香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!

教育基本法の改「正」にも反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


五月三十一日(土)快晴。疫禍改善に向うは結構だが地下鉄のなかだの口枷とったが如く大声で騒ぐ人たちみてウンザリ。地下鉄が空いており乗客はマスクしてダンマリ決め込む静寂の二ヶ月。そういえば昨日だったが携帯に Message from HK Tourisim Board: The WHO travel advisory for Hong Kong has been lifted. Please send this good news to your friends overseas! と消息入り、何か新たなる吉報あったのかと思ったが、これはすでに1週間ばかり前のWHOの決定にて「何を今更」という携帯使っての消息。消息といえば4月1日April Foolの日、張國榮が自殺した日の午後、香港が疫埠を宣言といふニュース流布されるが事実無根と携帯に一斉に伝言流れ、いったい何がおきて何を否定しているのかすら茫然としたあの日から早二ヶ月。今回のこの香港旅遊局からの伝言は「遅すぎる」もので、「このような二次情報」に香港の全携帯所有者に向けて伝言流すのことも如何なものか。朝からWireless LANの設定するがつながらず、プールにて一泳、数十頁残していた亂歩隨筆集とようやく村上春樹訳『ライ麦』読了。午後ふとバスで青山公路まで遠出、大欖、静かな、見事なまでの快晴。焼鵝で名を馳せる深井。小さな海岸にて荷風先生『ふらんす物語』読み始める。一浴し黄昏からHK Space Museumにて小津安二郎『東京暮色』と『小早川家の秋』。『小早川』は翌年62年の『秋刀魚の味』が遺作となる小津の原節子を起用した最後の作品、原節子も翌年に稲垣浩監督『忠臣藏』で先代の幸四郎の内蔵助の妻・りく役が映画出演が最後となるのだが(当然、小津の死に重なる)、この『小早川』は59年に『浮草』で好演の中村屋(中村鴈治郎)の演技が一人光っているが話の筋はいまひとつ散漫、原節子の立場も微妙、笠智衆の話の筋とは全く関係ない百姓の役も笠にそれが似合うわけもなく、黛敏郎のtoo muchな音楽といい最後の火葬場の近くの川原のカラスの群れでのエンディングといい、本当に不思議というか後味宜しからぬ作品。確かなことは小津が描き続けてきた不安定ながらどうにかその「型」を維持しようとしてきた家族がこの60年代の高度成長の時代、造り酒屋の大手資本への合併吸収、結婚による家族離散などで、もはや笠と原節子が演じてきたような親子のほのぼのとした時代が終わっていること、また会話がどんどん過剰となり小津の、登場人物が話すたびにカメラがパンしていてはとても会話の速度に応じない現実。それにしても鴈治郎の演技の妙。この人と息子扇雀(現・鴈治郎)で演じて好評博し続けた曽根崎心中を見ておらぬことの不幸。当代の鴈治郎が坂田藤十郎の名の復活襲名など画策しているが藤十郎に価したのはまさにこの父のはず。だがこの鴈治郎の演技でひとつだけ粋じゃないのが扇子の使い方で、夏の物語ゆえに始終扇子で扇いでいるのだが絵にならぬ。扇子だけが扱いが下手なのか、だがこれほどの役者でそれはない、とすると、憶測だが撮影が実は夏でなく自然と扇ぎ方がぎこちないか、いずれか。番頭・山口演じる山茶花究がさすがエノケンからの喜劇役者の味をいかんなく発揮。大旦那(鴈治郎)の妾家通いを文員(藤木悠)と話す場面、葬儀の段取りの場面など秀逸、こういった脇役の喜劇俳優の面白さ格別。四月より続いた香港映画祭、これで全幕終わる。終わって映画一緒したZ嬢と尖沙咀東まで散歩して五味鳥にて焼き鳥。相変わらず満席盛況。

五月三十日(金)快晴。成城にてアジア雑貨など商うI氏に請われ香港大学博物館で開催の「香江知味:香港的早期飲食場所」展の図録購ひに香港大学。中環のColorsixで現像したフィルムに愚猫三月に他界する数日前にZ嬢に甘える姿偶然にもContaxのG1にて白黒で撮った一葉あり愛しき姿にColorsixにてトリミングの上大きく現像依頼。昼に読んだ信報にて唯霊氏日曜日に訪れ食した寿司加藤の鮎について今が旬だが味風味では鮎はけして他の魚に比べ見事とはいえぬが夏を迎えむとするこの季節あの鮎の光沢やかな姿、新鮮な鮎を冷して刺身なりで食した時の悦びを語っておりふと独り加藤。店にはまだ客おらずカウンターの隅で久保田を一酌。鮎のこと「新聞に出てましたね」と話すとご主人ご存知なく「道理で今日はニ、三組、場所は何処だの、鮎がどうのこうの」と電話あり、と。早速新聞購いに遣る。その鮎、囲いあゆの姿煮と言葉からは想像易しからず、ほどよい薄口でじっくりと煮た鮎を丸ごと胡瓜に載せて坐らせ、そこに煮凝りを寒天にして流し込み、まるで鮎が水なか泳ぐが如き姿煮。北海道産の大ぶりの鮎でいささか一人では多いが煮方があっさりとしており薄口にて鮎本来の味がでて飽きずに一匹食す。店も賑わい始め亂歩隨筆集読みながら辛丹波熱燗にてさっと飲み帰宅。二更にハヤシライス食す。
▼亂歩隨筆集に昭和26年に『幕間』という芝居雜誌に書かれた『勘三郎君に惚れた話」なる一文あり。先代の中村屋の芸に惚れたならさもなりなむだが亂歩先生惚れたのは当時から更に20年前、未だ米吉を名乗った17、8の中村屋、京都南座の菊吉による顔見世で芝居は馬盥(ばたらい)、播磨屋(吉右衛門)の光秀で中村屋が演じたのが妹・桔梗。「心から女に惚れた経験のない」乱歩先生がその少女役には夢中になり、それから中村屋が「もしほ」名乗った時代は乱歩も芝居から遠退いたが勘三郎となった中村屋とついに会う機会あり意気投合し友情続き今日に至る、と。乱歩が勘三郎を誉めるのは「戦後の歌舞伎の中心をなす若い俳優のうちで、勘三郎君ほど舞台に余裕のある人はいない」といふ点。但しさすが乱歩先生「しかしこの長所には一方欠点もあるので、自分の演技のない時など、目が遊びすぎる。何か傍見をしているような感じを与える」と。納得。敢えてこの欠点をば理由づければ、この目の遊びと傍見は、中村屋が役者として以上にやはり猿若町の芝居小屋中村座の胴元としての視線かも知れず。自らが役者で舞台に上がっていることを忘れ、ついついプロヂューサー的に芝居を総観してしまふことがあるかも知れず。これは当代の勘九郎君にも言えることで、帰朝の折に歌舞伎ではないが『浅草パラダイス』と『研辰』の二つの芝居見たが、とにかく自分の演技がないと異常なほどの関心で他の役者の芝居を見ているのは事実。それでこそ中村屋、と思うことも可。舞台で神妙に役に乗り切っているだけの役者ならいくらでもあり。それにしても勘三郎と聞いて思い出すのは亡くなった祖母のことで、芝居はとにかく好きであったが、殊に勘三郎贔屓。余もまだ幼稚園の頃に祖母に連れられて行った芝居で最初に覚えた役者の名は勘三郎であった記憶あり。また同じ頃に勘九郎君主演(だったと記憶するが資料調べてもその映画見つからず)片腕を失った少年が力強く生きてゆくといふ筋の松竹映画あり、これを普段映画など見にいかぬもう一人の祖母に「勘九郎ちゃんが出てるから」とまるで知り合いの孫でも見るかのように連れてゆかれた記憶あり。
▼武蔵野にて市民運動に取り組むD君は本日東京にてテッサ=モーリス=スズキ女史の講演聞きに行くそうな。東京の芝居も見たいがこういう講演があるのも羨ましいかぎり。場所が在日本韓国YMCA、そこで泰西の学者が日本について語ることが多元化文化。
▼金融相竹中平蔵君が辞任し九月から米国の大学にて大学教員として糊口凌ぐがため幾つかの大学に打診中と紐育タイムス。政府はこの報道を否定するが「さもありなむ」。それにしても小泉内閣の景気回復のための金融専門家として慶應大学より招聘された鳴物入り、当初、小泉内閣への期待と真紀子女史と並びこの竹中君の新鮮さで国民はまた懲りずに「なにか変えてくれるのでは?」と期待もあったが、実際には政界に取り入るだけが取り得の御用学者、小泉内閣の「改革」など絶対にあり得ぬことは小泉君首相就任から判りきったことながら何も改革など進まぬままここまで続いたことのほうが驚き。
▼六月一日は沙田にて今季最後の重賞Charter Cup(芝2400m)、かつてOriental Expressだの活躍せし頃に比べ華やかさなし。恐らく一番人気は
 8  大白兔 126 告東尼 1079 103 高雅志
で、それに今年のダービー馬(牝)でQE II Cupでエイシンプレストンに次ぎ二着の
 13  勝威旺 122 大衛希斯 1094 117 巫斯義
がどこまで伸びるか、に期待集まるだろうが、HK Jockey Club主席の持ち馬でSize厩舎の
 3  駿河 126 蔡約翰 1019 119 馬安東
も侮れぬが、なぜSize厩舎なのにDye騎手が騎乗しないかといえば
 11  雪山飛狐 126 簡炳? 1073 99 戴勝
これは今季で引退の簡調教師にとって最後の重賞レース、この馬も長距離馬で押えておかねばならぬ。そして10歳馬でまだ引退せぬ我らが
 1  原居民 126 愛倫 1088 125 頼維銘
頼維銘騎手なのが「ちょっと」だがAllan調教師が?維銘を指名する時の自信というものもあり、昨季は3着には入ってきたが今季全く入賞もない原居民を捨ててはいけない。なにせ今季は短中距離ばかりで得意の2400mは昨年5月で10着だが、あの日は大雨で馬場ひどく、晴天期待される明後日は「ひょっとして」も十分にあり。だが余の本命はオッズの面白さも期待してDanehill馬の
 6  高山名望 126 愛倫 1096 105 馬偉昌
にしたいところ。で結論は高配当狙いなら「6  高山名望」軸に「1  原居民」「11  雪山飛狐」で、「8  大白兔」と「13  勝威旺」のいずれを切るか、が勝負どころ。

五月二十九日(木)曇。昨晩の競馬、I君が競売に来るといつも余の馬券の買い方が乱れ大損するのだが昨晩あしかけ三年で初めて快勝。50倍のTrioとそれに続いて16倍ほどだったが続けてTrio当てる。「もし」この2レース重勝にしていたら800倍などと皮算用。I君は不調から脱しえずタクシーで自宅までお送りして帰宅。ついに余の拙宅までがインターネットの24時間つなぎっ放しワイヤレス環境の手はず整ふ。わずか8年ほど前にモデムつないて、ブラウザをどうすれば得られるか、などと思案していたころと隔世の感。
▼経済学の奇才・張五常教授『蘋果日報』の連載にて曰く、清潔であるとか衛生は習慣、例えば路上での唾吐き、張教授にはその習慣なく「かーっペッ!」とやれといわれても、その作法わからず、慣れた者には習慣でも慣れぬと甚だ難儀、と。中国になぜその衛生、清潔の習慣がないか、といへば、歴史上で「清潔を風俗とする需求が大きくなかったから」である。まず、土地が広大で人口密度小さく(明朝初期にはわずか6,000万人……ソレデモ多ヒガ)今日のような密集化なし。次に生命の価値が尊ばれなかったこと。民国時代でも平均寿命は40数歳、歴史顧みても皇帝による民衆殺戮、親の子殺しなど罪にもならぬ時代あり。清朝乾隆帝の末期より神州大地兵荒馬乱の時代が200年近く続き、そのようななかでどうして清潔なる風俗など尊ばれようか、と。だがナポレオンに、巨人は夢より醒め立ち上がった、の言葉あり、今日これだけ人口密度が高いからその代償に疫禍である必要もなく、清潔の風俗を得られむ、と。で、その香港は、といえば昨年より実施された痰吐、ゴミのポイ捨てなどの罰金刑を強化、痰吐はHK$1,500、とくに悪い住環境が指摘されている公共住宅では痰吐3度警告受ければ公共住宅からの立退きまで含む、といふもの。10年前ならシンガポールの罰金刑社会を嗤ひバンコクの大気汚染を厭ふていた香港が罰金刑にて環境衛生維持、強烈な大気汚染に悩むとは……。で、香港は昨年より実施された痰吐、ゴミのポイ捨てなどの罰金刑を強化、痰吐はHK$1,500、とくに悪い住環境が指摘されている公共住宅では痰吐3度警告受ければ公共住宅からの立退きまで含む、といふもの。10年前ならシンガポールの罰金刑社会を嗤ひバンコクの大気汚染を厭ふていた香港が罰金刑にて環境衛生維持、強烈な大気汚染に悩むとは……。

五月二十八日(水)曇。晩にHappy Valleyにて競馬。I君広東省での仕事より空路深センに戻って競馬に来る。村山槐多『悪魔の舌』と『殺人行者』読む。亂歩がそこまでハマッたこともうなづける槐多の世界。読んでも筋すら忘れる小説も多いなか例えばパゾリーニ監督の『ソドムの市』を見てしまった時のような、禁断だからこそのエロティシズム、それはいつも死とつながっているのだが、鮮烈なる印象で二度とその物語が脳裏から離れぬ世界。猟奇的な世界だが、意外と動機であったりその世界に入ってからの安らぎのようなものは常識ある一般人気取る部外者には理解できぬことなのかも知れぬ、と亂歩ではそこまでの感想はもてなかったが槐多だとそうとまで思える。
どうでもいいことだが、だが「どうでもいい」では済まされないのだが、一瞬「加藤登紀子(写真)が短髪に?」と思ったが春風亭小朝師匠(写真)、気がついている方も少なくないだろうが、最近、加藤登紀子どころか「美輪明宏先生(写真)にすら似てきた」のである。師匠は金髪でも短髪だがあれを長髪にして後ろにまとめて化粧したら美輪先生になる。これは小朝師匠が36人抜きで真打昇進したモンチッチ顔の頃には想像できなかったことだが。師匠がこのまま進化し続けるとこれは落語界においてすごいことになるはず。渋谷のジャンジャンで小朝、加藤登紀子と美輪明宏の三人の会、なんてあったらすごいステキなことだ。
▼SARSの病原は広東省で食すこと好まれる野生動物と突き止められたそうで愛らしい菓子狸も難儀。広東省でこの野生動物の賣買に携わる者508名を調査した結果、その13%から血液にSARS病毒抗体の陽性反応が見られ、この13%は一般人の場合の約二倍。長く野生動物賣買にかかわり自然と抗体が出来ていた、と。広東省は今回の感染を重視して野生動物食すことを禁じる条例制定検討中だそうだが、その名称が「広東省愛国衛生工作条例」だそうな。なんでこうなるの?という感じ。純粋な愛国主義か、本当は伝統的な滋養強壮の野味だが「愛国のため」食うな、って本音か。いや、ただの「何でも愛国、勝利をつけてしまう思慮浅さ」である。
▼この日剰読まれる蛙鳴さんより昨日の蘋果日報副刊の林振強氏の専欄「如何改良専欄版」には「ニヤリとなさいませんでしたか?」と言われ、それを見逃していたのが事実、朝慌てて昨日の新聞広げる。蘋果の副刊の専欄はさーっと題名見て面白そうなのだけ読むのだが(蔡瀾先生のは毎日熟読……嗤)言い訳にしかならぬが27日のこの林振強の専欄は題名の印刷も薄く完全に見逃し。一読し、よくぞ言ってくれた、という感想。溜飲が下がるとはまさにこのこと。林振強氏曰く隨筆家による連載コラムが広告化していないか?という指摘。余もかねがね指摘してきたが蔡瀾氏など香港一高い原稿料もらってレストランだの自書だの旅行の企画など紹介するだけで、たまに多忙極めるときは書き溜めしてあるのだろう、インターネット上にある小話など紹介するだけ。これに対して林振強氏提言するは連載コラムの水準維持のためにも、寧ろこのコラム頁に広告専用の欄を設け、そこに
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といった連載作家による宣伝を集めてしまう、という提案。お見事。これをすれば広告化したコラム驅逐できる、というわけ。だが蘋果日報でいえば、この作者AからEの全てに該当する人気コラムニストが誰であるかは明白(笑)。じつはこの日のこの林振強氏の記述の左で蔡瀾氏シンガポールのレストラン紹介。だが蔡瀾氏にしてみれば自分の書いたそれを愉しんでくれている読者がおり新聞社側がそれを載せているのだから問題ないだろう、と宣ふであらう。が、蔡瀾氏ほどになるともはや氏を導けるような編集者はおらず何を為すにも為すがまま、になってしまっているのが現実。
▼昨晩、NHKのニュース10を眺めていたら2001年末に撃沈された北朝鮮工作船の更なる映像が公開された、と。工作船の乗組員が海上保安庁の巡視船に向って日本語と「韓国語で」「あっちに行け」と言った、とNHK。北朝鮮の工作員はやはり専門職であるから「北」の身元隠すため流暢に韓国語を使ったとか? 「うざったいなぁ、あっち行ってくれる〜ぅ?」とソウルっ子風にとか。それにしてもこの「韓国語で」、さすがニュース10らしい思慮不足。朝鮮語講座開設では「ハングル講座」で逃げたが、まさか工作船の乗組員が「ハングルで」「あっちに行け」ぢゃ書いて見せたようだし、朝鮮語は好ましくないから、の韓国語なのだろうか。ちなみに日経は「朝鮮語で」と記事。で、この工作船が公開されることになり、それだけでも「なぜこの時期に?」って政府側は一連の捜査など済んだから、だろうが、対北朝鮮外交が正念場迎えるこの時期にかなり意図的な「怖い見世物」展示と思えてならず。で、この公開がお台場の「船の科学館」であること。開館当時、門前仲町だか茅場町からバスで、当時はお台場でなく有明のこの博物館に行ったのだが、船全般であるから軍艦もあるのは当然といえば当然かもしれぬが、子どもながらに「かなり力リキ入ってるよな」と思わせる軍艦展示、当時テレビで「一日一善」していた笹川良一先生が母背負ってあるく銅像あり「なるほど」と理解したが、確かに北の工作船も船といえば此処での公開が無難なのか、どうか。いずれにせよ今の世の中すべてが意図的。
▼性的醜聞にて辞任した豪州総督(英国女王の全権総督)の後任にJohn Yuなる華裔の大学教授の名前浮上。画期的なことかも知れぬがそれ以前にこの英連邦、そしてその総督なる名誉職ぢたいイケてないが、名誉職とはいえ重職ながら年俸A$185,000(HK$925,000)。ちなみに偶然昨日聞いて呆れたのだが、香港政府教育署の元中堅官僚、勤続20数年で引退し永年年金が月HK$40,000支給されつつ政府援助の私立中学の校長で月給HK$65,000、で月HK$10万をこえる収入。豪州総督以上。実質的に公務員よりの天下りで校長なのだから、せめてこの職にあるうちは政府の年金は免除となるくらいが常識だと思うが、このような厚遇のために税金払っていると馬鹿馬鹿しく腹立たし。
▼この日剰は上から読まれるのだろうから先に綴るが、学生時代、クラスに一人くらい、こういう奴がいたはず。見るからに「おい、なに、あれ?」って感じでついつい「いじめたくなる」タイプ、暗く弱弱しく、自己主張はあまりしないが、たまに話すと甲高い声でやたら自分の言いたいことは言う。ひきこもりがち、だが(というか、だから、かもしれぬが)戦闘機やら軍艦とかオタクで詳しく軍関係のプラモ作るのが趣味。じつはキャンディーズとかピンクレディとかすげー好きだけど級友には知られないなくて毎月『明星』と『平凡』を買っては家でアイドルを眺めまわしている。いじめてしまうと、実はそいつの親が町の有力者で、マザコンだから母親に言いつけると母親が「うちの坊やを!」と出てくるから、面倒なのでいじめたいがいじめられない。大人になってみると、そのひきこもりマザコン君は勉強はそこそこできたから有名大学に進学していて、むかしじゃ想像できないくらい自己主張する偉い人になっているのだけど、やっぱり「あの風貌」と「あの話し方」だけは小学校以来ぜんぜん変わっていなくて、やっぱり今でも「おい、なに、あれ?」って思いたくなる、ってそんな奴。
▼毎日新聞、経営難のうえに爆弾事件でもう「形振り構わぬ」のだろうか。築地H君より昨日の毎日新聞に木琢磨なる記者による秀逸なる石破防衛庁長官インタビューあり、と。記者「失礼ながら、石破さんと話しているとイライラしてくる。だって慇懃無礼。永田町にもそんな声がある」(笑)と公言。以下、H君よりの引用。
石「高校生が『諸君』読むなんて異常ですか?」
鈴(そりゃ気色悪いなあ。ところで戦争を知らない世代が『国防』を意識したきっかけは?)
石「91年の湾岸戦争。…もう一つは同じ年、超党派議員団で訪れた北朝鮮。マスゲームに人間の暗い情念を見たし、少年宮殿の少女の同じ表情の笑顔に背筋が凍った。こんな国がこんな近くにあるのかって、人生観が変るショックだった」
鈴(わりにあっさりしてるのはいいとして、リアリストのくせに北朝鮮を語る言葉がやたらとおおげさ。テリー伊藤さんのほうがよっぽどリアル。3度ほどピョンヤンに取材に行きましたがと言うと、真顔で「怖くなかったですか」と問い返す)
と、そんな調子。石破ちゃんは「歩く月刊明星」っていわれているそうな。
石「キャンディーズはいまでも全曲、歌える。河合奈保子も全曲、歌える、岩崎宏美も全曲、歌える。アグネス.チャンも全曲、歌える。まかせてくれ。キャンディーズはミキちゃん、かわいいって思ってましてね。みんなランちゃん、スーちゃんって言ってるのに、私はマイナーなミキちゃん、ミキちゃんって言ってました。」
H君、書き写してて馬鹿馬鹿しくてしょうがない、と。しかし何より凝っているのはプラモ作り、それも戦闘機に軍艦。
石「この間、ロシアの国防大臣が来るので、久しぶりにロシアの航空母艦を作った」
と防衛庁長官。「来るのでプラモ」とはどういうつながりか。これは公務中だろうか、接待の話でのネタづくり。この人が対北朝鮮で戦後最大の「萌え」を迎えているわが国の国防の長。

五月二十七日(晴)昨日仙台で大きな地震あり。七年ほど住んだ街ゆえ知己多し。築地H君、同仁齋医師N博士ら畏友として今に至る彼らと出会ったのもこの仙台にて思い出も少なからず。最近ふとしたことで知遇得たS君より「身は波濤を隔つるも意は至れる哉」(富岡鉄斎)という言葉教えられしが、仙台の畏友想へばまさにこの心境。地震のさまNHK仙台放送局だかで記録用ビデオテープ棚から落ち床に散乱する映像がその地震の大きさ伝えるが、これとかコンビニで床に散乱する商品とか酒屋の酒瓶とか、地震頻繁なる土地柄なぜビデオテープだの耐震で棚から落下せぬようにしないのか、と思う。耐震でなく耐映、まるで散乱した様を見つめる「まなざし」を期待するが如し。黄昏にジムにて慌て鍛錬済ませ晩に九龍某所でお手前の披露あり半時間ほど参加。往復の地下鉄にて江戸川亂歩『隨筆選』筑摩書房「藻屑塚」まで半ば読む。藻屑塚は江戸の藻屑物語についての一綴にて此れは西鶴が『本朝若風俗』に、また蜀山人、馬琴らも注目せずにはおれぬ江戸の恋物語。さすが亂歩先生、1919年にわずか22歳で夭折した京都の画家・村山槐多に関心寄せぬわけもないが『槐多「二少年図」』には亂歩先生が初めて洋室めいた書斎持った折に祈願して槐多の描いた「二少年図」を得て壁に飾ったこと、また槐多を初めて知ったのが実は絵ではなく槐多が17歳で書いた『悪魔の舌』なる探偵小説が同じ年の頃であった亂歩少年を驚かせ、槐多の『殺人行者』や『魔猿傳』を鬼才亂歩先生らしいが谷崎潤一郎『白昼鬼語』と佐藤春夫『指紋』と並べて「日本の最も優れた探偵小説」と絶賛するのである。亂歩先生のエロティシズムまことに拝読するに値する世界なり。ただ一つ不可解なることは亂歩先生、この『悪魔の舌』読んだのを「その頃私は名古屋に住んでいて中学同級生であったが」と綴るが年譜によれば先生の名古屋は愛知県立第五中学(現・瑞流高校)在学の明治40年から43年(13〜16歳)にて、槐多のこの『悪魔の舌』同人誌で活字化されたのが大正4年の頃、亂歩より二歳年下の槐多、すると亂歩先生は既に21歳で上京しており早稲田の学生のはず。ところで亂歩先生、大正八年には浅草オペラの田谷力三少年の後援会主宰。まことに興味深き亂歩世界。
▼次の天覧歌舞伎はどうなるか?と築地H君、10年後として円熟した菊吉か。これが六代目と初代吉衛門とに続く「第二次菊吉時代」の到来、音羽屋の義経に播磨屋が弁慶。で、問題はそのときの成田屋の扱いで富樫は成田屋でもいいのだが「前回ご覧いただいたから」ということで本来なら松島屋の富樫こそ「当代の顔合わせ」のはずなのだが敢えて高麗屋を据えて主演=播磨屋、助演=高麗屋という序列を天下に示すまたとない機会、と。確かに。それにしても播磨屋の弁慶、音羽屋の良経に松島屋の富樫は見たい顔合わせ。で、この10年後の天覧歌舞伎で京屋さんがご健在で今上陛下の御前にて昭和15年より6年間兵役についた昭和の女形の髓なるものを道成寺でお見せする。腰掛けたままの姿勢で後見の息子・友右衛門に支えられながら指先の動きだけで大曲・道成寺を踊り抜く九×歳の人間国宝。大野一雄先生に匹敵か。
▼昨日紹介せし「5月の大型連休に娘が中国旅行していたという父親が娘帰国ののち自主的に10日間自宅待機して出勤控えた」という出来事。父親にしてみたらこの時期に中国旅行した娘が非常識だろうが「まわりにもし感染が広がったら」と心配したこの父親のほうが非常識ではなかろうか。日本社会にありがちだが「他人に迷惑をかけないように、かけないように」といろいろ余計なことばかりして実は他人に迷惑かけているのが実情。対外的にも自分たちが懸命に真摯にしているつもりが、実はそれが規制であったり効率性の妨げであったりすること多し。
▼一昨日の唯霊氏の文章で湾仔の上海料理の老正興が秋の上海蟹の季節到来まで暫時休業と知る。ちなみに上海の老字號で香港に移遷してきた店だが上海にも既存の店は名前こそ同じだがすでに違う経営に拠るそうで「さもありなむ」という味であったことを数年前の赴滬(滬「コ」ハ上海ノ別名)の折に感ず。北京の故宮は五月なら日に三万人の人出のところ今年は僅か5百余と。想像してみ給へ。普段なら雑踏で溢れるあの壮大なる宮殿で僅か5百の参観者、ほぼ無人に近き旧宮を静に独り歩めば清旧朝の皇帝の感受凡人にも些か感じらるるものにて、この「非典」真摯に故宮訪れたき者には千載一遇の機会。
▼大西巨人氏が週刊読書人で「歴史の偽造」について語っている(聞き手ハ鎌田哲哉)。大西氏は「卑屈な例」として挙げているが、かつて氏が『神聖喜劇』を光文社カッパノベルズで上梓していた当時、光文社の組合争議で二つある組合のうち第一組合がスト強行、寄稿する作家らにも共闘の執筆拒否呼びかけ、それを断った者には「おまえは資本家の味方か」と指摘。大西氏はそれに対してスト決行しその間も自らは賃金を得ており、ならば寄稿家の印税も一割を一割二分に、原稿料を三千円から五千円に上げる共闘を提案。当然断られたが、鉄道会社が春闘するならストで乗客の足を奪うのではなく無賃で乗車させよ、と大西氏(ソレガ市民革命本来ノ祝祭的蜂起ナリ)。……と、ここからが「歴史の偽造」についてなのだが、あとになって大西氏は組合の執筆拒否を拒み光文社経営陣は大西氏に感謝しなければならない、と書かれた、と。これが歴史の偽造。大西氏が共闘拒否したのは事実だがその理由は経営陣への協力ではないが、そう書かれ、それが活字となり歴史に残る。またもう一つの例は新日本文学での安部公房、埴谷雄高、関根弘らとの対談で(ソレニシテモ凄ヒ面子)、ちょうどフルシチョフのスターリン批判の出た頃で、それが後年『安部公房全集』に採録されたが文面だけ読むと大西氏は「スターリン個人ぼろくそ批判に反対なんです。『非スターリン化』不愉快な言葉だ」とあり、これだけ読めば大西氏はスターリン崇拝か、ととれる発言。だが真意は「政治上の事柄が起きた時に事態を特定の個人の特殊性だけにもっていって話をすることがいけない」ということで、スターリン自身には否定指弾されるべき点はあるがそれに追従していた者、社会が見えなくなるのであり、それは大西氏にいわせれば反「スターリン主義」と「反スターリン」主義の違い。大西氏は前者なのだが安部公房全集での対談を読めば後者に読めることに。こうして歴史は偽造される、と。

五月二十六日(月)曇。昨晩、読みかけの本たまるが『デカメロン』薄本だが1巻目読了。ようするに『徒然草』なのだが吉田兼好は隠遁した文者であるのに対してこちらは豪奢な貴族なわけでその対比が面白いが権威なるものの偽り具合を嗤い、人の咄嗟の機転の面白さ愉しむところは一緒。この岩波文庫、野上基一の訳がいい。長文なのだが組立きちんとしているから難なく読み進み、とくに句読点の打ち方が必要最小限でお手本のような文章。これは全巻読みたいと思う、が、これははっきり言って他に娯楽乏しき時代の読み物であって、全巻読んでみたらいったい何がそこにあるのか、というと『千夜一夜物語』的な、フレーザーの『金枝篇』のようなもの、と覚ゆ。ところで読みかけた本で断念しそうなのは石塚裕子訳の『デイヴィッド・コパフィールド』岩波文庫3巻目途中で断念、これは原書が手許にあるのだし、ずいぶん昔に1冊だけ読んだ新潮文庫の中野好夫訳をもう一度読んでみたいと思う。村上春樹訳の『ライ麦』はぜんぜんイカしちゃいないのか、野崎訳と原本であれだけ読んで楽しかったのは余がまだ若かったからか、いずれにせよ村上訳も最後まで読まねば、あと数十頁。養老孟司『バカの壁』新潮社、坪内祐三『一九七二』文藝春秋など注文。日本のSARSに対する異常な報道と対応はずっとこの日剰でも綴ってきたが、SARS感染者との接触など全く考えられぬ主婦がマスク100枚まとめ買いだの、「大陸から悪性の風が吹いてくる」という風評だの、5月の大型連休に娘が中国旅行していたという父親が娘帰国ののち自主的に10日間自宅待機して出勤控えただの、もう「勝手にやってください」としか思えず。そんなことする前に景気回復とか、そこまで難しい話ぢゃないなら成田の李着陸料金、値下げしないと航空機はどんどん成田から逃げてゆき日本が世界の孤児となるってのに。
▼先週末にWHOの勧告解除され、こうなると香港の変わり身の早さは大したもの。基幹銀行のHSBCはこの2ヶ月SARSの影響により経済的困難に直面した顧客に対して1億ドルの支援を表明、具体的には観光業、飲食やカラオケなどの従業員で解雇だの無給措置などの対象となりHSBCにローンある場合、2ヶ月分について利息免除と返済延長措置など。また空港も減便措置に対して搭乗客が1割を下回るフライトの場合での最大5割の空港使用料軽減など。割引なくとも747機で発着1回でわずかHK$40,000と成田の3分の1以下のはず。そのうえこの割引でどうにかフライトを呼び戻そう、と。日本でこの措置を取ろうとすれば国土交通省より内閣、ひょっとすると与野党協議を経て国会国土交通委員会にて審議なんてことになるのだろうか。香港の場合は空港管理局が決定して香港政府の承認得ただけで即実行。
▼先週、天皇皇后両陛下歌舞伎座にて歌舞伎ご覧になる(こちら)。演目は成田屋の歌舞伎十八番で『暫しばらく』。『暫』の筋書きを今の日本におきかえたら、天下を我がものにしようとする新保守主義政治家・安部(左團次)は、臣下の親米外務官僚・栗山(正之助改め権十郎)や御用学者竹中(三津五郎)、西尾(男寅改め男女蔵)らを従えて、自分に逆らう善良な加藤(菊五郎)を成敗しようとします。そこへ「しばら〜く」の声とともに加藤家の忠臣鎌倉権五郎(團十郎)が駆けつけ超人的な力で敵を一網打尽にする、というような物語。この権五郎だけは実在の人物にここまでのヒーロー役おらず。民主党の議員では十人一束で道成寺の坊主衆ていどの役どころ。下手すると石原慎太郎が「しばら〜く」で現れそうで怖い、怖い。田中康夫ちゃんぢゃ隈取りに車鬢、柿色の素襖に二メートル以上ある大太刀を差したら歩けず(笑)。陛下がここまで暫を堪能されたかどうか余には察するにもあまりあるが天覧歌舞伎なるもの明治20年に麻布は井上馨外務卿の邸にて茶室開きの余興として開催されたが初めにて團菊左といってもお若い方にはおわかりいただくも難ありか9代目團十郎に五代目菊五郎、初代左團次らが勧進帳など演じ、最近では連合国軍の占領解けた昭和28年歌舞伎座にて吉右衛門(初代)の『盛綱陣屋』、そして歌右衛門の『娘道成寺』。今上陛下となられて初めての天覧ながらマスコミにはほとんど報道されず。天覧歌舞伎は上述のように明治の團菊左、播磨屋に大成駒と当代代表する名優の舞台であったわけで、それが今回は成田屋。それが真っ当かどうかの意見もあろうところ。築地H君も指摘するに団菊→五代目歌右衛門→菊吉→六代目歌右衛門、と継承されてきた劇壇覇権が今は空位の時代。宮内庁と文化庁、松竹で「いまだったら誰?」「…そうですねえ、長老ということなら京屋、芸でいうなら菊五郎に吉右衛門というところでしょうが、まあ誰かを選ぶということなら、歌舞伎の世界もイロイロあるでしょうから、とりあえず成田家の宗家にしておくのが無難かと」というような流れか、とH君。なぜかH君も余も「またとない天覧に機会」に高麗屋さんあたりが猛烈に工作したような気が(笑)。結局、團菊で『暫』だったのだが高麗屋の顔も立てて三幅対にとなると当然演目は「勧進帳」。義経に菊五郎はいいとして、弁慶……成田屋の優位が確立してれば、陛下の御前自らが弁慶、で高麗屋が富樫ということで内外に序列を示せるか、とH君。
▼『世界』で「今月のブッシュイズム」で紹介されていたサイード先生の論評(こちら)を読む。米国の外交・軍事戦略がどんどんイスラエルのリクード党の影響受ける点の指摘で、これは4月にLondon Review of Books誌に書かれたものだが、こういった海外のメディアで感心することは出版された内容の権益保護よりも寧ろ広く読まれることを期待してのインターネットでの公開並びに印刷しやすいレイアウトの提供まであり。

五月二十五日(日)。獅子山から城門水塘へとトレイルの予定が早朝雷雨注意報あり中止。昼前にジム。午後公営プールにて小雨のなか水泳。少し晴れて新聞雑誌読む。夕方九龍公園を歩きふと海防道のKangaroo Pub、旅行ガイドで紹介される香港を代表する観光パブにて普段なら観光客で賑うが観光パブながらこの店の大きな窓から眺める九龍公園の緑美しくこの時期ならさぞや空いていることだろうと思い赴けばSARSにて客足落ちて暫時休業。看板にはWHOの渡航回避勧告取り消されれば営業再開、とあり(写真)すでに昨日この勧告取り消されたが未だ休業続く。休業といえば信報の唯霊氏の隨筆で湾仔の上海料理の老正興まで暫時休業内部維修だそうな。また秋の上海蟹の季節に重開、と。Space Museumにて小津の『麥秋』看る。かなり不安定な作品。笠智衆が紀子(原節子)の兄役で、嫁入り前の娘・原節子と老父演じる『晩春』より当然この作品のほうが前作と思うが実は確かに『晩春』が49年の作品であの戦後の小津の世界が生まれ、これは51年。笠智衆のこの兄役は正直言って演技は朴訥を通り越して下手。『晩春』であれだけ味のある老父を演じていたが若返ると下手、いかに笠という俳優が老け役かと痛感。原節子も演技に勢い余りすぎといふほど闊達で異様なほど。それにしても、この間宮という家族、とにかく紀子の結婚にだけ話題と関心が集約され、不自然さ極まりなし。それもこうして半世紀後に海外にて見ていると「ほんとうにどうでもいいような」結婚の価値観のことであり、それにだけ時間費やす小津の世界。不自然のようだが、こういった娘の結婚のこととかに対する異常なまでの関心と、それと反比例しての社会的な思案のなさ、これは小津が肯定も否定もせず淡々と描く日本社会そのものなのかも知れぬ。海外といへば紀子の兄・省二は戦争で生死わからずとなっているが「徐州戦で……」と東山千栄子の一言。日本で見ていれば「何気ない」戦地の話も香港でこれを見てこの台詞を聞けばこの平凡なるちょっと裕福な鎌倉の間宮家の次男も中国侵略する日本軍の兵隊であり中国人殺す軍の一部、となる。そういえば、いぜんには気づかなかったが北鎌倉の駅にて通勤のさいに紀子が亡兄の友人で医師の矢部謙吉(二本柳寛)に遭った際に謙吉が読んでいた本を閉じ「面白いですね、チボー家の人々、まだ4巻半なのですが」という場面あり。早口で、筋には関係もない台詞、だが友人の披露宴から紀子が遅く帰宅すると起きていた兄嫁・アヤ(淡島千景)が読んでいた本も背表紙の題は焦点合っておらず読めぬがその菊版変形で二段組からして『チボー家』のはず。当時、鎌倉だの医者だの、紀子にせよ丸の内の会社で英語堪能な專務秘書役、そういった若者たちには『チボー家』は必読だったか。謙吉が紀子に遭ふなり「まだ4巻半」と言ったといふことは紀子も当然読んでいるといふ前提であろうしアヤが読んでいるといふことは夫の康一(笠智衆)も読んでいるであろうし、もしかすると当時であるから間宮家で読んでいた『チボー家』が謙吉に貸されたのかも知れぬ。で、何が気になるかといへば、ようするに彼らにとって『チボー家』は読んで当然の小説なわけで、その筋といへばチボー家のジャックが第一次世界大戦下のパリで正義と希望に燃えてコミュンテルンの活動など通じ成長し反戦平和のために義勇軍として若い命をおとす物語、そのような社会正義だのが東京の昌平橋界隈の大病院で医者する間宮家であるとか謙吉の生活に「これっぽち」も反映されぬどころか話題にすらならず。ただ婚期から外れそうな紀子の結婚のことだけが彼らの価値観の全てのように話題になり続ける。ならば『チボー家』がなぜわざわざ駅での朝の会話に登場したのか、なぜアヤが読んでいるのが創刊間もない『暮しの手帖』でなく『チボー家』でなければならないのか。これは小津がこの間宮家を取巻くこの価値観がいかに矛盾しているか、おかしいか、ということをこの『チボー家』と間宮家の対比で語っていたのでは?という気がしないでもなし。小津というと、こういった「日本らしい」家の姿を淡々と物語にしているように思われてもいるが、そうではあるまひ。寧ろそういった醜悪なほど何も語らぬ、何も考えぬ「ほー、そうか」「そうよ、きっとそうよ」で会話が完結してしまふような、そういう風土の矛盾を露骨に見せているように思える。映画終って外に出ると大雨。スターフェリーで湾仔に渡ろうとするが海峡が時化てフェリーの渡板大きく反れる写真で渡板の向うにポスターの写真の如き男女いるがこれは船に渡れぬ乗客)。日本はオークス。父が今日誕生日にて映画終わりフェリーに揺られながら実家に電話すると母が今日のオークスで二番人気のスティルインラブはわかるが単勝13番人気のチューニー(後藤浩輝騎手見事)で枠連2-8で6,050円を押えたそうな。敬服。いつもなら1,000円買うが「まさか」の馬劵のため300円しか買わず、と。帰宅して昨日の杭州飯店の元蹄の煮凝りなど食す。元蹄も美味かったがこの煮凝りは格別。
▼先日、エベレストでの中国隊の国旗が裏返し、と綴り、それに比べ日の丸は表裏わからず、と思ったが三浦雄一郎氏の70歳登頂での写真見たらこれも裏返し(写真)。厳密には旗を旗竿に括る紐もあるほうが左のはず。

五月二十四日(土)晴。WHOが香港及び広東省への渡航回避勧告を撤廃。昨日のことだそうで、昨晩これを祝しFinancial SecretaryのAnthony 梁錦松君が蘭桂坊訪れ酒場に集う輩と祝杯酌交し酔った女に接吻を浴びる姿がテレビのニュースに映る。政府も支持率急減の梁錦松をこの時ぞとばかりに遣り印象向上に利用とは姑息。当然のことながら失態続きの梁に「そんなことしてる場合か」と叱責の声起こる。朝、諸用済ませてMount Parker Rdを上がり大譚の水塘まで下り大譚西引水路走る。この2.7kmほどの引水路、路肩整備され走り易いが引水路とはいえ高さ2尺にも及ばぬところまで鉄柵つけてヒトの落下防止とは呆れるばかり(写真)海岸で競馬予想。ボッカチオの『デカメロン』の初日読む。突然なぜデカメロンかといへば、これは15世紀ペスト蔓延するイタリアにて富裕なる貴族らが感染さえて郊外の離宮にて遊び物語りする話にて、そこでの話の妙は既存の価値観、権威に対する揶揄だの。この21世紀のSARSのなかで、このデカメロン読んでみるのも一興か、と思った次第。淺水灣(リパルスベイ)の郵便局(写真)観光客が「中国式のお寺」と騙されて連れてこられることで有名な獅子会拯溺会(正確にはここはライオンズクラブの水難救助会の水難防止祈願の廟)、ふだんなら暑い最中も観光客で溢れているが全く人影もなし(写真)赤柱(Stanley)経由してバスでShau Kei Wan、桃園麺家にて午後遅めで魚蛋粉。帰宅。Y氏の来港あり晩に銅鑼灣の杭州飯店にて十名で会食。揚げ湯葉、杭州鹵鴨、素焼鵝、クラゲと胡瓜の和物、龍井蝦仁、?粉豆腐、豆板イン菜、西湖牛肉羹、生爆?片、元蹄に雲呑鶏。どれも美味。紹興酒が美味いが高いのは難だが。終って銅鑼灣のMTR站がかなりの混雑で何かと思えば香港スタジアムにて今回のSARSに抗しての慈善活動で1:99音楽会なる大型コンサートありアニタムイ、劉徳華、郭富城ら大物、人気歌手総出演。1:99はもともと感染防止のための漂白剤による消毒での漂白剤1に対して水99の意を1:99にて一人がみんな(99)のためにできること、という意味として、なかなか。競馬は粗い予想のわりには好調「だった」が今日のメインレースであるR8はQueen's Mother Memorial Cup(なぜかこの英国好み)地場G2(3歳以上1600m芝)、そこそこいい馬が揃っているが「脚」には出来るが「これ」という本命馬なく、どれもそこそこのオッズでは連複で買うには配当期待できずCape of Good Hope、計得精彩、Meridian Star、自家飛、上風と5頭選びTrio。まぁ順当に入るだろうと思っていたらAllan厩舎の好彩(Ho Choi)が入ってしまい、確かにChampion Mileの4着などあり5.4倍のオッズに期待度が出ていたが、これを洩らすとは……。ちなみにこの好彩入れていればTrioの配当はHK$880なり。
▼SARSの原因はどうやら猫に非ずハクビシン(Paguma Larvate、菓子狸=フルーツ狸)とか。広東の野味(野生動物喰い、滋養強壮によいとされる)にて菓子狸はかなり愛でられなぜ「菓子」狸かといへばこの狸(狸に似ているが実は麝香猫科)が好んで果物を食し、それ故に肉が臭みなく甘い芳香もあり、と(そう思えぬが)。従化温泉などで食したがけして美味いものには非ず。

五月二十三日(金)快晴。遅晩にイスラエル映画『Yellow Asphalt』看るつもりが藪用あり断念。イスラエルはイラク攻撃など不穏な時期にもかかわらず(というかこの時期だからこそ、なのだろうが)政府観光局による観光客誘致の宣伝などかなり盛んで(バスのなかで放映されている映像にもかなりの頻度)、この5月下旬もイスラエル映画祭と銘打って6本だかの映画上映があり。この『Yellow Asphalt』はパレスチナ扱っており、いったいどういった捉え方かは未知数ながらだからこそ看ようと思っていたため看れず残念。某氏と尖沙咀東の五味鳥。相変らず開店から半時間ほどで満員、予約の一卓あり何組も来た客が入れぬ盛況。本当にお見事としかいえず。遅く尖沙咀の酒場二軒梯子。尖沙咀のCarnavon Rdに映画イージーライダーの如き派手に改造したバイク集団(写真)暴力的などでもなく改造バイク乗るだけだが信号青になっても進まず後続の仲間来るの待つなど威勢はる。或る浴池にて垢擦り。新参の垢擦りの師傳、最近は垢擦りなどとは名目だけのお座なりの「身体洗い」が多いなか、この人かなり技巧に優れ、みるみるかなりの垢が擦られ敬服。尋けば北京の人、半年前に香港へ、と。話せば大阪に4年住んだこともあり、89年よりといふので六四に触れていいものかと余が思案していたら自ら89年の春に日本へのビザ申請しており発給されたのが6月5日だと。それで七月に大阪へ。天安門事件の最中でもこうしたビザ発給など続いていたことも認識しておくべき事実。余が北京を誉めると「香港など広州周辺の田舎者が出て来たにすぎない」とホンネも。それ故に文化も流儀も遜色る、といふわけ。
▼香港の地下鉄にてホームの密封化進むが既存の路線にも敷設。それも通常の営業続け終電のあと工事続けるが現場は、といえば封鎖も一切なく工事の済んだ部分も済まぬ部分も通常通りに利用できる写真は手前が工事前、奧が工事済み)それに比べ尖沙咀のKCR線地下延長工事での醜悪なる露天掘り(写真)などどうにかならぬものだろうか。
▼自民党の山崎幹事長、大きなマスクに顔隠して国会に。下半身にも絡む醜聞続く故かと思えば北京訪問して二日間公務自粛後だそうで、北京に同行した保守新党、公明の幹事長もマスクして、お三方で「公務復帰宣言」などまで公開。二日での公務再開に非難もあり。いずれにせよ大騒ぎすぎ。
▼そうそう、突然フラッシュバックのように思い出したが、小津の『突貫小僧』でのこと。映画始まり字幕でいきなり「今日はひとさらいの出そうなひより」とあり。ヒトサライの出そうな日和りというのはいったいどういう日なのだろう。わからぬ、がなんとなくわかりそうな。いや、やはりわからぬ。
▼エベレスト山(チョモランマ)にヒラリー卿初登頂して半世紀。今月のNational Geeographic誌の特集もこの世界最高峰だったが、それに三浦雄一郎氏70歳で登頂し最高齢記録を更新とか。今日の日経「春秋」も書いていたがヒラリー卿は登頂に成功し頂きに掲げたのは英国、インド、ネパールの旗とともに国連旗。そういう時代であったのだ。いまはそんな国連への期待であるとか誰も掲げぬ悲しき時代。エベレストで旗といえば数日前に中国隊、当然のことながら「中国の」チベットより登頂し山頂極める映像を生中継に初めて成功。その映像世界に流れたが問題は登山隊の掲げた旗が山頂の厳しい状況とはいへ裏返し(写真)これはマズい。裏返しでもそれがバレぬ日の丸はよかったね。国旗掲揚に内心反対する人が良心の呵責に耐えかね実は裏返しに掲げていたりとか。
▼武蔵野のD君によると、D君の愛読紙産経新聞(ところで靖国参拝奨励で参詣新聞という題は如何か)が台湾人医師のSARS感染について朝日新聞がこの医師を「加害者呼ばわり」したこと、また医師の「買春の有無」を尋ねたことを非難とか(5月20日付)。産経は本来「わが国益をおびやかす外国勢力に毅然とした態度をとるのは愛国的行為」だったはずで売買春もまた「正当な商行為」ではなかったか? だが「これが北京の医師だったら、朝日は同じような態度をとるだろうか?」と自分で勝手に仮定の問題を設定して批判(笑)。本来のその「外国勢力に毅然とした態度をとる」が社是でであればわが国国民の安全と健康を防衛するために毅然とした追及を行った朝日の同胞記者を批判して外国勢力に阿ることこそ産経的にはもっとも忌まわしいはずの「自虐的」態度では?とD君。なぜここまで朝日が憎いのか?と築地H君と鼎談となったが、H君曰く「そうやって憎んでいることが「影響力」の源」であろう、と。ただ産経がそこまで攻撃する「左翼としての」朝日もリトルネベツネ化した社長の許で慘澹たる現状。H君興味深い例えを挙げ、有胎盤哺乳類のいない豪州では有袋類が適応放散して相応のニッチ(生態的地位)獲得、有袋類が形態上も収斂進化して系統上の類縁関係は全く縁遠いのに有胎盤哺乳類と相近した外観を発達させる(フクロオオカミ=オオカミとか)。だが競争力は弱い所詮二線級の「モドキ生物」であり、ホンモノの有胎盤哺乳類が移入されるとあっというまに駆逐されてしまうのが自然の摂理、と。日本の本来の革新思想不毛の風土では総評=社会党や朝日新聞といった疑似サヨクでもじゅうぶんニッチであったわけだがグローバリゼーションによる(国家を越境した)本物の資本主義社会の移入によってあっという間に駆逐されてしまった、とH君。御意。だが、しこの場合、駆逐されるのは憐れな草食獣だけでなく有袋類全般なわけです。「日本式経営」だの「日本らしさ」に拘りそれに依拠する「抵抗勢力」たる保守本流派もまた風前の燈びか。残るのは新保守主義とファシストのみ、それがグローバルスタンダードか、とH君。D君も余も暗澹たる未来にただため息をつくのみにて鼎談終わる。
▼新保守主義といえば小泉三世訪米。昨日の空港での写真見れば政府専用機のタラップにて手を振る首相の背後に安部三世。安部君その自信漲る表情は昨年の日朝首脳会談に訪朝する小泉三世のやはり背後に企っていた「まだ安部三世に足元掬われる以前の」外務省アジア大洋州局長田中均君の表情彷彿させるもの。今回は小泉三世こそブッシュ牧場にて歓待されるものの実質的には安部外交に小泉君が随行しているようなもの。牧場にてブッシュ君の牛馬に小泉君飼葉でも施す間に安部三世は着々と新保守主義の基盤固め。
▼それにしても小泉三世といえば「自衛隊は実質的に軍隊」発言。小泉君がそう思っていないほうが不思議であるが、一国の首相たる者、憲法に基づく国政の代表者であり(立憲制)、一介の保守政治家に非ず、それが軽軽しくも憲法の精神に反するこの発言、しかも「30年ぐらい前に、ああいう発言をしたら野党が怒って国会はストップしてたでしょうね」とも軽口叩く。この法治の原理すら理解できぬものに国政委ねるこの国はいったいどうなっているのか全く理解できず。

五月二十二日(木)快晴。非典型肺炎にて、といふよりもその肺炎の感染に戸惑ふ社会の「感染幻想」にて何かと雑事多く生活の歩調乱され「煙草は免疫力を衰えさせます」といつた広報など見ていたら無性に喫煙したくなり衛生防疫至上主義のなかでつい煙草を吸い始め「SARSに終止符が打たれたらまた禁煙」と思つていたが、もはや終息に近づき、それよか煙草なしでは生活できぬほどかつてのニコチン中毒に陥りさふで慌てて禁煙再開。煙草ぢたいは好きであるし禁煙してまで健康体でいたいなどといふ希望もない老体であるが煙草を吸えぬ場所で「吸いたい」と煙草所望し苛々続く「あれ」が不快。図書館、飛行機、星巴、映画館、ジムといつた余の好む、本当なら寛げる筈の場所にかぎつて禁煙で煙草吸いたいと思ふ、その分快適に過ごせず、その不快感が釈せず、それなら禁煙して煙草なく生活するほうがマシか、と。SARSといへば広州にて「非典型肺炎」の「非典」登録商標にすれば今後「非典石鹸」だの「滋養強壮非典液」「非典枕」に「非典安全套(コンドーム)」とでもいつた具合だらふか、「非典」の冠つけた商品の商標料だけで喰っていけるのでは?と思った男おり早速広州の商標登記所訪れて申請したところすでに山東省で二人の男がこの商標めぐり争議中だそうな。
▼数日前に日経の「春秋」に書かた「りそな」という名称が実はラテン語であるということを綴ったが、余の敬服する博識とそのセンスよき某氏が日記にて余のこの内容を接けて「りそな」とは形容詞「resonus」の女性形のつもりだろうが、その発音は正しくは「レソナ」であること、なおこの形容詞「resonus」は動詞「resonare」つまり「反響する」が自来、これが「sonare」「響く」「響かせる」つまり英語の「sound」に「re-」がついた形であり、と解されている。やはり英語ならresoundでよかった、と浅学の余は安堵。ちなみに氏がそれに続けて述べていることは形容詞の「sound」について。これが「健全な」なのである。「健全な」が名詞「響き」や動詞「響く」とどう関係があるのか。この形容詞の「sound」は高校英語の問題で、氏も挙げているが余も福武書店の進研ゼミか何かで出くわしたのが“A sound mind in a sound body”が「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」の例文なのだが、それ以来、この形容詞のsoundにはほとんど出会っておらず、それだけでも高校英語が研究社の月刊誌『英語青年』の古典的教養主義からどれだけ抜け出していなかったか、の象徴のような用例であるが、閑話休題氏の説明によりようやくこの形容詞「sound」がなぜ動詞と名詞の「響き」系の[sound」とは異なるか、を判って溜飲下がる思い。氏の説明によるとこの「健全なる精神は……」は“orandum est ut sit mens sana in corpore sano.”、氏の訳によれば「健全の肉体に健全の精神の宿ることを願望しなければならない」、この「sana」つまり「sanus」が形容詞「健全な」の「sound」の語源。よって「響き」は「sonus」で「健全な」は「sanus」、つまり英語では同じ「sound」でも元来の形は異なる全く別の語、と。なるほど、と膝を打って納得。ちなみに高校生であった余は語源を辿るほどの探究心もなく、ただバカ同然に「音が響く」と「健全な」をどこかハレの印象にて結びつけようとしていたとはいやはや恥かしきこと。

五月二十一日(水)快晴。晩にHappy Valleyの競馬。藪用あり観戦できず馬券のみ。終ってみれば「なんでこれを買ってない?」と反省ばかり。
▼ヒトのキチガイぶりは大したもので、昨日もある男が警察相手に大立ち回り4人の警官に傷を負わしたが、その原因といえばこの男のバイクでの他愛無い交通違反で、この男は「切符を切られる」のを拒否、警察は簡易訴訟の通知を郵送するが二度とも受取り拒否され、昨日、その文書を届けに男の家を警官が訪れると男かなり興奮しており防御服着装した警官まで含め4人を包丁で切りつける。たかだか交通違反でわずかの罰金刑拒否のため懲役数年を選んだ結果に。20年前なら筒井康隆的、が今は現実に。
▼全く記憶にもなかったが2001年10月より香港複印授権協会なる組織が傘下の新聞社の記事の複写及び閲覧について権益有し許可なき複写及び閲覧があった場合に知識産権の侵犯として刑事民事上訴える権利有すること、今日の信報にあったこの協会の広告見て思い出す。このような制限すっかり忘れたり。けっこう新聞のコピーとり場合にとっては人に見せたりしているが、これが違法行為というわけ。この協会の発足当時、大手新聞のなかでは蘋果日報だけがこの協会に加盟せず、わざわざ全面広告まで掲載して「蘋果日報は面白い記事があればコピーをどしどし撮って人に配ってください」と主張。蘋果日報にしてみれば、実際に面白い、会社で閲覧したいような記事があった場合、それぢゃわざわざこの協会の許可とったり何部も余計に買うかといへば無理なわけで、そこから借用での著作印税だの売上増加など期待もできず、それならコピーででも読んで蘋果日報は面白い、と思われたほうがよっぽど宣伝効果、売上げ期待できる、ということ。その通り。
▼築地H君指摘するに、台湾の医者の件わが国政府は台湾に対して厳重抗議。台湾地域はあくまで「一つの中国」の一部として中華人民共和国政府の主権下にあればSARS対策の責任も当然、北京政府が負うべきでは?、と。日本の抗議も北京にされるべき。わが国政府が台湾政府を「あたかも正統な台湾の支配者であるかのように」なんらかの抗議なり要請なりを行うというのは政府の外交政策に矛盾するのでは?
▼エール大学を出た(らしい)ブッシュ君は「ことになっている」が続く方で空軍でもパイロットやってた(ことになってる)し、何よりもさらに長じて大統領選挙で勝った(ことになってる)最も大きな疑惑あり、と築地H君。今思っても、あの大統領選挙とはいったい何だったのだろうか。かつての種子島の保守抗争であってももっと明朗。あれが世界が標榜すべき民主主義国家での元首選挙だと思うとそら恐ろしいものあり。もしゴア君が大統領であったら9-11もイラク侵攻もなかったのだろうし、もしかすると新型肺炎SARSもなかったかも知れず。といふのは米国が民主党政権だったなら中国のWTO加盟は中国の自由、人権環境に改善が見られぬことでこれほど易しからず、中国は印象改善のためある程度の政治環境の改善、また外国で非難の多い猫や犬喰いといった「野蛮な」習慣撤廃でも試みたかも。であれば猫喰いにより感染源とされる広東省佛山の党の村幹部某氏も党のお達しであれば猫喰い躊躇して、このウイルスはヒトに感染せず。SARSはブッシュ君が元凶、と。

五月二十日(火)快晴。悲しくなるほどお天気はまつたふや。昨日日剩に綴りし『ライ麦』のボブ=ロビンソンについて早速築地H君よりボブ君の父上は大統領でせふか?とメールあり。確かに英語の拙さは現職のブッシュ君と差不多か。ちなみに『ライ麦』上梓されたる1951年大統領はトルーマンにて正規の学校教育受けておらぬ最後の大統領だそうだがトルーマンはエール大学出たといふブッシュ君ほど××ではあるまひ。トルーマンといへば原爆投下も朝鮮戦争勃発、CIA発足もト君ながら文民統制貫きマッカーサー元帥解任するなどブッシュ君ほど××でないことは確か。一見、街頭に佇む初老の男らの何気ない光景(写真)ながら、これが昨日日剩にて紹介せし湾仔MTR站上の政府合法麻薬配給所に配給待ち及び仲間との雑談に屯ろする薬中の男たち。市街のど真ん中の最も混雑するような場所にこの配給所あるのも摩訶不思議、はたまた便利この上なきと判断すべきか。黄昏にジムにて鍛錬。帰宅して湾仔碼頭餃子。NHKの「大当り勘九郎劇場」なる番組ビデオで見る。ゲストが志村けん先生で巻頭に白塗りの映像あり「これは!」と志村けんが歌舞伎、勘九郎君がバカ殿を期待したが、たんに志村けんが揚巻の花魁姿になり中村屋が白玉、それで記念撮影して勘九郎君が「あいーん」しただけでもほんの少しバラエティであったが、そのあと人畜無害な対談。ぜんぜん大当りしておらず。NHKらしい限界。
▼『世界』に連載され毎月溜飲下がる思いにて読む寺島実郎氏の連載、魯迅の使った「奴顔」なる表現を挙げて、この「虐げられることに慣れて常に強い者に媚びて生きようとする」奴隷根性丸出しの顔、日本人は鏡を見てそれが見えないか?と。大量破壊兵器の査察も実証もされぬままのイラク攻撃が不条理であることを直感していても現実主義の名の許に「日本を守ってくれるのは米国だけ」「米国支持しかこの国の選択肢なし」との思考回路の中で路線を選択。本来はこの「武力と殺戮で民主主義を与える」ことを正当とするような狂気の時代だからこそ、生気を取り戻すべき、と寺島氏。氏の持論は日本のとるべき路線は「力の論理」ではなく「武力をもって紛争の解決手段としない」平和主義による「国際法理と国際協調による秩序形成」であり、今こそその価値を国際政治の場で実体化させる重要な局面と認識すべき、と。だが現実には余が思うにこのような局面にあっても全くその平和主義の重要性など理解できぬまま「タマちゃん」への愛着だの「白装束」への危惧ばかり。小泉など米国支持の必要性説くが何処まで本当に米国が日本のことなど友人と思っているのかなど語るべき言葉も通じぬのだから全く日本側の思い込みにすぎず。かといって反米となると極端な国粋主義となり何れにせよ拯いようなし。ところで寺島氏はこの米国によるイラク民主化だのテロ撲滅を「新しいマッカーシズム」と言っているが、それはどうだろうか。マッカーシズムはスターリンによる粛清だの文革と同じく少なくとも国内の仮想敵に対する攻撃と粛清であって、今回のような他国への押し売り、いやそれどころか強盗(しかも被害者強姦つき)はマッカーシズムの範疇には収まらず。少なくともこのマッカーシズム、スターリン粛清、文革ならば個人が殺されるか、殺されなければ後々名誉回復はされるわけで、イラク攻撃などそういった個人レベルに非ず。
▼同じ『世界』で(『世界』など誰も読んでいないだろうからこうやって綴っているのだが)『空疎な小皇帝「石原慎太郎」という問題』の著者・斎藤貴男と精神科医の香山リカちゃんが「「国」と「国民」、この距離感のなさ!」なる対談。斎藤氏曰く石原支持をしている人とは勘違いしている人で、「多くの人は彼が何を言おうがあまり危険視しない。それは彼を、プロの政治家だと認(みと)めていないから」であり「石原がいくら「北朝鮮と戦争だ」なんて言ってみても、それは一タレント作家がテレビで騒いでいるように思っている」のであり「日頃のいろいろな不満のはけ口、要するに“癒し”として「すっきりしたことを言ってくれる」と喜んでしまう」と。そしてこの「本質は差別主義」の石原を同じく根底には差別主義をもつ新自由主義に属する「都政の中で石原がやっているようなことを国全体でもやりたい二世や官僚出身のエスタブリッシュメント」たちにとって石原は「非常に都合がいい露払い役になっている」。リカちゃんはそれを受けて、石原が「このままでは自分たちの国も北朝鮮に攻め込まれて、あなたのまわりにも大変なことが起きてしまう」というようなことを言うと「いま世の中の状況がよくない中で、根拠がない漠然とした不安や不満を抱いている層に、うまく働きかけている」のであり、「その一方で「有事法制をつくるのは近代国家として当然の義務」だの「それによって国際社会の中で日本の地位が上がるのだ」と考えるエリート層にも、石原がうまく働きかけている。その「両方が何となく結びつくような雰囲気」であり「石原さんが何を言っても、所詮たいしたことにはならないだろうと思っているし、抑圧されている労働者が実は増えていて明日をも知れぬことになっていても、丸ビルや六本木ヒルズがオープンすればそこへ行って「まぁ、まだ大丈夫だろう」と思ってしまう。「危機管理」とか言ってるけれども、その裏にあるのは楽観主義」とリカ先生。御意。それに斎藤氏が「危機管理なんて叫びたがるヤツが、実はいちばん危機意識がない」と。全くその通り。
▼台湾人医師の関西旅行、確かに誉められることぢゃないが日本の反響の大きさ予想できることだが騒ぎすぎ。きちんと消毒などされればこの医師の宿泊先だの飲食店だのが自主閉店などする必要もなく、感染地域からのツアー客お断り、など過剰反応。そんなことよかこの医師が天の橋立から嵐山に移動する途中に昼食とった亀岡市のアルプラザ、平和堂なるチェーンストアの傘下にて、大阪の宿泊が都ホテルだったわりには、はっきりいって昼食がセコイ。なぜ日本まで旅行に来てアルプラザなのか、旅行代理店がセコイ出費節約。

五月十九日(月)曇。じつに約50日ぶりに香港の小学校低学年、幼稚園開校。毎朝、日経の「春秋」樂しみ。今日はいきなり余もsiteの巻頭に掲げし「真理がわれらを自由にする」国会図書館にギリシャ文字で刻まれたることを述べ、銀行家ロスチャイルドも19世紀初に定めたる紋章にはラテン語にて「協力完全無欠才能」とあり、「権威や信頼感をにじませたい時、西洋文明の源流である古典的言語の名文は効果絶大だ」と。で、ここから何処に話が展開するか、が「春秋」の白眉なのだが、今回は実は「りそな」である。なぜ、ギリシャやラテンの古語がりそなかといへば公的資金導入のりそなの「りそな」はラテン語の「反響する」「共鳴する」(これは英語のresoundだろう、富柏村注)だそうな。春秋子は「不良債権処理や株安に伴う含み損処理などで体力が下がっているところに自己資本の嵩上げを戒める厳格な査定の実施が「共鳴」。資金不足という哀歌を奏でることになったわけか」と、いささか無理のあるこぢつけのきらいもあり(正直言って言ってることがよく判らず)。で結論はラテン語入門書を見ていた筆者は「ニル・アドミラルティ」なる言葉を見つけ、これは鴎外の『舞姫』にも登場するローマ詩人ホラティウスの言葉で「何事にも驚かず」の意、この公的資金導入など「いたずらに浮足立って混乱を広げぬためにも「平常心」に通じるこの言葉をかみしめたい」と結ぶ。成る程。これからこの春秋読む時の座右の銘こそ「ニル・アドミラルティ」と思うは我ばかりか。晩遅く村上春樹『ライ麦』少し読む。なかなか読み進まず。このベストセラー、読んでも一つも面白くなし。かつて野崎訳で読みし若き頃のあの一つ一つの場面が映画の如く脳裏に浮かびし感動とのこの差異、余が老けてホールデン少年の青春の心が読めぬ齢となった故か、村上春樹の訳の拙さか。少なくとも数年前に原作をサリンジャーの言葉そのもので読んだ時の感動もなし。例えば18章にてホールデン少年がボブ・ロビンソンという友について語るところ、村上訳には
彼は間違いなく両親のことをとても恥かしく思ってた。というのは彼の両親は「ヒー・ダズント」「シー・ダズント」と言うべきところを「ヒー・ドント」「シー・ドント」とか言っちまうような人たちだったし
という文章あり。一瞬理解できず。なるほどhe doesn'tだのshe don'tという英語の言葉のことか、と判るが、それにしても、このカタカナ書きではあまりに拙訳。ふと寝床より起き出して野崎訳を書棚から出して見れば
これは本当に劣等感を持っていたんだな。両親が"He don't"とか"She don't"とかいった文法的にまちがった言い方をしたり
とすんなり読める表現。原書は当然のことながらhe doesn'tだのshe don'tと書けば間違っていることはわかるわけで野崎訳が原書に近く、村上春樹が何ゆえにわざわざ「ヒー・ダズント」「シー・ダズント」という正しい表現をそれもカナ書きで入れてまで「わかりやすく」説明したのか。それも中1で習う程度のこと、村上読者にそこまでのサービスが必要なのか、理解できず。眠気さめる。
▼昨晩読んでいた『世界』に毎日新聞の青野由利なる方のSARSに関する文章あり。感染重症地香港に居する者には別段読むに値するほどのネタも捉え方もないのだが「香港で発生したトリインフルエンザ」という表現に、一瞬、えっ……通常のインフルエンザより3倍(tri)強力なインフルエンザなんてあったかしら?と思ったら「鶏インフルエンザ」のこと(笑)。紛らわし。
▼世の中には様々な需要と供給あるもので、香港政府の麻薬対策、麻薬中毒患者に対して合法的に中毒症状を和らげること、麻薬入手のための犯罪やその筋の世界への介入を防ぐことを目的としてMethadoneなるヤクを与えているのだが、例えば湾仔の湾仔電脳城のある修頓花園大厦の横、歩道橋に上がるエスカレータのところにもこのセンターがあり、Methadoneもらいに来たオジサンやオバサンが溜まって一種独特の雰囲気を漂わせているが、この合法麻薬の登録をしている患者が7,000名(昨年は6,100名)で、このMethadoneはヘロインから精製されるのだが、そのヘロインの入手経路はといへば政府が麻薬取引を暴いて押収したヘロインなのだが、昨年から18ヶ月でわずか1000kgしか押収できておらず、約6,000名いるヘロイン中毒者が一日に必要なヘロインの量は1.8kg、年間600kgであり、このままいくとMethadoneを精製するためのヘロインが足りず。まさか政府がヘロイン密売ルートから購入するわけにもいかず。ヘロインの価格も上昇しており、昨年初にHK$180,000/kgが今ではHK$270,000/kg、末端価格でHK$466/gは一年で3割以上の値上がり。
▼17日の日経に出ていたが日経の「リトルナベツネ」鶴田会長16日の取締役会で辞任決定。「関連会社で損失が発生したことの道義的な点は否定しない」と杉田社長の弁。だが関連会社での損失程度で責任とっていたら日本中の社長が退任しなければならず。子会社の不正経理については取締役への提訴提起請求はせぬそうだが「元」になってしまったが社員ら株主二人が取締役に対しての損害賠償訴訟求め鶴田会長辞任を株主総会で求めていたものの総会では反対多数にて否決されており、「リトルナベツネ」鶴田王朝安泰か、と思えたが、表面上は引退しても鶴田院政はひかれようが、まだ会社として表面上でもこう機能するだけ、何処かの「社主」制会社よかマトモか。
▼新潮社が読売新聞に身売り、という実しやかな噂もあり。読売といえばテレビ、野球ばかりかは中央公論を有し徳間書店=ジブリまで。こうしてみるとJリーグの川淵氏ナベツネによるサッカー支配の野望を粉砕したというのは大きい、歴史的な意義があるかもしれない、と築地H君。確かに少なくともこの10年でナベツネの思い通りにならなかったのは「読売ヴェルディ」だけ。確かに。なぜサッカーだけが「墜ちなかった」のか。ここでさすがヨーロッパと仰いではいけぬだろうが、H君曰くヨーロッパクラブ選手権の決勝まで進出したACミラン、オーナーのベルルスコーニは政治にかかわる点ではナベツネと同じだがフィクサーにはならず堂々と首相までやって現に汚職で訴追されるというリスクも冒してる点、フィクサー気取りのナベツネは実は小物、とH君。それに対して朝日。読売が新潮社買収なら朝日は岩波か。でも岩波は朝日に縋る必要も何もないだろうが、朝日は読売に比べれば反体制、反権威を貫いているようでいて、最近のやはり「リトルナベツネ」箱島社長引率する変節ぶりはやはり、ある程度靡かねば疎外されるばかり、という現実か。ただし「最近の朝日は現実主義的でなかなか論調がいいから、読売をやめて来月から朝日をとろう」という奴はいるか?いないだろう。朝日を嫌いな奴はどうなっても嫌い。逆に朝日ファンの読者は離れるジリ貧か。
▼姜尚中先生が集英社新書で『日朝関係の克服』上梓。姜先生俄然絶好調だが先生の前著『ナショナリズムの克服』は早や5刷で樋口陽一先生の『個人と国家』4刷、チョムスキー先生の『メディアコントロール2刷と、集英社、やや偏向にシフトか?(笑) ところで姜尚中先生といえば『ナショナリズムの克服』の対談相手である森巣博氏の奧さんがテッサ・モーリス=スズキ女史だったとは……。H君に教えられかなり驚く。

五月十八日(日)曇。朝競馬予想少々。昼にかけてジムにて鍛錬二時間。敬服に値するお師匠さんE嬢珍しく時間10分間違え普段なら名取か師範代格の取巻きいるものの今日に限って誰も指摘せず10分早く終る。防海道街市の徳發かつては日曜休みだったはずが開いており牛南麺食す。スターフェリーにて湾仔。一旦帰宅するつもりでバスに乗るがバスが東區走廊からQuarry Bayに下りた所に位置する香港葬儀館の裏に多くの弔花破棄されており(写真)見てみたい風景にて太古坊過ぎてからバス降りて散歩しながら香港葬儀館に戻る。いつも思うがこの葬儀館、隣が香港煙草有限公司なのは笑えず。海澤街を歩く。かつてはここも海岸線であったのだろうが、屑屋、廃紙、古タイヤなど扱いが軒並べるのも葬儀場の更に先という場所柄か。この先に太古の精糖工場があった程度の市街の外れ。そこに太古城のような巨大な住宅地が出来ようとは。太古坊のEast End(写真)にてStella Artois飲みつつ読み終らず持ち歩いていた新聞雑誌読む。通りに面したテーブルにいたら突然に糖廟街が通行止めとなり何事かと思えばPCCWの従業員のデモ(写真)従業員の退職金制度見直し基金削減に抗議。日曜の午後遅く客の少ないカウンターで独りStella Artois飲んでいた泰西の初老の男、余に「いったい何のデモだ?」と尋ね、これこれ云々と応えると退職金削減など英国でも同様、と。PCCWの場合かつてはCable & Wireless社の傘下にて香港の優良企業がこの有様、かなり通信分野は今さら儲からないのはBritish Telecomも同様でしょう、と余が言えば彼も肯く。デモ隊はこの酒場の向かいのビルにあるPCCWの本社前にて気勢上げる。実際の本社ビルはもっと先なのだがこの太古坊有するSwire集団がデモ隊の敷地内への進行を拒んだのかかなりの数の守衛を配置し、酒場から見える広場にてPCCWに対して抗議のシュプレヒコール続け解散。目の前には酒場何軒かあり、日本の、かつての国鉄のデモなど見ている者としては感覚的に日曜日の休みにデモに出たら終ったらビールでも、なのだが2千名弱はいたであろうデモ隊は解散すると三々五々酒場の前を通って帰ってゆき酒場に入ったものは皆無。そういうものか。余は酒場を出てデモ隊が去った太古坊の広場を通ると、さっき守衛を配置し盛んにデモ隊の写真を撮っていた背広姿の主管級の男、鉄柵を運んでいた男を「おい、ちょっとそこにその格好で立っていてくれ」と命じて鉄柵運びの写真撮影(写真)だが、余は先ほど酒場を出てデモの写真を撮っていたが、この鉄柵、用意されたが実際にはかなり統率されたこのデモ抗議で鉄柵など使われていなかったのである。いったい何のためのこの「やらせ」の写真撮影か。鉄柵も用意しましたよ、という意味か、鉄柵が使われました、という意味か。いずれにせよ、こうして「事実」が作製される、という風景。この背広氏、自分が撮影している姿を撮られているとも知らず間抜け。それでデモ対策の責任者とは。西湾河の香港電影資料館にてZ嬢と小津の『突貫小僧』と『その夜の妻』看る。『突貫小僧』は語りつくされているが特に『東京人』で数年前に突貫小僧=青木富夫の回顧録が面白かった。『その夜の妻』1930年はあまり期待せずに見たが小津の構図とカメラが単純な筋をかなり緊張感ある作品にしている。美術も、その撮り方も今見ても何ら遜色なし。昨晩の『非常線の女』の田中絹代の拳銃姿は笑ってしまうほどだったが、今日の八雲恵美子の着物姿のしかも「二丁拳銃」は八雲だからこそその拳銃姿がキマッている。北角のJava Rd街市の川粤食府(「あの」東寶小館の隣)にて坦々麺でも、とバスに乗ったがバス間違えて東區走廊を天后まで出てしまい、ちょうどZ嬢がチェック入れていた清風街のPoppy'sなる西洋料理屋に近く其処で晩餐。余り期待していなかったが、オリーブ油と牛酪油、それに大蒜が苦手な方にはかなりこってりしすぎだろうが、野菜ふんだんに使いしかも野菜は野菜本来の味があり、値段からしたらいい素材でその量でかなりの食べ応えあり。サラダなど先日、Inter-Continental Hotelのシーザーサラダで椅子からひっくり返るほど陳腐なサラダを供され、飲むのも閉口するほど淡味のエスプレッソは煎れ替えさせてもどうしようもなかったが、この店の新鮮なサラダも珈琲もちゃんとしたエスプレッソで満足。ワインもけっこう充実、ただし選んでしまったLes Famellesってテーブルワイン、Marsanneは、こんな甘口のワイン、料理とはけしてあわず、失敗。近所の晶晶甜品にて湯圓芝麻糊と西米露紅豆沙。窓際の席で甘味食していたらさきほどPoppy'sにて隣席だった家族連れとPoppy'sの経営者に見られる。この店のある電器道、かなり飲食店増えて盛況であり、今日歩いていて「一丁目」なる日本料理屋、名前からして日式だろうが暖簾が「ゆ」(写真)銭湯ぢゃないんだから……。名前で本当にに日本料理なのか日式なのかはだいぶ判るわけで、札幌とか喜多方ならわかるが飯田橋とか五反田ならまだしも(それだって美味そうじゃないが)東武線は足立区の「五反野」とか(東京都民でも知らない人が多かろう)、この一丁目とか不可思議な店名多し。そういえば夕方East Endのそばで「福助」なる日本料理屋発見。福助なら確かに日本でもヘンぢゃないのだが日式である根拠思わず発見したのはローマ字書きがFuku Sukeなのである。ちょっとしたことだが日本語では福助は名前であるからFukusukeであってFuku Sukeとは区切らないだろう、きっと。
▼岩波『世界』6月号読む。読者談話室に北海道の高校2年のI君の投書あり巻頭頁を飾り世界平和への提言見事ながら積極的な平和築くのは個人の意識の有様であり、それをつくるのが教育、と。そこまではいいのだが、「現在の日本の教育システムは学校が受験のための教育機関となり、思考能力を育てる教育をしていない」そうで「教育によって思考能力を発達させることは「子どもの権利条約」第29条で明確に目指されているはず」と。こまっちゃくれたガキ(笑)。杉田敦氏(法政大教授)が統一地方選挙について、石原300万票に見られる「強いリーダー求める」世相について、確かに余も最も理解できぬのは「石原さんなら」などと期待して終ってしまうほど日本の民度は低いのだろうか、ということ。それは杉田氏に言わせると「自分たちは良識ある人間なので、差障りのある極論を言ったり、外国人への偏見を公言したりはしたくない。しかし他方でそういうことができる存在を確保し「彼ら」外国人に対して睨みを利かせてもらいたい」という、そういうリーダーを頼る、尊敬しているのではなく「ひそかに軽んじながら利用している」ような世相、と。なるほどねぇ納得。だが問題は杉田氏の指摘するようにそういった「強力なリーダーシップを求める人々が忘れがちなのはリーダーが強引になりすぎたと判明しても、その時はもう遅いということ」である。また無党派の流行については「有権者の河に、自分たちは何らかの政党に簡単にかわめ取られるほど単純ではないと思いたい」という強い意識あり。それが過剰だと「無党派になることで、政治という「汚い」世界とは無縁になることができるという一種の幻想が生まれかねない」弊害が生じる、と杉田氏。このような無党派を気取り石原を利用しているようなつもりで、なるほどこれがイマドキの日本にありがちな市民像だろう。
▼同じ『世界』にイラク報道についてBBCが「BBCは英国のみならず世界の視聴者に正確なニュースと情報を提供する特別な責任がある」ために報道用語など徹底的に篩にかけて「わが軍」などという偏向表現を避けて「英国軍」とし、取材源も決定的に明かなものであることが条件で伝聞情報、政府や軍発表の情報は信頼性の確認を徹底、また専門家による軍事行動の詳細や選択肢の予測は不注意のために選択の幅を狭(せば)めてしまう可能性がある、と。日本のマスコミはこの意味が理解できているだろうか。米軍に文字通り思考回路まで「従軍」してしまい「私たちの部隊は」などと平気で宣うNHKの「戦場なんで自分たちの世代で来れるなんて思ってもいなかった」ガキ記者、路上の糞便に群るように何処からか湧いてくる銀蝿の如き軍事評論家、その意味のない作戦予測をバクダッドの市街模型まで作って神妙に報道するテレビ報道……実際に戦争になどなったら自らの国が戦争していて核爆弾でも降っていたら、東京であるとか平壌の市街模型作る余裕なんてないこともわかっちゃおらず。
▼週刊読書人(5月16日号)に大西巨人氏に聞く(新進気鋭の評論家鎌田哲哉氏による)あり。鎌田氏の言葉が余りにも評論が評論というジャンルの言葉と化してしまひ、その中で育ってきた鎌田氏(1963年生)であるから御年84歳の全身小説家の如き大西氏とはとても言葉が通じていないように思える。ここまで「評論」化された言葉を読んでしまうと、そこから大西氏であれば『神聖喜劇』であるとか『三位一体の神話』を「読んでみたい!」と思えないのがホンネ。この号に大空社という出版社から『新聞広告美術大系』なる明治、大正の新聞広告集めた本の復刻版の広告あり、これが手許になく実家の倉庫に眠っており詳細わからぬがこの本の許となっている原本を20年ほど前に仙台だか山形の古本屋で当時にしてみたら1万円で高かったが10冊揃いを入手。それがこの大空社の復刻本では10冊で225,000円なり。原本は225,000円よか価値はないだろう、きっと。村上春樹訳の『ライ麦』ベストセラーで1位、さすが。村上読者がみんな買ってくれるのだろう。そういえば数日前の日経ではこの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を「直訳すると」『ライ麦畑でつかまえて』って紹介しており驚愕。ぜんぜんわかっちゃいないんだよな。

五月十七日(土)晴のち曇。走会で西貢。今回は西貢よりタクシーで萬宜貯水庫のダムまで行ってしまいMcLehose Trailの2のみ。半年以上来ておらず。浪茄湾(写真)の麻薬解毒所に住まう若者らが自ら食材など生活物資の輸送に山道を上がってくるのに遭遇。入れ墨も日焼けした肌にその紋を隠し精悍ぶり。西湾(写真)の茶屋、隣家もまた茶屋となり客引もあろうが店には老舖らしくトレイルや釣りの果敢な写真など飾り余の二年前のTrailwalkerの際の写真まであり赤面。鹹田湾の浜辺の橋わたり(写真)大浪の村(写真)過ぎて赤柱より北譚凹まで。気温は摂氏30度を越え無風、汗とまらず。Z嬢と西貢の街で徳興麺家にて四寶粉、街中の店の魚蛋は比べられぬ新鮮さ。Z嬢が沙嘴街の緑色生活専門店覗き、隣のcafeにSouth China Morning Postなどの連載で著名なるKevin Scinclair氏さすが新界の主らしく気持ちよさそうにワイン飲むお姿。西貢の天后廟の裏手にある西貢の旧市街ちょと散歩、満記甜品が珍しく空いていたんので杏汁蓮子燉雪蛤膏とマンゴープリン、美味。沙嘴街に戻りAli-Oliなる自然酵母のベーカリーにて麺包購ふ。帰宅。晩に西湾河の香港電影資料館にて小津の『非常線の女』見る。1933年のこの作品、いろいろな意味にて面白いが、まず何といっても田中絹代に拳銃を持たせてしまい、それがしかも絶対に似合わない、というこのチグハグさ。小津がそれをわからずに田中絹代を起用したはずものなく、このチグハグさは何よりも敢えてこの物語の設定を昭和8年の東京なのだが無理矢理に西洋風の建物だけ使って看板だのポスターだのをすべて米国風にして、だがそこには着物きた女性だの日本の官憲がいて、そのチグハグな無国籍さがあるわけで、敢えて目鼻立ちのいい女優(高峰三枝子であるとかのちの原節子であるとか)を起用せず正直言って当時はまだお盆に目鼻、の田中絹代がイングリッド=バーグマンばりのスーツ着こなし(いや、着こなせていないのだが)拳銃を売ってしまう、その可笑しさ。筋はサスペンス物というにはサスペンスもなく、ヤクザな男と女の物語というにもチープ、だがキャメラはすでに小津らしさ、どのシーンも「へぇ」と思わせる面白き構図、そこに人物が非日常的に現れ消えて飽きることなし。戦後の小津は「あの路線」に行ってしまうのだが、もし小津が戦後もこの路線で敢えてB級映画を娯楽物として撮っていたらさぞや面白かっただろう、と痛感。帰宅してうどん食す。

五月十六日(金)天気予報は雨ながらも快晴。ふと気づいたのだが、ちょっと市街を外れて歩いていると流しているタクシーが近よってくる時もあるのだが、今日は止ると思って高を括っていたら無視されてしまい、ふと気づいたことはスーツなど来ているとタクシーは客と期待して止るつもりとなりカジュアルだと「どうせタクシーは乗るまい」と思われている、ということ。晩に湾仔Lockhart Rd歩けば通りは客がおらず全く動かぬタクシーの行列(写真)。用法は異なるがなぜか「まんじりと」といふ言葉が似あいそう。帰宅して乾果実入りのカレー。夜、かなり久々にNHKのニュース10見る。いきなり「景気は低速感が出ています」って、もう10年以上減速続けての今さら何が低速感だろうか。もう停まる寸前まで低速になっておりさらに停止が近づいたのが本当だろうに。昨年度の経済成長をどうにか0%成長にしなかった小泉内閣、小泉三世「景気はけして悪くはない。悪いところばかり見ないでいいところもあるのだから、それを見て元気を出していかないと」などと、聞くに値もせぬ愚論宣い自民党内部からも粉飾決算と揶揄される始末。小泉三世の言説、これまでも大平のような鈍弁、言語明瞭意味不明の竹下など、小泉に比べればまだ意味のあることを言っていたと今になり彷彿させられるほど。
▼昨日呆れた民主党だが有事関連法案の審議で一人裁決退場の議員あり。気骨ありと感心したが、この元社会党出身の葉山峻なる代議士、採決直前に本会議場隣のトイレに入り採決終了まで出て来なかった、と。本人は「賛否はまだ決めていない。造反の意図はない」と宣い執行部は責任追及せず、と。本当にトイレに隠れて採決に加わらぬとは……。この採決の間、この議員、トイレの個室で一人いったい何を考えていたのだろうか。みずからが民主党に属すことの是非とかまで考えたのだろうか。まじに「真摯に脱糞」していたりして。
▼一昨日のSouth China Morning Postに董建華に厳しき社説あったこと昨日綴ったが、同じ日に民主党党首Martin李柱銘氏の論評あり。1997年の返還にあたり香港市民は中国が4つの現代化への邁進を信じる。香港は法治、自由、質の高き社会、繁榮と安定、そして何よりもマネーであった。強いていえば民主主義だけが欠けていた。中国にて惨禍あれば香港は募金をして1991年の長江洪水の折にはHK$1億を中国に送った実績があり、その香港が今回の疫禍にてまさか先週、深センにて董建華が北京政府高官より防疫物資の援助を受けることになろうとは誰が想像しただろうか。97年以前に誰がこの香港の未来の変節を想像したか。まだ誰か登β小平の「50年不変」の約束を覚えていようか。香港の政府公務員は当時、世界有数の質と誇っていたのが今ではこの有様。董建華がここまで親中共であることばかりでなく、今では自由党と民建聯のいわば名誉上の党首の如く、民主派を無視し立法会において最大党派である民主党が疫禍にあって董建華との会合を求めたが「難しい」と返答。香港はといえば日に日に最大派閥の李嘉誠と二人の息子の寡占が強まる。董建華は香港をまるで彼自身の持ち会社のように扱い、彼の父親はかつて世界のオイルタンカーの保有量では世界一であった船財閥の創業者だが、或る弁護士(彼は董建華の父の代にその会社に関わっていた)が私に語ったのは、董建華がその会社を接いで10年で会社は倒産の危機にまで陥ったことで(この時に資金援助して会社を救ったのが中国政府資本系……富柏村注)、その経営危機と同じ事態が董建華が行政長官になってからの香港で続いているようなもの。危機的状況にあれば人々は指導者にリーダーシップを期待するわけで、指導者も時として第二次世界大戦でのチャーチルであるとか9-11での紐育ジュニアーニ市長であるとか“Cometh the hour, cometh the man”(チャンスが人を作る、とでも謂えばよいか)なのだが、香港は「チャンスはあったが人材は何処?」である。董建華は我々が望んだのではなく中央政府よって選ばれてその職に2007年の6月30日まであるのだ。この七月には国家安全法が議会通過し、市民の多くが反対があるのに、香港の本土化は完成する。だが我々はこれで負けられない。次の行政長官が香港のためになるよう全力を尽くさねばならない。だがどうであれ中央政府に対して董建華の失脚を求めてはならない。その理由は、まず、もし我々が中央政府に対してダメな行政長官の更迭を今日求めれば中央政府は明日には適任の行政長官を更迭することができる。そして中央政府によって選ばれる次の行政長官が適任者であるという保証はどこにもない。最も大切なことは我々が民主主義を確立し2007年の選挙で行政長官を民主的に推挙し、翌年の立法議会選挙を民主的なものにすることである。これは香港基本法で認められていることなのだ。そうすることによって登β小平の描いた港人治港が達成できる。まだ遅くはない、時と潮は人を待たず、ただ急がなければならない。……ちなみにこのMartin李氏の論説に対峙する形で民建連のTsang Yok-shing氏の文章もあり。当然、董建華を評価するもので、董建華はマスコミを通しての市民へのアピールなど確かに乏しい部分もあるが、見えない部分で政府内でいかに董建華が香港のために尽力しているか、その誠意は素晴しいもので、何よりも返還後、一国二制度をこうして続けていることが董建華の最大の成果、とTsang Yok-shing。だが実際には一国二制度の成果など董建華の力量でないことは確か。中央政府の力量なのである、誰が行政長官になっても同じではないか。
▼香港のPEG(米ドル準備金による通貨安定制度)、SARSの影響によりデフレと財政赤字がこのまま続けばPEG制度の維持困難とMoody'sが報告。個人的には貯蓄米ドルのためPEG制解禁と香港ドル安は歓迎なのだが収入と生活が香港ドルであれば香港ドル安は受入れ難し。
▼13日の米国総統ブッシュ君の演説にこの人の発言で初めて共感。ブッシュ君サウジアラビアでの一連の自爆弾攻撃にてアルカイーダを勝手に名指しし“The United States will find the killers and they will leran the meaning of American justice”と宣ふ。殺し屋を見つけて奴らはアメリカの正義の意味を知るだろう、って、アメリカの正義の意味=独善による覇権といふことを知るは当然。
▼4月1日の日剰にも綴りしパロディで明報のレイアウト使い「香港政府が香港の疫埠を宣言」つまり香港疫禍にての壊滅的状況を公言といふニュースつくり自分のサイトに載せていたものがインターネットで拡散され、そのニュースが流れ市民の間に食料品買占めなどの混乱生じ、政府が正式のこれがデマであると告知、携帯電話会社が協力して全契約者にデマ否定のメッセージ流すまでに至った事件。この少年が故意に社会混乱させる意図なくあくまで個人の趣味のパロディであった行為、それを取締る刑罰もなく明報の有するサイトの著作権侵害で起訴されたが、4月初に適用され感染者の隔離、感染場所封鎖など施行したQuarantine and Prevention of Disease Ordinance(検疫及防疫条例)により偽内容の感染情報流した咎で、この条例での最高罰金HK$2,500となる。HK$2,500は高額とはいへぬが、その理由にしてもこの条例1936年に施行され、この罰金刑が用いられるは今回のこの少年が初めて。ちなみにこの少年が用いた疫埠なる表現、いまひとつなぜ疫病の都市ではなく埠=港かわからぬが、、この法律の条文読めば一目瞭然だが船舶運輸に関する記述多く、それはといへばかつて疫病なるものがいかに船舶運輸通じて感染が各地に広がっていたか、という名残り。それ故にその土地に感染広まるとまず港を封鎖することが手順、それゆえ疫埠なる表現あり。このわずか15歳の少年、そこまで詳しき謂れは知らぬだろうが少なくても大人が読んでも信じるほどの疫埠に関する記事綴っただけでも見事と言う他非ず。

五月十五日(木)曇。昨晩遅く『噂の真相』六月号読む。家族会事務局長そこのけそこのけ蓮池透氏に関する興味深き記事あり。家族会どころか今では発言は国防にまで及び外務省すらご意見伺、この蓮池氏東京電力社員にて現在は日本原燃に出向、プルトニウムの生産使用、核廃棄物再処理に絡むかなりのお仕事にて、これ政府のプルサーマル計画にも関わる。政府、プルトニウムの危険性明らかなれど政府これ原子力発電が為と維持推進するは同誌によれば将来の核武装がため、と。北朝鮮といふ仮想敵国の存在と、それに対峙しての有事想定、国防、で北朝鮮の核問題となるなか日本のプルトニウムの扱い……偶然にもその北朝鮮と日本のプルトニウムの接点に蓮池氏が存在する、といふ事実。同誌、マスコミにとって家族会、蓮池氏らの報道、タブー化せしことを指摘。夜遅く地下鉄に乗っているとかなり混在し喧騒甚だし。ここ二ヶ月近く地下鉄いつも閑散、マスクした乗客がじっとだんまり決め込み、じつに快適であったが、マスクとって鬱積した雑談欲が発散されているのか、こちらも耳が慣れていないからか、とにかく五月蠅い。
▼香港大の社会科学研による世論調査にて行政長官董建華君の支持率41.2%という数字、分析の結果、高学歴高収入の専業人士の支持かなり低く、逆に老人、低所得、低学歴層の支持はまだ半数近し、と。なるほどね。で、この低い支持率など受け昨日14日のSouth China Morning Postの社説、最近やたら董建華に辣しく、親中派である郭鶴年の資本でのこの論調は北京も董建華見放す信号かと憶測あるなか、この社説でも“A Leader honed in the art and skills of politics”と題して辛辣。要するに董建華は父親が築いた船財閥の後継者、その政治的背景なきことと米国留学などの欧米なれした姿勢が中英の過渡期の行政長官として最適とされ70.1%という高い支持率であったが、結局、周囲が御膳立てしてくれての人寄せ熊猫的な社長業はできても行政長官としての器でなく、しかも大きな政治的誤謬(注)少なからず、リーダーシップ期待は無理。官僚なり議員、実業界でもいいがもっと専門家活用し(董建華のように身内で固めず)、公共の場に身を置き、社会的キャンペーンを誘導し選挙を自らの支持率で戦ってゆけるような候補者が必要、ともうすっかり倒董の気分。
(注)ちなみに董建華の大きな錯誤といえば、まず星島日報社主であったSally Auに同紙の購売量水増し(それにより広告費上昇)で操作の手が及んだおり調査に圧力かけAuを捕り逃させた事件。大手デベロッパーの開発マンション売上げ伸びぬことに相して政府の増税公共団地制作を撤回、しかも2年前に遡り計画は中断されていたなる詭弁。香港大学の世論調査への介入、みずからの悪い支持率公開することへの圧力。財務司長・梁錦松の増税案審議中の増税前新車購入での梁の加護などなど。
▼連日かなり興味津々と読む日経の春秋。今日は(こちら)「ヨーロッパの五月の味といえば白アスパラガス」と季節感あふれ、しかもあの新鮮な白いアスパラガスが土中よりあらわれる様を想像しつつ読み進めば、突然(というかそれを余もどこか期待しているのだが)「白」から白装束の団体へと急展開、常識では考えられぬ飛躍。筆者いったいどういうOSの方なのかかなり興味深し。この団体にも自制を求めつつ、代表が語るのは大天使ミカエルの声という説法を用いて「従来きれいごとに描かれた天使を翼のないリアルな姿にしたのはルネサンスのミケランジェロだった」として「閉鎖的で謎だらけの集団にも理性の光を」で結んでしまった(爆)。すごい。すごすぎ。ルネサンスにこの過大評価、じつはミケランジェロはたんに天使を自分の憧れる美しい理想像に戻して描いただけなのだが、しかもそれから宗教団体を近代知を以て理性的に!だなんて……。だいたいそういう何でも法則で纏めてしまうみたいな近代知に飽きているから、わけのわかんない宗教に魅かれているのに。この「春秋」、マスコミ就職予備校だったら「奇を衒いすぎ」「話題の飛躍が著しい」「結論が陳腐」でB-の評価か、いやC+だ。
▼「まぁ人間ですから急に裁決のところでトイレが我慢できなくなったり、そういうこともありますからね。政治的な意図をもって退席することはないと思う」と民主党の政調会長枝野幸男君、有事法案裁決の衆議院本会議での党内から造反者出る可能性問われてのコメントがこれ(日経)。呆れてもの言えず。まだ反対だけの社会党なり嘘でも政権担う自民党のほうがこの民主党よかよっぽどマシ。民主党が政権など奪回したら(まず有得ぬが)今よかよっぽどの惨事。それにしても自民党ですら岸信介から懸案の有事法案という時にその自民党に対抗もできず掏摸より「基本的人権の明記」などということで悦に入る無用政党、その有事法案の時にこのノーテンキなるトイレ我慢などといふ揶揄、常識外れ。しかも「政治的な意図をもって退席することはない」とは糞尿の大事はあっても政治的思考、判断など何もできぬということを宣言してるようなもの。民主党、せいぜい松下幸之助の著作読む程度で政治家志し丸山真男の思想すら新鮮に思える程度の輩にてはこの程度か。それにしても有事法案での野党第一党のコメントだと思うと呆れるばかり。最低の低。
▼スイスはローザンヌにある著名なる国際管理学院IMDによる国際競争力調査によれば国家のビジネス競争力、人口2000万以上の大規模国家では筆頭は米国、それを100とした場合指数にて豪州86.5、カナダ84.1、マレーシア72.9、ドイツ69.8、台湾、英国、フランス、スペイン、タイ王国と続き我が国はタイに続き11位の56.3、次が中国の50.8という結果。ちなみに人口2000万人以下の小規模国(地域)は筆頭がフィンランドにシンガポール98.2、デンマーク92.4、香港90.3、スイス89.7と続く。本日のSouth China Morning Post、蘋果日報にも精緻に報道されるが日経、朝日あっただろうか。台湾、マレーシア、タイなどインフラ整備され、だいいちビジネス、産業において英語が通じることの重要性。日本は何処へ。北朝鮮など対象にした軍事的な有事法制の整備などより国際競争に負ける国家的危機=有事への対策のほうがよっぽどの急務。それも理解できぬ現実。首相も野党党首と有事法制折衝する暇あらば英語でも勉強したほうがマシ。
▼昨日香港政府立法議会にて野党諸派より行政長官董建華君不信任案動議あり政府官僚による董擁護の演説続き保皇党(つまり自由党、民建聯などの保守派)当然のことながら不信任に反対、賛成19票に対して反対35票にて否決さるる。だが反対35票のうち24票は職能別選出(つまり各業界=利益団体代表)にて地方区選出(つまり民意反映)の議員19名のうち14名不信任に賛成。どれだけ民意が董建華嫌うかの証し。政務司司長ドナルド曾君ら董建華の97年以降の「徳政」、一国二制度の成功評価するが冗談甚だし。一国二制度、司法権など蹂躙ひどく法規遵守せぬ董建華の愚政明らか。政府の3司10局の長、首揃えて參列し董建華擁護にまわる中、唯一欠席せしは良識に定評ありし環境運輸及工務局長寥秀華女史にて、偶然の欠席か或いは良心ゆえか。
▼新界は元朗の田舎村の村民の訴へにより政府、辺境の10村にありし不法移民の住處一網打尽、68名一斉検挙。彼ら生活厳しきこと甚だしく「男当黒工女売肉」つまり男は不法の日雇い人夫、女は淫賣をば生業とし、山あいの廃屋となれし養豚場に住み「猪場淫窟」の体、この淫賣窟訪れし客ら、この辺境の村にて村民の女捕まえては娼婦と勘違いし春事の値段尋ねる有様。住處の環境劣悪、男は晩に日雇仕事より戻れば大陸の同じ村より共に香港へと密入せし女ども夜毎淫賣とは余りにも辛き香港暮らしなり。

五月十四日(水)快晴。昼に或る会合ありこの日剰読まれるO氏より「あれだけの長文を書くにはさぞや時間が要りましょう」と一言。いくら文字打つの速く元来饒舌である余であっても小一時間は要るのは事実。その時間読書にでも当てれば薄学多少は補えれどもせめて老い先短き人生の名残りにとかふして日々の雑事綴る日々なり。Happy Valleyにて夜競馬。日暮れ前の競馬場(写真)と日暮れて明り入っての美観(写真)。数ヶ月ぶりに真摯に競馬せむと思へばそれ察せたりしか走行会会長I君より昼に電話あり重賞レース狙ひのI君に珍しく今晩一緒に観戦したしと一報あり同会員にて誠実な人柄ながら疫禍にて家族日本に疎開し生活乱れしと評判のO君誘えば同行と即答ありZ嬢も誘いStable Bend Terraceにて観戦となる。I君の穴馬軸の総流しの馬劵の勢いにいつも動じてしまひてI君と一緒して勝てた例しなく、突然の雷雨に不安感、今晩もここ一ヶ月ほどの好調崩れ慘澹たる有り様。馬主C氏のDashing Champion久々に得意のHappy Valleyに戻っての参戦あり(R7、1650m)三番人気の6倍にてCコースの狭き馬路での11枠と騎手曹君は多少気がかりなれど期待、第7レースは「余がC氏と口取りに參列せし姿見たまえ」とI君らに宣言し人Stable Bend Terraceよりメンバー席に赴くがDashing Champion五着と揮わず。冷静な賭け方できず久々に大きく負けたり。
▼有事法制にて民主党立法化に合意。法制化に基本的人権の尊重盛り込むこと政府自民党に認めさしむと成果宣ふが、そもそも憲法に謳はれし基本的人権の尊重は全ての法令に於て遵守されむことは当然にて(といってもそれを理解せぬ輩が立法に携りしこと我が国の恥部にて平和主義など皆目無視されたる事実)民主党の不甲斐なさ呆れるばかり。

五月十三日(火)曇。黄昏にジムで鍛錬一時間。黄昏というより強烈なる陽射しがジムのなかに照りつけ肌を妬かんばかり。『信報』で劉健威氏、小津の映画を西湾河の香港電影資料館で見ての帰路に太古城の翡翠麺家に食し、かなり手厳しく書いていたが同感。なぜ30分、小一時間も並んであの程度の麺を食すのか理解できず。同じ隨筆にてGrand Hyatt Hotelの日本料理・鹿悦、店閉じていたと知る。高級志向すぎて殊に晩は客の入り厳しきものあり、劉氏も書いていたが土曜日昼の麺自助餐(日本麺食べ放題)はかなり奇抜な企画にてもう六年ほど前だろうか始まった頃評判となり一ヶ月先くらいの土曜日ぢゃないと予約とれぬほど。好評にて期間限定のはずがずっと続いた食べ放題企画。けして美味いといふほどの麺ではないがHK$140だかで食べ放題で稲庭うどん、せいろ、天婦羅蕎麥に鴨南蛮、でデザートまで。当時のGrand Hyatt、この鹿悦、それに深夜のデザートビュッフェなども評判で晩餐で飲んでからケーキ、アイスなど満腹でも更に食した頃が懐かしき。
▼香港の日本人学校ようやく新年度開校。それにしても宿敵(笑)朝日新聞の記事(こちら)「香港島北角(パッコック)の中学部では」って、バッコックって何処?、一瞬、バンコックがパッポンかと勘違い。北角など、一昨日香港に引っ越してきた日本人だって「バッコ」と原音に近い発音するだろうに。ちなみに北角、英語表記はNorth Pointで「PakKok」とは書かず。あまりに無理矢理なカタカナ化。

五月十二日(月)曇。昼にHappy Valley景景街の正斗にて粥食す。猪腰滾鮮魚粥でHK$36。他の粥店よか高いがそれでもバブルの頃にこの店がまだ満粥といふ名前だった頃、この向かいに住んでいたが当時は皮蛋痩肉粥でもHK$45くらいした記憶。当時はHK$60とかの粥が売れていた時代でこの店の前に日本人観光客搭せたバスが着いたほど。かつての賑わいはなし。ただし客はいかにも香港の有閑階級多し。晩は自宅にて雑煮。
▼官房副長官阿部二世「憲法は改正しなければいけないと思う。50数年間も全く手をつけていない憲法というのは成文憲法を持つ国ではほとんどない。一から書き直すという気持ちが必要だ」と。森喜朗は「戦後教育で何かが足りなかった。やはり教育基本法に問題があった。歴史や文化を守るとか、家庭を大事にするとか、宗教的情操教育をしっかりやることが欠落していたことの反省が出ている」と。なんでも言いたい放題、やりたい放題、知力乏しき政治家も政治家だがそれを放置するどころか推挙しているのは国民。それにしても安部も森も説得力乏しき論理。改憲、教育基本法見直しの主張自由ながら論拠として「50数年間も全く手をつけていない」から改憲といふのは稚拙、寧ろ時代を超え掲げるに値する最高法規、普遍法ゆえ、といふ捉え方も有効、ましてやだから「一から書き直す」必然性もなし。教育とて戦後教育に何か足らず、は正論としても、その欠陥を教育基本法に押しつけることの短絡さ。安部も森も、自らの政党こそ憲法理念蔑ろにし勝手な憲法解釈にて平和主義も貫徹せず、教育も単なる復古主義、管理教育、組合排除ばかりに躍起となり自由なる創造性も育めずに今日に至りし戦後半世紀の事実を猛省すべし。歴史や文化は守るものに非ず、歴史や文化の素養もなき者故に「守る」などと野暮な物言い。歴史も文化も自然と育まれるものなり。家庭より寧ろ個の大事、自立した個集まらば自然と自律性、包容性ある家庭、社会が生まれるといふもの。その個を育てず家庭、国家などばかり愛せ、愛せと愚者の念。宗教的情操教育欠落の反省など言葉ばかり空回り。憲法も教育基本法も遵守せぬまま勝手の為放題、そのツケたまれば「押しつけ」憲法、日本らしさのなき基本法の所為として、改正すれば問題解決と愚見甚だし。問題解決どころかかのような安易なる愚考愚行にては結果悪しくなるは必須。

五月十一日(日)香港の感染者4名、WHOの感染地指定の基準が日に5名の感染にて、どうにか感染少なくしWHOの渡航回避勧告取消したきところ。朝、天気予報は快晴のところ曇り空、Z嬢と少し山歩きでもといふことになり、ミニバスでShau Kei Wan、ミニバス乗り継ぎ石澳半島、鶴咀道は土地湾の上にてバス下りて龍脊(Dragon's Back)に上る。快晴となり見事な眺望楽しみつつ龍脊、いつもなら香港トレイルの道徑に従い尾根の途中にて下るところZ嬢発案にて石澳半島の付け根に位置するMount Collinson(歌連臣山)標高348mまで藪に閉口しつつ(写真)初めて尾根歩き、頂よりの半島の眺め絶景(写真)、更なる藪漕ぎとなり傾斜著しきPottinger峠にまで獣道下る。この香港島東端の山312mを何故に香港開闢の祖、初代總督の名を戴きPottinger山と云うのかは知らぬが、この頂仰ぎつつ心地よき風吹く快晴の空の下、引水路沿いの径より石澳は大浪湾まで一気に下る。すでに盛夏。疫禍に侵されし暗黒の香港と日本の民は信ずる最中、その渦中の香港にて人々爽やかなる夏を浜辺に遊ぶ。大浪湾の浜辺の店にてハイネケン一飲、涼をとりたれば余の目の前にて同じくビール飲みし客立ち上がれば余に声かけ、顔上げて仰ぎ見れば10年ほど前に一年ほど一緒に働きし若者のS君。すっかりいい大人となり再会の二言三言。まことに爽快なる浜辺の午後なり。ミニバスにてShau Kei Wanに戻り南洋館にて遅めの昼餉。満席のところ知己なる女將気をきかせ食事終わりたる客急かし卓につく。回教盛んな南方にて豚は禁忌ながら実はマレーでのソテイなど「闇で」豚肉のソテイ供する店もあり、実は豚肉のソテイが最も美味、と南方通のO氏にかつて教えられたる事ありしが、この店も南洋館といい乍ら豚肉の美味さ評判。鼓油皇猪肺団(茹でた豚肺の甘辛醤油和え)は夏の暑い午後のビールに格別。粉絲春巻、牛舌の白カレーなど食す。Shau Kei Wanの街市(写真)徘徊し帰宅。身体火照りビールの酔いもありマンションのプールにて一泳。プールサイドにて暫し午睡。夕方香港電影資料館にて小津の『大学は出たけれど』と『落第はしたけれど』の二本立て看る。『大学』1929年の作品にて僅か10数分の残片のみ残るが筋じゅうぶんに理解できる貴重な10分の残片にて、大学卒業したものの恐慌にて就職難、若妻この夫に隠れてカフェにて女給、その姿に怒りつつ猛省し職を得る、と、この時代の時代背景じゅうぶんに表され小津の逸材ぶり露見される作品。『落第』は小津の大学生趣味濃厚にて今見ていったい大学生の下らなぬ生活で何が映画として楽しいのか?と思うが当時にしてみれば大学生など末は博士か大臣かの時代、大学生なるエリートをこうして怠惰なる下宿生活、試験にてのカンニングと下らなさ暴露するだけでも痛快なるコメディであったかも知れぬ。『若き日』も若大将シリーズを30年前に先取り、といへるか、と再考す。この頃の小津の大学モノにて主演続ける斎藤達雄、いわゆる甘いマスクに「日本人離れ」の彫りの深い顔立ち、濃い舞台化粧であまりに大袈裟な演技、それが不気味なほどにて何故この人がこうも活躍したのか、と思っていたが、無声映画であることを思えば目でモノ言う必要あり、それがこのような顔立ちの俳優にあの大袈裟な演技を求めたのか、と納得。海峡沿いを太古城に歩けば海峡の向う岸に飛鵝山そそり立ち西に獅子山、大帽山霞の彼方、九龍のの峰々映える(写真)。日はだいぶ長くなり丁度日沒(写真)。ユニーにて押し寿司購い帰宅。『週刊香港』の原稿呻吟。ドリアン食す、美味。
▼疫禍の優等生であった台湾にて台北の感染ひどくなりつ。感染ありし住宅地の封鎖、感染者監禁など徹底措置。感染者当局の措置に反して隔離より逃れし場合の罰金NT$30万(約百万円)なり。地下鉄の乗客須くマスク着用の御触れあり違反の罰金NT$75,000(25万円)のところSouth China Morning Post紙それを"all passengers on the MRT rail system must wear face masks from today or face fines of up to NT$7,500."とfaceを顔面マスクの顔面と罰金に直面の動詞で掛け言葉に笑う。
▼昨晩ふと夜中にこの富柏村のサイトの中身バックアップしておらぬこと気になり、これまで雜誌等に書いた駄文こそスキャン画像にあるものの、駄文とは申せこの日剰、またデジカメ画像など原画なき画像すら多く、米帝テロリストなどの攻撃を思えば空恐ろしくなり、全データのダウンロードなど面倒かと思いきや僅か15分ほどにて済み、手許のPCのサブのHDに収めたほかCD-ROMにも焼いて一枚保管す。全データとてスキャン画像除けば僅か23mbにて、2000年2月よりの約40ヶ月の余の愚活、月にして575kb、日にして19kbなり。ダウンロードして目が冴え眠れず『東京人』6月号に掲載の建築家安藤忠雄と松葉一清(建築評論家)の対談読む。安藤忠雄曰く東京は「経済中心に動き恣意的、無計画で無秩序」だが「70年代に(日本へ)来た人たちは、こんなに面白い都市は世界中どこでも見たことがないと言った」と。松葉氏が「カオスとラビリンスですか」と受けて「半ば皮肉をこめた一種のほめ殺しだったんでしょうか」と朝日新聞的に(笑)差し向けたが安藤先生曰く「いや、当時は本当にそう思って評価した」のであり、70年代は「日本に投資すると儲かるという目論見もあったかもしれない」が「70年代には日本の国には元気があった」と。「それが80年代に入って、日本が大きくなっていくなかで馬脚を現して、それで正体が見えた」のであり、それが今、なぜこうなったか、といえば「政治家や経済人に都市に対する思いがなかったから」であり「子どもの頃から楽しい都市に住んでいないから、都市は働くだけのところだろ思っている」のであり「都市に、例えば美術展や音楽会、演劇を見たりという楽しい場所の体験のない人(某自動車会社の会長とか?……富柏村)が、今日本の国の経済を担い、政治を担っている。それがそのまま今の東京につながっている」と。なるほど。但し小泉三世のように歌舞伎の素養あってもあれ、だ。また上海については松葉氏が「写真一枚で全てがとらえられ、細部まで見たいと思わない都市」と差し向けると安藤氏、これにも誘い水にのらず、上海みたいな都市が現代都市であり「経済の結果が都市をエンターテイメントするということでできていく街」と表現して、上海でも「人間の記憶に残っていくような場所である古い建物を残して住宅にしているところ」(たぶん豫園か静安寺界隈か)を見た安藤氏はそれを評価し(これには異論あり)「上海は超高層ビルもたくさん建設されていて街全体が元気がいいですから」「かなり建築レベルが高くなっています」と誉める。そうだろうか。安藤氏が超高層ビルでこの物言いはないだろうし、超高層ビルがたっても浦東地区など高層建築と隣りのそれとの間の、あの街の殺伐とした光景など知る者には建物が建っただけの空虚さを知る故に松葉氏の「細部まで見たいと思わない」に同感なのだが。但し安藤氏も上海を「あそこは「Eメール都市」みたいじゃないですか」と核心に触れ「日本からメールを送る。そうするとまた向うからメールが来て、そのやりとりで建築ができあがるという感じ」と、なるほどさすが安藤氏、という上海の形容。香港は、……と香港贔屓かも知れぬが、上海に比べるとその超高層ビルとビルの間の路上にも活気と生活あるだけ上海よりよっぽどマシのはず。

五月十日(土)昼前より薄曇。午前、競馬予想慌てて済ませ出街。藪用済ませ昼から中環のジムにて二時間鍛錬。天気回復し海や山へ行かぬを後悔。昼には遅いがPeel街の陳成記麺家(写真)にて上湯伊麺食す。わずかHK$9にて至極の麺。夕方に某倶樂部にて寛ぎ三聯書店。Z嬢尖沙咀の金巴利街の韓国食材屋にて香辛料だの漬物野菜購い晩は自宅にてチゲ鍋。折角なのでOBビールと韓国烏賊の鯣焼購い帰宅する。競馬はR8が地場G2のQueen Mother Memorial Cupにてどうして未だに英皇太后記念しているのかわからぬが(2400m芝)高山名望(Allan/Marwing)で脚に大白兎(Cruz/Cotzee)としたが大白兎が一着。またもや重賞レース外す。R7(一班1400m芝)で精明大師の8.5倍当ててどうにか今日の投資金額は回収。
▼一昨日、中国政府が香港支援として113,000着の防疫服と10万足の医療用靴を香港に提供。深センにて北京政府の国務委員が董建華に対してその責務と業績称え、この物資贈呈。香港政府の医療関係者は正直言って医療物資は足りているがお気持ちだけでも感謝、と。摂氏30度の炎天下、深センの境関にて贈呈式あり、癡呆の噂実しやかの董建華、この国務委員の僅か5分の挨拶の間に20数回手で顔の汗拭い、演説まだ終らぬのに早合点して拍手しそうになり、返礼の挨拶でもマイクからかなり遠くで語り始め自らの演説が誰にも聞こえてないことに気づかず。ちなみにこの物資が香港に渡ってゆく時には「インターナショナル」が高らかに鳴り響いたそうで。今どきインターナショナルがこの深センと香港といふ資本主義バリバリのボーダーにて鳴り響くとは信にシュールな世界。
▼昨日の『信報』曹仁超の投資者日記より。香港の人口と資本の関係にここ数年で大きな変化あり。97年以前は中産階級が多く貧困者と富裕者が少ない菱型であったのが、通貨危機でのバブル崩壊にて不動産など負資産となった者多く負債抱えて生活の厳しい層が増え、かつての菱型が△型に変貌、そこに内地からの移民など低層非熟練工が増えるなかで△の底辺部が拡大している、と。2001年の政府統計によると香港の330万人の労働人口のうち130万人が納税しており(つまり残りの200万人は所得が非課税控除額(HK$10万=150万円)以下の低所得)つまり香港の人口の5人に1人が納税者という程度。その130万人のうち年収がHK$90万(約1500万円)以上の高収入者は66,000人で1.98%。所得配分がこのように顕著になる理由として、まず、80年から毎日150名の内地からの移民が移住しており、これが年間51,500名、そのうち95%は専門職もたず、23年で計算上は1,184,500人となる。そのうちどれだけが技術習得し「成り上がった」か、余り期待もできず。そしてその同じ20年間に香港の地場産業が広東省に移動しており、香港で約120万人分の就労機会のうち現在では10数万が香港に残る。そこで非熟練の就労となるのだから賃金も上がらぬわけで約200万人の労働者が年収HK$10万(月額HK$8,000以下)、政府の公的支出でかなりの負担になっている事実。このような移民問題は欧米でもかつてあったことだが(大きな経済成長がそれを改善する起爆剤となったがすでに経済成長を遂げている香港で今後そういった起爆剤の期待は難しい……富柏村)昨年11月からはこれまで香港市民と結婚している広東省民の来港が年三回だったのが三ヶ月以内の滞在なら年に何度でも来港可となり(といっても現実には3回=9ヶ月だが)94年に制限を厳しくする以前は配偶者頼って来港しそのまま滞在許可超えての滞在でも居留権が与えられていた頃の移民が数多く、それが下層人口の増加につながった、と(この頃に生まれた子女の教育問題、具体的には香港での就学権が数年前問題になった)。前述した中産階級の増加の主因は不動産であり、85年からの不動産価格の上昇で当時、不動産を得た市民の多くがその資産価値の上昇の恩恵受け低税率と預貯金の高利息でかなり資産価値を増やし、それが97年以降に下落し中産階級だった者たちが負資産抱え自己破産などで下層階級へと変貌している社会構成。
▼米国のカリフォルニア州立大学バークレイ校にて卒業式シーズンに当りSARS感染地域からの親の来訪であるとか夏期短期留学など受け入れぬ措置。WHOもそういったその地域からの来航者を総括りで締め出すことは行き過ぎと表明。だが現実はこんなもの。信じられぬ話だが、現実には香港から日本に戻った会社員が自宅には病気がちな老人がいるから自宅に戻るなと妻にホテル宿泊を願われ、息子の帰省にご近所に自家に近づかぬよう乞うて息子には近所のテマエもあるから早く香港に戻るよう強請り、国民健康保険の更改に役所訪れただけで感染者という噂が広まり、駐在員が東京に戻り定期健康診断に社内のクリニック訪れれば医者と看護婦はカンペキな防疫体制で待ち構え診断の結果「シロ」と判ったらマスクや手袋外した、とキチガイな話は枚挙にいとまなし。
▼福建省の厦門(アモイ)に出張したI君の話では香港からの飛行機が厦門空港に到着して機内で検温。全員の検温が終るまで降ろさず。もし一人でも感染の疑いあれば全員そのまま隔離。たんに38度以上の熱があれば、の話。しかも隔離費用は自己負担。共産主義は医療は無料ぢゃないの? ホテルに着いてもチェックインの際に検温。疲れきって寝ていたら翌朝たたき起こされロビーに集合させられ検温。帰路は深センに戻ったら今度は機内での問診表が搭乗者数に一枚足りずと(これぢゃ荷物預けて搭乗してない客があり荷物に爆弾かと狼狽するのと一緒)、問診表の乗客名を1人1人呼び呼ばれた乗客から降させたが流石に乗客の不満大きく20名くらい読んだところで全員降ろさせた、と。二十年ほど前に筒井康隆の描くキチガイな社会の物語読んで笑っていたが筒井氏が本当の意味で未来を予感していたのだ、と今になって納得。
▼清潔香港地区拡廣工作委員会なる香港政府の外郭団体、昨年実施されたゴミのポイ捨て禁止条例を今回の疫禍もあり徹底させるべくゴミ捨てで検挙されながら何度かこの「犯罪」続ける再犯者に対しては氏名公開など検討すべき、と提言。そういえば米国ではどこだかの田舎の州にて「うそをつかない条例」可決して「うそをつく」ことが犯罪になったとか。人間といふのは明かに低能化している。ブッシュだけが低能ぢゅない。低能のその象徴がブッシュであること。人類といふのはあと何年もつのだろうか。
▼購読する日系新聞を朝日から日経にして数ヶ月。しりあがり寿『地球防衛家の人々』が読めぬのだけは楽しくないが呆れた『天声人語』に比べ日経の『春秋』は読むに値す。本日は「国力の勃興と国民の冒険心、探求心の高揚はしばしば重なる」という話で、50年前の5月のヒラリー卿によるエベレスト初登頂、その三年後の日本隊によるマナスル登頂も戦後日本の飛翔予感させる快挙、と。こうした伊太利や英国の田舎が好例だが、繁栄国は「えてして衰退後は世界の観光客の受け入れ側に回る」のは「文明の残照」も「屈指の観光資源」だからで「豪奢な旧跡のみならず、質素でも覇者の末裔ならではの気品ある暮しぶり、丹精された風景が豊かな文化遺産として客人を魅了する」が「訪日外国人客の倍増計画に勇み立つ「観光立国」日本だが、ピークを過ぎたらしいこの国の津々浦々に繁栄時の富は蓄積されているだろうか。金ピカの箱物以外に。遺産だけで食べている国は情けないが、遺産さえ残せない国は、もっと情けない」と。全くその通り。こうした苦言が経済の繁栄を過ぎた国を代表する経済紙に書かれる悲しき事実。だが現実はそうした遺産も残せなかった政府与党に半世紀に渡って下駄預けバブル崩壊して何も残らなかったと判明している今もってそれを続け、「小泉さんなら」「石原さんなら」と単なる変人に今度は下駄預ける、その不可思議な国民性。変人は小泉でも石原でも非ず、その国民そのものか。
▼ブッシュが今週は米国イラク攻撃支持した隷属国家首脳招きご褒美供与だそうでシンガポールは呉首相は自由貿易協定(ETA)締結、スペインが何を意図して英国と並んで積極的に米国支持したのかよく理解できていなかったがブッシュはアスナール首相に対して同氏が求めてきたバスク地方政党「バタスナ」のテロ組織指定を急遽実現だそうなSpainnews.comの5月8日を参照)。米国が、というかブッシュのような馬鹿が「あいつはテロだ」と言ったらテロ指定、世界の敵。ブッシュがつい失語症の発作で「ブッシュはテロだ」と言ったら自分が追われる立場になって……なんて物語『未来世紀ブラジル』の如きB級映画にしてみるとか。
▼左巻健男(京都工芸繊維大学)編の検定外中学校理科教科書『新しい科学の教科書』(文一総合出版)が14万部も売れているとか。「わかりやすい」と評判、つまり解り易い教科書を作るためのはずの教科書検定なるものが実際には「わかりやすい教科書づくり」のために正常に作用していない、ということ。結局、教科書検定が国家による教育のためであることは明白なのだが、それにしても同じ教科書を作る会でも何処かの社会科教科書もこれくらい売れてみたいものだろうに。この文一総合出版なる小さな出版社に対して社会科は扶桑社=フジ産経から出版して自民党だの神社本庁だの「多くの」支援を受けながら不憫。そういえばどうして香港の旭屋というのはこの『新しい歴史教科書』とか西尾幹二、小林よりのり系の本ばかり多いのか。どうせ其処で本など購わぬからどうでもいいか。

五月九日(金)曇。WHOがSARSの感染による死亡率が15%になるであろう予測を発表。4月25日の日剰にて紹介した死亡者数÷結果の出た(死亡+完治)感染者数での計算による死亡率に近い数字になりつつあることに安堵……いや安堵ぢゃない。香港での日々の感染者は減っているが回復を見ないで死亡する患者は依然減らず。夕方銅鑼灣にて水泳用のゴーグル購いにタイムズスクエア。エレベータ客が何階だの開閉のボタンに触れるリスク回避するためかエレベータ嬢ならぬ衛生嬢おりG階(正確には此処では2階だが)に昇降機戻るとこの衛星嬢乗り込み制御板を消毒し階数ボタン押してくれるサービスあり、過剰。トマトにて先日売り払った書籍の代金受け取る。使い捨てコンタクトレンズ半年分。Tom Leeの銅鑼灣店にこのあとの小津の映画の切符購はむと赴けば店内改装で切符売り場閉鎖。Z嬢と電話で湾仔の居酒屋卯佐木にて落合うこととなり卯佐木に荷物置かせてもらってTom Leeの湾仔店まで一走り。ちなみに香港映画祭の通行証にて小津特集見れぬことについては一昨日香港政府申訴専員公署に提訴済み。卯佐木にて一勺。疫禍のなか繁盛。ご亭主曰く客筋は日本人の勤め人、単身も多くこの疫禍にて家族日本に疎開してしまった俄か単身などやっぱり食べて呑んでなわけで、しかも地元客は若いアベックだから肺炎どころのお熱ぢゃない、と。納得。タクシーで康怡戯院、陳凱歌監督の『和イ尓在一起』看る。水郷の町の天才バイオリン少年が父と北京に上京しての物語。少年・小春訳は実際に北京音楽学院でバイオリン学ぶ唐韻、誠実な父は劉佩奇、上京したばかりの小春を音楽に目覚めさせる芸術家肌の教師に王志文、そして小春の才能を研き国際コンクールにまで出そうとする余教授は陳凱歌監督本人。上手い役者と芸達者な子役での感動物、山田洋次作品で泣ける人にはこれはお薦め。山田洋次がどうしてもダメならこの陳凱歌作品もダメであろう。小春が人格的に出来すぎ、他の出演者も余りに善人ばかり。最後「……で、どうなるの?」と。Z嬢曰く「お父さんが小春のコンクールでの演奏さえ見てあげればみんな円満なのに」と。全く。この映画、時期的にも香港国際映画祭に掛かっていい筈なのだがそうならず、無視される陳凱歌のわけもなく、選出期に間に合わず?とかいろいろ憶測していたが、見終って「あまりにも美談」で寧ろそこが厭われたか、という点だが、それをいったら『たそがれ清兵衛』が開幕上映にまで選ばれており、選考基準もよくわからず。で、こういった中国映画で気になるのは邦題、『洗澡』の『こころの湯』を超える邦題を期待しつつ、最近は実際に映画を看る前には作品への印象を悪くしないため邦題は調べないことにしており、終ってZ嬢と『こころの音』とか母おらずバイオリンの習得に燃える父子の姿から『バイオリンの星』とか邦題を予想するが結果は『北京ヴァイオリン』でした。確かに物語そのものだが、あまりに思考なくゴロも悪けりゃ流行りそうもなき邦題。なんて悪いセンス。せめて筋そのものなら『北京のバイオリン少年』だろうし、原題の『あなた=おとうちゃんと一緒』なら『父と子』だろう。
▼母の日近し。自称「節句の起源」好事家として「母の日」の起源知らず調べてみたら「やっぱり」米国(こちら)。1905年に亡くなった或る母の命日が母の日とする運動が起き教会通じて全米に広がり1914年にウィルソン大統領により祝日となる。「母の日」にカーネーションを贈るのはその母親の大好きだった白いカーネーションを追悼会で配ったことが由来だそうだが、母が存命であれば赤色、亡くなっていれば白色という仕来り。小学生の時に同級だったTちゃんという女の子、いつも活発な子だったが母親を亡くしており、このカーネーション配られる時期になると流石に悲しそうで、なぜこんなことを組織だってしているのか、と余は小学生ながら毎年不思議に思っていたが、今、こうして調べてみれば、慈母の念はあって当然にしても、それが教会から更に国家にまで国民運動として広めたこと、それが1914年といふ第一次世界大戦の年であること。こういう、発端は個人の小さな誠意が国民運動にまで昇華、それが決まって「国家が国民を要する時期」に当たることが多いのが近代の事実なり。ちなみにこの花の中央部が赤いのは「キリストの体から滴った血のせい」とか、イタリアのロンセッコ家にまつわる伝承では「勇士オルランドが敵に胸を突かれたときの血で白い花が赤くまだらに染まった」という謂れあり。いづれにせよ血やなぁ。それに母の日があるのだから父の日がないのは不平等、ってマジにそれで創設されたのが父の日。哀れ。
▼ふと思ったが国旗国歌が強いられる時世において、例えば学校の入学式とか卒業式、国歌斉唱でマスクしてれば昔なら不敬罪だろうが「マスクをしないことが望ましい」なんて文部省の公式見解が出はせぬだろうが「不特定多数の集る場でみなさんで斉唱なんてして感染して責任とってくれるんですか?」と質されれば誰も責任とれぬわけで「時節柄国歌演奏」なんて回避策?、まぁ穏便に済まされるのだろうが、国立とか「せめて君が代への反対の意思表示でマスクをしましょう!」なんて市民運動がおきるとか。見方によっては君が代反対、方便としては歌っていたがマスクに覆われて口が見えず歌ってたかどうかわからず、なんて。このまま感染症が増えると国立とかかつての埼玉県立所沢高校であるとかの風潮なら「マスクして式典」もありかも。で、これが嵩じると日の丸掲揚にはサングラス着用、となるのだが、赤いサングラスすると「日の丸が、あーら不思議、赤旗があがっているように見える」とか(笑)

五月八日(木)佛誕日。KCRの大和站に朝8時半にランニングクラブの7名集合し車でkardorie農場前。林村郊野公園に入り565mの大刀屶、尾根を歩き北大刀屶、箕勒仔から粉嶺まで約10km、ゆっくりと三時間半ほどで歩く。天気予報は雨ながら肌を炒るほどの陽射、箕勒仔の手前にて驟雨あり、また晴れて蒸れる。昼過ぎに粉嶺站に到着しタクシーで粉嶺の旧市街、聯昌街のジャズラーメン(写真)。日本人のご亭主が粉嶺でラーメン屋開業、それも札幌らーめんでジャズ流す懲りようで、それがなぜ粉嶺なのか不明なのだが幾つかの雜誌などで紹介され、いつか賞味と思い漸く訪れる機会となるが、不定期休とあり数日前より電話しても電話に応じずどうしたかと昨日漸く電話通じ今日の営業を確認。狭い店に午後1時半頃に客ひっきりなし。ジャズラーメンなる店の名の牛肉、叉焼入りの高級ラーメン食す。こってりした味でまずまず。銅鑼灣に出しても賃貸高いばかりで店の規模でいへば集客あれば粉嶺のほうが賢明かも。亭主愛想などに気をつかわず黙々とラーメン調理、店員は客配ひに慣れておらず。らーめん出る前からお勘定させられる。でもラーメン美味ければそれで良し。ただしトレイル済ませ猛暑にて喉の渇き甚だしくビール欲すがジャズラーメンにビールなし、ただしメニューにおつまみ類あり、おそらく客の退けぬ繁盛ではビールなど出していても意味ないのだろうが、ビール欲し粉嶺の旧市街彷徨い和豊街にある、その名もDeluxe Resutaurant(雅士餐庁)なる西洋料理屋にてビール飲む。祝日の午後なかなか盛況にてメニューに貼られた記事で20年来の老舖と知る。もともと駐港英軍の軍営あった粉嶺にて英軍の地元兵退役し開いたのがこのレストランで当時は英軍人も訪れ香港風の西洋料理と酒楽しんだものか、日曜の午後といふのに盛況。このレストランの向かい、市街の中央に聯和市場といふ古くからの市場あり、ここが古めかしくかなり賑っていたのだが今日訪れたら忌わしき「再開発」にて整地されフェンスで蔽われ市場の建物だけ寂しく残る(写真)。粉嶺よりKCRでHungHom、バスで夕方帰宅。
▼白装束団体という言い方が、月本さんもなぜ千乃正法といわないのかマスコミのその姿勢を指摘しているが、この白装束集団という言い方が横溝正史的に恐怖感を必要以上に煽っている。具体的な宗教団体であるよりなんて不気味なのかしら。癩病の患者が集落から追われ家財捨てて放浪の旅に出るのが松本清張の『砂の器』でも加藤嘉が白装束を着せられたことで「怖さ」が増強されるのと同じ発想(それにしてもこの映画『砂の器』、今みると本当によくぞここまでといふくらいいい役者勢揃い)。ところで今回のこの千乃正法でいちばん迷惑蒙っているのは四国のお遍路さんたちかもしれぬ。いずれにせよ、そういったマスコミの報道によりこの団体が通過する地域の対応がエスカレート。冷静に考えて、国道に検問所、この団体の関連施設に通じる村道を封鎖、要所要所で住民や消防団がバリケード作るために待機続け……戦国時代であるとか七人の侍まで時代は逆行している。江戸の町人文化、堺など都市の慣性ももうここにはなし。これと同じような地域社会の閉鎖と自衛が行われているのが疫禍に脅える北京郊外の村々。いつの間にか時代は他者に寛容である美徳から、敵にむかっての団結を強調するようになってしまっている。千乃正法は左翼団体による電磁波の被害を宣うが同じような発想はレーガンにだってあったわけで、ブッシュはそれをイスラム教テロとして、基本的には発想は一緒。そういった意味で山梨の自治体から北京郊外の村、米国政府まで着実にグローバリズムが行き届いている、といふことか。結局、この発想が日本でいへば北朝鮮という敵に果敢に立ち向かうわが国という理想系にまで昇華してしまふ、それが本当の怖さ。
▼大型連休に日本から上海に旅行した小学生が突然学校より10日間の自宅待機命じられ、学校では旅行前に「サーズ、サーズ」と喧られた、と。子どもが他の子を揶揄ふのはその親も「○○君とはあまり近づかないでいなさいよ」などと子どもに「指導」しているような背景もあろうし、学校とて何ら判断などできぬから10日待機という選択。これも上述した「怖さ」への対処であり、そういった異質な者を排除した上で社会の中で仲良くする、という価値観。本人たちはそこまでわかってはいないだろうが。

五月七日(水)曇。早晩に西湾河。いつも行列長くとても並ぶ気すらおきぬ順興潮汕滷味専門店(写真)、珍しく行列十名に及ばず五、六分並び滷水鵝購ふ。港島東体育館の室内プールにて泳ぐがプール浅く小さくイマイチ。帰宅して滷水鵝賞味すれば確かに遠方からも客訪れ行列できるも納得。偶然にZ嬢の献立は蕃茄のパスタで白ワイン、これがまた突然の滷水鵝と相性よし。広東の焼鵝なら断然赤葡萄酒だが潮州の滷水鵝だと白ワインと発見。全く予想もせぬままテレビで競馬中継眺めつつ携帯にて投注。R2(四班1200m芝)にて12倍のAce Of Pace的中だけで気持ちよき晩、R7(三班1000m芝)にて7倍のNoble Heroをゲートインしてから買って的中。そこそこの儲け。
▼昨晩読んでいた村上春樹版『ライ麦』について(続き)。目を惹くのは物語(了)のあと遊び紙に「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能となりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。」なる一文あり。非常に奇妙。訳者なり第三者の解説なりあと書きのない本などいくらでもあり。かりに解説加える予定でもそれがなくても一向に不思議でもなく、わざわざ何も知らぬ読者に断る必要もなし。その上「原著者の要請」だの「契約の条項に基づき不可能」などと知らせねば知らせぬで一切かまわぬ内部事情。ひとえに「村上訳」で売る意図あり、しかも内容は「それぢゃ野崎訳と何が違うのさ?」と言われれば答えに窮すわけで、白水社にしてみれば是非、村上春樹の生文を入れたかったのだろうし、事情は理解。だがこの断り書きの書き方「無念」が露骨すぎやせぬか。築地H君によれば白水社、この対応として、柴田元幸と村上春樹の両センセ対談をリーフレットにして書店で大量配布だそうな。これが事実上の「あとがき」に当たるわけで、H君の指摘の通り「契約とかなんとか、あるいはその裏を出しぬくヤリクチなんてのはもう、ホールデンの大嫌いな大人の世界の約束事」、まったくその通り。余りに「村上訳でもう一度売ろう」といふ意図露骨すぎ。ちなみに、この対談、H君も確かにこりゃサリンジャー読んだら許可せぬだろう、と、そのレベルだが、村上センセ曰く「僕が昔読んで覚えていた野崎孝訳の『ライ麦畑』とは、自分で訳して言うのもなんだけど、訳していて、ずいぶん肌合いの違うものなんだなという感じがしました」だそうで柴田センセも「野崎訳のほうが、どちらかというと、独りごと的なんですね。村上さんの訳は、ホールデンがだれかに語りかけている」と。余にはそんな誉めるほどの違いは読みとれず。この饒舌なる対談、一つだけ興味深きことは村上センセが最後に「『フラニーとゾーイ』の関西語訳をやってみたいというのは、前々からちらちらと考えてます(笑)。」と。確かにこの『フラニーとゾーイ』を大阪は十三駅前の商店街舞台とかにしたら面白いはず。少なくともこの対談が村上『ライ麦』に載らなかったことは不幸中の幸いか。
▼村上『ライ麦』といへば、10章でのバーでの女の子との会話にて、ホールデンが(村上訳では)「ああ、クライスト、つまらないことは持ち出さないでくれよ」といった表現に女の子が「いいこと、さっきも言ったけどさ、そういう言葉づかいよしてくれない」と断るのだが、ここに※印ついて章末にご丁寧にも「彼女はgoddamとかChristといった神の名前をみだりに出すホールデンのしゃべり方を非難している」と注釈あり。そこまで断り書きするほどのことだろうか。原作読んでいれば英語でわかることで日本語訳ゆえの注釈なのだろうが、ちなみに野崎訳では「何を言うんだ。つやけしなことはよせよ」とホールデン、それに女の子が「ちょいと、さっきも言ったでしょ、そんな言い方嫌いよ」と。まるで玉の井、荷風の世界の如し。野崎訳にては敢えて神の冒涜に触れず、それも賛否あろうが、触れたにせよト書きとは小説ぢゃそれは禁じ手でなかろうか。
▼日経に北京の疫禍伝える記事あり、それに「北京市共産党委員会の蔡赴朝宣伝部長は6日の記者会見で、中国人以外の市内のSARS感染者は香港、台湾を含め累計で8人と発表」と。香港人、台湾人は中国人に含まず?、この矛盾、つまるところこの記事は厳密には「中国国籍以外の」であり、この表現での中国人にはチベット人であるとかモンゴル族も含む、のであろう。が、紛らわしき表現
▼メーデー大型連休、北京への観光客は昨年比べ9割減、それでも48万人といふ数に驚く。今回の疫禍、98年の揚子江氾濫と比較されるが氾濫にて国土の三分の一の地域が水害に遭い田畑の被害面積は2200万平米、被害額2,500億元、政府150億元を災害復旧に当てたが、それに比べ数字上は今回の被害は小さいのだが、98年水害は自然災害であるのに対して今回の疫禍は人災、と信報社説。98年の水害、その頃にZ嬢と西安に遊び帰路、西安から広州への列車が武漢にて揚子江水嵩高く鉄橋列車渡るに危険と足留めくらい急遽武漢より香港まで飛行機で逃げたり。当時のこの水害の総指揮が現首相の温家寶氏だそうな。今回の疫禍を旧ソ連のチェルノブイリ原発事故になぞる論調もあり、事故ぢたいよりその事実隠蔽した政府のやりくちにより二次災害、三次災害増長せし事実。ソ連はこの事故契機となり一連の政治改革となりソ連瓦解となるのだが、中国の場合はすでに政府が情報公開と重点的対策実施をしている点は評価されるものの、問題はマスコミに流れる情報がすべて党中央の官制下にあり疫禍が政治改革にまでは至らぬ、と。
▼疫禍にて風が吹けば桶屋儲かるの企業も少なからず。マスク、衛生用品、具体的には日系であれば住友3M、花王など。香港にては電信のPCCWなど遠隔地会議などブロードバンド利用増え増収三割とか。これで用足りるのが現実ならいかに出向くなり出張なりに無駄多きことか。
▼数週間前に突然浴室のガス湯沸し器の湯が止まりガスに異常なく電池なら電池切れランプ点く筈がそれもなく、兎に角点検すると電池の内液の漏洩甚だしく電池箱の電極に緑青付着す。電極の汚れと緑青除去し電池取り替え一先ず湯沸し器正常に作動するが、このリンナイ製の湯沸し器ぢたい昨年の六月に取りつけ一年もせぬ新品、その漏洩したる乾電池、Vattnicなる聴いたこともなき代物。調べてみればこのVattnic、広東省は番禺の華力電池有限公司のアルカリ電池。この会社には申し訳なくもガス湯沸し器の発火用電池なる作用、地味ながら重要にて然らば電池もかなり質の高さ求められ、ましてや通常正直申して名前も聞きたることもなきこのVittnicでいいものかどうか。見えぬ場所に装着された電池など通常品名調べもせず。このリンナイに苦情といふより利用者からの一声だけでも届けむとリンナイの香港営業所の電話番号確かめむが為名古屋の本社に電話すれば電話交換手から理知的にて担当部署の職員も当方が香港の連絡先教えていただくか突然のお電話で恐縮だが話お聞き頂ければ、と申せば、こちらで対応させていただきます、と。で状況話したところ担当者も湯沸し器の電池には当然十分な配慮しており香港は香港瓦斯によりリンナイ製品かなり広汎に香港にて普及しところ装着する電池は日立マクセル社の電池のはず、とかなり正確に即答され、それだけでも敬服のところ、ご指摘の通りで早速香港にて調査の上、改善を約束され、小生の湯沸し器でもし不調あらばご連絡を、と信に以て慇懃。かふいつた真摯なる姿勢と誠意がリンナイといふ会社の製品水準支えたるのであらふと敬服。
▼築地H君より『チボー家の人々』について。H君であるから当然若かりし頃に読んでいたかと思いきや余も面識ありH君のご両親、H君10幾才にて兄上中学生の頃に「いい本だから読みなさい」と全巻揃いを授けられ、思い返せば兄もH君も紐解かぬまま幾星霜書庫に眠りたり。H君曰く親がそうやってわざわざ本を買ひしこと他になし、よっぽど読ませたかったのか、とH君。余も親に本与えられたことなどなかったが、近所の本屋にて本をいくら「つけ」で買っても怒られたことなく、これだけは親にいくら感謝しても感謝足りず。しかもこのK書店、地元にては大正からの大店にて当時、丁稚から鍛え上げしW氏なる番頭おり、この方、小学しか出ておらずとも旧制中学の教師どころか大学の教授すら書籍の蒐集にて教え乞ふほどの博者にて、本眺めていると「その本、もっていきな」つまり小学生の余にも「読むに値するよ、それは」との意にて、帳場に差し出すと伝票に綴って本手渡されし日々。月に一度、商店街の寄合か何かで月の売掛、清算されていたのかしら。この頃から本の乱買癖身につく。築地H君は荷風も父上の書棚にあった新潮文庫から、と。余でいへば三島由紀夫『文化防衛論』、円地『源氏』、『ドクトルジバコ』など。雜誌『アルプ』、串田孫一など思い返せば懐かしさ尽きず。

五月六日(火)曇。マスクすれがさすがに蒸れ鼻息にて汗すらかくほど。不快でもあり。ふと今日はもう何十年も前に卒業した小学校の創立記念日であること思い出す。「こどもの日」の翌日で大型連休が一日長いという幸運。早晩にジム、鍛錬一時間。村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』白水社、ホールデン少年学校放逐され紐育に出戻る頃まで読む。白水社、まぁ「売れる」といふ目論見で流行りの村上春樹君訳出したのは確か、「村上春樹の新しい訳でお届けする新時代の『ライ麦』」は「40年ぶりに生まれ変わりました」が「ホールデンが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中にいつまでも留まる」のであり「さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください」と帯に書かれているが、この「もう一度」が大切なわけで、この『ライ麦』が『いちご白書』であるとかサイモン&ガーファンクルと同じで臭ひ表現だがいつまでも青春の一頁にあるオジサン、オバサンにもう一度村上訳で読ませよう、といふ、『ライ麦』くらいしかロングヒットない白水社の商魂なのであろう。それにしても「ホールデンは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです」とは、ホールデン読んだら「奴さん、ぜんぜんわかっちゃいない」と口にするだろうに。「奴さん」なんて村上春樹の訳にあるわけがなく、これは野崎孝訳の40年前の『ライ麦』だが、実は40年前の『ライ麦』が何故40刷ちかいロングセラーになったかと言えば原作の素晴しさは当然としてこの野崎訳がホールデンの言葉を生き生きと描写していたからで、つまり村上訳を読んでも野崎訳に比べて鮮烈なほど生まれ変わったかといふと実はほとんど変わらず。トンガっていた……とかくとトンガ王国みたいだ、トンガッテいたホールデンが村上訳では多少柔軟。ホールデンが寄宿学校に最後に残す言葉も「ガッポリ眠れ、低能野郎ども」が「ぐっすり眠れ、うすのろども!」と上品に、といった細かい点はあっても本筋では大して変わらず。それほどに野崎訳がいいのだが。もう話の筋も会話も小津の映画の如く細部まで知りし『ライ麦』でありサリンジャーの原本も何度か読んで今更なのだがそれでもまだ飽きずに村上訳読みたるが事実。築地のH君は『ライ麦』手にとるのがとても恥ずかしく、と述べていたが。白水社といへば青春の物語といへば『チボー家の人々』もこの出版社。20年ほど前に白水社Uブックスにて再版され廉価となりしこの本もかつては全五冊全巻揃え一万円くらいのはず、高校の頃にこれを近所の本屋で「つけ」で購い母親の逆鱗に触れむと覚悟したところ母曰く「あら、あたしが読んだのと装丁も当時のまま」と懐かしがられ高価不問、懐かしきこと。
▼昨晩博識のH氏に聴いた話。九龍湾のしがなき集合住宅にして今回の疫禍にて世界に名を馳せたるアモイマンション。漢字名は淘大花園。アモイは厦門、福建省の古くからの港町にて、Xiamen(シャーメン)が現在の呼び方であるが福建の言葉で発音するとハーモイに近く、それを当時の英国人がAmoyと呼んだのであらふ、とここまでは支那の方言にまで堪能なる小倉のS君より聴く。で、その厦門が何故に淘大かといへば言葉に直接の関係なし。H氏によれば、淘大といへば香港の人が思い浮かべるは醤油の大手老舖の淘大醤油、実はこのマンションの敷地、かつての淘大醤油の醸造場であり、それが移転し跡地にマンション建設。で淘大の名の由来わかりしが、では何故にそれが厦門かといへば淘大醤油の創業が福建厦門の人。醤油は確かに福建の名産にて、香港にて醤油で財をなして、その土地に建ちたるマンションの名にAmoyを当てた、と。なるほどねぇ、と膝叩き感心す。で更に何故この獅子山下に醤油工場かといへば、当時、良水を得ることは醤油醸造に必須にて飛鵝山などより水を得るには此処は地の利あり、と、これは推測。写真はKCRのHungHom站出てすぐ右手にかなり昔からある淘大醤油の看板(五月八日KCRの車窓より写す)

五月五日(月)雨。朝起きると集中豪雨の紅雲警報発令中。夜半に目が覚めるほどの雨ではなかったが新界、深センとの境界あたりはかなりの水害と報道あり。晩に藪用あり終わって数名で食事済ませ帰路一緒になったH氏とバスに搖られ歓談続けるに、北角在住の氏と寿司加藤の話題となり余は食評論家・唯霊氏に薦められたのが加藤に行く切っ掛けという話から、そういへばH氏のマンションは唯霊氏と同じ、唯霊氏といへば信報に連載の隨筆、という話となり、H氏も信報の愛読者で唯霊、劉健威の文章好み、曹仁超の投資者日記も面白いが、やはり文章の冴えは登β達智、そして何よりもやはり社主兼主筆の林行止の広範なる知識は敬服以外の何ものでもなく、香港にて信報発行される限りはまだ香港も大丈夫、と語る。H氏に氏の師匠であるS先生、先生は台湾生にて九州大学の農学部卒、このS先生も信報を長年愛読、と教えられ、尊敬するS先生なら、と納得。香港大学の経済学、世界的大家にて書家でもあり健筆誇る張五常(米国での脱税容疑にて指名手配されており米国には戻らず……笑)の蘋果日報での連載も面白いが、このかなり常人離れした張五常ですら林行止だけは素直に称賛するほど。香港ではこの唯霊、劉健威、曹仁超、登β達智、林行止、張五常それに『號外』での余宗明あたりを読めば文智秀逸。H氏との話題は勝新太郎に至り勝先生の逝去の前年だったか蔡瀾氏と黄沾氏の主宰する深夜番組に出演のため来港、素晴らしいトークの冴え。あの当時、香港のテレビはけっこう面白かったと彷彿。H氏に石原慎太郎について問われ、石原を非難することは容易だが、現実に東京都にて300万もの得票集めた事実、しかも注目すべき事実は石原に蔑視されているはずの中国人、朝鮮人においても、歌舞伎町にてビジネス展開の華僑であるとかパチンコ業界人士にて石原カジノ構想に虎視眈々の方とか具体的な利権絡みは別としても新参者の悪行に困惑する旧来の「第三国人」のなかに石原改革支持があることなど香港では報道されぬが考察に値す、と述べる。
▼日経「風見鶏」に「われらの戦後の終わり」という西田睦美編集委員の文章あり。教育基本法について。われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。……という拡張高い前文で始まるこの基本法は「民族の歴史や伝統に触れていない」として中曽根大勲位が「「蒸留水みたいな人間になれ」と評するなど基本法には根強い批判があるが、その文章には伸び伸びとした力強さがある」と西田氏。これの「改正」がなぜ今なのか。自民党の河村建夫君(文部科学副大臣)の「現行法はいいことが書いてあるが、どこの国でも通用する内容で、日本らしさがない。家庭の役割とか公共の精神など欠けている視点がある。戦後、われわれは平和な国家を築き、その目標はすでに達成した。教育の荒廃も進んでおり、早急に次の教育をどうするかを考える時だ」という呆れるほど拙稚な主張を西田氏紹介、この河村君には「どこの国でも通用する」ということが法律に於て最も崇高である普遍法であることの意義も、法律に「国家らしさ」など要らぬことも、基本法の文面改正したところで家庭も公共も改善などされぬことも、日本は戦後、平和な国家など築けずにいることは国内は戦争などないかも知れぬが国際社会において米国のテロ行為支持するだけで平和標榜する国家などと言う立場に非ず、教育の荒廃の原因も結局はこの半世紀で理想的な社会築けずに今日に至った大人の社会的責任であり憲法だの教育基本法の欠陥が原因ではないことを河村君には理解できず。ただ基本法に「いいことが書いてある」と思っただけ河村君もまだマトモか(笑)。西田氏はこの河村君の主張引用したあとに、若い世代の屈託のない国家観、なぜ年配者が何にも先だって愛国心を説くのか、「愛国心」でも「国を愛する心」でも英語に訳せば一緒、といった点など指摘、この文章の流れから、当然西田氏はそういった言葉だけの改正弄びに疑問を投げかけている、と思って読み進んだのだが、結論は「基本法を改正することは戦後に一区切りつけ、新しい国の姿を描くことにつながる。基本法を読みながら、たまに戦後の終わり方を考えるのも悪くはない」と、「おいおい……」って感じ。結局、改正やんか、それもこの漠然とした「……してみるのも悪くない」って村上春樹小説の主人公じゃないんだから。結局、戦後は終わった、新しい国の姿を描こう、という点では西田、河村両君とも発想は一緒、これが石原支持とかにつながる。戦後は終わった、だの戦後憲法、教育基本法は役割を終えただの、日本は平和国家としてだの、言葉遊びばかり。実際には前述した如く平和に寄与せず。結局のところ、戦後、戦後というが戦争に負けただけで市民革命が起きて民主主義社会を建設したわけでもなく、憲法も基本法も体得できぬまま半世紀過ごし、社会が手詰まりになったら石原に期待し基本法、ゆくゆくは憲法改正で、という幼稚な期待。困ったもの。結局、戦前から綿々としたアイデンティティ喪失の社会が続いている、事実。そんなことを思いつつ文化欄に掲載中の阿久悠氏の『私の履歴書』読んでいたら敗戦の頃について書かれており、民主主義が始まった当時が今思えば「滑稽」なるもので、阿久氏の接した民主主義は小学校の教員の口から「昨日までのことは悪いこと、昨日までと逆のことをやったらよろしい」という乱暴さ。阿久氏曰く「思えば、この愚かしく、滑稽で、乱暴な民主主義の解釈を、その後誰も修正していない。ぼくらちりめんじゃこのような少年が、それぞれ成長の過程で、わが内なる民主主義を確立させただけで、実は、与えた側と与えられた側とのコンセンサスは、50年過ぎた今も得られていないのである」と、阿久氏の卓見。まさにその通り。

五月四日(日)大雨。早朝より粉嶺に参り箕勒仔より大刀屶へと行山の予定が雨だけならまだしも雷響り避雷できぬ岩山にて止むを得ず中止。六時半だといふのに一度目醒めてしまふと二度寝できぬのは老いの由。朝食とり朝刊数紙読んでいてほんの少し転寝。昼にかけて二時間ジムにて鍛錬。午後Z嬢と香港大学にて待ち合わせ大学博物館にて香江知味:香港的早期飲食場所なる特別展。昔の料理屋の店の文物だのメニューだのはどうしても少なく市街の写真での料理屋、茶屋の外見の認識多いがこのような発想だけでも大したもの。金陵、高陞茶樓、新紀元写真は英国王ジョージ六世戴冠を祝う祝賀の電光装飾)など戦前の有名な料理屋の様子や場所などわかる貴重な写真多し。これが全て鄭寶鴻氏による蒐集なのであるから敬服。博物館の茶室にて龍井茶一服。大学よりBonham Rd散歩して堅巷公園の香港医学博物館。疫禍もあり香港の感染症と医術の歴史もう一度見てみた次第。Hollywood Rdの骨董品屋ひやかしてElgin街の屋台(写真)玉葉甜店にて紅豆沙。中環に出て場外で競馬の結果見ればジムに行くまえに咄嗟で買った馬劵そこそこ当る。バスで北角。北角在住のT夫妻誘いZ嬢のお薦め(といっても本人もバスから看板見ただけ)明園西街の横丁入ったところにある華順越南餐庁、此処はかつての源發飯店(西環の高街に移り祥發飯店となる)があった路地裏で源發の店影すらあり。期待よかよっぽど美味い料理。軟蟹は格別。経営者が文人肌で日本語堪能。T氏宅に招かれ珈琲一喫し歓談二更に及ぶ。
▼昨晩遅く『東京人』5月号読む。東京の懐かしい写真。恵比寿で何度か尊顔に拝した沼田元気氏が昭和35年頃に銀座松屋屋上にて船遊びする写真あるのだが40年以上前の写真なのに沼田さんの顔も髪型も服装までもが今とあまり変わらぬことに感心。加賀乙彦氏が本郷菊坂、樋口一葉の旧居あたりについて書いているのだが古風な井戸のあるこの路地も今では「現代的な二階家建って明治の味わいのある街の風景はぶちこわしになってしまった」と。加賀氏が「私が好きな散歩道がひとつ減ってしまった」といふのはいいのだが「そのことを最も嘆いているのは樋口一葉その人ではないだろうか」という言説はどんなものか。意外と一葉なら、もしその現代家屋を見たら「あら、きれい」と言うかも知れず、一葉=下町というのは他に選択がないから長屋での貧困暮しに耐えていたのであり、好きでその暮しをしていたのでもなく、勝手な思い入れはいけない、と感じる。小津の『東京暮色』について田中真澄なる映画史家が書いており香港での上映は?と見たらまだ間に合った。それと大島渚の1967年の『日本春歌考』も見てみたい映画。新宿の鼎での鯵の「なめろう」、麹町の一元屋のきんつば……東京への郷愁。麹町といへば千鳥ヶ淵のフェアモントホテルがずいぶん前に閉館してマンション建設されているとか、全然知らず。東京に戻ると何度か止まったが東京オリンピックの時にけして普請のいい建物でもなく老朽化著しく、いつもあと何年もつか、といふ感じであったが老練の職員のあっさりとした服務もバーの落ち着きも格あり。ふと夜中に懐かしき東京を彷彿。
▼WHO、新型肺炎の流行地指定を感染地域で重度から軽度の段階別とし北京、香港など重度に指定される栄誉。日経(一面)には「中国の感染者は四千人に迫り、香港や台湾も加わって拡大の勢いが増している」と全く意味不明の記事あり。加わるというのは感染者数を合算の意味か、中国は一つであるから香港は当然として台湾も数は中国に加えるという政治的配慮か、香港の場合は感染が下降しており拡大の勢いには加勢しないのだが……いずれにせよ意味不明。
▼『週刊読書人』5月9日号の「論潮」に酒井隆史史が書いている話。最近、京都での反戦デモにて、デモ隊の一部が過剰警備の警官と揉めた際にある参加者が警察とも仲良くするべきと言ったところ、そのデモに参加していた中学3年生が、「みんなと仲良く笑顔で」と学校の道徳で教えられてはいるが「だけどそれは、笑顔でいられない人は出て行け、と排除した上での話」であり、この中学生は「私は仲良くできない人とは仲良くできない」と宣ったそうな。御意。米国にせよ「愛国」にせよ日の丸君が代にせよ前提として従えぬ者をまず排除して、その中で友情なり平和なりを語るのがいまのご時世。
▼斎藤貴雄の『空疎な小皇帝「石原慎太郎」という問題』(岩波書店)の書評で上野昂志が石原をうまく説明している(週刊読書人)。国会議員になった時は所詮どこかの派閥の青年将校を務めた程度で、青年でなくなった途端に賞味期限切れになると上野氏は思っていたが(じっさいにそうなった)「どうやら、それではすまない」と思わされたのは石原が東京都知事に就任したからで、都知事というキャラこそ石原にはぴったりで、東京という首都の領袖として権力揮いながら、あくまでも国家の傘の下で庇護されているポジションが石原に似合う、と。中国、南北朝鮮に侮辱的、差別的な言動があっても「とりあえず」地方自治体の長であるということで抑えられる。そこで勝手なことをしている、権力を弄んでいる程度なら、どうせ今期で降ろされるのだから、それでいいのだろうが、斎藤氏も上野氏の抱く危機感は、「石原が振りまく「嫌悪」の政治がこの閉息した社会の底に澱んだ負の情念を組織化して、上からでなあく下から、国を動かすことになるのではないか」ということ。閉息した社会の中で防災の名をかりての自衛隊の治安出動の日常化や北朝鮮との戦争も辞さぬといった発想が「勇気」と感じられ、そんなことへの勇ましさで自意識の充実を誤魔化す社会感情が、実に理解しやすい幼稚な国家主義の体言である石原を支持する。日本という国家が安全な軍事力を有し北朝鮮などに堂々と対峙する、その姿勢を自分に照らし合せ自分が一人前に勃起したと勘違いしているような思想、その快感の投影が石原に為されている。問題は石原にあるのではなく、やはり靖国で参拝する都知事に「石原ーっ!」と声援送ってしまふ若者なのだろう。本来なら若造に呼びつけられたら「馬鹿者、失敬なっ!」と叱るべきなのだが、狡いのか賢いのか(狡いのだが)叱りもせぬ。このような閉塞感が社会変動の怨念になってゆくと、取り返しのつかぬことになる。

五月三日(土)かなりの雨。憲法記念日。日経にて経済同友会の会長北城恪太郎君(日本IBM会長)曰く憲法については「これまで国民的な議論がなかなか盛り上がらなかったが、しっかりした議論をする時期がきた」と。このような言説が実際の過去の歴史とは関わりもなくずっと繰返されてきたことは小熊英二『民主と愛国』にて暴露されたのだが、実際に憲法議論があったかどうか、ではなく、自分がそういったことに言及できる立場となると「つい」これまではなかったが広汎に議論を、といったようなことを述べたくなるといふもの。実際にかりにこの議論がおきれば今の雰囲気では何も具体的な改革案もないから教育基本法などと同じで憲法も改憲してみることなど「ひまつぶし」がてら合意する国民が多いのだろう。が、真摯な議論も具体的な思想もないまま具体的なConstitution像もないまま憲法を弄ってしまふことの危険性など改憲に合意するものは誰もわかっておらず。朝、香港国際映画祭の主催団体であるHKIFFに電話する。昨晩の余のクレームはすでにHKIFFに届いており、電話に出た男性は柔軟で親切でもあり、彼は決定権のない立場のようで具体的な問題点をあらためて伝える。それは、小津の特集が通行証で見られぬということはbrochureには一切書かれておらず、それが通行証の期間限定が通行証の裏面に書かれていたとしても通行証購入後にそれが発覚しても返金も変更もできず、小津特集が見えることは購入前にHKIFF側に電話で確認しており、湾仔の芸術中心では先週末に小津特集を見れて昨晩は見れない、見れる、やはり見れないと判断が混乱しているように、この通行証の扱いについてHKIFF側できちんとした認識と対処ができていないことを指摘。暫くして上司の女性から電話あり。この方は通行証が4月の映画祭の期間内だけのもので小津特集は見れない、の一点張り。小津特集は映画祭の一環ではないか?という余の問いに何度質しても「小津特集は開催期間のあとに開催されている=だから見れない」という答えを繰り返し、そもそも発売段階のbrochureの記載に不十分な点があったことを認めないのか?にも答えず。あまりの愛想のなさに呆れあなたぢゃ話にならぬので上司を、と求める。上司は会議中とのことで後程返答、とHKIFF。どうも埒が開きそうにもなく、上級部署への抗議を検討。このHKIFFは香港芸術発展局なる政府の外郭団体の内部組織にて、この発展局は95年に政府出資で組織されており、また今回の映画祭の切符発売と宣伝は政府の康楽文化事務署が担っており、これなら明らかに公的であるが、発展局は=HKIFFであり自らの否を認めるわけもなく、康楽文化事務署とて役所で苦情などどうせ盥回しされ真っ当に応えられることも期待できず、政府のこのような市民対応のまずさは申訴専員公署(The Ombudsmanオブズマン)が扱うべき事柄であろうから、どうせ週明けにHKIFFより「認められない」といふ返事くることを前提に、Ombudsman宛に一連の事情と問題的を指摘したレターを準備する。第三者から見れば些細なことかも知れぬが、このHKIFFの余りに官僚的で自らの否を認めぬ独善的な姿勢は断固として抗議すべき。この怨念晴らさずおきべきか、エコエコアザラク、である(笑)。余がHKIFFであったら指摘されたら反論できぬ点なのだから、直に「御免なさい、ご指摘の通り」と否を認め、どうせこんなこと苦情いう客の一人や二人、通行証での小津特集の鑑賞など認めてしまい、ただこのことが他の通行証保持者に感染せぬことだけを祈りつつ「来年からは注意しましょうね」としてしまうのだが……。Z嬢と先日祝日に訪れてしまい休館だっが香港大学博物館の香港早期の飲食文化の展示見に行こうか、という話もでたが土曜日は開館している筈だが大雨にて念のため電話すると応答なく断念。外出もせず雜用済ます。どうであれ今晩の小津の映画あるので通行証での鑑賞はHKIFFが土曜の午後に返答するはずもなく今日は絶対に無理、西湾河の香港映画にて五時の『若き日』とZ嬢と一緒の予定だった九時半の『長屋紳士録』の入場券購う。二時間近く時間あり雨ひどく移動する気になれず昨晩に続き鯉景湾、どこでもいいので静かそうなFresh & Fresh Coffee Houseなる店に入り午後三時、下午茶メニューで公司三文治(Clubhouse Sandwich)頼んだら期待もしていなかったのに美味い三文治で驚く。新聞数紙読みこの日記打つ。付属のもっとも軽い電池ですでに40分ほど動かしていても電池消耗量は30%で、残り二時間弱使用可だそうな。立派。映画資料館に戻り小津の『若い日』看る。小津の八本目の映画で現存するものの最古の1929年(昭和4)。大学生がスキーに行く、というただそれだけの話。香港で無声映画でおせっかいなのはErnesto Maurice Corpusなるキーボード奏者がいて、この方が無声映画に曲をつけるのである。『メトロポリス』でもそうだったのだが、原作にない音楽が余計であるかどうかという意見すらあるのに、そのうえ演奏の音量甚だし。バスのなかでのケタタマしいテレビ放送、乗客の会話に抗じるため用いる耳栓する。演奏ぢたいはかなり上手いのだが場面にあわせ「エレクトーン占い」のおじさんの如し。どうせなら山田広野氏を招き活弁するか佐藤千夜子、四家文子の昭和初期の流行歌でも流していればいいものを。日本映画好きのATVのW君も映画終って「つまらない」と一言。当時の現実といへば忍び寄る軍国主義、大学では共産主義思想が流行り芸術とてプロレタリアート芸術の盛んな時代、その時代に大学生とスキーという、それを撮ってしまったといふことは「何考えてるの?」と唖然とされるほど凄いこと。『私をスキーに連れてって』である、これぢゃ。見方によっては大学に行きたくても行けなかった小津の大学生という生活への憧れとすら映る。それでも、それなのに小津の神話がどう構築されていくか、といえば例えばこの『若き日』について蓮實重彦は斉藤達雄が流れてゆくスキーを追うシーンを「バスター・キートンばりの追跡シーン」「大活劇」と語る(筑摩書房版『監督小津安二郎』)。映画を見ていない者は権威である蓮實の物言いだから斉藤達雄のこの演技はバスター・キートン並み、という認識となる。が、実際にはそう言ってはバスター・キートンに失礼なほどチャチな演技にすぎない。こうして事実より乖離した言説が生まれることは前述した経済同友会会頭の憲法談義でも同じこと。下宿から眺める工場の煙突もスキー小屋のストーブの煙突の煙も神妙に象徴性がもたされる。ただ小津の現存する最も古い作品ということで香港でまでこうして上映され、ただの大学生のスキーを神妙に見ている奇妙なキョービの光景。いったん帰宅。郵便受に緑色の封筒多し。税務署からの確定申告の用紙送られてくる季節、通称「緑色爆弾」と呼ばれる恐怖の封筒(写真)。晩飯。大雨のなかまた映画資料館に戻り『長屋紳士録』看る。飯田蝶子主演(後家で雑貨屋営むおたね役)。名演。きく女という置屋の女將演じる吉川満子(この女優の最後の出演が伊丹十三の『お葬式』での藤原鎌足らと演じた葬儀に参列する老婆役)が厄払ひに「けんのんけんのん」(険呑剣呑の書く?)とか、おたねの雑貨屋を去る時に「お喧(やか)ましゅう」と言う挨拶など、我が祖母の生前の物言いを思い出させる。東京の粋な女衆の物言い。小沢栄治郎の東京弁。笠智衆がイチロー的なニヒルな格好よさ。それが二年後の『晩春』ではすっかり老け役となり原節子の父親役となるのだからこの映画は笠智衆にとっても貴重。築地の本願寺の裏町の長屋、まだ築地に広い堀割あり、聖路加病院の塔は当然として築地の交差点から銀座の和光までが見渡せる昭和22年の東京。終幕の孤児去ってからのおたねの長い台詞は要らぬだろう。いい作品だが小津であるから長屋の住民も全然本格的に非ず、小津的な紳士淑女ばかり、だから長屋紳士録なのかもしれないが。映画終ってもまだ雨足強くタクシーで帰宅。

五月二日(金)曇。マンションのプールで少し泳ぐ。肌寒し。昼すぎジム。鍛錬。夕方旺角の街を久々に徘徊。バスの排ガス、工事現場の土埃りなど甚だしく普段とても歩く気にならぬがマスクがあれば大気汚染も風塵も気にならず快適。中南図書にて文具購う。Dundas街裏のオタク街にて鉄砲だの軍用品の小店ひやかし。廣華街の景記粥王にて帯子燗完魚片粥、秀逸、相変らず主人がいい人柄だが素人っぽさ格別。旺角の煙厰街にて老人並ぶ行列あり何かと思えば慈善団体がマスク、消毒液など配り、医者が体温と脈を測り薬用茶振る舞ひ。海外からのどこかのテレビクルーも撮影中(写真)。ビデオとってるオジサン、ちょっと「感染しちゃった」みたいな顔色と汗ですが偶然でしょう、ビデオカメラのレンズがLeicaですね、いいなぁ。粥食べたばかりだといふのに花園街の楽園にて清湯牛肉丸食す。やっぱり美味い。これで大八良記で紅豆沙食べたら食べ過ぎ、我慢。少し散歩して八珍食品にて陳皮梅購う。隧道バスで太古城。Pacific CoffeeにてWireless Lan便利、網上の諸事済ます。西湾河の香港電影資料館、Z嬢と小津の『戸田家の兄妹』看る。入場の際に香港映画祭の通行証での入場を一旦断られ、対応に現れたDuty Managerはここでのこの上映は席に限りがあり、この通行証は映画祭の開催期間のみ有効、と宣う。が、この小津の特集が映画祭の一環であり、これも鑑賞できることは主催者に電話で確認しており、brochureにも小津は通行証で見れないとは一切書かれておらず、と説明。すると場内に空席が多少あるので入場許可、と言われ、映画祭の期間も通行証はチケットが売切れの場合はチケット保持者が入場した後に空席の状況次第で入場可という規則こそあるが売切れでもないのにこの措置に不満もあり。この『戸田家の兄妹』初見。小津映画として『東京物語』よりこれのほうが一つ一つのショット、その光景、様式はずっと小津らしく、とくに廊下などでの人の、たんなる廊下なのだが街頭でのような出会いと別れは見事すぎるほど見事な様式美。戸田家の老夫婦演じる藤野秀夫と葛城文子は戦前の日本映画の重要な役者、藤野演じる進太郎が亡くなる晩のなんでもない夫婦の茶のみ談義が見事。藤野は戰後52年の『乞食大将』という映画に1本出ているが45年の終戦以降それ以外出ておらず、葛城文子も45年で終る。良吉役の子役葉山正雄も44年まで。戦後も活躍するのは佐分利信、高峰三枝子、三宅邦子ぐらいか。だが忘れてならないのは女中「きよ」役の飯田蝶子はもう老け役だが若大将シリーズで若大将の祖母田沼りき役で役者人生を締めくくる。あと二、三回は見たい映画。この映画が1941年、昭和16年に撮られていることもかなり意味深。当時、もう軍事体制のなかで、この「家族の確執」をとった小津も小津だし、これが当時、浅草とかの映画館で上映されていたのだろうか、今でこそ小津、小津と一シーン毎に意味づけしつつ見ているが、当時、これがどう見られていたのか。キネマ旬報のその年の最優秀映画なのだが、このような映画に金を払って見ていた客はどういった客なのか。うちの祖母など小津の映画のことなど死ぬまで一言も口にもせず。そして、この昭和16年でありながら、物語には戦争の「せ」の字も出て来ず。子役の葉山正雄の服装が途中から国民学校の制服となるのが昭和16年という時代を感じさせる程度。ただ佐分利信演じる二男昌二郎が天津での商売、それが戦時下どれだけ焦臭いものかは映画の中では語られぬが察することは可能で、映画では中国へ渡る、のだが香港で見ていると日本人が来る、というふうに見え、しかも昭和16年というのは日本が中国侵略続ける戦争の最中、その戦争を語らずただ商売に行くばかりかこの昌二郎が母と妹、それに女中の「きよ」にまで大陸に来て一緒に暮そうと誘い、老女らも妹もそれに気軽に「はい」と答えてしまう、それが中国側から見ていると余りに現実無視のノーテンキに映るのは事実。日本人の朴な感覚といへばそのもの。小津は敢えて戦争の時代に戦争を語らなかった、といへばそうなのだが、当時の対支侵略が日本でどれくらい深刻には理解されていなかったか、ということがこの映画でもわかる、といふもの。終って出てくると先ほどのDuty Managerが通行証の裏面のコピー見せ「本証通行於電影節期間(4月8日至4月23日)各場未満座的電影場次(以下略)」とあり、これに従い五月の小津特集は見れない、と説明するのだが、確かにこれは痛いところ突かれたが(笑)、この「電影節期間(4月8日至4月23日)」という制限が実はチケット発売段階にbrochureには書かれておらず、それで電話でも確認して通行証を購入しており、購入してから5月は見れません、では人生幸路ぢゃないが「責任者出てこいっ!」である。ましてや期間以降でも先週末に湾仔の芸術中心では『東京物語』など見れているのである。このDuty Manager、自分では判断できないのでコメント用紙にクレームを述べてくれれば上層に判断を仰ぐといふので一筆認めるが、へらへらと笑顔なので責任問題なのだからへらへら笑わず真摯に対応を願ひ退散。予定ではこのあと笠智衆が小津映画で初主演となる『父ありき』を見るつもりが予定狂い、『戸田家』だけで帰宅するつもりだったZ嬢も晩飯済ませておらず、余もさすがに午後三時の粥と牛肉丸では小腹空いて電影資料館からちょっと歩いて湾岸に出、鯉景湾一帯は湾岸のおしゃれな住宅地で界隈に飲食店多く、「味自慢」なるそこそこ客の入った日本料理屋あったが「アジジスン」と壁に書かれており日式とわかって避け、太康街にはハーバー眺めながらの「おしゃれに」戸も壁も払って開放的に並ぶ料理屋あり、どうやらこの開放式が疫禍のなかで好評博しているのかどの料理屋もこの不景気にかなりの繁盛、こういった「いかにも出来合い」の場所には余り来ぬからよくわからぬまま期待もせずVilla Biancaなる伊太利というか、まぁビクトリアハーバーに面した王菲の歌声流れる地中海料理屋。料理は並、ただお願いだからグラスワインとBloody Maryを料理より先に頼んで、出てくるのが前菜より後というのだけは勘弁、しかもBloody Maryがどうしても蕃茄汁の味しかせず、ウォッカの量が足していただく。湾岸のQuarry Bay公園を散歩。もう湾岸でこうして夕涼みする人の多い季節。
▼South China Morning Postに興味深い記事あり。ちょうど20年前の1983年、当時の30〜40代の香港各界の若手リーダーが選抜されYoung Professionals Delegationと自ら名付け、勇み北京訪れ当時の中共幹部らと会見、香港の未来に夢託し大いに語る。このdelegationのリーダーがAllan李鵬飛(のちの自由党党首)、Martin李柱銘(民主党党首)、Andrew Li Kwok Nan(Cheif Justice)などなど錚々たる顔ぶれ。Martin LeeとAndrew Leeこそ返還後の香港法治を担う双璧であったがMartinは89年の天安門事件によって北京政府と袂を分かち香港の民主主義を標榜、Andrew Liは香港司法が結局は全人大の拘束下にあることが大陸籍子女の香港居留権問題で明らかとなるなど北京との厳しい状況の許で香港の法治の独立性ぎりぎりのところで闘う。今晩、この12名が20年ぶりの晩餐するそうな。
▼坂口厚生労働相が昨日、新型肺炎の国内対策を話し合う関係閣僚会合にて「中国全土からの帰国者にのSARS潜伏期間とされる10日間、人と会うのは最小限に控え、外出時のマスク着用を求める」など新たな対策案を呈示。ふと気になるのはこの「中国全土」に香港は入るのかどうか。答えがないので厚生労働省の健康局結核感染症課にお忙しいのだろうから恐縮し手短にお尋ねすると担当官は大型連休の最中にほんと大変なんだよなぁという疲れた声で「あ、あれですが、大臣が昨日そのようなコメントしただけで、まだ……」と具体的にどの程度の施行なのか香港を含む含まないとか香港は?といった判断は何もされていないそうな。よくあることだがトップが細かいこと考慮も把握もせぬまま公言してしまい部署がそれに齷齪する、というよくありがちな話。ただ大臣のこの一言で大型連休中に数千人帰国するといわれている中国からの罹災邦人がどれだけ影響されるのか、厚生省、各都道府県の対応、ましてや人権問題にかかわることで、厚生省の担当にしてみれば困難なことを大臣はよくも簡単に口にしてくれて、というのが本音だろうか。中国といへば、この感染拡散、問題は超級伝播者(Super Sprender)と云われる拡散元凶者がまだ何人か発見されていないことらしい。この感染者、本人には余り自覚症状もなく、それでいて強烈な菌を保有しそれを撒き散らしている、と。内蒙古への拡散もこのSSである空中小姐による伝播であったとか。

五月一日(木)労働節。小雨。昼すぎに出街。地下鉄でばったり湾仔の六国ホテルの総支配人L氏と遇う。競馬の予想もらい、さふいへば先週末の日曜晩もこの時節にしては粤軒はそこそこ客あり、と話題振ると、L氏曰く営業厳しいのは事実だが疫禍不幸中の幸いは常連客が新奇の飲食店だの衛生的に不安な店を避け、やはり水準高いホテルが安心か、期待より来客あり、と。ただしなんでもない火曜日夜に繁盛し昨晩のような祝日前夜に閑散であったりと客足読めぬそうな。宿泊は惨澹たるもので回復は10月まで待たねばならぬだろう、と。湾仔の北京水餃皇にて韮菜猪肉水餃麺。この水餃子なる物言い、この水餃子こそ餃子であって、日本の焼餃子であるとか上海の鍋貼が亜流なのだろうが、子どもの頃、当時日本では餃子といへば焼餃子であった頃に郷里の町に盧山という美味い中華料理屋があり、ここで水餃子を出していたが、味はよくても子どもながらにこの「水餃子」の水という字と音がどうも水っぽそうで、料理の名前で「水」はないだろうに、と思っていたのだが、20年ほど前に北京から東北を旅した際に、この砂漠の如き土地にあってバザバサした料理が多いなかで穀物といへば饅頭のボザボザに対して水餃子という料理のもつ潤いが如何に旨さにつなががるかを知って、水餃という音を体感したものだったが、やはり香港でだと「水餃」というと、どうもやっぱり水っぽくていけない。湾仔の場外にて今日の競馬の前半戦の馬券買ってジム。鍛錬。15時半よりの第6レース目指して沙田の競馬場。譚氏にQE II Cupの時のデジカメ写真印画したもの差し上げる。かなり喜ばれる。馬主C氏のDashing ChampionがClass-2の1600m芝に参戦。苦手な沙田であるが調教での試走の時計よく、しかもいつもの李格力君体調崩し騎手はDye君というのも面白し。期待してC氏の子息C君と観戦。出走でハナをとりたがるのがDashing Championで、それをどう抑えるかが勝利の鍵なのだがDye騎手は抑えきかずハナに立ってレース引っ張ってしまい5着に甘んじる。今日は地元若手騎手が成績パッとせぬ馬で勝ってばかり、と重賞レースの翌回にありがちな展開続く。当然馬劵とれず。普段なら広東省への向う人たちで混雑する休日のKCRも閑散。バスも運行が間引きされているようで、引切りなしに来る隧道バスで10分ほど待つほど。ジムに戻り帰宅。ちらし寿司。フーコーのCollege de France講義集5『異常者たち』(筑摩書房)より1975年1月15日の講義を読む。抑圧の問題。フーコーは癩病とペストを例に挙げる。癩病は「排除」であり、厳密に分轄すること、距離を置くこと、個人と個人或いは集団と集団が接触しないこと、という前提で、具体的には癩者を城壁=共同体の向う側に締め出すことが行われ、排除され追放された人々の<価値>が剥脱され、外へ旅立つことは二度と戻らないことであり、それは死の宣告、財産までが譲渡可だった。こうした追放は都市からの浮動人口の排除など様々な形で歴史に続いているのだが、この排除行為の一方にペストに見られる管理のモデルがある。これは都市の網羅的警備であり、患者の封じ込めであり、これをフーコーは18世紀に起こった最も重要な出来事、としている。この封じ込めは地域の最も微細な要素にまで至る分析であり、その地域を貫く切れ目ない権力の組織化であり、この封鎖された都市においては中断のない監視が行われる、と。そして感染者は狩り出されるのではなく、一人一人に指定された場所が与えられ、たえずそこにいるかどうか監査される。感染者と非感染者は大別されるのではなく、大切なことはその二者に「不断に観察された一連の差異」が問題になる。この観察により健康、生命、寿命、個人の力が最大限にまで導かれ健康な住民集団を産出することが目的となる。つまり、癩病の追放と排除というネガティブな反応に対して、封じ込め、観察、知の形成、観察と知の積み重ねによる権力の効果増大といったポジティブな反応への変化がなされた。この、恒常的な検査が行われ、市民は一人一人が絶え間なく評価され、規則に適っているか、定められた健康の規格にあっているかが観察される、と、まさにキョービの新型肺炎もこの観察下に我々は今、ある。北京からの日本人の、これも「脱北」と云うのかやはり、を過剰反応と思っていたが、昨日、中国駐在の長かったA氏曰く、文革であれ天安門事件であれ今回の肺炎であれ、中国にいてああいう予測不能の事態がおきたらとにかく国外退去しかない、と。状況など全くわからないまま住宅だの会社だので軟禁、封鎖されてしまっては二進も三進もいかず、香港でもマンション封鎖などあったがまだテレビなどで外部状況つかめるだけマシかも。肺炎の感染に逃げるというより行政措置の断行避けるため逃げるということか。ディケンズ“David Copperfield”岩波文庫三巻目読む。

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