふと正直いつて香港での知名度低く演目がワーグナーのローエ ングリンから「第1幕への前奏曲」とマーラーの「亡き子をしのぶ歌」、中入後がブルックナーの7番、ぢやアタシは寝てしまひさうだし、だいゝち客が入るか しら?と思ふののは入場料は上等だからで、案の上、客席は6、7割の入り。ことにバルコニー中央の十列ほどがら/\は其処が強気のS席ゆゑ。クラシックの 演奏会でよく遭遇のA君と「あきらかに主催者側の判断ミス」と話す。ワーグナーのこのプレリュードはチャップリンの「独裁者」で聴いたのがアタシの初聴か しら、で続いてマーラーの「亡き子を」ぢや最後の「こんな嵐のときに」が静かに終わるを聴きつゝこの経済恐慌に哭くしかなし。なんだか時節柄、か不景気な 選曲。メッツマッハーの指揮するこの伯林の楽団は独逸らしく地味ながら着実に奏で、この2曲なら派手さも要るまいし「亡き子を」のMatthias Goerneさんによるバリトン独唱は予想以上の収穫。中入後のブルックナーの7番。(以下、秀和さん風に綴れば)
ぼくはブルックナーほど聴く機会も少なければレコオドもCDも一切 持つてゐないのだから、これほど僕が聞かない、勉強不足の作曲家は稀だ。ブルックナーと言ふと聴いたこともないのに吉田秀和さんの音楽評でばかり目にし て、僕は、ブルックナーといふと、あの白髪の年老いた音楽評論家の顔がすぐに浮かぶ。今晩もわざ/\演奏会の前にアルコールなしの白面で!この演奏会に臨 んだのも、ブルックナー好きの人には叱られさうだけど、僕はお酒なんて飲んでゐたらあのブルックナーの7番の主題が何度も繰り返される大1楽章で、きつと 寝てしまふ、それも熟睡しちまひさうだから、なのだ。ぼくはやつぱり、口遊めるやうなフレーズの曲が好きだ。歩いてゐて自然と歌つてゐるやうな。それがブ ルックナーときたら、主題や展開のそれぞれのフレーズは面白いのだけど、はたして、それが口遊めるかしら。聴いたら、すぐに忘れてしまひさうな、技巧的に は面白いけれど作られた、それも楽器の音色を楽しむために偉大なる職人!作曲家によつて作られたフレーズ。それが手を替へ品を替へ楽器を替へ、これでも か、これでもか、と繰り返されるブルックナーの7番の第1楽章アレグロ・モデラート。
……かしら。この曲を聴いてゐると、楽団にとつて指揮者の大切さが解ること一入。かういふ曲は指揮者なしに楽団の奏者だけぢや演奏できない。がこの楽団、 独逸らいしゐといへばそれ迄だがもう少し感情はないのかしら、と思へるほど仏頂面。でも勿論、音色はぎりぎり抑制のきいたところで感情を見せるのが面白 い。ちなみにこのSymphonie-Orchester Berlinは先の大戦後の1946年に西伯林の米軍占領地区放送局の楽団が母体で初代首席指揮者はフェレンツ=フリッチャイ。演奏会跳ねてペニンスラホ テルのバーにHendrick'sのジンで胡瓜沿へたマティーニ二杯。東京の芸術の粋に昇華してしまつたバーから比べると此処のバーすら子供騙しに見える から。帰宅して吉田秀和全集第2巻で「ブルックナーのシンフォニー」読む。アサヒカメラと日本カメラの三月号に目を通す。春になると「桜をどう撮るか」の 特集はうんざり。グラビアの写真をふだんあまり見ないのだが日本カメラに掲載の、高木松壽といふ写真家の自作4x5カメラの写真には思はず目を奪はれる。
▼米国政治に興味あらばThe Economist(2月末日号)のLexingtonの語る“Caliornication”は面白い。小浜政権引導する有力者の多くが加州から、で加 州の民主党がブッシュ時代の南部の共和党と勝るとも劣らず、どう凄いか。市俄古出でイリノイ州選出を礎とした小浜氏が民主党の支持基盤でジョージアまで勢 力拡大したことが総統選勝利に有効であつたが民主党でも理屈なく左の加州勢力をどうコントロールできるか、と。日本の民主党右派の如し。

陰暦二月初九。啓蟄。この啓蟄、天気不穏春雷初響、で地中に冬眠る昆蟲や獣がその雷雨に驚き目覚め地上へと現れ農民は蛇蟲鼠蟻の鑽出で農作物蝕まれるを怖 れ白虎を祀 り蟲獣鎮圧を願ふ風習あり。これが華南では奇習「打小人」の謂れといふ。香港は灣仔鵝頸橋が打小人のメッカ。本日は春雨空濛が午後に大雨となり折からの不 況で裁員減薪不絕、地価下滑で誰彼か呪ふ打小人に参る者多し。午後四時には凡そ卅人の打小人する婆さんらの処に百人ほどが並び順番待ち、が晩七時には三百 人に達し四時間待ちの由。多忙な上に二晩の宴会続きでふら/\。早晩に按摩して帰宅。今日は休肝日のつもりが好物の豚肉と韮を大根おろしで煮た鍋に八海山 を常温で飲む。今日受領のアサヒカメラと日本カメラの頁を捲る間もなく寝入る。
▼世界野球経典(WBC)の開幕試合に皇太子殿下御夫妻来臨。よくぞお出まし遊ばされし妃殿下。天晴れ。これが弟宮夫妻の臨席とならうものなら皇太子殿下 のお立場更に苦境となれり。

三月四日(水)春雨空濛。晩に銅鑼湾。お世話になつたK氏、N氏の送別会でA氏と四人。久々に「湖舟」はやはり美味。何かと話題の薩摩宝山一升さらつと飲 み干し歓談款語尽きず「まだ九時過ぎだから」とK氏の壽臣山の邸宅に誘はれる。Z嬢もK氏から電話で招飲に緊急出動。Crus BourgeoisのCh.Begadanetは03年飲みつゝ湛君からいたゞいた村上開新堂の焼菓子をZ嬢持参で齧る。美味。Rosso di Montalcinoの06年、で最後はロスヴァスコスに至つたがそろ/\足元も呂律も怪しいアタシ。半夜三更帰宅。
▼「中 国で「愛国」映画ラッシュ」と読売新聞(衛星版)。建国60年紀念の「建国大業」だの有人宇宙飛行士の活躍ものなど目白押し、と。だが「梅蘭芳」 や「葉問」もこの愛国映画の範疇に、は如何なものか。梅蘭芳の映画が歴史物で抗日期の「舞台に立たぬ」役者が強調され日本敗戦での祖国復光で物語が終はる が。それでいへば東京五輪から大阪万博、明治百年などと明治元勲が小説だ映画だと取り上げられ、の日本と何が違ふのかしら。
▼「自 由行擴大 増30萬來客 深圳居民一年內無限次訪港」(蘋果日報)。北京中央が香港経済テコ入れで内地からの来港者増狙ひ深圳居民のうち已に渡航 制限緩和されてゐる深圳に戸籍ある居民に加へ深圳居民でも非広東省籍の者も来港制限緩和措置。年間30万人の来港者増で12億元の消費を期待。ちとやゝこ しゐ話だが内地からの来港澳制限のため香港、マカオは「国内」だが旅券とは別の港澳通行証を政府が発行してをり、この通行証を所持し来港の度に渡航許可を 得て、が完全自由ではない「自由行」の現状。しかもこの渡航許可は戸籍のある原籍地でのみ取得可のため深圳、広東省に居住してゝも原居民以外は「自由行」 でさう易々とは来港能はず。だが深圳には深圳籍、深圳居住可の他省籍民に加へ、更に膨大な数の謂わば「もぐり」で深圳に居住する者あり。これらの方々が 「自由行」にならぬが現実なり。

三月三日(火)口唇のまわりに朝、ことにシャワーののち硬さのある腫れが屢々あり。膏薬か白花油など塗り暫くすれば失せるが何とも不愉快な、歯科治療での 麻酔のやう。 知己の還暦小姐にふと病状見せると「アタシも更年期の時それがよくが出てねぇ」といはれ余計に黯澹たる気分。週末の発熱も医者に見せる暇もなく、だいぶ回 復の今になつて養和病院に今一つ頼りなさげな若医師に診せる。胃腸風邪と発疹などの内服錠剤処方される。晩に宴会あり末席を汚す。あまり食欲もなく酒は春 鹿を少し。本日ある打合せ中にふと気づけば今年の香港電影節も、もう今月下旬からのはず。上映映画発表されチケットすら売り出しになつてゐたとは……。そ れすら気づかぬ多忙な日々よ。
▼故イヴ=サンローラン氏所有の清の北平は圓明園が鼠と兎の首銅像イヴ氏の死後愛侶によりChristieが競り競売に賭けられ中国政府略奪されし国宝級 の首銅像須く北京に返されるべきと訴へど巴里裁判所訴へ退ける。二首「謎の買手」が1.4千欧元にて落札。その買手は中国で海外流出の国宝級文物奪回が目 的の基金団体「国宝工程」の収蔵顧問氏。しかも1.4千欧元「払ふ意志なし」と言明。そりや目的は国宝奪回だが今回は競売不成立の「革命的」行為。二首を ば中国に戻したければチベット解放を、と提言の売り手(イヴが愛侶の男)の高慢ちきも大したものだが破格の額で競り落とし「買はぬ」とする買手も買手。競 り以上にをかしき態なり。翌日の報道に拠ればChristie関係者曰く競売数ヶ月前に中国政府と交渉したれども「北京嫌太貴」で交渉頓挫で競売の由。
▼HSBCの決算発表。08年第4四半期の業績響き70%減益。既存株主に新株割当て(12:5)の株主割当増資でUS$180億調達。179億ドル)調 達。新株発行は実に22年ぶり。それでも他に比べりや体質はまだマシ(蘋果日報の尊子の四コマ漫画)。

三月二日(月)昨日は香港に戻る空旅こそ草臥れた骨身には堪へるか、と観念したが寝続けたのが幸ひしたかだいぶ回復。帰宅して旅荷を解き片付け済ます。今 朝もどうにか予定通りの日をこなす気力あり。香港で普段の月曜が始まつただけ、でふと週末の再会の畏友との叙舊や母の味噌汁の味など思ひ出す。さういへば 里家にて体調崩し食欲もなく母の煮られし蜆の味噌汁こそ味はふも折角炊かれた米飯もいただかぬまま辞したこと今更ながら未練。本日日系某大企業香港支店訪 れ鳥渡した立替お願ひあつたので精算。社長室前。社員の皆さん黙々とお仕事中。
社長「あ、キャサリンはん、富柏村がいらつしやたさかひ立替への精算してあげて」
秘書「それ、社長ご自分で立替へされてますよ」
社長「あ、そや/\、はい富柏村はん、えーと450ドルや」
で富柏村、財布から茶色=500ドル出してお渡し。
社長「おほきに。それぢや、はい50ドルお釣り」、でお別れのご挨拶して場を辞さうとせば
社長「富さん、これ1000バーツや」
と。社内爆笑。えつ……で見れば色はそつくりだが確かにプミポン国王の1000バーツ。なんで財布にバーツ?と思へば昨晩香港に戻り財布から日本円抜き出 し旅券入れにしまつてた香港ドル札と入れ替へたつもりが1000バーツ札もあつたのに気づかず。それにしても見比べれば、こんなに似てたとは。タイが近隣 だとか商売で頻繁ならまだしも、香港で「財布にバーツ」はどこか好事家の如し。怒濤の如く一日が終はる。昨日に続き休肝日、でも滋養強壮で養命酒は欠かせ ず。フランボワズ(木苺、ラズベリ?)のリキュールも猪口に一口啜る。
▼FT紙が1面トップで“HSBC to scale back consumer finance” と報じ何かと思へばHSBCが米国で買収の消費者金融会社ハウスホールド(現HSBC Finance)が大半の支店を閉鎖し人員リストラ。US$100億余の償却費計上。米国内での事業は法人部門とプライベートバンキング、クレッジット カード業務に集約の由。他の国際大手金融投資機関に比べれば火傷もまだ軽傷か、のHSBCは本日、決算発表。かつては上海と香港の英系地場銀行が今では CItibankコケて実質的世界一規模の金融機関なり。

三月朔日(日)昨晩からの発熱。終夜呻吟。蕁麻疹がかなりひどく尻、背中、左肩と思へば右へ、腹へ、と何十匹の蚊に刺されたか、のやうな脹れがまるで肌を 這ふ如し。早朝にまだ摂氏38.2度の熱ありしが解熱剤服し暫くして漸く熱は退く。命日近くも先考の掃墓に行けず。ごめんなさい。母の拵へた蜆の味噌 汁飲む。午前中は臥床。多少ふら/\するが母に入場券貰ひ一人で県立の近代美術館で開催中の安 田靫彦展を見る。あらためて靫彦の作品と対峙して日本の近代を想ふ。21世紀であるとか平成の今になつてグローバリズムとか口にしてゐるけど、そ れがいかに滑稽なことか。昼に母と駅ビルの寿司屋に食す。あまり食欲なし。成田行きのバスも寝続ける。成田の第2ターミナル。キャセイパシフィック航空の ラウンジで一時間半ほど寛ぐ。新聞を眺めれば香港では北角の雪園飯店が昨日で閉店の由。かつては月本さんら競馬で皆さん来られても自慢げにお連れできた上 海料理の名店。かなり賑はつた食肆も数年前には已にかなり味が落ち「ちよつともう使へないな」と食通のA氏の評価正しく予約してどうにかとれた席もいつの 間にか寂しい晩続き龍井蝦仁であるとかフカヒレのスープの味も受入れがたし。こゝ数年はもはや選考外であつた。閉業と言はれても驚かぬ。CX505便は 744型機だがかつての寛ぎ感満点の2階席もすでに新型キャビン。ほぼ満席で通路歩きながら客席を眺めると重体の寝たきりの患者が収容されてゐる如き態。 蘋果日報など厚手の新聞は新聞の置き場すらなき狭さにただ/\閉口するばかり。熱は下がつても悪寒と疲労感ひどくペネドルもらひ服薬して寝入る。機内食も 飛ばしチーズと水果物、ヴァニラアイスだけいただき香港到着まで寝入る。
▼昨日の綴り忘れ。水道橋で東都の金比羅さん参拝。村上湛君に同じ村上は村上でも村上開新堂のクッキー詰め合はせいただく。開新堂つて名前もほんとモ ダニズム。「とらや」がご遷都で明治帝に従ひ京から東都に移つたのもあるし甘味=政事も面白さう。

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